masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

高齢者虐待

知識不足で向精神薬投与?

介護事業者を舞台にした虐待事案がまたもや発生した。被害者は認知症高齢者の方である。

自らの身に起きた理不尽な出来事を他者に説明できなかったり、助けてほしいと声を挙げることができない認知症の人をターゲットにした虐待ほど許し難いものはない。

その加害者が介護事業関係者であっては、要介護者やその家族は誰を頼り、誰を信用したらよいのだろう・・・そういう意味で、介護事業者における虐待ほど、世の中の信頼を裏切るものはないと云いたい。そのようなことは起きてはならないのである。

まずは下記に転載させてもらったネットニュース配信記事を参照いただきたい。
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2026/05/25 14:30 共同通信社配信ネットニュースより転載
岩手県の一関地区広域行政組合は22日、同県一関市の高齢者施設「グループホームさくら花泉」が医師の処方箋なしに抗精神病薬を入居者に服用させたなどとして、介護保険法に基づき3カ月間のサービス停止処分を出したと発表した。15日付。施設は宮城県登米市の法人「さくら」が運営している。

組合によると2024~25年、職員の判断で抗精神病薬を飲ませたり、いすにベルトで拘束したりした。被害を受けた入居者はそれぞれ1人で計2人。他の施設への入居調整などが完了した後、8月からサービスを停止する。

法人の藤浦稔文福祉事業部長は取材に「職員らの知識不足でこのようなことが起き、入居者に申し訳ない。人格を尊重した支援を徹底するよう教育を見直したい」と話した。
転載ここまで
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今さら言うまでもなく高齢者グループホームは、「認知症」の方々が入所している居住系施設だ。
認知症の人の混乱と困惑
そこは、認知症で判断能力や見当識が衰えるなどした方々に、家庭的な環境において、それぞれの能力に応じた自立した日常生活を営むことができるようにする目的をもつ施設でもある。

そうした目的や理念を根こそぎ覆す行為が、今回明らかになった虐待行為である。

それにしても事業部長なる人物の、「職員らの知識不足」という言い訳は、なんと空々しいことだろうか・・・医師以外の者が勝手に利用者に抗精神病薬を飲ませたり、椅子にベルトで拘束したりすることが法の触れるということに特別な知識がいるとでもいうのだろうか。

薬の処方を医師以外の者がしてはならないことは常識中の常識だ。GHの従業員が勝手に抗精神病薬を利用者に飲ませれば、医師法や薬剤師法に触れるのは当たり前ではないか。

なおかつ身体拘束が原則禁止であることの知識もなかったというつもりなのか・・・。

度重なる法違反の薬の投与や身体拘束が行われていた事実からは、このGHの経営者・管理者・従業員全体に、利用者の人権を護るという意識が欠如していたと云わざるを得ない。

こうした虐待・不適切サービスを防ぐためには、虐待防止教育を行う以前に、人権教育を行わねば効果が出ないのだ。なぜなら虐待をしてはならない、虐待は悪であるということを理解できない人間はいないからだ。

それでもなおかつ様々な介護サービスの場で、虐待が繰り返し行われる背景には、人権意識が欠如した従業員の存在があり、そうした輩の不適切行為がエスカレートして虐待につながるからである。

介護事業における虐待行為をなくするためには、介護サービス利用者を、「要介護者」とか「認知症」などという冠をつけて見ずに、人としての存在そのものが尊いのであり、能力や属性など様々な違いがあったとしても、存在価値に変わりはないとみなす原則を知らしめることである。

同時に我々の職業とは、人に相対して介護等の眼に見えないサービスを提供するものであって、そうした行為で生活の糧を得ている以上、介護サービスを利用する人は、単なるユーザーではなく、「顧客お客様」であるという意識づけを忘れずに、お客様に対して失礼ではないサービスマナーを身に着けさせることである。

そうした意識に欠けたサービス事業者は、今回報道された事件が決して、「対岸の火事」ではなかったことをいつか思い知ることだろう。

そうならないように日ごろから従業員のサービスマナー意識を向上させる教育・指導に努めなければならない。
CBニュースの連載、快筆乱麻・masaが読み解く介護の今の最新記事がアップされました。
快筆乱麻masaが読み解く介護の今
今回のテーマは、介護報酬改定サイクルの見直しへの期待です。文字リンク先を参照ください。
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倫理観と知識の両方が欠けて起きた特養での傷害事件



昨年の大晦日に千葉県の特養で、湯温確認しない湯船に入所者を浸からせて全身やけどで死亡させるという事故が起こるなど、相も変わらず不適切対応による介護事故が絶えない。(参照:当たり前ができない怖さ〜熱湯風呂殺人事件

そうしたケアの基本が護られていない原因の一つは、知識の不足にも起因していると云われ、そのことが虐待原因にもつながっているということについて昨日更新記事、「虐待の発生要因とされる知識不足とはどういうことか?」でも解説したところである。

つまり不適切ケアや虐待は、必ずしも倫理観の欠如によって生ずるわけではなく、対応する従業員に悪気がないケースでも起こり得るわけである。

だからと言ってそれで罪一等が減じられるわけではない。そこで起きた結果の重大さは変わらず、利用者の心身に負わせる傷の深さに差が生ずるわけではないからである。

そうであるからこそ介護を職業とする者は、対人援助のプロとしての正しい知識と確かな援助技術を獲得し、日々それを磨いていかねばならない。それだけ重要な職業に就いているということを忘れてはならないのである。

しかし昨日も、倫理観と知識の両方が欠けて起きた介護事故の一報が届いた。
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共同通信社 2025/01/08 16:00 配信ネットニュースより
横浜市鶴見区の特別養護老人ホームで利用者の女性(90)に高温のみそ汁を飲ませ、食道などにやけどを負わせたとして、鶴見署は8日、傷害の疑いで、同市港北区、元介護士平井良侑(ひらい・よしゆき)容疑者(29)を逮捕した。署によると、施設側から残業を指示され「(冷ます)時間を短縮させるためだった」と容疑を認めている。女性は一時、重体となった。

容疑者は沸騰直後のみそ汁を薬飲み器に入れて、女性の口に流し込んだとみられる。苦しむ様子に気付いた容疑者が施設側に「入所者が女性に熱いお茶を飲ませた」と報告。施設の調査で容疑者がみそ汁を飲ませたことを認め、昨年11月30日、施設側から連絡を受けた女性の家族が被害届を出した。

逮捕容疑は昨年11月24日午後6時10分ごろ、当時勤務していた鶴見区獅子ケ谷3丁目の特別養護老人ホームで、女性に高温のみそ汁を飲ませ、食道や唇などにやけどを負わせた疑い。
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沸騰したみそ汁をそのまま利用者の口に流し込んだ際の容疑者の心境はどのようなものだったのだろう・・・。
恐怖の味噌汁
まさかその行為が、利用者の食道を焼き、生命を危険にさらすなどということは想定していなかったのだろう・・・だが熱湯を無理やり口に流し込まれた場合の痛みや苦しみは想定・理解できなかったわけがない。

当初、自分の行為を隠して、他の利用者が熱いお茶を飲ませと虚偽の報告をしているのだから、事の重大さには気づいたのだろうが、それは後の祭りである。

それにしてもみそ汁を冷ます、あるいは冷めるまで待つなんてことは、さして時間もかからないし面倒な行為でもないと思うのだが、なぜそれができなかったのだろう・・・意に沿わぬ残業を命じられたことが、このような危険・不適切行為につながったものだろうか。

それにしても理解不能な、人としてあるまじき行為である。

特養という場所は、要介護者の方が住み慣れた自宅を離れ、自分の人生の最晩年期を過ごす場所として住み替える居所であり、それは終生施設というの意味を持つ場である。そうであるからこそ特養とは、利用者にとって最も安全で安心して暮らすことのできる場所でなければならないはずだ。

そのような場所で起こった信じられない不適切行為。それが原因で生じた取り返しのつかない被害・・・。

このような事・事件によって介護施設及び介護事業全体に対する社会の信用は失墜の一途を辿らざるを得ない。そのようなことが繰り返されないようにしなければならない。

本件についても、すべての介護事業者において従業員に伝達し、このような行為が起きる要素をゼロにするように対策を講じなければならない。


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胃婁チューブ引き抜き防止の拘束は有りか?



先週木曜日に配信したオンライン講演、「身体拘束廃止マネジメント」は、お盆の真っ最中にも関わらず300人を超える皆様が視聴してくださり大盛況だった。

スマートホンから繋げていた方が多いので、もしかしたらお盆休みに合間に、休養中の場所で配信講演を視聴くださってくれた方も居られるのかもしれない。ありがたいことである。

ご覧になった方は、どのような感想を持っただろうか・・・。(その講演のアーカイブ配信動画を下に張り付けているので、興味のある方はご覧いただきたい。

そこでも解説したが、原則禁止されている身体拘束には、「例外規定」が設けられている。

身体拘束は、「当該入所者(利用者)又は他の入所者(利用者)等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合」に、「切迫性」「非代替性」「一時性」の3つの要件を満たしたうえで、なおかつ、下記で図解しているような手順を踏んで例外的に拘束を行うことができるとしている。
例外的な身体拘束を行わざるを得ないことを確認する行程
つまり例外とは、要件手順の両方をクリアして初めて適用されるのである。

しかしこうした例外であるはずの身体拘束が、あまりにも安易に行われていると思われるケースがある。

その中には要件に該当しているのか首を傾げるケースや、要件に該当していても例外適応の手順を踏んでいないとみられるケースがある。

それらが運営指導で不適切とみなされれば、身体拘束廃止未実施減算の対象となるので注意が必要だ。

例えば胃婁チューブ(カテーテル)を抜去してしまうケースはどうだろう・・・チューブを抜いてしまうからと言って、そのことが直接生命の危険性に結びつくことは考えにくい。ただし抜き方によっては胃壁などを傷つける恐れはあるので身体を保護するため緊急やむを得ない場合に該当するケースはあるだろう。

その場合でも拘束はあくまで一時的でなければならない。

しかし一時性を拡大解釈して、「胃婁増設している最中だけ拘束する」というのは問題だ。そのような状態は一時性には該当しない・・・なぜならば、その人が胃瘻造設のまま死を迎えるとしたら、死ぬまで拘束し続けられるという意味だからである。

よって一時性要件をクリアしようとするなら、胃瘻造設中も拘束しない時間帯を設ける必要もあろうし、身体拘束に代わって取り得るほかの方法を考えなければならないということになる。

漫然と胃瘻造設中に身体拘束をし続けておれば、当然減算を適用しなければならないのである。

だからと言って減算しておれば良いという考えも間違っている。減算は罰則であり、罰せられる状態をなくしていこうと考えなければ介護のプロとは言えない。

そもそも拘束される人の身になって考えなければならない。行動を制限されることは、どのような理由があろうと非常に大きなストレスでしかない。その状態をなくそうとしないのは、介護のプロ云々という前に、人の道を外れているとしか言いようがない。

例えば胃婁を増設されたアルツハイマー型認知症の人で、チューブを引きぬこうとしない人の方が少ない。それだけ胃婁チューブは違和感のあるものなのだ。

それを引き抜かないように何らかの拘束を受ける認知症の方々の困った表情嫌だという訴え助けてくれという声なき声を無視して良いのだろうか・・・。

この場合はチューブ抜去をどうするかという観点ではなく、そもそも身体拘束をしなければならなくなった根本原因である胃婁からの栄養補給は必要なのかということも考慮に入れる必要がある。

アルツハイマー型認知症は、脳細胞が減り続け、その過程で口や喉の筋肉の動きをコントロールできなくなるためむせやすくなるのである。

この状態になった当初は、食事形態をソフト食などに変更するなどの工夫で、しばらくの間はむせないで食べることができる。しかし口や喉の筋肉の動きは低下し続け、やがてソフト食もむせるようになる。

さらにこの状態は進行し続け、口を開けなくなったり、咀嚼せず、いつまでも口の中に食べ物をためたりするようになる・・・この状態の人にまで、胃婁を増設する必要性・必然性はあるのだろうか。

こうした状態は、体が食べ物を必要としなくなっている状態といえるのではないのだろうか・・・それは終末期ケアを受けるという選択肢のひとつといえないのだろうか?

さすればこうした状態になった時には、胃婁なんか造らずに拘束も受けることがないように、安楽に最期の時を過ごして、この世で縁を結んだ方々とのエピソード作りに重点を置くという考え方があっても良いのではないだろうか。

本当の意味での身体拘束廃止とは、拘束という行動制限を行わざるを得ない理由にまでアプローチして、その原因を創り出す行為をなくしたり、変えたりする必要があるのだろうと思う。

人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)の過程では、こうした部分の話し合いも必要になると思う。
8月15日にオンライン配信した、「身体拘束廃止マネジメント〜2024年改定対応」ですが、下記からアーカイブ配信動画を視聴できます。興味がある方は下記YouTubeを参照願いします。



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マナー欠如減算・・・。


今週14日の参院本会議で、認知症基本法が全会一致により可決・成立した。

この法律は、「認知症の人が尊厳を保持し、希望を持って暮らすことができるよう、施策を総合的に推進する」としている。

しかしこれは自慢できる法律ではないと思う。

平等主義や基本的人権の根拠ともなる、「尊厳」について、認知症の状態の人もそれを保持しているとして、立法化して保護する必要があるということは、この国の実態として、いかに認知症の人の尊厳が無視され、人として尊重されていない場面が垣間見られているという実態を表わしているともいえる。

しかもこの法律の目的の一つが、「認知症の人との共生社会を目指す」ことであるという。

人はどのような状態であっても社会の中で他者と共生するのが当然であるにもかかわらず、あえて認知症の人との共生社会の実現を目指す法律が必要だということは、我が国のどこかで、認知症の人が、認知症ではない人と共生できていない状態が存在するということだ。

しかもそのことが、必ずしも世情に精通していない政治家の目にも見える形で存在しているという意味である。

そういう意味では、この法律は我が国の恥の象徴ともいえるのかもしれない。
恥を知れ
そうした恥の文化を創り上げているのが、対人援助の場で顧客である利用者に対し、「タメ口」で接することを恥と思っていない頭の弱い連中の存在である。

そいつらは、顧客に対し失礼極まりない「タメ口対応」を恥と思わないばかりではなく、その言葉が「親しみ」を表わす言葉だと誤解している。

そんなふうに、「タメ口」という日本語の意味と使い方を知らない、頭の不自由な輩が、介護業界には数多く存在しているのだ。

お客様に丁寧に接しつつ、なおかつ親しみを持ってもらえる接客という行為ができない輩が、家族と同じように遠慮なく、ぞんざいな態度で接することを、「家庭的で親しみやすい態度」と勘違いしてふるまう・・・そのような介護のプロにあるまじき、失礼で素人としか言えない対応に終始する頭の弱い連中が、認知症の人の尊厳を無視して、認知症でない人と差別して接する風潮を生んでいるのではないか・・・。

本来、認知症の人たちが社会の中で共生するなんてことは、法律で定められて実現するような問題ではない。

私たちが人に冠をつけて、曇った目で見ようとしなければよいだけの話だ。認知症の誰々さん、重度障害のそれこれさん、要介護のへのへのもへじさん・・・そうした冠をつけずに、ひとり一人が個性ある人間であるという目で見つめ、個性ある一人一人の人間に、人としての愛情を注いで触れ合うという基本を崩さなければよいだけの話である。

それができないのだから、法律でがんじがらめに人を縛らねばならなくなる。

さすればマナーに欠ける対応に終始する介護事業関係者を変えるためには、倫理や道義と言った観念論ではなく、罰則を伴うルールが必要になるのだろうか。

例えば身体拘束を廃止すために、それを実現できない事業者に課した、「身体拘束廃止未実施減算」を手本にして、「マナー欠如減算」が介護報酬に新設される必要があるのだろうか・・・。

しかしそれこそ恥の上塗りである。顧客に対してマナーをもって接することができない恥と、それを減算ルールでしか正すことができない恥である。

そのような恥ずべき事業に対して、税金と保険料という公費を投入しつづけることに、果たして国民が嫌気をさすことはないのだろうか。そこが一番懸念されることである。

認知症の人を、法律を定めてしか護れない国であるという実態を、私たち介護関係者は自分の日ごろの仕事ぶりを振り返って考えていく必要があるのではないか。

法律や法令ルールは、所詮人が創る文章でしかない。そこから漏れたものは、すべて許されることではないはずだ。だからこそ法律や法令ルール以上の戒めが、私たち自身が他者を思いやる心から発せられなければならない。

それは法律を超えたものであり、人としての生きる道であるはずだ。それを忘れてはならないと強く思う。
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