僕が住む地域周辺の高齢者施設の中には、感染予防のために面会制限を続ける中で、オンライン面会を行っていることがマスコミに取り上げられて、そのことをを自慢していい気になっている施設がある。
僕の個人的感情で言えば、そんなふうにオンライン面会を自慢気に喧伝する施設の職員には胸糞が悪くなる・・・。
制限下でオンライン等を使った面会の工夫をするのは当然であるし、オンライン面会システムがあっても、それを利用できない利用者が存在しており、その人たちのケアをどうするのかが一番の問題だろうと思うからである。
そもそも居住系施設が何の権限で、年単位あるいは月単位に及ぶ長期間の面会制限を行うことができるのだろうという疑問を持っている。だからこそ制限はできるだけ緩やかにして、オンラインで面会が難しい人の対策もしっかりと取らないとダメだと思う。
そのため3/10付の、「施設利用者の権利は本当に護られているのか」という記事では、一般のアパートでは決して行うことができない制限を、なぜ高齢者専用の居住系施設だという理由だけで行えるのだろうと疑問を投げかけた。
さらに先週の木曜日には面会制限を続けている施設等で暮らしている利用者の方々は、果たしてその暮らしに不満はないのかということと、不満があった場合に私たちは手をこまねいてみているだけでよいのだろうかという気持ちを込めて、「そこに春はやってきますか?」という記事を書いた。
そしてそのことに関連して、表の掲示板に、「皆さんの周囲の介護施設等の面会制限の情報を教えてください」というスレッドを建てて、現状はどうなっているのかを確認するための情報提供を呼び掛けた。
そのスレッドにはたくさんの介護施設関係者の方々が意見を書いてくださっている。
その書き込み内容を読んで感じたこととは・・・「日本の介護事業関係者は捨てたもんじゃない」ということだ。
書き込み内容を読んでわかることは、だれしも制限することの利用者に及ぼす影響を真剣に考えながら、やむを得ない状況であるという判断のもとに制限を行ったり、その制限を緩める方法を模索したり、実際に直接会って面会できる工夫をしているということである。
書き込んでくれた人の意見は、どれ一つとして不見識な意見はない。
制限せざるを得ない実情もきちんと説明されている。書き込みをしてくれた方々全員が頭が良くて、心が清々しい人たちであると感じられ、そんな方々が真剣に考えて書き込んでくれている。
同じ制限を行うにしても、世間の一般的風潮がそうなっているからと何の疑問も感じずに制限を行っている人と、本当にその状態が仕方がないのかと考えて制限を行っている人では、必ず以後の対応に違いが生ずるだろう。
利用者の方々に向ける眼差しも違ってくるのではないかと思う。制限することを心苦しく感じて、その分思いやりの心を伝えようとするのが対人援助の本質だ。科学できない心を排除しないケアこそが、こうした厳しい状況下で求められるものだと思う。
その差とはもしかしたら人間性の差とか、知性の差を表すものかもしれない。
科学的根拠に基づいた介護は必要だが、だからと言って介護のすべてを科学で割り切って考えようとすることは違うのではないかと思う。
人と関わるうえで何より大事なことは、私たち自身が介護を必要とする方々や、その家族の方々に関心を寄せることであり、私たちの知識と援助技術に愛情というエッセンスを加えることだと思う。
そういう意味では、人間愛というエッセンスを排除した科学的介護は何の意味もないと思う。
私たちにも、利用者の方々にも、そしてその家族にも、すべての人には感情があり、様々に感じ取る心があるということを忘れてはならないのが介護という職業ではないだろうか。
どうかそのことを忘れないでほしい。
高齢者施設のクラスター感染は、22日0時までの直近1週間では145件となり、前週から196件減って8週ぶりに100件台となっている。これもどうやら第6波のピークダウンを迎えたといってよいと思う。
こうした状況も踏まえたうえで、更なる制限緩和に努めていただきたいと切に願うのである。
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