今週14日の参院本会議で、認知症基本法が全会一致により可決・成立した。
この法律は、「認知症の人が尊厳を保持し、希望を持って暮らすことができるよう、施策を総合的に推進する」としている。
しかしこれは自慢できる法律ではないと思う。
平等主義や基本的人権の根拠ともなる、「尊厳」について、認知症の状態の人もそれを保持しているとして、立法化して保護する必要があるということは、この国の実態として、いかに認知症の人の尊厳が無視され、人として尊重されていない場面が垣間見られているという実態を表わしているともいえる。
しかもこの法律の目的の一つが、「認知症の人との共生社会を目指す」ことであるという。
人はどのような状態であっても社会の中で他者と共生するのが当然であるにもかかわらず、あえて認知症の人との共生社会の実現を目指す法律が必要だということは、我が国のどこかで、認知症の人が、認知症ではない人と共生できていない状態が存在するということだ。
しかもそのことが、必ずしも世情に精通していない政治家の目にも見える形で存在しているという意味である。
そういう意味では、この法律は我が国の恥の象徴ともいえるのかもしれない。
そうした恥の文化を創り上げているのが、対人援助の場で顧客である利用者に対し、「タメ口」で接することを恥と思っていない頭の弱い連中の存在である。
そいつらは、顧客に対し失礼極まりない「タメ口対応」を恥と思わないばかりではなく、その言葉が「親しみ」を表わす言葉だと誤解している。
そんなふうに、「タメ口」という日本語の意味と使い方を知らない、頭の不自由な輩が、介護業界には数多く存在しているのだ。
お客様に丁寧に接しつつ、なおかつ親しみを持ってもらえる接客という行為ができない輩が、家族と同じように遠慮なく、ぞんざいな態度で接することを、「家庭的で親しみやすい態度」と勘違いしてふるまう・・・そのような介護のプロにあるまじき、失礼で素人としか言えない対応に終始する頭の弱い連中が、認知症の人の尊厳を無視して、認知症でない人と差別して接する風潮を生んでいるのではないか・・・。
本来、認知症の人たちが社会の中で共生するなんてことは、法律で定められて実現するような問題ではない。
私たちが人に冠をつけて、曇った目で見ようとしなければよいだけの話だ。認知症の誰々さん、重度障害のそれこれさん、要介護のへのへのもへじさん・・・そうした冠をつけずに、ひとり一人が個性ある人間であるという目で見つめ、個性ある一人一人の人間に、人としての愛情を注いで触れ合うという基本を崩さなければよいだけの話である。
それができないのだから、法律でがんじがらめに人を縛らねばならなくなる。
さすればマナーに欠ける対応に終始する介護事業関係者を変えるためには、倫理や道義と言った観念論ではなく、罰則を伴うルールが必要になるのだろうか。
例えば身体拘束を廃止すために、それを実現できない事業者に課した、「身体拘束廃止未実施減算」を手本にして、「マナー欠如減算」が介護報酬に新設される必要があるのだろうか・・・。
しかしそれこそ恥の上塗りである。顧客に対してマナーをもって接することができない恥と、それを減算ルールでしか正すことができない恥である。
そのような恥ずべき事業に対して、税金と保険料という公費を投入しつづけることに、果たして国民が嫌気をさすことはないのだろうか。そこが一番懸念されることである。
認知症の人を、法律を定めてしか護れない国であるという実態を、私たち介護関係者は自分の日ごろの仕事ぶりを振り返って考えていく必要があるのではないか。
法律や法令ルールは、所詮人が創る文章でしかない。そこから漏れたものは、すべて許されることではないはずだ。だからこそ法律や法令ルール以上の戒めが、私たち自身が他者を思いやる心から発せられなければならない。
それは法律を超えたものであり、人としての生きる道であるはずだ。それを忘れてはならないと強く思う。
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