介護の職業をしているからといって、聖人君子になる必要はない。
ごく普通の人でありさえすれば良いのである。
そういうと、「普通って何?」・「普通にもいろいろあるよね」と上げ足をとる輩もいる・・・小難しいことを考えず、かつ捻くれた考えをせず、人の命を奪ったり、人の心を傷つけることを面白いと思わないごく普通の人と考えればよい。
だが、ごく普通の人と言っても人は様々な側面を持つ存在であり、決して良い面ばかりを持つとは限らない。どうしようもなく駄目な部分を持っているのも人の性(さが)である。
人前にはさらしたくない本性を持つ人もいるかもしれない。
しかし誰しも本性のままに生きているとは限らない。人前で本性を隠して、衣装をまとった自分しか見せない人が居るかもしれない。しかしそうした自分を演ずることができるということも、その人のパーソナリティであると認めてよいと思う。
例えば他者に対する優しさに欠ける自分の本性を見つめている人が、その本性を隠して、他者に対して優しく振舞うのであれば、結果としてその人は優しい一面を持っていると認められて良いのである。
化けの皮をかぶって、介護事業者で良い人を演じているという人がいったら、そんな化けの皮をはがす必要なんてないのだ。ずっとその化けの皮をかぶったまま、良い人を演じ続けてくれれば良いのである。
むしろ職業として仕事をする場は、その道のプロとしてお金を稼ぐ場であるのだから、プライベートの自分とは違った自分を演ずることも必要になる。本性を丸出しにした姿勢でしか仕事ができない人間はプロとは呼べず、そこで金銭対価を得るに値しない人というべきである。
例えば僕自身も決して人から褒められるような人格者ではない。特にわがままで、一度嫌いになった人とは完全に縁を断つような、人の好き嫌いが激しい点は大きな欠点だろうと思っている。
だがその欠点をそのまま対人援助の仕事に持ち込んではならないことだけは理解している。その為、ぼく自身がどのような人に対して嫌悪感を持ちやすく、どういう態度になりがちかということについての自己覚知に努め、すべての利用者に対して公平な態度で臨もうと努めている・・・それができなくなったら、この職業を辞さねばならないと自覚している。
そのため、プライベートでお付き合いする人への態度と、職業で相対する人への態度は異なって見えるかもしれない。しかしそれがプロの姿勢であると思っている。
そうした態度が偽善に見えるなら、それも良いだろう。善を装ったとしても、結果的に利用者に対してそれが善行となるなら何も問題はないと思うからだ。
そんなことを考えるのは、介護業界にはプロになり切れないど素人が多いからだ。
プライベートで友人や知人と親しく接する態度が、そのまま対人援助という職業でも親しみを持たれる態度だと勘違いし、顧客である介護サービス利用者に対して、馴れ馴れしい無礼な態度を直さない人がいる。
その中には、目上の人に対しても対等な口の利き方を意味する「タメ口」さえ、親しみを込めた言葉遣いと勘違いしている知的レベルに問題のある輩も多い。
そういうプロになり切れない人、対人援助のプロとしての品性と能力に欠ける人は、介護業界から退場してもらいたいと心から思っている。
明日の夕方、沖縄の4事業所合同職員研修として、「介護事業に求められるサービスマナー〜選ばれる事業者になるために」というオンライン講演を配信するが、受講者の皆様が顧客に対するサービスマナー意識の重要性を理解され、その意識を高く持った介護サービスを実践してほしいと思う。
沖縄の皆様、明日画面を通じてお愛できるのを楽しみにしています。
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