介護保険制度の理念の一つは、「自立支援」であることは今更言うまでもない。

しかしその「自立支援」とは、「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むこと」(介護保険法第1章 総則 第1条)である。

そしてここで云うところの、「有する能力に応じた」という部分を抽出するのが個別アセスメントである。だからこそ自立支援といっても、その結果や形は百人百様だと思うのであるが、実際には百人の利用者にすべて同じ姿を求めるのが自立支援となっているのではないのだろうか・・・。

果たして私たちは介護事業に携わる立場として、本当に求められる自立支援ができているのか・・・。そのことを常に自問自答していく必要がある。

特に社会の変化とともに、介護事業そのものも自らの基盤を常に検証し続けなければならないのである。

そこで私たちが最も注意しなければならないことは、私たちが無意識に踏襲しているノーマライゼーションの思想は本当に正しいものであるのかということだ。

障がいがある人であっても、普通の生活を送ることができるようにするのがノーマライゼーションである。言い換えると、病気や障害を限りなく正常に近づかせようとするのがノーマライゼーションであるともいえる。

しかしその正常化が、介護事業者の先入観に基づいて行き過ぎたものとなっていないかが問題だ。

知らず知らずのうちに、人は人を分類する傾向にあり、そこではマジョリティとマイノリティに分別するという罠にはまることがある。

そして医学の世界では健康をマジョリティとみなして、病気をマイノリティであるとして治療してきた。

だがジェンダー問題は、そこに一つの疑問を投げかけつつある。マイノリティも認められるべき存在であるからこそ、性転換術も認められるのではないか。

極端な話になるが、日本人は肌が黄色いのは当たり前である。しかし欧米だとその肌の色はマジョリティではないことは明白である。この時にノーマライゼーションが、マイノリティを否定しマジョリティに導くものであるとしたら、欧米では私たちのような黄色い肌を、白い肌にすることが治療であるとされ、それがノーマライゼーションであるとされる危険性さえあるのだ。
パターナリズムで苦しめられる人
この間違いを、「自立支援というノーマライゼーション」は犯してはいないだろうか・・・。

例えば医療の歴史を見ると、先端技術を猪突猛進的につき進めた結果、医療行為自体が暴走する結果となり、社会の側からの啓発によって医療側がしぶしぶ暴走を止めたというパターンが見られている。

ハンセン氏病の隔離医療がその典型で、本来なら医師の側から感染の心配はないという声が挙がらねばならなかったのに、実際には外圧によって隔離医療は廃止されたのである。

こうした暴走が、「自立支援介護」の手法において行われてしまえば、私たち自身が将来に大きな禍根を残す結果を生んでしまうことになる。

しかもその手法がいつの間にかパターナリズムという状態に陥ったとき、自立支援は暴力的な方法となって利用者に刃を向ける結果をもたらしかねない。

パターナリズムとは、私は専門家なんだから黙ってついて来いという状態である。

介護サービス提供者の価値観でしかないゆがんだ自立支援を実現するために、パターナリズムに走った典型が、「竹内理論」と言えるのではないのか。

おむつを外すということに価値を置き、その目的を達するために、個別アセスメントを排除した強制水分補給法というパターナリズムという暴走が、たくさんの人の不幸を生み続けてきたのではないのか。

私たちは竹内理論という暴走行為で、荒野と化した介護現場があることや、竹内理論という悪魔の行為によって奪われた命や、打ち捨てられた暮らし、見ぬ振りされた哀しみの涙がたくさん生まれたことを後世に伝えていかねばならない。

そのような間違いを繰り返さないために、地位と権威をもった人間の暴走の歴史を正しく伝えていかねばならないと強く思うのである。
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