masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

竹内理論 を含む記事

水分過剰摂取の恐怖・それを無視する人の罪


今でこそブルース・リーと言っても知らない人が多いだろうし、今の若者に言わせれば、「なんじゃそれ?」と言った感じだろう。

しかし僕たちが中学生の頃は、彼が世界一の大ヒーローだった。

燃えよドラゴン」から始まる一連のドラゴンシリーズを観るために、映画館に通った覚えは数あるし、カンフーとかヌンチャクとかいう言葉は、その映画で覚えた。

そのブルース・リーは、1973年夏に香港で32歳の若さで他界した。当時死因は鎮痛剤摂取による脳腫脹だとされていたが、没後50年以上経過した今、それが低ナトリウム血症である可能性が高いことが明らかになった。

クリニカル・キドニー・ジャーナル誌に発表された研究には、こう綴られている。

私達は腎臓が過剰な水分を排出できなかったことでブルース・リーが死亡したと考えています」・「ブルース・リーが、ある特定の腎臓機能障害により死亡したと仮定するとします。腎臓が恒常性を保てるほどの水分を排出できなかったのです」・「水分の過剰摂取と尿の排出量が合わない場合は、数時間以内に低ナトリウム血症、脳水腫(脳腫脹)、そして死に繋がります。これはリーの死亡のタイムラインにも一致しています。」・「水分の過剰摂取が、最終的に彼を死に至らせたようです」・・・。

誰よりも屈強だった伝説のアクションスターの死因が、「水分の過剰摂取による低ナトリウム血症」であったという結末にショックを受けた方も多いだろう。

しかし昔から、「水中毒」という言葉があるように、水分の過剰摂取は死につながる恐ろしい状態を引き起こすことはよく知られている。そもそも人間の腎臓が持つ最大の利尿速度は、毎分16mLであるため、これを超える速度で水分を摂取すると、体内の水分過剰で細胞が膨化し、希釈性低ナトリウム血症を引き起こすのは当然と言えば当然である。

そういえばブルース・リーの映画での一つの売りは、彼のアクションシーンでほとばしる汗のしぶきであった。その汗を美しく・強く見せるために過剰の水分摂取が必要だったのだろうか・・・・。
水分過剰摂取と水中毒
そこで思い起こされるのが、特養を中心に行われていた、「竹内理論」の実践である。それを行っていた特養では、身長や体重に関係なく、病状への配慮もなく、食事以外に1.500ml/日もの大量の水分摂取を強制していたわけである。

汗や不感蒸泄の量には、大きな個人差があるのに、それに関係なくそれほど大量の水分を一律強制摂取させているのだから、必ずその中には体が悲鳴を上げた高齢者も多いことだろう。

そして竹内理論の実践施設では、必ず強制水分大量摂取の影響で死に至らしめられた人がいるはずである。・・・しかし心不全や低ナトリウム血症は、高齢者では決して珍しくない死因なので、誰からも水分の過剰摂取が原因の死であると疑われなかっただけの話ではないかと思う。

そもそも竹内理論実践施設で、水分を強制的に1.500ml/日飲まされていた高齢者の中には、そんな水は飲みたくないと泣きながら拒否しているのに、そんな言葉も表情も顧みられることなく、無理やり口をこじ開けられて水分補給をされていた人がいる。

そんな例が枚挙にいとまがないのだから、声なき声や、目の充血や手足のむくみといった形で体が挙げる悲鳴なんて顧みられることもなかったのだろう。

それはまるで、カルト宗教に洗脳されたテロのような行為である。それが特養という暮らしの場で、一社福の王様である施設長の音頭で行われていたのだから恐ろしいことだ・・・。

だから竹内理論の実践旗を振っていた全ての特養施設長に言いたい・・・「人殺し」と・・・。

まさか人殺し行為である、「竹内理論に基づく水分強制摂取」をまだ続けている施設があるのだろうか。もしあるとすれば、その施設の経営者及び管理職に声を大にして言いたい。・・・「人殺し!!

今日はその一言で締めてよいだろう。
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押しつけのノーマライゼーションの成れの果て


介護保険制度の理念の一つは、「自立支援」であることは今更言うまでもない。

しかしその「自立支援」とは、「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むこと」(介護保険法第1章 総則 第1条)である。

そしてここで云うところの、「有する能力に応じた」という部分を抽出するのが個別アセスメントである。だからこそ自立支援といっても、その結果や形は百人百様だと思うのであるが、実際には百人の利用者にすべて同じ姿を求めるのが自立支援となっているのではないのだろうか・・・。

果たして私たちは介護事業に携わる立場として、本当に求められる自立支援ができているのか・・・。そのことを常に自問自答していく必要がある。

特に社会の変化とともに、介護事業そのものも自らの基盤を常に検証し続けなければならないのである。

そこで私たちが最も注意しなければならないことは、私たちが無意識に踏襲しているノーマライゼーションの思想は本当に正しいものであるのかということだ。

障がいがある人であっても、普通の生活を送ることができるようにするのがノーマライゼーションである。言い換えると、病気や障害を限りなく正常に近づかせようとするのがノーマライゼーションであるともいえる。

しかしその正常化が、介護事業者の先入観に基づいて行き過ぎたものとなっていないかが問題だ。

知らず知らずのうちに、人は人を分類する傾向にあり、そこではマジョリティとマイノリティに分別するという罠にはまることがある。

そして医学の世界では健康をマジョリティとみなして、病気をマイノリティであるとして治療してきた。

だがジェンダー問題は、そこに一つの疑問を投げかけつつある。マイノリティも認められるべき存在であるからこそ、性転換術も認められるのではないか。

極端な話になるが、日本人は肌が黄色いのは当たり前である。しかし欧米だとその肌の色はマジョリティではないことは明白である。この時にノーマライゼーションが、マイノリティを否定しマジョリティに導くものであるとしたら、欧米では私たちのような黄色い肌を、白い肌にすることが治療であるとされ、それがノーマライゼーションであるとされる危険性さえあるのだ。
パターナリズムで苦しめられる人
この間違いを、「自立支援というノーマライゼーション」は犯してはいないだろうか・・・。

例えば医療の歴史を見ると、先端技術を猪突猛進的につき進めた結果、医療行為自体が暴走する結果となり、社会の側からの啓発によって医療側がしぶしぶ暴走を止めたというパターンが見られている。

ハンセン氏病の隔離医療がその典型で、本来なら医師の側から感染の心配はないという声が挙がらねばならなかったのに、実際には外圧によって隔離医療は廃止されたのである。

こうした暴走が、「自立支援介護」の手法において行われてしまえば、私たち自身が将来に大きな禍根を残す結果を生んでしまうことになる。

しかもその手法がいつの間にかパターナリズムという状態に陥ったとき、自立支援は暴力的な方法となって利用者に刃を向ける結果をもたらしかねない。

パターナリズムとは、私は専門家なんだから黙ってついて来いという状態である。

介護サービス提供者の価値観でしかないゆがんだ自立支援を実現するために、パターナリズムに走った典型が、「竹内理論」と言えるのではないのか。

おむつを外すということに価値を置き、その目的を達するために、個別アセスメントを排除した強制水分補給法というパターナリズムという暴走が、たくさんの人の不幸を生み続けてきたのではないのか。

私たちは竹内理論という暴走行為で、荒野と化した介護現場があることや、竹内理論という悪魔の行為によって奪われた命や、打ち捨てられた暮らし、見ぬ振りされた哀しみの涙がたくさん生まれたことを後世に伝えていかねばならない。

そのような間違いを繰り返さないために、地位と権威をもった人間の暴走の歴史を正しく伝えていかねばならないと強く思うのである。
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おむつ外しを⽬的化した介護施設の⽀配構造


僕の連載記事、「菊地雅洋の激アツ!介護経営塾 〜選ばれる介護事業所であり続けよ〜」を毎月配信してくれている、「メディカルサポネット」の第6回配信記事が昨日アップされた。

今回のテーマは、「偏った理論の実践によって奪われた高齢者の尊厳〜非科学的介護実践を検証する〜」である。

ここで取り上げている、『ある団体が組織を挙げて推奨していたおむつゼロ推進運動」』とは、全国老施協が行っていた介護力向上講習のことであり、そこで行われていた方法論とは、『竹内理論による強制水分補給』であることは今更言うまでもないだろう。

個別のアセスメントを行なわずに、有する能力に応じない自立支援一辺倒の価値観で決められた方法論の恐ろしさを考えてほしいと思って解説している。

この悲惨な強制水分補給により、自分を護ってくれると思い込んでいた特養で、いったい何人の要介護高齢者がひどい仕打ちを受けていたことか・・・。そしていったい何人の要介護高齢者が、この悲惨な洗脳介護により、心不全等で亡くなってしまったことか・・・。
竹内理論による水分の強制の補給の悲惨さ
画像のように自分の力で、ストロー等を使って水分を摂取することができる人はともかく、それができない人や水分を拒否する人は、無理やりひどい方法で水分を強制摂取させられていたのである。

そのことの実態や顛末については、メディカルサポネットのほうに、わかりやすく、かつソフトタッチで書いているので、今日はとにもかくにも、そちらの方をご覧になっていただきたい。

そのためこのブログ記事はいつもより短めに書き終えたい。

なおメディカルサポネットの記事全文を読むには登録が必要だが、どなた様も無料で登録できるので、まだ登録がお済みでない方は、お急ぎアクセスして登録していただきたい。

是非お見逃し無いように、文字リンクをクリックしてご覧いただきたい。そちらの記事を読んで、共感してくださった方は、是非星マークをクリックして評価いただきたい。
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暮らしの質が求められた介護報酬改定より10年先を走っています


今更言うまでもないが、介護保険法・第一章・総則には、介護保険制度の【目的】が次のように定められている。
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第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
----------------------------------------------------
↑つまり介護保険制度は国民の、「保健医療の向上」と「福祉の増進」を目的としているのだ。

その目的を達成するために、保健医療サービス及び福祉サービスは要介護状態となり支援を必要とする人の、「尊厳を護ること」及び「その人の能力に応じた自立を支援すること」という二つの理念を掲げてサービス提供する必要があると定められているのだ。

しかし介護保険制度創設以来、この理念は「自立支援」一辺倒に偏り、「尊厳を護る」という部分の視点に欠ける傾向が強かった。

しかも自立支援も、「有する能力に応じる」という視点が欠落して、一つの目標を定めたゴールを、能力に関係なく全員一律に求める傾向もみられた。

その典型例が竹内理論であり、全国老施協の「おむつゼロ推進運動」である。

それは、個別の能力に関係なく日中のおむつゼロを目指して、全員一律に1.500ml/日もの大量の強制水分摂取と、引きずり歩かせる強制歩行訓練を行う方法論であり、洗脳と虐待と言われても仕方のない方法論である。

しかし悪は必ず滅びる。全国老施協はその間違いに気づき、竹内孝仁及び竹内理論と袂を分かち、2014年度をもって介護力向上講習という洗脳講習の開催を取りやめている。現在竹内理論を実践している施設は、竹内教の洗脳から抜け出せない、妄信信者がトップを務めている施設のみである。

そして介護報酬の体系も、そのようなエセ自立支援を完全否定して(参照:全否定されたおむつゼロ運動と罪悪の歴史)、介護サービス利用者の尊厳を護る方向に舵取りを行っている。

例えば介護施設等のサービス提供強化加算の最上位加算に、「質の向上に資する取組を実施していること」という要件を設け、その具体例の一つとして、「居室の定員が2以上である場合、原則としてポータブルトイレを使用しない方針を立てて取組を行っていること」を挙げている。

また介護施設に新設された、「自立支援促進加算」については、自立支援よりもむしろ生活の質の向上を目指した要件が義務化されている。

前述したポータブルトイレの要件も、この加算に設けられている。

そのほかにも、「食事は、本人の希望に応じ、居室外で、車椅子ではなく普通の椅子を用いる等、施設においても、本人の希望を尊重し、自宅等におけるこれまでの暮らしを維持できるようにする。食事の時間や嗜好等への対応について、画一的ではなく個人の習慣や希望を尊重する。」とか、「経管栄養といった医学的な理由等により、ベッド離床を行うべきではない場合を除き、ベッド上で食事をとる入所者がいないようすること」・「本人の希望に応じて、流れ作業のような集団ケアとしないため、例えば、マンツーマン入浴ケアのように、同一の職員が居室から浴室までの利用者の移動や、脱衣、洗身、着衣等の一連の行為に携わること」という要件がつけられている。

こうした要件を読んで気がついた人もいたと思う。それらは僕が全国各地で行う講演のうち、「介護実務」(介護の誇りというテーマで行う講演など)の講演で紹介している方法であるということを・・・。

車椅子から家具椅子に移乗しての食事摂取がなぜ必要なのか、足を体の前に投げ出したまま、ギャッジベッドの背もたれだけを上げた状態で食事介助をしたり、フルリクライニング車椅子の背を倒して食事介助を行うことが、いかに危険な状態であるのか・・・。

入浴介助を分業しないでマンツウマンで行うことで、どのような暮らしの質を創り上げることができるのかについては、10年以上も前から全国各地で僕が訴え、なおかつ正しい方法論を伝えていたことである。

それはとりもなおさず、僕が総合施設長として勤めていた施設で実践していた方法論でもある。

つまりそのこととは単に、「言っていた」ことではなく、「やっていた」ことなのである。

だからこそ僕は今、自信を持って言いたい。「介護報酬の体系が、やっと10年前の僕に追いついてきつつある。」・・・と。

これから先は、そうした方法論をさらに普及させるために、その意味を言葉と文章で、さらにわかりやすく伝えていくのが僕の仕事であり、役割でもある。

そのためには、是非多くの皆様に、僕の講演会場に足をお運びいただきたい。皆様にお愛できる日が来ることを願っています。
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報われない努力は、足りていない努力と思おう


何かと話題の日本ハムファイターズ・新庄剛志新監督。

明日30日はファイターズのファンフェスタが札幌ドームで行われる予定だが、新庄ビックボスが参加するということで、北海道では民放地上波で、フェスタが完全生中継されることになった。

19時〜21時までのゴールデンタイムと呼ばれる時間帯のテレビ番組を変えてしまうのだから、すさまじい新庄フィバーである。

そのビックボスが自身のTwitterで、「努力」についてつぶやいている。

努力をしてない人間ほど、すぐ人のせいにし、不貞腐れ自分から逃げる」・「地味な努力こそ派手になれる…。

新庄ビックボスは、派手なパフォーマンスのイメージで捉えられることが多いが、現役時代誰よりも練習を怠らない人であったということを、多くの関係者が証言している。

メジャーリーガーだった当時は、そんな努力に見向きもされず、日本人であるという理由だけで干されて、自分よりずっと成績の悪い白人選手を使い続けた監督の下でもプレーしていた時期もある。それでも決して腐ることなく、努力をし続けたのである。誰も見ていない場所で・・・。

そんな努力を現役を終えるまでずっとやり続けたことが、今につながっていると言えるのではないのだろうか。

そうした努力とは、スポーツだけに求められるものではないことは今更言うまでもない。努力の必要のない仕事なんてあり得ない。

しかも求められる努力とは、決して表に出るものではなく、終わりのあるものでもない。毎日コツコツと、地味に続けていくのが努力の本質である。

なぜなら努力は誇るものではなく、当たり前にするものだからである。

僕たちも介護の場で、そうした努力を続けていかねばならない。人の暮らしに関わっているのだから、これで十分というで立ち止まってしまえば、昨日までの利用者ニーズにしか対応できなくなる。

それは明日からの暮らしに対して、利用者が求めていることには少しずつ足りなくなることかもしれないのである。

介護サービス利用者の方々が、今日良かったと思ってくれることをし続けることも必要だ。しかし介護を必要としている人は、日々困ることが違ってくるのだ。特に高齢になればなるほど心身の衰えは、どんなに頑張ろうと止められないのである。

自立支援が大事なことはわかっているし、人の手を煩わせず自分で何もかもできたらと願う気持ちは誰しも持っている。

その願いや思いも通じなくなる状態変化というものに直面するというのが、介護サービス利用者の方々の現実問題なのである。

そこでは昨日良かれと思った方法論が、今日から全く通用しなくなるということも、ごく普通にある。その変化や新たな対応に、「気づく努力」は、僕たちに毎日求められていくのである。

しかし努力は必ず報われるとは限らない。人の頑張りはすぐに結果に結び付くものではないからである。

でもそれは努力も時には人を裏切ると考えるのではなく、今は努力の途中であって、それに報いる結果は努力をし続ける先にきっと現れるのだと思ってほしい。決して途中であきらめてほしくない。

利用者に丁寧で温かい対応がしたいと思って日々努力しても、周囲がちっとも同調してくれない、変わってくれないと思っている人がたくさんいると思う。だからと言って、あなた自身がその努力をやめてしまえば、その努力に報いる結果は決して現れることはなくなってしまうのである。

あきらめずに努力をし続ける限り、その先には新しいステージが存在することを信じてほしい。

他人と過去は変えられなくとも、自分と未来は変えることができるのである。

僕は北海道の片田舎から毎日コツコツと情報発信をし続けている。インターネットを通じた情報発信を行うようになったのは、介護保険制度創設と時期をほぼ同じくしているので、21年以上そのことを続けている。

もしそんなことを続けていなかったら、出版社数社から自著本を何冊も上梓することもなかったろうし、今のように執筆や講演という仕事をいただいて、そのことによって対価を得ることもなかったろう。

何より僕の主張に耳を貸してくれる人はいなかったろう。

しかし地道な活動をし続けていることによって、「介護サービスの割れ窓理論」を知ってくれる人や、賛同してくれる人もたくさん増えたし、介護事業におけるサービスマナーの必要性を意識してくれる人も全国にたくさん増えている。

竹内理論による水分の大量強制摂取という、根拠なき悪魔のごとき不適切ケアを、批判糾弾する声は僕だけしか挙げていなかった時期もある。

しかし情報発信をし続けたことによって、虐待ともいえる強制水分摂取の実態を告発する情報が集まりだし、僕の意見に賛同する声が増え、それは竹内理論実践施設の声を席巻していった。そして今ではその方法論が間違っていたと、その方法論を推奨していた団体も自己批判するようにまでなった。

介護事業者の数は、介護保険制度がスタートした2000年以降に急激に増えている。だからこそ知識の浅い状態で、過去の間違った方法論に洗脳されたまま、ちっともそこから抜け出せないで、品質の低いサービスにとどまっている状態も見受けられる。

だからこそそうした人々に、変える努力を促すとともに、その人たちが間違った状態に気が付くための、伝える努力もし続けなければならない。

その努力に終わりはないのだと思う。逃げないで続けて、介護によってこの国の未来に光が射すようにしたい。

介護支援が必要な人たちの豊かな暮らしの実現・・・それが介護にとっての「派手さ」であると思っている。
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DNAを引き継いでくれる若い力


僕たちには、後進に引き継ぐべき財産がある。

それは介護保険制度以前から介護業界に関わり、介護保険制度創設という戦後初の抜本的社会保障構造改革・福祉制度改革の真っただ中で、介護事業に携わってきた経験を持つという財産だ。

経験だけが財産なのかと揶揄する向きもあるが、「走りながら考える」とされてきたこの制度の20年以上にわたる歴史の生き証人としての財産は、私たちの世代が確実に手にしているのである。

例えば、その真っただ中にいた者の責任として、制度創設の経緯については、「介護保険・夜明けの雷鳴1」・「介護保険・夜明けの雷鳴2」・「介護保険制度へと続く道」・「介護保険制度誕生前に吹き荒れた嵐」などで解説してきた。
※今後の経営戦略にもかかわるこの経緯を、介護関係者は十分理解しておくべきであるので、まだ読んでいない方は、リンクを張った4つの記事を是非読んでいただきたい。

そのほかにもこの制度の変換を身をもって体験した者にしかわからないことがある。

例えば介護保険制度創設時のショートステイは、区分支給限度額の別枠管理とされており、要介護状態区分ごとに利用日数上限が定められていたこと・・・。それが平成14年に、「区分支給限度額の一本化」という改正が行われ、ショートステイも他のサービスと同様の区分支給限度額管理は行われるようになったことで、連続利用カウントルール・31日目の全額自己負担利用によるリセットルールや、認定期間の概ね半数以下の利用ルールが定められたことについても、生き証人として伝えねばならないことがある。

それはルールが単に変わったということではなく、そこでどのような議論が沸騰し、どんな混乱が見られたのかということである。利用者や国民に対して真摯に福祉制度として対応しようとした人たちと、お金儲けだけのために議論に参加していた人たちとの軋轢を伝えることで、何を将来の財産として残すべきかが見えてくるのかもしれないし、私たちの次の世代が、この制度をどのように変えていこうとするのかを考えるための一助につながるかもしれないのだ。

それは国を良くすることにつながることだと思うから、後進に歴史を正しく伝えることは大事なことだ。特に高い志を持つ人ならば、その志を受け継ぐ後進を見つけ、己のDNAを継承していくことが大事だと思う。

そんな志を受け継いでくれる若者の一人が、奈良の若き介護事業経営者・片山海斗(かたやま かいと)クンで、22歳の青年である。
友遠方より来る
今週月曜(9/13)東室蘭駅前の「ふなや」で会食した際に撮影。当日の料理は、【この魚は鯉ですか?フナや!!】を御覧ください。ちなみに写真は勿論、向かって右が海斗である。(間違えようがないですね…汗!!)

彼との出会いは、かれこれ3〜4年前にさかのぼる。我がよき友であり、株式会社 グローバルウォークの代表取締役でもある幸地伸哉(こうち しんや)シャッチョーからの紹介で出会ったのがきっかけだ。

幸地クンから、「面白い若いもんがおる」と紹介されたとき、海斗はまだ18歳だった。

高校を中退した後、最初に就職した介護事業者で、海斗は先輩職員が利用者を虐待する様を目撃したそうである。

海斗の偉いところは、そのことで介護事業や介護職に幻滅するのではなく、こんなことを介護業界からなくさねばならないと思い、そのためには虐待を徹底的に排除する介護事業を自ら経営するしかないと考えたことだ。

最初に出会った頃の海斗は、まだ介護事業経営を行う前であったが、そのことを僕の前で高らかに宣言していた。ただその頃の海斗は、ずいぶんとがって危うい雰囲気も醸し出していた。

しかし幸地伸哉という優れた介護経営者が、応援団として傍らにいるのだから、何とかうまく成長してほしいと願っていた。

そんな海斗が訪問介護事業所を皮切りに、介護事業経営に携わるようになった。そして、「日本一働きやすい会社を創る」と宣言し、実績を挙げている。

訪問介護員の日本全体の平均年齢は55.5歳で、しかも50歳以上が全体の73.0%を占めており、20代は1.0%という現状から、訪問介護事業は絶滅危惧サービス種別と言われている。そのような情勢でも、海斗の事業所では人材確保に困っておらず30人以上のヘルパーを雇用し、かつ従業員の平均年齢が30代であるという。

勤務は基本フレックスタイム制で、在宅ワーク中心で、出社しなくとも仕事に支障がない体制をとり、職員の福祉を何よりも大事にする会社である。そこに海斗の理念に共感した人材は集まり、経営者として海斗はその人達を何より大事に思い、素晴らしい職場環境が生まれているのだと思う。

おそらく事業経営も山あり谷ありで、決して平たんな道のりではなかったと思うが、なんと今や海斗は、介護事業経営者としてだけではなく、IT関連事業を含めて8社の経営に携わっている。

その中には、厚労省関連の仕事も受注している事業もあるし、ベトナム等の海外にも業績を伸ばしているじぎょうもある。

その一つである、「介護経営ラボ」は、介護事業者のコンサルタントを行う会社で、既に国内全体で総合コンサル37社という実績も挙げている。今後の発展が益々期待できる会社だ。介護事業経営相談を求めている方は、リンク先のサイトを参照して、是非一度相談してほしい。

今週約4年ぶりに再会した海斗は、顔がすっかり大人になって、経営者としての人間の幅ができていた。18歳の頃のとがった雰囲気は、いまや全く感じさせなくなっている。人間として急速に、そして著しく成長した海斗を見て、とても嬉しくなった。

もともとであった時から、僕が推奨する、「介護サービスの割れ窓理論」にも、「サービスマナーを持った利用者対応」にも、「竹内理論という悪魔の所業を否定・排除する」ということにも共感していた海斗であるから、僕が今まで培ってきたノウハウや、様々な知識と経験を彼が継承して言ってくれればと願っている。

僕がこの業界で何かをし続けることができる年数も、そう長くはない。だからこそ海斗のような若い力が、僕たちのDNAを継承し、次の時代の新しい介護のステージを創ってもらいたい。

皆さんも、この若者を是非育てることに手を貸していただきたい。どこかで出会ったら、肩に手を当て応援してやってほしい。
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介護関係者のメンタルヘルスケアで重要なこと


10月に予定されている道内・石狩地域の訪問介護員さんを中心にした研修会で講師を依頼された。

そのこと自体は珍しくはないのだが、そのテーマが、「介護職員のメンタル・ヘルスケア」というものだった。

僕が依頼される講演テーマとして、メンタルヘルスケアに関する講演も決して珍しくはないが、それ場合たいていは経営者・管理職対象の講演の場合であって、介護実務に携わるヘルパーさん対象の講演で、このテーマは珍しいと思った。

なぜなら介護事業者に限らず、職場組織が従業員のメンタルヘルスケアに取り組む必要性については、1999年に旧厚生省が、職場のストレスがメンタルヘルス不調の原因となることを認めた以後、従業員のメンタルヘルス不調を防ぐ義務と責任は経営側にあることが明白になっている。

その責任を果たすために、メンタルヘルス管理の方法や、ストレスチェックについて知識を得なければならない経営者・管理職を対象にして、この手の研修は多くなったが、メンタルヘルス不調にならないように護られる側が、このテーマで研修を受けることは少ないからである。

ヘルパーとして実務に携わる皆様に、メンタルヘルスケアをレクチャーするとなると、経営者・管理職にレクチャーする内容とは少し異なって、ヘルパーさん自身が自らの身を護るためのストレス管理についてお話しする必要があると思い、新たに講演スライドを作成したところだ。

その内容は、現在働いている方に役に立つ本物のメンタルヘルスケアの方法論でなければならない。

そのためにまずは、メンタルヘルス不調の原因となるストレスとは何かということを知らなければならない。そのことを正しく理解していれば、ストレスは悪い面だけではなく、自分の身を護る警告の役割を果たすことも知ることができる。まずもってそのことを理解していただきたいと思う。

それとともに、ストレスから自分の身を護るためには、ストレスを適切にマネジメントする、「ストレスコーピング」が必要となるので、その方法を具体的に伝えなければならない。

ストレス発散の具体的方法もレクチャーするが、発散の方法を間違えるとそれは逆効果になるだけではなく、自らの身を亡ぼすことにつながることも具体的に説明する予定だ。

自らの身を護るうえでは、「お客様は神様ではない」という考え方も必要となる。

介護のプロとしてお客様に接する際には、いつでもどこでも、礼儀正しく、笑顔で、丁寧に接することは当たり前のことである。だからと言って、お客様からの理不尽な要求にまで応えなければならないことはないのだ。

法律違反の要求だけではなく、倫理上問題のある行為要求を受け入れる必要はなく、顧客からのカスタマーハラスメントは、「放っておかない・我慢しない。」という考え方が、経営者側・従業員双方に求められてくるのである。

それとともにストレスへの耐性を高めるために、自己覚知に努めることは大事になるし、自分の仕事に使命感を持ち、誇りを持って仕事に臨む姿勢が何より大切になると思う。

誇りを持って働くことができない職場では、様々な事件が起きているが、職員のメンタルヘルス不調も多くなることは過去から現在までの例を見ても明らかだ。

例えば札幌市の某特養では、毎月一人以上の退職者が出る状態で、経営に支障が出ているそうだが、そこは例の、「竹内理論」実践施設である。

根拠と個別アセスメントのない1.500ml/日もの大量水分強制補給を行っている施設で、退職者が相次いでいるという意味は、利用者の人格を否定するかのような方法が、いかに仕事の誇りを奪っているかの証明のような気がする。

そんな施設で働いていると、メンタルヘルス不調になるのは当たり前で、それが退職者が多い一因でもあろうと思え、そのような轍を踏まないように伝えなければならないこともある。
メンタルヘルスケア講演スライド
そうならないために、従業員が日々の介護労働の中で、自らの仕事ぶりに誇りを持つことができる介護実践の在り方もレクチャーしたいと思い、今回の講演テーマは上記画像のテーマにした。

現在この研修が、会場を使用した集合研修になるか、オンラインのみになるかは検討中とのことであるが、石狩地域の訪問介護員さんが受講者の大半を占めるということで、その方々が講演受講後すぐに実務に取り入れて、実践できる方法論を伝えたいと思う。

介護実務に携わる職員の皆様のメンタルヘルスを護るためには、観念論で終わってはならないと思うので、「できることを伝える」にこだわってお話ししたいと思う。
きみの介護に根拠はあるか
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竹内理論の総括と反省をしない介護業界の体質


僕は長年に渡って、ある介護の方法論を批判・否定してきた。

その方法論とは、個別のアセスメントのない状態で、利用者全員に1.500ml/日という大量の強制水分摂取を行わせて、二人がかり・三人がかりで利用者を引きずるように歩行させ、日中長い時間トイレやポータブルトイレに座らせて排せつを強いる介護である。

便器に座らせて何が悪いという人がいるが、体幹機能障害・片麻痺がある人で、体重移動が難しい人が便器に座らされて10分でも放置されたときの苦しさ、お尻の痛みを考えろと言いたい。おむつをしないケアのために、それは許されるとでもいうのだろうか。

しかもその結果、おむつ外しができたと言っても、それは日中のおむつが紙パットに変わっただけで、そこへの排尿は許されており、夜はおむつをつけて、定時交換しか行っていない状態でも、「おむつゼロ」であると宣言できるケアの方法論に何の意味があるのか・・・。

その方法の元になっていたのが、「竹内理論」と呼ばれる考え方で、その方法を啓もうしていたのが全国老施協主催の、「介護力向上講習」であったことは、このブログで再三指摘しているところだ。

その批判はSNSでも投稿していたところだが、下記のコメントは、僕のフェイスブックの2013年当時の投稿に対して、老施協会員と名乗る方がコメントとしているものだ。
----------------------------------------------
竹内理論の解釈について、強い偏りをもって捉え、水分の強制摂取で人権侵害を疑われる事例が一部に見られ是正されないようなことがあったとしても、それは一部のカルト化した受講施設の問題であり、竹内理論事態を否定する根拠にはならないのではないでしょうか。
実際に認知機能の改善や、おむつから脱却した利用者もいるのですから、そこは否定できないのではないですか。
本当に間違った理論だったら、続けられるわけがないので数年後にその答えは出るでしょう。

----------------------------------------------
僕のFBは、友達としてつながっている人以外でも閲覧・コメントできる投稿設定がほとんどなので(※FBは投稿ごとに設定が変えられます)、このコメント主も僕と知り合いというわけではない。

ただしFBなので匿名ではなく実名投稿であり、この投稿者が全国老施協の会員の方と名乗っていることにも嘘はないと思う。

この意見が書き込まれた当時は、竹内理論を強く支持していた中村博彦元参院議員(実質的には全国老施協のドンと言っても良い存在だった)がまだご存命中のことで、全国老施協と竹内氏の関係も良好であったから、このコメントも竹内理論を支持する立場から書かれたものであろうと推察する。

そして竹内理論の実践は月日を経てもなくならずに続けられ、そのことが僕の批判が間違ったものであるという証拠になるという意味を込めて書かれたものだろうと思う。

しかし今現在消えてなくなっているのは竹内理論の実践の方である。勿論それは完全消滅しているわけではなく、一部の施設では細々と続けられているのだろうと思うが、全国規模で実践施設の数が増えていった頃のような状況とは完全に異なった状況が生まれている。

このコメントが書かれて2年もしないうちに、全国老施協の、「介護力向上講習」は全国レベルで実施されなくなっている。

その後も一部地域では県レベルの同講習会を実施されていたが、その数もどんどん減り、今もなおそれを行っている県が果たしてあるのだろうか・・・。どちらにしても竹内理論に基づく強制水分補給と非人間的歩行訓練・排せつ支援を啓もうする講習と、その方法を実践する施設は減少の一途を辿っている。

そして竹内理論の提唱者と全国老施協は、今では完全に袂を分かつ状況になっており、それを喧嘩別れとみる向きもある。

時の流れが正しさを証明し、消し去ったものがあるとすれば、それは竹内理論による介護実践そのものではなかったのか・・・。しかしそのような乱暴な介護実践が行われなくなったとしても、それまでの過程で乱暴な水分の強制摂取で泣かされていた人や、長い時間便器に座らされて放置されていた人の慟哭は決して消し去ることができる問題ではない。

数多く指摘されてきた問題のある介護方法や、このブログのコメントにも書かれている人権侵害ともいうべき対応についても、今現在はしなくなっただけで、過去には行っていたという事実を消すことは出来ない。

なのにそのことについて責任をとる人は誰もいない。おむつゼロを高らかに宣言し、竹内理論を持ち上げていた施設長連中のうち、その理論実践をやめたことの説明責任を果たしている人がどこかにいるだろうか・・・。

仮に強制大量水分補給によって、心臓ダメージなどを負った人が亡くなったり、病状が重篤化する結果をもたらしたとしても、それは老化であるとされるだけで、過水による病状悪化を証明できることはない。

証拠がないから、なかったことにできるのか。そうであれば介護とはなんと怖いものだろう・・・。

間違った方法であると気が付いた後、間違った方法を行っていたことの謝罪もせずに、貝のように口を閉ざしている人が、介護という職業の経営者や管理職として存在し続けている図々しさはどこから来るものなのか・・・。

偏った価値観に寄り掛かって、方法そのものを目的化して、利用者の意志や希望を無視したのが竹内理論である。しかし当時はそのことを、関係者(というより犯人と書いた方がよいか・・・。)の多くが科学的介護と呼んでいた。

科学的根拠のない、信仰に近い方法がなぜそう呼ばれていたのか・・・。そう呼んでいて、その方法を実践している人たちが、同じ口と同じ手で、現在国が唱える科学的介護とは何かということを語り、実践しようとしている。しかし介護報酬改定で取り入れられている科学的介護の考え方は、竹内理論とは全く異なるもので、むしろ竹内理論を否定した考え方だ。(参照:全否定されたおむつゼロ運動と罪悪の歴史

恥も外聞もないとは、そのことを指すのではないだろうか。

自分の偏った価値観に寄り掛かって、利用者の希望やニーズをアセスメントすることなく、利用者の表情にも気を使わない方法論に固執した方法論で、いかに多くの人の不幸を生んできたのか、そのことを教訓として、二度と人権無視の方法論が繰り返されることがないように、その事実を書き残し、後世に伝えることが僕の仕事でもある。

決してなかったことにしてはならない事実を、記録として残しておく必要があると思うからだ。
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科学的介護の本当の意味


政府の今年度の骨太方針が18日閣議決定され、介護分野では、「科学的介護・栄養の取り組みの推進」が明記された。

これによって介護事業者にはより一層の、「科学的介護の推進」が求められてくるものと思われる。

しかし科学的介護とはそもそもどのような介護をいうのだろうか。

それは時代の最先端技術を先取りして使いこなす方法論であると考える人がいるかもしれない。例えばICTやインカム・AI搭載ロボットを活用する介護サービス事業をイメージする人も多いだろう。

しかしそれは大きな間違いである。科学的介護とは、科学的根拠(エビデンス)に基づいた介護という意味であり、必ずしも機器を使ってサービス提供するものとは限らないのだ。

科学という言葉自体が、最新テクノロジーや機械・ロボットをイメージするものであると思い込んでいる人がいるが、そのイメージが科学的介護の本当の理解を邪魔しているのではないだろうか。

ウィキペディア(Wikipedia)よれば、「科学」(science)という語はラテン語の scientia (知識)に由来する言葉だそうであるが、それは体系化された知識や経験の総称という意味で用いられてきた。

「ある状態に対して、こうすれば、こうなる」といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法なのである。

特定の条件を集めれば、特定の結果が得られることを示すことができるならば、その条件を作る方法が科学的根拠(エビデンス)と言えるわけである。

そうしたエビデンスをしっかり築いて、それに基づいた介護実践をしようというのが、「科学的介護」の本当の意味である。そのためには私たちが日ごろの介護実践に際して、常に根拠を求め、それに基づいたサービス提供を行うという姿勢が重要になってくる。

科学的介護という名のもとに、機器を頼って、その活用を図ることを目的化してしまえば、そこに科学は存在しないことになる。

愛情などという目に見えないものは科学的ではないとして、利用者に寄せる人間愛や、配慮の気持ちを不必要なものとすることは間違っている。人の感情に寄り添う姿勢を邪魔者扱いすることは間違っているのである。

科学的介護という言葉を最初に誰が使ったかはわからないが、この言葉を広く知らしめたのは、全国老施協の、「介護力向上講習」と「おむつゼロ運動」であったことは間違いない。

しかしそこで行われていたことは、科学的根拠(エビデンス)には全く基づいていない、「竹内理論」という非科学的な方法論で、それは現在では老施協とたもとを分かつ理論となっており、老施協の展開した「おむつゼロ運動」も、国が全面否定したことは過去記事でも示した通りである。(参照:全否定されたおむつゼロ運動と罪悪の歴史

つまり科学的介護という言葉を浸透させた全国老施協の過去の運動は、その一方で「竹内理論」という悪魔の方法論を押し付け、受講者を洗脳するために、「科学」という言葉を便利使いして、介護業界全体に誤解と混乱を広める結果を生んだのである。そうした罪が、科学的介護の理解を阻害している要因にもなっているように思えてならない。

個別アセスメントを一切せずに、利用者全員に1.500ml/日もの強制水分補給を行っている施設が今もあるとしたら、そこの従業員は殺人者・殺人ほう助者のレッテルが貼られる前に、1日も早くそのような罪深い施設を退職し、まともな介護施設に勤め直した方が良いと考えに今も変わりはないし、そういう施設の方は一日も早く、「竹内理論を実践し続けている施設の職員さんへ」という記事を読んでいただいて、その過ちに気が付いてほしいと思う。

科学的介護がより推進される今後の介護事業において、科学的介護を実践する私たちが、その正しい意味を理解し、その方法論を創り出していくのだという理解は不可欠なのである。
科学的根拠
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自分が死神になっていることに気づかぬ人がいる介護業界の怖さ


竹内理論による強制大量水分補給法を取り入れていた介護施設、その間違いに気づかず現在も悪魔の方法論を取り続けている介護施設によって、人権侵害を受けている人は大変な数にのぼると思う。

虐待・人権侵害と言っても良いその迷惑行為が、ほとんど表面化せずに大きな社会問題となっていない理由は、洗脳された介護事業経営者によって、密室化された介護施設の中だけで問題処理されてしまうからに他ならない。

例えば過水による疾患(高血圧の重篤化・うっ血性心不全・希釈性低ナトリウム血症等)によって命が奪われる人がいたとしても、高齢者介護施設でそのような疾患で亡くなる人は大勢いるために、強制大量水分補給法による過水が疾患原因であると特定されることはない。

竹内理論実践施設の中で、「年だから病気で死ぬのは仕方がない」とされた人の中で、いったいどれくらいの人が、本当は死ななくても良い人だったかということは、今更証明する術はない。

しかし竹内理論を妄信し、疑いなくそれを実践している人は、幾人かの死に対して自らの行為責任が問われることを自覚すべきだ。

1.500ml/日もの過剰な強制水分補給を行っている人間とは、水分摂取させられている人にとっては死神でしかないのである。

ところで2018年にTBS系列で放映されていた、「爆報ザ・フライデー」というテレビ番組で竹内理論が取り上げられ、某俳優の義父が水分を大量摂取することで認知症が改善したという内容が放映されたことがある。

その番組内容の危険性について当時の僕は、「無責任なマスコミに心を痛める〜認知症は水分摂取で治りません」という記事を書いて警告しているが、先日僕のFBでつながっている方が、僕のタイムラインに次のようなコメントを書き込んでくださった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3年くらい前だったと思います。その理論を「爆報ザ・フライデー」という番組で1日に1500mlの水を飲むだけで認知症が改善する。として放送されました。その番組他でも。
それを見て透析を実施されていた利用者さんが実践し大変な事になり結果亡くなられました。その放送の後で番組ディレクターとやり合った事があります。せめて、疾患によっては危険だと言う注意テロップだけでも入れてくれと伝えましたが全否定されました。理論は全ての人に当てはまる訳ではない!危険な場合もある!それを伝えてほしかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
↑おそらくこのような悲劇が日本全国で起きているのだろう。その悲劇の先頭を走るというより、その悲劇を先導し、煽っているのが竹内理論実践施設である。

もし今も竹内理論によって、個別アセスメントを一切せずに、利用者全員に1.500ml/日もの強制水分補給を行っている施設があるとしたら、そこの従業員は殺人者・殺人ほう助者のレッテルが貼られる前に、1日も早くそのような罪深い施設を退職し、まとめな介護施設に勤め直した方が良い。(参照:竹内理論を実践し続けている施設の職員さんへ

自分が利用者にとっての死神になることを逃れる唯一の術は、そのような方法の実践者にならないことなのだということに1日でも、1分でも早く気がついて欲しい。

介護事業は対人援助であって、人の暮らしに深く介入する事業である。そうであるがゆえに、人として真摯に他者の思いやニーズに寄り添おうする姿勢がないと、援助しながら人の心を傷つけるという側面を持っている。そうしないために様々な配慮が求められるのに、竹内理論は、援助れる人の心のみならず、命をも奪いかねない誤った理論であり、その実践方法は非道極まりない方法論である。
脱水傾向の人の排せつ支援プラン
※画像は食事摂取量が少なく、脱水傾向のある人の排せつ支援計画。そのような人でもきちんとアセスメントすれば、水分補給量は1.300ml/日で十分すぎることがわかる。その理由は、水分摂取は大事だけれどで説明しているので確認してほしい。

間違った方法も、それを変えると間違っていたことを認めてしまうことになるため、それを恐れて変えようとしないことは罪に罪を重ねる結果にしかならない。勇気を持って変えるべきは、変えなければならない。

それにしてもインチキ極まりない竹内理論の深い闇から抜け出せない人がいるのはなぜだろう?おそらくそれは、竹内理論実践施設の旗振り役である施設長が、介護と医療の知識に欠けていることが一番の原因だろう。

学識に欠け知識のない人ほど、権威に弱いという証拠なのだろう。

そのような知的レベルの人間が、社会福祉法人のトップに座っていたり、特養の施設長で居続けていることが一番の問題で、この国の福祉業界の癌なのだろうと思う。
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個別機能訓練計画書に関する誤解


3/26付で発出されている、令和3年度介護報酬改定Q&A(Vol.3)の問62では次のような疑義解釈が示されている。
-----------------------------------------------
問 62 :令和3年3月サービス提供分までの個別機能訓練加算()や個別機能訓練加算()を算定している利用者についても、個別機能訓練加算()イ又はロを算定するにあたり、再度、利用者の居宅での生活状況の確認等を行い、多職種協働で個別機能訓練計画を作成する必要があるのか。

回答:令和3年3月サービス提供分までの個別機能訓練加算()や個別機能訓練加算()と個別機能訓練加算()イ又はロでは、加算創設の目的が異なることから、令和3年3月サービス提供分までの個別機能訓練加算()や個別機能訓練加算()を算定していた利用者については、個別機能訓練加算()イ又はロが目的とする「生活機能の維持・向上を図り、住み慣れた地域で居宅において可能な限り自立して暮らし続けること」を達成するため、「リハビリテーション・個別機能訓練、栄養管理及び口腔管理の実施に関する基本的な考え方並びに事務処理手順及び様式例の提示について」(令和3年3月16日老認発0316第3号・老老発 0316 第2号厚生労働省老健局認知症施策・地域介護推進課長、老人保健課長連名通知)を参照し、個別機能訓練計画の見直しを行う必要がある。なお、見直しにあたっては、令和3年3月サービス提供分までの個別機能訓練加算()や個別機能訓練加算()算定時のモニタリング等により、直近の利用者の居宅での生活状況が把握できている場合は、必ずしも利用者の居宅を訪問する必要はない
------------------------------------------------
このように新加算機淵ぁ法Α淵蹇砲鮖残蠅垢襪砲△燭辰討蓮∩翰用者の通所介護計画の見直しを求めているが、見直すとは、「もう一度改めて見る。また、その結果気づいた欠点を是正する。」という意味であり、見直し=変更・再作成を意味していない。

よって見直した結果、前年度の計画をそのまま変更する必要はないと判断した利用者の通所介護計画は、そのまま引き継いで変更していないケースがあっても良いと解釈できると思う。

しかし加算算定に関連する問題であることと、国の個別機能訓練計画書が新たな様式に変更されていることを考え合わせて、後々変な解釈をされて報酬返還という事態が生じないように、新年度になる前に全利用者の通所介護計画を新様式で再作成した通所介護事業所は多いことだろう。

僕がコンサル等で関わっている通所介護事業所についても、全利用者の通所介護計画を3月中に新様式で再作成している。

3月に再作成しなくて良い計画とは、3月中に短期目標期間が切れずに、かつ内容の変更の必要がない個別機能訓練計画書であるが、それとて短期目標期間は3月なのだから、4月もしくは5月に再作成しなければならなくなるので、運営指導担当行政職に変な突っ込みを入れられないように、すべての計画書を3月で一旦リセットしたという意味だ。おかげでその再作成のお手伝いに膨大な時間を費やした。

それはともかく、新しい様式で計画作成している事業所で、訓練目標を「機能」・「活動」・「参加」の3つに分けて、そのすべての目標設定が必要になると勘違いしている人が多い。

これはおそらく新様式の記載例が、3つのすべての項目を埋めた内容になっていることが原因であろう。しかしそれはそれぞれの項目について具体的にどのように目標設定するかを示すためでしかなく、加算算定要件では目標さえ設定しておれば、項目は一つでもよいのである。

また新年度からの個別機能訓練加算兇魏短擦垢詬弖錣箸靴董LIFEへの情報提出が求められ、【「リハビリテーション・個別機能訓練、栄養管理及び口腔管理の実施に関する基本的な考え方並びに事務処理手順及び様式例の提示について」(令和3年3月 16 日老振発 0316 第3号、老老発 0316 第2号)別紙様式3−3(個別機能訓練計画書)にある「評価日」、「職種」、「ADL」、「IADL」及び「起居動作」並びに別紙様式3にある「作成日」、「前回作成日」、「初回作成日」、「障害高齢者の日常生活自立度又は認知症高齢者の日常生活自立度」、「健康状態・経過(病名及び合併疾患・コントロール状態に限る。)」、「個別機能訓練の目標」及び「個別機能訓練項目(プログラム内容、留意点、頻度及び時間に限る。)」の各項目に係る情報をすべて提出すること。」】とされていることから、報告するべき個別機能訓練の目標について、様式例の「機能」・「活動」・「参加」の3つすべてを埋めなければならないと誤認してしまう人がいるのかもしれない。

しかし通所介護の解釈通知(老企36号)で個別機能訓練計画の目標規定をピックアップすると以下のようになる。
---------------------------------------------------
・機能訓練指導員等が共同して、利用者ごとにその目標、目標を踏まえた訓練項目、訓練実施時間、訓練実施回数等を内容とする個別機能訓練計画を作成する
・個別機能訓練目標の設定にあたっては、機能訓練指導員等が利用者の居宅を訪問した上で利用者の居宅での生活状況(起居動作、ADL、IADL等の状況)を確認し、その結果や利用者又は家族の意向及び介護支援専門員等の意見も踏まえつつ行うこと。その際、当該利用者の意欲の向上につながるよう長期目標・短期目標のように段階的な目標とするなど可能な限り具体的かつ分かりやすい目標とすること
・単に身体機能の向上を目指すことのみを目標とするのではなく、日常生活における生活機能の維持・向上を目指すことを含めた目標とすること。
---------------------------------------------------
↑このように目標の項目を複数にしなければならないという規定はないのである。複数設定しなければならないのは、「個別機能訓練項目の設定にあたっては、利用者の生活機能の向上に資するよう複数の種類の機能訓練の項目を準備し」とされているように、「機能訓練の項目=訓練メニュー」なのである。

報酬改定に関する講演では、このことに関する質問が多くなっており、そこでルールを誤解している人が多いことも分かったので、次のようなスライドも新たに作成している。
別紙様式3-3個別機能訓練計画書
LIFEへの情報提出に必要な項目である、「別紙様式3−3(個別機能訓練計画書)にある個別機能訓練の目標」についても、機能・活動・参加の3つの目標項目についてすべてを設定する必要はなく、少なくともその一つを設定するという意味なのだ。一つの目標項目設定でも加算要件はクリアできるし、LIFEの情報提出エラーが出ることもないのである。

これは特定施設や特養の個別機能訓練加算でも同様のことが言える。

勘違いしている人は、この部分の認識を改めて、すべての項目の目標を埋めるために、頭を悩ませて無駄な仕事を増やさないようにしてほしい。

なお今日はもう一つのブログ、masaの徒然草に、「竹内理論を実践し続けている施設の職員さんへ」という記事を書いて更新アップしている。そちらも参照願いたい。
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途次(みちすがら)


札幌コンベンションセンターは、収容人員が2,500名の大ホールをはじめ、特別会議場、中ホール、小ホールや15の会議室など合計最大収容人員が5,625人という道内最大のイベント会場である。
札幌コンベンションセンター
開館は2003年6月1日〜であるが、僕はその年に同会場で開催された日本医師会の研修(なんという研修だったかは忘れた)で初めて同会場で講演を行った。

それ以来様々な団体から依頼を受けて、数年おきに講演を行う機会をいただいている。

今日もブティックス(株)主催・CareTEX札幌'21の中で、「介護事業の明暗を分けるサービスマナー〜介護業界にはびこる誤解とリスク」というテーマで講演を行うために、今同会場に向かっている最中だ。設備の整った大きな会場で講演を行う機会をいただくのは非常に光栄である。

北海道もコロナ禍第5波(?)の影響で、昨週末から緊急事態宣言が発令されて、公共の施設の閉鎖などが行われているが、このイベントは予定通り昨日から行われている。会場に人を集めての講演であるが、事前に予約した人のみが参加できる講演会で、感染予防対策も十分とられているそうである。

僕の自宅から札幌コンベンションセンターに向かう方法としては、JRか高速バスで札幌駅もしくは札幌大通りバス停に降りて、そこから地下鉄で行く方法もあるが、時間帯を考えると道もすいているだろうし、入場人数制限のある講演会だから、会場の駐車場にも十分空きがあると思うので、今日は自家用車で向かうことにした。

高速道路を使えば、僕の自宅から会場までは1時間半くらいで着くはずだが、今日の講演開始時間は午後2時からということで時間に余裕があるので、一般道を通って向かうことにした。それでも2時間半くらいで到着するはずだが、途中で寄りたい場所があり、もう少し時間はかかる予定と思い、朝9時半に自宅を出発した。

寄りたい場所というのは恵庭市の、「おとん食堂」だ。
おとん食堂
もともとは僕の実家のあった岩見沢市の隣町、栗沢町万字炭山にあったお店である。「醤油屋」と称するほどの醤油ラーメンの名店である。
萬字ラーメン
このお店の売りは、昔ながらのあっさり醤油味の、「小鳩ラーメン」だが、僕の好みは画像の、「萬字ラーメン」である。小鳩ラーメンより濃い味だが、決してしょっぱくなく深くてコクがある味わいである。なおかつスープを飲み干すことができるほど、まろやかなおいしさの醤油ラーメンだ。万字炭山の労働者が愛したラーメンで、バラとロースの2種類の分厚いチャーシューが乗っかっているのも良い感じだ。・・・相変わらずうまかった。

ということで今、そのラーメンを食い終え、近くの駐車場で一休みしながら、この記事をアップしている。これから直接札幌コンベンションセンターに向かって講演を行うことになる。

今日の講演時間は60分。サービスマナーがテーマなので、重点内容をぎゅっとまとめた講演になる。

サービスマナー意識が浸透した職場では、ごく自然に利用者サービスにおけるホスピタリティ意識が高まる。そういう職場では、昨日の記事で紹介した、竹内理論による洗脳虐待介護がはびこる芽も摘むことができるようになる。

逆に言えば、竹内理論に洗脳された強制水分補給と、まやかしのおむつゼロ実践施設が多数あったという事実は、それだけ介護事業者に利用者に対するサービスマナー意識の浸透がされていなかったという証拠でもある。

過去の負の歴史を繰り返さないためにも、できるだけ多くの介護関係者の方にサービスマナーを定期的に学んでいただいて、その意識を浸透させる介護事業を作り上げていただきたいと思う。

それでは後程、会場でお愛する皆様、今日はよろしくお願いします。
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全否定されたおむつゼロ運動と罪悪の歴史


介護保険の理念の一つは、「自立支援」である。しかしもう一つ忘れてはならない理念があり、それは「暮らしの質の向上」である。

過去の制度改正や報酬改定では前者が前面に出されて、後者についてはほとんど脚光を浴びてこなかった。しかし今年度の報酬改定では、その部分に新しい光が当たっている。そのことに気が付いている方はどれほどいるだろうか・・・。

例えば特定施設入居者生活介護と、介護福祉施設・介護保健施設・介護医療院のサービス提供強化加算に、「質の向上に資する取組を実施していること」という算定要件(厚生労働大臣が定める基準)が追加されている。

このことについて解釈通知では、その具体例としてLIFEを活用したPDCAサイクルの構築と、ICTやテクノロジーの活用のほか、ケアサービス面では次の内容を挙げている。

・ケアに当たり、居室の定員が2以上である場合、原則としてポータブルトイレを使用しない方針を立てて取組を行っていること。実施に当たっては、当該取組の意義・目的を職員に周知するとともに、適時のフォローアップや職員間の意見交換等により、当該取組の意義・目的に則ったケアの実現に向けて継続的に取り組むものでなければならない。

さらに施設サービスに新設された、「自立支援促進加算」の算定要件の中には、「排せつは、入所者ごとの排せつリズムを考慮しつつ、プライバシーに配慮したトイレを使用することとし、特に多床室においては、ポータブルトイレの使用を前提とした支援計画を策定してはならない」という規定も盛り込んだ。

このように多床室でのポータブルトイレ使用は、生活の質を低下させる要素であるとして、そうした使用実態をなくしていく方向性が示されているわけだ。

施設サービスにおいて自排泄自立のアウトカム評価を行う、「排せつ支援加算教擇哭掘廚砲弔い討癲△修離▲Ε肇ム評価基準の中で、「リハビリパンツや尿失禁パッド等の使用は、おむつの使用に該当する」として、おむつ外しの評価としてリハビリパンツや失禁パットの代用を認めないこととしたうえで、「排せつ支援加算()又は()の算定要件について、おむつの使用がなくなった場合に、排せつ状態の改善と評価するものであり、おむつの使用が終日から夜間のみになったとしても、算定要件を満たすものではない」として、日中のみのおむつ外しを評価しないとされた。

ここで思い出すのは、かつて全国老施協が推奨していた、「おむつゼロ運動」である。

竹内理論という、「とんでも理論」を拠り所に、利用者に対する1.500ml/日以上もの大量強制水分摂取を前提にして、排せつ支援や方法の質は問わずに、おむつを外すことだけを目的化して目標を達成していた施設を表彰までしていた。

しかしその実態は、おむつを使用しないのは日中(概ね日勤時間帯)のみであり、夜はおむつの使用ありで、しかも日勤時間帯のおむつゼロと言っても、紙パットの使用とそこへの排泄は有りとされていた。つまり利用者全員がトイレで排泄できているわけでもない、「まやかしのおむつゼロ」が表彰されていたわけである。

しかもそこでは多床室のポータブルトイレでの排せつはごく当たり前に行われ、お尻が痛くなるまで、ずっとポータブルトイレに座り続けさせられる放置さえ行われていたという実態がある。そういった虐待まがいの方法の結果に表彰状が与えられていたのだ。それは、「恥の表彰状」でしかない。(参照:カルト宗教と同じようにはびこる洗脳ケア

そのことを痛烈に批判し続けていた僕に対し、当時の老施協関係者は、いずれ歴史がどちらが正しいかを証明するとうそぶき、あたかも僕の正論が時代遅れの理論であるかのように見下していた。

しかし歴史は何を証明したというのだろう。

悪魔の所業・諸悪の権化ともいえる竹内理論と、全国老施協は縁を切り、竹内孝仁とも袂を分かち、その方法論で全国の介護施設職員を洗脳していた全国老施協主催の、「介護力向上講習」はなくなっているではないか。(※今残っている、「介護力向上講習」は、洗脳されたままの一部の県老施協主催のもののみ。)
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画像は、竹内理論と介護力向上講習を否定し、正しい水分摂取法と排泄ケアの方法をレクチャーした、「支援という支配」講演会場で、その内容を含めた自署本販売コーナーの画像。)

一方で僕が地道に講演会などで主張してきた、「水分摂取は大事だけれど」で示している方法で、1日に必要な水分摂取量を導き出す施設が増えている。そこでは水分の過剰摂取による内臓疾患が生ずることもなく、脱水を防いで意識レベルが低下しないで元気に暮らす高齢者の姿がある。

どちらが利用者にとっての暮らしの質につながっているのかという部分では、すでに勝負はついている。しかしこんな形の勝ち負けは本来必要なかったはずだ。被害者の屍(しかばね)が累々と積み重なった末の、「介護の歴史」なんて何の意味もないし、あってはならないものである。

何年もの間に、強制水分摂取の被害に泣いてきた多くの介護施設利用者がいて、日中のみの、「まやかしのおむつ外し」のために、たくさんの要介護高齢者の人権が無視され、苦しい・助けてという声が無視されて続けてきた歴史をつくった責任は、いったい誰がとるのだろうか・・・。

おむつゼロという目標を達するためだけに、利用者の方々の暮らしの質を無視して行われた悪魔の所業・・・そうした行為に泣いてきた人の心の傷と体の痛みは、決して消し去ることがないのである・・・。

スローガンに踊らされて利用者の意志や表情が無視される、「介護の方法論」ほど恐ろしいものはないことを、介護関係者は心に刻まねばならない。

我々はその歴史を二度と繰り返してはならないのである。
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自分を変えて未来が変えられる新規事業所


ちょうど1週間前の月曜日、僕は高知市で3月に新規開業する小規模多機能居宅介護事業所、「ケセラ介良けせらけら」さんのオープン前の事業所内で、オープニングスタッフとなる職員の皆さんの研修講師を1日務めていた。その日の昼休みには、「出だしが肝心になる新設事業所」という短い記事を書いてそのことを紹介している。

新規事業所の名称である「ケセラ介良けせらけら」の由来は、同事業所が高知市の介良(けら)地域に立地するからであり、「ケセラセラ(物事は勝手にうまい具合に進むものだから、成り行きに任せてしまってなんとなるさ、気をもんでも仕方ない、という意味合いがある)」に掛けた名称である。

当日研修を受講したのは、小規模多機能のスタッフとなる人たちだから数は多くはない。現在までオープンスタッフとして雇用されているのは十数名である。それらの人がオープン初日から、利用者の皆様に対してきちんとマナーを持って接し、根拠に基づいた正しい介護を行うことを目的に、僕が北海道から呼ばれて1日7時間もの研修講師を務めたものである。

研修を受けたスタッフは、母体である福の種合同会社の通所介護事業所に務めていた人や、他の事業者から転職してきた人、全く今まで介護経験がない人など前歴や経験は様々であった。

それらの人が一斉に3月からを合わせて、新規事業所をオープンさせるために、何が必要かということを考えて知恵を絞って研修講師を務めた。

スタッフの中の介護職の経験者の方の中には、今まで利用者に、「タメ口」で接するのが当たり前であると思って仕事を続けてきた人もいるし、根拠もなく水分補給を1日1500mlも強要する竹内理論を信じていた人もいる。そのように自らの経験を唯一の頼りとしてきた人に発想転換をしてもらう必要があった。

それらの人が一旦リセットして、ゼロから新しい知識を得て、その知識に基づいて経営者が目指す高品質で、お客様にとって心地よいサービスを創ることができるかが問題となるのである。

その為に午前中3時間は、根拠に基づいた正しい介護実践の方法をかいつまんでレクチャーするために、「介護の誇り〜職員のやる気を引き出す実践論」というテーマでお話しした。そこでは職員が立ったまま食事介助することは何故駄目なのか、竹内理論の間違いとは何なのかということ等を、詳しくわかりやすく解説したうえで、そのような介護方法論とは異なる、正しい介護実践の方法論を具体的に伝えた。

そこで経験のある職員は、今までの経験の中には役に立たないものもあるということを実感できたと思う。

そのうえで午後からサービスマナーがなぜ求められ、それは具体的にどういう対応方法なのかを4時間にわたって説明した。

午前中の講義で、間違った考え方を捨て去れねばならないこと気づいた人は、自分たちのやるべきことが何なのかがわかりつつある中で、そこにサービスマナー精神を込めることで、真のホスピタリティ精神が生まれ、それが顧客から選択される介護事業者につながること理解してもらったと思う。

しかしそれは介護事業経営者のために実践することではなく、顧客から選ばれて経営が続けられる事業者で、自分自身が長く働くことができ、そこで相応の対価を得ることができることになるのだということも理解していただけたと思う。

そのことが同時に顧客のためにもなることであり、毎日丁寧に対応できる従業員の態度に、顧客が満足してくれる笑顔によって、従業員のモチベーションもさらに上がり、その姿を求めてさらに顧客も、マナーの良い場所で働きたいと思っている人も、そこに張り付いてくるという好循環が生まれるのだ。

現に僕が過去に関わった事業所では、(募集もしていないのに)働きたいと応募してくる介護職や、職員の態度が素晴らしいという口コミを聴いた顧客が続々と集まってくるという現象も生まれている。

そういう事業所を自分たちの力で創ることができる新規事業者はうらやましいと思う。だからこそ「ケセラ介良」のオープンスタッフは、自分が今までどのように介護業務を行ってきたかを別にして、それをすべてリセットし、少なくとも顧客に対する言葉遣いだけは、「丁寧語」を崩さずに接しようと一人一人のスタッフが心に誓ってほしいと思う。いやきっとそうなっていると信じている。それは僕との約束でもあるからだ。その態度を実践できないスタッフについては、管理職等がその場で随時注意を促して修正していくというコンセンサスが得られたことと思う。

全職員がオープンスタッフとして一斉にスタートを切る新規事業所では、既存施設の中で、「タメ口」を直せない先輩職員がたくさんいる中で改革を行うより、ずっと経営者の理念は浸透しやすいのだから、ぜひ結果を出してほしいと思う。

ちなみに福の種さんは、通所介護もリハ専門職の配置が充実していて、今回の小規模多機能事業所も、看護小多機ではないのにセラピストも配置し、リハビリテーションの充実に努めている事業所である。

その為、現在でもセラピスト・看護職員・介護職員は引き続き募集中だということである。それに加えて福の種合同会社全体の経営に携わることができる、管理職候補のスタッフも募集しているそうだ。

高知県外からIターンで就職していただける場合は、最初の2年間は宿舎を用意してくれるとのことだ。木村社長より、「素晴らしい自然と海の幸、山の幸、ケセラ介良が待っています!!」というメッセージも届いている。

僕が今後もお付き合いを続けていく介護事業所でもあるので、高知市内で働きたいと思う能ある鷹は、是非応募してみてはいかがだろう。新しい環境で、志のある素敵なスタッフに囲まれて自分と未来を変えてみたいと思う方は、木村社長(088-821-8996 ✉ momotaro0502@gmail.com)まで直接連絡してほしいそうである。

スタッフの皆さん、どうぞ立派な事業所を目指す前に、感じの良い介護事業所を目指してください。
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ブラック事業者からの退職に交渉の必要性はない


昨日このブログに、悲痛な叫びともいえるコメントが書き込まれた。

それは、『竹内理論実践施設職員の悲痛な声』という記事に対するコメントで、以下に転載させていただく。
----------------------------------------------------------------------------
今年1月から入職した施設が竹内式推奨でした。衝撃的でした。
介護福祉士になり18年。
色々な理不尽を経験し乗り越えてきた自負がありましたが、4か月保たず心を壊しました。
大量の水分摂取、体調に関わらずの離床に運動、強制排泄。
誰もが、食事は水分に含まれない。栄養補助飲料でさえ水分ではないと口を揃えて言う。
どんなに、違うことおかしいことを唱えても聞き入れてもらえませんでした。
当たり前ですが、無理矢理大量の水分摂取強制などできることもできず他者の行う姿を毎日のように目にし続けた結果…
適応障害とパニック障害を発症しました。
職場のことを考えるだけで発作が起こります。
今は間に人を入れて退職交渉中です。
(転載ここまで。)
----------------------------------------------------------------------------
人権を無視した、「竹内理論」の実践を強要されることによって、心を壊してしまう介護職員がいることはよく聞かされることであるが、本ケースは被害を受けた方本人からのコメントであり、『適応障害とパニック障害』を併発しているのだから事は深刻である。

きちんとした治療によって治る病気なのだから、まずは仕事よりご本人の健康を優先させるべきである。一日も早い回復をお祈りしたい。(参照:パニック障害を克服した男

このように竹内理論は利用者だけではなく、介護職員も同時に傷つけているわけだ。介護福祉士としての経験が18年もあり、様々な経験をしながら利用者の方々に寄り添ってきたであろう人にとっても、あの非人間的な強制水分補給法は衝撃であったのである。その衝撃とは、人間の尊厳をここまで奪ってよいのかという衝撃に他ならないと思う。

そして利用者の意思を無視した水分摂取を続け、利用者の嫌だ・助けてという声に目と耳を閉ざす他の職員の姿に接し続けることに耐えられなくなって、心を壊してしまった結果がここで明らかにされているわけである。

日本というこの国の介護現場でこのような悲惨な竹内理論の実践による強制水分補給が行われ続けているのは異常という言葉を通り越して、犯罪的ですらある。それに気づかない介護事業経営者や管理職・職員にその罪を、どのように償わせるべきなのだろうか。

ところでこの方は、「今は間に人を入れて退職交渉中です」としているが、正社員等の「期間の定めのない雇用契約」の場合は、労働者の意思による退職(辞職)は、原則として「自由」である。

ただし民法の規定で、退職(辞職)の2週間前までに、会社に対して退職(辞職)することを伝えなければならないとされているので、これは守らねばならない。この時、事業者の就業規則で1ヶ月前や3ヶ月前までに退職を申し入れることという定めがあったとしても、民法における「2週間前までの退職(辞職)の申し入れ」よりも長い期間の定めは、基本的には無効とされており、就業規則に従うことなく辞めることができるのである。

コメントを書いてくれた方は、間に人を介しているということなので、直接の交渉をしていないことはやや救いであるが、退職を思いとどまるように説得される過程で、心の病気の早期治療ができずに病状が悪化するケースも多いので、この辺りは十分注意してほしい。

特にブラック企業と言われるところで退職交渉をしたケースでは、脅しとも見まごう言葉を事業主から浴びせられて、それが別の病の引き金になることもあるので注意が必要だ。本来退職に交渉は必要ないのである。

僕から云わせれば、竹内理論を介護に導入している事業者は、それだけでブラック企業である。一日も早く退職して、まず心の病を治療して、元気になったらならばもっと自分に合った良い介護事業者を見つけて転職し、そこで本当の意味で、介護が必要な人の支えになってほしいと思う。

介護事業専門の転職支援として、僕は厚生労働省許可で、安心・無料の転職サポートサイト、ケアジョブをお勧めしている。

このサイトは登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで一切無料でサポートしてくれるサイトである。

登録後、メールで情報だけ送ってくることに終始するサイトが多い中、こちらは担当のキャリアアドバイザーが直接電話連絡してくれて、丁寧に希望条件を確認したうえで、最適な職場を紹介してくれる。しかもキャリアアドバイザーは外部の人間が知ることができない介護事業者の内部事情も含めて知悉したうえで、相談に乗ってくれるので信頼度は抜群である。

人間関係のたまものなのかどうかはわからないが、他では全く紹介されない未公開求人も多数紹介してくれるし、入職後の相談も無料で継続できるのだから、さらに安心だ。

今すぐに転職を考えていない人も、まずはここに登録して、いろいろな介護事業者の情報を集めてみると良いのではないかと思う。それは自分の将来を考えると大切なことだと思う。なぜなら優秀な人材には、その能力に見合った労働対価や環境も必要だと思うからである。(参照:咲く場所を選ぶことが必要になることもある。咲く場所を変えなければならない時期もある。

ということでコメントをくださった方にも、一日も早く新しい良い職場を見つけてほしいものである。是非文字リンクを貼ったサイトを一度参照願いたい。下記からも入れます。
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竹内理論実践施設のトップに悲痛な声はなぜ届いていないのか


昨日更新した記事、「竹内理論実践施設職員の悲痛な声」を読んだ方からメールが届いた。

その主な内容とは、「このような職員の悲痛な声がなぜ施設長に届いていないのでしょう?」という疑問である。

例えば昨日紹介した声以外にも、竹内理論を一度でも実践した経験のある人からは様々なコメントが寄せられている。

文字リンクも参照していただきたいが、そのほかにも無理やり水分摂取させる方法として、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました。その結果その方の舌は血豆だらけになっていました。」という声や、「座位がまともにとれない方であっても、ポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされており、その時に利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視されている。」・「歩くことを奨励すると言っても、そのやり方は、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずったりしている。しかもそれは家族には決して見せようとしない。」という声がある。

こうしたたくさんの不適切行為の実態が寄せられているにもかかわらず、なぜ竹内理論実践施設では、施設長がその声を無視して、こうした虐待とも言ってよい行為を続けているんだろうという疑問は当然湧いてくるだろう。

おそらくこうした悲痛な声は施設長に届いていないか、届いていても実践力が低い一部職員の不満の声としか認識されておらず、無視されているのだろうと思う。

もともと竹内理論を全国に広めたのは全国老施協という組織である。その組織で権力を持っていた方(故人)が竹内氏と親しく、その理論を信奉していたため、「介護力向上講習」というものを主催してその理論を広めていたのである。

そのため初期の実践施設は、各都道府県の老施協役員がトップを務めていた施設であり、その理論が優れているかどうかに関係なく、理論実践を広めるために講習会に自分の施設職員を参加させ、その理論を持ち帰って実行することを命じていたという経緯がある。そのため実践方法などの細かな部分は現場任せで、とりあえず結果を出すことが求められており、それに逆らう術はなかったのが実態だろう。

しかも実践施設のトップは、職能団体の役員としての仕事が忙しく、施設にいる時間があまりない中で、理論実践の方法をチェックすることなく、結果だけの報告を受けて、おむつがゼロになったということだけに満足していた人も多かった。(※しかしおむつゼロといっても、それは日中だけで、紙パッと屁の排泄はおむつゼロの範囲とされ、トイレ排せつも長時間便器に座ったまま放置されている人もいる中でのゼロである。)

要するに現場を見て実態をチェックする施設長がいない施設か、実態を知っても、利用者の暮らしの質への考えが及ばず、おむつゼロという看板を掲げることができればよいと考える施設長のいる施設で、こうした悲惨な対応が行われているわけである。

昨日も書いたが、つまるところは対人援助のスキルのない人がトップを務めている施設が、こうした人権無視の方法を行っているのだ。それらの人たちは本来、介護業界には居てはならない人間なのである。

当然こうした施設では、利用者に食事以外に最低1500mlもの大量の水分を摂取させているので、急性低ナトリウム血症とか心不全とかで亡くなってしまう人もいるのではないだろうか。

しかしそうした施設の所属医師にも、こうした大量の水分補給が行われているという情報が送られていない場合もあり(そもそもまともな医師なら、そんな水分補給は駄目だと禁ずるはずだ)、ましてや救急搬送される医療機関の医師が、そんな馬鹿げた水分強制摂取がされているとは思いもしないから、そうした病状の人が送られてきても、その原因が多量の水分摂取が原因とは気が付かず、一般的な病状悪化としてしか処理されていないのだろう。悲惨なことである。

ところで現在、全国老施協は介護力向上講習を行っていない。わずかに県老施協単位で行っているところがあるのみだ。その過ちを悟ったのかどうかはわからないが、竹内理論の推奨・推進を止めているわけである。

それは何故かということを深く考えていただきたい。

人の痛みに気づかないか無視するかして、いつまでも竹内理論の実践に固執する施設の職員は、自分の矜持を失わないために、早々と転職先を考えたほうが良い。
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竹内理論実践施設職員の悲痛な声


1日1500ml以上の水を飲ませれば認知症は治り、おむつはゼロにできるというカルト宗教まがいの竹内理論に対する批判記事は、このブログで再三書いてきた。

このカルト宗教まがいの理論に洗脳されている関係者は、(ピーク時からはかなり減ってきているとはいえ)まだ少なからず存在しており、そういう人がトップを務めたり、影響力のある地位に就いている施設では、相も変わらない非人間的水分摂取が今現在でも強制されている。恥ずべきことだ。

そこでは利用者が、捕虜収容所での虐待レベル以下の待遇に置かれていると言えよう。それが証拠に竹内理論を実践する施設で、強制的に水を大量に飲まされている人の表情は、さも苦しそうに、辛そうに、哀しそうにしている。そんな暮らしを望む人がいると思っているのだろうか。

その悲惨さを証明するかのような告発コメントが、このブログについ先日書きこまれている。去年6月に書いた「カルト宗教と同じようにはびこる洗脳ケア」に今年5/7の日につけられたコメントであるが、以下に転記しておく。
--------------------------------------
私の施設も竹内理論を展開しています。朝早くたたき起こされ、完全に覚醒していない利用者にトロミをつけて、水分を流し込み、夜勤者は、朝から600cc入りました〜と誇らしげに発言する。

体重40キロ程度で90歳すぎの高齢者に対して、一時間かけて押し込む。しかも、ただただ、はい、飲んで!と強い口調で何度も何度も言われ続け、むせ混みながらも、水分を押し込む。そのあとに出てくる超刻み食介助には、水分さえない。薬も、おかずも、主食も混ぜ合わせ、まるで家畜の餌のような食事。

人権も尊重もない、気付いて欲しい。心のケアを。人間として、個人として、尊重され、その人らしさを取り戻せる環境を整えていきたいと、考えさせられる。

単に、水分をとればいい?

体重40キロの人も80キロの人も、水分量が同じ?心臓、腎臓、糖尿病など、様々な疾患も無視して水分補給?

生理学を一部の視点からだけ見て、水分、運動、排泄、食事と基本をとらえるのは、大きな間違いだ!
(転記以上)
--------------------------------------
このコメントを書いた、「 バラ」さんには何の罪もない。馬鹿なトップに命じられてやらされているに過ぎない。

しかしこの行為がいかに間違った行為なのかということを気が付いているバラさんのような方にとって、こうした行為を続けること自体が悲劇になりかねないので気を付けほしい。

多くの介護職員は、人の役に立ち仕事をしたいという動機づけを持って介護の仕事を選んでいる。そういう人たちにとって、竹内理論で施設目標が達成できる過程で、たくさんの利用者の不幸と悲劇に気づくことで自己嫌悪の感情を持つ恐れがある。その時に、思い切って退職するという選択ができればよいが、退職せずに仕事を続け、自分が利用者に苦しみを与え続けることを悩み続けることによって、心と体を壊してしまう人がいるのだ。

そうならないようにくれぐれも気をつけてほしい。真実に気が付いた後にも、自分の良心に反した行為を業務上求められている人は、自分の心や利用者の体を壊す前に思いきって退職し新たな職場を探した方が良い。それが自分が悪魔にならないための唯一の方法だ。理想の条件がみつかる介護職専門の転職サイト・ケアジョブは非公開求人もたくさん紹介してくれるので、無料登録してみてはいかがだろう。

竹内理論を信奉する多くの施設長は、介護サービスの場で実務の経験のない人が多い。特に看護や介護の経験が全くない人の場合、おかしな理論であっても、それに反論する知識がないために、権威があると思われている人の話を鵜呑みにして、闇雲に現業職にそれを行わせることで、自分の知識レベルも大したものだと思い込んでしまう傾向にある。

カルト宗教的な理論も、他の人とは差別化される特別な知識理論だと勘違いして、それを知る自分に酔い、部下に銘ずる施設長の馬鹿さ加減が、多くの介護施設で悲劇を生み出してる。

そもそも介護実践は、介護サービスを利用する人のための方法論によって行われるべきなのに、介護施設の目的が優先されて、その方法論が創られてどうするというのだろうか。

それにしても竹内理論を実践している施設のトップは、バラさんが告発しているような介護の実情を知っているのだろうか。知らないでいるとしたら管理職としての適性はないし、知っていて実践させているとしたら人間として許せない。どちらにしてもいらない人物だ。

はっきり言って、今どき竹内理論を信奉している施設長は、能無しの下劣な人間にしか過ぎない。

水分摂取で認知症の症状がなくなれば誰も苦労しない。水分を取ることで認知症の症状が消えた人がいるとすれば、それはもともと脱水状態にあって、そのために行動心理症状が起きたた事例でしかない。脱水症状のある人は、脱水を直すだけでその症状が消えるのは当たり前だ。しかし1日1500ml以上もの多量の水分摂取は、脱水を起こさなくはするが、逆に過水症状による健康被害の危険性を増すものでしかなく、内臓各器官のダメージにつながり生命の危険に及ぶ危険性が高くなる。

そのような水分補給を、利用者自身が望もないにもかかわらず、利用者の苦しがる表情を無視して強制的に行っている行為は虐待そのものである。

そんなあたり前のことも理解できない施設長は、早々と介護業界から去るべきである。

僕たちの目指す介護の方法論とは、竹内理論のような悲惨な方法論ではない。

僕たちは桜咲く場所で人々が見せる笑顔が、介護実践の場でも生まれる介護を目指している。人々の哀しい涙いよって僕たちの目的が達せられても何も意味がないと思っている。

下記の動画の中に、「立ち止まりうずくまった私を見つめて」というフレーズがある。どうかそこに居る、一人一人の利用者を見つめてほしい。辛そうな表情を見逃さないでほしい。
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理念をキャッチコピー化した先に生まれる勘違い


介護事業において、「理念」を掲げ、その理念を達成するための目標を立てることは大事だと思う。

しかし理念とは、「こうあるべきだという根本の考え。」のことを言うんだから、介護事業であれば、介護の本質を知らずして理念もくそもあったものではないと思う。しかもそれは単なる方法論を云うものではない。「おむつゼロ」だとか、「科学的介護」なんて言うのは、一つの目標であったり、方法論であったりするだけで、それ自体が理念になるようなものではない。

ところで介護保険制度の掲げる、「自立支援」という理念を、そのまま介護事業における理念と同じにしてよいのだろうかと疑問を持っている。制度の理念は、制度を運営する側の理屈でしかなく、制度に血を通わせて、闇に光を届ける実際のサービスがそれと同じ理念で良いのかと思うからだ。

少なくとも制度の手足となって動く側には、もっと違った考え方があってよい。そもそも介護事業や介護サービスとは、暮らしを営む人間に向かい合って、そのプライベート空間に深く介入するものなのだから、制度の理念を唯一の価値としてはならないのではないかと思う。

そもそも介護実践をしたこともない役人の理念は、一度疑ってかかる必要もあろうというものだ。

何が本質なのかということを自分の頭で考えずに、人から与えらたものだけを頼りに価値観を形成してしまう人に、物事の本質や、真のニーズなんて理解できるはずがないと思う。

例えば、「お世話型介護施設から、自立型介護施設への脱却」というキャッチフレーズを使って、「自立支援が一番大事だ」と高らかに謳って運営している施設がある。それはある意味、自立できない高齢者の尻を叩き続ける施設と言ってよい。

しかし80年も90年も頑張って生きてきた人が、さらに自立を強要される施設で、安心した暮らしを営むことはできるのだろうか。そこで暮らしたいと思うだろうか。いつまで人は頑張り続けねばならないのだろうか。

人の暮らしとはもっと多様性があるものだろう。一つの目的だけで表現できない多様性の中に生きるからこそ人生は豊かになるのではないのか。自立型を謳う介護施設は、その多様性を喪失させてしまうだけのように思えてならない。

介護施設の機能ももっと多様性がなければならず、「自立支援」というキャッチコピーのような言葉だけを前面に出してしまうことで、本来の、「暮らしの場」としての機能や役割は忘れ去られてしまう。

そこでは老人保健法で繰り返し失敗した、医療モデルによる介護予防という歴史が再現されるだけの結果に終わり、高齢者に対しても、自立できないのは自己責任であると決めつけ、その罰則であるかのように公費サービスを自己負担化させて、財源負担を減らすだけの結果で終わる恐れだってある。

そのよい例が、「和光市方式」だ。「介護保険制度からの卒業」というキャッチコピーを前面に押し出し、要介護認定で非該当とされた人に卒業証書まで渡したうえで、サービス利用ができなくなったことを、「おめでとう」と称える。しかしそれによって地域の高齢者の暮らしぶりが良くなったかなどという検証作業は一切行われていない。だから介護保険制度から卒業させられた人の、1割以上の人が、もともと使っていたと同じサービスを自費利用している。そのことについて行政担当課は一言も見解を述べていない。

そういえば和光市方式の「自立支援介護」の生みの親で、信者をたくさん持っていた審議監は、認知症の高齢者の財産を搾取して逮捕されているよな。弱い立場の人のお金をネコババする人に、高齢者に対する、「愛」なんて存在しないし、愛のない方法の自立支援は、結局「見捨て」でしかないと思う。

自立支援介護を高らかに唱え、おむつゼロがそれにつながるとする、「竹内理論」もそれと同じだ。そこで行われていることは、高齢者を尊厳ある一人の人間として見ず、排泄マシーン化する人権蹂躙だ。無理やり口をこじ開け、強制的に水分を多量に摂取させられ、おまけにトイレに排泄させるために、便器の上に長時間放置する暮らしのどこに尊厳や人間らしさが存在するというのだろうか。

介護施設や介護サービス事業者は、不特定多数の人を受け入れるのだから、価値観は多様化させた方が良いのだ。何か一つの事柄が、人間にとっての幸福であるかのような押し付けは、人の不幸に目をつぶって、自分の価値観のみを、「真実」であると信じ込む宗教である。しかもそれはカルト宗教に近いと言ってよい。

対人援助に関わる人間が、そのように目を曇らせてはならない。自分の考え方が唯一正しいという傲慢さから遠いところで、もっと人間に優しいまなざしを向けることが、私たちに求められていることだ。

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カルト宗教と同じようにはびこる洗脳ケア


個別アセスメントを一切無視して、全員一律に食事以外での1.500mlの水分補給を強制しながら尿量を増やし、トイレで排泄介助することだけを目的とする方法が、「竹内理論」と呼ばれる介護の方法論である。

それは「おむつゼロ」が実現できるケアと称されているが、おむつがまったく必要なくなるわけではなく、おむつを使用しないのは日中(概ね日勤時間帯)のみであり、夜はおむつを使用している。しかも日勤時間帯のおむつゼロと言っても、紙パットの使用とそこへの排泄は有りとされており、全員がトイレで排泄できているわけでもない。

しかもトイレで排泄するために行われていることと言えば、利用者のニーズどころか人格さえ無視した方法がとられていることが多く、トイレで排泄するために歩くことを奨励すると言っても、そのやり方は、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずったりしている。しかもそれは家族には決して見せようとしない。なぜならそこで引きずられている人の姿は、目も当てられない悲惨な姿であるからに他ならない。

また座位がまともにとれない方であっても、ポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされており、その時に利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視されている。中にはその状態のまま放置され、便器に30分以上座り続けさせられている人もいる。自分でお尻をずらせない人が、そんな状態で放置されたら、お尻の痛みに悲鳴を上げるのは当然だが、その悲鳴さえも無視されることになる。

水分も強制的に目標量が摂取させられるため、呑みたくない人の口をこじ開けることが日常的に行われ、密室の中でスプーン2本を使って無理やり口を抉じ開け、そのために舌の裏が血豆だらけにさせられ泣きながら水分を摂取させられている人もいる。

まさにそれは「悪魔の所業」といっても言い過ぎではない行為であるのに、それが自立支援介護だとか、科学的介護であると洗脳され感覚麻痺した介護事業者によって、今なお行われ続けている。

まるでそれはカルト宗教がこの世からなくならず、増殖していく過程と同じである。介護サービス利用者の個別のニーズを無視し、全員一律の目標を達成するためのスローガンを、事業者職員全員に唱和させ、それに向かって一切の疑問や意見を無視して突き進むことにおいて、竹内理論の実践は宗教化しているといえ、それはもはやケアとはいえない。

そんな罪深いことをしていることに気が付かない人は、いつかその業(ごう)によって地獄の苦しみを味わうことになるだろうが、自分の身にその業の報いが降りかかったとしても、何の罪もなく強制的に過剰な水分摂取を強いられている人が報われるわけではない。ひどいことである。

そんな虐待とも見まごう実践に、疑問を抱いた人から先日も電話をいただき、どう反論したらよいのかと問いかけられたが、「竹内理論に関連する記事」を参照いただき、ここでの反証を参考にして間違っているものは、間違っているのだと主張していただきたい。

竹内理論に関しては、医療の専門家の多くは間違っているという認識を持っているが、医療の世界ではそのような方法論に猛進する知識レベルの低い人は少ないため、まじめに反論する必要もないと考えられている節があって、「それは違う」という反対の声を挙げるよりも無視されているという傾向が強いように思う。無視されていることをいいことに、大きな反論がないとして暴走を続けているのが竹内理論による悪魔のケアだ。

まともな介護事業関係者も、竹内理論の危うさや、おかしさに気が付いているはずだが、僕のように竹内理論の批判記事をネット配信している人はどれくらいいるのだろうか?例えばネット検索すると次のような意見に出会った。

おむつゼロ運動に見る、大衆心理の危険性

なかなかよくまとまった記事である。そこで批判されている竹内理論による、「画一的ケア」の実態も、僕が批判している実態とほぼ同じ内容だ。というか口の中に血豆ができたケースなどは、僕の記事を参考にしているのではないかと思ったりした。(※そのケースは、僕に直接メールで情報提供してくれた人が実際に働いている施設で経験したケースである)

自立支援とかおむつゼロという名のもとに、カルトケアが行われているという現実がこの国の介護の在り方を歪め続けている。実に恥ずべきことである。

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実践結果という根拠に優るものはない


今週・土曜日に日本教育会館(東京都千代田区一ツ橋)で行われる、「日本労働組合総連合会(連合)主催、医療・介護フェス2019」のタイムスケジュールが決まった・・・というか、すでに決まっていたのだろうが、自分が講師・パネリストとして参加するにもかかわらず、タイムスケジュールを昨日まで確認していなかった。

それをやっと確認したということだ。それが下記である。
連合主催、医療介護フェス3
ご覧のように、僕は11:35〜60分の講演を行なった後、午後から前後半の2回に分けて合計110分の予定で行われるパネルディスカッションの議論にも参加する。

講演では「利用者に選ばれる介護」についてお話しするが、パネルディスカッションでは、「地域包括ケアシステムの在り方」・「それを支える人材確保」について語ることになる。

パネルディスカッションは、事前の打ち合わせなしで、ぶっつけ本番の意見交換になるので、どんな展開になるか予想不可能だ。しかし110分という時間のディスカッションの中に6人ものパネリストがいるので、モデレーターが話す時間を差し引くと、一人当たり話をできる時間は15分程度だろう。そのため要点を絞って簡潔明瞭に、かつテーマをできるだけ掘り下げられるように話すことを心掛けたい。お近くの方は、是非会場にいらしてください。

僕の場合は、ケアマネ実務を含めて相談援助職として、地域支援や施設サービスの経験もあるし、社福の理事・総合施設長として居宅サービス事業所や介護施設の経営の経験もあるので、自分の経験と実績に基づいたいろいろな話ができると自負している。

テーマが多岐にわたったとしても福祉や介護関連ならほとんどすべての領域をカバーできるし、臨機の質問などを受けても的確に答えられる自信はある。そうした場で話すことは、すべて実践根拠に基づいているので、その自信は揺らぐことはない。逆に言えば、自分で実践できないことは話さないし、わからないことはわからないと正直に答えるだろう。

複数の人とのディスカッションの場で話す際に、他の人との価値観の違いからくる意見の相違はあったとしても、僕自身がそこで語ることに嘘はない。正解・不正解が問われる問題は、実践結果が証明していると思っている。竹内理論批判も、僕の実践結果に基づいたものだであるから、すでに勝負はついていると思っている。

理屈だけで終わらない「介護の実践論」が僕のモットーだから、全国各地で行う講演でも嘘のない実践論をお話ししている。それは僕が、僕の仲間たちとともに行って結果を出してきたことだから、やる気になりさえすればできることだ。看取り介護しかり、認知症の人への対応しかり、サービスマナーしかり、すべて実践可能な方法論を披露している。

講演内容も多岐にわたって様々なテーマを話すことができる。一番最近出版した本が看取り介護の本(看取りを支える介護実践〜命を支える現場から)であるために、看取り介護講演の依頼は相変わらず多い。昨日も島根県松江市で5時間の看取り講演を行なうことが決まったばかりである。

そのほか介護実務に関連して、「介護職が元気になる実践論を話してほしい」という依頼もあり、そこでは「介護の誇り〜根拠あるサービス実践」というテーマでお話しすることもある。

最近では利用者に選ばれる事業者になるために、「サービスマナー講演」も増えている。

そのほか「認知症ケア」や「終活」などをテーマとした講演も行っている。

相談・援助職を対象にした、ソーシャルワーク論、ケアマネジメント論、ケアプラン作成実務などの講演もできるし、介護保険制度論として、制度全般や報酬改定の解説・行方・予測などに関する講演を行う機会も多い。地域包括ケアシステムに関連して、多職種連携、医療・介護連携をテーマにすることもある。

介護事業経営関連としては、ストレスマネジメントを含む労務管理とか、人材マネジメント(人材確保・人材育成)に関する講演も行っている。

講演を希望される方は、こちらの「masaの講演予定と履歴」で詳しく内容もご覧になれるので、ぜひこれらを参考にしながら、そのページの「今後の予定」の上に掲載しているメルアドなどに、気軽に連絡していただければありがたい。

連絡は即、依頼を意味していないので、講演を依頼するかどうかの判断のための問い合わせも気軽にしていただきたい。テーマの希望にも応じるので、盛り込んでほしい内容という希望にもできる限り応えるので、是非ご検討願えれば幸いである。

検討の結果、講演依頼していただけると嬉しい限りである。それはやる気になりさえすれば必ずできる、「実践論」であることをお約束する。

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無責任なマスコミに心を痛める〜認知症は水分摂取で治りません


発熱して救急外来受診した経緯については、「久しぶりの40度」でお知らせしたとおりであるが、そこから昨日まで体温が37度〜38度間を行ったり来たりする状態で改善が見られず、結局週末はほぼ寝たきり状態で過ごすことになった。

発熱当日の木曜日に予定していた仕事は、認定審査会も含めて何とかこなしたが、それ以降の3日間の予定は白紙と相成った。幸いこの間は、講演予定が入っていなかったので、その方面で迷惑をかけなかったことが不幸中の幸いだった。

しかしわずか3日とはいえ、仕事が全く手につかない状態はかなりのロスで、これを取り戻すのは容易ではない。サラリーマン時代なら、体調を崩して休みを取っても、自分に替わって補ってくれる人によって、業務が全く停滞するということはなかったので、それと比べるとやはり独立して行う仕事の難しさを感じざるを得ない。体が資本であることを改めて実感させられた4日間であった。

実はまだ体調は完璧とは言えない状態だが、いつまでもベッド上を中心に過ごすというわけにもいかないので、昨日の午後からは通常の暮らしに戻している。しんどいところもあるが、元気になったと思い込むことによってできることもある。

それに昨日は僕の誕生日でもあった。この年になって、今更誕生日がめでたくもないし、家族間でも特別なお祝いをすることもないが、誕生日を寝て過ごすというのも縁起が悪い。普通に起きて、普通に飯を食って、できれば普通にお酒も飲もうと思ったが、さすがに酒はまだ早すぎたようで、たった1杯のお酒で具合が悪くなった。なかなか可愛い58歳のmasaちゃんである。

それにしても世間では、根拠のない思い込みの介護方法が横行して、それがなくならない。それに拍車をかけているのが、知識に欠ける興味本位だけのマスコミ報道だ。

先日もTBSの爆報フライデーという番組で、認知症が水分摂取によって改善されるかのような内容が放映された。そしてその水分量も1.500mlとされており、あたかも竹内理論を彷彿させるものであった。

あの番組で紹介された事例(俳優の布施博さんの父親など2ケース)は、水分摂取によって認知症が改善したものでないことは、専門家から見れば明らかである。そのケースは単に脱水性のせん妄が、脱水が改善されたことによって症状改善しただけに過ぎない。つまりもともと食事摂取量はじめ、水分摂取量がかなり足りていなかったケースであることは明らかだ。3食の食事量も不十分であったから、今現在1.500ml/日もの多量の水分摂取で、内臓ダメージがなく過ごせているという、偶然と幸運の重なったケースにしか過ぎない。

同じことを脱水ではない認知症高齢者に強制的に行えば、深刻な内情ダメージが生じ、場合によっては心不全などで命を落としかねない。猛暑の地域では、電解質などを摂らずに水分だけを大量に摂取することは、低ナトリウム欠症などを引き起こす可能性もある。これも人命にかかわる。

そもそも人が必要とする水分量を、食事摂取量を抜きにして考えるなどあり得ないという常識が、かの番組には欠如している。通常の食事を3食十分摂取できている人であれば、食事以外の水分補給量は、1.000ml/日程度で十分であるケースが大部分である。食事摂取ができていてなおかつそれ以上の水分補給が必要なケースは、治療すべき疾患が別に存在すると思われる。

とにもかくにも無責任なマスコミ報道に踊らされて、必要以上の水分の強制摂取が行われ、人権侵害のみならず、生命を侵害される認知症高齢者が出てくるのではないかと危惧している。あの番組を見て、自分の身内に水分を強制的に与えた結果、病状が重篤化するケースは間違いなく出てくるだろう。その時は、その番組の報道内容を信じて間違った対応で、家族を死なしめた人も被害者だ。この場合、テレビ局自体も被告になり得ることを自覚してもらいたい。今後被害にあわれた方が生じた場合には、被害者をまとめて集団であの番組を提訴してほしいものだ。

それにしても邪教のように広がる、水分強制摂取。これを唱えている張本人が、被害者の実態を顧みることなく、根拠のない方法論を垂れ流していること自体が、すべての元凶である。その存在は、日本ボクシング協会の辞任した会長の存在より始末が悪い。

これを何とかせねばならない。

介護福祉業界の人材ケアマネジメントセミナー
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自立型介護施設で暮らしたいですか?


人は生きるためには自立する必要があるのかもしれない。でもそれは生きるための目的や目標ではないはずだ。

心身に何らかの障害を抱えている人であれば、日々の暮らしを営むためには、その障害を克服して自立することが目標の一つになるのだろう。

しかしながら、その場合でも最大目標が「自立」であるというのは間違っている。ある目標を達成するために、身体的にも精神的にも「自立」が求められることはあったとしても、それだけが目的化されるのはおかしいし、そんな暮らしの中で生きるのは苦行でしかない。

一般論で言えば、自立を目的に生きている人はいないのである。

しかしながら介護保険制度の目的の一つが「自立支援」であることから、対人援助とは誰かを自立させるためにあると勘違いする輩がなくならない。持続できる制度であることのみに偏った制度改正や報酬改定により、介護保険制度とは国民の尻を叩き続ける制度となってしまっているが、そのことに洗脳されてはならないのである。

できる行為を失わないように支援することは大事だが、それは自立が最大の目標だからではなく、できることを続けることによって実現できることがあり、それはその人の幸せにつながるかもしれないからである。自立が目的ではなく、自立の先にある「暮らしの質」が本当の目的なのである。

そうであれば自立できない人に、それを強要するのではなく、誰かが力を貸すことで手に入れることができる「暮らしの質」を求めたって良いのだと思う。

人間は独りぼっちでは生きていけないが、その意味は、人に頼ることができることで社会生活は成り立つという意味だ。

身体機能に障害がある人であっても、自分の意志がしっかりしていれば、他人からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動することができるのだ。その時には人に頼る、委ねるという選択権を持てばよいだけの話で、人に頼ることができるという素晴らしさを忘れてはならないのである。そのことを「自律」と呼ぶのであって、本来介護保険の目的も自立支援ではなく、自律支援であるべきだ。

精神の病などで意思決定ができない人に対しては、周囲の人々が、その人は何がしたいのかを慮って物事を決定するという代弁機能が求められるが、それは人間にしかできない尊い行為ではないのか。だから僕は、アドボケイトのもう一つの意味は「傍らにいることを許される者」になることだと主張している。

そんな風に人は、周りの誰かに頼って生きていくことができるという素晴らしい存在ではないのだろうか。頼ることのできる素晴らしさを忘れていないだろうか。委ねることができる人がいることの尊さを失っていないだろうか。頼ること・委ねることは、共立できるということなんだから・・・。

しかしながら自立支援が最大目標であるかのように勘違いした(あるいは洗脳された)人は、エビデンスのないキャッチフレーズだけの自立支援介護を最高のものだと勘違いしてしまっている。その最たる例は、「竹内理論」と称される、根拠のない強制水分摂取であり、その理論の実践で亡くなガラ暮らしている高齢者が全国にたくさんいるというのが、この国の実態だ。それは恥ずべき姿だ。

さらに恐るべきことに、暮らしの場であるはずの特養にさえ的外れの自立支援が強制される傾向が見える。「お世話型介護施設から、自立型介護施設への脱却」というキャッチフレーズを使って、自立できない高齢者の尻を叩き続ける施設が出現している。いったいいつまで人は頑張り続けねばならないのだろうか。80年も90年も頑張って生きてきた人が、さらに自立を強要される施設で、安心した暮らしを営むことはできるのだろうか。そこで暮らしたいと思うだろうか。

人の暮らしとはもっと多様性があるものだろう。一つの目的だけで表現できない多様性の中に生きるからこそ人生は豊かになるのではないのか。

自立型と謳う介護施設は、その多様性を喪失させてしまうだけのように思えてならない。せめてケアマネジメントをはじめとした、我々の対人援助の視点は、頑張らなくてもよい介護を模索しなければならないのではないだろうか。

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身体介護の概念変更と区分の明確化について


3月30日付の介護保険最新情報Vol637の内容は、「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について」 の一部改正についてであった。

これは老計10号通知の改正であり、その目的は同解釈通知の、身体介護の1-6(自立支援のための見守り的援助)の明確化であった。

先の介護報酬改定議論の際、厚労省はこの部分に「身体介護として明記されていないものがある。」と指摘していた。つまり実態としては身体介護であるにもかかわらず、ここに明記されていないことにより、生活援助として算定されていたサービス実態があることが問題視されたわけである。そのため、「これまで生活援助として提供していたサービスを身体介護として位置づけやすくする。」ための通知改正が行われたわけである。

通知改正内容を確認したい。

まず身体介護について、下記のように変更されている。
(従前)⇒用者の日常生活動作能力(ADL)や意欲の向上のために利用者 と共に行う自立支援のためのサービス
(改正)⇒用者のADL・IADL・QOLや意欲の向上のために利用者と共に行う自立支援・重度化防止のためのサービス

これは注目すべき改正点だ。介護保険制度の理念・目的は「自立支援」であることは知らない人はいないが、ここにQOLという言葉と、重度化防止という言葉が加わったという意味は、「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクに警鐘を鳴らすとともに、高齢者の字膣支援がADLの向上だけではなく、ADL低下のスローダウンや、その過程における暮らしの質を総合的に見つめつ実現できるものであることを明示したものといえよう。それはある意味、僕の竹内理論批判と相通ずる考え方であると評価したい。

そのため(1-6)についても次のように文言が追加された。

(従前)1−6 自立生活支援のための見守り的援助(自立支援、ADL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)
(変更)1−6 自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、 ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)

そしてその具体的な行為については以下の通りとされた。(※緑色で示した部分が追加されたもの。白字は従前からのもの。番号は本通知では示されていないが、便宜上ここでは番号を振った。)

○ベッド上からポータブルトイレ等(いす)へ利用者が移乗する際に、転倒等の防止のため付き添い、必要に応じて介助を行う。
1.認知症等の高齢者がリハビリパンツやパット交換を見守り・声かけを行うことにより、一人で出来るだけ交換し後始末が出来るように支援する。
2.認知症等の高齢者に対して、ヘルパーが声かけと誘導で食事・水分摂取を支援する。

3.入浴、更衣等の見守り(必要に応じて行う介助、転倒予防のための 声かけ、気分の確認などを含む)
4.移動時、転倒しないように側について歩く(介護は必要時だけで、事故がないように常に見守る)
5.ベッドの出入り時など自立を促すための声かけ(声かけや見守り中心で必要な時だけ介助)
6.本人が自ら適切な服薬ができるよう、服薬時において、直接介助は行わずに、側で見守り、服薬を促す。
7.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う掃除、整理整頓(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む)
8.ゴミの分別が分からない利用者と一緒に分別をしてゴミ出しのルールを理解してもらう又は思い出してもらうよう援助

9.認知症の高齢者の方と一緒に冷蔵庫のなかの整理等を行うことにより、生活歴の喚起を促す。
10.洗濯物を一緒に干したりたたんだりすることにより自立支援を促すとともに、転倒予防等のための見守り・声かけを行う。
11.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行うベッドでのシーツ交換、布団カバーの交換等
12.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う衣類の整理・被服の補修

13.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う調理、配膳、後片付け(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む)
14.車イスでの移動介助を行って店に行き、本人が自ら品物を選べるよう援助
15上記のほか、安全を確保しつつ常時介助できる状態で行うもの等であって、利用者と訪問介護員等がともに日常生活に関する動作を行うことが、ADL・IADL・QOL向上の観点から、利用者の自立支援・重度化防止に資するものとしてケアプランに位置付けられたもの

このように具体的行為が示されているが、15の内容を読むと、その行為の範囲はもっと広げられる可能性があることがわかる。それだけに居宅介護支援事業所の担当介護支援専門員が、利用者のADL・IADL・QOL向上についてどう考えるかがより重要になってくることがわかる。

くれぐれもQOLの視点のない自立支援・ADLの向上に目を奪われないようにしてほしい。

居宅サービス計画作成の視点で何より大事なのは、その計画が実行されることそのものではなく、その計画が実行された結果、利用者の暮らしぶりが良くなることである。そして利用者の暮らしぶりが良くなることとは、利用者が満足して良かったと思えることである。

利用者が不満を抱えているにもかかわらず、計画が実行されていることに、担当ケアマネが満足している乗な状態は、なんの意味がないばかりではなく、それはその担当ケアマネが、利用者にとっての生活障がいそのものになっているに過ぎないのである。

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街も暮れゆく


日中の最高気温が20度に達した沖縄県名護市での講演を終え、昨日午後の飛行機で北海道に帰り、降り立った千歳空港の午後5時30分の気温は氷点下3度だった。日本は広い。

そういえば南国の沖縄では「紅葉」の季節はないそうである。そうした常緑の沖縄では、桜祭りが1月に行われるというのにも驚く。

こんなふうにして今年も日本全国をまわり歩いて講演を行い、様々な人々との出会いがあった。そんな旅の中で思うことは、南北に長い日本では、その地域地域で様々な慣習があり、暮らしがあるということだ。

地域包括ケアシステムとは、そうした地域の慣習や、そこで暮らす人々の日々の営みを護ることを目指すものでなければならない。そのシステムがお題目に終わってもならないし、その言葉が給付制限の方便として使われることがあってはならない。

そのためには徹底的に人を見つめ、人を思い、人を護ることが、我々対人援助に携わる者の使命だということを自覚しなければならない。保険・医療・福祉・介護は、経営主体の目的が達せられるために存在するのではなく、この国に暮らす人々の命と暮らしを護るために存在するのだという根幹となるものを揺るがせてはならない。

我々のミッションとは、事業者が潤うこと以前に、支援を受ける人々がこの国で幸福な暮らしを送るということが実現するためのものである。勿論、経営母体の基盤が揺らいでは、支援行為自体が成り立たないので、収益を上げながら経営を続けるためのミッションも必要になる。しかしそれが利用者の生命や生活の質に優先されるものではないことを自覚せねばならない。

残念なことに介護業界には、事業者目標さえ達せられれば、利用者の暮らしの質などどうでもよいと考えている人も存在する。科学的根拠のない理論を普及させるために、利用者の悲哀を無視して、根拠のない行為を続けている事業者も存在する。竹内理論による大量の強制的水分摂取は、その最たるものである。しかし今月22日にNHKがその欺瞞的理論を紹介する番組を放送した。これによって水分の大量摂取が行われて命を落とす人が出てくるかもしれない。NHKはその責任をとれるのだろうか?

脱水によるせん妄は、脱水状態でなくなれば改善するだろうが、大量の水分摂取で認知症が治ることなどありえないことがなぜ理解できないのか。アルツハイマー型認知症は、脳の神経細胞が壊死して症状がおこるのであり、脳細胞が再生しないのに、どうして水分摂取で認知症が改善するなどと言うインチキ理論がまかり通るのだろう。

その番組内容を批判したスレッドが、表の掲示板に立っているが、今更こんな議論がされることが残念である。洗脳介護とはかくも恐ろしいものである。

竹内理論による洗脳介護、そこで行われている人権を無視した強制水分摂取は虐待そのものである。そうしたことを行わずとも、認知症の方々の行動・心理症状は改善することは、カンフォータブルケアの実践でも証明されている。

竹内理論の実践としての、利用者を引きずり回す歩行介助や、舌を血豆だらけにして無理やり口をこじ開けて行う水分摂取は、利用者の家族には見えない場所で密室化されて行われる。カンフォータブルケアの実践は、誰にでも目が届く場所でオープンに行われる。どちらが優れた実践なのかということは、今更言うまでもない。

こんな間違った介護方法がこれ以上広がらないように、科学的根拠に基づいた介護の方法論が浸透するように、来年も僕は全国をまわって伝え続けていくだろう。

介護の質を護る実践論を伝え続けていく。2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、「介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策」を行う予定である。

人々の暮らしを護る介護実践の具体策を示すセミナーに、是非たくさんの方においでいただきたい。1月に入ったら、このセミナーに備えて是非2月の勤務調整を行っていただき、多くの皆様に参加していただきたい。ぜひよろしくお願いします。

介護の仕事に携わっている人は、年末年始に関係なく働いている方が多いだろう。今日が仕事納めという人もいるかもしれない。僕は2/1まで講演を一時お休みするが、1/4に締め切りとなっている連載原稿の執筆をはじめ、原稿書きで予定が埋まっている。皆さんも体に気を付けて新年を迎えていただきたい。今年のブログ記事は、今日を書き納めにする予定である。

新年は元旦から記事更新する予定であるが、大晦日の酩酊具合によっては予定を変更するかもしれない。

それでは読者の皆さん、今年も僕の拙いブログ記事を読んでいただき心より感謝申し上げます。どうぞ良い年をお迎え下さい。


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矮小化された自立支援の概念


先週の木曜日に北海道を経って、東京と九州で講演の旅を続けている。

昨日は13:30〜15:30まで福岡市粕屋町で講演を行った後、同県朝倉市に移動し、19:00〜21:00まで、この日2つ目の講演を行い、終了後久留米に移動した。久留米でのオフ会については、「馬肉は、うま、いなあ」という、岡田さんからアドバイスをもらった、寒いダジャレタイトルのブログを参照していただきたい。(笑)
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今日は、午後から佐賀県白石町と福岡県久留米市で2講演を行い、いよいよ今回の旅の締めくくりとなる予定だ。

今回の旅で8つの講演を行ってきたが、その際に介護報酬改定の動向にも触れてきた。介護給付費分科会は先月行われて以来、約1月開催されておらず、報酬改定論議も止まっているが、これは衆議院の解散総選挙の影響ではなく、昨年度の介護経営実態調査の結果待ちであるということらしい。

一部の情報では、この調査結果の公表が遅れている理由について、厚労省が調査会社に再調査を命じたという噂も飛び交っており、なにやらきな臭さが漂ってくる。

それにしても今回の報酬改定・制度改正は、何度も指摘しているように大改革である。市町村への報奨金制度や、自立支援介護への加算導入によって、介護保険制度の立脚点が変わってしまうのではないだろうか?

例えば自立支援介護はどうだろう。自立支援に対して反対する理由はないし、それに対して加算をするということに対しても異を唱える必要はない。しかしその際の自立支援という言葉が何を指しているのかが問題である。

安倍首相は今年4月、成長戦略を話し合う「未来投資会議」で、「どのような状態にどのような支援をすれば自立につながるか明らかにする。効果のある自立支援の取り組みが報酬で評価される仕組みを作る」と発言したが、そのようなエビデンスが、来春の報酬改定まで明らかにできるわけがない。そもそもそんなものが存在するのかも疑わしい。

そうなると次期報酬改定では、とりあえず一定期間内の、介護サービス利用者の要介護度の軽度変更割合を加算評価の対象とするしか方法はない。しかしそれは要介護認定結果に市町村による差異があることを考えても、自立支援の概念が、ずいぶん矮小化されたとしかいいようがない。

厚労省は、今月12日に専門家会議を始動させ、十分なエビデンスを蓄積し、それを有効に活用していく方策を議論し「科学的介護」を確立させるというが、その言葉は竹内理論という洗脳介護に使われていた忌まわしい言葉であり、その忌まわしさが次の報酬改定に引き継がれるという不吉さがつきまとう。

ますます介護保険制度は複雑怪奇で、わかりづらく、我々の暮らしと遠く離れた制度になっていくような気がしてならない。

政権選択選挙がそんな情勢下で行われているのに、そのことが争点になっていないという事実は、この国に本当の意味での社会保障は存在しないという意味ではないのだろうか。

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介護サービスの場で利用者が虐待被害を受ける原因


介護サービス事業者による、利用者に対する虐待行為が事件として報道されることがある。その中には、人として許されないような非道で卑劣な行為も含まれている。

多くの介護事業者や介護に携わる人は、そのような虐待行為とは無縁であるし、虐待行為を許されざる行為だと非難する立場の介護関係者が大部分であろうとも、決して少なくない数の虐待事件が報道されることによって、それは介護サービス事業の氷山の一角であるという見方をされている。一般市民のそうした認識自体は、事実として存在している。

そのことに目をつぶり、耳をふさいではならず、事実を事実として認識したうえで、そうした行為をなくすために何をすべきかを考えなければならない。汚いものを見ないように、聞かないようにするだけでは、汚らしい行為が皆無になることはないからである。

そのために僕の新刊本、「介護の誇り」の第1章PRIDE1は、「介護の誇りを穢す闇」として、介護事業者で行われた虐待行為を描き出し、そのことを論評した。

昨日の記事で紹介した、介護の誇り出版記念セミナーのテーマも、『感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む 介護施設・事業所で虐待を発生させない、介護サービス質向上の具体策〜ホスピタリティーファーストの考え方。』としているが、ここでも虐待と言う言葉をあえて使っており、セミナーでも信じがたい虐待事例のいくつかを紹介し、その行為に結びつく原因がどこにあったのかを抉り出したうえで、そうした行為を防ぐ方策を提示したい。

そもそも介護サービスの場で利用者が虐待被害を受ける原因は一つではなく様々である。虐待につながる要因をいくつか挙げるとすれば下記のようなものが考えられる。

1.もともと対人援助に向いていない人によって行われる悪意がある行為
2.感覚が麻痺して、不適切な状態に気づかないか、大した問題ではないと思い込む状態
3.知識がないことによって不適切な状態に気づかない
4.権威のある人に指導されることによって、根拠のない方法を正しいという思い込む状態(洗脳介護)
5.利用者の暮らしの豊かさより、支援者の定めた目的が達せられたかどうかしか評価しない状態
サービス提供側の価値観の押しつけを正しいと思い込む状態


4と5については、その典型例が竹内理論による強制水分摂取によって引き起こされている悲劇だろう。これは関係者が、一日も早く洗脳を解いて、普通の思考回路に戻って、まっとうなエビデンスに基づいた介護サービスの提供に努めなければなくならない悲劇だ。逆に言えば、常に根拠に基づいた介護技術の習得に努め、世間の常識感覚を失わなければ陥らないことなのに、知識と技術のない施設管理者による旗振りによって、日本中の特養で、入所者がたくさん苦しめられているという実態は恥ずかしい限りである。

残念ながら1による虐待も数多く発生している。この要因は教育では防げないことが多いのが問題である。そうであるがゆえに、職員募集の応募者選考は、人材・人員不足ではあっても慎重に、厳しく行うべきであり、試用期間中の適性の見極めにも労力を使うべきである。どうしても介護に不向きな人というのは必ずいるわけであり、そういう人には、適正ではないことをきちんと説明し、他の職業を選んでもらうように導くことも必要である。

ところで前述した虐待要因を見て、介護ストレスが入っていないのはおかしいのではないかと考える人がいるかもしれない。しかし僕は、あえて虐待要因に介護ストレスを入れてはいない。しかしながら介護の誇り出版記念セミナーでは、介護に携わる職員のメンタルヘルスケア・ストレスケアにも触れてお話しする部分がある。それはなぜで、どんな意味があるのか・・・。そのことは明日の記事で触れたい。

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自立支援介護という虚像


次期介護報酬改定の目玉のように唱えらている言葉が、「自立支援介護」という言葉である。

このことに関連して、「自立支援は是か非か」などと論評している関係者がみられる。はなはだバカげた問いかけだと思うし、意味のない論評だと思う。

自立支援を非とするものなどありえず、それは否定されるべきではないからだ。

しかしここで問題になるのは、介護報酬改定で言うところの「自立支援介護」と、本来の意味の、「自立支援」はまったく異なるものだということだ。前者は非常に狭い概念でしかなく、その概念で高齢要介護者の暮らしぶりを評価することは百害あって一利なしである。

自立支援介護については、今後データを集積して、自立支援のエビデンスを作って、それを将来的には介護報酬評価につなげるとされているが、それができるのは早くても2021年(平成33年)の介護報酬改定からであるし、エビデンスが作られるかどうかさえ不透明である。・・・というか無理だろう。

2018年の次期介護報酬では、とりあえず要介護度の改善割合という、非常に限定的な尺度を報酬評価につなげるだけだから、本当の意味での、暮らしの中の自立支援などできない。

介護保険制度の理念の一つは、「自立支援」であることは間違いない。しかし本来の介護とは、自立支援だけを目指すものではない。支援対象者の状態像や、時期によっては、自立支援ではなく、自律支援のほうが重要になる時期がある。(参照:必要なのは自律支援

判断能力の衰えている人に対して、自律支援につなげるための代弁機能=代弁支援が最も重要となることもある。

自立支援だけを切り取って、評価を行うのは、人の暮らしに寄り添う介護の評価にはならないのである。

自立支援介護の礼賛者の中には、竹内考仁氏を自立支援のカリスマのように礼賛する人もいる。

しかし竹内氏が、自分の理論で実践している自立支援介護とは、個別のアセスメントを無視して、サービス提供者側の目的を達成させることだけを求めた「洗脳介護」でしかない。(参照:竹内理論

竹内理論に基づく洗脳介護を推奨していた全国老施協は、すでにその間違いに気づき、昨年厚労相宛に提出した意見書の中で、次のように指摘している。

・特養で利用者の意に反して栄養を投与し、リハビリを重ね、歩行器で歩かせることを強いるような「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクが強く危惧される。

・事実上要介護度改善の義務化を課すことは、もはや虐待と言っても過言ではない。


自分たちが「介護力向上講習」の中で推奨していた方法を、舌の根も乾かないうちに全否定する一貫性のなさはともかくとして、ダメな方法論に気が付いて、それを捨てる努力をしていることは評価に値するだろう。

どちらにしても、自立支援介護というフレーズに踊らされ、その実態に気づかずして、竹内理論の礼賛者が増えることがあってはならないし、自立支援介護の名の下で、利用者の希望も表情も無視した洗脳介護が横行することだけは阻止しなければならない。

竹内氏が自立支援のカリスマなどと宣っている輩には、少しは勉強しろよと言いたいところである。


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自立支援に向けたインセンティブは実現するのか


4月26日に2018年度介護報酬改定に向けた議論をスタートさせた社会保障審議会・介護給付費分科会は、今後月2回のペースで議論し、12月中旬には報酬・施設基準についての基本的な考え方をまとめる予定とされている。

来年の報酬改定時に、僕は再び特養の業務に携わっていると思われ、特養の報酬体系がどうなっていくのかが気になるところである。

今のところ議論されているのは、看取り介護を実施していない(看取り介護加算を算定していない施設という意味)特養が、約1割ある原因を精査しながら、全ての特養が看取り介護に取り組むための環境整備が議論されていく。

看取り介護については、僕自身がそれをテーマに全国で講演を行っているという経緯もあり、その議論の行方に注目するとともに、それに対して積極的に意見を述べていきたいと思う。僕は新しい環境で、看取り介護の実践の取り組みにも関わっていくことになろうと思え、そこで安心と安楽な人生の最終ステージの生き方がどうあるべきかを問い直していく所存である。ここは大いに力を発揮したい部分である。

また特養が原則要介護3以上の方を受け入れる施設になっていることで、医療依存度の高い利用者が増えていることを踏まえ、特養の医療の在り方が議論の俎上にのぼってくる。平成30年度は、診療報酬と介護報酬のダブル改定なのだから、例えば特養への訪問診療のあり方のルールが変えられ、現行では末期の悪性腫瘍と死亡前30日のみしか認められていない特養利用者の訪問診療について、対象範囲の拡大が検討される可能性がある。(参照:特養利用者に対する訪問診療問題に決着

ただし特養への外部医療の導入拡大については、指揮系統の混乱や過剰な医療提供を回避するため、認めるべきではないとの意見もあり、今後の議論が注目されるところである。

そのほか総論部分で、2018(平成30)年度介護報酬改定から、自立支援に向けたインセンティブを検討するという部分が気にかかる。

第7回未来投資会議(平成29年4月14日) 資料5 厚生労働大臣提出資料では、「科学的介護の実現」として、科学的に自立支援等の効果が裏付けられた介護を実現するため、科学的分析に必要なデータを新たに収集し、世界に例のないデータベースをゼロから構築し、データベースを分析し、科学的に自立支援等の効果が裏付けられたサービスを国民に提示するとしている。

高齢者個々人に関するデータとしては、従前から収取している• 要介護認定情報 • 日常生活動作 (ADL) • 認知機能• 介護サービスの種別に加え、あらたに• 身長、体重 • 血液検査 • 筋力、関節可動域 • 骨密度 • 開眼片脚起立時間 • 握力計測 • 心機能検査 • 肺機能検査• 医療、リハビリテー ション、介護の具体 的なサービス内容を取得し、国立長寿医療研究センター等の研究機関を活用して、 サービスが利用者の状態に与えた効果を分析したうえで、科学的に自立支援等の効果が裏付けられた介護の具体像 を国民に提示するとしている。

具体例として、脳卒中に伴う左脚の 麻痺により3m しか自力で歩行できない人が、杖を用いれば20mの歩行が可能になるにはどのようなサービスが有効か科学的に分析、提示し、介護報酬上の評価を用いて、科学的に効果が裏付けられたサービスを受けられる事業所を、厚生労働省のウェブサイ ト等において公表するとしている。

しかし本当に「科学的に自立支援等の効果が裏付けられた介護の具体像 」を示すことが可能になるのだろうか?医学的リハビリテーションエクササイズの効果も、人によって様々な結果につながり、万人に等しい効果が示されているわけではないと思え、ここをどう標準化するのかがはなはだ疑問である。

まさか「科学的介護」というものが、あの悲惨な状態を生んでいる竹内理論とされるわけではないのだろうな。そうなったら介護の世界は真っ暗闇である。

人の自立を要介護度の軽度化という現象でしか評価しない矮小化が、この部分で行われないように監視する必要があるだろう。

どちらにしても、ますます複雑でわかりにくい報酬体系になる方向に議論が進んでおり、関係者の悩みは深まるだろう。困った問題である。

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水分摂取は大事だけれど


昨日書いた、「洗脳介護から抜け出せない人、抜け出ようとしない人」を読んだ人が、僕のフェイスブックに質問を寄せてきた。それに対して次のような、やり取りをした。
------------------------------------------------
(フェイスブックでのやり取り)
質問者:実際水分補給が大事でして、飲んでもらわないとイケないとも思ってます。あれこれ声かけて優しく。優しく。傷つけないように。結果、毎日500ぐらいしか飲んで頂けません。医者からは1800飲んでもらうように言われたが無理です。あれこれ声掛けを工夫しながら無理ない範囲で無理して飲んでもらうのはイケないこと何でしょうか?

個別アセスメントが必要だといっているでしょう。先ずその1800の根拠は何ですか?1800必要な人に頑張ってその量を飲んでもらうことは必要だけど、1000でも多すぎる人がいるんでしょう。そういう知識や計算式を知っての質問ですか?

質問者:要するに根拠のある個別アセスメントあれば無理ない範囲で飲んで頂くような支援はよくて、根拠もなく無理に飲ませるのはダメとゆーことですね。当たり前のことなんですね。

必要な人に必要な量をという当たり前のことなんです。
(以下略)
------------------------------------------------
何事も個別アセスメントが大事ということだ。根拠に基づいた介護実践が必要だということなのだ。そして必要量を飲んでもらうためには、それなりに工夫が必要だ。シールコップやペットボトルに入れたままの、温いまずい水を飲めといわれて、ハイそうですかと、簡単に全量飲んでくれる人は少ない。お茶が好きな人でも、それをゼリーにして全量食べてくれるとは限らない。必要量を摂ってくれないことにも、それぞれの理由があるのだ。そこには工夫が求められるのだ。

水分摂取支援の必要性と重要性は否定していない。しかしその際に、個別アセスメントなしに、一律全員に食事以外の水分補給を、1.500ml/日以上強制的に行うという考え方がおかしいといっているのだ。人によってはそれだけの水分が必要な人がいるかもしれないが、大多数の人はその量は多すぎるし、その結果、内臓ダメージを受け、心不全や高血圧の悪化等につながりかねないといっているのだ。

このことについては、紹介した質問者とは別な二人の方が、同じくフェイスブックに次のような意見を書いてくれている。

(竹内理論は)今では、一昔前の医師らしい発想で理論ですらないと思えます。断片的には正しいものがあるのは騙しのテクニックに共通するものです。

評価の高いマニュアルがあると、それに固執して個々としてのケアが見えなくなる。経験、知識、感受性、すべてに置いての劣化が懸念されます。

ごもっともである。ただし竹内理論は質の高いマニュアルとはいえない。エビデンスに基づかないのだからマニュアルにさえならない。そもそも脱水を防ぐための必要水分摂取量は、1日に体内から排出される水分を計算して、それを補うものだ。

例えば僕が特養の相談員時代に作成した施設サービス計画の、排泄支援部分をピックアップした次の画像を見ていただきたい。
排泄介護計画
本ケースは1日に排出する水分・汗を100mlとし、不感蒸泄(感じることなく気道や皮膚から蒸散する水分で、発汗は含まない)が900mLとした場合であり、尿や便の排出量を計測して、その量が1.500mlだったために、合計水分排出量は2.500mlと想定した。(※排出する水分・汗及び不感蒸泄で失われる水分量については、医師と相談して想定。)
※特に不感蒸泄には個人差があるので要注意。高齢者の場合、多く見積もっても2.000〜2.500といったところか

この場合、補うべき水分量も2.500mlとすればよいわけだが、まずもって3度の食事でどれだけ水分摂取できているかが問題だ。例えば食事で水1,000mL取れている場合(※これはかなり少ない数字。特養などの食事が全量摂取されているかたであれば、おそらく食事だけで、1.300ml以上取れているだろう。:管理栄養士に確認することをお勧めしたい。)、食事以外で1.500ml水分補給しなければならないという考えは間違っている。

なぜなら体内の代謝水というものがあるからだ。代謝水は、体内での栄養素の酸化的分解過程で生じる水のことで,酸化水ともいう。この分を見積もらねばならず、それはおおよそ200ml/日くらい見積もれるので、結果、このケースの水分補給に必要な量は、1.300ml/日となる。

しかもこれは、不感蒸泄を最大限に見積もり、かつ食事摂取量が少ない人の場合であり、特養等で暮らしている方々で、1.300ml/日もの水分摂取量が必要になる人は、さほど多くはなく、そういう意味で竹内理論の、1.500ml/日という強制的水分摂取量は、尋常な量ではないのである。

水分を多量に摂取しても、尿になって排出されるし、尿量が増えることはそれなりに意味があるという考えも危険であり、その前に水分をとり過ぎると、心不全、肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与えることの危険性を考えねばならない。

どちらにしても竹内理論に一部の理も認めることはできない。それは人の命を危険にさらし、人の尊厳を失わせかねないものだからである。

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洗脳介護から抜け出せない人、抜け出ようとしない人


どこぞの芸能人が、特定宗教がらみで出家引退という報道が駆け巡った先週末。

芸能ニュースにさして興味のない僕は、どうでもよいことだとしか思わないし、本人が辞めたいって言ってるんだから勝手に消えてくれと思うだけであるが、同時にその芸能人の心に悩みがあって、その心の隙に何らかの支配が入り込んだという、洗脳の結果だとしたら恐ろしいことだなと思う。

そのことが頭の隅をかすめたときに、それと似たようなことが介護の現場で行われ、もっと恐ろしい悲劇につながっているという事実を改めて思い出し、そのことを非常に残念に思う。

例えばこのブログ記事で何度か指摘している竹内理論に基づく個別アセスメントのない強制水分補給も、僕に言わせれば洗脳介護そのものでしかなく、その批判記事に対してコメントがたくさん寄せられ、そこで指摘されているように、利用者の直接的被害になってしまうんだから、その影響は一芸能人が、テレビ等の表舞台から消えてしまうこととの比ではなく、よほど重大な問題だ。社会と国民は、この問題にいつまで無関心でいるのだろうか。いつ自分の家族が、この悲惨な介護の被害者にならないとも限らないのに・・・。

しかしこの問題に大きな変化がみられていることは、多くの関係者の方は気が付いているだろう。

まずこの介護を推進していた全国老施協は、今年度から介護力向上講習を主催しなくなった。現在この講習を主催しているのは、都道府県レベルの老施協のうち、全国老施協がなぜこの講習からそっと手を引いたかという本当の理由に気が付かない、間抜けな会長をトップに抱く県レベルの老施協である。

しかしそのような県レベルの老施協も、昨年12/5付で全国老施協が塩崎厚労大臣あてに提出した意見書の存在と、その内容を知らないわけはないはずだ。

その中で全国老施協は、『特養で利用者の意に反して栄養を投与し、リハビリを重ね、歩行器で歩かせることを強いるような「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクが強く危惧される。』、『事実上要介護度改善の義務化を課すことは、もはや虐待と言っても過言ではない。 』と指摘している。

ここで批判対象となっている内容は、まさに介護力向上講習で教えてきた方法論であり、現在も竹内理論実践施設で行われている実践内容である。事実上、全国老施協が科学的介護と喧伝していた竹内理論を、一転して全否定した提言と考えてよいわけである。

この意見書を読んでなお、その方法を続けようとする特養の施設長は、何を考えているのだろう。今まで職員の尻を叩いて間違った人権蹂躙を続けていたことを、その方法をやめることによって明らかとなることを恐れてやめられないとしたら、それはもう施設長の資質の問題ではなく、人間失格である。対人援助の場にいてはいけない人物であると言われても仕方がないだろう。

たしかに脱水は心身機能レベルを下げる重大危険因子であり、介護施設ではその対策意識が低かったという問題があることは否定しない。しかしその解決方法が竹内理論という、高齢者の意思や尊厳を無視した方法であって良いわけがない。この理論に一定の理解を示す関係者も存在するが、利用者の意思と個別アセスメントを否定した実践は許されないことは明白で、そこでは利用者の人間性さえ否定しているという批判は免れない。

利用者の苦しそうな表情や、いやだという感情表現がある場所で、そのことを理解できない実践者は、もう理屈が通じない状態としか言えず、まさに洗脳状態である。

あの理論の実践施設が、今すべきことは、過去の過ちはともかくにして、あの間違った理論による実践で苦しむ人をこれ以上出さないことである。即刻あの方法論を取りやめることだ。

この理論の実践施設のトップは、福祉の原点に立ち返って、利用者の苦しむ表情や悲しい叫びを無視せず、声なき声を聴き、人が幸福になっているのかという視点を取り戻すことだ。

僕の批判記事に賛同するコメントを寄せる方の中には、この理論の実践施設では働いている看護・介護職員、管理栄養士の方も大勢いる。それらの人は、この実践法に勇気をもって異を唱えてほしい。その結果、職を失っても、そういう方を求めて好条件で雇用してくれる施設はたくさんあるはずだから、ちっとも洗脳管理者を恐れる必要はないはずである。

介護施設における人権問題が、今後さらに大きな問題になるにつれて、この方法論が問題視されないわけがないということに、早く施設管理者が気が付かないと、大変な事態が待ち受けているぞ。

泣きながら水を飲まされている人の涙の先に、社会の糾弾という矢があることに気が付いたときは、もはや遅きに失するだけでは済まないことに早く気が付くべきである。

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全国老施協も竹内理論を否定か。


介護とは、人と向い合って、向かい合う人に心をかけて護る行為である。心にかけるということは、向かい合う人に関心を持ち、表情を注視し、喜怒哀楽という心の動きに敏感になることである。

そのことに心がける限り、介護の評価は決して難しくない。利用者の表情や感情として表れるものが、介護の結果評価なのだからである。

間違ってはいけないことは、利用者の気もちより、我々が定めた目標の達成度の評価が優先されるものではないということだ。評価は多角的におこなわれることも大事なので、我々の理念の達成度を、目標を掲げて、その達成度で評価することがあっても良いが、それは利用者の心持ち・気持ちを無視して、そちらを優先して評価されるべきものではない。

そもそも事業者目標など、場合によっては事業者の価値観や都合の押し付けなのかもしれないという考え方は常に必要で、闇の迷路に陥らないためにも、利用者の感情や表情に敏感になるという視点は忘れてはならないのである。利用者の気持ちに謙虚に応えようとする姿勢を失った介護者は、傲慢な指示者にしか過ぎなくなる。それは傍から見れば極めて醜い存在である。

しかし闇に迷い込んだごとく、傲慢な介護をしているのが竹内理論実践施設である。3年前にその批判記事を買いあたが、そこに先日もコメントが寄せられている。

そのコメントをここに転記する。

私の施設でも取り組みをした結果が。今まで、聞いたことない病名「低ナトリウム血症」などで沢山の利用者様が入院やお亡くなりされました。 しかし、現在でも信者が多数いるために、「竹内理論を取り入れて良かった」と言っている無能者がいます。 朝起きてから、寝るまで、正確には寝ていても夜中おこしてまで水分地獄。。「先生は最大でも3000mlは飲水してもよい」 「飲めば飲むだけよい・・・」「利尿剤は介護者なら、床に落としたと言って捨てなさい 何故なら乾いたぞうきんを絞るのと同じだから・・」 もうウンザリです。
何故に、殺人理論を行わなければいけないのか。施設全体で行っているから「裏切者」と呼ばれるから反対意見は出せないし(生活のあるので) 研修では嘘の事例を提出しています。多分、殆どの施設が・・理由:水分や利用者様の状態が良い方向に向かってないと研修生の全員からの攻撃、良くできている施設には褒めたたえる。よって嘘の事例を提出=竹内理論は正しいの方程式が出来ています。そろそろ、この悪行に終止符を・・・心からの叫びです。 皆さんの施設や私の施設が早く目を覚ますのを願っています。


こんなひどい状態を、いつまで放置するつもりだろう。利用者はいつまで心を殺し続けられるのだろう。

しかしこの理論を普及させようとして、「介護力向上講習」を主催していた全国老施協は、この講習を実施しなくなった。現在それは、都道府県の老施協レベルが開催しているに過ぎない。

さらに全国老施協は、12/5付で塩崎厚労大臣に充てた発出文書の中で、次のような指摘をしている。

・特養で利用者の意に反して栄養を投与し、リハビリを重ね、歩行器で歩かせることを強いるような「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクが強く危惧される。

・事実上要介護度改善の義務化を課すことは、もはや虐待と言っても過言ではない。

↑これはまさに竹内理論実践施設で行っているケアと呼ばれるものが、虐待と同じであると指摘しているのと同じ意味だ。

以前にも書いたが、竹内理論の実践施設の職員の方々が、その方法論の問題点を次のようにコメントしてくれている。

・座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。
・歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称してます。 しかもそれは家族には見せません。
・スプーン1口のゼリーですら、首を横に振って涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっている利用者様に、どうしても無理強いする事が出来ず・・いつもユニットリーダーから叱られます。「水分摂取表」に、いつも当然のように「全量」と書き込む先輩介護福祉士の水分摂取介助の方法とは、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました・・・。」(無理やり口を開けさせられ水分摂取させられていた)利用者の、開いた唇の奥に異変を感じました。「少し、もう少し口を開いて頂けますか?」自分が大きく口を開けて、同じようにして頂くようお願いしたら・・・・舌の裏。血豆だらけでした。(涙が出ました)早出だったユニットリーダーに報告しても「そう。」とだけしか返事はなく。



竹内理論を実践している施設の利用者の家族からは、次のような悲痛なコメントが寄せられている。

・本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。就寝前や就寝中も水分補給と称して起こされては水分補給されている父がかわいそうでした。

全国老施協の提言書は、利用者の表情も、QOLも無視して、水分を強制摂取させ、補器器につかまらせて3人がかりで引きずるように歩かせることを強制する竹内理論による介護を「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」と断罪しているといえよう。

竹内理論の実践施設の施設長も、そろそろ目を覚まさんかい。
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週末の日中交流


先週金曜日の仕事を終えた足で、新千歳空港から羽田に飛び、土曜日は東京工業大学で行われた、「日中高齢化社会政策と産業化シンポジウム」に参加してきた。

このシンポジウムは、日中科学技術文化センターと清華大学日本研究センターが主催するもので、昨年の北京大会に引き続く2回目のシンポジウムである。

僕が6月に上海で講演を行ったセミナーは、このシンポジウムのプレセミナーという意味合いがあって、そのために当日は上海でお世話になったたくさんの人たちとの再会の場ともなった。

僕は初日の金曜日は仕事の都合で参加できず、土曜日のみの参加となったが、貴重な話を聴くことができた。

土曜日午前の講演は、中国の方が、現地の介護事情について語られていた。中国における65歳以上の高齢者数は、現在でも2億人を超えており、2030年には4億人を超えるそうである。高齢化率が日本と同じでも、この圧倒的な数の違いに唖然とさせられるが、そうであるがゆえに、医療・介護サービスの提供スケールも半端ではなく、ベッド数3.000床の医療機関に、認知症の専門棟が1.000ベッドというような話が普通に出てくるのには、少々戸惑った。

そんな中で、北京を中心に老人ホーム事業を展開する経営者の方が、自施設のサービスの状況について、映像で紹介してくれた。その内容は、日本のサービス内容やコンセプトとは、さほど違いがなく、自分が将来暮らしたいと思えるサービスを目指していることが紹介されていた。

印象に残ったのは、習近平主席の言葉として紹介された、「中国は、豊かになる前に高齢化が訪れた」という言葉である。

中国には日本の介護保険制度のような公的支援はなく、高齢者支援も民間業者が有料で担っているわけだが、その背景には社会保障にまわす十分な財源がないということもあるのだろう。

そのため有料老人ホームが、要介護高齢者支援の中心になっており、在宅サービスの社会資源は、まだまだ不十分なわけであるが、有料老人ホームに入居できる経済状況の人は決して多くなく、北京や上海等の都市部以外の老人ホームのベッドは、半分以上が埋まっていないそうである。中国の経済格差は日本の比ではないため、地方の人は、自分の介護にかけるお金もないという事情もあるようだ。そもそも介護は子が行うことが当然という文化が根強く残っており、そのような中で、長年一人っ子政策がとられてきて、その影響で親の面倒を見る子供が居ない家庭が増えているのが、「空巣老人」と表現される、独居老人問題である。

そんな背景があらためて理解できる講演であった。

午後からは日本側の講演が主体で、介護ロボットの開発などの講演があった。

介護ロボットについては、人手不足を補うほどの実用化なロボットは現在ないのではないかということを、いくつかの記事で書いてきたが、介護現場で実際に使われているロボットの中で、月数万円でレンタルできるコミュニケーションロボットは、一人の新人介護職員より良い仕事をする実例などが紹介されていた。特にリハビリ目的のレクリエーション指導などは、ロボットが人間に替わってできることが良く理解できたし、見守りロボットも、人間の業務を省力化することが理解でき、可能性を感じることができた。

このシンポジウムは、日中医療福祉交流協会が共済していることもあり、医療面の講演も多かった。動脈硬化を予防する新薬の開発状況や、心電図の解析など、普段聞くことのない講演も興味深く拝聴させていただいた。

僕が参加しなかった初日の講演では、竹内孝仁氏が、あの竹内理論を、「自立支援型ケア」の方法論として紹介したようである。中国の方があの理論を鵜呑みにしないことを願うばかりである。

今回は東銀座のホテルに滞在したが、そこは築地市場に程近い場所で、有名な「すしざんまい」の本店がすぐ近くにあるなど、周辺にたくさんのおすし屋さんが軒を成していた。今回は寿司を食べる機会はなかったが、周辺をぶらぶらしながら店を覗いて価格を見ると決して安くはなく、ある意味、観光価格なのかなと思ったりした。

前述したように2泊3日の東京滞在に際して、金曜日の業務終了後に新千歳空港から飛び立ったわけであるが、それは17:30に退勤して、18:30発の飛行機に乗るというタイトな日程であった。そのため車を空港の駐車場に止めたわけであるが、そのときは千歳もまだ冬道ではなかった。

ところが土曜日の夜から日曜日の午前中にかけて、11月としてはありえない降雪となったため、僕が北海道に帰る日であった日曜日の午前の札幌行きの航空便は、欠航や遅れで大混乱となった。幸い午後から天候が回復し、僕が乗る便は45分遅れで新千歳空港に降りることができたが、問題は夏タイヤのままの自分の車をどうするかという問題。

しかし幸いなことに、僕が帰る登別方面は、降雪がなく夏タイヤで問題ない状態との事で、シャーベット状の路面となっている新千歳空港の周辺道路だけ、のろのろ運転で注意深く通過して、なんとか家にたどり着くことができた。そしてすぐさまタイヤ交換した。

今朝の千歳市内の道路は圧雪・アイスバーン状態になっているので、夏タイヤでは走れない。このまま根雪にはならないと思うが、どちらにしてもまた厳しい冬の到来である。

今週末は、博多〜熊本と、暖かい地域で講演予定があるので、それを楽しみにして、寒さにめげずに頑張ろうと思う。
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中国の介護事情


僕の海外講演デビューとなった6月の上海講演は、日中高齢化社会政策と産業化シンポジウムの中で行われた講演であった。

そのシンポジウムが日本に場所を変えて、11/4(金)と11/5(土)、東京工業大学・大岡山キャンパス多目的ホール(東京都目黒区)で行われる予定になっている。

実はこのシンポジウムは、上海シンポジウムより先に日程が決まっていたもので、招待講師なども上海会場の講師より先に決まってしまっており、僕はそこには含まれていない。そのため僕は東京シンポジウムには参加しなくても良いわけであるが、主催者である、「日中科学技術文化センター」からご招待を受けて、交通費も宿泊費も負担していただけるということで、土曜日のシンポジウムに参加予定である。

講演内容はプログラムの通りである。

金曜日の講演を聴かない理由は、竹内孝仁氏の講演があるからというわけではなく、単に仕事があるからである。個人的な興味として、あのでたらめな竹内理論を中国の人に向かって疲労するのかどうかも興味があるところで、聴きたい気持ちがないわけではないのである。

まあ今回は伝聞に頼るとしよう。

さて中国の介護事情であるが、60歳以上の高齢者の数は、すでに2億人を超えているそうである。これは中国の総人口の約16%を高齢者が占めているという数字だ。中国の中でも特に高齢化が進んでいるのが上海であり、高齢者比率が約27%と日本の数字に近くなっており、そういう意味で日本の事情と似通っているとして、盛んに日本の介護技術を取り入れようとしているのである。(介護に関する意識は、中国の人と日本の人では大きな違いがあるが、そのことは後日論じよう。)

中国では、長らく一人っ子政策が行われていたため、一人の子供が、両親や祖父母の介護を行わなければならない状況になっているのと同時に、それらの一人っ子が、家を出てしまった家庭に残された高齢者を、「空巣老人」と表現し、それらの人々をどのように介護するかが大きな課題となっている。

現在中国では、日本の介護保険制度のような公的支援はほとんどないため、介護支援は民間によるもので、介護に関する費用は全額自己負担になるため、施設などの利用料は日本に比べと高くなる傾向にある。しかも介護知識や技術も決して高いレベルとはいえない人が、低賃金で長時間労働を行うことで、サービスが維持されており、老人ホームの規模は100人単位どころか、1.000人単位で集団処遇されるという状態も珍しく内装である。

一方、この部分に公的支援を行おうとする向きもあり、そうなればこの分野は一大利益市場となることも視野に入ってきて、参入を模索する民間事業者も多く、それらの関係者が、日本の先進的介護技術や介護支援ロボットを輸入したいと考え、日本の介護関係者との交流が盛んに行われている。

そういう意味では、日本の介護関連企業にとっても、その部分は大きなビジネスチャンスになってくる可能性があるところだ。

ここで紹介しているシンポジウムでは、中国側の介護関係者とつながりができて、それは近い将来の思わぬビジネスに繋がる可能性が大いにある出会いとなる可能性がある。是非会場にお越しいただければありがたい。僕も顔つなぎのお手伝いをさせていただこうと思うので、是非声をかけてほしい。

僕にメールで直接参加希望の連絡をいただいてもよい。お近くの方で時間の津語が取れる方は、是非検討ください。
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水分強制摂取の実践施設は情報公開を


介護力向上講習と水分の強制的補給法に対する批判的な記事を書くと、必ずといってよいほど、「それは講習自体が悪いのではなく、講習を受けた当事者の伝え方が悪いのだ」という言い訳が聞こえてくる。

しかし僕に直接メールを送ってくれる人で、水分の強制補給がいかに人権を無視した方法で行われているのかという情報を教えてくれる人たちの中には、老施協の役員が施設長である施設の職員も居られる。全国老施協から、「おむつゼロ」を達成したとして表彰されている施設の職員も居られる。そうであれば、老施協の役員や委員を勤めている人自身の講習での理解と、職員への伝え方が悪いのだということになる。そうであるなら老施協の役員会なり、研修委員会でもっとそのことを問題視して、改善の議論をしろといいたい。

事実として言えば、僕がこの問題を取り上げる講演では、必ずその地域に、同じような不適切な水分補給を行っている施設が存在するという話しを聞かされる。中には自分の所属施設で僕が指摘する不適切な水分補給を行っていると告白する人も居り、「恥ずかしいことですが、その方法が間違っていると分かっていても、上からの圧力でやめることができないのです」と嘆く方も居られる。

しかしそこには、被害者としての利用者が存在するわけだから、放置してよいわけがない。だからその状態を厳しく糾弾する誰かがいなければならず、何の得にもならないが、その役割を自らになっているのである。

日本中で、決して少なくない数の施設が介護力向上講習の影響により、不適切な水分補給を行っている実態があるのだ。それは受講者側の問題ではなく、伝える側の問題であるというしかないわけで、それが本意でないとしたら、よほど伝える能力が無い人が指導しているとしか思えない。それはそれで別な意味で大問題だ。

ところで僕の批判に対して、ある人は次のような反論をしてきている。

無理やり水分摂取、無理やり座位、無理やり経口みたいなコメントが多いですが すべて、手順があります。1500cc飲めない方には原因があります。』

どんな手順があったとしても、どのような原因があったとしても、個別アセスメントもせずに、全員一律の水分1.500ml/日を、「施設の方針」として強制補給してよい理由にはならない。そもそもそのようは方法で人の暮らしが好くなるというエビデンスは存在しない。そういう方法を行うこと自体が大問題であり、不適切であり、手順がどうだとか、理由が何であるかなどという意味のないことを主張しても始まらないわけである。

しかしこのような反論を書いてくる人も、文章の末尾に次のような本音をボロッと書き込んでしまうのである。

竹内先生が怖いから、早く結果を出そうとして、そういう現象が出るのかもしれません。』

恐怖で支配している講習会ということか・・・。そりゃあ洗脳といわれても仕方がないだろう。

どちらにしても、水分の強制補給を行っている施設のトップは、その実態が不適切なものでないかを、きちんと把握して、情報公開を行うべきである。

公開すべき情報とは、以下の通りである。

・1.500ml/日もの水分補給を行うことについて、きちんと利用者や家族に同意を得ているのか、それは施設サービス計画に載せられているのか。
《※基準省令の(基本方針)第一条の二では、指定介護老人福祉施設は、施設サービス計画に基づき〜以下略とされているので、このような重要なケアの方針を計画同意なしで行うのは、運営基準違反である。》

・水分補給の方法は、ケアとして適切な方法であるのか。利用者が水分摂取を拒否した際には、どのような対応をとっているのか。

・人権を無視した対応が行われていないのか。

・大量の水分摂取による健康被害がないことを、どのような方法で確認しているのか。


最低限、これらのことを情報提供する姿勢がない限り、1.500ml/日もの尋常ではない量の水分摂取を命じている施設のトップとして、世間様に対して道義上の責任を果たしているということにはならないだろう。

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洗脳介護からの解放


洗脳介護の実態から続く)
竹内理論に基づく、「強制水分補給」で苦しんでいるのは、いやいや水分を補給されている利用者だけではない。

勿論最大の被害者であって、もっとも苦しめられているのは、強制水分補給を「施設の方針」として行っている施設に住む人なのだが、それを行っている施設の職員の中にも苦しんでいる人はいるのだ。

そもそも竹内理論の実践施設のすべての職員が、そのことに疑問を持っていないわけではなく、苦しそうな表情で水分を補給させられている利用者の姿を見て疑問を抱くにとどまらず、罪悪感を持つ職員もいるのだ。

密室化した施設の一室で、口をこじ開けて無理やり水分を飲ませる先輩の姿や、水を飲ませるためだけに夜間に安眠を妨害して起こすような先輩の姿に意味を感じられず、やる気を失ってしまう職員もいる。それらの職員が昨日の記事で紹介したように、このブログ記事の中に様々なコメントを書き込んでおられる。

しかし介護力向上講習では、施設長と介護現場のリーダーが洗脳教育を受けているために、末端の介護職員が、いくら疑問を感じて声を挙げても、その声が施設の上層部に届くことはきわめてまれである。洗脳された施設長や介護リーダーは、正論を唱える職員を異分子とみなし、罵倒し声を止ませるか、異端分子として切り捨てようとするのみである。

施設長や現場の介護リーダーが、その悪魔の所業に気がついた施設だけが、この方法論を捨てることができる。そしてこの方法を取りやめて、やっと普通の介護を取り戻したとき、いかに間違った介護を行っていたのかということに気がつくのである。

なぜならこの強制水分補給を行っている最中は、前述したように、このことを批判したり反対したりする職員は、洗脳された人々によって、介護が何たるかを分かっていない職員として糾弾されてしまうので、それを恐れた職員は、なかなか水分を摂ってくれない利用者に対して、なりふり構わない方法で水分の強制補給を行っている姿を隠してしまう。そのため利用者の苦しそうな様子は表面化せず、密室化し潜在化するからである。

逆に言えば、1500mlもの尋常ではない量の水分を、50人とか100人とかの利用者全員に、毎日一律に飲ませようとすれば、端から見て危なっかしい強引な方法でしか摂取させることは難しいのである。

この強制水分補給の間違いに気がついて止めた施設だけが、「○○さん、毎日水を無理やり飲まされて苦しがっていたけど、そんなことが無くなってよかったね」という形で、様々な利用者の苦しんでいる場面、哀しんでいる場面を顕在化させることができ、その罪深さに気がつくことができるのである。

洗脳された施設の職員も、その洗脳から解放されたとき、はじめて人の心を取り戻すことができるのだ。

僕の講演を受講される方の中にも、竹内理論に基づく強制水分摂取を行っている施設の方が含まれることがある。そこでその方法論の危うさ、いい加減さに気がついて、早速それをやめたという人も多い。ただしそのことに気がつくのが、前述したように一職員の立場でしかない人なら、施設の方針を変えられないという場合も多い。そうした方々は、間違っていると感じたまま、不承不承施設の方針に従い続けるか、その施設を辞めるかという選択肢しかなくなる。

罪をこれ以上、重ねないためには、その方針を続ける施設を辞めるほうが良いだろう。そういう形で、志の高い職員が居なくなることでしか、洗脳の解けない施設長がいるからである。

そういう問題はあろうとも、僕はあの講習会が都道府県レベルで続く限り、そのことの批判を続けていくだろう。このエビデンスも人間性も無い水分強制補給法に異議を唱え、まっとうな介護を取り戻すための提言をしていく人がいないと、特養は闇の世界になると思うからだ。
masa
先日の愛媛松山講演でも、この問題について、実際に取り組んでいた施設の職員さんが居られ、その時期の利用者の悲惨な状況を教えてくださった。そういう話しを聞けば聞くほど、この取り組みが行われている施設では、多かれ少なかれ密室作業が発生していることがわかる。そういう施設に限って、施設長は音頭をとるだけで、施設に不在である日が多く、水分補給がどのようにして行われているのかを、施設の隅々まで確認することをしていない。

確認するにしても、水分摂取がスムースにできる、問題の無い人の水分摂取の状況だけを見ているに過ぎず、コメントに寄せられているように、「スプーン1口のゼリーですら、首を横に振って涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっている利用者様に無理強いする」ような状態や、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けて」いる状況を、見ようとも知ろうともしない。

それが老施協の表彰を受けたり、老施協の役員や研修委員を務めて偉そうなことをいっている人たちの実態の一部でもある。

こんなことをいつまでも続けてよいわけが無い。水分の強制的な大量補給に苦しんでいる人の家族は、その実態を見て、そうした施設のトップを人権蹂躙で訴えることもあり得るだろう。

いずれそういう訴訟ケースが出てくるのではないかと思っている。そしてそこで行われていることはエビデンスのない方法なのだから、その裁判は訴えられた施設が必ず敗訴するだろう。

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洗脳介護の実態


対人援助サービスは、特定個人の「暮らし」に深く関わるのだから、結果を出さなければ意味が無いと思っている。

結果を出すために、日々学ぶ必要はあるし、実践する過程で頑張る必要はあるが、頑張ったという過程だけで満足してはならず、必ず結果を追い求めなければならないと思う。

その結果とは何かといえば、僕たちがかかわりを持ち、何らかの形で暮らしに介入している人達の暮らしぶりが少しでも良くなっていることであり、僕たちが関わっている人が満足されて日々暮らしを送ることができていることだと思う。

仮に僕たちが掲げた目標が達せられていたとしても、関わっている人の暮らし振りが良くならず、満足していないのなら失敗だと思う。その場合は、目標の設定自体が間違っているという意味だ。

目に見えない「こころ」を持つ人間に関わる職業であるのだから、サービスを利用する人の感情を無視して物事を評価してはならず、僕たちが良かれと思っていることであっても、その結果が「だめだ、満足していない」といわれてしまえば失敗なのである。

だがその結果を判断することは意外と簡単である。人に関わる仕事なのだから、そこには関わる人の表情があるからだ。認知症等の理由で、意思表示ができない人であっても、表情で満足度を図ることができるからだ。

しかしながら、そのような考えとは対極に位置する、利用者の満足度を無視した実践を行う介護施設が存在する。そういう実践を指導する職能団体が存在する。

利用者の表情を無視して、利用者の感情を脇において、自分たちの掲げた目的が達成されているかということだけを見ているのが、全国老施協の「介護力向上講習」である。
(※ただしこの講習会は、昨年度から全国レベルでは実施せず、都道府県の老施協レベルでの実施となっている)

そこでは「竹内理論」と呼ばれるエビデンスの無い方法論を、唯一絶対の根拠として受講者に押し付け、介護施設の利用者全員一律に、個別アセスメントの無い1500ml/日以上の水分補給を強制的に行う指導がされている。そして強制水分補給を行う際の、利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視される。

そうした方法で実現できるとされる目標とは、「日中おむつゼロ」というものにしか過ぎない。しかも全国老施協基準の「おむつゼロ」とは、すべての人が日中トイレで排泄しているわけではなく、尿取りパットを使って、そこに失禁している状態もありという、なんともお寒い「オムツゼロ」である。

その程度の目標を達成させるために、竹内理論の実践施設では、利用者が毎日毎日苦しさを無視されながら飲みたくもない水分を強制的に飲まされている。

人の尊厳を無視した強制介護を行うに当たって、そのことに疑問を持たないように介護施設の施設長と介護リーダーを集め、順位付けで競わせ、反論を怒号でつぶす講習会は、さながら洗脳セミナーであると語る人も多い。

利用者の意思など関係のないところで、ともかく決められた量を飲ませさえすればよいという何でもありの水分摂取や、多人数で引きずるような人格無視の歩行訓練を強制し、座位姿勢のアセスメント抜きの便座への強制座位を取らせて、苦痛にゆがむ表情を無視して、排泄をさせることにどんな暮らしの質があるというのだろう。

竹内理論の実施施設の職員からも、悲惨な状態がコメントとして寄せられている。密室の中で強制水分補給が行われている実態が、血豆だらけの口腔状態を作り出している事実を知ってほしい。

しかしながら、実際に竹内理論に基づいて、強制的な水分摂取を行っている施設のトップである施設長は、決められた水分が摂取され、全国老施協基準の「お寒いオムツゼロ」さえ達成していれば満足し、その施設の中で、利用者がゆがんだ表情でいることを知ろうとしない。利用者が昼夜の別なく様々な強制的方法で、水分を身体に突っ込まれている状態を知ろうともしない。

恥を知れといいたい。

全国レベルで実施しなくなった介護力向上講習会は、都道府県の老施協レベルで行われているが、県レベルで手を引いたところもある。残念ながら北海道老施協は、この悪魔の講習会を続けている。

北海道老施協とその役員たちよ、恥を知れ。研修委員よ、恥を知れ。(明日書く予定の記事:洗脳介護からの解放に続く)

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相談員の使命


昨日は、札幌市老施協の相談員を対象にした研修会に招待され、介護施設や通所サービスにおける相談員の役割と実務をお話してきた。

その内容は、あくまで僕が特養や老健、通所介護等で実践してきた、あるいは実践している実務からの視点であり、まさに実践論である。

講演後に、受講された方から、「今まで一番良い話を聞いた」、「2時間という時間が短く感じる参考となる内容だった」という声を直接かけていただき、感謝している。

講演後は、交流会(懇親会)にも参加し、夜9時札幌発の高速バスで登別まで帰り、自宅には11時過ぎに着いたが、さわやかな良いと疲れを感じる良い一日だった。

特に相談員という、僕の本来ステージの専門職の方々と、じっくりお話をすることができて気持ちよく酔った。若い相談員さんたちの日ごろの業務に対する考え方も聞くことができて、勉強にもなった。

相談援助業務といっても、所属する事業者によって、期待されるところも、求められる業務内容も様々で、それぞれに悩みや心配事も抱えながら、日々迷いながら業務を続けている人が多いようだが、共通していることは、相談援助職に使命感を持って、日々学びながら利用者の暮らしを護ろうと、真摯に取り組もうとしていることだ。僕も若い頃を思い出した。

お話の中で幾人かの相談員から、「待機者が確実に減っている」、「なかなか新たな入所相談が来ない」という話があった。

このことは高齢要介護者の、居所の選択肢が広がっている結果であり、今後団塊の世代の方々の、施設入所ニーズが増大したとしても、それらの方々は比較的高い額の年金受を受給しているため、必ずしも利用料だけで入居施設を選ぶということではなく、特養への入所希望者が、今後劇的に増えることはなく、過去のようにすべての地域の特養が、たくさんの待機者を抱えて、親方日の丸的に入所する人を選ぶことができるという時代には還る事はないだろう。

どちらにしても介護保険施設が、利用者確保に困らないという状況は過去のものとなり、顧客確保のために何が必要かということを、真剣に考えなければならない時代である。少なくとも、介護サービスの品質に気を使うことなく、漫然としたサービス提供を続け、利用者ニーズに対応しようとしない施設は経営危機に陥ることだろう。

相談員はこの状況をしっかり理解して、他の職員にも危機意識を持つように指導しながら、顧客に選ばれる施設を創るためのタクトを振る役割が求められてくる。

その役割とは、相談員が地域の中で営業回りをして、顧客を確保するという役割ではなく、相談員が施設だけではなく、地域にも貢献する施設サービスという意識を持って、その質を向上させるリーダー役として存在することだろう。

そうした経営視点や、中間管理職としての役割はより重要になるだろう。

同時に、ソーシャルワーカーとしての相談員は、利用者の権利擁護のために存在するという基本姿勢を忘れてはならない。利用者の代弁者としての役割を忘れてはならない。その基本姿勢は、場合によっては、事業経営のための姿勢と相反することがあるかもしれないが、その際には、利用者の暮らしを護るという観点から、物言う人でなければならない。

昨日は、そういう意味から、「竹内理論」と呼ばれる、個別アセスメントのない、一律1.500ml/日の水分補給を強制的に行っている施設に、ソーシャルワークの視点はないのかという問題提起も行ってきたが、ほとんどの受講者の皆様から、その考え方に賛同していただき、僕も勇気を持つことができた。

実際にこの理論をt里入れていた施設に所属し、そこで異議を唱えていたという人は、僕の話を聞いて、「涙が出そうになった」と言って下さった。それだけこの理論の実践施設では、利用者が悲惨な状況にさらされている。

全国老施協が(この問題に気づいたかどうかは分からないが)、この講習をやめたというのに、北海道では相変わらず、この人権蹂躙の方法論を教える研修会を開催し続けている。洗脳を受けたかのように、そのことを妄信する、わけのわからない施設長も存在する。

そんな中で、せめて相談員は、施設の掲げた目標のみを達成しようとして、利用者の悲惨な状況を生み出しているこの方法論の間違いに気づいて、利用者本位を真の意味で実現するために、勇気ある声を挙げる人で居てほしいものだ。

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現場の声という言葉を安易に使わないでほしい


全国老施協が盛んに「現場の声が制度を作る」と喧伝している。

しかしそのことに首をかしげる人も多い。全国老施協が現場の声を、具体的にどのように制度に反映しようとしているのかわからないからである。

そうした疑問に応えるためにも、全国老施協はどのような形で現場の声を聴き、アクションプランの中にそれをどう取り入れているのかを、具体的に説明してほしい。

全国各地でカントリーミーティングを開いていることが、現場の声を反映させているという証明だというなら、それはもうお笑いの世界でしかない。あの場で、現場の声がいくら挙げられているというのだろうか。

そもそも全国老施協の提言が、現場の声を反映しているのかという議論の場がなければならない。現場の声と言いながら、それが事務局内部の声や、執行部や21世紀委員会の人々の声でしかないのではないかという検証はされているのだろうか。

例えば7月に出された「2025年に向けたあるべき社会保障制度改正を目指して〜財政健全化に関する意見書」は、現場の声を反映しているのだろうか。
(参照:介護保険制度はどうなってしまうのか2全国老施協の意見書について・前編全国老施協の意見書について・後編

その意見書の中では、福祉用具貸与については、車いす・特殊寝台・床ずれ防止用品・自動排泄処理装置等に限定して保険給付対象とし、それ以外は原則自己負担化する提言を行っている。しかしこのような意見が現場の大多数の声であるのかと考えたとき、それは大きな疑問である。

例えば昨日のブログで紹介した、シルバー産業新聞が行ったケアマネジャーを対象にしたアンケート調査結果では、軽度者への給付見直しに75%のケアマネジャーが反対意見を持っていることがわかる。それが現場の声と言えるもので、その声と老施協の提言内容には矛盾が生じているのではないだろうか。

勘違いしてほしくないのは、全国老施協の提言自体を駄目だと批判しているわけではない。それが果たして現場の声と言ってよいのかと疑問を呈しているだけである。

老施協の考え方が正しいとして、現場の声がそこについていけるように説明なり、意見聴取なりをしているのかということである。少なくとも僕はそうした説明を受けたことも、意見を聞かれたこともない。

そういう意味では、僕自身が全国老施協が現場の声を反映したアクションを展開しているとは思えないのである。これはまさしく会員施設の一施設長の声であり、意見であり、全国老施協と無関係の第3者のつぶやきではない。

現場の声と言えば、僕の意見も「現場の声」のひとつである。それが現場を代表する声ではないことは承知しているが、例えばこのブログの平日1日平均アクセス数は4.000件を超えている。それだけ多くの人が支持してくれているブログであるが、そこでは繰り返し全国老施協の「科学的介護」への疑問を呈している。

特に全国老施協が昨年度まで行っていた、「介護力向上講習会」において、個別アセスメントのない一律全員への1.500ml/日という、水分強制補給については、再三批判し、そのことは全国の多くの仲間が賛同している。

今年度から全国老施協は、「介護力向上講習会」を行わなくなったが、都道府県レベルでは、あの講習会を行っている地域もある。あの方法が現場の声と言えるのか?違う!!

あれだけ老施協が血眼で全国展開した、竹内理論の実践が、現状では多数派を占めていない理由は何かという意味を考えてほしい。あの実践に取り組んでいた施設が、僕の講演を聴いた後にその取り組みの間違いに気が付いて、取り組みをやめた後に、挙がってきた現場職員の感謝の声の意味は、それにNOという声の方が「現場の声」であるという意味である。

そう考えた時、全国老施協が使う「現場の声」という言葉に、まやかしはないのだろうかという疑問が生ずる。

全国老施協の内部組織である21世紀委員なるものも、現場の声を代表した委員会なのだろうか。誰がどういう方法で委員を選んでいるのだろう。現状では、事務局や委員が、仲の良い意見を同じくする仲間を一本釣りしているだけではないのか。そんな所で、現場の声は何かという喧々諤々の議論ができるのだろうか。できるわけがない。21世紀委員会と言うのは、僕に言わせれば、単なる仲良しクラブでしかない。そう言われたくないなら、そこに自分たちとは意見を異にする人間も入れてみろと言いたい。

現在の全国老施協の執行部の顔触れを見ても、まるでベビーフェイスばかりで、ヒールのいないプロレスのようで、面白味も迫力もない。

老施協はどうして周りをイエスマンだけで囲ってしまうのだろうという声が、全国の現場にはたくさん存在することを知るべきである。

現状では、現場の声と言う言葉を使って、会員をだましているか、誘導しようとしているとしか言いようがないと思う。

スローガンに踊らされて、地に足がつかない状態になっていないかを、検証する機会を持っていただきたいと思う。そういう謙虚な心を失わない組織であってほしいと願う。

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顧客満足度が軽視されやすい施設サービス


8/1(土)10:00〜16:00クローバープラザ(福岡県春日市)で行われる福岡県社会福祉協議会主催:相談員研修の講師を依頼されている。

そこでは「施設相談員に求められる役割・連携とマネジメントスキル」をテーマに、260分の講演を行う予定になっているが、今朝までに講演ファイルを作成し終え、事務局に送付した。あとは当日を待つだけである。
※申し込み受け付けは、まだおこなわれていると思うので、お近くの方でご希望者は、張り付いたリンク先の申込書をご利用いただきたい。なお会員以外の参加も可とのことである。

下の画像は、講演に使うパワーポイントのスライドの1枚である。
講演スライド
顧客に選択され、たくさんの方に利用していただくことによって収益が挙がる居宅サービスと比べて、利用定員が定められ、かつ待機者が常に存在する施設サービスは、利用者から選択されなくても顧客確保に困らないという現状があるがゆえに、顧客満足度に対する意識が低いのではないかと感じている。

そのためにサービスの質を評価する際に、顧客である利用者がどう感じているかという視点ではなく、法人が定めた目標にいかに近いサービスが行われているかで評価される傾向が強い。そのためモニタリングの際に、現に提供されているサービスについて、利用者がどう感じているかというインタビューなどが一切行われずに、サービス方法の継続や見直しや、終了の判断がされることがある。

そもそも施設入所した瞬間に、本人の希望や自己決定権が軽視され、施設の決め事が優先されて、サービスの視点も、施設が考える「良い暮らし」という視点から外れないように、利用者個々の希望が確認されないか、確認されてもそれを無視して施設サービス計画が立案される場合がある。

これはおかしなことである。よってソーシャルワーカーとして、施設サービスにおける「頭脳」の役割を持つ相談員は、利用者の満足度や自己決定権が軽視されていないかをチェックし、もし軽視されている場合には、それを修正する役割があると思っている。

例えば脱水を防ぐための水分摂取を拒否する人がいたとする。この場合も「自己決定」であるから、水分摂取を行わないということが、自己決定の重視とされ、水分摂取支援を行わず、脱水になっても問題はないということにはならない。

自己決定には「制限」が伴い、決定を下す人の能力から生ずる制限もあるし、市民法や道徳法から生ずる制限もあるのだから、そうした原則から考えれば、自らの身体を意図的に傷つけるという自己決定は認められるものではないので、代弁機能などを酷使して、もっともその人に必要と思えるサービスに結びつけることはあって当然であり、脱水を防ぐ水分補給は行われなければならない支援行為とされてよいだろう。

しかしこの場合でも相談員は、一方的に「こうしなければならない」と指示するのではなく、利用者の立場に立って、必要なサービスであることを説明し、理解していただく努力をすべきである。このスライド部分では、こうしたことを事例を基に説明するつもりである。

ところで、昨日まで論じていた竹内理論について、この顧客満足度の問題と深く関係しているのではないかと感じている。同氏の講習会に関しての情報提供では、『講習会では毎回課題を提出して、進捗状況を報告・発表しますが、リウマチによる関節の変形や強い拘縮があって便座に座れない状態の方でも、「とりあえず座らせてみればいい」と言われ、水分1500ml以上摂取や必ず便器で排泄する事をあまり良く思わない家族がいらして、同意が得られていないケースもあると発表すると、「いちいち家族に同意なんて取らなくていい。うちはこういう方針だからやりますと入居時に伝えればいい」と怒られます。』というコメントが書き込まれているように、利用者本人の希望や満足度は一切無視されているのである。

一方で、抽象的で実態がないと批判される「寄り添うケア」とは、じつは本来のそれは、「生活支援型ケア」と呼ばれるもので、単に利用者に付きまとうケアではなく、認知症などで自らの希望を正しく表明できない人であっても、過去の生活習慣や嗜好を確認し、現在の暮らしの中で考え得る最善の状態とは何か、何を望んでいるのかを想像し、利用者本人に成り代わって、そのニーズを代弁するという立場から、残された生活機能を最大限活用する方法でケアサービスの方法を創造するものであり、モニタリングに際しては、そのことで混乱なく満足した暮らしが送られているのかを評価しながら、方法の改善を繰り返していくというPDCAサイクルの構築により実施されていくものである。

そう考えると、文字面だけから、「竹内理論」には科学性があり、「寄り添うケア」には科学性がないと考える人がいるが、それは間違いであって、両者の本当の意味を紐解けば、竹内理論には個別アセスメントと顧客満足度という視点が欠如し、寄り添うケアとは、個別アセスメントと顧客満足度を徹底的に検証することで成り立っているということが理解できるはずである。

そうであれば、どちらがエビデンスになり得るのだろう?それは一目瞭然ではないかと思える。

8/1の福岡講演では、こうした話もする予定である。会場でお逢いする皆様、どうぞよろしくお願いします。

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実践してみて間違いがあれば修正すればよいという無責任


竹内理論についての話題は、昨日でいったん終了しようと思ったが、寄せられたコメント(このブログのコメントだけではなく、フェイスブックやライブドアの拍手コメントなどを含む)の中で気になったものがあるので、もう一日だけこの話題を書いてみようと思う。

この理論を実践している施設に所属している人、あるいはかつて所属していた人から寄せられるコメントの8割以上が、僕の意見に賛同する意見である。例えばフェイスブックに寄せられたコメントの中には次のような意見がある。

・施設長からは、相談員がリーダーとなって実践するよう言われていました。その施設長が就任してから竹内理論を知りましたが、当初から疑問に思っていました。心不全等の既往がある利用者に1500mlの水分補給を指示。施設入所者は心不全があっても軽度だからと、ロクに診察もせず言いました。結果、心不全が悪化したにも関わらず、年齢のせいにされました。水分だけじゃありません。歩けない利用者に対し、歩行器に無理やり立たせて、4人がかりで歩かせる姿は虐待にしか見えませんでした。転倒したり、体調を崩した利用者には、一律で脱水が原因だと言い切ります。

しかし一方では、僕の主張に理解を示しながら、反論してくる人もいる。同じくフェイスブックにはこんな意見もあった。

・基礎知識と理論に基づかない介護は評価されるのでしょうか。竹内理論の本質は介護職が信頼され尊敬されるためにどう考え行動するかを学ぶ機会だと思い受講しています。私はむしろ「寄り添う介護」ばかり唱える者の方がどうかと思いますが。何にしろ先ずは実践してみたらいかがでしょうか。間違いがあれば修正すればいいじゃないですか

この意見は非常に無責任な意見だと思う。なぜなら、「先ずは実践してみたらいかがでしょうか。間違いがあれば修正すればいい」というが、「竹内理論が生み出している悪魔の所業」で紹介している、全身浮腫の人や、舌に血豆が作られた人は、間違っていたから修正するということで済ますことができるのだろうか?高血圧や心不全が悪化したら、それはそのまま命の危険にさらされるという意味で、取り返しがつかないのではないだろうか。

「基礎知識と理論に基づかない介護は評価されるのでしょうか。」という意見については、逆に竹内理論の方が基礎理論に基づいていないのではないかといいたい。根拠も科学も何もないではないかと言いたい。

例えば水分摂取量については、食事以外で1.500ml/日もの量は必要ないとする考え方が主流で、当施設では、「ご入居者はモルモットではないという叫び」で示した考え方に基づいて水分摂取量を決めている。フェイスブックの書き込みの中でも次のような考えを示している方もいる。

・褥瘡の研修を受けました。脱水も褥瘡の危険因子であることが理解できました。そこで必要な水分量を提示されたのですが、1日で2300mlとのことです。そしてそれは、食事に含まれる1000ml+代謝で発生する300mlを含むため、実際に摂取が望ましいのは1000mlということでした。かなり現実的で納得できる量だなと感じました。1.500mlはかなり多いと思います。

このように1.500ml/日の水分を摂取させなければならないという根拠はなく、それを闇雲に信じ込む方に基礎知識や論理が欠けていると言ってよいだろう。

「竹内理論の本質は介護職が信頼され尊敬されるためにどう考え行動するかを学ぶ機会」だというが、無理やり口をこじ開け、利用者の苦しい表情も無視し、浮腫や口腔内の傷を作っている介護者や、それを知りながら何も指導しない介護者の行動のどこに信頼と尊敬が置けるというのか?

さらに「私はむしろ「寄り添う介護」ばかり唱える者の方がどうかと思いますが。」というが、僕の一昨日から昨日の記事に「寄り添うケア」などという言葉は従妹とも使っていない。にもかかわらずこうした言葉を挙げて反論するのは、竹内氏の講義でそのことが抽象的で具体性のないケアであると指摘されているのだろうか?しかし認知症の方が混乱なく落ち着いて暮らせるためのケアの方法論として、過去の生活習慣を尊重して、その方の「思い」が実現できるケアが必要であると言われる。これが現在グループホームなどで行われている「生活支援型ケア」の基本であるし、本当の意味で過去の生活習慣を尊重して、その人らしさを引き出せる関わり方が実現できたとき、それがいわゆる「寄り添うケア」と表現されるものである。(参照:思いを実現するケアの誤解。

実は、「寄り添うケア」って抽象的な概念ではなく、徹底的な個別アセスメントに基づいたニーズの把握が前提条件になって、それをもとにサービスの方法を決めるというケアを指している。そういう意味では、竹内理論よりよほど科学的根拠卯があると言ってもよいのである。

どちらにしてもフェイスブックのコメント欄に書かれた批判は的外れであり、根拠と知識に欠けた反論であると言わざるを得ない。

ただ断っておくが、過去にも書いたように、僕は「水分摂取」そのものを批判しているわけではない。

過去のケースを見ると、高齢者施設では、脱水が起因する健康状態の悪化や、覚醒レベルの低下、活力の低下の事例が数多く見られているので、水分を適切に摂取して心身活性化につなげるという考え方自体は肯定されるべきである。しかしその方法が、個別アセスメントのない一律全員に対する1.500ml/日以上の水分摂取であるということが問題なのであり、これでは内臓や血管にダメージを負ってしまう高齢者がたくさん出現するだろうし、多すぎる水分摂取を苦痛に思う高齢者もいるだろう。それを無視して水分を大量摂取させる段階では、昨日の記事で示したような悲惨なケースが出てきてしまうこともあるのだろう。そういう不適切事例が全国各地で生まれるだろう。これが一番の問題なのである。フェイスブックにもそのような意見は多く書き込まれており、例えば次のような意見もある。

・竹内理論の講習会には「個別ケア」の視点がないから危険なのです。介護福祉士が観察とアセスメントしないと。介護福祉士は「利用者の代弁者」でないと、その存在意義が疑われるのでは?それと、とことん寄り添うには覚悟が必要だ。それこそ観察とアセスメントなしには出来ないと思いますよ。

まさに正論ではないだろうか。

一方では、日中おむつゼロにした成功例があると主張する人がいるが、大量の水を飲ませれば、細胞内にたまらない水分は尿となって体外に排出されるのだから、そういう人をトイレに連れて行って排泄を待つというのは、さほど難しいことではない。

しかしその方法にしても、介護者が2人とか3人がかりで、引きずるようにトイレに連れて行って、尿がすぐ出ないときには、トイレの便器に利用者を10分も20分も座らせておいて、排尿をトイレにしたとする。果たしてそれが良い暮らしなんだろうか。あの便器に自分で立ち上がれない人が10分も20分も座らわれて放置されている苦痛を考えたことがあるのか。お尻は痛いわ、体はしんどいわ。話にならない。それが成功例だとでもいうのだろうか?

ましてやおむつゼロで表彰を受けた施設を見渡すと、全員が日中トイレで排泄できているわけではなく、パット上に失禁して交換しているケースがたくさん含まれている。パット上への失禁は、おむつゼロの定義に反しないというルールがあるからである。それでもすべて成功例となるという・・・。こうした形のおむつゼロが、そこまでたどり着く段階で、利用者の苦しい表情や数々のトラブルを無視した先にあるという点を全く検証せず、表彰対象とされる。そのことは生活の質を考えたとき、本当に求められるものなのだろうか?

どちらにしてもどのような成功例を持ってしても、それが累々と横たわる屍の先にあるものだとしたら意味がないのである。

宮崎県小林市で竹内理論をもとに取り組んでいる改善例が、BSで特集を組んで放映されるそうであるが、何を持って改善としているかはともかくとして、そういう成功事例があったとしても、その背後に隠されている真実がないのかという検証作業は同時に行わなければならないし、事実として介護現場から報告されている数々の不適切事例に目をつぶり続けていることは許されないだろう。

現場で実際に何が起こっているのか?昨日の記事のような例がいくらあるのかを、成功事例を示すのと同時に、調査・検証する必要があるってことだ。

それは人としての義務ではないのか?それがないと科学的介護にはならないのではないだろうか。

それにしても竹内理論による方法論の実践施設の管理者や職員に、一番欠けているものは、顧客満足度を推し量る視点ではないかと思ったりするのである。

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竹内理論が生み出している悪魔の所業


昨日13日は、全国にある928の観測地点のうち、513地点で30℃以上、122地点で35℃以上を観測した。それ故に、熱中症対策は重要で、特に脱水になりやすい高齢者への水分補給には細心の注意が必要で、全国の介護施設でも、その対策の確認をしっかり行った一日であっただろう。

暑い時期に注意してほしいことは、汗で消費した体内水分を、大量の水だけで補おうとすれば体内のミネラルが不足し、電解質異常が起こるということだ。認知症の人の場合、この電解質異常は行動・心理症状の原因となる可能性が高くなる。そのためお茶などでしっかりミネラルを補給する必要がある。ミネラル豊富な冷たい麦茶を飲む習慣は、先人たちから伝えられた知恵の一つなのである。

そもそも高齢者が脱水になりやすい原因は、体内の細胞数が減少していることによって、細胞内液量が不足する傾向が強いことにある。そのことは、「水分摂取拒否への対応」でも指摘しているが、1日に必要な水分量を摂取したとしても、一時期に大量の水分を摂取したのでは、細胞内にたまらない水分はすべて体外に排出され、脱水予防にはならないケースも多いことに注意が必要だ。

ところで水分補給も闇雲に大量の水分補給をしてはならないことと、体格差や、病状により個別性のある水分摂取量を、一律同じ量に定めて強制補給することの問題点は、「机上の空論で不幸をつくり続ける人々の罪」でも指摘したが、そこに情報提供のコメントが書き込まれた。

コメントを書いた方は誰かわからないが、コメント内容から読み取れることは、その方は特養の介護職員であり、その方が勤務されている施設は、施設長・ケアマネージャー・看護師長・介護長・ユニットリーダー・・全てが竹内理論信奉者であって、利用者全員に1.500ml/日の水分摂取を行っている施設であるということだ。

その結果、その施設で何が起こっているのかが情報提供されている。

その方は、「スプーン1口のゼリーですら、首を横に振って涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっている利用者様に、どうしても無理強いする事が出来ず・・いつもユニットリーダーから叱られます。」という状況に置かれている。

利用者にとって、罪なことを行っているのは、叱られている介護職員なのか、叱っているユニットリーダーなのか?いったいどちらが感覚麻痺なのだろうか?その答えは、コメントに書き込まれた次の状況の中にあるだろう。

「水分摂取表」に、いつも当然のように「全量」と書き込む先輩介護福祉士の水分摂取介助の方法とは、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました・・・。

このようなことが日常的に行われているのだ。そしてそれがどのような状態をもたらしているのかが、次に示されている。

(無理やり口を開けさせられ水分摂取させられていた)利用者の、開いた唇の奥に異変を感じました。「少し、もう少し口を開いて頂けますか?」自分が大きく口を開けて、同じようにして頂くようお願いしたら・・・・舌の裏。血豆だらけでした。(涙が出ました)

早出だったユニットリーダーに報告しても「そう。」とだけしか返事はなく。


そしてその方は、次のような心の叫びを書いている。

・私が辞めれば、もうそんな光景を見なくて済む。けれど、私が居なくなった後もその光景は続く。毎日が本当に辛いです。

・そこまでして、一体何の意味があるのか?私には、どうしても理解できません・・・


竹内理論を信奉して個別アセスメントのない多量の水分摂取を強制しているこの施設は、利用者の口をこじ開けて水分をこじ入れる行為が毎日のように行われ、その結果、舌に血豆を作ってしまっている利用者がいて、そのことに気が付いている職員の訴えを無視して、血豆の状態を放置するユニットリーダーがいるってことだ。全身の浮腫を無視して、涙目になっている表情を無視して、水分を突っ込む非人間的行いを認めているということだ。

竹内理論を信奉した結果がこれだ。これは人の暮らしの場と言えるのか?この状態でケアの品質を語ることができるのか?利用者に良いケアを提供していると胸を張れるというのか?

このように指摘すると、竹内氏や老施協の21世紀委員で、この方法を推奨する人々はこう反論するだろう。「そんな風にして、水分を強制摂取させろなんて教えてません」と・・・。それは事実だろう。あの講習では水分摂取の方法なんて教えていないんだから。ともかく水分を1.500ml/日以上摂取させることの必要性(まやかしの理屈ではあるが)を教えて、それを実行させるだけで、その方法は、すべて現場に丸投げである。

その結果が今の状況だ。そこでは強制的に口をこじ開けて、利用者の舌に血豆を作ってまで行う水分補給が正しいと思い込み、その状況を知っても、水分摂取させているということを評価し、血豆を作ってまで摂取させているという状況に目をつぶるユニットリーダーを生んでいるのだ。悪魔を生む方法論としか言いようがない。

僕の施設でも水分摂取の目標値は決めているが、それは個人ごとに違う量であり、例えば1.200ml/日と目標値を設定しても、なかなか口をあけてくれずにその目標値に届かない人もいる。その時には、「まさか無理やり口をこじ開けて摂取させるわけにもいかないでしょう」という、まっとうな話し合いの中から、目標値に届くために、いつどのような方法で水分摂取支援を行うか話し合っている。味を変えたり、摂取する器を変えたり、声掛けを変えたり、水分の温度を変えたり・・・けっして利用者の口をこじ開けて無理やり水分を流し込むなんてことにはならない。なぜならそれは結果的に水分摂取ができたとしても、生活の質を著しく低下させ、利用者を不幸に指せるだけの結果にしか結びつかないからだ。

それだけ水分摂取支援というのはデリケートで難しい支援行為なのだ。ましてや50人、100人という数の施設で、全員が1.500ml/日もの量の水分を摂取できるわけがない。実際にそれだけの水分量が必要ではない方なら尚更、体がそのような量の水分を拒否して、本能的に口を閉じてしまうだろう。そうであれ施設の定めた目標をクリアするために、そこで何か無理押しが行われてしまうことは容易に想像がつく。悪魔の所業である。

自分の親に同じことができるのか。自分の子供が老いて介護施設に入所する未来を想像してみろ。そんな施設に大事な子供たちを任せられるのか。個別アセスメントのない水分の強制摂取を強要しているすべての関係者に言いたい。恥を知れ・・・と。

僕が自分の講演で上映するオリジナル動画「LOVE〜明日につなぐ介護」のスライドショーの1枚には、「見逃さない見えない涙 なくさない小さな勇気」というメッセージを入れている。

見えない涙
しかし実際には、このコメントで紹介されている施設職員のように、見えている涙さえも無視して、その方法が間違っているのではないかと考え直す勇気さえ失っている人間が存在する。

その結果、涙を無視して勇気を持たない人が不幸になるならともかく、そうではなく、そこで無理やり水分を口に流し込まれ、泣いている人が不幸になり、その責任をだれも取らないという恐ろしいことが現実に起こっている。

人の暮らしとは、どれか一つの目的が達せられて幸せになるという単純なものではなく、総合的な見地が求められるのだ。水分を決められた量とって、排泄がトイレでできているから(老施協のおむつゼロとはパット上への失禁は構わないとされているので、実際には全員がトイレで排泄できているわけではない。)舌に血豆ができ、涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっていても問題ないというのだろうか。それが不幸な姿だと気が付かない感覚麻痺は、まるで何かに洗脳された人々によって、思い込みの不適切ケアを生んでいるとしか思えない。

人としての心を忘れていないなら、どうぞ利用者の見えない涙を見逃さないでください。ましてや見えている涙の原因は、徹底的に排除してください。

間違っているものに、間違っているという声を挙げる勇気を失わないでください。

我々は、権威のある偉い人が掲げる方法論を実行するために存在しているのではないのです。我々の目の前にいる、支援を必要な人々が、笑顔で暮らせる日々に寄り添うために存在しているのです。そのことを忘れないでください。

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机上の空論で不幸をつくり続ける人々の罪


ずっと気温が低かった登別市も、先週末の土日は、急に気温が上がって、僕は今年初めて半袖・短パンで過ごした。

この気温上昇は、全道的な傾向であったようで、日中の最高気温が30度を超えた地域も多かったようである。そうなると高齢者の方々の体調変化が気になるところであり、案の定今朝の道内ニュースでは、70代や80代の高齢者が熱中症で病院に搬送されたということが複数報道されている。

当施設の利用者の方の平均年齢は85歳を超えており、この気温の急な上昇には特に気をつけなければならない。熱中症は何も外にいる人だけに出現する症状ではなく、日陰の多い屋内でも引き起こされることが多いので注意が必要だ。幸い今朝は昨日の気温より5〜6度下がっているが、これから毎日のように気温の上昇には注意が必要な日が続く。

そのため今朝の朝礼では、熱中症の予防のために、脱水予防に心がけ、水分摂取介助を怠らず、全員に必要量の水分量が摂取できるように促し、適切な方法で水分摂取支援を行うことを確認してもらった。

しかしだからと言って、利用者全員に闇雲に水分を摂らせればよいということではない。そこは普段から注意が必要なところで、個別の施設サービス計画を立案する祭の、ケアカンファレンス(施設内のサービス担当者会議)の中で、個別にその必要量を話し合っているので、その目標値を達するように、水分摂取支援を行うということに過ぎない。そうすると当施設では夏であっても、食事以外に1.500ml/日もの量を摂取目標にしている人など、ほんの数人に過ぎない。

逆に言えば、当施設では1日の水分摂取量が1.500ml/日に達していない利用者の方が圧倒的に多いと言えるわけであるが、そのことによって脱水症状を呈したり、認知症の人の意識レベルや覚醒レベルが低下して問題になっているという事実はない。これは事実であり、今現在進行形で証明されていることである。

ところで2年前に書いたブログ記事、『科学的介護と竹内理論に対する疑問』に、先週コメントが書き込まれた。

そこでは相も変わらず、竹内氏の理論が押し付けられている姿が報告されている。全国老施協の「介護力向上講習」は今年から全国レベルでは行われなくなり、全国老施協が主催する形で、水分の一律強制摂取という方法は推奨されなくなったといえよう。しかしながら都道府県レベルでは、まだこの勘違いした方法論を推奨する見識の低い人たちが存在して、そういうレベルでの同研修会は続いているわけである。いつまで人の尊厳を無視して、介護サービス提供側の価値観を押しつける方法論が続けられるのだろうか。

コメントに書かれているように、竹内氏は、心不全の原因に水分摂取過多は関係ないと主張しているらしい。医者ではない僕が、それに対してコメントする何ものもないが、現に重症の心不全の人には、今でも治療として水分制限が行われているし、「過水」が血管や内助ダメージにつながるということは医学知識としては基礎知識ではないかと考える。

それに過水と心不全の関係性だけ取り上げてもどうしようもないとも思う。低ナトリウム血症とか、高血圧とか、様々なリスクにつながる過水への細心の注意を否定してどうするのだと言いたい。

竹内氏の理屈でいえば、過水は問題ないから、排泄自立のために水分を一律1.500ml/日以上取らせるというものであるから、これによって、竹内理論を信奉する施設ではいまだに、「本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事際口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。」(過去のブログ記事に、竹内理論を実践している施設に入所している方の家族から書き込まれたコメントより)というような状況はなくならずに、それを良しとして続けられているわけである。

そこにはQOL(生活の質)や介護サービスの品質という意識が存在しているのか?利用者が毎日顔をゆがめいて、苦しい状態を訴えながら、それが「施設の方針」であるという一言で、利用者の訴えが無視されている場所が、生活施設と言えるのか?

そこで働く職員は、自分が顔をゆがめて苦しがっている人に無理やり水分を飲ませている姿を、自分の親や子に、胸を張って見せることができるというのだろうか?自分が年を取ったときに、そんな施設に入所したいと思うのだろうか?今行っていることを恥ずかしいと思わない感覚麻痺は、いつからなぜ始まったのだろうか。

利用者が毎日同じ行為に対する苦痛を感じているのに、それを無視してその苦しみが続いていくことでやっと達成できる何かの目標って正しいのか?その方法は本当に必要不可欠で、ほかに替わるものがない方法なのか?

竹内理論を信奉し、その方法論を実践している施設の管理者や職員は、今一度利用者全員の表情や訴えを検証しながら、胸に手を当てて、その方法論が自分や自分の家族に行われている姿を想像して、本当にそのことが求められる方法論であるかどうかを考えてほしい。それでもなおかつその方法論を実践し続けるというならば、その結果起こるであろうすべての結果責任を、自らが受け入れる覚悟を持っていただきたいと思う。

いずれ、近い将来この問題は、健康被害訴訟に結びつくことは、想像に難くないのだから。

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おむつゼロの実態


全国老施協から、おむつゼロで表彰をされた施設の職員さんが、科学的介護と竹内理論への疑問と、ご入居者はモルモットではないという叫びという過去のブログに、次のようなコメントを寄せてくれました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜間もオムツ0で表彰された施設に勤務中。
リハビリ職員さえいない施設です。
そのご、職員が負担増に嫌気が指し離職者続出。
入れ替わり激しくこの理論に疑問を持たない人が増えて、2、3年後利用者様の身体に異変が起こらないか心配です。
そして、夜間のオムツは結局ほぼ元に戻っています。
パンツでは横もれしてしまい。介護する側も大変ですからね。

立位訓練といって強引に立たせて5秒立てたから速攻歩行訓練。
10年近く立ったことがない人も筋力の強弱無視。
手の筋力など眼中に無い。訓練と言う虐待。

8時間以上車椅子に腰掛けているというケアプランを立てないと通さないケアマネ。
水分もですが、栄養学に基づいた三度の食事も全部食べさせるよう言われているけど、
働いてる職員でも多い量なのに、拒否しても食べさせないのは虐待といったケアマネに
開いた口塞がらなかった。

トイレで放置している施設のこと書いてあるけど、当施設は腹圧と言って、毎日排便させるように腹を押さえます。
排便でそうなときに腹部マッサージをするのでは無く、毎日、トイレのたびにです。
こんな施設に入れられた年寄りが可愛そうです。

何十年と歩き働いてきた田舎の高齢者、最後の数年くらいのんびりさせようよって思う。
何の為の介護用具?何の為の介護者?

連投です。
健康な若いうちから水を飲む習慣があるなら兎も角、消化能力が低下している高齢者になってからの突然の水責め

そして、飲ませるために奮闘して自身の水分補給も出来ない職員。
どちらも、いつかしっぺ返しがきそうです。

病院や老健で、これ以上回復が見込めないから、家庭で見れないからと入った施設で、数歩歩けたからと帰されたら、家庭が崩壊します。

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こんなことをいつまで続けて行くのだろう。

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水分過剰摂取で死亡により損害賠償命令


おむつゼロのため、利用者全員に一律・水分1.500ml摂取を行っている施設の職員の皆さん、きちんと考えてくださいよ。

水中毒で入院患者死亡、病院に賠償命じる判決

宮崎市の民間病院に入院していた当時36歳の女性が、水を大量に飲んだことによる急性低ナトリウム血症で死亡したのは、病院の管理に問題があったことが原因だとして、家族が病院に損害賠償を求めた裁判で、宮崎地方裁判所は、家族の訴えを認めて、病院に対し、3.500万円余りの支払いを命じる判決を言い渡しました。

詳細はリンク先を参照してほしいのですが、本件は統合失調症で、のどが渇く副作用のある抗精神病薬などを服用していた女性が、自ら大量の水分を摂取して急性低ナトリウム血症を引き起こしたことについて、水道の元栓を閉めるなどの予防措置を取らなかったことなどは、病院側が管理責任を果たしていないと責任が問われ、損害賠償を認めたものです。

そうであれば・・・。

自分で水を飲んでいた人の水分量の制限ができなかったと損賠賠償が認められるならば、本人が望んでいないのに、施設の方針として無理やり水分を過剰摂取させられ、そのことが原因で病気が悪化した場合や、死亡した場合は、もっと重い責任が問われますよ。

水あたりや水中毒という言葉は古くからあります。腎機能が低下していなければ水中毒と呼ばれる低ナトリウム血症を引き起こすことはないでしょうけど、そもそも水分の過剰摂取は、内臓にダメージを与え、腎不全・心不全・高血圧を悪化させ、場合によってそれは死因に直接つながります。

必要以上の水分摂取を毎日続けていると、それが腎機能低下につながり、やがて低ナトリウム血症につながる危険性は常にあるのです。だから個別のアセスメントが必要なのです。

もちろん、今の時期、暑さで発汗量も多くなりますから、冬期間より水分摂取量を増やすという視点は必要ですよ。そして脱水予防は大事ですよ。でも脱水を防ぐための水分摂取量は個人によって異なりますし、失われた水分を、水だけで摂取しようとした場合、電解質異常が起こり、これは認知症の人の行動・心理症状の悪化にもつながります。よって水分補給は、同時に適度なミネラル補給も考えねばなりません。麦茶などは、ミネラルを補ってくれるので、水分補給に適していると思われます。

高齢者は脱水になりやすいということは、その通りです。細胞数が若い人より格段に少なくなっているので、細胞内液量の低下が脱水を引き起こします。しかし水を必要以上に摂取することは、脱水と同様か、それ以上に恐ろしい結果を招くのです。だから水分が過剰ではないかという確認や、事前の必要量予測のアセスメントは欠かせないのです。

多すぎる水分量とは、人によってその量の基準は違いますよ。汗以外に皮膚等から失われる不感蒸泄の量を考えると、食事をきちんととっている人の場合、高齢者であったとしても1日食事以外に、1.500mlもの水分を必要とする人は少ないと思われます。特に皮膚からの不感蒸泄の量が少なくなる身長が140センチ台の人の水分摂取量は、食事がきちんととれておれば、発熱でもしていない限り、1.000mlで十分な場合があります。

その人に、毎日1.500mlもの水分を摂取させ続けていたら、内臓ダメージが起こるリスクは高まりますよ。それが低ナトリウム血症の引き金です。その責任が取れますか?

心不全や腎不全、高血圧の持病を持っている人に、1.500mlもの水分を与え続けたら病状は悪化するリスクが高いですよ。病状が悪化した時、年のせいにするつもりですか?きちんとした医師が診察すれば、水分摂取過多であることが明らかになるケースもありますよ。その時責任は取れますか?

間違ってほしくないのは、1日1.500mlの水分摂取そのものが駄目だということではないのです。それだけの量を摂取でき健康が保たれ、脱水を防ぎ心身が活性化して、なおかつトイレで排泄できるようになるのであれば、それは素晴らしいことですよ。個別性への配慮も行って、おむつゼロを達成している施設は称賛されてよいと思います。

実際に心身を活性化するためにそれだけの水分量が必要な人もいるでしょう。しかしそうでない人も、例外とか特例と言えないほどたくさんいるのです。そのアセスメントをどうしてしないのかという問題なのです。

水分を十分とり、脱水による意識低下等を防いで、尿量が増えたタイミングを見計らって、トイレで排泄する習慣を身につけ、おむつが必要なくなる。その一方で、足の浮腫が増強したり、水あたりの症状で受診したり、高血圧や腎不全が悪化したりする人がいたとすれば、それはプラスマイナスゼロとかいう問題でもないし、メリット・デメリットの両方があるという問題ではないのです。個別アセスメントのない状況で、一人でも水分過多の症状が出る人がいれば、すべての人がトイレで排泄できても問題なのです。

そんな事実が全くないなら、こんなことは書きません。しかし僕に寄せられるメッセージの中に、実際に「おむつゼロ」で表彰を受けている施設の職員さんから、「これでよいのか?」という疑問の声が含まれています。施設名は出せませんけど、そこでは利用者が低ナトリウム血症の中度の症状で病院搬送され、入院先で水分制限を指示されたケースや、腎不全や心不全の症状悪化が目立ってきているという情報が寄せられているのです。

立ち上がれる人が、歩行訓練と称し職員3人で引きずられるように歩かされている情報も寄せられています。水分摂取に関連したブログ記事にはコメントがたくさん寄せられています。それらを改めて読んでみてください。

もしこのブログを読んでおられる人の中で、一律全員に、食事以外で1日1.500mlの水分摂取を推奨している施設に入っておられる利用者の家族の方がおられましたら、高血圧や内臓疾患の悪化がないかを確認してください。そういう症状があれば、年のせいにせず、水分の過剰摂取ではないかということも医師に尋ねてください。場合によっては、セカンドオピニオンが必要になるケースもあるように思えます。

この問題で疑問を呈すると、食事以外で1日1.500mlの水分摂取させるように指導している、「介護力向上講習会」では、きちんと例外や、個別性を見るように指導しているといわれる方がいます。しかし講習会出席者は、そのような指導は受けていないという人が多いですよ。どうしてこのように勘違いしている人が多いのでしょうか?伝え方が間違っているからではないですか?そもそも下記の画像は「月刊老施協5月号」に掲載されているものですが、何ページも割いて掲載されているこの特集記事にも、個別性への配慮、個別アセスメントの必要性には全く触れられていません。あくまで全利用者に対し、食事以外で1日1.500mlの水分摂取を「基本」としています。それでいて個別性への配慮がいらないというふうに勘違いするなと指摘することには無理がありますよ。

介護力向上講習

(参照)
「一を探して、一を足す介護」に寄せられたコメント

「賞される資格があるのかを自らの良心で判断してください」に寄せられたコメント

「ご入居者はモルモットではないという叫び」に寄せられたコメント

「科学的介護と竹内理論に対する疑問」に寄せられたコメント

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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利尿剤を服用している人の水分補給


入園から2月が経とうとしているが、認知症の症状が進行し、職員の対応に対して不満を現わす利用者のケアプランを再作成するために、ケアカンファレンスを行った。

誤解を与えないような対応の統一と、心理的支持が実感できるような声かけ・対応について具体的な方法をケアプランに落としていくための話し合いを行うとともに、食事・水分摂取・排せつについての生活課題を再度見直した。

入園後に、尿失禁が増えているので、排せつパターンを今一度見直して、トイレ誘導の声かけ時間を再チェックすることとしたが、そもそも失禁の原因が、単にトイレに間に合わないことなのか、他に原因はないかを話し合い、認知能力の低下や意識レベルの低下が原因ではないかどうか検討した。

それに繋がる脱水の問題も当然検討課題になるわけである。

この方は、施設で出される食事の量が多いと言い、主食を残されることが多いため、茶碗に盛られた主食を見ただけで食欲を失うことを考慮し、2/3の盛りで提供しているが、入所時と比べ、1.0kgの体重増加があり、BMIも適正値で栄養状態は問題なしとされ、食事摂取量は現在のままで十分と判断した。

ただそうなると汗や尿便、不感蒸拙等で排出される水分量を計算し、食事摂取以外に摂るべき水分量を考えた場合、食事が8割しかとれていない日は、最大値で計算すれば、計算上1.500mlという数字になることが分かった。

しかし実際には、この方は足の浮腫がみられたため、先々週から利尿剤を処方されており、1.500mlという水分摂取は無理である。おそらくこれは不感蒸拙の個人差の問題が大きく関連しているからであろうと思えた。そのため医師に確認して、食事以外の水分摂取は1.000ml/日に抑える計画となった。同時に失禁の原因が、利尿剤の副作用ではないかということも、医師・看護職員によって確認するように計画した。

よって今回のカンファレンスで得た結論としての施設サービス計画には宿題が残されており、短い時間でモニタリングと、再アセスメントを行うことを前提に計画した内容となっている。

この時、ふと思ったことは、全国老施協の介護力向上講習会では、こうした利尿剤服用者の水分補給も、食事以外に1500ml行うように指導しているのだろうかということである。

普通に考えれば、利尿剤を服用しながら、多量の水分を補給することはおかしいと気付くはずであるが、この問題をどう解決しているのだろう。

そんな中で、フェイスブックで繋がっている方から、次のような情報をいただいた。

しかし、介護力向上講習会への参加施設の方からも『ご家族に対して一律強制にならぬよう、個別アセスメントに基づき、竹内さんの良い部分のみを受け入れ〜』というお話をいただいている。このようにきちんとした施設では、介護力向上講習会のいいところどりをして、1500mlという数字にこだわらず(無視してと言った方が適切だろうか)、個別アセスメントで水分補給量を決めて、オムツ0を達成しているのである。

水分補給は大事であり、脱水が認知症の症状進行や、覚醒度の低下に繋がるが、だからと言って1500mlもの水分量が必要ではないという証明であろう。

こうした施設だと安心なんだが、1500mlという科学的根拠のない数字にこだわって、利用者の表情や暮らしを無視する施設が一方では存在することが問題なのだろう。

ここで考えなければならないことは、科学的根拠にまったく基づかない竹内理論を盲信する、智恵の足りない管理者が権力をふるって、利用者の表情も暮らしも無視した「独裁」が施設内で行われてしまうという怖さである。

何かを信ずるのは良いが、医学的な知識も必要な事柄については、医師にも意見を求めるなど、より慎重な対応が求められるだろう。介護力向上講習会は「いいとこどり」ができるかどうかが、一つの岐路になるだろう。

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全国老施協のスローガンへの疑問(その1)


昨日まで鹿児島県で行われた全国老施協主催の「カントリーミーティングin鹿児島」に参加してきた。

最終日2日目のトリとして、「支援という名の支配〜介護サービスの現状と課題」という90分講演を行ってきたが、そこでは僭越ながら老施協の21世紀委員会等の皆さんに対して、科学的介護を標榜しながら一方では個別アセスメントの伴わない過度な水分摂取を強要させるかのような講習会を実施している事について疑問を投げかけてきた。

実は初日の講師控室で、今回の講演で同じく講師役を務めた厚労省・老健局の懸上課長補佐さんが僕の講演ファイルを見て、「これ話しするんですねえ」と驚かれていた。老施協が竹内理論から抜け出すのは無理ではないですかとも指摘された。変わる変わらないはともかく、誰かがどこかの早い時点で、この問題は老施協に直接疑問を投げかけないとならないと思うという事を、その際にお話しした。

ご存じのように全国老施協は、「科学的介護」を目指すとしているが、これが実に分かりずらい。本来スローガンなり、キャッチフレーズなりは、その言葉を聞けば具体的な何かが明確にならずとも、漠然としてでも伝えたいものがイメージできなければならないはずだが、この言葉からイメージできるものはないと言ってもよい。だから説明が必要になる。そういう言葉をスローガンにするセンスはどうかなと思う。それはさておき科学的介護の意味である。

初日に、老施協が目指す「科学的介護」とは、科学的根拠(エビデンス)がある介護という意味であり、そこにはサイエンスが存在しなければならないと説明がされた。

僕の講演では、そのことを受けて、そうであるならなぜ介護力向上講習会では、個別のアセスメントを無視して、利用者全員に一律1.500mlの水分補給を強制しているのか、そこにどのようなエビデンスやサイエンスがあるのかという疑問を呈した。

そして僕の施設で、トイレで排泄ができていなかった脱水傾向にあった人の水分摂取方法を見直して、排せつリズムをつかみ、トイレで排せつ介助ができるようになったケースの、「施設サービス計画」を例示し、その方は食事以外に1.300mlしか水分補給を行っていないが、その量をどのように導き出したかという根拠(個別のアセスメントの結果)を説明した上で、この方にさらに200ml以上の水分補給が必要だという根拠なり、科学なりを示してくださいと問題提起した。
(※この方は食事が十分摂れない方であったため1.300mlという数値となったが、食事が全量摂取で来ている方の場合は、同じ条件であれば必要な水分摂取は1..000mlから1.100mlとさらに少なくなる。)

講演後の会場に於いても、その後に於いても、この問いかけに答えてくれる人はいない。むしろ講演後に、たくさんの受講者から僕が話した内容が正論であるとか、その通りで日ごろの疑問が解消されたという声を数多くいただいている。

この問いかけに適切な答えを出さない限り、老施協の「科学的介護」というスローガンは声だけのものと言われても仕方がなくなるだろう。そしてこうした問いかけを無視して、あの介護力向上講習会を今の方法(個別のアセスメントを抜きにして、利用者全員に食事以外で1日1.500mlの水分摂取を行うということを全施設に行わせようとする方法)で続けるならば、老施協そのものの見識が問われるだろう。

老施協委員からは、ガバメントの意識に欠ける社会福祉法人の問題点を指摘されたが、それでは介護力向上講習会で、1日1.500mlの水分摂取を行うことについて、「利用者同意など必要ない。施設の方針として実施すればよい。」と教え、それを実施している事実があるが、それのどこにガバメントやコンプライアンスという視点が存在するのだろうか?

ガバメントが大事というなら、「家族がこの理論を理念としている施設に入所していました。本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。この行為は虐待に値すると思います。水分の大量摂取で血圧上昇が懸念される為、過剰な摂取はやめてほしいと施設に何度もお願いしましたが聞き入れてもらえず、就寝前や就寝中も水分補給と称して起こされては水分補給されている父がかわいそうでした。でも施設に言うと脱水になってしまうの一点ばり。水分の過剰摂取は間違いであるということが早く世間に知らされてほしいです。 」という声にどのように答えるのか、こうした事実があることと、科学的介護やガバメントを推し進める事とどのように整合性がとれるのか?

このことを明らかにしていく必要があるのではないだろうか。

そもそも老施協はスローガンにとらわれ過ぎではないだろうか。我々が本来目指すものは、利用者の豊かな暮らしを実現する高品質サービスの実現であり、それは全国老施協も主張していることであり、そのことに間違いはないのであるが、それを実現するためのスローガンにとらわれて、いつしかスローガンである言葉に支配され、その向こうに実現できるはずの「暮らし」をスローガンの中に埋没させてしまい、暮らしを豊かにする正しい水分摂取を行うことより、水分摂取そのものが目的化され、利用者の生活の質が無視されているのではないだろうか。そもそも個別性の高い暮らしの援助の中で、一つの方法が全てのケースに通用すると考えることの方がどうかしている。

排泄ケアにしても、トイレで排せつできる暮らしを目指すことは間違っていないものの、その方法論が問題で、内蔵ダメージを無視した過度な水分摂取で、細胞内液量を超えた水分を対外排出させることによって尿量を増やして、それをターゲットにしたトイレ誘導を行っておれば良いという事では、暮らしは豊かにならない。

トイレでの排せつにしても、便器に不安定な姿勢で座り、腹圧をかけるには無理がある姿勢で、10分も20分も座り続けた結果、なんとか尿が出たという暮らしは、適切な排泄ケアと言えるのかどうか・・・。オムツゼロも大事かもしれないが、オムツをゼロにした結果、どのような排泄ケアが行われ、それが暮らしの豊かさと言える状態に結びついているのかという検証が必要で、オムツをゼロにした施設が、必ずしも高機能施設であるとは言えないという考え方も必要である、

つらく苦しい姿勢でトイレでの排せつをさせられている状態や、苦しい表情を無視して、施設の方針として一律決められた量の水分を摂取しなければ1日を終える事ができないという状態は、利用者の求める暮らしではない。

そこで行われている行為は、まさに『支援という名の支配』そのものではないのだろうか?(明日に続く)

(3月6日:追記)
なお勘違いしてほしくないのは、僕は竹内理論の全てを否定し、問題視しているわけではありません。水分摂取が大事なことは間違いなので、そのことを介護力向上講習会で伝えることは大事だと思います。しかし個別のアセスメントのない、一律1.500mlという、あまりに多すぎる量に対する見解の相違なんですから、介護力向上講習会で、水分摂取が大事であることには変わりないけれど、我々より身長が低くて、不感蒸拙の少ない現在の特養入所高齢者については、個別のアセスメントを行って、1日に失われる水分量を計算して、その分をきちんと補給して下さいとし、1日に排出する水分量を導き出す方法を教えるだけで解決する問題ではないかと思います。

水分の過剰摂取による内臓ダメージで入院を余儀なくされる高齢者が一人でもいるということは問題で、様々な施設の職員が、そのことを問題視しているのに、竹内理論の全てを信じる施設長等の管理者により、やり方が変わっていなくて水分過多症状が出ている現状は問題ではないでしょうか。

ただ鹿児島会場で受講された方の中で講習受講者が居りましたが、1.500mlという数字を無視して、いいところどりをしている賢い施設も多くて、やや安心しております。

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全国老施協研修委員の方々に問いたいこと


2/1(土)の午後から仙台市で行われた、「せんだい医療・福祉多職種連携ネットワーク〜ささかまhands〜」の定期研修会で講演を行わせていただいた。

受講者は200名を少し超える数であったが、その後行われた「顔の見える会」という懇親会にも100名以上の人々が参加するという盛況ぶりで、現場発信の多職種連携が、本当の地域包括ケアシステムの構築に繋がっていくのではないかという可能性を感じさせるものであった。

講演受講者も、介護関係者だけではなく、医師・看護師・理学療法士・保健師・専門学校教諭など、保健・医療・福祉・介護の分野で活躍する様々な人々が居られたが、介護サービスの割れ窓理論に関連しては、「医療・看護の悪癖を、介護現場に持ち込むなと言いたい」、「今この時代に我々が介護の現場から意識を変えて、顧客に使える言葉として、丁寧語を基本としていかないと、いずれ介護を受ける我々の家族や、我々自身が、介護従事者の心ない言葉遣いで傷つけられる構図が繰り返される。」などと発言してきたので、顰蹙を買わなかったか少し心配している。

ところで、当日の講演では、全国老施協の「介護力向上講習」に話を及ばせ、アセスメントの伴わない、一律一人に食事以外で1.500mlの水分摂取を勧めていることに対して問題提起を行った。
(参照:支援という支配
仙台講演会場
講演後の質疑応答の中で、この件に関し全国老施協の研修委員をしているという受講者の方から、「竹内先生も決して、個別のアセスメントを行わないで、一律1.500mlの水分摂取を勧めているわけではないのでご理解いただきたい。」という発言があった。

これに対して僕は、「そうであるなら、それは僕に理解を求めるべき問題ではなく、介護力向上講習の受講者に理解を求めるべきだと思います。介護力向上講習の受講者が誤解しないように、竹内先生自身が自らの言葉で、受講者に1.500mlの飲水が危険である利用者もいることを伝えるべきだと思いますので、どうぞよろしくお願いします」、「なぜなら介護力向上講習を受講した結果、たくさんの施設でアセスメントの伴わない、一律一人に食事以外で1.500mlの水分摂取をおこなっているという事実があるからです。」と返答した。

老施協の研修員をはじめとした関係者からは、この問題について同じように、「決して個別のアセスメントを否定しているわけではない」とか、「竹内先生も、必ず全員に一律食事以外の1.500mlの水分摂取を勧めているわけではない。」という話を聞かされるが、それは本当なのだろうかと疑わしく感じている。

本当にそうであれば、参照記事として貼り付けたリンク先に載せられているような意見がどうして出てくるのだろう?施設の壁に、「目標水分摂取1日1.500ml」と書いたポスターが掲げられている施設がどうして存在するのだろう?

昨日(2/2)、僕のブログの拍手コメントには次のような悲痛な声が寄せられている。
家族がこの理論を理念としている施設に入所していました。本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事際口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。この行為は虐待に値すると思います。水分の大量摂取で血圧上昇が懸念される為、過剰な摂取はやめてほしいと施設に何度もお願いしましたが聞き入れてもらえず、就寝前や就寝中も水分補給と称して起こされては水分補給されている父がかわいそうでした。でも施設に言うと脱水になってしまうの一点ばり。水分の過剰摂取は間違いであるということが早く世間に知れほしいです。

老施協の研修委員の言うことが本当なら、どうしてこのような施設が存在するのだろうか?

さらにもう一点、事実として指摘しておくとすれば、月刊老施協の竹内先生の連載では、『水は生命の源であり、水が細胞を活性化させ、身体と精神の両面を活性化させていく』・『1日1.500ml飲ませて欲しい』と書かれているが、ここには個別のアセスメントなど一言も書かれていない。「1日1.500ml飲ませて欲しい」としか書かれていない事実があるのだ。そのほかの様々な業界誌に竹内氏は、「竹内式」の水分摂取について書いているが、それらはすべて「食事以外に水分1500摂取」が呪文のように繰り返されており、必要以上の飲水が内臓ダメージを引き起こすことも、必要な飲水量は、食事摂取量に左右されるということも一切書かれていない。

全国老施協の研修委員は、このことをどのように釈明するのだろうか?こうした事実を放置しながら、「一律1.500mlの水分摂取を勧めているわけではない」といった、政治家のあいまい答弁のような発言は、いい加減にやめていただきたいと思う。

福井県の方から寄せられた情報では、来年度の福井県版の介護力向上講習で常食もテーマになるということであるが、そこでは常食絶対主義で、アセスメントの伴わない食事形態の決定が行われかねないという懸念の声が寄せられている。

科学的介護を提唱する老施協の方向性が、竹内理論を盲信するあまり、どこか軸がずれてしまっているのではないかと心配する。

竹内理論に基づいて食事時外の水分摂取1.500mlを実行している施設の管理者や職員に言いたいことがある。

それは、人に勧めて実行することは、自分自身ができること、自分自身が実行すべきことなのだから、そうした施設の施設長は、自ら記録をつけ、毎日食事以外に水を1.500ml摂取し続けるべきだし、職員も同じように摂取して、それが何の問題もないことを、自らの体で証明する必要があるということである。

自分ができないことを、他人に強いるなということである。

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支援という名の支配


鹿児島県社協老人福祉施設協議会さんにはいつもお世話になっており、同会の主催する研修会には3年連続で講師としてお招きを受けている。今年度も昨年10月にホテル京セラ(霧島市)で行われた研修で、2日間講師役を務めさせていただいた。

その時は、漫画家のくさか里樹さんと講師・シンポジストを一緒に務め、夜もオフ会で盛り上がったりして楽しい3日間を過ごさせていただいた。その模様については「青森から鹿児島への素敵な出逢い旅」で楽しい画像と共に紹介しているので、是非参照していただきたい。

ところで、その記事の画像にも映っている鹿児島ハッピー園の松村施設長さんは、全国老施協の21世紀委員でもある。その松村委員から、全国老施協が主催する「平成25年度九州ブロックカントリーミーティングIN鹿児島」(3/3(月)〜3/4(火)鹿児島市のサンロイヤルホテル)でシンポジストをしてもらえないかという依頼を受け、その日鹿児島にお邪魔することになっている。

当初予定では、シンポジスト役だけを務めて北海道に帰ることになっていたが、それではもったいないということなのか、90分の時間をとるので、講演を行ってほしいとの追加依頼があった。

そこで「何について話したらよいのですか」と聞いたところ、いただいたテーマが今日のこの記事のタイトル、「支援という名の支配」である。強烈なインパクトのあるテーマであるが、これを考えたのは、先ほどリンク先を貼り付けて紹介した記事画像にも映っている吉満事務局長である。

ただし、吉満事務局長からはテーマをいただいたものの、細かな内容については特段の指定はなく、このテーマから僕がイメージを膨らませて、当日お話をすることになっている。そこで「平成25年度九州ブロックカントリーミーティングIN鹿児島」まで、あと約1月と迫った現時点で、このテーマで話す内容を考えており、最終的に「支援という名の支配〜介護サービスの現状と課題」というサブテーマを挿入し、内容を絞っている最中である。

そうすると、どうしても避けられないのが、「科学的介護と竹内理論に対する疑問」 ・ 「ご入居者はモルモットではないという叫び」で指摘した、個別のアセスメントのない状態で、全利用者に一律、食事以外で1.500mlの水分を摂取させるという考え方を押し付けている、全国老施協主催の「介護力向上講習」への疑問と批判である。そのため以下の画像で紹介しているファイルを1枚作った。
支援という名の支配
全国老施協主催のタウンミーティングで、全国老施協の主催講習への問題提起を行うことはどうかとも思ったが、全国老施協の役職についている方からも、「警鐘を鳴らしていただく機会は会員に提供されるべきです。きちんと咀嚼をした上での理論の踏襲をと願っています。」という言葉をいただいたので、あくまで個別のアセスメントに基づく水分摂取量の調整が大事ですよという形で、一律の食事以外で1.500mlの水分摂取の問題点を指摘したいと思う。

竹内先生が、「水が細胞を活性化させ、身体と精神の両面を活性化させていく」、「水が覚醒水準をあげ、尿意や便意を知覚することにつながり、排尿や排便の抑制が正常に作用する。」、「身体活動も変わってきて、水分が足りなくなることで、舌や口の動きが悪くなりむせやすくなり、誤嚥が増える。」と主張すること自体は分からないではないが、それがどうして、食事を除いて「1日1.500ml飲ませて欲しい」という指導に繋がるのかが理解出来ない。

1.500mlという量の根拠もまったく薄弱である。科学的根拠に基づいて考えるなら、この数字は多すぎることは、貼り付けた記事でも指摘しているところである。そもそも「水あたり」とか「水毒」という言葉があるように、脱水と同様に水分の過剰摂取は恐ろしいというのは常識であり、内臓ダメージを防ぐために適切な水分摂取量の調整や、水分制限が必要になるということは科学的根拠のあることだ。

そして事実として言えば、「介護力向上講習」を受けた人や、竹内理論を実践している施設の方々から、先に紹介したブログ記事のコメントや、それとは別の場所の拍手コメントに続々と声が届けられている。その一部を以下に紹介したい。

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・竹内さんの検討会に出席しましたが、発表者が竹内さんが怖くてなにも言えず言いなりになっているのはおかしい。私は反論しましたが、竹内さんも頭が固かったなー。

・講習会では毎回課題を提出して、進捗状況を報告・発表しますが、リウマチによる関節の変形や強い拘縮があって便座に座れない状態の方でも、「とりあえず座らせてみればいい」と言われ、水分1500ml以上摂取や、必ず便器で排泄する事をあまり良く思わない家族がいらして、同意が得られていないケースもあると発表すると、「いちいち家族に同意なんて取らなくていい。うちはこういう方針だからやりますと入居時に伝えればいい」と怒られます。何より講習会での怒号、罵り方が尋常でなく、内容もさることながら、参加施設に言う事を聞かせるための方法も疑問です。

・私は札幌の某特養勤務ですが、施設長が竹内先生絶対で、嫌なら辞めていいと言われ、介護員が次々去っている悲しい現状です。

・実はその理論に洗脳?!され同法人内の特養施設で『1500cc死守!食事よりも水分!』、『オムツは外す。5分前にトイレに行ってもタラタラと出てしまう人でも、尿意、便意がない人でもパッドはつけない!』と施設ケアマネと介護主任がやらせています。結果!
心不全で、不整脈者、全身浮腫者続室で病院送りです。さすがに医務が「この人は水分制限するように」と真っ向対決となっているようです。水分は必要ですが、その方の身体、持病等のアセスメントをしっかりし、医療チームと検討してから実施すべきと思います。ご入居者はモルモットではないのです!と思います。

・うちの施設は科学的介護を推進しています。理論上水分補給量を増やす事はわかりますが、やはり水責め!またはゼリー地獄に陥っています。学者が推奨する事には机上の空論があり、水神様を讃え祀る宗教団体のような特養に入りたがるご利用者様は居ませんよ。実際に、理論上正しいにしても職員は、こんな水責めの施設には家族は勿論知り合い等にも紹介したくないし、絶対いれたくないと言っています。健常者である竹内先生は、嚥下障害がある人の気持ちをわかっていないと思います。まぁ学者は、自分で試さないでただ論文を書くだけだから仕方がないとは思いますけどね。毎日提供される水分がゼリー状で、1日1500cc食べさせられる気持ちを、竹内先生ご本人が1週間でも体験してみたらいいんですよ。

・転職し就職した当施設でも(おそらく10ヶ所以上ある法人内の全ての事業所でもやってるでしょう)1日1500cc水分摂取と恥ずかしげもなくユニットのリビングに掲示しています。当然一度にたくさん水分をとれない高齢者ですから起きている時間は休むことなくなんらかの水分を飲まされ続けています。しかも三食全てに汁が付きます。当然これだけの水分摂取をさせられるわけですから食事がとれなくなります。そしてマズいソフト食やミキサー食に変更になり、ますます食事がとれなくなり弱っていきます。まさに拷問、虐待です。数百人いる職員はこれが正しいと信じています。
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脱水を防ぐ取り組みや援助は必要不可欠だが、それは個別のアセスメントに基づくものでなければならず、食事摂取量に関係がなく一律1.500mlの水分補給を強制するような根拠のない介護は、支援ではなく、支配であることを全施設のトップは理解すべきである。

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ご入居者はモルモットではないという叫び

8/19に「科学的介護と竹内理論に対する疑問」という記事を書いた。

ここでは、国際医療福祉大学院の竹内孝仁教授が、全国老施協の介護力向上講習会や、同会の発刊する月刊老施協などで、「水が細胞を活性化させ、身体と精神の両面を活性化させ、覚醒水準をあげ、尿意や便意を知覚することにつながる」等を理由に挙げて、食事以外に1日に1.500mlの水分摂取を促していることに疑問を投げかけた。

僕の疑問は、個別のアセスメントに基づかずに、水分の摂取量の下限を一律に決めることは問題があるのではないかということがまず一つ。

さらに最大の疑問は、食事以外に1日1.500mlという水分量は、そもそも多すぎるのではないかという疑問である。前回の記事と重複するが、必要とされる水分量とはどの程度なのかということを、どういうふうに考えるべきかを示しておきたい。

1.人が1日に排出する水分は、汗・・・100ml、尿や便・・・1,500ml、不感蒸泄・・・900m(ただし高齢者の場合は、これより少ない可能性が高い)lと考えられる。

2.したがって脱水を防ぐ適切な水分摂取量とは、排出される量を摂取するということ。

3.そうであればここでは食事に含まれる水分摂取量は無視できない。

4.1日の摂取量の内訳としては、食物中の水1,000mL〜1.200mLと体内での代謝水200mL として、飲料水はせいぜい1.100〜1,300mLというところではないのか。1.500mlというのは、何らかの理由で食事摂取が少ない人など、ごく限られた人しか考えにくい。

5.水分を取りすぎても、尿となって体外排出されるだけで問題はなく、むしろトイレで排泄する機会を増やすという考え方は間違っている。

6.水分をとり過ぎると、心不全、肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与える 危険性が大きい


講演で全国を回っていると、竹内教授の影響力というものはすごいなあと実感する。行く場所行く場所で、竹内理論のままに水分摂取1.500mlを実践している施設が数多くある。しかも僕が指摘した疑問を全く抱かずに水分摂取を実施している。その中には、おむつをしないでトイレで排泄するためという目的を第一に考えて水分摂取を基本方針としている施設もあった。

なるほど食事以外に1日1.500mlもの水分摂取を行えば、尿量は増えるから、トイレ誘導すればそこで排泄できる機会は増え、日中に集中的にそれを行えば、夜間の排泄は少なくなるから、それだけを目的として排泄介助の回数を増やせばおむつを外すことは可能になるだろう。しかしその時の内蔵ダメージは、きちんと考えられているのか?

そもそも高齢者が脱水になりやすいのは、体細胞が減少しているため細胞内液量が足りなくなるためであり、1日に必要な水分量を摂取したとしても、一時期に大量の水分を摂取したのでは、細胞内にたまらない水分はすべて体外に排出され、脱水予防にはならない。余分な水分を尿として排出するときにトイレ介助すれば、トイレでの排泄という目的は達せられる。しかし過剰な水分摂取は脱水を防ぐどころか、内蔵を痛める一番の危険要素である。

しかもトイレ誘導が第一と考えている施設では、水を飲みたがらない高齢者に、無理やり水を飲ませていたりして、その時の利用者の表情は苦しそうなしかめっ面である。いやいや水を飲まされ苦しいから、覚醒状況が上がるのかもしれない。1.500mlという量を守るために、あらかじめ大きめのシールコップなどに水を入れて、それを1日かけて飲ませていたりする。シールコップの中で温くなったまずい水を飲まなければ、1日を過ごせない高齢者が強制的に作り出されているというわけである。おむつさえ外せば、それですべてが許されるというのか?これが介護力の向上と言えるのだろうか?本末転倒ではないのだろうか。

ところで、紹介した8/19の記事に、今朝未明「ゆめほうずきさん」という方がコメントを書いてくれた。まさに僕が心配したようなことが起こっているというのである。そのコメントをここに転載させていただくが、それは以下の通りである。(誤字を筆者が一部訂正していることをご了承願いたい。)
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実はその理論に洗脳?!され同法人内の特養施設で
『1500cc死守!食事よりも水分!』
『オムツは外す。5分前にトイレに行ってもタラタラと出てしまう人でも、尿意、便意がない人でもパッドはつけない!』と施設ケアマネと介護主任がやらせています。
結果!
心不全で、不整脈者、全身浮腫者続出で病院送りです。
さすがに医務が「この人は水分制限するように」と真っ向対決となっているようです。
水分は必要ですが、その方の身体、持病等のアセスメントをしっかりし、医療チームと検討してから実施すべきと思います。
ご入居者はモルモットではないのです!と思います。
後もう一点。
私も含めてですが、(うちの法人だけかもしれませんが)
無知は罪です!
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「ご入居者はモルモットではない」という文字から、悲痛な叫びが聞こえてくるような気がする。それは、ゆめほうずきさんの叫びであり、個別アセスメントもないまま必要量以上の水分を強制的に摂取させられている利用者の叫びでもあると思う。

こうした方針を施設長がトップダウンで決定して、有無を言わさず職員に水分摂取を促したり、ゆめほうずきさんが紹介している施設のように、介護支援専門員と介護主任が方針を決め、他の専門職に口を出させずにその方針を実行させようとしている施設がある。これは大問題である。

施設には様々な専門職の配置義務がある意味を考えて欲しい。それは異なる専門性をもつ複数の者が、援助対象である問題状況 について検討し、よりよい援助の在り方について話し合う必要性を認めているからである。

そして水分摂取という利用者の健康に関わる問題の場合は、ケアプランにそのことを位置づける場合であっても、ケアマネジャーは、医師・看護職員・管理栄養士という専門職にコンサルテーションを求めるのが基本である。それをしない方がどうかしているのである。

水分の過剰摂取により、「心不全で、不整脈者、全身浮腫者続出で病院送りです。」という状況が生まれたとしても、利用者本人や、その家族にはその原因が何かは分からないから、どこからも抗議の声は上がらないだろう。もしかしたらそうした施設の職員自身も気がついていない状況があるかもしれない。おむつを外してトイレで排泄する人が増える一方で、命を危険にさらされている人が知らぬ間に生まれている状況は非常に恐ろしいと言わざるを得ない。

そのようなことがあってはならないのである。医師・看護職員・管理栄養士を交えた個別アセスメントを行わない状況での、水分摂取量の下限設定は絶対に行ってはならないのである。

介護・福祉情報掲示板(表板)

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科学的介護と竹内理論に対する疑問


全国老施協は、特養は地域を支える拠点施設として高品質介護を提供する施設にしなければならないとしている。その考え方自体は否定される何ものもない。まさにその通りであろう。

ところで全国老施協が提唱する高品質介護とは何か。それはときに科学的介護だと言われたりもする。

このネーミングのセンスの無さはともかくとしても、老施協が言うところの科学的介護の中身は、本当に高品質なケアであり、利用者から望まれ、暮らしを良くする方法論なのであろうか?

科学的介護の提唱者であり、指導者でもある国際医療福祉大学院の竹内孝仁教授は、そのことについて次のように述べている。

『科学的介護とは、自立支援介護を実践するための4要素である「基礎知識」「理論」「技術」「経験知」を下敷きにした介護のことで、「理論的介護」と呼ぶこともできる。』

理論=根拠に基づいた介護ということだろう。そうであるなら科学的介護などと呼ばずに、そう呼んだほうがよっぽどわかりやすい。

ところで同教授は科学的介護=理論的介護の具体的方法として、高齢者の基本ケアは「水分」「食事」「排便」「運動」であるとし、特に『水は生命の源であり、水が細胞を活性化させ、身体と精神の両面を活性化させていく』・『1日1.500ml飲ませて欲しい』・『水が覚醒水準をあげ、尿意や便意を知覚することにつながり、排尿や排便の抑制が正常に作用する。』とし、さらに『身体活動も変わってきて、水分が足りなくなることで、舌や口の動きが悪くなりむせやすくなり、誤嚥が増える。』とも言っている。

僕はこれらの説明には頷けるところもあると思うが、すべての能力低下を水分起因説にしてしまうのはどうかなと思う。むしろ摂食困難や、身体機能の低下は、水分摂取より先に、座位姿勢の問題が大きく影響してくると思え、竹内理論の基本ケアに座位調整が入っていないのは高品質ケアにつながらない大きなネックになってくると思う。
(参照:暮らしの質に直結する座位姿勢 ・ 求められる座高への配慮 )

科学的介護を提唱する、道内の老施協役員の施設に訪問して、ケアの方法を見ると、そもそもこの座位に配慮のない施設が多いから、ひっくり返り姿勢のまま食事や水分摂取をしていたり、むせや誤嚥を助長させる「立ったままの食事介助」を行っている施設があるぞ。

食事介助の様子
画像は当施設のホールでの食事介助の様子。この画像には5人の看護・介護職員が写っているのだがわかるだろうか。見たとおり、立って食事介助している職員なんてひとりもいないし、車椅子で食事している人も、きちんと脚をフットレスとから下ろして、膝の内側に足を引けるようにし、なおかつ足の裏が床につかない人は、足置きの台で位置調整している。もちろんそっくり返った姿勢で食事摂取させられている人はいない。
(参照:座ることも介護技術のうち

リンクを貼り付けたブログに、立って食事摂取介助を行うことは、いかにむせ込みと誤嚥リスクを高めるかということを解説しているので、理解できるかと思うが、同時に職員は座って介助することで、利用者と同じ目線からテーブルの上の食器などを見ることとなり、利用者が食器の中身を視線の中に全て入れられないなどの状況にも気づくことが容易になる。なにより画像を見たとおり、介助する職員が座っていると、慌ただしい雰囲気にはならず、落ち着いた雰囲気が感じられないだろうか。皆さんが、食事介助を受ける立場だと考えたとき、職員が立ったままバタバタとした雰囲気で食事介助されるのと、画像のように食事介助されるのでは、どちたが落ち着いて食事を楽しめるだろう。僕は絶対に、職員が座って介助したほうが、利用者も落ち着いて食事を楽しめると思う。

排泄ケアはどうだろう。

例えば、科学的介護に基づく、排泄自立を促して、おむつゼロを達成した施設の中には、トイレの便器に利用者を10分以上座らせて排便介助だって言っている施設があるぞ。それは排便介助じゃなく、トイレ内放置だって。あの便器に10分も20分も座らせておくだけで虐待と紙一重だ。水分摂取を促して、排便量が安定しても、トイレ内での正しい介助方法が教えられていないのではないのか?

そもそも竹内氏が提唱する、「1日水分1.500ml」って、これ大丈夫か?食事摂取量に関係なく、食事以外に水分1.500mlを摂取させちゃって問題ないのか?それは10年前の理論じゃないのか?

人が1日に排出する水分は、2,000〜2,500mLと考えられる。したがって脱水を防ぐ適切な水分摂取量とは、排出される量を摂取するということだ。そうであればここでは食事に含まれる水分摂取料は無視できず、 1日の摂取量の内訳としては、食物中の水1,000mLと体内での代謝水200mL として、飲料水は800〜1,300mLというところではないのか。

例えば当施設のある日の常食(1800kcal)を全部食べると、水分は約1300ml程度になる。( ちなみに、食材でいえば、肉類70% 卵(生・全卵)75% 魚75% 野菜90%程度が水分である。)

そうするとこの日の、脱水を防ぐための水分摂取量は、食事を全量摂取している人の場合、食事以外には500〜1,000mLでもよいという計算になる。この人に1.500mLもの水分を別に摂取してもらって大丈夫だろうか?不必要な水分は、尿として体外排出されるから問題ないということにはならないはずだ。

なぜなら高齢者の場合に限らず、水分は多く摂れば良いというものではなく、水分をとり過ぎると、心不全、肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与えるという一面がある。そのことへの配慮がなくて良いのだろうか。竹内氏は、このことを老施協の研修等の講義の中で、しっかり注意事項として伝えているのだろうか?少なくとも月刊老施協などに書かれている竹内氏の論文には、このことに一言も触れられていない。

個別の食事摂取量の配慮もなく、持病へのアセスメントもないまま、すべての高齢者に食事以外に1日1.500mLの水分摂取を促すことは、本当に科学的介護=理論的介護と言えるのだろうか?

血圧の高い方、糖尿病のある方、心臓に問題のある方、心胸比が常に大きい方などは、容易に心不全を起こして死亡する危険性がより高くなり、若い人より一層の「水分管理」(つまりは飲みすぎないということ)を心掛ける必要があるのではなかったのではないか。医者から特別な指示がなくても、持病からそのことに配慮が必要なことを容易に想像できる高齢者は、施設の中にたくさん存在するぞ。

竹内理論をそのまま取り込んで、ケアを行っている施設は、この部分の個別アセスメントをしっかり行っているのだろうか?少なくともおむつゼロを達成したという施設で、僕が見学した施設では、そのようなアセスメントは存在していなかった。本当にこれで大丈夫なのだろうか?
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