masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

広島の空 を含む記事

広島の空・長崎の空2022


今日8月9日は、77回目の長崎原爆の日である。

原爆が投下された午前11時02分には、僕の家からほど近くにある消防署のサイレンが1分間鳴らされた。僕もそれに合わせて黙とうを捧げさせていただいた。

今日はそのとき思ったことを書こうと思うが、その前に僕と長崎県のつながりを少しだけ紹介しておく。

長崎県と僕は縁があって、九州の中では福岡県の次に数多くの講演を行っている場所だ。食事もお酒もおいしく、素敵な人がたくさん住んでいるお気に入りの地域である。

コロナ禍の影響でここ3年間は同県を訪れる機会を持てていないが、それまでは1年に何度も長崎県を訪問する機会を持つことができていた。コロナ禍という状況でも、長崎県の方々からはオンライン講演の依頼を頂いている。近いうちに是非同県を訪れたいものである。

過去長崎県で講演した場所は複数あり、五島列島にある五島市や新上五島町にも行って講演を行ったし、雲仙市・島原市・南島原市・諫早市・大村市・佐世保市・時津町などでも講演を行っている。

しかし長崎県のうちで講演を行った回数が一番多いのは長崎市である。長崎湾を見下ろす稲佐山の中腹にある社会福祉法人さんでも2度ほどお招きを受けて講演を行ったことがあるが、そこからの景色は絶景と言ってよかった。

坂の街でもある長崎市は、風光明媚な街であるが、この稲佐山から見下ろす長崎港の景色が、僕は特に気に入っている。

その稲佐山には、屋外ステージが設置されている広場がある。

そこは歌手のさだまさしさんが、長きにわたって広島原爆の日である8/6の夜にコンサートを開き、広島に向かって2度とあの悲劇が繰り返されないように、平和の願いを歌い続けていた場所でもある。

さださんは長崎から、広島のどんな色の空と景色を見つめていたんだろうか・・・。
広島の空
広島の街はかつてそこが焼け野原になったなんて想像できないほど、とてもきれいで素敵な街並みになっている。

ただ街中には世界遺産に登録されている原爆ドームが被爆体験を伝える貴重な建物として当時の姿を残したまま保存されている。

そのドームを見るまでもなく、かつ今さら僕が言うまでもなく、現在は平和で美しい景色が広がる広島と長崎のその街は、1945年8月6日と8月9日にそれぞれ焼き尽くされている。核兵器というおぞましい武器によって・・・。

次に記した言葉は、さださんが'96年のコンサートで舞台から観衆に語りかけた言葉だ。
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1996.08.06.夏 長崎で、「広島の空」を唄う直前の、さだまさしさんの言葉
このコンサートを始めたときに、あえて核兵器について語ろうとしなかった。
そして、あえて戦争がどうしたこうしたということを、大きな声で発するのをやめた。
8月の6日に、つまり広島の原爆の日に、夜、長崎で広島の空に向かって唄をうたう。
そのことだけで十分じゃないかと思ったんであります・・・。

平和っていうのは、とっても難しい言葉です。
ただ戦争をしていない状態を平和って呼んで、歓迎してニコニコと笑って、
ご飯が食べられて、ちゃんと着るものが着られて、そして平和と・・・。
我々はそこに胡坐をかいていてはいけないんですね。
我々だけの平和にすぎない。それは我々という小さなコップの中の平和にすぎない。

こうしているうちにも、どこかで誰かが撃たれ、
そして何も事情が分からない小さな子供が、小さな地雷を踏んでいる。
そんなことが現実に、この地球上で今まさに起きているのだという痛みを、
私たちはこの飽食の中に忘れ去ろうとしてはいけないんですね。
少なくとも、2度と子供たちや、その子供たちや、さらにその子供たちが、
2度とあんな思いをしないように、そんな思いを込めて唄います。
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今まさに平和な国・日本で、戦争を知らない子供たちが戦後の繁栄を謳歌し、何不自由なく暮らしている一方で、ウクライナでは悲惨な殺し合いが続いている。

平和ボケしている日本の海域では、幾たびもミサイルが領海に打ち込まれ、領土をめぐって領海侵犯の船が航海を続けている。

戦争がないといっても、インターネットを通じて人々の罵りあいが毎日無数に配信され、国会議員という身分の詐欺師が、海外から人権侵害を発し続けている。人々の心の戦争はそこかしこに存在しているのだ・・・。

そんなふうに平和な日本には心の貧しさが満ちて、殺伐としたコミュニケーションが飛び交っているのである。そういう意味では、この国の平和とは砂上の楼閣に立っている危ういものかもしれないのである。

だからこそ、さださんが稲佐山から訴え続けた思いを、私たちも同じく胸に抱いて伝え続ける必要がある。私たちの子供たちの、その子供たちや、さらにそれに続く命と暮らしを護るために。

だが77年前のその日、広島と長崎で何があったのかを伝える歴史の証言者が年々減っている。その悲惨さをどのように後世に伝えていくのかが大きな課題になっている。

決して忘れてはならない人間の意志と手による愚行を、日本人は伝え続けなければならない。戦争を知らない世代の人々も、戦争を経験した人の言葉を聞き取り、後世に伝える責任があるのだ。

原爆投下という人類が最も恥ずべき行為によって命を失った人の中には、即死できずに、熱い熱いともがき苦しみ、水を求めながら死んでいった人も多いと聞く。そいう人たちのために、せめて一杯の水を天に向かって供えたい・・・。

さださんが主催する稲佐山のコンサートは、2006年の20回目のコンサートをもって最終回とされた。

最期のコンサートで語ったさださんの言葉も紹介しておこう。
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2006.08.06.夏 長崎から「FINAL」より
ほんの短い間でいいから・・・。
あなたの大切な人の笑顔を思い出してください。
そしてその笑顔を護るために、あなたに何ができるか考えてください。
そして、もうひとつ・・・考えるだけでは駄目です。
そのために自分の力を使って動いてください。
これが夏・長崎からの、僕の最期の願いだと思います。
そうやってそういう思いで聴いてください。
今度はみんな、この種をあちこちに撒いて
たくさんの花が咲いて
いつか俺が知らない花が、この会場を埋め尽くしてくれるように・・・。
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しかしさださんの遺志を継ぐ形で、今も「稲佐山平和祈念音楽祭2022」が行われており、今年は先週末に当たる6日と7日の両日に渡って開催された。その利益はすべて「国境なき医師団」に寄付されているそうである。

さださんは、今年もそこで唄ったそうである。この唄もきっと広島原爆の日に唄われたんだと思う・・・。

77年目の8月9日・長崎原爆に日に、26年前のさださんの言葉を思い出しながら、広島と長崎の空に向かって祈りを込め、手を合わせて首(こうべ)を垂れているところだ。

もう2度とあんなことが繰り返されないことを祈りながら・・・。
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広島の空・長崎の空2021


平和の祭典であるオリンピックが終わった今日8/9は、振り替え休日で3連休の最終日となっている。

そしてこの日は、76回目の長崎原爆の日だ。

先週金曜日(8/6)の広島原爆の日とともに、日本人が真剣に平和というものを考えなければならないの日でもある。

被爆の日から76年目の広島と長崎に、今どんな時間が流れ、どのような人々の息吹があるのかを改めて考えるとともに、あの戦争と犠牲になった数多くの人々の魂について考えなければならない。

この日の前後に毎年、「広島の空・長崎の空」と題したブログ記事を書いてる。今日も祈りの心と、平和の思いを込めて同じタイトルの記事を書こうと思う。

76年前の長崎のその日は、天気の良い暑い日であったそうである。前日に台風が通り過ぎた長崎の今日も、日中の最高気温が30度を超える暑い日になっているようだ。

歌手のさだまさしさんが書いた、「広島の空」という唱の中に、次のようなフレーズがある。
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あの街が燃え尽きたその日、彼は仲間たちと蝉を追い続けていた
ふいに裏山の向こうが光ったかと思うと、すぐに生温かい風が彼を追いかけてきた
蝉は泣き続けていたと彼は言った。あんな日に蝉はまだ泣き続けていたと・・・。
短い命惜しむように・・・。

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今日も長崎では蝉が泣き続けているだろうか・・・。

僕は、「戦争を知らない子供たち」の世代だから、自分が生まれたこの国が他国から攻撃を受けて、たくさんの同国民が命が奪われたことを、どこか遠い場所から見たり聞いたりしているだけの実感しかないのかもしれない。

そんな僕らは、実際にあの戦争を生き抜いた人達から見ると、何もわかっていない人間とみられているのかもしれない。

だが僕たちはこの国に生まれ、この国で生き、やがてこの国の土になる存在である。

だからこそ、戦争を知る人たちから教えられたことを、僕らより若い世代に伝え継いで行くという役割があるのではないかと思う。

広島を訪れると街中に近代的な風景が広がっている。そのような周囲の景観とは似合わない、枠組みと外壁だけが残される原爆ドームを目にする。

長崎に行けば、空港から市内に向かうリムジンバスの車窓から、「平和公園」が見えて、祈りの声が聴こえてくるような気がする。

この二つの地に、人類最大の蛮行ともいえる原爆投下がされたのである。

8月6日の広島への原爆投下当時、広島市には居住者、軍人、通勤や建物疎開作業への動員等により周辺町村から入市した人を含め約35万人の人がいたと考えられている。それらの人のうち、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計されている。

8月9日の長崎への原爆投下時、長崎市の人口は約24万人(推定)であったそうだが、12月末までの死者数は7万3884人、重軽傷者7万4909人に上ると推計されている。

こんなに多くの人々が犠牲になっているのだ。広島と長崎という二つの町は、一瞬にして草木も何もない焦土に変えられたのだ。

現在の広島市の中心部は都心のような近代的な街並みが広がっているが、市街地に幾筋もの川が流れ、山すそには懐かしい田園風景が広がっている。広島に面しているのは大小の島々が浮かぶ穏やかな瀬戸内海であり、日本人の帰郷の心を揺さぶる美しい街だ

現在の長崎市も、異国情緒あふれる風光明媚な美しい坂の街である。
長崎の夜景
特に、「稲佐山公園展望台」からの夜景は 、2012 年にモナコ・香港とともに世界新三大夜景に選ばれ、2015 年には札幌・神戸とともに日本新三大夜景都市にも認定されている。

焼野原だけになった街を、こんなに美しく復興させた広島と長崎の人々の心の中には、いったいどんなエピソードが刻まれているのだろう。それは決して感動や歓喜のエピソードだけではなく、慟哭と哀しみのエピソードも数多く含まれているのだろうと想像する。

哀しみの歴史を繰り返してはならないと心から思う。

心からの祈り思いを込めて、
に合わせて黙とうし、犠牲者に祈りを捧げたい。もうすぐその時刻になる・・・。そして僕は今、広島と長崎で出会い・つながっている人々のことを思い出している。

広島では一緒にお好み焼きを食べながら、カープの話を熱く語ってくれた介護関係者の方々がいる。その方々の顔を思い出すことができる。

長崎を訪れるたびにお酒を共にする仲間もいる。一緒に横山五十という地酒を呑みながら、介護を語り合ったあの日を思い出す。僕が2回も講演を行わせていただいた稲佐山の中腹にある介護施設の職員の方々の顔も思い出すことができる。

そんな仲間の顔と名前を思い浮かべながら、介護という職業を通じて平和な未来につなげていきたい。

黙とうをささげたその後、僕が作成した、「LOVE〜明日に繋ぐ介護・長崎編」を改めて視聴いただきたい。

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広島の空・長崎の空2020


今年も暑い夏がやってきた。

戦後75回目の広島原爆の日と長崎原爆の日は、コロナ禍で式典の規模などが縮小する中で行われることになった。しかし人々の平和を祈る気持ちは決して変わることはない。そしてあの戦争で失われた多くの御霊、広島と長崎の原爆投下で失われていった御霊を悼む気持ちも決して変わることはない。

ところで、今年の平和式典における首相のあいさつの文面が、両会場とも酷似しているとして、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が挙がっているそうだ。しかし一国の首相とはいえ、たかが政治家の挨拶の言葉に目くじらを立てたってどうしようもない。そのような挨拶しかできない人を可哀そうだなと思えばよいだけである。

ただし世界で唯一の被爆国である国のトップが、自らの言葉で平和の祈りと誓いを語らないのは、残念であるというより、勿体ないことであると思う。自分の思いを伝えようとしない言葉は、何の意味もなさないからだ。

そういえばこの国は、国連で決議されている核兵器禁止条約に署名・批准を拒否している国である。その国のトップが、平和式典で何を言おうと、天国でその言葉を聞く御霊には何も響かないだろう。そんな言葉は単なるセレモニーでの空しい騒音でしかないのだから、そんなものに腹を立てたり、憤ったりすること自体が無駄なことである。

心を静かにして天に召された御霊を悼み、平和を祈り続けることが何よりも大事ではないかと思う。

平和式典が75回目ということは、あの戦争が終わってから75回目の夏が来ているという意味だ。すぐ近くに敗戦の日である8月15日も迫っている。戦争の生きた語り部はどんどん減っているが、まだこの国にはあの戦争を体験した多くの方々が残っている。それらの方々の戦争体験が、生の声として後世に伝えられていく期間もそう長くは残されていない。そうであるからこそそうした機会を貴重に思わねばならない。

同時に高齢者介護・対人援助に携わっている私たちは、あの戦争を経験して、たくさんの愛する誰かを失った哀しい人々の最晩年期に関わっているのだということを強く自覚しなければならないと思う。

戦争で心に深い傷を負った人々を、私たち自身の心無い言葉や態度で傷つけることがないように最大限の配慮をしなければならない。それが介護サービスの割れ窓理論の意味でもある。

対人援助・介護サービスに携わる私たちが、誰かのあかい花になろうとすることは、この国に生まれ育ったすべての人々が、平安の暮らしを送るために必要な最強アイテムでもある。

この国の平和と、人々の心の平安を祈りながら、「LOVE〜明日につなぐ言葉・長崎編」を御覧になっていただきたい。そして私たち一人ひとりが、介護サービスの場で何ができるのかを、改めて考えていただきたい。

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広島の空・長崎の空2019


中学1年生の時、親からフォークギターを買ってもらい、シンガーソングライターを目指して、一生懸命フォークソングの弾き語りの練習をしていた思い出がある。

その時、吉田拓郎の唄は僕らの教本とも言えた。そんな拓郎の唄の中で、この暑い時期になると思い出すのは、「夏休み」という唄だ。

文字に張り付いたリンク先から、その歌詞を見ることができる・・・。しかしこの歌詞にはどんな意味と思いが込められているのかということを、その当時真剣に考えたことはなかった。というより夏休みがあった少年時代を懐かしむ唄としか思っていなかった。

消えてしまった麦わら帽子や田んぼの蛙。どこに行ったか分からなくなった、「あの時逃がしてあげた」トンボ。それは季節が移り替わったという意味だとしか思わなかった。

綺麗だった「姉さん先生」が、もういなくなった理由も、月日が流れたという意味だとしか思っていなかった。

しかし数年前偶然にユーチューブの下記の動画を見る機会があり、違う解釈があるということを知った。
夏休み (本当は切ない反戦歌だった?) 吉田拓郎

麦わら帽子や田んぼの蛙。あの時逃がしてあげたトンボは、原爆で一瞬のうちに消えたということか・・・。綺麗だった姉さん先生も、あの原爆で命を失ったということだろうか・・・。

確かにそういう意味にもとれる歌詞だ。そういえば吉田拓郎は鹿児島県出身とはいえ、大学は広島商科大学卒業だから、青春時代の一時期を広島で過ごしたことになる。さすればそんな拓郎が、被爆地広島で、原爆の悲惨さと戦争の理不尽さに思いを寄せて書いたのが、「夏休み」という唄なのだろうか。

事の真偽は解らない。本当にこの唄が原爆の悲惨さを唄ったものだと断言はできないが、ユーチューブの動画を観ると、「さもありなん」と思えてくる。そしてこんな行為を二度と繰り返してはならないと、そう思いながら毎年この時期になるとこの動画を観る習慣がついた。

そして今年も暑い夏が来た。

毎年「広島原爆の日」である日8月6日と、「長崎原爆の日」である8月9日にかけてのいずれの日かに「広島の空・長崎の空」という同じタイトルでブログを書いている。今日は旅の途中の列車の中でこの記事を更新している。

人類史上最も野蛮な行為と言える、「原爆投下」からすでに74年。それはそのまま太平洋戦争が終わってから今日までの年数を現す数字でもある。

被爆者の方々の平均年齢は今年82歳になったそうだ。その方々が、「生き証人」として、被爆地で何があったかを語ることができる期間はそう長くはない。そもそも平均寿命が82歳ということは、多くの生き証人の方々とは、8歳前後で被爆された方々であり、成人で被爆した人はもうほとんどいなくなっているということかもしれない。だからと言ってこの非道で無慈悲な行為を、決して忘れさせてはならないし、すべての人類に忘れさせないように伝え続ける必要がある。

日本人の中でも、広島県と長崎県にお住まいの方や、ゆかりのある方の思いは特に強いものだろう。その思いを決して忘れないように、すべての日本人が広島と長崎に思いを寄せ、祈る日が8/6と8/9という日である。それは原爆被害にあわれ亡くなられた方々に対し、心からそのご冥福を祈る日でもある。

僕は今、遠軽に向かう列車に乗りながらこのブログ記事を更新している。今晩JA介護センターみどりデイルームで行われる「介護事業におけるサービスマナー研修」の講師を務めるためである。

こんな風に日々高齢者介護サービスについて仲間と学びあうことができるのも、平和な国日本に住み、生きている間に一度も戦争という悲惨な体験を持つことなく過ごせているおかげである。そのことを当たり前と考えずに、平和が続くことへの感謝と努力を忘れないようにしたい。

平和で豊かな国という冠にほころびが見え始めているというが、僕は今までその恩恵を十二分に受けてきているので、その平和と豊さを次代につなげる仕事をしたいと思う。人の暮らしに関わる仕事のやり方を、人の尊厳と幸福を護る方法として伝えていくことも、そのことに関係ないことではないと思っている。

今日という日に深い祈りを捧げるとともに、一日一日が大切な日であることを心して、限りある命をそんな方向に使い切りたい。

広島と長崎の青い空に思いを馳せながら・・・。

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広島の空・長崎の空2017


北海道から遠く離れた九州ではあるが、僕は九州の全県で講演経験があり、今現在も毎年数多くの講演依頼を受けて、年間最低10回以上訪問機会がある場所である。

そのためか九州はとても好きな場所で、それは食べ物やお酒がとてもおいしいだけではなく、とても素敵な人がたくさんいて、そんな人たちとの繋がりが広がり続けている場所であり、次はいつ行くことができるかと、いつも心待ちにしている。

そんな九州の窓口を開いてくれた最初の講演地は、長崎県であった。

それが何年前のことか忘れてしまっているが、長崎市や佐世保市、島原市などで過去に数多くの講演機会をいただいている。今年も長崎港からさらに船で100分かかる新上五島町からもご招待を受け、飛行機とバスと船を乗り継いで、2日がかりでたどり着く11月の講演旅行を、今から楽しみにしている。

そのようなご縁をいただいている長崎県の長崎市は、鎖国時代には西洋に開かれた窓口として栄え、開国後も外国人居留地が設けられるなど特異な歴史と文化を育んできた街でもある。そこは海、山、川などの自然と、道路、橋、建築物等の人工的な構造物によって構成される美しい街だ。

しかし72年前の今日、その街は炎と放射能に覆われ、焼き尽くされた過去がある。

昭和20年8月9日午前11時02分に長崎市浦上地区に原爆が投下された。当時の長崎市の人口はおよそ24万人。その年の12月末までに73.844人が亡くなった。

その3日前、8月6日午前8時15分に広島市に原爆が投下れた際には、当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる。

生き残った人々の人生も無残なものに変えた許されざる行為が、原爆投下である。

毎年、広島原爆の日か長崎原爆の日に、このタイトルでブログ記事を書いているが、年々平和が奪われる脅威が迫っているように思えてならない。この平和な国を守るために僕たちには何ができるだろうかを改めて考えたい。

先ほど11:02に、ここ登別市でも黙とうの合図となるサイレンが鳴り響いた。3日前の8:15にも鳴り響いたであろう(僕は岡山滞在中で聞いておりません)同じサイレンの音を聞きながら、今日も深く頭を垂れ祈りを捧げた。

無辜(むこ)の民を情け容赦なく無差別に殺傷する行為は、人類史に残る汚点である。そのような被害を受けた国に住むものとして、戦争を体験した世代、戦争を知らない世代に関わらず、その理不尽さと平和の尊さを訴え続けていかねばならない。

そんな国の政府は、唯一の戦争被爆国でありながら、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しなかった。僕にはその姿勢はさっぱり理解できない。恥ずかしいことだと思う。

復興した美しい街並みを見ながら、あの日の長崎、あの日の広島に思いを馳せ、この平和を守り続けるために何ができるのかを考えなければならない。

そしてあの戦争で亡くなったすべての人々に対し、安らかなれと心より祈り、この平和で美しい街並みを、永遠に守り続けることを誓いたい。

悲劇を繰り返さないでと祈り続けたい。



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広島の空・長崎の空2015


今年もまたあの日がやってくる。

日本人が・・・いや、人類が決して忘れてはならない日。8月6日・広島原爆の日、8月9日・長崎原爆の日。

終戦は広島原爆の日から9日後、長崎原爆の日から6日後のことである。敗戦間際の小国に・・・、たくさんの非戦闘員が犠牲になることが確実な場所に・・・、人類を破滅に導く恐れのある無慈悲な兵器である原爆を投下するという行為は、人類としてあってはならない行為だったと思う。いかなる理由も理屈も通用しない、許されざる行為であったと思う。人は神を超えて誰かを裁こうとしたとき、悪魔になるしかないのだろう。原爆投下とは、そのような所業である。

ところが、原爆投下に関するアンケートに対し、「やむを得なかった」と答える日本人がいるという事実がある。そういう意見の持ち主がいるということが非常に残念で、悔しいことに思えてならない。繰り返しになるが、原子爆弾という兵器を使用することは、いかなる理由があったとしても、人類として、「してはならない行為」でしかなく、それは歴史を何年刻もうと許される行為ではない。

私たちはそのことを心に刻み、いつどこであっても、同じ行為を繰り返してはならないことを全世界に訴えていくべき国の民である。原爆投下がやむを得ない行為であったなどとは、口が裂けても言ってはならないのである。決して行ってはいけない悪魔の所業であると訴え続けなければならないのである。

1987年から2006年まで、広島原爆の日の8月6日に、「長崎から広島に向かって平和について歌う」ことを目的に、長崎で無料の野外コンサートを続けていた歌手の、さだまさしさんは、そのコンサートのテーマ曲、「広島の空」の中で、被ばくした叔母の言葉として、次のようなフレーズを入れている。

もう恨んでいないと 彼女は言った
武器だけを恨んでも 仕方がないと
むしろ悪魔を生み出す
自分の心を 恨むべきだからと


そして唄の中でさださんは、「繰り返さないで」と何度も訴えている。もう恨みに思わないことは必要かもしれない。しかし決して許してはならないし、忘れてもならない。人類最大の罪、愚行・・・。日本人として、そのことを許しはしないが、恨むのではなく、繰り返さないことを訴え続けていくことは必要だろう。それは戦争を知らない世代の僕達にもできることだ。そして次の世代へ伝えていくべきことだ。

その日を迎えるにあたって僕達は、原爆が投下された日に、苦しみもがきながら亡くなっていった多くの方々に対して思いを寄せて、頭を垂れ手を合わせて、安らかなれと祈るとともに、その人たちの犠牲の上に成り立っている平和を守る誓いを胸にするだけである。

そしてもうひとつ、戦争を知らない僕達にできることがある。今年はちょうど戦後70年に当たる年だそうである。

僕が勤める特養の利用者の平均年齢は、8/1現在で男女合わせて、87.38歳である。そうであればその方々は、青年期にあの終戦を迎えたことになり、一番輝いている青春時代を、戦火と貧しさの中で過ごした可能性が高い。一番楽しいはずの時期を、自分の命がいつ奪われるかもしれないという恐怖に震え、愛する人をいつ失うかもしれないという思いを抱きながら過ごしていたのではないだろうか。

そういう人たちが、辛い青春時代を経て、戦後の日本の復興に汗を流し、このような平和で豊かな日本を作ってくれた。その人たちが、人生の最晩延期を迎えたときに、心身が衰え人の手を借りて生活せざるを得なくなったとしても、長生きして良かったと思える人生を、最期の瞬間まで過ごすことができるようにお手伝いすることは、戦争を知らない世代の、僕達にこそできることではないだろうか。

今週末は、大阪と奈良で講演を行うことになっているが、ちょうどその日は、広島原爆の日と、長崎原爆の日を挟んだ日になっている。(奈良講演は、まだ席があります。)

そこでは誰かの人生の最晩年期に係る関係者の一人として、その使命と責任を伝えてこようと思う。辛く哀しい青春期を過ごして、やがて復興日本の礎となってきた人々が、この国に生まれ、この国で天寿を全うする喜びを感ずることができる一助になることの大切さを伝え、その思いを共にする仲間と繋がってきたいと思う。

さださんが繰り返さないでと伝え続けてきた思いも一緒に共有しながら。そんな祈りを込めて・・・。


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広島の空

広島原爆の日、長崎原爆の日には、このブログで関連記事を書いてきた。
広島の空・長崎の空」・「続広島の空・長崎の空」・「広島の空・長崎の空2010」・「広島の空・長崎の空、そこから続く空

そんな僕ではあるが、長崎県は過去に3度訪れたことがあるし、来月5日にも佐世保市に講演のためにお邪魔する予定になっている。

しかし不思議なことに広島県はまだ一度も行ったことがなかった。そもそも中国地方に行ったことがなかったのである。(四国にも行ったことがない。やはり日本は広いなあ。)

しかし今回、株式会社ニックスさんのお招きで始めて広島市を訪問する機会を得た。

これは広島県から同社が委託された「平成23年度広島県福祉・介護人材確保事業」の中の「潜在的有資格者再就職支援セミナー」の中での講演依頼を受けたためである。

ただし、このお話をいただいた当初は、同セミナーが3回開催され、そのすべてで講演をと言う依頼であったため、日程の調整が難しくお断りした経緯がある。その後、協議を重ね1回のみなら何とか日程調整が可能という我がままを通してもらい、今回の広島行きが実現したものである。

そして先週土曜日(10/22)、新千歳空港から1日1往復しかない広島直行便にて北海道を経った。20日から列島を西から東へ横断した前線の影響で、北海道はこの日雨模様。広島は強い雨だと言うのでフライトに支障はないか心配したが、広島上空で揺れが長く続いたほかは順調な飛行で午後4時過ぎに広島空港に舞い降りた。

広島市は直前まで激しい雨が降っていたとのことであるが、空港に降り立った時には、僕を迎えるように空は晴れ渡り、抜けるような青空が広がっていた。それは66年前の8月、この空から悪魔が振り落とされたとは信じられないような青い空だった。

広島入りした当日はOFF会のみが予定に入っていたので、ニックスさんの単独ショートステイ事業所などを見学した後、ホテルにチェックインし、そのままOFF会会場へ。広島で僕のブログをいつも読んでいてくれているという3名の方が加わって、事務局の方と6名のOFF会であったが、大変楽しいひと時であった。

へら安佐南区のケアマネジャーSさんには、たくさんお土産を持参してもらって恐縮だった。その中でも画像の「へら」は、当然ながら広島焼き(お好み焼き)のへらだが、例の食べる時に使う小さなへらではなく、お好み焼きを作る時の大きい方のへらである。

持ち帰る際に搭乗口で引っかからないかなと心配したが、無事北海度まで持ってきた。同じ安佐南区の居宅介護支援事業所所長であるYさんからは講演当日に「お好み焼きセット」をお土産にいただいたので、これを食べる時に使ってみよう。

翌日の講演会は「潜在的有資格者再就職支援セミナー」ということで、当初実務に携わっている人は対象にしない予定で40名限定であった。そのため僕から掲示板等で広島講演があることは特に紹介していなかったが、定員に若干の余裕があるとのことで、急遽1週間程前から介護関係者の受講も受ける旨、ニックスさんから紹介があった。しかし当日は介護支援専門員の資格試験もあり、試験のために業務に就けない人の替りに業務に就く人も多い日であるなど、様々な要因から受講者は30名程度となった。しかしそうであるがゆえに、受講者と非常に近い場所から、一人ひとりの表情を確認しながらお話しができたので、僕としては非常にやりやすかった。受講して下さった皆さんありがとうございます。感想はいかがでしたか?

いつも研修主催事務局の方にはお世話になりっぱなしであるが、今回もニックスさんのスタッフの皆さんには大変お世話になった。

広島焼き講演は10:00〜12:00までだったので、終了後はちょうどお昼の時間で、スタッフの皆さんとご一緒して「広島焼き」をごちそうになった。北海道で「お好み焼き」を食べるのは、お祭りの屋台で買って食べるくらいで、普段の食事で食べることはほとんどないが、広島にしても、先日訪れた大阪にしても、街中に「お好み焼き専門店」が実に多い。普通に食事として愛されているんだと感じた。また本場で食べるとこれが旨いんだよな。今回食べた豚肉とそば(焼きそばの事)がたっぷり入った広島焼きも大変おいしくいただいた。



原爆ドーム
食事後は北海道に帰るだけであったが、少し時間があったため、スタッフの方が広島市内の観光ドライブに連れて行ってくれた。左の画像は原爆の投下目標となった橋から原爆ドームを撮影したものだ。人類の最大の罪の歴史を永遠に語り続けるであろうその姿は凛として何かを語りかけてくるようであった。

そのほか、平和記念公園、マツダスタジアムや解体途中の旧広島球場等を見学して、広島空港へ向かった。

帰りは直行便がない時間帯で、羽田経緯で乗り継いで千歳空港に19:10に到着。僕はここから登別の自宅まで帰られねばならないのであるが、その方法はJR特急と、高速バスの2つの交通手段がある。JRは列車に乗っている時間はバスより短いが、乗り換えが必要で、乗り継ぎ時間によっては高速バスより到着までの時間がかかる。高速バスは走行時間が1時間50分ほどかかるが、自宅近くの停留所で降りることができ、乗り継ぎもない。その時間帯で便利な方を選ぶわけだが、今回は17:40発の高速バスに乗って帰った。家に着くのは21:20くらいになるので、バスの中で缶のハイボールを飲みながら弁当を食べて夕食にした。

自宅に帰りついて、この日は早めに就寝。今日の仕事に備えたわけであるが、最近は移動の疲れを感じるようになった。正直日曜の夜に帰る旅はつらくなりつつある。年だなあ。

来週金曜日(10/28)は14:50〜埼玉県加須市の加須市文化・学習センター「パストラルかぞ」にてNPO法人ひばりの里ネットワーク設立10周年記念講演の予定が入っている。お近くで興味のある方は是非会場にお越しいただきたい。

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広島の空・長崎の空、そこから続く空。

8月6日の「広島原爆の日」と8月9日の「長崎原爆の日」の前後に、そのことに関連するいくつかの記事を書いてきた。
参照:「広島の空・長崎の空」 「続、広島の空・長崎の空」 「広島の空・長崎の空2010

僕は、この日を「原爆の日」と表現することが多いが、「原爆記念日」と表現しているものも多くみかけたり、聞いたりする。しかし僕はこの表現方法に大いに疑問を持っている。確かに1945年のあの2日間は、人類が決して忘れてはならない日だと思う。しかしそれは人類が犯した最も愚かな行為である「原爆投下」という悲劇を忘れず、そのことを2度と繰り返さないように後世にその悲惨さと愚かさを伝えるという意味であろうと思う。どのような理由をつけても、あの日行われた原爆投下という行為は、人類が人類に対して成しうる、最も冷酷で残虐な、背筋の凍る殺戮行為でしかない。

しかし「記念」という言葉は、「思い出として何かを残しておくもの」という意味であるように、肯定的で心をいやす意味であるように思う。それは原爆投下という史実には全く当てはまらないのではないかと思う。

それは僕の解釈の間違いかもしれないが、僕自身の中ではそういう気持ちがぬぐい去れない。だから僕はこの日を「記念」という言葉で表現したくはない。

今年もその日が静かに過ぎようとしている。しかし今年は、あの大震災が引き起こした福島第1原発の事故という災いの歴史が加わった年である。あの戦争で、そして原爆投下で亡くなられた方々の魂は、今この日本をどう見ているんだろう。

あの戦争や、原爆や、今年の震災で失われた多くの人々が、再び生まれたい国になるように、我々はこの国の未来を作っていかねばならない。

それは手の届かない遠い何かを求めるのではなく、我々社会福祉援助者であれば、我々の周囲の人々の暮らしをしっかり守って、一人ひとりの笑顔を大切にして、その笑顔が継続される社会を作って行くことだ。そうした幸せの輪を広げていく地道に活動が社会全体を明るく元気にすることに繋がって行くと信じて、「アクトローカリー」の精神を忘れないことである。

僕は僕の足元である「緑風園」という暮らしの場での、一人ひとりの利用者の笑顔をつぐむ毎日を創っていくことが大事なんだろうと思う。そこがしっかりしないと始まらない。それは他の関係者の方々も同じだろうと思う。ケアマネジャーやサービス担当者であれば、今目の前に存在する一人ひとりの自分が担当する高齢者の方々の日々の暮らしを守ることから始めないと、この国全体の福祉の増進など図れない。

社会福祉が目指す人々の幸福追求とは、誰かの不幸の上に成り立ついくつかの幸福を目指すものではない。屍(しかばね)の上に成り立つ繁栄などあり得ないのである。そこには最大公約数という概念も、最小公倍数という概念も必要ではなく、人類のすべての人々が共通して獲得できる幸福な暮らしを目指すものであり、社会福祉援助の究極的な目標はそこにあるべきである。

そういう意味では「最少不幸社会」を目指すという政治など馬鹿げており、すべての国民の暮らしを幸福にしたいという理念を掲げられない政治家にかじ取りをゆだねざるを得ない社会は不幸である。

今年の北海道にもまた暑い夏がやってきた。この青い空はあの日の広島や長崎の空と続いている空だ。この空の下で、あの日たくさんの尊い命が失われたことを忘れず、それでもなお、今生きている人々がすべからく幸福に暮らすことができる国を創って行きたいと思う。我々が天に召された時に、あの戦争や、今年の震災で犠牲になった人々に恥ずかしくないような生き方をしたい。

過去から未来まで繋がっているこの空の下で、今我々の周りで笑顔とともに過ごしている人々がいる。この笑顔を大切にしたい。

同時に同じ空の下で、様々な困難にぶつかり悲しみに打ちひしがれている人々がいる。それらの人々の心にも日差しが降り注ぐために、我々が何をできるのかを考えながら、あの日のことに思いをはせる。そんな祈りの日にしたい。

YouTubeより
さだまさし「広島の空」  「祈り

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広島の空・長崎の空2010

昭和20年8月9日午前11:02、広島に続き2発目の原爆が長崎に落とされた。

その日からちょうど今日は65回目の「長崎原爆の日」である。あの時生まれた子供が、ちょうど老人福祉法の適用年齢になる年でもある。

真夏の甲子園ではこの日、長崎代表の「長崎日大」が北海道代表の「北照」と対戦する。遠く長崎の空に向かって黙とうをささげた後の第3試合である。長崎日大の選手や関係者の方の縁者にも被爆者の方はたくさんおられるだろう。遠く甲子園から広島、そして長崎に続く空を見上げて彼らはなにを思うのだろうか・・・。

人類が人類に対して犯した最も愚劣な行為は原爆投下以外にない。それは本来人として許されるべきではない最大の罪である。にもかかわらず、原爆投下を戦争の早期終結のために仕方のなかったことだと正当化する人々が存在することも事実だ。それらの人々は、広島や長崎で被爆して皮膚が焼けただれ、ケロイドになりながら苦しみ、もがいて、水を求めながら死んで行った人々に対してさえも謝罪が必要ないという。

人間として獣とは違う心とは何なのかをそれらの人々に問いかけたい。

広島原爆の日の式典で、核のない世界を訴えたこの国のリーダーは、その舌の根も乾かないその日に、核の傘下に入ることが抑止力であると、核の存在を肯定する発言をしている。

政治家として、祖国防衛のビジョンを持つ中で、様々な考えを持ってよいだろうとは思うが、あえてその日に、広島の空の下、焼けただれて死んでいったたくさんの魂の下で、あえて発言する必要があることなのか大いに疑問である。彼のいう「最少不幸社会」とは、人の「こころ」に配慮しなくてもよい社会なんだろうか?今日の長崎の式典にどんなつらの皮をさげて臨むというのだろうか?

プロ野球の東映(現・日ハム)〜巨人〜ロッテで活躍し、3000本安打の記録を残し「安打製造機」と呼ばれ、「世界の王、アジアの張本」と並び称せられた張本 勲氏(70)は、被爆者手帳を所持する被爆者である。

彼は広島で爆心地にほど近い自宅で被爆したが、幸い自宅付近が山の陰にあたっていた為、爆風を山が遮り、命を失わずに済んだ。しかしその山で勤労奉仕していた、彼の姉は爆風をもろに浴び、皮膚が焼けただれケロイド化し、その日一晩中「熱い、痛い、苦しい」と言い続け亡くなったそうである。

張本氏はいう「自慢の姉だったんです。色が白くてすらっとして、優しくてね。」「それが焼けただれて、これが自分の姉とは思えないほど、ひどい姿に変わってました。」「被爆者にとって戦争は終わってないんですよ。」

僕らは戦争を知らない世代であり、子供のころから小さな田舎町でなに不自由なく育ててもらい、戦争の悲惨さも、苦しさも、つらさも、実感としては持つことができないかもしれない。僕らが戦争の悲惨さを語っても、それは結局空虚なものなのかもしれない。

しかし65年前のあの日、8/6と8/9の広島と長崎で、死んでいったたくさんの人々がいることを、全身の皮膚が焼けただれ「痛い、熱い」と苦しみ抜いた人々のことを、水を求めてどぶ川に沈んでいったたくさんの人々のことを、一瞬のうちに炭化してこの世から消えていった人々のことを決して忘れてはならない、と思う。

人類が二度と犯してはいけない罪を繰り返さないように、そのことを日本人として語り継いでいかねばならない。そして核のない世界を作るために一人ひとりが何かをし続けなければならない。

しかし、今日この日は、ただただ、広島、そして長崎の空に向かって深い祈りを捧げ、原爆投下によって失われたたくさんの魂に対して頭をたれて、見知らぬそれらの人々に思いを寄せる日である。

繰り返さないで、・・・・と。
(関連記事:広島の空・長崎の空。  続広島の空・長崎の空。

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続・広島の空、長崎の空

2007年8月9日、午前11時02分。僕は今、ここ登別で空を見上げている。

天気予報は曇りであるが、その予報に反して、僕の上には澄んだ青い空が広がっている。そしてこの空はどこまでも高く、そしてどこまでも広く、途切れることなく日本中に、世界中に広がっているはずだ。

この青空の下、高校球児達は夢の甲子園で白球を追いかけ、夏休みに入った子供達は海や山で、あふれるエネルギーを発散させている。平和であることが普通の世の中で、今の状況を何の疑いもなく受け入れている我々は、それだけでも幸せである。

しかしこの同じ青い空から、62年前の8月、この国には2度悪魔が投げ落とされた。

人類に対し、何の罪もない一般市民に対し、リトルボーイとファットマンというふざけた名をつけた大量殺人兵器を投げ落としたくさんの生命を残酷に奪った行為、原爆投下という人類史上最悪の野蛮で残虐な行為は、どんなに時代や歴史が変わっても決して許されるものではない。

今なお、原爆後遺症で苦しむ人々がたくさん居られる。それらの人々も時の流れとともに、高齢化し、生存されている方々の数も減っている。だが、世界唯一の被爆国として、原爆の悲惨さを、平和の大切さを、我々は風化させることなく訴えていかねばならないし、その思いを、戦争を知らない世代にもずっと伝えていかねばならない。

62回目の8月6日と8月9日も、いつもの年のように祈りをささげる日である。平和であることは、当たり前のことなのではなく、我々が守っていかねばならない最も大切なものなのだ。

戦争は不幸しか生み出さない。争いほど醜いものはない。

昭和62年から、広島原爆の日に長崎で平和祈念コンサートを開いていた「さだ まさし」さんは、昨年そのコンサートを最終回として静かにギターを置いた。

いつもステージの最後に歌われたのは「祈り」という歌である。最後はハミングとともに幕が閉じ、翌年の開催まで祈り続けているようにハミングの声が会場に余韻とともにいつまでも残っているコンサートであった。

今年はもうその幕は開かなかった・・。しかし我々の祈りは続く・・。

(祈り〜さだ まさし:作詞。)

悲しい蒼さの広い大空を
小さな鳥が一羽、海を目指している。
鳥を撃たないで。
約束の町へ、ひたむきに羽ばたく、夢を消さないで。
誰もが時の流れに、傷つき疲れ、あきらめそして
いつしか生まれた時の、溢れるほどの愛を見失う。

この町がかつて燃え尽きた季節(とき)に
私達は誓った、繰り返すまじと
生命を心を、奪い去ってゆく
ちからも言い訳も、総て許せない。
私は祈る以外に、知恵も力も持たないけれど
短い生命の花を、ささやかなこの愛で染めたい


1945.8.6 AM8:15 Hiroshima / 1945.8.9 AM11:02 Nagasaki 〜あの日と、その時間を我々は決して忘れてはならない。

広島の空〜長崎の空

8月6日と9日は日本人が決して忘れてはならない日である。

広島と長崎に人類で始めて、そして唯一、原子爆弾が投下された日だ。今年も61回目のその日が過ぎていった。

僕はもちろん「戦争を知らない子供たち」の世代であるし、戦争が身近に感じられる世代でもなく、周囲に被爆者がいるわけでもない。しかし、あの日、広島と長崎で起こった悲惨な状況を「ずっと遠く」に感ずることはできない。同じ人間があの日あの場所に地獄を作り出した歴史から我々は目をそらしてはならない。

戦争犯罪という言葉があるが、人類が犯した最大の戦争犯罪は「原爆投下」であることに間違いはない。非戦闘員が多数犠牲になることはわかりきったことである。それなのに、あの日、原爆は投下された。人類はその罪深さを問い続けなければならない。

それは、うらむ気持ちを忘れないという意味ではなく、起こってしまった過ちを繰り返さない為の問いかけである。

当時の米国は(今でもそういう要素はあるが)白人社会が優越社会で、有色人種を、自らの人種より下等に見ていたという事実がある。作家の故・司馬 遼太郎さんも、米国は白人社会に対しては決して「原子爆弾」を投下するという選択は行わなかったはずだ、と述べている。

つまりあの戦争の当時、非戦闘員を無差別に殺戮することの正当性を、かの国は「有色人種は劣等人種」として、自分たちと同じ市民とみなさないという理由付けをしていた節がある。

その結果、起こったことの地獄図を、我々は人類唯一の被爆国の国民として、「二度と繰り返してはいけない」という叫びとして、すべての人類の後世に訴える必要があると思う。

それを「唄」で20年間伝えていたのが長崎出身の さだ まさし氏である。
毎年、8/6、広島に原爆が落とされた日に長崎で平和祈念コンサートを開いていた。そしてそのコンサートが今年で最終回とされた。

彼にとって「日常」となった毎年のコンサートで、伝えたい思いが本当に多くの人々に伝わっているのかが疑問になったのかもしれない。

しかし彼が歌を通して、この20年間、伝え続けたものには意義があると思う。

戦争を知らない、原爆を知らない世代が、歌を通して、あの日を考えることができた。いつかまた、長崎の空で、彼が再び平和のために歌うことを再開してほしいと僕は思っている。

戦争は不幸しか生み出さない。

広島の空(作詩・作曲 : さだまさし)

その日の朝が来ると 僕はまずカーテンを開き既に焼けつくような陽射しを部屋に迎える
港を行き交う船と 手前を横切る路面電車
稲佐山の向こうの入道雲と抜けるような青空

In August nine 1945 この町が燃え尽きたあの日
叔母は舞い降りる悪魔の姿を見ていた。気付いた時炎の海に独りさまよいながら
やはり振り返ったら 稲佐の山が見えた

もううらんでいないと彼女は言った。武器だけを憎んでも仕方がないと
むしろ悪魔を産み出す自分の心をうらむべきだから
どうかくり返さないで くり返さないで
広島の空に向かって 唄おうと決めたのは その時だった

今年のその日の朝も 僕はまずカーテンを開きコーヒーカップ片手に晴れた空を見上げながら観光客に混じって 同じ傷口をみつめた。
あの日のヒロシマの蒼い蒼い空を思い出していた

In August six 1945 あの町が燃え尽きたその日
彼は仲間たちと蝉を追いかけていた
ふいに裏山の向こうが光ったかと思うと、すぐに生温かい風が 彼を追いかけてきた

蝉は鳴き続けていたと彼は言った。あんな日に蝉はまだ鳴き続けていたと
短い生命惜しむように、惜しむように鳴き続けていたと
どうかくり返さないで くり返さないで
広島の空に向かって 唄ってる。広島の空も晴れているだろうか

くり返さないで、くり返さないで、広島の空に向かって唄ってる
広島の空も 晴れているだろうか
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