masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

身体拘束廃止

その点滴や経管栄養は本当に必要なのかという視点



僕は今、富良野行きの列車の中でこの記事を更新アップしている。今朝8:25に東室蘭駅を経って、札幌と旭川で列車を乗り換えて、最終目的地に向かっている最中だ。

今日と明日の2日間、中富良野町の特養の職員研修として、「虐待を予防し、身体拘束をしないケア」をテーマにした講演を行う。(参照:masaの講演予定

その講演を前にして、タイムリーな話題といっては失礼だが、道内函館市で不適切な身体拘束が行われていたことが発覚し、「身体拘束は虐待ではないと強弁する恵山恵愛会・理事長」という記事を書いて批判した。

この記事を書いたその日に、事態は再び動いた。

身体拘束は虐待ではないと強弁していた恵山恵愛会の菅龍彦理事長が、そのインタビュー映像が流された翌日に記者会見に応じ、「短時間ならよいという甘い考えがあった」と述べたのである。一応の謝罪といってよい。

だが同時に、職員が新型コロナに感染して人数が減り、「こういう対応をせざるを得なかったというのがあったと思う。人手不足の中(身体拘束をする際は同意を得るなどの)手順を飛ばしてしまった」と語るなど、言い訳がましい会見に終始している。

事の重大さを理解していないとしか思えない。「私自身が利用者、職員とのコミュニケーションを取ることが必要。事例の周知や外部研修への参加を促したい。信頼を取り戻してもらえるよう、地道な努力をしていきたい」と語っているが、本当にこうした人物の元で、人権を尊重するケアが実現するのだろうか・・・大いに疑わしく思う。
恵山恵愛会の菅龍彦理事長
※画像は、シーツを体にまいた身体拘束について記者に説明する恵山恵愛会の菅龍彦理事長

しかし介護関係者の中には、「身体拘束はゼロを目指している。ただ、人手不足が深刻化する中(恵楽園の件は)理解できないわけではない」とマスメディアのインタビューにコメントする輩もいる。

なんでも人手不足のせいにして有りとする考え方は、人権侵害をもたらすこともやむを得ない場合があるという誤解や意識低下を助長するだけで、マスメディアに向けてこうした発言をすることは軽率すぎると思う。こうしたコメントをするや輩は知性が足りない・見識が低いと言わざるを得ない。

勿論、やむを得ない身体拘束はあり得る。しかしそれは人手不足に対応するものではなく、切迫性・非代替性・一時性の3要素が備わって緊急やむを得ず行うことが認めらえているだけだ。人手が足りないなら、ベッドの一部を休止するなど、不足に対応してできるサービスを考えるのが先である。

切迫性・非代替性・一時性の3要素が備わって身体拘束を行わざるを得ない行為の代表的なものは、経験栄養や点滴のチューブを引き抜く行為だろう。この行為を注意して止めてくれる人はいないため、やむを得ず一時的に手を縛る拘束などが行われる。

しかしそれは本当に必要な経管栄養や点滴なのだろうか?老衰は自然死なのである。その自然死に向かっている人に、経管栄養や点滴は必要がないだけではなく、かえって苦しめる要素にしかならないことは、このブログで何度も指摘している。不必要な点滴で痰を作って、その痰を吐き出せずに苦しむ人が、さらに喀痰吸引によって苦しめられながら終末期を過ごして、そのままの状態で死んでいく・・・こんな悲惨な死があってはならないのだ。

終末期以外の経管栄養にも、不必要なものが少なくない。医療機関から特養に入所してくる人で、どうしてこんな人が経管栄養で栄養補給させられているんだろうと首を傾げるケースに何例であったことか・・・それはまるで看護師の食事介助の手間を省くためだけに、経管栄養にさせられているとしか思えない状態である。

僕が総合施設長を務めていた特養でも、入所時から胃瘻造設しており、胃ろう部をいじる行為が頻繁に見られた方がいた。その方については日中の活動性を高め、離床して胃ろう部に意識が向かないよう、洗濯物畳みなどを手伝ってもらうなどしたことに加え、医師に相談し看護職員が摂食機能訓練を行うこととした。すると訓練実施から2月後に全粥・ソフト食が食べられるようになった。

今日と明日は、こうしたケースをいくつか紹介して、身体拘束をしなくてよい知恵を授けてくる予定である。

職員研修は、このように具体的に実践できる内容を伝えなければ意味がない。

ということで徹底した実践論・実務論を学びたい方、職員に学ばせたい方は、是非気軽にメールで連絡してくれると対応できる。まずは問い合わせから始めてください。連絡お待ちしています。

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身体拘束は虐待ではないと強弁する恵山恵愛会・理事長



昨日、「身体拘束廃止の取り組みが今更強化される意味」という記事をアップし、人にとって豊かな暮らし、生活の質とは何かという問題提起を行ったばかりだ。

しかしそのすぐ後に、北海道・函館市の特別養護老人ホーム「恵楽園」で、日常的に身体拘束が行われており、問題となっているというニュースが道内を駆け巡った。

身体拘束の状況は、入所者の同意を得ずにシーツで縛ったり、落下の恐れがあるとしてベッドを柵で囲うなどしていたというものだが、コロナ禍で面会制限が行われた以後は、特にその状態がひどくなり、日常的に拘束がおこなわれていたという。

下がその状況を撮影した画像である。
函館恵楽園の身体拘束
ズボンがずり下げられて、おむつ姿で下半身が丸出しの状態でベッドに寝かされている画像もある。身体拘束も問題だが、このような羞恥心に配慮のない状態も問題視されるべきではないのだろうか。

下記のような画像も撮影されている。
函館恵楽園の身体拘束2
認知症とされる入所者の方が、足をベッド柵に挟んで座っている。見た通り座位保持に全く問題はない。

このような方を4点柵で囲って、行動制限する理由がどこにあるのだろうか・・・。

しかしこの状況に対する経営法人の考え方は驚くべきものだ。

施設を運営する社会福祉法人恵山恵愛会菅龍彦理事長は、「身体拘束があったことは事実で反省しているが、虐待を指摘されるようなことはしていない」と強弁しているのである・・・「職員が介護に必要だと考えて行ったもの」・「短時間であれば許されるという考えがあった」などとも述べている。

世間の常識からかけ離れた、この理事長の感覚はどうしようもない。そもそも問題となっている身体拘束は、切迫性・非代替性・一時性の3要素が備わって緊急やむを得ず行っている拘束ではない。介護職員の仕事が楽になるようにという理由で行っている破廉恥な行為である。

それを虐待といわずに、何をもって虐待というのだろうか・・・。

そもそも身体拘束は介護ではない。介護の介は、『心にかける』という意味であり、介護の護は、『まもる』という意味である。心にかけて護る行為と、身体拘束は対極にあるものだ。

よって菅理事長の屁理屈と強弁には、一片の道理も見出すことはできない。

さすれば、この法人の従業員教育とはいかばかりのものであったかは容易に想像がつく。まともな倫理教育などしていないし、ましてや利用者に対する人権意識やサービスマナー意識を植え付ける教育など、まったく行われていないのだろう。

その結果、特養という終の棲家が、永遠なる人権侵害の場に化しているのである。

それにしても拘束することそのものが虐待であるという認識がない場所で暮らしている人は悲劇であるとしか言えない。

こういう理事長は、即刻介護業界から退場願いたいものだ・・・社会福祉法人恵山恵愛会の評議委員会は、理事長責任を徹底的に糾弾せねばならない。

介護関係者の皆様は、この酷い状況を対岸の火事と見ず、わが身に起こることかもしれないと考えて、そうならないように日ごろの人権教育・サービスマナー教育に努める必要があることを、改めて心に刻んでいただきたい。


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身体拘束廃止の取り組みが今更強化される意味



介護施設において、法的措置として身体拘束が原則禁止されたのは、介護保険法にその規定が記されたことによってである。

つまり2000年4月の介護保険制度施行と同時に、介護保険施設では身体拘束を行ってはならないと規定されたのだ。(※例外規定有り

それに伴って身体拘束をなくすための、「身体拘束ゼロ作戦」という取り組みが進められ、身体拘束原則廃止の事業も、随時拡大されてきた。

それから早24年。もはや介護事業者における身体拘束は、禁止の掛け声さえ必要ないほど、なくて当たり前になっていてもおかしくはない・・・ところが、2024年度の介護報酬改定・基準改正の中で、「身体的拘束等の適正化の推進」がテーマの一つとして挙げられている。

そして短期入所系サービス及び多機能系サービスについて、身体的拘束等の適正化のための措置(委員会の開催等、指針の整備、研修の定期的な実施)を義務付ける省令改正が行われると共に、それらの身体的拘束等の適正化のための措置が講じられていない場合は、基本報酬を減算するルールが新設された。

今まで身体拘束廃止の規定がなかった訪問系サービス通所系サービス福祉用具貸与特定福祉用具販売及び居宅介護支援については、利用者又は他の利用者等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束等を行ってはならないこととし、身体的拘束等を行う場合には、その態様及び時間、その際の利用者の心身の状況並びに緊急やむを得ない理由を記録することを義務付ける省令改正も同時に行われた。

このように相変わらず、身体拘束廃止は主要な課題となっているわけである。

では実際に介護の場では、どのような身体拘束が行われているのだろう。介護保険制度以前には、車いすに座ったまま立ち上がれなくするシートベルト車いすテーブルがよく使われていたが、そのような物品は既に介護事業者からは消えていると思う。

つなぎ服も、介護保険制度以後に入職した職員は、その存在さえも知らないだろう。

今現在残っている身体拘束とは、点滴や経験栄養のチューブ等を引き抜くことへの対応として、ミトン手袋を手にはめたり、一時的に手を縛って拘束する行為ではないだろうか。
身体拘束廃止の例外規定
上記の図のように、身体拘束の例外規定は、生命を害する恐れがある場合などの、「緊急やむを得ず」身体拘束を実施する場合で、3要件の判断に加え、極めて慎重な手続きを踏まなければならないとされている。

ところが一時的であるはずの拘束が、長期間に渡って解けない事例が多い。点滴が病状を好転させる際の一時的なものだとしたらその間だけの拘束は必要だが、看取り介護期に死ぬまで拘束が必要だとしたら、それはもはや一時的とは言えないのではないのか・・・。

そもそもチューブを抜いてしまう行為を行わなくなる方法はあるのだろうか・・・そう考えたときに、本当に点滴や経管栄養が必要なのかという点に注意を向けねばならないことに気が付く。

例えば、僕が総合施設長を務めていた特養では、入所時から胃瘻造設しており、胃ろう部をいじる行為が頻繁に見られた方に対し、日中の活動性を高め、離床して胃ろう部に意識が向かないよう、洗濯物畳みなどを手伝ってもらうようにした。

そのうえで医師に相談し、看護職員が摂食機能訓練を行うこととしたことによって、実施から2月後に全粥・ソフト食が食べられるようになったケースがある。

看取り介護対象者であれば、点滴は百害あって一利なしだ。終末期を過ごしている人が痰にむせこんでいる状態を見て、喀痰吸引こそが安楽支援にとって何より必要だという考えには全く賛同できない。それは完全に間違った考え方である。なぜなら喀痰吸引されている人が一番苦しむのは、痰にむせている時ではなく、喀痰吸引されている時だからである。そこで必要なのは痰が出ないように、不必要な点滴をやめることだ。

終末期の経管栄養は、自然死を阻害して苦しめるだけのものと化すことも念頭に置いて考ええばならない。(参照:自然死を阻害しないために

身体拘束廃止の問題は、身体に及ぶ危険を排除するという視点のみではなく、人にとって豊かな暮らし、生活の質とは何かという視点から考えなければならない問題である。

そこを取り違えてはならないのである。


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拘束廃止は当然になっているのか


昨年度から、リブドゥコーポレーション主催オンラインセミナーの講師役を勤めさせていただいている。

今年度も6回のオンライン講演を行うことになっており、既に4回の講演を配信し終わっている。
12月に配信したセミナー内容
リブドゥコーポレーション主催オンラインセミナー
3月に配信予定のセミナー内容
リブドゥコーポレーション主催オンラインセミナー
※1年パック・半年パックの講座申し込みは終了していますが、単発プランの講座申し込みはまだ受け付けているので、希望者はこちらをクリックして申し込みください。

そのうち12/20(火)は、身体拘束廃止に関するオンライン講演を配信した。しかしこのテーマを聴いて、「今さら?」と首を傾げた人も居るのではないだろうか。

なぜなら身体拘束ゼロ作戦から20年以上経っている現在、拘束なんてしないのは当たり前じゃないかという人が多いからである。

しかしそれではなぜ2018年に身体拘束廃止未実施減算が強化されたんだろうか?身体拘束廃止の取り組みが不十分な状況があったからではないのか・・・。

例えば表面上、身体を縛って拘束する行為はなくなったと言っても、スピーチロックが日常的に行われている介護施設は少なくないように感じる。車いすに座った人の行列を作って、前後に行きも戻れもしない状態は拘束ではないのだろうか?

そもそも身体拘束廃止の取り組みは、拘束廃止ゼロ作戦の目標達成のために行うものでも、身体拘束廃止未実施減算が適用されないために行うものでもないはずだ。それは介護サービス利用者の人権を護り、本当の意味での豊かな暮らしQOLの向上を実現するための取り組みである。

しかし僕自身も過去には、つなぎ服立ち上がることができなくなるように角度をつける車いす(スイング式車いす)などを当たり前に使っていたという事実がある。それが利用者の権利侵害・QOLの低下につながるなんて考えられなかったのである。

だから今回のオンライン講演では、介護の場でごく当たり前に行われていることが、利用者の行動制限になっていないかということを随所にちりばめて、身体拘束とは目の前に見える現象とか、使っている道具によって判断されるのではなく、「行動制限」となっているかどうかで判断されるのだという点を、具体例を示して理解していただいた。

視聴された方は、どのように感じとっていただいただろうか・・・。

ところでそのことを考えたとき、今現在も介護保険施設や居住系施設で続けられている、面会制限や外出制限はどう考えたらよいのだろう?

少なくとも施設の中に閉じ込めて外に出さないことは行動制限そのものである。それがコロナ禍という理由で許されるという明確な法令も、拘束廃止例外の特例通知も見当たらない。

すると例外的に認められる身体拘束の条件である3つの条件、「切迫性」・「非代替性」・「一時性」に該当するとして、その手続きを踏んで制限するしかないと言えるのではないだろうか。国が不要不急の外出をしないように通知しているとしても、拘束廃止の例外規定を設けていない限り、それは必要だと思うからである。
身体拘束例外規定の確認手続き
しかし実際にこの手順を踏んだうえで外出制限を行っているという施設の話は聞いたことがない。

コロナ禍という異常事態の中で、暗黙の了承でそれらは認められているということになるのだろうか・・・。

どちらにしても拘束廃止・行動制限を認めないという意味を考えるときに、今コロナ禍を理由に行われている様々な他者に対する行動制限も、決して絶対正義ではないと意識をもって、本当にそうした制限が必要だったのかという検証作業がされる必要があることを意識してほしい。

そして現在もなお、面会制限・外出制限を行っている施設のトップや管理職の方々は、そのことを決める権限が自らに与えられているのかを振り返って考えながら、そうした権限を行使する自分が、その権限によって絶対権力者と勘違いしないように注意してほしいと思う。

鏡に映った自分の顔が、権限に酔った醜い顔に変わっていないかを確認してほしいと思う。
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身体拘束に該当する行為・該当しない行為の判断


先週、「身体拘束を伴う看取り介護があってよいのか?」という記事を書いた。

そこでは、ホームホスピスに特化して高齢者を最期まで支える理念でサービス提供していると紹介された、「介護事業社アンビスホールディングス」という事業者の実態が、『看取り介護』と称する身体拘束を伴う不適切ケアを日常的に行っているのではないかと問題提起している。

新聞に掲載されている写真が、日本の介護の暗部がさらけ出される結果になっているのではないかと問う記事内容だ。

それにしてもいま改めて思うことは、身体拘束ゼロ作戦から20年以上経った今日でもなお、このようなお粗末なケア実態が存在することに愕然とする思いを持たざるを得ないといいことだ。そういう会社が堂々と新聞紙面を飾るという状態は、日本のマスメディアの見識の浅さもさらけ出している問題であると言わざるを得ない。

このようなケア実態を放置していることは、すなわち自分自身や自分の愛する誰かが将来、身体と精神の自由を奪われたまま、「哀しい・苦しい」という心の叫びを無視されて、人生の最終ステージを苦しみながら過ごし、その状態のままで死んでいくことにつながる問題である。

偽物の看取り介護・偽物のターミナルケアは、人の死の瞬間まで、人を不幸にさせる由々しき問題であることを自覚して、本物の看取り介護ができる場所を増やしてもらいたい。そのためには是非、『看取りを支える介護実践―命と向き合う現場から』を参照していただきたい。

それにしても身体拘束の定義を理解していない人が多いことは、大いに気になるところだ。

リンクを張り付けた先週の記事を読んだ人で、SNS等でこの問題について、「自分の施設ではこうした対応をしているのですが、身体拘束と言えるでしょうか?」という質問が相次いだ。

そのため改めてここで、「身体拘束に該当する行為・該当しない行為」について考えてみたいと思う。

身体拘束とは、「本人の意思では自由に動くことができないように、身体の一部を拘束すること、または運動を制限すること。」と定義づけられている。

厚労省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」が作成した、「身体拘束ゼロへの手引き」では、身体拘束に当たる具体的行為の例を示しているが、人間の行為全てをピックアップすることは不可能なので、ここで示した例は、ごくわずかな具体例に過ぎないし、介護現場ではその例示を参考にできない様々な行為について判断が必要となる。

その時の判断については、行為そのものや道具から考えるのではなく、その目的から身体拘束かどうかを判断する必要がある。

例えばベッド柵にしても、4本柵が身体拘束に当たるから、3本柵にすれば問題ないということにはならない。行動を制限する目的で、ベッドの片側を壁に押し付けて設置し、ベッドから下りられる側に1本柵を付けたとしても、その1本の柵でベッドで寝かされている人が、自由にベッドから下りることが出来ない状態は身体拘束である。

逆に、ベッド環境を上述した状態と同じくしたとしても、それは「部屋の真ん中にあるベッドで寝るのは落ち着かない」などという、ベッドを使っている人の希望であり、柵もつかまって起き上がるために必要なものである場合は身体拘束とは言えない。

あくまで行動を制限しているのか否か、その目的があるのかという総合判断が必要なのである。

それとともに、本人・家族や成年後見人等の同意のみによる行動制限も身体的拘束に該当することも忘れてはならない。

したがって本人が認知症の場合においても、「切迫性・非代替性・一時性」という3要件を満たし、かつ手続き上の手順が適正に取られていない限り身体拘束とされ、それは許されない行為となっているのである。

身体拘束とはどのような行為なのかを議論する場では、「離床センサーは身体拘束に該当するのか」ということが問われてくることがある。

離床センサーは直接的に身体を拘束しているわけではないが、自分が動こうとしたらすぐに誰かが来るような状況が精神的なプレッシャーになり、行動を制限されているという精神的抑圧となり得るという意見である。

しかしそれを言ったら、見守り行為自体が不適切ということになってしまう。それはあり得ないことだ。

離床センサーは、あくまで行動制限しないように安全を担保するための機器であり、その使用が身体拘束とされることはないだろう。

ただし身体拘束廃止の目的は、利用者の暮らしの質の向上なのだから、離床センサーが利用者自身のストレスにならない配慮は当然必要であり、それは認知症の方々の、見守りにも共通して言えることである。

このように個々の問題について、個別に判断しながら、利用者の方々の身体拘束をなくしていくことが大事なのである。

それは将来自分自身の自由が奪われるかどうかという問題と深く関わってくるかもしれない問題なのだから・・・。
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身体拘束を伴う看取り介護があってよいのか?


今日、このブログを読んでくださっている読者の方にはまず最初に、とある日の朝刊の記事画像を見ていただきたい。

これは僕とFBでつながっている看護師さんから送られてきた画像であるが、この記事画像の中に掲載されている写真に注目していただきたいと思う。
新聞記事の画像
この画像は日経新聞の新聞記事である。

この新聞記事で報道されている内容は、某介護事業者が営業利益第一位になっているというものであるが、この記事の中で同社について、「ホームホスピスに特化して高齢者を最期まで支える理念を掲げてサービス提供している」と紹介されている。

ところがその記事中の掲載写真が、その理念と一致しないのではないかという疑念がぬぐえない。

記事内容からすると、写真に写っている利用者は、看取り介護対象者なのであろう。ところがその手にはミトン手袋がはめられている。そしてよく見ると、この利用者が寝かされているベッドは、周囲を4点柵で囲っていることがわかる。

この状態は、「身体拘束」に他ならない。それは「緊急性・非代替性・一時性」という3条件に合致して初めて認められるものだが、終末期の看取り介護対象者に、そんな必要が果たしてあるのだろうか。

そもそも看取り介護は、安心と安楽の状態を最期の瞬間まで護るケアである。身体拘束をした状態で、そのような安心や安楽が得られるとでもいうのだろうか?

ホスピスとは、痛みや苦しみを軽減することにより、快適さと生活の質を優先するケアのことを言い、「ホームホスピス」を標榜するなら、身体拘束などあってはならないはずだ。だから新聞記事に書かれている理念と、この写真の介護状態は一致しないと思うのである。

そもそも人生の最終ステージを生きる人を支援する看取り介護において、このような2重の身体拘束・行動制限が許されるのだろうか。これが果たして看取り介護と言ってよいのだろうか・・・。

ベッド柵は本来、利用者をベッドから落下させないための道具ではなく、寝返りや起き上がりの際に手でつかまって動作補助するための道具である。

僕はその為、自分が総合施設長を務めていた施設では、基本的にベッドには柵を1本も使用しないことをスタンダードにしていた。

柵を設置するのは柵につかまって寝返りや起き上がり動作等をしなければならない人だけとしており、柵をしないベッドをデフォルトにして、必要性に応じてあとから柵を追加設置するというのが、新規利用者受け入れの際の方法だった。(参照:柵がないベッドを増やす意味。

4本柵という形でベッド全面を囲い、行動制限することに何の疑問を感じない人は、介護という職業に就くべきではないとさえ思っている。

そんな行動制限を終末期の人になぜ行わなければならないのだろうか。

ミトン手袋は、経管栄養や点滴のためのチューブを引き抜くことを防止するために装着させているのか?しかし終末期の経管栄養や点滴などは百害あって一利なしである。体が栄養や水分を必要としなくなって、死に向かって準備をしている段階で、経管栄養や点滴で過剰な栄養や水分を無理に注入するから、足は腫れ、出るはずのない痰がでて、その吸引に苦しまねばならない。

必要のない経管栄養や点滴をしなければ、ミトンなんて必要ないのではないか?

二人がかりで何かのケアを行っている写真の状態を見ると、この利用者は自分で寝返りができないように思える。全介助で寝返り介助を行っている人なら柵は必要ない。それとも終末期で、二人介助を行っている人が、自分でベッドから降りて危険だとでもいうのだろうか?

それなら自宅であっても、ベッドを低床化して危険がないように見守りする方法はいくらでもある。

そうした終末期の基礎知識のない場所で、看取り介護と称したニセモノの介護が行われている、「成れの果て」がこの写真ではないのか?営業利益第一位というこのホールディングスは、かなりブラックと言わざるを得ない。

それにしても取材を受けた施設は、新聞にこんな写真が掲載されることを恥とも何とも思っていないのが不思議だ。

新聞社や記者がこんな写真を載せて、その施設を褒める言葉を書いているのは単なる無知だから仕方ないが、当該施設がこんな写真を新聞に掲載されて、何も感じないのはどんな感覚なんだろう。

多分、こんな身体拘束がまともではないという感覚さえ失くしてしまっているんだろう。つまりこの施設は、日常的に身体拘束が伴う看取り介護・ターミナルケアと称する偽物ケアを行っているという意味だ。

それで営業利益第一位になっているからと言って、それは利用者の犠牲のもとに生まれている恥ずべき収益だとしか思えない。

こんな事業者で働いている人たちは、本当にそこで自分の仕事に使命感や誇りを持つことができるのだろうか・・・。

今朝僕は別ブログに、「キャリアダウンの転職にしないために」という記事を書いて、できれば今いる場所で花として咲くことができるような仕事をするのが一番だが、利用者の犠牲を強いたり、不適切なサービスに気が付かない場所では、自らの志が奪われるだけではなく、体と心を壊してしまう恐れがあるので、その際は信頼できる転職支援を受けてほしいと情報提供した。

この事業者で働く人にこそ、そのことを伝えなければならないのではないかと思ったりしている。

どちらにしても豊かな終末期支援を標榜している介護事業者が、このような体たらくぶりでは、安心して利用者は自らの身を介護事業者に委ねることは出来なくなるだろう。

この新聞記事を僕に送ってくれた方は、看護師の養成に携わっている方であるが、その方の嘆きの言葉を添えておきたいと思う。

四点柵にミトンの姿で安心して最期までって・・・出した会社側も新聞記者も、この程度の意識なんだなと思った次第でした。

本物の看取り介護・ターミナルケアが行われるためには、この意識の変革から始めねばならないのだろう。・・・途はまだ遠いと言わざるを得ない。
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身体拘束が治外法権だった頃の介護事業


来月講演依頼を受けたテーマの中に、「身体拘束廃止」がある。

介護保険法によって、介護事業者における身体拘束が原則廃止になって久しいので、このテーマの講演は最近少なくなっている。

しかし2018年の報酬改定時に、身体拘束廃止未実施減算が介護保険施設のみから特定施設とグループホームにも対象範囲に広げられたうえで、要件規定も厳しくされ、減算単位も増額されるという変更が行われている。

それはとりもなおさず、身体拘束がいまだに行われている実態に対して、罰則が強化されたという意味であり、介護事業者の更なる拘束廃止への取り組みが求められているという意味でもある。

よって身体拘束廃止の意識をより高くする研修会はまだ必要であり、改めて身体拘束とはどのような状態を指すのか、それを廃止する意味とは何か、身体拘束という行動制限をしなくて済ますためには、具体的にどんな方法があるのかなどを示すことは大切だ。そう思いながら先週末から講演スライドを作成しているところだ。
身体拘束廃止講演スライド
ところで介護事業者における身体拘束廃止規定とは具体的にないかと言えば、介護保険指定基準ということになり、そこでは以下のようにルールが定められている。

サービスの提供にあたっては、当該入所者(利用者)又は他の入所者(利用者)等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束その他入所者(利用者)の行動を制限する行為を行ってはならない

この規定ができたのは2000年4月からの介護保険法施行によってであるが、それ以前の介護事業者では、「身体拘束」が普通に行われていたという事実が、この規定創設につながったことは今更言うまでもない。

例えば介護保険創設前の介護施設では、高齢者の転倒、転落防止といった安全面への配慮を理由に、当たり前のように身体拘束がされてきた。

立ち上がりを防止するためのシートベルトは当たり前で、椅子から自力で立ち上がり歩き回る人は、座乗時は常にベルトで椅子に縛り付けられていた。

シートベルトを外してしまう人は、それに加えて車椅子テーブルをつけられて、2重に行動を制限されていた。

ベルトもテーブルも外してしまう人は、角度調整できるスゥイング式車椅子なるもので、角度をつけて起き上がれないように椅子に寝かされていた。フルリクライニング車椅子も、同じ目的で使われていた。

本来座るべき椅子に、そのように寝かされてしまうから、座乗時にできるはずのない仙骨部の褥瘡が簡単にできてしまったりもした。

おむつ外しや弄便(ろうべん)を防ぐために、つなぎ服は普通に介護用品として使われていたし、そのつなぎ服も、チャックを利用者が開けられないように、鍵付きにしたりする行動制限の強化が、「工夫」だと思われていたりした。

このように様々な行動制限が、安全管理の方法として実施されていたのである。

同時にそれは権利侵害・QOLの低下をもたらしてきたという事実は否定できない。それが間違いであると気づかせてくれたものが上記の規定につながる一連の身体拘束廃止議論であり、高齢者の自立した生活を支えることを目的とした介護保険制度が始まるに伴って、介護現場において身体拘束をなくす「身体拘束ゼロ作戦」という取り組みが進められるようになったのである。

そのため現在では、介護施設等でシートベルトを装着したまま車椅子に座らせて放置されている高齢者の姿は見られなくなってきたし、つなぎ服が備品庫からなくなり、介護保険制度以後に就職した職員で、その存在を知らない人も多くなった。

しかし目に見える、「身体拘束・行動制限」は見られなくなっているが、認知症高齢者ん対して、「〜しちゃだめ」というスピーチロックは、様々な場所や場面で見られるし、眠剤や向精神薬を使った行動制限は完全になくなったとは言えない。

点滴や胃婁のチューブを引き抜く人に、ミトン手袋を緊急時の例外規定として使用している時御者もあるが、それは本当に、「緊急性・非代替性・一時性」という3条件に合致しているのか、そもそもその行為につながっている点滴や経管栄養は、本当に必要性があるものなのか。

介護施設で、毎日行列に並ばないと必要な介護が受けられない人は、構想制限されている状態ではないのか。

介護事業者のケアサービスを利用している人の暮らしと、その支援方法を幅広く見つめて、これらの問題を考えなければならないと思う。

手足を縛るだけではなく、心をがんじがらめにすることも「なくすべき行動制限」である。

将来、自分や自分の愛する誰かが、介護サービスの場で泣かずに済むように、身体拘束をしなくて済む方法論を伝えたいと思う。
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