僕は今、新千歳空港のさくらラウンジでこの記事を更新アップしている。
今日はこれから女満別空港(大空町)に飛んで、その後網走市まで移動し、明日からの仕事に備える予定だ。
明日から2日間、オホーツク文化交流センターで行われる、「網走市権利擁護事業市民従事者フォローアップ研修」で講師を務める予定になっている。
明日9日は、「利用者の尊厳と権利を護るための基本姿勢〜対人援助に携わる心得」をテーマにした講演を行い、明後日の10日は市民後見人受任者の方が、権利擁護の場で直面する問題について話し合う場に同席し、助言を行う予定になっている。
会場にお越しになる受講者の方々は、市民後見人を受任している方々であるのだが、決して介護の専門家というわけではない。
その方々に権利擁護とは、人権を守るために存在する概念だということを伝えなければならない。
その概念は制度を運用するだけ実現するとは限らないのである。制度運用に関わる全ての人が、その概念が護られる運用方法になっているかという振り返りが必要で、その際にはソーシャルアクションという取り組みも求められてくるのである。(参照:法に対する対人援助のプロとしての姿勢)

後見人を受任している一般市民の方々に、そのことをわかりやすく伝えるのが、今回の僕の仕事である。
自己決定・自己責任・自己負担というが、全ての人がこれらの能力を持つわけではない。そうした能力を持たない人にとって、個人の権利(自由権・財産管理権・契約権)と個人の生活をその人の立場から代弁する(advocasy)ことが求められ、そのために権利擁護が必要となる。
権利擁護の具体的な制度として成年後見制度があるが、それは人権の保障であって単なるサービスではないのである。
ましてやそれは本人の権利を制限するものではない。財産の管理権も被後見人の財産を護ることが求められてはいるとはいっても、それは決して被後見人の財産を使う権利を侵すことがないような配慮も必要だ。ここは非常にデリケートで難しい取り扱いとなる。
そういう意味で後見人としての姿勢や活動とは、対人援助に携わる者の姿勢が問われる問題と理解すべきである。
制度の本質を見極め、被後見人の権利を護るという本質が実現されているかが重要なのであり、制度を運用しておればよいということではないわけである。
それと同時に、後見人として他者に関わるという意味は、誰かの人生の一部分に深く関わり、介入するという意味であることを理解してほしいと思う。
そこでは誰かの人生の幸福度に、決定的な影響を及ぼしかねないという責任が生ずることになるのだ。
例えば配慮のないジョークや、心無い態度で心を傷つけてしまったときに、取り戻す術を失う可能性が高いという理解のもと、そうしないための関わり方が求められることをしっかりと理解する必要がある。
被後見人に、「心を開いてもらうため」という屁理屈で、タメ口や馴れ馴れしい態度で接するのは百害あって一利なしである。
美しい日本語・丁寧な言葉を使いこなしてこそ、対人援助の利用者は心を開いてくれるのであって、丁寧な言葉を使いこなせない人は、丁寧な対応や配慮に欠ける人でしかなく、後見人には向かないことを自覚してほしい。
そういう話をしたいと思うが、北海道は本来であれば7日までに、「まん延防止等重点措置」は解除されているはずであった。しかしその措置が2週間延長されてしまった。そのため受講される人の数も予定より少なくなるかもしれない。
そうであっても来場された方にしっかりと権利擁護の本質を伝え、それらを理解した方から、さらに他の市民後見人の方々に伝わるものが一つでも増えることを期待して、真心を込めた話をしたいと思っているところである。
網走市でお愛する皆様。明日と明後日、よろしくお願いします。
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