masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

高齢ドライバー問題

義務化しなければ意味がない限定免許


高齢ドライバーによる相次ぐ交通事故が社会問題化しているが、6/11の夜にも名古屋で、70代の男性が運転していた車が一方通行の道を猛スピードで走り、小学校のガードレールとフェンスを突き破って、小学校の校庭に突っ込むという事故が起こっている。
小学校の校庭に突っ込んだ事故車
画像の中で、手前に写っている歩道は児童の通学路である。事故車はこの歩道に乗り上げた後、フェンスを突き破って校庭の花壇の上で停まっている。

事故発生時間は午後7時前で、幸い児童は全員下校していたため、この事故に巻き込まれた被害者はおらず、ドライバー自身が軽傷を負っただけで済んだ。しかし時間が1時間前にずれていたとしたら、多くの小学生が事故に巻き込まれて死傷するという大惨事になっていたかもしれない。

事故を起こした男性ドライバーは、警察の調べに対し、「フェンスにぶつかったことは覚えているが、それ以外は記憶にありません。」と話しているそうであるが、猛スピードを出すほどアクセルを踏み込んでいた状況も、「記憶にない」ということは、認知機能の低下が疑われて当然である。

そして今朝も兵庫県西宮市樋之池町の道路で、69歳の女性が運転する車が、歩道を歩いていた保育園児17人と職員2人の列に突っ込み、園児2人が救急搬送されている。

このように高齢者の数が増え、認知機能の低下したドライバーの数も増えることが明白な今日の状況で、「いたずらに高齢者から運転免許を取り上げればよいわけではない。」などという悠長な論議がまかり通っていて良いのだろうか?高齢者の権利を護るために、この国の将来を担うべき幼い命が危険にさらされていのだろうか?認知機能の低下したドライバーによって将来ある若者の命が沢山奪われている現実があるのに、高齢者の運転する権利の前に、手をこまねいていることが果たして民主国家のあるべき姿なのだろうか?

多発する高齢ドライバーの事故を受けて、政府もやっと重い腰を上げようとしている。高齢者向けに安全機能が付いた車種のみを運転できる免許制度を創設することを検討しているようだ。
 
政府が検討している高齢ドライバー専用運転免許の対象となるのは、75歳以上とみられており、「オートマチック車限定」同様、自動ブレーキシステムなどの安全機能を有した自動車のみを運転できる免許とする方針だそうである。ただし現在のところ、「安全機能」の詳細については決まっておらず、今後国内の自動車メーカーと協議の上、決めていくという。そして新免許については、75歳を超えた際に義務として強制的に取得させるのではなく、現在保有している免許と安全機能付き限定免許のどちらかを選ぶ選択制とする模様である。

しかし75歳を超えた人が果たして、限定免許を選択するだろうか?限定免許を選択するには、車を買い替えなければならないケースもあるだろう。そうであれば果たしてその年齢で車を買い替えようという動機づけは生まれるのかということにも考えが及ばねばならない。その年齢で免許を更新する人は、使い慣れた愛車をそのまま乗り続けようとする人の方が多いだろう。そのことも含めて、限定免許を選ばない人の方が多くなるのは明白だ。

そもそも今現在重大な交通事故を起こしている高齢ドライバーとは、ほとんど自分の運転技術に自信を持っている人である。「年齢だから、そろそろ免許を返納するべきかな」と周囲に漏らしている人であっても、自分の運転技術そのものに不安を持っているわけではない。そんなふうに運転技術に不安を抱えながら、注意深く運転して事故を起こしている人は、ほとんどいないわけである。

そういう人が自分の運転に制限がかかり、なおかつ新たな車の購入や部品の付け替えなどの費用負担も増える可能性が高い限定免許を選ぶとは思えない。

つまり現在検討されている政府の、「限定免許の選択制度」など何の意味もない。それは高齢ドライバーの事故の減少には何の効果もない対策である。

限定免許制度を創設するなら、それは義務化すべきである。

例えばそれは2段階の義務制度とするのはどうだろうか。65歳以降は免許更新のたびに限定免許を選択できるようにして、75歳になれば限定免許しか発行しないと義務化すれば、義務化される前の時期に、限定免許に対応する車に買い替える人も増えるのではないだろうか。65歳の時点では、まだ10年は運転できると考えて、車の買い替え動機も、75歳以上の年齢より高いと言えるのではないだろうか。

・・・とここまで書いたところで気が付いたことがある。僕は今、一番型式が新しいプリウスに乗っているが、この車には様々な安全警報装置がついている。前後左右に障害物が近づけば警報音が鳴るし。ウインカーを出さずに車線変更して、白線を跨いだら警報が鳴る。しかしそれが安全装置と言えるかどうか・・・警報音も慣れてしまうのだ。

自動ブレーキは安全性を少しは高めるかもしれないが、完全に事故を防ぐことにはならないだろう。そう考えると、完全自動運転の車ができない限り、最も安全な方法とは、「運転しない」ということでしかないのかもしれず、制限免許を義務化しても、問題の解決には程遠いのかもしれない。

どちらにしても高齢ドライバーの事故防止対策は、待ったなしである。免許返納という「自覚」に期待していては、何の罪もない誰かが巻き込まれる大惨事を防ぐ術はない。

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運転からの勇退はできないものか?


昨日も福岡で高齢ドライバーの運転する車の暴走事故が起こった。

事故を起こした車は、反対車線を逆走したまま、猛スピードで車にぶつかり、それでもスピードを落とさずに交差点に突っ込んでいる。結果的に5台を巻き込み、計9人が死傷するという多重衝突事故となった。

福岡県警早良署は5日、事故を起こした当事者で、死亡したのは現場近くに住む81歳と76歳のご夫婦だったと発表した。

今朝のニュースでは、複数のドライブレコーダー映像が放送されているが、その映像を見ると、81歳のドライバーが運転するミニバンは、相当なスピードが出ており、まったくブレーキをかける様子もなく次々と車にぶつかりながら交差点に突っ込んでいる。
福岡高齢度ドライバー暴走事故6.4
おそらく亡くなられたドライバーは、アクセルに足を乗せたままの状態で、暴走前に意識を失ったのではないかと思われる。その時、何らかの原因でアクセルに載せた足が突っ張るような状態になるかして、意識が無いままアクセルを踏み込んでしまう状態で、車が加速していったのだろうと思う。

助手席でコンソールボックスに挟まれる形で亡くなっていたという76歳の妻は、そのことに気が付いて、運転している夫の足をブレーキからどけようとして、シートベルトを外して、助手席の下に座り込むような形で、手を伸ばしてドライバーの足を持ち上げようとしたが、間に合わずに交差点に突っ込んだと思われる。死亡時の妻の状態がそれを証明しているように思える。(※現時点では、あくまで想像に過ぎないことをご了承願いたい。

たいへん悲惨な事故で、亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

今回の事故は、認知機能の低下とは直接関係のない、急病による不幸な事故というふうに分類されることになる可能性が高い。そうであれば、これは高齢者に限ったことではないが、リスクを考えると、高齢になればなるほど、急死・急病発作の確立も高くなるのだから、認知機能低下リスクと合わせて、そのことも考えながら、「運転からの勇退」を考える必要があると思う。

僕は自分が70歳の誕生日を迎えた瞬間から(それまで元気に生きている保障はないが)、自分自身は運転をしないようにするつもりだ。その時、仮に元気であったとしても、運転からは勇退しようと思う。自身の人生の晩年に、判断能力や身体能力の低下が原因で、他人を巻き込む事故を起こして自分よりも若い人の命を奪う結果になったとしたら、それは悔いても悔いきれないものになると思うからだ。

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科医療機関であった。そこには認知症専門病棟があるが、そこでは1日中孫の名前を呼びながら、孫を探して徘徊している認知症の人がいた。しかしその孫とは、認知症の症状が出ていたにもかかわらず運転を続けたその人自身が、ひき殺してこの世にいない孫である。

それは認知症という病気・症状によって引き起こされた事故であるとはいっても、そのことによってかけがえのない子を奪われた母親は、認知症の義父を決して許そうとしない。結果、その人には何円感も誰一人面会に来る人もなく、精神病棟を孫を探して徘徊し続けている。そういう悲劇が、この日本にはたくさんあるのだ。

そうした悲劇を少しでも少なくするためには、元気だから運転ができるという意識よりも、ある年齢に達したら、移動手段は別に考えて、自らは運転しないでおこうと考える必要があると思う。もちろんそのためには、高齢者の移動手段を地域全体で保障するという取り組みも必要だろう。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになっているが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加されている。ということは買い物に困る高齢者はすべて対象になるサービスなのだから、このサービスがあれば、免許を返納し運転から勇退できる高齢者は多いわけだ。よってすべての市町村で、このサービスが実施されることを強く望んでいる。

それにしても今回の事故を起こしたドライバーの住所を見ると福岡市早良区となっている。ということは博多ではないか。決して公共の移動手段に困る地域ではなく、交通網の発達した大都会である。そのような便利な場所に住んでいる高齢者の方々は、1日も早く移動手段を見直した方が良いと思う。

今回の事故を引き起こした当事者は亡くなってしまったが、その結果は重大で、多事故の賠償責任は、当然遺族に引き継がれるのではないかと想像する。その場合、任意保険だけで賄いきれるのかという問題も出てくる。

残された愛する遺族にそうした負の遺産を負わせるという禍根を残さないようにするためにも、運転からの勇退は、もっと広く国民議論として展開されても良いのではないだろうか。

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認知症ドライバーによる死亡事故はいつまで放置されるのか


昨日(5/28:月)10:55頃、神奈川県茅ケ崎市元町の国道1号で、乗用車が横断歩道を渡っていた4人をはねた後、歩道に突っ込み、さらに2人をはねた。この事故で女性1人が死亡し、2人が重傷を負った。

乗用車を運転し事故を起こした90歳の女性は、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで逮捕されたが、取り調べで、「信号は赤だったが歩行者が渡っていなかったので発進した。歩行者が渡り始めたのが見えたので、ハンドルを切った。」と供述しているという。

容疑者は今年3月に運転免許証を更新しているそうだ。その時点では、認知症の症状がみられなかったということだろう。

現時点でも、この女性が認知症であったかどうかは不明だが、判断力の衰えは否定できないだろう。どちらにしても事故と認知機能低下の問題を切り離しては考えられないのではないか。

いやむしろ認知症とはいえないまでも、判断力が衰えていることで、運転しないという判断もできず、危険行為が日常的に続けられている人が考えられている以上に数多く存在するというのが問題である。

そのことで将来ある尊い命が、日常的に危険にさらされているというのが、我が国の現状ではないのか。そうであるなら認知症の人が運転できてしまうことの危険以前に、加齢による判断力の衰えは、すなわち危険運転の原因でもあるという社会認識を広げ、一定年齢になった際の運転からの引退が、普通に行われる社会を目指すべきではないのだろうか。

このブログでも認知症ドライバー問題は、過去に何度も取り上げてきた。

ネット検索すると「認知症患者による過去の自動車暴走事故まとめ」というサイトもヒットするが、それらは認知症ドライバーが引き起こしている死亡事故のほんの一例に過ぎない。

これらの事故に巻き込まれる人の多くは、事故を起こしたドライバーより若い人で、中には幼稚園児や小中学生が多数含まれている。

高齢者の移動手段の確保の代償が、将来のある子供や若者の命との引き換えであって良いというのだろうか。

自動運転ができる車の開発も急がれるだろうが、それが実現していない今、認知症の人はますます増え続ける超高齢社会である我が国では、認知症の症状が出現してから対策するのではなく、認知症の症状が出る前に、リスクを減らす対策に努めることが求められるのではないのだろうか。

いつまでも認知症ドライバーや、判断力の衰えた高齢ドライバーによる悲惨な事故を繰り返さないためにも、判断力の衰えていないうちに、一定年齢に達した場合の運転免許の返上が求められるのではないだろうか。それは自主的な返納に頼るのではなく、超高齢社会の法令ルールとして返納義務が存在しても良いように思う。

勿論、高齢者の移動手段の確保は、免許返納とセットで行われるべきで、免許返納者が対象となっている、「介護予防・日常生活支援総合事業」の送迎サービスを全市町村で行うことを義務付けるべきとも考える。

どちらにしても、他人の命と引き換えに、護るべき権利など存在しないのだ。そのことを肝に銘じて、新ルールをつくっていかねばならない。

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運転から勇退ができる社会に


爆弾低気圧を避けて、1日早く鹿児島入りしたが、その後の北海道はすごいことになっていた。自宅からも連絡が来て、暴風雪警報が出されて、すごい荒れようで怖いくらいだという。早めの移動は正しい判断だったようである。

そんな風に1日早く鹿児島に来たので、夜は「かごっま屋台村」というところで、「大隅料理」を肴に、しこたま焼酎のお湯割りをいただいた。楽しく酔うことができた夜だった。もう一つのブログ記事も是非参照していただきたい。(参照:masaの血と骨と肉・ダチョウはともだちよー

しかし今朝は二日酔いもなく、すっきり起きた。今日の講演は18:00〜20:00の予定で、その後21:00まで名刺交換会兼プチ立食パーティーがあるが、それまでの時間はフリータイムだ。しかし何度も来ている鹿児島で、ことさら観光という気分にはならない。行く場所を探して、移動の足を考えるのは億劫だ。今回は駅前のホテルに滞在しているので、駅周辺をぶらぶらしながら、鹿児島に来た時一度は食べてみたいと思いつつ、いつも何らかの事情で空振りが続いている「こむらさき」の鹿児島ラーメンを食べてこようかと思っている。

ところで今回の旅は、株式会社グローライフさんが主催する「介護支援専門員及通所介護事業者向けセミナー」がメインである。地域の関係者にもオープンの講演会で、すでに当初予定を大きく超えるたくさんの受講申し込みがある。会場で懐かしい方、フェイスブックでの交流のしかない初めて会う方など、様々な方にお会いできるのが今から楽しみである。鹿児島及びそのお近くの皆さん、よろしくお願いします。

さて、それを終えた翌日は、北海道にすぐに帰るのではなく、福岡〜唐津の旅を続ける。一人旅ではなく、福岡のお仲間との旅である。

博多で、弁護士法人翼・篠木法律事務所を主宰する篠木潔弁護士が中心となって活動している、「ケアマネゼミ・チーム篠木」の皆さんと合流し、大人の修学旅行に参加する予定になっている。その中でも120分の講演を行うことになっているが、それはおまけであり、皆さんと一緒に旅を楽しむのが一番の目的である。その様子は、月曜日のブログ記事で紹介できると思う。

そんな風に、今回の九州はケアマネ向けの2講演を行うことになっているが、テーマは両者とも「介護報酬改定大解剖」としている。鹿児島と唐津では内容は少し変えてはいるが、両方とも居宅介護支援費の改定内容を解説しながら、その中に隠されている意図・次の改定につながる布石・制度改正の橋頭保について僕なりの見解を示すことになる。同時にここでは、認知症高齢ドライバーの事故を防ぐために、関係者として何をすべきかをお話ししようと思う。

今年1月、前橋市北代田町の県道で、自転車で登校中の女子高生2人が乗用車にはねられ重体となった。群馬県警によると、運転していた容疑者は中央線をはみ出し、右折待ちしていた車のサイドミラーに衝突、逆走する形で市立前橋高校1年生(16)と3年生(18)の女生徒を相次いではねた。このうち16歳の女性は事故後お亡くなりになった。(18歳の女性とは意識が回復したとの報道あり。)

乗用車を運転し自動車運転処罰法違反(過失致傷)の疑いで逮捕されたのは85歳の男性ドライバーであったが、容疑者は事故直後に「気がついたら事故を起こしていた」と供述している。そして事故当時のことは覚えていないとの趣旨の供述を続けた。

容疑者は昨秋、運転免許の更新時に改正道交法に基づく認知機能検査を受け、認知症ではないとの結果が出ていた。しかし、事故を起こすまでの間に認知機能が低下した可能性が高い。家族によると、容疑者は目立った持病などはなかったが、たびたび物損事故を起こしていたという。そのため家族から運転しないよう再三説得されていたという事実がある。

その説得に容疑者が応じることはなかった。

そして事故当日は、運転に反対する家族の目を盗んで出かけ、若い命を無残に奪う結果を引き起こした。後悔してどうにかなる問題ではない。

容疑者が物忘れをしたり、車をぶつけて帰ることが多くなったため、家族は運転を止めてくれと言っていたが、同時に家族は、車を取り上げることは「おじいちゃんを家に閉じ込めることになる」と迷いがあったという。さらに「認知症がそこまで進行しているとは思わなかった。」とも言っている。

運転するなという声に容疑者が応じなかった理由の一つは、運転してはいけないという家族の言葉に、本来持つべきだった危機感が欠けていたからではないか。そしてそのような薄弱な問題意識は、世間一般にも見られる傾向で、その結果が尊い人命を奪ことに結びついているということを重大な事実として認識してほしい。

認知症専門医の中にも、「認知症だからといって運転ができないわけではないから、認知症という診断だけで免許を取り上げるのは問題だ」とバカげたことを言っている輩もいるが、そんな悠長なことを言っている暇がない。そもそも本ケースの状況を見てわかることは、免許更新時の検査や、認知症という診断を受けた後の後追い対応でも、問題は何も解決しないということだ。

幼児や子供たち、将来ある若者たちが、認知症度ラドライバーの運転事故により、毎年たくさんの命が奪われていることを考えると、認知症になったから運転しないのではなく、認知症になったら、正常に運転できるかできないかの判断能力に欠けるという意識をもって、その段階では運転する・しないの正しい判断はできなくなることを前提にして、ある年齢に達したら運転から勇退するという国民意識を育てることが重要である。

そのためには、高齢期の生活手段となる移動手段については、個人の責任でどうにかするのではなく、各自治体の責任で整備する必要がある。そのためにはコミュニティバスを走らせたり、「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うなど、いくらでも方法は考えられる。

地域包括ケアシステムとは、そうした仕組みを作ることであるし、この部分に予算をつけることを意味するものだ。早急なる整備を望みたい。


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高齢者事故、半数が認知機能低下


東京に行くと、あらゆる場所への移動が、公共の交通機関を利用するだけで可能である。

重いスーツケースを抱えていても、タクシーを利用するまでもなく、電車で移動すれば済む。そもそも山手線などの駅間の距離の短さは何だろうと思う。札幌以外の北海道の移動を考えると、歩いて移動するのが当然の距離に駅と駅がある。なるほどこれだから自家用車を持つ必要もないわけだ。

一方北海道の郡部では、人口減少が進み、日用品を売る商店が生活圏域からなくなり、医療機関もない地域が増えている。

そうした地域の住民は、日常必需品を手にするために、あるいは持病の管理や治療のために、長い距離を移動しなければならない。そのための移動手段が必要となるが、鉄道もなく、路線バスも1日数本という状態では、それらの交通手段に依存してはままならない暮らしがそこにある。当然、自家用車は必要不可欠な生活の足である。

そうした地域もどんどん高齢化が進行するが、高齢化が進めば進むほど、生活圏域から移動して何かを行わねばならないという機会は増える。だからますます自家用車を手放すことはできなくなるし、運転することから引退するという考えも荒唐無稽なものとなる。

自家用車を手放し、運転行為から引退するということは、すなわち「暮らしが成り立たない」・「生きていけない」ということと同じ意味になってしまうのである。

しかし加齢は認知症の最大リスクであり、運転し続ける高齢者の判断能力が衰えることによって引き起こされる交通事故が増え続けている。その事故によって幼い命、前途ある少年・少女の命が失われるケースが年々増えている。

日常と変わらない通学途中に、突然歩道に乗り上げた認知症ドライバーの車によって、一瞬のうちに命を奪われる子供たちの魂は、どこに漂っているのだろう。安らかなる場所に行きつくことはできるのだろうか・・・。

警視庁のまとめによると、75歳以上になって運転免許更新時などに認知機能検査を受けた高齢者の中で、昨年1年間に交通死亡事故を起こしたのは385人で、うち49%となる189人が認知症の恐れがある「第1分類」か、認知機能低下の恐れがある「第2分類」と判定されていたことが明らかになった。

警察庁の担当者は「死亡事故を起こした高齢運転者は認知機能の低下がより進んでいた」と指摘し、運転技能に不安を感じた場合の免許の自主返納などを呼び掛けている。

いつ認知機能の低下が現れるかわからない。そして認知症の人は自分が認知症であるとは思えないのである。そうであるがゆえに、一定年齢に到達したら、運転行為から引退するという自戒が、すべてのドライバーに求められるのではないだろうか。

同時に生活が成り立たなくならないように、政治は、限界集落などの住民に対し移住策を促進し、人口減少社会の中でのコンパクトシティへの地域再編を最優先の政策課題としなければならない。

保健・医療・福祉・介護関係者は、地域行政に対して、高齢者の移動手段の確保のための対策を行うためのソーシャルアクションに努めなければならない。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになったが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加された。

このサービスは、乗車距離や時間に応じたガソリン代などの実費相当分として、1回数百円で利用できるものだから、日常生活に必要な移動手段の確保に困る高齢者には必需サービスである。このサービスを「介護予防・日常生活支援総合事業」として行っていない自治体は、認知症ドライバーの事故リスクに何も対応がされていない自治体ということになる。そういう市町村をなくしていかねばならない。

高齢者の日常移動手段を確保する政策は、日本の明日を担う子供たちの命を守る政策でもある。


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悠長なことを言っていられない認知症ドライバー問題


新年早々、認知症のドライバーによる悲惨な交通事故がまた起こった。

9日午前8時20分ごろ、群馬県前橋市北代田町の県道で、85歳の男性が運転する乗用車が、始業式のために登校途中の自転車の女子高校生2人をはねた。女子高校生は2人とも意識不明の重体。

加害者は走行中、対向車線にはみ出し、路側帯を走っていた女子高生をはね、民家の塀に衝突した後、さらにもう一人の女子高生をはねた。さらに走行車線に戻り、渋滞で止まっていた軽乗用車に衝突したという。現場にブレーキ痕はなかったそうである。なお加害者の男は頭に軽傷を負った。

目撃者は、「渋滞の車列に並んでいたら、ものすごい速度の車がセンターラインをはみ出して追い越していった」と証言しているという。

この事故については上毛新聞社のネットニュースが画像も含めて詳しく報道している。

別の報道記事では、『男性の息子の妻(56)によると、男性には普段から物忘れなどがみられ、免許返納を勧めていたが拒まれていた。昨秋には認知機能検査を経て免許が更新されたという。「物損事故を数え切れないくらい起こし、いつも『運転はやめて』と話していた。今朝も(家族にとめられないよう)隠れるように出て行ってしまった」と話す。「高校生の子が心配で、心配で……。本当に申し訳ない」と涙を流した。』とされている。

認知症ドライバーが運転する車の事故により、尊い命が失われる事故が後を絶たない。そのために道路交通法を改正し、75歳以上の高齢者が運転免許の更新時か違反時に「認知症のおそれあり」と判定されたら、例外なく医師の診断が必要になり、認知症であると診断された場合、運転免許は失効・取り消しされるようになった。

しかしこの診断に関わる医師の中には、認知症だからといって運転できないわけではないと言って、免許の失効・取り消しに反対する意見もある。(参照:認知症診断で運転免許を取り消す法律について

そんな悠長なことを言っていてよいのだろうか。

そもそも検査がされる前に認知症の症状が出ている人は、この法律改正でもカバーできない。

そうであるとしたら、すべての国民が、認知症であっても運転行為はできてしまう(参照:記憶を失っても、感情が残される理由)という事実を知るとともに、その状態は正常な運転ができているわけではないという危険性を十分認識し、病識のない認知症高齢者本人には、運転をしないという判断力も欠如しているので、家族などの周囲の人々が、何が何でも運転させないという方策をとらねばならないことを自覚すべきである。

今回のような悲惨な事故が起こった後に、『あの時に鍵を取り上げていればよかった。(被害者が)大変心配』なんていっても始まらないのである。鍵を取り上げていなかった家族の責任も問われて仕方のない問題なのである。

居宅介護支援事業所の介護支援専門員で、認知症の症状が出始めた利用者に関わる人は、当該利用者が運転しないための支援を行う必要性がさらに増すだろう。その自覚が必要だ。

同時に自動車メーカーには、自動運転技術を1日でも早く確立してほしいし、国もその方向で法改正を行ってもらいたい。しかしそれがまだまだ先であるという現状を考えるなら、自動車メーカーは、とりあえず手続き記憶だけで運転できる車の製造を止めてもらいたい。その技術は簡単なことである。車のカギをもって、ボタンを押すだけでエンジンがかかってしまうのではなく、そこに暗証番号を打ち込むという1手順を加えないとエンジンがかからない仕組みにするだけでよい。そうするだけでエピソード記憶が低下している認知症の初期段階の人は車のエンジンをかけられなくなり、今回のような事故は大幅に減るだろう。

車を運転しなくとも、高齢者の生活上の移動手段を整備して確保する方策も必要だが、幼い子供や未来のある若者が、認知症高齢者の運転の犠牲になる事故が、毎年増え続ける現状を考えるならば、認知症になったら運転させない、認知症になる前に、一定の年齢を過ぎたら運転行為から勇退するという考え方が当たり前となる社会を作ることが求められるのではないだろうか。

尊い命を護るために・・・。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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免許返納者の移動支援に保険給付


このブログでは、認知症の人の運転行為がいかに危険であるかという観点から、免許の返納や周囲の人が運転をやめさせるようにすることが必要であることを再三主張してきた。

そして「認知症でも運転動作ができないという考え方は短絡的」・「正常の運転操作ができる認知症の人もいるので、認知症という診断のみで免許を返納させるのはいかがなものか」などの意見についても、一見、認知症の人の権利を護ろうというかのような印象を与えるけれども、それは周囲に果てしなく危険なものを残存させ、尊い命を事故で奪う危険性をばらまくものでしかないとして、極めて否定的な意見を述べてきた。(参照:認知症診断で運転免許を取り消す法律について

リンクを張り付けた参照記事で、僕の次のように提言している。

・認知症の診断が、高齢者の「生活の足」を奪うことを問題視する人がいるが、そうであれば認知症診断により、運転免許が取り消された高齢者に対し、その情報を地域包括支援センターに送り、関係者が自家用車を運転士しなくなった後の、「生活課題」を話し合って対策するシステムを作ればよいではないか。それが本来の「地域包括ケアシステム」ではないだろうか。

・認知症だからと言って正常な運転ができないわけではないが、その状態ではいつ、判断の衰えで悲惨な事故を起こしかねないのだから、もう運転からは引退して、地域サービスによって生活に必要な移動手段を確保しましょう、ということでよいのではないだろうか。


この提言を受けたわけでもないが、その提言を実現する一歩になるのではないかと思われる国の新たな方針が示された。「免許返納者、買い物弱者に来年度から介護保険で送迎サービス」というものだ。

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読売新聞WEB NEWS 2017年10月02日 14:17配信記事を転載
厚生労働省と国土交通省は、交通機関の衰退した過疎地で運転免許を返納したり、買い物に困ったりしている高齢者らの交通手段を充実させるため、介護保険制度の送迎サービスを活用する方針を決めた。
今年度、介護保険法や道路運送法に基づく指針を改正し、来年度から市区町村が実施する。
送迎は、介護事業者やNPO法人などが、高齢者を自宅から病院や介護施設、スーパーなどへ車で送り迎えするサービス。介護保険制度の介護予防・日常生活支援総合事業の一つで、2015年度から一部の自治体で始まった。
現在の対象は、市区町村から「要支援」と認定された人や、認定とは別に、「一人で外出できない」などと認められた人。乗車距離や時間に応じたガソリン代などの実費相当分として、1回数百円で利用できる。
新たな指針には、これらの高齢者以外でも利用できることを明示。例えば、バスの本数が少ない地域で買い物に困る高齢者や、運転免許を返納した高齢者らを想定している。行き先もスーパーや病院だけでなく、喫茶店や集会所も巡回するなど、自治体がニーズに柔軟に対応できるようにする。利用者負担も、現在と同程度とする予定だ。
厚労省によると、送迎サービスを行っている事業者は昨年4月現在、全国で十数事業所にとどまるが、今年4月、全ての自治体で総合事業の実施が義務化されたため、多くの参入が見込まれている。日々の買い物に困る高齢者らは約700万人に上るとみられる。
また、75歳以上を対象に、免許更新時の認知機能検査を強化する改正道路交通法が今年3月に施行された。16年には75歳以上の約16万人が免許を返納し、今後も増える見通しだ。
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この送迎サービスは、介護保険を財源とするが、【介護予防・日常生活支援総合事業】として実施されるために、要介護・要支援認定を受けなくとも、運転免許証を返納した高齢者はこの事業での移動サービスを受けることができる。これは朗報である。

勿論、その事業は各市町村が独自の基準と方法で実施する地域支援事業だから、市町村間で運用の違い=格差はでてくるやもしれないが、近い将来の事故危険性を感じて運転免許を返納した人に対して、その後の移動手段は自己責任で何とかしなさいという風に放り出して終わりではなく、国として移動手段の確保のための支援策を示したことは大きな第一歩だろう。

あとは地域の事情に応じて、実効性のある高齢者の移動手段の確保、買い物支援策など様々な方策を考えて具体化していくことが必要であり、そのために保険・医療・福祉・介護関係者だけではなく、民間営利企業や地域住民をも交えた、多職種協働・多職種連携が求められている。

そして高齢者の移動手段を伴う生活支援ネットワークを構築していくのが、真に求められる地域包括ケアシステムの姿であると言えるのではないだろうか。

今回国が示した送迎サービスへの保険給付は、認知症高齢者の運転による事故防止の一助にもなるという意味で、高齢者だけではなく、地域住民全体のメリットとして考えられてよいと思う。各市町村は、そのために適切な介護予防・日常生活支援総合事業による移動サービスのシステムを構築していくべきである。

まさにこの部分は、地域行政の腕の見せ所なのである。

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認知症診断で運転免許を取り消す法律について


改正道路交通法では、75歳以上の高齢者が運転免許の更新時か違反時に「認知症のおそれあり」と判定されたら、例外なく医師の診断が必要になり、認知症であると診断された場合、運転免許は失効・取り消しとなる。

このことについて診断を求められる医師の側から、様々な反対の意見が挙がっている。

「運転免許の取り消し」とは、高齢者の移動手段を奪いかねないことであり、そうした重大な問題につながる診断を、短期間で行うことは不可能だという意見。認知症だからと言って、正常な運転ができないわけではないので、認知症=免許取り消し、はあまりに短絡的で乱暴な考え方だとする意見・・・etc.

認知症の人の権利を護るという言う意味で、それらの意見も正論であるかのように聞こえる・・・。しかし認知症の人が運転ができるという意味は、認知症になってエピソード記憶や意味記憶が衰えても、それらとは回路が異なる手続き記憶が比較的最期まで残るために、運転動作は可能だという意味だ。この場合、運転ができても様々な判断能力が衰えている場合が多い。

勿論、そうでない人もいるのだろうが、運転に支障をきたす認知症か、そうでない認知症かという診断は不可能だ。そのことは実際に、日常的に運転していないと判断できない。

しかしその結果、正常な運転操作ができないことが分かった時点で、すでに事故を起こしているとしたらどうなるのだろう。その事故の結果が、尊い人命を奪ってしまっていたとしたらどうなるのだろう。

現に、毎年のように認知症のドライバーが運転する車により、引き起こされた事故で亡くなっている方がいる。

2013年6月4日、東京都狛江市の市道で、35歳の主婦が乗る自転車に軽乗用車が追突、自転車を引きずったまま100メートル先の民家の塀に衝突した事故では、自転車の後部座席に乗っていた2歳の女の子が頭を強く打って死亡している。現行犯逮捕された72歳の自営業の男性は、自転車にぶつかる200メートル前にも塀などに2回衝突していた。容疑者の親族は「認知症を患っている」と話しているというが、本人にはその自覚がなく、逮捕後も事故の記憶を失っているという。

2014年11月えびの市の県道で、76歳の男性が運転する軽トラックが路側帯に突っ込み、下校中の児童3人を次々にはねた。認知症の症状があり、医師や家族から運転をやめるよう注意されていたが、聞き入れず運転を続けていた。

2015年10月28日、73歳の男性が運転する軽乗用車が、宮崎市の歩道を約700メートルにわたって暴走。歩行中の女性2人が死亡、男女4人が重軽傷を負うという悲惨な事故が起きた。男性は数年前から認知症の症状があり、症状が出た後、複数回交通事故を起こしていた。

このような事故は、挙げればきりがない。中には自分の孫をひき殺し、その記憶がなく、入院先の精神科病棟でかわいい孫を探して徘徊を続ける認知症の人もいる。

それらのことを考え合わせると、一定年齢を超えた場合、認知症であるかないかという診断を線引きとして、運転免許を取り消すというルールは必要ではないのか。

認知症診断で免許取り消しに反対する医師の方々は、それなりの見識をお持ちの、まじめな方々だと思うが、あまりに悠長だ。認知症ドライバーにより引き起こされた事故によって、幼い子供などの肉親を失った方などからいえば、認知症とわかっている人に対し、事故リスクのある運転行為をやめさせないこと自体が罪深いということではないか・・・。

認知症の診断が、高齢者の「生活の足」を奪うことを問題視する人がいるが、そうであれば認知症診断により、運転免許が取り消された高齢者に対し、その情報を地域包括支援センターに送り、関係者が自家用車を運転士しなくなった後の、「生活課題」を話し合って対策するシステムを作ればよいではないか。それが本来の「地域包括ケアシステム」ではないだろうか。

一見、認知症の人の権利を護ろうというかのような、「認知症=正常な運転ができないわけではない」という意見は、その周囲に果てしなく危険なものを残存させ、尊い命の危険をばらまくものでしかない。

認知症だからと言って正常な運転ができないわけではないが、その状態ではいつ、判断の衰えで悲惨な事故を起こしかねないのだから、もう運転からは引退して、地域サービスによって生活に必要な移動手段を確保しましょう、ということでよいのではないだろうか。

そうすることが、超高齢社会の知恵ではないのだろうか。

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運転免許定年制を考える先にある混合介護


認知機能が衰えた高齢ドライバーによる事故に関連して、このブログでは何度かそうした悲劇を防ぐことができないかという方向から、様々な記事を書いてきた。

理想を言えば、こうした悲劇を防ぐためには、認知機能が衰えてから運転をやめようとするのではなく、一定年齢に達したら、運転という行為から勇退するという考え方が必要だ。

つまり免許定年制の導入である。

とはいっても運転しなければならない理由を無視して、運転にも定年が必要と唱えたところで、誰もそのことに理解を示してはくれないだろう。

たとえ理解してくれる人がいたとしても、「そうは言ってもなあ・・・。」という呟きが聴こえてきそうである。運転しなければならない様々な理由を思い浮かべて、免許定年制に賛同しきれない気持ちを多くの人が抱くであろう。

そもそも自分に置き換えて考えたらどうだろうか。

自分が一定の年齢に達したときに、いざ免許を返納して運転をやめるという決断ができるだろうか。車がないことで日常生活に支障はきたさないだろうか。

お金が余るほどあれば、日常の買い物にもタクシーを使って不便はないだろうが、そんな優雅な生活ができるわけもない。都会に住んでいれば、車がなくても不便はないのかもしれない。しかし今住んでいる地域で、自分の暮らしを考えたら、車の運転をしなくて良い生活はなかなか想像できない。

日用品の買い物以外にも、通院や家族との連絡、社会交流など様々な機会に車は必要なのだろうが、個人のすべての問題の解決ということは難しいかもしれない。人口減少社会では、その解決は大規模な住み替えによる、コンパクトシティー化という地方都市再編政策が不可欠で、現実的にそのようなことが難しい状況では、よりましな方向性を考えなければならない。

すくなくとも日常必需品の購入に車が必要であるということになれば、なかなか免許を返納するという決断には結び付かない。そうであればそのことを車なしで、どのように解決するのかという検討から始めることは、この問題解決の有用な第一歩になるかもしれない。

全国どこに住んでいても、車がなくとも日常必需品の確保に支障がないということになれば、免許を返納する動機付けは高まるのではないだろうか。

高齢者向けの宅配販売事業者が求められるといっても、ある程度の顧客数がないと、地域出店できる個人事業者には限りがあるから、実際にはそうしたサービスがこの問題の解決策になっていないという現実がある。では他にどのような方法があるだろうか。

それはやはりインターネットを使った商品取り寄せシステムを利用することだろう。

高齢者が家に居ながら、デパートやスーパーに出かけて買い物している気分になるサイト運営を行うことは、そう困難なことではないように思う。

例えば僕の例を挙げると、ネット通販等でどのような商品を取り寄せているかといえば、仕事着であるスーツやワイシャツ等は、ネットで取り寄せることが多い。近くに紳士服専門店がないわけではないが、気に入ったスタイルや色を突き詰めていくと、種類が豊富なネットショップがいつの間にか、お気に入りの商店になっている。そして自分のサイズさえ把握していれば、裾上げやウエスト詰めもしてくれるので、商品が送られてきたらすぐ着用できる。

眼鏡もしかり、近くの眼鏡店に置いていないおしゃれなメガネフレームが、国内外のネットショップにあふれている。輸入購入も普通のことだ。その場合フレームだけ購入して、地元の眼鏡店で度入りレンズを入れてもらう必要もなく、自分の度数を告げればレンズも入れて販売してくれるショップもあって、何の不便もない。

おせち料理等の食料品も、ネットショップで購入する機会が多くなった。そのことに何の違和感もない。日常的な食料品の取り寄せも、年々その幅が広がっている。道外講演で訪れた場所で食べたものがおいしかったとして、それと同じものが地元で変えない場合に、訪問したお店のサイトから取り寄せるということは、もう普通である。

そして高齢者だからといって、ネットショップの利用が難しいのではないかと考える必要もないことは明らかだ。

これから高齢期を向かえる人は、パソコンやスマートフォンやタブレットを、普通に使いこなしている人が多いのだから、ネット通販の利用にも慣れている人が多い。それらの人は現在、地元では変えない商品をインターネットを使って取り寄せている場合が多いだろう。

その延長として、日用品の購入もネットを利用するのがスタンダードになっても不思議ではないし、今後の高齢者の生活実態に即した、車を使わなくても日用品を購入できることを目的としたサイト作りは、結果的に収益を期待できるベンチャーにもなりうるのではないだろうか。

その運営は、ネット専門業者によるものではなく、介護事業者の保険外事業として考えられても良いし、それは将来的には、混合介護の一翼を担う可能性だってある。

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認知症ドライバーの悲劇


人にとって、悲劇とは様々だが、最愛の人の記憶がなくなること、最愛の人に対して不幸を与えてしまうこと、その記憶さえ失ってしまうことは、最大の悲劇といえるかもしれない。

そのような悲劇が、今この国でじわりと増えてきている。それは超高齢社会が生む悲劇といえるものだ。この部分にスポットを当てて考えねばならない時期に来ている。

認知症ドライバーの運転の問題については、このブログでも何度か指摘してきた。

エピソード記憶や意味記憶が失われても、手続き記憶が最後まで残ってしまうことで認知症の症状があるのに運転してしまう人が増え続けている。

高速道路の逆走をしている人のうち、認知症の症状のある人が17%しかいないのだから、それは認知症の問題ではないという人がいるが、認知症という特定症状だけで、事故原因の17%もの割合を占めていること自体が大問題で、しかも事故を起こして死亡した高齢者の、その時点での認知症状の有無は調査されていないということが、さらに大きな問題なのである。実際には、認知症を原因とした自動車事故は数字に表れている以上に多いのである。

先日も秋田県日本海沿岸東北自動車道の大内ジャンクション付近の下り線で、出口から逆走進入してきた軽乗用車とトラックが正面衝突し、逆走車(軽自動車)に乗っていた3名の高齢者が亡くなっている。この事故に関して言えば認知症の問題であるかどうかは分からないが、何らかの判断ミスが事故原因となっていることは間違いなく、ドライバーに認知症の症状がなかったかどうかも検証してほしいものだ。

事実、認知症の人が運転する車の事故は増えている。その中には、自分の孫をひき殺してしまったという悲劇も含まれているが、この悲劇には第2弾があって、手続き記憶が残っているために運転ができてしまい、そのような事故を起こしてしまっても、その事故によって大切な孫の命が奪われたという、「エピソード記憶」はなくなってしまうために、事故を起こしたという記憶がなく、それ以後も運転を続けようとするだけではなく、その運転する理由が、事故で亡くなった「孫を迎えにいく」だったりするわけである。

そんな悲劇が繰り返されないように、手続き記憶だけで運転操作ができてしまう車を販売できないようにすべきだし(エンジンをかける際に、暗証番号を打ち込む車にすればよいだけの話である。)、少しでも認知症の症状が現れた人については、「運転操作ができるから大丈夫」と考えるのではなく、一刻も早く運転しないような環境に置く、という対応をしなければならない。

人口減少社会に入ったわが国では、人口密度が低くなり、それは高齢者の生活空間に日常の暮らしに必要な社会資源が、櫛の歯が欠けるように消滅していくことも意味している。そうであるがゆえに、これからの社会に、足代わりとなる自家用車の必要性は、増すことはあっても、減ることはないだろう。車が運転できないと暮らしが成り立たないという人が増える社会で、同時にこのような深刻な問題が起きている。

そうであれば、認知症ドライバー対策の一面は、車を運転しなくても高齢者の暮らしが成り立つ地域社会を創るということにもなる。そのための地域包括ケアシステムを構築しなければならないということだ。そこには、「住み替えを促進した新しい地域社会の構築」という新たな課題が見えてくる。

そしてそれは政治が誘導していかないとならない問題で、地域行政だけで解決できる問題ではないということも指摘しておきたい。

※本日18:30〜ビエント高崎エクセルホールで、120分間の講演看取り介護講演を行います。主催は社会福祉法人・ようざん会さん。どなた様も無料で参加できますので、お近くの方で時間がある方は、是非会場までお越しください。
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認知症の高齢ドライバー対策の法改正について


先週土曜日の夜、北海道砂川市で起こった一家5人の死傷事故が痛ましい。僕は高校・大学時代を通じて同じ空知管内の岩見沢市に住んでいたので、事故現場の国道12号線はよく通った道路だ。本当に見晴らしの良い広い道路であるが、あの直線が29キロにも及んでいることは、今回の事故報道で初めて知った。

しかし事故の様相が明らかになるにつれて、亡くなった家族の軽自動車にぶつかった車と、後続していて投げ出された長男を1.8キロも引きずった車のドライバーは、ともに飲酒運転で100キロ以上のスピードを出し、赤信号を無視した疑いが強いというのだから、これはもう事件である。

死傷された一家は、軽自動車の定員を超えて5人が同乗していたのだから、まったく非がないと言えないのだろうが、それにしても加害者の状況はひどすぎる。

このような事故のニュースに触れると、文明の利器であるはずの車の怖さがよくわかる。それを走る凶器にするもしないも、ドライバーの自覚ひとつにかかってくるのだから怖い。特に北海道の道路は、広くてまっすぐな道路が続居ている場所が多いので、ついついスピードがオーバーしがちでる。自分も気をつけなければならないと自戒している。

しかしスピードを出している自覚や、危険な運転状態になっているという自覚ができないまま事故につながっているのが、認知症高齢者の交通事故である。「早急なる認知症ドライバー対策を求めたい」でも指摘しているが、運転動作というものは、「手続き記憶」であり、エピソード記憶や意味記憶を失っても、最後まで残る記憶であるために、家族の顔や名前がわからなくなったり、直前に何をしていたかがわからなくなった人でも、運転という行為だけはできてしまうのである。よって車の運転はできるが、見当識障害があるために正常な運転動作ができず、いろいろな場所に車をぶつけて、やっと動かしている状態であるにもかかわらず、運転している認知症の人には、車を何かにぶつけたという記憶が残らないために、正常に運転していると思い込んでしまうという状態になる。こうした認知症ドライバーは、考えられている以上に多いのである。

この問題に関連して、認知症の高齢ドライバーによる事故を防ぐため、75歳以上の運転免許制度を見直す改正道路交通法が、11日の衆院本会議で可決・成立した。

認知症対策強化の道路交通法改正イメージ左の画像は、北海道新聞が今朝の朝刊で改正法の概要を図解しているものである。

とてもわかりやすいのでその図を写真画像にして紹介してみた。このように75歳以上の人の免許更新時に認知機能を調べる検査が行われているが、現在は「認知症の疑いがある」と判定されても、道路の逆走など、認知症と疑われる違反がなければ医師の診断を受ける必要はなく、原則、免許は更新されていた。しかし改正法では「認知症の恐れ」と判定された場合には、医師の診断を義務づけ、正式な診断が出れば、免許停止か取り消しとされた。

また、次の免許の更新までの3年間に認知症の症状が進む人もいるため検査で「問題なし」とされた人でも、逆走など認知症と疑われる交通違反を起こした場合は臨時の検査を受けることになり、この場合も「認知症の恐れ」と判定された場合には、医師の診断を義務づけ、正式な診断が出れば、免許停止か取り消しとされた。

これによって免許取り消しとなる高齢ドライバーは、確実に増えると予測される。高齢者の移動手段が自家用車に頼らざるを得ない地域では、そのことを危惧する声もチラホラ聴こえてくるが、だからと言って、認知症となっていることの自覚がない人の危険運転を放置してよいはずがない。危険運転の自覚がないまま事故を起こし、他人の命を奪った記憶さえないというのでは、事故死した方が浮かばれない。認知症の人が運転する車の事故で死亡するのが、運転していた人のかわいい孫であるという悲惨なケースだってあるわけだから、人の命にかかわる問題として考えるのならば、この改正は望まれる方向であると言ってよい。

しかしこの改正道路交通法が施行されても、認知症高齢者の運転事故は無くならないだろう。免許更新の3年間に臨時の検査を受けるようにされたとはいえ、それは、「逆走など認知症と疑われる交通違反を起こした場合」という条件付きである。その事故によって、人の命が奪われたとしたら、それは取り返しのつかないことである。

そうであるならば、何度かこのブログで指摘しているように、「手続き記憶」だけで運転できる車を作らないようにしてほしいのである。認知症ドライバーの多くが、アルツハイマー型認知症の初期症状であることを考えると、発症初期から衰える、「エピソード記憶」や「意味記憶」に着目して、その二つの記憶を使わないと運転ができない車をスタンダードにしてほしい。

そしてそれはさほど技術と費用をかけなくてもできることだと思う。

どなたかが提案していることで、僕の発案ではないが、例えばイグニッションキーを回したり、スタートボタンを押したりするだけでエンジンがかかるのではなく、自分が設定した暗証番号もしくはパスワードを入力して、キィーを回すか、スタートボタンを押さないとエンジンがかからない車をスタンダードにすれば、認知症を発症した初期から、車の運転ができなくなる可能性が高い。暗証番号やパスワードを覚えているというのは、「意味記憶」であり、仮にそれを忘れたことに備え、どこかにメモをしているとしても、メモしているという記憶と、そのメモをどこに置いているかという記憶は、「エピソード記憶」であるから、「手続き記憶」だけで運転できてしまうということを防ぐことができるのである。これは極めて有効な対策ではないだろうか。

国はこのことを自動車メーカーに要請してもよいのではないだろうか。

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手続き記憶だけでは運転できない車を作ってください


認知症の症状がある83歳の男性が、高速道路を逆走して事故をおこし亡くなる事故があった。

(毎日新聞)WEB記事 2015年01月07日 11時29分配信より
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7日午前0時25分ごろ、東京都板橋区泉町の首都高速5号池袋線で、上り車線を逆走していた茨城県稲敷市江戸崎甲、無職、徳田順良(としろう)さん(83)運転の軽乗用車が大型トラックと正面衝突し、さらにトレーラーに接触して停車した。徳田さんは病院に搬送されたが、腰の骨を折るなどして死亡。トラックやトレーラーの運転手にけがはなかった。警視庁高速隊によると、徳田さんは認知症で、6日正午ごろに外出したまま連絡が取れなくなり、家族が茨城県警に届け出ていた。同隊で事故の状況を調べている。
 現場は片側2車線の直線。事故の影響で5号池袋線上りは美女木ジャンクション−板橋本町間が7日午前4時過ぎまで通行止めとなった。同隊によると、徳田さんは事故を起こす数分前にも、現場近くでタクシーと接触していたという。(転載ここまで)
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認知症の人による死亡交通事故は増え続けている。この背景には、運転ができるということで、本人が自分の判断能力の衰えが理解できないという理由のほかに、それらの人々の家族の意識の中に、「運転ができるうちは認知症ではない」とか、「運転ができているのだから大丈夫だ」という誤解があるように思えてならない。運転ができる状態は、認知症とは言えないということはないし、運転ができるうちは認知症であっても症状が軽度で、運転操作に支障はないと考えるのは大きな間違いである。

認知症の高齢者の方の交通事故の問題については、過去にも何度かこのブログ記事の中で指摘してきた。(参照:早急なる認知症ドライバー対策を求めたい。

アルツハイマー型認知症の初期症状は、「記憶障害」であるが、記憶とは、過去の出来事としての情報を覚える、「エピソード記憶」と、物の色などの意味の情報を覚える、「意味記憶」と、仕事の手順などの情報を覚える、「手続き記憶」の3種類に区分される。

そのうち「エピソード記憶」と「意味記憶」は早い段階で失われるが、「手続き記憶」はかなり後まで残ることが知られている。その理由は、「手続き記憶」だけ回路が異なるからだからと説明されている。

この手続き記憶が比較的晩期まで残ることを利用したケアが、ユニットケアの中で取り入れられている、「生活支援型ケア」である。

それは過去の生活習慣等に基づいて、できることを探してそれを続けるというケアである。例えば、一家の主婦であった認知症の女性なら、家事を行うことができる部分が残っているので、日常生活の中で、その家事能力を発揮できる場面を作りながら生活支援を行うのである。これは「家事の記憶情報」という「手続き記憶」が失われていないから可能になるケアである。

運転の手順も、「手続き記憶」なのである。そのためエピソード記憶と意味記憶が失われても、運転操作ができてしまう認知症高齢者は多いのである。しかしこの場合、運転操作がすべて正常にできるとは限らない。むしろ判断能力等の衰えがある場合が多く、正常な運転操作ができていない例が多い。そのため、所々で車をどこかにぶつける小さな事故を起こし、車のいたるところがへこんだりしていることが多いが、その場合でも車をぶつけたという記憶は、「エピソード記憶」であるためにすぐに失い、自分が運転操作を誤って、車をどこかにぶつけたという記憶はないため、自分は事故など起こさない正常な状態だと思い込み、運転をしないでおこうとは思わないのである。

僕が実際にかかわったケースでは、郊外のデパートに自分で車を運転して出かけているのに、駐車場に車を止めて買い物しているうちに、自分がデパートに車で来たことを忘れて、帰ることができなくなって保護されたケースがある。その時、駐車場で確認した車は、いたるところがへこんでおり、どこかで必ず物損事故を起こしていることが容易に想像できる状態であった。それはやがて大きな人身事故につながる危険性を孕んだ状態と言えよう。小学生の通学の列に認知症の人が運転する車が突っ込み、事故を起こした当事者は、そのことの記憶がないなんて言う悲劇が生まれないとも限らないのである。

そのような人は、車のキィーを置いた場所を忘れて、見つけられないことも多いが、運転操作自体はできるため、キィーを誰かが隠したり、盗んだと訴えるという別な症状につながることも多い。キィーが見つからないから車を運転しなくて済むという単純なことではないわけである。

そうすると、この問題の解決策の一番の決め手は、運転操作が、「手続き記憶」のみでできてしまわないように、そこにエピソード記憶又は意味記憶が必要となるようにすることが考えられる。

上に張り付けたリンク記事のコメント欄に、CBさんという方が、「自動車ジャーナリストの国沢光宏さんが、暗証番号式のエンジン始動システムを作れないか。」と提言していると情報提供してくださっているが、これは良い方法だと思う。

現在のエンジン始動システムは、自動車のエンジンキーを差し込んで一段回すとメインスイッチが入り、さらに回すとスターターモーターが回転するという「イグニッション‐キー方式」または、キィーを持った人がスタートボタンを押すとエンジンがかかるという方式が一般的だが、これはすべて手続き記憶で行われる行為である。ここに「暗証番号」を打ち込むという行為を入れると、「暗証番号を記憶している」というのはエピソード記憶と意味記憶の両方が必要な記憶回路であるから、認知症の初期症状の人でも、エンジンをかけることができないということになるだろう。

そうなれば本人も、自分の正常でない状態に気が付く可能性があるし、少なくとも周囲の人は、その危険性に気が付くであろう。

エンジンスタートに暗証番号を入力するシステムというのは、現在の技術でいえばさほど難しいシステムではないし、さほど高額な装置が必要になるシステムでもないと思う。日本の技術水準でいえば、安価でそのシステムを採用した車の製造が可能ではないのだろうか。そうなればその車製造の技術は世界からも注目され、そうしたシステムを搭載した車は、世界中から求められるのではないだろうか。

自動車メーカーには、是非そのようなシステム開発に力を注いでもらいたいものである。

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