masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

人生会議

SWに求められる人生会議における役割


昨日僕は、決してあってはならないミスを犯して、数多くの皆様にご迷惑をおかけした。

午後から京都地域包括ケア推進機構、一般社団法人京都府老人福祉施設協議会、 一般社団法人京都市老人福祉施設協議会共催・施設看取り介護導入研修の講演として、2回目のオンライン生配信が予定されていたのに、日にちを誤って記憶していたため、開始直前に電話をいただいてからそのことに気が付き、その時点から準備を始めたので研修開始時間が15分も遅れてしまった。

研修主催者の皆様や、受講者の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを伏してお詫び申し上げたい。二度とこのようなことがないように、スケジュールの確認を毎朝必ず行うようにしたいと思います。

皆さんの貴重な15分を台無しにしてしまって本当に申し訳ありませんでした。何かの機会にこのお返しをしたいと思いますので、何なりと遠慮なくお申し付けください。

さてここから話を変えたいと思う。

月曜日の記事でお知らせした、ブティックス(株)主催CareTEX365ONLINE「Withコロナの人生会議と看取り介護機が、昨日の朝8時から配信されている。こちらは京都に向けた看取り介護講演と比べると、その1/6の時間で行う短縮版で、1回20分を3回に分けて配信しているものだ。そのため看取り介護の基本中の基本を理解していただけるように、重要点をピックアップして話をしている。
看取り介護オンライン講演
僕はスマホで配信状況を確認したが、無料登録した方は上記の文字リンク先から配信動画に飛べるようになっているので気軽にご覧になってください。見終わった方はアンケートにもお答えくださればありがたいです。

さて看取り介護・ターミナルケアは、今回の報酬改定でも重要なテーマの一つになっている。そこでは介護医療院等の基本報酬の算定要件や、各サービスにおける看取り加算・ターミナルケア加算等の算定要件において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことを求めることとするとされている。

対象となるサービス種別は、短期入所療養介護、小規模多機能型居宅介護、居宅介護支援、特定施設入居者生活介護、地域密着型特定施設入居者生活介護、認知症対応型共同生活介護、介護老人福祉施設、地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護、介護老人保健施設、介護療養型医療施設、介護医療院と広範に及んでおり、これらのサービスにおいては、人生の最終段階の医療とケアの在り方について、本人の意志や推定意思を確認するための、本人もしくは家族と医療・介護関係者が繰り返し話し合う場を設けることが必要とされている。

つまりこれらのサービスでは4月以降、人生会議をシステム化し、本人と医療・ケアチームとの合意形成の話し合いの記録をとっておかねばならず、それがないと運営基準違反もしくは加算要件に合致していないとして報酬返還という事態にもなりかねないわけである。

居宅介護支援事業所にもこの義務が課せられており、利用者に対するマネジメントの一環として、このプロセスをシステム化しておく必要があることを理解しなければならない。

利用者がターミナルケアマネジメント加算の対象状態となる以前から、お元気なうちに人生会議を行う支援が求められているのだ。例えば居宅ケアマネが積極的に、医療・看護関係者と利用者が協議できる場をつくって、そこにケアマネジャーはじめ介護関係者も参加し、利用者の人生の最終場面における医療や介護に対する希望や意志を繰り返し確認しておかねばならないのである。

その為には、医療関係者が参加するサービス担当者会議の場等で、繰り返しその協議を行っていくなどの方法が考えられる。居宅介護支援の業務として、こうしたことがまったく行われていない場合は、運営指導の対象になるという理解が必要だ。

また特養・老健の運営基準には、看取りに関する協議等の参加者として、それぞれ生活相談員・支援相談員が明記されたので、その参加記録も必要になってくる。

このように看取りに関する協議の場に、参加が必ず必要とされたのは、医師でも看護師でもなく、相談員なのである。その意味するところは何であろうか。

それは特養や老健の看取り介護・ターミナルケアに至る過程の人生会議においては、相談員がソーシャルワーカーとして、利用者の代弁機能をきちんと果たすことが求められるという意味ではないだろうか。利用者の表出されない意志や希望を含めた、「真の思い」を引き出す役割が求められているという意味ではないかと推察する。

利用者が意思表示できない場合の、「意思推定」における相談員の代弁機能もより重要となり、日ごろのかかわりの中から、どのような思いを持った利用者であるのかを、チーム全体に知らしめる役割も積極的に求められるということである。

そうであれば在宅で介護支援を受ける利用者にとって、特養や老健の相談員と同様の役割を果たすべきなのは、居宅介護支援事業所の介護支援専門員であろうと思う。

居宅ケアマネがこの役割を積極的に担って、家族間で自分や家族が、人生の最終段階でどこで・誰と・どのように過ごしたいのかということを確認し合えるように、リビングウイルの支援が求められてくるのだということを自覚してほしい。

この部分でソーシャルワーカーとしてのスキルが問われてくることを自覚して、看取り介護・ターミナルケアとはどういう介護実践を指すのかということも、学び直す必要があるかもしれない。

今配信されている看取り介護講演・基本編や、その他全国各地で行っている僕の看取り介護講演も、その参考にしていただければ幸いである。
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看取対応の充実で求められた新要件は計画反映させる必要があります(後編)


昨日の記事から続く)
看取り介護計画書と、通常の施設サービス計画書の作成方法に違いがあるわけではない。

しかし昨日指摘したように、人生会議というプロセスの中で確認された、「利用者もしくは家族の人生最終段階における医療やケアに対する希望」については、第1表の「利用者及び家族の生活に対する意向」に正確に反映されなければならない。

本人の意思を反映させることは勿論、意思確認ができなかった場合は推定意思をチーム全体で導き出して反映させる必要がある。さらに家族は何を望んでいるのかなどを明確にすることで、看取り介護に関わるチームメンバー全員が、その意志に沿った寄り添い方を意識して関わることができるようになるだろう。だからこそ計画作成者は看取り介護対象者の、「思い」が伝わる文章を綴ることに心がけてほしい。

そうであるがゆえに、計画書に綴る文章は、文例などのデフォルトに頼るのではなく、計画作成者自身の言葉として表現してほしい。そのためには自分が考えたことを文章にできる能力を向上させる日ごろの訓練も必要だ。(参照:求められる文章力を得る手段

第1表にはそのほかに、「総合的な援助の方針」を記載する必要がある。総合的方針なのだから、チームとしてどのようなケアを行おうとするのかという道筋を明確にしておく必要があり、少なくとも次の3点を記載しておきたい。
1.医師が医学的知見から終末期と判断したという事実とその内容
2.余命診断の結果
3.看取り介護対象者の人生の最終ステージを支援するために求められること(繰り返し行ってきた人生会議で確認された内容など)


本来ここにはアセスメント情報を書く必要はない。例えば利用者が脳卒中後遺症の右片麻痺であるなどとは書く必要はないが、看取り介護計画書に限って言えばこの限りではない。看取り介護対象者がどういう状況で回復不能な終末期という診断に至ったのかをチームメンバー全員に知らしめることによって、意思統一を図ることが期待できる。今私たちが行おうとしていることとは、対象者の人生の最終ステージに寄り添うことであり、ゴールは対象者の死の場面なのだから、それまでに残される人との様々なエピソードづくりを支援しようという覚悟を生む効果も期待できる。だからこそ1と2は確実に記載しておきたい情報である。

逆に言えば、1と2が不明確である計画書になっていた時は、本当にその人が看取り介護・ターミナルケアの対象者であると、医師が医学的知見によって診断しているのかという疑いを持たざるを得ない。

本当に対象者の人生の終末期の介護計画であるのかといった、「あいまいさ」が残されていると、チーム全体の意思統一にも支障を来すので、このことは明確にさせておく必要があるという意味で、終末期判定と余命診断は、総合的援助方針の中に記載しておきたいものである。

そのことは出鱈目な終末期判定を防ぎ、看取り介護と称する偽ものを何年もだらだらと続けるという弊害も防ぐ効果も期待できる。(※過去には医師による終末期判定なしに、経管栄養となった人は、一律看取り介護であるとしているひどい施設もあった。)
看取り計画書記載例
これは、僕が総合施設長を務めていた特養で作成された実際の計画書である。文章表現にはさらなる工夫の余地はあるが、第1表として必要な内容は概ね書かれていると思う。

一番の問題は、計画は実行できてこそ意味があるということだ。美文に踊らされて内容が伴わない計画書ほど意味のないものはない。きちんと実行・実現できる内容にしていただきたいことも、併せて指摘しておく。

なお看取り介護計画書の第2表に入れておきたい内容については、次の9点を挙げておく。もちろんこれは例示に過ぎず、それ以外にも必要なことはケースごとに加わってくるだろう。
1.安心のための説明・声かけ
2.安楽のための環境どくり・対応方法(体位交換など)
3.清潔支援・口腔ケアの方法・入浴支援
4.食事支援→食べられなくなっても味わうことは可能であることにも配慮したい。
5.排泄支援→羞恥心と自尊心を失わないために求められる方法論
6.心身活性化→活動参加は看取り介護中でも不可能ではない→安楽姿勢で活動参加
7.睡眠支援
8.医師の関わり→体調変化についての随時説明等
9.家族・親族・知人・職員等との関係を途切れさせないための支援計画


億の看取り介護講演では、この第2表についても記載例を示して説明することが多い。

今月19日から来月12日までの間に、3回に分けて計360分の看取り介護講演をオンライン配信する予定になっているが(京都地域包括ケア推進機構、一般社団法人京都府老人福祉施設協議会、 一般社団法人京都市老人福祉施設協議会共催・施設看取り介護導入研修 機法△修海任2021年度介護報酬改定によって、看取りに関して新たに求められる要件等を解説するとともに、それらに対応した計画作成の方法にも触れる予定である。

本講演を受講予定の方は、そちらで大いに学んでいただきたい。オンラインなので質問もしやすいと思うので、忌憚ない意見をいただくことも期待しています。
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看取対応の充実で求められた新要件は計画反映させる必要があります(前編)


2021年度の介護報酬改定の柱の一つ、「地域包括ケアシステムの推進」の中で、「看取りへの対応の充実」として、看取り期の本人・家族との十分な話し合いや関係者との連携を一層充実させる観点が取り入れられている。

介護施設等の看取り介護加算やターミナルケア加算については、現在は死亡日から遡って30日までしか算定できないが、これを死亡前45日まで遡って算定できるように改定されている。下記は特養の新算定構造図である。
看取り介護加算の新算定構造
このように看取り介護・ターミナルケアについて今以上に報酬評価することによって、その充実を促しているわけである。

またすべてのサービス種別における、看取りに係る加算の算定要件において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことが求められている。

つまり介護事業種別に関係なく、看取り介護加算やターミナルケア加算の算定事業者は、このガイドラインに沿った対応を行っていなければ、当該加算の算定要件違反となり、加算報酬を返還しなければならない事態にもなりかねないという意味である。

ガイドライン自体はA4用紙2枚ほどの内容なので、それをじっくり精読して、何が求められているのかを理解することは難しくないと思うが、国はそのイメージを下記の図で示している。
看取り介護イメージズ
ここで求められていることは、人生の最終段階における医療やケアの在り方について、どのような方法や選択肢があるかということについて、介護サービス利用者に対し多職種連携チームからきちんと説明・情報提供されたうえで、本人の意志を確認し、その意志に基づく終末期支援が行われること、もしくは本人の意思確認ができない場合に、あらゆる情報を参考にしてその意志を推定し、推定意思を尊重した終末期支援が行われることを求めているのである。

ここで重要になることは、「心身の状態に応じて意思は変化しうるため繰り返し話し合うこと」が求められていることであり、人生会議を繰り返し行いながら、リアルタイムの意思確認が求められているということである。

そしてここで必要とされる、「看取りに関する協議等」については、特養では生活相談員、老健では支援相談員の参加が義務付けられることになっている。その意味は相談員がソーシャルワーカーとして、利用者の代弁機能をきちんと果たして、利用者の表出されない意志や希望を含めた、真の思いを引き出す役割が求められているのだろうと思う。

利用者が意思表示できない場合の、「意思推定」における相談員の代弁機能もより重要となり、日ごろのかかわりの中から、どのような思いを持った利用者であるのかを、チーム全体に知らしめる役割も積極的に求められると言ってよいだろう。

例えば僕が以前総合施設長を務めていた特養では、「延命に関する宣言に関わる相談員の役割」という記事で紹介しているように、リビングウイルの宣言として、「延命に関する宣言書」という書式で、利用者もしくは家族の人生最終段階における医療やケアに対する希望の確認事項を記録として残していた。

こうした宣言書も心身の状況の変化に合わせて修正が行われて当然であり、繰り返し行われる人生会議のたびに、以前に作成した宣言書の内容がそのままで良いか、修正する意思はないかということを確認する必要があるだろうし、その役割は相談員が担うべきだろうと思う。
※ちなみに、昨今の押印廃止の流れに基づき、この書式の署名・押印も廃止するべきだろうと思う。

このようにして人生会議では、人生最終段階における医療やケアに対する希望が繰り返し確認されていかなければならないわけだから、いざ看取り介護に移行する際には、看取り介護計画書にも、最終的に確認されたその意志は反映されなければならない。

特に第1表の、「利用者及び家族の生活に対する意向」には、人生会議というプロセスの中で確認された、「利用者もしくは家族の人生最終段階における医療やケアに対する希望」が正確に記載される必要がある。

では具体的にそれはどのように記載されるべきだろうか。2021年介護報酬改定における看取りに係る加算の新算定要件に対応した看取り介護計画書・ターミナルケア計画書の1表・2表の記載例を示したいと思うが、字数が多くなったので、このことは明日の続編に書きたいと思う。(後編に続く)
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人生会議に介護関係者として参加するための資質


次期介護報酬改定議論の中で、地域包括ケアシステムの推進として<看取りへの対応>が取り挙げられている。

そこでは、「 人生の最後まで、どう尊厳が保持され、本人の意思がいかに尊重されるかということが非常に重要。人生の最終段階における意思決定を行う上で、4つの倫理原則に基づく意思決定支援の在り方を重視していくことが必要ではないか。現場で実行可能で、本人の意思を尊重できるよう、具体的かつ丁寧なガイドラインが必要ではないか。」という課題が挙げられている。

このような観点から平成30年度介護報酬改定においては、訪問看護や看多機等において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容を踏まえた対応を行うこととされたところであるが、次期報酬改定でも「人生の最終段階においても、利用者の尊厳を保持し、本人の意思に沿ったケアを進める観点から、どのような方策が考えられるか。」というテーマに沿う形で、看取り介護・ターミナルケアの評価が行われることになる。

ところで本人の意思尊重過程で重要であることが示された4つの倫理原則とは何かがすぐ思い浮かんだ介護関係者はどれほどいるだろうか?

それは以下の4原則だと思う。
1.自立尊重原則(クライエントの自由に独立して考えた事を尊重しこれに従う事)
2.善行原則(クライエントに対して善行を行なう事=クライエントが考える最善の利益も考えに入れた判断を行うこと)
3.無危害原則(人に危害を及ぼすような行動をしてはならない)
4.正義原則(社会的な通念の正義を全うする事)

この原則は生命にかかわる全ての分野で基礎とすべき倫理とされているが、医療関係者には馴染み深いものの、介護関係者にはあまり浸透していない考え方だと思うので、これを機会にその原則を理解していただきたい。なぜならこの4原則は、今後の人生会議では頻繁に使われる言葉となってくるものと思え、その理解がないことが医療関係者との意思疎通の障害となる恐れがあるからだ。

どちらにしても超高齢・多死社会における看取り介護は、そこに至る過程で必要とされる人生会議(ACP)が重要であることが強く意識され、報酬改定もその考え方に沿った内容にシフトしていくと思われる。

いうまでもなく人生会議(ACP)とは、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に、現在の病気だけでなく、意思決定能力が低下する場合に備えてあらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うことや、意思決定が出来なくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておくプロセスを意味するものだ。

人生会議という過程を踏むことによって、対象者の人生観や価値観、希望に沿った将来の医療及びケアを具体化することを目指しているのである。

人生会議に携わる介護関係者も、その本来の目標を見失わないようにしてほしいし、同時に人生会議の中で、その目標を達成できる情報提供やアドバイスを行なえるようなスキルを身に着けてほしい。

そうしたスキルがなければ、人生会議に携わっても、ただ単にそこに居るだけで、医師や看護師から指示・命令されるだけの存在になりかねないからだ。それでは介護関係者として人生会議に携わる意味がなくなるのである。

看取り介護対象者に必要とされる治療を含めた医療については、不必要な延命治療を行わなくても良いのではないかということを含めて、医師から説明され、その際にほかに取り得る医療サービスの在り方も示されるものと思える。この部分について、介護関係者から対象者本人や家族に示すことのできる情報等はほとんどないだろう。

しかし終末期に必要な暮らしの支援について、介護関係者という立場で情報提供を行うことは非常に重要である。しかしその情報とは、何をするか・どうするかという押し付けではなく、看取り介護対象者や家族が選択しうる情報でなければならない。

自宅で看取る際に使いうる介護サービス情報のほか、どこのどんな場所で、どんなふうに看取り介護が行われ、それは残された遺族にどのような影響を与えているのかという情報も貴重な情報だ。介護関係者は、そうした地域事情に精通して人生会議に臨みたいものである。だからこそ今以上に地域の介護資源情報を集め、精通しておく必要があるのだ。

特に居宅介護支援事業所の介護支援専門員は今以上に、どこでどのような看取り介護が行われているかという情報集めに努めていただきたい。看取り介護と称した、「施設内孤独死」が存在していないのか、看取り介護中に職員のマナー意識のない言葉遣いと対応に遺族が傷ついたり、トラブルになったケースはないのかということには特に注目してほしい。

その前に介護関係者には、看取り介護とはどのような介護なのかということを含めて、基礎からその勉強をしていただきたいと思う。その際にはぜひ僕の看取り介護講演も聴いていただきたい。

そんな看取り介護講演については、僕にとって嬉しい情報がひとつ入ってきた。今年1月、京都府老施協の看取り介護講演(入門編)として2日間で6時間の講演を行なったところ、その内容が大評判となって、来年も同じ講演を行うことが決まったのである。ただし次回は2021年1月〜2月まで1回2時間の講演を計3回、オンライン講演で行う予定にしている。

今後の看取り介護講演は、「withコロナ」の視点を取り入れて、新しい情報と知識も伝える予定なので注目していただきたい。

このようにオンライン講演も随時受け付けているので、興味のある方はメール等で気軽に相談いただきたい。

さて6日(日)から、「介護施設等の人員配置基準緩和(削減)に関するアンケート」を行っている。その結果はこちらからも見ることができ、すでに多くの方々の協力を得ているが、引き続き介護実務に携わる人の生々しい声を集めたいと思っているので、投票がお済でない方は是非協力をお願いしたい。
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身寄りのない認知症の方が増える社会の人生会議


僕が特養の生活指導員として就職した三十数年前、特養の利用者の方々は子だくさんの方が多かった。子供が5人も6人もおられる方というのは決して珍しいことではなかった。

しかし今現在、特養の利用者の方々も子供が3人いれば多い方だという状態になっているように思う。

そういう方々が長生きしていく過程で、一人か二人しかいない子供さんの方が先に亡くなられ、子供さんがいない状態で高齢期を過ごす人も増えている。

さらに核家族化の進行と少子化に加えて、故郷にとらわれずに、職場や生活圏域を広範囲に移動・選択できるグローバル社会になってきたことにより、親類縁者との関係性が希薄になっている人も多い。

戸籍上の親類縁者は存在していても、事実上孤独で身寄りのない人は確実に増えているのである。

さらに3.11から来年で10年を迎えるわが国では、あの震災と津波で家族を失い、縁故者も全くいなくなった人たちが、今後続々と身寄りのない高齢者となっていくのである・・・。

そういう意味では、国民一人一人が高齢期に、「ひとりで生きていくための準備」が求められる社会になっているし、介護支援専門員をはじめ介護関係者は、一人で生きる人の支援をより強く意識しなければならなくなってくる。

特養やその他の居住系施設(グループホーム・特定施設を含めた有料老人ホーム・サ高住等)では、それらの身寄りのない高齢者の方々の看取り介護も求められてくることになる。

そうした支援が必要な方々であっても、認知機能に障害がない状態で意思表示できる状態であれば、その意志に基づいて必要な準備を進めればよい。しかしすべての人が終末期まで認知機能が保たれる保証はないし、認知症とは無縁だった方がある日急に意思表示ができなくなることも考えておかねばならない。

だからこそ自分の意志で物事が決定できる段階で、終活の一環として人生会議を行い、終末期に向けた希望を確認しておくことは大事だ。特に意思決定できる段階から、任意後見人を定めておくことは重要な終活である。(※判断能力があるうちに、将来、自らの判断能力が低下した場合における財産管理や介護サービス締結等の療養看護に関する事務について、信頼できる方に依頼し、受任契約を結んでおく人を任意後見人という。)

そして介護支援専門員を含めた相談援助職は、それらの人が意思決定できない状態になった場合に備え、あるいは身寄りのない認知症の人を担当したときに備え、様々な準備をしておく必要がある。

例えば認知症になった人が、病気になって手術が必要になった際に誰が同意できるのか、同意の効力は法的にどれほどの有効性があるのか、成年後見人はその同意が可能なのかなどを学んでおく必要がある。(参照:医療機関が求める手術同意書。 ・ 家族と成年後見人の医療侵襲同意権について

成年後見人が専任されている身寄りのない認知症の人が、終末期と診断されて、施設で看取り介護を受けるかどうかの判断と同意が必要になったとしても、重大な医療行為については成年後見人であっても同意権はないと考えられており、延命治療を受けるか否かの同意は誰からも得ることはできない。

こうした場合には、本人にとって最善の利益となるのはどういう状態かという視点から、医師の裁量で医療行為を行うか否かを決定せざるを得ず、そのことに違法性はないと解される。

よってこうしたケースについては、医師が終末期と診断したうえで、終末期で治療の必要性がないので入院しないと判断することが第1段階である。そのうえで施設内で看取り介護に移行することが最善であるという理由で、施設で最期までケアする看取り介護計画を立て、それに対する同意を成年後見人から得るというふうに段階を進めることになる。

看取り介護計画の同意は、延命治療を受けるか否かの同意ではなく、単なる介護計画の同意であって、通常の施設サービス計画書の同意と同じで、成年後見人が同意権を行使できるのである。

ただしこうした一連の段階をどのように踏み、法的にそのことが許されるのかどうかという判断を、対象者が終末期になって慌てて確認するようなことになっては思わぬ齟齬が生じかねない。

だからこそそうなる前に、「人生会議」を行っていることが重要になる。人生会議という過程を何度も踏んで、施設関係者や成年後見人が医師の専門的判断や意見を聴きながら、利用者本人の推定意思に基づく最善の判断ができる下地を作っておくことが大事なのである。

在宅の方であれば、この過程で医療関係者と利用者を適切につなげる役割として、居宅介護支援事業所の介護支援専門員の働きかけが重要になってくる。そのために介護支援専門員は、適切な時期に終活支援を行うという考え方も必要である。

そのための知識を得ておくことも大事で、例えば終活の講師として活躍できる終活ガイド上級講座を受けておくこともお勧めだ。(参照:変化する意思に対応する終活支援のために、講師となり得るスキルが得られます

どちらにしても今後の地域社会では、あらゆる場所で身寄りのない高齢者支援が必要になってくるし、その中でも特に認知症で判断納能力のない単身者支援が大きな課題になってくる。

それに備えた関係者のスキルアップが求められてくるのは必然であり、相談援助職は今以上に守備範囲を広く取って、多くの人々に専門的な支援を行なえるように、知識と技術の向上の努力を惜しまないようにしていかねばならない。

そのことが制度の影に、光を届ける原動力となるだろう。
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withコロナの人生会議(ACP)


介護施設をはじめとした居住系施設では、今現在でも利用者への面会制限が続けられていると思う。

新型コロナウイルスの新規感染者が次々と発生している現在の状況では、共同生活の場である介護施設等でいつクラスター感染が発生してもおかしくないので、そのリスクをできる限る減らすためにも、面会制限は続けざるを得ない。

このように全国のほとんどの介護施設等が、これだけ長期間面会制限を続けているという状況は、この国始まって以来のことではないかと思う。

介護施設が面会制限を行う例は過去にもあった。例えばノルウェー疥癬やインフルエンザ・ノロウイルス感染などの集団発生が見られた施設が、一定期間の面会制限を行った例は数多くある。しかしその際の制限は施設単独で、期間もせいぜい1月程度であったと思う。

しかし今回のコロナ禍での面会制限は、長いところですでに4カ月にも及び、しかも全国ほとんどの居住系施設でその状態が続いているのだから異常である。だからこそ制限が長期間に及んで生ずるストレス管理にも意を用いなければならない。

感染予防がまず大事だといっても、人の暮らしの場でもある介護施設が、利用者の暮らしの不便を完全に無視して制限を続けることに問題がないはずがない。介護施設の関係者の方々は、そのことがどれだけストレスフルな暮らしを生み出しているかということを、自分の身に置き換えて考えてほしい。自分が今いる場所から一歩も外出できず、外の誰とも直接会ってコミュニケーションを交わすことさえできない状態が、これだけ長く続くことが自分の身に降りかかったとしたらという視点で問題を捉えてほしいと思う。

だからこそ常に制限緩和に向けた動きを模索しなければならない。昨日の記事にも書いたが、介護事業経営者や管理職は、制限はどこまで許されるのかという自問自答を常に行わねばならないし、機械的に制限ルールを適用するのではなく、個々のケースで常に例外を考る必要があるのだ。

特に面会制限を行っている施設内で、看取り介護を行っている人に対するケアはどうすべきかは大きな問題である。そのなかでも看取り介護対象者の面会をどのように考えるかということは大きなテーマとなるだろう。

看取り介護とは、その対象者がまさに人生の最終ステージを生きる過程に手を差し伸べる行為だ。そこで機械的な面会制限が行われるということは、家族と直接コミュニケーションを交わすことなく旅立っていかれることになるかもしれないということだ。誰とも会えずに、「寂しい、逢いたい」と言いながら亡くなる人がいるかもしれなくなることは、「仕方のないこと・やむを得ないこと」という一言で片づけてよい問題ではないと思う。

看取り介護の方についてもリモート面会ができ、顔を確かめ会話もできるから問題ないという意見もあるだろう。しかし看取り介護対象者が最終ステージに近づく時期とは、家族との言語的コミュニケーションは極めて難しくなる時期である。そこでは意識が薄れている看取り介護対象者の手を、愛する家族が握りしめ、体をさすりながら非言語的コミュニケーションを交わすことが重要となる。そうした別れ際のエピソードを心に刻むことは、遺される家族にとって非常に意味深いことなのである。リモート面会ではそうしたことは不可能だ。

聴覚障害がない人については、最期まで耳は聴こえると言われており、非言語的コミュニケーションが中心となる時期であっても、家族が意識が薄れた看取り介護対象者に声をかけ続けることは大事である。しかし機械を通して電波によって声を送るという方法が、直接声をかけているときと同じように看取り介護対象者の耳に届き伝わるのかは大いに疑問だ。

もともと高齢者は、直接会話するときに聞き取れている言葉でも、テレビ画面から流れる音声としての言葉を聞き取れない場合が多い。リモート面会では、意識の薄れている人に声が届けられない恐れが多分にあるのだ。

だからこそ健康チェックを受けた家族が、職員と同じように感染対策上の防護対策を取ったうえで、決められた場所と時間において、少人数であっても面会できるように、例外規定を設けることは必要不可欠なのである。面会制限期間であっても、看取り介護対象者の場合の基本原則は、「節度ある方法による面会を、例外的に認める」という考え方でなければならない。

そのために施設側は、面会者に装着するマスクや簡単装着できる「フェイスシールド」くらいは常備して、面会者につかってもらうようにしておくべきだろう。


ただし前述したように、面会時間制限・人数制限・場所指定・予約制などの条件設定は必要だと思える。

このような制限が必要になることを前提すると、人生会議(ACP)のあり方にも影響が及んでくるのではないだろうか。

人生会議(ACP)は、人生の最終段階における医療とケアのあり方を、本人の意思を最大限に取り入れて決めることであり、複数の専門家で構成する話し合いの場を繰り返し設定して、心身の状態によって変化しうる、揺れ動く利用者のリアルタイムの意思を確認する過程を指す。

6/1に行われた介護給付費分科会の資料、【資料3】令和3年度介護報酬改定に向けて(地域包括ケアシステムの推進)の中でも、国民一人一人が、希望する人生の最終段階を迎えることができるようにするために人生会議の重要性は強調されているわけであるが、そうであれば仮に自分が介護施設等で看取り介護を受ける場合、感染症対策として面会制限が適用される時期に、どのような制限を受けざるを得ないかということを、あらかじめ人生会議(ACP)として説明しておく責任が介護施設関係者には生じてくるだろう。

面会制限がどのような状況で行われるのか、リモート面会は可能か否か、面会制限が行われた場合に看取り介護対象者も同じように制限を受けるのか、例外規定はあるのかないのか等々を説明すると同時に、感染予防対策下の場合、「リモート面会のみで良いか」・「特例的に直接会ってお別れしたい人がいるか否か」・「面会が許される場合も、人数制限が行われる可能性が高いが、自分が終末期になった時に逢いたい人の優先順位はあるかどうか。ある場合はどのような人から先にお別れの時間を持ちたいのか」等を確認しておく必要もあるのではないだろうか。

確認事項の中には、聞きづらい内容も含まれてくるかもしれない。特に逢いたい家族の優先順位をつけることには、家族の好き嫌いの順位付けをするようなものだとして嫌悪感を覚える人がいるかもしれない。

しかしこれらの確認は、すべて看取り介護対象者が希望する人生の最終段階を迎えることができるように、本人にとって最善の方針をとるために必要であるという視点から、心理的負担にならないように配慮しながら、確認しておきたいことである。

当然その内容によっては本人や家族が、知りたくない・考えたくない・文書にまとめたくないというものも存在する可能性がある。そうした思いを持つ方々への十分な配慮が必要になることは当然だ。だからこそ自分や愛する誰かの、「死」について語ることをタブーにせず、日常的にそのような話題を挙げて話し合う機会を持つことが出来る社会にする必要があるのだと思う。

そういう社会基盤があってこそ、自分や愛する誰かの死に関して繰り返し話し合うことができ、そこで忌憚のない意見を交わしあって、心身の状態に応じて変化しうる意思に沿った、「安らかに最期の時を過ごす」ということが実現し、安心と安楽の看取り介護につながっていくのではないだろうか。
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終活は人生を豊かに生きるために存在する活動


厚労省がAdvance Care Planning(アドバンス・ケア・プランニング= ACP)の愛称を、「人生会議」と決定してから約1年半が過ぎた。

その愛称は徐々に浸透してきているが、同時に誤解も伴って理解されていたりして、言葉だけが独り歩きしている傾向もみられる。

それは「会議」という言葉に対する誤解ではないだろうか。会議というと、関係者が一度に会合して話し合うイメージが強いが、「人生会議」に限って言えば、そうした方法も一例としてはありだが、人生会議そのものは会議自体を指すものではなく、一連の過程を指すものである。

人生会議とは、自分の意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておく過程(プロセス)を意味している。

だから話し合いは何度も行われてよいし、話し合いは会議形式ではなくても良いし、話し合うメンバーも固定されるとは限らない。

しかも一度決定した意思は、自分の置かれた環境等に応じて何度も変えることが許されるものだ。そもそも人の気持ちは揺れ動くものだし、その時に絶対だと思っていた決定事項も変わって当然だ。人生会議とは、そうした揺れ動く人の心の支えになるものでなければならない。
延命に関する宣言書
この書式は、僕は特養の施設長を務めていた際に作成して、ACP(当時は人生会議という愛称がなかった)の過程で記入していただいていたものだが、この宣言書を何度も書き直す人がいた。時には1日に3度も書き直しのお手伝いをさせていただいたこともある。それでよいのだ。何度も書き直すということは、何度も繰り返し自分の人生の最終盤の生き方を真剣に考えるということなのだから、それは十分認められるべきなのである。

またこうした宣言書は、介護事業者の何らかの責任を回避するものではないことを理解せねばならない。法的にはこうした宣言書は意味のない書式だ。この通りにしなくとも誰も罰せられない。同時にこうした書式によって、施設の責任なり義務なりが軽減されるものでもないのだ。こうした宣言書はあくまで、宣言を行う方の生き方を支えるために作成するものであって、宣言する人が安心して人生の最晩年を生きるために利用されるものなのである。

その点を勘違いしてはならない。

人生会議を経て、自分の気持ちが固まった時点で、人生ノートを書くこともあるだろう。(参照:雲仙市の人生ノート

これらの活動は、「終活」と表現されている。終活とは人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括した活動を指すものだ。それは自分の死と向き合い、最後まで自分らしい人生を送るための準備でもある。

そこでは終末期に意思を伝えられなくなったときに備え、リビングウイルの観点等から、どのような医療を受けたいのか、口から物を食べられなくなったときにどうするのかなどの、具体的な希望を第3者に伝えて記録しておくことなども含まれる。

こうした終活の重要性を一般市民に伝えるために行われるのが、「終活セミナー」であり、そこには学生から高齢者まで様々な年齢層の人が参加されている。高齢者の方は、自分自身の問題と考えて参加される方も増えている。

コロナウイルス禍によって、こうしたセミナーの機会が減っているのが残念だが、感染症が収束した後には、再び終活セミナーニーズは高まっていくだろう。このセミナーは全国津々浦々で行われているので、僕も講師としてご招待を受ける機会が多い。

しかし僕自身がレクチャーできる会場は限られているので、多くの方々に終活について学んでいただき、地元の高齢者の方々に、終活・人生会議・リビングウイルなどについて伝えていただきたいと思う。

そのことに関連しては、「セカンドキャリアとして終活セミナーの講師になりたい人はいませんか」という記事を、もう一つのブログ、「masaの徒然草」の中で書いているので参照してほしい。

終活や人生会議は、死のために行う活動ではない。それは自分の死を見つめて行う活動であり、過程であるが、それはあくまで人生の最晩年期を心安らかに、豊かに生きるためのものであることを理解してほしいと思う。
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人生会議は通過儀礼ではなく免罪符でもない


6月1日に行われた介護給付費分科会資料を読むと、【資料3】令和3年度介護報酬改定に向けて(地域包括ケアシステムの推進)の中では、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)に関連した内容が、そこそこのボリュームで記されていることに気が付く。

ACPとは、「人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」であり、「人生会議」という愛称がつけられていることは、今更言うまでもない。

地域包括ケアシステムとは、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される体制なのだから、死ぬためだけに医療機関に入院しないことを目的の一つとしている。

よって地域包括ケアの更なる深化を目指すために、暮らしの場で最期の瞬間まで過ごせるための取り組みが必要とされる。そのため医療機関以外での看取り介護・ターミナルケアが推進され、診療報酬も介護報酬も、その取り組みに対して手厚く加算等が算定できる方向性がとられている。そして看取り介護の知識や技術の獲得のための方策もとられ、医療関係者だけではなく、介護関係者にも終末期支援のスキルが求められていく。

しかしその前提にあるものは、人生の最終段階において、本人の意思に沿った医療・ケアが行われるようにすることであり、その意志に沿った支援が、いつでもどこでも行われるために、保健・医療・福祉・介護に携わるすべての関係者にそのスキルが求められているという意味である。

「人生会議」はその前提創りに重要な役割を果たすものであるのだから、ここにもすべての関係者の参加・助言できることが望ましいのである。

そのために同資料の39頁には、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」 における意思決定支援や方針決定の流れ(イメージ図) (平成30年版)が示されている。この資料にはとても重要な示唆が含まれているので、是非熟読してほしい。

ここでは人生会議(ACP)について、「心身の状態に応じて意思は変化しうるため 繰り返し話し合うこと」と記されているが、このことは非常に重要な部分である。

人生会議(ACP)として確認しておきたいことは、終末期にどのような治療を受けたいかということのみならず、終末期と診断されたら、どこでどのように過ごしたいのかという意思を確認しておくことも必要になる。その際に口からものを食べられなくなったらどうしたいのかという確認も当然必要になるが、その意思確認を一度行なったらそれでおしまいではない。

意思確認できる間は、本人からの申し出がなくとも、心身の変化や環境の変化のたびに、その意志の変更がないかどうかを確認することを大事である。担当する相談援助職は、その役割が自分にあるということを忘れてはならない。

おかしなことに、こんな基本的な理解もない場所で、「看取り介護」と称する、偽物の介護が行われている。経管栄養を望むか・望まないかという意思を、一度確認したら、それを変更するのに大変な手続きを必要とするような、おかしなルールを勝手に作っているところがある。それはあたかも意思決定の確認の手間を省くための事業者都合でしかないかのようだ。

そもそも意思の変更は、意思表示できる人であるなら、その意志を表明するだけで完結されるべき問題で、手続きのいる問題ではない。

人生会議は、この意思確認や、意思確認できない人の意思推定を繰り返し行う過程であり、本人にとって最善の方針を、本人や家族と支援チームが常に確認し合う過程である。

そこで何かを決めたからと言って、支援機関や支援者個人の終末期支援の責任が軽減されることにはならず、自己責任という言葉を使って、本人や家族への責任転嫁のために何かを決めたり、押し付けたりすることは許されないことである。

痛みが出ても人生会議で医療機関に搬送しないと決めたから問題ないなんて言う考えではだめなのだ。終末期の痛みは最も人を苦しめるものなのであり、医療機関で終末期を過ごしたくない人でも、痛みをコントロールするために、医療機関での支援が必要な場合があることを確認して、その方針を定めておくなど、人生会議の主役となる人の人生の終わり方を、安心と安楽な方向に導くものでなければならない。

そんなふうに人生会議は、徹底的に利用者本人利益を追求する場でなければならないのだ。

終末期支援とは、誰かの人生の最終ステージの生き方の質を左右するものである。そこでは専門職としての知識と技術が求められるだけではなく、そこに生きる人に対する関係者の人間愛が求められていることを忘れてはならない。

人は科学だけで幸せになれない。目に見えるものだけで安寧は得られないのだ。介護の職業とは、科学や目に見えるものを超えて、心を寄せる職業なのである。

愛情を見える化するのが介護という仕事だ。
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人生会議の重要性が改めて問われる時


厚労省が3/16に公表した、「令和元年度介護報酬改定の効果検証及び調査研究に係る調査」には、「医療提供を目的とした介護保険施設におけるサービス提供実態」という項目が含まれている。

この中で、介護医療院でアドバンスケアプランニング(ACP)に取り組んでいるのは48.6%で、このうち71.4%が「本人の意思が明確ではない時の支援」が困難だと答えていることが書かれている。

しかしこの報告内容というか、回答の選択肢には異議がある。

Advance Care Planning(アドバンス・ケア・プランニング)とは、意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ自分の終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくプロセスを意味している。

つまり、「本人の意思が明確ではない時の支援」は困難ではなく不可能なのだ。この部分は第3者が想像で代弁できない部分である。だからこそ本人の意志が確認できるうちに行っておくのがACPなのである。

このわかりにくいアドバンスケアプランニング(ACP)という言葉については、厚生労働省が2018年11月30日、 ACPの愛称を一般募集し、「人生会議」に決定している。以下この記事ではこの人生会議という愛称を使って論じたい。(参照:人生会議の課題

人生会議は、終末期に備えた意思決定を行うプロセス全体を指すものであり、関係者が集まって本人の意志を確認して終わりということにはならない。

そのプロセルにおいては、一度決定したことを変えることを是とするのが基本であり、揺れ動く心を受容して、動揺を抑える正しい情報を本人に提供しつつ、環境や心境の変化に応じていつでもその意思決定を支援し、一旦決定した意思の変更も認めていくことが大事だ。

以前にも書いたことがあるが、僕が特養の施設長として利用者の人生会議を支援していた頃、口から食事を食べられなくなったら経管栄養を望むか、そのまま枯れるように自然死を望むかという判断について、1日に3度も意思決定を変えた人がいたが、そういう意思変更は、それだけ深く自分の生き方を関麩が得ているという意味があり、大いに認められるべきなのである。

このように、『今の気持ち』を大切にするのが人生会議であり、過去の決定事項にがんじがらめに縛られて、その呪縛から逃れられないという状態を防ぐように支援することも大事な視点となる。

繰り返しになるが、人生会議では本人の意志決定が都度必要になるのだから、「本人の意思が明確ではない時の支援」は不可能になるのである。よって不可能になる前に、人生会議を行っておくことが大事になる。

しかし誰しも自分の死をイメージすることは簡単なことではないし、具体的に自分の死の備え等について語り合うことは、『穢れ』につながるとか、『縁起が悪い』と思い込んで忌避する人も多い。特に自分がまだ元気で認知症とも縁遠いと思われ、ましてや死はずっと先であると思い込んでいる場合、その傾向は強くなる。

そうであるからこそ、人生会議の重要性を教え、その実施を支援する専門家の力が求められてくるのである。それが介護支援者であっても良いわけであるし、介護支援専門員という職種は、その支援者として非常に適性がある職種だと思うのである。

そうした支援者が地域の隅々で、人生会議の重要性を説くことが、社会全体で自分や愛する誰かのの死について語ることをタブー視させないことにつながっていく。

死を語ることの偏見やタブー意識をなくしていく先に、「自分の命が不治かつ人生の終末期であれば、延命措置を施さないでほしい」というリビングウイルの宣言が、ごく当たり前に行われる社会が実現するかもしれないという意義を感じてほしい。

そのためにも様々な人々が自分の、『いざその時』に備えて、元気なうちから家族と医療・介護関係者による人生会議の取り組みが必要とされるということを知ってほしい。一般市民の方々にもっとそのことを啓蒙しなければならない。

その啓蒙活動の一つが「終活セミナー」であるが、そんな重要なセミナーも新型コロナウイルスの影響で開催できないのが残念でならない。そして新型コロナウイルス感染症によって、リビングウイルの宣言もできないまま、人生を終えていく人が増えている現状が残念でならない。

他人と隔離された場所で、実際に息が止まった時間も明確でないまま、誰にも看取られずに旅立っていかれる人が増えている今こそ、改めて終活・人生会議の重要性を認識し直してほしいと思う。
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人生会議は事象ではなく過程であるという理解が必要


1月に長崎県南保健所・南島原市・雲仙市・大村市等のお招きを受けて、それらの各市で看取り介護と終活に関する講演を行なってきた。そこでの大きなテーマは、「人生会議」であった。

その模様の一部が地元の新聞に掲載され、関係者から画像が送られてきた。
長崎新聞
この記事は南島原市での一般市民を対象にした、「終活セミナー」の取材記事であり、翌日には雲仙市でも同じセミナーを行なったが、両日とも高齢者の方々が多数参加してくださり、終活とは何かを真剣に真剣に考えてくださった。

そのことは、先日書いた「終活セミナーは高齢者の方にもわかりやすい内容で」という記事で詳しく紹介しているので参照していただきたい。

ここでも書いているが、一般市民の方を対象にした終活セミナーで、やたらに数字やグラフを使うのはやめていただきたい。何万人とか何億円という数字は実感できないし、そんなものは身近な終活に必要のない数字だ。グラフだって講師の、「言葉」を見える化するわき役に使うべきなのに、グラフを主役にして、講師がその数値や内容を読み上げてどうするのだと言いたい。そもそも講師としてふさわしくない適性のない人が多すぎるのである。

セミナーは開けばよいわけではない。その目的やテーマに沿って、「伝えられるか否か」が問題であり、開催するだけのセミナーは、主催者・受講者双方の時間を奪うだけの意味のない時間に化してしまう。終活セミナーや看取り介護セミナーは、一般市民と保険・医療・福祉・介護関係者のすべての方に、伝える能力のある講師選びが成功の基本であることを主催者の方にはご理解いただきたい。

ところで終活を実施する過程で重要となるのが、「人生会議」である。(参照:人生会議の可能性 ・ 人生会議の課題

人生会議という言葉は、国がパブリックコメントを募集したうえで、2018年11月30日に選んだACP(Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング)の愛称である。

その意味は、意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護等について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくプロセスを意味している。

ここで注意してほしいのは、人生会議という愛称が誤解をもたらさないかということである。

会議というと、関係者が会議室などの特定の場所に集まって、一定の時間を定めて話し合うイメージが浮かんでしまうが、人生会議とはそうした時間や場所を定めた特定の話し合いを意味していないということだ。

人生会議とはあくまでも、終末期にしなければならないこと、考えなければならないことを、あらかじめ関係者と話し合って、その知恵を借りながら自分で決めたり行なったりする、「過程:プロセス」を意味するものであり、終活の中の1事象を表わすものではないという理解である。

そしてそこで決めなければならない終末期の過ごし方にしても、一度決めたことに縛られて、そこから身動きが取れない状態になってはならないという理解も必要だ。

例えば、「口から食事を食べられなくなった時にどうするか」という問題については、簡単に決められる事柄ではない。経管栄養のメリット・デメリットを、関係者から情報提供を受けた上で、その決定に関しては何度も迷ってよいわけであり、一度経管栄養で延命を求めた後で、その気持ちが変わって経管栄養をしたくないと気持ちが変わっても良いわけであるし、その逆もありだ。しかも何回も気持ちが揺らいで、その都度決めごとを変えても良いわけである。

エンディングノート(人生ノート)を、その都度書き直しても良いし、そのお手伝いを介護関係者がすることがあっても良いわけである。

口からものを食べられなくなり、水分も摂れなくなった場合、「せめて点滴くらいしてほしい」あるいは、「点滴もしないでそのまま逝かせて良いのだろうか」と迷っている人に、終末期の点滴がいかに苦痛を与えるものであるかということを、一般市民にも分かるように説明するのが、医療・福祉関係者としてのソーシャルワーカーの役割でもある。

終活セミナーで人生会議を語る講師は、この部分をしっかり伝える必要がある。来月初めに登別市でも、人生会議をテーマにした講演会が予定されており、そこでは医療機関の職員が講演を行なうようであるが、そのことをきちんが伝えられることを望んでいる。

しかしもっとはっきり言うなら、終活や人生会議、看取り介護に関して言えば、全国各地でそのことをテーマにして講演を行ない、多くの関係者から評価されている僕以上の講師がこの地域にいるとは思えないのであるけれどなあ・・・って思ったりしている。

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厚労省の「人生会議」普及ポスターが良くない理由


厚労省は昨年、「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」について、パブリックコメントで愛称を募集し、2018年11/30に「人生会議」に決定した。

その際に選定委員を務めた一人が、お笑い芸人の小籔千豊さんであった。その小籔さんをモデルにして、「人生会議」の普及を目指して作成されたポスターが11/25に公開された。そのポスターが下記画像である。

BBXlJrGこんな風に小籔さんが患者の姿でベッドに横たわり、鼻腔栄養を受けて顔をしかめている。そして「俺の人生ここで終わり?」・「大事なこと誰にも伝えてなかったわ」などの言葉が並び、「こうなる前に、みんな『人生会議』しとこ」と呼び掛けている。

しかしこのポスターが公開されて以来、インターネットに批判の書き込みが続出しているそうだ。その批判は、「患者の不安を煽る」とか、「これでは死に方会議だ」という内容であるとのことである。そのため厚労省は、このポスターの自治体への発送や、ホームページへのPR動画の掲載も取りやめることを決めたそうである。

このポスターに対する批判が、「死を連想させるから悪い」ということではならば、その批判は当たらない。なぜなら人生会議とは、まさに終末期に備えたものであり、「死」を意識して初めて人生介護の必要性も理解できるからだ。よって死を連想させるのは一向にかまわないことである。

しかしポスターに対する批判の矛先はそこではないと思う。

このポスターの目的が、「人生会議」の本来の目的を伝え、その普及を図るものだと考えた場合、僕もこのポスターは良くないと思う。これでは鼻腔栄養をはじめとした経管栄養等が不適切という誤解を与えかねないからだ。
※小藪さんの鼻につけられているのは酸素カニューレだろうが、その説明がないので、鼻腔栄養と勘違いしてしまう人もいるという意味

勿論そうではないとポスター制作者は反論するだろう。なぜならポスターには大事なことを何にも伝えていなかったことで、「命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらない」と書かれているように、延命処置そのものが悪者ではなく、本人の意思確認がされないまま、延命処置によって、本人の望まない悲惨な生き方を強いられる人がいることを示唆していると読み取れるからである。

しかしそう読み取れるのは、ごく一部の人にしか過ぎないと思う。このポスターを見た多くの人が、延命治療そのものや、経管栄養すべてが悪者と誤解を受けかねないのが問題だと思う。

批判に反論する意見の中には、「いざというときに話し合わないでいると厄介なことになるよね、という啓蒙用のポスターが、なぜ患者団体からのクレームに晒されるのか理解ができません。」というものがあるが、話し合わないと厄介になるということが伝わらずに、とにもかくにもチューブにつながれた姿が悲惨で、あってはならないのだという誤解が広まる恐れがあるという意味だ。

確かに鼻腔栄養などの経管栄養で延命されている人の中には、意思疎通がほとんどできず、気管切開されて定時に気管チューブからの各痰吸引が必要な人も多い。その人たちの多くが、各痰吸引の度に体を震わせてもがき苦しんでいる。その姿はまるで苦しむために生かされているかのようだ。

その苦しみから逃れようとして、経管チューブを引き抜こうとする人は、手足を縛られて身動きできない状態で生き続けなければならない。そんなふうに寿命が来たのに死なせてもらえない、「悲惨な生き方」が存在するのも事実だ。

だからと言って経管栄養のすべてが、「悪」・「不必要」と考えるのは間違った考え方である。経管栄養とは医療技術の一つに過ぎず、経管栄養によって延命したいという希望もあって当然である。経管栄養による栄養管理を実施し、回復を願い治療を続けることはあって当然であり、対象者が経管栄養を行うかどうかを選択した後は、その判断が良かったのか、悪かったのかさえ審判する必要はない。

ましてや酸素吸入が否定されては、終末期の安楽さえ保障できなくなってしまう。その誤解が怖いのである。

大事なことは、あくまで対象者の意思や判断が尊重されることであり、その意志判断には、延命処置を施してほしいという選択、経管栄養を選択するという判断があっても良いのである。

だからこそ延命のために何をするのかしないのかは、治療にあたる医師が、本人の意思を無視して決めるべき問題でもないし、ましてや施設関係者などのサービス提供者が決める問題ではないことをしっかりと意識し、できるだけ事前の本人の意思確認が望まれるのである。そのために必要な過程が、「人生会議」であり、人生会議が普及することは、自分の死について語ることをタブー視させない社会につながり、リビングウイルの実現につながるわけである。

その目的に沿って考えると、このポスターはあまりに稚拙すぎると言え、「人生会議」の意味も誤解させる恐れがあるから問題なのである。よってこのポスターは、永遠にお蔵入りしてしまって当然だろうと思うのである。

だからと言って、モデルとなった小籔さんには何の責任も落ち度もないことは言うまでもない。そのあたりの誤解はしないでいただきたいと思う。

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あなたの思いは大切な誰かに伝わっていますか


いつまでも若々しくお元気に活躍されていた加山雄三さんが、脳梗塞で入院されたというニュースが流れたのはつい最近のことである。

幸い入院期間も短く元気になって退院され、後遺症もなく活動再開したと聴いて、さすがに若大将だと思った。

一方、イタリアのトリノで倒れられた漫画家の松本零士さんは、当初、「脳卒中」と報道されていたが、最新情報では、「電解質異常」とされ、意識が戻ったと報道されている。しかし退院の見込みは示されていない。外国で入院しているということで情報も錯綜しているが、一日も早い回復をお祈りしたい。

加山さんは83歳、松本さんは81歳であるが、日ごろお元気であったので、急に倒れられたという報に接して驚いた方が多いだろう。しかし社会の第一線で活躍されていてお元気であっても、いつまでも健康でいられないのが人間の性である。

後期高齢者と呼ばれる時期になると、ある日急に健康状態が変化するリスクが高まることも当然であり、その中には急に亡くなられる方もおられるだろうし、元気で過ごしていた方が、急に人生の最終ステージに立っていると宣告される場合もある。

そのことを仕方のないことだと思う人は多いだろう。だからと言ってそのことを自分の身に置き換えて考えられる人はそう多くはない。

ましてや自分がまだ若いと思っていいる人や、若くはなくとも高齢者と呼ばれる年代に入っていないと思っている人は、自分が明日突然命にかかわる病気に見舞われるなんてことを想像できるわけがない。そんな事態がわが身に降りかかってくることを考えられないのが普通である。

しかし人間の致死率は100%であり、遅かれ早かれ死を意識せざるを得ない時期が必ず訪れるのである。その時、自分がその時期にどこでどう過ごしたいかという意思表示ができるとは限らないのである。

今わが国では国民の8割以上の人が医療機関で亡くなっているが、様々な調査で、「最期の時間をどこで過ごしたいですか?」とアンケートをとっても、8割以上の人が医療機関で最期の時間を過ごしたいと答えている調査結果は存在しない。

それらの調査では、過半数の人が最期の時間を過ごしたい場所として、自宅もしくはその時に過ごしていた場所と回答している。

そうであるにも関わらず、8割を超える人が医療機関で死を迎えているという意味は、「自分が死にたい場所で親を死なせていない」という意味でもある。

その理由は、世間体とか家族の思いとか、いろいろだろうが、そもそも子が親に、「どこでどのように最期の時間を過ごしたいのか=どこで死にたいのか。」ということを確認していないという理由が主であろう。しかしそれで良いのだろうか。

例えば口からものを食べられなくなっても、経管栄養を行うことで延命は可能であるために、経管栄養のみで10年以上生きられている方も世の中にはたくさんおられる。その人たちの中には、意思疎通がほとんどできず、気管切開されて定時に気管チューブからの各痰吸引が必要な人も多い。その人たちの多くが、各痰吸引の度に体を震わせてもがき苦しんでいる。その姿はまるで苦しむために生かされているかのようだ。

しかしその中には自分の意志ではなく、他人の意志によって経管栄養で生かされている人が多数含まれている。というより大多数の方々が、自分の意志ではなく家族の意志によってそのような状況に置かれているのである。

その人たちは果たして幸せなのだろうか?それでよいと思っているのだろうか?こんなことならもっと早く天に召されたいと思っている人がたくさんいるのではないだろうか?

そんなことを思うにつれ、もっと本人の意思が尊重される終末期の過ごし方が保障されるような社会になっていく必要があるのではないだろうかと考えてしまう。

だからこそ意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくという人生会議(アドバンス・ケア・プランニング= ACP)の重要性が増すわけである。

そうした人生会議というプロセスを経たうえで、リビングウイルの宣言を含めた、「終活を行って最期の時に備えたいものだ。しかし終活も元気なうちにしかできない。

終活とは、死と向き合い、最後まで自分らしい人生を送るための準備のことであり、「これまでの人生を振り返る」・「残される家族のことを考える」・「友人、知人、今までお世話になった人たちへの思いをつづる」・「やり残したことや叶わなかった夢などを書き出す」などを行うことで、これから先にできること・できないことの整理につながる活動だ。

終活によって、自分が人生の最期をどこでどのように過ごしたいのかを、一番信頼できる人に伝え、託すことができる。そういう意味では終活とは、自分らしい最期を生きるための準備であると言える。

そうした人生会議・リビングウイル・終活という意識が国民の間に広がってほしい。

僕たちが看取り介護の方法論をいくら考えて、その質を引き上げたとしても、終末期を過ごす人の思いに寄り添うことができない限り、それは真に求められる方法論とはならないと思うのである。

だから僕の看取り介護セミナーでは、リビングウイルの支援のために、逝く人の意志をどう確認するかということについてもお伝えするようにしている。看取り介護では、看取る人の思いも大切だが、それ以上に逝く人の思いがとても重要になると思うからだ。

それは大切な誰かの最期の時間に、あなたの「愛」を届けるために必要不可欠なことではないかと思うのである。

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死因変化が示唆していること


僕が新卒で特養に入職した昭和58年当時、日本人の死因のトップは脳血管疾患(脳出血・脳梗塞など)で、その次に心疾患、がんという順位で続いていたと記憶している。

しかし昭和60年代に入ると、がんが死因のトップになり、次に心疾患が続き、脳血管疾患は3番目になっていった。脳血管疾患による死亡者が減った背景にはCT検査などの確定診断の充実や、脳外科手術の手技の進化といった背景があると言われていた。

その状況が長く続いていたが、先に厚労省が公表した人口動態統計によると、2018年の日本人の死因は1位がん、2位心疾患、3位老衰となり、脳血管疾患が4位に下がっている。

この死因変化からは、二つの意味を読み取ることができるのではないだろうか。

まず最初にそれが意味することとは、脳血管疾患では即、死ぬことができなくなったということである。

医療技術の進化で脳血管疾患を発症したからと言ってそのまま死に直結しない人が多くなるからと言って、この疾患そのものが劇的に減少しているわけではない。しかもこの疾患の特徴は、一旦発症した場合症状が治まったとしても、麻痺という後遺症が残る可能性が高いということである。そして脳血管疾患になった人が、一般の人と比較して特段に寿命が短くなるというデータはない。むしろ病気になったことをきっかけにして、酒やたばこを控え、血圧管理などの医療ケアを定期的に受ける人が多くなることで、寿命は延びている可能性もある。

どちらにしても60代で脳血管疾患を発症した人は、その後手足等の麻痺を抱えたまま長い期間生きる可能性が高いということになる。その期間は25年〜30年というスパンであると考えられる。そうした方々が、手足の麻痺という不自由を抱えて、どう暮らしていくのかということに、我々は深く関わる仕事をしている。今後そういう人がさらに増えるのである。

病気が発症した当初は自分の運命を呪い、絶望と慟哭の中にいる人も多いだろう。それがやがてあきらめの気持ちに変わり、さらに病気を受け入れ、新しい生活に向けて頑張ろうとする意欲に結び付くように、それぞれの過程の中で、医療看護職として、相談援助職として、介護職として、栄養士としてなど様々な立場で、どのように関わっていくかという姿勢が問われてくるだろう。

時には専門職として関わる姿勢より、そっと肩に手を置いて優しさを伝えるような、人としての姿勢が問われてくるかもしれない。そこで何ができるかを考え続けたい。

さて死因変化のもう一つの意味についても考えてほしい。老衰死が増えているということは、高齢死者数が増えているという意味だ。今後の地域社会では、医療機関のみならず、介護施設や在宅など様々な場所で、老衰で亡くなる高齢者が増えてくるのだ。

老衰とは自然死なのである。そうであれば自然死を阻害しないための備えが必要になる。

老衰の最終段階では口から食物を食べられなくなる。この時に胃婁を増設して経管栄養を行なえば、死までの期間は引き延ばすことができる。それも月単位ではなく年単位での引き延ばしが可能になる。しかしそれは老衰という自然死を阻害するだけの行為になるかもしれないということだ。

自然死を阻害された人は、その後死を迎えるまでの間、誰とも意思疎通ができないまま、痰の吸引などの行為のたびにもがき苦しんで生きるかもしれない。実際にもがき苦しむためだけに活かされている人が、現在この国に何万人いることか・・・。それが長寿世界一ニッポンの一面でもある。

そうしないために、すべての人々が意思のあるうちに、「リビングウイル」の宣言ができる地域社会を創ることが理想だ。地域包括ケアシステムにおける医療・介護連携、多職種連携の目的の一つに、「地域住民に対するリビングウイルの支援」があるべきだ。
(※リビングウイルとは、「生前意思」又は「いのちの遺言状」といわれており、「自分の命が不治かつ人生の終末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくことである。延命治療を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和治療・緩和ケアに重点を置いた支援に最善を尽くしてもらうための宣言でもある。

昨年の介護報酬改定で、居宅介護支援費に新設された、「ターミナルケアマネジメント加算」は、末期のがんの人に対する支援行為にしか算定できないが、今後の地域社会では老衰による在宅死が増えるのであるから、そういう人に対するリビングウイルの支援から終末期支援までがつながっていくために、次期報酬改定では、その加算の対象はすべての終末期支援対象者としてほしいと僕は訴え続けている。

是非その実現も図ってほしいものだ。

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看取り介護の場の多様化に備えて


僕の最新著作本「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」は、張り付いたリンク先から購入できるが、そのリンク先には在庫数が表示されている。

その数字がほぼ毎日変化しているということは、どこのどなたかはわからないものの、毎日誰かがこのサイトから僕の本を購入してくれているという意味である。本当にありがたいことである。

講演会場でもこの本の売れ行きは良くて、とても驚いている。なぜならこの本は、「看取り介護」をテーマにしているだけに、購入者層は過去の僕の出版本よりも狭くなるのではないかと予測していたからだ。そんな予測が出版社や著者にとっては良い方向に外れている。それだけ様々なステージで、看取り介護の実践が求められているという意味ではないのだろうか。

この本では、僕が今まで実践してきた看取り介護のケースを紹介するだけではなく、看取り介護指針や、終末期の身体状況の変化を説明するパンフレット、デスカンファレンスのための一連書式など、実務書類も多々掲載しているので、看取り介護の実践書としても利用できる。さらにそこで紹介しているケースを読むと、命と向き合う介護の現場の使命と責任という意識も持つことができ思う。何より看取り介護を通じて、介護そのもののあり様を考えることができる実践書となっているので、ぜひ一度手に取って読んでいただきたい。

我が国では国民の8割以上が医療機関で亡くなっているという現状があるものの、医療機関以外で死亡する人の割合が少しづつではあるが増えている。自宅で亡くなる人の割合も、0.数ポイントという割合で増え続けており、それに伴い当然のことながら医療機関で亡くなる人の割合が少しだけ低下しているのがここ数年の傾向である。

それは在宅療養支援診療所が医療保険に位置付けられて以来、在宅ターミナルケアの専門医が増えていることによって、自宅等の住まいで亡くなることができる人が増えているという意味である。その中には、一旦医療機関に入院したとしても、そこで入院し続けたまま亡くなるのではなく、回復不能と診断された後に、自宅に戻って人生の最終ステージを過ごす人も含まれている。

医療機関でターミナルケアを専門とした病棟として、「ホスピス緩和ケア病棟」があるが、そこは末期がんの方しか入院できないのだから、こうした変化はとてもありがたいことで、終末期の選択肢が増えていることを意味している。そのため在宅ターミナルケア専門医の増加によって、末期がんの方であっても、あえて緩和ケア病棟に入院せず、自宅で亡くなるというケースも増えている。

このことに関連して、「生きるを支える」という記事の中で、福岡市で在宅ターミナルケア専門医として活躍している、強化型在宅支援診療所・まつおクリニックの松尾 勝一院長の話を紹介している。

松尾Drは、「医療機関で行う終末期医療・緩和ケアについて、在宅で行うことができないものはないが、在宅で行うことができることで、医療機関で行うことができないことは結構多い」と言い、その理由として、「畳が敷かれ、仏壇があり、家族がいる」と述べておられた。

勿論、緩和ケア病棟にも畳があるところもあるし、仏壇を持ちこむこともできる。さらに家族がそこで一緒に付き添って最期の時間を過ごすこともできるだろう。しかしその仏壇や畳や壁の一つ一つの存在に、過去の暮らしとの連続性があって、それを見て思い出が浮かんでくるかどうかということはまた別の問題である。

家族が単に看取り介護の場に居るのではなく、馴染みのある空間に家族と共に過ごすことで、過去の様々な思い出が浮かんできて、最期の時間を過ごす際の安らぎにつながっていくということが、人生の最終ステージを過ごす際には重要な要素になるのである。

だから松尾先生は、ターミナルケアを実践する場、終末期を過ごす場所として、自宅に優るものはないと言っておられる。

人生会議:ACPという考え方が普及する過程では、終末期を迎えた人の、本当の気持ち・思い・希望に寄り添った場所で過ごす方法が追及されるのだから、こうして自宅で最期の時間を過ごす人も増えるだろう。(参照:人生会議の可能性

そしてリビングウイルの支援者としての介護支援専門員等の役割もいっそう重要となるだろう。その過程では、数カ月〜半年程度の期間を終末期支援の期間とし、自宅で過ごす方が通所介護に通って心身活性化を図るというケースも増えていくのではないかと考える。

看取り介護の対象者が、訪問系サービスのみならず、通所系のサービスも利用することによって
、様々な居所で終末期を過ごすことができるのだ。サ高住が最期の居所となっている方は、その場で訪問系サービスを利用しながら、週の何回かは通所介護に通って、馴染みのある人々との交流機会を途切れさせずに終末期を過ごす計画も普通に考えられるようになるだろう。

終末期を自宅で過ごす方にも入浴支援は重要であるが、それが一律訪問入浴ということにはならない。社会的関係を途絶させず、寂しい終末期にならない方法と入浴支援の方法をセットで考えて、通所介護で他者と交流して心身を活性化できる機会を持ちながら、入浴支援を受けるという計画だってありだと思う。

よって通所介護の従業員の方々も、終末期の方々の身体状況の変化の特徴や、終末期支援として関わる際に持つべき知識等について勉強しておくことは非常に重要となるのである。通所介護の職員だから、看取り介護には関わらないだろうという考え方は完全に否定されなければならない。

これからの社会では、すべての介護関係者が、他の領域の専門家と連携しながら、終末期を含めた高齢者の暮らしを護るという意識が必要だ。それが介護のプロとしての意識につながり、そうした意識を持つ専門家が存在することが、本当の意味での地域包括ケアシステムの基盤となるのである。

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人生会議の課題


ACPの愛称が人生会議とされたことに関しては「人生会議の可能性」という記事で紹介したとおりである。

ここにも書いているが、「人生会議」とは、一般的に抱く会議のイメージとはやや概念は異なっており、それは終末期に備えた意思決定を行うプロセス全体を指すものである。

そのプロセスには、医療関係者や介護関係者と、当事者や家族がテーブルをはさんで話し合う、「会議」そのものの実施も含まれるが、人生会議とはそれだけではなく、会議を経て当事者が意思決定をする過程で、揺れ動く気持ちに寄り添う関係者の日常的な支援過程も含まれるものである。

そのような人生会議は当事者にとって終活の一環としても、リビングウイルとしても大変重要で有意義なプロセスである。

例えば、リビングウイルとして一番重要な点は、「本人の意思決定とその確認」であることは間違いない。しかし終末期になった後に、その人の意思を確認することは難しくなる。よって意思決定ができ、その意志を表明することができる時期に人生会議を開催して、終末期になった際に自分はどうしたいのか、どのような支援を受けたいのかということを確認しておくことが重要になってくる。

そこでは病状を含めた当事者の現況について、医療面から、介護面から、それぞれの関係者が適切に評価し、その情報を伝えて、その情報やアドバイスに基づいて当事者の自己決定を促すということになる。

そうであるからこそ、人生会議に関わる医療や介護等の専門家は、人生会議というプロセスにおいて、専門家の価値観を押し付ける行為があってはならないという戒めが必要だ。医師の指示によって大事な決定を促すことが人生会議ではないことを忘れてはならないのである。

人生会議を通じて、一人一人の国民が自らの終末期の過ごし方を考え、自己決定に基づいてリビングウイルを宣言しておくことはとても大事なことである。それは尊い命を自ら敬い大切にすることに他ならないからだ。それはこの世に生を受け、人として生きてきた意味を問うことにつながるかもしれない。

しかし人生会議という場で、当事者である高齢者の方が、自分の意思を正しく表明できるとは限らないという問題がある。認知機能の低下がなくても、そういう場所に慣れていないことによって、日ごろ抱いている自分の気持ちを、うまく伝えられないという場合がある。そういう時に誰かに気持ちを伝える手伝いをしてもらいたいと考える人もいるはずだ。

そうすると人生会議に関わるチームのうち、誰がリビングウイルの宣言のための支援を行うことができるだろうかと考えたときに、介護支援専門員をはじめとした介護支援者は、利用者がお元気で、意思表示ができる状態の時期から関わり初めて、日常的に意思疎通を行いながら支援担当者として関わっている場合が多いことに注目してよいのではないかと考えている。

病状が悪化する前、意思確認ができる状態の時期から関わりを持っている介護支援専門員だからこそ可能となることがある。それは利用者の意思を代弁することである。

それはリビングウイルの宣言支援にもつながっていくのではないだろうか。そのことの役割をもっと意識した日ごろからの関わり方が、介護支援専門員には求められるのではないだろうか。

その役割は日ごろ身体介護に携わり、一番近くで当事者の気持ちを知る立場にいたヘルパーが担うことになっても良いはずだ。人によっては家族の心の負担を慮って、家族には伝えられない気持ちをヘルパーに吐露する人もいる。その中に含まれる本音を代弁する誰かがいないと、人生会議という過程も形式的で、単なるアリバイ作りの場に変わってしまう恐れがある。そうしないためにも、本人以外に、本人の気持ちを代弁する支援者が必要だ。

よって「人生会議」として関係者が集い話し合う場には、本人や家族、医療関係者とともに、本人のニーズを代弁する介護支援専門員などのソーシャルワーカーが参加することも必要不可欠であると考える。終活の一環として、リビングウイルを実現させる機会としても重要な会議であるからこそ、そこに日常支援に関わっている介護支援専門員等が参加する必要性も高い。

しかし人生会議に対しては、診療報酬も介護報酬も支払われない。この会議を行うことによって、関係者が何らかの報酬が得られるわけではないのである。会議の主催者及び参加者に、報酬以外の間接的利益が発生することも期待できない。それはあくまで治療や介護の過程の中で、必要不可欠なプロセスであるという関係者の理解がないと、人生会議は国民に浸透しないのである。

さらに、主治医師として高齢者に関わっている医師の中にも、人生会議という言葉も知らず、ACPという考え方にも興味が薄い人がいるかもしれない。

そうした諸々の状況が原因で、人生会議を開いてもらって、そこに当事者として自分や家族が参加したいと思っている高齢者が、そうした機会を持つ方法さえわからないというケースが続出するかもしれない。

いざ人生会議を開催しようとしても、日ごろ対象高齢者の日常支援に携わっている関係職員が、ほかの仕事を優先して、報酬の発生しない会議への参加を二の次にして、参加してくれないかもしれない。

そう考えると今後の課題は、この人生会議の重要性を関係者がいかに理解し、多職種が上手に日程調整して、こうした機会を日常的に作ることができるかということになる。

求められる地域包括ケアシステムとは、一人一人の住民が日常生活圏域の中で心身の状況に合致した居所を確保したうえで、医療や介護だけではなく福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが適切に提供でき体制なのだから、その一環として、「人生会議」が求められると考えるならば、地域包括支援センターは、その啓蒙活動に力を入れる必要があるだろう。

そして地域包括支援センターが、「人生会議」の開催を積極的に支援する必要もあるのではないだろうか。

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人生会議の可能性


がん治療の現場で、患者や家族が医療チームと相談を繰り返しながら治療や療養の方針を決めていく「Advance Care Planningアドバンスケアプランニング(ACP)」が注目されるようになり、そのことをきっかけとしてACPは、がん治療の現場のみならず、広く医療・介護現場に普及・浸透しつつある。

それは、高齢者が自らの意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくプロセスを意味している。

このACPについて厚労省が愛称を公募し、昨年11月にその愛称を「人生会議」と決定したことについては、「人生会議は愛を語る場」で紹介しているところだ。

一般市民にもわかりやすい言葉にして、その考え方をさらに普及させるために、ACPを「人生会議」という言葉で表現しなおしたことはとてもよいことだと思う。

人生会議」は不治の病に侵された人にとって必要な話し合いの場と限定して考える必要はない。

高齢者の場合、日常生活に支障はなくとも、何らかの持病を抱えて暮らしている方が多いのだから、主治医師がいる人が多い。そういう人たちが「終活」を意識し始めたときに、同時に「人生会議」という機会をもって、自分自身の終末期の過ごし方を考え始めても良いわけである。

例えばリビングウイルという考え方がある。それは「生前意思」又は「いのちの遺言状」とも表現される行為であり、「自分の命が不治かつ人生の終末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し記しておくことである。

このように延命治療を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和治療・緩和ケアに重点を置いた支援に最善を尽くしてもらうための宣言を行うためには、終末期とはどのような状態で、どういう経過が予測されるのかを、できるだけ正確に理解する必要がある。

口からものを食べられなくなって経管栄養を行った場合、自分の身にどのような状況が降りかかってくるのかを、専門的な知識のある人から正確に情報提供を受けて、自ら意志決定するためにも、「人生会議」は貴重な場になるだろう。

そういう意味で「人生会議」とは、終末期の過ごし方について、「自己決定」を促す貴重な場でもある。しかし自己決定とは、単に利用者の意向だけで物事を決定するということではない。それは決定の主人公は自分自身であるということを前提として、専門知識のある医師等が選択できる方法や、選択した結果、その予後がどうなるかなどの予測をかみ砕いて説明した上で、最終的に決定するのが自分であるという意味だ。

その過程で利用者の希望と必要性の相違から生ずる問題についても専門的見地からわかりやすく説明して、理解を求めていくことが必要となる。特に希望と必要性が合致しない大きな要因は、利用者や家族が持つ情報や知識は、医師などの専門家が持つそれとは量も質も大きく異なり、利用者は偏った少ない情報の中から意思決定している例が少なくないという理由によるものなのだから、正確な情報提供が希望と必要性を一致されると言っても過言ではない。

人生会議」によって、終末期をどう過ごしたいのかという希望が必要性と結びつくとしたら、それは人生を豊かに過ごし、QOD※人が生命を持つ個人として尊重され、豊かな暮らしを送ることが出来、やがて安らかに死の瞬間を迎えることが出来るかという意味)を高めることにもつながるのではないだろうか。

このように「人生会議」とは、愛する誰かの人生の最終ステージを見つめ、死を見据えながら愛を語る場である。そこで話し合って決めたられたことは、信頼する人があなたの代わりに治療やケアについて難しい決断をする場合に重要な助けとなるであろう。

そうした「人生会議」がごく当たり前に行われる社会となることが求められているのだと思う。

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人生会議は愛を語る場


介護業界には訳の分からない略語・略称が多すぎる。略している本人だけが理解していて、聴いている側に意味が伝わらないものもある。

略しすぎて認知症を「ニンチ」なんて言っている馬鹿もいる。「認知症がない」と「認知がない」という言葉は、意味が反対になるということに気づいたら、こうした馬鹿な言葉遣いはできないのが本来だ。
(参照:認知症をニンチと略すな!!

略語とは異なるが、日本語で表現できるものを、わざわざ英語で表現していることもある。その頭文字をとって略称としていることも多いが、頭文字の略称に馴染んだ人は、元の意味が解らなくなっていたりする。

例えば認知症の人の症状で、かつては「周辺症状」と表現していた症状を、BPSDと表現する人が多くなった。しかしそのもともとの言葉がなんであるのかということを正確に答えられる人は少なく、その意味は何かと尋ねても、「BPSDはBPSDだよ。」と訳の分からない答えをする人もいる。BPSDとは「Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia」の略称であり、ビヘイビオラルアンドサイコロジカル、シンプトムス オブ ディメンティアと読む。

それは「行動・心理症状」と日本語訳できるもので、意味が解らずBPSDなどと口にするのではなく、きちんと「行動心理症状」と呼べばよいのである。

ところで最近よく使われるようになった言葉として、ACPという言葉がある。それはAdvance Care Planning(アドバンス・ケア・プランニング)の略称であり、意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくプロセスを意味している。

このACPについて厚生労働省は11月30日、愛称を「人生会議」に決定したと発表した。この愛称は、ACPの認知度向上を図るために厚労省が広く一般から募集し、応募総数1,073件の中からACP愛称選定委員会が決定したそうである。

なかなかわかりやすくて良いのではないかと思った。少なくともJR東日本が新駅名を公募の上、130番目の人気しかなかった「高輪ゲットウエイ」を選んだセンスよりは格段優れていると思う。

今後僕はACPという言葉に変えて「人生会議」という愛称を積極的に使っていこうと思う。そして元気なうちから口からものを食べられなくなったらどうしたいのかをはじめ、リビングウイルについて、家族間で意思を確認する過程で、医療・介護の連携チームと人生会議を行って、情報提供してもらいながら決めごとを確認していくように勧めたいと思う。

人生会議とは、愛する誰かの人生の最終ステージまで見つめ、愛を語る場であることを伝えていきたい。

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