masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

高齢者虐待

水分強制摂取の実践施設は情報公開を


介護力向上講習と水分の強制的補給法に対する批判的な記事を書くと、必ずといってよいほど、「それは講習自体が悪いのではなく、講習を受けた当事者の伝え方が悪いのだ」という言い訳が聞こえてくる。

しかし僕に直接メールを送ってくれる人で、水分の強制補給がいかに人権を無視した方法で行われているのかという情報を教えてくれる人たちの中には、老施協の役員が施設長である施設の職員も居られる。全国老施協から、「おむつゼロ」を達成したとして表彰されている施設の職員も居られる。そうであれば、老施協の役員や委員を勤めている人自身の講習での理解と、職員への伝え方が悪いのだということになる。そうであるなら老施協の役員会なり、研修委員会でもっとそのことを問題視して、改善の議論をしろといいたい。

事実として言えば、僕がこの問題を取り上げる講演では、必ずその地域に、同じような不適切な水分補給を行っている施設が存在するという話しを聞かされる。中には自分の所属施設で僕が指摘する不適切な水分補給を行っていると告白する人も居り、「恥ずかしいことですが、その方法が間違っていると分かっていても、上からの圧力でやめることができないのです」と嘆く方も居られる。

しかしそこには、被害者としての利用者が存在するわけだから、放置してよいわけがない。だからその状態を厳しく糾弾する誰かがいなければならず、何の得にもならないが、その役割を自らになっているのである。

日本中で、決して少なくない数の施設が介護力向上講習の影響により、不適切な水分補給を行っている実態があるのだ。それは受講者側の問題ではなく、伝える側の問題であるというしかないわけで、それが本意でないとしたら、よほど伝える能力が無い人が指導しているとしか思えない。それはそれで別な意味で大問題だ。

ところで僕の批判に対して、ある人は次のような反論をしてきている。

無理やり水分摂取、無理やり座位、無理やり経口みたいなコメントが多いですが すべて、手順があります。1500cc飲めない方には原因があります。』

どんな手順があったとしても、どのような原因があったとしても、個別アセスメントもせずに、全員一律の水分1.500ml/日を、「施設の方針」として強制補給してよい理由にはならない。そもそもそのようは方法で人の暮らしが好くなるというエビデンスは存在しない。そういう方法を行うこと自体が大問題であり、不適切であり、手順がどうだとか、理由が何であるかなどという意味のないことを主張しても始まらないわけである。

しかしこのような反論を書いてくる人も、文章の末尾に次のような本音をボロッと書き込んでしまうのである。

竹内先生が怖いから、早く結果を出そうとして、そういう現象が出るのかもしれません。』

恐怖で支配している講習会ということか・・・。そりゃあ洗脳といわれても仕方がないだろう。

どちらにしても、水分の強制補給を行っている施設のトップは、その実態が不適切なものでないかを、きちんと把握して、情報公開を行うべきである。

公開すべき情報とは、以下の通りである。

・1.500ml/日もの水分補給を行うことについて、きちんと利用者や家族に同意を得ているのか、それは施設サービス計画に載せられているのか。
《※基準省令の(基本方針)第一条の二では、指定介護老人福祉施設は、施設サービス計画に基づき〜以下略とされているので、このような重要なケアの方針を計画同意なしで行うのは、運営基準違反である。》

・水分補給の方法は、ケアとして適切な方法であるのか。利用者が水分摂取を拒否した際には、どのような対応をとっているのか。

・人権を無視した対応が行われていないのか。

・大量の水分摂取による健康被害がないことを、どのような方法で確認しているのか。


最低限、これらのことを情報提供する姿勢がない限り、1.500ml/日もの尋常ではない量の水分摂取を命じている施設のトップとして、世間様に対して道義上の責任を果たしているということにはならないだろう。

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洗脳介護の実態


対人援助サービスは、特定個人の「暮らし」に深く関わるのだから、結果を出さなければ意味が無いと思っている。

結果を出すために、日々学ぶ必要はあるし、実践する過程で頑張る必要はあるが、頑張ったという過程だけで満足してはならず、必ず結果を追い求めなければならないと思う。

その結果とは何かといえば、僕たちがかかわりを持ち、何らかの形で暮らしに介入している人達の暮らしぶりが少しでも良くなっていることであり、僕たちが関わっている人が満足されて日々暮らしを送ることができていることだと思う。

仮に僕たちが掲げた目標が達せられていたとしても、関わっている人の暮らし振りが良くならず、満足していないのなら失敗だと思う。その場合は、目標の設定自体が間違っているという意味だ。

目に見えない「こころ」を持つ人間に関わる職業であるのだから、サービスを利用する人の感情を無視して物事を評価してはならず、僕たちが良かれと思っていることであっても、その結果が「だめだ、満足していない」といわれてしまえば失敗なのである。

だがその結果を判断することは意外と簡単である。人に関わる仕事なのだから、そこには関わる人の表情があるからだ。認知症等の理由で、意思表示ができない人であっても、表情で満足度を図ることができるからだ。

しかしながら、そのような考えとは対極に位置する、利用者の満足度を無視した実践を行う介護施設が存在する。そういう実践を指導する職能団体が存在する。

利用者の表情を無視して、利用者の感情を脇において、自分たちの掲げた目的が達成されているかということだけを見ているのが、全国老施協の「介護力向上講習」である。
(※ただしこの講習会は、昨年度から全国レベルでは実施せず、都道府県の老施協レベルでの実施となっている)

そこでは「竹内理論」と呼ばれるエビデンスの無い方法論を、唯一絶対の根拠として受講者に押し付け、介護施設の利用者全員一律に、個別アセスメントの無い1500ml/日以上の水分補給を強制的に行う指導がされている。そして強制水分補給を行う際の、利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視される。

そうした方法で実現できるとされる目標とは、「日中おむつゼロ」というものにしか過ぎない。しかも全国老施協基準の「おむつゼロ」とは、すべての人が日中トイレで排泄しているわけではなく、尿取りパットを使って、そこに失禁している状態もありという、なんともお寒い「オムツゼロ」である。

その程度の目標を達成させるために、竹内理論の実践施設では、利用者が毎日毎日苦しさを無視されながら飲みたくもない水分を強制的に飲まされている。

人の尊厳を無視した強制介護を行うに当たって、そのことに疑問を持たないように介護施設の施設長と介護リーダーを集め、順位付けで競わせ、反論を怒号でつぶす講習会は、さながら洗脳セミナーであると語る人も多い。

利用者の意思など関係のないところで、ともかく決められた量を飲ませさえすればよいという何でもありの水分摂取や、多人数で引きずるような人格無視の歩行訓練を強制し、座位姿勢のアセスメント抜きの便座への強制座位を取らせて、苦痛にゆがむ表情を無視して、排泄をさせることにどんな暮らしの質があるというのだろう。

竹内理論の実施施設の職員からも、悲惨な状態がコメントとして寄せられている。密室の中で強制水分補給が行われている実態が、血豆だらけの口腔状態を作り出している事実を知ってほしい。

しかしながら、実際に竹内理論に基づいて、強制的な水分摂取を行っている施設のトップである施設長は、決められた水分が摂取され、全国老施協基準の「お寒いオムツゼロ」さえ達成していれば満足し、その施設の中で、利用者がゆがんだ表情でいることを知ろうとしない。利用者が昼夜の別なく様々な強制的方法で、水分を身体に突っ込まれている状態を知ろうともしない。

恥を知れといいたい。

全国レベルで実施しなくなった介護力向上講習会は、都道府県の老施協レベルで行われているが、県レベルで手を引いたところもある。残念ながら北海道老施協は、この悪魔の講習会を続けている。

北海道老施協とその役員たちよ、恥を知れ。研修委員よ、恥を知れ。(明日書く予定の記事:洗脳介護からの解放に続く)

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糸を縒(よ)り、紡(つむ)ぎなおすくソーシャルワーク


高齢者介護の仕事をしていると、時々家庭内の虐待行為と思しき状況に出くわすことがある。

家族に虐待を受けていると思われる状況が、高齢者の身体に現れていることが多いが、行為を目撃したわけでもなく、高齢者自身も正確な状況を訴えられない場合、それは想像の域を超えることはない。

しかしそうした状況を放置できるわけもなく、我々は様々な方法で、家庭内にも踏み込んでアプローチして状況改善に努めることとなる。

時としてそうした場合、緊急避難として、介護施設のショートステイを利用したり、場合によっては行政職員の介入を依頼して、特用への措置入所へとつなげたりする場合がある。

今年の3月まで、僕は特養の施設長を務めていたため、こうしたケースの受け入れ施設という立場にあったわけである。

こうしたケースの場合、介入した行政職員は、措置入所を行った時点でその役割を終え、ケースも終了とすることになる。

虐待を発見・通報した関係者も、虐待を受けていると疑われた高齢者が施設入所して、家族による虐待が行われる環境ではなくなった時点で、問題解決として関わりを終えることが多い。

しかし虐待を受けていた高齢者を受け入れる側の施設は、ここからがこうしたケースの支援開始である。それは単に、措置入所した方に施設サービスを提供するという意味にとどまらず、虐待を受けていたと疑われる高齢者と、虐待行為に及んでいたとされる家族の関係を再構築するという意味を含んでいる。

そこで必要とされるのはソーシャルワークの視点であり、施設の相談援助職は、施設内で利用者の暮らしを構築するだけではなく、いったん壊れかけた家族関係の再構築という視点から、家族全体に介入していくという考え方が求められる。

虐待という行為自体は、いかなる理由があっても許されるものではない。しかしソーシャルワーカーは、裁判官ではなく支援者である。その罪を糾弾するのではなく、そこに至った様々な事情を慮(おもんばか)り、行為として許されざる部分はしっかり認識した上で、そうした行為に至った人の事情も受け入れ、再びそのような行為に至ることがないような心の支えになるとともに、虐待行為を行った当事者と、虐待を受けた本人との関係修復に努める必要がある。

誰しも、理由なく身内を傷つけたいと思っている人はいないはずだ。自分の家族に暴力を振るったり、暴言を投げつけたり、必要な介護を放棄するに至る理由は様々であり、そこに至るまでに虐待行為を行う人自身にも、強い心の葛藤が生まれているケースは少なくはない。特に虐待を受けていた人が認知症である場合は、認知症の人の言動に強いストレスを感じていたことが原因であることが多い。

認知症は、そのひとの人格とは別なんだから、家族がそれを理由にストレスを感じて、暴力を振るうことは許されないという人もいるだろうが、家族は介護の専門家でもないし、認知症に対する正確な理解があるとは限っていない。

認知症の人の、(家族にとって)理解できない言動に、24時間向かい合っていることで、心が壊れる人もいるのだ。ある意味、虐待という行為に及ぶ火と自身が、他者を傷つけるという行為によって、SOSを示しているのかもしれない。

それは善悪の問題だけで評価すべき問題ではなく、誰しも強くはないし、誰しも常に正常ではおれず、人は誰しも、誰かの助けを必要とする可能性がある存在であるという理解で相対するべき問題である。虐待行為を行っている人も、心の奥底では苦しんでいる場合が多いのだ。

施設入所後に、家族関係の再構築を行わない限り、この傷は消えることはない。つまり関係修復のための会にゅとは、虐待を受けていた人を救うためだけではなく、虐待行為を行っていた人をも救うことなのだ。

施設入所という状況は、煮詰まった家族関係を見つめなおすために、いったん距離を置いて考える時間を作るという意味がある。そこにソーシャルワーカーという専門化が介入することによって、複雑に絡み合った糸をほぐして、良い方向に向かうことができるかもしれない。

施設入所によって、虐待がなくなったからといって、そうした部分に積極的に介入しないと、ご家族としての縁を失って、一人寂しくなくなっていく高齢者がそこに一人暮らしているだけの結果となってしまうかもしれない。そしてそうした介入ができる専門家は、施設入所した人の場合、施設のソーシャルワーカーしかいないのである。

そういう意味で、施設のソーシャルワーカーが、施設利用者の暮らしを護るという意味は、施設内だけの活動にとどまるものではないということになる。施設利用者の家族に介入することは、施設ソーシャルワークの付帯業務ではなく、本務であることを忘れてはならない。

なぜならば、絡んだ糸を解きほぐし、時には糸を縒りなおし、切れた糸を紡ぎ直すのが、ソーシャルワークの本質だからである。

人の暮らしに介入するソーシャルワーカーは、そうした行為を積み重ねて、人の幸福とは何かを追及する使命がある。そのことを胸に、日々人を優しく見つめてほしい。見つめていきたい。

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