masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

高齢者虐待

虐待をなくそうとしないで隠そうとする人々


すべての職場に自浄能力があるとは限らない。

そのため内部告発という形の情報発信は、時として唯一の問題解決策となる場合がある。

介護施設を密室化して、虐待行為が深い闇の中に沈んでいる状態をあぶり出す際の唯一の方法が、介護施設職員による内部告発であるという事例も過去にたくさん見られたことだ。それによって救われた人・命・暮らしがある。

だからこそ内部告発者の勇気は讃えられるべきであるし、その立場は護られるべきである。

このことに関連して表の掲示板では、北海道の某町立特養での虐待が話題になっている。内部告発者がツイッターやユーチューブに虐待の実態をアップしているが、告発された虐待行為について、町は振興局に報告を挙げたものの、その後具体的な虐待防止策を取ってはいないとのことだ。

関係者の処分は後回しで良いと思うし、そもそも事実関係が確定するまでそれはできないだろう。

しかし、虐待が本当に行われていたとしたら、そこには虐待を受けた被害者が存在するという意味なのだから、その人たちの保護、心のケア、虐待の再発防止策は早急に行わねばならない。

それは振興局の指導を待つという問題ではない。人の暮らしを護るために存在する特養の使命として、どんなことより先駆けて行うべきことだ。

それが人の道である。この部分で、呑気に事実関係を確認している暇なんてないわけである。

ところが当該施設では、被害者を護ったり、再発防止策を取ることなく、何より先に行われているのは、「内部告発者」探しだそうである。内部告発者を守秘義務違反の、「犯人」と決めつけ、訴えると脅したり、施設のトップを含む管理職数名で職員を呼び出して自白を迫っているそうである。

この施設のトップは勘違いも甚だしい。守秘義務とは、職務上知った秘密を守るべきことや、個人情報を開示しないといった義務のことを指すが、公益に反する法律違反や不正・不適切行為を公にすることはその義務には当たらない。

虐待という事実が存在するなら、その実態を明らかにすることは国民の義務である。管理者・管理職にその事実を通報しても、何の対策もとられないとしたら、その実態をネットを通じて公にすることは手段としては有りだ。

それをさせないように隠蔽を守秘義務という言葉で覆い隠すような行為は極めて卑劣である。こういう形で内部告発者がつぶされるのは見過ごせない。こういう管理者がいる限り、この施設の改革はできないだろう。

虐待があったということだけで施設トップの解任事由には該当しないとしても、虐待を隠蔽し、内部告発者に対する嫌がらせ行為に走るということは、十分解雇事由に当たるのではないだろうか。
北竜町のひまわり
内部告発者のSNSを見た人によると、問題になっている特養は、「ひまわり」で有名な町にあるそうだ。そこに町によって経営されている特養が、ひまわりさ咲くことのできない闇を創り出し、その闇の中に事実を隠蔽する行為がずっと続けられているとすれば、これは悲劇ではなく喜劇だ。

それにしても虐待告発を守秘義務違反と罵る人間が、介護施設の管理をしていて良いのだろうか。人として許されない行為をしていることに、その人間は気が付いているのだろうか。この施設には虐待と無縁の職員もたくさんいると思うが、こういう馬鹿なトップの下で働いていること自体が恥ずかしいことだろう。お気の毒である。

介護とはその字の意味が表す如く、「かばいまもる」行為である。しかし護るべきは第一義的に利用者であり、利用者の暮らしである。

しかるに、告発された虐待を隠そうと、内部告白者探しに躍起になって、内部告発者を犯人扱いすることで護っているのは、自らの地位のみである。それは人として許されない行為であり、傍から見てきわめて醜い行為でもある。

そういう人が同業者であることを恥じる。
虐待防止の意味
上のスライドは、僕が行う「虐待防止講演」のスライドの中の1枚である。虐待を隠蔽しようと躍起になている人たちは、このスライドを見て何を思うだろう。自分が管理する施設の実態を、どう考えているのだろう。

仕事に対する誇りや矜持をどう考えているのだろうか・・・。そういう矜持を持てない人は、一日も早く介護業界から退場していただきたい。
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虐待を見ぬふりすることも虐待と同罪


毎月のように、日本の介護事業者のどこかで虐待事件が起こり、その度にその虐待が、「氷山の一角」と言われたりするが、僕はそんな氷山に乗って介護の仕事をしているわけではないし、日本の大多数の介護事業者は、虐待とは無縁のサービス提供をしていると言い続けている。

しかし少数派と言えども、密室化しやすい介護サービスの場で、虐待・不適切サービスが行われているという事実は否定できないし、そこでは本来尊ばれるべき人々が、身体や心に傷を負わされているという事実がある。

しかも虐待の当事者は、そのような非人間的な仕打ちをしながら、生活の糧を得ているという大きな矛盾も生み出されている。こうした状況をなくしていかなければならないことは至極当然のことである。

そのためには虐待の原因や理由を精査して、きちんと検証したうえで再発防止策を講じなければならないが、そうした検証作業の前に、虐待の事実を隠蔽したり、なかったかのように見て見ぬふりをする状況が報告されている。

先日も表の掲示板で、虐待を通報しても何も対応されず、隠蔽に走っているというスレッドが建てられた。

これが事実とするなら由々しきことであり、町行政は厳しく糾弾されなければならないが、スレッドの書き込み内容だけでそれをすべて事実と判断することも危険である。虐待を糾弾するならば、きちんとした証拠を提示しなければならないと思う。

なぜならば虐待と認定されれば、それは刑事事件ともなり得るし、損害賠償の対象行為にもなり得るので、事実と確認できる以前に、特定の人物を虐待当事者と糾弾することは人権侵害にもつながりかねないからだ。

今では誰しもスマホを持っているのだから、虐待行為の証拠として撮影・録音することはそう難しいことではない。そうした部分にもICTは活用されるべきだ。

例えば2012年に書いた、「介護の闇をなくさなければ・・・。」では、和歌山県海南市の特養で、隠し撮りされた内部告発映像が、JNNに送られてテレビで報道されたことがきっかけで、海南市の議会で問題が取り挙げられて、改善命令等につながっていったことを情報提供している。

この時は今ほどスマホが普及していなかったから、隠し撮りも技術的にかなり難しかったであろうし、たぶんビデオカメラを隠して撮影したのだろう。

今はもっと簡単に虐待場面を証拠として撮影録画できるのだし、報道機関に頼らなくとも明らかな虐待に対処してくれないならば、ユーチューブ等にアップしてネットで拡散することもできちゃうのだから、虐待事業者がそれを隠蔽するなんてことは出来にくい世の中になっているのである。

隠蔽できないように、厳しく糾弾するという覚悟も持って告発に踏み切っていただきたい。

それにしても虐待の事実が明らかなになっても当事者を処分せず、場合によっては虐待行為そのものをなかったかのように装う行為は卑劣極まりない。そこでは利用者を虐待から護ろうとすることより、自分の所属する事業者を護ろうとすることが優先されているということで、それは自分自身の保身としか言えないからだ。

しかしそれによって虐待行為が隠されてしまえば、虐待当事者は罪の意識を持つこともなく、さらに行為をエスカレートさせ被害者も増えるかもしれない。

それは虐待行為を隠蔽した人が、虐待被害を広げていることと同じ意味になる。人として決して許されることではないのである。

介護という職業が何のために存在しているのかということを、ごく当たり前に考えてほしい。この職業は特別な崇高な行為を求められているわけではなく、心身に不自由のある人も、人として当たり前の日常を過ごすことができるように支援する職業だ。人を傷つけたり、放置したりする行為はその対極にあるものだ。

虐待を行わないということは、良い介護でも何でもなく極めて当然のことである。そんな簡単なことを理解できない人は、介護という職業に関わってほしくない。

こうした問題に関連して、8/12に大阪市老連主催のオンライン講演、Zoom『高齢者虐待対応研修会』開催〜介護事業所の高齢者虐待最多から考える〜を配信する予定になっている。
高齢者虐待対応研修会
既にたくさんの方が申し込みをされているようだが、今から参加したい方は是非主催者に問い合わせていただきたい。

当日は、大阪市老連の事務局があるビルから配信するが、その日は僕の誕生日でもある。ただこの年になればそれもあまり関係ないとはいえる。大阪は蔓延防止対策期間中なので、呑みにも行けないのが少し残念ではある・・・。
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利用者と家族をつなぐカメラ設置を拒む施設


僕が過去に何度か講演で足を運んだことがある関東の某市にある、「介護付き有料老人ホーム」について、そこに親を入所させて数カ月過ぎたという人から相談を受けた。

入所されたのは相談者の母親で、脳梗塞後遺症で重介護が必要な状態で、在宅介護の限界点に達してホーム入所に至ったとのことである。以下がその相談内容をまとめたものである。
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コロナ禍で面会禁止のために、相談者が見守りカメラを部屋(個室)に設置し、いつでも母親と会話ができるようにし、コミュニケーションを取っているので脳の刺激にはとても有効だと感じていた。ところが、カメラがあると仕事がしづらいというスタッフがいるということで、カメラに映ることが嫌な人は電源をオフにさせてもらいますとの連絡があり、実際にカメラの電源が切られていることが多くなった。

カメラは職員を監視する目的ではなく、母親とコミュニケーションを取ることや、自分で身動きのできない母親の状態を確認する目的なので、電源を切らないようにしてほしいと何度も施設長に要望しているが、遅々として改善が見られず、施設長は、家族の要望をスタッフの介護に反映させるのではなく、スタッフ側の働きやすさと、「やるべきことはやっています」、と言うスタッフの言葉を信じて弁護するスタンスである。カメラを切るスタッフの数も増えるなど不信感が募っている。

不安はさらにあって、録画された画像を見ると、入所の際説明してくれた介護内容が実施されていないようである。具体的には夜の体位交換に来ない、朝起こしてすぐ車イスに移動させ放置される、不自由な右側を下に横向きに寝させたままずっと放置される。生活リハビリも全く行われておらず、中には相談者の母親を物のように扱うスタッフがいる。
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相談内容は概ね以上である。

過去に僕は、「心の中に自らを写すカメラを持っていよう」・「隠し撮りカメラを恐れないケアづくり」などの記事を書いて、そこでは隠し撮りカメラを設置したいと家族が思うのは当然であり、それを恐れたり、そう考えることは自分たちを信用しないことだと憤るのではなく、「さもあらん」とそのような気持ちを理解しなければならないし、むしろ自分の心の中に、自分を映すカメラを自ら持って、自分の毎日の仕事ぶりを心のカメラで振り返って、誰からも後ろ指を指されないような自分を作り上げるべきだと主張している。

しかし今回相談を受けているのは、そのような隠し撮りカメラではなく、コロナ禍で家族と面会できない施設利用者がコミュニケーションを交わすためのICTである。

カメラを設置していることも、設置場所もわかっているのだから、職員側の肖像権を侵害するということにもならないと思う。

そもそも有料老人ホームの居室という利用者自身のプライベート空間に、家族が情報通信機器を設置して利用することを、施設側の事情で一方的に拒むことはとんでもないことではないだろうか。職員側が仕事しづらいなどという理由でスイッチを勝手に切ることなど許されないことと思う。

さすればカメラを拒む理由は、カメラに写ってはまずい老人ホーム側の事情があるのだと思え、それは録画確認されたように、必要な介護を行っていない状態や、不適切介護と思しき状態があるということだとしか思えない。

そう考えるとこの有料老人ホームは、極めてブラックに近いホームと言わざるを得ない。

相談者には、録画された内容に関して感じた疑問(適切な介護を行っていないのではないか)を施設長に直接確認するとともに、コミュニケーションのために個室に家族が設置するICTを、職員が勝手に触れて操作するのは不適切で、電源を切って姿を見えなくするのは人権侵害にもあたるのではないかと抗議するとともに、このような施設からは退所して、別な施設を探すことも考慮したほうが良いとアドバイスした。

家族と利用者をつなぐコミュニケーションツールがそこにあるからと言って、自分がすべき介護という仕事がやりづらいと考える人物はろくなものではない。

むしろそこにカメラが設置されていることがわかっているのだから、画面の向こうの家族に向けて、今自分が行っている介護支援の方法などを、丁寧に説明しながらサービス提供するのが、対人援助のプロとしての本来の姿ではないのだろうか・・・。

そうしたことが自然にできる対人援助のプロフェッショナルを目指してほしい。
5/24登別の散り始めた桜の絨毯
※5/23通知で早朝の登別の桜は、散り始めた木が多く、桜並木の下は至る所に桜の絨毯が敷かれています。
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介護事業所の虐待最多という報道を受けて


今朝12/23付の北海道新聞朝刊には、「介護事業所の高齢者虐待最多」という見出しで、次のような報道記事が掲載されている。
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厚生労働省は22日、介護事業所の職員による高齢者への虐待が2019年度に前年度比3.7%増の644件となり、過去最多を更新したと発表した。厚労省は虐待防止への意識が高まり、通報が増えたことなどが背景にあるとみている。自治体への通報件数も3.7%増の2.267件。亡くなったのは4人だった。

虐待の理由は複数回答で、虐待との認識が乏しかったことや、職員のストレスや感情コントロールの問題などがあった。一つの事業所で複数の高齢者が虐待を受けているケースもあり、不特定多数に暴言を吐くなど被害者を特定できなかった件数を除くと虐待を受けた人は計1.060人。このうち認知症の人が約8割を占めたほか、症状が重い要介護3以上の高齢者が75.8%に上った。

虐待の種類(複数回答)は暴力や拘束といった身体的虐待が60.1%。暴言などの心理的虐待が29.2%、放置などの介護放棄が20.2%。(以下略12/23北海道新聞朝刊より転載
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この記事では虐待の理由を、「職員のストレスや感情コントロールの問題などがあった」と報道しているが、こんな理由の括りはやめてほしい。それは両方とも対人援助のスキルのない人であったという意味でしかない。

そもそもストレスで虐待してしまうという理由を認めてしまえば、「介護の仕事でストレスが生じた場合は、利用者を虐待することも仕方ない。」という意味にも捉えられかねない。そんなことがあってよわけがないのだ。

さらに言えば、介護事業における従業員の虐待理由を、「仕事のストレス」と括ってしまえば、介護の仕事が介護以外の仕事に比べてストレスが生じやすい仕事であるという誤解も生じてしまう。決してそんなことはない。他の職業は、毎日数字で結果を求められたり、利用者から直接苦情を投げかけられたり、介護の仕事とは異なる種類のストレスがたくさんあって、どの職業が一番ストレスが高いかという比較は困難である。

現に仕事のストレスでうつ病になり、精神科に通院や入院をしている人で、介護の職業に就いている人の割合が、他の職業の人より高い確率であるという言う事実はない。

仕事には多かれ少なかれストレスは存在するもので、良いストレス(ユーストレス)だって存在する。(参照:メンタルヘルス不調とストレスについて考える

良くないストレス(ディストレス)であったとしても、それを直接利用者への暴言や暴力に結び付けるということは、対人援助者としての資質に著しく欠けているということに他ならないのだ。

確かに介護の仕事は人に向かい合う感情労働だから、利用者の感情に巻き込まれてしまうリスクの高い仕事でもある。だからこそ感情のコントロールを行う教育訓練が必要で、特にアンガーマネジメントの基盤となる、「自己覚知」の教育は欠かせないのであるが、それはきちんと行われているのだろうか。そのことをもっと問題にすべきだ。(参照:価値観が変化する自分を覚知するために

新聞記事では、「虐待との認識が乏しかったこと」も理由に挙げられている。僕がこのブログで再三取り上げている、「感覚麻痺」がその一番の原因だろう。(参照:知らぬ間に・悪気なく、介護の場にはびこる感覚麻痺による虐待

「不特定多数に暴言を吐く」行為も取り挙げられているが、その多くは職員が顧客である介護サービス利用者に、「タメ口」を使うなどの不適切な態度を許してしまうという、「割れ窓」を放置していることに他ならない。

例えば上司に部下が、「タメ口」で話しかけることは失礼な態度であると感じる人が多い。場合によっては、「その口の利き方はなんだ!!」と怒る上司もいる。それなのに介護サービスの場で、従業員が顧客に対し、馴れ馴れしい失礼なタメ口で対応することをなぜ許しておくのだろうか。

しかしタメ口で接することが親しみを持ってもらい、家庭的雰囲気につながると主張している人も、心のどこかでは、それは顧客対応としてはふさわしくないと感じたりしている。それが証拠に、認知症の人にタメ口で接している人が、相手が認知症ではなく、物事をはっきり主張できる人であれば、自然と丁寧語で接する態度に替わるという、「人を見て言葉を使い分ける」という態度になっている場合も多い。

その結果が今朝の報道の、「虐待を受けた人の8割が認知症の人」という結果につながっているのではないだろうか・・・。

どちらにしてもサービスマナー教育をおざなりにしていると、いつかそれが大きな虐待問題につながり、社会全体から糾弾を受けるだけではなく、事業廃止の危機に直面することを経営者や管理職は改めて心するべきである。

今のうちに、利用者に対するくだけた態度は、顧客に対して失礼な態度であるという理解を促し、サービスマナーに徹した介護事業者に変化できるように、教育訓練をしっかり行わねばならない。

そうしないと団塊の世代の人から選ばれる介護事業者にはならないのである。
介護事業におけるサービスマナー研修
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真実は闇の中・・・にしないために。


昨日の夜TBSで放映された、「爆報THEフライデー」の、「カリスマ監察医事件簿・1枚の写真で完全犯罪を見破れ」を見た方がいると思う。

そこで取り上げられた事件の一つに、老人ホームの暴行死事件があった。その老人ホームで複数の利用者が病死とされていた事件は、実は一人の介護職員の暴行による殺人事件であったというものだ。

その事件は6年前に起き、次の記事に取り挙げた、「フラワーヒル入居者死亡事件」ではないかと思う。【参照:「もっと褒められたかった」と利用者を殴り殺した事件の背後に潜むもの】(※確信はないので、間違っているかもしれない。)

その事件は、犯人が被害者の胸をこぶしで数回にわたって殴打し、胸骨骨折などの傷害を負わせ、心不全または出血性ショックにより死亡させたとされるものだ。

検察側が地裁裁判の冒頭で陳述した犯行動機は、事件の数日前に別の入居者の容態が急変して死亡したのを発見したところ、犯人が当時の施設長に大いに誉められ、この経験からさらに異変が起きてまた発見者となれば、犯人の介護職員としての評価がさらに上がるものと考えて入居者を殴ったというものである。

一方で弁護側は、暴行の原因は犯人の適応障害によるものとして情状酌量を求めたが、1審では求刑10年に対して懲役8年の刑が言い渡されている。

その際の判決で裁判長は、「事件の前、入居者の容体の異変にいち早く気がついて褒められた経験があり、職場での自分の評価を上げるため、異変の発見者となろうと無抵抗の被害者に一方的な暴力を加えた。本来介護士として被害者を守る立場にありながら動機は身勝手で強い非難に値する」と指摘した。検察側の動機説明を是認した形になっている。

しかしこの事件の本当の恐ろしさとは、裁かれた罪以外の罪悪がまだ闇に潜んでいるのではないかという疑いがぬぐえないことだ。

事件が起きた特養では、犯人が勤務を始めた直後の2010年2月15〜18日の4日間で、入居者3人が相次いで亡くなり、そのほか別の1人がけがをしている。埼玉県警は判決が言い渡された事件のほか、84歳の女性への傷害容疑と、78歳の女性への傷害致死容疑でも立件したが、さいたま地検はいずれも不起訴処分(嫌疑不十分)とした。また死亡したもう1人については事件化されていない。証拠が不十分だったからであろう。

このことについて、遺族として法廷に立てなかった死亡利用者の家族が無念の思いを訴えたりしているが、その思いはどこにも届かない・・・。

この事件は感覚麻痺とかいうレベルではなく、自己顕示欲のためだけに人として許されない行為を行うという悪行でしかない。その事件に更なる被害者が隠されているとしたら、それはとても恐ろしいことであるし、決して許されることではない。

もし犯人が裁かれた容疑以外にも犯行及んでいるとしたら、その罪は一生自分が背負って、その贖罪のために生きていかねばならないということを知るときが来るだろう。それもとても悲惨な人生と言えるのではないだろうか。

昨日番組を観ながらこの事件のことを思い出したときに、昨今の介護事業者における職員採用の状況と、職員教育の問題点が改めて頭に浮かんできた。

本件のように、本来対人援助の仕事に就いてはならない人が、人材不足の中でますます低くなっている採用のハードルを潜り抜けて、介護の仕事に就いてしまうケースは多い。だからこそ採用時の人物評価は最も重要になるし、採用基準のハードルは下げてはならないのである。そして採用時に見抜けない適性の無さについては、試用期間中にしっかり見抜くようにOJTを活用すべきである。

さらにこうした人物に影響を受ける輩を創り出さないように、介護事業経営者や管理職の方々には、採用後の計画的で定期的な教育システムは最重要であることを自覚してほしい。そしてその教育とは、「人間性の向上」につながるものでなければならず、単に知識や技術を教えるだけのものであってはならないことも忘れないでほしい。

そうした人間教育を介護事業者内のシステムとして組み込む不断の努力が求められるのである。

そしてそれは実効性があるものではないと意味がないので、常に研修・教育システムが形骸化していないか、アリバイ作りの無意味な研修になっていないかという検証作業をし続けなければならない。

それは経営者や管理職に求められる最も重要な役割である。

昨日の番組で取り上げられた事件が本件であるか否かは別にして、その番組を観ながら改めて、人材選びと人材教育をおざなりにしてしまうと、大変な社会悪を生んでしまいかねないのが介護事業であると考えたりした。

そうしないためにも、介護の使命は何かということを伝えること、誇りを持って介護の仕事を続けられる実践論を伝え続けることは、今後も求められるのだと思った。

そうした学びの場を求めている方は、是非一度メール等で連絡していただければと思う。全国どこでも駆けつけるし、オンラインでの講演も受け付けている。まず気軽に相談の連絡をいただきたい。
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虐待防止が研修テーマとなる意味


北海道は今日、初雪が降った地域が数カ所あるなど、冷えた朝を迎えた。本格的な冬ももうすぐそこである。

ところで今朝のCBニュースのトップ画面は、僕のアップ画像がでかでかと張り付いているので、アクセスした方々は、どうかびっくり仰天しないでほしい。

リンク先を文字に貼り付けてはいるが、このトップ画像は明日には消えているだろうから、記念にこのブログ記事にも張り付けておこうと思う。CBニュースさん、画像借りますのでよろしくお願いします。
快筆乱麻・masaが読み解く介護の今
ちなみに、昨日の続編となる後編記事はこちらなので参照いただきたい。

ところで今日は、この後13:30〜京都府京丹後市の社会福祉法人さん職員研修として講演を行なう予定になっている。

とはいっても僕は今、京都にいるわけではなく、北海道登別市の自宅でこの記事を更新している。これからZoomを使ってオンライン講演を自宅から配信する予定になっているのである。

コロナ禍でリモートワークは10年先に進んだと言われるが、本当にそうだと実感している。講演を北海道の自宅から全国に向かって配信するという行為を、専門的な知識のある人に頼ることなく、特別な機器も備えることなく自分一人で準備し、自分のPCのみを使ってできるようになるなんてことは、昨年までならほとんど想像できなかった。

それが今では当たり前になってきている。京丹後市という魅力あふれる場所に行くことができないことは残念であるが、講演主催者の方に移動費や宿泊費という費用負担をかけることなく、講演を受講していただけることは大いにメリットであろうと思う。オンライン講演も是非お気軽にお申込みいただきたい。

今日の講演テーマは、「利用者虐待の要因と虐待防止の視点〜人権はどのように奪われるのか、どうしたら護ることができるのか」としている。

これは講演主催者側からの要望で設定したテーマであるが、こうしたテーマが望まれるという意味は、必ずしもそれを望む主体が、虐待が起きるような体質があって悩んでいるからではない。

むしろ講演主催者は、介護という職業の使命と責任という観点から、気づかぬうちに利用者の心を気づつけてしまうことがないような、細心の注意を払った介護サービスの提供に心がけたいというポジティブな思いから、虐待防止というテーマを希望されることが多い。

そもそも虐待を行わないサービス事業者が良い事業者という訳ではない。対人援助を職業としている事業者なり従業員は、利用者を虐待しないというのは極めて当然のことである。「利用者虐待を行わない事業者」なんていうキャッチコピーはあり得ないし、そんなことは売りにならないわけである。

だからこそ、介護サービスという職業を通じて顧客と向かい合う事業者やその職員は、虐待とは無縁の就業態度を身に着けておかねばならないということになる。

つまり虐待防止の本当の意味とは、介護サービスの場から、世間一般からみた場合に、「非常識で普通でない状態」をなくすということになるのかもしれない。

自分の所属する法人・事業所は、虐待と無縁だから虐待防止研修は必要ないということにはならず、虐待と無縁の状態を護り続けるためにも、虐待防止研修は定期的に行っていく必要があるのだ。

虐待は大きく分けると、心理的虐待・身体的虐待・ネグレクト(放棄・無視)・性的虐待に分けることができるが、高齢者介護の場ではかつて身体的虐待の比率が高かったが、近年は心理的虐待とネグレクトの比率が高くなってきているという問題がある。

そのことは、虐待している当事者が、「そんなつもりはなかった」という無意識の虐待が増えているという意味でもある。

しかし虐待する側にその意識があるかどうかに関係なく、虐待される側が受けるダメージは大きい。悪意はなくても人は傷つくということを忘れてはならないのである。

そうした無意識の虐待は、サービスマナー意識に欠ける従業員の言動によってもたらされるもので、虐待防止研修には、必ずサービスマナー研修と被る内容が含まれてくる。「介護サービスの割れ窓理論」もそこに加わってくることになるのも必然だ。

繰り返しになることを恐れずに書くとすれば、虐待防止が研修テーマとなる意味の一つは、当事者が虐待とは思っていない行為で、利用者を傷つけているという事実が存在するからである。しかし人に関わり、個人のプライバシーに深く介入する職業に就いている者にとって、そのような鈍感さは決して許されないのである。

そうならないために何が必要か。どんな考え方が求められるのか。私たちは何をすべきかを具体的に語るのが、僕の虐待防止講演である。

それは虐待防止という一つのテーマだけに収まる内容ではなく、介護支援とは何か、対人援助では何が求められるのかというメッセージを含んだ講演であり、できるだけ多くの方々に聴いていただきたい講演でもある。

介護という職業は、介護支援を必要とする人たちを、心にかけて護るために存在する職業である。だからこそ自らの心無い言葉で人を傷つけてしまうことを誰よりも恐れる必要があるということを、すべての介護従事者に理解してほしい。

特に高齢者介護とは、人生の最晩年期に関わるという責任があることを自覚し、心無い態度や言葉で、利用者の心を傷つけてしまったときに、その失敗を取り戻す術(すべ)を失う可能性が高い仕事であることを自覚してほしいと思うのである。

心が殺されたまま、人生が終わってしまう・・・。介護事業をそのような哀しい職業にしてはならないのである。
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人手不足を法令違反の言い訳にするな


北海道では大手の電力会社とガス会社の全面戦争が始まりつつある。二男は北電勤務なので、親としてはそちらを応援せねばならないだろうか・・・。

介護事業者にとってもランニングコストとしての比重が大きい電気・ガスの料金が下がるのは、事業収益上大きなことである。「電気・ガスの料金比較はお済ですか〜コストカットは毎日使うものから」も参照してほしい。

話は変わるが、またぞろ介護施設の不適切運営がお菊報道されている。その不適切レベルも半端ではない・・・。

神戸市灘区の特別養護老人ホーム「きしろ荘」で、長期間にわたって不適切ケアと法令違反の疑いのあるサービス提供体制がとられていたことが明らかになり、市が調査していることが明らかになった。

問題となっているのは以下のような行為及びサービス体制である。

〇餝覆里覆たΠが胃婁の利用者に濃厚流動食や薬剤を補給させていた。各痰吸引も資格のない職員に行わせていた。

一人の利用者に対して最低週2回は実施しなければならない入浴支援を、数年前から週1回しか行っていなかったことに加え、今年7月ごろまでの1年は2週間に1回程度のこともあった。

昨年1年間、全入所者約50人分の施設サービス計画書が作成されていなかったことに加え、今年5月に同じ法人内で他施設に勤務する職員に指示し作成させたが、介護支援専門員でない人もその作成にあたっていた。
(※仮に作成した人が介護支援専門員の資格を持っていたとしても、施設の介護支援専門員でない限り、そのような行為は許されていない)

悪いと思っていたが人手不足で改善できなかった」と言い訳をしている施設長は、この数年間、休みが取れない状況で、兵庫県内に新型コロナウイルスの感染が拡大した3月以降は、自宅に帰っていないそうであるが、コロナ禍以前から長期にわたってこのような不適切な状態を続け、法人に善処を求められなかったことに同情の余地はない。

自分が誰よりも働かなければならないという状態が、運営基準を護れなくともやむを得ない状態であるとの言い訳にしてしまうことも一種の感覚麻痺だ。このような状態の改善を、法人に強く訴え出ることができなかったこと自体が大問題であり、そもそも施設長としての器にかけていたのではないかと言われても仕方がない。

一部の報道では、「入所者は要介護度が高く、家族を含めて苦情などの指摘はない」という情報が書かれているが、馬鹿を言うなと言いたい。劣悪な処遇で被害を受けるのは家族ではなく、利用者本人だ。要介護度が高く、認知症の人も多い利用者本人が被害を訴えられないことをよいことに、そんな状態を何年も続けていたということは虐待そのものである。

そんな状態に家族の不平不満があったかどうかは関係のないことだ。自分自身が、週1回しか入浴できない状態を数年間続けていたらどう思うかを考えてほしい。しかもそうされているのは、排泄をオムツにしていたり、失禁があるかもしれない要介護者なのである。

人手不足で対応困難ならば、ショートの休止・入所の受け入れの一時停止を市に訴えなければならない。そのうえで人手不足を解消するための対策を法人全体で練る必要がある。法人自体は多角経営をしているようだから、これらの対策を早く講じていれば、このような不適切サービスが長期間続くことはなかったはずだ。人事は1施設において行うものではなく、法人全体で行うという原則が護られていなかったのではないか。

そもそもこの法人の理事会や評議委員会は全くこのことを察知していなかったとしたら完全な機能不全だ。知っていて放置していたとしたら、その役職の適格性に欠けるだけではなく、人としての品性が疑われるというべき問題だ。

理事長の責任は免れないが、全理事も責任を取る必要がある。評議員会の全委員も入れ替えが必要だ。

こうした状態を知れば知るほど、この施設にはまだ隠された問題が多く存在するように思えてならない。週1回しか入浴介助を行っていないのなら、そこで体調が悪かった人は、2週間入浴支援を受けられていないだけではなく、もっと長期間にわたって入浴支援を受けられなかった人もいたのではないか?排泄ケアはきちんとされていたのか?体位交換や清拭といった支援も不十分だったのではないか?夜間のケアは十分できていたのか?

市の調査(監査にしてしまえばよいと思うが・・・。)では、この施設利用者の皮膚状態をきちんとチェックしてもらいたい。そのことで新たな不適切ケアが明らかになる可能性があるからだ。

不適切行為が一つでも明らかになれば、きちんとできていた部分もこのように疑われて仕方がないのである。だからこそ法令基準は最低限護らねばならないのだ。

というのも、法令基準を遵守していたとしてもケアサービスは高品質と言えないからだ。週2回の入浴支援を行っていれば法令基準は護っていることになるが、世間一般的な常識から言えば、週2回しか入浴できないこと自体が、QOLの低い暮らしぶりである。

老人福祉法の制定直後からできた運営基準が、そのまま介護保険制度創設以後も引き継がれている低いレベルの基準さえ守ることができない施設は、廃止届を出すのが本来である。

一方で、介護の方法を工夫して、人員配置がさほど多くなくとも入浴支援を毎日行っているところもあるのだ。(参照:介護の質を上げる工夫の具体例:入浴支援1

そもそも人手が少ないからと言って、法令を無視し、利用者の暮らしを劣悪にしているところに、人の役に立つ仕事をしたいという人が集まってくるわけがない。対策を短絡的に考えれば考えるほど、墓穴を掘る例は枚挙にいとまがないのだから、問題や課題解決は、長期的視点に立った根本対策が必要なのだ。

そのことに意を用いることができなかったこの施設のトップは、やはりその器にかけるのだと言わざるを得ない。

このような施設に勤めている職員は我慢して勤め続けないで、厚労省も許可している信頼できる就職サイトなどに登録して、別事業所に転職することを模索すべきだ。


だらだらと法令違反を続け、劣悪な環境に利用者を置き続けるより、そんな事業者の経営ができなくなるくらいに人がいなくなった方がよい。そういう状態になれば、行政が素早く動いて利用者の行き場も確保してくれる可能性が高い。その方がよっぽどましだ。

こんな施設が出てくると、またぞろこうした状態が、「氷山の一角」などと思われ、高品質のケアサービスを実現している特養まで、斜め目線で見られてしまうことが悔しくてならない。

豊かな暮らしの実現を図る視点がない人は、介護の職業に携わるべきではないのである。そのことを声を大にして言いたい。
下記アンケートにご協力ください。

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虐待を防ぐものは精神論にあらず


先週末の僕のミッションは、今週木曜日に北海道の自宅から、長崎県五島市に向けて配信するオンラインセミナーのPPTスライドを完成させることだった。

90分間の講演スライドは9割方できていたが、その最終チェックとまとめを行い、何とか昨日までに最新の虐待防止セミナー用PPTスライドを無事完成させることができた。
虐待防止セミナーのPPTスライド
この講演は、2018年の7月に、五島市の社会福祉法人・明和会さんの法人発足20周年式典の記念講演講師としてご招待いただいたご縁からつながっている。(参照:五島の天の川 ・ 五島の青い海

その際にお世話になった特養・ゆうゆうの郷の門原施設長さんから、「他法人の保育園長から介護系の先生でも良いので、虐待関係の講師を紹介してくれないかと依頼された」という連絡をいただき、仲介いただいた結果、実現に至ったオンライン講演である。

ということで木曜日のセミナーは『みどり丘保育園』の保育士さんが受講するオンラインセミナーであるが、明和会さんとの合同セミナーという形なので、結果的には幼児保育の専門家と高齢者介護の専門家の両方の方々に向けた虐待防止セミナーということになった。

みどり丘の園長先生には、門原施設長が僕の著作を紹介してくださり、それを読んでもらったうえでの講演依頼なので、取り上げる事例は高齢者が中心となることを承知していただいている。しかし僕自身は人間の尊厳を護るという意味では、幼児・児童・大人に関係なく伝えなければならないものもあると思っているし、保育士さんに向けたセミナーも過去に経験しているので、内容を組み立てるにあたって戸惑うことはほとんどなかった。

虐待防止の勉強を行う意味は、そこに発生している虐待事例をなくすという意味合いではなく、保育や介護という対人援助においてあってはならない虐待を、未然に防ぐための知識を得て、体制を整えおくという意味合いが強い。

それは対人援助に関わる全ての人が、必ず一度は受講しておかねばならないセミナーだ。なぜなら虐待は、虐待しようという意志や意識が無い人によって行われることが多いからだ。虐待と無縁だと思っている人にも受講してもらい、もしかしてあのような行動や行為が虐待につながるかもしれないということに気がついてもらう必要があるのだ。

虐待は、「心理的虐待」・「身体的虐待」・「ネグレクト(放棄・無視)」・「性的虐待」に区分されるが、かつては児童・高齢者ともに身体的虐待の件数が最も多かったものの、ここ5年ほどは心理的虐待の件数が増加し、児童では全体の約半数を占めている。高齢者の場合は、ネグレクト(放棄・無視)の増加も目立っている。

身体に被害は及ばないものの、人の心を傷つける虐待行為の中には、虐待している当事者が、「そんなつもりはなかった」という無意識の虐待も数多く含まれてくることになる。

しかし虐待される側が受けるダメージは、意識・無意識に関係なく大きなものであることに変わりなく、虐待を完全になくすためには、何が虐待行為なのかということを根本から理解するとともに、悪意がなくとも、デリカシーのない対応で傷つけられる人が生まれないようにすることが非常に重要となるのである。

その為には幼児であっても、「ひとりの人間」として認めて接する態度が欠かせないし、対応する職員は必要なことをする前にその人に伝えたり、承認を得るプロセスを踏まなければならない。プライバシーに介入する場合、その人の尊厳を損なわないように関わることに最も注意が必要となる。

このように虐待防止の根源的考え方については、幼児虐待も高齢者虐待も変わりないわけである。

そして援助者は自分の感情を自覚し、自分の感情をコントロールして援助する必要性も、両者とも変わらないわけである。

感情をコントロールするために、アンガーマネジメントなどの訓練も必要と言われるが、その前提は自己覚知であり、統制された情緒関与の原則であることにも変わりなく、こうした知識や援助技術を伝えるのが虐待防止セミナーである。

それは、「虐待はあってはならない」という精神論ではなく、自らの行動が虐待につながることがないように、どのような知識を基盤として、どういうふうに援助を行うのかという技術論・実践論でなければならない。

虐待を行わないサービス事業者が良い事業者という訳ではなく、利用者を虐待しないサービス事業というのは極めて当たり前であると言った意識、ストレスは誰もが抱える可能性があるものだが、そのはけ口を利用者虐待という形に求めることは、「当然」でもなければ、「よくあること」でもないことを意識したうえで、職場の組織環境と実践法が虐待を未然に防ぐのだということを理解していただくセミナーとしたいと思っている。

なお昨日から、「介護施設等の人員配置基準緩和(削減)に関するアンケート」を行っている。その結果はこちらからも見ることができ、すでに多くの方々の協力を得ているが、引き続き介護実務に携わる人の生々しい声を集めたいと思っているので、投票がお済でない方は是非協力をお願いしたい。
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入所者の耳たぶを引きちぎった介護職員


道内の特養において、夜勤中に信じ難い虐待事件が起こった。

北海道恵庭市の特別養護老人ホーム「恵庭ふくろうの園」で勤務する吉光翔平容疑者(28歳)が、男性入所者(78歳)の耳たぶを引きちぎったとして傷害の疑いで逮捕された。

事件が発覚したのは7月13日。午後9時ごろ施設から、「入所者が転んで、右の耳たぶが取れていた」と119番通報があった。当時、同園では5人の介護職員が夜勤業務に就いており、駆けつけた警察署員が聞き取り調査を行ったところ、同容疑者が被害者の耳を引っ張るなどの暴行を告白したものである。その際容疑者は、「介助中にトラブルがあってやった。仕事でストレスがあった」と供述している。

なお被害男性は、耳たぶがちぎれた状態で手当を受けているが、命に別条はない。

こうした事件が起きると、明らかになる虐待は氷山の一角だとか、介護施設はどこも似たり寄ったりで見えないところで悪が潜んでいるかのように思われてしまうが、多くの介護施設は、虐待とは無縁の人を護るサービスを提供しており、私たちは海を漂う氷山ではないと言っておきたい。

容疑者の、「仕事でストレスがあった」という発言も安易に受け取ってほしくない。時として介護という仕事が、他の職業にもましてストレスがあり、だからこそ虐待が横行しがちの職業なんだと評価されたりするが、それも大間違いだ。

仕事のストレスなんて、どんな職業にもつきものだ。人間が相手となる介護という職業は、その中でもストレスが大きいと考える向きがあるが、人の役に立つ仕事だから介護の仕事に就きたいと希望してきた人たちは、そこでストレス以上に大きな喜びを感じ取ることができる仕事でもある。自分が大した仕事もできない状態でも、「ありがとう」と声を掛けてくれる高齢者の方々に、僕自身がいくら救われてきたかを思い返しても、それは事実であって理想でも幻想でもないと言い切れるのである。

少なくとも介護職員についていえば、数字のストレスはない。売り上げ目標の達成に汲汲として、上司からパワハラまがいの指導を受けるなんてことは一切ないわけだ。

精神科病棟に務めた経験がある人なら理解できると思うが、「うつ病」に罹患している人の中には、営業売り上げ目標という数字のストレスで病気が発症した人が実に多いという事実がある。そうしたストレスとは無縁の介護職が、他の職業に比して特別ストレスが大きいという論理は成り立たない。

そもそも介護という仕事にストレスを感じたとしても、そのうっぷん解消の手段として、利用者への虐待行為に及ぶということ自体が異常なことだ。ましてやこの容疑者は、人の耳が引きちぎられるほど強く引っ張っているのだから、それはどれだけの力かと言いたくなる。それほどの力で人の耳を引きちぎらねばならないほどのうっぷんとはいったい何なのだろうか。異常な行為としか言いようがない。

それはそもそもこの容疑者が、介護という職業に向いていなかったのではないかという疑いを持たざるを得ないことにつながり、果たして虐待の場となった特養の運営法人は、きちんと適性を判断して職員を雇用し、適切な形で教育を行っていたのかという疑問につなげざるを得ない。

この特養の経営母体は、社会福祉法人いちはつの会というところだが、ここは事件現場となった恵庭市の特養のほか、千歳市でも地域密着型特養を経営している。僕は千歳市の老健に務めている際に、両方の施設ともに仕事で訪問したことがある。その時感じたことを今、改めて思い出している。

どちらの施設も新しい立派な新しい建物であるが、そこで働く職員はお世辞にも接遇マナーが良いとは思えなかった。若い職員が高齢者に向かって、「タメ口」で接している態度を見て、僕にはその姿が無礼な馴れ馴れしい態度にしか思えなかった。それは一部の職員だけの姿なのかもしれないが、そうした職員の姿に目をつぶって放置して起きた結果が、今回の事件の根幹に存在する問題ではなかったのだろうか。闇を創り出していたのは、容疑者自陣のみならず、嫌なものを見ようとしない法人の曇った眼ではなかったのかを、法人自身が検証しなければ駄目だと思う。

このように接遇意識・サービスマナー意識のない場所であれば、いつこの事件の加害者のような職員が現れても不思議ではないのである。それは法人への信頼を著しく損ねる事態へと発展し、場合によっては取り返しのつかない事業経営上の汚点になりかねない。

だからこそ常日頃からの職員に対する、「サービスマナー教育」は不可欠である。

今週は月曜日に、「クラスター感染発生施設の実像に触れて思うこと」という記事を書いて、親しみやすさと、無礼で馴れ馴れしい態度を勘違いしている実例を示しているが、こうした勘違いを介護業界全体からなくしていかないと、介護という職業や介護事業が、闇と一体の仕事だと思われかねない。

そうしてはいけないし、志を持っている介護職の方々には、自分の職場をそのような無法で無礼な職場のままにしておかないようにくれぐれもお願いしたい。職場がマナーのない態度を直そうとしない場所であるならば、そうした場所には一日も早く見切りをつけて、もっと人の暮らしを護る場所を探してもらいたい。

闇のある場所にいては、自分が闇に眼をつぶってしまい、真実が見えなくなってしまうのだから・・・。
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闇


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竹内理論実践施設のトップに悲痛な声はなぜ届いていないのか


昨日更新した記事、「竹内理論実践施設職員の悲痛な声」を読んだ方からメールが届いた。

その主な内容とは、「このような職員の悲痛な声がなぜ施設長に届いていないのでしょう?」という疑問である。

例えば昨日紹介した声以外にも、竹内理論を一度でも実践した経験のある人からは様々なコメントが寄せられている。

文字リンクも参照していただきたいが、そのほかにも無理やり水分摂取させる方法として、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました。その結果その方の舌は血豆だらけになっていました。」という声や、「座位がまともにとれない方であっても、ポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされており、その時に利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視されている。」・「歩くことを奨励すると言っても、そのやり方は、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずったりしている。しかもそれは家族には決して見せようとしない。」という声がある。

こうしたたくさんの不適切行為の実態が寄せられているにもかかわらず、なぜ竹内理論実践施設では、施設長がその声を無視して、こうした虐待とも言ってよい行為を続けているんだろうという疑問は当然湧いてくるだろう。

おそらくこうした悲痛な声は施設長に届いていないか、届いていても実践力が低い一部職員の不満の声としか認識されておらず、無視されているのだろうと思う。

もともと竹内理論を全国に広めたのは全国老施協という組織である。その組織で権力を持っていた方(故人)が竹内氏と親しく、その理論を信奉していたため、「介護力向上講習」というものを主催してその理論を広めていたのである。

そのため初期の実践施設は、各都道府県の老施協役員がトップを務めていた施設であり、その理論が優れているかどうかに関係なく、理論実践を広めるために講習会に自分の施設職員を参加させ、その理論を持ち帰って実行することを命じていたという経緯がある。そのため実践方法などの細かな部分は現場任せで、とりあえず結果を出すことが求められており、それに逆らう術はなかったのが実態だろう。

しかも実践施設のトップは、職能団体の役員としての仕事が忙しく、施設にいる時間があまりない中で、理論実践の方法をチェックすることなく、結果だけの報告を受けて、おむつがゼロになったということだけに満足していた人も多かった。(※しかしおむつゼロといっても、それは日中だけで、紙パッと屁の排泄はおむつゼロの範囲とされ、トイレ排せつも長時間便器に座ったまま放置されている人もいる中でのゼロである。)

要するに現場を見て実態をチェックする施設長がいない施設か、実態を知っても、利用者の暮らしの質への考えが及ばず、おむつゼロという看板を掲げることができればよいと考える施設長のいる施設で、こうした悲惨な対応が行われているわけである。

昨日も書いたが、つまるところは対人援助のスキルのない人がトップを務めている施設が、こうした人権無視の方法を行っているのだ。それらの人たちは本来、介護業界には居てはならない人間なのである。

当然こうした施設では、利用者に食事以外に最低1500mlもの大量の水分を摂取させているので、急性低ナトリウム血症とか心不全とかで亡くなってしまう人もいるのではないだろうか。

しかしそうした施設の所属医師にも、こうした大量の水分補給が行われているという情報が送られていない場合もあり(そもそもまともな医師なら、そんな水分補給は駄目だと禁ずるはずだ)、ましてや救急搬送される医療機関の医師が、そんな馬鹿げた水分強制摂取がされているとは思いもしないから、そうした病状の人が送られてきても、その原因が多量の水分摂取が原因とは気が付かず、一般的な病状悪化としてしか処理されていないのだろう。悲惨なことである。

ところで現在、全国老施協は介護力向上講習を行っていない。わずかに県老施協単位で行っているところがあるのみだ。その過ちを悟ったのかどうかはわからないが、竹内理論の推奨・推進を止めているわけである。

それは何故かということを深く考えていただきたい。

人の痛みに気づかないか無視するかして、いつまでも竹内理論の実践に固執する施設の職員は、自分の矜持を失わないために、早々と転職先を考えたほうが良い。
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竹内理論実践施設職員の悲痛な声


1日1500ml以上の水を飲ませれば認知症は治り、おむつはゼロにできるというカルト宗教まがいの竹内理論に対する批判記事は、このブログで再三書いてきた。

このカルト宗教まがいの理論に洗脳されている関係者は、(ピーク時からはかなり減ってきているとはいえ)まだ少なからず存在しており、そういう人がトップを務めたり、影響力のある地位に就いている施設では、相も変わらない非人間的水分摂取が今現在でも強制されている。恥ずべきことだ。

そこでは利用者が、捕虜収容所での虐待レベル以下の待遇に置かれていると言えよう。それが証拠に竹内理論を実践する施設で、強制的に水を大量に飲まされている人の表情は、さも苦しそうに、辛そうに、哀しそうにしている。そんな暮らしを望む人がいると思っているのだろうか。

その悲惨さを証明するかのような告発コメントが、このブログについ先日書きこまれている。去年6月に書いた「カルト宗教と同じようにはびこる洗脳ケア」に今年5/7の日につけられたコメントであるが、以下に転記しておく。
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私の施設も竹内理論を展開しています。朝早くたたき起こされ、完全に覚醒していない利用者にトロミをつけて、水分を流し込み、夜勤者は、朝から600cc入りました〜と誇らしげに発言する。

体重40キロ程度で90歳すぎの高齢者に対して、一時間かけて押し込む。しかも、ただただ、はい、飲んで!と強い口調で何度も何度も言われ続け、むせ混みながらも、水分を押し込む。そのあとに出てくる超刻み食介助には、水分さえない。薬も、おかずも、主食も混ぜ合わせ、まるで家畜の餌のような食事。

人権も尊重もない、気付いて欲しい。心のケアを。人間として、個人として、尊重され、その人らしさを取り戻せる環境を整えていきたいと、考えさせられる。

単に、水分をとればいい?

体重40キロの人も80キロの人も、水分量が同じ?心臓、腎臓、糖尿病など、様々な疾患も無視して水分補給?

生理学を一部の視点からだけ見て、水分、運動、排泄、食事と基本をとらえるのは、大きな間違いだ!
(転記以上)
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このコメントを書いた、「 バラ」さんには何の罪もない。馬鹿なトップに命じられてやらされているに過ぎない。

しかしこの行為がいかに間違った行為なのかということを気が付いているバラさんのような方にとって、こうした行為を続けること自体が悲劇になりかねないので気を付けほしい。

多くの介護職員は、人の役に立ち仕事をしたいという動機づけを持って介護の仕事を選んでいる。そういう人たちにとって、竹内理論で施設目標が達成できる過程で、たくさんの利用者の不幸と悲劇に気づくことで自己嫌悪の感情を持つ恐れがある。その時に、思い切って退職するという選択ができればよいが、退職せずに仕事を続け、自分が利用者に苦しみを与え続けることを悩み続けることによって、心と体を壊してしまう人がいるのだ。

そうならないようにくれぐれも気をつけてほしい。真実に気が付いた後にも、自分の良心に反した行為を業務上求められている人は、自分の心や利用者の体を壊す前に思いきって退職し新たな職場を探した方が良い。それが自分が悪魔にならないための唯一の方法だ。理想の条件がみつかる介護職専門の転職サイト・ケアジョブは非公開求人もたくさん紹介してくれるので、無料登録してみてはいかがだろう。

竹内理論を信奉する多くの施設長は、介護サービスの場で実務の経験のない人が多い。特に看護や介護の経験が全くない人の場合、おかしな理論であっても、それに反論する知識がないために、権威があると思われている人の話を鵜呑みにして、闇雲に現業職にそれを行わせることで、自分の知識レベルも大したものだと思い込んでしまう傾向にある。

カルト宗教的な理論も、他の人とは差別化される特別な知識理論だと勘違いして、それを知る自分に酔い、部下に銘ずる施設長の馬鹿さ加減が、多くの介護施設で悲劇を生み出してる。

そもそも介護実践は、介護サービスを利用する人のための方法論によって行われるべきなのに、介護施設の目的が優先されて、その方法論が創られてどうするというのだろうか。

それにしても竹内理論を実践している施設のトップは、バラさんが告発しているような介護の実情を知っているのだろうか。知らないでいるとしたら管理職としての適性はないし、知っていて実践させているとしたら人間として許せない。どちらにしてもいらない人物だ。

はっきり言って、今どき竹内理論を信奉している施設長は、能無しの下劣な人間にしか過ぎない。

水分摂取で認知症の症状がなくなれば誰も苦労しない。水分を取ることで認知症の症状が消えた人がいるとすれば、それはもともと脱水状態にあって、そのために行動心理症状が起きたた事例でしかない。脱水症状のある人は、脱水を直すだけでその症状が消えるのは当たり前だ。しかし1日1500ml以上もの多量の水分摂取は、脱水を起こさなくはするが、逆に過水症状による健康被害の危険性を増すものでしかなく、内臓各器官のダメージにつながり生命の危険に及ぶ危険性が高くなる。

そのような水分補給を、利用者自身が望もないにもかかわらず、利用者の苦しがる表情を無視して強制的に行っている行為は虐待そのものである。

そんなあたり前のことも理解できない施設長は、早々と介護業界から去るべきである。

僕たちの目指す介護の方法論とは、竹内理論のような悲惨な方法論ではない。

僕たちは桜咲く場所で人々が見せる笑顔が、介護実践の場でも生まれる介護を目指している。人々の哀しい涙いよって僕たちの目的が達せられても何も意味がないと思っている。

下記の動画の中に、「立ち止まりうずくまった私を見つめて」というフレーズがある。どうかそこに居る、一人一人の利用者を見つめてほしい。辛そうな表情を見逃さないでほしい。
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虐待施設への行政処分内容を見て感じたこと


職員が入所者に対し、繰り返し暴言や暴力などの虐待を行っていたことが明らかになった島根県松江市にある地域密着型特養「わこう荘」に対し、市が4/8に行政処分を行ったことが公表された。

虐待の具体的内容とは、2019年夏頃から同年12月末にかけて、介護福祉士の資格を持つ男性職員(30代)が入所者の女性(70代)に対し「くせえ」・「ばか」・「殺すぞ」などと暴言を浴びせ、顔に肘うちするなどの暴力を行ったというもの。この職員は他の入所男性(70代)にも同様の対応をしていたことが分かっている。

事件が発覚したきっかけは、虐待を行っていた職員の同僚が施設に対し「部屋から叩く音がする」と報告したこと。それを受けた施設は昨年12月21日に入所女性の部屋にICレコーダーを設置し、画像で動かぬ証拠をつかんだ。

虐待を認めた職員は施設側の聞き取りに対して、「夜勤が続いてイライラしていた」と虐待理由を述べていたとの報道もある。

施設側から市に連絡があったのは12月26日で、市は虐待の内容や速やかに連絡しなかった責任は重いとして施設の指定取り消しも検討したが、ほかの入所者がいることに配慮し、5月1日から3ヶ月間、新規利用者の受け入れ停止に加え介護報酬の請求上限を7割までとする行政処分を行った。

虐待の当事者となった男性職員は2020年2月6日付で懲戒解雇されている。

こうした報道に接すると、職員採用は本当に難しいとあらためて思う。面接段階で虐待をしそうな人物を完璧に見分けることはなかなか困難である。誰しも、「利用者のために良い介護をしたい」と応募動機を述べる中で、介護職の経験がなくても素質がありそうに見える人は決して少なくない。そしてその期待を裏切る人も少なくはないのが現状だ。

だからこそ採用段階での選別とともに、試用期間をきちんと定めて、その期間で適性判断を行うという2段階の選別システムを厳正に確立することを、このブログでは何度も指摘している。

本ケースの施設は地域密着型特養という、定員が29人以下の小規模事業所なのだから、上司や同僚が、日常介護業務の中で当該職員の仕事ぶりを確認するのはそう難しいことではなかったと思える。そうであるにもかかわらず、本件発覚の経緯である、「人をたたく音」に気づく前に、加害者が日常的に利用者を罵倒する声などを何故もっと早く感じ取ることは出来なかったかなどの検証作業が必要だろうと思う。

ところで市の処分に関連して感じたことがある。「速やかに連絡しなかった責任は重い」とされているが、施設がICレコーダーを設置したのが12/21。その時すぐに行為が発覚したとしても、施設側が本人に事情聴取をして、市への報告内容をまとめるのに相応の時間は要して当然だと思う。しかるにその報告がレコーダ設置から5日後の12/26にされたことを、「速やかではあらず」と糾弾されているのは、とても厳しい姿勢だなと思った。

処分内容についてであるが、新規利用者の受け入れはこの時期、コロナウイルスの感染予防対応で、処分を受けなくとも難しいと思うのであまり影響はないと思う。しかし減算処分はかなり厳しい。地域密着型特養はもともと運営費用がかなり厳しいサービス種別であり、常に満床で給付費上限を算定し、併設事業も稼働率が高くなって初めて経営が成り立つような事業だ。

母体に広域型特養などがあって、その施設のサテライト施設として運営され、母体と一体でないと、なかなか人件費がひねり出せないようなサービス種別なのである。

それが3月の間、給付費が7割算定しかできない状態はかなり厳しく辛いものになる。この間の運営費用は間違いなく赤字である。経営母体には広域型施設はなく、大きな規模の法人ではないと読み取れ、法人全体としてかなり厳しい経営を強いられるのではないだろうか。

しかしこうした処分を恐れて事実を隠蔽しても、この情報社会において虐待事実を隠し通すことは困難である。むしろ隠蔽が発覚した場合の、より重い処分を考えると、事実の自主的報告は当然と言ってよいだろう。そういう意味で本件の厳しい処分を知って、今後事実を隠そうとする事業者があってはならないことを改めて訴えておきたい。

それにしても本件の加害者のような、とんでもない職員がたった一人でも存在すれば、このように事業経営自体を揺るがすことになりかねないということは、介護事業経営者にとって大きな危機感を与える問題ではないだろうか。

新型コロナウイルスの影響で職を失った人が、今、介護事業者に就職を求めて募集に応募するケースが増えているそうである。しかしそのことに舞い上がって、闇雲に職員採用しないように心せねばならない。今のような状況だからこそ、人材をきちんと選んで育てるという意識がより強く求められるのではないかと思う。

そうであるからこそ介護事業者における、選び・見極め・育てるという三位一体システムの確立を急いでほしいのである。
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一斉退職者をまとめて雇用なんて、あり得んだろうという話


人材難が叫ばれる介護事業では、事業を安定的に継続するためにいかに人を集められるのかという課題があることは当然だが、だからと言って頭数さえ集めればよいという問題でもない。

数合わせの採用では戦略になるどころか、今いる職員のストレスにしかならない人物も混じっている場合があり、教えても仕事を覚えず、手より口ばかりが先に動き、不平不満ばかりいって仕事ができない新人の教育に疲れ切って、ベテランで仕事ができる良い職員が辞めて行ったりするので、人手が足りないからこそ採用は慎重に行いたいものだ。

多くの介護事業経営者や関係者は、そんなことは言うまでもないことだとおっしゃるだろうが、「ずいぶんだな〜。」と首をかしげたくなるケースが実際にあるのだ。

今年に入って某県の有料老人ホームで発覚した虐待事件の加害者は、複数の男性介護職員だった。彼らは一人一人が別々に虐待を繰り返したにとどまらず、複数の職員が集団で被害者を虐待していたこともわかっている。

何ともひどい話であるが、だからといってそのホームの職員すべてが虐待に加わっていたわけではない。虐待を行っていたのは特定の人物集団で、そのグループのみが他の職員の見ていない場所で、利用者に向かって暴言を吐いたり、体にあざができるような乱暴な行為を繰り返し行ったりしていたのである。ただしそのグループ以外の職員も、どこかそのグループがおかしいと違和感を覚えていた節はあるそうだ。しかし具体的なことは何もわかっていなかったようである。

ではそのようなイジメグループがなぜできたのかということが問題だが、実はこのグループは、虐待行為が始まる直前に、他の介護事業者を集団で退職したグループであったそうだ。そのグループがまとまって職員募集に応募してきたので、人手が足りなくて困っていた有料老人ホームでは、経験者がまとまって就職してくると喜んで応募してきた人を全員採用したらしい。

しかしそんな採用があって良いのだろうか。僕は社福の総合施設長として、職員採用の最終決定権を持ち採用面接も行っていたが、そのような職員採用は危険性が高すぎて容易に行えないと思う。(※実際にそのようなケースを経験したことはなく、あくまで考え方としてはそうなるだろうという意味である。)

勿論この有料老人ホームも、採用段階では面接を行って、前の事業者を一斉退職した原因や理由を聞き取ったうえで、問題はないとして採用したのだろう。しかし集団で職員募集に応募してくる人たちが口裏を合わせて、退職理由を自分たちの都合の良いように脚色するなんてことは容易に想像がつく。そもそも面接の際に、前職の退職理由を正直に話す人はほとんどいないと考えたほうが良い。

むしろそのように一斉退職した人を、他の事業者が一斉に採用することの危険性に考えが及ばなかったことを不思議に思う。そのように退職したグループが円満退社したとは思えないし、同じように何かあれば一斉に辞めるかもしれないのだから、個々の応募者の印象が悪くなくても、一斉採用は行えないと考えるのが、ある意味の常識ではないだろうか。

これは結果論ではなく、経営者としての正常な判断力といってよいほどの問題ではないかと思う。

結果的にこのホームは、虐待が発覚したことで利用者をはじめとした地域の方々の信頼を失ってしまうかもしれない。事件にかかわりイジメグループに入ってた職員以外は、まっとうで良い職員だったのかもしれないが、それらの職員にも事件の負の影響が及ぶことになるかもしれない。どちらにしても今まで重ねてきた良い実績があるとしても、それらもすべて水の泡だ。

この事件をきっかけにして、このホームは経営難に陥る恐れさえある。それはとりもなおさず、他の事業者を一斉退職した職員グループを、そっくり引き継ぐ形で一斉採用するという安易で危険性の高い採用方法にあったといってよいだろう。

後悔先に立たずとは、まさしくこうしたことをいうのかもしれない。
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虐待防止研修をいくら開いても虐待は防止できない


大阪東住吉区の特養で昨年11月から12月にかけて、寝たきりの女性3人が相次いで肋骨骨折し、今年1月にも90代の寝たきり女性の体に、打撲による「あざ」が発見され問題となっている。

もともと肋骨は骨折しやすい箇所ではある。寝たきりの人は骨がもろくなっているので、肋骨骨折の危険性はさらに高くなる。例えば移乗介助の際に、介護を行う職員が利用者の背中側から脇に手を入れて、肋骨箇所に掌を添えて力を入れただけで骨折する人もいる。そのため移乗介助の際に利用者の肋骨部分に負荷をかけない介護方法を学ぶのは基本中の基本ではある。

本件はそのような基本的介護ができていなかった結果による、「介護事故」と考えることもできるだろうか?

しかし自分で動くことができない複数の高齢者が、このような短期間に同じ個所に怪我を負うということは常識的には考えられないので単純な介護事故とは思えない。本件のような状態は、意図的で人為的な力が作用しないとあり得ないことであり、利用者にとって身近な職員から虐待行為を受けた、「事件」であることが疑われる。

そのため大阪市や施設から通報を受けた大阪府警は、事件性の疑いもあるとみて捜査を始めたそうである。

被害者はいずれも多床室に入所していた方であるという。しかし被害を受けた日時が特定できないのだから、この間複数の職員の直接介護を受けており、仮に虐待暴行事件だったとしても、加害者を特定するのは非常に難しいと思われる。

特に被害者はいずれも認知症の方であり、誰が自分に対して、どのような行為に及んだかを訴えることができないので、加害者特定は余計に困難であるが、だからこそその行為は悪質で許せない行為であるとも言えよう。

このような報が流れると、施設入所している自分の親は大丈夫かと心配する家族はたくさんいるだろう。介護施設における虐待はどこでも行われていることで、表面化する虐待行為は、その氷山の一角にしか過ぎないのではないかと考える人もいて当然である。

そのような考え方は間違っており、多くの介護事業者や介護関係者が虐待とは無縁であると言っても、そのことに説得力を感じない人が増えてしまうのも当然だ。そんな中で僕たちはいったい何をしたら良いのだろうか。

こうした報道を受けて改めて、『虐待防止研修』を企画する動きもみられる。しかし虐待防止研修をいくら開いて、それを多くの職員に受講させたとしても、そのことにほとんど意味はないと思う。

なぜなら、「虐待しない」ということが良いサービスではないからだ。虐待しない職員が良い職員だとも言えない。「虐待行為のない施設」や「虐待しない職員」は、当たり前のことであり、特別なスキルではないからだ。むしろ虐待防止研修を声高らかに唱えなければならない介護業界のモラルレベルが疑われようというものだ。

自ら選んだ対人援助という職業の中で、利用者を虐待するということ自体が、「異常」であり、「普通ではない」ことなのである。その異常な状態に気が付かない感覚麻痺をどうにかしないと介護業界から虐待は永遠になくならない。

そんなことに気が付かない職員に、改めて虐待を防止しましょうとレクチャーして何の意味があるというのだろうか。

そもそも虐待が悪いことであるということくらい誰でもわかっている。虐待は良くないことです、なんていうレクチャーは小学生低学年以下に向けて行うべきことで、それ以上の年齢の人に対して行うような教育ではないのだ。

またストレスが虐待の原因だとされることがあるが、それは間違っている。職業にストレスはつきものであり、介護という職業だけが特別なストレスのある職業だということはない。少なくとも介護施設内の業務には、営業ノルマのようなストレスは存在していないわけである。

そもそも対人援助の中で、ストレスのはけ口を直接利用者に向ける人間は、対人援助にはじめから向いていないのであり、むしろ人を傷つけることを何とも思っていなかったり、サイコパスのように人を傷つけること自体を目的に介護という仕事を選んでいるのである。そんな人間に、虐待は悪いことで、防止しなければいけないことだという教育をしたところで何にもならない。

そんな低いレベルの所で何かしたってどうしようもないのである。

そこでまず初めに考えなければならないことは、人材不足だからと言って、職員募集に応募してきた人間を闇雲に採用してはならず、一度採用した人についても、試用期間に適性をきちんと見極めて、対人援助に向いていない人には別な職業を勧めることである。

教育レベルで言えば、虐待防止研修ではなく、対人援助のプロフェッショナルとしての矜持を植え付けることを主眼に置かねばならない。介護を職業とする人々の、「民度」が問われていることを自覚しなければならない。

そのためには虐待を起こしてはならないという小学生レベルの「お話し」を聴かせるのではなく、対人援助のプロフェッショナルとして行わねばならないことを根本から教育しなおさねばならない。

感覚麻痺に陥らずに、介護サービス利用者に対して正常の顧客マナーを失わないように、徹底した節接客・接遇意識を植え付けるための、サービスマナー教育をし直さねばならないということだ。

そうすることでしか職員に植え付けられない意識があるのだ。それを基盤として私たちは自らの実践で、介護サービスを高品質化して、社会から認めてもらわねばならないのである。

サービスの品質を常に意識する職員を育て、そのためには顧客に対するサービスマナー意識があって当然だと考える職場環境を創る中で、顧客に対するホスピタリティ精神が生まれるのだ。サービスの品質に対する興味がなく、サービスマナー意識が浸透しない職場で、ホスピタリティ精神など生まれないのだ。

しかしホスピタリティ精神が根付いた職場は、虐待とも無縁になるし、幼稚な、「虐待防止研修」なんて必要なくなるのだ。このことを理解しなければならない。虐待防止研修が必要な土壌を改善しなければ、いつまでも虐待はなくならないのである。

そのための職員研修のお手伝いは、いつでも受け付けている。気軽に連絡していただければと思う。

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行事って誰のため?なんのため?


今年も12月の半分を終え、巷はすでに年の瀬ムードである。

この時期になると介護施設や、通所介護などの居宅サービス事業所では、年末の行事が目白押しとなる。介護事業を利用する皆さんに、年末気分を味わってもらうように、クリスマスや忘年会といった行事を企画することが当然だと考える関係者は多いと思う。

しかしその行事は、本当に顧客である利用者のためになっているだろうか。利用者のための行事と称して、実際には職員側の目線からしか企画されていない行事が存在していないだろうか。

高齢者を対象にするサービス事業のお客様はすべて大人である。そのことを忘れているかのような行事が企画されていないだろうか。認知症のために子供のような言動をとる方がいるとしても、その方々の背中には、その方々の歩んだ人生が積み重なっており、その方々を大切に思う家族の思いが乗っかっている。

そのような方々に対して、チーチーパッパの行事を繰り返して、高齢者やその家族の尊厳を損ない、思いを打ち壊していないかということを考えてほしい。

特養やグループホームでは、クリスマスパーティーと称して、利用者に紙で作った先っぽがとんがった帽子をかぶらせて、ジングルベルを唄わせているところがある。

世間一般的に見ると、それは異常な光景だ。一般家庭で高齢者がクリスマスにそんな紙で作った帽子をかぶってクリスマスソングを歌うなんてことはあり得ない。そんな文化や生活習慣があるわけでもないのに、介護事業者の中では、その異常な光景が当たり前のように作られている。

その光景は大人である高齢者の方々を見下し、子ども扱いする姿にしか見えない。そのことに気がつかない人がいるのは何故だろうか・・・。

サンタクロースの赤い帽子を、認知症の人にかぶらせて、クリスマスケーキを食べさせている光景も同じである。幼稚園児に対するようなことをして、喜んでいるのは利用者ではなく、従業員である。そんな行事は百害あって一利なしだ。

重度の障害を持ち、認知症の症状がある人であっても、その人が歩んだ人生に敬意を寄せて、もっと大人として楽しむことが出来る企画力が必要だ。人を楽しませるためには何でもありとしてしまって、子ども扱いも許されるとしてしまえば、我々の本来の目的が対人援助であり、生活支援であることが忘れ去られてしまう。

対人援助の価値前提は、「人間尊重」であり、子供は子供としての尊厳、大人は大人としての尊厳を護り抜くことである。それを忘れてしまっては、イベントは人の心を傷つける、「(やいば)」に変わりかねない。そのことに対する配慮を欠いてはならないのである。

認知症の人を、「馬鹿呼ばわり」して、顧客である利用者を、「お前」と呼んでいた特養は、そのような状態に陥るまでに、なるほどと思える経緯を経て、感覚麻痺が広がっていった。当初利用者を名字にさん付けで呼んでいたルールが守られなくなって、利用者を、「ちゃん付け」で呼ぶ職員が現れたことをきっかけに、やがて利用者をニックネームで呼ぶ職員さえ出てきて、利用者がどんどん見下されていった。

その結果、自分にとって気に入らない行為をとる利用者を、平手で叩くような職員も現れ、その姿が隠し撮りビデオによって、世間の目にさらされた。その動画を見た世間の人は、その恥ずべき醜い姿に、驚きと吐き気を覚えた。そんな姿になりたい人はいないはずだ。だから感覚麻痺は怖いのである。

大人に対する配慮を失った行事も、同じように感覚麻痺の産物と言えるのだ。そんなことが求められていると勘違いされた場所では、日常的に人権が侵害されていくだろう。そうならないように最大限の配慮をもって、大人が楽しむことが出来る行事を企画してほしい。

それとともに非日常の行事のために、日常を壊さないようするということを忘れないでほしい。介護サービスの場で何より大事なことは、日常のケアそのものである。行事のために排泄ケアなどがおざなりにされ、利用者の暮らしに支障を来す状態は許されないのである。そんな状態は利用者にとって迷惑であるだけではなく、生活障害そのものになっているといって過言ではない。

行事は日常生活に潤いを与えるためであって、日常ケアに上乗せされるものでしかない。そんな行事のために、日常の何かが失われてはならないのである。

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ガンバレ海斗


介護業界に必要とされる人間になるためには、ある程度の経験と実績が必要なのかもしれない。しかし最初からこの業界に求められて生まれてきたのではないかと思う人材が確かに存在することも事実だ。

経験の浅い若い人の中には、なぜその年でそのようなことを考えられるのだろうと才能あふれた人がいたりする。僕よりずっと若い人たちが、僕がその年齢では到底できなかったことを、いとも簡単に行っている。そうした若い人材に学ぶことも多くなった。僕たちのバトンは、確実に彼らが繋いでいってくれるのだろう。

そういう若い人たちを応援したいと思う。そういう若い人たちが、もっともっと活躍できる介護業界にしていきたいと思う。

例えば奈良で活躍している若者で、若干21歳の介護事業経営者・片山海斗(かたやま かいと)という青年がいる。彼のプロフィール読むと、高校2年生の時に足を踏み入れた介護業界で、お客様が職員から虐待を受けているのを目撃し、その被害者が死亡した後、亡骸を収めた棺桶の前で「介護業界から虐待をなくす」と誓ったという。

その後彼は、虐待のない介護を実現するための答えを求めて、18歳で介護保険外サービス・職場改善コンサルタント・介護に関する講師として起業し、19歳で合同会社NARBREを設立。20歳で個人事業主としてデザイン事業BoomStyleを立ち上げ現在に至っている。

その彼が先週24日に、「尊厳という言葉が独り歩きしている。」というブログ記事を更新している。

その中で彼は、「どれだけ忙しくても相手に対して敬意を払うことはできる。」と主張し、その方法とは、「敬語で接する事」であるとして、僕の「介護サービスの割れ窓理論」を紹介してくれている。(※菊池→菊地が正解だが、この間違いは彼の人柄に免じて目をつぶっておこう。)

そのブログに書いてあるように、彼自身も初めて介護事業者で働いた時期は、「ため口で話す一人だった。」と告白している。そしてその理由は、「私よりもずっと前に働いている人がため口でお客様に対して接していたから、ため口で話す事が当たり前だと思ったからである。」とも述べている。

その通りだと思う。高校2年生という社会常識も身についているかどうかわからない時期に、高齢者を介護する場に飛び込んだのだから、そこで先輩職員が行っていることが、良いものも悪いものも、すべて手本になってしまうのが当然だ。そんな中で「マナー教育」が行われていないのだから、「タメ口」で人生の先輩に接することがいかに失礼で、そのことによって傷つけられる高齢者が、全国にたくさん存在するなんてことが理解できるわけもない。

いま全国各地でマナーのない利用者対応がされている理由とは、マナーを教えられない・マナーのない先輩職員が新人教育に携わっているからに他ならない。それによって傷つけられるのは、現在の高齢者だけではなく、将来の自分自身であり、自分が愛する子や孫であることにさえ気が付いていない。

しかし「タメ口」を直そうとしない輩の中には、尊厳などという意識も全くない中で、人まねでタメ口を使っているのに過ぎないにもかかわらず、その口調が顧客である利用者にとってフレンドリーな関係作りに役立つなどと、お馬鹿な屁理屈を口にする輩がいたりする。こうなるともう、その輩のおつむのレベルが中学生以下としか言いようがなく、その人格レベルの低さは救いようがないと言うしかない。

そてに比べてわずか16歳とか17歳という若さで、そのおかしさに気が付いた海斗は偉いと思うし、それだけで終わらず、そのことを変えるための具体的な行動を起こし、その行動がもはや一個人レベルの行動では終わらず、立派なソーシャルアクションに結び付けているところはすごいと思う。尊敬できる若者だ。

海斗のような若者が介護業界を変えようとしている。僕たちベテランは、その時彼らかと疎まれて、消えて無くならないとしょうもないと思われてしまう存在になるのではなく、彼らがもっと広く・強く活躍できる場をつくるための手助けをしなければならないと思う。

彼らが歩むスピードをもっともっと上げるために、僕たちの世代がしっかり地ならしをする必要があると思う。

彼らが介護業界でイノベーションを実現するために、しなければならないことはまだたくさん残されている。

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虐待の元凶は介護ストレスにあらず


介護事業者における虐待をストレスが原因と論調する向きがあるが、それは少し違うのではないかと考えている。

仕事にはストレスがつきもので、介護の職業が他の職業に比して特別にストレスが大きいという根拠はない。人と向かい合う仕事だから、ストレスが利用者への暴言や暴力に直接結び付くと考えるのも短絡的すぎる。

現に虐待と無縁の介護従事者の方が圧倒的な多数派なのである。

虐待と無縁の人が、ストレスとは無縁かといえば、決してそうではなく、多かれ少なかれ仕事上の様々なストレスを抱えながら、仕事を続けている。それらの人にとっては、ストレスがあるから、そのはけ口を、利用者に対する虐待行為に求めるなんて言うことは信じがたいことである。

むしろストレスを利用者への虐待行為に結び付ける考え自体が、介護の仕事を行う人間としての適格性が疑われると考えるべきではないだろうか。

介護サービスの現場で、職員の虐待に結び付く一番の原因とは、人の暮らしに深く介入する職業に向いているのかどうかという人選がきちんと行われておらず、入職後の教育が適切に行われていないのではないかというところから考えられなければならない。

対人援助の職業は、第3者の暮らしに介入する職業であるがゆえに、バイスティックの7原則の一つである、「統制された情緒関与の原則」等を貫ける知識と資質を持つ人を選んで、育てなければならない。求められるのは、常に「自己覚知」に努め、スキルを磨く動機づけのある人材なのである。そういう選択と教育が行われているのだろうか。

介護事業経営者は、責任を持って自己覚知やバイスティックの7原則を伝える努力をしているのだろうか。

本来対人援助の仕事は誰にでもできるものではない。よって採用という入り口の段階で、きちんと人材として適性があるのかが厳しくチェックされなければならないし、採用後も段階に応じて定期的にスキルアップの教育を施していかねばならないのである。特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。だからマナー教育は重要だ。

しかし介護人材の不足が叫ばれ、それに対する決定的な処方が見つからない今日、介護事業経営の最大の課題は人材確保であることを理由に、職員募集に応募してきた人の適性検査をおざなりにして、闇雲に職員採用をしてしまう事業者も多い。

しかしそのこと自体が、経営リスクに直結すると言ってよい。昨今、介護事業者の職員による様々な虐待が明らかになっているが、その根は適性を鑑みない採用と、教育システムを整えていない事業者が、知識と技術のない人間を、十分な教育を行わないまま介護現場に放り出すように勤務させる状態にあると言えるのではないだろうか。

しかしそれは負のスパイダルを生む状態だ。職員採用をそのような考えで行っている限り、悪貨が良貨を駆逐する状態が続き、人材不足の常態が永遠に続くという悪循環に陥る。

例えば介護施設で、とりあえず夜勤職員の数を確保しようとして数合わせの人集めを行なった結果、質の低い職員の指導に業務時間がとられ、疲弊して辞めていく職員が多くなる。教育してもさっぱり人権意識が備わらない職員の、利用者対応の横柄さや、乱暴な言動にストレスを抱えるのは、人材として財産になる職員だ。そうした人財が、適性のない職員の存在によって辞めていく結果になるとしたら、プラスマイナスで考えると、あきらかにマイナスである。

このように適性を問わずに募集に応募してくる人間をすべて採用する施設では、数合わせの結果が、職員減少を招くという悪循環が起こっている。その結果、夜勤職員の配置ができずに休止に追い込まれる介護施設もぼつぼつ出現してきた。地域によっては高齢化のピークが過ぎて、介護施設の需要が満たされ、供給過多となりつつある地域があり、そこでは当然、利用者もこうした施設を選ばなくなり、経営に行き詰まる施設も現れつつある。

そうしないための唯一の方法とは、妥協のない人材採用であり、内容の伴う職員教育である。

妥協をしない結果、一時的に職員数が減って仕事が回らないときは、一部の事業を縮小して、身の丈の範囲でしっかり事業をまわし、その間に徹底的に職員を育てるという考え方と覚悟が必要だ。きちんとした職員採用と教育を行っている事業者には、長期的にみれば必ず求められる人材が集まってくるのだ。

つまるところ介護事業者は人なのだ。介護施設にいくら最新の介護ロボットを導入したとしても、人に恵まれなければ、その介護施設は資材置き場と化すだけである。だからこそ人材確保と育成のためにこそ労力とお金を使うべきなのである。

虐待事件がひとたび職場内で起こったならば、多額な損害賠償責任が生じるだけではなく、社会の批判の的にもなる。そうした事業者は、健全な社会活動にも支障を来すようになり、事業継続の危機にもつながるのだから、職員採用は慎重に行わねばならないし、採用した後の適性の見極めや、教育もおざなりにはできないのである。
介護という職業

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繰り返される虐待に、どう対処すればよいのか。


東京都品川区の介護付き有料老人ホームで、介護職員から暴行を受けて死亡した82歳の男性利用者の死因は出血性ショックで、肋骨(ろっこつ)を折り、内臓を損傷していたそうである。つまり犯人は被害者を殴り殺したか、蹴り殺したことになる。残酷極まりないことだ。

その事件で殺人容疑で逮捕された元職員の根本智紀容疑者(28)は、系列の介護施設で4年以上の勤務経験があり、夜勤帯には「リーダー格」として業務に当たっていたという。

被害者は普段からあおむけの状態で室外に出ようとすることがあったそうだが、死亡当日の防犯カメラ映像には、宿直勤務だった根本容疑者が4月3日午後8時以降、被害者の個室の入り口付近で複数回、部屋の外に出ようとする被害者の足を持って室内に引きずり込んでいた様子が撮影されている。

容疑者は現在殺害容疑を否認し、防犯カメラ映像については、「腰が痛かった」などと説明しているそうである。なんとも苦しい言い訳で、いずれ虐待殺人の実態が明らかになるだろう。

それにしてもこのような信じがたい暴行に及ぶ、「心の闇」とはいったいどこから来るものなのだろう。介護人材不足による業務負担のストレスが原因とされているが、発覚して当然の就業中の暴行殺人が、本当にそんな理由で行われるのだろうか。

この問題を解決するためには、介護職員の給与を上げて職場環境を改善しなければならないと言われるが、給与面だけを見れば、すでに他産業とそん色ない賃金となっている職場も多い。介護職員の業務負担は、職場によって人材不足の状況はかなりの差があるため、環境が問題視される事業者も多いが、それは日本全体の生産労働人口の減少という、少子化の影響が大きく影響しており、介護業界だけでなんとかできる問題ではなく、対策の効果も寿年以上後にしか悔過が出ない問題で、早急に改善できる問題ではない。

早急に対策できることは何かと考えたとき、国の対策に頼る前に自ら所属する事業者の採用と教育のシステムを改善することしかない。まずは人手不足を理由に誰でもよいから募集に応募してきた人間を雇うという体質を改善し、試用期間中にもしっかり人物を見極めることだ。特に短期間で複数の職場を渡り歩いているような人は、面接時にどんなに好印象でも採用しないという考えも、リスク管理上必要とされる。雇用後も管理職を中心にして、常に職員が利用者に不適切対応が生じていないのかを労務管理としてチェックする視点も欠かせない。そのうえで不適切対応が疑われる職員は、介護実務から外して再教育を行ったうえで、適性がないと判断したら転職を促すべきである。

対人援助の職業は、本来誰にでもできる職業ではないのである。きちんと人を選んで教育する必要があるのだ。

そのために一時的に職員数の不足が生じたならば、一時的なベッドの休止なども図るべきである。

そしてひとたび職場内でこのような虐待事件が起こったならば、多額な損害賠償責任が生じ、なおかつ事業継続の危機にもつながることを自覚して、徹底した職員教育に努めるべきである。特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。だからマナー教育は重要なのだ。

先日も職員研修としてマナー研修を行った法人の施設長からメールをいただき、『未だご講演の余韻が残り、身の引き締まる思いで職員一同業務にあたっております。』という連絡をいただいている。

サービスマナー研修
こうした教育機会を繰り返すことによってしか、虐待と無縁の職場は生まれないのかもしれない。

このような虐待事件が何度も繰り返されていることは事実であるが、勘違いしてほしくないのは、介護事業者のマジョリティーは、虐待する事業者ではなく、虐待とは無縁な事業者である。だからと言って虐待するケースや事業者を無視して良いということにはならないが、こうした事件が起こるたびに、すべての介護事業者や介護職員が、虐待の温床のように見られるのはあまりにも可哀そうだ。

そうした誤解を解き、介護という職業のすばらしさを伝えるために、僕たちの実践でたくさんの高齢者や障がい者の方々の、豊かな暮らしを創造していく必要がある。そのための実践が、何よりも求められているのだという自覚と覚悟が必要である。

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利用者への不適切対応を放置する経営への対抗手段


最初にお断りを記しておく。現在ライブドアブログのトラブルで、アクセスカウンターが動いていないので、カウントゼロ表示を気にしないでもらいたい。(※追記:16時頃カウンターが動き出したが、そこからのカウントなので、この日のアクセス数は極端に少なく表示されてる。

さて本題。僕の講演を受講してくれる方の中には、僕が誰かということも知らずに、たまたま職場命令や友人・知人に誘われたからという理由で受講される方もいる。

そんな方が僕の講演を聴いて、共感することが多かったとか、今まで疑問に感じていたことの答えが見つかったとして感想やお礼の連絡をくれることがある。その中には僕を講師として自らの地域に招きたいという打診の連絡も含まれていることがある。それはとてもありがたいことである。そのおかげで僕の講演機会は毎年のように増えているし、人間関係も広がっている。それが何よりの財産である。

その一人が高知市の福の種合同会社の木村 徹社長である。

木村社長は僕のことはまったく知らなかったとのことであるが、昨年11月に愛媛県松山市で行われた、「えひめ医療福祉従事者連絡会つどい」さん主催のセミナーをたまたま受講しており、その時の講演内容に共感し、その話を高知市でもしてほしいということで、その日のオフ会の席で講師依頼を受けた。その後の調整で高知市でのセミナーが今月実現する。

4月21日(日)に高知市安心センターで行う講演については、高知市介護保険課、福の種合同会社(アルコデイトレセンター)の共催であり、かつ高知市居宅介護支援事業所連絡協議会・高知県介護支援専門員連絡協議会・高知県通所サービス事業所連絡協議会が協賛しており、県内外の関係者の方に広く受講案内をしているオープン講演会である。(参加料は無料。)

テーマについては第一部が、「医療福祉における問題点と今後の介護保険制度の方向性について(特定処遇改善加算の算定・支給構造も解説します)」・第二部は、「割れ窓理論を踏まえた介護サービス事業所のサービスマナーについて」となっている。詳しくはこちらに張り付いたリンク先から案内をダウンロードしたうえで事前申し込みいただきたい。

ところで講演を受講した人から相談を受けることもある。時間があればそうした相談にはなるべく真摯に、丁寧に答えたいと心がけている。

先日もある講演の受講者から相談を受けた。その内容とは次の通りである。
利用者に対する言葉遣いはとても大切で、それが利用者に対するサービスマナーの基本となることが分かったが、自分の勤めている職場は全くそのことに関心がない。そのため従業員の利用者に対する言葉遣いにもマナーも最悪で、利用者に対する「タメ口」が日常的に繰り返され、中には利用者を罵倒する職員もいるが、どうしたらその状況を変えられるでしょうか。

おそらくこうした職場は全国にたくさんあるのだろう。しかし一職員の立場でいくら頑張っても、その状況を劇的に変えるのは難しいと思う。

利用者に対するマナー意識のない職場を改革するには、経営者の覚悟が必要なのだ。マナー教育の過程で、教育効果が表れない職員、指導と注意が念仏化して聞き流す職員は必ず出てくる。その時信賞必罰の原則を貫いて、マナーの身についた人と、身につかない人の待遇を変えるためのキャリアパスの仕組みなり、給与体系なりがないと大きな改革はできないのである。

だから経営者や管理職にそのことの必要性を気づいてもらわねばならない。それ以前にいかに現場レベルの利用者対応が劣悪な状態なのかを知らしめないとならないと思う。

改善の必要性があると感じている職員と、経営者や管理職の実態把握の内容に温度差があると、経営者が改革に取り組みは遅々として進まなくなるからだ。「そんなこと言うけど、利用者から苦情があるわけではないし、君以外からそんな話は聞かないよ」と言って放置されることになっては何も変わらないのである。

しかし過去に虐待が発覚して、経営危機に陥った事業者はほぼすべて、虐待行為という事件が発覚するまで不適切対応が放置されていたという事実があり、利用者からの苦情や多数の職員からの通報がある状態になった時にはもう遅いともいえるのだ。

だからこの問題は不適切な対応がエスカレートする前に、できるだけ速やかに利用者へ対するマナーのある対応の重要性を教育して変えていかねばならないのだ。それが介護事業経営上の危機管理と言えるのだ。介護事業経営者や管理職はこのことを強く自覚すべきである。

よって経営者や管理職に、サービスの場で横行している不適切な言動の実態を正確に知ってもらう必要がある。そのためには職員が利用者に対して横柄な態度で接したり、罵声に近い不適切な言葉をかけている場面をスマートホンなどで動画撮影して、その状況を画像と共に報告すべきだ。勿論この場合は、「隠し撮り」と言われる状態になるが、それは仕方のないことだと思う。

場合によっては不適切な対応を取っている職員の姿を、その職員自身に見てもらって、「このような姿で良いと思う?」と問いかけることも必要になるが、それは動画を撮影した職員が行うべきではない。そうしてしまえば人間関係は最悪になるからだ。

こうした役割は通報を受けた経営者もしくは管理者の役割で、誰が撮影した動画かということを秘して、職員に注意・指導を行う際に、画像を示す必要があるだろう。

現場レベルで志を同じくする仲間を増やして、コツコツと改善に努める努力も必要であるが、それでは時間がかかりすぎるし、永遠に共鳴しない職員の不適切行為は亡くならない。サービスマナーの確立は、職場全体で取り組んで初めて実効性が挙がるので、経営者が覚悟を決めて、管理職が改革の責任を負い、現場リーダーが中心になって指導と注意を繰り返すことが必要なのである。

近道はないのである。地道に毎日、意識向上の取り組みを続け、あきらめないで良い方法を取り続ける職員を増やしながら、できない職員は待遇差をつけ、場合にっては介護の現場から外すということも必要だ。

人手が足りないからそんなことができないと躊躇している職場は、一生そういう状態から抜け出せず、そのような不適切な言動にストレスを感じる「人財」が流出し、やがて不適切対応に感覚麻痺した職員によって、重大な事故・事件が引き起こされて、経営危機に陥るだろう。

逆に覚悟を決めて改革に努め、サービスマナーを確立した職場には、そうした対応に共感する優れた人材が集まり、やがてそれらの人が「人財」に成長していくだろう。当然そうした職場では、利用者に対するホスピタリティ精神が自然発生するから、利用者に選ばれる事業者として、経営も安定していくだろう。

どちらになるのかは、事業経営者の覚悟にかかっていると言えるだろう。

そしてもう一つだけ言っておきたいことがある。志がある職員が、上司や同僚や部下の不適切な対応を、「隠し撮る」のには、それ相応の覚悟がいるのだから、そうした覚悟を持って撮影した画像を無視して、なんの対策も行わないとしたら、その画像は様々な形で世に出てしまう危険性が高いということだ。

そうなれば不適切対応を行っていたことに加え、それを放置した、あるいは隠そうとしたという罪を重ねたという世間からの批判は免れない。それは事業経営を不可能にすることに直結する問題なのだ。

放置してきた不適切対応の映像は、いつ爆弾となって爆発するかわからないのである。

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知らぬ間に・悪気なく、介護の場にはびこる感覚麻痺による虐待


「高齢者虐待」とは、暴力的な行為(身体的虐待・性的虐待)だけではなく、暴言や無視、いやがらせなどの心理的虐待や、必要な介護サービスの利用をさせない、世話をしないなどの行為(介護・世話の放棄・放任)や、勝手に高齢者の資産を使ってしまうなどの行為(経済的虐待)が含まれる。

自分はそのような行為とは無縁だと思っている人の中にも、知らず知らずのうちに世間の常識とは乖離した「非常識な目線」からしか、介護サービスを利用する人を見れなくなってしまう人がいる。その中には、明らかな虐待行為に及んでいるにも関わらず、罪の意識を全く持てない人や、そもそも自分は虐待などしていないと思い込んでいる人も多い。しかしそこで行われている行為は、常識をはるかに超えたひどい行為であったりする。

下半身を裸にした利用者をベッドの上で四つん這いにさせ、頭におむつをターバンのように巻き付けている姿を、「かわいい」と言いながら写真を撮り、職員間でメールで回し見て笑っていた老健施設では、そうした行為に至るきっかけは、認知症の女性利用者が便器に座って排泄している姿を写真に撮って回し見た行為がきっかけであった。

そうした不適切行為が明らかになった後に、介護職員に聞き取り調査をしたところ「親しみを込めてやった。かわいかったから」という答えが複数返ってきた。親しみを込めて人の心を殺すことが許されるというのだろうか・・・。そもそもそこで行われていることは、親しい人に行う行為とは言い難い。彼らはなぜ自分が狂っていることに気が付かないのだろうか。

介護職員が利用者に暴言を繰り返し、「馬鹿、クルクルパー」という罵声を浴びせる姿が隠し撮られ、その動画が報道機関に送られたことがきっかけで虐待問題が発覚した特養では、最初からそうした暴言が飛び交っていたわけではなく、ある日、一人の職員が利用者を「さん付け」で呼ばずに、「ちゃん付け」で呼ぶようになったことがきっかけとなったそうである。そこではいつの間にか、利用者をニックネームで呼ぶようになり、利用者に向かって、「お前」と呼ぶ職員さえ現れるようになった。

管理職がその状態に気づかなわけがないと思うのだが、その状態は放置され、いつの間にか利用者の目の前で仁王立ちして、「100歳にもなって、そんなこともわからないのか、阿呆!!」と怒鳴る職員が現れたりしている。隠し撮りの映像は、その状態をつぶさに映し出しているが、そこに映っている職員は、自らの醜いその姿を、自分の家族に見せることができるのだろうか。

4人部屋のベッドをすべて撤去し、認知症の人を、男女の区別なく6人雑居させていた特養では、その部屋で認知症の男性が、隣の布団で寝ていた女性の首を絞めて殺してしまった。その理由は今もってわかっていないが、その部屋では他人同士の男女が雑居させられ、仕切りのないポータブルトイレで排泄させられていた。認知症の人で記憶障害があったとしても、「嫌だ」とか「恥ずかしい」という感情は最後まで残っている。そこで恥ずかしい状態を放置され、意味も解らず首を絞められて殺されていった女性の人生は悲劇そのものである。あまりに可哀そうでならない。

しかし感覚麻痺とは恐ろしいものであることが、この施設の事件は証明している。当初この施設では、4人部屋をそのように不適切利用することに対し、異議を唱える声も出ていたそうである。ところが、権力のある声の大きな職員の主張で、認知症で転倒の恐れがある利用者を、そのような部屋に押し込める状態が数週間続くと、「それはおかしい。」という声はいつの間にかなくなり、認知症で徘徊がある人が入所するたびに、その部屋を利用すべきではないかという提案がされたりしている。しかもそう提案しているのは、過去にその部屋の存在に疑問を呈した職員その人であったりするのだ。

こんな風に、日常は何気なくゆがみ、何気なく壊されていく。普通はいつの間にか奪われ、常識の通用しない密室空間が作られていく。これはとても恐ろしいことだ。だからこそ世間の常識と照らして、我が施設・わが事業所の常識はゆがんでいないのかを常に検証する意識が必要だ。

行事の度に、利用者の頭の上に用事がかぶるのと見まごう帽子をかぶせて喜んでいる施設職員の心は、いつねじ曲がっていったのだろう。

クリスマスパーティーの度に、大人である高齢者が、サンタクロースの格好をさせられたり、サンタの帽子をかぶって自宅で唄うとでもいうのだろうか。それが施設の常識であるとしたら、その感覚も完全に麻痺しているとしか言いようがない。

尊厳とか権利と言いながら、そこで決定される判断基準が、そこに存在する小権力者の価値観が唯一のものであるとすれば、それはいつ歪んでもおかしくはない。だからこそ情報は常に公開され、世間の声が風通し良く入ってくる空間を常に意識して作っていかねばならない。職員間で「それって普通だと思いますか」という声の掛け合いが大切である。

云う・云われる、という関係性を大事にしないと、人間の「」は、云うという字が消えて、鬼になってしまうことを忘れてはならない。
魂

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大人を幼児扱いするという人権侵害


今年もいよいよ押し詰まってきて、2018年も残すところあと8日間となった。

今日はクリスマスイブであるが、今年はこの日が振り替え休日で、先週の土曜からの3連休最終日に当たっている。そのため今日が公休の人も多いだろう。居宅サービス事業者も休業日としているところもあるだろうし、介護施設の場合は、シフト勤務者以外は休みではないだろうか。

そのためクリスマスの行事は、連休前に前倒しして済ませたか、明日25日に行う予定の介護事業者も多いと想像する。

しかしその時、高齢者福祉事業の中で行われるパーティーとして、ふさわしい節度のあるやり方というものが意識されているだろうか。高齢者を幼児扱いするかのようなくだらないイベントに陥っていないだろうか。

イベントやパーティーの主催者が、場を盛り上げるために、クリスマスらしい服装をするのは良いだろう。サンタクロースの帽子をかぶって、舞台でアトラクションを行うことも特に問題とは言えないだろう。

しかしそうした行事を楽しんでもらうために参加していただいている人にまで、望んでいない仮装を強いるのはおかしなことだと思う。自ら進んで望んでいる人ならともかく、決してそうではない人に対し、紙で作った先のとがった円柱の帽子やサンタの帽子をかぶせたり、派手な衣装を着せたりして、職員がその姿を見て「かわいい」なんて言っているのは、大人の尊厳に対する冒とくでしかない。それは虐待といってよい行為だ。

認知症の人が、そのようなことを望んで意思表示をしているわけでもないのに、「きっとそうしたいと思っているはずだ。」なんて忖度し、その気持ちを代弁しているなどと宣う輩がいるが、その忖度や代弁は、認知症の人を「幼児化」する価値観でしかない。大人を馬鹿にした目線である。

一般家庭で行われるホームパーティーで、高齢者が仮装したり、帽子をかぶったりしているとでもいうのだろうか。そんなことはなく、むしろ優雅におしゃれしてパーティー会場に向かうシックな高齢者の方も増えているのだから、アトラクションを行う楽しませる側はともかく、それを見て楽しむ立場にある人の行事参加を支援するのであれば、介護事業者のパーティー会場に入場する際にも、おしゃれなスーツやドレスを着こんでいただき、女性は化粧をしてもらい、シックに料理やイベントを楽しむという方法を思いつかないのは何故なのだろうか。

この状態を問題視せずに、感覚が鈍磨していくことによって引き起こされた、ひどい人権蹂躙が過去にもあった。

例えば数年前に不適切運営を指摘されたグループホームのクリスマスパーティーでは、利用者の頭に帽子の代わりに女性用のストッキングをかぶせて、その姿を見て職員が笑っていたという報道もされていた。このように人を馬鹿にした行為はエスカレートして、何でもありの不適切状態の中で、「嫌だ」という思いを的確に訴えることができない認知症の人の人権は蹂躙され続けるわけである。

そのことに気づかない介護事業者の職員は、悪気はないかもしれないが、人の心をズタズタに切り裂き、尊厳を殺し続ける存在になっている。恥ずかしいことだ。恐ろしいことだ。

ジングルベルなどのクリスマスソングを唱和するにしても、本当に大人である利用者がそれを唄うことを望んでいるのかを真剣に考えなければならない。大人が楽しむインベントの在り方を、徹底的に考え抜かないと、介護事業とはしょせん、人権無視の施しで終わっているということになってしまう。

特に介護事業者の中には、人材とは言えない数合わせだけに必要とされているスキルの低い人員がいることが事実なのだから、経営者や管理者、リーダーという立場の人たちが、徹底的に大人を馬鹿にしたような行事を排除するという考え方がないと、人を馬鹿にした行事によって生じる観念が、日常ケアにも影響を与え、その品質は人生を長く生きてきた人にとって耐えられない低レベルのものになりかねないのである。

先日、「介護業界の異常さとは何か」という記事の中で、丁寧語を日常会話の中で使いこなせない低レベルの職員の問題を指摘したが、その記事に対し、「認知症や高次脳障害のある人は、単語レベルでしか言葉の理解ができないので、その場合に丁寧語ではない言葉も必要だ」というアホ丸出しのコメントを書いてきた輩がいた。

そういう人がいるのなら、その人にだけ言葉を変えて接すればよいだけの話である。基本対応を護ったうえで、特殊性や個別性に応じた臨機の対応変化が求められるのは当然のことである。しかし言葉遣いという点で言えば、その個別対応は極めてレアケースでしかない。

そもそも介護のスタンダードを、人の心を傷つけないレベルに担保するためには、日常会話のスタンダードを低米語としなければならないと論じているのに、例外的な個別の事案の指摘をしてどうしようというのだろうか。議論というレベルにさえならないコメントを、恥も外聞もなく書き込むことができるのは、ポリシーの問題ではなく、単にネットの匿名性に胡坐をかいているだけだろう。

このように頭の悪い連中が、介護職員としてはびこっているのだから、その連中が益々勘違いしないように、介護事業を引っ張るリーダーは、偏見を作らない事業運営という観点から、大人を幼児化する視点を様々な場面から排除する意識が欠かせないのである。

認知症の人であればなおさら、その人が認知症になる前に、どのような生活を送っていたのか、その人の周囲には、その人にどのような思いを寄せる家族や友人がいるのかということもひっくるめて考えて、今そこに居る人にふさわしい状態を考えてほしい。

大人の心や尊厳を、サービス提供者の勝手な価値観で殺さないでほしい。

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感覚麻痺はどこから始まるのだろうか(前編・特養編)


北海道の介護施設は、冷房設備のない施設がまだ多数派だ。涼しい北海道だから冷房設備がいらないという理由であるが、それでも最近は冷房が必要ではないかと思うほど暑い日や地域が多くなった気がする。

そんな中、介護施設に入所してる高齢者の方々は、暑い日に汗を流しながら、機能訓練や日課活動に取り組まれている姿が見受けられる。

しかしその人たちの日課や週課を振り返ってみると、月曜日の午前中に入浴介助を受けて、昼ご飯を挟んで午後から機能訓練に参加し、そこで汗をかかれても、その汗を流す機会は次の入浴支援を受ける時までないという暮らしを送っている人がいる。次の入浴機会とは、週2回しか入浴支援を行っていない施設なら、その日から3日後とか4日後とかになる。これって人の暮らしの質としてどうなのだろうと強い疑問を持たざるを得ない。

大学を卒業して、特養に勤め始めたとき、週2回のお風呂とか、時間ごとにしか交換しないオムツとかに疑問を持つ知識もなかったが、ソーシャルワーカーとしての仕事を覚えていく過程で、人の暮らしとか、そこにおけるQOLとか、そもそも『生きるって何?』と考えていく過程で、介護施設の中の常識が、世間一般の常識と異なり、そこで行われる生活支援という行為や、介護といわれる行為も、決して世間一般の暮らしとは言えないもので、介護といいながら、心にかけず護らない低レベルな行為であることに気が付いて行った。

そのため週2回の入浴支援さえしておれば良いという運営基準は、最低基準でさえなく、人の暮らしとしては意味のない基準であると考えるようになり、そう考える仲間を増やし、毎日入浴支援ができる施設にするための改革に取り組んだ。その過程での抵抗勢力は、反対のための反対論であり、現状にどっぷりつかって何も変えようとしない保守的な考えであった。その人たちは、「全員が毎日入浴したいって言ったらどうするの!!」とあり得もしない反対論で立ちふさがった。

しかし介護施設の入浴支援で、一番大変なのは、週2回の入浴であっても、「さっき入った」などと言って、入浴を拒否する方に対する対応であり、全員が毎日入浴を希望することなどありえないというのは、誰にでもわかる理屈だ。現に毎日入浴できるようにした後も、毎日入浴を希望する人はわずか5名程度であった。もしその時、4名は対応できるが、5名は無理となった場合、5人目の人には謝って、次は優先的に対応するからとして、頑張っていつか5名対応できるようにするだけだ。できない可能性のみに目を向けて、できる可能性をすべてつぶしてしまっては、介護の質は永遠に上がらないのである。

そんな中で、入浴支援だけではなく、食事も栄養補給より、人の愉しみとして、おいしく食べることができる行為のために何が必要かを模索し、支援者が立ったまま食事介助することの危険性とあわただしさに気が付くようになって、その方法も変えていった。プライバシーに配慮のない排泄支援は最悪であると考え、その方法も変えていく中で、廊下に行列を作って排泄支援や入浴支援を受ける暮らしの異常さにも気が付き、行列に並ばせないケアを模索するようになった。

オムツをしている人が、「オムツが濡れた」と訴えているのに、「もうすぐオムツ交換の時間ですから待ってください」などと言って、時間ごとにしかオムツを変えない異様な世界は、世間の非常識だという意識を持つに至った。

そんな風にして、毎日の入浴支援体制を作り、さらに昼間汗をかいた体を、夕食後にゆっくり湯船につかって、1日の疲れをとり、汗を洗い流して眠ることができないかと、毎日ではなくとも、せめて曜日指定で夜間入浴に取り組めないかと模索し、それも実現するようになった。

このように例を挙げればきりがないほど、特養にはびこっていた、「介護施設の常識は、世間の非常識」という状態を、一つずつなくしていく過程で、良い介護を目指す前に、当たり前の暮らしを護ることの大切さに気が付き、僕が勤務する特養は、いつしか地域の中でも優れたサービスを提供する施設と認められるようになった。

その特養の総合施設長を卒業し、医療系サービスの勉強もしてみようかと1年間老健施設で働いたが、そこは30年前の特養の姿そのものであった。(感覚麻痺はどこから始まるのだろう・老健編に続く)

介護の誇り出版記念セミナー
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介護ストレスが虐待を生むなどと言う言い訳を許すな


介護ストレスが利用者虐待の理由にされることについて、僕自身は納得がいかない。

過去に引き起こされた介護事業者における虐待事例では、その原因が介護ストレスであるかのような解説がされたり、加害者自らが介護ストレスによって虐待行為に及んだとコメントする姿が見られたりしている。

馬鹿を言うなと言いたい。介護を職業として選択するということは、介護サービスのプロとして利用者に関わるという意味だ。そこで生じたストレスを理由にして、顧客である利用者に対して虐待行為に及ぶというのは、対人援助に携わるスキルがないという意味だ。そうした人間は、介護という職業に向いていないという意味である。昨日の記事で言えば、その際の虐待要因は、「1.もともと対人援助に向いていない人によって行われる悪意がある行為」というふうに分類すべきである。

ストレスの全くない職業など存在しない。介護という職業だけがストレスと向き合っているわけではなく、職業人であれば、プロとして仕事上のストレスと向き合って、それを乗り越える努力をすべきであり、短絡的にストレスのはけ口を利用者虐待という行為で発散しようとする人間は、どこかが壊れているとしか言いようがない。

それは異常なことであり、本来それは理由として成立しないと考えるのが正常感覚である。

介護のストレスが虐待行為に直接結びつくという論調が正論化すれば、介護という職業が他の職業に比してストレスが異常に多いと思われて、そのストレスのはけ口が利用者虐待に結びつくのも仕方ないと考える風潮が生まれる危険性さえある。そのことのほうが恐ろしいと思う。

大多数の職員は、様々なストレスを抱えながらも、自らの感情をコントロールして、献身的な看護や介護を行っているのである。それはある意味、当然のことではあるが、虐待事件が起きることによって、介護サービスを十把一絡げにして、多かれ少なかれ職員が暴力行為を行っていると見られることは看過できない。

事件として表に出たような許されない行為以外にも、そうした行為が隠されているという意味では、それが氷山の一角といわれることも仕方ないのかもしれないが、そうした氷山とは無縁の介護サービス事業者の方が多数派なのである。マジョリティーは、暴力と無縁の職員であるという事実が存在するのだから、医療や介護の現場で、どうしてこのような虐待行為が発生し、場合によっては繰り返されるのかということを、様々な角度から検証して、少しでもそうした行為の芽を摘む方法を考えていくべきではないだろうか。ストレスという一言で片づけられてよい問題ではないのである。

我々は評論家ではないのだから、「ほかでもやってるのだろう。」とか、「氷山の一角だね。」という感想のみで終わるのではなく、改善の手立てを考える人でなければならないのだ。

そうした内容をメインにしているのが、介護の誇り出版記念セミナー、『感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む 介護施設・事業所で虐待を発生させない、介護サービス質向上の具体策〜ホスピタリティーファーストの考え方。』である。

その中で、「介護サービス従事者のストレス管理」という内容が含まれている意味は、ストレスが介護に直結するという意味ではなく、このセミナーの一番のテーマが、「介護サービスの質向上の具体策」であるからだ。虐待防止は、そのテーマを実現する一方策でしかなく、そのこと自体がメインテーマではない。それとは別個の問題としてメンタルヘルスケアを取り上げているのだ。

高品質なサービスは、サービス提供者の献身とボランティアリズムで成り立ちのではないし、従業者の犠牲の上に成り立つものでもない。そうであるがゆえに、サービスを提供する従業者の働く環境をも整えて、できる限りストレスのない状態で、肉体的にも精神的にも健康に働いてもらうことが高品質サービスを提供する重要な要素にもなる。

対人援助とは、人に向かい合うがゆえに、利用者の感情に巻き込まれやすいという特徴がある。人は人を見つめすぎると間違ってしまう。見つめた人の、いいものも、悪いものも自分に感染って(うつって)しまうからだ。その時冷静なもう一人の自分をきちんと意識して関わって行くことができるかどうかが対人援助サービスに関わる人々に問われてくる。

そういう意味で、ストレス管理も対人援助サービスの品質をあっるするための大事な要素だ。よってこのセミナーの後半部分に、ストレス管理という内容も含んでいることをご理解いただきたい。

日総研出版社主催・「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
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スピーチロックや心無い発言はサービスマナー教育の欠如の結果


日本認知症グループホーム協会が8/9、会員向けの「権利擁護・虐待防止に関するアンケート調査」の結果を公表した。

それによると「不適切なケア」に及んでしまったケースが「ある」と答えた施設が、全体の60.1%だったと報告している。
※「たまにある」は47.6%。「時々ある」は11.6%、「よくある」は0.9%で、「ない」は37.0%・・・「たまにある」と「時々ある」の違いはよくわかりません・・・。

ここでいう「不適切なケア」とは、強い言葉で利用者の自由を奪う「スピーチロック」や心無い発言、プライバシーの軽視などを想定しており、深刻な虐待の一歩手前の行為としている。

それらの不適切な行為が全体の6割強のグループホームで発生しているというわけだ。しかもそのうち11.4%の施設が、虐待があると報告している。これは由々しき事態である。

このブログ記事で何度も指摘しているが、職員が意識して行う虐待にしても、無意識のうちに行われてしまう虐待にしても、それは日常の何気ない行為の中で、慣れと惰性が生まれることで生ずる、「感覚麻痺」が原因となっており、それは多くの場合、職員の利用者に対する「言葉の乱れ」から発生している。

顧客である利用者に対して、無礼な馴れ馴れしい言葉遣いが、親しみやすさだと勘違いした職員は、顧客に対するサービスマナーを意識することもなく、ため口で日常会話を行うことにより、調査結果でいうところの「心無い発言」が頻発し、それが「心無い行為」につながる例は枚挙にいとまがない。

そんな場所で、利用者に対するホスピタリティの精神など生まれようもなく、いくらサービスの質を上げようと声を高めて定期研修を行おうと、それらはすべてアリバイ作りにしか過ぎない、職員の自己満足に終始するだけである。

僕が唱える介護サービスの割れ窓理論とは、こうした意味のない研修より、日常の実践の質を上げるための実践が何より大切であるという意味で、言葉の乱れが常識ではない感覚麻痺を促進させ虐待に繋がるとして、言葉を正しくすることで心の乱れをある程度までは防ぐ効果もあることに着目して、ホスピタリティの基盤として、職員が利用者に対して日常会話を行う際の言葉遣いを、丁寧語に統一すべきという理論である。

このことが徹底されていない職場では、職員に悪気があるわけではないが、結果的に利用者を傷つける行為が日常化してしまう。しかし「悪気がない」ということは何の免罪符にもならない。

例えば僕が経験した実例を示そう。

その介護施設では、掛け声としてよい介護とか、接遇とか言われていても、具体的に言葉遣いを正しくするという教育が行われていなかったため、職員間で日常の言葉遣いの「差」が激しく、丁寧語で会話ができる職員がいる反面、ため口が当たり前という職員も大勢いて、そのうちの幾人かは、まるで利用者を罵倒するような言葉遣いだった。

そういう職員は、冗談も冗談に聞こえず、ある利用者がトイレ介助を求めたときに、「○○円かかります。」などと言って、利用者を傷つけ泣かせていた。本人は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、その言葉で傷つく利用者は、その後、トイレ介助を誰かに頼むたびに、そのことを思い出して嫌な気持ちになったり、職員に声をかけるのをためらってしまったりしていた。これはもう不適切行為というより虐待と言って過言ではない。

いくらカンフォータブルケアという新しい介護を取り入れたとしても、そのことの研修を行ってよい気持ちになっていたとしても、特定の職員だけがそのことを実践するだけで終わっては意味がなく、それ以外の職員の汚い言葉遣いや、乱暴な態度に、深く傷つけられる利用者がいつも存在している実態は、なんのための研修なのかと言いたいところである。

こんなふうに介護サービスの場では、まだまだなくしていかねばならない負の遺産がたくさん存在する。特に利用者を傷つける、配慮に欠けた言動が無意識に行われる状況を何とかせねばならない。

そもそも悪意のない不適切サービスは、自覚がないから厄介だ。そうしたプロ意識に欠ける状況をいつまでも放置してはならない。

まずはすべての職員が言葉遣いを正して、顧客でもある年上の利用者に、ため口で会話することの恥を知らしめなければならない。プロとしても矜持として、言葉遣いに気を遣うスキルを持たねばならない。

そして対人援助の仕事は、自分自身の感情の表し方や感じ方をコントロールしなければならない、「感情労働」という側面があるという理解が必要で、「感情のコントロール」という、意識的かつ持続的な労力が求められることを知らねばならない。普段の生活では、怒りっぽい人でも仕事中は笑顔を振りまかなければならないのだ。それが介護のプロとしての使命と責任なのである。

冒頭で紹介した調査結果を受けて、グループホーム協会の担当者は、「事業者・職員の研修も重要。引き続き力を入れ、さらなる改善につなげていきたい。」と話しているというが、研修内容自体が問題で、ホスピタリティにつながるサービスマナーの教育として、ため口が割れ窓になるという教育をきちんとしなければ何も変わらないだろう。


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家族の面会を拒否する権利が施設にあるのか?


神奈川・三浦市の特養に入所していた85歳の男性が、肋骨や尾骨の骨折や顔のあざなどを負う虐待を受けた疑いが浮上し、容疑者不詳のまま刑事告訴するとともに、法人および介護担当の男性介護福祉士を相手取って慰謝料など計約1,680万円の損害賠償を求める民事訴訟を横浜地地方裁判所横須賀支部に提訴した。

この件に関する報道記事をリンク先からご覧いただきたいが、リンク先の記事が消える可能性があるので、要旨を抜粋させていただく。
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訴えを起こした男性は、昨年11/24の施設入所。12/24に右目の腫れや左腰打撲のけがをしたということで、ホーム側から家族に「男性が転倒したのでこれから医師に診せる。骨折などはないが、身体中に痛みがあり、車いす生活になるかもしれない。ただしベッドからの転落は今回なかった」といった主旨の電話連絡をしたとされる。そのご医師の往診をうけてホーム生活に戻り、同30日に家族側が男性への面会に訪れようとしたが、「男性の状態が悪い」との理由で会うことを拒否されたという。

今年1月1日になって再び家族が面会に訪れると、車いすに乗ってホーム職員に連れられてきた男性利用者は、両目まぶたや頬・手にあざが出来ていた。男性の状況に驚いた家族側が救急車を呼び、別の病院に緊急搬送。搬送先の別病院による診断では、新たに左右の肋骨計7本の骨折と尾骨骨折、さらに両目・後頭部・腹・背中などが皮下出血していることも確認された。

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そのほか記録の改ざんが疑われる内容などが記事に書かれているが、怪我の程度や部位を考えると、単なるt転倒であるとは考えにくく、暴力的行為が行われていた可能性が高い。しかし被害者である元入所男性は軽度の認知症もあるそうだから、何が起こったかという真実は明らかにされない恐れもある。

しかしそうであったとしても、この施設が不適切運営を行っていることは明らかだ。感染症の発症などの正当な理由もなく、家族の面会を拒否しているからだ。この一点をもってして糾弾されてよいものだ。

恐らく怪我をさせていた事実を覆い隠そうとして、面会拒否につながったものであろうが、生活施設において本人の拒否がない限り、それ相応の正当な理由なく家族の面会を拒むことはできないはずである。「男性の状態が悪い。」との理由は、正当な理由に当たらず、状態が悪いなら、その状態を確認していただくのが、本来必要な対応である。

過去にも面会を拒否するケースについて批判記事を書いたことがある。例えば2006年に指定取り消しになった札幌のグループホームのケースについて、『介護サービスの「割れ窓理論」再び』で論評したが、このグループホームでは、日常的に家族の面会拒否が行われていたことが後に明らかになった。ホーム側の言い分は、「会うと自宅に帰りたくなる。」というものであった。まったくひどい理由だ。このグループホームでは面会を断られ続け、一度も会えないまま、やせ細って入所〜2月に入院したとの連絡を受けたというケースも報告されている。

面会を拒むというホームには、隠したい何かがあると考えてよいだろう。そんな施設やサービス事業所に、大事な家族を任せてはならない。

そもそもこれからの介護経営リスクマネジメントには、組織力の強化が欠かせないが、その組織力とは、組織内部で行われたことを包み隠す力ではなく、すべてを公にして恥じない状態を作り出す組織力である。組織にとって不都合な状態が生じた場合も、その情報を公開して、改善するという自浄作用を高める組織力である。

これからの時代のコンプライアンスとは法令の遵守を含めた「社会的要請」へ応えることである。法令に違反しているのか、いないのか、のみを基準として画一的に考えるのではなく、介護サービス事業者に社会が期待していることに応えられるように事業運営することが生き残っていく事業者につながる。

そのためには法令に精通した管理部門が内部監査等を含めて違法性をチェックするとともに、サービスの質を管理する必要がある。そうした安全と安心の担保がない事業者は、介護給付費が削減される波の中で、利用者の選択肢が広がり、選ばれて使ってもらえる事業者しか生き残れない時代に、消滅の危機に瀕していくだろう。

事業者のビジョンに反する行為や疑いが生じた場合は見過ごさずに素早く対応し、発生した問題とそれに関連する事実を全面的に把握し、その原因を究明して再発予防の是正措置をとるという治療的コンプライアンスの視点がない事業者は、生き残ることができない事業者になっていくのだ。不適切サービスを密室化させる事業者からは、利用者だけではなく、従業者も消えていなくなっていくだろう。

そうならないために、対人援助サービスの使命を感じ、介護業務にプロとしての誇りをもって従事する人材を育てていく必要がある。

10月から全国7ケ所を廻るセミナーが、その一助になれば幸いである。
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全国老施協も竹内理論を否定か。


介護とは、人と向い合って、向かい合う人に心をかけて護る行為である。心にかけるということは、向かい合う人に関心を持ち、表情を注視し、喜怒哀楽という心の動きに敏感になることである。

そのことに心がける限り、介護の評価は決して難しくない。利用者の表情や感情として表れるものが、介護の結果評価なのだからである。

間違ってはいけないことは、利用者の気もちより、我々が定めた目標の達成度の評価が優先されるものではないということだ。評価は多角的におこなわれることも大事なので、我々の理念の達成度を、目標を掲げて、その達成度で評価することがあっても良いが、それは利用者の心持ち・気持ちを無視して、そちらを優先して評価されるべきものではない。

そもそも事業者目標など、場合によっては事業者の価値観や都合の押し付けなのかもしれないという考え方は常に必要で、闇の迷路に陥らないためにも、利用者の感情や表情に敏感になるという視点は忘れてはならないのである。利用者の気持ちに謙虚に応えようとする姿勢を失った介護者は、傲慢な指示者にしか過ぎなくなる。それは傍から見れば極めて醜い存在である。

しかし闇に迷い込んだごとく、傲慢な介護をしているのが竹内理論実践施設である。3年前にその批判記事を買いあたが、そこに先日もコメントが寄せられている。

そのコメントをここに転記する。

私の施設でも取り組みをした結果が。今まで、聞いたことない病名「低ナトリウム血症」などで沢山の利用者様が入院やお亡くなりされました。 しかし、現在でも信者が多数いるために、「竹内理論を取り入れて良かった」と言っている無能者がいます。 朝起きてから、寝るまで、正確には寝ていても夜中おこしてまで水分地獄。。「先生は最大でも3000mlは飲水してもよい」 「飲めば飲むだけよい・・・」「利尿剤は介護者なら、床に落としたと言って捨てなさい 何故なら乾いたぞうきんを絞るのと同じだから・・」 もうウンザリです。
何故に、殺人理論を行わなければいけないのか。施設全体で行っているから「裏切者」と呼ばれるから反対意見は出せないし(生活のあるので) 研修では嘘の事例を提出しています。多分、殆どの施設が・・理由:水分や利用者様の状態が良い方向に向かってないと研修生の全員からの攻撃、良くできている施設には褒めたたえる。よって嘘の事例を提出=竹内理論は正しいの方程式が出来ています。そろそろ、この悪行に終止符を・・・心からの叫びです。 皆さんの施設や私の施設が早く目を覚ますのを願っています。


こんなひどい状態を、いつまで放置するつもりだろう。利用者はいつまで心を殺し続けられるのだろう。

しかしこの理論を普及させようとして、「介護力向上講習」を主催していた全国老施協は、この講習を実施しなくなった。現在それは、都道府県の老施協レベルが開催しているに過ぎない。

さらに全国老施協は、12/5付で塩崎厚労大臣に充てた発出文書の中で、次のような指摘をしている。

・特養で利用者の意に反して栄養を投与し、リハビリを重ね、歩行器で歩かせることを強いるような「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクが強く危惧される。

・事実上要介護度改善の義務化を課すことは、もはや虐待と言っても過言ではない。

↑これはまさに竹内理論実践施設で行っているケアと呼ばれるものが、虐待と同じであると指摘しているのと同じ意味だ。

以前にも書いたが、竹内理論の実践施設の職員の方々が、その方法論の問題点を次のようにコメントしてくれている。

・座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。
・歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称してます。 しかもそれは家族には見せません。
・スプーン1口のゼリーですら、首を横に振って涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっている利用者様に、どうしても無理強いする事が出来ず・・いつもユニットリーダーから叱られます。「水分摂取表」に、いつも当然のように「全量」と書き込む先輩介護福祉士の水分摂取介助の方法とは、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました・・・。」(無理やり口を開けさせられ水分摂取させられていた)利用者の、開いた唇の奥に異変を感じました。「少し、もう少し口を開いて頂けますか?」自分が大きく口を開けて、同じようにして頂くようお願いしたら・・・・舌の裏。血豆だらけでした。(涙が出ました)早出だったユニットリーダーに報告しても「そう。」とだけしか返事はなく。



竹内理論を実践している施設の利用者の家族からは、次のような悲痛なコメントが寄せられている。

・本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。就寝前や就寝中も水分補給と称して起こされては水分補給されている父がかわいそうでした。

全国老施協の提言書は、利用者の表情も、QOLも無視して、水分を強制摂取させ、補器器につかまらせて3人がかりで引きずるように歩かせることを強制する竹内理論による介護を「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」と断罪しているといえよう。

竹内理論の実践施設の施設長も、そろそろ目を覚まさんかい。
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隠し撮りカメラを恐れないケアづくり


三重県四日市市の特養で、利用者虐待が発覚した。

要介護度5で寝たきりだった母親の体にあざができていることに気づいた息子さんが、部屋にカメラをセットして職員が介護している様子を隠しどった映像には、50代の女性職員が夜勤勤務中に、1人部屋に入所する被害女性に対し、「早く死んだらいいのに」などと言いながらほおを平手で打ったり、枕で顔をたたいたり、枕カバーで顔を覆うなどの行為が映し出されていたという。

加害者は、施設の内部調査に対し、「魔が差した。ストレスが重なって、ついやってしまった。」と語っているというが、ストレスが行為の理由にされること自体に納得がいかない。そもそもストレスの全くない職業など存在しないし、介護の職業にストレスを持ったとしても、そのはけ口が物言えぬ利用者に向けられること自体が異常なことであり、本来それは理由として成立しないと考えるのが正常感覚である。

こうした報道から、介護という職業が、他の職業に比してストレスが異常に多いと思われて、そのストレスのはけ口が利用者虐待に結びつくのも仕方ないと考える風潮が生まれることのほうが恐ろしいと思う。

その恐ろしさに気が付かず、虐待も仕方ないと考えるような人は、即刻介護の職業の場から去っていただきたい。全産業で人手不足感があるのだから、そのような考え方の人が介護の場に固執する必要はなく、人が相手ではない商売の鞍替えすべきであり、そのことが世のため人のため、自分のためである。

介護の仕事とは重労働であることは間違いないが、正常の感覚の持ち主ならば、その中に人の幸せにかかわることができるるという誇りを感じ、人の笑顔を引き出すことに喜びを見出し、モチベーションが上がる職業だ。

そういう職業であるということを伝えるのが管理者の役割であり、そのための学びの場を創りだす責任と義務も管理業務の中に含まれているのだ。そういう当然のことをしないでおいて、数合わせの採用を繰り返すことが、虐待につながる感覚麻痺を生み、モチベーションとスキルの高い職員のバーンアウトを助長するのである。

人手不足の時代だからこそ、職員採用はより慎重に行い、向かない人には直接介護業務を行わせず、折を見て肩たたきがあってしかるべきと考えつつ、内部の教育体制をシッカリと構築する介護サービス経営が求めあっれるのである。

その中で心しておかねばならないことは、今回の虐待発覚のきっかけになった、家族による隠し撮りは確実に増えるということだ。振り返れば、昨年のアミーユ川崎幸町の暴言虐待も、家族の隠し撮り映像が確たる証拠となって存在しているし、過去にも何度か隠し撮りで虐待が発覚したケースがある。

スマートフォンや、デジカメが普及して性能もどんどん良くなっている今日、こうした機器を利用して、自分の家族が日ごろ、見えない場所でどんな介護を受けているのかを確認したいと思うのは人情であり、もっともなことだ。

それは虐待が疑われるケースのみならず、単なる確認という意味でも隠し撮られる可能性はないとも言えない。

僕たちはその様な映像を家族が撮って確認したいと考えることも受容して、むしろそのことは当然であると考えて、家族が隠し撮りをすることで安心できるならそれはそれでよいだろうと考えて、常に自分の職場での姿を撮影されても恥ずかしくない仕事をすればよいだけのことである。

僕は今年の3月まで特養の総合施設長という立場であったために、そこでは常に職場全体への教育的指導を行う立場であったが、その際には、「仕事をするときには、常に自らの心の中にカメラを取り付けて、心のビデオに自分を映して振り返って恥ずかしくない仕事をすべし」と指導していた。

今回の虐待の現場となった四日市市は、再来週僕が「本音の介護〜現状とこれから」というテーマで講演を行う場所である。
四日市トークバトル
上の画像は、その際のチラシであるが、たまたまその場所で、このような虐待事案が発覚した。10/16に四日市商工会議所ホールでお話しする際には、本音でこうしたことを繰り返さない介護を語らねばならないだろう。

介護の仕事は、直接介護の仕事であればあるほど、利用者と1対1の場面が生まれ、そこではどんなに若くて経験がない職員であろうと、自分の心ひとつで何事も蹴ってできるという場面が生まれる。神のごとく、悪魔のごとく、一人の判断で決定できるのが介護の仕事の一面でもある。

そのことの重大さを知りなさい。神のごとく決められることの恐ろしさを知りなさい。天使にも悪魔にもなれることを恐れ、謙虚になりなさい。

そんなメッセージが伝われば幸いである。
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水分強制摂取の実践施設は情報公開を


介護力向上講習と水分の強制的補給法に対する批判的な記事を書くと、必ずといってよいほど、「それは講習自体が悪いのではなく、講習を受けた当事者の伝え方が悪いのだ」という言い訳が聞こえてくる。

しかし僕に直接メールを送ってくれる人で、水分の強制補給がいかに人権を無視した方法で行われているのかという情報を教えてくれる人たちの中には、老施協の役員が施設長である施設の職員も居られる。全国老施協から、「おむつゼロ」を達成したとして表彰されている施設の職員も居られる。そうであれば、老施協の役員や委員を勤めている人自身の講習での理解と、職員への伝え方が悪いのだということになる。そうであるなら老施協の役員会なり、研修委員会でもっとそのことを問題視して、改善の議論をしろといいたい。

事実として言えば、僕がこの問題を取り上げる講演では、必ずその地域に、同じような不適切な水分補給を行っている施設が存在するという話しを聞かされる。中には自分の所属施設で僕が指摘する不適切な水分補給を行っていると告白する人も居り、「恥ずかしいことですが、その方法が間違っていると分かっていても、上からの圧力でやめることができないのです」と嘆く方も居られる。

しかしそこには、被害者としての利用者が存在するわけだから、放置してよいわけがない。だからその状態を厳しく糾弾する誰かがいなければならず、何の得にもならないが、その役割を自らになっているのである。

日本中で、決して少なくない数の施設が介護力向上講習の影響により、不適切な水分補給を行っている実態があるのだ。それは受講者側の問題ではなく、伝える側の問題であるというしかないわけで、それが本意でないとしたら、よほど伝える能力が無い人が指導しているとしか思えない。それはそれで別な意味で大問題だ。

ところで僕の批判に対して、ある人は次のような反論をしてきている。

無理やり水分摂取、無理やり座位、無理やり経口みたいなコメントが多いですが すべて、手順があります。1500cc飲めない方には原因があります。』

どんな手順があったとしても、どのような原因があったとしても、個別アセスメントもせずに、全員一律の水分1.500ml/日を、「施設の方針」として強制補給してよい理由にはならない。そもそもそのようは方法で人の暮らしが好くなるというエビデンスは存在しない。そういう方法を行うこと自体が大問題であり、不適切であり、手順がどうだとか、理由が何であるかなどという意味のないことを主張しても始まらないわけである。

しかしこのような反論を書いてくる人も、文章の末尾に次のような本音をボロッと書き込んでしまうのである。

竹内先生が怖いから、早く結果を出そうとして、そういう現象が出るのかもしれません。』

恐怖で支配している講習会ということか・・・。そりゃあ洗脳といわれても仕方がないだろう。

どちらにしても、水分の強制補給を行っている施設のトップは、その実態が不適切なものでないかを、きちんと把握して、情報公開を行うべきである。

公開すべき情報とは、以下の通りである。

・1.500ml/日もの水分補給を行うことについて、きちんと利用者や家族に同意を得ているのか、それは施設サービス計画に載せられているのか。
《※基準省令の(基本方針)第一条の二では、指定介護老人福祉施設は、施設サービス計画に基づき〜以下略とされているので、このような重要なケアの方針を計画同意なしで行うのは、運営基準違反である。》

・水分補給の方法は、ケアとして適切な方法であるのか。利用者が水分摂取を拒否した際には、どのような対応をとっているのか。

・人権を無視した対応が行われていないのか。

・大量の水分摂取による健康被害がないことを、どのような方法で確認しているのか。


最低限、これらのことを情報提供する姿勢がない限り、1.500ml/日もの尋常ではない量の水分摂取を命じている施設のトップとして、世間様に対して道義上の責任を果たしているということにはならないだろう。

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洗脳介護の実態


対人援助サービスは、特定個人の「暮らし」に深く関わるのだから、結果を出さなければ意味が無いと思っている。

結果を出すために、日々学ぶ必要はあるし、実践する過程で頑張る必要はあるが、頑張ったという過程だけで満足してはならず、必ず結果を追い求めなければならないと思う。

その結果とは何かといえば、僕たちがかかわりを持ち、何らかの形で暮らしに介入している人達の暮らしぶりが少しでも良くなっていることであり、僕たちが関わっている人が満足されて日々暮らしを送ることができていることだと思う。

仮に僕たちが掲げた目標が達せられていたとしても、関わっている人の暮らし振りが良くならず、満足していないのなら失敗だと思う。その場合は、目標の設定自体が間違っているという意味だ。

目に見えない「こころ」を持つ人間に関わる職業であるのだから、サービスを利用する人の感情を無視して物事を評価してはならず、僕たちが良かれと思っていることであっても、その結果が「だめだ、満足していない」といわれてしまえば失敗なのである。

だがその結果を判断することは意外と簡単である。人に関わる仕事なのだから、そこには関わる人の表情があるからだ。認知症等の理由で、意思表示ができない人であっても、表情で満足度を図ることができるからだ。

しかしながら、そのような考えとは対極に位置する、利用者の満足度を無視した実践を行う介護施設が存在する。そういう実践を指導する職能団体が存在する。

利用者の表情を無視して、利用者の感情を脇において、自分たちの掲げた目的が達成されているかということだけを見ているのが、全国老施協の「介護力向上講習」である。
(※ただしこの講習会は、昨年度から全国レベルでは実施せず、都道府県の老施協レベルでの実施となっている)

そこでは「竹内理論」と呼ばれるエビデンスの無い方法論を、唯一絶対の根拠として受講者に押し付け、介護施設の利用者全員一律に、個別アセスメントの無い1500ml/日以上の水分補給を強制的に行う指導がされている。そして強制水分補給を行う際の、利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視される。

そうした方法で実現できるとされる目標とは、「日中おむつゼロ」というものにしか過ぎない。しかも全国老施協基準の「おむつゼロ」とは、すべての人が日中トイレで排泄しているわけではなく、尿取りパットを使って、そこに失禁している状態もありという、なんともお寒い「オムツゼロ」である。

その程度の目標を達成させるために、竹内理論の実践施設では、利用者が毎日毎日苦しさを無視されながら飲みたくもない水分を強制的に飲まされている。

人の尊厳を無視した強制介護を行うに当たって、そのことに疑問を持たないように介護施設の施設長と介護リーダーを集め、順位付けで競わせ、反論を怒号でつぶす講習会は、さながら洗脳セミナーであると語る人も多い。

利用者の意思など関係のないところで、ともかく決められた量を飲ませさえすればよいという何でもありの水分摂取や、多人数で引きずるような人格無視の歩行訓練を強制し、座位姿勢のアセスメント抜きの便座への強制座位を取らせて、苦痛にゆがむ表情を無視して、排泄をさせることにどんな暮らしの質があるというのだろう。

竹内理論の実施施設の職員からも、悲惨な状態がコメントとして寄せられている。密室の中で強制水分補給が行われている実態が、血豆だらけの口腔状態を作り出している事実を知ってほしい。

しかしながら、実際に竹内理論に基づいて、強制的な水分摂取を行っている施設のトップである施設長は、決められた水分が摂取され、全国老施協基準の「お寒いオムツゼロ」さえ達成していれば満足し、その施設の中で、利用者がゆがんだ表情でいることを知ろうとしない。利用者が昼夜の別なく様々な強制的方法で、水分を身体に突っ込まれている状態を知ろうともしない。

恥を知れといいたい。

全国レベルで実施しなくなった介護力向上講習会は、都道府県の老施協レベルで行われているが、県レベルで手を引いたところもある。残念ながら北海道老施協は、この悪魔の講習会を続けている。

北海道老施協とその役員たちよ、恥を知れ。研修委員よ、恥を知れ。(明日書く予定の記事:洗脳介護からの解放に続く)

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糸を縒(よ)り、紡(つむ)ぎなおすくソーシャルワーク


高齢者介護の仕事をしていると、時々家庭内の虐待行為と思しき状況に出くわすことがある。

家族に虐待を受けていると思われる状況が、高齢者の身体に現れていることが多いが、行為を目撃したわけでもなく、高齢者自身も正確な状況を訴えられない場合、それは想像の域を超えることはない。

しかしそうした状況を放置できるわけもなく、我々は様々な方法で、家庭内にも踏み込んでアプローチして状況改善に努めることとなる。

時としてそうした場合、緊急避難として、介護施設のショートステイを利用したり、場合によっては行政職員の介入を依頼して、特用への措置入所へとつなげたりする場合がある。

今年の3月まで、僕は特養の施設長を務めていたため、こうしたケースの受け入れ施設という立場にあったわけである。

こうしたケースの場合、介入した行政職員は、措置入所を行った時点でその役割を終え、ケースも終了とすることになる。

虐待を発見・通報した関係者も、虐待を受けていると疑われた高齢者が施設入所して、家族による虐待が行われる環境ではなくなった時点で、問題解決として関わりを終えることが多い。

しかし虐待を受けていた高齢者を受け入れる側の施設は、ここからがこうしたケースの支援開始である。それは単に、措置入所した方に施設サービスを提供するという意味にとどまらず、虐待を受けていたと疑われる高齢者と、虐待行為に及んでいたとされる家族の関係を再構築するという意味を含んでいる。

そこで必要とされるのはソーシャルワークの視点であり、施設の相談援助職は、施設内で利用者の暮らしを構築するだけではなく、いったん壊れかけた家族関係の再構築という視点から、家族全体に介入していくという考え方が求められる。

虐待という行為自体は、いかなる理由があっても許されるものではない。しかしソーシャルワーカーは、裁判官ではなく支援者である。その罪を糾弾するのではなく、そこに至った様々な事情を慮(おもんばか)り、行為として許されざる部分はしっかり認識した上で、そうした行為に至った人の事情も受け入れ、再びそのような行為に至ることがないような心の支えになるとともに、虐待行為を行った当事者と、虐待を受けた本人との関係修復に努める必要がある。

誰しも、理由なく身内を傷つけたいと思っている人はいないはずだ。自分の家族に暴力を振るったり、暴言を投げつけたり、必要な介護を放棄するに至る理由は様々であり、そこに至るまでに虐待行為を行う人自身にも、強い心の葛藤が生まれているケースは少なくはない。特に虐待を受けていた人が認知症である場合は、認知症の人の言動に強いストレスを感じていたことが原因であることが多い。

認知症は、そのひとの人格とは別なんだから、家族がそれを理由にストレスを感じて、暴力を振るうことは許されないという人もいるだろうが、家族は介護の専門家でもないし、認知症に対する正確な理解があるとは限っていない。

認知症の人の、(家族にとって)理解できない言動に、24時間向かい合っていることで、心が壊れる人もいるのだ。ある意味、虐待という行為に及ぶ火と自身が、他者を傷つけるという行為によって、SOSを示しているのかもしれない。

それは善悪の問題だけで評価すべき問題ではなく、誰しも強くはないし、誰しも常に正常ではおれず、人は誰しも、誰かの助けを必要とする可能性がある存在であるという理解で相対するべき問題である。虐待行為を行っている人も、心の奥底では苦しんでいる場合が多いのだ。

施設入所後に、家族関係の再構築を行わない限り、この傷は消えることはない。つまり関係修復のための会にゅとは、虐待を受けていた人を救うためだけではなく、虐待行為を行っていた人をも救うことなのだ。

施設入所という状況は、煮詰まった家族関係を見つめなおすために、いったん距離を置いて考える時間を作るという意味がある。そこにソーシャルワーカーという専門化が介入することによって、複雑に絡み合った糸をほぐして、良い方向に向かうことができるかもしれない。

施設入所によって、虐待がなくなったからといって、そうした部分に積極的に介入しないと、ご家族としての縁を失って、一人寂しくなくなっていく高齢者がそこに一人暮らしているだけの結果となってしまうかもしれない。そしてそうした介入ができる専門家は、施設入所した人の場合、施設のソーシャルワーカーしかいないのである。

そういう意味で、施設のソーシャルワーカーが、施設利用者の暮らしを護るという意味は、施設内だけの活動にとどまるものではないということになる。施設利用者の家族に介入することは、施設ソーシャルワークの付帯業務ではなく、本務であることを忘れてはならない。

なぜならば、絡んだ糸を解きほぐし、時には糸を縒りなおし、切れた糸を紡ぎ直すのが、ソーシャルワークの本質だからである。

人の暮らしに介入するソーシャルワーカーは、そうした行為を積み重ねて、人の幸福とは何かを追及する使命がある。そのことを胸に、日々人を優しく見つめてほしい。見つめていきたい。

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