masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

介護サービスの割れ窓理論

達人しかできない方法論は意味がない


仕事をするうえで、従業員がお客様に対して失礼がないように気を使うのは、至極当然なことである。そのために言葉遣いや、態度、服装などに気を付けうことも至極当然のことである。

ところが医療・福祉・介護業界では、そのことに疑問を持つ人が大勢いたりする。

あまり丁寧に接すると、よそよそしく思われるのではないかとか、他人行儀ではないかと思っている人が、そこかしこに存在する。

特に介護施設の職員の中には、施設とは利用者にとって暮らしの場であるのだから、家庭のような雰囲気が必要であり、あまり丁寧な対応は肩が凝るといいつつ、馴れ馴れしく無礼な態度に終始する職員も少なくない。

そのような人たちは、自分が介護という職業を通して生活の糧を得ている意味を解っていないとしか言えない。職業として介護業務に従事している責任を理解していない、プロ意識のない人たちである。

家庭的=家庭ではないのである。利用者がリラックスして、過ごすことのできる空間が家庭的なのである。そこは利用者の尊厳や権利がしっかり護られて、心地よく過ごすことができる場所を意味する。

家庭のような温かさを持った介護サービスとは、ぞんざいな言葉遣いで、馴れ馴れしく接する状態をいうのではない。家族がごく普通に家族に人間愛を抱いているように、他人である介護従事者が、愛情を持って温かく利用者に接することをいうのである。

しかしその愛情の寄せ方も、介護のプロとしての姿勢を基盤にするものでなければならない。利用者を可愛いと思うのが、愛情を寄せるという意味ではない。(参照:人間尊重の価値前提を学ぶことができる介護事業にしよう。

家族という遠慮のない関係だからこそ通用する、「タメ口」は、介護のプロとして利用者に温かく接する方法としては不適切極まりない言葉遣いでしかない。なぜなら私たちは、介護サービス利用者の家族にはなれないからだ。

利用者と介護従事者の関係性が、家族の関係性と同じになることはあり得ないのである。

だからこそ介護従事者は、家族とは一段違った立ち位置から利用者に接する態度が求められているのである。

その時に必要とされるのは、誰からも不快に思われない礼儀ある態度である。そうした礼儀のある態度で接してなおかつ、その態度がよそよそしいと思われるとしたら、それは礼儀ある態度を使いこなしておらず、ぎこちなさを前面に出してしまっているという意味でしかなく、それは介護のプロに徹して、正しいコミュニケーションが取れないという意味である。

それは介護従事者に最も必要とされるコミュニケーションスキルの欠落という重大な問題で、そういう人は介護の仕事に向かないので、さっさと別な職業を探した方がよいのだ。

TPOに合わせた態度や言葉遣いを取ることができるとうそぶく輩も信用ならない。それは利用者の置かれた状況やその気持ちを常に正しく察することができるという意味になるが、人間にそのような能力はない。相手の心を読めない限り、それは神業の領域だ。

そんなありもしない能力を求めるよりも、プロ意識をしっかりと持って、温かく接するためのマナー意識を持つことの方がよほど簡単である。利用者に対し礼儀を持って接してなおかつ、よそよそしさを感じさせないプロ技術を得ることに務める方が、より現実的方法なのである。

このことを理解できない輩に、介護の仕事の使命や真髄なんて、一生見つけられるわけがないのである。
大切な人を護る介護
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よそよそしさより馴れ馴れしさを恐れる人になってください


まず最初に読者の皆さんにお詫びとお知らせです。

昨日の記事「9月30日までの上乗せ請求方法が明示されました」で、本年9月までの感染対策費等の報酬上乗せ分について、介護報酬の算定構造のイメージの基本部分に並立されている加算について乗算対象であると解説しましたが、それはどうやら間違った考え方のようです。訂正してアップしていますので、ご確認ください。

さて本日の本題に移ります。

介護従事者が利用者に対して丁寧語を使って会話すると、「よそよそしい」と感じられるという人がいます。

しかしそれは間違っています。正しい丁寧語を使いこなせば誠意とまごころは伝わり、よそよそしさは排除できるのです。日本語のボキャブラリー(語彙)は世界一豊富なのですから、丁寧な言葉でも親しみやすさが伝わる言葉は数多く存在するのです。

現に僕は30年以上、お客様である利用者に丁寧語以外で会話したことはありません。だからと言って僕が利用者から親しまれていないという事実はありません。丁寧語でも冗談を言い合うことは出来ますし、くだけた話題を丁寧な言葉で話すこともできるのです。それが対人援助のコミュニケーションスキルではないでしょうか。

だからこそ対人援助に携わる人であれば、どうぞ高いコミュニケーションスキルを得るように努力してください。

熊本県のある特養では、職員の方々が利用者の方々と目線を合わせて、「よかですか?」と話しかけていました。方言にも丁寧語があって、意識が高い施設の職員はごく自然に方言でも丁寧語を使っているのだということがわかりました。僕の目にはそれはとても素敵な光景に映りました。対人援助のプロとしての凛とした姿勢に思えました。

対人援助という仕事に従事する人に是非理解してほしいことがあります。それは、よそよそしさを恐れるより、タメ口の馴れ馴れしさを恐れる人になってほしいということです。

よそよそしく思われたり、堅苦しく思われたりしないつもりで使う、「タメ口」によって、心が傷つけられている人が数多くいるのです。

介護を受けるということは、誰かに自分の身を委ねないと生きていくのに不便が生ずるという意味なのです。そういう人たちにとって介護をしてくれる人は、ある意味命綱なのです。その命綱が切れないよに、多少の不満があっても口にできない人が数多くいるのです。

介護を受ける身になったことに引け目を感じている人も居ます。他者に訴えることができない劣等感を持った人は、他者の感じの悪い対応に心を痛めても、そのことをおいそれと口にはできないのです。そういう人たちは鬱屈した感情を内部にため込んで、哀しみ、苦しみ、いつか壊れてしまうかもしれません。

自分より年齢が若い人が、自分にタメ口で話しかけるのは失礼だと感ずる高齢者はまだたくさん居られます。そういう人たちが黙して鬱屈を内部にため込まなくてよい介護を目指すべきではないでしょうか。

誰に対しても使うことができる丁寧な言葉で、私たちの真心を伝えましょう。介護支援を必要とする人足りに対して、私たちが美しい日本語を使いこなして、快い気持ちになってもらいましょう。

私たちは素人が介護に携わっているのではなく、介護の職業で生活の糧を得ているプロだということを忘れないでほしいと思います。家族と同じように利用者を愛おしく思ったとしても、家族と同じ存在ではないのです。家族という間柄だからこそ家族同士では使って許される言葉遣いがあるのです。それを真似する必要はないし、真似してはならないのです。対人援助のプロとしての正しい態度や言葉遣いに終始できるスキルこそ求められているのです。

そのことを理解できない人、そうした対応に終始できない人は、対人援助の職業には向いていないと思います。

そういう人は、どうぞ誰かを知らぬ間に傷つけてしまわないうちに、他の職業をお探しになった方が良いと思います。・・・そんな人が介護業界から一日も早く退場することが、世のため人のためになると思います。
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丁寧語は使い分ける必要がない


仕事柄、全国各地を飛び回って講演を行なっているので、そこで初対面の人に相対する機会も多い。

そうした初対面の方々に、好印象を持っていただくようにするためには、挨拶や笑顔や言葉遣いは大切にしなければならないものだと思っている。

講演を主催してくださる方は、僕にとって雇用主にも等しい方々なので、少しでも失礼があってはならない。また講演を聴きに来てくださる方がいるからこそ講師業は成り立つので、受講者の皆様もお客様そのものであろうと思う。だから少しでも嫌な思いをさせてはならないと思う。

そのため僕は、様々な場所で出会う人たちの職業や地位や年齢に関係なく、出会った方々に話しかけたり会話を行う際には、必ず丁寧語を使っている。それはことさら意識してそうしているのではなく、僕の中で当たり前のこととして、ごく自然にそうなっているわけである。

ごくたまに、僕より年下の人が初対面の僕に対して、タメ口で話しかけてくることがあるが、それはその人の「人となり」なんだと思って気にしないようにしている。ことさらそのことを注意することはない。なぜならその人は僕にとって仕事上の部下でもないし、近しい人間関係があるわけでもないのだから、いうだけ無駄であると思うからだ。関係性を継続する必要のない人に、いちいち注意したり小言を言っているほど暇ではない。

だがそのような人から、「あなたもタメ口でいいよ。きっと私の方が年下だし。」と言われた場合(過去に実際にあったことだが)、その時は一言意見する。「あなたが丁寧語で話せば解決する問題ではないですか。」って。・・・きっと嫌な奴に思われただろう。

ただそうして出会った人とつながりを持ち、長く交流していくうちに、友人ともいえる関係となって打ち解け合い、親しい関係性が生まれる中で、ごく自然に言葉を崩して会話するのが自然になることもある。それは双方の関係性のなせる業だから、当然それで良いと思っている。

しかし介護事業の中で、利用者に対してタメ口で話しかけることを、「関係性ができているから」と言い訳するのは少し違うと思う。そこで培われた関係性とは、対人援助の中でサービス提供者とサービスを受ける方という関係性であり、サービス提供者がそれを職業として金銭対価を得ている以上、相手はお客様である。

そこにおける関係性とは、顧客とサービス提供者という関係性からは決して外れることができないものであり、家族や友人関係とは根本的に異なるのだから、タメ口を使う理由を関係性に求めること自体が間違っているのである。

お客様に対しては、丁寧語で接するのが当たり前である。保健・医療・福祉サービス以外の職業では、そのことは教育するまでもない常識であり、顧客にタメ口を使った瞬間に、職場に居れなくなることの方が常識なのだ。

しかし介護業界には、このごく当たり前のことを理解できない知能レベルが低い従業員が数多く存在している。介護人材不足は、低能で接客意識を持てない人罪(じんざい)をはびこらせているのだ。

そうした輩は、利用の家族に対しては丁寧語で接しているにもかかわらず、同じその口で、介護サービス利用者にタメ口で接したりする。中には認知症の人にだけタメ口で接する人間もいたりする。そのことを指摘すると、相手の置かれた状況や気持ちに沿って、「言葉を使い分けている」と屁理屈をこねる輩も多い。

しかし利用者の置かれた状況を常に正しく把握できるという神業の持ち主はいるのだろうか?言葉を人によって変えている人は、相手の気持ちが常にわかる神のような能力を持っているとでもいうのだろうか?

残念なが僕はそのような神業を持つことは出来ないし、僕が総合施設長を務めていた特養の部下たちも、そのような能力を持つことができるとは信じることは出来なかった。だからこそサービスマナー意識を持ち、常にお客様に失礼のない態度で接し、丁寧語を日常的に使いこなすことができるように教育を行ってきた。

そもそも態度や言葉遣いを無理に使い分けると、「差別している」という誤解を与えかねない。そんなリスクを持った職員を、介護サービスという第3者の最もプライベートな空間に踏み込む場所に置いておいてよいわけがない。それは人を傷つけ、人を悲しませる最大の要因になるからだ。

そもそもマナーがある丁寧な態度や言葉は、人によって使い分ける必要がないのである。

人の感情は様々であるがゆえに、自分考え及ばない考え方や心の在り方があるのだ。そうした人間そのものに寄り添う職業では、使い分けなくとも、人に不快を与えない一定の態度を身に着け、その態度を守りぬくことこそ、人を護ることにつながるのである。

そもことを理解できない人は、介護という職業を続けてはならない。
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人間尊重の価値前提を学ぶことができる介護事業にしよう。


僕がFBでつながっている、神奈川の社会福祉法人の施設長・Kさんが、12/26に書いた、「大人を小馬鹿にするかのような格好をさせて何が楽しいのだろう?」という記事を読んでくださって、その記事をご自分のFBにシェアしてくださっている。

シェアした際に、生地紹介文を書いてくださっているが、そこにはK施設長が過去に経験したエピソードが次のように紹介されている。(※K施設長に承諾を得てうえで転載しています。)
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もう20年以上も前ですが、認知症で幼児返りし、いつもニコニコしているだけの小柄な入所者さんに介護職員は皆メロメロでした。
未熟な私は面会にみえたご家族に、良かれと思い「〇〇さんかわいい、と一番人気なんですよ」なんて伝えてしまいました。ご家族も喜ぶと思ったんですね。
でも喜ぶどころか、寂しく悲しそうに仰いました。「…こうじゃなかったんですけどね。厳しい人でした」
このやり取りは、私に刻み込まれました。一生忘れられない失敗談。でも、このおかげで気付きと学びを得たのでした。」
(※K施設長のFBより転載)
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利用者を可愛いと感じる人に悪気があるわけではないのだろうが、私たちは社会福祉という領域の中で、対人援助に関わっていることを忘れないでほしい。

私たちが決してなくしてはならない価値前提とは、「人間尊重」の価値前提なのである。「人間尊重」とは、人は「何を持っている」とか「何ができる」ということにかかわらず、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観であり、私たちが対人援助の場で関わる利用者が決して尊厳を失わないように関わることが求められるのである。

その関わりは極めて積極的な姿勢としてとられるべきで、人の尊厳を奪うような要素を少しでも残しておかなうようなソーシャルアクションが求められるのだ。そうであるがゆえに人生の先輩を人として尊敬する以前に、子供のように可愛がる態度を放置してはならないのである。

勿論、語感は時代とともに変わるものであるし、言葉狩りを行っても人の権利を奪いこそすれ、護ることにはならないことも十分承知している。それでもなおかつ、介護事業者に所属する職員が、仕事として関わる人生の大先輩に対して、可愛いと感じたり、可愛いねと声を掛けたりすることの弊害を思わずにはいられない。そうした意識の低下こそ、介護サービスにおける割れ窓になりかねないのだ。

何度も云う・・・。可愛いという言葉を人に対して用いる場合、従来は子供や年少者、若い女性などについて用いていたが、近年ではそれが「かわいいお爺ちゃん」のように対象の広がりがみられることは理解している。しかし可愛いという言葉が、時代の流れの中で、世間における使い方が変わってきたと言っても、対人援助のプロが、利用者に向かってその言葉を使うのは間違っていると思うのである。その語感は、自分より立場の弱いもの・施しの対象者に向けるものになって、その意識によって一人の人間としての尊厳を奪うような言動に結び付く恐れが排除できないからだ。

対人援助者は、利用者を愛(いつく)しみ、大切に思うことが大事である。

介護支援を受けなければならない人であっても、人間として私たちとその存在価値や尊厳は変わらないことを前提にして、私たちは利用者の方々に関わる必要があるのだ。

私たちは小さいもの・弱いものを手助けするのではなく、不便がある人の不便を解消するお手伝いをする仕事をしているのだ。それは困っている人に手を差し伸べるという人としてごく当たり前の行いにしか過ぎないが、そこに専門知識と専門技術を添えて、より効果的に、より適切に課題解決に結び付けるのが、私たちの仕事なのである。

そうした介護のプロとして接しようとする人が、自分より年上の高齢者の方々に向かって、「可愛い」という言葉を掛けることも、「可愛い」という感情を抱くことさえも不適切であると思う。

人は必ず心の中に弱さを持っており、時として周りの環境の影響を受けて惰性に流されやすい。だからこそ対人援助に関わる者は、自分を律して人権意識を奪う要素をできるだけ排除することを意識しなければならない。そうした姿勢でしか護られないものがあることを理解しなければならない。

管理職という立場の人たちには特にそのことを意識して、介護の場で利用者を可愛いと言いながら仕事をしている人たちに、それがいかに恥ずべき態度であるかということを伝えてほしい。そうした職場を変えていってほしい。そのために自分が先頭に立つ心構えが必要だ。

本当に何かを変えたかったり、自分の考えが真実だと主張したい人は、姿を現して最前線に立つはずだ。それができずに姿を隠して、自分の主張だけを垂れ流す輩は単なる詐欺師で、誰の尊敬も勝ち取れないことも同時に理解してほしいと思う。
高齢者をかわいがるという感覚麻痺
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介護事業所の虐待最多という報道を受けて


今朝12/23付の北海道新聞朝刊には、「介護事業所の高齢者虐待最多」という見出しで、次のような報道記事が掲載されている。
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厚生労働省は22日、介護事業所の職員による高齢者への虐待が2019年度に前年度比3.7%増の644件となり、過去最多を更新したと発表した。厚労省は虐待防止への意識が高まり、通報が増えたことなどが背景にあるとみている。自治体への通報件数も3.7%増の2.267件。亡くなったのは4人だった。

虐待の理由は複数回答で、虐待との認識が乏しかったことや、職員のストレスや感情コントロールの問題などがあった。一つの事業所で複数の高齢者が虐待を受けているケースもあり、不特定多数に暴言を吐くなど被害者を特定できなかった件数を除くと虐待を受けた人は計1.060人。このうち認知症の人が約8割を占めたほか、症状が重い要介護3以上の高齢者が75.8%に上った。

虐待の種類(複数回答)は暴力や拘束といった身体的虐待が60.1%。暴言などの心理的虐待が29.2%、放置などの介護放棄が20.2%。(以下略12/23北海道新聞朝刊より転載
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この記事では虐待の理由を、「職員のストレスや感情コントロールの問題などがあった」と報道しているが、こんな理由の括りはやめてほしい。それは両方とも対人援助のスキルのない人であったという意味でしかない。

そもそもストレスで虐待してしまうという理由を認めてしまえば、「介護の仕事でストレスが生じた場合は、利用者を虐待することも仕方ない。」という意味にも捉えられかねない。そんなことがあってよわけがないのだ。

さらに言えば、介護事業における従業員の虐待理由を、「仕事のストレス」と括ってしまえば、介護の仕事が介護以外の仕事に比べてストレスが生じやすい仕事であるという誤解も生じてしまう。決してそんなことはない。他の職業は、毎日数字で結果を求められたり、利用者から直接苦情を投げかけられたり、介護の仕事とは異なる種類のストレスがたくさんあって、どの職業が一番ストレスが高いかという比較は困難である。

現に仕事のストレスでうつ病になり、精神科に通院や入院をしている人で、介護の職業に就いている人の割合が、他の職業の人より高い確率であるという言う事実はない。

仕事には多かれ少なかれストレスは存在するもので、良いストレス(ユーストレス)だって存在する。(参照:メンタルヘルス不調とストレスについて考える

良くないストレス(ディストレス)であったとしても、それを直接利用者への暴言や暴力に結び付けるということは、対人援助者としての資質に著しく欠けているということに他ならないのだ。

確かに介護の仕事は人に向かい合う感情労働だから、利用者の感情に巻き込まれてしまうリスクの高い仕事でもある。だからこそ感情のコントロールを行う教育訓練が必要で、特にアンガーマネジメントの基盤となる、「自己覚知」の教育は欠かせないのであるが、それはきちんと行われているのだろうか。そのことをもっと問題にすべきだ。(参照:価値観が変化する自分を覚知するために

新聞記事では、「虐待との認識が乏しかったこと」も理由に挙げられている。僕がこのブログで再三取り上げている、「感覚麻痺」がその一番の原因だろう。(参照:知らぬ間に・悪気なく、介護の場にはびこる感覚麻痺による虐待

「不特定多数に暴言を吐く」行為も取り挙げられているが、その多くは職員が顧客である介護サービス利用者に、「タメ口」を使うなどの不適切な態度を許してしまうという、「割れ窓」を放置していることに他ならない。

例えば上司に部下が、「タメ口」で話しかけることは失礼な態度であると感じる人が多い。場合によっては、「その口の利き方はなんだ!!」と怒る上司もいる。それなのに介護サービスの場で、従業員が顧客に対し、馴れ馴れしい失礼なタメ口で対応することをなぜ許しておくのだろうか。

しかしタメ口で接することが親しみを持ってもらい、家庭的雰囲気につながると主張している人も、心のどこかでは、それは顧客対応としてはふさわしくないと感じたりしている。それが証拠に、認知症の人にタメ口で接している人が、相手が認知症ではなく、物事をはっきり主張できる人であれば、自然と丁寧語で接する態度に替わるという、「人を見て言葉を使い分ける」という態度になっている場合も多い。

その結果が今朝の報道の、「虐待を受けた人の8割が認知症の人」という結果につながっているのではないだろうか・・・。

どちらにしてもサービスマナー教育をおざなりにしていると、いつかそれが大きな虐待問題につながり、社会全体から糾弾を受けるだけではなく、事業廃止の危機に直面することを経営者や管理職は改めて心するべきである。

今のうちに、利用者に対するくだけた態度は、顧客に対して失礼な態度であるという理解を促し、サービスマナーに徹した介護事業者に変化できるように、教育訓練をしっかり行わねばならない。

そうしないと団塊の世代の人から選ばれる介護事業者にはならないのである。
介護事業におけるサービスマナー研修
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悪しき伝統は強権で介入しないとなくならない


職場にはそれぞれ、代々受け継がれていく有形無形の伝統がある。

しかしそれがすべて価値ある伝統とは限らず、なくしていかねばならない悪しき伝統も多い。介護事業者の伝統も同じである。

措置時代のルールを受け継ぎ、何十年も前から変わらない介護施設の運営基準に胡坐をかいて、そこで死ぬまで暮らさねばならないかもしれない人の入浴支援を、週2回しておれば豊かな暮らしだと勘違いした考え方を是正させようとしない伝統もある。

しかしそう考えている人自身は、毎日朝と晩にシャワーを浴びたり、少なくとも毎日入浴している人が多い。自分の暮らしと、自分が支援している人の暮らしぶりに、大きな差があることに何も疑問を感じることなく、職場でその是非を議論さえしないことも、「悪しき伝統」と言ってよいだろう。

そうした悪しき伝統の中でも、一番厄介なのが、利用者を子ども扱いするかのような職員対応の伝統である。

タメ口は目上の者が目下のものに対して使う、「失礼な言葉遣い」であることを理解せず、馴れ馴れしい言葉遣いや態度で利用者に接することが、「家庭的な対応」・「関係性が構築できる」とわけのわからない理屈を正当化する伝統を持つ場所には、必ずそうした対応に泣かされている利用者が存在している。

家族ではない他人が、介護支援の場で利用者に関わるときに必要な態度とは、家族と同じ遠慮ない態度ではなく、介護のプロとしての態度なのだ。信頼のおける介護知識と技術に基づいた接遇ができることが一番求められる態度なのである。

関係性というが、私たちが利用者と結ぶ関係性は、家族関係ではなく、従業員と顧客あるいは、サービス提供者と顧客という関係でしかない。そこでは顧客に対して失礼のない態度、お客様が喜んで受け入れいてくれる、「感じの良い態度」が求められるのであって、無礼で馴れ馴れしいタメ口や、過度なボディタッチが求められているわけではないのだ。

利用者に上から目線で接したり、過度に馴れ馴れしい態度で接するなどの悪しき伝統にメスを入れて、新しい風を吹き込むことは容易ではない。悪しき伝統であっても、それが受け継がれている場所では、それが普通になってしまって、悪しき事であるとは気が付かなくなっているからである。

しかも人間は保守的な生き物なので、現状を変えようとするときには、必ずそれを変えたくないという保守勢力の強い抵抗が生まれる。これを打破し変えるのは容易ではなく、経営者や管理職の強い覚悟と介入が不可欠だ。

一定の期間を示して、態度を改めない人は役職から降ろしたり、昇給をストップしたりする等、職場のルールに従わない人にはペナルティを与えねばならない。性善説で旗を振ればなんとかなるだろうという考え方が一番だめだ。

保守的で態度を改めない人は放っておいて、新人をきちんと教育して職場の伝統を変えようとしても、それは無理難題というものだ。経験年数が長い先輩職員に巻き込まれずに、新人が力強く改革の旗手になることはほぼ奇跡に近い。そうした奇跡を起こそうとする人は、様々な形のいじめや嫌がらせに合って、つぶれていくのが落ちである。

だからこそ先輩が新人の手本になるように、強権で経営者や管理職が現状に介入し、今いる職員の意識や態度を変えていく必要があり、変えられない人は排除していく必要もあるのだ。そうしないことには理想とする職場などできるわけがない。

悪しき伝統に強権で介入できない経営者や管理職が抱く理想は幻想でしかない。目ざるゴールにたどり着くために、覚悟を持って強権介入も辞さないとする人の理想だけが、実現可能な理念になっていくのである。

経営者や管理職の権限とは、そうした方向に振るわれなければならず、職員を恫喝するだけの経営者や管理職は、器がないというべきである。

それは経営者や管理職として恥ずかしいだけではなく、人として恥ずべき姿でもある。
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サービスマナーは経営者のために身に着けるのではない


今日11月11日は、「介護の日」とされている。そのためという訳でもないが、1並びの日なので、この記事も11月11日・11時11分の1並びを目指して投稿した。

ところで今日は19時からYouTubeで、内田洋行主催UCHIDAビジネスIT オンラインセミナーの4回シリーズの最終回が配信される。下記は35秒間の配信動画(シリーズ2回目)なので参照いただきたい。

最終回のテーマは、「職場環境の大切さと顧客確保のための現場マナー」である。このシリーズは、介護事業経営の面から、人材確保と定着に焦点を当てたセミナーになっているが、求められる人材の定着という観点からも、サービスマナーに徹して仕事に従事する職場環境は大事である。

特に利用者に適切なサービスを結び付けて、少しでも良い暮らしに結ぶ付けたいと考えている優れた人材にとっては、マナーに欠ける他の職員の態度はストレスでしかない。そうした人たちが、他の従業員の利用者に対する、「あんまりの行為」にストレスを感じてバーンアウトする職場は、永遠に人材が集まらないということになる。

もういう意味で、今日のテーマで語ることは、行儀作法としてのマナーではなく、人材確保を含めた介護事業経営戦略としてのサービスマナーについてである。

Zoomに習熟していない方も、YouTubeなら問題なく視聴できるという人も多いだろう。どなたでも無料視聴できるオンラインセミナーであるし、今日時点での申し込みも可能なので、19時から50分ほど時間がとれる方は、是非申し込みの上視聴いただきたい。

さて、介護サービスにおける、「サービスマナー」の必要性を理解できない人たちは、今もどこかで、知らぬ間に誰かの心を殺し続けている。

介護事業者は人材不足が叫ばれる中で、多業種からの転職者などが募集に応募してきた場合、人材をきちんと見極めることなく、安易に採用してしまうところも多い。「とりあえず採用してみて、適性を見極めようか」などとして採用する人の中には、教育でスキルが挙がらない能力が低い人や、もともと他人のプライバシーに深く介入し、支援を行うという仕事に適性がない人も含まれている。

介護福祉士養成校の卒業生の中にも、知性に欠けるスキルの低い人が混じっているのも事実だ。そのような中で、適性判断をきちんと行わないで闇雲に採用してしまう介護事業者の中には、サービスマナーの必要性を理解できない知性・知能レベルが低い人が混じっているのだから、困ったものだ。

そんな人の中には、「利用者の家族の位置まで降りて、利用者に気安い言葉を書けた方が良い」などと言い、「タメ口」で接客する異様な姿を直せない人員でしかない人も多い。そういう人には一日も早く、他の仕事を探してもらう方が良いと思っている。

そもそも高齢者にタメ口で接して、それが家庭的な対応で、フレンドリーな関係を構築すると勘違いしている連中は、わずかな知識で人生を割り切ろうとする連中でしかない。

三尺の棒で何丈もある海に深さは測り切れないのである。自分の拙い知識で海を知ろうとして、とち狂っているだけの人によって、介護サービスの場で高齢者の心は殺され続けている。そのように汚い言葉と乱暴な態度で高齢者に接して何とも思わない連中は、熱いトタンの上のアイスクリームのごときだ。

そうした連中は、職場内で徒党を組みたがる。義務や責任から逃げ出し、誇りと知識のない仲間だけが寄り集まって群がり、一つの世界をつくって、自分たちの拙い知識や、低い知性で創り出した方法論から脱しようとしないわけである。

介護事業経営者や管理職は、こうした状態を、数合わせのためだけに放置してはならないのである。

しかし介護サービスを利用する中心が団塊の世代になってきていることを忘れてはならない。

その世代の人たちとは、あらゆる場面でそのニーズに最大限の配慮をされてきた世代なのである。なぜなら団塊の世代に売れる商品を開発すれば、ほかの世代に売れなくとも儲けることができたからだ。

つまり団塊の世代とは、顧客として誰より手厚く遇されてきた世代でもあり、介護サービスを利用するに際しても、自分を遇する人を選ぶ傾向が強い。ホスピタリティの高い介護事業者を、団塊の世代の人たちは積極的に選んで利用するのである。

そんな中、介護市場は100兆円を超える巨大マーケットになっていくのだから、異業種の営利企業がこれからも参入してくる。顧客の奪い合いが今より激化するのかで、顧客を確保しなければ生き残っていけないのである。

そうであるからこそ、団塊の世代の人々に選ばれるための介護事業戦略として、従業員にサービスマナーを徹底して、ホスピタリティを高めていく必要があるのだ。

さすればサービスマナーに徹して仕事ができる人や、サービスマナーを他の職員に教育できる人は、それだけで価値があるということになる。当然そういう人は、他の従業員よりも良い待遇を与えてでも確保したい、「人財」と言えるわけである。

既にそういう人を好条件で採用する企業も現れている。つまりサービスマナーを身に着けることは、経営者や管理職のためではなく、自分が働いている介護事業者のためだけとも言えないわけである。

それは自分自身が豊かになるために身に着けるものだ。しかし豊かになるとは、より高い金銭の対価を得られるという意味にとどまらない。

サービスマナーを身に着け、ホスピタリティの高い対応を身に着けた先には、利用者の心からの笑顔に出会うことができ、自分がかかわった人たちが、より豊かな暮らしぶりとなるという結果に出会うことができるのだ。その姿に触れて、自分自身の心が豊かになるのである。

自分自身のために、自らの自己実現のために、介護サービスの場におけるサービスマナーを身に着けてほしいと思うのである。
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ネット上の犯人糾弾という『娯楽』の被害者にならないために


世の中で起きるあらゆる事象がスマホによって動画撮影され、ネット上で「さらしもの」となる危険性があるのが現代社会である。

あらさがしの結果でしかないような誰かの行為がネットにさらされて、ネット住人達にそれが一たび不適切と烙印づけされれば、たちまち糾弾対象となり犯人探しが始まる。

そこではプライバシーも個人情報も、何もかもが無視され、糾弾される者の姿かたちが無遠慮にネット上にさらされ、個人名が特定されていく。それに対して匿名の無数の糾弾者が、批評家気取りで様々な批判を繰り返す。

普段は市井(しせい)の人でしかなく、評論とは無縁の一般人が、ネットの中では正義の斧を振り飾す批評家に変わり、悪を滅ぼすのは自分の言葉であり、自分が書く文章こそが正義・正論であるかの如く、自分が逢ったこともない誰かに罵詈雑言を浴びせ続ける。

そうしたエセ批評家・ニセ評論家連中は、自分は決して傷つくことがない場所で、姿と名前を隠しながら、ネット上にさらされた見ず知らずの誰かを、悪の権化と決めつけて、さらし者にして罰を与え続ける。

しかしそうした行為は、世の中を良くしようとして行われている行為ではない。世を正しく導くために、正論を繰り返すのではなく、ネット住人たちの、『娯楽』として、ターゲットとなった見知らぬ誰かを、みんなで狙い撃ちにしていたぶり愉しんでいるだけである。それは低俗な虐めでしかない。

しかし事が低俗で悪質なだけに、そうした行為で心を殺される人がいる。

ネット上にさらされた自分の行為を、悪意を持って行っていなかった人は、その行為が批判されて初めて重大な間違いを犯したのだと気が付き、それを反省したとしても、後悔も反省も顧みられず、娯楽を楽しもエセ批評家自身が、飽きるまで糾弾されるづけることになるのだ。

介護サービスの場で、マナーに欠けた対応を直せない人たちは、こうしたネット上の娯楽のターゲットになる危険性が高いことを自覚してほしい。

僕のサービスマネー講演でいつも話すことではあるが、タメ口はしばしば荒い言葉遣いと見まごう場面をつくり出すのである。

医療や介護以外の他の職業では、顧客に対してタメ口で接することはあり得ない。そうであるからこそ介護サービス従事者が、顧客である利用者に対して言葉遣いに配慮のない会話を繰り返している姿は、第3者から見れば異様に映ることも多く、若い職員が高齢者を罵倒していると感じさせる場合もある。

現在はコロナ禍で、介護施設や居宅サービス事業者には、従業員と利用者しか存在しない密室状態になっているかもしれない。しかし通常の姿に戻れば、介護事業者にはサービス提供中に、顧客以外に面会の人や、外部の業者が出入りするのが普通だ。職員が利用者と接する姿を、外部の第3者が目にすることが普通になっていくはずだ。

その時に、無礼で馴れ馴れしいタメ口で利用者に接している従業員の姿を不快に感じて、その場面を切り取ってスマホに録画した動画を録画した直後に、#ひでえ口の利き方#態度最悪の介護職員などとハッシュタグをつけてSNSにアップされたとき、「あれは親しみやすい言葉として使っているだけで、関係性ができているから問題ない」という言い訳が世間に通用すると思っているのだろうか。

そんな言い訳は通用せず、その姿自体がネット住民の娯楽のための攻撃対象になってしまうのである。

介護事業においても、サービスマナーを身に着けて顧客である利用者に接するという意味は、利用者の心を護るためだけではなく、そうしたネット上の攻撃から自分自身を護るためにも必要になっているのだということを自覚してほしいと思う。

マナーのない態度で利用者の心を殺した罰が、ネット上の見知らぬ多数のエセ批評家による攻撃で傷を負う結果であるということであってはならないわけだ。そんな罰を与えても、傷つけられた利用者の心は癒されないのだから、そのことを踏まえたうえで、利用者の心も、自らの心も護るために、介護サービスに従事するすべての人が、サービスマナーの必要性に気が付いて、介護が本当の意味で、『人の役に立つ仕事』・『人の暮らしを護る仕事』となるようにすべきなのである。

罰してもとりもどすことができないものを、なくさないように護ることが介護の使命なのだから・・・。
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顧客確保競争が激化する時代の介護事業戦略


北海道は朝晩、暖房が必要な季節になった。

この時期になると紅葉の季節の先を見越して、いつ冬になってもおかしくないように、厳しい寒さを乗り切る心の準備が大切になる。

同時に僕のルーチンとしては、おせち料理を取り寄せ予約する時期でもある。ちと気は早いと思われがちだが、僕の3つ目のブログmasaの徒然草の「おせち料理はどうしてますか?」も暇なときに読んでいただきたい。

それはともかく、話は変わって今日の本題。

8日に東京商工リサーチが公表した、『2020年1-9月「老人福祉・介護事業」の倒産状況』によると、今年1月から8月の介護事業者の休廃業・解散は313件となり、前年同期(263件)から19.0%増え、この時期としての過去最多を記録している。

1月から9月までの倒産件数も94件で、前年同期(85件)を10.5%上回っている。

事業別に見れば訪問介護が46件と一番倒産件数が多いが、これは訪問介護員の成り手がないことと関連して、人手がないことを理由に倒産件数も高止まりしている状態である。しかしここにきて倒産する事業所の増加が目立つのは、「通所・短期入所」の30件(前年同期比25.0%増)である。

当然これにはコロナ禍が影響していると思えるが、コロナ禍が過ぎれば状況が大幅に改善するとは言い切れない。なぜなら倒産理由に占める、「顧客確保競争に敗れた結果」による倒産は今後も増える可能性が高いからだ。

コロナ禍でサービス利用控えが増えることで、顧客が確保できなくなった事業者は多いが、コロナが終息しサービス利用者が増える段階では、後期高齢者に近づく団塊の世代の人たちのサービス利用が大幅に増えることが予想され、2018年には介護給付費の額が20兆円まで膨らむことが予測される。

これに保険外の費用や、今後増大が予測される感染予防対策費の上乗せ分を含めると、介護市場は100兆円を超える巨大市場となる。民間営利企業がこの市場を放っておくはずはなく、現在介護業界に進出していない民間営利企業の市場参入が相次ぐだろう。

ただしその市場は、「骨太改革」の影響で、顧客単価が減る市場でもある。顧客数は増えるが、一人に給付される単価は減るのだから、今以上により多くの顧客に選ばれなければ事業は成り立たない。

そこで既存事業者は、それらの企業と顧客と人材の獲得競争を行なっていくわけである。それに勝てないと廃業に向かうしかないわけであるが、倒産が相次いでいる従業員が10人未満などの小規模事業経営者は、それらの民間営利企業と対峙して、競争に勝ち残っていく戦略やノウハウを持っているだろうか。

企業に負けずに、顧客に選ばれるサービスの差別化は出来ているだろうか。

一昨日依頼を受けて、12/8に佐賀県老施協・デイサービス委員会主催のzoom講演を行なうことになったが、そこで依頼されたテーマも、「今後の時代の変化に対応するための情報収集と検討〜コロナ禍における通所介護事業の展開〜」である。厳しい時代の生き残り策となるヒントが求められていると思うので、僕が考える具体策を示したいと思う。

上記のセミナーは会員限定であるが、誰でも参加ができるオンラインセミナーで、今後の介護事業経営を考えるうえで不可欠なセミナーが来週行われる予定になっている。

介護経営支援の実績が豊富なC-MAS(介護事業経営研究会)が主催する、「C-MAS オンラインLIVE 全国大会 Ver.2020」は、10/16(金)より配信スタートする。全国どこにいる方でも受信可能で申込受付もまだ間に合う。詳細とお申し込みは、文字リンク先からダウンロードして確認していただきたい。

僕は来週月曜日の三重県鈴鹿市講演を皮切りに、鈴鹿市〜名古屋市〜大阪市〜東京と移動し、このC-MAS全国大会での2つの座談会に参加後、北海道に戻る予定だ。

その間6講演を行なう予定だが、介護保険制度改正や報酬改定、事業経営に触れてお話しする場面も随所に求められている。

しかしお客様に選ばれる介護事業者となるために、一番必要とされるのは、介護サービスの利用者は単なるユーザーではなく、顧客であるという意識と、顧客対応としてふさわしい対応の基本姿勢を身に着けることに他ならない。

今、団塊の世代の人たちは、スマホやタブレットを使いこなし、外食するときは、ネット上の口コミ情報を検索しながら店を選び、ほしいものをネットで取り寄せる人とたちなのである。

いつまでの介護事業者の従業員が、「利用者の立場に降りていく」という意識の低い姿勢や意識であっては、選ばれるわけがないのである。家族のような態度を、従業員に対して顧客が求めているという意識レベルの低さで、顧客に選ばれ生き残りができるわけがないのである。

顧客が最終的に求めるものは、事業者の飾り付けられた環境でも、耳障りの良いキャッチコピーでもなく、従業員のホスピタリティ精神であり、それにも基づく高品質サービスであることを自覚しない介護事業者に明日はないと言えるのである。

そしてホスピタリティ精神を生み出す基盤となるものが、サービスマナー教育であり、サービスマナー精神であることに、いち早く気が付いた介護事業経営者が、介護市場に落ちてくるビッグマネーを獲得できることになるのである。

それを狙わない手はないのである。
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広島の空・長崎の空2020


今年も暑い夏がやってきた。

戦後75回目の広島原爆の日と長崎原爆の日は、コロナ禍で式典の規模などが縮小する中で行われることになった。しかし人々の平和を祈る気持ちは決して変わることはない。そしてあの戦争で失われた多くの御霊、広島と長崎の原爆投下で失われていった御霊を悼む気持ちも決して変わることはない。

ところで、今年の平和式典における首相のあいさつの文面が、両会場とも酷似しているとして、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が挙がっているそうだ。しかし一国の首相とはいえ、たかが政治家の挨拶の言葉に目くじらを立てたってどうしようもない。そのような挨拶しかできない人を可哀そうだなと思えばよいだけである。

ただし世界で唯一の被爆国である国のトップが、自らの言葉で平和の祈りと誓いを語らないのは、残念であるというより、勿体ないことであると思う。自分の思いを伝えようとしない言葉は、何の意味もなさないからだ。

そういえばこの国は、国連で決議されている核兵器禁止条約に署名・批准を拒否している国である。その国のトップが、平和式典で何を言おうと、天国でその言葉を聞く御霊には何も響かないだろう。そんな言葉は単なるセレモニーでの空しい騒音でしかないのだから、そんなものに腹を立てたり、憤ったりすること自体が無駄なことである。

心を静かにして天に召された御霊を悼み、平和を祈り続けることが何よりも大事ではないかと思う。

平和式典が75回目ということは、あの戦争が終わってから75回目の夏が来ているという意味だ。すぐ近くに敗戦の日である8月15日も迫っている。戦争の生きた語り部はどんどん減っているが、まだこの国にはあの戦争を体験した多くの方々が残っている。それらの方々の戦争体験が、生の声として後世に伝えられていく期間もそう長くは残されていない。そうであるからこそそうした機会を貴重に思わねばならない。

同時に高齢者介護・対人援助に携わっている私たちは、あの戦争を経験して、たくさんの愛する誰かを失った哀しい人々の最晩年期に関わっているのだということを強く自覚しなければならないと思う。

戦争で心に深い傷を負った人々を、私たち自身の心無い言葉や態度で傷つけることがないように最大限の配慮をしなければならない。それが介護サービスの割れ窓理論の意味でもある。

対人援助・介護サービスに携わる私たちが、誰かのあかい花になろうとすることは、この国に生まれ育ったすべての人々が、平安の暮らしを送るために必要な最強アイテムでもある。

この国の平和と、人々の心の平安を祈りながら、「LOVE〜明日につなぐ言葉・長崎編」を御覧になっていただきたい。そして私たち一人ひとりが、介護サービスの場で何ができるのかを、改めて考えていただきたい。

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全身まひの人がツイートした看護・介護職への本音


介護サービスに従事する人の中には、利用者の家族に対しては丁寧語で接しているのに、利用者に対してはタメ口でしか会話できない人がいる。

認知症でない人には丁寧語を使っているのに、認知症の人に対応するときのみタメ口を使う人もいたりする。

そういう人たちは無意識に相手を見て言葉遣いを変えているという意味になる。それは人を差別していることにほかならず、対人援助職としては最も恥ずべき行為であると言える。

そうした無意識の差別意識を持つ人たちは、相手の状態が変化すると、途端に態度を変えてしまうかもしれない。それは人として許される態度とは言えないが、そうした態度に心を殺されてしまう人が数多く存在するというのが、この国の現実でもある。そうした国が先進国と言えるのだろうか・・・。

先日書いた、「ALSの女性に対する嘱託殺人容疑で医師逮捕の報を受けて」という記事の中で、被害女性について紹介しているが、彼女がツイッターに書いていた内容が続報として報道されている。

リンクを貼った記事に書いているように、被害女性となった林さん(51歳)は、ALSを発症する前はバリバリのキャリアウーマンとして活躍されていた方である。そんな彼女がツイッターでの投稿を開始したのは、病気が発症して思うように体が動かなくなってからである。

そこには、「ツイートも視線入力のパソコンを使ってるのですごく時間がかかる。もっと言いたいこといっぱいあるのに」(2018年5月3日)という嘆きの言葉も記されている。

そして大人の重度障害者が子どものように扱われているというツイートに対して、「看護婦さんにも多いんだよね。幼児に話しかけてるの?と思う」と反応し、「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」・「介助者や医療従事者が、障害者や高齢者や患者に対して、上から目線のパターナリズムを発揮するのは暴力」(2018年5月31日)というメッセージを発している。

云うまでもなくパターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。林さんは自分の身に置き換えて、そのことに強く憤りを感じていたわけである。

自分の担当ケアマネジャーに対する憤りもツイートしている。

林さんは訪問看護を利用していたが、担当の訪問看護師が、独居で介護を受けていた林さんの慰めになるのではないかと、猫を飼うことを提案したことがあったそうである。そのため訪問看護師の元に温和な保護猫の子猫を引き取り、トイレなど最低限のしつけをした後、林さんと同居を開始する段取りをとって、その実現を図ることを看護師が提案し、林さんもそのことを望んだそうだ。

ところがこの計画に、猫アレルギーのケアマネジャーが「ヘルパーの中にもネコアレルギーがいたらどうする」とか「毛が残る」とかいう理由で「ケチをつけた」ために、その提案は実現しなかったそうである。

そのことについて林さんはツイッターに、「なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだ!とみじめになり無性に腹が立って気付くと号泣してた」と記している。

担当ケアマネジャーは、今このツイッターを改めて読んで、どう考えるのだろうか・・・。そもそも本人が希望し、周囲に協力者がいるのに、ケアマネという立場でしかないものが、その希望をつぶすような働きかけをすることが許されるのだろうか・・・。ケアマネジャーという立場を誤解しているのではないかと問いたい。

林さんは担当の訪問介護員に関する思いも次のようにツイートしている。「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める 施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから 惨めだ。

介護を行うことを職業にしている人間が、その仕事で生活の糧を得ているにもかかわらず、顧客であるサービス利用者に対してなんという暴言を吐いていたのだろうと唖然とする。自分の体の不調の不満を、全身まひで動けない人に対しぶつけ、あたかも林さんの存在自体が問題であるとするかのような発言は、人として決して許されない発言であると言ってよい。

このような周囲の差別的な態度に、林さんの心は日増しに傷ついていったのではないだろうか。キャリアウーマンとして活躍していた頃には決して受けたことがない失礼で配慮のない対応を受け続けることによって、林さんの気持ちは、「死」に向かってまっしぐらに向かっていったのではないだろうか。一刻も早くそこに至りたいという思いにつながっていった結果が、「安楽死へのあこがれ」・「自分の殺人を嘱託する」という行為につながったことは想像に難くない。。

死ぬ希望が実現する社会より、生きる希望に胸を膨らますことができる社会の実現が大事だと言うが、自分より力の弱いもの、立場の弱いものに、上から目線での、「施し」のような介護の実態が存在し続ける限り、そんな社会は実現不可能だろう。

そして介護サービスのサービスマナー式が欠如し、タメ口が親しみのある態度だと勘違いする人が存在する限り、この差別と偏見は消滅することはないだろう。

まったく保健・医療・福祉・介護業界の民度の低さにはあきれるばかりである。
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介護の恥


介護福祉士という国家資格を持っていながら、介護を子育ての延長のようにしか考えられない人が数多く存在している。そういう人たちによって介護という職業が貶められている。

家庭的で温かいという言葉の意味が、ぞんざいな言葉遣いや、礼儀を気にしない態度で接することだと勘違いしている人たちによって、介護の職業は素人にでも誰でもできる職業だと世間に印象付けられている。それは家族であるからこそ許されることでしかなく、家族そのものになることは出来ない私たちは、利用者と遠慮ない関係性を築くことは出来ないし、それは許されないことでもある。

礼儀に欠ける馴れ馴れしい無礼な態度が、親しみやすさだと勘違いして、言葉遣いや態度を改めようとしない人たちによって、介護の仕事にプロ意識なんか必要ないのだと思われている。恥ずべきことだ。

そのために地域から評判の高い、家庭的で温かい施設とは、職員が利用者の頬にチューしてくれるような施設だと勘違いされている。そのことは、「クラスター感染発生施設の実像に触れて思うこと」で指摘したことでもある。

その記事の中で紹介した番組は、NHK札幌放送局 の「北海道スペシャル・検証新型コロナ 茨戸アカシアハイツ〜“介護崩壊”は防げなかったのか〜」である。

クラスター感染が発生した施設が、「家庭的で温かい」とナレーションが流れた後の映像が下記である。
家庭のように温かい施設の実態
インタビューに答えている人のように自分の親が、「頬にチュー」されることを肯定的に捉える人ばかりではない。むしろそんな人は少数派だ。そもそも大の大人が、自分よりも人生の先輩に対して頬にチューして可愛がることが、家庭的とか温かいという意味なのかどうかを考えてほしい。

従業員が対応している人とは、お金を払ってサービスを利用しているお客様である。しかも人生の先輩でもある。そのような人たちを、「可愛がる」ことが求められていることなのかを考えてほしい。そんな施設に親を入れたいのだろうか。そんな施設を将来自分が利用したいのだろうか。

日本人の生活習慣に存在しない日常の中での、「頬にチュー」・・・。それをどれだけの人が望んでいるというのだろうか。認知症で子供帰りしている人でも、きちんと礼儀正しく接することを繰り返していけば、行動は落ち着いて混乱が減っていくことを、頬にチューして仕事をしている人は、どう考えているのだろうか。

くどいようだが繰り返す。家族を介護しているわけではないのだ。仕事として介護を行い、生活の糧を得ているのである。そうした行為の中で、顧客を可愛がることが求められていることか?頬にチューするなんてことが許されることなのだろうか?

介護以外の職業なら、その答えは簡単に出すことができる。仕事で接するお客様の頬にチューしたり、ぞんざいなタメ口で接することなど決して許されないと・・・。それが許されている介護の職場は異常である。

下記の映像はこの番組の最終盤の一場面だ。わずか13秒程度なので、その姿を観てその会話を聞いていただきたい。医療機関から退院して返ってきた利用者に対して、子供に声を掛けるようなぞんざいな言葉で対応している職員が、この施設の介護職のトップだという。このトップがいる限り、この施設でサービスマナー意識が浸透することはないだろう。

何度映像を見返しても、このように子供をあやすかのようなタメ口対応が、家庭的で温かい対応であるとは僕にはどうしても思えない。

こんな対応で介護福祉士であると胸を張っている神経も理解できない。こうした姿をすべての介護事業者からなくしていかない限り、悪気はないけれど嫌な思いをさせる介護サービスがなくならない。

介護という仕事の中で、知らず知らずのうちに人の心を傷つけ、人の心を殺してしまうことがなくせないのである。

どうぞ介護に携わるすべての人に、この動画に映っている職員の言葉の醜さ、その態度の醜悪さに気が付いてほしい。特に介護の場で後輩を指導する立場の人には、利用者を子ども扱いする姿の醜悪さをしっかりと胸に刻み、後輩たちをそんな姿にさせないように導いてほしい。
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クラスター感染発生施設の実像に触れて思うこと


今日のタイトルを読んだとき、今から更新する記事がコロナウイルスに関する内容だと思っている人が多いと思うが、実は今日の主要テーマはそのことではない。

今日僕がこれから書こうとしていることとは、他者の尊厳を護るとはどういうことなのかということであり、このブログで何度も提唱している、「介護サービスの割れ窓理論」や、「介護事業者のサービスマナー」という立場から、そのことを検証する内容になっている。

具体的には、今回のコロナ禍でクラスター感染が発生施設にも、「割れ窓」があり、それが感染発生や被害拡大への関連性があるのではないかという個人的な見解を書き綴ろうと思っている。

そのため被害が広がった中で、一生懸命に対応に追われた一部の当事者の方には不快な思いを与えかねない内容も含まれてくると思うが、それは個別の事業者や個人への批判ではなく、介護業界全体として今後にわたって考えていかねばならない重い課題を明らかにし、それに対応するための提言であることをご了承願いたい。最初からそれを受け入れる気持ちがない人は、ここまで読んだ時点で、どうぞ読むのをやめていただきたいと思う。

特に介護サービスにマナーなど必要なく、無礼な「タメ口」で利用者対応することを何とも思わず、それがフレンドリーな対応だと思い込んでいる人は、このブログがある場所につないでくることもやめにしていただきたい。

ということで本題。

道内でクラスター感染が発生した老健施設では、5月24日以降新たな感染者がいないことや、基礎疾患を持ち長期入院している入所者以外は全員退院して施設に戻ってきたことから、約1か月設置した現地対策本部を6月22日に解散し、7月3日付でクラスター感染の終息を宣言している。

そのため道内の地方新聞や放送局では、今回のクラスター感染の発生から終息に至るまでの動きを特集して記事にしたり、放映したりしている。

そこでは人手が少なくなる中で最後まで頑張り続けた職員の姿も浮かび上がっていたし、たくさんの方が感染したり死亡したりする中で、利用者の家族からずっと信頼し続けられた施設や職員の姿も感じ取られ、日ごろから良い介護サービスを提供しようと努めてきたのであろう姿勢も垣間見られた。

今日までの一連の報道内容に接して、そうしたことも理解できたという前提の上で、取材対象となった施設や、そこに勤める従業員の方々に対して、あえて対人援助として人の暮らしに寄り添うプロとしての姿勢を問いたい部分がある。

先週土曜日にテレビで特番報道では、当該施設について、「アットホームな対応をしてくれる職員が多く、地域住民の信頼も得られている。」という内容がテレビ画面を通じて伝えられており、その具体例として、「職員が利用者の頬にチューしてくれることもある施設」というナレーションが流されていた。(※メモを取っていなかったので言葉は正確ではないが、意味はその通り。)

僕はこのナレーションを聴いた途端がっかりした。

赤ん坊や幼児ではあるまいし、赤の他人が人生の先輩でもある高齢者の方の頬にキスすることが、「アットホーム」だと考えるテレビ局や家族にもがっかりしたし、そういう行動をとっている施設職員にもがっかりする。

他のどの職業で、顧客の頬にキスすることが許される職業があるというのだろう。介護の職業だけそれが許されるとすれば、それはもう世間の常識とは異なる特殊な職業としか言えない。そもそも世間一般的にみても、大の大人同士が親しみを込めるために他人の頬にキスする習慣なんてこの国にはないはずだ。

介護施設の中でそれが許され、それがアットホームな対応だと思い込むことは、利用者をまともな大人だとは見ていないということに他ならない。馬鹿にしているとしか思えないのだ。

例えば自分の親が介護施設に入所したとして、そこで親が職員から頬にキスされたとして喜ぶだろうか。少なくとも僕は喜ばない。自分の親を子ども扱いするなと言いだろう。たとえ自分の親が認知症になったとしても許すことができる行為ではないと思う。

私たちは介護サービスの場では、介護支援のプロに徹する必要がある。そこではどんなに我々が親身になって関わろうとしたとしても、我々は家族そのものにはなれないし、なってはならないのである。プロの介護支援者として適切な距離感を保ったうえで、利用者に親愛の情を伝えるのがプロの仕事だ。(参照:プロ意識を持つという意味。

過去の虐待事例には、高齢者の体を触ったり、抱きついたり、ここで行為内容を書くのもはばかられるような許されざる性的虐待が存在している。それを考えれば、介護事業においてはいつであっても・誰であっても李下に冠を正さずの精神は求められるのだ。キスをするなんてことを許しておくのは、その労務管理がなっていないとしか言えない。当該老健の施設長や管理職はこの一点で批判を浴びてやむを得ないだろう。

感染予防という観点から云っても、頬にチューはいただけない。これからの介護事業はwith感染症の意識が欠かせないが、そんなこと以前に介護支援という場で、生活習慣にない、不要な濃厚接触は戒めるというのが今までだって常識だ。今回この施設にクラスター感染が発生したことの一因に、こうした行為を許していたことが関係ないとは言えないわけである。

そういう意味でも、利用者の頬にチューしてしか家庭的雰囲気を表現できない施設の発想や介護の質は貧弱この上ないとしか言えない。

そのおかしな意識をなくさないと、本当の意味で地域の信頼を得られるプロ集団にはならないし、こんな報道で、その施設が良い施設だと紹介される介護業界の幼稚さをなくさないと、介護の職業は、本当の意味で国民から信頼を得られる職業にならない。

その特番報道では、最後に入院先から帰ってきた利用者に職員が、「良かったね。また戻ってこれて〜。」・「うれしいかい。」的な声を掛けている場面が放映されていた。その職員の言葉遣いはタメ口そのものであり、上から目線の声かけ」にしか僕には聞こえなかった。思わず、「それが死線をさまよって戻ってきた利用者に対して掛ける言葉か。」と言いたくなった。

このような映像を見てこの施設の実像に触れると、当該施設が万全の感染予防対策を取ったにもかかわらず、やむを得ない状況で感染拡大したということも額面通りに受け取れないくなる。その施設にはプロとしてあるまじき、「言葉の割れ窓」があったのだからに、対応にも割れ窓があって、それが原因でウイルスがフロアを横断・縦断して感染が広がったのではないかと疑う人も出て当然だ。

サービスマナー意識を軽視して、プロとしての顧客対応に徹していない施設は、世間から何でもあるだろうなと思われてしまうのである。その恐ろしさを知るならば、職員に対するサービスマナー教育は、さらに徹底されなければならないことに気が付くであろう。
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親しみやすさと馴れ馴れしさを混同しない


介護サービスの場で、親しみやすさと馴れ馴れしいの違いを意識して利用者対応をしているだろうか。親しみやすい言葉と馴れ馴れしい言葉の違いを理解しているだろうか。

この理解ができておらず、職員に両者の違いを説明できないから、介護業界では依然として利用者に無様な対応しかできない輩がなくならないのではないだろうか。今日はこのことに少し踏み込んで考えてみたい。

親しみとは、『なじみがある・身近である・心に隔てがない』という意味であり、親しみがあるとは、相手に対する思いやりや尊敬の気持ちがあり、礼儀正しい振舞いができる態度のことをいう。

一方、馴れ馴れしさとは、それほど親しい間柄でもないのに、『打ち解けすぎて、遠慮がなく、ぶしつけな態度や振舞いをすること』を指すもので、相手の気持ちを無視した、礼儀を欠く態度のことをいう。

しかし介護サービスの場ではしばしば、この「無礼で馴れ馴れしい言葉」が、「親しみのある言葉遣い」と混同されてしまっている。礼儀にかけるタメ口は、親しみやすさとは程遠いものであり、無礼ななれなれしい言葉遣いでしかないことは明白なのである。それを恥も外聞もなく使っている人間がはびこっているのが介護業界だ。

要するにそれは、母国語である日本語を満足に理解せず、使いこなせない馬鹿者が介護業界にはびこっているという意味だ。知能と民度の低い連中が自らの礼儀のない、「タメ口」が、利用者にフレンドリーだと思われていると勘違いしているのだ。恥ずかしい限りである。
介護事業におけるサービスマナー研修
その結果、介護業界ではしばしば横柄な態度、無礼な言葉遣いによって人権侵害につながる問題が引き起こされている。そこで加害者は、「そんなつもりはなかった」という言い訳をする姿がそこかしこに見られている。しかし人権侵害という結果をもたらした後では、そんな言い訳はなんの免罪符にもならない。

そもそも介護サービスの利用者は、本当にくだけた態度を望んでいるというのだろうか・・・しかもすべての利用者が・・・。そんなことはあり得ない。仕事である以上、お客様に不快な思いを与えないための最低限のルールはあって当然だということを理解できない人間は、本来対人援助の場にいてはならないのである。

なぜならば対人援助とは、誰かの人生の一部分に深く関わるという意味であり、高齢者介護とは、人生の最晩年期に関わるという責任を持つからだ。それは誰かの人生の幸福度に、決定的な影響を及ぼしかねないという責任であり、心無い態度で心を傷つけてしまったときに、取り戻す術を失う可能性が高い仕事であるという自覚を持てば、自ずと人を傷つける恐れのある、「タメ口」など使えなくなる。

タメ口を直さない人間は、潜在意識の中に人を傷つけてよいという気持ちを隠し持っている人間だ。そんな人間が対人援助にかかわって良いわけがない。

言葉づかいは、『心づかい』なのである。美しい言葉はそれだけで好感度を上げるための大切な要素になり得る。

特に感染予防対策で、面会禁止などの対応を行っている介護施設等の居住系施設の人々には、この時期にぜひ気を付けてほしいことがある。面会禁止は利用者のストレス対応とセットで行われなければならないが、利用者のストレスとは、施設職員の他には誰とも会えないストレスとともに、そこで接する職員の横柄な態度は、確実に不満とストレスを増加させるということだ。

だからこそ、そこで利用者の接する職員は、誰よりも丁寧な対応を取らねばならないのだ。態度・言葉遣い・表情・服装、すべての面で利用者のストレスにならない配慮が、感染予防対策が長期に及べんば及ぶほど必要になってくる。

全ての介護関係者に自覚してほしいことがある。それは一度口に出した言葉は元には戻らないのだから、相手を敬う気持ちを表現することが大事になるということだ。そうしないと介護の場は、いたずらに人を傷つけ続ける場に化してしまう恐れが高くなるのだ。

すべての介護関係者は、利用者やその家族に直接向かい合って仕事をするのだからこそ、一人一人が介護事業所の顔である。そうであるからこそ利用者様やご家族、一緒に働く人を不快にさせない言葉づかいを身につけなければならないのである。

電話対応は特に気を使ってほしい。電話の向こうにはいろいろな人がいる。生活習慣も感性も全く異なる様々な人と応対せねばならない電話対応では、顔が見えないだけに誤解されやすいのである。だからこそ誤解を受けないように、常に最低限のマナーを守りながらサービスの品質を担保することが重要となるのだ。

思いついた言葉をストレートに口に出して伝えるのではなく、その言葉を伝えたとき、相手がどのような気持ちになるかを考えて話す習慣をつけてほしい。

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は、どんなに親しい仲であっても最低限、「相手を敬う気持ち」を表現することが大切だという意味である。仕事として人とその暮らしに深く関わる我々は、顧客である利用者のプライドを傷つけない言葉を選択するという最低限のマネーを常に護らねばならない。

そうであるなら、お願いやお断りをするとき、クッション言葉を使いこなすスキルも持つべきである。クッション言葉を使いこなすことで相手に対する印象を和らげることができるからだ。例えばそれは、「恐れ入りますが」「失礼ですが」「あいにくですが」「申し訳ございませんが」「申し訳ありませんが」 「大変申し上げにくいことなのですが」などという表現方法がある。これらも、「質問するとき」や、「依頼を断るとき」などと状況を分けて使う言葉を選択できるように学ぶ必要がある。

僕の最新の、「介護事業のサービスマナー研修」では、その具体的方法もないように含めてグレードアップしているので、職場内研修などの講師として是非声を掛けてほしい。3密を避けて感染予防対策を講じた方法による研修・非接触型研修も様々な方法で可能だろう。

利用者に対するサービスマナー意識の向上は、感染予防を理由におざなりにされてはならない部分なのである。
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介護のプロとしての矜持を失わない人でいてほしい


組織風土はあっという間に悪化するが、よくなっていくのには時間がかかる。

一旦低下したパフォーマンスを元に戻すためには、莫大な費用と時間を要すこともある。

だからこそサービスの品質管理は最重要視されていかねばならないし、一旦確立したサービスの水準の低下がないように、そのほころびを繕うシステムのチェックは欠かせない。

先輩や同僚のあまりの態度の悪さを憂いた職員が、報道機関に隠し撮り動画を送ったことによって明らかになった虐待・不適切対応が、市議会で大問題として取り上げられた介護施設では、利用者の名前の呼び方のルールを無視した職員を放置したことが、組織風土を悪化させていった。

そこでは利用者を名字に、「さん付け」で呼ぶという、ごく当たり前のルールが存在していたのに、ある職員が、一人の女性利用者を、「ちゃん付け」で呼び始めたことにより、その利用者を「ちゃん付け」で呼ぶ職員の数が、ウイルスが増殖するかのように増えていった。そして、「ちゃん付け」で呼ばれる利用者の数も増えていき、やがてそこでは利用者にニックネームをつけて呼ぶようになった。

その結果、その施設では若い女性介護福祉士が、利用者に向かって、「お前」呼ばわりし、「死ね」・「へ理屈言うな」という罵声が飛び交うようになった。

言葉を崩すことは、こんなふうに感覚を崩していくことにつながるのだ。そんなふうにしてタメ口をフランクな言葉だと勘違いしている人によって、罵声も罵倒も正当化されているのが、介護事業の現状の一面でもある。恥かしいことだ。醜いことだ。

しかしそのような醜い言葉を使って、ひどい対応をしている人々も、家に帰れば普通のお母さん、普通のお嬢さんである。そんな人たちが、介護施設という器の中で感覚を麻痺させ、自らが王様のように利用者の上に君臨する存在と感が違いすることによって、人として許されない対応に終始する化け物が生まれるのである。

そうなれば介護施設は、世間の常識が通用しない密室である。人の権利を侵害し続ける暗黒世界である。しかしそんな姿を果たして家族に見せられるだろうか・・・。

自分の働く姿を家族にも見せられないとしたら、そんな仕事に誇りなど持てないだろう。そんな仕事は面白く続けられないだろう。自分の職業をそんな風に貶めることがない唯一の方法は、私たちが対人援助のプロであるという矜持を失わず、プロとして適切にお客様に接するという礼儀作法を身に着けることである。

だから私たちに求められているのは、介護のプロフェッショナルとしてのサービスマナ―意識なのであり、それは対人援助に関わる者のコミュニケーションスキルに過ぎない。

サービスマナー意識が持てない人、タメ口を改められない人は、コミュニケーションスキルが低い人なのだから、本来そう言う人は対人援助に向いていない。だからそういう人は他に職業を求めたほうが良い。早く介護の職業から退場すべきだ。向いていないあなたが介護事業者の中に存在し続けていることは、顧客にとってもあなたにとっても、両者にとって不幸なことだ。そんな不幸な状態が続かないように、マナー意識の低いあなたは他の職業を探すべきである。

管理職・リーダーの方々は、そういうコミュニケーションスキルの低い人を見極めて、教育効果が表れないならば、引導を渡す役割を果たさねばならない。労働基準法で護られている労働者の権利は侵害できないが、職業の向き・不向きについてアドバイスすることはあって良いだろう。

タメ口を直そうとせず、人の心を傷つけかねない言動をとり続ける職員には、『対人援助の仕事は向かないよね。』とアドバイスすることもあって良いだろう。

そうしないと、いずれ自分に管理責任のある場の従業員が、利用者に不適切対応をしたことによって、自分が報道関係者の前で、「お詫び」の会見を開き、頭を下げることになるかもしれない。

あなた自身が会見場で糾弾されながら、質問に答える姿を想像してほしい。あなたの家族がその会見報道を見て泣くことになるかもしれないことに考えを及ばせてほしい。

そんなことが決してないと言い切れますか?世間から誤解を受けるような対応が全くないと自信を持って言えますか?従業員がマナーのない顧客対応を行っていることが即ち不適切とされるという意識は有りますか?

言葉遣いを人に合わせて変えて、常に相手に自分の思いや、誠意を伝えられる人間などいない。いたとしてもそれは常人ではないし、そんなやり方は誰しもが実践できる方法論ではない。そもそも汚い言葉で利用者と会話する理由を、相手に堅苦しく思われないためであると思い込んでいるコミュニケーションスキルの低い人間に、死ぬまでそんな技が使えるわけがない。

そんな神業を磨くのではなく、誰もが実践できる方法として、丁寧語で利用者対応できるように職員を教育すべきだ。

日本語を使い続けてきた日本人が、丁寧語で顧客対応ができないのであれば、それは致命的問題だから、少なくとも顧客と直接向かい合う仕事には就かせられないと考えるべきである。

介護とは、心にかけて護る行為を表す言葉である。その言葉の意味を実践するためには、自らの心無い言葉で人を傷つけてしまうことを誰よりも恐れる必要があるし、だからこそサービスマナーの必要性に気が付かない人は、介護の職業に向いていないのである。

職業として介護を行っている人は、介護そのものが仕事である。仕事である以上、お客様に不快な思いを与えないための最低限のルールはあって当然であるという常識に思い至らない人は、そもそも職業人失格である。

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言葉を崩した先にたどり着く場所


介護事業経営者や管理職の人の中には、「利用者との距離を置きすぎてはいけない。」という理由で、接客用語や丁寧語を使わないという人がいる。

そういう人たちは、利用者に対するタメ口は許されないとしても、フランクな物言い・口調は許されると主張する。

しかしフランクな口調とタメ口は紙一重である。しかもフランクな口調でタメ口ではないと思い込んでいる物言いの中にも、相手にとってはタメ口でしかない物言いも存在する。

丁寧語を崩してフランクな口調といっても、その口調がフランクなのか、無礼なのかは、その言葉を操る人間が決めるべき問題ではなく、その口調で話しかけられる人がどう感じるのかという問題なのである。

言葉を操る人がフランクであると思い込んでいる言葉に、傷つけられ、心を殺されている方々が、介護業界には星の数ほど存在しているのだ。

そもそも言葉を崩すこと自体が、タメ口への第一歩であることに気が付かねばならない。

さらに言えば、人間とは一定の線引きをきちんとしていない場所では、低きに流れる傾向が強いのである。そのことを対人援助というサービス事業を経営したり、管理したりする地位の人間は十分に理解しなければならない。そうしなければ人権は簡単に蹂躙されてしまうからだ。

例えば、介護施設等でナースコールに対応する際の職員の最初の応答は、「どうなさいましたか。」であり、それ以外の言葉で応答する必要はない。

しかしその口調がフランクではないと思う人が、「どうしたんですか。」と言葉を崩したとする。するとその職場では、日常的に「どうしたんですか。」とコール応答する職員が徐々に増えていく。そしていつの間にか、「どうしたの。」とコール対応する職員が出てくるかもしれない。そしてそこでは、「どしたの?」・「なに?」・「あっ。」とコール対応する職員が出かねないのである。

それはもう言葉の暴力でしかない。そしてこれこそが接客用語・丁寧語を崩す弊害でもある。

こんなふうに言葉を崩すことを許容することは、ガラス窓の小さなひび割れを放置するということであり、その先には、ガラス窓の小さなひび割れが、ガラス事態を粉々に砕け散らせる結果にしかならないということだ。ひび割れを放置している限り、ガラス窓は元に戻らないのである。それが、「介護サービスの割れ窓理論」でもある。

接客用語や丁寧語は、お客様に使うべき言葉であり、介護を職業としている介護のプロフェッショナルが介護サービスの場でそうした言葉遣いを崩さないことは、誰からも非難を受けるようなことには絶対にならない。

一方で、言葉を使う側が、良かれと思って本来使うべき接客用語や丁寧語を崩した結果、顧客に不快な思いをさせたとすれば、それは非難を受けるべき行為となるのである。

そもそも介護サービス利用者に丁寧語で接する理由は、相手がサービス提供者より年上だからではない。介護サービスを利用する人は、顧客であり、顧客に対してサービス提供者が丁寧語で接するのは、世の常識だからである。

丁寧語を崩すことが、フランクな口調だとへ理屈をこねる人間は、その当然の常識も持っていないということだ。そういう人物が経営者を名乗っているのは笑止千万である。

ところでサービスマナー改革をしたいと考える介護事業経営者にとっては、その思いに現場のリーダーが応えてくれるかということは大きな課題だ。

そのためにサービスマナーがなぜ必要で、どのようなマナーが求められるのかを職場全体で学ぶことは一番求められることだ。そこに現場リーダーは全員参加することが大事なことだ。だからこそ職場単位でサービスマナー研修を行いたいという事業者には、僕はできるだけ協力して、現場リーダーが得心(とくしん)できる話をしている。ある意味それは僕にしかできない話であるとも言われている。

そうした職場内研修としては、全体の職員を一堂に集めて研修をすることもあるし、管理職・リーダー職員と、一般職員を分けて研修することもある。その職場の状況を聴きながらベストな方法を選ぶようにしている。

研修が職場単位となると、小規模事業所では受講者が少なくなることがある。特に管理職・リーダーのみを対象にした研修会は、受講人数が10名に満たない場合もある。それを気にかけて、僕に講師依頼することをためらったり、恐縮に思う人がいたりするが、そんな必要はない。

受講人数や研修規模は、僕にとってほとんど関係のない問題であり、僕を講師として求めてくれる熱意のある人がいる場所であれば、全国どこでも駆け付けるつもりだ。

その点でもどうか敷居を高く感じないで、まずは気軽に相談願いたい。

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マナー意識が浸透する事業所と浸透しない事業所の違い


リーダーがきちんと丁寧な接遇を行い、職員に日常的に接遇指導をしている場所では、サービスマナーが浸透している。

そういう職場では、特段新人に対してサービスマナー教育を行わなくとも、OJTの中で丁寧な言葉遣いの指導がされて、接客から接遇への昇華が自然と行われていく。そういう事業者に就職した新人職員は、顧客である利用者に対し、当然のように丁寧語で接している。

なぜそんな風になるのかといえば、サービスマナー意識が浸透している事業者では、新入職員が利用者に対してマナーのない接し方をした際に、先輩から日常的にごく自然に業務指導としての注意がされて、不適切な態度が都度修正されているからだ。だからこそ現場にマナー意識が浸透して、節度のある態度と丁寧な言葉遣いで顧客に接するのが、『当たり前』になるのである。

しかしそうした職場の従業員は、それがサービスマナーであると思っているわけではなく、顧客対応として当然の態度だと思っているだけのようにも見える。だからその姿も態度も自然である。そしてそういう態度ですべての職員が接している態度を見て、そこで働きたいと介護福祉士養成校の卒業生が殺到している。そこには人材難という言葉がなくなりつつある。

一方で、介護事業経営者が従業員のマナーのない態度を修正しようとして、いろいろな試みを行っているにもかかわらず、「笛吹けども踊らず」という状態が続いて、サービスマナー意識が職場に浸透しないところもある。

先日もそんな介護事業経営者の方が、「和歌山の情けない通所介護経営者の姿が示す恥の文化」という記事にコメントを書いている。それは次のようなコメントである。

言葉使いが直らない。マナーがない。生まれや育ち、本来の性格など色々原因はあるかもと思いますが。。。仲良しクラブのような声かけを聞くたびにストレスがたまります。何度も繰り返し指導していますが、利用者だけでなく、利用者家族、先輩や地域の人にも同じ対応です。社長である私にもタメ口です。その他のことに対してはやる気がないわけでなく、どちらかと言えば前向きです。接遇マナー研修を行ったり、外部研修にも行ってもらいましたが、なかなかです。三つ子の魂100までなんでしょうか。頭を悩ましている方は多いと思いますが、介護とはなんぞやを理解されてないデイサービス、聞くだけで気分が悪いです。

こうした従業員の存在に悩んでいる介護事業経営者も多いと思うが、それらの方々に考えていただきたいことは、サービスマナー教育で意識改革ができる事業所と、そうでない事業所ではいったい何が違うのだろうかということである。

まず問題は、『接遇研修』である。その内容が問われるのである。医療・介護以外の一般企業向けの接遇研修に、職員をいくら派遣しても無駄だということに気が付かねばならない。

医療・介護以外の業界で顧客に対し、「タメ口」を使わないのは常識中の常識なので、それはレクチャーする範疇にはない。介護事業者の職員に対するマナー研修では、『利用者は顧客である。』というレクチャーから始め、顧客に対する、「タメ口」は許されないというレベルから講義を展開する必要があるのだ。そんな低レベルである介護業界の実態をわかっていない講師による講義を、いくら受講させたからと言って、職員のマナー意識が改善されることはない。

だからどんな講師が、どんなサービスマナー研修を行ってくれるのかということを、きちんと調べて改善実績のある講師を選ばねばならない。

次に考えなければならないのは、新人職員をいくら教育しても、先輩の態度が悪いと新人も影響を受けしまい、何も変わらないということだ。

意識を変え、態度を変えるべきは、新人を教育する先輩職員であり、特にリーダー職の意識と態度が良くならねば何も変わらないことを知るべきだ。だからこそサービスマナーに関する外部研修には、現場で影響力のあるリーダー職員から先に参加すべきである。

その際に研修参加するリーダーには、経営者から、「職場内のサービスマナーを向上さえるのが事業者方針。その先頭に立つために研修に参加させるが、その指導的役割を果たせないならばリーダー職から降りてもらう場合もある」などの覚悟を促さねばならない。

さらに考えねばならないことは、鉄は熱いうちに打つことと、熱くなる分子を増やさないと全体に浸透しずらいということだ。

外部研修に職員を幾人ずつか参加させるだけでは意識改革につながりにくい。リーダーの意識が変わりつつある時期に、きちんとしたマナー講師を招いて職場全体で、「介護事業におけるサービスマナー研修」を行うべきである。ここで従業員の改革に向けた温度を一気に高めなければならないのである。そのためには温度を高めることが出来る講義内容が求められるので、講師選びは一番重要な課題である。

最後に必要なことは、『事業経営者の覚悟』である。

変わろうとしない、変えようとしない職員は辞めていただいてよいという覚悟を持ち、そうした職員が辞めていった時期には、事業を一度縮小して収益が下がっても良いという覚悟を持つことである。人が足りないからといって、『注意・指導したら、辞めてしまう』ということを恐れて、適切な指導もできない場所で、意識改革ができるわけがない。そもそも適切な指導を恨んだり、根に持ったりする人間は、事業者の財産になるどころか、トラブルの発火点になる危険性が高いので、早いうちに辞めてもらった方がよいのである。

仕事がいくらできても、節度ある態度に徹しようという事業経営方針を護ろうとしない従業員を、業務命令違反で罰則も与えられない事業経営をしている場所で、改革などできるわけがないのである。

しかし事業方針を護ろうとしない人員を切り捨て、一時的に人が足りなくなった時期を耐える先・意識改革の成果が現れた先には、必ずそこで働きたいという人材が集まってくるはずだ。

なぜなら丁寧な対応ができる職場で働きたいという動機づけを持っている人は、考えられている以上に多いという事実があるからだ。

人財となり得る可能性を持つその人たちは、今きっとどこかで、サービスマナーに満ちた職場を探しているはずなのである。現に僕は過去においても今現在も、そういう人を数多く知っている。

そんな人たちが集まる職場を創るために、介護事業者で実践できる本物のサービスマナー研修講師を探している方は、是非気軽にご一報願いたい。連絡は、「北海道介護福祉道場 あかい花」のサイト上部に表示しているメールアドレスまでお願いしたい。

なお今月10日から17日までは福岡に滞在しているので、福岡市内で夕方以降からの講演をご希望ならば、交通費や宿泊費がかからずに講演をお受けできます。(※ただし、13日を除く)

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和歌山の情けない通所介護経営者の姿が示す恥の文化


僕が管理する表の掲示板で、和歌山のデイサービス経営者が介護事業の恥を象徴するコメントをつけている。

まずは当該スレッドのNo.12を読んで、そのお馬鹿で知性のかけらも感じないコメントを笑ってやってほしい。

HNを、「とり」と名乗るその人物は堂々と宣(のたま)う。

「私は近畿のデイサービスを経営していますが、ご利用者様との距離感が非常に近いです。年上という感覚はあまりなく、どちらかというと友人に近い介護を行なっています。」

まったく能天気で知能の低い経営者である。友人感覚でしか仕事ができないならボランティアでもやっろと言いたい。金をとって経営ごっこをするなと言いたい。(※しかし最近のボランティアはもっと意識が高いので、友人意識でできると勘違いされても困るが。どちらにしてもこの「とり」という人物は、介護事業経営者としては下の下だ。)

そいつは上記のコメントに加えて、「家族の様な関係になることが多いです。」などとも書いている。

介護事業に携わる者は、仕事で利用者に関わっており、その関係はサービス提供者と顧客でしかない。そこに家族の親愛の情を持ち込む必要は全くないにもかかわらず、こんな温いことを言いながら経営と称する、「お遊び」をしているわけだ。

そもそも家族のような関係になっても、家族にはなれないのだから、一線を画した対応というものが求められるのである。しかも自分が家族の様な関係になっていると思っても、相手がそう考えているとは限らないのである。

顧客に対する口の利き方を知らない輩は、必ず自己弁護の屁理屈を唱えるが、こいつもその輩である。

言葉遣いを人に合わせて変えて、常に相手に自分の思いや誠意を伝えられる人間などいない。いたとしてもそれは常人ではなく神技であり、誰しも実践できる方法論ではない。

しかし汚い言葉で利用者と会話する理由を、相手に堅苦しく思われないためであると思い込んでいるコミュニケーションスキルの低い人間に、「時と場所と相手をわきまえて言葉遣いを変える」なんて技なんか死ぬまで使えるわけがない。

顧客に丁寧な言葉で対応するのは、医療・福祉・介護業界以外の仕事では当たり前のことである。それができていないこの業界の非常識に気が付かず、丁寧な言葉で対応しないことが親しみやすさに通じ、客もそれを求めていると勘違いしている輩について、ある人が面白い例えをしている。

セクハラの場合、加害者は「これは恋愛感情であって、セクハラではない」とか、「親しさから出た言動で下心はなかった」と言い張るわけだが、被害者は自分の意思を蹂躙されたような恐怖を感じている。丁寧語を顧客に対して使わずに、言葉を崩す方が良いと思っている輩は、まさにこのセクハラ加害者と同じ感覚だというのである。言い得て妙である。

もう一つ似た状態を挙げてみよう。ストーカーは、その行為を行っている相手も、自分に好意を持っていると考え、自分は必ずしも悪いことをしているわけではないと思っているケースが多い。そのことも顧客に丁寧語を使わない介護関係者の態度と、その態度を正当化する屁理屈に似ている。

セクハラ加害者並びにストーカーと、「とり」と名乗っている和歌山の通所介護経営者は、相通ずるところがあるというわけだ。

他の産業で顧客に丁寧語を使って対応しなさいと言うのは教育にさえならない。それは極めて常識の範囲であり、できることが当たり前だからである。にもかかわらず介護業界は、そんな常識さえないばかりではなく、「とり」のように常識を否定する非常識人が経営者を名乗っている。

その状態は、極めて民度が低い人間が集まっている業界だと指摘されてもやむを得ないという意味だ。しかもそうした教育やマナー意識そのものが必要ないという馬鹿が経営者になっているお寒い業界でもある。この体質を根本から変えなければならない。今はまさに変革のための戦いのまさに真っ最中であり、この「とり」なる和歌山の馬鹿経営者らとの戦いは避けては通れない。

介護という職業は、利用者と1対1で関わる場面では、自分一人で神のごとくすべてを決めてしまうことができてしまう。しかもそこにいる利用者とは、自らの不安や不満や希望を表現できない人が多いのである。

認知症の人は、馴れ馴れしい言葉遣いに憤慨したり、怖がったりしているが、その気持ちを誰にも訴えることができないことが多く、誰もその苦悩に気が付いてもらえない。

認知症がなくとも、体の不自由な人は、介護支援に携わっている人の言葉遣いが気に障っても、それを指摘したらナースコールを押したときに無視されたり、すぐ駆けつけてくれなくなることを恐れて何も言えない。

そんな状態を起こさないように徹底的に職員を教育し、対人援助の場からそんな状態をなくしていかねばならない。

だからこそ介護事業に従事する者は、誰よりも自分一人で決められることの恐ろしさを知るべきであり、そのことに謙虚になるべきだ。介護事業経営者はそうした態度を従業員に徹底的に求めなければならない。利用者傷つけ・貶める要素を、自分が経営する事業の中から徹底的に排除する必要があるのに、和歌山のえせ経営者のような態度はそれと相反し、職員の常識感覚を失わせ、感覚麻痺を促すものでしかない。

こういう経営者が一日も早く、介護業界から一掃されることを望む。

ここで批判した経営者の事業が立ち行かなくなり、廃業してしまうことが、将来的には利用者全体の真の利益になっていくだろうと思うのである。

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動画が簡単にネット配信される時代の介護事業危機管理


介護保険サービスを利用している人の家族が、自分の身内がサービス利用している際に、職員からどのような対応を受けているのかを知りたいと思うことはごく当然のことである。

しかしそのことを知ろうとしても、その術(すべ)を持たない人が多かった。例えば身内と職員の対応場面を隠し撮りして確かめたいと思っても、そんな技術も知識もない人が多かったのがつい最近までの状況と言えたであろう。

しかしこれだけスマホやタブレットが普及して、動画が簡単に撮影できるようになった今日、様々な場面を撮影するという行為自体、簡単にできるようになっている。しかも様々な場面や自分以外の被写体を撮影するという心理的バリアもかなり低くなっている。

ホームセンターでは興信調査用の隠し撮りカメラが簡単に購入できるが、そのような特別な機器を購入しなくとも、日常的に所持している機器を使って簡単に隠し撮り動画が撮影できる時代になっているのである。

そのために介護施設に入所している認知症の人の家族が、自分の親が介護職員と1対1の場面で、どのような対応がされているのかを確かめようとして、居室に小型デジカメやスマホを隠してセットし、隠し撮りを行うことなど、そんなに難しいことではなくなっているのである。

家族が隠し撮りをしなくとも、介護職員の不適切対応が撮影される場面も増えている。

例えばつい最近も宮崎市の有料老人ホームで、夜勤中の20代の男性介護職員が90代の女性入所者に対し馬乗りになり暴言を吐くなどの虐待行為を、同じく夜勤をしていた同僚がスマホで撮影し、翌日にツイッターにその画像を挙げたことで問題が発覚している。家族が隠し撮りしなくとも、異変に気が付いた誰かがその行為を撮影し、簡単にネット配信できる時代なのである。

このことは介護の闇が、闇のまま終わらずに、白日の下にさらされるという意味では悪いことではない。虐待や不適切対応があるとすれば、そのことは白日の下にさらされ、世間の糾弾を受けて、行為に及んだ当事者は裁かれなければならないからだ。

しかし介護事業経営者は、このことにもっと危機感を持たねばならない。職員の利用者に対するタメ口をはじめとしたマナーの悪さ・マナーの無さに危機感を抱いていない経営者や管理職は、そのことによって事業経営が危うくなる危険性を認識しているのだろうか。

タメ口はしばしば荒い言葉遣いと見まごう場面をつくり出す。顧客に対する言葉遣いに配慮のない会話は、第3者から見れば異様に映ることも多い。なかには若い職員が高齢者を罵倒していると感じる場面もみられる。そのような場面が切り取られてネット上に動画配信されたときに、「あれは親しみやすい言葉として使っているだけで、関係性ができているから問題ない」という言い訳が世間に通用すると思っているのだろうか。

先日、道内千歳市の老健施設で心を殺されたNさんのケースを紹介したが(参照:マナー意識のない対人援助は誰かの心を殺すかもしれない)、排泄介助を頼んでいる利用者に向かって、お金を払わないと介助できないような言葉をかけている動画がネット配信されたとき、あれはジョークだという言い訳で世間が許してくれるだろうか。そもそもこのケースは、不適切な言葉をかけられた利用者自身が被害感情を訴えているのだから、その場面が切り取られてネット配信された場合には、当該施設に対して世間の糾弾の声が寄せられ、事業経営の危機にさえつながりかねない。

だからこそタメ口が親しみやすい言葉だという誤解を失くし、関係性ができておれば利用者に対して言葉遣いを丁寧にする必要ないなどという素人考えを捨て去らねばならない。「介護サービスの割れ窓理論」は、介護事業を続けていくためにも必要不可欠なセーフティネットなのである。

つまり介護事業経営者や管理職は、「隠し撮りされないように」注意をするのではないのである。そんなことに注意しても技術進歩は日進月歩であり、一般の人であっても隠し撮りしようと思えば、様々な技術や知識が普通に備わってくる世の中になってきているので、それを防ぐことは不可能なのである。

そうであるからこそ、すべての従業員がいつ隠し撮りされても良いように、人から後ろ指さされるような行為を決して取らないように自覚できる職員教育を徹底すべきである。(参照:心の中に自らを写すカメラを持っていよう

サービスマナー教育は、そのために必要不可欠な基礎教育である。日常の教育プログラムにサービスマナー教育を取り入れていない事業者の経営者や管理職は、近い将来マスメディアの前で、「お詫び」の記者会見を開くことになるかもしれない。そして介護事業から退場しなければならないかもしれない。

そんな自分の姿を一度想像してほしい。そしてそうならないように何をすべきかを、当事者意識を持って考えてほしい。

この記事を読んだ経営者や管理職の方々には、今一度自分の事業職員の対応場面は問題ないかと、今日一日事業者内を歩いて回って、一つ一つの場面を切り取って映像化してみてほしい。その場面が世間に誤解を与えるような映像にならないかと考えてみてほしい。

場合によっては実際に動画を撮影し、職員と一緒にその動画を観て、それが問題ない姿となっているかを確認してはいかがだろうか。

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上司の寛容心が改革を頓挫させる


介護事業者に勤務する従業員が、対人援助のプロとして、いつでもどこでもマナーをもって接することができるように訓練する必要があるという意味は、すでに職業倫理を超えて、事業戦略としても必要になってきていると言ってよい。

なぜなら高齢者介護サービスの利用者の中心層も、今後は「団塊の世代」の方々に移行していくからだ。それらの方々は日本の高度成長期を支えた企業戦士やその妻であり、そしてそれらの方々を商売の相手としていた人々なのだ。顧客サービスとは何かということが身に染みているそれらの世代の方々は、顧客に対して、目上の人に対して、「タメ口」で接することを許すような寛容心を持っていない。

そうであるからこそ介護サービスという目に見えないサービスを売りものとしている、介護サービス事業者の職員が、その顧客である利用者に、マナーのない態度で接することを許してくれないから、そういう事業者は選ばれないことになる。

そんな中で日本の社会情勢と経済状況も変化してくる。一人の高齢者に掛けられる社会保障費は半減されると言っても、介護給付費自体は2018年と比較すると2028年には、10兆円から20兆円に増えるわけである。介護給付費だけで10年間で10兆円増えるとすれば、その周辺費用を含めると、そこには100兆円を超えるお金が転がっているということになる。景気の減退に入った感がある我が国で、来年にはオリンピックも終わり、さらなる景気減退が予測される。そんな中で介護市場に回されるお金は魅力的である。

だから民間営利企業で、現在介護サービスに参入していない企業の中で、新たに介護事業に参入する企業は必然的に増えることになる。このことは必然の結果で、外れる可能性のない予測と言える。しかし一人の高齢者に配分される介護給付費は、現在より低額化が図られていくのだから、収益を上げるためには顧客数を一人でも多く確保せねばならない。

その時、顧客としても最大数の塊となる団塊の世代の方に選択されるサービスとは、顧客を顧客とみて、きちんとサービスマネーを持った対応ができる事業者であり、マナーの上に「ホスピタリティ」の精神を持った従業員を数多く雇用できる事業者が、事業経営上の勝ち組になっていくのは目に見えている。

だからこれからの介護サービス事業経営の命運を握るものが、職員のサービスマナー意識であり、コミュニケーション技術は特に重要となってくるものであり、日常的にごく自然に利用者に対して、丁寧語を使いこなして会話できる従業員教育は非常に重要になる。すべての従業員が8大接客用語を使いこなせるように教育しなければ、介護事業経営はままならなくなる。

しかし組織風土は、あっという間に悪化するが、よくなっていくのには時間がかかる。時間をかけてサービスマナーを浸透させるためには、経営者や管理者には例外を認めないという覚悟が求められる。例外を認めた職場で良い方向に改善できた職場は存在しない。

例外なく言葉遣いを正すことができない職員を排除していった職場では、汚い言葉遣いにストレスを感じていた職員が輝きだし、今では20歳代の職員も、「利用者にとの会話を丁寧語で行うなんて当たり前で、それ以外は考えられない」と普通に言っている。

そういう職場にせねばならない。なぜならサービスマネーを浸透させるということには、もう一つの重要な意味があるからだ。

横柄な態度、無礼な言葉遣いは、しばしば人権侵害につながる問題を引き起こしている。「そんなつもりはなかった」という言い訳は、人の心を傷つけ、人の心を殺してしまったあとでは、なんの言い訳にも免罪符にもならない。そういうことがないように、相手から誤解されない対応の基盤となるのが、「サービスマナー」であり「介護サービスの割れ窓理論」で示している、言葉遣いに注意することの意味なのだ。

団塊の世代の人々は、介護サービスの従業員が顧客に対し「タメ口」で接することを許すような寛容心を持っていないと書いたが、そうであるがゆえに、自分が心身の障害を持った時、心身の状態が低下したときに、誰かの手助けを必要としなければならなくなったことで、年下の従業員から、「タメ口」で話しかけられることに、誰よりもショックを受け、誰よりもそのことに哀しむのだということを知るべきである。

人の哀しみに思いを寄せられない人は、対人援助を生業(なりわい)としてはならないのである。

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介護業界の異常さとは何か


忙しい業務の中で、顧客から声をかけられたときにすぐ対応ができず、待たせなければならないときに、「少々お待ちください」といえることができる職員の姿は、理想ではなく当たり前である。

やむを得ない事情でお客様を待たせたときに、ごく自然に「お待たせいたしました」と声をかけることができることも、職業人であればごく当たり前としか言えない。そんな対応が「素晴らしい」と称賛される職業があるとすれば、その職業に携わっている人たちの常識がどうかしているのである。

しかし介護サービスの場で、ナースコールを押した利用者への対応に即応できずに待たせてしまうときに、「ちょっと待ってね」・「何度もコール押さないでよ、わかっているから」と言って、待たせた利用者に対応する際に、「こっちも忙しいんだからしょうがないでしょ」なんて言う日常対応があったりする。その姿を自分の家族に見せて自慢できるというのだろうか。

利用者から何かを要求されたとき、ごく自然にすべての職員が「かしこまりました」といえる職場が特段優れているわけではなく、サービス業であるなら当たり前のことである。

利用者に対して適切性に欠ける対応があった時、「申し訳ございません」という言葉が自然に発することができることが当然の対応であって、それができなければ非常識を疑われるのがサービス業である。

これらの言葉は、「8大接客用語」と呼ばれ、一般的なサービス業においてはごく自然に従業員が使いこなしている言葉である。コンビニエンスストアやファーストフード店ではアルバイトの学生が使いこなしている言葉なのだ。日本語を覚えたての外国人だって、使いこなせる言葉である。

それと同じ言葉遣いを、対人援助の場で顧客である利用者に接する際に使いこなせないことの恥ずかしさを知るべきだ。そういう言葉で接するように指導するリーダーに対し、「理想と現実は違う」などとうそぶいて聞く耳を持とうとしない職員は、自らの現実レベルが低すぎるだけなのである。それはコミュニケーション能力に著しく欠けているという意味で、一般的にはそのような能力の持ち主のことを「馬鹿」と呼ぶのである。

そういう意味では、対人援助の場で言葉使いにも気を使ってサービスマナーを守るということは、他のサービス業で学生アルバイトができている程度のことはしましょうというレベルにしか過ぎないとも言える。今更その徹底を図らねばならないことが課題とされる業界の民度はあまりに低すぎるといえ、保健・医療・介護・福祉業界関係者はその異常さに気が付くべきである。

介護事業者に勤め、介護事業に携わることで生活の糧を得ている人は、介護のプロといえるのだから、学生がアルバイト先で使いこなしている言葉を使えないというのでは、あまりに寂しすぎる。介護とはコミュニケーションが不可欠な職業であり、コミュニケーション技術もプロとしての資質であるにもかかわらず、その部分で学生以下の資質しかないような人は、別な職業を探したほうが良い。

そうしないとその汚らしい言葉に傷つき、不幸になってしまう人が生まれ、それは取り返しのつかない心の傷につながりかねないからだ。人を不幸にして、人の尊厳を徹底的に奪ってしまうからだ。

認知症の人は特にその被害を受けやすい。

認知症の人の言動にイラついて、強い言葉でなじったり、乱暴に接したりすると、それはなんの解決にもならないどころか、そうした言動は、認知症の人にとって脅威であり、混乱の元になって、行動・心理症状(BPSD)はかえって悪化する。それは認知症の人の心を完全に殺す行為であると同時に、そのような言動によって認知症の人をなじる人間の仕事が増えることにもつながり、さらにイラつくという悪循環に陥ってしまうことに気が付くべきだ。

介護の場で繰り返し行われているスピーチロックも徹底的に戒められるべきである。それは認知症の人のストレスになるからだ。

「動かないでちょうだい」、「しちゃだめ」、「立たないで」、「ちょっと待って」という言葉の拘束によって、介護施設等で認知症の人は常に傷つけられて混乱している。そんな状態はなくさねばならない。しかしそれらのスピーチロックは、介護者の心の持ちようで簡単に変えられるのだ。

ちょっと待って」とか、「座っていて」と言い切るのではなく、「〜しているので、ちょっと待ってもらえますか?」とか、「〜すると危ないので、座っていていただけますか?」というふうに、理由を説明しながら丁寧な言葉に言い換えるだけで、それらの人々の心は安らかになり、行動も落ち着くことが多い。

言い切りではなく、相手に尋ねるような形をとると「相手に選択権がある」話し方になりるのだ。それはマナーを意識した言い換えである。

サービスマナーを身に着けるということは、こうしたレベルの低い現実を直すということにほかならない。無礼で醜い対応を介護事業の場からなくしていくということに過ぎないのである。

そもそも、おもてなしの心とは、相手を良いこころ持ちにさせる=幸せな気持ちにさせるという意味である。ぞんざいな言葉遣いや横柄な態度は、相手に不快感しか与えない。サービスマナーとは、最高のもてなしをする以前に、最低限、お客様に不快を与えないように対応を、一定のルールで標準担保しようという意味である。それができてこそのホスピタリティ精神が上乗せされる可能性が生まれるのである。マナーの上に「おもてなしの心」を積み上げてこそ、選ばれるサービスになるのである。

逆に言えば利用者=お客様に対するサービスマナー精神のないところで、真の思いやりの心は生まれず、高品質なサービスを実現させようとする動機付けも生まれない。そのような介護事業者は、今後顧客単価が抑えられる中で、参入事業者が増える介護サービス事業の中で、顧客に選ばれて生き残っていくことなど不可能になる。

おもてなしの心とは、裏のない心であり、相手に対する真の思いやりという意味でもある。それは一般的にはホスピタリティと呼ぶのである。

人を幸福にしないサービス、おもてなしの精神のないサービスは対人援助とはいえないし、そんなものを社会福祉と呼ぶのは笑止千万なのである。

そんなホスピタリティの精神活動を持つことのできる職場づくりのため、そうしたおもてなしの心を持つ職員を増やすために、「介護事業におけるサービスマナー研修」を今年度から始めるようになった。その研修テーマによる講演依頼はじわりじわりと増えている。

今年最後の講演となる、明日土曜日の愛媛県久万高原町での講演の一つも、「介護事業におけるサービスマナー〜町民から選ばれる事業所になるために〜」としているところだ。
(※ちなみに僕はその講演に向かうため、現在新千歳空港のさくらラウンジでこの記事を更新している最中だ。明日は2講演、合計5時間講演である。)

来年の講演予定でも、そのテーマで話す予定が決まっているところもある。

まずは来年1月17日(木)の沖縄県うるま市のうるマルシェで18:30〜行う講演は、琉球介護コミュニティ協会主催・介護スキルアップセミナー第1弾として「介護職に必要な接遇マナー」をテーマにした90分講演である。

またバレンタインデーの2月14日(木)に大阪の寺田町駅すぐ近くのSK アカデミービル で行う大阪市老連主催のデイサービス連絡協議会研修も、「介護事業所におけるサービスマナー 〜ホスピタリティを極める!感動をもたらすサービスへの挑戦〜 」をテーマとした120分講演である。

どちらも一般参加者を受け付けているオープンセミナーであるので、興味のある方は是非張り付いた文字リンク先から内容を確認していただきたい。ただしどちらも会場の関係で、受付人数には制限があるので、申込はお早目がお勧めである。

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感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘むサービスマナー


日本の最大の課題は財政再建であり、来年10月に予定されている消費税の増税も、そのために国民にも痛みを強いるものである。

それは超高齢社会において膨らみ続ける社会保障費の財源を確保するという意味もある。ただし消費税をいくら上げたとしても財源は限られており、給付の抑制は必要であると言われている。そのため引き続きプライマリーバランスゼロ政策は続けられ、高齢化に伴う社会保障費の自然増はできる限り抑える政策がとられていくことは既定路線である。

よって介護給付費の伸びもできるだけ抑えられるのだから、一人に給付される額は現在より単価が下げられていくことになる。そうであっても高齢者の数が増えるのだから、介護給付費自体は2018年の10兆円から2028年には20兆円になる。つまり高齢者介護市場とは、今後10年間で10兆円の給付費が増えるというビッグマーケットなのである。それは周辺産業を含めると2025年には100兆円と言われる巨大なマーケットとなるのである。それは企業にとって「おいしい市場」であるということができる。

よって介護保険サービスへの参入事業者は増え、単価の低さを数の確保で補おうとする顧客確保競争が激化することは必然の結果となる。

その中で介護サービス利用者は、団塊の世代の人々が中心層となっていき、その人たちはスマートホンやタブレットを使いこなして、ネット情報から介護サービス事業者を選択していくことになるだろう。

そこではサービスの品質の「口コミ情報」によって、顧客確保できるかどうかが左右されるという状況が生まれてくる。ここで重要となるのは、人の暮らしや命に直結するサービスにおいて、偽の口コミ情報は利用者にとって「命取り」にもつながりかねないので、偽物であるという情報もネットに飛び交うということである。

よって偽情報によって選択された事業者が一時的に顧客を確保できたとしても、そうした事業者を利用して失敗したという情報がインターネットを通じて拡散し、それによってそうした事業者はやがて淘汰される可能性が高い時代になっていくのである。

そうであれば介護事業者に偽物ではない本物の、「サービスの品質向上」が求められ、その結果を出すことは不可欠である。しかしその結果とは決して国が推奨する「自立支援介護」の数値結果ではないだろう。そんなもので利用者が事業者を選択することにはならず、利用者が事業者を選ぶに際しては、「どんな従業員が、どんなサービスをしてくれるのか」というより具体的な情報が求められてくるだろう。何よりも利用者にとってサービスを提供する人の「感じが良いか悪いか」という具体的で生きた情報が求められてくるだろう。

そこでは従業員の「真のおもてなしの心(ホスピタリティ)」が最大の武器となるが、ホスピタリティはマナーのない職場には生まれない。

そういう意味で、介護事業者においてサービスマナーを確立することは、職業倫理や顧客に対する礼儀という意味合いを超え、事業戦略上必要不可欠な職員教育になりつつある。労務管理としてそれができない事業者は廃業への一途をたどり、サービスマナーを持たない職員は、業界で職を続けても底辺の収入しか得られないことになると断言しておこう。

そのため介護事業におけるサービスマナーに関する研修は絶対に必要となるが、なかなかそうした内容の研修が実施される機会が少なく、参加できないのも事実だろう。

そこで情報提供をしておきたい。介護事業におけるサービスマナーについて学んでみたいという人で、茨城県周辺地域にお住まいの方に朗報がある。
茨城県サービスマナー研修
12月15日(土)14:00〜17:00、取手ウェルネスプラザ(茨城県取手市)で行われる茨城県介護人材確保・定着バックアップ事業、複数事業所連携事業、合同研修会において、「感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘むサービスマナー」というテーマで講演を行なうが、この講演は無料で参加できる講演会である。
(連絡先:Tel 0297-84-6081 Fax 0297-84-6083 担当:介護老人保健施設もえぎ野 雑賀様)

会場の都合で参加人数は限定されているが、取手市ということで茨城の方のみならず、千葉の方も参加しやすい場所ではないだろうか。

この研修には、職場で影響力を発揮できる介護事業者のリーダーの役割を担っている方々に是非受講していただきたい。そういう人が職場に持ち帰って改革に努めてほしいと思うからだ。

お近くの方はこの機会をお見逃しなく!!

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対人援助におけるサービスマナー確立の課題3


対人援助におけるサービスマナー確立の課題2より続く)
介護事業者におけるサービスマナーの確立は、今後の事業経営におけるリスクマネージメントとしても求められている。そのことは昨日の記事で詳しく解説したつもりだ。

しかし東社協以外の職能団体で、サービスマナーに特化した研修を定期的に実施しているという話は聞かないし、サービスマナーに特化していなくとも、介護事業におけるサービスマナーをメインにした研修会を開催している都道府県や職能団体があるという話は聞こえてこない。それだけこの問題に鈍感な関係者が多いのではないだろうか。

これでは介護業界全体のマナー向上は不可能であると思ったので、東京に次ぐ第2の都市である大阪市でこの研修を行なえないかと画策した結果、大阪市老連さんのご協力でそのことが実現する。

来年2月14日に大阪で初めて「介護事業者におけるサービスマナー研修」が実施されることについては、先週木曜日の記事でお知らせしたところである。

ところでこの計画を立てた段階で、サービスマナー研修を実施する時期がどうなのかという話があった。本来サービスマナーとは、経験の浅い職員が学ぶべきテーマで、2月という年度末より、年度が替わった4月以降の新入社員が多い時期の方が有効ではないかという声もあった。

しかし介護事業に限って言えば、新人教育として「サービスマナー研修」を行うのは、ほとんど意味がないといえる。

新人教育としてサービスマナー教育が有効になる唯一無二の条件とは、新人以外の従業員のサービスマナーが確立されているということである。そういう環境下において、新人は入社した時点で座学においてその基本的考え方と実践方法を学んで、そのうえで実地教育として、サービスの現場で先輩職員の言動を手本にして、座学で学んだサービスマナーを、OJTを通じて実践法として身に着けることができる。

しかし残念なことに、多くの介護サービス事業者では手本となる先輩職員がいないというのが現状だ。サービスマナーとは何か、なぜそれが必要かを理解していない集団の中に、サービスマナーを学んだ新人を放り込んでも、座学で学んだサービスマナーを実践に活かせるわけがない。汚らしい「ため口」が飛び交っている現場に、丁寧語を基本としなさいと教えた職員を放り出しても、1日もかからず先輩職員の汚いため口に侵されて、新人職員の言葉遣いも汚いものとなり、礼儀に欠ける顧客対応に終始する職員に成り下がるだけである。

よって新入社員より先に、新人の教育係となる今いる職員にサービスマナーが何たるかを教え、サービスマナーに沿った対応を、介護サービスの場で実践できるように教育せねばならないのである。特に介護サービスの場でリーダーの立場にある従業員に、サービスマナーを徹底させる教育訓練が求められるのだ。

そういう意味で来年2月14日の大阪市内での「サービスマネー研修」には、大阪周辺の介護事業者の中で、実践リーダーとなっている人たちにたくさん参加してもらいたい。僕からのバレンタインデーの贈り物は、清々し礼儀のある清々しいによって引き出せる従業員のホスピタリティの精神と、それによって生まれる利用者の方々の心からの笑顔である。

想像してみてほしい。

忙し業務の中でナースコールに対応するのが遅れそうなときに、「少々お待ちください」といえることが当たり前の職場を。そして改めてコール対応する際に、ごく自然に利用者に対し「お待たせいたしました」と声をかけることができることが当たり前である職場を。

利用者から何かを要求されたとき、ごく自然にすべての職員が「かしこまりました」といえる職場を。

利用者に対して適切性に欠ける対応があった時、「失礼しました」、「申し訳ございません」という言葉が自然に発することができることが、職員として当然の対応であると考え実践されている職場を・・・。

しかしこれらの言葉は、「8大接客用語」と言われており、一般的なサービス業においては、ごく自然に従業員が使いこなしている言葉である。コンビニではアルバイトの学生がごく自然に使いこなしている言葉なのだ。言葉遣いを知らないなどと揶揄される若者が、小遣い稼ぎの場で普通に使いこなしている言葉にすごない。それと同じ言葉遣いで顧客である利用者に接することができないことの恥ずかしさを知るべきだ。

そういう言葉で接することができるのが「理想」などと言っている職場は、現実レベルが低すぎるだけなのである。

しかるに介護事業者では、「ちょっと待ってね」・「待った?」・「わかったよ」・「ごめんごめん」なんて言葉が、利用者に対し頻繁に発せられている。このことが不適切極まりないということにさえ気が付かないデリカシーに欠ける職員がわんさかいるわけだ。

そんな言葉しかつかえない職員も、そんな言葉遣いを放置している管理職にも、恥を知れと言いたい。

サービスマナーを身に着けるということは、こうしたレベルの低い現実を直すということにほかならず、無礼で醜い対応を介護事業の場からなくしていくということに過ぎないのである。

さほど難しいことを学べと言っているわけではなく、それもできないというのなら介護給付費を挙げるなどという主張はおこがましいとしか言えず、安かろう悪かろうサービスにとどまっていても仕方がないと言われてしまう。

そもそも人を幸福にしないサービス、おもてなしの精神のないサービスは対人援助であるといえないし、そんなものを社会福祉と呼ぶのは笑止千万なのである。

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対人援助におけるサービスマナー確立の課題2


対人援助におけるサービスマナー確立の課題1より続く)
サービスマナーの基本は正しい言葉遣いである。お客様に対して適切な言葉遣いで対応することが、礼儀としてまずは求められるのである。そこからサービスは始まるのだ。

相手に不快感を与えず、かつお客様に好ましいと思ってもらえる言動の作法は、対人援助のプロとして持つべき最低限のスキルである。我々には介護のプロとしてコミュニケーション能力が問われることを自覚すべきだ。

しかしその基本ができていない介護事業者が多すぎるのだ。それもこれも「言葉遣い」をはじめとした、顧客に対応する正しいサービスマナー教育がされていないことが唯一無二の原因である。この部分の経営者の意識は低すぎるといってよい。今まではそのことは介護事業経営に影響がなかったのかもしれないが、今後は決してそうではないことを強調しておきたい。

社会情勢を鑑みると、事業者全体のサービスマナーの構築は経営に直結する問題であると気づかねばならない。

なぜなら財源事情から給付は制限されるとは言えど、介護保険サービス受給者が増え、給付費用は現在の10兆円から2028年には20兆円になるのだから、10年間で10兆円増加する給付費をターゲットにして、この業界に参入する企業は増えることになる。競争相手が今以上に増えるのだ。

しかし現在より顧客単価は抑えらる中で競争が激化するという意味は、その中で売り上げを伸ばそうとすれば顧客数をいかに伸ばしていくのかが経営戦略として最重要課題となるということだ。介護事業に参入事業者が増える中で、顧客確保競争が激化し、すべてのサービス種別において顧客確保に困らない売り手市場という状況ではなくなっていくのは必然の結果である。

そんな中で介護事業経営を続けていくためのは、他の事業者と差別化して顧客から選ばれていくことが最大の課題となることは間違いなく、顧客から選ばれるために、組織としてサービスマナーを確立し、それを基盤としてホスピタリティの精神を持つ職員を育成していくことは急務の課題である。

介護事業者におけるサービスマナーを確立するためには、組織全体でその啓蒙と教育に取り組んで、従業員の意識を改革せねばならない。本来のあるべき姿とは何かということに気づかせねばならない。そうであれば対人援助に携わる人間の美しさと、醜さの両方を気づかせねばならない。

介護事業者の若い職員が、自分の祖父母と同じくらいの年長者に、「〜だよ」・「〜でしょ」・「何やってるの」などと声をかけている姿は、端から見て決して微笑ましい姿ではなく、親しみやすさはみじんも感じられない。

その姿は無礼で不快で、醜い姿でしかない。若い人たちは自らのその醜い姿になぜ気が付かないのだろう。その恰好悪さになぜ気づかないのだろう。

介護事業者の中にも、先輩や同僚や後輩が顧客である利用者に、「ため口」で話しかける醜い姿を見て不快感を持っている人はいるはずだ。事業所内で従業員が人生の大先輩である利用者の方々にタメ口で話しかけている状態に問題意識を持つ職員も多いはずである。そうであるにもかかわらず、顧客に対する不適切な言葉遣いがなくならない一番の理由は、サービスマナーを個人の資質の問題として捉え、組織運営の問題と考えていないからである。

その状態を変えるために、組織全体で改革に取り組もうとする職場では、必ず抵抗勢力が頭をもたげるだろう。その中には、人手が不足してただでさえも忙しいのに、「言葉遣い」という些細なことに取り掛かっている暇はないなどというわけのわからない抵抗が生まれるかもしれない。

しかし顧客に対する言葉遣いは決して些細なことではないし、不適切な言葉遣いを放置しておく限り、礼儀やおもてなしの精神は生まれない。

そもそも言葉を丁寧にするということに、どれほど時間が削られるというのだろう。日常的に「丁寧語」で話しかける訓練のためには、それなりに時間は必要かもしれないが、その習慣を身に着けた瞬間から、言葉遣いや態度に気を付けることに時間は取られない。業務負担の増にはならないのである。

従業員に求めるものもたいして難しい内容ではない。別に言葉の達人になって、尊敬語と謙譲語、丁寧語と美化語を使いこなせと言っているわけではないのだ。最低限のお客様に対するマナーとして、「ため口」はやめて、お客様が不快になるリスクのない、「丁寧語」で会話しましょうということに過ぎない。

訓練の時間が必要だと書いたが、しかしサービスマナーの確立のために顧客である利用者の方々に「タメ口」で話しかけるのはやめようとすることに、どれだけの訓練を必要とするというのだろう。そんなものは注意された本人の自覚一つで、注意された瞬間から変えて実行できることだ。

それもできない従業員なら、対人援助のプロとして持つべき最低限のコミュニケーションスキルがないという意味だ。

そんな人間は介護事業に向かないと言わざるを得ない。さっさと退場いただこう。

そんな程度のこともできない輩は切るべきだ。介護事業経営者には、そのような覚悟も求められるのを忘れてはならない。
対人援助におけるサービスマナー確立の課題3に続く)

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対人援助におけるサービスマナー確立の課題1


先週金曜日(10/5)に、飯田坂で行われた東社協主催のサービスマナー研修講師を務め、介護事業者におけるサービスマナーの必要性と、マナーを意識したサービス提供の方法論を講義してきた。

東京都社会福祉協議会が、サービスマナー研修を始めたのは介護保険制度が始まった当初からである。

その動機と理由は、措置制度という、「行政が決めた施設に入所させる仕組み」の中で、サービスを提供する側と、サービスを受ける側との間に明らかな上下関係が生じ、サービスを提供する職員には「お世話をしてあげる」という感覚が生まれ、サービスを受ける利用者には、「お世話をしていただいている」という感覚が生まれ、その結果人生の大先輩である高齢者に対して、幼児言葉での叱り、友達感覚での話し方が横行し、やがてそれが指示的・威圧的な口調につながって、虐待と見まごうような不適切な対応が目についたからであるとのことだ。

そのため武蔵野大学の岩本操准教授が講師を務めるサービスマナー研修を続け、同時に岩本准教授が執筆した「サービスマナー実践テキスト」などを発刊している。(参照:サービスマナーの実践は専門的行為である  ・ サービスマナーの軽視がもたらす人権侵害

僕も東京都社会福祉協議会さんからは何度か講師として招かれており、その中で「介護サービスの割れ窓理論」を提唱する立場から何度かお話をさせていただいていたところ、岩本准教授が僕の講演を聴いてくださる機会があり、その後のオフ会でもご一緒して、「今度是非一緒にサービスマナーについてのコラボ講演を行ないましょう」という話をしたのが一昨年のことであった。

そのことがきっかけで、今回岩本准教授の定例講座の露払い的な内容で、僕が講演を行なうことになったわけである。

ところで介護事業者を対象にしたサービスマナーの研修の難しいところは、対人援助サービスを利用する方々は、施しを受ける人ではないし、単なる利用者でもなく、「顧客」であるという説明から入らねばならないことだ。

介護関係者の中には、利用者が顧客であるという理解ができておらず、その定義に疑問を投げかける人さえいる。

しかし介護を職業として、そこで生活の糧を得ている限り、そのサービスを利用する人は間違いなく、「顧客=お客様」なのである。

そもそも「顧客」とは、自社の商品・サービスを販売する対象であり、すでに購入(あるいはサービス利用)してくれている顧客だけでなく、購入の可能性のある範囲までを含めてとらえる必要がある。そのことは他産業では常識とされているのに、介護関係者(医療関係者も同様だが)で、この意味を理解していない人が多すぎるのだ。

利用者は顧客ではないだろうと考えるオツムのレベルが疑われる人もいることが最大の問題だ。

顧客が「買う」と考え、「買う」決断し、「買う」行動をとり、「買う」ためのお金を支払うのだ。介護サービス事業も、サービスを利用してくれる人がいないと経営できないという常識が分かっていないのかと疑いたくなる。

サービスマナー研修は、保健・医療・福祉・介護分野以外の営利産業・サービス業でも行われる機会が多いが、そこでは「お客様に対して、ため口で接してはならない」と教えることはない。それはあり得ないのが常識だからだ。

ところが保健・医療・福祉・介護分野のサービスマネー研修では、そのことを教えなければならない。そこから始めなければならないくらい、礼儀という面ではレベルが低いのだ。

他産業では顧客に対してため口で接してよいかどうかなど議論にさえならないのに、保健・医療・福祉・介護分野ではいまだに、ため口で接することが「親しみやすさ」の表現であると勘違いしている輩が多すぎるのである。その結果、親しみやすい職員どころか、馴れ合いを日常とする無礼で失礼な対応に終始する職員を生んでいるのだ。

利用者は顧客であり、顧客に対しては好ましい言動の作法が必要不可欠で、なおかつ他の事業者より多くサービスを利用していただくためには、真のおもてなしの心が求められるというところから話を始めなければならない。そして丁寧語で会話しても「親しみ」は十分伝わるというを説明し、顧客にため口で接するのは礼儀を欠く失礼な行為でしかないところから話を始めなければならない。

この状態こそ現在の対人援助サービス、介護業界のサービスマナー意識のレベルの低さを表しているといっても過言ではないだろう。それはスキルの低さであるといっても過言ではない。なぜなら介護とは、コミュニケーションースキルが求められる職業なのだから、丁寧な言葉遣いで対応し、コミュニケーションを交わすことができないというのは、介護を職業とするプロフェッショナルとしての技術を持っていないという意味になるからだ。

この意識レベルの低さを変えて、ホスピタリティの基盤となる「サービスマナー」の確立を急がないと、介護という職業は、無意識に人の心を傷つけ、人の心を壊しながら、無礼を押し付ける状態がなくならないまま、安かろう悪かろうサービスとして存在し続けることになりかねないのである。
対人援助におけるサービスマナー確立の課題2に続く)

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サービスマナーは利用者のために必要とされているわけではない


伝統的な日本の地域社会では、向こう三軒両隣の関係性が保たれ、そこではサービス業も常連客が顧客の中心で、客を迎えるためのマナーよりも馴染みの会話が求められる傾向が強かった。

しかし地域における住民間の人間関係の希薄化が進むにつれて、そこにおけるサービス業に求められるものにも変化がみられ、接客は馴染みや親しみより、一人一人のお客様への丁寧なもてなしが求められるようになった。

それとともに「馴染みと親しみやすさの接客法」は、個人の資質で左右され、場合によっては乱暴で馴れ馴れしく、ずうずうしい客対応に変化するという性質が明らかにされるようになった。そのため個人商店も、大手チェーン店の接客技術を取り入れるようになった。

今、介護サービスを利用する顧客の多くが、そうした接客に慣れ親しんだ人々なのである。

そのため僕は日ごろから、介護事業においてもサービスマナーが必要だと主張して、それに関する講演も行っている。僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」も、サービスマナーの基盤となる、「言葉遣い」に関する理論である。

そんなこともあり、世間が3連休だった先週土曜日から昨日にかけて、僕は10/5に飯田橋レインボービルで実施される、「東京都社会福祉協議会主催 サービスマナー研修会」のための講演スライドづくりを行っていた。同会では武蔵野大学の岩本先生の「高齢者福祉施設におけるサービスマナー研修会」を毎年行っているが、10/5はそれにつなげる露払い役の研修会という位置づけで、マクロの視点から介護事業者におけるサービスマナーの必要性を説くものである。

しかし東京都社会福祉協議会のように、サービスマナーの研修を計画的・継続的に行っている団体は他にほとんどないといってよい。

それは介護事業の職能団体にも、介護事業経営者にも、サービスマネーを確立する動機づけがないか、その意識に欠けるという理由ではないかと思えるが、これは由々しきことである。

時代の変化は、介護サービス事業の事情も大きく変化させ、顧客確保に苦労しない介護事業はなくなりつつあり、待機者であふれていた特養でさえ、営業しないと空きベッドが生ずる状態になりつつある。

そんな中で、今後介護サービスの顧客となる中心層は、団塊の世代の方々となっていくが、それらの方々は高度成長期の日本経済を支えてきた世代である。その世代の方々が大きな塊であるからこそ、団塊の世代に売れる商品を開発すれば、ほかの世代に売れなくとも儲けることができたという意味では、あらゆる場面でニーズが最大限に配慮されてきた世代であり、顧客として手厚く遇されてきた世代なのである。

そういう世代の人々から、どうやって選ばれるのかということは、介護事業者にも求められる視点なのである。

別の角度から考えると、いつまでも介護事業者が利用者に対して「ため口」で接することが親しみやすさだと勘違いする場所では、サービス提供者の上位意識がなくならず、施し意識が抜けない状態の中で、感覚麻痺と不適切対応がはびこり、それが虐待につながっていく。そのことは大きな経営リスクなのである。

先日も熊本県のグループホーム「ゆうしん三丁目」で虐待事件が発生した。入所者の88歳の女性を殴って死亡させたとして、介護職員の男性(49歳)が傷害致死容疑で逮捕されているが、被害者は腹部を殴打されて腹部内で内出血を起こし、腹部内の出血性ショックで死亡したという信じがたい事件が起きている。こうした事件につながる行為も、サービスマナーのかけらもない対応に終始していることが根本原因である。

このような事件が起きると、その事業者は経営継続が困難になりかねない。今現在、経営状態が良好で、業績が順調に右上がりである事業者であっても、こうした事件が起きた途端、経営継続が難しくなることは、介護サービス大手のメッセージ(岡山市)の事例が証明している。

つまり介護事業者においてサービスマナーを確立することは、職業倫理や顧客に対する礼儀という意味合いを超え、事業戦略上必要不可欠な職員教育になりつつある。労務管理としてそれができない事業者は廃業への一途をたどり、サービスマナーを持たない職員は、業界で職を続けても底辺の収入しか得られないのである。

介護事業経営者は、そうした意識をしっかり持って、職能団体がサービスマナー研修を実施しているならば、積極的に職員を参加させるとともに、できれば事業者の内部研修として、全職員を対象に最低年1回程度は、サービスマナー研修を開催すべきである。

そうした研修には、声をかけていただければいつでもお手伝いしたいと思っている。

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サービスマナーが命綱となる介護事業


生産労働人口が減り続けるわが国では、全産業において労働力の確保が最大の課題となる。

その中で若者が選ぶ仕事として決して人気があるとは言えない介護事業は、人材確保面ではさらに厳しい状況を迎えざるを得ない。

そのため介護事業経営は、顧客確保戦略を盛り込んだうえで、人員確保・育成システムを織り込んだ経営戦略を立てていかないと破綻するのは必然である。

だからといって人をかき集めさえすれば、その質は二の次かといえば決してそうではない。対人援助である介事業は、人の感情と向かい合う職業であり、その感情を害する質のサービスは、常に破綻の危機を抱えることになる。

特に昨今のスマートホンの普及は、誰でもどこでも簡単に動画撮影を行うことができる状況を生み出し、頻繁に報道される介護事業者による虐待・不適切サービスを耳にする人が、自分の親が受けている介護サービスの実態を知ろうとして、隠し撮りを行うことはごく自然な成り行きといってよい。

その時介護事業に従事する人々は、隠し撮りされることに憤りを感ずるのではなく、いつでもどこでも隠し撮りされた自分の姿を見られて恥ずかしくない仕事をすることに努めるべきである。隠し撮りのカメラに注意するのではなく、隠し撮りされても堂々とその姿を見てもらって恥ずかしくない介護サービスを実現することが、介護のプロといえる姿勢であり、矜持である。

また昨今の介護経営事情を見ると、顧客を確保できず事業経営が成り立たない事業者が増えつつある。介護給付費の単価アップが期待できない情勢では、顧客を増やして定員を増やしたり、ベットの稼働率を上げていかない限り、人材を定着させながら事業経営を続けることができる収益を挙げることはできないからだ。

虐待報道などの影響で、世間からより厳しい視線を受けざるを得ない社会情勢の中で、顧客確保につながるのは、施設設備などの表面上の豪華さではなく、実際の暮らしの質=高品質な介護サービスである。

そうであれば管理職のみならず、介護事業従事者のすべてが法令を正しく理解したうえで、それを遵守することはは当たり前であり、そんなものは顧客確保の要素にさえならないということ理解したうえで、その先のホスピタリティ意識を従業員全員が持つことが安定経営には不可欠となる。

そのためには、顧客満足を軸にした教育訓練の実施は不可欠である。介護サービス技術、福祉用具の利用方法、高齢者疾患に対する医学的知識、衛生管理、緊急時の対応、介護事故防止といった教育も重要であるが、それ以外に接客マナー、利用者の秘密保持、利用者とのコミュニケーションなどについての教育訓練が、介護事業経営の上では非常に重要となる

このようにホスピタリティの基礎となるサービスマナー研修を定期的に行っていない事業者は、それだけでも経営危機を内包しているといえるのだ。

各事業者は内部研修の中で定期的に「サービスマナー研修」を実施すべきである。

こうした研修を定期的に行っているのが、東京都社会福祉協議会である。同会では武蔵野大学の岩本先生の「高齢者福祉施設におけるサービスマナー研修会」を毎年定期的に行っているが、僕が唱える「介護サービスの割れ窓理論」もサービスマナーの基礎をなす理論であるとして、今年から僕も同会のサービスマナー研修の先駆けとなる研修講師を務めることになっている。

平成30年10月5日(金)13:00〜17:00、飯田橋レインボービル 7階で行われる、「介護施設のサービスマナー」という講演では、自身の体験例や理論、思いなどを含めてサービスマナーの重要性をお話しさせていただく予定である。

対象者は経験の浅い職員ということであるが、若いうち、経験の浅いうちにしっかりとしたマナーを身に着けないと、古いさび付いた無礼さで、人を傷つけることに鈍感になってしまうので、この研修は非常に重要となるだろう。

認知症の人に対する「タメ口」によって、行動・心理症状につながる事例も含めて、サービスマナーが意識されないサービスの貧困さを改めて理解していただけるようにしたいと思う。

こうしたサービスマナー研修は、本来であれば事業所職員全体で受講したほうが効果が上がるので、ぜひ各事業所でそうした研修を企画してほしい。その時に外部講師が必要なら、いつでも気軽に声をかけて相談してほしい。予算が限られている場合も、その予算に応じて日程調整するので、メール等でご連絡いただければ幸いである。

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仕事ができる人とは、業務をこなせる人ではない


保険・医療・福祉・介護の職業以外で、顧客に対して「ため口」で話しかけて許される職業はない。他の職業では、顧客に対して丁寧語で会話すべきかどうかということは議論にさえならない。そのことは至極当然の姿勢といえるからである。

介護業界は、そうした常識を持ちあわせていない異常な業界である。

介護業界ではいまだに顧客に話しかけるときには、丁寧語を使うべきではないかという議論がされ、各事業者で丁寧語で会話をする指導がされているという状況は、この職業がいかに未成熟で、品性に欠けているかという証明でもある。

有名な講師が壇上で、顧客である高齢者を「じいさん、ばあさん」と呼んで、それが親しみのある表現だと勘違いした輩が、実践レベルがその講師の域に達していないにも関わらず、その講師の汚い言葉だけを真似することによって、介護サービスの場で心づかいのない言葉に傷つけられる人がいなくならない。そのことを考えると、そのような不適切な言葉を使って講義する人間が、いかに高い介護技術を持っていて、達人の域に達していようと、その利より害の方の影響が大きいという意味で、バリアでしかない。それは前時代的存在といってよく、さっさとこの業界から去ってほしいと思うのである。

自分自身は30年以上介護施設などで働き続けてきたが、就職したばかりの一時期を除いて、ずっと利用者に対しては「丁寧語」で接してきた。その姿勢自体は、自分自身の中では誇りでも何でもない。ごく当たり前のことというレベルでしかない。そうしない他の人たちがどうかしていると思っている。

この職業を通して、社会の一員として認められ、この職業のおかげで生計を維持し、家族を養ってきた僕の身としては、いつまでも介護という職業を、顧客に向かってため口を使って話しかけるのが当たり前という恥ずべき状態に置きたくはない。自分や自分の家族が胸を張って、介護という職業に誇りを持てる状態にしたい。そのために『介護サービスの割れ窓理論』を20年以上前から唱えてきたし、全国各地で行う講演会でも、そのことを提唱し続けている。

この理論に共鳴して、自らの職場でこのことを実現させようとしている管理職の方も徐々にではあるが増えてきている。しかし僕と共通した思いを持つ介護経営者や管理職の皆さんの悩みとは、一度浸透してしまった、「ため口での会話」に慣れ親しんだ職員が、なかなかその習慣から抜け出せないというものだ。

しかし言葉遣いの改善は、単に事業経営者や管理職の思いとして職員に伝えるだけではなく、「職場の掟」としてのルールを定め、実践できない職員には、実践できている職員との差別化を図るために、何らかのペナルティを課すなどして、経営者が本気で取り組まねばならない問題なのである。おざなりの姿勢で、長年にわたって培われた悪習が変わるわけがないのである。(参照:説得ではなく納得の職場改革が求められている

利用者に対するため口を改めることができない職員は、昇給時期が遅れるだとか、役職に就けないだとか、様々なペナルティが考えられるが、そのことを就業規則として定めるべきである。

その時一部の管理職の方から、「言葉遣いを改めることはできないけど、仕事ができる職員」であれば、ペナルティを課すことで辞められては困るという意見がある。そもそも介護職員が足りないご時勢で、仕事ができる職員に対して、言葉遣いを直せないという一つの欠点のみを指摘して、へそを曲げられて辞められては困るとして、「叱る」ということすら躊躇する上司がいたりする。

しかしそれでは言葉の改革などままならない。仕事さえできれば言葉遣いのルールなど無視してよいと思われるからだ。

そして「仕事ができる」と思われている、言葉遣いの荒い先輩職員の姿を見た後輩は、低きに流れていくのは必然の結果で、そうした職場で「利用者には丁寧語で話かけましょう」という掟は、お題目・スローガンの域から脱することはできなくなる。

しかし仕事ができるって何だろうか。事業経営者の思いとは経営理念である。理念とは理想でも幻想でもなく、たどり着くべき究極の目標を達成するための考え方そのものである。その経営理念に沿って定められた職場のルール・職場の掟を護ることができない職員は、仕事ができているといえるのだろうか。

その職員は、単に日々の業務をこなすことに長けているだけではないのか。それが対人援助の中で、どれほど評価できることだというのだろうか。

むしろそうした職員の存在により、職場の掟が形骸化して、利用者に丁寧な言葉遣いと態度で接するという、介護のプロとしてのサービスマナーが無視され、すべての職員にホスピタリティの精神を持ってもらいたいという経営者の思いが実現しないのなら、その職員は仕事ができるとは言えない。むしろ経営理念に反した行動に終始するいらない職員だ。百害あって一利ない職員だと考えるべきだ。

現にある職場では、仕事ができると言われていた、そのような職員を降格させ、自主退職した後、職場の雰囲気が変わり、丁寧な言葉遣いが浸透していったという実例がある。

介護経営者の方々は、この部分で決して勘違いしないことだ。本当に変えたいと思うときは、その思いについてこれない職員については、日常業務に精通していたとしても、その職場では不要な人材であると考える覚悟も求められるのである。

サービスマナーが確立されていて、利用者に対してごく当たり前のように職員が丁寧に語りかけられる職場には、「利用者に思いやりをもって接する介護をしたい」という動機づけを持つ、志の高い人が募集に応募してくる傾向がある。

介護事業経営者の方々には、単なる人員ではない、人材が集まる職場を創るための重要な要素が、サービスマナーと言葉遣い教育であることに早く気が付いてほしい。

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割れ窓理論を職場に浸透させるために


五島列島福江島滞在3日目の朝を迎えた。

昨日は社会福祉法人・明和会さんの開設20周年記念式典での記念講演を行い、今日は五島老人福祉施設協議会さんと五島市介護支援専門員協会さんとの合同研修会での3時間講演を行って、もう1泊五島市に滞在した後、明日は夜の長崎市講演に向けて福江空港から長崎空港に向かう予定になっている。

今日はこれから五島市をプチ観光した後、そのまま講演会場に向かうため、いつもより早い時間に記事更新しているところだ。

こんなふうに全国各地で講演を行わせていただいているが、そのテーマも様々で、制度論から経営論、虐待防止やケアプラン作成法、介護実務からソーシャルワークまで多種多様なお話をさせていただいている。(参照:masaの講演予定

それらはすべて講演主催者の方から依頼を受けて、相談のうえで決めているテーマである。

そうしたテーマ相談の際に、職員の接遇やサービスマナーを問題視して、日ごろから従業員の態度を苦々しく思いながら見ている経営者や管理職の方から、「介護サービスの割れ窓理論」をテーマとして依頼されることも多い。その場合は介護実務の話の中でその理論の意味をお話しして、言葉遣いがいかに大切であるかという例を示すとともに、悪気のない「ため口」によって深く傷つく人々の例を紹介したりしている。

考えてみれば利用者と会話する際に、言葉遣いに注意して丁寧語を使うようにするということは、さしたる能力を必要とせず、知識や技術に関係なくすぐに実践できることだ。しかしそのことが実行されないということは意識の問題で、言葉を丁寧に使うことの重要さを理解できておらず、顧客である利用者に対して「ため口」で接している己の醜さと、その恥ずべき姿勢に気が付いていないということだ。

それを経営者や管理職の人々が一生懸命変えようとしているのに、なかなかうまくいかないという。

しかし介護サービスの割れ窓理論を、職場に浸透させて、すべての従業員が丁寧語を使いこなせるようになるためには、相応の覚悟が必要だ。研修を受講してそれだけで職場が変わるということはなく、職場が変わるために経営者や管理者がしなければならないことがあるのだ。

他人と過去は変えることができない。しかし自分と未来は変えることができる。」という言葉があるように、自分以外の他者が変わることを期待する前に、まずは自分自身の姿勢を変えなければならない。そうしないと職場の未来も変わらない。

利用者に対しては常に、どのような状況に置かれても、丁寧語で対応できる自分を創ることがまずは大事である。さらに自分が利用者に対しては、決して「ため口」で接することがないことを、職員に対しても宣言すべきだ。そのうえで職員にも、利用者に対して日常会話は丁寧語を使って行うことをルールとして課すべきである。そのためには職務規定として利用者に対して丁寧な言葉で接するというルールを盛り込むべきである。

ルールとして課す以上、その意味を十分に伝え職員に理解してもらわねばならないので、一方的に朝礼等でそのことを宣言するのではなく、ひとりひとりの職員に、その思いを伝え実践の理解を得るべきである。特にその姿勢がなかなか身につかない職員に対しては、個別面接を行い、なぜその姿勢が身につかないのか、今後自分はどうしたいのかなどを聞き取るべきである。

とかく介護事業の経営理念は、抽象的でどうとでも取れる内容になることが多いが、利用者に対する言葉遣いに関しては、そうした抽象論ではなく、丁寧語を使って会話するという具体論であるのだから、だれもが実践できるはずだし、実践しているかいないかの評価は、これほど簡単明瞭なものはない。

それを服務規定に定めるのだから信賞必罰の原則を貫き、日常的に丁寧語で利用者に接することができない職員は、リーダーや管理職などに昇進させず、次元報酬(給与の上位等級への引き上げ)評価も行わないとすべきである。当然、習熟報酬として、年度ごとに測定する能力の向上に対する評価である給与の定期昇給の際にも、この能力を評価することはあってよく、満額の定期昇給を行わないという評価があってよい。

そもそも経営者が理念の実現のために職員に課すルールを、守ることができないという職員がいるとすれば、それはその職場で働く資格や意味がないということなのだから、そうした職員には別の職場を探してもらうように促すべきである。

職員募集になかなか応募がない人材不足だからといって、こうした経営の根幹にかかわる問題において、経営者や管理職の職務命令に従わない職員を罰することもなく、職務命令に従って適切な利用者対応をしている職員と同じ待遇を与えているのであれば、そのような職場で自己改造意欲など生まれるわけがないのである。

そういう意味で、職務命令に従うことができない職員を切るという覚悟も、介護事業経営者には求められるのだ。


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プロの責任、プロの使命


サッカーワールドカップの日本VSベルギー戦を観戦して、日本中で寝不足の人が多い火曜日だと思う。

結果は残念だったが、選手は素晴らしく頑張った。プロとしての技と情熱をしっかり見せてくれたと思う。彼らが帰国する際にはリスペクトの思いを込めて、感謝と拍手で迎えたいものだ。

彼らの頑張りを見習って、今日は一日眠い目をこすりながらも、そのことを利用者に気取られないように、プロとしてしっかりとした思いを込めた仕事をしたいものだ。

僕たちも対人援助を職業としている以上、そこではプロとしての姿勢が求められるからである。家族と同じでは困るし、素人同然の状態で利用者に相対することは許されないのである。そのことをしっかり自覚してほしい。

僕たちの仕事は対人援助であるがゆえに、サービスの場に常に利用者の存在がある。その方々は単なるサービス利用者であるだけではなく、お金を支払ってサービスを受けてくれているのだから、サービス提供者にとって「顧客」である。顧客に相対して接する仕事が「介護」である。そこでは常にコミュニケーション技術が、言語・非言語両面で求められる。そのスキルを常に高めるプロとしての仕事をしているだろうか。プロとして意識を高めるために、コミュニケーションの方法にも気を使っているだろうか。

全産業を通じて顧客に対して、「ため口」がまかり通る職業は、保健・医療・福祉・介護の仕事以外にない。他の職業で顧客に対して丁寧語で話しかけるべきかということは議論にさえならない。それは極めて当然のことだからである。

そういう意味では、顧客に対し「ため口」で会話する職員が常にいて、丁寧語で顧客と会話することが課題になったり、善悪の議論になったりする介護事業とは、極めて異常な職業である。

その状態は、職業としての成熟度が低いと言われても仕方がないし、そうした「ため口」での顧客対応しかできない職員は、能力が足りていないと非難されてもよいだろう。品性を語るまでもないほど、どうしようもない能力の持ち主が多いという意味だ。そうした能力の人間でも、介護という職業について労働対価として報酬を得られる状態は恥ずかしいことである。そういう仕事しかできない人は恥ずべき存在である。

それは介護という職業が、施しという意識から抜け切れずに、真の意味での職業にまで成熟していないからかもしれない。いつこんな状態から脱して、介護が職業として成熟し、その仕事に従事する人々がポロとしての矜持を抱けるのだろうか。

それができない限り、介護の職業で得られる対価が、他産業で得られる対価より低いことはある意味当然とされ続けるだろう。

職業としての成熟度が低く、顧客対応さえ満足にできず、顧客に対してため口で接するという非常識な状況がまかり通っている介護という職業が、職業として成熟し、適切な顧客対応ができる他産業の平均給与よりも低いのは当たり前だと言われても仕方がないのである。

いわば現在の介護という職業の社会的価値は、「安かろう悪かろうサービス」の域を出ていない状態といえるのである。

すべての介護経営者が、このことに気が付いて、介護事業者における職員教育として、顧客に対するサービスマナー研修が定期的に行われ、顧客満足度と接遇を繰り返し検証するようにしていかないと、この状況からの脱却は難しいだろう。

経営者が自ら範を示し、顧客対応としてふさわしい言葉遣いが常にできるようにするのは当然で、その姿勢を管理職に求め、管理者職も各部門のリーダーに範を示したうえでそのことを教育し、従業員すべてにその姿勢を浸透させていくしか方法はない。

経営者の思いを伝える地道な職員教育と、それぞれの部門のリーダーにその範を示すことを職場のルールとしていかないと、一度乱れた言葉遣いはずっと変わることがないだろう。その改革には時間がかかるが、時間がかかるからこそ、変わった状態は財産となることを信じて、日々の努力とあきらめない姿勢が求められるのである。

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説得ではなく納得の職場改革が求められている


僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」に賛同してくれる介護事業経営者や管理職の方は多い。

しかしいざ職場で職員にその実践を求めても、その考え方がなかなか浸透せず、丁寧語で利用者と会話することが実践できずに利用者に対してため口で会話する職員がいなくならないと訴える人も多い。その中には、「口が酸っぱくなるほど、注意しているのに直らない」と嘆く人もいる。

しかし経営者や管理者の方々には、「口を酸っぱくして何度も注意している」という労力は念仏化して、実を結ばないことが多いことを知ってほしい。注意を受ける職員にとって、それは「また施設長の例の注意が始まった。」という程度の響きしかないから、何度も同じ注意を受けても行動変容につながらないのである。

行動を変える動機づけは、上司が言い続けることで生まれるわけではないのだ。

介護サービスの割れ窓理論」とは、職員が利用者に対してため口で接することはプロとして失格であると考えるだけではなく、言葉を崩すことが態度の乱れに通じるリスクを考えたうえで、日常的に丁寧な言葉で接することが、そうした行動の乱れを防ぐ効果があるとして、一定程度以上の介護の品質を担保する対策として実践しようという理論である。

それを業務の中で職員に実行させようとするならば、そのことをきちんと法人のルールとして定め、その法人に努める職員が遵守しなければならない義務であることを伝える必要があるのだ。

つまり業務の中で利用者に対して丁寧な言葉遣いをすることは、法人の憲法であって、法人の「常識」であることを、経営者や管理者が職員に向かって宣言しなければならない。

そのうえでその実行を職員に求めることは、「労務管理」の一環であるという意識を待たねばならない。

その際に経営者や管理者は、職員に対して説得するのではなく、納得できるように伝えることが求められているのである。当然、納得できる説明力も管理者の、「交渉術」・「交渉能力」として求められているという意味になる。

そしてそのルールを守ることは、労務管理上は職員の義務なのだから、それに納得できない職員や、それを実行できない職員は、信賞必罰の原理により、何らかのペナルティを与えられる必要も生ずるだろう。丁寧な言葉で利用者に接することができない職員は、昇格機会を失うとか、人事考課上のマイナス査定にするなどが具体策として考えられてよいものだ。

もともと職員が急に眼の色を変えて働きだすという人事制度はない。こうした言葉の改革も同様で、一人一人の職員に経営者や管理者の思いを丁寧に伝え、まずは幹部職員の実践の徹底から始めて、徐々に職場全体にその風土を広げていくという地道な努力が必要不可欠である。

何よりも職業を行う上で、利用者(顧客)に対するマナーは不可欠であるという教育が必要だ。

組織風土は、あっという間に悪化するが、よくなっていくのには時間がかかるのである。しかし時間がかかるからこそ財産になると考えてあきらめないことだ。

そうであるがゆえに、経営者や管理者は、部下に思いを伝える。丁寧に説明して、厳粛に実行する覚悟が求められる。さらにこうした風土をつくるためには、組織全体で外部の講師を招いた場で、学ぶ機会が得られることが有効な手立てとなる。

僕は法人単位のサービスマナー講習の講師も行っているので、そういう機会を持ちたいと考えている法人及び職能団体等の組織団体の方がおられたら、ぜひ気軽に講師依頼の相談をしていただきたいと思う。

組織の財産となるサービスマナーを創りあげるお手伝いをさせていただきたい。

繰り返しになるが、口を酸っぱくして説得することはあまり意味がないので、納得のための「学びの機会」をぜひ職場全体で持ってほしいものだ。

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新人が利用者にタメ口で話しかけている職場って哀しくないですか


4月も最終週を迎えている今、4月1日付で新任の辞令交付を受けた人たちは、今どの様な心持ちで利用者と相対しているだろう。

新人職員を見つめる先輩職員たちは、どのような目で新人職員の利用者対応を観察し、どんな指導をしているのだろうか。

初々しく新任の挨拶をしていた新人職員たちも、やっと仕事を覚えてきた時期だと思うが、新たな職場で希望を抱いていた時期の大切な気持ちを失っていないだろうか。日々の仕事に追われて、接遇に注意力を欠く新人に対して、先輩が適切に指導しているだろうか。心に余裕をもって、丁寧な言葉遣いに徹することが大事だと指導できているだろうか。このことが今後の介護事業経営に重大な影響を与えることに気付いている人が何人いるだろう。

最初は利用者に対して丁寧語で接していた新人が、日を追うごとに言葉遣いに気を使わないようになって、今では「ため口」が当たり前のような状態で、利用者と会話をしている状態になっていないだろうか。そのような状態を放置している管理者は、介護事業の管理能力を問われるだろうし、そのような状態を「不適切」と思わない職場には、顧客も人材が集まらずに、事業経営が困難とならざるを得ない日は確実にやってくる。しかもそれはすぐ近い将来の話である。

新人職員が、わずか1月で利用者に「ため口」で接するようになる職場は、新人を教育すべき先輩職員たちが、日常的に「ため口」で利用者対応している場合がほとんどだ。プロ意識がない職場といえよう。そういう職場で働くことが喜びにつながるだろうか。勤労意欲は維持できるだろうか。

新人教育研修で講師役を務める管理職が、利用者対応に関する丁寧な対応をいくら教育しても、実際の介護支援の場で、介護職員のタメ口・不適切対応を放置して、是正していない職場では、座学指導も管理職の訓示も、すべてお題目の域を出ない。お題目しか唱えられない管理者も管理職もいなくてよい存在でしかない。

そういう職場では、言葉の乱れが心の乱れに変わり、いつしか横柄な態度で、介護職員が利用者に接するようになり、そのことが日常風景となることによって、不適切な対応に気が付かなくなるという感覚麻痺が生まれる。

虐待は、こうした日常的な感覚麻痺が引き起こすのだ。事件・事故になってそれが大きな問題になってから、そのことに気が付いても遅いのだ。

例えば日常介護の場面で、介護職員が利用者に対して「ちょっと待ってね。」なんて言っている場面があるとする。その言葉は暴力的な表現とは言わないのかもしれないし、その言葉を発している職員に悪気はないのかもしれない。しかしその言葉は命令口調であるとされても仕方がないし、年下の介護職員が、人生の先輩である利用者に対して、そのように声をかけることは適切とは言えない。場合によってそれは「言葉の暴力」と指摘されても仕方がない。

少なくともそうした言葉かけは、顧客に対する言葉かけとしては適切ではないだろう。

時に人は、他人の言葉を刃と感ずる生き物だ。対人援助の場では、身体等にハンデキャップを持つ利用者が、誰かの支援を受けるのだから、その心には常に「負い目」が存在する可能性がある。その負い目が心をデリケートにさせ、何気ない一言に傷つきやすい状況をつくるのだ。

そうであるがゆえに、対人援助に携わる者には、そのデリケートな心を思いやるという配慮を身に付けて関わるという心構えが求められている。それも介護職の専門性の一つと考えてよいのではないか。

李下に冠を正さず」という言葉があるように、人の暮らしに寄り添う我々の職業では、暴力的な言葉・暴言と思われかねない誤解されるような言葉を、日頃から使わないようする心がけが大事だ。それは少しでも人の心を傷つけかねない要素を排除するという心がけである。

堅苦しさを感じさせないようにフレンドリーに言葉を崩すことも誤解を受けるリスクが高い。そもそも親しみやすさを示すために言葉を崩すのは間違っている。適切かつ丁寧な言葉遣いでも、真心は伝わるはずだからである。

介護サービスを必要とする顧客層は、今後団塊の世代の人々が中心となる。それらの人々は日本の高度経済成長を支えてきた人たちで、顧客対応や、そのためのサービスマナー・ビジネスマナーに敏感な人がほとんどだ。

顧客に対して従業員がタメ口で接せることを簡単に許してくれる人達ではない。

同時にそれらの人々は、サービスマナーに敏感であるがゆえに、自分が介護を受ける立場に立って、介護してくれる職員に遠慮して、自分に対する「ため口」に我慢すざるを得ない状況に陥った際に、誰よりもその言葉に傷つく人々でもある。そんな人たちをたくさん産んでしまうのが、言葉遣いに配慮のない介護事業者である。

我々の職業を、我々の職場を、そんな悲しいものにしてしまってよいのだろうか。

わずかひと月の間に、新人職員が利用者に対して、日常的に「ため口」を使っている職場は、このことを今一度考えてほしい。そのことに問題意識を持ってほしい。

そんな状態を良しとする職場には、志の高い人が募集に応募しなくなる。人材が集まらなくなるばかりではなく、人材はどんどん離れていく。そのために事業経営も困難になるのが、団塊の世代が全て後期高齢者となる2025年という区切りの年だ。それはもう目の前である。

今後の介護事業経営において求められる意識は、事業継続のための顧客確保と職員確保のためには、職員のポスピタリティの意識を育てることが最重要となる。ポスピタリティの基盤は、サービスマナーであり、マナーは、社会人として己が存在するための基本姿勢である。

筆者が主宰する、「北海道介護福祉道場 あかい花」では、今後室蘭登別地区を中心に「介護事業におけるサービスマナー研修」を開催していく予定である。このことをテーマにした研修を希望される方は、講演依頼のメールを送っていただきたい。

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丁寧語が固苦しくて、利用者との壁になるという誤解


丁寧語で利用者に接すると、自分と利用者の間に壁ができると思い込み、わざわざ言葉を崩している人がいます。

崩した言葉で伝わるものは、親しみやすさではなく、馴れ馴れしさだけです。それは時に相手にとっては無礼で、不快な言葉にしか過ぎなくなります。

介護サービスの場では、利用者が職員の無礼で馴れ馴れしい言葉遣いに不快を感じても、遠慮して言い出せない人が多々存在します。そんな場面が多々あります。認知症が原因で、苦情を伝えられない人も数多くいます。

そういう人たちにとって、崩した言葉は時に刃(やいば)にも等しいものです。

認知症の人は、どれだけ長く付き合いがある介護職員でも、毎日その職員の顔を忘れてしまいます。それらの人にとって、職員の側が慣れ親しんだ利用者であると思っていても、利用者にとってその職員は初めて会う人です。そんな見ず知らずの初対面の人が、自分に向かって馴れ馴れしいタメ口で言葉をかけるとしたら、自分を馬鹿にしているのか、喧嘩を売っているのではないかと感じます。どちらにしても、そのような言葉かけは、不快この上ないものだと思うでしょう。自分を攻撃していると勘違いするのも当然です。

つまり言葉を崩して生まれるものは、深い谷なのです。

利用者と職員の壁を崩すような結果は生まれません。そもそも丁寧な言葉をかけることにおいて、利用者と職員の間に壁など生じないのです。汚らしいタメ口による声掛けとは、利用者と職員の間に暗くて深い谷をつくって、場合によってはその谷に、利用者を突き落とすことなのです。

言葉を崩して親しまれようとしたとき、どこまでの崩れが親しみにつながり、どのレベルを超えたときに、相手に不快感を与えるかという線引きなど不可能なのです。線を引くとしたら、お客さん様に接する際にとって良い態度であるか、使ってよい言葉であるかというところしかありません。

言葉を崩した先に生まれるものは、利用者と職員の親しい関係ではなく、言葉を崩した側の思い込みから発生する感覚麻痺に他ならないのです。タメ口を利用者が喜んでいるという勘違いから、自らの不適切さを気付きにくくさせる感覚麻痺がどんどん広がって、人を小ばかにして不快にさせ、人を傷つける行為さえ見えなくする感覚麻痺なのです。

利用者をお客様として認識して、接客として正しい丁寧語で接することは、利用者と職員の間に壁を作ることにはなりません。対人援助であるからといって、対価をいただき職業として利用者に接している以上、お客様に接するプロとして相応の対応が求められるのですから、丁寧語はプロの技を示して、お客様に信頼感を抱いていただくツールです。それを示すことにほかなりません。

どうぞ正しい丁寧語で、利用者の皆様を護る介護従事者でいてください。

2月24日(土)と25日(日)に、福岡と岡山で行うセミナーは、こうした感覚麻痺につながる、言葉の乱れの恐ろしさを具体的に伝えるセミナーです。過去に同じ内容で行ったセミナーで、多くの介護従事者の方々が、間違いに気づいて、職場の中で言葉の改革に取り組んでおります。介護事業経営者の皆様には、是非職員さんが間違いに気が付くように、このセミナーへの参加機会を与えていただきたくお願い申し上げます。

正味5時間この内容でお話しするセミナーは、今回の福岡と岡山で終了します。是非この機会をお見逃しがないように、よろしくお願いします。

下記の案内を参照してください。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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新・藤ケ谷明子さんの切れ味


明日、15:00〜行われる第157回社会保障審議会介護給付費分科会(参照:開催案内)において、介護報酬改定に向けた諮問・答申が行われる予定であるが、報酬単価が示されるのは、さらに1週間後の26日にずれ込むそうである。

どちらにしても明日以降、12月に示された平成30年度介護報酬改定に関する審議報告の変更点などがないかどうか、確認作業が続くので、その前の今日までに、現在抱えている連載原稿を仕上げておこうと、昨日からずっとデスクにかじりついて執筆作業を続けているところだ。

幸い今月中に書き上げてしまわねばならない原稿は、ほぼ書き終えて、あとはじっくり推敲するだけである。すべて〆切に間に合いそうである。

そんなふうに現在僕は、業界紙やインターネットで連載を7本抱えているが、その中でも一番長く連載を続けているのは、僕の執筆本人を語らずして介護を語るな」シリーズや、介護の詩〜明日につなぐ言葉の出版元であるヒューマン・ケア・システム社の季刊誌「シニア コミュニティ」である。

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連載がいつ始まったのか記憶にないほど前から執筆を続けている。その年月はゆうに10年を超えているだろう。

執筆陣のなかには、日ごろからお世話になっている、「介護・福祉系法律事務所 おかげさま」の外岡 潤弁護士もおられて、「弁護士直伝!介護トラブル解決塾」を毎回愛読しているところだが、もう一人、毎回そのコラムを楽しみにしている人がおられる。

それはジャーナリストの藤ケ谷 明子氏である。彼女のコラムについては5年前に「藤ケ谷明子さんの切れ味」という記事を書いて、このブログでも紹介させていただいたが、5年経ってもその切れ味が鈍ることなく、毎回鋭い指摘で勉強させられているところだ。

シニア・コミュニテイ1・2月号(最新号)で、藤ケ谷氏は『自立支援を妨げる「はじめの一歩」の踏み違え』というコラムを書かれているが、これがまた鋭くて、読みごたえがある。

氏はこの中で、「自立支援とはそれほど難しいことなのだろうか」と問いながら、利用者に対して、いわゆるタメ口で話す施設職員やヘルパーがいると指摘したうえで、そのタメ口の具体例を示している。そして高齢者に幼児向けの言葉で話す輩がいることは、世間ではありえないと指摘したうえで、返す刀で『粗雑に扱われた言葉が飛び交う中で「自立」に向かうことができるのだろうか』と問題提起している。

さらに、「言葉を使えない者に引退勧告を」として、「凶器」と呼ばれる「言葉」を軽視する現場に人を支える資格はないとし、ぶった斬っている。

強い言葉が随所に使われているが、氏の育ちの良さがわかる上品な批判文となっており、僕のように乱暴・下品一辺倒ではないため、決して気分が悪くなる内容でもなく、何とも気持ちの良い文章である。

詳しくはシニアコミュニティ1.2月号から、同氏の連載コラムを読んでいただきたい。

多くの読者の方が気づいたであろうが、その内容は僕が日ごろ提唱している、「介護サービスの割れ窓理論」と共通するものではないかと考える。

利用者の暮らしと尊厳を護るというなら、粗雑な言葉や幼児言葉がそれを阻害することに気が付かねばばらないし、自立支援を建前ではなく本年の介護実践とするためには、高齢者の自立を支える丁寧な言葉が必要であることを、あらためて意識するきっかけになるだろう。

それができない人は、今後も藤ケ谷さんの切れ味鋭い文章で、どんどんぶった斬られてほしいものである。
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言葉を正しく使うのはコミュニケーションスキル


僕は今、島根県浜田市での講演を終えたところである。昨日の松江講演と合わせて、たくさんの方が会場に足を運んでいただき感謝である。初めての島根講演は、思い出がたくさんできて、実のある旅となった。関係者や受講者の皆様に感謝申し上げたい。

これから昼食を摂った後、8日ぶりに自宅に帰るため、出雲空港から羽田経由で北海道に向かう予定だ。今回の旅は、島根講演だけでなく、銚子や飯田橋、名古屋でたくさんの出会いがあった。本当に良い旅だった。

そんな旅の中で、印象に残ったエピソードを少し紹介したい。移動中の車内であわただしく記事更新しているので、まとまりのない文章になるかもしれないことをご了承願いたい。

来年度からの介護報酬はプラス改定であるものの、財政事情からその引き上げ幅は小幅で、かつ人件費アップに対応するための引き上げだから基本サービス費は増えない。

つまり介護事業者の収益アップにつながる引き上げではなく、事業経営者には厳しいものとなる。その中で収益を挙げて、職員に適切な報酬を手渡しながら事業を継続していくためには、顧客単価は増えないことを前提にした経営戦略を立てていく必要があり、顧客の数を増やし、加算を確実に算定していくしかない。

そんな中で、介護サービスを利用する人は、団塊の世代の人々が中心になっていくが、それらの人々は日本の高度経済成長を支えてきた人々で、企業人として、商売人として、日本の経済の中心に位置してきた人々であり、年上の人は目上の人であるという、年齢への崇拝、年齢での上下関係にうるさい人たちである。

そうであるがゆえに、介護事業者は団塊の世代の人々に選ばれるサービスを創っていかねばならない。

しかもそれらの人々はスマートホンやタブレットを使いこなせるのだから、いずれ介護サービスは、ネット上の口コミ情報等で選ばれる時代になってくる。そこで求められるサービスは品質の高い介護サービスであり、それはホスピタリティの精神を持つ職員によって提供されるサービスである。しかし適切な言葉遣いをはじめとした、サービスマナー精神のない職場にはホスピタリティの心など生まれない。

そういう意味で、言葉遣いを正すことができない職員が存在するということ自体が、大きな介護経営リスクである。

僕が先週、土曜日の東京と、日曜日の名古屋で行った日総研セミナー・介護の誇り 出版記念セミナー、「高感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない介護サービス質向上の具体策」 では、そのことも主要テーマとして話させていただき、職場全体で言葉遣いや利用者対応を変えなければならない意味と、その具体的方法をお話しして、多くに皆様に共感を得た。

そんな受講者の方の中には、いくら言葉遣いを注意しても直すことができない「古株職員」の悩みを抱えている人がいて、それらの人が変わるためにぜひ協力してほしいと、講演を依頼されることもありる。そうした場合は、喜んで協力したいと思う。いつでも気軽にmasaの講演予定に書いてあるメルアドや携帯電話番号に連絡をいただければ相談に乗らせていただく所存である。

そうした古株職員に、管理者として上司として、いかに対応すべきか。どうしても言葉を正すことができない職員の職場での扱いをどうすべきか、僕なりの考え方を示している。

東京と名古屋で、合わせて50人ほどの皆さんにセミナーを受講していただいたが、次は12/9(土)仙台市のショーケー本館ビルでのセミナーとなる。

東北の皆さん、是非会場までお越しくださり、一緒に介護のスタンダードを変える取り組みを始めましょう。
12/9(土)に仙台で介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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職場改革のキーワードは、鉄は熱いうちに打て


どんなに屁理屈を唱えても、介護という職業で「生活の糧」を得ている人は、介護のプロとしてその職業にかかわらねばならない。職業としてかかわる以上、そこでサービスを利用する方々は、単なるユーザーではなく顧客である。その職業を通じて金銭対価を得るプロであるなら、顧客に対しそれ相応の礼儀と信条が必要だ。

介護のプロとして顧客に接することができないならば、そこで生活の糧を得ることは許されない。そういう人は介護の仕事を辞めるべきである。

利用者に対して「ため口」でしか会話ができない職員は、介護のプロとは言えない。しかも日常的にため口でしか利用者に接することのできない人の姿は醜い。介護の職業を誇りに思い、天職と信じてそれに携わっている人々にとって、ため口でしか利用者に接することができない人々の姿は、ストレスでしかない。どうしてその醜さ、恥ずかしさに気が付かないのだろうかといつも苦々しい思いで、そういう人々の姿を見つめていることだろう。

しかしなかなか言葉遣いを改めようとしない人が数多くいることは事実で、そういう人々の心無い言葉によって、深く傷つきながら、その思いを誰にも訴えられない利用者が、介護サービスを使う利用者の中にたくさんいることも事実だ。そういう人々は自らの心を殺して、死ぬまで我慢し続けなければならないのだろうか。

言葉遣いに鈍感な人々は、そんなふうに社会の片隅で泣きながら生きる人が存在することをどう思っているのか?介護を職業としている以上、ため口で親しみやすさを表現するのではなく、丁寧な言葉を使いこなして、親しみやすさを伝える技を持つべきである。

そういう意味で、介護の達人と呼ばれるW.Yにしても、M.Hにしても、どんなに良い方法論を伝えたとしても、彼らの醜い言葉遣いを真似する輩がなくならないという結果責任において、その罪は深い。

ところで、職場全体で言葉遣いを正しくしようと取り組んでいる場所でも、なかなか全員がその方向を向かず、何度注意してもその場ではうなづくが、日常会話からため口をなくせない人がいたりする。

職場のルールはわかっているが、なぜそうしなければならないのかという根本が理解できないという理由と、言葉を変えて何が変わるのかが理解できないことと、言葉を改めるモチベーションが高まらないのが理由である。

言葉を変えるというきっかけが必要なのである。言葉を改めようとするきっかけがないと、真剣に変わろうとしないのである。

だからそういう人に対しては、熱い心が湧き上がるような様々なエピソードを示しながら、言葉を変えることで、ため口をなくすことで、何がどう変わるのかを伝えないとならない。そういうことを伝える旅を続けているのだが、その話を聴いてくれた方々が、職場の仲間に伝達しても伝わらない職員が幾人か出てきて、伝わったと思えた職員のモチベーションもいつのまにか下がってしまうということがある。伝達する人の熱い思いがなかなか伝わらないというジレンマもあるだろう。

大きな改革のためには、大きなキッカケが必要で、その中で全職員の熱量を一気に高めて、その勢いで一気に改革を推し進めるということが求められたりするのだ。

そうであるがゆえに内部研修で、職員全員を一堂に会して、その中で一緒に熱を上げながら伝え、その熱が冷めないうちに改革を実行し始めるという機会は必要なのである。

昨日から僕は6泊7日の講演の旅に出ているが、昨日は千葉県銚子市の特養さんを会場に、その法人さんの職員研修で話をさせていただいた。夜勤者以外全員が参加したいということで、夜7時から9時までの講演であったが、そこには来春就職予定の介護福祉士養成校の学生4名も参加していた。みなさん最後まで熱心に話を聴いてくれて、質問も複数あった。このような機会を持つことができる職場の職員さんは幸せだろうと思う。きっとこの法人さんは、サービスの質をさらに高めて生き残っていく法人となるだろう。

この人材難の時代に4名も就職予定の介護福祉士養成校の新卒者が一緒に受講していることでもそれはよくわかる。

このように法人・施設単位の講演もお受けしているので、職員に熱い想いを抱かせて、介護の品質を向上させたいと思う方は、是非お気軽に相談いただきたい。相談は僕の講演予定のページから、メールもしくは電話でいつでもお待ちしています。
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サービスの基礎となるマナー教育


介護サービス事業以外の他産業から、介護業界に転職した多くの方が、介護業界の人々の言葉遣いに違和感を抱く。

顧客である利用者に対して日常的に、「ため口」で話しかける職員が多いことに対して、いったいどのような基礎教育を受けているのかと疑問を口にする人が多い。

しかしそんな思いは、介護業界以外の職業を経験したことのない人も同じく持つ思いであり、上司や同僚や部下の、利用者に対するため口に心を痛めている人たちもたくさんおられる。

しかしいったん言葉が乱れた職場において、言葉遣いの改善を図ろうとしても、なかなか全員の言葉遣いが正されず、結局一度良い方向に向かいそうになっても、利用者に対する言葉遣いを正そうとしない職員によって、全体が低きに流れて、元の木阿弥の状態に戻るという例が枚挙にいとまがない。

言葉を正しく使うことが感覚麻痺を防ぐ唯一の方法であること、利用者との会話における言葉遣いは、「丁寧語」を基本とすることが介護のプロとしての基本姿勢であることを、「介護サービスの割れ窓理論」として常日頃から主張している僕の講演を聴いた方からも、「どうしたら言葉遣いの改善が図れるでしょうか?」という質問を受けることがあるが、それに対して特別な処方箋や、特効薬は存在しない。

言葉遣いはプロのサービスマナーとして当然正されなければならず、それはサービスの品質を司る基盤であることを事業管理者が自覚して、覚悟を決めて、言葉の改革に努めなければならない。

事業管理者自身が、職員の手本となる言葉遣いをすることは当たり前であるが、同時に介護サービスという場のピッチに立つ職員の中で、リーダー役を担う職員には、徹底的に言葉の改善の大事さを理解させ、ピッチに立つリーダー自身も、利用者に対しては常に丁寧語で会話できるスキルを身につけさせて、言葉遣いに問題のある職員に対しては、叱ることを恐れない態度を身に着けさせるべきである。

その際の覚悟とは、どうしても言葉遣いを改善できない職員は、「必要ない」という決断を伴う覚悟である。人手不足など、様々なことを理由にして、この部分の妥協を許してしまう職場では、言葉の改善は掛け声倒れに終わってしまうだろう。

これからの介護事業においては、全サービスにおいて、安定的に顧客を確保するという必要性が高まる。そんな中で、権利意識の強い団塊の世代以降の高齢者がサービスを選ぶ際に、サービスの質が一番重要になる。ただ単にサービス提供できるだけではなく、どの部分でサービスの質を差別化するかが問われてくるが、自分の身を預けて身体に直接影響を受けるサービスであればあるほど、コマーシャルベースでよいことを謳っても、実質が伴わないところに顧客は張り付かない。

建物や宣伝文句が立派でも、やぶ医者にかかりたい人はいないのと同じことである。

その際のサービスの質とは、介護サービスに限って言えば、基本サービスができることは当たり前である。例えばオムツ交換ができない介護施設はないだろうし、排泄ケアができない介護職員もいないだろう。しかしそうした羞恥心が伴う部分の介護の際に、いかにその羞恥心に配慮しながら、プライバシーと尊厳を護るかという部分になると、それは介護技術や知識にとどまらない問題で、そこに一人一人の職員にいかに、「心からのおもてなし」=ホスピタリティの精神が存在するのかという問題になる。

しかしその精神は、「持ちなさい」と指導して湧き上がってくるものではなく、日ごろの心配りの延長線上にしか存在しないものなのである。

そうした心配りは、プロとしての矜持がない場所には存在しなくなる。そうした矜持は、サービスマナーの存在しない場所には生まれてこないものである。そうしたサービスマナーの基盤となるものが、利用者に対する正しい言葉遣いであり、その乱れは介護現場では常に割れ窓を広げるリスクになるだろいう。

そういった意味では、事業を立ち上げる時に、しっかりと職員教育を行い、お客さまである、介護サービス利用者の皆様に対して、普通に丁寧語で日常会話ができる職員を配置するというのは、今後の生き残りの事業経営として、必要不可欠であるともいえるわけである。


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希望を確信に変える介護の場が求められている


年度末の週である。この週が終わると来週月曜日には、たくさんの事業者に新入社員が入職してくる。今年ももうそんな時期になった。

我々介護サービス事業者にも、新卒者をはじめとした新しい仲間が数多く入職してくる。その中には、この春に介護福祉士養成校を卒業して、介護の職業に自分の夢を託して、心弾ませて入職してくる若い人々も含まれている。そうした貴重な人材が、将来介護業界を背負って立つことができる人材へと成長させうるかどうかが、我々の手にかかっているということになる。

先輩職員の皆様は、その責任を忘れないでほしい。

僕が2年間、介護福祉士養成校で教えた生徒たちは、今頃どんな気持ちで新しいスタートラインに立とうとしているのだろうか。介護の道を志すように教えてきた教師という立場で言えば、彼ら、彼女らの志が報いられる職場であってくれと祈るのみである。

見習うべき先輩職員がいて、しっかりとした教育をしてくれる職場だと、数年もしないうちに学生は見違えるように成長してくれるが、当初の志を失って、どうして短期間にこんなにも堕落してしまったんだろうという卒業生に出会うこともある。教育に携わったものとして、それは非常に哀しい現実である。

職場の雰囲気、先輩となる人々の態度は、それほど大きな影響があるものだ。

この時期の入職者は、真っ白いキャンパスのような心に、いろいろなものを吸収していく。しかし彼ら、彼女らは、良いものだけを選んで吸収する能力を持つ段階には至っておらず、悪いものさえも「素直に」受け入れてしまいがちである。

志を高く抱き、利用者の幸福な暮らしに寄り添いたいと思っているはずの学生が、笑顔と丁寧な言葉で対応していたにもかかわらず、職場の全体の雰囲気が、サービスマネーに欠け、ぞんざいな言葉が飛び交い、横柄な態度が許されているようならば、ものの一月もしないうちに、新入職員の感覚は麻痺して低きに流れ、無礼ななれなれしい言葉と、横柄な態度をなんとも思わなくなり、彼ら・彼女らが学生時代に批判していた醜い対応を平気にとるようになってしまう。

それを自己責任という言葉で切り捨てないでほしい。人は誰しもそんなに強くはないのだ。この時期にしっかり基礎をつくり、護るべきものは何かということを噛み砕いて教える必要があるのだ。

それもこれも先輩と呼ばれる職員の対応にかかっているのだ。

職場全体で、サービスマナーの意識が高く、横柄な言葉を注意する土壌があるなら、そうした職場で「タメ口」で利用者に話しかける新入職員は居なくなる。それだけでも職員教育の初期目標は達せられるのだから、いかに職場環境がその水準に達していることが、教育にかける時間を削減できるかという証明にもなる。そうした職場で、燃え尽き症候群は発生しにくいし、職員の離職率も減り、常に職員募集と、新人教育・OJTに振り回されるということもなくなる。

サービスマナー意識と、ホスピタリティ教育は、そういう意味でも大事なのである。そしてその基礎を成すものが「介護サービスの割れ窓理論」であり、言葉は運命になるという教育なのである。

厚生労働省が、介護サービス従事者の虐待が増加しているという調査結果を公表し、関係者向けの研修会の開催などを促していく方針を示しているが、すべての職場で顧客意識を持ったサービスマナーの教育がされておれば、この状況は大幅に改善されるのではないかと思っている。

介護現場の不適切なサービスを、介護という職業にまつわるストレスに結び付けても始まらない。ストレスとは関係のない感覚麻痺による不適切サービスが虐待につながっていることを考えると、その原因は、親しみやすいという意味を間違って捉えている顧客意識のない職員対応であることに気がつかねばならない。

わずか数ケ月しか働いていない新入職員が、年上の高齢者に対し、タメ口で話しかけるようになる環境を変えなければ、感覚麻痺や不適切サービスから虐待につながるケースは、なくならないのである。
新刊「介護の誇り」(5月11日刊行予定)の紹介ページはこちらをクリックしてください。

看取り介護セミナー
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医療機関の職員の言葉に違和感を覚えた人からのメール


SNSなど、インターネットを利用した情報媒体の拡散力・影響力はすごいものだと思うが、だからといってそれだけに頼っても、情報の広がりには限界があるのかもしれない。

むしろアナログの情報媒体しか見ない人もいるので、アナログをまったく無視してしまっては、それらの人にはいつまでたっても伝えられないこともある。インターネットを使いこなしていても、SNSは好まないという人もいる。そういう意味ではデジタル、アナログの別もなく、様々な情報媒体を利用することで、情報伝達の広がりを持たせることができるといえるのだろう。

不特定多数の多くの人々に、伝えたいものがある人にとっては、そのことは大事な考え方であると思う。特に介護というすべての人にとって無縁でないものについて、それをよりよいものにしようとするための情報伝達は、あらゆる媒体を酷使して伝えたいものだと思う。

というのも、先週金曜日のブログ記事で紹介した、「みやざき中央新聞」に載った僕の講演内容が、思わぬところで拡散しているからだ。その新聞を読んだある人から、次のようなメールが届いた。氏名を伏せて紹介させていただく。
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こんにちは、初めまして。群馬県で高校の教員をしている○○○○○と申します。
「みやざき中央新聞」の記事を読みました。自分の中にあった理解できない思いが理解できました。

以前、父が入院していた時に、看護師さんの言葉がタメ口で何となく気になってました。でも、看護師さんも一生懸命な人ばかりで、そして、病院ではタメ口が普通で当たり前なんだ・・・と思ってました。でも、違和感というか、何となく父が子ども扱いされてるようでモヤモヤするものがありました。

この「みやざき中央新聞」の菊地さんの記事で、モヤモヤの原因がわかりました。やっぱり、丁寧な言葉が必要ですよね。とても、スッキリしました。ありがとうございました。

自分は女子校に務めており、看護(介護)希望も多い学校です。生徒にこの記事を読ませて、生徒が「言葉」について考える機会になればいいなと思ってます。

突然のメールすいませんでした。次号の「みやざき中央新聞」を楽しみにしてます。ぜひ、これを機会に今後もよろしくお願いできたらと思ってます。

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医療機関の看護師の言葉に違和感を覚える患者さんや家族は、決して少なくないのである。しかしそれらの人々も、そうした言葉を使う人に、直接その違和感を訴えることはない。そんなものかとあきらめてしまうか、不快な思いを胸の奥にしまいこんで黙ってしまうのだ。

それに甘えて、いつまでも顧客である患者さんや利用者さんに「タメ口」で話しかけることを恥ずかしく思わなくて良いのだろうか。その姿は対人援助のプロとしてはみっともないことこの上ない。

介護サービスの従業者も同様だ。医療現場の看護師を始めとした様々な関係者が、自らの口から発する言葉に鈍感なままだからといって、介護サービスの場も、その物まねのような汚らしい言葉遣いのままでよいわけがないと自覚すべきである。

無礼な馴れ馴れしい言葉遣いが、いかに利用者の尊厳を奪うかということを自覚し、お客様である利用者に適切に対応し、その心と暮らしを護るために僕が提唱しているのが、「介護サービスの割れ窓理論」である。

この理論を提唱して20年以上経つが、なかなか介護サービスの場に浸透しないのが現状だ。勿論一部の人々には受け入れられて、実践されているものの、すべての介護サービス従事者が、「タメ口」という醜い言葉遣いを捨て去らない現状は続いている。そのことは本当に残念に思うとともに、利用者やその家族の立場に立って考えたときには、本当に哀しくなる。果たして介護は、哀しみをつれてくるものなのか・・・。そんな疑問さえ持つ。

介護サービスの場で、利用者を傷つけたり、不快感を与える危険性を排除できない言葉遣いが続けられているうちに、その原因であるとして僕たちが批判してきた、看護の現場の言葉遣いには変化の兆候が見られる。それは一部の看護現場に過ぎないといえども、言葉遣いを見直そうという機運がみられる。

反面教師としてその言葉遣いや、態度を見るべきだとしていた看護サービスの場で、明らかに以前と違う考え方が生まれている。

それが認知症の人の看護に携わる医師や看護師によって実践されているカンフォータブル・ケアである。

ではカンフォータブル・ケアとは何か?今日は時間がなくなり、字数も長くなったので、明日の記事でそのことを書こうと思う。(明日に続く)

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汚らしい言葉を恥と思えない厚顔



利用者に対して、「タメ口」で話しかけている人々は、その様子を見て、家族が何も感じていないと思っているのだろうか。

それとも家族の目には、職員が「タメ口」で話しかけている姿が、親しげな関係を表していると映って、喜ばれていると思っているのだろうか。

勘違いするなといいたい。その場面を自分自身に置き換えたらどうだと言いたい。

専門学校を出たばかりと見受けられる若い職員が、自分の親に「タメ口」で話しかけている姿を見てどう思うのか・・・。時にその口調は、命令口調と取られても仕方がないし、荒々しい口調にしか聞こえないことも多い。それを見て誰が喜ぶというのだろうか。

家族は哀しんでいるのだ。家族は悔しがっているのだ。それでも何も言えない人が多いのだ・・・人質をとられているようなものだから・・・。

汚らしく、無礼な言葉を使って何も感じない人間・・・そういう若者を大量生産しているのが、ベテランを気取った先輩職員である。それは決して介護のプロフェッショナルとは呼べない姿であり、いうなれば素人に毛が生えてはいるが、なまじ経験をつんでいるだけに始末に終えない、「バリアお局様」といったところだ。

そういう職員を真似て、職場で口汚い言葉を、顧客に対して使う人間がいなくならないのが、介護サービス事業の現状である。

暮らしの場とか、生活施設という言葉の本来の意味は、個人の尊厳が保障され、一人ひとりの思いを尊重して、個性に対応したケアサービスを提供するという意味なのに、「暮らしの場だから、丁寧語を使うと固苦しい」というふうに、意味の分からない理屈に置き換えられている。

馬鹿を言うなと言いたい。

世間一般の日常の場面でも、親しき中にも礼儀ありは生きているし、自分が生活の糧を得ている職業場面で、そのサービスを利用する顧客に対して、タメ口が通用するなんてことはない。

介護サービス事業に携わる多くの人々が、こんな簡単な理屈に気がつかないのはなぜなんだろうか。

顧客に対するサービスに、マナーやホスピタリティが求められないと考えるのは、なぜなんだろうか。

おそらくそれは、なんだかんだ言っても介護サービスがぬるま湯に浸かっていて、特段の努力をしなくとも事業経営が可能だったからだと思う。事業さえ立ち上げれば、顧客確保に頭を使わなくても運営できる状態が長く続いた結果であろうと思う。

そのような状態に甘えて、マナーのない仕事を続けていて何が面白いのだろうか。その職業のどこに魅力を感じ、誇りを持てるというのだろうか。

僕は自分の仕事に誇りを持ちたい。その誇りとは、対人援助の職業が、人の幸福に寄与する仕事であるという誇りである。だから、自分の思い込みで相手を傷つけることは、できるだけ避けたいと思う。自分が良かれとおもって使う、「親しげな表現」が、相手にとってはなれなれしい無礼な言葉と受けとられないように、年上の人や、お客様に対して使って不自然とはならない丁寧語でお話しする。

それはサービスの質の担保である。それができないで何のプロかと言いたい。

僕は職場で、恥を知る職員を育てたい。自分の仕事をしている姿を、隠し撮りカメラで映されたとしても、なにも問題ないと思える職員と一緒に働きたい。

そのためには自分自身が、そうあるように、日々努めているつもりである。

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サービスマナーの軽視がもたらす人権侵害


以前にもここで紹介した、「高齢者福祉施設におけるサービスマナー実践テキスト」(東京都社会福祉協議会)は、僕がかねてから主張している、「介護サービスの割れ窓理論」とまったく同じようなことが書かれている。

この本の編集者は、岩本操・武蔵野大学人間科学部准教授(前で紹介した記事の写真にも写っている方)であるが、僕との違いは、岩本淳教授のほうが、文章に品があるということだ。

しかしその指摘しているところは、まさにストライクゾーンど真ん中をついていて、非常に説得力がある。

例えば「親しみやすさと、馴れ合いの混同」という点では、次のように指摘している。

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高齢者施設におけるサービスマナー実践テキスト(東京都社会福祉協議会)より引用

老人ホーム等の生活施設では、利用者と職員との関係が長期化し、家族のようなかかわりが見受けられます。このこと自体が悪いわけではありませんが、それが「馴れ合い」関係になっていることには注意が必要です。その典型が「言葉遣いの乱れ」でしょう。若い職員が、自分の祖父母くらい年長の利用者に対して「~だよ」「何をやっているの」という場面も少なくありません。こうした言葉遣いを「親しみやすさ」の表れだという話も聞きますが、丁寧な言葉遣いや敬語を使っても「親しみやすさ」は十分表現できるはずですから、利用者の心地よさよりも職員が慣れた楽なやり方を続けているだけかもしれません。マナーは自分の損得ではなく、相手の得にあるわけですから、これはサービスマナーの実践とはいえません。

こうした「馴れ合い」関係について、利用者も安心して満足しているという反論もありますが、これは大いに疑問です。人間は小さな子供からお年寄りまで、環境に適応しようとする力があります。母親から引き離された子供は、最初は母親を求めて泣き叫びますが、其れが長引くと、母親を求めることを「あきらめる」ことによって、その状況に適応しようとします。また精神病院に何年、何十年も入院してきた人は、入院当初は退院を繰り返し主張しますが、次第に何も言わなくなり、退院を「あきらめて」病院に適応していることが多くあります。忘れてならないのは、そうした人々も始めから適応することを望んでいるわけではないということです。人は誰もが、環境の良し悪しにかかわらず、どうしたらここで自分が生き延びていけるか、環境に応じた構えを作っていくわけです。高齢者施設に入所した利用者も、そこで安定して生きていくために環境や職員の対応を受け入れ、それに合わせていると考えたほうが自然です。「馴れ合い」関係は、利用者が本来望んでいたものではなく、じつは利用者の努力の結果なのです。  
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介護施設を利用している高齢者は、若い人のため口に親しみを感じているのではなく、その言葉を受け入れないと、そこでは生きていけないために適応させられているというわけであり、そこでは「飼いならされている」というイメージが浮かんでくる。

こうした状態を異常と思えないほうがどうかしている。

されに岩本順教授は、【サービスマナーの軽視がもたらす人権侵害】にも筆を及ばせている。

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高齢者施設におけるサービスマナー実践テキスト(東京都社会福祉協議会)より引用

サービスマナーの取り組みは労力がかかる一方、職員が対応をしたところで利用者に良好な変化が見られず、徒労感が募るという話を聞きます。利用者の介護度は高く、重い認知症を抱えている人が多くなってきるので、職員が一生懸命コミュニケーション技術を身につけても、その言葉の変化に利用者が気づき反応してくれることが難しいのは事実です。このため職員の中には「何を言っても通じない」「何をやっても同じではないか」という思いが生ずることも稀ではありません。しかし、こうした考え方の根底には、深刻な人権問題がかかわっていることに警戒しなければなりません。

社会福祉実践の価値前提として「人間尊重」の視点があります。「人間尊重」とは、人は「何を持っている」とか「何ができる」ということにかかわらず、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観です。福祉施設の理念に掲げられている「人としての尊厳」も、この人間観によって支えられています。もし、重い認知症をもつ利用者や意識障害のある人に対して、「どうせ分からないから」とサービスマナーを軽んじる言動があるとしたら、それは利用者を「価値あるもの」と「そうでないもの」とに選別していることになるのです。その感覚はとても怖いもので、常に自戒し社会福祉の価値前提を確認していないと、知らず知らずのうちに利用者の人権を侵害し、虐待につながる恐れもあるのです。

サービスマナーは利用者を変えるために行うものではありません。社会福祉や社会福祉の理念に基づき、利用者の状態や反応にかかわらず「あなたを大切に思っています」というまなざしを持って向き合うことです。福祉施設でサービスマナーを考えるときに、常にこの視点に立ち戻ることが大切です。
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なるほど。社会福祉援助に関係する僕たちが、決して忘れてはならない「人間尊重」の視点こそ、サービスマナーにつながっているのだと、あらためて考えさせられた。その為の「介護サービスの割れ窓理論」であり、介護事業者の「ホスピタリティ」は、単に顧客確保のためだけではなく、僕たちのアイデンティティともいうべき、福祉観に深くかかわるものだ、ということをあらためて感じた。

そうした視点を持つこともなしに、安かろう悪かろうサービスのままでよいし、言葉遣いなど大きな問題ではなく、タメ口も時には許されると考える輩には、僕たちのステージから一日も早く退場してもらわねばならないという気持ちが、一段と強くさせられた。

このような考え方を、もっと広めていかねばならないと、あらためて覚悟を決めた。・・・誰かの赤い花になるために。

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介護に求められるホスピタリティ


アミーユ川崎幸町で、3人の利用者の命を奪った犯人の犯行動機は何なのかと問う議論の中で、介護支援の場のストレスが原因であるかのような論調が一部にみられる。

馬鹿なことを言うなと言いたい。仕事にストレスがあるからと言って、罪なき高齢者の命を、冷静で計画的に奪うという犯罪行為が、あれほど連続して行われるわけがない。あの事件の犯人は、サイコパスが疑われると思うし、機会さえあれば、どのような職業に就いていたとしても、犯行を行っていた可能性が高い。この犯罪と、介護ストレスを同じテーブルで論ずることはできない。それは間違った議論である。

一方でこの施設では、犯人以外の職員が、利用者に暴言を吐きながら介護を行っていたことが、家族の隠し撮りカメラ映像によって明らかになっている。それはストレスの結果なのだろうか。そうだとしたら、それはやむを得ない部分があり、情状酌量の余地があるとでもいうのだろうか。

確かに介護をはじめとした対人援助の職業は、他人の身体に直接アプローチするということにおいて負担感はあるし、他人の感情と直接向かい合わねばならないことが多く、その感情に巻き込まれたり、精神的負担を感ずることも多いだろう。

だからと言って、全国で約177万の介護職員が、ストレスのために多かれ少なかれ、虐待行為に走っているという事実はない。

多くの介護職員は、何らかのストレスを抱えていたとしても、それ以上に介護という職業の使命感や誇りを感じ、やりがいを感じて、対人援助の仕事を続けることに喜びを抱き、利用者の笑顔を求めて仕事を続けているのだ。マジョリティは、虐待行為と無縁の仕事をしている職員であり、それはごく普通の光景である。

隠し撮りビデオ映像に写っていた姿が、「氷山の一角」などというのも間違った考え方だ。我々が漕ぎ出している海に、そんな氷山など浮かんでいない。隠された部分に闇を抱いている職場では決してないのだ。

あの隠し撮りビデオ映像の姿は、介護サービスにも、お客様である利用者に対するマナーが必要であるという教育を受けていない結果であろう。しかしどのような理由があろうとも、あの行為は許されるものではないし、情状酌量の余地もない。

マナーを欠く不適切サービスの原因が、「感覚麻痺」であり、それは利用者に対する言葉遣いの乱れから生ずるものであるという、「介護サービスの割れ窓理論」であることは以前から主張してきている。

お客様である利用者に対する言葉遣いは、「丁寧語」であるべきだし、親しみやすさを理由にして、言葉を崩す必要はないことを何度も主張してきた。

しかし言葉遣いを正しくすることを、「気取っている」とか、「杓子行儀」だとかいう言葉で否定する輩がなくならない。それは低き精神に流れているだけで、学びの精神のかけらもない、スキルの低い人間のたわごとだ。

誇りある職業であるならば、気取りだって必要になる時があるだろう。それともそれらの人々は、自らの職業を卑下しているのだろうか。その精神の貧困さは救いようがなく、そうした精神構造はみじめでしかない。

介護サービスは、人の暮らしに直接向かい合う仕事である。そこでは人の暮らしに深く介入して、時にはもっともぱらいべーとな部分で、他人に知られたくはない部分にも踏み込んでいかざるを得ない。そうであるがゆえに、人の感情には敏感であるべきで、笑顔で対応したり、素早く対応したり、丁寧に対応するなど、我々の支援行為を気持よ利用・享受していただくための配慮は必要である。それができるのが対人援助のプロであり、できなければただの素人だ。そんな素人が、生活の糧をそこから得ていることがどうかしている。そういう人は、さっさと別な仕事を探しなさい。

そういう意味で、これからの介護には、「ホスピタリティ」の視点が求められてくる。求められる介護イノベーションとは、ポスピタリティが求められるということが、普通に考えられる介護である。

「ホスピタリティ」とは、「思いやり」「心からのおもてなし」という意味であり、「マナー」は相手に不快感を与えないための最低限のルールを守ったうえで、そこに「心」が加わると、「ホスピタリティ」になる。

目に見えない心が大切な介護という仕事であるがゆえに、マナーは当たり前、そこに心を加えてホスピタリティ意識を高めようというのは、至極当然の帰結であると考えるのである。

ホスピタリティ

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サービスマナーの実践は専門的行為である


アミーユ川崎幸町で隠し撮りされたビデオには、殺人事件の犯人以外の複数の職員が、利用者を罵倒しながら乱暴に取り扱う姿が映されていた。

その姿は虐待そのものであるが、こうした暴言は、日常会話の乱れから始まり、乱れた言葉がエスカレートして心を乱し、その心の乱れから感覚麻痺が生じた結果ではないだろうか。

しかしあの隠し撮り映像を見て、「あれほどひどい状態は自分たちの職場とは無縁だ。」と安心してよいのだろうか。「それでは、どの程度までならば許されるのか?」と考えたとき、自分自身の対応が、顧客サービスとして適切かどうかという線引きしかできない。介護サービスにおいて職員が利用者に接する際にも、利用者の尊厳を損なわないという意識が必要で、そのための最低限のマナーが求められ、それは顧客対応としてふさわしい態度を守ることでしか実現しない。

そのために僕は、「介護サービスの割れ窓理論」を提唱し続けているわけであるが、僕とほとんど同じ考え方で、介護サービスの場でも、福祉援助職としてサービスマナーを実践するという考え方を示し、教本を作って、「サービスマナー研修」を行っている機関がある。

サービスマナー実践テキストそれは東京都社会福祉協議会であり、同協会が発行しているテキスト教本が、「高齢者福祉施設におけるサービスマナー実践テキスト〜施設の理念を具体化する方法」(編著者:岩本 操・武蔵野大学人間科学部准教授)である。

ここでは、「サービスマナーは、施設の理念を具体化する行為」、「サービスマナーの実践は、あらゆる業務の基盤となる専門的行為」と述べ、「親しみやすさと馴れ合い」を混同することの危険性を指摘している。

そして、「丁寧な言葉遣いや敬語を使っても、親しみやすさは十分伝わる」と指摘し、介護施設で若い職員が、利用者に対して、「〜だよ」、「何をやっているの」などと話しかけている状態は、言葉の乱れであり、馴れ合いだとして、「マナーは自分の損得ではなく、相手の得にあるわけですから、これではサービスマナーの実践とは言えません。」としている。

これを読んで気が付いた人がいるだろう。それはこの内容が、僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」とほぼ同じであり、僕が講演などで主張・提言している内容と、まったく同じことだということである。

このテキストが、僕の意見を参考にして作られているわけではない。また、僕自身は20年以上前から「介護サービスの割れ窓理論」を提唱していることでもわかる通り、このテキストを参考にしているわけでもない。

そうであるにもかかわらず、両者の主張が非常に似通って、部分部分を取り上げると、全く同じ主張・提言となっているということを考えると、言葉を正しくして、お客様に対してふさわし対応に心がけるということは、決して突飛で特別な考え方ではなく、ごく当たり前の考え方であり、医療・保険・福祉・介護の場で、そのことが守られていないことの方がおかしいということだ。

顧客に対して丁寧な言葉や態度で接することができない状態が、いかに異常であるかという証明でもある。そのことが守られていない職業とは、未成熟で幼稚な職業であるともいえよう。

サービスマナーの確立は、介護サービスの品質の向上とイコールである。今後、介護サービスの利用者に増えることが予測される「団塊の世代」の方々は、そうしたマナーには我々の世代よりも敏感である。

そうであれば介護サービスの場で、言葉遣いに気を遣わず、乱れた言葉で話しかける職員に対し不快感を持つ人は多くなるし、サービスマナーに気を遣わない職員から、介護支援を受けることを悲しむ人も多くなるだろう。

その結果が選ばれない事業ととなって、事業経営ができなくなることで終わるならば、それは自己責任だから良いだろう。

しかし介護サービスを必要とする人の数が増える時期なのだから、そうした品質の悪いサービスを使わざるを得ない人達がいることを考えると、マナーのないサービスを使うことに、陰で泣きながら、「こんな思いをするなら、もっと早く死ねばよかった」という嘆きの気持ちを抱きつつ、心遣いのない、マナーの低いサービス提供を我慢せねばならない人が出てくる。

介護という職業が、そのような状態を創りだしてよいのだろうか。よいはずがない。だから僕らの時代で、介護のスタンダードを変え、ごく普通に丁寧な言葉遣いがされ、サービスマナーをもって対人援助に携わるというスタンダードを創り、いつの日か「言葉づかいとか、マナーが議論されるような時代があったんだ」と言える状態にしなければならない。

顧客である利用者に対し、丁寧な言葉で対応するというのはごく当たり前のことで、そんなことがよいのか悪いのかということの説明が必要とされたり、議論になったりする職業がどうかしているのだ。

なおこのテキストは、東社協から1.429円+税で購入できる。1冊あればそれを参考に施設内研修も可能となろうから、是非職場内研修などで、サービスマナーを学んでいただきたい。その時には、ぜひ介護サービスの割れ窓理論もご紹介いただきたいと思う。

このテキストの編著者:岩本 操・武蔵野大学人間科学部准教授(下の画像左から2番目)とは、いつかサービスマナー講座で、コラボしたいとお話ししてきた。ぜひ実現したいものである。
東社協に皆さんと岩本教授
3/11(金)東社協主催研修の講演後のオフ会。東社協の櫻川施設長(左)と堀施設長(右)に挟まれた、僕と岩本先生。)

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国の虐待防止対策は効果があるのか


今月7日に行われた会議の中で、厚労省は全国の自治体職員に向けて、介護施設の「抜き打ちの実地指導」を行うよう指示した。

これはSアミーユ川崎幸町で起きた、利用者連続転落殺人事件を受けての措置で、虐待防止のための指導の在り方を考える中で決まったものである。これによって今後の実地指導は、「虐待の疑いがある場合は、抜き打ちで実施」することとし、厚労省は近く通知を見直す方針とのことだ。

この報道に触れて感じたことは、「これって実地指導なの?」ということだ。「虐待の疑いがある場合は〜」という条件が付いていることを考えると、これって実質的には、「監査」ではないのかという疑問がまず生じた。

そうであるなら、現在の対応とさほど変わらないのではないかと思う。だって今だって、「監査」は、不適切運営が疑われるとして抜き打ちでも行っているではないか。どこが違うのだろうか・・・。
(※介護保険制度上の実地指導とは不適切運営を行っている事業所に処分を行うことを前提にした者ではなく、適正運営を行っているかどうかを確認するためのもので、運営指導が必要かどうかを判断し実施するもので、原則として施設サービスが2年に1度、居宅サービスは指定更新の期間内に1度実施するものである。)

どちらにしても、適切な運営を行っている施設にとっては何ほどのことはないし、どうぞいつでも抜き打ちで運営確認にきてくださいよ、というようなものだろう。

ところでこの措置によって、虐待は本当に防止できるだろうか。その抑止力は期待できるだろうか。

そもそも行政指導は、警察の役割りではなく、事前に不適切運営を防ぐのが一番の目的である。そうであれば「虐待の疑いがある場合は、抜き打ちで実施」する目的が、単に虐待事実を明らかにして、処分を行うことであっては意味がないことになる。

そこには抑止力となる効果が期待されなければならない。

しかし書面審査が中心となる行政指導や監査で、どれだけの虐待行為が明らかになるだろうか。アミーユ事件でも、3人の転落死については、行政は全く無力であったではないか。(行政処分の対象になったのは、利用者家族の隠し撮りビデオ映像に映っていた行為と、殺人犯がそれ以前に警察の御縄になっていた窃盗事件である。)

行政職員の確認作業など、隠し撮りビデオほどの効果さえないという意味である。しかもいくら抜き打ちだからと言って、行政職員がそこに来たという瞬間に、職員は構えて対応するだろうから、記録に残る行為以外を明らかにすることは難しい。つまり行政指導をいくら強化して、そのために方法を変えたとしても、根本原因に手を入れない限り、感覚を麻痺させた人間による虐待はなくならないということだ。

Sアミーユ川崎幸町で隠し撮りされたビデオには、事件の犯人以外の複数の職員が、利用者を罵倒しながら乱暴に取り扱う姿が映されていた。その姿は虐待そのものであるが、こうした日常的な暴言は、施設長はじめ管理職の耳に届いていなかったのだろうか。

そもそもそうした職員の利用者に対する日常会話における言葉遣いはどうだったのだろう。おそらくそれは丁寧語とは程遠い、乱れた言葉であったと想像できる。施設の管理者が、職員の言葉遣いに鈍感であれば、乱れた言葉遣いがエスカレートし、乱れた心を生み、虐待に発展するというケースは少なくはない。殺人という行為は論外だが、この施設では職員の暴言が常態化し、不適切な対応につながり、それが次第にエスカレートしていったことが容易に想像できる。

このような状況改善を、後追いの行政処分に期待しても始まらないのである。

行為がエスカレートする以前に、その行為につながる感覚麻痺をなくすような方策をとらねば、行政対応はただのアリバイ作りで終わるだろう。

こうした問題を解決するためにも、「介護サービスの割れ窓理論」を浸透させてほしいと思うのである。

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業務中の言葉遣いに気を使わない職業は異常だ。


言葉を崩すことが、利用者に親しみを感じてもらう方法だと思い込んでいる人によって、利用者は自分より若い人に、ため口で話しかけられる。そのことに対して、舌打ちしたい思いを持っている人は多いだろうし、心の奥底で嘆き悲しんでいる人も多いのではないだろうか。

今後団塊の世代の人々の介護サービス利用が増えていくが、それらの世代の人は、企業戦士として高度経済成長期を支えてきた人たちや、そうした夫を支えてきた妻たちである。そういう人たちは、我々の世代より上下関係に厳しく、サービス業の言葉遣いに敏感な世代である。そうであるがゆえに、サービスを提供する側の職員が、言葉を崩すことを不快であると考える人は多く、同時に崩した言葉に傷つく人も多いはずである。

そうしないためには、誰もが不快にならない丁寧な言葉遣いが求められるのである。

親しみやすさという言葉でカモフラージュされた言葉は、タメ口でしかない。それは無礼な馴れ馴れしい言葉遣いという域を出ない。そういう言葉を、仕事の中で使うことの恥ずかしさに気付くべきだ。プロとして丁寧な言葉を使いこなして、親しみを持ってもらうべきである。それができない素人でどうする。

そもそも保健・医療・福祉・介護以外のどの職業で、顧客に対してタメ口が許される職業があるだろうか。そんな職業は他には存在しない。我々は、言葉遣いに気を使わない職業の異常さにもっと気が付かなければならない。

医療機関で看護師が患者に話しかける際に、馴れ馴れしく無礼なタメ口を使った高飛車な姿を思い浮かべ、そのことを反面教師にして、あのような醜い対応を、介護サービスを提供する場で行ってはならないと考えるべきである。

接客意識のない対人援助サービスは、目の前の人々を人と思わなくなる危険性を内包せざるを得ない。乱れた言葉を放置する対人援助サービスは、人の心を傷つけることに鈍感にならざるを得ない。

そのことに危機感を持ってほしい。なぜならそこで傷つけられるのは、近い将来のあなた自身であるのかもしれないし、あなたの愛する誰かかもしれないのである。

そうであるがゆえに、我々が対人援助のプロとして主力になっている今この時代に、対人援助サービスが持ち続けてきた負の遺産を捨て去り、我々の時代に100年先の対人援助のスタンダードともなり得るサービスの質を創っていかねばならない。

その根幹をなすものが、「介護サービスの割れ窓理論」である。言葉の乱れを放置せず、丁寧語をスタンダードとすることである。丁寧語を使いこなすことができるプロによって支える介護を創ることである。

介護サービスの場を、特殊な閉ざされた環境にしてはならない。それは我々の価値観によってなんでもありの治外法権空間を作ることと同じである。しかし年上の顧客に、タメ口で対応することが許される職場とは、「特殊な閉ざされた空間」そのものである。

そうしないために、我々は日常的に、「それって普通?」の問いかけを繰り返すべきであり、介護サービスの割れ窓である、言葉遣いに気を使うべきなのである。

人は弱い存在だ。長きものにまかれやすく、低き場所に流れやすい存在だ。そういう存在であることを意識しながら自らの心を見つめていかないと、人は人の不幸を笑って見てしまう存在になっていく。しかしその姿は実に醜悪であり、自分だけがその醜悪さに気づかないことになる。

介護という職業が、本当の意味で利用者の暮らしを護る職業であり続けるためには、顧客意識に基づく正しい言葉遣いや、節度ある態度で対応する基本姿勢を失わず、感覚麻痺に陥らない検証作業を繰り返す必要がある。この基盤がない場所で、どのような教育システムを作ったとしても、それはガラスの城でしかない。

コミュニケーションで成り立つ職業であるからこそ、言葉を大切にする「介護サービスの割れ窓理論」を職員教育の柱にして、職場全体の意識改革が求められるのである。

その意識の上に、正しい介護技術によるサービス提供を積み上げることでしか、人の暮らしを護ることはできないのである。

介護施設や介護サービス事業所の管理者には、言葉を正すことがリスクマネジメントの基本であるという理解が必要である。そういう意味からも、僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」が介護サービスの場に深く浸透することを願ってやまない。
(※介護サービスの割れ窓理論について)
割れ窓理論とは、もともと犯罪心理学の中で唱えられている理論で、割れた窓を放置しておくと、割られる窓が増え建物全体が荒廃していき、やがてそうした建物が地域に増えることで、地域全体が荒廃していくという理論で、割られた窓の小さなひび割れを放置せず、それをすぐに補修することで、そうした荒廃を防ごうという理論だ。その理論を介護サービスに当てはめたとき、介護サービスの割れ窓は、職員が利用者に対して日常的に使う言葉であると考えるものである。

介護施設において職員が利用者に接する際にも、尊厳を護る最低限のマナーが求められ、それは顧客対応としてふさわしい態度を守ることでしか実現しない。職員が利用者に、馴れ馴れしい言葉で接することを放置することで、心のゆるみが心の乱れに繋がり、世間の非常識が介護サービスの常識であるかのような感覚麻痺が生まれ、やがてそのことが虐待行為につながる危険性がある。このことを防ぐために、態度が荒れるきっかけになる小さなほころびは、日常の言葉の乱れであると考え、利用者に対して丁寧語で対応することを基本として、乱れた言葉遣いは常に修正して対応しようとするのが、僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」である。

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古代からの声が聴こえる街で


三重県で、津市に続いて2度目の講演が実現した地域は、古代からの声が聞こえてくるような、「歴史の街」熊野市である。

北海道から熊野までの移動行程は、新千歳空港から中部国際空港(セントレア)を利用することになる。セントレアからは名鉄で名古屋まで出て、そこからJRを利用することになるのであるが、この名古屋駅〜熊野駅までの移動が長い・・・。特急「南紀」で3時間、北海道からは8時間以上の長旅のすえにやっと現地に到着した。しかもこの特急「南紀」が揺れること揺れること、かつての「くろしお」を思い出すほどの揺れだった。

当日は夕方4時過ぎに到着。講演は午後7時から9時までの2時間であった。
在宅医療・介護連携推進講演会2
当初受講定員は150名の予定であったそうであるが、申し込みが殺到して200名で締め切ったそうである。それでもこの会場の椅子では間に合わず、ステージ前までパイプ椅子を並べ、さらに事務局の方々は会場外で、別モニターで受講して、やっと当日の来場者全員に席が行き渡った。
在宅医療・介護連携推進講演会今回は、紀南医師会主催・平成 27 年度在宅医療・介護連携推進講演会ということで、「介護の誇り〜明日へつなぐ介護実践論」をテーマにお話をさせていただいた。

講演当日の朝に、介護業界には衝撃となる大きな事件報道がなされたことを知らない人はいないだろう。3人の利用者が、不信の転落死をした「Sアミーユ川崎幸町」の事故が、ついに事件となった。3件の転落死のあったその日に夜勤をしていた、同施設の介護職員が逮捕され、容疑を認めているというニュースがこの日流れた。

このことに関して、「氷山の一角」などと論評する向きがあるが、それは間違いである。全国のいろいろな場所で、たくさんの仲間と真剣に介護を語り合っている身とすれば、我々がそんな心の闇を持つ人間と、同じ氷山に乗っているなんてことはないと断言できる。そして全国の多くの介護施設は、「虐待」とは無縁であり、人権蹂躙とは無縁の場所で頑張っている仲間がほとんどである。

我々が乗っている山があるとすれば、それは「誰かの赤い花」になるための方法論を探し、「無限に広がる幸せ樹形図」を描くための方法論を探し続ける場所でしかない。たまたまその中で、冷たい心を弱い立場の者に向ける「かけら」が存在していたとして、それが業界全体の体質や、特徴であると思ってもらっては困るのである。

そもそも虐待の原因を、待遇の悪さやストレスに結び付けて論ずる報道が目につくが、人を3人もベランダから投げ殺すほどの行為が、逆に待遇の低さやストレスだけで論じられてよいのだろうか大いに疑問である。

たいした給与をもらっておらず、日々いろいろな業務上の悩みやストレスを抱えて過ごしている人はたくさんいるだろう。それは何も介護業界に限ったことではない。だからといって、人を殺すという行為に走る人がどれだけいるというのだろうか。

人としてのパーソナリティーの深い場所に、個人の闇は存在するものだ。この3人の連続殺人を考えるに際しても、仕事へ不満やストレス以前に、仕事の不満やストレスを理由にして、人の命を奪うという行為に及んでしまう原因は何かということを、もっと別な部分から考えないと、この連続殺人が社会構造のせいであるとか、変な方向に論旨が捻じ曲がり、その先には介護という職業が必要悪にされてしまう。それは少し違うだろうと言いたい。

同時に我々は、介護サービスという狭い社会で、自分が何事も決定できる神のような存在となれる1対1の場面で、心を麻痺させず関わり続けることができるのか、という命題を考え続けなければならないと思う。そういう意味で感覚麻痺を防ぐ「介護サービスの割れ窓理論」を紹介しながら、「社会的な使命」を持つべき対人援助サービスの誇りを穢す事件から、我々は何を考えねばならないのかを最初にお話しした。

講演全体を通しては、地域包括ケアシステムの中で、「居住系サービス」に求められる役割りと、その中で造るべき具体的サービスの質。生きるうえでの最大の楽しみといってよい、「食事」を支える支援方法が、いかに誤解されて行われ、その中で何が起こっているかを明らかにし、そうしないための方法論を伝えて締めてきた。

受講者の皆様からも、おおむね好評を博していると聞いている。熊野でお逢いした皆さま、ありがとうございました。

ところで今回は、熊野市に到着してから、講演まで3時間ほどの時間があったので、プチ観光に連れて行ってもらった。名所の多い地域であるが、その名所が熊野駅からほど近い場所にコンパクトにまとまっているので、数カ所の移動を車で5分程度づつでできたので、短い時間に見どころ満載のプチ観光となった。

獅子岩
有名な獅子岩。見事な自然の造形物と言うしかない。

花の窟神社
花の窟神社2
古代信仰の象徴、「花の窟神社」は、眼前にそそり立つ岩肌そのものが信仰対象で、本殿は存在しない。まさに古代からの声が聞こえてきそうである。
鬼ケ城
鬼ケ城2
鬼ケ城の夕日と、自然が作り出した千条敷。
熊野古道
熊野古道。なお講演後のオフ会でいただいた熊野料理は、「3マイル先に 秋刀魚居る」で紹介しているので、そちらを参照いただきたい。秋刀魚寿司が絶品だった。

さて翌日に北海道に帰ってきたのであるが、その日熊野を朝9:33に経ったものの、セントレアで搭乗予定の飛行機機材が、函館から来る予定が、風の為大幅に遅れて欠航…結局、予定より3時間以上遅い便に振り替えとなって、家に着いたのは夜21:30。帰りはなんと12時間の長い旅となったというハプニングで、熊野への旅は終わった。熊野でお逢いした皆様、お世話になりました。ありがとうございます。

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心遣いを見える化するための割れ窓理論


介護保険施設は、利用者にとって「暮らしの場」であるのだから、くつろいで暮らすためにも、職員が堅苦しい言葉遣いで対応しない方が良いとして、くだけた口調で会話をする人がいる。それらの人々は、そうした言葉遣いが本当に利用者のくつろぎや、親しみの感情につながっていると信じているのだろうか。

そもそも年上の人に対して、年若い人がタメ口や、友達に話しかけるような口調で語りかけることを、不快に思わないという保障はどこにあるんだろう。

勿論、それを許してくれる利用者もいるのだろうが、それに甘えてどうするのだと言いたい。僕たちは介護のプロとして、もっとも対人援助サービスとしてふさわしい適切な言葉を使いつつ、同時に利用者から親しまれる必要があるのだ。言葉はそれを使う人の人格を現し、それはその人の運命になるのだという諺(ことわざ)を肝に銘ずるべきである。

そもそも日本の伝統社会における、世間一般の常識は、年上の人=目上の人=丁寧語で話しかけなければならない、であるはずだ。

それが証拠に、入職間もない年若い職員であっても、先輩職員や上司にタメ口で話しかける人はいない。「いまどきの若い者は」と言われる、いまどきの若者であっても、目上の人には丁寧語で話しかけるという常識は持っているのである。

それなのに何故、介護サービスの場でそれらの常識を持った人たちが、顧客である利用者に、「タメ口」で話しかけるのだろう。それはとりもなおさず、先輩職員の馴れ馴れしい口調を真似るようになるからだと思え、この部分で職員教育がされていない職場が多いということである。

その口調を放置しておくと、お客様であるはずの利用者に対し、「ニックネーム」をつけて呼んだり、「ちゃん付け」で呼んだりする状態になる。これが異常だと思えない職場では、やがて何でもありの結果、虐待へとつながっていくだろう。いや、そもそも年上であり、顧客である利用者を、ニックネームやちゃん付けで呼ぶこと自体が人権蹂躙であり、虐待であると言ってよいだろう。

先日、八戸の看取り介護講演にも来てくださったK氏が、僕のフェイスブックに次のようなコメントを書いてくださっている。
丁寧な言葉使いは、外部からは見えにくい介護職の日々の地道で温かく丁寧なケア実践を、可視化、見える化し、ご家族や来訪者に証明する有効な手段でもあると考えています。

まったく同感である。僕は自身の職場でも常日頃、『お客様に対する心遣いを「見える化」するのが、丁寧な言葉である。』と教育している。それと同じようなことを考えてくださる実践家がいて下さることは勇気になる。

介護サービスの割れ窓理論は、職員の利用者に対する「言葉遣い」を窓ガラスにたとえ、言葉が乱れることは、窓ガラスのひび割れであるとし、それを放置しておくとひび割れは広がり、窓が割れ、やがてそのことで建物全体が荒廃していくので、ひび割れである、「言葉の乱れ」を見つけたら、即それを修正し、介護サービスの質の低下を防ごうという理論である。質の低下した介護は、えてして人権蹂躙を生むからである。

事実、介護サービス事業者の中には、人の暮らしに寄り添うという意識に欠け、人権侵害と思える状態を放置し、人として許されない虐待行為が日常的に行われているところがある。

昨日も広島県福山市の「グループホーム かざぐるま」で、利用者にプロレスの技をかけたり、暴言で心理的虐待を行っていたという報道がされている。それらの加害者は、何を目指して介護の仕事に就いたのだろう。

汚い言葉は、自らの心を汚してしまうことに気が付いてほしい。例えば「ここで待っていてください。」という言葉を、「ここで待ってなさい。」といったとしても、それは暴力的表現になるかもしれない。「ちょっと待ってね。」なんていう表現は暴力的な表現とは言えないかもしれないが、少なくとも顧客に対して使う言葉としては適切ではい。

僕はそうした言葉かけには不快感を覚える。だからもし自分が利用者として介護サービスを使うようになったら、サービス提供に関わっている従業員が丁寧語を使わなければ不快感を覚えるだろう。それは不遜な考えなのだろうか。僕はそれは顧客である利用者にとっては、当たり前に生じ得る感情だと思う。

梨下に冠を正さずという言葉があるように、人の暮らしに寄り添う我々の職業では、暴力的な言葉と疑われかねない表現をしないようにすべきである。暴言と思われかねない誤解されるような言葉を、日頃から使わないようにすべきだと思う。友達同士の会話で使うようなフレンドリーな言葉遣いを、顧客である利用者に対して使うことは不適切だと思う。堅苦しさを感じないようにフレンドリーに言葉を崩すことも誤解を受けるリスクが高い。

この道の先駆者と呼ばれる人の中にも、わざと言葉を崩して、そのことを自慢げにひけらかしている人がいる。その人の実践を学ぶ前に、その崩した言葉だけを実践する輩を生むことにおいて、それは功罪相半ばというより、罪の方が重たい。

言葉遣いを正しくするように教育する施設を、「強制労働より悪い」と言い切るM.H氏しかり、教育の場である講演などで、利用者を「じいさん、ばあさん」呼ばわりするW.Y氏しかり。彼らの実践は素晴らしくとも、彼らの言葉を真似ることで、人を傷つけている輩を数多く生んでいることに気が付くべきである。
言葉は人格を現し運命になる

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虐待をなくすための最低限のマナーを確保するために


3人の利用者が不審な転落死をした介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、利用者の家族が隠し撮りした映像には、職員が利用者を罵倒しながら乱暴に取り扱う姿が映されていた。その姿は虐待そのものである。

しかしあの隠し撮り映像を見て、「あれほどひどい状態は自分たちの職場とは無縁だ。」と安心してよいのだろうか。「それでは、どの程度までならば許されるのか?」と考えたとき、それは顧客サービスとしてその対応が適切かどうかという線引きしかできないと考えるしかない。

利用者は介護施設に、「よりましなケア」を求めているのではなく、自分の尊厳が最大限に護られるケアを求めている。介護施設において職員が利用者に接する際にも、尊厳を護る最低限のマナーが求められ、それは顧客対応としてふさわしい態度を守ることでしか実現しない。

介護サービスの場における職員の言葉遣いも、顧客サービスとしてふさわしい言葉であるのか否かという線引きしかできない。

職員が利用者に、馴れ馴れしい言葉で接することを放置することで、心のゆるみが心の乱れに繋がり、世間の非常識が介護サービスの常識であるかのような感覚麻痺が生まれ、やがてそのことが虐待行為につながる危険性がある。このことを防ぐために、態度が荒れるきっかけになる小さなほころびは、日常の言葉の乱れであると考え、利用者に対して丁寧語で対応することを基本として、乱れた言葉遣いは常に修正して対応しようとするのが、僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」である。

注)割れ窓理論とは、もともと犯罪心理学の中で唱えられている理論で、割れた窓を放置しておくと、割られる窓が増え建物全体が荒廃していき、やがてそうした建物が地域に増えることで、地域全体が荒廃していくという理論で、割られた窓をすぐに補修することで、そうした荒廃を防ごうという理論である。

勿論、言葉を正したからといって、必ず感覚麻痺と虐待を防ぐことができるとは限らない。しかし言葉を正す習慣は、心の乱れをある程度までは防ぐ効果も生むし、言葉だけを正しくして態度が荒れてきたら、周囲の人はそのことに対して違和感を覚え、その不自然さや不適切さに気づきやすくなり、深刻な問題に繋がる前に、ほころびを指摘でき、修復できるという効果がある。

2025年には、団塊の世代の人々が後期高齢者となり、介護サービスを利用する人がさらに増えるだろう。それらの世代の人々は、企業戦士として高度経済成長期を支えてきた人で、我々の世代より上下関係に厳しく、サービス業の言葉遣いに敏感な世代である。

そうであるがゆえに我々が言葉を崩すことで不快になる人は多く、同時に崩した言葉に傷つく人も多いはずである。 

そうしないためにも、我々の世代で、言葉を崩して馴れ馴れしい言葉遣いをすることが、親しみやすさの表現だという変な誤解をなくして、顧客サービスとしてふさわしい言葉を普通に使いこなすことができる介護を作っていく必要がある。今変えていかないと、汚い言葉でいつか我々自身が傷つき、我々の愛する子供や孫が傷つけられるのだ。

虐待と無縁の介護は、正しい言葉遣いができるところから始まるのである。

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介護に巣食う癌・タメ口を正当化する人間の罪深さ


通常国会で審議入りせず、継続審議となった社会福祉法改正案には、介護福祉士の資格取得方法の見直しも含まれている。

現行法は16年度の介護福祉士養成施設卒業生から国家試験を課すことにしているが、法案はそれを猶予しようというものだから、今年度中に法案が成立しないと猶予できず、来年度から養成施設卒業生が国家試験合格しないと介護福祉士の資格が与えられなくなることになって、期間猶予を前提にしていた要請現場が大混乱に陥るため、厚労省は秋の臨時国会で法案成立を図りたいという意向を示していた。

しかしここにきて政府与党は、秋の臨時国会を開かない方向で政治日程を進めている。うがった見方をすれば、昨日記者インタビューに答えた小渕優子議員の不正経理問題や、改造内閣閣僚の不適格報道などがあって、臨時国会を開けばそれを突っ込まれ、内閣及び政党支持率が低下し、来年の参議院議員選挙に影響が出ることを嫌ってのことかと思ってしまう。

どちらにしても12年ぶりに秋の臨時国会が開催見送りになれば、継続審議となった法案は、次の通常国会で審議されることになる。とすれば年度中に法案が成立するとしても、事務作業等に影響が出るだろうし、関係者は気をもむことだろう。

世間一般を見渡せば、横浜市で大型マンションが傾くというニュースが連日報道されているが、様々な問題があるとしても、販売企業も施行企業も、下請けが行った偽装と不適切工事について、親会社が表に出て謝罪し、今後の保障も行う意思を示している点だけは感心できる。

一方で介護業界では、3人の利用者が不審の転落死をした介護付き有料老人ホームでは、隠し撮りされた職員の虐待行為と、そのグループ施設における一連の利用者虐待について、親会社はホームページにお詫びの文章を載せただけで、最高責任者などがきちんとした形で表に出て、世間に対して謝罪をするという行為を全くとろうとしていない。その親会社とは、常日頃地域包括ケアシステムの中心を担う人材を育てていると言っていた会社で、その最高責任者は、サービス付き高齢者向け住宅を束ねる団体のトップも務め、ケアと暮らしが分離することによって利用者の尊厳が護られると声高らかに唱えていた人ではないのか?

それなのにこの問題が明らかになった以降、世間に対して何のメッセージも送っていない。会社名がギャグかよと言いたくなるのである。

それにしても介護業界の負のバリアは厚いし、スタンダードを変えようとしない程度の低い頑固者が多すぎる。

顧客サービスであるのに、乱れた馴れ馴れしい言葉でしか、「親しみ」を伝えられない輩は、自らが言葉を使いこなして、常に相手の心情にマッチできる達人だとでも思っているんだろう。利用者の中には、自分が従業者にくだけた言葉で話すのは当たり前だが、従業者が同じ言葉で返答してくることに不快な思いを持つ人たちは大勢いる。しかし自らが人質にとられている以上、そのことに不満が言えない人が大多数だ。

そうであれば我々介護サービス従事者は、最低限守るべき接客態度を意識し、全ての人が大満足をしないまでも、少なくとも不快に思わないという意味で、丁寧語を基本として会話すべきなのでる。

例えばホテルのフロントの従業員に対し、客がため口で話しかける場面は、しばしばみられる。しかしそれに対して客が、フロントマンが同じ言葉で話しかけてくるかと考えた場合、それは違うだろうということは容易にたどり着く答えである。

しかし馬鹿は言う。『例えば床屋や美容院なんてお客さんにくだけた言葉遣いで話す人いっぱいいますし、個人でやってる居酒屋とか喫茶店なんて常連客には砕けた感じで話してますよ。あとラーメン屋の接客って丁寧ですか?お客に「いらっしゃい!」ですよ。丁寧な接客なら「いらっしゃいませ」でしょうが。』

接客教育のされていない街の個人事業主を、サービス業の代表に考えてもらっては困るが、そうした事業主のいる場所を自ら選んで訪れる客に対する個人営業の商売と、我々の対人援助サービスは根本的に異なるのである。対応する寿業者を選ぶことができない、対人援助サービスにおいて、最低限の護らねばならない規範を定め、それを下回らない水準のサービス提供に心がけるのは、至極当然のことで、それさえなけれな介護はいつまでもエビデンスを創造できない。そもそも組織だって客商売している企業で、そのような(例示された個人事業主のような)接客態度を許している企業は存在しない。そういう意識の低い商売人と同列でしあ語れない仕事を、あんたはしているんだということだ。

馬鹿はさらに言う。『丁寧な言葉こそ唯一無二の至高の対応だなんて言ってしまえば、キャバ嬢に「介護ってバカでもできるのね」と笑われてしまいそうです。』

どこに丁寧語で対応することが『丁寧な言葉こそ唯一無二の至高の対応』だなんて書いてある。丁寧語で接することは最低限のサービスの質を保ち、介護サービスの割れ窓をふさぐ効果に結びつくと言っているだけで、それだけしておればでき職業だとは一言も書いておらず、逆に、「それだけはしなけれなばならない職業」であることを指摘しているに過ぎない。

見識の低い、エイデンスを創造しようとしない輩は、こんなふうに論旨のすり替えや、書いてもいないことを自ら作り出して批判するという悪辣な手を使うので、無視するに越したことはない。

こうした一見頑張ってる風、よさげに見える介護職員のため口によって、口調だけを真似る後輩が感覚を麻痺させ、アミーユの隠し撮り映像に映っているような姿になる例は枚挙にいとまがない。そうであるなら、あの映像に映っている姿を創りだしているものが、こうしたタメ口を正当化する、見識の低い連中であり、その罪深さは海より深いと言わざるを得ない。

信念もよいが、お前の信念で今まで何人の人が傷つき、これから何十万人の心を傷つけ続けるんだと言ってやりたい。

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言葉の改革・改善の総仕上げとして


顧客である利用者に対して、無礼な馴れ馴れしい言葉を使うことが、「親しみやすさ」の表現であると勘違いすることによって、汚い言葉遣いを放置してしまう事業者は実に多い。そしてそのことによって、対人援助がサービス業であるという本質を忘れ、利用者の心の痛みに気付かなくなったり、利用者の心と身体を傷つける行為を平気で行う結果につながる例は枚挙にいとまがない。

それは感覚麻痺の結果である場合が多く、そうした感覚麻痺を防ぐために、常日頃から言葉の乱れをなくし、少しでも利用者に対する言葉遣いが乱れたとしたら、即、その場で修正していく必要があるというのが、「介護サービスの割れ窓理論」である。

その理論を提唱する僕は、自身が勤める介護施設及び介護サービス事業所において、利用者やその家族と会話する際に、丁寧語以外で話をすることはない。それは100%あり得ないと言い切ってよく、もし僕が利用者や、ご家族との会話において、丁寧語を使っていない事実が明らかになったとすれば、即この仕事を辞めるだろう。

それほどの覚悟と信念を持って、「介護サービスの割れ窓は言葉遣いである」ことを声を高くして主張している。

そのことは当然、わが法人の職員にも求めているわけであるが、20年以上も前から、そうした理論を提唱し実践している結果、我が法人のサービスでは、ほぼ9割方丁寧語で会話をする日常ケアが浸透していると思っている。

しかし逆に言えば、20年以上かけても、いまだに「介護サービスの割れ窓理論」を実践できない職員や場面が、1割程度は存在するという意味である。実に嘆かわしいことではあるが、それはいかに言葉の改革・改善が困難であるかということの証明になるのかもしれない。

だから、言葉の改革・改善に取り組まれても、なかなか成果が挙がらないとお嘆きの方には、是非あきらめないで、亀の歩みでも良いから、確実にゆっくりと一歩を進める努力を続けてほしいとアドバイスしたい。

ところで、いつまでも1割程度の実践ができていないと言っているわけにもいかない。そろそろ100%の実践が求められる時期であると思う。そのためには大ナタも必要である。そうでなければ新入社員や実習生が、言葉を操れないプロ意識の低い職員の影響を受けて、せっかくの素材を伸ばせないという危険性がなくならないからである。

有料老人ホームSアミーユのような施設職員は、特別に資質が低い職員とは限らず、感覚をことごとく麻痺させて、あの醜い姿に繋がっていったのではないかという視点から、少しでも、1%でもそのような感覚麻痺につながる要素が残っているのなら、それをなくしていくという考えが必要で、今後介護サービスを利用する機会が多くなるであろう「団塊の世代」に属する人々は、年下の者が年上の人に対して、ため口で話しかけることを不快に思う人が多い世代であることを考えても、言葉の割れ窓は徹底的に排除すべきである。

たまたま当施設では、人事考課を取り入れた給与規定の改定を行っており、今年度1年間をかけて、人事考課のための研修を行ったうえで、来年度から人事考課による昇給と賞与支給のシステムを取り入れる予定である。
(※当法人の人事考課とは、単に質の劣る職員の給与を下げるというものではなく、求められている質以上の実践がも認められる職員には、標準規程以上の給与を渡すという視点が入っている。)

その中で、1年間の実践状況を上司に面接したうえで報告し、上司が評価するための書式の一つ「個人目標評価基準」が以下の書式である。
個人目標評価基準
この中で、「A」と評価されると、規程された昇給や賞与支給がされることになる。基本的に人事考課は、給与を下げるのが目的ではないので、このA評価については、「職場が職員に求め、基本的にはすべての職員が実践できる」というレベルの目標を指している。ただし達成される標準レベルとは、経験年数や、持つ資格によっても差があるので、それについては、下記のチャレンジカードに個人目標として定めることになっている。

チャレンジカード
こちらの、『達 成 基 準(具体的行動内容)』のBに、個人として達成可能な、標準的に求められる目標を掲げ、上司の面接によって結果評価を受けて人事考課につなげるものである。
(※本記事は、人事考課についての内容ではないので、細かな基準などには触れないが、仮にA目標が達成されたと評価されれば、標準以上の昇給等につながり、それは改正以前の昇給等より多くの金額を得る結果となる。)

このB基準目標について、職員全員に「利用者に対して、常に丁寧語で会話ができる」という目標を入れてもらうことにした。これは基本的に誰にでもできることだし、やってもらわねばならぬことだからである。これによって、来年度から、「利用者に対して、常に丁寧語で会話ができている」職員が、標準の昇給や賞与支給がされることになり、少しでもそれができていなければ、それ以下の評価となり、昇給額や賞与支給額が下がることになる。

このことについて、人事考課の研修の中で、一般の介護職員を評価する立場の幹部職員(それらの人の評価者は、上司である施設長)に、その目標を入れることを全員に課してよいかと提案したところ、二つ返事で「構いません」という答えが返ってきた。

それはそうだろう。彼ら、彼女らは、100%丁寧語で利用者と接している実践者だから、そのことが利用者との関係上、親しみやすさを奪うものではないことも、コミュニケーションをギクシャクさせるものでもないことも実感しており、かつそのことを実践するには難しいとも感じておらず、誰にでもできる程度の約束事だと理解しているからである。

勿論、このことの実践課程で、落伍者が出てくることもないとは言い切れないが、それは仕方ないだろう。ある程度のサービスの質を担保するためには、法人の要求する最低限のルールと質を担保できない人は、退場願わねばならないと言うことである。

それは僕がこの職場からいなくなっても、その品質が護られることが可能となるために、システムとして確立させておかねばならないことなので、20年以上注意し求めてきたことなのだから、こういう形で総仕上げにかかっても良いのではないかと考えたものである。

求められるサービスの品質を保つために、僕がこの法人に残していく「遺産」として考えていただければと思う。

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