masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

介護サービスの割れ窓理論

「言葉狩り」批判に逃げる卑屈で頭の不自由な輩


介護業界には、対人援助のプロとしての態度に徹することができない「ど素人」が、でかい顔をして居座っているという事実がある。

そういう連中に限って自分勝手な屁理屈でしか動かず、人の意見にも耳を貸さず、都合の悪い考え方には批判に終始するだけの輩が多い。

労務管理なんていう言葉やその意味も知らずに、職場のルールさえも、「価値感の押しつけ」と無視して、自分勝手な考え方と行動しかできない輩がいる。しかしそんな輩の考えとは、知性にも欠け・知能指数もかなり低いレベルでの考え方でしかない。

そのためそれらの輩は、周囲から見ると滑稽極まりない姿でしかない。

対人援助場面で利用者に対する不適切な言葉遣いを直すことができない輩は、その典型例である。

18日に、「利用者を何と呼ぶべきかという問題」という記事を書いて、介護のプロは利用者を、「お父さん・お母さん」と呼んではいけないと書いた。

ところが、その意味を理解できない頭の不自由な輩が、「言葉狩り」だと批判している。

そのような低能者が、常に介護の現場から、「タメ口対応」をなくさせない元凶になっているのである。でかい態度のわりには、情けない知識しか持ってない連中が、でかい面をして跳梁跋扈している介護事業者が、「介護の常識は、世間の非常識」という状態を存在させ続けているわけである。

そもそも言葉狩り(ことばがり)とは、「不当な要求をして特定の言葉を遣わせないようにする事」である。

僕が書いた18日の記事は、「お父さん・お母さん」という言葉自体を遣わせないようにする呼びかけではなく、介護のプロが利用者に対して、業務中にそのように呼びかける態度を改めるように促すものだ。

だから僕の主張は単なる、「言葉狩り」とは言えないのである。

それさえも理解できない低能者が、言葉狩りの意味さえも十分に理解せずに批判しているのである。

それは正論に対して、論理的に反論するのではなく、感情的に悪口で返しているに過ぎない。こうした輩は建設的議論なんて一生できないのだろう。それはまるでガキの態度だ。

こういうガキが、介護業界から排除されなければ、いつまでたっても介護の職業は世間様からすべからく認められる職業にはならない。

利用者の暮らしに深く介入せざるを得ない対人援助職・介護職にとって、最も重要なスキルはコミュニケーションスキルである。その中でも自ら発する、「言葉の力」は重要である。
言霊
言葉の選択に注意を払っていかなければ、いたずらに人を傷つけかねないのが、介護という職業の宿命でもある。

言葉を大事にできない輩や、適切な言葉の選択や言葉遣いができない輩は、介護の仕事を続けるべきではないのである。一日も早く介護業界から退場して、私たちの目の届かない場所で別の仕事をしていただきたい。

コロナ禍をきっかけにして、世間はせっかく介護職をエッセンシャルワーカー(社会機能維持者)と認め始め、介護労働とは人々の生活にとって必要不可欠な労働であると言われ始めたのに、それも単なる建前とされてしまうことになり、本音では、「誰でもできる、同でも良い仕事が介護労働」と言われてしまいかねない。

それもこれも全て問題の本質を理解できない知能の低い人間のせいである。自分の態度を批判されたときに、それを改めようとする努力もせず、「言葉狩り」というピント外れな批判しかできない知性の欠片もない介護職員のせいなのである。

そういう輩を無視するのは簡単だが、その醜い姿や恥ずかしい言動を指摘してやることもある種の優しさだろう。

本当に僕はなんて人が好いのだろうか・・・。

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利用者を何と呼ぶべきかという問題


このブログでは何度も指摘しているが、介護サービス従事者と利用者の関係は、家族でもなければ、友だちでもない。

私たちが介護という職業で生活の糧を得ている限り、そのサービスを利用する方々はすべて顧客であることは間違いのないところだ。そのために私たちは、介護サービスという目に見えない商品を売る対人援助のプロとして利用者と接する必要があるのだ。

そして私たちと利用者の方々の関係性とは、「信頼関係を構築して、はじめて効果が発揮される関係」だという意識が必要とされる。

その信頼関係の構築のために、ことさら言葉を崩して、フレンドリーなふりをするのは下品で知恵のない人のする行為であることに一日も早く気が付いてほしい。

介護という職業を通じて、信頼関係を構築するためには、何より真摯な態度が必要である。よって言葉遣いも丁寧でなければならないのである。
信頼を得る呼び方
そうであれば、どんな風に利用者を呼んだらいいかという問題が出てくる。サービス利用者であり、顧客である方々を、ちゃん付けや、ニックネームで呼ぶなんてことは常識外れも甚だしいが、だからと言って「」を付けて呼ばなければならないのかと悩む人がいるかもしれない。

僕はかねてから、利用者への呼びかけは、「名字+敬称」が最もふさわしいと思っている。その際に、年上の顧客であればなおさらのこと、「○○様」と呼びかけなければならないとか、「様」が最もふさわしいことになるのだろうか・・・。

そもそも「さま」と「さん」はどう違うのだろう。・・・一般的には、「さま」はあらたまった時に使うのに対して、「さん」には「さま」と較べると、敬意だけではなく親しみの気持ちが含まれることになり、「さん」が「さま」より失礼な言葉という意味ではない。

むしろ「さん」は、最も一般的な敬称とされており、口頭でも文書でも使われ、どの場面でも用いることに違和感が少ない敬称である。

さま」より、「さん」という敬称が一段下というわけでもないし、「さま」に替えて、「さん」と呼びかけることは、一段下に相手を見下すことにもならないのである。

むしろ「さん」という敬称は、一定の距離がある相手や、初対面で自分との関係が量れない相手にも付けることができる敬称なのだから、介護サービス利用者に対しても、「○○さん」と呼びかけて問題ないだろうと思う。

ところで昨日西宮で行った、「介護職としての使命」という講演に際して、事前に主催者から次のような投げかけがあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
関西だけかはわかりませんが、男性利用者を「お父さん」、女性利用者を「お母さん」と呼ぶことが非常に多いので、そこの指摘もよろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この呼びかけだけは絶対にしてはならないものである。

赤の他人から、「お父さん・お母さん」と呼ばれることに不快感を訴える人が多い現実は、「赤の他人 お父さん お母さん 呼ばれる」とネット検索すれば、それに対する不満や憤りの声があふれていることでも理解できるはずだ。

では年上の他人に、「お父さん」・「お母さん」と呼びかけることの問題は何なのだろうか?

高齢者の中には、「お父さん」や「お母さん」になりたくて、なれなかった人も少なくないのである。そうした人々は、赤の他人から「お父さん」や「お母さん」と呼びかけられるたびに、自分が親になれなかった悔しさや哀しさを思い出してしまうことになりかねない。

『私を、「お母さん」と呼ぶことができるのは、出征して戦地で亡くなった息子だけだ』と慟哭していたご婦人も居られた・・・。

勿論、そうした呼びかけに悪感情を持たない人も数多くいるのだろう。しかし僅かであっても、悪感情を持つ人がいるという現実がある以上、「お父さん」や「お母さん」という呼びかけ方は、人を傷つけかねないとして排除すべきである。

そもそも介護サービス従事者は、介護サービス利用者の氏名を知っているのだから、どこのだれかわからない人に声をかけるような方法をとるべきではないのだ。

きちんと名字に『さん』をつけるということが、「個別化」にもつながるといえるだろう。

様々な人生を歩んできた人々に、配慮のない声掛けで心を傷つけるというリスクを考えると、名字がわかっている利用者に対して、「お父さん」・「お母さん」と呼びかける必要性はゼロである。

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割れ窓理論が浸透している施設職員の表情


やっと春が来た感がある登別。外の気温もやっと春らしい温かさを感ずるようになり、家の近くの桜も芽吹いてきている。

この陽気に誘われ、寒さと道の悪さを理由に冬の間中断していたウオーキングを今週月曜から再開している。僕の家は登別と室蘭の境にあるため、ウオーキングコースは室蘭市が中心ということになるが、東室蘭と言われる地域・室蘭市中島中を歩いていると、満開に近い桜の木があった。
4/25の室蘭市の桜
今年の桜は、いつもの年より1週間ほど早い開花のようである。

この後、続々と登別・室蘭市内のエゾヤマザクラが満開となっていくことだろう。僕のインスタグラムには、しばらく桜だよりが載ることになりそうだ。興味のある方は、友達申請してそちらもご覧になっていただきたい。

さて話は替るが僕は現在、フリーランスとして講師業・作家業などを主たる仕事にしている。さらに介護事業者と顧問契約やコンサルタント契約を結んで、定期的に経営相談に応じたり、職員研修を担当したりしている。

そのため、この時期は新年度の事業経営に関わるコンサルタント業務などのために、契約を結んでいる介護事業者を訪ねて、そこで1日かけて業務を行うことも多い。

先日も1日がかりで近くの介護型有料老人ホーム(特定施設)にお邪魔して、コンサル業務を行ってきた。

この時期に、こんなふうに介護事業者を訪問して感じることは、教育・指導の違いによる職場風土の違いである。

昨日お邪魔した有料老人ホームは、今月からそこで働きだした新人職員の方々が、楽しそうに元気に働いておられた。僕がお邪魔した際にも、そうした職員が元気に挨拶してくれた。

それは極めて当たり前の状態といってよいのだが、介護事業者を訪ねた際に、来訪者の僕と出逢ってもまったく挨拶もなく、声もかけてくれないという職員がたくさんいる事業者もある。職場全体が挨拶を軽視して、教育もしていないのだろう。

往々にして、そうした挨拶ができない事業者の職員は、利用者対応も横柄だ。タメ口対応がそこかしこで行われており、サービスマナー教育なんか受けていないのだろうなと感ずる。

それに比べて先日お邪魔したところの職員は、僕のような外来者に対する応接が丁寧なだけではなく、利用者に対する応接も丁寧だ。タメ口対応なんて使われておらず、入職間もない若い職員が利用者に対して普通に、「かしこまりました」と応接している。

挨拶ができるという、ごく当たり前のことを徹底している事業者は労務管理が行き届いているということだろう。『たかが挨拶、されど挨拶』といってよいのだろうと思う。

それは礼儀の基本であり、職場では礼儀をもって上司や先輩、そして何よりお客様である利用者に接するのが当たり前であるという意識を持たないと、いずれ顧客から見放されるという事態に陥りかねない。

この時期に、相手を選ばずに丁寧な言葉が流暢に使えるのは、単にサービスマナー教育を受けているということだけではなく、その職場の風土として丁寧な顧客対応が当たり前になっており、8大接客用語も日常的に使われているという意味だろう。(参照:職場全体でサービスマナー向上に取り組んだ成果

新人教育を担当する職員のみならず、すべての職員の利用者対応・サービスマナーがお手本になっているからこそ、こうした短期間に丁寧な言葉遣いで、自然に顧客対応ができるようになっているのだと思う。

職場風土がいったんこのように整えられてしまえば、後輩は先輩の背中を見るだけで自然と育っていくのだから楽である。
介護サービスの割れ窓理論
ただし組織風土は、整えるのには時間がかかるが、崩れるのはあっという間である。

一部の職員のなれ合いを許したり、崩し言葉を少しでも認めてしまえば、せっかく整った組織風土はいとも簡単に崩壊してしまう。管理職の役割とは、そうした崩壊の予兆を察して、自らの職場のどこかに、割れ窓が生じていないかを探り、もし窓が割られていることに気がついたならば、できるだけ小さなひび割れのうちに、その窓を修繕しておくことである。

組織を護るために、「介護サービスの割れ窓理論」を理解し、それを決して忘れないようにしてほしい。
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割れ窓をふさぎ環境を整えるサービスマナー


今日午後4時から、「Livedoオンラインセミナー 〜虐待を未然に防ぐサービスマナー」を配信する予定になっている。

先週16日(水)の気紡海完結編である。受信申し込みしている方は、お忘れなく視聴していただきたい。(※ただし第1回目を含めて、受講予約した方には見逃し配信ありとされているのでそちらをご利用いただきたい。)

最近何度かこのブログで指摘しているが、新年度から入職してくる新卒者などが正しいサービスマナーを身に着けて、介護実践の場で利用者に適切な態度で向かい合うかどうかは、その見本となる先輩職員の介護実務に臨む姿勢にかかっている。

だからこそこの時期に新人の見本となる全職員の意識を高めておく必要がある。

新人の見本となる職員には是非、「介護サービスの割れ窓理論」を知っていただきたい。

一般的に使われる窓ガラスは割れるものだ。

窓ガラスが決して割れないようにすることは不可能なのである。だが窓ガラスは完全に割れ崩れていないのであれば、ひび割れを修繕することで元通りに戻すことができる。しかしひび割れを早めに修繕しないことには、ひび割れは必ず広がり窓ガラスは割れて修繕不能となる。そうした窓が増えていくと、建物全体が荒廃して廃墟になってしまうのである。
高齢者を馬鹿にしたタメ口対応
介護事業においては、介護サービスに携わる職員が日常的に利用者に相対する際の、「言葉遣い」こそがその割れ窓となるのである。

言葉の乱れを放置しておくことで、心の乱れや感覚麻痺が生まれ、「虐待したつもりはない」と言いながら、利用者の心を殺すひどい仕打ちに至る職員がいるのが、この国の介護事業の実態だ。

例えば利用者を、「〜さん」と呼んでいた特養で、ある一人の職員が特定の利用者を、「〜ちゃん」と呼び始めたことで、その職場では利用者をちゃん付けして呼ぶ職員が増え、ちゃん付けで呼ばれる利用者も増え、挙句の果ては利用者に対して、「お前」と呼ぶ職員まで出てきた。(参照:介護のプロとしての矜持を失わない人でいてほしい

そんなふうに言葉遣いの乱れによって、介護の場に割れ窓が広がり、職場環境もケア品質もどんどん低下していくのである。

今の時期に職員のマナー意識を高めておかない職場で、来月入職してくる職員がマナー意識を持つことができるわけがないのだ。そんな場所では、利用者を小ばかにしたような声掛けが横行することになる・・・あなたは、そんな職場で働き続けたいと思っているのだろうか・・・。

僕はそんな職場では働きたいと思わない。

貴方の職場を、マナーのない無法地帯にしないためにも今日のオンラインセミナーをはじめとした、僕のサービスマナー講演を、どこかの場所・いつかの機会に受講してほしい。

なお今回配信されているリブドゥコーポレーション・オンラインセミナーは今後も続く予定で、僕の配信予定は以下のようになっている。

8月17日(水) 13:30〜15:00 経営者向け 講師:菊地雅洋氏 見逃し配信あり
 《介護現場の働き方改革と離職率削減

12月14日(水) 14:00〜15:00 実務者向け 講師:菊地雅洋氏 見逃し配信あり
  第1回《心の通うケアを目指して〜虐待防止のために求められる自己覚知
12月20日(火) 14:00〜15:00 実務者向け 講師:菊地雅洋氏 見逃し配信あり
  第2回《心の通うケアを目指して〜身体拘束廃止の取り組みと課題》 

3月13日(水) 14:00〜15:00 実務者向け 講師:菊地雅洋氏 見逃し配信あり
  第1回《生きるを支える看取りの介護実践〜基本の知識
3月28日(火) 14:00〜15:00 実務者向け 講師:菊地雅洋氏 見逃し配信あり
  第2回《生きるを支える看取りの介護実践〜心構えと具体策》 

現在申し込みはオンラインセミナー通年パック予約で行われているが、配信日が近づいたら、単発プランからの申し込みも可能となると思うので、ぜひ視聴してほしい。
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マナー低下の防波堤になるものとは・・・。


今日午後4から、螢螢屮疋ゥ魁璽櫂譟璽轡腑鷦膾泥ンラインセミナーとして、「〜虐待を未然に防ぐサービスマナー〜」をたーまとした60分講演を配信する予定になっている。

このオンライン講演は、来週水曜日(3/23)が第2回目となっており、今日と来週を合わせて一つの講演ということになっている。120分講演を60分×2回に分けて、受講しやすいようにしているという意味である。

既に申込者は100名を超え受付は終了しているが、螢螢屮疋ゥ魁璽櫂譟璽轡腑鷦膾泥ンラインセミナー令和4年度予定としては、8月に介護人材の離職防止、12月に虐待防止、来年3月には看取り介護をテーマに講演配信する予定になっているので、「令和4年度LiveDoオンラインセミナー」と、「講師紹介」をご覧いただき、是非お申し込みをしていただきたい。
サービスマナー講演スライド
さて本日の講演テーマ、「介護事業におけるサービスマナー」については、非常に重要なテーマであり、かつ喫緊(きっきん)の課題でもある。

なぜなら今月が終了すると新年度に変わるとともに、新卒者が数多く介護事業者に就職してくるからである。もうその時期は、わずか2週間先に迫っている。

社会人として最初のスタートを切るその人たちが、介護サービス利用者に対し真摯に向かい合って、真心を込めたおもてなしの精神をもって対応できるかどうかが、入職初日からの教育訓練にかかってくるわけである。

そこで指導者や見本となるべき先輩職員が、利用者に心無い対応をしていたとしたら、それを見て新人職員が、「ホスピタリティ精神」を持つことができるなんて言うことにはならない。

利用者に対して丁寧な対応、顧客対応としてふさわしいマナーを教え込むためには、見本となる今いる職員がマナーのある対応をしていなければならないのである。

そうなっているだろうか・・・。

残念ながら、「職員全員が見本となる姿で介護業務に従事している」と言い切れる職場が決して多くないのが介護事業者の実態だ。マナー意識の欠片もない対応が、「よそよそしくない対応で、親しみを持ってもらえる」と勘違いした程度の低い職員が多い状況が存在する。

そんな中では、マナー意識の高い新人は育たないし、護ることができなくなる恐れがある。

だからといって自分自身があきらめてしまっては何も変わらない。

僕は三十数年前に、介護事業者のマナー意識の改革の必要性に気が付いて、自分自身は決してお客様である、「介護サービス利用者」に対してタメ口を使わず、丁寧語を使うことを忘れないでおこうと決心して職場改革に取り組んできた。

当時、「寮母(りょうぼ)」といわれていた介護職員の中には、長年医療機関の付添婦として実務経験を積んできた人が数多くいて、そういう人たちは医療機関で培った介護技術は持っていたが、医療機関で行っていた、「タメ口対応」から抜け出せず、それらの抵抗勢力と戦ってきた歴史を経て、職場改革は実現したのである。

利用者対応の際に丁寧な言葉を使い、サービスマナー意識をもって、挨拶もしっかりできる職場づくりには数年の時間を費やす必要があったのだ。

その時に必要なモチベーションは、自分自身の信念は変えずに、自分がマナー低下の防波堤になろうという強い決意であった。
まごころケア
他人がどうあれ、自分自身はしっかりサービスマナー意識をもって利用者対応を行い、自分の姿を格好いいとか、美しいとか思う仲間を増やしていくことによって、職場全体を変えることが可能になるのである。

そうした対応が職場のスタンダードとなるためには時間がかかるし、その間あきらめない努力が必要なのだ。

丁寧な対応は、やる気になりさえすればできるし、あきらめさえしなければ続けられるのだ。そこには特別な才能は必要ない。誰でもできることである。

それをやり続け、自分自身がサービスマナー低下の歯止めになろうと考えることがまずは大事である。

どうかあなた自身が、その防波堤になってほしい。そして防波堤となる仲間を増やしていってほしい。

そこにきっと希望が生まれるであろうことを信じて・・・。
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勘違いした上司が多い介護業界


先日、面識のない人から突然メールが来て、上司から受けた指導内容についての質問を頂いた。

知り合いではない人からメール連絡を頂くこと自体は問題ないのであるが、ただし一人一人の抱く疑問の質問メールに、一つ一つ回答していては僕の時間が無くなってしまう。

そのためこのブログのリンクを貼っている、「介護福祉情報掲示板」のトップには、「※メールでの質問は、すべて答えることはできませんのでご遠慮ください。」という案内文を載せている。つまりは質問は個人メールで行うのではなく、掲示板で質問スレッドを立ててほしいという意味である。

そのため本来なら、今回送られてきた質問メールにも返信する必要はないのかなと思った。

しかし問いかけられている内容は、介護関係者にとって重要な問題を含んでおり、かねてからこのブログで再三アナウンスしている、「介護事業者におけるサービスマナー」に関連する問題でもあるので、ブログ記事としてその問題を取り上げて、回答として考え方を示すことは意味のあることではないかと考え直した。

そのためメール送信者には、「その上司の指導は間違っています。挨拶は簡潔化せず、丁寧が基本です。このことに関連して詳しくは月曜日に記事更新するブログに書きますので、そちらをご覧ください。」と返信メールを送った。

ということで今日の更新記事は、その質問への回答であるが、質問内容は以下の通りである。
---------------------------------------------------------
利用者さんへの説明は簡潔にしないと相手には伝わりにくいと上司から助言がありました。今後勉強するつもりでいます。ただ「お早う」「ご飯ね」「起きるよ」と言う言い方が引っかかるのです。
職員は「お早う」とあいさつ。それに対し90歳を過ぎた方が「お早うございます」と頭を下げる。
あるいは入ったばかりの方に「よろしくー」とあいさつをする。初対面なのにと心底驚いてしまいます。
認知症の方には言葉は端折るべきでしょうか。またまず気持ちで言葉は二の次でしょうか気持ちがあればそれで良いのでしょうか。
(※質問ここまで
---------------------------------------------------------
私たちが提供する介護サービスについて、利用者の方々やご家族に対して説明責任があるのは当然だ。相手が認知症の方であっても、すべての事柄の理解力がないわけではないので、理解できる部分は理解できるように、わかりやすく説明することは重要である。

その際、制度の内容等は非常に複雑で難しい問題であり、法令の字面だけをくどくどと説明するのでは、説明を受ける人が混乱するだけの結果に終わることも多い。

だからこそ私たちは、「対人援助の専門家」としてのコミュニケーションスキルを酷使して、利用者の方々に対して、「簡潔にわかりやすく説明を行う」ということは大事である。

しかし伝えるべきことを簡潔にわかりやすくするという意味は、略語を使って文章を短くすればよいということではない。むしろ略語は人によっては理解不能の伝わりにくい言葉になってしまうのだから、できるだけ使わないという考え方が求められる。

さらに簡潔にすることにこだわるあまり、大事な本旨が伝わらなければ、それは本末転倒でまったく意味のない行為になってしまう。

だからこそ説明の言葉を短くさえすればよいという勘違いをしないように注意しなければならない。説明を簡潔にわかりやすくすることは、説明すべき内容を私たち自身がよく理解して、そのうえでそぎ落として良い部分と、そうでない部分をしっかりと考え抜き、説明しなければならない要点を抽出して伝えることなのである。

ところがメールで質問を受けた内容とは、利用者に対して、「お早う」「ご飯ね」「起きるよ」言えという指導なんだから、それは説明を簡潔にしているのではなく、挨拶を略して短い言葉にしているだけである。それはあり得ない話である。
言葉は運命になる
そもそも簡潔にすべきは、説明する事柄であって、挨拶まで簡潔にする必要はないし、それはあってはならないことである。

挨拶」はコミュニケーションの基本であり、そこを簡潔にすることや簡略化することは、大事なコミュニケーションの始まりにおいて、相手に誤解や不快感を与えて、以後の意思疎通に支障をきたす恐れを生じさせる問題である。

相手が認知症の人であればなおさら、そのような略語の挨拶は不適切だ。認知機能の低下した人の場合、略した言葉の意味が分からなくなっている人が多いからである。

ましてや私たちが職場で相対する人々は、お客様であり、多くの場合年上の方々である。そのような方々に「お早う」「ご飯ね」「起きるよ」という言葉で相対することを強いる上司とは、コミュニケーションスキルの何たるかをわかっていない輩であり、利用者に対するサービスマナー意識の欠片もない人間である。

そういう人は対人援助の仕事において、人の上に立って何かを指導するという立場になってはならないのである。

こんなふうに勘違いしている輩、コミュニケーションスキルに欠けた人間が上司として職員に指導しているのが、介護事業の一つの実態である。こうした状況がなくならないから、介護事業関係者の民度は低いままである。

サービスマナー研修を一般職員に受講させる前に、こうした勘違いした上司のサービスマナー意識を改善する必要がある。

そうした意味でも、管理職・リーダーを対象とした、「サービスマナー研修」を定期的に実施する意味や重要性をもっと理解してほしいと思う。

なお改めてのお願いとして記しておくが、日ごろの業務で抱く疑問については、「介護福祉情報掲示板」の方にスレ建てして質問していただきたい。

どうぞよろしくお願いします。
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底辺くんが居なくならないと新人は育ちません


【※底辺くんとは、コミュニケーションスキルに欠陥があって、タメ口を親近感の表現だと勘違いしている低能な輩。対人援助に向かない人。】
昨日から早くも3月である。ということはあと1月も経たないうちに、介護事業者に多くの学卒者が入社してくることになる。

それらの人とは介護福祉士養成校を卒業して入職する人ばかりではなく、高校を卒業して介護の仕事を初めて経験する人も含まれる。

それらの人々に加え、他業種から転職する人で年度初めの4/1〜始めて介護事業者で働き始める人も多いだろう。

介護事業者は、それらの人に入職初日からいきなり介護実務を行わせようなんて無茶なことを考えてはならないが、同時に介護事業とは対人援助という職業であるのだから、入職初日からしっかりと利用者の人権を護るという意識と態度を身につけさせなければならない。

人間尊重・人権擁護の基本姿勢は、経験が浅いからとか、若いからという理由で、それを護れないということがあってはならない。一切の言い訳を認めさせてはならない部分である。

そのため入職初日には、まず初めに、「人間尊重」の価値前提を理解できない人は、対人援助に向かない人であることをきちんと伝えて、入職初日から利用者が不愉快に思うような失礼な態度をとらないように厳しくしつけなければならない。

いうまでもなく、「人間尊重」とは、人は「どんな能力を持っている」とか「何ができる」ということにかかわらず、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観である。

例えば心身の障害がある人も、そうではない人も、同じく人間として尊い存在なのだと考え、両者に対して態度を変えない姿勢が求められるのだ。だからこそ私たちが対人援助の場で関わる利用者が決して尊厳を失わないように関わらねばならないのである。

そこで考えなければならないことは、自分の職場はそうした教育を行うことができる環境になっているかということだ。新人職員が入職してきたときに先輩職員となる人達は、新人職員の見本となる態度を身に着けているかが問題である。

悪例しか示すことができない姿の職員がいるとしたら、今のうちに対処してその態度を修正しないと、新人職員がすべてその醜い姿に染まってしまう。

利用者に対する、「ため口」は、「人間尊重」の価値前提を最も揺るがす危険因子であることを理解せず、無礼でなれなれしい言葉遣いでしかお客様である利用者に接することができない底辺くんの存在が、新人が言葉遣いを間違って覚える最大の要素である。

そうした職場では、乱れた言葉遣いが態度の悪さに結びつくという、「醜い姿の職員」の増殖が止まらず、再生不能の職場環境になってしまうのである。

顧客である利用者に対して、丁寧な態度と言葉使いで接することができない職員を放置しておくと、せっかく入職初日に利用者に丁寧な言葉遣いで接していた新人職員が、3日もたたないうちに言葉遣いの悪い職員の悪影響を受けて、態度を崩して修正不可能な状態になりかねない。

お客様に丁寧な言葉遣いをできない底辺くんは、自分が親近感を持たれるように、「タメ口」を意図して使いこなしていると屁理屈をこねるが、タメ口とは、目上の者が目下の者に使う言葉であり、対応する相手を馬鹿にしたり、ないがしろにすることを目的に使う言葉である。
言葉は割れ窓
そういう知識も持っていないのが底辺くんの特徴でもある。

介護人材不足が叫ばれている今日ではあるが、介護保険制度以後に介護職員の数は、それ以前と比べ倍以上増えている。そこでは極めて短期間にその数を増やさざるを得なかったため、コミュニケーションスキルを問う暇もなく人集めに走ったという側面がある。そのため大量の底辺くんの雇用につながり、残念ながら介護業界全体の人材スキルは決して高くない。

そのことをいつまでも放置してはいられない。

誰でも良いから募集に応募した人を闇雲に採用し、𠮟って辞めてしまうことを恐れて、指導・教育も満足に行わないでいるという結果、そこに居るだけの人在や、いるだけで様々な負の影響を生じさせる人罪を大量に生み出していることが、人材不足の一面でもある。これが底辺くんの大量生産の背景でもある。

このことを十分理解して底辺くんはいらない人と考えることも大事だ。人在人罪を排除した場所に、本当に必要な人材が集まり、その人たちがやがて人財となることを理解してほしい。

そういう人材豊富な介護事業者も実際にあるということを知ってほしいのである。

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スキルの低い人の妥協に巻き込まれてもしょうがない


介護サービス利用者に対して、「ため口」で接している従業員の中には、「利用者の状況に応じて言葉を使い分けている」と屁理屈を捏(こ)ねる連中がいる。

だがそういう連中は、自分が常に利用者の置かれた状況や相手の気持ちを常に正しく把握できるという神業でも持っているというのだろうか?

そんな常人ではない能力に期待するより、介護サービスを利用されているお客様に失礼のない、使い分ける必要もないマナーのある丁寧な言葉遣いに徹する方が、サービスの品質を担保できるというものだ。

そもそも言葉遣いを無理に使い分けると、「差別している」という誤解を与えかねない。使い分けている側が、利用者の個別性に応じた対応だと考えていたとしても、使い分けられる側は、「自分にだけ失礼な態度だ」とか、「他の人と異なり無礼に対応された」と思われてしまえば、相手を傷つけてしまう結果にもなりかねないのだ。

現に言葉を状況に応じて使い分けているという連中に限って、利用者にはタメ口なのに、その家族に対しては丁寧な言葉で対応していたり、認知症の方にはタメ口で対応し、認知症ではない人には丁寧語で対応していたり、ありらかに自らの価値観によって差別対応しているとしか思えない人もいるのである。

スキルの低い人たちの考える世界基準や業界平均とは、所詮それらの輩には見えていない低い山である。我々はすでにそこを登り切って頂の上から、別の高い山を目指しているのだ。はっきり言ってレベルが違うのだ。

だから今後は、タメ口対応が修正できない輩を、「レベチくん」と呼ぶことにしようかと思っている。

どちらにしても介護施設にはびこる「介護の常識は世間の非常識」という状態は、自分の価値観レベルで考える感覚麻痺に起因していることが多いのだ。

自分だったら家族と同様に馴れ馴れしく話しかけられても、窮屈でなくて親しみを感じられるからそれでいいやという感覚が、タメ口で利用者に接して恥じないレベチくんを大量生産してしまうのである。

そういうレベチくんに、「職員が利用者にタメ口で接する施設に、自分が入所したいと思いますか?」と尋ねても、「自分はそれでいいや」という風に開き直って終わりになる。

そのようにスキルの低い人間の、低い見識や意味のない妥協に巻き込まれては何も変わらないのである。

そういう意味では、「自分が入りたい施設」レベルで物事を考えても意味はないのだ。今どき従業員に、「自分が入所したい施設を創りましょう」などと訴える経営者や管理職も時代遅れであるし、センスがないとしか言いようがない。

そんな呼びかけは、介護のプロフェッショナルという意識を薄れさせるだけである。

だから・・・介護施設が目指すべきは、「自分が入所したい施設づくり」ではないのだという理解を持ってほしい。
大切な人
私たちが目指すべきは、「自分がこの世で最も大切に思う人を、安心して任せてよい施設づくり」であり、「自分が愛する人を、安心して入所させられる施設」なのである。

そうした意識をもって介護事業経営や、管理職業務にあたってくれる人が増えることで、きっと介護業界は少しでも良い方向に変わるはずである。

自分自身をそのに変えようとしたり、変わろうとする経営者や管理職の方が、一人でも増えることを期待したい。
目指すべき介護施設とは
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世間が介護事業に向ける不信の根はどこにあるのか


昨日の朝早くに登別を経って、愛媛県松山市にたどり着いた。羽田乗り継ぎだったので東京の雪予報が心配だったが、その影響も受けず予定通り到着でき、昨夜は大街道にあるホテルで1泊した。(※昨夜の「居酒屋ホテル一人飯・冬だし木いま枯れ枝」は、文字リンクをクリックして参照ください)

それにしても南国の夜明けは遅い。北海道は今の時期でも朝6時になればもう空は明るくなるが、松山はその時間は真っ暗である。1時間近く日の出の時間に差が出るのではないのだろうか。その分、日の入りの時間は遅くなり夜も遅くやってくるということだろう。

今朝は講演主催事務局のUさんが、8時過ぎにホテルまで迎えに来てくださり、久万高原町に9時過ぎに到着した。今は午前10時から午後5時までの間に、講演2時間+休憩2時間のまっ最中である。

このブログは、昼ご飯の後の午後の講義の前にアップしているが、この時間に更新記事をすべて書き上げることができるわけではない。そのため朝のうちにあらかたの内容を書いておき、今少し前にそれを仕上げてアップしたというわけである。

だから推敲どころか、十分確認もしない記事になっているので、言い回しが変な部分や誤字・脱字などがあるかもしれないが、それも愛嬌としてお見逃し願いたい。

さて本日、午前中はサービスマナー講演を行ったが、事前に事務局からコロナ禍における介護施設等の面会制限について、町民等から寄せられている声を送っていただいた。

オミクロン株の蔓延によって、クラスター感染が増加している介護施設は、一度緩和された面会制限を再度強化しているところが多いと思うが、それによって利用者や家族はどんな影響を受けて、どんな思いを持っているのだろうか。

久万高原町の地域包括支援センター等に届いている声としては、以下のようなものがあるそうだ。

・家族を今施設にいれると、まともに会えなくなって可哀想
・オンライン面会は高齢な親ではできない
・オンライン面会は人数が限られるし、対応してもらう職員さんにも気を遣うので頼みにくい
・中に入れないだけに、どんな対応をしてもらっているのかわからなくて不安


介護施設の関係者の方々は、「クラスター感染を防ぐためなのだから、面会制限は仕方がない」と開き直らずに、地域にこのような不安を感じている人が存在するという事実を認識する必要がある。

何より施設利用者が、家族と直接会うことができないという状態が、もう2年以上続いているということ自体が、異常な状態であることを認識しなければならない。

この状況で長期間、職員以外の外部の人間と合うことがかなわないまま亡くなってしまった人もいるのだ。それは当たり前だとは言えないし、仕方がないの一言で済ますことができる問題ではないように思う。

いずれ現在のコロナ対応は、必ず歴史的評価がされるだろう・・・。

どちらにしても、このように地域住民・利用者家族・居宅ケアマネなどから不安の声が挙がっている現状を認識するならば、第3者の目が届きにくい今だからこそ、密室化してしまっている介護施設や居住施設の中で、きちんと利用者の尊厳を護る対応をしていかねばならない。

少なくとも世間の人々から誤解を受ける対応があってはならない。

繰り返しを恐れずに書くが、第3者の目が届きにくい場所でも、きちんと適切なケアサービスを提供できていることを証明しなければならない。サービスマナーの確立はそのための重要アイテムである。

密室化された施設の中で、利用者の対するタメ口対応が当たり前になっている場所の職員は、タメ口が家庭的な対応だと勘違いしている。

しかしタメ口は目上の者が目下の者に対して使う失礼な言葉遣いでしかなく、少なくとも年上の、かつ顧客である利用者に親しみを表現する言葉遣いではない。
下品なお笑い芸人
知性の欠片もない下品なお笑い芸人のように、無礼でなれなれしい言葉遣いを親しみやすさと勘違いして、そうした態度を押し売りしてもしょうがないのである。

そもそもタメ口対応を改めようとしない場所の職員は、長期間家族とも親しい知人とも会えないまま亡くなっていく人を看取る時も、「タメ口対応」のままなのだろうか。

そこで亡くなる方々は、最期の瞬間、息を止めようとするときに、若い職員から馴れ馴れしい言葉で話しかけられたいと思っているのだろうか?タメ口で看取ってほしいと思う人がいったい何人いるのだろう?

仮に逝く方が寛大な心で許してくれるとしても、一緒に看取ろうとしている家族は不快な思いを持たないだろうか?他人である年下の職員が、ため口で言葉を掛ける姿を見て、親しみを感じる前に、無礼な馴れ馴れしさに不快感を持たないだろうか?

今特養で問題になっているのがこの問題だ。看取り介護対象者は、死期が迫っていることを周囲の人が認識しているのだから、普段面会に来たことがない遠い親戚もお別れに面会に来るのだ。その時、若い介護職員のあまりに失礼な言葉遣いに憤慨して、「どうしてこんなところで、ばあちゃんの最期の時間を削り取るの!!」と憤慨して、悲嘆感を持つ人もいるのだ。

介護のプロとは、コミュニケーション技術にもたけている必要がある。無礼で馴れ馴れしく、目上の人に対して失礼な言葉遣いしかできない人は、介護のプロとは呼べないのである。・・・いいや違う。そういう人間は介護の仕事をしてはならないのだ。早く辞めてくれ!!

私たちは介護のプロである。だからこそサービスマナー精神をしっかり身に着けて、丁寧な言葉を使いこなして、親愛感を伝えられる介護のプロを目指さないでどうするのだといいたい。

そんなことを伝えた午前の2時間であった。
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エッセンシャルワーカーとして求められる責任


介護サービス利用者の方々は、介護事業者にとって大切なお客様である・・・この論理を否定する人は、介護という仕事を通じて、対価(給料)を得てはならない。

ボランティアとして関わるなら別であるが、介護という行為で給与を得ている以上、介護サービスを利用する人はすべてお客様なのである。その理屈は誰も否定できない。

介護の仕事もサービス業であり、お客様に対して失礼のないように接することは、ごく当たり前の社会常識である。丁寧な言葉遣いや丁寧な態度を、「よそよそしい」とか、「親しまれない」という理屈で否定する人は単なるおバカさんである。

そもそも、「よそよそしくならないようにフレンドリーに接するため」という理屈で、顧客対応する人の言葉遣いが、「ため口」であるというおかしな状態になぜ気が付かないのだろう。

広辞苑でも何でもよいから、「ため口」という言葉の意味を辞書で引いて確認してみろと言いたい。

ため口とは、「目上の者が目下の者に対して使う言葉」であって、それはお客様を含め、目上の人に使うべき言葉ではないし、その言葉遣いが親しみやすさを表すこともないのである。

ため口の正しい意味を知っている人にとっては、ため口対応される状態とは、「人を馬鹿にした言葉遣い」で対応されているという意味でしかなく、失礼極まりない態度と映り、憤っているのだ。

それは決して顧客対応として許されてよい問題ではない。

こうした社会常識のない人が、たくさん介護を職業としているからこそ、介護事業におけるため口対応がなくならないのである。恥ずべきことである。

ところで今現在、巷では新型コロナウイルスのオミクロン株が爆発的に広がって、一時面会制限を緩めていた介護施設等でも、再び面会制限や外出制限が厳重に行われるようになっている。

世界的パンデミックという現在の状況を考えると、それはやむを得ないことであるといってよいとは思う。

しかし対人援助という仕事の、本来の目的は、人の尊厳と権利を護る仕事であることを決して忘れずに、制限をすることが私たちの権限であるという誤解をしないでほしい。

社会状況を鑑みてやむを得ず制限を行う場合であっても、その制限はできるだけ緩やかにできないかと知恵を絞る人が、「対人援助者」でなければならない。制限を当たり前と思わず、申し訳なく思う人が対人援助者でなければならないのである。

面会・外出制限で、ますます密室化する介護施設・居住系サービスは、外部の人の目が届きにくくなってくる。外部の人の声も入ってくなくなる。第3者の冷静な評価も届きにくくなっているのが現在の状態である。

だからこそなお一層のこと己を律して、利用者の方々の尊厳と権利を護る目を曇らせないようにしてほしい。

外部の人の目と耳が届かないからといって、職員の対応が乱暴になっていないかを確認してほしい。状況がどのように変わろうと、利用者の暮らしと心を護ることに変わりはなく、サービスマナーはその基盤となるのである。

コロナ対応下で介護従事者は、「社会機能維持者」(エッセンシャルワーカー)であるとして、濃厚接触者との待機期間が短縮されている。このことをご存じな方が多いだろう。

しかしそれは同時に、エッセンシャルワーカーとしての使命や責任を果たす必要があるとい意味でもある。
サービスマナー
その使命と責任を果たすべき人たちに、人権意識やサービスマナーの視点が欠けてしまえば、それは絵に描いた餅どころの騒ぎではなく、単なる「詐欺」であると言われても仕方がないと思う。

だからこそどうか言葉を正しく使いこなす人になってほしい。そして人に愛を届けるエッセンシャルワーカーとしての責任を果たしてほしい。そう切に願うのである・・・。
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介護事業にもサービスマナーが求められる理由


(株)マイナビが運営する介護の総合情報サイト、「メディカルサポネット」の僕の連載、「菊地雅洋の激アツ!介護経営塾 〜選ばれる介護事業所であり続けよ〜」の新年第1弾が昨日アップされました。
激アツ!介護経営塾
第4回目のテーマは、「vol.4 介護事業におけるサービスマナー〜丁寧で真摯な対応が顧客と人材を呼び寄せる〜」です。

全文を読むには登録が必要ですが、料金はかからず無料で登録できます。僕以外の著名な先生方の貴重なコラムも読むことができますので、ぜひ登録してください。

さてサービスマナーについては、このブログでも何度も繰り返し僕の考え方を書いてきましたが、その中でも今回メディカルサポネットの連載で書いたことは、家庭的な雰囲気を感じてもらおうと言葉を崩すことがなぜ駄目なのかをわかりやすく解説したつもりです。

さらに、サービスマナー教育を行っても職場にマナー意識が浸透しない事業者の特徴と、そこでの大きな勘違いを指摘しています。我ながらわかりやすく解説できたと自負できるコラムになりましたので、是非参照していただきたいと思います。

介護に携わる職員の中には、良かれと思ってわざと態度を崩して、利用者の方々に接している人も多いと思います。その態度を良しと思う利用者がいたとしても、同じ態度を不快に思う利用者が同じ数だけいて、その人たちは不満をどこにもぶつけられずに壊れていくのです。

良い感情は表出しやすいし、見つけやすいけれど、悪い感情は隠れやすく、見つけにくいうことをしっかり理解せねばなりません。

マナーのある対応は、隠れて見つけられない悪い感情を生まないための防波堤です。言葉を正しく使いこなすコミュニケーションスキルは、介護サービスの品質を護る、「介護サービスの割れ窓理論」の根幹をなすものです。

サービスマナーを護って利用者対応できるようになるためには、たった一度きりのマナー研修を受けてもどうしようもありません。一度の研修で、全員がそれを理解して歩調をそろえることにはならないからです。

なんの動機づけも持たない人が、たまたまサービスマナー研修を受けたからと言って、それだけで思考や行動が変容するなんて言うことはあり得ないのです。

でも研修を受けた人の中で一人でも多く、「なるほど」と感じて、「やってみよう」と熱い思いを持つ人が増えていくことが大事なのです。

たった一度の研修では、歩調を合わせようとしない職員にジレンマを感じて、その思いも時間所経過とともに燃え尽きてしまうかもしれませんが、その思いが間違っていないことを確認するために、繰り返し定期的にマナー研修を行うことで、思いは継続できるのです。

そもそも時期に関係なく新人職員が入職する介護事業においては、新人職員にきちんとマナー教育を行って、介護の現場でOJTや実務に携わるという流れをつくらねば、姿勢としてマナーは身につかないのです。

新人教育としてマナー研修を必須とし、その際に新人以外の職員にもできるだけその研修受けるようにし。、できれば新人にマナー教育ができる人材を事業者内で育てることが大事になるのです。

そのようにしてサービスマナー教育が充実し、マナー意識が浸透した事業者では、日常の業務の中で、『利用者の方々にものを頼まれたら「わかりました」ではなく「かしこまりました」というのが当たり前ですよ。』という教育が普通に行われ、先輩たちが普通にそうした言葉を使いこなすようになるので、研修としてサービスマナー講演を受講する必要すらなくなります。

そうなれば利用者に対する丁寧で、心づかいがある対応が伝統化して、上司や同僚の汚らしい言葉遣いにイライラするというストレスもない状態で働くことができる職場環境になるのです。

僕がサービスマナー講師として、実際に教育を担当した事業者のいくつかは、既にそうした状態になって、僕の講義から卒業しているのです。そうならなきゃあ・・・。
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タメ口を放置しておく場所では心理的虐待のハードルは低くなる


11月23日に書いた、「GH虐待が発覚したむかわ町穂別の社会福祉法人の人権軽視」という記事で論評した虐待事案。

そこで日常的に行われていた介護職員による暴言は、北海道が「心理的虐待」と認め、運営指導を行った。

このことについて表の掲示板の当該虐待の情報提供したスレッドでは、「ネイトさん」という方が、「心理的虐待だけでも重大事案と扱ってほしい 」とコメントしてくれた。

まったくその通りと思う。貴重なコメントに感謝申し上げたい。

心に負った傷は目に見えないだけに、その傷をずっと負ったまま癒されることなく見逃され、苦しみ続けている人も多いのである。

むかわ町のケースでは認知症という症状のある人が、特定職員の介護を拒むという状態になってしまっている。

短期記憶や見当識の障害が出やすい認知症の人にとって、個人の顔や名前を憶えて特定するということは一番苦手な行為である。そういう人たちが、「介護を受けるのは嫌だ」と思う人間を特定するということは、感情の記憶が残りやすいという特性をもってしても説明が難しい問題だ。(参照:感情の記憶は認知症の人にも残ります

それだけ嫌な思いを繰り返し体験させられ、心に深い傷を負っているという意味ではないのだろうか。

そうした状態を放置して、具体的改善策を取っていなかったグループホーム及び母体法人の責任は重い。

ここで改めて考えてほしいことがある。虐待行為と認定されたのは、「暴言」であったということに注目してほしいのだ。

暴言とは、「相手の立場や考えを無視した無礼な言葉。」を意味する。すると顧客であり、人生の先輩でもある介護サービス利用者の方々に、サービス提供者である介護事業者の従業員が、「タメ口」対応することは暴言とは言えないのだろうか。

タメ口とは、年下の者が年長者に対等の話し方をすることであり、もともと不良少年の隠語として使われていた言葉である。そのような意味等を考えると、お客様に対してタメ口を使うことも、「相手の立場を無視した無礼な言葉」でしかないと言えるのではないだろうか。

そうした無礼な言葉を使うことを、家庭的な雰囲気を伝えるためとか、堅ぐるしさをなくすためとか、様々な理屈をつけて辞めようとしない輩が多い。しかしそれは丁寧な言葉を使いこなして、親しみや優しさを伝えることができないコミュニケーション能力の欠如した人間の屁理屈に過ぎず、言い訳に過ぎないのである。

このブログで何度も指摘しているように、顧客に対してタメ口で接している職業は、保険・医療・福祉・介護業界だけである。他の職業ではあり得ない非常識を放置しているから、感覚麻痺による心理的虐待もなくならないのではないだろうか。

虐待のあった、むかわ町のグループホーム「みのり」の職員は、普段利用者に対してどのような言葉遣いで接していたのだろう。そして虐待が明らかとなり改善指導を受けた今、職員はグループホームの中で利用者にどのような言葉遣いで接しているのだろう。

どちらにしても、「タメ口対応」を放置して改善しようとしない事業所では、むかわ町の虐待事例のような問題がいつ引き起こされてもおかしくない。

利用者は顧客であるという正しい認識を職員に浸透させ、お客様に接するに当たって失礼のない態度、お客様に使ってよい言葉遣いの浸透を図らないと、行政指導の対象となるだけではなく、世間からバッシングを浴びて、経営が続けられなくなる恐れさえあるのだ。

あと半年もしないうちに新年度を迎え、たくさんの新入職員を迎え入れなければならない。その時、初めて介護の仕事に就く人たちに、正しい顧客対応を教えることができるように、今いる職員が正しい顧客対応ができるようにしなければならない。

そういう意味で、タメ口対応が行われている介護事業者は、危機感をもってその状態を変えなければならない。その時、口を酸っぱくして注意しても、なかなか言葉遣いを直せない職員がいるとしたら、言うことを聴かないとあきらめるのではなく、介護実務から外すという覚悟も必要だ。

むかわ町の事案では、GH施設長が虐待発覚後に、「言葉が荒いことを注意していたが、指摘直後はおさまっても時間がたつと言葉遣いが再び荒くなった」と恥ずかしい言い訳をしている。

それではダメなのだ。注意を聴かない職員に罰則も与えずに、そのまま職務に就かせていることは、管理責任と労務管理の放棄でしかない。そんな管理職であってはならないのである。
介護事業におけるサービスマナー
職員の対応改善・虐待防止・サービスマナーの浸透のためには教育も不可欠だ。そのための講義・指導についてはいつでもお手伝いできるので、どうか気軽にメールで連絡していただきたいと思う。

メールアドレスは、「北海道介護福祉道場 あかい花」の公式サイトに記載している。まずは気軽に相談のメールを送ってほしい。
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他人の気持ちを常に正しく理解できる人はいません


利用者の置かれた状況に応じて、「言葉の掛け方」を変えているという人がいる。

対人援助に携わっている専門家として、相手や相手の置かれた状況に応じて、言葉遣いや対応の方法を使い分けているという人もいる。

本当にそんなことができるのだろうか?

そういう人は、自分以外の誰かが今何を考えているのか、どのような心持なのか、常に正しく理解できるとでもいうのだろうか。

哀しい気持ちを隠して笑顔でいる人や、恥ずかしさを隠そうとしてひょうきんにふるまう人の、心のひだをすべて読み取ることができるとでもいうのだろうか。

相手の置かれた状況やその時々の気持ちを正確に推し量る能力を、自分が持ってると信じられる根拠はどこにあるのだろう。自信過剰としか思えない・・・。

利用者の内面を理解しようとすることは大事だが、私たちは全能の神ではない。相手の考えている事をすべて読み取ることなんてできないのだ。

対人援助の場で利用者に真摯に関って、利用者に信頼を寄せてもらおうとすることは重要かつ不可欠な態度であるが、その結果がすべて思い通りになるとは限らない。

介護サービスを必要とされる方々は様々なパーソナリティを持った人たちである。生活歴・家族関係もそれぞれ異なった人たちが胸に抱える思いは千差万別だ。その思いを全て正確に把握・理解することはどんな専門家も不可能だ。

自分が受け入れられていると感じていても、ままならない事情で利用者が心に見えない壁を作っていることもある。そしてその壁に気づかれないように取り繕ってふるまう人もいるのだ。

利用者にも事情がある。思いがある。感情があるのだ。

自分の行動や発言が誤解されていると思うことがあるという経験は誰でも持っているだろう。しかしそれはあなたの本意ではないとしても、誤解している人にとっては唯一の真実なのである。

そういう誤解や理解不足は、人間関係上排除できないものであり、対人援助の専門家であれば、そのことが常に援助過程に付きまとうことを想定したうえで支援行為に当たるというのが、プロとしての正しい姿勢である。

自分の言動がすべて利用者に受け入れられるとか、自分が誰よりも利用者の気持ちを理解できるとか、そうした自惚れは捨て去らねばならないのだ。

だからこそ、相手の心を傷つけることなく、できるだけ誤解を受けないように、最低限のサービスマナーを持って接するということは、サービスの質を担保するうえでも必要不可欠なことなのである。

言葉を崩して接することを受け入れてくれる利用者がいたとしても、そのような対応を喜ぶ利用者が存在したとしても、崩した言葉で心を殺されたり、心に傷をつけられたり、憤ったりする人が一人でも存在すれば、それは対人援助の専門家として許されない対応方法だと考えるべきだ。

私たちは個人のプライベート空間に深く介入し、利用者が他人に見せたくない・聴かせたくない・感じさせたくない恥ずかしい部分まで、さらけ出させて支援行為を展開する職種なのだから、利用者の心に負担をかけず、護ることを何よりも優先させなければならない。

マナーのない行為は、その態度を揺るがせる一番のリスク要因だ。

全能の神ではない、間違いの多い人間であるからこそ、対人援助の場では、利用者に対してサービスマナーを持った態度に終始することが即ち、真摯に接することであるという理解が必要だ。

そういう真摯さがない人間は、対人援助サービスの場に居てはならないのである。
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達人しかできない方法論は意味がない


仕事をするうえで、従業員がお客様に対して失礼がないように気を使うのは、至極当然なことである。そのために言葉遣いや、態度、服装などに気を付けうことも至極当然のことである。

ところが医療・福祉・介護業界では、そのことに疑問を持つ人が大勢いたりする。

あまり丁寧に接すると、よそよそしく思われるのではないかとか、他人行儀ではないかと思っている人が、そこかしこに存在する。

特に介護施設の職員の中には、施設とは利用者にとって暮らしの場であるのだから、家庭のような雰囲気が必要であり、あまり丁寧な対応は肩が凝るといいつつ、馴れ馴れしく無礼な態度に終始する職員も少なくない。

そのような人たちは、自分が介護という職業を通して生活の糧を得ている意味を解っていないとしか言えない。職業として介護業務に従事している責任を理解していない、プロ意識のない人たちである。

家庭的=家庭ではないのである。利用者がリラックスして、過ごすことのできる空間が家庭的なのである。そこは利用者の尊厳や権利がしっかり護られて、心地よく過ごすことができる場所を意味する。

家庭のような温かさを持った介護サービスとは、ぞんざいな言葉遣いで、馴れ馴れしく接する状態をいうのではない。家族がごく普通に家族に人間愛を抱いているように、他人である介護従事者が、愛情を持って温かく利用者に接することをいうのである。

しかしその愛情の寄せ方も、介護のプロとしての姿勢を基盤にするものでなければならない。利用者を可愛いと思うのが、愛情を寄せるという意味ではない。(参照:人間尊重の価値前提を学ぶことができる介護事業にしよう。

家族という遠慮のない関係だからこそ通用する、「タメ口」は、介護のプロとして利用者に温かく接する方法としては不適切極まりない言葉遣いでしかない。なぜなら私たちは、介護サービス利用者の家族にはなれないからだ。

利用者と介護従事者の関係性が、家族の関係性と同じになることはあり得ないのである。

だからこそ介護従事者は、家族とは一段違った立ち位置から利用者に接する態度が求められているのである。

その時に必要とされるのは、誰からも不快に思われない礼儀ある態度である。そうした礼儀のある態度で接してなおかつ、その態度がよそよそしいと思われるとしたら、それは礼儀ある態度を使いこなしておらず、ぎこちなさを前面に出してしまっているという意味でしかなく、それは介護のプロに徹して、正しいコミュニケーションが取れないという意味である。

それは介護従事者に最も必要とされるコミュニケーションスキルの欠落という重大な問題で、そういう人は介護の仕事に向かないので、さっさと別な職業を探した方がよいのだ。

TPOに合わせた態度や言葉遣いを取ることができるとうそぶく輩も信用ならない。それは利用者の置かれた状況やその気持ちを常に正しく察することができるという意味になるが、人間にそのような能力はない。相手の心を読めない限り、それは神業の領域だ。

そんなありもしない能力を求めるよりも、プロ意識をしっかりと持って、温かく接するためのマナー意識を持つことの方がよほど簡単である。利用者に対し礼儀を持って接してなおかつ、よそよそしさを感じさせないプロ技術を得ることに務める方が、より現実的方法なのである。

このことを理解できない輩に、介護の仕事の使命や真髄なんて、一生見つけられるわけがないのである。
大切な人を護る介護
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よそよそしさより馴れ馴れしさを恐れる人になってください


まず最初に読者の皆さんにお詫びとお知らせです。

昨日の記事「9月30日までの上乗せ請求方法が明示されました」で、本年9月までの感染対策費等の報酬上乗せ分について、介護報酬の算定構造のイメージの基本部分に並立されている加算について乗算対象であると解説しましたが、それはどうやら間違った考え方のようです。訂正してアップしていますので、ご確認ください。

さて本日の本題に移ります。

介護従事者が利用者に対して丁寧語を使って会話すると、「よそよそしい」と感じられるという人がいます。

しかしそれは間違っています。正しい丁寧語を使いこなせば誠意とまごころは伝わり、よそよそしさは排除できるのです。日本語のボキャブラリー(語彙)は世界一豊富なのですから、丁寧な言葉でも親しみやすさが伝わる言葉は数多く存在するのです。

現に僕は30年以上、お客様である利用者に丁寧語以外で会話したことはありません。だからと言って僕が利用者から親しまれていないという事実はありません。丁寧語でも冗談を言い合うことは出来ますし、くだけた話題を丁寧な言葉で話すこともできるのです。それが対人援助のコミュニケーションスキルではないでしょうか。

だからこそ対人援助に携わる人であれば、どうぞ高いコミュニケーションスキルを得るように努力してください。

熊本県のある特養では、職員の方々が利用者の方々と目線を合わせて、「よかですか?」と話しかけていました。方言にも丁寧語があって、意識が高い施設の職員はごく自然に方言でも丁寧語を使っているのだということがわかりました。僕の目にはそれはとても素敵な光景に映りました。対人援助のプロとしての凛とした姿勢に思えました。

対人援助という仕事に従事する人に是非理解してほしいことがあります。それは、よそよそしさを恐れるより、タメ口の馴れ馴れしさを恐れる人になってほしいということです。

よそよそしく思われたり、堅苦しく思われたりしないつもりで使う、「タメ口」によって、心が傷つけられている人が数多くいるのです。

介護を受けるということは、誰かに自分の身を委ねないと生きていくのに不便が生ずるという意味なのです。そういう人たちにとって介護をしてくれる人は、ある意味命綱なのです。その命綱が切れないよに、多少の不満があっても口にできない人が数多くいるのです。

介護を受ける身になったことに引け目を感じている人も居ます。他者に訴えることができない劣等感を持った人は、他者の感じの悪い対応に心を痛めても、そのことをおいそれと口にはできないのです。そういう人たちは鬱屈した感情を内部にため込んで、哀しみ、苦しみ、いつか壊れてしまうかもしれません。

自分より年齢が若い人が、自分にタメ口で話しかけるのは失礼だと感ずる高齢者はまだたくさん居られます。そういう人たちが黙して鬱屈を内部にため込まなくてよい介護を目指すべきではないでしょうか。

誰に対しても使うことができる丁寧な言葉で、私たちの真心を伝えましょう。介護支援を必要とする人足りに対して、私たちが美しい日本語を使いこなして、快い気持ちになってもらいましょう。

私たちは素人が介護に携わっているのではなく、介護の職業で生活の糧を得ているプロだということを忘れないでほしいと思います。家族と同じように利用者を愛おしく思ったとしても、家族と同じ存在ではないのです。家族という間柄だからこそ家族同士では使って許される言葉遣いがあるのです。それを真似する必要はないし、真似してはならないのです。対人援助のプロとしての正しい態度や言葉遣いに終始できるスキルこそ求められているのです。

そのことを理解できない人、そうした対応に終始できない人は、対人援助の職業には向いていないと思います。

そういう人は、どうぞ誰かを知らぬ間に傷つけてしまわないうちに、他の職業をお探しになった方が良いと思います。・・・そんな人が介護業界から一日も早く退場することが、世のため人のためになると思います。
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丁寧語は使い分ける必要がない


仕事柄、全国各地を飛び回って講演を行なっているので、そこで初対面の人に相対する機会も多い。

そうした初対面の方々に、好印象を持っていただくようにするためには、挨拶や笑顔や言葉遣いは大切にしなければならないものだと思っている。

講演を主催してくださる方は、僕にとって雇用主にも等しい方々なので、少しでも失礼があってはならない。また講演を聴きに来てくださる方がいるからこそ講師業は成り立つので、受講者の皆様もお客様そのものであろうと思う。だから少しでも嫌な思いをさせてはならないと思う。

そのため僕は、様々な場所で出会う人たちの職業や地位や年齢に関係なく、出会った方々に話しかけたり会話を行う際には、必ず丁寧語を使っている。それはことさら意識してそうしているのではなく、僕の中で当たり前のこととして、ごく自然にそうなっているわけである。

ごくたまに、僕より年下の人が初対面の僕に対して、タメ口で話しかけてくることがあるが、それはその人の「人となり」なんだと思って気にしないようにしている。ことさらそのことを注意することはない。なぜならその人は僕にとって仕事上の部下でもないし、近しい人間関係があるわけでもないのだから、いうだけ無駄であると思うからだ。関係性を継続する必要のない人に、いちいち注意したり小言を言っているほど暇ではない。

だがそのような人から、「あなたもタメ口でいいよ。きっと私の方が年下だし。」と言われた場合(過去に実際にあったことだが)、その時は一言意見する。「あなたが丁寧語で話せば解決する問題ではないですか。」って。・・・きっと嫌な奴に思われただろう。

ただそうして出会った人とつながりを持ち、長く交流していくうちに、友人ともいえる関係となって打ち解け合い、親しい関係性が生まれる中で、ごく自然に言葉を崩して会話するのが自然になることもある。それは双方の関係性のなせる業だから、当然それで良いと思っている。

しかし介護事業の中で、利用者に対してタメ口で話しかけることを、「関係性ができているから」と言い訳するのは少し違うと思う。そこで培われた関係性とは、対人援助の中でサービス提供者とサービスを受ける方という関係性であり、サービス提供者がそれを職業として金銭対価を得ている以上、相手はお客様である。

そこにおける関係性とは、顧客とサービス提供者という関係性からは決して外れることができないものであり、家族や友人関係とは根本的に異なるのだから、タメ口を使う理由を関係性に求めること自体が間違っているのである。

お客様に対しては、丁寧語で接するのが当たり前である。保健・医療・福祉サービス以外の職業では、そのことは教育するまでもない常識であり、顧客にタメ口を使った瞬間に、職場に居れなくなることの方が常識なのだ。

しかし介護業界には、このごく当たり前のことを理解できない知能レベルが低い従業員が数多く存在している。介護人材不足は、低能で接客意識を持てない人罪(じんざい)をはびこらせているのだ。

そうした輩は、利用の家族に対しては丁寧語で接しているにもかかわらず、同じその口で、介護サービス利用者にタメ口で接したりする。中には認知症の人にだけタメ口で接する人間もいたりする。そのことを指摘すると、相手の置かれた状況や気持ちに沿って、「言葉を使い分けている」と屁理屈をこねる輩も多い。

しかし利用者の置かれた状況を常に正しく把握できるという神業の持ち主はいるのだろうか?言葉を人によって変えている人は、相手の気持ちが常にわかる神のような能力を持っているとでもいうのだろうか?

残念なが僕はそのような神業を持つことは出来ないし、僕が総合施設長を務めていた特養の部下たちも、そのような能力を持つことができるとは信じることは出来なかった。だからこそサービスマナー意識を持ち、常にお客様に失礼のない態度で接し、丁寧語を日常的に使いこなすことができるように教育を行ってきた。

そもそも態度や言葉遣いを無理に使い分けると、「差別している」という誤解を与えかねない。そんなリスクを持った職員を、介護サービスという第3者の最もプライベートな空間に踏み込む場所に置いておいてよいわけがない。それは人を傷つけ、人を悲しませる最大の要因になるからだ。

そもそもマナーがある丁寧な態度や言葉は、人によって使い分ける必要がないのである。

人の感情は様々であるがゆえに、自分考え及ばない考え方や心の在り方があるのだ。そうした人間そのものに寄り添う職業では、使い分けなくとも、人に不快を与えない一定の態度を身に着け、その態度を守りぬくことこそ、人を護ることにつながるのである。

そもことを理解できない人は、介護という職業を続けてはならない。
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人間尊重の価値前提を学ぶことができる介護事業にしよう。


僕がFBでつながっている、神奈川の社会福祉法人の施設長・Kさんが、12/26に書いた、「大人を小馬鹿にするかのような格好をさせて何が楽しいのだろう?」という記事を読んでくださって、その記事をご自分のFBにシェアしてくださっている。

シェアした際に、生地紹介文を書いてくださっているが、そこにはK施設長が過去に経験したエピソードが次のように紹介されている。(※K施設長に承諾を得てうえで転載しています。)
-------------------------------------------
もう20年以上も前ですが、認知症で幼児返りし、いつもニコニコしているだけの小柄な入所者さんに介護職員は皆メロメロでした。
未熟な私は面会にみえたご家族に、良かれと思い「〇〇さんかわいい、と一番人気なんですよ」なんて伝えてしまいました。ご家族も喜ぶと思ったんですね。
でも喜ぶどころか、寂しく悲しそうに仰いました。「…こうじゃなかったんですけどね。厳しい人でした」
このやり取りは、私に刻み込まれました。一生忘れられない失敗談。でも、このおかげで気付きと学びを得たのでした。」
(※K施設長のFBより転載)
--------------------------------------------
利用者を可愛いと感じる人に悪気があるわけではないのだろうが、私たちは社会福祉という領域の中で、対人援助に関わっていることを忘れないでほしい。

私たちが決してなくしてはならない価値前提とは、「人間尊重」の価値前提なのである。「人間尊重」とは、人は「何を持っている」とか「何ができる」ということにかかわらず、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観であり、私たちが対人援助の場で関わる利用者が決して尊厳を失わないように関わることが求められるのである。

その関わりは極めて積極的な姿勢としてとられるべきで、人の尊厳を奪うような要素を少しでも残しておかなうようなソーシャルアクションが求められるのだ。そうであるがゆえに人生の先輩を人として尊敬する以前に、子供のように可愛がる態度を放置してはならないのである。

勿論、語感は時代とともに変わるものであるし、言葉狩りを行っても人の権利を奪いこそすれ、護ることにはならないことも十分承知している。それでもなおかつ、介護事業者に所属する職員が、仕事として関わる人生の大先輩に対して、可愛いと感じたり、可愛いねと声を掛けたりすることの弊害を思わずにはいられない。そうした意識の低下こそ、介護サービスにおける割れ窓になりかねないのだ。

何度も云う・・・。可愛いという言葉を人に対して用いる場合、従来は子供や年少者、若い女性などについて用いていたが、近年ではそれが「かわいいお爺ちゃん」のように対象の広がりがみられることは理解している。しかし可愛いという言葉が、時代の流れの中で、世間における使い方が変わってきたと言っても、対人援助のプロが、利用者に向かってその言葉を使うのは間違っていると思うのである。その語感は、自分より立場の弱いもの・施しの対象者に向けるものになって、その意識によって一人の人間としての尊厳を奪うような言動に結び付く恐れが排除できないからだ。

対人援助者は、利用者を愛(いつく)しみ、大切に思うことが大事である。

介護支援を受けなければならない人であっても、人間として私たちとその存在価値や尊厳は変わらないことを前提にして、私たちは利用者の方々に関わる必要があるのだ。

私たちは小さいもの・弱いものを手助けするのではなく、不便がある人の不便を解消するお手伝いをする仕事をしているのだ。それは困っている人に手を差し伸べるという人としてごく当たり前の行いにしか過ぎないが、そこに専門知識と専門技術を添えて、より効果的に、より適切に課題解決に結び付けるのが、私たちの仕事なのである。

そうした介護のプロとして接しようとする人が、自分より年上の高齢者の方々に向かって、「可愛い」という言葉を掛けることも、「可愛い」という感情を抱くことさえも不適切であると思う。

人は必ず心の中に弱さを持っており、時として周りの環境の影響を受けて惰性に流されやすい。だからこそ対人援助に関わる者は、自分を律して人権意識を奪う要素をできるだけ排除することを意識しなければならない。そうした姿勢でしか護られないものがあることを理解しなければならない。

管理職という立場の人たちには特にそのことを意識して、介護の場で利用者を可愛いと言いながら仕事をしている人たちに、それがいかに恥ずべき態度であるかということを伝えてほしい。そうした職場を変えていってほしい。そのために自分が先頭に立つ心構えが必要だ。

本当に何かを変えたかったり、自分の考えが真実だと主張したい人は、姿を現して最前線に立つはずだ。それができずに姿を隠して、自分の主張だけを垂れ流す輩は単なる詐欺師で、誰の尊敬も勝ち取れないことも同時に理解してほしいと思う。
高齢者をかわいがるという感覚麻痺
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介護事業所の虐待最多という報道を受けて


今朝12/23付の北海道新聞朝刊には、「介護事業所の高齢者虐待最多」という見出しで、次のような報道記事が掲載されている。
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厚生労働省は22日、介護事業所の職員による高齢者への虐待が2019年度に前年度比3.7%増の644件となり、過去最多を更新したと発表した。厚労省は虐待防止への意識が高まり、通報が増えたことなどが背景にあるとみている。自治体への通報件数も3.7%増の2.267件。亡くなったのは4人だった。

虐待の理由は複数回答で、虐待との認識が乏しかったことや、職員のストレスや感情コントロールの問題などがあった。一つの事業所で複数の高齢者が虐待を受けているケースもあり、不特定多数に暴言を吐くなど被害者を特定できなかった件数を除くと虐待を受けた人は計1.060人。このうち認知症の人が約8割を占めたほか、症状が重い要介護3以上の高齢者が75.8%に上った。

虐待の種類(複数回答)は暴力や拘束といった身体的虐待が60.1%。暴言などの心理的虐待が29.2%、放置などの介護放棄が20.2%。(以下略12/23北海道新聞朝刊より転載
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この記事では虐待の理由を、「職員のストレスや感情コントロールの問題などがあった」と報道しているが、こんな理由の括りはやめてほしい。それは両方とも対人援助のスキルのない人であったという意味でしかない。

そもそもストレスで虐待してしまうという理由を認めてしまえば、「介護の仕事でストレスが生じた場合は、利用者を虐待することも仕方ない。」という意味にも捉えられかねない。そんなことがあってよわけがないのだ。

さらに言えば、介護事業における従業員の虐待理由を、「仕事のストレス」と括ってしまえば、介護の仕事が介護以外の仕事に比べてストレスが生じやすい仕事であるという誤解も生じてしまう。決してそんなことはない。他の職業は、毎日数字で結果を求められたり、利用者から直接苦情を投げかけられたり、介護の仕事とは異なる種類のストレスがたくさんあって、どの職業が一番ストレスが高いかという比較は困難である。

現に仕事のストレスでうつ病になり、精神科に通院や入院をしている人で、介護の職業に就いている人の割合が、他の職業の人より高い確率であるという言う事実はない。

仕事には多かれ少なかれストレスは存在するもので、良いストレス(ユーストレス)だって存在する。(参照:メンタルヘルス不調とストレスについて考える

良くないストレス(ディストレス)であったとしても、それを直接利用者への暴言や暴力に結び付けるということは、対人援助者としての資質に著しく欠けているということに他ならないのだ。

確かに介護の仕事は人に向かい合う感情労働だから、利用者の感情に巻き込まれてしまうリスクの高い仕事でもある。だからこそ感情のコントロールを行う教育訓練が必要で、特にアンガーマネジメントの基盤となる、「自己覚知」の教育は欠かせないのであるが、それはきちんと行われているのだろうか。そのことをもっと問題にすべきだ。(参照:価値観が変化する自分を覚知するために

新聞記事では、「虐待との認識が乏しかったこと」も理由に挙げられている。僕がこのブログで再三取り上げている、「感覚麻痺」がその一番の原因だろう。(参照:知らぬ間に・悪気なく、介護の場にはびこる感覚麻痺による虐待

「不特定多数に暴言を吐く」行為も取り挙げられているが、その多くは職員が顧客である介護サービス利用者に、「タメ口」を使うなどの不適切な態度を許してしまうという、「割れ窓」を放置していることに他ならない。

例えば上司に部下が、「タメ口」で話しかけることは失礼な態度であると感じる人が多い。場合によっては、「その口の利き方はなんだ!!」と怒る上司もいる。それなのに介護サービスの場で、従業員が顧客に対し、馴れ馴れしい失礼なタメ口で対応することをなぜ許しておくのだろうか。

しかしタメ口で接することが親しみを持ってもらい、家庭的雰囲気につながると主張している人も、心のどこかでは、それは顧客対応としてはふさわしくないと感じたりしている。それが証拠に、認知症の人にタメ口で接している人が、相手が認知症ではなく、物事をはっきり主張できる人であれば、自然と丁寧語で接する態度に替わるという、「人を見て言葉を使い分ける」という態度になっている場合も多い。

その結果が今朝の報道の、「虐待を受けた人の8割が認知症の人」という結果につながっているのではないだろうか・・・。

どちらにしてもサービスマナー教育をおざなりにしていると、いつかそれが大きな虐待問題につながり、社会全体から糾弾を受けるだけではなく、事業廃止の危機に直面することを経営者や管理職は改めて心するべきである。

今のうちに、利用者に対するくだけた態度は、顧客に対して失礼な態度であるという理解を促し、サービスマナーに徹した介護事業者に変化できるように、教育訓練をしっかり行わねばならない。

そうしないと団塊の世代の人から選ばれる介護事業者にはならないのである。
介護事業におけるサービスマナー研修
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悪しき伝統は強権で介入しないとなくならない


職場にはそれぞれ、代々受け継がれていく有形無形の伝統がある。

しかしそれがすべて価値ある伝統とは限らず、なくしていかねばならない悪しき伝統も多い。介護事業者の伝統も同じである。

措置時代のルールを受け継ぎ、何十年も前から変わらない介護施設の運営基準に胡坐をかいて、そこで死ぬまで暮らさねばならないかもしれない人の入浴支援を、週2回しておれば豊かな暮らしだと勘違いした考え方を是正させようとしない伝統もある。

しかしそう考えている人自身は、毎日朝と晩にシャワーを浴びたり、少なくとも毎日入浴している人が多い。自分の暮らしと、自分が支援している人の暮らしぶりに、大きな差があることに何も疑問を感じることなく、職場でその是非を議論さえしないことも、「悪しき伝統」と言ってよいだろう。

そうした悪しき伝統の中でも、一番厄介なのが、利用者を子ども扱いするかのような職員対応の伝統である。

タメ口は目上の者が目下のものに対して使う、「失礼な言葉遣い」であることを理解せず、馴れ馴れしい言葉遣いや態度で利用者に接することが、「家庭的な対応」・「関係性が構築できる」とわけのわからない理屈を正当化する伝統を持つ場所には、必ずそうした対応に泣かされている利用者が存在している。

家族ではない他人が、介護支援の場で利用者に関わるときに必要な態度とは、家族と同じ遠慮ない態度ではなく、介護のプロとしての態度なのだ。信頼のおける介護知識と技術に基づいた接遇ができることが一番求められる態度なのである。

関係性というが、私たちが利用者と結ぶ関係性は、家族関係ではなく、従業員と顧客あるいは、サービス提供者と顧客という関係でしかない。そこでは顧客に対して失礼のない態度、お客様が喜んで受け入れいてくれる、「感じの良い態度」が求められるのであって、無礼で馴れ馴れしいタメ口や、過度なボディタッチが求められているわけではないのだ。

利用者に上から目線で接したり、過度に馴れ馴れしい態度で接するなどの悪しき伝統にメスを入れて、新しい風を吹き込むことは容易ではない。悪しき伝統であっても、それが受け継がれている場所では、それが普通になってしまって、悪しき事であるとは気が付かなくなっているからである。

しかも人間は保守的な生き物なので、現状を変えようとするときには、必ずそれを変えたくないという保守勢力の強い抵抗が生まれる。これを打破し変えるのは容易ではなく、経営者や管理職の強い覚悟と介入が不可欠だ。

一定の期間を示して、態度を改めない人は役職から降ろしたり、昇給をストップしたりする等、職場のルールに従わない人にはペナルティを与えねばならない。性善説で旗を振ればなんとかなるだろうという考え方が一番だめだ。

保守的で態度を改めない人は放っておいて、新人をきちんと教育して職場の伝統を変えようとしても、それは無理難題というものだ。経験年数が長い先輩職員に巻き込まれずに、新人が力強く改革の旗手になることはほぼ奇跡に近い。そうした奇跡を起こそうとする人は、様々な形のいじめや嫌がらせに合って、つぶれていくのが落ちである。

だからこそ先輩が新人の手本になるように、強権で経営者や管理職が現状に介入し、今いる職員の意識や態度を変えていく必要があり、変えられない人は排除していく必要もあるのだ。そうしないことには理想とする職場などできるわけがない。

悪しき伝統に強権で介入できない経営者や管理職が抱く理想は幻想でしかない。目ざるゴールにたどり着くために、覚悟を持って強権介入も辞さないとする人の理想だけが、実現可能な理念になっていくのである。

経営者や管理職の権限とは、そうした方向に振るわれなければならず、職員を恫喝するだけの経営者や管理職は、器がないというべきである。

それは経営者や管理職として恥ずかしいだけではなく、人として恥ずべき姿でもある。
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サービスマナーは経営者のために身に着けるのではない


今日11月11日は、「介護の日」とされている。そのためという訳でもないが、1並びの日なので、この記事も11月11日・11時11分の1並びを目指して投稿した。

ところで今日は19時からYouTubeで、内田洋行主催UCHIDAビジネスIT オンラインセミナーの4回シリーズの最終回が配信される。下記は35秒間の配信動画(シリーズ2回目)なので参照いただきたい。

最終回のテーマは、「職場環境の大切さと顧客確保のための現場マナー」である。このシリーズは、介護事業経営の面から、人材確保と定着に焦点を当てたセミナーになっているが、求められる人材の定着という観点からも、サービスマナーに徹して仕事に従事する職場環境は大事である。

特に利用者に適切なサービスを結び付けて、少しでも良い暮らしに結ぶ付けたいと考えている優れた人材にとっては、マナーに欠ける他の職員の態度はストレスでしかない。そうした人たちが、他の従業員の利用者に対する、「あんまりの行為」にストレスを感じてバーンアウトする職場は、永遠に人材が集まらないということになる。

もういう意味で、今日のテーマで語ることは、行儀作法としてのマナーではなく、人材確保を含めた介護事業経営戦略としてのサービスマナーについてである。

Zoomに習熟していない方も、YouTubeなら問題なく視聴できるという人も多いだろう。どなたでも無料視聴できるオンラインセミナーであるし、今日時点での申し込みも可能なので、19時から50分ほど時間がとれる方は、是非申し込みの上視聴いただきたい。

さて、介護サービスにおける、「サービスマナー」の必要性を理解できない人たちは、今もどこかで、知らぬ間に誰かの心を殺し続けている。

介護事業者は人材不足が叫ばれる中で、多業種からの転職者などが募集に応募してきた場合、人材をきちんと見極めることなく、安易に採用してしまうところも多い。「とりあえず採用してみて、適性を見極めようか」などとして採用する人の中には、教育でスキルが挙がらない能力が低い人や、もともと他人のプライバシーに深く介入し、支援を行うという仕事に適性がない人も含まれている。

介護福祉士養成校の卒業生の中にも、知性に欠けるスキルの低い人が混じっているのも事実だ。そのような中で、適性判断をきちんと行わないで闇雲に採用してしまう介護事業者の中には、サービスマナーの必要性を理解できない知性・知能レベルが低い人が混じっているのだから、困ったものだ。

そんな人の中には、「利用者の家族の位置まで降りて、利用者に気安い言葉を書けた方が良い」などと言い、「タメ口」で接客する異様な姿を直せない人員でしかない人も多い。そういう人には一日も早く、他の仕事を探してもらう方が良いと思っている。

そもそも高齢者にタメ口で接して、それが家庭的な対応で、フレンドリーな関係を構築すると勘違いしている連中は、わずかな知識で人生を割り切ろうとする連中でしかない。

三尺の棒で何丈もある海に深さは測り切れないのである。自分の拙い知識で海を知ろうとして、とち狂っているだけの人によって、介護サービスの場で高齢者の心は殺され続けている。そのように汚い言葉と乱暴な態度で高齢者に接して何とも思わない連中は、熱いトタンの上のアイスクリームのごときだ。

そうした連中は、職場内で徒党を組みたがる。義務や責任から逃げ出し、誇りと知識のない仲間だけが寄り集まって群がり、一つの世界をつくって、自分たちの拙い知識や、低い知性で創り出した方法論から脱しようとしないわけである。

介護事業経営者や管理職は、こうした状態を、数合わせのためだけに放置してはならないのである。

しかし介護サービスを利用する中心が団塊の世代になってきていることを忘れてはならない。

その世代の人たちとは、あらゆる場面でそのニーズに最大限の配慮をされてきた世代なのである。なぜなら団塊の世代に売れる商品を開発すれば、ほかの世代に売れなくとも儲けることができたからだ。

つまり団塊の世代とは、顧客として誰より手厚く遇されてきた世代でもあり、介護サービスを利用するに際しても、自分を遇する人を選ぶ傾向が強い。ホスピタリティの高い介護事業者を、団塊の世代の人たちは積極的に選んで利用するのである。

そんな中、介護市場は100兆円を超える巨大マーケットになっていくのだから、異業種の営利企業がこれからも参入してくる。顧客の奪い合いが今より激化するのかで、顧客を確保しなければ生き残っていけないのである。

そうであるからこそ、団塊の世代の人々に選ばれるための介護事業戦略として、従業員にサービスマナーを徹底して、ホスピタリティを高めていく必要があるのだ。

さすればサービスマナーに徹して仕事ができる人や、サービスマナーを他の職員に教育できる人は、それだけで価値があるということになる。当然そういう人は、他の従業員よりも良い待遇を与えてでも確保したい、「人財」と言えるわけである。

既にそういう人を好条件で採用する企業も現れている。つまりサービスマナーを身に着けることは、経営者や管理職のためではなく、自分が働いている介護事業者のためだけとも言えないわけである。

それは自分自身が豊かになるために身に着けるものだ。しかし豊かになるとは、より高い金銭の対価を得られるという意味にとどまらない。

サービスマナーを身に着け、ホスピタリティの高い対応を身に着けた先には、利用者の心からの笑顔に出会うことができ、自分がかかわった人たちが、より豊かな暮らしぶりとなるという結果に出会うことができるのだ。その姿に触れて、自分自身の心が豊かになるのである。

自分自身のために、自らの自己実現のために、介護サービスの場におけるサービスマナーを身に着けてほしいと思うのである。
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ネット上の犯人糾弾という『娯楽』の被害者にならないために


世の中で起きるあらゆる事象がスマホによって動画撮影され、ネット上で「さらしもの」となる危険性があるのが現代社会である。

あらさがしの結果でしかないような誰かの行為がネットにさらされて、ネット住人達にそれが一たび不適切と烙印づけされれば、たちまち糾弾対象となり犯人探しが始まる。

そこではプライバシーも個人情報も、何もかもが無視され、糾弾される者の姿かたちが無遠慮にネット上にさらされ、個人名が特定されていく。それに対して匿名の無数の糾弾者が、批評家気取りで様々な批判を繰り返す。

普段は市井(しせい)の人でしかなく、評論とは無縁の一般人が、ネットの中では正義の斧を振り飾す批評家に変わり、悪を滅ぼすのは自分の言葉であり、自分が書く文章こそが正義・正論であるかの如く、自分が逢ったこともない誰かに罵詈雑言を浴びせ続ける。

そうしたエセ批評家・ニセ評論家連中は、自分は決して傷つくことがない場所で、姿と名前を隠しながら、ネット上にさらされた見ず知らずの誰かを、悪の権化と決めつけて、さらし者にして罰を与え続ける。

しかしそうした行為は、世の中を良くしようとして行われている行為ではない。世を正しく導くために、正論を繰り返すのではなく、ネット住人たちの、『娯楽』として、ターゲットとなった見知らぬ誰かを、みんなで狙い撃ちにしていたぶり愉しんでいるだけである。それは低俗な虐めでしかない。

しかし事が低俗で悪質なだけに、そうした行為で心を殺される人がいる。

ネット上にさらされた自分の行為を、悪意を持って行っていなかった人は、その行為が批判されて初めて重大な間違いを犯したのだと気が付き、それを反省したとしても、後悔も反省も顧みられず、娯楽を楽しもエセ批評家自身が、飽きるまで糾弾されるづけることになるのだ。

介護サービスの場で、マナーに欠けた対応を直せない人たちは、こうしたネット上の娯楽のターゲットになる危険性が高いことを自覚してほしい。

僕のサービスマネー講演でいつも話すことではあるが、タメ口はしばしば荒い言葉遣いと見まごう場面をつくり出すのである。

医療や介護以外の他の職業では、顧客に対してタメ口で接することはあり得ない。そうであるからこそ介護サービス従事者が、顧客である利用者に対して言葉遣いに配慮のない会話を繰り返している姿は、第3者から見れば異様に映ることも多く、若い職員が高齢者を罵倒していると感じさせる場合もある。

現在はコロナ禍で、介護施設や居宅サービス事業者には、従業員と利用者しか存在しない密室状態になっているかもしれない。しかし通常の姿に戻れば、介護事業者にはサービス提供中に、顧客以外に面会の人や、外部の業者が出入りするのが普通だ。職員が利用者と接する姿を、外部の第3者が目にすることが普通になっていくはずだ。

その時に、無礼で馴れ馴れしいタメ口で利用者に接している従業員の姿を不快に感じて、その場面を切り取ってスマホに録画した動画を録画した直後に、#ひでえ口の利き方#態度最悪の介護職員などとハッシュタグをつけてSNSにアップされたとき、「あれは親しみやすい言葉として使っているだけで、関係性ができているから問題ない」という言い訳が世間に通用すると思っているのだろうか。

そんな言い訳は通用せず、その姿自体がネット住民の娯楽のための攻撃対象になってしまうのである。

介護事業においても、サービスマナーを身に着けて顧客である利用者に接するという意味は、利用者の心を護るためだけではなく、そうしたネット上の攻撃から自分自身を護るためにも必要になっているのだということを自覚してほしいと思う。

マナーのない態度で利用者の心を殺した罰が、ネット上の見知らぬ多数のエセ批評家による攻撃で傷を負う結果であるということであってはならないわけだ。そんな罰を与えても、傷つけられた利用者の心は癒されないのだから、そのことを踏まえたうえで、利用者の心も、自らの心も護るために、介護サービスに従事するすべての人が、サービスマナーの必要性に気が付いて、介護が本当の意味で、『人の役に立つ仕事』・『人の暮らしを護る仕事』となるようにすべきなのである。

罰してもとりもどすことができないものを、なくさないように護ることが介護の使命なのだから・・・。
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顧客確保競争が激化する時代の介護事業戦略


北海道は朝晩、暖房が必要な季節になった。

この時期になると紅葉の季節の先を見越して、いつ冬になってもおかしくないように、厳しい寒さを乗り切る心の準備が大切になる。

同時に僕のルーチンとしては、おせち料理を取り寄せ予約する時期でもある。ちと気は早いと思われがちだが、僕の3つ目のブログmasaの徒然草の「おせち料理はどうしてますか?」も暇なときに読んでいただきたい。

それはともかく、話は変わって今日の本題。

8日に東京商工リサーチが公表した、『2020年1-9月「老人福祉・介護事業」の倒産状況』によると、今年1月から8月の介護事業者の休廃業・解散は313件となり、前年同期(263件)から19.0%増え、この時期としての過去最多を記録している。

1月から9月までの倒産件数も94件で、前年同期(85件)を10.5%上回っている。

事業別に見れば訪問介護が46件と一番倒産件数が多いが、これは訪問介護員の成り手がないことと関連して、人手がないことを理由に倒産件数も高止まりしている状態である。しかしここにきて倒産する事業所の増加が目立つのは、「通所・短期入所」の30件(前年同期比25.0%増)である。

当然これにはコロナ禍が影響していると思えるが、コロナ禍が過ぎれば状況が大幅に改善するとは言い切れない。なぜなら倒産理由に占める、「顧客確保競争に敗れた結果」による倒産は今後も増える可能性が高いからだ。

コロナ禍でサービス利用控えが増えることで、顧客が確保できなくなった事業者は多いが、コロナが終息しサービス利用者が増える段階では、後期高齢者に近づく団塊の世代の人たちのサービス利用が大幅に増えることが予想され、2018年には介護給付費の額が20兆円まで膨らむことが予測される。

これに保険外の費用や、今後増大が予測される感染予防対策費の上乗せ分を含めると、介護市場は100兆円を超える巨大市場となる。民間営利企業がこの市場を放っておくはずはなく、現在介護業界に進出していない民間営利企業の市場参入が相次ぐだろう。

ただしその市場は、「骨太改革」の影響で、顧客単価が減る市場でもある。顧客数は増えるが、一人に給付される単価は減るのだから、今以上により多くの顧客に選ばれなければ事業は成り立たない。

そこで既存事業者は、それらの企業と顧客と人材の獲得競争を行なっていくわけである。それに勝てないと廃業に向かうしかないわけであるが、倒産が相次いでいる従業員が10人未満などの小規模事業経営者は、それらの民間営利企業と対峙して、競争に勝ち残っていく戦略やノウハウを持っているだろうか。

企業に負けずに、顧客に選ばれるサービスの差別化は出来ているだろうか。

一昨日依頼を受けて、12/8に佐賀県老施協・デイサービス委員会主催のzoom講演を行なうことになったが、そこで依頼されたテーマも、「今後の時代の変化に対応するための情報収集と検討〜コロナ禍における通所介護事業の展開〜」である。厳しい時代の生き残り策となるヒントが求められていると思うので、僕が考える具体策を示したいと思う。

上記のセミナーは会員限定であるが、誰でも参加ができるオンラインセミナーで、今後の介護事業経営を考えるうえで不可欠なセミナーが来週行われる予定になっている。

介護経営支援の実績が豊富なC-MAS(介護事業経営研究会)が主催する、「C-MAS オンラインLIVE 全国大会 Ver.2020」は、10/16(金)より配信スタートする。全国どこにいる方でも受信可能で申込受付もまだ間に合う。詳細とお申し込みは、文字リンク先からダウンロードして確認していただきたい。

僕は来週月曜日の三重県鈴鹿市講演を皮切りに、鈴鹿市〜名古屋市〜大阪市〜東京と移動し、このC-MAS全国大会での2つの座談会に参加後、北海道に戻る予定だ。

その間6講演を行なう予定だが、介護保険制度改正や報酬改定、事業経営に触れてお話しする場面も随所に求められている。

しかしお客様に選ばれる介護事業者となるために、一番必要とされるのは、介護サービスの利用者は単なるユーザーではなく、顧客であるという意識と、顧客対応としてふさわしい対応の基本姿勢を身に着けることに他ならない。

今、団塊の世代の人たちは、スマホやタブレットを使いこなし、外食するときは、ネット上の口コミ情報を検索しながら店を選び、ほしいものをネットで取り寄せる人とたちなのである。

いつまでの介護事業者の従業員が、「利用者の立場に降りていく」という意識の低い姿勢や意識であっては、選ばれるわけがないのである。家族のような態度を、従業員に対して顧客が求めているという意識レベルの低さで、顧客に選ばれ生き残りができるわけがないのである。

顧客が最終的に求めるものは、事業者の飾り付けられた環境でも、耳障りの良いキャッチコピーでもなく、従業員のホスピタリティ精神であり、それにも基づく高品質サービスであることを自覚しない介護事業者に明日はないと言えるのである。

そしてホスピタリティ精神を生み出す基盤となるものが、サービスマナー教育であり、サービスマナー精神であることに、いち早く気が付いた介護事業経営者が、介護市場に落ちてくるビッグマネーを獲得できることになるのである。

それを狙わない手はないのである。
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広島の空・長崎の空2020


今年も暑い夏がやってきた。

戦後75回目の広島原爆の日と長崎原爆の日は、コロナ禍で式典の規模などが縮小する中で行われることになった。しかし人々の平和を祈る気持ちは決して変わることはない。そしてあの戦争で失われた多くの御霊、広島と長崎の原爆投下で失われていった御霊を悼む気持ちも決して変わることはない。

ところで、今年の平和式典における首相のあいさつの文面が、両会場とも酷似しているとして、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が挙がっているそうだ。しかし一国の首相とはいえ、たかが政治家の挨拶の言葉に目くじらを立てたってどうしようもない。そのような挨拶しかできない人を可哀そうだなと思えばよいだけである。

ただし世界で唯一の被爆国である国のトップが、自らの言葉で平和の祈りと誓いを語らないのは、残念であるというより、勿体ないことであると思う。自分の思いを伝えようとしない言葉は、何の意味もなさないからだ。

そういえばこの国は、国連で決議されている核兵器禁止条約に署名・批准を拒否している国である。その国のトップが、平和式典で何を言おうと、天国でその言葉を聞く御霊には何も響かないだろう。そんな言葉は単なるセレモニーでの空しい騒音でしかないのだから、そんなものに腹を立てたり、憤ったりすること自体が無駄なことである。

心を静かにして天に召された御霊を悼み、平和を祈り続けることが何よりも大事ではないかと思う。

平和式典が75回目ということは、あの戦争が終わってから75回目の夏が来ているという意味だ。すぐ近くに敗戦の日である8月15日も迫っている。戦争の生きた語り部はどんどん減っているが、まだこの国にはあの戦争を体験した多くの方々が残っている。それらの方々の戦争体験が、生の声として後世に伝えられていく期間もそう長くは残されていない。そうであるからこそそうした機会を貴重に思わねばならない。

同時に高齢者介護・対人援助に携わっている私たちは、あの戦争を経験して、たくさんの愛する誰かを失った哀しい人々の最晩年期に関わっているのだということを強く自覚しなければならないと思う。

戦争で心に深い傷を負った人々を、私たち自身の心無い言葉や態度で傷つけることがないように最大限の配慮をしなければならない。それが介護サービスの割れ窓理論の意味でもある。

対人援助・介護サービスに携わる私たちが、誰かのあかい花になろうとすることは、この国に生まれ育ったすべての人々が、平安の暮らしを送るために必要な最強アイテムでもある。

この国の平和と、人々の心の平安を祈りながら、「LOVE〜明日につなぐ言葉・長崎編」を御覧になっていただきたい。そして私たち一人ひとりが、介護サービスの場で何ができるのかを、改めて考えていただきたい。

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全身まひの人がツイートした看護・介護職への本音


介護サービスに従事する人の中には、利用者の家族に対しては丁寧語で接しているのに、利用者に対してはタメ口でしか会話できない人がいる。

認知症でない人には丁寧語を使っているのに、認知症の人に対応するときのみタメ口を使う人もいたりする。

そういう人たちは無意識に相手を見て言葉遣いを変えているという意味になる。それは人を差別していることにほかならず、対人援助職としては最も恥ずべき行為であると言える。

そうした無意識の差別意識を持つ人たちは、相手の状態が変化すると、途端に態度を変えてしまうかもしれない。それは人として許される態度とは言えないが、そうした態度に心を殺されてしまう人が数多く存在するというのが、この国の現実でもある。そうした国が先進国と言えるのだろうか・・・。

先日書いた、「ALSの女性に対する嘱託殺人容疑で医師逮捕の報を受けて」という記事の中で、被害女性について紹介しているが、彼女がツイッターに書いていた内容が続報として報道されている。

リンクを貼った記事に書いているように、被害女性となった林さん(51歳)は、ALSを発症する前はバリバリのキャリアウーマンとして活躍されていた方である。そんな彼女がツイッターでの投稿を開始したのは、病気が発症して思うように体が動かなくなってからである。

そこには、「ツイートも視線入力のパソコンを使ってるのですごく時間がかかる。もっと言いたいこといっぱいあるのに」(2018年5月3日)という嘆きの言葉も記されている。

そして大人の重度障害者が子どものように扱われているというツイートに対して、「看護婦さんにも多いんだよね。幼児に話しかけてるの?と思う」と反応し、「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」・「介助者や医療従事者が、障害者や高齢者や患者に対して、上から目線のパターナリズムを発揮するのは暴力」(2018年5月31日)というメッセージを発している。

云うまでもなくパターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。林さんは自分の身に置き換えて、そのことに強く憤りを感じていたわけである。

自分の担当ケアマネジャーに対する憤りもツイートしている。

林さんは訪問看護を利用していたが、担当の訪問看護師が、独居で介護を受けていた林さんの慰めになるのではないかと、猫を飼うことを提案したことがあったそうである。そのため訪問看護師の元に温和な保護猫の子猫を引き取り、トイレなど最低限のしつけをした後、林さんと同居を開始する段取りをとって、その実現を図ることを看護師が提案し、林さんもそのことを望んだそうだ。

ところがこの計画に、猫アレルギーのケアマネジャーが「ヘルパーの中にもネコアレルギーがいたらどうする」とか「毛が残る」とかいう理由で「ケチをつけた」ために、その提案は実現しなかったそうである。

そのことについて林さんはツイッターに、「なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだ!とみじめになり無性に腹が立って気付くと号泣してた」と記している。

担当ケアマネジャーは、今このツイッターを改めて読んで、どう考えるのだろうか・・・。そもそも本人が希望し、周囲に協力者がいるのに、ケアマネという立場でしかないものが、その希望をつぶすような働きかけをすることが許されるのだろうか・・・。ケアマネジャーという立場を誤解しているのではないかと問いたい。

林さんは担当の訪問介護員に関する思いも次のようにツイートしている。「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める 施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから 惨めだ。

介護を行うことを職業にしている人間が、その仕事で生活の糧を得ているにもかかわらず、顧客であるサービス利用者に対してなんという暴言を吐いていたのだろうと唖然とする。自分の体の不調の不満を、全身まひで動けない人に対しぶつけ、あたかも林さんの存在自体が問題であるとするかのような発言は、人として決して許されない発言であると言ってよい。

このような周囲の差別的な態度に、林さんの心は日増しに傷ついていったのではないだろうか。キャリアウーマンとして活躍していた頃には決して受けたことがない失礼で配慮のない対応を受け続けることによって、林さんの気持ちは、「死」に向かってまっしぐらに向かっていったのではないだろうか。一刻も早くそこに至りたいという思いにつながっていった結果が、「安楽死へのあこがれ」・「自分の殺人を嘱託する」という行為につながったことは想像に難くない。。

死ぬ希望が実現する社会より、生きる希望に胸を膨らますことができる社会の実現が大事だと言うが、自分より力の弱いもの、立場の弱いものに、上から目線での、「施し」のような介護の実態が存在し続ける限り、そんな社会は実現不可能だろう。

そして介護サービスのサービスマナー式が欠如し、タメ口が親しみのある態度だと勘違いする人が存在する限り、この差別と偏見は消滅することはないだろう。

まったく保健・医療・福祉・介護業界の民度の低さにはあきれるばかりである。
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介護の恥


介護福祉士という国家資格を持っていながら、介護を子育ての延長のようにしか考えられない人が数多く存在している。そういう人たちによって介護という職業が貶められている。

家庭的で温かいという言葉の意味が、ぞんざいな言葉遣いや、礼儀を気にしない態度で接することだと勘違いしている人たちによって、介護の職業は素人にでも誰でもできる職業だと世間に印象付けられている。それは家族であるからこそ許されることでしかなく、家族そのものになることは出来ない私たちは、利用者と遠慮ない関係性を築くことは出来ないし、それは許されないことでもある。

礼儀に欠ける馴れ馴れしい無礼な態度が、親しみやすさだと勘違いして、言葉遣いや態度を改めようとしない人たちによって、介護の仕事にプロ意識なんか必要ないのだと思われている。恥ずべきことだ。

そのために地域から評判の高い、家庭的で温かい施設とは、職員が利用者の頬にチューしてくれるような施設だと勘違いされている。そのことは、「クラスター感染発生施設の実像に触れて思うこと」で指摘したことでもある。

その記事の中で紹介した番組は、NHK札幌放送局 の「北海道スペシャル・検証新型コロナ 茨戸アカシアハイツ〜“介護崩壊”は防げなかったのか〜」である。

クラスター感染が発生した施設が、「家庭的で温かい」とナレーションが流れた後の映像が下記である。
家庭のように温かい施設の実態
インタビューに答えている人のように自分の親が、「頬にチュー」されることを肯定的に捉える人ばかりではない。むしろそんな人は少数派だ。そもそも大の大人が、自分よりも人生の先輩に対して頬にチューして可愛がることが、家庭的とか温かいという意味なのかどうかを考えてほしい。

従業員が対応している人とは、お金を払ってサービスを利用しているお客様である。しかも人生の先輩でもある。そのような人たちを、「可愛がる」ことが求められていることなのかを考えてほしい。そんな施設に親を入れたいのだろうか。そんな施設を将来自分が利用したいのだろうか。

日本人の生活習慣に存在しない日常の中での、「頬にチュー」・・・。それをどれだけの人が望んでいるというのだろうか。認知症で子供帰りしている人でも、きちんと礼儀正しく接することを繰り返していけば、行動は落ち着いて混乱が減っていくことを、頬にチューして仕事をしている人は、どう考えているのだろうか。

くどいようだが繰り返す。家族を介護しているわけではないのだ。仕事として介護を行い、生活の糧を得ているのである。そうした行為の中で、顧客を可愛がることが求められていることか?頬にチューするなんてことが許されることなのだろうか?

介護以外の職業なら、その答えは簡単に出すことができる。仕事で接するお客様の頬にチューしたり、ぞんざいなタメ口で接することなど決して許されないと・・・。それが許されている介護の職場は異常である。

下記の映像はこの番組の最終盤の一場面だ。わずか13秒程度なので、その姿を観てその会話を聞いていただきたい。医療機関から退院して返ってきた利用者に対して、子供に声を掛けるようなぞんざいな言葉で対応している職員が、この施設の介護職のトップだという。このトップがいる限り、この施設でサービスマナー意識が浸透することはないだろう。

何度映像を見返しても、このように子供をあやすかのようなタメ口対応が、家庭的で温かい対応であるとは僕にはどうしても思えない。

こんな対応で介護福祉士であると胸を張っている神経も理解できない。こうした姿をすべての介護事業者からなくしていかない限り、悪気はないけれど嫌な思いをさせる介護サービスがなくならない。

介護という仕事の中で、知らず知らずのうちに人の心を傷つけ、人の心を殺してしまうことがなくせないのである。

どうぞ介護に携わるすべての人に、この動画に映っている職員の言葉の醜さ、その態度の醜悪さに気が付いてほしい。特に介護の場で後輩を指導する立場の人には、利用者を子ども扱いする姿の醜悪さをしっかりと胸に刻み、後輩たちをそんな姿にさせないように導いてほしい。
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クラスター感染発生施設の実像に触れて思うこと


今日のタイトルを読んだとき、今から更新する記事がコロナウイルスに関する内容だと思っている人が多いと思うが、実は今日の主要テーマはそのことではない。

今日僕がこれから書こうとしていることとは、他者の尊厳を護るとはどういうことなのかということであり、このブログで何度も提唱している、「介護サービスの割れ窓理論」や、「介護事業者のサービスマナー」という立場から、そのことを検証する内容になっている。

具体的には、今回のコロナ禍でクラスター感染が発生施設にも、「割れ窓」があり、それが感染発生や被害拡大への関連性があるのではないかという個人的な見解を書き綴ろうと思っている。

そのため被害が広がった中で、一生懸命に対応に追われた一部の当事者の方には不快な思いを与えかねない内容も含まれてくると思うが、それは個別の事業者や個人への批判ではなく、介護業界全体として今後にわたって考えていかねばならない重い課題を明らかにし、それに対応するための提言であることをご了承願いたい。最初からそれを受け入れる気持ちがない人は、ここまで読んだ時点で、どうぞ読むのをやめていただきたいと思う。

特に介護サービスにマナーなど必要なく、無礼な「タメ口」で利用者対応することを何とも思わず、それがフレンドリーな対応だと思い込んでいる人は、このブログがある場所につないでくることもやめにしていただきたい。

ということで本題。

道内でクラスター感染が発生した老健施設では、5月24日以降新たな感染者がいないことや、基礎疾患を持ち長期入院している入所者以外は全員退院して施設に戻ってきたことから、約1か月設置した現地対策本部を6月22日に解散し、7月3日付でクラスター感染の終息を宣言している。

そのため道内の地方新聞や放送局では、今回のクラスター感染の発生から終息に至るまでの動きを特集して記事にしたり、放映したりしている。

そこでは人手が少なくなる中で最後まで頑張り続けた職員の姿も浮かび上がっていたし、たくさんの方が感染したり死亡したりする中で、利用者の家族からずっと信頼し続けられた施設や職員の姿も感じ取られ、日ごろから良い介護サービスを提供しようと努めてきたのであろう姿勢も垣間見られた。

今日までの一連の報道内容に接して、そうしたことも理解できたという前提の上で、取材対象となった施設や、そこに勤める従業員の方々に対して、あえて対人援助として人の暮らしに寄り添うプロとしての姿勢を問いたい部分がある。

先週土曜日にテレビで特番報道では、当該施設について、「アットホームな対応をしてくれる職員が多く、地域住民の信頼も得られている。」という内容がテレビ画面を通じて伝えられており、その具体例として、「職員が利用者の頬にチューしてくれることもある施設」というナレーションが流されていた。(※メモを取っていなかったので言葉は正確ではないが、意味はその通り。)

僕はこのナレーションを聴いた途端がっかりした。

赤ん坊や幼児ではあるまいし、赤の他人が人生の先輩でもある高齢者の方の頬にキスすることが、「アットホーム」だと考えるテレビ局や家族にもがっかりしたし、そういう行動をとっている施設職員にもがっかりする。

他のどの職業で、顧客の頬にキスすることが許される職業があるというのだろう。介護の職業だけそれが許されるとすれば、それはもう世間の常識とは異なる特殊な職業としか言えない。そもそも世間一般的にみても、大の大人同士が親しみを込めるために他人の頬にキスする習慣なんてこの国にはないはずだ。

介護施設の中でそれが許され、それがアットホームな対応だと思い込むことは、利用者をまともな大人だとは見ていないということに他ならない。馬鹿にしているとしか思えないのだ。

例えば自分の親が介護施設に入所したとして、そこで親が職員から頬にキスされたとして喜ぶだろうか。少なくとも僕は喜ばない。自分の親を子ども扱いするなと言いだろう。たとえ自分の親が認知症になったとしても許すことができる行為ではないと思う。

私たちは介護サービスの場では、介護支援のプロに徹する必要がある。そこではどんなに我々が親身になって関わろうとしたとしても、我々は家族そのものにはなれないし、なってはならないのである。プロの介護支援者として適切な距離感を保ったうえで、利用者に親愛の情を伝えるのがプロの仕事だ。(参照:プロ意識を持つという意味。

過去の虐待事例には、高齢者の体を触ったり、抱きついたり、ここで行為内容を書くのもはばかられるような許されざる性的虐待が存在している。それを考えれば、介護事業においてはいつであっても・誰であっても李下に冠を正さずの精神は求められるのだ。キスをするなんてことを許しておくのは、その労務管理がなっていないとしか言えない。当該老健の施設長や管理職はこの一点で批判を浴びてやむを得ないだろう。

感染予防という観点から云っても、頬にチューはいただけない。これからの介護事業はwith感染症の意識が欠かせないが、そんなこと以前に介護支援という場で、生活習慣にない、不要な濃厚接触は戒めるというのが今までだって常識だ。今回この施設にクラスター感染が発生したことの一因に、こうした行為を許していたことが関係ないとは言えないわけである。

そういう意味でも、利用者の頬にチューしてしか家庭的雰囲気を表現できない施設の発想や介護の質は貧弱この上ないとしか言えない。

そのおかしな意識をなくさないと、本当の意味で地域の信頼を得られるプロ集団にはならないし、こんな報道で、その施設が良い施設だと紹介される介護業界の幼稚さをなくさないと、介護の職業は、本当の意味で国民から信頼を得られる職業にならない。

その特番報道では、最後に入院先から帰ってきた利用者に職員が、「良かったね。また戻ってこれて〜。」・「うれしいかい。」的な声を掛けている場面が放映されていた。その職員の言葉遣いはタメ口そのものであり、上から目線の声かけ」にしか僕には聞こえなかった。思わず、「それが死線をさまよって戻ってきた利用者に対して掛ける言葉か。」と言いたくなった。

このような映像を見てこの施設の実像に触れると、当該施設が万全の感染予防対策を取ったにもかかわらず、やむを得ない状況で感染拡大したということも額面通りに受け取れないくなる。その施設にはプロとしてあるまじき、「言葉の割れ窓」があったのだからに、対応にも割れ窓があって、それが原因でウイルスがフロアを横断・縦断して感染が広がったのではないかと疑う人も出て当然だ。

サービスマナー意識を軽視して、プロとしての顧客対応に徹していない施設は、世間から何でもあるだろうなと思われてしまうのである。その恐ろしさを知るならば、職員に対するサービスマナー教育は、さらに徹底されなければならないことに気が付くであろう。
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親しみやすさと馴れ馴れしさを混同しない


介護サービスの場で、親しみやすさと馴れ馴れしいの違いを意識して利用者対応をしているだろうか。親しみやすい言葉と馴れ馴れしい言葉の違いを理解しているだろうか。

この理解ができておらず、職員に両者の違いを説明できないから、介護業界では依然として利用者に無様な対応しかできない輩がなくならないのではないだろうか。今日はこのことに少し踏み込んで考えてみたい。

親しみとは、『なじみがある・身近である・心に隔てがない』という意味であり、親しみがあるとは、相手に対する思いやりや尊敬の気持ちがあり、礼儀正しい振舞いができる態度のことをいう。

一方、馴れ馴れしさとは、それほど親しい間柄でもないのに、『打ち解けすぎて、遠慮がなく、ぶしつけな態度や振舞いをすること』を指すもので、相手の気持ちを無視した、礼儀を欠く態度のことをいう。

しかし介護サービスの場ではしばしば、この「無礼で馴れ馴れしい言葉」が、「親しみのある言葉遣い」と混同されてしまっている。礼儀にかけるタメ口は、親しみやすさとは程遠いものであり、無礼ななれなれしい言葉遣いでしかないことは明白なのである。それを恥も外聞もなく使っている人間がはびこっているのが介護業界だ。

要するにそれは、母国語である日本語を満足に理解せず、使いこなせない馬鹿者が介護業界にはびこっているという意味だ。知能と民度の低い連中が自らの礼儀のない、「タメ口」が、利用者にフレンドリーだと思われていると勘違いしているのだ。恥ずかしい限りである。
介護事業におけるサービスマナー研修
その結果、介護業界ではしばしば横柄な態度、無礼な言葉遣いによって人権侵害につながる問題が引き起こされている。そこで加害者は、「そんなつもりはなかった」という言い訳をする姿がそこかしこに見られている。しかし人権侵害という結果をもたらした後では、そんな言い訳はなんの免罪符にもならない。

そもそも介護サービスの利用者は、本当にくだけた態度を望んでいるというのだろうか・・・しかもすべての利用者が・・・。そんなことはあり得ない。仕事である以上、お客様に不快な思いを与えないための最低限のルールはあって当然だということを理解できない人間は、本来対人援助の場にいてはならないのである。

なぜならば対人援助とは、誰かの人生の一部分に深く関わるという意味であり、高齢者介護とは、人生の最晩年期に関わるという責任を持つからだ。それは誰かの人生の幸福度に、決定的な影響を及ぼしかねないという責任であり、心無い態度で心を傷つけてしまったときに、取り戻す術を失う可能性が高い仕事であるという自覚を持てば、自ずと人を傷つける恐れのある、「タメ口」など使えなくなる。

タメ口を直さない人間は、潜在意識の中に人を傷つけてよいという気持ちを隠し持っている人間だ。そんな人間が対人援助にかかわって良いわけがない。

言葉づかいは、『心づかい』なのである。美しい言葉はそれだけで好感度を上げるための大切な要素になり得る。

特に感染予防対策で、面会禁止などの対応を行っている介護施設等の居住系施設の人々には、この時期にぜひ気を付けてほしいことがある。面会禁止は利用者のストレス対応とセットで行われなければならないが、利用者のストレスとは、施設職員の他には誰とも会えないストレスとともに、そこで接する職員の横柄な態度は、確実に不満とストレスを増加させるということだ。

だからこそ、そこで利用者の接する職員は、誰よりも丁寧な対応を取らねばならないのだ。態度・言葉遣い・表情・服装、すべての面で利用者のストレスにならない配慮が、感染予防対策が長期に及べんば及ぶほど必要になってくる。

全ての介護関係者に自覚してほしいことがある。それは一度口に出した言葉は元には戻らないのだから、相手を敬う気持ちを表現することが大事になるということだ。そうしないと介護の場は、いたずらに人を傷つけ続ける場に化してしまう恐れが高くなるのだ。

すべての介護関係者は、利用者やその家族に直接向かい合って仕事をするのだからこそ、一人一人が介護事業所の顔である。そうであるからこそ利用者様やご家族、一緒に働く人を不快にさせない言葉づかいを身につけなければならないのである。

電話対応は特に気を使ってほしい。電話の向こうにはいろいろな人がいる。生活習慣も感性も全く異なる様々な人と応対せねばならない電話対応では、顔が見えないだけに誤解されやすいのである。だからこそ誤解を受けないように、常に最低限のマナーを守りながらサービスの品質を担保することが重要となるのだ。

思いついた言葉をストレートに口に出して伝えるのではなく、その言葉を伝えたとき、相手がどのような気持ちになるかを考えて話す習慣をつけてほしい。

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は、どんなに親しい仲であっても最低限、「相手を敬う気持ち」を表現することが大切だという意味である。仕事として人とその暮らしに深く関わる我々は、顧客である利用者のプライドを傷つけない言葉を選択するという最低限のマネーを常に護らねばならない。

そうであるなら、お願いやお断りをするとき、クッション言葉を使いこなすスキルも持つべきである。クッション言葉を使いこなすことで相手に対する印象を和らげることができるからだ。例えばそれは、「恐れ入りますが」「失礼ですが」「あいにくですが」「申し訳ございませんが」「申し訳ありませんが」 「大変申し上げにくいことなのですが」などという表現方法がある。これらも、「質問するとき」や、「依頼を断るとき」などと状況を分けて使う言葉を選択できるように学ぶ必要がある。

僕の最新の、「介護事業のサービスマナー研修」では、その具体的方法もないように含めてグレードアップしているので、職場内研修などの講師として是非声を掛けてほしい。3密を避けて感染予防対策を講じた方法による研修・非接触型研修も様々な方法で可能だろう。

利用者に対するサービスマナー意識の向上は、感染予防を理由におざなりにされてはならない部分なのである。
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介護のプロとしての矜持を失わない人でいてほしい


組織風土はあっという間に悪化するが、よくなっていくのには時間がかかる。

一旦低下したパフォーマンスを元に戻すためには、莫大な費用と時間を要すこともある。

だからこそサービスの品質管理は最重要視されていかねばならないし、一旦確立したサービスの水準の低下がないように、そのほころびを繕うシステムのチェックは欠かせない。

先輩や同僚のあまりの態度の悪さを憂いた職員が、報道機関に隠し撮り動画を送ったことによって明らかになった虐待・不適切対応が、市議会で大問題として取り上げられた介護施設では、利用者の名前の呼び方のルールを無視した職員を放置したことが、組織風土を悪化させていった。

そこでは利用者を名字に、「さん付け」で呼ぶという、ごく当たり前のルールが存在していたのに、ある職員が、一人の女性利用者を、「ちゃん付け」で呼び始めたことにより、その利用者を「ちゃん付け」で呼ぶ職員の数が、ウイルスが増殖するかのように増えていった。そして、「ちゃん付け」で呼ばれる利用者の数も増えていき、やがてそこでは利用者にニックネームをつけて呼ぶようになった。

その結果、その施設では若い女性介護福祉士が、利用者に向かって、「お前」呼ばわりし、「死ね」・「へ理屈言うな」という罵声が飛び交うようになった。

言葉を崩すことは、こんなふうに感覚を崩していくことにつながるのだ。そんなふうにしてタメ口をフランクな言葉だと勘違いしている人によって、罵声も罵倒も正当化されているのが、介護事業の現状の一面でもある。恥かしいことだ。醜いことだ。

しかしそのような醜い言葉を使って、ひどい対応をしている人々も、家に帰れば普通のお母さん、普通のお嬢さんである。そんな人たちが、介護施設という器の中で感覚を麻痺させ、自らが王様のように利用者の上に君臨する存在と感が違いすることによって、人として許されない対応に終始する化け物が生まれるのである。

そうなれば介護施設は、世間の常識が通用しない密室である。人の権利を侵害し続ける暗黒世界である。しかしそんな姿を果たして家族に見せられるだろうか・・・。

自分の働く姿を家族にも見せられないとしたら、そんな仕事に誇りなど持てないだろう。そんな仕事は面白く続けられないだろう。自分の職業をそんな風に貶めることがない唯一の方法は、私たちが対人援助のプロであるという矜持を失わず、プロとして適切にお客様に接するという礼儀作法を身に着けることである。

だから私たちに求められているのは、介護のプロフェッショナルとしてのサービスマナ―意識なのであり、それは対人援助に関わる者のコミュニケーションスキルに過ぎない。

サービスマナー意識が持てない人、タメ口を改められない人は、コミュニケーションスキルが低い人なのだから、本来そう言う人は対人援助に向いていない。だからそういう人は他に職業を求めたほうが良い。早く介護の職業から退場すべきだ。向いていないあなたが介護事業者の中に存在し続けていることは、顧客にとってもあなたにとっても、両者にとって不幸なことだ。そんな不幸な状態が続かないように、マナー意識の低いあなたは他の職業を探すべきである。

管理職・リーダーの方々は、そういうコミュニケーションスキルの低い人を見極めて、教育効果が表れないならば、引導を渡す役割を果たさねばならない。労働基準法で護られている労働者の権利は侵害できないが、職業の向き・不向きについてアドバイスすることはあって良いだろう。

タメ口を直そうとせず、人の心を傷つけかねない言動をとり続ける職員には、『対人援助の仕事は向かないよね。』とアドバイスすることもあって良いだろう。

そうしないと、いずれ自分に管理責任のある場の従業員が、利用者に不適切対応をしたことによって、自分が報道関係者の前で、「お詫び」の会見を開き、頭を下げることになるかもしれない。

あなた自身が会見場で糾弾されながら、質問に答える姿を想像してほしい。あなたの家族がその会見報道を見て泣くことになるかもしれないことに考えを及ばせてほしい。

そんなことが決してないと言い切れますか?世間から誤解を受けるような対応が全くないと自信を持って言えますか?従業員がマナーのない顧客対応を行っていることが即ち不適切とされるという意識は有りますか?

言葉遣いを人に合わせて変えて、常に相手に自分の思いや、誠意を伝えられる人間などいない。いたとしてもそれは常人ではないし、そんなやり方は誰しもが実践できる方法論ではない。そもそも汚い言葉で利用者と会話する理由を、相手に堅苦しく思われないためであると思い込んでいるコミュニケーションスキルの低い人間に、死ぬまでそんな技が使えるわけがない。

そんな神業を磨くのではなく、誰もが実践できる方法として、丁寧語で利用者対応できるように職員を教育すべきだ。

日本語を使い続けてきた日本人が、丁寧語で顧客対応ができないのであれば、それは致命的問題だから、少なくとも顧客と直接向かい合う仕事には就かせられないと考えるべきである。

介護とは、心にかけて護る行為を表す言葉である。その言葉の意味を実践するためには、自らの心無い言葉で人を傷つけてしまうことを誰よりも恐れる必要があるし、だからこそサービスマナーの必要性に気が付かない人は、介護の職業に向いていないのである。

職業として介護を行っている人は、介護そのものが仕事である。仕事である以上、お客様に不快な思いを与えないための最低限のルールはあって当然であるという常識に思い至らない人は、そもそも職業人失格である。

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言葉を崩した先にたどり着く場所


介護事業経営者や管理職の人の中には、「利用者との距離を置きすぎてはいけない。」という理由で、接客用語や丁寧語を使わないという人がいる。

そういう人たちは、利用者に対するタメ口は許されないとしても、フランクな物言い・口調は許されると主張する。

しかしフランクな口調とタメ口は紙一重である。しかもフランクな口調でタメ口ではないと思い込んでいる物言いの中にも、相手にとってはタメ口でしかない物言いも存在する。

丁寧語を崩してフランクな口調といっても、その口調がフランクなのか、無礼なのかは、その言葉を操る人間が決めるべき問題ではなく、その口調で話しかけられる人がどう感じるのかという問題なのである。

言葉を操る人がフランクであると思い込んでいる言葉に、傷つけられ、心を殺されている方々が、介護業界には星の数ほど存在しているのだ。

そもそも言葉を崩すこと自体が、タメ口への第一歩であることに気が付かねばならない。

さらに言えば、人間とは一定の線引きをきちんとしていない場所では、低きに流れる傾向が強いのである。そのことを対人援助というサービス事業を経営したり、管理したりする地位の人間は十分に理解しなければならない。そうしなければ人権は簡単に蹂躙されてしまうからだ。

例えば、介護施設等でナースコールに対応する際の職員の最初の応答は、「どうなさいましたか。」であり、それ以外の言葉で応答する必要はない。

しかしその口調がフランクではないと思う人が、「どうしたんですか。」と言葉を崩したとする。するとその職場では、日常的に「どうしたんですか。」とコール応答する職員が徐々に増えていく。そしていつの間にか、「どうしたの。」とコール対応する職員が出てくるかもしれない。そしてそこでは、「どしたの?」・「なに?」・「あっ。」とコール対応する職員が出かねないのである。

それはもう言葉の暴力でしかない。そしてこれこそが接客用語・丁寧語を崩す弊害でもある。

こんなふうに言葉を崩すことを許容することは、ガラス窓の小さなひび割れを放置するということであり、その先には、ガラス窓の小さなひび割れが、ガラス事態を粉々に砕け散らせる結果にしかならないということだ。ひび割れを放置している限り、ガラス窓は元に戻らないのである。それが、「介護サービスの割れ窓理論」でもある。

接客用語や丁寧語は、お客様に使うべき言葉であり、介護を職業としている介護のプロフェッショナルが介護サービスの場でそうした言葉遣いを崩さないことは、誰からも非難を受けるようなことには絶対にならない。

一方で、言葉を使う側が、良かれと思って本来使うべき接客用語や丁寧語を崩した結果、顧客に不快な思いをさせたとすれば、それは非難を受けるべき行為となるのである。

そもそも介護サービス利用者に丁寧語で接する理由は、相手がサービス提供者より年上だからではない。介護サービスを利用する人は、顧客であり、顧客に対してサービス提供者が丁寧語で接するのは、世の常識だからである。

丁寧語を崩すことが、フランクな口調だとへ理屈をこねる人間は、その当然の常識も持っていないということだ。そういう人物が経営者を名乗っているのは笑止千万である。

ところでサービスマナー改革をしたいと考える介護事業経営者にとっては、その思いに現場のリーダーが応えてくれるかということは大きな課題だ。

そのためにサービスマナーがなぜ必要で、どのようなマナーが求められるのかを職場全体で学ぶことは一番求められることだ。そこに現場リーダーは全員参加することが大事なことだ。だからこそ職場単位でサービスマナー研修を行いたいという事業者には、僕はできるだけ協力して、現場リーダーが得心(とくしん)できる話をしている。ある意味それは僕にしかできない話であるとも言われている。

そうした職場内研修としては、全体の職員を一堂に集めて研修をすることもあるし、管理職・リーダー職員と、一般職員を分けて研修することもある。その職場の状況を聴きながらベストな方法を選ぶようにしている。

研修が職場単位となると、小規模事業所では受講者が少なくなることがある。特に管理職・リーダーのみを対象にした研修会は、受講人数が10名に満たない場合もある。それを気にかけて、僕に講師依頼することをためらったり、恐縮に思う人がいたりするが、そんな必要はない。

受講人数や研修規模は、僕にとってほとんど関係のない問題であり、僕を講師として求めてくれる熱意のある人がいる場所であれば、全国どこでも駆け付けるつもりだ。

その点でもどうか敷居を高く感じないで、まずは気軽に相談願いたい。

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マナー意識が浸透する事業所と浸透しない事業所の違い


リーダーがきちんと丁寧な接遇を行い、職員に日常的に接遇指導をしている場所では、サービスマナーが浸透している。

そういう職場では、特段新人に対してサービスマナー教育を行わなくとも、OJTの中で丁寧な言葉遣いの指導がされて、接客から接遇への昇華が自然と行われていく。そういう事業者に就職した新人職員は、顧客である利用者に対し、当然のように丁寧語で接している。

なぜそんな風になるのかといえば、サービスマナー意識が浸透している事業者では、新入職員が利用者に対してマナーのない接し方をした際に、先輩から日常的にごく自然に業務指導としての注意がされて、不適切な態度が都度修正されているからだ。だからこそ現場にマナー意識が浸透して、節度のある態度と丁寧な言葉遣いで顧客に接するのが、『当たり前』になるのである。

しかしそうした職場の従業員は、それがサービスマナーであると思っているわけではなく、顧客対応として当然の態度だと思っているだけのようにも見える。だからその姿も態度も自然である。そしてそういう態度ですべての職員が接している態度を見て、そこで働きたいと介護福祉士養成校の卒業生が殺到している。そこには人材難という言葉がなくなりつつある。

一方で、介護事業経営者が従業員のマナーのない態度を修正しようとして、いろいろな試みを行っているにもかかわらず、「笛吹けども踊らず」という状態が続いて、サービスマナー意識が職場に浸透しないところもある。

先日もそんな介護事業経営者の方が、「和歌山の情けない通所介護経営者の姿が示す恥の文化」という記事にコメントを書いている。それは次のようなコメントである。

言葉使いが直らない。マナーがない。生まれや育ち、本来の性格など色々原因はあるかもと思いますが。。。仲良しクラブのような声かけを聞くたびにストレスがたまります。何度も繰り返し指導していますが、利用者だけでなく、利用者家族、先輩や地域の人にも同じ対応です。社長である私にもタメ口です。その他のことに対してはやる気がないわけでなく、どちらかと言えば前向きです。接遇マナー研修を行ったり、外部研修にも行ってもらいましたが、なかなかです。三つ子の魂100までなんでしょうか。頭を悩ましている方は多いと思いますが、介護とはなんぞやを理解されてないデイサービス、聞くだけで気分が悪いです。

こうした従業員の存在に悩んでいる介護事業経営者も多いと思うが、それらの方々に考えていただきたいことは、サービスマナー教育で意識改革ができる事業所と、そうでない事業所ではいったい何が違うのだろうかということである。

まず問題は、『接遇研修』である。その内容が問われるのである。医療・介護以外の一般企業向けの接遇研修に、職員をいくら派遣しても無駄だということに気が付かねばならない。

医療・介護以外の業界で顧客に対し、「タメ口」を使わないのは常識中の常識なので、それはレクチャーする範疇にはない。介護事業者の職員に対するマナー研修では、『利用者は顧客である。』というレクチャーから始め、顧客に対する、「タメ口」は許されないというレベルから講義を展開する必要があるのだ。そんな低レベルである介護業界の実態をわかっていない講師による講義を、いくら受講させたからと言って、職員のマナー意識が改善されることはない。

だからどんな講師が、どんなサービスマナー研修を行ってくれるのかということを、きちんと調べて改善実績のある講師を選ばねばならない。

次に考えなければならないのは、新人職員をいくら教育しても、先輩の態度が悪いと新人も影響を受けしまい、何も変わらないということだ。

意識を変え、態度を変えるべきは、新人を教育する先輩職員であり、特にリーダー職の意識と態度が良くならねば何も変わらないことを知るべきだ。だからこそサービスマナーに関する外部研修には、現場で影響力のあるリーダー職員から先に参加すべきである。

その際に研修参加するリーダーには、経営者から、「職場内のサービスマナーを向上さえるのが事業者方針。その先頭に立つために研修に参加させるが、その指導的役割を果たせないならばリーダー職から降りてもらう場合もある」などの覚悟を促さねばならない。

さらに考えねばならないことは、鉄は熱いうちに打つことと、熱くなる分子を増やさないと全体に浸透しずらいということだ。

外部研修に職員を幾人ずつか参加させるだけでは意識改革につながりにくい。リーダーの意識が変わりつつある時期に、きちんとしたマナー講師を招いて職場全体で、「介護事業におけるサービスマナー研修」を行うべきである。ここで従業員の改革に向けた温度を一気に高めなければならないのである。そのためには温度を高めることが出来る講義内容が求められるので、講師選びは一番重要な課題である。

最後に必要なことは、『事業経営者の覚悟』である。

変わろうとしない、変えようとしない職員は辞めていただいてよいという覚悟を持ち、そうした職員が辞めていった時期には、事業を一度縮小して収益が下がっても良いという覚悟を持つことである。人が足りないからといって、『注意・指導したら、辞めてしまう』ということを恐れて、適切な指導もできない場所で、意識改革ができるわけがない。そもそも適切な指導を恨んだり、根に持ったりする人間は、事業者の財産になるどころか、トラブルの発火点になる危険性が高いので、早いうちに辞めてもらった方がよいのである。

仕事がいくらできても、節度ある態度に徹しようという事業経営方針を護ろうとしない従業員を、業務命令違反で罰則も与えられない事業経営をしている場所で、改革などできるわけがないのである。

しかし事業方針を護ろうとしない人員を切り捨て、一時的に人が足りなくなった時期を耐える先・意識改革の成果が現れた先には、必ずそこで働きたいという人材が集まってくるはずだ。

なぜなら丁寧な対応ができる職場で働きたいという動機づけを持っている人は、考えられている以上に多いという事実があるからだ。

人財となり得る可能性を持つその人たちは、今きっとどこかで、サービスマナーに満ちた職場を探しているはずなのである。現に僕は過去においても今現在も、そういう人を数多く知っている。

そんな人たちが集まる職場を創るために、介護事業者で実践できる本物のサービスマナー研修講師を探している方は、是非気軽にご一報願いたい。連絡は、「北海道介護福祉道場 あかい花」のサイト上部に表示しているメールアドレスまでお願いしたい。

なお今月10日から17日までは福岡に滞在しているので、福岡市内で夕方以降からの講演をご希望ならば、交通費や宿泊費がかからずに講演をお受けできます。(※ただし、13日を除く)

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和歌山の情けない通所介護経営者の姿が示す恥の文化


僕が管理する表の掲示板で、和歌山のデイサービス経営者が介護事業の恥を象徴するコメントをつけている。

まずは当該スレッドのNo.12を読んで、そのお馬鹿で知性のかけらも感じないコメントを笑ってやってほしい。

HNを、「とり」と名乗るその人物は堂々と宣(のたま)う。

「私は近畿のデイサービスを経営していますが、ご利用者様との距離感が非常に近いです。年上という感覚はあまりなく、どちらかというと友人に近い介護を行なっています。」

まったく能天気で知能の低い経営者である。友人感覚でしか仕事ができないならボランティアでもやっろと言いたい。金をとって経営ごっこをするなと言いたい。(※しかし最近のボランティアはもっと意識が高いので、友人意識でできると勘違いされても困るが。どちらにしてもこの「とり」という人物は、介護事業経営者としては下の下だ。)

そいつは上記のコメントに加えて、「家族の様な関係になることが多いです。」などとも書いている。

介護事業に携わる者は、仕事で利用者に関わっており、その関係はサービス提供者と顧客でしかない。そこに家族の親愛の情を持ち込む必要は全くないにもかかわらず、こんな温いことを言いながら経営と称する、「お遊び」をしているわけだ。

そもそも家族のような関係になっても、家族にはなれないのだから、一線を画した対応というものが求められるのである。しかも自分が家族の様な関係になっていると思っても、相手がそう考えているとは限らないのである。

顧客に対する口の利き方を知らない輩は、必ず自己弁護の屁理屈を唱えるが、こいつもその輩である。

言葉遣いを人に合わせて変えて、常に相手に自分の思いや誠意を伝えられる人間などいない。いたとしてもそれは常人ではなく神技であり、誰しも実践できる方法論ではない。

しかし汚い言葉で利用者と会話する理由を、相手に堅苦しく思われないためであると思い込んでいるコミュニケーションスキルの低い人間に、「時と場所と相手をわきまえて言葉遣いを変える」なんて技なんか死ぬまで使えるわけがない。

顧客に丁寧な言葉で対応するのは、医療・福祉・介護業界以外の仕事では当たり前のことである。それができていないこの業界の非常識に気が付かず、丁寧な言葉で対応しないことが親しみやすさに通じ、客もそれを求めていると勘違いしている輩について、ある人が面白い例えをしている。

セクハラの場合、加害者は「これは恋愛感情であって、セクハラではない」とか、「親しさから出た言動で下心はなかった」と言い張るわけだが、被害者は自分の意思を蹂躙されたような恐怖を感じている。丁寧語を顧客に対して使わずに、言葉を崩す方が良いと思っている輩は、まさにこのセクハラ加害者と同じ感覚だというのである。言い得て妙である。

もう一つ似た状態を挙げてみよう。ストーカーは、その行為を行っている相手も、自分に好意を持っていると考え、自分は必ずしも悪いことをしているわけではないと思っているケースが多い。そのことも顧客に丁寧語を使わない介護関係者の態度と、その態度を正当化する屁理屈に似ている。

セクハラ加害者並びにストーカーと、「とり」と名乗っている和歌山の通所介護経営者は、相通ずるところがあるというわけだ。

他の産業で顧客に丁寧語を使って対応しなさいと言うのは教育にさえならない。それは極めて常識の範囲であり、できることが当たり前だからである。にもかかわらず介護業界は、そんな常識さえないばかりではなく、「とり」のように常識を否定する非常識人が経営者を名乗っている。

その状態は、極めて民度が低い人間が集まっている業界だと指摘されてもやむを得ないという意味だ。しかもそうした教育やマナー意識そのものが必要ないという馬鹿が経営者になっているお寒い業界でもある。この体質を根本から変えなければならない。今はまさに変革のための戦いのまさに真っ最中であり、この「とり」なる和歌山の馬鹿経営者らとの戦いは避けては通れない。

介護という職業は、利用者と1対1で関わる場面では、自分一人で神のごとくすべてを決めてしまうことができてしまう。しかもそこにいる利用者とは、自らの不安や不満や希望を表現できない人が多いのである。

認知症の人は、馴れ馴れしい言葉遣いに憤慨したり、怖がったりしているが、その気持ちを誰にも訴えることができないことが多く、誰もその苦悩に気が付いてもらえない。

認知症がなくとも、体の不自由な人は、介護支援に携わっている人の言葉遣いが気に障っても、それを指摘したらナースコールを押したときに無視されたり、すぐ駆けつけてくれなくなることを恐れて何も言えない。

そんな状態を起こさないように徹底的に職員を教育し、対人援助の場からそんな状態をなくしていかねばならない。

だからこそ介護事業に従事する者は、誰よりも自分一人で決められることの恐ろしさを知るべきであり、そのことに謙虚になるべきだ。介護事業経営者はそうした態度を従業員に徹底的に求めなければならない。利用者傷つけ・貶める要素を、自分が経営する事業の中から徹底的に排除する必要があるのに、和歌山のえせ経営者のような態度はそれと相反し、職員の常識感覚を失わせ、感覚麻痺を促すものでしかない。

こういう経営者が一日も早く、介護業界から一掃されることを望む。

ここで批判した経営者の事業が立ち行かなくなり、廃業してしまうことが、将来的には利用者全体の真の利益になっていくだろうと思うのである。

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動画が簡単にネット配信される時代の介護事業危機管理


介護保険サービスを利用している人の家族が、自分の身内がサービス利用している際に、職員からどのような対応を受けているのかを知りたいと思うことはごく当然のことである。

しかしそのことを知ろうとしても、その術(すべ)を持たない人が多かった。例えば身内と職員の対応場面を隠し撮りして確かめたいと思っても、そんな技術も知識もない人が多かったのがつい最近までの状況と言えたであろう。

しかしこれだけスマホやタブレットが普及して、動画が簡単に撮影できるようになった今日、様々な場面を撮影するという行為自体、簡単にできるようになっている。しかも様々な場面や自分以外の被写体を撮影するという心理的バリアもかなり低くなっている。

ホームセンターでは興信調査用の隠し撮りカメラが簡単に購入できるが、そのような特別な機器を購入しなくとも、日常的に所持している機器を使って簡単に隠し撮り動画が撮影できる時代になっているのである。

そのために介護施設に入所している認知症の人の家族が、自分の親が介護職員と1対1の場面で、どのような対応がされているのかを確かめようとして、居室に小型デジカメやスマホを隠してセットし、隠し撮りを行うことなど、そんなに難しいことではなくなっているのである。

家族が隠し撮りをしなくとも、介護職員の不適切対応が撮影される場面も増えている。

例えばつい最近も宮崎市の有料老人ホームで、夜勤中の20代の男性介護職員が90代の女性入所者に対し馬乗りになり暴言を吐くなどの虐待行為を、同じく夜勤をしていた同僚がスマホで撮影し、翌日にツイッターにその画像を挙げたことで問題が発覚している。家族が隠し撮りしなくとも、異変に気が付いた誰かがその行為を撮影し、簡単にネット配信できる時代なのである。

このことは介護の闇が、闇のまま終わらずに、白日の下にさらされるという意味では悪いことではない。虐待や不適切対応があるとすれば、そのことは白日の下にさらされ、世間の糾弾を受けて、行為に及んだ当事者は裁かれなければならないからだ。

しかし介護事業経営者は、このことにもっと危機感を持たねばならない。職員の利用者に対するタメ口をはじめとしたマナーの悪さ・マナーの無さに危機感を抱いていない経営者や管理職は、そのことによって事業経営が危うくなる危険性を認識しているのだろうか。

タメ口はしばしば荒い言葉遣いと見まごう場面をつくり出す。顧客に対する言葉遣いに配慮のない会話は、第3者から見れば異様に映ることも多い。なかには若い職員が高齢者を罵倒していると感じる場面もみられる。そのような場面が切り取られてネット上に動画配信されたときに、「あれは親しみやすい言葉として使っているだけで、関係性ができているから問題ない」という言い訳が世間に通用すると思っているのだろうか。

先日、道内千歳市の老健施設で心を殺されたNさんのケースを紹介したが(参照:マナー意識のない対人援助は誰かの心を殺すかもしれない)、排泄介助を頼んでいる利用者に向かって、お金を払わないと介助できないような言葉をかけている動画がネット配信されたとき、あれはジョークだという言い訳で世間が許してくれるだろうか。そもそもこのケースは、不適切な言葉をかけられた利用者自身が被害感情を訴えているのだから、その場面が切り取られてネット配信された場合には、当該施設に対して世間の糾弾の声が寄せられ、事業経営の危機にさえつながりかねない。

だからこそタメ口が親しみやすい言葉だという誤解を失くし、関係性ができておれば利用者に対して言葉遣いを丁寧にする必要ないなどという素人考えを捨て去らねばならない。「介護サービスの割れ窓理論」は、介護事業を続けていくためにも必要不可欠なセーフティネットなのである。

つまり介護事業経営者や管理職は、「隠し撮りされないように」注意をするのではないのである。そんなことに注意しても技術進歩は日進月歩であり、一般の人であっても隠し撮りしようと思えば、様々な技術や知識が普通に備わってくる世の中になってきているので、それを防ぐことは不可能なのである。

そうであるからこそ、すべての従業員がいつ隠し撮りされても良いように、人から後ろ指さされるような行為を決して取らないように自覚できる職員教育を徹底すべきである。(参照:心の中に自らを写すカメラを持っていよう

サービスマナー教育は、そのために必要不可欠な基礎教育である。日常の教育プログラムにサービスマナー教育を取り入れていない事業者の経営者や管理職は、近い将来マスメディアの前で、「お詫び」の記者会見を開くことになるかもしれない。そして介護事業から退場しなければならないかもしれない。

そんな自分の姿を一度想像してほしい。そしてそうならないように何をすべきかを、当事者意識を持って考えてほしい。

この記事を読んだ経営者や管理職の方々には、今一度自分の事業職員の対応場面は問題ないかと、今日一日事業者内を歩いて回って、一つ一つの場面を切り取って映像化してみてほしい。その場面が世間に誤解を与えるような映像にならないかと考えてみてほしい。

場合によっては実際に動画を撮影し、職員と一緒にその動画を観て、それが問題ない姿となっているかを確認してはいかがだろうか。

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上司の寛容心が改革を頓挫させる


介護事業者に勤務する従業員が、対人援助のプロとして、いつでもどこでもマナーをもって接することができるように訓練する必要があるという意味は、すでに職業倫理を超えて、事業戦略としても必要になってきていると言ってよい。

なぜなら高齢者介護サービスの利用者の中心層も、今後は「団塊の世代」の方々に移行していくからだ。それらの方々は日本の高度成長期を支えた企業戦士やその妻であり、そしてそれらの方々を商売の相手としていた人々なのだ。顧客サービスとは何かということが身に染みているそれらの世代の方々は、顧客に対して、目上の人に対して、「タメ口」で接することを許すような寛容心を持っていない。

そうであるからこそ介護サービスという目に見えないサービスを売りものとしている、介護サービス事業者の職員が、その顧客である利用者に、マナーのない態度で接することを許してくれないから、そういう事業者は選ばれないことになる。

そんな中で日本の社会情勢と経済状況も変化してくる。一人の高齢者に掛けられる社会保障費は半減されると言っても、介護給付費自体は2018年と比較すると2028年には、10兆円から20兆円に増えるわけである。介護給付費だけで10年間で10兆円増えるとすれば、その周辺費用を含めると、そこには100兆円を超えるお金が転がっているということになる。景気の減退に入った感がある我が国で、来年にはオリンピックも終わり、さらなる景気減退が予測される。そんな中で介護市場に回されるお金は魅力的である。

だから民間営利企業で、現在介護サービスに参入していない企業の中で、新たに介護事業に参入する企業は必然的に増えることになる。このことは必然の結果で、外れる可能性のない予測と言える。しかし一人の高齢者に配分される介護給付費は、現在より低額化が図られていくのだから、収益を上げるためには顧客数を一人でも多く確保せねばならない。

その時、顧客としても最大数の塊となる団塊の世代の方に選択されるサービスとは、顧客を顧客とみて、きちんとサービスマネーを持った対応ができる事業者であり、マナーの上に「ホスピタリティ」の精神を持った従業員を数多く雇用できる事業者が、事業経営上の勝ち組になっていくのは目に見えている。

だからこれからの介護サービス事業経営の命運を握るものが、職員のサービスマナー意識であり、コミュニケーション技術は特に重要となってくるものであり、日常的にごく自然に利用者に対して、丁寧語を使いこなして会話できる従業員教育は非常に重要になる。すべての従業員が8大接客用語を使いこなせるように教育しなければ、介護事業経営はままならなくなる。

しかし組織風土は、あっという間に悪化するが、よくなっていくのには時間がかかる。時間をかけてサービスマナーを浸透させるためには、経営者や管理者には例外を認めないという覚悟が求められる。例外を認めた職場で良い方向に改善できた職場は存在しない。

例外なく言葉遣いを正すことができない職員を排除していった職場では、汚い言葉遣いにストレスを感じていた職員が輝きだし、今では20歳代の職員も、「利用者にとの会話を丁寧語で行うなんて当たり前で、それ以外は考えられない」と普通に言っている。

そういう職場にせねばならない。なぜならサービスマネーを浸透させるということには、もう一つの重要な意味があるからだ。

横柄な態度、無礼な言葉遣いは、しばしば人権侵害につながる問題を引き起こしている。「そんなつもりはなかった」という言い訳は、人の心を傷つけ、人の心を殺してしまったあとでは、なんの言い訳にも免罪符にもならない。そういうことがないように、相手から誤解されない対応の基盤となるのが、「サービスマナー」であり「介護サービスの割れ窓理論」で示している、言葉遣いに注意することの意味なのだ。

団塊の世代の人々は、介護サービスの従業員が顧客に対し「タメ口」で接することを許すような寛容心を持っていないと書いたが、そうであるがゆえに、自分が心身の障害を持った時、心身の状態が低下したときに、誰かの手助けを必要としなければならなくなったことで、年下の従業員から、「タメ口」で話しかけられることに、誰よりもショックを受け、誰よりもそのことに哀しむのだということを知るべきである。

人の哀しみに思いを寄せられない人は、対人援助を生業(なりわい)としてはならないのである。

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介護業界の異常さとは何か


忙しい業務の中で、顧客から声をかけられたときにすぐ対応ができず、待たせなければならないときに、「少々お待ちください」といえることができる職員の姿は、理想ではなく当たり前である。

やむを得ない事情でお客様を待たせたときに、ごく自然に「お待たせいたしました」と声をかけることができることも、職業人であればごく当たり前としか言えない。そんな対応が「素晴らしい」と称賛される職業があるとすれば、その職業に携わっている人たちの常識がどうかしているのである。

しかし介護サービスの場で、ナースコールを押した利用者への対応に即応できずに待たせてしまうときに、「ちょっと待ってね」・「何度もコール押さないでよ、わかっているから」と言って、待たせた利用者に対応する際に、「こっちも忙しいんだからしょうがないでしょ」なんて言う日常対応があったりする。その姿を自分の家族に見せて自慢できるというのだろうか。

利用者から何かを要求されたとき、ごく自然にすべての職員が「かしこまりました」といえる職場が特段優れているわけではなく、サービス業であるなら当たり前のことである。

利用者に対して適切性に欠ける対応があった時、「申し訳ございません」という言葉が自然に発することができることが当然の対応であって、それができなければ非常識を疑われるのがサービス業である。

これらの言葉は、「8大接客用語」と呼ばれ、一般的なサービス業においてはごく自然に従業員が使いこなしている言葉である。コンビニエンスストアやファーストフード店ではアルバイトの学生が使いこなしている言葉なのだ。日本語を覚えたての外国人だって、使いこなせる言葉である。

それと同じ言葉遣いを、対人援助の場で顧客である利用者に接する際に使いこなせないことの恥ずかしさを知るべきだ。そういう言葉で接するように指導するリーダーに対し、「理想と現実は違う」などとうそぶいて聞く耳を持とうとしない職員は、自らの現実レベルが低すぎるだけなのである。それはコミュニケーション能力に著しく欠けているという意味で、一般的にはそのような能力の持ち主のことを「馬鹿」と呼ぶのである。

そういう意味では、対人援助の場で言葉使いにも気を使ってサービスマナーを守るということは、他のサービス業で学生アルバイトができている程度のことはしましょうというレベルにしか過ぎないとも言える。今更その徹底を図らねばならないことが課題とされる業界の民度はあまりに低すぎるといえ、保健・医療・介護・福祉業界関係者はその異常さに気が付くべきである。

介護事業者に勤め、介護事業に携わることで生活の糧を得ている人は、介護のプロといえるのだから、学生がアルバイト先で使いこなしている言葉を使えないというのでは、あまりに寂しすぎる。介護とはコミュニケーションが不可欠な職業であり、コミュニケーション技術もプロとしての資質であるにもかかわらず、その部分で学生以下の資質しかないような人は、別な職業を探したほうが良い。

そうしないとその汚らしい言葉に傷つき、不幸になってしまう人が生まれ、それは取り返しのつかない心の傷につながりかねないからだ。人を不幸にして、人の尊厳を徹底的に奪ってしまうからだ。

認知症の人は特にその被害を受けやすい。

認知症の人の言動にイラついて、強い言葉でなじったり、乱暴に接したりすると、それはなんの解決にもならないどころか、そうした言動は、認知症の人にとって脅威であり、混乱の元になって、行動・心理症状(BPSD)はかえって悪化する。それは認知症の人の心を完全に殺す行為であると同時に、そのような言動によって認知症の人をなじる人間の仕事が増えることにもつながり、さらにイラつくという悪循環に陥ってしまうことに気が付くべきだ。

介護の場で繰り返し行われているスピーチロックも徹底的に戒められるべきである。それは認知症の人のストレスになるからだ。

「動かないでちょうだい」、「しちゃだめ」、「立たないで」、「ちょっと待って」という言葉の拘束によって、介護施設等で認知症の人は常に傷つけられて混乱している。そんな状態はなくさねばならない。しかしそれらのスピーチロックは、介護者の心の持ちようで簡単に変えられるのだ。

ちょっと待って」とか、「座っていて」と言い切るのではなく、「〜しているので、ちょっと待ってもらえますか?」とか、「〜すると危ないので、座っていていただけますか?」というふうに、理由を説明しながら丁寧な言葉に言い換えるだけで、それらの人々の心は安らかになり、行動も落ち着くことが多い。

言い切りではなく、相手に尋ねるような形をとると「相手に選択権がある」話し方になりるのだ。それはマナーを意識した言い換えである。

サービスマナーを身に着けるということは、こうしたレベルの低い現実を直すということにほかならない。無礼で醜い対応を介護事業の場からなくしていくということに過ぎないのである。

そもそも、おもてなしの心とは、相手を良いこころ持ちにさせる=幸せな気持ちにさせるという意味である。ぞんざいな言葉遣いや横柄な態度は、相手に不快感しか与えない。サービスマナーとは、最高のもてなしをする以前に、最低限、お客様に不快を与えないように対応を、一定のルールで標準担保しようという意味である。それができてこそのホスピタリティ精神が上乗せされる可能性が生まれるのである。マナーの上に「おもてなしの心」を積み上げてこそ、選ばれるサービスになるのである。

逆に言えば利用者=お客様に対するサービスマナー精神のないところで、真の思いやりの心は生まれず、高品質なサービスを実現させようとする動機付けも生まれない。そのような介護事業者は、今後顧客単価が抑えられる中で、参入事業者が増える介護サービス事業の中で、顧客に選ばれて生き残っていくことなど不可能になる。

おもてなしの心とは、裏のない心であり、相手に対する真の思いやりという意味でもある。それは一般的にはホスピタリティと呼ぶのである。

人を幸福にしないサービス、おもてなしの精神のないサービスは対人援助とはいえないし、そんなものを社会福祉と呼ぶのは笑止千万なのである。

そんなホスピタリティの精神活動を持つことのできる職場づくりのため、そうしたおもてなしの心を持つ職員を増やすために、「介護事業におけるサービスマナー研修」を今年度から始めるようになった。その研修テーマによる講演依頼はじわりじわりと増えている。

今年最後の講演となる、明日土曜日の愛媛県久万高原町での講演の一つも、「介護事業におけるサービスマナー〜町民から選ばれる事業所になるために〜」としているところだ。
(※ちなみに僕はその講演に向かうため、現在新千歳空港のさくらラウンジでこの記事を更新している最中だ。明日は2講演、合計5時間講演である。)

来年の講演予定でも、そのテーマで話す予定が決まっているところもある。

まずは来年1月17日(木)の沖縄県うるま市のうるマルシェで18:30〜行う講演は、琉球介護コミュニティ協会主催・介護スキルアップセミナー第1弾として「介護職に必要な接遇マナー」をテーマにした90分講演である。

またバレンタインデーの2月14日(木)に大阪の寺田町駅すぐ近くのSK アカデミービル で行う大阪市老連主催のデイサービス連絡協議会研修も、「介護事業所におけるサービスマナー 〜ホスピタリティを極める!感動をもたらすサービスへの挑戦〜 」をテーマとした120分講演である。

どちらも一般参加者を受け付けているオープンセミナーであるので、興味のある方は是非張り付いた文字リンク先から内容を確認していただきたい。ただしどちらも会場の関係で、受付人数には制限があるので、申込はお早目がお勧めである。

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感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘むサービスマナー


日本の最大の課題は財政再建であり、来年10月に予定されている消費税の増税も、そのために国民にも痛みを強いるものである。

それは超高齢社会において膨らみ続ける社会保障費の財源を確保するという意味もある。ただし消費税をいくら上げたとしても財源は限られており、給付の抑制は必要であると言われている。そのため引き続きプライマリーバランスゼロ政策は続けられ、高齢化に伴う社会保障費の自然増はできる限り抑える政策がとられていくことは既定路線である。

よって介護給付費の伸びもできるだけ抑えられるのだから、一人に給付される額は現在より単価が下げられていくことになる。そうであっても高齢者の数が増えるのだから、介護給付費自体は2018年の10兆円から2028年には20兆円になる。つまり高齢者介護市場とは、今後10年間で10兆円の給付費が増えるというビッグマーケットなのである。それは周辺産業を含めると2025年には100兆円と言われる巨大なマーケットとなるのである。それは企業にとって「おいしい市場」であるということができる。

よって介護保険サービスへの参入事業者は増え、単価の低さを数の確保で補おうとする顧客確保競争が激化することは必然の結果となる。

その中で介護サービス利用者は、団塊の世代の人々が中心層となっていき、その人たちはスマートホンやタブレットを使いこなして、ネット情報から介護サービス事業者を選択していくことになるだろう。

そこではサービスの品質の「口コミ情報」によって、顧客確保できるかどうかが左右されるという状況が生まれてくる。ここで重要となるのは、人の暮らしや命に直結するサービスにおいて、偽の口コミ情報は利用者にとって「命取り」にもつながりかねないので、偽物であるという情報もネットに飛び交うということである。

よって偽情報によって選択された事業者が一時的に顧客を確保できたとしても、そうした事業者を利用して失敗したという情報がインターネットを通じて拡散し、それによってそうした事業者はやがて淘汰される可能性が高い時代になっていくのである。

そうであれば介護事業者に偽物ではない本物の、「サービスの品質向上」が求められ、その結果を出すことは不可欠である。しかしその結果とは決して国が推奨する「自立支援介護」の数値結果ではないだろう。そんなもので利用者が事業者を選択することにはならず、利用者が事業者を選ぶに際しては、「どんな従業員が、どんなサービスをしてくれるのか」というより具体的な情報が求められてくるだろう。何よりも利用者にとってサービスを提供する人の「感じが良いか悪いか」という具体的で生きた情報が求められてくるだろう。

そこでは従業員の「真のおもてなしの心(ホスピタリティ)」が最大の武器となるが、ホスピタリティはマナーのない職場には生まれない。

そういう意味で、介護事業者においてサービスマナーを確立することは、職業倫理や顧客に対する礼儀という意味合いを超え、事業戦略上必要不可欠な職員教育になりつつある。労務管理としてそれができない事業者は廃業への一途をたどり、サービスマナーを持たない職員は、業界で職を続けても底辺の収入しか得られないことになると断言しておこう。

そのため介護事業におけるサービスマナーに関する研修は絶対に必要となるが、なかなかそうした内容の研修が実施される機会が少なく、参加できないのも事実だろう。

そこで情報提供をしておきたい。介護事業におけるサービスマナーについて学んでみたいという人で、茨城県周辺地域にお住まいの方に朗報がある。
茨城県サービスマナー研修
12月15日(土)14:00〜17:00、取手ウェルネスプラザ(茨城県取手市)で行われる茨城県介護人材確保・定着バックアップ事業、複数事業所連携事業、合同研修会において、「感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘むサービスマナー」というテーマで講演を行なうが、この講演は無料で参加できる講演会である。
(連絡先:Tel 0297-84-6081 Fax 0297-84-6083 担当:介護老人保健施設もえぎ野 雑賀様)

会場の都合で参加人数は限定されているが、取手市ということで茨城の方のみならず、千葉の方も参加しやすい場所ではないだろうか。

この研修には、職場で影響力を発揮できる介護事業者のリーダーの役割を担っている方々に是非受講していただきたい。そういう人が職場に持ち帰って改革に努めてほしいと思うからだ。

お近くの方はこの機会をお見逃しなく!!

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対人援助におけるサービスマナー確立の課題3


対人援助におけるサービスマナー確立の課題2より続く)
介護事業者におけるサービスマナーの確立は、今後の事業経営におけるリスクマネージメントとしても求められている。そのことは昨日の記事で詳しく解説したつもりだ。

しかし東社協以外の職能団体で、サービスマナーに特化した研修を定期的に実施しているという話は聞かないし、サービスマナーに特化していなくとも、介護事業におけるサービスマナーをメインにした研修会を開催している都道府県や職能団体があるという話は聞こえてこない。それだけこの問題に鈍感な関係者が多いのではないだろうか。

これでは介護業界全体のマナー向上は不可能であると思ったので、東京に次ぐ第2の都市である大阪市でこの研修を行なえないかと画策した結果、大阪市老連さんのご協力でそのことが実現する。

来年2月14日に大阪で初めて「介護事業者におけるサービスマナー研修」が実施されることについては、先週木曜日の記事でお知らせしたところである。

ところでこの計画を立てた段階で、サービスマナー研修を実施する時期がどうなのかという話があった。本来サービスマナーとは、経験の浅い職員が学ぶべきテーマで、2月という年度末より、年度が替わった4月以降の新入社員が多い時期の方が有効ではないかという声もあった。

しかし介護事業に限って言えば、新人教育として「サービスマナー研修」を行うのは、ほとんど意味がないといえる。

新人教育としてサービスマナー教育が有効になる唯一無二の条件とは、新人以外の従業員のサービスマナーが確立されているということである。そういう環境下において、新人は入社した時点で座学においてその基本的考え方と実践方法を学んで、そのうえで実地教育として、サービスの現場で先輩職員の言動を手本にして、座学で学んだサービスマナーを、OJTを通じて実践法として身に着けることができる。

しかし残念なことに、多くの介護サービス事業者では手本となる先輩職員がいないというのが現状だ。サービスマナーとは何か、なぜそれが必要かを理解していない集団の中に、サービスマナーを学んだ新人を放り込んでも、座学で学んだサービスマナーを実践に活かせるわけがない。汚らしい「ため口」が飛び交っている現場に、丁寧語を基本としなさいと教えた職員を放り出しても、1日もかからず先輩職員の汚いため口に侵されて、新人職員の言葉遣いも汚いものとなり、礼儀に欠ける顧客対応に終始する職員に成り下がるだけである。

よって新入社員より先に、新人の教育係となる今いる職員にサービスマナーが何たるかを教え、サービスマナーに沿った対応を、介護サービスの場で実践できるように教育せねばならないのである。特に介護サービスの場でリーダーの立場にある従業員に、サービスマナーを徹底させる教育訓練が求められるのだ。

そういう意味で来年2月14日の大阪市内での「サービスマネー研修」には、大阪周辺の介護事業者の中で、実践リーダーとなっている人たちにたくさん参加してもらいたい。僕からのバレンタインデーの贈り物は、清々し礼儀のある清々しいによって引き出せる従業員のホスピタリティの精神と、それによって生まれる利用者の方々の心からの笑顔である。

想像してみてほしい。

忙し業務の中でナースコールに対応するのが遅れそうなときに、「少々お待ちください」といえることが当たり前の職場を。そして改めてコール対応する際に、ごく自然に利用者に対し「お待たせいたしました」と声をかけることができることが当たり前である職場を。

利用者から何かを要求されたとき、ごく自然にすべての職員が「かしこまりました」といえる職場を。

利用者に対して適切性に欠ける対応があった時、「失礼しました」、「申し訳ございません」という言葉が自然に発することができることが、職員として当然の対応であると考え実践されている職場を・・・。

しかしこれらの言葉は、「8大接客用語」と言われており、一般的なサービス業においては、ごく自然に従業員が使いこなしている言葉である。コンビニではアルバイトの学生がごく自然に使いこなしている言葉なのだ。言葉遣いを知らないなどと揶揄される若者が、小遣い稼ぎの場で普通に使いこなしている言葉にすごない。それと同じ言葉遣いで顧客である利用者に接することができないことの恥ずかしさを知るべきだ。

そういう言葉で接することができるのが「理想」などと言っている職場は、現実レベルが低すぎるだけなのである。

しかるに介護事業者では、「ちょっと待ってね」・「待った?」・「わかったよ」・「ごめんごめん」なんて言葉が、利用者に対し頻繁に発せられている。このことが不適切極まりないということにさえ気が付かないデリカシーに欠ける職員がわんさかいるわけだ。

そんな言葉しかつかえない職員も、そんな言葉遣いを放置している管理職にも、恥を知れと言いたい。

サービスマナーを身に着けるということは、こうしたレベルの低い現実を直すということにほかならず、無礼で醜い対応を介護事業の場からなくしていくということに過ぎないのである。

さほど難しいことを学べと言っているわけではなく、それもできないというのなら介護給付費を挙げるなどという主張はおこがましいとしか言えず、安かろう悪かろうサービスにとどまっていても仕方がないと言われてしまう。

そもそも人を幸福にしないサービス、おもてなしの精神のないサービスは対人援助であるといえないし、そんなものを社会福祉と呼ぶのは笑止千万なのである。

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対人援助におけるサービスマナー確立の課題2


対人援助におけるサービスマナー確立の課題1より続く)
サービスマナーの基本は正しい言葉遣いである。お客様に対して適切な言葉遣いで対応することが、礼儀としてまずは求められるのである。そこからサービスは始まるのだ。

相手に不快感を与えず、かつお客様に好ましいと思ってもらえる言動の作法は、対人援助のプロとして持つべき最低限のスキルである。我々には介護のプロとしてコミュニケーション能力が問われることを自覚すべきだ。

しかしその基本ができていない介護事業者が多すぎるのだ。それもこれも「言葉遣い」をはじめとした、顧客に対応する正しいサービスマナー教育がされていないことが唯一無二の原因である。この部分の経営者の意識は低すぎるといってよい。今まではそのことは介護事業経営に影響がなかったのかもしれないが、今後は決してそうではないことを強調しておきたい。

社会情勢を鑑みると、事業者全体のサービスマナーの構築は経営に直結する問題であると気づかねばならない。

なぜなら財源事情から給付は制限されるとは言えど、介護保険サービス受給者が増え、給付費用は現在の10兆円から2028年には20兆円になるのだから、10年間で10兆円増加する給付費をターゲットにして、この業界に参入する企業は増えることになる。競争相手が今以上に増えるのだ。

しかし現在より顧客単価は抑えらる中で競争が激化するという意味は、その中で売り上げを伸ばそうとすれば顧客数をいかに伸ばしていくのかが経営戦略として最重要課題となるということだ。介護事業に参入事業者が増える中で、顧客確保競争が激化し、すべてのサービス種別において顧客確保に困らない売り手市場という状況ではなくなっていくのは必然の結果である。

そんな中で介護事業経営を続けていくためのは、他の事業者と差別化して顧客から選ばれていくことが最大の課題となることは間違いなく、顧客から選ばれるために、組織としてサービスマナーを確立し、それを基盤としてホスピタリティの精神を持つ職員を育成していくことは急務の課題である。

介護事業者におけるサービスマナーを確立するためには、組織全体でその啓蒙と教育に取り組んで、従業員の意識を改革せねばならない。本来のあるべき姿とは何かということに気づかせねばならない。そうであれば対人援助に携わる人間の美しさと、醜さの両方を気づかせねばならない。

介護事業者の若い職員が、自分の祖父母と同じくらいの年長者に、「〜だよ」・「〜でしょ」・「何やってるの」などと声をかけている姿は、端から見て決して微笑ましい姿ではなく、親しみやすさはみじんも感じられない。

その姿は無礼で不快で、醜い姿でしかない。若い人たちは自らのその醜い姿になぜ気が付かないのだろう。その恰好悪さになぜ気づかないのだろう。

介護事業者の中にも、先輩や同僚や後輩が顧客である利用者に、「ため口」で話しかける醜い姿を見て不快感を持っている人はいるはずだ。事業所内で従業員が人生の大先輩である利用者の方々にタメ口で話しかけている状態に問題意識を持つ職員も多いはずである。そうであるにもかかわらず、顧客に対する不適切な言葉遣いがなくならない一番の理由は、サービスマナーを個人の資質の問題として捉え、組織運営の問題と考えていないからである。

その状態を変えるために、組織全体で改革に取り組もうとする職場では、必ず抵抗勢力が頭をもたげるだろう。その中には、人手が不足してただでさえも忙しいのに、「言葉遣い」という些細なことに取り掛かっている暇はないなどというわけのわからない抵抗が生まれるかもしれない。

しかし顧客に対する言葉遣いは決して些細なことではないし、不適切な言葉遣いを放置しておく限り、礼儀やおもてなしの精神は生まれない。

そもそも言葉を丁寧にするということに、どれほど時間が削られるというのだろう。日常的に「丁寧語」で話しかける訓練のためには、それなりに時間は必要かもしれないが、その習慣を身に着けた瞬間から、言葉遣いや態度に気を付けることに時間は取られない。業務負担の増にはならないのである。

従業員に求めるものもたいして難しい内容ではない。別に言葉の達人になって、尊敬語と謙譲語、丁寧語と美化語を使いこなせと言っているわけではないのだ。最低限のお客様に対するマナーとして、「ため口」はやめて、お客様が不快になるリスクのない、「丁寧語」で会話しましょうということに過ぎない。

訓練の時間が必要だと書いたが、しかしサービスマナーの確立のために顧客である利用者の方々に「タメ口」で話しかけるのはやめようとすることに、どれだけの訓練を必要とするというのだろう。そんなものは注意された本人の自覚一つで、注意された瞬間から変えて実行できることだ。

それもできない従業員なら、対人援助のプロとして持つべき最低限のコミュニケーションスキルがないという意味だ。

そんな人間は介護事業に向かないと言わざるを得ない。さっさと退場いただこう。

そんな程度のこともできない輩は切るべきだ。介護事業経営者には、そのような覚悟も求められるのを忘れてはならない。
対人援助におけるサービスマナー確立の課題3に続く)

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対人援助におけるサービスマナー確立の課題1


先週金曜日(10/5)に、飯田坂で行われた東社協主催のサービスマナー研修講師を務め、介護事業者におけるサービスマナーの必要性と、マナーを意識したサービス提供の方法論を講義してきた。

東京都社会福祉協議会が、サービスマナー研修を始めたのは介護保険制度が始まった当初からである。

その動機と理由は、措置制度という、「行政が決めた施設に入所させる仕組み」の中で、サービスを提供する側と、サービスを受ける側との間に明らかな上下関係が生じ、サービスを提供する職員には「お世話をしてあげる」という感覚が生まれ、サービスを受ける利用者には、「お世話をしていただいている」という感覚が生まれ、その結果人生の大先輩である高齢者に対して、幼児言葉での叱り、友達感覚での話し方が横行し、やがてそれが指示的・威圧的な口調につながって、虐待と見まごうような不適切な対応が目についたからであるとのことだ。

そのため武蔵野大学の岩本操准教授が講師を務めるサービスマナー研修を続け、同時に岩本准教授が執筆した「サービスマナー実践テキスト」などを発刊している。(参照:サービスマナーの実践は専門的行為である  ・ サービスマナーの軽視がもたらす人権侵害

僕も東京都社会福祉協議会さんからは何度か講師として招かれており、その中で「介護サービスの割れ窓理論」を提唱する立場から何度かお話をさせていただいていたところ、岩本准教授が僕の講演を聴いてくださる機会があり、その後のオフ会でもご一緒して、「今度是非一緒にサービスマナーについてのコラボ講演を行ないましょう」という話をしたのが一昨年のことであった。

そのことがきっかけで、今回岩本准教授の定例講座の露払い的な内容で、僕が講演を行なうことになったわけである。

ところで介護事業者を対象にしたサービスマナーの研修の難しいところは、対人援助サービスを利用する方々は、施しを受ける人ではないし、単なる利用者でもなく、「顧客」であるという説明から入らねばならないことだ。

介護関係者の中には、利用者が顧客であるという理解ができておらず、その定義に疑問を投げかける人さえいる。

しかし介護を職業として、そこで生活の糧を得ている限り、そのサービスを利用する人は間違いなく、「顧客=お客様」なのである。

そもそも「顧客」とは、自社の商品・サービスを販売する対象であり、すでに購入(あるいはサービス利用)してくれている顧客だけでなく、購入の可能性のある範囲までを含めてとらえる必要がある。そのことは他産業では常識とされているのに、介護関係者(医療関係者も同様だが)で、この意味を理解していない人が多すぎるのだ。

利用者は顧客ではないだろうと考えるオツムのレベルが疑われる人もいることが最大の問題だ。

顧客が「買う」と考え、「買う」決断し、「買う」行動をとり、「買う」ためのお金を支払うのだ。介護サービス事業も、サービスを利用してくれる人がいないと経営できないという常識が分かっていないのかと疑いたくなる。

サービスマナー研修は、保健・医療・福祉・介護分野以外の営利産業・サービス業でも行われる機会が多いが、そこでは「お客様に対して、ため口で接してはならない」と教えることはない。それはあり得ないのが常識だからだ。

ところが保健・医療・福祉・介護分野のサービスマネー研修では、そのことを教えなければならない。そこから始めなければならないくらい、礼儀という面ではレベルが低いのだ。

他産業では顧客に対してため口で接してよいかどうかなど議論にさえならないのに、保健・医療・福祉・介護分野ではいまだに、ため口で接することが「親しみやすさ」の表現であると勘違いしている輩が多すぎるのである。その結果、親しみやすい職員どころか、馴れ合いを日常とする無礼で失礼な対応に終始する職員を生んでいるのだ。

利用者は顧客であり、顧客に対しては好ましい言動の作法が必要不可欠で、なおかつ他の事業者より多くサービスを利用していただくためには、真のおもてなしの心が求められるというところから話を始めなければならない。そして丁寧語で会話しても「親しみ」は十分伝わるというを説明し、顧客にため口で接するのは礼儀を欠く失礼な行為でしかないところから話を始めなければならない。

この状態こそ現在の対人援助サービス、介護業界のサービスマナー意識のレベルの低さを表しているといっても過言ではないだろう。それはスキルの低さであるといっても過言ではない。なぜなら介護とは、コミュニケーションースキルが求められる職業なのだから、丁寧な言葉遣いで対応し、コミュニケーションを交わすことができないというのは、介護を職業とするプロフェッショナルとしての技術を持っていないという意味になるからだ。

この意識レベルの低さを変えて、ホスピタリティの基盤となる「サービスマナー」の確立を急がないと、介護という職業は、無意識に人の心を傷つけ、人の心を壊しながら、無礼を押し付ける状態がなくならないまま、安かろう悪かろうサービスとして存在し続けることになりかねないのである。
対人援助におけるサービスマナー確立の課題2に続く)

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サービスマナーは利用者のために必要とされているわけではない


伝統的な日本の地域社会では、向こう三軒両隣の関係性が保たれ、そこではサービス業も常連客が顧客の中心で、客を迎えるためのマナーよりも馴染みの会話が求められる傾向が強かった。

しかし地域における住民間の人間関係の希薄化が進むにつれて、そこにおけるサービス業に求められるものにも変化がみられ、接客は馴染みや親しみより、一人一人のお客様への丁寧なもてなしが求められるようになった。

それとともに「馴染みと親しみやすさの接客法」は、個人の資質で左右され、場合によっては乱暴で馴れ馴れしく、ずうずうしい客対応に変化するという性質が明らかにされるようになった。そのため個人商店も、大手チェーン店の接客技術を取り入れるようになった。

今、介護サービスを利用する顧客の多くが、そうした接客に慣れ親しんだ人々なのである。

そのため僕は日ごろから、介護事業においてもサービスマナーが必要だと主張して、それに関する講演も行っている。僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」も、サービスマナーの基盤となる、「言葉遣い」に関する理論である。

そんなこともあり、世間が3連休だった先週土曜日から昨日にかけて、僕は10/5に飯田橋レインボービルで実施される、「東京都社会福祉協議会主催 サービスマナー研修会」のための講演スライドづくりを行っていた。同会では武蔵野大学の岩本先生の「高齢者福祉施設におけるサービスマナー研修会」を毎年行っているが、10/5はそれにつなげる露払い役の研修会という位置づけで、マクロの視点から介護事業者におけるサービスマナーの必要性を説くものである。

しかし東京都社会福祉協議会のように、サービスマナーの研修を計画的・継続的に行っている団体は他にほとんどないといってよい。

それは介護事業の職能団体にも、介護事業経営者にも、サービスマネーを確立する動機づけがないか、その意識に欠けるという理由ではないかと思えるが、これは由々しきことである。

時代の変化は、介護サービス事業の事情も大きく変化させ、顧客確保に苦労しない介護事業はなくなりつつあり、待機者であふれていた特養でさえ、営業しないと空きベッドが生ずる状態になりつつある。

そんな中で、今後介護サービスの顧客となる中心層は、団塊の世代の方々となっていくが、それらの方々は高度成長期の日本経済を支えてきた世代である。その世代の方々が大きな塊であるからこそ、団塊の世代に売れる商品を開発すれば、ほかの世代に売れなくとも儲けることができたという意味では、あらゆる場面でニーズが最大限に配慮されてきた世代であり、顧客として手厚く遇されてきた世代なのである。

そういう世代の人々から、どうやって選ばれるのかということは、介護事業者にも求められる視点なのである。

別の角度から考えると、いつまでも介護事業者が利用者に対して「ため口」で接することが親しみやすさだと勘違いする場所では、サービス提供者の上位意識がなくならず、施し意識が抜けない状態の中で、感覚麻痺と不適切対応がはびこり、それが虐待につながっていく。そのことは大きな経営リスクなのである。

先日も熊本県のグループホーム「ゆうしん三丁目」で虐待事件が発生した。入所者の88歳の女性を殴って死亡させたとして、介護職員の男性(49歳)が傷害致死容疑で逮捕されているが、被害者は腹部を殴打されて腹部内で内出血を起こし、腹部内の出血性ショックで死亡したという信じがたい事件が起きている。こうした事件につながる行為も、サービスマナーのかけらもない対応に終始していることが根本原因である。

このような事件が起きると、その事業者は経営継続が困難になりかねない。今現在、経営状態が良好で、業績が順調に右上がりである事業者であっても、こうした事件が起きた途端、経営継続が難しくなることは、介護サービス大手のメッセージ(岡山市)の事例が証明している。

つまり介護事業者においてサービスマナーを確立することは、職業倫理や顧客に対する礼儀という意味合いを超え、事業戦略上必要不可欠な職員教育になりつつある。労務管理としてそれができない事業者は廃業への一途をたどり、サービスマナーを持たない職員は、業界で職を続けても底辺の収入しか得られないのである。

介護事業経営者は、そうした意識をしっかり持って、職能団体がサービスマナー研修を実施しているならば、積極的に職員を参加させるとともに、できれば事業者の内部研修として、全職員を対象に最低年1回程度は、サービスマナー研修を開催すべきである。

そうした研修には、声をかけていただければいつでもお手伝いしたいと思っている。

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サービスマナーが命綱となる介護事業


生産労働人口が減り続けるわが国では、全産業において労働力の確保が最大の課題となる。

その中で若者が選ぶ仕事として決して人気があるとは言えない介護事業は、人材確保面ではさらに厳しい状況を迎えざるを得ない。

そのため介護事業経営は、顧客確保戦略を盛り込んだうえで、人員確保・育成システムを織り込んだ経営戦略を立てていかないと破綻するのは必然である。

だからといって人をかき集めさえすれば、その質は二の次かといえば決してそうではない。対人援助である介事業は、人の感情と向かい合う職業であり、その感情を害する質のサービスは、常に破綻の危機を抱えることになる。

特に昨今のスマートホンの普及は、誰でもどこでも簡単に動画撮影を行うことができる状況を生み出し、頻繁に報道される介護事業者による虐待・不適切サービスを耳にする人が、自分の親が受けている介護サービスの実態を知ろうとして、隠し撮りを行うことはごく自然な成り行きといってよい。

その時介護事業に従事する人々は、隠し撮りされることに憤りを感ずるのではなく、いつでもどこでも隠し撮りされた自分の姿を見られて恥ずかしくない仕事をすることに努めるべきである。隠し撮りのカメラに注意するのではなく、隠し撮りされても堂々とその姿を見てもらって恥ずかしくない介護サービスを実現することが、介護のプロといえる姿勢であり、矜持である。

また昨今の介護経営事情を見ると、顧客を確保できず事業経営が成り立たない事業者が増えつつある。介護給付費の単価アップが期待できない情勢では、顧客を増やして定員を増やしたり、ベットの稼働率を上げていかない限り、人材を定着させながら事業経営を続けることができる収益を挙げることはできないからだ。

虐待報道などの影響で、世間からより厳しい視線を受けざるを得ない社会情勢の中で、顧客確保につながるのは、施設設備などの表面上の豪華さではなく、実際の暮らしの質=高品質な介護サービスである。

そうであれば管理職のみならず、介護事業従事者のすべてが法令を正しく理解したうえで、それを遵守することはは当たり前であり、そんなものは顧客確保の要素にさえならないということ理解したうえで、その先のホスピタリティ意識を従業員全員が持つことが安定経営には不可欠となる。

そのためには、顧客満足を軸にした教育訓練の実施は不可欠である。介護サービス技術、福祉用具の利用方法、高齢者疾患に対する医学的知識、衛生管理、緊急時の対応、介護事故防止といった教育も重要であるが、それ以外に接客マナー、利用者の秘密保持、利用者とのコミュニケーションなどについての教育訓練が、介護事業経営の上では非常に重要となる

このようにホスピタリティの基礎となるサービスマナー研修を定期的に行っていない事業者は、それだけでも経営危機を内包しているといえるのだ。

各事業者は内部研修の中で定期的に「サービスマナー研修」を実施すべきである。

こうした研修を定期的に行っているのが、東京都社会福祉協議会である。同会では武蔵野大学の岩本先生の「高齢者福祉施設におけるサービスマナー研修会」を毎年定期的に行っているが、僕が唱える「介護サービスの割れ窓理論」もサービスマナーの基礎をなす理論であるとして、今年から僕も同会のサービスマナー研修の先駆けとなる研修講師を務めることになっている。

平成30年10月5日(金)13:00〜17:00、飯田橋レインボービル 7階で行われる、「介護施設のサービスマナー」という講演では、自身の体験例や理論、思いなどを含めてサービスマナーの重要性をお話しさせていただく予定である。

対象者は経験の浅い職員ということであるが、若いうち、経験の浅いうちにしっかりとしたマナーを身に着けないと、古いさび付いた無礼さで、人を傷つけることに鈍感になってしまうので、この研修は非常に重要となるだろう。

認知症の人に対する「タメ口」によって、行動・心理症状につながる事例も含めて、サービスマナーが意識されないサービスの貧困さを改めて理解していただけるようにしたいと思う。

こうしたサービスマナー研修は、本来であれば事業所職員全体で受講したほうが効果が上がるので、ぜひ各事業所でそうした研修を企画してほしい。その時に外部講師が必要なら、いつでも気軽に声をかけて相談してほしい。予算が限られている場合も、その予算に応じて日程調整するので、メール等でご連絡いただければ幸いである。

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仕事ができる人とは、業務をこなせる人ではない


保険・医療・福祉・介護の職業以外で、顧客に対して「ため口」で話しかけて許される職業はない。他の職業では、顧客に対して丁寧語で会話すべきかどうかということは議論にさえならない。そのことは至極当然の姿勢といえるからである。

介護業界は、そうした常識を持ちあわせていない異常な業界である。

介護業界ではいまだに顧客に話しかけるときには、丁寧語を使うべきではないかという議論がされ、各事業者で丁寧語で会話をする指導がされているという状況は、この職業がいかに未成熟で、品性に欠けているかという証明でもある。

有名な講師が壇上で、顧客である高齢者を「じいさん、ばあさん」と呼んで、それが親しみのある表現だと勘違いした輩が、実践レベルがその講師の域に達していないにも関わらず、その講師の汚い言葉だけを真似することによって、介護サービスの場で心づかいのない言葉に傷つけられる人がいなくならない。そのことを考えると、そのような不適切な言葉を使って講義する人間が、いかに高い介護技術を持っていて、達人の域に達していようと、その利より害の方の影響が大きいという意味で、バリアでしかない。それは前時代的存在といってよく、さっさとこの業界から去ってほしいと思うのである。

自分自身は30年以上介護施設などで働き続けてきたが、就職したばかりの一時期を除いて、ずっと利用者に対しては「丁寧語」で接してきた。その姿勢自体は、自分自身の中では誇りでも何でもない。ごく当たり前のことというレベルでしかない。そうしない他の人たちがどうかしていると思っている。

この職業を通して、社会の一員として認められ、この職業のおかげで生計を維持し、家族を養ってきた僕の身としては、いつまでも介護という職業を、顧客に向かってため口を使って話しかけるのが当たり前という恥ずべき状態に置きたくはない。自分や自分の家族が胸を張って、介護という職業に誇りを持てる状態にしたい。そのために『介護サービスの割れ窓理論』を20年以上前から唱えてきたし、全国各地で行う講演会でも、そのことを提唱し続けている。

この理論に共鳴して、自らの職場でこのことを実現させようとしている管理職の方も徐々にではあるが増えてきている。しかし僕と共通した思いを持つ介護経営者や管理職の皆さんの悩みとは、一度浸透してしまった、「ため口での会話」に慣れ親しんだ職員が、なかなかその習慣から抜け出せないというものだ。

しかし言葉遣いの改善は、単に事業経営者や管理職の思いとして職員に伝えるだけではなく、「職場の掟」としてのルールを定め、実践できない職員には、実践できている職員との差別化を図るために、何らかのペナルティを課すなどして、経営者が本気で取り組まねばならない問題なのである。おざなりの姿勢で、長年にわたって培われた悪習が変わるわけがないのである。(参照:説得ではなく納得の職場改革が求められている

利用者に対するため口を改めることができない職員は、昇給時期が遅れるだとか、役職に就けないだとか、様々なペナルティが考えられるが、そのことを就業規則として定めるべきである。

その時一部の管理職の方から、「言葉遣いを改めることはできないけど、仕事ができる職員」であれば、ペナルティを課すことで辞められては困るという意見がある。そもそも介護職員が足りないご時勢で、仕事ができる職員に対して、言葉遣いを直せないという一つの欠点のみを指摘して、へそを曲げられて辞められては困るとして、「叱る」ということすら躊躇する上司がいたりする。

しかしそれでは言葉の改革などままならない。仕事さえできれば言葉遣いのルールなど無視してよいと思われるからだ。

そして「仕事ができる」と思われている、言葉遣いの荒い先輩職員の姿を見た後輩は、低きに流れていくのは必然の結果で、そうした職場で「利用者には丁寧語で話かけましょう」という掟は、お題目・スローガンの域から脱することはできなくなる。

しかし仕事ができるって何だろうか。事業経営者の思いとは経営理念である。理念とは理想でも幻想でもなく、たどり着くべき究極の目標を達成するための考え方そのものである。その経営理念に沿って定められた職場のルール・職場の掟を護ることができない職員は、仕事ができているといえるのだろうか。

その職員は、単に日々の業務をこなすことに長けているだけではないのか。それが対人援助の中で、どれほど評価できることだというのだろうか。

むしろそうした職員の存在により、職場の掟が形骸化して、利用者に丁寧な言葉遣いと態度で接するという、介護のプロとしてのサービスマナーが無視され、すべての職員にホスピタリティの精神を持ってもらいたいという経営者の思いが実現しないのなら、その職員は仕事ができるとは言えない。むしろ経営理念に反した行動に終始するいらない職員だ。百害あって一利ない職員だと考えるべきだ。

現にある職場では、仕事ができると言われていた、そのような職員を降格させ、自主退職した後、職場の雰囲気が変わり、丁寧な言葉遣いが浸透していったという実例がある。

介護経営者の方々は、この部分で決して勘違いしないことだ。本当に変えたいと思うときは、その思いについてこれない職員については、日常業務に精通していたとしても、その職場では不要な人材であると考える覚悟も求められるのである。

サービスマナーが確立されていて、利用者に対してごく当たり前のように職員が丁寧に語りかけられる職場には、「利用者に思いやりをもって接する介護をしたい」という動機づけを持つ、志の高い人が募集に応募してくる傾向がある。

介護事業経営者の方々には、単なる人員ではない、人材が集まる職場を創るための重要な要素が、サービスマナーと言葉遣い教育であることに早く気が付いてほしい。

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割れ窓理論を職場に浸透させるために


五島列島福江島滞在3日目の朝を迎えた。

昨日は社会福祉法人・明和会さんの開設20周年記念式典での記念講演を行い、今日は五島老人福祉施設協議会さんと五島市介護支援専門員協会さんとの合同研修会での3時間講演を行って、もう1泊五島市に滞在した後、明日は夜の長崎市講演に向けて福江空港から長崎空港に向かう予定になっている。

今日はこれから五島市をプチ観光した後、そのまま講演会場に向かうため、いつもより早い時間に記事更新しているところだ。

こんなふうに全国各地で講演を行わせていただいているが、そのテーマも様々で、制度論から経営論、虐待防止やケアプラン作成法、介護実務からソーシャルワークまで多種多様なお話をさせていただいている。(参照:masaの講演予定

それらはすべて講演主催者の方から依頼を受けて、相談のうえで決めているテーマである。

そうしたテーマ相談の際に、職員の接遇やサービスマナーを問題視して、日ごろから従業員の態度を苦々しく思いながら見ている経営者や管理職の方から、「介護サービスの割れ窓理論」をテーマとして依頼されることも多い。その場合は介護実務の話の中でその理論の意味をお話しして、言葉遣いがいかに大切であるかという例を示すとともに、悪気のない「ため口」によって深く傷つく人々の例を紹介したりしている。

考えてみれば利用者と会話する際に、言葉遣いに注意して丁寧語を使うようにするということは、さしたる能力を必要とせず、知識や技術に関係なくすぐに実践できることだ。しかしそのことが実行されないということは意識の問題で、言葉を丁寧に使うことの重要さを理解できておらず、顧客である利用者に対して「ため口」で接している己の醜さと、その恥ずべき姿勢に気が付いていないということだ。

それを経営者や管理職の人々が一生懸命変えようとしているのに、なかなかうまくいかないという。

しかし介護サービスの割れ窓理論を、職場に浸透させて、すべての従業員が丁寧語を使いこなせるようになるためには、相応の覚悟が必要だ。研修を受講してそれだけで職場が変わるということはなく、職場が変わるために経営者や管理者がしなければならないことがあるのだ。

他人と過去は変えることができない。しかし自分と未来は変えることができる。」という言葉があるように、自分以外の他者が変わることを期待する前に、まずは自分自身の姿勢を変えなければならない。そうしないと職場の未来も変わらない。

利用者に対しては常に、どのような状況に置かれても、丁寧語で対応できる自分を創ることがまずは大事である。さらに自分が利用者に対しては、決して「ため口」で接することがないことを、職員に対しても宣言すべきだ。そのうえで職員にも、利用者に対して日常会話は丁寧語を使って行うことをルールとして課すべきである。そのためには職務規定として利用者に対して丁寧な言葉で接するというルールを盛り込むべきである。

ルールとして課す以上、その意味を十分に伝え職員に理解してもらわねばならないので、一方的に朝礼等でそのことを宣言するのではなく、ひとりひとりの職員に、その思いを伝え実践の理解を得るべきである。特にその姿勢がなかなか身につかない職員に対しては、個別面接を行い、なぜその姿勢が身につかないのか、今後自分はどうしたいのかなどを聞き取るべきである。

とかく介護事業の経営理念は、抽象的でどうとでも取れる内容になることが多いが、利用者に対する言葉遣いに関しては、そうした抽象論ではなく、丁寧語を使って会話するという具体論であるのだから、だれもが実践できるはずだし、実践しているかいないかの評価は、これほど簡単明瞭なものはない。

それを服務規定に定めるのだから信賞必罰の原則を貫き、日常的に丁寧語で利用者に接することができない職員は、リーダーや管理職などに昇進させず、次元報酬(給与の上位等級への引き上げ)評価も行わないとすべきである。当然、習熟報酬として、年度ごとに測定する能力の向上に対する評価である給与の定期昇給の際にも、この能力を評価することはあってよく、満額の定期昇給を行わないという評価があってよい。

そもそも経営者が理念の実現のために職員に課すルールを、守ることができないという職員がいるとすれば、それはその職場で働く資格や意味がないということなのだから、そうした職員には別の職場を探してもらうように促すべきである。

職員募集になかなか応募がない人材不足だからといって、こうした経営の根幹にかかわる問題において、経営者や管理職の職務命令に従わない職員を罰することもなく、職務命令に従って適切な利用者対応をしている職員と同じ待遇を与えているのであれば、そのような職場で自己改造意欲など生まれるわけがないのである。

そういう意味で、職務命令に従うことができない職員を切るという覚悟も、介護事業経営者には求められるのだ。


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プロの責任、プロの使命


サッカーワールドカップの日本VSベルギー戦を観戦して、日本中で寝不足の人が多い火曜日だと思う。

結果は残念だったが、選手は素晴らしく頑張った。プロとしての技と情熱をしっかり見せてくれたと思う。彼らが帰国する際にはリスペクトの思いを込めて、感謝と拍手で迎えたいものだ。

彼らの頑張りを見習って、今日は一日眠い目をこすりながらも、そのことを利用者に気取られないように、プロとしてしっかりとした思いを込めた仕事をしたいものだ。

僕たちも対人援助を職業としている以上、そこではプロとしての姿勢が求められるからである。家族と同じでは困るし、素人同然の状態で利用者に相対することは許されないのである。そのことをしっかり自覚してほしい。

僕たちの仕事は対人援助であるがゆえに、サービスの場に常に利用者の存在がある。その方々は単なるサービス利用者であるだけではなく、お金を支払ってサービスを受けてくれているのだから、サービス提供者にとって「顧客」である。顧客に相対して接する仕事が「介護」である。そこでは常にコミュニケーション技術が、言語・非言語両面で求められる。そのスキルを常に高めるプロとしての仕事をしているだろうか。プロとして意識を高めるために、コミュニケーションの方法にも気を使っているだろうか。

全産業を通じて顧客に対して、「ため口」がまかり通る職業は、保健・医療・福祉・介護の仕事以外にない。他の職業で顧客に対して丁寧語で話しかけるべきかということは議論にさえならない。それは極めて当然のことだからである。

そういう意味では、顧客に対し「ため口」で会話する職員が常にいて、丁寧語で顧客と会話することが課題になったり、善悪の議論になったりする介護事業とは、極めて異常な職業である。

その状態は、職業としての成熟度が低いと言われても仕方がないし、そうした「ため口」での顧客対応しかできない職員は、能力が足りていないと非難されてもよいだろう。品性を語るまでもないほど、どうしようもない能力の持ち主が多いという意味だ。そうした能力の人間でも、介護という職業について労働対価として報酬を得られる状態は恥ずかしいことである。そういう仕事しかできない人は恥ずべき存在である。

それは介護という職業が、施しという意識から抜け切れずに、真の意味での職業にまで成熟していないからかもしれない。いつこんな状態から脱して、介護が職業として成熟し、その仕事に従事する人々がポロとしての矜持を抱けるのだろうか。

それができない限り、介護の職業で得られる対価が、他産業で得られる対価より低いことはある意味当然とされ続けるだろう。

職業としての成熟度が低く、顧客対応さえ満足にできず、顧客に対してため口で接するという非常識な状況がまかり通っている介護という職業が、職業として成熟し、適切な顧客対応ができる他産業の平均給与よりも低いのは当たり前だと言われても仕方がないのである。

いわば現在の介護という職業の社会的価値は、「安かろう悪かろうサービス」の域を出ていない状態といえるのである。

すべての介護経営者が、このことに気が付いて、介護事業者における職員教育として、顧客に対するサービスマナー研修が定期的に行われ、顧客満足度と接遇を繰り返し検証するようにしていかないと、この状況からの脱却は難しいだろう。

経営者が自ら範を示し、顧客対応としてふさわしい言葉遣いが常にできるようにするのは当然で、その姿勢を管理職に求め、管理者職も各部門のリーダーに範を示したうえでそのことを教育し、従業員すべてにその姿勢を浸透させていくしか方法はない。

経営者の思いを伝える地道な職員教育と、それぞれの部門のリーダーにその範を示すことを職場のルールとしていかないと、一度乱れた言葉遣いはずっと変わることがないだろう。その改革には時間がかかるが、時間がかかるからこそ、変わった状態は財産となることを信じて、日々の努力とあきらめない姿勢が求められるのである。

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説得ではなく納得の職場改革が求められている


僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」に賛同してくれる介護事業経営者や管理職の方は多い。

しかしいざ職場で職員にその実践を求めても、その考え方がなかなか浸透せず、丁寧語で利用者と会話することが実践できずに利用者に対してため口で会話する職員がいなくならないと訴える人も多い。その中には、「口が酸っぱくなるほど、注意しているのに直らない」と嘆く人もいる。

しかし経営者や管理者の方々には、「口を酸っぱくして何度も注意している」という労力は念仏化して、実を結ばないことが多いことを知ってほしい。注意を受ける職員にとって、それは「また施設長の例の注意が始まった。」という程度の響きしかないから、何度も同じ注意を受けても行動変容につながらないのである。

行動を変える動機づけは、上司が言い続けることで生まれるわけではないのだ。

介護サービスの割れ窓理論」とは、職員が利用者に対してため口で接することはプロとして失格であると考えるだけではなく、言葉を崩すことが態度の乱れに通じるリスクを考えたうえで、日常的に丁寧な言葉で接することが、そうした行動の乱れを防ぐ効果があるとして、一定程度以上の介護の品質を担保する対策として実践しようという理論である。

それを業務の中で職員に実行させようとするならば、そのことをきちんと法人のルールとして定め、その法人に努める職員が遵守しなければならない義務であることを伝える必要があるのだ。

つまり業務の中で利用者に対して丁寧な言葉遣いをすることは、法人の憲法であって、法人の「常識」であることを、経営者や管理者が職員に向かって宣言しなければならない。

そのうえでその実行を職員に求めることは、「労務管理」の一環であるという意識を待たねばならない。

その際に経営者や管理者は、職員に対して説得するのではなく、納得できるように伝えることが求められているのである。当然、納得できる説明力も管理者の、「交渉術」・「交渉能力」として求められているという意味になる。

そしてそのルールを守ることは、労務管理上は職員の義務なのだから、それに納得できない職員や、それを実行できない職員は、信賞必罰の原理により、何らかのペナルティを与えられる必要も生ずるだろう。丁寧な言葉で利用者に接することができない職員は、昇格機会を失うとか、人事考課上のマイナス査定にするなどが具体策として考えられてよいものだ。

もともと職員が急に眼の色を変えて働きだすという人事制度はない。こうした言葉の改革も同様で、一人一人の職員に経営者や管理者の思いを丁寧に伝え、まずは幹部職員の実践の徹底から始めて、徐々に職場全体にその風土を広げていくという地道な努力が必要不可欠である。

何よりも職業を行う上で、利用者(顧客)に対するマナーは不可欠であるという教育が必要だ。

組織風土は、あっという間に悪化するが、よくなっていくのには時間がかかるのである。しかし時間がかかるからこそ財産になると考えてあきらめないことだ。

そうであるがゆえに、経営者や管理者は、部下に思いを伝える。丁寧に説明して、厳粛に実行する覚悟が求められる。さらにこうした風土をつくるためには、組織全体で外部の講師を招いた場で、学ぶ機会が得られることが有効な手立てとなる。

僕は法人単位のサービスマナー講習の講師も行っているので、そういう機会を持ちたいと考えている法人及び職能団体等の組織団体の方がおられたら、ぜひ気軽に講師依頼の相談をしていただきたいと思う。

組織の財産となるサービスマナーを創りあげるお手伝いをさせていただきたい。

繰り返しになるが、口を酸っぱくして説得することはあまり意味がないので、納得のための「学びの機会」をぜひ職場全体で持ってほしいものだ。

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新人が利用者にタメ口で話しかけている職場って哀しくないですか


4月も最終週を迎えている今、4月1日付で新任の辞令交付を受けた人たちは、今どの様な心持ちで利用者と相対しているだろう。

新人職員を見つめる先輩職員たちは、どのような目で新人職員の利用者対応を観察し、どんな指導をしているのだろうか。

初々しく新任の挨拶をしていた新人職員たちも、やっと仕事を覚えてきた時期だと思うが、新たな職場で希望を抱いていた時期の大切な気持ちを失っていないだろうか。日々の仕事に追われて、接遇に注意力を欠く新人に対して、先輩が適切に指導しているだろうか。心に余裕をもって、丁寧な言葉遣いに徹することが大事だと指導できているだろうか。このことが今後の介護事業経営に重大な影響を与えることに気付いている人が何人いるだろう。

最初は利用者に対して丁寧語で接していた新人が、日を追うごとに言葉遣いに気を使わないようになって、今では「ため口」が当たり前のような状態で、利用者と会話をしている状態になっていないだろうか。そのような状態を放置している管理者は、介護事業の管理能力を問われるだろうし、そのような状態を「不適切」と思わない職場には、顧客も人材が集まらずに、事業経営が困難とならざるを得ない日は確実にやってくる。しかもそれはすぐ近い将来の話である。

新人職員が、わずか1月で利用者に「ため口」で接するようになる職場は、新人を教育すべき先輩職員たちが、日常的に「ため口」で利用者対応している場合がほとんどだ。プロ意識がない職場といえよう。そういう職場で働くことが喜びにつながるだろうか。勤労意欲は維持できるだろうか。

新人教育研修で講師役を務める管理職が、利用者対応に関する丁寧な対応をいくら教育しても、実際の介護支援の場で、介護職員のタメ口・不適切対応を放置して、是正していない職場では、座学指導も管理職の訓示も、すべてお題目の域を出ない。お題目しか唱えられない管理者も管理職もいなくてよい存在でしかない。

そういう職場では、言葉の乱れが心の乱れに変わり、いつしか横柄な態度で、介護職員が利用者に接するようになり、そのことが日常風景となることによって、不適切な対応に気が付かなくなるという感覚麻痺が生まれる。

虐待は、こうした日常的な感覚麻痺が引き起こすのだ。事件・事故になってそれが大きな問題になってから、そのことに気が付いても遅いのだ。

例えば日常介護の場面で、介護職員が利用者に対して「ちょっと待ってね。」なんて言っている場面があるとする。その言葉は暴力的な表現とは言わないのかもしれないし、その言葉を発している職員に悪気はないのかもしれない。しかしその言葉は命令口調であるとされても仕方がないし、年下の介護職員が、人生の先輩である利用者に対して、そのように声をかけることは適切とは言えない。場合によってそれは「言葉の暴力」と指摘されても仕方がない。

少なくともそうした言葉かけは、顧客に対する言葉かけとしては適切ではないだろう。

時に人は、他人の言葉を刃と感ずる生き物だ。対人援助の場では、身体等にハンデキャップを持つ利用者が、誰かの支援を受けるのだから、その心には常に「負い目」が存在する可能性がある。その負い目が心をデリケートにさせ、何気ない一言に傷つきやすい状況をつくるのだ。

そうであるがゆえに、対人援助に携わる者には、そのデリケートな心を思いやるという配慮を身に付けて関わるという心構えが求められている。それも介護職の専門性の一つと考えてよいのではないか。

李下に冠を正さず」という言葉があるように、人の暮らしに寄り添う我々の職業では、暴力的な言葉・暴言と思われかねない誤解されるような言葉を、日頃から使わないようする心がけが大事だ。それは少しでも人の心を傷つけかねない要素を排除するという心がけである。

堅苦しさを感じさせないようにフレンドリーに言葉を崩すことも誤解を受けるリスクが高い。そもそも親しみやすさを示すために言葉を崩すのは間違っている。適切かつ丁寧な言葉遣いでも、真心は伝わるはずだからである。

介護サービスを必要とする顧客層は、今後団塊の世代の人々が中心となる。それらの人々は日本の高度経済成長を支えてきた人たちで、顧客対応や、そのためのサービスマナー・ビジネスマナーに敏感な人がほとんどだ。

顧客に対して従業員がタメ口で接せることを簡単に許してくれる人達ではない。

同時にそれらの人々は、サービスマナーに敏感であるがゆえに、自分が介護を受ける立場に立って、介護してくれる職員に遠慮して、自分に対する「ため口」に我慢すざるを得ない状況に陥った際に、誰よりもその言葉に傷つく人々でもある。そんな人たちをたくさん産んでしまうのが、言葉遣いに配慮のない介護事業者である。

我々の職業を、我々の職場を、そんな悲しいものにしてしまってよいのだろうか。

わずかひと月の間に、新人職員が利用者に対して、日常的に「ため口」を使っている職場は、このことを今一度考えてほしい。そのことに問題意識を持ってほしい。

そんな状態を良しとする職場には、志の高い人が募集に応募しなくなる。人材が集まらなくなるばかりではなく、人材はどんどん離れていく。そのために事業経営も困難になるのが、団塊の世代が全て後期高齢者となる2025年という区切りの年だ。それはもう目の前である。

今後の介護事業経営において求められる意識は、事業継続のための顧客確保と職員確保のためには、職員のポスピタリティの意識を育てることが最重要となる。ポスピタリティの基盤は、サービスマナーであり、マナーは、社会人として己が存在するための基本姿勢である。

筆者が主宰する、「北海道介護福祉道場 あかい花」では、今後室蘭登別地区を中心に「介護事業におけるサービスマナー研修」を開催していく予定である。このことをテーマにした研修を希望される方は、講演依頼のメールを送っていただきたい。

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丁寧語が固苦しくて、利用者との壁になるという誤解


丁寧語で利用者に接すると、自分と利用者の間に壁ができると思い込み、わざわざ言葉を崩している人がいます。

崩した言葉で伝わるものは、親しみやすさではなく、馴れ馴れしさだけです。それは時に相手にとっては無礼で、不快な言葉にしか過ぎなくなります。

介護サービスの場では、利用者が職員の無礼で馴れ馴れしい言葉遣いに不快を感じても、遠慮して言い出せない人が多々存在します。そんな場面が多々あります。認知症が原因で、苦情を伝えられない人も数多くいます。

そういう人たちにとって、崩した言葉は時に刃(やいば)にも等しいものです。

認知症の人は、どれだけ長く付き合いがある介護職員でも、毎日その職員の顔を忘れてしまいます。それらの人にとって、職員の側が慣れ親しんだ利用者であると思っていても、利用者にとってその職員は初めて会う人です。そんな見ず知らずの初対面の人が、自分に向かって馴れ馴れしいタメ口で言葉をかけるとしたら、自分を馬鹿にしているのか、喧嘩を売っているのではないかと感じます。どちらにしても、そのような言葉かけは、不快この上ないものだと思うでしょう。自分を攻撃していると勘違いするのも当然です。

つまり言葉を崩して生まれるものは、深い谷なのです。

利用者と職員の壁を崩すような結果は生まれません。そもそも丁寧な言葉をかけることにおいて、利用者と職員の間に壁など生じないのです。汚らしいタメ口による声掛けとは、利用者と職員の間に暗くて深い谷をつくって、場合によってはその谷に、利用者を突き落とすことなのです。

言葉を崩して親しまれようとしたとき、どこまでの崩れが親しみにつながり、どのレベルを超えたときに、相手に不快感を与えるかという線引きなど不可能なのです。線を引くとしたら、お客さん様に接する際にとって良い態度であるか、使ってよい言葉であるかというところしかありません。

言葉を崩した先に生まれるものは、利用者と職員の親しい関係ではなく、言葉を崩した側の思い込みから発生する感覚麻痺に他ならないのです。タメ口を利用者が喜んでいるという勘違いから、自らの不適切さを気付きにくくさせる感覚麻痺がどんどん広がって、人を小ばかにして不快にさせ、人を傷つける行為さえ見えなくする感覚麻痺なのです。

利用者をお客様として認識して、接客として正しい丁寧語で接することは、利用者と職員の間に壁を作ることにはなりません。対人援助であるからといって、対価をいただき職業として利用者に接している以上、お客様に接するプロとして相応の対応が求められるのですから、丁寧語はプロの技を示して、お客様に信頼感を抱いていただくツールです。それを示すことにほかなりません。

どうぞ正しい丁寧語で、利用者の皆様を護る介護従事者でいてください。

2月24日(土)と25日(日)に、福岡と岡山で行うセミナーは、こうした感覚麻痺につながる、言葉の乱れの恐ろしさを具体的に伝えるセミナーです。過去に同じ内容で行ったセミナーで、多くの介護従事者の方々が、間違いに気づいて、職場の中で言葉の改革に取り組んでおります。介護事業経営者の皆様には、是非職員さんが間違いに気が付くように、このセミナーへの参加機会を与えていただきたくお願い申し上げます。

正味5時間この内容でお話しするセミナーは、今回の福岡と岡山で終了します。是非この機会をお見逃しがないように、よろしくお願いします。

下記の案内を参照してください。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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新・藤ケ谷明子さんの切れ味


明日、15:00〜行われる第157回社会保障審議会介護給付費分科会(参照:開催案内)において、介護報酬改定に向けた諮問・答申が行われる予定であるが、報酬単価が示されるのは、さらに1週間後の26日にずれ込むそうである。

どちらにしても明日以降、12月に示された平成30年度介護報酬改定に関する審議報告の変更点などがないかどうか、確認作業が続くので、その前の今日までに、現在抱えている連載原稿を仕上げておこうと、昨日からずっとデスクにかじりついて執筆作業を続けているところだ。

幸い今月中に書き上げてしまわねばならない原稿は、ほぼ書き終えて、あとはじっくり推敲するだけである。すべて〆切に間に合いそうである。

そんなふうに現在僕は、業界紙やインターネットで連載を7本抱えているが、その中でも一番長く連載を続けているのは、僕の執筆本人を語らずして介護を語るな」シリーズや、介護の詩〜明日につなぐ言葉の出版元であるヒューマン・ケア・システム社の季刊誌「シニア コミュニティ」である。

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連載がいつ始まったのか記憶にないほど前から執筆を続けている。その年月はゆうに10年を超えているだろう。

執筆陣のなかには、日ごろからお世話になっている、「介護・福祉系法律事務所 おかげさま」の外岡 潤弁護士もおられて、「弁護士直伝!介護トラブル解決塾」を毎回愛読しているところだが、もう一人、毎回そのコラムを楽しみにしている人がおられる。

それはジャーナリストの藤ケ谷 明子氏である。彼女のコラムについては5年前に「藤ケ谷明子さんの切れ味」という記事を書いて、このブログでも紹介させていただいたが、5年経ってもその切れ味が鈍ることなく、毎回鋭い指摘で勉強させられているところだ。

シニア・コミュニテイ1・2月号(最新号)で、藤ケ谷氏は『自立支援を妨げる「はじめの一歩」の踏み違え』というコラムを書かれているが、これがまた鋭くて、読みごたえがある。

氏はこの中で、「自立支援とはそれほど難しいことなのだろうか」と問いながら、利用者に対して、いわゆるタメ口で話す施設職員やヘルパーがいると指摘したうえで、そのタメ口の具体例を示している。そして高齢者に幼児向けの言葉で話す輩がいることは、世間ではありえないと指摘したうえで、返す刀で『粗雑に扱われた言葉が飛び交う中で「自立」に向かうことができるのだろうか』と問題提起している。

さらに、「言葉を使えない者に引退勧告を」として、「凶器」と呼ばれる「言葉」を軽視する現場に人を支える資格はないとし、ぶった斬っている。

強い言葉が随所に使われているが、氏の育ちの良さがわかる上品な批判文となっており、僕のように乱暴・下品一辺倒ではないため、決して気分が悪くなる内容でもなく、何とも気持ちの良い文章である。

詳しくはシニアコミュニティ1.2月号から、同氏の連載コラムを読んでいただきたい。

多くの読者の方が気づいたであろうが、その内容は僕が日ごろ提唱している、「介護サービスの割れ窓理論」と共通するものではないかと考える。

利用者の暮らしと尊厳を護るというなら、粗雑な言葉や幼児言葉がそれを阻害することに気が付かねばばらないし、自立支援を建前ではなく本年の介護実践とするためには、高齢者の自立を支える丁寧な言葉が必要であることを、あらためて意識するきっかけになるだろう。

それができない人は、今後も藤ケ谷さんの切れ味鋭い文章で、どんどんぶった斬られてほしいものである。
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言葉を正しく使うのはコミュニケーションスキル


僕は今、島根県浜田市での講演を終えたところである。昨日の松江講演と合わせて、たくさんの方が会場に足を運んでいただき感謝である。初めての島根講演は、思い出がたくさんできて、実のある旅となった。関係者や受講者の皆様に感謝申し上げたい。

これから昼食を摂った後、8日ぶりに自宅に帰るため、出雲空港から羽田経由で北海道に向かう予定だ。今回の旅は、島根講演だけでなく、銚子や飯田橋、名古屋でたくさんの出会いがあった。本当に良い旅だった。

そんな旅の中で、印象に残ったエピソードを少し紹介したい。移動中の車内であわただしく記事更新しているので、まとまりのない文章になるかもしれないことをご了承願いたい。

来年度からの介護報酬はプラス改定であるものの、財政事情からその引き上げ幅は小幅で、かつ人件費アップに対応するための引き上げだから基本サービス費は増えない。

つまり介護事業者の収益アップにつながる引き上げではなく、事業経営者には厳しいものとなる。その中で収益を挙げて、職員に適切な報酬を手渡しながら事業を継続していくためには、顧客単価は増えないことを前提にした経営戦略を立てていく必要があり、顧客の数を増やし、加算を確実に算定していくしかない。

そんな中で、介護サービスを利用する人は、団塊の世代の人々が中心になっていくが、それらの人々は日本の高度経済成長を支えてきた人々で、企業人として、商売人として、日本の経済の中心に位置してきた人々であり、年上の人は目上の人であるという、年齢への崇拝、年齢での上下関係にうるさい人たちである。

そうであるがゆえに、介護事業者は団塊の世代の人々に選ばれるサービスを創っていかねばならない。

しかもそれらの人々はスマートホンやタブレットを使いこなせるのだから、いずれ介護サービスは、ネット上の口コミ情報等で選ばれる時代になってくる。そこで求められるサービスは品質の高い介護サービスであり、それはホスピタリティの精神を持つ職員によって提供されるサービスである。しかし適切な言葉遣いをはじめとした、サービスマナー精神のない職場にはホスピタリティの心など生まれない。

そういう意味で、言葉遣いを正すことができない職員が存在するということ自体が、大きな介護経営リスクである。

僕が先週、土曜日の東京と、日曜日の名古屋で行った日総研セミナー・介護の誇り 出版記念セミナー、「高感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない介護サービス質向上の具体策」 では、そのことも主要テーマとして話させていただき、職場全体で言葉遣いや利用者対応を変えなければならない意味と、その具体的方法をお話しして、多くに皆様に共感を得た。

そんな受講者の方の中には、いくら言葉遣いを注意しても直すことができない「古株職員」の悩みを抱えている人がいて、それらの人が変わるためにぜひ協力してほしいと、講演を依頼されることもありる。そうした場合は、喜んで協力したいと思う。いつでも気軽にmasaの講演予定に書いてあるメルアドや携帯電話番号に連絡をいただければ相談に乗らせていただく所存である。

そうした古株職員に、管理者として上司として、いかに対応すべきか。どうしても言葉を正すことができない職員の職場での扱いをどうすべきか、僕なりの考え方を示している。

東京と名古屋で、合わせて50人ほどの皆さんにセミナーを受講していただいたが、次は12/9(土)仙台市のショーケー本館ビルでのセミナーとなる。

東北の皆さん、是非会場までお越しくださり、一緒に介護のスタンダードを変える取り組みを始めましょう。
12/9(土)に仙台で介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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職場改革のキーワードは、鉄は熱いうちに打て


どんなに屁理屈を唱えても、介護という職業で「生活の糧」を得ている人は、介護のプロとしてその職業にかかわらねばならない。職業としてかかわる以上、そこでサービスを利用する方々は、単なるユーザーではなく顧客である。その職業を通じて金銭対価を得るプロであるなら、顧客に対しそれ相応の礼儀と信条が必要だ。

介護のプロとして顧客に接することができないならば、そこで生活の糧を得ることは許されない。そういう人は介護の仕事を辞めるべきである。

利用者に対して「ため口」でしか会話ができない職員は、介護のプロとは言えない。しかも日常的にため口でしか利用者に接することのできない人の姿は醜い。介護の職業を誇りに思い、天職と信じてそれに携わっている人々にとって、ため口でしか利用者に接することができない人々の姿は、ストレスでしかない。どうしてその醜さ、恥ずかしさに気が付かないのだろうかといつも苦々しい思いで、そういう人々の姿を見つめていることだろう。

しかしなかなか言葉遣いを改めようとしない人が数多くいることは事実で、そういう人々の心無い言葉によって、深く傷つきながら、その思いを誰にも訴えられない利用者が、介護サービスを使う利用者の中にたくさんいることも事実だ。そういう人々は自らの心を殺して、死ぬまで我慢し続けなければならないのだろうか。

言葉遣いに鈍感な人々は、そんなふうに社会の片隅で泣きながら生きる人が存在することをどう思っているのか?介護を職業としている以上、ため口で親しみやすさを表現するのではなく、丁寧な言葉を使いこなして、親しみやすさを伝える技を持つべきである。

そういう意味で、介護の達人と呼ばれるW.Yにしても、M.Hにしても、どんなに良い方法論を伝えたとしても、彼らの醜い言葉遣いを真似する輩がなくならないという結果責任において、その罪は深い。

ところで、職場全体で言葉遣いを正しくしようと取り組んでいる場所でも、なかなか全員がその方向を向かず、何度注意してもその場ではうなづくが、日常会話からため口をなくせない人がいたりする。

職場のルールはわかっているが、なぜそうしなければならないのかという根本が理解できないという理由と、言葉を変えて何が変わるのかが理解できないことと、言葉を改めるモチベーションが高まらないのが理由である。

言葉を変えるというきっかけが必要なのである。言葉を改めようとするきっかけがないと、真剣に変わろうとしないのである。

だからそういう人に対しては、熱い心が湧き上がるような様々なエピソードを示しながら、言葉を変えることで、ため口をなくすことで、何がどう変わるのかを伝えないとならない。そういうことを伝える旅を続けているのだが、その話を聴いてくれた方々が、職場の仲間に伝達しても伝わらない職員が幾人か出てきて、伝わったと思えた職員のモチベーションもいつのまにか下がってしまうということがある。伝達する人の熱い思いがなかなか伝わらないというジレンマもあるだろう。

大きな改革のためには、大きなキッカケが必要で、その中で全職員の熱量を一気に高めて、その勢いで一気に改革を推し進めるということが求められたりするのだ。

そうであるがゆえに内部研修で、職員全員を一堂に会して、その中で一緒に熱を上げながら伝え、その熱が冷めないうちに改革を実行し始めるという機会は必要なのである。

昨日から僕は6泊7日の講演の旅に出ているが、昨日は千葉県銚子市の特養さんを会場に、その法人さんの職員研修で話をさせていただいた。夜勤者以外全員が参加したいということで、夜7時から9時までの講演であったが、そこには来春就職予定の介護福祉士養成校の学生4名も参加していた。みなさん最後まで熱心に話を聴いてくれて、質問も複数あった。このような機会を持つことができる職場の職員さんは幸せだろうと思う。きっとこの法人さんは、サービスの質をさらに高めて生き残っていく法人となるだろう。

この人材難の時代に4名も就職予定の介護福祉士養成校の新卒者が一緒に受講していることでもそれはよくわかる。

このように法人・施設単位の講演もお受けしているので、職員に熱い想いを抱かせて、介護の品質を向上させたいと思う方は、是非お気軽に相談いただきたい。相談は僕の講演予定のページから、メールもしくは電話でいつでもお待ちしています。
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サービスの基礎となるマナー教育


介護サービス事業以外の他産業から、介護業界に転職した多くの方が、介護業界の人々の言葉遣いに違和感を抱く。

顧客である利用者に対して日常的に、「ため口」で話しかける職員が多いことに対して、いったいどのような基礎教育を受けているのかと疑問を口にする人が多い。

しかしそんな思いは、介護業界以外の職業を経験したことのない人も同じく持つ思いであり、上司や同僚や部下の、利用者に対するため口に心を痛めている人たちもたくさんおられる。

しかしいったん言葉が乱れた職場において、言葉遣いの改善を図ろうとしても、なかなか全員の言葉遣いが正されず、結局一度良い方向に向かいそうになっても、利用者に対する言葉遣いを正そうとしない職員によって、全体が低きに流れて、元の木阿弥の状態に戻るという例が枚挙にいとまがない。

言葉を正しく使うことが感覚麻痺を防ぐ唯一の方法であること、利用者との会話における言葉遣いは、「丁寧語」を基本とすることが介護のプロとしての基本姿勢であることを、「介護サービスの割れ窓理論」として常日頃から主張している僕の講演を聴いた方からも、「どうしたら言葉遣いの改善が図れるでしょうか?」という質問を受けることがあるが、それに対して特別な処方箋や、特効薬は存在しない。

言葉遣いはプロのサービスマナーとして当然正されなければならず、それはサービスの品質を司る基盤であることを事業管理者が自覚して、覚悟を決めて、言葉の改革に努めなければならない。

事業管理者自身が、職員の手本となる言葉遣いをすることは当たり前であるが、同時に介護サービスという場のピッチに立つ職員の中で、リーダー役を担う職員には、徹底的に言葉の改善の大事さを理解させ、ピッチに立つリーダー自身も、利用者に対しては常に丁寧語で会話できるスキルを身につけさせて、言葉遣いに問題のある職員に対しては、叱ることを恐れない態度を身に着けさせるべきである。

その際の覚悟とは、どうしても言葉遣いを改善できない職員は、「必要ない」という決断を伴う覚悟である。人手不足など、様々なことを理由にして、この部分の妥協を許してしまう職場では、言葉の改善は掛け声倒れに終わってしまうだろう。

これからの介護事業においては、全サービスにおいて、安定的に顧客を確保するという必要性が高まる。そんな中で、権利意識の強い団塊の世代以降の高齢者がサービスを選ぶ際に、サービスの質が一番重要になる。ただ単にサービス提供できるだけではなく、どの部分でサービスの質を差別化するかが問われてくるが、自分の身を預けて身体に直接影響を受けるサービスであればあるほど、コマーシャルベースでよいことを謳っても、実質が伴わないところに顧客は張り付かない。

建物や宣伝文句が立派でも、やぶ医者にかかりたい人はいないのと同じことである。

その際のサービスの質とは、介護サービスに限って言えば、基本サービスができることは当たり前である。例えばオムツ交換ができない介護施設はないだろうし、排泄ケアができない介護職員もいないだろう。しかしそうした羞恥心が伴う部分の介護の際に、いかにその羞恥心に配慮しながら、プライバシーと尊厳を護るかという部分になると、それは介護技術や知識にとどまらない問題で、そこに一人一人の職員にいかに、「心からのおもてなし」=ホスピタリティの精神が存在するのかという問題になる。

しかしその精神は、「持ちなさい」と指導して湧き上がってくるものではなく、日ごろの心配りの延長線上にしか存在しないものなのである。

そうした心配りは、プロとしての矜持がない場所には存在しなくなる。そうした矜持は、サービスマナーの存在しない場所には生まれてこないものである。そうしたサービスマナーの基盤となるものが、利用者に対する正しい言葉遣いであり、その乱れは介護現場では常に割れ窓を広げるリスクになるだろいう。

そういった意味では、事業を立ち上げる時に、しっかりと職員教育を行い、お客さまである、介護サービス利用者の皆様に対して、普通に丁寧語で日常会話ができる職員を配置するというのは、今後の生き残りの事業経営として、必要不可欠であるともいえるわけである。


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