masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

地域包括ケアシステム

地域包括ケアを実感していますか?


はっきり言うが、登別市にはいまだに地域包括ケアシステムは存在していない。少なくとも登別市の住民が、その存在を実感しているという事実はない。

昨年の6月にも、「登別市に地域包括ケアシステムは存在しておりません」という記事を書いて、そのことを指摘しているが、その状況から登別市は一歩も進んでいない。

にもかかわらず市の担当者は(市社協)、他市の研修会などで、登別市が地域包括ケアシステムの先進地であるかのようなレクチャーをしていると聴く。

地元の市民に、登別の地域包括ケアシステムのビジョンや実施状況の説明が行われていないのに、他市でそのような幻想的な話をしてどうなるというのだろうか。住民不在の地域包括ケアシステムに何の意味があるというのだろう。

そもそも地域包括ケアシステムとは、ニーズに応じた暮らしの場が提供されることが前提になっており、心身の状態に応じた、「住み替え」意識が、住民自身や地域住民を支援する関係者の間に意識として浸透しておらねばならない。そんな意識は全く浸透していないし、他市で地域包括ケアシステムを語っている当事者にその意識があるのかさえ疑問符が付く。

そして住み替えが行われた先には、医療や介護のみならず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが、「日常生活圏域」の中で適切に提供できるような地域での体制を構築されていることが前提なのに、そんな体制はどこを見回してもない。

地域包括ケアシステムが作られていれば、一人暮らし高齢者や虚弱な長寿高齢者、認知症高齢者を地域(住まい)で支えているという結果が出されていなければならない。そして死ぬためだけに入院しなくともよい結果が出されていなければならない。

登別市ではそんな結果が出されているケースは極めて少ない。

結果が出ないのは何故かということは、本来地域包括ケアシステムの肝と言ってよい、「地域ケア会議」で検討されなければならない。地域ケア会議で個別ケース検討を行ったうえで、課題解決が困難となっている原因となっている、「地域課題」が抽出され、その課題快活に向けたソーシャルアクションが行われる必要がある。それさえも行われていない。地域ケア会議がお飾りになっている登別市が、地域包括ケアシステムを構築しているなんて口が裂けても言えない。

例えば、登別市には在宅療養支援診療所がないため、お隣の室蘭市の在宅療養支援診療所がカバーする地域でしか、「在宅での看取り介護」の体制が組めないという課題もある。そもそも24時間巡回サービスをはじめとした、夜間対応の訪問介護がないために、一人暮らしの要介護高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けることが難しいという課題もある。

そうした課題を地域住民や関係者に明らかにして、何らかのアクションにつなげようとする対応が行われているかと言えば、それは全くない。

地域課題も抽出せず、地域住民の暮らしぶりが豊かになっているという結果も出していないのだから、登別市の社協職員などが他市で、あたかも登別市が地域包括ケアの先進地のごとく語っている姿は恥でしかない。頼むからやめてくれ。

地域包括ケアシステムを語るのならば、地域包括ケアシステムとは何かという概念と、それによって何ができるのかというビジョンを自身の口から、自身の言葉で語る程度にはなってくれと言いたい。そうした勉強もしていない人間が、地域包括ケアという言葉を口にするなと言いたい。何をか言わんやという心境である。

それにしても登別市だけではなく、他の市町村でも行政職員が声高らかに叫ぶほど、「地域包括ケアシステム」が存在していることを実感できない地域は多いのではないだろうか。そもそもこの言葉が浸透しているのは、制度改正や報酬改定の目的として、地域包括ケアシステムの構築・深化と語られるためではないのか。

実態がなくともその言葉を使えば、国民の痛みを伴う負担増や給付抑制も、すべて正当化さえる傾向にある。だから地域包括ケアシステムという言葉と文字だけが先行して、実態が伴わないのではないだろうか。

本当に空しい、「地域包括ケアシステム」である。

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他職種を理解する前に他人を理解してほしい


社会保障制度改革が進められる中で、医療・福祉制度改革の方向性とは、本当に必要な人のみが医療機関に入院し、早期治療したうえで、できるだけ早く医療機関から退院して、それぞれの居所(介護施設を含む)で暮らし続ける社会を目指すものである。それが「地域包括ケアシステム」である。

そこでは医療サービスから、介護サービスへの付け替えが進められ、生活の場に医療が深く介入することになり、医療・介護双方のハイブリッド化が進められるのだから、保健・医療・福祉・介護という領域を横断した多職種連携の必要性が高まるのは当然の帰結と言える。

そのような中で、多職種連携の基盤づくりのための研修会も全国各地で行われている。特に連携に必要な、「協力・協調」を促すために、「他職種を理解する」というテーマで講演等が行われることが多くなったような気がする。

それは悪いことではない。大いに他職種を理解するように努めていただきたい。他職種や他領域のことをまったく知らないと、所属意識の弊害が発生して、思考が自分の専門領域のみの利益に偏る恐れがあるのだから、他職種の役割りや思いを理解しようとすることは大事であることは疑いようのないことだからである。

しかしその前に、同職種の間での理解や協力はできているのかということも考えていただきたい。

多職種連携を阻んでいるのは、本当に職種間の意識の違いなのだろうか?同職種間の理解は十分進んでいるのだろうか・・・。どうもそうではないと思える場面にしばしば出会うことがある。同職種とはいっても、地位や立場で考え方やすべきことは異なってくる。この違いも理解していないと、本当の意味での協力や連携はできない。

典型的なのはユニット型施設における、「施設内民族主義」である。

同じ施設内であっても、所属チームごとにサービスの質を高めるための、施設内競争が行われるのは極めて健全な姿ではある。しかしそれはあくまで競争によって、施設全体のサービスの質が上がるという目的を、全職員が意識して行われる、「緩やかな内部競争」であるべきだ。

チームメンバーの力を引き出すためには、協力するだけではなく、競争意識によってメンバーそれぞれのスキルアップが図れることも重要になってくるのだから、メンバー全員が目的と目標を分けて理解しながら、同じ目的に向かってお互いのパフォーマンスを高めていく必要がある。

だからこそ競争に勝つことだけを目的にして、自分が所属しないチームの誰かの足を引っ張って、他のチームの競争力を低下させることで、自分たちが勝者の立場に立つという、「弱肉強食のシャレにならない生存競争」であってはならないのである。

しかしチームが異なり、それぞれのチームの競争意識がおかしな方向に進んだとき、自分のチームさえよければよいという目的と目標を見失った考え方が生まれる。そこではあたかも近親憎悪のごとく、同職種間の対立の方が、異職種との対立よりも激化することがある。

そうなってしまっては全体としてのチームケアは成り立たず、同じ事業者の中で独立国家が乱立し、対立が繰り返される中で、それぞれが疲弊し、生産性は低下の一途をたどらざるを得ない。だからこそ目的が達せられない理由は、職種間の意識の差であるのか、職種とは関係のない場所での対立なのかということを見極めていく必要がある。それなしにはますます複雑化する社会構造の中で、対人援助という極めて個別性の高い援助は成り立たなくなる。

対人援助の本来の目的を達するためには、他職種の理解というより先に、自分以外の他人を理解しようとする姿勢が求められる。他のメンバーの役割りや思いを理解しようとしない限りチームのパフォーマンスは上がらないし、課題解決には結びつかないからだ。それは自分自身が使命を果たせないという意味なのだから、チームケアが不可欠な領域において、チームメンバーを協力者として理解する態度がない限り、プロとしての責任は果たせなくなる。

それは即ち、対人援助という仕事に向いていないという意味である。

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絶滅危惧職種の懸念で基盤が揺らぐ地域包括ケアシステム


地域包括ケアシステムとは、地域住民が心身の状態に応じた住み替えを促進しながら、地域で暮らし続けることができるための体制を言う。

住み替え場所は個々の状態に合わせて、バリアフリーに改築した自宅であったり、サ高住であったり、有料老人ホームであったり、グループホームであったり、特養であっても良いわけである。

つまり地域包括ケアシステムにおいては、介護保険制度上の居宅サービスとか施設サービスとかの枠を超えて、居住系施設という枠組みを含めて、「住まい」と考える必要があり、そのうえでその人に最もふさわしい住まいとはどこかという視点から、「高齢期の生き方」を考えることが求められているのだ。

その住まいのうち、特養やGHや特定施設ならば、住まいに介護がセットで提供されることになるが、自宅やサ高住、住宅型有料老人ホームであれば、介護が必要になった場合、外部のサービスを利用することになる。その際に訪問介護は非常に重要なサービスとなることは言うまでもない。しかしその訪問介護が提供できなくなるのではないかという大問題が生じている。

全国労働組合総連合(全労連)が4月24日に公式サイトで公表した調査結果では、訪問介護を支える介護職員のうち20代は1.0%しかいないと報告されているのである。(参照:介護労働実態調査報告書

その報告書の数値を下記のように図表化してみた。

訪問介護員の年代別分布図:出典は介護労働実態調査報告書
訪問介護員の年代別分布
この調査は1897人の抽出データとのことであるが、訪問介護員の全体の平均年齢は55.5歳である。しかも50歳以上が全体の73.0%を占めており、20代は1.0%という現状は、近い将来訪問介護サービスを提供できなくなる地域が出てくることを表しているように思う。

訪問介護というサービスの難しさは、それぞれ個性の異なる利用者の、「家庭」という最もプライベートな空間に入ってサービスを提供しなければならないことである。その環境に馴染んで、利用者と密室で1対1の関係で向かい合う能力も求められる。

施設サービスならば、OJTを終えた後であっても、同じサービスの現場に先輩職員が複数いて、疑問点を聴いたり見たりして解決できるが、訪問介護の場では、OJT等の研修期間を終えた後は、まさに「ひとり立ち」が求められ、誰にも頼ることのできない難しさがある。また身体介護と生活援助をセットで提供できなければならないために、家事能力のない人には向かないという問題もある。

そのためある程度の経験があり、家事能力も高い、一定の年齢以上の人がこの仕事に就く傾向にあることは事実だが、50代以上の年齢層が7割も占める仕事というのは異常である。これはすでに絶滅危惧職種というしかない。

そうすると近い将来(というか数年後:10年以内)に訪問介護サービスが足りなくて、サービス提供できない地域が出てくる。そのことで地域包括ケアシステムは崩壊するかもしれない。

そうしないために、59時間の新研修を受けることで生活援助に特化したサービス提要ができる新たな資格を創設したり、地域によっては元気高齢者のボランティア機会を増やすなどの施策を取ろうとしていたりするが、これは訪問介護サービスを益々低賃金化させ、訪問介護の職業そのものを底辺化するという側面を持っている。そうなると若い男性は、訪問介護という職業をますます選ばなくなる。

しかも元気高齢者というボランティアに頼らねばならない地域包括ケアシステムとは、その基盤は脆弱そのものであるとしか言いようがない。それはいつ崩壊してもおかしくないという意味だ。

そもそも個人の家庭で、身体介護と家事の両方を提供する職業は、もっとも専門的な職業と考えるべきで、それが絶滅危惧職種になっている原因は、安易な訪問介護費の引き下げによって、将来の不安と相まって、訪問介護では食っていけないと考える労働者の不安が増大しているからに他ならない。

その不安を解消しない限り、訪問介護という職業に就く人はいずれいなくなるだろう。いたとしても、訪問介護に就こうかと思う人の多くは、現役をリタイヤした元気高齢者が占めることになって、重度の要介護者の身体介護ができない訪問介護員が大半になる。

この構造を変えて、訪問介護サービスが安定的に提供されて、地域包括ケアシステムが安定できるためには何をしたら良いのだろう。

本来国民の命と暮らしを護るべき責任と義務は国家そのものにあり、この部分に掛けるべき費用に無駄金や死に金は存在しないはずなのに、財源論が幅を利かせて、介護給付費の増加が悪の権化であるかのような印象操作がされ続けている現状で、この問題を解決できる方策は生まれないと思う。

そうであればこのサービスを失くさないようにする唯一の方策とは、訪問介護サービスを民間営利事業として存続させていくのではなく、市町村の公益事業とし、市町村に実施義務を課すしかないのではないだろうか。

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今だからこそ確認してほしい地域包括ケアシステムとは何かということ


地域包括ケアシステムという言葉を知らない介護関係者はいないと思います。

しかし改めて、「地域包括ケアシステムとは何ですか?」と質問を受けたときに、瞬時にその答えを出せますか?瞬時にその答えが浮かばなくとも、じっくり考えて自らの言葉で第3者に説明することはできますか?

答えられたとしても、あなたのその答えは、介護関係者ではない一般市民の方が聴いて理解できる説明になっていますか?

一般市民に説明しても理解されないものであるとしたら、そのシステムは本当に存在していると言えるのでしょうか。

あなたがイメージする「地域包括ケアシステム」を言葉で説明したとき、医療関係者とその考え方を共有できますか?

立場の異なる関係者が様々なイメージを持っているとしたら、それは共通項のないシステム理解でしかありません。そのような状態で、どのようにして協働ができるのでしょう。目的と目標をどう共有できるというのでしょう。

ですからいま改めて職場で、仲間内で、それぞれが抱いている「地域包括ケアシステムとは何か。」という概念理解を確認しあってほしいのです。ただしそこで概念確認だけで終わってはなりません。そのシステムはそもそもなぜ求められているのか、そのシステムが目指しているものは何かということも確認しておかねばなりません。それが一番の問題なのですから。

間違ってはならないことは、地域包括ケアシステムを構築することは目的ではないということです。システムはあくまでその先の結果を生み出すための方法にしか過ぎません。地域包括ケアシステムを構築することによって、そのシステムが有効に機能することによって、どんな地域社会ができると考えられているのか、その目指す結果をきちんと見据えて、すべての関係者がそのことの考え方を共有する必要があるのです。

そうしなければ多職種連携や多職種協働は、掛け声だけで実体のないものになります。だって目的意識が異なっていたり、微妙な温度差がある中で、協働作業も連携もあり得ないではないですか。意識が別々だけれどチームを組んで一緒に働いているという状態は、それぞれが別の軸の上ににって、バラバラに動いているに過ぎないのです。

多職種協働のチームを組んで成果を挙げるには、目的と目標をしっかり分けて考え、チーム全員がそのことを理解して物事に対処する必要があります。しかしシステム概念の理解があいまいなままでは、目的や目標もぼやけてしまいますよ。ここはしっかり理解するように努めましょう。

31年1月29日(火)13:30〜17:00、松戸市市民会館(千葉県松戸市)で行われる、「松戸市明第2東地域包括主催・介護支援専門員資質向上研修」で行う2講演のうち、前半の(講演機砲蓮◆最期まで自分らしく住み慣れたまちで暮らしていくために〜今さら聞けない、地域包括ケアシステム〜』というテーマです。そのテーマは事務局の方から頂いたものですが、とてもタイムリーなテーマだと思います。

なぜなら地域包括ケアシステムという言葉がすっかり根付いているのに、そのことの概念があいまいになりつつあるのが、今この時期だからです。関係者の中には、その意味を理解しないまま、言葉だけを使っている人もいます。

そのため松戸市の講演では、地域包括ケアシステムとは何かについてしっかり伝えながら、地域包括ケアシステムによって作りたい仕組みとは何かを明らかにしたうえで、関係者に求められる役割と、具体的に求められる行動を明らかにする予定です。

どうぞご期待ください。参加希望の方は、張り付いたリンク先から申し込みください。まだ間に合います。

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問題視されるべき地域包括支援センター職員の資質差


11日に初めての香川講演を高松市で行った。講演会場では受講者の皆様が熱心に聴いてくださったし、その後の分科会では貴重な実践発表を聴く機会をいただき、僕自身が非常に勉強になった。

さらに講演前後に様々な方からの温かな人情に触れることができてとてもありがたかった。そんな香川県にまた呼んでいただける機会があればよいな〜と思っていたら早速オファーがあり、来年6/19に高松市内で講演を行うことが決まった。主催は香川県福祉事業協会さんである。香川の皆様、半年後にまた高松市で愛ましょう。(参照:masaの講演予定

ところで北海道はいよいよ本格的な冬に入ってきた。

僕は昨日北海道に戻ってきたが、新千歳空港は降雪のため2本の滑走路のうち1本が使えない状態で、上空待機の飛行機で混雑したため羽田空港で足止めをくらい、結局定刻より3時間ほど遅れて到着と相成った。

自宅にたどり着いたのは夜8時を過ぎていたが、それでも昨日のうちに帰りつけてよかった。他の便の状況を見ると60便が欠航となっており、先々週僕が利用した松山空港の直行便(ANAとIBEXの共同運航便)は機体が小さいために燃料が持たなかったのか、到着地が変更となり新千歳空港には降りられなかったようである。同じ北海道といっても広大な地域なので、目的地以外の空港に降りられてもちっともありがたくないだろう。そういう意味では運が良かったといえるかもしれない。

今日は1月に出版予定の新著作本の初稿ゲラと格闘せねばならず、自宅に缶詰め状態で頑張る予定だが、休む間もなく明日からは取手市講演の2泊3日の旅が始まる。フライトに影響のない天気となるように祈るしかない。勿論、旅先にゲラを持参して校正に励む予定である。

さて前振りはこのくらいにして早速本題に入ろう。

2005年の介護保険制度改正により誕生した地域包括支援センターは市町村の機関である。ただしこの機関は市町村が直営で設置・運営しているとは限らず、民間の法人等に委託可能である。

そのため実際の地域包括支援センターの運営を行っている組織とは、在宅介護支援センターの設置者・社会福祉法人・医療法人・公益法人・NPO法人・その他市町村が適当と認めた法人などさまざまである。

このように市町村内に複数存在する地域包括支援センターは、同じ市町村の機関であると言っても、運営母体が異なることが多く、配置されている職員の質も様々である。そうした背景が、本来市町村組織として同じ運用がされるべき事柄についても、担当地域のセンターの職員の考え方の違いで、対応の温度差が生じてしまうという実情につながっている。

地域の介護問題を発見し、見逃されてしまう介護問題の闇に光を当てようとして設置されているのが地域包括支援センターの重要な役割であるにも関わらず、その機能を全く発揮していない地域包括支援センターが存在している理由も、その辺の事情によるものなのかもしれない。

11/4に発生した大阪高槻市の高齢者夫婦の同日死亡事案について、「地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件」という記事を書いて問題提起した際に、その内容が気に食わないとして、地域包括支援センターの職員と思しき人物から脅迫まがいのコメントが書き込まれたことについては、「大阪高槻市事案を擁護する地域包括支援センター職員の屁理屈」の中で詳しく紹介している。

「包括に助けてもらうのが当然と思っている 高齢者、家族、町内会関係者が多すぎる。」と言い、「毎日毎日あがってくる 要支援者のケアマネ業務。 まず、それだけでも忙殺。 加えて、モンスターペアレントならぬ モンスター家族からの無理難題相談。 モンスター高齢者も多数。 」として、市民の「助けて」というサインに構っていられないという職員がいる事情も、地域包括支援センター全部の問題ではなく、その地域を担当している組織と、その職員の問題であるということなのかもしれない。しかし前述したように、地域包括支援センターとは直営であれ委託であれ、市町村の機関であることには違いがないのだから、こうした問題を当該担当区域のセンターの問題として放置しておいてよいことにはならないだろう。

高槻市のホームページを見ると、同市には12か所の地域包括支援センターがある。11/4の事案は、高槻市牧田町にある集合住宅ておきているので、この地域を担当しているのは三箇牧地域包括支援センターということになるのだろうが、そこだけの問題としてはならないと思う。

そもそも自分が住む地域の地域包括支援センターの職員のスキルによって、高齢期の暮らしの質に決定的な差が生ずるのは問題だ。「住民が包括支援センターに頼りすぎる」と愚痴る職員が、センターにいることはあまりにも不幸だ。頼ることができない地域包括支援センターは亡くなった方が良いし、頼られることを厭う職員は、その任を受けるなと言いたい。

幸いなことに、屁理屈を唱えて市民を愚弄する職員のコメントに対しては、それは間違っていると批判するコメントを寄せてくれる地域包括支援センターの方も居られる。

「包括の業務が多忙であり、こうした対応ができない現状があるのなら、それを改善すべく委託元、委託先(保険者)に強く訴えるべきです。それができないなら、受託しないことです。委託費目当ての現場を知らない(わかろうとしない)委託先の言いなりにならないようにしてほしいです。」という意見はまさに正論といえるであろう。

こういう方々が市民目線で活躍する機関が、地域包括支援センターであってほしいと切に願うのである。

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大阪高槻市事案を擁護する地域包括支援センター職員の屁理屈


僕は今、松山市の愛媛県総合福祉会館に居る。

今朝10時から愛媛県老人福祉施設協議会主催の施設ケアマネ対象の研修講師を務め、午前中に「看取り介護計画の作成方法」という講義を終えたところだ。午後からはグループワークで、提出事例から看取り介護計画を策定してもらいながら、それをたたき台に意見交換をする予定になっている。僕は助言者として参加予定だが、どんな意見が交わされるか非常に興味深く、楽しみにしている。

現在昼休みの最中で、お昼ご飯を頂きながらこの記事を更新している。

ということで今日の本題である。

2006年の制度改正により誕生した地域包括支援センターは、高齢者や家族の相談をワンストップで受け止めて、必要なサービスへつなぐほか、要支援や虚弱高齢者の介護予防ケアマネジメント、権利擁護事業、地域のネットワークづくり、高齢者虐待防止のための通報を受け付ける窓口など多彩な機能を持つ機関である。

それはまさに高齢者介護問題のセーフティネットとして機能すべき機関であり、地域包括ケアシステムが機能するための基盤となる機関であるともいえるわけである。

ところがこの機関の存在意義が問われる問題が起こっているとして、先週火曜日に更新した記事では、11月4日に大阪高槻市で、70歳の妻と75歳の夫が同日に死亡した事案について、高槻市の地域包括支援センターの対応に問題があったのではないかということを指摘した。(参照:地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件

ところがこの記事を書いた直後に、匿名で記事に対する非難のコメントが書き込まれた。「最低限の人員でギリギリの仕事に忙殺されている中で、そんな対応はできない。できるんだったらお前やってみろよ」的な感情的なコメントであった。
(※なお当該コメントは脅迫まがいの文章が含まれるため、表示許諾しておりませんが、管理画面に残しております。現在警察に相談し被害届を出すかどうか検討中です。)

そのコメント主は、「安い賃金で、ゴミ屋敷や糞尿にまみれた高齢者への対応。臭い臭いが染み付いたまま、次の訪問先へ行かなければならない。 そんな実態、理解して書いてるんですか? 」と主張している。

しかし僕自身は地域包括支援センターを受託していた法人で、総合施設長などを務めていたので、地域包括支援センターという機関の仕事内容も、職員の動きも十分理解している。僕自身も地域包括支援センターの職員と協力しながら地域支援に関わっていたこともあるし、書かれている状況に似たケースに関わった経験もある。だからと言ってそんな対応が毎日続いているわけではないし、SOSが発信されていると思われる通報に対しては、電話相談で終わらずに訪問調査を行うなどの対応は普通の対応であり、特別な業務ではなかった。

それなのに感情的なコメントを送ってきた輩は、「毎日毎日あがってくる 要支援者のケアマネ業務。 まず、それだけでも忙殺。 加えて、モンスターペアレントならぬ モンスター家族からの無理難題相談。 モンスター高齢者も多数。 」として、そんなところまで手が回らないと主張している。

業務多忙を理由にして、必要な支援ができないというなら別の仕事を探せと言いたい。そんな輩が地域包括支援センター職員として存在していること自体が、市民にとっての不幸だ。地域には必要な苦情さえ上げられない「物言えぬ市民」がクレーマーとかモンスターといわれる人の何十倍もいることを忘れてはならない。

そもそも通報があって、そこで困難ケースと思える人の家庭訪問による調査は、地域包括支援センターの本来業務である。そして多くのセンター職員が行っていることでもある。それができない自分の技量を恥じる前に、訪問調査を行わない理由を探し、へ理屈いっぱいの非難コメントを書いてくる見識が疑われる。仕事の最中にそんな非難コメントを書いている暇があれば、一軒でも多くの家庭訪問を行えと言いたい。くそコメント書いてる間に地域を見ろと言いたい。

しかもこのコメント主は、「包括に助けてもらうのが当然と思っている 高齢者、家族、町内会関係者が多すぎる。」として高槻市民を馬鹿にするかのようなコメントを寄せている。

高齢者の総合相談窓口である地域包括支援センターが、市民が頼って様々な相談を寄せてくることを批判してどうするのだろう。勿論、寄せられる相談の中には、取るに足らない相談事が混じってくるだろう。だからと言ってそれを批判してはならない。本当の困りごとを見つけるためには、取るに足らない相談事にも耳を傾けないとならないのである。それに耳をふさいでしまっては、本当の危機相談をも排除してしまうことになるのである。相談援助にとってそれは一番避けるべきことである。

そういう意味でもその非難コメントは、相談援助の基本も、地域包括支援センターの役割もわかっていない人間であり、そのコメントは取り上げるに値しない戯言でしかない。

断っておくが、このコメント主が「高槻市地域包括支援センター」の職員なのかどうかはわからない。地域包括支援センターの状態を擁護する内容から考えると、コメント主が地域包括支援センター職員であることは間違いないだろうが、別の地域の包括支援センターの職員なのかもしれない。ただしコメント内容は地域性も含めた現状を示したうえでの非難だから、僕には当該地域の人なのかなと思わせる内容になっている。そうだとしたらまったく情けないとしか言いようがない。

地域に目配りできないセンターに陥っているのであれば、別法人に地域包括支援センターの受託先を譲るべきである。市民からの通報に対応できない状態であるなら、「忙しすぎて通報しても対応できません」と市民に公報してしかるべきである。それができないというなら、自身の仕事ぶりと、自らが所属するセンターの機能不全の状態を恥じて改善に努めるべきである。それができないなら辞めてしまえ。

地域包括支援センターが主管すべき、「地域ケア会議」にしても、居宅介護支援事業所の介護支援専門員に困難ケースの提出を押し付けて、アリバイ作りのようにさして困難ともいえないケースを検討するのではなく、地域包括支援センター職員が電話相談を受けた、本ケースのような家庭に足を運んで、その状態を確認して、こうした介護問題に悩む高齢者世帯を、地域全体でどのように支えるのかを検討すべきではないのだろうか。

今回のような非難コメントに応えるという意味で、そのようなコメントを寄せてくる職員が地域包括支援センターにいるという事実を含めて、僕の冊子連載記事に、この高槻市問題を取り上げて書こうと思い、先日原稿を送ったところである。

それは来月刊行される予定になっている。

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住民の生き様が見えてこその地域包括ケアシステム


昨年10月、アローチャート天領会主催の研修に講師としてお招きいただき、初めて大分県日田市を訪れた。

その時午後からの講演会の前に、小鹿田焼の里などをご案内いただくなど日田観光をさせていただいた。その時に井上酒造も見学させていただいたことは、「百合さんのお酒」で紹介したところである。

井上百合専務(当時:現社長)からその際に、酒造りへの思いを聞かせていただいた。何不自由なかった東京での生活を捨てて、故郷に帰ってきて酒米から手作りしてお酒を仕込むことになったエピソードをお伺いする中で、その情熱に触れることができた。そのときに百合さんの思いを広く介護関係者に伝える講演と、僕の講演がコラボできたらよいなあと思いついて、アローチャート天領会の志谷さんにお話ししたところ、その場で賛同いただいた。そして1年後の昨日、そのコラボ講演が実現した。
アローチャート天領会講演
アローチャート天領会主催研修会
ということで当日の講演会場では、講演タイトルがこんな風に表示された。

しかし看取り介護と酒造りを並べての講演会ということについては、「なぜそんなふうに違ったテーマを一緒に行うの?」という疑問の声もあったと聞く。そのことで参加に二の足を踏む介護関係者も多く、講演事務局の皆様はずいぶん苦労をしたようだ。

しかし保険・医療・福祉・介護の分野で「地域包括ケアシステム」の構築と深化が目指され、そのための多職種協働が叫ばれる中で、そこに地域に住まう人の姿が見えなくてよいのかと言いたい。地域には様々な職業があり、様々な人が息吹いているわけである。その人たちが様々な思いを持って、地域を愛し、地域で活動しているわけだ。その姿を見てその思いを知ることこそ、地域の人々の命と暮らしに寄り添うためには必要なことではないのだろうか。

井上社長のように、故郷を愛し地元の素材でお酒を造る思いこそ、真の地域密着型サービスであり、地域包括ケアの基盤となりうるものではないだろうか。看取り介護を考えるにしても、そこに住まう人々の思いに寄り添う必要があるのだから、愛のこもった素晴らしいお酒がある故郷をより深く知り、そこで旅立っていきたいという人々の思いを知ることが大事だろう。そのためのコラボ講演である。

幸いにして当日は介護福祉士や看護師を目指す学生も含めて、100人を超える受講者が集まってくれた。

受講する人の中にも、この二つの講演テーマの組み合わせに疑問を呈する人もいたようであるが、百合社長の素晴らしい講演を聴いた後は、そんな疑問の声も吹っ飛んでいた。故郷に寄せる思い、自分が生まれ育った歴史ある蔵と家族への思い、故郷に帰って蔵を守ることを後押ししてくれた娘さんの言葉、蔵人との争いがいつしか絆に変っていったエピソード・・・どれも心に響く内容であったし、同時に会社経営の話は、介護事業の経営にも相通ずる貴重な示唆を含んでいたように思う。

他業種とはいえ、地域の中で情熱を持ち、地域に住まう人々を愛する思いで仕事をしている人の、貴重な体験談を聞く機会を簡単に逃したり、否定したりする医療・介護関係者に、地域を包み込んで、住民ニーズに即した適切なサービスを提供できる能力や器があるわけがない。こうした講演を否定する、価値観の広がりのない人が、多様化する住民ニーズに対応して地域を支えられるわけがない。

そもそも地域は医療と福祉だけで作っているわけではない。それに気づかない輩は恥を知れと言いたい。
アローチャート天領会講演
この日の講演後は、同じ組み合わせのコラボ講演を他地域でも行いたいという話までいただいた。後を受けた僕も熱の入った3時間講演をさせていただいた。受講者の皆様の反応もよく、とても気持ちの良い講演会だった。それもこれもアローチャート天領会の皆様のおかげである。特に真っ先にこのコラボ講演に賛同してくださり、先頭になって企画・運営に携わってくださった居宅介護支援事業所・光洋の志谷さんには感謝しきれない。ありがとうございます。

久留米の同志たち
昨日の講演会には日田市の方のみならず、大分市や別府市など他地域の皆さんも講演会場に駆けつけてくださった。久留米から岡田さんと林田さんも駆けつけてくださった。また久留米で講演を企画してください。よろしくね。

井上酒造・井上百合社長
講演後のオフ会には、井上社長も参加してくださり、同社の麦焼酎「百助」をごちそうになった。癖のないすっきりしたおいしい焼酎だった。
百合仕込み・特別純米
なかなか手に入らない百合仕込み・特別純米もお土産としていただいた。うれしい。

高塚愛宕地蔵尊にて
講演前には、高塚愛宕地蔵尊や咸宜園なども観光させていただいた。ありがたい。

2回目の日田市講演の思いでも胸に、明日の鹿児島県霧島市講演に向けて日田市を後にする。日田市でお会いした皆さん、本当にお世話になりました。また愛ましょう。

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登別市に地域包括ケアシステムは存在しておりません


現在まで僕が講演したことのない地域は、日本の都道府県レベルで言えば3県だけとなっている。

その県とは山梨県・鳥取県・香川県の3県だ。この中でも一度もオファーのない県は山梨県だけで、香川県と鳥取県は、過去に講演オファーがあったものの、調整がつかずに流れたという経緯がある。

ところが先日、香川県のとある団体から高松市で行う研修会講師の依頼があり、現在日程を調整しているところだ。調整が必要な理由は、オファーを受けている前日に、別地域で午後の講演予定が入っており、その地域から移動してオファーを受けている日時のその時間までに高松市の会場までたどり着けるかという問題である。現在講演主催者の方でも、日程変更ができるかどうか検討してくださっているが、できない場合は、眠る時間を削ってでも何としてでも間に合うように移動したい気持ちである。

本場の讃岐うどんは、同県から講演依頼があった時に、同県で食べるために他の地域では食べないことを宣言しながらオファーを待っていたので、ぜひ実現したいところである。
(※15:50 追記:先ほど12/11(火)高松市で講演を行うことが決まりました。参照:masaの講演予定

さてそんな風に、1年1年講演を行ったことがない県が少なくなっていくわけではあるが、県といってもその範囲は広く、その地域の特徴も様々で、市町村ごとに特徴は異なり、講演を行ったことがある県ではあっても、別の地域から呼ばれて訪れると、まだまだ知らないことがたくさんあって驚いたり、食べたことのない名物に出会って感動したりして楽しみが尽きることがない。まだまだ元気なうちに、いろいろな場所に行ってみたいと思うのである。

そういう意味では、地元の北海道であっても、すべての地域を知っているとは限らない。全道各地で講演を行ってはいるが、講演を行ったことのない道内市町村の方が多いのも事実で、その中には地名は知っているが、生まれてから一度も足を踏み入れていない地域もあるわけである。そうした地域からもいつか講演オファーがあるかもしれないことを期待しながら、日々新しい知識とアイディアを仕入れるために、コツコツと情報を集める日々を送っている。

ところで先日講演のために訪れた道内のある地域の方から、「登別市は地域包括ケアシステムがしっかり整備されているみたいで、うらやましいですねえ」といわれた。

さすがに自分が住む登別の事情はよく知っている。特に介護関連の情報が誰よりも多く持っているつもりである。その僕が自信をもって答えるが、そのような事実はない。

少なくとも登別市民の一般的な認識としては、地域包括ケアシステムが機能して、そのシステムによる恩恵を受けているという実感を持った人は皆無であると言ってよい。むしろ地域包括ケアシステムという言葉を耳にする機会は増えたが、登別はちっとも変わらず、相変わらず福祉の後進地域だなと考えている市民が多いだろう。

登別市が地域包括ケアシステムの先進地であると勘違いしている人に聞くと、登別市社会福祉協議会の活動がそのシステムに沿って機能的に行われているという誤解に基づくものだということがわかる。しかし登別市社協が、対外的にどのようにその活動を広報しているのか知らないが、そもそも登別市民であっても、地元の社協が何をしているのかを知らない人の方が圧倒的に多いのだ。介護事業者もしかりである。

その社協がいくら他市町村で、自らの活動を喧伝したとしても、それは登別市や社協内部だけで、関係者が「やっている感」を持つことだけに満足している、実体のないシステムであると言え、まさに市民不在のシステムでしかない。

そもそも地域包括ケアシステムとは何かといえば、それは以下の概念として示されている。
ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制

このような体制が登別市に存在しているとは思えない。そこで多職種共同の連携システムが機能しているとも言えない。介護の事情に詳しい僕の認識がそうであるのだから、一般市民の認識は言わずと知れている。

こうしたシステムは。社協という1機関で構築できるものではないのである。関係者のネットワークという基盤をしっかり整えて、そこに市民参加も模索することが求められるのだ。

社協という機関が、旗振り役として先頭に立つならともかく、それをする前に、他市町村で市民からは姿の見えない活動を喧伝している姿には、真摯さという姿のかけらも見えてこない。そんな機関に期待できるわけがない。

道内の関係者の皆さまには、登別市で地域包括ケアシステムが機能しているという誤解を持たないでいただきたい。そんな誤解をもって、学びに来たとしても、実体のない概念を持ち帰る結果に終わるしかないのだから・・・。

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公共ICTフォーラム2018 で語る地域包括ケア


Society5.0」(情報技術など複数の技術を組み合わせ、新たな製品やサービスを生み出すための研究)が進み、「超スマート社会」の到来が目前に迫る中、様々な分野で情報化の在り方も変化を迎えつつある。

この変化を捉え公共ICTフォーラムin東京(6/8金)と公共ICTフォーラムin大阪(6/15金)が開催される。

主催するのは株式会社・内田洋行で、内容はAIやIoT、ロボット活用などのICTの最新動向や、働き方改革、マイナンバーカード活用、教育情報化や情報セキュリティなどの地方自治情報化のトレンドをテーマに据え、先進的な取組を進めている地方自治体の事例講演の他、様々な分野での業界第一人者による講演を多数開催することになっている。

しかもこのフォーラムは、参加料が無料である。受講対象者は地方公共団体職員・教育関係者・社会福祉法人関係者を優先させていただく予定だ。

詳しい内容は張り付いたリンク先から確認していただきたいが、僕も介護分野からの情報発信として、東京と大阪の両会場で講演を行う。
(※下の画像は大阪会場のポスター:東京会場はこちらをクリックしてください。)
公共ICTフォーラム
僕の講演テーマは、「地域共生社会の実現に向けた地域包括ケアシステムの方向性〜自治体・介護現場それぞれの視点から見たしくみづくり〜」である。

この中で僕は、顧問先でもある博多の株式会社ワーコンプロジェクトが取り組む在宅看取り介護について紹介したいと思っている。IoTを活用した高齢者見守り事業を展開する螢錙璽灰鵐廛蹈献Дトは、活力センサーや心電図、血圧、サチュレーションなどが測定できる独自開発の非接触型センサー「ウォッチコンシェルジュ生体センサーシステムズ」を見守り対象者の居住空間に設置。測定値を、現場を離れた看護師など医療知識が豊富なスタッフで構成している看護りコールセンターにICTで送り、24時間体制でモニタリングする。また、宅配クリーニングや家事代行会社など民間企業と提携し、生活面も同時にサポートするなど、細やかな気配りでトータルサービスの仕組みを整えている。

さらにロボットメーカーのMJI(東京都港区、トニーシュウ社長)が開発したAIロボット「タピア」を事業に導入。AIでの簡単な会話や遠隔操作による周囲の確認、モニターを通じて顔を見ながらの通話などが可能で、大幅にコミュニケーションの領域を広げた。これらの技術を駆使することで、同社が狢2のナースステーション″となり、これまで夜間や勤務時間外にも過酷な労働負担を背負っていた訪問看護師は緊急時のみの出勤が可能となっている。これらの活動の一端を紹介しながら、地域包括ケアシステムでのICTの可能性を考えたいと思う。

6月は是非、両会場へのお越しをお待ちしております。

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診療報酬改定は老健の顧客確保にどう影響するのか


月曜日に書いた、「一般型老健の新報酬はいかに厳しいか」のまとめ部分に、4月以降の診療報酬改定に関連して、在宅復帰強化型老健や同加算型老健が、医療機関からの在宅復帰率の計算式に入れることができなくなったと書いたが、それは間違いであった。

記事を訂正するとともに、改めてここで新ルールを示しておこうと思う。

介護報酬や診療報酬の改定、介護・医療制度の改正は、現在の制度がいかに持続できるかという視点から行われている。そのために各自治体が知恵を絞って、限りある財源を地域住民ニーズに合わせて、必要な部分に重点的に配分できるように、地域包括ケアシステムを創りあげ、それを深化させようとしているのである。

高齢化が進行するわが国では、慢性疾患を抱えて長生きする人が増えているのだから、医療入院は、疾病の発症から治うまでのすべての期間を担うのではなく、疾病の発症時期に自宅等から緊急入院できる機能を高め、疾病に速やかに対応すると同時に、治療を速やかに行うことで、できるだけ入院期間を短くして、ある程度の治療が終わった時点で、患者を地域に戻すという役割が求められてくる。

そして地域の中で、慢性期疾患については通院で対応しつつ、主として介護サービスを使いながら、機能維持や機能低下のスローダウンを図ることが求められている。このように社会保障費の自然増を抑制するためには、医療から介護への付け替えが求められてくるわけである。

そのために医療機関には、急性期・回復期・慢性期のぞれぞれの時期に対応する病棟区分を明確にすることが求められ、各病棟区分ごとに算定できる基本報酬や加算報酬算定要件に、一定の在宅復帰率をクリアすることを求めている。

今年4月からの在宅復帰率計算式の一部変更の表が以下である。この中の老健の記述部分に注目いただきたい。
無題
無題2
この3月まで、在宅復帰強化型老健及び加算型老健については、7:1病棟と地域包括ケア病棟からの在宅復帰率計算式に入れることができるとされる一方、一般型老健はどちらの計算式にも入れられなかった。

しかし4月以降の計算式では、急性期病棟からの在宅復帰率の計算時に、在宅強化型および加算型老健だけではなく、一般型老健も計算式に入れられるようになっている。一方、地域包括ケア病棟からの在宅復帰率の計算式から、すべての老健が外れている。

老健の顧客確保という面から考えて、これはどのように影響してくるだろう。

医療機関はより高い報酬を算定するために、在宅復帰率をクリアせねばならない。急性期病棟では8割、回復期病棟では7割、長期療養病棟でも在宅復帰加算を算定するには5割の在宅復帰率が求められている。

そのため現行まで、急性期・回復期病棟からの退院先として、在宅復帰強化型老健・加算型老健を勧める傾向があって、それらの病棟からの退院患者を受け入れることで、ベッドの稼働率と回転率を高めている老健施設も多かったはずである。

しかし4月以降は、急性期病棟から一般型老健を含めたすべての老健に退院患者が入所するという流れになって、逆に言えば在宅強化型および加算型老健は、一般老健と顧客を奪い合わねばならない流れもできてくる。

さらに地域包括ケア病棟から老健に入所しても、在宅復帰率の計算式に入らなくなるということは、それらの医療機関からの退院先として、老健が選択されるケースは減ることを意味にしている。(替わって退院先として介護医療院という選択が増えていく傾向が予測される。)それは老健のベッドの稼働率と回転率に、大きな影響を及ぼしかねない。

入退所担当の相談員は、今からそれに備えた対策を考えなければならないのではないだろうか。

なおこの表の中の「居住系施設」には、グループホームや特定施設のほか、特養も含まれているので、地域包括ケア病棟からの退院先として、特養を選択しようとするケースも増える可能性がある。そういう意味では顧客確保に苦心し、空きベッドが生じている特養の営業先として、各医療機関の在宅復帰率管理担当者が存在するということも知っておく必要があるだろう。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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多様化する看取り介護の場所と方法


わが国では、現在死者の8割以上が医療機関で「死の瞬間」を迎えているが、多死社会を迎えた中で、医療機関のベッド数が減る状況を鑑みると、この割合は減らざるを得ない。

しかも2030年には約160万人の死亡者のうち、47万人ほどが、死に場所の定まらない「みとり難民」になる恐れがある。

そのため社会の様々な場所で、看取り介護・ターミナルケアを行うことができる体制を整えねばならず、そのためにも地域包括ケアシステムをしっかり地域ごとに創り、様々な場所で所属機関の異なる多職種が連携して、協働することができる体制づくりが急がれている。

つまり地域包括ケアシステムは、そのシステムを作ることが目的ではなく、そのシステムによって、入院しても、円滑に退院が可能となるようにすることで、医療が必要な高齢者や重度の要介護高齢者についても、可能な限り地域(住まい)で生活できるようにすることであり、一人暮らし高齢者や、虚弱な長寿高齢者を地域(すまい)で支えることができるようにすることであり、増加が見込まれる「認知症高齢者」が地域(住まい)で生活できるように支えることを目的としているのである。

その先に、暮らしの場で看取り介護ができるようにすることを目的ともしている。つまり死ぬためだけに医療機関に入院しなくてよい社会を作るために、地域包括ケアシステムが求められているともいえるわけである。

このように、地域包括ケアシステムと看取り介護・ターミナルケアが密接に関連しているのである。このことについては、平成25年3月に地域包括ケアシステム研究会が作成した「地域包括ケアシステムの構築における 今後の検討のための論点」の中でも、次のような内容として記されている。

・毎日、誰かが訪問してきて様子は見ているが、翌日になったら一人で亡くなっていたといった最期も珍しいことではなくなるだろう。
・常に「家族に見守られながら自宅で亡くなる」わけではないことを、それぞれの住民が理解した上で在宅生活を選択する必要がある。


つまり報告書では、国民に対して在宅でサービスを受けながら死を迎えることについて、死の瞬間に誰かが側にいて看取った状態で、その瞬間を迎えられないことの覚悟を促したうえで、それは孤独死ではなく、「在宅ひとり死」であるとして、不適切な状態ではないという理屈を創りあげているわけである。

それが正しい理屈であるのか、その方向性が良いのかどうかはわからない。少なくともそうした「在宅ひとり死」を望まない国民もいるだろうとも思う。こういう社会情勢であったとしても最後まで傍らで寄り添う看取り介護の取り組みも必要だとは思う。しかしながらすべての国民が、最後の瞬間まで誰かが側について看取ることができないのも事実であり、その際は、誰かの死に気が付かずに、死後遺体が長期間放置される状態となることだけは避けたい。隣人の存在を、死臭によってはじめて知るような社会になっては困るわけである。

そのための看取り介護の取り組みの中で、おもしろい(と言ったら語弊があるか・・・。)機器を紹介していただいた。

在宅の看取りに取り組んでおられるWCP(ワーコンプロジェクト)の青木代表から、在宅看取り介護を支援する非接触バイタル生体センサー(見守りセンサー)の存在を教えてもらった。

これは在宅療養中の利用者の生態データを、24時間リアルタイムでモニタリングできるもので、その情報をもとに離れた場所から医療チームが即座に訪問して対応できるというものだ。離れた場所にいる在宅療養者の、「現在の状況」がわかるだけではなく、蓄積されたデータから解析して、今の生態データと比べることにより、センサ―使用者の、「看取りの段階」を知ることもできるとされ、例えば逝く日や時間を予測して対応できるそうである。

既にいくつかのケースで実用されているそうで、今後、こうしたセンサーなど様々な機器を使って、日本社会の様々な場所で、様々な形の看取り介護が行われていくことになるのだろう。

介護施設でもこうしたセンサーは利用できるだろう。毎日のバイタルチェックなどの業務の省力化にも結び付くかもしれないし、看取り介護対象者の、最期の瞬間を見逃さない対策の一助にもなり得るだろう。次期介護報酬改定で取り入れられる可能性のある、介護ロボット導入加算の対象になるやもしれない。

そういう意味では、これからの介護事業者は、常に情報のアンテナを張りながら、新たな機器をサービス資源に変えていく、「学びの機会」も大事にしていかねばならないと思うのである。

ただし大事なことは、そういう便利な機器に囲まれる社会になったとしても、介護サービスに携わる我々は、そこで機器に頼り切るのではなく、使いこなしながら、看取り介護対象者に向ける愛情を忘れてはならないし、そこで持つべき使命感も失ってはならないということだ。

そんな意味を含めて、これからも全国各地で、「看取り介護講演」は続けていく予定である。

ちなみに10月14日(土)、福岡市の電気ビル共創館で、WCP(ワーコンプロジェクト)主催 セミナーが行われるが、僕も講師として15:30〜「生きるを支える看取り介護」という50分の講演を行うので、お近くの方は是非、会場までお越し願いたい。

日総研出版社主催・「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
介護の誇り出版記念セミナー
介護の誇り出版記念セミナー日程

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地域包括ケアシステムの真の姿は、一律右ならえ。


先日の記事でもふれたが、9日に政府が「骨太の方針」を閣議決定し、「経済財政運営と改革の基本方針2017 介護関連要旨」を示した。

そこには以下のような内容がかかれている。

・個人・患者本位で最適な健康管理・診療・ケアを提供する基盤として、健康・医療・介護のビッグデータを連結し「保健医療データプラットフォーム」を構築する。また、自立支援などの効果が科学的に裏付けられた介護を実現するため、必要なデータを収集・分析するためのデータベースを構築する。それぞれ2020年度の本格的な運用開始を目指す。

・医療・介護の連携強化に向けて、診療報酬・介護報酬の両面から対応する。自立支援に向けた介護サービス事業者に対するインセンティブ付与のためのアウトカムなどに応じた介護報酬のメリハリ付けや、生活援助を中心に訪問介護を行う場合の人員基準の緩和やそれに応じた報酬の設定、通所介護などその他の給付の適正化について、関係審議会などで具体的な内容を検討し、2018年度の介護報酬改定で対応する。」


自立支援の結果を測定するためのデータベースは、人の暮らしに潤いを与えられるのだろうか。それとも「潤い」などと表現すること自体が、「非科学的」であるとして否定されるのだろう。

導き出される「科学的根拠」が、全国老施協が介護力向上講習で行っていた、「科学的介護」という崩壊した理論の轍を踏まないことを祈るばかりである。

保険者の権限強化も懸念された方向に向かいつつある。(参照:成立した改正介護保険法はマイナーチェンジではないぞ

・保険者機能の強化に向けた財政的インセンティブ付与の在り方について検討し、早期に具体化を図る。あわせて調整交付金の活用についても検討する。

・1人あたり介護費の地域差の縮減に向けて、個々の自治体の取り組みを「見える化」するとともに、好事例の全国展開を図る。


来年度の診療報酬と介護報酬の同時改定や、介護保険制度改正の目的は、「地域包括ケアシステムの深化。」を目指したものであると言われている。それは限られた財源を有効に活用するために、地域ごとの個別ニーズをあぶりだして、地域事情に応じて、それらのニーズのうち、より必要性の高いものに対して予算を重点配分することが目的とされている。

そうであるにもかかわらず、報酬金という飴は、国が敷いたレールの先にある結果にだけ支払われるもので、しかもそのモデルとして特定県や特定市の取り組みの結果が示されているのだから、ここに地域包括ケアシステムの主役となるべき各市町村の独自性など見いだせない。

それはいうなれば厚労省が管理する和光市方式のケアマネジメントであり、介護の独自性は極めて薄められて、医療にすり寄る介護サービス方式にならざるを得ない。それは介護サービス利用者にとって望ましいサービス像なのだろうか。

マスコミはこぞって、介護保険制度・介護サービスからの卒業を礼賛した報道をしているが、介護保険を卒業させられた人に中には、介護サービスを自費利用という形で継続利用している人が1割程度存在するというデータも存在している。これは結果的に財政論によるサービス抑制にほかならず、自立支援の結果によるものではなく、サービスを使いづらくした結果でしかないのではないだろうか。

同時に介護保険制度からの卒業を目的化することによって、介護認定のゆがみ(調査法・認定審査の状況等)が生じていないのかも検証される必要がある。

未来投資会議が昨年まとめた提言案の中で、「介護保険で提供できるサービスは、入浴や排せつなど、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」と指摘しているが、このことには大いに異議がある。この考え方は、重度障がいを持ち、自力で日常生活が営むことができない人を、価値の低い存在とみなす恐れさえある。

脳梗塞を繰り返してきた四肢麻痺の人が、栄養管理や食事支援が適切に行われ、入浴や排泄ケアが適切にされて、身辺保清がなされ、皮膚障害がなく、健康を保って暮らせているとしたら、それは自立支援といえないのだろうか。入浴や排せつなど、日常生活の支援を評価しない先には、生活の質を無視する評価軸しか見えず、それはADLからQOLの視点という過去のサービス向上に逆行するものであるといわざるを得ない。 

そもそも自立支援だけが唯一の「国民の福祉の向上。」であるかのような意見にはついていけない。自立を支援することは大事ではあるが、我々が向かい合う利用者の方々にとって、それより先に、「上手に依存する。」ことが必要な方々が数多く存在する。誰かの手を借りるという前提がないと暮らしが成立しない人がたくさんおられる。そういう人々は頑張っていないから駄目だとされ、頑張るために尻を叩けとでもいうのだろうか。どうも違うように思う。

急性期や回復期を過ぎた状態の人に、必要な機能訓練とは、手足を曲げ伸ばしすることでもなく、平行棒につかまって歩くことでもなく、日課活動に参加して他者と交流したり、食事をしっかりとって、適切な排泄支援を受けることであったりするわけである。そうした支援を自立支援ではないと切り捨てる人たちの介護のイメージは、きわめて貧弱・貧困なものであるとしかいえない。こういう人たちが国の高齢者介護施策を決めるのだとしたら、この国の高齢者介護の行く末は、きわめて暗いものにならざるを得ない。
看取り介護セミナー
看取り介護セミナー2

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地域でつながるということ


最近テレビを見ていると「昔は世界とはつながっていなかったけど、近所の人とはつながっていた。」というフレーズを耳にする機会が増えた。

なるほど、確かに以前のほうが近所とのつながりは強かったように思う。そこかしこに『向こう三軒両隣』の関係性が存在していた。

それに比べ現在は、インターネットを通じて世界と繋がっている人が増えているけれど、それらの人々が近所の人とつながっているとは限らない。むしろ隣や向かいの家に誰が住んでいるかを知らない人も多く、逆にそのことを知ろうとすれば、怪しい人に思われかねないのが現代社会といえるかもしれない。

こうした社会で、要介護高齢者が暮らし続けることは簡単ではない。家族などのインフォーマルな支援者がいるならば良いが、一人暮らしの高齢者で、自分が気づかぬうちに徐々に心身の機能が衰えてきた場合、そのことに気づいてくれる誰かが必要だ。

その状態に気づかぬうちに、誰からも知られない場所で、心身状況が悪化し続けて、住み慣れた地域社会で暮らしを維持できなくなる人が増えている。

地域包括ケアシステムは、こうした人々を発見する地域社会を実現するためにも必要なシステムである。

そのために現代社会のような、つながりが途切れがちの地域社会の糸を、結びなおそうという目的も持っているのだと思う。いつ切れるか分からない糸のような細いつながりを紡いでいく先に、決して切れることのない関係という強固な繋がりをつくりあげるのを目的としたシステムでもあろうと思う。

近隣住民がお互いに関心を向けて、そこで何かあった際にしかるべき機関につなげる関係性がないと、高齢者が増え、様々な生活課題と、そのことに対応するためのニーズを持った人々が、住み慣れた地域社会で「暮らしの場」を確保することが難しくなる。そうしないためのつながりが根底にないと、行政中心のシステムは機能しなくなる。

だから本来このシステムの主役は、地域住民であるはずだ。

しかし医療制度改革や介護保険制度改革で高らかに唱えられる地域包括ケアシステムの構築に必要とされる、保健・医療・福祉・介護のネットワークに、地域住民の姿が見えてこないことが多い。それは本来まずいことだろう。

そういう意味では、今後求められる地域ネットワークには、多職種連携だけではなく、職種を超えた多住民連携の視点も求められるのではないだろうか。

少なくとも住民代表の立場である、町内会などをどのように巻き込んでいくのか、あるいは住民活動に興味を持つ人が、地域ネットワークに参加できる機会を、どのように確保することができるのかということが、『地域ケア会議』等の議題になるべきである。

そこに力を注ぐだけで、地域の社会資源は増える可能性がある。

なぜなら地域包括ケアシステムを支える力の一つは、住民同士がお互いを支えるという力だからである。

住民同士のそうしたつながりを、どのようにつむぐのかが大きな課題だ。

そしてそのときに注意が必要なことは、インターネットで様々な人と繋がっている人が、必ずしも人とつながることを得意としているわけではないということだ。ネット上の仮想世界で饒舌な人が、実際の人間関係の中で、コミュニケーションが上手にできない場合もある。チームワークが必要な機会に参加する経験が少なく、自分や他者の役割りが理解できない日ともいるだろう。

そういう人たちをも排除せず、どう導くかが専門職に問われてくるのだろう。そのためには、専門職であっても、一地域住民であるということを忘れずに、住民目線でものを考える必要もあるだろう。

専門職である以前に、地域住民として、他の地域住民とつながりを持つという意識も必要なのかもしれない。

人と人のつながりが、地域を変えることを信じて、その繋がりを尊く思うことから、真の地域包括ケアシステムは始まるのではないだろうか。

日総研看取り介護セミナー
日総研看取り介護セミナー2
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多職種連携が機能するために必要なこと


多職種連携が求められる理由から続く)
多職種連携と一口に言っても、関係者がチームを組んで集まるだけで、課題が解決するとは限らない。

そもそも人を集めただけではチームは機能しない。そこに集うチームメンバーが全員善意のある人であっても、利用者のために働く良い機能を発揮するとは限らず、意思の統一に時間がかかったり、守秘義務の漏れが出たり、利用者支援に支障をきたす場合がある。

3人寄れば文殊の知恵というが、そういう現象に期待を寄せてはならない。単に人が集まるだけのチームでは、手抜きや足の引っ張り合いが起きて、人数に見合った能力を得ることにはならないのだ。

そのためにチームを組む人々は、チームを組む利点と欠点をよく理解しておくことが大事だ。

チームを組む利点としては、次の3点が考えられる。
1.様々な情報と知恵が集まり、それによって情報が多角的に分析できること
2.多領域の人材が集まることにより、使える資源が増えること
3.チームメンバー間の協力や競争意識によって、メンバーそれぞれのスキルアップが図れること


一方で欠点としては、
1.意見調整に手間ひまがかかり非効率的になりやすいこと
2.役割混乱のために葛藤が生じやすいこと
3.多数決の論理に支配され、少数派の反対意見が出にくいこと、無視されること。


以上のような利点・欠点が挙げられる。このことを意識してチームを組んでチームを運営する必要がある。そこで必要となるのはチームリーダーである。メンバー全員を公平に見つめて、小数意見も取り上げるスキルがあるリーダーによる運営が求められるのである。

そして意見の集約、意思の統一は、会議によって行うという原則を徹底的に守る意識が求められる。阿吽(あうん)の呼吸とか、オフの飲み会などの雑談での決め事をチームの意思として動くことは、チームが機能しなくなる一番の原因となる。

チームを組む場合、チームの目的がチームの維持に向かいがちになるが、保健・医療・福祉・介護の連携チームの目的は、利用者支援にあり、利用者中心のチームで何を目指すのかという目的を決して忘れてはならない。

そのためには会議において、常にチームメンバー全員が、目的と目標を分けて理解しておくことが大事だ。

目的は、何のために行動するかという方向性であり、保健・医療・福祉・介護の多職種連携では、利用者の生活の質向上、福祉の向上という方向性が示されることになるが、それは抽象的で長期にわたるもので、場合によってはどこまで行ってもたどり着かないと思える内容かもしれない。しかしそうであっても目指すものである限り、それはかまわないわけである。

一方、目標とは目的に向かうために、当面達成するべき事柄であり、定期的・定量的に表現でき測定できるもので、かつ具体的で達成可能なものである必要がある。

その内容をチームメンバー全員が、常に確認し共通認識を持つことが、チームを機能させることになる。
(明日に続く)

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多職種連携が求められる理由


保健・医療・福祉・介護の分野で、多職種連携が求められる理由は何だろう。

医療機関に求められるものが、急性疾患の治療のみであれば、病気の治療は医療機関完結型となり、医師を中心にした医療機関内のメンバーだけで問題は解決する。そうであればことさら多職種連携が求められる理由はなくなるだろう。

だから感染症や急性期疾患で多数の死者が出ていた時代であれば、医療機関で疾患を治すことが最大の課題で、多職種連携は主要な課題にはならなかった。

しかし現代社会は、感染症や急性疾患で簡単に死ぬような時代ではなく、長寿化がすすみ高齢者の数が増える中で、医療ニーズも多様化し、生活習慣病を含む慢性疾患を抱えて生活する人が増えている。

例えばインスリンの自己注射が必要な糖尿病の高齢男性が、一人暮らしもしくは病弱で高齢の妻との二人暮らしである場合、医療機関に定期通院していたとしても、それだけでこの男性の疾病管理が可能になるだろうか。それは極めて難しいことだろう。

ましてや慢性疾患を持つ高齢者の暮らし全体を支える視点が必要とされるとすれば、一領域の専門家のみの関わりでは問題が解決しないケースが増えてくる。

高齢化が進行し、慢性期疾患の対応が求められる社会では、医療支援と生活支援の区別がつきにくくなるために支援領域が大きく広がらざるを得ず、一人の専門職での対応というのは現実的に不可能となるのである。そのため関連する多様な機関や職種の連携による、協働が求められてくるのは当然の帰結といえるわけだ。

その状況に拍車をかけているのが医療制度改革である。

例えば平成26年度からの診療報酬改定では、病床区分の変更が行われ、急性期病床と回復期病床及び慢性期病床の区分の明確化がされただけではなく、入院期間の短縮と、一定割合以上の在宅復帰率の達成が求められた。28年度の診療報酬改定では、急性期病床からの在宅復帰率が75%〜80%に引き上げられもした。

つまりこれからの社会では、疾病を完全に医療機関で治してから退院するという考え方ではなく、疾病を抱えた高齢者を地域で支えるという考え方が求められているわけである。

そのためのキーワードが、「病院完結型の医療から地域完結型の医療へ」であり、「治す医療から、支える医療へ」ということになる。

このように入院しても円滑に退院が可能となる仕組み必要とされ、医療が必要な高齢者についても、可能な限り地域で生活できるよう支える仕組みが必要になるわけである。その仕組みが、「地域包括ケアシステム」である。

地域包括ケアシステムとは、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制なのだから、ここには医師や看護師、セラピストやソーシャルワーカーなど多様な職種のかかわりが求められてくる。

当然介護の専門家も必要とされるわけである。それはある意味、利用者の日常の暮らしを支えるという意味で、大変重要な役割りを持つといえるだろう。

そこでは介護福祉士などの資格が求められるわけではなく、介護の専門職としてのスキルが求められてくる。

では多職種連携が機能するためには何が必要だろうか。

また多職種連携ににおける介護の専門職に求められる役割りとはなんだろうか。必要とされるスキルとはなんだろうか。

そんなことを明日以降、記事にしてみたい。
(明日に続く)

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サ高住の事故報道について


このブログで何度も指摘しているように、地域包括ケアシステムとは、住み慣れた地域で暮らし続けるために、身体機能や認知機能に応じた早めの住み替えを推し進めるシステムである。ある意味それは「自宅」に住み続けることにこだわらないという意味だ。

そのためこのシステムの定義は「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」とされているのである。

その住み替え先の一つにサービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住と略)があるが、7日の朝日新聞デジタルは、「サ高住の事故、1年半で3千件超 半数以上、個室で発生」という記事をネット配信し、その中でサービス付き高齢者向け住宅での事故の内訳と死因の内訳という図も公開している。

サ高住は自立した人ばかりが生活する場ではなく、介護の必要な高齢者も生活することを目的としている住宅である。

しかし特定施設の指定を受けていないサ高住は、介護施設のように暮らしの場に介護職員が配置され介護サービスが提供されるわけではなく、身体介護等のサービスは外付けであり、サ高住としての基本サービスは見守りと生活相談だけである。その見守にしても、常時見守っているわけではなく、定期的な安否確認程度の見守りである。(※ただし、サ高住が特定施設の指定を受けている場合は、特定施設としての職員配置や介護サービスはそこにあることになる。)

そうした施設に要介護状態区分の高い人や、認知症の症状が出てきた人が入居しているのが実情だから、個室内の事故が増えるのは当然であるし、サ高住の中で、サービスを受けていない時間帯に「孤独死」状態で自然死することだって当然あり得ることだ。

勿論、そうした事故を分析して、防ぐことができるものを防いでいく必要はある。例えば配信記事の事故内訳の図解で示されている配薬ミスについては、サ高住の問題というより、そこで提供されている外部サービス事業者(おそらく訪問看護か?)の職員のミスで生じた介護事故なのだから、外部サービス事業者側が同じミスを起こさないように注意すべきである。そのために誤薬や誤嚥・誤飲については、すべて事故報告を求める必要があると思う。

安否確認の巡回についても、よりきめ細かく対応するためのルールを作ったほうが良いのではないかという議論があっても良いだろう。どれだけのきめ細かな対応が可能かという視点から、身の丈に応じた利用者を選別するという視点が求められてよいし、サ高住の個別の状況がより細かく利用者に対し情報提供されるべきだろう。

しかし認知症の人を受け入れながら、徘徊や行方不明が問題になると、そうした事故を防ぐために、サ高住のプライベート空間が密室化される恐れが生ずる。

以前も指摘したことがあるが、サ高住に住んでいる「運動能力の衰えていない認知症の高齢者」の外部サービスが、定期巡回・随時対応型訪問介護看護である場合は、その巡回時間に利用者がそこにいてくれないと困るわけである。そうなるとサービス付き高齢者向け住宅の基本機能である、「見守りサービス」は、認知症高齢者については、「外に出さない見守り」になってしまう可能性が高い。その状況に徘徊・行方不明を防ぐという目的が加わると、その理屈は正当化され、外に出さない見守りが常態化する。

その結果、サービス付き高齢者向け住宅から一歩も出ないで、そこだけで暮らしが完結させられる認知症高齢者が出現してくる。しかもそこではいわゆる『囲い込み』により、外部の介護サービスが利用者本位とは程遠い状態で過剰に提供され、利用者をサ高住から一歩も出さないようなケースも増えていくだろう。

これは果たしで住み慣れた地域で暮らし続ける、という意味になるのだろうか?それはもはや幻想地域と呼ばれる状態で、事実上、地域から隔離された空間にならざるを得ない。

要介護度が高く、自力では移乗・移動動作が取れない人も同じ状態になりかねない。これらの人の場合は、外出させないという「見守り」を行わずとも、積極的に外出支援を行わない限り、すべての生活行為はサ高住の中で完結する。地域の空気を感じることがなく、生涯サ高住の中だけで生活支援を受けて終わりという高齢者が増えていくというのが、住まいとケアを分離した場所で、生活支援を受ける人が増える社会の近未来像である。

それが果たして地域包括ケアシステムといえるのだろうか。はなはだ疑問である。

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地域交流スペースを活用しない手はない


特養などの居住系施設が新設される際に、多目的な活動に活用できる利用料無料の開放スペースとして、「地域交流スペース」を設置する施設が多い。

しかしその利用実態は千差万別で、地域住民の方々が全く利用していないどころか、その存在さえ知らないというケースも多い。そうした場合、そのスペースはまったく使われない空き部屋になっているか、いつの間にか荷物の置き場所となり、倉庫化している施設もある。

これは極めてもったいないことだ。そもそも多目的スペースにも、国などの建設補助金が使われているとしたら、それこそ無駄な費用で、財源不足を助長させていると言われかねない問題である。

地域交流スペースがあって、地域住民が無料で多目的に使えることをホームページで告知しているといっても、そもそもそのサイトのアクセス数が、1日一桁であっては、それは関係者しか見ていないという意味で、広報の意味はまったくないといっても過言ではない。広報を形骸化させるホームページは百害あって一利なしである。それはホーム管理者の自己満足でしかない。

場合によっては広報の方法をもっとアナログ化して、紙媒体で地域住民に伝える必要もある。

そもそも多目的利用の下駄を、地域住民に預けっぱなしでよいわけがない。むしろこうしたスペースで何ができるのかを施設側が提案することも必要だ。地域交流スペースを積極的に使っていただけるようにアイディアを示すべきなのである。

バザー会場や、作品展示会などとして利用するためには、利用する人だけではなく、そこに訪れる来場者にとっても敷居が高くてはならない。まずは施設側が、そのスペースに地域住民を招いて、施設側主催のイベントを行うなどの関わりが必要なのではないだろうか。会議場として使う場合は、会議に必要な設備も貸し出せるようにしておかないと、利便性は低いといわざるを得ない。

そしてできれば多目的スペースを、イベント的に使う場所という概念を飛び越えて、日常のサロン的な使い方ができ、毎日のようにそこに誰かが訪れて何かができるスペースにすることが大事である。

このことは単に、多目的スペースがあるからという意味ではなく、介護施設が地域包括ケアシステムの中で、住民が日常的に利用できる場所であると意識づけるためにも大事なことだ。それは介護施設が、住民の住み替え場所の選択肢の一つとして、広く認知される第一歩といえるし、ケア付き集合住宅としての品質管理のための、地域住民の目線を感じ取るためにも求められることである。

施設サービスの品質管理を考えるならば、実践水準は内部的に更新するとともに、外部情報が取り入れられて更新されなければならない。住民の目が施設内に常に存在するということは、常に外部情報が取り入れられる環境にあるということであり、そういう意味でも地域住民が日常的に施設を利用することはもっと推奨されるべきである。

地域によっては特養などの介護施設に空きベッドが生じている。そしてその理由が、利用者がいないというケースもある。そうであれば地域交流スペースを活用した地域住民との交流は、将来の顧客確保にもつながる条件の一つにもなり得る。

たくさんの地域住民が、なじみの場所として施設のスペースを使うことは、将来的に長く施設とかかわりを持ちたいという動機付けにもつながるだろう。つながりが存在する限り、そのつながりの幅は広がり、その長さは時間軸を超える長さになっていく可能性がある。

予測もしない輪がそこで生まれる可能性も含めて考えると、地域交流スペースという場所には、無限の可能性があるということになる。その活用の手段を、固定観念を取り払って考えていく必要があるのではないだろうか。

使われておらず、がらんどうと化した地域交流スペースを見るたびに、そんな思いがかずめるのである。
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主役を置き去りにした包括ケアにしないために


地域の主役は、地域行政ではなく、サービス事業者でもなく、地域住民である。

そのことに少しの異論も差し挟む余地はないはずなのに、地域包括ケアシステムのなかに住民参加の姿は極めて見えにくい。そのシステムが機能するために必要とされる多職種協働にも、地域住民の協働の視点が抜け落ちていることが多い。

それはなぜか。うがった見方であるが、ここに本当に住民が主体的に参加すれば、お金をかけないシステムにならない恐れがあるからではないのか。

国が地域包括ケアシステムを推奨する一番の理由は、少しでも給付費用を削るためである。それは地域住民のニーズにすべて応えないことを前提にした、限られた財源を主役に置くシステムとも言え、地域住民が主役になっては困るのではないだろうか。そのために国も住民をシステムの中に積極的に取り込むということを、あえて求めていないのではないかと思う。

そのようなシステムではあるが、責任と義務だけは地域の行政機関やサービス事業者に丸投げするというのが、多職種協働という言葉の意味でもある。

このブログで何度も指摘しているように、国が地域行政に求めている地域包括ケアシステムというものは、社会保障財源には限りがあるとして、その財源を効率化・重点化して、お金をかけるべきとこところにはかけざるを得ないが、その代わりにお金をかけなくて良いところをピックアップして、そこにかけていたお金を削り取るというシステムである。財源のかけ方も、出来高に応じた青天井の金の使い方ではなく、年額上限を設定した中でお金を使うという方法が基軸となる。

さらにその設定金額を下回るようなサービス抑制につながる状態が生じたら、報奨金を出すシステムを導入するというのが、次期制度改正であり、お金をかけないためのシステム作りという意味が、地域包括ケアシステムと呼ばれているに過ぎない。(参照:報奨金で地域他付けケアシステムは深化するのか

つまり地域行政担当課に下駄を預けっぱなしにして創造する地域包括ケアシステムは、自己責任と自己負担という言葉で、数多くの地域住民を切り捨てたうえで、地域の保健・医療・福祉・介護関係者には、多職種連携という言葉で、体の良い義務感を背負わせて、金のかからない周辺業務を強い、制度の光の当たらない部分には目を背けて、ないふりをするというシステムでもある。地域支援事業の総合事業はその隠れ蓑である。

全国横並びサービスではなく、地域の特性に応じた工夫を求めるといっても、そこでは安かろう悪かろうサービスが地域の特性であるかのように取り繕われる恐れがある。いやその可能性が高い。

地域福祉の質は、地域の関係者に多職種協働というお金のかからない耳障りの良い義務感を背負わせながら、地域行政・地域介護事業者に丸投げされただから、国はその結果にまで関与しない。すべて地域包括ケアシステムに組み込まれている関係者の責任である。

財源をできるだけかけないためのシステムとして、地域包括ケアシステムの構築していくことを、「深化」という言葉で現わし、そうしたシステムを急ごしらえしようとすればするほど、上記のような取り繕いの形骸化システムにならざるを得ない。

そんな中で、切り捨てられる人を放置しないために存在するのが介護支援専門員ではないか。

給付抑制のためにサービス利用させないと、切り捨てることが間違ってると、論理的に異を唱える方法がケアマネジメントではないのか。

地域包括ケアシステムを、地域住民に光が当たるべく、真に必要とされるシステムに向ける実践者が介護支援専門員であるし、それこそが求められるケアマネジメントの方向性だと思う。この使命を強く訴えていきたい。

今後予定されている講演予定では、介護支援専門員の職能団体会員からご招待を受けているものもあり、地域包括ケアシステムの中で求められるケアマネジメントに関連した講演も予定している。

一番近い日付のものとしては、今週末の土曜日に静岡県三島市で行われる「三島市介護支援専門員連絡協議会研修会」で、「介護の誇り 心が動く介護 〜これから求められるケアマネジメント」というテーマでお話ししてくるが、そこでは制度改正の方向性に関する最新情報の提供を行うとともに、そこでできること、すべきことを本音でお話ししてくる。僕以外の誰も指摘していない制度の真実が明らかになるだろう。

介護支援専門員の使命
このスライドは、そんな厳しい状況下であっても、どのような時代であっても、介護支援専門員として根底に持っていなければならない使命感とは何かについて語ろうとして作った講演ファイルの中の、スライドの1枚である。

このことは綺麗ごとでもなんでもなく、介護支援専門員がいつか存在意義が問われる時が来るとしても、この根幹さえ守っておれば決してその存在が揺らぐことがないという、根っことなる考え方だと思う。そのことを含めて伝えてきたい。

静岡県で講演するのは2度目である。数年前に静岡県介護支援専門員協会からお招きを受け静岡市で講演したことがあるが、その時は受講者数が550名を超える大盛況となった。今回は三島市介護支援専門員協会さんのお招きで、三島市で土曜日の午後2時から150分の講演を行う予定になっており、参加申込者もすでに150名を超えているそうである。

前回の静岡入りの際は、静岡空港を利用して当日入りしたが、今回は冬の移動ということもあり、三島市の位置も考えて、羽田空港経由で品川〜新幹線を利用して前日入りする予定である。そのため2泊3日の余裕ある行程表となった。

講演を終える日の土曜の夜は、講演主催者の方々とのオフ会が予定されているが、前日入りの金曜日の夜は、フェイスブックでつながっている方が、地元のおすすめ店を紹介してくれたので、そこで一献交わす予定にしている。もしかしたら明後日・金曜日の夜遅くまで三島駅付近を徘徊しているかもしれない。

それでは三島市でお会いする皆さん、どうぞよろしくお願いします。久しぶりの静岡県を堪能してきます。

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地域包括ケアシステムでは、住み慣れた地域で終末期をどう過ごすかが問われる


2/5(日)にシンポジストとして参加した、「日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会IN久留米」には、1974名の有料参加者があった。これに市民公開講座(無料)の参加者を合わせると、2500名程の方に参加いただいたことになるそうだ。

僕が参加した、「看取りに携わるスタッフの教育・ケア」のシンポジウムは、久留米座という場所で行われ、そこは座席数が399席であった。その座席はほぼ埋まり、さらに会場入り口のスクリーンには、100名以上の方が立ち見状態だったそうである。

入り口にいた会場責任者よりシンポジウム担当者に対し、「みなさん熱心に聞いておられ、良い表情で帰られていましたよ。大盛況でよかったですね」と良い評価を頂たそうである。その担当者の方は、翌月曜日に主任介護支援専門員更新研修の講義に博多まで行ったそうであるが、そこでも多数の受講生がいて、「とてもいい勉強になりました。元気がでました。」と感想を多数いただいたそうである。

多死社会において、看取り介護・ターミナルケアは、どの場所でも求められる利用者支援の機能であり、すべての保健・医療・福祉・介護関係者が興味を寄せている問題だということだろう。

それは一人ひとりの利用者が、人生の最終ステージをどう生きるのかという問題に関わってくる。そしてどこで終末期を過ごすのかという問題は、サービスや施設の種別で選ぶべき問題ではなく、そこで何ができるのかという個別性で選択することが大事になる。

そのためにも、日頃からの情報収集が大事となるが、多くの一般市民にその情報が届けられていない。居宅介護支援事業所の介護支援専門員なども正確な情報を持っているとは限らない。

そういう意味で、看取り介護・ターミナルケアに取り組む施設等は、積極的に地域に向けて、看取り介護・ターミナルケアの取り組み情報を発信していく必要がある。特養の看取り介護加算の算定要件である、PDSAサイクルの構築における、地域へのアクション(啓蒙活動)とは、そういう意味もある。

5日のシンポジウムでは、20分の発表の後、3人のパネラーが司会者と助言者を交えて、その後1時間近くディスカッションしたが、なにしろ時間が少なくて、十分な情報提供ができなかったという思いがある。

決められた時間で伝えられないというのは、僕自身の力量不足であるが、看取り介護を適正な品質を保って行うことが職員の定着率のアップにつながるという事例として、そこで生まれる様々なエピソードによって職員が何を感じ、どういう思いを抱く結果につながったかについて、フィクションではなく事実として伝えるのが一番の早道である。そうであればいくつものケースについて紹介したいところでもあった。

今回はひとつのケースしか紹介できなかったが、来年度も今年度に引き続いて、4/15の仙台に始まり、4/16東京、5/14札幌、6/10大阪、6/11名古屋、7/2福岡、8/6岡山という全国7ケ所で、1日5時間という長丁場の看取り介護セミナーを予定している。(案内と申込みは、こちらをクリックしてください

毎年、多数の参加申込みがあって、場合によっては皆様に受講していただけるように会場変更する場合もあり、キャンセル料はかかりませんので、受講希望の方は、ぜひお早めにお申込みください。
看取り介護セミナー「生きるを支える看取り介護の実践」


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報奨金で地域他付けケアシステムは深化するのか


地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案が、2/7(火)閣議決定された。

資料を読むと、制度改正の最大の目的は、制度の持続可能性を確保することであり、そのために高齢者の自立支援と要介護状態の重度化防止に、地域全体で取り組むとしており、「地域包括ケアシステムの深化・推進」という言葉が使われている。

そのために自立支援・重度化防止に向けた保険者機能の強化等の取組の推進を介護保険法に規定するとし、その具体策として、市町村ごとに国から提供されたデータを分析して地域課題を明らかにし、介護保険事業(支援)計画を策定することとしている。そして国が示す適切な指標による実績評価を定期的に行って、公表が義務付けられた結果が目標を達成した市町村には、財政的インセンティブを付与するというものだ。

インセンティブとは、言うまでもなく、「行動を促す動機付け」・「目的を達成させるための刺激」であるが、この法律における財政的インセンティブとは、目標を達成した市町村に自由に使える交付金を増やすなどの支援をすることを意味するようである。

国が示している、その部分の資料が以下になる。
市町村へのインセンティブ
支援の規模や参考指標及び結果評価の具体的内容については17年中に決め、18年度から実施することになるが、現在示されている具体策としては、市町村に要介護認定や給付費のデータに基づく目標を作るよう求め。1人当たり給付費だけでなく、ケアマネジャーや看護師らが介護計画を検討する「地域ケア会議」の開催状況や介護職員への研修回数も評価対象にしたい考えだ。

これによって何が起こるだろうか。本当にこれによって、地域包括ケアシステムは深化し、介護予防効果が上がるだろうか。

インセンティブで思い出すのは、健康保険のメタボ検診の義務化と保険料のペナルティ議論である。しかし結局それは効果が見込めず実現しなかったのではなかったか?

介護予防だけ、交付金という餌をぶら下げることで効果が現れるだろうか。

この資料の中で、先進的取り組みが行われているという大分県と和光市の真実はどうなっているのだろう。その地域の実態について、僕のフェイスブックに届いている声としては、「保険者がケアプランに口を出して身体介護を生活援助にしようとしたり、生活援助を行政として認めないと公言していたり自費サービスを推奨したりしています。措置と同じような状況です。」と、決して先進的な取り組みとはいえない実態であると論評している人もいる。

おそらくこの財政インセンティブが必要ないという市町村はないだろう。そのために介護予防・日常生活支援総合事業(以下「総合事業」という。)は、市町村から過度な?要求が突きつけられ、事業参入業者に要介護度の改善など結果が求められるだろう。しかしその結果とは、必ずしも介護予防や暮らしの質に関わるものではなく、場合によっては要介護度の改善等の結果があらかじめ見込めない利用者の選別・排除につながる恐れがある。

自己責任という名の自己負担サービスも、今以上に求められてくる。

地域ケア会議は、地域包括ケアシステムの肝となる大事な会議であるが、アウトカム評価が難しいゆえに、その評価は開催回数が一番の評価になるのではないか。そうであれば困難ケースをじっくり多職種で話し合うのではなく、課題解決につながるという結果を得やすいケースの検討が、「アリバイ作り」として行われる可能性が高い。

「ケアプラン適正化事業」の名乗る市町村の締め付けや、ローカルルールもさらに増える可能性が高い。そもそも地域の特性に応じたサービスの効率化と重点化との行き着く結果は、ケアプランの標準化とは相反する、地域ごとのルールに応じたケアプランの作成でしかない。それはある意味、保険者の担当職員の価値観の押し付けで終わる可能性が高い。ケアマネジメントの完全否定も横行するだろう。

居宅介護支援事業所の介護支援専門員に対する地域行政の介入は、今以上に増えるだろう。それが果たしてケアプランの質は向上するのかということについては、すでにそうならないという結論が示されている。(参照:根拠なきローカルルールでどんな地域社会ができるというのか

介護の専門家ではない専門職が中心的役割を担って分析するデータは、実生活に即さないものになるやも知れない。

そうなると総合事業の締め付けは大きくなるし、この部分の単価は下げられるだけ下がるということになり、要介護度の改善などに対する市町村独自の報酬算定ルールや事業サン参入ルールが適用されるかもしれない。これは介護サービス事業者にとって厳しいものになる。

だからといってその事業に参入しない事業者が生き残っていけるだろうか?今後は総合事業しかサービス利用できないカテゴリーに属する人が増えるわけであり、軽介護者の人はここにくくられていく。

その人たちが、いざ介護状態区分が重度化して、介護サービス利用が必要になったときに、総合事業で囲い込まれたサービスの外側のサービスを利用するかというと、その可能性はきわめて低くなる。

つまり今後の介護事業は、収益部門を介護サービスに置くとして、ひとつのサービスに偏らず、多角的経営が求められるとともに、保険外サービスでそれを補完しながら、市町村の総合事業は顧客確保の手立てとして別に見ていくという事業規模の拡大が必須だ。よって事業体力の脆弱な小規模事業者には、非常に厳しい法改正といえる。

しかも資料を読むと、障がい者サービスと高齢者サービスのミクスサービスや、保険事業と保険外事業の混合介護が推進されると取れる内容になっている。これも経営規模の小さな事業者には厳しい経営スタイルといえるのではないか。

地域密着型通所介護の、市町村による指定制限が法制化されることと相まって、小規模通所介護事業を中心にフライチャンズ展開していくという経営モデルは成立しなくなるのではないだろうか。

そして将来的に介護保険サービスは、サービス効率化・重点化の先に地域における巨大法人の寡占状態を招き、癒着の温床になるやも知れない。

それが考えすぎだと良いのだが・・・。

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言葉があっても実態のない地域包括ケアシステム


介護保険事業者に向けた集団指導や行政説明会では、「地域包括ケア」という言葉が飛び交っている。

そのシステムがその地域に存在しているがごとく、あるいはそのシステムによって何かが完成しているがごとく、行政担当者の口から何度もその言葉が出てくる。

しかし彼らはその言葉の意味をどのように理解して、どういう意味として使っているのだろう。本当にその概念や目的を理解して使っているのだろうか。どうもそうではなく、空虚な言葉としか感じられないことが多い。

地域包括ケアシステムの概念については、このブログ記事に何度も書いてきたように、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、医療や介護、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」であり、その目的は地域住民の、「生活上の安全・安心・健康を確保しながら、住み慣れた地域で暮らし続ける」ためである。

国が地域包括ケアシステムという言葉を最初に紹介した「2015年の高齢者介護」では、そのモデルとして広島県尾道市(正確に言えば旧・御調町)モデルを紹介していた。しかしその方式は、お金も人もかけて展開していたシステムである。

だが今国全体で推し進めようとしている地域包括ケアシステムとは、それと真逆に、お金をかけなくて済むシステムである。それで本当に領域横断のサービスの一体提供が、生活圏域ごとに可能になるのだろうか。僕はそううまくいかないのではないかと思うし、実際にうまくいっている地域は少ないと感じている。

そもそも給付抑制のために、国が盛んに唱えていることを考えてほしい。それは「全国横並びサービスではなく、地域の特性に応じた工夫を求めることによって、限りある財源を効率的・重点的に配分する」というものだ。地域包括ケアシステムを作り上げることによって財源は効率的・重点的に使われて抑制されるというわけである。

ではなぜ地域包括ケアシステムにすれば、財源抑制できるのか?それはこのシステムの中心的サービスである「介護予防・日常生活支援総合事業(新総合事業)」の財源構造を見れば明らかだ。

介護保険制度の介護給付費にしても予防給付費にしても、使えば使っただけそこに給付をしなければならないという、いわば「出来高」に応じた支出構造になっている。しかし新総合事業は、その地域の高齢化率や前年度の予算支出等によって計算された、「年額上限予算」によって運営されるものだ。つまりサービスをいくら使おうとも、国から給付される予算は、あらかじめ決められている上限をオーバーすることはないのだ。そのために市町村がその予算内で運営できるサービス提供方式の工夫をしなさいというのが、地域包括ケアシステムの一面でもあり、「効率的・重点的に配分する」という意味は、非効率で重点視できない部分にはお金はかけないから、自己責任で何とかしなさいということである。

そして地域行政には、年額上限がある予算を手渡して権限を与える替わりに、地域保険者を中心にしながら、民間事業者をうまく巻き込んで、その尻をたたきながら、住民福祉の質を担う義務を負わせて、社会保障費の自然増を抑制するということだ。

地域住民の福祉の向上は、地域の関係者に「多職種協働」というお金のかからない、耳障りのよい言葉とともに、その義務を負わせつつ、その方法論や結果については、地域行政・地域介護事業者に丸投げされたのが地域包括ケアシステムの現状なのである。

その中で、本来であれば多職種協働あるいは他職種協働の旗振り役の行政は、相も変わらず庁舎の中の縦割り組織の中で、協働とも連携とも関係のない仕事をしていながら、民間事業者にわけのわからない指示や要求を投げつけている。まったくもって滑稽なシステムである。

そんな空虚な言葉や、実体のないシステムで、近い将来の老後の暮らしの質が左右されるとしたら、この国の多くの地域はお先真っ暗である。

そもそもニーズに応じた暮らしの場の選択が、一番先に必要とされるシステムであるとしたら、政治家にはそのことを真っ先に説明する責任があるはずだ。地域の首長は、住み慣れた地域、先祖代々のお墓や土地のある地域からの住み替えも必要であるとの観点から、地域再編して、コンパクトシティーを目指すという一大政策転換が求められる。

それをしないで、地域包括ケアシステムなどできっこないし、できたとしてもそれは、幻か砂上の楼閣でしかない。

言葉に踊り、言葉に踊らされ、年額上限のあるサービスに移行する方策がシステムの構築だと勘違いしている輩に、地域福祉はズタズタにされながら、アリバイ作りの施策だけが進行中である。丸投げされた施策は、的確にそれを受け取る対象が見つからないまま、地域の中で腐りうずもれていくだけかもしれない。

答えは数年後に明らかになるが、そのときには遅きに失するものがたくさん出てきそうである。

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地域包括ケアシステムにおける介護保険施設の存在意義


地域包括ケアシステムとは、日常生活圏域で、急性期入院を除く医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスという5つのサービスを、一体的かつ適切に利用できる提供体制を全国につくるというものである。

しかしその5つの要素がすべて日常生活圏域に存在するとは限らない。限界集落といわれる地域ではなくとも、地方の小さな町の日常生活圏域すべてにおいて、この5つの要素を一体的にサービス提供するのは至難の業である。

このため2013年3月に、地域包括ケアシステム研究会がまとめた「地域包括ケアシステムの構築における 今後の検討のための論点」では、地域包括ケアシステムについて、「地域包括ケアシステムでは、生活の基盤として必要な住まいが整備され、そのなかで高齢者本人の希望にかなった住まい方が確保されていることが前提になる」と解説している。

つまり高齢期になった場合、心身機能の衰えが考えられ、その場合には心身機能に応じた、「住み替え」によって、現在の状況に合った居所を確保し、そのあらたな「住まい」を基盤として医療・介護・予防・生活支援サービスが一体的・適切に提供される仕組みであるという意味になり、当初の5つの要素が横並びとされた概念うち、一番先に「住まい」の確保を優先して考えるシステムになっているのである。

このことは高齢者が必要とするサービスがすべて存在する日常圏域に住み替えるという意味にとどまらない。

地域包括ケアシステムといっても、そのシステムを構築した地域に住んでいれば、自動的にサービスが自らに向けて提供されるわけではなく、それらのサービスを一体的に適切に利用するためには、サービスを利用する側の能力も必要とされるという側面もある。

そうであれば判断能力の衰えた認知症の人などは、このシステムの中で適切なサービスを受けるために、インフォーマルもしくはフォーマルな支援を必要とする場合が多いということになる。勿論、支援チームにはアウトリーチの視点が求められるので、声なき声を拾い上げ、積極的に介入していくことも求められるが、支援ニーズのある人すべてを発見できるわけではないのだから、自分がいま住んでいる日常生活圏域の範囲内で、自らのニーズを代弁してくれる誰かのいる場所への住み替えという意味も含まれている。

そのことを示した概念が、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」というものである。

介護サービス関係者であれば、「地域包括ケアシステムとは何か?」という質問に対し、即座にこの概念を示すことができなければならない。そうでなければこのシステムの中で自分が何の役割を担い、何をすべきかが見えてこない恐れがある。

ところでこのシステムは、地域で創るシステムであるが、居宅サービスのみのシステムではなく、施設サービスをも含めた、地域全体のシステムであるという理解が必要だ。

よって介護施設は、このシステムの中でそれぞれ役割を持っており、その役割に沿ったサービスの質が求められてくる。場合によっては、現在の体質を変えなければ、地域包括ケアシステムの中に組み入れられない施設となり、消えてなくなるべき施設というレッテルを貼られる。

例えば特養の場合は、重介護者の暮らしの場として、住み替えの候補となるべき居所である必要がある。そうであれば特養がその住み替え先の一つとして選択されるためには、施設サービスという概念を飛び越えて、重度要介護高齢者の終末期を含めた暮らしを支える、ケア付き集合住宅としての機能が求められていくのは必然の結果である。

集団生活という言葉に代表されるような、施設側の価値観やルールを押し付ける旧態然の施設サービスでは、このシステムから退場しなければならない。(参照:特養に集団生活の論理は通用しないぞ

療養型老健を除く老健施設は、そのリハビリ機能を最大限に発揮し、身体機能を高めて地域で暮らし続けることを支援する施設機能をさらに求められるが、それは一度きりの機能ではなく、加齢とともに身体機能が衰えるたびに、何度も繰り返し利用して、身体機能の向上を図る施設である必要がある。それと同時に、最終的には回復不能の終末期にも対応できる施設としての多機能性が求められてくる。

つまり老健が地域包括ケアシステムの中で担うべき機能は、看護小規模多機能型居宅介護の施設版といった機能で、それを「大規模多機能型施設」と表現しても良いのかもしれない。

療養型老健と介護療養型医療施設(2018年度からさらに6年の経過措置で存続)及び、それに替わる「介護医療院」については、特養がカバーできるキャパを超えた重度医療対応者の暮らしを支える場所として存在することになるのだろう。これらの施設では、経管栄養の人が数多くなると思われるが、同時にリビングウイルの視点から、食事の経口摂取が出来なくなった場合にどうしたいのかという利用者本人の意思を、意思確認できる間に確認しておく運動を推進する拠点となっても良いのではないだろうか。

こうした機能を持った施設が、日常生活圏域の中に存在している中で、その他の介護サービスや医療サービス、生活支援が複合的に提供されるシステムが求められているのであり、そういう意味で、地域包括ケアシステムの完成形とは、居宅サービスと施設サービスの区分がなくなる体制のことであるともいえるわけである。

ひとついえることは、そのシステムの概念をあいまいなままにして、地域包括ケアシステムとは何かという質問に満足な回答をできない人が、地域包括ケアシステムをお題目のように唱えても意味がないということだ。

自分の所属事業だけの方法論も考えてもシステムにはならないということだ。

さらに言えば、自らが縦割りの対応しかできない人が、このシステムの中で多職種協働が必要だと語っても、何の説得力も持たないということだ。

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地域包括ケアシステムにおける老健の役割


老人保健施設は、要介護老人の心身の自立を支援し、家庭への復帰を目指す施設として、1986年 11月の老人保健法改正により創設された。

法の精神と目的に沿った老健の機能とは、疾病等の急性期治療を終え在宅復帰するために入所した利用者に対し、個別リハビリテーションを含んだ医学的・治療的リハビリーテーションエクササイズを中心にサービス提供して、身体機能の改善を目指すことである。その結果として在宅復帰の目的が遂げられることを目指すものだ。

この機能と目的に着目した表現として、老健は「中間施設」と呼ばれることも多い。つまり本来の中間施設とは、医療機関と自宅の中間という意味であった。

2000年に介護保険法が施行されたことにより、老健も介護保険法の中に、介護老人保健施設として位置づけられるようになったが、その機能自体は変えられなかった。

しかしこの頃から、老健の中間施設機能に変化が見られ、医療機関と自宅をつなぐ施設というより、特養入所の待機施設という色合いも濃くなり、在宅復帰率の低下と入所期間の長期化が問題となり始めた。

2002年に老健局長に就任した中村秀一氏は、戦後初めて診療報酬をマイナス改定とするなど、豪腕といわれた人であり、後に「地域包括ケアシステム」の教科書的役割を担う「2015年の高齢者介護」を作った人であるが、その中村氏が就任直後に、「在宅復帰機能のない老健は看板を下ろせ」と老健批判の狼煙を上げ、2003年報酬改訂では、老健から訪問リハビリが派遣できるようにして在宅復帰支援機能を強化した。

それは2006年の報酬改定時の試行的退所とか、在宅復帰率の実績加算の新設につながっていった。

その後、医療及び介護療養病床の廃止論議の中で、廃止後の入院患者及び利用者の受け皿としての転換先として、老健が考えられるようになり、療養型老健が創設されるなど、長期療養する老健施設も生まれた。

さらに地域包括ケアシステムは、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみならず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」(平成25年3月地域包括ケアシステム研究会)と定義づけされ、要介護高齢者の暮らしの場の多様化が求められてきたことから、老健が特養や、グループホーム、サ高住等へつなぐ間のリハビリ施設としての役割も否定されなくなった。

そうした中で老健は大別して、療養型、一般型、在宅復帰強化型という分類化がされていったが、そこでは同時にターミナルケアの役割も期待されるようになり、2015年の介護報酬改定時に示された資料(改定の要点)では、「老健でのターミナルケア・看取りは、利用者の長期間の在宅療養支援の結果として行われるものであり、このような観点からターミナルケア・看取りを評価。」と解説されている。

つまり老健の在宅復帰機能とターミナルケアの機能は、相反する機能ではなく、在宅復帰を目指す先に、高齢期の終末をも支える機能を併せ持つという意味で、両者は矛盾しないと考える必要があるのだ。

具体的に言えば、在宅復帰した人に対しては、老健からの訪問リハビリなどで、退所後のフォローを行いながら身体機能維持に努めるが、加齢とともに身体機能を維持できなくなるケースも多く、そのために一定期間自宅等で過ごした後に老健に再入所し、再び在宅復帰を目指すというケースが増えてくる。こうした利用を複数回繰り返すことで、ずっと施設入所したまままではなく、一定期間は自宅等で過ごすことができる人がいる。そしてそれらの人が老衰などで回復不能な終末期になった時点で、なじみの職員がいる老健で終末期を過ごすことを求め、老健に入所してターミナルケアを受けるというケースが考えられる。

このように老健で行われるターミナルケアは、老健で過ごしている人がそこで身体状況が変化して終末期を迎えるというケースにととまらず、何度か老健を利用しながら在宅で生活していた利用者が、自宅等で終末期の状態になり、その対応が自宅等では難しいことを理由にして、ターミナルケアを受けることを目的に、老健に入所するというケースがあるということだ。

特養の看取り介護では、このようなケースはほとんど見られない。そういう意味では、老健のターミナルケアとは、住み慣れた地域で暮らし続ける取り組みを行った結果、最終的に安心・安楽の場所として選択されるという意味で、それは地域包括ケアシステムの中で求められる重要な役割といえるのではないだろうか。

そう考えると、地域包括ケアシステムの中での老健の役割とは、在宅復帰を目的とした施設内のリハビリテーション機能だけではなく、要介護高齢者が住みなれた地域に戻った後の、利用者の居所における訪問リハビリテーション機能を併せ持つと同時に、最終的には加齢等の理由で回復不能になった場合であっても、最期まできちんと対応できるターミナルケア機能を持つことが求められているといえよう。

来るべき2017年には、こうした老健の機能強化が課題となり、ターミナルケアができる老健が、より一層求められるであろう。
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多職種連携の肝は、優しさかもしれない


高齢者が病弱になっても、心身の障がいを持ったとしても、住みなれた地域で暮らし続けるために、地域住民のニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制を地域包括ケアシステムと呼ぶ。

ここでは住まい・医療・介護・予防サービス・生活支援が一体的に提供される必要があるために、それぞれの分野の関係者による、有機的支援体制が求められる。よって「多職種連携」の必要性が強く叫ばれるわけである。

じゃあ、その多職種連携を誰が大きな声で唱えているかと言えば、厚労省であり、都道府県の担当課であり、市町村の担当者であったりする。

そうした人たちが、介護事業者に向けた研修会やセミナー等で、声高に「多職種連携」という言葉を唱えるたびに、僕は鼻白く感じる。「あなた方は、過去において、あるいは現在も、多職種連携の実績があるのか?」といいたくなる。

介護事業者の多職種連携を促す前に、自分たちの縦割り行政を何とかしろと言いたい。縦割り行政と、その意識で凝り固まった役人の、鼻をくくったような対応がなくなれば、それだけで地域住民の福祉は、大幅に向上するのではないのかと言いたい。

まあそれはさておき、僕たちには、寄り添うべき利用者が目の前に居られるので、それらの人たちの暮らしが少しでも良くなるように、できることを粛々と行っていかねばならない。そのときに多職種連携が必要というのであれば、僕たちのできる限りの知恵と努力で、その関係を構築しながら、有機的に繋がる体制を作っていく必要があるだろう。

そもそも多職種連携が求められる理由は、様々な領域の専門家がいるとしても、それらの人々が世の中のすべての事柄に精通しているわけではないという、至極当たり前の理由によるものだ。

世に秀でた専門家であっても、別の分野のことは全く分からなかったり、特定分野からも物事を眺めても、見えてこない部分があるかもしれないので、様々な専門家が、それぞれの専門領域の知識と技術を持ち寄って、多角的に支援方法を構築しようという意味である。

そうであれば、そこではお互いの専門性を尊重しあって、吸収しあうという関係性が求められる。異なる専門性をもつ複数の者が、援助対象である問題状況 について検討し、よりよい援助の在り方について話し合うプロセスをコンサルテーションと呼ぶが、多職種連携には、まさにこのコンサルテーションというプロセスが重要になるのである。

そのプロセスの中に居る専門家には、他の専門職の声を聴く、「謙虚な耳」が求められるのと同時に、他の専門職に自らが持つ専門性に基づいて、自分が持つ知識や援助技術を、丁寧に分かりやすく説明するという、「誠実な口」が必要とされるのである。

勿論、専門家集団であるからこそ、分かり合うまで議論を尽くすという姿勢は必要で、他者の言葉を無批判に受け入れるだけではなく、疑問は素直に表出しながら、皆で答えを引き出していくという過程も忘れてはならない。

人間は誰しも完璧な存在ではないので、間違えることもあるが、チーム全体でその間違いを修正しながら、利用者に支援が届くところでは、考えうる最良の方法を構築していくという考え方が必要なのである。

多職種連携は、単なる仲良しチームではなく、実効性ある支援方法を作り上げる、専門家・実践家集団の活動プロセスに不可欠な関係性であるといってよい。

多職種連携は、利用者の暮らしの課題を解決するという結果責任を負うチームだということも忘れてはならない。連携するために頑張っているけど、利用者の暮らしはちっとも良くならない、というのでは何の意味も無いことだ。連携は目的ではなく手段である。

そんな難しい話は抜きにして言えることは、連携とは、わかりあうってことだ。わかりあうってことは、ゆるしあうっていうことだ。ゆるしあって、おぎなって、お互いを支えながら光を届けることだ。

そうしたお互いを思いやる心なしでは、つながりなんてできない。

人の暮らしを支援するということは、人としてのやさしさが求められる行為である。

そうした行為を行おうとするメンバーが、メンバーに対して優しさを失ってしまえば、そのチームの雰囲気は、殺伐としたものになるだろう。仲良しクラブでなくても良いとは言っても、殺伐とした関係性で、良い支援ができるとも思えない。

もちろん職業である以上、厳しさも、叱咤も必要だが、愛の無い厳しさは憎しみしか生まない。それは人を幸せにしない。

僕たちはどんな場面でも専門性を基盤に、自らの知識や援助技術が向上するための研鑽を続ける必要があるが、対人援助として、人に関わる職業である以上、常にそこには目に見えない、「愛と優しさ」というエッセンスを加えることを忘れてはならないと思う。

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多職種連携は、枕詞の域をでていない



地域包括ケアシステムの構築が急務であると言われているこのご時世で、多職種連携という言葉が飛び交い、診療報酬も介護報酬も、所属事業所や職種を超えた連携に関する加算が増えている。

餌を巻いて、何とか仕組みを創ろうとしているわけである。

しかしながら多職種連携の必要性を声高に唱える勧進元の連携は進んでいるのだろうか?

国にしても、都道府県にしても、市町村にしても、自らの組織の縦割りを何とかしてから、多職種連携という言葉を使ってほしいものだ。

地域包括支援センターの職員も、委託であろうと直営であろうと、市町村の機関であることに変わりはないのだから、市民に迷惑を及ぼす縦割りの弊害をなくしてから、「レンケイ」という言葉を使ったらどうなんだろうか。

硬直的な組織で、窓口が違えばわれ関せずという姿勢の人々が、特定の場所に立った途端に、「多職種連携」を口にして、「たしょくしゅ」は、多職種でもあり、他職種でもあるなんて、わかったような解説をしている姿は、滑稽さを通り越して、みじめでさえある。

この縦割りにメスを入れかけたのが、介護保険制度の当初の姿であった。日本式の居宅ケアマネジメント方式ともいえる、居宅介護支援のありようは、利用者と社会資源を結びつける窓口を一般化し、介護支援専門員という有資格者たる専門家を、一人一人の住民の担当者とし、利用者はその担当者を通じて、介護保険サービスをはじめとした、自分のニーズにかなう社会資源と結びつくことができるようになった。

まさにワンストップサービスが実現することになったわけで、これは利用者レベルまでは、直接的に縦割り行政の弊害である、「たらいまわし」の閉塞感が及ばない状況を生み出したといってもよく、介護保険制度を機賭けにして、そこに風穴を開ける可能性を感じさせた。

しかし財源論に振り回されつつ、走りながら考える制度であるがゆえに、平成18年の制度改正時に介護予防給付の設立という名の、「給付抑制」によって、要支援者と要介護者の、サービス利用の際の担当者が変わってしまうという弊害を生み、事実上ここで介護保険制度のワンストップサービスは崩壊した。

地域包括ケアシステムでは、町村の新総合事業への移行という形で、予防給付と介護給付サービスを利用する人をさらに削減するのであるから、利用者が直接利用する担当機関や、訪ねなければ窓口はさらに増えてくる。

認定を受け、非該当にならなければサービスを使えたはずの介護保険サービスは、要介護以状態区分と認定されても、軽度認定であれば、原則特養には入所できなくなるなど、保険料を強制的に徴収される義務によって生じたはずの、国民がサービスを利用する権利さえ奪われつつある。

古き悪しき時代への先祖返りが、介護保険制度改正の実態となっているのではないだろうか。

財源をかけないために取り入れられる地域包括ケアシステムでは、利用する権利を奪われた介護難民が、地域行政を頼って、地域をさまよい歩くシステムである。

その時に、そうした介護難民にどう手を差し伸べるかについては、市町村の責任と義務において考えなさいというのが国の姿勢である。

これは地域包括ケアシステム=地域丸投げケアシステムといわれる所以でもある。

介護支援の専門家はそうした中で、地域の様々な専門家との人間関係をつなぎながら、真の連携を構築していかねばならない。なぜならこのシステムの中に、そのような生きた連携を生むシステムは存在しておらず、個人のスキルと責任感に期待した部分が多い、大甘見込みのシステムだからだ。

縦割り行政から脱皮できない組織に所属する人間が、声高に叫ぶ「多職種連携」に嫌気はさすが、自分の仕事が社会に役立つためには、声だけでかくして、実行の伴わない役人の存在など無視して、自分なりの連携スキルを高めていくしかないだろう。

そこで必要なのは、方法論は違っても、誰かの赤い花になろうとする志を、共有しあい認め合うつながりだ。

そのことを心に、今日も明日に向かって歩き続けたいと思う。

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求められる介護と多職種連携とは何か


地域包括ケアシステムでは、多職種連携が求められるという。

しかしその連携とは具体的にどのようなものが求められているのだろう。そのことを考える際には、まず地域包括ケアシステムとは何かという概念の理解が不可欠であり、そのうえで地域包括ケアシステムによって創造したい「仕組み」とは何かという理解が必要となる。

地域包括ケアシステムとは、当初、「日常生活圏域において医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保されるシステム」とされていたが、2013年3月に出された地域包括ケアシステム研究会報告書では、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で〜」とされ、横並びであった5つの要素のうち、「住まい」の確保が前提であると概念変更されている。

つまり地域包括ケアシステムとは、住み慣れた地域で暮らし続けることを目的としているが、それは「自宅」とは限らず、早めの住み替えにより適切なサービス利用に結びつけることで、限りある財源を効率的に使うようにしようとする体制なのである。このことは、このブログで何度も指摘しているところである。

そうであれば「住み替え先」は、介護保険制度上の「居宅サービス」に限らず、特養もその一つに考えられてよいわけで、そこが利用者の個別ニーズに照らして、適切な暮らしの支援を行うことが可能な居所になるという前提条件のもと、多様な暮らしの場の選択肢が地域住民には求められるわけである。

この時に要介護者の居宅サービス計画を担当する介護支援専門員などが、施設サービスに対する、ある種の「偏見」を抱え、施設に入所することは、生活の質の低下であり、それは居宅サービス計画作成担当者の敗北であると考えてしまうと、本当の意味で利用者の暮らしは護ることができなくなる危険性がある。

サービス付き高齢者向け住宅や、有料老人ホームへの住み替えは問題なく、特養への住み替えは問題と考える方がどうかしているのである。

勿論、要介護高齢者の住み替え先としてふさわしくない、「施設」も存在することは事実であるが、それは個別のサービス提供体制の問題として判断すべきことであって、種別がどこであるかというふうに住み替え先を考えるべきではなく、それはできるだけ限定せず、広く考える必要がある問題である。

ここで考えてほしいことは、地域包括ケアシステムによって作ろうとしている仕組みとは何かということである。それは入院しても円滑に退院が可能となり、医療が必要な高齢者や重度の要介護高齢者が可能な限り地域(住まい)で生活できる仕組みであり、増大する認知症の高齢者を地域で支える仕組みであり、さらに医療機関に入院せず「住まい」で看取りができる仕組みである。

そうであれば、急性期〜回復期を医療機関で過ごした人が、地域に戻るに際し、疾病が悪化しないで暮らしが送れるように、医療チームと保健・福祉・介護チームの緊密な連携が必要とされるわけであり、それぞれの分野の専門家の継続的な関わりを調整する中心的な役割が誰になるかということが問題になる。

それは多くのケースで、介護支援専門員に求められる役割りではないかと思う。

住み替え先で求められる機能も、脳血管障害等の後遺症を抱えた高齢者が早期退院して、地域の住まいで暮らすわけであるから、そこがどこであろうと、それらの人々に生活機能向上を目的とした機能訓練を提供する体制が求められ、認知症の人に対する専門的なケアや、看取り介護ができる体制も求められてくる。

入院先から退院して住む場所が、サービス付き高齢者向け住宅や自宅である場合は、その後の暮らしの支援プランを立てる居宅介護支援事業所のケアマネジャー等が、医療機関から適切な情報提供を受けることを前提に、継続的に医療・看護の専門的見地からのコンサルティングを受けながら、利用者の代弁者として、医療・看護チームとコミュニケーションを交わし、利用者の暮らしを支える居宅サービス計画を立てることが必要となる。その際に、ソーシャルワーカーとして、多職種との情報共有や連携支援体制を構築することが求められるということだ。

この役割が施設サービスの場合、施設ケアマネジャーが中心的に担う役割になろうし、特定施設においても、そこのケアマネジャーが担う役割になろう。

こうした利用者の暮らしの場が、介護施設に求められるのであれば、その時施設は利用者が選択できる居所として個別ニーズに対応するサービスの質が求められる。

施設の勝手なルールや、サービス提供側の都合で、サービス内容が決まるというサービスは、地域包括ケアシステムを担う要素にはなり得ないということだ。

さらに地域包括ケアが、住民全体の暮らしを支えるシステムであることを鑑みると、介護施設は、高品質なサービスを個別ニーズに応じてい提供するとしても、それは施設サービスとして自己完結するだけではなく、地域に生活支援機能を届ける機能として、地域貢献活動(特養の直接処遇職員の専従規定の緩和は、ここに結びつく)が求めらえてくるであろう。

この時に、特養の看取り介護加算要件のPDCAサイクルで求められた地域啓蒙活動は、その役割を果たすために必要不可欠な機能であり、今回の算定要件では、この部分は努力目標とされただけであるが、そうであっても、出来るだけ終活セミナー等の形で、地域住民への啓もう活動を実施して、積極的にこの役割を果たしていく視点が求められるであろう。

また在宅での看取りの場合、在宅療養支援診療所の医師と、訪問看護ステーションが中心に、支援チームが創られる傾向にあるが、この部分でケアマネジャーや介護サービス事業所は、単に医療・看護チームの、指揮を受けて、命じられたサービスを提供すればよいという意識ではなく、福祉・介護の専門家としてのコンサルテーションの役割りを、積極的に果たしていくという使命を意識すべきで、それは結果的には、利用者の代弁者としての役割りを果たすということになるのだと思う。

どちらにしても、地域包括ケアシステムで求められる3大要素は、生活機能向上の機能訓練、認知症ケア、看取り介護・ターミナルケアであることを意識し、そこにどのような支援チームを創り上げ、メンバーがどのような役割を分担しながら協力し合っていくのかが重要となるだろう。

その体制づくりのためには、法制化された地域ケア会議を大いに利用する必要があるし、逆に言えば、地域ケア介護を定例のケース検討会と言うアリバイ作りのためだけに実施するのでは、その地域では包括ケアシステムは機能しない結果となるだろう。

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地域連携拠点としての通所介護


我が国では、団塊の世代が全て 75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる2025 年に向けて、「地域包括ケアシステム」を構築していくことが喫緊の課題とれており、その目指すところは、保険料と公費で支えられている介護保険制度の持続可能性を高めることである。

つまり限りある財源を必要なところに重点配分するために、制度改正が行われているという意味であり、通所介護の報酬引き下げは、今までそこにあまりに偏った報酬の重点配分があって、それを是正したと理屈づけられている。

しかし報酬は削減したものの、役割は新たに追加されている。それが以下の図に示された、「地域連携拠点」としての役割りである。
地域連携拠点としての通所介護のあり方
構築が急がれる「地域包括ケアシステム」の中で、通所介護の役割りは、医療機関や他の介護事業所、地域の住民活動などと連携し、通所介護事業所を利用しない日でも利用者を支える地域連携の拠点としての機能を展開することとされ、そのために生活相談員の専従要件を緩和し、事業所内に限った利用者との対話を主体とした相談業務のみならず、サービス担当者会議に加え、地域ケア会議や、利用者の地域生活を支えるための取組にも参加できるように基準変更されている。

これが、「相談員は街に出よう」というスローガンであらわされている新たな通所介護の役割りであり、求められる機能である。

介護報酬が減らされ、人員配置を増やすことが困難な状況で、役割だけ増やされても困ると考える向きはあるだろうが、通所介護と言うサービスの存続のために、その役割を果たしていくという努力は必要だろう。同時のそのことが、地域から信頼される事業者として、顧客確保につながっていくのであれば、それに越したことはないと思う。

ただ、「地域連携拠点」という重い役割は、相談員が頑張るだけで実現する機能ではない。通所介護の全職員がそうした意識を持ち、相談員が事業所から外へ出て活動することの理解と支援を行うだけではなく、自らが地域連携拠点としての役割を担った事業所に所属しているのだという意識を持ち、すべての職員がその責任を担うという意識付けが不可欠だろう。

地域連携拠点としての機能は、あくまで通所介護を利用する人を、利用日以外も支援できる機能であるが、利用者が暮らす地域に生きる人を、何らかの形で支援できるのであれば、それは利用者の生活の質にも必ずつながっていくのだから、現在の基準の中で、通所介護職員ができることを、新たにに見つけていくことは重要になる。

そもそも通所介護事業所には、相談員以外にも、多職種の人が配置されている。その中で送迎業務には、配置基準にはない職種の人も含め、様々な職種の方々が携わっている。現に街に出て業務をしている人は、相談員だけではないのである。

多くの事業所では、複数台数の送迎車を出しているだろうから、介護職員が送迎業務を行っている場合も多いだろう。そうであれば、街に出るのはそうだ人だけではなく、送迎業務の中で街に出る人たちが、そこで地域連携拠点として、どういう役割を果たすべきかを考えることが、地域包括ケアシステムが機能するためには重要になる。

例えば、運転業務に専従している職員もいるはずだ。例えば併設施設の営繕業務を主として、通所介護の送迎時間のみ運転手として関わっていたり、法人全体の運転業務の中で、通所送迎に関わっている人も多い。

このように介護業務の経験はないものの、利用者送迎の運転業務に携わっている人もたくさん居られるのだろうと想像する。

そうした人たちの専門性は、運転業務というものの中に求める専門性であって、安全運転に努め、送迎中、利用者の皆様に気持ち良く車内で過ごしていただくことや、そのための運行管理であることは言うまでもない。

しかし同時に、それは介護サービス事業の中での運転業務であるということを自覚して、地域連携拠点事業者に所属する職員としての専門性を意識し、その責任と使命を果たすという意味においては、別な役割もあるのではないかと考える。

このヒントは、岡山県倉敷市のYさんからいただいたものだ。過去2回倉敷市で講演を行ったことがあるが、その際に常にお世話になっているYさんは、介護事業運営やアドバイザーの仕事の傍ら、通所介護等の送迎などにも係ることがあるそうで、その際には、送迎地域にどのような高齢者が住んでおられるのかを把握することに努め、高齢者世帯の様子を常に確認し、そのお宅のカーテンが日中でも、閉まりっぱなしではないか、洗濯物がずっと干されたままではないかなどを確認し、異変があったら、そのお宅を訪ねて安否確認するようにしているそうである。

こうした意識は非常に大事なことだと思う。

地域包括ケアシステムの基盤は、保健・医療・福祉・介護に携わるそれぞれの専門家が、自らが地域福祉を形成する人的資源であることを意識し、ネットワークを作っていくことが重要で、まさにアクトローカリィーの精神と実践が求められてくるわけであり、そうした連携の拠点として位置づけられた通所介護の運転担当者は、運転業務だけではなく、運転する街で何が起こっているのかを知ろうとして、そこで自分自身が地域ネットワークの一員として、出来ることを実践していくという考え方が必要である。

今国が進めている地域包括ケアシステムは、お金をできるだけかけないシステムとして考えられているので、地域ごとの介護サービス事業者の意識の差が、地域包括ケアシステムを形骸化させるのか、実効性のあるものになるのかという分岐点になる可能性が高い。

地域連携拠点に位置付けられた通所介護事業所が、その役割を本当に担えるのかどうかによって、地域包括ケアシステムが機能するか、形骸化して単に地域丸投げケアシステムに陥るかどうかの分岐点になるのかもしれない。

こんな話も含めて、12/4(金)19:00〜札幌市手稲区渓仁会ビル(手稲区前田1条12丁目1−40)にて、「地域包括ケアシステムにおける通所サービスの役割と期待」をテーマに講演(手稲区通所サービス連絡会研修会)を行う予定がある。

受講対象は、「手稲区通所サービス連絡会会員」となっているが、非会員の方は、当日入会(年会費1.000円)してからの参加が可能だそうである。詳しくは貼りついたリンク先を参照のうえ、お申込みいただきたい。

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地域包括ケアシステムの中での老健の機能を考える


下記の図は、関係者には見慣れた(あるいは見飽きた)地域包括ケアシステムのイメージ図である。
地域包括ケアシステムのイメージ図
ここの右上の方に、「施設・居住系サービス」として、特養と老健が、特定施設やグループホームなどとともに記されている。

等と記されているが、この中には、「介護療養型医療施設」も入るのだと思える。この施設が表記されていない理由は、同施設が法律では、2017年度(2018年3月末)までに廃止されることになっているからであろう。(※ただし、現在の方向性は、何らかの形で存続させるというところに向かっている。)

このように介護施設も地域包括ケアシステムを構成する要素であり、その意味は介護が必要になった人が、地域で暮らし続けるための機能を持つという意味である。

特養の場合ならばその意味は、身体介護が必要になり、その状態が重度化した後に「住み替える」ことのできる、「暮らしの場」であり、できればそこは、看取り介護も提供できる終生施設としての役割りと機能をもつことが期待されている。

老健の場合は、基準省令第一条の二において『介護老人保健施設は、施設サービス計画に基づいて、看護、医学的管理の下における介護及び機能訓練その他必要な医療並びに日常生活上の世話を行うことにより、入所者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるようにすることとともに、その者の居宅における生活への復帰を目指すものでなければならない。』と定められているのだから、在宅強化型老健に限らず、在宅復帰機能を持つ施設であることは言うまでもない。

地域包括ケアシステムの中でもこの機能は重要で、住み慣れた「住まい」に復帰するために、リハビリテーションを提供し、身体機能の向上を図ることが求められていることも間違いない。しかしそこになぜ「ターミナルケア加算」という算定単位が存在し、ターミナルケアの機能が同時に求められているのかをも考える必要がある。

これに関連しては、第105回(H26.8.7) 社保審−介護給付費分科会に面白いグラフ資料が提出されている。
老健のターミナルケア加算算定の状況
老健のターミナルケア加算は、全体的には算定率が低い状況ではあるが、資料グラフからわかるように、在宅強化型老健の方が従来型老健より算定割合が高いことが読み取れる。

これはなぜか。在宅強化型老健は、在宅復帰率とベッド回転率が一定割合を超えていなければならない施設である。そうなると個別リハビリテーションを充実させて、在宅復帰を視野に入れた利用者が入所してくることになり、特養の待機のための利用と言う人が少なくなり、利用者の入所期間は自ずと短くなる。その中で在宅復帰していく人が多くなるという状況が生まれる。

在宅復帰した人に対しては、老健からの訪問リハビリなどで退所後のフォローもしている場合が多いが、それでも退所された人が、ずっと身体機能を維持できるわけではないので、一定期間自宅等で過ごした後に、老健に再入所し、再び在宅復帰を目指すというケースが増えてくる。こうした利用を複数回繰り返すことで、ずっと施設入所したまままではなく、一定期間は自宅等で過ごすことができる人がいるわけである。

そういった利用者が、最終的には老衰などで回復不能な終末期になった時点で、なじみの職員がいる老健で終末期を過ごすことを求め、老健に入所してターミナルケアを受けるというケースが増えているのだ。

つまり老健で行われるターミナルケアは、老健で過ごしている人がそこで身体状況が変化して終末期を迎えるというケースにととまらず、何度か老健を利用しながら在宅で生活していた利用者が、自宅等で終末期の状態になり、その対応が自宅等では難しいことを理由にして、ターミナルケアを受けることを目的に、老健に入所するというケースが多いのである。

特養の看取り介護では、このようなケースはほとんど見られない。そういう意味では、老健のターミナルケアの特徴は、繰り返し老健を利用しながら在宅生活を維持していた人が、最後はターミナルケアを受けるために老健に入所することであり、それは地域包括ケアの中で求められる役割ではないだろうか。

現に今年度の介護報酬改定時に、老健のターミナルケア加算のついては、「老健でのターミナルケア・看取りは、利用者の長期間の在宅療養支援の結果として行われるものであり、このような観点からターミナルケア・看取りを評価。」と解説されている。

そうであれば、このコンセプトは既存型老健にも通用するものなのだから、在宅復帰した人が、繰り返し老健施設を利用しながら、最終的に老健で最期の時を過ごすというところまで見通しながら、利用者の暮らし全体を支えていくと考える必要があるだろう。老健の支援相談員の意識も、そこに向けて関係構築していくという視点が必要ではないだろうか。

このように、老健の在宅復帰機能と、ターミナルケアの機能は、相反する機能ではなく、在宅復帰を目指す先に、高齢期の終末をも支える機能を併せ持つという意味で、両者は矛盾しないと考える必要があるのだ。

そして地域包括ケアシステムの中では、老健と言う施設の中だけで完結するサービスに陥らないように、最期もきちんと対応できるターミナルケア機能を持つからこそ、地域の中で利用者を支援できるのである。

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市民を巻き込んだ包括ケアシステムでないと機能しない


僕は登別市内で、様々な公的な役職を拝命しているが、その一つが民生委員推薦会委員というものである。

この委員会は、市内各地域を管轄する民生委員の定期改選や解嘱・欠員補充の委嘱について、民生委員としてふさわしいかどうか等を判断し、承認するための機関である。

委員会の事務局は市が担当するが、委員については登別市議会議員、町内会長、民生委員、市役所職員などいわゆる地域事情をよく知る有識者と呼ばれる人たちが専任されている。僕は社会福祉施設の施設長と言う立場で選任されている。

その推薦会が昨日も開催された。新たな民生委員の推薦の承認については問題なく行われたが、「その他」という議事に移ると、議長から事務局に質問が出された。

その内容は、「介護保険制度が変わって、29年度から介護保険が使えなくなる人がいて、その人たちのサービスは、町内会単位で行う必要があるとされているが、民生委員の担当地区は町内会の区割りとは異なっているので、制度改正に備えて、町内会単位に変えようという考えはないのか?」というものである。

その質問に対して、事務局である市の担当者は、「今のところ担当地域を変える考えはない。」と回答し、この質疑はそれで打ち切られそうになった。

しかしこの質問には大きな誤解がある。そもそも質問者が問うていることは、要支援者の訪問介護と通所介護が、市町村の新総合事業化されることを指していると考えられる。登別市の予防訪問介護と予防通所介護の移行時期が29年4月からであり、その時期に民生委員の地区割りを町内会単位に変える必要はないのかというのが質問の主旨と思える。

しかし29年の新総合事業実施時期に、要支援者は介護保険が使えなくなるわけではないし、新総合事業も町内単位で実施されるわけではない。そのグランドデザインを町内会役員が中心になって示すものでもない。

このまま質疑が打ち切られ委員会が終了すれば、民生委員推薦会という公的機関の委員が、新制度ルールを誤解したまま帰ることになり、そのことによって地域内でさらなる誤解が生じ、市民レベルで不安が広がる恐れがあると思った。そのためこのようなあやふやな理解のままにして帰すわけにはいかないと思い発言を求めた。

そこで、新総合事業は市町村単位で実施されるもので、要支援者が介護保険制度を使えなくなるわけではなく、介護予防訪問介護と介護予防通所介護が、市町村の事業に移行し、そのサービス形態は市町村ごとに異なって、ボランティアなどの活用も考えられる中で、町内会の社会資源の利用が模索されることにはなるが、町内会単位での新しいサービスを創らねばならないものでもなく、民生委員の活動地域を変える必要性もないし、そのことは直接制度のルール変更とリンクするものではないことを説明した。

委員会のあとに他の委員の方からも、「町内会や町内会長が、主体的に何かをしなければならないという噂もありますけど、違いますよね」というようなことを確認されたとして、基本的には新事業のグランドデザインは市の責任で構築され、そこに町内会として協力する必要が出てくるかもしれないが、町内会がそのことを主導するわけではないことも説明した。その中で、「混乱している情報に振り回されている部分があって、心配していたけど、安心しました。」という意見もいただいた。

このような委員会の理解レベルもこの程度であるし、市町村が実施する事業と言っても、担当課が違えば、その職員であるにもかかわらず、このことの説明や的確な質問への回答ができないのが現状であることを思い知った。

そうであれば、一般市民レベルで、「地域包括ケアシステム」とか、「地域支援事業、新総合事業」などと言っても、どれだけの人が、その正しい意味が理解できているかを考えると、それはほとんど理解されていないというのが実情だろう。

そういう実情を鑑みれば、この地域の地域包括支援センターの、市民に対する情報提供はまだ不十分であると言わざるを得ないし、今後どういう形で、地域包括ケアシステムというものを、市民に対して、「見える化」していくかが大きな課題であると言わざるを得ないだろう。

そのためには地域包括支援センターの職員全員が、そのシステムに対する正しい理解と、共通認識を持っていることが前提になるが、それは大丈夫だろうか?

このブログでは何度か指摘しているが、地域包括ケアシステムでは、保健・医療・福祉・介護の専門家のネットワークが求められるが、そのシステムを使って支援するのは、専門家ではない市民であるのだから、システムが地域の隅々まで浸透し、機能するに当たっては、市民の理解が不可欠になる。

生活課題を抱えている人が、何を目的にケアチームが動いているのかが分からないと、不安を抱えたままサービスを利用することになり、エンパワメント(個人が自分自身の力で問題や課題を 解決していくことができる社会的技術や能力を獲得すること)に結びつかないからである。

そういう意味で、民生委員や町内会役員といった人たちが、現時点でこのシステムで造ろうとしているネットワークとはなんなのか、市の新しい総合事業とはどんなものなのかを知らないというのでは大いに問題だろう。

そう多くの時間があるわけではない中で、地域包括ケアシステムのグランドデザインを明らかにしていかないとならいないという課題が浮き彫りになったと言えよう。

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介護労働意欲を高める看取り介護


地域包括ケアシステムが目指すものは一つではないが、その中に「死ぬためだけに医療機関に入院しない」という目的も含まれてくる。

我が国では、2030年には2010年と比較して、死者の数が約40万人増える。しかし医療機関のベッド数は今より少なくなるのだから、現在8割以上の人が医療機関で亡くなっている状況を変えなければ、死に場所が見つからない人が出てくる。

いや正確に言えば、人間はどこでも死ねる。しかし人の生命が燃え尽きる瞬間まで、人間らしく生き続け、安らかな最期を過ごしたいと思うのであれば、それは死に場所が問題になるという意味で、それは路上で野垂れ死にすることではないということだ。

そのためには、終末期に過ごすことができる場所として、選択できる場所が多様化する必要があるし、自分にとって最もふさわしい場所であれば、それは医療機関であっても、施設であっても、自宅であっても構わないということにならねばならない。つまり死に場所は、医療機関とか、特養とか、サービス付き高齢者向け住宅とか、グループホームとか、自宅とかの種別で選ぶのではなく、そこで何ができるのかという個別性で選択することが大事だという意味だ。

その選択ためにも、日頃からの情報収集が大事であり、逆に言えば看取り介護・ターミナルケアを実施していると言いながら、それが密室で行われて、何をどう行っているのかという具体的なものが見えてこない場所は怖いということだ。そこでは何が行われているかわからないのである。

だから施設サービスにおいて、看取り介護を行う場合も、それは他の利用者に隠して密室化させることなく、オープンな形で行うべきである。利用者であっても、旅立って行く人の親しい友人ならば、できるだけ最期の瞬間をお見送りすることに協力したいと思うはずであり、その時に何ができるかを考えて、その協力を支援する視点も、我々には求められてくる。

僕の施設では、様々な形で利用者にも協力していただきながら看取り介護を実施しているが、そのことによって(同じ施設に暮らす人が亡くなっていくことに関して)他の利用者がショックを受けるなんて言うことはない。だから、そのことを理由に看取り介護を実施しないなんていう選択肢はないと思う。

むしろ良い介護をして、安心して看取られている状態は他利用者の安心感にも繋がる。それは、この場所で最期まで暮らし続けることができ、最期まで任せることができるという安心感であり、自分もこの施設で、最後の瞬間まで、このように温かく心をこめたケアを受けることができることを確認することであり、ずっとこの場所で暮らしたいという思いにつながるのである。

そういう介護視閲であって初めて、施設は地域包括ケアシステムの一翼を担う機関と言えるのではないだろうか。

しかし一方では、介護職員の募集に応募がない情勢と絡め、こうした看取り介護の取り組みは、職員に過度の業務負担と、精神的負担を強いるものではないかとして、その実施をためらう施設管理者がいる。

しかしそれは大きな誤解である。看取り介護は、決して簡単な業務ではないが、しかしそれは「介護」であって、特別なサービスではない。看取り介護は、日常の生活介護の延長線上にあるもので、日常のケアの品質を高め、介護施設を利用者にとって、「安住の場」にしようとするなら、それは実施して当然のケアであり、介護サービスの中で提供しうるサービスなのである。

当然そこには、配置医師の協力や、看護職員の対応が必要になるが、それは日常の医療・看護サービスや、介護サービスを超えるものではなく、ここに特別な医療支援が必要ということもない。この誤解を解いて、安心・安楽の介護を提供する必要がある。

適切な看取りを行い、家族に喜んでいただけることで、職員のモチベーションは確実にアップする。その結果、離職する職員が減る効果が生まれる。それは職員の定着率が高まるという意味であり、看取り介護の実施が介護施設の人手不足に拍車をかけるというのは大きな誤解なのである。

11/28(土)に青森県八戸市のはちふくプラザ根城(八戸総合福祉会館)で行われる「かっこうの森主催研修」では、「看取り介護から考える、ケアの基本姿勢〜傍らにいることが許される者になるために」をテーマに4時間の講演を行う。そこでは実際のケースを紹介し、看取り介護を通じて職員がどのように成長し、業務に対するモチベーションを高めているか紹介したい。
※一般参加可能で、まだ申し込み受付しています。張り付いたリンク先をダウンロードしてお申し込みください。

例えば、「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」(赤本)130頁「看取り介護期のあきらめない介護」で紹介した、チェーンストークス呼吸が起こった人のエピソードによって、介護に感動と喜びを見出した職員は、その後正しい知識を得ることで、さらに介護福祉士として成長していった。

夫の旅立ちの瞬間に立ち会うことはできなかった妻のケースでは、最期の瞬間の様子を、息を止める瞬間に立ち会ったケアワーカーが、安らかな最期であったことを丁寧に説明することにより、妻は安堵し、「この施設に任せてよかった。」と言って涙された。それは大事な人を失った悲しみの涙であると同時に、最期の瞬間を安らかに見送ることができる場所を選択できたという満足の涙でもあったが、職員が最後の瞬間まで心を込めて看取り、その様子を家族に伝えることで、残された遺族が悔いを持たず、悲嘆感にくれて前を向けないという状況を生まないことができる。

それが介護に携わる我々の使命であり、その使命を果たそうとする限り、我々のモチベーションは消えることはないし、その思いは残された遺族にも伝わり、きっと遺族の感謝の気持ちにつながっていくだろう。

それはまさに働く職員の喜びであり、そのことがこの仕事への誇りとなり、仕事を続けたいというモチベーションとなるだろう。

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地域包括ケアシステムは自然発生しない


僕が住む登別市及び生活圏域がほぼ同じと言ってよい室蘭市に、現在まで地域包括ケアシステムは存在していない。

そしてこの地域に、どのように地域包括ケアシステムを創ろうとしているのかという具体的な動きは全く見えない。

地域包括ケアシステムが機能するためには、新しく法制化された「地域ケア会議」が重要となるが、その新しい5つの機能を発揮するように、地域ケア会議が実施されている節もない。だから地域包括ケアシステムの基盤となる、保健・医療・福祉・介護の包括的ネットワークの構築の取り組みは全くなされていない。

そんな中で制度改正に沿った新総合事業への準備などが進められているわけであるが、新しい制度上のルールに変更するだけで、地域包括ケアシステムが自然発生するわけではないということを指摘する人もいない。だからあえて今日はこのことを指摘しておきたい。

地域包括ケアシステムは、人的ネットワークが基盤となり、そこでは地域を拠点に、様々な人々の生活課題に対応した支援システムを機能させるのが目的なのだから、その共通理解と、具体的活動を創りだしていかなければならない。

しかしながら、この地域でそのような動きはほとんど見られず、地域包括支援センターが躍起になっていることといえば、11月11日の介護の日に向けたアリバイ作りのようなイベントであったり、とってつけたように「地域包括ケアシステム」をテーマにした講演会を行っているだけである。そこでは実効性のあるネットワークづくりは全く行われていない。

地域包括ケアシステムをテーマにした講演会にしても、そもそも講師が地域包括ケアシステムは何かということを理解していないと思われるような講演ばかりである。少なくともそこでは、国が当初示した概念や、後に変更された概念(平成25年3月地域包括ケアシステム研究会報告書による)が示されることはなく、単に地域内で多職種が協力し合おうね、というような結論で終わっている。

地域包括ケアシステムの概念自体が、在宅で支える〜早めの住み替えが基盤となる、に変更されていることに気が付かない人が講師役を務めて、果たして地域包括ケアシステムが機能するのだろうか。

そうした講演では、受講者もきちんとした概念が示されないので、受講後もその理解には幅がある。それぞれの違った概念の「幻想的地域包括ケアシステム」が誰かの頭の中だけに生まれる結果しか生んでいないのが、登別市や室蘭市の現状である。

地域包括ケアシステムをテーマに語る講師であるなら、少なくとも地域包括ケアシステムとは何かということを正確に理解しておらねばならず、そうであれば国が「地域包括ケアシステム」という言葉を正式に文書において使ったのはいつで、どの文書であったのか、その時にモデルとしたシステムとは、どこのどのようなシステムであったのか、そしてその概念はどのように示され、どのように変えられてきたのかを説明できなければならない。

予防通所介護等が、新総合事業に移行するだけで、国の財源負担が減る構造の理解もない人が、地域包括ケアシステムを語ってよいのだろうか?

そんな基本理解もない人が、地域包括ケアシステムを語る先に、何が生まれるというのだろうか。

地域包括ケアシステムの目的の一つは、慢性疾患があり、日常的に医療支援が必要な高齢者を、できる限り入院しないで、地域(自宅ではない)の中で支えていくのだから、日頃から健康を管理し、適切な医療支援を行う、「かかりつけ医師」の存在は大事である。そして介護予防や、自立支援につながるケアマネジメントも重要だろう。そんなことはわかりきったことだ。

問題は、それらをどうやってつなげていくのかという具体策である。多職種連携を個人の資質や、個人のネットワークに頼らないところで、有機的に結びつける具体策がなければならず、その基盤となる「地域ケア会議」の在り方を議論し、機能する会議を徹底的に創り上げていかねばならないのに、地域包括支援センター内に、そのことを理解して実施しようとする動きは皆無である。リーダー役となる人材がいないのではないかと疑わしくなる。

僕はこの地域以外では、「地域包括ケアシステム」について解説する機会をたくさんいただき、そのアドバイスもしているが、そうであるからこそ、他の市町村で、地域包括ケアシステムを実効性のあるシステムとして運用しようと頑張っている人たちに実際に逢って、そこで実際に動き始めている新しいシステムが存在していることも知っている。

それと比べると、当市や隣市の動きは鈍いし、そのことに関する危機感も見えない。

自ら暮らす地域の現状が、口先だけの地域包括ケアシステムになりつつあることには大いなる不安を持っている。それは単なる「地域丸投げケアシステム」というだけのもので、保険者である市が権限や一定財源を持っているだけで、支援システムの実情は、制限するシステムにしかならないからである。僕達の老後は、この地域の中でどのようなものになるのだろうかと不安しか感じられない。

よって現状で、登別市や室蘭市の行政関係者(地域包括支援センターや社協を含む)が、地域包括ケアシステムを語るとしても、絵空事としか思えないのである。

そうなると地域包括ケアシステム研究会報告で示されている、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、」=「早めの住み替え」とは、自分の身体・精神機能に応じた住み替え以前に、地域包括ケアシステムの機能のある市町村への住み替えということが現実的になるかもしれないと考えてしまう。

どちらにしても、日本の新たな格差社会とは、市町村ごとのケアシステム能力の格差とイコールになっていかざるを得ないのだろうと思ったりしている。

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施設ケアマネ&相談員に求められる地域福祉のコーディネートリーダーの役割り


本年4月の介護報酬改定時に、特養・老健・療養型共通で、経口維持加算の見直しが行われているが、この見直しは、介護報酬が減額された中では、数少ない収益増につながる改訂であった。
(参照:施設系サービス(共通)の 口腔・栄養に関する報酬は何を示唆しているのか?

リンクを貼った記事にも書いたが、この加算は、経口摂取を続けることで可能となる自立支援や、経口摂取を続けることができる生活の質を評価した加算であることは間違いがない。そのために安易に経管栄養に移行しないというケアの方向性を創るという意図が含まれていることも間違いないだろう。

同時にその先には、経口摂取できなくなった場合の選択について、機械的に経管栄養を行うということではなく、対象者の状態像を精査したうえで、そのまま看取り介護に移行するという選択があることも示唆したものではないかと想像する。

当然そこでは、利用者本人の意思を確認しようとする基本姿勢が求められるべきであり、経験栄養の適応を、施設と家族のみで判断するということではなく、利用者自らが終末期をどう過ごしたいのかという意思を確認する方法やシステムの構築が検討される必要がある。

つまり本年4月の施設報酬改訂の中には、利用者のリビングウイルをどう尊重するかという考えが盛り込まれてきているのだ。

そしてそれは相談援助職にこそ求められる利用者支援であると言え、介護施設のケアマネジャーや相談員は、利用者から信頼感を得て、「死について語ること」をタブー視せず、利用者に自身の死について考えておく必要があることを伝え、その際に必要となる情報と選択肢を示したうえで、もっとも自分にとって望ましい終末期の過ごし方を、あらかじめ選択しておくことができる支援を行う必要がある。

当然そこでは、食事を経口摂取できなくなった場合の選択として、胃瘻を増設するのか、経鼻経管栄養を選択するのか、どちらも選択せず、点滴などの医療行為も必要最低限にとどめ、自然死を望むのかという選択が含まれるであろう。

そのことが日常支援として行われることによって、利用者の終末期に対する意思を確認する役割と、認知症などでその判断ができない人の立場に立って代弁者となる役割がより強く求められるという意味である。

そして人生の最終ステージを安心・安楽のうちに過ごすことができる体制整備をしていく必要がある。そこでは、計画(Plan)、実行(Do)、評価(Check)、改善(Action)の頭文字を取ったPDCAサイクルの構築が求められている。それは看取り介護に関してだけではなく、すべてのサービスにおいて求められてくるものであり、根拠に基づいた計画実施と、その振り返るによる検証作業、地域貢献の視点も含めた実践後の地域住民への傾啓蒙活動というアクションサイクルを繰り返していくことが必要とされるのである。そのサイクルを構築し、検証を重ねる現場リーダーが、施設サービスにおける「頭脳」の役割を担う相談援助職に求められることは明白である。

このように地域包括ケアシステムの中で,多様化せざるを得ない高齢者の「暮らしの場」の選択肢の一つとして,介護施設の存在意義を考えていく必要がある。

自宅介護の限界を肩代わりして、何とか命を繋ぐケアを行うということが施設サービスではなく、自宅で生活困難となった人々の「暮らしの再生」を目指すケアの品質が求められ、結果としてより良い暮らしを介護施設という住まいの中で実現する視点が必要だ。場合によってそれは限界点に達した家族介護によって、崩壊した家族との人間関係を紡ぐことであったり、身体機能や健康状態を向上させる取り組みであったり、生活環境の改善により暮らしが豊かになることを目指すものとなるだろう。

生活課題を解決し得ない状態で、自宅で生活し続けている人々が、介護施設という新たな居所を得ることによって、そこで自らの暮らしを再構築し、自宅で暮らしていた以上の状態で、豊かな暮らしを営むことが求められている。

つまり在宅生活が困難になった人が、介護施設に入所さえすれば問題解決するという考えは間違っており、施設という器の中で限局的に問題発生があっても、家族等のインフォーマル支援者に迷惑にならなければ良いという考えも間違っており、利用者自身が施設内でいかに豊かな暮らしを送ることができ、家族等との関係が途絶せず、幸福感を持って暮らし続けることができるかという結果を求めなければならないということだ。

それを目的としなければ、介護施設の存在意義は極めて薄くなるだろう。

それは地域包括ケアシステムの中で、特養などの介護施設も、「暮らしの場」の選択肢の一つになっていくという意味であり、そう考えると、介護保険制度は近い将来、居宅サービスと施設サービスを区分する必要性はなくなり、住み慣れた自宅以外の「住まう場所」の選択として様々な生活が考えられてよく、「在宅介護の重視」は形骸化した概念とならざるを得ないだろう。

その中で安心と安楽の暮らしを創り、それを護るコーディネーターとしての施設相談援助職は、施設を拠点に街に出て、地域福祉をコーディネートする役割を担うことになり、その重要性はさらに高まるだろう。

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地域包括ケアシステムの中で求められる事業者の意識


先週末にかけて熊本県で3つの講演を行ってきた。(山都町、嘉島町、八代市)。

このうち山都町と嘉島町は、介護支援専門員の職能団体が主催する研修会であったため、地域包括ケアシステムの中でのケアマネジメントや、介護サービスのあり方について、山都町では居宅介護支援事業所の立場から、嘉島町では介護保険施設やサ高住、グループホーム、特定施設などの立場からお話ししてきた。

地域包括ケアシステムの目指すものは、日常生活圏域の中で、「医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスを一体的かつ適切に利用できる提供体制」であるが、それは医療制度改革の中で実施された、病床区分変更の影響を色濃く受けており、病気や怪我によって入院した高齢者が、入院期間をできるだけ短くして地域の「暮らしの場」に戻ることを可能にするというシステムであり、円滑な退院支援や、退院直後からの暮らしの支援が不可欠になるという意味である。

熊本山都町講演3
このことを理解した上で、医療と介護の連携というものを考えていく必要がある。そうでれば医療関係者は、医療や看護の専門的な視点のみならず、「暮らしの視点」をも併せ持つ必要があり、ケアマネジャーを含む介護関係者には、暮らしの場の総合的視点のみならず、基礎的な医療知識(少なくともその知識を得るために、医療の専門家の言葉を通訳なしで理解しうる知識)を備えることが求められてくるのである。

そのうえで地域包括ケアシステムの基盤は、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本」とされることを理解し、住み慣れた地域で暮らし続けるという意味は、自宅ではない居所への適切な時期の「住み替え」が必要となることも多いということを理解した上で、「居所選び」を伴う総合的・専門的支援が求められるのであることを意識する必要がある。

熊本山都町講演2
そうであれば、選択される居所とは、サ高住などのほか、グループホームや特定施設も考えられるし、特養もそこに含まれるし、医療ニーズの高い人については長期療養施設(療養型医療施設や療養型老健等)も居所として選択されるべきであるということになる。(参照:居宅サービスと施設サービスの区分はなくしたほうが良いのでは?

そのために山都町で行われた、「山都町介護支援専門員連絡協議会研修会」では、居宅介護支援事業所の介護支援専門員に向けて、「施設入所することを、居宅サービス計画の敗北と勘違いしないでほしい」と呼びかけ、「熊本県介護支援専門員上益城支部施設部会研修会」では、介護保険3施設をはじめとした居住系サービス事業者に対しては、施設種別がどこであろうと、そこが利用者の個別ニーズに照らして、適切な暮らしの支援を行うことが可能な居所になることを求め、それを実現するための具体策を提言してきた。

熊本山都町講演
地域包括ケアシステムによって作ろうとしている地域社会とは、次の6つの仕組みが求められている。

・医療が必要な高齢者や重度の要介護高齢者についても、可能な限り地域(住まい)で生活できるよう支える仕組み
・一人暮らし高齢者や、虚弱な長寿高齢者を地域(住まい)で支える仕組み
・認知症の高齢者を地域(住まい)で支える仕組み
・入院しても、円滑に退院が可能となる仕組み
・在宅での看取りができる仕組み
・利用者や家族のQOLの確保 ができる仕組み

それが目的であって、地域包括ケアシステムはその手段であり、仕組みを作り上げる機能を有しない形だけの幻想的な連携図を描いても意味がないのである。関係者はそのことを十分に意識して、地域ケア会議に求められる、「ネットワーキング」という機能を意識して、有機的な連携を築き上げる必要があるだろう。(※このことも山都町講演ではお話ししたが、このブログでもまた別の機会に具体的に論ずる予定である。)

山都町と嘉島町の2会場の受講者からは、すでに次のような反響の声が届けられている。

・今回の研修でニーズに応じた住宅として、特養も含まれることが確認できた。今回の研修を受け、もう一度介護とは何か?見つめ直し、明日の一歩につなげようと思った。

・私は介護施設の事務員で、直接的に利用者と関わる事はなかなかありません。でも必ずいつか自分も介護する時があると思います。その時には、今回の講演を思い出し、この施設で良かった、家族にも良い最期を過ごしてもらえる介護をしていきたいと思います。

・今回、masaさんの講演を聴き、本当に感動し、心にくるものがありました。改めて、介護っていいなと思える機会となりました。

・masaさんの講演を聴かせていただく度に、心が熱くなります。

・日常的なケアこそが大事だということがわかりました。

・感じの良い介護者・・・最後の映像には涙が出ました。

・今回は初めて菊地さんの講演会に参加させていただきました。内容においては、看取りについて取り上げてあり、特に命のバトンリレーに関して心に残りました。座学だけでは学べない「気持ち」について学ぶことができました。(鹿児島国際大学学生)

・今まで感じた事のないような研修でした。もっと今回の研修のような考え方にふれていたいです。

・聞きやすく、分かりやすい話であり、参加して良かった。是非、施設長や他の職員にも聞いてほしい内容だった。

・明日から、忙しいから中止していた食事時のイス使用を再開したい。

・介護職という仕事の責任の重さと同時に、やりがいある仕事だと、フツフツとやる気が出ました。

・この研修で、自分が今やっていること、進んでいく方向は間違ってないなと感じました。すごいバックアップを頂いた気持ちです。ありがとうございました。

・介護に対する未来が明るく感じた。


最終日の八代市の講演は、『介護の未来を創る会』の発展的解散のための最終回の講演をお任せいただけるという栄誉をいただき、様々な事業種別の全職種の集まる場で、介護の実践論をお話しし、100年後につながる介護のスタンダードを作るための提言もさせていただいた。受講者のおひとりから、表の掲示板でご意見をいただいている。

とても温かい方々にご声援をいただいた熊本講演は、僕の心に残る最高の思い出となったように思う。熊本でお逢いした皆さん、ありがとうございました。

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悲惨な老後を暗示する政策しか見えない中で


政府は15日、社会保障制度改革推進本部(本部長・安倍晋三首相)の専門調査会を開き、「団塊の世代」が全員75歳以上になる2025年時点で、全国の病院ベッド(病床)数を、現在の134万7千床の1割超に相当する15万〜19万床減らし、115万〜119万床を目指すとし、患者30万人程度は自宅などでの在宅医療で対応するとした。その目的は、病床の地域格差を是正し、医療費抑制を図る狙いであると報道されている。

確かに地域によってはベッドがすべて埋まらない病床がある反面、一方では近くに入院先がないというデコボコが生じているのだから、地域事情に鑑みた病床数調整は必要だろうと思う。社会的入院を減らす必要も理解できる。

しかし病院のベッド数を削減して、介護施設や自宅等で暮らす人々が増えたとき、医療費は削減できたとしても、介護給付費は増えるのは必然であるという報道が同時にされないと、これはミスリードと言われても仕方のない報道姿勢であると危ぶんでいる。

なぜならこのことは決して我が国の高齢者が、今後地域で豊かに暮らし続けるという結果をもたらすものではないと思えるからである。

病院のベッドを減らして、入院しない高齢者等が地域で暮らし続けるということは、医療費として支出していた分を、介護給付費に振り替えるだけの結果にしかならないのではないか?そしてその方針を推し進める背景には、医療にかけるお金より、介護にかけるお金の方が、単価を安く抑えられるという意図が隠されているという意味ではないのか?

そうであれば、そこに有能な人材を貼り付けて、品質の高いサービスを提供しようなどという視点はないと言って過言ではなく、団塊の世代が後期高齢者となり、介護サービスの必要性がピークに達する2015年からの約15年間は、安かろう悪かろうというサービスを使って、国民の我慢によって、なんとかその時期を乗り切ろうとするだけの政策と言えるのではないのか?

しかもこの方針によって、介護給付費は増大する一途をたどるが、それが国の財政悪化の元凶とされ、介護給付費の増加が医療費削減の結果であるということが国民にアナウンスされず、そうした認識がない方向に誘導されることによって、その増加を抑制する政策に正当性を与えるとしたら、介護サービスの単価自体は、現在よりさらに縮小させられる恐れが強い。じゃあ、その中で人材確保は可能なのか?無理だと言いたい。

そんな状態で、この国の高齢者は、老後を、人生の最終ステージに向かう時期を、豊かに過ごせるというのだろうか。

そこでは間違いなく、格差社会のひずみが生じて、生産労働世代に資産を残すことができなかった負の遺産が、老後から死ぬまでずっと引き継がれることとなり、金持ちは最後まで豊かな暮らしを送り、経済的弱者は死ぬまで我慢して最低限の暮らしで終始するという構図しか見えなくなる。

介護保険制度の意味も、金持ちにとっては、自分で利用できるサービスの基盤部分を形作るという意味にはなるが、経済的に余裕のない人々にとっては、それは命をつなぐための最低限のサービスとしての意味しかなくなるだろう。

さらにもう一つの大きな問題は、高齢者の死に場所がどうなるかということだ。現在我が国では8割以上の国民が医療機関で死を迎えている。

2030年までに我が国の死者数は、2010年と比べて40万人増えると言われているが、病院のベッド数が変わらない状態で、2010年より介護施設で2倍、自宅等の住まいで1.5倍の人を看取ったとしても、40万人すべての看取りの場の確保は困難である。そうした状況で病床数がさらに減るということは、国民がどこで死を迎えるのかという部分で、価値観の大転換が必要だ。

医療機関で亡くなるのが当たり前ではなく、自宅や介護施設などでどのように最期の瞬間を過ごすのか、その時にどのような支援体制が求められるのかが、地域包括ケアシステムの中の重要なテーマになる。

そこでは保健・医療・福祉・介護関係者が、地域住民と、死についてタブー視せず語り合う機会を持つ必要があるし、介護支援専門員をはじめとしたソーシャルワーカーは、単に死に行く人にサービスを結びつけ、訪問診療担当医師の指揮命令のもとに動くだけではなく、看取りの場での利用者と、その家族にとっての、真の意味での代弁者として機能していかねばならない。

時には対人援助の専門家・福祉介護サービスの専門家の立場から、利用者と家族のニーズに沿った支援方法についてのコンサルティングを、医療・看護の専門家に対して行っていく必要性もあるだろう。そのための専門知識を、今以上に磨いていく必要も生ずるだろう。

誰も経験したことのない、超高齢社会で、多死社会を迎える我が国では、想定外の状況に対して、それぞれの分野の専門家がタッグを組んで、知恵を出し合って最大限の支援機能を発揮させるということが求められる。

そういう意味からも、地域包括ケアシステムを、言葉だけではなく、実効性のあるシステムにしていくためにどうしたらよいのかという具体的取り組みが急がれているのである。

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地域包括ケアシステムの中で介護支援専門員に求められる役割


我が国においては、団塊の世代が全て75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる 2025 年(平成 37 年)に向けて、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される「地域包括ケアシステム」を構築していくことが喫緊の課題であるとされている。

そのため2012年度と同様に、2015年度も介護保険制度改正と介護報酬改定がセットで行われる。その内容は、特に介護報酬については厳しいマイナス報酬となり、事業運営に苦心する事業者が増えることが予測されている。

しかし我々は社会貢献を目的とする、社会福祉の担い手であるという矜持(きょうじ)を忘れてはならないと思う。厳しい経営の中で、利用者の暮らしをきちんと支える責任を忘れてはならないと思う。安定した事業運営がそこでは必要で、健全なサービスを提供するためには、必要な収益が上がるように運営視点が求められるが、それは決して利用者の暮らしを無視するものであってはならないし、利用者を札束としか見ないような運営であってはならないと思う。

建国記念の日である2/11(水)の祝日前日の夜に、恵庭市に於いて、仕事を終えたばかりの介護支援専門員のにみなさんはじめ、たくさんの関係者がお集まりいただいた中で、「介護保険制度改正に向けて〜居宅介護支援専門員に求められること〜」というテーマで講演を行った。貴重な時間を割いて集まっていただいた皆様に価値ある情報提供ができたろうか。

地域包括ケアシステムの強化という言葉で表されている我が国の介護保険制度では、介護支援専門員の役割がより重要になってくる。

地域包括ケアシステムの構築が急がれている背景には、団塊の世代が全て 75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる 2025 年に向けて、保険料と公費で支えられている介護保険制度の持続可能性を高めるために、限りある財源を必要な部分に効率的に投入するという意味がある。その中で医療と介護が役割分担し、連携を強化するという意味は、2014年度の診療報酬改定において、医療機関の病床区分を再編し、入院期間の短縮を図り、在宅復帰機能を強化したという流れの川下に、次期介護保険制度改正が位置し、介護においても在宅生活の限界点を更に高め、要介護度の高い高齢者が在宅生活を続けるための支援を強化するという意味だ。

地域包括ケアシステムとは、財源削減論と一体的に考えられるシステムなのだから、在宅生活の限界点を更に高めるという意味は、インフォーマル支援の限界点を高めるという意味も含まれ、軽介護者(要支援者含む)については、できるだけ公費をかけずに、自己責任という名の自助を求めていくシステムでもある。つまり地域包括ケアシステムとは、少子高齢社会において十分な財源確保が難しい時代において、必要最低限のサービスを担保するというシステムでしかないのである。

それは、国がすべての介護ニーズに対応する財源を確保することは不可能なので、地方自治体に一定の財源と権限を与え、その限られた財源の中で、地方自治体ごとに知恵を絞って最低限のセーフティネットを構築することを促すシステムである。よって地域格差は確実に生じるだろうし、限られた財源であるがゆえに、そのシステムの恩恵を受けることができない住民も増えるのである。

そうであるがゆえに介護支援専門員には、ケアプランを立てるだけではなく、総合的ケアマネジメントの延長線上に、ソーシャルアクションを見据えた活動を行う人であってほしいと願う。今後の介護支援専門員に求められる重要な役割とは、地域包括ケアシステムの実情を理解し、そこからこぼれ落ちる地域住民がいないのかを監視し、こぼれ落ちたニーズに迅速に対応することである。恵庭講演では、制度改正内容の説明に軸足を置くあまりに、このメッセージが十分伝えきれなかったのではないかと反省しているところである。だから今日のブログ記事で、そのことをあらためて書いているところである。

できるだけお金をかけないシステムの中で、零れ落ちた住民ニーズを、不必要な介護ニーズと決めつけない視点が介護支援専門員には求められ、利用者視点からの代言機能がより強く求められるだろう。例えば、法制化される地域ケア会議を、行政によるケアプランチェックの場と勘違いせず、行政機関と一体となって個別課題の検討を積み重ね、地域課題を抽出し、その課題を解決する社会資源を構築するソーシャルアクションにつなげていく役割も必要になってくるだろう。

地域包括ケアシステムによって、要介護高齢者は地域の中で手厚く支援されるという幻想を持たず、システム上の瑕疵をみつけ、その修正のためのアクションが介護支援専門員には求められていくだろう。

どうぞその視点を忘れないでほしい。「利用者本意」という言葉を単なるお題目にしないで、事実にする介護支援専門員であってほしいと思う。

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サービス付き高齢者向け住宅の経営戦略は転換が求められる


一昨日に引き続いてサ高住について考えてみたい。

建設補助金等が優遇され、地域包括ケアシステムの一翼を担う「住まい」として創設されたサービス付き高齢者向け住宅は、国の普及促進の施策と相まって、順調にその数を増やしてきた。

しかし同時のそのことは、一部地域における居住者確保の過当競争という現象を生んでいる。

北海道でも都市部では、サ高住の数は月単位で見ても増え続けているように思われるが、建設されたサ高住の部屋が埋まらずに、空き部屋を多く抱えて経営状態が悪化している事業者もあると聞く。建設間もないサ高住の「身売り」という噂話も耳にする。

もともとサ高住は、「暮らしとケア」が分離しているのが特徴で、それが分離されているからこそ、利用者の暮らし・利用者ニーズに合わせたサービス提供がされるというのがうたい文句であった。

これに対して特養などの介護施設は、「暮らしとケア」が分離しておらず暮らしの場で介護サービスが一体的に提供されるために、施設側の都合が優先され、利用者ニーズを無視した集団的ケアが中心となっていると批判され、「サ高住」のケアの品質はそれよりも上であると指摘する向きもあった。

しかし実際には、「暮らしとケア」が分離されていると言っても、8割以上のサ高住が、併設の介護サービス事業所を持ち、併設事業所のサービスを受けることを入居要件にしていることも多い。その結果、暮らしに合わせたサービスよりも、巡回の都合に合わせたサービスが優先され、利用者にとって選択制のないサービスを受けるケースが増大している。このように「暮らしとケアの分離」という言葉が事業者の都合の良いように使われ、利用者中心の暮らしが画餅に帰しているケースが多くなっているのである。

こうした状況を考えると特養は、「暮らしとケア」が一体的に提供されるからこそ、最期の瞬間まで専門職が安心・安楽の看取り介護支援を行うことができる体制も作れるわけで、暮らしとケアの分離が必ずしもデメリットにはならいことをアピールする必要がある。同時に「地域包括ケアシステムに潜む盲点」で指摘しているような問題もあることを考慮に入れたうえで、それを経営戦略に取り込んでいくべきだ。

なぜなら一部の地域では、特養とサ高住の顧客確保競争が行われ、特養の空床が増えて経営状態が悪化しているという現象が起きているからである。補足給付の見直しにより、特養入所に減額メリットのある利用者が減る中で、特養が選択されるためには、「暮らしとケアの一体化のメリット」を前面に示して、入所から看取り介護までの質の高いサービスを創っていくしかないのだと思う。

そんな中で、空き部屋が埋まらないサ高住では、収益率を揚げるために、あるいは空き部屋を生活保護受給者で埋めるために、一昨日の記事で指摘したような「囲い込みモデル」、「貧困ビジネス」がふえているわけであり、これに対して、介護報酬改定ではサ高住に架けていたはしごを外すような減額ルールが導入されたわけである。

つまりサ高住のこの3年間は、自らの首を絞めるようなサービス提供モデルを少なからず作ってきたという評価ができるわけで、ここの反省と変革が求められるであろう。

しかし今後のサ高住のサービス展開は必ずしも暗いとは言えない。「医療制度改革の流れの中での地域包括ケアシステム の影響」で指摘したように、国の施策はできるだけ医療機関での入院期間を短くして、在宅に戻そうとするものだ。この時に受け皿としてサ高住の必要性は、さらに増すだろう。

特養の入所要件が、原則要介護3以上になったことも追い風になりこそすれ逆風にはならない。

その中で地域住民から選ばれるサ高住のあり方を、外部サービスの利用方法とセットで考えていく経営戦略が求められるのではないだろうか。「囲い込みモデル」や「貧困モデル」が一時的に利用者確保・収益確保につながったとしても、それは多くの批判の対象となり、製薬と制限の元凶になるであろうことを考えた場合、長期的にはそれはサ高住の経営の圧迫要因にしかならない。

住み慣れた地域社会の中で、身体状況や精神状況等を考慮したニーズに応じた住み替えが推奨され、実際に住み替えが必要になる人が増える社会なのである。そうであればサ高住は、もっと積極的に住み替え場所としてアピールしたほうが良い。住み替えることのメリットを前面に押し出したほうが良い。

そうであるがゆえに本当の意味で選択されるサ高住という経営視点と戦略が求められているのではないだろうか。

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サービス付き高齢者向け住宅の現状


平成24年度の介護保険制度改正では、先行して高齢者住まい法の改正が行われ、サービス付き高齢者向け住宅が創設された。

その意味は、日常生活や介護に不安を抱く「高齢単身・夫婦のみ世帯」が、特別養護老人ホームなどの施設への入所ではなく、住み慣れた地域で安心して暮らすことを可能とするよう、新たに創設される「サービス付き高齢者住宅」(高齢者住まい法:国土交通省・厚生労働省共管)に、24時間対応の「定期巡回・随時対応サービス」(介護保険法:厚生労働省)などの介護サービスを組み合わせた仕組みの普及を図る、というものであった。

つまり国が推奨する、「地域包括ケアシステム」の中心にサ高住を位置づけ、地域のサービス提供拠点とする考え方があったわけである。その普及を図るために補助金も優遇されてつけられた。

そのイメージ図が下記の「サービス付き高齢者住宅と介護保険の連携イメージ」である。

サービス付き高齢者住宅と介護保険の連携イメージ
ここに記されているように、サ高住に診療所、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、デイサービスセンター、定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスなどの事業所が併設され、そこを拠点にしてサービス展開するというイメージ図が、全国各地の研修資料としても使われていた。関係者にとってはなじみ深いイメージ図であったろう。

その際に新設された、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」については、地域包括ケアシステムの基礎的サービスと位置づけられ、その普及が促進されたが、「指定地域密着型サービスの事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成18年厚生労働省令第34号)」では以下のような規定が設けられた。

(4)運営基準の8「地域との連携」
「4  指定定期巡回・随時対応型訪問介護看護事業者は、指定定期巡回・随時対応型訪問介護看護事業所の所在する建物と同一の建物に居住する利用者に対し、指定定期巡回・随時対応型訪問介護看護を提供する場合にあっては、当該住居に居住する利用者以外の者に対し指定定期巡回・随時対応型訪問介護看護の提供を行うよう努めるものとする。

↑つまり定期巡回。随時対応型訪問介護看護が併設する同一建物以外への24時間巡回サービスは努力目標とされ義務化されなかったわけである。もともと介護サービス併設型のサ高住は、一つの事業者が高齢者住宅と訪問介護等の介護サービスを一体的に提供することで、全体として利益がでるように組み立てらたサービスであるが、この規定で実質地域巡回が義務化されなかったことによって、もっとも効率的に利益を上げるスタイルは、サ高住のみのサービス提供を行う形であるために、地域を巡回しないサービス付き高齢者向け住宅内だけのサービスしか提供しない定期巡回。随時対応型訪問介護看護が出現したわけである。

そして全国各地にサ高住が建設され、その多くの住宅では介護サービス事業所を併設している。25年7月の実態調査では、訪問介護事業所など、介護保険サービスの事業所を1つ以上併設しているサ高住は82.0%(診療所・配食サービスは含まない)に達している。

そうした中で、サ高住の家賃や管理費、食事・安否確認、相談援助などの利用料を安く設定することによって入居者を集め、その差額を併設した訪問介護や通所介護の利用推進、また系列や提携した医療機関からの訪問診療の紹介料などで利益を出すという、「囲い込みモデル」が問題が表面化した。

サ高住に住宅扶助の範囲内の家賃設定で生活保護受給者を中心に集めて、公費で使える介護サービスを限度額まで使い切る「貧困ビジネス」も問題になっている。

このためサ高住に向ける国の目も厳しものになりつつある。

現在、訪問介護、訪問入浴介護、夜間対応型訪問介護、訪問看護及び訪問リハビリテーションと小規模多機能居宅介護については、事業所と一体的な集合住宅に居住する一定数以上の利用者に対してサービスを提供する場合に減算する仕組みとなっているが,事業所と集合住宅が一体的な建築物に限っていること等についてどのように考えるかが議論された。

また定期巡回・随時対応型訪問介護看護と複合型サービスについては、集合住宅への減算の仕組みが設けられていないが、サービスの提供実態を踏まえ、そのことをどのように考えるかも議論された。

その結果本年4月以降は、訪問介護、訪問入浴介護、夜間対応型訪問介護、訪問看護及び訪問リハビリテ
ーションについてつぎの減算ルールが設けられた。
(ア) 事業所と同一敷地内又は隣接する敷地内の建物(養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅に限る。)に居住する利用者を訪問する場合は、当該建物に居住する人数に関わらず、当該利用者に対する報酬を減算する。
(イ) 事業所と同一建物以外の建物(建物の定義は同上)に居住する利用者を訪問する場合は、当該建物に居住する利用者が一定数以上であるものについて、新たに減算する。

定期巡回・随時対応型訪問介護看護における集合住宅におけるサービス提供については、事業所と同一敷地内又は隣接する敷地内の建物(養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅に限る。)に居住する利用者の介護報酬を新たに減算する仕組みを設ける。

小規模多機能型居宅介護及び複合型サービスについては、サービスの提供実態を踏まえ、事業所と同一建物(養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅に限る。)に居住する利用者に対してサービスを行う場合の基本報酬を設定する。(筆者注:基本報酬を下げるという意味だろう。)

このように24年度改正の折に示された上のイメージ図の通り、サ高住に併設されたサービス事業所から、併設サ高住に提供するサービスについては、居住人数およびサービス利用人数にかかわらず減算ということになるわけである。

併設事業所を持つサ高住にしてみれば、いきなり国から梯子を外されたということになるのかもしれない。

なお事業所と同一建物以外の養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅に居住する利用者が一定数以上であるものについての減算は、その人数が何人で、減算適用が何人目からなのかは不明である。ここは2/6に明らかになるだろう。

どちらにしても、「ケアと住まいが分離しているサ高住」こそ、地域包括ケアシステムの中心となるとして、一時は華やかに持ち上げられたサ高住であるが、実際には厳しい現実の中で、勝ち組と負け組の差が生じ、市場原理の中で淘汰が進んでいくのではないだろうか。

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地域包括ケアには怪しい人が求められる?


地域包括ケアシステムとは何かについては、このブログ記事の中で何度も書いてきた。(参照:地域包括ケアシステム

介護保険制度改正は、医療制度改正の風下に位置しているということを理解しながら、その中の地域包括ケアシステムというものを考える必要があると考えている。

そうであれば医療制度改正・介護保険制度改正の流れとは、高齢者を、できるだけ病院や施設に入院・入所させず、地域で生活させようとする仕組みが強化されているわけで、高齢者が入院した場合でも、入院期間をできるだけ短縮して、早期に自宅等の「住まい」に戻すために、保健・医療・福祉・介護の連携を強化しようとするものであることが理解できるだろう。

退院支援は、その中でも重要になってくるから、全国的に共通ルールを作って退院支援システムを構築するためのモデル事業が実施されているのである。そこで問題になるのは、決められたルールに則り書式をやりとりして加算算定できればよいということではなく、高齢者が地域で暮らすことができるように、入院先から暮らしの場へつなぐにあたって、きちんと多職種連携体制がとられて、高齢者がスムースに退院生活にい移行でき、その暮らしを多重構造で支えることができるかが問われてくるのである。

そしてそのことは、自らの担当利用者の暮らしを支えるだけではなく、担当利用者が暮らす地域社会の構造を分析しながら、そこで必要とされる支援方法を多様な視点から構築したり、社会資源を開発したりということにつながっていくものである。それがなければ地域包括ケアシステムは、概念あって実態なしということになってしまうであろうし、実際にはそうした地域も存在することになるだろうし、地域格差が生ずることは間違いないであろう。そうしないために何が必要とされるのであろうか?

地域包括ケアシステムとは、高齢者が心身に障がいを持つなどして、何らかの支援が必要になっても、できるだけ住み慣れた地域で暮らし続けるために、身体状況等に応じた居所を選択したうえで、保健・医療・福祉・介護が一体的に切れ目なく提供されるシステムと言える。

そのシステムが形骸化しないために求められることは、それぞれの領域の専門家が、自分の担当利用者だけに関心を寄せるだけではなく、利用者の住む街、そこに暮らす人々に関心を向けることだろうと考える。そして各領域の専門家が、その関心の輪をつないでいく先に、本当の意味の連携や多職種協働が生まれるのではないかと考える。

例えば居宅介護支援事業所の介護支援専門員は、定期的に利用者の居所において、面接やモニタリングを実施するわけであるが、そこでは利用者の生活状況がどうなっているかというアセスメントにとどまらずに、その延長線上に、利用者が暮らす地域に、どのような人々が住んでいるかというアセスメントも求められると考え、そこに住む人々に関心を寄せて、大まかでよいから地域全体の状況を把握しておくという視点が求められてくるのではないだろうか。

介護支援を必要とする要介護高齢者の自宅周辺にも、元気に暮らす介護サービスを必要としていない高齢者の皆さんが存在するであろう。そうした人々は、今のところ介護支援の必要がないから、気にかけなくてよいということではなく、元気に暮らしている高齢者の方々が、ひとり暮らしであるとか、高齢者夫婦世帯であるとか、そういった状況に少しだけ関心を寄せて、それらの人々の姿が、いつの間にか見えなくなっていないかということに対しても注意を向ける介護支援が求められていくのではないだろうか。

人が住んでいるはずなのに、カーテンが閉まったままの高齢者世帯。あるいは夕方になってもカーテンが開いたままで、数日間閉められた様子のない世帯。そんな何気ない気づきが必要とされるのではないだろうか。

高齢者の方が住んでいる家の外に干された洗濯物が、数日間取り込まれることなく放置されている状態に気が付くか、気が付かないのかで、そこに住む高齢者の命を救うことができるのか、救えないのかという分岐点になる可能性だってある。

そしてそれらの気づきの目は、多いに越したことがなく、例えばそれに気が付くことのできる専門家とは、何も介護支援専門員だけである必要はないので、例えば毎日地域から事業所に利用者を送迎する通所サービス事業所の運転手さんが、送迎地域にどのような人が住んでいるかに関心を寄せ、昼間なのに電気がつけっぱなしの居間があるなどの各家庭状態に関心を寄せ、その気付きを地域包括支援センターに情報として寄せてくれるということが当たり前になれば、その中でいろいろな所属事業所の、いろいろな職種の人々の関係性が生まれ、多職種連携の芽が生まれ、育つのではないだろうか。

訪問介護員や、訪問看護師等の訪問サービス担当職員には、そういう視点を持ったサービス提供が求められてくるのではないだろうか。

訪問や送迎のたびに、訪問場所の様子をきょろきょろ見まわる様子は、ある意味怪しい行動と見間違われるかもしれないが、超高齢化社会で、高齢化率が40パーセントを超えようとする地域が数多く生まれ、その中でお元気だった高齢者が、さらに年齢を積み重ねて、自らの心身の衰えや、生活の質の低下に気が付かないという状況がたくさん生まれるであろうことが想定される。

その時に、自分の生活の困難性に気が付いてくれる第3者の目が必要とされるのではないだろうか。怪しまれることを恐れず、地域の様々な状況に視線を送り、何かに気づくという視点が求められるのではないだろうか。

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見えない涙を見逃さない役割りが求められる


今後の介護支援専門員に求められる重要な役割は何かと聞かれたら、あなたはどのように答えるだろうか?

介護支援専門員が担うべき役割は様々で、答えを一つに絞るのは難しいかもしれない。しかし介護保険制度始まって以来の大改正が控える今、あえて一つの答えを出すとすれば、それは地域包括ケアシステムの幻想を振り払って、新制度の中で零れ落ちる住民ニーズを拾い上げる役割りであると言えるのではないだろうか。

そのためにはまず介護支援専門員が、地域包括ケアシステムの構築が急がれている背景には、財源論が存在するということを理解する必要がある。

地域包括ケアシステムとは、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制(平成25年3月地域包括ケアシステム研究会報告書)とされているが、同時にそれは、団塊の世代が全て75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる2025年に向けて、保険料と公費で支えられている介護保険制度の持続可能性を高めるために必要とされているという側面があるのだ。

つまり地域包括ケアシステムとは、限りある財源を必要性の高い部分に効率的に投入するという目的があり、必要性の薄い部分へは、できるだけ公費を投入しないという意味につながる。

その中で医療と介護の役割分担と連携を強化するという意味は、2014年度の診療報酬改定において、地域包括ケア病棟の新設など医療機関の病床区分の再編を行い、入院期間の短縮を図り、在宅復帰機能を強化したという流れの川下に、次期介護保険制度改正が位置し、介護の分野でも在宅生活の限界点を更に高め、要介護度の高い高齢者が在宅生活を続けるための支援を強化するという意味がある。
(※なお、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本」という意味は、地域社会で在宅生活を送る場所は、必ずしも「自宅」とは限らず、要介護者の状態像に応じた「住み替え」を求めているということにも注意が必要である。)

このように地域包括ケアシステムとは、財源削減論と一体的に考えられるシステムであるということを理解せねばならない。このシステムが構築された先に、薔薇色の地域社会ができるなんて考えるのは間違いなのである。むしろ地域包括ケアが目指す在宅生活の限界点を更に高めるという意味は、インフォーマル支援の限界点を高めるという意味も含んでおり、それは家族などの介護負担が今以上に増える可能性を内包したシステムである。そして軽介護者(要支援者含む)については、できるだけ公費をかけずに、自己責任という名の自助を求めていくシステムでもある。

介護支援専門員にそうした理解がないと、インフォーマルな支援者の悲鳴に気が付かずに、システムの奥深くに、システムの光が当たらず泣いて暮らす地域住民を増やす結果になりかねないのである。

地域包括ケアシステムとは、少子高齢社会において十分な財源確保が難しい時代において、必要最低限のサービスを担保するというシステムでしかないことを十分理解しておいてほしい。

そこでは国がすべての介護ニーズに対応する財源を確保することは不可能なので、地方自治体に一定の財源と権限を与え、その限られた財源の中で、地方自治体ごとに知恵を絞って最低限のセーフティネットの構築することを促すシステムであり、そうであるがゆえに地域格差は確実に生じるであろうし、限られた財源であるがゆえに、そのシステムの恩恵を受けずに、自助が強く求められる住民も増えるのである。

地域包括ケアシステムという名のもとに構築される、できるだけお金をかけないシステムの中では、零れ落ちる住民ニーズが出てくるだろう。その時に介護支援専門員に求められる視点は、こぼれ落ちたニーズを、不必要な介護ニーズと決めつけない視点である。それは必要性が薄いのではなく、地域包括ケアシステムというものが対応していない瑕疵(かし)であると考える必要がある。瑕疵は繕う必要があるのだ。

その時に介護支援専門員には、利用者視点からの代言機能がより強く求められるだろう。

例えば、法制化される地域ケア会議を、行政によるケアプランチェックの場と勘違いせず、行政機関と一体となって個別課題の検討を積み重ね、地域課題を抽出する場であるという共通理解のもと、その課題を解決する社会資源を構築するソーシャルアクションにつなげていくという考え方が重要になってくる。

どちらにしても地域包括ケアシステムによって、要介護高齢者は地域の中で手厚く支援されるという幻想を持たないことが大事である。

介護支援専門員は、徹底的に利用者の視点に立って、システム上の瑕疵をみつけ、修正のためのアクションが求められることを自覚する必要があるだろう。
見えない涙
画像は、動画「LOVE〜明日につなぐ介護」の中のスライドです。

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リーガルソーシャルアクションの第一歩


僕が就職した当時、昭和50年代の後半は、まだ要介護認定というものがなかったし、障害高齢者の日常生活自立度という尺度もなく、身の回りの支援が必要とされる高齢者が、特養に入所するのか、養護老人ホームに入所するのかという判断基準の重要な目安に、「自分で布団を敷いたり、たたんだりできるか。」ということがあった。

養護老人ホームは、その時代ベッドを設置しているところはほとんどなく、和室・雑居・布団という生活であり、それに比べて特養はすべてベッドであったから、布団の上げ下ろしが重要視されたという経緯がある。

現在では養護老人ホームも、多くがベッドを当たり前に設置し、そこで寝るという生活スタイルになっているので、この判断基準もなくなりつつある。それだけ養護老人ホームの利用者も高齢化し、状態像も重度化しているという意味である。

特養も同じことが言えて、当時そのような判断基準があったという意味は、布団の上げおろしはできないけれど、それ以外の日常生活行為は自立しているという高齢者も、特養の入所対象になっていたという側面がある。

しかし当時存在していた「特養内で身の回りの支援がほとんど必要ない高齢者」というような状態の人はいなくなっており、要介護3以上の中・重度介護者が全体の8割以上に上り、要介護2以下の人も認知症の症状がある人が多くなっている。

当然のことながら、判断能力の低下した高齢者の方が数多く特養に入所しているのだから、成年後見人が専任されている人も増え続けている。

後見人は弁護士や司法書士などが専任されている場合もあるが、多数派は家族後見である。しかし家族は後見制度のすべてに精通しているわけではなく、後見人として当然行わねばならない代理行為の理解に欠けていたり、後見人の代理行為の範囲を超える行為を行おうとしてトラブルになることもある。この場合、法律に基づいたルールの説明が必要となるが、介護施設の管理者や職員にその知識がすべて備わっているわけではないし、仮に備わっていても、信用してもらえないという問題もある。

また介護施設の場合、高齢化が進行し重度化が進行した先に、看取り介護の場として、そこで亡くなる利用者が増えているという実情があり、このこと自体は介護保険施設に求められる責務となっているが、そうであるがゆえに、本来は相続とは関係のない問題であるはずの、遺留金品の引き渡しを巡って、遺族間のトラブルに巻き込まれたり、身寄りのない方の遺留金品処理や葬祭執行について、法的判断を迫られることも多くなっている。
(なお、身寄りのない施設利用者の対応は、こちらを参照ください。)

地域包括ケアシステムは、保健・医療・福祉・介護の専門家の多職種協働と連携が必要であるとされているが、そもそもそこで支援を必要とする人々は、地域住民として暮らしを営んでいるわけで、その暮らしの課題とは、保健・医療・福祉・介護の専門知識の範囲だけで解決する問題とは限らない。むしろそこには様々な法律に関連する問題があり、法律の適用範囲やルールを知るだけで課題解決につながる問題も多いはずである。

そうであるがゆえに、我々のソーシャルアクションやソーシャルワークの展開過程において、法律の専門家の助言指導が得られる方法があれば、非常に助かるわけであるが、実際にはそのことは簡単ではない。対人援助の専門家と法律の専門家がタッグを組んでいる例は非常に珍しいというのが現状ではないか。

しかしそうした法律の専門家と、保健・医療・福祉・介護の専門家が、「顔の見える関係」にとどまらず、意見を言い合える関係を創るという取り組みを行っている人々がいる。

福岡県福岡市で法律事務所を構える、篠木潔氏が今年1月に介護支援専門員と弁護士の連携モデルを構築しようと立ち上げた勉強会、「ケアマネゼミ・チーム篠木」という活動がある。このゼミは、ケアマネ専門の勉強会であり、参加費用は無料で、参加者の法律相談も無料で実施し、ケアマネ業務と利用者の法律問題を支援している。

すでに8回のゼミを実施されているそうであるが、篠木潔先生とmasaがコラボする「ケアマネゼミ・チーム篠木特別講演会&公開討論会」が今週土曜日に行われる。

このゼミは定員300名の予定で案内を出したが、申し込み受付からわずか18日間で予定定員に達してしまったため、急遽会場を変更し定員を増やした。すでに400名を超える申し込み者があるそうだ。そのため事務局の方は、会場設営の人手確保など奔走しているようである。

当日は前半で僕が110分の講演を行う。内容は介護保険制度始まって以来の大改正となる制度改正の概要を説明し、その中で求められている地域包括ケアシステムとは何かを明らかにしたうえで、限られた財源の中で構築されるシステムに潜む問題と、そこで求められる介護支援専門員等をはじめとした専門家の役割を示してみようと思う。

後半の公開討論は、高齢者の性の問題、終末期の過ごし方に関連して自然死〜尊厳死についてどう考えるのかという問題、利用者の権利擁護に関連した、「脱家族論」というテーマ等について、広く意見交換する予定である。

北海道より10度は温かい福岡であるが、当日はさらに会場が熱い議論に包まれるように、できる限り体力と知識を蓄えて向かいたいと思う。

タイトルに書いた「リーガルソーシャルアクション」という言葉が存在するかどうかも知らないし、その言葉が適切であるかどうかはわからないが、法律の知識を対人援助に生かす、という意味でこの言葉を使ってみた。その言葉はどうあれ、「法律知識を生かした対人援助」という考え方は、今後ますます求められていくのではないだろうか。

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在宅医療連携拠点は機能するのか?


来年度から介護保険法上に法制化される地域ケア会議は、多職種協働のネットワークを作る上でも重要な介護であると考えている。(参照:法制化される地域ケア会議では何が求められるのか

リンク先の記事にも貼り付けた、新しい地域ケア会議のイメージ図が以下である。

地域ケア会議
このように、地域ケア会議の目的は、「個別事例の検討を通じて、多職種協働のケアマネジメント支援を行うとともに、地域のネットワークづくりにつなげる。」という目的で行われるものである。

そして地域ケア会議のプロセスとサイクルを考えると、その目的は「個別事例の検討による事例の蓄積によって、地域課題を抽出しその課題を検討することによって、地域資源の開発や施策形成につなげる。」というものである。

このように地域ケア会議とは、決して行政職によるケアプランチェックを目的とした会議ではないのである。そのことは地域包括支援センターの担当者や介護支援専門員、会議参加の各専門職が共通して理解しておかねばならないことであろう。

ところで上記のイメージ図を見ると右側に、「在宅医療連携拠点」という文字がある。これはいったいなんだろうと思っている人はいないだろうか?

「在宅医療連携拠点」については全国各地でモデル事業が行われ、多職種協働による在宅医療の支援体制を構築し、医療と介護が連携した地域における包括的かつ継続的な在宅医療の提供に効果があるとして、制度改正において全国の市町村にその設置を義務付けるものである。(27年4月1日施行:法1115条の45等:平成30年4月まで経過措置あり、30年4月以降は全国の市町村で実施。)

具体的には各市町村は、在宅療養支援病院・在宅療養支援診療所・訪問看護ステーション等に「在宅医療連携拠点」を設置し、連携拠点にケアマネジャーの資格を持つ看護師とMSW等を配置し、地域の医療・介護を横断的にサポートすることで、地域の要介護高齢者等が、病気を持ちながらも住み慣れた地域で自分らしく過ごすように総合的支援活動を行うものとしている。

具体的な事業としては
1)多職種連携の課題に対する解決策の抽出
・地域の在宅医療に関わる多職種病院関係者・介護従事者等も含む(が一堂に会する場を設定する年4回以上(。そのうち一回は、各地域の行政担当官及び各関連施設の管理者が参加する会合を設定する。

2)在宅医療従事者の負担軽減の支援
・24時間対応の在宅医療提供体制の構築−24時間対応が困難な診療所、保険薬局及び小規模ゆえ緊急時や夜間・休日対応の困難な訪問看護ステーション等が在宅医療を提供する際、その負担を軽減するため、各々の機関の連携により、互いに機能を補完する体制を構築する。
・チーム医療を提供するための情報共有システムの整備−異なる機関に所属する多職種が適宜、患者に関する情報を共有できる体制を構築する。

3)効率的な医療提供のための多職種連携
・連携拠点に配置された介護支援専門員の資格を持つ看護師等と医療ソーシャルワーカーが、地域の医療・福祉・保健資源の機能等を把握し、地域包括支援センター等と連携しながら、様々な支援を包括的かつ継続的に提供するよう関係機関に働きかけを行う。

4)在宅医療に関する地域住民への普及啓発
・在宅医療やそれに従事する職種の機能や役割を広く地域住民に紹介し、地域に浸透させるためのフォーラムや講演会等の開催やパンフレットの発行を通して、在宅医療の普及を図る。

5)在宅医療に従事する人材育成
・連携拠点のスタッフは、多職種協働による人材育成事業の研修のいずれかに参加し、都道府県リーダーまたは地域リーダーとして、在宅医療に関わる人材の育成に積極的に関与すること。
(※厚労省資料より抜粋。)
在宅医療連携拠点
こうした拠点ができることを否定する何ものもなく、地域包括支援センターや介護支援専門員は、その拠点の支援事業を大いに利用すればよいと思うが、この拠点が地域包括ケアシステムの中で有効に機能するかどうかという点についていえば、ここにも大きな地域差が生ずると考えられる。

そもそもこの拠点を運営するのは市町村であるが、医療の知識をもつ有資格者を配置し、事業展開しなければならないことを考えると、市町村単独でこの拠点を設置することはできないだろう。そうなると医療法人等に委託運営を行うということも考えられるが、そうなると地域包括支援センターを医療機関に委託運営していることと、どのような違いや住み分けが行われるのかという問題がある。

事業にしても、地域包括支援センターが行う地域ケア会議や、介護支援専門員に対する支援事業とほとんど同じ内容の事業があり、ここの役割分担も不明確に思える。そこがはっきりしないと拠点の機能自体が不明瞭となり、支援機能が発揮できないということにもなりかねない。そもそも地域住民が、地域包括支援センターと在宅医療連携拠点の両者の必要性を理解できるのかという疑問も生ずる。

フェイスブックでこの話題を取り上げたところ、「医療が介護を動かす結果につながりかねない」という懸念の声が聞こえる。その心配は十分あるわけで、そうならないように医療関係者と対等の対話や議論ができて、適切な関係を作る努力が求められるであろう。地域包括支援センターの担当者や、介護支援専門員のスキルアップは、この拠点とのつながり方という部分でも求められるわけである。

ところでモデル事業実施地域では、この拠点について地域医師会が中心になって行っているケースがほとんどである。やはり一医療機関への委託事業としてではなく、地域の医師会や看護協会等の医療団体が「在宅医療連携拠点」の運営に係っていかないとその事業は実効性のないアリバイづくりに終わり、拠点有って支援なしという状態になりかねないと思う。

そういう意味で、「在宅医療連携拠点」が実効性のある拠点機能を発揮するためには、市町村と地域医師会との関係性が重要になるとともに、地域包括支援センターと在宅医療連携拠点の高い意識での役割分担と連携が、大きなカギになるのではないだろうか。

※(お願い)僕は昭和54年3月に岩見沢西高を卒業(29期)した3Aのマサこと菊地です。現在、3年C組だったガボこと吉田くんが29期のA〜F組み全クラス260名を対象にした同窓会を開催しようと名簿作りに取り掛かっております。しかし手がかりは」13年前に岩西同会事務局が作った名簿しかなく苦労しているようです。もしこちらをご覧の皆様で、岩西29期生に該当する方、心当たりの方は僕の方にメールをいただければありがたいです。
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介護と法律の専門家がタッグを組んで考える地域包括ケアシステム


団塊の世代が全て 75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる 2025 年(平成 37 年)を見据えると、高齢者の地域における暮らしを支えるためには、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される「地域包括ケアシステム」を構築していくことが喫緊の課題であるとされている。

その中で保健・医療・福祉・介護関係者が、どのように有機的に連携していくかが問われてくるが、同時に支援を受ける利用者本人や家族、地域住民などがこのシステムに参画していくことが重要であることを、「地域包括ケアシステム議論に欠けているもの(その2)」で指摘していたところである。

同時に、このシステムの中に法律の専門家が介入してくる必要性があるのではないかと考える。

高齢者の支援に係る中で、様々な法律問題に触れる機会が多くなってきている。特に少子高齢社会で、家族単位が縮小する中で、身寄りのない高齢者が増えており、そうした方々が認知症などで、判断能力が欠如した場合などの問題について、法律の専門家のアドバイスが必要なケースが多々見られる。

例えば今後も増えるであろう介護サービス利用中の介護事故に対する対応や、介護サービスに対するクレーム対応などでも法律の専門家のアドバイスを求める場面も増えるだろう。

施設サービスにおいては、遺留金品の引き渡しについて、遺産相続上のトラブルとなって、訴訟まで発展したケースもある。身寄りのない方の死後の財産処分などについても、法的な知識が必要になるケースは多い。

さらに別な角度から考えると、成年後見人として弁護士などが専任されている場合も多くなっており、介護支援専門員などの専門職は、利用者の代理をする法律の専門家とタッグを組みながら利用者の代弁者になるとともに、同時に介護の専門家として、法律の知識だけでは手が届かない部分のコンサルティングを行うという意識も必要だ。その時に法律の専門家と対等に話し合えるスキルを身につけておかねばならないという側面もある。

そういう意味では、地域包括ケアシステムは保健・医療・福祉・介護の専門家だけではなく、様々な分野の専門家がタッグを組んで、包括的支援を行うという視点を持っていないと、どこかで行き詰ってしまうのではないだろうか。

福岡市で法律事務所を構える篠木潔(しのき きよし)弁護士は、多数の企業の顧問弁護士を務めるかたわら、ソーシャルワーカーを雇用して共同で成年後見業務にあたり、ケアマネと弁護士との連携体制を構築するための先駆的な取り組みを行っている。

今年1月には、地域に貢献できるケアマネと弁護士との連携のモデルを構築するために、「ケアマネゼミ・チーム篠木」というケアマネ専門の勉強会を立ち上げ、定期的に学びの機会を作っている。

その篠木弁護士が、9/22に山口県セミナーパークで行われた山口県老人福祉施設協議会主催・生活相談員研修会の会場に駆け付けてくれて、なんと僕の5時間の講義を最初から最後まで受講してくださった。下記はその際の写真である。

篠木弁護士との握手
今度、この二人がコラボして、地域包括ケアシステムやその中の高齢者介護について、様々な角度から考える機会を持つことになった。

11月29日(土)13:00〜「福岡国際医療福祉学院2Fももち国際ホール」で行われるケアマネゼミ・チーム篠木特別講演会は、「masaさんが語る明日へつなぐ介護超高齢社会に生きるケアマネジャーの役割」と題した第一部(13:10〜15:00)と、第2部(15:15〜16:45)は「高齢者の人権とは何か」をテーマに、masaと福祉の弁護士篠木氏との公開討論が行われる。

第2部では、高齢者の性・看取りと尊厳死・脱家族論 などが議論される予定になっている。

その内容は、篠木氏より以下のように提案されている。
1.高齢者の性
高齢者も自由に恋愛や性的な行為ができることも大切です。しかし、社会にはまだまだ偏見も多く、他方これにまつわるトラブルも出てくると思います。そのへんをどのように考えるかという問題意識です。

2.看取り介護、尊厳死
看取りに関する僕の考えや注意点、尊厳死に対する考えを示す予定です。なお、尊厳死は、「回復の見込みのない末期状態の患者や高齢者に対して、本人の真摯な依頼に基づき生命維持治療を中止又は差し控え、人間としての尊厳を保たせつつ、自然な死を迎えさせること」とし、自殺や積極的安楽死とは異なる、延命治療の許否の問題として捉えるという前提条件がつけられています。篠木先生からは、この二つに潜む、人権上の問題点について語ってもらう予定です。

3.脱家族論
これは正確には脱キーパンソン論です。ご家族はとても大切な支援者ではありますが、時として、ご本人のお気持ちとは異なる方向で動き、その結果、必ずしもご本人のためになっていない場合もあります。しかし、施設事業所としてはキーパーソンには逆らえない雰囲気があり、それはいかがなものかという問題意識です。

ケアマネだけではなく、介護に興味のある方なら参加費500円(資料代)でどなたでも参加できるが、事前申し込みが必要で、会場に受講票を持参していただく必要がある。開催案内と申込書は上に張り付けたリンク先からダウンロードできるが、定員300人限定である。しかも申し込み締め切りが11/15であるにかかわらず、昨日まで申し込みが殺到しているそうである。

そのためこのゼミを告知しているフェイスブックには、事務局担当者の方が次のようなコメントを昨日書き込まれている。
参加申し込み多数来ています!!!
だいぶん席も少なくなって参りましたので、参加ご希望でまだ申し込みFAXがお済みでない方はお早めに(^^)
下記に申し込み書を添付致します。
http://www.ryokufuu.com/pdf/forum-fukuoka.pd
f」

近々定員に達すること必至と思われる人気のゼミに参加希望される方は、ぜひお早目の申し込みをお勧めしたい。もしかしたら、このアナウンスによって、一気に定員に達してしまう可能性もあることを付記しておきたい。

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地域包括ケアシステムに幻想を抱いてはならない


本題に入る前に今週の出来事について、2つほど報告をしておきたい。

秋のこの時期、恒例となっている兵庫からのプレゼントが先週末に届けられた。
丹波黒豆
丹波篠山市役所の皆さんが参加しているNPO法人では、「社会的ひきこもり」対策の支援事業として「丹波黒豆」を栽培している。そこで収穫した「丹波黒豆」が緑風園の利用者のみなさんのために送られてくる。もう10年以上続いている活動である。もともとはこの活動のリーダー役を務めている丹波氏のM部長と、僕がネットを通じて個人的に親交があったことからの縁である。

今週月曜からの1週間、デイサービス利用者の皆様の昼食時に提供した。特養にお住いの方には、昨日木曜日のおやつの時間に提供させていただいた。皆さん大変喜ばれていた。丹波篠山市役所の皆さん、一緒に黒豆を栽培してくれた皆さん、本当にありがとうございます。

もう一点の報告は、昨日ご来園いただいた韓国・ソウル市老人福祉協会の皆さんのことである。

36名の見学のご案内をさせていただいたが、当施設内で使用している機械設備をカメラで興味深く写している姿を拝見すると、介護用の機械設備のスタンダードは日本の方が進んでいるのかもしれないと思った。しかし質疑応答では鋭いご質問などもあり、情熱をもって高齢者介護に携わっていることがよくわかった。

韓国の老人専門療養院認知症の方が徘徊したらどう対応するのかとか、コールを何度も押す場合にどうるのかという質問に対し、「私たちは、認知症の方が歩き回る理由を考え、その人が一番良い状態になるように対応することを心がけますが、歩き回ることをすべて否定せず、歩けるということを肯定的にとらえる必要もあると思いますし、歩き回っていた方が歩けなくなることの方を哀しみます。ナースコールについても、用もなくコールを押すことを問題視するより、コールをご自分で押す能力のあることをポジティブに良しと考えるし、むしろコールを押せなくなることを哀しみます。」と答えたら拍手が沸き起こった。お国は違えど介護への情熱と使命感は同じだと思った。

政治レベルでも、もっとお互いの国民性を尊重し合いながら、仲よくできないものかと思う。少なくとも今日お逢いした方々は、皆さん素敵な方で、介護にという職業にを誇り持っている方々であると感じた。
(※左の画像は、見学者の方からいただいたソウル市の施設の日本語版パンフレット。お返しに僕の著作本をプレゼントしたら予想以上に喜ばれて恐縮した。)

さて話題を変えて、本日のタイトルに関することを書く。

明日、僕は福井県美浜町で講演を行う予定になっている。福井県は初めて訪れる県であるが、日程はタイトで、講演当日移動なので、明日は早朝5:55発の高速バスで新千歳空港に向かい、新千歳8:40発〜セントレア10:30着〜名古屋駅10:19発〜敦賀13:25着〜15:00美浜町保健福祉センター「はあとぴあ」で120分講演の予定である。翌日の日曜日も敦賀駅を9:12に経って逆ルートで北海道に帰るので、いつもながら会場と駅を往復するだけで、初めて訪問する地を観光している時間は取れない。

二州地区ケアマネジャー連絡会主催・講演会の受講対象者は、介護支援専門員である。テーマは主催者の希望で、「明日へつなぐ介護〜地域包括ケアシステムにおける介護支援専門員の役割〜」とした。

そこではまず地域包括ケアシステムとは何かを明らかにせねばならないが、医療・介護・予防・住まい・生活支援が、包括的に確保される地域包括ケアシステムが全国各地で機能するのかという問題もあるが、それよりも重要な点は、地域包括ケアシステムが機能したとしても、その実現によって、地域住民の高齢期の暮らしは、決して薔薇色になるものではないという理解が必要だ。

なぜなら地域包括ケアシステムとは、団塊の世代が全て 75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる 2025 年(平成 37 年)に向けて、、保険料と公費で支えられている介護保険制度の持続可能性を高め、限りある資源を有効に活用するために、より効果的で効率的なサービスを提供することが求められるという面から必要不可欠とされているからである。

つまり限りある財源を、効率的に必要不可欠な部分に投入しようというのが、地域包括ケアシステムの目的であり、医療と介護の役割分担と連携を強化するという意味は、平成 26 年度の診療報酬改定において、医療機関の機能分化・強化と連携、在宅医療の充実という名のもとに行われた入院患者の退院勧奨、在宅復帰という流れの風下に、次期介護保険制度改正が位置し、在宅生活の限界点を更に高め、要介護度の高い人(中重度者:概ね要介護3以上を指す)が施設に入所したり、入院しなくてもよいシステムを地域ごとに作りなさいという意味である。

財源削減論と一体に考えられるシステムであるのだから、在宅生活の限界点を更に高めるという意味は、インフォーマル支援の限界点を高める必要性も生ずることとなるだろうし、ターゲットにしていない軽介護者(要支援者含む)については、できるだけ公費をかけずに、自己責任という名の自助を求めていくシステムでもある。

そのことは、「予防サービスの新総合事業への移行について」において指摘しているように、「親和性」という理由をつけて、新総合事業に予防訪問介護と予防通所介護を移行させる最大の目的が費用の効率化=費用の削減であることでも証明されている。

つまり地域包括ケアシステムとは、少子高齢社会において十分な財源確保が難しい時代において、必要最低限のサービスを担保するというシステムでしかないのである。

そこでは国がすべての介護ニーズに対応する財源を確保することは不可能なので、地方自治体に一定の財源と権限を与えるから、あとは地方自治体ごとに頭を絞って住民に必要な最低限のセーフティネットを構築する工夫をしなさい、というシステムであり、当然のそうした制度になれば、大きな地域格差は生じるだろうし、限られた財源であるがゆえに、そのシステムの恩恵を受けずに自助が強く求めらえる住民も増えるということである。

お金をできるだけかけないシステムとして行く中で、「こぼれて消える見えない涙」を見逃さないケアマネジメントが求められることになるが、介護支援専門員という職種だけが、この責任を負うわけではないはずで、真の地域包括ケアシステムとは、そのシステムの中で零れ落ちた住民ニーズを、単純に不必要な介護ニーズと決めつけない視点が、地域全体、専門職横断で求められるという視点が必要だろう。

どちらにしても、地域包括ケアシステムによって、要介護高齢者は地域の中で手厚く支援されるという認識ではなく、そのシステムの中で頑張らさせられるのだから、頑張りの限界点を超えない支援や、ソーシャルアクションが、対人援助の専門家には求められていくということを理解しておらねばならない。

それでは明日、福井県美浜町保健福祉センター「はあとぴあ」でお逢いするみなさま、よろしくお願いします。当日はメッセージ動画「明日へつなぐ介護〜福井県バージョン」を初お披露目する予定です。こちらの方もどうぞお楽しみに。
無題2敦賀


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住所地特例対象施設の見直しはなぜ必要とされたか


介護保険3施設や特定施設、養護老人ホーム等に適用される「住所地特例」とは、ある人が住んでいた市町村以外の他市町村の介護施設などに入所して、住所が当該施設の市町村に変更になっても、サービスを受ける際の給付は、もと住んでいた市町村によって行われるという制度である。これは介護保険施設などが集中する市町村の財政悪化を防ぐための特例措置である。

ところで現在、サービス付き高齢者者向け住宅については、特定施設の指定を受けたものか、利用権方式のものしか住所地特定の対象になっていない。これは住所地特例対象施設の規定に、「特定施設入居者生活介護の指定を受けていない賃貸借方式のサービス付き高齢者向け住宅は対象外」という除外規定があるためだ。

そのため賃貸借方式のサービス付き高齢者向け住宅が建設されると、当該住所地の保険者の財政負担が増えるという問題があった。

このルールについては、サービス付き高齢者向け住宅ではない有料老人ホームであれば、すべて住所地特例の対象となっていることと比べても整合性が取れず不公平であるとして、来年4月の介護保険制度改正では、すべてのサービス付き高齢者向け住宅を、住所地特例の対象とすることとしている。(※ただし施行日以降の入居者に限り適用)

ただし従来のルールだと、住所地特例の対象になった場合は、保険者が出身市町村のままなので、地域密着型サービスは、出身市町村のサービスしか使えず、サービス付き高齢者向け住宅が存在する市町村のサービスが使えないということになってしまう。

しかしサ高住の利用者は、生活相談や安否確認の見守り以外のサービスが外付けであるため、住所地の定期巡回・随時対応型訪問介護看護などを利用することが想定されるために、サ高住の所在する市町村の地域密着型サービスが利用できないと、利用者の暮らしを支えるサービスが受けられず、要介護状態になった場合に、そこを退去せねばならない事態にもなりかねない。

かねてから指摘しているように、地域包括ケアシステムの定義は、「「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」」(2013年3月・地域包括ケアシステム研究会報告書)とされているように、ニーズに応じた早めの住み替えを推奨することで、在宅介護の限界点を引き上げて、地域の中で暮らし続けるというシステムである。

そしてその住み替え場所として想定される「住まい」の主要な社会資源のひとつが、サービス付き高齢者向け住宅である。

そうであれば、要介護状態が重度化した場合に、その住み替え場所から、新たに住み替える必要性が生じては困るわけだから、住所地特例の対象者が出身市町村の地域密着型サービスしか利用できないという現行ルールは。地域包括ケアシステムを推進することの足かせになりかねない。

このため住所地特例の見直しと同時に、住所地特例の対象者は、地域密着型サービスと地域支援事業によるサービスについては、すべて転居先の市町村で実施されるサービスを利用できるようにルールを変更することとしている。

これによって来年4月以降に現在居住している市町村以外の市町村にあるサービス的高齢者向け住宅に入居した場合は、住所地特例で保険者は変更されず、かつサ高住所在地域の地域密着型サービス等を使うことができるようになる。

これによってサ高住が増えて、他市町村の住民が入居することで財政悪化が懸念されるという問題についても、一定の解決が図れることになり、ますますサ高住の建設が進むことが予測できる。

他市町村への住み替えが、地域包括ケアシステムといえるのかどうかという疑問は残るが、住み替え場所は、このように着々と整備されているのであり、地域包括ケアシステムとは、決して住み慣れた自宅に住み続けられるシステムという意味ではなく、新たな居所で、新たな暮らしをスタートさせるというスタイルも想定されていることを理解せねばならないだろう。

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サービス付き高齢者向け住宅の質向上が課題に


都道府県への登録が必要であるサービス付き高齢者向け住宅は、国土交通省と厚生労働省の共管である。

もともと介護施設が厚生労働省の管轄となっているのに対して、高齢者専用賃貸住宅(ケア付高専賃)が国土交通省の管轄となっており、サービス付き高齢者向け住宅の構想は、国土交通省の成長戦略会議(平成22年5月17日)において、『急増する高齢者向けの「安心」で「自立可能」な住まいの確保』の具体策として、「高齢者人口に対する高齢者向けの住まいの割合を欧米並み(3〜5%)とする。」という考え方に基づいて生まれたものだ。

そしてサ高住は、地域包括ケアシステムの基盤となる高齢者の「新たな住まい」として位置づけられ、高齢者の住み替え先として重要な社会資源とされるため、両省の共管という形で縦割りの弊害をできるだけなくして、両省の連携を促進したという意味があるのではないだろうか。

ところで安心して住み続けられるサービス付き高齢者向け住宅とは、どのような住宅だろう。

このことに関連して、今月8日に開催された国土交通省の有識者会議では、急速に増加しているサービス付き高齢者向け住宅の質の改善につなげるため、年末に向けて全施設を対象に実態調査を行うことを決め、必要に応じてサービスの基準を見直す方針を示した。その背景には、全国で増え続けているサ高住で、そこで暮らす人々の生活を支えるサービスに格差が生じており、生活にひずみが生じているという意味だろう。

有識者会議では、そこで問題になっているサービスの質の課題とは、入居者の安否確認・生活相談サービスを提供する体制の強化とされ、「職員のスキルにバラつき」、「大きな施設で体制が脆弱化しないか」とされている。

しかしこの見方は見当違いではないのか?

安否確認の見守り体制や、生活相談機能を強化して利用者の暮らしの質が上がるのは、要介護状態区分が軽度で、人の手を借り支援を受ける必要性が低い状態の時期であり、要介護状態区分が重度化し、外部サービスによる生活援助や身体介護が必要になる場合は、そのマネジメントや介護サービスそのものが生活の質を大きく左右する要素であり、安否確認や生活相談は必要とされるものであっても、その比重は前者より重たいものとは言えない。安否確認の見守り機能や、生活相談機能をサ高住の規模に応じて、いくら増やしても、それは生活の基盤を支えるサービスにはなり得ないのではないだろうか。

むしろ外部の介護サービスと、それを結びつけるマネジメントがどのようにサービス付き高齢者向け住宅内で展開されるかが大きな課題ではないのか?つまり今、サ高住で生じている問題は、サ高住の基本機能である「住まい」にかかわる問題ではなく、外付けサービスとして利用する、「ケアサービス」の問題ではないのだろうかという疑問である。

サービス付き高齢者向け住宅が誕生して3年を経た今、そこで加齢による身体状況の変化が生じている入居者も増えているだろうし、そもそも地域包括ケアシステムの中では、重度の要介護者がサービス付き高齢者向け住宅に住み替えて、看取り介護を含めた終生ケアを受けることができる地域を作ろうとしているのだから、サービス付き高齢者向け住宅の入居者の生活の質は、いかに外部のサービスを有機的に、適切に結び付けるのかということが大きな課題ではないのか。

その時に、サービス付き高齢者向け住宅の多くが、入居条件として、自法人内の居宅介護支援事業所による居宅サービスの作成や、サービス付き高齢者向け住宅に併設した、自法人の訪問・通所サービスの利用を条件にしているというケースをどう考えるのかという問題がある。

そのことが放置されると、「地域包括ケアに潜む盲点」・「地域を巡回しない24時間巡回サービスが生まれる」で懸念したような事態が生まれるだろう。

そういう意味では、サービス的高齢者向け住宅への住み替えを考える高齢者には、どのような住宅を選択することが望ましいのかという情報提供が必要だ。このことについて僕は、次のように考え方を示している。

・外部の介護サービス(訪問介護・通所介護・訪問看護など)を利用するに際して、関連事業所のサービスだけを使うような入所要件になっていないか。
・介護支援専門員(ケアマネジャー)を利用者が自由に選ぶことができるか。
・終末期援助(看取り介護)を受けることができる理念や方法があって、入所前にきちんと、その方法についての説明を受けることができる。
・病状が重篤になると退所しなければならないような契約内容になっていないか。


関係者の方々の意見としては、このことは求められる視点であるけれども、実際にはほとんどのサービス付き高齢者向け住宅は、これに該当しないという声も多い。そうであれば、この中のいくつの項目が該当するのかという観点から選択されることがあってもよいだろう。

しかし地域によっては、サ高住は作っても、部屋が埋まらないでダンピングされているような状態も見られてきている。そこでは上記に掲げた条件をクリアできない事業者の経営が行き詰まる可能性が高い。そういう意味で、今後は利用者の選択肢が広がっていくのではないだろうか。サ高住への住み替えを支援する立場の関係者は、このような観点から、利用者ニーズにより合致した住み替え場所の情報を提供する必要があるだろう。

そして、利用者ニーズとは今現在から将来に向けて、つながっているニーズだという観点から、安心して暮らし続けることができる居所選びが求められるであろう。

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サービス付き高齢者向け住宅選択の観点を考える


地域包括ケアシステムとは、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」(平成25年3月地域包括ケアシステム研究会)と定義づけされている。

つまり日常生活圏域の中で、急性期入院を除く医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスを一体的かつ適切に利用できるようになるためには、地域行政が中心となってそのシステムを作り上げるだけではなく、住民自身も加齢に伴う身体状況などの変化に応じた自らのニーズを把握・自覚し、そのニーズに応じた、「早めの住み替え」の覚悟が必要となることを、地域包括ケアシステム研究会は報告書で示唆しているのである。その方針はそのまま、今後の国の施策や市町村の介護保険制度運営にも結びついていくものと思われる。

そうした中で、居宅介護支援事業所の介護支援専門員には、今後一層、こうした観点からのニーズ把握も求められ、必要に応じて自宅で暮らす利用者の住み替え先の提案などが求められていくだろう。

このような考え方をベースにして、住み替えの受け皿として国が建築を推進しているのが、「サービス付き高齢者向け住宅」であることは疑問の余地がないだろう。

しかしサービス付き高齢者向け住宅の、「サービス」とは、入居者の安否確認と生活相談だけなので、身体介護や生活援助(家事援助)については、外部の居宅サービス等を利用することになっている。

定時巡回・随時対応型訪問介護看護が、地域包括ケアシステムを支える基礎的サービスとして位置づけられている理由は、サービス付き高齢者向け住宅に住み替えた要介護者等が、24時間巡回できるサービスを利用することで、その生活を支えることができると考えられているからだ。

同時にこのことは、暮らしの場と分離したケアサービスが、地域包括ケアシステムの基礎をなしているという意味だから、ケアサービスが提供されていない時間は、ある程度の自助努力と自己責任が求められるということになる。

こうした状況下で、加齢に伴う老衰などが進行し終末期を迎えるときに、サービス付き高齢者向け住宅の中で、どのように支援体制を組んで、利用者ニーズに応えることができるだろうかという問題が生じるだろう。

サービス付き高齢者向け住宅は増え続けているが、この住宅は前回の介護保険制度改正と同じ時期に、「高齢者住まい法」が改正されて作られたものだから、本格的な建設〜住み替えは、平成24年度からということになる。つまりそこに住んでいる人は、まだ元気な人が多いのではないだろうか?

よってそこで看取るというケースは、まだ少ないものと思えるが、サービス的高齢者向け住宅に住み替えた高齢者が、そこで年を重ねるにつれて、終末期を迎えざるを得ない人々が増えていくものと思える。その時に、住まいとケアが分離した場所で、どのような看取り介護の支援体制が構築できるのかは今後の大きな問題となるだろう。

加齢に伴う新たなニーズに応じて、せっかくサービス付き高齢者向け住宅に住み替えたのに、終末期に近づくにつれそこでの支援は難しいとされて、死に場所を求めるというだけのために、さらなる住み替えが求められるとしたら、これは大問題だろう。そうしたことがあれば、サービス付き高齢者向け住宅とは高齢期の安心できる居所にはなり得ない。

そういう意味でも、サービス付き高齢者向け住宅は、終末期のケアについてきちんとした理念を持って、適切な支援システムを構築して、利用者を受け入れてほしいと思う。外部のサービスを使って終末期の支援はできるということだけでは、単にそこが死に場所になって、本当の意味での「終末期支援」・「看取り介護」が行われず、安心できない苦痛の終末期が作られだけの結果になる恐れがある。

地域包括ケアシステムにおける今後の検討のための論点という報告書では、『毎日、誰かが訪問してきて様子は見ているが、翌日になったら一人で亡くなっていたといった最期も珍しいことではなくなるだろう。』、『常に「家族に見守られながら自宅で亡くなる」わけではないことを、それぞれの住民が理解した上で在宅生活を選択する必要がある。 』として、これからの社会で高齢期を迎え、やがて終末期を迎える人々に、覚悟を求めているが、これはサービス付き高齢者向け住宅で、外部サービスを利用しながら終末期を過ごす人々人も求められる覚悟なのだろう。

その中でいかに安心と安全の「看取り介護」が実現するのかは、サービス付き高齢者向け住宅の、経営と運営の考え方そのものに委ねられてしまう可能性が高い。

自社サービスのケアマネを担当にして、併設の介護サービス事業者しか利用しないことを、入居条件にするようなサービス付き高齢者向け住宅で、終末期にそのような安心と安全の看取りができるだろうかという観点からも、住み替えの場所の選択が必要になる。それができるようになることが社会全体としては望まれるであろう。

サービス競争は、価格と住環境のみならず、住み替えることによって、利用者の選択肢が狭められることはないという観点から行われるようになるのが、市民レベルでは望ましいといえるし、選ぶ側もそうした観点を重要な選択要素とする意識が必要だ。

自宅で暮らしていた時にできていたことが、サービス付き高齢者向け住宅に住み替えることによって、入居の契約条項によりできなくなることはないかということを、住み替える前に十分に検討して、住み替え場所を選択してほしいと思う。

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多職種連携では自らのスキルが問われる


地域包括ケアシステムの必要性が、盛んに唱えられているが、本当にそのシステムが機能するには、そこで所属を超えた多職種連携が、目に見える形で機能していくことが必要となる。

そのためには、システムがあればよいということではなく、そのシステムの中で、所属事業主体が異なる専門職が、お互いにものを言い合える関係づくりが不可欠である。そのことは「地域包括ケアシステムに欠けているもの(その1)」でも指摘しているところである。

そして、そういう関係を作る場として、法制化される「地域ケア会議」を利用すべきではないかということを「法制化される地域ケア会議では何が求められるのか」で提言したところである。

ところで、この「ものを言い合える関係」とは、単に知り合いであって気安く声を掛け合えるという意味ではなく、それぞれの専門性に基づいた会話が成立する関係でなければならない。

様々な専門家が、地域包括ケアシステムの連携軸の中に存在しうるのであるから、話し合いの中で、いちいち通訳が必要となる状態では困るわけである。そこでは極端にわかりづらい専門用語を使わないという配慮も求められるが、基礎的な知識は他分野の知識であろうとも、ある程度理解できるスキルが求められるということだ。

よく福祉系資格に基づいた介護支援専門員が、医療知識に欠けると言われるが、それは介護支援専門員という資格者が、医師や看護師が持つべき専門知識を持たなければならないということではないだろう。逆に医師や看護師だって、介護保険制度の細かな法令とか、ソーシャルワークや介護実務のすべてを知る必要はないわけである。

例えば自分が担当する利用者に医療ニーズはあるのか、ないのかと判断は、ケアマネジメントの中で求められるわけである。その判断をしないと、医療ニーズに的確に対応する社会資源としての「医療」が、利用者に結びつかなくなり、それは健康状態の悪化という形だけではなく、生活課題の解決につながる利用者ニーズを隠してしまい、いつまでも生活課題が解決しないまま、利用者の暮らしぶりが良くならないという形で、暮らしの質を下げてしまうかもしれないのである。

しかし医療ニーズがあるというアセスメント結果を引き出す責任がケアマネにはあるといっても、その医療ニーズに対応する個別の処方を、ケアマネジメントで見つけることまでは求めていない。むしろそれを行うのは、ケアマネジャーの職域を超え、医療法等の違反さえ問われかねない問題である。

医療ニーズに対する処方は、医師の専門行為であり、ケアマネジャーは、かかりつけ医師への照会や、サービス担当者介護で意見を求めるなどで、その処方をケアプランに落とし込むだけである。

この時点で、何もかも通訳を要しないと、処方内容がわからないということでは困るわけであるから、他領域の基礎的な知識をある程度知らねばならない。

例えば、糖尿病を持病として持っている人の、血糖値管理は重要であるという知識を持っていない人はいないと思えるが、そもそも血糖値とは?その管理の方法はどのような方法があるのかを、血糖値が高い状態が続いた場合にどのような症状が起こるのか、逆に低血糖が起こったらどうなるのかということを全く知らない状態であれば、医師の助言や処方内容が適切に理解できずに、ケアプランで血糖値管理の必要性を十分に落とし込むことができなくなるかもしれない。それではまずいということなのである。

同時に、医療関係者と福祉系資格に基づくケアマネジャーの関係を考えたとき、それは常に前者から後者に指示命令を行うという関係ではない。それは連携とは言わないのである。

医療の処方については、その専門家に判断をゆだねることはあっても、自らの専門領域である、ケアマネジメントについては、自らの判断で、その内容を医療や看護の専門家にも理解できるように説明し、その方針に基づいて支援チームに参加してもらうという考え方が必要である。

ケアマネだけではなく、介護の専門職にも同じことが言えるわけで、例えば医療の手が届かない認知症の行動・心理症状に対するケアの専門家の活躍場面は多いわけであるが、この時経験則からの勘だけで発言しても説得力はないわけで、タイプ別認知症の対応法などを根拠に基づいて示したうえで、ケアのコンサルティングを展開できなければ、指示命令を受けるだけの立場になってしまう。

そういう意味では、多職種連携とは、お互いの専門性を尊重しあうという意味でもある。それは常に様々な分野のコンサルティングを受けることができる専門家を、チームの内部に抱えた状態ともいえる。

ということは、自らの専門性を言葉で語ることのできないスキルしかない人は、連携軸に入れないということになる。介護の専門家であるなら、少なくとも介護については、医療・看護職の人々にコンサルテーション機能を持ったスキルが求められる。そういうスキルを持たない連携はありえず、自分の専門性を言葉にできず、自分の専門領域についてのコンサルテーションができない関係とは、それは連携しているのではなく、指揮命令されるだけの存在になることだという自覚が必要である。

建設的意見を、「云い合う」関係。それがなくなれば、多職種協働は言葉だけの形骸化したものとなる。チームの魂を「鬼」にしないためにも、お互いの専門性を発揮して、云い合い、高め合うコミュニケーションスキルが求められるであろう。

ベストナース・ブックレビュー


※北海道医療新聞社から発刊されている、「ベストナース8月号」の寄贈を受けました。

僕の書いたものが載っているわけでもなく、僕の取材記事が載っているわけでもありません。

今回は、4月に発刊された拙著、「介護の詩〜明日につなぐ言葉」の紹介が、Book Reviewのページに掲載されました。紹介分には、「介護に悩んだとき、紐解きたい1冊です。」と書いてくださっております。

本を紹介していただいた上に、冊子までご寄贈いただき感謝です。ありがとうございます。






和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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地域包括ケアシステムに潜む盲点


介護保険制度のキーワードは、地域包括ケアシステムであるかのような印象が強くなった今日この頃である。これは今後の高齢社会を考える上で、地域包括ケアシステムの構築が、高齢者が、住み慣れた地域で暮らし続けるために必要不可欠であるとされているからであろう。

現に介護保険制度改正は、地域包括ケアシステムの構築から、その基盤強化が主たるテーマとされ、改正の方向性が決められている。

ところで、地域包括ケアシステムが目指すものの一つに、社会全体の高齢化に伴い、増え続ける認知症高齢者や、重度の要介護高齢者が地域で支えられ、暮らし続けられるということが挙げられる。

ここで注目すべきは、地域包括ケアシステム研究会が2013年3月に作成した報告書に書かれている内容である。

そこでは地域包括ケアシステムの定義を「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」としている。過去に同列に並んでいた、「急性期入院を除く医療・介護・予防・住まい・生活支援サービス」について、「住まい」がひとつ抜け出すかたちで表記された。

この意味は、以前このブログ記事にも書いたように、「早めの住み替え」が推奨されているという意味である。そうであるがゆえに、2012年の介護保険制度改正時には、同時に、「高齢者住まい法」も改正され、高齢者の新たな暮らしの場として、サービス付き高齢者向け住宅を位置づけ、それを全国各地に建設することを推進し、ここへの住み替えを推進しようとしているものである。

高齢者の方々にとって、認知症の症状があるなしに関わらず、高齢期の住まいの選択肢が広がることは良いことだ。介護施設も、収容施設ではないのだから、そこは住み替えて新たに暮らしを創る場所として選択されてよいし、我々はそのために暮らしの場として選ばれる高品質のサービスを創っていく必要がある。

その中で、サービス付き高齢者向け住宅という選択肢が増えたことを否定するつもりはない。むしろ歓迎すべきであると思っている。

今後は、重度の要介護状態や認知症の症状が出てきた、「ひとり暮らし」の高齢者や、「高齢者夫婦世帯」で両者に認知症の症状が出てきた場合、どちらかが重度の要介護状態になった場合などに、サ高住への積極的な住み替えが進められていくであろう。

ここで考えなければならないことは、介護施設とサービス付き高齢者向け住宅の一番の違いについてである。前者は、暮らしの場に身体介護をはじめとしたサービスが組み込まれた居所である。つまり住まいと介護が一体的に提供される場所である。一方後者のサ高住は、暮らしの場を提供するといっても、身体介護は外付けであり、暮らしとケアが分離している点である。

このことについては、暮らしと介護は分離されていたほうが良い。だからサ高住は、今後一番求められる高齢者の暮らしの場であるという考え方がある。

暮らしとケアが一体的に提供される介護施設が批判される理由は、利用者の暮らしの個別性を無視して、施設の都合に合わせたサービス提供しかされないというものである。

しかしそれは利用者の個別性をきちんとアセスメントし、利用者目線のサービスを構築する視点さえあれば解決できる問題である。むしろ暮らしとケアが分離していないからこそ、可能となる支援行為も多い。例えば趣味活動の外出支援、レクリエーションとしての外出機会確保は、暮らしとケアが一体だからこそできることであるし、定期巡回では対応不可能なさまざまな想定外の状況に対応できるのが、暮らしとケアが一体的に提供される介護施設の利点である。
(参照:住まいとケアの分離が求められる方向なのか?

サービス付き高齢者向け住宅のケアは外付けであり、暮らしとケアが分離している。このことによって生ずる利点は、まず利用者の暮らしがあって、それに暮らしを支えるためにふさわしい外部サービスだけがそこに張り付くということである。このように暮らしとケアが分離していることをポジティブにとらえる向きもあるが、実際には、外部サービス事業者の巡回時間などの都合で、サービスの方法や質が左右されている例が数多くみられる。この点がまず問題である。

また外部の巡回サービスのみで、暮らしをさせようとする場合に、いくら細かくアセスメントを行っても、想定外の時間の排泄ケアなどは対応困難であり、サ高住自体に身体介護提供機能がないことによって、失禁状態が長く放置される事例も見られる。このように必ずしも暮らしとケアの分離が、利用者のニーズとは言えないのである。

サービス付き高齢者向け住宅が、暮らしの場を提供するという以外に、基本機能として持っているのは、見守りと生活相談のみである。

そうした基本機能があるのだから、身体障害のある高齢者だけではなく、運動能力が衰えていない認知症高齢者の方々も住み替えが検討される場所になるであろうが、ここで考えておかなければならないことがある。

運動能力の衰えていない認知症高齢者が、暮らしの場所をサービス付き高齢者向け住宅に替えて、そこで外部サービスを受ける場合に、何が起きるかということである。

外付けのサービスが訪問してサービス提供でできる場所は、居宅と認定される場所が基本であり、外出支援も保険給付されるサービスの中に含まれてはいるが、それはあくまで、「居宅から」もしくは、「居宅まで」という条件が付けられている。しかも趣味活動に関する外出支援は、保険給付の対象にならない。

するとサービス付き高齢者向け住宅に住んでいる、運動能力の衰えていない認知症の高齢者の外部サービスが、定期巡回・随時対応型訪問介護看護である場合は、その巡回時間に利用者がそこにいてくれないと困るわけである。そうなるとサービス付き高齢者向け住宅の基本機能である、「見守り」は、認知症高齢者については、「外に勝手で出ない見守り」になってしまう可能性が高い。

その結果、サービス付き高齢者向け住宅から一歩も出ないで、そこだけで暮らしが完結させられる認知症高齢者が出現してくる。これは果たしで住み慣れた地域で暮らし続ける、という意味になるのだろうか?それはもはや幻想地域と呼ばれる状態で、事実上、地域から隔離された空間にならざるを得ない。

要介護度が高く、自力では移乗・移動動作が取れない人も同じよう帯になりかねない。これらの人の場合は、外出させないという「見守り」を行わずとも、積極的に外出支援を行わない限り、すべての生活行為は、サ高住の中で完結する。地域の空気を感じることがなく、生涯サ高住の中だけで生活支援を受けて終わりという高齢者が増えていくというのが、住まいとケアを分離した場所で、生活支援を受ける人が増える社会の近未来像である。

サ高住で生活する人の居宅サービス計画を作成するケアマネ等には、こうした幻想地域で生涯を終えるという人が存在しないように、本当に住み慣れた地域社会での「暮らし」を構築する視点が求められる。

サ高住という器の中で日常生活が送れるのかという視点のみに終始せず、その人が住み慣れた地域で暮らし続けるという意味を問い続けるような支援が求められるであろう。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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地域包括ケアシステムのキーワードは統合化


先週土曜日は、北海道自治労会館で行われた「北海道介護支援専門員協会研修会」で、「地域包括ケアシステムにおける介護支援専門員の役割」というテーマで講演を行ってきた。

札幌は僕の住む登別から特急列車で80分、自家用車で高速道路を使っても90分くらいで着く場所にあるが、僕が札幌に出かけるのは、昨年7/31の北海道老施協主催:老人福祉施設研究発表会の講師役を務めて以来である。そのため土曜日は、講演終了後オフ会に参加して、久しぶりに薄野に泊まって翌日曜日に帰ってくる日程を組んだ。

土曜日は、昼近くに札幌駅に着いたため、まずは昼食。当初は会場の自治労会館1階にある、札幌ラーメンの老舗、「月見亭」で札幌味噌ラーメンを食べようかと思ったが、どうも味噌ラーメンモードではない。九州へ行く機会が多い僕は、九州ラーメンの細麺ストレート、豚骨スープを無性に食いたくなる時があるのだが、このところ2月ほど九州に行く機会がなかった。しかし登別周辺地域に本格的な九州ラーメンを食べさせてくれるお店はないので、札幌ならあるだろうと探してみた。

すると札幌駅西口を出てすぐの場所に、「ばりきや」という本格的な博多ラーメンを食べさせてくれるお店があるらしい。ここは博多一風堂プロデュースというお店らしい。ということで早速来店。看板メニューの「ばりきめん」は650円であったが、たまの札幌なので贅沢しようと、「肉入りばりきめん」880円をチョイス。

肉入りばりき麺880円
650円のばりきめんのチャーシューより厚いチャーシューが4枚入り。麺は本格的に、「やわらかめ・ふつう・かため・ばりかた・はりがね・粉落とし」から選べ、僕は迷わずいつもの、「ばりかた」を選択。具はきくらげともやし、ネギが入っているが、卓上に並んだツボに入った紅しょうが、高菜、味付けもやしは取り放題。好みによって味が変えられる。スープも本格的な博多ラーメンでうまかった。

替え玉150円
替え玉150円を追加注文。残念なのは注文がすべて食券で行わないとダメなところである。博多でも食券の店は多いが、替え玉は口頭で、現金と引き換えの店が多い。そうではないこの店の方式だと、あとから替え玉を追加したいと思ったら、席を立って食券を買わねばならないが、お昼時で券売機の前に人が並んでいたら、並び待ちの間に、スープがさめてしまう。僕はあらかじめ替え玉分も食券を買っていたが、この方式は不便と思った。でも味は満足だった。

さてお腹も満ちたところで、会場に移動。ばりきやから自治労会館は徒歩7分の場所にある。

北海道介護支援専門員協会の方々は顔も知りの方も多いし、初めてお会いする方もフェイスブックでつながっている人が多数いて、和気あいあいの雰囲気の中でご挨拶〜準備〜講演とあいなった。講演時間は約100分。地域包括ケアシステムの中での介護支援専門員の役割を理解するためには、地域包括ケアシステムとはなんぞや、国は地域包括ケアシステムにより、どういう地域社会を作ろうとしているのかということを理解しなければならない。そのことを制度改正の目的と絡めてお話しした。

北海道介護支援専門員協会講演
地域包括ケアシステムとは当初、「日常生活圏域で、急性期入院を除く医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスを一体的かつ適切に利用できる提供体制を全国につくる」という概念が示されていたが、平成25年3月に出された地域包括ケアシステム研究会報告書では、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」という風に微妙にその概念が変えられている。

当初は、医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスが並立的に書かれていたが、新たな報告書では、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本」という表現で、「住まい確保」をどうするかが一番の課題として挙げられている。このことは地域包括ケアの中で、要介護等高齢者の住まいは、「住み慣れた地域」で確保されるという意味であるが、必ずしもそれは「自宅」を意味しておらず、状況に応じた早めの住み替えを視野に入れなさいという意味だと解説した。

また地域包括ケアシステムは、行政主導の組織化だけでは機能することにはならず、そこに参画する多職種が有機的な連携を図るためには、「顔の見える関係者の関係性」が不可欠であり、今年3月に講師としてご招待を受けた、仙台市の「ささかまhands」さんの活動の紹介を行うとともに、「法制化される地域ケア会議では何が求められるのかで示した考えも説明させていただいた。

地域包括ケアシステムにおける介護支援専門員の役割
同時に国は、このシステムが機能するような介護報酬評価の仕組みを作るのではないかと指摘した。

それは何か?所属の違う多職種連携が有機的に機能するモデルとして面白いのが、定期巡回・随時対応型訪問介護看護の連携型である。連携型は訪問介護事業所に訪問看護師がおらず、外部の訪問看護事業所と委託契約を交わした上で、定期巡回・随時対応型訪問介護看護事業所は市町村に連携の届け出を行い、訪問看護事業所は都道府県に連携の届け出を行った上で、外部の医療機関の医師の指示を受けたケースについて、定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスとして、訪問看護事業所より訪問看護が行われる。そして費用算定は、24時間訪問介護事業所が請求し委託費を訪問看護事業所に支払うのではなく、それぞれの事業所が連携型の定期巡回随時対応型訪問介護看護の費用算定を行うという形である。

このように委託契約と言う形でありながら、費用算定はそれぞれの事業所で行い、なおかつそれはお互いのサービスが有機的に繋がって定期巡回・随時対応型訪問介護看護費を算定するという構造において、自然と両者のネットワークが形成され、医師・看護師・訪問介護員という所属が違う者同士の多職種連携が進むという事例がみられる。

地域包括ケアシステムにおいては、そうした連携が必要になるため、介護報酬の体系も、それをモデルにした算定構造を増やしていくというのが国の考えだと思う。だから地域包括ケアシステムのこれからのキーワードは「統合化」であり、介護報酬評価は包括化をさらに進め、サービス毎から「経営単位」に考えられていくだろう。

これは来年の報酬改定時のことだけではなく、次の次の報酬改定時にも引き続き検討されていくことで、むしろ次の次の報酬改定時にその傾向が色濃く示されるように思われる。

そのほか講演では、地域包括ケアシステムによって作り上げたい地域社会とは何かという部分について説明し、課題である認知症対策や、そこで求められる介護支援専門員の役割、在宅での看取りについても解説させていただいた。

自著本販売コーナー
講演後に会場で、僕の著作本4作品を販売させていただいたが、新刊の「介護の詩」はじめ、「人を語らずして介護を語るな」全3シリーズをすべて購入してくださる方もいて、大変感謝している。

今野さんへのサイン
ご希望者には、いつものように落款入りのサインをさせていただいた。

講演終了後、総会を終えるのを会場で待ち、そのままオフ会へ向かった。オフ会には19名の方が参加してください里、大いに盛り上がった。

オフ会
僕はこの後、2次会・3次会と場所を変え、日付が変わるまで飲んで、薄野のど真ん中にある定宿に泊まり、翌日登別に戻った。

北海道介護支援専門員協会の皆さん、講演受講者の皆さん、2次会以降に駆けつけてくれた皆さん、本当に楽しかったです。ありがとうございました。

介護・福祉情報掲示板(表板)

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