masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

東日本大震災

13年目の3.11



気象変動の影響があるのか、我が国はここ何年か毎年大きな自然災害に見舞われており、今年の元日も能登半島地震で年が明けた感がある。

どれだけ警戒しても自然災害に見合われてしまえば、人の力でできることには限りがある。だからこそ過去の災害を振り返って避難経路の確保など、できることはしっかりしておかねばならない。

介護事業者に課せられたBCPの策定も、義務だから策定するのではなく、それが利用者や従業員の命を護るために必要不可欠だから策定するという考えがなければならない。

そんなことを考えたのは今日が3月11日という日だからである。13年前のこの日、東北地方を中心に起こった東日本大震災は、3.11という数字を私たちの記憶の中に深く刻み込んだ日でもある。

大地震と津波・・・そして原発事故という大災害の記憶は決して消えることはないだろう。

最初の地震発生時刻は2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒・・・あれから13年目の同じ時刻が目前に迫っている。

今日も僕はその時間、静かに目を閉じて被害に遭って亡くなられたすべての方を悼みながら黙とうを捧げようと思う。

13年という月日が流れても、被災地にはまだ哀しみが漂っている。

去年、岩手県介護福祉士会のお招きを受けて、大きな被害を受けた地域の一つ釜石市に訪れ講演を行う機会を得た。

講演を行った翌日、研修主催者の方々に、被害に遭った場所やその周辺地域を案内していただく機会もいただいた。
東日本大震災から13年
震災から復興した釜石市には、大災害の記憶を忘れないための建造物等が残され、そこには未来への教訓も刻まれている。

しかし人々の心の中には、まだ鮮明な記憶として災害時の恐怖や、失われたたくさんの人々を思い浮かべての悲嘆感が残されていた。

福祉・介護関係者の中には、自分の力が及ばず救えなかった命があることを悔やみ、それがあたかも自分の責任であるかのように感じ続けている人も居る。しかしそれは違うと言いたい。自然に向かい合う時の人の力は本当に小さなものだ。自然災害が発生したその瞬間に、すべての人が最善の判断ができるはずもない。それは神ならざる人間の宿命でもある。

力及ばず救えなかったものを、すべて自分のせいにする必要はないのである。むしろそこで生かされ、今を生きている意味を考えてほしい。

きっとそれも天の意思である。

あの震災で亡くなった方が、もし再び生まれ変わる日があるとすれば、この日本の、その場所で生まれ変わりたいと思う地域づくりを、あなたやあなたの仲間に託しているのだと思う。

僕自身も、自分がここで生かされている意味を、そう考えるようにしている。だからこの国を良くしたいと思う。その為に僕ができることは、自身が関わっている対人援助・介護事業の質を少しでも向上させ、人々の豊かな暮らしを支援できる方法を創り出すことだと思っている。

僕のこのブログも、あの震災の直後に一気にアクセス数が減った。被災地で被害に遭われた方がアクセスできなくなったのと同時に、僕が一度も逢ったことがない、見ず知らずの読者の方の幾人かが、あの震災で命を落とされたのかもしれない。

その人たちがしようと思ったこと、志半ばで逝った人たちが成し遂げたかったことを想像し、その人たちに替わって成し遂げられることができるものがないのかを考え行動し続けたい。

今この時間、この瞬間に生かされている私たちには、それができるのである。そのことを決して忘れてはならない。

あと2時間と少しあと、その方々のことを思って祈りたい。お亡くなりになられたすべての方々に対して、心を込めて手を合わせたいと思う。


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失われた命を忘れない


今朝、僕は揺れを感じて目覚めた。朝5:12に北海道で最大震度4を観測するやや強い地震が発生したためである。

しかし僕が住む登別市は震度1でしかなかった。もう少し大きな揺れのように感じたが、気のせいだったのだろうか・・・。

そういえば今日は3.11である。東日本大震災が起きてからもう12年も経つのだと思い出した。

こんなに月日を重ねているのに、まだ3万人以上の人が避難したまま故郷に帰ることができていないそうだ。それによって地域社会が崩壊したままの状態のところもあるのだろう。

家族・親族・友人・知人を失った人は、12年という歳月はその悲しみや苦しみを和らげてくれる期間ではなかったのかもしれない。むしろ哀しみは深まるばかりだと感じている人も多いと思う。
3.11は祈りの日
僕はあの日、九州新幹線開業を翌日に控えた福岡で2つの講演を行っていた。そのため地震と津波の発生を知ったのは、その日の夕方であった。

僕が講演中に、被災地では一瞬のうちに亡くなられた方がたくさんおられる。その中には介護事業に従事している最中に亡くなった方、介護サービスを利用している最中に亡くなった方も含まれている。

僕の知り合いであの震災で亡くなった方はおられないが、だからと言って他人ごとには思えない。同じ国に生まれ、同じ国で生き、同じ国で将来に思いを馳せていた人が数多く、その未来を一瞬のうちに絶たれているのだ。

そのことを決して忘れてはならないと思う。
失われた命を忘れない
この画像は、僕が講演中に上映している動画スライドの1枚である。動画自体は各地域でその都度変えて、様々なスライドを使っているが、このスライドだけは全国どの地域でも必ず使っている1枚である。

僕たちはできないことが多すぎる。あの震災で亡くなられた方や、大切な人を失った人の哀しみや苦しみに直接寄り添うことはできないし、その心を癒す術も持たない。

唯一できることは、その方々の哀しみや苦しみを理解しようとすることだ。月日を重ねても深まるばかりの悲嘆の心を理解し、その方々に心ひそかにエールを送ることだけは続けていきたい。

上のスライドに書いたように、あの震災で亡くなられた方々が、生まれ変わるときに、またこの国に生まれ、またこの国で暮らしたいと思えるような日本を創りたい。できるかどうかは別にして、その努力だけは続けていきたい。

それがこの世で、決して大きなことはできない私たちの務めではないかと思う。

今日はそうした思いを改めて嚙みしめながら、亡くなられた方々、大切な誰かを失った方々に思いを馳せて祈りを捧げる日である。・・・合掌。
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masaの日本酒道〜AKABU純米は復興の酒


僕が社会人となった以後だけから見ても、この国では震災と呼ばれる大きな地震災害が2度も起こった。

一つは阪神大震災であり、一つは3.11と呼ばれる東日本大震災である。

どちらも記憶に深く刻まれる大災害であったが、津波と原発被災が重なった東日本大震災は、記憶が阪神大震災より新しいこともあり、最も印象に残っている大災害である。

そこでは様々な悲劇が生まれ、今なおその哀しい記憶と爪痕を引きずって生きておられる人がいる。

時の流れが哀しみを癒してくれるというが、決してそうではなく、時が経つとともに哀しみを深く胸の奥にしまい込んで、他人にはその思いを隠しているだけという人も多いのだと思う。そもそも11年という時は、人の心を癒す時間としてはあまりにも短すぎて、まだ後悔とか慟哭とかを引きずって生きている人が大勢いて当然だと思う・・・。

そうした中でも、この11年間に気持ちを新たに、路を切り拓いてきた方々おられる。哀しみの言えない方々も、その人たちの活躍する姿、頑張っている姿を見て勇気を得ていただきたい。

今日紹介する酒蔵も、震災で大きな痛手を受けて、一旦は廃業まで決意した後、思い直して復活し、以前にも増して日本酒ファンの支持を得ている蔵である。

明治29年創業の赤武酒造は、岩手県大槌町にあった本社工場が東日本大震災の津波によって流失。その惨憺たる様に打ちひしがれた5代目社長は、一旦廃業を決意したそうである。しかし蔵の中心銘柄「浜娘」の味を心待ちにしているファンや酒造仲間からの励ましもあって、震災があった年には盛岡市内の醸造施設を間借りして「浜娘」を醸造。やっとの思いで全国に「浜娘」を届けることができたそうである。

そして2013年に盛岡市に新蔵を建設し、2014年、5代目はご子息の古舘龍之介さんを6代目件杜氏に就任させると同時に、「浜娘」に次ぐ新たな銘柄の立ち上げを若き杜氏に一任したそうである。

6代目ともなった古舘さんは、東京農大醸造科で酒造りを学んでいたが、学生時代に利き酒の全国大会で日本一になるなど、松尾様(酒造りの神様)に祝福される舌の持ち主で、まさに杜氏になるために生まれてきたような人である。

こうして若干22歳で赤武酒造の杜氏に就任した古舘さんが新ブランドAKABU(アカブ)を立ち上げた。同時に、「赤武酒造の新しい歴史を創る」の合言葉で若者たちが赤武酒造に集まり、時代に合う酒造りを目指している。まさに今現在活気にあふれた蔵が醸すお酒を紹介したい。
AKABU純米酒
AKABU(アカブ)・純米酒。(1.8L)2.870円。一口飲むとわかるが、これ純米酒レベルではなく、純米吟醸ではないかと思うほど、フレッシュな香り立つすごい酒である。

この香りを存分に味わうためには、広口のワイングラスで呑むのが一番である。是非試してほしい。
AKABU純米酒
酒米と酵母、仕込み水すべて岩手県産にこだわっており、他の地域では味わえない岩手県ならではの魅力が感じることができるお酒。精米歩合60%になるまで磨き上げた一本。アルコール度数は15度。

かすかなフルーティーさを持ちつつ、甘すぎず辛すぎず、絶妙の旨みとキレの良さのバランスが取れたお酒だ。今年呑んだ中でもベスト3には確実に入る酒。コスパも良し。

必ずリピートしたい、間違いのない酒である。復興の酒で若い力とこの国の未来への希望を感じ取ろう。

しかし皆さんもぜひ味わってほしい…とはあえて言わない。この酒を好むライバルは一人でも少ない方が良い。手に入りにくくなっては困るのである。

ああ、それにしてもアル添(醸造用アルコール添加)していない本物の日本酒は旨いなあ〜。やっぱ世界一のお酒だと思う。
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余震・・・この国で介護に携わっている意味を考えた日


2月13日(土)23時08分頃、宮城県と福島県で最大震度6強を観測する地震が発生した。

震源が福島県沖ということで、大きな揺れに遭遇した人の中には、場所が場所だけにあの3.11の悪夢を思い起こした人も多いことだろう。その時と違って津波が起こらなく幸いだったが、その後政府の地震調査委員会が、「ギリギリのところで津波が起きなかった」との見解を発表するニュースを観て、肝を冷やした人も居ただろう。

東日本第震災の記憶が古くなる間もなく、その時に心に傷を負った人が、たびたび襲う大きな地震を受けて感じることは恐怖なのか、深い悲しみなのか・・・。その思いを想像するとせつなさがこみあげてくる。

しかしその震度6という大きな地震も、東日本大震災の余震であるという。そして今後も10年くらいは大きな余震の恐れがあるという。被災地で肉親や知人失った人にとって、それは常につらい記憶を呼び戻す過酷な試練と言ってよいものだろう。どうかその中で、心を折らずに強く豊かに生き続けてほしい・・・。

今年は2021年だから、3月11日になると東日本大震災からちょうど10年になる。しかし期間には区切りがつけられても、心には区切りがつけられないだろう。10年という月日は、大切な誰かを失った人にとって、哀しみを癒す期間としてはまだまだ足りない期間だろうと思う・・・いやいくら時間が経ったとしても、本当の意味で心の傷が癒えることはないのかもしれない。

だからこそ、あの震災でたくさんの命が失われた国で生きる意味を考え続けなければならない。たくさんの命が一瞬のうちに失われたこの国で、介護という職業に携わっている意味を考え続けなければならない。

あの震災で亡くなった人の中には、介護を職業にしていた人も多い。地震とそれに伴う津波の発生時間は、午後の仕事の真っ盛りの時間であったから、介護の仕事の最中に命を失われていった介護関係者や介護利用者の方もたくさん居られる。

介護という職業を仕事としてではなく、「生き方」として選んだ人が、その志し半ばで命を失ってしまった人も多いのではないだろうか。さぞや無念であったろう。それらの人々の思いをつなぐために、残された僕たちが替わって実現すべき何かがあるのではないだろうか。

生かされている者にしかできないことがある。生かされている者だからこそできることがある。生かされている者が行動しなければならない。生かされている意味を考え続ける必要もある。

震災からもうすぐ10年ということは、あの震災に見舞われながら無事だった人もそこで10歳年を取ったという意味になる。その中には大切な家族を失ってしまった方々も多いことだろう。

60歳で家も家族も失った人は、70歳の今、頼りにできるもの・頼りにできる人は、介護サービスや介護従事者しかいないかもしれない。その人たちが少しでも心豊かに過ごすことができるように、介護という職業・介護というサービスが存在していく必要があると思う。

身寄りがいなくなった中で年を重ね、心身の衰えを自覚した人が、介護をしてくれる人に遠慮しつつ、何かに耐えながら介護を受けて、「こんなことならあの時家族と一緒に死ねばよかった。」などと嘆かれる介護であってはならないのだ。だからこそ誰の心にも優しく寄り添えるサービスマナー精神をすべての介護従事者が身につける必要があるのだ。

時と場合と人によって変える必要のない、正しいサービスマナーに即した介護支援に努める必要があるのだ。それは人としての道でもある。誰かの尊厳を気づつけてしまった後に、「そんなつもりはなかった」と後悔する介護であってはならないのだ。

介護という職業を、哀しい悔悟に替えることがないように、私たちはプロとしてのスキルを日々向上させ、そこに愛情というエッセンスを加えた支援に日々努める必要があると思う。

その為の方法論を、これから先も一緒に考えていきましょう。誰かのあかい花になるために・・・。
無題
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9年目の3.11


東日本大震災から9年目の3.11を迎えた今日、日本は新型コロナウイルスの感染拡大で様々な行事が中止・延期されてるなど、様々な場面で自粛ムードが広がっている。

東日本大震災の慰霊行事も例外ではなく、政府主催の追悼式も中止されるなど、各地の慰霊式典も中止・縮小を余儀なくされている。

それを残念に思う人も多いだろうが、被害にあわれた方々に思いを馳せることは、どこでもどんな形でもできると思う。各人の心の中でしっかり追悼・慰霊の思いを持ち、地震が発生した14時46分18秒になる時に、頭(こうべ)を垂れて黙とうを捧げることで良いのではないかと思う。

あの震災で亡くなられた方とこの世で縁を結んでいた人たちが、亡くなられた方一人一人の顔と名前を思い浮かべ、その人たちを決して忘れないように、思いを紡ぐことで良いのではないだろうか。

あの震災が起きた日は金曜日だった。

地震が発生したその時間、僕は今日滞在している福岡で講演中だった。地震の揺れが全くなかった福岡にいた僕は、同じ日本という国の中で未曽有の大地震と津波が起きて、たくさんの人たちの命が一瞬のうちに失われてしまったことを知らずに、ごく当たり前の日常を過ごしていた。

その福岡で9年ぶりに3.11という日を迎えている。そして僕が今ここに元気に存在していることの意味を考えている。生かされている意味を思っている。

あの震災で僕と直接つながりのある人が亡くなったわけではないが、対人援助の仕事を通じて間接的にご縁のあった方が、僕の知らないところで亡くなっているかもしれない。このブログや表の掲示板のアクセス数が、震災後に1日数千件も減った日が続いていた理由の一つは、僕の管理サイトの読者の方々で、被害にあわれた殻がいるという意味だろうと思う。

震災後にもいろいろなエピソードを聴いた。デイサービスに来ていた人を、地震後いつもより早く自宅に送ろうとして、利用者の方々と共に波にのまれた介護職の方。利用者を高台に背負って避難誘導している最中に、高台から波にのまれる施設を見て、その中に自分の妻も含まれていたと話をした青年・・・。波にのまれたときに、握っていた利用者の手を離した人が、自分だけが助かって、手を離した人が亡くなったことを、今でも悔いている姿・・・。

今も被災地では、失われ子供たちの声が聴こえるという人たちも多い。いろいろな思いを抱えて、この9年間を過ごしてきた方がたくさんおられるのだろう。

この世で生かされている人、遺された人には、いろいろな思いが存在している。悲しみも悔しさも、やりきれなさも、時間が解決してくれていない人たちがたくさん存在している。

そうした人たちがたくさん住む日本という国に生まれ、生きる私たちができることを探し続けなければならない。

私たちは常に熱い思いを持ちながら日常を過ごしているわけではないし、日常に流されて漂うように過ごしている時間も多い。しかしせめて今日という日、その時間になる時には、3.11という日に何が起こったかということを思い出しながら、この世に思いを残したまま旅立っていったたくさんの命と人生があることを胸に深く刻みたいと思う。

今日という日は祈りの日であることを忘れないようにしたいと思う。あの日と同じ福岡の青い空を見ながら、思いを胸に抱いたそのあとで、深く頭を垂れて合掌したいと思う。
東日本大震災
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祈りの日・誓いの日


8年前から3月11日という日は、日本人にとって決して忘れられない日になった。いや忘れてはならない日になったと言った方が良いのかもしれない。

警察庁が8日に発表した東日本大震災の更新被害状況の数字を見ると、死者1万5897人、行方不明者2533人となっている。死者数の膨大な数に改めてあの震災が未曽有の災害であったことを感ずるとともに、いまだに行方不明とされている人が2.533人もいることに心が痛む。そして地震に加えて津波が襲った被害の怖さを思い知る。

行方不明とされている人の家族にとってそのことは、震災被害に加えて、さらに何倍もの苦しみと哀しみを与えているという意味ではないのだろうか。心中を慮るとやるせない気持ちになる。

数年前のニュースで、遺体が見つからない幼子の母親が、パワーショベルの免許を取得して、娘の遺体を探し続けているという報道に触れ、心が激しく痛んだ。被災地ではまだそうした人々がいるのだろう。その人たちの心の安寧が訪れる日がいつか来るのだろうか・・・。

そんなふうに今も被災地には、死者・行方不明者の数の何倍もの人の慟哭が存在し続けているのだと思う。

愛する誰かを失った人にとって、時は哀しみを癒してくれるというのは第3者の戯言(たわごと)に過ぎない。少なくとも8年という歳月は、愛する誰かを失った人の心を癒すには短か過ぎる。むしろその悲しみは深まるばかりなのではないだろうか。その人たちにどんな声を掛けられるというのだろうか。何ができるというのだろうか。

僕が今できることは、もう二度とあのような災害が発生しないことを神に祈り、哀しみに暮れる人々に安らかな日が訪れることを祈ることだけだ。亡くなられたすべての御霊に向かって哀悼の意を捧げ、頭を深く垂れて祈るしかない。3月11日という日はそんな祈りの日である。

あの震災では、介護サービスを受けていた最中の方々もたくさん命を失われた。同時に介護サービスに従事していた数多くの仲間たちも命を失っている。

このブログは震災当時も1日4.000件程度のアクセス数があった。それは僕と直接知り合いではない介護関係者の方が、たくさん読者となってくれていたという意味でもある。その中には被災地の関係者の方々もおられるであろう。そうであれば被災者の中にも、このブログの読者だった方が含まれているだろうと想像できる。直接知り合うことはなかった方々、コミュニケーションを交わすことはなかった読者の方々が、僕の知らない場所で天に召されていったのかもしれない。そのことを考えると、その人たちの介護という職業に対する思いとは何だったのかと考えてしまう。そしてその人たちが実現したかった思いをつなげていきたいと心から思う。

介護という職業を、仕事としてではなく、「生き方」として選んだ人が、思いもよらぬ災害に巻き込まれて、志し半ばで命を失ってしまったことは、さぞや無念であったろう。それらの人々が、あの震災によって達することができなかったことを、残された僕たちが替わって実現する必要があるのではないだろうか。その人たちの志を残された僕たちが受け継がねばならないと強く思う。

対人援助の本質である、「人の暮らしを護る方法論」・「人の心の安寧を実現する方法論」を伝え続けていくことが、残された僕たちの使命ではないかと思う。

日本という国が、決してきれいでよい顔だけを持つ国ではないとしても、自分が住まう国の様々なことをあきらめることなく、生まれてよかったと思える国にしていく努力は失ってはならない。介護という仕事に「闇」が存在するとしても、それを失くす努力を失ってはならない。

介護という職業を批評し批判し、糾弾するだけの行為は評論家の戯言だと思えばよい。それは生産性のない醜い行為だと蔑んでおけばよい。実践家には批評家には見えない頂が見えるはずだ。実践家は今よりプラスのベクトルをみつめ、そこに向かう方法論を導き出して、その頂に向かう行動をとることができるはずだ。そのことを決してあきらめてはならない。時間も無駄にできない。だから他人の中傷や戯言に付き合っている暇はないのである。

生かされている者にしかできないことがある。生かされている者だからこそできることがある。生かされている意味を考え続ける必要もある。生かされている者が行動することにも意味がある。

そんなことを考えながら、誓いを新たにするのが3月11日という日でもある。

頭を垂れて祈りを捧げたあとは、前を向いて誓いを胸に歩き出さねばならない。その歩みを一人の歩みにせず、たくさんの仲間との一歩ずつにするために、僕にはできることがある。

貴方にもできることがあるはずだ。
東日本大震災

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6回目の3.11を前にして


今日は平日のお休みを利用して、朝一番で登別市役所に行き、やらなければならない行政手続きをすべて終えてきた。

大事な、「確定申告」もこの時期は役所内でできるので、申告してきた。これで一安心。そのあとは、ゆっくりと休日を楽しむのかというと、そうはならず、その足で新千歳空港に向かい、先ほど到着したところである。

空港内で昼食を済ませた後、JALのラウンジでこの記事を更新している。このあと14:10発の福岡行きに乗り込む予定だ。しかし目的地は福岡ではなく鹿児島である。福岡空港には16:45に到着予定であるが、そこから博多駅を経由し、新幹線に乗り、鹿児島中央駅着は19:30くらいになるだろう。

考えてみれば明日はあの3.11から6回目の3月11日である。東日本大震災からもう6年か・・・。

あの日も僕は福岡にいた。

前日の3月10日から福岡入りし、震災当日の地震が発生した時間は、福岡市内で講演の真っ最中であった。しかもその講演の後に、夕方からもう1本の講演があったために、あのような大災害にもかかわらず、夜のニュースを見るまで、まったくその情報に気が付かなかった。

その間に被災地では、多くの尊い命が一瞬のうちに失われたわけである。その中には、まさに介護サービスの真っ最中であった、我々の仲間である介護事業の従事者の方々も数多く含まれる。あらためてそれらの方々のご冥福をお祈りしたい。合掌。

思えばあの時は、九州新幹線の開通式の前日で、12日に僕は式典を見た後、博多から長崎に移動する予定だったが、JR全線が津波の警戒で運休となり開通式も延期となった。長崎へは、西鉄バスの長蛇の列に並んで、やっとたどり着いた記憶がある。

九州は津波の警戒でJRが止まっていたものの、地震の影響はなく、長崎の会場にもたくさんの受講者が集まってくれたが、その会場で、今僕らができることは、復興支援としての後方支援であると訴えた。

同時に亡くなられた介護事業に携わっていた数多くの方々や、そこでサービスを受けながら命を失ってしまった人々に対してできることは、我々のスキルを磨いて、介護サービスの質を向上させて、亡くなられた方々が、またこの国に生まれ変わりたいと思えるような良い国にすることだということをお話ししたうえで、講演会を開催した記憶もある。

果たして我々のこの国は、その時の思いの方向に歩を進めているのだろうか。介護サービスは、人の命と暮らしを護り、人々の輝く笑顔を作り出しているのだろうか。

そんなことを改めて明日の講演でお話してきたい。

今回は、今日からかごしま県民交流センター行われている鹿児島県老人保健施設大会で講師を務めるのが目的である。僕の講演は明日・土曜日の午前中である。10:00〜12:00まで、「地域包括ケアシステムにおける老健施設の役割り」をテーマにした講演を行う予定である。

明日は講演終了後、鹿児島空港発14:45発の便に乗り、羽田空港を経由して新千歳空港に到着するのは、19:00の予定である。そこから高速バスに乗って登別の自宅に着くのは21:00過ぎになる。他人からみれば強行日程に見えるかもしれないが、僕にとってはいつものことである。

駆け足の鹿児島講演になるが、今日の夜くらいは、天文館の宵を楽しんでこようかとも思ったりしている。それでは鹿児島でお会いする皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

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失われた命を忘れない


その日僕は福岡で講演を行っていた。揺れのなかった福岡で、その時間僕は何も知らずに日常の中にいた。

僕がまさに講演を行っていたその時間に、東日本では未曾有の地震が起こった。そして津波が発生してたくさんの人が波にのまれたことを知ったのは、夜になってからのことであった。

翌日呆然とした思いで書いたブログが、「大災害〜できることを最大限に」である。

しかしこの文章を今読み返してわかることは、まだどんな被害が発生して、それがどれほどのことであるのかわかっていなかったのではないかということだ。どれだけの大災害であったのか、実感がないままに書いた文章に思える。

それほどあの震災は、我々の考えも及ばない恐ろしい出来事だったし、他に例えようのない悲劇を生んだ。

僕は今日も旅の空の下にいる。新宿で行われている東京都社会福祉協議会が主宰する研修で、午前中に講演を行い、午後からの講義と報告会にも参加しようと、昼休みをとっているところだ。

今ここには平和で穏やかな時間が流れている。そんな時間がどれほど貴重であるかということを、僕たちは感じることもなく過ごしている。

しかしあの日の朝、一緒に朝ごはんを食べた家族が、数時間後に命を失うなんてことを考えていた人はいないだろう。その日が最期の日になるなんて思っていない多くの人が命を失った。その人たちに普通の朝はもう戻ってはこない。そう考えると、いつもと変わらないこと、何もない日常というものが、どれほど平和でありがたいものなのかということが身に染みてくる。

しかしそんな大災害があった国で暮らす僕らも、いつの間にかそのありがたさを忘れ、いつもの日が明日以降も必ず繰り返されると思い込んで暮らしている。それはそれでよいことなのだろうが、自分の目の前に、いつものように愛する誰かが存在しているという事実に感謝する日があってもよいだろう。

今日はそんな日である。

3.11では、僕たちと同じく介護の職業に就いていた人も、たくさん命を失った。人の役に立つ仕事を誇りに思っていたたくさんの仲間が命を失った。

僕たちはそのことを決して忘れてはならないし、志半ばで天に召された多くの仲間がいる国で、介護という職業を続けている意味を考え、その使命と責任を背負うべきだ。

亡くなったたくさんの仲間が、この世でやり遂げたかったことを代わって担うべきだ。

3.11を忘れない
この画像は、僕が講演で使う動画の中のスライドの1枚である。今日も講演の最後に、会場の皆さんにこのスライドが入った動画を見ていただいた。

今日という日は多くを語らずとも、このスライドから伝わるものがあったことだろう。「介護の誇り」とは、未曾有の大災害があった国で、生かされている者たちが、介護という職業を通して未来へ襷をつなぐために必要な思いである。

その思いを忘れずに、一人で100歩先に行くのではなく、100人の一歩を創る旅を続けていこうと思う。

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四度目の3.11に思うこと


たくさんの尊い命が失われた東日本大震災から4回目の3.11を迎えた。

もう4回目なのか、まだ4回目なのか、感じ方は人それぞれだろうと思うが、直接的な被害を受けた方々にとって、今現在も震災の影響は色濃く残っているだろうし、それは過去のものではないだろう。

この国に残された傷跡、爪痕もまだ深く残っている。特に福島の原発被害は、これから子供を中心にして甲状腺癌の発症者が増大するという恐れもある。放射線被害について、アンダーコントロールという言葉を能天気に信じている国民は少数派だろう。

あの日を思い出してみると、僕は福岡に滞在しており、地震が起きた14時46分18秒には、九州ビルディングの9階大ホールで行われていた、福岡県老人福祉施設協議会・制度施策ワーキングセミナーで、24年制度改正に関連して、『地域包括ケアを考える』という講演を行っており、地震と津波が発生したことすら知らない状態だった。

思えばあの日は金曜日で、地震発生時刻や津波発生時刻には、僕たちと同じく介護サービスに携わる多くの仲間たちが被災地でいつものように介護サービスに従事していたはずだ。そこでサービス利用していたたくさんの利用者の方々もおられたはずである。

それらの多くの仲間たち、利用者の方々もあの震災で命を落とされた。

あの日以来、震災関連死を含めると2万人以上の方々の命が失われたそうであるが、その死とは2万分の1の死ではなく、あの日から今までに、「1人が死んだ事案が2万件以上あった」という意味である。そしてその周辺には、残された数多くの方々の哀しみが無数に存在していて、その傷跡がうずき続けているなかで迎える4年目のこの日ではないかと思う。

そういう国に住む民として、対人援助サービスに携わる者として、残された僕たちに何ができるだろうか。介護サービスという職業に使命感と誇りを持ちながら、志半ばで命を落とされた人々に対し、僕たちは何ができるだろうか。

少なくとも残された僕たちは、この国の民が、人の命や暮らしを誰よりも尊く思うことができるような国を作っていく使命があるだろう。人の暮らしを護るべき対人援助の分野では、何よりも人の命と尊厳を護る方法論を築き上げる責任があるだろう。

人を人と見ないような間違った方法論を排除し、介護サービスの常識が世間の非常識という状態をなくし、全ての国民が安心して身を委ねることができる介護サービスを創っていく責任があるだろう。

失われた尊い命、たくさんの仲間たちが、生まれ変わってまたこの国に生まれたいと思うことができる国を創ることを目指して、一人ひとりの国民が今いる場所で、今できることを続けて行く責任があるのだろうと思う。

一人の100歩よりも、百人の一歩が必要な時があることを理解し、一人ひとりが歩み続けることが大事なのだろうと思う。

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あの日に思いを馳せながら


あの日からまだ3年なのか、もう3年なのか・・・。人それぞれに様々な思いはあるだろうが、一つだけ言えることは震災はまだ終わっていないということだ。

そして大切な家族や、友人や、知人など、様々なものを失った人々の哀しみは続いているということだ。

震災関連死を含めると、亡くなった方の数は2万人を超えるそうだが、亡くなった方々の関係者にすれば、自分の愛する誰かが亡くなったということは、2万分の1の死ではない。

震災直後に北野たけしさんが次のように発言している。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

まさにあの日から今までに、「1人が死んだ事案が2万件以上あった」という意味で、ある人の死の周辺には、残された数多くの方々の哀しみが無数に存在していて、その傷跡がうずき続けているなかで迎える3年目のこの日ではないかと思う。

そうしたたくさんの人々が、頑張って前を向いて歩んでいるのだろうが、それらの人々の中にも、この日が近づくこと自体に恐怖を感じている方がいる。この日が近づくだけで、やるせない思いが湧き上がってくることに戸惑う人がいる。そうした人々の心の傷は、どうしたら癒すことができるのだろうか・・・。私達はそれらの人々にどう向き合っていけばよいのだろうか。どんな言葉をかければよいのだろうか。

答えを見つけられない自分がもどかしい。

直接被害にあわなかった僕らは、それらの人々に思いを馳せて、そっと見守ることしかできないのかもしれない。

復興支援に必要な事を、できる範囲で続けていくことしかできないのかもしれない。

あの日は金曜日だった。僕はその日、福岡市で「地域包括ケアシステムとは何か」という講演と、「介護保険制度改正」に関する講演を、午後から2本続けて行っていて、夜遅くにホテルに帰るまでそのような大災害が起きている事を知らなかった。テレビのニュース画像を見て、この日本に今起きている事だとは信じられなかった。

地震が起きた時間は午後2時46分18秒。そのとき被災地では我々と同じく介護サービスに従事していた仲間もたくさんいたはずだ。それらの人々の中には、あの震災で一瞬のうちに命を失った人もいる。たくさんの仲間が志半ばで天に還っていった。

僕たちはそうして失われていったたくさんの人々の魂に対して、安らかなれと祈りを捧げるしかないのだろうか。しかしあのような未曽有の災害があった国の民だからこそ、その時に命を失ってしまった人々が、この世でやり残したことがあるとしたらなんだろうかと考え続けるべきではないかと思う。

対人援助サービス・介護の現場で命を失っていった仲間は、何をしたかったのかを考え続けなければならないのではないと思う。

少なくともそれらの人々は、人を幸せにするために何をするべきかを考えながら、日々の業務に携わっていただろうということを信じ、それらの方々がやりたかった事を、後に残された我々の手で成し遂げていく必要があるのではないだろうか。

天に召された多くの仲間に対して、何か供養になるものがあるとしたら、我々自身の手で恥ずかしくない介護サービスを創り上げていくことしかないのではないだろうか。

僕のこのブログを読んでくれていた人の中にも、あの震災で命を落としてしまった人がいるかもしれない。その人達にできることは何か?恩をどのように返すことができるのだろうか。

それはきっと、それらの人々が共感してくれた思いを、文字にして伝え続けることなのかもしれない。僕は無力な一市民でしかないが、自分の無力さを恥じて何もしない人にはならないでおこうと思う。思いを伝えることだけはできるし、幸いにして毎日4.000人近い人が、その思いを読んで、何かを感じてくれているんだから、それらの人々に伝えることが僕の役割なのかもしれない。それが僕の使命なのかもしれない。そのことはできる限り続けていくべきなのかもしれない。あの日の直後に僕の本を避難所で泣きながら読んでくれた方もいる。(参照:たった1冊の大切な財産

伝えることが僕にできることなのかもしれない。その結果、亡くなっていった仲間たちが実現を目指したものに、少しだけ近づけるのであれば、それが僕にできることだろう。そのことを天から見守ってくれる人がいることを信じていたい。

そして、介護サービスの質を高め、誰しもが幸せになる介護を作っていったとしたら、神に召された多くの人々がよくやったと言ってくれて、また再び生まれ変わって、この国で介護という職業についてくれると信じていたい。

去年も、一昨年も同じことを考えながら過ごしていた。今日という日は、そういう日である。

今日のこの記事のタイトルは、「あの日に思いを馳せながら」としたが、あの日に思いを馳せることができる我々と異なり、あの日の事を思い出したくはない人々が被災地にはたくさんいるのだと想像する。思いを馳せるなんて甘い事を言ってほしくないと思っている人もいるのかもしれない。そんなこともふと考えたりしている・・・。それらの人々の心が安らぐために何ができるのかを考え続けていこうと思う。

合掌。

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忘れてはならないこと・・・介護の誇りを胸に


あの東日本大震災からちょうど2年半が経った。

毎月、月命日として祈りを捧げる人は、今日もいつもの11日と同じく、祈りを胸に手を合わせているのだろう。それらの方々にとって、あの3.11からもう2年半なのか、まだ2年半なのか、それぞれの胸に去来する思いは異なっているだろう。そうした人々に我々がどんな言葉をかけたらよいのか・・・。頑張ってという言葉を簡単にかけられるような状況ではないだろう。そんな言葉が虚しくなるほど、そこにいるだけで頑張らねばならない人たちが、まだたくさんいるはずだ。

ひとつ言えることは、我々には忘れてならないことがあるということだ。それは我々はあの大きな震災被害でたくさんの貴重な命が失われた国の住民として、今もこの国に暮らし続け、生かされているということである。同じ国の住民として、我々は傍観者にはなってはならないということだ。

福島の原発問題は、汚染水の処理問題として連日のように新聞等の報道で取り上げられているが、福島と同じように、ほかの被災地でも、まだ震災の被害から立ち直っていない状況がたくさん見られるはずだ。心に負った深い傷が癒えていない人もたくさんおられるはずだ。

今月10日時点での東日本大震災による合計死者数は、1万5.883人、行方不明者は2.654人。今年3月31日時点での震災関連死者数の合計は、2.688人である。

この数字の意味するところは、2万人を超える多くの方々が命を失った大災害が起こったという意味にとどまらない。

この数字は、誰かの一番大切な人、誰かの一番愛する人が2万人以上亡くなったという意味であり、大事な人を失って悲しみの淵に沈んだ人が2万人以上いるかもしれないという意味である。20.000ケースを超える様々な哀しみが渦巻いていて、今もそれは終わっていないかもしれないという意味である。一つ一つの悲しみ、ひとりひとりの慟哭は、震災という言葉だけで語り尽くせるものではないだろう。

3.11は、遠い過去に起こった震災被害ではなく、今も続いているものとして、我々には考え続けなければならないことがあるはずだ。被災地や被災者の方々に対して支援をすることもまだ必要なはずだ。出来ること、しなければならないことは、まだたくさんあるし、ずっと続けていかなければならないことがあるはずだ。風化という言葉を使うのは早すぎる。そんな時期ではない。いまだに29万人もの人々が避難生活を送っていて、復興など全然なされていないのだから・・・。

そして対人援助サービスに従事する者として、我々は考えなければならないことがある。

今、我々が勤めている介護施設の利用者は、あの太平洋戦争という大変な時期を、物心ついた以後に経験してきた人々だ。たくさんの愛を戦時中に失い、その記憶をしっかり留めた人々が、人生の裁晩年期を過ごしている場所で、我々はそれらの人々に関わっている。それらの人々はその辛い時代を生き延びて、長生きしてよかったと思えるのか、こんなに辛い思いをするならいっそのことあの時に死んでおけばよかったと思うのか、人々の人生の幸福度を決定してしまうかもしれないという責任が我々にはある。

しかしあと20年すれば、そうした戦争体験者はいなくなるかもしれない。そしてそのあとに我々が職業としている対人援助・介護サービスの場で、支援の手を必要とする人たちとは、阪神大震災や東日本大震災で家族や家や財産を失いながらも、なんとか生き延びて、被災地で復興に力を尽くした人なのかもしれない。我々の職業とは、高齢者の最晩年期に関わるがゆえに、常に誰かの重たい人生そのものを一緒に見つめていかなければならないという使命を持つものだ。

それを負担と思うのか、誇りと感じるのかは、そこで何をしたいと思うのかによって左右されるものだろうと思う。

3.11は金曜日の14時46分18秒に発生した地震から始まっている。その時間、被災地では、我々と同じように、普通に介護サービスに従事していた仲間が一瞬のうちに瓦礫の下敷きとなり命を失っていった。その後に発生した津波によって、介護サービスを天職と心得て頑張っていたたくさんの仲間が命を落とした。

我々は、それらの人々ができなくなったことを代わりに実現する義務がある。この仕事についているなら、、志半ばで命を失っていった人々が目指していたものを代わりに実現する義務があるのではないのか。それは被災者の方が、家族や家や財産を全て失った方が、将来我々のサービスを受けるようになった時に、生きていて良かったと思えるサービスを提供することでしか実現できないものだろう。そういう誇りを胸に、誰から見られても恥ずかしくない介護サービスを創ろうとしなければならないはずだ。そのことを胸にして、日々生かされている自分ができることを続けていきたい。日々自分が出来る方法で伝えていきたい。

実際に被災地で被害を受け、身内や知人を失った人々の哀しみと、その心模様と、我々は全く同じにはなれないだろうが、それらの人々が受けた心の中の深い傷に想いを寄せ、それを癒すために何ができるかということを今いる場所で考え続けることは僕にもできるだろう。

今日という日は、そのことにあらためて思いを寄せる日だと思う。

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大きな愛になりたい


今日はすべての日本人が祈りを捧げる日です。

祈りの向かう先は、もしかしたら知らない誰かの為かもしれませんが、この国を襲った未曾有の大震災で命を落とされた人々に思いを馳せることで、忘れてはならない記憶をもう一度胸に刻んでおきたいと思います。

私たちは、多くの犠牲者が出た国で暮らしています。そこで生かされているものとしての何らかの使命があると思います。

あの震災で失われた多くのかけがえのない命。私たちは亡くなられたそれらの人々が、生まれ変わって来るときに、再びこの国に生まれたいと思えるような日本を作っていく使命を与えられているのではないかと思います。

そのために出来ることは必ずあると信じたいです。それは我々の出来る範囲で、周囲の人々に愛情を注ぎ続けることだと思います。人として人を敬い、人として人を愛し、人として人を思いやり、すべての人々が、つましくても幸福な暮らしを送ることができる日本を作っていくことだと思います。そのために自分で出来ることを続けることが大事なのではないでしょうか。小さなことを大きな愛情をもって続けていくことが大事なのではないでしょうか。

東日本大震災が発生した23年3月11日は金曜日でした。

地震が起こった時間は、午後2時46分18.1秒です。津波の発生は地域によって多少時間が異なりますが、地震発生から約1時間後というところでしょう。平日のその時間帯には、私たちと同じように介護サービスを行いながら、瓦礫に埋もれ、波に飲まれて命を失った方々もいます。懸命に利用者を守ろうとして命を落とした方々もたくさんおられます。介護サービスの現場で命を落としていった利用者の方々もたくさんおられるでしょう。

それらの人々がやりたかったこと、やり残したことを、我々は替って実現しなければならないと思います。生きている限りできることがあるはずです。

私たちの職業は、人に愛情を注ぐことで成立する素晴らしい仕事です。人間として普通に人を愛しながら、普通に関わるだけで誰かの心に咲く赤い花になれる職業です。そのことに誇りを持つことができる仕事なのです。せっかくそういう素敵な職業についているのだから、その職業に愛情を持って関わることだけで、新しい日本を作る力の一つになれるはずです。そのことを決して忘れず、本当の意味で、人を愛し、人を幸せにする社会福祉援助や介護サービスを机り上げていきましょう。

天国で私たちを見守っている、志半ばで命を落とされた仲間たちに、胸を張って語ることができるサービスを作り上げていきましょう。

みんなで力を合わせて。みんなで心を合わせて。この国にたくさんの『誰かにとっての赤い花』を咲かせていきましょう。



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郡山で考えていること〜ここから永遠(とわ)に


朝6:45に家を出て、東室蘭駅に車を置き、同駅7:05発の特急に乗ると、8:10位には新千歳空港に着くことができる。この時間以降の搭乗機が、僕が道外に向かうことができる便だ。

今日は午後2時から郡山市民文化センターで講演を行うため、9:40の福島空港行きの飛行機に乗って、11:00過ぎに福島空港に着く予定だったが、出発が三十分ほど遅れたため、福島空港にも遅れて到着した。当日移動ではこれが一番怖い。しかし講演には支障ない時間でホッとしている。空港からはリムジンバスに乗って、いま郡山市についた。

今日の講演は、「2年越しで実現する福島講演への思い」で書いたとおり、特別に感慨深い思いがある。

福島県は今年の1月に、たまさんのお招きで福島市を訪れて以来の訪問になる。

そのたまさんも、今日の講演に来てくださるし、いつもお世話になっているキタさんや、表の掲示板や、フェイスブックで繋がっているたくさんの仲間も来てくださる。

その中には、3.11のすぐ後に、「たった一冊の大切な財産・・・」というブログを書いてくださった、「しゅうさん」も居られる。しゅうさんとは、僕の第2弾、出版記念シンポジウム以来の再会だし、明日は空港まで送っていただくことにもなっている。

「人を語らずして介護を語るな2(黒本)」の「はじめに」という部分で、しゅうさんのブログが、第2弾出版の動機の一つになっていることも紹介しているので参照頂きたい。

福島県だけではなく、被災地で介護サービス事業に携わっている人は、我々日本人にとってのヒーロー、ヒロインだと思う。東北に来てみると、震災はまだ終わっていないことが実感としてわかる。今日研修会場に来てくださる皆さんも、たくさんの方が被災者であり、元の生活には完全に戻っていない人も多いだろう。しかし自分の生活が立ち直る前から、他者支援に関わり、自分の暮らしを考えねばならない時期から、高齢者の方々や障がいを持っている方々の暮らしのことを優先的に考え、その支援に走り回っていた人々である。

その人たちに、僕は高いところからものを教えるなんてことはできない。ただ昨年の震災前から僕を福島に呼びたいと考えてくださる人々がいて、その人たちが震災後も、その気持ちを持ち続けたことに対して感謝の気持ちを込めて伝えたいことがある。そして福島県やその近隣で介護サービスに携わる人々に、力と、やる気と、勇気を与えるお手伝いができればと考えている。僕の考えはすべて正しいわけではないので、僕の言葉の中から、その人にあった部分だけを持ち帰ってもらっても良いから、少しでもヒントやきっかけになることをお話したい。そしていろいろと教えていただきたい。

そういう気持ちで福島再訪のことをずっと考えてきた。

赤い花そして出来ることなら、「誰かの赤い花」になれることの喜びを伝えたい。そして誰かの赤い花になろうとしてくれる人と繋がっていきたい。赤い花になるために、今日からできることを具体的にお話したい。理想論や理念の紹介で終わることがない実践論を語りたい。

咲き方はいろいろあるだろう。僕の話なんか聞かなくとも立派な花を咲かせている人も沢山いるだろう。でも咲き方がわからなくなっている人や、花を咲かせる勇気を失いかけている人がいたとしたら、そういう人たちが綺麗な花を咲かせるためのヒントを示したい。勇気を与えたい。そんなお手伝いができるように、僕の魂で現場論を語るだけである。

そして福島だけでなく、被災地で頑張っているすべての人々に伝える言葉を探すとすれば・・・。
ヒーロー



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2年越しで実現する福島講演への思い


昨年3/7の朝のことであった。福島県介護支援専門員協会のCさんから、同協会総会での講演依頼メールをいただき、その日のうちに講演日や内容を決めた。

その予定では、2011年5/28(土)、福島県郡山市内で行われる福島県介護支援専門員協会の総会で、「感動できなきゃ介護じゃない〜介護サービスの常識を問い直そう〜」というテーマの講演を行う予定だった。

しかしその調整を行ったそのわずか4日後、あの震災が起こった。福島は原発の問題もあり大変な状況となったことは僕がここに書くまでもない

震災直後は僕も福島での講演がどうなるか等考える余裕もなかったが、その後1月ほどして、そのことを確認するメールでのやりとりを行った。驚くことにそうした大変な状況下でも、福島の方は、「今だからこそ、みんなが勇気を得る勉強機会を得たい」として、講演を含めた研修会の開催をあきらめていなかった。

しかし一番ネックになったのは、会場確保であり、さらに大変な状況の中で、介護支援専門員の皆さんは、被災地の現場支援から離れる時間がなかなか取れないこともあり、予定されていた講演は中止されることになった。当時の状況ではやむを得ないことであったし、僕もその決定は当然であると思った。しかしありがたいことに事務局をはじめとした福島の方々が、その中止を残念に思って、いろいろなメッセージを頂いた。

東日本第大震災の発生から1年を過ぎた今年3/16。再びCさんからのメールが届いた。そこには
「昨年度は講演会中止となり残念でした。今年は講演会を是非開催したいと思っています。」という言葉と、「福島県ケアマネにエールのご講演をいただきたく返事お待ちしています。」という言葉が書かれていた。

僕はこのメールを読んだ瞬間、不覚にも涙をこぼしてしまった。

被災地で支援活動を行なっている人々は、日本人すべてが誇るべきヒーロー、ヒロインだ。それは福祉援助だけではなく、すべての活動に携わっている人に対して僕が寄せる思いだ。特に福島県は原発の問題で、目に見えない放射能という恐怖と向かい合うという過酷な状態の中で、様々な支援活動に携わっておられる方々である。

ここは絶対にエールを送らねばならない。義援金等の後方援助だけではなく、それらの方々に直接エールを送ることができるのであれば、そのような機会を得ることは僕にとって大変ありがたいことであり、二つ返事で承諾した。福島県は、今年1月にも同じ意味で訪れているが、その時は福島市の社会福祉法人職員研修ということで訪問しているので、県全体の介護支援専門員を対象にする今回の講演は、より広く、多くの人たちにエールを送れると思う。

その講演が、いよいよ再来週に迫った。7月6日(金)14:00〜16:00の予定で、郡山市民文化センターで行われる「福島県介護支援専門員協会 公開講演会」である。案内リンクを貼り付けているので参照願いたい。

この講演会は、福島県内の介護支援専門員を対象にしているとのことで、県外の方の参加はできないそうだが、協会の会員ではなくとも参加できるそうだ。しかも参加料は無料とのこと。福島県内の方で、介護支援専門員協会の会員ではない方も、案内文と、こちらの「申込書」から問い合わせや、参加申し込みを行なっていただきたい。申込期間は、今週月曜から始まって6月末日までとのことである。既に今日時点で300人を超える参加申し込みがあるそうだが、会場には800人の席があるという広さなので、これから申込されても十分間に合うと思う。

今回お話するテーマは、僕の著書第1作の題名と同じ「人を語らずして介護を語るな〜介護サービスの常識を問い直そう〜」というテーマである。主催者が研修目的について、「対人援助専門職としての介護支援専門員が、利用者の支援に必要な視点や介護・福祉に携わる者としての倫理観や使命感を再確認するための講演会」と定義付けているので、それに沿って、ケアマネジメント実務からは少し離れた視点から、介護支援専門員という立場以前に、福祉援助者・ソーシャルワーカーとして持つべき視点というものを、現場論として語ろうと思う。

福島県で頑張っている介護支援専門員の方々が、もっと元気になれる現実論を語ろうと思う。

そしてそれらの方々と心をつなげて、僕自身も元気と勇気をもらおうと思う。

心を込めて、思いを込めて、福島のみなさんに伝えてこようと思う。福島県の皆さん、どうぞよろしくお願いします。

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鎮魂の詩

2011.3.11。その日は日本人が決して忘れてはいけない日だ。その日、14:46分18.1秒、僕は福岡で講演の真っ最中だった。今年はその時間、東京の講演会場で15:00からの講演に備えているだろう。

その時僕はその日をことを思い出しながら、鎮魂の思いを胸に抱き、亡くなられたたくさんの方々への祈りを捧げているだろう。

決してあの日のことを、その人たちのことを忘れないように。そしてその人たちが生まれ変わって、また生まれてきたい日本を作るために・・・。僕らはその使命を担っている。

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被災地での講演会・福島&宮城。

今年5/28(土)、福島県郡山市内で行われるはずだった福島県介護支援専門員協会の総会で、「感動できなきゃ介護じゃない〜介護サービスの常識を問い直そう〜」というテーマの講演を行う予定だった。

その依頼を受けたのは今年3/7の朝のことであった。その日のうちに講演日や内容を決めた。

しかしそのわずか4日後、あの震災が起こった。福島は原発の問題もあり大変な状況となったことは僕がここに書くまでもない。

同協会の総会の延期が決まったのは4月に入ってからである。その理由は会場確保が困難なことと震災支援と原発対応に追われているためであるとのことで、それは至極当然であると思った。

そのため僕の同協会での講演は中止となった。福島の皆さんの応援をする意味では、いつか別にその機会を得たいと思ったが、研修どころではない状況であろうことは容易に理解できた。そしてその時点で僕ができることは、被災地に自分のポケットマネーの中からいくばくかの支援金を送ることだと考え、今もそのことは続けている。わずかな額ではあるが、継続することに意味があると思うので、そのことは今後も続けたいと思っている。

被災地で実際に汗を流している人からすれば、それはとても支援と言えないほどの小さな事だろうとは思うが、様々な制約からそういう方法でしか力になれないことをお許しいただきたい。

しかしあの震災からわずか9ケ月しか経っていないのに、すでに震災の記憶が風化しているとさえいわれ始めた。しかし現実にはまだ何も終わっていないのである。決して過去の出来事ではなく、現在進行中の出来事として日本人が意識を持たない限り、復興はままならないと思う。

あの震災直後から福島県内の被災状況を随時連絡していただき、大変な状況の被災地で支援を続ける方々の中に、同県の社会福祉法人・すこやか福祉会さんがあった。

そのすこやか福祉会さんから6月に入って同会の職員研修として講演依頼をいただいた。5月講演が流れたことを残念に感じてくれてのことである。ただこの時点で、僕の日程は相当厳しいものになっており、年内の予定は入れられなかった。(逆にそれ以降で予定がはっきりしてきた時期には、無理して突っ込める月も生じたのではあるが・・。)

そのため来年1月に同会でお話しする予定を立て、いよいよその日程が来月に迫ってきた。年が明けて23年1月14日(土)の午後に北海道を経ち、仙台空港経由で福島入りし、同日午後5時から同会で「生活の質を創り上げるケアプラン〜自立支援の意味を問い直そう〜」というテーマでお話しする。その内容は「施設サービス計画」の法令に沿った立案方法や、それを現場サービスに生かす作成方法、施設職員がそれをどう利用して、利用者の生活の質に結び付けていくのかという予定でいる。

ただこのテーマの難しさは、職種が様々で、ケアプランを立案する技術的な話だけで終わっては、ケアマネジャーではない他の現場職員が戸惑ってしまうだろうという点と、施設職員だけではなく、居宅サービスに携わっている職員もいて、それらの方々が共通基盤として持つべき意識を啓発しないと受講しても意味のない研修に終わる恐れがあることだ。

よって施設サービス計画を中心した話にはなるが、ケアプランというものをどのように捉え、現場でそれをどう活用すべきかについても話そうと思う。そうなると現場で使えるケアプランとは何かということも含まねばならないし、そのための作成方法について法令根拠を示してお話ししようと頭を絞っている。(TAMAさん、それでよいですか?)

ところで福島講演の当初予定では、講演当日一泊して、翌日の日曜日の9:30仙台空港発の便で北海道に帰る予定であった。

ところが、この予定が変わったのには様々な経緯と理由がある。

遡れば10月だったか、11月だったか、ある夜のこと、山形県鶴岡市のスーパーケアマネで、居宅介護支援事所の管理者をしているナリちゃんこと、成澤氏から一本の電話が入った。何やら電話の向こうで盛り上がっているが、宮城県ケアマネジャー協会塩釜(二市三町)支部の研修会で、成澤氏が「法令に基づくケアプラン作成の理解」という講演を行った後のOFF会の最中のようである。

僕も少しお酒が入っている時間であったため、OFF会に参加している研修主催者の方とは面識も親交もなかったのに、成澤氏の紹介ですっかり打ち解けて話してしまった。その時に紹介されたのが宮城県塩釜地域で被災されたにも関わらず、高齢者支援に尽力し続けている塩ケアさんである。

そしてその時の会話のなかで「masaさんも塩釜に来てくれますか」という話になり、即「行く行く!!」ということになったらしい。

・・・らしいというのは、この時の記憶が定かではないからである。勿論アルコール性記憶障害である。そしてその後、再び成澤氏を介して正式な依頼があり、日程を調整する段階で、社会福祉法人・すこやか福祉会さんの了解もいただき、福島講演の翌日に宮城県ケアマネジャー協会塩釜(二市三町)支部の研修会での講演を組み入れることにした。(参照:masaの講演予定

ただ僕は日曜に帰って、1/16の月曜は普通に仕事に出る予定だったので、業務上のスケジュールも入っているため、月曜の朝一番で北海道に帰り、昼までには施設に戻って仕事をするスケジュールになった。そのため15日夜のOFF会は、ほどほどに飲み方を考えねばならないだろう。でもコントロール可能だろうか・・・。

しかし講演テーマも決まっていない段階で、OFF会の心配をしているとは、僕もちょっと反省せねばなるまい。

なおその後、講演テーマは「施設におけるチームアプローチと施設ケアマネジャーの役割」とすることに決まった。研修の主催は宮城県ケアマネジャー協会塩釜であるものの、研修会は塩釜支部で施設部会の発足第1弾ということだ。あくまでも施設職員向け研修会を予定しており、ケアマネジャーだけではなく介護職員も半分くらいを占めるということだったので、講演内容も、施設サービス計画の作成方法ということではなく、施設サービス計画の意味や位置付けを基本にして、それを使ってどういうケアを創り上げたらよいのかなど、介護職員などを中心に置いた内容にしようと思う。

福島講演とは内容が似ているところもあるが、違っている部分も多い。話す主旨は一緒でも、ターゲットが違うからである。ただ当地域はまだあの震災の爪痕が深く、研修会場の確保にも大変苦労されているらしい。今回も残念ながら収容人数は100人が目いっぱいの会場とのことで、それ以上の申し込み者がある場合はお断りせねばならないということで、広く参加呼びかけはしていない。もしどうしても参加したいという希望がある方は、表の掲示板で塩ケアさんが、条件付きで呼びかけているスレッドがあるので、そちらの方法で打診してみていただきたい。
(※福島講演は、すこやか福祉会さんの職員研修であるためクローズであり、一般参加者は申し込みできません。)

被災地の介護サービス事業者に所属する皆さんは、自分の日常生活も正常に戻ったとは言えない人が多いだろう。介護サービスの現場も、大変な状況が続いている。勉強したくても、時間も場所も限られて、大変な状況だろう。

そのような中で、貴重な時間を割いて、勉強しようとする人々の時間を無駄にしたくない。両県の皆さんの元気が出るようなお話をしたいと思う。

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命、儚さゆえの尊さ

2011年は日本人が忘れることのできない年になった。

3月11日の震災で3万人近い人々の命が一瞬にして失われた。その日1日を最後に、明日という時間を突然奪われた人々がそれだけいるという事実に直面して、残された我々は何をすべきなのか。それは命の尊さをもう一度問い直し、儚い(はかない)がゆえに尊い命というものをもう一度見つめ直すことではないかと思う。

失われた一人ひとりの命の重さを決して忘れず、それらの人々が生まれ変わっても再び生まれたい日本という国を作ることではないかと思う。

だから僕が今年を代表する漢字を選ぶとすれば「命」以外には考えられない。そして来年一月に発刊するこのブログの書籍化本の続編『人を語らずして介護を語るな2』の第一章書き下ろしは『生きる希望』というテーマの文章を書いている。

しかし相変わらず巷では、命を軽く扱う事件や事故が繰り返されている。日本人の心の中で隣人を愛し、人を愛おしむという心が薄れているように感じるのは僕だけだろうか。

人は一人ぼっちでは生きていけない。だから支え合うべき仲間である人間すべてを愛し敬う必要がある。家族や親類、知人、友人だけではなく、見ず知らずの通行人にさえ人としての仲間意識を持つ心を育てる国であってほしい。

道端で苦しがっている人の傍らを、見て見ぬふりして通り過ぎる人がいることが当然の国にしてはいけない。ましてやそれらの人々を足蹴にする人が存在する国であってはならないのである。

戦後の高度経済成長期に、この国は「向こう三軒両隣」の地域社会を崩壊させ、地域の人間関係を失ってしまった。他人への干渉がおせっかいとされる社会で子供は成長せざるを得なくなった。日本の伝統社会では、他人のおせっかいをおおらかに受け入れ、そのことで人の情けを知り、人の道を学んだ。

現在の子供たちは、コンクリートの壁の中で、家族という極めて限定された集団の中だけで身を守り、他人はすべて気を許せない危険因子と教えられて成長する。そのような環境で豊かな感情や知性や情緒が育まれるわけがない。他人のおせっかいを拒否することを当然とする魂は、他人の存在さえ簡単に否定してしまうだろう。それは隣人愛を徹底的に排除する社会に他ならない。

そういう場所で心の豊かさは得られるのだろうか?心の豊かさはお金では買えない。一生使いきれないお金を持っていたとしても、心が豊かでない限り人間は不幸だ。

社会福祉は社会の不幸の芽を摘み、すべての人類がつましくとも人として敬われ、個人として誇りを持てる社会を作ることを目的としているのではないだろうか。

そうした社会の実現は、経済力の向上や世帯や個人の所得増加とは関係ないとは言えないが、少なくともそれだけでは豊かさは得られない。物質が豊かであっても、命を粗末にする社会、他人の存在を疎ましく思う社会に本当の意味での豊かさは存在しない。

たくさんの人の命が一瞬にして失われた国の国民として、誰よりも深く命の儚さと尊さを考えたい。そして全ての命を大切に思いたい。

衝撃の第1作から一年。ブログ書籍化本、待望の続編が2012年1月25日発刊決定。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします
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介護・福祉情報掲示板(表板)

生まれ変わってまた生まれたい国を・・・。

3月11日以来時間が止まったままの人がいる。

無我夢中で過ごしてきてふと我に帰った時に、あらためて深い悲しみに沈んでしまう人々がいる。前を向いて懸命に歩いている人が、ふと立ち止まったときにどうしようもなく慟哭してしまう瞬間がある。

我々が暮らすこの国で、この世の無常感に打ちひしがれている人々がたくさんおられる。

被災地で暮らしている人々のすべてが「なでしこジャパン」の活躍に勇気づけられているわけでなく、どこか別の世界の話と虚ろな瞳を向け、世間の喧騒を空しく感じている人もいるのも事実だ。

その人達が再び明日を信じて希望を胸にするために、この国のすべての人々は知恵を絞り、汗を流さねばならない。新しい日本と地域社会をどう創って行くのかが一番の問題だ。1日と言えどそのことを考えない日はない。

だが直接被災していない我々自身も時々やるせない気持ちになって、どうしようもなく立ち止まってしまう時がある。そういう時は皆で手を取り合って、支え合って、休みながら前を向くという考え方も大事だ。ずっと頑張り続けるわけにはいかない。皆が交代で頑張ればよい・・・。

東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県 石巻市立大川小学校では児童6人、教諭1人がいまだに見つかっていないそうだ。

数日前、その大川小学校の遺体が見つかっていない6年生児童の37歳になる母お母さんが、「はやくおうちに帰してあげたい」と震災翌日からスコップを手にし、6月には重機のオペレーターの資格を得て、娘を捜す毎日であるという新聞記事(ネット配信記事)を読んだ。

言葉や文字では表現できない切ない気持になる。

あの震災から4ケ月以上が過ぎようとしているが、傷は癒されるどころか、一層深まっている人も多いのだろう。この人達に我々は何と声をかけ、何をすることができるのだろうか?何もできないというのが本当のところで、ただ遠くから涙し、心の中でエールを送ることしかできない。

身内の方々や、親しい方々を失った人々の気持ちは想像できても、決してその気持ちと同じになることはできないのだろう。それらの方々の深い哀しみを理解しようとしても、それはやはり第3者の理解でしかないのだろう。

しかし我々は、あの大震災で失われたたくさんの尊い命や、その周りの人々の思いを考えながら未来に向かうしかない。

我々は何ができるだろうか?あのときからそのことを考える瞬間が多くなった。でもその答えをまだ見出せずにいる。

ただ今少しだけ考えていることは、あの震災で亡くなった人々に対する本当の供養とは、それらの人々が生まれ変わっても、また再びこの国に生まれたいと思える日本を創ることなのではないだろうか、ということだ。

そしてそれは、いま生きている我々が一生懸命に周囲の人々と手を取り合って良い国にしようと努力することで実現できる可能性があることではないのだろうか。

個人の力は小さいけれど、自分ができる範囲のことを実行する人がたくさん集まれば大きな力になるのではないだろうか。一人ひとりが「できる範囲」でよいから、この国の未来を明るく照らすための活動を地道に続けるしかないと思う。それが力になることを信じて・・・。

どこかの唄のセリフにあったが、その時、政治家をはじめとした権力者の人々に強く求めたいことがある。

それは「どうか自分の地位や金や名誉のためではなく、どうぞこの国の事を考えてください(北川 悠仁作詞:ゆず・午前9時の独り言より)」ということであり、そして、あの震災で亡くなった多くの方が、再び生まれ変わって住みたくなるような国を創ることを考えてください、ということだ。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

助け合いジャパン

僕は今、群馬県前橋市に滞在している。

今日の13:30から群馬県社会福祉総合センターで行われる群馬県老人福祉施設協議会・生活相談員研究部会全体会議の中で「masaが語る相談員雑感」というタイトルの120分講演を行うためである。講演タイトルにmasaという文字が入るのは初めてであり、なんとなく照れくささがあるのはなぜだろうか・・・。

ということで、今、講演の準備に忙しく、ゆっくりとブログ記事を更新している暇がない。そこで今日は、いつもより少し早い時間に記事更新している。じっくり文章を書いている時間がないので、最近僕が活用している復興支援のギフトサイトの紹介記事にしようと思う。

僕の職場である緑風園では、あの震災直後から募金箱をホールに設置している。ある程度の金額になると市役所の義援金受付窓口に集めたお金を持っていき、その都度募金した金額合計を募金箱の設置場所に掲示している。今でも緑風園に住まれている方や、その家族の方などから募金は絶えず、千円札も入っている。ありがたいことであるし、今後もこの募金活動は続けていきたいと思う。

僕自身も、個人的に3月から毎月ポケットマネーを募金している。だがそのお金が被災者の方に届くのは数ケ月後とも聞いているし、具体的にどのように使われたのかがあまり見えてこないという感もある。

そこで最近利用しているのが、ヤフーや楽天市場の復興支援のギフトサイトである。ここは救援物資の送り先や、送りたい人と受け取りたい人のニーズが出会える救援物資マッチングサイトである。

助け合いジャパン」から両サイトに繋がるのでアクセスしていただきたいが、両サイトとも被災地でどんな物資を必要としているかを調査員が直接現地に出向いて調べ、必要な物資を業者の協力を得て安く出品してもらい、それを我々一般ユーザーが購入することで、その物資が現地の必要とされている場所や人に届けられるという仕組みである。

例えばそれが福島県双葉郡と相馬郡の小中学生の皆さんに届けられる裁縫セット(1.995円)だったりする。わずか数千円のポケットマネーを使って協力するだけで、現地の被災者の方々が今実際に必要としているものを手にすることができるのである。

自分のお金が何に使われたか見える形での支援だし、自分が購入する物品を選ぶということで、自分自身の思いがより強く伝わっているのではないかという気持ちにもなる。そしてそれらはすべて被災地の方々が求めているものであり、無駄にならないという安心感がある。

僕らに今できることは、こうした形での支援を長く続けることだけしかない。被災地で実際に活動する人達と比べると、それは決して充分な手助けとは言えないかもしれないが、そうであるがゆえに、長く、少しでも長く、こうした支援行為を続けることが大事だろうと思う。

復興はまだまだこれからだ。直接被害を受けなかった我々は、自分のできる範囲で、この国のすべての人々が心からの笑顔になれる日まで協力を惜しんではならないと思うし、助け合うことは我々自身が人としてこの世に生かされていることにおいて当然の行為であろうと思う。

人の幸せは、誰かの不幸の上では成り立たない。人として「生きる喜び」とは、この世の中のすべての人々の哀しみが癒され、喜びを持って人生の旅を続ける人々との共存の中でこそ得られる感情である。

だから人は支え合い、助け合うのである。ささえ愛。たすけ愛。それが本当の意味での愛情だ。

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福島へ、東北へ送り続けたいエール

被災地の方々に電話をしたり、メールを送ったりするときに、何という言葉をかけたらよいのか迷ってしまう。

ついつい「頑張ってください」と言ってしまいそうになるが、そこに居られる人々は、そんな言葉をかけられるまでもなく頑張っているんだ。そういう人々にあらためて「頑張ってください」というのはどのようなものだろうか?その言葉が悪気のない心からの励ましの言葉であっても、現在の被災者の方々には見当違いの言葉となり、むしろ不快な思いをさせてしまうのではないかと考えてしまう。

だがそれに変わる適当な言葉を選ぶのもなかなか難しい。

僕が今心から思っていて、言葉にすることができることは「僕らにできることがあれば何でもしますから遠慮なく言って下さい」ということしかない。僕らのできることは限られているし、直接現地に入って物資を届けたり、ボランティア活動を行うことはできないけど、届ける物資を調達したり、ボランティアとして現地入りする人に変わる活動を今いる場所ですることは可能なので、そのことに全力を尽くすのみである。

そんななか4/10日曜日の朝に、福島県介護支援専門員協会の事務局の方からメールをいただいた。

その内容は9日(土)に同協会の常任理事会を開催したのであるが、5/28に予定していた福島県介護支援専門員協会総会の延期を決めたという内容である。総会予定地が被災者の方々の避難場所になっていることで、その支援活動や原発の問題があり、会場の確保ができないことが主な理由であるとのことである。そのため同総会で予定していた僕の講演も中止にしてほしいという依頼であった。

この状況では当然で、もっともな決定であると思う。

講演を依頼されたのは当然ながら震災前であった。あの震災直後の状況からこの講演は難しいのではないかと考えていたが、事務局の方々は何とか予定通り開催できないかを先週の土曜日まで模索していたようである。今月初めに問い合わせた時は「何とか予定通り実施したいと思い調整している」という返事があった。しかし結果的にはそれは無理だったようである。

だが、ありがたいことに決定に至る過程について「折角、masaさんが来てくれるのに・・・と惜しまれる声があるため、後日改めての御依頼なり講演会の企画をしたいと考えています。」と書かれていた。僕も福島の方の熱い思いに応えたいと思うし、その際は万難を排して福島に行きたいと思う。

その時まで元気と希望を失わずにいてほしい。日本中が被災地のことを思い、被災者の方々を応援していることを忘れないでほしい。

ところで先日「自粛はどこまで必要か?」というアンケートを行ったが、いろいろな意見があり、そのどれも正しいとか間違っているとか言うレベルで評価できるものではなく、それぞれの答えが意見として尊重されるべきだとは思う。

ただ事実として言えば、東北地方の第二次産業の人々は、今、物が売れないことで第2の被害を被っている。先日もテレビで、東北地方の酒造蔵の社長が、このままお酒が売れないと倒産してしまうという悲痛な叫びを挙げていた。

歓送迎会やお花見で外食産業がにぎわうこの時期に、自粛ムードが広がって、経済活動が停滞しては日本沈没の心配がある。

被災者の方々への思いとは別に、被害を受けていない地域の人々は、東北地方のものを消費するという形でも支援が可能であろうと思う。普通に生活できる人々は、普通に生活して、新入社員を歓迎できる環境にある会社は、外で歓迎会を開いて、できればその時に、東北地方のお酒を取り寄せて、皆で経済復興の観点から使えるお金は使った方がよいと思う。これ以上のデフレスパイラルは日本を駄目にする。被災者の方々が戻ってくる場所をしっかり作るためにも消費活動の活性化は不可欠だ。

この時期に贅沢は出来ないという考え方はもっともだが、被災者の方々が職場に戻って生活を立て直したり、新しい職場を得て暮らしを再生したりするためにも、少しばかりの贅沢を否定しないで、贅沢ができる人は贅沢をしてお金を使ってもよいのではないのか?そもそも我々庶民の贅沢などたかが知れたものである。被災者の方々に寄せる思いを経済活動の停滞する方向でしか考えないのは間違った考えである。彼らが戻って来ることができる場所を日本全体で、日本人すべてで作って行く必要がある。

義援金だけでは回って行かない部分があり、そういう複雑化した社会が現代社会なのだという認識が必要だ。

僕自身は、その心の中身はともかく、表面上の生活としては、僕や僕の施設ではできるだけ普通の生活をし、お祝い事や行事も普通にしていきたいと思う。そのことも復興への第一歩と思う。

勿論、被災地や被災者の方々に対するエールは、今後も心だけではなく、物資や義援金の部分で送り続けるのは当然であるが、デフレスパイラルが加速するような現在の状況は、この国の活力をますます失わせて、将来の希望が見えなくなる危険性を持つように思え心配でならない。

自粛よりも、もっと積極的活動としてのエールを推進する時期に来ていると思う。

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一番近い人でいてくださいPART2

介護支援専門員の資格をとった方に、僕が送りたい言葉があるとすれば、それは「一番近い人でいてください」と言う言葉である。

その意味は、貼り付けている以前の記事にも書いた通り「利用者の傍らに、誰よりも近く寄り添い、手で触れ、見守ることが資格をとった専門家に何よりも求められている」ということだ。

今回の未曾有の大災害で家や家族を失った人の支援に奔走するケアマネジャーもたくさんおられるだろう。ただその中には「医師や看護師やヘルパーなどの目に見える直接支援に比べて、ケアマネジャーができる支援は少なすぎるのではないか?その仕事の意味があるのか?」という疑問を抱いている人がいるようである。

しかしそれはケアマネジャーを単にサービス調整する人=利用者と社会資源を結びつける役割=ケアプランナー、と見てしまうことで生ずる疑問である。

勿論、ケアマネジャーの仕事は、潜在的なものを含めて複数のニーズや生活課題を持つ人々に社会資源である適切なサービスを結びつけ、それらを機能させるための連絡調整を行うものであり、そのことは重要な仕事の一つである。しかし同時にケアマネジメントとは、その調整を行うことだけで完結する仕事ではなく、「エンパワーメント」や「アドボカシー」の視点を併せ持って「要介護者等に問題の存在を発見してもらい、問題を抱えながらその存在に気がつかない人々に働きかけていくこと」(アウトリーチ)であり、心理的支持を与え、ソーシャルサポート(物質サポート、情報サポート、価値サポート)を行っていくことである。

そのツールの一つとしてケアプランが存在するに過ぎない。

つまりケアマネジャーの存在価値をケアプランナーとして見るのではなく、ソーシャルワーカーとして見ることで、我々が社会資源を有効に利用できない環境にある要援助者に対して「できること」の意味や価値を発見し得るのではないだろうか。

今、避難所や、壊れかけた自宅で様々な不安にさいなまれている被災者やその家族に対し、我々は直接介護サービスを提供しないとしても、そこに出向いて、所在を確認するとともに、なにかあった場合にはケアマネジャーが窓口となって、適切な社会資源と結びつけるというだけにとどまらず、そこで抱く不安に寄り添い、話しを傾聴し、いつも心理的な支持を与える立場の人として存在するんだということを、それらの人々に感じてもらうこと自体に意味があると思う。

自分のことを誰も気にかけてくれない不安とは非常に大きなものである。そうであるならば、その反面、家族や親類、友人、知人以外に社会福祉援助の専門家である介護支援専門員が、自分の所在を知り、自分を気にかけてくれ、いつでも頼ることができるのであれば、それらの人々の不安を少しでも解消することの役に立つのではないのか。

その方法論とは、哀しみの気持ちや不安感をしっかり受け止め、傾聴するだけである場合もあろう。しかしそのことは今この時期だからこそ大事なのである。今、避難所には相談する家族さえ、すべて失ってしまった方々もいるだろう。それらの方々の傍らに寄り添い、一番近くで、それらの人々の心の叫びを受け止める人が必要なのだと思う。

ケアマネジャーがそういう存在にならなくてどうするのか。我々はただ単に安否確認するだけではなく、心のケアを含めて一番近くで寄り添う専門職であることを自覚して関わる必要があるだろう。

その時にはじめて我々の存在意義が見えてくるのではないだろうか。

間違ってはいけないことは、社会福祉援助という領域では、ケアマネジメントは間接援助技術に分類されているが、ソーシャルワーカーは間接援助者ではなく、直接援助者であるということである。

そして繰り返しになるが、もう一つ間違ってはならないことは、ケアマネジャーはケアプランナーではなく、ソーシャルワーカーであるということだ。

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天道は、是か非か。

なんとなく心晴れない日が続いている。

僕の日常に特別な変化はないが、毎日ニュースの中で被災地の人々の様子が報道されるたびに、心に重くのしかかるものがあるからだ。原発の問題が一向に解決が見えてこないことも心配だ。故郷を失くしてしまう人があってよいはずがない。岩手、宮城、福島、すべて我々日本人の大切な故郷だ。一日も早い復興と、被災者の皆さんの暮らしが正常に戻る日が来ることを祈る。

被災していない人間が元気を失ってどうするのだろうと思うが、コントロールができない感情だからどうしようもない。しかしこれではいけないと思う。

登別温泉も大変なことになっている。

日本全体の自粛ムードが影響してか、国内の観光客も減っているのだが、特に深刻なのは海外からの観光客のキャンセルが相次いでいることだ。予約の8割がキャンセルされたホテルもある。これも風評被害のひとつだろうか。客が来ないまま営業しても赤字が増えるだけだから休業している旅館もある。それらの旅館で働くパートタイマーの方々は、この間、無収入である。地域全体の経済に影響が懸念されるし、もしこの状態が続けば廃業するホテル・旅館がでかねない。そうなれば道内の景気に及ぼす影響も少なくないだろう。

登別温泉は安全な状態だから、外国からも、国内からも観光に来てほしい。そういう日常も必要だと思う。

4月からは登別温泉のホテルの空き室を利用して1.831人分の非難場所とするそうである。そのため被災地から避難してくる方が増えるだろう。それらの方々の移動費や滞在費用は国が全額保証してくれるそうだ。ちなみに滞在費用は、1日3食付きで5.000円だそうである。登別温泉の標準宿泊費よりかなり安い金額であることは間違いないだろう。しかしこういう形でもホテルが稼働してくれればよいし、避難してくる方も登別温泉のいで湯にゆっくりつかってもらい、心の疲労をとってほしい。

自粛ムードの影響は、今日4/1の日にも顕著に現われており、全国各地で入社式の中止や延期を決める企業が相次いでいる。中止しないまでも会場変更や規模縮小、簡素化も目立っているそうだ。

経済が悪化すれば、支援や復興の足かせになるので、普通の日常生活が送れる人は、普通に過ごした方がよいと思う。入社式や新入社員の歓迎会も行える場所では行ってよいのではないだろうか。

勿論、一方では避難所で少ない食料と燃料しかなく、不便な生活を強いられている人がいるのだから、あまりお祭り気分は良くないということはわかる。しかし日本全体で徐々に前に進まないとならないので、自粛一辺倒ではなく、遊びや笑いの場所を広げていくことも必要と思う。

こうしたことを考えても、今回の大震災は日本のあらゆるところに影響を与え、様々な地域の元気を奪っている。被災していない僕らが元気を出して頑張らねば日本は元気にならない。

ところで、この震災と津波が発生した直後に「天罰」と発言したバカな政治家がいるが、前後の文脈がどうのこうのと言う前に、人間として許されない発言と思う。権力の座に長く居座ると、高慢な見方しかできず、権力呆けしてしまうんだろうか。

つぶれた家屋の下敷きになったり、津波に流された人々に、命を捨ててまで償わねばならないような罪などあり得ない。8割の児童が波にのまれた大川小学校の児童にどんな罪があり何の罰だと言うのか。地域で一生懸命非難誘導している最中に波にのまれた消防団員や、警戒放送を流している途中に波に沈んだ若い市役所職員に天は何の罰を与えたと言うのか。長年苦労して家を建て、家族を育ててきたのに、足腰が弱って避難できずに濁流に沈んだ高齢者の方々のどこが罰せられねばならないと言うのか。

日本人全体がおごり高ぶって国を悪くしているわけではないはずだ。国の向かう方向が自らの考えと違っているからと言って、大災害の被災者を冒涜するような発言があってよいはずがない。地位のある人間であればなおさらである。発言を取り消せばよいってレベルじゃないだろう。そもそも日本の向かう方向が悪くなっているとしたら、それはかじ取りするリーダーが責任を問われるべきだろうに。

今回の震災と津波で失われた命のほとんどは、地域の中で平和に暮らしてきた名もなき市民である。地域にはなくてはならない子供や親や、じいちゃん、ばあちゃんだ。一人として失くしてよい命などなかった。

天罰発言した政治家には天童、是か非か。」ということをその腐った頭でもう一度考えてみろ、とでも言いたくなる。

そうしたら恥ずかしくて二度と国民の前で政治を取り仕切るなんてことはできないはずだ。それともそういう恥の感覚もなくしてしまっているんだろうか。そうであるならば、そういう人間を上に仰がねばならない日本国民は最大不幸民族である。

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地震で机の下は自殺行為

今回の巨大地震を契機に、災害対策マニュアルを見直している方々も多いだろう。

その時に是非考えていただきたいことがある。それは「地震が発生したら、外に出ないで机の下にもぐって身を守る」と定めている施設や事業所があったら、それは間違いであるということだ。そういう定めがあれば即変更してほしい。特に鉄筋コンクリートのビルの中に事業所を構えている場合は、絶対に机の下にもぐってはならない。

このことについてはアメリカ国際レスキュー隊長のDOUG COPP(ダグ・コップ)さんが、自身のサイトで警告している。原文は英語なので僕もよくわからないが、昨日(28日、昼)この地域のローカルラジオ局「FMビュー」の昼休み時間の番組で、全文を訳して紹介していたので、そこで紹介された内容を転記しておく。

(ここから)
私は、アメリカ国際レスキュー隊の隊長で災害担当責任者のダグ・コップです。アメリカ・レスキュー隊は、世界で最も多くの経験を積んだ救助隊です。

私は60カ国で組織されている国際レスキュー隊のメンバーと共に、1985年以降ほとんどの主だった災害の救助活動にあたり、875もの崩壊したビルに入りました。

私が初めて救助活動にあたったのは、1985年のメキシコ大地震のとき、メキシコシティーの小学校でした。子供たちは皆、机の下敷きになっていました。この子供たちが、もし、机と机の間の通路にいたなら助かっていただろうにと思うと、私は本当にいたたまれませんでした。

ビルが崩壊して、天井が落っこちてきたときは、テーブルや家具などを押しつぶし、その隣には空間ができますが、その下に空間ができることはありません。絶対にテーブルや机の下に入らないでください。家具が大きかったり、強度があればその横に空間ができるのです。

この空間こそが「命の三角形」です。そして、この空間に入り込めば助かる可能性が高くなります。実際崩壊したビルにはこの「命の三角形」がたくさんあります。地震のときは以下の注意を守ってください。


・ほとんどの人は、地震のとき、四つんばいになったりして机やテーブルの下にもぐりこむが、これでは崩落したときには助からない。地震の際すぐに外に出ることができなかったら、近くにある大きくて強固な家具(机、テーブル、ソファ、ベッドなど)の横で、胎児のように丸く、なるべく小さくなってうずくまること。この体勢をとると命の三角形の中で助かりやすい。

・夜、ベッドで寝ているときに地震が起こったらベッドから下りて、ベッドの横で、胎児の体勢をとること。ベッドの横は、命の三角形ができやすい場所である。全てのホテルのドアに、このことを明記したなら地震の際のホテルでの生存者が飛躍的に増えるだろう。

・地震のときは、ドアから離れること。ドアのそばにいる人は、助からない場合が多い。

・なるべく、建物の中心から遠ざかること。外壁に近いほど、助かりやすい。

・車に乗っているときは、崩落した道路や落下物の下敷きになることがあるので車からは直ちに降りて命の三角形ができる車の横で座るか横になること。
・木造家屋が実はいちばん安全。木は地震で動いたり、しなったりするので崩壊しても大きな空間を作りやすいし重さが分散される。

(以上、ここまで転載)

聞くところによれば、今回の地震災害の直後に、災害の専門知識もないのに、ビルの中の事業所内の机に潜り込まずに、外に飛び出した人を非難し、厳重注意をしている事業者があるそうだ。しかし3/24のニュージーランドの地震の際も、死亡者のほとんどは崩壊したビルに押しつぶされているのだ。机の下にもぐって助かった人はいない。

タグコップさんが守ってくださいと書いている最初の部分には「地震の際、すぐに外に出ることができなかったら近くにある大きくて強固な家具〜」と書いてあることに注目してほしい。

つまりタグコップさんは「近くにある大きくて強固な家具の横で、胎児のように丸く小さくうずくまる」のは、「すぐに外に出ることができなかった場合」と書いているのである。そうであれば、すぐに外に出るのが最良の選択であるという意味にとれる。しかし一方では「ドアから離れること。」「ドアのそばにいる人は、助からない場合が多い。」と書かれており、即、外に出られなかったらドアから離れた外壁に近い位置に身を置くことも忘れてはならない。

余震が続く地域の皆さんは、是非このことを情報提供してほしい。

そして、今後はこうしたことを踏まえて、新しい避難マニュアルを作るべきである。

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失われた時間(とき)をみつめて

震災の深い爪痕が残され、原発の問題も解決していない今この時期であるが、被災地の方々から少しづつ声が届き始めている。

僕のブログ記事に対して「masaさんにお願いしたいことは、いつもと同じようにこのブログを続けてくださることです。困ったとき、迷ったとき、このブログで自分をみつけることができます。」とコメントを寄せてくださっている方もいる。ありがたいことだ。

そういう人々の声に応えるためにも、このブログ記事も福祉や介護に関する広いテーマをいつものように書きつづって行きたいと思うが、いざPCのキーボードに手を置くと、震災被害の光景が頭の中に広がり、今日の時点ではまだそのことから離れた記事を書く気分にはなれない。今日の時点では読者の方々にも僕のその思いにつきあっていただきたい。もう少しだけ・・・。

僕は現在、被災者の方に直接的に手を差し伸べることができない。その術を持たない。

仮に災害地域に派遣が期待される専門職の募集が具体化しても、今この時期は看護職員とか、介護職員とか、直接ケアサービスに関わる援助技術を持った人が求められ、単に現地の食料や水や燃料を使うだけの結果になるような人間は足手まといになるだけだろうから、僕が焦ってうろうろするより後方支援で義援金や支援物資の調達に協力する以外ないと肝に銘じた。

おそらく義援金は現時点では多くの方々の協力が得られるだろうが、これが3月後、半月後と時間がたつにつれ集まりが悪くなるだろう。僕はたくさんの金額を一度に寄付することはできないが、息長く義援金集めに協力していこうと思う。新聞や業界紙に寄せる自分の連載原稿に対していただく報酬・謝礼金などは、基本的に寄付に回していこうと思う。
募金箱設置

法人と職員親睦会からの義援金も既に送ったが、利用者やその家族の義援金を募るために、先週金曜日の夕方に募金箱を施設内に設置したところ、連休の3日でたくさんの方々に協力していただき、千円札も数多く募金箱に入っている。早速これも義援金として送りたい。この募金はしばらく続けていくつもりである。繰り返しになるが、こうした義援金集めという後方支援は息長く続けたい。

もう一つ自分自身の役割を考えてみた。

僕は本来ソーシャルワーカーだから、人の悩みごとの相談にのることはできるし、ソーシャルワーカーとしてではなく、人として、困っている人の訴えに真摯に耳を傾けることはいつでも、どこでもすべきであると思っている。加えて、今回の大規模災害のような場合、直接思いや悩みを伝えられない人が数多く存在するのだから、第3者を通して様々な情報を伝えようとしている人がいるはずだ。その時、それらの人々の中継基地になり得る存在も必要だと思う。

そういう意味では、たまたま僕の管理するネット掲示板や、このブログは、全国の介護サービス関係者の方々がたくさん見てくれているし、ネットを通じてコミュニケーションをとることが可能な環境にあるので、被災地で支援活動に頑張っておられる関係者や、被災者の方でネットをつなぐことができる人などからも連絡が入る。

だから僕はこの機能を利用して、被災地に向けた、あるいは被災地からの情報の中継基地としての役割を大事にして、必要な正確な情報を関係者に届けていくという役割の一端を担っていこうと思う。そういう意味で、表の掲示板や、このブログを使っていただければと思う。

ただそのことで気負ってしまって失敗することもある。福島県の一部地域に食料が届いていないという情報を伝える際に、芸能人のブログ記事を一部引用したところ、その情報の正確性が確認できない状態で発進したため、食料が届いていない地域があることさえも真偽が疑われる事態になった。これは直接自分が得た情報ではない「芸能人ブログ」の記事を引用したことが原因で、今後はこうしたことがないように、ニュースソースと真偽がはっきりした情報提供に努めたいと思う。

そういう思いを持ちながら日々過ごしているが、時間が立ち、いろいろな情報が伝わってくることで、哀しいニュースもたくさん表面に出てきている。時にその悲報に触れ胸が張り裂けそうになる。

北海道新聞記事

画像は3月20日(日)の北海道新聞の紙面である。宮城県石巻市の市立大川小学校は全児童108人のうち、二十数人ほどしか生存が確認されていないそうだ。紙面ではそこに残された泥だらけのランドセルの写真が載せられている。涙なしには見ることができない記事だ。もっとも安全であるはずの小学校校舎で被害にあわれ、失われたたくさんの小さな命に対し、深く哀悼の意を称するしかできない自分が悔しい。

そこには子どもさんを失われたたくさんの父親、母親、兄弟、家族が存在する。その人々の哀しみは、今後ますます深まり悲劇の記憶をずっと持ち続けて生きていかねばならないのだろう。そして心の傷を癒すまでには測り知れない時間と、周囲の支援が必要になるだろう。

そういう人々が何万人も、あるいは何十万人も存在するのが今回の震災である。すべての人々が心を一つにして皆でスクラムを組んで頑張らないと、この国の将来の光が見えなくなる。

地域の復興は、心の復興から始まることも考えて、今できることを、今いる場所で最大限に行うことを考え続けたいと思う。

哀しみを乗り越えてという言葉を発するのはたやすいが、肉親を失った人々の哀しみは、第3者が想像するそれより、ずっと深く、それらの人々の希望の光など途方もなく遠い所に存在し、そんな先まで考えられない状態だろう。

だからこそ、こういう時だからこそ、周囲のすべての人々のちょっとした優しさが必要になるんだと思う。そっと寄り添うことしか出来なくても、それは必要なことなんだと思う。

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放射能汚染の一般的捉え方に関する緊急アンケート

現在我が国は、震災と津波の被害という大惨事の後遺症として、被害を受けた福島県の原発における放射能漏れという重大な事故の影響を受けている。

しかしその周辺、原発から20キロ以上の地域には「屋内退避」を勧告されたものの、そこにとどまって生活して問題ないとされているたくさんの人々が居られる。

その方々が、今一番苦しんでおられるのは、放射線による被害ではなく「放射線被害があるのではないかという風評による人や物資が届かないこと」であるという悲痛な声が挙がっている。

しかし現在の福島市の数値では全く健康被害に繋がるような放射線数値ではないとされており、このことは「福島原発事故の放射線健康リスクについて」に詳しく解説されているので参照願いたい。

そんな中、福島県内にある施設の方から、次のようなメール連絡があった。

今、福島における最大の問題は、福島原発事故による不安と風評被害です。県内では、大学の専門家が各地を回り、リスクが限りなく小さいことを説明しています。県民も努めて冷静に判断しようとしています。
しかし、他県の風評と無理解があまりにもひどい。私たちには、他県でどのような情報提供がされているのか分かりません。
そこで、裏版で他県において放射能問題の一般的な捉え方がどのようにされているのかをアンケートしていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。


以上の要請に基づき、下記の通り緊急アンケートを実施します。

今回のアンケートについては、質問事項も選択肢も、メールで要請された方が考えた内容で、私の意見は入っていません。そういう意味では、これが現地の方が今知りたいことと考えていただいて結構です。

原発近くで日常生活を送っている福島県の皆さんに情報を届け、それに対する現地からの正確な状況報告や情報発信が可能となるように、是非多くの地域の皆さんにご協力をお願いしたい。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

被災地からのメッセージ

地震発生時に、揺れがまったくなかった九州福岡に滞在していた僕は、その甚大な被害を翌日にやっと知り、その日に予定されていた長崎での講演を終え、浦島太郎のような心境で自宅に戻ったのが先週日曜日である。

その日から、この未曾有の被災に対して自分がなにを出来るのかということを考え続けている。

今僕に出来ることはひとつには金銭的支援。それも一度ではなく、今後息長く自分で出来る範囲の義援金支援を続けようと思う。施設内にも募金箱を設け、利用者や家族からの協力も呼びかけている。

現地で直接支援したいという気持ちもないわけではないが、介護施設の管理者の立場で、自身の職場の利用者の生活もきちんと守らねばならないので、単身被災地に乗り込むことは現実には不可能だし、今求められているのは物資を直接被災地に届ける人とか、医師・看護師・介護職員等であり、僕がそこに行っても迷惑になるだけだろうから、後方でそれらの人々を支援できる方法はないかと考え続けている。

幸い、このブログや施設の公式サイトは、日本中のたくさんの関係者が見てくれているので、そこで情報発信して、必要な情報提供を行ったり、後方支援を続ける必要性を訴えたりすることも意味があるだろうと思え、そのことを自分の役割と義務として考えている。

それから、自分の人脈や情報ネットワークを使うことが、現地支援に少しでも役立たないかと考えている。

現地ではマスコミに報道されない避難地域で、食料や水が届かず、避難所で餓死者さえ出ているそうだ。伝わっていない悲惨な状況がたくさん起きている。そのことを被災を受けていない人に伝えて支援の輪を広くつくり、かつ早急な対応を促すことが必要だ。

さらに救援チームへの情報提供ということも役割として重要である。現地に緊急派遣されている支援チームも、現地に入っても情報が手に入れられず、差し迫った緊急性がどこの地域に生じているのかが把握できない状況にある。例えば大阪(青年会議所)JC等、近畿地区2府4県のJC支援隊が仙台入りしており、今後、2トン車で、水、食料、生活雑貨を関西かピストン輸送をするそうであるが、実は現地でも情報が圧倒的に不足しており、支援を求めている状況と地域の情報提供を求めている。

そうした支援チームに、僕のところに入った情報を仲介して伝えている。今朝表の掲示板で情報提供を受けた「福島県浜通り」に食料がまったく届いていないという情報も仲介できた。こういう形での情報伝達を今後もきめ細かく伝えていきたい。

直接的な支援活動としては、今後要請が増えるであろう施設入所者の受け入れである。阪神大震災のときにも神戸から当施設に緊急入所された方がいたように、今回の被災者の方の中にも、本州の施設で受け入れきれずに北海道に受け入れ先を求める方がいるかもしれないので、5名分のベッドを確保して道に受け入れ可能である旨を届け出た。十分とはいえないが、今出来る最大限のことを、各地域で一人ひとりが行うことが大事だ。

そんな中、昨晩神奈川のgitanistさんからメールが届いた。タイトルに「お伝えしたいことがあります」と書いてある。それは次のような内容だった。

東北の大震災、福島の原発。本当に心を痛めています。
福島の知人のブログです。彼女も津波の被害に遭い、自宅を奪われました。そんな彼女を勇気付けているmasaさんの本。すごいですね。


貼り付いていた、しゅうさんのブログ記事「たった1冊の大切な財産・・・。」

・・・涙があふれた。こんな状況で、僕の本を大事にしてくれている人があの被災地の中にいる・・。この人たちを早く救わねばならないと強く思った。・・・同時に、僕の本がその人たちの勇気に少しでもつながっているのであれば、あの本を書いた意味があると思った。被災された方から僕がいただいた勇気である。本当にありがとう。

僕らは、ずっとあなた方をさせる活動を続けます。必ず明日が来ます。その明日に希望が見える日までがんばり続けます。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

届け、届けて、届けよう。

先週日本を襲った震災は、直接被災しなかった地域の生活にも様々な影響を与えていることだろう。しかし一番困っているのは被災地の非難所等で不自由な暮らしを強いられている人々なので、そこの支援に影響を与えるような自己中心的な物資の「買いだめ」「買い占め」などをしてはならない。

このことはまず自らが律せねばならないことなので、僕個人や僕の家庭、僕の所属施設などでもっとも戒めていることである。

避難所の一部には、食料も水も届かないところがあると聞く。それらの人々が「もう限界です。餓死してしまいます。」と訴えるメモがテレビに映されると、切なさを通り越して自分達がそのことに対して何もできない空しさを感じて茫然としてしまう。

避難所で餓死者が出るなんてことがあってはならないが、今僕にできることは、それらの人々に一秒でも早く、支援の手が届くことを願うことだけである。それにしても人間とは何と無力なのだろう。テレビカメラなどの報道機関がアクセスできない地域の人々はもっと悲惨な状況に陥っているのではないのか?本当に心配だ。

僕の周りには、今のところ取り上げるほどの不便も不自由もない。逆にそのことを心苦しく思うくらいである。

小さな変化や影響は様々にある。例えばこのブログのアクセス数は、震災前より1日平均800アクセスほど少なくなっている。ブログカウンターの設定は、同じPCからは1日1カウントしか計上しないシステムなので、アクセス数とは1日にこのブログを見て下さる実人数とほぼ一致すると考えてよい。そうであれば、震災によりこのブログを読めない環境に居られる方が800人はいるということである。

それらの方々は、今どうしているんだろうか?非常に心配である。一時的に非難してネット環境がない場所にいたり、電波障害等でアクセスできないだけならまだしも、お亡くなりになった方がいるとすれば非常に哀しいことである。やるせない思いでいっぱいになる。

ところが表の掲示板のアクセス数は震災前とほとんど変わりない。これはブログカウンターと異なり、同じPCから1日何度アクセスしても数が増える設定になっているので、アクセスする実人員が減っていても、一人の人が1日にアクセスする回数が増えているせいだと思える。それはとりもなおさず、少ない情報媒体の中で、表の掲示板が地震関連情報として必要な情報を参加者の皆さんが書き込んでくださっているおかげだろうと思う。

あの地震が起きなかったら、僕は今日、群馬県前橋市で講演を行っているはずであった。それも中止になった。一昨日は隣町である白老町で講演を行ったが、僕が講師を行う際には著作本「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」を会場で販売することが多いが、今回地震の影響で宅配業者のトラックが移動できず、本が出版社から届かないという状況になった。しかし購入希望者がいるとのことで、たまたま僕の手元にあった本を販売させていただいた。しかしその数はわずか14冊で、すべて完売してしまったので、現在手持ちの著作本は1冊もない状態である。

しかも今週木曜からその販売元の出版社が臨時休業している。余震が続いていることと、通勤時間が倍以上かかる状況だそうで、今週一杯は休みにして自宅待機だそうである。だから僕の手元に著作本が届くのも来週か再来週以降になってしまう状態だ。まあその程度のことはどうでも良いだろう。

それより1日でも早く被災者の方に水と食料と燃料が充分に届くことを願ってやまない。

被災地では、介護サービス関係者も奮闘している。人によっては自らの自宅や家族が被害にあっているのに、哀しみを押し殺して職場に泊まりこんで足りないサービスを回している人もおられる。それらの人々にはただただ頭の下がる思いである。我々が今できることは、それらの人々が今後必要となる物資や生活用品を手に入れるためにも後方から資金援助を続けることだろうと思う。

ここで被災地の福島県の社会福祉法人の方から頂いたメールの内容を紹介しておく。

(ここから)
ライフラインは、少しずつですが復旧してきています。しかし、避難所は相変わらずごった返しの状態。自宅の整理・復旧がままならず、帰ることができない高齢者が多数います。
「いわき市の避難所で要介護高齢者14名が死亡」
広い福島県、介護サービスにとってガソリンがないことは致命的です。支援に行きたくても行けない現状に、胸が詰まる思いです。ガソリン不足で公共交通機関もマヒ状態、出勤したくてもできない職員も多数います。当施設もパンク状態、受け入れる余地がありません。食料はもちろん、物資の不足と先の見えない状況に、真綿で首を絞められるような不安と戦っています。近隣の都道府県の施設には、一人でも二人でも支援が必要な高齢者を受入れることを強く要望します。
また、放射能問題が支援の低下に拍車をかけています。自転車で1時間かけて出勤する職員、施設に連日泊まりこみをしてでも支援をする職員がいる一方、家族とともに県外へ退避する職員、外へ出ることを拒否する職員もいることも事実です。職員が確保出来ないため、入所者を帰宅させたというグループホームもあるとのこと。
現地の介護スタッフだけでの支援は、心身ともに限界に近づいてきています。放射能が怖くて福島県に支援に来られないのであれば、一人でも多くの要介護高齢者を早急に他県で受け入れて欲しい、それが切実な現場の願いです。
でも・・・、絶対に負けません!


以上である。彼らの心をくじけさせてはいけない。それは被災していない我々の責任と義務であり、我々は支援の輪を広げて、一刻も早く、そして長く支援の手を届けていかねばならないと思う。

彼らが負けないように、我々にもできることがたくさんある。何もしない傍観者になることが一番の罪である。

※最後に我々の仲間であるkitaさんも福島で被災されている。タヌキの置物さんが無事であることを確認されたそうだが、我々のメールなどは繋がっていない。きっとネット環境どころではない状態のところに居られるのだろう。我々はkitaさんのことを毎日心配して、毎日応援しています。できる限りの応援もします。だからもう少し頑張ってください。きっと良い日が来ます。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

立ち止まれないから。

昨晩は、夕方6時30分から8時20分までお隣の白老町総合保健福祉センター(いきいき4.6)において「介護保険制度改正の論点〜何が変わり何が求められていくのか」というテーマで講演を行ってきた。(講演90分と質疑応答30分の時間をとっていたが、講演が少し長引いて質疑は特になかった。)

地震被害を受けた地域や、その周辺地域の皆さんにとっては、まず今日1日の「暮らし」を最低限守ることが先決で、先のことを考えたりする余裕はないだろうし、今この時期に勉強会でもないだろうと思われるかもしれない。しかし時の流れは止まることはなく、次期制度改正も確実に迫ってくるので、いま勉強している余裕も時間もない人々の分も、被災していない我々が一生懸命勉強して、新しい制度の中で利用者をきちんと支援できる方向性を見つけていかねばならない。

やがて復興がなった暁には、我々が今手に入れたいろいろな知識や方法論を、それらの人々に確実に手渡して、皆でこの国の新たな福祉・介護サービスの質を作り上げていく必要があるからだ。

そういう意味で、今、勉強できる環境にある関係者は、そのことを当然と思わず、その環境に感謝して、全力で知識を身につけようとする努力が求められるだろう。

昨晩の講演会は、冒頭で被災され命を落とされた方々に対する黙とうから始まり、会場で義援金の受付も行われた。それぞれの立場で、今できる最大限の支援を行うことは、これから復興なるまでずっと続けていかねばならないと思う。長い険しい道のりを、被災していない我々が中心となって復興支援にあたって行かねばならない。

昨晩の受講者は60名強。平日の遅い時間で、翌日も仕事があるにもかかわらず皆さん熱心に聴講していただき感謝している。この研修で伝えたかったことは、単に次期改正がどうなるかということではなく、2000年の制度施行から次期改正に繋がる制度の変換(ルール改正や報酬改定、06年の制度改正)がどのような議論に基づき、どう変わってきて、そのことが次の制度にどう影響しているのかという観点を、特に「大人しすぎる介護関係者」が声を挙げないことで、いいように国や学者の論理に屈して改悪が続けられてきた、ということを中心にお話しした。

昨年出された、社会保障審議会介護保険部会の最終報告書が利用者負担増などについて両論併記の結論を出したことに対する批判も多い。しかし一度方針を定めた審議会の報告に反対論が併記された意味は大きい。これは過去にない画期的なことで、ある意味、現場の声が届いたということだ。しかしそれは自然に届いたのではなく、その声を届けるために活動した人々がいるということだ。そのためのデータ集めのために、表の掲示板ではアンケートのお願いを行ったが、ソーシャルアクションとは、こういうアンケートに回答することだけでもできることなのだ。

しかしこうしたアンケートにも回答協力せず、傍観者で終わってしまっている介護サービス関係者が実に多い。そのことが問題なのだ。

国に声を届ける方法がわからないという人も多いが、国に直接パイプを持っている人が声を挙げるためには、国が出すデータに対抗し得るデータが必要なのだから、そのことに協力することが国に物申すことに繋がる。できることをあきらめてしまうのが一番ダメなのだ。どうせ何を言っても始まらないとあきらめて何もしない人が多いからケアマネジャーはじめ、介護関係者は国の審議会でそれこそ「ボロクソ」にいわれなき非難を受けているのだ。

特に現場の介護サービス関係者が、現場の状況をきちんと伝えるデータは、そこにしか存在しない「生の声」であり、真実なのだから、それなりに説得力がある。それを一つの数値にまとめて、検証してくれる人に協力することが大事だ。国だって地号のよいデータしか出さないんだから、場合によっては現場だって、どれに対抗し得る都合のよいデータだけを出したって良い場合もあるだろうが、それもこれもデータの基礎となる根拠が必要なんだ。

そうした取り組みに協力もせず、傍観者になっているだけで、制度がよくなるわけがない。そういう傍観者に制度の方向性を批評する権利もない。物言う人になることがまず大事なのだ。

そのことをテーマとして(多分新年度に入ってから)北海道医療新聞社の介護新聞に5年ぶりの連載をすることになった。前回は2006年4月6日から約半年の連載であったが、その時は06年制度改正の問題を散り上げた。今回も制度改正に関することがテーマではあるが、改正された制度そのものではなく、改正議論における介護関係者のアクションや、制度改正議論の中身に触れることが中心になるだろう。

読者は北海道の関係者に限られるが、被災地で物言えぬ状態になっている関係者の皆さんの分も、被災していな人が圧倒的に多い北の大地から声を挙げて、被災者や被災者支援に奔走している人が帰ってくる場所を、きちんと整えておきたいと思う。

みんな頑張れ!!

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介護・福祉情報掲示板(表板)

勇気を与えるっていうレベルの問題なんだろうか?

大地震と津波被害の爪痕が深く残されたままの今この時であるが、だからと言って、何でもかんでも自粛、自粛ではなく、普通の生活ができる人は、普通の生活を営むことが大事だという意見も多い。

それは否定しないし、その通りだろうと思う。

被災者の方々に思いを馳せることは大事だが、それぞれの日常をしっかり守って行くことも、社会のため家族のためには必要だ。さらに今こういう時だからこそ、笑顔になれる場所や時間を作ることができる人は、そうした場所で笑顔をあふれさせてもよいと思う。そうしないと日本全体が沈みこんでしまって復興への活力が生まれにくくなるからだ。

ただ、ものには限度がある。笑顔は大事だが、苦しむ人々のすぐそばで、そういう人々を無視して、そういう人々の心情を考えないで、自らの快楽や楽しみを求めることは少し違うだろうと思う。

特に今は、物理的にいろいろなものが不足しているのだから、そのことに気を回さないとならない。必要な物資やエネルギーを、まず被災地に優先的に届け使ってもらうという配慮を日本全体で行う必要があると思う。

しかも震災と津波被害だけでなく、福島原発の放射能漏れの問題は、今後さらなる大災害に繋がりかねない深刻な問題で、そのことを注意深く見守って対策を考えなければならない時期である。この状況は、そのことがまず一番に考えられるべきで、イベントやスポーツで社会を元気にする、ということを考える時期ではないのではないだろうか。

そんな中、議論されているのはプロ野球のペナントレースを予定通り開幕するのか、遅らせるのかという問題である。実にくだらない。開幕予定の25日までにはエネルギー問題も、交通網の問題も、インフラの問題も、何も改善されていないことは目に見えている。遅らせるのが当然ではないかと思う。

しかしこの問題が紛糾しているのは、セリーグが独自に25日実施する方針を固めていることに端を発する。特に発言力の強い読売新聞社の強硬な態度は問題である。開幕を延ばさない理由を当の読売は「スポーツは国民に夢と力を与えるものだから、プレーすることで日本中が元気になってもらいたい」といっているが、今この時期、一時非難所で肉親の安否さえ不明で、ラジオやテレビの通信手段を奪われている方が数多く存在する中で、プロ野球が開幕してそのことが元気に繋がるのだろうか?今後、愛する人々の悲報に触れる人々がたくさん増えるだろうと予測される中で、プロ野球の開幕がその人達の勇気になっていくのだろうか?そういうことがあるとしても。それは3月25日という時期ではないように思う。

どんな理屈をつけても、開幕を遅らせたくない球団関係者の本当の思惑は「試合数が減って、テレビ放映権や入場者数が減ることで受ける収入減」の問題で、それはとりもなおさず営業サイドの理屈であることは隠しようがない。

そのことは選手会がこぞって開幕延期を訴えていることでもわかる。新井選手会会長の「何百年に一度の大災害が起きて、まだ続いています。余震が続き、原発の問題もある。被害は現在も進行している大変な状況で、果たして25日に開幕してもいいのでしょうか」という言葉や、我がファイターズのダルビッシュ投手の「野球をやって励ますとかそういうレベルじゃない。」という言葉の方が正論だ。

今あわててプロ野球を開幕してどれだけ大きな社会的影響が出るのだろう?例えばプロ野球を1試合行うだけで電力消費は大変な量である。ナイターでなければ大丈夫だろうと考えるのはあさはかで、現在のようにドーム球場が多い状況では、そこで試合を行う際は、ナイターと同様の照明と空調電力が必要になる。多くの球場が電光掲示板であり、そこにも大量の電力消費がともなう。その量はプロ野球を1時間行えば、一般家庭の1月分の電力消費量を軽く超える量である。

計画停電で、人工呼吸器など医療器具にも影響が出ている社会情勢下で、こんなところに大量のエネルギーを使って問題ないのか?被災していない関西圏で行えば問題ないだろうということにはならないように思う。

特に15日には経済産業省が日本自動車工業会、日本スーパーマーケット協会など、全国の業界団体、約690団体に省エネルギーへの対応を文書で要請している。その中身は「暖房の設定温度を19度以下を目安にする」「給湯器、コーヒーメーカーなどの電源を切り、待機時消費電力を削減する」「広告・ネオンなどの点灯をできるだけ控える」などの節電策を細かく例示している。「社用車の使用抑制に努める」などガソリンの使用を控えることも求めている。

こういうことが社会全体で求められている中で、ひとり「プロ野球界」だけが例外で良いはずはない。

球場への人の移動が生ずるのだから、当然ガソリンの消費量も増えるだろう。観客が野球上に押し掛けることで被災地に向かう救援ボランティアや救援物資の輸送にも支障が出かねない。交通網が完全に回復している状況ではないことを考えても、プロ野球の25日開幕は議論の余地がないほど見直すべき問題だと思う。

平時ではないのだから、ペナントレース144試合全実施にこだわることはないのだ。今年のみ、交流戦全試合を中止したり、オールスター戦を3戦から1戦に減らしたり、工夫はいろいろ考えられる。ペナントレースを中止するというわけではなく、皆が野球を見て元気になれる時期まで開幕を遅らせようというだけなのだから、それさえも否定する営業サイドは既に「反社会分子」とさえ言われても仕方がない。

読売営業サイドの今の姿を見て、この球団を応援するファンはどう感じているんだろう?読売球団のオーナーや球団社長に今送りたい言葉はたった一つである。「悪は必ず滅びる」と・・・。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

不便を共有しよう。少しでよいから・・・。

最初にお知らせしておくが、週末の予定はすべてキャンセルになった。

昨日お知らせした「出版記念シンポジウム」の延期に加え、(表の掲示板では昨日のうちにアナウンスしているが)3月18日(金)13:30〜15:30から群馬県社会福祉総合センターB01会議室で予定していた群馬県老施協生活相談員研究部会研修(テーマ:masaが語る相談員雑感と特養で看取るということ)も、この状況で中止が決まった。

羽田からの交通事情の問題もあるが、関東地域全体に地震被害が広がっている状況で、ガソリンなどの燃料不足と、電力不足、加えて交通網が寸断されている状況で、安心して勉強しているという精神状態にはなかなかならないだろう。非常に残念ではあるが、今は復興支援を第一にして考えざるを得ない。今回の研修は中止ではあるが、状況が落ち着いた段階で、再度事務局の方に検討していただき、声をかけていただければ万難を排して前橋まで行きたいと思う。その日が来ることを願っている。

また、19日(土)の夜に行われる「もんじゅミーティング」についても、お声をかけていただいき参加予定であったが、今回は移動手段でご迷惑をおかけすることになる可能性が高いし、ましてやガソリン等が手に入りにくい状況で、自家用車で送ってもらうような迷惑もかけられないので参加を遠慮させていただくことにした。「もんじゅ」会員の皆さんにも、こころよりお詫びしたい。

とにもかくにも、現在の状況は非常事態なので、ここを乗り切るために非常措置がとられることはやむを得ないとご理解いただきたい。

北海道の状況も、一部の地域で大変な被害状況となっており、非難場所での生活を余儀なくされている人も多いが、僕の地域では今のところ、食料品や水が不足していることもないし、ガソリンなどの燃料も普通に購入できている。ガソリンの購入上限を示して協力を呼び掛けているスタンドもあるが、それはあくまで被災地域に回す燃料を確保するための措置で、道内のガソリン流通量確保に支障が出る状態ではないので、自分のためだけに「買占め」に走らず、自分や自分の周囲も、少しだけ不便な生活を我慢して、もっと困っている人々に、足りないものを少しでも手渡すことを考えようではないか。

しかし政府の調べでは、被災地以外の地域で、消費者が水や食料、ガソリンなどを必要以上に買う動きが出て、そのこと自体が市民生活に影響を与えている。表の掲示板では、介護サービス事業所の送迎車からガソリンが抜かれてしまった盗難事件の報告がある。自分がよければ人がどうなろうと良いと考える人が多数存在するのであれば、そんな国に住むことを誰が誇れるというのか?何とも浅ましいことだ。

人の不幸を踏み台にして自分の暮らしだけがよければよいなんてことにはならない。そう言う考え方は、いつか自分自身がしっぺ返しされるものだと自戒して、被害のない地域でも少しだけ生活レベルを落として、不便を共有して、この国全体を救う努力を皆でしよう。それができるのが日本という国ではなったのか。支え合い生きている人間としての矜持ではないのか。

道内の介護施設や介護サービス事業所の被害状況は、昨日までの時点で道社協事務局が把握しているものとして、特養ソビラ荘(様似)の床上浸水(高台にあるデイサービスに避難中、ボイラー故障で当面帰れず)と黒松内養護老人ホームの壁の崩れがあるとのこと。同じ日胆地区の施設として、できる限りの応援をしたいし、ともかく今は頑張ってほしいとエールを送るしかない。

なおデイサービス関係は被害の情報はないとのことである。

今日もここ登別は青い空が広がり、うららかな陽気に恵まれ、暖かな空気が漂い、春が近づく足音が聞こえる。街にはいつものように通学の子供たちの元気な姿がみられ、朝の通勤も平和な空気の中で日常と変わらず行われている。この地域だけ見れば、この国で未曾有の大地震と津波がたくさんの人命と、家屋と、人々の暮らしと、地域を奪ったなんてことは信じられないような一見のどかな空気が流れている。

しかし、この同じ青い空の下で、固い床の上に身を横たえ、朝晩の寒さに震え、食べ物も水も不足する中、プライバシーのない空間で、まだ連絡のつかない肉親に思いを馳せ、やり場のない怒りと哀しみに身を震わせる何十万人の人々がいる。地震や津波の恐怖を間近にした人々は、きっと夜も十分眠れないことだろう。そしてそれは我々がもっとも愛する、この国の同じ住民なのである。そのことを忘れないでほしい。

そうした人々を救うために、我々が何をしたらよいのか?今そのことを真剣に考えたい。できることは少ないかもしれないが、少しだけ我々が我慢をすれば、その我慢した分の何かが、被災者の方々に届くことを信じ、それを願い、できることを最大限に、長く続けていきたい。

今、この国に住むすべての国民がスクラムを組んで頑張ることが、この国の新しい歴史を作ることになるんだ。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

出版記念シンポジウムの延期と、義援金協力について

未曾有の大地震がもたらした被害は想像を絶するものだ。

日に日にその爪痕の深さが明らかになってくるが、被害を受けなかった我々は、被災者の方に向けた支援を「できることから」最大限に行わねばならない。こういう時こそ、所属や利害関係などの一切の「しがらみ」を捨て去り、被災者を支援するという一つの目的だけのために皆でスクラムを組もうではないか。

なお参加申し込み者の方には本当に申し訳ないが、僕の著作本「人を語らずして介護を語るな masa の介護情報裏板」の発刊を記念して今週土曜日13:30〜16:30東京都港区芝の「女性と仕事の未来館」で行う予定だった発刊記念シンポジウム「現場を語らずして介護を語るな」については、諸般の事情を考慮して「延期」とさせていただくので、よろしくお願いします。

今後、シンポジウムが開催できる状況になった場合に、あらためて日程をお知らせしますので、どうぞご勘弁ください。

ところで、この震災が発生する前日に、講演のために福岡入りした僕は、当日午前10時30分に宿泊していたホテルを出て、お昼ごはんをとった後に昼間の講演を行う会場に入った。この日は午後1時30分からの90分講演と、午後7時からの90分講演の2講演を行う予定であった。

予定通り1時30分から講演は始まったので、震災発生時は全くその事実を知る由もなかった。特に九州地方は揺れも全くなかったので、テレビやラジオを聴く環境になかった状態で、そのような大災害が起こっていることを全く知らなかった。

地震の発生を知ったのは、最初の講演会場から、次の講演会場に向かう車中に、妻からの携帯メールが届いたときである。時間にすれば午後4時過ぎだったか?しかしその時の認識は、北海道の僕の住む登別周辺地域で大きな地震が発生したという認識しかなかった。取り急ぎ、施設と自宅に電話をかけ、被害状況を確認したが、幸い大きな被害はないという。津波警報が出されているので、海に近い地域ではサイレンが鳴り響き、公民館等への避難が始まっていると聞いたが、施設は高地にあるから、津波の心配はないし、自宅も公民館の近くだから、非難しても一緒とのことで、多分問題ないだろうとホッとしていた。

情報を確認するため、インターネットで速報を確認するうちに、この地震が北海道を中心に起きたものではなく、どうやら東北地方が中心であるらしいことが分かり、一部の地域で人的被害が出ていることも知った。しかしこの時点で津波被害が起きていることも、大災害であることも知らず、夜の講演準備から講演へという流れの中で、そこに集中していた。

講演後もニュースなどを見る間もなく、夕食を摂り、その場所での中心的な話題は、当然ながら講演内容の制度論や、介護に関する話題に終始していたので、地震と津波による甚大な被害が生じているなどとは夢にも思わなかった。お酒も飲んでいたし、講演の疲れもあって、食事を終えホテルに戻るとそのまま寝てしまった。

だから僕が今回の震災の深刻な状況を知ったのは、翌朝、12日土曜日の早朝、テレビニュースを見たその時であり、事の重大さにショックを通り越して、これはまだ夢なのではないかと茫然としてしまった。

その日(12日)は長崎県諫早市の講演を控えており、列車で移動予定だったが、津波警報のため途中で列車が止まっているとのことで、急遽、高速バスの移動に変更した。しかしバスターミナルも大混雑で、切符を買うためにも長蛇の列だ。幸いバスチケットは手に入ったが、なんとそれは諫早インターで停まるバスの最後の1枚のチケットであった。ぎりぎりセーフである。だたバスの中で道内の交通状況を確認すると、千歳空港から登別方面に向かう列車も、高速バスも、津波警報の影響で動いていないとのことで、明日の北区ができるのか不安になった。

諫早講演では最初に今回の震災に触れ「今僕達にできる事は被害がこれ以上拡大しないように祈ったり、義援金を送ったりする事ぐらいかもしれませんが、どんな小さな事でも自分達でできる事はやりましょう。」とお話しさせていただいた。

僕は翌日、諫早研修の主催者の方に福岡空港まで送っていただき、そこから2時間遅れで千歳空港に着いたが、幸い列車は普及しており、夜に自宅にたどり着いた。旅の疲れと、自宅で家族と過ごすことに安らぎを感じることができたが、しかし被災された方は、こういう安らぎの場所さえなく、中には最愛の家族さえ失ってしまい、独りぼっちのなってしまった人もいるはずだということに気づき暗澹たる気持ちになる。

今自分にできることは何かと考えた時、とりあえず義援金を送ることだと思ったので、先ほど金融機関から、先週末の福岡と長崎でいただいた講演謝礼金の全額に、自分のポケットマネーを加えて送金した。だからこのお金には、福岡と長崎の講演主催事務局や受講者の思いも詰まっていると思っている。

そのほかに施設では職員親睦会と法人から、老施協を通じて別に義援金を送ることに決定した。さらに個人で義援金協力してくれる方は、職員、利用者を問わず、集金に協力して送ろうと考えている。

我々にできる限りのことを、出来得る最大限のことを、今しておかないと、この国は滅びるかもしれないという危機感を持ちながら、被災された多くの方々に思いを寄せたい。

今しかできないこともあるし、今だからこそ求められているものがある。それを見逃さないようにしたい。


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介護・福祉情報掲示板(表板)

大災害〜できることを最大限に

一昨日から福岡に滞在して、昨日は昼と夜の二つの講演のためTVやラジオの情報もない場所にいたため、地震の発生を知るのが大幅に遅れ、発生を知った後も、午後9時過ぎまで講演会を行っていたため、このような大災害だとは知る由もなかった。

しかしこの被害には絶句だ。

僕は今日も諫早で講演があるため、列車で移動しようとしたが途中で列車は動かないということでバス移動に切り替えてなんとか到着出来た。

しかし明日、北海道に帰るにしても千歳空港から自宅に向う列車もバスも運行しておらず、明日の復旧目処も不明だ。

それにも増して被害を受けられた方々のことを考えると心が痛むし、できることはしたいと思う。

ただ今は、被害が拡大しないことを祈るのみで、あとの復興に向けた寄付などで協力するしか術がない。

今は与えられた役割である講演を一生懸命行いながら、皆でできる事に協力しようと訴えるしかない。皆でできる事から始めよう。


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