masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

事件・ニュース

運転技能検査の導入だけでは高齢ドライバー対策は不十分


去年まで天皇誕生日の祝日であった今日(12/23)は、今年から今上天皇の誕生日ではなくなったために平日となっている。

令和天皇の誕生月は即位前の2月だったのだから、今年は天皇誕生日の祝日がない年ということになる。その代わり5/1が即位日の祝日だったためため年間祝日数は前年と変わっていない。

今後12/23が祝日化される可能性はあるものの、今日は平日で普通の月曜日である。そのため多くの人が平常業務に就いているはずだ。うっかり今日も祝日と勘違いして、遅刻した人はいないだろうか。それどころか、まだ夢の中で仕事に行くのを忘れてしまっているという悠長な人もいるのだろうか・・・。

さて今年も押し詰まり、令和元年も残すところ僅かになっているが、振り返ってみると今年は一段と高齢ドライバーによる悲惨な死亡事故が多かった一年ではなかったかと思う。

その中でも特に記憶に残っているのは、4月に東京・池袋で母親と3歳の娘が犠牲となった事故である。一人残された夫が、死亡した妻と子供への思いを記者会見を通じて語る姿に涙した人は多いだろう。しかし加害者にはその思いが全く届いていないことに憤りを感じざるを得ない。

この事故の加害者も当時87歳の高齢ドライバーであった。加害者は事故当時は無職であったが、元々は東大を卒業し、1953年に通産省(当時)に入省したエリート官僚でもあった元院長である。重大事故を起こしても逮捕されない加害者を巡って、「上級国民」という言葉が一時流行した。(※不逮捕の理由は、実際にはそうした理由ではないそうである。)

元院長は認知症ではなく日常的に運転もしていたが、自宅マンションの駐車場でもうまく車を止められず、妻が外に出て、「もっとハンドル切って!」などと声を掛けることが常態化していたとのことであり、明らかに運転能力には低下がみられていたのである。

事故の際に乗用車が暴走した時も、助手席には元院長の妻が同乗していたが、事故現場に至る左カーブの辺りで妻は、「危ないよ、どうしたの!?」と声を上げる様子がドライブレコーダーに記録されていた。

事故からしばらくたって、被害者の夫があの哀しい会見を開いたあとで、元院長はJNNの取材に答えている。しかしそこで発言した内容とは、『安全な車を開発するようメーカーに心がけて欲しい、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい』という他人事のような発言に終始しており、自らの責任には全く触れていない。

それはまったくのKY発言で、そのコメントに憤りを感じた人は多いだろう。しかしこの発言が、元院長のパーソナリティから発せられたのだと考えるのも短絡的だと思う。むしろこうした発言しかできないほどに、認知機能が低下していたのではないかと考える方が、状況把握としては正しいのではないだろうか。

この発言に触れて思うに、この加害者は日常生活は普通に送っていたとはいっても、明らかに認知機能は低下していると言わざるを得ない。そうであっても運転という、「手続き記憶」だけで操作できる行為はできてしまうのだ。(参照:手続き記憶だけでは運転できない車を作ってください

しかしそうした人の運転する車は、すでに走る凶器であり、操作する人間も走る狂気である。

こうした問題をどう解決するのかが、来年以降ますます問われてくるだろう。何も対策しなければ、こうした事故は繰り返されるし、その数はもっと増えるだろう。そしてそこで尊い命が奪われる人とは、何の罪もない幼い子供であったり、将来ある若い人たちであるとしたら、それほどの社会損失はないとさえいえる。

しかもこうした認知機能低下のある人の運転行為を野放しにしておれば、自分がいつ加害者にも、被害者にもなりかねないとさえ言えるわけである。だからこそ一人一人の国民が、高齢者の運転からの勇退ということや、高齢になってさえも運転せざるを得ない地域社会というものをどう考えるのかということを、身近な問題として議論すべきではないかと考えるのだ。

自分自身だって、いつまでも元気で運転行為に支障なく暮らせるわけがないという観点から、対策を考えていかねばならない。

こうした死亡事故などを受けて、国は違反歴のある高齢ドライバーの免許更新時に、「運転技能検査の導入」を検討しているそうである。しかし免許更新時に事故歴のある人だけを検査しても事故を防ぐことはできない。現に池袋の元院長だって、それまで事故歴があるわけではなく、直前の免許更新時にその制度があったとしても、検査対象外とされたわけである。

そうであれば、こうした悲惨な死亡事故を本当に防ごうと対策するならば、一定年齢を超えた人はすべて、年単位の運転技能検査を受けるようにして、その検査に合格できない人は運転免許の取り消しという措置をとれるようにすべきではないだろうか。

同時に免許を取り消された人に制度の手を差しのべる仕組みが、地域包括ケアシステムとして求められる。例えば「介護予防・日常生活支援総合事業」には、「送迎サービス」があるが、このサービスは、買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人を対象できるのだから、こうしたサービスを普及させる対策をとるべきだ。

すべての市町村が、市町村事業として、ガソリン実費相当分を負担するだけで利用できる、「送迎サービス」を実施することで、免許返納を促進できる可能性があるし、強制的に免許取り消しを受けた人が暮らしに困らなくできるわけである。

運転免許を取り上げられたことがきっかけで、認知機能が低下する人もいるが、それを防ぐ手立ては、運転以外のやりがいを持ってもらうことが一番である。そうであればこの、「送迎サービス」は、喫茶店や集会所も巡回するなど、自治体が趣味活動を含めたニーズに柔軟に対応できることになっているのだから、地域社会の中で、高齢者が参加して認知機能の低下を防ぐ趣味・やりがい活動を同時に造る工夫をすることで、事故なく安全な地域社会で、高齢者が生きがいを持って暮らすことにつながるのではないだろうか。

来年以降の地域課題には、そうした視点を入れてほしい。そんなふうに地域包括ケアシステムの課題として、高齢ドライバー問題に取り組む自治体が増えることを期待したい。

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福井県敦賀市の一家三人殺人事件は介護殺人の様相か


先週15日に行われた社保審・介護給付費分科会では、居宅介護支援の管理者要件に係る経過措置についての延長議論が行われた。(資料

居宅介護支援事業所の管理者は、主任ケアマネジャーでなければならないとされたが、その経過措置は令和3年3月31日とされている。しかしそれまでに実務5年の要件が満たせないなどで、主任ケアマネの資格を取得できない事業所が多数にのぼることが明らかになり、その見直しが必要とされた。

そのため経過措置を令和9年3月31日まで延長するとともに(ただし令和3年4月1日以降に新たに管理者となる者は、いずれの事業所で あっても主任ケアマネジャーであることが求められることとなる。)、次の2点を新たなルールとして加える案が示されている。

・特別地域居宅介護支援加算又は中山間地域等における小規模事業所加算を取得している事業所については、管理者を主任ケアマネジャーとしない取扱いも可能とし てはどうか。

・令和3年4月1日以降、不測の事態により、主任ケアマネジャーを管理者とできなくなってしまった事業所については、当該事業所がその理由と「改善計画書」(仮称)を保険者に届出た場合は、管理者が主任ケアマネジャーとする要件の適用を1年間猶予することとしてはどうか。

以上の案については、当日の分科会で賛同を得たため、そのまますんなりとその通りになる予定だ。

このことを巡っては、日本介護支援専門員協会の迷走が目立ったが(参照:管理者要件厳格化の経過措置延長を要望した協会の今更)、本来このような管理者要件の厳格化など不必要なことであり、いっそのこと主任ケアマネに管理者を限定する要件自体を失くしてほしいものだが、これについては一旦決まったということで引っ込めることはできないのだろう。

しかしこのことによって居宅介護支援の質が上がるなんて言うのは幻想だ。主任ケアマネジャーの資格を得る必要がある人が増えることによって、その資格を与える一連の過程における、「利権」が増えるだけである。本当に意味のない要件だと思う。このことに加担した秋田あけぼの会の小原クンの罪は決して消えない。

さて話題は変わるが、週末起きた事件で気になるニュースが飛び込んできた。

17日の午後、福井県敦賀市の住宅で住人の親子3人の遺体が見つかった事件では、95歳と93歳の夫婦と、その息子である70歳の会社役員が殺害されたが、70歳の被害者の妻71歳が殺人容疑で逮捕された。

容疑者の夫は、脳梗塞の後遺症で足が不自由であったのに加え、95歳の母親は要介護1の認定を受けていたそうである。さらに93歳の父親も介護が必要で、容疑者が3人の介護を担っていたと報道されている。

容疑者は3人の首を絞めて殺害したと供述しているそうであるが、動機については、「介護疲れ」の可能性が指摘されている。

本当にこの事件が介護疲れによる殺人だったのかという検証が求められるし、こうした悲劇を繰り返さないためには、この一家に対する介護サービスの提供状況等はどうなっていたのか検証が急がれる。

それは誰かの責任を追及するためではなく、何がどう足りなかったのか、何をどうすればこの一家を救えたのかという視点から、今後の介護支援の方向性を考える一つの教訓とすべきことがあるのではないだろうか。

地域ケア会議は、本来このようなケースを取り上げて検討され、個々のこうしたケースの検討から地域課題をあぶり出すために行われるものだが、当該地域でそうした地域ケア会議が機能していたのかも検証しなければならない。

この事件を単なる刑事事件として捉えて終わらずに、地域の介護問題という側面はなかったのかという検証が不可欠だと思うのである。

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鹿児島県日置市の住宅型有料老人ホームでの虐待事件報道に触れて


昨日、鹿児島県日置市の住宅型有料老人ホームで、入所中の77歳の女性を殴るなどしてけがをさせたとして元介護職員の男が傷害の疑いで逮捕されたというニュースが報じられた。(※元職となっているのは、容疑者が事件発覚後の10/31付で解雇されているからである。)

逮捕された有馬洋一(38)は、1人で夜勤を行っている最中に入所中の77歳の女性に対し、左あごをひじ打ちするなどの暴行を加え打撲などのけがをさせた容疑で取り調べを受けている。肘打ちしている場面は防犯カメラで撮影され、ネット配信もされており動かぬ証拠となっている。
 
ところでこの容疑者は、事件のあった有料老人ホームに勤める以前に、介護関連の職業を10度も変えているそうだ。人間関係のトラブルなどが理由であると報じられているが、これほど多くの職場を転々と渡り歩いている人間を安易に雇ってしまう介護事業者の姿勢そのものが問われてくると思う。

僕は特養の施設長として採用も含めた人事権を握っていたが、複数の介護事業者を渡り歩いている人物については、面接時に好印象を持ったとしても採用することはなかった。短期間しか就業できないというのはその人物に何らかの問題があり、それが職場を変えることで解決するとは思えなかったからである。

勿論、ブラック介護事業者に愛想をつかして辞めて、新たな募集に応募したという人物はいるだろうし、その場合は健全な職場で能力を発揮してよい仕事をしてくれる人材となるケースもあるだろう。しかしその場合は、転職したとしても短期間に3つも4つもの事業者を渡り歩いているということにはならないはずだ。そこはきちんと見分ける必要がある

いくら人手が足りないからといっても、当座をしのぐことができる「人員」を集めればよいという考え方で、募集に応募してくる人をすべて採用するのは危険である。能力のない人員は、「人在」にしか過ぎず、その中には人罪(いることが即ち迷惑な人)となる人物であるかもしれないという危険性も併せ持つのである。

そういう人物が一人でも職場に交じってしまえば、今回のような事件を引き起こして、社会から糾弾されるだけではなく、莫大な損害賠償責任も生ずる可能性があるし、何より職場の雰囲気が悪くなり、良い人材の流出につながりかねないのである。そうなると人材不足はさらに深刻化する。

介護労働における、良い人材のモチベーションとは、人の幸せに関わることが出来るモチベーションであり、介護サービスを使う人々の不満や犠牲の上に成り立つ労働意欲はあり得ない。そのことをきちんと意識した職員採用に努めないと、良い人材が流出するだけではなく、その事業者に良い人材は張り付いてこなくなる。

介護労働に不向きな人を採用すると、結果的には他の職員に負担がかかるだけではなく、経営リスクに直結する問題となることを、介護事業経営者はもっと真剣に考えるべきである。

それにしてもこのような事件が起きると、夜勤中に密室の中で、自分の親がきちんと介護支援を受けているのかと心配する家族は増えるはずだ。特に今回の事件の被害者のように認知症で、自らの身に起こった危機的状況を訴えることが出来ない人の家族は心配だろう。
(※本件は、有馬容疑者の後に勤務に入った職員が、女性の顔にあざがあるのを発見したが、被害者はそのあざが、どうしてできたのかを訴えることが出来ず、有馬容疑者は翌朝の引継ぎで「女性が自分で転んだ」と報告していた。防犯カメラに同容疑者が肘打ちする様子が映っていなかったら、うやむやのまま終わったかもしれない。)

そうすると介護施設等の入所者の家族が、自分の家族を守るために、隠し撮りをしようとするケースも増えるだろう。スマホで簡単にタイマー録画ができる今日、それを防ぐことはできないし、防ぐ必要もないと思う。なぜなら本来の対人援助とは、いつどんな場面を切り取って見られたとしても、決して人に後ろ指をさされる行為ではないはずだからである。(参照:心の中に自らを写すカメラを持っていよう

だからこそ介護事業者におけるサービスマナー教育は重要なのだ。これをおざなりにしては大きなしっぺ返しを食うかもしれないのである。

特に新人職員が入職する前に、その教育係となる現在働いている職員のマナー意識を向上させないととんでもないことになる。新人にいくらマナー教育を施しても、マナー意識のない先輩職員によって、その意識そのものがつぶされてしまうからだ。そういう意味では新年度が始まる4月という、多くの新入職員が入職する前に、現役職員の意識を変えるマナー研修を行う必要があるといえるのだ。

僕は昨日夕方から世田谷の社会福祉法人さんの職員研修で、サービスマナー研修講師を務めてきた。その講義は全3回の研修の2回目として行ったものである。来月が最終回である。

マナーを持って日々の仕事ができるリーダーを育て、そうした職員が部下のマナー意識を植え付けない限り、職場にサービスマナー意識は浸透しない。それは虐待・不適切対応がスマホで撮影され、ネット配信されて事業継続が困難となるリスクを、常に抱えているという意味でもある。

だからこそこうした研修を定期的に実施する法人は、そうしたリスクを回避できるし、厳しい時代に生き残っていける体力をつけることにつながっていくと思う。

そうしたお手伝いも出来るので、是非声をかけていただきたい。連絡は僕の公式サイトから、メールでいただけるとありがたい。(※ページ画面上部の、グレーの帯状になっている部分に、メールアドレスなど連絡方法を掲載しています。

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虐待がネット動画で拡散される時代の介護


このブログで何度も指摘しているが、スマートホンで動画撮影が簡単にできる時代になっていることで、介護現場で行われる不適切な行為が、隠し撮りされてSNSなどに投稿されることよって、世間の目にさらされる機会が劇的に増えている。

そのような形で密室で行われる虐待などの不適切行為が顕在化することが、虐待や不適切行為の抑止力になるのだろうか。

しかし人を護るべき介護サービスの場で、言葉や暴力によって傷つけられた人の痛みは、加害者の行為が明らかになり、加害者が世間から糾弾されたとしても決して消えることはない。加害者が罰せられたとしても、被害者が守られるということにはならないのだ。

だからこそ私たちは、介護サービスの場で隠し撮りされて世間から糾弾される行為自体を抹消せねばならない。そのためには人権意識をしっかりと持った人材を育成するシステム作りが急務である。人材はどこからか寄って来たり、自然発生することはないのだと自覚しなければならず、人材を見抜き・選び・育てるということがすべての事業者に求められるのだと覚悟すべきである。

本気でそのことを考えなければならない。

そうであるからこそ、人手が足りないからとりあえず募集に応募してきた人を採用し、教育は現場職員に丸投げするというような、経営責任を放棄したかのような状態をなくさねばならない。

今日から愛媛県3地域(松山市・今治市・伊方町)で行われる、愛媛県内地区老施協及び愛媛県老施協共催の「中堅リーダー研修会」では、そのことをリーダーの皆さんに伝えるとともに、リーダーの皆さんには、「自分の心の中のカメラで自分を撮影して、一日の終わりにその画像を自分で確かめて、恥ずかしくない仕事をしよう。」と指導できるリーダーになれるように伝えたいことがある。(参照:心の中に自らを写すカメラを持っていよう

しかし実際には人材を育てない介護事業者が数多く存在し、人を護るはずの介護サービスが、人の心を奪い、人の心に取り返しのつかない傷を負わせるにとどまらず、命さえ奪うという悲劇を生んでいる。

昨日も宮崎県宮崎市にある有料老人ホーム「フェニックスフォレスト」で、20代の男性介護職員が90代の女性入所者に対し馬乗りになり暴言を吐くなどの虐待行為を行っていたことが明らかになった。(事件発生は、2019年7月27日にさかのぼる。)

その虐待行為は、同僚が動画を撮影しツイッターに投稿したことから明らかになったものだ。

その動画では、入所者の女性が施設の床に横たわり、職員がその女性に馬乗りになった状態で、「この状態を作ったのはあなただよ」・「危ないことやったら、すぐこの体勢に戻るから」などと大声で叱責している様子が映っている。その職員は虐待の事実を認め、すでに解雇されている。

被害者の女性は歩行困難な認知症であったというが、その動画撮影の日から3日後に死亡している。施設側は被害女性の死亡と虐待との因果関係を否定しており、死因は老衰としているが、しかし被害者の死亡を巡っては、今後事件化する動きも考えられ、そうなると施設の管理責任も当然問われることになる。そうなったとき、この有料老人ホーム(特定施設)の母体は、介護事業経営を続けていくことができるだろうか・・・。

どちらにしても私たちは、人の命と暮らしを守るための介護サービスの場で、このような悲惨な事件が繰り返し起こっている事実を受け止め、なぜこのような事件が全国で繰り返し引き起こされているのかをもう一度深く考えなければならない。

その根底には利用者を顧客とみようとせず、介護を施しレベルで考え、「してやっている」という意識の職員が数多く存在しているという問題があり、顧客に対するサービスマナー教育がまったくされていないという問題もあるということを、介護事業経営者は自覚すべきである。

今回は同僚職員が撮影した動画が、ネット上で拡散したようだが、今後はいろいろな形でスマホやタブレットを利用した動画が撮影され、ユーチューブやSNSを通じて拡散されることが当たり前になる。そうした世の中では、今回のような不適切かつありえない行為が潜在化せず、必ず世に明らかになると考えなければならない。そのためにもこうした行為に及ぶ要素を完全に排除していかないと、介護事業経営は危機に瀕すると考えるべきである。

介護事業を安定して経営するためには、利用者を護るという当たり前の行為に徹する職員を育てなければならず、そのためには、「人間尊重」という価値前提を徹底させる必要がある。その基盤となるのがサービスマナー教育である。それは職業倫理として求められる以前に、事業戦略上、必要不可欠なものだという意識をもって、介護事業経営者は、事業システムの中にサービスマナー教育、人権意識の向上の取り組みを組み込んでいかねばならない。

そうしないと、本事件のような事件がいつ自分の身に降りかかってくるかわからず、たったひとりであっても、おかしな職員がそこに存在するならば、加害者責任が問われて、事業経営者や管理者が裁判の場で指弾を受けることになるかもしれないのである。

今回の宮崎の事件を対岸の火事と眺めているような悠長なことをしている暇はない。介護事業経営者の方々には、職員の教育は十分なのかを今一度、改めて見直していただきたい。

職員教育を怠り、利用者に対するサービスマナーの確立という意識が低い介護事業経営者や管理職に待っているのは、近い将来の贖罪の日々であり、多額な損害賠償金の支払いに汲汲とする明日なのかもしれない。

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介護ボランティアを贖罪のアリバイ作りに利用するな


連日ワイドショー等で取り上げられている、「芸人」の裏営業問題・・・。

その問題の本質は、裏営業と呼ばれる直営業問題ではなく、反社会勢力とのつながりの問題であり、事実を嘘で隠そうとした倫理上の問題なんだろう。

それはどうでもよいとして・・・所属事務所から「謹慎処分」を受け、活動自粛をやむなくされた芸人の一部が、介護事業者でボランティア活動をしながら、「反省の姿勢」を見せていることが報道され始めている。

芸人だとて、その身分より先に一個人としての存在があるのは当然だから、ボランティア精神を抱いて、介護サービスの場で様々な活動を行うことは問題ないし、むしろそのことは歓迎されてよいことだと思う。本当の意味でボランティア精神を発揮できる場として、介護施設等で、「できること」をすることに対して批判する何ものもない。

また活動を自粛している間に、自分の手に職をつけようとして、「介護」の勉強をしようとする動機づけはあってよいと思う。その結果、将来介護の担い手の一人として活躍してくれる人が、一人でも多くなることは社会的にも意義があることだろうと思う。

しかし・・・である。

連日の報道内容を見ていると、芸人が招待を受けて活動した場の主催者が、反社会勢力であるということはとは知らなかったとはいえ、そういう場で営業し収入を得ていたことについて、反社会勢力の人の被害を受けた方々の感情を考慮して、その反省と贖罪の気持ちを込めて、介護の場でボランティア活動に励んでいるとされている。

いい加減にしてほしい。介護の場は誰かの贖罪の場ではないし、介護という行為は、「罰」ではない。

介護労働は、対人援助という行為を支える専門技術であるし、介護の仕事は、他の仕事に比して特別な位置にあるものではなく、ごく普通の社会活動である。

そうであるにもかかわらず、所属事務所等から処分を受けた芸人が、介護ボランティアをしながら反省して、活動再開に備えているということになれば、介護サービスの場を罪人が懲役刑を受けている場とイメージする人がたくさん出てくる。活動できない芸人が簡単にできる労働として、「底辺労働」のイメージも生まれてこようというものだ。

そもそも一芸人が介護事業者等でボランティアをしていることが、どうしてこんなに話題になるんだ?何らかの形でそれをマスコミにリークしているという証拠ではないか。

僕は今、フリーランスの立場なので、自分の時間を使って様々なボランティア活動を行っているが、そんなことは業界関係者にさえ漏れていない。活動する場所にいる人しか知らないことだ。

本来ボランティアとは奉仕なのだから、無償の行為である。それはその活動で金銭を得ないというだけにとどまらず、名誉さえ得ない行為であるべきで、奉仕によって名が売れることは最も恐れられるべきことで、避けるべきことなのだ。

芸人が本当の意味で反省と贖罪の気持ちを込めて、社会に貢献できる活動の一つとして、介護サービスの場におけるボランティア活動をしているなら、そのことをマスコミに報道させるなと言いたい。知られてもそれを公表しないように頼めと言いたい。そうした活動を、誰からも顧みられない状態で黙々と続けてみろと言いたい。

そうしていないということは、何らかの意図があると勘繰られてもしょうがないし、こんな風に世間に介護ボランティアをしていることが喧伝されているという事実は、その行為の実態が「売名行為」であるという疑いを持たれても仕方がないと思う。

その売名行為に介護労働が利用されて、社会の底辺労働のイメージが広がっていくのは迷惑である。

介護の場は、芸人の「悔悟の場」ではないのだ。(※このフレーズは、FBで浜松のジョアンさんこと、粟倉さんがつぶやいていたフレーズをパクったものである。粟倉さん事後承諾で許してください。)

マスコミはもっと、介護労働とはどのようなものかということを勉強してもらいたい。そして心してもらいたいことがある。

ボランティアを安易に、「崇高な行為」と祭り上げるようなことがあってもならない。同時に介護ボランティアを、「罪滅ぼし」にもっともふさわしい行為とするような印象操作があってはならないのである。

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義務化しなければ意味がない限定免許


高齢ドライバーによる相次ぐ交通事故が社会問題化しているが、6/11の夜にも名古屋で、70代の男性が運転していた車が一方通行の道を猛スピードで走り、小学校のガードレールとフェンスを突き破って、小学校の校庭に突っ込むという事故が起こっている。
小学校の校庭に突っ込んだ事故車
画像の中で、手前に写っている歩道は児童の通学路である。事故車はこの歩道に乗り上げた後、フェンスを突き破って校庭の花壇の上で停まっている。

事故発生時間は午後7時前で、幸い児童は全員下校していたため、この事故に巻き込まれた被害者はおらず、ドライバー自身が軽傷を負っただけで済んだ。しかし時間が1時間前にずれていたとしたら、多くの小学生が事故に巻き込まれて死傷するという大惨事になっていたかもしれない。

事故を起こした男性ドライバーは、警察の調べに対し、「フェンスにぶつかったことは覚えているが、それ以外は記憶にありません。」と話しているそうであるが、猛スピードを出すほどアクセルを踏み込んでいた状況も、「記憶にない」ということは、認知機能の低下が疑われて当然である。

そして今朝も兵庫県西宮市樋之池町の道路で、69歳の女性が運転する車が、歩道を歩いていた保育園児17人と職員2人の列に突っ込み、園児2人が救急搬送されている。

このように高齢者の数が増え、認知機能の低下したドライバーの数も増えることが明白な今日の状況で、「いたずらに高齢者から運転免許を取り上げればよいわけではない。」などという悠長な論議がまかり通っていて良いのだろうか?高齢者の権利を護るために、この国の将来を担うべき幼い命が危険にさらされていのだろうか?認知機能の低下したドライバーによって将来ある若者の命が沢山奪われている現実があるのに、高齢者の運転する権利の前に、手をこまねいていることが果たして民主国家のあるべき姿なのだろうか?

多発する高齢ドライバーの事故を受けて、政府もやっと重い腰を上げようとしている。高齢者向けに安全機能が付いた車種のみを運転できる免許制度を創設することを検討しているようだ。
 
政府が検討している高齢ドライバー専用運転免許の対象となるのは、75歳以上とみられており、「オートマチック車限定」同様、自動ブレーキシステムなどの安全機能を有した自動車のみを運転できる免許とする方針だそうである。ただし現在のところ、「安全機能」の詳細については決まっておらず、今後国内の自動車メーカーと協議の上、決めていくという。そして新免許については、75歳を超えた際に義務として強制的に取得させるのではなく、現在保有している免許と安全機能付き限定免許のどちらかを選ぶ選択制とする模様である。

しかし75歳を超えた人が果たして、限定免許を選択するだろうか?限定免許を選択するには、車を買い替えなければならないケースもあるだろう。そうであれば果たしてその年齢で車を買い替えようという動機づけは生まれるのかということにも考えが及ばねばならない。その年齢で免許を更新する人は、使い慣れた愛車をそのまま乗り続けようとする人の方が多いだろう。そのことも含めて、限定免許を選ばない人の方が多くなるのは明白だ。

そもそも今現在重大な交通事故を起こしている高齢ドライバーとは、ほとんど自分の運転技術に自信を持っている人である。「年齢だから、そろそろ免許を返納するべきかな」と周囲に漏らしている人であっても、自分の運転技術そのものに不安を持っているわけではない。そんなふうに運転技術に不安を抱えながら、注意深く運転して事故を起こしている人は、ほとんどいないわけである。

そういう人が自分の運転に制限がかかり、なおかつ新たな車の購入や部品の付け替えなどの費用負担も増える可能性が高い限定免許を選ぶとは思えない。

つまり現在検討されている政府の、「限定免許の選択制度」など何の意味もない。それは高齢ドライバーの事故の減少には何の効果もない対策である。

限定免許制度を創設するなら、それは義務化すべきである。

例えばそれは2段階の義務制度とするのはどうだろうか。65歳以降は免許更新のたびに限定免許を選択できるようにして、75歳になれば限定免許しか発行しないと義務化すれば、義務化される前の時期に、限定免許に対応する車に買い替える人も増えるのではないだろうか。65歳の時点では、まだ10年は運転できると考えて、車の買い替え動機も、75歳以上の年齢より高いと言えるのではないだろうか。

・・・とここまで書いたところで気が付いたことがある。僕は今、一番型式が新しいプリウスに乗っているが、この車には様々な安全警報装置がついている。前後左右に障害物が近づけば警報音が鳴るし。ウインカーを出さずに車線変更して、白線を跨いだら警報が鳴る。しかしそれが安全装置と言えるかどうか・・・警報音も慣れてしまうのだ。

自動ブレーキは安全性を少しは高めるかもしれないが、完全に事故を防ぐことにはならないだろう。そう考えると、完全自動運転の車ができない限り、最も安全な方法とは、「運転しない」ということでしかないのかもしれず、制限免許を義務化しても、問題の解決には程遠いのかもしれない。

どちらにしても高齢ドライバーの事故防止対策は、待ったなしである。免許返納という「自覚」に期待していては、何の罪もない誰かが巻き込まれる大惨事を防ぐ術はない。

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運転からの勇退はできないものか?


昨日も福岡で高齢ドライバーの運転する車の暴走事故が起こった。

事故を起こした車は、反対車線を逆走したまま、猛スピードで車にぶつかり、それでもスピードを落とさずに交差点に突っ込んでいる。結果的に5台を巻き込み、計9人が死傷するという多重衝突事故となった。

福岡県警早良署は5日、事故を起こした当事者で、死亡したのは現場近くに住む81歳と76歳のご夫婦だったと発表した。

今朝のニュースでは、複数のドライブレコーダー映像が放送されているが、その映像を見ると、81歳のドライバーが運転するミニバンは、相当なスピードが出ており、まったくブレーキをかける様子もなく次々と車にぶつかりながら交差点に突っ込んでいる。
福岡高齢度ドライバー暴走事故6.4
おそらく亡くなられたドライバーは、アクセルに足を乗せたままの状態で、暴走前に意識を失ったのではないかと思われる。その時、何らかの原因でアクセルに載せた足が突っ張るような状態になるかして、意識が無いままアクセルを踏み込んでしまう状態で、車が加速していったのだろうと思う。

助手席でコンソールボックスに挟まれる形で亡くなっていたという76歳の妻は、そのことに気が付いて、運転している夫の足をブレーキからどけようとして、シートベルトを外して、助手席の下に座り込むような形で、手を伸ばしてドライバーの足を持ち上げようとしたが、間に合わずに交差点に突っ込んだと思われる。死亡時の妻の状態がそれを証明しているように思える。(※現時点では、あくまで想像に過ぎないことをご了承願いたい。

たいへん悲惨な事故で、亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

今回の事故は、認知機能の低下とは直接関係のない、急病による不幸な事故というふうに分類されることになる可能性が高い。そうであれば、これは高齢者に限ったことではないが、リスクを考えると、高齢になればなるほど、急死・急病発作の確立も高くなるのだから、認知機能低下リスクと合わせて、そのことも考えながら、「運転からの勇退」を考える必要があると思う。

僕は自分が70歳の誕生日を迎えた瞬間から(それまで元気に生きている保障はないが)、自分自身は運転をしないようにするつもりだ。その時、仮に元気であったとしても、運転からは勇退しようと思う。自身の人生の晩年に、判断能力や身体能力の低下が原因で、他人を巻き込む事故を起こして自分よりも若い人の命を奪う結果になったとしたら、それは悔いても悔いきれないものになると思うからだ。

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科医療機関であった。そこには認知症専門病棟があるが、そこでは1日中孫の名前を呼びながら、孫を探して徘徊している認知症の人がいた。しかしその孫とは、認知症の症状が出ていたにもかかわらず運転を続けたその人自身が、ひき殺してこの世にいない孫である。

それは認知症という病気・症状によって引き起こされた事故であるとはいっても、そのことによってかけがえのない子を奪われた母親は、認知症の義父を決して許そうとしない。結果、その人には何円感も誰一人面会に来る人もなく、精神病棟を孫を探して徘徊し続けている。そういう悲劇が、この日本にはたくさんあるのだ。

そうした悲劇を少しでも少なくするためには、元気だから運転ができるという意識よりも、ある年齢に達したら、移動手段は別に考えて、自らは運転しないでおこうと考える必要があると思う。もちろんそのためには、高齢者の移動手段を地域全体で保障するという取り組みも必要だろう。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになっているが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加されている。ということは買い物に困る高齢者はすべて対象になるサービスなのだから、このサービスがあれば、免許を返納し運転から勇退できる高齢者は多いわけだ。よってすべての市町村で、このサービスが実施されることを強く望んでいる。

それにしても今回の事故を起こしたドライバーの住所を見ると福岡市早良区となっている。ということは博多ではないか。決して公共の移動手段に困る地域ではなく、交通網の発達した大都会である。そのような便利な場所に住んでいる高齢者の方々は、1日も早く移動手段を見直した方が良いと思う。

今回の事故を引き起こした当事者は亡くなってしまったが、その結果は重大で、多事故の賠償責任は、当然遺族に引き継がれるのではないかと想像する。その場合、任意保険だけで賄いきれるのかという問題も出てくる。

残された愛する遺族にそうした負の遺産を負わせるという禍根を残さないようにするためにも、運転からの勇退は、もっと広く国民議論として展開されても良いのではないだろうか。

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職員採用時の適性判断の重要性を再確認しよう


人材確保が一番の課題とされる介護業界であるが、人手が足りないからこそ、有能な人材を採用しないと、現場の仕事がきちんとまわっていかない。少ない人数で決められた仕事をこなすのであれば、そこに必要とされるのは仕事ができる人材なのだ。

数合わせで誰でもよいから応募してきた人間を採用するという考え方では、能力のある人材のモチベーションが低下し、バーンアウトしてしまう。そうした職場の現場環境はますます荒廃し、事業継続さえ困難になりかねない。

数合わせで採用した人間の中には、明らかに介護の職業に就くための適性を持たないものも少なくない。そのうちの幾人かは、介護の現場で重大な事件を引き起こしている。それによって事件を引き起こした当事者が犯罪者となるだけではなく、そのことは重大な損害賠償責任を雇用事業者に負わせ、社会的な信用を失わせる結果につながり、場合によっては事業廃止に追い込まれていく。

介護事業経営者は、改めてリスクマネージメントとしての従業員の適性判断について考える必要がある。

東京都品川区の介護付き有料老人ホームで、介護職員から暴行を受け、出血性ショック死亡した82歳の男性利用者の体には背中付近に暴行の痕があったほか、肋骨4カ所が折れて内臓にまで傷があり、それは3階建ての建物から転落したのと同じぐらいの衝撃がなければできない状態であるという。

被害者は暴行を受けた翌日に一時的に意識が戻っているが、その際に次女に対して、『若い男に蹴られた』と訴えており、犯人は被害者を強い力で蹴り殺したと思われる。

暴行の疑いで逮捕されているのは、暴行当日宿直をしていた元職員の根本智紀容疑者(28)である。元職員とされている理由は、根本容疑者が逮捕前の4/10に、すでにサニーライフ北品川を解雇されているためである。その理由は同容疑者に虐待行為があったからであるとされている。

現在犯行を否認している根本容疑者であるが、暴行当日の防犯カメラ映像には、宿直勤務だった同容疑者(28)が被害者の個室の入り口付近で複数回、部屋の外に出ようとする被害者の足を持って室内に引きずり込んでいた様子が撮影されている。このことについて同容疑者は、「腰が痛かった」などとその理由を説明しているそうであるが、そもそも腰痛があったとしても、利用者の足を引っ張って床の上を引きずるという行為そのものが許される行為ではない。

ところでこの容疑者のFacebookアカウントによると、サニーライフ北品川に勤める前の仕事は、「Club 〇〇〇のホスト」・「医療法人 〇〇会〇〇 病院の介護ヘルパー」・「〇〇興業」・「ケアアレジメント 〇〇〇〇〇介護」とあり、様々な職業を転々としていたことがわかる。
(※〇〇〇として伏せている部分は、Facebookアカウントには実名が記載されている。)

短期間に複数の職場を渡り歩く人が多いのも、人材不足で誰でも雇い入れてしまう介護業界の特徴である。その事情は様々で、職場側に問題がある場合があるとしても、これだけ複数の職場を転々としている場合には、社会人としての本人の適性の問題も疑う必要があると思う。特にこのケースでは介護2事業所を中途退社しているのだから、その理由を調べる必要もあると思う。

根本容疑者は、前に勤めていた介護施設では、仮病を使ったり、同僚の持ち物を盗んだりするなど、素行の悪さが問題視されていたことが明らかになっている。

今回事件を起こした施設には『キャリアアップしたい』として入社したという経緯があるが、前の職場の退職理由を、面接時の本人の言葉だけを鵜呑みにして信じるのは軽率で、できる限りの方法で真の退職理由を確認するべきである。根本容疑者にしても、採用時や就業後の適性判断はきちんと行われていたのだろうかという疑問符を付けざるを得ない。

今回の事件にしても、過去の様々な虐待事件にしても、その原因を単に介護という職業のストレスと分析するのは的外れだと思っている。それは「もともと対人援助に向いていない人によって行われる悪意がある行為」というふうに分析すべき問題であり、職員採用時の適性判断が十分に行われていないのではないかということを、もっと問題視して議論されなければならない。

介護業界全体がまずすべきこととは、人手不足を理由にして、募集に応募してきた人なら誰でもよいとして、人物の見極めも行わずにとりあえず雇うという体質を改善することである。

特に短期間で複数の職場を渡り歩いているような人は、面接時にどんなに好印象でも、採用は慎重にすべきである。前職が介護職である場合は、面接時に聴きだした退職理由を鵜呑みにせずに、必要に応じて調査を行う必要もあるのではないか。

そして試用期間中にもしっかり就業規則にしっかりと定めて、その期間に人物を見極める必要がある。

それらを含めて雇用後も管理職を中心にして、常に職員が利用者に不適切対応が生じていないのかを労務管理としてチェックするシステムが必要とされる。そのうえで不適切対応が疑われる職員は、介護実務から外して再教育を行ったうえで、適性がないと判断したら転職を促すことが求められてくるだろう。

それらはすべてリスクマネージメントとして必要とされることだ。

対人援助は本来、誰にでもできる職業ではない。きちんと人を選んで教育する必要があるのだ。そのために一時的に職員数の不足が生じたならば、ベッドの一部休止や利用者定員の見直しなども行うべきである。

単純に給料を上げ、介護職員の数だけ増やしたとしても、虐待事件はなくならないだろう。

それも大事だが、職場内で教育と訓練を繰り返して、職員に介護のプロとしての自覚を促し、人権意識を育み、いつもそれを忘れさせないことでしか、こうした事件を根絶する手立てはないのではないだろうか。

特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。

だからこそサービスマナー教育は重要になるのである。その教育がきちんとされているかどうかが、介護事業経営の肝になってきていると言ってよいだろう。

間違ってはならないことは、ひどい虐待報道が出るたびに、介護事業者であれば多かれ少なかれ、虐待が行われていると思い込むことだ。そんなことはなく介護業界のマジョリティとは、虐待と無縁の介護事業者である。

感覚麻痺に陥らずに、虐待とは無縁のサービスを提供している数多くの介護事業者が存在するのだから、この業界から虐待事件を根絶することは不可能ではないことを信じて、品質の高いサービスを提供している事業者のノウハウも取り入れながら、サービスマナー教育を徹底した教育システムを完成させることが事業者にとって最も求められることだ。

それを行わない事業者は、いつ自らの内部に本件のような心の闇を持った職員を抱え、その職員によってかけがえのない命が脅かされ、それによって事業の危機に陥る危険性を持っていることに気が付かねばならない。

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車社会の傲慢・室蘭市水道部のケースについて


兵庫県明石市の介護付き有料老人ホームで、入居者の90代男性が居室で「孤独死」していたというニュースが流れている。

5/22に宿直の担当職員が「最近男性の姿を見ていない」ことに気が付いて居室に入ったところ、男性が倒れていたとのことで、医師の検案では死亡推定日は10日とされいることから、死体は12日間誰にも気づかれずに放置されていたことになる。

男性は自立しており、自室で調理し、室内の清掃サービスも利用していなかったそうであるから、日ごろ姿を見かけないのも不自然と思われなかったのだろう。

介護付き有料老人ホームということは、「特定施設」の指定を受けた有料老人ホームであろうと思われるが、自立の人が利用することはよくあることで、この場合、特定施設入所者生活介護のサービスは受けずに、住居としての有料老人ホームだけを利用することになるので、施設側に見守り義務もない。

亡くなった男性利用者は、今月上旬に面会した家族に体調不良を訴えたため、家族がスタッフに見守りを求めていたが、施設側は部屋を訪れるなどの安否確認をしていなかったと報道されている。しかし安否確認を煩わしいと拒否する人もいるので、この報道だけで施設側の対応に問題があったとは言えないだろう。

今後こうしたことを防ぐ手立てがあるとすれば、自立して介護サービスが必要ではない人であっても、安否確認を行うという入所契約を交わすしかないのかもしれない。

どちらにしても超高齢社会で、死亡者数が増え続ける中で、高齢者の暮らしの場が多様化していることを考えたときに、隣人の存在を死臭で気がつくという社会にならないためにはどうしたらよいのかということを真剣に考えなければならない。社会や隣人と高齢者のつながりが切れないように、日ごろから関わりを持つ方法を模索しなければならないのだろうと思う。

そんなことを考えさせられた朝である。

さて話は変わるが北海道もやっと温かい日が多くなり、ウオーキング日和の日が増えてきた。

日ごろ運動不足の僕としては、快適な天候の日にはなるべく歩くようにしている。目標時間は1日最低2時間である。

それだけの時間歩くのだから、飽きないように景色も大事である。だから景色の変化がない周回コースなどは避けて、日によっていろいろなルートを歩いている。

車の通らない散策道もあるにはあるが、そこはどうも苦手である。というのも、そういう道はたいてい犬を連れて散歩している人がいるからである。しっかりリードを握って歩いているとはいえ、すれ違う際に犬が自分の方に近づいてきて、びっくりするときがある。飼い主にすれば、別に危害を加える心配もないということだろうが、近づかれる方はそんなことはわからない。しかしいちいち文句を言うのもはばかられるので、そういう道は歩かず、犬がいても相当の距離を取れる広い道を歩きたいと思ってしまうわけである。

当然そうなると、一般道を歩くということになるわけだから、信号待ちなどもあることになる。それはそれで休憩になってよいのである。

だからこそ車には十分注意が必要である。特に最近は、高齢者の運転ミスによる信じられないような事故も起こっているので、信号が青で横断歩道を渡る際にも、左右に気を付けている状態である。
(※介護認定審査会で審査する調査票の特記事項にも、運転をやめるように促しても言うことを聞いてくれないなど、認知機能が低下しても運転を続けるケースを指摘する内容が増えている。)

しかし歩行者としての視点から見れば、実に傍若無人のドライバーが多いことに気が付く。歩道の奥から車道に出ようとする車で、車道の前で一時停止する際に、歩道を横切っている歩行者の存在を無視して、歩行者の前にいきなり飛び出してくる車がある。歩行者は勝手に車をよけて歩くだろうと思っているのだろう。そんな風にして歩道をふさぐように前に出てくるドライバーが実に多い。

横断歩道を渡っているときに、右折車が自分に近づくまでスピードを落とさず接近して、急ブレーキで止まることもしばしばである。

もう少し歩行者の存在を意識して優しい運転をしてほしいと思ったりするとともに、自分自身の運転にも気を付けようと思ったりしている。

歩行者を無視していると言えば、歩道を駐車場代わりに使っている車も多く、歩けない歩道という状態になっていることもある。
室蘭市職員の迷惑駐車
上の画像のように歩道と歩道の間に車を駐車して、歩行者はいったん車道に出て迂回しないと歩道に戻れなくなっている場所もある。

画像の場所は、室蘭市高砂町から中島町に向かう幹線道路の一つで、交通量も多い径である。撮影したのは昨日(5/29)午前10時頃であるが、歩道を通れなくしているのは、「室蘭市水道部」の公用車である。この車の近くに、作業着を着た二人の市職員が立っており、話をしているのであるが、車が邪魔になって歩行者が何人も迂回して通っている姿を見ているのに、車をどかそうともせずに、世間話に興じている。室蘭市の看板を背負っているのを何と思っているのか聴きたくなる。

あまりの傍若無人ぶりだったので、邪魔だと声をかけても知らぬ顔をしていたので、スマホを取り出して撮影しようとしたら、すかさず一人が車に乗り込んだという場面だ。全くひどいものである。

公務員がこんな状態だから、一般の民間人にモラルを求めても無駄なのかもしれないと考えてしまう。

室蘭市水道部の職員さん、少しは恥を知りなさい。

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祈り・思い。


痛ましいという表現では表したりない悲惨な事件が昨日川崎で起きました。

罪を憎んで犯人を憎まずという言葉がありますが、日本中の大多数の人々が、19人を殺傷した犯人には憤りと憎しみを感じているのではないでしょうか。

被害を受けて亡くなられた方のご冥福を心から祈ります。

けがをされた方も、身体・精神両面の後遺症が心配です。一日も早いご回復を祈ります。突然愛する子や夫を奪われた遺族の方々の気持ちを慮ると、とてもやるせない思いになります。その人たちの哀しみが癒される日は来るのでしょうか・・・。

ある日このように、自分の家族の命が理不尽に奪われたとしたらと考えると背筋が寒くなります。本当に悔しくて、悲しくて、せつない事件です。

犯人が自殺してしまった今、本当の犯行動機なんて明らかにならないでしょう。今後こうした事件を防ぐ手立てだってないでしょう。

自殺を前提にして、その道連れにこうした犯行に及んだとしたなら、この犯人にはどんな罵声を浴びせても、どんな裁きを与えたとしても、それが足りるということはないと思います。しかし罵声も司法の手も届かないところに行ってしまった人間に対して、どう対処したらよいというのでしょう。あまりにも卑怯で、人でなしの犯行と言えます。

命を奪われた人、けがをした人に何の落ち度もありません。送り迎えをしていた学校の安全対策にも全く問題はありません。これ以上の対策なんてあり得ません。それでもこうした事件が起こってしまう。私たちは何をどのように考えてこれから暮らしていけばよいのでしょうか。

狂った人間が凶器を持って無差別に無抵抗な人を襲うなんてことを想像して暮らしている人なんていません。そんなこと考えていたら1秒とて普通の暮らしを送ることはできません。気をつけなさいって言われても、何をどう気を付けたらよいのかわかりません。

考えれば考えるほど憤りの気持ちでいっぱいになってしまいます。憤ってもどうすることもできない現実に、さらに腹が立ってきます。

私たちにできることは、もう二度とこうした悲劇が起きないことを祈ることだけです。

そして尊い命が理不尽に奪われ、幼い子供たちが恐怖の中で心身に傷を負ったという現実を直視し、あらためて儚い命の尊さをかみしめて、命は護られなければならないものだということを伝えていくことだろうと思います。

私たちは対人援助の仕事に携わっているのですから、誰よりも人の暮らしに深く介入していくことになります。そこは命を育む場所ですから、誰よりも命の尊さを想い抱きながら日々の職務に携わっていかねばならないと強く感じております。

殺伐とした世の中においても、人の心が荒廃しないように、真摯に一人一人の暮らしに関わっていくということを続けていくことしかできません。そんなことがこのような悲劇に対して何の意味もないことはわかっていますが、できることを続けることで、あきらめたり、投げやりになったりすることがない姿勢を示さなければと思います。

せめてそのことだけは忘れないようにしなければ、虚しさしか残らないような気がするからです。

それが私たちの生きざまにつながっていくのだろうと思います。

介護という職業を仕事としてではなく、「生き方」として選んだと思いながら、この職業の中で、そんな生き様を刻んでいきたいと思います。

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繰り返される虐待に、どう対処すればよいのか。


東京都品川区の介護付き有料老人ホームで、介護職員から暴行を受けて死亡した82歳の男性利用者の死因は出血性ショックで、肋骨(ろっこつ)を折り、内臓を損傷していたそうである。つまり犯人は被害者を殴り殺したか、蹴り殺したことになる。残酷極まりないことだ。

その事件で殺人容疑で逮捕された元職員の根本智紀容疑者(28)は、系列の介護施設で4年以上の勤務経験があり、夜勤帯には「リーダー格」として業務に当たっていたという。

被害者は普段からあおむけの状態で室外に出ようとすることがあったそうだが、死亡当日の防犯カメラ映像には、宿直勤務だった根本容疑者が4月3日午後8時以降、被害者の個室の入り口付近で複数回、部屋の外に出ようとする被害者の足を持って室内に引きずり込んでいた様子が撮影されている。

容疑者は現在殺害容疑を否認し、防犯カメラ映像については、「腰が痛かった」などと説明しているそうである。なんとも苦しい言い訳で、いずれ虐待殺人の実態が明らかになるだろう。

それにしてもこのような信じがたい暴行に及ぶ、「心の闇」とはいったいどこから来るものなのだろう。介護人材不足による業務負担のストレスが原因とされているが、発覚して当然の就業中の暴行殺人が、本当にそんな理由で行われるのだろうか。

この問題を解決するためには、介護職員の給与を上げて職場環境を改善しなければならないと言われるが、給与面だけを見れば、すでに他産業とそん色ない賃金となっている職場も多い。介護職員の業務負担は、職場によって人材不足の状況はかなりの差があるため、環境が問題視される事業者も多いが、それは日本全体の生産労働人口の減少という、少子化の影響が大きく影響しており、介護業界だけでなんとかできる問題ではなく、対策の効果も寿年以上後にしか悔過が出ない問題で、早急に改善できる問題ではない。

早急に対策できることは何かと考えたとき、国の対策に頼る前に自ら所属する事業者の採用と教育のシステムを改善することしかない。まずは人手不足を理由に誰でもよいから募集に応募してきた人間を雇うという体質を改善し、試用期間中にもしっかり人物を見極めることだ。特に短期間で複数の職場を渡り歩いているような人は、面接時にどんなに好印象でも採用しないという考えも、リスク管理上必要とされる。雇用後も管理職を中心にして、常に職員が利用者に不適切対応が生じていないのかを労務管理としてチェックする視点も欠かせない。そのうえで不適切対応が疑われる職員は、介護実務から外して再教育を行ったうえで、適性がないと判断したら転職を促すべきである。

対人援助の職業は、本来誰にでもできる職業ではないのである。きちんと人を選んで教育する必要があるのだ。

そのために一時的に職員数の不足が生じたならば、一時的なベッドの休止なども図るべきである。

そしてひとたび職場内でこのような虐待事件が起こったならば、多額な損害賠償責任が生じ、なおかつ事業継続の危機にもつながることを自覚して、徹底した職員教育に努めるべきである。特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。だからマナー教育は重要なのだ。

先日も職員研修としてマナー研修を行った法人の施設長からメールをいただき、『未だご講演の余韻が残り、身の引き締まる思いで職員一同業務にあたっております。』という連絡をいただいている。

サービスマナー研修
こうした教育機会を繰り返すことによってしか、虐待と無縁の職場は生まれないのかもしれない。

このような虐待事件が何度も繰り返されていることは事実であるが、勘違いしてほしくないのは、介護事業者のマジョリティーは、虐待する事業者ではなく、虐待とは無縁な事業者である。だからと言って虐待するケースや事業者を無視して良いということにはならないが、こうした事件が起こるたびに、すべての介護事業者や介護職員が、虐待の温床のように見られるのはあまりにも可哀そうだ。

そうした誤解を解き、介護という職業のすばらしさを伝えるために、僕たちの実践でたくさんの高齢者や障がい者の方々の、豊かな暮らしを創造していく必要がある。そのための実践が、何よりも求められているのだという自覚と覚悟が必要である。

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札幌のGH7人死亡火災裁判が結審


僕が検察側証人として関わった裁判の上告審判決が、最高裁第1小法廷で下された。

今朝の北海道新聞電子版もトップニュースでその判決内容を伝えている。タイトルは、「札幌のグループホーム7人死亡火災、社長有罪確定へ 最高裁が上告棄却」である。

貼りつけたリンク先は、一定期間経過後に消えてしまうので、その記事を下記に転載させていただく。
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札幌市北区の認知症グループホーム「みらい とんでん」で入居者7人が死亡した2010年3月の火災を巡り、業務上過失致死の罪に問われた施設運営会社社長谷口道徳(みちのり)被告(61)の上告審で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。13日付。無罪とした一審札幌地裁判決を破棄し、禁錮2年、執行猶予4年を言い渡した二審札幌高裁判決が確定する。

一審札幌地裁は2016年10月、「(過失の前提となる)出火原因の特定は困難」と指摘。被告が火災の発生を予測できたかどうかの予見可能性については判断せず、無罪とした。
 
これに対し二審札幌高裁は2017年7月、火災当日の夜勤職員の証言や消防の調査結果から、居間で寝起きし火災で死亡した男性入居者=当時(89)=が「寝間着か近くの洗濯物、またはその両方を居間のストーブの上に置いた」ことを出火原因と認定。被告について「男性入居者がストーブの上に可燃物を置くなどの行動に出る可能性を予測できた。被告は施設運営者として安全なストーブに交換するなどの対策を怠った」と結論付けた。
北海道新聞電子版 05/16 07:54 更新記事を転載
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下の写真は、火元とされた石油ストーブである。火災後の写真画像だから、ご覧のように焼けただれている。
火元とされた石油ストーブ
このホームに入所していた89歳の男性が、寝間着もしくは洗濯物をこのストーブの上に置いたことが出火原因とされたが、その男性入所者もこの火事で焼死している。その人は、「動き回って危ない」・「常時見守りが必要」という理由で、2階にある居室からわざわざベッドをホールに移動して、このストーブのすぐ傍らに寝かせられていたわけである。

しかしその男性については、介護日誌等に「衣類に興味がある」と記録されている。そのような人が、洗濯物が干されているベッドの傍らで寝かせられたらどんな危険が生ずるか、容易に想像できそうなものである。

そもそも、このような天板が熱くなるタイプで、そこにものを置いたら燃え上がるストーブは、一般家庭でさえ使わなくなりつつあるこのご時世に、グループホームという認知症の人々が共同生活を送る場所で、この危険なストーブを使い続けていただけでも過失と言えるのではないだろうか。

もしここ(食堂)に設置されていたストーブが、天板が熱くならない石油ファンヒーター等であったなら、この火災は起きていなかったと断言できる。7人の命は奪われなかったのである。

僕がこの裁判に係ることになった経緯および僕の証言内容については、「出廷1・事故から裁判への経過について」・「出廷2・検察側証人として召喚された経緯」・「出廷3・検察側質問での証言」・「出廷4最終回〜弁護人の反対尋問に対する証言」で詳しく書いているので、是非そちらを参照していただきたい。

1審で無罪判決が出たときは、正直首を傾げた。7人もの命が奪われている事故で、夜勤者が 「男性入居者が寝間着を脱いでストーブの前に立っているのを見た。」と証言しているにもかかわらず、火元が特定できないとされ、だれも責任を負わない判例があって良いのかと憤りさえ感じたものである。その判決が破棄され、最高裁で過失があったとして刑が確定したのはある意味当然だろうと思う。

この判例によって介護施設等の経営者には、利用者を事故から守る管理責任があり、法令に違反していなくとも、安全管理の責任を問われるということが明らかになったと言えよう。この部分については、全国の介護事業経営者にも改めて自覚を求めたい。

昨日をもって裁判は結審し、刑事事件としてはこれでひとまず区切りがついたわけである。しかし失われた尊い7名の命は戻ってこない。肉親をこのような悲惨な事故で奪われた遺族の方々の哀しみも癒えることはないだろう。そういう意味では返す返すも、あの危険なストーブを使い続けていたことが残念でならない。

被害にあわれた方に、改めて哀悼の念を示したいと思う。合掌。

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安全のための不便をどこまで受け入れられるかという問題


GWが終わる前に、登別は桜が満開になった。今日の夕方から雨になる予報なので、昨日から今日にかけてが一番見ごろではないだろうか。

登別温泉に観光でいらしている方は、明日からの仕事に備えて、今日帰るという人も多いと思う。帰る直前に登別温泉街道の「桜のトンネル」を通って、エゾヤマザクラを満喫してもらいたい。ただし運転中の方は、桜に気を取られてハンドル操作を間違えないように、一旦止まって桜を愛でていただきたい。
登別温泉街道の桜
僕も昨日、温泉まで行って桜の写真を撮ってきた。道道登別温泉線:通称温泉街道の両側に咲く桜は、今の時期ほとんどエゾヤマザクラで、ソメイヨシノよりピンク色が濃い桜である。
登別温泉街道の桜
場所によっては桜のトンネルに入ったような景観になる。なおエゾヤマザクラが散った後は八重桜が咲くことになる。
わかさいも本舗前の一本桜
登別東インターチェンジを出てすぐのところにある、「わかさいも本舗」の前にある一本桜は、この辺りでは有名な大木である。是非その桜も見てってほしい。
鷲別川沿いの桜
こちらは温泉から少し離れているが、僕の自宅のすぐ横、鷲別川沿いの桜である。ここは僕のウオーキングコースでもある。しばらくの間は、桜に癒されながら歩いたり、散り際になると桜吹雪の舞う中を歩いていられそうである。

さて本題に移ろう。GWに行楽地などに出かけた人のユータンで渋滞のニュースが流れている中、毎日のように交通事故の報道は尽きない。その中には、高齢ドライバーの正常とは言えない運転による事故も多々含まれている。

そのことに関連して先週金曜日に、「能力の衰えを自覚してからでは遅い運転からの勇退」という記事を書いた。

僕が主張したいことは、こういう事故が増えて困るねで終わるのではなく、こういう事故を防ぐ具体的対策を急がねばならないということである。

高齢ドライバーが認知機能が衰える前に、一定年齢に達したら自主的に免許の返上をするのが当たり前の世の中になるに越したことはないけれども、それができない現状を鑑みると、運転免許には年齢上限を設けてもやむを得ないと思う。それだけ高齢ドライバーが、自らの認知機能低下に気が付かずに引き起こされる事故は増えているし、それによる悲劇の悲惨さは深まるばかりである。

現にその記事を書いた当日の夜には、福岡県春日市で74歳の女が運転する軽乗用車に、8歳の女の子と6歳の男の子がはねられて病院に搬送されるという事故も起きている。

事故を起こして逮捕された容疑者の女は、「太陽がまぶしくて信号を確認せず進入してしまった」と供述しているというが、正常な判断力がある人が信号を確認できない状態で交差点に突っ込むだろうか?・・・これも判断力の低下が疑われるケースである。

何らかの運転制限を設けないと、こうした事故は減らせないという主張に対して、「それはそうだけれども、同時に高齢者の移動手段を確保する手立てが必要だ」という声が挙がる。

それはその通りと思うし、リンクを貼りつけた先週の記事をはじめ、このことに関連した僕の記事の中では、しっかりそのことも含めて書いている。具体的には、各自治体の責任でコミュニティバスを走らせたり、「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で実施できる、送迎サービスをすべての市町村で行うなど、いくらでも方法は考えられる。(参照:免許返納者の移動支援に保険給付

しかし4/19の池袋の事故や、5/3の福岡市春日町の事故に関して言えば、その地域で本当に高齢者が運転しなければ暮らしが成り立たないような不便があるだろうか。両地域とも立派な都会で、公共交通機関を使うだけでも、十分暮らしが成り立つ地域ではないのか。その地域に関して言えば、自家乗車に変わる高齢者の移動手段など、議論する必要がないと思うし、そういう地域は日本全国にたくさんあるはずだ。

すでに公共交通手段が十分整備されているなど、自分で運転しなくても生活に支障のない地域で先行して高齢者の運転制限ルールを設けたって良いのではないのか。なにも日本中のすべての地域で、高齢者の移動手段が十分確保されてから制限ルールによる対策を行うという必要はないだろう。

不便のレベルも、もっと考え直さねばならない。

都会の人は1時間に1本しか路線バスがないと不便だというが、北海道であれば1時間に1本もバスがあれば十分便利な移動手段である。東京で暮らす人は山手線を使って一本先の駅に移動するが、田町から品川に移動する距離なら、北海道の人はためらわず徒歩で移動するだろう。

そんな風に「不便という意識レベル」にも地域格差があるのは事実だが、それを乗り越えて、すべてが便利で快適ではなくとも、人の命を守るための方策を早急に構築していく必要があるのではないだろうか。特に幼い命・社会的弱者が判断力の低下した人の運転する凶器から命の危険にさらされないように、安全と安心の地域社会を創っていく方策は必要ではないのだろうか。

超高齢社会となり、認知症の人や認知症予備軍の人が増えるのは当たり前なのだから、それに備えて安全と安心の地域社会を創るための新ルールを作るという考え方は、あって当然だろう。

未来のある子供たちや若者たちが、判断力が低下したことに気づかない人の理不尽な交通事故によって命を奪われないようにするために、その対策は待ったなしで急がれているのである。

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能力の衰えを自覚してからでは遅い運転からの勇退


4月19日に東京・池袋で87歳の男性が運転する乗用車が赤信号を無視して走行、歩行者をはねるなどして10人が死傷する事故が発生して以来、高齢ドライバーの運転という問題がマスメディアで様々に取り上げられている。

この事故に巻き込まれて死亡したのは31歳と3歳の母娘だった。ただ道を歩いているだけで、突然命を奪われるという悲劇が、高齢ドライバーの運転能力の衰えによって引き起こされたとしたら、こんな不運なことはない。一人残された夫の記者会見に涙した人も多いだろう。

このように高齢ドライバーの運転ミスによって、幼い命が奪われる悲劇が後を絶たない。

そうした事故の一番の原因は、ドライバーの認知機能の衰えである。免許更新時の認知機能検査で正常だからと言って、運転に問題がないと考えるのは早計である。認知機能の衰えは緩慢に進行することが多いが、判断できる事柄が、判断できなくなるという状態は、ある日急に引き起こされるのである。その状態が軽度であったとしても、その時に運転行為を行った場合、車はそのまま凶器になるのである。

よって検査で正常・異常を決めるのであれば、運転を行うたびにその直前に検査をし続ける必要がある。そんなことできないのだから、認知機能低下リスクの高い年齢になった場合には、一定年齢で線引きして運転からの勇退ということを考えねばならない。

しかしなかなかその判断ができない人が多いのが現状だ。池袋の事故の加害者も、運転をやめようと考えていた半面、自分の運転技術には自信があったことで、その決断ができなかったことが今回の悲劇につながっている。

本人が運転をやめようとしないときに、家族がいかに運転をやめさせるかも問題となるが、「運転する権利」を主張された途端に家族の介入の力は弱体化する。介入根拠となる社会的制限規範が必要なのである。

損保ジャパン日本興亜によると、年齢が上がるにつれて、運転への自信が高まるという調査結果もあるという。そのために自分の衰えを自覚するには、自分の運転を客観視することが必要だと論評する報道記事がある。しかしどのように客観視するかという具体策は示されていない。

そもそも認知機能が衰えてきている人が、そのような客観的判断が可能だというのだろうか。それは不可能である。だからこそ運転免許を与える年齢上限設定という方策も議論される必要がある。

判断力には個別の違いが大きいという反論があるだろうが、日本全国でこれだけ多くの高齢ドライバーの事故が引き起こされ、それによって前途ある幼子や若者の命が奪われている状況を考えると、個別性云々はこの際おいておいて、一律の制限ルールを設けて社会を安全にするという考え方も必要だ。

悲劇を防ぐために、高齢者は一定年齢になれば運転から勇退するという社会の方が平和で健全ある。

同時にそれは、高齢者が自ら車を運転しなくても良いような社会を創らねばならないということと一体的に考えていかねばならない。

このブログでは、高齢ドライバーが引き起こす悲劇等の状況について、様々な形で問題提起をしている。(参照:「認知症高齢者の運転に関する問題」)

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科が中心の医療法人であった。そこには認知症の高齢者がたくさん入院していたが、その中には一日中孫の名前を呼びながら、孫を探すように病棟を徘徊し続けている男性高齢者がいた。

しかしその人が探し続けている孫とは、その人が10年以上前に車でひき殺してしまった被害者である。自分の事故で孫をひき殺したという記憶を失って、その孫を探して10年以上も徘徊している人がいるのだ。しかしその事故が認知症によって引き起こされたからと言って、家族がこの男性を許してくれるということにはならない。

殺された孫の父親は、この男性の長男である。その長男も妻も病院に面会に来ることはない。妻もなくなっている男性は、すべての家族との関係性まで失ってしまっている。

認知症という状態になって、それでも車の運転をやめることができなかったことで、こういう悲劇が繰り返されるのである。それは月単位どころか、週単位で発生しかねない状態になりつつある。

実際に運転能力が衰えてから運転から勇退すればよいと考えている人も多いようだが、運転能力の衰えを自覚できるのは、実際に事故を引き起こしたときである場合が多い。それでは遅いことは池袋の事故が証明しているのである。

だからこそ例えば70歳の運転年齢制限などが、真剣に議論される必要があるのではないかと考えるのである。

この問題はもう待ったなしの時期に来ている。

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誤嚥死亡事故?で特養の准看護師に有罪判決の問題点


長野県の特別養護老人ホームで、2013年12月12日に入所利用者である85歳の女性が死亡した件について、業務上過失致死罪に問われた准看護師に有罪判決が出され、罰金刑が言い渡されたことが昨日夕方から報道されている。

中日新聞のネット配信ニュースを以下に示す。
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長野県安曇野市の特別養護老人ホーム「あずみの里」で2013年、ドーナツを食べた直後に意識を失い、その後死亡した利用者の女性=当時(85)=への注意義務を怠ったとして、業務上過失致死罪に問われた准看護師山口けさえ被告(58)の判決公判が25日あり、長野地裁松本支部は求刑通り罰金20万円を言い渡した。

弁護団は「過失が認められれば介護の現場は萎縮し、利用者の生活の質を保てなくなる」と主張。全国の介護関係者らから無罪を求める署名が約45万筆集まるなど、注目を集めていた。

判決理由で野沢晃一裁判長は、女性は歯が無かったことから「ドーナツを細かくできず窒息の可能性がある」と死因の低酸素脳症などの原因に窒息があると認定。咽頭に残っていたドーナツ片は小さすぎるなどとして窒息はなかったとする弁護側の主張を退けた。

事故の数日前から女性のおやつはゼリーに変更されており、野沢裁判長は、提供するおやつを確認する義務を怠ったと認定。おやつの変更を介護士から知らされておらず、介護士の申し送り事項を確認する勤務形態でなかったと、あずみの里職員が証言したが、この職員が無罪を求める集会に参加したことを理由に「信用できない」と断じた。

一方、女性に異変が生じた時、山口被告は他の利用者の食事介助中で、女性に気を配るのは困難だったとし、見守りを怠った過失は認めなかった。

判決後、木嶋日出夫弁護団長(72)は「実現不可能な義務を課しており、現場を知らない判決」と批判。弁護側は即日控訴した。

判決によると、2013年12月12日、あずみの里の食堂で女性におやつのドーナツを配膳して窒息させ、約1カ月後の2014年1月16日に低酸素脳症などで死亡させた。
女性の死亡を巡り、あずみの里は損害賠償金を支払う形で遺族と示談している。
(中日新聞)2019年3月25日 22時42分ネット配信記事
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今朝の北海道新聞朝刊でも、このニュースは3面記事で紹介されているが、その報道内容は中日新聞ほど詳しくはなく、特養で過去に死亡した女性について、裁判所は誤嚥による窒息死であることを認定し、その責任が准看護師にあるとして有罪判決を出したが、弁護側は控訴審で争う姿勢を示したと報道している。

この報道は事実である。間違っているところは何もない。同時にこの報道は新聞記事の限界と言え、決して真実を現してはいないことを申し添えておく。この裁判の争点はもっとほかのところにもあるのである。

死亡した女性は、義歯が無く食べるペースが速いことがあったので、介護職員が女性に箸を使用させたり食べ物を小分けにしたりして、食事のペースを調整していた人だったそうである。「誤嚥」の恐れがあったわけではないものの、死亡の6日前におやつの形態が固形食からゼリー系のものに変更されていた。検察は冒頭陳述で、准看護師がおやつの形態変更を知らなかったことをとがめている。

しかし施設内で、おやつをのどに詰まらせて窒息死した事案で、施設の管理責任が問われるのではなく、准看護師個人の業務上の過失責任が問われ、それが認められてしまったということには違和感を覚えざるを得ないし、このようなことで罪に問われては、誤嚥の恐れのある人に普通の形態での食事提供が過度に制限される恐れがあるし、そもそも経口摂取の維持継続という目標が、早すぎる段階でその旗を降ろさねばならなくなるという恐れもある。

しかしこの裁判の争点は、そのこととは別に存在するようだ。そもそもこのケースは喉を詰まらせたことによる死亡事故ではなかったと弁護側は主張している。その主張内容とは、女性の突然の意識喪失と心肺停止が、ドーナツの誤嚥や窒息によるものではなく、食事中の突然の脳疾患・心疾患と見るのが医学的に合理的であるというもので、鑑定書も作成し証拠申請しているのである。

それらの経緯については全日本民医連のサイトに詳しく紹介されているので、下記参照いただきたい。
緊急連載 特養あずみの里裁判(1) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 どんなできごとが刑事裁判にかけられたのか?」・「緊急連載 特養あずみの里裁判(2) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 ずさんな警察・検察の捜査・起訴のねらいは?」・「緊急連載 特養あずみの里裁判(3) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 刑事裁判はどうすすんでいるのか?」・「緊急連載 特養あずみの里裁判(4) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 介護の未来がかかった裁判での勝利のために

これを読むと今回の有罪判決については、全く容認・納得できるものではないように思える。今後の控訴審で、この判決が覆ることを期待している。

どちらにしても介護関係者にとっては、他人事ではないと言える裁判ではないだろうか。控訴審の判決はまだ先だが、裁判の進行具合にも注目してく必要があると思う。

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問題視されるべき地域包括支援センター職員の資質差


11日に初めての香川講演を高松市で行った。講演会場では受講者の皆様が熱心に聴いてくださったし、その後の分科会では貴重な実践発表を聴く機会をいただき、僕自身が非常に勉強になった。

さらに講演前後に様々な方からの温かな人情に触れることができてとてもありがたかった。そんな香川県にまた呼んでいただける機会があればよいな〜と思っていたら早速オファーがあり、来年6/19に高松市内で講演を行うことが決まった。主催は香川県福祉事業協会さんである。香川の皆様、半年後にまた高松市で愛ましょう。(参照:masaの講演予定

ところで北海道はいよいよ本格的な冬に入ってきた。

僕は昨日北海道に戻ってきたが、新千歳空港は降雪のため2本の滑走路のうち1本が使えない状態で、上空待機の飛行機で混雑したため羽田空港で足止めをくらい、結局定刻より3時間ほど遅れて到着と相成った。

自宅にたどり着いたのは夜8時を過ぎていたが、それでも昨日のうちに帰りつけてよかった。他の便の状況を見ると60便が欠航となっており、先々週僕が利用した松山空港の直行便(ANAとIBEXの共同運航便)は機体が小さいために燃料が持たなかったのか、到着地が変更となり新千歳空港には降りられなかったようである。同じ北海道といっても広大な地域なので、目的地以外の空港に降りられてもちっともありがたくないだろう。そういう意味では運が良かったといえるかもしれない。

今日は1月に出版予定の新著作本の初稿ゲラと格闘せねばならず、自宅に缶詰め状態で頑張る予定だが、休む間もなく明日からは取手市講演の2泊3日の旅が始まる。フライトに影響のない天気となるように祈るしかない。勿論、旅先にゲラを持参して校正に励む予定である。

さて前振りはこのくらいにして早速本題に入ろう。

2005年の介護保険制度改正により誕生した地域包括支援センターは市町村の機関である。ただしこの機関は市町村が直営で設置・運営しているとは限らず、民間の法人等に委託可能である。

そのため実際の地域包括支援センターの運営を行っている組織とは、在宅介護支援センターの設置者・社会福祉法人・医療法人・公益法人・NPO法人・その他市町村が適当と認めた法人などさまざまである。

このように市町村内に複数存在する地域包括支援センターは、同じ市町村の機関であると言っても、運営母体が異なることが多く、配置されている職員の質も様々である。そうした背景が、本来市町村組織として同じ運用がされるべき事柄についても、担当地域のセンターの職員の考え方の違いで、対応の温度差が生じてしまうという実情につながっている。

地域の介護問題を発見し、見逃されてしまう介護問題の闇に光を当てようとして設置されているのが地域包括支援センターの重要な役割であるにも関わらず、その機能を全く発揮していない地域包括支援センターが存在している理由も、その辺の事情によるものなのかもしれない。

11/4に発生した大阪高槻市の高齢者夫婦の同日死亡事案について、「地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件」という記事を書いて問題提起した際に、その内容が気に食わないとして、地域包括支援センターの職員と思しき人物から脅迫まがいのコメントが書き込まれたことについては、「大阪高槻市事案を擁護する地域包括支援センター職員の屁理屈」の中で詳しく紹介している。

「包括に助けてもらうのが当然と思っている 高齢者、家族、町内会関係者が多すぎる。」と言い、「毎日毎日あがってくる 要支援者のケアマネ業務。 まず、それだけでも忙殺。 加えて、モンスターペアレントならぬ モンスター家族からの無理難題相談。 モンスター高齢者も多数。 」として、市民の「助けて」というサインに構っていられないという職員がいる事情も、地域包括支援センター全部の問題ではなく、その地域を担当している組織と、その職員の問題であるということなのかもしれない。しかし前述したように、地域包括支援センターとは直営であれ委託であれ、市町村の機関であることには違いがないのだから、こうした問題を当該担当区域のセンターの問題として放置しておいてよいことにはならないだろう。

高槻市のホームページを見ると、同市には12か所の地域包括支援センターがある。11/4の事案は、高槻市牧田町にある集合住宅ておきているので、この地域を担当しているのは三箇牧地域包括支援センターということになるのだろうが、そこだけの問題としてはならないと思う。

そもそも自分が住む地域の地域包括支援センターの職員のスキルによって、高齢期の暮らしの質に決定的な差が生ずるのは問題だ。「住民が包括支援センターに頼りすぎる」と愚痴る職員が、センターにいることはあまりにも不幸だ。頼ることができない地域包括支援センターは亡くなった方が良いし、頼られることを厭う職員は、その任を受けるなと言いたい。

幸いなことに、屁理屈を唱えて市民を愚弄する職員のコメントに対しては、それは間違っていると批判するコメントを寄せてくれる地域包括支援センターの方も居られる。

「包括の業務が多忙であり、こうした対応ができない現状があるのなら、それを改善すべく委託元、委託先(保険者)に強く訴えるべきです。それができないなら、受託しないことです。委託費目当ての現場を知らない(わかろうとしない)委託先の言いなりにならないようにしてほしいです。」という意見はまさに正論といえるであろう。

こういう方々が市民目線で活躍する機関が、地域包括支援センターであってほしいと切に願うのである。

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教育の手が及ばないスキルの持ち主も存在するという事実


鳥取市の小規模多機能ホーム「虹の家すえひろ」で働く男性職員が、おむつ交換をする際、90歳代と80歳代の女性利用者に対して、「臭い」と発言するなどの不適切な対応があったことが昨日報道されている。

不適切行為を行っていた職員は、利用者の前で消臭スプレーを噴射したり、利用者の額や顔を指先で突いたもしていたそうだ。

このことについて運営会社「メディコープとっとり」の担当者は、「職員教育が不十分でした。利用者様の信頼をうらぎるようなことになり、誠に申し訳ございません。当該職員もふくめ全職員への指導を徹底してまいります」とコメントしている。

運営会社の公式サイトには謝罪文が掲載されており、「この度の事態を招いた要因は、わたしたちの虐待や不適切な行為に対する認識の弱さにあり、管理者として職員教育、防止対策が十分に行えてなかったことにあると強く反省して おります。」との一文がある。

運営会社の猛省を促すべきだし、職員教育の在り方も見直すべきなのだろう。しかしそれ以前にもっと大きな問題があるのではないか。

介護という仕事が、排泄ケアなど汚いものを処理する行為も含んでいることは常識中の常識である。その際に、ケアの対象となる利用者に対して、「汚い、臭い」という言葉を発することは、不適切というよりも罵声であり、虐待そのものである。しかしそんなことは人から言われなくてもわかる程度の問題である。

そんなことをしてはいけませんよ、という教育が必要だとしたら、それは幼稚園児に対する教育である。

小規模多機能居宅介護の介護職という職業を選んで応募し、採用試験をクリアした職員に対し、いちいちそんな教育から始めないとならないとしたら、その職員とはどこまで成長するというのだろう。本当に対人援助に必要なスキルを獲得することができるのだろうか?僕にはそう思えない。

介護サービス事業は、人員不足の中で、向き・不向きのチェックが不十分になりがちで、募集に応じてきた人を機械的に採用してしまう傾向が強まっている。しかし応募者の中には、教育の手が及ばないスキルの持ち主も存在するということを忘れてはならない。介護という職業に向かない人もいるのだ。そういう人はきちんとスクリーニングしなければならない。

そうしなければ虐待・不適切対応が、「そこかしこに存在する」という状態になってしまう。そして不向きな人を採用すると、結果的には他の職員に負担がかかるだけではなく、本件のような問題を引き起こし、それは経営リスクに直結する問題ともなるわけである。

勿論、採用面接だけで向き・不向きや、常識を超えるほどの資質の無さを見破るのは難しいかもしれない。そうであるからこそ、試用期間のなかで適格性・協調性を確認することが重要となる。

試用期間は労働基準法等の定めがなく、法人の任意的事項であるから、その期間を設けていない経営母体もあるが、その期間は正職員としての適格性を判断し、教育機関であるとも考えられているので、規定のない法人はその規定を設けるべきである。

試用期間と言えども、労働契約自体はすでに成立しているために、法人都合で勝手に試用期間中の職員を解雇できるわけではないが、過去の判例では試用期間中については、通常の解雇よりも広い範囲で解雇の自由が認められており、合理的理由により使用者が解約権を行使できるものとして解釈されている。

例えば、入社後の勤務態度が極めて悪く、協調性もなく、周囲の業務にも悪い影響を与える場合も、試用期間中の解雇事由として認められている。

本件は9月に匿名で鳥取市に通報があり明らかになったものである。おそらくそれは職員の内部通報だろう。「臭い」と罵声を浴びせている声が、他の職員に聴こえないわけがないからである。そうした罵声に憤った職員が市に通報したのだとすれば、運営会社はそのことも反省すべきだ。

管理者等の責任ある立場の者が、その罵声に気づかなかったのは何故か、匿名通報が職員以外であったとしても、ヘルプの声を届ける先が運営会社を通り越して鳥取市となった理由は何かを検証して、そのことも反省・改善材料にしなければならない。教育だけの問題ではないのだ。

職業として顧客に接する際にはマナーが必要である。マナーとは行儀作法のことをいい、それは人間が生きていくうえで好ましい言動の作法なのである。マナーは人に不快感を与えないことなのであり、対人援助には他の職業以上にそうした意識が求められるのだ。そのような常識を持たない人間を闇雲に採用してはならないし、適性があって採用した職員に対しては、マナー教育が必須なのである。

最近サービスマナー教育のための講演依頼も増えているが、そそれは、うした意識を職員に持ってもらおうという介護経営者や管理職が増えているということだ。それは実に良いことだろうと思うが、そのためには経営者や管理職自身が、介護サービスを利用する顧客に対するマナーを重んじて接し、そうした接し方ができない職員を教育したうえで、その教育についてこれない人員を整理していくという覚悟も求められていくことも忘れてはならない。

そしてそれができない事業者は、情報末端が発達し続ける社会で、いつか不適切対応に目をつぶっていた「つけ」を払わされる結果になることも覚悟しなければならない。

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医療があっても介護が存在しない終末期支援の恐ろしさ


昨日午前中、鹿児島の老人ホームで1月に入所者8名が死亡し、県が調査に入っているという短い記事がネット配信されて、何のことかと目が点になった。

その後、徐々に詳細が明らかになり、死亡者の数も訂正されて6名となったが、その内容が何とも恐ろしいものだ。

報道によると、問題となっているのは鹿児島県鹿屋市の住宅型有料老人ホーム「風の舞」で、10月から11月半ばにかけて入居者6人が相次いで死亡していたことが21日に明らかになったもの。

この施設では8〜9月に介護職員8人全員が退職し、夜間は施設長がほぼ1人で対応していたという。

施設側は記者会見を行い、6人は85歳以上の高齢女性で、死因は老衰や消化器官の出血などの病死だったと明らかにしたうえで、死亡と職員の退職に因果関係はないとの認識も示した。

この記者会見の映像は昨晩報道機関で一斉に配信されたが、会見しているのは最高責任者と思しき、この施設の経営母体の【総括】という役職がついている医師と、当該施設の施設長の2名である。医師である総括は、悪びれた様子もなく、「特養が受け入れない重度の人を受け入れて十分な医療を提供していたから全く問題ない」・「死亡したのは寿命としか言いようがない」という趣旨の話をしている。その態度は記者会見させられることが非常に不満な様子で、態度も不遜に見える。

夜間はほぼ毎日施設長が対応していると報道されていたので、てっきり介護職の経験者である女性施設長かと思っていたが、実際の施設長は総括という医師とあまり年齢が変わらないような、かなりお年を召した男性が施設長であった。あの人が夜間の排泄ケアや体位交換や、モーニングケアなどをすべて一人でこなしていたというのだろうか?

「医療面では適切、食事や介護の面で問題があった。」という内容の発言もしているが、仮に寿命が迫った終末期の人がそこに居た場合、必要なのは医療ではなく、十分なる介護ではないのか?日中はクリニックから看護師が4名程度派遣されているといっても、それはクリニックの仕事の合間に交代で来ているのだろうし、夜間は施設長が毎日対応しているといっても、本当に安楽のケアができていたのかは大いに疑問である。 

寿命だから死んだと言いたいようだが、寿命が迫っている人も、最期の瞬間まで生きているのだ。終末期だとて人として安心して過ごせる日常が存在しているのだ。そのためには自らの力で動くことができなくなった人に対する、体位交換や排泄ケアを含めた清潔支援や、水分摂取支援などが不可欠である。そうした介護が不十分な状態で、やるべきことはやっているといえるのだろうか。

鹿児島県は今月上旬に外部から「施設内で死亡者が出た」との内容の情報提供があったために、当該施設の運営に問題がなかったかどうか、老人福祉法に基づき9日に施設の聞き取り調査を、16日に立ち入り検査したそうであるが、その結果については明らかにしていない。

僕はインターネットで第一報を読んだときに、「老人ホーム」というのが特養であると思い込んだ。志短期間に死亡者が複数出るのは、重篤な状態の人のいる施設であろうし、老人ホームという表現は、療養型医療施設には使わないだろうから特養と思ったのである。

しかしその老人ホームが「住宅型有料老人ホーム」であったのに、まず驚いた。有料老人ホームでも「特定施設」の指定を受けている、「介護付き有料老人ホーム」であれば、何となく重度の人も住んでいるので、感染症や病気の重篤化が重なって、死亡者が短期間に集中するのはあり得るかと思うのであるが、「住宅型有料老人ホーム」であれば、そこには基本的に身の回りのことが自力でできる人が住んでいるというイメージだ。

しかし総括によれば、いつなくなってもおかしくないような人が複数居られたということである。しかし住宅型有料老人ホームについては、介護保険制度上の配置規準が存在しないので、仮に介護職員がゼロ人でも法令違反ではない。が・・・実際に看取り介護を受けてもおかしくないような人を入居させておいて、介護職員が配置されていないという状態で2カ月に及ぶ長い期間、そのような状態を放置していることは、道義上の問題があるとは言えないのだろうか。

少なくとも終末期の利用者への適切な住環境という意識に欠けることにおいては、人の命を預かる医師としては、倫理観に欠けるお粗末な対応と言わねばならないだろう。

人手が足りないことが問題で、この総括や施設長の問題ではないという論調があるが、人が雇えないのであれば、できるだけ早く居所変更をするなどの手当てをすべきである。そうした対策を全く講じようともしていないというのは、医師として介護事業経営者としての資質が問われる問題であり、マスコミは、安易な社会問題にこの問題を転嫁するなと言いたい。

それにしても介護職員が全員辞めてしまったのはなぜだろう。理由として施設長は、10.000円支給していた夜勤手当を3.000円に引き下げたからだというが、それだけで短期間にそれだけの職員が全員辞めるだろうか。それとともに複合的理由がないと、職員が一斉退職するようなことは考えにくい。

どちらにしても、職員が辞めたのだから食事や介護の面で不足があったのは仕方ない、しかし医療は提供していたので問題はないという、上から目線の理屈は社会通念上許されるものとは言えないだろう。

医療面では十分で寿命だとされても、その状態で亡くなっていった人は、それを許してくれるのだろうか。人生の最期の時間をあの何もできそうにない施設長だけの対応で、食事介助も十分にされていない状態で旅立っていった方々のことを思うとやるせない。

最期の瞬間、介護支援上は放置死といえる状態で旅立っていった人のことを思うと、なんとも言えない気持ちになる。苦しい、つらい、痛い、寂しいと思いを持ちながら、最期の時を迎えたのでないことを祈りつつ、心よりご冥福をお祈りしたい。

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地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件


高齢者の介護問題に関連する事件や事故は、日本全国で数えきれないくらい起きている。それにしても今月4日に大阪高槻市で、70歳の妻と75歳の夫が同日に死亡したケースは、この国の高齢者介護制度や地域システムを根本から考え直さねばならないと思わせる事案である。

大阪府警高槻署によると、妻は病死で夫は自殺であったとのこと。妻の死亡推定時刻は11月4日午後6時ごろ。その約5時間後に夫が風呂場で首をつって自殺したとみられる。風呂場には警備会社につながる非常通報装置があり、首を吊った夫は、自殺直前にこの装置のボタンを押したとみられ、警備会社の通報で救急隊員が駆けつけて両者の遺体が発見された。

現場は5階建ての団地の一室で、居間のこたつの上に置かれていたA4サイズの便箋に書かれた夫の遺書には、「迷惑かけました。認知症の介護に疲れてしまった」・「ごめんね。寝たきりでしんどかったやろな」・「無理やりにでも早く病院に連れて行ってあげたかった」という文章が綴られていたとのこと・・・。

現場となった団地で2007年から二人暮らしをしていた夫婦は、近所の人から見ても「仲が良い」と評判の夫婦で、妻もガーデニングが趣味の明るい人だったとのことである。

その妻が体調を崩したのは約6年前。パーキンソン病やアルツハイマー型の認知症などを発症したため、夫は自ら運転する車で妻を病院に連れて行ったり、買い物に連れて行っていたそうだ。ところが今年に入って妻の病状が悪化し、1人で歩くのも困難になったことで夫の介護負担が増したという。

ここからが問題である・・・。夫はSOSを発しているのに、その信号に地域のシステムが反応していなかったのである。

4月に夫は高槻市の地域包括支援センターに「妻の体が動かなくなった。」と電話で相談しているのだ。それに対してセンターは「救急車を呼んでもいいですよ」と促したものの、その後連絡はなかったとして、そのままこの夫婦の状況を確認することもしていないようである。そうだとしたらこうした状況を一般的には「放置している」と表現するのではないだろうか。

電話対応に応じて救急車を呼んだのかを確認することもしていないし、生活状況がどうなっているのかを訪問して調査するなどは一切行っていないのである。これって地域包括支援センターの対応として十分なことをしたと言えるのだろうか?大いに疑問である。

夫婦は介護サービスの申請をしていなかったとみられるが、新聞社の取材に対して、地域包括支援センター関係者は「申請があれば対応のしようもあったが」とコメントして悔やんでいるとの報道されている。

なに温いことを言ってるのかと思う。地域包括支援センターという機関が、介護問題を抱え悩む夫のSOSを受けていながら、その本質に思いを馳せることなく、通報内容を軽くいなすだけのような対応で終わってしまっている。そのような大きな問題があるにもかかわらず、そのことを悔いるのではなく、制度に対する知識が十分あるかどうかもわからない高齢者自身の申請がされていないことを悔やむのは本末転倒である。

自らの責任を自覚していないとしか言いようがない。悔やむべきは、必要な申請を支援するためのアプローチをしなかった高槻市地域包括支援センターという組織の力量に対してであり、その責任感の無さに対して悔やむべきではないのだろうか。

そもそも地域包括支援センターとはどんな機関だというのだ。それは介護保険法第 115条の45に於いて、「地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な援助を行うことにより、その保健医療の向上及び福祉の増進を包括的に支援することを目的とする施設」と定められており、高齢者が住み慣れた地域で安心して暮らすことができるように、保険・医療の向上や福祉の増進を包括的・継続的に支援する地域包括ケアシステムの中心的役割を担う機関である。

その役割の中には、座して相談や申請を待つのではなく、様々な方法で地域に深刻な介護問題が発生していないかをくまなく調査・目配りし、制度の光に隠された「影」に陽を当てるという、「発見する福祉」の役割が求められているはずだ。

勿論そうであっても、地域の介護の実情をすべて把握できるわけではないが、その発見の不断の努力はすべき機関である。

本ケースは、電話相談というSOSのサインが出されているにもかかわらず、おざなりに「救急車を呼んで」という助言だけで終わっている。そうした状況で病院に直接緊急通報をできなかった経緯や、家族に相談できない状況がなぜ発生しているのかを確認しようともしていない。

果たして電話相談を受けた高槻市の地域包括支援センターの職員に、アウトリーチという姿勢は存在しているのだろうか?そんな言葉さえ知らない職員ばかりではないかと疑いたくなる。

申請があれば対応のしようもあったが」というが、地域包括支援センターの本来の目的は、申請ができない人に適切な社会資源を結び付ける支援を行うことだろう。この発言は地域包括支援センターという機関の使命や役割を分かっていない無責任発言としか言いようがない。

こういう機関や職員が、「地域包括ケア」の中核に担えるわけがない。こういう地域には幻の地域包括ケアシステムしか存在しないだろう。光の陰に隠された「闇」に埋もれていく地域住民にとって、それは極めて不幸なことである。

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台風21号の深い爪痕


台風21号が勢力を保ったまま、猛烈なスピードで通り過ぎて行った。

北海道はもともと台風がその勢力を保ったまま上陸することは少なかったが、最近は年に何度かの台風被害に見舞われている。しかし僕が住む登別は、そうした被害もほとんどない地域であったにもかかわらず、今回は台風の勢力範囲にあった。そのため昨晩遅くから明け方にかけて猛烈な風が吹いて家が揺れた。日付が変わった真夜中には電気も停まってしまったそうだが、僕は夢の中で全く気が付かずに、今朝起きたときには電気も復旧していた。そんなふうに大きな被害はなく、台風一過の現在は風もなく青空が広がっている。

しかし道内いたるところで道路が通れなくなったり、新千歳空港と札幌などを結ぶ列車エアポート(JR北海道)も運休するなど、道内の主要路線はほとんど停まったままである。道内観光に訪れている方はご注意願いたい。

北海道の被害にもましてすごいことになっているのは、台風の直撃を受けた各地で、特に関西空港が冠水したり、連絡橋にタンカーが衝突したテレビ映像には恐怖を感じた。新千歳空港と全国各地を結ぶ発着便はほぼ動いているが、関空便だけは全便欠航が続いている。

今日以降、関空の被害が明らかにならないと復旧の見込みは立たないのだろうが、あの連絡橋がめくりあがっている状況を見ると、滑走路が使えるようになっても、空港までたどり着く手段がないと思え、全面復旧には相当な時間を要するのではないかと心配している。

北海道から関西に向かう手段としては、伊丹空港や神戸空港なども利用できるが、それは便数が非常に少なく不便である。そのため関西出張の際に利用する主要空港は関空ということになっているため、その空港が使えないとなると影響が非常に大きい。

僕自身も関西で講演を行なうときは、関空を利用することが多く、現に来月の大阪講演のために関空便のチケットを既に購入済みである。このチケットが使えない事態にならないか、心配しているところである。

不幸中の幸いは、道外講演が多く飛行機を利用する機会が多い僕の予定が、今週は土曜日に沖縄に向かう予定しか入っていなかったことである。昨日、飛行機で移動する予定が入っていたらどうしようもなかったし、どこかの空港で足止めされていたかもしれない。

昨日新千歳空港から名古屋空港に向かう便は、朝から全便欠航になっていたが、この路線もよく使う路線で、月末には尾張一宮講演が予定に入っており、それとぶつからなくてホッとしている。しかし台風シーズンはこれからが本番であり、移動の際の天気は一番気がかりなところである。

週末から来週初めにかけての天気予報を見ると、新しい台風はまだ発生しておらず、北海道も沖縄も大きな崩れはなさそうだ。どうやら9/9の沖縄講演のための移動には、天気の支障はなさそうである。このところ気温が20度くらいで経過している登別から、日中の気温が30度を超えている沖縄との気温差だけに注意すればよさそうである。

それにしても大阪をはじめ関西地域に住んでいる皆さんはご無事だろうか。今日は通常通りの出勤ができているのかなど心配は尽きない。

台風被害で建物から落ちたり、落下物が体に直撃したりして亡くなられている方もでている。大変お気の毒なことである。心よりご冥福をお祈りしたい。

関空の一日も早い復旧も心から望んでいる。今後の普及見込みの報道に注目しているところである。そして今回の台風被害にあわれた地域の一日も早い復旧を祈りながら今日の記事を締めたい。

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猛暑対策に関する事業者の責任はどこまで問われるのか


昨日仙台入りして、今朝は仙台の馴染みのホテルで目覚めた。

仙台での仕事は昨日で終えており、今日はチェックアウトの時間まで、ホテルで原稿書きの仕事を行う予定であったが、おかげさまで原稿は順調に仕上げることができた。しかし自宅に帰った後も今夜締め切りのCBニュースのゲラ校正を仕上げねばならないので、なかなかハードなスケジュールである。ただそちらのほうは、ゲラになる前にかなりのチェックが入っているので、あまり時間はかからないだろうと楽観しているところだ。

今日は午後からの便で北海道に帰る予定だが、先ほど仙台空港アクセス線に乗って仙台空港に到着し、搭乗口に入って現在JALさくらラウンジの中でこの記事を更新している。

それにしても仙台は今月も雨である。先月もちょうど仙台七夕まつりの真っ最中に仙台での仕事があったが、その時も2日間を通じて雨が降っており、仙台の太陽をしばらく見ていない。来月訪れるときはぜひ晴れてほしいと願ってはいるが、その頃はすっかり秋だろう。

今回の旅も寒かった。このところ道外講演は、軒並み気温が30度を超える場所で行っていたので、出発地の北海道が寒かろうと、すぐに暑い場所に着くと考えて、スーツの上着を着ることなく半そでのシャツを羽織るだけで旅に出ることが常であった。今回もその習慣通りに出かけてきたが、到着地の仙台も20度を超えるか超えないかの気温で、上着が必要であった。大失敗といったところだ。

しかし北海道や東北以外の地域は、まだまだ猛暑が続いている。再来週お邪魔する予定の沖縄はいったい何度になっていることやらと心配である。

そのような中、岐阜市内の病院で8月26日から28日にかけて、入院患者5人が熱中症の疑いで相次いで死亡したというニュースが報道されている。

報道によれば、岐阜市の「Y&M 藤掛第一病院」で、3階と4階に入院していた83歳から85歳の男女あわせて5人が熱中症の疑いで死亡したということである。岐阜市では27日まで最高気温36度を超える猛暑日が続いていたが、病院によると、今月20日の段階でエアコンが故障し、「20日の時点で、すぐに業者に修理を依頼したが、『1か月かかります』ということで、修理ができていない状態であった。そのため扇風機を9台出しました」と院長がインタビューに答えている姿が、テレビのニュース映像として流れている。

その際にインタビュアーが院長に、「病院としてはエアコンの故障=死亡とは考えていないのですか?」と質問している場面があるが、その質問に対して院長は、「元の病が非常におそろしい病気なので・・・」と言葉を濁している。

しかしこの件について警察は病院側に過失があるとみて家宅捜索に入ったそうである。捜査は業務上過失致死の疑いとされているが、一部報道では殺人の疑いでも捜索令状をとり詳しく調べているともされている。

エアコンが作動しなくなって、業者に修理を依頼しても即応がされなかったために、緊急避難的に扇風機での対応をとっている病院に「業務上過失致死」の罪を問うのは過酷すぎるのではないかと考えるのは僕だけだろうか。それにも増してさらに重たい責任を問う「殺人の疑いでも捜索令状をとり詳しく調べている。」という意味を、どう解釈したらよいのだろう。この事件(?、あるいは事故)は、報道されている以外の何かが存在して、殺意のある故意の工作が仕組まれているのだろうか?

どちらにしても今後の成り行きが注目されるところである。

30年以上前に、僕がこの業界に入った頃は、措置制度の時代で、措置費には寒冷地手当があったものの、猛暑地手当というものがなく、よく道外の関係者からそのことが不公平だという声を聴いたものだ。その時に僕たち道内の人間は、「道外の夏が暑いといっても、エアコンをかけなけりゃ人が死ぬということはないでしょ。だけど北海道の冬は、暖房がなければみんな死んじゃいますから。」と言っていた記憶がある。

しかしそんなセリフもすでに過去の遺物であろう。道外のこのところの猛暑は、エアコンがなければ人が死んでしまうほどの猛暑なんだろいう認識が改めて必要である。

全国各地の高齢者介護事業所の方々は、くれぐれも事故が起きないように万全の対策に努めてもらいたい。

同時に求められることは、冷房器具に不備が生じた場合に、緊急対応してくれる信頼できる業者と、売買契約なりメンテナンス契約をすることではないだろうか。そのことも今一度考えていただきたいと思う。

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介護施設に大浴槽がなぜ設置されなければならないのか


介護施設及び介護サービス事業所全般を見渡して、一番介護事故が多いスペースはどこかといえば、浴室である。

過去には、機械浴のストッパーが故障していて、ストレッチャーが順送式のレール上に止まらず、床に転落して、ストレッチャーに寝かされていた高齢者が死亡した例もある。

浴槽の湯音調整装置が故障して、サーモスタットが作動せずに浴槽内が熱湯状態になっていたことに気が付かずに、利用者を熱湯風呂に浸からせて重度のやけどを負わせて死亡させたケースもある。同じように手元シャワーの湯音調節がされずにやけどを負わせて死亡させた例もあるが、その中には明らかに殺意があったとしか思えないケースも含まれている。(参照:ある裁判の判決から考えたこと

それらの事故にもまして多く報告されているのは、浴槽内の溺死事故である。先月末にも埼玉県川口市の特別養護老人ホームに入所する高齢女性が、入浴介護中に死亡する事故が発生した。司法解剖の結果、死因は溺死であることが判明しており、現在業務上過失致死容疑を視野に入れて捜査が進められている。

本件の被害女性(86歳)は、特養の女性介護士の介助をうけながら車イスのまま入浴していたが、この職員が次の入居者の脱衣を手伝うために被害女性から目を離し、次に被害女性の姿を探したところ、姿は見えない状態で、駆けつけると浴槽内に口元まで浴槽に浸かっていた状態であったという。介護士らが数人がかりで浴槽から被害女性をひきあげたがすでに意識はなく、すぐに119番通報したものの、搬送先の病院で死亡が確認されたという事件である。

浴槽の中で姿勢保持が難しい人から一瞬でも目を離せば危険であることは言うまでもなく、本件のような悲劇を繰り返さないためには、見守りを怠らないことを徹底することだということも言うまでもない。

しかし要介護者すべてが、見守られなければ入浴ができないと考えるのもどうかしてる。要介護者の方すべてが、自分の裸身を人にさらさねば入浴ができないとレッテルを張る介護は間違っており、そこもアセスメントによる対応であると言いたいが、本件のような事故が起きると一律機械的に、介護施設等では、介護職員がいない状態での入浴行為を禁止するという方向に流れるのだろう。そういう意味で「自立支援」をスローガンに掲げている介護保険制度において、こと「入浴」という行為に限っては、自立を阻害する制限ルールしか適用されていないというのが本当のところだ。

しかしこの問題は、入浴という行為に特化して考えるのではなく、入浴設備を含めた入浴環境というマクロな視点で考えなければならない問題ではないだろうか。

介護施設の多くは、温泉旅館かと見間違えるくらいの大きな浴室と大浴場で入浴支援を行っている。浴槽も大きいだけではなく、深い場合が多い。一体あの浴室設計はどのような考えで行われているのだろう。1度の入浴介助で一体何人の利用者を浴室内に入れ、浴槽に何人の要介護者が同時に浸かることを想定しているのだろう。

僕が介護コンサルで入る介護事業者では、入浴支援については、入浴準備から脱衣所移動〜着脱支援〜浴室移動〜洗身介助〜浴槽出入り介助〜着替え介助〜移動支援までの一連行為を、マンツーマンで行う指導をしており、この部分で職員の分業は行わせていない。(参照:行列を作らないケアのために(その1)・(その2))

この方法で入浴支援を行なえば、浴室内は常に利用者は一人である。仮に複数の人が同時に浴室に入っていても、それぞれに専属の介助職員がいるから、目を離すことはない。しかもそういう体制であれば、大浴室などいらなくて、ユニットバスのような小さな浴槽を入りやすく工できる。生活リハビリ浴槽という発想もそこから生まれている。

浴室のサイズももっと小さく浅くすることで、片麻痺のある人も、安定姿勢で入浴が可能になる。この場合、人によっては介助する必要でなくなり一人で入浴することも可能になる。そういう可能性を事故防止の観点を第一にして排除してよいのだろうか。

そもそも堀込式の段差のない浴槽は片麻痺などの障害がある人にとって、実に入りにくい浴槽環境であることは広く知られている。片麻痺のある人にとって、高い段差があって縁に座ることのできる浴槽の方が入りやすいのだ。ユニットバス式のそうした浴槽に座る台を付けるなどの工夫をした方が、障害のある人にとってより良い浴室環境といえるのに、いまだに堀込式の深すぎでデカすぎる浴槽を設置する介護施設が多いのは、工夫する知恵がないとしか言いようがない。

今回の事故を受けて、浴室の広さや深さを再考する議論が起きることを期待している。

そんな議論が起きなくとも、今後新しい介護施設や、介護サービス事業所の設計と立ち上げに関わる人は、入浴支援は一度にたくさんの人を対象に行う行為ではなく、本来はマンツーマンで対応する行為であることを念頭に置いて、新しい浴室環境を考えてもらいたい。

入浴中の死亡事故を防ぐための一番の対策は、そうした総合的環境改善策なのである。

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睡眠支援に関連深い入浴支援


北海道もこのところムシムシとした厳しい暑さが続いている。

昨日はオホーツク海側の4地点と道北の2地点で、フェーン現象の影響も加わり、35度以上の猛暑日となった。(※ただし僕の住む登別は最高気温が25度、今年はまだ一度も30度に達していないが、今日は29度まで上がるらしい。)

今日も道内は4日連続の猛暑日で、ファイターズが試合を行う帯広市は、ゲームの最中に最高気温が33度に達する予定だ。観戦される方はくれぐれも水分補給に心がけていただきたい。

このような酷暑の最中で、これでよいのかと考えさせられるニュースが飛び込んできた。札幌市西区のアパートで1人暮らしの60代の女性が部屋の中で死亡していたというニュースである。死因は熱中症で、部屋にはクーラーや扇風機はあったものの、料金を滞納していたため電気を止められていて使えない状態だったという。

この酷暑の状況で電気を止められたならば、生命の危険が伴うことは容易に想像できると思う。滞納に対する対策であるといっても、命を奪う危険性のある罰則を課すことは果たして許されることなのだろうか。もっと状況判断とか、情状酌量とかができないのだろうか。そういう判断や裁量ができるのが「知恵」のある人間ではないのか。決まり事だからといって杓子行儀にルールを執行するだけが社会正義ではあるまい。

介護保険制度も利用者負担が最高3割まで増やされ、それに伴う罰則も増えている。その罰則が生命の危険に及ばないのか、暮らしを成りたたせない阻害要因とならないのかも、もう一度検証してほしい。

暑さに話を戻す。このところの状況から地球の温暖化は進んでいるように思う。違うという説もあるが、どちらにしても僕らが幼かった頃と比べて、北海道の夏は確実に暑くなっている。そのため北海道の一般家庭では無縁と思われていたエアコンを設置する住宅も増えている。僕の家も、昨年ついに暑さに耐え切れずにエアコンを設置した。

介護施設も同様で、ここ数年のうちに新設された特養や老健は、エアコンを基本設備として設計段階から組み入れている。これは十数年前では考えられなかったことである。僕が総合施設長を務めていた特養は、介護保険制度が始まる前年の1999年に増設と改築を行ったが、その時はエアコン設置は議題にさえならなかった。今とは隔世の感である。

しかしそうしたハードが変わっても、ソフトはほとんど変わっていないし、ソフトの変化につながるサービス提供者の意識も低いまま変わっていない状況がみてとれる。

僕が1年前に働いていた老健も、昨年新築されてエアコンが入っているが、そこのソフトも過去のままだ。冷房が効いているとはいえ、そこではリハビリに汗を流す高齢者がたくさんおられる。しかし昨日の午前中に入浴させられた方が、午後からリハビリに汗を流し、その汗をシャワーで洗い流せるのは金曜日の午前中まで待たねばならない。いまだに運営基準上の週2回の入浴支援を行ってさえおればよいと考える介護施設が多すぎる。(参照:週2回しか行わない入浴支援に関連した記事

しかもエアコンが入っている介護施設でも、北海道の場合、夜にはスイッチをオフにしている施設が多い。しかしここ数日は、夜になってもあまり気温が下がっておらず、今夜も寝苦しい夜になりそうだ。そんなときに入浴支援は、安眠と関連深いという知識があれば、その知識を新たなケアのソフトに結びつけることもできる。

例えば介護施設の入浴支援は日勤帯に行うという常識を覆して、夜間入浴をスタンダードにできないかが考えられてもよい。暑い期間限定でもよいからそのことが実施できれば介護の質は大幅に変わる。

入浴と睡眠が関連深い理由は、体温がある程度下がると人は眠くなるという特性があることによるものだ。

入浴すると、温かいお湯の中に身体を入れるため、身体は温まる。身体が温まれば末梢の血管は拡張する。するとお風呂から上がった後には身体から熱がどんどん逃げていくことになり、体温の低下速度が速まるのである。これが入浴が眠りを導いてくれる理由になのである。

そのため夏の暑い時期、寝苦しい夜に熟睡するためには、入浴時間を夜寝る時間と絡めて考えたほうが良いと言われる。

入浴する時間は就寝前1時間がいいとか、いや体が冷える速度を考えると2時間がベストだとか諸説がある。つまりは個人差も大きいということだろうが、必ずしもベストの時間ではなくとも、ベターな時間で入浴することだけで、睡眠の質は変わる。少なくとも日中太陽が燦燦と降り注ぐ最中に入浴支援を行うという選択肢はなくなる。

夜間入浴を行うことで人手を増やさねばならないわけではない。僕の経験から言えば、その実現はシフトを工夫して日勤者を減らして遅番の職員を増やすことで対応可能である。日勤者を減らすことで、その時間帯の仕事に支障をきたすとネガティブに考える人も多いが、その時間帯に集中していた仕事を、遅い時間に回せばよいだけの話だ。

遅番シフトを敷くのは介護職員に限らず、看護職員、相談援助職員、事務員だってよいわけである。要はやる気だけの問題だ。

しかも夜間入浴を行って、利用者の睡眠の質が変わることで劇的に変わるものがある。それは夜勤者の業務負担の軽減である。

このことは夜勤者が、不眠者の対応にいかに時間と手間をかけているのかを考えればわかるというものである。その時間や手間を夜間に入浴支援を行うことでなくすることができるのである。

これはある意味、時間を貯金するという意味になる。別な時間帯に手間と時間を使うことで、人手が少ない夜間の時間を貯金できるとしたら、それは利用者のメリットにとどまらず、従業員のメリットにもつながるのではないだろうか。

しかもそのことは、利用者の暮らしの質の向上につながるのだから、それは人材として貴重な人々の働くモチベーションにもつながっていくと思う。それは顧客からも、介護職員からも選ばれる施設となる要素になり得るかもしれない。

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ヘルパー2級免許を偽造した母娘を雇った事業者の経営責任


青森市で、ホームヘルパー2級修了証明書を偽造した母娘が、偽造有印私文書行使容疑で逮捕された事件に関連して、その母娘を雇用していた施設側に、1,500万円の返還請求を青森市が行ったとというニュースがネット配信されている。

概要は下記の通りである。

7月9日に青森市内に住む母娘、一戸遥容疑者(27)と則子容疑者(60)がホームヘルパー2級の研修修了証明書を偽造した偽造有印私文書行使容疑で逮捕された。

これに関連して両容疑者を雇用していた青森市内の介護施設が、2年前の2015年1月までさかのぼって、無資格である両容疑者がサービス提供を行って得た介護報酬の返還を求められているという。

事件の発端は2015年1月。青森市内で老人介護施設がハローワーク等に求人を出し、それに応募した一戸遥容疑者を面接の上採用。その際一戸遥容疑者は、ヘルパー資格を取得済みだとして施設に「ホームヘルパー2級の研修修了証明書のコピー」を提出していた。

その後雇用から5カ月後、「母親もホームヘルパーの資格を持っている」と遥容疑者から母親を紹介され、母親の則子容疑者も採用した。母娘は男性が経営する老人介護施設で2年ほど勤務したが、一戸遥容疑者と母親の則子容疑者が退社して半年ほど経過した2017年9月、施設側が青森市福祉部の担当者に呼び出され、母娘の研修修了証明書が偽造であることが告げられたというものである。

青森市は、ホームヘルパー2級研修修了証明書が偽物であることを見抜けなかった施設側にも責任があるものの、不正の意図はなかったとして「不正請求」ではなく「請求ミス」として処理を行っているとのことである。

ネット配信記事では母娘が介護施設で働いていたかのように書かれており、加えて「母娘が勤務した事業所は全部で4カ所。」とされている。しかし介護施設であれば介護職員の資格は必要とされないために、母娘が提供していたサービスは訪問介護サービスであると思われる。

そうであれば介護施設に併設されていた訪問介護事業所か、関連事業としての訪問介護事業所の訪問介護員として、サービスを行っていたものと思える。記事を書く記者が、介護保険制度の知識に欠けていることが原因で、この点があいまいなのが歯がゆいところであるが、どちらにしてヘルパー資格がないとして市側が報酬返還を求めているのだから、それは訪問介護事業以外は考えられないということになる。

報道記事に書かれているが、今回の返還指導が不正請求ではないということで、雇用者側の資格確認がずさんであるという理由によって請求ミスとして過誤調整することになり、事業者側のミスも認めて返還する以上、母娘に賠償を求める資格が失われる可能性があるということである。

まあ仮に賠償請求が認められるとしても、この母娘に賠償能力があるとは考えられないので、どちらにしても約1,500万円とされている返還額は、事業所側が泣いて支払うしかあるまい。

僕は長年社会福祉法人の経営する特養等の総合施設長を務め、職員採用にもかかわってきたが、そもそも資格証をコピーだけで確認することはあり得ないと思う。原本を確認し、そのコピーを事業者側がとって保管するというのが当たり前のことで、それ以外の資格確認方法をとったことがない。

そういう意味では、この事件においては事業経営者の経営姿勢という問題も問われてくるのではないかと思う。

こういう杜撰な経営体質の事業者で働く、他のまじめな職員が一番迷惑であろうし、一番の被害者といえるのかもしれない。

どちらにしてもこの施設の経営者は、自らの経営手腕と法人の経営体質を、今一度見直さねば、今後の厳しい時代に生き残っていくことはできないだろう。

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従業員を護るために事業者としてしなければならないこと


労働組合「日本介護クラフトユニオン」(東京)が4月に公表した調査結果(速報値)は、介護職の73.5%が、高齢者やその家族からハラスメントを受けた経験があり、中でも利用者の自宅が仕事場となる訪問介護員の被害が多いという内容になっている。

そのことに関するニュースを、読売新聞のyomiDrがネット配信しており、そのことが表の掲示板でも話題となっている。

ヘルパーの被害は、男性利用者に突然ベッドに押し倒され抱きつかれたり、密室化する利用者宅のドアに鍵をかけて監禁されそうになったりという、極めて悪質なケースも含まれている。これはもう犯罪である。

報道はそうした行為に対し、兵庫県が問題のある利用者宅に職員が2人1組で訪問できるよう、人件費の一部を補助する事業を今年1月に始めたとしているが、同時にその対策をとった事業所実績はゼロであるとしている。それはある意味当然だ。ヘルパー確保が困難な人員不足の状態で、人件費に一部補助があるからといって、人をそれほど雇えるわけがない。つまり兵庫県の対策など何の役にも立たないもので、アリバイ作りにしか過ぎない対策だということだ。

表の掲示板でも意見が出されている。そこではそうした利用者に対しては、男性ヘルパーを派遣するしかないという意見もある。しかし訪問介護事業者の平均給与は、登録ヘルパーという勤務形態などの非常勤職員も多いことが原因で、介護施設などのそれと比べても低くなりがちで、男性ヘルパーを確保すること自体が難しく、そうしたすべてのケースに男性で対応することもできないのが実情だ。

そうであるがゆえに、行政にそうしたケースを報告して、行政権限で利用者にサービスを使うことができないようにするなどの罰則を与えるべきだという意見もあるが、市町村にそのような権限があるとは思えない。

それよりも先にすべきことが介護サービス事業所にあるのではないだろうか。まずは従業者を性犯罪から護るために、正当な理由によるサービス提供拒否を躊躇すべきではない。勿論そのことは行政にも報告すべきである。

そもそも報道されているセクハラ行為は、犯罪行為といってよい悪質なものが含まれている。こうした行為が行われた場合、法治国家である我が国では、その犯罪を取り締まる警察対応が求められるべきだ。

行為が悪質でも、サービス利用中の1度きりの間違いだから穏便に何もなかったように済ませようと事業者が考えることが、こうした行為を根深くはびこらせて、一向になくならない原因となっているのではないだろうか。

顧客に対して介護事業者はサービスを提供する立場であり、お客様に満足いただけるようにホスピタリティの精神をもって奉仕する必要はあると言っても、その関係はサービス事業者が奴隷となって、客の要求にすべて応えなければならないというものではない。客が法律を犯すことまで許容することはできないわけである。

利用者宅という密室で行われた不適切行為を証明できるのかという議論があるが、それが証明困難だからと泣き寝入りを従業員に強いる事業者からは、職員がどんどん離れていく。それは事業経営の危機にも直結する問題だ。事業管理者は、もっとこの問題を深刻にとらえるべきである。

介護事業経営者は、職員から利用者のセクハラ行為による被害報告を受けた場合は、直ちに利用者に抗議するとともに、その後の適切なサービス提供ができないと判断した場合は、速やかに「正当な理由によるサービス提供拒否」という措置をとるべきである。そのうえで、そのことを行政に報告すべきだ。その報告を受けた行政が、どのように判断し、どのように動くか(あるいはまったく動かないか)は、行政に任せてよい問題で、事業者は粛々と事業者としてとり得る対策を行うべきだ。

さらに行為が悪質と判断した場合は、迷わず警察に通報すべきだ。そうした悪質な行為が、ヘルパーの証言でしか証明できないために、刑事処分ができない結果に終わったとしても、事業者としてつかんでいる事実に基づいて、犯罪行為を通報するという義務を行使することで、悪質な犯罪の抑止力ともなり得る可能性がある。法治国家の国民としての義務を果たし、権利を行使すべきであり、そのことだけを粛々と行うという考え方で良いのではないだろうか。

行われた悪質行為に対しては、サービス利用者であったとしても、法で罰せられて当然なのだから。

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地震列島の住民としてできること


先週の木曜日から大阪〜宇都宮と講演の旅を行い、昨日北海道に帰ってきた。

午後2時に降り立った新千歳空港は、羽田空港との気温差が12度もある寒い日だった。昨日の北海道は6月としては異常ともいえる寒気が入り、10度に達しない地域がたくさんあったのである。登別市も冷え込んでおり、久しぶりに帰った自宅では、一旦しまったはずの石油ストトーブがたかれていた。

そういえば大阪に経った週も、ずっと天気が悪く低い気温が続いていた。これだけ寒い日が多い6月も珍しい。農業王国でもある北海道各地の農作物の生育状態が心配になるほどの異常気象である。

ところで昨日は、宇都宮〜羽田空港経由で新千歳空港に帰ってきたわけだが、宇都宮〜東京間は東北新幹線を利用するわけである。僕の移動の間はこのルートに何も問題なかったが、昨日のその後を見ると、このルートに停電が発生して約6時間新幹線が停まったとのことである。

JR大宮駅では、ダイヤが乱れた東北新幹線から在来線に乗り換えようとした世田谷区役所の女性職員が、乗車券を買えないことに腹を立てて駅員の胸を殴って逮捕されるという事件も発生している。どのような理由があっても、暴力は許されることではないし、60歳という年齢を考えると随分分別のないことをしたものだと思うが、交通ダイヤが乱れて移動がままならないことでイライラする気持ちは、まったく理解ができないわけではない。(※それにしても駅員の責任ではないだろう・・・。)

僕も移動時間が少しずれていたらこのトラブルに巻き込まれて、昨日のうちに北海道に帰ってこれなくなる恐れもあった。そうならなかったのは運が良かったのだと胸をなでおろしていたら、今朝になって大阪で震度6弱の地震が発生したとのニュースが飛び込んできた。土曜日まで3日間滞在した場所であるだけに、驚きの気持ちでニュース映像を見つめていた。

知り合いも多い地域であるが、親類縁者の方との連絡がまず先に必要だろうと思え、こちらからの連絡は控えている。ご無事であることを祈るより術がなく、フェイスブックのタイムラインで、知り合いの無事が確認されるたびにホッと胸をなでおろしているところだ。

地震発生時刻は7時58分頃とにことであり、しかも今日は月曜日なのだから、通勤時間を直撃した大きな地震ということになってしまった。航空機や新幹線、在来線すべてに影響が出ていることは容易に予測でき、今日は職場にたどり着けない人もいるかもしれない。何よりも怪我がないように、死傷者が出ないように祈るのみである。

しかし刻一刻と新情報が出てくるたびに、被害は深く広く大きくなっていくようだ。火災も起きているし、死傷者が出ているという報道もされており心が痛む。「生き埋め」という言葉がテレビの報道番組から聞こえてきて、背筋が寒くなったりしている。

水道・電気等のインフラにも被害が出ていることだろう。今は被災者の方に心からお見舞いの気持ちを持つしかない。

今後僕らができることは、随時出てくるであろう情報に基づいて、僕たちができる後方支援を行うことである。災害支援金を送ることは、当然求められる後方支援だと思う。できる限りの協力を行いたい。

昨日は千葉県でも地震が起きているし、他の地域にも影響が出ないか心配である。熊本地震の時は、本震は最初の地震ではなかったので、大阪の皆さんも是非ご注意願いたい。

とにもかくにも被害が最小限に収まることを祈っている。

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認知症ドライバーによる死亡事故はいつまで放置されるのか


昨日(5/28:月)10:55頃、神奈川県茅ケ崎市元町の国道1号で、乗用車が横断歩道を渡っていた4人をはねた後、歩道に突っ込み、さらに2人をはねた。この事故で女性1人が死亡し、2人が重傷を負った。

乗用車を運転し事故を起こした90歳の女性は、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで逮捕されたが、取り調べで、「信号は赤だったが歩行者が渡っていなかったので発進した。歩行者が渡り始めたのが見えたので、ハンドルを切った。」と供述しているという。

容疑者は今年3月に運転免許証を更新しているそうだ。その時点では、認知症の症状がみられなかったということだろう。

現時点でも、この女性が認知症であったかどうかは不明だが、判断力の衰えは否定できないだろう。どちらにしても事故と認知機能低下の問題を切り離しては考えられないのではないか。

いやむしろ認知症とはいえないまでも、判断力が衰えていることで、運転しないという判断もできず、危険行為が日常的に続けられている人が考えられている以上に数多く存在するというのが問題である。

そのことで将来ある尊い命が、日常的に危険にさらされているというのが、我が国の現状ではないのか。そうであるなら認知症の人が運転できてしまうことの危険以前に、加齢による判断力の衰えは、すなわち危険運転の原因でもあるという社会認識を広げ、一定年齢になった際の運転からの引退が、普通に行われる社会を目指すべきではないのだろうか。

このブログでも認知症ドライバー問題は、過去に何度も取り上げてきた。

ネット検索すると「認知症患者による過去の自動車暴走事故まとめ」というサイトもヒットするが、それらは認知症ドライバーが引き起こしている死亡事故のほんの一例に過ぎない。

これらの事故に巻き込まれる人の多くは、事故を起こしたドライバーより若い人で、中には幼稚園児や小中学生が多数含まれている。

高齢者の移動手段の確保の代償が、将来のある子供や若者の命との引き換えであって良いというのだろうか。

自動運転ができる車の開発も急がれるだろうが、それが実現していない今、認知症の人はますます増え続ける超高齢社会である我が国では、認知症の症状が出現してから対策するのではなく、認知症の症状が出る前に、リスクを減らす対策に努めることが求められるのではないのだろうか。

いつまでも認知症ドライバーや、判断力の衰えた高齢ドライバーによる悲惨な事故を繰り返さないためにも、判断力の衰えていないうちに、一定年齢に達した場合の運転免許の返上が求められるのではないだろうか。それは自主的な返納に頼るのではなく、超高齢社会の法令ルールとして返納義務が存在しても良いように思う。

勿論、高齢者の移動手段の確保は、免許返納とセットで行われるべきで、免許返納者が対象となっている、「介護予防・日常生活支援総合事業」の送迎サービスを全市町村で行うことを義務付けるべきとも考える。

どちらにしても、他人の命と引き換えに、護るべき権利など存在しないのだ。そのことを肝に銘じて、新ルールをつくっていかねばならない。

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権力に求められるもの


介護事業者にとって、行政は間違いなく権力だ。どんなに小さな保険者の、経歴の浅い担当者であっても、指導権限を持って事業者に臨む担当者は、権力そのものである。

彼らは指定権限や指導権限を持つだけではなく、ローカルルールという公的議決を経ない規範さえ創りだせる。行政処分という伝家の宝刀も振るうことが可能だ。介護事業者は、その権力の斧にひれ伏さねばならない場合も多い。

しかし権力を持つものは政治家や行政職員だけとは限らない。

介護事業者においても、経営者や管理者・管理職は一般職員に対して権力をふるうことができる立場だ。小規模の事業者で、事業経営経験も浅く、スキルが伴わない管理職であっても、職員にとっては大きな権力者である。それは一般職員にとって、自分の生活さえも左右される権力といえるかもしれない。

だが一般職員にも、ある種の権力が備わっている場合がある。

例えばどんなに若く、社会的な地位や名誉もない職員であっても、介護施設などのサービスの場で利用者に相対した時、認知症や重度の身体障害を抱えた利用者に対して、どのような行為を行うのかを自らの一存で決定できるという介護従業者は数限りなく存在している。

夜勤時間帯に、フロアにたった一人のサービス担当者として存在する介護職員は、ある意味、利用者にとっての絶対権力者として存在すると言えるのではないだろうか。

そう考えると、人間はある場面では権力に恐れおののき、それにひれ伏す立場であるとしても、場面が変わるだけで、誰かに対して権力を振るう立場に立つ可能性があると言えるのではないか。そうであるがゆえに、権力とは何か、それをどのように使うのかということを常に考える必要もあるのではないだろうか。

知恵のある人間として権力とは何か、権力に求められるものは何かを考えなければならない。この世に人として生まれ、生きるものとして、権力はどのようにつかわれるべきかを考えないと、人は不幸を振りまくために存在してしまうことになる。

僕はそんなふうになりたくないので、権力は常に正義と一体でなければならないと考える。正義のない権力などただの暴力に過ぎないからだ。

そんな権力など存在しない絵空事だと笑ってはならない。

例えば介護支援の場が常に正義にあふれ、正しい方向に進んでいるとは言わない。そこには歪んだ介護が存在することを否定しない。昨日発覚した和歌山県橋本市の老健での虐待事件では、24歳の男性職員が、夜中に大声で叫ぶ96歳の女性入所者に腹を立てて、当該女性の顔や胸に熱湯をかけ、重傷のやけどを負わせたとして逮捕されている。フロアのたった一人の夜勤者として、全ての行為の決定権を持つ絶対権力者が、認知機能が低下するというハンデキャップを負った弱者に対して、正義なき権力を振るった結果が、このような非道な行為に結びついている。

正義を伴う権力を絵空事だと笑う人は、このような行為を是とするか、やむを得ないとあきらめる人である。それではあまりに情けないし許されない。僕はこんな行為を是とすることはできないが、それ以前に手にした力の使い方を間違えないように、人として持つべき心について、常に正論を語り合わねばならないのだと考える立場である。

正論が常に通じる社会はないと論ずる人がいるが、だがそれを以て高邁を画餅と断じるのは妥協ではなく迎合である。理想を掲げることが絵空事だというのは卑怯者の言い訳である。

正論はいつの世でも愚鈍で生真面目で幼稚な真理だ。だからこそ子供にも理解できる。どんな浅学の人間にでも通用する。

所詮人間は自分の決めた規範から逸脱できないようになっている。そうであれば自分の規範は、正義をもって規定したい。

その時、自分の正義に逆らえば、その人は一生自分を責めるようになる。何かの折に思い出し、そのたびに良心の呵責に苦しむ。もちろん正直さが安寧をもたらすわけではなく、自分だけの正義を貫けば周囲との軋轢や現実からのしっぺ返しもあるだろう。どちらを選択してもそれぞれの試練が待っている。そうであれば人としてこの世に生まれたことを感謝する立場から、他人を不幸にだけはしたくないという立場でものを考えたい。

そう考える人が介護の現場にいるだけで、利用者は安心できるのではないか。それを目指さぬ対人援助者とは、どこに存在意義があるというのか?

そのような考え方を笑って馬鹿にする輩とは議論する必要も感じない。愚かなものに倫理を説いたところで無意味である。愚かだから学習能力もない。そんな輩は糾弾することすらもったいないから、嗤うしかない。

僕達の業界の職能団体の中にも、嗤うしかない団体が存在している。そこに会費を支払っている人は不幸だと思うが、それも自己責任だ。そんな話はまた明日の記事に引き継ごうと思ったりしながら、いつものように、自分の心の叫びを書きなぐっている。

それがこのブログの本質である。そんな文章にお付き合いいただいている方々には、心より感謝している。


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運転から勇退ができる社会に


爆弾低気圧を避けて、1日早く鹿児島入りしたが、その後の北海道はすごいことになっていた。自宅からも連絡が来て、暴風雪警報が出されて、すごい荒れようで怖いくらいだという。早めの移動は正しい判断だったようである。

そんな風に1日早く鹿児島に来たので、夜は「かごっま屋台村」というところで、「大隅料理」を肴に、しこたま焼酎のお湯割りをいただいた。楽しく酔うことができた夜だった。もう一つのブログ記事も是非参照していただきたい。(参照:masaの血と骨と肉・ダチョウはともだちよー

しかし今朝は二日酔いもなく、すっきり起きた。今日の講演は18:00〜20:00の予定で、その後21:00まで名刺交換会兼プチ立食パーティーがあるが、それまでの時間はフリータイムだ。しかし何度も来ている鹿児島で、ことさら観光という気分にはならない。行く場所を探して、移動の足を考えるのは億劫だ。今回は駅前のホテルに滞在しているので、駅周辺をぶらぶらしながら、鹿児島に来た時一度は食べてみたいと思いつつ、いつも何らかの事情で空振りが続いている「こむらさき」の鹿児島ラーメンを食べてこようかと思っている。

ところで今回の旅は、株式会社グローライフさんが主催する「介護支援専門員及通所介護事業者向けセミナー」がメインである。地域の関係者にもオープンの講演会で、すでに当初予定を大きく超えるたくさんの受講申し込みがある。会場で懐かしい方、フェイスブックでの交流のしかない初めて会う方など、様々な方にお会いできるのが今から楽しみである。鹿児島及びそのお近くの皆さん、よろしくお願いします。

さて、それを終えた翌日は、北海道にすぐに帰るのではなく、福岡〜唐津の旅を続ける。一人旅ではなく、福岡のお仲間との旅である。

博多で、弁護士法人翼・篠木法律事務所を主宰する篠木潔弁護士が中心となって活動している、「ケアマネゼミ・チーム篠木」の皆さんと合流し、大人の修学旅行に参加する予定になっている。その中でも120分の講演を行うことになっているが、それはおまけであり、皆さんと一緒に旅を楽しむのが一番の目的である。その様子は、月曜日のブログ記事で紹介できると思う。

そんな風に、今回の九州はケアマネ向けの2講演を行うことになっているが、テーマは両者とも「介護報酬改定大解剖」としている。鹿児島と唐津では内容は少し変えてはいるが、両方とも居宅介護支援費の改定内容を解説しながら、その中に隠されている意図・次の改定につながる布石・制度改正の橋頭保について僕なりの見解を示すことになる。同時にここでは、認知症高齢ドライバーの事故を防ぐために、関係者として何をすべきかをお話ししようと思う。

今年1月、前橋市北代田町の県道で、自転車で登校中の女子高生2人が乗用車にはねられ重体となった。群馬県警によると、運転していた容疑者は中央線をはみ出し、右折待ちしていた車のサイドミラーに衝突、逆走する形で市立前橋高校1年生(16)と3年生(18)の女生徒を相次いではねた。このうち16歳の女性は事故後お亡くなりになった。(18歳の女性とは意識が回復したとの報道あり。)

乗用車を運転し自動車運転処罰法違反(過失致傷)の疑いで逮捕されたのは85歳の男性ドライバーであったが、容疑者は事故直後に「気がついたら事故を起こしていた」と供述している。そして事故当時のことは覚えていないとの趣旨の供述を続けた。

容疑者は昨秋、運転免許の更新時に改正道交法に基づく認知機能検査を受け、認知症ではないとの結果が出ていた。しかし、事故を起こすまでの間に認知機能が低下した可能性が高い。家族によると、容疑者は目立った持病などはなかったが、たびたび物損事故を起こしていたという。そのため家族から運転しないよう再三説得されていたという事実がある。

その説得に容疑者が応じることはなかった。

そして事故当日は、運転に反対する家族の目を盗んで出かけ、若い命を無残に奪う結果を引き起こした。後悔してどうにかなる問題ではない。

容疑者が物忘れをしたり、車をぶつけて帰ることが多くなったため、家族は運転を止めてくれと言っていたが、同時に家族は、車を取り上げることは「おじいちゃんを家に閉じ込めることになる」と迷いがあったという。さらに「認知症がそこまで進行しているとは思わなかった。」とも言っている。

運転するなという声に容疑者が応じなかった理由の一つは、運転してはいけないという家族の言葉に、本来持つべきだった危機感が欠けていたからではないか。そしてそのような薄弱な問題意識は、世間一般にも見られる傾向で、その結果が尊い人命を奪ことに結びついているということを重大な事実として認識してほしい。

認知症専門医の中にも、「認知症だからといって運転ができないわけではないから、認知症という診断だけで免許を取り上げるのは問題だ」とバカげたことを言っている輩もいるが、そんな悠長なことを言っている暇がない。そもそも本ケースの状況を見てわかることは、免許更新時の検査や、認知症という診断を受けた後の後追い対応でも、問題は何も解決しないということだ。

幼児や子供たち、将来ある若者たちが、認知症度ラドライバーの運転事故により、毎年たくさんの命が奪われていることを考えると、認知症になったから運転しないのではなく、認知症になったら、正常に運転できるかできないかの判断能力に欠けるという意識をもって、その段階では運転する・しないの正しい判断はできなくなることを前提にして、ある年齢に達したら運転から勇退するという国民意識を育てることが重要である。

そのためには、高齢期の生活手段となる移動手段については、個人の責任でどうにかするのではなく、各自治体の責任で整備する必要がある。そのためにはコミュニティバスを走らせたり、「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うなど、いくらでも方法は考えられる。

地域包括ケアシステムとは、そうした仕組みを作ることであるし、この部分に予算をつけることを意味するものだ。早急なる整備を望みたい。


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高齢者事故、半数が認知機能低下


東京に行くと、あらゆる場所への移動が、公共の交通機関を利用するだけで可能である。

重いスーツケースを抱えていても、タクシーを利用するまでもなく、電車で移動すれば済む。そもそも山手線などの駅間の距離の短さは何だろうと思う。札幌以外の北海道の移動を考えると、歩いて移動するのが当然の距離に駅と駅がある。なるほどこれだから自家用車を持つ必要もないわけだ。

一方北海道の郡部では、人口減少が進み、日用品を売る商店が生活圏域からなくなり、医療機関もない地域が増えている。

そうした地域の住民は、日常必需品を手にするために、あるいは持病の管理や治療のために、長い距離を移動しなければならない。そのための移動手段が必要となるが、鉄道もなく、路線バスも1日数本という状態では、それらの交通手段に依存してはままならない暮らしがそこにある。当然、自家用車は必要不可欠な生活の足である。

そうした地域もどんどん高齢化が進行するが、高齢化が進めば進むほど、生活圏域から移動して何かを行わねばならないという機会は増える。だからますます自家用車を手放すことはできなくなるし、運転することから引退するという考えも荒唐無稽なものとなる。

自家用車を手放し、運転行為から引退するということは、すなわち「暮らしが成り立たない」・「生きていけない」ということと同じ意味になってしまうのである。

しかし加齢は認知症の最大リスクであり、運転し続ける高齢者の判断能力が衰えることによって引き起こされる交通事故が増え続けている。その事故によって幼い命、前途ある少年・少女の命が失われるケースが年々増えている。

日常と変わらない通学途中に、突然歩道に乗り上げた認知症ドライバーの車によって、一瞬のうちに命を奪われる子供たちの魂は、どこに漂っているのだろう。安らかなる場所に行きつくことはできるのだろうか・・・。

警視庁のまとめによると、75歳以上になって運転免許更新時などに認知機能検査を受けた高齢者の中で、昨年1年間に交通死亡事故を起こしたのは385人で、うち49%となる189人が認知症の恐れがある「第1分類」か、認知機能低下の恐れがある「第2分類」と判定されていたことが明らかになった。

警察庁の担当者は「死亡事故を起こした高齢運転者は認知機能の低下がより進んでいた」と指摘し、運転技能に不安を感じた場合の免許の自主返納などを呼び掛けている。

いつ認知機能の低下が現れるかわからない。そして認知症の人は自分が認知症であるとは思えないのである。そうであるがゆえに、一定年齢に到達したら、運転行為から引退するという自戒が、すべてのドライバーに求められるのではないだろうか。

同時に生活が成り立たなくならないように、政治は、限界集落などの住民に対し移住策を促進し、人口減少社会の中でのコンパクトシティへの地域再編を最優先の政策課題としなければならない。

保健・医療・福祉・介護関係者は、地域行政に対して、高齢者の移動手段の確保のための対策を行うためのソーシャルアクションに努めなければならない。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになったが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加された。

このサービスは、乗車距離や時間に応じたガソリン代などの実費相当分として、1回数百円で利用できるものだから、日常生活に必要な移動手段の確保に困る高齢者には必需サービスである。このサービスを「介護予防・日常生活支援総合事業」として行っていない自治体は、認知症ドライバーの事故リスクに何も対応がされていない自治体ということになる。そういう市町村をなくしていかねばならない。

高齢者の日常移動手段を確保する政策は、日本の明日を担う子供たちの命を守る政策でもある。


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鬼畜の所業〜児童養護施設の虐待報道を受けて


僕は北星学園大学・文学部社会福祉学科を卒業している。というわけで学生時代は社会福祉を専門に学んできたわけであるが、専攻は高齢者福祉ではなく、児童福祉であった。

そのため社会福祉実習は、児童相談所で行い、数多くの児童施設を訪ね歩いた。児童養護施設もそんな施設の一つである。

児童養護施設とは、児童福祉法41条において定められている施設で、「児童養護施設は、保護者のない児童、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」と定義されており、児童相談所長の判断に基づき、都道府県知事が入所措置を決定する児童福祉施設である。

そんな児童養護施設で信じがたい虐待が行われていたことが明らかになった。

道央の児童養護施設で2013年8月から2014年3月にかけて、道が措置入所させた女児らに対し、男性職員(当時)がわいせつ行為を繰り返していたことが、北海道新聞の調べで明らかになった。

この職員は女児2人に対し、消灯後の女子居室で、それぞれ胸や下半身を無理やり触ったほか、別の女児とも施設内で複数回、性交渉を行っていたという。事件は被害女児からの訴えで発覚し、道と同施設を運営する社会福祉法人が、それぞれ200万円支払うなどで和解しているという。なお犯人は、懲戒解雇され、2014年9月に、強制わいせつ、児童福祉法違反(淫行させる行為)などの罪で懲役4年6カ月の実刑判決を受け確定している。今も塀の中であるということか・・・。

本件は最初に女児から性的虐待を聞いた職員から報告を受けた上司が、すぐに施設長らに報告していなかったなど、事件の重大性を認識していないかのような施設側の対応の問題も明らかにされている。

今朝の北海道新聞朝刊の3面記事では本件に関連して、「助けてと言えなかった 養護施設の性的虐待被害者 恐怖や不信感、口止めも」と題した特集記事を掲載している。その中で被害女性が、「施設を追い出されたら行くところがない、どうしようと怖かった」と性的被害を訴えられなかった理由を語っている。
北海道新聞1/19朝刊
さらに被害女性は、事件が明らかになり加害男性がいなくなってからも悪夢にうなされ、警察や検察の事情聴取も、「あの時のことを思いだそうと頑張らなきゃいけなくて、つらかった」と語り、何度も死のうと思いリストカットを繰り返した過去を振り返っている。まさに悲痛な声としか言いようがない。

これから先の社会が彼女を温かく包み込んで、なんとか1日も早く立ち直ってくれることを祈るのみである。

様々な事情から、家族と暮らせない子供たちにとって、児童養護施設はセーフティネットであり、一時的滞在の場所ではあっても、ある時期、そこは子供たちにとって安住の場所でなければならない。そのような場所に、鬼畜のような職員が存在することいよって、子供の人生がゆがめられ、今回の報道で明らかになったように、ひとりの女性の人生がひん曲げられることを許すわけにはいかない。

人を護る場所で、このような鬼畜が存在した場合、被害が子供たちに及ぶ前に、それを察し未然に事件を防ぐことはできないものかを、今一度真剣に考え直さねばならない。

そのためには社会がもっと、命を尊び、尊厳を護る意識を育てることが必要だ。人が人に対してもっと優しくなるためには何が必要で、何がそれを阻害しているのか、僕たち社会福祉の専門家は、もう一度そのことを振り返って考えねばならない。

これは児童問題ではなく、この国の社会問題だ。社会全体で対策を講じていかねば解決しない問題だと思う。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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悠長なことを言っていられない認知症ドライバー問題


新年早々、認知症のドライバーによる悲惨な交通事故がまた起こった。

9日午前8時20分ごろ、群馬県前橋市北代田町の県道で、85歳の男性が運転する乗用車が、始業式のために登校途中の自転車の女子高校生2人をはねた。女子高校生は2人とも意識不明の重体。

加害者は走行中、対向車線にはみ出し、路側帯を走っていた女子高生をはね、民家の塀に衝突した後、さらにもう一人の女子高生をはねた。さらに走行車線に戻り、渋滞で止まっていた軽乗用車に衝突したという。現場にブレーキ痕はなかったそうである。なお加害者の男は頭に軽傷を負った。

目撃者は、「渋滞の車列に並んでいたら、ものすごい速度の車がセンターラインをはみ出して追い越していった」と証言しているという。

この事故については上毛新聞社のネットニュースが画像も含めて詳しく報道している。

別の報道記事では、『男性の息子の妻(56)によると、男性には普段から物忘れなどがみられ、免許返納を勧めていたが拒まれていた。昨秋には認知機能検査を経て免許が更新されたという。「物損事故を数え切れないくらい起こし、いつも『運転はやめて』と話していた。今朝も(家族にとめられないよう)隠れるように出て行ってしまった」と話す。「高校生の子が心配で、心配で……。本当に申し訳ない」と涙を流した。』とされている。

認知症ドライバーが運転する車の事故により、尊い命が失われる事故が後を絶たない。そのために道路交通法を改正し、75歳以上の高齢者が運転免許の更新時か違反時に「認知症のおそれあり」と判定されたら、例外なく医師の診断が必要になり、認知症であると診断された場合、運転免許は失効・取り消しされるようになった。

しかしこの診断に関わる医師の中には、認知症だからといって運転できないわけではないと言って、免許の失効・取り消しに反対する意見もある。(参照:認知症診断で運転免許を取り消す法律について

そんな悠長なことを言っていてよいのだろうか。

そもそも検査がされる前に認知症の症状が出ている人は、この法律改正でもカバーできない。

そうであるとしたら、すべての国民が、認知症であっても運転行為はできてしまう(参照:記憶を失っても、感情が残される理由)という事実を知るとともに、その状態は正常な運転ができているわけではないという危険性を十分認識し、病識のない認知症高齢者本人には、運転をしないという判断力も欠如しているので、家族などの周囲の人々が、何が何でも運転させないという方策をとらねばならないことを自覚すべきである。

今回のような悲惨な事故が起こった後に、『あの時に鍵を取り上げていればよかった。(被害者が)大変心配』なんていっても始まらないのである。鍵を取り上げていなかった家族の責任も問われて仕方のない問題なのである。

居宅介護支援事業所の介護支援専門員で、認知症の症状が出始めた利用者に関わる人は、当該利用者が運転しないための支援を行う必要性がさらに増すだろう。その自覚が必要だ。

同時に自動車メーカーには、自動運転技術を1日でも早く確立してほしいし、国もその方向で法改正を行ってもらいたい。しかしそれがまだまだ先であるという現状を考えるなら、自動車メーカーは、とりあえず手続き記憶だけで運転できる車の製造を止めてもらいたい。その技術は簡単なことである。車のカギをもって、ボタンを押すだけでエンジンがかかってしまうのではなく、そこに暗証番号を打ち込むという1手順を加えないとエンジンがかからない仕組みにするだけでよい。そうするだけでエピソード記憶が低下している認知症の初期段階の人は車のエンジンをかけられなくなり、今回のような事故は大幅に減るだろう。

車を運転しなくとも、高齢者の生活上の移動手段を整備して確保する方策も必要だが、幼い子供や未来のある若者が、認知症高齢者の運転の犠牲になる事故が、毎年増え続ける現状を考えるならば、認知症になったら運転させない、認知症になる前に、一定の年齢を過ぎたら運転行為から勇退するという考え方が当たり前となる社会を作ることが求められるのではないだろうか。

尊い命を護るために・・・。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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徹底したい統制された情緒関与の原則


介護サービスに対する世間の信頼を揺るがす事件が、また起こった。
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NHK News Web 11月14日 5時19分より
東京 中野区の老人ホームで入居者殺害の疑い 元職員を逮捕
東京・中野区の有料老人ホームで、ことし8月、入居者の83歳の男性を湯のはった浴槽に顔をつからせて溺れさせ、殺害したとして、25歳の元職員が警視庁に逮捕されました。元職員は、「何度も布団を汚したので、『いいかげんにしろ』と思ってやった」と供述しているということです。

逮捕されたのは、東京・中野区の有料老人ホーム、「ニチイホーム鷺ノ宮」の元職員で杉並区に住む皆川久容疑者(25)です。警視庁の調べによりますと、皆川容疑者はことし8月、この施設で介護士として働いていた際、入居者の藤澤皖さん(83)を浴槽に投げ入れて湯をはり、顔をつからせて溺れさせ、殺害したとして、殺人の疑いが持たれています。

藤澤さんは明け方、入浴中に死亡し、警視庁が遺体を詳しく調べたところ、のどの付近の骨が折れていたことなどから、警視庁が当時、宿直の時間帯で担当だった皆川容疑者から事情を聴くなど捜査を進めていました。その結果、藤澤さんの首を絞めたことや容疑を認めたことなどから、14日逮捕したということです。

警視庁によりますと、調べに対し、「何度も布団を汚したので、『いい加減にしろ』と思ってやった」と供述しているということで、警視庁が詳しいいきさつを調べています。
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介護付き有料老人ホームを利用する人が、粗相をして布団を汚してしまうのは、ある意味想定の範囲内で、仕方のないことである。そのことに腹を立てること自体が許されることではないはずだ。ところが、こともあろうにその行為に腹を立てて、利用者を死に至らしむことなどありえない行為で、一片の言い訳の入り込む隙間もない行為である。

これを介護のストレスと絡めて論ずるのはやめてほしい。それほどあり得ない行為であるのだから。

僕が今、日総研セミナー「感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策」で話させていただいている内容にも、メンタルヘルス不調の予防のためのストレス管理が含まれているが、それはストレスが虐待につながるという意味ではなく、大切な人材をメンタルヘルス不調で失わないように、ストレスに敏感になって、職員を護ろうという意味にしか過ぎない。

介護だけではなく、すべての職業にストレスはつきものである。しかしストレスがあるからといって、それを顧客に対する暴力という形で発散する人間には普通ではない。その行為には一片の言い訳も許されるわけがなく、それはストレスが原因で暴力に至っているのではなく、もともとパーソナリティとして欠陥があるとしか言いようがない。そういう人は介護の仕事に向いていないというしかない。

このような事件のたびに、介護の職業が他の職業に比べて特別なストレスがあって、それが原因で利用者が虐待を受けていると捉えられがちであるが、そうではなく、それだけ人材が枯渇していて、介護の仕事に向いていない人間を雇用してしまっているという実態があるという意味合いが強い。

それに加え、事業管理者の人材不足もそこに加わっている。職員のストレス管理以前に、人に相対する職業であるということで、そこで何が求められるのかという教育をしていない管理者・管理職が増えているのだ。職員募集に応募してきた職員を、闇雲に採用して、教育は現場に丸投げという状態では、こうした介護の職業に向かない職員による虐待行為はなくならない。

人は人を見つめすぎると間違ってしまう。見つめた人の、いいものも、悪いものも自分に感染って(うつって)しまうからだ。その時冷静なもう一人の自分をきちんと意識して関わって行くことができるかどうかが対人援助サービスの関わるものに問われてくる。介護という職業は、自分以外の誰かの生活に深く関るゆえに、このことの徹底した教育が必要なのだ。

援助者は自分の感情を自覚し、自分の感情をコントロールして援助するということ。利用者の感情に引きずられて冷静な判断力を失わないという、バイスティックの7原則のひとつ、「統制された情緒関与の原則」を徹底的に学ばせ、浸透させなければならない。

そのためには、徹底的な「自己覚知」を促す訓練が必要不可欠だ。

自分が今、どのような行動をとり、どのように感じているかを客観的に意識すること、自分がどのような感情や意見を持ちやすいか自覚することが対人援助には不可欠なのだ。このことを事業管理者は、きちんと従業員に対して教育しているだろうか?それがされていないとしたら、その管理者は自らの役割をはたしていないという意味になる。

それにしても、このような事件が起きると、いっそのこと感情のないロボットに、自らの身を委ねたいと考えて、早く人に替わる介護ロボットを創ってほしいという声が高まるだろう。

それは介護という職業が、ロボットに替わることが単純作業であるとして、貶められるという意味ではないのだろうか。そんなことがないように、我々は仮に介護ロボットが創られたとしても、そのロボットができない高品質なケアを目指していかねばならないはずである。
12/9(土)に仙台で介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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人材不足だからこそ採用は慎重に


岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」で、7月末から半月で3人が死亡し、2人が負傷した問題は、現在警察が捜査中であるが、このことに関しヤフーニュースで、『5人死傷・岐阜の老健施設「ひどすぎた地元の評判」』という記事が配信されている。

当該施設については、地元では有名な施設で、全国各地から見学者も多かったという評判を聞いているので、たまたまとんでもない職員を採用してしまって、その職員によって信じられない恐ろしい行為が行われていたのかと考えていたが、どうやらそうでもなく、施設自体の評判も芳しいものではないようだ。

リンクを貼った記事の中では、理事長によるパワハラが疑われるような言動も紹介されているし、職員の入れ替わりも激しく、人権も無視した経営がされていたかのようなニュアンスが匂わされているような記事内容になっている。

それにしても本件に深く関っていると疑われている人物については、なぜこういう職員を採用したのかが問われるのではないか。事前にその不適切性を、事業者側が把握することは可能であったと思われるからだ。

配信記事にあるように、岐阜県警は特別捜査本部を23日に設置、事件・事故の両面から捜査を開始しており、疑惑の目を向けられている当人は、一切の関与を否定している。しかし被害者である5人すべての介助に関わっていたのは、この30代の職員一人のみである。

当該人物は、この施設に勤務する前に勤めていた老健施設で、認知症の人の言動にイラついて、突然怒りだしたり、車いすを蹴飛ばしたりする行動が何度も見られたという。

そのためそのため、3ヵ月の試用期間が経過しても、正社員採用は見送られたと報道されているが、正社員採用を見送るのではなく、利用者が座乗している車いすを蹴るような行為を繰り返す人物を、なぜ解雇できないのか不思議である。

試用期間と言えども、労働契約自体はすでに成立しているが、試用期間中の解雇については、通常の解雇よりも広い範囲で解雇の自由が認められており、合理的理由により使用者が解約権を行使できるものとして解釈されている。

本件の場合は、
能力の大幅な不足
入社前に期待していた能力が入社後には全く発揮されず、担当業務をいくつか変えても勤務成績が上がらない場合が該当します。
  
勤務態度の不良
入社後の勤務態度が極めて悪く、強調性もなく、周囲の業務にも悪い影響を与える場合が該当します。

この二つの解雇事由に十分該当するものと思える。結果的にこうした正当な解約権を行使しなかったことが、次の施設に簡単に雇われて、事件につながっているとしたら、介護業界全体が他人ごとではなく、当事者意識をもって解決策を考えなければならない問題である。

当該人物は、この施設は自主退職しているが、そのすぐ後に、同じ市内の本件事案が起きた老健施設に入職しているが、採用時点で同じ市内の老健施設で、正職員として採用されずに短期間で辞めている経緯は、履歴書などから読み取れただろうに、なぜ簡単に採用してしまったのかは大いに疑問である。同じ市内の老健同士なら、水面下で人となりについて、情報交換も可能ではないのか?

僕が特養の施設長を務めている当時なら、こうした疑わしいケースについては、何らかの事前情報を拾い集めて、慎重にも慎重なる判断でしか採用しなかった。人手不足であるから、募集に応募してきた人物をすべて、「とりあえず採用する」というのは一番のリスクである。

介護事業経営者側から見ると、虐待を行う職員をゼロにする難しさとは、採用時点でサイコパスは見ぬけないという問題がある。これが介護事業経営者の最大の悩みであるが、当該職員については、ある程度警報を察することができる人物(サイコパスという意味ではなく、虐待行為につながりかねないパーソナリティを持った人物としての警報)だったのではないだろうか。

介護サービス事業は、人員不足の中で、向き・不向きのチェックが不十分になりがちであるが、募集に応じてきた人を、機械的に採用してしまう中に、対人援助サービスに向かない、スキルの低い人間も存在することを踏まえておかないと、虐待・不適切事例が、「どこにでもある」という風になってしまう。

実際には介護職員の多くは、そうした虐待とは無縁の人々で、そうした虐待報道に、心を痛め何とかしようとする人がマジョリティである。虐待を氷山の一角と世間からいわれないためにも、事業経営者・事業管理者は、採用をより慎重に行ってほしい。

不向きな人を採用すると、結果的には他の職員に負担がかかるだけではなく、経営リスクに直結するという意識を改めて持つべきだろう。


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家族の面会を拒否する権利が施設にあるのか?


神奈川・三浦市の特養に入所していた85歳の男性が、肋骨や尾骨の骨折や顔のあざなどを負う虐待を受けた疑いが浮上し、容疑者不詳のまま刑事告訴するとともに、法人および介護担当の男性介護福祉士を相手取って慰謝料など計約1,680万円の損害賠償を求める民事訴訟を横浜地地方裁判所横須賀支部に提訴した。

この件に関する報道記事をリンク先からご覧いただきたいが、リンク先の記事が消える可能性があるので、要旨を抜粋させていただく。
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訴えを起こした男性は、昨年11/24の施設入所。12/24に右目の腫れや左腰打撲のけがをしたということで、ホーム側から家族に「男性が転倒したのでこれから医師に診せる。骨折などはないが、身体中に痛みがあり、車いす生活になるかもしれない。ただしベッドからの転落は今回なかった」といった主旨の電話連絡をしたとされる。そのご医師の往診をうけてホーム生活に戻り、同30日に家族側が男性への面会に訪れようとしたが、「男性の状態が悪い」との理由で会うことを拒否されたという。

今年1月1日になって再び家族が面会に訪れると、車いすに乗ってホーム職員に連れられてきた男性利用者は、両目まぶたや頬・手にあざが出来ていた。男性の状況に驚いた家族側が救急車を呼び、別の病院に緊急搬送。搬送先の別病院による診断では、新たに左右の肋骨計7本の骨折と尾骨骨折、さらに両目・後頭部・腹・背中などが皮下出血していることも確認された。

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そのほか記録の改ざんが疑われる内容などが記事に書かれているが、怪我の程度や部位を考えると、単なるt転倒であるとは考えにくく、暴力的行為が行われていた可能性が高い。しかし被害者である元入所男性は軽度の認知症もあるそうだから、何が起こったかという真実は明らかにされない恐れもある。

しかしそうであったとしても、この施設が不適切運営を行っていることは明らかだ。感染症の発症などの正当な理由もなく、家族の面会を拒否しているからだ。この一点をもってして糾弾されてよいものだ。

恐らく怪我をさせていた事実を覆い隠そうとして、面会拒否につながったものであろうが、生活施設において本人の拒否がない限り、それ相応の正当な理由なく家族の面会を拒むことはできないはずである。「男性の状態が悪い。」との理由は、正当な理由に当たらず、状態が悪いなら、その状態を確認していただくのが、本来必要な対応である。

過去にも面会を拒否するケースについて批判記事を書いたことがある。例えば2006年に指定取り消しになった札幌のグループホームのケースについて、『介護サービスの「割れ窓理論」再び』で論評したが、このグループホームでは、日常的に家族の面会拒否が行われていたことが後に明らかになった。ホーム側の言い分は、「会うと自宅に帰りたくなる。」というものであった。まったくひどい理由だ。このグループホームでは面会を断られ続け、一度も会えないまま、やせ細って入所〜2月に入院したとの連絡を受けたというケースも報告されている。

面会を拒むというホームには、隠したい何かがあると考えてよいだろう。そんな施設やサービス事業所に、大事な家族を任せてはならない。

そもそもこれからの介護経営リスクマネジメントには、組織力の強化が欠かせないが、その組織力とは、組織内部で行われたことを包み隠す力ではなく、すべてを公にして恥じない状態を作り出す組織力である。組織にとって不都合な状態が生じた場合も、その情報を公開して、改善するという自浄作用を高める組織力である。

これからの時代のコンプライアンスとは法令の遵守を含めた「社会的要請」へ応えることである。法令に違反しているのか、いないのか、のみを基準として画一的に考えるのではなく、介護サービス事業者に社会が期待していることに応えられるように事業運営することが生き残っていく事業者につながる。

そのためには法令に精通した管理部門が内部監査等を含めて違法性をチェックするとともに、サービスの質を管理する必要がある。そうした安全と安心の担保がない事業者は、介護給付費が削減される波の中で、利用者の選択肢が広がり、選ばれて使ってもらえる事業者しか生き残れない時代に、消滅の危機に瀕していくだろう。

事業者のビジョンに反する行為や疑いが生じた場合は見過ごさずに素早く対応し、発生した問題とそれに関連する事実を全面的に把握し、その原因を究明して再発予防の是正措置をとるという治療的コンプライアンスの視点がない事業者は、生き残ることができない事業者になっていくのだ。不適切サービスを密室化させる事業者からは、利用者だけではなく、従業者も消えていなくなっていくだろう。

そうならないために、対人援助サービスの使命を感じ、介護業務にプロとしての誇りをもって従事する人材を育てていく必要がある。

10月から全国7ケ所を廻るセミナーが、その一助になれば幸いである。
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九州北部豪雨災害に対してできること


先週九州北部を襲った豪雨では、今朝までに死者数が20人となり、いまだに20人超の方々が行方不明となっており、250名の方がいまだに孤立しているそうである。幼子を腕に抱えたまま息絶えた妊婦さんの記事を読んで、心を痛めた方も多いだろう。

その豪雨の直前の3日間、僕は博多に滞在していた。7月1日(土)〜3日(月)まで福岡市・博多に滞在して2講演を行っていたのである。

土曜日の講演には、福岡市の人だけではなく、大分県日田市や、福岡県内の朝倉市や久留米市の方々も多数駆けつけてくださった。さらに日曜日の講演には、鹿児島県や宮崎県・長崎県・佐賀県などの方々もおられ、たぶん九州全県の人が、2日間の2講演に駆けつけてくれたものと思う。

その時の博多はうだるような暑さで、青空が広がり太陽が燦々と降り注いていた。しかし天気予報を見ると、沖縄の近くまで台風3号が接近しており、九州に上陸して列島を横断するかもしれないという予報が出されていた。

僕は3日・月曜日の午後の便で北海道に戻ったが、その時の福岡は天気の崩れもなく、その後の大雨の兆候さえなかった。しかも僕が戻ってきた北海道は、やっと夏らしい暑さになりつつある状態で、それからずっと良い天気が続いていた。そんなこともあり、同じ日本の中で豪雨被害が起こることを想像できる状態ではなかった。

しかし九州はといえば、7月5日(水)から記録的な大雨が降り、九州北部を中心に、土砂災害などにより行方不明者が多数出ているとの報道が飛び込んできた。

そのニュースには、甚大な被害が出た地域として、僕の講演を受講してくれた方々の住む、大分県日田市や福岡県朝倉市という地名が出ていた。しかもそれらの地域は、10月に僕が講演で訪れる予定の地域で、今回の福岡滞在中に、その講演の打ち合わせなどもしていたので、ニュース映像で災害の甚大さを目にして、それらの方々の顔が目に浮かび、ご無事であることを祈らずにはいられなかった。
(※ちなみに10月は、10月14日(土)福岡市講演・15日(日)大分県日田市講演・16日(月)岡県粕屋町と朝倉市の2講演・17日(火)久留米市講演の予定である。参照:masaの講演予定。)

僕の知り合いの方が被害にあわれたという話は今のところ聞いていないが、しかし被害は思ったよりも甚大である。被害にあわれた地域では、いまだに避難所生活を送っている人も多く、その数は1.500人を超えているそうである。物資も足りていない避難所もあるそうで、ミネラルウオーターやスポーツドリンク、生理用品などを送ってほしいと訴えているところもある。

そんな中で、被災地域に近い関係者が懸命に物資を届けたり、救援活動に携わったりしている。フェイスブックでも協力を仰ぐ書き込みが目立っている。

九州から遠い地域に住む僕たちは、それらの方々のように直接的に手を貸すという支援行為は難しい。それでも手をこまねいているわけにはいかない。僕たちのできることは、義援金という形で、被災者支援に間接的に協力することだと思う。

インターネットでも、九州北部大雨被害の義援金を募集するサイトがたくさんヒットする。

信用できるサイトを通じて、義援金を送ることが、今僕たちにできることだろうと思う。僕達は大きなことはできないが、小さなことでもできることはある。そういう小さなことを行う積み重ねが大きな力になる可能性がある。

一番ダメなことは、どうせ何も役に立たないと決めつけて、ただの傍観者で終わってしまうことだ。できることがある限り、それを行うことによって、誰かのためになることを信じて、できる限りのことをしたいと思う。

それは他人のためではなく、この国で暮らす同じ仲間のためであり、決して他人ごとではないはずである。

今日の午前中は、介護福祉士養成校での1コマ目、2コマ目の授業を担当して、先ほどその授業を終えたばかりである。学生たちは義援金を送る余裕はないのかもしれないが、できる範囲で、できることをしようと話してきた。

勿論、かくいう僕自身も、真っ先に義援金という形で協力しているのは言うまでもないことである。

小さな力でも、できるだけ広く、長く協力することが大切だろうと思う。みんなで始めよう。みんなで助け合おう。

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ケアマネの犯罪は資格者への信頼を損ねる由々しき問題


2017年6月14日 8時17分付で、 産経新聞 が配信した記事を転載させていただく。リンクを貼ったほうが良いのかもしれないが、数日後にリンク先の記事は消えてしまうために、コピペして転載することをお許しいただきたい。
---------------------------------------------(転載ここから。)
訪問介護で出入りしていた女性宅でキャッシュカードなどを盗み、現金約320万円を引き出したとして、兵庫県警兵庫署は13日、窃盗などの疑いで、神戸市須磨区のケアマネジャー、常陰(つねかげ)珠世容疑者(55)を逮捕した。「預金は頼まれて引き出した」と容疑を否認している。

逮捕容疑は4月18〜26日、同市兵庫区の会社役員の女性宅で通帳2通とキャッシュカード2枚を盗み、銀行から現金約320万円を引き出したとしている。

女性が4月26日に入院した際、カードなどがなくなっているのを親族が発見。探していたところ、5月2日に女性が死亡した後、常陰容疑者が「預かっていた」と返しにきたという。

----------------------------------------------(転載ここまで。)
まったくとんでもないケアマネがいるものである。しかしこのようなことが起きると、何の落ち度もない清廉潔白なケアマネまで影響が及ぶことになる。

いまでも苦々しく思い出すのは、介護保険制度が施行された直後の2001年4月3日に起こった、「和歌山ケアマネ、利用者殺人事件」である。あの事件直後、多くのケアマネが、利用者宅に訪問時に、玄関先から中に入れてもらえないという状況が生じたものだ。

本件は殺人という事件とは異なるが、ケアマネという資格の信頼を揺るがせるという意味では、同じような意味を持つ恐れさえある。

居宅介護支援事業所の介護支援専門員は、居宅介護支援の事業が、指定居宅サービス等の実態を知悉する者により併せて行われることが効果的であるとされる場合もあることに配慮され、他の業務との兼務を認められているために、容疑者は介護支援専門員兼訪問介護員として、2つの立場で利用者支援に携わっていたと思われる。

盗難されたといわれるお金を、容疑者が返しに来たと報道されているが、これはおそらく、遺族が預金通帳がないことに気づいたことを知って、盗難の発覚を恐れて、「預かった」と嘘で逃れようとしたものではないかと想像できる。

このように容疑者は、「預金は頼まれて引き出した」と犯行を否定しているとのことであるが、そもそも介護支援専門員にしても、訪問介護員にしても、預金を預かるという業務はないし、ましてやその預金を引き出すことは許されていない。利用者の預金通帳を持ち、その通帳からお金を引き出した時点で犯行は成立していると言われても仕方がないと思う。ましてや利用者の死後、引き出した預金を自身の手元に置いていたのだから、言い逃れはできないだろう。

こうした犯罪の影響は、お金にまつわる行為にとどまらない。例えば「ケアマネとて人間だから、犯罪者になり得る。」と考えられて、不信感をもって疑って係わる必要がある、と考えられてしまうこと自体が問題で、そのことによって信頼関係を創るという、援助の根底が揺らいでしまうことが大問題なのだ。そのような影響を受けるケアマネが、全国津々浦々にいることだろうと想像し、非常に残念に思う。自分が行った行為とは無関係な場所で、自分の資格や、自分の仕事に不信感を持たれてしまうことは本当に困ったことである。全国のケアマネジャーの皆さんの、憤りの声が聞こえていそうである。

それにしても本件で疑問なことは、預金通帳のお金を、なぜケアマネが引き出すことができたのかということである。暗証番号を聞き出して、キャッシュカードを使ったとしか思えない。なぜなら金融機関の窓口では、本人以外の家族でも、簡単に預金を引き出すことはできないからである。

僕はかつて、母親の成年後見人に任命された経験があるが、息子というだけでは預金は引き出せなかったし、後見人となってその資格で初めて預金管理や、引き出しを行うことができたことを考えると、その取扱いは厳重であったと記憶している。

本件のこの辺りの状況がどうであったのかを知りたいところである。どちらにしても、このような事件が起きた直後であるから、ケアマネに対する風当たりは強くなり、いわれのない非難中傷を浴びることもあるかもしれないが、それにめげずに、黙々と使命を果たしていく以外にないだろう。

全国各地で頑張っている介護支援専門員の皆さんに、改めてエールを送りながら、このような事件が二度と起きないことを願いたいと思う。

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看護師がまったく配置されていない特養の不正請求の意味。


先週発信されたネットニュースの中に、愛知県岡崎市の特養が、看護師を配置していない状態で、不正請求を行い報酬返還指導と効力の一部停止処分を受けたという報道がされている。

詳しい報道内容については、張り付けたリンク先を参照いただきたいが、報道内容をまとめると以下のとおりである。

・岡崎市内の地域密着型介護老人福祉施設が、看護師を配置していないのに介護報酬を不正請求していた。

・これに対し岡崎市は、介護保険法に基づく指定の一部効力を停止する処分とした。

・具体的には、5月1日から8月31日までの4ヵ月間新規の利用者受け入れを禁ずる処分を行ったほか、その間の介護報酬についても3割の減算とする。

・不正に請求・受領した介護報酬額に加算金40%を加えた約14万円の返還を求めて徴収する。


この報道記事を読んで、疑問の声が多数あがっている。時にネットニュースの記事では、「看護師をまったく配置していないのに介護報酬を満額請求するなど不正を繰り返してきたとして。」という文字が躍っているので、看護師がいないのに看護処置をどうしていたのかとか、返還金額が少なすぎないかなどという疑問が呈されている。

しかしこれは、報道記事を配信した記者の知識不足から、言葉が足りない文章として配信されていることによる誤解が生じていることが原因のように思われる。

つまりこの施設は、「看護師をまったく配置していない」のは、事実だろうが、その意味は「看護職員がまったく配置されていない」という意味ではないと思われる。つまり准看護師は規定数配置されていたと思われるのだ。その理由は以下のとおりである。

この施設は、「地域密着型介護老人福祉施設」であるから、看護職員配置は常勤1名でよい。(※サテライト施設であれば、常勤換算で1.0人をクリアしておればよいことになる。)

そこで報道内容をよく読むと、「不正に請求・受領した介護報酬額に加算金40%を加えた約14万円の返還を求めて徴収していくことになる。」とされている。もし看護職員がまったく配置されていなかったとしたら、介護報酬は7割しか請求できないので、返還額及び加算金は、このような金額に収まるはずはない。

よって返還指導を受けているのは、看護師を常勤配置する際に算定できる看護職員配置加算のみであって、基本サービス費自体の返還指導を受けているわけではなく、この施設は3割減算請求の対象ではなかったということだ。つまり看護師ではない、准看護師の配置は基準通り行われていたという意味である。

5月1日から8月31日までの4ヵ月間の介護報酬3割の減算とは、あくまで看護体制加算気良埓祇禅瓩紡个垢襯撻淵襯謄であり、看護職員配置基準減算ではないのである。

このように介護報酬の不正に関する報道では、しばしば記者の理解不足による、内容の混乱した記事がみられることがあるので、介護関係者である読者には、報道内容の隅々をチェックして事実のみをピックアップし、介護報酬の算定構造等と比較検証する分析力が求められる。

そうしないと、いたずらに報道文に踊らされて、間違った情報に基づいた間違った理解をしてしまうことになる。そのあたりは常日頃から注意しておく必要があるだろう。

それにしてもこの施設はなぜ、こんなバレバレの不正請求を行っていたのだろう。しかも指定取り消しにもつながりかねない不正請求といっても、わずかな加算単位だけの不正請求で、あまりにリスクが大きすぎる。このことによって、8月末まで空きベッドが生じても、それを埋められないばかりか、その間の報酬も3割減算である。

ペナルティの加算金を上乗せした報酬返還分と減収分を考えると、これは大きな減収である。わずかな加算報酬を得るために、このような大きなリスクを犯す理由がわからない。その理由はもしかしたらこの施設の管理者の、信じられないほどの理解不足だったのだろうか。そこに悪意があるかどうかは不明だが、管理能力という点では大いに疑問符が付くといって過言ではないだろう。

遵法精神と法令理解は、管理者に最低限求められるものであるという理解が必要だろう。

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介護疲れで追い込まれていく人に何ができるのか


先週土曜日、震災から1年を経た熊本市から悲報が入った。

熊本地震で被災してことにより転居したアパートの一室で、「病気の妻の介護で疲れた」として、74歳の妻の首を絞めて殺した73歳の夫が逮捕された。容疑者は「妻の首を絞めた」と自ら119番し自宅で逮捕されたもので、妻は搬送先の病院で死亡が確認されたそうである。

近所の人などによると、夫婦は2人暮らしで、殺害された妻は7年ほど前から足が悪くなり、地震当時は入院していたが昨秋退院したという。知人女性は「○○さんはいつもご主人に感謝していたのに」とショックを受けていたという報道もされている。

被害者が介護サービスを利用していたかなどの詳しい状況はわかっていない。事件に関連した情報はほとんどない状態といっても過言ではなく、本件に関して何かしらを論評できる状態ではない。

それにしても誰にも相談できずに、こうした悲劇につながった事件は、介護保険制度創設以後も繰り返されている。その原因や理由について、今一度関係者が真剣に考える必要があるのではないだろうか。

介護支援専門員という住民に身近な相談援助職がいて、地域包括支援センターという相談機関が各地域にあるにもかかわらず、こうした悲劇をなくせない原因は何だろう。

自らすすんで相談機関に出向かない人を地域の中で発見したり、相談を勧めたりするためには何が必要だろうか。今何が足りないのだろう。

本件にしても、容疑者となった夫が、それまで連れ添ってきた愛する妻を殺害せねばならないほどの精神状態に陥る前に、どこかに相談しに行けなかった理由は何だろう。このところを明らかにして、悲劇が繰り返されないように対策を講じなければならない。

この国の社会福祉制度には、様々な欠陥があるとは言っても、要介護者を抱える高齢者夫婦世帯に対して、何らかの支援を行って介護負担を軽減させることは十分可能であるし、仮に経済的な問題があったとしても、生活保護制度の仕組みもあり、行政支援をまったく期待できないという状況ではないはずである。

入院先から足の悪い高齢者が帰る場所が、高齢夫婦世帯であるのだから、介護サービスを紹介せずに退院させる状況も想像しにくい。

報道から読み取ると、足の悪い妻が退院したのは、昨年秋ということだから、わずか半年の間に妻の首を絞めるほどの介護疲れが生じたということだ。いったいどのような状態であったのだろうか。熊本地震という災害が影響している部分もあるのかもしれない。

地域包括ケアシステムは、心身のニーズに応じた住み替えを進めるシステムでもあるのだから、夫婦でのアパート暮らしが何より求められるという価値観から離れて、足の悪い妻の居所は、そこで適切であったのかということも考えられて良いだろう。

それもこれも含めての検証作業が必要だ。

地域包括ケアシステムの深化を目指した制度改正が続けられるが、それは地域の中でこのような悲劇を生まないための仕組みであるはずだ。多職種連携とは、入院先から地域に戻った要介護者を、入院先の医療機関から、地域の関係者にうまくつなげ、地域の中で障がいを持った人が安心して暮らすことができる支援体制を作ることであるはずだ。

本件を単なる事件としてとらえるのではなく、地域の介護問題としてとらえる視点がないと、同じような悲劇がこの国のどこかで繰り返されていく恐れがある。そのような悲劇を皆無にできる方法はないのかもしれないが、我々介護問題に関連する関係者があきらめてしまって何も対策をとらないとしたら、高齢化が進む地域社会では、地域包括ケアシステムという言葉と概念だけが存在しても、それは人の暮らしを護るシステムとしては存在しないことになる。

亡くなられた被害者の鎮魂のためにも、我々関係者には今一度、こうした高齢者世帯に手を差し伸べる方法を再考する必要があるのではないか。介護に疲れた人が相談できる場所を広く周知していく努力が求められるのではないだろうか。合掌。
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違法医療行為を繰り返していた法人理事長の「言い分」


広島県下最大規模の老人介護施設のネットワーク拠点を有する医療法人が、広島市と府中町内で運営する7ヵ所のグループホーム(以下GHと表記)等において、違法医療行為を繰り返していたというニュースが昨日流れた。

それによると、同法人の7ヵ所のGHでは、利用者34人に対し、点滴の針を抜くなどの医療行為を介護職員が日常的に繰り返していたほか、介護付き有料老人ホームでは認定特定行為業務従事者の登録を受けていない介護職員(喀痰吸引等研修を受けていない介護職員)が9人の利用者の喀痰吸引を行い、広島市と府中町内のグループホーム2ヵ所でも同様に、認定特定行為業務従事者の登録を受けていない介護職員が、利用者3人に栄養と水分をチューブで体内に注入していたことを確認したという。

このことについて運営指導されたことを受けた同法人の理事長のコメントが、次のように報道されている。

たまたま重大事案には至らなかったが、無資格者による抜針は不測の事態を招く恐れもあっただけに、利用者と職員にも誠に申し訳ない。職員への法令の周知不足などが原因で、研修などを通じて今後は再発防止を徹底していきたい。」

トップの会見でよくありがちな、責任逃れとしか思えないコメントである。少なくともこのコメントには、法人トップとして自分に責任があるという反省の気持ちはうかがえない。

自分が全く知らないところで、職員がそれらの行為を違法性があるとは知らずに実施していたとでも言いたいのだろうか。そのために今後、できることとできないことを周知徹底して是正すればよいというニュアンスがにじみ出てくるコメントであるが、そんなごまかしは通用しない。

医療行為については、医療法等にその具体例が示されているわけではなく、グレーゾーンの存在する問題であるが、本件で指導された、「点滴の針を抜く」という行為を、医療行為ではないと考えている介護職員は存在しない。それは、まっくろけっけの行為であり、それを知らずに、介護職員が行っても良いと考えて点滴の針を抜いている職員はいないはずだ。

喀痰吸引や経管栄養については、介護職員が特定医療行為として実施できるようになったのは、つい最近のことであり、その条件などをめぐる議論が大きな話題になったのもつい最近で、これらの行為を介護の資格だけでできるわけではないというのは常識であり、法令の周知以前の問題なのは明らかだ。

そういう意味で、本件の当事者となった介護職員が、その違法性を認識しておらずに、誤って行ってしまったとか、法令の周知不足のために、違法とは気がつかずに行ってしまったということではないことは明白だ。それらの職員は、違法性を知りながらこうした行為を繰り返していたものであるはずで、それはきわめて悪質な行為であるといわざるを得ない。

しかしそのような悪質な行為を、こんなに多くの介護職員が、個人の判断で行っていたのだろうか。常識的に考えて、それはありえない。状況から考えれば、これらの行為を組織的に行うことの指示・命令があったと考えるのが普通である。

それを誰が指示したのか?それを明らかにしないと本件は解決したことにならない。

なぜならこうした違法行為を行い、それを隠すような体質の事業者には、しばしばその中で職員の感覚麻痺が拡大し、明らかになった違法行為以外に、利用者の権利侵害や虐待が横行するケースが過去にみられるからだ。

例えば、2010/10/3に介護職員が胃瘻の濃厚流動食を注入していたとして改善命令を受けた香川県さぬき市の特養では、改善報告を行った以後も介護職員による注入を続けていただけではなく、「介護の手間を省くため」という理由で、認知症の利用者に食事や薬を与えなかったり、利用者の足を縛って動けないようにしたなど、少なくとも5人の職員が入所者9人に対する虐待が常態化していたことが明らかになったケースがある。

違法状態もばれなければ良い、ばれてもトップを始めとした誰も責任を取らない、という感覚で運営している事業者には、何らかのほころびが生じているのが常である。そしてそのほころびで被害を受けるのは、いつも利用者である。

今回報道された法人の問題も、違法行為の放置にとどまっているのかどうかという確認が急がれる。そこで被害を受けている利用者が居ないとは限らないからだ。

そもそも第3者のような責任感のないコメントをしている理事長が、本件に全く関与していないというのかどうなのか・・・。関与していないとしてもその責任は重たいはずであり、一遍の謝罪コメントだけで逃れられるものではないはずだと思うのだが・・・。

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利用者に対する関心が薄れているとしたら哀しい


先週水曜日のブログ、「信じがたいニュースに触れて」で書いた記事の続報を書く。

僕が昨年度まで勤めていた施設の対応で、「放置虐待」が疑われているということについては、行政査察が行われたのは事実であるそうだ。しかしその後行政処分が行われたとか、監査が行われたということではないようなので、放置虐待という事実はなかったのではないだろうか。

しかしこれだけ大きなニュースになっているということは、何らかの問題がそこに生じていたのであろう。

聴くところによれば、件(くだん)の事案とは、次のような状況であったそうである。

日曜日に遠方から母親の面会に訪れた家族に対し、面会前に看護師から、利用者が発熱し高熱となってる 旨の説明があったが、それに対し家族が詳しい説明を求めても誠意のない返事しかなかった。医者の定期診察は、休み明けの数日後で、家族の意向で病院へ行くことはできるという説明に、家族は無責任さを感じた模様。

実際に面会してみると、母親は激やせして意識もうろうとして話もできない様子で、家族が強く要請し、救急搬送の手配をして病院搬送。(施設の協力病院ではない総合病院)。病院ではこのまま数日放置されておれば危険な状態だったと説明を受けた家族が、施設あてに説明を求める文書を送った。それに対して施設側は、職員の聞き取りを行い、記録類を確認したが、放置等という状況ではなかったと回答。しかしなぜ放置ではないといえるのか、病状がこれだけ悪化した理由は何かという説明はなく、医療機関へ入院対応しなかったことに対する説明もなかったというのが家族の主張である。そしてこのような回答は事務的な対応でしかなく誠意がないとしか家族には感じられず、この回答に憤りを感じ、放置虐待であると監督行政機関等に訴えた。

以上である。これは伝聞なので、「真実」とは言えないことをお断りしておく。しかしこれほどの病状悪化・高熱という状態が数日前から続いていたのに、なぜ家族に連絡していなかったのかが疑問である。それに受診していないことの理由もよくわからない。僕の在職時なら考えられないことである。

また家族が看護職員の説明を誠意がないと感じたのには、施設側の問題がなかったのかという疑問も生ずる。母親が急激に病状悪化していることを聞いて、家族がショックを受けるのは当たり前なのだから、この辺りはデリケートな対応が求められるのは当然で、どのような応接があったのかを検証する必要はあるだろう。(施設内ではすでにされていると思うが・・・。)

家族の問い合わせに対して、文書回答しているようだが、この回答文書は公開する必要がある。実際に放置虐待という状態がなかったとしても、これだけ世間を騒がせ、利用者や家族に不安を与えているのだから文書を公開し、適切に対応していることを証明するのが社会福祉法人としての社会的責任である。

そういう意味で、この文書がなぜ放置と言えないのか、病状の回復に向けた具体的対応がされているのかをきちんと説明する文書になっていることを願いたい。

仮にその文書が問い合わせについては検証したけど、施設の対応に問題はなかったという結論だけで終わっているとしたら、誠意のない回答であるとの批判は受けざるを得ないだろう。この場合、逆に家族がこの文章を公開して批判するという事態も考えられるわけであり、そうならないことを祈りたい。

どちらにしても施設の管理者が文書回答しているのだから、これは公にして、少しでも誤解を解く努力をすべきである。

月間クオリティという雑誌が、理事長のインタビュー記事を掲載しているが、そこでは「施設からは報告を受けて、問題は解決していると聞いている」という趣旨の発言が載せられている。まるで当事者ではないかのような発言には唖然とさせられる。理事長という立場のみならず、施設所属医師を派遣している医療機関のトップでもあるのだから、利用者の健康管理面では当事者であるはずだ。傍観者のような発言は無責任のそしりを免れない。

「愛」の対極に位置するものは、「憎悪」ではなく、「無関心」であるという考え方がある。一連の報道や、僕の得た情報からは、利用者に対する関心が薄れているのではないかという疑念がぬぐえない。

そうでないことを祈るばかりである。
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信じがたいニュースに触れて


日ごろの忙しさにかまけて、以前の職場のことをすっかり忘れて、注意を払っていなかったら、とんでもない知らせが入ってきた。

とある月刊誌に掲載された記事と、地元で発行されている地域新聞の記事で知ったことであるが、そこで利用者放置が問題になっているらしい。道の特別査察が入ったとの報道もある。

利用者放置とは、僕が退職した数ケ月後に起こったケースで問題になっているようであるが、利用者が衰弱しているのに適切な医療処置を行わず、家族の受診要請にも適切に応じなかったということらしく、対象となった利用者を家族が医療機関に救急搬送したケースで、その衰弱ぶりから家族が「虐待」であると行政機関に訴えたということであるらしい。

そこで何が起こって、何があったのかを今の僕は知る立場にない。だから報道内容が真実かどうかもわからない。何かの間違いであることを願うばかりである。

僕が在職している最中は、利用者ケアに関しては何の問題もなかったし、むしろ道内でも有数の高品質サービスが提供されていたことは間違いない。

報道内容が事実とすれば、わずか8ケ月間で何が起こり、どうなってしまったのかということが大きな謎である。僕の退職時に、利用者放置につながるような兆候があったという事実はない。人材不足といわれる中でも、正規職員の募集に対する応募も多く、放置につながるような人員不足という状態があったわけではないのである。

ただ聞くところによると、僕が信頼していた職員が、僕の退職後に何人か退職しているし、長期休業(病欠?)の状態になった職員もいるそうである。その理由はよくわからない。いったい何があったのだろうか。非常に心配である。

僕が一番信頼していた現場リーダーもいなくなっており、僕を含めると現場のツートップが不在になっている状態とも言えるが、だからといって急激にケアの品質が劣化することは考えにくいのであるが・・・。

そもそも僕が退職した理由は、施設内で何らかのトラブルに巻き込まれたとか、何か問題が発生したからではない。勿論、僕が何らかの不正行為を行って、やめさせられたとか、いずらくなったということでもない。

辞めるという決断をしたのだから、それなりの不満はあったわけであるが、それは利用者ケアに直接関連する問題ではない。

はっきり言うと、理事長が交代した後、施設長の仕事が、利用者のケアを考える以前に、理事長に対する報告など内向きの仕事に時間を割かれることが多くなったという不満が退職理由であることは否定しない。

理事長の考え方ひとつで、就業規則や運営規定をも無視して様々な決定がされてしまう個人商店的運営に、危機感を持ち、嫌気がさしたということが辞めると決めた理由である。特にひどいと思ったのは、ほとんど施設に来ない理事長が、ほぼ独断で1.000万円もの巨費をかけて施設内に理事長室を改築増設したことである。その暴挙には僕だけではなく、多くの職員が疑問を抱いていたはずである。あの部屋は使っているのか?

昨年度中に退職したのは地域密着型特養の新設に僕は責任を持って係れないと思ったからだ。僕はその事業をどう試算しても、採算がとれないという結論しか出せなかったので、その実現を図ることには最後まで反対であった。

経営シュミレーションを黒字に書いて出すのは簡単だ。ありえない人員配置と、人件費を低く見積もればよいわけである。しかし実際にそのような人員配置で運営はできないし、職員も集まるわけがない。無理を通して道理を引っ込めるようなシュミレーションで計画した、そんな施設の経営を任されても困るし、開設したは良いが、借入金をきちんと返しながら施設単独で黒字経営できるわけもなく、それに対して個人的な責任を負わされるのはまっぴらだったので、地域密着型特養の建設が始まる今年度を前に退職を申し出たわけである。

ただし僕が退職した後も、職員や利用者の方々は愛すべき存在であることに変わりはなかったので、応援していたし、僕の在職時と変わりなく、職員が仕事に誇りをもって、高品質なサービス提供をし続けてくれていると思っていた。現にこのブログ記事にも、コメントを寄せてくれる前施設職員もいて、つい最近のそのコメント内容からも、頑張ってくれていると安心していた。

それが一転して、今回の報道である。一体何が起こっているのか。

某月刊誌に掲載された理事長インタビューは、まるで自分には責任がないかのように、施設職員にすべて対応と報告を丸投げしているようなコメントだった。これは無責任極まりないといえよう。

このような疑いがかけられた以上、そこで生活している利用者や家族も不安を持つのは当然だろうし、その不安を払拭する責任は最高責任者である法人理事長にあるのだから、きちんと説明責任を果たした上で、自らの責任の所在をはっきりさせないとなるまい。

トカゲの尻尾切りのように、職員の誰かに責任を背負わせて終わりということでは済まない。
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認知症が疑われる人の運転事故で命を失った小学1年生の悲劇


先週の金曜日に、「認知症ドライバーの悲劇」という記事を書いたが、その同じ日に、横浜市で軽トラックが集団登校していた児童の列に突っ込み、小学1年生の児童一人が死亡し、そのほか児童8人を含む11人が重軽傷を負うという事故があった。

この事故の加害者は87歳の男性で、2013年11月に認知症の検査を受けて異常がなかったとされ、同12月に免許を更新している。この事実だけからいえば、この事故は認知症とは別の問題とされ、認知症が原因と考えられる死亡事故のデータには組み入れられないということになる。

しかし加害男性は、27日朝に横浜市磯子区の自宅を1人で出て、軽トラックで県内外を走行。事故を起こすまでの間、自宅には戻っておらず、夜間も軽トラックで移動していたという。逮捕前の聴取では「どうやって事故現場まで行ったのか、よく覚えていない」などと話していたという報道がされている。

このことを考えると、この男性も認知症の症状が出現していた可能性が高い。記憶力の低下は明らかである。つまり近直の免許更新の際の認知症検査の結果など、何も意味をなさないということだ。運転していた当日が、どのような状態であったのかということで、事故原因を検証せねば、本当に必要な対策には結びつかないのである。

アルツハイマー型認知症の場合、その原因となるアミロイドベータの脳内蓄積は、認知症の症状が出現する10年以上前から始まっていると考えられている。それがやがて脳内でタウタンパクに変質し、脳血管を圧迫し血流を止め、脳細胞を壊死させ症状が徐々に進行していく過程で、「運転動作はできるが、記憶力や判断能力が著しく衰えている人」を生んでいくのだ。

その理由は、運転という行為が、「手続き記憶」であり、海馬が大きく影響しているエピソード記憶と意味記憶とは異なり、小脳にその記憶がたまるという記憶の回路の違いによるものであることも明らかになっている。そして認知症の特徴は、「記憶力や判断力の衰えを自覚できない」ということでもあるのだから、周囲の人が強制的に運転をやめさせるか、手続き記憶だけでは運転できない車を作るか、どちらかでしか、こうした事故を阻止できない。

周囲の人が強制的に運転をやめさせるのは、周囲の人に、「運転できてしまう認知症の人がいる」ということを知らしめる必要があるし、そうであっても判断力や運転動作の一部は衰えており、それは車を凶器に変えるものだという理解と危機感がなければならない。今後、認知症の人が今以上に増える社会では、そうした啓もう活動は必要不可欠であり、地域包括ケアシステムの機能の一つに、運転できる認知症の人が運転しないようにする対策を、地域ごとに意識して組み込んでいく必要がある。

同時に、自動車製造メーカーのコンプライアンスとして、認知症になったら運転できない車の開発が求められ、それは自動運転以上に必要とされる技術であるという自覚がメーカーに求められると指摘したい。

今後増え続ける認知症の人が、手続き記憶だけで運転して事故を起こすことがないように、検査結果で運転するかどうかを判断するのではなく、認知症になったら運転できない自動車開発が自動車メーカーの責任と義務なのである。。

そしてそれはさほど困難なことではない。アルツハイマー型認知症の初期症状は、「エピソード記憶」の衰えから始まり、特にそれは新しいことが覚えられないという短期記憶の障害から始まる。それはこの病気が、情報処理をつかさどる、「海馬」周辺の血流障害が生ずることによって、新しい情報が海馬にたまらず記憶できないということなのだから、それを利用して、車のエンジンをかける際に、エピソード記憶である暗証番号を打ち込まないとエンジンがかからない車を開発すればよいだけの話で、それは技術的には極めて簡単であるし、開発費用もさほど掛からないし、車の購入費用がそれによって増加し、ユーザー負担が大幅に増えるということでもないように思われる。

28日の横浜の事故では、登校途中の小学1年生が命を奪われている。未来のある尊い命が、こんな風に奪われてしまうことを少しでも防ぐために、しなければならないこと、できることはたくさんあるはずだ。一日も早い対策をしなければ、似たような悲劇が日本中で繰り返されていくことになる。

国・政府も、このことの危機感を持ってほしいと思う。こんな悲劇はもうたくさんだ。
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みにくい衝動を正当化する論理を許すな


社会福祉実践は「人間尊重」の視点を基盤とするものだ。

人間尊重とは、人がどのような能力を持っているか、どのような状況に置かれているかに関係なく、人として存在していることそのものに価値があるという人間観だ。

それは決して建前ではなく、我々の唯一絶対の人間観である。なぜなら人の尊厳を護ることも、この人間観によって支えられるものであり、それがなくなれば社会福祉実践は成立しなくなるからだ。そしてその人間観を失うことは、我々の存在意義さえ危うくすることを意味する。

かつてこの人間観に立ちはだかったナチスドイツは、優生学思想基づいて、社会の役に立たないとした人々を殺戮する政策を実行した。そしてその対象は、精神病の人や遺伝病を持つ人からはじまり、労働能力の欠如した人、夜尿症の人、脱走や反抗した人、不潔とされた人、同性愛者などに広がっていったという。

人類として最も恥ずべき卑劣な行為が、国家政策として行われていたわけである。人間は愚かだ・・・。

我々は二度とそのような愚かな行為を繰り返さないように、今居る場所で人間尊重のアクションを続けていくしかない。声を大にしてそのことを唱えていくしかない。

相模原市の知的障がい者施設の事件は、人間尊重の人間観を破壊し、その人間観を持つすべてに人を迫害する卑劣な行為であるが、それが薬物に基づく病的な思想から発する動機だとしても、決して許されるものではなく、一分の正当性も認めてはならない。

そのような醜い衝動を正当化する理屈に、我々は決して屈してはならない。

事件そのものについては、8/2に配信されるCBニュースの「快筆乱麻!!masaが読み解く介護の今6」で論評する予定であり、ここでは触れない。

何度も言うように我々は社会福祉実践者として、人間尊重をすべての社会で実現するように務めていかねばならない。そうであれば、こうしたショッキングな事件が起こった直後だからこそ、その人間観に基づいた実践に歪みがないかを振り返り、検証すべきである。

重い認知症をもつ利用者や意識障害のある人に対して、そうではない人と違った対応をしていないか、サービスマナーの低下が見られないかということも検証する必要がある。家族に対して丁寧語で会話する職員が、利用者に対して貯め口で話しかけるのは、この人間観を破壊し否定する行為につながりかねない。

分け隔てた対応そのものが、知らず知らずのうちに利用者の人権を侵害し、虐待につながる恐れとなっていく。それはとても怖いことだ。

その怖さを自覚し、常に自戒しながら人間尊重の基盤が揺らがないようにしていかねばならない。

それは今ここで我々がなし得る、被害者への唯一の慰霊の行動である。

人間の価値に差はない

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人員不足っていう問題ではないと思うが、闇は深い


現在の職場に変ってつくづく思うことは、人事責任に煩わされなくなって、ストレスなく毎日を過ごせるようになってありがたいということだ。

3月までは、退職者の補充をはじめとした人事を、ほぼ僕一人の責任でこなしていたので大変だった。

前の職場は、職員の離職率が高いわけでもなく、正規職員の募集には必ず応募がある施設だったが、契約職員やパート職員の補充は大変であった。しかも特養だけではなく、デイサービスも含めての管理だったので、毎日職員の定着と教育、新規採用に頭を悩ませる日々で、道外講演の最中でもそのことが頭から離れることはなく、夢にまでも出てきたりした。

その点、現在の職場ではそういう責任はないので楽である。これは非常に大きなことである。

それにしても介護施設の人材不足は深刻である。全国どこの職場でも、職員採用を担当している人は大変な思いをしているのだろうなと思う。

現場も人が足りずに、ギリギリの状態で回している介護施設が多いから、職員募集に応募があれば、とりあえず採用してしまうという傾向があるが、このことは悪循環を生んで、ますます介護の人材不足を深刻化させている。

どういうことかというと、どこでも採用されるから、介護職員は売り手市場である。そうであれば売り手のスキルに関係なく採用されるから、スキルを挙げようと努力をしない人も、引く手あまたで、気に入らない職場は、さっさと辞めて、次の職場を探すのに困らないということになる。

それらの人々が気に入らない職場とは、必ずしも介護サービスの質が低い職場ではなく、単に自分が気に入らない職場であって、上司や先輩のまっとうな指導さえ、それが気に入らなければいつでも辞めてやると考えている人も含まれてくる・・・というより、複数の職場を渡り歩くような人は、このタイプの人が多いのだ。

人が少ないからといって、このような人を雇用してしまうと、人の数は増えたけど、サービスの質は下がるし、他の職員への負の影響も出るし、それやこれやの対応で時間が割かれ、職場も混乱して、結局はいないほうがましだったということになりかねない。そういう経験をしている施設が多いのではないだろうか。

だから人手不足であるけれども、職員採用はじっと我慢で、慎重に良い人材を選りすぐっていくという考えも必要である。まず採用ありきで、とりあえず雇用して、数さえ揃えれば何とかなるだろうという考えは禁物である。求めるべきは、人員ではなく人材であるという基本を忘れてはならないということだ。

しかしそう考えていても、人材を見極めること自体が難しいという問題もある。簡単な採用試験と短時間の面接だけで、そのような見極めが出来るわけがない。特に僕自身は、この見極めが苦手だという自己覚知があるために、前の職場でも採用に関する面接は、決して一人では行わなかったし、意見が割れた際には、他人の意見を採用することにしていた。

それでも当たり外れは付きもので、ふさわしくない人物を採用してしまった場合は、出来るだけ早くに、「向いていない」ことを自覚してもらって、自ら退場していただくようにしたほうが良い。雇うほうも、雇われるほうも、双方が我慢してなんとなく働き続けていると、そこでひずみが生じ、それが利用者に向かったら、虐待などの取り返しのない事態に繋がりかねないからだ。

虐待といえば・・・先週驚くべきニュースが耳に入ってきた。

東京都内で仕事をしていた25歳の男性介護士が、勤め先の介護老人保健施設で、入居者の70代女性のベッドに潜り込み、服の中に手を入れて女性の胸や腹などを触ったとして、強制わいせつ容疑で逮捕され、「いけないこととは思いながら、やってしまった」と容疑を認めているというのだ。

とんでもない事件だし、容疑者にはどのような罵声を投げつけても足りないくらいではあるが、同時にこういう事件が起こると、施設の管理者としてはどうしたらよいのだろうと呆然としてしまう。

若い男性を雇用する際に、介護施設の高齢女性に、わいせつ行為を行うかもしれないなどと考えて、事前にそのようなことを防ぐ手立てを考えている管理者なんていないのではないか。そのようなことはありえないことだから、手立する必要も考えていないというのが現状だろう。

そういうありえないことが起こった。これを今後どのように対策するべきなのか・・・そもそもそのような人物をどう見極めるのか・・・。これはもう運を天に任せるしかない世界である。困ったものである。

ただひとついえることは、この問題を介護のストレスに転化して考えてほしくはないということだ。こんなのは異常な性癖の大ばか者が引き起こした、きわめて異常な事件であって、犯人の心の闇を解いたところで、何の教訓も生まれないのだと断言しておこう。
大阪・介護の陣

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愚痴を垂れ流しても待遇は変わらない


川崎の有料老人ホームでの、高齢者転落殺人事件を、介護施設等での激務が原因であるとして、介護という職業そのものが抱える問題と論評するニュース等が目立つ。

この問題を介護のストレスと関連して論じている向きは多いが、ストレスがあるから3人もの無抵抗な高齢者を、極めて計画的に冷静に殺すことがあり得るというのだろうか。あの事件は、極めてまとめでない人間が、自らの欲望と快楽の追及の果てに行った行為であり、このことを介護ストレスや待遇の低さと絡めて論じても仕方がない部分があると思う。

馬鹿な論者の中には、介護労働の大変さと待遇の低さの現状を挙げて、こうした事件が発生するのは当たり前のように論じている人間もいる。お前がそうであっても、大多数のまともな人間は、そうした殺人とは無縁の世界に生きていると言いたい。

だからといって、介護労働の対価が十分なレベルであるとは言わないし、このままでいいとも言わない。介護サービスを必要とする人の数は、2040年ころまで増え続けると予測できるのだから、それに対応する職員数を増やすには、その職業に就く動機づけが必要で、職業である以上、収入という動機付けを無視するわけにはいかない。決して贅沢を望むわけではなく、つましくとも伴侶を持ち、子供を養っていける収入にしていかねばならない。適齢期の男性職員の「結婚退職(結婚して妻を養っていける収入ではないから、もっと収入を得られる他業種に転職すること)」があってよいはずがない。

そういう意味では、介護職員のみならず、事務職員も含めて、介護という職業に関わる人々の給与はもっと支払われるべきだし、そのための介護給付費の体系が求められる。そうしない限り必要とされる介護サービスの量は確保できない。そこで働こうとする人が足りなくなるからである。

給料は安いままですが、皆で介護の職業を目指して、よいサービスを作ってくださいと言ったって、なんの説得力も持たないので、きちんとした給与体系を作る努力は、経営者にも求められる。

しかしそれは殺人事件が起きるから対価を上げろと言う意味でもない。介護という職業は、今よりずっと対価が支払われてもよい労働である。それだけ社会的に価値がある職業だからだ。そしてこの仕事は社会福祉に関わる労働であり、社会のセーフティネットを担う仕事であるのだから、本来は市場経済と別な視点で国家が責任をもって、構築すべきものである。そこにはきちんと国費をかけて護るという責任があるのだ。

ただしそれが素人でもできる仕事と評価を受け続けるなら、今程度か、もっと安い対価で良いということになる。そうしないためにも専門性を発揮する仕事ぶりが求められるのである。

例えば、「業務中の言葉遣いに気を使わない職業は異常だ。」で指摘したような、汚らしい言葉による接客であれば、素人と変わりない単純労働として、安かろう悪かろうという労働に陥ってしまう。

現状の待遇が悪いから、その態度を変えなくてよいと主張する馬鹿も多いが、それでは何も変わらないということだ。

看護師だって(言葉の悪さは評価できないが)、もともと待遇の低い汚れ仕事と評価を受けていた時代があって、その中でも「看護」の専門性は何ぞやという問いかけをずっと続け、社会的にその専門知識と専門技術をアピールし続けた結果、それが評価されて現在の社会的な地位を獲得したという歴史がある。

その時に運動したのは看護師自身であるが、介護の世界では、そのアピールや運動を人任せにして、何もしない介護職員が多すぎる。それが社会的評価につながらない一因である。

では何ができるのかと言ったら、介護職員は介護という職業の中で、自らの専門性を示す以外になく、それは正しい接客態度から生まれ、感覚麻痺を起さない環境で、日々の援助技術の質を上げることに尽きる。

君たちの目の前のお年寄りや、その家族に評価されないで、何の社会的評価かと言いたい。

目の前の人の評価が、地域での評価につながり、地域での評価が社会全体の評価になっていくのだ。目の前の仕事、毎日の介護業務の中で、人の暮らしを護るエビデンスを創ろうと日々励む先にしか、介護という職業の評価も、待遇改善もない。待遇が低いから、サービスの質を上げる努力もしないという人が存在する現状が、待遇が劇的に変わっていかない一番の理由である。

アミーユ川崎幸町で行われた一連の行為は、逮捕拘留されている容疑者の殺人事件のみならず、隠し撮りビデオに映った暴言を吐く職員も含めて、あってはならない行為で、人として夜されない行為である。それは介護現場への不満とストレスの前に、そうした不満とストレスのはけ口を、罪なき物言わぬ高齢者に向けるという感覚麻痺によるものである。

この感覚麻痺が当たり前で、やむを得ないという評価の場所に、どうして国民が国費を今以上につぎ込むことを許すだろうか。そんなことはあり得ないのである。

だから我々は、Sアミーユ川崎幸町の状態が普通ではないと主張すべきだし、そう主張できる介護サービスの質を創り上げていくべきである。

我々のサービスを必要とする人々とは、一人一人がかけがえのない存在であることを忘れてはならない。

戦後70年と盛んに言っていた昨年と比べ、今年はそのようなことを言う政治家も官僚もマスコミもいなくなった。しかし今年は確かに戦後71年であり、あの戦争を経験した悲惨な体験を持つ高齢者が、私たちのサービスを使っているという事実がある。

それらの人々が、あの悲惨な時代を生き抜いて、長生きして良かったと思えるのか、あの時死んでおけばよかったと考えるのかは、私たちの手の差し伸べ方ひとつで変わってくるのかもしれない。介護とはそれだけ重い責任と使命を持つ職業だ。だからプロとして関わる我々には、誇りが必要だ。

Sアミーユ川崎幸町で、投げ殺された人は、あの悲惨な時代に青春真っ只中を過ごし、生き延びた尊い命を、あんな形で奪われた。本当にやるせない。そんな事件の原因が、仕事の不満やストレスで片づけられてよいわけがない。

そういう当たり前の主張が、当たり前に受け入れられる職業でないと、誇りを持つことはできないだろう。

そういう誇りを求めない人がいるとすれば、その存在自体がごみのようなものである。自らの職業に誇りを持たずに、その仕事で食べて生きることを恥じろ。

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認知症鉄道事故裁判が積み残した課題


認知症の男性(当時91歳)が、妻がうたた寝している間に、自宅から外に出て徘徊中に列車にはねられて死亡した事故をめぐり、JR東海が遺族に損害賠償を求めていた訴訟の最高裁判決が下された。

その結果は、死亡男性の家族に賠償を命じた2審判決を破棄し、JR東海側の請求を棄却した内容となっており、これによって家族側の逆転勝訴が確定した。

家族側の逆転勝訴という裁判結果については、最高裁判決前日に書いた記事、「認知症徘徊列車事故訴訟の最高裁判決の何を注目すべきか」 で予測している通りとなった。

しかしその記事で指摘した、「損害賠償」については、何も論じられず、本件についてはJR東海がどこからもその補償がされないという結果に終わった。毎年1兆円以上の収益を上げているJR東海が、このことによって経営危機に陥ることはないが、だからといって、この問題を被害を受けた側の「泣き寝入り」のような結果に終わらせて良いのだろうか。そうした疑問が残されたままの最高裁判決であると言える。

この点は今後、国民議論となることを期待したい。

もう一つ、この裁判結果では気になることがある。新聞にはこぞって、「家族の監督責任なし」と言う見出しが躍っているが、判決要旨を読む限り、監督責任がなしとされたのは、本件の状況を判断した結果であり、それは個別に事案によって判断されるという点である。(参考:本件の最高裁判決文全文

本件では、1審で妻とともに監督責任があるとされ、損害賠償を命じられた長男については、20年以上別居していたことから監督義務者に当たらないとされている。(※長男の監督責任は2審ではなしとされた。)

1審2審とも監督責任があるとされ、2審では360万円の賠償を命じられた妻については、事故当時85歳で、要介護1という認定を受けていたことから、認知症の夫を監督することはできなかったとして、こちらも監督義務者に当たらないと判断した。

このように最高裁は今回の判決で、配偶者や子、成年後見人といった立場だけで、監督義務者になることはないという判断を下したものの、同時に認知症の人との関わりや、同居の有無、介護の実態を総合的に判断して、「監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合」には、監督義務者として賠償責任を負うとしている。

ただしこの判決では、監督義務があった場合の免責条件は示されなかった。

つまり今後個別の事案を精査する際には、家族の監督責任が問われる場合もあり得るということになる。

判決文の中で、「四六時中本人に付き添っている必要があり,それでは保護者,後見人の負担が重すぎるということなのである。」とか、「認知症高齢者の在宅での介護は,身近にいる者だけでできるものではないが,身近にいる者抜きにできることでもない。行政的な支援の活用を含め,本人の親族等周辺の者が協力し合って行う必要があることであり,各人が合意して環境形成,体制作りを行い,それぞれの役割を引き受けているのである。各人が引き受けた役割について民法709条による責任を負うことがあり得るのは別として,このような環境形成,体制作りへの関与,それぞれの役割の引受けをもって監督義務者という加重された責任を負う根拠とするべきではない。」などとして、認知症の人の行動をすべて監視・対応できないことに理解を示しているが、これはあくまで裁判官個々の意見を列挙したものに過ぎず、判決の根拠とされているわけではない。

果たしてこの結論で良いのだろうか?

仮に本件と同じケースで、妻が要介護認定を受けておらず、心身の状態に全く問題がないとされ、監督義務を負うとされた場合に、うたた寝して認知症の夫が外に出たということは、監督義務不履行に該当して、賠償責任を負わねばならないのだろうか。そもそも監督義務者だからといって、認知症の人の全ての行動監視が可能なのだろうか。

このことに関しては、2013年12月11日に公益社団法人 認知症の人と家族の会が出した意見書でも、「介護保険制度を使っても認知症の人を 24 時間、一瞬の隙もなく見守っていることは不可能で、それでも徘徊を防げと言われれば、柱にくくりつけるか、鍵のかかる部屋に閉じ込めるしかありません。」・「認知症であるがゆえの固有の行動から生じた被害や損害については、家族の責任にしてはいけない。」と提言している。

これは極めてまっとうな意見であると言え、認知症の人がさらに増える社会であるからこそ、認知症の人が地域で暮らし続ける社会を築くために、その家族に過度な監督責任を負わせず、街ぐるみで認知症の人を見守るという視点が求められるのではないだろうか。

少なくとも監督義務があった場合の免責条件については、一定の基準なり、例を示して欲しかったと思う。

そういう意味で、今回の最高裁判決について、もろ手を挙げて歓迎できるとまで言えないのである。

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認知症徘徊列車事故訴訟の最高裁判決の何を注目すべきか


認知症で徘徊中に列車にはねられて死亡した男性(当時91)の遺族に対し、JR東海が損害賠償を求めた訴訟の最高裁判決が明日示される予定である。

認知症徘徊の列車事故訴訟に新たな動き」で紹介した通り、この裁判については、1審・2審とも年老いた妻の監督責任を認め、損害賠償を命じたものの、最高裁判決を前に、原告・被告双方から意見を聞く弁論が2/2に行われたことから、高裁判決を破棄して、被告の監督責任がないとする最高裁判決が言い渡される可能性が高い。

2審でも問題とされた、玄関のセンサーについては、認知症の夫の徘徊を防ぐ目的ではなく、その夫が認知症になる前に自宅で不動産業を営んでいたことから、来客がわかるように設置したもので、そもそも介護とは関係ないという長男の証言がある。そうであればそのセンサーを切っていたと言う事実に対する監督責任は、介護とは関係のない設備の使用を求めているもので、さらにそのセンサーは、飼い犬にも反応してしまうため、徘徊防止にはならず、むしろセンサー反応で、死亡した認知症の男性の混乱が助長されるために、センサーを切っていたという主張は納得できるものである。

そういう意味でも1審・2審の判決は、説得力に欠ける判決と言わざるを得ない。さらに認知症の人の事故で「夫婦だから」という理由で年老いた妻に、それと同様の重い義務を負わせるのには疑問であるという意見も多い。

そんな中での判決である。

しかしこの裁判結果に注目すべき点は、被告の監督責任がなしとして賠償義務がないとされるのかどうかということではないと思う。

このことはリンク先の記事でも主張しているが、むしろ監督責任がなしとされ、賠償を命じた1・2審判決が覆った際に(覆る可能性が高いと思う)、JR東海が被った損害は誰がどのように補償するのかという問題である。

勘違いしてはならないのは、原告のJR東海は、理不尽な要求をしているわけではないということだ。現に列車事故により被った損害賠償を、事故原因となった徘徊中に列車にはねられて死亡した男性(当時91)の遺族に求めているという訴訟であり、損害自体は生じているもので、賠償を誰かに・どこかに求めること自体は、決して無法でもないし、社会常識に照らして逸脱した行為でもない。

この時に、家族や夫婦という理由だけで、認知症の人の行動をすべてコントロールできるわけではなく、当事案が監督責任も及ばないものであるとされたときに、JR東海の損害を誰が保障するかという問題が、一番注目すべき問題であると思う。それは決してJR東海が泣き寝入りして終わって良いという問題ではないのだろうと思う。

今回損害を受けたJR東海という会社は、この損害賠償が認められなくとも、そのことで会社経営が危うくなるわけではないだろうが、今後認知症の人が増え続ける社会で、こうした事故は対策をどのように採ったとしても完全に防ぐことは出来ず、その数が増えることが予測される。そのたびに損害を受けた会社が、「誰の責任でもない」ということで、損害を賠償されないとしたら、それこそ経営危機に陥る。

もっと身近な問題として考えるなら、こうした損害が会社ではない個人に及ぶ可能性も高いということだ。

今後の社会では、認知症の人の事故は、鉄道に限った死亡事故ではなく、一般道路で普通に運転しているドライバーを巻き込んだ事故として起きる可能性が高い。その時に、事故当事者となり自家用車等が廃車になったとした場合、誰もその損害を賠償してくれないとしたら、認知症の人が道路に飛び出して事故を起こした当事者自身の運が悪かったで、すべての問題が処理されることになりかねない。それでよいのだろうか。

その唯一の解決策は、社会的な損害補償ということにならざるを得ないのではないだろうか。

明日の判決が、そのことを含めて何かを示唆する内容になっているかどうかが、一番注目されるところだと思う。

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殺人の犯行理由が仕事への不満やストレスであるなんて嘘だろう


殺人事件へと発展した、Sアミーユ川崎幸町で起きた入所者連続転落死事件。

亡くなった3名の方は、いずれも80代と90代の方々。青春真っ只中の時代に、あの苦しい太平洋戦争を生き抜いて、高度成長期の日本を支え、人生の最晩年期に安息の地を老人ホームに求めた人が、安住の地であるはずの場所で、そのホームの職員にむごい仕打ちを受けて、その人生を閉じなければならなかった無念はいかほどだろう。本当に哀しい事件だ。

このホームでは、事件以外にも日常的な職員の暴言や暴行まがいの乱暴極まりない介護が行われていたことが、利用者の家族の隠し撮りビデオによって明らかになっているので、日常的な労務管理・職員教育等が、全くなっていなかったという意味で、その管理責任は当然問われてくるだろう。

しかし、こと「殺人」という事案に絞って考えると、労務管理でこの事案を防ぐことができたのかは、短絡的に結論付けられる問題ではない。

例えば事件の容疑者は、面接に際してきちんとスーツを着用し、面接官の質問にも丁寧に答え、救急救命士の資格を介護に生かしたいことや、家庭内での介護経験を通じて介護という職業に興味を抱いた経緯を説明したという。その裏に、どのような心の闇が存在しようとも、面接という場面で、そのことに気が付く面接官はまずいないと言ってよく、逆に好印象を持って、「未経験ではあるが、将来有望な人材である」と考えても、そのことは決して非難できることとは言えない。僕自身の経験でも、面接では何度も騙されている。人材の見極めなどできるはずがないのである。

その後の勤務態度がどうであったのかは、今後問われてくるであろうが、しかしこの事件の現場となった施設に限って言えば、複数の職員が、介護施設を密室と化して、その中で神のごとく、暴君のごとく、利用者を虐待していたのだから、客観的な勤務態度の評価ができる環境にさえないというのが実情だろう。そこではメンタルヘルスケアという概念さえも存在していなかったのかもしれない。職員のストレスチェックも、なされていないのだろう。なされていれば、隠し撮りビデオの状態にはならないはずだ。

そんな中で最初の転落死が発生した。だからといって管理者はじめ他の職員が、職員の殺人を疑うということはまずないと言ってよいだろう。殺人という行為を行う人間が、自分のすぐ近くに存在していることを現実問題として考えている人間は少ないと思え、事故と考えてしまうのは人情である。

しかし短期間に2度目の転落死が起こり、しかもその際の宿直者が同じ人間であったという時点で、なぜこの施設の管理者は疑いの目を向けなかったのかは大いに疑問である。この状況はあり得ない可能性を疑うに足るだけの異常な状態であり、この時点で容疑者を夜勤から外すという処置をとらなかったことは、大いに非難されるべき問題だと思う。

第1第2の殺人は防ぐことができなかったとしても、第3の殺人は防ぐことができたのではないかと考えてしまうのである。

それにしても犯行を自供した容疑者の供述から、この犯行が職場への不満や、介護という仕事のストレスに起因しているとの報道が目につく。

しかしそれは本当なのか?容疑者自供しているから、それは真実であるということにはならないぞ。たしかに対人援助という職業は、様々な場面でストレスが生じやすいことは否定しない。しかしそのようなストレスは、何も介護という職業特有のものではないし、どの職業にも多かれ少なかれ存在するものだ。そもそも職場への不満や、仕事へのストレスが人を殺す動機に直接つながるものなのか?それなら日本中で一体、年間何人が殺されなければならないというのだ?

不満やストレスが、殺人につながるというなら、それは極めて衝動的な行為にならざるを得ないのではないのか?しかし容疑者の今回の殺人は、衝動的な行動の結果ではなく、極めて計画的で、冷静な行動の元に行われている。

寝ている被害者に声をかけてお越し、気分転換の散歩を理由にベランダに連れ出し、そこから冷静に体を持ち上げて落としている。しかもそれは他の宿直者に疑われない時間帯と場所を選んでの行動であり、犯行後は第一発見者を装い、救命行為を行っているようなふりもしている。

これは通常ならば、感情的な起伏のない衝動ではない快楽殺人であり、サイコパスが疑われる行為である。サイコパスではないとしたら、例えば窃盗の証拠を隠すための行為ではないかと疑いたくなる。

どちらにしても介護施設で、職員による連続殺人が行われた=介護という職業のストレスに起因した問題というのでは、あまりにも筋書きができ過ぎた犯行動機である。容疑者の心の闇は、もっと深いところに存在するはずだ。施設内で窃盗を繰り返し、そのお金を同僚などにおごるなどして派手に使って、自分は他からも収入を得ているかのように装っていた自己顕示欲は、どこから来ているものなのかも含めて、容疑者の深層心理を見つめる視点が必要である。それはおそらく、この容疑者が他の職業に就いていたとしても、いつか表面化する問題ではなかったのだろうか。

ここを深くえぐり出していかないと、介護という職業が悪役にされ、そのダウンイメージはさらに深刻になるだろう。介護という職業のマイナスイメージを助長して、この殺人事件の原因としたところで、問題の根本解決にも、将来への教訓にもならないだろう。

どちらにしてもこの事件によって失われた貴重な3人の命が、無駄死にならない考察を願うものである。Sアミーユに関していえば、親会社のメッセージも含めて、その周辺にたくさんの不適切介護が存在したという事実を、もっと真摯に受け止め、介護事業の経営を、その多角化実績とともに認め治してほしい。橋本CEOは、もっとこの事件全般について、自らの言葉で説明する責任があるのではないか・・・。

介護は、決してお金持ちにはなれないし、ストレスの生じやすい職業であることも否定しないけど、それ以上に人の笑顔と幸福につながる、得難い誇りある職業である。それを穢す人々には憤りしか感じないが、日本中の憤りの声は、これからいったいどこに向かえばよいのだろうか。

我々にできることは、我々の目の前にいる人々の幸福を目指して、小さなことを大きな愛をもって続けていくしかないのだろうと思う。

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心の中に自らを写すカメラを持っていよう


昨年一番ショックを受けた事件とは、川崎市の有料老人ホーム(特定施設)「Sアミーユ川崎幸町」にて、一昨年11月4日から12月31日までの間に当時85歳から96歳までの男女3人の入居者が、相次いで同一方向の居室ベランダから転落死していたことが明らかにされた件である。

さらに同ホームでは、3人が転落死した際のいずれも当直夜勤者として現場に居合わせた当時23歳の男性介護職員が、入居者たちから金銭や貴金属合わせて約200万円余を盗んだ疑いで神奈川県警に逮捕されて懲戒解雇されたほか、別の男性介護士ら4人が、入居している85歳女性を虐待していたことも、家族による隠し撮りカメラの映像から明らかになっており、この件では3人が書類送検されている。(当事者4名は既に退職しているとのことである。)

この件で監査に入った川崎市の処分は、市への介護報酬請求と入所者の自己負担分の請求を、今年2月1日から4月30日までの3ヵ月間停止させる処分とし、昨年12月21日に「指令書」を手渡したと報道されている。行政処分としては、これで終わりということなのだろう。

しかし3名もの利用者が不審な転落死をしている件についてはどうなるのだろうか。このまま事故として処理されて終わりなのだろうか。そうであれば遺族の方々はなんとも無念で、納得がいかないだろう。

今後、刑事事件として立件される可能性はあるのだろうか?このままの幕引きで終わるとしたら、法治国家とはなんなのかと命題を、この国は背負うことになるような気がしてならない。

さて転落死の件とは別に問題となった、隠し撮り映像について考えてみたい。

このようなケースが報道されると、認知症で正確な状況を自ら訴えられない人の家族は、自分の親が介護施設等の中で、どのような扱いを受けているのか、適切なケアを受けているのだろうかと不安になって当然である。

そうであれば、特段不適切な行為があると感じられない施設であっても、今後家族が隠し撮りして状況を確かめようとすることは十分あり得るだろう。

それは自分の家族のプライベート空間を、家族を護ろうとして隠し撮るわけであるから、違法性は問われないだろうし、そこで映るであろう施設職員の行為は、施設職員のプライベート場面ではなく、施設サービスという業務としての行為であり、このことを隠し撮ることも、特段違法性はないように思える。

まあこのあたりの法律論は多少怪しい部分もあるやもしれないし、そのことはともかくとしても、介護サービスの実態が、隠し撮りされる機会は多くなりこそすれ、少なくなったり、無くなったろすることはないだろう。

その時、僕たち介護施設関係者は、そうした行為をどのように考えたらよいのだろうか。前述したように、僕は隠し撮りをしたくなる家族の気持ちをもっともだと思っている。

そうであれば隠し撮りをされることについて、「自分たちのことを信用できないのか」と憤るのではなく、「信用したいから隠し撮りする家族もいる」と考えて、いつどこの場面で、職業として介護に携わっている自らの姿がカメラに撮られても、恥ずかしくないようにしようと考えれば良いのではないかと思う。

このことは自分の施設の職員にも、朝礼等で繰り返し言っていることであるが、実際に隠し撮りのカメラを設置する家族がいたとしても、それをとがめるのではなく、そういう気持ちになるほど、家族というものは自分の身内を愛し、自分の身内の心配をするものなのだと考え、そういう人たちが安心できる日常の対応に心がけてほしいと思う。

むしろ、隠し撮りカメラがなくとも、自らの心に、自らの行動を映すカメラを常に持ちながら、いついかなる時も、自らの行為を自分の心のカメラに写して、それを観て恥ずかしくない行動に努めようと訴えている。

プライベートの時間に、そのようなカメラを心に抱く必要はないが、せめて自分が勤務している時間、自分が利用者と1対1で相対している時間だけは、自らの心の中に、自らの行動を映すカメラを抱いて行動することがあってもよいのではないだろうか。

なぜなら本来の介護とは、決して人に後ろ指刺されるような行為ではなく、誰からも喜ばれ、感動される行為ではないかと思うからである。

有料老人ホームSアミーユ川崎の隠し撮りビデオ映像に映された、介護職員の利用者に対する暴言と虐待行為は、世間からそれが介護現場の氷山の一角であるかのように言われ、どの介護現場にも多かれ少なかれ、そのような行為がはびこっているかのような批判が寄せられている。そのことは介護の現場で働く人々のモチベーションを下げるものでしかない。

しかし実際には、そのような行為とは無縁の介護事業者の方が圧倒的に多く、報道された虐待が氷山の一角とされるほど、介護事業の屋台骨は腐ってはいない。

事実、介護を職業として選択しようとする人の一番の動機は、「人の役に立つことができる仕事だから」というものであり、人の役に立つために日々の仕事に励み、自己研さんを続けている人は枚挙にいとまがない。そのよう人々が正当に評価され、それらの人々の思いが実現する介護サービスの場を、我々は創り護っていく必要がある。

その証明は、自らが心に抱く仮想のカメラであってよいのではないか。自らが一片の曇りもなく、自らの行動を語ることができる姿勢であって良いのではないだろうか。・・・良心に基づいて。

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