masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

事件・ニュース

郡山遺体遺棄事件は個人的介護請負契約の結末?


6月11日に、福島県郡山市の通所介護事業所管理者が逮捕された、「80代女性の遺体遺棄事件」は、なんとも不可思議な事件である。

様々なメディアではこの事件を、「郡山市の介護施設死体遺棄事件」と報道しているが、事件の舞台となったのは介護施設ではなく、郡山市内の地域密着型通所介護事業所である。

そして死体が遺棄されていたの、通所介護事業所のすぐ隣のアパートで、職員休憩所という名目で通所介護事業所が借り上げていたものだという。

この事件が、「介護施設死体遺棄事件」と称されているのは、報道する記者の浅薄さに起因していることに加え、被害者及びその関係者が、被害者は施設入所しているつもりであったことによるものと推察する。そこがこの事件の根にもなっている。(※実際に被害者は通所介護事業所に隣接するアパートで一人暮らしをさせられていたと思われる。)

アパートの所有者によると、通所介護事業所が開所したばかりの2017年秋ごろ、通所介護事業所関係者から「従業員の休憩用に」と言われて1部屋を貸したが、実際にどのような使い方をしているかは把握していなかったという。

事件に関連する通所介護事業所は職員が9人の地域密着型通所介護事業所で、この事件の容疑者として逮捕されたのは、その通所介護事業所の管理者であっ石田兼也容疑者(39歳)である。FBで検索すると、この人物と思しき人のタイムラインに行き着くことができる。

事業所は郡山市の大通りの内環状線に近い閑静な住宅街にあり、周辺には大学もある場所に立地している。

事件の発覚は6月10日に遡る。この日の夕方、死亡した女性(80代)の関係者が女性に面会しようとしてこの通所介護事業所を訪れたことがきっかけになった。

その関係者が石田容疑者に女性との面会を求めると、石田容疑者は、「いなくなった」と言ったため、面会しようとした関係者が、「警察に届けた方がいい」と促したそうである。これを受けて石田容疑者は警察に連絡したという。
郡山遺体遺棄事件発覚の時系列
関係者なる人物が、被害女性とどういう関係だったのか不明であるが、その人は被害女性は通所介護事業所にずっと宿泊してサービス利用していたと思っていたのか、あるいはお泊りデイサービスという認識はなく、通所介護事業所も介護施設と同じようなものと思い、そこに入所していると思っていたのかもしれないし、単純にそこが長期入所できる介護施設だと勘違いしていたのかもしれない。

実際に被害者の女性は、今年になってから自宅から離れていたらしいが、お泊りデイサービスを利用しながら通所介護に滞在していたのではなく、お泊りデイサービスを行っている事業所の隣のアパートの1室に置かれていただけという状態であったようだ。しかも通所介護の管理者以外の職員は、被害女性の存在に気が付いていない。

ということは被害女性が通所介護に隣接するアパートに住み替えて、石田容疑者から何らかの介護を受けていたということのようだが、それは通所介護事業所と被害女性の契約ではなく、逮捕された石田容疑者が、個人的に女性の介護を請け負い、事業所に隣接するアパートで最低限の介護支援を行っていた可能性が高い。職員の休憩所とされていたアパートの一室が、実際には誰も利用せず、使われていなかったことを利用したのだろう。

ところが女性は4月下旬に死亡したという。女性に目立った外傷はなく、司法解剖した結果、死因は不詳だったということで、病死の可能性が高い。女性はビニール袋に入れられていたという。

石田容疑者は、「(女性が)アパートで4月下旬ごろに亡くなったことは分かっていたが、放置していた」と供述しているが、その理由については、「(亡くなったことが)ばれたくなかった。一人で抱え込んでしまった」との趣旨の供述もしているという。

つまり通所介護事業所とは関係のない個人の請負契約で、通所介護が借り受けているアパートを使用して、勝手に介護契約を結んでお金を受け取っていたため、そこで死亡した人がいることがわかると、通所介護事業の経営母体にもそのことが知れてしまい、責任を取らねばならなくなるので、遺体を1月以上も放置した事件ということであろうか・・・。

本件の遺族は、女性を介護施設に預けていると思い込んでおり、しかし実際には被害者は、通所介護事業所が借り入れたアパートの一室に置かれて、容疑者から個人的に介護を受けていたに過ぎず、しかも容疑者の所属する介護事業者側はそのことを把握していなかったという特殊な事件である。

それは自分の小遣い稼ぎのために、考え付いた個人請負契約だったのかもしれない。一人暮らしが可能な軽介護者だということで、所属事業者には内緒で、普段利用されていない休憩所(アパートの一室)を利用して、自分の空き時間でできる支援で何とかなると軽い気持ちで引き受けたものの、思いもよらず利用者が病死してしまい、処理に困ったケースではないかと思われる。

しかしそれは、人暮らしを軽んじていると言われても仕方ない状態で、結果的には利用者が一人寂しく死を迎え、さらにその状態を1月以上放置するとう重大な結果につながっている。

取り返しのつかない結果と言えよう。被害者のご冥福を心よりお祈りするとともに、このような悲劇が繰り返されないように願いたい。

関係者には今一度、法令ギリギリのブラックあるいはグレーな、個人請負契約がないよう周囲を見回してほしいと思う。
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自立支援という言葉で装飾された「冷血」


生活保護受給者などから合計8.000万円以上をだまし取ったなどとされて起訴された、元埼玉県和光市幹部職員・東内京一被告(57)―懲戒免職―の公判が6月4日、さいたま地裁で行われた。

そこで検察側は懲役10年を求刑したが、そのニュースに触れて、「予想より重い求刑で驚かされた」という人も多いと思う。

この事件のニュースは、当初生活保護受給者から預かった現金200万円をだまし取ったという詐欺と業務上横領事件として報道されたが、その後事件の被害総額は8.000万円以上に及ぶ累犯行為であることが明らかになり、罪名には窃盗罪も加えられた。

4日の公判で検察側は、「市の福祉に携わる者として高い立場にあるにもかかわらず、高齢者など要保護者の財産を剥奪するなど犯行は極めて悪質。被害者からだまし取ったキャッシュカードから、合計152回にわたり現金を引き出すなど犯行は常習化していた」と非難。動機などについて、「高級車やブランド品の購入、借金の返済などに充て、詐欺罪に問われて支払った750万円の弁償金についても、そのうちの250万円は別の被害者から搾取したものである」と指摘した。

このように犯行の悪質性が重い求刑につながっているようだ。

東内被告と言えば、自立支援型マネジメントの先進地区と言われ、「介護保険からの卒業証書」が話題となった和光市の、その事業を引っ張っていた人物であり、地域包括ケアシステムにおける自立支援に関する講演も全国で行っていた。彼の話を聴いて感銘を受けた人も多かったはずである。

過去に彼を招いて講演を主催した人の中には、裏切られたと嘆いている人もいるが、彼は講演を行っている当時から、それらの方々をだまし裏切っていたのである。声高らかに地域包括ケアシステムの推進と、自立支援マネジメントを唱える傍らで、被保護者の方々などの虎の子の財産を奪っていたのである。

彼が和光市で旗振りしていた事業の功績は、この犯罪とは別にみるべきだという人もいるが、それは少し違うだろうと思う。

東内被告が被保護者の財産を再三にわたって騙し盗っているのに、そのことに担当部署の誰もが長期間気が付かなかったという意味は、彼が和光市の福祉事務所の中で、「アンタッチャブル」な存在になっていたという意味である。

彼がそのような存在になり得た理由も、和光市方式というネームバリューを広げた功績に基づいたもので、予防マネジメントのあり方を提唱する陰で、醜い悪質な犯罪を繰り返していたことを考えれば、その実態とは犯行の餌に和光市方式を喧伝していたに過ぎないと言っても良く、功績などあってなきがごときである。

そもそも和光市方式に、どんな功績があるというのだろうか。

なるほどその方式は、介護保険サービスを使わない人を増やし、財政支出を減らしたのかもしれない。さすればその功績とは市の財政面での功績に過ぎず、市民が何かの恩恵を受けたという功績とは言えないのではないのか?

和光市方式とは要介護者の尻を叩き、介護保険サービスを使わなくなることが最大の価値であるかの如く市民を洗脳し、要介護認定結果が非該当になることを最高の価値とするもので、「介護保険からの卒業」として、そのことを褒めたたえるという、どっかの宗教に見紛う運動にしか見えない。

しかし和光市方式で、「介護保険から卒業させられた人」の1割が、卒業前と同じサービスを利用しているというデータが存在するように、それは体の良い給付抑制でしかないことは明白である。しかも和光市は、介護保険から卒業させられた人が保険外サービスを利用して、以前と同じサービスを10割自己負担利用していることに、いかなる見解も公表していない。それはまるで臭いものに蓋という態度に終始しているかの如くである。
和光市
それが市民貢献と言えるのか大いに疑問である。ましてやこの国や、この国に住まう人に何か恩恵が与えられたことではない。

つまりは東内被告が声高らかに提唱していた、「和光市方式」そのものにうさん臭さが感じ取れるのである。そこで唱えられれている自立支援マネジメントも、地域包括ケアシステムも、人に対する愛情や優しさを徹底的に排除した、「冷血の顔」を裏に隠した方式ではなかったのだろうか。

人の暮らし奪う行為を、装飾した文字やキャッチコピーで飾っただけの方式だったのではないのだろうか。

和光市方式を礼賛する人にとって、愛情や優しさという目に見えないものを振りかざす概念は、制度という枠組みの中では無駄でしかないのかもしれない。

しかし人に相対する職業において、愛情や優しさを徹底的に排除した先に何が起きるのだろうか。制度やサービスは、最低限の生存保障に終始すればよいというのだろうか。

介護という行為やその職業が、生き永らえていくだけの最低限の支援行為を指すとしたら、人はこの世に生まれ生きていく意味を失っていくだろう。
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Q&Aの発出が遅れた情けない理由


昨日やっと、令和3年度介護報酬改定に関するQ&A(Vol.5)が発出された。

問5では最大の疑問とも言えた問題の答えが示されている。ADL維持等加算の検査を行う職員に求められていた、「一定の研修」については、バーセルインデックスに関して学ぶ研修であれば、内部のビデオ研修でもよいもので、理学療法士等のリハ専門職ならば、今までに必ず受けているであろうと想定されている研修といえるようである。

それ以外に目についたのは問4で、LIFEに提出すべき情報に関連した各加算の様式例については、同一のものを用いることを求めるものではないとしている一方で、「それぞれの加算で求められる項目(様式で定められた項目)についての評価等が必要である」と釘を刺していることだ。そうであれば間違いのないように提示された様式例を使うのが無難である。できるだけ早く新様式に切り替えたいものだ。

それにしても今回のQ&Aは、(Vol.4)との発出間隔が長くなっている割には疑義解釈は問7までしかなく、解けた疑問も少なく感じた。

入浴介助加算兇陵畫紊亮鑪爐大浴槽でもよいのかなどの疑問は解けないままである。疑問が残されたまま新加算を算定できない事業所は、とりあえず4月中は従前の入浴介助加算気蚤弍するしかなくなるかもしれない。

ところで今回のQ&Aは、当初予定では週初めの月曜日に発出されると言われていた。それが遅れたのは老健局職員のコロナ感染の影響であると思われる。その感染の背景には夜遅くまでの集団飲食という事実があって、それも感染拡大の一員と疑われているのだから、立場上その見識が問われると非難されても仕方ないと思われる。

今日までに報道されている経緯は以下である。
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政府の緊急事態宣言解除から3日後の3/24に、厚生労働省老健局の当時の老人保健課長が、4月からの異動を前にして職員の送別会を主催し、職員23人が銀座の飲食店で深夜11:50まで宴会を行なった。その後4/7までに6名の職員が新型コロナウイルスに感染したことが明らかとなり、その中には宴会に出席した3人も含まれていた。

4月1日付で省外に転出した1人を除く5人は、3〜6日に発熱などの症状を訴え、6〜7日に感染が確認された。このほかにも検査を受けて結果待ちの職員がいる。
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政府は歓送迎会や5人以上の会食を自粛するよう呼び掛けており、その呼びかけを無視した宴会を行い、その参加者から感染者を出しているのだから言い訳はできない。しかもそれが感染対策の担当省であるのだから、これは悲劇を通り越した喜劇である。

この件に関して厚労省側は当初、店側も時短要請に従っていなかったかのような説明をしていたが、それは全くの虚偽で、当日の予約時間は午後7〜9時だったが、コースの締めのラーメンが出る時間になっても、「まだ待った、待った、待った」とムチャを言ってダラダラ居座り、職員全員が店を後にしたのは、日付が変わる直前だったそうである。

このことについて一部の報道では、『監督官庁の役人が飲食店に「時短要請破り」の片棒を担がせ、おまけに「濡れ衣」まで着せたのだから、タチが悪い。』と論評されている。

宴会に参加しなかった職員は数人しかいなかったようで、職員の多くは自宅待機を余儀なくされ、今後も事務が滞ることになるのだろう。しかしそのことが前面に出て更なる批判を受けないようにQ&A vol5は出勤している職員だけで、何とか今週中の発出を実現させたものだろう。

だからホームページにアップされた時間も昨夜遅くになってからであったし、疑義解釈の件数も少なくなったのだろうと思う。

今の時期介護事業者では、毎日新報酬の解釈やLIFEへの情報提出に向けた対応に追われ残業が続いている職員も多いことだろう。歓送迎会も自粛して頑張っている介護事業者の職員から見ると、こうした厚労省職員の駄々洩れ対応は憤懣やり方ないものだろう。

だが、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉もあるのだから、こうした姿を反面教師にして、「他人の失敗を生かす」・「人の経験から学ぶ」という謙虚な気持ちが求められるのだろうと考えよう。

そう思わないとやってられないしな・・・。

それにしても老健局職員ともなると送別会も銀座なんだな。さすがに高級官僚は違うと思ったりする。ちょっと羨ましかったりして・・・。
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真実は闇の中・・・にしないために。


昨日の夜TBSで放映された、「爆報THEフライデー」の、「カリスマ監察医事件簿・1枚の写真で完全犯罪を見破れ」を見た方がいると思う。

そこで取り上げられた事件の一つに、老人ホームの暴行死事件があった。その老人ホームで複数の利用者が病死とされていた事件は、実は一人の介護職員の暴行による殺人事件であったというものだ。

その事件は6年前に起き、次の記事に取り挙げた、「フラワーヒル入居者死亡事件」ではないかと思う。【参照:「もっと褒められたかった」と利用者を殴り殺した事件の背後に潜むもの】(※確信はないので、間違っているかもしれない。)

その事件は、犯人が被害者の胸をこぶしで数回にわたって殴打し、胸骨骨折などの傷害を負わせ、心不全または出血性ショックにより死亡させたとされるものだ。

検察側が地裁裁判の冒頭で陳述した犯行動機は、事件の数日前に別の入居者の容態が急変して死亡したのを発見したところ、犯人が当時の施設長に大いに誉められ、この経験からさらに異変が起きてまた発見者となれば、犯人の介護職員としての評価がさらに上がるものと考えて入居者を殴ったというものである。

一方で弁護側は、暴行の原因は犯人の適応障害によるものとして情状酌量を求めたが、1審では求刑10年に対して懲役8年の刑が言い渡されている。

その際の判決で裁判長は、「事件の前、入居者の容体の異変にいち早く気がついて褒められた経験があり、職場での自分の評価を上げるため、異変の発見者となろうと無抵抗の被害者に一方的な暴力を加えた。本来介護士として被害者を守る立場にありながら動機は身勝手で強い非難に値する」と指摘した。検察側の動機説明を是認した形になっている。

しかしこの事件の本当の恐ろしさとは、裁かれた罪以外の罪悪がまだ闇に潜んでいるのではないかという疑いがぬぐえないことだ。

事件が起きた特養では、犯人が勤務を始めた直後の2010年2月15〜18日の4日間で、入居者3人が相次いで亡くなり、そのほか別の1人がけがをしている。埼玉県警は判決が言い渡された事件のほか、84歳の女性への傷害容疑と、78歳の女性への傷害致死容疑でも立件したが、さいたま地検はいずれも不起訴処分(嫌疑不十分)とした。また死亡したもう1人については事件化されていない。証拠が不十分だったからであろう。

このことについて、遺族として法廷に立てなかった死亡利用者の家族が無念の思いを訴えたりしているが、その思いはどこにも届かない・・・。

この事件は感覚麻痺とかいうレベルではなく、自己顕示欲のためだけに人として許されない行為を行うという悪行でしかない。その事件に更なる被害者が隠されているとしたら、それはとても恐ろしいことであるし、決して許されることではない。

もし犯人が裁かれた容疑以外にも犯行及んでいるとしたら、その罪は一生自分が背負って、その贖罪のために生きていかねばならないということを知るときが来るだろう。それもとても悲惨な人生と言えるのではないだろうか。

昨日番組を観ながらこの事件のことを思い出したときに、昨今の介護事業者における職員採用の状況と、職員教育の問題点が改めて頭に浮かんできた。

本件のように、本来対人援助の仕事に就いてはならない人が、人材不足の中でますます低くなっている採用のハードルを潜り抜けて、介護の仕事に就いてしまうケースは多い。だからこそ採用時の人物評価は最も重要になるし、採用基準のハードルは下げてはならないのである。そして採用時に見抜けない適性の無さについては、試用期間中にしっかり見抜くようにOJTを活用すべきである。

さらにこうした人物に影響を受ける輩を創り出さないように、介護事業経営者や管理職の方々には、採用後の計画的で定期的な教育システムは最重要であることを自覚してほしい。そしてその教育とは、「人間性の向上」につながるものでなければならず、単に知識や技術を教えるだけのものであってはならないことも忘れないでほしい。

そうした人間教育を介護事業者内のシステムとして組み込む不断の努力が求められるのである。

そしてそれは実効性があるものではないと意味がないので、常に研修・教育システムが形骸化していないか、アリバイ作りの無意味な研修になっていないかという検証作業をし続けなければならない。

それは経営者や管理職に求められる最も重要な役割である。

昨日の番組で取り上げられた事件が本件であるか否かは別にして、その番組を観ながら改めて、人材選びと人材教育をおざなりにしてしまうと、大変な社会悪を生んでしまいかねないのが介護事業であると考えたりした。

そうしないためにも、介護の使命は何かということを伝えること、誇りを持って介護の仕事を続けられる実践論を伝え続けることは、今後も求められるのだと思った。

そうした学びの場を求めている方は、是非一度メール等で連絡していただければと思う。全国どこでも駆けつけるし、オンラインでの講演も受け付けている。まず気軽に相談の連絡をいただきたい。
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脱ハンコは賛成?反対?


政府が旗を振っている行政手続きのIT・デジタル化の推進と、「脱ハンコ」や「ハンコ廃止」は論理的につながらないという主張がある。

IT・デジタル化の推進に必要なのは、「押印の省略」なのだそうで、判子・印鑑という日本文化は残していかねばならないのだそうである。しかし判子が存在すれば、押印という行為はなくならないだろう。どこにそのような必要性があるのかは大いに疑問だ。

押印が必要なくなれば、ハンコは使い道がないのだから、「ハンコ廃止」で何が悪いのかと言いたい気持ちもある。
《※ちなみにハンコとは、個人や組織がその当事者であることを証明する印のことを意味し、印鑑は捺印をした時に紙や書類などに残る文字や絵(印影)を表すので、意味するものは違うのだそうだ。》

そもそもハンコを押した書類が、個人の同意等の証明になるという信頼性は徹底的に揺らいでいる。現に介護サービスにおいても、ハンコが不正に使われていた事件が明らかになっている。

京都府八幡市の社会福祉協議会のケアマネジャーが、利用者に無断で印鑑を不正使用した問題が発覚したのは2019年5月のことであった。ネット上ではこのケアマネの机の中に、たくさんの印鑑が入れられている下記画像が拡散されている。
ケアマネによる印鑑不正使用事件
このケアマネが自分の机の引き出しに保管していた印鑑は145本。このうち利用者の許可を得ていたのは24本のみだった。

印鑑の保管は10年ほど前から慣例となっていたそうである。印鑑は、このケアマネが自費購入していたもので、その判断もケアマネ個人によるものだったそうである。そしてこれらの印鑑を使って、居宅サービス計画書とサービス利用票の同意欄に勝手に押印していたそうだ。さらに毎月一度以上義務付けられている利用者宅へのモニタリング訪問を行うことなく、訪問したように装う証明として印鑑を使用していたとのことだ。

つまり判子を使って押印するという行為は、何の意味もなしていないということだ。証明の証拠として押印が必要であるという考え方は通用しないのである。むしろ判子さえ押されておれば、それだけで何かの証拠として有効だと考えることで、奪われているものがあるということも本件のような事件は示しているのだ。そして判子が存在しなければ、このような不正は起きなかったとも言えなくもない。

だから判子なんかなくても、別な方法で有効性が証明される方が正しいという考え方があってよい。判子がない方が、本当の証明となる知恵に結び付く早道が生まれるのではないかという考え方も当然あってよい。自署した文字を電子媒体で送るデジタル署名なんかは、印鑑よりずっと個人の証明として有効な方法と言えるかもしれない。

ケアマネのモニタリング訪問や、居宅サービス計画等の同意にしても、印鑑を押す問う行為がなくなっても、例えば現在はほぼすべての人がデジカメ内蔵のスマホもしくは携帯を持っているのだから、それを利用すればよい。説明に対する口頭同意の場面を動画撮影し、利用者個人別にファイル保存しておけば良いだけの話だ。その方が説明に同意していることの明らかな証拠となるだろう。

そっちの方がよほど信頼性が高い証明と言えるのではないのだろうか。

ハンコがなくなっても仕事に支障を来さないどころか、業務の省力化にもつながると思う。事実僕はそれを実感している。

僕は仕事上、請求書や領収書を発行しなければならないことも多い立場であるが、最近の脱ハンコは、その仕事に大いに良い影響を与えてくれている。

つい最近までは、請求書や領収書に必ず印鑑を押して郵送せねばならなかった。これが脱ハンコの流れの中で、押印は必要ないというふうなってきたので、郵送する必要はなく、請求書や領収書をメールに添付するだけで良くなっている取引が多くなった。

それによってアナログ作業が減って、デジタル作業ですべての取引業務が完結するので、タイムラグもなくなるし、何より作業が楽になる。印鑑を使わないことによるデメリットは全くないので、今のところ脱ハンコは、いいことずくめである。

こうした形での業務省力化は、介護業界全体の業務を考えても必要になると思う。そのためにはハンコ文化・印鑑絶対主義から脱することが何よりも求められるのではないだろうか。
※昨日masaの徒然草に、「(新情報)介護・医療事業に実績のある新電力でコスト削減を」という記事を書いて情報提供しているので、そちらも是非参照願いたい。
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人を絶望の淵に追い込む介護をなくしていくために


ALSの女性が嘱託殺人で亡くなった事件について、ネット上でも様々な意見が飛び交っている。

この事件は安楽死や尊厳死とは全く言えない単なる殺人事件だとか、被害者の状態は決して終末期とは言えないとか、たとえ治療法がない難病を患ったとしても生きる希望を失ってはいけないとか、論じられている問題の方向性も様々である。

一つの事件や事案から様々な問題が論じられることは、決して悪いことではないと思う。ただしそのことは興味本位の揶揄に終わるのではなく、悲劇や喜劇を繰り返さない教訓に結び付く議論であってほしい。

僕個人に限って言えば、この事件に関しては被害者となった女性がなぜ絶望してしまったのかを一番に考えたいと思った。彼女を絶望させないためにできる何かがなかったのかということが何より検証されるべきではないかと考えたのである。

なぜならこの事件において、確実に言えることは彼女が死ぬことを何より望んだという事実があるからだ。それは良いとか悪いとか論評できるような問題ではなく、そこに厳然と存在する事実である。そういう気持ちに至ることを誰も止められなかったのである。それはやむを得ないことだったのか、そうではなかったのか・・・。

彼女は病気が発症した当初から絶望していたわけではない。最初から死を望んでいたわけではないのである。そのことは病気が発症した後にも、仲間と連れ立って手を借りながら、旅行を楽しんでいたというエピソードでも垣間見える。その彼女が、「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」とツイートするに至った過程で、何が彼女の心境をそうさせたのかを考えなければ、同じような過ちで心と命を奪われてしまう人がいないとも限らないのだ。

だからこそ、彼女の体が徐々に動かなくなっていき、寝たきりで生活を送らざるを得ない状態から脱せなくなってきた際に、その恐怖と闘いの過程で、生きる希望を失うまでに気持ちが折れていく過程で何があったのかを考えなければならない。

そのため、「全身まひの人がツイートした看護・介護職への本音」という記事を書いて、周囲の心無い対応が彼女の絶望を助長していった可能性に言及してみたりした。

この記事は特定の個人を誹謗中傷することを目的としたものではない。だが私たちの仕事とは、そこで支援を受ける人に勇気と希望を与えるものでなければならないはずで、そこに少しであっても絶望させる要素が存在してはならないのであるから、こうした事実に向かい合って、同じ過ちを繰り返すことがないように、そこから教訓を導き出さねばならないと思う。

対人援助の場で、自分が何気なく発した一言によって、人を傷つけるだけではなく、誰かを絶望の淵に追い込むことがあることを意識して、そのような要素を徹底的に排除するという姿勢を持ち続けるプロフェッショナルとして私たちが存在しない限り、悲劇はなくならないだろう。

自分の暮らしのすべてを委ねなければならない全身麻痺の人に対して、サービス提供中に愚痴をこぼす姿はプロとは言えないことを、すべての介護支援者が自覚しなければならない。ましてやその愚痴につながる問題の所在が、利用者にあるかのような言葉の暴力を決して許してはならないのである。

仕事中に利用者に対して愚痴や文句を言ってはならないというのは、教育しなくても理解できるレベルの問題である。そうした常識が護られていないという意味は、対人援助として接する個人にプロ意識が欠落しているという意味だ。それは利用者の暮らしを支える身体介護をはじめとする支援行為が、職業として提供されているという意識より先に、施し意識がそこにあるという意味だ。

人の尊厳に対する配慮は、そうした施し意識が欠落させていくのである。そういう状態ではプライベートと仕事の区分が付きにくくなり、顧客に対するサービスであるという意識も欠落する。特に利用者の自宅が密室化し、そこで1対1の関係で接するサービスでは、支援する方が上であるという意識が生まれやすい。

その意識をなくすためには、一つ一つのケースごとに徹底的に人権を護る意識を植え付けるしかない。人の希望はあっという間に失われるが、絶望の淵に立つ人をそこから救うのは、いかに難しいかということを、支援チーム全員で意識する話し合いが持たれなければならない。そのように人の尊厳とは何かということを、徹底的に論じあうメンバーによって支援チームは構成されなければならないのである。

さすればサービス担当者会議とは、単にケアプランンの内容確認に終わることなく、支援対象者の尊厳を護る方法の具体策を論ずる場にしなければならないのではないだろうか。ここを是非意識して会議を進行してほしいと思う。

希望というものは、他人が与えようとしても簡単にそうはいかないものだ。自分の中でゆっくりと養い育てるのが希望である。その希望は支援者一人一人が、真綿にくるむように大切にし、壊れないようにする必要がある。

介護支援チームに求められているのは結果責任である。良かれと思って行った行為が、結果的に支援する人を絶望の淵に追い込むことがあってはならないのだ。そうしないための最大限の努力は、常に続けられなければならない。

そのことを忘れない支援チームであってほしいし、本事件を振り返る過程が、そのための教訓を残すものであってほしいと思う。
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全身まひの人がツイートした看護・介護職への本音


介護サービスに従事する人の中には、利用者の家族に対しては丁寧語で接しているのに、利用者に対してはタメ口でしか会話できない人がいる。

認知症でない人には丁寧語を使っているのに、認知症の人に対応するときのみタメ口を使う人もいたりする。

そういう人たちは無意識に相手を見て言葉遣いを変えているという意味になる。それは人を差別していることにほかならず、対人援助職としては最も恥ずべき行為であると言える。

そうした無意識の差別意識を持つ人たちは、相手の状態が変化すると、途端に態度を変えてしまうかもしれない。それは人として許される態度とは言えないが、そうした態度に心を殺されてしまう人が数多く存在するというのが、この国の現実でもある。そうした国が先進国と言えるのだろうか・・・。

先日書いた、「ALSの女性に対する嘱託殺人容疑で医師逮捕の報を受けて」という記事の中で、被害女性について紹介しているが、彼女がツイッターに書いていた内容が続報として報道されている。

リンクを貼った記事に書いているように、被害女性となった林さん(51歳)は、ALSを発症する前はバリバリのキャリアウーマンとして活躍されていた方である。そんな彼女がツイッターでの投稿を開始したのは、病気が発症して思うように体が動かなくなってからである。

そこには、「ツイートも視線入力のパソコンを使ってるのですごく時間がかかる。もっと言いたいこといっぱいあるのに」(2018年5月3日)という嘆きの言葉も記されている。

そして大人の重度障害者が子どものように扱われているというツイートに対して、「看護婦さんにも多いんだよね。幼児に話しかけてるの?と思う」と反応し、「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」・「介助者や医療従事者が、障害者や高齢者や患者に対して、上から目線のパターナリズムを発揮するのは暴力」(2018年5月31日)というメッセージを発している。

云うまでもなくパターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。林さんは自分の身に置き換えて、そのことに強く憤りを感じていたわけである。

自分の担当ケアマネジャーに対する憤りもツイートしている。

林さんは訪問看護を利用していたが、担当の訪問看護師が、独居で介護を受けていた林さんの慰めになるのではないかと、猫を飼うことを提案したことがあったそうである。そのため訪問看護師の元に温和な保護猫の子猫を引き取り、トイレなど最低限のしつけをした後、林さんと同居を開始する段取りをとって、その実現を図ることを看護師が提案し、林さんもそのことを望んだそうだ。

ところがこの計画に、猫アレルギーのケアマネジャーが「ヘルパーの中にもネコアレルギーがいたらどうする」とか「毛が残る」とかいう理由で「ケチをつけた」ために、その提案は実現しなかったそうである。

そのことについて林さんはツイッターに、「なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだ!とみじめになり無性に腹が立って気付くと号泣してた」と記している。

担当ケアマネジャーは、今このツイッターを改めて読んで、どう考えるのだろうか・・・。そもそも本人が希望し、周囲に協力者がいるのに、ケアマネという立場でしかないものが、その希望をつぶすような働きかけをすることが許されるのだろうか・・・。ケアマネジャーという立場を誤解しているのではないかと問いたい。

林さんは担当の訪問介護員に関する思いも次のようにツイートしている。「65歳ヘルパー 体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責める 施設行きになる あそこに入ったら殺されると脅される むかついてもやめろと言えない 代わりがいないから 惨めだ。

介護を行うことを職業にしている人間が、その仕事で生活の糧を得ているにもかかわらず、顧客であるサービス利用者に対してなんという暴言を吐いていたのだろうと唖然とする。自分の体の不調の不満を、全身まひで動けない人に対しぶつけ、あたかも林さんの存在自体が問題であるとするかのような発言は、人として決して許されない発言であると言ってよい。

このような周囲の差別的な態度に、林さんの心は日増しに傷ついていったのではないだろうか。キャリアウーマンとして活躍していた頃には決して受けたことがない失礼で配慮のない対応を受け続けることによって、林さんの気持ちは、「死」に向かってまっしぐらに向かっていったのではないだろうか。一刻も早くそこに至りたいという思いにつながっていった結果が、「安楽死へのあこがれ」・「自分の殺人を嘱託する」という行為につながったことは想像に難くない。。

死ぬ希望が実現する社会より、生きる希望に胸を膨らますことができる社会の実現が大事だと言うが、自分より力の弱いもの、立場の弱いものに、上から目線での、「施し」のような介護の実態が存在し続ける限り、そんな社会は実現不可能だろう。

そして介護サービスのサービスマナー式が欠如し、タメ口が親しみのある態度だと勘違いする人が存在する限り、この差別と偏見は消滅することはないだろう。

まったく保健・医療・福祉・介護業界の民度の低さにはあきれるばかりである。
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あずみの里裁判・逆転無罪の高裁判決が示したもの


昨日表の掲示板で速報を流したが、特別養護老人ホーム「あずみの里」(長野県安曇野市)で利用者の女性がドーナツを詰まらせ死亡した事故を巡る刑事裁判の控訴審判決が二十八日、東京高裁で言い渡され、罰金20万円とした一審判決を破棄、無罪を言い渡した。
判決骨子
この裁判については、「誤嚥死亡事故?で特養の准看護師に有罪判決の問題点」 ・ 「特養あずみの里裁判の控訴審について」という二つの記事を過去に書いており、有罪という判決は、介護の場で仕事をする人間に、あまりに過酷な注意義務と過度な責任を負わせるものではないかと批判してきた。

昨日の高裁判決はそれを覆すもので、この結果によって介護サービスの提供方法が個人の刑事責任を恐れて、過度の管理に傾くことの防波堤になるものと評価できるのではないだろうか。

それが証拠に、判決を受けて幾人かのか介護関係者から声を拾っているが、判決に安どしたという声ばかりである。

准看護師に20万円の罰金の支払いを命じる有罪判決が出された一審・長野地裁松本支部は、女性の死因はドーナツを詰まらせたことによる窒息と認定していた。この際に注視義務違反は認めなかったが、約1週間前に窒息防止などのため女性の間食をゼリー状のものに変更していたことなどから、間食の形態を確認して事故を防止すべき義務があったとして、求刑通り罰金20万円の有罪判決を言い渡したのである。

しかし間食をゼリーに変更した理由は、嚥下状態を問題にしたのではなく、おなかの具合から消化がよいゼリーにしただけであった。しかも死因は、窒息死ではなかったのではないかという疑いあり、控訴審では窒息死という病死認定がそもそも違っているのではないかと新証拠が提出されていた。

その新証拠はいずれも「脳梗塞説」を補強するものだったが、東京高裁は証拠採用をしなかった。これによって東京高裁の裁判官は、原審での鑑定に基づいて被害者の気道からドーナツが出てきた以上、窒息死説をひっくり返す気は全くなく、高裁判決も再度有罪が言い渡されるのではないかという憶測が飛び交っていたが、控訴審判決はその憶測をも覆す内容となった。

控訴審の争点は、「女性の死因は、ドーナツによる窒息か」、「ゼリーではなくドーナツを配ったことが過失と言える」という2点に絞られた。

このうち死因については判決理由の説明において、「起訴から5年以上経過しており、その検討に時間を費やすのは相当ではない」として判断を示さなかった。そのうえでドーナッツを配ったことに過失はないとしたのである。

つまり過失責任がそもそもなかったために、逆転無罪判決のために死因を特定する必要もなかったというのである。そのため死因が窒息死ではないという新証拠を採用する必要はなかったということで、先の憶測が取り越し苦労の結果ともなった。

判決文には今後の介護サービスの在り方に大きな影響を与える示唆が多々ある。

例えば食事やおやつについて判決では、「人の健康や身体活動を維持するためだけではなく、精神的な満足感や安らぎを得るために重要だ」と言及している。

これは食事提供について、身体への危険性が常に懸念される医療行為ほどの注意義務が求められるものではないとの見方を判示した考え方である。そのうえで被告がおやつの内容変更を確認せずドーナツを提供したことに刑事責任は問えないと結論づけたものであり、その意義は大きく、窒息の危険性を否定しきれないからといって食事の提供が禁じられるものではないとも言及したものである。

このように事故が起きずに生命を維持するためだけの、味気ない満足度に配慮のない食事提供であってはならないことに言及している意味は大きい。すべての介護の場が、すべての介護関係者が、この判決文を読んでその意味を理解してほしい。

またおやつの形態を変更した申し送りについて、被告となった准看護師が確認していなかった点については、「介護職員間の情報共有であり、日勤の看護業務を続ける中では容易に知り得なかった」として、過度な注意義務を准看護師に負わせなかった点も評価できる。

一審の有罪判決後に、おやつの提供を中止したり、固形物ではなくおやつはすべてゼリー状のものを提供するようにした施設が相次いだが、今回の判決により、そうした管理重視のおやつや食事の提供の在り方を見直す必要が生じたと言えるだろう。

この高裁判決をきっかけとして今一度、委縮した精神で考えられた介護サービスの在り方を見直して、本当に必要な介護サービスの在り方を考え直す必要があるのではないだろうか。

同時に食事だけではなく、移動・移乗介護中の転倒骨折事故などについても、過度な責任と注意義務を問うような判決を見直してほしい。例えば移乗介助を拒否した認知症のない人が、トイレの中で骨折した責任を、介助を拒否されトイレ内を見守ることができなかった介護職員に負わせるなんてことは過剰な責任追及だ。そのような責任の押し付けをなくしていかねばならない。

本来は必要不可欠なサービスが、事故を恐れる委縮した精神によて失われてしまうということがないようにしなければならないのである。

今望みたいのは、検察側が上告をあきらめることと、仮に上告審が行われることになっても、今回の判決が覆られないことである。それが世のため人のためである。
※8/7東京高検は本件の上告を断念したことを公表しました。これによって上告期限の8/11に被告の無罪が確定することになりました。:8月7日追記
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ALSの女性に対する嘱託殺人容疑で医師逮捕の報を受けて


ALSの女性の依頼を受け、京都市の自宅に出向いて薬物を投与し、殺害した疑いがあるとして、医師2人が嘱託殺人の疑いで逮捕されたというニュースが、昨日日本中を駆け巡り、大きな騒ぎとなっている。

被害者の遺体からは、鎮静作用がある「バルビツール酸系」の薬物が検出されている。この鎮静剤は、脳の興奮を抑える作用があり、睡眠薬や抗てんかん薬などとして通常の医療現場で用いられているが、ALSの患者に用いられることは通常あり得ない。

二人の医師が訪問した際、ヘルパーがサービス提供中であったとのことで、女性の自宅に在室していたヘルパーが、訪問者の氏名を記入するよう促した訪問記録に、二人の容疑者は偽名を書き込んでいたことが捜査関係者への取材で分かっている。そして10分ほどで二人が退出した直後に、被害者が意識不明になっていることに気が付いたヘルパーが通報しており、終末期ではなく普通にヘルプサービスを受けていた状態の人を、10分未満で死に至らしめていることから、投与量は致死量であったと推察される。

逮捕された医師が法律を犯したことは間違いなく、法の下で裁きを受けることは当然である。また安楽死を認めている外国の基準に照らしても、今回の行為はそれに該当しないという批判もあり、倫理上の批判等も受けて当然だろう。

しかしそれだけで終わってよい問題ではないと思う。亡くなられた女性が容疑者に明確な形で安楽死させてほしいと依頼している事実も報道されているのだから、ALS等の治療法がなく死を待つだけの難病の人にどの様な支援が必要なのか、安楽死を望む人にどう対応すべきかなど、本事件をきっかけにして、尊厳死や安楽死も含めて命と死について真剣に議論されることを願う。そしてその議論は、タブーのない多様な建設的議論であってほしいと思う。

ただし僕自身は尊厳死や安楽死について深い理解はなく、現時点でそのことを論評する知識はない。そのため自分自身が尊厳死や安楽死を含めて、人の命と死について今以上に深く考察でき、語ることができるようになるために、本件の事実関係をここに整理して書き留めておきたいと思う。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)について
ALSは運動神経系に障害が起き、手足やのど、呼吸に必要な筋肉が徐々に動かなくなる進行性の病気。やがては全身の筋肉が侵され、最後は呼吸の筋肉(呼吸筋)も働かなくなって大多数の方は呼吸不全で死亡する。発症の原因は不明で根本的な治療法はなく、難病に指定されている。詳しくは病名に張り付いたリンク先(難病情報センターのサイト)で確認していただきたい。

ALSの人の4割程度が30分に1度程度の痰吸引を必要としており、介護者は睡眠も外出もままならなくなって負担も重い。そのため各痰吸引という行為を、医療職と家族以外の介護の一部を担っているホームヘルパーらに認めてほしいという運動が起き、厚生労働省は2003年7月、「在宅ALS患者に限り、医師及び看護師の指導下、患者の同意書により、家族以外のものによる痰吸引を認める」という通知を出し、このことが各痰吸引と経管栄養について、「特定行為」として一定条件下で介護職員にも認められるという現行ルールに繋がっていったことから、この病名は介護職にとっても馴染みのあるものだ。

尊厳死と安楽死について
尊厳死とは、明確な概念付け・定義付けはされていないが、一般的には、「過剰な医療を避け尊厳をもって迎える自然な死。」とされている。最後は自然の死であることが前提とされている。

安楽死は、「医師が回復の見込みがない患者に死期を早める措置を行う結果、もたらされる死。」とされ、「積極的安楽死:苦痛から免れさせるため意図的且つ積極的に死を招く措置をとる場合」と「消極的安楽死:患者の苦痛をながびかせないという目的のため、行われていた延命治療を中止して死期を早める場合」に分けられる。ただし人によってはこれに加えて、「間接的安楽死:苦痛の除去・緩和するための措置をとるが、同時に死期を早める可能性が存在する場合※終末期鎮静」という区分を用いることもある。

尊厳死は消極的安楽死に該当するとされることが多いが、それはそもそも延命治療を中止する場合に限らず、延命治療を開始しない場合も含むために、安楽死より広い概念であると捉えている人が多い。

嘱託殺人により亡くなられた女性について
51歳女性。京都市生まれで、大学を卒業したあと東京のデパートで勤務した後、アメリカに渡航して大学で建築を学び、帰国してからは東京の設計会社で働いていた。40代になった10年ほど前、道路を駆け足で渡ろうとしたときに、突然、足に違和感を感じ、病院を受診したところ、ALSと診断された。その後仕事を辞めて京都に戻り、マンションでヘルパーの支援を受けながら1人で暮らしていた。

亡くなる直前は常時臥床状態で、視線を使ってパソコンに文字入力したり、文字盤の文字を示したりして意思疎通を図っており、昨年9月、ツイッターに「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」・「自らの生と死の在り方を自らで選択する権利を求める」などと書き込んでおり、死亡するひと月前には、「賃貸マンションで病死したらどんな費用がかかるか心配」「少なくとも腐敗はしなくて良さそうだからそんなにかからないかな?」などと自宅で死亡することを覚悟した書き込みも行っていた。

犯行を行なった二人の医師について
大久保愉一容疑者:42歳)
宮城県名取市で呼吸器内科や心療内科などの診察を行っていて、クリニックにはホスピスがあり、終末期の患者の緩和ケアも行っている。厚生労働省で医系技官として7年余り働いていた経験もある。

自身のブログには、「高齢者を『枯らす』技術」というタイトルをつけ、「一服盛るなり楽になってもらったらいい」などと、積極的安楽死を肯定する死生観を綴っていた。

被害者とはツイッターを通じて知り合っている。
大久保容疑者のツイッターのつぶやき
画像は大久保容疑者のツイッターのつぶやき。ドクター・キリコとは手塚治虫の医療漫画「ブラック・ジャック」に登場し、報酬を得て安楽死を請け負う医師。漫画では患者の命を救う主人公とは対照的な人物として描かれている。

山本直樹容疑者:43歳)
東京・品川区にクリニックの事務所を置き、全国に出張して泌尿器科の治療などを行っている。過去にはED(勃起不全)治療専門病院の院長を務めていた。

人生を『太く』『短く』生きたいというあなたにささげる」というタイトルのブログを開設しており、ALS患者の主治医を受け持った経験から、「彼らが『生き地獄』というのも少しはわかる」と投稿し、「神経難病などで『日々生きることすら苦痛だ』という方には、一服盛るなり、注射一発してあげて、楽になってもらったらいいと思っています」と書き込んでいた。

山本容疑者の口座には、被害者から130万円の現金が振り込まれていた。ブログには、「バレると医師免許がなくなる」「リスクを背負うのにボランティアではやってられない」とも書き込んでいた。

二人の医師はともに弘前大卒。両者のつながりは捜査中。

被害者と容疑者のつながり
被害者は18年4月にツイッターアカウントを開設。19年1月3日午後5時45分「作業は簡単だろうからカリスマ意志じゃなくてもいいです」と安楽死を希望する書き込みをした。それを受けて大久保容疑者は、「訴追されないならお手伝いをしたいのですが」と返信。「お手伝いしたいのですがという言葉が嬉しくて泣けてきました」と被害者が返信している。以下次のようなやりとりが行われた。

(1月5日)「完全安楽死マニュアルみたいな本は海外で売られている。アレンジして俺なりの毒を加えて販売したい:大久保容疑者」→「今から予約します:被害者」
(8月25日)「やはりスイスか?キツイな:被害者」→「定期的に訪問介護や看護が来てしまう。強制的に助けられてしまうという悪条件と理解しています。コナンや金田一どころではない計画が必要です:大久保容疑者」

大久保容疑者は、自宅マンションを訪れる日時や現金の支払いなどを巡るやりとりを終えた後、内容を消去するよう指示。自身の関与が発覚するのを恐れた大久保容疑者が証拠隠滅を図ろうとしたとみられている。被害者はその指示に従っている。

また被害者は昨年10月(事件の約1カ月前)、主治医に「山本医師のもとへ転院したいので、紹介状を書いてほしい」と依頼したが、主治医は「知らない医師には任せられない」と拒否。その後も同様のやりとりは複数回あったという。

被害者の父親の声(NHK7/23のニュースから抜粋)
「娘はどうして自分が病気になるのかとずいぶんと落ち込み、ショックを受けていました。私も初めて聞く病気で何をしてあげればいいか分からず、暗中模索でした。頭はしっかりしているだけにつらかったと思います」

「知っていたらもちろん、止めています。娘の気持ちは尊重したいですが、これでよかったのかとも思われますし、本当に複雑な気持ちで葛藤しています」

「複雑な気持ちです。娘も殺害を委託しているし、犯人を一方的に責めることはありません。娘にとって苦渋の決断だったと思います」

「亡くなる寸前の時に、ひと言話したかった。目を合わせたかった。手を握りたかった。急にこんなことが起きるなんて夢にも思いませんでした。それがいちばん残念です」

大久保容疑者の妻(元衆議院議員)の声:NHK7/23のニュースから抜粋)
「患者からは話をよく聞いてくれるという評判だった。終末期の患者の診療を行った際、『食べることだけが楽しみになるので、好きなものを食べられるようにサポートしたい』と言っていた」

「自分のやったことなので、説明して責任をとってほしい。患者に不安な思いをさせてしまったことを申し訳なく思う」

ALSの当事者である「れいわ新選組」の舩後靖彦参院議員のコメント
「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが何よりも大切だ」

「インターネット上に『安楽死を法的に認めてほしい』というような反応が出ているが、人工呼吸器を付け、ALSという進行性難病とともに生きている立場から強い懸念を抱いている」

「こうした考え方が難病患者や重度障害者に『生きたい』と言いにくくさせ、生きづらくさせる社会的圧力が形成していくことを危惧する」

本事件の問題点として指摘されていること
(横浜市立大・有馬斉准教授:「死ぬ権利はあるか」の著者)
日本では積極的安楽死は認められていない。合法化されている海外の例と比較しても、今回の事件は患者を良く知らない人間が本人の意向だけで行ったとみられ不適切。

(鳥取大学医学部の安藤泰至准教授:生命倫理が専門)
患者に死期が迫っていないうえ、SNSで依頼を受けた医師が苦痛の緩和を尽くしたともみられず、海外の一部の国が厳しい条件を設けたうえで認めている『安楽死』とも大きくかけ離れた行為だ。

横浜地方裁判所が平成7年3月28日判決で示した医師による積極的安楽死として許容されるための4要件
1.患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2.患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4.生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

参考:人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(平成30年3月改訂)
安楽死や延命中止を巡る主な事件と処分
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入所者の耳たぶを引きちぎった介護職員


道内の特養において、夜勤中に信じ難い虐待事件が起こった。

北海道恵庭市の特別養護老人ホーム「恵庭ふくろうの園」で勤務する吉光翔平容疑者(28歳)が、男性入所者(78歳)の耳たぶを引きちぎったとして傷害の疑いで逮捕された。

事件が発覚したのは7月13日。午後9時ごろ施設から、「入所者が転んで、右の耳たぶが取れていた」と119番通報があった。当時、同園では5人の介護職員が夜勤業務に就いており、駆けつけた警察署員が聞き取り調査を行ったところ、同容疑者が被害者の耳を引っ張るなどの暴行を告白したものである。その際容疑者は、「介助中にトラブルがあってやった。仕事でストレスがあった」と供述している。

なお被害男性は、耳たぶがちぎれた状態で手当を受けているが、命に別条はない。

こうした事件が起きると、明らかになる虐待は氷山の一角だとか、介護施設はどこも似たり寄ったりで見えないところで悪が潜んでいるかのように思われてしまうが、多くの介護施設は、虐待とは無縁の人を護るサービスを提供しており、私たちは海を漂う氷山ではないと言っておきたい。

容疑者の、「仕事でストレスがあった」という発言も安易に受け取ってほしくない。時として介護という仕事が、他の職業にもましてストレスがあり、だからこそ虐待が横行しがちの職業なんだと評価されたりするが、それも大間違いだ。

仕事のストレスなんて、どんな職業にもつきものだ。人間が相手となる介護という職業は、その中でもストレスが大きいと考える向きがあるが、人の役に立つ仕事だから介護の仕事に就きたいと希望してきた人たちは、そこでストレス以上に大きな喜びを感じ取ることができる仕事でもある。自分が大した仕事もできない状態でも、「ありがとう」と声を掛けてくれる高齢者の方々に、僕自身がいくら救われてきたかを思い返しても、それは事実であって理想でも幻想でもないと言い切れるのである。

少なくとも介護職員についていえば、数字のストレスはない。売り上げ目標の達成に汲汲として、上司からパワハラまがいの指導を受けるなんてことは一切ないわけだ。

精神科病棟に務めた経験がある人なら理解できると思うが、「うつ病」に罹患している人の中には、営業売り上げ目標という数字のストレスで病気が発症した人が実に多いという事実がある。そうしたストレスとは無縁の介護職が、他の職業に比して特別ストレスが大きいという論理は成り立たない。

そもそも介護という仕事にストレスを感じたとしても、そのうっぷん解消の手段として、利用者への虐待行為に及ぶということ自体が異常なことだ。ましてやこの容疑者は、人の耳が引きちぎられるほど強く引っ張っているのだから、それはどれだけの力かと言いたくなる。それほどの力で人の耳を引きちぎらねばならないほどのうっぷんとはいったい何なのだろうか。異常な行為としか言いようがない。

それはそもそもこの容疑者が、介護という職業に向いていなかったのではないかという疑いを持たざるを得ないことにつながり、果たして虐待の場となった特養の運営法人は、きちんと適性を判断して職員を雇用し、適切な形で教育を行っていたのかという疑問につなげざるを得ない。

この特養の経営母体は、社会福祉法人いちはつの会というところだが、ここは事件現場となった恵庭市の特養のほか、千歳市でも地域密着型特養を経営している。僕は千歳市の老健に務めている際に、両方の施設ともに仕事で訪問したことがある。その時感じたことを今、改めて思い出している。

どちらの施設も新しい立派な新しい建物であるが、そこで働く職員はお世辞にも接遇マナーが良いとは思えなかった。若い職員が高齢者に向かって、「タメ口」で接している態度を見て、僕にはその姿が無礼な馴れ馴れしい態度にしか思えなかった。それは一部の職員だけの姿なのかもしれないが、そうした職員の姿に目をつぶって放置して起きた結果が、今回の事件の根幹に存在する問題ではなかったのだろうか。闇を創り出していたのは、容疑者自陣のみならず、嫌なものを見ようとしない法人の曇った眼ではなかったのかを、法人自身が検証しなければ駄目だと思う。

このように接遇意識・サービスマナー意識のない場所であれば、いつこの事件の加害者のような職員が現れても不思議ではないのである。それは法人への信頼を著しく損ねる事態へと発展し、場合によっては取り返しのつかない事業経営上の汚点になりかねない。

だからこそ常日頃からの職員に対する、「サービスマナー教育」は不可欠である。

今週は月曜日に、「クラスター感染発生施設の実像に触れて思うこと」という記事を書いて、親しみやすさと、無礼で馴れ馴れしい態度を勘違いしている実例を示しているが、こうした勘違いを介護業界全体からなくしていかないと、介護という職業や介護事業が、闇と一体の仕事だと思われかねない。

そうしてはいけないし、志を持っている介護職の方々には、自分の職場をそのような無法で無礼な職場のままにしておかないようにくれぐれもお願いしたい。職場がマナーのない態度を直そうとしない場所であるならば、そうした場所には一日も早く見切りをつけて、もっと人の暮らしを護る場所を探してもらいたい。

闇のある場所にいては、自分が闇に眼をつぶってしまい、真実が見えなくなってしまうのだから・・・。
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闇


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命について考えさせられる様々な死の風景


死は誰の身にも訪れる。それは誰しも知っていることであるが、自分や自分の身近な人が、今日突然死の瞬間を迎えることを予測している人は少ない。

健康な人であればなおさら、その人が今日急に命を失うとは思わない。しかし実際には突然の死はたくさんある。日本では一日平均3.279人が死んでいるのだ。その中には、健康に何の問題もなく、死と遠い場所にいると思われていた人が、予測できない理由で死という現象に見舞われることもある。その中には理不尽と思えるような、「死に方」も存在する。

普段そのようなことをあまり深く考えることはないが、「悼む人」という小説を読んだり、それを原作にした映画を観た影響もあってか(参照:悼む人は愛と憎しみ、罪と許しのドラマです。誰に愛され誰を愛し誰に感謝されたことがあるかを思い出してください。)、介護関連の仕事をしている最中に、そこに関連した様々な死のニュースが気になった週である。

5/18、京都府長岡京市内の民家で、76歳の夫が72歳の妻の首を絞めて殺害した後、自らも首をつって死亡しているのが発見された。夫は直前に、「介護に疲れた。2人で楽な道を選ぶことにした」という遺書を長男に送り、長男から通報を受けた向日町署員が、二人の遺体を発見している。

先週の11日には埼玉県入間市でも53歳の息子が、疾患を負った83歳の母親の介護に絡み、「母親を切り、自分も死のうと思ったができなかった」と通報し殺人未遂で逮捕されている。母親は手首を切ったものの命を失わなくて済んだが、これは殺人未遂というより、介護疲れを理由にした心中未遂である。

介護疲れを理由にした心中事件は、介護保険制度が創設され、介護の社会化が叫ばれてもなくならない。数が少なくなったかどうかは不明であるが、人の死の問題は、数の比較をしてもどうしようもないだろう。5/18の心中の遺書のあて先となった長男の方にとって唯一無二のご両親を、このような形で亡くした哀しみは計り知れない。

この世の中は、こうした悲劇から逃れられないのだろうか・・・。

20日午前に奈良県五條市で一家五人が亡くなった火災事故は、寝室に油をまいて放火した無理心中とみられている。遺書があると一部で報道されたが、それは誤報でメモ書きが残されているものの、遺書ではないとのことである。

この一家の主は社会福祉法人の高齢者介護施設で、施設長に就任したばかりという報道もされている。心中の原因が何かはわかっていないが、8歳と6歳と2歳の幼い子供3人を何故道連れにしなければならなかったのか・・・。この一家の主のFacebookには、今も幸せそうにしか見えない5人の家族写真がアップされたままである。それを見るとやっぱりどんな理由があろうとも、家族を巻き込んで死を選択してはならないと思ってしまう。

コロナウイルス関連では、5/20に厚生労働省が介護施設で新型コロナウイルスに感染して亡くなった高齢者の人数について公表している。その数は19日時点で少なくとも61人で、介護施設内で亡くなった高齢者は23人ということだ。

61人−23人=38人は、介護施設内で発症したが、亡くなった場所は入院先の医療機関という意味なのだろう。クラスター感染が発生している札幌の老健内では15人が亡くなっていることがわかっているのだから、その数は公表された23人の65%以上に上っている。ということはやはりこれは異常な数字としか言いようがない。

陽性となった利用者が発生したとの報告を受けた札幌市が、医療機関への転院をせずに施設内での継続介護を求めたことによって感染が拡大し、施設内死者数が増えたと思われるわけであるが、そのことは結果的に同施設の感染者を見捨て、「命の選択」が行われた結果ではなかったのかという検証・議論は、後々必ず必要となるのではないだろうか。

蛇足として書くが、道内のクラスター感染発生施設では、退職者もかなりの数に上っている。そして退職者の状況をみると、看護職員の退職比率が介護職員のそれよりかなり高くなっている。

このように看護職員の方が介護職より感染拡大の場から離脱割合が高い理由は、感染症の恐ろしさを介護職員が十分知っていない結果であるとしたら、それはある意味恐ろしいことであるように思った。
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感染対策として命の選択が行われる社会であってはならない


新型コロナウイルス禍の緊急事態宣言解除が見送られた北海道では、昨日新たに6人の感染が確認され、2人が亡くなっている。

新規感染者のうち4名と死亡者のうち1名については、クラスター感染が発生している、札幌市の老健、「茨戸アカシアハイツ」の利用者である。

その数字を含めると昨日時点で同施設の感染者は合計81名(入所者の感染は62人)・死亡者は合計9名となった。

同施設の入所定員は100名だから、入所者の感染者はすでに6割を超えているわけである。しかも最初に感染者が報告された4/26〜昨日までのわずか20日に満たない間に、死亡者は1割に達しようとしている。また同施設の職員17名の感染も報告されている。これらはいずれもすごい数字である。
※5/16追記:15日にさらに死者が1人増えて、死亡者割合は20日間で1割となった。

しかしこの感染拡大について、札幌市の対応に大いに疑問を感じてしまう。

前述したように札幌市に同施設から最初の感染者が報告されたのは4月26日であった。その際に市は、「入所者は適切な介護を必要としている。入所者が感染しても無症状や軽症であれば、可能な限り施設内で生活環境を整えてほしい」と文書で伝え、感染した入所者を原則、病院には移さずに施設内にとどめて療養するよう求めている。

このため5/12までに病院に移されたのは、12日に入院した1人のみで、8名が同施設内で新型コロナウイルス感染症により死亡している。(※うち1名は最初の検査で陰性で、容体が急変して死亡後に感染が確認された。)

施設では感染者を2階に集めて隔離していたが、1階にいた入所者や職員からも感染が確認されるようになっていた。その状況が12日にNHKの道内ニュースで、『入所者の家族からは、感染した人を病院に移すことが治療や感染拡大を抑える上でも必要ではという声が複数寄せられていて、この対応のままでよいのか疑問の声が上がっています。』と大きく報道された。

これを受け札幌市保健所の山口亮感染症担当部長は12日の記者会見で、「重症の感染者を受け入れられる病床の確保に努めているのは事実だ。ただ入所者については、それぞれの事情に応じて入院の時期を待ってもらっている」と説明したが、批判的なニュースの論調が影響したのか、昨日は同施設から5名が医療機関に入院できたそうである。

つまるところ老健という介護施設に感染者をとどめたままの対応が間違いだったのではないだろうかという疑問が生ずる。

適切な医療対応が行われない状況で、感染が拡大することはクルーズ船の例で示されれていたところであり、なぜ札幌市は感染者を介護施設である老健にとどめたままにしたのだろう。

老健は医師が常勤配置されていると言ってもたった1名である。しかもそこは医療機関ではなく介護施設であるために、老健が診療報酬を算定することは出来ない。しかも老健の医療サービスについては介護報酬の包括報酬(いわゆるマルメ報酬)とされており、例外はあるものの治療にかかった費用は老健の持ち出しとされてる。つまり治療で薬剤等を使えば使うほどその持ち出しは多くなるため、提供できる医療にはおのずと限界が生ずるのである。

そもそも新型コロナウイルス感染症については、高齢者は重篤化しやすいのがわかっており、症状がなくとも、軽症であっても油断できない。急激な症状悪化は常に予測しなければならないが、老健という介護施設が医療機関と同様に即座に対応できるわけがない。

それにしてもこれだけ多くの感染者がとどまっている状態で、対応する職員の備えはあったのだろうか。マスクで鼻と口を護るだけではなく、ゴーグルで目を護る対応がきちんと行われているだろうか。少なくとも感染者を老健で引き続き対応しなければならないことが決まった後は、ゴーグルは通常装備とされなければならない。

感染が2階から1階へとフロアを超えて広がっている状態を考えると、飛沫感染だけではなく、エアロゾル感染が起こっている可能性が高いが、その対策としてきちんと空間除菌も行っていただろうか。

それらが行われない状態で職員を対応させていたのなら、それはなりふり構わない特攻介護と批判されても仕方ないし、職員が可哀そうだ。

もし感染予防の対策に少しでも不備があるとすれば、そこから職員が逃げ出そうとするのは当然で、そうした状況で退職者が出たとしても、敵前逃亡などという批判はできないと思う。果たしてこの施設では退職者は出ていないのだろうか。

放送されたNHKのニュースの中で、取材に応えている医療大学の塚本容子教授は、「高齢者にとっては住み慣れた施設から病院に行くということはかなりのストレスになり、認知症などの持病が悪化するケースもある」と呑気な解説をしているが、そんな場合ではないだろう。

そもそも老健は生活施設ではなく、リハビリを行って在宅復帰を支援する中間施設である。もともと別の場所に移ることを前提にしている施設の利用者について、こうした論評が通用するのかは甚だ疑問である。

結果的にこの老健では昨日までに9名もの人が、コロナウイルス感染症が原因で亡くなっている。この状況では、ターミナルケアも十分受けられない状態で亡くなっていることが予測される。

しかも症状に対応した十分な医療が提供されているとも思えない。つまるところ感染が明らかになりながら、医療機関に入院することなく、そのまま症状が悪化して亡くなった人についていえば、それはある意味、「見捨てられて死んだ人」と同じではないのか。

医療崩壊を招かないように、介護施設の高齢者は入院の優先順位を低くするということになれば、それはまさに、「命の選択」でしかなくなる。それが許される社会は恐ろしい社会であることを、私たちは今一度肝に銘じなければならない。
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虐待施設への行政処分内容を見て感じたこと


職員が入所者に対し、繰り返し暴言や暴力などの虐待を行っていたことが明らかになった島根県松江市にある地域密着型特養「わこう荘」に対し、市が4/8に行政処分を行ったことが公表された。

虐待の具体的内容とは、2019年夏頃から同年12月末にかけて、介護福祉士の資格を持つ男性職員(30代)が入所者の女性(70代)に対し「くせえ」・「ばか」・「殺すぞ」などと暴言を浴びせ、顔に肘うちするなどの暴力を行ったというもの。この職員は他の入所男性(70代)にも同様の対応をしていたことが分かっている。

事件が発覚したきっかけは、虐待を行っていた職員の同僚が施設に対し「部屋から叩く音がする」と報告したこと。それを受けた施設は昨年12月21日に入所女性の部屋にICレコーダーを設置し、画像で動かぬ証拠をつかんだ。

虐待を認めた職員は施設側の聞き取りに対して、「夜勤が続いてイライラしていた」と虐待理由を述べていたとの報道もある。

施設側から市に連絡があったのは12月26日で、市は虐待の内容や速やかに連絡しなかった責任は重いとして施設の指定取り消しも検討したが、ほかの入所者がいることに配慮し、5月1日から3ヶ月間、新規利用者の受け入れ停止に加え介護報酬の請求上限を7割までとする行政処分を行った。

虐待の当事者となった男性職員は2020年2月6日付で懲戒解雇されている。

こうした報道に接すると、職員採用は本当に難しいとあらためて思う。面接段階で虐待をしそうな人物を完璧に見分けることはなかなか困難である。誰しも、「利用者のために良い介護をしたい」と応募動機を述べる中で、介護職の経験がなくても素質がありそうに見える人は決して少なくない。そしてその期待を裏切る人も少なくはないのが現状だ。

だからこそ採用段階での選別とともに、試用期間をきちんと定めて、その期間で適性判断を行うという2段階の選別システムを厳正に確立することを、このブログでは何度も指摘している。

本ケースの施設は地域密着型特養という、定員が29人以下の小規模事業所なのだから、上司や同僚が、日常介護業務の中で当該職員の仕事ぶりを確認するのはそう難しいことではなかったと思える。そうであるにもかかわらず、本件発覚の経緯である、「人をたたく音」に気づく前に、加害者が日常的に利用者を罵倒する声などを何故もっと早く感じ取ることは出来なかったかなどの検証作業が必要だろうと思う。

ところで市の処分に関連して感じたことがある。「速やかに連絡しなかった責任は重い」とされているが、施設がICレコーダーを設置したのが12/21。その時すぐに行為が発覚したとしても、施設側が本人に事情聴取をして、市への報告内容をまとめるのに相応の時間は要して当然だと思う。しかるにその報告がレコーダ設置から5日後の12/26にされたことを、「速やかではあらず」と糾弾されているのは、とても厳しい姿勢だなと思った。

処分内容についてであるが、新規利用者の受け入れはこの時期、コロナウイルスの感染予防対応で、処分を受けなくとも難しいと思うのであまり影響はないと思う。しかし減算処分はかなり厳しい。地域密着型特養はもともと運営費用がかなり厳しいサービス種別であり、常に満床で給付費上限を算定し、併設事業も稼働率が高くなって初めて経営が成り立つような事業だ。

母体に広域型特養などがあって、その施設のサテライト施設として運営され、母体と一体でないと、なかなか人件費がひねり出せないようなサービス種別なのである。

それが3月の間、給付費が7割算定しかできない状態はかなり厳しく辛いものになる。この間の運営費用は間違いなく赤字である。経営母体には広域型施設はなく、大きな規模の法人ではないと読み取れ、法人全体としてかなり厳しい経営を強いられるのではないだろうか。

しかしこうした処分を恐れて事実を隠蔽しても、この情報社会において虐待事実を隠し通すことは困難である。むしろ隠蔽が発覚した場合の、より重い処分を考えると、事実の自主的報告は当然と言ってよいだろう。そういう意味で本件の厳しい処分を知って、今後事実を隠そうとする事業者があってはならないことを改めて訴えておきたい。

それにしても本件の加害者のような、とんでもない職員がたった一人でも存在すれば、このように事業経営自体を揺るがすことになりかねないということは、介護事業経営者にとって大きな危機感を与える問題ではないだろうか。

新型コロナウイルスの影響で職を失った人が、今、介護事業者に就職を求めて募集に応募するケースが増えているそうである。しかしそのことに舞い上がって、闇雲に職員採用しないように心せねばならない。今のような状況だからこそ、人材をきちんと選んで育てるという意識がより強く求められるのではないかと思う。

そうであるからこそ介護事業者における、選び・見極め・育てるという三位一体システムの確立を急いでほしいのである。
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面会制限している施設から退所させた母親と無理心中というニュースに触れて


大変ショックを受けるニュースが飛び込んできた。

4/18大阪市西淀川区の駐車場で男性(57)が倒れているのが発見され(自室のベランダから飛び降りたとみられる)、自室では母親(91)がベッドで布団をかぶった状態で亡くなっており、顔にはタオルがかけられていたという。亡くなった男性のポケットからは遺書が発見されており、その内容から本件は男性が母親を殺害後、自殺した無理心中であるとされた。・・・この情報だけでも十分ショックであるが、その背景がよりショックである。

母親は数年前に市内の特別養護老人ホームに入所しており、男性は孝行息子として知られ、毎日のように見舞いに訪れ、朝から晩まで母親に付き添っていたそうである。

しかし4/3〜その施設では新型コロナウイルス感染予防対策を取り、面会制限が行われ、男性も母親に面会ができなくなったそうである。

母親に会えない日が続いた男性は、施設に対して、「一時的に家に連れて帰りたい」と外泊の希望を出したそうであるが、感染予防対策中であり外泊も禁止されているとして断られたとのことである。

そのため男性は、母親を施設から退所させることを決断し、4/17の夕方自宅に母親を連れ帰り、翌18日朝には息子が大量の紙おむつを購入して家に運んでいる姿が近所の住民に目撃されていた。しかしその夜に無理心中という悲劇が起こっている。

大阪府警によると、遺書には「母に『死にたい』と言われ、糸が切れた」と書かれており、男性の死後の葬儀や部屋の片付けについても記されていたという。

何とも痛ましい事件である。だからと言って面会を制限していた施設が悪いわけではない。施設としてはこの時期に面会を制限したり、外泊を禁止するのはやむを得ざる措置である。大阪の感染拡大状況を考えれば、この部分はより厳格に行わねばならないだろう。そのことに対して非難を受ける謂れはない。この部分については声を大にして言っておきたい。

第3者からすれば、退所を申し出たときに翻意を促す働きかけがあっても良かったのではないかと言いたくなるのかもしれないが、たぶんそういう働きかけは行われていると思う。施設側からすれば、母親の状態をよく知っているし、男性一人でずっと在宅介護することの困難性も理解していたであろうから、そうならないように説得をしたはずである。少なくとも、「ああそうですか」・「それなら勝手に退所してください」なんていう状態で、利用者を放り出すようなことはなかったと信じている。

おそらく面会できないことに対する、男性のストレスが予想以上に高く、退所させるという意思も、周囲の説得で翻意できる状態でないほど固かったのだろう。だからと言って施設側は面会制限を解除するわけにもいかない。そういう意味では施設・男性双方が思い悩んだ末の退所の決断だったのではないだろうか。

そしてその時点では、当事者本人も含めて誰もこんな悲劇の結末につながるとは思っていなかったはずである。そんな恐れや予測は不可能だ。

おそらく被害女性が退所したとされる施設の関係者もショックを受けていることだろう。担当者は特に悔しい思いをしているだろうが、過度な責任感を追わないようにしてほしいと願わざるを得ない。

ひとつだけ検証してほしいことは、面会制限に対するストレス対応がきちんと行われていたかどうかということである。(参照:施設を強制収容所に化す工夫のない面会制限

参照記事にも書いているように、面会制限と非接触型の顔の見えるコミュニケーション対策はセットで行われるのが当然であると考えてほしい。これだけ長期間の制限にもかかわらず、その出口さえも見えないのだから、そうした対策を全くとっていない制限の継続は、虐待と同じレベルの人権軽視であるとさえいえるのである。

そして本件のような事件の教訓として、私たちは精神的なケアの対象とは、利用者のみならずその家族も含まれると考えるべきだ。面会を制限される家族にも、施設側が主体的かつ積極的にアプローチするべきである。

特に面会できない家族のうち、キーパーソンに対する定期的な施設からの情報発信・情報提供は必要不可欠である。それは個別情報として、広報誌などではなく、個別の非接触型コミュニケーションとして行われるべきであると考える。

どちらにしてもこんな悲劇が繰り返されてはいけない。しかし悲劇が繰り返されない決定的な処方箋などあろうはずがないのも事実だ。だからこそ私たちはできることを確実にしていく以外ない。

現時点で言えば、面会制限にともなうストレスチェックを早急に行うことだ。そのうえでその緩和策を考え得る限りとることだ。特に面会できない家族とのコミュニケーション機会を失わないように、不平や不満を施設側が積極的に受け入れる機会を創るように対策すべきではないだろうか。

それを行っていない施設の関係者は、この記事を読んだ後できるだけ早くその対策を講じていただきたい。

末尾になるが、亡くなられたお二人のご冥福を心より祈る。合掌。
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道内北斗市での通所送迎中の事故原因が理解できない


一昨日、道内に駆け巡った介護関連ニュースとして、医療法人が経営するデイケア事業所の送迎中の事故に関するものがある。

その内容とは、昨年10月に北海道内北斗市内の通所リハビリテーション施設の車いす移動車に乗っていた男性(81歳)が、走行中の車内で車いすごと転倒して意識不明の重体となったというものだ。

報道のきっかけになったのは行政指導の内容が明らかになったことである。北斗市はこの施設に対して「職員の安全対策が不十分だった」として今年1月から3カ月間、利用者の新規受け入れを停止する処分を行ったというのである。

通所サービスの送迎中の事故は決して少なくなくて、過去にはリフト付き車両のリフト操作中に、車いすの固定が不十分で、リフトから道路に転落して利用者が亡くなるという痛ましい事故もあった。

しかしワゴン車内で、車いすに座っていた利用者が、車いすごと転倒し重篤な結果につながったという事故というのは、今まで一度も聞いたことがない事故である。

報道によると事故は昨年10/3に発生したもので、檜山管内の男性を乗せて送迎中のリフト付きワゴン車が、交差点で右折した直後に、男性が車いすごと後ろ向きに転倒し、頭を強く打つなどして意識不明の重体となったというものである。送迎車両には職員二人が同乗していたとのこと。

転倒の原因は、車いすの男性をリフトで車に乗せる際、本来は職員がフック付きのバンドで車いす4カ所を固定しなければならなかったが、全てのフックをつけ忘れていたという・・・。

しかしこの事故原因(転倒の理由)はとても納得できるものではない。少なくとも僕の過去の経験から言えばこんなミスはあり得ない。最大の疑問は、車いすの固定を忘れるだろうか?ということだ。

僕の経験で言えば、それを忘れてしまうことなど考えられず、車いすに乗っている人をリフトに乗せ固定したあとリフトを上げ、そこから固定を外してワゴン車内に車椅子を押し入れた場合、その流れでかならず車内でフックに固定するのは一連作業である。送迎担当者ならその作業は体で覚えていることで、普通フックをかけることを忘れることは考えにくいように思う。

運転手以外の同乗職員が、フックで車いすが固定されていないことに気が付かないのもどうかしている。そもそもその際にフックに固定する器具はどこにどのような状態で置かれていたんだという疑問も生ずる。かけていないフックが同乗している職員の眼に入らないことなどあり得ないと思う。

そう考えると、この事業者の送迎担当者は日常的に送迎の際に、「車いすのブレーキをかけてさえいれば問題ないだろう」という根拠のない安心感で、日常的にフック固定を怠っていたのではないかという疑問が生ずる。それは僕の偏見による妄想だろうか?

さすれば本件以外にもそうしたケースがなかったか、詳しく検証される必要があるように思うが、それがされないまま、この事故はケアレスミスにして幕引きがされそうである。

本件は道警が1月、自動車運転処罰法違反(過失致傷)の疑いで、運転していた男性職員を書類送検し、北斗市が行政処分を行い、同事業所の本体施設の事務長が「事故を受け、職員同士で声を掛け合いフックの装着を確認させるなど、教育を徹底している」と語つことで終止符が打たれようとする感がある。

北斗市といえば、僕が今まさに今、新幹線に乗って向かっている、「新函館北斗駅」のある田園地帯である。10月といえば雪の季節だが、この冬の小雪の影響で、おそらく事故現場もあまり雪のない広いなだらかな道路であったのではないか。その好条件に対する甘えがなかったのかなどを今一度検討する必要があるのではないか。

何度もいうが、通所送迎を一度でも経験した者にとっては、リフト車両を利用する車いす使用者の、「フックのかけ忘れ」など、普通は考えられないことなのだ。ここは一般の方に理解できないことかもしれない。

どちらにしても、ちょっとした油断が利用者の命に係わる事故を引き起こしているという事実がある。このようなヒューマンエラーは絶対になくしていかねばならない。

意識不明の重体になった利用者の方が、今どうなっているのか、回復したのか否かの報道はない。

しかしもしこんな事故によって、命を失うことになるとしたら、最も利用者が信頼を寄せて、暮らしの質を護ってくれると信じていた事業関係者によって命を奪われるという結果にしかならない。

それはあまりに哀しい残念な最期である。このようなことを繰り返さないためには、「事故原因には、隠された真実がある」なんてことがあってはならないわけだが、本件にくれぐれもそれがないことを願うのみである。

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虐待防止研修をいくら開いても虐待は防止できない


大阪東住吉区の特養で昨年11月から12月にかけて、寝たきりの女性3人が相次いで肋骨骨折し、今年1月にも90代の寝たきり女性の体に、打撲による「あざ」が発見され問題となっている。

もともと肋骨は骨折しやすい箇所ではある。寝たきりの人は骨がもろくなっているので、肋骨骨折の危険性はさらに高くなる。例えば移乗介助の際に、介護を行う職員が利用者の背中側から脇に手を入れて、肋骨箇所に掌を添えて力を入れただけで骨折する人もいる。そのため移乗介助の際に利用者の肋骨部分に負荷をかけない介護方法を学ぶのは基本中の基本ではある。

本件はそのような基本的介護ができていなかった結果による、「介護事故」と考えることもできるだろうか?

しかし自分で動くことができない複数の高齢者が、このような短期間に同じ個所に怪我を負うということは常識的には考えられないので単純な介護事故とは思えない。本件のような状態は、意図的で人為的な力が作用しないとあり得ないことであり、利用者にとって身近な職員から虐待行為を受けた、「事件」であることが疑われる。

そのため大阪市や施設から通報を受けた大阪府警は、事件性の疑いもあるとみて捜査を始めたそうである。

被害者はいずれも多床室に入所していた方であるという。しかし被害を受けた日時が特定できないのだから、この間複数の職員の直接介護を受けており、仮に虐待暴行事件だったとしても、加害者を特定するのは非常に難しいと思われる。

特に被害者はいずれも認知症の方であり、誰が自分に対して、どのような行為に及んだかを訴えることができないので、加害者特定は余計に困難であるが、だからこそその行為は悪質で許せない行為であるとも言えよう。

このような報が流れると、施設入所している自分の親は大丈夫かと心配する家族はたくさんいるだろう。介護施設における虐待はどこでも行われていることで、表面化する虐待行為は、その氷山の一角にしか過ぎないのではないかと考える人もいて当然である。

そのような考え方は間違っており、多くの介護事業者や介護関係者が虐待とは無縁であると言っても、そのことに説得力を感じない人が増えてしまうのも当然だ。そんな中で僕たちはいったい何をしたら良いのだろうか。

こうした報道を受けて改めて、『虐待防止研修』を企画する動きもみられる。しかし虐待防止研修をいくら開いて、それを多くの職員に受講させたとしても、そのことにほとんど意味はないと思う。

なぜなら、「虐待しない」ということが良いサービスではないからだ。虐待しない職員が良い職員だとも言えない。「虐待行為のない施設」や「虐待しない職員」は、当たり前のことであり、特別なスキルではないからだ。むしろ虐待防止研修を声高らかに唱えなければならない介護業界のモラルレベルが疑われようというものだ。

自ら選んだ対人援助という職業の中で、利用者を虐待するということ自体が、「異常」であり、「普通ではない」ことなのである。その異常な状態に気が付かない感覚麻痺をどうにかしないと介護業界から虐待は永遠になくならない。

そんなことに気が付かない職員に、改めて虐待を防止しましょうとレクチャーして何の意味があるというのだろうか。

そもそも虐待が悪いことであるということくらい誰でもわかっている。虐待は良くないことです、なんていうレクチャーは小学生低学年以下に向けて行うべきことで、それ以上の年齢の人に対して行うような教育ではないのだ。

またストレスが虐待の原因だとされることがあるが、それは間違っている。職業にストレスはつきものであり、介護という職業だけが特別なストレスのある職業だということはない。少なくとも介護施設内の業務には、営業ノルマのようなストレスは存在していないわけである。

そもそも対人援助の中で、ストレスのはけ口を直接利用者に向ける人間は、対人援助にはじめから向いていないのであり、むしろ人を傷つけることを何とも思っていなかったり、サイコパスのように人を傷つけること自体を目的に介護という仕事を選んでいるのである。そんな人間に、虐待は悪いことで、防止しなければいけないことだという教育をしたところで何にもならない。

そんな低いレベルの所で何かしたってどうしようもないのである。

そこでまず初めに考えなければならないことは、人材不足だからと言って、職員募集に応募してきた人間を闇雲に採用してはならず、一度採用した人についても、試用期間に適性をきちんと見極めて、対人援助に向いていない人には別な職業を勧めることである。

教育レベルで言えば、虐待防止研修ではなく、対人援助のプロフェッショナルとしての矜持を植え付けることを主眼に置かねばならない。介護を職業とする人々の、「民度」が問われていることを自覚しなければならない。

そのためには虐待を起こしてはならないという小学生レベルの「お話し」を聴かせるのではなく、対人援助のプロフェッショナルとして行わねばならないことを根本から教育しなおさねばならない。

感覚麻痺に陥らずに、介護サービス利用者に対して正常の顧客マナーを失わないように、徹底した節接客・接遇意識を植え付けるための、サービスマナー教育をし直さねばならないということだ。

そうすることでしか職員に植え付けられない意識があるのだ。それを基盤として私たちは自らの実践で、介護サービスを高品質化して、社会から認めてもらわねばならないのである。

サービスの品質を常に意識する職員を育て、そのためには顧客に対するサービスマナー意識があって当然だと考える職場環境を創る中で、顧客に対するホスピタリティ精神が生まれるのだ。サービスの品質に対する興味がなく、サービスマナー意識が浸透しない職場で、ホスピタリティ精神など生まれないのだ。

しかしホスピタリティ精神が根付いた職場は、虐待とも無縁になるし、幼稚な、「虐待防止研修」なんて必要なくなるのだ。このことを理解しなければならない。虐待防止研修が必要な土壌を改善しなければ、いつまでも虐待はなくならないのである。

そのための職員研修のお手伝いは、いつでも受け付けている。気軽に連絡していただければと思う。

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廃止される通所介護事業経営者がしていたこと


僕が住む登別市は、室蘭市と生活圏域がほぼ同じといってよい。

僕の家はその室蘭市との境界線の近くにあるので、僕が日常的に利用する駅やお店は、ほぼ室蘭市に属している。そして僕のウオーキングコースも室蘭市が中心になっているが、ウオーキングの最中にいつも近くを通る、「地域密着型通所介護事業所」で事件が起きた。

それも事業経営者の従業員に対する卑劣で破廉恥な犯罪行為である。

2020年1月15日、デイサービスセンター「かなで」(合同会社マーベラス)の経営者・下村進 容疑者(52)が迷惑行為防止条例違反の疑いで逮捕された。容疑は事業所内の更衣室に盗撮目的で小型カメラを設置した疑いとされている。

逮捕に至る経緯は、1月14日に同事業所の女性職員が着替えようとした際、更衣室内の置時計型のデジタル時計に内蔵されている小型カメラを発見したことによるもの。スマートフォンほどの大きさのデジタル時計が棚に不自然に置かれていたことを不審に思った女性従業員が見つけて、別の従業員が「盗撮機を設置した者がいるかもしれない」と警察に通報して事件が発覚した。

下村容疑者は警察の調べに対して、「自分が設置した」・「スリルを味わいたかった」・「女性の着替えにドキドキした」と容疑を認めているという。・・・自分が雇用している人間に、そんな感情を抱くこと自体が経営者失格といえる。・・・というか、よい大人がいったい何やってんだという低俗な犯罪である。

もっとも従業員の信頼を得なければならない経営者であり、分別のある年齢をとうに超えた大人が、従業員をターゲットにして、こんな卑劣な行為をしていたとはまったく驚かされる。従業員もたまったものではないだろう。その憤りは想像して余りある。

事件発覚後、この会社のホームページはネット上から削除され、事業も停止されていたが、3月末にて事業廃止となることが室蘭市より公表された。当然だろう。そんな事業所を利用したいと思う人もいなくなるだろうし、何より従業員募集に応募する人などいるわけがない。

こんな犯罪を犯す介護事業経営者は、極めて特殊な人間である。そんな犯罪行為とは無縁な介護事業経営者の方が圧倒的に多いのに、こういう事件が報道されると、悪いのは犯罪者個人ではなく、介護事業経営者だという論調が存在することが残念である。

介護事業経営者のキャラクターもいろいろだが、マジョリティーは真面目に介護を考えて、経営を真剣に行っている人だということを理解してほしい。そしてこういう犯罪が、「介護事業」と関係して発生したなどという誤解をしないでいただきたい。

数多くいる介護事業経営者の中に、たまたま大馬鹿者が混じっていたというだけの話である。

さて話は変わるが、昨日東京北区王子の「北とぴあ」で講演を行った僕は、今王寺駅近くのホテルで、この記事を更新している。昨日は北区のみならず、新宿の事業者の方も、僕の講演を聴くために会場に集まってくださった。平日の18:30〜20:45という遅い時間にも関わらず、たくさんの介護事業関係者の皆様にお集まりいただき、あらためてこの場で感謝申し上げたい。

僕は今日これから福岡に飛んで、顧問先に顔を出した後、博多駅から北九州小倉駅に移動し、北九州市内の介護事業者さんにお邪魔して、職員向けのサービスマナー研修を行う予定だ。

その事業者はすでに高いマナー意識をもって事業展開されているそうだが、さらなるサービスの高品質化・顧客対応スキルの向上を目指して、今回の講演企画となっているそうである。こういう事業者が徐々にではあるが増えている。そうした事業者の人材が集まり定着していくのだろうと思う。その結果、顧客からも選ばれて勝ち残っていくのだろうと思う。是非そういう事業者を見習ってほしい。

僕は26日(水)まで博多に滞在し、顧問先で仕事をしているので、見守り看護師の24時間対応の実態(参照:施設サービスの一部もアウトソーシングできる時代)を知りたい方は、是非ワーコンまで見学に来ていただきたい。すでに明日の夕方と、25日(火)の夕方に見学予定が入っているが、僕がいる間はいつでも見学対応可能である。勿論明日からの3連休の間も、いつでも対応可能だ。

加えてこの間、福岡市内で研修講師もお受けすることが出来る。急な依頼にも対応化のなので、職員のマナー研修などを希望される方は、公式サイトの連絡先まで、お気軽に連絡いただきたい。

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特養あずみの里裁判の控訴審について


火曜日から福岡に滞在しながら、顧問先で仕事をしていたが、明日・明後日と函館で3つの講演予定が入っている。

そのため今日は午前の便で一旦、北海道に帰ることにしており、これから飛行機に搭乗予定である。

僕が住む登別は、札幌〜函館までのちょうど中間地点に位置しているので、今日は自宅に戻り、明日朝の列車で午前中のうちに函館入りする予定である。

再来福は函館講演を終えた後、月曜日の午後からの予定であるが、その期間中の13日(火)18:30〜20:30まで、スターフィールド株式会社 1階セミナールーム(福岡県福岡市早良区)で、「介護の誇り〜生き残りをかけた事業戦略としての介護実践・サービスマナー」をテーマにした講演を行う予定なので、張り付けた文字リンク先を参照にして是非ご来場いただきたい。

その講演には、かねてより親交のある、弁護士法人翼・篠木法律事務所の篠木弁護士や、在宅ターミナル専門医である松尾クリニックの松尾院長なども来てくださるとのことで、講演後のオフ会も含めて楽しみにしている。

ところで現在は搭乗待ちであるが、その時間を前にして慌ただしくこの記事を更新しているために、今日は少し短めの文章になる。

しかし今日ここで提起する問題で一番重要な情報は、記事の中に張り付けたリンク先の広報誌に書かれている内容になる。それは結構ボリュームがあるので、すべて読むためにはいつもの僕のブログ記事より読む時間いり長い時間がかあるかもしれない。しかしそれはとても大事な問題提起なので、是非そのリンク先も含めて読んでいただきたい。

去年の3月に、「誤嚥死亡事故?で特養の准看護師に有罪判決の問題点」という記事を書いて、その罪判決については、全く容認・納得できるものではないように思えると論評した。

その控訴審は1月30日の裁判初日で、事実上証拠調べなどを一切行わずに結審するというものであった。

このことについて、「長野県民医連のホームページ」では、「問答無用!初日で裁判打ち切りの暴挙 」として、その不当性を糾弾する情報提供をしている。

介護業界関係者の中にも、「身が震えるほどの大変な怒りを感じております。このまま判決となると、介護サービス利用者や介護従事者にとって、ますます暗い業界になってしまうことを危惧しておりす。」などとして憤っている方がおられる。

リンク先の記事を読んで、是非多くの関係者にこの問題について考えていただきたい。

真実はいったいどこにあるのかということも大事だが、人の罪を裁く場所にいる裁判官が、このような形で判決を下すことが許されるのかも含めて、大いに議論されるべきではないのかと思う。

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高齢者からお金を騙し盗る人が推進した介護保険からの卒業


今年もいよいよ押し詰まり、後1日1半で新しい年に変わろうとしている。このブログの読書の皆さんは、今どこで何をしながらこの記事を読んでくれているだろうか。

今年もずいぶん勝手でわがままなことを書きなぐってきた僕のブログであるが、1日何千人もの皆さんが懲りずにここを訪れてくださっている。それだけではなく僕の講演会場ではいつも何人もの方が、「ブログ読んでます。」と声を掛けてくださった。本当にありがたいことである。

しかし何度も書いているが、ここは僕の身勝手な意見を書く場所にしており、読者に媚を売る記事は決して書かないので、そのスタンスがお気に召さない方は素通りするか、つながずにいただきたいと思う。そのことを広い心でお許しいただける人のみ、この場所で来年以降もつながっていければと思う。

今年を振り返ると、相変わらず災害の多かった印象のある2019年であるが、事件や事故もショッキングなものが多かったように思う。

介護業界に関連しても様々な出来事があった。相も変わらず利用者虐待をはじめとした不適切サービスに関連する報道はなくならず、不正請求で指定取り消しというニュースも何件も流された。

その中でも介護関係者がショックを受けた最大の事件は、自立支援介護に関連して、「和光式方式」を確立させた、東内京一(とうない きょういち)容疑者が逮捕されたというものではないだろうか。

東内容疑者の当初の逮捕容疑は、生活保護受給者の自宅から回収し、福祉事務所で預かっていた現金200万円を、「詐欺グループの金らしい。検察に持っていく」とだまし取ったというものである。

しかしその後、新たな犯罪行為が次々と明らかになり、生活保護受給者の女性から預かっていた現金や預金計548万円と通帳などを搾取した容疑や、成年後見制度を口実に高齢者夫婦から300万円を騙し取る業務上横領・その他の窃盗などの疑いで、9月までに計5回の逮捕状が執行されている。その被害総額は3千万円を超えるという大事件である。

東内容疑者の逮捕時の役職は企画部審議官で、介護保険関連部門の部署であった。そのため和光市方式をさらに推進・確立されるために介護部門の部署に長く腰を下ろし続けたことが事件の背景要因であると批評される向きもあるが、それを言ったら僕などのように同じ社会福祉法人の同じ介護部門に30年以上働き続け、トップの位置を占めた人間なら何でもありと思われそうで、それは少し違うだろうと言いたい。

一つの行政システムの中に長くいて、そのシステムが腐敗していくというならともかく、今回の逮捕容疑は、高齢者の財産を狙って、それをだまし取ったという明らかな犯罪行為だ。

僕は相談員時代には、入所利用者の年金や預金の管理を担当していたが、それに手を付けようなんてことは全く考えられなかった。それは年金や預金が、高齢者にとっていかに命綱となり得るのかということを、様々な家族関係や生活環境から伺い知る立場にいたからではなく、そもそも人様の虎の子である財産に手を付けるなんて言う反社会的行為をすることはできないという、当たり前の社会常識を持っているからに過ぎない。

普通に社会生活を送っている人で、対人援助に関って生活の糧を得ている身であれば、自分の支援担当者に信頼を寄せてもらうことが一番に考えることで、その人をターゲットにして窃盗や横領を行うなんて考えられない。それは専門職というより、人としての品性の問題であり、一つの部署に長くいるかいないかと関係のない問題だろうと思う。

東内容疑者の犯罪は、「出来心」の範疇をはるかに超えた犯罪で、自分が業務で関わりを持った高齢者をターゲットにして、何度も多額のお金を搾取し続けている点で悪質すぎると思う。自分が関わった高齢者の老後の資産を奪うような人が、地域の高齢者の福祉の向上なんて本当に考えていたとは思えない。

彼の犯罪内容を知るにつけ、そもそもこの人物が高齢者の福祉を語り、地域福祉のシステムを設計するにふさわしい人物であったのかという疑いを持たざるを得ない。むしろ介護という部署を隠れ蓑にして、高齢者から搾取することを目的に、自立支援介護という看板を掲げていたのではないかとさえ疑いたくなる。

この人を神様のようにあがめている信者が全国にたくさん居たのも事実だ。それらの人たちは東内容疑者から、地域福祉とは何たるか、高齢者の自立支援とは何かというレクチャーを受け、その影響を受けながら、全国各地で東内容疑者の唱える自立支援を信奉していた。それを今も続けている人もいる。

和光市の自立支援介護とは、毎年要支援認定者の4割以上が介護保険を、「卒業」するとして、非該当認定を受けることを目指して取り組みがされていたものである。それを真似て大分県や桑名市等で同じような、介護保険からの卒業を目指したケアプラン介入等が行われている。

しかしそれらの地域では、要介護認定で非該当とされた利用者から少なくない不満の声が挙がっていることも事実で、その何割かの人たちは、全額自己負担で介護保険のサービスの自費利用をしている。要するに和光市方式とは、自立支援介護という名を使った給付抑制策に過ぎず、それを唱えた中心人物が、地域の高齢者から金をだまし取っていた姿にかぶって見えるのである。

介護保険サービスを使えなくすることを、「自立支援」だと考える洗脳された人が、いまだに高齢者の尻たたきをしている姿は醜いだけではなく、空恐ろしくさえある。本来の自立とは、自分で何でもできることではなく、自分の希望通りに何かをしてもらうことを含んだ概念であることを理解していない行政職員や介護支援専門員がなんと多いことか・・・。

和光式方式で介護保険から強制卒業させられた人の中には、そのような行政対応を、「血も涙もない」と泣いて批判する人も多いが、まさにそのシステムとは、高齢者の命の綱である財産を平気で奪い取る、「血も涙もない行政職員」によって構築・推進されていたシステムなのである。

自立支援介護という名の欺瞞が、そこには存在していないかを問い直す必要があるのではないだろうか。

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運転技能検査の導入だけでは高齢ドライバー対策は不十分


去年まで天皇誕生日の祝日であった今日(12/23)は、今年から今上天皇の誕生日ではなくなったために平日となっている。

令和天皇の誕生月は即位前の2月だったのだから、今年は天皇誕生日の祝日がない年ということになる。その代わり5/1が即位日の祝日だったためため年間祝日数は前年と変わっていない。

今後12/23が祝日化される可能性はあるものの、今日は平日で普通の月曜日である。そのため多くの人が平常業務に就いているはずだ。うっかり今日も祝日と勘違いして、遅刻した人はいないだろうか。それどころか、まだ夢の中で仕事に行くのを忘れてしまっているという悠長な人もいるのだろうか・・・。

さて今年も押し詰まり、令和元年も残すところ僅かになっているが、振り返ってみると今年は一段と高齢ドライバーによる悲惨な死亡事故が多かった一年ではなかったかと思う。

その中でも特に記憶に残っているのは、4月に東京・池袋で母親と3歳の娘が犠牲となった事故である。一人残された夫が、死亡した妻と子供への思いを記者会見を通じて語る姿に涙した人は多いだろう。しかし加害者にはその思いが全く届いていないことに憤りを感じざるを得ない。

この事故の加害者も当時87歳の高齢ドライバーであった。加害者は事故当時は無職であったが、元々は東大を卒業し、1953年に通産省(当時)に入省したエリート官僚でもあった元院長である。重大事故を起こしても逮捕されない加害者を巡って、「上級国民」という言葉が一時流行した。(※不逮捕の理由は、実際にはそうした理由ではないそうである。)

元院長は認知症ではなく日常的に運転もしていたが、自宅マンションの駐車場でもうまく車を止められず、妻が外に出て、「もっとハンドル切って!」などと声を掛けることが常態化していたとのことであり、明らかに運転能力には低下がみられていたのである。

事故の際に乗用車が暴走した時も、助手席には元院長の妻が同乗していたが、事故現場に至る左カーブの辺りで妻は、「危ないよ、どうしたの!?」と声を上げる様子がドライブレコーダーに記録されていた。

事故からしばらくたって、被害者の夫があの哀しい会見を開いたあとで、元院長はJNNの取材に答えている。しかしそこで発言した内容とは、『安全な車を開発するようメーカーに心がけて欲しい、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい』という他人事のような発言に終始しており、自らの責任には全く触れていない。

それはまったくのKY発言で、そのコメントに憤りを感じた人は多いだろう。しかしこの発言が、元院長のパーソナリティから発せられたのだと考えるのも短絡的だと思う。むしろこうした発言しかできないほどに、認知機能が低下していたのではないかと考える方が、状況把握としては正しいのではないだろうか。

この発言に触れて思うに、この加害者は日常生活は普通に送っていたとはいっても、明らかに認知機能は低下していると言わざるを得ない。そうであっても運転という、「手続き記憶」だけで操作できる行為はできてしまうのだ。(参照:手続き記憶だけでは運転できない車を作ってください

しかしそうした人の運転する車は、すでに走る凶器であり、操作する人間も走る狂気である。

こうした問題をどう解決するのかが、来年以降ますます問われてくるだろう。何も対策しなければ、こうした事故は繰り返されるし、その数はもっと増えるだろう。そしてそこで尊い命が奪われる人とは、何の罪もない幼い子供であったり、将来ある若い人たちであるとしたら、それほどの社会損失はないとさえいえる。

しかもこうした認知機能低下のある人の運転行為を野放しにしておれば、自分がいつ加害者にも、被害者にもなりかねないとさえ言えるわけである。だからこそ一人一人の国民が、高齢者の運転からの勇退ということや、高齢になってさえも運転せざるを得ない地域社会というものをどう考えるのかということを、身近な問題として議論すべきではないかと考えるのだ。

自分自身だって、いつまでも元気で運転行為に支障なく暮らせるわけがないという観点から、対策を考えていかねばならない。

こうした死亡事故などを受けて、国は違反歴のある高齢ドライバーの免許更新時に、「運転技能検査の導入」を検討しているそうである。しかし免許更新時に事故歴のある人だけを検査しても事故を防ぐことはできない。現に池袋の元院長だって、それまで事故歴があるわけではなく、直前の免許更新時にその制度があったとしても、検査対象外とされたわけである。

そうであれば、こうした悲惨な死亡事故を本当に防ごうと対策するならば、一定年齢を超えた人はすべて、年単位の運転技能検査を受けるようにして、その検査に合格できない人は運転免許の取り消しという措置をとれるようにすべきではないだろうか。

同時に免許を取り消された人に制度の手を差しのべる仕組みが、地域包括ケアシステムとして求められる。例えば「介護予防・日常生活支援総合事業」には、「送迎サービス」があるが、このサービスは、買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人を対象できるのだから、こうしたサービスを普及させる対策をとるべきだ。

すべての市町村が、市町村事業として、ガソリン実費相当分を負担するだけで利用できる、「送迎サービス」を実施することで、免許返納を促進できる可能性があるし、強制的に免許取り消しを受けた人が暮らしに困らなくできるわけである。

運転免許を取り上げられたことがきっかけで、認知機能が低下する人もいるが、それを防ぐ手立ては、運転以外のやりがいを持ってもらうことが一番である。そうであればこの、「送迎サービス」は、喫茶店や集会所も巡回するなど、自治体が趣味活動を含めたニーズに柔軟に対応できることになっているのだから、地域社会の中で、高齢者が参加して認知機能の低下を防ぐ趣味・やりがい活動を同時に造る工夫をすることで、事故なく安全な地域社会で、高齢者が生きがいを持って暮らすことにつながるのではないだろうか。

来年以降の地域課題には、そうした視点を入れてほしい。そんなふうに地域包括ケアシステムの課題として、高齢ドライバー問題に取り組む自治体が増えることを期待したい。

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福井県敦賀市の一家三人殺人事件は介護殺人の様相か


先週15日に行われた社保審・介護給付費分科会では、居宅介護支援の管理者要件に係る経過措置についての延長議論が行われた。(資料

居宅介護支援事業所の管理者は、主任ケアマネジャーでなければならないとされたが、その経過措置は令和3年3月31日とされている。しかしそれまでに実務5年の要件が満たせないなどで、主任ケアマネの資格を取得できない事業所が多数にのぼることが明らかになり、その見直しが必要とされた。

そのため経過措置を令和9年3月31日まで延長するとともに(ただし令和3年4月1日以降に新たに管理者となる者は、いずれの事業所で あっても主任ケアマネジャーであることが求められることとなる。)、次の2点を新たなルールとして加える案が示されている。

・特別地域居宅介護支援加算又は中山間地域等における小規模事業所加算を取得している事業所については、管理者を主任ケアマネジャーとしない取扱いも可能とし てはどうか。

・令和3年4月1日以降、不測の事態により、主任ケアマネジャーを管理者とできなくなってしまった事業所については、当該事業所がその理由と「改善計画書」(仮称)を保険者に届出た場合は、管理者が主任ケアマネジャーとする要件の適用を1年間猶予することとしてはどうか。

以上の案については、当日の分科会で賛同を得たため、そのまますんなりとその通りになる予定だ。

このことを巡っては、日本介護支援専門員協会の迷走が目立ったが(参照:管理者要件厳格化の経過措置延長を要望した協会の今更)、本来このような管理者要件の厳格化など不必要なことであり、いっそのこと主任ケアマネに管理者を限定する要件自体を失くしてほしいものだが、これについては一旦決まったということで引っ込めることはできないのだろう。

しかしこのことによって居宅介護支援の質が上がるなんて言うのは幻想だ。主任ケアマネジャーの資格を得る必要がある人が増えることによって、その資格を与える一連の過程における、「利権」が増えるだけである。本当に意味のない要件だと思う。このことに加担した秋田あけぼの会の小原クンの罪は決して消えない。

さて話題は変わるが、週末起きた事件で気になるニュースが飛び込んできた。

17日の午後、福井県敦賀市の住宅で住人の親子3人の遺体が見つかった事件では、95歳と93歳の夫婦と、その息子である70歳の会社役員が殺害されたが、70歳の被害者の妻71歳が殺人容疑で逮捕された。

容疑者の夫は、脳梗塞の後遺症で足が不自由であったのに加え、95歳の母親は要介護1の認定を受けていたそうである。さらに93歳の父親も介護が必要で、容疑者が3人の介護を担っていたと報道されている。

容疑者は3人の首を絞めて殺害したと供述しているそうであるが、動機については、「介護疲れ」の可能性が指摘されている。

本当にこの事件が介護疲れによる殺人だったのかという検証が求められるし、こうした悲劇を繰り返さないためには、この一家に対する介護サービスの提供状況等はどうなっていたのか検証が急がれる。

それは誰かの責任を追及するためではなく、何がどう足りなかったのか、何をどうすればこの一家を救えたのかという視点から、今後の介護支援の方向性を考える一つの教訓とすべきことがあるのではないだろうか。

地域ケア会議は、本来このようなケースを取り上げて検討され、個々のこうしたケースの検討から地域課題をあぶり出すために行われるものだが、当該地域でそうした地域ケア会議が機能していたのかも検証しなければならない。

この事件を単なる刑事事件として捉えて終わらずに、地域の介護問題という側面はなかったのかという検証が不可欠だと思うのである。

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鹿児島県日置市の住宅型有料老人ホームでの虐待事件報道に触れて


昨日、鹿児島県日置市の住宅型有料老人ホームで、入所中の77歳の女性を殴るなどしてけがをさせたとして元介護職員の男が傷害の疑いで逮捕されたというニュースが報じられた。(※元職となっているのは、容疑者が事件発覚後の10/31付で解雇されているからである。)

逮捕された有馬洋一(38)は、1人で夜勤を行っている最中に入所中の77歳の女性に対し、左あごをひじ打ちするなどの暴行を加え打撲などのけがをさせた容疑で取り調べを受けている。肘打ちしている場面は防犯カメラで撮影され、ネット配信もされており動かぬ証拠となっている。
 
ところでこの容疑者は、事件のあった有料老人ホームに勤める以前に、介護関連の職業を10度も変えているそうだ。人間関係のトラブルなどが理由であると報じられているが、これほど多くの職場を転々と渡り歩いている人間を安易に雇ってしまう介護事業者の姿勢そのものが問われてくると思う。

僕は特養の施設長として採用も含めた人事権を握っていたが、複数の介護事業者を渡り歩いている人物については、面接時に好印象を持ったとしても採用することはなかった。短期間しか就業できないというのはその人物に何らかの問題があり、それが職場を変えることで解決するとは思えなかったからである。

勿論、ブラック介護事業者に愛想をつかして辞めて、新たな募集に応募したという人物はいるだろうし、その場合は健全な職場で能力を発揮してよい仕事をしてくれる人材となるケースもあるだろう。しかしその場合は、転職したとしても短期間に3つも4つもの事業者を渡り歩いているということにはならないはずだ。そこはきちんと見分ける必要がある

いくら人手が足りないからといっても、当座をしのぐことができる「人員」を集めればよいという考え方で、募集に応募してくる人をすべて採用するのは危険である。能力のない人員は、「人在」にしか過ぎず、その中には人罪(いることが即ち迷惑な人)となる人物であるかもしれないという危険性も併せ持つのである。

そういう人物が一人でも職場に交じってしまえば、今回のような事件を引き起こして、社会から糾弾されるだけではなく、莫大な損害賠償責任も生ずる可能性があるし、何より職場の雰囲気が悪くなり、良い人材の流出につながりかねないのである。そうなると人材不足はさらに深刻化する。

介護労働における、良い人材のモチベーションとは、人の幸せに関わることが出来るモチベーションであり、介護サービスを使う人々の不満や犠牲の上に成り立つ労働意欲はあり得ない。そのことをきちんと意識した職員採用に努めないと、良い人材が流出するだけではなく、その事業者に良い人材は張り付いてこなくなる。

介護労働に不向きな人を採用すると、結果的には他の職員に負担がかかるだけではなく、経営リスクに直結する問題となることを、介護事業経営者はもっと真剣に考えるべきである。

それにしてもこのような事件が起きると、夜勤中に密室の中で、自分の親がきちんと介護支援を受けているのかと心配する家族は増えるはずだ。特に今回の事件の被害者のように認知症で、自らの身に起こった危機的状況を訴えることが出来ない人の家族は心配だろう。
(※本件は、有馬容疑者の後に勤務に入った職員が、女性の顔にあざがあるのを発見したが、被害者はそのあざが、どうしてできたのかを訴えることが出来ず、有馬容疑者は翌朝の引継ぎで「女性が自分で転んだ」と報告していた。防犯カメラに同容疑者が肘打ちする様子が映っていなかったら、うやむやのまま終わったかもしれない。)

そうすると介護施設等の入所者の家族が、自分の家族を守るために、隠し撮りをしようとするケースも増えるだろう。スマホで簡単にタイマー録画ができる今日、それを防ぐことはできないし、防ぐ必要もないと思う。なぜなら本来の対人援助とは、いつどんな場面を切り取って見られたとしても、決して人に後ろ指をさされる行為ではないはずだからである。(参照:心の中に自らを写すカメラを持っていよう

だからこそ介護事業者におけるサービスマナー教育は重要なのだ。これをおざなりにしては大きなしっぺ返しを食うかもしれないのである。

特に新人職員が入職する前に、その教育係となる現在働いている職員のマナー意識を向上させないととんでもないことになる。新人にいくらマナー教育を施しても、マナー意識のない先輩職員によって、その意識そのものがつぶされてしまうからだ。そういう意味では新年度が始まる4月という、多くの新入職員が入職する前に、現役職員の意識を変えるマナー研修を行う必要があるといえるのだ。

僕は昨日夕方から世田谷の社会福祉法人さんの職員研修で、サービスマナー研修講師を務めてきた。その講義は全3回の研修の2回目として行ったものである。来月が最終回である。

マナーを持って日々の仕事ができるリーダーを育て、そうした職員が部下のマナー意識を植え付けない限り、職場にサービスマナー意識は浸透しない。それは虐待・不適切対応がスマホで撮影され、ネット配信されて事業継続が困難となるリスクを、常に抱えているという意味でもある。

だからこそこうした研修を定期的に実施する法人は、そうしたリスクを回避できるし、厳しい時代に生き残っていける体力をつけることにつながっていくと思う。

そうしたお手伝いも出来るので、是非声をかけていただきたい。連絡は僕の公式サイトから、メールでいただけるとありがたい。(※ページ画面上部の、グレーの帯状になっている部分に、メールアドレスなど連絡方法を掲載しています。

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虐待がネット動画で拡散される時代の介護


このブログで何度も指摘しているが、スマートホンで動画撮影が簡単にできる時代になっていることで、介護現場で行われる不適切な行為が、隠し撮りされてSNSなどに投稿されることよって、世間の目にさらされる機会が劇的に増えている。

そのような形で密室で行われる虐待などの不適切行為が顕在化することが、虐待や不適切行為の抑止力になるのだろうか。

しかし人を護るべき介護サービスの場で、言葉や暴力によって傷つけられた人の痛みは、加害者の行為が明らかになり、加害者が世間から糾弾されたとしても決して消えることはない。加害者が罰せられたとしても、被害者が守られるということにはならないのだ。

だからこそ私たちは、介護サービスの場で隠し撮りされて世間から糾弾される行為自体を抹消せねばならない。そのためには人権意識をしっかりと持った人材を育成するシステム作りが急務である。人材はどこからか寄って来たり、自然発生することはないのだと自覚しなければならず、人材を見抜き・選び・育てるということがすべての事業者に求められるのだと覚悟すべきである。

本気でそのことを考えなければならない。

そうであるからこそ、人手が足りないからとりあえず募集に応募してきた人を採用し、教育は現場職員に丸投げするというような、経営責任を放棄したかのような状態をなくさねばならない。

今日から愛媛県3地域(松山市・今治市・伊方町)で行われる、愛媛県内地区老施協及び愛媛県老施協共催の「中堅リーダー研修会」では、そのことをリーダーの皆さんに伝えるとともに、リーダーの皆さんには、「自分の心の中のカメラで自分を撮影して、一日の終わりにその画像を自分で確かめて、恥ずかしくない仕事をしよう。」と指導できるリーダーになれるように伝えたいことがある。(参照:心の中に自らを写すカメラを持っていよう

しかし実際には人材を育てない介護事業者が数多く存在し、人を護るはずの介護サービスが、人の心を奪い、人の心に取り返しのつかない傷を負わせるにとどまらず、命さえ奪うという悲劇を生んでいる。

昨日も宮崎県宮崎市にある有料老人ホーム「フェニックスフォレスト」で、20代の男性介護職員が90代の女性入所者に対し馬乗りになり暴言を吐くなどの虐待行為を行っていたことが明らかになった。(事件発生は、2019年7月27日にさかのぼる。)

その虐待行為は、同僚が動画を撮影しツイッターに投稿したことから明らかになったものだ。

その動画では、入所者の女性が施設の床に横たわり、職員がその女性に馬乗りになった状態で、「この状態を作ったのはあなただよ」・「危ないことやったら、すぐこの体勢に戻るから」などと大声で叱責している様子が映っている。その職員は虐待の事実を認め、すでに解雇されている。

被害者の女性は歩行困難な認知症であったというが、その動画撮影の日から3日後に死亡している。施設側は被害女性の死亡と虐待との因果関係を否定しており、死因は老衰としているが、しかし被害者の死亡を巡っては、今後事件化する動きも考えられ、そうなると施設の管理責任も当然問われることになる。そうなったとき、この有料老人ホーム(特定施設)の母体は、介護事業経営を続けていくことができるだろうか・・・。

どちらにしても私たちは、人の命と暮らしを守るための介護サービスの場で、このような悲惨な事件が繰り返し起こっている事実を受け止め、なぜこのような事件が全国で繰り返し引き起こされているのかをもう一度深く考えなければならない。

その根底には利用者を顧客とみようとせず、介護を施しレベルで考え、「してやっている」という意識の職員が数多く存在しているという問題があり、顧客に対するサービスマナー教育がまったくされていないという問題もあるということを、介護事業経営者は自覚すべきである。

今回は同僚職員が撮影した動画が、ネット上で拡散したようだが、今後はいろいろな形でスマホやタブレットを利用した動画が撮影され、ユーチューブやSNSを通じて拡散されることが当たり前になる。そうした世の中では、今回のような不適切かつありえない行為が潜在化せず、必ず世に明らかになると考えなければならない。そのためにもこうした行為に及ぶ要素を完全に排除していかないと、介護事業経営は危機に瀕すると考えるべきである。

介護事業を安定して経営するためには、利用者を護るという当たり前の行為に徹する職員を育てなければならず、そのためには、「人間尊重」という価値前提を徹底させる必要がある。その基盤となるのがサービスマナー教育である。それは職業倫理として求められる以前に、事業戦略上、必要不可欠なものだという意識をもって、介護事業経営者は、事業システムの中にサービスマナー教育、人権意識の向上の取り組みを組み込んでいかねばならない。

そうしないと、本事件のような事件がいつ自分の身に降りかかってくるかわからず、たったひとりであっても、おかしな職員がそこに存在するならば、加害者責任が問われて、事業経営者や管理者が裁判の場で指弾を受けることになるかもしれないのである。

今回の宮崎の事件を対岸の火事と眺めているような悠長なことをしている暇はない。介護事業経営者の方々には、職員の教育は十分なのかを今一度、改めて見直していただきたい。

職員教育を怠り、利用者に対するサービスマナーの確立という意識が低い介護事業経営者や管理職に待っているのは、近い将来の贖罪の日々であり、多額な損害賠償金の支払いに汲汲とする明日なのかもしれない。

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介護ボランティアを贖罪のアリバイ作りに利用するな


連日ワイドショー等で取り上げられている、「芸人」の裏営業問題・・・。

その問題の本質は、裏営業と呼ばれる直営業問題ではなく、反社会勢力とのつながりの問題であり、事実を嘘で隠そうとした倫理上の問題なんだろう。

それはどうでもよいとして・・・所属事務所から「謹慎処分」を受け、活動自粛をやむなくされた芸人の一部が、介護事業者でボランティア活動をしながら、「反省の姿勢」を見せていることが報道され始めている。

芸人だとて、その身分より先に一個人としての存在があるのは当然だから、ボランティア精神を抱いて、介護サービスの場で様々な活動を行うことは問題ないし、むしろそのことは歓迎されてよいことだと思う。本当の意味でボランティア精神を発揮できる場として、介護施設等で、「できること」をすることに対して批判する何ものもない。

また活動を自粛している間に、自分の手に職をつけようとして、「介護」の勉強をしようとする動機づけはあってよいと思う。その結果、将来介護の担い手の一人として活躍してくれる人が、一人でも多くなることは社会的にも意義があることだろうと思う。

しかし・・・である。

連日の報道内容を見ていると、芸人が招待を受けて活動した場の主催者が、反社会勢力であるということはとは知らなかったとはいえ、そういう場で営業し収入を得ていたことについて、反社会勢力の人の被害を受けた方々の感情を考慮して、その反省と贖罪の気持ちを込めて、介護の場でボランティア活動に励んでいるとされている。

いい加減にしてほしい。介護の場は誰かの贖罪の場ではないし、介護という行為は、「罰」ではない。

介護労働は、対人援助という行為を支える専門技術であるし、介護の仕事は、他の仕事に比して特別な位置にあるものではなく、ごく普通の社会活動である。

そうであるにもかかわらず、所属事務所等から処分を受けた芸人が、介護ボランティアをしながら反省して、活動再開に備えているということになれば、介護サービスの場を罪人が懲役刑を受けている場とイメージする人がたくさん出てくる。活動できない芸人が簡単にできる労働として、「底辺労働」のイメージも生まれてこようというものだ。

そもそも一芸人が介護事業者等でボランティアをしていることが、どうしてこんなに話題になるんだ?何らかの形でそれをマスコミにリークしているという証拠ではないか。

僕は今、フリーランスの立場なので、自分の時間を使って様々なボランティア活動を行っているが、そんなことは業界関係者にさえ漏れていない。活動する場所にいる人しか知らないことだ。

本来ボランティアとは奉仕なのだから、無償の行為である。それはその活動で金銭を得ないというだけにとどまらず、名誉さえ得ない行為であるべきで、奉仕によって名が売れることは最も恐れられるべきことで、避けるべきことなのだ。

芸人が本当の意味で反省と贖罪の気持ちを込めて、社会に貢献できる活動の一つとして、介護サービスの場におけるボランティア活動をしているなら、そのことをマスコミに報道させるなと言いたい。知られてもそれを公表しないように頼めと言いたい。そうした活動を、誰からも顧みられない状態で黙々と続けてみろと言いたい。

そうしていないということは、何らかの意図があると勘繰られてもしょうがないし、こんな風に世間に介護ボランティアをしていることが喧伝されているという事実は、その行為の実態が「売名行為」であるという疑いを持たれても仕方がないと思う。

その売名行為に介護労働が利用されて、社会の底辺労働のイメージが広がっていくのは迷惑である。

介護の場は、芸人の「悔悟の場」ではないのだ。(※このフレーズは、FBで浜松のジョアンさんこと、粟倉さんがつぶやいていたフレーズをパクったものである。粟倉さん事後承諾で許してください。)

マスコミはもっと、介護労働とはどのようなものかということを勉強してもらいたい。そして心してもらいたいことがある。

ボランティアを安易に、「崇高な行為」と祭り上げるようなことがあってもならない。同時に介護ボランティアを、「罪滅ぼし」にもっともふさわしい行為とするような印象操作があってはならないのである。

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義務化しなければ意味がない限定免許


高齢ドライバーによる相次ぐ交通事故が社会問題化しているが、6/11の夜にも名古屋で、70代の男性が運転していた車が一方通行の道を猛スピードで走り、小学校のガードレールとフェンスを突き破って、小学校の校庭に突っ込むという事故が起こっている。
小学校の校庭に突っ込んだ事故車
画像の中で、手前に写っている歩道は児童の通学路である。事故車はこの歩道に乗り上げた後、フェンスを突き破って校庭の花壇の上で停まっている。

事故発生時間は午後7時前で、幸い児童は全員下校していたため、この事故に巻き込まれた被害者はおらず、ドライバー自身が軽傷を負っただけで済んだ。しかし時間が1時間前にずれていたとしたら、多くの小学生が事故に巻き込まれて死傷するという大惨事になっていたかもしれない。

事故を起こした男性ドライバーは、警察の調べに対し、「フェンスにぶつかったことは覚えているが、それ以外は記憶にありません。」と話しているそうであるが、猛スピードを出すほどアクセルを踏み込んでいた状況も、「記憶にない」ということは、認知機能の低下が疑われて当然である。

そして今朝も兵庫県西宮市樋之池町の道路で、69歳の女性が運転する車が、歩道を歩いていた保育園児17人と職員2人の列に突っ込み、園児2人が救急搬送されている。

このように高齢者の数が増え、認知機能の低下したドライバーの数も増えることが明白な今日の状況で、「いたずらに高齢者から運転免許を取り上げればよいわけではない。」などという悠長な論議がまかり通っていて良いのだろうか?高齢者の権利を護るために、この国の将来を担うべき幼い命が危険にさらされていのだろうか?認知機能の低下したドライバーによって将来ある若者の命が沢山奪われている現実があるのに、高齢者の運転する権利の前に、手をこまねいていることが果たして民主国家のあるべき姿なのだろうか?

多発する高齢ドライバーの事故を受けて、政府もやっと重い腰を上げようとしている。高齢者向けに安全機能が付いた車種のみを運転できる免許制度を創設することを検討しているようだ。
 
政府が検討している高齢ドライバー専用運転免許の対象となるのは、75歳以上とみられており、「オートマチック車限定」同様、自動ブレーキシステムなどの安全機能を有した自動車のみを運転できる免許とする方針だそうである。ただし現在のところ、「安全機能」の詳細については決まっておらず、今後国内の自動車メーカーと協議の上、決めていくという。そして新免許については、75歳を超えた際に義務として強制的に取得させるのではなく、現在保有している免許と安全機能付き限定免許のどちらかを選ぶ選択制とする模様である。

しかし75歳を超えた人が果たして、限定免許を選択するだろうか?限定免許を選択するには、車を買い替えなければならないケースもあるだろう。そうであれば果たしてその年齢で車を買い替えようという動機づけは生まれるのかということにも考えが及ばねばならない。その年齢で免許を更新する人は、使い慣れた愛車をそのまま乗り続けようとする人の方が多いだろう。そのことも含めて、限定免許を選ばない人の方が多くなるのは明白だ。

そもそも今現在重大な交通事故を起こしている高齢ドライバーとは、ほとんど自分の運転技術に自信を持っている人である。「年齢だから、そろそろ免許を返納するべきかな」と周囲に漏らしている人であっても、自分の運転技術そのものに不安を持っているわけではない。そんなふうに運転技術に不安を抱えながら、注意深く運転して事故を起こしている人は、ほとんどいないわけである。

そういう人が自分の運転に制限がかかり、なおかつ新たな車の購入や部品の付け替えなどの費用負担も増える可能性が高い限定免許を選ぶとは思えない。

つまり現在検討されている政府の、「限定免許の選択制度」など何の意味もない。それは高齢ドライバーの事故の減少には何の効果もない対策である。

限定免許制度を創設するなら、それは義務化すべきである。

例えばそれは2段階の義務制度とするのはどうだろうか。65歳以降は免許更新のたびに限定免許を選択できるようにして、75歳になれば限定免許しか発行しないと義務化すれば、義務化される前の時期に、限定免許に対応する車に買い替える人も増えるのではないだろうか。65歳の時点では、まだ10年は運転できると考えて、車の買い替え動機も、75歳以上の年齢より高いと言えるのではないだろうか。

・・・とここまで書いたところで気が付いたことがある。僕は今、一番型式が新しいプリウスに乗っているが、この車には様々な安全警報装置がついている。前後左右に障害物が近づけば警報音が鳴るし。ウインカーを出さずに車線変更して、白線を跨いだら警報が鳴る。しかしそれが安全装置と言えるかどうか・・・警報音も慣れてしまうのだ。

自動ブレーキは安全性を少しは高めるかもしれないが、完全に事故を防ぐことにはならないだろう。そう考えると、完全自動運転の車ができない限り、最も安全な方法とは、「運転しない」ということでしかないのかもしれず、制限免許を義務化しても、問題の解決には程遠いのかもしれない。

どちらにしても高齢ドライバーの事故防止対策は、待ったなしである。免許返納という「自覚」に期待していては、何の罪もない誰かが巻き込まれる大惨事を防ぐ術はない。

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運転からの勇退はできないものか?


昨日も福岡で高齢ドライバーの運転する車の暴走事故が起こった。

事故を起こした車は、反対車線を逆走したまま、猛スピードで車にぶつかり、それでもスピードを落とさずに交差点に突っ込んでいる。結果的に5台を巻き込み、計9人が死傷するという多重衝突事故となった。

福岡県警早良署は5日、事故を起こした当事者で、死亡したのは現場近くに住む81歳と76歳のご夫婦だったと発表した。

今朝のニュースでは、複数のドライブレコーダー映像が放送されているが、その映像を見ると、81歳のドライバーが運転するミニバンは、相当なスピードが出ており、まったくブレーキをかける様子もなく次々と車にぶつかりながら交差点に突っ込んでいる。
福岡高齢度ドライバー暴走事故6.4
おそらく亡くなられたドライバーは、アクセルに足を乗せたままの状態で、暴走前に意識を失ったのではないかと思われる。その時、何らかの原因でアクセルに載せた足が突っ張るような状態になるかして、意識が無いままアクセルを踏み込んでしまう状態で、車が加速していったのだろうと思う。

助手席でコンソールボックスに挟まれる形で亡くなっていたという76歳の妻は、そのことに気が付いて、運転している夫の足をブレーキからどけようとして、シートベルトを外して、助手席の下に座り込むような形で、手を伸ばしてドライバーの足を持ち上げようとしたが、間に合わずに交差点に突っ込んだと思われる。死亡時の妻の状態がそれを証明しているように思える。(※現時点では、あくまで想像に過ぎないことをご了承願いたい。

たいへん悲惨な事故で、亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

今回の事故は、認知機能の低下とは直接関係のない、急病による不幸な事故というふうに分類されることになる可能性が高い。そうであれば、これは高齢者に限ったことではないが、リスクを考えると、高齢になればなるほど、急死・急病発作の確立も高くなるのだから、認知機能低下リスクと合わせて、そのことも考えながら、「運転からの勇退」を考える必要があると思う。

僕は自分が70歳の誕生日を迎えた瞬間から(それまで元気に生きている保障はないが)、自分自身は運転をしないようにするつもりだ。その時、仮に元気であったとしても、運転からは勇退しようと思う。自身の人生の晩年に、判断能力や身体能力の低下が原因で、他人を巻き込む事故を起こして自分よりも若い人の命を奪う結果になったとしたら、それは悔いても悔いきれないものになると思うからだ。

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科医療機関であった。そこには認知症専門病棟があるが、そこでは1日中孫の名前を呼びながら、孫を探して徘徊している認知症の人がいた。しかしその孫とは、認知症の症状が出ていたにもかかわらず運転を続けたその人自身が、ひき殺してこの世にいない孫である。

それは認知症という病気・症状によって引き起こされた事故であるとはいっても、そのことによってかけがえのない子を奪われた母親は、認知症の義父を決して許そうとしない。結果、その人には何円感も誰一人面会に来る人もなく、精神病棟を孫を探して徘徊し続けている。そういう悲劇が、この日本にはたくさんあるのだ。

そうした悲劇を少しでも少なくするためには、元気だから運転ができるという意識よりも、ある年齢に達したら、移動手段は別に考えて、自らは運転しないでおこうと考える必要があると思う。もちろんそのためには、高齢者の移動手段を地域全体で保障するという取り組みも必要だろう。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになっているが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加されている。ということは買い物に困る高齢者はすべて対象になるサービスなのだから、このサービスがあれば、免許を返納し運転から勇退できる高齢者は多いわけだ。よってすべての市町村で、このサービスが実施されることを強く望んでいる。

それにしても今回の事故を起こしたドライバーの住所を見ると福岡市早良区となっている。ということは博多ではないか。決して公共の移動手段に困る地域ではなく、交通網の発達した大都会である。そのような便利な場所に住んでいる高齢者の方々は、1日も早く移動手段を見直した方が良いと思う。

今回の事故を引き起こした当事者は亡くなってしまったが、その結果は重大で、多事故の賠償責任は、当然遺族に引き継がれるのではないかと想像する。その場合、任意保険だけで賄いきれるのかという問題も出てくる。

残された愛する遺族にそうした負の遺産を負わせるという禍根を残さないようにするためにも、運転からの勇退は、もっと広く国民議論として展開されても良いのではないだろうか。

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職員採用時の適性判断の重要性を再確認しよう


人材確保が一番の課題とされる介護業界であるが、人手が足りないからこそ、有能な人材を採用しないと、現場の仕事がきちんとまわっていかない。少ない人数で決められた仕事をこなすのであれば、そこに必要とされるのは仕事ができる人材なのだ。

数合わせで誰でもよいから応募してきた人間を採用するという考え方では、能力のある人材のモチベーションが低下し、バーンアウトしてしまう。そうした職場の現場環境はますます荒廃し、事業継続さえ困難になりかねない。

数合わせで採用した人間の中には、明らかに介護の職業に就くための適性を持たないものも少なくない。そのうちの幾人かは、介護の現場で重大な事件を引き起こしている。それによって事件を引き起こした当事者が犯罪者となるだけではなく、そのことは重大な損害賠償責任を雇用事業者に負わせ、社会的な信用を失わせる結果につながり、場合によっては事業廃止に追い込まれていく。

介護事業経営者は、改めてリスクマネージメントとしての従業員の適性判断について考える必要がある。

東京都品川区の介護付き有料老人ホームで、介護職員から暴行を受け、出血性ショック死亡した82歳の男性利用者の体には背中付近に暴行の痕があったほか、肋骨4カ所が折れて内臓にまで傷があり、それは3階建ての建物から転落したのと同じぐらいの衝撃がなければできない状態であるという。

被害者は暴行を受けた翌日に一時的に意識が戻っているが、その際に次女に対して、『若い男に蹴られた』と訴えており、犯人は被害者を強い力で蹴り殺したと思われる。

暴行の疑いで逮捕されているのは、暴行当日宿直をしていた元職員の根本智紀容疑者(28)である。元職員とされている理由は、根本容疑者が逮捕前の4/10に、すでにサニーライフ北品川を解雇されているためである。その理由は同容疑者に虐待行為があったからであるとされている。

現在犯行を否認している根本容疑者であるが、暴行当日の防犯カメラ映像には、宿直勤務だった同容疑者(28)が被害者の個室の入り口付近で複数回、部屋の外に出ようとする被害者の足を持って室内に引きずり込んでいた様子が撮影されている。このことについて同容疑者は、「腰が痛かった」などとその理由を説明しているそうであるが、そもそも腰痛があったとしても、利用者の足を引っ張って床の上を引きずるという行為そのものが許される行為ではない。

ところでこの容疑者のFacebookアカウントによると、サニーライフ北品川に勤める前の仕事は、「Club 〇〇〇のホスト」・「医療法人 〇〇会〇〇 病院の介護ヘルパー」・「〇〇興業」・「ケアアレジメント 〇〇〇〇〇介護」とあり、様々な職業を転々としていたことがわかる。
(※〇〇〇として伏せている部分は、Facebookアカウントには実名が記載されている。)

短期間に複数の職場を渡り歩く人が多いのも、人材不足で誰でも雇い入れてしまう介護業界の特徴である。その事情は様々で、職場側に問題がある場合があるとしても、これだけ複数の職場を転々としている場合には、社会人としての本人の適性の問題も疑う必要があると思う。特にこのケースでは介護2事業所を中途退社しているのだから、その理由を調べる必要もあると思う。

根本容疑者は、前に勤めていた介護施設では、仮病を使ったり、同僚の持ち物を盗んだりするなど、素行の悪さが問題視されていたことが明らかになっている。

今回事件を起こした施設には『キャリアアップしたい』として入社したという経緯があるが、前の職場の退職理由を、面接時の本人の言葉だけを鵜呑みにして信じるのは軽率で、できる限りの方法で真の退職理由を確認するべきである。根本容疑者にしても、採用時や就業後の適性判断はきちんと行われていたのだろうかという疑問符を付けざるを得ない。

今回の事件にしても、過去の様々な虐待事件にしても、その原因を単に介護という職業のストレスと分析するのは的外れだと思っている。それは「もともと対人援助に向いていない人によって行われる悪意がある行為」というふうに分析すべき問題であり、職員採用時の適性判断が十分に行われていないのではないかということを、もっと問題視して議論されなければならない。

介護業界全体がまずすべきこととは、人手不足を理由にして、募集に応募してきた人なら誰でもよいとして、人物の見極めも行わずにとりあえず雇うという体質を改善することである。

特に短期間で複数の職場を渡り歩いているような人は、面接時にどんなに好印象でも、採用は慎重にすべきである。前職が介護職である場合は、面接時に聴きだした退職理由を鵜呑みにせずに、必要に応じて調査を行う必要もあるのではないか。

そして試用期間中にもしっかり就業規則にしっかりと定めて、その期間に人物を見極める必要がある。

それらを含めて雇用後も管理職を中心にして、常に職員が利用者に不適切対応が生じていないのかを労務管理としてチェックするシステムが必要とされる。そのうえで不適切対応が疑われる職員は、介護実務から外して再教育を行ったうえで、適性がないと判断したら転職を促すことが求められてくるだろう。

それらはすべてリスクマネージメントとして必要とされることだ。

対人援助は本来、誰にでもできる職業ではない。きちんと人を選んで教育する必要があるのだ。そのために一時的に職員数の不足が生じたならば、ベッドの一部休止や利用者定員の見直しなども行うべきである。

単純に給料を上げ、介護職員の数だけ増やしたとしても、虐待事件はなくならないだろう。

それも大事だが、職場内で教育と訓練を繰り返して、職員に介護のプロとしての自覚を促し、人権意識を育み、いつもそれを忘れさせないことでしか、こうした事件を根絶する手立てはないのではないだろうか。

特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。

だからこそサービスマナー教育は重要になるのである。その教育がきちんとされているかどうかが、介護事業経営の肝になってきていると言ってよいだろう。

間違ってはならないことは、ひどい虐待報道が出るたびに、介護事業者であれば多かれ少なかれ、虐待が行われていると思い込むことだ。そんなことはなく介護業界のマジョリティとは、虐待と無縁の介護事業者である。

感覚麻痺に陥らずに、虐待とは無縁のサービスを提供している数多くの介護事業者が存在するのだから、この業界から虐待事件を根絶することは不可能ではないことを信じて、品質の高いサービスを提供している事業者のノウハウも取り入れながら、サービスマナー教育を徹底した教育システムを完成させることが事業者にとって最も求められることだ。

それを行わない事業者は、いつ自らの内部に本件のような心の闇を持った職員を抱え、その職員によってかけがえのない命が脅かされ、それによって事業の危機に陥る危険性を持っていることに気が付かねばならない。

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車社会の傲慢・室蘭市水道部のケースについて


兵庫県明石市の介護付き有料老人ホームで、入居者の90代男性が居室で「孤独死」していたというニュースが流れている。

5/22に宿直の担当職員が「最近男性の姿を見ていない」ことに気が付いて居室に入ったところ、男性が倒れていたとのことで、医師の検案では死亡推定日は10日とされいることから、死体は12日間誰にも気づかれずに放置されていたことになる。

男性は自立しており、自室で調理し、室内の清掃サービスも利用していなかったそうであるから、日ごろ姿を見かけないのも不自然と思われなかったのだろう。

介護付き有料老人ホームということは、「特定施設」の指定を受けた有料老人ホームであろうと思われるが、自立の人が利用することはよくあることで、この場合、特定施設入所者生活介護のサービスは受けずに、住居としての有料老人ホームだけを利用することになるので、施設側に見守り義務もない。

亡くなった男性利用者は、今月上旬に面会した家族に体調不良を訴えたため、家族がスタッフに見守りを求めていたが、施設側は部屋を訪れるなどの安否確認をしていなかったと報道されている。しかし安否確認を煩わしいと拒否する人もいるので、この報道だけで施設側の対応に問題があったとは言えないだろう。

今後こうしたことを防ぐ手立てがあるとすれば、自立して介護サービスが必要ではない人であっても、安否確認を行うという入所契約を交わすしかないのかもしれない。

どちらにしても超高齢社会で、死亡者数が増え続ける中で、高齢者の暮らしの場が多様化していることを考えたときに、隣人の存在を死臭で気がつくという社会にならないためにはどうしたらよいのかということを真剣に考えなければならない。社会や隣人と高齢者のつながりが切れないように、日ごろから関わりを持つ方法を模索しなければならないのだろうと思う。

そんなことを考えさせられた朝である。

さて話は変わるが北海道もやっと温かい日が多くなり、ウオーキング日和の日が増えてきた。

日ごろ運動不足の僕としては、快適な天候の日にはなるべく歩くようにしている。目標時間は1日最低2時間である。

それだけの時間歩くのだから、飽きないように景色も大事である。だから景色の変化がない周回コースなどは避けて、日によっていろいろなルートを歩いている。

車の通らない散策道もあるにはあるが、そこはどうも苦手である。というのも、そういう道はたいてい犬を連れて散歩している人がいるからである。しっかりリードを握って歩いているとはいえ、すれ違う際に犬が自分の方に近づいてきて、びっくりするときがある。飼い主にすれば、別に危害を加える心配もないということだろうが、近づかれる方はそんなことはわからない。しかしいちいち文句を言うのもはばかられるので、そういう道は歩かず、犬がいても相当の距離を取れる広い道を歩きたいと思ってしまうわけである。

当然そうなると、一般道を歩くということになるわけだから、信号待ちなどもあることになる。それはそれで休憩になってよいのである。

だからこそ車には十分注意が必要である。特に最近は、高齢者の運転ミスによる信じられないような事故も起こっているので、信号が青で横断歩道を渡る際にも、左右に気を付けている状態である。
(※介護認定審査会で審査する調査票の特記事項にも、運転をやめるように促しても言うことを聞いてくれないなど、認知機能が低下しても運転を続けるケースを指摘する内容が増えている。)

しかし歩行者としての視点から見れば、実に傍若無人のドライバーが多いことに気が付く。歩道の奥から車道に出ようとする車で、車道の前で一時停止する際に、歩道を横切っている歩行者の存在を無視して、歩行者の前にいきなり飛び出してくる車がある。歩行者は勝手に車をよけて歩くだろうと思っているのだろう。そんな風にして歩道をふさぐように前に出てくるドライバーが実に多い。

横断歩道を渡っているときに、右折車が自分に近づくまでスピードを落とさず接近して、急ブレーキで止まることもしばしばである。

もう少し歩行者の存在を意識して優しい運転をしてほしいと思ったりするとともに、自分自身の運転にも気を付けようと思ったりしている。

歩行者を無視していると言えば、歩道を駐車場代わりに使っている車も多く、歩けない歩道という状態になっていることもある。
室蘭市職員の迷惑駐車
上の画像のように歩道と歩道の間に車を駐車して、歩行者はいったん車道に出て迂回しないと歩道に戻れなくなっている場所もある。

画像の場所は、室蘭市高砂町から中島町に向かう幹線道路の一つで、交通量も多い径である。撮影したのは昨日(5/29)午前10時頃であるが、歩道を通れなくしているのは、「室蘭市水道部」の公用車である。この車の近くに、作業着を着た二人の市職員が立っており、話をしているのであるが、車が邪魔になって歩行者が何人も迂回して通っている姿を見ているのに、車をどかそうともせずに、世間話に興じている。室蘭市の看板を背負っているのを何と思っているのか聴きたくなる。

あまりの傍若無人ぶりだったので、邪魔だと声をかけても知らぬ顔をしていたので、スマホを取り出して撮影しようとしたら、すかさず一人が車に乗り込んだという場面だ。全くひどいものである。

公務員がこんな状態だから、一般の民間人にモラルを求めても無駄なのかもしれないと考えてしまう。

室蘭市水道部の職員さん、少しは恥を知りなさい。

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祈り・思い。


痛ましいという表現では表したりない悲惨な事件が昨日川崎で起きました。

罪を憎んで犯人を憎まずという言葉がありますが、日本中の大多数の人々が、19人を殺傷した犯人には憤りと憎しみを感じているのではないでしょうか。

被害を受けて亡くなられた方のご冥福を心から祈ります。

けがをされた方も、身体・精神両面の後遺症が心配です。一日も早いご回復を祈ります。突然愛する子や夫を奪われた遺族の方々の気持ちを慮ると、とてもやるせない思いになります。その人たちの哀しみが癒される日は来るのでしょうか・・・。

ある日このように、自分の家族の命が理不尽に奪われたとしたらと考えると背筋が寒くなります。本当に悔しくて、悲しくて、せつない事件です。

犯人が自殺してしまった今、本当の犯行動機なんて明らかにならないでしょう。今後こうした事件を防ぐ手立てだってないでしょう。

自殺を前提にして、その道連れにこうした犯行に及んだとしたなら、この犯人にはどんな罵声を浴びせても、どんな裁きを与えたとしても、それが足りるということはないと思います。しかし罵声も司法の手も届かないところに行ってしまった人間に対して、どう対処したらよいというのでしょう。あまりにも卑怯で、人でなしの犯行と言えます。

命を奪われた人、けがをした人に何の落ち度もありません。送り迎えをしていた学校の安全対策にも全く問題はありません。これ以上の対策なんてあり得ません。それでもこうした事件が起こってしまう。私たちは何をどのように考えてこれから暮らしていけばよいのでしょうか。

狂った人間が凶器を持って無差別に無抵抗な人を襲うなんてことを想像して暮らしている人なんていません。そんなこと考えていたら1秒とて普通の暮らしを送ることはできません。気をつけなさいって言われても、何をどう気を付けたらよいのかわかりません。

考えれば考えるほど憤りの気持ちでいっぱいになってしまいます。憤ってもどうすることもできない現実に、さらに腹が立ってきます。

私たちにできることは、もう二度とこうした悲劇が起きないことを祈ることだけです。

そして尊い命が理不尽に奪われ、幼い子供たちが恐怖の中で心身に傷を負ったという現実を直視し、あらためて儚い命の尊さをかみしめて、命は護られなければならないものだということを伝えていくことだろうと思います。

私たちは対人援助の仕事に携わっているのですから、誰よりも人の暮らしに深く介入していくことになります。そこは命を育む場所ですから、誰よりも命の尊さを想い抱きながら日々の職務に携わっていかねばならないと強く感じております。

殺伐とした世の中においても、人の心が荒廃しないように、真摯に一人一人の暮らしに関わっていくということを続けていくことしかできません。そんなことがこのような悲劇に対して何の意味もないことはわかっていますが、できることを続けることで、あきらめたり、投げやりになったりすることがない姿勢を示さなければと思います。

せめてそのことだけは忘れないようにしなければ、虚しさしか残らないような気がするからです。

それが私たちの生きざまにつながっていくのだろうと思います。

介護という職業を仕事としてではなく、「生き方」として選んだと思いながら、この職業の中で、そんな生き様を刻んでいきたいと思います。

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繰り返される虐待に、どう対処すればよいのか。


東京都品川区の介護付き有料老人ホームで、介護職員から暴行を受けて死亡した82歳の男性利用者の死因は出血性ショックで、肋骨(ろっこつ)を折り、内臓を損傷していたそうである。つまり犯人は被害者を殴り殺したか、蹴り殺したことになる。残酷極まりないことだ。

その事件で殺人容疑で逮捕された元職員の根本智紀容疑者(28)は、系列の介護施設で4年以上の勤務経験があり、夜勤帯には「リーダー格」として業務に当たっていたという。

被害者は普段からあおむけの状態で室外に出ようとすることがあったそうだが、死亡当日の防犯カメラ映像には、宿直勤務だった根本容疑者が4月3日午後8時以降、被害者の個室の入り口付近で複数回、部屋の外に出ようとする被害者の足を持って室内に引きずり込んでいた様子が撮影されている。

容疑者は現在殺害容疑を否認し、防犯カメラ映像については、「腰が痛かった」などと説明しているそうである。なんとも苦しい言い訳で、いずれ虐待殺人の実態が明らかになるだろう。

それにしてもこのような信じがたい暴行に及ぶ、「心の闇」とはいったいどこから来るものなのだろう。介護人材不足による業務負担のストレスが原因とされているが、発覚して当然の就業中の暴行殺人が、本当にそんな理由で行われるのだろうか。

この問題を解決するためには、介護職員の給与を上げて職場環境を改善しなければならないと言われるが、給与面だけを見れば、すでに他産業とそん色ない賃金となっている職場も多い。介護職員の業務負担は、職場によって人材不足の状況はかなりの差があるため、環境が問題視される事業者も多いが、それは日本全体の生産労働人口の減少という、少子化の影響が大きく影響しており、介護業界だけでなんとかできる問題ではなく、対策の効果も寿年以上後にしか悔過が出ない問題で、早急に改善できる問題ではない。

早急に対策できることは何かと考えたとき、国の対策に頼る前に自ら所属する事業者の採用と教育のシステムを改善することしかない。まずは人手不足を理由に誰でもよいから募集に応募してきた人間を雇うという体質を改善し、試用期間中にもしっかり人物を見極めることだ。特に短期間で複数の職場を渡り歩いているような人は、面接時にどんなに好印象でも採用しないという考えも、リスク管理上必要とされる。雇用後も管理職を中心にして、常に職員が利用者に不適切対応が生じていないのかを労務管理としてチェックする視点も欠かせない。そのうえで不適切対応が疑われる職員は、介護実務から外して再教育を行ったうえで、適性がないと判断したら転職を促すべきである。

対人援助の職業は、本来誰にでもできる職業ではないのである。きちんと人を選んで教育する必要があるのだ。

そのために一時的に職員数の不足が生じたならば、一時的なベッドの休止なども図るべきである。

そしてひとたび職場内でこのような虐待事件が起こったならば、多額な損害賠償責任が生じ、なおかつ事業継続の危機にもつながることを自覚して、徹底した職員教育に努めるべきである。特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。だからマナー教育は重要なのだ。

先日も職員研修としてマナー研修を行った法人の施設長からメールをいただき、『未だご講演の余韻が残り、身の引き締まる思いで職員一同業務にあたっております。』という連絡をいただいている。

サービスマナー研修
こうした教育機会を繰り返すことによってしか、虐待と無縁の職場は生まれないのかもしれない。

このような虐待事件が何度も繰り返されていることは事実であるが、勘違いしてほしくないのは、介護事業者のマジョリティーは、虐待する事業者ではなく、虐待とは無縁な事業者である。だからと言って虐待するケースや事業者を無視して良いということにはならないが、こうした事件が起こるたびに、すべての介護事業者や介護職員が、虐待の温床のように見られるのはあまりにも可哀そうだ。

そうした誤解を解き、介護という職業のすばらしさを伝えるために、僕たちの実践でたくさんの高齢者や障がい者の方々の、豊かな暮らしを創造していく必要がある。そのための実践が、何よりも求められているのだという自覚と覚悟が必要である。

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札幌のGH7人死亡火災裁判が結審


僕が検察側証人として関わった裁判の上告審判決が、最高裁第1小法廷で下された。

今朝の北海道新聞電子版もトップニュースでその判決内容を伝えている。タイトルは、「札幌のグループホーム7人死亡火災、社長有罪確定へ 最高裁が上告棄却」である。

貼りつけたリンク先は、一定期間経過後に消えてしまうので、その記事を下記に転載させていただく。
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札幌市北区の認知症グループホーム「みらい とんでん」で入居者7人が死亡した2010年3月の火災を巡り、業務上過失致死の罪に問われた施設運営会社社長谷口道徳(みちのり)被告(61)の上告審で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。13日付。無罪とした一審札幌地裁判決を破棄し、禁錮2年、執行猶予4年を言い渡した二審札幌高裁判決が確定する。

一審札幌地裁は2016年10月、「(過失の前提となる)出火原因の特定は困難」と指摘。被告が火災の発生を予測できたかどうかの予見可能性については判断せず、無罪とした。
 
これに対し二審札幌高裁は2017年7月、火災当日の夜勤職員の証言や消防の調査結果から、居間で寝起きし火災で死亡した男性入居者=当時(89)=が「寝間着か近くの洗濯物、またはその両方を居間のストーブの上に置いた」ことを出火原因と認定。被告について「男性入居者がストーブの上に可燃物を置くなどの行動に出る可能性を予測できた。被告は施設運営者として安全なストーブに交換するなどの対策を怠った」と結論付けた。
北海道新聞電子版 05/16 07:54 更新記事を転載
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下の写真は、火元とされた石油ストーブである。火災後の写真画像だから、ご覧のように焼けただれている。
火元とされた石油ストーブ
このホームに入所していた89歳の男性が、寝間着もしくは洗濯物をこのストーブの上に置いたことが出火原因とされたが、その男性入所者もこの火事で焼死している。その人は、「動き回って危ない」・「常時見守りが必要」という理由で、2階にある居室からわざわざベッドをホールに移動して、このストーブのすぐ傍らに寝かせられていたわけである。

しかしその男性については、介護日誌等に「衣類に興味がある」と記録されている。そのような人が、洗濯物が干されているベッドの傍らで寝かせられたらどんな危険が生ずるか、容易に想像できそうなものである。

そもそも、このような天板が熱くなるタイプで、そこにものを置いたら燃え上がるストーブは、一般家庭でさえ使わなくなりつつあるこのご時世に、グループホームという認知症の人々が共同生活を送る場所で、この危険なストーブを使い続けていただけでも過失と言えるのではないだろうか。

もしここ(食堂)に設置されていたストーブが、天板が熱くならない石油ファンヒーター等であったなら、この火災は起きていなかったと断言できる。7人の命は奪われなかったのである。

僕がこの裁判に係ることになった経緯および僕の証言内容については、「出廷1・事故から裁判への経過について」・「出廷2・検察側証人として召喚された経緯」・「出廷3・検察側質問での証言」・「出廷4最終回〜弁護人の反対尋問に対する証言」で詳しく書いているので、是非そちらを参照していただきたい。

1審で無罪判決が出たときは、正直首を傾げた。7人もの命が奪われている事故で、夜勤者が 「男性入居者が寝間着を脱いでストーブの前に立っているのを見た。」と証言しているにもかかわらず、火元が特定できないとされ、だれも責任を負わない判例があって良いのかと憤りさえ感じたものである。その判決が破棄され、最高裁で過失があったとして刑が確定したのはある意味当然だろうと思う。

この判例によって介護施設等の経営者には、利用者を事故から守る管理責任があり、法令に違反していなくとも、安全管理の責任を問われるということが明らかになったと言えよう。この部分については、全国の介護事業経営者にも改めて自覚を求めたい。

昨日をもって裁判は結審し、刑事事件としてはこれでひとまず区切りがついたわけである。しかし失われた尊い7名の命は戻ってこない。肉親をこのような悲惨な事故で奪われた遺族の方々の哀しみも癒えることはないだろう。そういう意味では返す返すも、あの危険なストーブを使い続けていたことが残念でならない。

被害にあわれた方に、改めて哀悼の念を示したいと思う。合掌。

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安全のための不便をどこまで受け入れられるかという問題


GWが終わる前に、登別は桜が満開になった。今日の夕方から雨になる予報なので、昨日から今日にかけてが一番見ごろではないだろうか。

登別温泉に観光でいらしている方は、明日からの仕事に備えて、今日帰るという人も多いと思う。帰る直前に登別温泉街道の「桜のトンネル」を通って、エゾヤマザクラを満喫してもらいたい。ただし運転中の方は、桜に気を取られてハンドル操作を間違えないように、一旦止まって桜を愛でていただきたい。
登別温泉街道の桜
僕も昨日、温泉まで行って桜の写真を撮ってきた。道道登別温泉線:通称温泉街道の両側に咲く桜は、今の時期ほとんどエゾヤマザクラで、ソメイヨシノよりピンク色が濃い桜である。
登別温泉街道の桜
場所によっては桜のトンネルに入ったような景観になる。なおエゾヤマザクラが散った後は八重桜が咲くことになる。
わかさいも本舗前の一本桜
登別東インターチェンジを出てすぐのところにある、「わかさいも本舗」の前にある一本桜は、この辺りでは有名な大木である。是非その桜も見てってほしい。
鷲別川沿いの桜
こちらは温泉から少し離れているが、僕の自宅のすぐ横、鷲別川沿いの桜である。ここは僕のウオーキングコースでもある。しばらくの間は、桜に癒されながら歩いたり、散り際になると桜吹雪の舞う中を歩いていられそうである。

さて本題に移ろう。GWに行楽地などに出かけた人のユータンで渋滞のニュースが流れている中、毎日のように交通事故の報道は尽きない。その中には、高齢ドライバーの正常とは言えない運転による事故も多々含まれている。

そのことに関連して先週金曜日に、「能力の衰えを自覚してからでは遅い運転からの勇退」という記事を書いた。

僕が主張したいことは、こういう事故が増えて困るねで終わるのではなく、こういう事故を防ぐ具体的対策を急がねばならないということである。

高齢ドライバーが認知機能が衰える前に、一定年齢に達したら自主的に免許の返上をするのが当たり前の世の中になるに越したことはないけれども、それができない現状を鑑みると、運転免許には年齢上限を設けてもやむを得ないと思う。それだけ高齢ドライバーが、自らの認知機能低下に気が付かずに引き起こされる事故は増えているし、それによる悲劇の悲惨さは深まるばかりである。

現にその記事を書いた当日の夜には、福岡県春日市で74歳の女が運転する軽乗用車に、8歳の女の子と6歳の男の子がはねられて病院に搬送されるという事故も起きている。

事故を起こして逮捕された容疑者の女は、「太陽がまぶしくて信号を確認せず進入してしまった」と供述しているというが、正常な判断力がある人が信号を確認できない状態で交差点に突っ込むだろうか?・・・これも判断力の低下が疑われるケースである。

何らかの運転制限を設けないと、こうした事故は減らせないという主張に対して、「それはそうだけれども、同時に高齢者の移動手段を確保する手立てが必要だ」という声が挙がる。

それはその通りと思うし、リンクを貼りつけた先週の記事をはじめ、このことに関連した僕の記事の中では、しっかりそのことも含めて書いている。具体的には、各自治体の責任でコミュニティバスを走らせたり、「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で実施できる、送迎サービスをすべての市町村で行うなど、いくらでも方法は考えられる。(参照:免許返納者の移動支援に保険給付

しかし4/19の池袋の事故や、5/3の福岡市春日町の事故に関して言えば、その地域で本当に高齢者が運転しなければ暮らしが成り立たないような不便があるだろうか。両地域とも立派な都会で、公共交通機関を使うだけでも、十分暮らしが成り立つ地域ではないのか。その地域に関して言えば、自家乗車に変わる高齢者の移動手段など、議論する必要がないと思うし、そういう地域は日本全国にたくさんあるはずだ。

すでに公共交通手段が十分整備されているなど、自分で運転しなくても生活に支障のない地域で先行して高齢者の運転制限ルールを設けたって良いのではないのか。なにも日本中のすべての地域で、高齢者の移動手段が十分確保されてから制限ルールによる対策を行うという必要はないだろう。

不便のレベルも、もっと考え直さねばならない。

都会の人は1時間に1本しか路線バスがないと不便だというが、北海道であれば1時間に1本もバスがあれば十分便利な移動手段である。東京で暮らす人は山手線を使って一本先の駅に移動するが、田町から品川に移動する距離なら、北海道の人はためらわず徒歩で移動するだろう。

そんな風に「不便という意識レベル」にも地域格差があるのは事実だが、それを乗り越えて、すべてが便利で快適ではなくとも、人の命を守るための方策を早急に構築していく必要があるのではないだろうか。特に幼い命・社会的弱者が判断力の低下した人の運転する凶器から命の危険にさらされないように、安全と安心の地域社会を創っていく方策は必要ではないのだろうか。

超高齢社会となり、認知症の人や認知症予備軍の人が増えるのは当たり前なのだから、それに備えて安全と安心の地域社会を創るための新ルールを作るという考え方は、あって当然だろう。

未来のある子供たちや若者たちが、判断力が低下したことに気づかない人の理不尽な交通事故によって命を奪われないようにするために、その対策は待ったなしで急がれているのである。

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能力の衰えを自覚してからでは遅い運転からの勇退


4月19日に東京・池袋で87歳の男性が運転する乗用車が赤信号を無視して走行、歩行者をはねるなどして10人が死傷する事故が発生して以来、高齢ドライバーの運転という問題がマスメディアで様々に取り上げられている。

この事故に巻き込まれて死亡したのは31歳と3歳の母娘だった。ただ道を歩いているだけで、突然命を奪われるという悲劇が、高齢ドライバーの運転能力の衰えによって引き起こされたとしたら、こんな不運なことはない。一人残された夫の記者会見に涙した人も多いだろう。

このように高齢ドライバーの運転ミスによって、幼い命が奪われる悲劇が後を絶たない。

そうした事故の一番の原因は、ドライバーの認知機能の衰えである。免許更新時の認知機能検査で正常だからと言って、運転に問題がないと考えるのは早計である。認知機能の衰えは緩慢に進行することが多いが、判断できる事柄が、判断できなくなるという状態は、ある日急に引き起こされるのである。その状態が軽度であったとしても、その時に運転行為を行った場合、車はそのまま凶器になるのである。

よって検査で正常・異常を決めるのであれば、運転を行うたびにその直前に検査をし続ける必要がある。そんなことできないのだから、認知機能低下リスクの高い年齢になった場合には、一定年齢で線引きして運転からの勇退ということを考えねばならない。

しかしなかなかその判断ができない人が多いのが現状だ。池袋の事故の加害者も、運転をやめようと考えていた半面、自分の運転技術には自信があったことで、その決断ができなかったことが今回の悲劇につながっている。

本人が運転をやめようとしないときに、家族がいかに運転をやめさせるかも問題となるが、「運転する権利」を主張された途端に家族の介入の力は弱体化する。介入根拠となる社会的制限規範が必要なのである。

損保ジャパン日本興亜によると、年齢が上がるにつれて、運転への自信が高まるという調査結果もあるという。そのために自分の衰えを自覚するには、自分の運転を客観視することが必要だと論評する報道記事がある。しかしどのように客観視するかという具体策は示されていない。

そもそも認知機能が衰えてきている人が、そのような客観的判断が可能だというのだろうか。それは不可能である。だからこそ運転免許を与える年齢上限設定という方策も議論される必要がある。

判断力には個別の違いが大きいという反論があるだろうが、日本全国でこれだけ多くの高齢ドライバーの事故が引き起こされ、それによって前途ある幼子や若者の命が奪われている状況を考えると、個別性云々はこの際おいておいて、一律の制限ルールを設けて社会を安全にするという考え方も必要だ。

悲劇を防ぐために、高齢者は一定年齢になれば運転から勇退するという社会の方が平和で健全ある。

同時にそれは、高齢者が自ら車を運転しなくても良いような社会を創らねばならないということと一体的に考えていかねばならない。

このブログでは、高齢ドライバーが引き起こす悲劇等の状況について、様々な形で問題提起をしている。(参照:「認知症高齢者の運転に関する問題」)

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科が中心の医療法人であった。そこには認知症の高齢者がたくさん入院していたが、その中には一日中孫の名前を呼びながら、孫を探すように病棟を徘徊し続けている男性高齢者がいた。

しかしその人が探し続けている孫とは、その人が10年以上前に車でひき殺してしまった被害者である。自分の事故で孫をひき殺したという記憶を失って、その孫を探して10年以上も徘徊している人がいるのだ。しかしその事故が認知症によって引き起こされたからと言って、家族がこの男性を許してくれるということにはならない。

殺された孫の父親は、この男性の長男である。その長男も妻も病院に面会に来ることはない。妻もなくなっている男性は、すべての家族との関係性まで失ってしまっている。

認知症という状態になって、それでも車の運転をやめることができなかったことで、こういう悲劇が繰り返されるのである。それは月単位どころか、週単位で発生しかねない状態になりつつある。

実際に運転能力が衰えてから運転から勇退すればよいと考えている人も多いようだが、運転能力の衰えを自覚できるのは、実際に事故を引き起こしたときである場合が多い。それでは遅いことは池袋の事故が証明しているのである。

だからこそ例えば70歳の運転年齢制限などが、真剣に議論される必要があるのではないかと考えるのである。

この問題はもう待ったなしの時期に来ている。

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誤嚥死亡事故?で特養の准看護師に有罪判決の問題点


長野県の特別養護老人ホームで、2013年12月12日に入所利用者である85歳の女性が死亡した件について、業務上過失致死罪に問われた准看護師に有罪判決が出され、罰金刑が言い渡されたことが昨日夕方から報道されている。

中日新聞のネット配信ニュースを以下に示す。
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長野県安曇野市の特別養護老人ホーム「あずみの里」で2013年、ドーナツを食べた直後に意識を失い、その後死亡した利用者の女性=当時(85)=への注意義務を怠ったとして、業務上過失致死罪に問われた准看護師山口けさえ被告(58)の判決公判が25日あり、長野地裁松本支部は求刑通り罰金20万円を言い渡した。

弁護団は「過失が認められれば介護の現場は萎縮し、利用者の生活の質を保てなくなる」と主張。全国の介護関係者らから無罪を求める署名が約45万筆集まるなど、注目を集めていた。

判決理由で野沢晃一裁判長は、女性は歯が無かったことから「ドーナツを細かくできず窒息の可能性がある」と死因の低酸素脳症などの原因に窒息があると認定。咽頭に残っていたドーナツ片は小さすぎるなどとして窒息はなかったとする弁護側の主張を退けた。

事故の数日前から女性のおやつはゼリーに変更されており、野沢裁判長は、提供するおやつを確認する義務を怠ったと認定。おやつの変更を介護士から知らされておらず、介護士の申し送り事項を確認する勤務形態でなかったと、あずみの里職員が証言したが、この職員が無罪を求める集会に参加したことを理由に「信用できない」と断じた。

一方、女性に異変が生じた時、山口被告は他の利用者の食事介助中で、女性に気を配るのは困難だったとし、見守りを怠った過失は認めなかった。

判決後、木嶋日出夫弁護団長(72)は「実現不可能な義務を課しており、現場を知らない判決」と批判。弁護側は即日控訴した。

判決によると、2013年12月12日、あずみの里の食堂で女性におやつのドーナツを配膳して窒息させ、約1カ月後の2014年1月16日に低酸素脳症などで死亡させた。
女性の死亡を巡り、あずみの里は損害賠償金を支払う形で遺族と示談している。
(中日新聞)2019年3月25日 22時42分ネット配信記事
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今朝の北海道新聞朝刊でも、このニュースは3面記事で紹介されているが、その報道内容は中日新聞ほど詳しくはなく、特養で過去に死亡した女性について、裁判所は誤嚥による窒息死であることを認定し、その責任が准看護師にあるとして有罪判決を出したが、弁護側は控訴審で争う姿勢を示したと報道している。

この報道は事実である。間違っているところは何もない。同時にこの報道は新聞記事の限界と言え、決して真実を現してはいないことを申し添えておく。この裁判の争点はもっとほかのところにもあるのである。

死亡した女性は、義歯が無く食べるペースが速いことがあったので、介護職員が女性に箸を使用させたり食べ物を小分けにしたりして、食事のペースを調整していた人だったそうである。「誤嚥」の恐れがあったわけではないものの、死亡の6日前におやつの形態が固形食からゼリー系のものに変更されていた。検察は冒頭陳述で、准看護師がおやつの形態変更を知らなかったことをとがめている。

しかし施設内で、おやつをのどに詰まらせて窒息死した事案で、施設の管理責任が問われるのではなく、准看護師個人の業務上の過失責任が問われ、それが認められてしまったということには違和感を覚えざるを得ないし、このようなことで罪に問われては、誤嚥の恐れのある人に普通の形態での食事提供が過度に制限される恐れがあるし、そもそも経口摂取の維持継続という目標が、早すぎる段階でその旗を降ろさねばならなくなるという恐れもある。

しかしこの裁判の争点は、そのこととは別に存在するようだ。そもそもこのケースは喉を詰まらせたことによる死亡事故ではなかったと弁護側は主張している。その主張内容とは、女性の突然の意識喪失と心肺停止が、ドーナツの誤嚥や窒息によるものではなく、食事中の突然の脳疾患・心疾患と見るのが医学的に合理的であるというもので、鑑定書も作成し証拠申請しているのである。

それらの経緯については全日本民医連のサイトに詳しく紹介されているので、下記参照いただきたい。
緊急連載 特養あずみの里裁判(1) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 どんなできごとが刑事裁判にかけられたのか?」・「緊急連載 特養あずみの里裁判(2) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 ずさんな警察・検察の捜査・起訴のねらいは?」・「緊急連載 特養あずみの里裁判(3) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 刑事裁判はどうすすんでいるのか?」・「緊急連載 特養あずみの里裁判(4) 介護の未来かけ たたかう 木嶋日出夫弁護団長 介護の未来がかかった裁判での勝利のために

これを読むと今回の有罪判決については、全く容認・納得できるものではないように思える。今後の控訴審で、この判決が覆ることを期待している。

どちらにしても介護関係者にとっては、他人事ではないと言える裁判ではないだろうか。控訴審の判決はまだ先だが、裁判の進行具合にも注目してく必要があると思う。

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問題視されるべき地域包括支援センター職員の資質差


11日に初めての香川講演を高松市で行った。講演会場では受講者の皆様が熱心に聴いてくださったし、その後の分科会では貴重な実践発表を聴く機会をいただき、僕自身が非常に勉強になった。

さらに講演前後に様々な方からの温かな人情に触れることができてとてもありがたかった。そんな香川県にまた呼んでいただける機会があればよいな〜と思っていたら早速オファーがあり、来年6/19に高松市内で講演を行うことが決まった。主催は香川県福祉事業協会さんである。香川の皆様、半年後にまた高松市で愛ましょう。(参照:masaの講演予定

ところで北海道はいよいよ本格的な冬に入ってきた。

僕は昨日北海道に戻ってきたが、新千歳空港は降雪のため2本の滑走路のうち1本が使えない状態で、上空待機の飛行機で混雑したため羽田空港で足止めをくらい、結局定刻より3時間ほど遅れて到着と相成った。

自宅にたどり着いたのは夜8時を過ぎていたが、それでも昨日のうちに帰りつけてよかった。他の便の状況を見ると60便が欠航となっており、先々週僕が利用した松山空港の直行便(ANAとIBEXの共同運航便)は機体が小さいために燃料が持たなかったのか、到着地が変更となり新千歳空港には降りられなかったようである。同じ北海道といっても広大な地域なので、目的地以外の空港に降りられてもちっともありがたくないだろう。そういう意味では運が良かったといえるかもしれない。

今日は1月に出版予定の新著作本の初稿ゲラと格闘せねばならず、自宅に缶詰め状態で頑張る予定だが、休む間もなく明日からは取手市講演の2泊3日の旅が始まる。フライトに影響のない天気となるように祈るしかない。勿論、旅先にゲラを持参して校正に励む予定である。

さて前振りはこのくらいにして早速本題に入ろう。

2005年の介護保険制度改正により誕生した地域包括支援センターは市町村の機関である。ただしこの機関は市町村が直営で設置・運営しているとは限らず、民間の法人等に委託可能である。

そのため実際の地域包括支援センターの運営を行っている組織とは、在宅介護支援センターの設置者・社会福祉法人・医療法人・公益法人・NPO法人・その他市町村が適当と認めた法人などさまざまである。

このように市町村内に複数存在する地域包括支援センターは、同じ市町村の機関であると言っても、運営母体が異なることが多く、配置されている職員の質も様々である。そうした背景が、本来市町村組織として同じ運用がされるべき事柄についても、担当地域のセンターの職員の考え方の違いで、対応の温度差が生じてしまうという実情につながっている。

地域の介護問題を発見し、見逃されてしまう介護問題の闇に光を当てようとして設置されているのが地域包括支援センターの重要な役割であるにも関わらず、その機能を全く発揮していない地域包括支援センターが存在している理由も、その辺の事情によるものなのかもしれない。

11/4に発生した大阪高槻市の高齢者夫婦の同日死亡事案について、「地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件」という記事を書いて問題提起した際に、その内容が気に食わないとして、地域包括支援センターの職員と思しき人物から脅迫まがいのコメントが書き込まれたことについては、「大阪高槻市事案を擁護する地域包括支援センター職員の屁理屈」の中で詳しく紹介している。

「包括に助けてもらうのが当然と思っている 高齢者、家族、町内会関係者が多すぎる。」と言い、「毎日毎日あがってくる 要支援者のケアマネ業務。 まず、それだけでも忙殺。 加えて、モンスターペアレントならぬ モンスター家族からの無理難題相談。 モンスター高齢者も多数。 」として、市民の「助けて」というサインに構っていられないという職員がいる事情も、地域包括支援センター全部の問題ではなく、その地域を担当している組織と、その職員の問題であるということなのかもしれない。しかし前述したように、地域包括支援センターとは直営であれ委託であれ、市町村の機関であることには違いがないのだから、こうした問題を当該担当区域のセンターの問題として放置しておいてよいことにはならないだろう。

高槻市のホームページを見ると、同市には12か所の地域包括支援センターがある。11/4の事案は、高槻市牧田町にある集合住宅ておきているので、この地域を担当しているのは三箇牧地域包括支援センターということになるのだろうが、そこだけの問題としてはならないと思う。

そもそも自分が住む地域の地域包括支援センターの職員のスキルによって、高齢期の暮らしの質に決定的な差が生ずるのは問題だ。「住民が包括支援センターに頼りすぎる」と愚痴る職員が、センターにいることはあまりにも不幸だ。頼ることができない地域包括支援センターは亡くなった方が良いし、頼られることを厭う職員は、その任を受けるなと言いたい。

幸いなことに、屁理屈を唱えて市民を愚弄する職員のコメントに対しては、それは間違っていると批判するコメントを寄せてくれる地域包括支援センターの方も居られる。

「包括の業務が多忙であり、こうした対応ができない現状があるのなら、それを改善すべく委託元、委託先(保険者)に強く訴えるべきです。それができないなら、受託しないことです。委託費目当ての現場を知らない(わかろうとしない)委託先の言いなりにならないようにしてほしいです。」という意見はまさに正論といえるであろう。

こういう方々が市民目線で活躍する機関が、地域包括支援センターであってほしいと切に願うのである。

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教育の手が及ばないスキルの持ち主も存在するという事実


鳥取市の小規模多機能ホーム「虹の家すえひろ」で働く男性職員が、おむつ交換をする際、90歳代と80歳代の女性利用者に対して、「臭い」と発言するなどの不適切な対応があったことが昨日報道されている。

不適切行為を行っていた職員は、利用者の前で消臭スプレーを噴射したり、利用者の額や顔を指先で突いたもしていたそうだ。

このことについて運営会社「メディコープとっとり」の担当者は、「職員教育が不十分でした。利用者様の信頼をうらぎるようなことになり、誠に申し訳ございません。当該職員もふくめ全職員への指導を徹底してまいります」とコメントしている。

運営会社の公式サイトには謝罪文が掲載されており、「この度の事態を招いた要因は、わたしたちの虐待や不適切な行為に対する認識の弱さにあり、管理者として職員教育、防止対策が十分に行えてなかったことにあると強く反省して おります。」との一文がある。

運営会社の猛省を促すべきだし、職員教育の在り方も見直すべきなのだろう。しかしそれ以前にもっと大きな問題があるのではないか。

介護という仕事が、排泄ケアなど汚いものを処理する行為も含んでいることは常識中の常識である。その際に、ケアの対象となる利用者に対して、「汚い、臭い」という言葉を発することは、不適切というよりも罵声であり、虐待そのものである。しかしそんなことは人から言われなくてもわかる程度の問題である。

そんなことをしてはいけませんよ、という教育が必要だとしたら、それは幼稚園児に対する教育である。

小規模多機能居宅介護の介護職という職業を選んで応募し、採用試験をクリアした職員に対し、いちいちそんな教育から始めないとならないとしたら、その職員とはどこまで成長するというのだろう。本当に対人援助に必要なスキルを獲得することができるのだろうか?僕にはそう思えない。

介護サービス事業は、人員不足の中で、向き・不向きのチェックが不十分になりがちで、募集に応じてきた人を機械的に採用してしまう傾向が強まっている。しかし応募者の中には、教育の手が及ばないスキルの持ち主も存在するということを忘れてはならない。介護という職業に向かない人もいるのだ。そういう人はきちんとスクリーニングしなければならない。

そうしなければ虐待・不適切対応が、「そこかしこに存在する」という状態になってしまう。そして不向きな人を採用すると、結果的には他の職員に負担がかかるだけではなく、本件のような問題を引き起こし、それは経営リスクに直結する問題ともなるわけである。

勿論、採用面接だけで向き・不向きや、常識を超えるほどの資質の無さを見破るのは難しいかもしれない。そうであるからこそ、試用期間のなかで適格性・協調性を確認することが重要となる。

試用期間は労働基準法等の定めがなく、法人の任意的事項であるから、その期間を設けていない経営母体もあるが、その期間は正職員としての適格性を判断し、教育機関であるとも考えられているので、規定のない法人はその規定を設けるべきである。

試用期間と言えども、労働契約自体はすでに成立しているために、法人都合で勝手に試用期間中の職員を解雇できるわけではないが、過去の判例では試用期間中については、通常の解雇よりも広い範囲で解雇の自由が認められており、合理的理由により使用者が解約権を行使できるものとして解釈されている。

例えば、入社後の勤務態度が極めて悪く、協調性もなく、周囲の業務にも悪い影響を与える場合も、試用期間中の解雇事由として認められている。

本件は9月に匿名で鳥取市に通報があり明らかになったものである。おそらくそれは職員の内部通報だろう。「臭い」と罵声を浴びせている声が、他の職員に聴こえないわけがないからである。そうした罵声に憤った職員が市に通報したのだとすれば、運営会社はそのことも反省すべきだ。

管理者等の責任ある立場の者が、その罵声に気づかなかったのは何故か、匿名通報が職員以外であったとしても、ヘルプの声を届ける先が運営会社を通り越して鳥取市となった理由は何かを検証して、そのことも反省・改善材料にしなければならない。教育だけの問題ではないのだ。

職業として顧客に接する際にはマナーが必要である。マナーとは行儀作法のことをいい、それは人間が生きていくうえで好ましい言動の作法なのである。マナーは人に不快感を与えないことなのであり、対人援助には他の職業以上にそうした意識が求められるのだ。そのような常識を持たない人間を闇雲に採用してはならないし、適性があって採用した職員に対しては、マナー教育が必須なのである。

最近サービスマナー教育のための講演依頼も増えているが、そそれは、うした意識を職員に持ってもらおうという介護経営者や管理職が増えているということだ。それは実に良いことだろうと思うが、そのためには経営者や管理職自身が、介護サービスを利用する顧客に対するマナーを重んじて接し、そうした接し方ができない職員を教育したうえで、その教育についてこれない人員を整理していくという覚悟も求められていくことも忘れてはならない。

そしてそれができない事業者は、情報末端が発達し続ける社会で、いつか不適切対応に目をつぶっていた「つけ」を払わされる結果になることも覚悟しなければならない。

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医療があっても介護が存在しない終末期支援の恐ろしさ


昨日午前中、鹿児島の老人ホームで1月に入所者8名が死亡し、県が調査に入っているという短い記事がネット配信されて、何のことかと目が点になった。

その後、徐々に詳細が明らかになり、死亡者の数も訂正されて6名となったが、その内容が何とも恐ろしいものだ。

報道によると、問題となっているのは鹿児島県鹿屋市の住宅型有料老人ホーム「風の舞」で、10月から11月半ばにかけて入居者6人が相次いで死亡していたことが21日に明らかになったもの。

この施設では8〜9月に介護職員8人全員が退職し、夜間は施設長がほぼ1人で対応していたという。

施設側は記者会見を行い、6人は85歳以上の高齢女性で、死因は老衰や消化器官の出血などの病死だったと明らかにしたうえで、死亡と職員の退職に因果関係はないとの認識も示した。

この記者会見の映像は昨晩報道機関で一斉に配信されたが、会見しているのは最高責任者と思しき、この施設の経営母体の【総括】という役職がついている医師と、当該施設の施設長の2名である。医師である総括は、悪びれた様子もなく、「特養が受け入れない重度の人を受け入れて十分な医療を提供していたから全く問題ない」・「死亡したのは寿命としか言いようがない」という趣旨の話をしている。その態度は記者会見させられることが非常に不満な様子で、態度も不遜に見える。

夜間はほぼ毎日施設長が対応していると報道されていたので、てっきり介護職の経験者である女性施設長かと思っていたが、実際の施設長は総括という医師とあまり年齢が変わらないような、かなりお年を召した男性が施設長であった。あの人が夜間の排泄ケアや体位交換や、モーニングケアなどをすべて一人でこなしていたというのだろうか?

「医療面では適切、食事や介護の面で問題があった。」という内容の発言もしているが、仮に寿命が迫った終末期の人がそこに居た場合、必要なのは医療ではなく、十分なる介護ではないのか?日中はクリニックから看護師が4名程度派遣されているといっても、それはクリニックの仕事の合間に交代で来ているのだろうし、夜間は施設長が毎日対応しているといっても、本当に安楽のケアができていたのかは大いに疑問である。 

寿命だから死んだと言いたいようだが、寿命が迫っている人も、最期の瞬間まで生きているのだ。終末期だとて人として安心して過ごせる日常が存在しているのだ。そのためには自らの力で動くことができなくなった人に対する、体位交換や排泄ケアを含めた清潔支援や、水分摂取支援などが不可欠である。そうした介護が不十分な状態で、やるべきことはやっているといえるのだろうか。

鹿児島県は今月上旬に外部から「施設内で死亡者が出た」との内容の情報提供があったために、当該施設の運営に問題がなかったかどうか、老人福祉法に基づき9日に施設の聞き取り調査を、16日に立ち入り検査したそうであるが、その結果については明らかにしていない。

僕はインターネットで第一報を読んだときに、「老人ホーム」というのが特養であると思い込んだ。志短期間に死亡者が複数出るのは、重篤な状態の人のいる施設であろうし、老人ホームという表現は、療養型医療施設には使わないだろうから特養と思ったのである。

しかしその老人ホームが「住宅型有料老人ホーム」であったのに、まず驚いた。有料老人ホームでも「特定施設」の指定を受けている、「介護付き有料老人ホーム」であれば、何となく重度の人も住んでいるので、感染症や病気の重篤化が重なって、死亡者が短期間に集中するのはあり得るかと思うのであるが、「住宅型有料老人ホーム」であれば、そこには基本的に身の回りのことが自力でできる人が住んでいるというイメージだ。

しかし総括によれば、いつなくなってもおかしくないような人が複数居られたということである。しかし住宅型有料老人ホームについては、介護保険制度上の配置規準が存在しないので、仮に介護職員がゼロ人でも法令違反ではない。が・・・実際に看取り介護を受けてもおかしくないような人を入居させておいて、介護職員が配置されていないという状態で2カ月に及ぶ長い期間、そのような状態を放置していることは、道義上の問題があるとは言えないのだろうか。

少なくとも終末期の利用者への適切な住環境という意識に欠けることにおいては、人の命を預かる医師としては、倫理観に欠けるお粗末な対応と言わねばならないだろう。

人手が足りないことが問題で、この総括や施設長の問題ではないという論調があるが、人が雇えないのであれば、できるだけ早く居所変更をするなどの手当てをすべきである。そうした対策を全く講じようともしていないというのは、医師として介護事業経営者としての資質が問われる問題であり、マスコミは、安易な社会問題にこの問題を転嫁するなと言いたい。

それにしても介護職員が全員辞めてしまったのはなぜだろう。理由として施設長は、10.000円支給していた夜勤手当を3.000円に引き下げたからだというが、それだけで短期間にそれだけの職員が全員辞めるだろうか。それとともに複合的理由がないと、職員が一斉退職するようなことは考えにくい。

どちらにしても、職員が辞めたのだから食事や介護の面で不足があったのは仕方ない、しかし医療は提供していたので問題はないという、上から目線の理屈は社会通念上許されるものとは言えないだろう。

医療面では十分で寿命だとされても、その状態で亡くなっていった人は、それを許してくれるのだろうか。人生の最期の時間をあの何もできそうにない施設長だけの対応で、食事介助も十分にされていない状態で旅立っていった方々のことを思うとやるせない。

最期の瞬間、介護支援上は放置死といえる状態で旅立っていった人のことを思うと、なんとも言えない気持ちになる。苦しい、つらい、痛い、寂しいと思いを持ちながら、最期の時を迎えたのでないことを祈りつつ、心よりご冥福をお祈りしたい。

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地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件


高齢者の介護問題に関連する事件や事故は、日本全国で数えきれないくらい起きている。それにしても今月4日に大阪高槻市で、70歳の妻と75歳の夫が同日に死亡したケースは、この国の高齢者介護制度や地域システムを根本から考え直さねばならないと思わせる事案である。

大阪府警高槻署によると、妻は病死で夫は自殺であったとのこと。妻の死亡推定時刻は11月4日午後6時ごろ。その約5時間後に夫が風呂場で首をつって自殺したとみられる。風呂場には警備会社につながる非常通報装置があり、首を吊った夫は、自殺直前にこの装置のボタンを押したとみられ、警備会社の通報で救急隊員が駆けつけて両者の遺体が発見された。

現場は5階建ての団地の一室で、居間のこたつの上に置かれていたA4サイズの便箋に書かれた夫の遺書には、「迷惑かけました。認知症の介護に疲れてしまった」・「ごめんね。寝たきりでしんどかったやろな」・「無理やりにでも早く病院に連れて行ってあげたかった」という文章が綴られていたとのこと・・・。

現場となった団地で2007年から二人暮らしをしていた夫婦は、近所の人から見ても「仲が良い」と評判の夫婦で、妻もガーデニングが趣味の明るい人だったとのことである。

その妻が体調を崩したのは約6年前。パーキンソン病やアルツハイマー型の認知症などを発症したため、夫は自ら運転する車で妻を病院に連れて行ったり、買い物に連れて行っていたそうだ。ところが今年に入って妻の病状が悪化し、1人で歩くのも困難になったことで夫の介護負担が増したという。

ここからが問題である・・・。夫はSOSを発しているのに、その信号に地域のシステムが反応していなかったのである。

4月に夫は高槻市の地域包括支援センターに「妻の体が動かなくなった。」と電話で相談しているのだ。それに対してセンターは「救急車を呼んでもいいですよ」と促したものの、その後連絡はなかったとして、そのままこの夫婦の状況を確認することもしていないようである。そうだとしたらこうした状況を一般的には「放置している」と表現するのではないだろうか。

電話対応に応じて救急車を呼んだのかを確認することもしていないし、生活状況がどうなっているのかを訪問して調査するなどは一切行っていないのである。これって地域包括支援センターの対応として十分なことをしたと言えるのだろうか?大いに疑問である。

夫婦は介護サービスの申請をしていなかったとみられるが、新聞社の取材に対して、地域包括支援センター関係者は「申請があれば対応のしようもあったが」とコメントして悔やんでいるとの報道されている。

なに温いことを言ってるのかと思う。地域包括支援センターという機関が、介護問題を抱え悩む夫のSOSを受けていながら、その本質に思いを馳せることなく、通報内容を軽くいなすだけのような対応で終わってしまっている。そのような大きな問題があるにもかかわらず、そのことを悔いるのではなく、制度に対する知識が十分あるかどうかもわからない高齢者自身の申請がされていないことを悔やむのは本末転倒である。

自らの責任を自覚していないとしか言いようがない。悔やむべきは、必要な申請を支援するためのアプローチをしなかった高槻市地域包括支援センターという組織の力量に対してであり、その責任感の無さに対して悔やむべきではないのだろうか。

そもそも地域包括支援センターとはどんな機関だというのだ。それは介護保険法第 115条の45に於いて、「地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な援助を行うことにより、その保健医療の向上及び福祉の増進を包括的に支援することを目的とする施設」と定められており、高齢者が住み慣れた地域で安心して暮らすことができるように、保険・医療の向上や福祉の増進を包括的・継続的に支援する地域包括ケアシステムの中心的役割を担う機関である。

その役割の中には、座して相談や申請を待つのではなく、様々な方法で地域に深刻な介護問題が発生していないかをくまなく調査・目配りし、制度の光に隠された「影」に陽を当てるという、「発見する福祉」の役割が求められているはずだ。

勿論そうであっても、地域の介護の実情をすべて把握できるわけではないが、その発見の不断の努力はすべき機関である。

本ケースは、電話相談というSOSのサインが出されているにもかかわらず、おざなりに「救急車を呼んで」という助言だけで終わっている。そうした状況で病院に直接緊急通報をできなかった経緯や、家族に相談できない状況がなぜ発生しているのかを確認しようともしていない。

果たして電話相談を受けた高槻市の地域包括支援センターの職員に、アウトリーチという姿勢は存在しているのだろうか?そんな言葉さえ知らない職員ばかりではないかと疑いたくなる。

申請があれば対応のしようもあったが」というが、地域包括支援センターの本来の目的は、申請ができない人に適切な社会資源を結び付ける支援を行うことだろう。この発言は地域包括支援センターという機関の使命や役割を分かっていない無責任発言としか言いようがない。

こういう機関や職員が、「地域包括ケア」の中核に担えるわけがない。こういう地域には幻の地域包括ケアシステムしか存在しないだろう。光の陰に隠された「闇」に埋もれていく地域住民にとって、それは極めて不幸なことである。

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台風21号の深い爪痕


台風21号が勢力を保ったまま、猛烈なスピードで通り過ぎて行った。

北海道はもともと台風がその勢力を保ったまま上陸することは少なかったが、最近は年に何度かの台風被害に見舞われている。しかし僕が住む登別は、そうした被害もほとんどない地域であったにもかかわらず、今回は台風の勢力範囲にあった。そのため昨晩遅くから明け方にかけて猛烈な風が吹いて家が揺れた。日付が変わった真夜中には電気も停まってしまったそうだが、僕は夢の中で全く気が付かずに、今朝起きたときには電気も復旧していた。そんなふうに大きな被害はなく、台風一過の現在は風もなく青空が広がっている。

しかし道内いたるところで道路が通れなくなったり、新千歳空港と札幌などを結ぶ列車エアポート(JR北海道)も運休するなど、道内の主要路線はほとんど停まったままである。道内観光に訪れている方はご注意願いたい。

北海道の被害にもましてすごいことになっているのは、台風の直撃を受けた各地で、特に関西空港が冠水したり、連絡橋にタンカーが衝突したテレビ映像には恐怖を感じた。新千歳空港と全国各地を結ぶ発着便はほぼ動いているが、関空便だけは全便欠航が続いている。

今日以降、関空の被害が明らかにならないと復旧の見込みは立たないのだろうが、あの連絡橋がめくりあがっている状況を見ると、滑走路が使えるようになっても、空港までたどり着く手段がないと思え、全面復旧には相当な時間を要するのではないかと心配している。

北海道から関西に向かう手段としては、伊丹空港や神戸空港なども利用できるが、それは便数が非常に少なく不便である。そのため関西出張の際に利用する主要空港は関空ということになっているため、その空港が使えないとなると影響が非常に大きい。

僕自身も関西で講演を行なうときは、関空を利用することが多く、現に来月の大阪講演のために関空便のチケットを既に購入済みである。このチケットが使えない事態にならないか、心配しているところである。

不幸中の幸いは、道外講演が多く飛行機を利用する機会が多い僕の予定が、今週は土曜日に沖縄に向かう予定しか入っていなかったことである。昨日、飛行機で移動する予定が入っていたらどうしようもなかったし、どこかの空港で足止めされていたかもしれない。

昨日新千歳空港から名古屋空港に向かう便は、朝から全便欠航になっていたが、この路線もよく使う路線で、月末には尾張一宮講演が予定に入っており、それとぶつからなくてホッとしている。しかし台風シーズンはこれからが本番であり、移動の際の天気は一番気がかりなところである。

週末から来週初めにかけての天気予報を見ると、新しい台風はまだ発生しておらず、北海道も沖縄も大きな崩れはなさそうだ。どうやら9/9の沖縄講演のための移動には、天気の支障はなさそうである。このところ気温が20度くらいで経過している登別から、日中の気温が30度を超えている沖縄との気温差だけに注意すればよさそうである。

それにしても大阪をはじめ関西地域に住んでいる皆さんはご無事だろうか。今日は通常通りの出勤ができているのかなど心配は尽きない。

台風被害で建物から落ちたり、落下物が体に直撃したりして亡くなられている方もでている。大変お気の毒なことである。心よりご冥福をお祈りしたい。

関空の一日も早い復旧も心から望んでいる。今後の普及見込みの報道に注目しているところである。そして今回の台風被害にあわれた地域の一日も早い復旧を祈りながら今日の記事を締めたい。

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猛暑対策に関する事業者の責任はどこまで問われるのか


昨日仙台入りして、今朝は仙台の馴染みのホテルで目覚めた。

仙台での仕事は昨日で終えており、今日はチェックアウトの時間まで、ホテルで原稿書きの仕事を行う予定であったが、おかげさまで原稿は順調に仕上げることができた。しかし自宅に帰った後も今夜締め切りのCBニュースのゲラ校正を仕上げねばならないので、なかなかハードなスケジュールである。ただそちらのほうは、ゲラになる前にかなりのチェックが入っているので、あまり時間はかからないだろうと楽観しているところだ。

今日は午後からの便で北海道に帰る予定だが、先ほど仙台空港アクセス線に乗って仙台空港に到着し、搭乗口に入って現在JALさくらラウンジの中でこの記事を更新している。

それにしても仙台は今月も雨である。先月もちょうど仙台七夕まつりの真っ最中に仙台での仕事があったが、その時も2日間を通じて雨が降っており、仙台の太陽をしばらく見ていない。来月訪れるときはぜひ晴れてほしいと願ってはいるが、その頃はすっかり秋だろう。

今回の旅も寒かった。このところ道外講演は、軒並み気温が30度を超える場所で行っていたので、出発地の北海道が寒かろうと、すぐに暑い場所に着くと考えて、スーツの上着を着ることなく半そでのシャツを羽織るだけで旅に出ることが常であった。今回もその習慣通りに出かけてきたが、到着地の仙台も20度を超えるか超えないかの気温で、上着が必要であった。大失敗といったところだ。

しかし北海道や東北以外の地域は、まだまだ猛暑が続いている。再来週お邪魔する予定の沖縄はいったい何度になっていることやらと心配である。

そのような中、岐阜市内の病院で8月26日から28日にかけて、入院患者5人が熱中症の疑いで相次いで死亡したというニュースが報道されている。

報道によれば、岐阜市の「Y&M 藤掛第一病院」で、3階と4階に入院していた83歳から85歳の男女あわせて5人が熱中症の疑いで死亡したということである。岐阜市では27日まで最高気温36度を超える猛暑日が続いていたが、病院によると、今月20日の段階でエアコンが故障し、「20日の時点で、すぐに業者に修理を依頼したが、『1か月かかります』ということで、修理ができていない状態であった。そのため扇風機を9台出しました」と院長がインタビューに答えている姿が、テレビのニュース映像として流れている。

その際にインタビュアーが院長に、「病院としてはエアコンの故障=死亡とは考えていないのですか?」と質問している場面があるが、その質問に対して院長は、「元の病が非常におそろしい病気なので・・・」と言葉を濁している。

しかしこの件について警察は病院側に過失があるとみて家宅捜索に入ったそうである。捜査は業務上過失致死の疑いとされているが、一部報道では殺人の疑いでも捜索令状をとり詳しく調べているともされている。

エアコンが作動しなくなって、業者に修理を依頼しても即応がされなかったために、緊急避難的に扇風機での対応をとっている病院に「業務上過失致死」の罪を問うのは過酷すぎるのではないかと考えるのは僕だけだろうか。それにも増してさらに重たい責任を問う「殺人の疑いでも捜索令状をとり詳しく調べている。」という意味を、どう解釈したらよいのだろう。この事件(?、あるいは事故)は、報道されている以外の何かが存在して、殺意のある故意の工作が仕組まれているのだろうか?

どちらにしても今後の成り行きが注目されるところである。

30年以上前に、僕がこの業界に入った頃は、措置制度の時代で、措置費には寒冷地手当があったものの、猛暑地手当というものがなく、よく道外の関係者からそのことが不公平だという声を聴いたものだ。その時に僕たち道内の人間は、「道外の夏が暑いといっても、エアコンをかけなけりゃ人が死ぬということはないでしょ。だけど北海道の冬は、暖房がなければみんな死んじゃいますから。」と言っていた記憶がある。

しかしそんなセリフもすでに過去の遺物であろう。道外のこのところの猛暑は、エアコンがなければ人が死んでしまうほどの猛暑なんだろいう認識が改めて必要である。

全国各地の高齢者介護事業所の方々は、くれぐれも事故が起きないように万全の対策に努めてもらいたい。

同時に求められることは、冷房器具に不備が生じた場合に、緊急対応してくれる信頼できる業者と、売買契約なりメンテナンス契約をすることではないだろうか。そのことも今一度考えていただきたいと思う。

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介護施設に大浴槽がなぜ設置されなければならないのか


介護施設及び介護サービス事業所全般を見渡して、一番介護事故が多いスペースはどこかといえば、浴室である。

過去には、機械浴のストッパーが故障していて、ストレッチャーが順送式のレール上に止まらず、床に転落して、ストレッチャーに寝かされていた高齢者が死亡した例もある。

浴槽の湯音調整装置が故障して、サーモスタットが作動せずに浴槽内が熱湯状態になっていたことに気が付かずに、利用者を熱湯風呂に浸からせて重度のやけどを負わせて死亡させたケースもある。同じように手元シャワーの湯音調節がされずにやけどを負わせて死亡させた例もあるが、その中には明らかに殺意があったとしか思えないケースも含まれている。(参照:ある裁判の判決から考えたこと

それらの事故にもまして多く報告されているのは、浴槽内の溺死事故である。先月末にも埼玉県川口市の特別養護老人ホームに入所する高齢女性が、入浴介護中に死亡する事故が発生した。司法解剖の結果、死因は溺死であることが判明しており、現在業務上過失致死容疑を視野に入れて捜査が進められている。

本件の被害女性(86歳)は、特養の女性介護士の介助をうけながら車イスのまま入浴していたが、この職員が次の入居者の脱衣を手伝うために被害女性から目を離し、次に被害女性の姿を探したところ、姿は見えない状態で、駆けつけると浴槽内に口元まで浴槽に浸かっていた状態であったという。介護士らが数人がかりで浴槽から被害女性をひきあげたがすでに意識はなく、すぐに119番通報したものの、搬送先の病院で死亡が確認されたという事件である。

浴槽の中で姿勢保持が難しい人から一瞬でも目を離せば危険であることは言うまでもなく、本件のような悲劇を繰り返さないためには、見守りを怠らないことを徹底することだということも言うまでもない。

しかし要介護者すべてが、見守られなければ入浴ができないと考えるのもどうかしてる。要介護者の方すべてが、自分の裸身を人にさらさねば入浴ができないとレッテルを張る介護は間違っており、そこもアセスメントによる対応であると言いたいが、本件のような事故が起きると一律機械的に、介護施設等では、介護職員がいない状態での入浴行為を禁止するという方向に流れるのだろう。そういう意味で「自立支援」をスローガンに掲げている介護保険制度において、こと「入浴」という行為に限っては、自立を阻害する制限ルールしか適用されていないというのが本当のところだ。

しかしこの問題は、入浴という行為に特化して考えるのではなく、入浴設備を含めた入浴環境というマクロな視点で考えなければならない問題ではないだろうか。

介護施設の多くは、温泉旅館かと見間違えるくらいの大きな浴室と大浴場で入浴支援を行っている。浴槽も大きいだけではなく、深い場合が多い。一体あの浴室設計はどのような考えで行われているのだろう。1度の入浴介助で一体何人の利用者を浴室内に入れ、浴槽に何人の要介護者が同時に浸かることを想定しているのだろう。

僕が介護コンサルで入る介護事業者では、入浴支援については、入浴準備から脱衣所移動〜着脱支援〜浴室移動〜洗身介助〜浴槽出入り介助〜着替え介助〜移動支援までの一連行為を、マンツーマンで行う指導をしており、この部分で職員の分業は行わせていない。(参照:行列を作らないケアのために(その1)・(その2))

この方法で入浴支援を行なえば、浴室内は常に利用者は一人である。仮に複数の人が同時に浴室に入っていても、それぞれに専属の介助職員がいるから、目を離すことはない。しかもそういう体制であれば、大浴室などいらなくて、ユニットバスのような小さな浴槽を入りやすく工できる。生活リハビリ浴槽という発想もそこから生まれている。

浴室のサイズももっと小さく浅くすることで、片麻痺のある人も、安定姿勢で入浴が可能になる。この場合、人によっては介助する必要でなくなり一人で入浴することも可能になる。そういう可能性を事故防止の観点を第一にして排除してよいのだろうか。

そもそも堀込式の段差のない浴槽は片麻痺などの障害がある人にとって、実に入りにくい浴槽環境であることは広く知られている。片麻痺のある人にとって、高い段差があって縁に座ることのできる浴槽の方が入りやすいのだ。ユニットバス式のそうした浴槽に座る台を付けるなどの工夫をした方が、障害のある人にとってより良い浴室環境といえるのに、いまだに堀込式の深すぎでデカすぎる浴槽を設置する介護施設が多いのは、工夫する知恵がないとしか言いようがない。

今回の事故を受けて、浴室の広さや深さを再考する議論が起きることを期待している。

そんな議論が起きなくとも、今後新しい介護施設や、介護サービス事業所の設計と立ち上げに関わる人は、入浴支援は一度にたくさんの人を対象に行う行為ではなく、本来はマンツーマンで対応する行為であることを念頭に置いて、新しい浴室環境を考えてもらいたい。

入浴中の死亡事故を防ぐための一番の対策は、そうした総合的環境改善策なのである。

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睡眠支援に関連深い入浴支援


北海道もこのところムシムシとした厳しい暑さが続いている。

昨日はオホーツク海側の4地点と道北の2地点で、フェーン現象の影響も加わり、35度以上の猛暑日となった。(※ただし僕の住む登別は最高気温が25度、今年はまだ一度も30度に達していないが、今日は29度まで上がるらしい。)

今日も道内は4日連続の猛暑日で、ファイターズが試合を行う帯広市は、ゲームの最中に最高気温が33度に達する予定だ。観戦される方はくれぐれも水分補給に心がけていただきたい。

このような酷暑の最中で、これでよいのかと考えさせられるニュースが飛び込んできた。札幌市西区のアパートで1人暮らしの60代の女性が部屋の中で死亡していたというニュースである。死因は熱中症で、部屋にはクーラーや扇風機はあったものの、料金を滞納していたため電気を止められていて使えない状態だったという。

この酷暑の状況で電気を止められたならば、生命の危険が伴うことは容易に想像できると思う。滞納に対する対策であるといっても、命を奪う危険性のある罰則を課すことは果たして許されることなのだろうか。もっと状況判断とか、情状酌量とかができないのだろうか。そういう判断や裁量ができるのが「知恵」のある人間ではないのか。決まり事だからといって杓子行儀にルールを執行するだけが社会正義ではあるまい。

介護保険制度も利用者負担が最高3割まで増やされ、それに伴う罰則も増えている。その罰則が生命の危険に及ばないのか、暮らしを成りたたせない阻害要因とならないのかも、もう一度検証してほしい。

暑さに話を戻す。このところの状況から地球の温暖化は進んでいるように思う。違うという説もあるが、どちらにしても僕らが幼かった頃と比べて、北海道の夏は確実に暑くなっている。そのため北海道の一般家庭では無縁と思われていたエアコンを設置する住宅も増えている。僕の家も、昨年ついに暑さに耐え切れずにエアコンを設置した。

介護施設も同様で、ここ数年のうちに新設された特養や老健は、エアコンを基本設備として設計段階から組み入れている。これは十数年前では考えられなかったことである。僕が総合施設長を務めていた特養は、介護保険制度が始まる前年の1999年に増設と改築を行ったが、その時はエアコン設置は議題にさえならなかった。今とは隔世の感である。

しかしそうしたハードが変わっても、ソフトはほとんど変わっていないし、ソフトの変化につながるサービス提供者の意識も低いまま変わっていない状況がみてとれる。

僕が1年前に働いていた老健も、昨年新築されてエアコンが入っているが、そこのソフトも過去のままだ。冷房が効いているとはいえ、そこではリハビリに汗を流す高齢者がたくさんおられる。しかし昨日の午前中に入浴させられた方が、午後からリハビリに汗を流し、その汗をシャワーで洗い流せるのは金曜日の午前中まで待たねばならない。いまだに運営基準上の週2回の入浴支援を行ってさえおればよいと考える介護施設が多すぎる。(参照:週2回しか行わない入浴支援に関連した記事

しかもエアコンが入っている介護施設でも、北海道の場合、夜にはスイッチをオフにしている施設が多い。しかしここ数日は、夜になってもあまり気温が下がっておらず、今夜も寝苦しい夜になりそうだ。そんなときに入浴支援は、安眠と関連深いという知識があれば、その知識を新たなケアのソフトに結びつけることもできる。

例えば介護施設の入浴支援は日勤帯に行うという常識を覆して、夜間入浴をスタンダードにできないかが考えられてもよい。暑い期間限定でもよいからそのことが実施できれば介護の質は大幅に変わる。

入浴と睡眠が関連深い理由は、体温がある程度下がると人は眠くなるという特性があることによるものだ。

入浴すると、温かいお湯の中に身体を入れるため、身体は温まる。身体が温まれば末梢の血管は拡張する。するとお風呂から上がった後には身体から熱がどんどん逃げていくことになり、体温の低下速度が速まるのである。これが入浴が眠りを導いてくれる理由になのである。

そのため夏の暑い時期、寝苦しい夜に熟睡するためには、入浴時間を夜寝る時間と絡めて考えたほうが良いと言われる。

入浴する時間は就寝前1時間がいいとか、いや体が冷える速度を考えると2時間がベストだとか諸説がある。つまりは個人差も大きいということだろうが、必ずしもベストの時間ではなくとも、ベターな時間で入浴することだけで、睡眠の質は変わる。少なくとも日中太陽が燦燦と降り注ぐ最中に入浴支援を行うという選択肢はなくなる。

夜間入浴を行うことで人手を増やさねばならないわけではない。僕の経験から言えば、その実現はシフトを工夫して日勤者を減らして遅番の職員を増やすことで対応可能である。日勤者を減らすことで、その時間帯の仕事に支障をきたすとネガティブに考える人も多いが、その時間帯に集中していた仕事を、遅い時間に回せばよいだけの話だ。

遅番シフトを敷くのは介護職員に限らず、看護職員、相談援助職員、事務員だってよいわけである。要はやる気だけの問題だ。

しかも夜間入浴を行って、利用者の睡眠の質が変わることで劇的に変わるものがある。それは夜勤者の業務負担の軽減である。

このことは夜勤者が、不眠者の対応にいかに時間と手間をかけているのかを考えればわかるというものである。その時間や手間を夜間に入浴支援を行うことでなくすることができるのである。

これはある意味、時間を貯金するという意味になる。別な時間帯に手間と時間を使うことで、人手が少ない夜間の時間を貯金できるとしたら、それは利用者のメリットにとどまらず、従業員のメリットにもつながるのではないだろうか。

しかもそのことは、利用者の暮らしの質の向上につながるのだから、それは人材として貴重な人々の働くモチベーションにもつながっていくと思う。それは顧客からも、介護職員からも選ばれる施設となる要素になり得るかもしれない。

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ヘルパー2級免許を偽造した母娘を雇った事業者の経営責任


青森市で、ホームヘルパー2級修了証明書を偽造した母娘が、偽造有印私文書行使容疑で逮捕された事件に関連して、その母娘を雇用していた施設側に、1,500万円の返還請求を青森市が行ったとというニュースがネット配信されている。

概要は下記の通りである。

7月9日に青森市内に住む母娘、一戸遥容疑者(27)と則子容疑者(60)がホームヘルパー2級の研修修了証明書を偽造した偽造有印私文書行使容疑で逮捕された。

これに関連して両容疑者を雇用していた青森市内の介護施設が、2年前の2015年1月までさかのぼって、無資格である両容疑者がサービス提供を行って得た介護報酬の返還を求められているという。

事件の発端は2015年1月。青森市内で老人介護施設がハローワーク等に求人を出し、それに応募した一戸遥容疑者を面接の上採用。その際一戸遥容疑者は、ヘルパー資格を取得済みだとして施設に「ホームヘルパー2級の研修修了証明書のコピー」を提出していた。

その後雇用から5カ月後、「母親もホームヘルパーの資格を持っている」と遥容疑者から母親を紹介され、母親の則子容疑者も採用した。母娘は男性が経営する老人介護施設で2年ほど勤務したが、一戸遥容疑者と母親の則子容疑者が退社して半年ほど経過した2017年9月、施設側が青森市福祉部の担当者に呼び出され、母娘の研修修了証明書が偽造であることが告げられたというものである。

青森市は、ホームヘルパー2級研修修了証明書が偽物であることを見抜けなかった施設側にも責任があるものの、不正の意図はなかったとして「不正請求」ではなく「請求ミス」として処理を行っているとのことである。

ネット配信記事では母娘が介護施設で働いていたかのように書かれており、加えて「母娘が勤務した事業所は全部で4カ所。」とされている。しかし介護施設であれば介護職員の資格は必要とされないために、母娘が提供していたサービスは訪問介護サービスであると思われる。

そうであれば介護施設に併設されていた訪問介護事業所か、関連事業としての訪問介護事業所の訪問介護員として、サービスを行っていたものと思える。記事を書く記者が、介護保険制度の知識に欠けていることが原因で、この点があいまいなのが歯がゆいところであるが、どちらにしてヘルパー資格がないとして市側が報酬返還を求めているのだから、それは訪問介護事業以外は考えられないということになる。

報道記事に書かれているが、今回の返還指導が不正請求ではないということで、雇用者側の資格確認がずさんであるという理由によって請求ミスとして過誤調整することになり、事業者側のミスも認めて返還する以上、母娘に賠償を求める資格が失われる可能性があるということである。

まあ仮に賠償請求が認められるとしても、この母娘に賠償能力があるとは考えられないので、どちらにしても約1,500万円とされている返還額は、事業所側が泣いて支払うしかあるまい。

僕は長年社会福祉法人の経営する特養等の総合施設長を務め、職員採用にもかかわってきたが、そもそも資格証をコピーだけで確認することはあり得ないと思う。原本を確認し、そのコピーを事業者側がとって保管するというのが当たり前のことで、それ以外の資格確認方法をとったことがない。

そういう意味では、この事件においては事業経営者の経営姿勢という問題も問われてくるのではないかと思う。

こういう杜撰な経営体質の事業者で働く、他のまじめな職員が一番迷惑であろうし、一番の被害者といえるのかもしれない。

どちらにしてもこの施設の経営者は、自らの経営手腕と法人の経営体質を、今一度見直さねば、今後の厳しい時代に生き残っていくことはできないだろう。

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従業員を護るために事業者としてしなければならないこと


労働組合「日本介護クラフトユニオン」(東京)が4月に公表した調査結果(速報値)は、介護職の73.5%が、高齢者やその家族からハラスメントを受けた経験があり、中でも利用者の自宅が仕事場となる訪問介護員の被害が多いという内容になっている。

そのことに関するニュースを、読売新聞のyomiDrがネット配信しており、そのことが表の掲示板でも話題となっている。

ヘルパーの被害は、男性利用者に突然ベッドに押し倒され抱きつかれたり、密室化する利用者宅のドアに鍵をかけて監禁されそうになったりという、極めて悪質なケースも含まれている。これはもう犯罪である。

報道はそうした行為に対し、兵庫県が問題のある利用者宅に職員が2人1組で訪問できるよう、人件費の一部を補助する事業を今年1月に始めたとしているが、同時にその対策をとった事業所実績はゼロであるとしている。それはある意味当然だ。ヘルパー確保が困難な人員不足の状態で、人件費に一部補助があるからといって、人をそれほど雇えるわけがない。つまり兵庫県の対策など何の役にも立たないもので、アリバイ作りにしか過ぎない対策だということだ。

表の掲示板でも意見が出されている。そこではそうした利用者に対しては、男性ヘルパーを派遣するしかないという意見もある。しかし訪問介護事業者の平均給与は、登録ヘルパーという勤務形態などの非常勤職員も多いことが原因で、介護施設などのそれと比べても低くなりがちで、男性ヘルパーを確保すること自体が難しく、そうしたすべてのケースに男性で対応することもできないのが実情だ。

そうであるがゆえに、行政にそうしたケースを報告して、行政権限で利用者にサービスを使うことができないようにするなどの罰則を与えるべきだという意見もあるが、市町村にそのような権限があるとは思えない。

それよりも先にすべきことが介護サービス事業所にあるのではないだろうか。まずは従業者を性犯罪から護るために、正当な理由によるサービス提供拒否を躊躇すべきではない。勿論そのことは行政にも報告すべきである。

そもそも報道されているセクハラ行為は、犯罪行為といってよい悪質なものが含まれている。こうした行為が行われた場合、法治国家である我が国では、その犯罪を取り締まる警察対応が求められるべきだ。

行為が悪質でも、サービス利用中の1度きりの間違いだから穏便に何もなかったように済ませようと事業者が考えることが、こうした行為を根深くはびこらせて、一向になくならない原因となっているのではないだろうか。

顧客に対して介護事業者はサービスを提供する立場であり、お客様に満足いただけるようにホスピタリティの精神をもって奉仕する必要はあると言っても、その関係はサービス事業者が奴隷となって、客の要求にすべて応えなければならないというものではない。客が法律を犯すことまで許容することはできないわけである。

利用者宅という密室で行われた不適切行為を証明できるのかという議論があるが、それが証明困難だからと泣き寝入りを従業員に強いる事業者からは、職員がどんどん離れていく。それは事業経営の危機にも直結する問題だ。事業管理者は、もっとこの問題を深刻にとらえるべきである。

介護事業経営者は、職員から利用者のセクハラ行為による被害報告を受けた場合は、直ちに利用者に抗議するとともに、その後の適切なサービス提供ができないと判断した場合は、速やかに「正当な理由によるサービス提供拒否」という措置をとるべきである。そのうえで、そのことを行政に報告すべきだ。その報告を受けた行政が、どのように判断し、どのように動くか(あるいはまったく動かないか)は、行政に任せてよい問題で、事業者は粛々と事業者としてとり得る対策を行うべきだ。

さらに行為が悪質と判断した場合は、迷わず警察に通報すべきだ。そうした悪質な行為が、ヘルパーの証言でしか証明できないために、刑事処分ができない結果に終わったとしても、事業者としてつかんでいる事実に基づいて、犯罪行為を通報するという義務を行使することで、悪質な犯罪の抑止力ともなり得る可能性がある。法治国家の国民としての義務を果たし、権利を行使すべきであり、そのことだけを粛々と行うという考え方で良いのではないだろうか。

行われた悪質行為に対しては、サービス利用者であったとしても、法で罰せられて当然なのだから。

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地震列島の住民としてできること


先週の木曜日から大阪〜宇都宮と講演の旅を行い、昨日北海道に帰ってきた。

午後2時に降り立った新千歳空港は、羽田空港との気温差が12度もある寒い日だった。昨日の北海道は6月としては異常ともいえる寒気が入り、10度に達しない地域がたくさんあったのである。登別市も冷え込んでおり、久しぶりに帰った自宅では、一旦しまったはずの石油ストトーブがたかれていた。

そういえば大阪に経った週も、ずっと天気が悪く低い気温が続いていた。これだけ寒い日が多い6月も珍しい。農業王国でもある北海道各地の農作物の生育状態が心配になるほどの異常気象である。

ところで昨日は、宇都宮〜羽田空港経由で新千歳空港に帰ってきたわけだが、宇都宮〜東京間は東北新幹線を利用するわけである。僕の移動の間はこのルートに何も問題なかったが、昨日のその後を見ると、このルートに停電が発生して約6時間新幹線が停まったとのことである。

JR大宮駅では、ダイヤが乱れた東北新幹線から在来線に乗り換えようとした世田谷区役所の女性職員が、乗車券を買えないことに腹を立てて駅員の胸を殴って逮捕されるという事件も発生している。どのような理由があっても、暴力は許されることではないし、60歳という年齢を考えると随分分別のないことをしたものだと思うが、交通ダイヤが乱れて移動がままならないことでイライラする気持ちは、まったく理解ができないわけではない。(※それにしても駅員の責任ではないだろう・・・。)

僕も移動時間が少しずれていたらこのトラブルに巻き込まれて、昨日のうちに北海道に帰ってこれなくなる恐れもあった。そうならなかったのは運が良かったのだと胸をなでおろしていたら、今朝になって大阪で震度6弱の地震が発生したとのニュースが飛び込んできた。土曜日まで3日間滞在した場所であるだけに、驚きの気持ちでニュース映像を見つめていた。

知り合いも多い地域であるが、親類縁者の方との連絡がまず先に必要だろうと思え、こちらからの連絡は控えている。ご無事であることを祈るより術がなく、フェイスブックのタイムラインで、知り合いの無事が確認されるたびにホッと胸をなでおろしているところだ。

地震発生時刻は7時58分頃とにことであり、しかも今日は月曜日なのだから、通勤時間を直撃した大きな地震ということになってしまった。航空機や新幹線、在来線すべてに影響が出ていることは容易に予測でき、今日は職場にたどり着けない人もいるかもしれない。何よりも怪我がないように、死傷者が出ないように祈るのみである。

しかし刻一刻と新情報が出てくるたびに、被害は深く広く大きくなっていくようだ。火災も起きているし、死傷者が出ているという報道もされており心が痛む。「生き埋め」という言葉がテレビの報道番組から聞こえてきて、背筋が寒くなったりしている。

水道・電気等のインフラにも被害が出ていることだろう。今は被災者の方に心からお見舞いの気持ちを持つしかない。

今後僕らができることは、随時出てくるであろう情報に基づいて、僕たちができる後方支援を行うことである。災害支援金を送ることは、当然求められる後方支援だと思う。できる限りの協力を行いたい。

昨日は千葉県でも地震が起きているし、他の地域にも影響が出ないか心配である。熊本地震の時は、本震は最初の地震ではなかったので、大阪の皆さんも是非ご注意願いたい。

とにもかくにも被害が最小限に収まることを祈っている。

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認知症ドライバーによる死亡事故はいつまで放置されるのか


昨日(5/28:月)10:55頃、神奈川県茅ケ崎市元町の国道1号で、乗用車が横断歩道を渡っていた4人をはねた後、歩道に突っ込み、さらに2人をはねた。この事故で女性1人が死亡し、2人が重傷を負った。

乗用車を運転し事故を起こした90歳の女性は、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)の疑いで逮捕されたが、取り調べで、「信号は赤だったが歩行者が渡っていなかったので発進した。歩行者が渡り始めたのが見えたので、ハンドルを切った。」と供述しているという。

容疑者は今年3月に運転免許証を更新しているそうだ。その時点では、認知症の症状がみられなかったということだろう。

現時点でも、この女性が認知症であったかどうかは不明だが、判断力の衰えは否定できないだろう。どちらにしても事故と認知機能低下の問題を切り離しては考えられないのではないか。

いやむしろ認知症とはいえないまでも、判断力が衰えていることで、運転しないという判断もできず、危険行為が日常的に続けられている人が考えられている以上に数多く存在するというのが問題である。

そのことで将来ある尊い命が、日常的に危険にさらされているというのが、我が国の現状ではないのか。そうであるなら認知症の人が運転できてしまうことの危険以前に、加齢による判断力の衰えは、すなわち危険運転の原因でもあるという社会認識を広げ、一定年齢になった際の運転からの引退が、普通に行われる社会を目指すべきではないのだろうか。

このブログでも認知症ドライバー問題は、過去に何度も取り上げてきた。

ネット検索すると「認知症患者による過去の自動車暴走事故まとめ」というサイトもヒットするが、それらは認知症ドライバーが引き起こしている死亡事故のほんの一例に過ぎない。

これらの事故に巻き込まれる人の多くは、事故を起こしたドライバーより若い人で、中には幼稚園児や小中学生が多数含まれている。

高齢者の移動手段の確保の代償が、将来のある子供や若者の命との引き換えであって良いというのだろうか。

自動運転ができる車の開発も急がれるだろうが、それが実現していない今、認知症の人はますます増え続ける超高齢社会である我が国では、認知症の症状が出現してから対策するのではなく、認知症の症状が出る前に、リスクを減らす対策に努めることが求められるのではないのだろうか。

いつまでも認知症ドライバーや、判断力の衰えた高齢ドライバーによる悲惨な事故を繰り返さないためにも、判断力の衰えていないうちに、一定年齢に達した場合の運転免許の返上が求められるのではないだろうか。それは自主的な返納に頼るのではなく、超高齢社会の法令ルールとして返納義務が存在しても良いように思う。

勿論、高齢者の移動手段の確保は、免許返納とセットで行われるべきで、免許返納者が対象となっている、「介護予防・日常生活支援総合事業」の送迎サービスを全市町村で行うことを義務付けるべきとも考える。

どちらにしても、他人の命と引き換えに、護るべき権利など存在しないのだ。そのことを肝に銘じて、新ルールをつくっていかねばならない。

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権力に求められるもの


介護事業者にとって、行政は間違いなく権力だ。どんなに小さな保険者の、経歴の浅い担当者であっても、指導権限を持って事業者に臨む担当者は、権力そのものである。

彼らは指定権限や指導権限を持つだけではなく、ローカルルールという公的議決を経ない規範さえ創りだせる。行政処分という伝家の宝刀も振るうことが可能だ。介護事業者は、その権力の斧にひれ伏さねばならない場合も多い。

しかし権力を持つものは政治家や行政職員だけとは限らない。

介護事業者においても、経営者や管理者・管理職は一般職員に対して権力をふるうことができる立場だ。小規模の事業者で、事業経営経験も浅く、スキルが伴わない管理職であっても、職員にとっては大きな権力者である。それは一般職員にとって、自分の生活さえも左右される権力といえるかもしれない。

だが一般職員にも、ある種の権力が備わっている場合がある。

例えばどんなに若く、社会的な地位や名誉もない職員であっても、介護施設などのサービスの場で利用者に相対した時、認知症や重度の身体障害を抱えた利用者に対して、どのような行為を行うのかを自らの一存で決定できるという介護従業者は数限りなく存在している。

夜勤時間帯に、フロアにたった一人のサービス担当者として存在する介護職員は、ある意味、利用者にとっての絶対権力者として存在すると言えるのではないだろうか。

そう考えると、人間はある場面では権力に恐れおののき、それにひれ伏す立場であるとしても、場面が変わるだけで、誰かに対して権力を振るう立場に立つ可能性があると言えるのではないか。そうであるがゆえに、権力とは何か、それをどのように使うのかということを常に考える必要もあるのではないだろうか。

知恵のある人間として権力とは何か、権力に求められるものは何かを考えなければならない。この世に人として生まれ、生きるものとして、権力はどのようにつかわれるべきかを考えないと、人は不幸を振りまくために存在してしまうことになる。

僕はそんなふうになりたくないので、権力は常に正義と一体でなければならないと考える。正義のない権力などただの暴力に過ぎないからだ。

そんな権力など存在しない絵空事だと笑ってはならない。

例えば介護支援の場が常に正義にあふれ、正しい方向に進んでいるとは言わない。そこには歪んだ介護が存在することを否定しない。昨日発覚した和歌山県橋本市の老健での虐待事件では、24歳の男性職員が、夜中に大声で叫ぶ96歳の女性入所者に腹を立てて、当該女性の顔や胸に熱湯をかけ、重傷のやけどを負わせたとして逮捕されている。フロアのたった一人の夜勤者として、全ての行為の決定権を持つ絶対権力者が、認知機能が低下するというハンデキャップを負った弱者に対して、正義なき権力を振るった結果が、このような非道な行為に結びついている。

正義を伴う権力を絵空事だと笑う人は、このような行為を是とするか、やむを得ないとあきらめる人である。それではあまりに情けないし許されない。僕はこんな行為を是とすることはできないが、それ以前に手にした力の使い方を間違えないように、人として持つべき心について、常に正論を語り合わねばならないのだと考える立場である。

正論が常に通じる社会はないと論ずる人がいるが、だがそれを以て高邁を画餅と断じるのは妥協ではなく迎合である。理想を掲げることが絵空事だというのは卑怯者の言い訳である。

正論はいつの世でも愚鈍で生真面目で幼稚な真理だ。だからこそ子供にも理解できる。どんな浅学の人間にでも通用する。

所詮人間は自分の決めた規範から逸脱できないようになっている。そうであれば自分の規範は、正義をもって規定したい。

その時、自分の正義に逆らえば、その人は一生自分を責めるようになる。何かの折に思い出し、そのたびに良心の呵責に苦しむ。もちろん正直さが安寧をもたらすわけではなく、自分だけの正義を貫けば周囲との軋轢や現実からのしっぺ返しもあるだろう。どちらを選択してもそれぞれの試練が待っている。そうであれば人としてこの世に生まれたことを感謝する立場から、他人を不幸にだけはしたくないという立場でものを考えたい。

そう考える人が介護の現場にいるだけで、利用者は安心できるのではないか。それを目指さぬ対人援助者とは、どこに存在意義があるというのか?

そのような考え方を笑って馬鹿にする輩とは議論する必要も感じない。愚かなものに倫理を説いたところで無意味である。愚かだから学習能力もない。そんな輩は糾弾することすらもったいないから、嗤うしかない。

僕達の業界の職能団体の中にも、嗤うしかない団体が存在している。そこに会費を支払っている人は不幸だと思うが、それも自己責任だ。そんな話はまた明日の記事に引き継ごうと思ったりしながら、いつものように、自分の心の叫びを書きなぐっている。

それがこのブログの本質である。そんな文章にお付き合いいただいている方々には、心より感謝している。


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運転から勇退ができる社会に


爆弾低気圧を避けて、1日早く鹿児島入りしたが、その後の北海道はすごいことになっていた。自宅からも連絡が来て、暴風雪警報が出されて、すごい荒れようで怖いくらいだという。早めの移動は正しい判断だったようである。

そんな風に1日早く鹿児島に来たので、夜は「かごっま屋台村」というところで、「大隅料理」を肴に、しこたま焼酎のお湯割りをいただいた。楽しく酔うことができた夜だった。もう一つのブログ記事も是非参照していただきたい。(参照:masaの血と骨と肉・ダチョウはともだちよー

しかし今朝は二日酔いもなく、すっきり起きた。今日の講演は18:00〜20:00の予定で、その後21:00まで名刺交換会兼プチ立食パーティーがあるが、それまでの時間はフリータイムだ。しかし何度も来ている鹿児島で、ことさら観光という気分にはならない。行く場所を探して、移動の足を考えるのは億劫だ。今回は駅前のホテルに滞在しているので、駅周辺をぶらぶらしながら、鹿児島に来た時一度は食べてみたいと思いつつ、いつも何らかの事情で空振りが続いている「こむらさき」の鹿児島ラーメンを食べてこようかと思っている。

ところで今回の旅は、株式会社グローライフさんが主催する「介護支援専門員及通所介護事業者向けセミナー」がメインである。地域の関係者にもオープンの講演会で、すでに当初予定を大きく超えるたくさんの受講申し込みがある。会場で懐かしい方、フェイスブックでの交流のしかない初めて会う方など、様々な方にお会いできるのが今から楽しみである。鹿児島及びそのお近くの皆さん、よろしくお願いします。

さて、それを終えた翌日は、北海道にすぐに帰るのではなく、福岡〜唐津の旅を続ける。一人旅ではなく、福岡のお仲間との旅である。

博多で、弁護士法人翼・篠木法律事務所を主宰する篠木潔弁護士が中心となって活動している、「ケアマネゼミ・チーム篠木」の皆さんと合流し、大人の修学旅行に参加する予定になっている。その中でも120分の講演を行うことになっているが、それはおまけであり、皆さんと一緒に旅を楽しむのが一番の目的である。その様子は、月曜日のブログ記事で紹介できると思う。

そんな風に、今回の九州はケアマネ向けの2講演を行うことになっているが、テーマは両者とも「介護報酬改定大解剖」としている。鹿児島と唐津では内容は少し変えてはいるが、両方とも居宅介護支援費の改定内容を解説しながら、その中に隠されている意図・次の改定につながる布石・制度改正の橋頭保について僕なりの見解を示すことになる。同時にここでは、認知症高齢ドライバーの事故を防ぐために、関係者として何をすべきかをお話ししようと思う。

今年1月、前橋市北代田町の県道で、自転車で登校中の女子高生2人が乗用車にはねられ重体となった。群馬県警によると、運転していた容疑者は中央線をはみ出し、右折待ちしていた車のサイドミラーに衝突、逆走する形で市立前橋高校1年生(16)と3年生(18)の女生徒を相次いではねた。このうち16歳の女性は事故後お亡くなりになった。(18歳の女性とは意識が回復したとの報道あり。)

乗用車を運転し自動車運転処罰法違反(過失致傷)の疑いで逮捕されたのは85歳の男性ドライバーであったが、容疑者は事故直後に「気がついたら事故を起こしていた」と供述している。そして事故当時のことは覚えていないとの趣旨の供述を続けた。

容疑者は昨秋、運転免許の更新時に改正道交法に基づく認知機能検査を受け、認知症ではないとの結果が出ていた。しかし、事故を起こすまでの間に認知機能が低下した可能性が高い。家族によると、容疑者は目立った持病などはなかったが、たびたび物損事故を起こしていたという。そのため家族から運転しないよう再三説得されていたという事実がある。

その説得に容疑者が応じることはなかった。

そして事故当日は、運転に反対する家族の目を盗んで出かけ、若い命を無残に奪う結果を引き起こした。後悔してどうにかなる問題ではない。

容疑者が物忘れをしたり、車をぶつけて帰ることが多くなったため、家族は運転を止めてくれと言っていたが、同時に家族は、車を取り上げることは「おじいちゃんを家に閉じ込めることになる」と迷いがあったという。さらに「認知症がそこまで進行しているとは思わなかった。」とも言っている。

運転するなという声に容疑者が応じなかった理由の一つは、運転してはいけないという家族の言葉に、本来持つべきだった危機感が欠けていたからではないか。そしてそのような薄弱な問題意識は、世間一般にも見られる傾向で、その結果が尊い人命を奪ことに結びついているということを重大な事実として認識してほしい。

認知症専門医の中にも、「認知症だからといって運転ができないわけではないから、認知症という診断だけで免許を取り上げるのは問題だ」とバカげたことを言っている輩もいるが、そんな悠長なことを言っている暇がない。そもそも本ケースの状況を見てわかることは、免許更新時の検査や、認知症という診断を受けた後の後追い対応でも、問題は何も解決しないということだ。

幼児や子供たち、将来ある若者たちが、認知症度ラドライバーの運転事故により、毎年たくさんの命が奪われていることを考えると、認知症になったから運転しないのではなく、認知症になったら、正常に運転できるかできないかの判断能力に欠けるという意識をもって、その段階では運転する・しないの正しい判断はできなくなることを前提にして、ある年齢に達したら運転から勇退するという国民意識を育てることが重要である。

そのためには、高齢期の生活手段となる移動手段については、個人の責任でどうにかするのではなく、各自治体の責任で整備する必要がある。そのためにはコミュニティバスを走らせたり、「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うなど、いくらでも方法は考えられる。

地域包括ケアシステムとは、そうした仕組みを作ることであるし、この部分に予算をつけることを意味するものだ。早急なる整備を望みたい。


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高齢者事故、半数が認知機能低下


東京に行くと、あらゆる場所への移動が、公共の交通機関を利用するだけで可能である。

重いスーツケースを抱えていても、タクシーを利用するまでもなく、電車で移動すれば済む。そもそも山手線などの駅間の距離の短さは何だろうと思う。札幌以外の北海道の移動を考えると、歩いて移動するのが当然の距離に駅と駅がある。なるほどこれだから自家用車を持つ必要もないわけだ。

一方北海道の郡部では、人口減少が進み、日用品を売る商店が生活圏域からなくなり、医療機関もない地域が増えている。

そうした地域の住民は、日常必需品を手にするために、あるいは持病の管理や治療のために、長い距離を移動しなければならない。そのための移動手段が必要となるが、鉄道もなく、路線バスも1日数本という状態では、それらの交通手段に依存してはままならない暮らしがそこにある。当然、自家用車は必要不可欠な生活の足である。

そうした地域もどんどん高齢化が進行するが、高齢化が進めば進むほど、生活圏域から移動して何かを行わねばならないという機会は増える。だからますます自家用車を手放すことはできなくなるし、運転することから引退するという考えも荒唐無稽なものとなる。

自家用車を手放し、運転行為から引退するということは、すなわち「暮らしが成り立たない」・「生きていけない」ということと同じ意味になってしまうのである。

しかし加齢は認知症の最大リスクであり、運転し続ける高齢者の判断能力が衰えることによって引き起こされる交通事故が増え続けている。その事故によって幼い命、前途ある少年・少女の命が失われるケースが年々増えている。

日常と変わらない通学途中に、突然歩道に乗り上げた認知症ドライバーの車によって、一瞬のうちに命を奪われる子供たちの魂は、どこに漂っているのだろう。安らかなる場所に行きつくことはできるのだろうか・・・。

警視庁のまとめによると、75歳以上になって運転免許更新時などに認知機能検査を受けた高齢者の中で、昨年1年間に交通死亡事故を起こしたのは385人で、うち49%となる189人が認知症の恐れがある「第1分類」か、認知機能低下の恐れがある「第2分類」と判定されていたことが明らかになった。

警察庁の担当者は「死亡事故を起こした高齢運転者は認知機能の低下がより進んでいた」と指摘し、運転技能に不安を感じた場合の免許の自主返納などを呼び掛けている。

いつ認知機能の低下が現れるかわからない。そして認知症の人は自分が認知症であるとは思えないのである。そうであるがゆえに、一定年齢に到達したら、運転行為から引退するという自戒が、すべてのドライバーに求められるのではないだろうか。

同時に生活が成り立たなくならないように、政治は、限界集落などの住民に対し移住策を促進し、人口減少社会の中でのコンパクトシティへの地域再編を最優先の政策課題としなければならない。

保健・医療・福祉・介護関係者は、地域行政に対して、高齢者の移動手段の確保のための対策を行うためのソーシャルアクションに努めなければならない。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになったが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加された。

このサービスは、乗車距離や時間に応じたガソリン代などの実費相当分として、1回数百円で利用できるものだから、日常生活に必要な移動手段の確保に困る高齢者には必需サービスである。このサービスを「介護予防・日常生活支援総合事業」として行っていない自治体は、認知症ドライバーの事故リスクに何も対応がされていない自治体ということになる。そういう市町村をなくしていかねばならない。

高齢者の日常移動手段を確保する政策は、日本の明日を担う子供たちの命を守る政策でもある。


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鬼畜の所業〜児童養護施設の虐待報道を受けて


僕は北星学園大学・文学部社会福祉学科を卒業している。というわけで学生時代は社会福祉を専門に学んできたわけであるが、専攻は高齢者福祉ではなく、児童福祉であった。

そのため社会福祉実習は、児童相談所で行い、数多くの児童施設を訪ね歩いた。児童養護施設もそんな施設の一つである。

児童養護施設とは、児童福祉法41条において定められている施設で、「児童養護施設は、保護者のない児童、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」と定義されており、児童相談所長の判断に基づき、都道府県知事が入所措置を決定する児童福祉施設である。

そんな児童養護施設で信じがたい虐待が行われていたことが明らかになった。

道央の児童養護施設で2013年8月から2014年3月にかけて、道が措置入所させた女児らに対し、男性職員(当時)がわいせつ行為を繰り返していたことが、北海道新聞の調べで明らかになった。

この職員は女児2人に対し、消灯後の女子居室で、それぞれ胸や下半身を無理やり触ったほか、別の女児とも施設内で複数回、性交渉を行っていたという。事件は被害女児からの訴えで発覚し、道と同施設を運営する社会福祉法人が、それぞれ200万円支払うなどで和解しているという。なお犯人は、懲戒解雇され、2014年9月に、強制わいせつ、児童福祉法違反(淫行させる行為)などの罪で懲役4年6カ月の実刑判決を受け確定している。今も塀の中であるということか・・・。

本件は最初に女児から性的虐待を聞いた職員から報告を受けた上司が、すぐに施設長らに報告していなかったなど、事件の重大性を認識していないかのような施設側の対応の問題も明らかにされている。

今朝の北海道新聞朝刊の3面記事では本件に関連して、「助けてと言えなかった 養護施設の性的虐待被害者 恐怖や不信感、口止めも」と題した特集記事を掲載している。その中で被害女性が、「施設を追い出されたら行くところがない、どうしようと怖かった」と性的被害を訴えられなかった理由を語っている。
北海道新聞1/19朝刊
さらに被害女性は、事件が明らかになり加害男性がいなくなってからも悪夢にうなされ、警察や検察の事情聴取も、「あの時のことを思いだそうと頑張らなきゃいけなくて、つらかった」と語り、何度も死のうと思いリストカットを繰り返した過去を振り返っている。まさに悲痛な声としか言いようがない。

これから先の社会が彼女を温かく包み込んで、なんとか1日も早く立ち直ってくれることを祈るのみである。

様々な事情から、家族と暮らせない子供たちにとって、児童養護施設はセーフティネットであり、一時的滞在の場所ではあっても、ある時期、そこは子供たちにとって安住の場所でなければならない。そのような場所に、鬼畜のような職員が存在することいよって、子供の人生がゆがめられ、今回の報道で明らかになったように、ひとりの女性の人生がひん曲げられることを許すわけにはいかない。

人を護る場所で、このような鬼畜が存在した場合、被害が子供たちに及ぶ前に、それを察し未然に事件を防ぐことはできないものかを、今一度真剣に考え直さねばならない。

そのためには社会がもっと、命を尊び、尊厳を護る意識を育てることが必要だ。人が人に対してもっと優しくなるためには何が必要で、何がそれを阻害しているのか、僕たち社会福祉の専門家は、もう一度そのことを振り返って考えねばならない。

これは児童問題ではなく、この国の社会問題だ。社会全体で対策を講じていかねば解決しない問題だと思う。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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