masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

研究・教育

老施協総研の研究報告。

様々な組織団体に設置されている総研。

これは総合研究所の略称で、主にコンサルティング・リサーチ・システム部門を担当する「組織を側面から支援する知的職能部門」である。つまり頭脳の役割を担っているといえる部門といってよいだろう。

老施協にも「老施協総研」が設置されている。しかしその部門が老施協の活動の道標を示す頭脳の機能を果たしているのかよくわからない。アクセサリーとしての総研では意味がないと思うが・・・。

過去にこの総研が出した研究成果なり、リポートなり、データなりが我々の施設運営に役立っているのかと言えば大いに首を傾げる。そもそも老施協の会員でも、この総研が何を行っているのか「姿が見えない」と感じている人は多い。

ところで北海道で行われた老施協主催の施設長セミナーで、老施協総研から「市場原理を超えた老人福祉施設の使命」という研究に基づく講演が行われた。この部門の姿を垣間見ることができるかもしれないので注目して聞いてみようと思った。

まあびっくりした。近年、これほど当たり前で無意味な講義を聴く例も珍しい。

そもそも本題の市場原理と社会福祉の関係を語る前段で持ち時間90分の半分近い時間を使うのだから「うんざり」である。

しかもその内容たるや、介護保険制度創設につながるゴールドプランや新ゴールドプラン、社会福祉8法改正等々の一連の社会福祉構造改革の歴史説明である。誰が受講対象の研修やねん、といいたくなる。特養の施設長が雁首そろえている中で、今更そんな当たり前の話をして何になるのだろう。

さらにそのあとがいけない。介護支援専門テキストに書いてあるような介護保険制度創設の意味、措置制度の限界だとか、財源面からの新たな社会保険システムの導入だとか、制度開始後から現在までの要介護者数の推移だとか、サービス利用状況だとか、それが財政に及ぼす影響だとか、平成18年の制度改正の意味だとか・・・。

いい加減にしてくれ。総研が報告すべき研究とは、誰でもが既に知っていて、逆に我々が壇上に上がって説明もできるような内容とでもいうのか・・・。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

そもそもそんなものあらためて統計をとって出すデータ数値に基づかなきゃあ分析できない問題でもない。

本題の市場原理と社会福祉サービスは相反するものであるという主張についても今更である。

例えば僕はこのブログでそのことを再三主張してきており「介護施設経営を営利産業と比較できない点。」や「昭和〜そこに置き忘れたもの」等で様々に矛盾を指摘している。

つまり市場原理は基本的に弱肉強食の論理に過ぎず、結果として弱者を切り捨てる論理だから、そこからは格差の拡大という状況しか生まない。社会福祉の理念とは相反するものであるという主張である。

そして僕は慶応大学の金子教授が唱える「セーフティネット張替え論」で提唱されているように「市場原理主義」「上げ潮路線政策」を否定して、雇用・年金・医療などのセーフティネットを制度として機能させる「福祉を拡充させる小さな政府」が必要だという立場に身を置いてきた。

しかし老施協総研の研究報告はそこまでの具体策もなく利用者の重度化や医療ニーズの拡充に比した労働時間の「いびつな拡大」を問題視し、それに対して特養のミッションを明確にして果たしてきた役割と今後果たすべき役割を抽象論で語り、単にグランドデザインを掲げることを唱えるだけで、最終的には「介護保険制度について、良質なサービスを提供する事業者がサービス提供できる制度ルールや報酬基盤を条件として、いつでも、どこでも、だれでもサービスが利用できる制度に再構築する」という、わかるような、わからないような具体策のない結論で結んでいる。

政策、施策として具体的方法が不明瞭な方法論など、研究報告における結論としてお粗末過ぎるであろう。

こうした研究報告しかできないならば老施協総研はいっそ「何をしているか姿が見えない」方がましである。

姿が見えた途端、それは老施協の「盲腸」に過ぎないことがわかってしまうからである。

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大学は専門研究機関ではないのか?

少子化が進んで小中学校の空き教室が目立つようになったのは、もうだいぶ前からのことである。

当然、その影響は大学に進学する学生数にも影響があるんだろうと思って調べてみた。しかし実際に統計を見ると、大学・短大の志願者数は第2次ベビーブームの影響から1986年度以降上昇を続け、1992年度に120万人を超えてピークを迎えた後、短大の進学者数は大きく減っているが、大学への進学者数は増え続けており、定員数も増えている。

これは4年制大学への志向が強く進学率がアップしたことが原因だろうと思う。また外国人留学生の受け入れ人数が増えていることが大学の定員増に多少影響しているんだろう。

さらにいえば受け入れる側の大学の数が増え続けていることも進学率上昇の大きな要因といえる。2008年4月における大学数(大学院大学、通信課程のみの大学を除く)は726校と20年前に比べて230校も増加している。特にここ数年、新設されている大学には福祉や看護・薬・医療といった学部の設置が目立っている。

つまり、こと大学に限って言えば、少子化が進行する社会情勢とは逆に、その数は増え続けているというわけである。

なるほど、そういえば最近は僕らが学生時代にはなかった大学名を聞くことが多い。こんな大学あったの、と思っていると設立年度がかなり新しかったりする。しかも上述したように我々の業界とは非常に関連が深い福祉系学部等の専門大学が増えているのである。

そうした大学は規模が比較的小さなものが多く、学部の数も専門領域に限られているので数が多くない。我々が学生時代にイメージしていた「大学」という規模から言えば非常に少ない学生数の大学もある。

多くの学生に進学機会が増えているのは良いことだろうし、一極集中化しないで地方にも小さなキャンバスが点在することも悪いことではないだろう。

しかしそこで教える教授陣の質はどうなんだろう。僕らが学生時代、大学教授というのは「偉い先生」というイメージがあったが、現在そのようなイメージとはほど遠い人も多いように思える。それは自分が年をとったせいでもあるのかもしれないが、そのこととは関係のない要素も多いように感じている。大学の教授や准教授や講師といっても箸にも棒にもかからないようなくだらない研究論文を書いている者もいるし、それ以外にも大学の役割とはなんぞや、という疑問を持たざるを得ないような考え方をしている人々も見られるからだ。

ある小さな福祉系大学の学長が、盛んに自校の社会福祉士の国家試験合格率を自慢している。確かに国家試験合格率が高いということは大学のステータスに繋がるし、学生集めに有効なのかもしれない。

特に社会福祉士は現役学生より社会人のほうが合格率が高いということもあり、現役学生の合格率を高めることに大学側が躍起になることは理解できないわけではない。

しかし国家試験の合格率を高めるために大学があるわけではないだろう。試験の合格率が大事と思うんなら専門学校でも設立した方が良い。そもそも社会福祉士の国家試験など、それに絞って集中的に勉強すれば合格率などすぐアップできる程度のものだ。そんなものは手柄にはならんだろうに・・・。

むしろ大学とは、そういう俗物的(このいい方は語弊があるか?)な結果を求めるだけではなく、もっと専門的な研究ができる人材を育てる機関だろうと思う。一般教養や専門知識はそれなりに大切だろうが、極端な話そういうものにわずらわされないもっと大きなスペシャリストを養成する視点が必要だろう。

少なくとも社会福祉士の国家試験の合格率を自慢げに語るような教授陣に教えられる学生は不幸である。もっとグローバルな専門家を作るような研究ができることのほうが大事だ。国家試験の合格なんてそのあとに自然とついてくるもので、その気になった時に合格すればよい程度のものだ。

大学の進学動機が国家試験合格であるわけがないんだから。

もっと個性ある、大きな人材をこの業界に輩出してほしいものである。

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施設内研修の実際。

介護サービス事業所内において職員が自らのスキルアップに繋がる情報、知識を得る機会があるか否かは職員定着の重要な要素のひとつである。

なぜなら財団法人介護労働安定センターによる平成18年度介護労働実態調査において「介護職員の不安不満」の1位が「利用者に適切なケアができているか不安」という理由が挙げられており、その割合がもっとも高いのが就業1年未満の職員であるからである。そうした不安を解消する為には、適切な情報や知識が正しく伝えられ、介護技術が向上できる機会を作る必要があるのだ。

そういう意味からも事業所内研修は施設サービス・居宅サービスに関わらず、それぞれの事業者ごとに様々な工夫により取り組まれているだろうと思う。逆にいえば、そういう機会を作っていない、意識の低い事業者は常に離職率の増加リスクを抱えているといえる。

当施設では新任研修やOJT、法人全体の事務職員研修のほか、主に特養のサービスに関連した施設内職員研修を毎月実施している。

年度初めに内容やテーマをある程度決めるのであるが、具体的実施方法等は流動的部分もあるし、その時々で勉強しなければならない事柄も随時出てくるので、毎月のこの調整や実施は結構大変である。

テーマについては必ず年間を通じて実施なければならないものもあり、毎年繰り返されるものも多いし、方法も、ケーススタディやビデオ研修など各月によって異なる。
(参照:職場内研修のあり方2〜その内容。)

一番大事なことは、単に事業所内研修を実施したという履歴を記録に残すだけではなく、どうせ行うなら実のある内容にして、日々の介護サービスに生きるものにすることである。そのためには参加した職員のみならず、いかに職員全員にその内容が伝わるかということが大事だろうと思っている。実地指導の為の施設内研修であっては意味がないし、そんな形式だけの研修なら行うだけ時間の無駄である。

そういう中で年間幾度かは、僕自身が講師役になって講義スタイルで行う研修がある。

別に僕の話を聞かせたいわけではない。ただ、ある特定テーマについては外部講師を呼ぶまでもなく話すことが出来るものもあるし、逆に僕が外部の様々な場所で話している内容を、自施設の職員が知らないのはおかしいことであり、なにより僕がしゃべればお金がかからないという利点がある。

さらに僕が講義形式で行う研修の場合「1回で終わり」という必要はないので、同じ内容の講義を複数回実施することが可能で、夜勤のため研修には出られない人でも、他の日には参加できる、というふうに職員全員が参加できて同じ内容の話を直接聞くことが出来るというメリットがある。

ということで今月の施設内研修は、僕の講義という形で行うことにした。日程調整はケアワーカーの主任にお願いしたところ、昨日の18:00〜、本日の15:00〜及び夜19:00〜の3回講義を行うことになった。時間は賞味60分強である。

昨日の夜勤者等の勤務者は今日の昼の部か、夜の部か、どちらかに参加することになるだろう。

今回のテーマは「認知症高齢者を支えるための基礎知識」とした。

認知症ケアに関しては、毎年それをテーマにした研修を実施しており、昨年も僕の講義を行ったが、今年も昨年と内容で重要な部分は重複する部分もあるが(去年いなかった職員もいるし繰り返し伝えなければならないこともある。)全体の内容は変えている。大事なことなので皆が理解してほしいと思う内容にしている。

今年、施設内研修を僕の講義スタイルで行うのは2度目で、4月には「看取り介護研修」として講義を、これも同じ内容で計4回行って、ほぼ全職員に受講してもらった。結構疲れる・・・。

また法人内の事務研修では同じく今月23日に「コンプライアンスと職業倫理」というテーマの講義を僕が行うので、この内容も年度内の特養の施設内研修においても行おうと思っている。

いずれは僕以外の職員がそれぞれテーマごとに発表しあえる研修スタイルに変えていくつもりであるが、まずは土台をしっかり固める必要があり、数年はこうした方法をとっていこうと思っている。

ただこの辺の考え方の幅は結構大きいので、来年度に向けては画期的な変革がないとも言えない。

施設職員というのは外部研修に参加する機会はあるといっても、常に人手が余っている職場ではないので、順番に勤務をやりくりして参加しており、一人が老施協や道社協等が主催する外部研修に参加する機会は数年に1回という頻度である。

このため我が施設では、当市及び近隣市町村を中心に行われる講演等には、できるだけ多くの職員を参加させるようにしている。例えば僕が代表を務める「のぼりべつケアマネ会」主催の講演は年に数回、道内外から講師を招いて講演を実施しているのだが、こうした講演には業務従事者でもやりくりして、その時間に出来るだけ多くの職員を参加・受講出来るようにしている。

それでも内外の情勢、情報を第3者から聞く、という機会はさほど多くはないので、施設内研修にも今後は外部の講師等を招いて、さらに僕自身も情報や知識を仕入れて、必要な講義を続けていこうと思う。

ともかくせっかく貴重な時間を割くのであるから、意味のない業務に生かせない形式的なものにだけはしたくないと思っているし、職員が施設に居ながらにして最新の情報や、必要な知識を得られる機会を持てるということがモチベーションにも繋がるのではないかと考えている。

よって自らの施設の職員向けの講義であっても手を抜くことはないのである。

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個性派教授達の思い出。

僕が大学に在籍していたのは1979年から83年までである。(昭和で言えば54年〜58年である。)

当時の北星学園大学には、今ではあまり見かけなくなった名物教授という人たちがたくさんいたように思う。

名物教授と感じる意識の一部は、それらの人々が自分とは随分かけ離れた雲の上の人のようだなと感じる部分も含まれ、多分それは、今のように各大学の教授達と自分の年齢差がさほどないことから感じなくなった世代間の意識のギャップをも含めて感じるものだったろうとは思うし、学生当時はそれらの教授陣と自分との知識の差が、あまりにもかけ離れて天と地ほどの差があったことから感じた尊敬と畏敬の念も含んでのものなのだろうと思う。

そういう意味では、今では随分ずうずうしくなった。

大学教授という冠だけでは、あまりプレッシャーも感じないし、偉いとも思わないし、時には「随分古臭い理論にしがみついて大丈夫かな」とか思ったりする。当然、その対極には、僕なんか足元にも及ばない立派な考え方をしている人もいるにはいるのであるが・・・。

もちろん今でも個性的な研究をしていたり、優れた学説を唱えていたりする人々がいるが、当時の教授たちの中には我々「一般的な小市民」からみて、いかにも破天荒という感じの人も含め、様々なタイプの個性派教授がいたように感じている。

学生課の若い職員は出席カードを配るのも仕事で、僕らは彼を「ケンちゃん(券を配るから)」と呼んでいたが、ケンちゃんが登場して出席カードを配り終えた途端に堂々と席を立って教室を出て行っても、まったく怒らず「仏の〇〇」と呼ばれていたY教授の講義は、授業開始に満席でも終了時は1/3しか学生がいないという状態だった。しかもそれをとがめるでもなく、黙々と講義を行い試験さえ通れば単位はくれた。

しかし数年しか差がない後輩達に聞くと、その同じ教授が「鬼の〇〇」と呼ばれ、授業態度の指導にはもっとも厳しく、単位も取りずらい教授として有名になっているということであるのだから、きっと僕らの年代の傍若無人の態度がその教授を変えてしまったんだろう。心から反省すると共に、後輩の時代でなくてよかったと思ったりしている。

当時、講義を受けた教授の中には、道内の福祉教育者のフロンティアとも言ってよい三吉 明教授もおられた。栗山町の介護福祉士養成の初代専門学校長を最後に現役引退したと思うが、当時は、ばりばりに元気な講義をされていた。ただし新入生に対する最初の試験問題が毎年同じ問題を出すことで有名で、それを先輩から教えてもらっていた同級生は皆優秀な成績をとっていた。確か「もっとも深刻な社会問題について」論述する問題で、人口問題を取り上げた人はすべて優になるということであったと記憶している。

ちなみに僕は、そんなことはつゆ知らず、医療費問題を取り上げてぎりぎり可だったと思う。

それから今でもお元気であろう、恩師の松井二郎教授にはゼミを始め、卒論指導など様々にお世話になった。今の僕の基礎的な部分は、ほとんど松井ゼミで習得したものだろうと思っている。あの当時の松井ゼミはツワモノが揃っていたし、毎週、結構激論を交わしていたように記憶している。それから障害者福祉分野では忍先生の講義も印象に残っている。

しかし名物教授という意味では、他の追随を許さない一人の個性的な教授がいた。

それは今はもう亡くなってしまった白沢 久一教授である。

全国的にも有名な理論派教授で、僕らに対しては社会保障論や公的扶助論の講義を行ってくれたが、ともかく頭は切れる。

しかしその風貌は、とても「切れ者」とは誰にも感じさせないもので、正直、風采があがらない、という表現でもまだましかなと思うほどである。小柄で、小肥り、服装も「刑事コロンボ」のピーターフォーク演じるコロンボ刑事以上に、よれよれの背広姿で、まったく外見を気にしない人であった。

学生の実習先に実習指導のために訪れた児童相談所で受付の事務員が「怪しい人が来てます。警察に通報したほうがよいでしょうか。」と所長に相談したのは有名な逸話である。

頭が切れるだけに、講義がこれまた難しい。時には講義前半で肯定して説明していた事柄を、後半には全否定していることもあり、我々頭脳に少々問題のある学生には難解な講義で、正直講義内容の1/10も理解できない。結果的に白沢先生の講義では学習能力より豊かな想像力が鍛えられたといってよい(笑)。

僕らの2年ほど先輩達は、そのため、当時若手で新進気鋭のK助教授に、白澤先生の講義を一緒に受講してもらい、K助教授の解説付きで授業を聞いたという話まである。それなのに学生には変に慕われていて、授業内容にも批判がなかったのは何故なんだろうか。

そんなことを思い出したのも、週末に白沢教授が書いた著書を再読した為である。

著書名は「生活力と福祉政策」。ぼくが27歳か28歳の頃に購入した冊子であるが、実は当時、それを読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。やはり白沢先生の著書を理解するには知識が足りないのだと思って、途中まで読んであきらめてしまった本である。

年をとって、知識も経験もそれなりについてきたという自負から、再読に挑戦してみた。

結果・・・・やっぱり難解で解読困難。

もともとの頭の構造が違うんだなとあらためて思った。これが他の人の書いた著書なら、何をわけのわからないことを書いてるんだと、ただその人の文章力のなさを批判して終わるところであろうが、白沢先生の講義を一度でも受けた人間なら、そんな考えには決してならず、それは我々の理解力のなさなのだと反省するのである。

それだけ何か普通の人ではないものを感じさせる愛すべき人であった。

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お寒い調査論文〜大学の質の低下?

職業柄なのか、ネット掲示板やブログの影響なのかわからないが、時折、頼んでもいない冊子が送られてきたりする。

ただそれを迷惑だとは思っていない。むしろありがたいことである。

ただそのすべての冊子の、すべての記事に目を通しているわけではない。(それは当たり前か。)むしろざっと目を通して、興味のない記事が多いものは、ほとんど読まないまま古紙回収ボックスに入れてしまう。

しかしあまりに「おもしろくなさすぎて」見入ってしまう論文集があったりする。冊子名は書けないが、先日も北海道内の某研究協会から定期刊行している論文集のような冊子が送られてきた。

まあ読みづらい。学者や福祉関係者が数多く論文を書いているんだが、読み手のことを考えた文章ではなく、自己満足の小難しい表現文が多い。この手の冊子の編集者も編集の専門家ではない会員が役割として行っているんだろうから、冊子としての構成もイマイチである。僕は読み手としてさほど一般人より劣っているわけではないと思うが、その僕が読んで意味のわからない論文が多いということは、専門家が読むことしか想定していないということか?

本の役割を果たしていないように思う。

しかもいくつかの研究論文が、これまた驚くべき内容である。すごい研究というか、何故こんなこと調査研究しないとならんの?調査しないとわからないの?というものもある。調査結果から導き出した結論や検証も「お笑い」の域を出ていないといってもよいものもある。

例えば「ひとり暮らし高齢者の生活実態〜所得格差からの視点〜」という論文。道内の某大学の講師なのか准教授なのか教授なのかはわからないが(まるきり知らない人物ではないので書きにくい部分もある・・。)ともかく2人で調査研究して結果をまとめているのだがその結論・・。

「一人暮らしの高齢者の生活は、所得差により住居においては公営住宅等の利用と持ち家等の生活等に違いがみられ、また実際の生活内容では、被服費や消費を節約して暮らすことを余儀なくされている低所得者層と、あまり生活費の切りつめを気にせず暮らす低所得者層以外の高齢者の姿に違いが見られた。加えて、低所得者層の日常生活を支えるネットワークは他の階層と同様に親族を中心としているものの、近隣の支えはほとんど見られないという結果を示した。」

・・・・。ンン・・。馬鹿じゃないか。今更調査をしなくても、当たり前のことジャンか。

この結果に何か驚くべき新たな発見があるのか?低所得者と低所得者以外の層の生活実態の違いなど、至極当然・調査しなくてもわかることしか書いていない。インフォーマルサービスの違いは所得によるものではなく地域事情と家族関係によるものでしか違いが出ないし、現行の我が国においては圧倒的にインフォーマルサービスが未整備な為、家族以外の支援がない高齢者の方が圧倒的に多いなんていうのは当たり前のことじゃないか。しかもこのことは所得の多寡とは直接的には関連しない。

なんとお粗末な結論だろう、としか言えない。

こんな調査に金と時間を使っている大学の実態はこの国のお寒い3流国への道標と同じに見える。

最近の大学では教授、准教授、講師に関わらず、ただ勤務しているだけでは駄目で定期的に研究論文を書かないとならないという事情はわかるが、内容がこれでは中学生の夏休みの自由研究レベルではないか。

しかし「なんじゃコレ!!」と思いながら、その冊子に限って隅々まで読んでいる自分に気付くのである。これも編集の妙、と言えるのかもしれない・・。

しかし、僕らの学生時代の大学教授や講師等は、それなりの人材がいて、しかもこんな当たり前の調査研究などあり得なかったが、学生数が減っているのに大学の数はむしろ増えているという現状において、大学側の人材の質はどうなっているのか疑問になる場面にしばしばぶつかる。

教える側の人材がこれでは、教わる側の学生の質が低下するのも仕方がない・・・。

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