masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

研究・教育

認知症介護基礎研修受講義務の効果は期待できるか


制度改正・報酬改定は、地域包括ケアの更なる推進を目指して行われている。

その目指すものの一つに、『認知症になっても尊厳が護られて、住み慣れた地域で必要なサービスが切れ目なく提供される仕組み』をつくるというものがある。

そうした地域社会を実現するためには、サービスを提供する側に認知症とは何かという基礎知識や、認知症になった人にはどのような対応が求められるのかという専門知識と援助技術が求められる。そのための教育は最も重要になると言っても過言ではない。

そのため2021年度基準改正として省令改正が行われ、新年度以降3年間の経過措置を設けたうえで、介護サービス事業者の介護に直接携わる職員のうち、医療・福祉関係の資格を有さない者について、認知症介護基礎研修を受講させる義務を課した。(※ただし新たに採用した無資格の介護職員については、採用後1年以内に研修受講しなければならない。)

あらためて研修を受けなくともよい法定資格の対象は以下の通りである。
看護師、准看護師、介護福祉士、介護支援専門員、実務者研修修了者、介護職員初任者研修修了者、生活援助従事者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者、訪問介護員養成研修1級課程・2級課程修了者、社会福祉士、医師、歯科医師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、精神保健福祉士、管理栄養士、栄養士、あん摩マッサージ師、はり師、きゅう師

このことについてQ&A vol.3(2021.3.26発出)では、上記の法定資格取得者以外の受講義務について、次のように告知している。

・認知症介護実践者研修、認知症介護実践リーダー研修、認知症介護指導者研修等の認知症の介護等に係る研修を修了した者については、義務づけの対象外

・介護福祉士養成施設を卒業したが、介護福祉士の資格を有していないものについては、卒業証明書及び履修科目証明書により、事業所及び自治体が認知症に係る科目を受講していることが確認できることを条件として対象外とする

・福祉系高校の卒業者については、認知症に係る教育内容が必修となっているため、卒業証明書により単に卒業が証明できれば対象外とする

・認知症サポーター等養成講座修了者は、義務付けの対象外とはならない。

・人員配置基準上、従業者の員数として算定される従業者以外の者や、直接介護に携わる可能性がない者については、義務付けの対象外である

またこの研修はeラーニングによるオンライン受講で完結できるようにするとしているが、外国人の介護職員が増えていることから、フィリピン、インドネシア、モンゴル、ネパール、カンボジア、ベトナム、中国、タイ、ミャンマーの言語を基本として、外国人介護職員向けのeラーニング補助教材を作成することもQ&A vol.3の中で明らかにしている。

この研修受講義務によって介護関係者の認知症の知識レベルが上がり、それは即ち認知症の方々への対応スキルの向上につながるという期待の声がある。介護給付費分科会でも、認知症関連団体の代表委員などが、そのような期待の声とともに、この義務規定の新設に感謝の声が挙がっていた。

しかし本当にこの省令改正が、それらの期待の声に方える結果を得られるだろうか?

介護職員の学びの機会を創ることにいちゃもんをつけるつもりはないが、この研修の中身が明らかになるにつれ、そうしたスキルアップの期待については、日の日に疑問符が増すばかりである。

なぜなら現行の認知症基礎研修は6時間のプログラムであるが、今回義務付けた研修については、その時間をさらに短縮して、2時間程度で受講できるようにするからだ。現在国はその再プログラミングのための作業を行っている最中だ。

介護の場で働く人が受講しやすいように時間短縮を図るということの理解はできるが、既に介護事業者で何年も実務に就いている人が、改めて認知症介護基礎研修として2時間程度の講義をオンラインで受けたからと言って何か意味があるだろうか・・・。

そもそも介護事業者では運営基準に沿って、職場内で様々な研修機会を設けているはずである。そこでは必ず認知症をテーマにした研修も行われているはずで、認知症の理解に関する研修を全く受けていない職員はほとんどいないだろうし、認知症が原因となっている行動・心理症状(BPSD)への対処法もほとんどの介護職員は学んでいるはずだ。

そしてありきたりの講義で学んだ対処法が通じないケースの方が多いことも、実地業務の中で思い知らされているはずである。

そういう人たちにとって、現行の認知症介護基礎研修をさらに2時間に内容を凝縮させた(というより単に時間を削ったと言った方が正解だろう)講義を受講してどのような効果が期待できるるというのだろうか。

どうせ時間を割いて受講しなければならない講義であるのなら、実践論を凝縮して、実務に生かすことができる方法論を講義すべきである。例えば僕の認知症の理解に関する講演なら、2時間でも実務に生かせる方法を盛り込んで、役に立つ研修にできるのだがと思ったりするが、国がプログラニングする講義に、それを期待する方が無理というものだろう。

それはほとんど無意味な講義であり、仕事を終えた後、疲れて体を休めるために、2時間座って、場合によっては眠りながら受講するだけの意味のない儀礼的な研修になってしまうのが落ちだろう。

そういう意味では、この研修受講義務を盛り込んだ運営基準改正は、認知症の人たちが住みやすい地域をつくるために、国として介護に直接携わる職員の資質向上を図っているというアリバイ作りにしかなっていない。

ということで改めてこの研修を受講する皆さんには、e-ランニングで講義を受ける時間は、体をゆっくり休める時間だと割り切って、居眠りを気づかれないようにうまく時間を過ごしてほしいと思う・・・。
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僕が授業に教科書を使わない理由


僕は介護福祉士養成校の臨時講師を務めたりするが、一つの科目を1年間受け持ったとしても、教科書を使って講義をすることはない。

科目によっては学校側から学生に教科書を指定して、それに基づいた授業を行うように求められることもあるが、その場合は教科書に書かれた内容を確認し、要点を頭に入れたうえで、僕自身の言葉で学生に与えるべき知識を伝えるようにしている。

そうした考え方・やり方に対して、教科書がなければ、その教育状態がはなはだ不秩序になるのではないかと批判する人がいるかもしれない。そうした批判があって当然だとも思う。

しかし僕は教科書を使わない教育の方が、介護福祉教育には向いていると思うのである。

人に相対する仕事に就こうとする学生に対して、思想統一のために教科書を利用するのは問題であるとさえ考えている。

教科書というものは人間がつくるものだ。ところが一旦これが採用されてしまえば一つの権威になる。

そうなると教育者はその教科書に準拠して、それを踏襲することだけで教育ができたと思い込んでしまう。そこに書かれていることが何よりも正しいことのように思いこんで、そこに書かれたことから一歩でも踏み出した考え方を、「異端」と烙印づけしてしまう恐れさえある。

しかし僕たちが相対する人々のニーズは、社会の変化と密接に関連していて、古い固定観念だけでは計り知れないことが多いのである。僕たちが手を差し伸べなければならない人にとって、昨日は遠い過去かもしれないのである。その人が今求めているものは、昨日の経験という古臭い遺物ではなく、今この時に欲している何かなのである。

そういう意味では、教科書にないものを探し続けるのが介護の仕事であるといえる。

そのことを伝えるために、教師は自分の言葉を持っていなければならない。根本・基本にある定型を柔軟に変化させるやり方を伝える言葉は教科書には載っていないのである。いやそれは載せられないと言ってよいかもしれない。

教科書に載せられない言葉でしか伝わらないものがあり、聴く側の能力・理解力に合わせて、その言葉は選ばれなければならないのである。ましてや人の感情に寄り添う方法は、定型が存在しないし、昨日と今日のやり方を変えなければならないことも多いのである。

だからこそ、感情のある人々の最もプライベートな空間に踏み込まざるを得ない対人援助の実務教育に、教科書は不要だと思うのである。

教科書がなければ、教育者はその頭脳の限りを尽くして教えることになる。すなわち教育者の能力如何が学生に影響するため、勢い教育者は懸命に研究しなければならなくなる。

そのことによって学生も大いに啓発されていくことになるのだ。

教科書に頼る授業は楽であるが、教育者と学生のそうした切磋琢磨の関係を決して生み出さない。

それは単なる知識の丸投げに過ぎない。教育とは知識を教えることではなく、知性を育むことであるということを忘れてはならないので。

なぜなら知性の欠ける知識を拠り所にした方法論は、しばしば人の心を傷つけてしまうからだ。そうした行為を、教科書を拠り所にして正当化する人間を生み出してはならないわけである。

介護とは、人を不幸にすることに気が付かなかったり、人を不幸にすることを何とも思わなかったりする要素が、少しでもあってはならない仕事なのだ。

そのための知性を育むのが、介護福祉教育である。
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アローチャート学会をオンラインで視聴できます


山口県にある梅光学院大学の吉島豊録教授が主催する、「アローチャート学会」の全国大会が今月開催される。

アローチャートとは、アセスメントの中身を整理して、情報と課題がどうつながっているかを理解するための思考法であると思うが、詳しくはアロチャート公式サイトにアクセスして、ここに書かれていることを読んで理解していただきたい。

アローチャート全国大会は、日ごろの研究の成果を発表しあったり、講演等を開催して最新の情報等を学んだりする場で、毎年会員が手作りで支部や勉強会のある地域を会場にして、持ち回りで行なわれている。しかし今年はコロナ禍ということもあり、会員が集う形で開催することは断念せざるを得なくなった。

その替わりに11/21(土)22(日)の両日、オンラインで学会を開催することになった。(2020アローチャート学会オンライン

張り付いた文字リンクをクリックしてポスターを見ていただけるとありがたいが、ここに書いているように、例年は参加費もかかり、会員より非会員の方が高い設定だが、今年に限って会員の紹介があれば無料でオンライン視聴できることになっている。アローチャートが介護の場でどのように利用されているかを知ることができる貴重な機会なので、お知り合いのアローチャート会員をたどって、是非視聴いただきたい。

お知り合いに会員がいない方は、僕に連絡してくだされば、視聴できるように紹介させていただく。ただし氏名や所属と、簡単な自己紹介をいただける方のみとさせていただき、匿名の方はお断りさせていただくことをご了承いただきたい。

僕はこの学会の名誉会員を拝命しているが、今年もオンラインで参加予定だ。タイムスケジュールは以下の通りだ。
アローチャート学会初日
アローチャート学会2日目
このようにチャンネルが4つあって、参加者は好みのチャンネルを自由に視聴できるそうだ。僕の出番は初日21日(土)の14:30〜16:00のAチャンネル、「教えてmasaさん」というトークセッションとなる。しかしここでどんな質問が出るのか、どのように進行するのかはまったく知らされていない。ぶっつけ本番で当日を迎えることになるやもしれない。

ポスターにも書いているが、初日のプログラム終了後には、懇親会としてオンライン飲み会も行われるようであり、ここだけに参加することもできるそうである。(そんな奇特な人がいるとは思えないが・・・。)

アセスメントとケアプランの結びつきに疑問を抱いている方や、どうしたら最善の計画作成につながるのかと悩みを持っている方は、アローチャートという思考法が、その問題を解決するツールになるかもしれない。少なくともそのヒントは掴むことができるだろう。

この機会に是非、アローチャートの実際に触れていただきたいと思う。こわもての吉島先生も、決して本当に怖い人ではないことも理解できると思う・・・。

※ちなみにオンラインセミナーと言えば、UCHIDA ビジネスITオンラインセミナーの最終回、「職場環境の大切さと顧客確保のための現場マナーが今週水曜日11/11の19:00〜配信される予定だ。どなたも無料で視聴できるセミナーなので、申し込みがお済でない方は、是非張り付いたリンク先から申し込みいただきたい。
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価値観が変化する自分を覚知するために


人の価値観は様々である。その多様性は宇宙より広いと言っても過言ではない。

人によっては飲酒は許せるが、喫煙は我慢できないという価値観もあれば、その逆もある。

人によっては怠惰が最も許せないという価値観もあれば、嘘をつくことが最も許せないという価値観を持つ者もいる。

こうした価値観や意見を持つこと自体は人間として不自然ではない。そしてその価値観は、どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか言えるような問題ではないのだ。

だからと言って自分の価値観によって受け入れがたい行為だからと、否定的な感情を相手にぶつけることがあっては人間社会は成り立たない。飲酒が許せないという価値観を持っている人が、その感情は決して否定されないからと言って、酒を呑む人に罵倒を浴びせてよいわけがないのである。

しかしこうした極端な例ではなくとも、自らの価値観を根拠に、わけもなく人を非難したり、蔑んだり人がいたりすることも事実だ。ネット社会の中で匿名の批評家が増える中で、こうした風潮が広がっていることは心配なことでもある。

自分の価値観を前面に出すことができるのは、あくまで法律や社会規範に沿って行動していることが前提となるし、他者に迷惑を及ぼす行為はどんな価値観に基づいていても、人としての品性を問われる結果にしかならない。

よってこうした社会だからこそ、感情をどのようにコントロールするのかを真剣に考える時間を持つ必要がある。

ところで僕たちソーシャルワーカーは、職業場面で様々な価値観に向かい合うわけである。そこでまず必要になることは、多様な価値観を受容するということである。

だからと言って、自分独自の価値観を否定する必要はなく、対人援助者であっても、人それぞれに多様な価値観は認められて当然である。

そうであるがゆえに、対人援助の場で対応する相手に対し、否定的な感情を抱くことも、十分あり得ることなのである。それは神ならざる身にとっては、致し方のないことだと言えるのだ。

僕たちに求められているのは、そうした自身の感情を否定するのではなく、素直に正確に認識することである。誰のどのような状況を否定的に捉えやすいのか、あるいは肯定的に受け入れることができるのかという自分の感情のあり様・揺れ方を把握理解することが、対人援助のスキルとして求められているのである。

そのことを自己覚知と呼ぶ。

つまり自己覚知とは自分をあるがままに受け入れることであり、その感情をコントロールすることなのである。

それは対人援助という専門職としての立場に、個人的価値観が影響するのは好ましくないということを意味している。僕たちの仕事は、いろいろな生活歴を持ち、様々な性格を持った人と向かい合う仕事なのだから、偏見や偏った判断を生む要素をできるだけ排除しておかねば、対人援助ではなくなるのだ。

僕たちは援助する前に、「審判」してはならないのだ。

その為の自己覚知は、アンガーマネジメントの基盤ともなる。自己覚知のないところで、怒りが深刻な問題にならないように上手く制御し管理することは不可能だからである。

例えばアンガーマネジメントとしてよく言われていることは、ピークは初めの6秒間であるということは極めてポピュラーな知識である。その6秒間の怒りを鎮めるために、数を数える・深呼吸する・その場から離れる・自分に言葉をかける・考えることをやめることが方法論として挙げられている。

しかしいくらこうした方法論を覚えても、自分の怒りの感情がどのような理由で、どのような方向に向かう傾向があるのかを理解しないと、その場しのぎの継続性がないものに終わってしまう。

アンガーマネジメントは、一時的な怒りの感情を鎮めるためにあるのだから、その場しのぎ良いという意見も当然あろうと思うが、どうせマネジメントするなら、自分自身の成長につながるものであれば、それに越したことはない。自己覚知はその成長を促す、「絶対要素」と言ってよいものだろう。

しかし自己覚知は無意識には生まれない。一旦生まれた自己覚知も、意識のないところで存在し続けることは出来ない。なぜなら自身の価値観は、環境や年齢が作用する要素が強く、常に一定ではないからだ。

だから対人援助に関わる人々は、常に自己覚知を意識して、自分自身の価値観とはどのようなものかを理解する訓練を重ねていく必要がある。

介護事業者の管理職やリーダーの立場の人であれば、自己覚知を部下促していく役割も担わねばならない。
自己覚知を促す演習
その時にどのように自己覚知を促すかというヒントになるのが僕が提唱する、「自己覚知を促す演習」である。そしてこの演習は、やってみると意外と楽しいことがわかる。楽しみながら自己覚知につなげられるのである。

僕の著書、「人を語らずして介護を語るな(THE FINAL)〜誰かの赤い花になるために」では、このことを詳しく解説したコラムも載せているので、是非参考にしていただきたい。

自己覚知を促すことによって、今まで見えていなかった世界を見つける職員も多くなると思う。それはもしかしたら、介護の仕事が益々好きになって、長く続けようとする動機づけにつながるかもしれない出来事なのである。

自己覚知を促す演習は、そうした効果を期待できる有効な機会なのである。
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ウイルス対策を理由に職場内研修をおざなりにできない理由


新型コロナウイルスの影響で、研修会が軒並み中止・延期されていますが、職場内の研修まで中止してはなりません。

それは介護事業者の屋台骨をしっかり支える唯一の方策だからです。ここを感染症対応でおざなりにしてしまえば、大事な屋台骨が腐り、知らぬ間に母屋が崩れる日が来てしまいます。

今の時期は新人教育に備えた指導職員研修、4月からは新人への基礎研修をしっかりしておくべきです。それだけは忘れないでください。

新年度に入職する職員の教育はまったなしです。それによって事業所のサービスの品質が決定し、顧客から選ばれるのか、見放されるのかが決まるかもしれません。そこを誤れば取り戻すのに3年はかかりますよ。いやこの厳しい時代ですから、その間に事業経営が続けられなくなる危険性さえあります。

その前にそうした新人を教育する職場のリーダー職を含めた先輩職員の教育と意識改革の機会は今この時期までしかないです。この部分に関しては、コロナとか言ってる場合ではないです。それをおざなりにしてしまえば、今後何年間その負の遺産を引きずってしまうかを考えると大問題と言えますので、社員教育も感染予防と同じく大事であると考えなければなりません。どちらも重たいのです。

その問題意識をもって対人援助のプロを育てようとし、新規入職する職員に介護知識と技術に加え、きちんと接客意識を持たせようとする事業者では、今この時期でも指導役のリーダーの意識を高めたり、変革するためにサービスマナー教育を行っています。

僕はこの時期、そのような問題意識を持った事業者の職場内研修のお手伝いをする機会が多いです。
職場内サービスマナー研修
職場内で、日ごろ利用者に接するのと同様の感染予防対策をとりながら、換気が十分な場所で、受講席の間隔をいつもより広く取って、法人内職員限定で人数を絞って講義を受けることに特段の問題が生ずるとは思われません。

どうしても不安が解消できないのならば、テレビ電話機能などICTを活用した研修にしても良いと思います。受講者は分散した場所にいて、講師の講義はPC画面を通して聴けばよいだけの話で、これだと感染リスクはほぼありません。

ウイルス対策を理由に職員教育を何もしないというリスクは、こうした研修機会を創るリスクより、ずっと高いと言わざるを得ません。特に顧客対応意識を植え付けない職員を、介護サービスの場に張り付けるリスクによって、今介護の現場では大変なことが起きています。

例えば昨年12月、熊本市の有料老人ホームで介護職員4人が、入居している90代女性に対して、暴言を吐いたり、投げるようにベッドに寝かせたりする虐待行為が明らかになったきっかけは、面会するたびにケガをしているのを不審に思った息子が、隠しカメラで動画を撮影したことでした。

この有料老人ホームは、ネット上ではどのホームであるか特定されています。固有名詞がネット上に出てしまっているのです。そのため事件の影響で新規入所する人がいなくなり、退所する人もあるとのことです。結果的に数億の借金が残ったまま、事業廃止の懸念も広がっています。

こんなふうに職員のマナー意識が形骸化したり、おざなりになるところでは、経営危機は現実的な問題になっているのです。

スマホで簡単に動画撮影ができる今日、隠し撮りは特殊技術ではなく誰でもできる行為です。さすれば密室の中で何が行われているのかを不安視する人が増え、隠し撮りはもっと増えるでしょう。それを防ぐ手立てはありません。この場合、隠し撮りされることを前提に、職員に対しては誤解を受ける言動をとらないように教育することが唯一の対策です。それをしない事業者には、常に経営危機につながるリスクが存在していることになります。

顧客に対する言葉遣いに配慮のない会話は、第3者から見れば異様に映ることも多く、若い職員が高齢者を罵倒していると見紛うことにつながります。そのような場面が切り取られてネット上に動画配信されたときに、「あれは親しみやすい言葉として使っているだけで、関係性ができているから問題ない」という言い訳が世間に通用すると思いますか?

そんなことを世間様が受け入れてくれるほど甘くはないのです。

だからこそそうしたことがないように万全の備えをしておく必要があるのです。その対応は待ったなしです。

僕は顧問先の仕事のため、4/6〜4/10まで福岡市に滞在していますが、8日の夕方に声を掛けていただいた大宰府の会社の職員研修講師を務める予定も入れています。このように滞在先でも時間をとって研修のお手伝いはできるのし、気軽にご依頼ください。このように滞在先の近くで講演を受けるケースについては、交通費や宿泊費が別途必要ではなくなるのでお得なので、是非声を掛けてみてください。

勿論、生活拠点である道内の介護事業者なら、航空チケットを予約する必要もないので、すぐにでもどこへでも行けますのでご連絡ください。急な依頼も引き受け可能です。よろしくお願いします。

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危機を乗り切る知恵を得るために


新型コロナウイルスの感染予防対策で、介護の場も大変な状況が見て取れる。

利用者に感染者が出た通所サービス事業所では、サービスを休止するにあたって他のサービス利用者の行き場がなくなったり、訪問サービスの利用も拒否されるなど、過剰な拒否反応が広がっている。

しかしいくら身の回りに注意していても目に見えないウイルスに感染してしまう人はいる。介護サービス利用者が感染してしまったのも決して個人の責任ではなく、それはもはや災害レベルだ。だからこそ同業者は、感染者を出した事業者を非難中傷するような行為を一切取ってはならないと思う。むしろこうした危機状況だからこそ助け合うという考え方が必要だ。明日は我が身かもしれないのだ。

そういう意味で、感染者と同じ事業者を利用していた方々を差別的に扱うのはどうかしている。しかるべき感染予防策を取って訪問対応するのはやぶさかではないし、一定の観察期間を取った後に他の事業者が、通所サービス利用を受け入れることあってよいと思う。今こそ共助の精神が必要ではないのだろうか。

このウイルス騒動があと数週間単位で治まるとは思えない。もっと長期化することを踏まえて、みんなが協力し合って、その対策を考えていただきたい。それは、「暮らしやすい国とはどういう国か。」という大きな視点から考えるべきことのような気がしてならない。

さてそんな状況で年度末を迎えた各事業所は、新年度に備えた準備もままならないと焦っているのではないだろうか。

しかし時間は待ってはくれない。事務手続きは先送りできるものがあると言っても、介護事業が向かい合っているのは、「人の暮らし」そのものであり、日常に付随する待ったなしの問題は、ウイルスを理由にして滞らせて良いわけがないのである。

そんな問題の一つとして、『新入社員教育』がある。それに向けて、現在就業している職員に新人教育・指導の心構えを伝えておく必要もある。

このブログで何度も書いているが、今後の介護サービス利用者の主役は、スマホを使いこなし、外食に訪れる場所をネット情報で選ぶ、「団塊の世代」の人たちになっていくのだ。その人たちは介護サービスも、「選んで利用する」のである。

介護給付費全体が伸び続けるメガビジネスの介護事業であるからこそ、そこに参入しようとする新規の企業は増える中で顧客単価は減るのだ。選ばれなければ生き残っていけないのである。

しかも介護事業に新規参入を予定している民間営利企業は、他産業で得た接客ノウハウを介護事業にも生かして顧客を取り込もうとしている。職員のタメ口対応がフレンドリーな関係を生むと勘違いしている経営者や管理職がいる職場から本気で顧客を奪い取ろうと戦略を練っているのだ。

タメ口で利用者対応している事業者は、新規参入事業者に顧客を取られて立ちいかなくなるのである。

だからこそこの時期に、新人教育を行うべき今いる職員に危機意識を持ってもらい、自らの日ごろの態度を振り返り、改めてサービスマナーの重要性を自覚して実践できるように教育する必要があるのだ。

それができないまま新入社員を迎える事業者では、先輩職員の荒々しい態度と言葉遣いに侵されて、サービスマナーの欠片もない職員が増殖するだけの結果に終わり、そこは近い将来、サービスマナーを徹底して顧客確保の戦略を練る民間営利企業に顧客を奪われ、事業廃止に進むしかなくなるわけである。

コロナウイルス関連で言えば、ウイルス不況で採用取り消しになった人が、介護事業に職を求めるケースが増えることになる。しかしそれらの人が、当初目指していなかった介護の仕事をずっと続けてくれるだろうか?

進路として希望していなかった介護の職業に就いた人が、その仕事を一生の仕事と考えてくれるためには、そこに職業としての誇りや、おもしろさを感じなければならない。しかし素人まがいのマナーのない対応に終始する職場では、そんな誇りも面白さも感じられないだろう。そこでは人材確保は一時的な現象にしか過ぎなくなる。

高齢者介護の仕事は、排泄の介護をはじめとした清潔支援は不可欠で、決して楽できれいな仕事ではないわけである。そういう仕事に誇りを持てる環境とは何かということを改めて考えてほしいと思う。

僕は今、そんなサービスマナーを新人に教育しようとしている事業者のリーダー研修の講師を務めるために、北海道新幹線に初めて乗り、その車中でこの記事を書いている。

今日の夕方から講演を行なうがそのテーマは、「リーダーが創る介護事業のサービスマナー〜生き残りをかけた事業戦略」である。この時期にしっかりそのようなテーマの研修を行う事業者の未来は明るいだろう。

この後僕の予定としては4/6〜4/10の期間、福岡に滞在予定である。その間に近くで職員教育のお手伝いを希望する方は気軽にご連絡ください。時間をとって参ります。

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特定加算による昇給分を自分への投資に使えるか否か


今日も僕は長崎市滞在中である。

今日は長崎市の社会福祉法人さんの職員研修として、9:30〜15:00までの時間で、同じ内容の2時間講演を受講者を入れ替えて2回行う。こうした方法でできるだけ多くの職員に同じ内容を学んでいただき、職員間の温度差をなくしながら改革に取り組むことは良いことだと思う。

そのあと大村市に移動し、18:30〜20:30の予定で長崎県県央保健所主催・大村市、大村市医師会共催 の看取り介護講演を行なう予定である。つまり今日僕は長崎市と大村市で、3つの講演を行う予定になっているのである。

そんなわけで僕は今、稲佐山の中腹にある施設で、1講演目を11:30に終えてこの記事を書いている。これから長崎名物の一つ、茶碗蒸しのランチをいただくところだ。ここからは長崎港が見下ろすことが出来て、絶好の景観も味わっている。

さて本題。

一昨日書いた記事の中で、「働き方改革」によって、介護事業者はさらに人手確保が必要になる中、より少ない人数で業務を回さねばならない事業者が増えて、そういう事業者では職員研修にかける時間や費用が減っていくことを示唆した。しかしそれは事業経営を危うくするものでもあることも指摘した。

そうはいっても実際に職場内研修がほとんど行われず、外部研修に職員を派遣する機会もとれない介護事業者も既に存在している。

しかしそれは事業者にとっての損失につながるにとどまらず、そこで働いている職員自身の損失であることにも気が付いてほしい。

スキルは自らを救うのである。そのスキルを得る機会を持てないことは、将来自分に何かがあっても、自分自身はなす術を持たないということになるのだ。

例えば今現在、内部の職員研修も行うことができず、外部研修に職員派遣もできない事業者に、今後人材が集まってくることはなく、そんな事業者は近い将来消えてなくなるだろう。そうなればそこで働いている人は職を失うことになる。

そうなっても介護人材不足の中で、介護職員はほかの介護事業者に勤めることは難しいことではない。しかしスキルの乏しい職員は、転職で待遇が良くなる保証はなく、むしろ以前より安い対価で働く例が多いという事実がある。ましてや介護職員以外の職種の場合、特別なスキルがない場合、他の介護事業者で職を得ることも容易ではないのである。

しかし他の人と差別化できるスキルのある人は引く手あまたで、良い条件で再就職も可能である。そういう人は今いる事業所の経営が行き詰まらなくとも、ステップアップのために新たな場所を得て、より理想に近い形で働くことも可能だ。

介護実務に長けて、根拠に基づいた介護実践ができている人なら、その根拠をもとに他者に指導ができるので、教育担当者として新たなステージで活躍することも可能だ。そういう人なら講演講師として、技術を言葉で伝える機会も得られるだろう。人に伝わる文章力がある人なら業界紙に寄稿して、本業とは別に収入を得ることもできる。

厚労省が2017年に改正した「モデル就業規則」では、事前に届け出を行うことを前提に、副業ができると明記している。それ以前のモデル就業規則にある「許可なく他の会社等の業務に従事しないこと」を削除した上で、「労働者は勤務時間外において他の会社等の業務に従事することができる」とされているのである。働き方改革でも、副業・兼業の推進を掲げており、副業を禁止する事業者の規定は前時代的であるとされつつあるのだ。

そうなると本業に支障のない範囲でスキルを活かした副業も当たり前になるのが、これからの日本の就業形態だ。そのためには本業をベースに、そこで学んだ知識と技術を副業に活かすという考え方があってよい。

だからこそスキルを育む取り組みがされていない職場で働いていること自体が、「自分の損失」なのである。そういう職場で働いている人は、近い将来に備えて一日も早く、教育熱心な事業者、もしくは事業所内に教育機会のある事業者に転職したほうが良い。

さらに言えば、「井の中の蛙」にならないように、職場で教育を受けるだけではなく、外部研修もしっかりと受けるべきだ。職場が派遣してくれるとか、派遣してくれないとか言っていないで、自分自身への投資として、自分の空き時間とお金を使って研修を受けることが重要だ。

特定加算によって給与が上がった人であれば、その上がった分を自己投資の費用と考えて、今まで参加できなかった研修に参加してみてはどうだろう。自分個人が研修を受けても、職場は変わるわけがないと嘆くよりも、自分自身のスキルアップと視野を広げるための勉強機会だと思えばよい。

そこで得た知識と技術で自分自身の価値が高まれば、それがきっと将来、投資した額以上のものとなって返ってくるだろう。誰から見ても、「人財」と思えるスキルを獲得すれば、そういう人は引く手あまただし、起業も夢ではない。そんなふうに周りの状況がどう変化しようとも、それに負けないだけの存在になれるのである。

だからこそスキルアップ機会を逃さないようにしてほしい。それが自分を救う道につながっていくのである。

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スタッフの本音を引き出すための交換日記


介護事業者の管理職や職員の教育のお手伝いを申し付かる機会がある。

母体法人から直接依頼されて、スタッフのスキルアップのお手伝いをしたり、コンサル会社の依頼を受けて、経営コンサルの一部として管理職や現場スタッフの教育部分の講義を請け負ったりしている。

研修のテーマとしては、経営陣に向けた介護事業経営戦略、管理職に向けた労務・人事管理、制度改正の方向性などのほか、スタッフ研修として介護実務について、根拠に基づいた知識や技術を獲得するための講義、認知症ケアや看取り介護などという個別のケアをテーマとした講義など、多岐にとんだ講義を行っている。
(※それらの講演テーマについては、masaの講演予定及び履歴、から確認してください。)

それらは依頼者の方の希望と研修趣旨をすり合わせて決定するようにしている。

法人内の管理職やスタッフに向けた講演の場合、大きなテーマで一度に長時間の講義を行うのではなく、2〜3時間の講義を何度かに分けて、テーマもその都度変えつつも、複数回の講義にそれぞれ関連性を持たせながら行うことが多い。当然それは数カ月とか1年間とかいうスパンで計画的に研修を実施することになる。

そこでは僕が一方的に講義して、講義のあといくつかの質疑応答に応えて終わりというのでは、本当にスタッフが段階的に知識を得て、それを現場に生かすことができるのかを確認することはできない。それでは一定期間に渡って、貴重な勤務時間の合間に講義を受講する意味がないと思う。

僕の講義を聴いたスタッフが、職業人として成長して業務改善されるという変化がないと意味がないと思う。受講したスタッフがそこで何を理解したのか、何が理解できないのか、理解したことを日常業務にどのように生かすのかなどを、より強く意識することができる、効果の上がる研修にしたいと思っている。

そのために法人内の職員研修として、複数回の講義を担当する場合には、受講者が講義を聴いて終わりではなく、講義の後に一人一人の受講者が振り返りの機会を持つ必要があるのではないかと考えている。そのため僕が作成した課題分析整理表という簡単な書式に、意見や疑問、質問などを記入してもらう時間をとって、記入後に一人一人に、講義を受けた後の城や意見、今後に向けての抱負など、自由に意見を述べていただく時間も作っている。

意見発表の際には、課題整理分析表に書いたことをそのまま述べるとは限っていないので、記入した表については、僕が持ち帰って、次回の講義までにそこに書かれた疑問や意見などについて、僕からの回答やアドバイスを細かく書いて記入者に返すようにしている。

この表はあくまで、受講者個人と僕との間で交わす書類であり、他の受講者や法人のトップなどにも提出することはない。ある意味、それは受講者と僕との「交換日記」のようなものである。

そこにはいろいろな質問や意見が書かれている。受講者の素直な意見は、僕の気づきを促してくれることもあって僕にとっても貴重な学びであり、得難い機会だ。

勿論、受講者の中には大きな悩みや迷いを抱えていて、介護の仕事を続けることができないのではないかと不安を持っている方もいる。それらの方の悩みを僕の講義がすべて解決して、悩みが消え去るわけではないことも事実だ。しかしそうした人の悩みの声に、真摯に耳を傾けることで、その悩みの本日に触れて、その思いに共感することで、元気になってくれる人もいる。

そんな風にして、一人でも多くの人に勇気と元気を与える、根拠のある介護実践論を広めていきたいと思う。交換日記はそのための貴重なツールである。

そのような研修講義も行なっており、いつでも、何処へでも駆けつけるので、お気軽にご相談いただければ幸いである。もちろん費用についても、予算の範囲で調整させていただくこともやぶさかではない。

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いのちと生活を支える医療介護多職種チームの使命


北海道の網走市では、昨日と今日の気温差が20度以上あるというすごいことになっている。僕が住む登別市も昨日より10度近く気温が下がった。

家の近くのエゾヤマザクラも、下記画像のように、まだ芽ぶく手前である。
芽吹く前のエゾヤマザクラ
まだまだ寒暖差が激しい時期ではあるが、季節は確実に移ろっている。体調を整えて、それぞれのステージで活躍していただきたい。

新入職員などが新たに加わった職場でも、新年度を迎えて3週間が過ぎ、そろそろ普段のペースに戻って通常業務に取り組んでいる方が多い時期ではないだろうか。そんななか今週1週間を頑張れば、いよいよゴールデンウイークである。

介護業界関係者の方は、世間の暦に関係なくシフト勤務である人が多いのだろうが、暦通りに休むことができる人は、どうかつかの間の休日を堪能してほしい。今年は前半の3連休から始まって、火・水と勤務した後、後半が4連休という暦になっている。

その前半3連休のど真ん中29日から、日本在宅医学会第20回記念大会が開催される(30日までの2日間開催)。メインテーマは、「いのちと生活を支える医療介護多職種チームの使命〜病院・行政・市民とともに取り組む街づくり」である。

会場はグランドプリンスホテル新高輪 国際館パミール(東京都品川区)。日程表をご覧になるとわかると思うが、盛りだくさんのプログラムが予定されており、全国各地で看取り介護・ターミナルケアに関わる関係者にとって、またとない機会となっている。今年のゴールデンウイークは、全国の仲間と交流しながら、貴重な情報交換を行う機会を持つことから始めてはいかがだろう。

僕は第1日目(4/29)の午前の拡大シンポジウムのシンポジストとして参加するとともに、同日午後の基調講演の講師としても参加予定である。

午前9:30〜11:50まで第一会場で行われるシンポジストは、「これからの医療介護は 何処を目指すのか」がテーマで、各シンポジストの提言内容は以下の予定だ。
1.菊地 雅洋 先生:(内容)「生きるを支える暮らしの場での看取り介護」
2.佐藤 龍司 先生:(内容)「健康じゃなきゃダメですか?」
3.鷺坂 英輝 先生:(内容)「医療・介護保険制度から見た在宅ケアについて話題提起」
4.迫井 正深 先生:(内容)「今後の医療・介護の将来像=“かくありたい、という「夢」を語る”」


それぞれのシンポジストが、20分の発表を行った後、ディスカッションに入るが、僕は福祉・介護職の立場から、介護支援専門員等の相談援助職や介護職員は、医療ニーズがそれほど高くない時期から高齢者に関わっている場合が多いために、利用者が元気なうちから、利用者自身の終末期を含めた将来について考えることを支援する機能がある点に注目して、その中で医療・介護連携の役割りを果たしていくことを提言する予定である。

同時に、どこで終末期を過ごすのかという判断については、サービスや施設の種別で選ぶべき問題ではなく、個別の情報を精査して、自分や家族が望む看取り介護・ターミナルケアを実践してもらえる場所や機関はどこだろうかという判断が必要であることを提言したい。

午後から第8会場に場所を移して、13:30〜14:20の徒弟で行われる基調講演「死を語ることは愛を語ること」では、多死社会を迎える日本の現状を明らかにしたうえで、「看取り介護は、日常的ケアとは異なる特別なケアである」・「看取り介護は、職員に過度なストレスを与え、離職率が高まる恐れがある」・「看取り介護を実施するためには、特別な医療支援体制が必要とされる」とする考え方は、すべて間違っていることを説明しながら、看取り介護の実際や、そこで求められている支援行為とは何かについて明らかにする予定である。

日本全国から保険・医療・福祉・介護の最前線に立つ錚々たるメンバーが一堂に集まる貴重な機会であり、初日の日程終了後には、名刺交換会も兼ねた懇親会も行われ、新たなつながりも作れる機会ともなっている。

ゴールデンウイークのスタートとなる時期ではあるが、国際館パミールという会場内だけで他に移動する必要がない中で、バラエティに富んだ様々な講義やデスカッションを聴くことができるまたとない機会である。是非時間をとって、グランドプリンスホテル新高輪までお越しいただきたい。

僕は初日の懇親会終了まで参加予定である。会場でお愛しましょう。

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新入職員への教育プログラムについて


4月は介護サービス事業者に、たくさんの新入社員が入職してくる時期である。

そのためこの時期になると、4月に入職する職員に対する事前研修を始めている事業者も多い。現場指導を行うに先駆けて、基礎知識を座学でシッカリ教え込む期間をつくる職場が増えてきた。その方が職員が育ち定着し、常に人員が足りずに職員募集をしなくて済むことが証明されているからだ。

4/1の入職と同時、にいきなり介護の現場でOJTを開始するような無謀な事業者には、職員は定着しないことが明らかになってきたためである。
(※勿論4/1〜座学による基礎研修をはじめ、それを終えてから4月半ばで現場指導を行うという方法でもよいだろう)

座学による基礎研修期間を組み込んだ、きちんとした研修プログラムをシステム化している事業者の管理者の方々は、必然的に高い意識を持った方々でもある。高い理念を掲げて、その理念を実現するために、職員にも高い目標を持ってほしいと考え、正しい介護知識や介護技術を持つように期待をかけている。

そのためにいろいろなことを、たくさん教えたいという思いが強い施設長さんが多い。自分が介護に対して抱いている熱い思いをすべて伝えたいと考えているからだ。

しかしここで少し冷静になってもらいたい。

伝えたいことがたくさんあるとは思うが、新入社員にそれをすべて吸収できるキャパがあるかどうかということだ。

新入職員の立場で考えると、この時期は職場の雰囲気に慣れ、職員や利用者の顔と名前を一致させ、仕事の手順をはじめ、いろいろなことを覚えなければならない。そのような時期であるからこそ、詰め込み過ぎずに、基礎部分だけをしっかりと確実に伝えたいものだ。管理者の思いを、すべてこの時期に詰め込こもうとしても、その思いは新入職員という器には入りきれないことにも配慮が必要なのだ。

また座学でいくら思いを伝えても、実際の介護場面で先輩職員が、その思いとは裏腹な対応をしているとしたら、座学による基礎研修は意味のないセレモニー化して、まったく無駄なものにになってしまう。

例えば言葉遣いを含めた利用者対応について、お客様として接するにふさわしい丁寧な対応の必要性をいくら唱えても、現場の実務についた瞬間、それがお題目に終わって、職場の全体の雰囲気がサービスマネーに欠け、ぞんざいな言葉が飛び交い、横柄な態度が許されているようならば、ものの一月もしないうちに新入職員の感覚は麻痺して低きに流れ、無礼な慣れ慣れしい言葉を親しみやすい言葉かけであると勘違いし、横柄な態度をなんとも思わなくなる。

これでは貴重な時間とお金をかけて、基礎研修を行う意味がなくなってしまうのだ。それは絶対避けなければならない。

逆に、職場全体でサービスマナーの意識が高く、横柄な言葉を注意する土壌があるなら、そうした職場で「タメ口」で利用者に話しかける新入職員は居なくなる。それだけでも職員教育の当初の目的は達せられるのだ。つまりこの部分は、職員が日常的に利用者に適切な態度と丁寧な言葉遣いを行っているだけで、あえて座学で伝えなくてもよいことになる。

このあたりの意識を強く持って、座学による基礎研修で伝えるべきこと、伝えなくて良いことを区別してプログラムをつくってほしい。もちろん、わかりやすい伝え方をまずは心がけるべきであり、簡単なことを難しく伝えることがプロだという勘違いをなくすことは最も重要である。

忘れてはならないことは、職員研修というのは、入職時研修で終わるものではなく、一生続くものであるし、入職後1年間は、新人職員として定期的に段階を踏んだ教育が行われる必要があるということだ。

鉄を熱いうちに打つことは大事であるが、熱い管理者の思いを、この時期だけですべて伝えようとすると、管理者の熱すぎるエネルギーに燃え尽きてしまう新人も出かねないという配慮も必要となるのである。

ゆっくり確実に、少しずつ水や肥料を与えることで、小さな種は素敵な花びらを開いてくれるようになるだろう。誰かのあかい花になるために・・・。

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介護という職業に対する誇りを護るために


先週水曜日から昨日までの東京〜九州の旅は、あまり天候に恵まれず、どんより曇った日が多かった。

そのため気温も低めで、北海道との気温差をあまり感じることなく過ごしてきたが、8日ぶりに北海道に戻ってくると、季節はさらに冬に向かって進んでおり、スーツの上着どころではなく、コートが必要なほど気温が低下していた。

今朝も我が家は暖房を入れている。北海道北部の山間部からは雪の便りも聞こえてくる。また厳しい冬が始まるのかと思うと、昨日まで滞在していた久留米にでも移住したくなる。久留米の介護事業者の皆さん、どこか就職先を紹介してください。

さて8日間の講演の旅から戻った僕ではあるが、自宅で過ごすのは明日までで、土曜日からは大阪に3日間滞在し、月曜日に一旦自宅に戻った後、その週の木曜日に再度大阪に飛び、大阪で2日間の講演を行った後、愛媛県松山市〜同県久万高原町〜仙台と講演の旅が続くので、10月中は北海道に戻ってこないという予定になっている。

そんな中、今週末にかけて大型の台風が列島を直撃しそうな様相を呈している。10月も下旬に差し掛かるこの時期に、大型の台風も珍しいのではないかと思うが、土曜日の大阪市老連主催セミナーは何とか影響なく行えるとは思うが、日曜の日総研出版主催セミナーは、大雨の影響を受けるのではないかと心配だし、翌日の北海道に帰る飛行機は飛ぶのだろうかという不安もある。何とか台風の影響を受けないことを祈っている。

さて、その日総研セミナーであるが、こては僕の最新刊・「介護の誇り」の出版記念セミナーとして行われる講演会である。

現在介護業界は大変厳しい時代を迎えようとしている。限りある財源を有効に活用するために、介護給付費はより必要性の高いところに重点的に配分されるが、全体の給付費単価は下がる傾向にある。つまり顧客単価は増えないということになり、基本サービス費の単価アップは期待できない中で、介護事業経営を安定させるためには顧客の数を増やし、加算を確実に算定していくしかない。

そうした情勢下で、介護サービスを利用する中心的な世代が、団塊の世代の人々となってくるわけであり、それらの人々は日本の経済成長を支えてきた中心的役割を担ってきた人々で、顧客としてサービスを選ぶ厳しい視点を持つ人々である。

そうした人々に求められるサービスを提供できる人材確保が、介護事業者には求められるわけであり、そうであれば介護サービスに従事する動機づけを護らないと人材は定着せず、求められるサービスは提供できず、事業経営はできなくなる。

そのため、これからの介護事業のキーワードは、サービスの品質、サービスマナー、ホスピタリティ、だと考えている。

この出版記念セミナーでは、5時間という長い時間で、これらのことを実務論として、わかりやすく、かつ熱く伝える内容となっている。

今週日曜日(10/22)の大阪セミナー(田村駒ビル)を皮切りに、東京(11/11)・名古屋(11/12)・札幌(11/18)・仙台(12/9)・福岡(2/24)・岡山(2/25)と開催予定があるので、是非お申込みいただいたうえで、当日会場にお越しいただきたい。

一緒に明日の介護を考え、新しいスタンダードを創りあげましょう。会場でお待ちしています。

日総研出版社主催・「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
介護の誇り出版記念セミナー
介護の誇り出版記念セミナー日程

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スタッフの教育


僕は今、セントレア(中部国際空港)のラウンジの中で、この記事を更新している。これから午後の便で、新千歳空港に飛び、登別の自宅まで帰る予定だ。

セントレアのラウンジは少し変わっていて、空港会社別ではなく、各社共通のラウンジで、JALとANA等のそれぞれの会員が同じラウンジで出会ったりする。ここは、自分でハイボールを作る必要がない角ハイボールのメーカーがあるので重宝している。勿論、この時間から、しっかりハイボールを呑んでいる。周囲は、ビールを飲んでいる人が多いけれど・・・。

それとセントレアは、食事のコーナーが充実していて、「名古屋飯」と呼ばれる名物料理は、ほぼすべて空港の中で食べることができるし、愛知県以外の有名店の支店も出店していたりする。

お土産として世界の山ちゃんの手羽先も持ち帰ることができるし、フードコートもバラエティに富んでいて、御魚屋さん直営の海鮮どんぶりなどは、北海道顔負けの食材の丼が、低価格で食べられたりする。

お店の数は多いが価格設定が高すぎる新千歳空港も、少し見習ってほしいと思う。おっとそんなことはどうでもよいか・・・。それでは本題。

僕は昨日、名古屋入りして、午後6時半から8時まで、名古屋市内の医療法人桂名会・木村病院で、医療法人桂名会さんの職員研修の講師を務めた。病院、老健、サ高住、通所リハなどの職員さん100人以上が仕事を終えた疲れた状態にもかかわらず参加してくださり、熱心に聴いてくれた。その後のオフ会に参加して、今日は午後からゆっくり帰道というわけである。

僕に講演を依頼してくださる人の中には、一事業所で講演依頼するのは申し訳ないと言われる方もいるが、主催規模や受講者数や講演場所は全く選ばないので、気楽に相談してほしい。日程調整さえできれば、どんな少人数の研修会にも出かけるのでよろしくお願いします。

僕の話を聞いてくれた結果、志を同じくする方々が、全国のいろいろな場所で、品質の高い介護サービスを提供して、利用者の皆さんの笑顔を引き出してくだされば、こんな幸せなことはないのだから・・・。

新規に開設する介護事業者であっても全く問題ない。むしろ新しく介護施設や、介護サービス事業所をオープンさせる際に、オープニングスタッフがどういう意識を持っているかが非常に重要になるのだから、喜んで出かけて行く。

最初のスタッフの意識が、サービス事業者の「色」を決めてしまうかもしれないからである。このあたりは、最初からしっかりとした基本知識を身につけ、根拠ある介護を目指さないと、個人別のバラバラの経験則による、バラバラの方法論が現場にはびこり、志の高い職員のモチベーションを下げる結果になる。

経験のある職員がいるからと言って、教育をそうした職員にOJTと称して丸投げする弊害で、後々まで苦しむ事業者は数知れない。今後の厳しい介護事業経営においては、利用者確保のために、選ばれるサービスの質という視点が不可欠になるのだから、この部分にいかに効率よく、お金と時間をかけるのかが、介護事業経営のポイントになる。

言葉遣いをはじめとしたサービスマナー教育は、特に重要である。

ここの部分は最初にしっかりとルールを作り、プロとしてのマナーを浸透させないと、利用者に対するタメ口がはびこってしまう。それを後に改善するのは、最初にルールを浸透させるのに比べ10倍のエネルギーを要し、100倍のストレスがかかるのである。

そうならないようにお手伝いするので、気軽に相談願いたい。

この後、10月と11月に講演予定が立て込んでいるので、9月いっぱいは、しばらく資料とスライドづくりに専念しなければならず、自宅で作業を行う予定だ。次の道外講演は、10/8に碧南市文化会館(愛知県碧南市)で行う、碧南市介護サービス機関連絡協議会・碧南市主催、市民公開講座となるが、その際も使用空港はセントレアである。

そのあとが結構予定が入っており、確定している講演地は、宮城、東京、千葉、愛知、大阪、島根、愛媛、福岡、大分、佐賀、長崎などである。道内も、釧路、根室、北見、札幌と予定が入っている。(masaの研修予定

12月以降は、まだ空いている日が多いので、一度連絡していただければ、希望にお応えできると思う。連絡はメールもしくは電話で、いつでもお待ちしている。連絡先は、北海道介護福祉道場あかい花から確認願いたい。

それと今日は、嬉しい出会いがもう一つあった。かねてよりSNSで繋がりのあった、張福祉コンサルティングの、張 悦代表から連絡が入り、先ほどまで名古屋で会談していた。これを縁に今後の仕事でも繋がりができればと思う。中国にも行く機会ができたらありがたい。


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頑張っている人々が報われる業界にしなければ


僕の家の近くに、とある医療機関の職員駐車場がある。

そこは僕の朝のウオーキングコースの河川敷のすぐ横にある場所で、平日は100台以上の車で一杯になるのだが、今朝は数えるほどの車しか止まっていない。土日でもないのにどうしたのだろうと考えて、なるほど今日からお盆休みに入っているのだと思い当たった。

僕は今までお盆休みのある職場で働いたことがないので、そこに思い至るには少し時間がかかったというわけである。

恐らく今日あたりからお盆の帰省ラッシュで、交通機関も混みあうことだろう。介護業界は、土日に必ず研修会が行われているが、さすがにこの時期に研修会を企画するとことろもないのではないだろうか。

僕の過去の経験を振り返っても、お盆の時期に研修講師として招待されたことはなく、毎年この時期は、施設行事の『盆踊り』を終えた後は、通常業務を行いながら、土日のどこかに、両親が建てたお浜のある『三笠市』(実家があった岩見沢市のすぐ隣)にお墓参りに行くのが常であった。

今年も、今週は日曜日にお墓参りに行く予定を立てているが、講演講師業はお休みの週で、来週予定している静岡県浜松講演の講演スライドを作って事務局に送った後は、連載原稿の執筆にかかっているところだ。

そんな中、世間のお盆休みとは関係なく、介護施設等で働く職員の皆様によって、この国の介護サービスは支えられているのだと、いつも思う。お盆も週末も関係なく介護の場で働く人のなかには、貴重な休みの日に、自らすすんで研修会に参加して、スキルアップに努めている人も多い。職場の命令ではなく、自らの意志で、自腹で研修参加してくださる職員さんの姿を見るときに、研修講師として僕は身の引き締まる思いを持たざるを得ない。

それらの人々が、貴重なプライベートの時間を削り、費用を負担して参加してくれる研修会で、何かしら持ち帰るものがなければ、時間とお金の無駄になってしまう。そうならないようにする責任が、講師を引き受けている僕にもあるからだ。

そのためには、受講した人が明日から実践できる、介護サービスの品質向上につながる具体策を示さねばならないと常に思っている。そしてそれは実践経験と根拠に基づいたものでしか示すことができないものだと考えているので、自分がしてもいなかったこと、自分ができもしなかったことは一切話さないのが僕の信条だ。

それにしても、このお盆の時期に不平も言わずに黙々と働きながら、休みの日にスキルアップを図る人がいる反面、休みが少ないと文句を言うために職場に出ているような人で、研修を受けてスキルアップを図るのが無駄だと考えている人も多い。そういう人が職場で足を引っ張り、志の高い人がバーンアウトしてきた例を数多く知っている。そのようなことがない業界にしなければならない。

そうならないように、志の高い人々が報われるように、僕たちはソーシャルアクションに努めていく必要があるのだろうと思う。

今、新しく開設する施設の職員研修に関わる機会もいただいているので、頑張る職員が報われることが当たり前の職場づくりに、少しでも役立ちたいと思ったりしている。

そのためには、僕自身のスキルアップも必要だ。いろいろな分野の人たちの知恵をいただきながら、その知恵をヒントに、介護サービスの場で頑張る人々の、モチベーションアップにつながる伝達ができたらと思う。

そんなことを伝えながら、つながっていく人々との、「見えない絆」は、決して消えることはないのだと信じている。


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可愛い生徒のスキルアップに汗してますわ。


介護福祉士養成校の集中授業も、残すところ今日午後からの授業一コマ90分となった。

僕の担当は1講座15コマのみであるから、学生の人となりの深い部分の教育には手が届かないが、自分の受け持つ範囲で、できるだけ個人の力を引き上げようと努力はしているつもりだ。

しかしいかんせん時間が足りない。しかも学生の人数が減っていることに比例して、その資質は下がっているような気がしてならない。優秀な学生もいる反面、同じことを繰り返し教えても、打って響かない学生がいることも事実だ。授業態度や学びの姿勢について、同じことを何度も注意しないとならない学生もいる。

より深刻なのは、コミュニケーション能力の欠如である。考え方を言語化する能力、文章力の低下には危機感を持たざるを得ないレベルである。

恐らくその原因は、本を読む習慣がないことである。高校を卒業した者なら、当然すらすらと音読できなければならない文章を、何度もつかえてやっと読めるならまだましで、漢字を読めないというレベルの学生に、どうやってコミュニケーションスキルを訓練するのか頭を悩ませる毎日である。小中学生のうちから、もっと本を読む習慣を、すべての生徒につけるような教育プログラムの改正が必要なのではないだろうか。

そのため僕の授業の冒頭は、演習に使うテキストを順番に音読させることから始めている。一つの演習授業に使うテキストは、19人の学生がほぼ全員音読にあたる量にしている。つかえつかえで、聞き取りにくい学生や、相変わらず漢字を正確に読み取ることができない学生もいるが、何とか与えられた箇所を、クラス全員に聞き取ることができる声で、音読することはできるようになってきている。・・・ここから始めなければならない学生もいるという事実には、愕然とするものがあるかもしれないが、これが現実である。

加えて自分の考え方を文章化・言語化するための訓練も続けている。演習課題の討議内容は、発表者が下限時間と上限時間の範囲で、発表を行うことにしており、僕の授業の中で一人最低3回は発表しなければならなくなる。下限時間を5分としているから、5分を下回る発表は許されず、実質の発表時間が5分を超えるまで、課題と関係のない話題でもなんでも話さねばならないというのがルールで、演習討議内容の記録だけを読んでも、この時間はクリアしないので、必然的に自分の考えを交えながらの発表になる。

最初の発表でうまくいかなかった学生も、回を重ねるごとに何とか下限時間はクリアできるようになっているので、この部分は当初よりもスキルアップしていると認めてあげても良いだろう。

介護福祉士の資格取得に際し、介護福祉士養成校の卒業者にも、国家試験の合格が必要になるのは2022年度からである。そういう意味で、今教えている学生は、学校を卒業さえできれば介護福祉士になれる。その中には、国家試験を受けたら合格が難しいと思われる学生もいることは事実だ。

そういう意味で、資格取得の新ルールを先延ばしたことは良かったのか、悪かったのか・・・。介護福祉士の数の確保という面では、介護福祉士養成校への入学者がこれ以上減らせないという意味も含めて、先延ばしはやむを得なかったのかもしれないが、質を考えると、先延ばしによって人員確保はされても人材確保はますます難しくなったと言えるのかもしれない。

看護学校でも特別講義を行う機会があるが、教科書を読むことができない看護学生はいないことと比べると、介護福祉士養成校の学生の質の低下は、もっと深刻に議論されても良い気がする。

そうした中で少しでも質の引き上げを図るべく、忍耐と努力を重ねているのが、養成校講師の現状である。

そうは言っても、可愛い生徒であるから、近い将来の飛躍を期待して、大事に磨いてきたつもりである。来春お世話になる皆様にも、どうか長い目で見てやっていただきたい

よろしくお願いします。


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心で泣いて叱る愛


非常勤講師として教壇に立っている介護福祉士養成校の学生の半分は、20歳前後の若者である。

彼ら、彼女らは熱意もやる気もあるのだが、いかんせんそのやる気を示す方向性が違っていたり、ちゃらんぽらんであったりすえることが多い。知識もまだ拙(つたな)く、自分の思いを正しく言語化する術(すべ)を持っていない。

教壇に立つ身としては、学生に対して単に介護の基礎知識を暗記させるのではなく、人として成長させるのが務めと考えているので、彼らのやる気を正しい方向に向かわせ、他者に誤解されないように、彼らの素直な思いを伝えることができるようになる訓練を心がけている。特に学生たちが目指すものは、対人援助の専門家になるということなのだから、人に対して優しく思いやることの意味や、その思いをどう表現するのかということを伝えたいと思っている。

そのため時には、叱咤激励の意味を込めて、強い言葉で叱ることもある。しかしそれは感情にまかせての怒りの発露とは違うと思っている。

僕が6月と7月に担当している授業は、社会福祉演習という授業で、高齢者に限らず社会福祉全体を網羅する事例研究を、演習授業という形で行う授業だ。4人〜5人のグループで、毎回司会進行役、記録係、発表者を順番で担当しながら、それぞれの役割の責任を負い、決められた課題についてグループの意見をまとめて、発表を行うというものだ。

発表者は指定された時間内で発表を終えるだけではなく、指定時間以下の発表も許されないというルールを設けている。

学生にとって上限時間内で話すより、下限時間以上に話をすることのほうが難しいのが実態で、グループでまとめた意見を、単に棒読みするだけではこの下限時間はクリアできない。そのために発表者には、自分の意見を交えながら工夫して話をすることが求められる。そしてどうしても下限時間をクリアできない場合は、授業に関係のないプライベートのことでもなんでもよいから、「話をする」時間が下限時間を超えればよいとしている。

ドメスティック・バイオレンスが行われている家庭で育った子どもが、そのことによって受ける影響に関する演習発表では、自分がその体験者であることを滔々と語る子もいたりして、その話は一教師の講義より学生の心を打つ内容であったりする。僕自身の学びにもなる。

幼児虐待の事例演習では、しつけのための暴力と、虐待といえる暴力はどこに線引きがあるのかという疑問が呈されたりする。

これらの疑問に対して僕は、正答を示すことはできないだろうが、疑問に対する僕なりの見解を示すことは避けることができない。教師の務めとして、疑問に真摯に応えることは避けて通ることができないからである。

僕は二人の子を育てた親として、その意見を述べる。僕自身は、暴力がしつけになるとは思わないが、どうしても子の頬を、自分の掌で打つ必要がある場合、それは自らの感情に任せての行為ではないと思う。親が子の体を痛める行為を行うときは、親の感情で暴力をふるうということではなく、心で泣きながら、自分の掌の痛みも厭わずに、子の頬を打つのだろうと思う。そこにあふれんばかりの愛情があるからこそ、その行為は許され、それはしつけになるのだろうと思う。

そういう前提のない暴力は、すべて虐待行為である。年端のいかない子を、力の強い大人が、その力でもって支配するだけの行為を、「しつけ」とは言わない。愛情の伴わない、「教育」はあり得ないのである。

しかし、最初から親であった親はいない。誰しも親になるときは、初心者なのである。だから間違えることもある。子をやったことがある親であっても、親をやったことのない親は、間違えるのである。だから感情に任せて、子に怒りをぶつけてしまう親も時に入るのだろう。その時に愛情があって、後悔する気持ちがある親なら、愛するあなたのお子さんは、間違うあなたを許してくれるのではないだろうか。

過去に発達心理学を学び、児童福祉の専門家を気取っていた僕であっても、この程度の見解しか示すことはできないが、そのことを心をこめて、真摯に伝えるのが、僕の授業に臨む姿勢である。

そしてこうした教育の場が、僕にとって何よりやりがいのある場所になりつつある。その授業もあと数日で終わり、その授業を受けている学生たちとの別れが近づいている。あと数回の授業で、学生たちに何をどれだけ手渡すことができるかを、寂しさとともに、思う日々が続いている。

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介護業界若手向けに、無料で経営学の教育を行っている人のこと


今、僕は社会福祉法人・秋田県社会福祉事業団実践発表会及び一般公開講演会に参加するために、秋田市のALVE 秋田市民交流プラザに来ている。

昨日のうちに秋田入りして、昼間は男鹿半島観光に連れて行ってもらい、なまはげ博物館などをみて回り、夜は比内地鶏と秋田の地酒を堪能した。

そして今日の午前中は同法人(障がい者福祉サービスが中心である)の研究発表会の助言者役を務め、午後からは、他の法人の介護事業関係者も参加する公開講演会で講演を行う予定になっている。この講演が終わったら、北海道に戻り、新千歳空港に着くのは夜の9時過ぎになる予定だ。

こうした講演も、介護関係者に対する啓蒙・教育活動の一環といえるのかもしれない。その合間の昼休みなので、本日更新する内容は、後身育成に関連した情報としたい。

介護業界にはいくつかの課題がある。その中でも若手人材育成は、将来の人材確保やサービスの質に直結する一番大きな課題である。

今我々は人材難、人員不足の中で事業経営を強いられているが、そのような時代であるからこそ、目先の問題だけではなく、将来を見据えた事業経営や事業展開が求められるし、自分が所属する法人、事業者のことだけではなく、日本全体の介護サービスをどうするかという視点は重要である。

なぜならそれは人の命と暮らしに関わってくる問題だからであり、きれいごとではなく、この国に暮らす民として、自分や自分の家族、そして子孫の暮らしもに関わってくる問題として、取り組まねばならないものだからである。だから若手人材を育成する取り組みは、利害を超えて求められるものである。

僕が主催する任意団体、「北海道介護福祉道場 あかい花」も、そういう観点から生まれた団体で、ここで学ぶ後輩からは、一切の報酬を受けとらず、そのかわりにメンバーも、自費で交通費をかけて手弁当で勉強しているわけである。(参照:5本の赤い花

こうした後身育成の活動は、僕の専売特許であるはずがなく、全国の様々な場所で、様々な人々が取り組まれているのだろう。

そんな活動に取り組んでいる一人として、僕が尊敬している後輩がいる。「きらきら輝く」でも紹介した、飯塚裕久氏である。

彼は今、介護業界の若手向けに無料で経営学の教育を行う KAIGO LAB SCHOOL という活動を行っており、記念すべき第1期生(15名)が卒業となるそうだ。そして特に優秀だった卒業論文の発表と卒業式を兼ねたイベントが、来る2月7日(火)に行われる予定になっている。(参照:KAIGO LAB SCHOOL 第1期生の卒業イベント(卒業論文発表会)があります!

KAIGO LAB SCHOOLが開講された背景については、「KAIGO LAB SCHOOL(介護業界の若手向け / 無料のビジネス・スクール)を開校します!」をに詳しく書かれているが、その目的は、「介護業界で働くことをキャリアへの投資としたい」とのことであり、「新卒が介護業界で働く(ほぼ唯一の)キャリア・メリット」に言及しているので、ぜひ参照記事を読んでいただきたい。

きっとここから近い将来の介護業界を背負うことができる逸材が育っていくのだろうと確信している。それは僕たちにとっても心強いことだ。

いろいろな形で僕も応援をし続けたいと思っている。それは彼らのためではなく、僕自身のためであり、この国の未来のためでもあるのだから・・・。

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期末試験の作成と評価の季節


僕は本業のほかに、登別市の各種委員会の委員として名を連ねているほか、室蘭市内にある介護福祉士養成専門学校の非常勤講師という役割ももっている。

学校の授業は1年中あるわけではなく、本業に支障をきたさないように集中講義を行っているため、今年度の授業はすべて終了した。

集中講義であるがゆえに、ある時期学生は、週2回ほど1日中僕の講義を受けなければならない。そのことを僕の立場で言えば、1コマ90分の授業を1日4コマ行うため、朝9:15〜夕方16:20までずっと講義することになる。

僕にとってそうした授業自体は全く苦にならないし、授業以外での学生とのコミュニケーションも全く苦にならない。そういう意味では、授業を行う者・講師としてだけを取り上げれば、それは自分に合っている仕事だと思っている。

しかし自分は、「教師」としては、必ずしも適性があるとは思えない。その理由は、評価が苦手であるということである。

特に僕の立場は前述したように非常勤講師という立場で、授業も集中講義なので、どうしても学生と接する時間は限られてくる。よって個々の学生の人となりを正確に把握するのは難しい。

現在の介護福祉士資格は、養成校卒業者については国家試験を受けずに、卒業しただけで介護福祉士資格が与えられる。それ故に、養成校教師の評価が、資格付与のお墨付きになるという意味がある。例えば僕の授業を受けた生徒が、成績が悪いとして単位を与えなければ、卒業できず資格も取れないことになる。しかしわずかな時間しか学生と接しない、1科目の授業担当者が、卒業資格と国家資格を阻害するような判断をしてよいのだろうかと悩んでしまう。

だから授業もできるだけ丁寧におこなうのに加え、試験は意地悪な問題避けて、できるだけみんなが単位をとれるような出題に努め、追試や追追試を重ねても何とか僕の授業単位だけは落とさないようにしている。

その背景には、本当に適性がない学生がいたとしたら、僕より責任のある立場の授業担任などが、きちんとした評価をしてくれるという信頼感があると意味もある。

ということで今年度は、もう授業はないが、卒業を目前にしての期末試験の問題作りが残っている。しかも今回は講義形式の授業ではなく、演習指導の授業の試験問題も必要とされている。これが問題である。

講義形式であれば、自分が教えた授業内容の中から、ポイントとなるキーワードを考えて、それをヒントにいくらでも問題は作ることができる。しかし演習はこれが難しい。

あるテーマを与えて、学生同士でディスカッションすることそのものに意味がある演習授業において、そこで出された結論に不正解はなく、ある意味、そこで話し合われた内容と、引き出された結論は、すべて正解である。場合によってそこには、教師の教えなど存在せず、僕が生徒に示したものなどほとんどないといえるかもしれない。そのような場合、どのような問題を作ればよいのだろう。

いろいろ悩んだ結果、今回は試験問題として自己評価を行わせるともに、演習での気づきをレポート形式にまとめる問題とした。

しかしこの方法は自分の首を絞めるような状態とも言える。なぜなら普通の試験問題なら、採点自体は簡単である。答え合わせをして、配点した点数を足し算するだけで、きわめて単純な採点方法である。

しかしレポート形式の採点は、論文審査と同様で、学生の作文を読み込んで、本来なら点数化できないものを、何らかの尺度に基づいて点数化するという、きわめて難解な採点方法をとらざるを得ない。そういう意味では、問題作成以上の労力とエネルギーを要すものだ。

試験問題を送ってほっとしている暇はなく、答案が帰ってきた際に、それを読む時間が十分取れるように、連載原稿や講演ファイルは早めに仕上げておこうと思う。

こんな状態で、たまに講演予定が入っていない土日があっても、ほとんど休んでいられない日々を送っているが、暇ですることがないよりはずっとましだろうと思っている。

ちなみに講演予定がない次の休みは、2/12(日)までない。頑張ろう。

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小さな瞳が見ようとしたものを読んで考えてほしいこと


9年前の夏、2007年7月11日に書いた、「小さな瞳が見ようとしたもの。」は、僕が大学3年生のときに実習先で体験した記憶に基づいて書いた記事で、2011年2月に上梓した、「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」にも文章を推敲しなおした上で掲載している。

その中で僕が伝えたかったことは、子供たちの真っ白なキャンパスのような、よどみのない心と、そこに絵を描いて子供たちを導く大人の責任もそうであるが、それにも増して、このような純粋な心根をもって生きている人の存在の素晴らしさ、命の尊さということだ。どんな状態でもそこに人として存在していることそのものに価値があるということだ。

このことは介護業界の未来を背負う、若い人材にも伝えたいと思っている。

今年度、僕は介護福祉士養成校で、2年生の後期授業「社会福祉援助技術演習」を受け持っており、そこでは高齢者分野のみならず、家庭生活、障がい児者、貧困、非行、医療など様々な領域の社社会福祉援助過程における援助技術指導のロールプレーイングを行ってきた。

ロールプレーイングの対象ケースは、様々な文献等から選んだケースであるが、最終授業については、前述した僕の著作本から、この「小さな瞳が見ようとしたもの。」を紹介した上で、次のような演習課題を学生に与え、グループ討議させた。

”者は、コラムを通じて何を訴えたかったと思いますか。
発見された子供たちに、どのような声をかけることができますか。
このコラムを読んで、感想をまとめてみてください。


討議内容の記録は僕の手元にあり、様々な意見が書かれている。それは今回の学生たちの思い出とともに大切にとっておくつもりである。このブログの読者の皆様も、この演習課題のそれぞれの回答を考えていただきたい。

講義の最後の10分間では、学生たちのグループ討議の場面や、実習授業の場面など、思い出の写真を使って、僕が作成した動画、「LOVE〜明日へつなぐ介護・福祉教育専門学校バージョン」を上映して
締めくくった。動画が終わったところで、学生たちから大きな拍手と感謝の言葉をもらって、授業を締めくくることができた。

1月にはこの授業の試験があり、その採点と合否判定までが僕の仕事として残っているが、卒業式典に参加できない僕は、学生たちと直接会う機会はもうない。彼ら・彼女らは、卒業後も同じ業界で働く人が多いが、それでも卒業後に出会う機会はそう多くなく、今日を限りでもう二度と逢えない人も多いはずだ。そのことを告げて、それでもずっと応援しているので、動画で送ったメッセージのように、「立派な介護福祉士になる前に、感じの良い介護福祉士になってください」・「あなたがいる場所で、誰かの赤い花になってください」と心からお願いしてきた。

この生徒達が、来春には介護福祉士として巣立っていく。

縁あって、彼ら・彼女らの職場の先輩になる皆様には、彼ら・彼女らの志が達成される素晴らしい介護サービスの場所で咲く先輩として、模範を示していただきたい。

「理想と現実は違う」なんて言って、その子達の志をつぶさないでほしい。僕が教えて、「できる」と確信している、その子達の理想は、達成目標であり幻想ではない。それさえ実現できないという自らの現実に幻滅していただきたい。

自らの職業を卑下することなく、誇れる人でいてほしい。
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老施協と老健協の共同研修があったらおもしろい


先週と今週は、道外に出かけることなく北海道で過ごす予定だ。2週連続で道外講演がないのは実に久しぶりである。

ただし講演自体がないわけではなく、今週は登別と札幌で講演を行う予定になっている。

登別講演は、登別温泉のグランドホテルが会場である。僕が3月まで勤めていた職場は、温泉街のすぐ手前に位置していたので、長年通いなれた道を通っていくことになるが、その職場を退職して以来、そちら方面には向かっていなかったので、実に久しぶりである。

講演主催者は北海道老施協日胆地区支部であり、3月まで僕が所属していた会でもあるから会長も事務局の方々も昔から付き合いのある気心の知れた方だ。

今回の研修は、胆振地方と日高地方の老人福祉施設の新人職員研修ということになっている。

日胆地区は広くて、丁度真ん中近くに位置する登別ではあるが、日高地方から来る人は、車で片道3時間以上かけてくる人もいるはずだ。そんな中で今回は受講予定者が45名となっている。

僕は過去に、北海道老施協日胆地区支部指導員部会の会長も務めていたので、会の内情にも詳しいが、同会が主催する職員研究発表会等でも、参加人数は150人程度の場合が多いので、新人職員だけが対象の研修で、これだけの人数が集まるのは大盛況といって良い。

受講予定者の9割が介護職員で、そのほか相談員や看護師、栄養士や事務員などの職種の方々が居られる

施設種別としては特養が最も多いが、そのほかに養護老人ホームやケアハウス、グループホームやデイサービスなどとなっている

現在僕が所属している老健の方は一人も居られないが、これは老健の職能団体は老健協という別な団体なので、今回案内がされていないからである。

しかし厳しい財政事情の中、社会保障費に対する風当たりが強い中で、介護保険制度改正や報酬改定議論がされている最中であるのだから、福祉系サービスと医療系サービスの違いはあっても、両者は情報共有しながらともにタッグを組んで、意見を挙げたり行動したりしなければならないこともあると思え、老施協と老健協合同の研修機会なんかがあっても良いのにと思ったりする。

それというのも、僕は最近、老健協からの講師依頼も増えており、今月末にも兵庫県の老健協で、「介護老人保健施設におけるターミナルケア」というテーマで講演したり、来年2月には、鹿児島県老人保健施設大会でもお話したりする機会があって(テーマ未定)、そこでお話する立場として感じるのは、両協会で求められている講演内容には共通することが多いし、お互いが参考にすべきこともたくさんあるように思えるからだ。

例えば前回改正で施設サービス共通で求められたものは、口腔機能維持と口腔からの食事摂取維持の取り組み評価であり、それにどのような意味があるのかを共同で理解することで、次の制度改正・報酬改定へ向けた戦略を共同で立てることができたのではないだろうか。

老健の機能とは異なると考えられてきた、ターミナルケア・看取り介護についても、国はすでに地域包括ケアシステムの中では、老健が在宅復帰機能と同様に、担うべき機能であると明らかにしているところであり、特養の看取り介護の取り組みを参考にした実践方法を学ぶ意味はあるし、特養にしてみれば、自立支援の観点から今後様々な場面でPDCAサイクルの構築が求められるのだから、そこは老健のリハビリテーションマネジメントの過程から学び取ることができるものは多いはずである。

通所介護と通所リハビリの現状を比べて考えることにも意味があると思う。両者に存在する共通課題や、それぞれに求められる機能や役割の相違点などを考えることは、新しい発見や視点を生むのではないだろうか。

介護施設の中には、老健協会員にもなっている特養とか、老施協会員になっている老健もあるにはある。しかしそういう施設は多くはないので、職能団体自体が手を組まないと、両者共通で勉強する機会というものはなかなかないので、数年に一度でも良いから、そうした取り組みができないかも考えていただきたいものである。

そんな合同研修が実現した暁には、両者の施設運営と実務に精通している僕も講師役の一人として呼んでいただければ幸いである。と手前味噌的なことを書いているが、このほか今週の土曜日は、3年連続で北海道看護協会にて、看護師さんが受講するリーダー研修で、看取り介護についてお話しする予定である。

どうぞよろしくお願いします。
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指導者に必要とされる鈍感力


指導的立場にある人の見識が高くて、包容力も豊かで、リーダ-シップがあるというのは理想である。

しかしそれが理想であって、実際にはそんな人はいないなどと、悠長なことを言っていられないのが、これからの介護事業の厳しい現実であり、理想的な指導者像に限りなく近い現場リーダーを、いかに確保していくかが経営戦略上の重大な要素となる。

次期介護報酬もマイナス改定の可能性が高く、事業経営がますます厳しくなる。そんな中で財源の重点配分・効率的配分の観点から、要介護者が増えることと反比例して、介護サービス利用者は減らしていくという給付制限が行われる。

その中で求められるのは顧客確保の戦略であるが、そのためには高品質サービスは不可欠である。

だから働きやすい職場環境づくりのリーダーとなってくれる指導者は不可欠で、そうしたリーダーの存在が人材確保につながり、そのことによってサービスの質を高めることが可能となり、利用者に選択される事業所になり得るのである。だから現場指導者の確保・育成は、重大な経営戦略なのである。

介護事業経営者は、見識やリーダーシップを備えた指導者を探し、育て、護っていく必要がある。

しかしいくら有能な指導者を育てたとしても、それで終わりではない。設備にメンテナンスが必要なように、指導者に対しても、常に心のメンテナンスが必要と考えておかないと、知らず知らずのうちに、指導者の心が壊れ、気が付いたときにはバーンアウト直前となってしまうことがある。

有能な指導者を突然失うことがあれば、それは大きな経営リスクである。だから事業経営者には、様々なことを想定して、目配りしてリスクを少しでも減らしていく視点が求められる。

例えばリスクの一つには、事業者がどういう職員を、どのような基準で採用しているかが問われるという問題も含まれている。

指導を受ける側が、すべてそれに応えるように学び取るかといえば、そうとは限らない。

特に介護サービスの現状は人手不足で、求人に応募した人は、とりあえず雇ってしまうという状況が無きにしも非ずだ。その中には正論が通じないレベルの、社会人として不適格な人物も混じっているので、スキルの高い指導者もそれなりの覚悟が必要である。

と同時に、事業経営者や管理職には、現場指導者が、職員としての適正に欠けるモンスター社員につぶされないように、指導的立場の人が何に困っているか常に気を配り、適時に助言・指導していく必要がある。それがないと、指導的立場にある人が、指導の通じない不適格職員につぶされて、その職場は教育機能を失っていくからである。

昨日とあるSNSで、排泄介助方法が明らかに不適切であることを注意したところ、逆切れされただけではなく、そのまま職場放棄して帰宅してしまった職員がいて困っている方が、「もう疲れた」と、バーンアウト寸前の近況を書いておられた。

本当に困ったことである。しかしこうした非常識極まりない不適格職員に、現場指導者がつぶされては、サービスの品質管理など絵空事になり、事業経営そのものが立ち行かなくなる恐れがある。

僕はその人に対して、「そういう人は毅然と解雇しましょう。人手不足でも、長期的に見ればそういう人がいるデメリットの方が大きいです。」とコメントを書き込んだが、考えてみれば、このコメントは少し的外れだったと反省している。

なぜならこのコメントは、人事権がある人に対して書くべきことであって、人を採用したり、解雇する権限が無い立場の人に言っても始まらない身からだ。

スキルのあまりに低い不適格職員に幻滅して、心を壊されそうになっている人に対しては、もっと的確なアドバイスが必要だった。

こういう問題でバーンアウトしかかっている人は、不適格人物に幻滅しているだけではなく、そうした人物がいるという職場や、職業そのものに幻滅してしまうことが多い。あまりに非常識な人物が行う信じられない行為は、それだけ心に強くのしかかり、それまで仕事で得てきた喜びや、やりがいなどすべてをむなしいものに変えてしまうからだ。

とくにこうした思いを持ちやすいのは、感性の鋭い人であることが多い。しかし指導とは一面、人に嫌われることであるという一面もある。当然愛情を持って叱る場面もある。その際に叱られる意味が分からずに、反抗する人も出てくるだろう。そんな反応にいちいちかまってはいられないし、そんな感情に心を寄せる必要もない。

その場合、意識した鈍感力が必要なのだ。気にするなといっても、気にしてしまうのが人間の性である。考えないようにしても気になっちゃうのは仕方ないが、馬鹿はどこにでもいると無視したほうがよい。そういう人間には、言いも悪いも無く、嫌だという感情さえ寄せるのがもったいないとして、無視して鈍感になろうとする力が、自分を強くし、自分を護ってくれるのではないだろうか。

僕自身は、こうした鈍感力を持った人間だと思う。全国にたくさん僕を応援してくれる人がいて、僕の考えに共鳴してくれる人がいる反面、僕のことを大嫌いな人も多い。そいつらの中には、このブログに繰り返しアホなコメントを寄せてくるやつもいるが、そういうむなしい作業を鼻で笑いながら、無視している。

そういう手合いは、いるのが当たり前として、何も感じない。そのことが僕の強さの要素の一つであるのかもしれない。

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サービスマナーの実践は専門的行為である


アミーユ川崎幸町で隠し撮りされたビデオには、殺人事件の犯人以外の複数の職員が、利用者を罵倒しながら乱暴に取り扱う姿が映されていた。

その姿は虐待そのものであるが、こうした暴言は、日常会話の乱れから始まり、乱れた言葉がエスカレートして心を乱し、その心の乱れから感覚麻痺が生じた結果ではないだろうか。

しかしあの隠し撮り映像を見て、「あれほどひどい状態は自分たちの職場とは無縁だ。」と安心してよいのだろうか。「それでは、どの程度までならば許されるのか?」と考えたとき、自分自身の対応が、顧客サービスとして適切かどうかという線引きしかできない。介護サービスにおいて職員が利用者に接する際にも、利用者の尊厳を損なわないという意識が必要で、そのための最低限のマナーが求められ、それは顧客対応としてふさわしい態度を守ることでしか実現しない。

そのために僕は、「介護サービスの割れ窓理論」を提唱し続けているわけであるが、僕とほとんど同じ考え方で、介護サービスの場でも、福祉援助職としてサービスマナーを実践するという考え方を示し、教本を作って、「サービスマナー研修」を行っている機関がある。

サービスマナー実践テキストそれは東京都社会福祉協議会であり、同協会が発行しているテキスト教本が、「高齢者福祉施設におけるサービスマナー実践テキスト〜施設の理念を具体化する方法」(編著者:岩本 操・武蔵野大学人間科学部准教授)である。

ここでは、「サービスマナーは、施設の理念を具体化する行為」、「サービスマナーの実践は、あらゆる業務の基盤となる専門的行為」と述べ、「親しみやすさと馴れ合い」を混同することの危険性を指摘している。

そして、「丁寧な言葉遣いや敬語を使っても、親しみやすさは十分伝わる」と指摘し、介護施設で若い職員が、利用者に対して、「〜だよ」、「何をやっているの」などと話しかけている状態は、言葉の乱れであり、馴れ合いだとして、「マナーは自分の損得ではなく、相手の得にあるわけですから、これではサービスマナーの実践とは言えません。」としている。

これを読んで気が付いた人がいるだろう。それはこの内容が、僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」とほぼ同じであり、僕が講演などで主張・提言している内容と、まったく同じことだということである。

このテキストが、僕の意見を参考にして作られているわけではない。また、僕自身は20年以上前から「介護サービスの割れ窓理論」を提唱していることでもわかる通り、このテキストを参考にしているわけでもない。

そうであるにもかかわらず、両者の主張が非常に似通って、部分部分を取り上げると、全く同じ主張・提言となっているということを考えると、言葉を正しくして、お客様に対してふさわし対応に心がけるということは、決して突飛で特別な考え方ではなく、ごく当たり前の考え方であり、医療・保険・福祉・介護の場で、そのことが守られていないことの方がおかしいということだ。

顧客に対して丁寧な言葉や態度で接することができない状態が、いかに異常であるかという証明でもある。そのことが守られていない職業とは、未成熟で幼稚な職業であるともいえよう。

サービスマナーの確立は、介護サービスの品質の向上とイコールである。今後、介護サービスの利用者に増えることが予測される「団塊の世代」の方々は、そうしたマナーには我々の世代よりも敏感である。

そうであれば介護サービスの場で、言葉遣いに気を遣わず、乱れた言葉で話しかける職員に対し不快感を持つ人は多くなるし、サービスマナーに気を遣わない職員から、介護支援を受けることを悲しむ人も多くなるだろう。

その結果が選ばれない事業ととなって、事業経営ができなくなることで終わるならば、それは自己責任だから良いだろう。

しかし介護サービスを必要とする人の数が増える時期なのだから、そうした品質の悪いサービスを使わざるを得ない人達がいることを考えると、マナーのないサービスを使うことに、陰で泣きながら、「こんな思いをするなら、もっと早く死ねばよかった」という嘆きの気持ちを抱きつつ、心遣いのない、マナーの低いサービス提供を我慢せねばならない人が出てくる。

介護という職業が、そのような状態を創りだしてよいのだろうか。よいはずがない。だから僕らの時代で、介護のスタンダードを変え、ごく普通に丁寧な言葉遣いがされ、サービスマナーをもって対人援助に携わるというスタンダードを創り、いつの日か「言葉づかいとか、マナーが議論されるような時代があったんだ」と言える状態にしなければならない。

顧客である利用者に対し、丁寧な言葉で対応するというのはごく当たり前のことで、そんなことがよいのか悪いのかということの説明が必要とされたり、議論になったりする職業がどうかしているのだ。

なおこのテキストは、東社協から1.429円+税で購入できる。1冊あればそれを参考に施設内研修も可能となろうから、是非職場内研修などで、サービスマナーを学んでいただきたい。その時には、ぜひ介護サービスの割れ窓理論もご紹介いただきたいと思う。

このテキストの編著者:岩本 操・武蔵野大学人間科学部准教授(下の画像左から2番目)とは、いつかサービスマナー講座で、コラボしたいとお話ししてきた。ぜひ実現したいものである。
東社協に皆さんと岩本教授
3/11(金)東社協主催研修の講演後のオフ会。東社協の櫻川施設長(左)と堀施設長(右)に挟まれた、僕と岩本先生。)

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西口教授の格調高いソーシャルワーク論を拝聴して感じたこと


まず最初にお知らせとお礼を書かせていただきます。

先週金曜日に表の掲示板でもお知らせしましたが、来月から大阪で始まる、社会福祉法人みらい福祉研究所の、「介護ビジネスアカデミー」の僕が担当する、「施設ケアマネジャー・生活相談員実務講座」(4月〜6月)については、申し込みが受講定員に達して受付を終了させていただきました。

お申込みいただいた方には、この場で感謝をさせていただくとともに、申し込んだのに受付できなかった方には、深くお詫びを申し上げます。少人数(12名)で、双方向のコミュニケーションを大事にする講座なので、定員を超えての受講が難しくご迷惑をおかけいたしますことをお許しください。

この講座は、今回限りではなく、少なくとも来年度いっぱい計4回(7月〜9月:第2回、10月〜12月:第3回、1月〜3月:第4回)開催予定なので、今回申し込みできなかった方、受付されなかった方については、次回以降にお申し込みlただきたくお願い申し上げます。
(※僕の講座以外については、まだ定員に達していない講座も多いとのことですので、そちらについては今後も受付可能だそうです。)

今回のセミナーは、平成30年の医療介護保険制度の同時法改正に向けた、知っておかなければならない経営の方向性や、人材不足の中で実行すべき人材育成の方法など、介護ビジネスを行う上での具体的な対策方法が得られる内容としておりますので、相談援助職も、厳しい時代の介護経営という視点をもって、日常業務に臨む必要性についても理解していただけるような内容も含んで構成しております。そのことについては、現在内容を組み立てている最中で、いろいろなことを考えております。

そんな中で先週金曜日に、東京都社会福祉協議会の相談員を対象とした研修会講師としてご招待いただき、2時間半の講演を行ってきました。その研修会で、僕の後に講師を務められていたのが、東京家政学院大学の現代生活学部人間福祉学科・西口守教授でした。

西口教授は、「困難から逃げず、困難さえ引き受ける姿勢=ソーシャルワークの哲学を考える=頑張れ、相談員。負けるな相談員。」 をテーマにしてお話ししてくださいましたが、僕にとってそれは、背中の筋をぴんと伸ばして、もう一度ソーシャルワークの原点を考え直す機会となるような、格調高いソーシャルワーク論でした。

しかしそのお話しは決して難解なものではなく、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」の曲と詞の紹介から入り、当時のアメリカの社会情勢から、市民が何を求めていたのかということの説明に結び付けるなど、受講者の心をぐっと引き寄せ、最初から最後までわかりやすく、心に深く響く内容でした。

その中で特に感銘を受けたことは、利益追求の経営と、社会福祉の目的は、相反する場合があり、そうした場合のソーシャルワーカーの役割とは、福祉援助利用者の利益と相反した位置にあってはならないという原点を、はっきりわかりやすく示したもらったことです。

大坂セミナーの僕の講座では、中間管理職としての役割から、経営的視点をもって、経済活動にも参加する相談員の役割というものをお話しする予定でありますが、この中にも、相談援助の原点である、「利用者本位」とは何かという視点を忘れない中身を入れないと、「魂」を失ったソーシャルワーク論になるという戒めをいただいたような気がします。

さらに西口教授は、過去に養護老人ホームで指導員だった頃のケース紹介から、相談援助職の業務を考えると、その範囲を超える利用者支援を行った経験を語り、それは「自分がやりたかったから行った」と述べられていましたが、そこに僕は西口教授の、ソーシャルワーカーとしての矜持を見たように思いました。

昨今、「それは〜の仕事ではない」と割り切ること、切り捨てることが、ごく当たり前に行われる風潮にあり、しばしば支援者の「やりすぎ」が批判されることがありますが、業務の範囲を超えないと救えない命や暮らしがあることは事実です。

その時にソーシャルワーカーという「社会福祉援助の担い手」が、何をどう考えるべきかという原点を、西口教授は教えてくれたのではないかと思います。少なくとも僕はそう解釈して、ソーシャルワーカーの役割は、時には業務の範囲を超えなければ果たせないというメッセージとして受け取りました。西口教授には、この場を借りてお礼を申し上げます。

今回の新宿講演は、話し手としてより、聞き手として得るものが大きかったように感じております。そういう意味では、東社協の皆さんにあたらめて感謝し、そのことをお礼の言葉に変えて、本日のブログ記事を締めたいと思います。

本当に皆さん、ありがとうございました。

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施設の頭脳役としての相談援助職のスキルを高めるために


介護施設において、相談員は利用者100名に対して1名配置すればよいことになっている。介護支援専門員も同じ基準である。

しかも介護支援専門員と相談員を、一人の人間が兼務したとした場合も、両職種の配置がそれぞれ常勤専従1名とカウントできるというルールがあるために、100人定員の介護施設では、相談員兼介護支援専門員が1名配置されておればよいということになる。

それで実際の業務が回るのかどうかという問題は別であるが、配置基準自体は、100名の利用者に対して相談員兼介護支援専門員は、一人いればよいのである。

24時間365日休みなくサービス提供すべき施設サービスにおいて、基準上一人の配置しかなくてよいという職種は、その職員が休んだ場合に、その職務をこなす職員が存在しなくなることを想定したものである。つまり常勤専従配置しておれば、休みの日にその職種がいない日があってもよいということを織り込み済みの配置基準なのである。

このことは相談員及び介護支援専門員の機能を現す基準であると考えてもよく、それは日常的に手足の役割りをもって、直接介護サービスを提供する役割りではなく、手足の役割りを担う人々が、効率的・機能的に動くことができて、それによって利用者の暮らしぶりが良くなるための全体のコーディネートをする役割である。

即ち、相談員及び介護支援専門員の施設サービスにおける役割とは、「頭脳」の役割りであると言えるのである。

頭脳だから、配置がない日があってもよいし、直接介護サービスを提供する場所から離れた場所で、指揮タクトを振ることがあってもよいという意味にも通じる。

相談援助職が、施設サービスにおける頭脳として酷使すべき援助技術がソーシャルワークであり、その一部分をなすものがケアマネジメントなのである。

このように、頭脳役の相談員・介護支援専門員はソーシャルワーカーであることに間違いはなく、相談員と介護支援専門員の関係は、本来ならばソーシャルワーカーとしての知識と援助技術を基盤にして、ケアマネジメントという援助技術をさらに高めた存在が介護支援専門員であるという理解になり、それは看護師に例えるなら、看護師資格を基盤とした、「専門看護師」と同じ関係ではないかということを、かねてより主張してきた。(参照:施設ケアマネジャーは、相談援助職でありソーシャルワーカーですよ

逆に言えば、ソーシャルワークの知識と技術のない人間が、たまたま介護支援専門員の資格を取得したからと言って、施設における相談援助職としての役割はこなせないのである。ここが現在の介護保険制度と、介護支援専門員の資格取得ルールの問題点である。ここにメスが入る日は来るのだろうか・・・。

実務5年が資格取得の要件の一つになっている介護支援専門員と比べると、相談員は社会福祉士という国家資格もしくは社会福祉主事の任用資格、又はそれと同等以上の能力を持つと認められることで任命できるので、学卒者の新人が任命されることも多い。よって相談員=指揮命令権があるとは限らないが、頭脳としての役割を考えるならば、ある程度の職務権限を与えられて然るべき立場であるし、経験を積んだ先に中間管理職〜管理職へと成長することが期待されていることは当然である。その過程で、介護支援専門員の資格を取って、ソーシャルわーかんーの中でも、ケアマネジメント技術に長けていくことが求められ、相談援助職の中でスーパーバイザー役が担えるという過程を踏んでいく必要もあるだろう。

それらの過程を踏みつつ、相談援助職は施設内外の様々な「調整」を行うことになるが、当然その先には施設運営管理にも関わることが求められてくる。もっと先には法人全体の運営に関わる知識が求められてくるのである。それは「頭脳」役の宿命であるともいえる。そのことへの覚悟・自覚に基づいて、様々なことを学んでいかねばならない。

そんな相談援助者を育てる講座が4月から大阪で開講される。社会福祉法人みらい福祉研究所の、「介護ビジネスアカデミー」の「8、施設ケアマネジャー・生活相談員実務講座」のお申し込みはこちらをクリックして、申込用紙をダウンロードしてほしい。

相談援助職としてのスキルを高めたいという人にもぜひ参加していただきたいし、介護支援専門員ではあるが、前職が相談援助職ではないために、相談援助の基本を学びなおしたいという人にも是非お勧めしたい講座である。

100年後にも通用する介護を創る頭脳役を育てたいと思っている。一緒に学んで、介護の新しいスタンダードを創り上げましょう。
施設ケアマネと生活相談員講座

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これからの介護ビジネスを担う人材育成


2年後の介護報酬改定は、診療報酬とのダブル改定である。

しかも現内閣は、社会保障費の伸びを現状の毎年1兆円から五千億円に抑えるという骨太の方針を掲げている。その中で社会保障費の伸びに大きく影響する診療報酬と介護報酬がどうなるのかということが、同じ土俵で論じられることになる。

今般の厳しい情勢の中で、来年度からの診療報酬は、薬価をダウンさせたものの本体診療報酬は守られた。これは日本医師会という力のある組織の運動のたまものだろう。そういう剛腕組織に相対して、全国老施協をはじめとした介護報酬を守るべき職能団体は、どう組み合っていくのだろうか。介護報酬は果たして守られるのだろうか?

昨年5月に行われた財政制度等審議会・財政制度分科会では、財務省が「次の介護報酬改定もマイナスにすべきだ」と強く主張しているし、本来介護報酬を守るべき立場であるはずの厚労省も、介護保険制度で「要介護1、2」と認定された軽度者向けサービスを大幅に見直す方針を決定したとし、社会保障審議会(2月〜)で議論を開始している。この方針は年内に改革案をまとめて、2017年度にも実施に移すという。

このような厳しい情勢の中で、新3本の矢という経済政策の中で、介護施設をはじめとした介護事業所の数を増やして、介護離職をなくそうとする政策がとられることを、介護業界の追い風と見る向きがある。

しかし経済政策である「新3本の矢」によって、介護施設をはじめとした介護サービスの全体量は、介護離職を防ぐ程度まで増やすなかで、骨太の方針によって社会保障費の自然増分は抑制されるのだから、新三本の矢が生み出す結果は、毎年増える五千億円を奪い合う事業者が今より増大するという意味でしかない。

つまりそこでは、各サービスの単価は下がらざるを得ないし、それを奪い合う事業者の収益率も下がることが見込まれるという意味である。またサービス種別によっては給付対象が著しく制限されるか、給付対象外となるという可能性が高い。

そう考えると、今後の介護事業経営では利用者確保が必要であることは当然として、それは重介護者へのシフトとともに行う必要があり、重介護者に選ばれるためのサービスの質の担保が求められる。そのためには重介護者に対応する介護技術を身に着けた人材を、事業者がいかに確保し、顧客サービスとしてふさわしいマナーを身に着け、顧客から選ばれる人材として育てることが求められる。そうした人材の確保と、継続した職員教育が事業経営戦略に入っていない事業者は、事業経営が先細りせざるを得ないであろう。

深刻な人材不足、経験やスキルだけでは補えない介護現場では人材育成にまでどれだけの時間をさけるのか……。 指導すべきリーダーは教育の仕方を教わってきたのか。

この厳しい情勢の中で、「介護ビジネスアカデミー」は、これからの介護ビジネスを担う人材を育てる機関として、「一般社団法人 みらい福祉研究所」が大阪に開講する専門講座である。

教える人に教え方を教える。』をテーマに構成された講座では、単なる参加してよかったと思われるものではなく、より実践的で、現場で即活かし効果を上げるセミナーを開催する予定である。

その中でも僕が担当する、「施設ケアマネと生活相談員講座」では、施設の頭脳として、中間管理職として求められる相談援助職のスキルを、求められる実践課題に沿って明らかにする予定である。
施設ケアマネと生活相談員講座
1回3時間半の講座は、全6回が1コースになって、精鋭12名限定で開催予定である。第1回は4月〜6月まで月2回ずつ開催。その後も2回目以降の開催が予定されている。

内容は以下の通りである。

1講目
相談援助職の役割りと実務
〜相談援助の専門職としての基礎知識〜

2講目
報酬算定構造の理解と実地指導対策について
〜中間管理職として施設運営に関わるための基礎知識〜

3講目
法令を遵守した施設サービス計画の作成方法
〜実践につながる計画と法令理解〜

4講目
施設経営戦略の基礎となる介護保険制度の理解
〜制度創設の経緯と制度改正の方向性〜

5講目
施設サービスの品質を向上させる役割
〜施設の頭脳として創造するケアサービスの具体例〜

6講目
認知症の理解と看取り介護の実践リーダーとしての指導法
〜地域包括ケアシステムの一翼を担う施設創りのために〜

このセミナーのお申し込みはこちらから申込書をダウンロードして、お申込みいただきたい。

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五本の赤い花


小さな任意団体を立ち上げたのは、今年の初めのことである。

それは僕の教えを受けたいという、とある若者との出会いがきっかけになっている。出会いの場所や、きっかけについては詳しく書けない。何しろこのメンバーのことは、公にしないという約束があるからだ。

ともかく僕の考え方に共感して、僕の持つ知識をもっと深く学びたいという人たちと出会ってしまったということが、すべての始まりである。出会いの当初は、いろいろなことを話し合ったが、それは雑談の域を出るものではなかった。しかし本当に学ぼうとする気持ちが伝わってきて、その思いがやがて具体性を帯びてきた。その結果、体系を整えて継続的に一定の時間をかけて学ぶ機会を作るという話に発展した。

具体的には、2年に渡る期間をかけて、月に一度(休憩1時間を挟んで6時間)の勉強会を行うことが決まった。そこで勉強したいというメンバーは、いつの間にか5人になっていた。

その5人の若者は、定例会には必ず参加できるように都合をつけている。僕が講師役になっての座学が中心だが、半年を過ぎたころから、フリートーキングで、お互いの考え方を披露しあう時間も多くなった。

つまりそれは介護道場である。そこでは僕は理念と根拠の大切さを若い人に伝えている。少数精鋭を目指しているので、この5人が卒業するまで、別の参加者を増やすことはない。当然のことながら費用は発生せず無料で参加できる会である。皆手弁当ではあるが、交通費さえ惜しまなければ参加できる自主勉強会だ。

ここから再来年には5本の赤い花が、大輪を咲かせて巣立っていけるようにお手伝いしていくつもりである。それがどのような広がりになるのかは、若い5本の赤い花たちに任せようと思う。

今年4月からの定例会では、便宜上「介護福祉道場」と呼んでいたが、将来的な活動の広がりも期待して、任意団体ではあるが名称を変更した。「北海道介護福祉道場 あかい花」がその名称である。主宰者と言うほどのものではないが、一応僕の肩書は「代表」とさせてもらった。

何度も言うように「任意団体」であるから、登記も何も必要ないし、勝手に名乗っているだけではあるが、その名称で広く活動することはありかなと思っている。

北海道介護福祉道場・あかい花
僕は来春大きな転機を迎える。今僕が働いている法人の方針に疑問を持った時期に、ある方からお誘いを受けたことがきっかけで転職を決意したからだ。来年の4月から僕は、別法人に就職して新たな立場で働くことになる。そして同時に休みの日を利用して、この任意団体の活動も続けていくことになる。そしてその活動の範囲は、現在より広げていくつもりでもある。

4月から毎月2回、定期的に大阪で行う活動も、基本的にはこちらの肩書による活動としたほうがよいのではないかと考えている。

さらに4月以降は、冊子等の連載も6本に増える予定となっており、そこに掲載する肩書も、もしかしたら本業の肩書ではなく、この任意団体の肩書とするかもしれない。
※今月からは、大阪に本社があるカビ式会社シルバー産業新聞社の「シルバー産業新聞」の連載が、12/10号から始まっているので、そちらもぜひ読んでいただきたい。

そういう意味では、新しく迎える2016年は、僕にとって新たな旅立ちの年となり、そのことに胸躍らせているのが現在の僕である。

勿論、未知の職場と業務について不安がないかと言えば嘘になるが、乞われて行く場所だから、その期待に応えたいという思いの方が強い。高校時代の同級生と一緒に働くことができるのも、今から楽しみである。

そうした時期に、僕から学びたいという若者が身近にいるのは勇気になる。そういう意味では、5本の赤い花候補は、僕の生きがいを支えてくれる、もっとも身近なサポーターと言う存在でもある。彼ら、彼女らの期待を裏切ることなく、僕の持つすべてを伝えていきたいと思う。

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得た知識をどう共有するか


昨日は、当市の地域包括支援センターが、介護の日の記念事業として開催した、「介護負担を減らすために・・・楽で安心、新しい介助法」に参加して勉強してきた。
岡田しげひこ氏講演
講師は、理学療法士で、特定非営利法人HPT総括部長の岡田しげひこ氏である。

とうより道民には、毎週金曜日に北海道新聞の「せいかつ」紙面に「しげひこのこれは助かる」というコラムを書いている先生として馴染みが深いかもしれない。下記は、本日の道新朝刊のコラム記事である。
道新コラム欄
同氏と僕の最初の出会いは、2012年10月のケアマネ更新券種の際で、岡田氏が講師で、僕が受講者と言う立場での会場で、同氏より僕のこのブログ記事を読んでいると挨拶を受けた時のことである。(参照:ケアマネ資格更新研修初日会場にて

昨日の講演では、「人間の自然の動き」を知るところから始まり、その動きに沿った支援方法を、「寝返り」、「起き上がり」、「立ち上がり」、「乗り移り(移乗)」、「歩行」ごとにわかりやすく解説していただいた。

とかく我々は、支援者側からの介助方法と言う視点に偏りやすいが、支援を受ける側がもっとも安楽な方法という視点が必要であることと、結果的にそれは人間の自然の体の動きに沿った方法であり、それによって支援する側の余分な力も必要なくなり、支援される側、支援する側の双方に安楽な方法となることを学んだ。

これがボディメカニズムに沿った支援方法と言うのかどうかわからないが、日常の介助方法について、「目からうろこが落ちる」という感想を持った受講者が多かったのではないだろうか。

本来この研修は、介護職員に受講してもらいたい内容である。しかし今回この案内が送られてきたのは、勤務シフトができた後だったので、あらかじめ職員を研修参加できるようなシフトになっていなかった。そのため僕が研修を受講して、介護職員に伝達しようと考えて参加した。

しかしシフトでは公休となっている3人の介護職員が会場に来て受講していた。

そのため僕のお役は御免として、この3人に伝達研修をお願いすることにした。僕が伝達できないわけでもないし、面倒くさいわけでもない。しかし実際に会場で話を聞いて、実技も行っていた介護職員が、あらためて同僚らにその内容を伝えようとする段階で、さらに彼女たちはその日学んだ内容を復習し、伝えられるように咀嚼する必要があるだろう。そのことによって、さらに理解が深まるし、実技にも習熟するだろう。

そしてその過程は、決していやいや面倒に感じながら行うものではなく、「施設内で伝える」、「その結果ケアの質が上がる」、「利用者の豊かな暮らしにつながる」という目的が明確で、そのためにモチベーションもアップするはずである。そうした伝える喜びを知ることにより、さらに学ぶ意欲が湧いてくるのである。こうした好循環を作ることが、職場全体のモチベーションアップには必要だ。

当然そうした伝える場を設ける際には、伝達研修の時間を適切に設定できるように、時間外勤務手当などの支給は不可欠である。管理者や事務担当部門は、そうした部分での側面支援をしっかり行う必要もあるだろう。僕自身は、伝達研修を影から見守って、必要なら助言程度はするかもしれない。しかしできるだけ口出ししないようにしたいと思っている。

ただこうした研修は、「百聞は一見に如かず」という部分もあって、機会があれば岡田先生の研修を、全職員に一度は受けてもらいたいものである。

少し話は変わるが、ありがたいことに僕自身の講演も、受講された施設の管理者の方などが、「できれば職員に直接聞かせたい」として、法人内の職員研修などに招いてくれることが多い。

ちょうど明日もそうした講演が山形である。お招きいただいたのは、山形徳洲会さんである。医療法人グループとしては日本最大規模の徳洲会さんには、これまで何度も研修講師としてお声を掛けていただいている。山形は昨年に続いて2年連続となる。

昨年は仙台空港を利用して山形市で講演を行ったが、今回の会場は庄内町にある為、明日は庄内空港に『降りてから会場に向かう。しかし北海道から庄内空港へは直行便がないために、新千歳空港〜羽田空港〜庄内空港という乗り継ぎになる。そのため明日は、午前5時50分発の高速バスに乗っての移動から始める必要があり、早朝に起きなければならない。

今晩は早めに帰って、早めに寝ようと思う。それでは山形県庄内町でお逢いする皆様、明日はよろしくお願いします。動画「LOVE〜明日へつなぐ介護・山形編」も是非ご期待ください。
LONE〜明日へつなぐ介護・山形

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老人福祉施設長セミナーに来ています


今日は自分自身のお勉強の日である。北海道老人福祉施設協議会主催の、「老人福祉施設長セミナー」受講のため、札幌ガーデンパレスホテルに来ている。

今朝は東室蘭発7:10の特急に乗り、札幌に8:37着。セミナーは16:00頃に終わるので、(その後の総会は欠席しようと思っている)16:51札幌駅発の特急列車で日帰りの予定である。

研修テーマは制度改正と地域包括ケアシステム。僕自身が講師役を務めることの多いテーマである。

午前中は、10:15〜10:55まで、全国老施協副会長で、介護給付費分科会の委員でもある村上 勝彦氏(北海道老施協顧問)の「中央情勢報告」。

11:05〜12:00までは、僕とは鹿児島カントリーミーティングでコラボさせていただき知り合いになった、厚労省老健局高齢支援課長補佐・懸上氏よる「地域包括ケアを中心にし制度改革の内容と今後の展望などについての報告」であった。

一昔前の中央情勢報告は、それなりに意味があって、貴重な機会だったが、ネットでリアルタイムに審議内容がわかるご時世では、審議会の情報だけでは新鮮味も貴重感もないなあ。それにしても、老施協が何を主張したかは、提出資料を読めば解っていることなので、そんな説明はいらなかったと思うなあ。また処遇改善加算の維持・アップを手柄のように語っているが、その分特養の基本サービス費が下がるんじゃ意味ないだろう。なんだかためになる講義ではなかったなあ。

厚労省の方の講義は、おそらく全国どこで、誰の講義を聞いても同じ内容だと思う。現に今回も当初は辺見課長が説明する予定だったが、公務のため急遽懸上課長補佐に変わっても、同じ資料説明である。これは止むを得ないだろう。国の関係者が公の場で語ることが出来ることは当然制約がある。裏話なんかこのような場でできないよ。だから国の関係者説明に過度の期待を寄せる方がおかしい。資料を読み込んでいる人にとっては、それはセレモニーにしか過ぎない。

講義後に質疑応答があったが、会場から出された質問は低レベル。この程度の質問なら僕でも答えられるって。勉強不足の人が多いなあ。

食事を挟んで午後の部は、13:00〜13:40、日頃から親しくしていただいている瀬戸 雅嗣氏(全国老施協在宅サービス委員長・北海道デイサービスセンター協議会会長)の、「全国の動きを踏まえて、主に在宅介護に関する論点についての報告」に続き、13:50〜15:50は、服部 万里子氏(長寿社会文化協会理事長)による、「地域包括ケアの展望と課題〜介護保険制度改革を踏まえて」という講演が予定されている。

う〜ん、どちらのテーマでも僕は替わって話せるけどなあ。どんな話になるのか楽しみに臨もう。良い情報があれば、またこのブログ記事で報告したいと思う。

今日はセミナー終了後、昔から付き合いのある仲間と、札幌で夕食をご一緒して、夜遅い列車で帰る予定であったが、女満別から来る予定だった大先輩が、急な用事でこれなくなり、オフ会は中止である。おとなしく登別(利用駅は東室蘭だが)へ帰るとしよう。

(18:46追記
午後からの講義について、瀬戸さんの講義はよい講義だった。公にされている資料の説明にとどまらず、現在水面下で行われていること、裏情報も含め、わかりやすい改正内容の説明であった。

服部さんの講義は、本改正が医療保険制度改正と診療報酬改定の風下にある点など、それなりに鋭い視点から切り込みがあったが、何せ早口で、句読点のない話しぶりは聴きとりにくかった。それと地域区分の加算率変更のスライドのタイトルが、「住所地特例」となっており、かつスライドの内容(加算区分の変更点)については都会以外関係ないと流して説明されたので、質疑応答の時間に手を挙げ、タイトルが違うという指摘とともに、その他地域は、区分が増え加算率が増える地域があることによって、査定ベースが最初から0.7%マイナスになるので、関係ないとは云えないことを指摘させてもらったが、「その他地域の単価が1単位0.7円になるわけではない。」という的外れな答えで閉口した。

1単位1円は変更なく、その他地域もそうであるが、加算率が増える地域がある影響は加算のない地域の介護報酬がマイナス査定がなくても0.7%減ることを意味しているのだ。つまり今回の報酬改定率が仮に前回と同じであっても、その他地域は地域区分が変更され、加算率が増える地域の分に回される分、減るという現象が起こる。それに加えて今回は、マイナス2.27%減なのであり、実際には加算率20パーセントになる地域と、その他地域の改定率は違ってくると言うからくりがあるのだ。これが理解できないのではどうしようもない。そんな程度の講義を受けてきた。

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彼らが輝くために


北海道の夏は短い。その分長く厳しい冬があるため、小中学校や高校は冬休み期間を長くとっており、そのかわりに夏休みは1月に満たない期間である。そのため今週から2学期の授業が始まっている学校が多い。

僕が非常勤講師として通う介護福祉士養成専門学校も、今週初めから2学期の授業が始まっている。僕の2年生の授業も今日から再開される。

僕が担当しているのは「認知症の理解」であるが、2年生の授業はこのように夏休みを挟んだり、実習を挟んだりして、4月〜9月までに合計15日×2コマ、計30コマの授業となるため、細切れで、授業と授業の期間が長く空くことになり、前の授業時間に教えたことを確実に覚えているかということと、次の授業に前の授業で与えた知識をうまくつなげることが出来るかという問題がある。

2年生の授業は、1年生で教えた基礎知識をベースに、個々の状況に応じた対応方法を具体的に考えるために、ブレーンストーミングという方法のグループワークを行っているが、長い休みを経て行う最初の授業で、彼らが忘れてしまっていることがないかを確かめながら、教えたことを彼らの本当の知識にしていくことが講師に求められていることだと思う。きちんと丁寧に彼ら一人ひとりの理解度を検証しながら授業を進めていきたい。

それにしても1年半前、何の知識もなく、考え方も幼い状態で入学してきた学生が、あと7ケ月もすれば、社会人として、我々の業界の仲間として巣立っていくことになる。すべての卒業生が、本当にそれにふさわしい人材に成長していくように、僕ら講師陣も心を新たに残りの期間の授業に魂を込めて頑張っていかねばならないだろう。

思い起こせば、彼らの最初の授業の時に、僕は教室の壁に掲げられていた彼らの目標に目を止めて感心した覚えがある。いろいろな思いや決意が書かれた目標の中に、「100年後に讃えられる介護福祉士になりたい」という言葉があったと記憶している。とても素晴らしい目標だと思う。100年後に讃えられるという意味は、彼ら自身が新しい何かをつくり、それを次代に伝えてさらに上を目指していくという意味だと思うからだ。それは我々が今作り出しているもの以上のものを、彼らの手で創り出していこうという意欲溢れた言葉であると思うからだ。

どうかそのことを実現する人材になって欲しい。

その時、我々先輩となる職員は、彼らの意欲を潰さないようにしなければならない。確かに彼らの援助技術はまだまだ拙いし、考え方も幼いかもしれない。だからといってそのことを理由に、彼らの理想まで潰さないで欲しい。「理想と現実は違う」なんていう言葉で、若者たちのやる気を殺がないで欲しい。

拙い援助技術や浅い知識、幼い考え方であっても、それを向上させていくのが先輩職員の務めである。理想を失わないように技術や知識を向上させていくのが先輩の役割であり使命である。それが介護サービス全体の質の向上につながる唯一無二の道ではないだろうか。そうした道を閉ざすような指導で出来上がる介護サービスによって心を殺される人は、そういう指導を行う人自身であるかもしれないということを考えて欲しい。

彼らの抱く理想を潰そうとする人々は、理想を実現できるかもしれない若い人たちのスキルに嫉妬する人ではなかろうか。

OJTとは本来、職場の上司や先輩が部下や後輩に対し具体的な仕事を通じて仕事に必要な知識・技術・技能・態度などを意図的・計画的・継続的に指導し、修得させることによって全体的なスキルを育成するすべての活動である。ところが、教えるべき介護技術が言語化されておらず、見て覚えるという職人技に頼っている実態が見られ、単に先輩職員について仕事を覚えるだけの行為をOJTとしているから、理念を達成するためのスキルを向上させることができないのではないだろうか。そこでは理念を語り、理想を高く掲げる人を嫉妬する人間がいなくならないのではないだろうか。

「これはやらないことになっている。」「以前からずっとこうすることになっている。」というのは仕事の方法論の根拠にはならない。なぜそうなのかという根拠を、人の暮らしに深く関わり、誰かの人生の最晩年気に深く関わり、誰かの人生の幸福度に影響してしまうかもしれないという」責任を強く意識しなければならない職業であると立場から、説明できるスキルを持つことが、介護技術を伝える者の責任ではないのだろうか。

彼らは2年間の学習の中でいろいろな学びを得るとともに、実習という場でいろいろな思いを持ち帰ってくる。そこでは介護サービスに従事する人の、感覚が麻痺して、世間の常識を失っているのではないかということを気付いて帰ってくる学生も多い。そしてその学生の感覚は、ほとんど正しい。

そうした感性を持って卒業していく学生が、未だに介護サービスの場を劇的に変えられず、そうした感性を失い、感覚を麻痺させて業務を行っているという実態も一方ではある。それが「現実」であるとしたら、これほどお寒い現実はない。これほど哀しい職業はない。

介護サービスとは本来、そこに従事する人々が、だれかの心の支えとなり、誰かの心を癒すことができる尊い職業である。誇りを持って、胸を張って従事できる職業である。そうした素晴らしい職業に理想を持てず、自らのスキルの低さによって出来上がっている状態を、「現実」などと表現して欲しくない。それはあなたの現実かもしれないが、すべての介護サービスの現実ではないのである。

輝こうとする人々が、本当に輝いて仕事ができる介護サービスを作ることによってはじめて、私もあなたも、あなたの親や子や、あなたの愛するすべての人が、安心して介護サービスを受けることができることを忘れないで欲しい。

綺麗事ではなく、私自信や、私の愛する人々のために、そういう介護の現実を作っていくべきである。

そのために・・・。どうぞ卒業した学生たちが就業する現場の皆さんが、彼らを輝かせてください。光の見える場所を教えてやって下さい。彼らが輝くために・・・。
かいご

介護・福祉情報掲示板(表板)

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伝えてきたこと


今、全国各地でたくさんの介護事業者の新規立ち上げが行われている。当然のことながら、そこではたくさんの職員が介護サービスの担い手として活躍することになるわけであるが、それらの人々の介護の実務経験年数も様々である。

関連事業所や、別の事業所で実務経験のあるベテランや中堅職員も多いが、それ以上に多いのが、介護を職業とするのが初めてという人々である。それらの人々も、介護福祉士養成校などで介護の勉強をしてきた人ばかりではなく、何かのきっかけで介護事業者に職を求め、経験も知識も全くないまま就業してきたという人も少なくない。

僕が全国各地で講演を行う際には、そうした経験や就業動機や、考え方が様々な人がおられることを前提としながら、それらの人々が理解できる言葉で、本当に求められる介護サービスとは何かということを具体的に示すようにしている。実現できない理想論は徹底的に排除して、この仕事を自らの職業とする使命だけではなく、この仕事を職業とすることの誇りと素晴らしさを伝え、その誇りを守るために何をしたらよいかということを、具体的に示すようにしている。

しかもそれは達人にしかできない高度なことではなく、ごく日常的に我々でも実現できる方法である。そのことを介護という職業に就いている仲間に伝えたいと思っている。

そしてもうひとつ伝えたいことは、各事業所で指導的立場にいる人が間違えないで欲しいということだ。我々が教えるべきことは、営業利益をいかに上げるかという以前に、人の暮らしに関わる者には、法律に書いていなくとも守るべきものがあるということだ。そのために介護を職業とする使命と責任を自覚すると同時に、誇りを持つ必要がある。人の暮らしを踏みにじる方法論や考え方はそこには微塵も入ってこないはずだということである。そこを具体的な言葉で伝えているつもりである。

対人援助サービスの現場で、人を教育する立場の人々は、日々悩みが多いことだろう。いろいろなパーソナリティを持ち、経験も考え方も様々な人々に対し、何をどのように伝えたら良いのかと頭を悩ます毎日だろう。その中には、教育効果が上がらない現状や、職員間で統一されない意思を眼前にし、自分が今まで培ってきた考え方や方法が、「本当に正しかったのか」と悩む人もいるだろう。

僕は正しい理念に基づいて、正しい方法で介護に携わっている人は、自らの理念や方法論を変える必要はないと思っており、それらの人々に自分が間違っていないと確認でき、自信を持つことができるメッセージを送るために全国を走り回っている。せっかく良い指導者となるパーソナリティを持っているのに、周囲のいろいろな雑音や、いろいろなバリアで押しつぶされようとしている人を励まし、間違った人達に負けないように勇気を持ってもらうために、実際にできること、していることをお話しているつもりである。

先週末も宮城〜青森にかけて、そういう旅をしてきた。お世話になった皆さんに感謝を込めて、僕のデジカメに収められた画像とともに紹介したい。なお14日(金)の登米市〜経由した盛岡市の画像ファイルは事故があって消えてしまったので、ここで紹介する画像は、15日〜16日にかけての青森県が主になっている。

6月14日(金)は、登米祝祭劇場で行われた、宮城県ケアマネジャー協会登米支部・登米市介護保険事業者連絡協議会合同研修の中で、「人を語らずして介護を語るな」をテーマに、18:00〜120分講演を行った。
登米祝祭劇場大ホール 
この講演は、オープンで会員以外の方の受講も可能であったが、当初定員を250名に設定していた。ところが6月はじめの時点で、申し込みが300名を超えてしまったため、急遽会場を変更して、結局当日は400名を超える受講者が来場してくださった。その中には登米市外の方も数多く含まれ、岩手県から来てくださった方もおられた。たくさんの方に僕の著作本も買っていただいたし、気仙沼の方には、今度ぜひそちらに呼びたいのでよろしくとのお声もかけていただいた。メール等でお気軽に連絡して頂ければ幸いである。

この場を借りて来場されたすべての皆様に感謝申し上げたい。

翌15日(土)は、社会福祉法人・秋葉会の、特別養護老人ホーム彩香園アルテリーベ 創立20周年記念講演として、同法人職員さんのための研修である。

青森県での講演は、昨年予定していた青森県社会福祉士会講演が、霧のため青森空港に着陸できず、同空港から引き返して中止になったことがあり、先々週、十和田市で行われた上十三地区介護支援専門員協会が最初の青森応援となった。それからわずか2週間後に、東北町講演が実現した。登米から盛岡を経由して降り立った駅も、先々週利用した七戸十和田駅である。

駅には彩香園の野月施設長さんと、2名の職員の方が迎えに来てくださった。講演開始までに時間があったので、小川原湖や寺山修二記念館などを案内していただいた。忙しい中、ほぼ半日お付き合いいただき恐縮である。
三沢空港での記念写真
写真画像は、三沢基地のブルーインパルスの前で、野月施設長さんと、向井総括主任さんとの記念写真。僕はサングラスで人相悪く写っているが、これは飛蚊症の悪化を防ぐために、紫外線対策をするように眼科医の指示を受けているために、紫外線の量によって色が変わる「調光レンズ」の眼鏡をかけているため、屋外ではこうして色がついてしまうのである。全国各地でお逢いする皆さんには、そういう事情なので、講演会場以外で色つきの眼鏡をかけていることをお許しいただくよう、この場であらためてお願いしておきたい。

講演は、日勤職員が全員参加できるように18:00〜20:00の予定で、「社会福祉施設職員の使命と誇り」というテーマで行ったが、遅出の職員さんも随時仕事を終えて途中参加してくださった。会場は同法人のデイサービスセンター。土曜日の夜という時間帯で、多くの皆さんが勤務を終えて、あるいは夜勤明けで家に一旦帰ってという状況で、お疲れであるにもかかわらず、船をこぐ人もなく熱心に聴いていただいた。
特別養護老人ホーム彩香園アルテリーベ講演
アルテリーベというのはドイツ語で、「古い恋人」「旧友」という意味だそうである。僕もこれから同会職員の皆様の旧い友になれたら嬉しい。

今回の講演について、やり取りを行っていた同園の高橋事務長からは、講演後の感想として、次のような言葉をメールで送っていただいた。

「講義内容が具体的で非常に分かりやすかった」等の感想が職員から聞かれ、また、日々の「気づき」がいかに大切かを考えさせられる時間となりました。あっという間の120分でした。
今後、研修内容を大いに参考としながら、職場において積極的に実践していこうという意欲が見え、おかげをもちまして本研修は所期の目的を達成することができたと思います。


ありがたいお言葉である。この場を借りて感謝申し上げたい。

さて講演後は、いつも楽しみにしているオフ会。秋葉会職員さん御用達の居酒屋さんが会場であった。柳川鍋
柳川鍋1
柳川鍋2
うなぎを丁寧に開いて、ネギと卵を絡めて食べる「柳川風鍋」。うなぎは、地元小川原湖産の天然物。ふっくらとして脂が乗り美味しかった。
うなぎ白焼き
うなぎの白焼は、わさび醤油でいただいた。とても美味しい。
どじょうから揚げ
これも地元産の天然ものの「どじょうのからあげ」。頭つきの開きを唐揚げにしているが、頭の部分の苦味が味をさらに引き立てる一品であった。
海鮮サラダ
サラダにはマグロ、サーモン、タコなどの大きな刺身が乗っていたが、生野菜を栄養素として必要としていない僕は、これはスルー。
十和田バラ焼き
B1グランプリで有名な、「十和田バラ焼き」を中華饅頭の皮で包んだもの。以前だべた十和田バラ焼きは、甘味が強かったが、これはそれほどでもなく、とても美味しく頂いた。
しらすおにぎり
しらすおにぎりは、しその香りが効いていて美味しかった。
がに汁
絶品だったのは、この「ガニ汁」。「もくず蟹」という種類の蟹を、、身や甲羅や味噌を全て一緒にすりつぶした具を醤油ベースの汁にしたもの。蟹の出汁がスゴく効いていた。初めての味。

お腹いっぱいになったので、締めのラーメンは無理だった。

東北町でのオフ会を終え、0時近くにホテルに到着。泊まったのは先々週と同じく「ルートイン十和田」。
ルートイン十和田
タオルを遠慮なく使えてプチ贅沢感に浸れる、「ダブルルーム」が用意されていた。秋葉会さんのご配慮に感謝したい。

翌16日(日)は、11:25青森空港発の飛行機で帰道したが、空港まで野月施設長さんはじめ秋葉会の職員さん3名が車で送ってくださった。先々週も青森空港〜十和田市まで、介護老人保健施設とわだの皆さんに車で送っていただいたが、それとは別の道で、空港に向かった。
雪中行軍遭難の地
雪中行軍記念像
途中で、「八甲田山死の彷徨」で有名な、雪中行軍遭難地を見学。
霧の八甲田山
その八甲田山は、その日も霧で曇って隠れていた。

宮城県登米市と、青森県東北町でお世話になった皆様、お会いした皆様、本当にありがとうございました。僕の思い出がまた一つ増えました。心より感謝申し上げます。

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命や尊厳を大切にしない教育などあり得ない



1948年(昭和23)の法務庁法務長官通達「懲戒の程度」によると、体罰とは、「身体に対する侵害、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒」とされている。

Wikipediaでは、「殴打等の、身体を通じた罰のことである。」としている。

どちらにしても、それは懲戒とか、罰(ばつ)であるということだ。では懲戒とか罰とはなんだろう?

懲戒とは、「不正または不当な行為に対して制裁を加えるなどして、こらしめること。」という意味である。「罰(ばつ)とは、法令や特定集団における決まりごと、道徳などに違反したものに対する、公もしくは集団が行う多くは当人に不利益または不快になることである。」とされている。

そのことを念頭にして、今、社会問題となっているくだんの件について考えてみたい。

大阪市立桜宮高校2年生の男子生徒が、バスケットボール部の顧問から殴られた翌日に自殺した問題をめぐっては、いろいろな意見が出されている。それは体罰是非論にもつながっており、教育的指導としては、体罰はすべて否定されるわけではないという意見を述べる人も存在する。

しかしこの問題は、そもそも「体罰」の問題なのだろうか?自殺した生徒を殴ったというバスケットボール部の男性顧問(47)の行為は、「体罰」なのであろうか?

報道を見る限り、自殺した生徒が殴られた理由は、試合中にリバウンドをきちんと取れなかったとか、ボールに飛びつかないとか、試合中のミスを理由にしたものだ。これは不正でも不当な行為でも、道徳に違反する行為でもない。単に試合中のパフォーマンスが、指導顧問の求めた結果と違っているというだけだ。間違ってはならないのは、自殺した生徒は、練習をさぼったとか、試合中に不適切な態度をとったとか、悪いことをしたとかいうわけではないのである。

そうであれば、この顧問の行為を「体罰」と呼んで、そのことから問題を議論することは間違っているのではないだろうか。この顧問が生徒を日常的に殴っていた行為とは、体罰ではなく、「みせしめとして繰り返し暴力をふるっていた。」ということに他ならない。しかもそれは絶対服従の関係にあって、反撃や抗議ができない生徒に対する一方的な暴力である。それは教育とか指導とかとは言えない行為である。

教育指導の方法に対する行き過ぎた行政指導は、現場が萎縮するなどという論理で、この顧問が行っていたことを一部でも肯定するような考え方があることはおかしいと思う。

暴力でチームを支配し、暴力でしか指導できなかった顧問の考え方や、その教育者としての能力の低さを問題にすべきだ。

僕は中・高校生時代に軟式庭球部に所属し、3年生の時には主将も務めていた。そのチームは地域で勝ち上がり全道大会に出場するような結果を残していた。社会人になってからも軟式野球チームの主将として全国優勝の経験もしている。しかしその経験の中で、殴られて指導されたことは一度もないし、自分も誰かを殴ったことはない。そもそも練習は技術を高めるけれど、殴られて技術がうまくなることはない。試合の中のパフォーマンスが低かったとしても、殴ってそれが良くなるなんてことはないだろう。

常軌を逸した暴力指導を行っていた当事者は、教員資格を持った教育者だろう。単なるスポーツ指導者ではない。スポーツの結果を求めるだけではなく、人としての成長とは何か、人間としての存在価値を教え育むのが教育者だ。

試合中の生徒のパフォーマンスについて、自分の思うパフォーマンスと違うからといって、常軌を逸した暴力を日常的に振るう行為が教育だとでも言うのだろうか。

僕が切なく思うのは、こんな間違った考えを持った顧問と出会わなければ、この生徒はもっと人生を楽しめたはずだろうにということである。

残された遺族の無念はいかばかりだろう。

母親が最後にこの生徒を見たときの姿は、生徒が机に向かっていた姿だということだ。その時母親は、この時期の、そんな時間に勉強しているのもおかしいなと思ったそうであるが、勉強を止めるのも変だから、声をかけなかったそうである。しかしそれは勉強している姿ではなく、「覚悟ができた」と遺書を書いている姿であったそうである。あまりに切ない現実だ。こんなことがあって良いのか・・・。

こうした理由で、こうした形で人生の幕を閉じなければならない若者がいたということを、結果責任としてすべての大人が考えなければならないと思う。こんなことに言い訳は必要ないのである。

masaの出版記念特別講演会&語ろう会in北海道洞爺湖も申し込みはこちらをクリックしてください。今月末が申込締切日です。

下記画像の東京都港区芝の出版記念シンポジウムの申し込みは、FAXはこちらから、インターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

出版記念シンポジウムチラシ

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全国老施協に対するこんな提言はどうだろう?


全国老施協が11/6〜7日までの2日間の日程で開催した『科学的根拠に基づいたケアの構築に向けて−看護職員への期待と展望』の中で、総務・組織委員会の村上勝彦委員長は次のように語っている。

地域包括ケアシステムは『施設から在宅』を打ち出しているが、全国老施協では『施設も在宅も』でなければならないと考えている。そのためには、科学的介護の実践に加え、特養を『終の棲家』プラス『在宅復帰』という循環型の施設にすることも重要だ。さらに、『看取りの実践と支援』機能を持たせることで地域の介護・福祉の中核でありセーフティネットになる。次期改正に向けた闘いは始まっている。(JS Weeklyより抜粋)

以上である。この発言内容に特に異論はない。目指すべき方向性はその通りであろう。

このことの実現に向けて、会員施設のトップをはじめとした管理職、そして全職員がこのことを自覚するように啓蒙していくことは職能団体としての全国老施協の役割だろうと思うが、同時にそれだけで良いのだろうかという疑問も抱いている。

そこを担う人材育成を、会員事業者に任せ、実際のサービス提供現場に任せるだけで良いのかという疑問である。介護福祉士養成段階から教育しておかないと、そうした高品質サービスを実現し、将来的にその質を継続していくことは難しいのではないだろうか。そこが我々の業界に一番欠けていることではないだろうか?

特に現状で言えば、次期改正に向けての5期計画では、サービスの量は、その計画に応じて確実に増える。しかしそれを支える人材は枯渇していると言って過言ではない。その手当を具体的にどうするのかということが問題であり、この人的資源の確保を、すでに何らかの理由で退職した潜在的介護福祉士の再就職を促すことや、異業種からの転職で補うということは困難だ。仮にそうした方法で人員確保がされたとしても、老施協が目指すサービスの質を支える人材がそこで確保できるのかといえば、それは不可能である。

若いうちからきちんとした教育を受け、基盤となる基礎知識や基礎技術をしっかりと持つ人材を増やし、それらの人材が全国で介護サービス事業のリーダーとなっていかねばならないと思う。その絶対数が少なすぎるのだ。少なすぎるから有能な人材が、無能な多数派に潰されて質の向上が図れないという現状が存在するのである。

一番大事なことは、少子化が進行する我が国の現状においても、若い世代が介護福祉士を目指すことで、ある程度の絶対数確保ができることである。そのための対策が最も求められる施策である。そうでないと有能な人材をピックアップできないではないか。

そこで考えなければならないことは何か?

人材確保は、適正待遇の確保の視点から、介護給付費の水準の適正化ということを含めた政策として行われる必要があるだろうが、それと同時に、魅力ある介護福祉士養成校を作るということも必要なのではないだろうか。

少子化社会でも、看護師の養成校は大学・専門学校を含めて人気があるのだ。そこに人が集まらないという状況ではなく、新設の大学にも募集定員をはるかに超えた応募がある。それはもちろん看護師という資格と業務に対して適正報酬・適正待遇が得られるという社会的認識があるということは間違いないが、看護師養成課程の教育レベルへの信頼感でもある。

介護福祉士養成校に関して言えば、定員を満たすだけの応募さえない状況が全国津々浦々に見られる。その理由は、卒業後の有資格者に対する待遇という面にも不安を感じているという現状と同時に、介護福祉士養成校自体の教育レベルへの信頼感が低いという要素もあるのではないだろうか。

そこでこんな提案はどうだろう。

全国老施協が母体となって、介護福祉士養成校を全国の主要な地域に創設し、全国老施協が目指す介護を担う人材を直接養成するということである。

全国老施協という組織力を活用すれば、教育理念やカリキュラムに基づいて教育できる人材を探すことも容易だろうし、会員施設の中から随時、特別講義を行う人材を探し、講義を担当してもらうことも容易だろう。そこでは基本的に優秀な人材を選抜し、将来介護サービス分野でのリーダーとなるべき人材を養成し卒業させる。そして就職先も、老施協が推薦できる体制のある法人・施設に斡旋することにより、卒業後の待遇保障もできる、ということになれば、そうした養成校に入学したいという動機付けは確実に生まれるのではないか。

そうすれば自ずと、そこを目指す高校等の新卒者も増え、人材確保の一助となり得るのではないだろうか。

政治力も持つ組織なのだから、その力を生かした人材育成ということも考えても良いのではないだろうか。

これは組織の中の有力者が、個々に養成校を運営するという意味とは違って、老施協という組織自体が前面に出て人材を養成するということに意味があり、そこから新たな展望が開けると考えるのは的外れだろうか?

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innocent(イノセント)


社会人入学生を除いて、介護福祉養成校に入ってくる学生は、高校を卒業したばかりで、まだまだ知識も足りないし、見識にも欠けている場合が多い。物事に対する考え方も幼稚さが抜けない部分がある。

それらの学生も2年間の授業を終える頃には、それぞれに成長した姿を見て取ることができる。勿論、能力は様々だから、2年間で獲得する能力には個人差があるし、すべての学生が介護福祉士として恥ずかしくない器量を備えたとは言い難い現状もあるが、入学した直後と比べると確実に成長の跡が見られる。それは人間としての成長という意味も含めてのことである。

特に目に見えて成長を感じるのは、1年生、2年生のぞれぞれの実習を終えた直後である。

学生たちは、初めて経験する介護サービスの実践の場で、利用者に接し、職員の方々から指導を受けることで、学校の教室の中では感じ取れない何かを掴んでくるのだろう。

しかし実習の場は、彼ら学生が期待したことを学び取ってくる場であるだけではなく、彼らが思ってもみなかった負の学びの場であるという一面もある。彼らはそれまで様々な生活歴の中から、それぞれの価値観を持って生きてはいるが、その価値観が根底から覆るような経験をすることもある。

彼らはある意味、実習を経るまで介護に対して、innocent(イノセント)なのである。純真無垢に介護というものが人に役に立つために献身的に行われるものだと信じている場合が多いのだ。

だが実際の介護サービスの場では、「理想と現実は違う」という部分が様々に存在する。彼らは実習中にまざまざとそのことに直面せざるを得ない。しかしそのことはやむを得ないことなのか?理想と現実をイコールにしようとする努力は払われているのか。

少なくとも学生が実習中に感じてくる「介護施設や介護サービスの中に存在するおかしさ」とは、間違いなく正しい感覚である。それを「理想と現実は違う」という理屈で無視して良いのだろうか。言葉遣い一つにしても、利用者を「ちゃん付け」で呼んだり、ニックネームで呼んだり、年上の顧客に対して「友達言葉」「タメ口」で話しかけたり、長い間現場職員が問題意識を持たず変えようとしなかった、「世間の非常識」ではないか。そのことの「おかしさ」「違和感」に気づいてこそ、変えなければならないという動機付けが生まれるし、変えるべき方向性も見えてくるのである。

学生が正常に感じている正しい感覚を麻痺させ、理想とは程遠い現実を学生に押し付けるだけのの実習なら、本来人間として持つべき正しい感覚を麻痺させるために行う実習であるとすれば、そんなものになんの価値があるのか。学生の気づきに、もっと謙虚に対応しようとする我々の姿勢が必要なのではないだろうか。

介護福祉士養成校に入学してくる学生の動機のトップは、いつも「人の役に立つ仕事だから介護福祉士になりたい」というものだ。そういう部分に対してinnocent(イノセント)な学生は、最初の実習現場で、ぞんざいな介護職員の言葉遣いや横柄な態度に驚き、何かが違うのではないかという疑問を持ち帰る。しかし同時にそういう態度の言い訳も持ち帰ってくる。その言い訳とは、介護サービスを提供し、学生を指導する人々の理屈である。

それは果たして仕方のないことなのだろうか。僕はいつも疑問に思っている。

しかし学生時代に、今の介護サービスの現状は何かが違うという問題意識を持って、介護の現状を良い方向に変えたいという志を持って巣立っていく学生の多くが、就業して半年もすれば、彼らが学生時代におかしいと感じて、心のどこかで批判していた対応と方法論をそのまま受け入れて、かつて自分たちが「おかしい」と感じていた対応そのものを行う人になってしまうことが多い。

彼らは介護福祉士としてサービスに従事する中で、なにか大事なものを失っていくことを成長であると間違って捉えているのではないか。世間の波に揉まれて、妥協し、感覚を麻痺させていくことが成長であると勘違いしているのではないのか。

だから僕は学生にいつも、介護の現状が決して全て良いと言えないのであれば、それを変えない責任は、毎年たくさんの人が資格を得て、介護サービスに従事していく介護福祉士が、その責任の多くを負うべきであると言っている。

介護福祉士が悪いと言っている。

数年前、栃木県宇都宮市の老健施設では、職員がベッドの下で四つんばいになっている認知症高齢者を携帯電話で撮影し同僚たちに見せて笑っていた。別の介護職員は、認知症の女性入所者の顔にペンでひげを書き、携帯電話で撮影したというのである。 さらに90代前後の女性入所者を車いすからベッドに移す際、高く持ち上げて乱暴に落とした職員の存在も明らかになった。

運営していた同法人が、介護職員に聞き取り調査をしたところ「親しみを込めてやった。かわいかったから」と話したという。 そして法人理事長は「悪意がなかったため、(虐待に)当たらない」との見解を示し、宇都宮市は市の見解として、職員の行為は虐待には当たらないものの不適切で、職員教育も不十分だったなどとして、同施設に介護保険法に基づく改善勧告を行うにとどめた。

法人も市も常識を失っていないか!!しかし何よりその施設では、不適切な行為を行っていた職員のほかに、それを見て知っていた数多くの職員がいるはずだ。それらの人々は、そうした行為が行われている実態を、理想と現実は違うということだけで受け入れていたと言うことなのか?感覚を麻痺させてしまって、人間として許されない行為が何かということまでわからなくなってしまっていたのではないのか。

我々は人間の命と暮らしに深く関わるのだから、人の暮らしを守るために、人として何をしなければならず、何をしてはいけないのかという部分に関しては、どんなに年をとっても、経験を重ねても、innocentであるべきではないのか。たとえそれが蒼臭いと言われようとも、純真無垢を恥と思わないところからしか見えないものがあるのではないのか。

innocent(イノセント)だけで仕事はできないというのはその通りであろう、しかし残しておくべきinnocentまでを失わせることが、我々の求めるものであるとしたら、それは決して介護サービスという職業が誇りをもつことができるものとは言えないのではないのか。

純真無垢さを失って行くことが、専門職としての成長だとしたら、それは同時に虚しさを伴う歩みとなるだろう。

誇りを持つことができる素晴らしい職業が介護サービスであるために、このことに疑問を持ちながら、自分の中のinnocentを忘れないでいたいと思う。

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待遇を身分だけで判断すると間違える。


実習等のためにずいぶん期間が空いて、今月12日から再開した介護福祉士養成校2年生の授業。

数ケ月ぶりに授業を行なって感じたことは、(クラスの中でも年の差がずいぶんある生徒たちだが)2年生の実習を終えて、当初より随分大人になってきたということである。授業態度にもふわふわしたものが少なくなったように思う。

これから半年、もっともっと鍛え上げて、立派な社会人として通用するように、教職員は汗を流していかねばならないんだろう。僕は1講座の非常勤教員に過ぎない立場だから、これは担任を始めとした、常勤の教職員にお願いせねばならない部分であるが、少しでもそのことに力を貸すことは惜しまないつもりである。

過去の経験で言えば、教壇から見わたす生徒が卒業して、数年後に介護サービスの現場で逢うと、ずいぶん立派になっていたり、まったく立派になっていなかったりで、どちらにしても驚くことがある。どうか前者になっていってください。

進路指導もこれから本格的になるんだろう。早い生徒は、夏休み前に就職先が実質決まっていたりする。介護サービスの世界でも、優秀と思われる生徒は青田買いされていくのが現状だ。なかなか就職が決まらない生徒もいるが、最終的には就職率は100%であることは間違いない。

ただしその結果は、この養成校の卒業生が優秀であるという意味ではなく、介護サービスの量に、人的資源の育成の量が追いついていないため、常に売り手市場で、介護福祉士の養成講卒業生で資格さえあれば、人物がどうあれ、どこかに必ず引っかかるという意味でしかない。このことが我が国の介護サービスの質の面で暗い影を落とす結果になっていることに、多くの関係者は気づいているのに、声を挙げる人は少なく、実際に有効な改善策はないのが現状だ。

残念ではあるが、毎年卒業生の中に、「このまま就職しても大丈夫?」と首を傾げざるを得ない生徒は少なからず存在する。そういう生徒も良い意味で予測を裏切ってくれるとありがたいのだが、予測に違わず、職場を転々としたり、転職したり、どこに行ったのかわからなくなったりする卒業生がいることも事実だ。

それから就職先によっても、ずいぶんと卒業生のスキルに差が出てくることも事実としてある。まだまだ人を育てるということに未熟な職場もある。そもそもそこの管理者のスキルに首を傾げざるを得ない事業者で、若い新卒の介護福祉士がまっすぐ育つわけがないと思う。才能を開花させるのも、枯れさせるのも、最初に出会った上司に左右されるという面もあるのだから、新卒者を教育する介護現場の職員は心して欲しい。

それと待遇もかなり事業間格差がある。無論、学生は正職員を希望し、ほとんどがその希望はかなうのではあるが、正職員とはいっても、その実態はかなり格差がある。特に事業主体の小さな事業者であればあるほど、定期昇給さえまともにない正職員というのもあるし、賞与のない正職員もある。つまり常勤職員ではあるが、まともな待遇ではない正職員も多いので、正職員という言葉だけで選んではいけないという実態がある。

事実、僕の施設には、中途募集をかけると、よそのグループホームの「正職員」が応募してくることが多いが、その正職員の年間収入は、当施設の同じ経験年数の「契約職員」より低い。正職員と比較すれば、はるかに待遇差がある。そう言う意味では、当施設の待遇は、地域の中では極めて良いほうだと思う。現に、僕が講師を努めている専門学校を卒業して、僕の施設に就職している介護職員で、勤続年数が10年以上になっている職員は多いが、それらの職員は主任、副主任クラスになって活躍して、奥さんが専業主婦でもきちんと家族を養っている。

勤続年数に応じた給与を手に入れ、つましくとも、普通に家族を養える待遇ではないと、この職業にに人材は育たないと思う。

そう言う意味では、給料表のない事業者は要注意である。それがないと、定期昇給があるかどうかさえ経営者の胸三寸である。ましてや昇給額もその時になってみないとわからないということになり、人生設計が立てられないのだから。

最近では、退職共済を脱退して、退職金のない職場や、少ない掛金でわずかな金額の退職金しかない事業者も多くなっている。この場合、月の給与手取り額は共済会費のない分高くなるのだが、実質年収は共済会に入っている職場よりかなり低くなるので、生にはその部分も注視して欲しいところである。しかしなかなかそこまで見て職場を選ぶ学生は少ない。せっかく選べる立場にいるのに、もったいないと思う。

どちらにしても学生諸君は、身分だけではなく、その内容もきちんと見て職場を選んだほうが良い。選ぶことができないのであれば仕方ないが、売り手市場なのだから、自らがスキルを高めれば、自ずとそれらを選ぶことができる立場に置くことができるというメリットを活かす自分教育をすべきである。

10年後の自分が、自分自身を後悔しないように。

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巣立つために必要なこと。

昨年度から介護福祉士養成校での授業を受け持っている。

僕が担当するのは「認知症の理解」であり、1年時に15コマ(1コマは90分)、2年時にも同じく15コマ、計30コマである。

そのほかに社会福祉援助技術実習に関連して「相談援助の基礎知識」を4コマ担当している。

そこで考えることは当初「どんな授業をするか」ということであった。つまり自分の担当する授業の内容をいかに理解させるかということが自分にとっての一番の課題だった。

昨年度は1年と2年の両方の授業を担当していると言っても、昨年担当した2年生は、1年生のときはまったく関わりがなく、2年生の1年間だけの付き合いだったので、「認知症の理解」についても後半の半分しか担当していないし、入学時点からの成長の度合いを確認する術はなかった。それゆえに毎回の授業の中でいかに講義内容を「知識」として吸収させるかということを考えるのが精いっぱいだった。

しかし来春3月に卒業する現在の2年生は、新入生として専門学校に入学してきた1年時から関わり、2年間を通して授業を行っており、彼らの様子を観察しているのでその変化がよくみてとれる。彼らが現場に出た時、認知症ケアに対する考え方に問題があるとしたら、それは僕の全面的な責任だろう。近隣施設やサービス事業所の方々は是非直接僕に苦情を挙げてほしい。

授業を受け持ってから2年目の授業もすべて終えた今、僕の興味は、僕が講義する授業内容の理解度にとどまらず、学生がどんな成長を遂げているのかということに関心が向くようになった。

そのため僕自身がどんな指導教官であるべきか、ということを考えることが多くなってきた。

授業内容の理解も大事だが、これから学校を卒業する学生たちが、どのような介護福祉士として巣立っていくのかという部分を強く考えるようになったのである。これは昨年2年時の授業のみを担当した卒業生には考えなかったことである。そもそもそれは1教科を担当する僕の役割ではなく、担任教師の役割と考えていたからだ。

しかし一つの教科と、一つの特別授業にしか関わっていないと言っても、彼らが2年間の学びの時を過ごす専門学校の教員であるという立場は、非常勤という立場を理由にして責任を逃れたり、軽くしたりすることは許されないだろう。特に社会に巣立っていったとき、僕が教えた学生というある意味の「烙印」を背負う学生に対して、社会人としてふさわしいスキルを伝えていくことも僕の責任の一つと思うようになった。

そのための指導も随時心がけてきたが、心がまだまだ未熟な学生には「丁寧に優しく」諭しても勘違いしてしまう場合がある。注意を受けているということを理解出来ない学生もいる。そのため時には強く叱るという形で指導をせねばならない。

しかし僕が専門学校で学生を注意することに関して言えば、それは極めて割の悪い事である。担任でもなく、一つの教科の非常勤講師でしかないことを考えれば、別に注意をしなくとも、叱らなくとも、あたりさわりなく学生と付き合って、自分の担当教科の知識だけを最低限のレベルに持っていけばよい話で、別に「人の道」を説く必要もないし、将来介護の現場にその人がそのままの考え方で入って困ったって知ったことじゃない、という考えも成り立つ。

叱らず優しい教師として自分の存在を規定すれば、そこそこ人気があって嫌われない「虚像」を創ることは簡単である。だがそれは学生自身のためにはならないだろう。

特に僕は授業時間と休み時間のメリハリをきちんとつけるように厳しく指導している。教師が教壇に立つまで廊下でしゃべり続け、教師が生徒が席に着くのを待っているなんていうのはおかしい。僕の授業では時間になったら生徒が席について待つように指導している。時にはそのことを強く厳しく注意する。これは社会人となった後にも注意すべきスイッチ切り替えの訓練でもある。

社会に巣立った際には、プライベートな時間と、職場でスタッフとして働く時間のメリハリをつけることが大事だからだ。介護サービスに従事する人は特にそうだ。プライベートの喜怒哀楽を介護サービス業務の中に持ち込めば、そのデメリットはすべて利用者が受けることになる。介護サービス提供者の感情の揺れが、すべて利用者にぶつけられてしまうのでは、介護サービスの品質保持などあり得なくなってしまう。

日常生活の疲れや悩みを業務の中に持ち込まれてはかなわない。プライベートでなにがあっても一歩職場に入れば、プロとして業務に当たるべきであり、逆に言えばプライベートに「職業」を引きずらないためにもそのメリハリや区分は必要なのである。日常は仕事を忘れ、大いに人生を楽しんで、職場ではプロとして倫理観と理念を持って利用者に対峙するのが介護福祉士である。そのためにも授業と休み時間のメリハリをつける訓練は重要だ。

しかしどうも他の先生はこのことに関する厳しさに欠けているように思う。

先日も「今日はどうしたことか全員席について待っていました。」という教員がいたが、それは僕が強く注意したその日のことである。そうするのが当たり前と考える教師が少ないから、学生がだらけて、スイッチのオン、オフがスムースに切り替えられない人間を、介護の現場に送り出してしまうのだ。ここは大いに反省すべきである。

だがなかなか注意を素直に受け入れられない学生がいることも事実だ。残念ながら僕が関わった学生でも、その態度が直らないまま授業を終えてしまった者もいる。そういう学生は本当に社会人としてきちんとした仕事をこなすプロになることができるのだろうか?大いに心配である。

授業中に寝ている学生を起こすのは当たり前だし、そのことで注意されたら「起こしてくれてありがとう」「寝ないように注意されるのは当然だ」と考えるのが普通の感覚である。にもかかわらず「授業中に寝ないで、きちんとした姿勢で授業を聞け、それが嫌なら単位はやるから教室から出ていけ」と注意されても、ふてくされてだらしない姿勢をあらためない学生に未来はない。

そしてその姿ほど醜いものはない。そういう意味では昨年から受け持っている現在の2年生に対しては、最初の1年生の時の、僕の授業態姿勢に厳しさに欠けるものがあったと反省している。

現在の介護福祉士資格は養成校を卒業さえすれば資格付与される。国家試験が課せられるのは2015年以降の卒業生からである。そうであるがゆえに養成校の学習はより重要である。卒業した瞬間に、社会人として福祉援助や介護サービスの現場で即戦力となる「人間力」をつけねばならない。

国家試験を受けない介護福祉士が現場で評価を下げれば、いずれ介護福祉士の資格は「国家試験介護福祉士」と「無試験介護福祉士」とに区分して評価され、両者の差別化が進行しないとも限らない。だから現在、国家試験を受けずに資格付与されている介護福祉士は、この先試験を受けて資格を得る介護福祉士より、より多くの努力をしてスキルを上げていかねばならない宿命を背負っている。

しかし実情は、すべての卒業生がそうした能力を持つわけではなく、未熟な状態のまま卒業し巣立っていく場合がある。そのことを憂い、その反省に立ち、その状態をなくすために、一非常勤講師という立場ではあるが、僕は時に注意する人になるし、そのことで学生から煙たがられることは恐れない。そんなことを考えるようになった。

先月からは、今年4月に入学した1年生の授業が始まっている。彼らに対しては、今まで以上の思いと厳しさで授業に臨んでいる。

※昨日まで不具合が生じていたライブドアのアクセス解析がやっと正常化したようですから、週間アクセスグラフを再表示します。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

成長動機のない人は福祉援助に向かない

格好良さってなんだろう?

姿かたちの好みは人それぞれであるから、そういう意味での格好よさの感じ方は個人差があるし、その価値観を他人が「違う」ということはできないだろう。

しかし人としての姿、心の持ちようを含めた人間としての美しさというものは別なところに存在するのではないだろうか。そしてそれは個人差で好みが分かれるというものでもないように思う。

そういう意味の格好よさを考えた時、若い頃、格好良いと思っていたことが、年をとって考えるとなんと格好悪い事だったのかと気づくこともある。でもそれは人間の姿としての見てくれは変わっていないのであるから、その時は格好悪さに気がつかなかっただけで、その時も醜い姿だったのではないかと考えたりしている。

僕は昔煙草を吸っていた。それも中学生の頃からである。煙草を吸い始めた理由は「煙草を吸う姿が大人びて格好良い」と思ったからである。しかしいつしか人前で吐き出す煙を何とも感じない自分の姿は格好悪いと思うようになった。煙草をやめた理由はそれだけではないが(参照:私はこれで煙草をやめました。)、自分の格好悪さに気がついたことも動機の一つだろう。

勘違いしてほしくないのは、僕がここで感じている格好悪さとは、「煙草を吹かす」という姿のことを指しているのではなく、その煙で迷惑する人がいるのではないかと考えない自分自身の姿のいやらしさを指しているのである。それは喫煙者を否定するものでもないことは断っておく。要は他人に対する配慮の心があるかないかという問題である。

ところで若い頃はいろいろなところで格好をつけたがる時期である。逆に言えば格好悪いということを一番嫌がる時期でもある。

特に人に注意されることは格好悪いと感じる人が多いだろう。しかしその注意の意味を考えずにふてくされる姿ほど格好悪いものはないということに気がついてほしい。

勿論「注意される」「怒られる」という状況は、常に注意を受ける側が悪いというわけではない。

世の中には理不尽なことがいろいろあるのだから、学校で、職場で、社会で、謂れなき非難を浴びることはあるだろう。そういう場合は反論する必要もあろうし、時と場合によっては無視して放っておく必要もある。特に職場の上司等が自己の価値観にしか依らない感情でヒステリックに「怒る」という場合は無視したらよい。

しかし注意を受ける側に非があり、そのことをきちんと指摘してくれることによって、そうした非のある部分に気がつくような場合は、これは自分自身の利益に繋がるもので、注意してくれたり怒ってくれたりする人に感謝こそすれ、恨んだり根にもったりすることはおかしい。ましてや「ふてくされて」終わってしまっては自分の醜さだけが残ってしまう。そしてそれはその人自身にとって哀しい状態と言える。

そもそも職場や学校で注意をしてくれる人はありがたい存在なのだ。誰も人から嫌われたくはないので、怒るということにエネルギーを使いたくはない。しかし怒らないと気付かない人がいるから、優しい指導だけでは勘違いする人がいるから怒る場合があるのだ。

例えば僕が専門学校の特定教科の講義に出向く場合、その教科の知識のみを伝えれば役割を果たすので、社会人としての素養を考えて学生に指導する必要ななく、それは担任教員など専任の教員に任せればよい事である。しかし専任の教員には分からない、現場の施設長から見た学生の欠点を感じ取る能力が僕にはある。そこは絶対に直した方がよいし、それが学生のためなのである。それは時に個人の態度であったり、集団に所属するメンバーとしての態度であったりする。そのことを注意して僕が得るものは何もないが、やはり一人ひとりの可愛い教え子の将来を考えて怒ることがある。厳しく注意することがある。

これは感情的な、ヒステリックな怒りではないのである。そのことも同時に伝えるために僕は、「何が、なぜ悪いのか、おかしいのか」ということも言葉で具体的に説明しながら注意することに心がけている。

その時に、注意されたり、怒られたりしたことの意味を考えずにふてくされるだけの学生は、将来伸びないし、場合によっては福祉援助や介護サービスの現場に向かないと考えてもよいだろう。

そういう意味では、注意されたり、怒られたりする意味を深く考える人になることが大事だ。愛情のある注意と、単なる非難や罵倒を区別して考える人にならないと人間的な成長はない。

人間は失敗する存在である。しかし同時に失敗から学ぶことができる存在でもある。同じ失敗を繰り返す人は、この「学び」がない人という意味だ。対人援助に関わる人間であるなら「学ぶことができない」というのは致命的な欠陥だ。なぜならそれは人の不幸を何とも思わないということと同じであり、人の幸福に繋がる援助に繋ぐことができない人だからである。

自らの成長動機とは、福祉援助や介護サービスの世界では、援助を受ける人々の暮らしの質に直結するものであるということを理解せねばならない。

自分の事を真剣に考えてくれて「怒ってくれる人」は実は貴重な存在なのだ。そのことに気がつかない自分の姿は「格好悪い」のである。

少なくとも僕は、教育の場で人を憎んだり、蔑んだりして怒ることはない。もしそういう感情で怒りをぶつける自分に気がついたら、自らその場所から退場するだろう。

なぜならそこにいるのはすべて愛すべき生徒たちだからである。ただ残念ながら彼らはそのことにあまり気づいていないだろう。

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愛する人でいてください

僕が非常勤講師を務める介護福祉士養成校の2年生は、6月中に学生最後の実習を終え、既に通常授業に入っている。

僕は昨年から授業を受け持っているので、2年間ずっと関わって卒業していく最初の学生が彼ら、彼女らである。

思えば考え方も授業態度も、幼かった入学時と比べると2年間の学習と実習を経るとそれなりに大人になっている。考え方もずいぶんしっかりしてきた。
(※個人差があり、まだまだ社会人として通用しない態度や考え方の学生も存在することを否定しない。)

とは言っても僕の担当は「認知症の理解」であり、その時間しか接していないので、彼らの成長に僕はほとんど役立ってはいない。

ただそうした少し遠い存在だから、余計に変化が分かるのかもしれない。担任だと毎日のように接している生徒の変化には気づきにくいだろう。だがこの幼い考えの生徒を毎日指導しなければならない担任は大変だ。授業の理解度だけではなく、人間として成長させるための生活指導も担任の役割なのだから、さぞ苦労が多い事だろうと想像する。

ところで、僕の授業では実習前に学生に2つの課題を与えた。それは

1.実習中に認知症高齢者ケアについてどのようなテーマを持って学びたいか。
2.実習先で、認知症高齢者の方々に対し接する際に自分が一番大事にしたいことは何か。


という2点である。これを実習前の授業で考えさせ、レポートにまとめたものを一端回収し、実習後の最初の授業でそれぞれにレポートを返し、その課題やテーマは的を射たものだったか、その実現度はどうだったかをグループ学習で議論させ、他者の意見も参考にしながら自己評価を書かせた。

実習課題も実習を終えて振り返ると的外れなものや、不十分なものもあったという反省もあったようだ。自己評価は厳しいものが多いが、それだけ高い部分を見ることができるようになったのだとポジティブに評価してよいだろう。

しかし実習を終えてもなお認知症高齢者のケアについて、正しい回答を導き出せなかったという意見がある。これはマニュアルがある世界でもないし、答えは一つではないので、ある意味やむを得ない部分もあるが、しかし実習中に遭遇した個別のケースについて、その実習期間中に行ってきたことや、今後そこで提供されるであろうサービスがよいのかどうなのか分からないという意見もある。これは単に学生の勉強不足とか理解不足と斬り捨ててよいのだろうか?

その意味は、実習先で答えになるような認知症ケアの方法論を学生が見つけられなかったという結果でもあり、同時にそれは学生が求めていた答えなりヒントなりを、現場の担当職員が明らかにできなかったという意味ではないのか?すべての現場関係者、介護福祉士は、そのことを考えるべきではないだろうか。

学生の様々な疑問に実習先の職員はきちんと言葉で説明できていただろうか?それは正しい知識と根拠に基づいたケアで、おかしな理屈で現実のサービスが絶対的なものとして価値観を押し付けるだけだったということはなかっただろうか。

実習先での学生は「おかしい」「違うのでは」と感じても、実習指導者に素直にその疑問をぶつけることには躊躇が伴う。多くの場合、遠慮して指摘できない、尋ねることすらできないというのが現実だ。これは我が身が実習生であったころに置き換えて考えても心当たりのあることだろう。疑問は遠慮なく聞いてよいという実習担当者がいる半面、自分らの行っていることを絶対視し、疑問を批判と受け取り、建設的な指導に結びつかない担当者もいるのが現実だ。ここは介護現場の教育意識をもう少し高めて変えなければならないところである。

学生の感じた「おかしさ」や「疑問」について様々な事例を抽出して検証すると、9割方学生の感覚の方が正常である。頻回に椅子から立ちあがる人の横について、立ちあがるたびに席に着くよう「見守りなさい」と指導された学生が、指導された通り椅子に座るように促し続けて利用者から怒鳴られたケース。「歩きたいから歩くのを手伝った方がよいのでは?」と感じる学生の感覚の方が正常で、「ついこの間も歩いて転んだからそれは駄目」という指導者の感覚の方が異常である。転倒して怪我をしないように注意するのは、歩けなくなっては困るからだ。最初から歩く機会を奪って安全では意味がない。ケアサービスはいつから介護職員や事業者のための「安全安心」が優先されるようになったんだ。安全に安心に暮らすべきは利用者だぞ。立ちあがって転びもしないのに、すぐに立っては駄目だと言われる生活が安心の生活なのか?

ここの感覚麻痺をどうにかせにゃあならない。

しかし感覚を麻痺させているのは、「昨年まで、一昨年まで、そのずっと前までの学生」だという事実がある。僕は今の学生に強くそのことを主張している。あなたがた自身が学生の時に持っていた感覚を、介護サービスを職業にした途端に数カ月で失うことが今の現実を創っていると・・・。それではサービスの質は変わらないと・・・。

現実に流されて現実をより良い方向に変えようとする考えを失ってはいないか。これが永遠のテーマである。適応するのと麻痺するのとは違うのだ。利用者の声なき声を受け止める感性を失わないでほしい。

最初に示した2番目の課題に一言「笑顔を忘れずに接したい」と書いている学生がいた。文章は幼いが、これは大事なことである。ベテランになるほど、この当たり前を忘れがちである。我々の笑顔は、利用者が笑顔になることでより輝けるのだ。そのためには我々が職場で笑顔を忘れないという姿勢も大事だ。ただできれば、プロとしての意識なんか持たなくても、高齢者の方々も介護者も、ともに自然に笑顔になる、そういう介護の現場であれば、これは理想である。そうしなければならない。

少なくともプロであるなら生活の疲れを職場に引きずってはならない。家庭で何があろうと、プライベートな時間に何があろうと、何かあったということが職場の同僚や、利用者が容易に気づくような態度しかとれないのではプロではない。それは素人が素人の援助技術でしか仕事をしていないというレベルで金銭対価を得ている状態と言え、詐欺まがいと言われても仕方がないのだ。

ところで、笑顔と「笑う」という行為は必ずしもイコールではない、ということを考えてほしい。笑うという行為は時として人を蔑んで「あざ笑う」ということを意味する場合がある。それは本当の意味での笑顔ではない。認知症高齢者の顔にクレヨンで絵を書いて「可愛い」と笑って写メを撮り、携帯メールを職員間で回し見して笑っていた宇都宮市の施設の職員の「笑い」とは後者の笑いである。

それは第3者から見ればとても「醜い顔」である。

我々が求める笑顔や笑いとは、人を愛する笑顔である。人が愛されることを尊ぶ笑いである。

どうぞ、人を蔑み、あざ笑う人にならないでください。
どうぞ人の不幸を笑ってみていられる人にならないでください。
どうぞ人を愛する喜びを知る人になってください。
どうぞ人を愛する笑顔が美しいと感ずる人になってください。
どうぞ人を愛する人でいてください。

その時の貴方の笑顔はきっと誰にも負けない素敵な表情になっているでしょう。

(学生にメッセージを送ってください。授業で紹介させていただきます。きっと彼ら、彼女らにとって現場の先輩からの声は勇気になり、励みになると思います。ご協力いただける方は下記投票のコメント欄にご記入協力ください。)

※ケアマネジメントオンラインで僕の著作本が『話題の1冊』として紹介されました。是非この記事もご覧ください。

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創造力を育むもの、芽を摘むもの。(後篇)

(昨日からの続き)
関係者の方々からのお叱りを覚悟の上で、あえて本音を書く。

介護支援専門員の資格試験は、非常に狭い範囲の、たいした難解でもない問題を解いて、一定点数に達すれば合格できることにおいていえば、レベルの低い試験であり、そういう意味ではさして自慢できる資格ではない。

別段優秀な頭脳や、専門知識を持った人間だけが合格しているわけではないのだ。なかにはこの人の頭には脳みその代わりに、マヨネーズでも詰まっているのではないかと思えるほど「物分りの悪い」「見識の低い」「応用力のない」合格者がたくさんいる。
(勿論、その一方では優秀な人材も数多く存在していることを否定しない。)

そういう玉石入り混じった合格者を教育するのが実務者研修である。

しかし一部の人々を除いて、この研修担当者の教育観が非常に低い。すなわち「教官たちは頭脳のかぎりをつくして教えているわけであります。すなわち教官の能力如何が学生に影響するため、勢い教官は懸命に研究せねばならぬ」という状態ではなく、国から与えられた教科書を唯一の拠り所に、何の工夫もなく、テキストに書いてある権威を伝えるだけの内容になっているから、マヨネーズ頭の介護支援専門員が大量生産され、ケアマネジメントと称した、価値観の押し売りを行っている例が枚挙にいとまがない。

ゆえに受講者側も「学生も大いに啓発されてゆく」という状況にはならず、教科書の信奉者であり、かつ朗読者である講師の言葉を暗記するか、メモするだけのモチベーションしか持たない。

講義だけでは得るものが少ないという理由で行われる演習にしても、根本となるべき想像力と創造力の重要さを基礎として教えていないから、そこでは与えられたテーマについて表面上取り繕って話し合うか、職場や仕事の愚痴に終わるかの結果しか残さず、スキルを獲得したり向上させる演習とは程遠い内容で終わっている。

そもそも実務研修などの限られた時間で、ケアプランの作成実務を教科書に沿って教えようとするだけでは、文章の書き方を覚えるだけで、利用者の暮らしを守る援助者を養成することにはならない。本来そうであれば、ここは技術的な部分は多少犠牲にしても、社会福祉援助の本質部分、その真理を伝えるべきなのである。

現在の研修は、サービスの種類と、それを利用者に結びつけるべきケアプランの定型書式の書き方を教えるだけだから、暮らしを援助できないケアプランナーだけを大量生産する結果となっている。

これは一面恐ろしいことで、医師の養成課程にこのことを例えるなら、人間の身体生理学の知識を多少かじって、薬の種類と名称だけを覚えた者に、処方箋の書き方だけを教え、まともな治療技術のない状態であっても医師免許を与えるような状態といえる。そこで病者を治うできるかどうかは、個人の資質と資格取得後の努力にゆだねてしまい、その過程で技術が足りなくて患者を死なせてもかまわないという論理と同じである。本当にこのような医者がいたら恐ろしくて病院にも行けない。幸いなことに医師の養成・教育課程はそのようなずさんな状態ではない。

しかし今ケアマネの養成過程は、例に挙げた状態と少しも変わりがないのではないのか?

本来暮らし作りに関わる、最も個別性の高い援助であるケアマネジメントは、教科書の文章で伝えられる部分はわずかであり、真理は自得する以外ないのである。その真理の自得を促す教育とは、教科書の文言の伝達ではなく、教育者自身が持つ真理を自身の言葉で伝えて、そこから自らの真理を導き出す方法の教示を与え、動機づけを与え、モチベーションを高める役割である。

ケアプランの文章を書くことも大事だが、ケアプランを作れても、人間の暮らしの援助ができなければ意味がないのである。本末転倒教育が行われているのではないか?

特にICFに基づくポジティブプランの導入ということにこだわり過ぎて、計画書の項目の書き方を定型化してしまい、その結果、ポジティブどことか、人間の生活にそぐわない不自然な課題や目標ばかりの意味不明プランばかりになっている。そんな状況をおかしいと現状認識しない専門職はいずれ消えてなくなる必要がある。

教科書を使える教師であっても、教科書しか使えない教師では駄目なのだ。そして本当の教科書とは自分の頭の中にしかないことを自覚すべきである。少なくとも「介護支援専門員基本テキスト」や「四訂・居宅サービス計画作成の手引」(いずれも長寿社会開発センター)は、このことに何の効果も期待できない代物である。はっきり言ってあの本の著者はICFとポジティブプランへの考え方を示そうとするあまり、本来の計画書の文言を現場職員がどう理解できるかという部分の考察に著しく欠けた考え方で終始しているので、ケアプランとして機能しない計画書作成方法を掲載しているに過ぎなく、悪書の部類に入りだろう。そんなの要らないのだ。

文章としてのケアプランが作れても、現場で課題解決に結びつくツールになっていないなら、そんなもの必要のない無駄な紙切れに過ぎない。現在の実務研修は無駄な紙切れの大量生産工場である。

僕は介護福祉士養成校でも授業を受け持っており「認知症ケア」を担当しているが、学校が備えた教科書は一応目を通すが授業ではそれを使わない。勿論教科書の中身から必要最低限教えるべき内容はきちんとピックアップして、それらは生徒に教えるが、教科書の内容そのままを教えるのではなく、自分の言葉で、自分なりの方法でその知識を伝えている。だから当然生徒の理解力、習得度によってその方法は異なってくるので、シラバスは同じでも、毎年同じ授業内容になるということではない。

ここから下の記事内容は多少手前みその部分があることを断っておくが、大学の授業にもユニークな方法を取り入れている方がいる。

鹿児島国際大学の古瀬教授は、授業の中で、福祉関連のブログを生徒に読ませる方法を取りれており、先日は僕のブログが教材として取り入れられた。「6月3日の社会福祉概論」の記事を参照していただきたい。ちなみにこの時に取り上げられたブログ記事は「小さな瞳が見ようとしたもの」であり、ここに学生さんから当日たくさんのコメントも寄せられているので参照していただきたい。

また大学のゼミ教材に僕の著作本を使って下さっている方もいる。「メケアロハプメハナ〜介護に関する本のこと」を参照いただきたい。

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創造力を育むもの、芽を摘むもの。(前篇)

僕は今、鹿児島空港の搭乗口にいる。これから羽田経由で北海道に戻るが、天気の回復した鹿児島は流石に暑い。今日も30度を超えているが、しかし気温の高さより、湿度の高さが道産子にはこたえる。黙っていても汗が吹き出すほどだ。だがこの湿気を不快に感じないほど、今回の鹿児島で出あった人々は、気持ちのよい、すてきな人ばかりであった。みんな大好きになった。本当にありがとうございました。またお逢いできる日を楽しみにしています。

さて本題の記事更新に移りたい。

最初に断っておくが、今日は社会福祉援助技術について(特にケアマネジメント技術について)それをどのように育むかという問題を語る記事である。

戦争や軍事に関して語る記事ではないが、冒頭はどうしても以下の挿話からはじめねばならない。

日露戦争・陸戦において最も凄惨な戦いであった旅順要塞攻防における二〇三高地の戦いを、劇的な戦術転換によって日本側に勝利をもたらしたのは、乃木大将(第3軍司令官)の指揮権を一時停止して、これに取って代わって指揮をした満州軍総参謀長・児玉源太郎であることを知らない人はいないだろう。

その児玉には、作戦頭脳として二人の優秀なスタッフがいた。松川敏胤(としたね)と井口省吾である。

そのひとり井口省吾が、後に陸軍大学校の教頭を務めていたことがある。その当時の陸軍大臣が軍隊指揮の経験を持たず軍政畑のみを歩いてきた寺内正毅(まさき)であった。

寺内は何の独創性も持たない代わりに、極端な規律好きであったことから、当時の陸軍のオーナー的存在であった山県有朋から「君は重箱の隅をせせるような男だ。」と評されたことがある。もっともこれは寺内をなじった言葉というより、当時の山県は長州閥の親玉という存在であり、実質的には国政を牛耳るほどの魔王的権力を握っており、同じ長州出身であるというだけで、軍事の才能がないまま出世した寺内に対して、長州藩閥の保護者としての愛情をこめての言葉であったろう。

この寺内がある日、陸軍相の立場から、井口陸軍大学校教頭を庁舎に呼びつけ「陸軍大学校に教科書がないのは、はなはだ不都合ではないか。」と叱責したことがある。寺内に何か定見があっての叱責ではなく「その教育状態がはなはだ不秩序になるのではないか。」といういかにも規律好きの寺内の価値観に基づく叱責である。

これに対して、児玉源太郎の頭脳の一部を担った作戦家である井口省吾は、その職を賭して反対した。そのときの井口の言葉が以下である。

「教科書というものは人間が作るもので、ところがいったんこれが採用されれば一つの権威になり、そのあとの代々の教官はこれに準拠してそれを踏襲するだけになります。いま教科書がないために教官たちは頭脳のかぎりをつくして教えているわけであります。すなわち教官の能力如何が学生に影響するため、勢い教官は懸命に研究せねばならぬということになり、このため学生も大いに啓発されてゆくというかたちをとっております。まして戦術の分野にあって教科書は不要であります。どころか、そのために弊害も多いと思います。しかしそれでもなおこれを作れとおしゃるのでありましたら、私は教頭をやめさせていただくほかありません。」

こう言ったため、この話は立ち消えになった。つまり創造力の養成所である陸軍大学校で、教育方法を統一する教科書を作るということは重大な問題で、それは思考回路を一定の枠にはめ、想像力と創造力を持たない教科書の記憶者にしか過ぎない人間を、最も創造力を必要とする戦場で指揮に当たらせる結果を生むしかなく、これでは戦闘指揮者や作戦家は育たず、それは当時の軍国主義国家にとっては亡国の思想であるという井口の正論が通ったのである。

軍事と、社会福祉援助技術を比較するのは抵抗があるが、あえてこの例を挙げたのは、社会福祉援助を必要とする個人に対して、自らの専門知識と援助技術を酷使する段階で、その個別性にどのように対応する能力を持つべきかを考えたとき、そこにはどうしても個人のスキルとして創造力が必要であり、その創造力をどう引き出し鍛えるかということを考えてほしいからだ。

そもそも社会福祉援助は知識や技術を必要とするといっても、利用者の暮らしに必要な社会資源を結びつける段階では、アセスメントから機械的に抽出される課題やニーズから自動的に必要とされるサービスが引き出されるわけではない。そのサービスの特性をも考慮して、それを利用者自身の個性と結びつけて想像し、暮らしをよくするための具体策を創造する一連の過程がケアマネジメントである。しかも場合によっては既存の社会資源以外のサービスをも創造する力(ソーシャルアクション)が必要なのだ。

しかし現在のケアマネ教育は、利用票と提供票を作り給付管理できる人を大量生産しようとし、現任研修ではケアプランの文書作りに主眼が置かれ、それも画一的表現方法という枠にはめ、創造力を限りなく削って定型のケアマネジャーを養成する方法にしかなっていない。

その証拠は、介護支援専門員の実務研修や資格更新研修において「教科書に準拠してそれを踏襲するだけ」の講師がいかに多いことかということで明らかだ。授業内容を「懸命に研究」している講師は一体何人いるのだろう。その状態は嘆かわしいほどである。

教科書を使いながら真理を教えるならともかく、教科書に書いてあることが絶対で、その記述内容を伝えるだけの人間は教育者ではなく、単なるメッセンジャーでしかないということをわかっていない。

現在行われているケアマネ養成教育課程は、国が定めたケアプラン作成方法を押し付け、一定の枠にはめて個性を奪い取る教育方法で、そこでは創造力の芽は摘まれざるを得ない。しかも教育する側が、そのことを分かっておらず、教科書の文章の伝達が「よいケアマネ」を育てる方法だと思い込んでいるから、本当の意味で暮らしを守る援助者は、その研修からは生まれない。
(明日に続く)

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認知症の理解は学校から現場へ

今年度から介護福祉士養成校の「認知症高齢者の理解」という講義を担当している。

本来は1年から2年間を通して授業を受け持つのであるが、今年度の卒業生(つまり現2年生)は1年間だけの付き合いだ。だから短期間の付き合いで全員の名前と顔の一致も不十分な状態で授業を終えるのは申し訳なく思っている。

講義は1日に90分の授業を2回行い、1学年についてそれが15日間である。だから2年生は90分×30回の授業を受け持ったわけである。

認知症高齢者の理解とは、突き詰めれば認知症の方にどう関わって支援をするのか、ということを理解する目的を持つが、そのベースには当然「認知症」について正しい基礎知識を持っていなければならない。ケアの理念は認知症の方も、そうではない方も変わらないだろうと言っても、片麻痺の方の着替えの方法に、麻痺という症状の基礎知識が必要なように、認知症というものの原因や症状の基礎知識がなければ正しい支援のあり方はみえないだろう。

東京都文京区根津でキラキラ輝きながら小規模多機能居宅介護を経営し、地域の認知症の方々をキラキラさせている炭酸ひげ男は『認知症ケアの専門性は脳の科学を基に行うべきである。もちろん、ご本人の生活歴を洗い出して、ご本人に寄り添うケアを行う事が前提であるが、それは「認知症ケア」ではなく「ケア」である。』と語っている。彼の文章は、慣れたものではないと解説が必要であるが(ヅカちゃんゴメン、お詫びに今度代わりに奥さんに一度殴られてあげます。)つまりは、きちんとした脳科学をベースにした認知症の専門理解に基づく知識を前提にしたケアの方法論ではないと、行き当たりばったりの対症療法しか生まれないよ、という意味であって、決して「認知症高齢者」を認知症というフィルターを通して見つめて支援に当たれ、という意味ではない。

僕も全く同感で、講義の最初は「脳と記憶」ということで、たっぷり360分間(つまり90分授業×4回)脳のメカニズムと記憶の関係をベースに、認知症について、何がどのように障害されて起こる症状なのかという授業を行った上で、介護支援者としての対応方法や、その基礎となる理念について教えている。そして授業の半分はブレーンストーミングという方法で行うグループ学習で、生徒たち自身が考え、意見を交わし、発表する。という形にしている。

僕はこの授業の一部では、既に介護の現場に入ってすぐサービス担当者会議に参加して発言できるような状況も作り上げている。最初はぎこちなかった生徒たちも、後半は実に生き生きとした表情で、いろいろなアイディアを出し合い、正直僕が期待した以上の成長ぶりを見せてくれている。

僕は今回講義の最初に「あなた方は国家試験を受ける必要もなく、卒業さえすれば介護福祉士という資格を取得でき、有資格者として現場で即戦力とされるという責任があるんだから、授業で教わったことはすべて自分自身の知識とする義務がある。だからここでは介護の現場で役立たない話はしないので、全部吸収する努力をしてください。よって一生懸命頑張っても期末試験の成績が悪いのは許すが、居眠りして授業を聞かないということは一切許しません」と宣言した。

それが効いたのか、卒業させてもらえなったら大変と思ったのか、30回の授業中居眠りをしていたものは皆無である。グループワークでも「お客さん」で終わった者も皆無である。

だから僕は、僕の担当授業に関しては生徒達全員に合格点を与えるつもりである。しかし期末試験は避けて通れないということで、問題を作って試験を受けさせなければならない。その試験範囲を聞かれたので、僕が授業中に話した範囲全部で、かつ授業中に話したことしか出さない、授業をきちんと聞いていた人は合格する問題にするから、特別な試験勉強は僕の担当授業以外の事をしなさい、と話している。

だから試験問題はあまり難しくない。難問・奇問はない。しかし彼らが最後に身につけた知識は、現場で認知症ケアに関わる際に必要となる基本部分はしっかり確保した水準であると確信している。こと認知症ケアに関してだけ言えば、わずか2.700分しか受け持たない授業ではあったが、その基本はしっかり身に着けさせた。養成校講師の責任としてはここで終了だ。

その後、彼らのセンスや知識や技術を伸ばすも、殺すも、介護サービスの現場のスタッフの力量にかかっている。手渡すから頼むぜ。マンパワーの育成とはそうしたものだ。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

合同研修会は曲がり角

登別市の介護支援専門員の地域会である「のぼりべつケアマネ連絡会」は、周辺他地域のケアマネ会と合同で年1回研修会を開催している。

これは平成15年を第1回として始めたもので、当市の地域ケアマネ会のほか、伊達市・室蘭市・白老町の4地区の地域ケアマネ会が毎年事務局を持ち回りして、事務局が主体となってテーマや内容を決めている。当初は、製薬会社などのスポンサーに共催してもらって、会場費や講師謝礼などの費用を負担してもらっていたが、現在は担当事務局の運営費の中から支出する、という形になっている。

これもよいのか、悪いのか?

予算基盤が決して強固ではない地域ケアマネ会にとって4年に一度の合同研修会開催費用の捻出は決して楽ではない。特に予算に余裕のある地域の事務局が、他地域から見れば随分贅沢な予算付けをして研修を開催するのは考えものだ。あくまで4地区合同で研修を行う主旨に沿って、毎年各地区から均等割りにした費用負担の範囲で開催できる形で再考した方が良いのではないかと思ったりもする。

そうでないと会員の為になる情報と勉強機会を合同で持つということが大事なのに、何かイベント的な発想に陥って、有名な大学教授を呼びさえすれば良いような傾向になってきているのではないかと危惧されるからだ。

先日16日夜、本年の4地区合同研修会の第1回準備会議が行われ、この中で開催日が9月18日(土)にしたいと提案があった。僕は時期をずらしてほしいと要請した。なぜならその週末は20日の月曜が敬老の日の3連休で、多くの地域では「敬老会」が行われ、介護施設でも敬老の日を祝うイベントが行われるため、その日程での研修会に参加することが難しい会員が多いからである。事実、僕の施設では19日(日)に「緑風園まつり」という当施設一番の大きなイベントを行うため、その前日も準備等で研修会に出ることはできない。そもそも高齢者福祉に携わっている介護支援専門員の会員を対象にした合同研修会は、各地域で敬老イベントを手伝うことを想定し、この週の開催はしないというのが「常識」であったはずである。

ところが既に講師との日程調整が終わっているから、これはずらせないとのことである。それならなぜ準備委員会が必要なのか?単なる伝達委員会ではないか・・・。

しかも講師の都合といっても、その講師に是非今回の合同研修をお願いせねばならないのかということが大いに疑問である。その講師が話す内容が今、介護支援専門員に求められているテーマなのか?

そのテーマとは「認知症ケアとケアマネジメント」で、講師は東北福祉大学教授で認知症介護研修仙台センター所長でもある加藤 伸司さんだ。僕個人的には加藤さんの話は何度も聞いているし、今この時期に是非聞きたいテーマでもない。特に認知症ケアに関する研修は、この地域でもかなり頻繁に行われており、是非今年の合同研修会のテーマにしないとならないような問題でもない。そうであれば、わざわざ多くの会員の都合がつかない日程にしか呼べない講師を、あえてこの時期呼ぶべき意味があるんだろうか?と疑問に思った。

しかも講師料として支払う予定の金額を聞いて驚いた。講師の方に失礼のないように、といってもこれほど高額な謝礼金が必要なんだろうか?という額である。これは蛇足・・・。

大事なことは有名な先生を呼ぶのではなく、今、地域のケアマネにとって何が情報として求められているのか?という視点でテーマを決めることだ。例えば、今年なら間違いなく再来年の制度改正に向けて、来年1月の通常国会に関連法案を提出するために10月にもまとめられようとしている「地域包括ケア」を含んだ報告とその議論に関する問題についてではないのだろうか?
(参照:地域包括ケア構想を斬る

特にこの問題をめぐっては、僕らケアマネの仲間が、今、このままの形の法案提出を何としても阻止しようとして戦っているのに、その時期に4地域のケアマネが一堂に集う研修会で、何度も繰り返されているテーマである「認知症」を勉強しなおすというのは、僕からすればずいぶん「のんきでお気楽」である。これは認知症ケアが大事である、という議論とはステージの違う問題である。

それもせっかく1年に1回しかない機会なのだから、多くの会員が参加できる時期選定ということがまず考えられてよいと思う。

テーマさえしっかり決めておれば、その内容に沿って話を出来る講師の方は全国レベルでは決して一人や二人ではないだろうし(認知症のケアマネジメントだって加藤さんじゃなくって良いと思うけどなあ)、ケアマネ会会員の都合に合わせて日程が調整できる講師もいるはずである。ましてや今回予算付けしている費用をかけるなら、かなり広い範囲にわたって声をかけることが可能である。会員の参加しやすい日程調整ということを無視した合同研修ならいらないのだ。

このように、地域ケアマネ会としての合同研修の当初の主旨からはずれ、イベント的な開催になっている現状を大いに嘆くのである。

来年は僕の地区が事務局であるが、この合同研修を来年以降続けるべきか?僕自身は懐疑的になってきている。そろそろ合同研修会のあり方全体を討論すべき時だと思う。

今年8回目の開催を終えるということは、各事務局(各地域)それぞれ2回事務局を務め終えるわけだから、もう一度白紙から「合同研修会が必要か?」ということも含めた議論を行う時期に来ているのだろう。

はっきり言ってテーマを絞り込んで考えない研修会などなくて良いのだ。

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何のための大学だか・・。

世間では学生たちが既に夏休みに入っていたり、もうすぐ入ろうとする季節である。

僕の長男は大学3年生だが、この夏休み期間は実習のため、プライベートな時間はほとんどとれない。幸い実習先が実家近くの公的機関であるため、実家に帰省して通えるのが親にとっても安心だし、嬉しいことではある。

大学生の実習は、自分の専門研究の糧になるものであるし、大学で培った知識を実地の場で確認して自分なりの技術を磨く場であるので、人生のこの貴重な一時期に、そうした体験を持てることに喜びを感じてほしい。

遊びや、休養の時間は人生の中で、これからいつでも取ることができるが、学生という身分で、誰かを指導教官として現場で学ぶという機会は2度とないのだ。それは実際に職業に就いた後のOJTなどと全く異なる「実習機会」であり、未熟であっても社会人である場合には間違うことができないこともあるが、学生実習であるがゆえに許容されることもあるだろうし、自分の職業に対する「向き、不向き」も自分自身で確認できる機会なのだから、できるだけ大事に真剣に相対してほしい。しかし彼について言えば、親が言わなくても本人は分かっているようである。

ところで最近の福祉系の大学では、3年時または最終学年の夏休みや冬休み、あるいは春休みを使って、社会福祉士受験対策集中セミナーなどを企画して実施しているところがあるらしい。大学によっては、新卒者の社会福祉士国家試験合格率の高さを「売り」にしているところもあると聞く。

正直って馬鹿げていると思うし、そんな大学などなくしてしまえと思う。

大学とは、単なる最高学府というにとどまらず、学術研究の場であって、その道の専門家、研究者を育てる場であり、それは特定の資格を取るだけのことを意味しない。

そもそもそうした特定の資格だけにターゲットを絞った集中セミナーを開催するのが大学という機関の役割だと考えている連中の頭の構造が分からない。社会福祉士の資格を取るためなら専門学校でも行った方がましだろう。そんなことだから豊かな学識やユニークなアイディアを持った専門家が育たなくなりつつあるのだ。

社会福祉の勉強を4年間という期間を費やし学んでいる人間であれば、社会福祉士の資格試験など過去問を少し解きながら、日ごろの知識を積み重ねるだけで落ちる方が難しい、というレベルの試験だろうと(個人的には)思っている。それなのに新卒者の合格率が低いのは、最高学府としての大学の教育方法と、学術研究を学生に促す姿勢が問われているという問題で、集中セミナーや集中講義で詰め込み学習して、知恵にならない知識をまる暗記させ合格率を高めても、専門研究機関としての矜持は保たれない。

資格取得に血眼になって集中セミナーを受けなければならないレベルの低い学生と、その受講を促す頭のいかれた大学教授。こうした学生や大学教授が少子化で学生の減っている時代に、逆に大量生産されている現状が、この国の教育レベルの衰退に繋がっている。それはとりもなおさず、福祉マンパワーのスキル低下に繋がっているといっても過言でないだろう。

特に福祉援助の現場では、コミュニケーションツールとしての言葉や文章は重要なのに、大学を卒業したのに、まともな表現力がなかったり、論文の一つも書けない人間が実に多い。

人間としての表現力は、特定の資格を取ることによっても、集中セミナーで知識を詰め込まれても獲得できるものではない。

だから大学生の長期の休み期間は、実習を行う以外に、人生経験としてのアルバイトや、遊びや、様々な人間関係を通して人間自体を学んでいく貴重な時間であると同時に、自分の研究対象を様々なものから探すことができる貴重な時間でもある。

卒論のテーマに沿った素材を探すために、地方の名もなき図書館で文献を探したり、わずかな時給を得るために、どれだけ大変さがあるかを知るために働いたり、輝く太陽の時間を感じるために寝る間さえ惜しんで遊びまわったり、それが大事なのである。夏休みや冬休みはそのためにあるものだ。

そんな時間を社会福祉士試験合格セミナーに使う方も、使わせる企画をするほうもどうかしている。

大学よ、そこの教授連中よ、単なる国家資格合格者を生産するんではなく、研究者として優れたセンスを持つ若者を育てよ。それが君たちの役割だということを忘れないでほしい。

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乗り越えるべきもの

人に何かを教えることは本当に難しいことだと思う。

単に情報や知識を伝えるだけならさほど難しく感じることではないし、講演や講義形式で自分の考え方を伝えるということに限って言えば、そのことは決して苦手ではない。

しかし「教える」ということは、そういう情報や知識の伝達だけではなく、情報や知識を必要とする人が、それを様々な場面で応用する技術も含めた問題であり、時には情報処理の仕方を教えねばならないし、技術的な問題はそれこそ手とり足とり、噛んで含めたように教える必要もある。噛んで含めなきゃあ伝えてもいないことを「違う」と指摘されることもあるから厄介だ。

どうもこの後者が僕は苦手である。むしろ「見て覚えろ」「技術を盗め」的な指導に陥りやすいので注意しなければならないと思っている。なぜなら、そのような方法を受け入れてくれる人はなかなかいないのが現状で、それだけでは人はついてこない世の中になっているからである。

社会福祉援助技術は、目に見えない様々な要素があるので、口で説明できないものがあるし、我々の実践から感じてもらわねばならないものも多いのであるが、こうしたことも最近では、言葉や文字にして伝えないと分かってもらえないので大変である。特に僕のように「整理」が下手な人間は、順序立てて初歩からテキストみたいなものを作るのが苦手なので、初心者に物を教えることは下手である。

指針やマニュアルは簡単に作れるのに、どうしてこういう初心者テキスト的なものは作るのが苦手なんだろうとつくづく思う。

逆に、ある程度、知識と技術を持っている人に、それをベースにして、より以上のものを伝えることは案外苦にならないのである。要は親切心が薄いということだろう。同時に、面倒くさがりであるということが問題の本質かもしれない。

その点、施設の中には、実に上手に「かゆい所に手が届く」ように一から物事を教えることができる職員がいたりする。こういう人たちがいないと実際の業務は回っていかないので感謝である。

得手、不得手は仕方のないところだから、ここは分担・分業でお互いの得意なところで、それぞれの弱点をカバーしあう必要がある。この点、集団ケアと批判されがちの大規模施設は人材面では多種多様、ユニークで豊富な人的資源が存在するので、ここはメリットとして考えるべきだろう。

逆に言えば、小規模対応型サービスは、ケアソフトとして優れているかもしれないが、一人の経営者や、ごく一部の職員の力量でサービスの質に決定的な差が出てしまったり、価値観が偏ったりするので注意する必要があるだろう。

何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」という通り、やれば良いってもんじゃないことも世の中にはたくさんあるのだから、専門職同士の相互評価や相互批判は必要なのである。トップダウンだけですべてが決まってしまう職場というのは、職場全体の価値観も世間の常識とかけ離れてしまう危険性があることに常に注意しなければならない。

少し話がそれた。教えることは、とっても難しいことだが、教わる側の姿勢も同時に問われてくる問題だ。一を聞いて、一しか覚えられない人と、一を聞いて、その中から様々なことを学びとる人では結果が大きく違ってくる。教わる側も単に受動的存在であるだけではなく、積極的存在として自ら学びとるという考えがなくてはならない。

なぜなら前者の場合、教える人を一生超えられないからだ。今年新しい職場でスタートを切った若い人たちは特に考えてほしいのであるが、今は遠い存在に見える、知識が豊富で技術が優れた職場の先輩やトップも、いずれ年老いて行くのである。その時、替って力になるのが今の若い人たちであるはずで、先輩やトップの人々も、全ての人々が今のあなた方の立場からスタートしてきたんだということを考えてほしい。

それらの人々と、あなた方の将来が同じレベルでどうするんだ。それらの人々から学んでいる「あなた」は、それらの人々を超える義務があるのだ。

真摯に学びとって、受け入れるべきものは受け入れるが、教える者たちが伝える全てが「真理」ではないので、自らの批判力を同時に育てる必要があるものだ。

真理を探す旅の途中に若い人々はいる。やがて自らの「揺るぎなきもの」に手を触れるために、君たちは僕らの頭をふんづけて乗り越えて行かねばならない時も来るだろう。でもそのことは必要で大事なことなのである。

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新人教育は自分教育

昨日、二男が道央のある企業の就職試験を受けに行った。

明日から新年度なのに、なにを悠長なことをしているんだろうと思われるかもしれないが、実は彼の学業はあと1年残っており、卒業は来春(平成23年)3月である。つまり1年後の採用試験を今受けているわけである。合否発表が来週というのであるから、仮に合格した場合、その企業は1年前から来春の新卒者の採用内定しているわけである。今、それが普通なのだろうか?

二男は高校卒業後、自分がしたい道を自ら選んで、専門学校のテクノロジー科(電気工学コース)に進んだ。そこでは「電気主任技術者」という資格も取れるらしく、電力設備や機器、コンピュータ関連、燃料電池までを幅広くカバーした勉強をして、ビルや工場・鉄道・発電所などの現場で役立つ電気技術者に必要なスキルを身につけることができるらしい。この不況下にも関わらず、就職率は100%を何年も続けて維持しているとのことだ。

僕はまったくの文系人間なので、彼の専攻は以外だったし、僕にとっては全然分からない勉強をしているので驚きである。しかも理数系が駄目で国立大学をあきらめた親に比べ、理数系が主である彼の現在の成績は、いわゆる「オール5」で超優秀な成績である。誰に似たんだろう?

そう考えると思いあたる節がある。実は僕の父親のことである。子供の頃の記憶にある僕の父は、三菱金属労働組合の専属書記長をしており、いわば組合活動・労働運動の専任者だったので、てっきり文系人間だと思い込んでいたが、もともと父は技術研究者として実験などに携わって三菱金属に雇用されたらしい。なるほど最晩年は四国の三菱系の研究所でウランなど原子力の研究をしていたのもそれでうなづける。

つまり二男は隔世遺伝で、僕の父親・彼にとっては祖父の血をひいたらしいのである。

性格も父親に比べるとずっと良いし、様々な状態に適応力のある人間だと思う。車の免許をとるためにバイトをしていた当時も、過去のアルバイトの中では一番仕事ができるとバイト先の店長が驚いていた。家庭環境も問題ない子だから、どなたか電気技術者を求めている関連企業を来春の就職先として紹介してくれる人はいないものだろうか・・・と考えたりする。僕も「バカ親」である。(けど、ここをみている人に電気技術関係者はいないだろうな。)ちなみに長男は福祉系の大学に進学しており、4月から3年生である。

それはさておき、明日から新年度である。介護職員の雇用状況も経営者側から見れば毎年厳しいものになってきて、なかなか介護職員の募集に人が集まらない状況がある。介護福祉士の新卒者を求めても、養成校の数や生徒数自体が減っているので、年々新卒者を採用することも難しくなりつつある。介護の世界でも、専門学校の2年生をターゲットにした就職試験ではなく、1年時からの「青田買い」が進んでゆくのだろうか?

そんな厳しい時代ではあるが、明日からこの業界で新しいスタートを切ろうとするフレッシュな人々がたくさんいるはずだ。

各事業者においても、新人が入職し、明日からOJTを中心にした新人教育が始まるわけである。しかし教える側の心構え、態度は大丈夫だろうか。希望に燃え、理想を抱えてこの業界に入ってきた人々の手本になる先輩であるだろうか。彼らを幻滅させるような態度や仕事ぶりではないだろうか。

若い新入社員に対し、適切な言葉遣いや態度を教育できる言葉や態度を身につけているだろうか。

他人のふり見て我がふり直せ、という言葉があるが、新人の手本になる先輩方はそれでは遅いのである。志を高く持った新人の芽を摘まないために、大きな大木に育てるために、まず自分自身が見本となる必要がある。

希望を持ち、志を高く持って新しい職場に入ってきた新人職員の元気が日々なくならないように、介護サービスに携わるモチベーションを維持できるように、先輩たちが誰よりも適切に利用者に相対する、という心構えが必要だ。

介護サービスのモチベーションとは、我々の関わりで利用者が笑顔になる、幸せになる結果によって向上するもので、人の不幸を放置するような職場で職員のモチベーションなど上がらない。「なあなあの関係」でデリカシーのない対応が普通という素人の関わりでは周囲の人々がすべて仮面のような表情で感情を奪われ、労働意欲も奪われていく。そんな職場に良い人材が貼りつくわけもないし、サービスの質も低空飛行のままだろう。そんなところで何のやりがいがあるというのだろう。

そういう意味では明日からの新人教育のためには、今日までの自分教育が重要である。

新人から、介護サービス従事者は素人と変わらないと評価されるような職場であっては恥ずかしい。しっかり介護とは何かを伝えられる自分づくりをしていこう。

同時に新人を適切な人材に育てていく過程で、自らを成長させるということも可能になることを忘れてはならない。新人を利用して自らのスキルを向上させようとする職員がたくさんいる職場であるなら、今後に明るい日差しが差し込むことだろう。

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老施協総研の研究報告。

様々な組織団体に設置されている総研。

これは総合研究所の略称で、主にコンサルティング・リサーチ・システム部門を担当する「組織を側面から支援する知的職能部門」である。つまり頭脳の役割を担っているといえる部門といってよいだろう。

老施協にも「老施協総研」が設置されている。しかしその部門が老施協の活動の道標を示す頭脳の機能を果たしているのかよくわからない。アクセサリーとしての総研では意味がないと思うが・・・。

過去にこの総研が出した研究成果なり、リポートなり、データなりが我々の施設運営に役立っているのかと言えば大いに首を傾げる。そもそも老施協の会員でも、この総研が何を行っているのか「姿が見えない」と感じている人は多い。

ところで北海道で行われた老施協主催の施設長セミナーで、老施協総研から「市場原理を超えた老人福祉施設の使命」という研究に基づく講演が行われた。この部門の姿を垣間見ることができるかもしれないので注目して聞いてみようと思った。

まあびっくりした。近年、これほど当たり前で無意味な講義を聴く例も珍しい。

そもそも本題の市場原理と社会福祉の関係を語る前段で持ち時間90分の半分近い時間を使うのだから「うんざり」である。

しかもその内容たるや、介護保険制度創設につながるゴールドプランや新ゴールドプラン、社会福祉8法改正等々の一連の社会福祉構造改革の歴史説明である。誰が受講対象の研修やねん、といいたくなる。特養の施設長が雁首そろえている中で、今更そんな当たり前の話をして何になるのだろう。

さらにそのあとがいけない。介護支援専門テキストに書いてあるような介護保険制度創設の意味、措置制度の限界だとか、財源面からの新たな社会保険システムの導入だとか、制度開始後から現在までの要介護者数の推移だとか、サービス利用状況だとか、それが財政に及ぼす影響だとか、平成18年の制度改正の意味だとか・・・。

いい加減にしてくれ。総研が報告すべき研究とは、誰でもが既に知っていて、逆に我々が壇上に上がって説明もできるような内容とでもいうのか・・・。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

そもそもそんなものあらためて統計をとって出すデータ数値に基づかなきゃあ分析できない問題でもない。

本題の市場原理と社会福祉サービスは相反するものであるという主張についても今更である。

例えば僕はこのブログでそのことを再三主張してきており「介護施設経営を営利産業と比較できない点。」や「昭和〜そこに置き忘れたもの」等で様々に矛盾を指摘している。

つまり市場原理は基本的に弱肉強食の論理に過ぎず、結果として弱者を切り捨てる論理だから、そこからは格差の拡大という状況しか生まない。社会福祉の理念とは相反するものであるという主張である。

そして僕は慶応大学の金子教授が唱える「セーフティネット張替え論」で提唱されているように「市場原理主義」「上げ潮路線政策」を否定して、雇用・年金・医療などのセーフティネットを制度として機能させる「福祉を拡充させる小さな政府」が必要だという立場に身を置いてきた。

しかし老施協総研の研究報告はそこまでの具体策もなく利用者の重度化や医療ニーズの拡充に比した労働時間の「いびつな拡大」を問題視し、それに対して特養のミッションを明確にして果たしてきた役割と今後果たすべき役割を抽象論で語り、単にグランドデザインを掲げることを唱えるだけで、最終的には「介護保険制度について、良質なサービスを提供する事業者がサービス提供できる制度ルールや報酬基盤を条件として、いつでも、どこでも、だれでもサービスが利用できる制度に再構築する」という、わかるような、わからないような具体策のない結論で結んでいる。

政策、施策として具体的方法が不明瞭な方法論など、研究報告における結論としてお粗末過ぎるであろう。

こうした研究報告しかできないならば老施協総研はいっそ「何をしているか姿が見えない」方がましである。

姿が見えた途端、それは老施協の「盲腸」に過ぎないことがわかってしまうからである。

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大学は専門研究機関ではないのか?

少子化が進んで小中学校の空き教室が目立つようになったのは、もうだいぶ前からのことである。

当然、その影響は大学に進学する学生数にも影響があるんだろうと思って調べてみた。しかし実際に統計を見ると、大学・短大の志願者数は第2次ベビーブームの影響から1986年度以降上昇を続け、1992年度に120万人を超えてピークを迎えた後、短大の進学者数は大きく減っているが、大学への進学者数は増え続けており、定員数も増えている。

これは4年制大学への志向が強く進学率がアップしたことが原因だろうと思う。また外国人留学生の受け入れ人数が増えていることが大学の定員増に多少影響しているんだろう。

さらにいえば受け入れる側の大学の数が増え続けていることも進学率上昇の大きな要因といえる。2008年4月における大学数(大学院大学、通信課程のみの大学を除く)は726校と20年前に比べて230校も増加している。特にここ数年、新設されている大学には福祉や看護・薬・医療といった学部の設置が目立っている。

つまり、こと大学に限って言えば、少子化が進行する社会情勢とは逆に、その数は増え続けているというわけである。

なるほど、そういえば最近は僕らが学生時代にはなかった大学名を聞くことが多い。こんな大学あったの、と思っていると設立年度がかなり新しかったりする。しかも上述したように我々の業界とは非常に関連が深い福祉系学部等の専門大学が増えているのである。

そうした大学は規模が比較的小さなものが多く、学部の数も専門領域に限られているので数が多くない。我々が学生時代にイメージしていた「大学」という規模から言えば非常に少ない学生数の大学もある。

多くの学生に進学機会が増えているのは良いことだろうし、一極集中化しないで地方にも小さなキャンバスが点在することも悪いことではないだろう。

しかしそこで教える教授陣の質はどうなんだろう。僕らが学生時代、大学教授というのは「偉い先生」というイメージがあったが、現在そのようなイメージとはほど遠い人も多いように思える。それは自分が年をとったせいでもあるのかもしれないが、そのこととは関係のない要素も多いように感じている。大学の教授や准教授や講師といっても箸にも棒にもかからないようなくだらない研究論文を書いている者もいるし、それ以外にも大学の役割とはなんぞや、という疑問を持たざるを得ないような考え方をしている人々も見られるからだ。

ある小さな福祉系大学の学長が、盛んに自校の社会福祉士の国家試験合格率を自慢している。確かに国家試験合格率が高いということは大学のステータスに繋がるし、学生集めに有効なのかもしれない。

特に社会福祉士は現役学生より社会人のほうが合格率が高いということもあり、現役学生の合格率を高めることに大学側が躍起になることは理解できないわけではない。

しかし国家試験の合格率を高めるために大学があるわけではないだろう。試験の合格率が大事と思うんなら専門学校でも設立した方が良い。そもそも社会福祉士の国家試験など、それに絞って集中的に勉強すれば合格率などすぐアップできる程度のものだ。そんなものは手柄にはならんだろうに・・・。

むしろ大学とは、そういう俗物的(このいい方は語弊があるか?)な結果を求めるだけではなく、もっと専門的な研究ができる人材を育てる機関だろうと思う。一般教養や専門知識はそれなりに大切だろうが、極端な話そういうものにわずらわされないもっと大きなスペシャリストを養成する視点が必要だろう。

少なくとも社会福祉士の国家試験の合格率を自慢げに語るような教授陣に教えられる学生は不幸である。もっとグローバルな専門家を作るような研究ができることのほうが大事だ。国家試験の合格なんてそのあとに自然とついてくるもので、その気になった時に合格すればよい程度のものだ。

大学の進学動機が国家試験合格であるわけがないんだから。

もっと個性ある、大きな人材をこの業界に輩出してほしいものである。

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施設内研修の実際。

介護サービス事業所内において職員が自らのスキルアップに繋がる情報、知識を得る機会があるか否かは職員定着の重要な要素のひとつである。

なぜなら財団法人介護労働安定センターによる平成18年度介護労働実態調査において「介護職員の不安不満」の1位が「利用者に適切なケアができているか不安」という理由が挙げられており、その割合がもっとも高いのが就業1年未満の職員であるからである。そうした不安を解消する為には、適切な情報や知識が正しく伝えられ、介護技術が向上できる機会を作る必要があるのだ。

そういう意味からも事業所内研修は施設サービス・居宅サービスに関わらず、それぞれの事業者ごとに様々な工夫により取り組まれているだろうと思う。逆にいえば、そういう機会を作っていない、意識の低い事業者は常に離職率の増加リスクを抱えているといえる。

当施設では新任研修やOJT、法人全体の事務職員研修のほか、主に特養のサービスに関連した施設内職員研修を毎月実施している。

年度初めに内容やテーマをある程度決めるのであるが、具体的実施方法等は流動的部分もあるし、その時々で勉強しなければならない事柄も随時出てくるので、毎月のこの調整や実施は結構大変である。

テーマについては必ず年間を通じて実施なければならないものもあり、毎年繰り返されるものも多いし、方法も、ケーススタディやビデオ研修など各月によって異なる。
(参照:職場内研修のあり方2〜その内容。)

一番大事なことは、単に事業所内研修を実施したという履歴を記録に残すだけではなく、どうせ行うなら実のある内容にして、日々の介護サービスに生きるものにすることである。そのためには参加した職員のみならず、いかに職員全員にその内容が伝わるかということが大事だろうと思っている。実地指導の為の施設内研修であっては意味がないし、そんな形式だけの研修なら行うだけ時間の無駄である。

そういう中で年間幾度かは、僕自身が講師役になって講義スタイルで行う研修がある。

別に僕の話を聞かせたいわけではない。ただ、ある特定テーマについては外部講師を呼ぶまでもなく話すことが出来るものもあるし、逆に僕が外部の様々な場所で話している内容を、自施設の職員が知らないのはおかしいことであり、なにより僕がしゃべればお金がかからないという利点がある。

さらに僕が講義形式で行う研修の場合「1回で終わり」という必要はないので、同じ内容の講義を複数回実施することが可能で、夜勤のため研修には出られない人でも、他の日には参加できる、というふうに職員全員が参加できて同じ内容の話を直接聞くことが出来るというメリットがある。

ということで今月の施設内研修は、僕の講義という形で行うことにした。日程調整はケアワーカーの主任にお願いしたところ、昨日の18:00〜、本日の15:00〜及び夜19:00〜の3回講義を行うことになった。時間は賞味60分強である。

昨日の夜勤者等の勤務者は今日の昼の部か、夜の部か、どちらかに参加することになるだろう。

今回のテーマは「認知症高齢者を支えるための基礎知識」とした。

認知症ケアに関しては、毎年それをテーマにした研修を実施しており、昨年も僕の講義を行ったが、今年も昨年と内容で重要な部分は重複する部分もあるが(去年いなかった職員もいるし繰り返し伝えなければならないこともある。)全体の内容は変えている。大事なことなので皆が理解してほしいと思う内容にしている。

今年、施設内研修を僕の講義スタイルで行うのは2度目で、4月には「看取り介護研修」として講義を、これも同じ内容で計4回行って、ほぼ全職員に受講してもらった。結構疲れる・・・。

また法人内の事務研修では同じく今月23日に「コンプライアンスと職業倫理」というテーマの講義を僕が行うので、この内容も年度内の特養の施設内研修においても行おうと思っている。

いずれは僕以外の職員がそれぞれテーマごとに発表しあえる研修スタイルに変えていくつもりであるが、まずは土台をしっかり固める必要があり、数年はこうした方法をとっていこうと思っている。

ただこの辺の考え方の幅は結構大きいので、来年度に向けては画期的な変革がないとも言えない。

施設職員というのは外部研修に参加する機会はあるといっても、常に人手が余っている職場ではないので、順番に勤務をやりくりして参加しており、一人が老施協や道社協等が主催する外部研修に参加する機会は数年に1回という頻度である。

このため我が施設では、当市及び近隣市町村を中心に行われる講演等には、できるだけ多くの職員を参加させるようにしている。例えば僕が代表を務める「のぼりべつケアマネ会」主催の講演は年に数回、道内外から講師を招いて講演を実施しているのだが、こうした講演には業務従事者でもやりくりして、その時間に出来るだけ多くの職員を参加・受講出来るようにしている。

それでも内外の情勢、情報を第3者から聞く、という機会はさほど多くはないので、施設内研修にも今後は外部の講師等を招いて、さらに僕自身も情報や知識を仕入れて、必要な講義を続けていこうと思う。

ともかくせっかく貴重な時間を割くのであるから、意味のない業務に生かせない形式的なものにだけはしたくないと思っているし、職員が施設に居ながらにして最新の情報や、必要な知識を得られる機会を持てるということがモチベーションにも繋がるのではないかと考えている。

よって自らの施設の職員向けの講義であっても手を抜くことはないのである。

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利用者を実習教材化する人権蹂躙。

介護職員の確保の為にはマンパワーの育成も重要である。

そういう意味で、介護施設や居宅サービス事業者は実習を受け入れることも、社会的使命を帯びた固有機能の一つであると考えられる。

当然、僕の施設でも実習生を受け入れてはいる。しかし教育と生活は相容れない部分があるので、生活施設における実習とは、ある程度制限が生ずる。もちろん、その制限とは生活者たる利用者に生ずるものではなく、実習側に生じる制限であり、利用者の生活を守るためには実習といえども、してはいけない事もあるという意味である。

例えば僕の施設では、基本的に実習生は入浴介助や排泄介助など、羞恥心に関わる支援行為は、実習生として利用者がその存在を認められる時期が過ぎてから、ある程度「そこにいても良い人」として利用者の認知ができて以降に行うことにしている。さらに直接介護行為は同性介護で行っている。

利用者側に拒否権があるのは当然のことである。

当然のことながら施設利用者に男性が少ない現状では、男性の実習生は、女性の実習生より入浴や排泄の支援行為を経験する機会が少なくなってしまう。

しかしそんなことが問題になるだろうか。

実習という限られた時期に、入浴介助やおむつ交換の数に多少差がついたからといって決定的なスキルの差になるとは思わない。それよりももっと覚えなければならない大事なことがある。

昔から僕と付き合いのあるT先輩は(この方は、自分は亡くなられた父親が釣り逃がした巨鯉の生まれ変わりであると言っている。まあ、それは置いておくとして、僕の尊敬する人である。)排泄介助は実習生には一切行わせない、という指導スタイルを貫いていた。それはそれで見識だし、そのことで人材教育の支障になるなんていうことはないと思っている。

しかし中には、懇切丁寧に排泄介助を手取り、足取り教えている施設がある。

ある施設で、居室の中から介護職員のチーフが学生に「おむつ交換」を指導している声が聞こえてきた。まあ親切にあれこれと解説しながらアドバイスしている。

しかしその場面に遭遇したとき、僕はその施設の何かが間違っていると強く思った。

そこでは実習生が主役で、利用者は不在というよりオムツを交換される教材に成り下がっていた。

おむつ交換で一番大事なことは、手早く綺麗にオムツを交換することではなく、羞恥心を持つ一人の人間としての利用者がいかに心に負担を感じないで自然にオムツを取り替えることができるかということだろうと思う。

仮にその利用者の意識レベルが低くて状況認知ができない人であったとしても、オムツを実習生に替えさせながら、傍らから「ああでもない、こうでもない」とアドバイスを受ける状況が利用者のケアなのだろうか非常に疑問に思った。

自分の親がそうした状況に置かれたらどうだろう。自分が分けがわからなくなって、そうした状況に置かれたらどうだろう。そこには利用者の人権を配慮する姿勢はみじんも感じられない。

物言えなくなっても、自己主張が出来なくなっても、人は人であり続け、ものではない。

施設職員が人間を「教材」と見る意識がそこにないだろうか、とうことが実習場面では常に注意される必要がある事柄だし、人権を守る唯一の視点である。

乱暴なことを言うならば、利用者を教材化するような場面が少しでも生ずる恐れがあるんなら、介護実習において、排泄や入浴介助行為なんていうのは行う必要はまったくない。そんなものは実際の職業についてからOJTの中で十分教えられる介護技術であり、学生の段階でその技術を身につけているか、いないかなんて、これから先々の長い目で見れば、介護サービスの質を大きく左右する問題ではないのである。

それよりも、我々が支援行為に関わる利用者に対し、当然守られるべき人権とは何か、それを介護サービスの現場でどのように守っていくのかということを、コミュニケーションの方法を学ぶ中で実際に感ずることができる実習の方が将来的な介護の質の向上に繋がるだろうと思う。

今、様々な施設や介護サービス事業所で行われている介護実習に、こうした視点からの教育が欠けているから、介護サービス現場での非常識がなくならないんではないだろうか。

他の学生より、おむつ交換の技術が多少学生時代にうまくなったからといって、それが利用者の我慢と犠牲の上で成り立っている技術なら意味はないし、その弊害に気がつかない介護職員を生んでしまうことは恐ろしいことである。

なにより教える側の現場職員や、その施設の管理者がそのことに気付かないという「非常識」がまかり通っていることは恐ろしいことである。

もっと「当たり前」の感覚を持とうよ。

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個性派教授達の思い出。

僕が大学に在籍していたのは1979年から83年までである。(昭和で言えば54年〜58年である。)

当時の北星学園大学には、今ではあまり見かけなくなった名物教授という人たちがたくさんいたように思う。

名物教授と感じる意識の一部は、それらの人々が自分とは随分かけ離れた雲の上の人のようだなと感じる部分も含まれ、多分それは、今のように各大学の教授達と自分の年齢差がさほどないことから感じなくなった世代間の意識のギャップをも含めて感じるものだったろうとは思うし、学生当時はそれらの教授陣と自分との知識の差が、あまりにもかけ離れて天と地ほどの差があったことから感じた尊敬と畏敬の念も含んでのものなのだろうと思う。

そういう意味では、今では随分ずうずうしくなった。

大学教授という冠だけでは、あまりプレッシャーも感じないし、偉いとも思わないし、時には「随分古臭い理論にしがみついて大丈夫かな」とか思ったりする。当然、その対極には、僕なんか足元にも及ばない立派な考え方をしている人もいるにはいるのであるが・・・。

もちろん今でも個性的な研究をしていたり、優れた学説を唱えていたりする人々がいるが、当時の教授たちの中には我々「一般的な小市民」からみて、いかにも破天荒という感じの人も含め、様々なタイプの個性派教授がいたように感じている。

学生課の若い職員は出席カードを配るのも仕事で、僕らは彼を「ケンちゃん(券を配るから)」と呼んでいたが、ケンちゃんが登場して出席カードを配り終えた途端に堂々と席を立って教室を出て行っても、まったく怒らず「仏の〇〇」と呼ばれていたY教授の講義は、授業開始に満席でも終了時は1/3しか学生がいないという状態だった。しかもそれをとがめるでもなく、黙々と講義を行い試験さえ通れば単位はくれた。

しかし数年しか差がない後輩達に聞くと、その同じ教授が「鬼の〇〇」と呼ばれ、授業態度の指導にはもっとも厳しく、単位も取りずらい教授として有名になっているということであるのだから、きっと僕らの年代の傍若無人の態度がその教授を変えてしまったんだろう。心から反省すると共に、後輩の時代でなくてよかったと思ったりしている。

当時、講義を受けた教授の中には、道内の福祉教育者のフロンティアとも言ってよい三吉 明教授もおられた。栗山町の介護福祉士養成の初代専門学校長を最後に現役引退したと思うが、当時は、ばりばりに元気な講義をされていた。ただし新入生に対する最初の試験問題が毎年同じ問題を出すことで有名で、それを先輩から教えてもらっていた同級生は皆優秀な成績をとっていた。確か「もっとも深刻な社会問題について」論述する問題で、人口問題を取り上げた人はすべて優になるということであったと記憶している。

ちなみに僕は、そんなことはつゆ知らず、医療費問題を取り上げてぎりぎり可だったと思う。

それから今でもお元気であろう、恩師の松井二郎教授にはゼミを始め、卒論指導など様々にお世話になった。今の僕の基礎的な部分は、ほとんど松井ゼミで習得したものだろうと思っている。あの当時の松井ゼミはツワモノが揃っていたし、毎週、結構激論を交わしていたように記憶している。それから障害者福祉分野では忍先生の講義も印象に残っている。

しかし名物教授という意味では、他の追随を許さない一人の個性的な教授がいた。

それは今はもう亡くなってしまった白沢 久一教授である。

全国的にも有名な理論派教授で、僕らに対しては社会保障論や公的扶助論の講義を行ってくれたが、ともかく頭は切れる。

しかしその風貌は、とても「切れ者」とは誰にも感じさせないもので、正直、風采があがらない、という表現でもまだましかなと思うほどである。小柄で、小肥り、服装も「刑事コロンボ」のピーターフォーク演じるコロンボ刑事以上に、よれよれの背広姿で、まったく外見を気にしない人であった。

学生の実習先に実習指導のために訪れた児童相談所で受付の事務員が「怪しい人が来てます。警察に通報したほうがよいでしょうか。」と所長に相談したのは有名な逸話である。

頭が切れるだけに、講義がこれまた難しい。時には講義前半で肯定して説明していた事柄を、後半には全否定していることもあり、我々頭脳に少々問題のある学生には難解な講義で、正直講義内容の1/10も理解できない。結果的に白沢先生の講義では学習能力より豊かな想像力が鍛えられたといってよい(笑)。

僕らの2年ほど先輩達は、そのため、当時若手で新進気鋭のK助教授に、白澤先生の講義を一緒に受講してもらい、K助教授の解説付きで授業を聞いたという話まである。それなのに学生には変に慕われていて、授業内容にも批判がなかったのは何故なんだろうか。

そんなことを思い出したのも、週末に白沢教授が書いた著書を再読した為である。

著書名は「生活力と福祉政策」。ぼくが27歳か28歳の頃に購入した冊子であるが、実は当時、それを読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。やはり白沢先生の著書を理解するには知識が足りないのだと思って、途中まで読んであきらめてしまった本である。

年をとって、知識も経験もそれなりについてきたという自負から、再読に挑戦してみた。

結果・・・・やっぱり難解で解読困難。

もともとの頭の構造が違うんだなとあらためて思った。これが他の人の書いた著書なら、何をわけのわからないことを書いてるんだと、ただその人の文章力のなさを批判して終わるところであろうが、白沢先生の講義を一度でも受けた人間なら、そんな考えには決してならず、それは我々の理解力のなさなのだと反省するのである。

それだけ何か普通の人ではないものを感じさせる愛すべき人であった。

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お寒い調査論文〜大学の質の低下?

職業柄なのか、ネット掲示板やブログの影響なのかわからないが、時折、頼んでもいない冊子が送られてきたりする。

ただそれを迷惑だとは思っていない。むしろありがたいことである。

ただそのすべての冊子の、すべての記事に目を通しているわけではない。(それは当たり前か。)むしろざっと目を通して、興味のない記事が多いものは、ほとんど読まないまま古紙回収ボックスに入れてしまう。

しかしあまりに「おもしろくなさすぎて」見入ってしまう論文集があったりする。冊子名は書けないが、先日も北海道内の某研究協会から定期刊行している論文集のような冊子が送られてきた。

まあ読みづらい。学者や福祉関係者が数多く論文を書いているんだが、読み手のことを考えた文章ではなく、自己満足の小難しい表現文が多い。この手の冊子の編集者も編集の専門家ではない会員が役割として行っているんだろうから、冊子としての構成もイマイチである。僕は読み手としてさほど一般人より劣っているわけではないと思うが、その僕が読んで意味のわからない論文が多いということは、専門家が読むことしか想定していないということか?

本の役割を果たしていないように思う。

しかもいくつかの研究論文が、これまた驚くべき内容である。すごい研究というか、何故こんなこと調査研究しないとならんの?調査しないとわからないの?というものもある。調査結果から導き出した結論や検証も「お笑い」の域を出ていないといってもよいものもある。

例えば「ひとり暮らし高齢者の生活実態〜所得格差からの視点〜」という論文。道内の某大学の講師なのか准教授なのか教授なのかはわからないが(まるきり知らない人物ではないので書きにくい部分もある・・。)ともかく2人で調査研究して結果をまとめているのだがその結論・・。

「一人暮らしの高齢者の生活は、所得差により住居においては公営住宅等の利用と持ち家等の生活等に違いがみられ、また実際の生活内容では、被服費や消費を節約して暮らすことを余儀なくされている低所得者層と、あまり生活費の切りつめを気にせず暮らす低所得者層以外の高齢者の姿に違いが見られた。加えて、低所得者層の日常生活を支えるネットワークは他の階層と同様に親族を中心としているものの、近隣の支えはほとんど見られないという結果を示した。」

・・・・。ンン・・。馬鹿じゃないか。今更調査をしなくても、当たり前のことジャンか。

この結果に何か驚くべき新たな発見があるのか?低所得者と低所得者以外の層の生活実態の違いなど、至極当然・調査しなくてもわかることしか書いていない。インフォーマルサービスの違いは所得によるものではなく地域事情と家族関係によるものでしか違いが出ないし、現行の我が国においては圧倒的にインフォーマルサービスが未整備な為、家族以外の支援がない高齢者の方が圧倒的に多いなんていうのは当たり前のことじゃないか。しかもこのことは所得の多寡とは直接的には関連しない。

なんとお粗末な結論だろう、としか言えない。

こんな調査に金と時間を使っている大学の実態はこの国のお寒い3流国への道標と同じに見える。

最近の大学では教授、准教授、講師に関わらず、ただ勤務しているだけでは駄目で定期的に研究論文を書かないとならないという事情はわかるが、内容がこれでは中学生の夏休みの自由研究レベルではないか。

しかし「なんじゃコレ!!」と思いながら、その冊子に限って隅々まで読んでいる自分に気付くのである。これも編集の妙、と言えるのかもしれない・・。

しかし、僕らの学生時代の大学教授や講師等は、それなりの人材がいて、しかもこんな当たり前の調査研究などあり得なかったが、学生数が減っているのに大学の数はむしろ増えているという現状において、大学側の人材の質はどうなっているのか疑問になる場面にしばしばぶつかる。

教える側の人材がこれでは、教わる側の学生の質が低下するのも仕方がない・・・。

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