masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

政治・経済・社会

署名・押印はいらなくなっても説明・同意は必要です


25日に発出された介護保険最新情報Vol900は、【「押印を求める手続の見直し等のための厚生労働省関係省令の一部を改正する省令」の公布等について】であり、法令又は慣行により国民や事業者等に対して紙の書面の作成・提出等を求めているもの、押印を求めているもの又は対面での手続を求めているものについて、今後は押印を求めないこととするとしている。

介護施設・事業所が自治体へ提出する申請書等も新たな様式とするとしたうえで、押印欄がある旧様式については、手書きによる打ち消し線を引くなど、これを修正して使用することができる。

このことに関連しては、介護報酬改定の5つの柱のうち、「4.介護人材の確保・介護現場の革新」の、「文書負担軽減や手続きの効率化による介護現場の業務負担軽減の推進」の中で、次の3点が示されている。
○ 利用者等への説明・同意について、電磁的な対応を原則認める。署名・押印を求めないことが可能であることや代替手段を明示する。
○ 諸記録の保存・交付等について、電磁的な対応を原則認める。
○ 運営規程等の重要事項の掲示について、事業所の掲示だけでなく、閲覧可能な形でファイル等で備え置くこと等を可能とする。


このため今後国は、ケアプランや各サービスの計画書、重要事項説明書などの同意を利用者から得る際の押印についても、必ずしも必要ないことをルール上明確にする考えを示している。

これらの効率化がいつから有効になるか現時点で定かではないが、少なくとも来年4月からの介護報酬改定の際には、利用料金等の説明・同意について、いちいち全利用者から同意書を取る必要もなくなるし、ケアプラン等の署名・同意もいらなくなる。

とはいっても利用者や家族に、メールで料金変更のお知らせ文書を送りつけて済むという問題ではない。いらなくなるのは署名や押印であって、説明と同意は必要であることを忘れてはならない。

すると来年4月の報酬改定に伴う料金変更等の説明は、各事業者ごとに行わねばならないことに変わりはない。しかしその際の同意については口頭で構わないので、同意書を作成する必要はなく、業務日誌等でだれがいつ同意したのかという記録で良いことになる。また説明についてもいちいち対面して行う必要はなく、メールで変更内容のお知らせ文を送り、電話でその内容を説明し同意を得た記録を残しておけばよい。

しかし利用者全員に電話で説明を行うのは、かえって手間である。そこで考えられる方法は、例えば介護施設なら、一度は利用者や家族を集めて説明会を行う機会を持ってよいと思う。そこで説明を受けた人については、口頭で同意をいただき記録に残しておけばよい。そしてその説明会を動画録画しておき(スマホでの録画でも十分だ)、それをユーチューブ等にアップしたうえで、当日説明会に来ることができなかった人については、メールで料金変更のお知らせ文を送り、そこに説明会の動画をダウンロードできるURLを書いて知らせ、その説明を見たうえで同意する旨をメールの返信もしくは、電話で返答いただくようにお願いしても有効となるだろう。

居宅サービス事業所も、あらかじめ説明動画を録画して、それを見ていただいて口頭同意をいただくだけで良いだろう。同じ説明を何回もしないように、動画録画は推奨される方法だ。

ケアプラン同意等についても、利用者本人ではなく家族から同意を得る場合には、メールと電話を使った同意が主流になってくるかもしれない。

おそらく利用料金の請求書・領収書等の押印もいらなくなり、電磁的方法で請求書・領収書の発行も可能とされるだろう。(※ちなみに確定申告などで必要な領収書は、既に押印がなくても有効とされている。)

これらをいちいち郵送する必要がなくなれば、事務処理業務は大幅に削減されることになる。喜ばしいことだ。

そうなると問題は、内部決裁文書の扱いになる。

行政への申請文書をはじめ、請求書や領収書も押印が必要なくなるのに、内部文書だけ押印が必要で、判子を常に職場に備え置く必要があるというのはおかしい。内部決裁の押印文化もやがて消えゆき、確認も署名のみということになっていくだろう。もしかしたら署名さえ必要ない確認方法が各事業者ごとに発案されていくかもしれない。それも大いに結構だ。

どちらにしても文書をよく確認もしないで、判子を押すことだけに時間をとられるということがなくなることは良いことだ。押印が必要なくなることで、逆に文書内容を確かめる習慣がつくかもしれないし、そのことはポジティブに捉えたら良いのではないかと思う。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

脱ハンコは賛成?反対?


政府が旗を振っている行政手続きのIT・デジタル化の推進と、「脱ハンコ」や「ハンコ廃止」は論理的につながらないという主張がある。

IT・デジタル化の推進に必要なのは、「押印の省略」なのだそうで、判子・印鑑という日本文化は残していかねばならないのだそうである。しかし判子が存在すれば、押印という行為はなくならないだろう。どこにそのような必要性があるのかは大いに疑問だ。

押印が必要なくなれば、ハンコは使い道がないのだから、「ハンコ廃止」で何が悪いのかと言いたい気持ちもある。
《※ちなみにハンコとは、個人や組織がその当事者であることを証明する印のことを意味し、印鑑は捺印をした時に紙や書類などに残る文字や絵(印影)を表すので、意味するものは違うのだそうだ。》

そもそもハンコを押した書類が、個人の同意等の証明になるという信頼性は徹底的に揺らいでいる。現に介護サービスにおいても、ハンコが不正に使われていた事件が明らかになっている。

京都府八幡市の社会福祉協議会のケアマネジャーが、利用者に無断で印鑑を不正使用した問題が発覚したのは2019年5月のことであった。ネット上ではこのケアマネの机の中に、たくさんの印鑑が入れられている下記画像が拡散されている。
ケアマネによる印鑑不正使用事件
このケアマネが自分の机の引き出しに保管していた印鑑は145本。このうち利用者の許可を得ていたのは24本のみだった。

印鑑の保管は10年ほど前から慣例となっていたそうである。印鑑は、このケアマネが自費購入していたもので、その判断もケアマネ個人によるものだったそうである。そしてこれらの印鑑を使って、居宅サービス計画書とサービス利用票の同意欄に勝手に押印していたそうだ。さらに毎月一度以上義務付けられている利用者宅へのモニタリング訪問を行うことなく、訪問したように装う証明として印鑑を使用していたとのことだ。

つまり判子を使って押印するという行為は、何の意味もなしていないということだ。証明の証拠として押印が必要であるという考え方は通用しないのである。むしろ判子さえ押されておれば、それだけで何かの証拠として有効だと考えることで、奪われているものがあるということも本件のような事件は示しているのだ。そして判子が存在しなければ、このような不正は起きなかったとも言えなくもない。

だから判子なんかなくても、別な方法で有効性が証明される方が正しいという考え方があってよい。判子がない方が、本当の証明となる知恵に結び付く早道が生まれるのではないかという考え方も当然あってよい。自署した文字を電子媒体で送るデジタル署名なんかは、印鑑よりずっと個人の証明として有効な方法と言えるかもしれない。

ケアマネのモニタリング訪問や、居宅サービス計画等の同意にしても、印鑑を押す問う行為がなくなっても、例えば現在はほぼすべての人がデジカメ内蔵のスマホもしくは携帯を持っているのだから、それを利用すればよい。説明に対する口頭同意の場面を動画撮影し、利用者個人別にファイル保存しておけば良いだけの話だ。その方が説明に同意していることの明らかな証拠となるだろう。

そっちの方がよほど信頼性が高い証明と言えるのではないのだろうか。

ハンコがなくなっても仕事に支障を来さないどころか、業務の省力化にもつながると思う。事実僕はそれを実感している。

僕は仕事上、請求書や領収書を発行しなければならないことも多い立場であるが、最近の脱ハンコは、その仕事に大いに良い影響を与えてくれている。

つい最近までは、請求書や領収書に必ず印鑑を押して郵送せねばならなかった。これが脱ハンコの流れの中で、押印は必要ないというふうなってきたので、郵送する必要はなく、請求書や領収書をメールに添付するだけで良くなっている取引が多くなった。

それによってアナログ作業が減って、デジタル作業ですべての取引業務が完結するので、タイムラグもなくなるし、何より作業が楽になる。印鑑を使わないことによるデメリットは全くないので、今のところ脱ハンコは、いいことずくめである。

こうした形での業務省力化は、介護業界全体の業務を考えても必要になると思う。そのためにはハンコ文化・印鑑絶対主義から脱することが何よりも求められるのではないだろうか。
※昨日masaの徒然草に、「(新情報)介護・医療事業に実績のある新電力でコスト削減を」という記事を書いて情報提供しているので、そちらも是非参照願いたい。
※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】


登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。




※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

まやかしの自立支援


今わが国では毎日2.000人以上の割合で65歳以上の高齢者が増え続けている。

日本社会は確実に老い続けているのだ。

生物学的にこの老いを止めるのには爆発的な出生率の改善がなければならず、奇跡的にそれが起きたとしても、実際の社会の若返りには数十年の歳月が必要になる。

その為、老い続ける社会であっても、できるだけ活力を失わないように、老いても元気な人を数多く創り出そうとしている。それは社会が老いることによって必要になる社会費用をも減らすために必要な政策だと考えられている。

だからこそ高齢者にも自立を促して、できるだけ国全体の老いをカバーしようというのだ。

しかし人間の生理は止められない。そんな政策には限界があるし、無理があるとなぜ官僚は気が付かないのだろう。

人の細胞の死滅を防ぐ手立てがない限り社会の老いを止めることはできない。社会の老いに伴って増える後期高齢者がずっと自立した生活を続けられるなど夢のまた夢である。介護保険制度が理念にしている自立支援も、官僚の自己満足もしくはアリバイ作りの意味しかない、社会的な若返り効果には全くつながらない妄想だ。

今行おうとしていることは、二十歳の時にマラソンランナーだったからという理由で、65歳になった老人に42.195キロを3時間程度でなら走れるだろうとして、それを強要させるようなものだ。それは無理難題というより、荒唐無稽なことであることには皆が気が付く。それなのに介護保険サービスを利用できる要介護高齢者の一番の課題と目標が、「自立」であるという矛盾になぜ気が付かない人が多いのだろうか。

この問いかけに反論する人はこう言う。「いや、介護保険法が目指す自立支援とは、身体機能の維持・向上という狭い概念ではなく、高齢者のニーズに沿った暮らし、希望する暮らしを実現するために必要な社会資源を最大限有効に結び付けようとするもので、生活の質にも着目しているのだ」と・・・。

嘘を言うな。騙されるもんか。

だってそういいながら介護報酬の改定の方向性は、年々各種サービスに医学的リハビリテーションエクササイズを求めるものではないか。医療関係のリハビリの専門家が全く配置されていないサービスについては、外部の医学的リハビリテーションの専門家が介入する方法を加算対象とし、その適用サービスを改定の度に広げているではないか。

通所介護は、機能維持と改善の効果が出やすい要支援者にはサービス利用させずに、要介護者に対してはバーセルインデックス数値を測定し国に報告することを促し、その数値が悪かったらわずかな単位の加算さえ与えないのだ。まさに身体機能に特化した数値結果が求められているわけだ。

こんなふうに介護保険で言うとことの自立支援の建前は、「身体機能の維持改善に特化したものではない」であるが、実際の評価は身体機能の医学的改善に特化されている。

なるほど地域包括ケア研究会報告書(平成30年度)を読むと、「今までできていた生活動作などができなくなっても、本人の意思決定のもとに行われる自分らしい生活を支援する取り組みが自立支援である」と書いてある。しかし本人が希望しても、「あなたは要支援者だから、介護給付サービスは受けられません」と言われ、「市町村のサービスしか利用できないあたたは、市町村の決め事の中でしかサービス利用できません。」と言われる。それが地域包括ケアシステムであると言われてしまうのだ。

介護給付サービスを受けている人は、「本人の意思決定のもとに行われる自分らしい生活支援」を受けることはより難しいともいえる。担当ケアマネにその理解がない場合簡単に、「そんな希望は単なるデマンドであって、サービスに結び付けられません。真のニーズは別にあります」なんて説教されて終わりである。

せめてケアプランには、愛情と優しさというエッセンスを少しだけ加えてほしい。

介護保険サービスは建前だらけでなって、ありもしない効果を厳めしい言葉で装飾しているに過ぎない。

介護保険部会をはじめとする、有識者が集うとされている国の各種委員会も、ありもしないエビデンスがすぐそこにあるかのような議論に終始して、幻の自立支援を祭り上げるばかりだ。おまけに行きつく先は相も変わらず財源論である。

財源は大事だが、それは政治家が主導して考えるべきことで、サービスの実務に携わる人が集まる職能団体の代表が真っ先に主張する問題ではないだろう。

財源がないと宣う政治家や高級官僚は、現役を退いた後も左団扇で何不自由ない暮らしを送る一方で、庶民の暮らしは、年を取るたごとにますます貧しく暗いものになっている。高齢化の進行はその時期が長く続くという意味にしか過ぎない。そうであれば政治家や官僚は、その財源たる国費を無駄遣いしていないのか。財政再建を国民に痛みだけ求めて成し遂げようとはしていないのか。そんなことももっと議論されるべきである。

本当の所、この国の財源はどこでどのように使われているのだろうか。社会の、「財」の流れはどうなっているのだろうか。

介護保険制度とは社会福祉の制度である。社会保険方式を取り入れているから福祉制度ではないという詭弁に流されてはならない。社会福祉を放棄する政府などあり得ないからだ。

そうであれば社会福祉制度とは本来、社会の「財」の再分配機能を持たねばならないことを再認識して、そうした観点から制度を組み直す必要があるのではないか。介護保険制度改正を議論する場で、「社会の財の再分配機能」の検証が行われていないのは、全く無責任と言えるのではないのか。

今この国では65歳以上の就業者数が900万人に迫る勢いで増え続けているが、それは高齢者が元気で仕事に生きがいを持っているからではない。働かないと生きていけない人が増えているからだ。それは喜ぶべきことなのか・・・。

日本という国が、いつまでも自立していないとまともな暮らしを送れない国であってはならないと考えるのは間違っているのだろうか・・・。

自立を高らかに唱える制度が、本当に高齢者の暮らしを最後まで守ってくれるのだろうか・・・。少なくとも介護サービス実務に携わる関係者は、国が示したルールを無批判に受け入れてはならないと思う。

なんでも反対は良くないが、本当の答えは法ルールにあるのではなく、我々が関わる人々の暮らしの中にあることを伝えていかねばならないのである。その行動だけは続けていかねばならないし、つなげていかねばならない。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まりますを参照ください。まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

生産性向上論の落とし穴


政府は17日に臨時閣議を開き、経済財政運営と改革の基本方針2020(骨太の方針2020)を正式決定した。

資料に目を通して最初に飛び込んできた印象的な文字は、サブタイトルの、「危機の克服、そして新しい未来へ」である。新型コロナウイルスの流行が続く現在の状況について、「時代の大きな転換点」と位置付け、社会変革を断行する意志が前面に出された内容になっている。

介護分野については、「介護・障害福祉施設に対する個室化など環境整備や在宅サービスも含めた感染拡大防止のための支援を行っていく。」ということが最初に記されている。これも感染予防対策を強く意識したものと言え、今後の新設施設・増築施設については多床室の建設はさらに難しくなるだろう。

新築や増改築の際に多床室をあえて設置しようとする施設がある理由は、個室料金の支払いが困難となる経済的理由のある人の救済策としている場合が多いが、今後は感染予防がまず第一に考えられることになり、経済的困窮者への配慮や支援がおざなりになる恐れもあり、この点に注意していかねばならない。

さらに言えば、この風潮は現在存在する介護施設等の多床室が、「感染拡大の温床」のように蔑視される危険性を内包している。そうした偏見が生まれないように監視していくという考え方も必要だと思う。

資料ではさらに介護分野については他分野と同様に、「ニューノーマル」への移行を目指す構想が示されており、それは以下のような文章になっている。

『感染症の下、介護・障害福祉分野の人手不足に対応するとともに、対面以外の手段をできる限り活用する観点から、生産性向上に重点的に取り組む。ケアプランへのAI活用を推進するとともに、介護ロボット等の導入について、効果検証によるエビデンスを踏まえ、次期介護報酬改定で人員配置の見直しも含め後押しすることを検討する。介護予防サービス等におけるリモート活用、文書の簡素化・標準化・ICT化の取組を加速させる。医療・介護分野のデータのデジタル化と国際標準化を着実に推進する。』

このように介護の最大のテーマは、「生産性の向上」であるとされているのだ。そのために機器を有効利用して、人の労力をできるだけかけずに介護サービスを提供するとともに、その促進に向けた(あるいはそれに見合った)人員配置規準の見直しを行うとされているのだ。(参照:機械や技術が人に替わることができるという幻想社会が生み出すもの ・ 人員基準緩和は介護報酬改定にどう影響するか

生産性の向上とは、「投入資源を有効活用して、最大限の成果を生み出すこと」を意味している。

つまりより少ないインプット(資源)で、より多くのアウトプット(成果)を出すと「生産性が高い」ということになるのであり、業務効率化とは生産性を高めるための方法論であることがわかる。

しかし介護という対人援助領域において、アウトプット(成果)は時として、数値化できない人の感情という問題に落ち着いたりするのである。この部分を無視して数値化できるアウトプット(成果)だけを見て、人手と時間を掛けないサービスが推奨され、そうした間違ったサービスが横行するに至ったときに、サービスの受け手の満足感は切り捨てられる恐れがある。

認知症の人に十分なコミュニケーションを取っても、認知症の人は、落ち着いていたその時の記憶をすぐに失ってしまうので、そのようなコミュニケーションを重視する仕事ぶりは生産性が低いとして、そうしたコミュニケーションの時間も省かれるのが、「生産性向上の論理」でもある。

サービスの受ける人の満足度は無視して、決められた仕事を素早くこなしてあとは手を掛けないというのが生産性向上論理の一面でもある。満足の最大値は無視して、最小限度のサービスを提供しておれば、生産性は向上したと評価されるのである。

このようにまず目標ありきの生産性の向上論は、利用者ニーズを無視した事業者都合のサービスをはびこらせる結果になる危険性を持っているのである。生産性が低いという言葉で、「暮らし」が切り捨てられる場面が、これからますます増えるという懸念がぬぐえないのだ。それは即ち国民の福祉の質の低下そのものではないだろうか。

それを誰がどう監視し、直していくのかが問われてくるのではないだろうか。

どちらにしてもこれからの介護サービスは、多床室から個室への切り替えが求められ、会議等のリモート化が促進され、介護ロボット等の機器導入が国策的に進められていく。

さすればこれらの機器を動かす電気の使用量も増大するのだから、電力料金のコスト削減がそのまま介護事業経営に大きく影響することになる。だからこそ電力料金削減はプロにお任せ!電子ブレーカーで電力料金を賢くコストカット!などで固定費を削減する努力は不可欠だろう。

※リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まりますを参照ください。まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。

登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

悪平等を許してはならない理由(わけ)


対人援助に携わる人間にとって、「無差別平等」の精神を常に忘れないことは重要である。

私たちの差し伸べる手は差別なく、みなひとしなみに届けられなければならない。そうしなければいかなる行為も社会福祉にはならず、ただの欺瞞とわがままの行為にすり替わってしまう。

しかし皆が等しければそれですべてが許されるということにはならない。平等だけを目的化する欺瞞ほど、人を不幸にするものはないのだ。なぜならそこでは低き方向への均等化が意図される恐れが生まれ、人が良い状態や、幸福な状態にならなくとも、均等均一ならば良いというおかしな考えが生まれかねないからだ。

特に対人援助は、人の暮らしに関わる問題であり、平等の精神が単なる機会均等とすり替えられ、すべての人間が社会の底辺で息をひそめて生きていくような状態も、大多数がそうであれば許されるという誤解につながることを、何よりも恐れなければならないのである。

そのため社会福祉援助の領域では、無差別平等に人が幸福になるという方向が歴史的にも模索されてきており、今もそれは続いているという理解が必要とされるのだ。

こんなふうに私たちが求める平等とは、人がより良い状態で生きていくのにより必要な方向に実現化されるという視点が必要になる。そうした右上がりのベクトルをイメージしながら、無差別平等の精神を忘れないという戒めが必要だ。

ところがこの平等の精神や意味を、自分にとっての都合の良い理屈として悪用する人がいたりする。例えば昨日の記事でも話題にした兵庫県の井戸知事は、国が決めた慰労金の支給方法にいちゃもんをつけて、一旦は兵庫県では慰労金を支給しないと決めた経緯があり、そのことの批判を受けて記事に書いている会見につながった。

しかし井戸知事を支持する一部の関係者等からは、知事の考えや発言を擁護する声もある。その中には、「知事は、慰労金の支給対象は介護施設、障害者施設は含まれているが、児童福祉施設などの児童福祉分野が入っていないのは不公平であるという理由で、不支給や支給先限定という判断をしたもので、そこにはそれなりの理屈がある。」という意見がある。

しかしこれこそ、「悪平等」の典型で、支給されない分野があるのだから、支給されない方に横並びさせることが平等になり、不公平感を生まないという、権力者側の傲慢なる屁理屈でしかない。

児童福祉分野が慰労金支給の対象に入っていないことを不公平と考えるなら、国が予算化した慰労金をすべての対象者にくまなく配ったうえで、児童福祉分野にも同じような対策を求めていくというソーシャルアクションを起こすことこそ、すべての人が等しく良い暮らしを送ることができる道につながるのであって、低きに慣らすことを平等だと勘違いしてもらっては困るのである。

「介護職は何にもしていない」という問題発言に加えて、平等の精神を捻じ曲げて政治を行なおうとする点においても、井戸知事は政治家としての資質がないと烙印づけされてしかるべきである。

この悪平等は介護業界の至る所にはびこっているので注意が必要だ。特に処遇改善加算については、この加算によって給与改善されない職員と、改善される職員の両方が生ずることから、処遇改善されない職員の不公平感を慮るという理由で、加算算定せず給与改善しないという低い方向で横並びさせる事業者が存在する。

特定加算の場合も、医療機関と併設されている介護事業者の場合、医療機関に同様の加算がないことから、医療機関職員とのバランスが取れないとして、加算算定可能な介護事業者の職員が、それを算定支給されずに泣き寝入りの状態が続いているケースもみられる。

このように加算算定できるのに、あえて算定せず待遇改善を行っていない事業者は、まさに悪平等の屁理屈の渦に巻き込まれて方向性を見失っている事業者と言ってよく、それに気が付いていない状態で経営が続けられている場所に明るい未来はない。そうした職場に勤めている人は、一日も早く職場を替えたほうが良いだろう。信頼できる転職支援サイトなどを利用するのも一つの手である。

繰り返しになるが、平等とは単なる機会均等ではないのである。それは個によって異なる状況にも対応して判断や処理などが偏っていないことを云うのであって、要介護3で認知症があるという状態像の人が、等しく同じケアサービスを受けるということでもない。

認知症の人でも、症状やパーソナリティに違いがあるのだから、それに適応した最もふさわしケアサービスの方法を探して提供されるのだから、個々のサービス内容は違って当然である。

不平等な状態とは、ある人には最も適したサービスの方法を一生懸命に探してサービスに結び付けているのに、ある人にはそのような努力もせずに、漫然と画一的なサービスに終始してしまうことである。

対人援助という領域に関わる私たちはこの違いを常に意識して、人を幸せにしない悪平等を徹底的に排除するように、権力者の傲慢なる屁理屈と戦っていかねばならないのである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まりますを参照ください。まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

怒りの火に油を注いだ兵庫県知事会見


昨日行われた兵庫県の井戸知事の記者会見があらたな波紋を呼んでいる。

原則全ての介護職を対象に20万円(感染者が発生した、あるいは濃厚接触者に対応した事業所の職員)、もしくは5万円(感染者、濃厚接触者がいない事業所の職員)を支給するとした、「新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業」における慰労金について井戸知事は、「何にもしていないのになんで慰労金を出すのか。全く説明がつかないような税金の使い方は、兵庫県としてはやる気はない。慰労金だからなんでもいいやという話にはならない」と発言し、国の方針に従わずに一律支給をしない方針を示していた。(参照:兵庫県知事を迷走させる感染対応慰労金騒動

昨日の会見で同知事は、この方針について関係者から再考を求められ軌道を修正したとして、コロナ禍において、「一定の役割」を担った介護職にも慰労金を支給する考えを示した。

しかしそれは国の方針をそのまま受け入れるという意味ではなく、独自の対象者の範囲を定めて支給決定するというものだ。そこでは幅広い介護職が支給対象に含まれるようにするとはいっても、国の実施要綱より敢えて細かいルールを設ける形は維持した。

つまり兵庫県の独自支給基準を定めて、それに該当する職員のみに慰労金を支給するということであり、この基準から漏れた人に慰労金を支払わないのだから、兵庫県以外でこの慰労金の支給を受けることができる人と同じ条件でも、兵庫県では慰労金がもらえない人が少なからず出てくるということになる。

一旦、国の方針に従わないという形で、腕振り上げた拳の行き場所がなくなっては知事としての自分の面子が立たないということで、このような姑息なルールに変えたのだろう。まったくこの知事は往生際が悪いというか、性格がねじれているというか本当に救いようがない。

これによって受給漏れする介護職員等は、ますます不公平感を強く持たざるを得ない。他の県に住んでいれば受給できる慰労金を、知事の面子や対面だけのために受け取れない方々は、お気の毒でしょうがない。受給漏れに該当する方は強く抗議すべきだ。

しかし今回の方針変更で慰労金を受け取れることになった介護関係者も、その怒りの火は収まっていないだろう。

なぜなら兵庫県の介護関係者の怒りの根本理由は、お金が受け取れるかどうかという問題以前にあるからだ。それは知事が介護関係者について、「何にもしていない」と発言したことなのである。

そしてこのことは兵庫県の介護関係者だけの問題ではなく、全国の介護関係者が憤慨すべき問題である。井戸知事が慰労金支給の制限ができるのは、兵庫県の介護事業者に勤める人のみだが、井戸知事が、「コロナ禍に何にもしていない」と罵声を浴びせた対象は、全国すべての介護事業者職員であることに他ならないからである。

しかし介護事業者に勤めている人で、コロナ禍以後に何もしなかった人などいるはずがない。介護職員以外の様々な職員が、自分の職務の中で感染予防や感染拡大防止のために、新たな対応を毎日迫られたのである。介護事業者職員は好む好まざるにかかわらず、目に見えないウイルスと戦いの場に置かれていたのである。

それに加えて偏見とも戦わなければならなかった人も多い。介護事業者に勤めているというだけで、ウイルスに感染しているような目で見られるだけではなく、実際に配偶者が介護事業者に勤めている場合、その配偶者が感染していないと証明を求められたり、一定期間の自宅待機を求められたりしたケースも報告されている。介護職をしているというだけで、自分の子供が保育園に通うことを拒まれたケースもある。

休業補償や助成金の支給対象にならない休みを取らざるを得なかった介護関係者は、全国に数えきれないほど存在するのである。

そんな人たちにとって20万とか5万とかいう慰労金は、決してその労務に見合った価値の金額ではない。ほんのご褒美という程度の支給金額なのに、それさえも渋る兵庫県知事の傲慢で不遜な姿勢は、全国の介護関係者がこぞって糾弾すべきではないのだろうか。

そもそも昨日の会見では、このような混乱をもたらしたことも、介護関係者に対する件(くだん)の問題発言についても、その謝罪は一切していないのである。そんなことが許されて良いのだろうか。

本人はもういい加減に年でもあるし、多選批判も出てくるほど長く知事を務めているので、次の選挙なんて出なくても良いと考えて、言いたい放題のような感じがしてならない。

権力ボケなのか老害なのか、どちらにしても人生の晩節を汚す醜い姿しかそこには見当たらない。
※リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まりますを参照ください。まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。

登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

霞が関の頭脳・永田町の権力


介護報酬の改定内容やその額は、極めて公明正大な議論のもとに決定されているという。

それは永田町や霞が関が勝手に決めているわけではなく、各領域の専門家の意見を聴取したうえで、専門部会での議論を経て決定されているので、国の考え方を押し付けるものでもなければ、誰かに都合の良い方向に偏った報酬体系になるわけではないという。

しかし本当にそうだろうか。

来年4月は介護報酬改定の時期である。しかし次期改定は介護報酬の単独改訂であり、診療とのダブル改定であった前回のように、薬価引き下げ財源のおこぼれが介護報酬に回ってくるわけでもない。介護報酬の一部を削る分しか財源がない中で改訂議論が進んでいる。

だからこそ霞が関は財政難を理由に、従来の介護報酬の枠組みを見直して枝葉をカットしようとしている。しかし現在の報酬体系において何が太い幹なのか、枝葉なのかは人によって見解の相違があるところだ。しかも官僚は現場を知らない。だからこそ関係者に意見を聴いているという。

しかし彼らが普段接している人たちは、彼らのシステムの中で利益を共有している人たちである。業界人・専門家といっても、霞が関と利害関係が一致する人たちが、霞が関とタッグを組んで新しい介護報酬の枠組みを決めるのである。そういう人達は官僚にとって耳障りなことは言わないし、官僚はそういう人たちと組んでいる限り居心地が良い。

耳の痛い話の方が国益にかなって良い話だなんて言っている官僚がいれば別だが、そんな人がいるなんていう話は聞いたことがない。

そうした人たちにとってのパワーメカニズムから外れた部分から、介護報酬は削られていく。それが彼らの言うところの枝葉である。

それが時には自立支援介護と呼ばれたり、科学的介護と呼ばれたりするわけだ。それは単に国民受けのするキャッチコピーにしか過ぎないもので、自立支援も科学的根拠もまやかしでしかない。そんな実態は存在しないのである。

老人保健法で失敗した医学的リハビリテーションエクササイズ中心の自立支援が、介護保険制度においてだけ実現・成功すると思う方がどうかしている。医者もセラピストも確立できていない自立支援が、どうして介護の領域で実現可能だといえるのだろう。そんなことはあり得ない。

ましてや地域包括ケアシステムと名乗っているだけで、その実態が、「地域丸投げシステム」にしか過ぎないシステムの中で、国が呪文のように唱える自立支援も科学的介護も実現できるわけがない。

そこでお金のかけない多職種連携が機能して、協働作業が難なく行われてバラ色の未来が待ち受けているというのは、もはや幻想を通り越して詐欺の世界である。

いやそうではない。過去に失敗した自立支援とは異なるエビデンスが、地域包括ケアシステムには組み込まれていると霞が関から声が聴こえてくるが、そのエビデンスがいつどこの誰にきちんと渡されているというのだろう。

誰もその中身を明確に説明できないものをエビデンスなどと宣う(のたまう)のは、まやかしでしかない。

それとも認知症の人に水を飲ませれば、認知症が治るという邪教的妄想を、本当に信じている人が霞が関にいるというのだろうか。それをエビデンスと言っているのだろうか。過剰に水分を摂取させて、内臓のダメージに伴う水分過多を原因とした疾患をすべて無視して、日中無理やり便器に座らせて排泄を強要するだけの介護を、「自立支援介護」と呼べるとでもいうのだろうか。

しかもその排泄自立とは、紙パットへの排泄は失禁ではないとまやかしながら、トイレで排泄するために体幹機能障害のある人が、何十分も便器に無理やり座らされて放置され、その苦痛の訴えを見ないふり・聞こえないふりして実現させるものだ。それは誰のための排泄支援だというのだろうか。

本当にそれを信じているとしたら、そのレベルはカルト宗教の信仰と変わりない。少なくとも人の暮らしに謙虚に寄り添おうとして、生活の質を少しでも引き上げるために手を差し伸べるような姿勢はそこに存在しない。

一方で介護の場では、マスクや消毒薬が不足するなどの様々な困難の中で、濃厚接触を恐れず利用者の方々の暮らしに寄り添いながら、できるだけ不便をかけないように工夫を重ね利用者の方々の暮らしの質を維持しようとしている人々がいる。

その人たちの存在によって支えられているのは、介護サービスの利用者だけではなく、この日本そのものだ。

本来ならば、そんな人たちが気持ちよく働くことが出来る基盤となるような報酬体系を作るのが霞が関の仕事であり、そのことをきちんと検証して法案を通すのが永田町の役割ではないのだろうか。

頭脳も権力も国民に向けて使ってほしいと思うのは、この日本では幻想でしかなく、ないものねだりなのだろうか・・・。
理想の介護事業者をお探しの方は、こちらに無料登録ください。

※4/4〜新しいブログmasaの徒然草を始めました。こちらも是非ご覧ください。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せられます。

カリスマ経営者のお二人とのコラボ


株式会社はっぴーライフ代表取締役等を務める辻川泰史氏といえば、「朝まで生テレビ」や「バイキング」などに介護業界を代表するコメンティーターとして出演することでおなじみの方も多いだろうし、現在ケアペッツCEO等として活躍している藤田英明氏といえば、日本介護福祉グループの創始者で、「お泊りデイサービス」の発案者・仕掛け人としてご存知のい方も多いだろう。

ご両社とも日本を代表するカリスマ介護事業経営者である。

そんなお二人が、若いころから僕の管理するネット掲示板を使ってくださっており、親交を結んでくださっていることは、僕にとって実に光栄なことである。

そんなお二人とそろって講演講師を務めたのは2年前のC-MAS全国大会が初であったと思うが、昨日2年ぶりに熊本で3人タッグを組んで、研修講師を務める機会を得た。
89678871_2798423913568233_6033332618743775232_o
辻川泰史氏の講演
89945662_2798424116901546_6351690094532886528_o
藤田英明氏の講演。

コロナウイルスの感染予防のため、日本中でイベントが自粛ムードであるが、介護事業は待ったなしである。差し迫った課題に対応する猶予期間はなく、コロナウイルスのせいにして立ち止まることが許されない課題もあるってことを理解しなければならない。介護事業がぽしゃって困るのは、従業員とお客様であることを忘れてはならないのだ。

今回の講演は、熊本の有料老人ホーム『たいじゅ四方寄』 代表取締役・緒方 伴泰氏の主宰する「魁!介護塾」の今年度最後の研修で、塾の卒業式も兼ねているので新年度に先送ることはできず、当初の規模の1/10に受講者等を縮小して開催したものである。

辻川氏と藤田氏のお二人のフェイスブックからそれぞれのコメントを紹介したい。

(辻川氏のフェイスブックより)
昨日は緒方社長主催の魁!介護塾のセミナーでした。
僕ら世代からしたら介護福祉業界レジェンドのmasaさんと一緒に登壇させて頂き光栄でした。
コロナウィルスの影響が多くのイベント、セミナーが中止されている中、開催を決断した緒方社長の判断もよかったと思います。過度な自粛はよくないと思います。
このセミナーでは来期からはじまる、魁!介護塾という緒方さんが主宰する経営者の会の第二期メンバーの募集も兼ねています。あと2社ほど空きがあるそうです。講師陣も豪華メンバーです。
詳細はこちらのHPを確認ください。

(藤田氏のフェイスブックより)
先程まで明治学院大学社会福祉学科の後輩の緒方 伴泰 (緒方伴泰)くんが主催する「魁!介護塾」の打ち上げに参加してましたー!!
なんとマサさんこと菊地 雅洋 (Masahiro Kikuchi)レジェンドもいらっしゃり、今度対談イベントをすることになりました!!

お二人のカリスマ経営者の方から、「レジェンド」と呼ばれて光栄である。
89966443_2793215727423318_2634437762891120640_n
オフ会もご一緒させていただき、楽しい一日を過ごさせていただいた。また3人でトークする機会もありそうで、今から楽しみにしている。

読者の皆様もぜひ楽しみにしていただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せられます。

国民だけに痛みを求める制度改正


昨年12月16日の介護保険部会で、「介護保険制度の見直しに関する意見」の素案が出されたことにより、今後、諮問・答申が行われ、通常国会に法案が提出され、審議・可決という流れになる。

そのため今後の議論は制度改正から、21年度の介護報酬改定にシフトしていくが、これらはすべて介護保険制度の持続可能性を高めることが最大の目的とされていく。そのため改正と改定の実態は、サービス利用の抑制策の強化と、国民負担の増加でしかない。

こんなふうに政治改革や行政改革が全く行われない中で、社会保障費の伸びを抑える政策が続けられているのだから、痛みを負うのは国民ばかりである。

そのため介護保険制度は、ますます使いずらい制度になっている。

社会保障費に関連する国民負担もどんどん増え続けており、次の介護保険制度改正も決して小さな改正ではないことは、「今回の介護保険制度改正はプチ改正ではない」で指摘しているところだ。

いうなれば介護保険制度の給付は、2000年に制度がスタートした当時が最大で、それ以降3年ごとの改正の度に縮小の一途をたどっているわけだ。強制加入の社会保険料を支払わねばならなくなるにあたっては、給付を最大限に見せて、それ以降は縮小させ続けるという手法は詐欺師の手口と同じと言っても良いのかもしれない。

しかも国民の痛みはそれだけではない。

例えば医療費については、一定の所得がある後期高齢者(75歳以上)による医療費の窓口負担を、現在の原則1割から2割にするとし、団塊の世代が75歳以上になり始める2022年度初めまでの実施を目指し、枠組みを検討していくことになっている。

加えて2017年の介護保険法の改正により、2号被保険者の保険料負担は、2017年8月から年収が高い人により多く支払ってもらう「総報酬割」へ段階的に移行しているが、この改正が2020年から全面施行となる。そうなれば主に大企業で働く会社員の介護保険料が4月から大幅に上がり、年1万円を超える負担増になる人が続出することも見逃してはならない。

財源には限りがあるのだから、それは仕方がないことであると国は言う。

超高齢社会であり、少子高齢社会であることを考えると、国民負担はもっと増やしていく必要があるし、給付は必要なところにだけ重点的に行って、必要性の薄いところは、「小さなリスク」とみなして、自己責任でカバーしなさいと国は言う。

一方で政治改革は一歩も進まず、選挙制度改革にかこつけて国会議員の数はむしろ増えている。

それで仕事をしているならいいが、国会議員たろうというものが、一番大事な新型コロナウイルスの感染症対策の会議をほっぽり出して、地元の講演会や新年会という場所での、「呑み会」に参加しているという破廉恥ぶりだ。そいつが国民の見本となると豪語して、育休をとって職務を放棄しようとしている。

IR(統合型リゾート)を巡る汚職で逮捕された国会議員が、その身分のままで、だれも責任を取らせようとしない。そんな連中に血税は使われ続けている。そもそもIRが推進される理由は、経済発展のためなのか、巨額の利権のためなのか・・・。

そんな傲慢で破廉恥な国会議員を挙げればきりがないのが、今の政治家の現状だ。

政府・内閣に人事権を握られた官僚も事なかれ主義がさらに蔓延し、政治家の言いなりである。しかしそうは言いながら、握った利権は決して放そうとせず、利権のためには国民生活は二の次・参の次である。

国民は年金で生活ができずに、定年を年々延長され、老体にムチ打ちながら働き続けなければならないのに、官僚は天下って、席に座っているだけで年収何千万円という世界である。

こんな国が民主国家で、先進国と言えるのだろうか。

そんな中で唯一称賛されるべきは、一方的に痛みを負わされ続けている国民が、暴動も起こさず、さしたる文句も愚痴も言わずに、粛々・黙々と日々の労働と納税に汗を流し続けていることだ。なんと素晴らしい国民性だろうか・・・。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せられます。

新成人に考えてほしいこと


今年の北海道の雪の少なさは、全国ネットのニュースでも報道されているため、昨日まで滞在していた長崎県の各地でも、お会いする皆様の多くの方から、「今年は雪が少ないそうですね。」と言われた。

全くその通りで、僕の記憶する限りでも今年のように雪が少ない冬は初体験である。札幌では雪まつりの雪像を作るための雪がないため、近隣市町村から雪を運んでいる始末である。

だからと言って、「雪が少ない=温かい」ということではない。雪は少ないが、気温は氷点下の日が多く、「凍れる」ことには変わりないわけだ。そもそも雪は温かいのである。真冬に雪が積もって家が雪に覆われると保温効果が高まるのだ。雪国に住んでいない方々は、そのあたりの感覚がわからないらしい。

わかりやすい例が、「雪の下キャベツ」である。

秋に収穫したキャベツを、冬の間雪の中に埋めておくと甘みが増しておいしくなるから、ブランドキャベツとして高値が付く。しかし今年は雪が少なく、地域によってはキャベツを雪の中に埋められずに、氷ってしまい廃棄しなければならなくなっている。こんなふうに農家の方々にとっても、この小雪は大きな打撃である。

ところで今日は成人の日である。成人式を昨日のうちに行った自治体も多いそうであるが、今日も全国各地で新成人が式典に臨んでいることだろう。この国の将来を担う若者たちに、前途ある未来が開かれることを心から望みたい。

成人とはいっても20歳の若者たちの中には、大人になり切っていないのに、大人の振りをする若者の姿がたくさん見受けられる。その姿は時に初々しく感じることもあるが、一部の若者の暴走する姿は、大人の目から見れば、「恥ずかしい姿」・「醜態」にしか映らない。

成人式の会場周辺で、日本酒の一升瓶をラッパ飲みする若者がいるが、そんな吞み方をする姿が格好良いと思うのはどうかしている。大人になれば、酒を呑めるということは自慢でも何でもない。逆に、「大酒呑み」という言葉は、酒呑みを蔑む意味を含んでいることに気が付いてほしい。

精神科医療機関には、お酒を止められずに苦しんで治療を受けている人が何万人もいる世の中だ。酒は吞んでも呑まれるなと言うが、そうしたコントロールができない人は、お酒で数々の失敗を重ね、お金を失い、人間関係を失い、最後は健康さえ失い、そのまま閉鎖病棟で一人寂しく死んでいく人さえいる。

大人になるということは、酒やたばこを自制してたしなめるということを、世間様が認めてくれるという意味だ。だから自分自身の判断で酒やたばこを呑んだり、吸ったりすることを許されるわけである。

どうかそんな風に、自分を律することができる大人になってほしい。

式典で暴れ、大声を出し、暴走する姿を格好良いと思ってみる人はほとんどいない。そうした姿を演じている本人も、数年後に家庭を持ち子供が生まれたならば、そんな姿を子供に見られたくないと後悔する人がほとんどだ。

一方では成人式会場で、「大人の仲間入りをしたのだから、責任感と自覚を持って、この国に貢献する人間になりたい」とインタビューに答えている若者がいたりする。その姿はとても凛々しい。大人の自覚を持って発言する姿は、暴力と暴言に終始する姿より、よほど勇気が感じられる。

この国は若い人たちが担っていくのだ。若い人たちの力で、この国の明日は切り拓かれるのである。どうぞそんな風に、この国を支える人になってほしい。

エネルギーにあふれた若い命と力を、私たちはうらやましく見つめながら、様々なバトンを渡していこうと考えています。どうぞそのバトンを受け取る手を差し伸べてください。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

介護ボランティアを贖罪のアリバイ作りに利用するな


連日ワイドショー等で取り上げられている、「芸人」の裏営業問題・・・。

その問題の本質は、裏営業と呼ばれる直営業問題ではなく、反社会勢力とのつながりの問題であり、事実を嘘で隠そうとした倫理上の問題なんだろう。

それはどうでもよいとして・・・所属事務所から「謹慎処分」を受け、活動自粛をやむなくされた芸人の一部が、介護事業者でボランティア活動をしながら、「反省の姿勢」を見せていることが報道され始めている。

芸人だとて、その身分より先に一個人としての存在があるのは当然だから、ボランティア精神を抱いて、介護サービスの場で様々な活動を行うことは問題ないし、むしろそのことは歓迎されてよいことだと思う。本当の意味でボランティア精神を発揮できる場として、介護施設等で、「できること」をすることに対して批判する何ものもない。

また活動を自粛している間に、自分の手に職をつけようとして、「介護」の勉強をしようとする動機づけはあってよいと思う。その結果、将来介護の担い手の一人として活躍してくれる人が、一人でも多くなることは社会的にも意義があることだろうと思う。

しかし・・・である。

連日の報道内容を見ていると、芸人が招待を受けて活動した場の主催者が、反社会勢力であるということはとは知らなかったとはいえ、そういう場で営業し収入を得ていたことについて、反社会勢力の人の被害を受けた方々の感情を考慮して、その反省と贖罪の気持ちを込めて、介護の場でボランティア活動に励んでいるとされている。

いい加減にしてほしい。介護の場は誰かの贖罪の場ではないし、介護という行為は、「罰」ではない。

介護労働は、対人援助という行為を支える専門技術であるし、介護の仕事は、他の仕事に比して特別な位置にあるものではなく、ごく普通の社会活動である。

そうであるにもかかわらず、所属事務所等から処分を受けた芸人が、介護ボランティアをしながら反省して、活動再開に備えているということになれば、介護サービスの場を罪人が懲役刑を受けている場とイメージする人がたくさん出てくる。活動できない芸人が簡単にできる労働として、「底辺労働」のイメージも生まれてこようというものだ。

そもそも一芸人が介護事業者等でボランティアをしていることが、どうしてこんなに話題になるんだ?何らかの形でそれをマスコミにリークしているという証拠ではないか。

僕は今、フリーランスの立場なので、自分の時間を使って様々なボランティア活動を行っているが、そんなことは業界関係者にさえ漏れていない。活動する場所にいる人しか知らないことだ。

本来ボランティアとは奉仕なのだから、無償の行為である。それはその活動で金銭を得ないというだけにとどまらず、名誉さえ得ない行為であるべきで、奉仕によって名が売れることは最も恐れられるべきことで、避けるべきことなのだ。

芸人が本当の意味で反省と贖罪の気持ちを込めて、社会に貢献できる活動の一つとして、介護サービスの場におけるボランティア活動をしているなら、そのことをマスコミに報道させるなと言いたい。知られてもそれを公表しないように頼めと言いたい。そうした活動を、誰からも顧みられない状態で黙々と続けてみろと言いたい。

そうしていないということは、何らかの意図があると勘繰られてもしょうがないし、こんな風に世間に介護ボランティアをしていることが喧伝されているという事実は、その行為の実態が「売名行為」であるという疑いを持たれても仕方がないと思う。

その売名行為に介護労働が利用されて、社会の底辺労働のイメージが広がっていくのは迷惑である。

介護の場は、芸人の「悔悟の場」ではないのだ。(※このフレーズは、FBで浜松のジョアンさんこと、粟倉さんがつぶやいていたフレーズをパクったものである。粟倉さん事後承諾で許してください。)

マスコミはもっと、介護労働とはどのようなものかということを勉強してもらいたい。そして心してもらいたいことがある。

ボランティアを安易に、「崇高な行為」と祭り上げるようなことがあってもならない。同時に介護ボランティアを、「罪滅ぼし」にもっともふさわしい行為とするような印象操作があってはならないのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

死因変化が示唆していること


僕が新卒で特養に入職した昭和58年当時、日本人の死因のトップは脳血管疾患(脳出血・脳梗塞など)で、その次に心疾患、がんという順位で続いていたと記憶している。

しかし昭和60年代に入ると、がんが死因のトップになり、次に心疾患が続き、脳血管疾患は3番目になっていった。脳血管疾患による死亡者が減った背景にはCT検査などの確定診断の充実や、脳外科手術の手技の進化といった背景があると言われていた。

その状況が長く続いていたが、先に厚労省が公表した人口動態統計によると、2018年の日本人の死因は1位がん、2位心疾患、3位老衰となり、脳血管疾患が4位に下がっている。

この死因変化からは、二つの意味を読み取ることができるのではないだろうか。

まず最初にそれが意味することとは、脳血管疾患では即、死ぬことができなくなったということである。

医療技術の進化で脳血管疾患を発症したからと言ってそのまま死に直結しない人が多くなるからと言って、この疾患そのものが劇的に減少しているわけではない。しかもこの疾患の特徴は、一旦発症した場合症状が治まったとしても、麻痺という後遺症が残る可能性が高いということである。そして脳血管疾患になった人が、一般の人と比較して特段に寿命が短くなるというデータはない。むしろ病気になったことをきっかけにして、酒やたばこを控え、血圧管理などの医療ケアを定期的に受ける人が多くなることで、寿命は延びている可能性もある。

どちらにしても60代で脳血管疾患を発症した人は、その後手足等の麻痺を抱えたまま長い期間生きる可能性が高いということになる。その期間は25年〜30年というスパンであると考えられる。そうした方々が、手足の麻痺という不自由を抱えて、どう暮らしていくのかということに、我々は深く関わる仕事をしている。今後そういう人がさらに増えるのである。

病気が発症した当初は自分の運命を呪い、絶望と慟哭の中にいる人も多いだろう。それがやがてあきらめの気持ちに変わり、さらに病気を受け入れ、新しい生活に向けて頑張ろうとする意欲に結び付くように、それぞれの過程の中で、医療看護職として、相談援助職として、介護職として、栄養士としてなど様々な立場で、どのように関わっていくかという姿勢が問われてくるだろう。

時には専門職として関わる姿勢より、そっと肩に手を置いて優しさを伝えるような、人としての姿勢が問われてくるかもしれない。そこで何ができるかを考え続けたい。

さて死因変化のもう一つの意味についても考えてほしい。老衰死が増えているということは、高齢死者数が増えているという意味だ。今後の地域社会では、医療機関のみならず、介護施設や在宅など様々な場所で、老衰で亡くなる高齢者が増えてくるのだ。

老衰とは自然死なのである。そうであれば自然死を阻害しないための備えが必要になる。

老衰の最終段階では口から食物を食べられなくなる。この時に胃婁を増設して経管栄養を行なえば、死までの期間は引き延ばすことができる。それも月単位ではなく年単位での引き延ばしが可能になる。しかしそれは老衰という自然死を阻害するだけの行為になるかもしれないということだ。

自然死を阻害された人は、その後死を迎えるまでの間、誰とも意思疎通ができないまま、痰の吸引などの行為のたびにもがき苦しんで生きるかもしれない。実際にもがき苦しむためだけに活かされている人が、現在この国に何万人いることか・・・。それが長寿世界一ニッポンの一面でもある。

そうしないために、すべての人々が意思のあるうちに、「リビングウイル」の宣言ができる地域社会を創ることが理想だ。地域包括ケアシステムにおける医療・介護連携、多職種連携の目的の一つに、「地域住民に対するリビングウイルの支援」があるべきだ。
(※リビングウイルとは、「生前意思」又は「いのちの遺言状」といわれており、「自分の命が不治かつ人生の終末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくことである。延命治療を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和治療・緩和ケアに重点を置いた支援に最善を尽くしてもらうための宣言でもある。

昨年の介護報酬改定で、居宅介護支援費に新設された、「ターミナルケアマネジメント加算」は、末期のがんの人に対する支援行為にしか算定できないが、今後の地域社会では老衰による在宅死が増えるのであるから、そういう人に対するリビングウイルの支援から終末期支援までがつながっていくために、次期報酬改定では、その加算の対象はすべての終末期支援対象者としてほしいと僕は訴え続けている。

是非その実現も図ってほしいものだ。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

損保ジャパンの介護事業への配転計画の裏を読む


損害保険会社大手の「損保ジャパン日本興亜ホールディングス」といえば、「ワタミの介護」や「メッセージ」を買収し、介護事業部門においても大手と言ってよい企業である。

同社が、西日本で最大の介護事業者だったメッセージを買収したきっかけは、「Sアミーユ川崎幸町事件」であったと記憶している。

3階のベランダから利用者3人を投げ殺したとされ、1審で死刑判決を受け控訴中の今井被告事件のほか、複数の介護職員が利用者に罵声を浴びせ、乱暴に利用者をベッドに放り投げているなどの隠し撮り映像がユーチューブにアップされ、その後の調査で全国の有料老人ホーム「アミーユ」で同じような虐待行為が発覚したことで、親会社である「メッセージ」が介護事業経営を続けることが不可能となり、損保ジャパン日本興亜に事業譲渡した経緯について鮮明に記憶している関係者は多いことだろう。

ところで月曜日の夜にネット配信されたニュースでは、損害保険ジャパン日本興亜が、ITを活用することで業務の効率化を進め、2020年度末までに従業員数を17年度比で4000人程度減らす方針であることが報道されている。それは同社の全体の約15%に相当する数ということであるが、希望退職者の募集は行わず、余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑えるとしている。

要するに本業の合理化で余った従業員を、後発事業として抱え込んだ人手の足りない介護事業に配転するというものだ。

これによって同社は、本業の生産性がアップし、さらに生産性の低いと言われる介護事業に、本業で鍛え上げた人材を貼りつけることで、そちらの生産性も向上させるとともに、介護事業の人材不足も一気に解決し、介護業界のトップランナーとして走り続ける条件を備えるということになるだろうか。

そして一つの企業だけで、新たに4000人もの介護人材を生み出すことが、介護業界全体の人材不足を少しでも補う効果につながるのだろうか。

しかしそうは問屋が卸さないだろう。

配転される人たちは、介護の仕事に就くことを望んでいるわけではあるまい。そして介護の仕事に対する興味も知識もあるわけでもあるまい。損害保険を扱う業務をしていた人が、いきなり介護の業務に臨んでも、事務作業くらいしかできる仕事はないかもしれない。しかしは配転先の介護事業者が求めているのは事務作業を行う人ではなく、介護業務を行う人材である。

そうであれば企業グループ内の配転だからと言って、「ああそうですか」とすんなり配転に従うとは限らない。配転を拒んで辞めてしまう人もいるだろう。

望まぬ形で配転された人も、時とともに介護業務に慣れて、そこで新たな人材として張り付くなんて言う期待はできない。覚悟を決めて配転に従ったとしても、いざ介護の仕事に就いてみると、やはり自分の適性ではないと気が付いて、短期間で辞めていくのが落ちではないだろうか。

しかし大手企業がそんなことを理解できないわけではないだろう。ということはこの配転の方針には裏があるということではないのか。

つまり合理化=首切りというイメージは、企業にとってマイナスにしかならないために、そう思われないように、世間に対しては希望退職も募集せずに、内部の移動だけで合理化を進めるという印象操作を行って、その実態とは、余剰人員をまったく畑の違う異業種へ配転させることで、相当数の職員が自分の望まない仕事に嫌気が差して、辞めていくことを見越したものではないのかとうがった見方をしてしまう。

このような形で介護事業者に配転させられる人が、すべて介護事業者の戦略となるわけがない。その一部の人達には介護の仕事の適性がなく、あらたな職場で何かをしでかす恐れだってないとは言えない。適正も希望も鑑みない配転は、「介護うつ」の予備軍を大量に作り出すかもしれない。

配転から1年後に、その人たちが何人介護業界に残っているのか、3年後には何人になっているのかを調べることは、こうした配転の効果と実情を考えるうえで、興味深い統計データになるのではないだろうか。しかしその数字は、決して表には出ることはないのだろうと想像する。

どちらにしても、余剰人員として無理やり専門外の業界に配転させられる人々には、お気の毒としか言いようがない。無理をして精神と身体を病まないようにしていただきたい。

ただし断っておくが、介護とは本来、人の暮らしを支え、誰かの心に咲く赤い花になることができる、誇りある職業である。転職動機に利用されるような職業ではないのだ。適性のない人や、介護の仕事に興味がない人にとっては、「辛い」ものになるだけの話である。

その時、「辛い」という文字に「一」を足して、「幸福」に換える動機づけが持てる人は、介護の仕事に変わっても幸せでいられるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

生命って何だろう・・・。


今日書くことは、多くの方に共感されることはないだろうと思いながら書いている。

このブログは僕の勝手な思いを書きなぐる場所で、人からとやかくいわれる覚えのない場所であって、不快になるならわざわざつなげて読むなと言ってよい場所なので、共感されないことは気にしていない。だけどこれから書こうとしていることは微妙な問題なので、誤解されても困るなと思う。今日書くことは、どっちが良いとか悪いとかいう問題を超えて、別の見方も必要なのではないかという意味の問題提起だということだけは理解いただきたい。

さて本題。総務省が「こどもの日」にちなんで公表した推計によると、今年4月1日時点の15歳未満の人口は前年より18万人少ない1533万人となっているそうだ。

これはとても深刻な問題である。社会全体が老化し活力がなくなるばかりではなく、将来日本という国の国際的な影響力が今よりずっと低下していくことも意味している問題だからだ。

それとともに全産業にわたる人手不足も、さらに深刻になることを意味している。介護業界の最大の悩みも人手不足だが、それは日本全体で生産年齢人口が減り、全産業で人手が足りなくなっていることと繋がっている問題だから、介護難民を生まないためにも、介護業界でサービスの品質競争を促して、介護支援を必要とする人のQOLを担保するためにも、子供の数を増やすことが一番求められることである。

そうであれば社会保障政策として少子化を止め、子供を増やす施策を実現することが政治家に求められると思うのだが、その成果が出るのには10年も20年もかかり、すぐに結果がわかるという問題でははないために票につながりにくい。そのため目先の利益誘導に走って票を獲得しようとする政治屋ばかりの現在、そんな大局観を持った政治活動は期待薄なのだろう。(※政治家ではなく、あえて政治やと呼ぼう)

ところでこの問題と直結しているのは出生者数である。手元にある最新データは2017年度統計である。それによると2017年の新生児は94万1,000人で、調査以来はじめて100万人を割り込んだ2016年(平成28年)の97万6,978人に続き、出生数は2年連続で100万人以下となっている。おそらく2018年度はもっと少なくなっているはずだ。しかしこの出生数には闇が隠されている。

作家であり、医師でもある帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)氏は、自身の小説の中で、「出生者数と同じ数程度の人工中絶が毎年行われている」と書いている。勿論小説はフィクションであり、この記述自体に何の根拠も証明責任もないし、このことを実証する表立った数値データは存在しない。しかしそれは極めて事実に近いと言われている。

出生率の低下で将来の行く末が懸念されているその国で、出生数と同じだけの堕胎(だたい)が行われているのである。

人工中絶に関して最近話題になったことと言えば、アメリカ・アラバマ州のケイ・アイヴィー知事が、5月14日に人工妊娠中絶を全面的に禁止する法案に署名したことである。これにより母体の健康を損なう以外は人工中絶が認められず、レイプなど性的暴行の被害による妊娠でも中絶が認められないという全米で最も厳しい法律が制定され、人権団体などが抗議の声を挙げている。

この話題については、我が国のテレビ等の報道番組やワイドショーでも取り上げられ、有識者とされるコメンティターが、「レイプ被害者が、レイプによって妊娠させられたケースまで、中絶を認めないのは、女性の権利侵害に等しい」とコメントし、それに対して多くの共感の意見が寄せられていたりする。

その意見を否定するつもりはないし、反論するつもりもない。そもそも僕はアメリカのその法律の是非については、論評する立場にるわけではないことも自覚している。

そのうえで一つだけ意見を述べておきたいことがある。

女性の権利(あるいは人間の権利と表現しても良いのかもしれない)を護るために、場合によっては人工中絶もありとする人たちは、人工中絶される対象となるものにも、すでに生命が宿っていることをどう考えるのだろうか?ということである。

人工中絶によって闇から闇へ葬られる胎児もしくはエンブリオ(受精後8週間以降を胎児と呼び、8週目までをエンブリオと呼ぶ)も生命である。心臓をはじめとした内臓の各器官はすでに人として形成されているばかりではなく、脳も形成されているということをご存じだろうか。

つまり胎児もしくはエンブリオとは、母親の子宮の中に宿されているという以外は、この地球で生きている人と何ら変わりのない存在であるわけである。そうであれば人工中絶とは、すでに生命として存在しているものの命を奪うことに他ならない。母体から離れて人として生きている人を殺せば殺人であるが、母体に宿る胎児もしくはエンブリオの命を奪っても殺人とならないというのは、本来おかしことなのではないだろうか。

人の権利を護るために中絶も必要な場合があると評論する人は、人工中絶で奪われるものも生命であるということを知っているのだろうか。知っていたとしたら、そのことと命の尊さを敬うことと、どのように整合性が取れると主張するのだろうか。

胎児もしくはエンブリオが、人として法律で認められている存在ではないということは僕も十分承知している。しかし法律論だけで生命は語れないのではないか。法的責任や法的問題とは別問題として、「生命とは何ぞや」という視点から議論されるべき問題ではないだろうか。

その中でわが国では、毎年胎児もしくはエンブリオの生命が、出生数と同じ数くらい人工中絶で奪われているということを真剣に考えるべきである。

その先には、「赤ちゃんポスト」とか、子供ができない夫婦が不妊治療のために何千万円も使っているという問題も関連してこようが、その前に、医療科学が発達した今日であるからこそ、貧困を理由にしない「赤ん坊の間引き」がこれほど数多く行われ、その問題が実に軽く取り扱われているという事実について議論すべきではないだろうか。

今日・今この瞬間も、せっかくお母さんの体に宿った命がむなしく消えていくことをどう考えるのかを真剣に議論すできではないのだろうか。それは僕やあなたと変わりのない「生命体」であるという事実とともに・・・。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

安全のための不便をどこまで受け入れられるかという問題


GWが終わる前に、登別は桜が満開になった。今日の夕方から雨になる予報なので、昨日から今日にかけてが一番見ごろではないだろうか。

登別温泉に観光でいらしている方は、明日からの仕事に備えて、今日帰るという人も多いと思う。帰る直前に登別温泉街道の「桜のトンネル」を通って、エゾヤマザクラを満喫してもらいたい。ただし運転中の方は、桜に気を取られてハンドル操作を間違えないように、一旦止まって桜を愛でていただきたい。
登別温泉街道の桜
僕も昨日、温泉まで行って桜の写真を撮ってきた。道道登別温泉線:通称温泉街道の両側に咲く桜は、今の時期ほとんどエゾヤマザクラで、ソメイヨシノよりピンク色が濃い桜である。
登別温泉街道の桜
場所によっては桜のトンネルに入ったような景観になる。なおエゾヤマザクラが散った後は八重桜が咲くことになる。
わかさいも本舗前の一本桜
登別東インターチェンジを出てすぐのところにある、「わかさいも本舗」の前にある一本桜は、この辺りでは有名な大木である。是非その桜も見てってほしい。
鷲別川沿いの桜
こちらは温泉から少し離れているが、僕の自宅のすぐ横、鷲別川沿いの桜である。ここは僕のウオーキングコースでもある。しばらくの間は、桜に癒されながら歩いたり、散り際になると桜吹雪の舞う中を歩いていられそうである。

さて本題に移ろう。GWに行楽地などに出かけた人のユータンで渋滞のニュースが流れている中、毎日のように交通事故の報道は尽きない。その中には、高齢ドライバーの正常とは言えない運転による事故も多々含まれている。

そのことに関連して先週金曜日に、「能力の衰えを自覚してからでは遅い運転からの勇退」という記事を書いた。

僕が主張したいことは、こういう事故が増えて困るねで終わるのではなく、こういう事故を防ぐ具体的対策を急がねばならないということである。

高齢ドライバーが認知機能が衰える前に、一定年齢に達したら自主的に免許の返上をするのが当たり前の世の中になるに越したことはないけれども、それができない現状を鑑みると、運転免許には年齢上限を設けてもやむを得ないと思う。それだけ高齢ドライバーが、自らの認知機能低下に気が付かずに引き起こされる事故は増えているし、それによる悲劇の悲惨さは深まるばかりである。

現にその記事を書いた当日の夜には、福岡県春日市で74歳の女が運転する軽乗用車に、8歳の女の子と6歳の男の子がはねられて病院に搬送されるという事故も起きている。

事故を起こして逮捕された容疑者の女は、「太陽がまぶしくて信号を確認せず進入してしまった」と供述しているというが、正常な判断力がある人が信号を確認できない状態で交差点に突っ込むだろうか?・・・これも判断力の低下が疑われるケースである。

何らかの運転制限を設けないと、こうした事故は減らせないという主張に対して、「それはそうだけれども、同時に高齢者の移動手段を確保する手立てが必要だ」という声が挙がる。

それはその通りと思うし、リンクを貼りつけた先週の記事をはじめ、このことに関連した僕の記事の中では、しっかりそのことも含めて書いている。具体的には、各自治体の責任でコミュニティバスを走らせたり、「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で実施できる、送迎サービスをすべての市町村で行うなど、いくらでも方法は考えられる。(参照:免許返納者の移動支援に保険給付

しかし4/19の池袋の事故や、5/3の福岡市春日町の事故に関して言えば、その地域で本当に高齢者が運転しなければ暮らしが成り立たないような不便があるだろうか。両地域とも立派な都会で、公共交通機関を使うだけでも、十分暮らしが成り立つ地域ではないのか。その地域に関して言えば、自家乗車に変わる高齢者の移動手段など、議論する必要がないと思うし、そういう地域は日本全国にたくさんあるはずだ。

すでに公共交通手段が十分整備されているなど、自分で運転しなくても生活に支障のない地域で先行して高齢者の運転制限ルールを設けたって良いのではないのか。なにも日本中のすべての地域で、高齢者の移動手段が十分確保されてから制限ルールによる対策を行うという必要はないだろう。

不便のレベルも、もっと考え直さねばならない。

都会の人は1時間に1本しか路線バスがないと不便だというが、北海道であれば1時間に1本もバスがあれば十分便利な移動手段である。東京で暮らす人は山手線を使って一本先の駅に移動するが、田町から品川に移動する距離なら、北海道の人はためらわず徒歩で移動するだろう。

そんな風に「不便という意識レベル」にも地域格差があるのは事実だが、それを乗り越えて、すべてが便利で快適ではなくとも、人の命を守るための方策を早急に構築していく必要があるのではないだろうか。特に幼い命・社会的弱者が判断力の低下した人の運転する凶器から命の危険にさらされないように、安全と安心の地域社会を創っていく方策は必要ではないのだろうか。

超高齢社会となり、認知症の人や認知症予備軍の人が増えるのは当たり前なのだから、それに備えて安全と安心の地域社会を創るための新ルールを作るという考え方は、あって当然だろう。

未来のある子供たちや若者たちが、判断力が低下したことに気づかない人の理不尽な交通事故によって命を奪われないようにするために、その対策は待ったなしで急がれているのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

誰もが介護の仕事に合うわけではありません


今日は新年度が始まって最初の土曜日である。

1日の月曜日に入職した新人にとっては、この週は仕事を覚えようと必死に一日一日を過ごした1週間であったろう。どうかその疲れをとるために、この土日はゆっくりと休養に努めてもらいたい。先は長いのだから、ゆっくり確実に仕事を覚えてくれればよい。

志をもって介護の仕事に就いた人にとって、介護という仕事をまじめに覚えていく先には、きっと仕事の結果を出すことができ、志を遂げることができるだろう。そして介護という仕事は、誇りを抱ける職業だということが実感できるだろう。ただしそのためには自らを高める努力とともに、職場もきちんと評価して選ぶという考え方が必要だ。

対人援助という仕事は、そこで関わる人々を敬い幸せにするために存在する仕事だ。その目的を達しようとしない職場は、本来志を高く抱く人々がいるべき場所ではない。利用者を顧客としてみることなく、サービスマナーのかけらもなく、プロ意識の欠如した素人と見まごうサービス提供しかできない職場では、本当の意味で対人援助の目的は達することはできない。

そういう場所に長くいると、自らの意思とは関係なく意識も低きに流されてしまう危険性がある。だから早い段階で、そういう職場を「見切る」という視点も求められる時代である。

そうすることで、そういう職場に従業者が集まらずに、事業継続ができなくなることは、将来的にはこの国の福祉の向上につながるのである。

そんなことをしていたら事業者がなくなって、サービス提供を受けられない人が大量に生まれるのではないかと心配する向きもあるが、介護事業経営者がこの業界で食っていこうとするならば、必然的に従業員や利用者が集まる方向への、「サービス競争」が始まるのが市場原理である。そのためにも駄目な介護事業者から人材がいなくなる形をできるだけ早く創りあげないとならない。

介護に向かない経営者や、人の尊厳を傷つけても何とも思わない従業員による劣悪サービスを含めて、玉石混合でもってサービスの量を担保するなんてことは、人の命や暮らに係る職業には本来あってはならないのだ。本来あってはならないことが、今存在しているという恐ろしさに気が付くべきだ。

例えば介護事業者に入職した新人の中には、まだ十分仕事も覚えていないのに、いきなりシフト勤務に組み込まれて、この土日も休みではないという人がいるかもしれない。しかし基礎研修やOJTも十分ではない状態で、就業1週間目からシフト勤務に組み込むような職場は、サービスの質に関心がないと言ってよい。利用者に最低限のことさえ行えばよしとするような事業者には将来性がないと判断しても良い。そんなところには「見切り」つけて、できるだけ早い段階で職場を変える判断をしても良いのだ。そんな場所で頑張り続けても、介護スキルなど高まらないからだ。

多くの職場で、新規雇用者に対して「試用期間」が設けられているように(試用期間は労働基準法上は規定がなくても良いとされ、法人の任意事項である)、従業員の側も職場に対して、「試用期間」という視点を持つべきである。

就業前にいくら良い餌を吊り下げていても、それが全くのまやかしで、従業員や顧客を食い物にするブラックな事業者は、従業員の側から見捨てたって良いのである。それだけ介護事業者とは玉石入り混じった様々な職場があるという実態があるのだ。より良い人材は、より良い職場を選ぶ権利と機会があるのだということを知るべきだ。

同時に「自分に対する見切り」という視点も大事だ。

自分自身が本当に介護の仕事に向くのかも考えてほしい。人間性がどうのこうのという問題ではなく、人にはそれぞれ特性があって、その特性の中には職業と合う・合わないという特性も含まれるのだ。介護の仕事と合わないことが、イコール社会人としての資質がないとか、品性が低いとかいう問題ではないのだから、基礎研修やOJTを通じて、介護という職業が自分に合わないと気づいた人は、一日も早くこの業界から去って、別の仕事を探すべきだ。

自分に合わない仕事を嫌々ながら続けていくことで、その仕事が性に合ってくるなんてことに期待しないほうが良い。介護とはそんな簡単な仕事ではないのだ。この仕事を続けて、人の暮らし向きを少しでも良くすることが自分の喜びであり、自分のモチベーションだと思えない人は、誰かの極めてプライベートな領域に足を踏み入れることがあってはならないのだ。

いやいや仕事をやり続けて、半年後に辞めてしまうのであれば、いっそ今のうちにやめてくれた方が良い。そんな人をこれから先、半年間も教える職員にとって、そのゴールが教えた職員の退職であれば、教育訓練に費やした時間がすべて無駄になってしまう。そんな無駄な時間は、できるだけ短い方が良いわけである。

だからこの時期、自分に見切りをつけて辞めようとする人を引き留めてはならない。

1日に入職して、急に体調不良を理由に休みを取った新人の中には、既に退職届を出した人もいる。今では自分で退職の申し出や、手続きができない人に替わって、それを行ってくれる、「退職代行」という職業があるのだから、その傾向は強まっていると言えるのかもしれない。自分で退職を申し出ることができない理由が、その人自身にあるのか、雇用側にあるのかは微妙な問題であるが、どちらにしても、ここしばらくは企業側・雇用者双方の取捨選択があって当然の時期だと割り切った方が良い。

良い人材や、良い職場を求める時期というのは、この時期だけとは限らないのだから、良い介護事業者を目指そうとする人、良い介護事業所に所属したいと求める人双方が、見極めを行いながら、求める方向を目指していけばよい。

そのような形で、人材確保の勝ち負けがついていくのが、現在の介護業界の雇用事情である。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

予見しにくい不安定な社会状況の中で考えること


僕が以前勤めていた社会福祉法人の年末年始の休暇は31日〜3日までであった。そこは今日が仕事始めとなっているだろう。

しかし今年の1月4日は金曜日になっているため、今日1日出勤して、明日・明後日は通常のお休みという人も多く、正月気分が完全に抜けるのは7日(月)からになるのではないだろうか。

そもそも仕事始めが7日からだという職場も多いことだろう。僕の最新刊が今月上梓される予定になっているが、その出版元も7日が仕事始めである。そのためゲラの最終校正の締め切りが7日に設定されていたが、今朝無事校正ゲラを発送した。これによって最終の原稿校正作業が行われ、いよいよ印刷・製本されて出版にこぎつけることができる。

僕にとって2年ぶりに出版する6冊目の自著本となる、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」は文字に張り付いたリンク先で先行予約できるので、是非参照していただきたい。

ところで昨日の3日は正月帰省していた人のUターンが始まり、飛行機や列車も混雑していたのではないかと思うが、熊本では震度6弱の大きな地震があったとのことである。このため九州新幹線も博多〜熊本間が終日運休とのことで、今日の仕事始めに間に合わなくなってしまった方もいるのではないだろうか。

熊本にお住いの方々は3年前の地震を思い出して、さぞや怖かったことであろう。幸い大きな被害があったという報道はされていないが、今後も大きな被害がないことを祈っている。

さて新しい年の介護を巡る状況はどうだろうか。今年は報酬改定が行われた翌年に当たるので、本来ならば3年後の報酬改定に備えた議論が行われるものの、制度運営に影響する大きな改正や改定は行われないのが通常である。

しかし今年10月には、2年連続となる介護報酬の改定(プラス0.39%)と区分支給限度額改定や、新処遇改善加算の新設が予定されている。

そのほか、地域支援事業実施要綱において国が定める額を上限として、市町村が定めることとしている介護予防・日常生活支援総合事業のサービスのうち、指定事業者により提供されるサービス(従前の介護予防訪問介護又は介護予防通所介護に相当するサービス及び緩和した基準によるサービス)の単価も、介護給付の訪問介護及び通所介護、予防給付の介護予防支援に倣(なら)って見直しを 行うことになっている。

改定される報酬の新単価は、今月中に公表される予定であるが、それはいずれも消費税が現在の8%から10%に上がることの対策であったり、その分を財源とした対策であったりするわけである。

先送りになっていた別枠公費負担も導入した保険料の軽減も、消費税増税が実現すれば完全実施される予定だ。この意味は非常に重要であることは参照ブログで示しているので、ぜひリンク先を読んでいただきたい。(参照:保険料負担軽減のための別枠公費投入の意味

だが消費税増税が予定通り行われるかどうかは、今後の経済状況で左右される問題でもある。そうであれば近頃の状況は、本当に消費税増税が行われるかどうかが怪しくなっているといえるのではないか。

昨年のクリスマス(25日)の東京株式市場は、世界経済の鈍化を警戒する売り注文が広がり、日経平均株価は急落している。終値は前週末比1010円45銭安の1万9155円74銭となり、2万円を割り込んで1年8カ月ぶりの安値をつけた。

その後の反発で株価は一転上昇に転じているが、それも一時的なものと考えられており、最終的に株価は前年より下がって終わっているし、今年はさらに下がるのではないかと予測する専門家が多い。案の定、本日4日の東京株式市場の日経平均株価(225種)は大幅に下落して始まり、2万円の大台を割り込んでいる。

株価の低迷は増税の一番の足かせである。夏の参議院議員選挙結果も影響してくるかもしれない。

軽減税率やキャッシュレスのポイント還元などの増税に備えた対策が進められており、増税再延期はないのではないかという声も強いが、不透明・不確定な要素がたくさん存在する中で、近い将来の予見も難しくなっている。

そんな中このブログや表の掲示板では、今年も最新の情報を発信し続け、さらに各種情報の分析を続けていく予定である。混とんとする情勢分析の一助になれば幸いである。

ところでブログや掲示板に関しては、今月18日に予定している沖縄講演で、「masaの裏掲示板解釈講座」というテーマでお話しすることになっている。講演主催者の方から、「介護現場の経営者、現場のメンバーは、菊地先生の(masa)介護福祉情報の掲示板見てる方がとても多いので、話題になった or 最近のトピックス等を解説含めて話してもらいたい」と要望を受けている。

過去に何百回も講演を行なっているが、そのようなテーマで話をするのは初めてである。今日からその講演スライドづくりにかかる予定で、そんな内容にしようかと今一生懸命考えている最中だ。なお沖縄ではその前日も「介護事業のサービスマナーセミナー」を行う予定になっている。おそらく沖縄でそのような専門セミナーが開かれるのは珍しいことではないかと思う。そういう意味でも、是非両セミナー会場に、たくさんの沖縄の皆様においでいただきたい。

ということで沖縄の皆さん、是非張り付いたリンク先のセミナー案内をご覧いただきますようお願い申し上げて、本日の記事を締めたいと思う。どうぞよろしくお願いいたします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。


新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行予定)の先行予約はこちらからお入りください。

休みが多くなってますますゆとりがなくなる介護事業者


今日は金曜日である。暦通りに休みをとれる職業についている方々は、今日頑張れば1週間の勤務を終えて、土日の休日がやってくる。そのため少しは元気が出ている人がいるかもしれない。

介護事業者に勤務する方も、事務系などの職種の方は、ほとんど暦通りの勤務となっているのではないだろうか。そのため5日間の勤務の疲れを癒すことができる土日の休日を楽しみにしている人も多いだろう。

しかし暦に関係なく働かねばならない介護職員などの皆さんにとって、週末という言葉はあまり意味がないし、定期的に土日が休みとなる職種をうらやむ気持ちを持っている人もいるかもしれない。

そうであったとしても、休みを取ることができる日は不定でも、土日・祝祭日を休むことができる職種と同じ数の休日が取れる介護職員はまだ幸せである。

介護事業者によっては、職種ごとに勤務時間を変えている場合があり、事務系職員の年間勤務時間数と介護職員の勤務時間数を、異なった時間で規定している事業者があって、後者が前者に比べて長い勤務時間を強いられている場合がある。

このことは法令上許されており、介護保険制度上の常勤換算時間も、職種ごとに異なってもよいことになっている。しかしそれは同じ事業所内の労働者としては不公平な状態と言え、今後の介護事業における労務管理という視点で考えると、そうした状態は是正されるべきである。

そもそも事務系職員より、介護職員の労働時間が明らかに長いような職場は、介護職員が働こうとして選ばれる職場にはならないだろうし、定着率も低下せざるを得なくなる。人材を求めるなら、そのような勤務時間格差をなくしていく方向で職場改革が進められなけれなばならない。

そんな状況を考えたとき、来年の祝日と休日の特例や、労働改革による有休の付与ルールの改正は、介護事業者にとって非常に悩ましい問題である。

皇太子さまが新天皇に即位される来年5月1日と、即位礼正殿の儀が行われる10月22日を来年に限って祝日とする特別法案は今週火曜日(12月4日)の衆院本会議で可決され、本国会で成立の見通しとなった。これにより来年のGWは10連休となる。
2019年に限っての休・祝日追加
政府はこの10連休で「ゆとりのある生活を実現する狙いもある。」としているが、暦通り休めない介護事業者などは、この間の人手の確保のために、「ゆとり」がさらに削られ厳しい運営が強いられる。この間に働いてくれる人の確保と、その人たちに別の時期に休みを与えるために、さらに人手がかかるため、勤務シフトに無理難題が生ずる恐れが大である。

土日祝祭日を休業日としている通所介護などは、この暦の通りに休業すれば10日間全く収入が途絶ええるということになる。この暦通りに休業した場合に、10日間ずっとサービスを受けることができない通所介護に嫌気をさして、利用者が逃げていかないかという不安も生ずるだろう。そんな通所介護事業所に計画担当ケアマネジャーがそっぽを向く恐れがある。

そのため来年度のみ暦にとらわれず営業しようとしても、就業規則や運営規定を変えなければならない事業者もあるだろう。それは決して簡単なことではない。

居宅介護支援事業所はこの時期、翌月の利用表・提供表を利用者や事業者に届けたり、給付管理や請求に係る業務を行う時期なので、とてもではないが暦通りに休んでいられないのではないだろうか。

そういう意味では、この法案を迷惑に思う介護事業者の方も多いのではないだろうか。というより介護事業関係者にとって、こんな連休は迷惑極まりないとしか言いようがない。

それに加えて「働き方改革」の年次有給休暇の改正によって、来年度からすべての事業者で、年10日以上の年休が与えられている働き手に、有給休暇を5日以上消化させなければならない義務が課せられている。(参照:年次有給休暇の改正対応はできていますか

比較的大きな規模の法人ならば、すでにこの規定はクリアできているのだろうが、単体のグループホームや、小規模通所介護のみを経営している事業者では、その義務化だけでも大きな負担となっているのに、10連休は「ゆとり」どころか、事業危機でさえある。

シフト勤務の職員にとっても、暦通りに休めない分どこかで休みが取れて年間休日が増えるといっても、そのために勤務している日は、休みが増えた人の分の仕事を替わって担わねばならないというのが実情だろう。

とすれば休日数が増えて楽になっているのかどうかは微妙なところである。むしろ様々なしわ寄せにより肉体的な負担は増え、疲労感は増してしまうのかもしれない。そうした意味でも、恒常的に人手不足に陥っている介護事業者にとって、この休日増加は悩ましい問題だ。

事業管理者は来るべきGWのシフトに頭を悩ませながら、この年末年始を過ごさねばならないかもしれない。お気の毒なことである。

ということで、この連休法案の成立を待ち望んでいるのは、医療や介護と関連のない公務員だけではないのだろうかと思ってしまうのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。

政治権力に屈する人、媚を売って頼り切る人


僕が管理する表の掲示板に10/10にスレ立てされた、「処遇改善加算不支給と最低賃金以下労働・多数書類偽造について 」をご覧いただきたい。

このスレッドは、処遇改善加算の不正受給ならびに不正支給に関する質問であるが、レスポンスの中に複数の人が、「事業者の不正を議員(おそらく地方議員)がもみ消している(あるいはもみ消される恐れがある)」という情報を書いている。

こんなことが本当にあるとしたら由々しき問題であるが、そんな状態が放置されたままにされ、そのことで不正の告発が無意味であると考える人がいること自体が問題である。

一昔前なら一般市民は権力の横暴に屈する以外の術(すべ)を持っていなかった。しかしインターネットを通じて個人が全世界につながって情報をやり取りできる時代に、そのような権力の横暴が隠されたまま見逃され、まかり通るわけがないのである。

特に双方向の情報交換ツールであるSNSが発達したこの時代には、誰しもが匿名で告発者になることができる。どのような権力を持つ政治家と言えども、社会的不正義を行ったことがSNSを通じて公にされた場合、政治的生命が絶たれかねないのである。そんなことは政治家自身が分かっているだろう。

よって当該スレッドに書かれているような議員の不正もみ消しなどあるわけがないと思うわけであるが、もしそれが本当に行われているなら、匿名でも何でも良いから、証拠となる情報とともにネット上で告発するのが本当の意味での社会正義というものだ。それもソーシャルアクションのひとつといえるのではないだろうか。

僕はネット上でほとんど匿名性を持たないが、自分の周囲でそのような愚かな行為が行われておれば、まずしかるべき機関に通報するだろう。それで埒が明かない場合は、迷わずネットを通じて告発するだろう。証拠のある不正告発を、そうした方法で行うことは許されることであるし、むしろ必要な行為であると考えている。

不正が政治権力によってもみ消される状態を知りながら、それと闘おうともせず、あきらめてしまう人は、権力に迫害される弱者の立場に逃げているだけに過ぎない。それは不正を行っている人、その不正をもみ消そうとしている人と、罪のレベルはたいしたかわりがないとさえ思う。そうならないでもらいたい。

政治がらみでは、もう一つネットを通じて大きな問題点が示された。10/30に書いた「介護事業者にさらなる逆風」の中で、来年4月から年次有給休暇の付与日数が10日以上の労働者に対し、1年間で最低「5日」は会社が労働者に年次有給休暇を取得させる(「5日」については会社が時季指定権を持つ)義務が大企業、中小企業を問わずすべての事業者に課せられたことを指摘したところ、僕のフェイスブックに、福岡の介護事業経営者の方が次のようなコメントを書いてきた。
-----------------------------------
「年次有給休暇につき、9月より気になり、市議より国会議員に確認をとってもらいました。回答としては、中小企業は該当しない事、また、あくまで労働者が取得を希望した場合のみ該当するそうです。また、罰則規定に該当する要件は取得希望者の申請のうち5日以内を企業が拒否し、労働者が労働基準監督署に訴え、監督署より企業に是正勧告をされ、従わない場合に適用されるそうです。全ての労働者に取得させる事を義務化したのではなく、取得希望の労働者に取得させる為に、5日以内の取得を拒否する企業に対し罰則を設けたことが新しい制度であり、全ての労働者に5日以上の取得を義務化したものではないとの回答でした。」
-------------------------------------
一見論理的でなるほどと思われそうな内容ではあるが、しかしこの情報はまったくの出鱈目(でたらめ)である。この義務は中小企業にも課せられるし、このことに関連して7/18に厚労省は企業側が年休の消化日を指定したのに従業員が従わずに働いた場合、消化させたことにはならないとの見解を示し、企業側にとっては指定した日にきちんと休んでもらう手立ても課題となると公式見解を示しているのだ。だから上に書かれた議員情報は、すべからく間違っており、有休を与えなければならないのは、「年次有給休暇の付与日数が10日以上のすべての労働者」である。(参照:中小企業も対応しないと罰則がある!?「有給休暇の義務化」について【働き方改革】

上の偽情報は、政治家という権力者に頼り切って、成立した法案の法文を読むという当然の過程も経ないまま、与えられた情報を垂れ流しているだけの無責任情報とも言える。根拠を確認することがないまま、こういう形で一議員の誤った見解を、正しい情報として拡散する行為で、来春に備えようとしていた中小企業主が、それを取りやめて損害を生じたら賠償責任も問題になりかねない。

政治家とコネクションを作るのは良いが、そのコネに頼り切って自らの思考回路を鈍らせてはなんの意味もない。

政治家が言っている、というのも何の根拠にもならないことになぜ気が付かないのだろうか?

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。

人口減少社会の中で


昨日は成人の日で、各地で成人式が行われたことと思う。(※登別市は成人の日の前日7日に成人式が行われたが、そういう地域も多かったのではないだろうか。)

新成人の皆さんには心よりお祝いをしたい。ところで毎年、成人式を荒らす心無い新成人の暴挙が話題となるが、今年はそのようなニュースは聞こえてこない。自覚ある新成人が多かったのであろうか?とにもかくにも人前で一升瓶の酒をラッパ飲みするのは格好いい行為ではない。酒に強いのは何の自慢にもならないことに気が付いてほしい。(呑んべえの僕が言うのだから間違いない。)

そんな中、新成人を祝う側の「晴れ着業者」が、成人式当日に店を閉じて責任者に連絡が取れず、楽しみにしていた晴れ着を着れなくなった新成人がたくさん居たというニュースが巷に飛び交っている。一生に一度の晴れの日に味噌をつけられたような新成人の方々は本当に気の毒である。新成人の手本になるべき大人が、このような行為に及ぶことは決して許されることではない。当該業者の経営陣は、人として許されないと思う。

それはともかく、今年の新成人の数も昨年より減少している。

総務省統計局が公表している平成30年1月1日現在の人口推計によると、新成人の人口は123万人(男性63万人、女性60万人。)で、総人口に占める割合は前年と同じ0.97%で、8年連続1%を下回った。

新成人人口
人口推計を開始した昭和43年からの推移をみると、第1次ベビーブーム(昭和22〜24年)世代の昭和24年生まれが成人に達した昭和45年の246万人をピークに新成人人口は減少し、昭和50年代後半から再び増加したのち、平成7年から減少傾向が続いている。さらに、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、今後も新成人人口は減少傾向で推移し、平成37年(2025年)には110万人を下回ると見込まれている。

30代の女性の出産数が増えたことで、合計特殊出生率(一人の女性が一生のうちに出産する子供の平均数)が2012年から上昇に転じているが、その数値はわずか1.44であり、人口維持のために必要な合計特殊出生率2.07には遠く及ばず、人口減少を解消する数値にはなっていない。

これは日本の人口減少がさらに進むという意味であり、生産労働人口が減って、様々な産業の人手不足がさらに深刻化するという意味にもつながる。この問題がAI・ロボットの進化により解決に向かうだろうか?

人工知能を持ったロボットで代替できる仕事も多いだろうから、その開発は大いに期待したい。ただし全産業がロボットで代替できるとは限らず、人の確保はより重要になることも間違いがない。

介護の分野でも、見守りロボットは実用化が進んでいるが、実際の介護行為を代替できる人工知能ロボットは存在していない。力の必要な行為と巧緻性が必要な行為が混在する介護という仕事を、個別のボディメカニズムに配慮した形でそれぞれの動作をつないで、一連の介護支援という行為につなげることができる介護ロボットが完成するのはいつのことになるだろう?それが開発できたとして、一般市民がそれを使って介護支援を受けられるコストになり得るのだろうか?まだまだ気の遠い話である。

しかも高齢者介護支援ということに限って言えば、我が国の人口ピラミッドには大きな問題が存在している。

日本の出生数と出生率1900-2010
社会保障に関連して、地域包括ケアシステムの構築と深化の必要性が叫ばれている一番の要因は、1950年代に生まれた団塊の世代の人々が65歳に達した2015年、その方々が後期高齢者となる2025年を見据えて、この塊(かたまり)の人々をどう支えるかという視点が主眼となっている。

その方々が90歳となって、徐々にその数が減っていく2040年ころまでが、高齢者介護の正念場であると指摘する向きもある。しかし2040年以降、高齢者の数がどんどん減る中でも、介護業界の人手不足の問題は解決しないどころか、その問題はさらに深刻化する。

なぜなら現在、団塊の世代の人々が介護支援を必要な状態になりつつあると言っても、団塊の世代の人々を支えるもう一つの塊が人口ピラミッドの中に存在しているからだ。それは1970年代の第2次ベビーブーム時代に生まれた人々であり、団塊の世代の数より少ないと言っても、団塊の世代の人々が高齢期になっている時期に、生産労働人口として一定の塊となって存在しているのである。

しかし2040年以降、団塊の世代の人々の数が急激に減る中で、その第2次ベビーブームの世代の人々が70代になってくるわけだが、その塊を支える塊は存在しない。第3次ベビーブームが存在していないからだ。

そうなると204年以降、介護事業者の数は減少することになり、廃業する介護事業はの数も多くなるが、少なくなった介護事業者で働く従業者を探すことは、現在よりされに難しくなるということになる。

事業者数が減るから、人材確保・人員確保の問題も解決することにはならないのである。これは極めて深刻な問題である。その解決に有効な回答は、いまだに示されていないというのが実状だ。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。

投票日のセミナーで考えたこと


来年4月からの介護報酬改定は、6年に一度の診療報酬とのダブル改定である。

それは日本国民の命と暮らしに直結する改定であると言って良いものだ。しかしその最中に行われた政権選択選挙でもある衆議院議員選挙で、そのことが全く争点にならなかったという事実は、介護保険制度や報酬改定の方向性は、政治主導ではなく、官僚の掌の中で決められ、動かされているという意味だ。

その証拠に、介護保険制度が誕生した以後、2度の政権交代があったにもかからわず、この制度にはほとんど影響が及ばず、制度の改正や報酬改定の方向は、2003年に当時の老健局長であった中村秀一氏が作成した、「2015年の高齢者介護」に書かれている流れの域を出ることなく、進められている。

そんな中で、総選挙も終わり、いよいよ昨年度の介護経営実態調査の結果が公表され、そのデータを分析しつつ、次の報酬単価が決められることになる。

一部の報道によれば、その結果は、介護事業者全体の収益率が3%であるとされている。これが本当だとすると大変なことである。前回、平成27年の報酬改定時に参考とされた平成25年の介護経営実態調査では、介護事業者全体の平均収益率が8%強となっていたため、この数字は他産業の平均収益率である5%と比べて高い数値であるとして、介護報酬を3%以上下げる根拠にされた。

それが今回は5ポイントも下がり、民間他産業の収益率を2%下回っているという。そうであるにも関わらず、財務省は次の介護報酬も下げろと主張し、厚労省もそれに対してさしたる反論も行なっていない。

そもそも選挙期間中に介護経営実態調査の結果を公表せず、介護給付費分科会も開催しなかった理由は、予想以上の介護事業経営の不信ぶりが目につく調査結果であり、それに基づいてなおかつ介護報酬を引き下げる議論が展開されれば、国民の批判を招き、選挙結果に影響しかねないという理由だそうである。

そんなことが許されて良いのだろうか?介護業界の関係者は、もっとこのことに反対の声を強く挙げるべきである。同時にそうした反論を封じるための情報操作として、、データを改ざんするなどして、国にとって都合の良い数字が出てこないとも限らないことを考え、示された数値の根拠を求めていくことも必要だろう。

僕は先週金曜日に期日前投票を済ませ、土曜日に大阪に飛んで、土日の2日間は大阪で講演を行って、今北海道に帰る機内でこの記事を更新している。

台風の影響で、札幌は雨となり、欠航便もかなりでているが、どうやら僕は無事に着陸できそうである。明日は室蘭で所用をこなした後、木曜日からは再び大阪〜愛媛〜宮城の旅が続き、次に北海道に戻るのは月末になる予定だ。

昨日の日総研セミナー・新刊『介護の誇り』出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策は、足元が悪い中、投票日と重なったにもかかわらず多くの皆さんに会場に足を運んでいただいた。記念すべき第一回セミナーとしては上々の滑り出しとなり、受講者の皆様の反応も上々であった。

次は11/11の東京セミナーの予定だが、翌日11/12の名古屋セミナーの実施は決まっているものの、東京の方は申込者が実施人数に後少しで達する人数で、受講申し込み者を募っているところだ。

このセミナーでは、介護の品質アップを図ること方法論、集客、職員教育の具体策、メンタルヘルス管理など、多岐にわたって、これからの介護事業のあり方を考えるだけではなく、最新の国の動向などの情報提供にも努めるので、決して時間とお金を無駄にさせないつもりである。

東京都内の方、その近くにお住いの方、是非知り合いを誘ってセミナー人数で参加していただきたくお願い申し上げます。
日総研出版社主催・「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
介護の誇り出版記念セミナー
介護の誇り出版記念セミナー開催日程

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。

介護報酬改定は社会問題である


巷の話題はそろそろ総選挙一色となりつつあるが、その争点に介護報酬改定又は介護報酬と診療報酬のダブル改定が取り上げられないのはなぜだろう。

介護職員だけで全国に170万以上の人々が働いていることを考えると、そのほかの介護関係者を含めた数は決して日本を動かすに足りない数ではないはずだ。それなのに抑制され続ける介護報酬を引き上げる必要性を訴える政治家はほとんどいない。介護業界の発信力が問われていると思う。

そんな中で、全国老施協など7団体が、介護報酬の引き上げを求める業界の署名を内閣総理大臣や財務大臣、厚生労働大臣へ11月中旬にも提出する予定で運動を開始したとのことである。

どうせ何も変わらないと最初からあきらめて何もしないことが一番の罪だから、関係団体がこうした形でアクションを起こすことは良いことだと思う。しかしその時期はあまりに遅きに失しているのではないのだろうか。

介護報酬の諮問・答申は、来年1月中旬とすでに決まっているのだから、改定議論は年内に終了していることになる。11月中旬に署名が届けられて、改定議論にその結果が何らかの影響を与えるかどうかを考えたとき、その時期の署名結果などほとんど意味がなくなるのではないか。

しかも解散総選挙という、国民の声が直接国に届けることができる時期を失してしまえば、当選後の議員は、今後しばらくは解散の恐れはなくなり、2年以上の任期は見込めるわけで、そんな中で報酬改定が行われても、どの議員もほとんど興味を向けないのではないか。

しかし介護報酬の現状は大変な状況を生みつつある。前回の報酬引き下げで経営が苦しくなった事業者がたくさん倒産の憂き目にあっているが、それは現在介護事業に参入しているすべての事業者にとって他人ごとではない。いつ自分がのっかっている事業の梯子を外されるかわからないというのが、現在の介護報酬改定の方向性である。

来年の介護報酬改定で、給付抑制の最大のターゲットになるのは、サ高住や住宅型老人ホームの囲いこみサービスであるが、それはいったん国が架けた梯子をいきなり外すことと同じ意味だ。

なぜなら全国にたくさんサ高住を建設するように、補助金や税金を優遇したのは、サ高住が地域包括ケアシステムの基盤となる、高齢者の心身状態に応じた住み替え先と位置付けられたからである。そうであるがゆえに、住み替えは奨励され、そこに住んで外部のサービスを受けることを奨励していたわけだ。その時に国が示していたイメージ図が下記である。
サービス付き高齢者住宅と介護保険の連携イメージ
この図を見てわかるように、サ高住に診療所や介護サービス事業所を併設して、そこからサ高住を中心にしたサービス提供を奨励するかのようなイメージを示している。

つまりサ高住の収益モデルとは、高齢者の住み替えを促進して空き部屋を作らずに運営するだけではなく、そこに併設の外部サービスを張り付けて、暮らしの場と介護サービスをセットで提供しながら収益を挙げるという、「囲い込みモデル」であったはずなのに、次期報酬改定では集合住宅減算の強化など、この部分の収益モデルをぶち壊す方向が示されている。

このことに関連して、北海道では有料老人ホームなどを中心に事業展開していた、大手介護グループが事業撤退するというニュースが大きく取り上げられた。札幌地裁に自己破産を申請した介護施設運営のほくおうサービス(札幌)など、グループ5社の道内23施設を継承する予定だった福岡市の福祉施設運営会社「創生事業団」は、札幌など4市の8施設に関しては事業を継承しない方針を固めた。そのため施設は廃止となり、転居を余儀なくされる入居者は少なくとも約340人に達しているという。

現状の介護報酬で収益を挙げられず、経営が行き詰った介護事業を、別会社が買い取って再生させようとしても、次期報酬改定では有料老人ホームがさらに厳しい経営状況にさらされることが明らかなのだから、事業継承しないというのはごく当たり前の経営判断だ。こんな事業者は、来年度以降さらに増えてくるだろう。

そういう意味では、事業経営できないほどのひどい介護報酬改定が行われているという意味であり、それは行き場のない介護難民を多数生むという意味でもあって、これはもう政治問題といえるのではないだろうか。

このことが総選挙の争点として、クローズアップされないのは、やはり介護業界の発信力のなさという自己責任に帰していくのかもしれない。

日総研出版社主催・「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
介護の誇り出版記念セミナー
介護の誇り出版記念セミナー日程

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。

嵐の中で。


今朝は風の音で目が覚めた。家が揺れるような大風の轟音のせいであるが、その時間にはまだ台風18号は弘前沖ということで、北海道には上陸していなかった。

しかし雨風はすでに尋常ではなく、僕が住む登別市のカルルス地域では、降り始めからの雨量がすでに170ミリを超えており、土砂災害などの心配がある。

今日はごみの日で、ステーションまでごみを投げに(ちなみに北海道ではごみ捨てを、ごみ投げという)行った際に、傘を一本つぶしてしまった。こんな日はカッパではないと無理だと知った。

台風は先ほど桧山沖に上陸したとのことで、今回のコースは、ここ登別もかすっているので、これからますます心配である。

そもそも道民は台風に慣れていない。昨年も連続して2本の台風が直撃したが、それは北海道地図の右側の道東のことであり、函館から日本海沿いの今回のコースではなかった。この地域の人だと台風の進路上にいた経験がない人も多いので、これからがちょっと心配である。

今日は道内の空と海と陸のすべての交通手段も欠航や運休が相次いでおり、3連休を道内で過ごして、帰ろうとしていた観光客の皆さんは大変だろう。明日の仕事をキャンセルしなければならない人も大勢いると思う。

逆に今日が祝日ということで、JRが止まっていても、通勤の足を直撃して大混乱という状況ではないことが、せめてものことである。そうはいっても、今日も働いている人にとっては、大変な状況だろう。

今現在の登別市は、雨風が弱まり小康状態である。これから再び雨風が強くなるのか、このまま収まるのかよくわからないが、予報では雨風のピークは、これから夕方にかけてということだから、引き続き警戒が必要だ。そのため僕は今日一日、家にこもって講演スライドづくりに専念する予定だ。一歩も外に出ないでおこうと思う。

こんなふうに嵐の祝日であるが、日本の状況も嵐の中にいるようだ。いつ上空をミサイルが飛んでいくかわからないという緊迫する国際情勢の中、衆議院が突然解散されるという。

民進党の敵失と、有力野党政党の準備不足の中、与党の勝利を見越して一気に解散にもっていこうというのだろうが、そこに大義はあるのか?選挙で国民に審判をあおぐべき争点とは何なのか?

それがあるとすれば、この時期、来年の診療報酬と介護報酬のダブル改定に向けた議論が進む中で、制度改正も含めた問題が大きな争点になって良いのではないのか?

超高齢社会が進行する中で、必要とされる介護の担い手がいなくなりつつある。このことは国民の健康と福祉に直結する大問題であると思うのだが、そのことが争点になる気配は今のところない。

このことを選挙の争点にできないのは、政治家の問題ではなく、我々業界関係者の問題ともいえるのかもしれない。介護事業に関わる人々の、発信力不足がその原因かもしれないという意味である。

そのことを猛省しながら、世の人々に今何が必要かを問う活動の重要性を改めてアピールしたいと思う。そういう意味では、このブログを書き続けるという意味も、少しはあるのかもしれない。

それにしても僕らが投票すべき価値のある候補者はいるのだろうか?それが最大の問題であるが、我々の思いを実現する候補者を見つけて1票を投じたい。棄権は物申さぬという意味になるので、くれぐれもそうしないようにしたいものだ。

日総研出版社主催・「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
介護の誇り出版記念セミナー
介護の誇り出版記念セミナー日程

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。

新聞の役割り、ペンの用い方


今朝、宅配された朝刊を見てふと気づいたことがある。お盆の売り出しなどの宣伝が一段落したためか、広告チラシが1枚も入っておらず、朝刊のみで届けられている。

これは珍しいことだ。いつもなら数種類の折り込みチラシが必ず入っている。

インターネットニュースの普及などで、最近の若者などは、新聞離れが進んでいて、一人暮らしの人がわざわざ新聞をとることもなくなってきつつある。それでも新聞に折り込まれているチラシの情報が必要だとして、新聞を定期購入する人もいると聞く。特に新聞の折り込みチラシは、ネット情報にはない近直の地域店舗情報であるために、決してなくならないニーズだと思う。

そんな折り込みチラシが1枚も入っていない新聞は、僕の目にはやけに寂しげでか細く映る。

さて一方、新聞記事はどうだろう。今朝の朝刊記事では世界選手権の400mリレーで、日本が銅メダルに輝いたという記事が1面に踊っているが、同じ報道記事はネット上では昨日朝に速報されているものだ。

また全米プロゴルフ選手権で、松山選手がメジャー初制覇を逃したことは、今朝のネットニュースで盛んに報道されているが、新聞にはそのことは1行たりとも載っていない。

そういう意味では、速報性で新聞はインターネットにかなわないことははっきりしている。

そうであれば読者としては、宅配してくれるとは言っても、わざわざお金を払って、新聞を定期購読する必要はないと考える人は増えるだろうか。しかし今現在、僕のように新聞を定期購読している人の中には、ネットを使いこなしている人も含まれるはずだ。それらの人は、新聞報道と、ネット上の報道をどう差別化してみているのだろうか。

僕自身はあまり意識したことはないが、ネット報道の場合は、あくまで自分が興味あることを目にした部分を、クリックして追いかけて、そのことの情報を得るということに終わっているような気がする。

一方、新聞からは、自分が興味ある情報のみならず、様々な情報を知らず知らずのうちに得る結果につながっているように思う。自ら調べようとしてつなげなくても、そこに活字として存在しているニュースを、何気なく見てしまうというのが、アナログの紙面の特徴のような気がする。

例えば今朝の北海道新聞は、終戦の1月前の昭和20年7月14日、15日に、米軍による北海道空襲が行われて多大な犠牲者が出たことについて書かれており、記録には残されていない犠牲者についての記事が掲載されている。こうした記事は、紙面に乗せられているからこそ目にすることができるもので、よほどそのことに興味のある人ではない限り、ネットで調べてたどり着くような種類の記事ではないだろうし、ネットサーフィンの途中でたまたま目にするという可能性も極めて低い記事だろうと思う。

しかしこの史実は、道民として知っておくべきものだし、この記事を目にして初めて、終戦からわずか月前に北海道各地が米軍の攻撃を受け、記録に残っていない数多くの犠牲者が出たことを知った人も多いのではないだろうか。そのことはとても意義のあることだと思う。

そもそも新聞とは本来、その国の英知を代表する言論媒体であるはずだ。新聞記者の方々は、そのことに使命感と誇りをもってほしい。

国家や政治家におもねるような記事を書いたり、言論操作を目的とした記事を書くなど、記者の風上にも置けない筆の使い方に恥を感じてほしい。矜持をもってペンを用いてほしい。

介護関連の報道記事も、国の発表をうのみにして、介護サービスの場の感覚とかけ離れた内容となっている記事も多い。偏向データでゆがめられた情報を、そのまま記事にしている安易な姿勢も見られる。

専門家の意見を多角的、多方面から聞いて、裏をとって記事にするという姿勢は常に必要なはずだ。

単に世の中を流行を追うのではなく、この国の英知を代表する言論機関・言論媒体としての新聞の役割を忘れないでほしい。

そういう意味では、イデオロギーの違いを攻撃しあう新聞社間の喧嘩に終始する姿勢もどうかとは思う。


新刊「介護の誇り」出版記念セミナー・感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘む!〜介護保険施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策の詳細と申し込みはこちらからダウンロードしてください。
※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。
・「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
・「人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

受動喫煙防止の原案〜個室は規制対象外。


2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、厚生労働省は1日、医療施設の「敷地内禁煙」などを盛り込んだ受動喫煙防止のための強化策の原案をまとめた。

それによると老人福祉施設は「屋内禁煙」とし、建物内の喫煙室の設置も認められないが、一人部屋(個室)については、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)といった施設の種類を問わず、規制の対象外とされている。

この問題は、『国民だけに痛みを求める政治は貧しい』でも取り上げたが、職員は仕事中に全面禁煙としても良いだろうが、利用者については喫煙者の権利も認め「分煙」として、喫煙場所を別に設けることでよいのではないか。受動喫煙の問題もそれで解決する。

しかし、建物内の喫煙室の設置も認めないとされた今回の決定で、多床室しかない特養等は、建物内で喫煙できないことになる。個室・ユニット型の特養なら、全室で喫煙可能なのに、従来型施設であれば、個室利用の方しか喫煙できないということになる。それとも多床室を利用している人は、喫煙するときだけ他の誰かが利用している個室で喫煙させてもらうというのだろうか。

この原案がそのままルールになると、現在喫煙コーナーを設けている個室のある介護施設は、その場所での喫煙も禁止され、個室で喫煙してもらうことになるんだろうか。きちんと分煙され、安全に喫煙が行われている施設では、今後、個室内での喫煙となることによって、火の取り扱いなどの見守り対応などの職員の手間は、喫煙室がなくなる分、今以上にかかることになる。それも何かおかしな話のような気がしてしょうがない。

そのことを考えると、「建物内の喫煙室の設置も認められない」という原則は、少なくとも居住系施設にはそぐわない原則ではないのだろうか。

喫煙される習慣のある方にとっては納得できないのではないか。

これが公民館などの一時的な利用施設なら、その方針も理解できるが、暮らしの場である高齢者施設の場合、利用者の喫煙機会を実質的に奪いかねないが、喫煙という行為は、そういう風に奪われても良い行為なのだろうか。非喫煙者である僕が考えても、それは行き過ぎた考え方のような気がする。どうして建物内の喫煙室の設置も認められないのだろう。分煙で十分じゃないか・・・。

何度の言うが、僕は非喫煙者だ。だから自分のことを考えて禁煙より分煙と主張しているわけではない。また喫煙者の4割、非喫煙者の9割以上が、受動喫煙に不快感を抱いていることも知っているし、僕自身も他人の吐き出す煙草の煙で、衣類に煙草臭がついたり、食べ物の味が分からなくなったりするのとは迷惑に感じることもある。

だからといって、それらの問題も分煙を徹底すれば解決する問題だ問い思え、高齢者の住まいにまで禁煙ルールを押し付けるのはどうかと思う。

そもそも特養で煙草を吸っている人は、その習慣を何十年も続けている人だ。それらに人たちが、国が新しいルールを定めたからといって、自分の居住スペースでは禁煙を強いられることに納得するだろうか。

納得しないといっても、今後は各施設の鬼のような厳しい管理者や相談員から、煙草を取り上げられるのかもしれない。少しかわいそうに思う。

というのも僕には、亡くなった父と母の喫煙に関する思い出があるからだ。

父は急死する数年前の数ケ月、医療機関に入院していた期間があった。当然入院中は喫煙禁止であり、入院患者であるから喫煙コーナーを利用することもできない。しかし当時、父の唯一の楽しみは、一服の煙草を吸うということだったので、付き添っていた母は、散歩と称して外に連れ出し、内緒で煙草を吸わせていた。

そのときの父は、本当においしそうに煙草を吸っていたそうである。その父も母も、すでにこの世に居ないが、そのことは僕の思い出として記憶されており、ほほえましく思える記憶になっている。

もしかしたら、そんなふうまでして父に煙草を吸わせなければ、父の寿命は数年延びた可能性があるのかもしれない。しかしそんなことにどんな意味があるのだろう。父はそのとき、母親に煙草を吸わせてもらったことを間違いなく感謝し、喜んでいることだろうと思う。それは父の人生にとって、意味深いことであったとさえ言ってよいと思う。

そんなことを考えると、今回国が一律の基準で、多床室の居住系施設利用者の、喫煙機会を奪うような施策は、あまりに乱暴すぎると思うのである。

看取り介護セミナー
日総研出版社主催・看取り介護セミナーのお申込みは、こちらからダウンロードしてください

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

国民だけに痛みを求める政治は貧しい


昨年10月、厚生労働省は受動喫煙の具体的な強化策のたたき台を明らかにした。

それによると高齢者が利用する施設や居住系サービスなどは、原則として建物の中はすべて禁煙にする構想が描かれており、違反を繰り返す場合には、建物の管理者や喫煙した本人に罰則を科す可能性も指摘している。

さらに塩崎厚労相は東京五輪に向け、10/14の会見で、「WHO(世界保健機関)によると日本の対策は世界最低レベル。日本は『スモークフリー社会』への歴史的な一歩を踏み出さなければいけない」と意欲をみせた。
 
これにより今後、特養等の介護施設の全面禁煙も議論の遡上に昇り、実現化が図られていく可能性がある。そのことは求められる方向性なのだろうか。

僕は非喫煙者であるから、受動喫煙対策強化には大いに賛成である(参照:私は、コレデ!!煙草をやめました。)。しかし特養という生活施設を全面禁煙にすることには疑問を抱かざるを得ない。

特養等の介護施設は、公費で運営され不特定多数の人が住む公共の場であるという性格を持つ。そのためにより高い公衆道徳が求められる場であるともいえる。そのことは十分理解できる。しかしそこには、個人の生活空間も存在しており、そこでは利用者の権利やプライバシーが最大限護られなければならないことは言うまでもない。

しかも特養は要介護高齢者の一時的な滞在場所ではなく、終生施設という性格を持つ。そうであるがゆえに、そこで全面的に禁止される行為があるとすれば、それは生涯取り上げられる行為ということになる。喫煙という行為が、そのような形で取り上げられて、一生涯許されない行為といえるのだろうか。

我が国では。喫煙者の権利が護られるのみで、非喫煙者の権利がおざなりにされる傾向が強いという批判があることも承知している。喫煙という行為が健康被害につながり、禁煙することで健康悪化を防ぐことができるとしたら、結果的にそのことは本人の利益につながるという考え方もあるだろう。だからといってそれを強制できるわけでもあるまい。
  
これから特養に入所してくる団塊の世代の人々は、愛煙家の多い世代である。それは単にニコチン中毒であると切り捨ててよいものではなく、その人たちが生きてきた時代背景が煙草を友とする習慣を作り上げてきたともいえ、高齢期まで続いてきた生活習慣を強制的に取り上げてよいとは思わない。

人に迷惑をかけないのであれば、喫煙というささやかな楽しみまで奪う必要はないのではないだろうか。

だとすれば、そこに一時的にしか滞在しない職員は仕事中に全面禁煙としても良いだろうが、利用者については喫煙者の権利も認め「分煙」として、喫煙場所を別に設けることでよいのではないか。受動喫煙の問題もそれで解決するだろう。

もともと分煙という考え方があるにもかかわらず、いきなりの全面禁煙という考え方になぜ至るのだろう。そこに住まう人々の嗜好は一顧だにされない理由は何だろうか。

僕がこの業界に就職した当時、特養には今より若くて元気な高齢者も多かったが、飲酒を禁止している特養が多かった。当時はまだ水洗化されていない施設もあったが、そういう施設では汲み取り式の便槽に酒瓶やビールの空き缶が大量に捨ててあったという話も聞いた。つまり飲酒を禁止された人が、便所で隠れて飲酒していたのである。そんな悲しい場面を作り出す制限が必要だろうか?

高齢期まで続いてきた趣味、嗜好、生活習慣は、お上の一言で取り上げてよいものではないのではないだろうか。健康に悪いからという理由があっても、個人の嗜好を国が奪う権利はないはずだ。

それにしても、この国の政治家にしても官僚にしても、国民に対し痛みと我慢は簡単に求めてくるが、自らが血を流すことは少ない。「先ず隗より始めよ」という精神は存在しないのだろうか。

介護施設を全面禁煙にして、利用者の喫煙機会を奪う前に、議員宿舎や厚労省の官舎の全面禁煙を実施し、永田町と霞が関の国の施設をすべて全面禁煙にしろよと言いたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

雨は似合わない


成人の日の登別は雨になった。昼過ぎには、この雨が雪に変わる予想になっているが、この時期の雨は本当に珍しい。

冬の雨
今年の北海道は冬の訪れが早く、雪も多い年だったが、年末から年始にかけては穏やかな天候の日が続いていた。それでも氷点下の寒い日が多かったのであるが、今日は気温が10度まで上がってこの雨である。このところの気候変化には、過去の経験は何の役にも立たない。いったいどんな冬になるのだろうか。

今日は各地で成人式が行われるのだろう。登別市のように昨日のうちに式典が行われた地域も多いのだろう。

昨日も一部の地域では新成人の式典をぶち壊す行為が報道されている。酒に酔って暴れる姿が恥ずかしく思えるようになるには、あと何年かかるのだろうか。そもそも酒を飲めるということは自慢でもなんでもない。僕のような酒飲みは、この年になると、お酒を飲まないでいられる人がうらやましいし、酒席でお茶で付き合える人の姿は格好良いと思う。それに比べてついつい大酒を飲んでしまう自分に自己嫌悪の毎日である。ああ恥ずかしい。

お酒を飲めるということは、その反面にお金もかかるし良いことはほとんどない。酔って人に迷惑をかけないのは、まだしもである。合えてよい面を探すとすれば、時としてお酒を飲めるということは、コミュニケーションツールとして有効な場合があると感じるのが唯一のメリットだが、深酒はそんなコミュニケーションさえ忘れさせてしまうという記憶障害を伴うので、ほどほどにしておいたほうが良い。

間違いなく言えることは、酔っぱらった姿は、格好悪いということだ。

酒を飲めることも、煙草を吸えることも、大人の証ではなく、単なる中毒である。大人とは社会に対し自分自身の責任が取れることであり、人を愛するまっすぐさを信じられることである。どうか勘違いしないでほしい。

とうの昔に成人式を迎えた僕にとって、今日の祝日は単なる休日でしかないが、休養という意味でもない。本業のほかに、作家と講演講師としての顔を持つ僕は、ほとんどの休日を原稿執筆や、講演資料づくりに費やす毎日である。

正月3ケ日に、今月刊行予定の日総研出版社の「エンド・オブ・ライフケア」の連載原稿を仕上げたと思ったら、再来週までに「CBニュース」の連載と、シルバー産業新聞の連載の締め切りが迫っており、その執筆もしなければならず、さらに今月20日の新潟講演と、30日の秋田講演の講演ファイルを作って、配布資料を講演主催事務局に送らねばならないために、この3連休はずっとPCの前で作業を続けている。

ちなみに僕の講演予定は、張り付けたリンク先から見ることができるので、参照していただきたい。20日(金)の新潟講演と30日(月)の秋田講演は、ともにオープンなので、どなたでも参加可能である。

1月20日の新潟講演のテーマは、「平成30年トリプル改正が迫る中、介護に係るすべての人々の使命と役割は何か」としており、非会員の方も、参加費3.000円で参加できるそうである。現在参加申し込みを受付している最中なので、お近くの方でお申し込み希望の方は、新潟県老施協事務局025-281-5534まで連絡いただければ幸いである。

1月30日の秋田講演のテーマは、「それぞれの生きるを支える〜対人援助の使命と誇り」であり、どなたでも無料でさんかできるので、受講希望者の方は、社会福祉法人 秋田県社会福祉事業団事務局018-889-8363 まで問い合わせいただきたい。

今日もこれから、講演ファイル作成作業を夜まで続ける予定である。息抜きは、懐かしいフォークソングを聴きながらということにしているが、こんな冬の雨の日は、やはりNSPのあの歌が聴きたくなる。

このブログ記事も、この唄をBGMとして流しながら読んでいただければ雰囲気が出るかもしれない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

財源論による給付抑制策の正論化を憂う


正月3ケ日を終え、今日から仕事始めという人も多いのだろう。僕もその一人である。

今日から正月気分を振り払って、仕事モードに切り替えて頑張りたい。そして今年も一年楽しく仕事をしたいものだ。

北海道は年末から年始にかけて穏やかな天候が続いた。圧雪・アイスバーンだった道路も、アスファルトが見えているところが多い。加えて今朝の通勤道路は、まだ仕事が休みの人が多いためか空いており、予定時刻より30分以上早く着いた。時間ぎりぎりになるよりはましなので、冬の間は早めの出勤に努めたいと思う。

僕は年末年始を自宅でのんびり過ごすことができたが、僕の勤務先をはじめ、介護施設は年中無休なのだから、僕が休んでいる間にも、暦に関係なく働いてくれている同僚などの仲間が居るわけで、そのことに感謝の気持ちを忘れてはならない。1年の最初の出勤日は、いつもそのことに感謝をすることから始めたいと思っている。

それにしても今年は激動の年の予感がする。

この20日には、アメリカでトランプ政権が発足するが、アメリカファーストの政策が、我が国にも様々な影響を与えることは必至で、どちらにしてもトランプ新大統領を中心に世界が回り、揺れる年になりそうだ。

ヨーロッパも選挙の年で、フランスやドイツで極右政権の誕生があるかも知れず、平和とは程遠い近未来が予測される。ナショナリズムに偏った政策の行き着く先は、戦争と荒廃しか思い浮かばないのは、僕の想像力が貧困なせいだろうか。

我が国でも、解散総選挙がいつ行われるかわからない政局である。しかし選挙が行われたとしても、政権交代の芽はないだろうから、当分現在の政策が続けられる。それは経済と外交を重視する政策であり、社会保障費をお荷物と見る政策である。

そんな中で、来年4月からの介護報酬改定議論が最終局面を迎える。

その改定は、診療報酬とのダブル改定であり、制度改正と絡むとトリプル改正といえるが、骨太の方針による社会保障費の自然増の圧縮が命題とされているなかで、介護給付費に対する風当たりは強く、厳しい報酬改定となりそうである。レスパイトケアに対する報酬カットは当然であるかのような雰囲気が厚労省内にあり、特に小規模事業者は経営体質の抜本的見直しが求められることになりそうだ。

それにしても財源論を盾にした給付抑制政策の正論化は、本当に正しい論理だといえるのだろうか。

介護保険制度創設に際して国は、この制度の意義を、「家庭内で家族が担ってきた介護を、広く社会共通の課題として認識し、介護を担う社会資源(サービス)を、税と保険料を中心に拠出された財源によって、社会全体が担っていく」と説明していた。

これが介護の社会化というスローガンとなり、同時にこのことが強制加入の掛け捨て保険料という、新たに国民負担の理由と根拠にされたわけである。

つまり、この国に生まれ、社会活動を重ねてきた人々が、年を取って介護が必要になり、社会資源を利用しなければならなくなることは自然の摂理であり、そのことは個人の責任ではないので、社会全体で個人の暮らしを支えていくべきだというのが、介護保険制度の主旨であると国が宣言しているわけだ。

そのためには国民全員がその財源の一部を負担する必要があるので、社会保険料負担を受け入れなければならないと、国民に理解を求めて、この制度が発足しているということだ。

にもかかわらず、国民の痛みである保険料負担を維持しながら、さらに利用者負担を強化する中で、財源には限りがあるという論理だけで給付を縮小し、要介護認定を受けただけでは使えないサービスを増やすような、「改革」の実態を、この国の国民はいつまでおとなしく受け入れ続けるのだろうか。そもそもそのような給付制限の先に、家族等が個人で担ってきた介護を、社会全体が担っていくなどということができるのだろうか。

それができないとしたら、まやかしの理屈で、国民の痛みだけが増やされているという意味にしかならない。

毎年たくさん発行される赤字国債による資金は、どこの誰にどのように使われているのかを精査し、明らかにしてほしい。

そもそもこの国に生まれ、この国に生き、結果的に長命を得た人々にかかる費用を、お荷物のように見る政権に、国を運営する資格があるのだろうか。本来、社会福祉や社会保障は、国の基盤を支える、「見えざるセーフティネット」ではないのか。そしてそれは国民の経済活動をも支える基盤であり、無駄な費用とはいえないのではないのか。

少子高齢化の影響で、負担と給付の構造がいびつになっていることは事実だが、それは何十年も前から予測されていたことで、そのために介護保険制度を創設して、新たな国民負担を求めたのではなかったのか。

財言論によって、国民の命と暮らしを守る介護や医療が、邪魔者のように切り捨てられていく社会は恐ろしくないだろうか。

今一度、そのことを検証しなおす一年にしなければならない。
※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護政策にはマクロな視点のグランドデザインが求められる


先週の金曜日にも書いたが、地域包括ケアを推進する原資として各都道府県に設けてある基金の使途は、大きく分けて「施設等整備」と「人材確保」の2つがあるが、昨年度の予算(補正を含め2,285億円)でみると、「施設等整備」に全体の9割を占める2,041億円が充当されている一方で、「人材確保」は244億円にとどまっている現状があり、この比率を逆転させるような発想の大転換がないと、介護人材は枯渇してしまい、多くの事業者が事業継続が不可能になるか、事業規模を縮小しなければならないほどの危機的状況に陥る。

新三本の矢と呼ばれる政策でも、介護離職をなくすために介護施設等を建てるための補助金を大盤振る舞いしている。

国はなぜ都道府県の基金の偏った使い方を是正しようとしないのか。そして国自体が施設建設を促進するのみで、介護人材の確保と育成対策は、ツゥーリトル・ツゥーレイトの施策しか打たないのはなぜか。

それはとりもなおさず、現政権が介護にはほとんど興味がないからに他ならない。

介護政策として打ち出されるものも、ほとんど経済政策がらみである。もともと処遇改善加算の前身であった処遇改善交付金も、経済対策として設けられたもので、それを加算に付け替えて、本体の介護報酬をカットするなどというのは暴挙そのものなのであるが、それに対して抵抗できない介護業界の力が足りないと言われればその通りであり、その歴史が繰り返されると、次期改正も悲惨な結果に終わらざるを得ない。

基金が施設整備費に偏って使われている理由も、それが介護施策であるという以前に、建築費に基金を回すことで経済効果が生まれるという理由が大きい。勿論、建築する事業者に入る収益も大きな額なのだから、場合によってはここに利権が生まれる可能性だってある。

しかし人材確保のために、介護人材を確保するための思い切った待遇改善に基金を使ったところで、対象となる個人の懐具合が温まっても、市場経済に回る額はたかが知れているとして、社会全体の利益を考えれば、施設整備費に資金を回すことが正論化されるのであろう。場合によっては、それは介護問題と経済の両方にメリットがあると考えられているのかもしれない。

しかしそれは大きな間違いである。政治家がそんなふうに考えているとしたら、政治眼がないに等しい。

そういう付け焼刃の対策ではもう同市模様もないほど、介護サービスの場の人材枯渇は深刻なのである。

そもそも社会保障は、社会のお荷物ではなく、国民の命と暮らしを護るものであり、それは本来、政治や市場経済を含めた国家体制を下支えする国家の基盤であるはずだ。市場経済を支えるセーフティネットの機能が、社会保障政策には存在するという考え方も必要であり、財政論で簡単にカットすべき問題ではなく、外交や防衛に使う財源とは別に、国家の責任で手当てすべきものである。そこには国家社会の財の再分配機能があることを忘れてはならないのである。

長期的な視点に立てば、介護人材の枯渇問題は永遠の課題ではなく、せいぜいあと二十数年の問題だ。この国の高齢者介護問題は、団塊の世代が全て後期高齢者となる2025年から2040年くらいまでが正念場であり、それ以降は要介護高齢者の数も急激に減っていくため、介護サービス事業者の数も余ってくる。その数年前から、地域によっては介護サービスの事業者の数余り現象が目立ってくるはずだ。

つまり、介護人材問題は黙っていても自然消滅する問題ではあるのだが、黙っている間にも、この国には深刻な介護問題を背負う人々が息をし続けるのである。その息の根を止めないような早急なる対策が求められており、目先の景気対策とは別次元の政策が求められるのである。

国民の命と暮らしを護らない政治など、存在しないと同じだということを、声を大にして言いたい。
※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

幸せより、お金がほしい高齢者が増える国という現実


あるサイトに掲載されているシルバー層を対象にした調査で、ショッキングというか、少し残念な調査結果がある。

博報堂(生活総合研究所)という機関が、1986年からシルバー層に対する調査を行っている結果が、こちらのサイトに掲載されている。

それによると、生活の見通しについては、「暗いと思う」という回答が1986年の32%から2016年は47%と大きく上昇している。そのことを反映してか、「現在欲しいもの」という質問に対して、「お金」という回答は、1986年の28%から2016年は41%までアップ。逆に、「幸せ」は1986年の31%から2016年は16%までダウンしているというのだ。

ほしいものは、幸せではなくお金という高齢者が多いのである。

それは、老後の生活不安が如実に現れた結果といえそうであるが、その不安の主たる要素が、経済的な不安=お金がないということだ。それは同調査で、1月の小遣いの額が徐々に下がっていることでもわかる。

高齢者が老後に経済的な不安を抱える要因は様々であるが、この問題の根の深さは、シルバー層の人々が、現役世代の負の遺産を引きずって経済的に困窮するケースばかりではなく、いわゆる中流階級と呼ばれていた人々であっても、高齢期に貧困に陥るというケースが、数多く含まれている点である。

定年等でリタイヤした後に、年金生活となった際に、年金だけでは暮らすことができず、預貯金を崩して生活し、それが尽きたときにどこからも救いの手が差し伸べられる見込みがないことに不安を持つ高齢者が増えているということだ。

そうであれば、現役世代で収入が低く、満足な預貯金もないまま高齢期に入った人々は、その負の遺産を引きずったまま、社会の底辺で息を潜めて命をつなぐしかないのか・・・。

本来の社会保障とは、市場経済主義の中で不公平に分配されざるを得なかった社会の、「財」を再分配して、弱肉強食の競争社会で敗れた人にも、人としてふさわしい生活を保障するというものだ。国家や政府というものは、国民すべてに、そうした文化的な生活を保障するために存在すると言ってもよい。

しかしこのような調査結果が示される意味は、そうした財の再分配機能が不全の状態に陥っておることを現すもので、ここにしっかり手当てすることが求められているのではないのだろうか。

しかし国は、ますます国民に対し自己責任を強く求め、社会保障はより狭く、低い給付という方向に組み立てなおそうとしている。介護保険制度も、給付の効率化・適正化の名の下に、軽介護者への給付を切り捨て、ますます使いづらい制度へと変わろうとしている。

経済的弱者の支援策も、低所得者への補助をアリバイ作りのように、わずかに実施するのみで、そこからもれた人は、制度の光の届かない場所で、誰からも手を差し伸べられることなく野垂れ死にしていくしかない。・・・我が国の現状とは、こうした一面を影として持ち続けている状態と言えるのではないだろうか。

それは弱者を切り捨てるだけではなく、この国で暮らす民の心を蝕み、心を貧しくする方向であるといえるのではないだろうか。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

日本は「豊かな国」なのか?


12日に厚生労働省が発表した国民生活基礎調査によると、65歳以上で一人暮らしの高齢者は2015年6月時点で約624万人(推計)となり、初めて600万人を超えたという。

夫婦などを加えた高齢者世帯は、全世帯の25.2%の1271万4千世帯で、14年から50万世帯増えたそうである。

このうち58.0%もの人が経済的に「苦しい」と感じているというが、この背景には、公的年金や恩給を受給している世帯の55.0%は、他に所得がないことによる。
(※「高齢者世帯」は65歳以上の人のみか、これに18歳未満の未婚の人が加わった世帯をさす。)
介護施設の入退所業務に携わっていると、経済問題は高齢期の過ごし方にも大きく影響することが実感される。

現在僕が働いているのは老健施設だから、終の棲家ではなく、中間施設と呼ばれる通貨施設である。基本的にその機能とは、医療機関と居宅の中間に位置し、何らかの理由で入院が必要となった人が、機能低下のために居宅に戻ることに支障がある際に利用し、リハビリテーションを受けて機能改善し、居宅に戻るという機能と目的を持った施設である。

しかし高齢者の場合、少しでも機能障害が残っておれば、インフォーマルな支援のない状態で居宅に戻ることは難しく、特に認知症の人の場合は、実際には自宅に帰ることが出来ないケースも多い。

その結果、特養やグループホームの待機期間を老健で過ごす人も多く、中間施設の意味が、医療機関と居住系サービスとの中間という意味合いも帯びてきている。

そんな中、年金受給額が徐々に減ってきており、年金だけではグループホームの利用料負担が厳しいために、食費と居住費の減免制度(補足給付)がある特養への入所という選択肢しかないケースがある。しかも昨年度からの特養の入所要件の厳格化により、原則的に要介護3以上の方しか、特養入所ができなくなったことで、要介護1及び2の方々で、老健から先の行き場所が見つからない人がいる。

今後、私たちが受け取るであろう年金額は、さらに厳しい額に減らされていくことが考えられ、我々自身の将来不安は尽きない。老後、豊かに暮らせる人は少ないというのが、我が国の現実である。

我々の老後は、年金だけでは生活困難となるのは目に見えているので、現役世代でできるだけお金を貯めておく必要があると考える人が多くなるのも当然である。それは結果的に、経済市場にお金が回らなくなるという意味で、日本の景気がなかなか良くならない一因を作り出している。

そういう意味で、社会保障費の削減策は、日本経済の足かせになっているとも言え、社会保障費は、社会の格差を縮めるための必要経費であるし、この国の経済をも下支えするセーフティネットだとして、きちんとそこにお金をかけるという策が必要とされるはずである。(参照:金子教授の「セーフティネット張替え論」

ここの政策が根本的に間違っているのではないだろうか。そんな気がしてならない。

どちらにしても、先進国と呼ぶにはあまりにもお粗末な隙間だらけのセーフティネットしか張られていない我が国は、政治的にはきわめて貧しい国であると言い切ることができるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

シナリオ通りに進む改定議論


大きな国政選挙が一段落した。

僕は比例区のほうは、政党名ではなく個人名を書いて投票した。僕の結果は、比例区・選挙区で1勝1敗となった。

全体の選挙結果という点でみれば、今回は与党の圧勝と見て良いのだろう。与党独裁政権というのは、国民の意見が届くのか心配するところだが、1票を投じて国民の義務を果たしたのだから、それなりの主張を続けていきたい。

それにしても投票率が低すぎる。1票には力がないのかもしれないし、自分が推薦するに足る人物がいないという意見も分からないではないが、よりましな方向を見据えてでも、1票を投じるというかたちで、国に物言うことは大切なことだと思うのだが・・・。

そういえば、全国老施協の推薦候補は、比例区で見事当選したようだ。当選順位では、滑り込みセーフとはいえ、落選とは雲泥の差である。これによって全国老施協が政治力という強い見方を得て、前回の制度改正・報酬改定と異なりは、発言力が増すことを期待したいものだ。

介護保険制度に関して言えば、選挙を終えたことで、一挙に審議が進んでいく。しかしその方向性は、国民にとって必ずしも望ましい方向とは言えない。

まずは第60回社会保障審議会介護保険部会で、軽介護者の給付切捨てと、福祉用具及び住宅改修の給付制限が規定路線化されようとしている。

今回の選挙でも社会保障は大きなテーマの一つであったはずなのだが、介護保険制度の改正というミクロの論議は全くなかったので、財務省等のかねてからのシナリオどおりに、給付制限が進められていくのだろう。

この部分について言えば、全国老施協にも期待薄である。昨年同会が出した、「2025年に向けたあるべき社会保障制度改正を目指して〜財政健全化に関する意見書」では、「保険給付と保険外給付(完全市場原理)の棲み分け」として、「介護保険給付は、施設サービスをはじめ直接介護を要する事業や標準水準の生活維持を目的とした事業に限定し、それ以外の付加的サービスは原則自己負担」とかかれており、例)として、福祉用具は、車いす・特殊寝台・床ずれ防止用品・自動排泄処理装置等に限定するべきとしているので、それは概ね財務省等の主張する給付制限と方向性は同じといってよく、僕の意見とは異なるものだ。

こうした方向に今回の改定議論が進んでいくのだろうが、そこに果たして「国民の福祉の向上」という視点は存在しているのだろうか。どうも怪しいところである。

施設サービスについては、今後の議論になるが、その方向性も厳しいといわざるを得ない。

ところで、施設サービスの中で現在示されているものは、職員の省力化に繋がる介護ロボットの導入施設に対する報酬加算である。

このことについて、月曜日にアップしたキャリアブレインの僕の連載、快筆乱麻!!masaが読み解く介護の今5でメッタ切っているので、ぜひそちらもご覧いただきたい。

ロボット導入施設への加算は、当然ながらロボットを導入せずに、加算算定しない施設の基本報酬単価が削られることを意味している。それはおかしいだろうと異議を唱えさせてもらっている。(※ただしこちらは有料サイトである。)

一挙に進む改訂議論の中身は、こちらで随時論評していこうと思うが、このブログ読者の皆様も、その議論の流れに注目し、今いる場所でできることとして、必要な意見を表に出していただきたいと思う。

介護保険部会等で決まったことは、やがて法令として規定され、それは我々が守らねばならないものとなる可能性がある。しかしそれは変えられないものではないし、唯一の真実でも、正解でも、正論でもないという考え方も必要だ。

我々が見ている場所で、我々しか護ることができないものも存在するということを忘れてはならない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養の待機者減の報道の背景は何か


先週6/30(木)、新聞各紙が一斉に「特養の待機者減少」というニュースを流した。

その中には、「急減」という言葉を使っているものも見られた。

待機者の減少の理由は、各誌とも特養の入所要件の厳格化により、原則要介護2以下の人が入所できなくなったことと、サ高住など他の入所施設という選択肢が広がったことによるものと分析している。

しかしこのような報道が今されだされるというのもどうしたものだろう。

もともと入所要件の変更ルールの議論では、特養の待機者のうち要介護1と要介護2の人の割合は、全国で13パーセント以上となっているという数字が出されていたのだから、少なくとも昨年4月以降、特養待機者の1割以上の減少は織り込み済みだ。しかも入所要件の変更により、待機者の要介護度の確認と、その意向の再確認の過程で、とりあえず申し込みをしていただけという人が何パーセントか零れ落ちることも想定されることであって、待機者が減少することが、ニュースになるほうがおかしいと思う。

いやそうではなく、待機者の割合が想定より多すぎるのだという人がいるとしたら、それこそ見込み不足だ。

既に存在している空き箱(その1)」という記事は昨年10月に書いたものだが、ここではすでに特養が売り手市場ではないことも、相談員の業務として、「顧客確保のための営業周り」が求められてきていることも指摘済みである。

僕から言わせれば、6/30日に一斉報道された記事内容など、数年前から予測された範囲の現象でしかなく、報道するに値するものとは思えないのである。

しかも報道内容の中には、国の施策によって要介護2以下の認知症の人の行き場所がなく、漂流を余儀なくさせられているかのような指摘が見られる。

しかし、「国の施策」面からそのことを論ずるなら、それは誤った指摘であり、「特例入所」という形で、要介2以下の認知症の人は、特養に入所できる仕組みは残っている。この特例入所が機能していないとしたら、それは国の責任ではなく、そのルールの運用を任されている市町村の責任である。

このように真実とはいえない報道内容が、ある日一斉に流されるのはなぜだろう。

そこには国、あるいは政治の意図が隠されているのではないかといううがった見方をしてしまう。

この報道に触れて僕が感じたことは、安倍首相の、「新三本の矢」という経済政策の中で掲げた、「介護離職をなくすための特養整備」の軌道修正が図られているということだ。

特養に入所できない人の家族が、そのことを理由に辞職を余儀なくされることがないように、待機者の解消を狙った特養整備の施策と、そのための補助事業については、声高らかに唱えたものの、巷の評判は芳しくない。やれ箱物だけ整備して介護職員はいったいどうするのか、やれ介護離職より先に介護者の離職をなくす施策が先だろう等々、思った以上に評判が悪かった。

そんな中で骨太の改革を実行して、社会保障費の自然増分を含めた伸びを、現行の1兆円から五千億円に抑制しなければならないときに、特養のベッド数を増やす政策は、それと大きく矛盾することである。そうであるなら、そのような無理を、評判が芳しくない中で続ける必要はないと考え、待機者大幅減という現象を理由に、政策変換を図ろうとするものではないのだろうか。

それはそれでよいとして、これによって安倍政権は、ますます介護にそっぽを向いて、介護保険制度や介護報酬など何のことやらという方向で、政権運営されるのではないかと危惧するものだ。

どちらにしても、この報道が単純な社会現象をあらわしているものというような、能天気な読み方をしてはならないと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

不在者投票をする姿


7/10の参議院議員選挙に関連して、介護施設では投票所へいけない利用者のために、不在者投票を行うことになる。

老健の場合も、施設内で定めた期日に不在者投票を行うが、そのためにあらかじめ利用者の医師を確認し、投票用紙を各市町村に請求する事になる。参議院議員選挙は国政選挙だから、住所地がどこにあろうと、選挙権のある人は投票できるわけであるから、施設に住民票を置かないことが原則の老健の場合、請求市町村は複数にわたることが多い。

ただ投票用紙を請求してほしいという意思を示す人は、利用者の約半数で、投票用紙を請求しても、不在者投票当日に実際の投票行動に結び付かない人もいる。特に不在者投票の場合、投票用紙を内封筒と外封筒に入れて投票するという仕組みなので、その煩雑さを嫌って投票しない人もいるので、この方法がなんとかならないのかと思ったりする。

しかし投票する人の姿はみな真剣である。老健だからリハビリに取り組んで、利き腕変換している人も多いが、不自由な手足を懸命に動かしていり人、震える手で時間をかけて文字を刻む人、選挙公報を1時間かけて読み込んで投票する人など、選挙に行ったことがないという人に、一度見せてやりたいほど真摯な姿勢がそこかしこにある。

こういう人たちこそ、国政に意見を言えるというもので、投票もせず、政治に関心も持たず、それでもってマスコミの論調に乗って政治家や国政を批判するだけでは、日本は変わらないといいたい。

それにしても、この参議院選挙の盛り上がりに欠ける様子は何だろう。政権運営に直接関連しない選挙だからだろうか。それとも政治全体に対する期待の薄さだろうか・・・。

現在政治力を失っている全国老施協としては、この選挙でなんとしても応援する候補を当選させて、次期介護報酬改定に向けた政治力を手にしたいだのだろうが、その懸命さもイマイチ伝わってこない。

選挙で示す公約の中には、介護職員の処遇改善という内容も入っているが、介護保険制度全体の方向性に及ぶ公約は見当たらない。軽度者を給付から切り捨てていく流れが敷かれていることに、異議を唱えるような公約なり意見なりがまったく出されないのはなぜだろうか。

そんな中で、介護関係者のおとなしいことといったらない。前述した軽度者の切り捨ては、国民の福祉の低下のみならず、介護サービス事業者にとっては死活問題だ。顧客がある中で過当競争を強いられて、しかも介護き給付費の上がる見込みはほとんどないという状況に、何らかのくさびを打ち込むなり、風向きを変えるなりする様な動きが見えてこない。

そういうお前はどうなんだといわれるかもしれないが、僕が選挙に出るわけにはいかないので。せめてよりましな候補者を選んで1票を投じようと思う。

同時に僕のできることは、現在7本の連載を抱えながら、全国での講演活動を行っているという状況を生かして、自分の主張を文章や言葉にして、いろいろな場所で主張していくことだと思っている。

明日から、大阪市老連看取り介護講演(金)〜本音のトークセッション大阪介護の陣(土)〜東京介護甲子園コラボセミナー(日)と熱い3日間が始まる。

そこで熱い仲間とつながりあって、一陣の風を吹かしてきたいものだ。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

プライドをもって生きる姿は美しい


僕の勤務先は千歳市に所在している。ここは衆議院の選挙区としては、北海道5区であり、このたび衆議院議長も務めた有力議員の死去に伴う補欠選挙が行われている。

投票日は、今週末の24日であるが、今日は勤務先施設の不在者投票日である。

介護施設や医療機関での不在者投票とは、入所(入院)者が、施設内で投票するもので、期日前投票とは違うルールで行うことになる。

投票用紙を請求して、実際に投票を行うか否かは、あくまで利用者自身の判断による。このため施設内の選挙事務担当者は、不在者投票日が決まったら、その日の朝までに投票用紙が届くように、利用者の意思を確認して選挙管理委員会に投票用紙を請求する事になる。

当施設には認知症の専門棟があり、ここには認知症自立度薫幣紊諒が入所しておられるが、当然のことながらこれらの方々にも意思確認が必要になり、一人ひとりに対面して説明を行っている。

そこでは意思が通じない人もいることは事実であるが、選挙という言葉に反応して、一生懸命説明を理解しようとする人の姿がある。そしてきちんと投票意思を示すことができる人がいる。僕たちはその姿を見て、記憶を失ってもすべての能力を失うわけではないという当たり前のことに気づかされる。それが実際の投票行動に結びつくかどうかは別の話であるが、認知症の人にも判断できることがたくさんあることを忘れず、そういう機会を日常の中でたくさん作ることが大事であると思う。最初からできないと決めつけて、説明さえしないことが一番の罪である。

同時に、認知症の人が投票しようとする動機は、「プライド」だと気づく。「昔から一度も投票を棄権したことはない」という人が数多くおられる。こうしたプライドは実に凛々しい。

介護サービスに従事する人の中には、待遇が悪いからサービスマナーなど守っていられるかと言い、汚い言葉遣いを改めようとしない人がいるが、それらの人々は自らが、自分の仕事に対するプライドを捨てて、自らの職業を貶める醜い姿を作り出しているだけである。

そういう輩には、認知症の人が、記憶の障害や混乱にもめげず、懸命に投票行動を取ろうとする姿をみて、恥を知れといいたくなる。

利用者の方々のプライドを持つ凛々しい姿に触れるのは、何も認知症の方々だけではない。

老健という施設の性格上、個別リハビリテーションが必要な人がたくさん居られるが、それは同時に、身体の不自由を抱えている人が多いという意味でもある。

特養の場合、職員が代筆する代理投票の人が9割を超えていたが、老健で投票行動をとる人のほとんどが、自力で投票する候補者の氏名を書いている。その中には、手の震えを懸命に抑えて、額に汗しながら候補者の氏名を書いている人がいる。

利き腕が麻痺して、利き腕変換をしている途中で、まだ十分動かない左手で、慣れない文字を懸命に書こうとしている人の姿もみられる。

不自由な足を引きずりながら、時間をかけて投票場所にたどり着くような人の姿も見られる。

まさにそれは「清き1票」を投票する姿であり、この国の行く末を委ねる人を選ぼうとする姿である。僕たちは、それだけの心を持って投票行動に至っているだろうか・・・。

同時に思うことは、このような人々が票を投じていることに、当の候補者は気がついているのだろうかとうことだ。

熊本の地震を、「選挙時期をにらめば、よいタイミングだ」とトンデモ発言をした大馬鹿政治家が、こうした清き1票の上に胡坐を書いているのかと思うと、腹立たしさを通り越して、哀しくさえなる。まさに政治がプライドを失っている姿が明らかになったといえよう。

このいうに、たくさんの人々の期待と、切実な思いの先に当選させてもらっている政治家が、三流の「せいじや」ばかりではどうしようもない。

プライドを持ち、誇り高く国を作るのであれば、国会議員は、一度、介護施設の不在者投票の様子を見に来るべきではないかと言いたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

改正社会福祉法の2本の柱は太さが違いすぎる


3月31日に、衆院本会議で採決され、賛成多数で可決・成立した改正社会福祉法は、その内容を読めば読むほど大改正だということが分かる。しかし巷では、このことはあまり話題になっていないし、当の社会福祉法人の理事長や理事などの役員の間にも、大改正に備えた動きがなさすぎるような気がしてならない。

僕はこの春から社会福祉法人を離れ、医療法人の関連施設に所属することになったために、この改正法とは少し離れた位置に立つ傍観者の立場にいるが、それにしても当事者たる社会福祉法人関係者の動きが鈍くて、傍から見てもハラハラしている。

今からしっかり改正法に備えた作業を進めないと、法改正という大きな波の中に飲み込まれて身動きできずに沈没してしまう社会福祉法人が続出する気がしてならない。社福関係者は、危機感を持って対応してほしい。

改正社会福祉法の施行日は、その内容によって2つの時期に分かれている。まずこの4月から施行されるのは、地域公益活動の実施・財務諸表の公表・指導監査の見直し・権限移譲・退職手当制度の見直しである。

来年(平成29年)4月1日から施行されるものは、経営組織のガバナンス強化としての新理事会と新評議員会による法人運営等・財務規律の強化(社会福祉充実計画等)である。

そして改正法の柱は、「社会福祉法人の改革」と「福祉人材の確保の促進」の2つでとされている。

社会福祉法人の改革については、次のの5点が重要項目として挙げられている。
〃弍珍反イ離バナンス強化〜理事会や評議会、役員会の役割・権限、責任の範囲などを法律上明記。
∋業運営の透明性の向上〜財務諸表、現況報告書、役員報酬等の公表に係る規定の整備
財務規律の強化〜適正かつ公正な支出管理、いわゆる内部留保の明確化、社会福祉充実残額の社会福祉事業等への計画的な再投資(社会福祉充実計画)
っ楼茲砲ける公益的な取組を実施する責務〜無料または低額な料金で福祉サービスを提供することを責務として規定
ス埓の関与の在り方〜所轄庁による指導監督の機能強化、国・都道府県・市の連携

,砲弔い討蓮⊆匆駟〇稻/佑硫搬卸弍腸宗Ω朕余ε慌修鯔匹阿箸いΠ嫐があるのだろう。そのため評議員会をすべての法人に設置することを義務として(現在は、介護保険事業のみを運営する法人に評議員会設置義務はないとされている)、その機能も単なる承認機関から、議決機関という位置づけに変えている。これによって理事会の決定事項が、評議委員会で覆ることもあることになるが、その機能がきちんと働く評議委員の構成になるのかが注目されるところである。

社福の個人商店化は、個別にみると目に余るものがあることは確かで、ガバナンス強化は社会的に求められることである。僕がよく知る、某社会福祉法人でも、経費削減のための給与規定改正による賃下げが行われる中で、理事長の個人的嗜好だけで、必要のない理事長室を一千数百万円をかけて造っているが、これは理事会に事後報告しただけの出費であり、しかも1月末に完成したその部屋が、旧年度中は一度も使われていない状態であるそうだ。このような無駄がなんのチェックもなしにまかり通る事情は、非課税法人としての責務を考えると、世間一般からみて許されるものではないだろう。こうした不適切ともいえる運営にメスを入れることができるのだろうか。

については、純資産から事業継続に必要な財産を控除したうえで、(1)社会福祉事業等、(2)地域公益事業、(3)公益事業の順に実施しを検討し、所轄庁の承認を得なければならなくなる。

公益事業として何を行うのか、今から準備が必要であるが、どうもこのあたりは、毎日ではなく定期的に「認知症カフェ」を開いてお茶を濁そうという考え方が、今のところは支配的である。もっと法人ごとに特色を出して、差別化を図っていかないと、社会福祉法人への課税議論は、再び沸騰するだろうと予言しておきたい。

もう一つの柱である、「福祉人材の確保の促進」については、次の4項目が重点策とされている。
_雜鄂雄牾諒櫃妨けた取組の拡大
∧〇秧雄爛札鵐拭爾竜’酋化、
2雜酳〇禹里旅餡隼餝兵萋席法の見直しによる資質の向上等
ぜ匆駟〇禹楡濘Π等退職手当共済制度の見直し

これを見ると、介護サービスの場で足りていない介護職員を増やすという具体策には思えない。この4項目が実現したとしても、介護の仕事に就く人が増え、介護サービスの場の介護職員が充足できるという実効性は全く見えない。

そういう意味で、改正社会福祉法の2本の柱は、社会福祉法人いじめの内容さえ垣間見える「社会福祉法人の改革」については、太い頑丈な柱を立てているが、サービス現場が一番求めている、「福祉人材の確保の促進」については、ずいぶんと細く頼りない、アリバイ作りのような貧弱な柱となっていると評価できるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護政策は年数限定で大転換が必要だ


介護施設の人材不足は深刻である。

介護職員の募集にさっぱり反応がないというのは、決して珍しいことではなくなった。それに対して国の施策は、どれも現実的な職員確保策とは言えない愚策であるし、介護ロボット導入も業務省力化効果にはつながらないのが現状だ。(参照:国の介護人材確保対策は機能するのか?現状の介護ロボットに過度の期待を寄せてはならない 

現実に介護の担い手がいないという場では、職員不足が最大の経営リスクであり、職員確保が最大の課題となっており、募集に応じてきた人を、とりあえず採用してしまうという傾向があるが、そういう職場に限って辞める職員も多く、職員不足が慢性化している施設も多い。

職員の定着率は、介護福祉士の資格者が多い施設ほど高いという報告もある。(※ただしこの研究報告は、データが少なすぎて全国的に通用するものとは言えないし、そもそも資格=スキルが高い、とも言えないところが難しいところである。)

どちらにしても、職員定着率が高い職場は、職員の教育システムが機能しており、スキルの高い職員が集まっている職場であることは事実だ。そうした職場には、募集に応募する人も多いから、人が集まり、辞めないという好循環が生まれ、他の施設が人材難・人員不足に陥っているそばで、そのような悩みをほとんど持たないという状態の施設があったりする。

結果的には一時しのぎの対策は、人材不足をさらに推し進めてしまう。人数にカウントできるといっても、スキルが低い人の場合、OJTに時間を費やすにとどまらず、能力とやる気のある職員のモチベーションを下げる結果になるなど、弊害にさえなるケースが多いからだ。ここはじっと我慢して、「人員より人材」という観点から、職員の質とモチベーションを下げない対策が求められる。

同時に、貧困な国の対策に期待するのではなく、組織単位で人材確保策を主要業務に組み込んでいく必要がある。人材の確保と育成の担当者を、専任で配置することも必要になるだろう。少子化の中での、「介護離れ」は、それほど深刻な事態を引き起こしている。

この人材不足の影響が、最も深刻になるのは、団塊の世代が後期高齢者に達する2025年〜2040年ころまでだろうと予測している。

その時期を目の前にして、国は離職者の再雇用策などに補助金を出すなどという、的外れな政策をとっている。離職して他業種に職を求める人には、それなりの理由があるのだ。準備金ごときを補助して、帰ってくる人が何人いると期待できるのだろう。もちろんその数はゼロではないだろうが、国費をかけて対策して効果を上げるレベルではない。まったく何をやっているのか。

そもそも国全体の労働人口が足りなくなる中で、新三本の矢の政策で、特養を中心にした介護施設を増やすののだから、一大政策転換が必要だ。

それは今のように介護の質を求めて、小規模な介護事業所をたくさん作ることを推し進めるのではなく、スケールメリットを見込んだ、ある程度の大きさの施設規模を求めることだ。

特養で言うなら、人的スケールメリットが生じて収益率も高いといわれる、定員80人〜100人の施設を中心にすべきだし、個室ユニットシ施設だけではなく、多床室の施設整備も促進すべきである。グループホームのユニット数も2にこだわらずに、かつユニット定員の9人という規模の見直しを図るべきである。

そもそもユニットケアとは、小規模対応のことをいうのではなく、生活支援型ケアをいうのだから、規模の大きな施設の中で、利用者の暮らしに即した、利用者ニーズを無視しないケアを作ることは可能で、その要因の一つとして、職員の数によるスケールメリットを働かせるという視点があってよい。

若者が数多くいて、従業者の数が足りている状態なら、施設規模の小規模化は必要だろうが、これだけ生産労働人口がいない時期に、高齢化問題のピークを迎えるのだから、小規模施設をケアサービスの中心にしようとする政策は、スキルの低い職員の数を増やして、それらの人が拡散し、結果的に介護サービスの場に、混乱とサービス劣化を促す結果にしかならない。

時期を限定して、職員教育の専従者が配置できるような経営基盤が強い母体による多角経営と、施設規模の拡充を図って、介護力をある一定規模に集約していかないと2025年からの15年間は乗り切れない。

将来その15年間が、高齢者や要介護者にとって、「暗黒の時代」であったといわれないように、今から政策転換が必要だと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護という社会のセーフティネットを護る政治は存在しないのか


対人援助・介護サービスという職業は、決して施しの行為ではない。それは人が人を援助するという専門知識と専門技術に基づいた職業である。

そうであれば、それは決して費用をかけなくてよい職業ではないはずであり、他産業と比べて年収が低い、待遇が悪いという状態は大いに問題視されてよい。そこで働く人々は、介護の専門知識と専門技術を持ったプロとしての仕事ぶりをアピールしながら、その対価はもっと高くせよと主張してよいし、仕事に見合った対価へと改善される必要はあるだろう。

ただその時、他産業との年収比較のデータが問題となっていることは、あまり気づかれていない。対人援助のうち、特に高齢者介護分野では、登録ヘルパーなどの形で、非常勤パート勤務者が多いという実態がある。この比率を他産業と比較して、同じ雇用形態の比較データが少ないことによって、正確な年収比較が難しくなっているという実態がある。

簡単に言えば、パート勤務者と正職員との年収を比較して、後者が高くなることは当たり前であり、正職員が少ないという構造を何とかするとともに、正職員同士の年収比較をベースに論ずる機会が増えないと、この待遇改善は、直接処遇職員対象の加算という形で、多少の色付けという結果で、お茶を濁されて終わってしまうのである。

同時に介護労働を論ずるのであれば、それは特定職種の問題としてではなく、事業を支える全体の職種の問題として論ずる必要があり、介護サービスという事業が、介護職員をフォローする他の職種によっても支えられ、そのことで事業経営全体が成り立っているということを鑑み、事業自体が成立しないと、介護離職がなくなるなんてことはないという当然の結論を導き出すための、まっとうな議論が求められているのである。

いまのように介護職員という特定職種の待遇だけを論ずる風潮は、事業経営を無視した加算算定の問題として議論の方向が矮小化され、結果的に問題の本質に迫ることなく、財源論で左右される小さなばらまきで終わる結果にしか結びつかないのである。

このことに気が付かずに、自分の待遇だけが良くなればよいと考える介護職員が存在すること自体が、長期的には介護職員自身の抜本的な待遇改善につながらないことが問題なのである。短期的な視点のみにとらわれてはならないと言いたい。

介護施設でいえば、キャリアを積んだ正職員の労働対価はそれほど低くなっていないはずである。「成年男子の寿退社」などと言って、結婚できない収入だから、適齢期になると他産業に転職する男性職員も多いと言われているが、当法人の実態からすれば、結婚後奥さんが専業主婦となって、やがて子供を産み育てていく過程で、介護施設の中でキャリアを積んでリーダーの役割りを担っている夫の給与だけで生活している人は、過去も現在もたくさん存在している。

しかしそれは同時に、介護施設の経営者も、職員と同レベルの給与体系で、つましい生活を送っているから実現している給与体系であると言える。特養の施設長で年収が800万を超えている人なんて、ほとんどいないだろう。そのことが良いこととは思えないが、せめて職員の給与体系は家族を養えるレベルに保持していかねば事業として成り立っていかない。

施設サービス費という介護給付費が削減され続けている実態は、この給与体系さえ護ることを危うくしているし、正職員を雇用する比率を低下させないと事業経営がままならなくなるという状況を生み出している。

そういう意味で、ここ数年の介護給付費の切り捨ては問題である。加算だけを挙げて、給付費全体を削る構造がいびつな事業経営を生み出し、結果的に質の悪い事業者による、安かろう悪かろうというサービスしか残らない結果に結びついてしまう危険性を高めている。

厚労省や財務省の役人は、自らの懐具合と比べながら、そんなことは現実にならないと言い切れるのだろうか。おそらくそうではなく、安かろう悪かろうサービスでも、ないよりはましだろうという考え方で、財政運営と制度持続性だけを考えている勢力が存在し、その力が強いということでしかないだろう。

介護というのは社会のセーフティネットの役割りをもつものなのだから、ここにお金をかけない社会は、いつ崩壊するかわからないというリスクの穴を広げているという意味になり、経済活動や資本主義の論理とは一線を画した財源措置が必要なのである。

強いてはそのことが国家を支え、経済活動を支えるという目に見えない効果を見越して、セーフティネットの網の目がこぼれないようにするのが、「政治」の役割りである。しかし現実にはその政治力は存在していないのが現状である。

そういう意味で、軽介護者の給付をどんどん切り捨てる方向に向かう、この国の介護施策は、介護予防の効果を著しく削いで、要介護状態の悪化のリスクを広げて、結果的には給付費用の増大につながりかねない愚策であると同時に、国家責任を放棄した無責任な政治姿勢と批判されても仕方ないだろう。

国民の豊かさとは、物品に囲まれた豊かさではなく、心の平安も含めた、安心と安全な国家社会にあるという当たり前のことに気が付く政治家はいないのだろうか・・・。官僚の財源論を超えた、大きな視野で天下国家を論ずる政治家は現れないのだろうか。

財の再分配とは何ぞやという、経済学を論ずる政治家が現れないのだろうか。今のように「政治屋:せいじや」集団では国家は滅亡の一途をたどるしかない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

個人番号(マイナンバー)制度は、本当に安全に運用できるのだろうか


個人番号制度は、誕生したばかりでわからないことがいろいろあるが、やはり大きな不安を感じる制度である。

先日、講演依頼を受けたある機関から次のようなシートが送られてきた。

マイナンバー収集シート
マイナンバー収集シートと題されたシートには、使い方の説明文が添えられているが、要するに僕の個人番号通知カードの表面又は個人番号カードの裏面と、身元確認書類としての運転免許をここに貼り付け、さらに扶養親族(僕の場合は妻だろう)のカードもここに貼り付けて、コピーを取って送れというのである。

その目的は、税務署提出の法定調書の作成事務の為であり、それは社会保障や税の決められた書類にマイナンバーを記載することが、法令で定められた義務とされているためであるからというのである。このルールはおそらく、講師が講演料として収入を得た場合の、申告漏れを防ぐためであると思われる。

しかし研修講師を依頼されたというだけの関係の機関の、まったく知らない担当者より送られた書類に書かれている、「それ以外の目的では使用いたしませんのでご安心ください。」という文章だけを拠り所に、その言葉を鵜呑みにして、ここに自分のナンバーカードや運転免許所、家族のナンバーカードを貼り付けて、そのコピーを送るというリスクを犯してよいものだろうか。

僕はそのことに一抹の不安感を抱いてしまうのだが、そういう僕の感覚の方がおかしいのだろうか。

そもそも僕が講演を行うだけで、なぜ僕の家族の番号まで知らせなければならないのだろうか。

返信用の封筒は普通封筒で、この封筒を開封する人に対しては、無防備に僕や家族のマイナンバーという重要な情報が渡ることになる。講演講師から返信があったということで決裁書類が挙がっていく過程で、この収取カードのコピーが添付されておれば、その機関の様々な人に、僕と僕の家族のマイナンバーが知られることになる。そしてその記録はその機関にずっと書類として残っていく可能性もあり、いつ誰がその書類を見るかわからない状態となる。

大事な個人番号が、このような形で講師として招待したという関係だけの機関に残されてよいのだろうか。これが義務で当然であるとしたら、この制度はなんと緩い、セキュリティーという言葉も存在しない危険な制度なのだろうと思う。

このような重要な情報を、一片の文書連絡だけで、マスキングもせずに普通郵便で送れと指示することが当然と考える機関も、なんと考えの緩い無責任な機関なのだろうと、一言文句を言いたくなる僕の気持ちも理解してほしい。所詮ここだけの愚痴である。

「他の講師の方々にもお願いしておりますのでコピーをご提出いただければと存じます。」というが、他の講師がどう考えているのかは知らないが、僕の個人ナンバーがこういう形で第3者に渡るとして、その後に適切に取り扱われるであろうと思うためには、完全なる性善説に依るしかない。そのことに不安をもってはおかしいのだろうか。

せめて開封者を特定する「親展」ルールや、番号部分のマスキングルールがあってもよいのではないだろうか。

逆に言えば、このような形で簡単に個人ナンバーを、面識もない第3者に平気で渡す人がいるということ自体、それが普通だと思われていること自体が、この制度の大きな落とし穴ではないのだろうか。それは番号を悪用しようとする人が、簡単に誰かのマイナンバーを手に入れことができるという意味だ。簡単に番号を送る講師が、このことに平気でいられるのはなぜだろう?

それとも僕の考え方が、あまりにも神経質すぎると言うのだろうか。

僕が神経質すぎて、一片の依頼文だけで個人番号を貼りつけたシートのコピーを送る人間がまともであるとするなら、個人番号はいとも簡単に他人が手に入れることができる情報ということになる。そんなもので預金や年金に関する情報が管理される社会は怖い社会だ。

だって現実に、「マイナンバー54人分紛失、横浜 市立小の事務職員」なんてことが現実に起こっているのだ。(15:03フェイスブックで繋がっている人からコメントで教えていただいたニュースを追記)

その機関の税理士が何を言っているかは知らないが、税理士のアドバイスに基づいて個人番号という情報を取得するのであれば、完全無欠なセキュリティー体制を確立して、そのことを情報取得先にきちんと説明して欲しいと思うのである。

自らがすべきことをせずして、相手にだけ義務を負わせることは無責任のそしりを免れないのではないだろうか。とは言っても、誹られる機関からすれば、そういう制度なんだから仕方ないだろうと言いたくなるだろう。それはよくわかるのだ。でも不安は消えないのだから、一言だけこの場所で愚痴を書かせてもらっていることを、ご容赦いただきたい。

今後はこのように、研修講師の個人番号の取得ということは当たり前に行われていくことになるのだろう。そしてそのことに不安を持つ僕のような人間の方が、「おかしな奴」とみられて面倒くさがられるのだろう。まったく嫌な世の中になったものである。

いずれにしても、今後は講師業を務める人間の個人番号は、本人以外のたくさんの人が知ることができる番号とならざるを得ない。これは個人番号制の大きな瑕疵(かし)といえるのではないだろうか。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

社会福祉法の改正がもたらすもの


異例の速さで、松の内に開催された通常国会では、先の国会で先送りされた社会福祉法の改正案も審議され、今回は成立する見込みとなっている。

改正法案の中では、社会福祉法人改革が焦点になるだろう。

社会福祉法人を巡る、この数年間の状況を振り返ると、財務省の陰謀と主導で、内部留保批判をはじめとした社会福祉法人バッシングが起き、厚労省はこれに対してほとんど無抵抗に終わったことで、メディアもこの理不尽な風に乗っかってしまって、国会議員もその雰囲気にのまれた中で、大幅な介護報酬の減額が行われた。

そのことに加えて、社会福祉法人がその責務を果たしていないかのような論調で、改革が求められていることに、憤りを感じている関係者も多いのではないかと思うが、そこで求められている体制をしっかり構築しつつ、介護報酬減額が、その改革の足かせになることも含めて正論を主張し、世間一般にもその声を認めてもらうことの方が大事である。

この部分の理論武装がされない限り、社会福祉法人へのいわれなきバッシングはなくならないし、それを理由にした報酬減額は、社会福祉法人をターゲットにしながら、次期報酬改定以後も続けられるだろう。

今回の社会福祉法人改革の柱は3本である。一つには、「組織のガバナンス強化」であり、二つは、「財務諸表の公開等の事業運営の透明性向上」であり、三つは、「公益事業の地域展開の責務の明確化」である。

細部を見ると、今まで介護保険事業のみを行っている法人には設置しなくてよいとされていた、「評議員会」について、すべての法人に設置義務が課せられ、それも諮問機関ではなく、議決機関とされる改正が行われることになる。

実際に、多額の「内部留保」のある社会福祉法人については、「社会福祉充実残高」なるものを計算し、地域貢献事業に適切に財務執行しなければならなくなるようだ。

本来、社会福祉法人は、そうした義務を課せられなくとも、その使命と責務として社会貢献事業・地域貢献事業を行わねばならない組織で、法律によるがんじがらめの縛りは、その精神を著しく削ぎ落すもののような気がしてならない。

この部分は地域特性に応じた、柔軟対応がどれだけ可能なのかということがポイントになりそうである。

どちらにしても大改正である。改正法案によって求められることは、社会福祉法人の一大転換であり、これに失敗すると法人の存立自体が危うくなるという危機感を持たねばならない。

そのためには社会福祉法人役員が、この改正法案の内容をしっかり把握し、先先を読み取りながら法人改革に取り組んでいく必要がある。

逆に言えば今の時期に、法人理事長及び理事・監事が、この法律の内容に無関心であったり、無理解であったりするのは、それだけで経営危機をもたらすということになる。

仮に全ての役員が法律に精通していなくとも、少なくとも役員の中に、このことに対応可能なスペシャリストを置いておく必要があるだろう。

こうした厳しい状況であるからこそ、名ばかりの役員ではなく、実務に精通した役員を法人内部に置く必要がある。今ほど社会福祉法人が、人材を求めなければならない時代はないのである。そのことを法人理事長はじめ、役員は理解しているだろうか?

こうした危機的状況の理解がない理事長がトップに立つ法人は不幸である。

そして、社会福祉法人を旧態然の運営で良いと考え、社会福祉法人を自分の個人商店のような意識で運営しようとしている理事長には、そう遅くない時期に大鉄槌が下されることになるだろう。

そんな厳しい状況に置かれた社会福祉法人であるが、自分自身は一時、敵前逃亡のような形で、社会福祉法人から少し距離を置いた位置に席を移動することになる。当法人にとってその意味は、一番改正内容に詳しい役員を失うということだ。

そのことはなんとも申し訳ない思いであるが、今後も影に陽に、社会福祉法人を応援し続ける姿勢には変わりはないことを宣言しておきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

国の人材確保策は、いつも兵力の逐次投入


研修会の講師としてお招きを受ける際に、同じ研修会で別の講演を行う予定の方とご一緒することがある。

時にはそれが厚労省の方であったりする。そんな時に、介護業界の人材難対策として国として取り組みをきちんと行ってほしいという話をすることがよくある。

数年前までそこでは、「上には伝えておきます。」という話で終わることが多かったが、経済政策とも絡んで、具体的にいくつかの対策が取られてきたことも事実である。しかし目に見える形で、その効果は挙がっていないというのも事実だ。

それはなぜかと考えたとき、来年度予算の概算要求の中に見える、人材確保策にその失政の理由も見えてきているような気がしてならない。

例えば、介護福祉士の資格を持ちながら、仕事に就いていない「潜在介護福祉士」の情報を登録するデータベースの整備に乗り出すことにしているが、ここの部分には3.9億円の予算をかけようとしている。

しかしこのデータベースが、人材確保策として有効かと言えば、それには首をかしげざるを得ないことについて、「国の介護人材確保対策は機能するのか?」で指摘しているところだ。

そのほかに厚生労働省は、1年以上介護の仕事をした経験がある人が施設などに再就職する際、準備金として20万円を貸し付け、2年間継続して勤務すれば返済を免除する、新たな制度を設けるとしている。さらに介護福祉士の資格の取得を目指す学生に学費などを貸し付け、5年間介護の現場で働けば返済を免除する制度も拡充するとした。ここには261億円の予算組みをしている。

これは安部首長の掲げる新三本の矢の中の目標である、「介護離職ゼロ」を実現するための方策と言う意味ではあるが、このことで介護人材の確保に少しでも対策がされることは悪いことではない。

しかし国費負担を伴う新たな対策に、実効性がなければ、それは無駄でしかなく、結局のところ失政の付けが現場に回されることになりかねない。だから我々はその結果を注意深く見守って、検証すべきであるが、先を見通すとどうもこの対策の効果も怪しいと言わざるを得ない。

わずか20万円の就職準備金(2年の就業で偏在しなくてよいということを含め)が、就業の動機づけになるかと言えば、その効果はほとんどなく、もともと介護への就業動機のある人にとって、やや魅力的な金銭補助制度と言う程度の効果しかなく、これにより新たな人材確保につながる効果は薄いだろう。

介護福祉士の資格の取得を目指す学生に学費を貸し付け、5年間就労で返済義務をなくす制度は、一見魅力的に映る。

しかし介護福祉士の養成校に通う学費がないから、介護の職業に就けないという人が果たして何人いるだろうか?現実には、そういう人はほとんどおらず、そうであればこの対策はなんの効果ももたらさないのではないかと言う疑問が生ずる。

そもそも介護福祉士養成校の入学者が著しく減っている原因は、少子化の影響だけではなく、高校の進路指導担当教員が、過去の介護職ネガティブキャンペーンの影響によって、「介護の仕事に就いても、将来飯が食えない」という思い込みが強く残り、学生に一生の仕事とするならば、介護以外の職業を選択するように指導しているからである。

そうであれば、介護という職業の労働対価を上げる対策なしに、介護福祉士と言う資格を取るための学費だけを補助したとして、その状況が劇的に変化することにはつながらないだろう。

それに対しては、処遇改善加算で労働対価は上げているというのだろうが、どこの世界に、事業運営と切り離して職員給与だけを見て、職業を選択する人間がいるだろうか。そもそも加算で改善した給与とて、他業種の年収にはるかに及ばない事業者が多く、しかも3年間給与アップしない事業者があるのだから、魅力的な改善策とは言えないのである。

介護報酬の大幅引き下げで、一時的に給与が上がっても、長いスパンで給与改善の見込みはなく、むしろ事業継続の見込さえ怪しい職場で、自分が将来にわたって就業し続ける見込みが見えないという不安感を持ちながら働く場所に、たくさんの人材が張り付くわけがないではないか。

介護現場の人材難は、志のある有能な人材でも、将来の不安や実際に家族を養う給与ではないことにより、他業種に流出してしまう人材が多いことも一因なのだ。独身の間は、何とか暮らしが成り立っても、結婚して子供が生まれたら、自分の給与だけでは暮らしが成り立たないような待遇の職場がまだたくさんあるという現実は、そういう人件費でしか成り立っていかない事業経営の実態があるという意味である。

何も高給を求めているわけではないのだ。つましくても幸福な家庭を築ける程度の給与を、経験と能力に応じて手渡し、それでも事業経営が可能な基本報酬体系にしていかないと、介護の人材難・人員不足は解決しないだろう。

それはこの国の福祉政策を成り立たなくするという意味で、政府がその責任を果たせなくなるという意味である。一億総活躍など夢のまた夢になるという意味である。

そもそも予算とは、もっとも効果的に使う方法を考えるべきであり、人材難の一番の原因・理由に対策できる部分に集中的に予算を回すべきなのである。

一番効果が薄いのは、兵力の逐次投入と言う方法であることはわかりきっていることで、とりあえず予算措置ができる規模のところに、少ずつ予算を回すというやり方が、一番効果が薄く、ムダ金を垂れ流す結果にしかならないのである。

そう考えると、現在の人材確保対策は、まさに兵力の逐次投入で、各個撃破される垂れ流し策でしかないと言え、そこに期待できるものは何もないと言ってよいだろう。

アリバイ作りの政策決定は、いい加減にしてほしいと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

財源がないというけれど


国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)が開幕し、日本の総理大臣も演説をしている。

その中で温暖化対策として、2020年までに官民合わせて年間1兆円から1兆3000億円に増額することを表明している。

温暖化対策費の中身は、気象観測所の整備とか地熱開発等であるが、そもそも地球温暖化は異常気象によるものではなく、気象変動によるもので、人為的にこの流れを変えることはできないという説も有力である。
(米国は、この説に依っているから、温暖化対策に本気で取り組んでいないのである。)

そのような対策費にかけるお金は、意味があるのだろうかと首をかしげたくなる。

国際貢献は大事だろうし、温暖化対策も重要だろう。しかしこうした国際会議や他国訪問のたびに、何兆円・何千億円という単位で国費が使われる状況を見ると、もっと内政にお金をかけることができるのではないかと思ってしまう。

これが国内にお金が余っている状況での支出なら理解もできるのだが、国民の命と暮らしを護るべき社会保障費の伸びを、毎年現状の1兆円から五千億円に抑える政策を取り、乱暴ともいえる介護給付費等の削減を実施する最中に、国際貢献の名のもとに、湯水のように財政支出がされる現状を、すべての国民が受け入れることができるのだろうか?

社会保障費の伸びに対する支出は、恒久財源が必要であり、一時的な支出増とは異なると言っても、超高齢社会の中で、国民の命と暮らしを守るための、年金・医療・介護を、必要悪のごとく処理して国家と言えるのだろうか。

それに超高齢社会の向こうには、人口減少社会が待っているが、同時にそこでは社会保障費にかかる費用も減っていく社会となる。そうであれば今現在の状況に適切に対応する政策なり、お金の使い方が求められようというものだ。

実質アベノミクスの恩恵は、地方には回っていない。そんな中で、社会保障費だけをターゲットにして、削減一方では、この国で生きる人の希望と誇りを奪いかねない。他国にだけ絹の衣装を見せびらかしても、国内の光の当たらない場所で、ぼろとわらをまとった国民が増えていくとしたら、それは亡国の施策でしかない。

そんな中で、新三本の矢なる政策では、介護離職を防ぐために特養やグループホーム、小規模多機能型居宅介護といった高齢者を支えるサービスを、2020年代初頭にかけて約40万人分(2014年度比)増やすとしている。

11/12に開かれた国民介護では、この数字を「50万人」に引き上げている。それは厚労省の持つデータ上、特養の待機者は2014年3月の時点で約52万人にのぼるという理由によるものだ。

しかしこの数字と、介護現場の実感には温度差がある。現に施設は存在するのに、空きベッドがいたるところにあるからだ。

その理由は、利用者がいないということにとどまらずに、職員が足りなくて一部のユニットを閉鎖せざるを得ないというものである。さらに厚労省のデータ数値には、複数の特養に重複申込みしている人の数や、今すぐには入所する気はないが、将来に備えて入所申し込みを早めに行っている人の数も含まれており、実態とはかい離している。

その中で箱ものだけ数を増やして、介護職員や利用者が集まるのかと考えたとき、それは絵に描いた餅であるとしか言えない。「介護離職」より先に、「介護者離職」を防ぐべきだという意見も多いが、それにも増して介護の職業に携わりたいという人が減ってきている現状を変えなければ大変なことになる。

そもそもこの施策には介護職員の給与改善財源を措置するという施策は含まれておらず、それは今後の検討課題とされている。そんな所に人が集まるわけがない。しかも仮に介護職員だけ給与をあげても、経営母体の運営体制が脆弱となれば、そんな場所にも人材は集まらない。

経営の基盤となる介護給付費を下げて、介護職員処遇改善加算だけを増やすという一時しのぎの施策には、限界と落とし穴が潜んでいることを、介護が崩壊してからこの国は知ることになる。

介護サービスの質は、介護職員だけによって保障されるものではなく、それを支える管理者や事務関連職員、その他の専門職が一体となった質である。そのことに視点を及ばせない施策の先にあるものは、安かろう悪かろうサービスでしかなく、しかもそれはいつも足りない、いつも及ばないサービスでしかなくなるだろう。

それは老後、健康を害したら野垂れ死にするしかない社会であり、一部の金持ちだけがそうならない社会であり、貧富の格差は、老後ますます影響が増大するであろう。

本来社会保障にお金をかけることは、社会のセーフティネットを構築するということで、このネットがずたずたに切り裂かれてしまう社会に、政治は存在しないということになる。

強い国家は、武器によってできるのではなく、国民の国家に対する愛と誇りによってできるものだということを、政治家は、今一度学習すべきである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護に巣食う癌・タメ口を正当化する人間の罪深さ


通常国会で審議入りせず、継続審議となった社会福祉法改正案には、介護福祉士の資格取得方法の見直しも含まれている。

現行法は16年度の介護福祉士養成施設卒業生から国家試験を課すことにしているが、法案はそれを猶予しようというものだから、今年度中に法案が成立しないと猶予できず、来年度から養成施設卒業生が国家試験合格しないと介護福祉士の資格が与えられなくなることになって、期間猶予を前提にしていた要請現場が大混乱に陥るため、厚労省は秋の臨時国会で法案成立を図りたいという意向を示していた。

しかしここにきて政府与党は、秋の臨時国会を開かない方向で政治日程を進めている。うがった見方をすれば、昨日記者インタビューに答えた小渕優子議員の不正経理問題や、改造内閣閣僚の不適格報道などがあって、臨時国会を開けばそれを突っ込まれ、内閣及び政党支持率が低下し、来年の参議院議員選挙に影響が出ることを嫌ってのことかと思ってしまう。

どちらにしても12年ぶりに秋の臨時国会が開催見送りになれば、継続審議となった法案は、次の通常国会で審議されることになる。とすれば年度中に法案が成立するとしても、事務作業等に影響が出るだろうし、関係者は気をもむことだろう。

世間一般を見渡せば、横浜市で大型マンションが傾くというニュースが連日報道されているが、様々な問題があるとしても、販売企業も施行企業も、下請けが行った偽装と不適切工事について、親会社が表に出て謝罪し、今後の保障も行う意思を示している点だけは感心できる。

一方で介護業界では、3人の利用者が不審の転落死をした介護付き有料老人ホームでは、隠し撮りされた職員の虐待行為と、そのグループ施設における一連の利用者虐待について、親会社はホームページにお詫びの文章を載せただけで、最高責任者などがきちんとした形で表に出て、世間に対して謝罪をするという行為を全くとろうとしていない。その親会社とは、常日頃地域包括ケアシステムの中心を担う人材を育てていると言っていた会社で、その最高責任者は、サービス付き高齢者向け住宅を束ねる団体のトップも務め、ケアと暮らしが分離することによって利用者の尊厳が護られると声高らかに唱えていた人ではないのか?

それなのにこの問題が明らかになった以降、世間に対して何のメッセージも送っていない。会社名がギャグかよと言いたくなるのである。

それにしても介護業界の負のバリアは厚いし、スタンダードを変えようとしない程度の低い頑固者が多すぎる。

顧客サービスであるのに、乱れた馴れ馴れしい言葉でしか、「親しみ」を伝えられない輩は、自らが言葉を使いこなして、常に相手の心情にマッチできる達人だとでも思っているんだろう。利用者の中には、自分が従業者にくだけた言葉で話すのは当たり前だが、従業者が同じ言葉で返答してくることに不快な思いを持つ人たちは大勢いる。しかし自らが人質にとられている以上、そのことに不満が言えない人が大多数だ。

そうであれば我々介護サービス従事者は、最低限守るべき接客態度を意識し、全ての人が大満足をしないまでも、少なくとも不快に思わないという意味で、丁寧語を基本として会話すべきなのでる。

例えばホテルのフロントの従業員に対し、客がため口で話しかける場面は、しばしばみられる。しかしそれに対して客が、フロントマンが同じ言葉で話しかけてくるかと考えた場合、それは違うだろうということは容易にたどり着く答えである。

しかし馬鹿は言う。『例えば床屋や美容院なんてお客さんにくだけた言葉遣いで話す人いっぱいいますし、個人でやってる居酒屋とか喫茶店なんて常連客には砕けた感じで話してますよ。あとラーメン屋の接客って丁寧ですか?お客に「いらっしゃい!」ですよ。丁寧な接客なら「いらっしゃいませ」でしょうが。』

接客教育のされていない街の個人事業主を、サービス業の代表に考えてもらっては困るが、そうした事業主のいる場所を自ら選んで訪れる客に対する個人営業の商売と、我々の対人援助サービスは根本的に異なるのである。対応する寿業者を選ぶことができない、対人援助サービスにおいて、最低限の護らねばならない規範を定め、それを下回らない水準のサービス提供に心がけるのは、至極当然のことで、それさえなけれな介護はいつまでもエビデンスを創造できない。そもそも組織だって客商売している企業で、そのような(例示された個人事業主のような)接客態度を許している企業は存在しない。そういう意識の低い商売人と同列でしあ語れない仕事を、あんたはしているんだということだ。

馬鹿はさらに言う。『丁寧な言葉こそ唯一無二の至高の対応だなんて言ってしまえば、キャバ嬢に「介護ってバカでもできるのね」と笑われてしまいそうです。』

どこに丁寧語で対応することが『丁寧な言葉こそ唯一無二の至高の対応』だなんて書いてある。丁寧語で接することは最低限のサービスの質を保ち、介護サービスの割れ窓をふさぐ効果に結びつくと言っているだけで、それだけしておればでき職業だとは一言も書いておらず、逆に、「それだけはしなけれなばならない職業」であることを指摘しているに過ぎない。

見識の低い、エイデンスを創造しようとしない輩は、こんなふうに論旨のすり替えや、書いてもいないことを自ら作り出して批判するという悪辣な手を使うので、無視するに越したことはない。

こうした一見頑張ってる風、よさげに見える介護職員のため口によって、口調だけを真似る後輩が感覚を麻痺させ、アミーユの隠し撮り映像に映っているような姿になる例は枚挙にいとまがない。そうであるなら、あの映像に映っている姿を創りだしているものが、こうしたタメ口を正当化する、見識の低い連中であり、その罪深さは海より深いと言わざるを得ない。

信念もよいが、お前の信念で今まで何人の人が傷つき、これから何十万人の心を傷つけ続けるんだと言ってやりたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

首相の特養整備方針を順風にする工夫を


今朝、僕は札幌から施設に出勤した。福岡県筑後地区老人福祉施設協議会の皆さんが、北海道視察研修の為、昨日から札幌に滞在しており、僕は札幌のホテルまで出向いて講演を行った後、夜遅くまで懇親会を行い、そのままホテルに泊まったからである。

札幌発7:30発の函館行「北斗4号」に乗ると、登別駅には8:42に着く。駅の駐車場に自家用車を停めており、そこから施設まで5分で着くので、始業時間の9:00に十分間に合うのである。今朝も列車は3分ほど到着が遅れたが、始業時間に遅れることなく勤務に就くことができた。

昨日の講演では、「介護保険の行く末」と題して、この制度が今後どうなっていくのかという予測を、今までの改正経緯等から解説し、社会福祉法人等の事業経営戦略等を語ったが、その中で安部首相が9/24に示した「新三本の矢」の経済対策の中で明らかにした、特養の整備方針にも触れた。

このことに関しては、人材確保策が一体的に示されない中での、この方針は実現可能なのか?という疑問が生ずるし、「介護離職」より先に解決を図るべきなのは、「介護職離職」ではないのか?と考える人も多いことを指摘したうえで、ことさらこの方針を批判する必要はなく、むしろ介護関係者は、首相が政策の中に、介護施設の整備を盛り込んだことを順風と捉えて、首相の顔が、「介護問題」に向かうように利用すべきではないかと主張した。

例えば「首相の特養整備方針を、社会保障政策と勘違いしてはならない」の中でも次のように指摘している。
-----------------------------------------------
首相の頭の片隅に、「特養は整備が必要な施設」であることが印象付けられたとしたならば意味があるのかもしれない。「特養の内部留保議論」の中で、あたかも特養がもうけ過ぎで必要悪であるかのように語られたことと比較すると、「いらない施設ではない」という認識を持たれたとしたら、特養関係者にはよりましな状況といえるだろう。そして整備が必要な施設なのだから、介護報酬も闇雲に下げるだけが能ではないと考えてくれるとしたら、そのことに別の意味があるのかもしれない。
------------------------------------------------
特養の数を増やしたところで、そこで介護サービスを提供する人がいないと、空き箱しかできないという理屈は、けっして難しい理屈ではなく、専門的知識がなくても理解できることである。首相ともあろう人が、そこに考えが及ばないということはない。それが現在示されている「潜在介護福祉士」の登録制度(掘り起し)という愚策では解決しないことも理解されるだろう。

そうであれば、経済対策として示したこの方針を実現するためには、同時に必要とされる介護人材の確保策ということが、後付けの政策と言えども、必ず出てくるだろう。

そうなると、この政策を実現しようとする過程で、社会保障費の削減のために、介護給付費をさらに下げるという政策は、特養を整備して「介護離職」をなくすという政策とは矛盾が生ずることにも気が付くはずだ。

処遇改善加算で介護職員の給与だけ改善できる対策を行っても、介護職員が働く場としての介護事業が、給付費の削減で経営困難となりなくなって行けば、あらたな特養整備事業に手を出す人はいなくなるし、介護離職はさらに増えるということにも考えが及ぶかもしれない。

そうなると首相が示した新三本の矢を、本当に実現可能な政策とするためには、財源がないと言いう理由で介護給付費をさらに減額する方針は方向転換が必要となるというふうに、風が変わる可能性があるものだと思う。

大事なことは、首相の顔がそちらに向かうようにささやいてくれる人がいるかどうかということであり、来年の参議院議員選挙で全国老施協が推薦する人が、そういうことをしてくれる人であるのかどうかということが問題なのだ。

実現不可能な政策だとか、方向性が違うと指摘するだけでは何も得るものがない。利用できるものは、大いに利用して、我々が求める方向に政策の視点を向かわせるという考えや戦略がないと、お上の言うがままに介護業界が流され、保険事故に対応できない介護保険制度になり、人の暮らしを良くできない社会福祉サービスになっていかざるを得ないのである。

昨夜は、そのようなことについても熱く語ってきた。

話は変わるが、今朝職場に丹波篠山市から「丹波黒豆」が届けられた。

丹波黒豆
今年篠山市役所を退職された、前田さん(篠山市の前保健福祉部長)からの施設への寄贈品である。この黒豆は前田さんらが中心となり、篠山市役所皆さんなどが「社会的ひきこもり」対策支援事業として栽培しているものだ。そこで収穫した「丹波黒豆」が毎年緑風園に寄付されており、それはもう10年以上前から続けられている活動である。前田さんはじめ、篠山市の皆さん、ありがとうございます。

送られてきた黒豆は、施設利用者はもちろんのこと、デイサービス利用者の皆さんにも、お昼ご飯のお膳につけて相伴していただく予定にしている。

昨日の福岡県筑後地区の皆さんと言い、篠山市の皆さんと言い、僕は全国各地のいろいろな方々に支えられている。本当に人とのつながりは貴重な財産である。全国のつながっている皆さんには、この場を借りて、あらためてお礼を言いたいと思う。本当にいつもありがとうございます。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

国の介護人材確保対策は機能するのか?


会期を戦後最長となる95日間延長した第189通常国会は9月27日に閉幕した。

安保関連法案の審議に終始した感がある国会であったが、社会保障関係では、2018年度から国民健康保険の運営主体を都道府県に移す医療制度改革法が成立したほか、改正医療法の成立によって、複数の医療機関や介護施設の一体的運用のため、社会福祉法人も傘下に入ることのできる「地域医療連携推進法人」を設けることが可能となった。

これによってどんな影響が出るだろう。例えば、介護報酬の減額により経営が苦しくなった社会福祉法人の中でも、特に1法人1事業などの比較的規模の小さな法人を、グローバル経営を目指す医療法人が買い取るなどの動きが活発化するかもしれない。つまり社会福祉法人の身売りが増えるということが見通せるわけである。今後の医療・介護制度がどうなるのかを考える上でも、この動きは注目に値するだろう。

成立した法案の一方では、社会福祉法の改正案等は、安保関連法や改正労働者派遣法をめぐる与野党の対立の影響で審議入りしなかった。改正社会福祉法案の内容は、インターネットを通じた財務諸表の公表を義務付けたり、役員を監督する仕組みを強化したりすることを盛り込んだ。また、事業を運営するのに最低限必要な分を除いた余っている財産を、地域の福祉に還元させるルールも新たに設けるなどの、社会福祉法人のガバナンス強化につなげようとするものであるが、これは継続審議となっている。

この法案には、介護福祉士の資格取得方法の見直しも盛り込まれている。現行法は16年度の介護福祉士養成施設卒業生から国家試験を課すことにしているが、法案はそれを猶予しようというものだから、今年度中に法案が成立しないと猶予できず、来年度から養成施設卒業生が国家試験合格しないと介護福祉士の資格が与えられなくなることになって、期間猶予を前提にしていた要請現場が大混乱に陥るため、厚生労働省は秋の臨時国会で成立させたい考えである。

外国人を日本国内に受け入れて働きながら学んでもらう「外国人技能実習制度」について、技能実習の受け入れ期間を現行の最長3年から5年に延ばすほか、受け入れ先に介護分野を追加する適正化法案も成立せず、継続審議となっている。

このことは介護分野の人員確保に関連して、なにか影響があるだろうか?個人的には継続審議になろうと、可決成立しようと、何も影響がないと思う。この実習制度が介護分野に対象を広げたとしても、そのことによって介護分野の人材確保につながるということにはならない。つまり介護分野の人材確保という点のみでいえば、外国人技能実習制度適正化法案など、あってもなくても同じだということだ。

この点については、建設業などに実習生を斡旋している会社に友人がいるために、この法案に介護分野が追加されるという報道があった際に、一緒に研究したことがある。その結果、現在の外国人技能実習制度で受け入れられている実習生は、最低賃金で働く単純労働者というのが実態で、仕事内容も基本的な単純作業しかできない人がほとんどであるそうだ。そのためコミュニケーション能力も求められるような労働には不向きで、身体介護等に関わる仕事は無理ではないかという結論に達した。むしろそうした単純労働を行う実習生集めも難しい状況になっているのに、実際に介護サービス現場の戦力になるような人材は、いないだろうという意見が多かった。

そもそも、この制度で受け入れている実習生で、受け入れ企業に無断で失踪して行方が分からなった人が、10年で2万5千人を超えているそうである。それが、この制度が現代の単純強制労働とも言われる所以でもあり、実習先が介護分野に広がったとしても、忙しい介護労働の場に、さらなる複雑な問題を生じさせる結果にしかならないだろうと予測している。

ところで人材確保策については、厚労省が先般、介護福祉士の資格を持ちながら仕事に就いていない「潜在介護福祉士」の情報を登録するデータベースの整備に乗り出す方針を明らかにしている。

それによると、福祉事業所は離職者に、福祉系の学校は卒業生に対して登録を促す仕組みをつくり、登録者にはメールで仕事の情報を送って就職を呼び掛けることになっている。そのために同省は16年度予算概算要求にデータベース開発費を計上し、17年度の導入を目指すとしている。導入後は、各都道府県の福祉人材センターで登録や閲覧ができるようにするそうである。

この背景には、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる2025年には介護職員が約38万人不足するという問題があり、一方では、離職したり一度も介護職に就いたりしたことがない潜在介護福祉士は資格保有者の4割の約52万人に上り、その復職や就職が人材確保のカギを握るとされているものである。

この掘り起しによって、仕事をしていない介護福祉士が、介護の仕事に就いてくれるのであればそれに越したことはない。

しかしこのデータベースに登録して、職探しをしたいという動機付けを持つ人が何人いるかと考えた場合、潜在介護福祉士の掘り起しなど、絵に描いた餅になるとしか思えない。

介護という仕事は、体力も知力も必要な重労働であるという側面があり、潜在介護福祉士が52万人いると言っても、そのうち就業可能年齢は何人だろうかという考察も必要だ。60代を目前にしている人が、いったんリタイヤした介護労働に就こうとしても、体力的にも辛いものがあるだろうし、実際には潜在者にカウントできない数も大きくなるのではないかと思う。

資格を持っているのに一度も介護の仕事に就いていない人の理由の多くは、仕事をするために資格を欲したわけではないということである。そういう人たちは、そもそも登録する動機づけを持たないだろう。今更データベース化で、就業を促されることに嫌気を感じてることはあったとしても、それを自ら欲することにはならないからである。

一旦介護の仕事に就いてリタイヤした人には、それなりの理由があり、もしその中で再び介護の仕事をしたいと思っている人は、国のデータベースに頼らずとも、民間の就職あっせん登録データベースは山ほどあって、情報には困っていないはずだ。それらは各都道府県の福祉人材センター情報より、よりきめ細かく親切に情報を送ってくれるので、なにかとお高く思える国のシステムの方が良いと考える人は、意外と少ないのではないだろうか。

ハローワークにだって、介護労働の就職先情報はあふれている。

それでもなおかつ介護の仕事に就いていない介護福祉士の数がそれだけ多いという意味は、それらの人の働かない理由が、「情報不足」ではなく、介護労働への意欲がないという理由が主であるということだ。そういう人にとっては、国が構築して各都道府県が管理する情報データベースへの登録など、個人情報が漏えいされる危険性が高まるだけだと感じるし、就職あっせんという情報提供自体が、煩わしいものとしか感じられないだろう。

介護労働が有資格者にも選択されず、介護福祉士養成校にも人が集まらない根本的な問題を解決せずして、対して役立たない情報データベースの構築に予算付けを行うことに意味はあるのか?そちらの方が安上がりと言っても、介護サービス情報の公表制度のように、誰にも何の役にも立たない、使われない情報を集めるシステムに、お金を使う無駄を考えたら、予算を回すところは別にあるように思える。

新しいデータベースへの登録を促すということは、金は出せんが情報は寄こせという、上から目線のあっち向いてホイの人材確保策でしかなく、失笑の施策であり、愚策としか思えないのである。人材確保の対策について、なにもしていないわけではないというアリバイ作りで、このような愚策が行われているとすれば、それは国家存亡の危機であると言っても過言ではない。

逆に、この施策で介護福祉士が掘り起こせると本当に考えているとすれば、そのことは現状分析力に欠ける見方でしかなく、現場意識や現場ニーズとはかけ離れた、的が外れた考え方であるといえる。それはそれで困った問題である。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

首相の特養整備方針を、社会保障政策と勘違いしてはならない


現首相が介護について語る機会は非常に少なく、社会保障政策を自ら語ることも少ないように思え、社会福祉に関心は薄いのだろうなと感じている。

そんな首相が9/24(木)に記者会見を行い、「新三本の矢」として「強い経済」・「子育て支援」・「社会保障」を掲げ、特別養護老人ホームを整備する方針を打ち出している。以下に読売新聞のネット配信ニュースを転載させていただく。
-------------------------------------------------------------
「介護離職ゼロ」目指し、特養増設・待機解消へ(読売新聞 9月24日(木)3時6分配信)

 安倍首相は、先の自民党総裁選の公約で掲げた「介護離職ゼロ」の実現に向け、特別養護老人ホーム(特養)の大幅な整備に乗り出す方針を固めた。
 全面的に介護が必要な入所待機者を、2020年代初めまでに解消することを目標に掲げ、16年度当初予算から特養の整備費用を拡充する。24日の記者会見で、社会保障制度改革の最重要施策として表明する。
 首相の記者会見を踏まえ、政府は、少子高齢化や、労働力人口の減少を食い止める策の検討に向け、経済界や労働界などでつくる「国民会議」を創設する。
 特養の入所待機者は、13年度で全国に約52万人いる。このうち、身の回りの世話が一人ではできず、自宅で待機している「要介護3」以上の約15万人をゼロにすることを目標とする。
 特養を増やす具体策として、政府は、消費増税分を原資とする「地域医療介護総合確保基金」(15年度の介護分で724億円)を財源として活用する。社会保障の財源としては将来、家庭に眠っているタンス預金を掘り起こすことが期待される「無利子非課税国債」の発行が検討される可能性がある。
----------------------------------------------------------------
(転載以上)
少しひぬくれた分析をさせていただく。

アベノミクスの恩恵を、少子化対策や高齢者介護対策にも回すという考え方は良しとしよう。後期高齢者数が増えることに対応して、特養の整備が必要であるという考え方も理解できる。

しかしこのことは、社会保障政策というよりも、労働問題が絡んだ経済政策という意味合いが強いのだろう。つまり人手不足社会の中で、介護離職によって労働力を失うことによって、経済成長の足かせになっては困るという視点からの政策であり、安部首相自身が介護問題に関心を寄せてきたということではないのだろうと思われる。社会保障という言葉が入っているからと言って、首相がそれに力を入れようとする政策ではないと思えるのだ。

なぜなら社会保障の充実という視点から介護問題を考えるのならば、当然「介護離職」より、「介護職員の離職」のほうが先に考えられなければならないし、特養を増やすという政策と一体的に、人材確保をどうするのかという政策が具体化しなければならないからだ。いやむしろ同時一体的では遅く、特養整備の前にしっかり人材確保対策を行うということであってしかるべきである。

そう考えると「介護離職」の解決のための特養の数的整備方針の実態は、経済政策でしかないことがよくわかるだろう。それだけ全産業で人手不足感は増しており、経済成長の最大のリスクになっているのである。

要するに安部首相個人は相変わらず、「介護」には全く関心も興味もないことに変わりはなく、介護関係者が、「それでは日本の介護はよくならない」、「誰が施設介護を担うんだ」と言っても、馬の耳に念仏でしかない。労働力の確保のために、要介護者を入れる箱を創るというだけの考えしかなく、社会保障をどうのこうのと論ずる気はさらさらないと思えるからだ。
(※昨日以来、いろいろな方がこの首相会見内容を批評しているが、それを社会保障政策の転換だと勘違いして批評すると、的外れになるような気がする。あくまでひねくれた個人的意見ではあるが・・・。)

ところで仮に「自宅で特養待機している15万人をゼロにする」ために、全国で15万床の特養を整備するとして、3:1の職員配置では、要介護3以上の人を現実的にケアするのは困難で、実際には2:1程度の看護・介護職員配置が必要であると考えたときに、新たに必要となる介護職員は7万人以上となる。

2020年は介護保険創設から20年となるのだから、制度創設時から数年間でほぼ倍となった介護職員数であるがゆえに、当時40代で介護職を始めた人々の退職時期とも重なり、その数の補充ができ、さらに特養だけで7万人以上の介護職員の確保ができるのかという問題がある。

このことに関していえば、多くの介護関係者は、現状の介護報酬が続き、職場環境が大きく変わらない状況では、「無理だ」と答えるであろう。

つまり整備費用として建設補助金を優遇して特養が建てられても、ケアする職員がいないために、利用者受け入れができないという、「空箱」を全国に建設するという結果にしかならないのではないか。

施設の数とベッド数が増えるから、あらゆる方策を使って人をかき集めようとしても、そこに集まってくるのは、数合わせの「人員」が多くを占め、求められる人材は一握りでしかなくなり、結果として教育しても成長しないスキルの低い人員がはびこることで、優秀な人材の方が先にバーンアウトして、さらに人材枯渇が進行するという悪循環も生ずるだろう。特養整備対策は、経済政策として考えられているから、この部分への具体策は今のところ何もないというのが現状である。

ということで特養整備策は、介護問題の本質を解決するものにはならないし、介護業界が求めるものとも違った形であることは間違いはない。

そして経済政策の質としてもあまり評価できるレベルではないかもしれないが、そのことは十分承知したうえで、考えの深くない国民が、この経済政策を、社会保障の充実と勘違いしてくれるならば、福祉・介護に関心がない首相というイメージを払拭して、経済にも明るく福祉の充実にも尽力している内閣として支持率が上がるという、「あわよくば」という思惑はあるのかもしれない。

ただこうした方針を明らかにしたことによって、首相の頭の片隅に、「特養は整備が必要な施設」であることが印象付けられたとしたならば意味があるのかもしれない。「特養の内部留保議論」の中で、あたかも特養がもうけ過ぎで必要悪であるかのように語られたことと比較すると、「いらない施設ではない」という認識を持たれたとしたら、特養関係者にはよりましな状況といえるだろう。

そして整備が必要な施設なのだから、介護報酬も闇雲に下げるだけが能ではないと考えてくれるとしたら、そのことに別の意味があるのかもしれない。この政策に期待を持てる部分があるとしたら、それだけでしかないと思う。
※「居宅介護支援費に利用者自己負担を導入することの是非について」というアンケートを実施中です。(9/25まで回答期限)。是非皆様の意見をお聞かせねがいたく投票協力をお願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

思いを寄せて、未来を創る


鬼怒川の氾濫など、関東〜東北を襲った大雨で被災された方々に心よりお見舞い申し上げたい。

こうした災害が、このところ毎年繰り返されているように思うが、それは異常気象によるものではなく、地球規模の気象変動による災害と考えるべきではないのだろうか。日本も一部地域は亜熱帯と言われるほどの変化がみられるのだから、そうした状況に対する抜本的な対策が急務とされていると思う。

週末にこの災害に関してたくさんの報道に触れたが、大自然の驚異になすすべのない人間の力の弱さを思い知らされれると同時に、人間の力で避けることができた被害もあったのではないかという思いも浮かび上がった。

かつての民主党政権時代の事業仕分けにおいて、「国土強靭化計画」が鼻で笑われた傾向が見られた。そして無駄な予算として削られた予算がたくさんあるが、そのことは失政だったのではないかと思えてくる。あの時、建設計画が中止された堤防建設が進められていたらと考えると、国家百年を考えたマクロな視点からの政策論議というものが大事なことをあらためて考えさせられた。そういう意味では、新しい国土強靭アクションプランは、早急に進めてほしいと思ったりする。

今回浸水被害にあわれた方々の被害の様子を見ると、住宅は残されても、泥水で汚染された部屋や家具を、今後どのように洗い流すことができるのか、途方に暮れる思いだろうと想像する。水は引いても、復旧には長い期間がかかるだろうと想像する。

悲報も届けられている。フェイスブックで繋がっている方のお知り合いの、若い社会福祉士の方が亡くなられたそうである。その方の訃報を伝える記事が、ちょうど今日の「ネット配信ニュース」に載せられている。未来ある若い命が、突然の災害により失われたことに対して、本当に心が痛む。心よりご冥福をお祈りしたい。

同じく今朝のネット配信ニュースでは、「被災地で空き巣横行」という記事も見られる。火事場泥棒ならぬ、水害泥棒が横行しているとしたら、犯人は何と心の貧しい人であろうかと情けなくなる。

しかし記事の中で噂として紹介されている、「自衛隊員の服装をした空き巣がいるらしい」という話は眉唾だ。3.11の時も根も葉もない噂が、事実であるかのように報道された。人身不安に陥らせるような、このような噂を、裏を取ることもなく報道記事の中に載せることに、何か意味はあるのだろうか?それは求められる情報なのか?ジャーナリストとしての姿勢や見識が問われるのではないのか?はなはだ疑問である。

それにしても、未曾有の災害という言葉を、これまで何度聞かされたことだろう。この国に生まれ、生きている僕らにとっては、予想だにしない災害は、いつ自分の身に降りかかってくるかわからないものだ。そうであるからこそ、今実際に被害にあわれて、嘆き哀しんでいる人々に思いを寄せて、自分の周りで小さなことでも、出来ることから支援活動を始めようと考えることは大事なことではないかと思う。

遠い国の出来事ではなく、僕たちが住むこの国の出来事なのだから、自分がその立場に立った時にどうしてほしいかということを、すべての人が、少しだけ考えるだけでも変わるものがあるのではないだろうか。それは、それぞれの人々の日常活動を犠牲にするまでもなく、出来ることだろうと思うのである。

僕が現地に駆け付けて、ボランティアとして清掃作業等の活動を行うことは不可能であるが、せめて募金等の、出来ることは惜しみなく行いたいと思う。

なによりも、被害にあわれて途方に暮れている方々に、思いを寄せて、そういう方々の姿や声が、時間の流れの中で、かき消されていかないように、注意を向けていきたいと思うのである。そのことが、僕たちが愛する子や孫たちに、暮らし良い社会を手渡していく唯一の手段ではないだろうか。

※「居宅介護支援費に利用者自己負担を導入することの是非について」というアンケートを実施中です。(9/25まで回答期限)。是非皆様の意見をお聞かせねがいたく投票協力をお願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

マイナンバー制度への備えが求められる


2016年1月より、いよいよマイナンバー制度が始まる。

マイナンバー制度は、住民票を有する国民一人ひとりに12桁の個人番号(以下、マイナンバーという)が付番される番号制度のことを指し、2016年1月以降は、社会保障・税・災害対策の行政手続きを行う際にそのナンバーが必要となる。

この制度は、すべての国民と日本企業に影響があり、それは介護事業者も例外ではなく、制度施行前に対応を行わねばならないことも少なくはない。

マイナンバーについては、本年10月より市町村から直接、企業等の従業員本人の住所へ、マイナンバーが記載された通知カードが送付されることになっている。そのため今のうちから、事業者は従業員に対して、居住地と住所地が異なる場合は、住民票を変更するなどの対応をするようにアナウンスしておいた方がよいだろう。

同時に、事業者等がマイナンバーを含めた特定個人情報の漏えい、滅失、毀損の防止、その他の適切な管理のために、基本方針の策定や、取り扱い規定等の策定など、安全管理措置を講ずる必要があるとともに、従業者に対しては、マイナンバー通知カードの厳重保管を行うように注意喚起しておく必要もあるだろう。

マイナンバーは、今後の社会保険の手続きや年末調整などで必要となることから、就業規則の変更も必要となる。

例えば当法人の修業規則の、人事に関して、採用の際の提出書類の項目では、「(6)マイナンバー(扶養対象家族がある場合は、扶養対象家族のマイナンバー)」という1号を付け加えた。

そして次の項目も新たに付け加えた。

3 マイナンバーの利用については、以下の手続きに利用する。
(1)所得税法等の税務関連の届出事務のため
(2)社会保険関係の届出事務のため
(3)労働保険関係の届出事務のため
(4)上記に付随する行政機関への届出事務のため


これらは正規職員の就業規則だけではなく、契約・嘱託職員の就業規則、パート・臨時職員の就業規則も同様に追加が必要である。

さらに従業員対応と同時に、介護サービス利用者のマイナンバーについても、各自に厳重な管理を促す必要があるだろう。

ひとり暮らしの高齢者や、高齢者夫婦世帯の方などで、この制度について全く情報をお持ちではない方も多いのが現状である。通知カードを紛失して悪用されては困るので、居宅介護支援事業所の介護支援専門員の皆様は、自分の担当する利用者に、そのことを十分説明しておく必要があるだろうし、各サービス事業者の方々も、同じように注意喚起を促し、2重3重に情報が行きわたるようにすることが重要だろう。

介護施設の場合は通知カードの保管をどうするのかという問題がある。特養であれば居所を施設に定め、住民票を施設住所に移動している人が多いのだから、直接通知カードが送られてくる。そのことを踏まえると、本人及び家族等にその情報を提供するとともに、カードの保管をどうするのかという協議が、今から必要になってくるだろう。

そうした諸々のことを考えると、介護事業者の従業者として、この制度に感心を寄せて、あらゆる情報を集めて、介護サービス利用者の皆様に、内容を伝えられるようにしておく必要があると考えられる。

くれぐれも情報漏えいがないように、適切に対応してほしいと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

平均寿命の延びは豊かさを現さない。


7月30日に厚労省が、2014年の日本人の平均寿命を公表した。

それによると男性は80.50歳(13年80.21歳)、女性は86.83歳(同86.61歳)でいずれも過去最高を更新したそうである。これにより女性の半数近くが90歳の「卒寿」を迎えるという。

しかし平均寿命とは、それが発表された年に0歳児として生まれた人が、今後平均何歳まで生きるのかという統計学上の数字であって、平均寿命が延びたからと言って、それ以前の過去に生まれた人の平均寿命が年々変わって行くわけではない。

今現在生きている人の平均寿命は、その人が生まれた年に出されたものがそのまま数字として残っているのだ。しかし平均寿命に達せずに亡くなる人もいるのだから、あと何年生きるのかということになると、その人が生まれたときの平均寿命−現在の年齢という数式にはならず、これも統計学上の数値を加えた数式によって導き出される。それが、「平均余命」である。

現在30歳の人の平均余命とか、40歳の人の平均余命とか、年齢別に示される平均余命が、今現在生きている人が、あと何年生きるのかという統計学上の数字である。

しかし平均寿命にしても、平均余命にしても、その統計学上の数値には、健康度は含まれていない。

果たして生命体として、「生きている」状態の年数の延びは、人にとってどのような意味があるのだろうか。

医学の進歩と自然死ということを、平均寿命の延びを考える中で、国民全体が議論する機会が増えてほしいと思う。

数年前に比べると、医療や介護の業界でも、終末期医療に関する考え方は少しずつ変わってきているように思う。延命が第一に考えられていた終末期医療に、少しだけ変化が見られてきて、口から物を食べられなくなった状態に対し、経管栄養を行うことが当たり前であるという意識に変化が見られているように思う。

口から物を食べられなくなっても、経管栄養によって栄養補給し、延命につなげるという考え方を完全否定する必要はなく、経鼻経管栄養や胃ろうという医療処置自体の是非を問う必要はないが、少なくとも個別にその適応を問う必要はあるだろう。

そういう意味では、経管栄養を行わない方が、安楽に過ごして自然死に向かうことができるという考え方が示され始めていることは健全な方向なのだと思う。そういう中で、終末期を迎える人が、そのことを選択できればよいし、そのためには、健康なうちに選択意思を示して、意思疎通が不可能な状態になっても、過去に示しておいた意思に沿った対応が行われることが保障されるべきである。

少なくとも、苦しみの多い状態で生きるということが当たり前であると考えられることがないようにしてほしい。呼吸し、心臓を動かすことがなによりも優先されるのではなく、出来るだけその人にとって苦しみの少ない状態で終末期を過ごすためにはどうすべきか、という考えが大切にされる社会が健全ではないだろうか。

経管栄養や中心静脈栄養により延命されている人が、たくさん入院している病棟で、そこで何が起きているのかを冷静に見つめることも必要だろう。

例えば、端がつまらないように気管切開され、チューブが入れられているとする。そしてそのチューブから痰の吸引を行う時に、その人がどんな表情をしているだろうか?ほとんどの人が苦しそうにしているはずだ。というより、そうした状態で苦しまない人がどれだけいるだろうか?

経管栄養の管を抜こうとする人の手を縛り付けて、ずっとその縛り付けられた手をほどこうとし続ける人に、経管栄養とは恵みを与えていると言えるのだろうか?身体拘束廃止の例外規定として、生命を守るための緊急一時的な拘束として、それが許されるとしても、そのことは手足を縛られる人の、「苦しまなくて済むようにしてほしい」という願いより優先されて考えてよいことなのだろうか?

そもそも人としての尊厳とはなんだろうか?単純に「死ぬ権利」を肯定するつもりはないが、せめて「苦しんでまで延命治療を受けなくて済む権利」、「苦しみの中で生かされ続けることを拒否する権利」は守られてよいのではないかと思う。

日本人の平均寿命とは、こうした状態で死なせてもらえない人の統計データが含まれているのである。しかもそれはほとんどの場合、本人が選択した結果ではなく、周囲の人が医師の言うがままに選んだ結果ではないだろうか。

そこをどう考えるべきなのだろうかということが、7/30の発表数字から問われているように思えてならない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

迫りくる介護崩壊危機


介護人材不足が叫ばれる中、介護事業者は職場環境を整え、キャリアパスを含めた待遇改善に努めて、有能な人材が長く務めることができるようにするなどして、人材を確保していくことが重要だと言われている。

しかし本当に有能な職員が、環境の整えられた事業者において、その知識や援助技術を生かして働くことができるのだろうか?そのことが大いに揺らいでいるのが、今日の状況ではないだろうか?

4月の介護報酬改定では、介護老人福祉施設については、100人定員施設で年ベース最大12.000.000円以上の減益となっている。

加算をきちんと算定すればそんな大幅な減益にはならないだろうという人がいるが、それは間違いである。たしかに加算をすべて算定すれば減収幅は大幅に減る。しかしそれは利益を出す事ができない収入を含んでのことである。

つまり処遇改善加算の単位数が上がった分は、収入増となると言っても、それはすべて給与に反映されなければならない費用であり、利益を鑑みたらその分は増益にはつながらず、減収の額は少なく見えても、減益額はそれよりはるかに大きくなるからである。日常生活継続支援加算の単位数がいくら上がったからと言って、本体報酬が大幅に下がったのだから、大幅減益は避けられないのである。

そうすると運営年数が短く、職員の就業年数がさほど長くはない施設で、運営費に占める人件費割合が低い施設ならなんとか単年度黒字経営は可能だろうが、従業員の雇用年数が長く、人件費比率の高い施設の経営は非常に厳しいと言わざるを得ない。

介護保険制度以前から事業を行っている施設の場合、単年度赤字となり、繰越金を取り崩して運営せざるを得ない事業者も多くなることは明白である。しかし次期介護報酬改定時にも報酬アップが難しい状況に変わりなく、再度引き下げということになれば、いくら企業努力を重ねて経費削減に努めても、事業運営自体を危うくする事態を招くのではないだろうか。

この状況は、職員が働きやすい環境を作り、そうした経験と知識と援助技術を持つ職員が多い施設ほど影響が大きく、その経営を困難にするものである。そこに不安を感じて、多業種に転職しようとする人も増えているのが現状だ。

利益を上げたら上げたで、もうけ過ぎとして介護給付費が削減対象となる事業に、誰が未来を感じることができるというのだろうか。

こうした中で、各事業者は生き残りをかけて様々な新経営戦略を練り、それに沿った運営を推し進めているはずである。

例えばそれは一部の業務を外部委託することで経費削減を図ったり、給与規定を改定して、人事考課を取り入れた昇給システムに変えたりすることである。

しかしそれはすべて運営費が削られたなかで行われることであるから、長期的に見れば職員の給与面での待遇が大きくアップするということにはならず、むしろ人員を削減して、供与のアップ率を低くするという方向になっている事業者が多いのではないのだろうか?そうすると総合的に見て、介護給付費の削減は、業界全体でみれば職員待遇の低下をもたらすものだし、経営不安につながるものでもあり、人員確保に相反する方向にならざるを得ないというのが現状ではないだろうか。

しかも大胆な経費削減策を取ったとしても、3年ごとの報酬改定のたびに、さらなる削減策を見つけ出していかねば、生き残っていけない事業であるとしたら、そういう事業に未来はないだろう。

介護事業は、この国の超高齢社会を支える基盤となるサービスであり、同時にそこで働く従業者の数は、今よりさらに増加させることが求められるのだから、一定のカテゴリーとみなすことができるはずである。そうすると、そうした職業に従事する人々の給与アップを図ることは経済政策としても成り立つのだから、介護給付費の削減による社会保障費の圧縮策は、政策的には非常にまずいものだ。

特に介護事業経営不安を増加させた中で、特定職種だけの給与改善策を取るという政策は、実際には人材確保につながらない。

処遇改善加算で介護職員の給与は改善しているではないかと言っても、他の職種の待遇改善が図ることが難しい給付費であっては、そのひずみは事業破たんということで表面化する危険性を孕んでいる。そうした不安定な事業に従事する不安が、介護業界のさらなる離職率の増加につながるという悪循環を生むだろう。

この流れを何とか阻止する以外に、将来にわたる介護人材の確保はできないと言ってよいのではないだろうか。

運営財源となる介護給付費を下げても、介護職員に支払う給与財源となる処遇改善加算を上げているのだから、介護職員の給与は上がって、それは介護業界全体の人材確保策として正しい方向だという理屈は、まったく通用しない。間違った理屈である。

介護給付費の大幅削減によって、経営不安が生まれている現状は、この職業に就こうという人をさらに少なくしているのが現状である。介護の職業を選択して、つましくとも安心して暮らしを営むこいとができるという未来が見えないのであれば、早晩この国の介護は『制度あってサービスなし』という状況を急激に生み、崩壊していくだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。
masaの講演案内
当ブログ管理人masaの講演予定は、こちらからご覧下さい。講演依頼もこのページからできます。
新刊のご案内
表紙画像(小)
新刊「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から(2019年1月20日発売)のネットからの購入はこちらをクリックしてください。送料無料です。
Weekuly Access

    Blog Search
    Google
    WWW を検索
    このブログ内を検索
    ↑こちらにキーワードを入れて過去のブログ内記事を検索できます。
    masa's book 5
    新刊介護の誇り
    「介護の誇り」はこちらから購入できます。
    masa's book 4
    介護の詩(うた)  「介護の詩(うた)」はこちらから購入できます。
    masa's book 3
    人を語らずして介護を語るなTHE FINAL 誰かの赤い花になるために  感動の完結編。 「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」。 はこちらから購入できます。
    masa's book 1
    表紙カバー、帯付き
    書籍化第1弾「人を語らずして介護を語るな〜書籍masaの介護福祉情報裏板」 はこちらから購入できます。
    Facebook
    masaのフェイスブックはこちらからアクセスしてください。
    Recent Comments
    Archives
    Categories
    Access Counter
    • 今日:
    • 昨日:
    • 累計:

    QRコード
    QRコード