介護事業関係者にとって、利用者の人権を尊重することは極めて当然かつ重要な姿勢である。
しかし人権尊重が建前にしかなっていなかったり、その方向性が間違っているのではないかと思われる対応がしばしば見受けられる・・・本来そのようなことがあってはならないのである。
そもそも人権とは何だろう。
自分の思ったことを自由に口にすること、自分の選んだ宗教を信じること、自由に学ぶこと、好きな服を着ること、好きな音楽を聴くこと、病気になったら医療を受けること。これらはすべて私たちが持っている「人権」である。
社会全体が護るべき基準(ルール)にのっとり、行使できる権利が「人権」なのである。
そして人権が「日常」・「あたりまえ」をつくっているのである。そこを忘れてはならない。
対人援助とは、この「人権」を護ることを何よりも重要であると考えるべき場である。
しかし利用者の人権が、いつの間にかないがしろにされているケースは少なくない。特に施設入所者について、実質的人権無視が目立つ。
特養や老健に入所したとたん、本人より家族の希望や意見が優先されることがある。施設利用者であっても、自分のことは自分で決められるのに・・・。
高齢者にとって、子は家族であっても保護者ではない。
子を身元引受人として入所時に契約を交わす施設が多いが、身元引受人が居なければ施設入所できないということはないし、身元引受人を立てたとしても、その立場は主に利用者の死後に残置物引き取り契約を交わしているに過ぎない。
身元引受人というだけでは、利用者の代理権を行使することなんてできないのである。もし代理権を行使する人が別に必要ならば、成年後見人を選任する必要がある。
認知機能に問題がなく、そういう必要がない利用者につては、本人の意思が最優先で尊重されるべきである。
例えば利用者から、「施設に管理を任せた自分の預貯金があることを子供に知らせないでほしい」と頼まれた場合は、その希望は当然かなえられてしかるべきである。
にもかかわらず、「身持ち引き受け人の方に知らせないわけにはいかない」といって利用者の要求を拒む施設関係者がいる。
身元引受人に利用者のプライバシーをすべて開示しなければならないなんて言う法的根拠は存在しない。むしろ利用者が秘密にしておきたい情報を、利用者の意志を無視して身元引受人に流す行為は情報漏洩であり、損害賠償の対象ともなり得る犯罪的行為といえる。個人情報保護法にも抵触するだろう。
なにより利用者の人権を護るためには、心無い態度や言葉で、利用者の心を傷つけないことが求められる。
介護事業者におけるサービスマナー意識が大事であると僕が主張する理由も、そのことが人権を侵害する要素を排除するため必要不可欠な意識だからである。
横柄な態度、無礼な言葉遣いは、しばしば人権侵害につながる問題を引き起こしている。そうした問題を引き起こした後で、「悪気はなく、そんなつもりはなかった」という言い訳は、なんの免罪符にもならないのだ。
だからこそ相手から誤解されない対応の基盤となる、「サービスマナー意識」を浸透させる必要がある。対人援助のプロとして、いつでもどこでも、マナーをもって接することができるように訓練する必要がある。それは介護関係者にとって最も必要とされるコミュニケーション技術であることを理解してほしい。
だから・・・どうぞ、よそよそしさを恐れるより、無礼で馴れ馴れしい対応で、利用者の尊厳や誇りを奪い、心を殺してしまうことを恐れる人でいてください。
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