masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

看取り介護

看取り介護につながる日常と傍らにいることが許される関係性


僕は今、自家用車で札幌に向かってる。目的地は高速を走ると2時間弱で到着できるが、急ぐ旅ではないので下道を通って、途中、苫小牧市で休憩している最中だ。

ちょうどお昼になったので、食事を摂ったあと、少しだけくつろぎながらこの記事を更新アップしているところだ。(※ちなみに苫小牧市は、僕の中では海鮮丼のメッカというイメージなので、それを食べた。週末にでも、こちらのブログ記事で紹介しようと思う

さて今日は札幌市内の社会福祉法人さんの職員研修として、「介護施設における看取り介護リビングウイルから終末期対応まで」というテーマの講演を行う予定が入っている。そのための移動の最中である。

その法人さんでは、まだ看取り介護加算の算定を届け出ていないが、これから研修を重ねて看取り介護の実践に取り込もうとしているとのことである。僕の今日の講演が、そのきっかけになって、看取り介護を行う自信につながってほしいと思う。

そもそも看取り介護とは特別な介護ではない。それは日常介護の延長線上に、ごく自然に存在しなければならない介護であって、介護を職業としている人は、看取り介護の場に自分が関わることは当たり前のことであると考えて、終末期の人の状態・良く起こる症状・それにどう対応するかなどを基礎知識として備え置く必要がある。

それは看取り介護スキルではなく、「介護スキル」そのものだからである。

死を厳粛なるものと考えること、受け止めることは悪いことではない。それはとりもなおさず命の尊さに思いを馳せているという意味に他ならないからだ。
誰かのあかい花になるために
だが人は必ず死ぬ・・・。人の致死率は100%である。だから厳粛なる死であっても、そこに関わる人に、特別な資格が必要と考えるのは少し違う。人として、厳粛なる死に真摯に関わる気持ちを持つことができるなら、誰しもがそこに関わってよいのである。

先日、僕の看取り介護講演をオンライン視聴した方から手紙が届いた。その一節を紹介したい。
----------------------------------------------------
(前半省略)「看取り介護は特別なケアではなく、日常のケアの延長」というmasaさんの言葉に衝撃を受けました。私は普通高校を出て、介護保険のスタートと同時に今の法人に介護職として入職いたしました。当時はまだ、「ターミナルケア」という言葉も聞かず(私が知らないだけだったかもしれませんが)看護師が中心となって終末期の方の支援を行っていました。そんな中で一人の高齢女性の支援を通し、介護のすばらしさを学び、奥深さを実感する経験をしました。それが今も自分の介護観の根本となっております。

そのようなこともあってか、私自身看取り支援には特別な思いがあり、後輩にも看取り介護の経験をしてほしいと考えておりました。しかしながら今回のmasaさんの言葉を聞いて、自分の中で看取り介護に対し、「普段の介護」と「看取り介護」を分け、勝手に「崇高な支援」とバイアスが働いていたことに気づきました。

看取り介護は特別な支援ではなく、看取り介護になったから、何か対応を変えるなどでもなく、当たり前のケアの延長にあり、普段の関りの中で関係性を築いていくことの大切さ、命のバトンリレー支援の素晴らしさを深く学び、このことを後輩に伝えていきたいと思っております。命はリレーされる。きっと私たち職員にもリレーされることだと思います。(以下略)
----------------------------------------------------
以上が頂いた感想である。

僕が講演で伝えたかった思いをしっかり受け止めていただいて感謝している。

受講者の方には、看取り介護に関してそれぞれの思いが様々に存在していると思うが、その思いを僕の考えとつなげて、より良い介護実践につなげていただくことが一番大事だ。

看取り介護は、やり直しの効かないたった一度の、一時期だけのケアである。そこでは私たちが何をしたいのかではなく、逝く人と遺される人の思いを大切にしなければならない。

看取る人・看取られる人がこの世で結ぶ最後の縁、この世で残す最後のエピソード・・・その支援のために、私たちはできる限りの手を尽くすことが必要とされるのだ。

そしてその基盤は、日常からのADL支援・QOLの向上支援であることを忘れてはならないのである。

毎日繰り返される日常・・・その中でおむつが濡れたままで放置されている人が、看取り介護になった途端に部屋を飾り立て、音楽を流して看取っても、何の意味もないという当たり前のことに気が付かねばならないのである。

息を止める最後の瞬間に、傍らにいることが許される関係性を、日常支援の中で結んでおくこと・・・それが何より大事である。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

看取り介護に特段のストレスはあるのか?


特養等の看取り介護加算の算定要件では、PDCAサイクルの構築が求められている。(※下記図参照
看取り介護のPDCAサイクル
この図を見てわかるように、PDCAサイクルのC振り返り)部分では、「職員の精神的負担の把握と支援」求められている。

看取り介護は、終末期診断判定)がされている人に対するケアであるから、多くの場合余命診断も同時に行われている。それは命の期限が切られているという意味にも通ずる。

そうした状況下で看取り介護にかかわる職員は、数カ月あるいは数週間もしくは数日後に亡くなることが予測されている人に相対するわけであるから、どうしてもその人の背後に、「」という事象を思い浮かべてしまう。病状的には決して良くはならない状況の人が、確実に死に向かっていく過程に関わっていくことになる。

そのことにある種の恐怖や虚しさを感じる人がいるかもしれず、そうした意識等が大きなストレスにつながりかねないという意味で、PDCAサイクルの中でその把握と支援が求められているのである。

そのことは重要な対策なので、決しておざなりにしたり、把握過程を形式的作業にしてはならないと思う。そのため僕が総合施設長を務めていた特養では、「看取り介護フローチャートを作ろうと思った理由」で示した過程の中でその把握を行っていた。(※張り付けた文字リンク先のフローチャートを参照してほしい。

具体的には、毎日の申し送り時にチームメンバーの中に、いつもと違った精神状態とみられる状態の人はいないかの確認報告を行わせるとともに、看取り介護終了後カンファレンス(デスカンファレンス)に際して資料となる、『各セクションごとの課題・評価』をPCの共有ファイルに打ち込む際は、チームメンバーのストレスの有無を記載するとともに、ストレスがあった場合には、どのメンバーにどんなストレスが生じたかを具体的に記入することとしていた。

その記載事項に基づいて、ストレス対応についてカンファレンスで話し合いを行うとともに、必要な場合、僕がカウンセリングを行うことにしていた。(※ちなみに僕は家庭生活総合カウンセラーという資格も持ってる。

しかし実際には、看取り介護を通じてカウンセリングを必要とするようなストレスを抱える職員はほとんどいなかった。

看取り介護と言っても、それは決して特別なケアではない。日常ケアの延長線上にたまたま回復不能な病状に陥り、命が尽きる時期がある程度わかっているというだけでしかないからだ。そこで行うべきケア自体は、終末期以外の方法論と何ら変わりないのだ。

ただ終末期の状態を引き起こしている病気や症状についての基礎知識をしっかり持って、その状態に応じた安楽ケアが求められるに過ぎない。この知識は普段の職場内研修で十分すぎるほど叩き込んでいる。だからそのことの不安はない。

そして看取り介護を通じて、限られた期間を意識する中で、家族や親族とのふれあいの時間を創り、お別れまでの間の様々なエピソードづくりのお手伝いをすることが、看取り介護では重要だという意識も、全職員に共通して持てるように教育していた。

その結果、逝く人と遺される人の間で交わされる、看取り介護期間中の様々なコミュニケーションを貴重なものとする意識が職員全体に行き渡っていた。その思いは実習生にも伝わっていた。そのため看取り介護は、ストレスよりやりがいが生まれる介護実践の場となっていたのである。

誰かの人生の最終ステージを生きる姿を支え、そこで生まれる人生最終場面でのエピソードに感動を覚えることで、介護の仕事をしてよかったと思えるのである。

そういう意味では、介護の仕事を続けるための新たなモチベーションを生み出すことができるのが、看取り介護の実践であると言い換えても良いだろう。

看取り介護とは、人が最期の瞬間まで尊厳を持つと同時に、生きる喜びを感じることができることを信じて、そうした生き方を支える介護である。それは特別な介護ではなく、日常介護の延長線上にある、「暮らしを支える介護」そのものでしかない。それができない介護施設などはあってはならないし、

暮らしの場とされる特養は、看取り介護ができないならば、特養の看板を下ろさねばならないのだ。なぜならそんな特養は、終生施設としての責任を放棄し、国民の期待に応えない偽物でしかないからだ。

だから看取り介護ができないとか、看取り介護を行わないなどと馬鹿げたことをいうのはやめてほしい。人は必ず死ぬのだから、暮らしを支える関係者の責任は、生きることを支える過程にとどまらず、息を止める最後の瞬間まで及ばねばならないのだということを理解してほしい。

看取り介護は、「する・しない」、「できる・できない」と判断するのではなく、日常介護の延長線上に、ごく普通に看取り介護の実践があって当然であると考えるべきであり、看取り介護スキルは、介護関係者が当然備えておくべきスキルであることをしっかりと自覚しなければならない。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

特養で殺人が行われているのか?とたまげた話


このブログに先日書いた、「鱗雲とケアマネジメント」という記事が、Livedoor編集部の「推し」に掲載された。これを機会に介護業界とは関係のない人にも、介護問題に興味を持っていただければありがたいことだ・・・。

それはともかく本題に移ろう・・・。

僕が管理する表の掲示板に、昨日恐ろしい書き込みがされた。こちらのスレッドの No.3 のカズという人による書き込みを読んでいただきたい。

コメント主は、特養におけるコロナウイルス感染症対応に関するスレッドの中で、「延命措置、治療を望まないとされる方がおられた場合、看取りではないので、どのような取り交わしが必要なのでしょうか?」と質問している。

つまり看取り介護の対象ではないにもかかわらず、新型コロナウイルス感染症に罹患したという理由だけで、延命を望まないとされた方を、その希望通りにするという意味にしか取れない質問だ。

しかし新型コロナウイルス感染終末期ではない。そんなことはあり得ない。

よって延命しないという希望が、本人による希望だとすれば、我が国では認められていない、「安楽死」でしかない。そして延命しないという希望が本人ではなく家族の場合であれば、「殺人依頼」あるいは「殺人教唆」である。

どちらにしても犯罪である。質問者の特養では、日常的に殺人という犯罪を行っているということか・・・と非常に心配した。

しかし今朝No.5の書き込みがあって、そうではなく心停止時の心肺蘇生を実施しないことの事前確認という意味だということが分かった。

心停止の状態は、本人の力で元の状態に回復することが期待できない状態なので、医師の判断で蘇生処置を行わないこともあり得るし、家族の判断で、「そこまでは必要ない」という判断と決定も許されるだろう。

だからと言ってコロナ対策として、特養における感染者全員に、あらかじめ確認しておくような問題ではない。治療過程で差し迫った状況で、医師や家族が話し合って総合的に判断する問題である。

よってそのような誤解を受ける書き込みをするという行為自体、軽率・不謹慎の誹りを受けても仕方のない行為である。

当該掲示板は介護関係者のみならず、要介護者の家族等もたくさん見ている掲示板だ。介護のプロでない人があの質問を見て、「特養とはなんと恐ろしいところだろう」と感じなければよいがと思った。

どちらにしても迷惑な書き込みである。

ここで改めて強調しておきたいが、看取り介護の対象となるべき、治療をしないという判断ができる対象者とは、「医師が一般に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者」である。

そのため看取り介護の開始に際しては必ず医師による終末期判定が必要になるのである。

新型コロナ感染症の場合は、死亡する人も多いけれど、重篤化してもエクモなどの医療機器を使うなどして回復する例も多い。

つまりコロナウイルス感染症患者に対する医療対応とは、延命措置ではなくて回復可能な病状に対する治療である。

そうした通常治療を途中でやめるようなことはあり得ないのである。それをしない場合は殺人であり、犯罪行為でしかなくなるのである。

しつこく繰り返すことを恐れずに書くが、感染症の治療や介護に関わる人に感染リスクなどが生ずることを盾にして治療を行わないということはあり得ないのである。
本物の看取り介護
そもそも看取り介護とは、この世から旅立たざるを得ない状態になった方を、旅立つ瞬間までこの世に人として生まれた尊さと喜びを感じ取っていただくためのケアなのである。

そこに関わる人々は、何よりも命の尊さを思う人たちのはずだ。見捨てられてよい命などないと思う人たちが、命の期限を切られた方の最期の時間を大切にしようと関わる行為が、「看取り介護」である。

軽々しく命を見捨ててよいかのような軽率な質問をネット掲示板に書き込むような人が、命の期限を斬られた人に対し、最期の瞬間までその命が最大限輝けるような支援をできているのかが非常に心配された。

そうではないということなので、それを信じたいと思う。
メディカルサポネットの連載、菊地雅洋の激アツ!介護経営塾 〜選ばれる介護事業所であり続けよ〜の最終回は、「どうなっていく?介護事業の未来」です。こちらも是非参照ください。
どうなっていく?介護事業の未来
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

命のバトンをつなぐ一枚の写真


先週土曜日の午後にオンライン配信した、「看取り介護講演」は岩手県介護福祉士会の宮古広域支部研修として配信したものですが、オンライン視聴された方は介護福祉士さんのみならず、各事業所のトップの方はじめ、相談員さんや看護師さんなども居られたようです。

また事業種別も、特養や老健だけではなく、通所介護・通所リハ・福祉用具貸与などの方もおられるなど、多種多様な皆様に視聴していただきました。ありがとうございます。

その中で通所介護の方から、「本物の看取り介護の実践を聞くことができ興奮しています。」というコメントを頂きました。

日本は既に多死社会になっています。そこでは自宅で看取り介護を行うために、医療機関から退院して家族が看取るケースが増えています。その際に入浴等を目的にした短時間デイ利用は、自宅で看取りたいという家族を支える大切な社会資源です。看取り介護は、通所介護とは関係のないケアとは言えなくなっているのです。

ですから通所サービスの方も是非、看取り介護スキルを身に着けてほしいと思います。

そして看取り介護対象者の方がサービス利用される際には、是非多くの写真を撮影していただきたいと思います。それは介護施設やGH、サ高住などの看取り介護でも同様に言えることです。下記画像をご覧ください。
看取り介護対象者の活動参加
手前のフルリクライニング車いすに座乗している方が看取り介護対象者のHさんです。

某月某日・午前10時30分頃にHさんの長女の夫が撮影した写真画像ですが、Hさんはその日の午後3時30分くらいにご逝去されました。つまりこの画像はHさんが旅立たれる約5時間前の画像なのです。

この日から約2週間前に看取り介護に移行したHさんは、いよいよ死期が近づく兆候が見られたために、亡くなる2日前から長女が特養に泊まり込んでいました。

逝く日はこの日になるか、明日になるかわからない状態で、ケアアーカーが午前中に体清拭を行っている際は、Hさんは目を閉じたままでした。

ところが体清拭が終わろうとしたとき、ホールから音楽が聞こえてきました。その音楽とはHさんがお元気なころ、楽しみにして参加していた、「療育音楽」という音楽療法の音だったのです。

その音が流れてきた瞬間にHさんは目を開いたのです。そこで清拭を終えようとしてたケアワーカーは、「音楽聴こえますか」と尋ねたところ、もう声を出せない状態のHさんでしたが、しっかりとうなづいたそうです。さらに、「療育音楽を行っているんですが、行ってみたいですか?」という声掛けにもうなづかれたそうです。

そのために体清拭を終えたHさんを、フルリクライニング車椅子に移乗介助して、療育音楽を行っている場所に移動しました。写真はHさんが他の利用者に交じって音楽を聴いている画像です。

Hさんは既に歌も歌える状態ではないし、楽器も演奏できません。しかし間違いなく療育音楽には参加しているのです。しっかり目を開けて、ステージ上で伴奏指導しているケアワーカーを見つめていることでそういえます。

その様子を泊まり込んで付き添っていた長女の方が、画像左奥の大きな柱の影から見守っています。この日に旅立たれるかもしれないと思っている母親が、そんな日にもみんなと一緒に活動参加している姿を見て、ハンカチで目頭を押さえている姿がそこにあります。

この日、ちょうど休みが取れた長女の旦那様も面会に来られており、その方がスマホで撮影されたこの写真は、Hさんのお通夜の席で、「最期の日も、こんなふうに施設の皆様と一緒に過ごす時間を持つことができて、本当に大往生で、幸せな人生の最期でした。」と紹介されました。

こうした写真画像も、看取り介護の際に重要な人生最期のエピソードづくりになります。まさにこうした一枚の写真が亡くなられた人の命を、遺される人の心につなぐ、「命のバトンをつなぐ写真」になるのではないでしょうか。

僕はこの画像を、遺族の方に頼んでもらい受け、全国の仲間にそのエピソードとともに画像を紹介してよいという承諾を得ています。是非そうしてくださいと遺族の方から頼まれています。

看取り介護対象者の方の、こうした写真画像をたくさん撮影してください。それは貴重な思い出になるだけではなく、亡くなる方と遺される方の、命のバトンリレーを刻む貴重な場面なのです。

看取り介護対象者の方を、カーテンを引いて日中でも暗くした部屋で、一人寂しく過ごさせて、写真に撮影する場面も、何のエピソードの作れない状態で哀しく旅立たせないでください。

どうぞ命のバトンをつなぐための看取り介護であってください。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

誰のために「できる限りのことをしたい」と思うかが問題


看取り介護の評価として、特養の介護報酬に看取り介護加算が新設されたのは2006年4月〜である。

そのことを機に、全国各地で看取り介護に関連する研修会が開催される機会が多くなり、日本で最初の看取り介護指針の作成者である僕も、看取り介護の専門家とみなされて、講師として招待される機会が増えた。

そうして全国で看取り介護講演を行う中で、同じ研修会で看取り介護・ターミナルケアについて講義を行う他の先生の話を聴く機会も多くなった。

そんな中で印象に残っているのは、在宅ターミナル医療の専門医として活躍されている霞ヶ関南病院院長の斉藤 正身氏の言葉である。『ターミナルケアの際に医師に一番必要なことは、「何もしない」勇気を持つことだ』という言葉を聴いたときに、まさしく金言だと思った記憶がある。

医師であれば自分の担当する患者さんが終末期を迎え、今まさに命の灯を消そうとする瞬間であっても、その死を先延ばしするためにできることはたくさんある。そうした専門知識と専門技術を持っているのが医師という専門職だ。

しかし・・・斎藤先生は云う。果たしてそれが死を目の前にした患者さん自身にとって良いことなのか・・・と・・・。

その言葉を聴いて、僕は看取り介護の本質が少しだけ見えるようになった気がする。そしてその言葉の真の意味を考えながら、自分が経営する社会福祉法人における看取り介護の実践方法を創り上げてきたのである。

終末期診断を受け、看取り介護・ターミナルケアの対象となっている人にとって、一番大事なことは、最期の瞬間まで安心して生きることだ。そこでは旅立つ瞬間まで安楽に過ごすことができるという絶対条件が必要となる。
看取り介護
その時に看取り介護対象者のために、「できること」とは、少しでも長く生き続けるようにすることではないのだ。不必要な延命処置は自然死を阻害し、旅立とうとしている人を苦しめるだけなのである。

死を迎える直前には急激な体の状態変化も起こるが、それが死を迎えるための前段階であるとしたら、その変化を止めようとすることが、「できる限りのこと」でもないわけである。急激なバイタル低下は終末期に予測される変化でしかない。

当然、看取り介護の方の死の直前に、様々な死に至る兆候が表れたとしても、救急車を呼ぶような対応が必要になることはない。(参照:救急車を呼ばなければならない看取り介護ってあり得るのか?

間違ってはならないことは、「できる限りのこと」とは、自分ができることを闇雲に行うことではないということだ。

介護支援者自身の安心感のために、できることをとりあえずしておこうという行為は、本当の意味で看取り介護対象者のためにはならない。

できるかぎりのことをしたいと言って、考えつく限りのことをしようとするのは、結果的には利用者の利益を考えていない態度と言えるのではないか・・・。

それは自己責任からできるだけ逃れようとしたり、自分の気持ちの負担をできるだけ軽くしたいという潜在意識から生まれる考え方であり、自分勝手な思考回路と言えなくもない。

そんなことがあってはならないのだ。

看取り介護の対象者の急変時に最善を尽くすこととは、救急対応をすることではなく、最期の瞬間を安らかに過ごすことができるように、看取り介護を行っている場所で周囲の支援者が最善の介護に意を尽くすことなのである。

そして看取り介護対象者が旅立とうとしているときに、「本当に求められること」とは、ただ安らかであれと願い、手を握ってその温もりを伝えることである。

治療については、何もしなくて良いのである。

ただし何もしない勇気は何でもできる知識から生まれる。終末期とはどういう状態か、自然死とは何か、その際にどういう身体状況の変化が起こり得るのか・・・。そういう知識を、「看取り介護スキル」として得ておく必要がある。
看取り介護講演スライド
僕の看取り介護講演では、必ずそうした内容を入れて、わかりやすく解説するので、しっかりとそれらの知識を身に着けてほしい。

とりあえず今週土曜日は、岩手県介護福祉士会宮古広域支部研修会にて、「コロナ禍における看取り介護と家族の支援(ケア)〜最期まで幸せを護りたい」というテーマで講演を行うので、受講される方は是非そうした観点から僕の話を聴いていただきたいと思う。

岩手県の皆様、今週土曜日にお愛しましょう。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

仲間の悩みに応えエールを送る日々


今週月曜日に、岩手県介護福祉士会宮古広域連合の方々と月末に行う講演の打ち合わせを行った。

7月23日(土)14:00〜16:00に予定している、「令和4年度岩手県介護福祉士会宮古広域支部研修会」の進行になどについて話し合うためだ。

当日の講演もZoomでオンライン配信する予定である。介護福祉士会の会員様向けの講演であるが、今回は特養における看取り介護をテーマとしているので、特養の看護師・介護支援専門員・相談員・栄養士さんなども受講してくださるようである。
masaの看取り介護講演
そのためのポスターチラシを岩手県介護福祉士会宮古広域支部事務局のHさんが作成してくださった。

この打ち合わせに先立って事務局の方が、受講予定者の皆様がどのような内容について知りたいかというアンケートを取ってくださった。その主たる内容は以下の通りである。
-------------------------------------------------------------------------
〔眠饑限の中、家族が利用者を知る機会が減ってきて いる。電話や手紙にて連絡 は行っているが、体調が悪化した際など、家族から「こんなになっているとは思わなかった」とショックを受けたりされることがある。ZOOMなどの環境が整っていないご家族も多い中、のようにご本人の様子 を伝えていったら よいのでしょうか。

∋楡澆箸靴董▲繊璽爐箸靴憧納茲蠅砲弔い動媚彭 一をどうすればよいのでしょう か。現場の介護職員は、病院に連れて 行った方がよい(本人が辛そうだから)と 言う意見が多い。しかし、病院で入院治療をすると、拘束されて点滴をしたりと本人にとって苦痛になるケースも多く存在す る。そして、退院 出来ずにそのまま亡くなる事もある。『入院治療を受ければ、元気になって帰ってくるのではないか』、『入院させたい訳ではない。何でこの 様な状態になったのか理由(原因)だ けでも知りたい』、という介護職員の思いも分からなくはないが、その点をどう考えて、現場の介護職員にどの様に伝えたらよいか迷う。その 上で看取りについての内部研修をどのように取り組んでいけばよいか悩んでいる。

デスカンファレンスを行い自身のケアを見つめ直す機 会があるものの、後悔を受 け止める事が出来ない職員が多く、自己満足が強いカンファレンスになってしまっている感じを受ける。意義のあるデスカンファレンスをする にはどうすればよいのでしょうか。

し亳海浅い職員を中心にメンタルヘルスケアの重要性を感じて おりどのように取 り組んでいけばよいか、具体的な事を教えてほしい。
-------------------------------------------------------------------------
これらの疑問は、他の看取り会場講演会場でもよく質問される内容である。皆さん同じような悩みを抱えながら、その答えを求めて日々の実践に努めていることがわかる。

これらの疑問については、「こうした方が良いと思います。」という答えをするのではなく、「こうしています。その結果こうなりますよ」と答えられるのが実践者である僕の強みであると思う。

特に看取り介護については、全国の度の特養よりも先を走ってきたという自負があり、それらの疑問の答えを介護実践の場で、僕の仲間と共に解決してきたのだから、その具体例を話せばよい。つまりそれは僕らがやってきたことであり、今も僕の後輩たちがやっていることなので、やろうと思えば全国のどこの誰でも、「できること」なのである。

このように僕の講演には、空論は存在しない。あとは受講された方の、「本気のやる気」の問題である。

そのやる気を出してもらうためにエールを送る動画をいつも作成している。今回は岩手県の宮古広域支部の皆様が徐行対象者であり、北から久慈市・野田村・普代村・田野畑村・岩泉町・宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市の10市町村の方が退所となっているので、その地域をすべて網羅する応援動画、「LOVE明日につなぐ介護・岩手宮古広域支部編」を作成した。

岩手県の10市町村の美しい景色と共に、僕から贈る言葉をご覧いただきたい。岩手県宮古支部以外の方も、是非ご覧になってほしい。

それでは岩手県宮古広域支部の皆様、7/23はZoom画面を通じてお愛しましょう。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

看取り介護研修で欠落させられない知識情報


介護保険制度上では、終末期ケアに関する呼称は、医療系サービスはターミナルケアであり、福祉系サービスでは看取り介護である。

加算の算定要件も微妙に違っている。その中で、老健のターミナルケア加算と、特養の看取り介護加算の算定要件上、最も大きな違いとは研修実施義務ではないかと考える。

特養の看取り介護加算を算定するためには、定期的な看取り介護研修の実施義務が課せられているが、老健にはターミナルケア研修の実施義務は課せられていない。

これは老健という施設には医師が常勤配置されており、看護師も特養の3倍以上の人数配置が必要とされているため、ターミナルケアの専門知識をもった医療・看護の専門家が、ターミナルケアに当たって指揮命令を行うために、あらためてターミナルケアの定期的研修を求めなくとも問題ないという意味だ。

だからといって、介護職員が日ごろからターミナルケアに必要な知識を得ていなくても良いということにはならない。加算算定要件としてターミナルケア研修の定期実施が求められていないとしても、介護職員に向けたターミナルケア研修は、老健においても必ず定期的に行ってほしいと思う。

それがケアの品質につながるからである。

ところでこのブログでは過去に何度も、「看取り介護・ターミナルケアは特別なケアではない」・「看取り介護は、日常ケアの延長線上に存在するものであり、日常ケアの品質向上が、ターミナルケアの品質向上につながる」と書き続けてきた。

しかし特別なケアではなく、日常介護の延長線上に存在する看取り介護だからと言って、対象者は終末期の状態にあるのだから、終末期に起こり得る身体状況の変化と、その対応について知らなければ適切なケアはできない。

場合によって、「知識がない」ことによって、看取り介護対象者やその家族を哀しませ・苦しませてしまう結果につながりかねないのである。介護という職業は、そういう結果責任を負わねばならない職業でもある。
看取り介護研修スライド
僕はこうしたことがないように、自分が講師を務める「看取り介護講演」では、こうしたスライドを用意して、チェーンストークス呼吸デスラッセル下顎呼吸について解説している。

チェーンストークス呼吸は、亡くなる方の1割にも満たない方に起こる症状でしかないかもしれないが、特養で何年も看取り介護にかかわっていれば、必ず遭遇する状態である。デスラッセルは、それよりずっと多い症状で、対応を間違えれば余計な吸引で対象者を苦しませることになる。

高齢者の老衰死自然死)の場合には、下顎呼吸はほぼ全ケースに起きる症状と言ってよく、その対応を間違えると、この場合も対象者を苦しませることになる。(参照:終末期の安楽支援に必要な知識

ところがこうした症状の講義を医者や看護職員に任せると、介護職に伝わらない講義で終わってしまうことが多い。

それらの専門家は、下地となる基礎知識が自分と同等の人に教えるように、症状と対応方法しか説明しないから、実際に利用者や家族が何に困惑し、どんな問題が起きるのかまで説明することができないで終わっているのである。

僕はそうした症状について、過去の看取り介護対象ケースの中で、どんなエピソードの中に、そうした症状が出現し、そこでかかわる職員や家族が、どんな状態になったのかという事実を説明するようにしている。

実際に起こったことに対する備えとして、そうした知識を得ることの重要性を認識してもらうから、一度僕の講演を聴いた人は、そのことを印象深く心に残してくれる。それが症状理解につながっていくのである。

だから僕の看取り介護講演を初めて聴いた「老健施設の介護職員」から、「ターミナルケアにおいて、介護職員として何を考えて、何をすべきかということが良く分かった」という声が多数聴こえてくるのだろう。

終末期に起こりやすい症状に対して、どう向かい合うかを伝えるためには、単に症状と対応の専門知識を持っていれば良いということにはならず、それらの講義を聴く人の現在の知識状態をよく理解し、何を一番に伝える必要があるかという、臨機応変の講義ができるテクニックが必要なのである。

そもそも講義とは、自分の知識を伝えるだけでは駄目な講義でしかなくなる。受講者が何をわかっていないかを理解したうえで、自分の知識を相手が理解できる方法で伝えるのが、良い講義である。

だから看取り介護・ターミナルケアについてや、終末期に対象者に起こり得る身体的変化や心理的変化について、医療や看護の専門家にその説明を任せておけば問題ないだろうと考えてはいけないのである。

看取り介護・ターミナルケアについて、自分がどういう立ち位置で関わることが良いのか迷っている人は、是非一度僕の看取り介護講演を聴いていただきたい。

そして本当の意味の「看取り介護」を実践したいと考える方は、是非本物の看取り介護を語る僕を講師としてお招きいただきたいと願うのである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

自分の位牌を祀る仏壇を見たいと希望した人の思い


介護事業におけるICTの活用は、介護業務負担の軽減と人員配置基準緩和の方向から語られる機会が多くなっている。

しかし介護サービス利用者自身がICTを活用することで生まれる、「新たな可能性」も多々存在する。

それがQOLの向上につながるのであれば利用者メリットと言える。そういう方向で大いにICT活用を、介護サービス利用者に対しても推奨すべきである。

では利用者がケアサービスを受ける中で、具体的にどのような場面で、どういうふうにICT活用できるのだろうか。そのことを僕の実践例として紹介しておきたい。

例えば僕が過去に関わった、「看取り介護」のケースでは、オーバーヘッド型のVR(バーチャルリアリティ)機器を利用した、「利用者の思い」を実現する方法が、一定の効果を現わしている。

看取り介護の際に重要となることは、限られた時間を意識する中で、遺されるものと逝くものの間で様々なエピソードを心に刻んでいくことだと思う。そう言う意味からいえば、VR利用によって、今までできなかったエピソードが刻まれ始めていると言え、VRは看取り介護にとって重要な役割と意味を持つ機器となっている。

自分の死期が近いことを自覚している看取り介護対象者の方は、自分の死後について思いを巡らせ、家族や親しい人にその思いを伝える人も多い。しかし終末期の心身状態の影響で、その思いが実現でいないことも少なくない。VRは、過去に実現できなかった看取り介護対象者の、「思いの実現」を図ることができる機器として重要な意味を持つ。

末期がんで余命3月とされていたTさん(73歳)のケースが、そのことを証明してくれた。

Tさんは50代で最愛の奥様に先立たれ、その位牌を護ってきた方である。70歳になるまで自宅で奥様の位牌と共に暮らしていたが、糖尿病の悪化から合併症を併発され、介護を要す状態となり特養に入所された。それからわずか2年後に肝臓がんを発症し、転移による末期がんと診断された。

Tさんがお元気なころから繰り返し行われてきた人生会議において、仮に終末期になった場合は告知を望むとされていたため、末期がんの診断結果も、余命診断もすべて本人に隠すことなく告げられている。

そのためTさんは自分の死期が間近いことも受け入れており、むしろそれは先立たれた奥様に再会できることであると言われていた。

だから自分の生きる時間が日々削られていくことには恐怖心を持っておられない。失われていく一日一日を、愛おしく感じながら心安らかに過ごされている。

そんなTさんがある日、ふと思いついたことがある。自分が特養に入所して以来、不在となった自宅の仏壇と、そこに祀(まつ)られている妻の位牌は、いったいどういう状態になっているだろう。そう考えると位牌がある仏間の状態も気になって仕方がなくなった・・・。「死ぬ前に、何とかもう一度自宅に帰りたい。そして仏間と仏壇の様子を見に行きたい。」・・・そんな思いを、相談員に伝えた。

しかし地理的事情や身体状況から、一時的でも自宅に帰省することは難しい状況だった。そこで利用されたのがVRである。

Tさんの思いは、相談員から長女に伝えられた。実はTさんが特養に入所された後、自宅には長女がその家族と暮らしており、仏壇の位牌も長女の家族によってきちんと護られてる。その様子をスマホ動画で撮影して、その画像を送ってもらい、VRでその様子をTさんに観ていただいた。
看取り介護におけるVR活用
VRを利用すると、自分がそこに居るように画像を観ることができる。Zoomなどを使ってPC画面で自宅の様子を見るよりリアルな感覚で、VR画面に映っている場所に自分が居る感覚で画像を観ることができる。

Tさんが不在となった後の家全体の様子、仏間と仏壇の位牌の様子、家の畑に咲いている花・・・そんなものをそこに居るかのようにすべて確認することができて、安心したTさんは、「俺もあの仏壇に入って、妻と一緒に家を見守ることができるなあ」と言いながら、その1月後に何の未練もないかのように、静かに安らに旅立っていかれた・・・。

こんなふうに、「自宅の様子を見たい」・「昔ドライブしたときの景色をもう一度見たい」・「行くことができなかったパリの景色を見たい」等の思いを、VR機器を通じて実現できるかもしれない。

そうなると今、コロナ予防対策で、面会制限が続く中の看取り介護にも、VR機器を通じた別の可能性が生まれるかもしれない。

モニター画面では交わすことができないコミュニケーションも、VR機器であれば、対面と変わらない感覚で可能となる可能性もある。

使い方は無限に広がると思う。当然看取り介護場面以外にもその利用は広げることができるだろう。

ということで介護施設等ではオーバーヘッド型のVR機器を最低1台は備えおきたいものである。

なお、今日紹介したケースの紹介も含めた、「看取り介護講演」が大阪市老連より7/1に配信予定である。

ただしその申し込み締め切りは、本日6/17(金)となっている。駆け込みでの申し込みは、本日中に大阪市老連主催・看取りケア研修会、「コロナ禍における看取り介護と家族の支援(ケア)〜最期まで幸せを守りたい」の文字リンク先からお願いしたい。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

看取り介護教育が不十分な事業者が多い現状(後編)


看取り介護教育が不十分な事業者が多い現状(前編)】より続く。
特養や居住系施設等で看取り介護に携わる介護職員が、どんな不安を持っているのか、どんな知識と技術が欠落しているのかを知らない人が看取り介護を語っても意味がない。

介護職員等に対する看取り介護・ターミナルケア研修で、医師や看護師が講師を務めても、さっぱり意味ある話をしてくれないと感じるのはそのためである。

医師や看護師が常識として持っている知識であっても、介護職にその知識がないことも多い。それは介護職が医師や看護師より知的レベルが低いとか知性がないということではなく、教えられている内容が異なるという意味でしかない。

だからこそ看取り介護で必要な知識の中で、医療と看護の基礎知識としては当たり前であっても、介護の場では十分に浸透していない知識は何かということも意識して伝えなければならない。そうしないことには、看取り介護に必要な知識を介護職員は得ることができないまま、不安と疑問を解消できないまま手探り状態で看取り介護に携わり、バーンアウトしてしまうことが多いのである。
安らかな看取り介護のために
例えば、「下顎呼吸(かがくこきゅう)」について、それが死を目前にした人に起こる現象であって、呼吸する力が弱まることで、顎と喉の筋肉を使ってあえぐような呼吸状態になることを、医師や看護師で知らない人はいない。

しかし介護職員には、「下顎呼吸」がどのようなときに、なぜ起きるのかという理解どころか、その読み方さえも知らない人も存在するのだ。

ここも丁寧に説明しなければならない。この際に介護職員の中には、「苦しがっているのだから酸素吸入などの処置が必要ではないか?」という疑問を持つ人も多い。

この際に、「下顎呼吸は、死の直前に起こる現象ですから、もう意識がなく苦しくありませんので、酸素吸入する必要がありません」と教えるのは間違いである。

下顎呼吸とはどういう状態を引き起こす現象なのかを正しく伝えるとすれば、「下顎呼吸は、呼吸する力が弱くなって十分酸素を体内に取り込めないことによって起こる呼吸状態です。そのためこの状態になると体内の二酸化炭素濃度が上がって、脳内から麻薬物質であるエンドルフィンが出ます。そのためあえぐように苦しそうな呼吸状態に見えても、本人は苦しくないのです。ここで酸素吸入を行うと、体内の二酸化炭素濃度が下がってエンドルフィンが出なくなります。そのため逆に苦しむのです。だから下顎呼吸が起きた際に酸素吸入を行ってはなりません。」というふうに伝えるべきではないかと思う。

死の数日前から数時間前にかけて、口の中からゴロゴロという音が聞こえてくることがある。これは死前喘鳴(デスラッセル)という現象で、これも死が近い兆候であるが、この際に介護職員の多くが、「吸引しなくても良いのか?」という疑問を持つ。

しかし死前喘鳴は、喀痰がたまっているのではなく、喉の奥の粘膜の震える音なので、喀痰吸引を行っても看取り介護対象者を苦しめる結果にしかならない。そのことを説明しなければならないのに、そのような教育をまったく行わないまま看取り介護を行っている特養も多い。

すると死前喘鳴時の喀痰吸引や、下顎呼吸時の酸素吸入などを行わない理由がわからない介護職員は、特養という医療機関でない場所で看取り介護を行う結果、看取り介護対象者に必要な医療対応を行わずに苦しめて亡くなるという結果を生んだと勘違いし、ある種の罪悪感をもって介護を続けなければならなくなる。

その状態が苦しいと感じてしまうと、介護職を辞めてしまうことになる。

それだけならまだしも、そのような曖昧な知識で、疑問を抱えながら人の死という場面に対応し続ける人の中には、精神の疾患を生じさせてしまうような人も居る。そうなってはならないのである。そういう場所からは、一日も早く逃げ出したほうが良いとさえいえる。(参照:人によって合う職場は異なります

介護職員にとって、看取り介護に携わるために必要不可欠な知識とは何かということをきちんと整理して伝えなければ、看取り介護の場で介護職員は疑問を持ったままにされ、志の高い人ほど自らの行うべきことに迷い、苦しむのである。

そうならないように、死の直前に起こりうる身体の変化とその対応を、根拠に基づいてきちんと伝えることが、「看取り介護研修」として求められるのである。

例えば今年1月〜2月にかけて、120分×3回の日程で講義を行った、僕の看取り介護講演の内容は以下の通りである。
看取り介護の基礎知識
・看取り介護とはどのような介護か
・介護施設で看取り介護が求められる背景
・看取り介護に備えるために必要とされるリヴィングウイルの支援
・死を語る意味とは愛を語ること
看取り介護の開始から終了までの手順
・判定〜説明同意〜計画作成〜連絡・連携〜実施〜終了〜評価までの具体的な流れ
・必要な書式
・求められるPDCAサイクル
・看取り介護加算の算定要件
・職員のメンタルケア
・遺族のグリーフケア
看取り介護の実際
・介護施設で行われた看取り介護の事例
・看取り介護の今後の課題〜Withコロナの人生会議と看取り介護
・スピリチュアルペインの受容
・命の尊さを理解しながら看取り介護に関わる姿

このようなプログラムを組んで、その内容をかみ砕いて伝え、それを理解してもらうことで初めて介護職員は、看取り介護の場で自信をもって仕事ができ、自らの行為に誇りを持つことができるのである。そうなれば介護の仕事をやめたいと思う職員なんていなくなる。

そんな自信と勇気を持つことができる介護職員を育てるために、全国どこでもお手伝いに飛んでいくので、講演を打診する連絡をお気軽にしていただきたい。連絡は「北海道介護福祉道場 あかい花」の公式サイトの上部に掲載しているメールで行っていただきたい。

打ち合わせの結果、条件等が合わずに依頼につながらなくても構わないので、まずは連絡を頂ければ幸いである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

看取り介護教育が不十分な事業者が多い現状(前編)


2019年と2020年の死者数は、2年連続で前年死者数を下回っていた。

これはコロナ禍による巣ごもりの影響が大きく起因していると思え、死因別では肺炎による死亡者数が大きく減っている。このほか季節性インフルエンザの死者数も減っている。

しかしこれはあくまで一時的な現象であり、人口減少社会の中で後期高齢者が増え続ける我が国は、過去に経験したことがない多死社会を迎えることは確実である。コロナ禍による死者数の減少の反動も懸念されるところだ。

現に2021年の死者数は145万2289人となり、前年比で6万7745人増えて戦後最多となっている。この数はもっと増え続け、2030年には死者数が約160万人に達する見込みである。

そこで問題となるのが、「みとり難民」と呼ばれる状態で亡くなる人が増大することだ。

しかし、「みとり難民」とは、死の瞬間誰も側にいない状態の人を指すものではなく、死に至る過程で適切な支援を受けられずに、人としての尊厳を奪われた状態で死の瞬間を迎える人のことを指すのである。

逆に言えば、死の瞬間誰かが側にいたとしても、そこで適切な支援を受けられずに、見捨て死のような状態で死に至るとしたら、それも「みとり難民」と呼ばれることになるのである。
タイトルなし
だからこそ私たち介護関係者は、ただ単に「看取り介護」を行って加算報酬を得るということを目的化するのではなく、私たちの周囲に、「みとり難民」が生まれないようにするために、終末期を過ごす人の特徴的状態像や、そこですべき支援の具体的方法を学んで、終末期診断を受けた方が最後の瞬間まで人としての尊厳を失わず、不安に打ち震えることがなく、終末期を過ごす人々が安心して安楽に過ごすことができるための知識と援助技術を獲得する必要がある。

それが看取り介護研修を受ける意味である。

例えば、看取り介護を行っていない特養の方に話を聴くと、利用者の死の瞬間に立ち会う介護職員について、何をしてよいのかわからず、不安を抱える職員が多い中で、看取り介護の実践を強制できないし、そんなことをしたら職員が辞めてしまう恐れがあるという人がいる。

しかし施設内死亡者が年間ゼロという特養はないわけだから、その特養でも予期せぬ死を迎える人がいるわけである。その時の介護職員の対応と、看取り介護を実践した末の死の瞬間の対応に違いがあるわけではない。

むしろ看取り介護では、死が訪れる時期が迫っていることを意識したなかで、心の準備もでき、死の瞬間に備えた様々なエピソードを刻むことができるのだから、不安は少なくなるし、介護という職業の使命を強く感じ取ることができるようになる。

つまりそうした不安とは、看取り介護とはどのような介護を指すのかという施設内コンセンサスが不十分な状態で、介護職員の役割とは何であり、看取り介護の中で何をすべきかという具体例を示していないことに起因した不安である。

そして看取り介護・ターミナルケアとは、「介護実践」そのものであり、医療行為や看護が求められているわけではないということを、きちんと説明していないことも問題だと思う。

看取り介護対象者の方が、死を迎える瞬間に、医師や看護職員のいない場所で、僕一人が立ち会った時にできることはあるだけではなく、しなければならないことは僕一人でもできることだということをしっかりと伝えていないから、持つ必要のない不安を抱えた介護職員が、看取り介護の実践に消極的になってしまうのである。

すなわち看取り介護の実践で、職員の定着率が下がる施設は、本物の看取り介護を行っておらず、本物の看取り介護を行うための看取り介護教育が行われていないという意味なのである。

この不安をなくすための、「本物の看取り介護研修」を行う必要がある。そこではどのようなことを伝える必要があるのだろう。・・・そのことは明日の更新記事で詳しく解説することにしたいと思う。(後編に続く)
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

前述したように、看取り介護は死の瞬間だけを指す介護実践ではなく、終末期診断を受けた人が、それ以降死に至る瞬間まで『生きる』ことを支える介護である。


死の意味を見つめる看取り介護


人は確実に死に向かって進んでいる。

しかし現代社会は、「」を恐れ、「」を賛美する社会である。

いうなればそれは、「」があればこそ、「」があるのだということを忘れた社会・・・あるいは忘れようとする社会でもある。

確かに、「生きる」ことは素晴らしいことだ。人としてこの世に生まれ、生かされているのにはきっと意味があるのだろうと思う。だから生きることを賛美することは決して間違っていない。

だが命には限りがある。生きるという過程は、様々な理由で簡単に途切れてしまう。いとも簡単に命は奪われることがあるのだ。

そのように儚いものが命であるからこそ、人は命を尊く思うのだろう。命の尊さを重く受け止めるゆえに、死を忌むのかもしれない。

確かに忌むべき理不尽な死も多くみられる。しかし死という現実を避けられない以上、そこに意味を見出そうとすることも決して間違ったことではないように思う。

そんなことを考えると、看取り介護によって気づかされるものがあるように感じる。それは死を忌む社会に、別な視点を与えてくれる行為であるように思え、「」というものの意味を、私たちに問い直してくれる行為に思えてならない。
看取り介護
死を目前にして、限られた時間を意識しながら向かい合う人々にも様々な人生がある。

大好きだったじいちゃんばあちゃんに、最期に生まれたばかりの自分の子の顔を見せたいと訪問する孫がいる。そこは4世代の人々が集う場になり、そっと手を握り名ながら別れの時を刻んでいる。

嫁に行ってから一度も一緒に暮らしたことがないという一人娘が、大切な親の元で数日間を共に過ごして別れの瞬間を迎えることもある。きっと子供の時からの様々な思い出を呼び戻しながら、この世に産んでくれた親への感謝と、別れに言葉を繰り返しているのだろう。

そんな場所にあふれている愛情は、時に目に見えたりするから不思議である。

勿論、人の関係性は様々だから、看取り介護に見向きもしない家族の存在もある。親と縁を切っていると言って、訪問を拒否したり、憎しみしか感じられないと言う家族もいる。それはその家族の問題でしかないのだから、私たち第3者が批評できるような問題でもない。

しかし私たちは対人援助のプロなのだから、「できること」がある。

そういう現実に向かい合った時には、悪い縁を結んでいない私たち介護関係者が、家族に替わって別れの瞬間や、その備えの時期に手を貸すことができる。死へのカウントダウンを意識する看取り介護の場であるからこそ、その役割は際立つのである。

介護福祉士養成校に通う、高校を卒業したばかりの若い実習生は、人の死の瞬間に相対したことがない人も多い。そのため看取り介護に対して、ある種の恐怖感をもって臨んでいたりする。

そうした若い学生が、看取り介護の場で展開される様々な人間関係や、そこで刻まれるエピソードを見て・聴いて、胸に刻んで、介護という職業の使命や誇りを感じ取ることも多い。

命と向かい合うという場面であるからこそ、自覚できる思いがそこには存在するのだ。

だから本物の、「看取り介護」を行っている場所で、職員が心に負担を感じてバーンアウトすることなんてない。偽物の看取りを行って、命の尊さを感じさせない見捨て死がされているから、そうした現象が起こるだけである。

現に、本物の看取り介護が実践できている特養では、職員定着率は高くなっている。

このブログで何度も書いてきたように、看取り介護は特別な介護ではなく、日常介護の延長線上に存在するものでしかない。

しかし同時にその介護は、死というものと向かい合うことになり、死とは何か、生きるとは何かを自分の胸に問い直す瞬間が多々あることも事実だ。

そこで私たちが感じ取ることができるものが、諸行無常ではなく、人の存在の素晴らしさであることを願って、「介護」の本日を考えて形にしていきたい。

荒唐無稽な理想論で終わらせない、介護実践が求められていることも決して忘れてはならない。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

偽物の看取り介護によって見捨て死させられる人々。


昨日は名古屋市内の社会福祉法人なごや福祉施設協会さんで、法人職員研修として5時間の、「看取り介護講演」を行いました。
社会福祉法人なごや福祉施設協会・法人職員研修
こんなふうに全国の様々な場所で、「看取り介護講演」を行っていますが、まだ看取り介護を誤解している施設・事業所が多いように思います。

看取り介護だから安静が一番だとして、日中でも真っ暗な部屋で、訪ねてくる人もなく、「死ぬまで」一人寂しく放置される人・・・。

看取り介護だから、何もする必要はないとして、おむつ交換や体清拭・口腔ケアも行われずに、苦しい・つらい・哀しいと心の声を受け止める人がいない場所で、悲惨な状態で死んでいく人・・・。

機械的な介護に終始して、温かい声をかける人もいない中で、夜0時の見回りと午前3時の見回りの間に、誰にも看取られることなくひっそりと息を止める人・・・。

そんな状態でも看取り介護加算・ターミナルケア加算は算定できるでしょう。しかしそれが本当の看取り介護・ターミナルケアと言えるのでしょうか。

介護施設や居住系施設の関係者の中には、そこで死んでいるだけで看取り介護を行っていると勘違いしている人がいます。その中には看取り介護対象者の身体を拘束してもやむを得ないと考えて、一時的とはいえ手足を拘束していたりします。(参照:身体拘束を伴う看取り介護があってよいのか?

人生の最終ステージにそんな生き方を強いられた人は、自分の人生が『幸せ』だったといえるでしょうか。

マザーテレサは、「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに替わるでしょう。」という言葉を残しています。

高齢者介護に携わる私たちが目指すべきものは、この言葉の実現ではないでしょうか。

しかし看取り介護という人生最終ステージを生きる介護にも、やむを得ない身体拘束があり得ると考える人たちは、この言葉を実現するどころか、逆に幸せに人生を送っていた人を、不幸のどん底に引き落とし、その人の人生そのものを不幸なものに変えてしまうのではないでしょうか。

対人援助という職業が、そのような不幸を創り出してはならないのです。
社会福祉法人なごや福祉施設協会・法人職員研修
幸い、そうした僕の考え方に賛同してくださる方もたくさんいて、昨日講演した、「社会福祉法人 なごや福祉施設協会」の皆さんのように、5時間にわたる長時間講演を、真剣受講して、日々の実践に取り入れようとされている方がいます。なごや福祉施設協会さん、ありがとうございます。そして頑張ってください。

本物の看取り介護は、人生の最終ステージという限られた時間を意識する中で、看取り介護対象者と家族・親族・友人、介護サービス提供者との間に様々なエピソードが生まれ、看取り介護対象者が旅立ったそのあとでも、そのエピソード記憶とともに、亡くなられた方の思い出がたくさんの人々の心に刻まれるという、「命のバトンリレー」が生まれるのです。

そういう場所では、介護職員が仕事に疲弊して辞めるなんてことは起きなくなります。仕事に誇りとやりがいを感じて、職員の定着率は大幅にアップします。

そういう本物の看取り介護の実践論を伝えていきます。そういう本物の介護を行っておれば、介護にもっと公費をかけてもよいという国民全体のコンセンサスが生まれるのではないでしょうか。

ですからどうぞ、本物の看取り介護を行いたいという方は、講演依頼を気軽にしてください。全国どこへでも駆け付けます。

さて話は変りますが一昨日、「財政制度等審議会」が開かれました。

今朝僕のFBにも書きましたが、財務省はそこで介護報酬の引き上げには触れず、その配り方を見直すことで介護職の給与改善を具体化する案を提示しました。

岸田首相の介護職員等の給与引き上げには賛成するけれど、その他の職種の給与は引き上げないという意味ですが、「配り方を見直す」ということは、特定加算などを多職種に配分しているのはけしからんという意味です。

他の職種の給与を引き下げて、介護職員の給与アップ分の財源を確保せよという極めて乱暴な提言です。こんなことが行われたら、職場の人間関係は壊れ、荒れた職場環境になります。

財源がないというのなら、いっそのこと全国家公務員の給与を10%カットして財源にすればよいのでは・・・。少なくとも財務官僚の給与大幅カットを望みます。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

看取り師なんて胡散臭い存在は傍らにいなくてよい


メディカルサポネットの連載「菊地雅洋の激アツ!介護経営塾 〜選ばれる介護事業所であり続けよ〜 Vol.2」が昨日配信された。

今回のテーマは、「科学的介護元年スタート」とした。科学的介護という言葉は、かなり以前から耳にする言葉なのに、なぜあえて元年としているかについては記事を読んでいただきたいと思う。

このコラムは無料登録すれば全文読めるので、登録がお済でない方は是非、お早めに登録してほしい。登録さえすれば、僕だけではなく他の著名人のコラムも見放題なのでお得である。この機会をぜひ見逃さないでほしい。

さて僕は昨日、講演を行うために北海道から名古屋に入ったが、約1年ぶりの名古屋市は、コロナ新規感染者数がゼロの日があるなど、昨年とは異なって大幅に感染者の数が減っている。

そのため昨晩はホテルに籠らず、夜の街に一人呑みに出かけた。その際に食べたものはもう一つのブログ、「masaの血と骨と肉〜早いかと思ったが、おおしま、ってないぞ。」で紹介しているので参照していただきたい。

というわけで今日、僕は名古屋市の地下鉄・御器所駅近くの社会福祉法人さんにお邪魔している。

現在昼休みで慌ただしく記事更新しているところだ。

本日の講演テーマは、「看取りを支える介護実践〜命を支える現場から」である。

今日は5時間という長時間、「看取り介護」について話をするわけであるが、だからと言ってこの講演は、単に看取り介護の方法論を伝えるだけの講演ではないし、看取りに関連する加算を算定するための要件確認をするためだけの講演でもない。

看取り介護・ターミナルケアに対する考え方の基本とは、「介護」の在り方そのものを考えることであり、その過程で「」・「尊厳」に寄り添う姿勢を問い直す講演である。

つまりこの講演は、「介護の本質」を伝える講演だから、時間は何時間あっても良いのである。5時間講演を3日間行ってほしいと依頼されても、同じテーマでさらに内容を濃くして15時間の講演に組み立てることも可能だ。

そもそも看取り介護は特別な介護ではないということを理解せねばならない。

生きるという過程には、必ず死というゴールがあり、介護過程にも、必ず死の瞬間を看取るという時期があるのだ。

そのことを特別視しないことが重要である。

看取り介護とは、人が最期の瞬間まで生きる喜びを感じることができることを信じて、そうした生き方を支える介護である。

だからこそ看取り介護は、「する・しない」、「できる・できない」と判断するのではなく、日常介護の延長線上に、ごく普通に看取り介護の実践があって当然であると考えるべきであり、看取り介護の知識と技術は、介護関係者が当然備えておくべきスキルといえるのだ。

最近では病院から退院して、自宅で最期の時を過ごしたいと希望する人が増え、そのニーズに応えるために、在宅で看取り介護を行うケースが少しずつ増えている。

そうしたケースでは、看取り介護対象者が通所介護を短時間利用しながら入浴支援を受けることもある。同時にそこでは縁がある方々と通所介護事業所の中で触れ合い、多様なエピソードが生まれている。通所介護の職員も、終末期のエピソードづくりの支援に関わることが必要になるのだ。

そんなふうに居住系サービスや訪問系サービスだけではなく、通所系サービスも看取り介護スキルが職員に求められているのだ。

つまり看取り介護の知識と技術を備え置くのは、介護を職業としている者の責任であり、それは既に、「看取り介護スキル」ではなく、「介護スキル」なのである。そのことを理解する必要がある。

昨今の馬鹿馬鹿しい状況の一つに、「看取り介護師」なる資格を創って、それを取得させようとする動きがある。誰でもできる介護に専門性を取り入れようとする気持ちはわからないでもないが、資格は仕事をしてくれないのだ。

そもそも看取り介護・ターミナルケアの場面で、そんな資格を持つ人間がかかわることにどんな意味を見出せというのだろうか?

むしろそんな資格を創ることは、看取り介護が日常介護と切り離れた特別な介護だと勘違いさせてしまう元凶になりかねない。

予測されない死の瞬間までの支援をしている人が、ある程度死期が予測された人の支援ができないなんてことはないのであるから、特別な資格なんていらないのだ。

看取り介護の場で求められるのは特別な介護ではなく、日常介護でしかないのだ。何より逝く人と看取る人の間の、最期の時間を共有する中で、双方に意味があるエピソードを刻むことが重要なのである。

「看取り介護師」なんて、そのような資格を与えようとする側の利権に過ぎず、そのような無意味な資格をお金を払って取得する必要はないし、そんな資格を取ろうとする人の介護スキル自体が疑われるというものだ。
看取り師がいらない看取り介護
大事なことは何であるのか・・・。その本質を見つめない人がいくら資格を持とうと、命が燃え尽きる瞬間に、「傍らにいることが許される者」になれるはずがない。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。

身体拘束を伴う看取り介護があってよいのか?


今日、このブログを読んでくださっている読者の方にはまず最初に、とある日の朝刊の記事画像を見ていただきたい。

これは僕とFBでつながっている看護師さんから送られてきた画像であるが、この記事画像の中に掲載されている写真に注目していただきたいと思う。
新聞記事の画像
この画像は日経新聞の新聞記事である。

この新聞記事で報道されている内容は、某介護事業者が営業利益第一位になっているというものであるが、この記事の中で同社について、「ホームホスピスに特化して高齢者を最期まで支える理念を掲げてサービス提供している」と紹介されている。

ところがその記事中の掲載写真が、その理念と一致しないのではないかという疑念がぬぐえない。

記事内容からすると、写真に写っている利用者は、看取り介護対象者なのであろう。ところがその手にはミトン手袋がはめられている。そしてよく見ると、この利用者が寝かされているベッドは、周囲を4点柵で囲っていることがわかる。

この状態は、「身体拘束」に他ならない。それは「緊急性・非代替性・一時性」という3条件に合致して初めて認められるものだが、終末期の看取り介護対象者に、そんな必要が果たしてあるのだろうか。

そもそも看取り介護は、安心と安楽の状態を最期の瞬間まで護るケアである。身体拘束をした状態で、そのような安心や安楽が得られるとでもいうのだろうか?

ホスピスとは、痛みや苦しみを軽減することにより、快適さと生活の質を優先するケアのことを言い、「ホームホスピス」を標榜するなら、身体拘束などあってはならないはずだ。だから新聞記事に書かれている理念と、この写真の介護状態は一致しないと思うのである。

そもそも人生の最終ステージを生きる人を支援する看取り介護において、このような2重の身体拘束・行動制限が許されるのだろうか。これが果たして看取り介護と言ってよいのだろうか・・・。

ベッド柵は本来、利用者をベッドから落下させないための道具ではなく、寝返りや起き上がりの際に手でつかまって動作補助するための道具である。

僕はその為、自分が総合施設長を務めていた施設では、基本的にベッドには柵を1本も使用しないことをスタンダードにしていた。

柵を設置するのは柵につかまって寝返りや起き上がり動作等をしなければならない人だけとしており、柵をしないベッドをデフォルトにして、必要性に応じてあとから柵を追加設置するというのが、新規利用者受け入れの際の方法だった。(参照:柵がないベッドを増やす意味。

4本柵という形でベッド全面を囲い、行動制限することに何の疑問を感じない人は、介護という職業に就くべきではないとさえ思っている。

そんな行動制限を終末期の人になぜ行わなければならないのだろうか。

ミトン手袋は、経管栄養や点滴のためのチューブを引き抜くことを防止するために装着させているのか?しかし終末期の経管栄養や点滴などは百害あって一利なしである。体が栄養や水分を必要としなくなって、死に向かって準備をしている段階で、経管栄養や点滴で過剰な栄養や水分を無理に注入するから、足は腫れ、出るはずのない痰がでて、その吸引に苦しまねばならない。

必要のない経管栄養や点滴をしなければ、ミトンなんて必要ないのではないか?

二人がかりで何かのケアを行っている写真の状態を見ると、この利用者は自分で寝返りができないように思える。全介助で寝返り介助を行っている人なら柵は必要ない。それとも終末期で、二人介助を行っている人が、自分でベッドから降りて危険だとでもいうのだろうか?

それなら自宅であっても、ベッドを低床化して危険がないように見守りする方法はいくらでもある。

そうした終末期の基礎知識のない場所で、看取り介護と称したニセモノの介護が行われている、「成れの果て」がこの写真ではないのか?営業利益第一位というこのホールディングスは、かなりブラックと言わざるを得ない。

それにしても取材を受けた施設は、新聞にこんな写真が掲載されることを恥とも何とも思っていないのが不思議だ。

新聞社や記者がこんな写真を載せて、その施設を褒める言葉を書いているのは単なる無知だから仕方ないが、当該施設がこんな写真を新聞に掲載されて、何も感じないのはどんな感覚なんだろう。

多分、こんな身体拘束がまともではないという感覚さえ失くしてしまっているんだろう。つまりこの施設は、日常的に身体拘束が伴う看取り介護・ターミナルケアと称する偽物ケアを行っているという意味だ。

それで営業利益第一位になっているからと言って、それは利用者の犠牲のもとに生まれている恥ずべき収益だとしか思えない。

こんな事業者で働いている人たちは、本当にそこで自分の仕事に使命感や誇りを持つことができるのだろうか・・・。

今朝僕は別ブログに、「キャリアダウンの転職にしないために」という記事を書いて、できれば今いる場所で花として咲くことができるような仕事をするのが一番だが、利用者の犠牲を強いたり、不適切なサービスに気が付かない場所では、自らの志が奪われるだけではなく、体と心を壊してしまう恐れがあるので、その際は信頼できる転職支援を受けてほしいと情報提供した。

この事業者で働く人にこそ、そのことを伝えなければならないのではないかと思ったりしている。

どちらにしても豊かな終末期支援を標榜している介護事業者が、このような体たらくぶりでは、安心して利用者は自らの身を介護事業者に委ねることは出来なくなるだろう。

この新聞記事を僕に送ってくれた方は、看護師の養成に携わっている方であるが、その方の嘆きの言葉を添えておきたいと思う。

四点柵にミトンの姿で安心して最期までって・・・出した会社側も新聞記者も、この程度の意識なんだなと思った次第でした。

本物の看取り介護・ターミナルケアが行われるためには、この意識の変革から始めねばならないのだろう。・・・途はまだ遠いと言わざるを得ない。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)の特典付き注文書は、こちらをクリックしてください。10月1日までに発注いただければ出版社より送料無料で送られてきます。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。






※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

看取り介護を生きる支援と捉える理由


看取り介護の末にたどり着くものとは、「看取り介護対象者の死」であることは間違いない。

勿論、看取り介護とは対象者の死で完結する問題ではなく、死後のエンゼルケアを含むご遺体の適切な処置や送り出し、場合によってはグリーフケアを含めて総合的な視点からその範疇を考えなければならない。

しかし大きな区切りとして、「死」という現象がそこに厳然と存在し、それを避けて通れないことは事実だ。

しかし死を見据えて、その意味を含めてケアを考えることは思った以上に難しい。ここにはベースとなる物語はなく、「無」しか存在しなくなるからだ。

死生観などという大げさな話ではなくとも、日本人にとって死や死後に対するイメージは、ときに仏教的なものであったり、ときに神道的意味合いが濃いものであったりする。さらに人によってそれは唯物論的であったりしながら、つまるところはそのうちどれでもないという場合も多い。

その、「どれでもない」というイメージも多様で、人によってそれはお星さまのイメージであったり、灰であったり、幽霊であったり、千の風であったりするわけだ。

看取り介護の場で関係者がこの、「どれでもなさ」に付き合ったり、向き合わねばならないとしたら、永遠に答えのない旅をさまよわねばならなくなる。

そんな観念作業に終始している暇も能力も、あいにく僕らは持ち合わせていない。

そこに立ち入りすぎては、介護という行為が成り立たなくなる恐れさえ出てくる。

だから僕らは、「死」とは何ぞや、それはいかなる意味があるのかという問題と向き合う必要はないと思う。死という別れがそこに厳然としてあるという事実だけを受け入れて、それまでの間に、僕たちができ得ることを惜しみなく実行するというだけで良いのだと思う。

看取り介護を、「生きるを支える介護」であると考たうえで、死を一つの区切りとして、以後の対応は看取り介護に付随する行為であると捉えてよいのだろうとも思う。

看取り介護対象者が逝った後に、送り出した人を偲び、安らかなれと祈る心が、どんな意味を持つか知らないが、それは関わった者のごく当たり前に抱く心持ちの表現と考えるだけで良いのではないか。

人を敬い、その命を尊く思う心が、故人を偲ぶ思いにつながるのだと単純に考えるしかないようにも思う。

生きるための支援には、確実に死に向かっている時期の支援も含まれているのだ。しかしそれは決して、「安らかに死なせるための支援」ではない。それは宗教家か何かに任せるべき行為で、僕らは相談援助とか、介護支援というステージで、利用者と家族を暮らしの場で支えるだけの存在である。

「神様や、死後の世界を信じなくても、看取り介護はできるんですか?」と尋ねる人もいるが、それを信じるのも信じないのも個人の自由だ。

そのことが看取り介護という支援行為に影響すると考える方がどうかしている。僕らは観念論者ではなく、実践者であり、目の前にはいつも支援を必要とする利用者の存在がある。

哲学や観念に没入する前に、しなければならないことがたくさんあるのだ。

僕らの哲学とは、そうした実践を積み重ねて結果を出し続けた事実の上に、はじめて生まれるのだと思う。その究極の答えは、人はこの世に生を受けているそのことが奇跡であり、素晴らしいことだということだ。

・・・とここまで書いて気がついたが、どうも脈絡ない書き殴って終わる文章になってしまった。でもこんなことを書きなぐって終わることもできるのも個人ブログの良いところで、それはストレスの発散に結び付くだろう。

世間が3連休の中で、休みなく働かねばならない僕の勝手なつぶやくと思ってお許しいただきたい。勿論、こんな考え方や価値観を、読者の皆様に押し付ける気持ちは毛頭ないのだから・・・。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)の特典付き注文書は、こちらをクリックしてください。10月1日までに発注いただければ出版社より送料無料で送られてきます。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

華子さんの約束


僕が総合施設長を務めていた特養では、「看取り介護を密室化させない」というコンセプトがあった。

看取り介護になった瞬間から、その人が施設内で看取り介護を受けていることを隠すかのように、人が訪ねてこない個室に押し込み、そこでどのような介護を受けながら過ごしているのかを、他の利用者がうかがい知ることもできずにいる状態がよいはずがないと考えていた。

同じ施設で暮らしている他の入所者との交流も一切なく、その姿が皆の目の前から消されたまま、やがてひっそりと息を引き取る。・・・それが看取り介護だとしたら、こんな哀しい介護はないし、その最期はあまりにも孤独だと思った。

そのような無情で寂しい旅立ちが、看取り介護の結果であってはならないと思う気持ちは、今も変わらない。

そもそも他者がどのように看取り介護を受けているのか、想像するしかない場所で、自分に残された最期の貴重な時間を使いたいなんて思うことができるだろうか。

看取り介護の実践が見えない場所で、「看取り介護もできますけど、終末期になったとしたら、どうしたいですか」と問われても、そこで看取り介護を受けたいなんて思うわけがない。

特養は、「家」ではないが、「暮らしの場」である。利用者と利用者の関係性とは、「家族」ではないが、「知人」であり、「友人」である場合が多い。

特養という暮らしの場で、縁あって同じ時期に交流機会を持っていた友人・知人として、残された時間がもうわずかであると明らかになった人がそこにいるとすれば、お別れの思い出を刻んだり、お別れの言葉を交わし合ったりする機会を持つことは大切なことである。

自分の命が尽きても、誰かが自分を覚えていてくれると思えたり、思い出してくれると感じることは、自分が生きてきた証を強く実感できることにつながるのではないだろうか。看取り介護とは、そうした思いを得ることができるエピソードっづくりの時間である。

何よりそこでは、「寂しくないよ、怖くないよ」と声をかけてくれる人の存在がある。「死の瞬間」が頭によぎる人にとって、それは何より救いとなる温かい言葉になるのではないだろうか。

誰もいない場所で、「私はどこに行くんだろう」・「寂しくてやりきれない」と感じて過ごすより、誰かがいてくれることだけで、安心できる人は数多いことと思う・・・。

そんな思いを強くさせてくれた理由の一つに、華子さんの存在があった。

華子さんは、「せっかく縁があったんだから、最期まで寂しくさせないようにお手伝いしますよ」と言いながら、看取り介護の対象となった人の傍らで、声をかけたり唄を口ずさみながら、最期の瞬間まで声は届くと信じて寄り添ってくれる人だった。

元看護師だった華子さんは私たちに、「聴覚障害のない人は、耳は最期まで聴こえているんだから、意識がなくても声をかけ続けるのは意味があることなのよ」「聴こえるから寂しがらせないように呼び掛けなさい・声をかけなさい」と教えてくれた。

華子さんはこんなことも言っていた。「私も最期は寂しいのはいやよ」と・・・そして、「でも私は怖がりだから、もうすぐ死ぬということは教えないないでね」と言いながら、「そんなこと言わなくても、きっと最期はわかるから」・「それでも念押ししちゃだめよ。ただ側について、怖くないよ、寂しくないよと声をかけてくれるだけで良いのだから」と言っておられた。

それが華子さんと僕たちの約束事でもあった。

そんな華子さんが、末期がんで旅立たれたのは、看取り介護を受けてからちょうど2週間目の昼下がりのことだった。

その日、柔らかな日差しの中で、家族や施設のスタッフと知人が、たくさん集まった華子さん個室は、順番に人が入れ替わらなければいられないほどのたくさんの訪室者があった。

「華子さん、聴こえるかい」・「私よわかるでしょ。聴こえるでしょ」・・・そんな声はすべて華子さんに届いていたと思う。

亡くなる少し前に、華子さんの頬に一筋の涙が伝った。あれは哀しみの涙ではなく、最期みんなとお別れができたといううれし涙だったと思っている。

そして死期が近いことを告げられることなく、自分で悟った華子さんは、最期は静かに安らかに旅立っていかれた。

私たちと華子さんの約束は、こんな形で果たされた。
無題
※上の画像は看取り介護対象者の白寿のお祝いを1週間早めて実施したときのもの。周囲の人たちが終末期を生きる人を、身体・精神両面で支えるのが看取り介護。人生最終ステージを生きていることを意識しながらも、人生最期の誕生日もみんなで一緒に祝います。(※本ブログで紹介した、華子さんのケースとは別です
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

看取り介護計画の説明同意に欠かせない視点


昨日、(蝓縫螢屮疋ゥ魁璽櫂譟璽轡腑鷦膾鼎離ンラインセミナー、「看取り介護実践の視点〜基本から応用まで」の2回シリーズ最終回を配信した。
看取り介護オンライン講演
1回1時間で2回シリーズだったので、入門編としては聴きやすかったのではないかと思う。

さらに詳しい内容を学びたいという方は、もう少し時間の長い看取り介護講演を受講していただくか、あるいは僕の著書、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」を読んでいただきたい。

看取り介護は、死を看取る介護という意味ではなく、人生の最終ステージの、「生きる」を支える介護だ。

回復不能の終末期であり、旅立ちの時が近いことがわかっているからこそ、その貴重な時間を意識して人生最期の時期にエピソードを刻むことができる。そのエピソードづくりを支援するのが看取り介護である。

だからこそ終末期判定や余命診断は極めて重要になる。ここの部分をあいまいにしたり、おざなりにしたりする看取り介護があってはならない。看取り介護が1年も2年も継続するんあてことはあり得ないのである。

貴重なお別れの時間で様々なエピソードを刻むことができるからこそ、逝く人と遺される人との命のバトンがリレーできるのだ。看取り介護はそのバトンをつなぐ支援でもある。

そのためには逝く人が人生最期の場面で、どこでどのように生きたいのか、どんな医療支援や看護・介護支援を受けたいのかを確認しておくことが重要なポイントになる。そのためには人生会議(ACP:アドバンスケアプランニング)の過程を経て、対象者の意思確認若しくは意思推定を行い、支援チーム全体がその意思に沿って関わり方を統一することが重要である。

看取り介護では、食事を経口摂取できなくなる時期を経て死に至るが、その際も不必要な経管栄養や点滴を行わないことが安楽につながる。何も食べておらず、何も呑んでいなくとも、体液が排出されるのは、身体が氏の準備をしている証拠である。

この際に強制的に栄養や水分を体に注入すると、身体が悲鳴を上げるかのように、手足はむくみ、目は充血し、痰が絡んで看取り介護対象者を苦しめる。

特に喀痰は、自分で輩出できる人には何の障害にもならないが、意識レベルが低下する看取り介護対象者にとっては、吸引が必要となる一番の苦痛要因だ。痰が絡むという苦痛、それより苦しい痰を吸い出すという行為が必要なくなるように、痰につながる不必要な栄養・水分補給は決して行わないようにしたい。

ただしそのことは事前に対象者もしくは家族に十分説明して、納得していただく必要がある。

それがないまま、看取り介護支援チーム間の専門職の理解だけでことを勧めると、取り残された看取り介護対象者と家族は不安しか抱かない。

医療や看護・介護の専門職と、そうではない人の知識には思った以上の差があることを理解して、丁寧で親切な説明が求められるのであり、それこそが看取り介護計画書の説明・同意の際に必要とされるのだということを理解しなければならない。

できればその説明は、医師が同席する場で行いたい。看護師やケアマネジャー及びソーシャルワーカーだけがいる場で説明するより、医師が同席している場所で、「終末期の点滴は、苦痛にしかなりません」と説明された方が、対象者や家族は安心できるからだ。

死は、生きている人間は誰も経験したことがない未知のものである。だからこそ医師という専門職から、安心できる言葉を期待する人は多いことは、看取り介護に関わっている人なら容易に理解できるだろう。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

安静が看取り介護だと勘違いしないで下さい


介護施設を仕事で訪問する折、日中でも窓のカーテンを閉めたまま、ベッドサイドのプライベートカーテンさえ閉め切り、暗い部屋で日がな一日過ごしている人が、「看取り介護」の対象者だと紹介されることがある。

僕の目に映るその場所のその静けさと暗さは、「寂しく哀しい空間」でしかない。看取り介護を受けている人自身も、寂しい思いをしていないのだろうか・・・。

看取り介護とは安静を第一にして、朝なのか夜なのかわからない空間で、時の流れも感じられずにじっと死を待つことではないのだ。

残された人生の最終ステージを生きるために求められるのが看取り介護である。

そこでは日々の暮らしを実感できることが大事であり、看取り介護対象者が、今まさに「生きていること」を感じ取れるように手を差し伸べることが重要になる。

朝、降り注ぐ太陽を窓から感じ取れるようにカーテンを開け、「おはようございます。今日も良い天気で青空が見えますね」と声をかけ、時間を知らせて、日中、外の清涼な空気を感じることができるように手を差し伸べ、夜はカーテンを閉めながら、「今晩、お月様が見えたら一緒にみましょうね」と声をかけて、安楽に眠りにつけるように支援するのが看取り介護である。

「最期まで私が側にいますよ。」・「どうぞ私を傍らに居させてください。」と言語やしぐさで伝え、看取り介護対象者に決して寂しさを感じさせないのが看取り介護である。
看取り介護講演スライド
この画像で、フルリクライニング車椅子に乗っている手前のご婦人は、末期がんと診断された看取り介護の対象者の方で、この日の夕方に永眠された。

永眠される数時間前に、体清拭をしている最中、ホールから聴こえてきた、「療育音楽」というグループワークの唄と楽器演奏の音に耳を澄ますようなしぐさを取ったので、「音楽の場所へ行ってみたいですか?」と尋ねると、しっかりうなづかれた。そのためフルリクライニング車椅子に移乗介助して、その場に参加してもらい、他の利用者の方の演奏や歌声を聴いている場面である。

亡くなるわずか数時間前に、しっかり目を開け耳を澄まし、(わずかの時間ではあったが)満足そうに活動参加して、少し疲れた表情を読み取って、声をかけてベッドに戻った数時間後に旅立ちの時を迎えたのである。

この写真は施設職員が撮ったものではなく、長女の夫が撮影したものである。旅立ちの日が近いことから、数日前からこの施設に長女が泊っており、日中その夫も駆けつけて、亡くなるその日に活動参加している場面を最期の思い出にするかのように撮影された写真だ。

この写真はお通夜と告別式の席で列席者に、「亡くなる数時間前まで、こんなふうにホームの皆さんと一緒に過ごし、みんなに声をかけられながら安らかに旅立っていきました」という言葉とともに紹介された。その写真画像を後日コピーさせていただいて、僕の講演等の資料として紹介することの許可を得ているものだ。

看取り介護とはこんなふうに、逝く人と残される人がともに胸に刻み込むような、最期のエピソードを刻むための支援行為だ。誰もいない暗くて寂しい場所で、一人さみしく息を止める時を待つことが看取り介護ではないのだ。

今日は午後4時から、この写真もスライドにして紹介する、「看取り介護オンラインセミナー」を配信する予定だ。螢螢屮疋ゥ魁璽櫂譟璽轡腑鵑気鵑主催するオンラインセミナーで、同社のお客様だけに案内をしているそうだが、既に90名以上の申し込みがあるそうだ。
(蝓縫螢屮疋ゥ魁璽櫂譟璽轡腑鷦膾泥ンラインセミナー
今日は第1回目で、7月29日(木)に2回目の続編を配信する予定になっている。視聴される方は是非両日ともご覧になって、本当の看取り介護とは何かということをしっかりと理解していただきたい。

それでは午後4時から、画面を通じてお愛しましょう。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

看取り介護を通じて学ぶ介護の本質


僕は今週初めの月曜から大阪に滞在している。今日は午前と午後に豊橋と住吉で、「看取り介護講演」を行う予定になっている。

ということで先ほどお昼12時に午前中の講演を終えて、現在は住吉に移動中である。そのためじっくり記事更新している時間が取れないので、今日は短めの記事更新となる予定だ。

今日はたまたま看取り介護講演が重なっている。それだけ看取り介護は重要なテーマになっている。それは今後の地域社会では、住みなれた居所で最期の時間を過ごし、そこで看取ることが普通にならなければならないからである。

そのためには、すべての介護関係者に、「看取り介護」とはどういう介護なのかという理解が求められるし、終末期に起こり得る身体状況に対応する適切な方法論などの知識も必要になってくる。

だからこそ「自分の所属事業は看取り介護を実施していないし、今後の実施する予定はない。」として、自分に看取り介護スキルは必要ないと考えてほしくない。

何よりも理解せねばならないことは、看取り介護の知識と援助技術とは、看取り介護スキルではなく、介護スキルなのだということだ。

看取り介護を学ぶことは、介護の本質を学ぶことにもつながると思っている。人の命と向き合う思いを、好む好まざるにかかわらず強く意識せねばならない看取り介護では、人の命の尊さや儚さ、この世で結んだ縁の貴重さを知ることになるからである。そこに関わる介護関係者は、人として・専門職として何が求められるのかを問われることになる。
看取り介護講演
だからこそすべての介護関係者に、このテーマでの講演を聴いてほしい。

「看取り介護」とは、限られた時間を意識して行われる介護でもある。そこではすべてが貴重な時間で、今しかできないこと、今しなければならないことが数々出現する。そこで関係者は、刻々と変化する身体状況と精神状況に向かい合って、その時に最も必要な支援策を取捨選択をしていかねばならない。

瞬時の判断が求められる場面も多々あるが、想定外のことが起こることも当然として、臨機の判断ができるように、経験と知識をフル回転させ看取り介護対象者やその家族に接しないと、重大な後悔を残す結果になりかねない。

そうしないための日々の学びが必要なのだ。

そして看取り介護の実践は、介護専門職としての自らのスキルを磨いてくれることも知ってほしい。

僕が総合施設長を務めていた特養で、看取り介護の実践を通じて職員が実感していった思いを、当時の職員の言葉を借りて紹介しておく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
北海道老施協日胆地区支部・職員研究発表会より
・打ち出された課題を一つ一つ改善していくためには、どんな事をしたらよいかと具体的に考える事ができるようになってきた。

・特別と思っていた援助を、当たり前の援助に変える事こそ「あきらめない介護」に繋がるという事を知った。

・家族と一緒に「その方がその方らしく生きるために何ができるか」を考えたいという気持ちが強くなり、普段からの関わりを大切にするようになってきた。

・ほんの小さな「気づき」を行動に変える力がついてきた。→一番近くで気付く人、一番近くで代弁する人としての介護職員の役割が肌で感じ取れるようになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
看取り介護対象者の方は、息を止めるその瞬間まで、私たちに様々な示唆を与えてくださり、そして死後にも私たちに天国からメッセージを送ってくれたりする。

その示唆やメッセージに気が付くか・その思いを受け取る事ができるかどうかは、ひとえに私たちの姿勢にかかってくるものである。
表紙画像(小)
僕の著作本にも、様々なエピソードなどを掲載しているので、一度手に取って読んでいただければ幸いである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

日本人がこの半世紀弱で失ったもの


昨日は突発的な仕事が入って、いつも昼頃更新するブログ記事の更新アップができなかった。

日曜日以外に記事更新しなかったのはずいぶん久しぶりである。その代わりと言っては何だが、他ブログに、「桜咲く場所で思うこと〜咲けない花は場所を変えよう」という記事をアップし、そちらにはコメントもついているので参照いただきたい。

さて今日はGW最終日である。そのため明日から仕事に出るのが億劫だと思っている人がいると思う。しかしこの連休中も暦に関係なく働いている多くの介護従事者の方々のことを思うと、そういうぜいたくは云っていられないと考えてほしい。

僕の場合は、GW期間中は家に籠って講演スライドと連載原稿の執筆に専念している。(※ただし運動不足を解消するため、毎日1時間以上ウオーキングを行って汗を流している)

5月中に看取り介護講演を5会場で行う予定になっているので、そのスライドも更新しているところだ。話す内容の骨格部分は変わらなくとも、スライドに落とし込むデータや、データの入ったグラフや表などは、できるだけ最新のものに更新したいと思うので、そのあたりは気を使っている。

下記のスライドも、グラフを最新データに変えたものである。
我が国の死亡場所の推移
ただし最新データと言っても、2021年の近直データが必ず存在するわけではない。我が国の死亡場所の推移で、医療機関死と在宅死などの確定数値が出ているものの最新は、探した限りでは2018年のものが最新であるように思う。

図を見てわかるように、最近は死亡場所として自宅や介護施設・居住系施設が徐々に増えてきており、医療機関での死亡者数は2005年をピークに徐々に減りつつある。

これは在宅療養支援診療所が医療法に位置付けられ、在宅ターミナルケア専門医が増えていることや、介護施設やGHなどで看取り介護を実施するケースが増えているせいであろうと思える。

2021年度の介護報酬改定でも、「看取りへの対応の充実」が大きなテーマになっており、介護施設やGHの看取り介護加算・ターミナルケア加算の算定日数上限が拡大するとともに、本人や家族の意志・希望に沿った人生の最終段階における医療・ケアの提供が求められているので、今後も医療機関以外の場所で最期の瞬間を迎える人の割合は増えていくことだろう。

おそらく数年以内に医療機関で支部する人の割合は、全体死亡者数の7割を切るだろう。

死者数が増える中で医療機関のベッド数が減るわが国では、それは求められる方向でもある。

コロナ禍における医療機関の切迫した状況を鑑みても、今後の社会では、医療機関入院は急性期疾患の治療を最優先にする必要があり、死ぬためだけに医療機関に入院するケースができるだけ減っていくことが大事であある。

地域包括ケアシステムの目的の一つとしても、住み慣れた地域で最期の時間を過ごし、最期の瞬間を迎えるための仕組みを整えていくことが主要な課題となってくる。

その為にも、介護事業者に勤める全ての人が看取り介護スキルを身に着けて、看取り介護の実践者として活躍できることが求められてくるのである。

介護施設や居住系施設において看取り介護は、「する・しない」、「できる・できない」と判断すべき問題ではなく、日常介護の延長線上に、ごく普通に看取り介護の実践があって当然であると考えるべき問題であるのだ。そこで働く職員は、事務職であっても看取り介護対象者に接する機会を持たざるを得ないのだから、看取り介護スキルは、すべての職員が当然備えておくべきスキルだと言える

今後の我が国では、様々な場所で人生の最終ステージを安楽に生きるを支えることが必要になってくるのである。

しかし前掲の図を見てわかるように、1976年(昭和51年)以前は国民の過半数が自宅で最期の時間を過ごし、居間等で家族に囲まれて最期の瞬間を迎えていたわけである。そこで何か大きな問題があったとでもいうのだろうか・・・。

最期の瞬間を家族に囲まれて安らかに旅立っていった人が多いはずだ。そこでは今わの際につながる様々なエピソードが生まれ、それがずっと残された家族の記憶に残り、その記憶の中で旅立っていった愛する誰かは、「永遠の存在」になっていったのではないだろうか。

そのことを僕は、「命のバトンリレー」と呼んでいる。

僕が提唱する、「生きるを支える看取り介護」とは、そうした命のバトンリレーを支援する介護であり、日本人が1976年以降・この半世紀弱で失ったものを取り戻す介護でもある。

是非どこかで僕の、「看取り介護講演」も受講していただきたい。

記事の締めになるが、今日も僕の自宅付近の桜の画像でも観て、心を癒してほしい。
5/5登別の自宅付近の桜
(5月5日朝の鷲別川河川敷のエゾヤマザクラ)
室蘭東翔高校前の5/5の桜
(僕のウオーキングコースである、室蘭東翔高校前の5/5の桜)
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

コロナ禍でも死者数は増えていませんが・・・。


今日も自宅の近くに咲く、「エゾヤマザクラ」の画像紹介からスタートしたい。
4/29の自宅近くの桜
桜の画像を撮影し始めた一昨日から気温が下がって、蕾のまま咲く気配がなくなった。昨日より少しだけ蕾が膨らんだような気がするが、5月にならないと花を咲かせるつもりはないのだろうか・・・。

さて世間は今日からGWということのようだが、僕は今日から連休明けのオンライン講演に向けたスライドづくりに取り組む予定だ。5月は介護事業者の職員研修として、介護技術の基礎からサービスマナー、チームケアや人材育成、そして看取り介護まで総合的にレクチャーする機会が多くなる。

今日は看取り介護の講演スライド最新版を完成させる予定である。
看取り介護講演スライド
2021年度の介護報酬改定では、施設サービス及び居住系サービスの看取りに係る加算の算定要件において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことを求めている。

その意味は、ACP(人生会議)の取り組みを介護事業者のスタンダードなサービスとすることによって、利用者が住み慣れた場所で終末期を過ごすということが当たり前になることにつなげたいとう目的に沿っている。

死者数が増加する我が国では、これから先死ぬためだけに医療機関に入院することができなくなる。

終末期という状態になるまでに住んでいた場所で、そのまま看取り介護が出来なければ、2030年には約160万人の死亡者のうち、47万人ほどが死に場所の定まらない「みとり難民」になりかねないのである。

ではいったいどれほど死者数は増えているだろうか・・・。ということで昨年の死者数を調べてみた。

2021年2月22日に厚生労働省が発表した人口動態統計によると、2020年の死者数は138万4544人で前年より9373人(0.7%)減となっている。あれっ?減っているじゃないか・・・。

昨年はコロナ禍によって死者数が大幅に増えているかもしれないと思っていたら、事実はそうでなかったのである。

その原因は何かということを探るために、同省が昨年9月分まで発表している死因別の死亡数(概数)を読むと、前年同期より最も減少したのは呼吸器系疾患で約1万6千人減っていた。内訳は肺炎(新型コロナなどを除く)が約1万2千人、インフルエンザが約2千人減っていたことが分かった。

新型コロナウイルスの蔓延により、感染予防対策として手洗いが励行されるなどの影響で、季節性インフルエンザが大幅に減っていることは実感していたが、それが死者数の減少にもつながっていることがよくわかる数字だ。

それに加えて、巣ごもりによって人の移動・接触が大幅に減っていることが、肺炎の予防にもつながった可能性が高い。そういえば昨年度はノロウイルス感染症も大流行しなかった。だからと言ってこの数字が、将来の我が国の人口推計を見直すような問題にはならないと思う。

今後は団塊の世代の人たちの自然死が否応なしに増えてくるので、死者数の減少は一時的なものにとどまり、今年以降毎年その数は増加していくことになることは確実だからだ。

だからこそすべての人が住み慣れた、「暮らしの場」で安らかに終末期を過ごすことができる地域社会にする必要がある。しかそれは決して非現実的なことではなく、昭和40年代まで、日本中のすべての地域で普通に行われていた看取り方を取り戻すことに過ぎない。

住み慣れた場所で死の瞬間を迎えることは、それまでの間にこの世で縁を結んだ人々とのつながりを再確認する時間を持つことができるという意味だ。残された人々の心に残る様々なエピソードを刻む時間を持つことができるという地域社会だ。

そうすることによって誰かの大事な人の命は、残された人々の心につながり、永遠のものとなるだろう。

そうした地域社会が実現すれば、医療機関に入院していた人が、最期の時間を過ごすために住み慣れた地域の中の、「暮らしの場」に戻ってくることができる。そういう人は、最期の時間を家族と過ごしながら、通所介護で入浴したり、短い時間だけでも他者との交流を行なったりすることができるようになる。

看取り介護スキルは、施設サービス・居住系サービスに努める人だけに求められるのではなく、すべての介護関係者に求められてくるのだ。

看取り介護とは、人が最期の瞬間まで生きる喜びを感じることができることを信じて、そうした生き方を支える介護である。どうかそのことを理解し、日常介護の延長線上に、ごく当たり前のこととして看取り介護があるのだということを忘れないでほしい。

介護に関連した仕事をしている人は、看取り介護スキルを磨いて、自分が担当する人の最期の時間が安らかで、人として意味がある時間となるように手を差し伸べてほしい。

すべての介護関係者が、誰かの人生の最終ステージに手を差し伸べることができるように、必要な知識をしっかり身に着けていただきたいと願う。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

愉しむことができてこその食事であることを忘れないでください。


看取り介護対象者の最終段階では、すべての人が食事を摂取できなくなります。

嚥下機能が低下して食事摂取が困難となるケースがほとんどですが、それ以前に食事を摂取すること自体が苦行になり、そんなに頑張って食事を摂らせなくても良いのではないかと医師に上申し、医師判断で禁食に至るケースもあります。

食事は人の生命を維持するために必要不可欠なものですので、食事を全く摂れなくなった時点で、最期の瞬間へのカウントダウンが始まります。だからこそ禁食という判断は軽い判断ではありませんし、慎重かつ厳格な医学的見地に基づいて判断されることになります。

でも安らかに人生の最終場面を過ごすということを鑑みるのでしたら、毎回の食事摂取そのものが苦行であることがわかりきっている状態で、それを続けて死期を引き延ばすということは、本来の看取り介護の目的に沿わない行為と言えるのも事実です。それは看取り介護の際に必要とされる、「安心と安楽」を阻害する行為でしかありません。

だからこそいつの時点で禁食とすべきかは、尊厳ある生き方という面からも考えなければなりません。安易に回復不能と判断しないこととともに、人生の最終場面を安楽に過ごすことも同時に考える必要があります。この判断のバランスが重要なのです。そのためには看取り介護対象者への関心を持ち続け、小さな変化にも気が付く五感を研ぎ澄まし、そして何より看取り介護対象者に人間愛を寄せ続ける気持ちが必要不可欠になってきます。

食事とは命をつなぐ栄養であり、健康つかさどる大切な行為であることを十分理解し、そのことを尊重しつつも、それは食事を愉しむことができるという前提があって、初めて成り立つことであると考えることも大事なのです。

毎回の食事が苦行であるにもかかわらず、その状態が回復しないとわかっているのに、生きるためだと仕方なく食事を続けている人などいるはずがないのです。それは普通の状態ではないのです・・・。

僕は全国各地で講演を行う機会を持っていますが、その際、講演の最後にその地域の介護関係者の方々にエールを送る動画を会場で流すことが多いです。その動画には、その土地土地の名物・食文化ともなっている食べ物の画像に、『食は栄養以前に人の最大の愉しみです』という画像を入れています。
食事とは人の最大の愉しみ
上の画像は2/7に講演を行なう千葉市の会場で上映する動画の一場面です。食事摂取介助はとても大切な行為で、正しい介護事業として食事摂取介助法を学ばねばなりませんが、それは命を繋ぐだけのえさを与えるかのような介助法であってはならず、食事の愉しみをきちんと護る介助法でなければならないと思います。

皿の上に乗せられた料理の見た目や、臭い、味、そして他人の口の中にそれらの食事を運ぶ介助者の配慮・・・それらがすべて揃ってこその食事介助であることを忘れてはならないと思うのです。

食事の介助を受ける人の口に食べ物を運びながら、食事介助する職員が利用者の表情に注意を払わず、介護者同士で業務連絡のような会話を交わして姿を恥ずかしく思ってほしいのです。その姿がどれだけ配慮に欠け、プロとして恥ずかしい食事介助法であるかということが理解できるようになってほしいと思います。

食事の愉しみを奪う食事介助をなくしていくことも、僕の大切な役割だと思っています。

ちなみに上の画像が含めれている動画、「LOVE〜明日へつなぐ介護・千葉市編」は下記からご覧になれます。

緊急事態宣言が解けない千葉市の、介護関係者の方々にエールを送る動画です。でも動画の内容は、すべての介護サービス関係者の方に共通してエールを送ることができる内容になっていますので、千葉市以外の地域の方も是非ご覧ください。千葉県外の方には、千葉市ってどういう所かもわかる内容になっているので面白いですよ。

5分40秒程度の動画ですので、週末のひと時をその視聴時間に割いて、介護の使命と誇りを今一度思い出してほしいと思います。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

SWに求められる人生会議における役割


昨日僕は、決してあってはならないミスを犯して、数多くの皆様にご迷惑をおかけした。

午後から京都地域包括ケア推進機構、一般社団法人京都府老人福祉施設協議会、 一般社団法人京都市老人福祉施設協議会共催・施設看取り介護導入研修の講演として、2回目のオンライン生配信が予定されていたのに、日にちを誤って記憶していたため、開始直前に電話をいただいてからそのことに気が付き、その時点から準備を始めたので研修開始時間が15分も遅れてしまった。

研修主催者の皆様や、受講者の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを伏してお詫び申し上げたい。二度とこのようなことがないように、スケジュールの確認を毎朝必ず行うようにしたいと思います。

皆さんの貴重な15分を台無しにしてしまって本当に申し訳ありませんでした。何かの機会にこのお返しをしたいと思いますので、何なりと遠慮なくお申し付けください。

さてここから話を変えたいと思う。

月曜日の記事でお知らせした、ブティックス(株)主催CareTEX365ONLINE「Withコロナの人生会議と看取り介護機が、昨日の朝8時から配信されている。こちらは京都に向けた看取り介護講演と比べると、その1/6の時間で行う短縮版で、1回20分を3回に分けて配信しているものだ。そのため看取り介護の基本中の基本を理解していただけるように、重要点をピックアップして話をしている。
看取り介護オンライン講演
僕はスマホで配信状況を確認したが、無料登録した方は上記の文字リンク先から配信動画に飛べるようになっているので気軽にご覧になってください。見終わった方はアンケートにもお答えくださればありがたいです。

さて看取り介護・ターミナルケアは、今回の報酬改定でも重要なテーマの一つになっている。そこでは介護医療院等の基本報酬の算定要件や、各サービスにおける看取り加算・ターミナルケア加算等の算定要件において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことを求めることとするとされている。

対象となるサービス種別は、短期入所療養介護、小規模多機能型居宅介護、居宅介護支援、特定施設入居者生活介護、地域密着型特定施設入居者生活介護、認知症対応型共同生活介護、介護老人福祉施設、地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護、介護老人保健施設、介護療養型医療施設、介護医療院と広範に及んでおり、これらのサービスにおいては、人生の最終段階の医療とケアの在り方について、本人の意志や推定意思を確認するための、本人もしくは家族と医療・介護関係者が繰り返し話し合う場を設けることが必要とされている。

つまりこれらのサービスでは4月以降、人生会議をシステム化し、本人と医療・ケアチームとの合意形成の話し合いの記録をとっておかねばならず、それがないと運営基準違反もしくは加算要件に合致していないとして報酬返還という事態にもなりかねないわけである。

居宅介護支援事業所にもこの義務が課せられており、利用者に対するマネジメントの一環として、このプロセスをシステム化しておく必要があることを理解しなければならない。

利用者がターミナルケアマネジメント加算の対象状態となる以前から、お元気なうちに人生会議を行う支援が求められているのだ。例えば居宅ケアマネが積極的に、医療・看護関係者と利用者が協議できる場をつくって、そこにケアマネジャーはじめ介護関係者も参加し、利用者の人生の最終場面における医療や介護に対する希望や意志を繰り返し確認しておかねばならないのである。

その為には、医療関係者が参加するサービス担当者会議の場等で、繰り返しその協議を行っていくなどの方法が考えられる。居宅介護支援の業務として、こうしたことがまったく行われていない場合は、運営指導の対象になるという理解が必要だ。

また特養・老健の運営基準には、看取りに関する協議等の参加者として、それぞれ生活相談員・支援相談員が明記されたので、その参加記録も必要になってくる。

このように看取りに関する協議の場に、参加が必ず必要とされたのは、医師でも看護師でもなく、相談員なのである。その意味するところは何であろうか。

それは特養や老健の看取り介護・ターミナルケアに至る過程の人生会議においては、相談員がソーシャルワーカーとして、利用者の代弁機能をきちんと果たすことが求められるという意味ではないだろうか。利用者の表出されない意志や希望を含めた、「真の思い」を引き出す役割が求められているという意味ではないかと推察する。

利用者が意思表示できない場合の、「意思推定」における相談員の代弁機能もより重要となり、日ごろのかかわりの中から、どのような思いを持った利用者であるのかを、チーム全体に知らしめる役割も積極的に求められるということである。

そうであれば在宅で介護支援を受ける利用者にとって、特養や老健の相談員と同様の役割を果たすべきなのは、居宅介護支援事業所の介護支援専門員であろうと思う。

居宅ケアマネがこの役割を積極的に担って、家族間で自分や家族が、人生の最終段階でどこで・誰と・どのように過ごしたいのかということを確認し合えるように、リビングウイルの支援が求められてくるのだということを自覚してほしい。

この部分でソーシャルワーカーとしてのスキルが問われてくることを自覚して、看取り介護・ターミナルケアとはどういう介護実践を指すのかということも、学び直す必要があるかもしれない。

今配信されている看取り介護講演・基本編や、その他全国各地で行っている僕の看取り介護講演も、その参考にしていただければ幸いである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

看取対応の充実で求められた新要件は計画反映させる必要があります(後編)


昨日の記事から続く)
看取り介護計画書と、通常の施設サービス計画書の作成方法に違いがあるわけではない。

しかし昨日指摘したように、人生会議というプロセスの中で確認された、「利用者もしくは家族の人生最終段階における医療やケアに対する希望」については、第1表の「利用者及び家族の生活に対する意向」に正確に反映されなければならない。

本人の意思を反映させることは勿論、意思確認ができなかった場合は推定意思をチーム全体で導き出して反映させる必要がある。さらに家族は何を望んでいるのかなどを明確にすることで、看取り介護に関わるチームメンバー全員が、その意志に沿った寄り添い方を意識して関わることができるようになるだろう。だからこそ計画作成者は看取り介護対象者の、「思い」が伝わる文章を綴ることに心がけてほしい。

そうであるがゆえに、計画書に綴る文章は、文例などのデフォルトに頼るのではなく、計画作成者自身の言葉として表現してほしい。そのためには自分が考えたことを文章にできる能力を向上させる日ごろの訓練も必要だ。(参照:求められる文章力を得る手段

第1表にはそのほかに、「総合的な援助の方針」を記載する必要がある。総合的方針なのだから、チームとしてどのようなケアを行おうとするのかという道筋を明確にしておく必要があり、少なくとも次の3点を記載しておきたい。
1.医師が医学的知見から終末期と判断したという事実とその内容
2.余命診断の結果
3.看取り介護対象者の人生の最終ステージを支援するために求められること(繰り返し行ってきた人生会議で確認された内容など)


本来ここにはアセスメント情報を書く必要はない。例えば利用者が脳卒中後遺症の右片麻痺であるなどとは書く必要はないが、看取り介護計画書に限って言えばこの限りではない。看取り介護対象者がどういう状況で回復不能な終末期という診断に至ったのかをチームメンバー全員に知らしめることによって、意思統一を図ることが期待できる。今私たちが行おうとしていることとは、対象者の人生の最終ステージに寄り添うことであり、ゴールは対象者の死の場面なのだから、それまでに残される人との様々なエピソードづくりを支援しようという覚悟を生む効果も期待できる。だからこそ1と2は確実に記載しておきたい情報である。

逆に言えば、1と2が不明確である計画書になっていた時は、本当にその人が看取り介護・ターミナルケアの対象者であると、医師が医学的知見によって診断しているのかという疑いを持たざるを得ない。

本当に対象者の人生の終末期の介護計画であるのかといった、「あいまいさ」が残されていると、チーム全体の意思統一にも支障を来すので、このことは明確にさせておく必要があるという意味で、終末期判定と余命診断は、総合的援助方針の中に記載しておきたいものである。

そのことは出鱈目な終末期判定を防ぎ、看取り介護と称する偽ものを何年もだらだらと続けるという弊害も防ぐ効果も期待できる。(※過去には医師による終末期判定なしに、経管栄養となった人は、一律看取り介護であるとしているひどい施設もあった。)
看取り計画書記載例
これは、僕が総合施設長を務めていた特養で作成された実際の計画書である。文章表現にはさらなる工夫の余地はあるが、第1表として必要な内容は概ね書かれていると思う。

一番の問題は、計画は実行できてこそ意味があるということだ。美文に踊らされて内容が伴わない計画書ほど意味のないものはない。きちんと実行・実現できる内容にしていただきたいことも、併せて指摘しておく。

なお看取り介護計画書の第2表に入れておきたい内容については、次の9点を挙げておく。もちろんこれは例示に過ぎず、それ以外にも必要なことはケースごとに加わってくるだろう。
1.安心のための説明・声かけ
2.安楽のための環境どくり・対応方法(体位交換など)
3.清潔支援・口腔ケアの方法・入浴支援
4.食事支援→食べられなくなっても味わうことは可能であることにも配慮したい。
5.排泄支援→羞恥心と自尊心を失わないために求められる方法論
6.心身活性化→活動参加は看取り介護中でも不可能ではない→安楽姿勢で活動参加
7.睡眠支援
8.医師の関わり→体調変化についての随時説明等
9.家族・親族・知人・職員等との関係を途切れさせないための支援計画


億の看取り介護講演では、この第2表についても記載例を示して説明することが多い。

今月19日から来月12日までの間に、3回に分けて計360分の看取り介護講演をオンライン配信する予定になっているが(京都地域包括ケア推進機構、一般社団法人京都府老人福祉施設協議会、 一般社団法人京都市老人福祉施設協議会共催・施設看取り介護導入研修 機法△修海任2021年度介護報酬改定によって、看取りに関して新たに求められる要件等を解説するとともに、それらに対応した計画作成の方法にも触れる予定である。

本講演を受講予定の方は、そちらで大いに学んでいただきたい。オンラインなので質問もしやすいと思うので、忌憚ない意見をいただくことも期待しています。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

看取対応の充実で求められた新要件は計画反映させる必要があります(前編)


2021年度の介護報酬改定の柱の一つ、「地域包括ケアシステムの推進」の中で、「看取りへの対応の充実」として、看取り期の本人・家族との十分な話し合いや関係者との連携を一層充実させる観点が取り入れられている。

介護施設等の看取り介護加算やターミナルケア加算については、現在は死亡日から遡って30日までしか算定できないが、これを死亡前45日まで遡って算定できるように改定されている。下記は特養の新算定構造図である。
看取り介護加算の新算定構造
このように看取り介護・ターミナルケアについて今以上に報酬評価することによって、その充実を促しているわけである。

またすべてのサービス種別における、看取りに係る加算の算定要件において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことが求められている。

つまり介護事業種別に関係なく、看取り介護加算やターミナルケア加算の算定事業者は、このガイドラインに沿った対応を行っていなければ、当該加算の算定要件違反となり、加算報酬を返還しなければならない事態にもなりかねないという意味である。

ガイドライン自体はA4用紙2枚ほどの内容なので、それをじっくり精読して、何が求められているのかを理解することは難しくないと思うが、国はそのイメージを下記の図で示している。
看取り介護イメージズ
ここで求められていることは、人生の最終段階における医療やケアの在り方について、どのような方法や選択肢があるかということについて、介護サービス利用者に対し多職種連携チームからきちんと説明・情報提供されたうえで、本人の意志を確認し、その意志に基づく終末期支援が行われること、もしくは本人の意思確認ができない場合に、あらゆる情報を参考にしてその意志を推定し、推定意思を尊重した終末期支援が行われることを求めているのである。

ここで重要になることは、「心身の状態に応じて意思は変化しうるため繰り返し話し合うこと」が求められていることであり、人生会議を繰り返し行いながら、リアルタイムの意思確認が求められているということである。

そしてここで必要とされる、「看取りに関する協議等」については、特養では生活相談員、老健では支援相談員の参加が義務付けられることになっている。その意味は相談員がソーシャルワーカーとして、利用者の代弁機能をきちんと果たして、利用者の表出されない意志や希望を含めた、真の思いを引き出す役割が求められているのだろうと思う。

利用者が意思表示できない場合の、「意思推定」における相談員の代弁機能もより重要となり、日ごろのかかわりの中から、どのような思いを持った利用者であるのかを、チーム全体に知らしめる役割も積極的に求められると言ってよいだろう。

例えば僕が以前総合施設長を務めていた特養では、「延命に関する宣言に関わる相談員の役割」という記事で紹介しているように、リビングウイルの宣言として、「延命に関する宣言書」という書式で、利用者もしくは家族の人生最終段階における医療やケアに対する希望の確認事項を記録として残していた。

こうした宣言書も心身の状況の変化に合わせて修正が行われて当然であり、繰り返し行われる人生会議のたびに、以前に作成した宣言書の内容がそのままで良いか、修正する意思はないかということを確認する必要があるだろうし、その役割は相談員が担うべきだろうと思う。
※ちなみに、昨今の押印廃止の流れに基づき、この書式の署名・押印も廃止するべきだろうと思う。

このようにして人生会議では、人生最終段階における医療やケアに対する希望が繰り返し確認されていかなければならないわけだから、いざ看取り介護に移行する際には、看取り介護計画書にも、最終的に確認されたその意志は反映されなければならない。

特に第1表の、「利用者及び家族の生活に対する意向」には、人生会議というプロセスの中で確認された、「利用者もしくは家族の人生最終段階における医療やケアに対する希望」が正確に記載される必要がある。

では具体的にそれはどのように記載されるべきだろうか。2021年介護報酬改定における看取りに係る加算の新算定要件に対応した看取り介護計画書・ターミナルケア計画書の1表・2表の記載例を示したいと思うが、字数が多くなったので、このことは明日の続編に書きたいと思う。(後編に続く)
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

ますます重視される看取り介護・ターミナルケア


施設サービスの報酬改定の方向性をみると、特養の看取り介護加算・老健のターミナルケア加算の部分で、その取り組みをより高く評価するルール変更が行われていることがわかる。

両者ともに新たなルールとして、「人生の最終段階における医療・ケア決定プロセスにおけるガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことが算定要件に加えられる予定となっている。

このガイドラインは、人生会議(ACP)の取り組みをシステム化するよう促す内容になっていて、終末期の医療やケアの提供方法について、あらかじめ本人による意思決定を基本としたうえで、その意志は変化しうるものであることを踏まえ、本人と医療・ケアチームとの話し合いが繰り返し行われるように促すものだ。

本人が自らの意思を、その都度示すことができるシステムを構築することがなにより重要視されているのである。

そのうえで、終末期における医療・ケアの方針の決定手続について、本人の意志が確認できる場合と、確認できない場合に分けて、複数の専門家からなる話し合いの場を別途設置し、検討・助言を行うシステムを構築するように具体策を示したものである。

今後は、特養の看取り介護と老健のターミナルケアの場面だけではなく、特定施設入居者生活介護と認知症対応型共同生活介護・小規模多機能型居宅介護の看取り介護、居宅介護支援事業所のターミナルケアマネジメント場面でも、このガイドラインに沿った取り組みが求められることになる。

そのうえで特養の算定要件には、看取りに関する協議等の参加者として、生活相談員を明示することとしている。

一方で老健ターミナルケア加算の算定要件に、支援相談員の介入を明示しない理由は、老健が医療系サービスであり、ターミナルケアの専門家である医師が常勤配置され、看護師も多数いることで、それらの職種が介入すれば問題ないからであるという意味だろう。そもそも常勤医師を差し置いて、支援相談員を参加職種と指定することにはばかりがあるのだろうと想像する。

このことは特養の看取り介護加算の要件に、「定期的な看取り介護研修」の実施が求められているのに、老健のターミナルケア加算の要件に、特段の研修要件が存在しないことと似ている。老健は中間施設ではあるが、医療系サービスとしてターミナルケアの専門機関でもあると認められているという意味である。

しかし今回の特養の看取り介護加算と、老健のターミナルケア加算における最も重要な変更点は、算定期間が延長され、看取り介護とターミナルケアの取り組みについて、今以上の報酬評価がされることになるという点だろう。(下図参照)
改定後の特養の看取り介護加算
看取り介護加算
改定後の老健のターミナルケア加算
ターミナルケア加算
このように、現在は死亡日から遡って30日間しか加算算定できないが、2021年4月以降は、死亡日以前31日以上〇日以下の単位が新設される。

これは算定日数期間を超えて看取りに係るケアを行っている実態があることを踏まえ、看取りへの対応を充実する観点から、看取り介護加算の算定日数をより早期とすることにしたものである。

この新設単位は、現在の上限の30日までの算定合計単位の中で振り分けて、死亡日等の算定単位を減らしたうえで、より長い期間の単位算定ができるようにするものではないと思う。

そのような姑息な給付抑制策をとらず、おそらく算定期間が延びる分、看取り介護加算・ターミナルケア加算の最長算定単位数は増額するものと予測できる。よって看取り介護・ターミナルケアの取り組みは、施設経営を考えるうえでより重要になってくるのである。

しかし懸念される問題もある。算定期間が延びるということは、できるだけ最長期間の加算算定を望むあまり、終末期判定が甘くなったり、あいまいになったりしないかという問題である。

現在でも年単位に及ぶ長期間の看取り介護と称する、えせ看取り介護・えせターミナルケアが行われているケースがあり、その最大の原因は、医師の終末期判定や余命診断がきちんと行われていないという問題である。それは医師としての専門性や、倫理観が疑われかねない大問題である。

そうしたことが起きないように、終末期の判定基準も厳粛にして、必ず余命診断も行い、計画書にそのことを含めて記載するようにしていただきたい。
新刊表紙カバー
なお終末期判定や余命診断の問題点や、看取り介護・ターミナルケアの具体的な方法論については、拙著「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」で詳しく解説されており、そこそこ評判も得ているので、ぜひ一度手に取ってご覧になっていただきたい。

看取り介護・ターミナルケア以外の施設サービスの改定動向については、「報酬改定で施設介護職員は業務負担増加へ」で解説した方向性が、昨日(11/26)の介護給付費分科会資料でもそのまま書かれている。

そのほか新たに目についた点としては、老健入所者が退所後に利用を希望する居宅介護支援事業者との連携を評価する新加算が創設されそうであることや、特養の日常生活継続支援加算と、特定施設の入居継続支援加算の算定要件である、「介護福祉士数が常勤換算で6:1」の要件については、テクノロジーを活用することを条件に、「7:1」に緩和する案も示されていることなどが挙げられる。

どちらにしても施設関係者の方は、張り付けた文字リンク先の資料を通読すべきである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

看取り介護の基本的考え方をまとめたコラムについて


僕は今、介護機関誌や介護関連ネット公式サイトに、4つの連載記事を毎月書いている。

過去には最大7つの連載を持っていた時期があるが、冊子の廃刊や連載の終了などで、現在は定期的に書いているのは4本の連載記事のみである。

だからと言って毎月執筆する原稿が4本しかないわけではない。そのほかに随時原稿依頼が寄せられるので、それに応えることで月に執筆する原稿数は異なってくる。よって執筆すべき原稿数の最低が月4本という意味でしかない。

今月も連載原稿以外の執筆依頼があって、5.000字を少し超える原稿を書いて入稿した。

依頼主さんは、介護・老人ホームに関するWebメディア「老人ホームマスターガイド」を運営する、東晶貿易株式会社さんである。

依頼された内容は、「看取り介護について」ということで、僕の知識や経験をもとに自由に執筆してほしいとの依頼であった。字数も5.000字程度ということだったので、このテーマでその字数であれば、さして苦労せずに書き上げることができる。そういう意味では大変ありがたい依頼であり、喜んで執筆させていただいた。

書き上げた原稿は、昨日までに校正を終え入稿させていただいた。それが今日ネット上にアップされた。

その記事が、「【看取り介護】最期まで人間としての尊厳を保障し命のバトンを繋ごう!」である。

今まで自著本や、このブログでも看取り介護をテーマにした記事はたくさん書いてきたが、今回は今現在の状況も踏まえたうえで、看取り介護とは何かという基本的な考え方についてまとめてみた。

自画自賛するようで恐縮だが、我ながらわかりやすく、うまくまとまっているのではないかと思う。

5000字といえば、400字詰め原稿用紙で13枚弱の量ではあるが、その枚数を感じさせないくらい、読みやすい記事になっていると思うので、是非張り付けたリンク先の記事を参照していただきたい。

今日はそちらの記事をメインに読んでいただきたいので、本記事はいつもより短くなるが、本日はこれで終了とさせていただきたいと思う。
※表の掲示板で今日は通所介護の改定に関する記事を書くと書きましたが、予定変更でその記事は明日に回します。)
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】





※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

訪問介護の看取り介護加算新設は当然の流れ


22日の介護給付費分科会では、訪問介護・訪問入浴・訪問看護・訪問リハビリ・居宅療養管理指導の論点が検討された。(参照:第189回社会保障審議会介護給付費分科会資料

このうち訪問介護では、「ターミナルケアや看取りに訪問介護員が関わることが不可欠となることから、適切に評価すべきではないか。」として、看取り介護加算の新設が検討課題に挙げられた。

死者数が増える中で、医療機関のベッド数が減る日本社会では、死ぬためだけに医療機関に入院しなくて済むように、居所で最期の瞬間まで、「生きる」支援が重要になる。

地域包括ケアシステムの目的の一つも、住まいがそのまま看取り介護の場となることであるのだから、在宅者の看取り介護を支えるチームの一員となる訪問介護員の役割も益々重要になるという意味では、訪問介護にも看取り介護加算を新設することは当然だろうと思え、来春の報酬改定でその実現が図られることは間違いないだろう。

このことに関連して看取り介護スキルを含めた教育面では、「本人の意思決定支援が重要であり、このような倫理面も含めた研修を各種サービスで充実していくべきではないか。」として、人生会議(ACP)に関与するスキルアップを念頭に置いた課題も示されている。

同日の会議でも、ヘルパーを対象とした適切な看取りに関する研修を充実させるとともに、それを受けやすい環境の整備を図るよう促す声が挙がっている。

そのため今後は、訪問介護員だけではなく、施設・居宅サービスにかかわるすべての関係者に、看取り介護に関する知識を得る機会が重要視されることになる。

そういう意味でも、「看取り介護研修」はとても重要となってくるが、そこで誰が教えるのかということが一番の問題となってくる。当然そこでは医師や看護師を講師に迎えようとする考え方が生まれてくるだろう。しかし僕は看取り介護研修の講師として、医師や看護師はふさわしくないと思っている。

そもそも僕自身や、僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人でも、過去に医師や看護師を招いて、ターミナルケア・看取り介護に関する研修を行なた経験はあるが、そのどれもが役に立たなかった。そのため結果的に、僕のいた法人の看取り介護の講師役は、僕自身が務めることが多かった。(参照:看取り介護研修週間について。 ・ 看取り介護研修週間2011

医師や看護師は、ターミナルケアに関する知識と対応技術を備えた職種であることに異議はない。

だからと言ってその講師としてふさわしいかというと首をかしげる。研修講師というのは、自分が知っている知識をひけらかすだけでは意味がないからだ。受講者はどのような行為に対する知識不足の状態なのかを理解し、課題解決のためにどのような知識を求めているかという理解をもとにして、伝えるべき内容を決める必要がある。

自分だけが実践できるターミナルケア・看取り介護の方法であってはならず、チームとして機能するための情報や知識を伝えねばならないのだ。

その為には、医療職と異なり、できる行為に制限がある介護職員等が、できない行為がある中で抱える不安についてもアプローチして、行為として行えないことがあっても、看取り介護の実践の場では、そのことが支障にならないことを伝えねばならない。

医師や看護師から見て、介護職員に単に、「やってもらいたいこと」を話したって意味はないわけである。

介護施設等の居住系施設や居宅という医師や看護師が常時いるわけではない中で、どのように看取り介護が実践できているのかという実態を知悉した上での講義でなければ意味はない。医療機関でしか通用しない方法論も必要ない。

このブログで何度も指摘してきたが、看取り介護に関わる者は、終末期に起きる身体状況の変化に対応する知識などを備え置く必要はあるが、それはあくまで介護の知識であって、看取り介護の知識ではないことを知らねばならない。私たちが向かい合う人が、すべて看取り介護を受けて死を迎えるわけではなく、私たちは急死・突然死にも向かい合う必要があるからだ。

そして看取り介護とは、病状等が回復不能な状態で、かつ延命治療を行わずに概ね半年以内に死を迎えると予測される人に対して行われる介護を意味していることを理解する必要がある。そこで求められるのは、死期が迫ってくるという不安を抱える人の心の支えとなるともに、リビングウイルの視点から苦痛取り除くための医療サービスを結び付けながら、安心と安楽のうちに最期の瞬間を迎える過程を支える日常支援であり、特別な介護ではないという理解も必要だ。

終末期判定があいまいになり、余命診断もしない状態で、「看取り介護対象者」だと決めつけるのはは、「未必の故意による死への誘導」ではないだろうか?夜間の見回りと見回りの間に息が止まっているのは、「孤独死」ではないのか?看取り介護だからと言って、密室の中で日中でも部屋を真っ暗にして放置されている人もいる。それって、「見捨て死」ではないのだろうか?

そんな問題提起と、そうしたことをなくすための具体策も必要だ。

同時に死期がある程度予測されているからこそできることがある。それは旅立ちの瞬間までの間に、この世で縁を結んだ人たちとエピソードを刻みながら、別れを意識した時間を過ごすことである。そのために心を込めて、心にかけて護るという介護の本質を実現することができるのが、「看取り介護」であることを伝えるのが、看取り介護研修講師の役割である。

そんな講師役を京都地域包括ケア推進機構、一般社団法人京都府老人福祉施設協議会、 一般社団法人京都市老人福祉施設協議会共催・施設看取り介護導入研修において、2年連続で務めることになった。

昨年は2日間で6時間の講義を行ったが、今年度は来年1月と2月に、3回に分けてオンライン講演を行なう予定になっている。その内容は以下の通りである。 

看取り介護実践の基本
第1回:ヾ納茲蟆雜遒隆霑鍛亮
・看取り介護とはどのような介護か
・介護施設で看取り介護が求められる背景
・看取り介護に備えるために必要とされるリヴィングウイルの支援とは何か
・死を語る意味とは愛を語ることに他ならない

第2回:看取り介護の開始から終了までの手順
・判定〜説明同意〜計画作成〜連絡・連携〜実施〜終了〜評価までの具体的な流れ
・必要な書式
・求められるPDCAサイクル
・看取り介護加算の算定要件
・職員のメンタルケア
・遺族のグリーフケア

第3回:4納茲蟆雜遒亮尊
・介護施設で行われた看取り介護の事例
・看取り介護の今後の課題 〜Whitコロナの人生会議と看取り介護
・スピリチュアルペインの受容
・命の尊さを理解しながら看取り介護に関わる姿勢

今回も看取り介護の不可欠な基礎知識と、実践に即した方法論を、わかりやすく伝え、受講された皆さんが、看取り介護実践の場で、不安なく適切な支援ができるようになる講義に努めるので、是非楽しみにしてほしい。

今回は会場でお愛できないが、画面を通じて繋がり愛ましょう。
命の尊さ
※介護事業経営に不可欠なランニングコストをリスクゼロで削減できる新情報を紹介しています。まずは無料診断から始めましょう。電気代でお困りの法人・個人事業主様へ、電気コスト削減!【ライトでんき】


登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。




※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

高齢者に必要な治療を行わないことを看取り介護とは言わない


全国の特養の8割以上が、看取り介護加算の算定届を行っている。しかし本当の意味で、「看取り介護」を行っている施設はそんなに多くない。

看取り介護加算の算定要件をクリアして、施設内で亡くなる状態を、「看取り介護」と称しているだけの施設も多い。しかしそれだけで看取り介護を行った気になられては困るのだ。

少なくとも看取り介護と称するならば、逝く人・残される人、それぞれが残り少なくなった命の期間を意識した様々な思いが交錯する、「出来事」が生まれなければならない。

褥瘡をつくらず、身体を清潔に保って、安楽に最期の時間を過ごすように支援するのは当たり前である。それは介護のプロとして終末期に関わる者が最低限保証すべき状態であって、特別なことではない。

それに加えて、この世生まれ生きてきた人が最期に刻む、「時:とき」を意識しながら、最期まで人として生きてきたエピソードを刻むための支援が求められるのだ。

漫然と死を待つだけで、看取り介護対象者が他者と十分な関わりも持たずに、寂しく哀しい状態を放置しても、加算の算定要件はクリアできるかもしれない。しかしそれは本当に看取り介護ではない。

日がな一日、カーテンが閉ざされた部屋で、介護職員がルーチンワークをこなすだけで、他の人とは一切関わりを持たずに何日も過ごした挙句、たった一人で旅立っていったとしても加算要件さえクリアすれば看取り介護を行ったということができる。しかしそこで逝った人は、人生の最終ステージに生きる意味や、この世に生きてきた喜びをかみしめることができたのだろうか・・・。

残り少なくなった人生の期間を意識しながら、「自らの人生の最終ステージ」を尊厳ある人として生きることを支えるのが看取り介護である。そこで最期のエピソードを刻むことができることに意義がある。看取り介護対象者に意識が無いとしても、残される遺族や近しい人が、その最期の時間を意識した関わりを持つことができる期間が、看取り介護の実践期間でもあるのだ。

僕が特養の施設長を務めていた際には、看取り介護対象者の部屋には1日最低1回は訪ねて、意思疎通ができない人であっても、非言語的コミュニケーションを取ることに努めていた。僕だけではなく、介護職員以外の事務職等、様々な職種の従業員が看取り介護対象者の傍らで過ごす時間を創り出して、一人で寂しく過ごす時間を少しでもなくすようにしていた。そうした数々の、「思い」が看取り介護対象者のベッドサイドに集まる取り組みを、「看取り介護」と呼ぶのである。

ところで看取り介護の対象となる人とは、「医師が一般的に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者であること」とされており、医師の終末期診断が必須とされている。

治療効果がなく回復の見込みがないという確定診断を行っているからこそ、救急救命の対象ではないとして、救急搬送をする必要もなくなるわけだ。

しかしこのことを拡大解釈して、「もう年だし、十分長生きしたので、何かあっても救急車は呼ばずに、そのまま施設で対応してください。」と要求する家族がいて、それに応えるべきか迷っているという相談を受けたりする。(※参照:表の掲示板のスレッド、「施設での救急対応について」

張り付けたリンク先スレッドの僕のコメントも読んでいただきたいが、こんな要求に応えるなんてことは許されない。迷うような問題でもないのである。

我が国では、「尊厳死・安楽死」は認められていないのである。看取り介護はあくまで、「自然死」につなげるものでなければならず、時にそれは「平穏死」などと表現されることはあっても、治療できる病気を放置して、救急救命もせずに死に至らしめることは許されておらず、そんな行為は犯罪でしかない。

一般的に認められている医学的知見とは、「終末期とは、積極的な医療がないと生命の維持が不可能であり、またその医療を必要としなくなる状態には回復する見込みがない状態の時期」でしかなく、どんなに高齢であっても治療を試みてみないことには終末期とは判断できるはずがなく、その治療の試みを行って始めて医師の判断として「回復の見込みなし=終末期」とされるのである。

口からものを食べられなくなった人であっても、胃瘻による経管栄養を行えば延命は可能だが、あえてそれを行わずに死に至るというのは、口から食事を摂取する状態には回復しない状態で、その人自らが自分の生命を維持できなくなった状態にあると医師が診断して初めて経管栄養を行わないという結論に至るわけである。

医師の診断や介入がない状態で、家族が勝手に救命しないでというのは、「殺人教唆」でしかない。このことを看取り介護に携わる関係者すべてがしっかりと理解しなければならない。

そうであれば、看取り介護にはいかに医師の判断による、終末期診断というものが重要かということがわかろうというものだ。

そして終末期とは、「数週間ないし数カ月(およそ6ヶ月以内)のうちに死亡するだろうと予期される状態になった時期」であることも、一般的に認められている医学的知見なのであるから、看取り介護が1年にも及んでいる状態がいかに不適切であるかということもわかりそうなものだ。

このあたりの理解不足をなくしていかないと、看取り介護を実践しているという場所で、治療を放棄した緩慢な死への誘導が行われかねないのである。それは殺人と同じである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、電子ブレーカーで電力料金を賢くコストカットしませんか?をクリックしてください。
まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

人生会議に介護関係者として参加するための資質


次期介護報酬改定議論の中で、地域包括ケアシステムの推進として<看取りへの対応>が取り挙げられている。

そこでは、「 人生の最後まで、どう尊厳が保持され、本人の意思がいかに尊重されるかということが非常に重要。人生の最終段階における意思決定を行う上で、4つの倫理原則に基づく意思決定支援の在り方を重視していくことが必要ではないか。現場で実行可能で、本人の意思を尊重できるよう、具体的かつ丁寧なガイドラインが必要ではないか。」という課題が挙げられている。

このような観点から平成30年度介護報酬改定においては、訪問看護や看多機等において、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」等の内容を踏まえた対応を行うこととされたところであるが、次期報酬改定でも「人生の最終段階においても、利用者の尊厳を保持し、本人の意思に沿ったケアを進める観点から、どのような方策が考えられるか。」というテーマに沿う形で、看取り介護・ターミナルケアの評価が行われることになる。

ところで本人の意思尊重過程で重要であることが示された4つの倫理原則とは何かがすぐ思い浮かんだ介護関係者はどれほどいるだろうか?

それは以下の4原則だと思う。
1.自立尊重原則(クライエントの自由に独立して考えた事を尊重しこれに従う事)
2.善行原則(クライエントに対して善行を行なう事=クライエントが考える最善の利益も考えに入れた判断を行うこと)
3.無危害原則(人に危害を及ぼすような行動をしてはならない)
4.正義原則(社会的な通念の正義を全うする事)

この原則は生命にかかわる全ての分野で基礎とすべき倫理とされているが、医療関係者には馴染み深いものの、介護関係者にはあまり浸透していない考え方だと思うので、これを機会にその原則を理解していただきたい。なぜならこの4原則は、今後の人生会議では頻繁に使われる言葉となってくるものと思え、その理解がないことが医療関係者との意思疎通の障害となる恐れがあるからだ。

どちらにしても超高齢・多死社会における看取り介護は、そこに至る過程で必要とされる人生会議(ACP)が重要であることが強く意識され、報酬改定もその考え方に沿った内容にシフトしていくと思われる。

いうまでもなく人生会議(ACP)とは、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に、現在の病気だけでなく、意思決定能力が低下する場合に備えてあらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うことや、意思決定が出来なくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておくプロセスを意味するものだ。

人生会議という過程を踏むことによって、対象者の人生観や価値観、希望に沿った将来の医療及びケアを具体化することを目指しているのである。

人生会議に携わる介護関係者も、その本来の目標を見失わないようにしてほしいし、同時に人生会議の中で、その目標を達成できる情報提供やアドバイスを行なえるようなスキルを身に着けてほしい。

そうしたスキルがなければ、人生会議に携わっても、ただ単にそこに居るだけで、医師や看護師から指示・命令されるだけの存在になりかねないからだ。それでは介護関係者として人生会議に携わる意味がなくなるのである。

看取り介護対象者に必要とされる治療を含めた医療については、不必要な延命治療を行わなくても良いのではないかということを含めて、医師から説明され、その際にほかに取り得る医療サービスの在り方も示されるものと思える。この部分について、介護関係者から対象者本人や家族に示すことのできる情報等はほとんどないだろう。

しかし終末期に必要な暮らしの支援について、介護関係者という立場で情報提供を行うことは非常に重要である。しかしその情報とは、何をするか・どうするかという押し付けではなく、看取り介護対象者や家族が選択しうる情報でなければならない。

自宅で看取る際に使いうる介護サービス情報のほか、どこのどんな場所で、どんなふうに看取り介護が行われ、それは残された遺族にどのような影響を与えているのかという情報も貴重な情報だ。介護関係者は、そうした地域事情に精通して人生会議に臨みたいものである。だからこそ今以上に地域の介護資源情報を集め、精通しておく必要があるのだ。

特に居宅介護支援事業所の介護支援専門員は今以上に、どこでどのような看取り介護が行われているかという情報集めに努めていただきたい。看取り介護と称した、「施設内孤独死」が存在していないのか、看取り介護中に職員のマナー意識のない言葉遣いと対応に遺族が傷ついたり、トラブルになったケースはないのかということには特に注目してほしい。

その前に介護関係者には、看取り介護とはどのような介護なのかということを含めて、基礎からその勉強をしていただきたいと思う。その際にはぜひ僕の看取り介護講演も聴いていただきたい。

そんな看取り介護講演については、僕にとって嬉しい情報がひとつ入ってきた。今年1月、京都府老施協の看取り介護講演(入門編)として2日間で6時間の講演を行なったところ、その内容が大評判となって、来年も同じ講演を行うことが決まったのである。ただし次回は2021年1月〜2月まで1回2時間の講演を計3回、オンライン講演で行う予定にしている。

今後の看取り介護講演は、「withコロナ」の視点を取り入れて、新しい情報と知識も伝える予定なので注目していただきたい。

このようにオンライン講演も随時受け付けているので、興味のある方はメール等で気軽に相談いただきたい。

さて6日(日)から、「介護施設等の人員配置基準緩和(削減)に関するアンケート」を行っている。その結果はこちらからも見ることができ、すでに多くの方々の協力を得ているが、引き続き介護実務に携わる人の生々しい声を集めたいと思っているので、投票がお済でない方は是非協力をお願いしたい。
リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、電子ブレーカーで電力料金を賢くコストカットしませんか?をクリックしてください。
まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。

登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

withコロナの人生会議(ACP)


介護施設をはじめとした居住系施設では、今現在でも利用者への面会制限が続けられていると思う。

新型コロナウイルスの新規感染者が次々と発生している現在の状況では、共同生活の場である介護施設等でいつクラスター感染が発生してもおかしくないので、そのリスクをできる限る減らすためにも、面会制限は続けざるを得ない。

このように全国のほとんどの介護施設等が、これだけ長期間面会制限を続けているという状況は、この国始まって以来のことではないかと思う。

介護施設が面会制限を行う例は過去にもあった。例えばノルウェー疥癬やインフルエンザ・ノロウイルス感染などの集団発生が見られた施設が、一定期間の面会制限を行った例は数多くある。しかしその際の制限は施設単独で、期間もせいぜい1月程度であったと思う。

しかし今回のコロナ禍での面会制限は、長いところですでに4カ月にも及び、しかも全国ほとんどの居住系施設でその状態が続いているのだから異常である。だからこそ制限が長期間に及んで生ずるストレス管理にも意を用いなければならない。

感染予防がまず大事だといっても、人の暮らしの場でもある介護施設が、利用者の暮らしの不便を完全に無視して制限を続けることに問題がないはずがない。介護施設の関係者の方々は、そのことがどれだけストレスフルな暮らしを生み出しているかということを、自分の身に置き換えて考えてほしい。自分が今いる場所から一歩も外出できず、外の誰とも直接会ってコミュニケーションを交わすことさえできない状態が、これだけ長く続くことが自分の身に降りかかったとしたらという視点で問題を捉えてほしいと思う。

だからこそ常に制限緩和に向けた動きを模索しなければならない。昨日の記事にも書いたが、介護事業経営者や管理職は、制限はどこまで許されるのかという自問自答を常に行わねばならないし、機械的に制限ルールを適用するのではなく、個々のケースで常に例外を考る必要があるのだ。

特に面会制限を行っている施設内で、看取り介護を行っている人に対するケアはどうすべきかは大きな問題である。そのなかでも看取り介護対象者の面会をどのように考えるかということは大きなテーマとなるだろう。

看取り介護とは、その対象者がまさに人生の最終ステージを生きる過程に手を差し伸べる行為だ。そこで機械的な面会制限が行われるということは、家族と直接コミュニケーションを交わすことなく旅立っていかれることになるかもしれないということだ。誰とも会えずに、「寂しい、逢いたい」と言いながら亡くなる人がいるかもしれなくなることは、「仕方のないこと・やむを得ないこと」という一言で片づけてよい問題ではないと思う。

看取り介護の方についてもリモート面会ができ、顔を確かめ会話もできるから問題ないという意見もあるだろう。しかし看取り介護対象者が最終ステージに近づく時期とは、家族との言語的コミュニケーションは極めて難しくなる時期である。そこでは意識が薄れている看取り介護対象者の手を、愛する家族が握りしめ、体をさすりながら非言語的コミュニケーションを交わすことが重要となる。そうした別れ際のエピソードを心に刻むことは、遺される家族にとって非常に意味深いことなのである。リモート面会ではそうしたことは不可能だ。

聴覚障害がない人については、最期まで耳は聴こえると言われており、非言語的コミュニケーションが中心となる時期であっても、家族が意識が薄れた看取り介護対象者に声をかけ続けることは大事である。しかし機械を通して電波によって声を送るという方法が、直接声をかけているときと同じように看取り介護対象者の耳に届き伝わるのかは大いに疑問だ。

もともと高齢者は、直接会話するときに聞き取れている言葉でも、テレビ画面から流れる音声としての言葉を聞き取れない場合が多い。リモート面会では、意識の薄れている人に声が届けられない恐れが多分にあるのだ。

だからこそ健康チェックを受けた家族が、職員と同じように感染対策上の防護対策を取ったうえで、決められた場所と時間において、少人数であっても面会できるように、例外規定を設けることは必要不可欠なのである。面会制限期間であっても、看取り介護対象者の場合の基本原則は、「節度ある方法による面会を、例外的に認める」という考え方でなければならない。

そのために施設側は、面会者に装着するマスクや簡単装着できる「フェイスシールド」くらいは常備して、面会者につかってもらうようにしておくべきだろう。


ただし前述したように、面会時間制限・人数制限・場所指定・予約制などの条件設定は必要だと思える。

このような制限が必要になることを前提すると、人生会議(ACP)のあり方にも影響が及んでくるのではないだろうか。

人生会議(ACP)は、人生の最終段階における医療とケアのあり方を、本人の意思を最大限に取り入れて決めることであり、複数の専門家で構成する話し合いの場を繰り返し設定して、心身の状態によって変化しうる、揺れ動く利用者のリアルタイムの意思を確認する過程を指す。

6/1に行われた介護給付費分科会の資料、【資料3】令和3年度介護報酬改定に向けて(地域包括ケアシステムの推進)の中でも、国民一人一人が、希望する人生の最終段階を迎えることができるようにするために人生会議の重要性は強調されているわけであるが、そうであれば仮に自分が介護施設等で看取り介護を受ける場合、感染症対策として面会制限が適用される時期に、どのような制限を受けざるを得ないかということを、あらかじめ人生会議(ACP)として説明しておく責任が介護施設関係者には生じてくるだろう。

面会制限がどのような状況で行われるのか、リモート面会は可能か否か、面会制限が行われた場合に看取り介護対象者も同じように制限を受けるのか、例外規定はあるのかないのか等々を説明すると同時に、感染予防対策下の場合、「リモート面会のみで良いか」・「特例的に直接会ってお別れしたい人がいるか否か」・「面会が許される場合も、人数制限が行われる可能性が高いが、自分が終末期になった時に逢いたい人の優先順位はあるかどうか。ある場合はどのような人から先にお別れの時間を持ちたいのか」等を確認しておく必要もあるのではないだろうか。

確認事項の中には、聞きづらい内容も含まれてくるかもしれない。特に逢いたい家族の優先順位をつけることには、家族の好き嫌いの順位付けをするようなものだとして嫌悪感を覚える人がいるかもしれない。

しかしこれらの確認は、すべて看取り介護対象者が希望する人生の最終段階を迎えることができるように、本人にとって最善の方針をとるために必要であるという視点から、心理的負担にならないように配慮しながら、確認しておきたいことである。

当然その内容によっては本人や家族が、知りたくない・考えたくない・文書にまとめたくないというものも存在する可能性がある。そうした思いを持つ方々への十分な配慮が必要になることは当然だ。だからこそ自分や愛する誰かの、「死」について語ることをタブーにせず、日常的にそのような話題を挙げて話し合う機会を持つことが出来る社会にする必要があるのだと思う。

そういう社会基盤があってこそ、自分や愛する誰かの死に関して繰り返し話し合うことができ、そこで忌憚のない意見を交わしあって、心身の状態に応じて変化しうる意思に沿った、「安らかに最期の時を過ごす」ということが実現し、安心と安楽の看取り介護につながっていくのではないだろうか。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※リスクのない方法で固定費を削減して介護事業の安定経営につなげたい方は、介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まりますを参照ください。まずは無料見積もりでいくらコストダウンできるか確認しましょう。




※別ブログ
masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

人生会議は通過儀礼ではなく免罪符でもない


6月1日に行われた介護給付費分科会資料を読むと、【資料3】令和3年度介護報酬改定に向けて(地域包括ケアシステムの推進)の中では、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)に関連した内容が、そこそこのボリュームで記されていることに気が付く。

ACPとは、「人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」であり、「人生会議」という愛称がつけられていることは、今更言うまでもない。

地域包括ケアシステムとは、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が包括的に確保される体制なのだから、死ぬためだけに医療機関に入院しないことを目的の一つとしている。

よって地域包括ケアの更なる深化を目指すために、暮らしの場で最期の瞬間まで過ごせるための取り組みが必要とされる。そのため医療機関以外での看取り介護・ターミナルケアが推進され、診療報酬も介護報酬も、その取り組みに対して手厚く加算等が算定できる方向性がとられている。そして看取り介護の知識や技術の獲得のための方策もとられ、医療関係者だけではなく、介護関係者にも終末期支援のスキルが求められていく。

しかしその前提にあるものは、人生の最終段階において、本人の意思に沿った医療・ケアが行われるようにすることであり、その意志に沿った支援が、いつでもどこでも行われるために、保健・医療・福祉・介護に携わるすべての関係者にそのスキルが求められているという意味である。

「人生会議」はその前提創りに重要な役割を果たすものであるのだから、ここにもすべての関係者の参加・助言できることが望ましいのである。

そのために同資料の39頁には、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」 における意思決定支援や方針決定の流れ(イメージ図) (平成30年版)が示されている。この資料にはとても重要な示唆が含まれているので、是非熟読してほしい。

ここでは人生会議(ACP)について、「心身の状態に応じて意思は変化しうるため 繰り返し話し合うこと」と記されているが、このことは非常に重要な部分である。

人生会議(ACP)として確認しておきたいことは、終末期にどのような治療を受けたいかということのみならず、終末期と診断されたら、どこでどのように過ごしたいのかという意思を確認しておくことも必要になる。その際に口からものを食べられなくなったらどうしたいのかという確認も当然必要になるが、その意思確認を一度行なったらそれでおしまいではない。

意思確認できる間は、本人からの申し出がなくとも、心身の変化や環境の変化のたびに、その意志の変更がないかどうかを確認することを大事である。担当する相談援助職は、その役割が自分にあるということを忘れてはならない。

おかしなことに、こんな基本的な理解もない場所で、「看取り介護」と称する、偽物の介護が行われている。経管栄養を望むか・望まないかという意思を、一度確認したら、それを変更するのに大変な手続きを必要とするような、おかしなルールを勝手に作っているところがある。それはあたかも意思決定の確認の手間を省くための事業者都合でしかないかのようだ。

そもそも意思の変更は、意思表示できる人であるなら、その意志を表明するだけで完結されるべき問題で、手続きのいる問題ではない。

人生会議は、この意思確認や、意思確認できない人の意思推定を繰り返し行う過程であり、本人にとって最善の方針を、本人や家族と支援チームが常に確認し合う過程である。

そこで何かを決めたからと言って、支援機関や支援者個人の終末期支援の責任が軽減されることにはならず、自己責任という言葉を使って、本人や家族への責任転嫁のために何かを決めたり、押し付けたりすることは許されないことである。

痛みが出ても人生会議で医療機関に搬送しないと決めたから問題ないなんて言う考えではだめなのだ。終末期の痛みは最も人を苦しめるものなのであり、医療機関で終末期を過ごしたくない人でも、痛みをコントロールするために、医療機関での支援が必要な場合があることを確認して、その方針を定めておくなど、人生会議の主役となる人の人生の終わり方を、安心と安楽な方向に導くものでなければならない。

そんなふうに人生会議は、徹底的に利用者本人利益を追求する場でなければならないのだ。

終末期支援とは、誰かの人生の最終ステージの生き方の質を左右するものである。そこでは専門職としての知識と技術が求められるだけではなく、そこに生きる人に対する関係者の人間愛が求められていることを忘れてはならない。

人は科学だけで幸せになれない。目に見えるものだけで安寧は得られないのだ。介護の職業とは、科学や目に見えるものを超えて、心を寄せる職業なのである。

愛情を見える化するのが介護という仕事だ。
Webセミナーに参加しやすい時間帯を教えてくださいというアンケートをおこなっています。クリックして回答のご協力をお願いします。

登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。





※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

いまわの際(きわ)の別れを阻害する権利は誰にもない


新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が続く中で、介護施設の多くは、「面会制限」・「外出制限」を継続している。

その期間は1月以上になっている施設が多く、少なくとも緊急事態制限が解除されるまでは制限を続けると考えている施設管理者が多い。

入所利用者を感染から護るために、そうした措置を続けることはやむを得ないことだと思う。ただし同時に長期間の制限ストレス対策を同時に取るべきであると、このブログでは再三指摘しているところだ。

面会制限が哀しい無理心中につながったケースもあるのだから(参照:面会制限している施設から退所させた母親と無理心中というニュースに触れて)、そうした悲劇が2度と起きないように、スマホやタブレットを利用した外部の人とのコミュニケーションを取れるようにすることは当然であるし、施設内の活動性の低下に注意する必要もある。外出支援も工夫してできることはないかと考えるべきであり、北海道ならこの時期、桜を見ることができるように少人数でのドライブなどをできるように工夫すべきだ。

国の宣言に基づいて、何でも禁止にすることは素人でもできる。しかし制限の必要な暮らしの中で、できることを見つけ実現する仕事こそプロの仕事である。

そもそも介護施設の面会制限や外出制限自体を、国が命じているわけではない。それらの制限は施設経営者や管理者の判断で行っていることであり、その状態が過度になれば権利侵害の問題につながることを常に意識すべきである。

何とかできませんかという声に耳をふさぐ介護施設は、冷たいブラックボックスだ。そうならないように管理者や職員すべてが、利用者にとって今何が必要なのかを、リアルタイムで考え続ける必要がある。

何度も云う。できないことに甘えるのではなく、できる工夫を続けるのがプロの仕事なのである。

このような状況の中で、いま問題となっているのが、「いまわの際の別れ」を邪魔しても良いのかという問題である。

特養をはじめとした居住系施設では、面会制限の真っ最中にも、「看取り介護」の対象者が居られる。その方が今まさに最期の時を迎えようとしているときに、感染予防のために面会制限中であるという理由で、家族の面会を断ることに何の疑問も感じていない施設関係者は対人援助者としての適性に欠けると言ってよいだろう。そんな冷酷な人が介護に関わってよいわけがないのだ。

看取り介護の意味の一つは、残された時間・お別れの時間を意識したエピソードづくりである。その機会を奪うような面会制限があってはならない。ネット画像を通じてのコミュニケーションだけで、今わの際のお別れが十分にできるわけがないのだ。

息を止める最期の瞬間に、手を握って看取ることができる愛する家族がそこに居るにもかかわらず、面会制限中だからそれは駄目だと断る鬼にような心を持つ人は、介護の仕事を続けるべきではない。

施設の中で看取り介護を受けるケースの大半は個室対応なのだから、遺族となる方々と他の利用者が接触せずに面会することなんて簡単にできる。面会する方には、ガウンやマスク・ゴーグルなどを装着して施設内を移動していただけばよいだけの話だ。

そもそも職員は普通に外から通ってきているのに、看取り介護対象で、今まさに息を止めようとしている方の家族まで、頑なに施設の中に入らせないという考え方がどうかしている。そんな考えは浅はかすぎる。

国は面会制限を指示していないのだから、その特例も示すことはない。だからこそその特例は、施設自身が考えるしかないのだ。面会制限中も常に特例を考えて、面会できる方法を考えるのは施設の務めだ。

面会制限をこれだけ長期間続ける権利が、施設自体にあるのかという議論も存在していることも忘れてはならない。

どちらにしても人の権利を制限する側に、何の配慮も工夫もなくなれば、そこでは必ず誰かが不幸になるのだということを思い知るべきである。
理想の介護事業者をお探しの方は、こちらに無料登録ください。

※4/4〜新しいブログmasaの徒然草を始めました。こちらも是非ご覧ください。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。

masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

死生観の押し売りは教育になりません


死生観とは、「死あるいは生死に対する考え方。またそれに基づいた人生観。」である。

誰かの死の場面に向かい合う看護や介護の仕事において、それぞれの死生観がその仕事に影響してくることはあるのかもしれない。だから誰かの人生の最終ステージに関わる、「看取り介護」の教育として、「死生観教育」が必要だと考える人がいることは理解ができないわけではない。

しかし今現在、あなたが胸の中に抱いている人生観とはどういうものだろうか?それは誰かから教えられて、あなたが得た考え方だろうか?同じ死生観を持たねば看取り介護の実践の場で何か支障が生ずるとでもいうのだろうか?

僕はどうも違うような気がする。少なくとも僕の胸の中に、「死生観」と言えるような人生観があるとすれば、それは誰かから、「こう考えなさい」と教えられたものでもなければ、ましてや押し付けられたものではないと思う。

それは自分が今まで生きてきた中で、ごく自然に獲得した観念であり、様々なエピソードを刻んだ経験が大きく影響しているのではないかと思える。様々な死生観を持つ人たちが、様々な形で看取り介護に関わってよいのである。それは決して統一しなければならない観念ではない。

だからあくまで僕の立場は。看取り介護の教育に、「死生観」を教育することなど必要ないと思っているし、教育したって意味がないだろうと思っている。そもそも終末期支援に関わる関係者が、同じ死生観を持つ必要はないのだ。

先日もある知り合いの方からこの問題に関連して相談を受け、回答したやりとりが次のスマホ画像だ。
死生観
死生観2
こんなふうにして、僕の気持ちを受け入れていただきほっとしている。死生観を教えなければならないなんて言う呪縛から抜け出したときに、本当に看取り介護の場で伝えるべきものが見えてくるはずだ。

それは旅立つ人がこの世の中で生きた証を感じることができるように、様々な思い出を紡ぐ人生の最終ステージを支援するという意味だ。命の期限がある程度見えている中で、この世でご縁のあった方々と、限りある時間を意識する中で、最期のエピソードを刻むのが看取り介護・ターミナルケアである。

そこには様々な人が関係してくるのだから、様々な考え方があってよい。人それぞれの思いが交錯しながら、生きるとは何か、死とは何か、人は何故この世に生かされているのかを思い、感じられるのだと思う。それが人間社会だ。

人にはそれぞれの様々な死生観があり、看取り介護の現場に関わる職員は、それらの様々な死生観や価値観に受容的に寄り添うだけで良い。こうした死生観を持ちなさいと言う教育などいらないのだ。そのことは今から12年も前に書いた、「死生観の教育って何をするの?」という記事でも書いている。あらためてリンクを貼った記事を読んでほしい。

僕たちが向かい合うのは人間そのものである。その人たちの暮らしの中に深く介入するのが対人援助だ。そこに居る人々とは、個性の異なる様々な人生を送ってきた人たちであり、みんなが同じ価値観を持っているなんて云うことはあり得ない。そしてそれぞれの固有の価値観は、善悪とか良否判断ができる問題ではなく、人それぞれの個性であり、人生観であると受け入れるしかないのだ。

そうした人生観にかかわる問題を教育しようとするのは不遜だ。

一番大事なことは、看取り介護とは、対象者を最後の瞬間まで安心と安楽の状態で支援する行為であるということを忘れないことだ。そのための基礎知識と援助技術を持つことであり、「生きる」を支える姿勢を失わないことである。
登録から仕事の紹介、入職後のアフターフォローまで無料でサポート・厚労省許可の安心転職支援はこちらから。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せられます。

偽物の看取り介護の怖さ


僕が管理する表の掲示板に次のような質問が寄せられた。
-----------------------------------------
看護師より「特養で看取りになったときに、もともとの疾患から激しい痛みが発症したときに、苦しんでいるのを放置はすることはできないため、救急搬送が必要であるから、家族にこのことを承諾を取れないと施設で看取ることはできない」と言います。このような時に、どのような判断と対応をされているのでしょうか。アドバイスをよろしくお願いいたします。
------------------------------------------
個人的感想を述べるとすれば、「すごく恐ろしいこと」だというしかない。こんなレベルの議論が交わされている場所で、「看取り介護」という誰かの人生の最終ステージに関わる介護が行われているのは実に怖いことだ。

同時に看取り介護が、このように知識がない状態で漫然と行われているのは、命に対する冒とくでしかないと感じた。こんな状態を、「看取り介護」と呼ぶことはできないし、そもそもそういう状態が存在すること自体が、あってはならないのである。

僕がこの質問に、「空恐ろしさ」を感ずる理由は二つある。

一つは質問者のあまりに低レベルな看取り介護の知識に対する怖さだ。こんな理解レベルで、本当に誰かの人生の最終ステージを、その人らしく過ごせるように援助ができているのだろうかという恐ろしさ・・・。

看取り介護とは、「医師が一般的に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者」に対する介護であり、概ね余命半年以内と判定された方に対して行う介護を言う。

つまり命の期限がある程度予測されている人が、人生の最終ステージを生きるために必要とされる支援ともいえるわけである。その限られた期間において、様々なエピソードを刻むことによって、この世で縁を紡いだ方々と、命のバトンリレーを行うことができる時期でもある。

そこで最も考えなければならないことは、人は最期の瞬間まで人は生きるのであり、看取り介護は決して死の支援ではないということだ。だからこそ命が燃え尽きる瞬間まで、看取り介護対象者の人としての尊厳が護られる必要がある。

そこで最も求められることは、看取り介護に関わる人々が、対象となる方の最期の瞬間まで安心と安楽を提供することである。

そしてそのために最も重要なことは、「苦痛がない終末期の過ごし方」であり、「痛みの管理」は特に重要である。

例えば、「末期がん」の場合、高齢者であっても痛みの管理(ペインコントロール)が必要な人がいる。その時ペインコントロールができない場所で、それらの方を看取ってはならないのだ。なぜならがんの痛みは、ほぼ完全にコントロールできるのが今の医学レベルだからである。それができない場所で、無理に看取り介護を行うという意味は、看取り介護対象者を痛みで苦しめて、痛みにのたうち回らせながら死なせるという意味にしかならない。それは看取り介護とは程遠い場所に存在するものである。

病状に伴い痛みが出現することが明らかな場合、その痛みをコントロールできないのであれば、その場所で看取り介護はできないのである。してはならないのである。

痛みのある末期がんの人のペインコントロールが不可能な場合には、痛みのコントロールが可能なホスピス・緩和ケア病棟などの医療機関などを紹介して、そこへの転院支援をすることが一番求められることなのである。

相談援助の専門家はそのために存在しているのだ。そうした判断も対応もできない相談援助職は、存在意義がない人間ということになる。

加えてこの質問者の所属する施設のもう一つの恐ろしさとは、看護師のあまりに利用者を無視した傲慢な考え方である。

その施設の看護師は、『救急搬送が必要であるから、家族にこのことを承諾を取れないと施設で看取ることはできない。』と主張していることが書いてある。

これな考え方をする看護師が存在すること自体が恐ろしいことだ。救急搬送で対応しても、痛みに苦しむ状態がそこに存在することに変わりはないわけで、それは看取り介護対象者を苦しませることを前提にした考え方である。そのような予測の元に、そこで看取り介護を行ってはならないのである。

それにしてもこの看護師は、家族の同意が得られれば何でもありだと思っているのだろうか。家族が同意すればコントロール可能な痛みをコントロールせずに、対象者を苦しませる時期があっても良いという意味なのだろうか。痛みに苦しむ人がそこにいたとしても、救急車で病院に送りつけさえすれば済む問題だと考えることの恐ろしさになぜ気が付かないのだろうか。そんな看護師は看護免許を返上してほしいとさえ思う。

仮に家族が、「痛みがでたら救急搬送してくださればよいので、ここで看取ってください。」と希望したとしても、「痛みが出て救急搬送する間に、○○さんは痛みにもがき苦しむことになります。それは今の○○さんが、一番望まない状態と思えますので、痛みが出ないようにコントロールできる場所を紹介しますから、そこで最期の時間を過ごしていただきませんか」とたしなめるのが、看護や介護のプロの役割りだ。(参照:安楽でない看取り介護は許されない

それをしようとしない人間が、看護職に就いていることに恥を知れと言いたくなる。

そもそも終末期の人を痛みで苦しませる同意権なんて家族にもないという当たり前のことになぜ気が付かないのだろう。

そういう理解もない特養が、今現在、看取り介護をしているということは、非常に恐ろしいことだ。それは本当の意味で、「看取り介護」になっているのだろうかと疑問を持たざるを得ない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せられます。

超高齢社会での看取り介護の考え方


ターミナルケアを終末期介護と訳さず、「看取り介護」と訳した経緯については、「私たちが思いを込めた言葉を安易に略したり変えたりしないでください」と言う記事の中で詳しく解説している。

そこでも書いているが、「看取り介護」とは、対象者が人生最期の時間を過ごすにあたって、安心と安楽に過ごす中で、少しでもこの世でつながりのある人たちとエピソードを刻みながら、この世に生まれ生きてきてよかったと思えるように支援する行為を意味するものである。

そのために心を込めて、心にかけて護るという介護の本質を実現することができるのが、「看取り介護」である。

さらに言えば、超高齢社会の看取り介護とは、終末期判定がされた後の介護のことを考えるだけではなく、そこにつながる日常の、「生き方」を考える必要もあると思う。高齢期に地域の中で孤立せず、誰かと繋がって暮らし続けることが、「孤独死・孤立死」を防ぐ唯一の方法である。

隣人の存在を死臭によってはじめて知るような、背筋が寒くなる地域社会としないように、高齢者が地域で孤立することを防ぐ社会にしていくための一連の活動も、看取り介護につながっていくのである。

特に男性高齢者は、仕事をリタイヤした後に他者とのつながりを失い地域社会で孤立してしまう人が多い。女性の方が長寿で一人暮らしの人が多いのに、孤独死している人の7割が男性であるという現実は、高齢期に地域社会から孤立している男性が多いという意味である。

その人たちがどのように地域社会で居場所を確保し、つながりを保っていくのかということが、地域包括ケアシステムを深化させていく過程で考えられなければならないし、看取り介護・ターミナルケアに携わる関係者は、そうした視点からも他職種連携の在り方、地域包括ケアシステムにおける自らの役割を考えていく必要がある。

それらの課題が解説できた先に、人生の最終ステージをすべての人が安らかに、安心して安楽に過ごすことのできる看取り介護支援があるのだということを忘れてはならない。

看取り介護の場は確実に多様化し、新しい方法論も生まれている。「ウォッチコンシェルジュを知っていますか」という記事の中で紹介した博多の、「株式会社ワーコン」は、在宅一人暮らしの方の看取り介護を支援し、「お客様の人生の最後の伴走者でありたい」・「決して、独りで逝かせない」をモットーに様々な人をサポートしている。

我が国では昭和51年以前は医療機関死より在宅死が多かったのである。国民の7割以上が医療機関で死を迎えている今の日本の地域社会は、昭和51年以前に自宅で親の枕辺に集まって子が看取っていた時に、死に行く親から渡されていた命のバトンをなくしてしまっているのかもしれない。そのバトンを取り戻す取り組みが、在宅でサ高住で特養でGHで行われるようになっているのである。

しかし看取り介護・ターミナルケアの場や方法論が多様化しているというもう一つの意味は、看取り介護と称したニセモノの終末期対応も存在しているという意味でもある。

終末期診断があいまいで余命診断もしない状態で、「看取り介護対象者」だと決めつけているところがある。それって、「未必の故意による死への誘導」ではないだろうか?夜間の見回りと見回りの間に息が止まっている人もいる。それって、「孤独死」ではないのか?看取り介護だからと言って、密室の中で日中でも部屋を真っ暗にして放置されている人もいる。それって、「見捨て死」ではないのだろうか?

看取り介護とは、そんなあいまいで、寂しくて暗いものではない。もっと温かくて感動的な時間が看取り介護だ。だからと言って看取り介護は決して特別な医療や特別な看護や特別な介護が必要なわけではないのだ。それは命のバトンリレーを支援することであり、日常ケアの延長線上に、誰かの命が燃え尽きることが予測できる時期に、燃え尽きる瞬間まで、人が人と繋がり生まれるエピソードの中で、命のバトンをつないでいくお手伝いをすることなのである。

そんな看取り介護の実際のケースを紹介するのが、僕の看取り介護講演である。そんな講演を聴いた方の声を是非参照していただきたい。

本年1/9に大村市市民交流プラザ(長崎県大村市)で行われた、「長崎県県央保健所主催・大村市、大村市医師会共催 、看取り介護講演会アンケート集計結果」が、講演事務局から送られてきた。

僕の講演を聴いた方が、受講前に看取り介護に対して持っていたイメージと、受講後に理解した内容があまりに違うので驚いている。しかしその驚きとは、自分にもそこに関わって命のバトンリレーに関わることができるのだという驚きであり、介護という行為の中で実現できることがたくさんあって、そのことを理解できることによって、あらたな意欲と力につながるものでもある。介護の可能性を改めて感じ取ることができ、介護に本気で向き合う活力につながるという意見もある。

文字リンクをクリックして、是非受講された皆さんの声を参照いただきたい。きっとその声は、このブログ読者の心にも響くと思うのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

終活に必要な知識


長崎では今、インフルエンザが流行している。

昨日大村市で行った講演会も満員予定であったが、インフルエンザで急遽参加できなくなったという受講者が複数おられ、ところどころ席が空いていた。

体調を崩された方の一日も早い回復を祈るとともに、全国の皆様も体調管理に十分注意して、感染予防と感染拡大防止に努めていただきたい。

僕は今朝10時に諫早市のホテルを経って、さきほど南島原市に到着した。今日は午後2時から、「南島原市主催・住民向け講演会」の中で、「いつまでも安心して住み慣れたまちで暮らしていくために〜終活の視点から看取り介護まで」というテーマで話をする予定だ。そこでは、「終活(しゅうかつ)」という大きなキーワードがある。

終活」という言葉は、2010年の新語・流行語大賞にノミネートされた比較的新しい言葉である。その言葉はもともと、『週刊朝日』とう冊子から生み出された言葉とされており、同誌元副編集長の佐々木広人氏が生みの親とされている。だから終活という言葉について、明確に概念統一されているわけではない。

一般的な理解としては、終活とは人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したものであり、自分がまだ元気で意思を伝えられる時期に、自分自身のための葬儀や墓などの準備や、財産処分の方法などを決めておくこととされている。

例えば終末期に意思を伝えられなくなったときに備え、リビングウイルの観点から、どのような医療を受けたいのか、口から物を食べられなくなったときにどうするのかなどの、具体的な希望を第3者に伝えて記録しておくことが、「終活」ということになる。

つまり終活とは、死と向き合い最後まで自分らしい人生を送るための準備のことといえるわけであり、「これまでの人生を振り返る」・「残される家族のことを考える」・「友人、知人、今までお世話になった人たちへの思いをつづる」・「やり残したことや叶わなかった夢などを書き出す」などを行うことで、これから先にできること・できないことの整理をする活動ともいえる。

それを行うことで、自分が人生の最期をどこでどのように過ごしたいのかを、一番信頼できる人に伝え託すこと可能となる。さすれば終活とは、自分らしい最期を生きるための準備であるといえるわけである。

繰り返しになるが、終活は元気だからこそ、自分の意思をしっかり表明できるうちだからこそできる活動である。だからこそ自分の「死」を見つめること、語ることを縁起が悪いと言わず、タブー視せず、間に合わなくなるまえに、死ぬ時にどうするか、死んだ後にどうしてほしいかを真剣に考えてほしい。

終活の具体例としては、.┘鵐妊ングノートを書く、遺言状を書く、お墓を決める、じ亀い覆Δ舛ら遺品整理をするなどが考えられる。

そのためには正しい情報が必要になる。特にリビングウイルに関して言えば、延命治療と自然死をどう考えるのかが重要となり、終末期の点滴や、食物の経口摂取が出来なくなった後の経管栄養のメリットやデメリットなどの情報が不可欠だ。

延命のために経管栄養にするかしないかは、治療にあたる医師が、本人の意思を無視して決めるべき問題でもないし、ましてや施設関係者などのサービス提供者が決める問題ではない

だからこそ一人一人の地域住民が、自分の意思として延命治療を受けるかどうかを判断するために必要な情報を得て、そのことを理解しなければならない。さらに自然死を選択した際に、どこでどのように人生の最期を過ごすことが出来るのかという情報も必要だ。

「看取り介護を行えます」・「たくさんの人を看取った実績があります」とアナウンスされている場所で、本当の意味で看取り介護・ターミナルケアが行われているかどうかは、その実態を見なければわからない。少なくとも「看取り介護加算を算定している」=「適切な看取り介護が行われている」ということにはならあにということにも注意が必要だ。

ありえコレジヨホール (長崎県南島原市)では、地域の皆様に向かって、そのような情報をわかりやすく伝える予定だ。

透き通った南島原の青い空が僕を迎えてくれている。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

看取り介護に対する悩みと疑問


日曜の午後に松山から伊丹空港を経由して京都に来ている。

昨日と今日、京都府医師会館で看取り介護セミナーの講師を務めるためだ。このセミナーは、2日間で合計10時間のセミナーで、そのうち僕の講演が6時間半。あとはグループワークと質疑応答の時間である。

セミナー初日となった昨日は、看取り介護とは何かということについて、それが日常ケアの延長線上に過ぎないことを説明しながら、看取り介護とは介護支援者すべてが携わるべきステージで、そのために必要な知識や援助技術を獲得しておくことは、介護を職業とする者の義務であり、使命であるということを伝えた。

さらに看取り介護の前に求められるリビングウイルの支援としての、「人生会議」の必要性などについて2時間の講演を行った後に、今日に向けて何を知りたいのか、看取り介護に関連した不安や疑問などについて、GWで話し合ってもらった。

今回の研修は、「看取り介護の導入研修」ということで、看取り介護の実践経験がないか、経験が浅い人を対象にしているので、様々な不安や疑問が示されている。

終末期を生きる人に苦痛がないように支援することが大事だといっても、そもそも、「苦しい、苦しい」と言って亡くなる人を見たことがないという疑問も示されていたが、人が死を迎える瞬間は、苦痛を緩和してくれる麻薬物質が脳から抽出されて、最期の最期は、苦しまずに逝くとしても、そこに至る過程で、苦しい辛いと言いながら、意識を失っていく人は多い。

看取り介護とは、最期に呼吸を止める瞬間までのケアであるが、その瞬間だけのケアではない。そこに至る過程での苦痛緩和は重要であることを理解しなければならない。

自分が夜勤中に、看取り介護対象者がなくなる際に、どのタイミングで家族に連絡したらよいかわからないという疑問も示されている。

しかし看取り介護とは、急死の場合とは異なる死の迎え方である。あらかじめ医師による終末期判定がなされて、看取り介護計画書にも同意を得ているのだから、家族が傍らにいない状況で、対象者が死を迎えるケースでは、まずは死を迎える人が寂しくないように寄り添うことが大事である。きちんと死の瞬間を看取ることが出来たら、その状況を家族に伝えればよいだけの話で、家族に連絡するのは、死の瞬間を看取ったあとで問題ないと思える。

仮に死の瞬間を家族が看取りたいと思うケースは、家族がそこに泊まり込んでついているだろうから、その場合は、連絡をいつ行うかなんてことを気にする必要すらなくなる。

何らかの事情で家族が、看取り介護対象者の死の瞬間に、そこにいないケースは、家族のケアより、看取り介護対象者のケアを優先するのは、至極当たり前のことである。


そんなふうなことを含めて、先ほどまで午前中2時間半という時間を使って、様々な疑問に応える内容で講義を行っていた。これから昼休みをはさんで2時間の講義を行った後、2日間の講義とGWを経ての学びの確認と、残された疑問点を整理するGWを1時間ほど行った後、質疑応答でセミナーを締める予定である。

午後からのいくつかの疑問に応えながら講義を行う。

看取り介護は、安静と臥床を求められるけど、離床させたいと思うのは間違っているのかという疑問も示されている。安静と称して、「寂しい看取り介護」が、何と多く行われていることか。「寂し看取りは嫌だ」ということを講義の中で伝えて、看取り介護の最中も、活動参加はできることを、事例を通してお伝えしたい。

ということで、この記事も昼休みの時間を使って、ご飯を食べながら慌ただしく更新しているとことだ。今日はこのセミナーを終えた後、京都にもう一泊して、明日10日ぶりに北海道に帰る予定になっている。

残されたわずかの時間であるが、京都の皆さんに、命に寄り添い・生きるを支える看取り介護の実践論を伝えたいと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

介護の本質が問われる看取り介護


僕が総合施設長を務めていた特養では、毎年20人〜40人ほどの人が死亡退所していた。

このうち急死する人や、特養に籍を置いたまま医療機関で治療の甲斐なく亡くなる人以外は、施設で看取り介護を行いながら死の瞬間を迎えることになる。そんなふうにして毎年死亡退所者の9割近い方々が、「看取り介護」の対象になっていた。

だからと言って終末期になった人について、機械的に看取り介護を受けるように施設側が誘導していたわけではない。

その特養では看取り介護を密室化せず、看取り介護に協力してくれる利用者や家族については、看取り介護対象者もしくはその家族の承諾の上で、できるだけ情報を公開し、最後の瞬間までみんなで温かく看取ることができる方法をとっていたため、自分や自分の家族が終末期になっても、住み慣れた施設の中で安心して介護を受けながら、最後の時間を過ごせると考えてくれる人が多くなった結果でしかない。

医師から終末期であることを説明する、「ムンテラ」の際には、ケアマネジャーも同席して、施設で看取り介護を受けるとしたら、どのような課題が想定され、そのことに対してどのような目標を立て、それに対応する具体的なケアサービスはどうなるかを説明し、医療機関に入院するという選択肢もあることを説明したうえで、どうしたいのかという最終確認をしていた。

よって看取り介護計画書は、当該施設で看取り介護を受けることを決定する以前のムンテラの時点で作成を終えて、ムンテラの際に説明・同意ができるようにしていた。それがないと施設で具体的に何をしてくれるかという説明根拠が十分ではなく、説明を受けた人が、どこで自分や自分の家族が終末期を過ごすのかを決定するに際しての根拠も不十分となると考えていたからだ。さらにムンテラの際に看取り介護計画がない場合、看取り介護を受けることを決めた後に、説明内容と実際の支援方法が異なるという訴えにつながりかねないというリスクもある。

そうした不安やリスクをできるだけ排除して、利用者やその家族が終末期の過ごし方を選択できるようにすることも、看取り介護を実施する側の責任であると考える。

そんな過程を経て、長年暮らしていた特養で、残された最期の時間を過ごすと決めた人たちに対して我々ができることは、残されている限られた時間の中で、逝く人と見送る日との間で、できるだけ多くのエピソードを刻み、残される人の心にたくさんの思い出を刻むことだ。それが命のバトンリレーであり、終末期判定と余命診断を医師が責任を持って行うことは、その時間を創り出すという意味があり、それは看取り介護の絶対条件でもある。

看取り介護には、家族や職員だけではなく、実習生も関わることになる。

実習生の中には、将来介護の仕事を職業とすることに迷っている人もいたり、介護を職業とするにしても、どのサービス種別に関わっていきたいかを決めていない学生も多い。そんな学生たちが看取り介護を通じて、看取り介護対象者と家族や職員が、毎日のようにいろいろなエピソードを刻み、そのことを忘れないように思い出に変えている様子を見て、自分もこの施設で働いてみたいと思うようになる。

そんな学生たちの姿を見ると、看取り介護とは、介護という職業の使命や誇りを意識できるステージであることがよく理解できる。

看取り介護は日常の介護の延長にあるもので、それは決して特別な介護ではないけれど、遺された命の時間を意識して関わる介護では、ごく自然に命の尊さと儚さを意識することにつながり、対人援助に何が必要なのか、他人が職業として誰かのプライバシー空間に入っていく際にどんな配慮が必要なのかということを強く意識するようになる。

看取り介護に携わる人は、そのような過程を経て、人間的に成長していくと同時に、確実で安定した介護の知識と技術を獲得していくことになる。看取り介護という命を意識した介護であるからこそ、介護の基本・土台ができていくのである。

そういう意味では、全国で僕が行う看取り介護講演も、看取り介護の方法論を学ぶためだけの研修の場ではないということを理解していただきたい。看取り介護を学ぶ中で、介護従事者としての基本姿勢と技術を獲得するものであることを知ってほしい。看取り介護を学ぶことで、自分が介護の職業を続けていく動機づけにつながる、「土台」が見つけられる内容になっていると思うので、是非機会があれば、看取り介護を行っている・行っていないに関わらず、僕の話を聴いてほしい。

ちょうど1週間後の来週月〜火の二日間、京都府医師会館で京都府老人福祉施設協議会主催・看取り介護セミナー導入編を行う予定になっている。このセミナーは二日間でたっぷり6時間以上の講義と、2時間以上のグループワークを行って、介護の土台を作り上げる内容となっているので、会員施設の方でまだ申し込みしていない方は、ぜひこの機会に参加を検討していただきたい。

とはいっても残りの席はそう多くはないとのことであるが、今ならまだ数席の確保は可能とのことである。お問い合わせは、京都府老人福祉施設協議会・事務局まで電話などで連絡いただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。ンに共感できない職員は、組織の秩序は壊す要素にしかならないのだから、寄ってこなくてよいと割り切って考えるべきである。


北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

看取り介護を終末期の支援だけに限定して考えてはならない


看取り介護に関するセミナーで、看取り介護・ターミナルケアに関する加算を算定するための要件を説明することが主たる内容であったり、単に終末期支援の方法論をレクチャーして終わっている場合がある。

しかし本当にそれでよいのだろうか。勿論、終末期に起こり得る身体状況や、精神状況の変化について知り、それに対応する方法を学ぶことは大事である。だからと言って、終末期に至るまでの日常支援を無視して、終末期支援の方法論を語っても意味がないと思う。

看取り介護は特別なケアではなく、たまたま命の期限が明らかになっている人に対して行われるケアであるに過ぎず、日常の支援と分断した場所や方法としてで行われるものではなく、過去の暮らしと繋がっているものである。日常ケアが貧困な場所で、看取り介護だけQOLが高まるわけがないし、そんな奇跡があっても意味がないのである。

さらに言えば、看取り介護の方法論を考えるにあたっては、終末期にどのような支援が必要かを考えるだけでは不十分であり、自分が終末期になった場合に、どこでどのように過ごしたいのかということを、愛する誰かに対して表明しておくことが大事であることを理解しなければならない。それを確認したうえで、その希望に沿った支援を行うことが最重要課題となる。

だからこそ看取り介護に先立って、「リビングウイル」の宣言を支援することが、関係者に求められてくることを、しっかりと伝えずして、終末期の介護の在り方だけを語っても国民ニーズに沿った支援には結びつかない。

特定の疾患により終末期と宣言される状態とは異なる、老衰などの自然死を迎える人については、支援対象者がお元気な時期から関わっている介護関係者が、人生会議(アドバンス・ケア・プランニング:ACP)の視点から、リビングウイルの支援に関わっていくことが求められるのだ。

そう考えると看取り介護とは、かつて介護支援の在り方が、ADL支援からそれにとどまらないQOL支援への転換がはかられてきたように、QOLからQOD(Quality of death)まで視野に入れた支援への転換ともいえるのだ。

QODとは、単にターミナルケアの方法論を問うものではなく、そこで暮らし、やがてそこで最期のときを迎えるまで、いかにその人が生命を持つ個人として尊重され、豊かな暮らしを送ることが出来、やがて安らかに死の瞬間を迎えることが出来るかという意味であり、我々がそこで豊かな暮らしを送ることが出来る支援のあり方と、最後の瞬間を看取り・送り出すまで、すべての過程を質の高いサービスとして構築することを意味する概念である。

そなわち看取り介護は、日常支援と繋がっているという意味であり、ごく普通の介護ということを意味することを、関係者はしっかりと自覚すべきだ。そのことを伝えない、「看取り介護セミナー」であっては困るわけだ。そんな意味のないセミナーを受講しても、本当の看取り介護なんてできるはずがない。

12月には愛媛県久万高原町と京都市と東京都世田谷区で、「看取り介護講演」を行う。3会場とも日常のケアと繋がっている看取り介護を語ってくる予定だ。

このうち京都市の看取り介護セミナーは、12/16(月)と12/17(火)二日間にわたるセミナーで、合計10時間の研修講師を、僕が一人で務めることになっている。主催者の希望でグループワークの時間もとっているので、僕の講演時間は2日間で合計6時間40分の予定である。これだけ時間があると、看取り介護について、様々な角度から、様々なケースを取り上げて語ることができる。

ちなみに現在スライド作成中だが、主な内容は以下の通りとしている。

全体テーマ「看取り介護実践の基本
1 看取り介護の基礎知識
・看取り介護とはどのような介護か
・介護施設で看取り介護が求められる背景
・看取り介護に備えるために必要とされるリビングウイルの支援とは何か

2 看取り介護の開始から終了までの手順
・判定〜説明同意〜計画作成〜連絡・連携〜実施〜終了〜評価までの具体的な流れ
・必要な書式
・求められるPDCAサイクル
・看取り介護加算の算定要件
・職員のメンタルケア
・遺族のグリーフケア

3 看取り介護の実際
・介護施設で行われた看取り介護の事例
・看取り介護の今後の課題
・スピリチャルペインの受容
・命の尊さを理解しながら看取り介護に関わる姿勢

この中で終末期診断の在り方、看取り介護計画作成の要点、説明同意に必要な視点、終末期の身体状況変化の特徴やその対処法、各職種別に求められる役割などについてくまなく網羅する予定である。

本研修は実施主体が、京都地域包括ケア推進機構・一般社団法人京都府老人福祉施設協議会・一般社団法人京都市老人福祉施設協議会とされており、会員の方のみの参加になっているが、参加された方々にじっくりと看取り介護の実践論を伝えてきたいと思う。京都の皆さん、会場で愛ましょう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

まだ若いから終末期ではないと判断することの落とし穴


看取り介護とは、「医師が一般的に認められている医学的知見に基づき回復の見込みがないと診断した者」に対するケアである。

その判断は医師にしかできないが、この際に診断すべき人の、「年齢」によってその判断基準が変わってしまうことがあってはならない。

例えば「がん」の場合の終末期とは「治療効果が期待できなく余命がおおよそ6ヵ月にある時期」とある程度定義付けが可能でありそれが、「一般的に認められている医学的知見」とされている。

ではがん以外の場合の終末期はどのように判定されるのかと言えば、脳梗塞や誤嚥性肺炎など、特定の病気を繰り返している高齢者などの場合でも治療を試みてみないことには終末期とは判断できるはずがない。

その治療の試みを行って始めて医師の判断として、「回復の見込みなし=終末期」とされるのであり、判定すべき対象者が100歳を超えているから治療の必要はないと決めつけたり、治療の効果はないだろうという見込みだけで、「回復の見込みがない終末期である」という判定があってはならないのである。

その際に食事や水分の経口摂取が困難となる人についてどのように判断すべきかという問題が生ずる。

このことについて京都保健会盛林診療所所長・三宅貴夫氏が示している判断基準は、「回復が期待できない嚥下困難か、嚥下不可能な状態の時期であっても、胃瘻による経管栄養を行えば延命は可能であるが、自らが自分の生命を維持できなくなった状態にあるという意味で終末期とみてよい。」というものだ。

その判断基準を採用して経管栄養を行わずに自然死する人に対しても、看取り介護は行われている。

このことに関連して平成27年以降の介護報酬改定では、居宅サービス・施設サービス全般に、口腔衛生の充実・栄養改善の加算が手厚く評価されており、かつ経口維持加算が手厚く、より算定しやすく改定されてきている。それは食事の経口摂取の維持と、栄養状態の維持・改善がトータルの視点で評価されていることを意味しており、今後もその評価は継続することも意味している。さらに言えば経口摂取を続けることができる生活の質を問い直しており、安易に経管栄養にしないことで護られる生活の質を大切にする視点を介護事業者全体に促していると言える。

その延長線上には、これだけ食物や水分の経口摂取の維持に頑張った先に、経口摂取できなくなった場合の選択について問い直しているという意味もあり、経口摂取ができなくなった人に経管栄養を機械的に行うことなく、食べられなくなった時点で自然死を選択して、看取り介護に移行する選択もあることを示しているともいえるのである。

この方向性は診療報酬改定でも同様であり、例えば胃瘻造設術の報酬単価が大幅に下げられていることも、その方向性を示すものと言える。

ところでこのことに関連して、アルツハイマー型認知症の晩期の摂食障害をどう考えたらよいのかという疑問を持ったことがある人はいないだろうか。

アルツハイマー型認知症の人は時間経過とともに脳細胞が減って、口や喉の筋肉の動きをコントロールできなくなるためむせやすくなる。そのため食事形態を工夫することでしばらくの間はむせないで食べることができるが、脳細胞の減少は続くために再びむせるようになる。そしてだんだんと口を開けなくなったり、咀嚼せずいつまでも口の中に食べ物をためたりするようになる。この状態は体が食べ物を必要としなくなっている状態といえるもので、終末期の選択肢のひとつと言っても良いと思う。

ただここで問題が生ずる。アルツハイマー型認知症の人は、必ずしも高齢者とは限らない。若年性認知症の人で、40代の方が同じ状態になった時に、そのような若い人まで終末期であると判定しても良いのかと悩まれるケースがあることだ。

しかしあくまでも原則は、「年齢」によってその判断基準が変わってしまうことがあってはならないということだと思う。

まだ年齢が若いから終末期ではないという判定があり得るとしたら、その逆も真となり得る。つまりそれはある一定の年齢を過ぎたのであれば、病状が重篤であるという状態だけで、治療の試みもないままに終末期判定がされる恐れが生ずることになってしまうのである。

そもそも若いからという理由だけで、終末期判定が見送られる人がいるとしたら、その人は適切な看取り介護を受ける機会を奪われるかもしれない。人生の最期に周囲の愛する人々とのエピソードづくりの機会を失うかもしれない。人生の最終ステージを自分らしく生きるということができなくなるかもしれない。それは良いことなんだろうか?

だからこそ終末期とは、「治療効果がなく積極的な医療がないと生命の維持が不可能であり、またその医療を必要としなくなる状態には回復する見込みがない状態の時期」であるという判定は、年齢に左右されることなく行われる必要があると考えている。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

看取り師と名乗る者たちの存在意義がわからない


今日も僕は旅の途上にある。これから東京都内の社会福祉法人さんの職員研修のために、羽田空港に向かう機上からこの記事を更新しているところだ。

今回依頼された研修は、全3回を1クルーとしたもので、今月から12月にかけて月1回120分講演を3回行う予定になっている。1回目と2回目は介護事業におけるサービスマナーをテーマにして、最終回は看取り介護がテーマとなっている。

実はこの二つのテーマは、全く別テーマではなく密接にリンクしている。なぜなら日ごろのマナー意識のない特養で、看取り介護を行うのは間違っていると思うからだ。

人生の先輩に対する敬意を込めて、礼儀正しい対応ができる人間にしか、「死」という厳粛な時期に向かう人へのかかわりなどできないのではないかという疑問がある。真摯に人の命に向き合うという意味は、プロとして節度を持って、正しい対応方法で日ごろから関わりを持つ人であることが求められるという意味だと思うからである。

例えば、ホスピス・緩和ケア病棟に務めている看護師の方々が、「傍らに誰かがいると、痛み止めがいらなくなるのよね。」とおっしゃることがある。

まさにそれは「人間関係」という麻薬効果ではないだろうか。

だからこそ傍らにいることが許される関係性を作らねばならない。関係性のない誰かが側にいたとしても、そんな風な効果は現れない。愛せない誰かが傍らにいても、そんな麻薬効果が現れることはないからである。

しかし家族や親族以外の人間が、職業を通じて出会った誰かと人間関係を築こうとするならば、プロとして真摯に礼儀正しく顧客である利用者に向かい合うということでしか、真の関係性は構築できないと思う。マナーと節度をもって顧客に接するという基本姿勢がそこにはなければならないと思う。そういう基本姿勢を日常的に貫くからこそ、看取り介護という、「人生の最終ステージを生きる場」に参加できるのではないだろうか。

そうであるがゆえに、看取り介護・ターミナルケアを、対象者が終末期になってから以降の支援行為と考えることは間違っていると思う。

看取り介護とは、誰かを人として愛し・敬い・心を寄せながらかかわっていった先に、たまたま必要とされる支援行為で、最初からそれを目指すものでもなければ、その時期になってから求められるものではないということだ。

ところで最近、「看取り師」と名乗る人が現れてきた。その人たちは、「看取り」の意味を知っているのだろうか?

私たちが思いを込めた言葉を安易に略したり変えたりしないでください」で指摘したように、看取り介護は終末期支援を表す言葉だが、看取りは必ずしも終末期支援を表す言葉ではない。

いうなれば「看取り師」とは「看護師」と同じ言葉という意味にしかならない。しかしその名称を名乗っている人は、自分が看取り介護・ターミナルケアの専門家だと自負している。

それは誰かの終末期に専門に関わるという意味なのか?そんな専門家が求められていると本気で思っているのだろうか?

回復不能な終末期と診断された人に、その時期だけの支援を行うために、おっとり刀で駆けつける専門職が求められているとでもいうのだろうか。

勿論、終末期の身体状況の変化等の専門知識を身に着けて、それに対する正しい対応方法を身に着けることは大切だ。しかしそれは看取り介護を行う専門家として求められるのではなく、介護支援を職業とするプロとして求められるのである。

だからことさら「看取り師」を名乗るの人を、僕は過度な自己顕示欲を現している人としか思うことはできない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

私たちが思いを込めた言葉を安易に略したり変えたりしないでください


全国民の8割以上の方々が医療機関で、「死」を迎えるわが国ではあるが、その割合はほんの少しずつ減り続けている。

それは死者数が増えて、医療機関では死ぬことができなくなる社会に備えて、死ぬためだけに医療機関に入院する必要がないように、様々な場所で死ぬことができるようにしようとする取り組みが増えているという意味でもある。自宅だけではなく、特養をはじめとした居住系施設などの暮らしの場で、息を引き取る方々を最期まで支援する取り組みが年々増えている。

それは自宅で「死」を迎える人が過半数であった昭和51年以前の日本に先祖返りしていくかのようなものだ。それは多くの人が自宅で「死の瞬間」を迎えるのが当然だった頃の、この国の人間関係や慣習を取り戻す過程なのかもしれないし、失われた日本人の心を取り戻すことにつながるかもしれないと思ったりしている。

そんな過程において、家族だけではなく、医療・看護・福祉・介護の専門家が全国の様々な場所で死に向かい合う人を支援する機会が増えている。それにつれ死を目前にした方々を支援する一連行為を、「看取り」・「看取る」と表現されることも多くなった。

それは決して間違った表現ではないし、その言葉自体にいちゃもんをつけるつもりはない。しかし私たちが、「看取り介護」という言葉を創り出した経緯を少しだけ理解してほしいと思う。

ここまで読んだ方はおそらく疑問を抱いたであろう。それは、『私たちが、「看取り介護」という言葉を創り出した経緯』ということに対する疑問だと思う。看取り介護という言葉なんて以前からあっただろうと指摘する人がいるかもしれない。

しかしそれは間違った理解だ。『看取り介護』という言葉ができたのはつい最近である。少なくとも2005年まではそのような表現方法はなかったのである。

古来から日本には、「看取り」・「看取る」という言葉はあった。しかし、「看取り介護」という言葉が生まれたのは2005年以降である。

2006年4月からの介護報酬改定時に、特養の終末期支援の取り組みに対して、新しい加算が創設されることになった。その当時、特養の終末期支援も、「ターミナルケア」と表現されることが一般的であった。

しかし介護報酬の基本的考え方では、医療系サービスと福祉系サービスができるだけ区分できるように、両者に共通の行為についても名称を別にするという考え方があった。例えば医療系サービスで、「リハビリテーション」と表現することに対して、福祉系サービスは、「機能訓練」と表現を変えるなどが、その基本に沿った名称区分である。

そのため当時の厚労省の考え方として、ターミナルケアは医療系サービスにおける表現方法であるとして、福祉系サービスである特養の終末期支援に対する新設加算について、ターミナルケア加算という名称はそぐわないので、別の名称を考えてほしいと、全国老施協に打診があったという経緯がある。

その時にターミナルケアは、「終末期介護」と訳すことができるので、「終末期介護加算」にしてはどうかという意見も出された。だが一部役員から、「終末」という言葉はネガティブイメージを与えかねないという意見が出され、他の表現方法はないかと模索する過程で、古来から日本語の表現としてある、「看取り」という言葉に着目し、これに介護をつけて、「看取り介護」という新たな言葉を創ったという経緯がある。

看取りとはもともとは、「病人のそばにいて世話をする」、「死期まで見守る」、「看病する」という意味である。つまり「看取り=看護と介護の一連行為すべてを含むもの」であり、終末期支援だけを意味しない。

その「看取り」という言葉に、「介護」をくっつけることで、「看取り介護」という新たな表現方法を創り出し、それは福祉系サービスを中心にした、「終末期支援全般」を意味する行為としたものである。

その言葉には逝く人を最期の瞬間まで支えることができる介護とは何かという思いが込められている。最期の瞬間に傍らにいてやる介護ではなく、傍らにいることが許される関係性を築く過程を大切にし、その延長線上に命が燃え尽きる直前まで、人として尊厳ある生き方を支えようという思いが込められているのだ。

例えば、医療機関で最期の時間を過ごしている人すべてがターミナルケアを受けているわけではない。ただ単に死に場所が医療機関であるにすぎない人も多い。医療機関でターミナルケアを受けていると言いながら、誰からも看取られず一人寂しく旅立っていく、「医療機関内孤独死」も多い。ターミナルケアと称しているのに、適切な介護が行われず、ターミナルケア中に一度も入浴機会がなく、皮膚の汚れが目立ち、中には褥瘡さえ発生させる状態になってる人もいる。

私たちが造語した、「看取り介護」とは、そうしたエセターミナルケア・偽物の終末期支援を否定し、対象者が人生最期の時間を過ごすにあたって、少しでもこの世でつながりのある人たちとエピソードを刻みながら、この世に生まれ生きてきてよかったと思えるような、人生の最終ステージを過ごすための介護を目指し、心を込めて、心にかけて護るという介護の本質を実現するためのものである。看取り介護という言葉には、そんな意味が含まれているのである。

どうもこの業界の中には、略語が専門用語だとか、略語を使うことが専門性だとか勘違いしている人が多い。認知症を「ニンチ」と略して表現することを恥ずかしいと思えない専門馬鹿も存在する。

看取りという表現方法は、そこまで不適切な問題ではないが、「看取り介護」を安易に、「看取り」と略したり、「看取りケア」なんて表現をする人がいたりすると、当時私たちがその言葉にたどり着くときに、真剣に考えた過程を汚されているように感じたりするときがある。

それは私たちの勝手な「思い」ではあるが、そんな思いのこもった言葉を、せめて老施協関係者や特養関係者だけは大事にしてほしいと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

逝った人からのメッセーズが送られてくるデスカンファレンス


2015年の報酬改定時に、特養の看取り介護加算の算定要件が改定され、PDCAサイクルの構築が義務付けられる中で、「看取り後のケアカンファレンス」が義務付けられている。

そのためこの加算を算定している施設については、必ずデスカンファレンスを開催することになっているはずである。しかしそうした施設でも、看取り介護対象外であった、「急死した人」に対するデスカンファレンスが行われていない場合が多い。

しかし本来のデスカンファレンス目的を考えたならば、看取り介護の実施の有無にかかわらず、それは実施すべきである。

なぜならデスカンファレンスで検証すべきは、「看取り介護中に、何が行われたのか」ではなく、看取り介護の実施時期も含めて、亡くなられた方が施設で暮らしていた間の、私たちが提供したサービスが適切なものであったのかという振り返りであり、それはまさに、「〇〇さんに対する日ごろのケアのあり方」という、ケアの個別性が問われているからである。

しかし看取り介護加算を算定していない特養の場合、利用者が亡くなった後の、デスカンファレンスを一度も行ったことがないという施設が少なからず存在している。それはあまり褒められたことではない。

むしろひとり一人のケアサービスのありようを検証すために、デスカンファレンスだけではなく、退所カンファレンスとして、在宅復帰や医療機関への入院による退所、施設変更のための退所など、すべての退所ケースを検討する機会として、退所カンファレンスも行われるべきである。

前述した看取り介護加算の算定ルール上の、「看取り後のケアカンファレンス」以外に、法令上デスカンファレンスや退所カンファレンスは求められていないが、施設サービスの品質を維持・向上させる、「動機づけ」を生むためには、こうしたカンファレンスが必要不可欠であると考え、退所者が出た場合は、必ず検証のカンファレンス(以下デスカンファレンスとのみ表記)を行うシステムを構築すべきである。

こうした振り返りの機会を持つことによって、職員は必然的に、退所された方に対してどのようなケアサービスが提供されたのかということや、それは果たして適切なものであったのかを考えることになるが、それは単に過去を振り返ることにとどまらず、これから先、今までと同じようなサービスの状態で良いのか、あるいは変えるべき問題があるのかということを検討することにつながるのである。

デスカンファレンスとは、そういう意味で、介護施設の「未来を照らし、未来に導く」検証作業なのである。

デスカンファレンスを通して、職員は対象者が亡くなるまで教えてくれていたと感じていた事が、カンファレンスを通して亡くなったあとでも教えて下さる事の多さ、その大切さを改めて痛感することができる。

さらに誰かの限りある人生の最終場面に、その時期を意識して関りを持つことで、そこで打ち出された課題を一つ一つ改善していくためには、どんな事をしたらよいかと具体的に考える事ができるようになっていく。

そのような意味で、個別の利用者支援を考えるための最後のカンファレンスは、反省・後悔するためだけのものではなく、施設で生活している方たちに、これから活かす・繋げるためのものであると考えるべきである。

看取り介護についていえば、限られた命の時期を周囲の人たちが意識する中で行われる介護であり、対象者の人生の最終ステージにおいて、エピソードを刻み、その記憶を残された人の心に刻んでいくことが大切になる。そのためには利用者の生活史の中でどのようなエピソードがあったかという情報も必要で、特に家族との関係性を表すエピソードが、最期の場面で必要とされる場合がある。

だからこそ家族と一緒に「看取り介護対象者が、その方らしく生きるために何ができるか」を考えるようになる。そうなると職員は、普段からの家族との関わりを大切にし、いろいろなエピソードを聞き出しておきたいという気持ちが湧き上がってくる。それは利用者のみならず、家族との良好な関係性を築くきっかけにも結び付いていく。

そして日常のほんの小さな「気づき」を行動に変える力がついていくのである。それはまさに一番近くで気付く人、一番近くで代弁する人としての介護施設職員の役割を肌で感じ取れるようになることにもつながる。

そんな形で精神面・技術面の向上を目指そうとするスタッフの前向きな姿勢が養われていく。そこにカンファレンスという他職種との率直な意見交換の場を加えることで、それぞれの職員が自分の意見をしっかりと伝える力をつけることができるようになっていくのである。

そこでは、看取り介護になってからの援助よりも、日頃の援助こそが大切であることが再確認できるようになっていくことなるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

息を引き取る瞬間を看取る意味。それを伝える意味。


昨日から滞在している島根県松江市は日中の最高気温が33度となり、今日は35度まで上がるという。

北海道の人間にとってはきつい猛暑だが、それを癒してくれるのが宍道湖だ。昨日はその宍道湖の有名な花火大会最終日で人手がすごかった。僕は人ゴミがあまり好きではないので、ホテルに籠って食事もコンビニ飯にした。

しかし一昨年見た宍道湖の夕日が忘れがたいので、今日は必ず見に行きたいと思う。
宍道湖の嫁ケ島と袖師地蔵を染める夕日
この美しい宍道湖は、しじみの宝庫でもある。松江に来ると朝からおいしいシジミの味噌汁を飲めるのが楽しみの一つでもある。今朝は早速、ホテルの朝食でシジミ汁を呑んで肝臓も元気になった。

という訳で今日は朝10時から夕方4時まで、いきいきプラザ(島根県松江市)で5時間講演を行なう予定になっている。お昼の休憩時間も著作本販売などのため記事更新の時間が取れないと思い、朝から記事を更新して、講演直前のこの時間を利用してアップしているところだ。

今日の講演は看取り介護セミナーとして行なわれるものであるが、このことに関連しては先週月曜日に、「逝く瞬間を看取る意味をもう一度深く考えよう」という記事を書いて、旅立つ瞬間を看取ることにも重要な意味があり、安易にそのことを、「必要なし」とする風潮があることに警鐘を鳴らした。

看取り介護は対象者が息を止める瞬間を看取るという意味ではない。それはわかっている。看取り介護とは、命の期限がある程度わかっている人に対して、やがて来るであろう(ほぼ半年以内)お別れの時期を意識しながら日常支援を行うことを看取り介護と言う。それはその時期のケアサービスすべてを指すものであり、その時期の日常支援がきちんと行われておれば、旅立つ瞬間に誰かが看取っていないとしても、そのことが重大な問題となるわけではない。そのことは十分理解している。

しかし最初から、「看取り介護対象者が息を引き取る瞬間を看取ることは大した意味がない。」と考えて支援を行う人と、そうではなくできれば息を引き取る瞬間までを看取ってあげたいと考える人の眼差し(まなざし)は違うものになるのではないかと思う。

旅立つ瞬間を看取るためには、その旅立ちがいつになるのかを意識して、そのことに気が付けるように細かな観察が必要になる。結果的に旅立ちを看取れなかったとしても、その瞬間を看取りたいと思って行う日常ケアと、そんなことまでしなくてよいと思いながら行う日常ケアには必ず差が出てくる。

息を引き取る瞬間まで傍らにいようと考えることは、あまりにもおせっかいだと言われても仕方ない。だからといってそれはおかしい考えだとは思わない。尊い人の命が燃え尽きるという厳粛なシーンに寄り添うとすることに何を言われようが揺るぐものはない。

それに息を引き取る瞬間を看取ることができるかどうかは、遺族の方々にとってより大きな意味となるときがある。

様々な事情で家族の旅立ちの瞬間を看取ることができない人たちがいる。その時、愛する家族が旅立った後に駆けつけた家族が、「最期に苦しみませんでしたか?」・「どんなふうに逝きましたか?」と尋ねられた時に、「息を止める瞬間は確認できませんでしたが、それまでずっと必要なケアはできており、○○さんも満足されていましたので、寂しくはなかったと思いますよ」としても良いとは思う。遺族の方々にきちんと説明しさえすれば、納得してもらえると思う。

しかし同じ質問をされたときに、「全く苦しまないで、すーっと眠るように息を止めたんですよ」・「穏やかな顔をされて旅立っていかれました。」・「一度息を止めたように見えたので、大きな声で名前を呼びかけたら、もう一度大きく息を吸ってはいて、そのあと本当に息が止まりました。まるでお別れの挨拶をしてくれているように逝かれました。」と説明できたとしたら、そのことには意味があるのではないかと思う。

だから僕はそういう看取り介護を目指してきた。そこまでしなくてよいとか、やり過ぎでしょうと言われたこともある。でもそんな声はすべて第3者の声である。旅立った人の声は聴くことができないが、遺された方々にその瞬間を説明して迷惑がられたことはない。むしろ涙を流しながらその説明に耳を傾け、感謝の言葉を口にするたくさんの方々と出会ってきた。

学者や官僚が語る看取り介護と、僕が語る看取り介護は、その部分で大きく違ってくるのだ。本当の看取り介護を実践している人間にしか見えないもの、聴こえないものがあるのだ。

息を引き取る瞬間を看取る意味については、僕の最新著作本、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」の194頁に、「旅立つ瞬間を看取る意味」というコラムを書いている。是非そちらも参照していただきたい。

今日の島根県老施協主催・看取り介護セミナーでも、そのことはしっかり伝えてくるつもりだ。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

神の国で語る看取り介護


3年前まで僕が講演を行なったことがない県は、全国で山梨・島根・鳥取・香川の4県であった。

その4県のうち島根県は一昨年、松江市と浜田市で2講演を行った後、昨年も太田市と益田市で講演機会をいただき、さらに今年も松江市で再度講演を行う機会をいただいた。

香川県は昨年初めて高松市で講演を行う機会をいただき、今年も引き続き高松市にご招待いただき2年連続講演を行なっている。

そのため現在、僕が講演を行なったことがない県は、山梨県と鳥取県の2県となっている。当該県の関係者の方に、ぜひご招待いただけるようにお願いしたいものだ。

さて今年で3年連続講演依頼をいただいた島根県であるが、その予定が来週の月曜日に迫っている。今年の島根県講演は島根県老施協の主催する、「看取り介護セミナー」である。朝10時から始まって、終了は午後4時という長丁場の講演で、午前2時間・午後3時間の合計4時間のセミナー内容は、すべて僕の講演でグループワークなどは予定していない。

その内容は、全国7カ所(札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・岡山・福岡)を廻る日総研セミナーと同じであるが、当然のことながら今現在の最新情報を盛り込んで、今地域で求められている看取り介護の実践論をお話しする予定である。

講演事務局からは一昨日にメールが来てその内容は、「会場が定員150名しかないが、すでにその数に達する申し込みがあり、募集を終了した。」とのことである。ということで満員御礼に感謝するとともに、締め切り終了前に受付が終わって参加できなかった人には、この場を借りてお詫び申し上げたい。今回受講できなかった人が、次に受講できる機会を是非作っていただきたいと思う。

ところで看取り介護講演については、先週も札幌と東京でそれを行う機会があったが、そのうち札幌会場(受講者30名:120分講演)を受けた方のアンケート結果が昨日届いた。満足度が高い講演となってホッとしている。受講者の皆様の個別コメントも送られてきたので、下記に照会したいと思う。t当日の受講者のほとんどの方からコメントをいただいているが、それはまさに僕の看取り介護講演の評価であり、今後、僕の講師を依頼しようかと考えている人にも参考になると思うので、是非ご覧いただきたい。
------------------------------------------
受講者の方々の声
・看取り介護は今後増すと思いますが、予測できないような事をどのように行うかが課題と思いました。
・色々と考えさせられる内容でした。
・最期の時を家族が元気なうちに話し、また、その様子を子どもたちにも見せたいと思いました。
・現在、看取りケアを行っているが、Drの考え方に納得していなく指示と思って点滴や酸素を行っていたが、今日の研修を受けて自分の考え方が正しかったという事がわかりました。また家族の意見だけではなく本人のリビングウィルは今後必要なことと思いました。
・看取りは、特別なこと、大変なことと思っていましたが、そうではないんだという事に気付かされました。今後、施設で看取りを行うかも知れないので是非参考にしたいと思います。
・最期の時を家族が元気なうちに話し、また、その様子を子どもたちにも見せたいと思いました。
・看取りが、生きていることの延長線上にあるという事が改めて実感できました。
・クレームの判別。対応方法を詳しく説明してもらい勉強になった。
・親の死後に、うつになったというケースから終末期の過ごし方を予め話し合っておく必要性がある事を痛感しました。今後に活かしていきたいです。
・看取りは日常ケアの延長であること。1つ1つのケアの中でも、最後につながることがある。明日から自分がどういうケアをするのか、看取りの時はこういうのが良いのかなど、色々考えることができた。
・直接看取りに関わる事は多くない小規模多機能に所属している為、実際のケースを例としていた内容は理解しやすく、実りある研修に参加できたと思います。
・看取りに限らず、介護に向き合う姿勢を学ぶことができました。一人一人の思いによって、今後の支援も変わるだろうと思い、皆がそれを共用できたら良いと思いました。
・家族ではない他人の看取りに関わる時、自分たちの行うケアにより、人生の最期の時の幸せ度が左右されることを改めて 実感しました。
・看取りは死を待つものとしか考えられなかったが、その人らしい生活を支え、安心・安楽な最期を迎えられるように支援すると学び、考え方を変えることができました。
・実際にあった事例が多く、今ユニットでも看取りの入居者様がいるので実践してみようと思う部分が多くありました。
・看取りのケースが少しずつ増えて、実際に関わる中でDrとの連携ややり取りについて、今後の課題を感じました。
・ご利用者様本位を間違えて捉えることの怖さ。そして、しっかり時間をかけて向き合っていくことの大切さを学びました。
・介護の仕事を始めて4年程で多くの看取りを経験してきましたが、利用者様、ご家族様とどう向き合うかを改めて学べて良かったです。
・今まで看取りを行っていて実感していた内容が多く、自信に繋がりましたが、まだまだ「あなたの大切な人を任せてください」と自信を持って言えないため、知識を付けて本人の代弁者となれるよう努力していきたいです。
・看取りへの心構えや、如何に自分が関わっていくと良いのかの道しるべとなりました。
・元気な時に、人生会議が出来るように、今後の仕事に生かしたいと思いました。そうすることで、残された家族に責任を負わせないようにしたいと、体験からも思います。
・今年、祖母が亡くなり、家族として看取りました。また誰かの看取りに接することがあった時に、本人の幸せを考えられるようにしていきたいと思います。
・ターミナルケアを行う施設、グループホームが多くなると思いますが、看取り介護をご家族にどう説明するかが重要であると思いました。
・とても勉強になりました。施設に戻って学んだ事を職員に伝え、本人やご家族が安心安楽になれる看取りケアを目指していきたいと思います。
・増えてくる看取りとどう向き合うか、どうケアするかをもう一度考えることができて勉強になりました。
・2時間はあっという間でした。ありがとうございました。
・老健での看取り介護の事例が知りたいです。
・接遇に関して、菊地先生のサービスマナーの講義を受講してみたいです
-------------------------------------------
以上、参考にしていただければ幸いである。

これらのコメントを読んでいただくだけで、僕がどういう方向から、どのような話をしているかわかるのではないだろうか。どちらにしてもそれは、僕が特養という介護施設の中で、ソーシャルワーカーの時代から、総合施設長として施設経営を行っていた時期に、僕の仲間と一緒に作り上げてきた介護の実践論で、そこにフィクションや空想は一つも含まれていない。

それは真実の実践論である。いくつかのケースや、そのまま現場で使える書式は、僕の最新著作本、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」に掲載されているので、文字に張り付いた日総研サイトもしくは下記の取り寄せサイトからご購入いただければ幸いである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

逝く瞬間を看取る意味をもう一度深く考えよう


先週木曜から上京し、東京飯田橋〜浜松と移動しながら講演を行ない、昨日の夕方北海道に帰ってきた。台風の影響が心配されたが、飛行機も新幹線も定刻運航で、講演に影響が出ることはなくホッとしている。

飯田橋と浜松の両会場とも、100名を超える方々に受講していただいた。暑い中、会場まで駆けつけてくれた方々に、この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。

飯田橋講演は、テーマが「看取り介護」で、4時間の講義と1時間のシンポジウムの長丁場だった。会場で用意した僕の著作本、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」は全冊売り切れてしまって、購入できない方がいて申し訳なかった。会場で購入できなかった方には、文字に張り付けたリンク先より取り寄せいただきたい。

来週の月曜日も島根県松江市で看取り介護講演を行なうが、そちらも5時間の長時間講演となっている。本も販売予定なので、是非会場で手に取ってご覧いただきたい。

死者数が増え続けるわが国において、看取り難民を生まないためにも、様々な場所で看取り介護・ターミナルケアが実践されなければならず、今後も看取り介護をテーマにする研修会は、全国様々な場所で求められていくと考えられる。そして看取り介護・ターミナルケアについてレクチャーできる講師も増えていくことと思われる。

そうなると看取り介護に関して、様々な考え方が示されるようになるだろう。勿論考え方がいろいろあっても良いし、多様な価値観の中から、受講者自身が看取り介護に関わるに際して、最もふさわしい方法論を選ぶことができれば、それが一番良いことだと思う。

しかし様々に示される考え方の中で、看取り介護を受ける人やその家族が不在の、「看取る側の論理」が前面に出され始めていることに危惧の思いを持ち始めている。本当にそれが看取られる人の思いであるのかということを考えてもらいたい・・・。

例えば以前にも紹介したが、息を止める瞬間に傍らに誰かがいないとしても、日常の支援がきちんとできておれば、それは「孤独死」ではなく、「ひとり死」であるという考え方が示されるようになっている。(※参照:在宅ひとり死を他人が推奨する社会は怖い社会かもしれない

そうした考え方があっても良いと思うが、この考え方を押し付けるのはいかがなものかと批評してきた。そもそもこの考え方が示された背景には、在宅独居の方を自宅で看取る際に、24時間巡回サービスなどの社会資源をフル活用したとしても、最期の瞬間までは看取ることができないケースが増えることが確実な社会の中で、国民一人一人に死の瞬間を誰かに看取ってもらうことができないこともあるという覚悟を促しているという意味があることを知ってほしい。

それが決して国民ニーズとかいうわけではないし、大多数の人が賛同すべき、あるいは賛同できる考え方とも限らないのである。

しかし恐ろしいことに、「ひとり死」を推奨するだけではなく、その延長線上に、「看取り介護だからと言って死の瞬間を看取ることに価値があるわけではない」とか、「死の瞬間を看取ることには意味がない」と言い始めている人がいて、その考え方を聴いて、闇雲にその価値観を受け入れてしまう関係者が、「目から鱗です」という意見を述べていたりする。それは極めて危険なことだ。

必ずしも息を止める瞬間、逝く瞬間を看取らなくとも、必ずしもそれが問題ではなく、一番大事なのは終末期という時期の日常支援であるという考え方は理解できる。しかしそうだからと言って、「逝く瞬間を看取ることにほとんど意味はない」と考えるのはどうかしている。それは逝く瞬間を看取ろうとしない人々の言い訳でしかない。

例えば下記のアンケート結果を見ていただきたい。
看取り介護アンケート結果
このアンケートは5年前にも実施し、昨年改めて再調査したものだが、『介護が必要な人が周囲に支えられていれば、旅立つときに側に誰もいなくとも、それは孤独死ではなく「ひとり死」であるといわれ始めました』という前提条件を示しているにもかかわらず、過半数を超える人が旅立つ瞬間に、「親しい人には側にいてほしい」と回答し、かつ「誰でも良いから側にいてほしい」という人も5.8%とはいえ存在するわけである。

しかもネットアンケートに答えられる年齢層の人より上の世代の人は、この数字がもっと高くなると予測できるのではないだろうか。つまり我々が介護施設等で関わる看取り介護対象者の多くの方は、理屈はともかくとして、息を止めるその瞬間に誰かが側にいてほしいのである。

少なくとも、「側に誰かがいてほしい」と答えた人にとって、「旅立ちの瞬間に傍らに誰かがいる」ということは、決して意味がないことではないし、最も求められることであるかもしれないわけだ。それを否定するような考え方があってはならないのである。

僕が特養で看取り介護に関わってきた経験から言えば、「逝く瞬間」を看取ることは、旅立つ人だけではなく、遺された人にも意味がある行為である。

旅立っていく人を家族が傍らで看取ることができないケースがあるが、その際に看取り介護対象者が旅立った後に駆けつけた家族が尋ねることは共通している。それは、「どんなふうに逝ったの
?」・「苦しまなかったかい?」ということだ。

その時、我々が家族に替わって旅立つ瞬間を看取ることができたからこそ伝えられる事実がある。その事実によってしか伝わらないものがある。それは決して無駄なことではないし、目指すべき看取り介護の在り方の一形態である。

それを否定するかのような看取り介護講演は意味がないと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

終末期支援に必要な正しい知識を身に着けるために


僕は先ほど札幌に着いたところだ。今日13:30〜札幌を拠点として道内各地に介護施設や居宅サービス事業所等を事業展開している、「社会福祉法人・渓仁会」さんのから依頼を受けて、「看取り介護講演」を行うためである。

同法人は、地下鉄東西線西28丁目駅直結のビルに研修室を持っているので、そこに向かう前に、札幌ラーメン共和国に寄ってランチをした後、エスタでまったりと時間待ちをしながらこの記事を更新している。

今日の講演受講者は、施設長や経営管理部門担当者などを含めて、看護師・介護支援専門員・社会福祉士・介護福祉士など全職種横断で、主に職場のリーダー的役割の方々が研修会場に集まるほか、テレビ会議システムによるライブ配信を行って、全道各地の事業所内で職員の皆様が受講する予定となっている。

それらの皆様の明日からの実務に活かせる、「看取り介護の実践論」を話すことを心掛けたいと思う。

死者数が増え続けるわが国では、看取り難民を生まないためにも、すべての介護施事業者が「看取り介護」を実践しなければならない。そのため昨年の報酬改定でも、種別横断で様々なサービス事業において終末期支援への取り組みが、何らかの形で加算評価されているし、その流れは今後の介護報酬改定・診療報酬改定の中でも引き継がれていく。そのことの意味を重く受け止める必要がある。

そもそも看取り介護は特別な介護ではなく日常ケアの延長線上にあるもので、看取り介護ができないということはケアができないという意味になり、そんな介護事業者があってはならない。そういう意味では看取り介護とは、事業管理者が、「する・しない」とか「できる・できない」と判断する問題ではなく、高齢者の日常ケアのたどり着く先は、必然的にその人の終末期支援であるという意識のもとに、いつでもどこであっても提供しなければならないケアサービスなのである。

そうであれば当然、介護事業者に所属する職員には、事業種別に関わらず、すべからく終末期を迎えた人の身体状況の変化などの知識が求められ、それを身に着けるための教育も正しく行われる必要がある。

このブログでも何度か書いていた終末期に必ず現れる身体変化や、現れる可能性が高い変化、ごくまれであるが生じる可能性がある身体現象などがあるが、そのようなことを知らずして看取り介護に携わった場合、そうした現象が起きたときに職員が慌てふためくことになるかもしれない。それでは困るわけである。なぜなら職員が慌てふためく状態は、看取り介護対象者やその家族に不安しか与えないからだ。

だからこそ終末期に起こるであろう身体状況についても、きちんと把握・理解しておく必要がある。例えば死を目前にした人に起こる現象として、事前喘鳴やチェーンストークス呼吸、下顎呼吸などがあるが、それは苦しんでいる状態ではないことを説明し、原因や対処法をあらかじめ明らかにしておく必要がある。

そのため僕は、「愛する人の旅立ちにあたって」というパンフレットを平成22年に作成したが、その最新バージョンを、今年1月に日総研出版から上梓した「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」に資料掲載している。それらを参考にしながらそれぞれの施設に見合った終末期支援の説明書式を作成していただきたい。

下顎呼吸の時に、苦しがっているから酸素吸入をしてくれと訴える家族に、その場で、「下顎呼吸は本人に苦痛がない状態であり、逆に酸素吸入をするこがかえって苦しめる結果となるため、その必要がない」ことを伝えても、そんな場面では十分にその理由や意味を伝えることはできないだろう。

切羽詰まった場面でそんな説明を聞かされた家族だって、説明されたことを理解できるわけがない。そうであれば家族は不安と悲しみの中で、看取り介護対象者を見送らねばならなくなる。

そんなふうに不安な状態にしないように、事前に必要な情報提供が求められるのだから、本で紹介した書式は、本来看取り介護を行う事業者すべてが備え置くべき基本書式であると思っている。

加算の算定要件になっているか否かはどうでもよいことで、命に寄り添う場で、最期の瞬間まで看取り介護対象者と、その家族が安心できるためには、何が必要かを考えてほしい。

残念なことではあるが、看取り介護に取り組んでいる介護施設等の職員が、看取り介護に関する基本的な知識を身につけていない現実を、全国のいろいろなところで見てきている。看取り介護加算の算定要件だけを知って、看取り介護の際に求められる基本知識を身に着けたと勘違いしては困るわけである。

そんなことがないように伝えていきたいことがたくさんある。今週金曜日には神楽坂でも看取り介護について話してくる。それは東京都社会福祉協議会・栄養士・看護師・介護士 合同研修会の中での話であるが、当日は講演が4時間、シンポジウムのコーディネートを1時間、その後質疑応答を30分行う予定である。

こんなふうに、正しい看取り介護の知識と支援技術を伝えるために、全国どこへでも飛んでいくので、講演依頼、もしくはその打診等は、メールで気軽にお問い合わせいただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

高齢期の生き方を考える先にある看取り介護


今月に入って高齢者介護に関連して重要な国の統計が複数示されている。

9日に公表された2018年版の厚生労働白書は、統計不正問題等に関連して異例の、「お詫び」の言葉が冒頭の「はじめに」から並べられている。

これに関して、「謝れば済めば警察はいらない」などの批判的なコメントも寄せられているが、白書で謝罪するということはかなり大きなことではないかと思う。省内でこのような文言を入れることに全く抵抗がなかったとは思えず、謝罪の文言を入れるに際して、作文した人にはかなりの勇気と覚悟が必要だったのではないだろうか。

白書という閣議了解を必要とする公的資料に、このような謝罪を載せたこと自体に大きな意味があると思え、このあたりは相応の評価をして良いのではないだろうか。

ただ今後は厚労省が集めたデータをもとに、「自立支援介護」のガイドライン作りが進められるのだから、この部分への監視は欠かせない。ここに不正統計があっては、自立支援の名の給付抑制が進められるだけの結果になるので、注意深く見守りたい。どちらにしても国の分析を無批判に受け入れるだけでは、施策も制度も良くならないことを関係者は自覚すべきだ。

特に介護保険制度の中心職種と言える介護支援専門員に、制度の知識が無かったり、国が示した方針を無批判に受け入れる傾向が強いことは気がかりだ。日本介護支援専門員協会という職能団体は、介護支援専門員全体の利益代表ではないということにも注意して、それぞれのステージで、国から出されるデータなり、方針なりを分析する知識と気構えを持っていただきたい。

そのほか今週出された統計の中では、10日に総務省から公表された、住民基本台帳に基づく今年1月1日時点の人口動態調査の結果が気になるところだ。

それによると、日本人の人口は前年より43万3239人少ない1億2477万6364人。減少は10年連続で、今回は過去最大の減り幅となっている。この現象の根っこには、出生数が減り続け過去最低数になっているという自然減という最大要因があり、それは将来にわたって生産年齢人口が減少し続けるという意味を含んでいる。

日本全体の労働力が日本人だけでは賄えないことが明白になるなかで、介護労働力をどのように確保するのかという問題の解決策はないと言って過言ではない。そうであるからこそ介護事業者は、国の施策に頼るだけではなく、それぞれの事業者の企業努力と覚悟も必要になるのである。この部分で後塵を拝しては、事業経営が困難となることを自覚していただきたい。

また2日には、国民生活基礎調査(2018年)が公表されている。

それによれば全世帯に占める高齢者世帯の割合は27.6%と過去最高になっており、このうち「単独世帯」の性別は、男性32.6%に対して女性67.4%と、圧倒的に女性の比率が圧倒的に高くなっている。しかし「孤立死」・「孤独死」する人の7割は男性だという事実がある。

これは何を示しているのか・・・。高齢者支援として何が求められているのかという答えがそこにはあるのではないだろうか。僕の「看取り介護講演」では、(120分以上になれば)このことも含めてお話しすることが多い。
孤独死の現状
画像のスライドは、8月5日(月)に島根県松江市で行われる、島根県老人福祉施設協議会主催・看取り介護研修会での5時間講演で使うスライドの中の1枚である。

看取り介護と言えば、回復不能の終末期と診断された人に対するケアに特化して考える人が多いが、僕はそれは少し違うのではないかと考えている。

看取り介護とは高齢者の生活支援全般を考えるうえで、最終的にたどり着くケアステージであり、決して特別なケアではない。そこに至る過程では、終末期になった場合にどこでどのように過ごしたいのかという、リビングウイルの確認支援という重要な役割が介護支援者すべてに求められてくるし、一見看取り介護とは関係性がないと思われている、「孤独死」の問題についても、高齢者が仕事をリタイヤした後などに、どのように社会性を保ち、地域社会と分断されないかという観点から、その問題を考えることが最終的にはすべての地域住民が、最期の時間を安らかに過ごすことができるということにつながっていくのではないかと考えている。

だからこそ孤独死問題と看取り介護は無縁ではないし、関連性が高い問題であるのだと思う。

そして看取り介護に関して言えば、人が最期の瞬間まで生きる喜びを感じることができることを信じて、そうした生き方を支える介護であり、介護関係者が看取り介護を、「する・しない」、「できる・できない」と判断するのではなく、日常介護の延長線上に、ごく当たり前のように看取り介護の実践があると考える介護業界になってほしいと思っている。

島根県松江市の看取り介護講演の前にも、今月25日は札幌で2時間の看取り介護講演、27日には東京神楽坂で4時間の看取り介護講演を行なう予定だ。(参照:masaの講演予定

それらの講演は加算を取るための方法論を教えるためのものではなく、看取り介護とは何かということを伝える講演である。それは人が生きる過程を支えるという意味で、誰にでも提供されるべきケアであり、日常支援の一つとしてごく当たり前に関わるべきケアであることを伝えたい。

今年1月に上梓した、「看取りを支える介護実践〜命を支える現場から」も同じ目的で書いた本である。是非一度手に取って読んでいただきたいと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。

安楽支援の基盤


今僕は、東京都品川区五反田の学研ビルに向かっている最中だ。

今日はそこで行われる株式会社学研ココファン・ケア品質向上大会に講師としてお招きを受けている。僕の講演は90分であるが、13:30〜18:10まで行われる大会の全日程に参加し、職員の皆様の研究発表などを聴こうと思い、朝早い便に乗って北海道からこの時間までに駆けつけた次第である。

ただ搭乗便に遅れが出たため、予定時刻に到着するかは微妙な時間になってきたが、仮に遅れたとしても、大会自体には支障はない。開始時刻に間に合わせようとしているのは、あくまで僕の都合だからである。

介護の実務に携わっている人たちが、どのような思いを持ちながら、どんなふうに日々の業務に取り組んでいるかを知ることは、僕の活動にとても非常に重要になる。そういう意味では、今日のような機会は得難い貴重な機会であるといえる。

その大会の中で行う僕の講演は、看取り介護をテーマにしたものだ。
看取り介護講演
看取り介護とは、終末期を過ごす人々が安心と安楽な状態で過ごすためのケアである。それは日常介護の延長線上にあるもので、決して特別なケアではないが、看取り介護対象者が、本当に安楽に過ごせるために、必要な知識と技術はしっかり備え老いておかねばならない。

間違ってはならないことは、終末期だからといってずっとベッドに横たわり、安静にしなければならないとは限らないということだ。安楽とは、「安らか」であるに加えて、「楽しむ」ということも必要になる場合があるのだ。終末期にもバイタルが安静しているときには、活動参加機会があってもよいし、先日紹介したように、VRを利用した終末期支援があってもよい。

しかしいくら環境が整えられ、立派な機械・設備があろうと、それだけで人が安楽になることはない。本当に人が求める安楽とは、自分に思いを寄せてくれる誰かがそこに存在することだと思う。最期に残された時間であるからこそ、その限られた短い時間の中だからこそ、その関係性と愛情が求められるのだと思う。

人と人の間で刻んだ営みを思い、人としてこの世に生きてきた喜びを確かめるためにも、それは最も求められることなのだろうと思う。

逝かんとする人の傍らに、家族や親族がいない場合は、看取り介護に係る関係者が、その役割をしっかりと担う必要があると思う。逝かんとする人に、人間としての愛情を寄せ、手を握り、そのぬくもりを伝えることができるということが、看取り介護では最も重要なことなのかもしれない。

そのためには、介護支援に関わる関係者は、誰かの最期の瞬間に、「傍らにいることが許されるもの」となるために、日々の関係性づくりに努力を惜しんではならないのだと思う。

終末期支援の知識や技術もしっかり伝えてくるが、そうした思いも、同時に伝えることができる講演にする予定である。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの最新刊看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
TSUTAYAのサイトからは、お店受け取りで送料無料で購入できます。
キャラアニのサイトからも送料無料になります。
医学書専門メテオMBCからも送料無料で取り寄せ可能です。
アマゾンでも送料無料で取り寄せができるようになりました。
新刊出版のご案内
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)のamazonからの取り寄せはこちらをクリックしてください。
masaの講演案内
当ブログ管理人masaの講演予定は、こちらからご覧下さい。講演依頼もこのページからできます。
Weekuly Access

    記事検索
    Blog Search
    Google
    WWW を検索
    このブログ内を検索
    ↑こちらにキーワードを入れて過去のブログ内記事を検索できます。
    masa's book 6
    表紙画像(小)
    新刊「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から(2019年1月20日発売)のネットからの購入はこちらをクリックしてください。送料無料です。
    masa's book 5
    新刊介護の誇り
    「介護の誇り」はこちらから購入できます。
    masa's book 4
    介護の詩(うた)  「介護の詩(うた)」はこちらから購入できます。
    masa's book 3
    人を語らずして介護を語るなTHE FINAL 誰かの赤い花になるために  感動の完結編。 「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」。 はこちらから購入できます。
    masa's book 1
    表紙カバー、帯付き
    書籍化第1弾「人を語らずして介護を語るな〜書籍masaの介護福祉情報裏板」 はこちらから購入できます。
    Facebook
    masaのフェイスブックはこちらからアクセスしてください。
    Recent Comments
    Archives
    Categories
    Access Counter
    • 今日:
    • 昨日:
    • 累計:

    QRコード
    QRコード