masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

自立支援

無視できなくなったADL維持等加算ではあるが・・・。


通所介護における加算だったADL維持等加算は、特定施設と特養でも算定できる加算となり、算定単位も10倍の30単位/ 月(加算機砲60単位/月(加算供砲箸覆辰拭そのため決して無視してよい加算ではなくなった。

例えば通所介護では、従前の入浴介助加算しか算定できない事業所の場合、10単位の報酬減となる。しかし4月5日に書いた記事で指摘したように、利用者同意を得られずに新加算兇鮖残蠅任ないケースもあるだろうし、そもそも利用者宅への訪問アセスメントや、「個浴その他の利用者の居宅の状況に近い環境」での入浴支援ができない場合、上位区分は算定できない。このように単位減を余儀なくされる事業所は決して少なくないのだから、その分を他で補填せねばならない。

その時ADL等維持加算を算定できれば、入浴介助加算の減収分を補って、さらにおつりがくるという単位数になっている。

算定要件が複雑で手間がかかることを考えると、10倍になった現行単位もまだ低いという人も居るが、通所介護経営を考えるとそのようなことを言っている余裕はなく、算定に向けた準備を万全に進めなければならないのである。

その時注意したいことは、「ADLの評価は、一定の研修を受けた者により、Barthel Index を用いて行うものとする。」とされている点である。これは新年度からの新たな要件である。

ただし昨年度のBI測定は、この要件がなかったので誰が評価を行っても本年4月からの加算算定には問題がない。

今年度からの評価(BI測定)については、上記の条件に合致する者が行わないと、来年度以降の加算算定ができなくなるのである。

新要件の研修とは、先週金曜日に発出されたQ&A vol5の問5で、「一定の研修とは、様々な主体によって実施されるBIの測定方法に係る研修を受講することや、厚生労働省において作成予定のBIに関するマニュアル及びBIの測定についての動画等を用いて、BIの測定方法を学習することなどが考えられる。」とされているので、張り付いたリンク先の動画を観ることによる、「事業所内研修」でも可となる。

しかし問5の回答では、「また、事業所は、BIによる評価を行う職員を、外部・内部の理学療法士、作業療法士、言語聴覚士から指導を受ける研修に定期的に参加させ、その参加履歴を管理することなどによりBIの測定について、適切な質の管理を図る必要がある。加えて、これまでBIによる評価を実施したことがない職員が、はじめて評価を行う場合には、理学療法士等の同席の下で実施する等の対応を行わねばならない。」という考え方も示されている。

これは実質的に研修要件に新たな要件が加わっていると同じことである。研修を一度でも受けるだけでは要件クリアせず、定期的な外部研修の受講と、その履歴管理も必要になるということで、この要件にあわせて研修参加機会を作っておかねば加算算定ができなくなるので注意が必要だ。

定期的の頻度は示されていないが、少なくとも年度ごとに1回以上の研修受講は必要とされるのだろう。そのため地域ごとにBIを学ぶ研修機会は増やしていく必要も生ずるだろう。

ところでバーセルインデックスは、日常生活動作(ADL)を評価する方法のひとつであり、ADL維持等加算は、そのアウトカム評価が一定基準以上の事業者が算定できる、「体制加算」である。つまり利用者の機能維持や向上の実績がある事業者に対しての評価体制加算と言ってよい加算だ。そしてその評価とは基本的に前年実績に対する評価である。

そのため新加算に移行した令和3年度の算定には、特例的な要件がつけられている。その一つは、「大臣基準告示第 16 号の2イ(1)、(2)及び(3)並びにロの(2)基準(イ(2)については、厚生労働省への提出を除く。)を満たすことを示す書類を保存していること。」である・・・これが算定要件をわかりにくくする行政文書の特徴でもあるが、この要件を確認するには、「厚生労働大臣が定める基準」を見なければならない。

するとその意味は次の3点をクリアしていることを証明する書類を保存するという意味であることがわかる。
・評価期間が6カ月を超える利用者の総数が10名以上であること。
・利用者全員について評価利用対象期間の初月と当該月の翌月から起算して6月目においてADLを評価し、その評価に基づく値を測定し、測定した日が属する月ごとに厚労省に当該測定を提出していること
・ADL利得が1以上(新加算機砲泙燭2以上(新加算供砲任△襪海


上記の証明書類を保存したうえでLIFEへの情報提出が必要とされているし、算定を開始しようとする月の末日までにLIFEを用いてADL利得に係る基準を満たすことを確認することが求められている。

ただこの要件をクリアできる事業者とは、あくまで今令和2度中もしくは昨年中にバーセルインデックス測定と6カ月後の評価を行い、ADL値を国に報告している事業者に限ってである。今年の4月に届け出を行ったうえでバーセルインデックス測定を行い、10月に再測定評価を行ってADL利得が算定要件をクリアしても、それはあくまで来年度の算定要件をクリアしていることにしかならないからだ。

よって今後バーセルインデックス測定に取り組む事業者が、この加算を算定できるのは令和4年度からになるということだろうと解釈している。(※違うという人がいたら、その根拠とともに指摘していください。)

ところで前述したようにADL維持等加算にもLIFE要件が加えられた。それは単にLIFEに情報提供するだけではなく、フィードバックのPDCA活用が要件になっている。

LIFEへの情報提出については、事業所・施設における利用者等全員について、利用者等のADL値を提出(※評価対象利用開始月及び評価対象利用開始月の翌月から起算して6月目の月の翌月 10 日までに提出:昨年度の評価期間とは1月のずれがあるので注意が必要)とされている。

ただし評価対象利用開始月の翌月から起算して6カ月目にサービスの利用がない場合については、当該サービスの利用があった最終の月の情報を提出することになる。

ここで疑問が生ずる。それは死亡や入院等でサービスが終了した際にも、当該サービスの利用があった最終の月の情報を提出しなければならないとしたら、BI検査はそれに備えて毎月行っておかねばならないのではないかという疑問である。この点は今後Q&A等で考え方が示される必要があろう。

問題はフィードバック要件である。そのことについては、「LIFEへの提出情報及びフィードバック情報を活用し、利用者の状態に応じた個別機能訓練計画の作成(Plan)、当該計画に基づく個別機能訓練の実施(Do)、当該実施内容の評価(Check)、その評価結果を踏まえた当該計画の見直し・改善(Action)の一連のサイクル(PDCAサイクル)により、サービスの質の管理を行うこと。」とされている。

つまり従前のADL維持等加算には求められていなかった、「個別機能訓練計画」の作成や定期的評価が求められているわけだ。この計画書は、個別機能訓練加算を算定している事業者の場合は、その計画と同じで良いと思われるが、個別機能訓練加算を算定していない場合は、大急ぎで作成しなければ4月算定に間に合わなくなる。

なお個別機能訓練計画書は、「リハビリテーション・個別機能訓練、栄養管理及び口腔管理の実施に関する基本的な考え方並びに事務処理手順及び様式例の提示について」(令和3年3月 16 日老振発 0316 第3号、老老発 0316 第2号)別紙様式3−3(個別機能訓練計画書)で作成することで、他の加算との整合性もとれるので、早急に新様式に対応したいものである。

なおQ&Aでは以下の疑義解釈もされているので確認しておいてほしい。

・令和3年度に加算の算定を開始しようとする場合は、算定を開始しようとする月の前月までに、介護給付費算定に係る体制等状況一覧表の「ADL維持等加算[申出]の有無」について、「2 あり」と届出を行う必要がある。加えて、加算の算定を開始しようとする月の末日までに、LIFE上でADL利得に係る基準を満たすことを確認し、加算の請求届出を行うこと

・これまでは評価対象利用開始月と、当該月から起算して6月目の値で評価していたが、今回の改正で評価対象利用開始月の翌月から起算して6月目となったのは、後の月が1月ずれたこと

以上である。やっぱADL維持等加算はわかりにくい加算であることは間違いがない・・・。
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アウトカム評価の3つの加算にちりばめられている布石


2021年度介護報酬改定は、国が目指す自立支援介護・科学的介護の新ステージに踏み出す奥深い改革が随所で行われている。

新設加算や従前加算の新要件に、LIFEへの情報提出とフィードバックの活用を求めていることがその最たるものであり、今後全国の介護事業者の様々な介護に関するデータが、LIFEという国の介護データベースに集約されることになる。

これによって全国の介護事業者におけるアウトカム評価の数値根拠は、ここに存在するものが最大かつ唯一のものとなり、「このデータによってこうなる」と国が示せば、それに反論できるほど豊富なデータはどこにも存在しないことになる。

それは自立支援や科学的介護と言われるものが、国が示した考え方そのものにならないと評価されないという意味で、介護事業者が目指す方向も一律そこに向かわなければならなくなるという意味だ。ある意味それはとても怖いことのように思える。

これが戦前の軍国主義一辺倒の中で、戦争にまっしぐらに進んでいた我が国の姿とかぶってみるのは考えすぎなのだろうか・・・。百年後に今の状況が、「いつか来た道」と未来の介護関係者から嘆かれることがないように祈るばかりである・・・。

そんな中で、今回の報酬改定でアウトカム評価の方法が新設あるいは変更された3つの加算について考えてみたい。

まず通所介護の加算から、特定施設と特養まで算定範囲が広げられたADL維持等加算については、算定単位が現在の貨幣価値を無視した低い単位が10倍となったことで、算定したい加算に姿を変えた。

この加算は、評価期間初月の要介護度3以上の利用者が15%以上いなければならない等の算定要件が廃止されるなど、要件緩和が行われていると言われているが、アウトカム評価の要件は厳しくなっているので注意が必要だ。

ADL利得の計算については、現行では下位15%を切り捨て上位85%の数値だけで計算すれば良かったが、新年度からは上位と下位のそれぞれ10%を切り捨て、中間の80%の数値計算を行うふうに変わっているのだ。これによって数値が出にくくなっているのに加え、今まではADL利得0以上であれば算定できたものが、新加算気1以上、新加算兇2以上に変わっている。この数値がクリアできなければ加算算定できないのである。バーセルインデックス数値が維持・改善している人を今以上に増やさねば算定不可になるので、利用者の皆さんにはより頑張っていただかねばならない・・・。

ただ新加算が算定できない場合でも、現行加算気砲弔い討録群短鮫靴箸気譟⇔疣5年3月31日まで月3単位の算定が可能とされている。ゴミのような単位の加算であるため、これは無理して算定するような加算ではないことは確かだ・・・。

介護保険施設の褥瘡マネジメント加算と排せつ支援加算にも、アウトカム評価の上位加算が新設された。

特に褥瘡マネジメント加算につては、褥瘡を治うさせる取り組みのみならず、褥瘡リスクの高い人の一定期間ごとの褥瘡予防が評価対象になることを鑑みると、褥瘡をつくらないのが当たり前である介護施設にとって褥瘡マネジメント加算供13単位/月)は、施設の矜持を示すうえでも絶対に算定したい加算である。現行加算が3月に1回しか算定できない10単位/月であったのに比して、新加算は毎月算定可能なので収益上もメリットがある。

排せつ支援加算も最大6月しか算定できなかったものが、毎月算定できるようになる。排せつの自立度が挙がることは、現在の状態を保つことより困難であると思うが、目標を高く置いた取り組みを行うことは決して悪いことではない。ただしその際には、利用者の理解を十分に得る努力を忘れず、強制と脅しによる自立促しは決して行わないようにしなければならない。

なお従来の両加算は、褥瘡マネジメント加算(掘法排せつ支援加算(検砲箸靴董⇔疣贈看3月31日まで算定可能であるので、そのことも理解しておく必要がある。

このように今回の改定では、現行以上に結果の評価が取り入れられている。

2024年の介護報酬改定では、来年度からLIFEに提出される膨大な情報を分析して、多様なサービス種別にアウトカム評価の加算が新設され、現在残されてる体制加算や、単なる計画実行だけの加算につては、順次廃止か単位の減算という方向に流れてくことは既定路線だ。

介護事業関係者は、そのことも事業経営戦略として理解しながら、自分が所属する事業者の行く道を模索していく必要があるだろう。
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デリカシーが問われる改定対応


科学的介護推進体制加算自立支援促進加算という名称の新加算が創設された2021年介護報酬改定であるが、そこでは介護サービスを利用する人が、いかに自分でできることを失わないか、自分でできることを取り戻すかという結果が問われていくことになる。

それが科学的介護であり、自立支援介護であると言われ続けるわけである。

自分でできることが続けられたり、できることが今以上に増えることは悪いことではない。そのことを実現するために介護支援が行われることも良いことだ。

しかし人は老いていく生き物だ。老いてゆく過程では自分自身でできることが少しづつ、気が付かないうちに失っていくのである。その時に失われたものに対して、優しい目線で対応されなければ人はひどく傷つき、時には自分がもうこの世に存在してはならないのだと思い悩んだりする。人はそれほど強くない生き物なのである。

もし人が自立しないと生きていく価値がないとしたら、老いも心身の障害も最も罪深いことになるだろう。しかし人は自立していなくとも共立できる存在である。人を思いやり、人を手助けして共に生きる知恵を持った存在である。だからこそ人は人として存在しているそのことだけで価値があるのだ。社会福祉は人がどのような状態で生きていようとも、人としてこの世に存在しているそのものが尊いという、「人間尊重」が価値前提となっているのである。

科学的介護や自立支援介護を叫び続ける先に、この価値前提が失われてしまわないかが大いに懸念されるところだ。

施設サービスにおける褥瘡マネジメント加算や排せつ支援加算は、褥瘡予防や排泄自立に向けた計画を実行するのみならず、課題解決という結果をさらに評価する加算の上位区分が設けられたが、これは将来的に、結果を伴わない単なる計画実施を評価から外す布石でもある。

そうなると、計画を作成しそれに沿ったケアを行っているにもかかわらず目標が達成されない利用者は、お荷物として蔑視されることになりかねない。

算定単位が10倍となり、通所介護だけの加算から通所介護・特定施設・特養まで算定事業者を拡大したADL維持等加算は、ADL利得が気1以上・兇2以上の数値が求められている。現在のように0以上で算定できる要件が引き上げられているのだ。しかも現在上位85パーセントの利用者をピックアップして計算すれば良いとされているルールが、上位と下位のそれぞれ10%をカットして、中間層の数値データでその要件を満たさねばならないように変更されている。

これによりこの加算を算定しようとする事業所では、2回目のバーセルインデックス測定の際に、数値要件がクリアできるように、利用者を頑張らせるということになっていくのは必然だ。

通所サービスでは、口腔状態や栄養状態を、介護職員等が確認して、その情報を担当ケアマネに報告することで算定できる、「口腔・栄養スクリーニング加算」も新設されたが、利用者の表情を見ることなく、無遠慮に口腔状態や摂食状況だけを気にかけるとき、通所サービスでの食事摂取は、監視下に置かれた機械的な作業へと変わりかねないことをすべての関係者が理解し、配慮をすべきである。

通所介護でゆっくりお風呂に入りたい人にとって、自宅の浴室アセスメントなど余計なお世話である。ましてや、スーパー銭湯のように広い大きな浴室でゆっくり体を温めることを最大の愉しみにしている人にとって、「自宅で自立して入浴できるように個別に付きっきりでお世話します」という入浴支援方法など、うっとおしいだけの有難迷惑でしかない。

施設サービスに新設された、「栄養マネジメント強化加算 」の算定要件には、食事の観察(ミールラウンド)を週3回以上行うことが義務付けられている。しかし食事は誰にも遠慮せず、おいしく食べられることが一番大事だ。誰かにジロジロみられ食事などまっぴらだと思っている人が多いはずだ。ミールラウンドはそうした人々の気持ちを無視して、食事という大切な時間を、ジロジロ観察される場に変えてしまわないだろうか・・・。

科学的介護や自立支援介護を前面に押し出すのは良いが、そのときに不必要な押し付けがないかという配慮は不可欠だ。自立や科学的根拠を押し付けられることで、誰かの暮らしに窮屈さを押し付けていないかという検証も欠かせない。

介護事業経営の視点は重要であるし、そのために加算をできるだけ算定することは大事だ。その要件を確実にクリアするために、要件を理解し対応していくことも必要なことだ。しかし私たちの仕事は対人援助であり、そこには日々の暮らしを営む人々が存在する。その人たちの暮らしとは、本来最も個別性が高く、最もプライベートな空間において展開されるものである。そこへの配慮が欠かせないのだ。

人の暮らしとは、それが成立するために必要な支援を受ける必要があったとしても、どう暮らしたいかという部分については、誰からも介入されたくないというのが多くの人の願いだろう。

そこに自立や科学を結び付けるにはどうしたらよいのだろう。少なくともそれは自立するための方法論を押し付けるものであってはならないし、何かを結び付けるに際して人に対する優しさや配慮を欠かさないという視点が欠けてはならないものだろうと思う。

私たちに求められるのは、優しさやデリカシーを科学することではなく、科学や自立支援を、優しさと配慮に満ちた方法論として利用者に結び付けることなのである。
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脱オムツなどを評価という報道は垂れ流し報道レベルだ。


今年4月の介護報酬改定時に、特養・老健・介護医療院・看護小規模多機能が対象となる排せつ支援加算について、要件が次のように変更される。(※排せつ支援加算機銑

ア. 排せつ状態の改善が期待できる入所者を漏れなく支援していく観点から、全ての入所者に対して定期的な評価(スクリーニング)の実施を求め、事業所全体の取組として評価する。
イ .継続的な取組を促進する観点から、現行、6か月間に限って算定可能とされているところを、6か月以降も継続して算定可能とする。
ウ. 入所者全員に対する排せつ支援の取組(プロセス)への評価に加え、排せつ状態の改善(アウトカム)について評価を行う新たな区分を設ける。その際、定義や指標について、統一的に評価することが可能なものを用いる。
エ. CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを求める。

従前の排泄支援加算は、排泄能力の向上を目指す計画作成と、その計画に基づくケアの実施に対する評価であり、排泄自立の結果を求めるものではなかったが、4月以降は従前からの評価の上位区分として、排泄機能が向上する結果を評価することになる。

その際に、従前の加算要件では、加算対象となる利用者の排泄スクリーニングしか求めていなかったものを、新たなプロセス評価については、利用者全員をスクリーニング対象とする要件に改めるとともに、それに加えて個人別の加算評価として、排泄機能が向上するというアウトカム評価を新設するというものだ。

これについて一部のマスメディアは、「特養の介護報酬にアウトカム評価を初導入 “脱おむつ”などに加算 4月から」という見出しを付けて記事配信している。

たしかに次期報酬改定では、褥瘡の発生予防や状態改善、排せつ方法の改善などで成果をあげた施設が従前より高い加算を得られるようにされているという意味で、アウトカム評価が新設されたという報道は正しい。

しかし新たな排せつ支援加算を算定する取り組みを、「脱おむつ」と称するのは真実を捻じ曲げる報道である。

「“脱おむつ”などに加算」という表現で、などという言葉がつけられているから、脱おむつ以外も視野に入れているという意味では、その表現は間違いとは言えないものの、おむつを外すことがまず一番に考えられなければならないかのような印象操作が行われる可能性が高い見出しと言え、そんなタイトル見出しを流すのは、報道機関・報道記者としてあるまじき行為ではないのか。

そのような指摘をしなければならないのは、脱おむつが前面に出されてしまえば、国の意図する給付制限に結び付き、それは著しい利用者の不利益につながる問題だからである。

もともと排泄せつ自立加算は、2018年の介護報酬改定時に新設された加算であるが、それはもともと「おむつ外し加算」として新設されることになっていて、その資料も介護給付費分科会委員や報道機関等に配布されていたのである。

その資料が直前になって撤回・回収され、現行加算となった背景には、その加算が近い将来の、介護給付費からおむつ費用を除外し、利用者自己負担化させようという意図が隠されていたからである。下記スライド画像を参照願いたい。なお資料に記載された11/29とは、2017年11月29日を指している。
旧資料・おむつ外し加算
このことは3年前に書いた、「朝日新聞DIGITALの大誤報はなぜ起こったか」・「おむつはずし加算に隠された陰謀」で真実を暴露しているところである。その真実の意図をかぎつけた関係者の強い抗議活動によって、スライドに示している資料は撤回されたのである。

今回プロセス評価に加えて、アウトカム評価を新設することは良いだろうが、そのことを安易に、「おむつ外し」と冠づけることは、この印象操作に一役買うだけの報道に陥りかねない。

記事を配信する記者は、事実だけを配信するのではなく、そこにある真実を配信することに努めるのが、ジャーナリスト魂と言えるのではないか。過去の経緯と今回の算定要件変更が、どのようにつながって、どの方向に変えられているのかを探りながら、そこにある真実を伝えようとするのが、ジャーナリストとして求められる姿勢ではないのか。

会議を視聴し、そこに配布された資料の加算要件を読んだだけで、現在の加算新設経緯にまったく視野を及ばせない見出しの付け方からは、ジャーナリストの矜持の欠片も感じられない。

その記事は、単なる垂れ流し記事と揶揄されても致し方ないだろう。日本のジャーナリズムも、ずいぶんとその使命や誇りを失ったものだと思う・・・。残念でならない。

介護関係者の皆様には、くれぐれもこの新要件や、かの報道タイトルに惑わされずにいただきたい。

そしておむつを使用せざるを得ない、「看取り介護対象者」等にとって、おむつは最も必要な介護用品であり、給付除外して自己負担化させることが、「当たり前」ではないことを理解し、周囲の意識が、「おむつ必要悪論」の印象操作に流されないように注意していただきたい。
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CHASEのフィードバックとPDCAサイクル推進のイメージ


2021年度の介護報酬改定では、施設系サービス、通所系サービス、居住系サービス、多機能系サービスについて、全領域でVISIT・CHASEによるPDCAサイクルの推進が求められることになる。

そこではCHASE の収集項目の各領域(総論(ADL)、栄養、口腔・嚥下、認知症)について、事業所の全ての利用者に係るデータを横断的に CHASEに提出してフィードバックを受け、それに基づき事業所の特性やケアの在り方等を検証して、利用者のケアプラン等に反映させることによって、事業所単位での PDCA サイクルの推進・ケアの質の向上の取組を評価する新たな加算を創設するとされている。

そのイメージ図が下記だ。
VISIT・CHASEによるPDCAサイクルの推進
この図の中で、施設単位・事業所単位とされているのが、上記に記した新加算である。そのほかに、「サービス単位」とされているものがある。これは前述した施設・事業所単位の新設加算のほかに、別に新設される加算や、従前から存在する加算についても、CHASEによるPDCAサイクルの推進(以下CHASE要件と略す)が求められるということになる。

サービス単位の加算については、CHASE要件が加算算定要件そのものとされたり、上位区分の算定要件とされたりするものと考えられる。

例えば通所介護の個別機能訓練加算は、現在気鉢兇吠かれ、算定要件と訓練内容が異なっているが、これを統一するとしている。しかし算定単位は、常勤の機能訓練指導員がサービス提供時間を通じて専従している単位を、そうした配置がない単位の上位区分とするとしている。さらにCHASE要件をクリアする際の評価を行うとしているので、実質CHASE要件をクリアしたうえで常勤の機能訓練指導員がサービス提供時間を通じて配置した場合に最上位区分が算定できることになると思える。(※あるいはCHASE要件は算定要件そのものとされる可能性もある。)

ADL維持等加算は算定要件の一部を緩和したうえで、通所介護のほか特養と特定施設が算定できるようになるが、ここでもCHASE要件が必須事項として加えられている。

施設の排せつ支援加算は、現行の要件に加えてCHASE要件が求められることになる。この加算については、排泄状況の改善を評価する加算も新設されるが、CHASE要件は従前からの加算の要件として加えられると理解すべきだろうと思う。

また新設加算の算定要件としても、CHASE要件が求められることになる。
寝たきり予防・重度化防止に係る取組に対する評価の新設について
上記イメージ図は介護老人福祉施設、地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護、介護老人保健施設、介護医療院に新設される、「寝たきり予防・重度化防止に係る取組に対する評価」の算定イメージである。この加算ではリハ・機能訓練・日々の過ごし方について指定様式(新様式)に準じて計画作成するとともに、CHASE要件をクリアすることで算定できることになる。

こなふうにほとんどすべての加算について、それぞれでCHASE要件が求められることになり、フィードバックを受けた情報を、計画見直しに反映させなければPDCAサイクルの推進とはみなされない。

では、CHASEからフィードバックを受け、利用者のケアプラン等に反映させることによって PDCA サイクルの推進するとは、具体的になにをどうすればよいのだろう。そのことを示すのが下記の2つのイメージ図だ。
個別化された自立支援・科学的介護の推進例(イメージ)
ここでは、要介護3で80歳の男性利用者個人の情報がフィードバッグされている。リハビリテーションによるADL改善効果が挙がっていない理由が、食事摂取量の問題であるとして、量の増加による栄養状態の改善を行うべきだとされている。

このフィードバクを受けてPDCAサイクルを推進し、ケアの質を向上させる取り組みを行うためには、Cのチェック部分で計画の見直しにフィードバッグ情報をか活用し、Aの改善につなげていくというものだ。本ケースの場合は、栄養ケア計画を見直して、BMI値の改善に努める必要があるだろう。

次のようなイメージ図も示されている。
個別化された自立支援・科学的介護の推進例(イメージ)2
ここでは利用者個人のデータを解析した情報ではなく、施設のケアの全体像についてCHASEがフィードバックし改善を求めている。

他の施設と比較してADLが高い利用者が多いにもかかわらず、排泄自立への取り組みが不十分で、日中のおむつ使用者が多いという解析を行ったうえで、「排せつの状態はさらに改善できる」とフィードバックされているのだ。その情報をもとに施設側は個別のケアプランを見直していくだけではなく、何らかの形で施設全体の排泄ケアの在り方を見直すアクション(PDCAサイクルのA)に繋げていかねばならないと思われる。

このようにCHASE要件は、あらゆる加算において、事業所単位・個人単位それぞれで求められ、情報がフィードバックされる都度、計画の見直しとケアの改善に着手しながら、計画(Pプラン)→実行(Dドゥ)→見直し(Cチェック)→改善(Aアクション)のサイクルを繰り返していく必要があるということだ。

さすれば施設のケアマネ・サービス事業所の計画担当者は、常にこのフィードバック情報を確認しながら、計画再作成に反映していかねばならないということになる。

このことを考えると、なにかしらすごい手間のような気がしてならない。介護事業者の業務は省力化されるどころか、一段と激務になるのではないだろうか・・・。
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CHASEへのデータ提出に関する報酬評価の整理


2021年介護報酬改定では、国の介護データベースCHASE(チェイス)へのデータ提出と、そのデータのフィードバックによる活用等が全介護事業者に求められることになっている。それが自立支援介護につながるとされているのだ。

そのため介護報酬改定に伴う運営基準の改正等の概要(案)では、「介護サービスの質の評価と科学的介護の取組の推進」として次のように記されている。
・ 全てのサービスについて、CHASE・VISITを活用した計画の作成や事業所単位でのPDCAサイクルの推進、ケアの質の向上を推奨する。

この目的は介護関連データの収集・活用及び PDCA サイクルによる科学的介護を推進していく観点であり、具体的には全てのサービス(居宅介護支援を除く)について、CHASE・VISIT を活用した計画の作成や事業所単位での PDCA サイクルの推進、ケアの質の向上の取組を推奨するというものだ。なお居宅介護支援については、各利用者のデータ及びフィードバック情報のケアマネジメントへの活用を推奨することになる。

このように来年4月以降はすべての介護サービス事業者に、報酬加算とは直接関連しなくとも、運営基準としてCHASE・VISITの活用が求められていくことになる。

同時に加算も新設される。

施設系サービス、通所系サービス、居住系サービス、多機能系サービスについて、CHASE の収集項目の各領域(総論(ADL)、栄養、口腔・嚥下、認知症)について、施設・事業所の全ての利用者に係るデータを横断的に CHASEに提出してフィードバックを受け、それに基づき事業所の特性やケアの在り方等を検証して、利用者のケアプラン等に反映させ、事業所単位での PDCA サイクルの推進・ケアの質の向上の取組を評価する新たな加算を創設することになる。その際、提出・活用するデータについては、サービスごとの特性や事業所の入力負担等を勘案した項目とする。

加えて、詳細な既往歴や服薬情報、家族の情報等より精度の高いフィードバックを受けることができる項目を提出・活用した場合には、更なる評価を行う区分(上位区分)を設けるとしている。

つまり施設系サービス、通所系サービス、居住系サービス、多機能系サービスに共通して、CHASEにデータを送りフィードバックを受ける2区分の新加算が創設されることになるのである。(※具体的な方法は、来年発出の解釈通知で確認する必要がある。)

それ以外にもCHASEへのデータ提出が、既存加算の上位区分の算定要件とされたり、既存加算の要件そのものに追加されることになっているが、その内容についてサービス種別ごとに整理して確認してみよう。

介護老人福祉施設・特定施設入所者生活介護
口腔衛生管理加算について、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による更なる PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを評価する新たな区分を設ける。
排せつ支援加算の算定要件として、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを求める。
褥瘡マネジメント加算の算定要件としてCHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを求める。
低栄養リスクが高い者のみを対象とする低栄養リスク改善加算について、入所者全員への丁寧な栄養ケアの実施や栄養ケアに係る体制の充実を評価する加算に見直す。その際CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による更なる PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを要件の一つとする
ADL 維持等加算を新設し、算定要件としてCHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを求める
個別機能訓練加算を見直し、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による更なる PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを評価する新たな区分を設ける。

介護老人保健施設・介護医療院
上記の「介護老人福祉施設・特定施設入所者生活介護」の 銑い泙任脇韻検(※介護医療院については、排せつ支援加算は新設)
ァ]祁鬚里かりつけ医連携薬剤調整加算・介護医療院の薬剤管理指導について、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを新たに評価する(減薬に至った場合の評価についてはこれを要件とする)。


通所介護、地域密着型通所介護、認知症対応型通所介護
管理栄養士と介護職員等の連携による栄養アセスメントの取組を評価する新たな加算を創設する。その際、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による更なる PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを要件の一つとする。
口腔機能向上加算について、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による更なる PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを評価する新たな区分を設ける。
個別機能訓練加算を見直しCHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による更なる PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを評価する新たな区分を設ける。
ADL 維持等加算を見直し、CHASE へのデータ提出とフィードバックの活用による PDCA サイクルの推進・ケアの向上を図ることを求める

通所リハビリ
通所介護の,鉢△脇韻検
リハビリテーションマネジメント加算(検砲鯒兒澆垢襪箸箸發法加算(供傍擇咫吻掘砲修譴召譴砲いて、事業所が CHASE・VISIT へデータを提出しフィードバックを受けPDCA サイクルを推進することを評価する。
(※リハビリテーションマネジメント加算(機傍擇啣雜醉祝彬問・通所リハビリテーションのリハビリテーションマネジメント加算は廃止し、同加算の算定要件は基本報酬の算定要件とし、基本報酬で評価を行う。)

訪問リハビリ
通所リハビリのと同じ

看護小規模多機能型居宅介護
通所介護の,鉢及び、特養の△鉢と同じ。

以上、昨日の介護給付費分科会資料から抽出整理してみた。漏れや間違いがあった指摘していただきたい。随時修正更新していく予定である。
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報酬改定の自立支援・重度化防止の視点


26日に行われた第194回社会保障審議会介護給付費分科会の資料のうち、【資料7】自立支援・重度化防止の推進を読むと、国が創った介護データベース・CHASEへの情報収集がいかに重視されているかが見て取れる。

利用者ごとの計画書の作成とそれに基づくケアの実施・評価・改善等を通じたPDCAサイクルの取組に加えて、 CHASE・VISITへのADL、栄養、口腔・嚥下、認知症などに関連するデータ提出とフィードバックの活用により、更なるPDCAサイクルの推進・ケアの質の向上を図ることについて、既存の個別機能訓練加算、口腔衛生管理加算、栄養マネジメント加算などの評価に加えるというものだ。
CHACE
上の表には、「加算等による評価の有無に関わらず、すべてのサービスにおいてVISIT・CHASEによるデータの利活用を進める。」としているところで、加算対象サービスは施設系サービス、居住系サービス及び通所系サービスとしているが、他のサービスについても情報提出を求め、将来的には全サービスにCHASEへの情報提出義務を課していくのは間違いがないところである。

ところで上記の表で気づいた人がいるかもしれないが、現在通所介護の評価となっている、「ADL維持等加算」は、対象サービスが施設サービスの部分にも記載がある。これは間違いではなく、同加算の対象範囲が広げられるという意味である。

このことについては論点3で、「機能訓練等に従事する者を十分に配置し、ADLの維持等を目的とするようなサービスにも拡大する」としているので、対象サービスは、特養特定施設に拡大されることになる。

そのうえで算定単位のわりに算定要件のハードルが高いという批判に応える形で、下記の3要件の緩和を図ることを検討している。
・総数が20人以上
・要介護3以上が15%以上
・初回の要介護認定の月から12ヵ月以内の人が15%以下


さらに5時間以上のサービスを基本とするよう求める要件は撤廃する方向で検討するとしているが、いずれも実現するだろう。問題は緩和がどこまでかということだが、それは年明けに示されることになる。

しかしここでも、「CHASEを用いて利用者のADL値を提出し、フィードバックを受けることを求めてはどうか」という検討課題が挙げられており、データ提出が要件化される可能性がある。

問題はこの加算の単位数である。現在の貨幣価値を無視したかのような低い現行単位が、いくらになるのかは年明けではないとわからないが、単位によっては対象サービスを拡大し、要件を緩和したとしても、算定率は低いままだろう。

新たに加算が新設される特養や特定施設も、その単位を見て、手間に比して低すぎるとなれば、手を出すことはないように思える。どちらにしても単位数に注目である。

そのほか論点2では、リハビリテーション・機能訓練、口腔、栄養ケアの取組の一体化として、計画書の様式検討と各種専門職の会議等への関与の明確化が挙がっている。

論点4では、施設サービスについて、口腔衛生管理体制加算は廃止し、同要件を一定緩和した上で、全施設の基本サービス費の要件とするとし、口腔衛生管理加算については、CHASEへのデータ提出とフィードバックの活用による更なるPDCAサイクルの推進・ケアの質の向上を図ることを評価する上位加算を新設するとしている。

論点5は、次の6点が挙がっている。
・介護保険施設の栄養マネジメント加算は廃止し、同要件を基本サービス費の要件とすること(経過措置を設ける)
・人員基準に栄養士に加え管理栄養士を位置づけるとともに、運営基準においても、入所者ごとの栄養管理を計画的に行うよう努めることを明記。
・低栄養リスクが高い入所者全員への丁寧な栄養ケアの実施や栄養ケアに係る体制の充実を図っている場合の評価を新設したうえで、CHASEへデータを提出し、フィードバックを受けPDCAサイクルを推進することを要件とする
・栄養ケア計画標準様式の見直す
・管理栄養士の配置要件については、常勤換算方式に見直す
・経口維持加算の原則6月とする算定期間や褥瘡マネジメント加算と栄養関連加算を併算不可とする要件を見直す


論点6は、介護保険施設における看取りへの対応を評価する加算及び褥瘡マネジメント加算において、関与する専門職として、管理栄養士を明記することが挙げられている。

論点7は、通所サービス・地域密着型サービスに、口腔スクリーニング加算を新設するとともに、新設加算を栄養スクリーニング加算の取組と併せて提供することとしている。

しかし栄養士が配置されていない通所サービスにおいて、この併算定要件はネックになって、算定率が挙がらないように思える。

論点8は、通所事業所の管理栄養士(外部委託可能)と介護職員等の連携による栄養アセスメントの評価(CHASEへデータを提出も要件)を新設することと、栄養改善加算について、通所事業所の管理栄養士が必要に応じ居宅を訪問しての栄養改善サービスの取組を進めることも挙げられている。

論点9は、グループホームの管理栄養士(外部との連携を含む)が介護職員等に利用者の栄養・食生活に関する助言や指導を行う体制づくりを行っている場合の評価を新設することを挙げている。

論点10は、施設サービスにおいて定期的に全ての利用者に対する医学的評価と、それに基づくリハビリテーションや日々の過ごし方等についてのアセスメントを実施するとともに、ケアマネジャーやその他の介護職員が、日々の生活全般において適切なケアを実施するための計画を策定し、それに基づいて日々のケア等を行う仕組みを導入し、これを評価するとしている。これもCHASEへデータを提出も要件となっているが、従前からの施設サービス計画との関係がどうなるのかが問題だ。別立てということにはならないと思うが、かなりの手間が増えそうである。

論点11は、3月に一度が算定上限となっている褥瘡マネジメント加算を毎月算定できるようにするという内容だ。この際、現行の褥瘡管理の取組(プロセス)への評価に加え、褥瘡の発生予防や状態改善等(アウトカム)についても評価を行う(統一した評価指標を用いる)とともに、CHASEを活用してPDCAサイクルを推進するとしている。

論点12は、特養と老健の排せつ支援加算について、全ての入所者に対して定期的な評価(スクリーニング)の実施を求め、事業所全体の取組として評価とするとともに、現行6か月間に限って算定が可能とされているところを、6か月以降も継続して算定可能とするとしている。勿論、ここでも、CHASEを活用してPDCAサイクルを推進することが求められることになる。

以上であるが、全体として職員の業務負担がさらに重くなる内容になっていると感じるのは僕だけだろうか・・・。
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自立支援介護の報酬反映はどうなる。


暦の上での4連休3日目。登別は秋の涼しい風が吹く行楽日和が続いているが、皆さんの地域はいかがだろうか。家でゆっくりしている人は僕の食生活を綴った肩の凝らないブログ、「masaの血と骨と肉」を御覧になって、ランキングへの投票にもご協力くださればありがたい。

また「masaの徒然草」も今朝更新して、「介護事業者に通常装備が求められるフェイスシールドとマウスシールド」という記事を書いているので参考にしてほしい。

さて本題に移ろう。

利用者の自立支援・重度化防止の推進が議題となった14日の第185回社会保障審議会・介護給付費分科会(資料はこちら)では、複数の委員から報酬改定の度に新しい加算がつくられ、どんどん複雑化していく報酬体系に疑問と批判の声が挙がった。

もっともな指摘だと思う。

これに対し厚労省側は、「創設時の発想と現場の状況に乖離があり、なかなか思うような効果をあげていない加算があるのも事実」と説明したうえで、「それぞれの加算の趣旨自体は大事なものだと思う。それを活かせるように改善できるものはしていきたい。どうしても現場に合わない、という加算があれば当然見直していく」と答えた。

しかし次の報酬改定の大きなテーマの一つは、「自立支援介護の構築」というものである。その具体的方法として自立支援に結び付く結果を加算評価するという考え方があるもの事実だ。そのことと14日の答弁の整合性をどうとっていくのかを今後注目していかなければならない。

僕の個人的意見として言えば、算定率7割以上の加算は、要件を運営基準に組み込んで、加算単位は基本報酬に包括化すれば良いのだ。そのうえで算定率が5割以下の加算は、すべて廃止等の見直し対象とし、加算率が1割を切っている加算は、意味がないものとして自動廃止すればよいのである。これはさほど乱暴な意見とは言えないと思う。

ところで自立支援介護につながるアウトカム評価報酬として、前回の報酬改定で通所介護に試験的に導入された、「ADL維持等加算」は、算定率が2.38%と低いまま経過している。まさにこの加算は、僕が自動廃止対象として良いと指摘している算定率が1割を切る加算となっているわけだ。(※そもそも全国の介護事業所のわずか2%程度しか算定していない加算に意味があるとも思えず、評価対象としてもあまりにもデータが少なすぎる。)

それは算定要件がどうのこうのというより、算定単位の問題が大きい。(※ADL維持等加算の関連記事はこちら

この加算は一人月1回しか算定できないのに、単価が高い兇任發錣困6単位、つまり一人60円である。地域密着型通所介護だと月の利用者実人員は多くても50人程度だと考えられるので、全員に算定しても3.000円/月にしかならない。

この金額は、現在の貨幣価値を無視した馬鹿にした金額としか思えない。このように事業者の収支率にほとんど意味がない低い単位の加算のために、掛けなければならない手間は多く、担当職員の業務負担は大きい。

よってそんな手間をかけてまで加算算定する必要がないと考える事業所が多いのはやむを得ないことに思う。

国に覚えがめでたくない、「短時間リハビリ特化型デイサービス」は、この加算が算定できないように、「五時間以上の通所介護費の算定回数が五時間未満の通所介護費の算定回数を上回る者に限る」という条件を付けられて、いじめられているが、この単位なら算定の必要がないので、「全然ダメージはありません」とうそぶいていることだろう。

しかしこの加算がなくなったり、算定要件が抜本的に見直されるような空気感もなく、算定要件が微調整されてそのまま継続していく可能性が高い。そうであれば実験的意味合いから単位数が低かったのだろうから、その意味合いもなくなるということで、単位数は上げてもらわねばどうしようもない。利用ごとに算定できる加算ではなく、月1回しか算定できない加算なのだから、単位を10倍にされても高いとは思えないのではないだろうか。

関連としては、7/20の介護給付費分科会で通所介護の論点が示されているが、その内容は以下の通りある。
-----------------------------------------
今後も高齢化の進展による需要の増大や、現役世代の減少に伴う担い手不足が見込まれることを踏まえ、
・ 都市部や中山間地域等のいかんにかかわらずサービスを受けることができるようにする観点
・ 人材の有効活用や業務効率化を図る観点
・ 質の高いサービスを提供する観点
------------------------------------------
これらは各サービスを通じて指摘されている総論的論点と同じで、通所介護固有の論点とは思えない。自立支援介護の評価も論点に入っていない。ということは来春の報酬改定では、通所介護に大きな変更はなく、前述した「ADL維持等加算」がどうなるのかということが一番の注目点に思える。

一方、通所リハビリの論点には、「通所介護との役割分担」・「医師の関与、自立支援の効果的な取組を更に促進」・「自立支援等を更に進めるため、プロセスや、ADLに基づくものも含めたアウトカムによる評価の取組」・「基礎となる計画書等の整合や在り方」という言葉が躍っている。

つまり医師のリハビリテーションの処方を、きちんとリハビリテーション実施計画に反映して、それに基づいた医学的リハビリテーションを提供し、その実施の結果を出しているかどうかというアウトカム評価を取り入れた報酬体系に変えて、通所介護との差別化を図らねばならないという課題を示しているのである。

また9/4の資料などには、自立支援のアウトカム評価については、CHASEという介護データベースの活用が資料に大きく取り上げられ、そこに通所リハビリや訪問リハビリの情報をつなげるVISITというシステムとともに、今後その活用が促されていることに注目しなければならない。

お金をかけてせっかく作ったデータベースに、データが集まって評価に結び付かないと、そんなものになぜ金をかけるのだと批判され、その責任をとらねばならなくなる恐れがある。そのため通所リハと訪問リハには、ビックデータの収集と報告という義務が課せられる可能性が高くなってくるのだ。

このように来春の報酬改定では、通所介護の大きな変更はなく、むしろ通所リハビリに大きな変更が加えられる可能性が高い。リハビリテーション実施計画書の書式も変更される可能性が高くなっており、老健・通所リハ・訪問リハの関係者は、その点に注目しておく必要があるのではないだろうか。

通所介護については、「事実だけを伝える報道には、「真実」が存在しないこともある」で指摘したように、軽度の要介護者を市町村の総合事業に誘導する動きを勧めている最中なので、今週通所リハで導入する報酬体系の結果を見ながら、2024年の診療報酬とのダブル改定時に、軽度者の介護給付からの除外を含めた大幅な見直しがされていくのではないだろうか。

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まやかしの自立支援


今わが国では毎日2.000人以上の割合で65歳以上の高齢者が増え続けている。

日本社会は確実に老い続けているのだ。

生物学的にこの老いを止めるのには爆発的な出生率の改善がなければならず、奇跡的にそれが起きたとしても、実際の社会の若返りには数十年の歳月が必要になる。

その為、老い続ける社会であっても、できるだけ活力を失わないように、老いても元気な人を数多く創り出そうとしている。それは社会が老いることによって必要になる社会費用をも減らすために必要な政策だと考えられている。

だからこそ高齢者にも自立を促して、できるだけ国全体の老いをカバーしようというのだ。

しかし人間の生理は止められない。そんな政策には限界があるし、無理があるとなぜ官僚は気が付かないのだろう。

人の細胞の死滅を防ぐ手立てがない限り社会の老いを止めることはできない。社会の老いに伴って増える後期高齢者がずっと自立した生活を続けられるなど夢のまた夢である。介護保険制度が理念にしている自立支援も、官僚の自己満足もしくはアリバイ作りの意味しかない、社会的な若返り効果には全くつながらない妄想だ。

今行おうとしていることは、二十歳の時にマラソンランナーだったからという理由で、65歳になった老人に42.195キロを3時間程度でなら走れるだろうとして、それを強要させるようなものだ。それは無理難題というより、荒唐無稽なことであることには皆が気が付く。それなのに介護保険サービスを利用できる要介護高齢者の一番の課題と目標が、「自立」であるという矛盾になぜ気が付かない人が多いのだろうか。

この問いかけに反論する人はこう言う。「いや、介護保険法が目指す自立支援とは、身体機能の維持・向上という狭い概念ではなく、高齢者のニーズに沿った暮らし、希望する暮らしを実現するために必要な社会資源を最大限有効に結び付けようとするもので、生活の質にも着目しているのだ」と・・・。

嘘を言うな。騙されるもんか。

だってそういいながら介護報酬の改定の方向性は、年々各種サービスに医学的リハビリテーションエクササイズを求めるものではないか。医療関係のリハビリの専門家が全く配置されていないサービスについては、外部の医学的リハビリテーションの専門家が介入する方法を加算対象とし、その適用サービスを改定の度に広げているではないか。

通所介護は、機能維持と改善の効果が出やすい要支援者にはサービス利用させずに、要介護者に対してはバーセルインデックス数値を測定し国に報告することを促し、その数値が悪かったらわずかな単位の加算さえ与えないのだ。まさに身体機能に特化した数値結果が求められているわけだ。

こんなふうに介護保険で言うとことの自立支援の建前は、「身体機能の維持改善に特化したものではない」であるが、実際の評価は身体機能の医学的改善に特化されている。

なるほど地域包括ケア研究会報告書(平成30年度)を読むと、「今までできていた生活動作などができなくなっても、本人の意思決定のもとに行われる自分らしい生活を支援する取り組みが自立支援である」と書いてある。しかし本人が希望しても、「あなたは要支援者だから、介護給付サービスは受けられません」と言われ、「市町村のサービスしか利用できないあたたは、市町村の決め事の中でしかサービス利用できません。」と言われる。それが地域包括ケアシステムであると言われてしまうのだ。

介護給付サービスを受けている人は、「本人の意思決定のもとに行われる自分らしい生活支援」を受けることはより難しいともいえる。担当ケアマネにその理解がない場合簡単に、「そんな希望は単なるデマンドであって、サービスに結び付けられません。真のニーズは別にあります」なんて説教されて終わりである。

せめてケアプランには、愛情と優しさというエッセンスを少しだけ加えてほしい。

介護保険サービスは建前だらけでなって、ありもしない効果を厳めしい言葉で装飾しているに過ぎない。

介護保険部会をはじめとする、有識者が集うとされている国の各種委員会も、ありもしないエビデンスがすぐそこにあるかのような議論に終始して、幻の自立支援を祭り上げるばかりだ。おまけに行きつく先は相も変わらず財源論である。

財源は大事だが、それは政治家が主導して考えるべきことで、サービスの実務に携わる人が集まる職能団体の代表が真っ先に主張する問題ではないだろう。

財源がないと宣う政治家や高級官僚は、現役を退いた後も左団扇で何不自由ない暮らしを送る一方で、庶民の暮らしは、年を取るたごとにますます貧しく暗いものになっている。高齢化の進行はその時期が長く続くという意味にしか過ぎない。そうであれば政治家や官僚は、その財源たる国費を無駄遣いしていないのか。財政再建を国民に痛みだけ求めて成し遂げようとはしていないのか。そんなことももっと議論されるべきである。

本当の所、この国の財源はどこでどのように使われているのだろうか。社会の、「財」の流れはどうなっているのだろうか。

介護保険制度とは社会福祉の制度である。社会保険方式を取り入れているから福祉制度ではないという詭弁に流されてはならない。社会福祉を放棄する政府などあり得ないからだ。

そうであれば社会福祉制度とは本来、社会の「財」の再分配機能を持たねばならないことを再認識して、そうした観点から制度を組み直す必要があるのではないか。介護保険制度改正を議論する場で、「社会の財の再分配機能」の検証が行われていないのは、全く無責任と言えるのではないのか。

今この国では65歳以上の就業者数が900万人に迫る勢いで増え続けているが、それは高齢者が元気で仕事に生きがいを持っているからではない。働かないと生きていけない人が増えているからだ。それは喜ぶべきことなのか・・・。

日本という国が、いつまでも自立していないとまともな暮らしを送れない国であってはならないと考えるのは間違っているのだろうか・・・。

自立を高らかに唱える制度が、本当に高齢者の暮らしを最後まで守ってくれるのだろうか・・・。少なくとも介護サービス実務に携わる関係者は、国が示したルールを無批判に受け入れてはならないと思う。

なんでも反対は良くないが、本当の答えは法ルールにあるのではなく、我々が関わる人々の暮らしの中にあることを伝えていかねばならないのである。その行動だけは続けていかねばならないし、つなげていかねばならない。
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高齢者からお金を騙し盗る人が推進した介護保険からの卒業


今年もいよいよ押し詰まり、後1日1半で新しい年に変わろうとしている。このブログの読書の皆さんは、今どこで何をしながらこの記事を読んでくれているだろうか。

今年もずいぶん勝手でわがままなことを書きなぐってきた僕のブログであるが、1日何千人もの皆さんが懲りずにここを訪れてくださっている。それだけではなく僕の講演会場ではいつも何人もの方が、「ブログ読んでます。」と声を掛けてくださった。本当にありがたいことである。

しかし何度も書いているが、ここは僕の身勝手な意見を書く場所にしており、読者に媚を売る記事は決して書かないので、そのスタンスがお気に召さない方は素通りするか、つながずにいただきたいと思う。そのことを広い心でお許しいただける人のみ、この場所で来年以降もつながっていければと思う。

今年を振り返ると、相変わらず災害の多かった印象のある2019年であるが、事件や事故もショッキングなものが多かったように思う。

介護業界に関連しても様々な出来事があった。相も変わらず利用者虐待をはじめとした不適切サービスに関連する報道はなくならず、不正請求で指定取り消しというニュースも何件も流された。

その中でも介護関係者がショックを受けた最大の事件は、自立支援介護に関連して、「和光式方式」を確立させた、東内京一(とうない きょういち)容疑者が逮捕されたというものではないだろうか。

東内容疑者の当初の逮捕容疑は、生活保護受給者の自宅から回収し、福祉事務所で預かっていた現金200万円を、「詐欺グループの金らしい。検察に持っていく」とだまし取ったというものである。

しかしその後、新たな犯罪行為が次々と明らかになり、生活保護受給者の女性から預かっていた現金や預金計548万円と通帳などを搾取した容疑や、成年後見制度を口実に高齢者夫婦から300万円を騙し取る業務上横領・その他の窃盗などの疑いで、9月までに計5回の逮捕状が執行されている。その被害総額は3千万円を超えるという大事件である。

東内容疑者の逮捕時の役職は企画部審議官で、介護保険関連部門の部署であった。そのため和光市方式をさらに推進・確立されるために介護部門の部署に長く腰を下ろし続けたことが事件の背景要因であると批評される向きもあるが、それを言ったら僕などのように同じ社会福祉法人の同じ介護部門に30年以上働き続け、トップの位置を占めた人間なら何でもありと思われそうで、それは少し違うだろうと言いたい。

一つの行政システムの中に長くいて、そのシステムが腐敗していくというならともかく、今回の逮捕容疑は、高齢者の財産を狙って、それをだまし取ったという明らかな犯罪行為だ。

僕は相談員時代には、入所利用者の年金や預金の管理を担当していたが、それに手を付けようなんてことは全く考えられなかった。それは年金や預金が、高齢者にとっていかに命綱となり得るのかということを、様々な家族関係や生活環境から伺い知る立場にいたからではなく、そもそも人様の虎の子である財産に手を付けるなんて言う反社会的行為をすることはできないという、当たり前の社会常識を持っているからに過ぎない。

普通に社会生活を送っている人で、対人援助に関って生活の糧を得ている身であれば、自分の支援担当者に信頼を寄せてもらうことが一番に考えることで、その人をターゲットにして窃盗や横領を行うなんて考えられない。それは専門職というより、人としての品性の問題であり、一つの部署に長くいるかいないかと関係のない問題だろうと思う。

東内容疑者の犯罪は、「出来心」の範疇をはるかに超えた犯罪で、自分が業務で関わりを持った高齢者をターゲットにして、何度も多額のお金を搾取し続けている点で悪質すぎると思う。自分が関わった高齢者の老後の資産を奪うような人が、地域の高齢者の福祉の向上なんて本当に考えていたとは思えない。

彼の犯罪内容を知るにつけ、そもそもこの人物が高齢者の福祉を語り、地域福祉のシステムを設計するにふさわしい人物であったのかという疑いを持たざるを得ない。むしろ介護という部署を隠れ蓑にして、高齢者から搾取することを目的に、自立支援介護という看板を掲げていたのではないかとさえ疑いたくなる。

この人を神様のようにあがめている信者が全国にたくさん居たのも事実だ。それらの人たちは東内容疑者から、地域福祉とは何たるか、高齢者の自立支援とは何かというレクチャーを受け、その影響を受けながら、全国各地で東内容疑者の唱える自立支援を信奉していた。それを今も続けている人もいる。

和光市の自立支援介護とは、毎年要支援認定者の4割以上が介護保険を、「卒業」するとして、非該当認定を受けることを目指して取り組みがされていたものである。それを真似て大分県や桑名市等で同じような、介護保険からの卒業を目指したケアプラン介入等が行われている。

しかしそれらの地域では、要介護認定で非該当とされた利用者から少なくない不満の声が挙がっていることも事実で、その何割かの人たちは、全額自己負担で介護保険のサービスの自費利用をしている。要するに和光市方式とは、自立支援介護という名を使った給付抑制策に過ぎず、それを唱えた中心人物が、地域の高齢者から金をだまし取っていた姿にかぶって見えるのである。

介護保険サービスを使えなくすることを、「自立支援」だと考える洗脳された人が、いまだに高齢者の尻たたきをしている姿は醜いだけではなく、空恐ろしくさえある。本来の自立とは、自分で何でもできることではなく、自分の希望通りに何かをしてもらうことを含んだ概念であることを理解していない行政職員や介護支援専門員がなんと多いことか・・・。

和光式方式で介護保険から強制卒業させられた人の中には、そのような行政対応を、「血も涙もない」と泣いて批判する人も多いが、まさにそのシステムとは、高齢者の命の綱である財産を平気で奪い取る、「血も涙もない行政職員」によって構築・推進されていたシステムなのである。

自立支援介護という名の欺瞞が、そこには存在していないかを問い直す必要があるのではないだろうか。

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ADL維持等加算の意味


国は今後の介護報酬には、ADLの改善等アウトカムに基づく支払いを導入したいと考えており、それを「自立支援介護」と称している。

そのことは「骨太の方針2019」にも明記されており、「診療報酬や介護報酬においては、高齢化・人口減少や医療の高度 化を踏まえ、下記の各項目が推進されるよう適切に改善を図るとともに、適正化・効率 化を推進しつつ、安定的に質の高いサービスが提供されるよう、ADLの改善などアウ トカムに基づく支払いの導入等を引き続き進めていく。 」と記されている。

2018年4月の介護報酬改定は、診療報酬とのダブル改定であったため、両報酬の算定ルールの整合性を取るために多くの時間と手間がかけられたために、その本格導入は先送りされ、自立支援介護の新加算は加算はメッセージ性が強く、むしろそれは2021年度の報酬改定の呼び水と見るべきである。

その呼び水・試行的取り組みとして、2018年の報酬改定時に通所介護において、「ADL維持等加算」が新設された。

この加算は、指標にBarthel Index(バーセルインデックス)を用い、その結果をADL利得とし、その数値が一定要件をクリアした事業所を、ADLの維持・改善につながった利用者が多い事業所と評価し加算する制度である。(※評価対象利用期間の6ヵ月目におけるADL値から評価対象利用期間の初月におけるADL値を控除した値が多い順の上位85%について、ADL利得が「ADL利得が0より大きければ1」・「ADL利得が0より小さければ-1」・「ADL利得が0ならば0」として区分し、合計した数が0以上であることが要件の一つとされている。)

その評価については、連続して6月以上利用した期間(複数ある場合には最初の月が最も早いもの)のある要介護者(評価対象利用期間中、5時間以上の通所介護費の算定回数が5時間未満の通所介護費の算定回数を上回るものに限る。)の集団について、総数が20名以上等の算定要件を満たすこととされている。(※算定要件は、老企36号解釈通知で確認願いたい。)

ところでこの加算は、自立支援の結果への評価加算と言われているが、評価された事業所の体制加算という意味があることに注意しなければならない。

なぜならADL利得を評価した結果というのは、あくまで前年度であるからだ。そして算定年度については、利用者全員に算定できるのであって、算定年度に新規利用する人も含めて、前年に評価対象となっていない利用者も算定できることになる。つまりこの加算はあくまで、「ADLの維持・改善につながった利用者が多い事業所と評価された体制に対する加算」なのであり、その体制がある事業所を利用する人全員に算定できるわけである。評価集団に属していた人だけに算定する加算ではないという理解が必要だ。

またこの加算は、機3単位/月)と供6単位/月)に分かれているが、兇了残衢弖錣蓮↓気陵弖錣鵬辰┐董◆算定日が属する月に当該利用者のADL値を測定して、その結果を厚労省に届け出ること」とされている。

しかし気両豺腓癲ADL値については本体報酬の介護給付費明細書の給付費明細覧の摘要欄に記載しなければならない。そして兇砲弔い討蓮ADL維持等加算(供砲硫雜邉詆嬌駝精拿颪竜詆嬌駝精挈の摘要欄に記載し、これによって介護給付費明細書の給付費明細覧の摘要欄に記載する提出と兼ねるとされている。

つまりADL値を測定した人の場合、気鉢兇琉磴い鷲床楚値を基本報酬の備考欄に記載するか、ADL維持等加算の備考欄に記載するかという違いしかなく、単位の低い気鮖残蠅垢詬由はないと思われる。(この部分の解釈が間違っていると思う方は、ご指摘いただきたい。)

だからこの加算を算定する事業所は、評価集団に属しバーセルインデックスを測定している人に関しては低い単位の気鮖残蠅垢詆要はなく、できるだけ兇鮖残蠅垢戮である。

しかし高い単位といってもわずか6単位/月ですかなく、しかも加算算定の手間は結構あることを考えて、「そんなゴミみたいな加算は算定しない」という事業所もある。

しかしそれはダメだ。この加算の単位が低い理由は、前述したように次の報酬改定の、「呼び水」であり、「実験的な役割」があるのだ。そのためこのこの加算の算定単位は低いが、2021年の報酬改定の際は算定ルールを検証しなおして、要件は変る可能性があるものの方向性は同じにして加算単位もアップするという方針があると言われている。

よって今のうちにこの加算をきちんと算定できる体制づくりをし、加算要件に必要な作業を、通所介護事業所のルーティンワーク化するのが、昨年から2021年度にかけて求められることである。

次の報酬改定では、地域密着型通所介護を中心に、基本サービス費の厳しい削減が予測されるために、こうした加算を細かく算定しない事業所は、討ち死の憂き目にあう可能性が高いので、決してこの加算算定をおざなりにしてはならないのである。

それにしても全国の通所介護事業所のバーセルインデックスデータを厚労省が集めることにどんな意味があるのだろう。それが本当に自立支援介護につながるのだろうかと、疑問を持っている人もいるのかもしれない。

しかしこのことには大きな意味があるのだ。

バーセルインデックス自体は、さほど重要な検査データではないと思っている人がいるかもしれないが、全国の事業所に眠っていたデータを、厚労省が一括して集約すること自体が意味深いことなのだ。それはビッグデータであると言え、かつそのデータは厚労省にしか集約されていないことに意味があるのだ。

つまりこのデータをどう使おうが、どう読もうが、それはビッグデータを集約している厚労省の思うがままになるということだ。このデータを使って、どのような結論が導かれようとも、それに反論するデータを集約している場所はほかにどこにもないのだから、厚労省が「このデータの結果はこうである。」とされれば、それでおしまいなのである。

不正統計と情報操作がお得意の省に、このようなデータが集約されていく先に、どのような結果が出されるのか戦々恐々としなければならないというのが通所介護事業者といえそうである。

このあたりの覚悟をしっかりしておく必要もあるのではないだろうか。勿論その意味は、このデータによって導かれた結論を、疑うことなく受け入れるのではなく、しっかり検証して反論する眼と頭を持つ必要があるということだ。

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洗脳された人たちの脅迫介護


介護保険制度には、「自立支援」という妖怪が存在している。

自立支援という言葉を使えば、誰もが良いことを行っていると勘違いしてしまう。自立支援という言葉を冠にして行われる行為は、すべて「」であると認められてしまう傾向さえある。

しかし介護保険サービスが対象にしているのは主に高齢者である。それも75歳以上の後期高齢者の方がサービス利用の中心層である。心身機能の低下という自然現象の中にいるそれらの人達が、自立しなければならないという強迫観念を持ちながら、まるで誰かにお尻をたたかれるように、いつまで頑張り続けなければならないのだろうか。

勿論、自立するために頑張ることを否定するつもりはないが、自立支援という概念が高齢期を生きる人たちに最も求められているという考え方にはついていけない。

自立支援を何よりも大事であると考える人たちは、人が人に頼ることは許されない行為だとでもいうのだろうか。僕はそうは思わない。人は支えあって生きる知恵を持った生き物であるからこそ尊い存在なのだ。

誰かに頼らざるを得ない時期や期間があって当たり前なのが、生きるということではないのだろうか。その時に頼ることができる人がいること、頼る人に手を差し伸べて助けることができる人がいることが、人生を豊かにするためには必要不可欠な要素ではないだろうか。自立できない時期にも、共立できるからこそ人生は豊かになるのではないだろうか。

自立支援という概念があることは大事だし、その具体策あることによって国民の福祉の向上につながることは否定しないが、一方で介護支援は、日常生活が成立することだけではなく、QOL=暮らしの質の向上を目指していたはずである。

暮らしの質の向上には、個別性に対応した生活支援という視点が欠かせなくなるが、そこでは人に頼らざるを得ない人をいかに支えるかという具体的方策が欠かせなくなり、しばしば自立以上に「共立」が求められてくることが多くなる。自立支援を唯一無二の価値観とする人々は、そうした視点を失ってしまわないのだろうか。

そんなことはないという声が聞こえてくるが、介護施設関係者の中には、自らの所属する施設を「自立支援施設」などと冠付け、自立支援介護という名のもとに、その価値感を利用者にも押し付けようとする人がいたりする。そこでは排泄自立の名のもとに、適切な排泄姿勢の教育も行っていない職員により、便器への強制移譲が行われて、長時間便器に座らせて放置するというような、自立支援という名の脅迫と虐待が行われていたりする。

経営者や管理者が唱える自立支援の概念と、現場職員の概念の不一致により、自立できない高齢者を「怠け者」とか「やる気のないだめな人」と軽蔑する行為や、揶揄したりする行為がみられる。そして自立できない人はダメな人であるという価値観にどっぷり浸かってしまう人が出現したりする。

そうした価値観を持つ人の行き着く先は、「重複障害を持つ人は、社会悪だ」・「障がい者なんかいなくなればいい」・「意思疎通が取れない人間を安楽死させるべきだ」として19人の人を刺し殺し、多数の人にけがを負わせた、「やまゆり園事件」の植松被告の考え方そのものになってしまうのではないのか。そこまで極端ではなくとも、何らかの心身の障がいを持つ人を、健常者より低い価値の存在としか見なくなる恐れがあるのが、「自立支援偏重主義」である。

そもそも自立支援は目標の一つとしては成立するが、自立だけを唯一の価値観として、自立支援を最上位の目的であると決めつけることは「脅迫」でしかない。

しかし世の流れはますます自立支援偏重に向かいつつある。2021年の介護保険制度改正・報酬改定のテーマは、「自立支援介護の確立」である。それは給付抑制という影のメインテーマを糊塗するために作られた耳触りの良いテーマでしかないのに、それに踊らされ、国の示したデータを鵜呑みにして、それに迎合する多くの介護関係者を生み出しつつある。

自分の頭で考えられない人が、そうした洗脳介護に染まっていくのである。介護関係者は人が良くて、何でも国の言いなりだといわれる実態と結果が、そのことと深くつながっているが、それはとても恐ろしいことのように思えてならない。

自立支援より大事なことは、人として当たり前の生活とは何かということだ。介護の場の常識が世間の常識と一致することだ。

自立支援施設を標榜する施設で、一生懸命機能訓練に汗を流している人が、その汗を流す入浴機会が週2回しかないなんて言う非常識をなくすことだ。大昔につくられた週2回入浴支援しておればよいという基準に洗脳されている人たちが唱える「自立支援」によって、数々の悲劇が生み出され、それを見逃し続けることをなくすことこそ一番に求められることではないのだろうか。

人間は一つの目的だけで表現できない多様性の中に生きるからこそ、その人生は豊かになるのである。自立型と謳う介護施設は、その多様性を喪失させてしまうだけのように思えてならない。

せめてケアマネジメントをはじめとした、我々の対人援助の視点は、頑張らなくてもよい介護を模索しなければならないのではないだろうか。

施設サービスは多様性のある個人の暮らしを豊かに支援する目的があるはずなのに、「自立支援」を最高の価値観であると考え、「自立支援施設」と冠付けて、高らかにそのことを唱えている人を見ると滑稽にしか思えないが、滑稽な人たちが作り出す、脅迫介護が悪意のない状態で続くとしたら、これは笑い話では済まない。

暮らしの場にキャッチコピーはいらないということに気が付くべきだ。目標となる理念の一つをキャッチコピーのように掲げるのは、大いなる誤解の始まりなのだ。

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介護保険からの卒業を目標としてよいのか


先週末、大分県大分市のコンパルホールという会場で、『揺らぐ介護理念 〜介護とは何か?』とテーマで講演を行なった。その研修の受講対象者の約7割は介護支援専門員ということであった。

大分市個別ケア研究会そのためその日の講演では、介護保険制度改正と報酬改定の解説を行ったうえで、そこから読み取ることができる今後の制度の方向性を示しながら、各関係者の役割やケアマネジメントや介護支援の在り方を示した。2021年の報酬改定後に本格導入される予定の、「自立支援介護」についても解説してきた。

もともと大分県は和光市と並んで、「自立支援介護」の先進地と呼ばれている。つまり県が先頭となって、旗振り役を務めながら自立支援介護を目指しているわけである。

しかしそこでは、要介護者等が権利として利用できるはずである「介護保険制度からの卒業」などという訳のわからないスローガンが掲げられ、保険給付サービスを使わないことが自立であるという刷り込みが行われている。

本当にそれが目指すべき自立支援だろうか。なるほど介護保険法を読めば、介護支援が目的としている国民の福祉の増進の具体的状況とは、「自立して日常生活を営むこと」であると規定している。しかしそれは「その有する能力に応じた自立支援」であるという条件が付けられている。そうであればその能力とは、ケアマネジメントによって測定し導き出す以外にないはずである。そしてそこには介護サービスを利用しないことが自立であるなどとは一言も書かれていない。

そうであるにも関わらず、ケアマネジメントの結果が出る前に、アセスメントを無視して目標を、「介護保険制度からの卒業=保険給付サービスを使わない状態にすることが自立」としてしまうと何が起きるだろう。

そのような目標がまずありきの場所では、サービスを数多く利用する人がダメな人であるとか、怠け者であるとかいうレッテルが貼られてしまう恐れがある。それは心身の状態が低下した人に対する差別でしかない。

そもそも自分で何もかもができることを自立支援と考え、そのことを唯一の価値とする人は、人の助力を余計なもの=「」と考えるのだろうか?

例えば和光市のように財源が豊かで、介護保険制度外の社会資源が豊富にあるところならば、介護更新認定で非該当とされ、介護保険制度から卒業させられて介護給付サービスが使えなくなっても、保険外サービスを利用することで、暮らしが支えられる人は多いのかもしれない。しかしその和光市で、介護保険制度から卒業させられた人の1割近くが、その後全額自己負担で、非該当認定を受ける前と同じサービスを使っているという調査結果も示されている。そんなの自立支援ではなく、単なる給付抑制でしかない。

北海道の郡部を見ると、介護保険制度以外のサービスはほとんど見つからない町村も多い。その人たちにとって介護保険サービスは命綱である。命綱を切ることが自立支援だというなら、それはずいぶんと乱暴な概念である。

大分市では全県を挙げて、介護保険制度からの卒業に取り組むわけであるが、そこでは都市部・郡部に関係なく同じように県が提唱する自立支援が求められているわけである。そこに危うさは存在しないのだろうか。

勿論、身体機能が向上して、介護保険サービスをつかわなくなる目標を立ててはならないということではないし、そういう目標がモチベーションになって、頑張ることができる人がいることを否定しない。しかしそれも個別に考えるべき問題であり、官庁が目標を定めるのはどうかしている。それは行政計画にとどめてほしいものだ。

個人の生活課題を解決するための目標には、暮らしぶりに沿った多様性こそが必要なのである。少なくとも介護更新認定で、「非該当」とされた人に卒業証書を出すなんて行為はあってはならない。それは高齢者を馬鹿なした行為であり、緩やかな権利のはく奪ともいえる行為である。

大分市個別ケア研究会3月9日に大分市で行った講演では、そうした思いを込めてケアプラン作成時に考えるべき「自立支援」の考え方を述べてきた。当然そこでは、ICFやポジティブプランの概念も示してきた。具体的なサービス内容を示したうえで、財務省がやり玉に挙げた1月100回を超えた生活援助の計画を組み込んだ居宅サービス計画(北海道標茶町の居宅介護支援事業所の計画)が過剰サービスではなく、適切なサービスであることをも示してきた。

僕の個人的な価値観の押し付けにならないように、できるだけわかりやすくお話ししたつもりであるが、受講者の皆様に理解いただけただろうか。

大分県では、課題整理統括表の勉強会も盛んにおこなわれているそうであるが、あの表ができた経緯と、あの表の活用法を本当に理解できる研修が行われているだろうか。

課題整理統括表は、平成27年度の報酬改定議論に先駆けて行われた、「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方の関する検討会」の議論の中で、「主治医意見書に医療ニーズに関する課題の記載があるにもかかわらず、ケアプランの第2表に整理された段階では医療に関わる課題が抜け落ちてしまっている事例が多く見られた。」とか、「要介護となった主な原因疾患は把握できているが、生活全般の解決すべき課題(ニーズ)の原因と結び付けて記述する欄がない。そのため、課題の欄に原因を記述していたり、要因を記載していなかったりする事例が多く見られた。」という批判を受けて、ケアプラン標準様式を変更してはどうかという議論の流れの中で生まれた新書式である。

しかしその後の議論で、従前からのアセスメントツールや居宅サービス計画書の標準様式を活用して、きちんとニーズを引き出し、適切なマネジメントを行っている介護支援専門員がたくさんいることが明らかになった。よって抽出された問題点は、結局は個人の資質差に起因する問題で、書式の問題ではないと結論付けられた。

そのため頑張っている介護支援専門員にさらに義務書式を課すナンセンスな改悪は行ってはならないという結論の中で、居宅サービス計画の標準様式の変更など、介護支援専門員の負担を増やすことにつながる変更は行わないことになった。

ところが既に課題整理総括表と評価表は、お金と時間をかけて様式が作成されてしまっていた。それを無しにするわけにもいかなくなり、宙ぶらりんの状態になってしまったのである。そのため結局はその2書式については、地域包括支援センターや法定研修を中心に活用するだけにとどめたものである。つまり使い道はそれしかなかったわけである。

ということで課題整理総括表は、アセスメントの根拠を確認するための活用書式という位置づけであり、それで根拠を確認しなくても論点整理ができている介護支援専門員は使わなくともよい書式なのである。そんな書式の記入方法を大々的に教える研修会など、県を挙げて行う必要性なんか本来はないのである。

よって地域全体で、すべての介護支援専門員にその様式活用を求めることはナンセンスであり、無意味である。記入方法を教えてその書式を埋めることができる介護支援専門員を増やしても意味がない。そんな研修を受けても、それをアセスメントの根拠として活用できないケアマネが存在するのは喜劇でしかない。大分県の課題整理総括表に関する研修会とは、この本質的問題を解決できているのだろうか?受講者の話を聴くと、どうもそうではない気がしてならない。

そもそも自立の概念が問題である。それはなんでも自力でできることではないはずである。介護保険の給付ルールも、対象者も家族も頑張り続けなければならない方向に向かうのはおかしい。介護の社会化とは、要介護者の家族のレスパイトケアを広く認めながら、頑張りすぎないようにみんなで手を貸し支える制度ではなかったの。

自律とは、人に頼る・委ねるという選択権を持つことを意味し、人間が支えあう社会・共立をも意味する。本来制度が目指すべきは、この自律支援ではないかと僕は考える。

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自立支援介護という名の欺瞞


今週末は大分市での講演予定が入っている。大分県内では今までも大分市や日田市で講演を行なっているが、大分空港を利用したことはいまだかつてない。

その理由は新千歳空港から大分空港までの直行便がないためである。そのため大分県内で講演を行なう場合は、直行便がある福岡空港に飛んで、そこから講演場所への移動手段を考えることになる。大分市へ移動する場合は、博多駅に移動しそこからソニックで現地入りする。そうすると新千歳空港を11時に経って、大分駅には16時30分頃に到着できる。だがこの時間では講演当日の移動では間に合わないために、金曜日に大分市に入り土曜日に講演を行ない、日曜日に北海道に戻るという2泊3日の旅となる。

このように3日間の滞在の中日だけに講演がある旅というのは、講演以外の時間帯にも余裕があるので、体にも心にも優しい旅である。だがその旅とは、あくまで講演という仕事がメインの旅であることをしっかり心して気を引き締めなければならない。特に受講者の方々は週末の土曜日という貴重な時間を使って講演を聴いてくださるので、その時間を無駄にしないように、有益な情報を伝えられるようにしっかりと準備したいと思っている。

今回の大分市での講演主催者は、「個別ケア研究会」という組織であり、そこは介護事業者が複数集まって県の補助金を委託されて自己学習する組織だそうである。今週末の講演はオープンなので、個別ケア研究会さんが呼び掛けて、大分市内の介護支援専門員や介護従事者の方々が集まる予定と聞いている。

その研修のために依頼を受けた講演テーマは、『揺らぐ介護理念〜介護とは何か?』である。

事務局担当者の方からは、『大分県は、自立支援型という言葉で介護現場へ指導が行われて数年が経ちます。また今回の介護保険改正においても、要介護度の改善に重きを置かれその期待に応えようとする介護現場も増えつつあります。福祉実践の積み上げである私たちの仕事と、今行政から求められるコトのズレは介護職と介護支援専門員の専門性を揺らすものでもあります。大分モデルの中心だからこそ、今一度「介護とは何か?」という問いを参加者と共に見つめ直す場にしたいと企画しました。』とコメントをいただいてる。

そうした考えを受けて僕が考えたこととは、「自立支援とは何ぞや」ということを改めて問題提起する必要があるだろうということである。そのうえで介護支援専門員に求められる役割を論ずる必要がある。

そのためには現在までの制度改正や報酬改定がどういう方向性を持って行われているのかを確認しながら、今後の介護保険の流れを読む必要がある。それにより被保険者や介護現場にどんな影響があるのかを考察しなければならない。

具体的に言えば、今年度の報酬改定と近直の制度改正の意味を解説しながら、次期改正で導入が見込まれている自立支援介護とは何かということとともに、それをどう考えるかを、人の暮らしの支援という方向と並べて論じ、ケアプランやケアマネジメントの在り方について問題提起したいと思っている。そこでは本来求められる介護支援の在り方をも同時に示す予定である。

厚労省は2021年の報酬改定に向けて、自立支援介護を推進するために、食事や排せつの状況、就寝や起床の介助など200項目以上にわたるデータを収集する予定である。それは介護事業者が実施したサービスの種類や頻度、どのような効果が得られたかなどのデータであるとしている。

そしてそのデータに基づいて効果を分析したうえで、2021年の報酬改定では、裏付けが取れたサービスの報酬を手厚くするという。それに先駆けて、効果が高い介護サービスについては、厚労省がガイドライン(指針)にまとめ、手法や手順などを具体的に紹介し、全国の介護サービス事業者にも採用を促す予定であるとしている。

しかしそれはある意味、介護の手法を厚労省の掌の中に取り込もうとするものである。厚労省が決めた方法論からはみ出してサービス提供して、余計なお金を掛けることを許さない手法である。

それは「自立支援介護」という耳障りの良い言葉で、国民や介護事業者の反発をできるだけ抑えて、国民の気づかないところで給付抑制を進める手法ともいえる。

それは介護事業者が実際に行っているサービスデータに基づいて、科学的根拠を持って導き出す手法だというが、「統計操作」・「不正統計」がお家芸であることが明らかになった厚労省のデータ分析に、どれほどの信頼性が持てるというのだろう。

介護支援専門員をはじめとした関係者の皆様に考えてほしいことは、自立支援という言葉に踊らされて、本当に必要な「自律支援」を失っていないだろうかということだ。

もともと介護支援とは、「共立」の考えに基づいて存在するものだ。そこでは自立の概念が問題とされなければならず、自立とはなんでも自力でできることではなく、自分で決めて人に頼ることも含まれる概念であるはずだ。そのことは介護保険法にもしっかりと、「その有する能力に応じた」という一文を冠づける形で示されている。そしてその能力とは、まさにケアマネジメントによってしか導き出すことができないものだ。

しかし国や県や市町村が主導する自立支援とは、その能力を無視し、それを測るアセスメントもすっ飛ばして、一定の型枠に人間の暮らしをはめ込むものでしかない。自立支援を唯一の価値とする人は、人の助力を余計なもの・悪と考えるのだろうか?

そこでは「介護保険からの卒業」などという馬鹿げたスローガンが高らかに叫ばれている。そのスローガンを何の疑問もなく受け入れる介護支援専門員には、ソーシャルワーカーとしての矜持は存在するのだろうか。行政の腐れスローガンに踊らされて、介護保険サービスを使わなくさせることが自立だと思っている輩には、「恥を知れ」と言いたくなる。

他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動することを自律という。それは人に頼る、委ねるという選択権を持つことを意味し、人間が支えあう社会とは、共立する社会であることをも意味する。

人の暮らしを考えたときに、自立支援より自律支援が求められる時期が確かにあるのだ。

そもそも介護保険制度とは、介護を社会化し、障害を持つ人やその家族だけが頑張り続けなくてよい社会を創ろうという趣旨で創設されたものではないか。そのことを理解しない介護支援専門員や、行政のデータに踊らされる関係者によって、自立の概念は大きく歪められていくのである。

それによってまさに介護理念は揺らいでいくのである。そうならないために何が求められるかを、週末の大分市で議論する機会を得たいと思う。3月9日(土)は、コンパルホール(大分県大分市)で13:30〜3時間にわたってそのような話をする予定だ。参加希望者でまだお申し込みをされていない方は、是非お問い合わせいただきたい。

それでは大分市でお会いする皆さん、当日はよろしくお願いします。会場で愛ましょう。

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給付制限ありきの自立支援は地獄支援でしかない


介護保険法第一条は、この法律の目的を定めたもので、この中で国民が要介護状態になったとしても「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」ことが、尊厳の保持につながり、そのためにサービスを利用するのだと定め、そのことが結果的に、「国民の保健医療の向上及び福祉の増進」を図るのであるとしている。

自立支援がこの制度の理念であるという根拠が、ここに書かれているわけだ。

そのことに異議はない。ただそれも程度に寄るだろうと思う。なぜならこの制度のサービス対象者とは高齢者が中心であり、その高齢者とは過去に人類が経験したことがない超高齢社会に暮らす人々だからである。

加齢による疾病の発症や慢性疾患の重症化が、その人が暮らす世帯でどのような問題を引き起こすのかということや、認知症の進行による記憶・見当識の悪化や、それに伴う行動・心理症状の重篤化が、どのような過程を踏んで、どんな結果をもたらすかについてを、すべて予測することは不可能なのだ。そこで要介護状態になってしまった人が、自立しなければならない事柄とは、一つ一つの世帯において、一人一人の置かれた状況で異なってくるだろう。

ある一場面だけを切り取って考えると、依存的に暮らしているとしても、そこで手を貸して助けたほうが、暮らし全体としてみれば自立しているというケースは多々ある。場面を切り取らずに生活全般を考える必要があるのだ。

しかも社会の高齢化と人口減少という自然現象の中で、介護保険制度で定めることができないインフォーマルな支援能力は、確実に低下していくのである。

昭和のインフォーマルな支援能力を、新しく平成から元号が変わる時代に求めることはできないわけである。

しかし介護保険制度は、ますます自立支援を促していく制度に向かっていく。先の報酬改定では、訪問介護の生活援助中心型サービスについて、一定回数以上の回数を計画するケアプランの、市町村への届け出義務が課せられた。

だがそれは一律不適切な計画という意味ではなく、国が発出している「厚生労働大臣が定める回数及び訪問介護」の交付についてでは、「生活援助サービスについては、必要以上のサービス提供を招きやすい構造的な課題があると指摘がある一方で、利用者において、様々な事情を書明ける場合もあることを踏まえて利用者の自立支援にとって、より良いサービスとするため、ケアアンネジャーの視点だけではなく、他職種協働による検証を行い、必要に応じて、ケアプランの是正を促すものである。」と釘を刺しているところである。

しかし地域によってはこうした趣旨を無視して、一定回数以上の生活援助中心型サービスを一律不適切と判断し、是正を求めるという動きが発生している。そこでは一定回数以上の生活援助中心型サービスを計画した介護支援専門員に対する、「公開処刑」が行われていると揶揄する向きもある。しかも処刑人は市町村の職員とは限らず、そこに手を貸す介護支援専門員もいるのだという。

しかも届け出義務議論の根拠となった、北海道標茶町のケースは、のちに必要なサービスであり、適切なプランであったことが明らかになっている。つまり月100回を超える生活援助中心型サービスを組み入れたケアプランは、糾弾すべきプランではなく、模範とすべきプランだったのである。

そのようなことを無視して、生活援助とは本来保険給付の対象とすべきではないとか、一定上の回数が必要なら、それは自己責任なので全額自費利用すべきだとかを平気で口にする関係者が存在する。

いつから介護保険制度は人にやさしくない、尻を叩き続ける制度になったんだろう。

要介護度が低くて身の回りのことは何とかできる人であっても、加齢や見当識の低下に伴って、家事までは頑張れないという人がいるのだ。その人たちは、家事をこなすたびに毎日、「辛い、辛い」と嘆きながら、生きるために仕方なく頑張らされている。辛いからいっそ死にたいと思っている人たちの最大の願いは、「一日でも早く、お迎えが来ますように」である。

そんな超高齢社会が、21世紀に2度目のオリンピックを開催しようとする先進国・ニッポンの現状である。それが本当に先進であるのだろうか。

人は誰かに頼ることができるからホッとできるのだ。誰かにも頼れず、寄りかかることができない社会は恐ろしい。自立とは共立の概念があってこそ、はじめて成立する概念である。誰かに頼ることを、「悪」とか「不適切」と考える社会は、人が暮らしを営む社会とは言えない。

辛いという文字に一を足せば幸せという文字になる。介護とは本来、辛いと叫ぶ人に、「幸せになる一をつなぐ仕事」であるはずだ。辛い辛いも自己責任だと見放し、見下す仕事ではないはずだ。

辛いを幸せに変えるための「」を探すのがケアマネジメントである。そうした思いにもっとシフトしたほうが、制度は本来の機能を発揮するのではないだろうか。

給付制限ありきの自立支援は地獄支援でしかない。自立支援より自律支援が求められることを今一度思い返す必要があるのではないだろうか。
幸せにする一をつなぐ介護

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国が誘導する「自立支援」に洗脳される先に起こること


平成最期の大晦日となる2018年の最後の日を、このブログ読者の皆様はどのように過ごしているだろう。

読者の方々は介護関係者の方が多いのだから、暦に関係なく働いている人も多いことだろう。そうした皆さんがいるおかげで、この国の様々な人の暮らしが支えられていることに誇りをもっていただきたい。そして今日も働いてくれている人に心より感謝を申し上げたい。

すでに休暇に入って、年末・年始はゆっくり休めるという人もいるだろう。どうか英気を養って年明けの仕事に備えていただきたい。どちらにしてもすべての皆さんにとって来るべき新しい年が良い年になることをお祈りしたい。

我が家は障害者福祉事業者に勤める長男が、一昨日の夜遅くに帰ってきて3日まで実家で過ごすことができるが、北電知内発電所に勤務している二男は、年末年始も出番で、一家3人だけの正月を迎える。

僕は年末に関係なく新年早々に出版予定の本のゲラを校正したり、講演スライドを作成したりして、あっという間に時間が過ぎていく状態だ。今日も朝からPCの前に張り付いて、気が付けばお昼になろうとしている。おなかがすいたので飯でも食おうかと思いつつ、その前に今年最後のブログ記事を書こうかと思い立ち、この記事の更新に取り掛かったというわけである。

ところで仕事に関する連絡は時期に関係なく入ってきており、昨日も来年予定している講演のテーマが決まったという連絡が入った。その講演とは、31年3月9日(土)13:30〜16:30にコンパルホール(大分県大分市)で行われる、「個別ケア研究会主催講演会」での講演である。

そこで3時間お話しするテーマは、『揺らぐ介護理念 〜介護とは何か?〜』に決まった。受講対象者の中心は介護支援専門員となる。

大分県といえば、和光市と並んで国がモデルとする「自立支援介護」のメッカでもある。その自立支援介護のおひざ元で、このテーマで話をすることになる・・・。

そこでは今後の介護保険の流れと、それにより起ること、想定される利用者と介護現場への影響等について解説することになるだろう。

2021年の報酬改定では、自立支援介護という方向で、新しい加算が各種サービスに新設されることになる。居宅介護支援におけるケアマネジメントの方向性も、国が言うとことの「自立支援」にシフトする方向に誘導される。今年度に導入された生活援助中心型サービスの一定数以上のケアプランの届け出義務はその序章である。

大分県はその流れに沿った方向で介護支援専門員などを指導しており、国の推奨する自立支援介護の先進地というわけである。そうであれば当日の講演内容とは、大分県が進めている自立支援介護とは、本当に大分県の人々の暮らしを護ることができるのかを問い直すものにならざるを得ない。

後期高齢者で、身の回りはなんとか自分で出来ている方であっても、家事能力が衰えることが生活障害となって独居が難しくなる方がいる。このとき家事能力の衰えを防ぐという発想のみでケアサービスを提供しても何の課題解決に結びつかないケースがある。自立支援という価値観だけでは解決しない問題もあるのだ。

できることを続けながら、できないことは誰かに頼って、暮らしの質を担保するという視点がないと、毎日頑張ってつらい思いを日常だと勘違いしなければ生きていけなくなる人がいる。

そもそも出来る能力に着目してサービスを結びつけようと発想が、出来ないことはだめなことだというという発想になっては困るのだ。生活課題はしっかり捉え、それに対するアセスメントをすることはネガティブではない。

出来ないものは出来なくて良い。出来ることをどのように生活の質に繋げていくかというのが自立支援ではないか。ここは頑張るけど、ここは助けてもらいましょうという発想がないと高齢者の暮らしは、ひどく辛いものになるだろう。それは長寿を苦行に変える行いでしかない。

そのような考え方を大分県の介護支援専門員さんなどが集まる場所で話してよいのかを考えながら、講演の構想を練っている。国の考え方に全面的に迎合する話はできないから、大分県の指導の方向性ともガチンコでぶつかるかもしれないとも考えている。

特に和光市で「介護保険制度から卒業」させられた人の後追い調査では、その1割の方が自費で、更新認定前と同じ介護サービスを利用しているとされる調査結果も示されている。そうであれば自立支援の結果として、要介護更新認定の結果が「非該当」とされて、介護保険サービスを使わなくてよいとされた「卒業生」の一部は、そのことを快く思っていないという意味である。介護保険からの卒業という名の下で、保険給付サービスが利用できなくなったことは、「本意」ではないということである。

それって自立支援ではなく、給付抑制ではないのか?そんな行為に介護支援専門員という有資格者が何の疑問もなく加担してよいのだろうか。

障害があり、生活の一部に支援が必要な人が望み、目指すものは何なのか。その人たちがすべて自立を支援されなければならないのかを考えたとき、問題提起のために下記のようなスライドを作ってみた。
3/9大分県個別ケア研究会主催講演会
このスライドを通じて僕が訴えることは何かということは、当日の講演のお楽しみとさせていただきたい。

この講演は資料代として参加料が500円必要になるが、どなたも参加できるオープン講演であるそうだ。講演案内は年明けの1月下旬になるそうであるが、正式にアナウンスされたときに、表の掲示板などで案内させていただこうと思う。お近くの方は是非会場までお越しいただきたい。

僕は今日これからゲラ校正の最終作業にかかって、できれば今日中に作業を終えたいと思っている。そのあと明日の元旦のうちに講演スライドを一本仕上げ、2日と3日は仕事をせず、朝から箱根駅伝を見ながら酒を飲みたい。そして4日と5日に残っている講演スライド2本を仕上げ、6日と7日で連載原稿を書く予定だ。今日が勝負である。

それでは読者の皆様、今年もお世話になりました。僕の勝手で乱暴なブログ記事を読んでいただき感謝です。でも来年も読者のためではなく、自分のためだけにここに思いを書き続ける予定です。勿論新年の最初の記事は、明日の元旦に書く予定です。

それでは皆さん、良いお年を迎えてください。皆さんにとって来るべき新年が幸多い年であるように祈っております。

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自立型介護施設で暮らしたいですか?


人は生きるためには自立する必要があるのかもしれない。でもそれは生きるための目的や目標ではないはずだ。

心身に何らかの障害を抱えている人であれば、日々の暮らしを営むためには、その障害を克服して自立することが目標の一つになるのだろう。

しかしながら、その場合でも最大目標が「自立」であるというのは間違っている。ある目標を達成するために、身体的にも精神的にも「自立」が求められることはあったとしても、それだけが目的化されるのはおかしいし、そんな暮らしの中で生きるのは苦行でしかない。

一般論で言えば、自立を目的に生きている人はいないのである。

しかしながら介護保険制度の目的の一つが「自立支援」であることから、対人援助とは誰かを自立させるためにあると勘違いする輩がなくならない。持続できる制度であることのみに偏った制度改正や報酬改定により、介護保険制度とは国民の尻を叩き続ける制度となってしまっているが、そのことに洗脳されてはならないのである。

できる行為を失わないように支援することは大事だが、それは自立が最大の目標だからではなく、できることを続けることによって実現できることがあり、それはその人の幸せにつながるかもしれないからである。自立が目的ではなく、自立の先にある「暮らしの質」が本当の目的なのである。

そうであれば自立できない人に、それを強要するのではなく、誰かが力を貸すことで手に入れることができる「暮らしの質」を求めたって良いのだと思う。

人間は独りぼっちでは生きていけないが、その意味は、人に頼ることができることで社会生活は成り立つという意味だ。

身体機能に障害がある人であっても、自分の意志がしっかりしていれば、他人からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動することができるのだ。その時には人に頼る、委ねるという選択権を持てばよいだけの話で、人に頼ることができるという素晴らしさを忘れてはならないのである。そのことを「自律」と呼ぶのであって、本来介護保険の目的も自立支援ではなく、自律支援であるべきだ。

精神の病などで意思決定ができない人に対しては、周囲の人々が、その人は何がしたいのかを慮って物事を決定するという代弁機能が求められるが、それは人間にしかできない尊い行為ではないのか。だから僕は、アドボケイトのもう一つの意味は「傍らにいることを許される者」になることだと主張している。

そんな風に人は、周りの誰かに頼って生きていくことができるという素晴らしい存在ではないのだろうか。頼ることのできる素晴らしさを忘れていないだろうか。委ねることができる人がいることの尊さを失っていないだろうか。頼ること・委ねることは、共立できるということなんだから・・・。

しかしながら自立支援が最大目標であるかのように勘違いした(あるいは洗脳された)人は、エビデンスのないキャッチフレーズだけの自立支援介護を最高のものだと勘違いしてしまっている。その最たる例は、「竹内理論」と称される、根拠のない強制水分摂取であり、その理論の実践で亡くなガラ暮らしている高齢者が全国にたくさんいるというのが、この国の実態だ。それは恥ずべき姿だ。

さらに恐るべきことに、暮らしの場であるはずの特養にさえ的外れの自立支援が強制される傾向が見える。「お世話型介護施設から、自立型介護施設への脱却」というキャッチフレーズを使って、自立できない高齢者の尻を叩き続ける施設が出現している。いったいいつまで人は頑張り続けねばならないのだろうか。80年も90年も頑張って生きてきた人が、さらに自立を強要される施設で、安心した暮らしを営むことはできるのだろうか。そこで暮らしたいと思うだろうか。

人の暮らしとはもっと多様性があるものだろう。一つの目的だけで表現できない多様性の中に生きるからこそ人生は豊かになるのではないのか。

自立型と謳う介護施設は、その多様性を喪失させてしまうだけのように思えてならない。せめてケアマネジメントをはじめとした、我々の対人援助の視点は、頑張らなくてもよい介護を模索しなければならないのではないだろうか。

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身体介護の概念変更と区分の明確化について


3月30日付の介護保険最新情報Vol637の内容は、「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について」 の一部改正についてであった。

これは老計10号通知の改正であり、その目的は同解釈通知の、身体介護の1-6(自立支援のための見守り的援助)の明確化であった。

先の介護報酬改定議論の際、厚労省はこの部分に「身体介護として明記されていないものがある。」と指摘していた。つまり実態としては身体介護であるにもかかわらず、ここに明記されていないことにより、生活援助として算定されていたサービス実態があることが問題視されたわけである。そのため、「これまで生活援助として提供していたサービスを身体介護として位置づけやすくする。」ための通知改正が行われたわけである。

通知改正内容を確認したい。

まず身体介護について、下記のように変更されている。
(従前)⇒用者の日常生活動作能力(ADL)や意欲の向上のために利用者 と共に行う自立支援のためのサービス
(改正)⇒用者のADL・IADL・QOLや意欲の向上のために利用者と共に行う自立支援・重度化防止のためのサービス

これは注目すべき改正点だ。介護保険制度の理念・目的は「自立支援」であることは知らない人はいないが、ここにQOLという言葉と、重度化防止という言葉が加わったという意味は、「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクに警鐘を鳴らすとともに、高齢者の字膣支援がADLの向上だけではなく、ADL低下のスローダウンや、その過程における暮らしの質を総合的に見つめつ実現できるものであることを明示したものといえよう。それはある意味、僕の竹内理論批判と相通ずる考え方であると評価したい。

そのため(1-6)についても次のように文言が追加された。

(従前)1−6 自立生活支援のための見守り的援助(自立支援、ADL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)
(変更)1−6 自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、 ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)

そしてその具体的な行為については以下の通りとされた。(※緑色で示した部分が追加されたもの。白字は従前からのもの。番号は本通知では示されていないが、便宜上ここでは番号を振った。)

○ベッド上からポータブルトイレ等(いす)へ利用者が移乗する際に、転倒等の防止のため付き添い、必要に応じて介助を行う。
1.認知症等の高齢者がリハビリパンツやパット交換を見守り・声かけを行うことにより、一人で出来るだけ交換し後始末が出来るように支援する。
2.認知症等の高齢者に対して、ヘルパーが声かけと誘導で食事・水分摂取を支援する。

3.入浴、更衣等の見守り(必要に応じて行う介助、転倒予防のための 声かけ、気分の確認などを含む)
4.移動時、転倒しないように側について歩く(介護は必要時だけで、事故がないように常に見守る)
5.ベッドの出入り時など自立を促すための声かけ(声かけや見守り中心で必要な時だけ介助)
6.本人が自ら適切な服薬ができるよう、服薬時において、直接介助は行わずに、側で見守り、服薬を促す。
7.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う掃除、整理整頓(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む)
8.ゴミの分別が分からない利用者と一緒に分別をしてゴミ出しのルールを理解してもらう又は思い出してもらうよう援助

9.認知症の高齢者の方と一緒に冷蔵庫のなかの整理等を行うことにより、生活歴の喚起を促す。
10.洗濯物を一緒に干したりたたんだりすることにより自立支援を促すとともに、転倒予防等のための見守り・声かけを行う。
11.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行うベッドでのシーツ交換、布団カバーの交換等
12.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う衣類の整理・被服の補修

13.利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う調理、配膳、後片付け(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む)
14.車イスでの移動介助を行って店に行き、本人が自ら品物を選べるよう援助
15上記のほか、安全を確保しつつ常時介助できる状態で行うもの等であって、利用者と訪問介護員等がともに日常生活に関する動作を行うことが、ADL・IADL・QOL向上の観点から、利用者の自立支援・重度化防止に資するものとしてケアプランに位置付けられたもの

このように具体的行為が示されているが、15の内容を読むと、その行為の範囲はもっと広げられる可能性があることがわかる。それだけに居宅介護支援事業所の担当介護支援専門員が、利用者のADL・IADL・QOL向上についてどう考えるかがより重要になってくることがわかる。

くれぐれもQOLの視点のない自立支援・ADLの向上に目を奪われないようにしてほしい。

居宅サービス計画作成の視点で何より大事なのは、その計画が実行されることそのものではなく、その計画が実行された結果、利用者の暮らしぶりが良くなることである。そして利用者の暮らしぶりが良くなることとは、利用者が満足して良かったと思えることである。

利用者が不満を抱えているにもかかわらず、計画が実行されていることに、担当ケアマネが満足している乗な状態は、なんの意味がないばかりではなく、それはその担当ケアマネが、利用者にとっての生活障がいそのものになっているに過ぎないのである。

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自立支援介護という虚像


次期介護報酬改定の目玉のように唱えらている言葉が、「自立支援介護」という言葉である。

このことに関連して、「自立支援は是か非か」などと論評している関係者がみられる。はなはだバカげた問いかけだと思うし、意味のない論評だと思う。

自立支援を非とするものなどありえず、それは否定されるべきではないからだ。

しかしここで問題になるのは、介護報酬改定で言うところの「自立支援介護」と、本来の意味の、「自立支援」はまったく異なるものだということだ。前者は非常に狭い概念でしかなく、その概念で高齢要介護者の暮らしぶりを評価することは百害あって一利なしである。

自立支援介護については、今後データを集積して、自立支援のエビデンスを作って、それを将来的には介護報酬評価につなげるとされているが、それができるのは早くても2021年(平成33年)の介護報酬改定からであるし、エビデンスが作られるかどうかさえ不透明である。・・・というか無理だろう。

2018年の次期介護報酬では、とりあえず要介護度の改善割合という、非常に限定的な尺度を報酬評価につなげるだけだから、本当の意味での、暮らしの中の自立支援などできない。

介護保険制度の理念の一つは、「自立支援」であることは間違いない。しかし本来の介護とは、自立支援だけを目指すものではない。支援対象者の状態像や、時期によっては、自立支援ではなく、自律支援のほうが重要になる時期がある。(参照:必要なのは自律支援

判断能力の衰えている人に対して、自律支援につなげるための代弁機能=代弁支援が最も重要となることもある。

自立支援だけを切り取って、評価を行うのは、人の暮らしに寄り添う介護の評価にはならないのである。

自立支援介護の礼賛者の中には、竹内考仁氏を自立支援のカリスマのように礼賛する人もいる。

しかし竹内氏が、自分の理論で実践している自立支援介護とは、個別のアセスメントを無視して、サービス提供者側の目的を達成させることだけを求めた「洗脳介護」でしかない。(参照:竹内理論

竹内理論に基づく洗脳介護を推奨していた全国老施協は、すでにその間違いに気づき、昨年厚労相宛に提出した意見書の中で、次のように指摘している。

・特養で利用者の意に反して栄養を投与し、リハビリを重ね、歩行器で歩かせることを強いるような「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクが強く危惧される。

・事実上要介護度改善の義務化を課すことは、もはや虐待と言っても過言ではない。


自分たちが「介護力向上講習」の中で推奨していた方法を、舌の根も乾かないうちに全否定する一貫性のなさはともかくとして、ダメな方法論に気が付いて、それを捨てる努力をしていることは評価に値するだろう。

どちらにしても、自立支援介護というフレーズに踊らされ、その実態に気づかずして、竹内理論の礼賛者が増えることがあってはならないし、自立支援介護の名の下で、利用者の希望も表情も無視した洗脳介護が横行することだけは阻止しなければならない。

竹内氏が自立支援のカリスマなどと宣っている輩には、少しは勉強しろよと言いたいところである。


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事業者インセンティブは、自立支援のアウトカム評価となるのか


8月23日に行われた社会保障審議会・介護給付費分科会では、自立支援に向けた事業者へのインセンティブについて検討課題が示された。

つまり次期報酬改定では、利用者の状態改善に着目したアウトカム評価として、自立支援の結果を出した事業所を加算評価しようという議論である。

このことについては、自立支援とは何ぞやというふうに、その概念整理などを含めた議論が今後展開されることになるはずだが、翌24日の新聞各紙では、すでにこの加算評価が決まり事であるかのような報道がされている。おそらくこれは厚労省のリーク報道であり、いかに介護給付費分科会の議論が形骸化したものであり、アリバイ作りの議論はされるものの、結論はすでに決まっているという意味だろう。
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毎日新聞webニュース 2017年8月23日 19時24分(最終更新 8月23日 19時24分)より転載

厚労省 自立支援介護、報酬増へ
厚生労働省は23日、要介護高齢者の自立支援で成果を上げた介護サービス事業所へより多くの報酬を支払うよう、仕組みを見直す方針を固めた。高齢者の生活能力向上や社会参加を促すとともに、介護保険の費用抑制につなげる狙い。来年4月の介護報酬改定に反映させる考えで、同日開いた社会保障審議会の分科会に論点を示した。

現在の仕組みでは、サービス利用者の要介護度が軽くなるほど報酬が低くなるため、収入減を恐れる事業所が自立支援に後ろ向きになりかねないとの指摘が出ていた。見直しでは、心身機能の訓練などによって要介護度が改善したり、排せつや着替えなど日常生活動作ができるようになったりした場合、報酬を増やすことを検討する。費用のかかる要介護度の重い人を減らすことで、全体の費用抑制を図る。

一方で厚労省は、自立支援に消極的な通所介護(デイサービス)の報酬は引き下げる方針で、支払いにメリハリを付けたい考えだ。 (以下略)
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現在の介護報酬でも、通所サービスの事業所評価加算のように、利用者の状態改善に着目したアウトカム評価としての加算は存在している。そういった加算をもっと広く導入しようというのが今回の議論である。

特に居宅サービスについては、全サービスについて、自立支援の結果を加算評価しようというもので、具体的には一定期間ごとに利用者の要介護度の状態区分を判定し、軽度変更が見られた事業者に報酬加算が算定できるようにすることが考えられる。

当然その反動として、基本報酬を抑えて、新加算を創設するという方向となるのは当然で、逆に言えば、、今後はインセンティブ評価を得られない事業者は、経営が苦しくなり、撤退せざるを得ない、という方向に国は誘導しているということだ。

報道では、「自立支援に消極的な通所介護(デイサービス)の報酬は引き下げる方針」と書かれ、あたかも通所介護=自立支援をしていない、と捉えかねないが、これは舌足らずの表現で、通所介護のうち、個別機能訓練加算を算定していない事業者の報酬はさらに下げるという意味で、通所介護全体の基本報酬減を示したものだ。

このことについて関係者の間からは、「もともと介護保険制度の理念は、自立支援なのだから、報酬体系がその方向に変わっていくのは当然」という声も聴かれる。

介護保険制度の理念を否定するつもりはないし、自立支援そのものに対して批判するつもりはない。

しかし今回の議論の俎上にのぼっている事業者インセンティブが、本当に自立支援のアウトカム評価になるのかと言えば、そのことには疑問を呈しておきたい。

そもそも介護認定結果という尺度だけに着目して、その軽度変更だけがアウトカム評価であるというのはおかしな話である。本来の自立支援は、要介護度という尺度では測れない日常の暮らしぶりから判断しなければならないことも多い。さらに後期高齢者で、要介護度が高くなる人ほど、自立支援のアウトカムは、要介護度の軽度変更ではなく、現在の身体自立度の維持とか、身体機能の衰えのスローダウンという評価軸が必要になる。

新聞報道の見出しとなっている、「自立支援介護」という言葉自体が、看板に偽りあり、である。

後期高齢者や重度の要介護者にとっては、自立支援より自律支援という概念の方が重要になってくることも忘れてはならない。(参照:必要なのは自律支援

要介護状態区分の軽度変更だけで評価されるアウトカムとは、もともと改善可能性のある状態像の人に対する評価でしかない。そうでああるがゆえに、この加算が導入された先には、加算を得るために、要介護状態区分の改善が見込まれない利用者を排除しようとする事業者が増えることは当然予測される。それを正論で阻止できるとは思えない。

そもそも居宅サービスの場合、複数のサービスを利用している人について、どのサービスの何が自立支援に結びついているのかを判断することは難しい。それを一色単に判断するとすれば、その評価に根拠は見いだせなくなる。エビデンスにはならないのだ。

このようなエビデンスのないアウトカム評価を、報酬加算とすること自体が問題である。


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自立支援介護のターゲットは何か。


11月9日に書いた、「自立支援介護新設の提言案を考える」では、政府の未来投資会議の「高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する」・、「自立支援介護という枠組みを新たに設けて、自立支援を提供しない事業者への介護報酬を減らす」という提言について、それが施設サービスに適用されたら大問題であると論評した。

しかしその内容を読んで気づいている人は多いだろうが、未来投資会議が、この提言において社会保障費の抑制の最大のターゲットにしているのは、「通所介護」であることは明らかだ。

よってこの提言書を読んで、一番危機感を抱かねばならないのは、通所介護経営者であるはずなのに、まったくこの提言に関心を寄せない関係者が多すぎるように思う。

提言所の中で、「入浴や排せつなど、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」と指摘している意味は、レスパイトケアにお金をかけすぎだということである。

つまり機能訓練をしていない時間帯のサービスの報酬削減を暗示していることは明らかであり、なおかつ、「要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する」というのは、アリバイ作りの機能訓練は評価しないという意味である。

この提言が報酬改定に反映されることになる場合、個別機能訓練加算の算定ルールに沿った機能訓練の実施だけの加算評価はなくするか、加算単位を引き下げた上で、一定割合の利用者の介護状態区分の軽度変更について加算評価するということになる。

この背景には、通所介護費の延びが財政を圧迫する大きな要因であるという状況に変化がなく、前回改定で報酬を大幅に引き上げた通所介護であるにもかかわらず、いまだに小規模事業所の数が、国側の想定ほどに減っていないという現状がある。

周囲を見ると、事業撤退した小規模通所介護事業所も目立ってはきているが、新規参入する事業者もあり、地域密着型通所介護となった小規模事業所の数はさほど減っていない。

国としては、通所介護事業者については、経営体力の低い小規模事業者はもっと減ってよいと考えており、報酬がさらに減っても経営に支障をきたさない、経営体力のあるスケールメリットが働く事業者で、ある程度の規模を持つ法人が、併設事業として小規模通所介護事業を運営するのだから、制度あってサービスなしという状況にはならないと考えているのだろう。

さらにその視点の先には、小規模通所介護の利用者数はもっと減ってよく、逆に小規模多機能型居宅介護の利用者数は、もっと伸びてほしいという思惑もあるのではないかと想像する。

どちらにしても、次期介護報酬改定では、通所介護のレスパイトの費用は大幅に削減されることは間違いなく、個別機能訓練加算を算定していない通所介護事業所は、今から経営戦略を練り直していかないと、報酬削減の波に飲みこまれ、事業経営ができないということにかねない。ここは今からしっかり心構えをしておかねばならに点である。

同時に、この余波は通所リハビリにも押し寄せることは間違いなく、リハビリテーションマネジメント加算の構造見直しにもつながるかもしれない。

前回の改正で、リハビリ会議の実施等の算定要件をクリアすれば算定できるようになったリハビリテーションマネジメント加算兇砲弔い討癲△修硫短山曄文醜圓6ケ月以内なら1.020単位、6ケ月を超えたら700単位)は減額が必至で、要介護度の軽度変更割合をクリアするという結果に対する加算が設けられるのではないだろうか。

それにしても国は、本当に専門的リハビリ(医学的・治療的リハビリテーション)で要介護度が下がると思っているのだろうか。加齢や障がいに起因する状態像が、医学モデルでよくなるのであれば、過去の老人保健法による事業展開で、この国は健康老人ばかりになっていたであろうが、実際にはそうではない。

介護予防の効果検証も行われていない状態の中、介護サービスを受けたこともなく、提供したこともない委員がイメージする、「自立支援介護」が前面に押し出された報酬構造改革は、この国にどんな未来をもたらすのだろうか。

どちらにしても、通所介護と通所リハビリの関係者は、自立支援介護について、今後どのように議論されていくのかを注目していく必要があるし、通所介護関係者は、レスパイトケアの必要性をもっと強く訴えていかないと、大幅な報酬削減が現実となってしまう。

厚労省内部にも、レスパイトケアの報酬はもっと削れるという空気が強いのは事実で、今のところこの風に変化はなく、その風向きが変わらない限り、2期連続の通所介護費の逆風は回避できないということになる。
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心が動かない機能訓練はいらない

老人福祉法には通所介護という文言はなく、それは老人デイサービスという言葉で表現されている。また現在は訪問介護という言葉に変えられているが、過去にそれは老人ホームヘルプという用語が使われていたと記憶している。

介護保険法の最初の原案でも、デイサービス、ホームヘルプサービス、グループホーム等の呼称が使われていたが、これが変えられたのは時の厚生大臣・小泉純一郎の命令である。「日本の法律なんだから、カタカナを使うな。」というわけである。だから通所介護や痴呆対応型共同生活介護(当時:現在は認知症対応型共同生活介護)という呼称が法律における正式名になっているわけである。

ここで疑問なのは、なぜリハビリテーションというカタカナだけ、この法律の事業呼称に残されているのか?ということである。通所リハビリテーションや訪問リハビリテーションを「通所機能訓練」「訪問機能訓練」になぜ変えなかったのだろうか?

おそらく国は、医療系サービスと福祉系サービスで使う文言を区分しているということだろう。機能訓練というのはあくまで福祉系サービスで使う文言と考えているから、リハビリテーションというカタカナを機能訓練に変えなかったのだと思う。だから通所介護では「個別機能訓練加算」というふうに「機能訓練」という言葉自体は使っているのである。

よって通所リハビリテーションや訪問リハビリテーションのように、医師の指示と処方に基づく「医学的、治療的リハビリテーション」と、福祉系サービスにおける「機能訓練」は概念も、それに関する費用算定に関する方法論も違っているといえる。

特養や通所介護における個別機能訓練加算の算定ルールでは「個別機能訓練を行うに当たっては、機能訓練指導員、看護職員、介護職員、生活相談員その他の職種の者が共同して、利用者ごとにその目標、実施方法等を内容とする個別機能訓練計画を作成し、これに基づいて行った個別機能訓練の効果、実施方法等について評価等を行う。」というふうに、この中に医師が含まれておらず、医師の指示や介入のない方法論を認めているのである。

このことから考えても、機能訓練を「訓練室」でおこなう医学的、治療的リハビリテーションエクササイズに限定して考えることが間違いであると断定できる。個別機能訓練加算が看取り介護(ちなみにこの言葉も医療系サービスではターミナルケアとされている)対象者にも算定できることを鑑みれば、ここで想定している機能訓練とは非常に広い概念で日常生活上の支援行為の中に「機能活用と維持、心身活性化」の視点を置いた行為について、その対象になることは明白である。

ところで先日の休日の昼下がり、1時間ほど海沿いの遊歩道をウォーキングしていると、向こう側から車椅子を持ちながら歩いて来られる数人のグループと出会った。楽しそうに散歩しているようなので、邪魔にならないように頭を下げ小さな声で挨拶だけして通り過ぎようとしたら、その中の一人のお年寄りに僕の名前を呼ばれた。

あれっ、と思ったら僕の親類のおばさんで(90歳代である)、歩いていたのはおばさんが通う小規模通所介護のお仲間と通所介護事業所の管理者さんと看護師さんである。その通所介護事業所の管理者の方は、昔からお世話になっている方で、その事業所は「人生(たび)の途中」という記事でも紹介しているが、民家改修型小規模事業所で認知症の方を中心に、きめ細かな支援をしている評判の事業所である。

聞けば、毎日昼食後の日課で散歩しているのだという。その事業所からは国道を渡って一本海側に出ればすぐこの遊歩道だから、毎日の散策コースなのだという。それでも事業所から歩いて戻ると、ゆうに1時間はかかりそうな道のりである。そのコースを皆、楽しそうに良い表情で歩いている。

持参している車椅子は、突然大きな声を出す方がいるから、一般の人が通り過ぎるときに落ち着けるようにその際だけ座ってもらうためらしいが、そのような行動がある方も、非常に良い表情で皆と行動を共にしている。

思えば、これらの方々は、その事業所の近隣で長年暮らしてきた人々だから、いつも街の臭いを感じ、海の臭いを嗅ぎながら長い年月を重ねてきたはずである。

そういう人々が、加齢に伴い、足腰が衰えたり、認知症の症状が出るなどして、いつしか街に出るという機会が減り、季節の移り変わりや海の臭いを感じることなく生活するようになってしまい、その表情から笑いを消していったのかもしれない。

それらの方々が通所サービスという場で、新しい人間関係を作り交流する中で、再び住民としての暮らしを取り戻していくことが大事だと思う。だから通所介護は、事業所の中だけで行うことがすべてであってはいけないし、街を感じる、故郷の空気や臭いを感じ取れる支援を行う場でなければならないだろうし、昼食後に自然に利用者同士が、街の中を歩くという楽しみを持てることはとても大事なことだ。

それは決して、足腰を強くするとか、身体機能を維持するとか、心身を活性化するとか意識して行うものではないし、本人は決して機能訓練とは考えていないもので、単に「楽しみ」であるから続けられるものだろうと思う。

しかしこれこそが我々の「福祉系サービス」で目指すべき機能訓練の在り方で、日常生活の支援や関わりの中で、ごく自然に展開されるサービスが結果的に「自律支援」ではないのだろうか。
(あえて自立という言葉を使わない、その意味は「必要なのは自律支援」を参照していただきたい。)

散歩している人々の表情をみながらそんなことを考えていた。

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傍らにいることが許される者

桜並木2010遅れていた桜の開花の時期がやってきた。登別温泉に続く道道の桜の今日の咲き具合を撮影した画像を貼り付けておく。おそらく今週末は天気もよさそうなので「桜のトンネル」も満開になり見ごろだろう。週末は登別がお勧めスポットである。桜2010

さて昨日の記事で我々が目指すべき自立支援とは、「自律支援」という意味の方が適しているのではないかと書いた。

それは人の価値とは「他からの支配や助力を受けずに、存在すること」であるとは限らず、むしろ最期の瞬間までそうした存在でいられる人の方が少なく、何らかのやむを得ない要因により「自分でできる能力」を失ってしまうような状態になっても「人としての価値」は決して失われるものではなく、尊厳ある人間として生き続けるものであるからだ。

「行為」としての自立を失ったときでも「自分自身で立てた規範に従って行動する」という自律が保障されている限り、人間は人間として生き続けることができるものであり、それは人に頼る・委ねるという選択権を持つことの素晴らしさを意味している。

つまり社会とは、人間同士が支えあう集合体であり、共立できる存在としての人間の尊さが存在し得る、という意味である。

そのことについて、先日の東京都北区ケアマネジャーの会総会の基調講演では「看取り介護」の対象となったある70代のご婦人の事例を紹介して、彼女から我々が学んだことを紹介した。

彼女は、末期がんの告知を受け、自らの意思で医療機関を退院し施設にもどって「看取り介護」を受けていた方であるが、病気にむしばまれた肉体が衰えて行く過程で、自ら可能となる行為が失われていくことに絶望し、亡くなられる10日前に便失禁をするようになり、夜中に排せつケアを行う介護職員に何度も「すまない、申し訳ない」と言い続け、朝起きてからも「昨日はごめんなさい。汚いものの世話をさせて本当にすみません」と涙を流し、精神的な激しい落ち込み時期に入った。

その時、我々に彼女を救う術は見つけられなかったが、ただできることは彼女の恐れおののく感情を否定せず、心配しなくてよいとか、気にしなくてよいとかいう言葉を機械的にかけることをやめ、ただひたすら最期まで我々が側にいるから安心してほしいという言葉をかけ続けた。

やがて亡くなる3日前に彼女は激しい落ち込み期を脱して、精神安定の兆候が見え始めた。それは彼女自身が「自分ですべてできるだけが人間の価値ではない。」と感じ、「自分でできない部分を任せても安心な場所に自分がいる」と感じることができ、自らの選択で施設に死にゆく場所を求めて帰ってきたことを思い返して「 自らの意思で委ねることができる、という選択性があり、自分でその決定ができる限り私は私であり続ける。 」と感じたからではないだろうか。

そして彼女は「皆さん、私に最期まで付き合ってくれてありがとう。ここに帰ってきてよかったわ」という言葉を最期に残して旅立って逝かれた。

我々が確信を持って言えることは、その時彼女は「自立」を失っても「自律」は失われなかったということである。

ところでこの場合、認知症のように自ら意思決定ができない状態の人が「看取り介護」の対象になった場合、それらの人々は「自律」さえも失ってしまうのかという問題である。その答えは「否」である。

なぜなら我々は、それらの方々の代弁者としてアドボケイトの視点を持つ援助者であるはずで、我々がそれらの人々の「思い」に真剣に寄り添って、その「願うであろう」暮らしの実現を目指す限り、自ら決定できない状況の人にも自律支援は可能であるからである。それができるか否かが専門家としてのアウトカムである。

そしてそれが実現できる援助者とは、同時に「傍らにいることを許されたもの」という意味を持つ。果たして我々はそれらの方々の傍らに寄り添うことができる存在だろうか?そのことを常に問いかける援助者であらねばならない。

ホスピス・緩和病棟で「いつも傍らに誰かがいると、痛み止めがいらなくなるのよね。 」という声を関係者から聞くことがある。これは何を意味するのか?我々は人の存在そのものの力を信じて、人として傍らにいることが許される者になるために、人として大切なものを探し続けながら専門援助場面に関わることが必要だろう。

勘違いしてはいけないのは、我々介護支援者は、利用者の傍らに「いてあげる」のではなく、利用者に必要な存在として傍らに寄り添うことを受容されるべき存在であるということなのである。

※蛇足であるが、今回の東京北区ケアマネジャーの会の後に、ネット検索したところ、gitanistさんが書いた「masaさんの講演を聴いて」というブログ記事にヒットした。彼、なかなかのイケメンとお見受けしているが、若いわりに(多分)しっかり自分の考えをお持ちで、なかなか硬派の優れた支援者とお見受けしている。コメントも結構辛口であるが、筋が一本通っている。若い頃の僕に似ていると感じた。もちろん容姿は向こうが数段上であろう。

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必要なのは自律支援

今日は昼休みが全く取れない状況で、昼ごはんも食べる時間がないかもしれない。これからデイの時間短縮利用者の送迎も手伝わねばならないので、ブログの更新も休もうかなとは思ったが、東京講演で不在の2日間記事更新をお待ちになっていた方の期待も裏切ってはならないと思い返し、送迎に出かける前のいつもより早いこの時間にザッとお約束の「クイズの答え」に関する記事を書こうと思う。

17日の記事で問いかけた問題。トイレに一生懸命向かおうとして車椅子を操作している利用者にかけるべき言葉は何か?という問いかけに、多くの方からコメントに「自分だったらどういう言葉をかけるか」について書いていただいた。この答えは決して一つではないし、正解は複数あってよいだろう。そういう意味では利用者の心を慮り、その思いに寄り添う言葉であるなら、すべて正解といってよいのだろう。

だからコメントに寄せられた回答に不正解はないといってよい。

その中で、僕自身が想定して用意しておいた言葉は「間に合いますか?」とか「お手伝いは必要ではないですか?」という言葉である。18日の講演の中でもそのように回答した。

「頑張ってください」という言葉は、場面によって毒にも薬にもなる可能性があり、頑張っている人に尻を叩くように言葉になってしまうことがあることに注意すべきだ。

講演では、このことにも触れて話をさせていただいたが、それは「自立する」という概念が、何もかも自分でできることを意味するものではないという観点からの指摘であった。講演でお話しした内容の一部に触れながら、今日の記事ではその考え方を紹介したい。

介護保険法第1条は「総則」を定めたもので「この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。」と書かれている。

これを読む限りこの法律が目的とする「国民の保健医療の向上及び福祉の増進」の具体像とは「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができる」とことに求めているということができ「自立した日常生活を営むことができる」とは手段ではなく、この法律の目指す目的そのものであるということが分かる。

このことは決して否定されるべき考えではないと思う。

なぜなら例えば医療の目的は「国民の健康増進」であるとして、その具体像は治療を行って病気を治す、あるいは予防医学をもって病気にならない、というふうに示すことができる。しかしこれに比べて、こと介護サービスにおいては「国民の福祉の増進」とか「生活の質の向上」を目的としたとしても、ではその具体像は何か、という点で、はっきりとした状態像を示すことが難しかった。そのことが「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができる」という形で具体化されたという意味があるからである。

その概念が「自分らしさ」とか「能力を最大限に発揮して自分で生活を作る」とかいわれる個別の具体像にも繋がってきたという意味もあるだろうから、介護保険制度のキーワードの一つである「自立支援」とは、この国の介護サービスが目指す具体像であるということができるのではないかと思う。

ただし一口に「自立」といっても、それは何を指し、どの範囲を言うのかということになると、この理解・判断にも個人差が生ずる。曖昧な部分も残っている。少なくともそれは「何でも自分でできる」という意味ではないことは「その有する能力に応じ」という文言で理解できるが、同時に能力に応じた自立を測定する根拠はケアマネジメントによって求められるものだという理解にも繋がるだろう。

そしてこの「有する能力」を個人の身体機能だけに求めるのは大きな間違いで、そもそもケアマネジメントは「解決しなければならない課題は人ではなく過程(プロセス)や仕組み(方法)にある」という意味であることを考えながら総合的見地から本質を見極めなければならない。

それとともに我々が自立支援において考えねばならないことは「自ら行為を行えなくなったからといって人間としての価値が低下するわけではない」「人である限り、最期の瞬間に近づけば近づくほど、自らの力ではできなくなってしまう行為が増え、やがてすべての行為を失う場合もある」という理解である。

ではその時に自立できない人々に我々の支援の意味は失われるというのか?
「有する能力」が失われた人々に対する支援をどのような目的として考える必要があるのか?

その時我々が考えるべきことは
1.自分ですべてできるだけが人間の価値ではない
2.自分でできない部分を任せても安心な場所に自分がいるという安心感
3.自らの意思で委ねることができる、という選択性があり、自分でその決定ができる限り私は私であり続ける。

ということではないだろうか。

広辞苑で「自立」という言葉の意味を調べると、それは「他からの支配や助力を受けずに、存在すること。」と書かれている。しかしは最期までこうした存在でいられるのか?そしてそれは人の価値として意味があるのか?自立できなくなれば人の価値が低下するのか?決してそうではないはずである。

そうすると我々が考えるべきことは「自立」より、むしろ「自律」=「他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること」ではないだろうか。それは人に頼る、委ねるという選択権を持つことを意味し、人間が支えあう社会における共立をも意味する。その概念の素晴らしさを忘れないことではないだろうか。

そしてそのことは、我々が目指すべきものは対象者が最期の瞬間まで「その人らしく輝いて暮らし続けけられること」「安心と笑顔がある生活」なのではないかと思うのである。

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利用者にかけるべき言葉

明日、東京都北区王子の「北とぴあ」で講演を行うため東京に向かう。帰道は19日になるため、明日から2日間はブログ記事の更新はお休みする予定である。(変更更新はあり得る)

ところで明日の講演では「自立とは何か〜よく生き、よく死ぬということ」というテーマを事務局からいただき、それに沿った内容のお話をする予定である。受講対象者は居宅介護支援に携わる介護支援専門員の方々が中心であるから、ケアマネジメントの中で考えるべき「自立」ということを主に考えてみた。勿論その内容は、僕の普段の考え方や、当施設や事業所の実践内容がベースにならざるを得ないもので、理想論や観念論ではないものだが、その中で事前資料として受講者の皆さんに「考えてほしこと」を問いかける内容の文章を書いて、事務局より事前配布していただくようお願いしている。

以下にその内容を示すので、皆さんも僕の問いかけの「答え」を一緒に考えていただきたい。

なおこの問いかけの僕なりの「答え」は次の更新記事で示したいと思う。

講演を聞かれる皆さんに考えてほしいこと。

一つの光景がある。ある特養の日常場面だ。面会に来たある家族が、車椅子をなかなか前に動かせない方に声をかけたところ「トイレ行きたい」と言われ、手を貸そうとすると職員から「その方は自分でトイレまでいけるので手を貸さないでください」と怒られたとする。

皆さんは、こうした状況を「当然」だと考えるのだろうか。僕はそうは思わない。
確かに自分でできることを自分で行い、頑張ることが保障され、機能活用して維持できる「生活スタイル」があるということは良いことと思う。しかしそれも時と場合によりけりで、排泄という行為に対してまで移動能力という機能活用を優先させることは疑問だ。

排泄という行為は、排せつ感覚が保たれ、トイレで排泄できることそのものが自立なのだ。排泄感覚が維持できて、訴えることができ、それがトイレでの排泄に繋がっているならば、いつも切迫するまで手伝わないという一律の対応が正しいとは思わない。

確かにその方は一生懸命車椅子を前に進めてトイレにたどり着いて間に合っているのかもしれない。間に合わない場合もパットをしているので大丈夫という理屈かもしれない。しかし、移動能力など別の場面でいくらでも機能活用できる。トイレまで行くために毎日、額に汗してぎりぎりまで「頑張る」ことが普通の生活ではないのではないか。気持ちよく排せつする支援は自立を阻害するのか?

せめて排泄のときくらい、我慢せずに「必要な支援」としての移動介助を行なってトイレで気持ちよく排泄してもらうのは悪いことか?こんなところまで頑張る必要もないし、頑張りを強要するのは虐待と紙一重だ。手を添えれば明日から移動能力が失われるわけではないだろう。こんな状況は、高齢者が頑張っているんではなく、頑張らねば寝たきりになる、という強迫観念をうえつけ精神的に追い詰めていることとなんら変わりはないのでは、と思ってしまう。

機能活用さえすれば良い、というのは間違いだ。その前にその人らしい、人間として当たり前の生活とは何か、という視点があるべきだろう。自分の親が、排泄のたびに、廊下やフロアを大変な時間をかけてトイレに通う姿を見るとして、なんとも感じない子がいるのだろうか?

しかし、かく言う僕の施設でも似たような状況に出くわすことがある。

車椅子を自走する方がトイレと訴える際に「頑張ってトイレまでこいできてください」と声かけるケアワーカーがいたりする。

本来、この時に最初にかけるべき言葉は「○○○○○○○?」ではないのか。

場合によっては何より早く移動できるように手伝うことが、この際の適切な支援である。普段、自走できている人に排泄まで絶対に自力移動を強いる必要はない。排泄感とは人にもよるが、それだけ切迫した状況があり得るものなのだ。移動できる人を安易に手伝わない、という意味と、この行為の支援を行わないこととは少し違う。

食事摂取も同様である。自分で食べることができる機能を大切にして維持することは必要だが、摂取状況によっては一概に援助が不適切とはいえない。わずか茶碗一杯のご飯と副食2品を食べるのに、1時間もかかるような摂食状況は好ましいものとは思えない。そもそもそのような時間をかけた結果ご飯やおかずが1時間後にどのような状態になるかは容易に想像できる。皆さんはそれを食べたいと思うだろうか?これでは美味しさとか、楽しみがほとんど感じることができない単なる栄養摂取の行為、かつ苦しい行為に変容してしまう可能性さえある。上肢機能の活用は食事摂取行為と絡めて考えれば、それはてっとり早い方法ではあろうが、本当にその人の生活のためになっているのか、という考察が出来ないと無意味である。

自立支援は介護サービスが目標とする具体像としては正しい理念だ。しかしそれは生活が良くなる、その人らしい生活が送れる、という結果を具体化した概念であると思う。

人間らしい生活に目を向けず、動作自立だけを考えてしまうことで見えなくなってくるものがある。ある行為について、介護者が行う行為か、利用者本人がご自分で行ってもらう行為か、これを2者択一でしか考えられないこと自体がナンセンス。確かに自立支援の視点や、完全にできる行為を安易に代行することで能力を奪わないという視点は重要だけれども、それだけがすべてではないということだ。人の生活とは一定の基準で判断できるものではなく、その時々の状況や気分で「揺れ動く」ものなのである。一律の線引きで答が出せるものではなく、そのときの利用者の顔を見て、声を聞いて、声なき声にも耳を傾けて、はじめて理解できることがある。

サービス担当者会議で決めたケアプランは、ある一定の基準であり、判断の目安であり、各職種間の共通言語ではあるが、それに縛られて利用者のサービスに応変の処置を欠いてはならない。

自分で出来ることも、やれない状態のときもあるんだ。やりたくないという気持ちを支援してほしいときもある。そこに心を配れるか、配れないかが介護支援専門員をはじめとした支援者の資質だろうと思う。自立とはそうした個別状況に常に配慮できる助けにより支えられるものだ。

※本文中の「○○○○○○○?」の中に当てはまる言葉を考えてみてください。

以上が事前配布資料の内容である。ブログ読者の皆さんも一緒に考えていただきたい。正解は一つではないだろうが、こういう形で日ごろのケアのあり方を問い直すことも必要だろう。コメント欄に答えを書いてくださればありがたい。

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人はいつまで頑張り続けなければならないのか。

介護保険制度の創設当初からの理念の一つに「自立支援」というキーワードがある。

現在でもその言葉を「お題目」のように唱え続ける計画担当者や行政担当者は数多い。できる能力を失わないように支援したり、今までできなかった行為ができるようになる可能性を探ること自体は良いことだ。

しかし自立だけが絶対的な価値観であると考えるとしたら、それは違うだろうと思う。人の一生とは成長と衰えの曲線の上を生きているということだ。老年期は、様々な機能が衰えていく時期であり、昨日までできていた行為が今日も明日もできるとは限らない。

しかしそうした機能低下は決して恥ではなく自然の摂理である。

その時に自立だけに価値があるとするのでは、能力が失われてしまった人々は「人」としての価値をも認められないということになってしまう。人の能力には限界があり、頑張ってもできないことは数多くあることを知るべきである。

高齢期の必要な援助の視点は、時には自立ではなく『共立』であるということを忘れてもらっては困る。適切な支援者の援助によりQOLを保とうとする視点こそが求められている場面が多々ある。それを忘れている関係者はいないのだろうか?

頑張るだけが、人の価値でもないだろう。頑張らない人、頑張れない人は人としての価値を失っているとでも言うのだろうか・・。

しかもおかしなことに、介護保険制度は、そのサービスを利用する当事者だけではなく、周囲の人々も頑張らなくてはいけない制度になっている。

制度創設の目的は、家族が担っていた介護を社会全体で支える仕組みに変えるというふうに説明され、今まで頑張っていた介護者が「息抜き」をできる制度になるはずであったのに、いざ強制加入の介護保険制度ができ、保険料が強制的に徴収されるようになると、頑張らなくてよくなったはずの家族の介護能力がサービス提供の是非判断に影響することがある。

極めつけは訪問介護の生活援助で、同居家族の有無でサービスの提供可否が決まったりするが、これがどんどん拡大解釈されていることである。

その視点からは、家族は人間として見られる前に、サービスを提供するインフォーマルな社会資源として見られたりしている。本当にこの制度の有り様は正しいものなんだろうか。

馬鹿にするな。

国民は、ひとりひとり、心のある人間なんだ。いつも頑張れないし、くじけることがある弱い存在なんだ。

社会全体で支えあう保険制度とは、皆がぎりぎりまで頑張らなくてもよくなる仕組みを作るという意味があったんではないのか。

「それは家族が行うべきことでしょ。」と簡単に断じる保険者職員は、強制加入保険で生ずる国民の権利との整合性をきちんと語れるのであろうか。家族が頑張って限界点に達する瀬戸際で、心が壊れていく様をみたことがあるんだろうか。

日中、仕事をしなければ生活できない人々に、日中独居の要介護高齢者の家事が援助できるわけがないではないか。2世帯住宅だって立派な独立した家屋だ。2世帯の家事を専業主婦ではあっても、嫁さんが一人で賄わねばならないということでもあるまい。一律に同居と同様に扱ってどうするんだ。通院だって家族がいて、付き添い支援能力があっても自分のために使う時間を確保するというニーズだってある。それさえ許されない制度を強制加入方式で作り上げたというのだろうか。

人の頑張りを法律で規定できるとでも思っているんだろうか。

しかし介護保険制度はますます被保険者も家族も頑張らなくてはならない制度になってきている。要介護状態になることを予防してサービスをできるだけ使わないように頑張らねばならないし、サービスを使う場合も医学的リハビリ中心の考え方で身体機能を維持向上させることが一番大事であるという考え方に国はルールを変えながら誘導している。おまけにそれに洗脳された都道府県や市町村の担当者は過度にそのことを求めたりする。

現場でサービスを提供する事業者の中にもそういう偏った方向にマインドコントロールされている人々が存在している。

恐ろしいことに、他の制度でも、例えば新しい健康保険制度では太りすぎたら罰則が科せられるシステムが作られている。国民の私生活まで介入するかのごとく誘導政策がとられ、そこで甘い汁を吸う関係者も生み出されている。

しかし国が理想とするものは「国民が健康で文化的な生活を送ることができる社会」ではない。本音は役人が湯水のように税金を使うための財源は別にしっかり確保し、その余りで国民生活を作りあげるためのシステムである。

政治家(日本ではこの文字は「せいじや」と読むべきである。)と官僚だけが豪華でうまいものを食い太って、そうした豚どもが高価な洋服を着て、威張って往来を闊歩する社会になってはいないか。

その中で、うまく立ち回ったり、余得を受けられるコネクションをもったものだけが甘い汁を吸える。(赤字運営なのに国民の血税であるはずの公費6.000万円を補助金名目で支出してもらい救ってもらえる日本介護支援専門員協会もこの部類だ。)

一般市民はそのおこぼれの一部で細々と生を養うのがこの国の真の姿だ。何が先進国なものか。

そして、自分達の浪費を改めようとしない「お上」の財源論により社会福祉にかける費用は厳しく制限され、結果として社会保障の行き渡らない影の部分は切り捨てられている。国家の運営者達はその現場から目を背けるどことか、存在を最初から無視している。

国民だけが汗水たらして「汚い奴ら」が浪費する税金を一生懸命に納め、死ぬまでがんばり続けなければならない。そういう国で我々は、高齢期を過ごさなければならないのである。

持続できる制度であることのみに偏った改正が行われてきたことにより、介護保険制度とは、一面こうした形で国民の尻を叩き続ける制度となってしまった。何かが大きく間違っている。

せめて現場のケアマネジメントの視点は、頑張らなくてもよい介護をも含めた支援方法のあり方を模索しなければならないのではないだろうか。

そして本来の地域保険者の役割は、住民の目線でそのマネジメントの結果を援助するものではないのだろうか。

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個別機能訓練が目指すべきもの

今日は施設の業務ではない、自分の持つ別の職務の関連でこれから出かける予定のため有給休暇をもらっている。そのため、いつもより早い時間にブログを更新している。

さて月曜から書いている通所介護の個別機能訓練については一応今日で一区切りをつけたい。

通所介護計画は居宅介護支援事業所の介護支援専門員が立てた居宅サービス計画の内容に沿って計画されねばならないし、個別機能訓練加算を算定する場合は、当然その部分の給付管理も必要になる。

ところでここで問題になるのは、介護支援専門員が当該個別機能訓練を特に必要としないと判断した際に、この算定ができないのか、という問題が生ずる。

しかしそれも、この訓練を医療的リハビリテーションと限定して考える誤解による間違った考え方である。

通所介護は基本方針が基準省令で「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な日常生活上の世話及び機能訓練を行う」と定められており、機能訓練指導員を120分分以上配置している場合、基本的に全員に個別機能訓練計画を立て、その実施を行い加算算定できる。

これは医学的リハビリを必要としない人もこの対象となるという意味であり、前述したようにグローバルな生活支援の視点からの個別機能訓練は通所介護事業所のインセンティブにて計画実施できるものである。

サービス担当者会議でその内容は、介護支援専門員を中心にしたチームとして検証されるべきではあるが、通所介護の固有かつ必要なサービスとして個別機能訓練計画も居宅サービス計画の中にも位置づけられなければならない。

少し視点を変えて考えたいことがある。社会福祉援助の領域で、個別援助技術(ソーシャルケースワーク)の機能をどうとられるかは、その理論的立場によって異なり、歴史的には「診断派」と呼ばれる人々が提唱した「医学モデル」が主流であったものが「機能派」による「生活モデル」への転換が図られ、これが主流となったという経緯がある。

「医学モデル」とは、医学の診断、治療手順を土台として、利用者をパーソナリティに病理的問題を持つ治療の対象として捉えることに特徴をおいたもので、利用者の生活歴等を診断評価することによって、利用者の人格構造を明らかにし、現在の生活状況の中での自我の働きを解明することによって、自我の強化と人格の社会的適応を図ることが援助者に期待されていた。

こうした治療的側面のみを強調する「医学モデル」に対して「生活モデル」は個人そのものに焦点をあて、個人を取り巻く環境にも関心を強めるという必要性を提唱し、個人だけでなく集団に対する援助についても総合的に考えるという立場に立って、人と環境の交互作用についても着目することに特徴がある。「生活モデル」では、人間だけに問題があるのではなく、人と環境が交互に影響を与え合うこと、即ち、個人や家族の環境への適応力を高めると共に、環境側に位置する(家族もこちらに含まれる)側に、不適切な対応を修正するように働きかけることが中心となる。

その特長は、
1. 疾病の心理学よりも成長の心理学
2. 治療よりも援助
3. 援助者中心より利用者中心
ということが挙げられるであろう。

個別機能訓練の考え方も同様である。筋トレ等の医学的リハビリテーション効果を否定するわけではないが、生活の視点のない体力の維持向上だけでは生活改善にならない。

通って使うサービスの特徴である社会参加と他者との交流機会での心身活性化効果に着目した訓練内容も含め、人と環境の交互作用へも着目した機能改善と介護予防の方法論として、通所介護のサービスメニュー全体の中で、生活行為と連動させる視点を持った計画の具体的方法が個別機能訓練として計画される必要があるだろう。

それが本来の生活支援である。このことは居宅介護支援に携わる介護支援専門員がまず理解していなければならないことであろう。

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通所介護の固有機能から考える個別訓練

個別機能訓練加算に関連して、今日はその個別機能訓練の内容・具体的行為はどのようなものか、ということを考えて見たい。

機能訓練の目的の一つである機能低下を防ぐという意味は、廃用を防いで日常生活動作が維持されるということを意味する。

ではこの廃用とは何だろう。

廃用とは、実際の加齢に伴う身体機能の衰えより以上に、実際の機能低下が進行する状態であり、想定される一般的身体機能低下と実際の低下の差が大きければ大きいほど廃用は進行していると言える。

この原因に的確に対応できれば廃用の進行を遅らせることができ、それが介護予防であり機能維持である。そして廃用に的確にアプローチすることで、日常生活の中において自力でできる行為が増えることが機能改善であろう。

つまり機能維持・改善とは、筋力をいくらアップしても、それだけで目的が達せられるものではなく、生活機能と結びついた動作によって、日常生活の中で必要な機能が活用維持され、生活能力が維持・改善されることを意味する。

大事な視点は医学的リハビリで筋力をいくら維持、向上させても実際の生活においてそれが「生活行為」に結び付けなければ機能維持・改善にならない、ということである。

日常生活の中でできる機能を使う生活を考えることなく、単なる身体能力への対応プログラムに着目しても継続しないのは明白である。そうであれば通所介護における個別機能訓練は筋力アップだけに着目するのではなく、日常生活において自力でできる行為を増やすことで、ごく自然に筋力が維持向上できる方法として考えられるべきだ。

ここの部分が福祉系サービスたる通所介護の個別機能訓練の担当中心領域であり、腕の見せ所である。

生活に機能を生かすためには、その機能を使って過ごせるような「動機付け」が不可欠だ。
これは我々の筋力がどのように保たれているかを考えれば一目瞭然である。普段の生活に使わない機能は、決して維持されたり向上されたりはしないのだ。

辛いメニューや、面白くないメニューは長続きしないし、続かなければその効果は一時的でしかない。それは介護予防や機能改善のエビデンスにはならない。高齢者が継続的に実施できる方法は、実際の日常生活における生活行為に結びつける方法がもっとも適しているのである。

生活機能分類(ICF)の視点をケアプランに取り入れようとする考えも、基本的には生活に活用できる機能を、自然に、かつポジティブに取り入れられるよう介護サービス計画の目標や具体的内容を考える、というものであり、まさに「動機付け」の方法論であろう。通所介護サービスにおける個別機能訓練計画とは、このことを重視した内容とすべきであり、その具体的方法であるべきだろう。

ここにアプローチするのが通所介護における機能訓練の方法論である。

このように考えたとき、個別機能訓練とは何も歩行訓練や、関節可動域訓練を通所介護サービスの中で行うことに限るものでなく、レクリエーションやクラブ活動の中で行うメニューの中で、身体機能を活用し、それが維持・向上できるような目標と方法を考えても良いし、通所介護のサービスメニューとしての生活支援メニューの中で、利用者に個別のリハビリテーションの視点を持って関わることができるサービスであっても良いはずだ。

例えば、利用者の課題が自宅で入浴ができないということであって、その理由が片麻痺があって洗身行為が不十分である、ということであれば、入浴支援の行為の中で、自力で洗身ができるようになって自宅で入浴できる、という目標を立て、具体的な訓練として、片麻痺でも背中などの洗身ができる道具を使った洗身動作訓練を入浴支援の中に位置づけて指導するなど、自立動作への援助を行うことが考えられるのではないだろうか。

また食事摂取に援助が必要な人で、自力で食事をしたいという希望を持つ人に対して、自分で食べることが困難である理由をアセスメントすることで引きだされた課題に対して、その課題を克服すべく機能改善の具体的な目標が立てられ、食事摂取の際の道具の工夫や、それを使うことが可能になるような支援行為を、その目標を達成する為の具体的方法として計画されておれば、これも「日常生活を営むのに必要な機能を改善し、又はその減退を予防する訓練」に該当するであろう。

このように直接的な生活支援の行為と、機能訓練を結びつけて考えることは改正制度のルールの中で否定されていない。アセスメントの結果として、必要な訓練であるとして計画に位置づけられ、その内容が定期的に評価されておれば良いのである。むしろ、このような生活行為を機能訓練計画に結びつけることは、利用者が通所介護というサービス事業所を拠点にして、継続的・連続的な機能活用と維持の取組ができるというメリットとなる。

通所介護で指導を受け行っている「訓練内容」を日常生活行為の中で反復することによって、それは生活行為と有機的に結びつき、ごく自然な形で機能活用され、さらに拠点である通所介護事業所において、定期的にその効果や内容を評価することによって日常生活に必要な機能の維持改善を図ることができるのだ。

また通って通うサービスの大きな特徴は、それにより引きこもりを防いで身体機能、精神機能の活性化を図ることができるという特徴があり、集団的メニューであっても利用者本人がそこに参加して心身活性化に繋がるメニューであれば充分に個別の機能訓練目標と方法になるものであり、ゲームやレクリエーションが個別機能訓練に該当しないなんてことはあり得ない。

通所介護における個別機能訓練とは、こうした視点を含めてグローバルに考えられるべきものであろう。
明日も個別機能訓練に関する関連記事を続けます。)

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機能訓練の加算評価はどのように変わったか。

2006年4月の介護保険制度改正の中で、通所介護における機能訓練への報酬上の評価は、機能訓練指導員を120分以上配置していることで利用者全員に加算算定できる体制加算であった「機能訓練加算」から、計画実施加算としての「個別機能訓練加算」に変更された。

この変更内容を各事業所がどのように捉えているだろう。というのもこの改正が行われて既に2年を過ぎようとしているのにその理解の仕方に疑問のある居宅介護支援事業所のケアマネや通所介護事業所担当者が実に多いからである。

個別機能訓練計画を策定し利用者に同意を得て、その計画内容を通所介護サービスの中で実施するという過程の理解は各事業所とも共通して持たれていると思う。

問題はこの個別機能訓練の内容の理解についてである。その具体的サービス内容についての考え方は「機能訓練加算」から「個別機能訓練加算」に変わったとて解釈上は何ら変更なく、あくまで過程の部分に統一ルールが示されただけである。しかし実際の現場担当者のレベルでは「個別機能訓練加算」となったことで、あたかもセラピストが実施する個別リハビリテーション等の医学的リハビリが必須と勘違いしている向きが見られる。

つまり何をどのように実施するのかということを計画する際に、個別機能訓練を通所リハビリの個別リハビリテーションと同じように捉えてしまう担当者がいるということだ。そのことが個別機能訓練の計画や実施方法を著しく狭め、通所介護の本来のサービスとマッチングしないという問題を生じさせている。

個別機能訓練を医学的方法論に偏ったリハビリテーションと考えるのは間違っている。もっと広い意味で考えるべきだろう。

この個別機能訓練加算については「原則として、当該単位の全ての利用者について計画作成してその同意を得るよう努めることが望ましい。(平成18年4月改定関係Q&A ・Vol.1)」とされていることでもわかる通り、利用者全員が実施できることを前提としており、必ずしも機能訓練指導員との1対1で行う訓練メニューに限定したものではなく、集団的な対応を含めたものであることは明白である。

なぜなら1対1が絶対条件なら通所サービスの時間帯で「全員実施」は困難だからである。

また平成18年4月改定関係Q&A (Vol.1)においては「個別機能訓練を行うに当たっては、機能訓練指導員、看護職員、介護職員、生活相談員、その他の職種が共同して個別機能訓練計画に従い訓練を行うこと」としており通所介護の場合は機能訓練指導員が120分以上配置されている日しか加算算定はできないものの、行為としては機能訓練指導員以外のものが計画に基づき行うものも訓練として位置づけてよいとされている。このことは当該訓練が医学的リハビリに限定されたものではないことを証明していることになる。

むしろ介護職員や相談員が機能訓練としてできる行為とは何か、という視点でこのあり方を考えるべきである。実地指導担当者もこのことをしっかり把握しておくべきだ。

つまり(繰り返しになり恐縮であるが)まとめると個別機能訓練とは、その対象サービスは機能訓練指導員が直接的に関わるサービスメニューに限定されていないし、通所介護の目的とサービス提供方法を考えたとき、それはあくまで医学的方法論に限定されていないと解釈できる。

それは個人の機能活用と維持に資するサービスメニューを個別に機能訓練計画として位置づけてよいものであろう。

そのことは平成18年4月改定関係Q&A (Vol.3)において「当該個別機能訓練加算は、従来機能訓練指導員を配置することを評価していた体制加算を、機能訓練指導員の配置とともに、個別に計画を立て、機能訓練を行うことを評価することとしたものであり、通所介護サービスにおいては実施日において当該加算を算定することが可能である」「行われる機能訓練の内容は、各利用者の心身状況に応じて、日常生活を営むのに必要な機能を改善し、又はその減退を予防するのに必要な訓練を計画されたい」とされていることでもわかる。

具体的な訓練内容が制度改正前と変わるものではなく、プロセスが必須条件に加わっただけであり、その訓練とは「日常生活を営むのに必要な機能を改善し又はその減退を予防する訓練」であれば良いものである。この訓練という言葉を筋力トレーニングに限定するなど狭く解釈してはならないのである。

その具体的内容を明日以降考えて見たい。(明日以降も個別機能訓練に関する関連記事を続けます。)

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そんなの自立支援でも、機能活用でもない!!

地域の中で今、介護にまったく関わらない人のほうが少なくなってくる。

自分が介護を受ける身になるという意味のみならず、家族や友人、知人、関係者に介護が必要な人、介護に携わっている人、介護の問題で相談を受ける人、いろいろな形で介護が身近な問題になっていくる。

僕も仕事上いろいろな方々と出会う機会があるが、まったく別な要件でお会いした人が、僕の職業を知って、話しが身内の介護問題に及ぶことも多い。いろいろなお話を聞けて、それはそれで勉強になるし、一般の市民の方々の福祉施設や介護サービスに対する理解の仕方を聞いて、我が施設や事業所の介護サービスを振り返る機会にもなり、何事も学びの機会と思う。

そんな中で、親戚が介護施設に入っている方がいて、その施設の話をいろいろと聞くなかで、その施設が持っている自立支援の考え方、実際の取り組みについて考えさせられることがあった。

その方が「施設というのはただ介護するんではなく、頑張らせるもんなんですねえ」と言われた。

利用者が頑張る、頑張ることができる、というのはいいことだと思って、ウンウンと聞いていた。「あるおばあちゃんが廊下を這っていたんで、どうしたの?と聞いたら、トイレ、って言うんで手を貸して手伝ってあげようとしたら、その施設の職員さんに、自分でいけるから手を貸さないで、と叱られた」と言うのである。

その方は、施設の職員のその時の対応を批判的に語っていたわけではない。むしろいろいろな考えがあって専門家はそこまで考えているんだな、という意味で感心さえしているように見えた。

しかし(本当の現場を見ていないので決め付けることはできないが)僕は、その施設の対応に少し違和感を感じるし、それが必要な自立支援であるとは思わない。

確かに自分でできることを自分で行い、頑張ることが保障され、機能活用して維持できる「生活スタイル」があるということは良いことと思う。しかしそれも時と場合によりけりで、排泄という行為に対してまで機能活用を優先させる必要性は感じない。

排泄という行為は、それを感じて、そのことでトイレで排泄できること、そのものが自立なのだ。排泄感覚が維持できて、訴えることができ、それがトイレでの排泄に繋がっていることだけで充分ではないか。

確かにその方は這ってトイレに向かって間に合っているのかもしれない。しかし、移動能力の維持など別の場面でいくらでも機能活用できる。

トイレまで行くために毎日、廊下を這って「頑張る」ことが普通の生活なのだろうか。

せめて排泄のときくらい、我慢せずに「必要な支援」としての移動介助を行なってトイレで気持ちよく排泄してもらえば充分だろう。こんなところまで頑張る必要もないし、頑張りを強要するのは虐待と紙一重だ。手を添えれば明日から移動能力が失われるとでも思っているのだろうか。

こんな状況は、高齢者が頑張っているんではなく、頑張らねば寝たきりになる、という強迫観念を持たされ、精神的に追い詰められていることと変わりはないのでは、と思ってしまう。

機能活用さえすれば良い、というのは間違いだ。その前にその人らしい、人間として当たり前の生活とは何か、という視点があるべきだろう。
自分の親が、排泄のたびに、廊下やフロアを這って、大変な時間をかけてトイレに通う姿を見るとして、なんとも感じない子がいるのだろうか?

しかし、かく言う僕の施設でも似たような状況に出くわすことがある。

車椅子を自走する方がトイレと訴える際に「頑張ってトイレまでこいできてください」と声かけるケアワーカーがいたりする。

最初に確認すべきことは「間に合いますか?」ではないのか。あやしければ、何より早く移動できるように手伝うことが、この際の適切な支援である。普段、自走できている人に排泄まで絶対に自力移動を強いる必要はない。排泄感とは人にもよるが、それだけ切迫した状況があり得るものなのだ。移動できる人を安易に手伝わない、という意味と、この行為の支援を行わないこととは少し違う。

食事摂取だとて、しかりである。
自分で食べることができる機能を大切にして維持することは必要だが、摂取状況によっては一概に援助が不適切とはいえない。わずか茶碗一杯のご飯と服飾2品を食べるのに、1時間もかかるような摂食状況は好ましいものとは思えない。これでは美味しさとか、楽しみがほとんど感じることができない単なる栄養摂取の行為、かつ苦しい行為に変容してしまう可能性さえある。

上肢機能の活用は食事摂取行為と絡めて考えれば、それは手取り早い方法ではあろうが、本当にその人の生活のためになっているのか、という考察が出来ないと無意味である。

自立支援はそれ自体が目的ではない。それによって生活が良くなる、その人らしい生活が送れる、そのための手段ではないだろうか。

人間らしい生活に目を向けず、行為の自立だけを考えてしまうことで見えなくなってくるものがある。

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自立支援とは何か〜介護支援専門員の実践で語るべきこと

介護保険制度の理念に掲げられている「自立支援」。新予防給付の創設理由にもこの言葉が最大のキーワードにされた。では自立支援とはなんだろうか。

ある障害者の方の「私は一人では着替えも出来ないし、排泄も食事も出来ない、すべて人の手を借りないと生活できないが、それでも自立している。なぜなら、10分間人の手を借りれば着替えが出来、20分人の手を借りれば食事が出来る。人の手を借りなくて良い時間は自分でパソコンを使って執筆活動が出来る。だから自立している」という言葉は以前にもこのブログで紹介した。

自立とは生活作りなのだ。機能維持や機能改善だけではないのである。

筋力アップトレーニングを重視するだけの「自立」の考え方では生活の質は良くならない。むしろ体力測定で成果がない対象者を「問題あり」としてしまう恐れさえある。
どういう生活が出来るか、そのためには何が必要かということが自立の視点ではないか。

しかし今、国が示しているグランドデザインは新予防給付の考え方に顕著に現れているように、医療の方法論としてのリハビリテーションが前面に出されたものだ。社会福祉援助技術としての歴史からいえば生活モデルの方法論にとって替わられたはずの医療モデルへの回帰である。

これでは暮らしは良くならないだろう。

筋トレの効果をすべて否定するわけではないが、生活支援の視点のない体力の維持効果だけを過大視する現状では、その効果は一時的なもので、いずれ加齢に伴う体力低下や身体機能の衰えという諸問題と人は向き合わねばならないという問題から顔を背けた方法論に偏りすぎている。

今の新予防給付における自立支援の考え方では、高齢者や障害者のモチベーションには繋がらないし、むしろ「効果が期待できない対象者」というカテゴリーを創りだし、そのことが社会全体に「内なる差別」を生み出し、この国の将来にとっての「負の遺産」を作ってしまう結果になる恐れがある。

ケアマネジメントの援助技術の展開の目的が生活の全体性や継続性、個別性に目を向ける生活支援であるとしたら、そこには身体機能レベルだけでは解決できない様々な問題に対する援助の方法があってしかるべきで、必ずしも軽介護者に身体介護以外の生活支援が必要ではないという考えにはならない。家事援助(生活援助)も立派な生活支援になり得る。

というよりむしろ高齢者の自立生活は家事から崩れてゆくのだから「家事援助は高齢者の自立的な生活を維持促進する」というケースを現場の介護支援専門員やサービス担当者は、この5年間の実践の中で数多く経験している。

特に加齢という自然摂理を起因とした廃用とはいえない足腰の衰え、視覚や聴覚、味覚の減退は、ADLより、IADLの障害になって現れてくるのは当然で、軽介護者に必要な家事支援を適切に結びつけることは生活維持には重要な視点である。

ところがこの家事援助が過剰支援であるとして問題になり、その原因をケアマネジメントの質に求めた結果が、予防サービスの計画主体は介護支援専門員ではなく包括支援センターの保健師等に役割を変えた、という新たな制度ルールを生んだ。しかしそれは大きな間違いだ。

その根本原因は、サービス提供主体とサービスを組み込む主体である介護支援専門員をパックで運用することが「利益率」に繋がるという介護保険制度そのものの設計にあるのだ。

これを変えれば、大きな変化があるはずなんだが、制度改正の方向は予防マネジメントの新規導入という方法を選択している。

つまりこの意味は、ケアマネジメントは本来、サービスの利用者の立場からの生活を支援するために形成されてきたものであるのに、保険給付の限定化により財源抑制の手段として使うという『マネイジドケア』に使われているという意味だ。

このことはもともとケアマネジメントの諸刃の剣として負の指摘を受けている点であり、非常に危惧される点だ。ケアマネジメントの目的外使用、といったところか。

ただその結果は、包括支援センターも民間委託が多い現況で、サービス提供主体と完全な独立主体とはなっていない現状が変わっていないのだから、大きな状況変化は期待できないといえるだろう。

地域で本当にまじめに、そして懸命に援助技術を展開している多くの介護支援専門員の皆さんは、こんなわかっていない国の議論を気にする必要はない。

しかし一方、へたくそな技術や、浅い知識は利用者の不利益になるだけでなく、介護支援専門員自らの首を絞めるものであるという自覚も必要なのだろう。
少なくとも利用者や地域に対して、ケアマネジメントとは何ぞや、という意味を、自らの実践で語れる介護支援専門員であってほしいと思う。

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自立支援へのひとつの疑問に対して。

当施設に外部の施設から研修に来られた方から質問を受けた中に次のようなものがある。

その方は医療機関で長く働いていたのだが、老人福祉施設での利用者のサービスに対する疑問として「医療機関では、患者さんが出来ることはできるだけ自分で行ってもらうのが当たり前だが、施設ではあまりに利用者の希望にすべて対応して、できることまで職員が行ってしまうのに疑問を持っている」と言うのだ。

皆さんは、こうした問いかけにどう答えるんだろうか。

当たり前の、教科書どおりの答を示すとすれば「医療機関でも、施設でも基本は同じです。利用者の希望とは、即ちニーズではありません。やってほしいという希望であっても、自分で行うことで機能が維持できたりすることの重要性を説明したり、自立することの大切さを説明して、できることは、できるだけ自分で行ってもらうことが大事です」

というような答えになるだろうか?

ひぬくれ者の僕は、こういう建前?的な答では自分自身が納得しないので、他者に対してもそういう言い方はしない。

僕はこう答える。

ある行為について、介護者が行う行為か、利用者本人がご自分で行ってもらう行為か、これを2者択一でしか考えないこと自体がナンセンス。確かに自立支援の視点や、完全にできる行為を安易に代行することで能力を奪わないという視点は重要だけれども、それだけがすべてではない〜ということだ。

人の生活とは一定の基準で判断できるものではなく、その時々の状況や気分で「揺れ動く」ものなのである。一律の線引きで答が出せるものではなく、そのときの利用者の顔を見て、声を聞いて、声なき声にも耳を傾けて、はじめて理解できることがある。

ケアカンファレンスで決めたケアプランは、ある一定の視点であり、判断の目安であり、各職種間の共通言語ではあるが、それに縛られて利用者のサービスに応変の処置を欠いてはならない。

自分で出来ることも、やれない状態のときもあるんだ。やりたくないという気持ちを支援してほしいときもある。そこに心を配れるか、配れないかが介護者の資質だろうと思う。

我々は、利用者の生活全般というより全人生に係っているんだから、我慢して頑張る、一生懸命頑張らないと「良い生活」が作れないなんていう変な「生活」を作ってはダメなんだ。

入院生活のように治療という目的があり、退院というゴールがある場所とは違うのだ。

毎日頑張らないと、一生懸命自立しないと「正しい生活スタイルではない」という場所で人は生きていけない。

今、我々の前にいる利用者が、自分で行えると思われる行為を、なぜ人に頼るのか、そのことの意味を、単に「自立支援」というひとつのキーワードで考えるのではなく、その方々の生き様や状況から広く考えてみる必要がある。

さっき出来たことが今出来なくたって、明日またできれば問題はない。

私が代行したら機能が衰えますよ、とか、動けなくなるよ、というプレッシャーを与え続ける生活のほうがよっぽど問題だ。安易な行為代行ではなく必要な支援として何を行うべきか考えると、あるときは本人が出来ることでも替わって行ってあげますよ、ということがあったって良い。

それより会いたい人が周りにいて、そこに出向き、いつも笑いがある生活を作ることのほうがよっぽど自立支援には有効だ。

ケアプランの文言だけで人間の生活なんて作り出せない。

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ケアプランは自立支援とイコール?

僕が連載しているある冊子で、施設ケアマネジメントの特集が掲載されており、いくつかの論文が載せられている。

勉強になる視点もあるが、まったく意見を異にする論文もある。

それは悪いことではなく、当然であろう。いろいろな意見があるから議論となり、その中からあるべき方向が見出せる、という部分もあるのだ。

ただ、どうしても相容れない意見というものがある。

例えば、施設のケアプランとは何かということに触れている論文の中で「ケアプランは何のために作成するかといえば、それは利用者の自立支援のためである」「ケアマネジメントはケアプランを動かす、つまりケアプランに沿ったケアが利用者に届き、利用者が変化していく過程である」としているような意見は僕の考え方とはかなり違う。

施設ケアプラン(あるいは施設ケアマネジメント)= 自立支援 = 利用者が変化する過程という構図に異議がある、という意味である。

ケアプランは自立支援のためのみにあるのではなく、生活支援のためにあるのだと思う。

生活支援とは様々な要素があり、その要素の中に「自立支援」というピースもあるというだけの話であり、自立支援だけがケアプランと勘違いされては困る。

事実としても、例えば「看取りの介護計画」の内容は、安楽な日々を送ることができることに視点を置いた生活支援の具体的方法を示す例が多いだろう。そこには利用者の変化を求めるより、安定した状態を持続するためのケアが求められてくる。

看取りでなくとも、重度の障害を持つ方々のプランにおいては、変化より、維持や機能低下のスローダウンに主眼を置いたプランもあり得る。

自立と変化だけに主眼を置いてしまえば上昇曲線からはずれた過程をたどるケースを問題ケースとしてみてしまうような新たな「スティグマ」を産む。

人の生活というものは、肉体の変化、衰えと付き合って行くということを意味している。できなくなることがあるのは当然なのだ。できないことをできるようにするだけがケアプランではない。できないことがあっても、できることを継続できるように支援することも大切だし、できることが減ってきたとき、その代わりの手足としてお手伝いすることで「生活」が快適なものになるという時期や課程もあるのだ。

そもそも施設サービスとは何か。それは地域福祉の両輪のひとつであり、もうひとつの車輪は居宅サービスで、両者とも必要不可欠な地域福祉サービスで、施設サービスが居宅サービスに劣っているものではなく、在宅で頑張っている方が、頑張りきればくなったっときにも「施設」というセーフティネットがある、という意味があり、そこでの生活が必要な介護において支えられることは重要だ。

頑張ることは大切だけど、人間は頑張れない状態になるときがいつかくる、そんなときでも施設職員は替わって、利用者の安楽な生活を支える援助をするんだ。時には頑張らないで、人に任せる部分があってもいい、今まで何十年も頑張っているんだから、ちょっと休んだっていいときがあるよう思う。前に進むだけが人のあるべき姿じゃない。

自立は大切なピースだけど、自立できないことを否定してはいけない。

ケアプランは決して「自立支援」に限定して考えられるべきではない。

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自立支援とは何か

昨日は地区の社会福祉士会・ソーシャルワーカー協会合同の研修に参加してきた。

講演が、北星大学名誉教授の忍先生であったので楽しみにして出かけた。

というのも忍先生は僕が現役の大学生時代の母校の教授で、障害者福祉論初めいくつかの講義を受けていたからだ。

しかし当時、あまりまじめでない学生であった僕は、その講義内容はあまり覚えていない。むしろ社会人になってから同教授の著書を読んだ記録のほうが鮮明だ。だから、学生時代の反省を含めて一生懸命耳を傾けようと思った。

しかしそんな努力をしなくとも、2時間じっくり聞ける良い講演であった。

テーマは「社会福祉改革をどう理解するか」とおうもので介護保険法、診療報酬改定や障害者自立支援法の成立等に関わる一連の改革の考え方について総合的に検証する内容であった。

いくつか印象に残った内容はあるが、特にこの場所で皆さんに伝えておきたいことは「自立支援」の考え方である。自立する、という言葉をどのように捉えるかという問題だ。
(これは同教授の講演内容を僕がこのように理解したというもので、講演の中の言葉そのものでないことを、まず申し添えておく)

自立するという名のものに、しばしば利用者はサービス事業者の決定を含めてケアマネから丸投げされて自己決定をしなければならないが、それは簡単なことではない。情報や知識は圧倒的に専門家より少ないのだから「頼りたい」利用者はたくさんいるのだ。自立とはそう簡単なことではない、ということが一つ。

それからもう一つ重要な点は、自立とは何か、ということである。

忍先生が講演の中で紹介された、ある障害者の方の言葉の中に「私は一人では着替えも出来ないし、排泄も食事も出来ない、すべて人の手を借りないと生活できないが、それでも自立している。なぜなら、10分間人の手を借りれば着替えが出来、20分人の手を借りれば食事が出来る。人の手を借りなくて良い時間は自分でパソコンを使って執筆活動が出来る。だから自立している」というような意味の言葉だ。

これは重要なことだと思う。

自立とは生活作りなのだ。機能維持や機能改善だけではないのである。

機能改善や筋力アップを重視する「自立」の考え方では生活の質は良くならない。むしろ体力測定で成果がない対象者を「問題あり」としてしまう恐れさえある。

これは間違っている。どういう生活が出来るか、そのためには何が必要かということが自立の視点ではないか。

しかし今、国が示しているグランドデザインは、新予防給付の考え方に顕著に現れているように、医療の方法論としてのリハビリテーションが全面で出されたものだ。

これでは暮らしは良くならないだろう。

筋トレの効果など一時的なもので、いずれ加齢に伴う体力低下や身体機能の衰えという諸問題と人は向き合わねばならないのだ。

そのとき、今の自立支援の考え方では、高齢者や障害者のモチベーションには繋がらないし、むしろ効果が期待できないというカテゴリーを分別することは「内なる差別」を社会全体に生み出す負の遺産を作ってしまうことになるだろう。

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後期高齢者と重度要介護者の自立支援の考え方4

794681ff.jif北海道でも雪の少ない地域であるはずの当市も、今年は例年以上の積雪である。

施設周辺もご覧のとおりで、毎日の雪かきが欠かせない。デイサービス送迎担当者は毎朝早くから、駐車場の雪をかいてバスを出している。居宅で待つ高齢者の方も、様々な手段で道路までの路を確保せねばならないのが雪国の厳しいところだ。

しかしそういう厳しい自然環境であっても、故郷ほど住みよい場所はない。
そして、どんなに身体状況が変化し生活が不便になっても「家」で生活したいという思いは、ごく当然なことなのだ。

だから我々は、様々な事情で家で生活できない方々に対し、それに近い環境や「安らぎ」を与える義務があるのだ。

さて、そのことも踏まえた上で、昨日までの続きであるが、そういう「生活への思い」をも具現できる、機能訓練活動の意味について考えてみたい。

当施設では、平行棒での歩行訓練や視知技能と手指の訓練を週1回のペースで行っている。

しかし週1回の歩行訓練やOTなど本来さほど意味があるものではないし、訓練室でしか歩行できず、生活行為と結びついていない能力も意味を持たない。

つまりこれはあくまで利用者の動機付けや、やっているという自信に繋がるものであったり、自分の能力の確認という意味があったり、それぞれの利用者の状態や希望に応じた補完的メニューとして行われるもので、参加も強要されるものではなく、自由意志に基づいて楽しめる方が参加するという、機能を楽しく使いながら健康を維持しようという取り組みの一つに過ぎないのである。

そして、それに加える形で毎日の生活の中に立位や歩行訓練等を日課として組み入れている方も多いが、それもあくまで利用者の生活に密着した形で、その希望に沿った内容であることに主眼を置いているものである。

つまり最も重要なことは、個々の持っている能力を、いかに苦痛でなく自然に使うことができる生活様式が確立できるかという点に注目して必要な機能活用の視点を個々のケアプランに落としてケアを提供することであり、例えば身体能力の衰えに最も影響がある下肢筋力は、毎日の暮らしの中で、立ったり、歩いたりする行為を、できるだけ失わないようにケアサービスが提供されることが重要である。

車椅子を移動の手段としている利用者にしても、本当に車椅子でしか移動ができないのか、場面に応じて介助歩行が可能にならないかという視点は常に必要で、介護者の側の都合で移動のツールが車椅子に限定してしまい歩行機会を失わないようにする視点、できる機能を有効に使える介護の方法が必要とされているのである。

今、施設サービスの中で取り組みがすすんでいるユニットケアやグループケアは、こうした個人への目配りがしやすく、そうしたニーズに容易に対応するための方法論の一つなのである。

加齢に伴う病気の発症や病態の変化、重度化自体を止めることはできないが、個人に着目したきめ細かなケアを展開することは当然のことながら個人の状態変化にも即応できる視点が育つし、身辺の保清にも気配りがされやすく、病気の早期発見や感染症予防に繋がる可能性を持ったものである。

例えば昨今、介護予防に重要といわれるフットケアにしても、その内容は「消毒、ゾンデによる角質除去、ニッパーによる爪切り、ファイル(やすりがけ)、マッサージという一連の技術』ということから医療的な行為に思われがちであるが、しかしその必要性は「高齢者はつめの伸び過ぎや深爪により、炎症や足の変形がある人が多い。歩行の不安定や転倒の危険につながっている」ということで、それに対する本来の意味のフットケアの基本的な考え方は、そういう状態になる前に気付いてケアする「快適支援」であろうと思える。 

こう考えたとき入所施設に限らず高齢者の健康維持や状態像の悪化を防ぐ支援とは、常に利用者の体の状態に目配りして快適で正常な状態に保たれるよう対応できているかが重要な要素であり、利用者の重度化予防の手段は目配り気配りが行き届いた高品質なケアサービスそのものに求められるべきものであるといえるのではないだろうか。

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後期高齢者と重度要介護者の自立支援の考え方3

高齢要介護者の介護予防において大切なのは、実は、機能を良くしてから生活改善を図るという視点でなく、生活を良くする取り組みの中で、利用者の喜びや意欲が生まれ、そのことが機能改善や維持に繋がるという視点である。

4月から始まる新予防給付にこの視点が欠けてはいないだろうか?

それはさておき、具体的な話に戻そう。

現在様々な場面で、筋力トレーニングを含めた機能訓練メニューが重視されているが、これは果たして生活改善、機能維持に最も効果があるメニューになり得るのであろうか。

少なくとも昨日のブログで述べてきた状況や視点からは、我々の施設の中で、それは機能維持や生活改善に繋がるような主要なメニューにならないと考える。

もちろん機能訓練自体を否定するものではないが、まず機能訓練ありき、ではなく、個々の利用者の能力が生かされる暮らしを作る中で利用者は自ら持つ能力や機能を生かすことができ、生き生きとした生活の中でこそ、様々な意欲が持てるのである。

逆に、訓練によって機能を維持しないと、良い暮らしが実現できないという立場に立つとしたら、そうした考えが重荷にならないで数十年の生活を継続できる強い人間はそう多くないであろう。

大事なことは、機能訓練というメニューでさえも、気楽に楽しく、生活と結びついた状況の中でごく自然に行われる、ということである。なぜなら特養は10年20年〜というスパンでの「暮らし」の場なのであり、嫌なこと、痛いこと、面倒なこと、は続かないし、効果を生まないのである。

具体的に言えば、当施設には専任のPTやOTはおらず、訓練指導員は看護師が兼務し、機能訓練加算の算定は行っていない。

その中で例えばボールゲームや風船バレーなどのいわゆる遊びリテーションや療育音楽、回想法などのグループワークを選択メニューとして日課活動に取り入れているが、要は「心が動けば体も動く」という具体策が展開されることが必要なのであり、逆に言えば「心が動かなければ体も動かない」ということである。

今日、施設のケアの提供体制の「集団的処遇」が槍玉に上がり、脱集団処遇と個人の生活行為を中心とした個別ケアの視点が重視されケアの方法が「プログラム化」から「生活支援型」に転換されつつあるが、グループワークが一律、個別性や主体性を軽視したプログラムと考えるのは間違いであり、それに選択性があり、個人のニーズにマッチして動機付けや、意欲の向上につながるのであれば自立支援や生活改善に有効なツールであることに変わりはないし、廃用に対する対策にとどまらず、認知症の方への意欲引き出しや生活改善にも繋がるツールになり得るのである。(明日に続く)

介護・福祉情報掲示板(表板)

後期高齢者と重度要介護者の自立支援の考え方2

昨日トラックバック先のリハビリの考え方が違うというようなことを書いたが、どうやらそれは私の誤解らしい。リハビリの本来の意味が全人格的復権を意味しており、単に身体機能の回復に特化していないという点については同じ理解と思われる。

さて、それでは我々がアプローチせねばならない高齢者の自立支援の意味とは何なのか、より具体的に考えてみたい。

当施設における利用者属性を考えてみると、本年4月の利用者の平均要介護度は3.76となっており、重度介護者が多くを占めている。

そして利用者の8割超の方が脳血管障害等の後遺症で四肢の様々な部分の麻痺や筋力低下を抱えており、それはいわゆる症状固定の状態であるとされている。

また平均在所日数は1789日となっており、このような在所期間の長期化は同時に平均年齢が85.73歳という在所者の高齢化の進行となって現れ、後期高齢者が大半を占めている現状を生み出ている。

85歳を超える方の4人に1人は生活に支障のある認知症状が出現するといわれるが、当施設においてもこのことは例外でなく、認知症の方が5割を超える状況を生み、それは「廃用症候群モデル」に該当しない層が多くなり機能訓練が重度化阻止の有効なツールにならないという状況を生んでいる。

 さて高齢者が要介護状態となるリスクは、加齢と疾病が最大要因で、原因疾患は1番目が脳血管障害、2番目が高齢による衰弱、3番目が骨折である。すると当施設の現状を考えたとき、それらのリスクをすべて抱えた高齢者の方々が生活していると言えると同時に、既に要介護状態が重度のレベルにある高齢者がその大半を占めている現状がある。

ではこうした状況の中で加齢に伴う状態像の悪化を防ぐために、あるいは現在の状況をより改善するために、どのような取り組みが必要なのであろうか。

介護保険制度改正における一連の議論の中で「介護予防」という考え方が注目を浴びている。介護予防とは、できるだけ介護が必要な状態とならないための取り組みや手段を指したものである。

しかし前述したように、当施設の現状では、利用者は既に介護を要する状態で、その症状は固定的に経過しており、かつ生活全般に広範な援助を要す状態である利用者が大半で、これらの方々が介護を要しない状態になるという意味での介護予防の考え方は当てはまらないであろう。

むしろいかに様々な心身機能の悪化リスクを防止して、現状の機能を保ちながら生活状況が悪化しないかということが我々の施設における介護予防の考え方であるといえる。しかしそれは単に要介護度の変化に限定して考えるべきものではない。要介護度というのは心身の状態像を表す尺度の一つに過ぎず、それだけに捉われると「生活の質(QOL)」を含めた生活者としての個人の状態像を正確に捉えることができなくなってしまう。

そこで我々介護者が施設における介護予防を考える視点は、様々な障害を抱えていても、生活者として利用者が生き生きと自分らしく暮らせることというはどういうことなのか、そのためのケアサービスのあり方とは何かという視点が必要になる。

我々は一般的に要介護度が5から4に下がった場合、身体機能や精神機能に改善があったものと考え、生活状態の変化や改善が心身機能の改善によりもたらされたものと考える傾向にある。逆に介護度に変化がなかった場合、生活状態も含めて状況変化がないと考えがちである。

しかし果たして、そうであろうか。

例えば、排泄について考えてみると、要介護度に直接結びつく基準時間に繁栄される排尿や排便の該当調査項目は、自立・一部介助・全介助の3項目である。

しかしオムツを使用し、トイレ誘導することなくベッド上でおむつ交換等の排泄介助を全て行っている場合は全介助であるが、排泄感覚は薄れていても定時誘導や声かけで失禁なくトイレでの排泄ができている場合も、トイレへの移動、便器への移乗やズボン・パンツの上げ下ろしの介助、排泄後の後始末など一連の行為のうち2項目以上の介助行為が行われておれば、これも全介助となってしまう。

つまり両者の要介護度に反映される介護の基準時間は同じということになってしまうのである。

この場合、実際の介護の手間としては前者より後者の方がより多くの労力を要する介護であるといえるであろう。

しかし、ここで考えるべきことは、そういう介護力をかけることにより、トイレで排泄できるという事実であり、トイレで排泄できる生活が継続できることの意味である。これはオムツによって全ての排泄ケアが完結されてしまう生活と明らかに質的差があるといえる。

ただしこの違いは要介護認定調査の基準時間には反映されず、この部分の変化のみによる要介護度の変化はないということである。

食事にしても、例えば嚥下機能に問題はないのに歯の状態や咀嚼能力を個別にアセスメントすることなく、食べやすさの観点のみで厨房から刻み食という形態にして提供し、元の形がわからないものを自力摂取すれば「自立」となるが、食べ物の形がわかるようにお膳には自然の形で配膳し、食堂の食卓において、まさに食べる際に、その方の摂取能力に応じて魚の身をほぐしたり、副食を食べやすくして自力摂取してもらった場合は「一部介助」とされ基準時間も長くなる。

そして、それにより介護度がより高く判定されるということがあり得るのである。

しかし形あるものを意識して食事摂取することは重要で、精神面への影響も大きいと思えるし、何より食事の楽しさや喜びは比較にならないであろう。

私たちが施設の中で、利用者の生活援助に関る中で、こうした生活行為と密着した部分の見逃されがちな小さな改善を積み重ねることが、個人の意欲や希望に結びつく介護予防であり、廃用症候群のみならず認知症の高齢者の方の機能維持にも繋がるケアといえるのではないのであろうか。(明日に続く)


介護・福祉情報掲示板(表板)

後期高齢者と重度要介護者の自立支援の考え方

昨晩から発熱して体がだるかったが、しなければならない仕事もあり無理して職場に出た。

午前中はなんとかもったが、いよいよ調子が悪くて早退させてもらった。
薬を飲んで3時間ほど寝て、少し調子が良くなったので自宅で仕事をさばいている。

そんな状態だから、今日は掲示板の管理とレスポンスだけにして、ブログの投稿は休もうと思った。

しかし昨日の「走りながら考えた」のトラックバックをしてくれた方のトラックバック先の考え方を読んで、少しこれは違うな、と感じた。

「介護保険は自立支援の制度だからリハビリを全面にださねばならないのに、その進めかたがわかっていないからこの制度は失敗している」という論調だ。

それは全然違う。

むしろ自立支援の考え方が、加齢という身体状況変化や疾病の出現という状況変化の中で、その意味をどのように捉えて、生活力の低下を防ぐ介護サービスのあり方について考える、という視点に欠け、自立支援=機能回復訓練という誤った見方をするケアマネ始め、関係者が多いことが間違いの原因なのだ。

リハビリテーションの導入や進めかたがわからないから制度がうまくいっていないわけではないのであり、むしろ「自立支援」というキャッチフレーズ自体が正しかったのか、あるいは、そのキャッチフレーズが高齢者の生活課題を限定的にして、生活の質の向上という大事な要素を見失わせた可能性はないかという考察が必要なのである。

特にこのことは後期高齢者、重介護者の自立支援の視点から考えれば理解できると思うが、もし自立支援=機能回復訓練であるとすれば、回復可能性が低い、機能改善の可能性が薄いケースは制度の対象とならないということになりかねない。

決してそうではない。

ここは、自立支援の正しい視点について考えなければならない。

このことを(今日は体調面で限界なので)明日以降、夏に日総研の冊子に書いた「施設入居者の自立支援」に書いた考え方をまとめる形で、ここで示したいと思う。

明日まで少し待ってください。

介護・福祉情報掲示板(表板)

自立支援のおかしな方向

「ケアマネはいつから法の番人になったんでしょうね」という話をしている方がいた。

聴けば、あれは介護保険の目的に照らして駄目だ、これは出来ない、自立支援に繋がらないケアプランは立てられない、ということを強調するケアマネのことを言っているらしい。

「でも、うちのじいちゃん、もう85なんです。ばあちゃんが亡くなったからといって、いきなり家事を出来るようになれと言うのは酷でしょう」という話である。

確かに自立支援は重要な視点だ。だがそれは、その方がいかに、その方なりの生き生きとした人生を送ることが出来るかという視点が根底にあらねばならないし、介護保険に限らず、介護サービスの、もう1つの(というより自立支援の視点と根幹は同一だが)視点は、生活支援、である。

後期高齢者などは要介護度が低くても、身の回りはなんとか自分で出来るが家事能力が衰えることが生活障害となって独居が難しくなる方がいる。このとき家事能力の衰えを停める思想でケアサービスを提供しなければ、間違っている、という価値観だけでは解決しない問題もあるのだ。

必要な生活援助である家事援助もあり得るのだ。

いかにポジティブに考えて、出来る能力に着目してサービスを結びつけようといっても、それが、出来ないことはだめなこと、という発想になっては困るのだ。生活課題はしっかり捉え、それに対するアセスメントをすることはネガティブではない。

出来ないものは出来なくて良い。出来ることをどのように生活の質に繋げていくかというのが自立支援ではないか。

ここは頑張るけど、ここは助けてもらいましょう、というのが人の生活ではないか。

24時間頑張れますか!!のケアプランでは長生きできん。

新介護予防は成功するか2〜成功報酬に物申す

新介護予防の議論の中で極めて滑稽な議論がある。成功報酬の議論である。

介護予防WTの議論を受け介護給付費分科会で現在検討されている方向は、通所サービスを対象に、一定期間利用期間がある方が、要介護度が改善したり、維持したりする場合に、当該利用者が利用している通所サービス事業所に成功報酬として給付費に加算をつけようとする議論である。

これがおかしことに気づかないような「専門家」によって予防給付が議論されているから新予防給付は必ず失敗するのである。

予防の対象は廃用症候群モデルである。

廃用とは、実際の加齢に伴う身体機能の衰えより以上に、実際の機能低下が進行する状態であり、想定される一般的身体機能低下と実際の低下の差が大きければ大きいほど廃用は進行していると言える。

この原因に的確に処方できれば廃用の進行を遅らせることができ、それが予防である。

そして国がこの処方として考えたのが、栄養障害の予防や口腔ケアの取り組みによる健康維持メニューと、一連の筋力トレーニングを含む運動器の機能向上メニューである。

問題は後者である。運動器の機能向上を筋トレを中心に行なうことが廃用を防ぐことになるのか。

これは我々の筋力がどのように保たれているかを考えれば一目瞭然である。普段の生活に使わない機能は、決して維持されたり向上されたりはしないのだ。辛いメニューや、面白くないメニューは一時的な効果しか表さず(モデル事業の効果など、これに尽きる)それは予防のエビデンスにはならない。

つまり、できることを増やしても、実際の生活で「やらなければ」予防にならないのだ。日常生活の中でできる機能を使う生活を考えることなく、単なる身体能力への対応プログラムに着目しても継続しないのは明白なのだ。生活に機能を生かすためには、その機能を使って過ごせるような「動機付け」が不可欠だ。そして、それは要介護度ではなく、生活の質で評価すべきものである。

ところが今回の成功報酬は、どこに支払われるか?事業所に対してだ。利用者は逆に加算算定されることで1割負担分が増えるかもしれない。

つまりこの介護報酬は事業所の動機付けにはなっても、利用者の動機付けにはならない。

事業者はこれにより、要介護度が維持、改善しない利用者をお荷物と考えるかもしれないし、頑張って通所サービスに通ったことでレベルダウンが最小限に防げたけど、要介護度は悪化した(利用していなかったらもっと悪化するようなケース)も評価されない。

いっそのこと成功報酬は利用者本人に、本人支給金として支払ったほうが、少しは「動機付け」効果により、結果が良いかもしれない。

新介護予防は成功するか〜要介護リスクの最大危険因子は?

高齢者が要介護状態となるリスクは、加齢と疾病が最大要因で、原因疾患は1番目が脳血管障害、2番目が高齢による衰弱、3番目が骨折である。

しかしそれとは別の視点で生活の中の危険因子を見つめてみると「引きこもり」が重要な要素になってくる。

引きこもりといっても、家から1歩も出ない状態に限らず、外出が億劫になり週1回程度しか外出しない、という状態も含んでよいと思う。

外出しなければ、人と逢わないから、身だしなみに気を使わなくなる。口臭や体臭も気にせず、歯磨きをしなくなり、入浴回数が減る。

外部の生活と自分の生活をマッチングする必要はないから、朝寝や夜更かしが生活障害にならなくなり、昼夜逆転や夜間不眠が繰り返される。人によっては不眠をアルコールで解消しようとする。

外出しないで家でごろごろしているからお腹が減らない。お腹が減らないから食べるものも不規則になるし、好きなものしか食べなくなる。

このように高齢者は、引きこもりによって、健康を害したり、見当識を悪化させたりしていくことが多いのだ。特に男性の単身者にとっては良くあるパターンである。

また機能面でも、家の中だけの生活だから、できることをしなくなる。やりたいことしかしないから身体機能は生活の中で使われない。

できることと、やることは、本来違うのだ。

生活の中でやれることを、することに結びつけるのが本来の廃用予防で、筋力アップして、できることが増えても、やらなければ廃用は改善しない。

だから「引きこもり」に対する具体策がなく、むしろ通って受けるサービスに利用者にとって「望まないもの」をメニューに義務付け、廃用を、生活障害として捉えず、筋力低下として捉える新介護予防は不成功に終わるであろう。

介護支援専門員協会と地域ケアマネ会の関係

11/3、職能団体として日本介護支援専門員協会が設立された。しかし、我々地域のケアマネ会は現行、北海道ケアマネ連絡協議会に加入しているものの、この会はそのまま日本介護支援専門員協会の地域支部に移行するわけではない。

当面は道連協は継続され、協会の支部組織も新たに設立され、並存して運営する、ということだ。

なぜこんな状態になったかというと、簡単に言えば会費の問題と絡んでいる。今、地域のケアマネ会は、様々な方法で運営されているが、それは会員の会費で支えられている。その中から道連協に加入している組織は、道への会費も納めている。今度、日本介護支援専門員協会の下部組織となれば、傘下の会員は道だけでなく、全国組織にも会費を納めることになる。

しかしそれだけの負担をして全国協会の会員になるメリットや魅力を地域会員が感じていない点が大きい。確かに職能団体として発言力を高めていこうという意図自体は理解できる。

しかし、全国協会の幹部たちは、地域のケアマネ会が、都道府県連協の下部組織として設立されたわけでなく、各地域で必要に迫られたケアマネたちが、相互に助け合って、制度開始の混乱を切り抜けようと自然発生的に作られたものであることに無関心すぎると感じている。

地域ケアマネ会は、まさに地域で困っている個人個人のケアマネの相談の場であったり、情報交換の場であったり、勉強会の場であったりということを、あまりに置き去りにしていないだろうか。

私自身は地域ケアマネ会の代表を務めているが、このことは決して忘れてはならないと思っている。

ほとんど下部組織への説明の機会がない状態で、果たして個人会員としても、幾人の人がこの協会に加入するのか?また地域会としての対応を求められたとき、選択肢の一つとして、道の組織とも離れて、独自の道を選択する、という対応も今後、視野に入れざるを得ないだろうと考えている。
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