masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

地域・保険者・行政

寝屋川市の理不尽指導に屈しなかった居宅介護支援事業所



このブログでは、介護事業者に対する行政の様々な理不尽指導を取り上げてきた。
※文字リンクをクリックすると、理不尽指導という言葉が出てくるブログ記事が複数まとめて読めます

そして介護事業者に対する運営指導担当者行政職に対しては、「権力や権限に謙虚になってほしい」と呼び掛けるとともに、介護事業者に対しては実地指導担当者等が、「こう言っている」ということは根拠にならず、「こうせよ」・「こうしなければならない」という指導に対しては、ただ諾々と従うのではなく、きちんと指導根拠を確認してほしいと訴えてきた。

同時に法令解釈にもグレーゾーンが存在するため、あまりに行政側の価値観に偏った指導内容であれば、単純に従うのみではなく、場合によっては法律の専門家の手を借りたり、訴訟に踏み切ったりする必要性もあることも指摘してきた。

しかし実際には行政を相手取って、喧嘩を売るような行為にはなかなか踏み切れないという関係者も多く、理不尽な指導に屈して泣き寝入りしている関係者も少なくないと思われる。

そのような状況の中で、介護事業関係者・・・特に居宅介護支援事業所の関係者の皆様に、一筋の希望の光となるような訴訟結果が伝えられている。

問題となったのは居宅介護支援事業所の運営基準のうち、改正されたある条文。
横暴な権力
どの条文を巡って、どのような理不尽指導がされ、それに対してどのように反論したのか。さらになぜ訴訟という方向に至ったのか。そして両者の主張を戦わせた訴訟結果はどうなったのか・・・。

その詳しい内容はここでクドクド文章にして伝えるよりも、それに関わった法律の専門家の方の説明を聴いたほうがわかりやすいと思う。

ということで、僕もチャンネル登録をしている弁護士が教える介護トラブル解決チャンネルの、「あるケアマネ事業所が行政に完全勝訴した話」をご覧いただきたい。

この訴訟結果によって、画像の運営基準改定内容については、重要事項説明書等で書面による説明義務はないということが確定したのである。

これはれっきとした判例である。よって平成30年の基準改正で追加された、「複数事業所の紹介」について、居宅介護支援事業所の重要事項説明書にその内容が記載されていないから基準違反だという運営指導は今後通用しなくなるということである。

同時に運営違反であることの証明責任は、運営指導側にあることが明らかになった。

そして解釈通知はあくまで行政に向けて発出されたもので、国民や裁判所を拘束するものではないという考え方も示された。これは非常に重要な考え方であり、場合によって解釈通知だけを根拠とする行政指導は、必ずしも通用しないということになる。

そうであるからこそ法律の大きな主旨を鑑みたときに、明らかに理不尽と思われる指導に対して、介護事業者は勇気をもって異を唱え、場合によっては法律の専門家の力を借りて戦う必要もあるということを理解しなければならない。

動画の中で外岡弁護士が指摘しているように、人の血が通っていないロボットのような行政指導担当者が、少なからず存在しているのだ。そういう人物がたまたま運営指導担当者で、重箱の隅をつつくような理不尽指導に終始するようなことを許さないという考え方と姿勢が介護事業者にも求められると思う。

同時に、行政の方々も今回の訴訟結果を行政への戒めと受け止めて、運営指導とは優良な介護事業者のあらさがしではないことを念頭に置き、この国の介護が将来にわたってなくならないように、よりよく存在し続けるようサポートするものであることを自覚してほしい。

介護保険サービスが誰のためにあるのか、運営指導が何のために必要なのか・・・この裁判結果が、その根本を考え直すきっかけとなるかもしれない。

そういう意味で、外岡さんが情報提供しているユーチューブチャンネルのこの話題は、外岡さんがタイトルに書いているように、「全国の介護保険課」の行政職員の方々に見ていただきたいものだ。






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軽々しく「介護職負担軽減」って言うな


9/28に行われた、「全世代型社会保障構築会議」で、政府は介護分野について、事業所の行政手続きの「原則デジタル化」を打ち出した。

事業所の指定申請、報酬請求、実地指導(運営指導)に関する書類について、国が定めた全国統一的な標準様式を用いることを、一定の拘束力を持たせた形で自治体などに要請していく。あわせて、今年度下期から段階的に運用を始める「電子申請・届出システム」を書類提出の手段とすることを原則化する。

書類の様式、提出方法などが自治体ごとにバラバラな状況を改め、介護現場の事務の効率化、生産性向上につなげる狙いがあるという。

このため9/29には厚労省から自治体あてに、「電子申請・届出システム」を実際に使っていくことを速やかに導入を要請する通知を発出した。

それに関連して、介護の書類に押印・署名はいらないので、一部の自治体で残っている事業所の指定申請、報酬請求などの押印欄も削除するように求めてもいる。

厚労省は遅くとも2025年度までには、この原則化に実効性を持たせる法令上の措置も講じる方針だそうである。(※ここまでは新聞報道の受け売り・・・。

このことは介護事務の観点から言えば、介護事業者も歓迎すべきことだと思う。介護事務業務のデジタル化の当初は、慣れないシステム運用に戸惑うことがあったとしても、そのシステムが軌道に乗れば、アナログ業務よりずっと時間と労力を掛けずに、業務が流れていくと思う。

それは間違いなく介護事務業務の省力化・業務負担軽減にはつながると考えるし、大いに歓迎されることだとも思う。

介護事業者における事務担当者は、科学的介護情報システム(LIFE)への情報提出のための業務が増え、さらに3種類に増えた処遇改善加算の事務などの業務が加わり、大幅な業務負担増となっている。

にもかかわらず、介護職員ほど待遇は改善されていないという状況もある。そうした事務担当者の方々の負担が少しでも減ることは良いことだ。大いに推進してもらいたいと思う。

・・・がしかし、このことを、「介護職員の負担軽減、勤務環境の改善、人材の確保につなげたい考え。」としている点については異議を唱えたい。
介護事務
なぜ介護事務負担の軽減が、介護職員の業務軽減や環境改善につながるんだ?そんなことはあり得ない。

国は介護事務の負担と、介護職員の業務負担をもっと明確に分けて考えてほしいと思う。

特に介護業務そのものではない、介護職員が担わねばならない事務負担というものにスポットを当てて考えてほしい。

例えば利用者同意の捺印や署名を廃止できたとしても、それを廃止する条件として、支援記録に同意した記録があればよいとするならば、その支援記録は誰が書くのかを考えなければならない。多くの介護事業者では、支援記録は介護職員が担当する記録とされているのだ。

LIFEへの情報提出にしても、入力作業は事務職が行うので、その作業のデジタル化や省力化を進めることは事務職員にとってありがたいことだが、そもそも入力事務担当者に、入力情報を手渡すのは、主に介護職員だ。

ADL情報はBIを測定する機能訓練指導員が事務担当者にデータをまとめて渡すとしても、認知症の状態は、関心・意欲の低下や意思疎通面の状態を情報提出することが求められているので、その情報はリアルタイムに利用者に接する介護職員がまとめて事務担当者に渡すことになる。つまりデータ提出作業がデジタル化されて、その作業が省力化されても、介護職員の負担は減ることにはならないのである。

さらに制度改正・報酬改定の度に新しい加算が増えて、その加算の算定要件をクリアしている証明として、ケアの実施記録が増えている。介護職員の事務作業負担は、書類削減・事務作業省力化の流れの中で、ちっとも減っていないのだ。

厚労省はこの現実をしっかりとらえてほしい。しかし事務作業の削減を、あたかも介護職員の事務作業削減と混同するかのような分析に終始している感がある。

それはまるで事務作業削減で、介護職の業務負担が減っていると自ら思い込んで、自己陶酔しているかのようだ。勘違いも甚だしい。

介護職員の業務を削減し、介護職員が働く環境をよりよくして、介護職を目指す人が増えるためには、今国が行っている事務作業削減方針は、何の意味もないことを理解したうえで、本気で介護職員の間接業務である、「記録」の削減に取り組んでいただきたい。
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行政職員にも頭の不自由な人はいます


介護保険事業を所管する行政職員が、しばしば運営指導と称して介護事業者に口をはさんでくるが、その中には知的レベルに問題があるのではないかと思える、おかしな解釈による指導もある。

先日も、「歴史は繰り返す〜行政担当者の無知と誤解」という記事を書いて紹介した通り、配置規準に無い職種を会議参加させなければ加算算定できないなんて言う、普通に考えればあり得ないような指導をしている保険者があったりする。

そこでも紹介しているが「岡山県のボンクラ指導」については、のちに厚労省からそれは違うという見解が示されるまで、県は頑なに自らの指導内容に固執し、それが誤った考え方だと分かった後には、介護事業者に何の謝罪もなく、そうした指導があった事実さえなかったかのようにそっと当初見解をひっこめた。

つまるところ行政も判断ミスをするが、ミスの責任はとらないということなのである。だからこそ介護事業者も御上にひれ伏すかのような指導を受けて終わりの態度であってはならないと考えるべきである。

そのような中、またもや行政の「とんでも指導」の実態が明らかになっている。

それは感染対策特例としての通所サービスの3%加算に関する指導である。

この加算については、本年2月と3月に限った加算及び4月以降の加算(終期は感染状況をみながら今後示される予定)ともに、加算届を行なえば算定が出きる加算で、利用者同意の必要がない加算である。

そして本年2月分に限っては、「例外として、減少月が令和3年2月である場合には、同年4月1日までに届出を行えば、同年4月サービス提供分より算定可能とする。」という取扱いも、介護保険最新情報Vol.937で示されている。

ところがある通所介護事業者が、2月に利用者数が減少したため、3月に届け出と利用者への説明・同意を得て4月より3%加算を算定するようにしたところ、保険者より「介護支援専門員が利用者に説明・同意を得た後に算定が可能となることから、同意を得た日がその月の2日以降の場合、その月の3%加算は算定できない」と通知されたという。

つまり2月分の算定は4月1日までに、介護支援専門員の説明・同意を得ていない場合は算定できず、この加算は基本最大3か月算定することができるのに、1月目が算定できないために最大2か月の算定しかできないという指導がされているというのだ。

それは令和3年度介護報酬改定Q&A(Vol.1)の問13の疑義解釈において次のように示されていることを根拠にした指導だという。
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3%加算及び規模区分の特例(利用者又はその家族への説明・同意の取得)
問 13. 3%加算や規模区分の特例を適用するにあたり、通所介護事業所等において利用者又はその家族への説明や同意の取得を行う必要はあるか。また、利用者又はその家族への説明や同意の取得が必要な場合、利用者又はその家族への説明を行ったことや、利用者又はその家族から同意を受けたことを記録する必要はあるか。

(答)3%加算や規模区分の特例を適用するにあたっては、通所介護事業所等が利用者又はその家族への説明や同意の取得を行う必要はない。なお、介護支援専門員が居宅サービス計画の原案の内容(サービス内容、サービス単位/金額等)を利用者又はその家族に説明し同意を得ることは必要である。
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しかしこのことを指導根拠として、通所サービスの加算算定に居宅サービス計画作成担当者の同意が必要であると解釈するのはおかしい。この疑義解釈を誤解しているとしか言いようがない。

ここには通所サービス事業者は3%加算を利用者もしくは家族への説明同意は必要なく、届け出さえ行っていれば算定できると示したうえで、居宅サービス計画担当の介護支援専門員は、それとは別に同意を得る必要があるとしている。

しかし介護支援専門員の同意内容とは、通所介護が加算を算定する同意ではなく、「居宅サービス計画の原案の内容」の同意であるとはっきり書かれているのだ。

つまりこの3%加算は区分支給限度額の対象外費用ではあるが、通所介護費は給付管理対象サービスなので、利用票・提供票等に3%加算の費用は反映しなければならないし、区分支給限度額管理の際にこの費用は計算式に入れない等の管理も必要になるため、そうした内容を入れた「居宅サービス計画の原案の内容」の説明同意は必要ですよという意味である。

繰り返しになるが、Q&Aでは担当ケアマネに必要とされる説明同意は、「居宅サービス計画の原案の内容」の説明同意であると書かれている点を理解しなければならない。つまりこの説明同意は。居宅介護支援事業所の運営基準上の説明同意の必要性を示したものなのである。それは通所介護の加算算定に影響を及ぼしてくる問題ではないのだ。

そもそも介護サービス事業所の費用算定が、他事業所の運営基準上の問題で算定できなくなることはないのである。(※それにしてもこんな変な指導をする行政担当者は、居宅サービス計画が償還払いを現物給付化する手段でしかないという根本を知らずに、保険給付の条件と間違っているようにも思う。

そんな屁理屈がまかり通れば、市民税を支払わない市民が一人でもいれば、その間に市役所の職員の給与支払いはできないという論理さえまかり通ることになるのだ。

そんな変な指導を行っている保険者職員の知能検査をしてやりたくなるというものだ。

僕が日ごろ付き合いのある行政職の方は、見識が深く人格も優れた方ばかりなので、こうした指導を行っている行政職員が存在すること自体が信じられない。しかし現にそういう指導に苦しめられている介護事業者が存在するのである。

介護事業者は、明らかに根拠がない・間違っていると思われれる行政指導を受けた場合には、それを無視して加算算定してよいだろう。その費用は決して返戻されない。後々行政指導でいちゃもんがつけられた場合は、都道府県の介護保険審査会にかければよい。必ず介護事業者が勝つ結果は目に見えているのだ。

同時に、このようなおかしな行政指導については、今後1円訴訟も辞さない構えで臨む必要があると思う。負けても裁判費用なんて大したことないし、勝てばその費用は行政負担だ。指導担当者の個人的責任は問えなくとも、行政訴訟の結果、1円でも役所に費用負担が発生したら、その担当者の人事査定に大きく影響してくるので、安易に根拠のない指導は出来なくなる。

介護報酬改定のたびに、おかしな行政指導が横行し、過去には、「静岡騒動」と呼ばれる行政の大暴走も見られた介護保険事業であるからこそ、介護事業者がいつまでも羊のごとく、おとなしく変な行政指導にひれ伏していてもしょうがないと思うのである。

正論は公の場できちんと主張し、白黒をつけてもらった方が良いのではないかと思う。
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インセンティブ交付金が倍に拡充されることが決定される


政府が年末に編成する2020年度予算案で、「保険者機能強化推進交付金」が、現在の2倍となる400億円に拡充されることが確実となった。

保険者機能強化推進交付金とは、通称インセンティブ交付金とも呼ばれるもので、2018年に創設されたものである。現状の予算200億円は、市町村へ190億円、都道府県へ10億円の配分となっており、それは介護予防や自立支援の成果を挙げた自治体に手厚く配分するという、「報酬金」という性格を帯びている。

現在その交付金については、PDCAサイクルの活用による保険者機能の強化、ケアマネジメントの質の向上、多職種連携による地域ケア会議の活性化、介護予防の推進、介護給付適正化事業の推進、要介護状態の維持・改善の度合いなど、都道府県に向けては23項目、市町村に向けては65項目の評価指標に基づいて、毎年評価(ポイント計算)し配分額が決められている。

そのインセンティブ交付金について、今年6月の未来投資会議で、新たな成長戦略のひとつとして強化する方針を打ち出していたところであるが、予算案にそれが盛り込まれたことで、強化策としての予算拡充が確実なものになった。

交付金の目的は、認知症の予防や要介護状態の維持・軽減に成果を挙げること等で、介護予防効果を上げて、介護給付費等の抑制を図るためであるとされているが、本当にそのような自立支援効果が発揮されているのだろうか。

予算財源が潤沢にあるわけではない各自治体としては、当然その交付金はできるだけ多くもらいたいのが本音だから、国の指標に沿った成果を挙げることが目的化される向きがあることは否めない。交付金がもたらす効果に関心を寄せるよりも、交付金を得るためのテクニックにエネルギーが注がれるわけである。

そうであれば、この交付金によってもたらされているものは、自立支援ではなく自立編重の給付抑制策にしか過ぎないのではないのだろうかという疑問が生ずる。

介護保険制度からの卒業という変な言葉が独り歩きして、元気高齢者がもてはやされ、介護サービスをつかわないことに価値があるという方向に住民意識を持っていき、真にサービスを必要とする人が肩身の狭い思いをしていないだろうか・・・。どうもその心配が現実化しているような気がしてならない。その傾向が益々進められていくのが、今回の拡充策ではないだろうか。

拡充された交付金については、地域の高齢者の、「通いの場」の拡充や、その通いの場にリハビリ専門職が関わっているかなどが新たな評価として加わることになっている。ここにはすでに地域支援事業化されている要支援者の通いの場(通所型サービス)の充実も含まれることになるだろう。

そこに自治体のエネルギーが注がれ、高齢者の通いの場が充実されていった先には、要介護1と2の軽介護者と呼ばれる人たちの通所介護も、地域支援事業化されていく可能性が高まる。

来年から団塊の世代の人々が、すべて70歳に達する。まだお元気な方が多い団塊世代の人々であるが、70歳を超えてくると徐々に心身に障害を持つ人が増えてくるだろうし、通所介護を利用する人も増えてくるだろう。

そうなると現在、過当競争気味で顧客確保に苦労している通所介護事業者が多いという状況が好転して、通所介護事業においては顧客確保が現在より容易になるかもしれない。しかしそれは同時に介護給付費の増加につながる問題であり、国としては団塊の世代の人たちが介護サービスを使うことで増加する介護給付費を、少しでも抑えようとすることは目に見えている。それが要介護1と2の通所介護の地域支援事業化に他ならない。

ということで2020年の制度改正・2021年の報酬改定時に、要介護1と2の通所介護が介護給付から外れる可能性は低いと思うが、その次の制度改正もしくは報酬改定時に、そのことは実現されてしまうのではないかと危惧しているところだ。

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車社会の傲慢・室蘭市水道部のケースについて


兵庫県明石市の介護付き有料老人ホームで、入居者の90代男性が居室で「孤独死」していたというニュースが流れている。

5/22に宿直の担当職員が「最近男性の姿を見ていない」ことに気が付いて居室に入ったところ、男性が倒れていたとのことで、医師の検案では死亡推定日は10日とされいることから、死体は12日間誰にも気づかれずに放置されていたことになる。

男性は自立しており、自室で調理し、室内の清掃サービスも利用していなかったそうであるから、日ごろ姿を見かけないのも不自然と思われなかったのだろう。

介護付き有料老人ホームということは、「特定施設」の指定を受けた有料老人ホームであろうと思われるが、自立の人が利用することはよくあることで、この場合、特定施設入所者生活介護のサービスは受けずに、住居としての有料老人ホームだけを利用することになるので、施設側に見守り義務もない。

亡くなった男性利用者は、今月上旬に面会した家族に体調不良を訴えたため、家族がスタッフに見守りを求めていたが、施設側は部屋を訪れるなどの安否確認をしていなかったと報道されている。しかし安否確認を煩わしいと拒否する人もいるので、この報道だけで施設側の対応に問題があったとは言えないだろう。

今後こうしたことを防ぐ手立てがあるとすれば、自立して介護サービスが必要ではない人であっても、安否確認を行うという入所契約を交わすしかないのかもしれない。

どちらにしても超高齢社会で、死亡者数が増え続ける中で、高齢者の暮らしの場が多様化していることを考えたときに、隣人の存在を死臭で気がつくという社会にならないためにはどうしたらよいのかということを真剣に考えなければならない。社会や隣人と高齢者のつながりが切れないように、日ごろから関わりを持つ方法を模索しなければならないのだろうと思う。

そんなことを考えさせられた朝である。

さて話は変わるが北海道もやっと温かい日が多くなり、ウオーキング日和の日が増えてきた。

日ごろ運動不足の僕としては、快適な天候の日にはなるべく歩くようにしている。目標時間は1日最低2時間である。

それだけの時間歩くのだから、飽きないように景色も大事である。だから景色の変化がない周回コースなどは避けて、日によっていろいろなルートを歩いている。

車の通らない散策道もあるにはあるが、そこはどうも苦手である。というのも、そういう道はたいてい犬を連れて散歩している人がいるからである。しっかりリードを握って歩いているとはいえ、すれ違う際に犬が自分の方に近づいてきて、びっくりするときがある。飼い主にすれば、別に危害を加える心配もないということだろうが、近づかれる方はそんなことはわからない。しかしいちいち文句を言うのもはばかられるので、そういう道は歩かず、犬がいても相当の距離を取れる広い道を歩きたいと思ってしまうわけである。

当然そうなると、一般道を歩くということになるわけだから、信号待ちなどもあることになる。それはそれで休憩になってよいのである。

だからこそ車には十分注意が必要である。特に最近は、高齢者の運転ミスによる信じられないような事故も起こっているので、信号が青で横断歩道を渡る際にも、左右に気を付けている状態である。
(※介護認定審査会で審査する調査票の特記事項にも、運転をやめるように促しても言うことを聞いてくれないなど、認知機能が低下しても運転を続けるケースを指摘する内容が増えている。)

しかし歩行者としての視点から見れば、実に傍若無人のドライバーが多いことに気が付く。歩道の奥から車道に出ようとする車で、車道の前で一時停止する際に、歩道を横切っている歩行者の存在を無視して、歩行者の前にいきなり飛び出してくる車がある。歩行者は勝手に車をよけて歩くだろうと思っているのだろう。そんな風にして歩道をふさぐように前に出てくるドライバーが実に多い。

横断歩道を渡っているときに、右折車が自分に近づくまでスピードを落とさず接近して、急ブレーキで止まることもしばしばである。

もう少し歩行者の存在を意識して優しい運転をしてほしいと思ったりするとともに、自分自身の運転にも気を付けようと思ったりしている。

歩行者を無視していると言えば、歩道を駐車場代わりに使っている車も多く、歩けない歩道という状態になっていることもある。
室蘭市職員の迷惑駐車
上の画像のように歩道と歩道の間に車を駐車して、歩行者はいったん車道に出て迂回しないと歩道に戻れなくなっている場所もある。

画像の場所は、室蘭市高砂町から中島町に向かう幹線道路の一つで、交通量も多い径である。撮影したのは昨日(5/29)午前10時頃であるが、歩道を通れなくしているのは、「室蘭市水道部」の公用車である。この車の近くに、作業着を着た二人の市職員が立っており、話をしているのであるが、車が邪魔になって歩行者が何人も迂回して通っている姿を見ているのに、車をどかそうともせずに、世間話に興じている。室蘭市の看板を背負っているのを何と思っているのか聴きたくなる。

あまりの傍若無人ぶりだったので、邪魔だと声をかけても知らぬ顔をしていたので、スマホを取り出して撮影しようとしたら、すかさず一人が車に乗り込んだという場面だ。全くひどいものである。

公務員がこんな状態だから、一般の民間人にモラルを求めても無駄なのかもしれないと考えてしまう。

室蘭市水道部の職員さん、少しは恥を知りなさい。

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市町村もつらいよな。


介護報酬改定・基準改正等への対応で、昨年度末から今日まで介護事業者の担当者は大変な思いをしたと拝察する。

しかし大変なのは介護事業者ばかりではない。市町村の職員も、介護関連事業の対応に追われて大変な思いをしておられる人が多いのではないだろうか。

なぜなら地域包括ケアシステムの構築と深化が求めらられている中で、市町村の責務が増えており、新しく市町村の義務とされた対策等について、2018年4月から発動するものが数多くあるからだ。

例えば認知症総合支援事業のメニューの一つとなっている、「認知症初期集中支援チーム」について、2018年4月から、すべての市町村に設置が義務付けられている。

また地域支援事業の包括的支援事業の一つである、「生活支援体制整備事業」も2018年4月からスタートするため、各市町村は地域課題を発見し、解決策を図るための「協議体」を設置しねければならない。この協議体には、生活支援コーディネーター(地域支え合い推進員)を配置し、かつ「地域住民の代表(町内会やボランティア団体等)」なども加えるビジョンが示されている。

さらに在宅医療・介護連携推進事業としての8事業が、2018年4月から全市町村でスタートする。その事業内容は下記のとおりである。

(ア)地域の医療・介護の資源の把握
地域の医療機関や介護事業所の連絡先や機能等の情報収集を行い、リストやマップなどで共有・活用できるようにする。
(イ)在宅医療・介護連携の課題の抽出と対応策
地域の医療・介護関係者等が参画する会議を開催し在宅医療・介護連携の現状を把握・共有しながら課題の抽出、対応策を検討する。
(ウ)切れ目のない在宅医療と在宅介護の提供体制の構築
地域の医療・介護関係者の協力を得ながら、切れ目ない在宅医療サービス体制の構築を目指した取り組みを行う。
(エ)在宅医療・介護関係者の情報共有支援
手順等を含めた情報共有のツールやルール作りなど、それぞれの場面で医療・介護関係者間の情報が共有できるよう支援する。
(オ)在宅医療・介護関係者に関する相談支援
 医療・介護関係者の連携を支援するコディネーターを配置し、在宅医療・介護連携に関する相談に応ずる。
(カ)医療・介護関係者の研修
地域の医療・介護関係者が連携を図れるよう多職種でのグループワーク等の研修を行います。また、医療・介護の相互理解がすすむよう研修会等を行う。
(キ)地域住民への普及啓発
地域住民を対象にしたシンポジウムや講演会の開催や、資源マップやパンフレット、HPを利用し、地域住民の在宅医療・介護サービスに関する理解を促進する。
(ク)在宅医療・介護連携に関する関係市区町村の連携
複数の関係市区町村等が連携して、広域連携が必要な事項について検討する。

こんなふうにして市町村の業務も大幅に増えているわけだ。その事業がスムースに実施できるように、関係者もできる範囲で協力していかねばならない。当然そこでは所属事業所という枠を超えた多職種連携が求められてくるわけであるが、その旗振り役の市町村職員自身が、縦割り行政にがんじがらめにされて、身動きが取れないのでは、連携など絵に描いた餅にならざるを得ない。

どちらにしても地域包括ケアシステムは、市町村に下駄を預ける部分が多くなるという意味なのだから、地域間格差は確実に大きくなるので、市町村行政職員の覚悟と仕事ぶりで、地域住民の暮らしの質が左右されることを忘れてはならない。

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日本在宅医学会第20回記念大会(講師・シンポジスト)報告


世間はゴールデンウイーク真っ最中だが、僕は土曜日から品川に滞在し、昨日と今日グランドプリンスホテル新高輪 国際館パミールで行われている、「日本在宅医学会第20回記念大会」に参加している。

この大会には全国の医療関係者、福祉・介護関係者、行政関係者2800人が参加している。シンポジウムやセミナー等は10カ所に分かれた会場で同時進行し、参加者はそれぞれ希望する会場を自由に渡り歩くスタイルだ。

僕は昨日の午前中にシンポジストとして登壇し、介護施設での看取り介護の実際や、その際における相談援助職や介護職員の役割、実際にしていることなどをお話しした後、ほかの3人のシンポジスト(医師2名、厚労省医療課長)と、多死社会における医療・介護連携と終末期援助の在り方について討議した。

そのあと午後から職域横断セミナーの基調講演として「死を語ることは愛を語ること」をテーマに、介護施設での見取り介護で生まれる様々な物語とその意味を中心に語り、看取り介護とは死の瞬間をいかに看取るかというだけではなく、そこまで生き続ける対象者の暮らしにいかに寄り添うかという過程が重要であることを、具体例を示しながら語ってきた。

日本在宅医学会
この学会は在宅医学会ということで、医療関係者が参加者の多数を占めていることから、13:30〜行われた僕の基調講演の会場には、参加者が少ないのではないかと心配していたが、予想を超えて会場がほぼ満席に埋まる盛況ぶりだった。

しかも受講者は福祉・介護関係者だけではなく、在宅ターミナルケアにかかわっている医師や看護師さんも多数おられた。

うれしいことに質疑応答では、在宅医療にかかわっている医師の方から、「質問ではなく感想として、大変すばらしい実践の報告に感動した。自分のモチベーションも上がった」という意見もいただいた。

会場では顔見知りの方も幾人かおられた。かねてより知り合いの方で、何年かぶりにお会いする人もいて懐かしかった。その中には僕が施設長をつとめていた社会福祉法人の母体医療法人に勤めていた懐かしい顔もあった。北海道からもたくさんの関係者が参加していた。

新しくつながることができた人もたくさんおられた。その一人であるシンポジストの司会を務めたS先生は、長崎市で在宅医療にも力を入れている内科病院を経営しておられるそうであるが、特養も経営しているとのことで、僕の話を聞いてぜひその特養の職員にも話を聞かせたいとして、7月に同市で講演を行う依頼を受けた。講師業を中心に個人営業で飯を食っている僕としては大変ありがたい話である。喜んでお受けさせていただいた。

このほか道内や青森、東京、福岡などからも講演を行ってほしいという話をいただいたので、ぜひ具体化してほしいと思っている。全国どこでも駆け付けますよ。

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今回の旅は、sarfaceを新規購入して初の旅となった。やはり使い勝手がよくて便利である。こんなふうに羽田空港の「さくらラウンジ」で、この記事を更新しているが、家の書斎でPC作業をしているのと同じで、まったくストレスがない。

そうであるにもかかわらず重量が結構軽いので、スーツケース(キャリーバッグ)で持ち歩く必要はないので、今後の夏の移動なら2泊くらいまで薄いビジネスバッグを片手に一つ持つだけで移動できそうだ。手荷物の大きさと重さが減ることは、旅の多い僕にとってこのことはとても重要なことである。今後の旅がますます楽しくなる。

それにしても、看取り介護は今後、あらゆる場所で求められていくが、看取り介護とは何か、どういう状態を看取り介護というのかは、まだまだ理解されていない部分が多い。それは死の瞬間をいかに支えるかに限るものではなく、死に行く過程までの「生きるを支える介護」である。その中で看取られるものと看取るものとの間に、様々な物語を紡ぎ、命のバトンリレーを行うことであり、看取り介護加算・ターミナルケア加算を算定していること=看取っている、ということにはならない。

こうした正しい知識を示し、職員の使命感と感動につながり、モチベーションがアップする看取り介護の方法論を示す「看取り介護セミナー」をご用命の方は、是非お気軽にメール等で連絡していただきたい。職員の定着率アップにもつながる、真実の看取り介護を伝授します。

いきなりの連絡も何ら失礼ではないので、遠慮なさらずに一度打診していただきたい。それでは全国の皆様からの連絡をお待ちしております。

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ローカルルールに物申す姿勢がなければ・・・。


介護保険制度は、介護保険法に基づいた制度ではあるが、その解釈や運用の一部については、管轄の地域行政担当課の判断によることがある。いわゆるローカルルールという問題である。

様々な地域事情があり、住民ニーズも地域によって異なるので、ある意味そうしたローカルな判断とルールは必要な場合もある。

例えば「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準」(平成十一年三月三十一日厚生省令第三十八号)の第13条21項で「介護支援専門員は、居宅サービス計画に短期入所生活介護又は短期入所療養介護を位置付ける場合にあっては、利用者の居宅における自立した日常生活の維持に十分に留意するものとし、利用者の心身の状況等を勘案して特に必要と認められる場合を除き、短期入所生活介護及び短期入所療養介護を利用する日数が要介護認定の有効期間のおおむね半数を超えないようにしなければならない。」とされているが、ここでいう概ねの範囲は、地域のショートステイ資源状況や、その他のサービスとの兼ね合いで、地域行政がその範囲をローカルルールとして定めおくことは有りだろう。

だからと言って地域行政のローカルルールをすべて受け入れるのではなく、地域住民のニーズに合致していないルールや、サービス事業者にとって著しく不利益をもたらすルールについては、ソーシャルアクションの一環として物申し、変える提言をしていくことが必要な時がある。

悪法にも諾々と従うだけの態度は、傲慢な行政をのさばらせるだけだ。悪法だからといって守らなくてよいということにはならないが、守ったうえで、改善のアクションを起こすのは市民の権利であり義務である。

介護保険制度上の運用ルールで言えば、その事業に携わる専門家の責任と義務において、間違ったローカルルールには物申していくのが筋である。このことを決して忘れてはならない。

表の掲示板で、居宅介護支援事業所のモニタリング減算についての質問があった。

リセットルールを使ったショートの連続利用においては、ショートステイ事業所での滞在期間が1月を超える場合がある。そのためある一定期間は自宅に利用者がいないことになるために、担当ケアマネジャーの義務として定められている月1回の自宅訪問時のモニタリングができないことになる。

運営基準減算に該当した場合、当該者の基本単位数の5割を減算し、減算状態が2か月以上継続している場合、2ヶ月目より所定単位数を 算定しないというルールになっているため、ショート利用中は、この減算に該当するのかという質問である。

しかし法令で定められたリセットルール等を使って、ショートステイを長期間利用することは認められていることであり、その期間は利用者が家にいないのであるから、利用者宅訪問による面接とモニタリングは物理的に不可能である。よってこの場合は、減算対象とされない「特段の事情」に該当するとして、通常の居宅介護支援費が算定できるという解釈がされており、ほぼその通りのルールで運用されてきている。

しかるにある関係者から、当該スレッドのコメントとして、これにもローカルルールがあって、例えば以下のようなルールで運用されているというコメントがあった。

・「緊急的に長期間の短期入所が必要となった月は減算なし、翌月以降も短期入所を継続して利用して自宅に帰れない場合は保険者に相談」
・「短期入所を1ヶ月通じて利用をした1ヶ月目は減算なし、2ヶ月目は減算が必要」
・「そのような状況になったら、保険者に申請書や届出を提出して了承をもらうようにする」


もともと法令上で認められているショートの連続利用であり、そのルールを踏襲している限りにおいて、保険者に確認も届け出も必要とされない。これに緊急も計画的な場合も扱いの違いはない。そういう意味ではずいぶん勝手なローカルルールが横行しているといえるわけであるし、そういうルールを作る保険者担当者の頭はかなりいかれているとしか思えない。

そしてこうしたルールがあるという事実があるとしても、それに諾々と従うだけで何のアクションも起こしていない当該地域の関係者は、いったい何をしているのかといいたいところだ。

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根拠なきローカルルールでどんな地域社会ができるというのか


僕が管理する、介護福祉情報掲示板では、介護保険制度に関する質問がたくさん書き込まれており、それに対して関係者が回答してくださっているが、その際には、「根拠」に基づいた回答を書き込んでいただくようにお願いしている。

その根拠とは、法令に沿ったものである必要があり、「行政指導担当者が、こう言っていた。」は根拠にならないと指摘している。

しかしながらこうした正論が通じないのが、ローカルルールである。

介護保険給付費は国定費用であり、その算定に関する基本ルールは国が定めているが、地域の実情に合わせて、国のルールに加えて地域ルールを独自に定めている地域がある。

その場合のローカルルールとは、国のルールより厳しく狭い制限ルールとしている場合が多いように思う。

例えばつい最近、訪問看護と訪問リハ同日利用というタイトルでスレ立てされたものに、訪問看護の複数事業者からのサービス提供の問題がある。

スレ立ての質問では、「同日の午前にA訪問看護ステーションから訪問看護を1時間、午後にB訪問看護ステーションから訪問リハを40分受けることは出来ないとケアマネから言われました。」という質問から始まっている。本当にそれは許されないのか、許されないとしたらどうしてかという疑問である。

この質問に対して僕は、「医師の指示があれば、複数の事業者の利用も可能であり、複数事業所からの訪問看護とリハビリの同日利用も可能です。」と回答した。

その後も他の方々からこの問題について、医療保険訪問看護に存在する制限ルールは、介護保険訪問看護には存在しないことなどが説明されている。

ここまでは一般市民の質問に、介護業界の人が根拠を元に説明している普通の展開である。答えも問題なく、そのまま問題解決となってスレッドが閉じられても良い。

しかしこのことについて、質問者が介護保険担当課に念のため確認したところ、次のような回答があったとの情報提供があり、逆に問題は複雑化している。

出来れば一か所の訪問看護ステーションからが望ましい。病院施設の訪問リハステーションからであれば問題は無い。複数の訪問看護ステーションからはプラン上に相当の理由があれば認められる。先ずはケアマネから文書で問い合わせしてください。文書でお答えします。実績であげた場合、却下で自費にはならないが、相当しくないと指導が入る場合があります。

まったくもってくだらないローカルルールである。そもそも複数の訪問看護ステーションの利用の必要性は、ケアマネジメントで判断すべき問題で、行政許可が必要になる問題ではない。

そもそも訪問看護からのセラピストによる自宅でのリハビリテーションは、訪問リハビリ事業者が少ない地域で、それに替わって行われるケースが多いもので、すべての訪問看護ステーションで対応できるサービスではない。よってこの部分のサービスとの組み合わせを考えるケースでは、主治医師が所属する医療機関併設の訪問看護ステーションでリハビリ以外の訪問看護を担当し、そのステーションではカバーしきれないセラピストによる訪問看護という名のリハビリテーション部分については、そのサービスに余力を持っている他のステーションのサービスを導入するということはレアケースでもなんでもなく行われている。

その際に、特段介護事情に精通しているわけでもない行政職員に、事前許可を求める必要性はまったくないといってよい。

その必要性を判断する方法・技法とは、介護支援専門員という有資格者が行うケアマネジメントという専門技術であり、その結果について何の根拠を持って医療や介護の素人である行政職員が、「許可・不許可」と判断するのだろうか。それともすべてのケースについて、ケアプラン適正化事業を適用するとでも言うのだろうか。なんとも暇な行政職員である。

そういえば先日、シンポジストとして参加したシンポジウムでも、利用者支援の際に、「この地域では、暫定プランを作成する際に、必ず予防プランと介護プランの両方の作成を求められるが、それがケアマネの負担になっている」という話を聴いた。

これもおかしい。国のルールでは、暫定プラン(つまり要介護認定結果が出ていない状態で、居宅サービス計画を作成しなければならない際の、居宅サービス計画)については、予防もしくは介護のどちらかの予測されるほうの計画書を作成しておればよく、予測が外れた場合は、遡ってセルフプラン扱いとして現物給付してよいというルールだ。

こんな問題に、国のルール以上の業務負担をケアマネに課したって、ケアマネジメントの質が上がるわけでもあるまい。根拠のない「こうしたほうが良い」という行政側の価値観で、勝手にルールが変えられて、ケアマネの業務負担だけが増えるルールだ。その負担を回避して暫定プランでのサービス利用を抑える傾向ともなれば、それは利用者のデメリットであり、すなわち地域住民のデメリットを増やしているに過ぎない結果となる。そんな簡単な理屈も分からない行政職は、制限するという権力によっているとしか思えない。

そんなふうにして裁量というものを「狭い了見」と勘違いしている行政職員が多すぎないか。

そもそも地域の専門職を信用しないような制限ルールで、一体どんな地域を創ろうとしているんだ。介護の専門職を信用しないようなルールを押し付けて、職域横断の多職種連携など構築できるわけがないではないか。

こうしたローカルルールが、地域包括ケアシステムを形骸化させることに気がつかないのはなぜだろうか。

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千歳市で行われている根拠のない集団指導


僕が現在勤めている施設は、北海道の玄関口でもある新千歳空港のある、「千歳市」に所在している。

僕はこの4月から、この土地に通いはじめているに過ぎないため、まだ千歳市がどのようなところなのかを十分把握しているわけでもないし、千歳市の介護保険制度運営に関しても、よくわかっていないことが多い。

ところで先日、ある介護支援専門員の方から、千歳市の居宅介護支援事業所に対する道の集団指導内容を聞いて、おかしな指導をしているなと感じた事がある。

それは居宅サービス計画書の、軽微変更に関することである。

軽微変更ルールについては、老企22号と老企29号に次のような解釈が示されている。

(老企22号)利用者の希望による軽微な変更(サービス提供日時の変更等)を行う場合には、この必要はないものとする。ただし、この場合においても、介護支援専門員が、利用者の解決すべき課題の変化に留意することが重要であることは、同条第12号(居宅サービス計画の実施状況等の把握及び評価等)に規定したとおりであるので念のため申し添える

(老企29号)介護サービス計画の一部を変更する都度、別葉を使用して記載するものとする。但し、サービス内容への具体的な影響がほとんど認められないような軽微な変更については、当該変更記録の箇所の冒頭に変更時点を明記しつつ、同一用紙に継続して記載することができるものとする

つまり居宅サービス計画の変更に際して、それが軽微変更に該当する場合、あらたに居宅サービス計画書を作り直す必要はなく(※軽微変更に該当しない場合は、別葉を使用して記載する必要あり)、かつその変更が利用者の希望による場合、アセスメント〜サービス担当者会議などの一連の過程を経る必要もなく、担当ケアマネの判断のみで変更できるものである。

よって日ごろから忙しい居宅介護支援事業所の介護支援専門員にとって、居宅サービス計画書の変更が、軽微変更に該当するか否かということは、結構大きな問題でもある。

ところが千歳市の道の集団指導では、利用者の費用負担およびサービス事業所の請求単位の変更がある場合は、軽微変更とは認められないとされているらしい。

この指導は、根拠のないおかしな指導といわざるを得ない。

そもそも軽微変更に当たるか否かは、本来、行政が杓子行儀に線引きする問題ではなく、個々のケースごとに、「サービス内容への具体的な影響があるかないか」を判断すべきものである。これは計画作成者たる介護支援専門員自身が判断できるものとされている。しかしながら過去のケースでは、しばしば介護支援専門員による不適切な拡大解釈が見られたことから、ある程度、行政が関与して指導することは必要とされていた。

しかし軽微変更の基準は、都道府県もしくは市町村間で著しい判断格差があっては困るということで、前記の2つの解釈通知に加え、厚生労働省老健局介護保険計画課長通知(介護保険最新情報Vol.155)「介護保険制度に係る書類・事務手続の見直し」に関するご意見の対応について、が発出され、ここの3〜4ページに、軽微変更に該当する事例が示されている。(リンク先を参照願いたい。)

この事例の中で、「サービス利用回数の増減」や「福祉用具の用具変更」という形で、利用者負担額や事業者請求単位が変更となる事例も軽微変更となることが示されているところであり、こうした指導が事実だとしたら、それは全く根拠がないボンクラ指導であるということができる。

そもそも軽微変更とは何かという根本の部分を、行政職員は考えているのだろうか。

お金=重要課題、というのはあまりにお役人的発想である。

軽微変更の根本は、老企29号で示した考え方であり、それは「サービス内容への具体的な影響がほとんど認められない」というケースなのである。

請求単位が月10.000円変更になっても、自己負担額が月1.000円増えても、サービス内容に影響がないケースはたくさんあるだろう。

事の本質に目を向けないで、金銭にこだわるのは、お役人の性(さが)なのだろうか。
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縦割りがシステムであると勘違いしている人々


介護保険法の中に、施設入所者の住所をどこに定めるかという規定はない。

しかし特養の場合は、措置時代からの規定に基づいて、原則特養に利用者の住所を定めるのが原則とされている。その根拠は、とても古い通知であるが、昭和47年3月31日付け国民健康保険課長通知「住所の取扱いについて」である。

1(3)児童福祉施設以外の社会福祉施設に入所する者の場合
 それらの施設に、将来に向かって1年以上居住することが当該施設の長によって認められる場合(文書によることを要しない。)を除き、原則として家族の居住地に住所がある。ただし、老人福祉施設に入所する者については、通常当該施設に1年以上居住することが予想されそこに住所があると考えられるので、当該施設の長の認定は必要がないこと。


↑これに基づき特養は1年以上居住することが当然予想されるので、原則施設に住所を移すというふうに取り扱われてきている

ただしこれはあくまで原則であって、特養利用者の住所を施設に定めおくような積極的な指導が行われているわけではないので、もともとの住所地など特養以外に住所を置いている利用者は、実際には存在するわけである。しかしその数は少なく、特養に住民票を移動している人の方が多いと思われる。

一方、老健や介護療養型医療施設は、居所ではないと考えられており、そこに住所を移すということは行われないのが通常の取り扱いだ。ほかにまったく住所を置く場所なない場合に限って、例外的に住民票を施設に移すことがあっても、それは極めて異例な取り扱いとされているものと思える。

そのため老健施設の入所者については、老健の住所地以外の市町村に居所を置きながら、老健を利用している人が珍しくない。よって行政手続きも、施設所在地のみならず、広域的な対応が必要となり、老健の相談援助職員は、顔見知りではない遠隔地の行政職員とやり取りをする場面が、特養よりははるかに多くなる。

そのため老健の相談援助職員は、各地のローカルルールや、その市町村独自の考え方にに触れる機会が多く、時にはその対応に戸惑うことが多いともいえる。

先日道内のとある行政機関から、生活保護の「保護券」の発行に関わる連絡があり、介護保険証が更新された場合、その写しがないと新たな保護券が発行できないので、写しを送ってほしいという依頼があった。

その依頼自体は特段の問題となるものではなく、写しを送ることも別段手間ではないが、たまたまその利用者の保険証は、更新手続き中で、認定が下りたという連絡はあったが、保険証はまだ送られてきておらず、保険者の発行を待っているところだった。

ということは、その保険証が送られてくるのを待って写しをとり、生活保護担当課に送るより、問い合わせのあった行政機関の同じ庁内なのだから、保護課から介護保険課に問い合わせて処理することはできないのかと尋ねた。するとそういうシステムはないので、できないとあっさり断られた。

こうしたことでいちいち腹を立てたり、ごねたりするのは時間の無駄なので、そうですかということで、その後その行政機関の介護保険課から送られてきた保険証をコピーして、FAXで同じ行政機関の生活保護課に送ったが、何とも無駄なことをしているなと感じたものである。

介護保険制度を持続するために、求められている地域包括ケアシステムの構築には、多職種協働の取り組みが不可欠で、それを推進する役割りを持つのが、各市町村の地域包括ケアセンターであると思うが、それは一部門の取り組みで終わるわけがなく、地域全体でそのシステムの構築に協力して取り組んでいかなければならない。

その中で旗振り役の地域行政は、他職種協働の連携体制の構築のために、行政組織を挙げて取り組んでいく必要があり、「先ず隗より始めよ」ということから鑑みると、行政組織の縦割り行政を打ち破った取り組みが求められるのではないだろうか。

そんな時代に、このような杓子行儀な対応に終始し、縦割りの対応が住民の不利益ではないかと考えることもなく、システムとして当たり前に考え、自分の視野範囲の中だけで、淡々と事務的処理に終始する行政職員が存在することにうすら寒さを覚えたりする。

地域包括ケアシステムは、システムだけでは運用できず、多様な職種の連携が求められ、そこにおける他職種連携は、システムではなく人間関係が基盤になる。そうした中でその旗振り役が、いつまでも縦割りである限り、このシステムの運用はうまくいかないだろう。

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千歳の繋がりをぼちぼち創っていきます


介護施設の業務は、介護施設の中だけで完結するものではなく、地域の中に入って活動しなければならないことも多い。

特にソーシャルワーカーは、その役割として、地域社会全体を舞台にしたアクションが求められており、地域包括ケアシステムの一翼を担うために、様々な機関の人たちとの横の連携の基盤となる関係作りや、地域住民への啓蒙活動にも積極的に取り組む必要がある。

僕の場合は、職場での肩書きは事務次長だが、ソーシャルワーカーとしての責務も担っているので、そうした地域活動も視野に入れておく必要がある。

とは言っても、4月から職場が変わって、新しいことを覚えることで精一杯の状態で、とてもではないが、地域に出て行って活動することは難しかった。しかしいつまでも新人気取りではいれないので、ぼちぼち千歳市内のいろいろな活動に参加しようと思っている。

その一つには、千歳市内の介護支援専門員の職能団体に所属して、市内で活躍する介護支援専門員の皆さんとの繋がりを作ることである。そのため先日年会費を支払って、「千歳市ケアマネジャーの会」に入会させていただいた。

その最初の活動は、今月22日の総会後に行われる記念講演会を受講することで、講師は日本介護支援専門員協会・常任理事の笠松さん。テーマは、「災害に強い地域包括ケアシステム〜防災とケアマネジャー」で、先日の熊本地震に際して、現地支援に従事した経験談を聴くことができる。とても興味深い内容であり楽しみである。

それにもまして当日は、笠松さんや、ファシリテーターを務める、村山北海道介護支援専門員協会会長も参加する懇親会があるのが楽しみだ。もしかしたらそちらが一番の目的かもしれない。笠松さんや、村山さんには、以前からお世話になっているので、今後のご指導とご鞭撻をお願いしながら、楽しく呑んできたい。

もう一つ別な地域活動が控えている。

それは現在僕が所属している老健施設・クリアコートの地域活動である。とりあえず明日、千歳市内の「勇舞ホール」という場所で、午後1時から60分間、「認知症の理解」に関する講演を行う。

この講演は、クリアコート千歳が月1回主催している、「認知症予防サロン すっきりクリア」の中で行うものだ。このサロンは、クリアコートのリハビリ部門が担当しており、一般市民の方が対象となって、認知症予防に関する様々な活動をしている。

僕は前回、認知症リハビリの実践講座に参加させていただき、一般参加者の皆様と一緒に、作品作りを行ったが、今回は講師役となり、「愛を積む〜認知症の人とともに歩む介護」をテーマにした講演を行う。その講演のファイルの一つが下記である。

無題
僕の著作分に書いたケースを紹介して、愛情の成せる業ということを考えていただきたいと思う。

もちろん認知症の方を支援するに関しては、認知症の基礎知識・専門知識は必要だが、人が人に相対する以上、知識や技術だけではどうしようもないことがあることも事実であり、そこで必要とされるのは、人として人を敬い、真摯に関わるということだ。

そこに愛情という名の、一片のエッセンスが加われば、変えられるものがあると思う。後はそこに僕たちが理論付けすればよいだけの話である。

そういう意味で、ここで紹介するケースは、僕たちが目指そうとするケアそのものなのかもしれない。そうした説明をしたいと思っている。

今から参加を希望する人は、クリアコート0123-27-3232までお問い合わせいただきたい。

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権力や権限に謙虚になってほしい


介護保険制度の運用では、しばしばローカルルールが影響することがある。

ローカルルールの存在は国も認めているところで、その意味は法律の運用上の解釈の大枠は国が示すが、地域の実情に応じた弾力的運用が必要な部分があり、それは地域の事情に精通した都道府県なり、市町村が判断すべきであるという意味である。

北海道の場合、この部分でおかしな判断はあまりないような気がする。道民及び道内事業者が、おかしなローカルルールを押し付けられて困ったという声をあまり聞くことはない。

しかし他県の状況を見ると、かつての「静岡騒動」や、「岡山のぼんくら指導」のような理不尽ルールをまかり通らせようとする地方役人が存在する。

このことに関して11/13に開催された、平成27年度指導監査対応室「全国担当者会議」において、厚生労働省老健局総務課介護保険指導室長の遠藤征也氏が、「指導監査のローカルルールに関しては非常に気にしている。残念ながら私たちの指導が行き届いていないことを、この場を借りてお詫びしたい」と述べ、、「指導監査職員研修では、事業者と行政がパートナーシップを結ばなければ、サービスの質の向上にはつながらないと強調して言っている。皆さんも地域の自治体職員と意見交換をしながら、お互いに目指すべきものや介護保険の本当の目的などについての意識を共有していただきたい」と訴えた。

小権力を握った地方行政職員の横暴な指導に対する嘆きの声と言ってよいと思う。しかしその声を、しっかりと地方行政職員にも届けてほしいと思うのは、僕だけではあるまい。

昨日も表の掲示板のスレッドには、「居宅サービス計画書にも通所介護利用時の送迎を明記するように」という指導を、通所介護事業者が受けたという情報が寄せられた。

しかしこれは筋違いである。居宅サービス計画上の記載漏れがあるとすれば、それは居宅介護支援事業所に対する指導として行われるべきで、居宅サービス計画作成に対して、何の権限も持たない通所介護事業所にそんな指導をしても、居宅介護事業所の担当介護支援専門が、「それは通所言介護事業所の計画に記載すべきことで、居宅サービス計画にそんなことを書く必要はない」と突き放されてしまえばそれまでである。

よってそんな指導を通所介護事業所に行うこと自体が大きな勘違いだ。

そもそもその指導内容は、正しいのだろうか。

通所介護の送迎費用は、基本報酬に包括化され、送迎を行わない場合の減算ルールが設けられた。それに関するQ&Aでは、「送迎減算の有無に関しては、個別サービス計画上、送迎が往復か片道かを位置付けさせた上で、実際の送迎の有無を確認の上、送迎を行っていなければ減算となる。」とされている。

ここでいう、「個別サービス計画」とは何か?それは明らかにサービスの処方を示すものだから、「通所介護計画」にほかならない。そしてなぜここで、通所介護計画と書かずに、個別サービス計画と書いているかと言えば、それはこのQ&Aが、通所介護と通所リハビリに共通するものだから、全体計画である居宅サービス計画に対して、通所介護計画と通所リハビリ計画が、「個別サービス計画」と表現されているという意味である。

このことは法令からも読み取れることで、「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準」13条8において、「〜利用者及びその家族の生活に対する意向、総合的な援助の方針、生活全般の解決すべき課題、提供されるサービスの目標及びその達成時期、サービスの種類、内容及び利用料並びにサービスを提供する上での留意事項等を記載した居宅サービス計画の原案を作成しなければならない。」とされている。そしてここでいうサービスの内容とは、老企29号で『 「短期目標」の達成に必要であって最適なサービスの内容とその方針を明らかにし、適切・簡潔に記載する。』とされているのだ。その内容を読めば、送迎の有無やその方法などの詳細な計画ではないことは一目瞭然である。

一方で通所介護計画については、「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」第九十九条 において、「指定通所介護事業所の管理者は、利用者の心身の状況、希望及びその置かれている環境を踏まえて、機能訓練等の目標、当該目標を達成するための具体的なサービスの内容等を記載した通所介護計画を作成しなければならない。」とされているのだから、「具体的な方法」として、送迎の有無や送迎方法を記載することになるものである。

勿論、通所介護計画は、居宅サービス計画が立てられている場合は、その内容に沿って作成する必要があるが、居宅サービス計画の総合的援助方針に沿った内容に通所介護計画の内容がなっておればよいだけの話で、サービスの処方である、細部の送迎の方法やその有無、機能訓練の内容や医学的リハビリテーションエクササイズの必要性を書く必要はない。
(参照:内容に沿うという意味を理解するために

どちらにしても、ローカルルールによって、法令解釈を狭く厳しくすることは、指導担当者の自己満足にしかつながらず、住民や介護サービス事業者に不利益しかもたらさない。そんな理不尽なルールが、人の暮らしを護るための制度の中にあってよいはずがない。

本来一定の行政判断ができる権限とは、一種の権力であるのだから、その力を握る人々は、そのことで人を傷つけてしまわないのかと言う方向で、権力の行使に謙虚になるべきである。

来年から定員18名の通所介護は、地域密着型サービスになり、指定権限や指導権限が市町村に移る。平成30年以降は居宅介護支援事業所も市町村の指定となる。権力に酔う小役人の自己満足ルールがまかり通る実態を変えていかないと、地域包括ケアシステムと言う名のもとに、小権力者狭量裁定が制度の精神をゆがめる結果につながってしまうだろう。

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地域包括ケアシステムは自然発生しない


僕が住む登別市及び生活圏域がほぼ同じと言ってよい室蘭市に、現在まで地域包括ケアシステムは存在していない。

そしてこの地域に、どのように地域包括ケアシステムを創ろうとしているのかという具体的な動きは全く見えない。

地域包括ケアシステムが機能するためには、新しく法制化された「地域ケア会議」が重要となるが、その新しい5つの機能を発揮するように、地域ケア会議が実施されている節もない。だから地域包括ケアシステムの基盤となる、保健・医療・福祉・介護の包括的ネットワークの構築の取り組みは全くなされていない。

そんな中で制度改正に沿った新総合事業への準備などが進められているわけであるが、新しい制度上のルールに変更するだけで、地域包括ケアシステムが自然発生するわけではないということを指摘する人もいない。だからあえて今日はこのことを指摘しておきたい。

地域包括ケアシステムは、人的ネットワークが基盤となり、そこでは地域を拠点に、様々な人々の生活課題に対応した支援システムを機能させるのが目的なのだから、その共通理解と、具体的活動を創りだしていかなければならない。

しかしながら、この地域でそのような動きはほとんど見られず、地域包括支援センターが躍起になっていることといえば、11月11日の介護の日に向けたアリバイ作りのようなイベントであったり、とってつけたように「地域包括ケアシステム」をテーマにした講演会を行っているだけである。そこでは実効性のあるネットワークづくりは全く行われていない。

地域包括ケアシステムをテーマにした講演会にしても、そもそも講師が地域包括ケアシステムは何かということを理解していないと思われるような講演ばかりである。少なくともそこでは、国が当初示した概念や、後に変更された概念(平成25年3月地域包括ケアシステム研究会報告書による)が示されることはなく、単に地域内で多職種が協力し合おうね、というような結論で終わっている。

地域包括ケアシステムの概念自体が、在宅で支える〜早めの住み替えが基盤となる、に変更されていることに気が付かない人が講師役を務めて、果たして地域包括ケアシステムが機能するのだろうか。

そうした講演では、受講者もきちんとした概念が示されないので、受講後もその理解には幅がある。それぞれの違った概念の「幻想的地域包括ケアシステム」が誰かの頭の中だけに生まれる結果しか生んでいないのが、登別市や室蘭市の現状である。

地域包括ケアシステムをテーマに語る講師であるなら、少なくとも地域包括ケアシステムとは何かということを正確に理解しておらねばならず、そうであれば国が「地域包括ケアシステム」という言葉を正式に文書において使ったのはいつで、どの文書であったのか、その時にモデルとしたシステムとは、どこのどのようなシステムであったのか、そしてその概念はどのように示され、どのように変えられてきたのかを説明できなければならない。

予防通所介護等が、新総合事業に移行するだけで、国の財源負担が減る構造の理解もない人が、地域包括ケアシステムを語ってよいのだろうか?

そんな基本理解もない人が、地域包括ケアシステムを語る先に、何が生まれるというのだろうか。

地域包括ケアシステムの目的の一つは、慢性疾患があり、日常的に医療支援が必要な高齢者を、できる限り入院しないで、地域(自宅ではない)の中で支えていくのだから、日頃から健康を管理し、適切な医療支援を行う、「かかりつけ医師」の存在は大事である。そして介護予防や、自立支援につながるケアマネジメントも重要だろう。そんなことはわかりきったことだ。

問題は、それらをどうやってつなげていくのかという具体策である。多職種連携を個人の資質や、個人のネットワークに頼らないところで、有機的に結びつける具体策がなければならず、その基盤となる「地域ケア会議」の在り方を議論し、機能する会議を徹底的に創り上げていかねばならないのに、地域包括支援センター内に、そのことを理解して実施しようとする動きは皆無である。リーダー役となる人材がいないのではないかと疑わしくなる。

僕はこの地域以外では、「地域包括ケアシステム」について解説する機会をたくさんいただき、そのアドバイスもしているが、そうであるからこそ、他の市町村で、地域包括ケアシステムを実効性のあるシステムとして運用しようと頑張っている人たちに実際に逢って、そこで実際に動き始めている新しいシステムが存在していることも知っている。

それと比べると、当市や隣市の動きは鈍いし、そのことに関する危機感も見えない。

自ら暮らす地域の現状が、口先だけの地域包括ケアシステムになりつつあることには大いなる不安を持っている。それは単なる「地域丸投げケアシステム」というだけのもので、保険者である市が権限や一定財源を持っているだけで、支援システムの実情は、制限するシステムにしかならないからである。僕達の老後は、この地域の中でどのようなものになるのだろうかと不安しか感じられない。

よって現状で、登別市や室蘭市の行政関係者(地域包括支援センターや社協を含む)が、地域包括ケアシステムを語るとしても、絵空事としか思えないのである。

そうなると地域包括ケアシステム研究会報告で示されている、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、」=「早めの住み替え」とは、自分の身体・精神機能に応じた住み替え以前に、地域包括ケアシステムの機能のある市町村への住み替えということが現実的になるかもしれないと考えてしまう。

どちらにしても、日本の新たな格差社会とは、市町村ごとのケアシステム能力の格差とイコールになっていかざるを得ないのだろうと思ったりしている。

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想定される多様なサービスが提供されない新総合事業


要支援者の介護予防訪問介護と介護予防通所介護を含んだ、軽介護者の介護保険サービスを、市町村が実施する介護予防・日常生活支援総合事業(新総合事業)として実施することについては、受け皿の整備等のため一定の時間をかけることも必要であることから、2017年4月まで猶予可能とされている。

このことに関連して、今朝の北海道新聞は、道内実施状況について、2015年中に介護予防・日常生活支援総合事業を実施するのは7市町村、2016年実施予定は17市町村、2017年度予定は133市町村、未定は22市町村であると報道している。

要支援者の介護サービスの一部を、市町村の介護予防・日常生活支援総合事業に移行する一番の目的は、財政負担を少なくし、保険料と公費を抑制することである。そのことは、「予防サービスの新総合事業への移行について」で示しているので参考にしてほしい。

新総合事業に移行することでなぜ財政負担が少なくなるかと言えば、市町村の事業の単価や基準は、市町村独自で設定できるので、市町村の財政事業に応じた単価設定などで給付費を抑えることが可能であることもあるが、それにもまして大きい理由は、介護予防・日常生活支援総合事業には財源の上限があり、市町村独自の基準等は、むしろこの上限を見据えて設定するという意味がある。

現行の介護保険サービスは、予防給付も介護給付も、使われた分だけ財政負担しなければならないが、介護予防・日常生活支援総合事業については、基本原則は、この上限範囲でしかサービス提供できないという意味である。(※上限を超えることができる、個別判断という特例はある。)

新しい総合事業の上限について
このように新しい総合事業の上限については、市町村が円滑に事業実施できるように選択できる仕組みになっているほか、早期実施市町村(猶予期間の2017年4月より前に実施する市町村)については、移行期間中における「10%の特例」が適用され、上限額が上がるというメリットと、介護予防・日常生活支援総合事業を市町村全域で実施している場合に限り、市町村の事務負担を軽減するため、更新申請時の要介護認定に係る有効期間を、一律に原則12か月、上限24か月に延長し簡素化することが認められている。

特に前者の10%上限割増は、市町村にとってメリットとなっており、この適用を受けるために早期実施する市町村もあるわけである。

しかし同時に早期に介護予防・日常生活支援総合事業を「実施できない理由」については、同事業は「地域のボランティアの活用」などで、多様なサービス提供を目指しているが、人口減と高齢化が進行する地方の市町村では、ボランティア資源が見つからないという理由が主として挙げられている。

このことにつて今朝の道新の記事では、北星学園大学の杉岡教授の「ボランティア頼みでは、助け合いや支え合いのシステムを構築することは難しい」というコメントを載せている。

その発言内容を否定する何ものもないが、国が本気でこの事業主体をボランティア頼みとしていると考えているとしたら、それは間違いである。

サービスの類型(典型的な例)
介護予防・日常生活支援総合事業のサービスの類型は上記のように示されているが、市町村はこのすべての類型サービスを実施しなければならないわけではない。そのことは「介護予防・日常生活支援総合事業ガイドライン案」についてのQ&Aで次のように示されている。

第1 総合事業の実施に関する総則的な事項
問 介護予防・生活支援サービス事業及び一般介護予防事業における各事業は、全てを実施しなければならないものではなく、選択実施と考えてよいか。

(答)
1 介護予防・生活支援サービス事業は、訪問型サービス、通所型サービス、その他の生活支援サービス、介護予防ケアマネジメントの4事業により構成されるが、そのうち、訪問型サービスや通所型サービス(以下「訪問型サービス等」という。)については、予防給付の訪問介護、通所介護で実施されていたサービスが移行されてくることを踏まえ、法律上、必ず実施すべき事業と位置付けられている。また、介護予防ケアマネジメントについては、介護予防・生活支援サービス事業のみを利用する場合に実施される事業であることを踏まえ、総合事業への移行により、必ず実施すべき事業とされている。
なお、ガイドライン案の中では、訪問型サービス等については、市町村が円滑に事業を実施できるようにするため、例えば、現行の訪問介護に相当するものに加えて、訪問型サービスA(緩和した基準によるサービス)、訪問型サービスB(住民主体による支援)など多様化するサービスの典型的な例をお示ししているところ。これらについては、あくまでも例示であり、この内容を参考として、市町村において地域の実情に応じて取り組んでいただきたいと考えている。
また、その他の生活支援サービスについては、市町村の取組として訪問型サービス等と一体的に行われる場合に効果が認められるものに限定していることから、市町村によっては実施しない場合も想定されうる。


つまりボランティア資源などが見つからない市町村においては、単に予防訪問介護と予防通所介護が、現行の予防給付より単価の低い市町村事業に移行するだけで、他の類型サービスに該当するようなサービスが、実質提供されないという事態もあり得るのである。

しかしそれは多様なサービスを提供できない市町村の責任であり、その根本原因は、地域活動に関心の薄い住民自身の責任に帰されるものであり、地域包括ケアシステムとは、地域住民がそうした自己責任をそれぞれ果たさないと機能しない、なんていう理屈がまかり通るのかもしれない。

どちらにしても、介護予防・日常生活支援総合事業は、地域によってサービスの多様性の格差は大きくなるし、それはとりもなおさず地域住民サービスの市町村格差の問題として表面化してくるであろう。
下記に、神戸市の遊戯的通所介護の規制の動きについて問うアンケートフオームを作成しておりますので、是非回答をお願いします。またコメントとしてご意見もいただきたくお願い申し上げます。結果は後日、このブログ内でお知らせいたします。(回答期限は9/7まで)
神戸市による遊技中心の通所介護の規制についてのアンケート実施中です。

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説明とは言えない道職員の資料朗読


今日は午後から来年度の事業計画案や当初予算案の審議を行う理事会の開催を予定している。そのため昨日も遅くまで準備で忙しかったし、今日も午前中からバタバタである。

そんななかで愚痴を書かせていただく。年度末でしなければならないことがたくさんあるこの時期に、昨日午後から介護報酬の改定に伴う事業者説明会が開催された。しかも結果的にそれは、かなり無駄な時間であった。説明会を開催するなら、きちんと説明できる担当者を選ぶべきだ。資料を朗読して説明に替えようというのはやめていただきたい。そもそもこれだけインターネットが発達した社会で、行政しか目にしていない文書資料などほとんどないわけであり、加えてこの時期に、事業説明会に参加するような事業運営に責任ある立場の者が、報酬告示に書かれている費用算定要件等を読んでいないわけがないのだから、それらを読んでいることを前提にした説明会にしないでどうするんだ。行政のアリバイ作りのために、我々の貴重な時間を削らないでくれ。

事業者説明会は集団指導ではないので、必ずしも参加する義務はないのであるが、この忙しい年度末にわざわざ時期を設定して事業者に説明をしようとするのには、それなりの理由があるのだと思うのは人情である。っきっと4/1からの新報酬算定に関して行政側から伝えておきたい重要な事項もあるのだろうと考え、13:00〜16:00まで室蘭文化センターで行われた説明会に参加してきた。

介護報酬Q&Aが30日(月)に発出されることが明らかになっており、それを目前にしたこの時期であるがゆえに、わずかながらも「新情報」が入っていないかと期待する気持も少しはあったが、それらはすべて期待外れに終わった。まったくの無駄な時間であったと言ってもよい。

説明会の流れとしては、 嵎鷭群定概要」、◆嵎〇齋魯機璽咼后廖↓「医療系サービス」、ぁ峅雜邉詆嬌饂残蠅坊犬訛寮届の留意事項」、ァ峅雜郢抉臉賁膂の資質向上について」であった。

最初に,鉢△寮睫世あったが、案の定、報酬告示と解釈通知に書かれていることの説明で、そのうち9割は、解釈通知まで説明が及ばない報酬告示の算定要件の説明のみであり、既にこれらの通知文を読んでいる人にとっては、今更の説明である。

ただこの部分の説明担当者については、コンパクトに要点のみ読み上げていたので、時折眠くはなったが、わりとすんなり話を聴けた。い砲弔い討牢日を確認した程度であろうか。イ鷲佞餌しのようなわかりきった内容の説明であり、これについては、血の通った解説を含めた説明を聞きたい方は、僕の講演を聴いたほうがよほどましである。来月17日(金)登別市民会館で行われる「のぼりべつケアマネ会総会&定例会」の中で、「介護保険制度改正と居宅介護支援費改定の要点〜大改正の実態」という講演を行うので、そちらで詳しく解説しよう。

おっと話がそれた。元に戻そう。

最悪だったのは、「医療系サービス」の説明である。ここで説明担当者が、苫小牧保健所の担当職員に変更になった。ところがこの担当者の説明が資料の朗読会である。しかもご丁寧に、要点のみならず算定要件全文を読み上げるという、内容理解のない人がよくやる朗読である。

算定要件が複数書かれている部分も、資料に書かれた内容をすべて朗読しているだけである。思わず、「だから、資料に書いてあることを、ただ読み上げるのはやめれって!!」と言いたくなる。そもそも僕たちは字は読めるし、黙読の方が早いわい。わざわざ全文を行政職員に読んでいただく必要もないわい。この担当者は、このスタイルが説明になっていると思っているのだろうか。そうだとしたら相当のおバカさんである。
ただの朗読
朗読に終始するこの行政担当者・・・。資料を読み上げるだけだから、座ったまま下を向いて資料しか見てない。顔を上げて会場を見ないから、いかに受講者が迷惑しているかも気が付かない状態である。

例えば老健の報酬説明で、「在宅復帰機能のさらなる強化」というタイトルを読むのはともかく、報酬は在宅復帰型も一般型も減算されていますが、在宅復帰型の下げ幅は一般型老健より低くなってその下げ幅の単位は〇〇単位〜〇〇単位になっています、って説明なんかいるのか?会場で受講しているのは小学生じゃなくて、介護保険サービスの専門家だぞ。当然引き算だってできる。見て一目瞭然の説明なんかいらないって。

それよりその背景に、単価が低く設定されている一般型老健の方が、在宅復帰型老健より収益率が高い地域があり、それは在宅復帰型老健はベッド回転率を上げるために有能な人材が必要とされ、人件費支出が高いことと、ベット利用率が下がることが原因であり、そのために在宅復帰型老健への転換が進まないことから、この逆転現象を解消する目的もあって、今回の報酬単価が設定されたと説明するならともかく、算数の引き算を解説してどうするんだ。

しらける会場
しらけて、イラつく人も多かった会場は、空席も目立った。それだけ参加しなかった事業者も大方のであろうが、もしかしたらその事業者の方が賢い選択であったかもしれない。

どちらにしても無駄な時間を費やしいたものだ。それにしても今回の説明会は、対象地域の範囲が胆振全域でかなり広い範囲である。僕の施設からは、説明会場まで片道40分程度で着けるからまだよいが、片道2時間以上かけて会場に駆け付けた事業者もいただろう。そうまでしてこの忙しい時期に時間を割いているのに、この貧しい説明内容はどうにかしてほしものだ。

これでは行政の事業者説明会は、単なるアリバイ作りか、消化試合でしかなくなる。こんなことでよいのか?行政担当者は、こんな朗読会で終始して良いと思っているのだろうか。もっと説明担当者を選べよと言いたい。行政改革の必要性は、このような場面にも及ぶのではないだろうか。

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介護認定期間の延長を認めない保険者はなぜ存在するのか


この時期、介護保険制度改正について、各地で研修会が行われている。その中で、厚生労働省の方を講師として呼んで、最新情報を伝えるとアナウンスしている研修会も多い。

しかしそうした研修会に参加して、厚労省の担当者の話を聴いた方々は、新たな知識を得たと喜んでいる方が多いのだろうか?僕の耳に聞こえる範囲では、そうした方は意外と少なく、知っている範囲の情報の確認にとどまったという意見が多い。

しかしそれはある意味当然である。厚労省の方は、新しい制度について誰よりも詳しく理解しているし、専門知識もあり、色々な情報を持っており、その中には明らかにされていない情報も入っている。

しかし公の場で発言できることは、その立場上制限があって、知っていること、持っている情報をすべて開示できるわけではない。それらの方々が講師としてレクチャーする際に明らかにできることとは、現時点での公表情報についての解説であり、それを国の方針通りに説明するしかない立場である。

だから日頃からインターネット等で、新鮮な情報を手に入れて、その通知文等を読み込んで勉強している人にとっては、厚労省の担当者の講演で新たな情報を得るということにはならない。むしろそうした講演・講義が役立ったと感じる人は、公表される情報をリアルタイムに読み込んでいない人である。

だから国の担当者を呼ぶより、責任ある公の立場ではない人で、情報分析ができ、公表された情報の背景にあるものや、そこから読み取れる今後の見込み等を語ることができる講師の方が、我々にとっては役立つ情報を与えてくれるのである。

だからこの時期に、無理をして国から講師を呼ぶ必要はないし、国から講師が派遣されるからと言って、大いなる期待を胸に研修会場に向かってはいけないのである。

話は変わるが、昨晩僕は、「介護認定審査委員研修」を受講してきた。時間は仕事を終えた19:00〜21:00まで。認定審査委員だからといって、この研修を必ず受講しなければならないわけではないが、要介護状態区分等の審査という責任ある立場にいる以上、義務研修ではなくとも、自分の知識の確認やその向上に努める義務はあると考え、毎回参加するように心がけている。

しかし毎回がっかりさせられるのも事実である。この研修は前後半に分けると、前半部分は介護保険制度の運営状況などの行政情報の説明、後半は要介護認定の平準化を目的として、実際のケースを使った認定審査のグループワークである。

今回も制度改正に伴う行政説明があったが、国や道の資料の説明というより、読み上げで、新たな情報は皆無である。自分より情報知識のない人の話を聴く苦痛を味わっただけである。

後半のグループワークも、取り上げられた事例が、あまり意見が割れるような問題を含んだ事例ではなく、「どうしてこの事例を選んだのだろう?」と深読みしたが、最後に事務局より解説がされたが、それは模擬審査で導き出された結果と同じで、解説も特に必要としないような事例であった。就業後の遅い時間に研修を行わせるにしては、何ともお粗末な研修内容であった。

そんなわけであまり議論するこもなかったために、グループワークも指定時間前に終わってしまい。後は参加者の雑談というふうになった。その中である地域の審査委員から、要介護3以下の状態区分の人について、24ケ月までの期間延長を認めていないという愚痴情報があった。

要介護認定期間については、更新認定について原則期間は12ケ月であるものの、ケースの状況を確認して、3ケ月〜24ケ月までの設定可能な認定有効期間の範囲が示されており、これは審査委員会の審査の結果決められるもので、要介護1の人であっても、前回も同じ介護度と期間で、今回も状態像が変わっていないと判断できるならば、そのことを根拠に24ケ月まで期間延長できることになっている。

それを保険者のローカルルールで認めないことに、何の意味があるんだ?期間延長することで誰かが不利益を被るとでもいうのだろうか?期間延長しないことでより実態に即した要介護状態区分が担保されるなんて言う理屈も成り立たないはずだ。

むしろ延長を認めているルールを無視して、機械的に期間延長制限することによって、認定審査にかかる費用は増えることになり、それは国民負担を無駄に増大させる結果にしかならない。

そもそも認定期間については、それがどの程度の期間が適正なのかという根拠は存在せず、期間などなくしてもよいのではないかという議論さえある。区分変更申請という方法があるのだから、その意見は一理あるのだ。

次期制度改正においても、現在12ケ月までしか認められていない更新認定時の前回要支援→今回要支援、前回要支援→今回要介護、前回要介護→今回要支援 についても、介護予防・日常生活支援総合事業を市町村全域で実施している場合に限り、認定有効期間を原則12か月としたうえで、上限24か月に延長し簡素化する方針が示されている。

そんな中で、頑なに要介護状態区分の低い対象者の期間延長を認めないという保険者の姿勢は笑止千万である。

それは小役人の浅く狭い見識による公費の無駄遣い以外のなにものでもなく、こういう無駄遣いこそなくしたいものだと思う。小人が小権力の座にいることの弊害以外のなにものでもない。

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地域包括ケアシステムに潜む盲点


介護保険制度のキーワードは、地域包括ケアシステムであるかのような印象が強くなった今日この頃である。これは今後の高齢社会を考える上で、地域包括ケアシステムの構築が、高齢者が、住み慣れた地域で暮らし続けるために必要不可欠であるとされているからであろう。

現に介護保険制度改正は、地域包括ケアシステムの構築から、その基盤強化が主たるテーマとされ、改正の方向性が決められている。

ところで、地域包括ケアシステムが目指すものの一つに、社会全体の高齢化に伴い、増え続ける認知症高齢者や、重度の要介護高齢者が地域で支えられ、暮らし続けられるということが挙げられる。

ここで注目すべきは、地域包括ケアシステム研究会が2013年3月に作成した報告書に書かれている内容である。

そこでは地域包括ケアシステムの定義を「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」としている。過去に同列に並んでいた、「急性期入院を除く医療・介護・予防・住まい・生活支援サービス」について、「住まい」がひとつ抜け出すかたちで表記された。

この意味は、以前このブログ記事にも書いたように、「早めの住み替え」が推奨されているという意味である。そうであるがゆえに、2012年の介護保険制度改正時には、同時に、「高齢者住まい法」も改正され、高齢者の新たな暮らしの場として、サービス付き高齢者向け住宅を位置づけ、それを全国各地に建設することを推進し、ここへの住み替えを推進しようとしているものである。

高齢者の方々にとって、認知症の症状があるなしに関わらず、高齢期の住まいの選択肢が広がることは良いことだ。介護施設も、収容施設ではないのだから、そこは住み替えて新たに暮らしを創る場所として選択されてよいし、我々はそのために暮らしの場として選ばれる高品質のサービスを創っていく必要がある。

その中で、サービス付き高齢者向け住宅という選択肢が増えたことを否定するつもりはない。むしろ歓迎すべきであると思っている。

今後は、重度の要介護状態や認知症の症状が出てきた、「ひとり暮らし」の高齢者や、「高齢者夫婦世帯」で両者に認知症の症状が出てきた場合、どちらかが重度の要介護状態になった場合などに、サ高住への積極的な住み替えが進められていくであろう。

ここで考えなければならないことは、介護施設とサービス付き高齢者向け住宅の一番の違いについてである。前者は、暮らしの場に身体介護をはじめとしたサービスが組み込まれた居所である。つまり住まいと介護が一体的に提供される場所である。一方後者のサ高住は、暮らしの場を提供するといっても、身体介護は外付けであり、暮らしとケアが分離している点である。

このことについては、暮らしと介護は分離されていたほうが良い。だからサ高住は、今後一番求められる高齢者の暮らしの場であるという考え方がある。

暮らしとケアが一体的に提供される介護施設が批判される理由は、利用者の暮らしの個別性を無視して、施設の都合に合わせたサービス提供しかされないというものである。

しかしそれは利用者の個別性をきちんとアセスメントし、利用者目線のサービスを構築する視点さえあれば解決できる問題である。むしろ暮らしとケアが分離していないからこそ、可能となる支援行為も多い。例えば趣味活動の外出支援、レクリエーションとしての外出機会確保は、暮らしとケアが一体だからこそできることであるし、定期巡回では対応不可能なさまざまな想定外の状況に対応できるのが、暮らしとケアが一体的に提供される介護施設の利点である。
(参照:住まいとケアの分離が求められる方向なのか?

サービス付き高齢者向け住宅のケアは外付けであり、暮らしとケアが分離している。このことによって生ずる利点は、まず利用者の暮らしがあって、それに暮らしを支えるためにふさわしい外部サービスだけがそこに張り付くということである。このように暮らしとケアが分離していることをポジティブにとらえる向きもあるが、実際には、外部サービス事業者の巡回時間などの都合で、サービスの方法や質が左右されている例が数多くみられる。この点がまず問題である。

また外部の巡回サービスのみで、暮らしをさせようとする場合に、いくら細かくアセスメントを行っても、想定外の時間の排泄ケアなどは対応困難であり、サ高住自体に身体介護提供機能がないことによって、失禁状態が長く放置される事例も見られる。このように必ずしも暮らしとケアの分離が、利用者のニーズとは言えないのである。

サービス付き高齢者向け住宅が、暮らしの場を提供するという以外に、基本機能として持っているのは、見守りと生活相談のみである。

そうした基本機能があるのだから、身体障害のある高齢者だけではなく、運動能力が衰えていない認知症高齢者の方々も住み替えが検討される場所になるであろうが、ここで考えておかなければならないことがある。

運動能力の衰えていない認知症高齢者が、暮らしの場所をサービス付き高齢者向け住宅に替えて、そこで外部サービスを受ける場合に、何が起きるかということである。

外付けのサービスが訪問してサービス提供でできる場所は、居宅と認定される場所が基本であり、外出支援も保険給付されるサービスの中に含まれてはいるが、それはあくまで、「居宅から」もしくは、「居宅まで」という条件が付けられている。しかも趣味活動に関する外出支援は、保険給付の対象にならない。

するとサービス付き高齢者向け住宅に住んでいる、運動能力の衰えていない認知症の高齢者の外部サービスが、定期巡回・随時対応型訪問介護看護である場合は、その巡回時間に利用者がそこにいてくれないと困るわけである。そうなるとサービス付き高齢者向け住宅の基本機能である、「見守り」は、認知症高齢者については、「外に勝手で出ない見守り」になってしまう可能性が高い。

その結果、サービス付き高齢者向け住宅から一歩も出ないで、そこだけで暮らしが完結させられる認知症高齢者が出現してくる。これは果たしで住み慣れた地域で暮らし続ける、という意味になるのだろうか?それはもはや幻想地域と呼ばれる状態で、事実上、地域から隔離された空間にならざるを得ない。

要介護度が高く、自力では移乗・移動動作が取れない人も同じよう帯になりかねない。これらの人の場合は、外出させないという「見守り」を行わずとも、積極的に外出支援を行わない限り、すべての生活行為は、サ高住の中で完結する。地域の空気を感じることがなく、生涯サ高住の中だけで生活支援を受けて終わりという高齢者が増えていくというのが、住まいとケアを分離した場所で、生活支援を受ける人が増える社会の近未来像である。

サ高住で生活する人の居宅サービス計画を作成するケアマネ等には、こうした幻想地域で生涯を終えるという人が存在しないように、本当に住み慣れた地域社会での「暮らし」を構築する視点が求められる。

サ高住という器の中で日常生活が送れるのかという視点のみに終始せず、その人が住み慣れた地域で暮らし続けるという意味を問い続けるような支援が求められるであろう。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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法制化される地域ケア会議では何が求められるのか


現在の「地域ケア会議」は、「地域包括支援センターの設置・運営に関する通知」に明記され、センター長などを対象とした研修を中心に取り組まれている。本来の地域ケア会議の5つの機能とは、仝鎚眠歛蠅硫魴茵↓▲優奪肇錙璽構築、C楼莢歛蠅糧見、っ楼茲鼎り・資源開発、ダ策形成である。

その地域ケア会議は、来年度の制度改正において、介護保険法に制度的に位置づけられることになっている。これが「地域ケア会議の法制化」である。

そしてその目的は、個別事例の検討を通じ、多職種協働によるケアマネジメント支援を行うとともに、地域のネットワーク構築につなげるなど、地域ケア会議が実効性あるものとして定着するよう普及することとされている。

つまるところ、この法制化は地域包括ケアシステムが機能するための基盤を作るという意味があるのだろう。

一方ではこの地域ケア会議について、それが給付抑制のために行われるのではないかと言う不安の声も挙がっており、例えば「安倍政権が法制化狙う「地域ケア会議」 介護保険から「卒業」迫る 安上がりサービス全国に 「赤旗」3/20

↑こんな報道記事もある。こんな状態にしては困るわけである。

僕が管理する掲示板の「ローカルルールにおける保険者(市)の権限について」に書かれているような市町村では、新しい地域ケア会議がまさに圧迫面接が行われ、介護保険からの卒業の強要が行われる恐れもある。そのため決してこういう状態にならないようにチェックし、声を挙げることがケアマネジャーの職能団体等には求められるだろう。

本来の地域ケア会議は、市町村の職員が小権力を振りかざして、介護支援専門員を恫喝指導するというものではない。そもそもこの会議は、「赤旗」が報じているように、市町村職員と介護支援専門員間のみで行われるものではなく、市町村職員以外にも多様な人材が参加して行われるものである。

下記の図は国の資料に載せられている新しい地域ケア会議のイメージ図である。

地域ケア会議
この図を見ても分かるように、新しい地域ケア会議の目的は、困難ケース等の個別検討を通じて、多職種協働のケアマネジメント支援を行うとともに、地域のネットワーク構築に繋げようとするものである。

そのため「地域ケア会議」では、他職種が集まって個別の事例を検討し、高齢者が抱える課題を1つずつ解決していく。それを積み重ねていくことで、ケアマネジャーの自立支援を後押しする能力の向上に加えて、地域で埋もれていた課題の発掘や他職種によるネットワークの構築や、より有効な政策の形成などに繋げることを目指している。

つまり地域包括ケアシステムというシステムが求められると声高に唱え、市町村がそのシステム作りに躍起になったとしても、それだけで所属事業所の違う様々な専門職の有機的連携が可能となるということにはならず、そこでは所属の違う様々な専門職同志が、「顔の見える関係」となって、必要な時に、必要な支援を求めあえる関係づくりが重要となってくるのである。

ネットワークシステムと、顔の見える人間関係の両方があって初めて、地域包括ケアシステムは機能するのだろうと思う。そうであるがゆえに地域ケア会議を主管する地域包括支援センターの担当者は、その目的を見失わず、多様な職種に及ぶ様々な専門家を会議のメンバーとして招いて、ケアプランを立てている介護支援専門員と、それらの地域の人材を繋げるという役割を意識してもらいたい。それができてこその地域包括ケアシステムである。

同時に地域ケア会議とは、個別のケースを検討し、より良いサービス提供の方法をアドバイスすることにとどまらないという理解も必要だ。個別の課題検討で終わるのではなく、個別の課題検討を積み重ねることで、それを地域の課題の検討につなげ、あらたな社会資源の開発や施策形成に結び付けていくことが大事だ。

このことを同じテーブルの上で、同時進行議論ができるようになるには、かなりの個別課題検討を経た上でないと無理だろう。まずは個別課題の検討と、地域課題の検討をしっかり区分して考え、それぞれが別途議論された上で、地域課題が明確化された以後に、両者を結びつけて、同じテーブルで考えられるようにケースを重ねていく必要があるだろう。

なかなか実態が見えない地域包括ケアシステムであるが、まずは地域ケア会議を通じて、地域の中の人材同士が、顔の見える関係をつくり、システムの中で有機的な連携体制をとれるようにしていくことが大事だ。その上で個別課題を検討しながら、その積み上げによって地域課題の抽出と、その解決に向けた社会活動を行っていくということが、今後最も求められることだろう。

そういう意味で、地域包括支援センターの役割はますます重要になると言えよう。よって地域支援センターに、有能な人材がいるかどうかということが、地域包括ケアシステムの成否を握る鍵になるだろう。

介護・福祉情報掲示板(表板)

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珍・静岡騒動の被害を受ける罪なき事業者は可哀想過ぎる


歴史は繰り返すとは言うが、静岡県の介護保険行政指導で繰り返されている事態は異常である。

行政指導担当者だって、人間だから間違った指導を行うことは仕方のない事なのかもしれないが、何度も根拠のない指導を行い、間違っておれば後で撤回すればよいと考えているのだとすれば、それは許されることではないだろう。

・「居宅サービス計画の第7・8表を利用者に交付するとき、それがどのような根拠で作られているか説明するために、第1・2・3表も毎月利用者に交付しなければならない。

・「居宅サービス計画について、各サービス事業所の加算算定(例えば通所介護の個別機能訓練等)が居宅介護支援事業所のプランの第2表に、その必要性とともに具体的内容が記載されていないと、各サービス事業所の加算費用などの算定を認めず返還指導があり得る。

・「老企25号で定めた通所介護等の外出については、屋外への移動の際に車を使用する場合、乗車している時間は基本的にはサービス提供時間には含まれない。

↑これらはすべて過去に静岡県が集団指導等で県内の介護サービス事業者に行政指導した内容である。そして根拠のない指導については後に撤回されている。(撤回されていない者があること自体が問題ではあるが・・・。)

そういう意味では、介護サービス業界での静岡県の印象は、馬鹿馬鹿しい解釈で現場を混乱させ、後にその解釈が間違いであったと取り消した前科を持つ「根拠のない指導」で有名な県というものであり、まさに静岡県は、頑迷で見識のない小権力者が介護サービス行政指導担当課にはびこる、静岡権である。

ところで、この県がまたやってくれた。表の掲示板に寄せられた情報であるが、今回は集団指導ではないが、とある居宅介護支援事業所の実地指導に於いて、介護支援専門員の居宅訪問面接について、例えば「3/20に訪問、4/25に訪問というのでは、間が35日になるので、31日という期間を超えるので1月に1回訪問するという規定違反となる。」と指導したそうである。

あまりにも馬鹿馬鹿しい指導内容であるため、指導されたという事業者が何か誤解しているのではないかと疑ったが、しかしこうした指導は複数の事業者が受けており、今年度の集団指導で正式にアナウンスされるという情報が書き込まれている。そうであれば事実としか思えない。

居宅介護支援における訪問面接の規定は、厚生省令第三十八号において
十三  介護支援専門員は、前号に規定する実施状況の把握(以下「モニタリング」という。)に当たっては、利用者及びその家族、指定居宅サービス事業者等との連絡を継続的に行うこととし、特段の事情のない限り、次に定めるところにより行わなければならない。
イ 少なくとも一月に一回、利用者の居宅を訪問し、利用者に面接すること。


このように規定されており、31日以内の訪問とか、30日以内の訪問ではなく、あくまで一月に一回の訪問であり、「3/20に訪問、4/25に訪問」でもまったく問題はない。なぜなら「少なくとも一月に一回、利用者の居宅を訪問し、利用者に面接する」という文言をどう解釈しても、「3/20に訪問、4/25に訪問」は、3月も、4月も月に一度訪問しているということになり、まったく問題ないのもである。

この1月をどう解釈するかという詳細規定は介護保険法にはなく、それでもなお法的な根拠を求めようとすれば、表板のレスポンスで、「通りすがりさん」が指摘しているように、別の法律に根拠を求めるほかなく、そうなれば民法の「期間の計算」を根拠にせざるを得ない。

民法第143条(暦による期間の計算)
1 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。


↑この意味は、月または年によって期間を定めた場合において、その月の末日に満了するという意味であり、1月に一度とは、暦月で一度訪問すればよいという意味にしかならない。

どちらにしても、静岡県で今行われている実地指導内容は不適切極まりないものである。それにしてもなぜ静岡県は、このような馬鹿げた指導を繰り返すのだろうか?行政指導担当課に脈々と続く負の連鎖の元は何だろう。以前に3度も根拠のない指導内容を行い、それを撤回しているということを恥と思わないのはどうしてだろうか。

こういう指導に振り回される静岡県内の介護サービス事業者さんは、お気の毒としか言いようがない。


介護・福祉情報掲示板(表板)

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地域包括ケアシステム議論に欠けているもの(その2)


※今日は最初に、タイトルとは関係のない情報をお知らせしたい。「訪問看護で点滴を行い特別管理加算を算定する計画を立てているケアマネさんへ」で指摘していた問題が解決した。25年度までは、医師の指示を受けて介護保険の訪問看護で週3回上点滴を行った場合に「特別管理加算」を算定したとしても、医療機関は介護保険の訪問看護の指示では、「在宅患者訪問点滴注射管理指導料」を算定できないため、点滴材料費がどこからも出ず、実質介護保険訪問看護での点滴はできないという問題について、平成成26年度診療報酬改定にてC005−2 在宅患者訪問点滴注射管理指導料が介護保険での点滴注射でも算定できるようになり、問題解決した。これによってやっと介護保険の訪問看護でも、点滴に使う薬液等を訪問看護を指示した医師の所属する医療機関から支給してもらい、点滴を実施することができるようになった。(ただし25年までは、それはできなかったことに変わりはない。)以上、情報提供をしておく。

さて本題。

「地域包括ケアシステム」という言葉が、巷(ちまた)に氾濫している。

政党にしても、政治家にしても、「地域包括ケアシステムを創る」といえば、福祉政策に精通しているかのようなイメージを持たれるが、その言葉を口にする政治家が、地域包括ケアシステムとはなんぞやという質問に、適切に答えが出せるわけではない。だから政権与党となった政党のマニュフェストに、「地域包括ケアシステムの構築」という文言が書かれていても、何をどのように構築するのかという具体策は見つけられない。

しかも地域包括ケアシステムを構築するとういう理由をつければ、何でも許されるという雰囲気があり、お題目のように「地域包括ケアシステム」を唱えておれば、何か良いことをしようとしていると勘違いされる向きがある。

介護保険制度改正に向けた議論の中でも、給付削減や給付制限、利用者負担増に関する変更について、何故そのような変更が必要かという、その理由を求めたとき、「地域包括ケアシステムを構築するために必要とされる。」とすれば、すべて許されるというふうになっていないだろうか。

要支援者の訪問介護と通所介護を予防給付から外し、市町村の新総合事業に移行する理由が、全国一律のサービスや基準でない方が、市町村の実情に合ったサービス提供がされて、利用者ニーズに対応でき、それは地域包括ケアシステムが機能することに繋がるとされているのもどうかと思う。。

介護給付と予防給付と、市町村の総合事業がワンストップで繋がらないこと自体が、地域包括ケアシステムの阻害要因だと思うのは僕だけなのだろうか。

ところで、この地域包括ケアシステムを支える基礎的サービスとして「定時巡回・随時対応型訪問介護看護」は創設されたが、その意味は、このサービスによって「在宅介護の限界点を引き上げる」という目的があるということをご存知の方が多いだろう。

しかし在宅介護の限界点を引き上げて、重介護高齢者が一人暮らしを続けられるケースはさほど増えていない。重度の要介護者の場合、多くのケースで家族等のインフォーマルな支援者が実質、主介護者として存在し、そのことが在宅生活維持に繋がっているのであるが、それらの主介護者が、このサービスを諸手を挙げて受け入れているわけではないのである。

なぜなら、「在宅介護の限界点の引き上げ」とは、インフォーマルな支援者の限界点も引き上げるという結果になっているケースが多く、以前より介護負担が増していると考える家族等も出始めているという問題がある。

2月4日に厚労省は、定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスの事業所数を公表しているが、そこでは平成25 年12 月末現在の定期巡回・随時対応型訪問介護看護事業所数は391(一体型139、連携型257)で、前月末に比べ17 カ所増加した。また、保険者数は184(前月比4増)、利用者数は5,488 人(同381人増)となったとされている。

定時巡回・随時対応型訪問介護看護創設から1年半以上経っても、このサービスをわずか5.500人弱しか利用していない状況をみると、それが地域包括ケアシステムの基礎を支えるサービスだと言われても首をかしげざるを得ない。

前述したように、在宅介護の限界点を引き上げるために創設されたサービスによって、その限界点を引き上げられることに、インフォーマルなサービスを提供している人々が悲鳴を挙げているというケースも見られるのではないだろうか。

つまり「在宅介護の限界点の引き上げ」は、主介護者となっている家族のニーズとは、必ずしも合致していないという意味である。

そのことを鑑みると、定時巡回・随時対応型訪問介護看護が思ったように増えていない理由は、市町村の公募が遅れているからではなく、そもそもニーズが少ないからではないのかという実態が見えてくる。

要介護者を介護する家族は、夜間自宅に、鍵を預けた他人が自分が眠っている間に入ってきて、要介護者の世話をするという状況も望んでいないし、そのことで在宅介護の限界点を引き上げられたって困ると考える主介護者も多いのではないだろうか。

地域包括ケアシステムの構築に向けた議論の中で抜け落ちているのは、こうした家族の視点である。このアセスメントをもっときめ細かく行わないと、地域包括ケアシステムは、言葉としてのみ存在し、人の暮らしを良くするシステムとしては存在しないことになる。

さらにいえば、地域包括ケアシステムを構築するための、各市町村の取り組みに欠けているのは、住民参加である。このシステムを構築するための委員会や会議のメンバーに、地域住民を参加させていない自治体がことのほか多い。行政職員や、保健・医療・福祉の専門家だけで、このシステムを議論しても駄目なのだ。

地域住民の声を反映させ、実際に家族を介護している人の真のニーズを検証し、所属機関を超えた多職種協働の人間関係構築の方策を探りながら、行政職や専門職だけではなく、地域全体で構築すべきシステムが、本当の意味の地域包括ケアシステムであり、それがあってはじめて、地域の実情に合致した支援体制が構築でいるのではないだろうか。

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地域包括ケアシステム議論に欠けているもの(その1)


中村秀一氏が老健局長だった時に作られた、「2015年の高齢者介護」という報告書の中で、「地域包括ケアシステム」という言葉が国の資料としては初めて使われた。

これは広島県御調町(市町村合併後は尾道市)が昭和50年代前半から取り組んでいたシステムをモデルにしたもので、日常生活圏域で、急性期入院を除く医療・介護・予防・住まい・生活支援サービスを一体的かつ適切に利用できる提供体制を全国につくるというシステムである。

旧御調町の場合は、このシステムの中心に国保病院の医師がいたわけであるが、介護保険制度では地域包括支援センターを中心に、医療・保険・福祉・介護のネットワークをつくるシステムを作り上げようとしているわけである。そのために2012年の制度改正では、「地域包括ケア」の仕組みを支える基礎的なサービスとして「定時巡回・随時対応型訪問介護看護」が新設された。これは新潟県長岡市の「こぶし園」が、特養の機能を地域に分散させて対応した方式をモデルに加えたものである。

しかしその体制づくりを行政主導で組みあげて、うまくいっているところはあるのだろうか?

地域包括ケアシステムの先進地域である、旧御調町にしても、長岡市にしても、多職種連携ができているのは、一医療法人内、一社会福祉法人内のシステムであったからであり、地域全体のネットワークとは必ずしもいえないのではないだろうか。

地域包括支援センターは、そうしたシステムを創造し、運営する中心的役割を担っていけるのだろうか。ここが一番の問題である。

そんな中、先日研修講師として招待を受けた仙台市の任意団体、「せんだい医療・福祉多職種連携ネットワーク ささかまhands」さんの取り組みは、我々に多職種連携のヒントを与えてくれるものであると感じた。

この団体は、もともと医療と福祉の関係者が「顔の見える関係」になって、連携に取り組もうということから始まっていて、小さな単位での「飲みにケーション」の会を発端に、少しずつその輪を広げ、現在では「顔の見える会」というオフ会と研修会をセットで行っている。

僕が招待をうけた研修会では、様々な職種の人々が200名以上集まって、講演を受講してくれたが、その後のオフ会にも150名近い人が集まって、立食形式の会場でたくさんの人々が名刺交換や情報交換を行っていた。そこに集った主な職種は、医師・歯科医師・看護師・薬剤師・管理栄養士・理学療法士・作業療法士・社会福祉士・介護福祉士(介護士)・ケアマネジャー・訪問マッサージ師・事務職・出版社の編集者、ゲーム機器開発会社の方など多種多彩であったが、こうした形で生まれた関係によって、日ごろの業務の中で、必要となる他機関の別の専門職との連携が構築された事例も、研修会の中で報告されていた。

例えば、褥創ができ急激に状態悪化した利用者の担当ケアマネが、顔の見える関係になった医師と連携できたケースであったり、座位姿勢がうまくとれない特養利用者の担当者が、シーティングが得意な福祉用具貸与事業所と関係ができたことで、座位姿勢の改善の具体策を教えられ、利用者の座位姿勢が改善し、そのことで職員の意識が向上した例であったり、まさに多職種連携の実例が数々生まれているのである。

3/8(土)に中津市教育福祉センターで行われる、「大分県介護支援専門員協会主催研修」では、「地域包括ケアシステムにおける専門職の役割」というテーマで講演を依頼されているが、そこでは、ささかまhandsの須藤さんのご協力をいただき、同会の活動内容について、須藤さんが作ったファイルを借用して紹介する予定である。

その理由は、地域包括ケアシステムの中での専門職の役割の一つに、多職種連携の取り組みが必須とされ、それが重要なピースになるであろうと思え、ささかまhandsさんの取り組みがヒントになると考えたからである。

ささかまhandsさんの取り組み等は、多職種連携システムが、行政が創り上げたシステムによって存在するのではなく、人間関係によって存在することを示唆している。その関係の広がりこそが地域包括ケアシステムの基盤となるという証明ではないだろうか。

むしろ行政が創り上げた多職種連携の実態が、声の大きな医師の指揮命令システムを地域全体に貼りめぐらして終わっているという地域も存在する。多職種連携という言葉で、福祉ケーサービスや、その担当者を、医療系サービスや、その担当者の指揮命令を受ける存在、あるいは下請け機関に貶めているケースである。

利用者の代弁機能を担う、介護支援専門員始め、ソーシャルワーカーがそうした存在になっては困るわけである。多職種連携は、あくまで対等の関係でチームを組み、それぞれの専門性を尊重し合いながらサービス展開するものでなければならない。

地域包括ケアシステムが機能するためには、本当の意味で所属機関を超えた多職種連携が必須だ。地域包括ケアシステムの基盤となるものとは、間違いなく多職種連携ができる関係づくりなのではないだろうか。それがないところでの「地域他つケアシステム」の実態は、「地域丸投げケアシステム」でしかないだろう。

そもそも我々に求められているのは「地域包括ケアシステム」を作ることそのものではなく、その先にあるものである。

求められるのは形式的な「地域包括ケアシステム」ではなく、地域の中で所属機関を超えた多職種が有機的に連携することにより、保健・医療・福祉・介護のセーフティネットを、地域全体に張りめぐらせて、その網の目からこぼれる人がいないようにすることだと思う。

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市町村の地域マネジメントは機能するのか?

11/22のJS WEEKLY Vol403によれば、全国老施協は11 月20 日、田村憲久厚生労働大臣宛て意見書「通所介護と訪問介護における予防給付の総合事業への移行について(意見)」を、厚労省老健局の盒狂司高齢者支援課長、朝川知昭振興課長に提出したそうである。

その内容は、
(1)通所介護と訪問介護の予防給付サービスだけが市町村事業に移行することで、サービス類型や市町村により利用者が受けられるサービスに差異が生じ、要介護認定のあり方やケアプランの構築が極端に複雑化する懸念が生じる。そのため、こうした線引きに対し、明確な根拠をもって国民にわかりやすい制度説明をすること。
(2)市町村事業への移行によって、基準やサービス費用、利用者負担が市町村の裁量となり、地域格差の拡大やサービスの量・質の担保が懸念される。したがって、市町村の不作為により、要支援者の実質的な切り捨てにならないよう、事業者が適切に関与し、しっかりと介護予防・生活支援サービスの質を確保できるよう、明確なガイドラインを提示すること。
(3)認知症やリハビリに特化したサービス展開をしている通所介護事業者が多いことから、介護予防効果のあるサービスについて、介護報酬上で適切に評価すること。


これに対し、朝川振興課長は「国民に対してわかりやすい説明をしっかりとしていく」と回答したそうである。

僕が思うにこの回答は、意見は聞いておくよという程度の反応で、(3)については無視しているようにしか聞こえない。

この記事を読むと、老施協は予防給付の通所介護と訪問介護だけが切り取られて市町村の総合事業に移行することに対してほとんど降参状態に思える。しかし無抵抗では会員から突き上げがあるかもしれないので、アリバイ作りに意見書を挙げているようにしか思えない。

全国老施協は9/21にも老健局長と意見交換をしているが、その際手渡した文書において、介護予防給付の市町村事業への移行について
|楼茲亮他陲糧娠
∋後評価の徹底
ソーシャルワーク・コミュニティワーク的な体制づくり


以上の3点にしか言及していない。はなんのことかさっぱりわからないが、要は予防給付の市町村事業への移行について、全国老施協は最初から反対していないということである。この姿勢は、医師会などが最後までそのことに反対した姿勢とは対照的である。

結果的に医療系の予防サービスは、すべて現行どおり残されたという事実とともに、このことを我々はしっかり覚えておいて、全国老施協にも自身の「事後評価の徹底」を図ることを要求したいと思う。

ところで、現行の予防給付のうち、訪問介護と通所介護のみが市町村事業に移行されることは決定的であるが、そうなると市町村には、地域マネジメントという新しい機能が必要になる。しかし市町村自体に地域マネジメント能力が充分備わっているのだろうか?

実質それは地域包括支援センターの役割となるのだろうが、地域包括支援センターが市町村直営ではなく、複数の事業者に委託している市町村で、総合的な地域マネジメントを行って、地域包括ケアシステムを機能させるなんてことが本当にできるだろうか?

結論から言うと、それは無理だろう。地域包括支援センターを市町村の直営で運営している場合でも、いままでそんな機能を発揮したことがない市町村の方が多いのだから、移行期間で充分その機能を持つことが可能になるということはないだろう。そうであれば一部の地域を除いて介護予防のサービスの質は低下することは必然だである。

しかしそんな状況下でも、市町村の新総合事業をビジネスチャンスと見て、その参入を虎視眈々と狙っている企業も当然出てくるだろう。

通所介護が徹底的にいじめられる原因の一つには、「麻雀やカラオケをしているだけのレスパイトケア」に対して、税金と保険料を使う必要があるのかという疑問が投げかけられているのも事実で、市町村事業では、こういうサービスは、予防通所としてではなく、別のサービスを使ってもらい、サービス単価を低くするということが容易に想像されるであろう。それは既存のサービス事業者に任せるだけではなく、広く営利企業を含めた事業主体に市町村の総合事業を展開する門戸を開くという意味であり、大きな企業が総合事業の給付費用を獲得するために事業参入してくる構図も容易に考えられる。

市町村としても、新総合事業をボランティアという不安定な社会資源に任せるより、営利企業にその主体をになってもらうほうが安全だと考えるだろうし、そもそも新総合事業の担い手となるボランティアを養成する能力を持たない市町村の方が圧倒的に多いだろう。

つまり新総合事業の担い手は、地域住民などのボランティアではなく、大手営利企業が主体となるという構図が見えてくるわけで、既存の小規模事業者や、何もしない社会福祉法人などは、その荒波に飲み込まれていってしまうという構図も見えてくるわけである。

そこでは市町村の高い理念と、地域マネジメント能力がない限り、利用者の視点からサービスを評価する視点は徐々に失われていき、新総合事業利用者数が増えていく中で、財源は上限設定されていく可能性が高い新総合事業では、6期はともかく、7期以降にひずみが大きく表面化し、生活支援に支障が出て困窮する住民の姿が表面化していくであろう。

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25年度集団指導を受けて

どこの職場でも、朝礼から日勤業務がスタートするのではないかと思うが、そこでは施設長などの管理者が、訓示を述べて締めるのではないかと思う。僕もご多分に漏れず、必要な執務上の注意を促すことも多い。

今日の朝は、昨日行われた集団指導の中で指摘されていたことを取り上げた。

言葉による虐待と思われるものとして、「ちょっと待ちなさい」、「さっきも言ったでしょ」、「何しているの」というような言葉もそれにあたるという指摘があったことを紹介し、あらためてお客様に使うべき言葉遣いに注意するように促した。

集団指導は介護保険事業者に参加義務が課せられており、1事業所1名参加ということになっている。当法人は、特養の他、ショートステイとデイサービス、居宅介護支援事業の4事業を行っているが、4事業ひとまとめにして一人の参加でも良いわけである。しかし聞く耳は複数あった方が重要事項の聞き逃しがないということで、毎年僕の他に、事務長と事務担当者、居宅介護支援事業所の管理者(介護支援専門員兼務)の4名で参加している。

会場の室蘭文化センターに向かう途中で昼食を摂ったが、この記事の箸休めという感じで、その様子も紹介しておこう。今回は僕の行きつけの元魚屋さんのお店で、おすすめの海鮮丼をチョイス。

昼食かねまつ
海鮮丼
丼の右上の方に見える白身のお刺身は、室蘭のシンボル魚、「クロソイ」である。身が引き締まって適度な甘みのある美味しいお魚である。そのほかのネタはクロソイから時計回りに、サーモン、イカ、イクラ、ホタテ、マグロ、真ん中には甘エビが2本鎮座している。どれも新鮮で肉厚のお刺身が4〜5切れ入っており、これに小鉢と味噌汁がついて980円はお値打ちである。ただし人気の店なので、売り切れ御免である。
(※クロソイの時期を過ぎると、替りにマグロの中トロが乗せられていることが多い)

さて集団指導である。「平成25年度介護保険施設等指導監査に係る集団指導」のリンク先を参照頂きたいが、主たる内容は「次第」の通りである。

行政職員の方にお願いしたいのは、集団指導は1年に1度開催しなければならず、行政職員の方も準備等に忙しく立ち回っているのだろうが、事業者にとっても貴重な時間を割いて、遠くから集まっているのであり、資料の読み上げだけで解説のない、あたかも「アリバイ作り」のような行政説明はやめていただきたいということである。

今回約90分の行政説明の冒頭の10分は、まさにその状況で、資料1の指導監査概要を読み上げるだけのものであった。いい加減にしてくれ。あんたに読み上げてもらわなくても自分で読めるわ!!と言いたい。

「平成24年度実地指導結果について」は資料を読んでもらうとわかると思うが、普通に運営している事業者なら何を今更という指導内容ばかりである。常勤換算の計算方法や、事業規模の計算、利用者数の計算など今も指導を受けている事業者がある方がどうかしている。目新しい内容は「皆無」と言って良いだろう。

ここではたと気がついたことは、どうも行政と事業者の集団指導に対しるニーズには、ミスマッチがあるということである。

事業者側は、年に一度行政側から説明を受けるのに際し、ホームページ等で確認できる情報ではない、最新の情報も含めた事業運営に役立つ指導であって欲しいと望むのであるが、実地指導で指摘されている最低限のことができていない事業者があることから、行政側は、どうしてもそちらの事業者側の「低い意識レベル」の改善問方向に指導内容が向かいがちで、普通以上の法令理解をしている多くの事業者にとって役立つ情報や、指導内容はそこには存在しないということである。今回の集団指導も、新たな情報はなかったし、聴きに行かなくても事業運営に支障がないといっても過言ではなかった。

集団指導
この画像を見てもわかるように、会場の前列部分は人が座っていない。僕が全国各地で行う講演では、こうした景色はほとんど見られない。会場が埋まっていない時から最前列に席をとって、一言も聞き逃すまいという気合十分の受講者の方がいつもたくさんおられる。

集団指導の会場が、このような状態であるということは受講者が聞き逃してはならないという気分になっていないということであり、それは事業者が集団指導にいかに期待していないかの表れであろう。我々が聞きたいことや必要としていることをどのくらい理解して話しているのか疑問に思っている人が多いということだ。

ところで今朝、資料の一部に疑問を持ったので、胆振保健福祉事務所の運営指導係に電話をして確認してみた。「実地指導結果について」の9ページ(介護施設共通)の中で、「施設サービス計画の作成」に関わり、「サービス担当者会議の開催をしていなかった」という指導内容があり、10ページに、「施設サービス計画の流れ」という表が示され、そこでは施設サービス計画の作成には、サービス担当者会議を必ず開催しなければならないような図解がされている。(リンク資料を参照願いたい)

しかしこれは明らかに法令ルールとは違っている。「ケアプランはサービス種別によって作成ルールが異なる」で示しているように、施設サービス計画時は、担当者会議と担当者への照会は同列扱いで、特別な理由がなくとも、担当者への照会を、担当者会議に替えることができる。しかし10ページの表ではそうではないような誤解が生ずるために、北海道は施設サービス計画にも必ず担当者会議が必要であるというローカルルールがあるのかと思い確認した。

その結果は、やはり指導は照会も行っていな方ケースであり、10ページの表は、作り直す必要があるかもしれないという答えであった。できるだけサービス担当者会議を開催してくれという意味でもないのである。

居宅サービス計画については、「やむを得ない理由がある場合」のみ、照会を認めているが、なぜこのようにサービス計画の作成ルールが居宅と施設で違っているかといえば、介護保険制度がスタートした時には、もともとは居宅サービス計画も、施設サービス計画と同様、担当者会議と照会は同列で、どちらでも良いことになっていたのである。しかし所属事業所が異なる担当者も含めて、他職種協働している居宅サービスにおいて、担当者が一度も集まらず、ケアマネジャーの照会だけでサービス提供されているケースが多数見られたことから、それはどうなんだろうという議論となって、照会は理由があるときのみというルール変更が行われたのが、平成15年の報酬改定の時であった。

その際にも、施設サービス計画は、施設サービスという単品サービスであり、担当者はすべて施設職員であり、日頃からコミュニケーションが取れていると考えられ、あらためて一同が介して会議を行って話し合わなくとも、担当者同士の協働作成は可能であろうということで、施設サービス計画のルールは変更されなかったのである。

つまり施設サービス計画は、担当者会議を前提とした協働作成ではないので、照会で済むケースは、そのルールを活用し、担当者会議に時間を割かずに合理的に作成して良いもので、忙しいケアマネジャーやサービス担当者は、このルールを活用すべきなのである。

北海道も、この点は問題なしと解釈しているので、資料を誤解して読まないように注意していただきたい。

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集団指導に向かっています。

今日の登別は青空が広がる良い天気になった。気温も昨日より少し高くなって、12度くらいになっているようだが、風はやはり冷たい。

明後日、土曜日は福岡県博多市で講演を行うが、この時期の道外移動の際の服装が一番困るところだ。天気予報を見ると、土曜日の登別の最高気温は14度で、最低気温は7度である。街を歩く人がコートを着ていても何の違和感もない。しかし同じ日の博多の最高気温は22度で、最低気温は15度である。最低気温が、登別の最高気温より高いのだから、その差は歴然であり、まさかその状態でコートを着ている人はいないだろうから、インナーで温度調整するしかない。毎年、この時期の南の地域での講演は服装に悩むのであるが、最近感じていることは、南の地域に住む人ほど、まだ暖かさを感じる少し気温が下がった時期から、コートを着るなど厚着になるように思う。北海道では、この程度ならコートは着ないだろうと思う気温でもコート姿の人を見たりするので、気温の差異はあっても、服装の差異は時期的にはそれほどずれないのかもしれない。

おっと、気候の話がずいぶん長くなった。本題に入ろう。

都道府県は毎年、施設や事業所向けに集団指導を行い、ここで介護事業の適正運営を周知する。それが守られて運営されているかについては実地指導で確認し、そこでさらに問題が発覚すれば監査などを行うという流れになっている。

これに伴い、通所サービスなどの居宅サービスは、それまで3年に1度程度を実地指導の目安としていたものが、指定更新までに1度実施することに変更されている(施設サービスは2年に1度は変わらない)。

北海道の場合、集団指導が行われる単位は旧支庁単位、現在で言えば総合振興局の単位で行われ、当地域は胆振総合振興局の管轄である。胆振地域全域については細長い管轄地域であり、一番西端から東端までは、車で4時間以上かかってしまう広い地域である。そのため毎年の集団指導は、両方向から来ることができるように、中間地点よりやや東端に位置する苫小牧市と、中間地点よりやや西に位置する室蘭市で、各年交代で行っている。僕の住む登別は、ちょうど室蘭市と苫小牧市の中間に位置するので、どちらに行くにしても車で40分〜50分くらいである。

今日がその集団指導の日である。今年は室蘭市の文化センターが会場である。開始時間が13:30のため、お昼前に会場に向けてコバくんの運転で出発し、途中でお昼ご飯をいただいた後に、会場入りすることにした。これはいつもの集団指導のお決まりパターンである。

今年度は、介護保険制度改正から二年目で、特段のルール変更もないし、新たに確認するようなこともなく、わかりきったことを聞いてくるだけに終わるかもしれない。来春の消費税アップに向けた報酬への反映率も方法(基本報酬に入れるのか、加算としてみるのか等)も決まっていないので、そちら方面の情報もないだろう。ここ1年間の実地指導で指摘された内容が主になるだろうか。

どちらにしても今日の集団指導の情報は、明日のブログに記したいと思う。何か目玉情報があれば(ないと思うが)それもきちんと書く予定なので、明日昼休みに更新する記事をご覧いただきたい。

前述したように、この地域は広いので、普段ほとんど顔を合わせないで、ご無沙汰のままの友達や知り合いも多い。集団指導は、年一度それらの人とも合うことができたりする場所で、それらの人たちの顔を探して旧交を温めるという楽しみもある。今日はどんな懐かしい顔に会うことができるだろうか。

集団指導が終わるのは、15:30くらいだろうか。そのあと一旦施設に戻って、夕方18:00〜は認定審査会のために、登別市役所に向かわねばならない。そのため今日の午後からはほとんど施設に滞在している時間はない。

この記事は、車中でipadを使って更新しているために、今日はこれで終わりにしておく。それでは明日の情報発信まで、少しだけお待ちいただきたい。

介護・福祉情報掲示板(表板)

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地域包括ケア計画が作り出す新しい地域社会


この時期に、「要支援者の給付はどうなってしまうのか?」と問いかけている人がいるが、今更何を言っているんだろう。

社会保障改革国民会議の報告書が首相に提出され、その意見を踏まえて次期改正制度を作るとしているんだから、要支援者の市町村事業への移管は既定路線であり、今から変更されることはない。

それが証拠に、ゴールデンウイーク中に、厚生労働省が要支援外しをマスコミにリークした後、5/7の大臣記者会見で、市町村格差を理由にその方針を否定した田村厚労大臣は、8/11(日)のNHKの番組内で、5/7発言から180度転換し、「要支援」向けサービスを市町村事業に移す改革案について次のように発言している。

・「財源は介護保険の財源を使う。変わらないように議論する」
・「サービス提供のところを自治体で知恵を出してもらえれば、費用が抑えられる。いきなりは無理だと思うので、時間をかけて(市町村に)受け皿を作ってもらう」

この発言から、国の方針は明確であることがわかるだろうし、この流れはもう止まらないだろう。

ところで社会保障改革国民会議の報告書で、要支援者を介護保険給付対象から外す理由について、次のように記述されている。
--------------------------------------------------
今後、認知症高齢者の数が増大するとともに、高齢の単身世帯や夫婦のみ世帯が増加していくことをも踏まえれば、地域で暮らしていくために必要な様々な生活支援サービスや住まいが、家族介護者を支援しつつ、本人の意向と生活実態に合わせて切れ目なく継続的に提供されることも必要であり、地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク、すなわち地域包括ケアシステムづくりを推進していくことも求められている。
この地域包括ケアシステムは、介護保険制度の枠内では完結しない。例えば、介護ニーズと医療ニーズを併せ持つ高齢者を地域で確実に支えていくためには、訪問診療、訪問口腔ケア、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問薬剤指導などの在宅医療が、不可欠である。自宅だけでなく、高齢者住宅に居ても、グループホームや介護施設その他どこに暮らしていても必要な医療が確実に提供されるようにしなければならず、かかりつけ医の役割が改めて重要となる。そして、医療・介護サービスが地域の中で一体的に提供されるようにするためには、医療・介護のネットワーク化が必要であり、より具体的に言えば、医療・介護サービスの提供者間、提供者と行政間など様々な関係者間で生じる連携を誰がどのようにマネージしていくかということが重要となる。確かに、地域ケア会議や医療・介護連携協議会などのネットワークづくりの場は多くの市町村や広域圏でできているが、今のところ、医療・介護サービスの提供者が現場レベルで「顔の見える」関係を構築し、サービスの高度化につなげている地域は極めて少ない。成功しているところでは、地域の医師等民間の熱意ある者がとりまとめ役、市町村等の行政がその良き協力者となってマネージしている例が見られることを指摘しておきたい。
こうした地域包括ケアシステムの構築に向けて、まずは、2015(平成27)年度からの第6 期以降の介護保険事業計画を「地域包括ケア計画」と位置づけ、各種の取組を進めていくべきである。
具体的には、高齢者の地域での生活を支えるために、介護サービスについて、24 時間の定期巡回・随時対応サービスや小規模多機能型サービスの普及を図るほか、各地域において、認知症高齢者に対する初期段階からの対応や生活支援サービスの充実を図ることが必要である。これと併せて、介護保険給付と地域支援事業の在り方を見直すべきである。地域支援事業については、地域包括ケアの一翼を担うにふさわしい質を備えた効率的な事業(地域包括推進事業(仮称))として再構築するとともに、要支援者に対する介護予防給付について、市町村が地域の実情に応じ、住民主体の取組等を積極的に活用しながら柔軟かつ効率的にサービスを提供できるよう、受け皿を確保しながら新たな地域包括推進事業(仮称)に段階的に移行させていくべきである。
---------------------------------------------------
僕はこの文章を何度読んでも、要支援者を介護保険から除外する理屈が読み取れない。「地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク、すなわち地域包括ケアシステムづくりを推進していくこと」は重要だということはわかる。「この地域包括ケアシステムは、介護保険制度の枠内では完結しない。」こともその通りであろう。「様々な関係者間で生じる連携を誰がどのようにマネージしていくかということが重要となる。」ことも理解できる。その中で、「地域支援事業については、地域包括ケアの一翼を担うにふさわしい質を備えた効率的な事業(地域包括推進事業(仮称))として再構築」する必要性もあるだろうとは思う。

だからといってなぜ、「要支援者に対する介護予防給付について、市町村が地域の実情に応じ、住民主体の取組等を積極的に活用しながら柔軟かつ効率的にサービスを提供できるよう、受け皿を確保しながら新たな地域包括推進事業(仮称)に段階的に移行させていくべきである。」という結論に持っていくのかが理解できない。論旨が繋がっていないのではないだろうか。

前段の論旨から言えば、様々なサービスや関係者を有効に連携される必要があるんだから、本来は同じ制度の中で繋げられるものは、そのままにしたほうが良いという考えの方が一般的ではないか。

つまり地域包括ケアシステムを円滑に進めようとする意図があるのなら、要支援者を給付除外するより、同じ制度の中でマネジメントしていった方がずっと効率的に切れ目のないサービスを提供できるということだ。むしろ予防給付と介護給付を分断して、ワンストップサービスを崩壊させた2006年改正が間違っていたと反省したほうが良いのではないかとさえ思う。

そういう意味では、この報告書の要支援外しの理由はあまりに取ってつけたような理由で、本音は、まず財源確保のために給付抑制ありきで、要支援者の給付除外の論理が述べられているだけというような気がしないでもない。

とはいっても、このことについて今更愚痴を言っても始まらないわけで、否応なく要支援者のサービスは市町村事業へと段階的に移行していくことは間違いないところである。

そうであれば当然のことながら、市町村のサービス格差は必然的に生ずるものであり、どの地域に住んで高齢期を迎えるのかということが、老後の生活の質に直結する近未来というものが見えてくるであろう。

その結果、自分の求めるサービスが利用できる地域への住み替えが当然のように行われる社会になってくることも考えられ、地域包括ケア計画とは、住み慣れた地域社会で暮らし続けることができるシステムではなく、新しいコンパクトなサービス提供地域に移住を促進するシステムに変換していく可能性を持っていると言えるのではないだろうか。

そう考えていくと、財源が最大の課題として論じられ作られるシステムの帰結するところは、高齢期に住み慣れた地域で暮らせない社会かもしれない。その中で、高齢者には今以上に新しい環境への適応力が求められるのが、我が国の近未来像であろう。
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実地指導対策講座に時間とお金を使う無駄


介護保険サービス事業において、運営に関わる管理者だけではなく、実務に携わる人々の中で、異常に実地指導を恐れている人がいる。実地指導で指摘事項があれば、重大な責任問題になるのではないかと考えている人がいる。

しかしそれは違うと言いたい。

もちろん不正請求や不適切運営を行っているような場合は、それが実地指導で発覚し、実地指導から監査に切り替わることを恐れるのは当然であるが、そうではない事業者の管理者や実務担当者までが、実地指導を恐れるのはどうかしていると思う。

実地指導はあくまで「制度管理の適正化とよりよいケアの実現」のために行われるもので、法令基準を満たす適切な運営が行われているかを、行政職員が定期的に確認し、必要な指導を行うものである。はじめから不正があるという前提で、それを見つけるために行うものではないし、不正とは言えない間違いについては、改善指導を行うことが目的としてあるのだから、指導事項が何もないという結果を求める必要はないのだ。ある意味、指摘事項や口頭指導はあって当然である。行政担当者もいつも何もないでは、実地指導に足を運んでいる意味がないということになってしまうので、重箱の隅を楊枝でほじくりたくなる気持ちも分かってやってほしい。

そもそも些細な記録ミスや、さして重大ではない書類の不備は、指摘され指導を受けた後に、正しく整備し、誤った運用方法になっていた部分は、直せば良いだけの話である。

この時に、報酬返還に繋がるような重大なミスがあっては困るから、「実地指導対策講座の功罪」でも指摘したように、その対策講座をあらかじめ受講して、請求ミスを起こさない方法を伝授してもらいたいというニーズが高いのだろう。

しかし対策講座を受けなければ、報酬返還につながる重大なミスを犯すかもしれないという考えも被害妄想と言って良い。普通に運営基準を読んで、そのルールを真摯に守ろうとする気持ちがあれば、報酬返還に繋がるような基準違反を知らぬ間に犯してしまうことにはならない。

居宅介護支援事業所で、管理者兼任で介護支援専門員の業務を行っている人は、特にこの運営基準違反を気にして、実地指導対策として研修を受けなければと考えている人が多いように思えるが、居宅介護支援費の算定と減算ルールは、さほど複雑なものではない。

平成24年からの介護報酬告示では、減算については一部変更が有り、従前は一月目が所定単位数に70/100を乗じた単位数を算定することがでいたものが、改正後は所定単位数に50/100を乗じた単位数に変更され、運営基準減算が2ヶ月以上継続している場合には、従前は所定単位数に50/100を乗じた単位数が算定できたものが、所定単位数は算定しないに変更されている。しかし減算対象となるものに変化はない。老企36号でその内容は示されているが、それをまとめると
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(1)居宅サービス計画の新規作成及びその変更に当たっては、次の場合に減算されるものであること。
当該事業所の介護支援専門員が、利用者の居宅を訪問し、利用者及びその家族に面接していない場合には、当該居宅サービス計画に係る月(以下「当該月」という。)から当該状態が解消されるに至った月の前月まで減算する。
当該事業所の介護支援専門員が、サービス担当者会議の開催等行っていない場合(やむを得ない事情がある場合を除く。以下同じ。)には、当該月から当該状態が解消されるに至った月の前月まで減算する。
当該事業所の介護支援専門員が、居宅サービス計画の原案の内容について利用者又はその家族に対して説明し、文書により利用者の同意を得た上で、居宅サービス計画を利用者及び担当者に交付していない場合には、当該月から当該状態が解消されるに至った月の前月まで減算される。

(2)次に掲げる場合においては、当該事業所の介護支援専門員が、サービス担当者会議等行っていないときには、当該月から当該状態が解消されるに至った月の前月まで減算する。
居宅サービス計画を新規に作成した場合
要介護認定を受けている利用者が要介護更新認定を受けた場合
要介護認定を受けている利用者が要介護状態区分の変更の認定を受けた場合

(3)居宅サービス計画作成後、居宅サービス計画の実施状況の把握(以下「モニタリング」という。)に当たっては、次の場合に減算されるものであること。
当該事業所の介護支援専門員が1月に利用者の居宅を訪問し、利用者に面接していない場合には、特段の事情のない限り、その月から当該状態が解消されるに至った月の前月まで減算する。
当該事業所の介護支援専門員がモニタリングの結果を記録していない状態が1月以上継続している場合には、特段の事情がない限り、その月から当該状態が解消されるに至った月の前月まで減算する。
-------------------------------------------------------------
以上である。別段誰かから解説してもらわないと理解できないような文章ではないし、読めば、どういう場合に減算になるか理解できる内容だ。そうであればこのことを行って、その記録を残しておれば良いだけの話だ。この減算規定に該当しないように、日頃の業務を正しく行い、その記録を残しておくことなど何が難しいというのだろうか。なんの対策が必要だというのだろうか。そのような「実地指導対策講座」を受けなければならないというのだろうか。

この部分は別に巧妙なる記録方法とか、合理的な方法で対応する方が良いというわけではない。真面目に自分の方法で行っておれば良いだけの話で、対策講座などで巧くなる方法を知る必要もない。自分の方法を作り上げる方が大事だ。なぜならオリジナリティこそが、個別のニーズに対応できる支援方法を探り当てるスキルだからだ。

繰り返しになるが、書類の一部不備などは、指導を受けて改善すればよいもので、それは文書指導もしくは口頭指導にとどまるもので、指導を受けて改善するっていうこと自体はあっても良いことなのである。

特養に関して言えば、個別機能訓練加算や栄養ケアマネジメント加算など、専門職の行うべきサービス実務に関する費用算定基準は、現場のことをよく知っている僕自身が間違いないところまで読み込むし、サービス提供体制や職員配置に関する、人事管理に関連する加算などは、むしろ配置数の問題だから単純に解釈可能である。算数が出来る人なら間違える余地がない。介護職員処遇改善加算の算定ルールなどは、多少複雑な算定ルールになっているが、それは人事や経理のスペシャリストが確認できるのだから、わざわざ外部講師に算定方法を伝授してもらう必要もない。

むしろ実地指導対策講座の中で、求められているサービス提供方法や、それに関わる記録の方法を伝授され、理解しようとすれば、それは利用者へのサービス提供に必要な、最低限求められている手順や手続きを理解する中から、何が利用者にとって必要なのかと考えることを忘れ、すべてが費用算定ありきという方向からしかものが見えなくなるという弊害を生む。暮らしを支援する方法が、金銭対価を先に見ることによって、歪んだ方法論に陥ってしまうことさえある。

さして難しくもない算定ルールなんだから、実地指導対策講座にかける時間や費用は無駄と考え、そんなものに頼らないスキルを日常から磨くべきである。

実地指導対策講座を受講する暇があったら、運営基準や解釈通知をじっくり読み込んで、自分で解釈を考える方がよほどスキルになるだろう。解釈しようとする限り、報酬返還になるような重大な請求ミスも起こらないはずである。

今後の事業者スキルとして、「実地指導対策」と銘打った講座には、一切参加しないと決めて、それを目指した日頃の勉強と、事業運営を模索したほうが良いと思う。その程度のプライドを持てないでどうすると言いたい。現に僕はそうしている。

※今日の記事と直接関係のないことですが、先週金曜日に講演を行った宮城県登米市の研修主催者である「宮城県ケアマネジャー協会登米支部」の皆さんから、「先日は大変素晴らしい講演誠にありがとうございました。登米市津山町にある木工芸です。私たち宮城県ケアマネジャー協会登米支部の心ばかりの御礼です」というメッセージとともに。クラフトショップもくもくハウスというところで発売している、小物入れと名刺入れが届きました。講演料を別に頂いているのに恐縮です。この場を借りてあらためてお礼を申し上げるとおもに、送られてきた木工品を画像で紹介します。
登米市もくもくハウス木工品

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地域で今、何が起こっているか


島根県飯南町の民生委員協議会の皆さんが、北海道に視察旅行に訪れ、登別温泉に一泊予定があるため、宿泊先で僕に60分程度の講演をして欲しいという依頼があった。

テーマは僕の方で決めて欲しいというので、快く受けさせていただき、「地域で今何が起こっているか」というテーマにして、地域の中の介護問題を具体的に取り上げて説明させていただくことにした。

その講演を昨日、登別温泉で一番大きなホテル、「第一滝本館」で行ってきた。

民生委員向け講演

僕は登別市の民生委員推薦会の委員を勤めているので、民生委員というものが、ボランティア精神がないとできない職務であるということがよくわかる。その職務によって報酬を得られるわけでもなく、むしろ手弁当で持ち出しの方が多い。そのようなこともあり、地域ではなかなか民生委員のなり手が見つけられないのが実情である。だから、その任に就いている方々へのお礼の言葉から入ったのは言うまでもない。

講演内容としては、超高齢社会における介護問題として、登別市という限定した枠組みだけではなく、日本全国のいろいろな場所で実際に起こっている問題を具体的に示して、インフォーマル支援がますます減っていく中で、地域住民の意識をどう変えていく必要があるのかということをお話した。

日本人の死亡原因
介護が必要となった主な原因

そのため、はじめに上の二つのグラフを示して、日本人の死因と、要介護状態になる原因は異なっていることを説明した上で、長く日本人の死因のトップであった、脳血管疾患(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血等)が4番目の死因になっている意味は(脳血管疾患は日本人全体の死因としては、肺炎と並んで3位であるが、65歳以上という括りで見れば、肺炎が3位で脳血管疾患は4位になる。)、それが必ずしも死病でなくなったと同時に、後遺症を抱えて生活している人が多くなっているという意味でもある。

脳血管疾患の特徴として、脳の神経細胞の一部が壊れてしまうという特徴があるため、一度壊れると再生しない脳神経細胞であるがゆえに、身体の一部に麻痺が後遺症として残りやすいということがある。しかも麻痺の程度が仮に「軽度」であったとしても、利き腕が軽く麻痺しただけで、食事の際に魚の骨を自力でとれなくなったり、巧緻障害により着脱位の際に、ボタンを自力で外したり、はめたりできなくなるといった不便が生じ、生活に支障が出て、だれかの手助けが必要になる。

例えば65歳で脳出血を発症し、後遺症として右片麻痺となった女性が、あと何年その身体の障害を持ちながら暮らすのかを考えると、脳血管疾患を患ったからといって、一般女性の平均余命より、それが短くなるということはないのだから、平均するとその状態で23年以上の介護支援を必要とするということになる。 80歳でも11年以上の介護が想定されるのである。

ここで現実に起こっている介護問題とは、長い期間で介護するものと介護されるものの、関係が変わってしまう恐れがあるということだ。主介護者で一番多いのは「嫁」である。次に「娘」が来ている。つまり介護問題とは未だに女性問題でもあるが、例えば。65歳で倒れた人の介護を支える主介護者の嫁が40歳から介護を始めても、介護をしなくて良い状態になるのはその嫁が63歳を超えて以降になる可能性が高いということだ。

このことによって地域では、70代の嫁が90代の義母を30年間介護し続けて、介護している嫁の方が認知症となって、実際には介護が十分されておらず、ひどい状態で発見されるということが起きている。つまり老老介護は、高齢者夫婦世帯だけの問題ではなく、すべての人の問題となって出現しているのだ。

当然、認知症の人が多くなるという状況が生まれており、それらの方は地域で暮らし続けなければならない人が多いのだから、認知症の問題は他人事ではなく、自身の身の周りに生ずる問題として地域ぐるみで考えていく必要性を訴えた。

その中で、「利用者宅を牢獄に変えた介護事業者の感覚」で掲載した写真も見てもらい、そのことを論評したが、受講者の皆さん全員がショックを受けていたようである。

その他にも地域の中で認知症の方に関わったケースなどの具体例を挙げて、地域力を高める必要性を強調するとともに、民生委員の方々の役割はより重要になってくることを説明した。地域の中で無関心が広がって、他人に対するおせっかいがなくなってしまう社会は恐ろしいと指摘した。

愛情の反対語は、憎しみではなく無関心なのだから。

全国のいろいろな場所に呼ばれて講演することも多いが、このような形で、僕の住む街に来てくれる方に、宿泊先のホテルで講演するのも、僕にとってはとても良い機会であった。これなら平日でも、少しの時間だけ職場を離れるだけで業務にも支障を来さないと思ったりした。

僕が全国の都道府県で、まだ講演を行ったことがなく、今後も講演予定が入っていない県は、13県だけになったが、その一つに島根県がある。そこの民生委員の方々に、こういう形でお話できたのも何かの縁だろう。

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実地指導対策講座の功罪




介護サービスの質が議論されて久しいが、それはとりもなおさずその事業に従事している人々の、人材としての質が問題とされているのだろうと思う。

業界全体で見れば、有能な人材の数は、介護保険制度施行以前と比べると間違いなく増えてはいる。しかしそれ以上に事業所数が増えているので、有能な人材以上に、人材とは言えないような単なる人員レベルの人が増殖しているのも事実である。そしてその人員の中には、介護サービスを提供するのに向いていないのではないかと疑いたくなるような資質の人が含まれていることも事実だ。

しかもそうした人材とは言えない人たちが、事業管理者の中にも存在することで、事業運営のルールが法令でどのように定められているかさえ知らずに、不適切な運営を行う結果となっていたりする。

その中には悪意がないけれど、知識がないことによって、結果的に不正請求を行ってしまう事業者も存在するのだろう。

このように不正意識がなくても、法令を知らないことで結果的に不適切運営や、不正請求を行ってしまうことを防ぐために、全国各地で「実地指導対策講座」なるものが開催されている。そこには結構人が集まり大流行りという状態だそうである。

しかしそのような「対策講座」に参加しないと、事業運営が適切にできないというのは、ある意味恥ずかしいとも言える。

そもそも実地指導は、事業者の不正を見つけるために行われるものではない。

介護保険施設等実地指導マニュアル(厚生労働省)によれば指導監督事務について、指導と監査を区分することにより次のような異なった目的を示している。

○ 指導は制度管理の適正化とよりよいケアの実現
○ 監査は不正請求や指定基準違反に対する機動的な実施

つまり定期的に行われる実地指導は、不正を発見するのが目的ではないし、ケアの質を担保するために制度管理と運営の最低基準を守っているかが問われるものだ。そこで真面目に事業運営に取り組んでおれば、書類の整備がされていないなどのわずかな齟齬について、指導をきちんと受けることはやぶさかではないはずだ。むしろ指摘事項から学び取って、よりよい事業運営につなげていけば良いと思う。

この時、報酬算定ルールを知らずに返還指導を受けることを恐れることから、「対策講座」が繁盛するのだろうが、事業管理者が、基本法令と報酬告示・解釈通知をきちんと読み込んで事業運営にあたっておれば、そのような事態は防げるはずだ。

各都道府県では、実地指導に関わる自己点検表も出しており、(参照:北海道の実地指導自己点検表)これらを日頃から確認しておれば、わざわざ対策講座を受ける必要もないと思う。

自らが対策講座を受けないと実地指導に臨めない不安がある管理者は、そういうスキル自体を向上させなければならないので、法令を読み込み、点検表を使って日頃から検証するという作業から始めたほうが良いのではないのかと思ったりする。

報酬請求事務担当者も、実地指導対策講座に頼るのではなく、対策講座を受講しなくても良いだけの知識を日頃から身につける努力が必要なのではないかと思う。そうすることがスキルアップにつながるのではないかと思う。それは対策講座で知識を得る何十倍の効果があるものだろうと思う。

当施設は措置時代から、介護保険制度にかけて、長年行政指導を受けているが、そうした対策講座を受けたことはなく、それでも問題なく事業運営できている。

細かな齟齬に対する文書指導は何度か行われたが、報酬返還などに繋がるような不適切サービス・不正請求の指導はされたことがない。そんなことは自慢する問題ではなく、事業者として当たり前のことであると思っている。

なぜなら対策講座を受けないと、実地指導に自信を持って臨めないのであれば、実地指導とは、行政担当者の一方的な指導を受けて、何も指摘されないことが唯一の目的となってしまうからだ。

しかし本来そこでは、介護サービスを提供している事業者として、適切なサービス提供のバリアになっている法令ルールを指摘するなど、現場からの意見発信があって良い機会である。そのことで行政担当者とポジティブな意見交換ができる場であるはずだ。

実地指導とは、そういう貴重な機会なのに、そうした目的を持てない事業者をはびこらせているのが、対策講座の存在の一面であるような気がしてならない。

実地指導の要点のみに絞って対策をレクチャーしてくれる講座は便利なのだろうが、便利さは必ずしもスキルアップに繋がらないし、時にそれは事業者及び事業運営者の育成にとっては障壁にさえなるという事業者意識も必要なのではないだろうか。



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介護・福祉情報掲示板(表板)

法令無視のローカルルールは事業運営の質を担保しない


都道府県は毎年、介護保険事業者に対し集団指導を行い「人員、設備及び運営に関する基準」並びに「費用の額の算定に関する基準」等について周知を図ることが義務付けられている。

ところでこの集団指導について、表の掲示板で次のような質問が書き込まれた。
---------------------------------------------
本日、市の集団指導に参加してきました。その中で、納得できない事項がありましたので、ご相談したくスレットを立てさせていただきました。その内容というのが、ケアプランについてです。

市の指導内容は、
1:長期目標は、最長1年で設定すること。

2:短期目標が切れた時には、介護保険最新情報Vol.155(2010年7/30)「介護保険制度に係る書類・事務手続き見直し」で同一の用紙への記載が認められていることを前提で、同一用紙に訂正し、再度、家族、本人から第2表へ同意と捺印をもらうこと。

というものでした。

長期目標は、認定の有効期間を考慮することと理解しており、2年の認定期間がある方については、2年で設定もしていましたが、不適切とのことでした。また、短期目標の期間延長に限っては、期間を訂正するのみの対応でよいと理解していましたが、第2表への同意、捺印が必須とのことでした。

「うちの市では、このようにしてもらうことで統一します」とのことで、ローカルルールというものに当てはまる事項なのでしょうか?
----------------------------------------------
↑これは当該市の指導であり、県単位の集団指導ではないということである。上記2点の指導内容はローカルルールと言えるだろうが、それは果たして保険者の裁量権として認められる内容なのであろうか?

まず「1:長期目標は、最長1年で設定すること。」について考えてみよう。

老企29号解釈通知では、「長期目標は、基本的には個々の解決すべき課題に対応して設定するものである。」としている。

さらに厚生労働省ケアプラン点検支援マニュアルでは 、「認定の有効期間も考慮しながら、達成可能な目標と期間の設定になっている。」とされており、具体的に何年とか、何ケ月という期間の定めはない。

それは「認定期間も考慮しながら、個々の解決すべき課題に対応して設定するもの」であり、そうであれば、個々の解決すべき課題を引き出すアセスメントと連動している必要があり、行政担当課が、この期間設定を一律この程度にしなさいというのは法令趣旨に著しく反するものである。

長期目標を1年以内に評価する方が、利用者の暮らしを年単位で評価し、その質の向上に繋がるという考え方があってよいだろうが、それも一方的な行政指導で押し付けるのではなく、実務に携わっている介護支援専門員が納得・理解できる方法でルールを定めるべきではないのか?

なぜなら、こうしたローカルルールを定めるとしたら、なぜ1年間までしか長期目標を認めないのか、1年を超える期間設定でどのような支障が出るのか等を詳しく説明する責任が行政側には生ずると考えるからだ。集団指導とは、単なるアナウンスの場ではなく、介護保険事業者の適切運営に資する説明の場であるからだ。

それを行わない、アセスメントをないがしろにする期間の制限は、行政側の横暴なルール押しつけと言われても仕方がないだろう。

ただしこの指導については、法令無視のローカルルールとまでは言えず、市が考え方を撤回しない限り、それに従わざるを得ないといえことになってしまうだろう。
※なお目標期間設定の考え方については、長・短期目標の期間設定について考える(その1)(その2)を参照していただきたい。

それにしても「2の短期目標の期間変更のみの軽微変更であっても利用者同意が必要」という指導は、ローカルルールとしても、あってはならない法令無視のボンクラ指導である。

目標期間の変更については、老介発0730第1号等で、『単なる目標設定期間の延長を行う場合(ケアプラン上の目標設定(課題や期間)を変更する必要が無く、単に目標設定期間を延長する場合など)については、「軽微な変更」に該当する場合があるものと考えられる。』とされている。

この解釈には『変更する内容が同基準第13条第3号(継続的かつ計画的な措定居宅サービス等の利用)から第11号(居宅サービス計画の交付)までの一連の業務を行う必要性の高い変更であるかどうかによって軽微か否かを判断すべきものである』という条件が付けられているが、基本的には、短期目標期間の変更のみの場合は、軽微変更と解釈でき、これについては老企29号で『当該変更記録の箇所の冒頭に変更時点を明記しつつ、同一用紙に継続して記載することができるものとする』としているところである。

もともと軽微変更ルールが導入された理由と経緯は、ケアプラン変更の際も、ケアプラン作成とおなじ一連の業務が必要とされており、ケアマネジャーにとっては大きな業務の負担となっていたことをから、この業務負担の軽減を図るために、ケアプランの「軽微な変更」の場合は、「その必要はない」としたものである。(厚生労働省通知)

このことに関連しては、前記した平成22年7月の「書類・事務手続き見直し」に関する通知にも次のような一文が載せられている。

「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準について(平成11年7月29日老企22号厚生省老人保健福祉局企画課長通知)」(以下「基準の解釈通知」という。)の「第 指定居宅介護支援等の事巣の人員及び運営に関する基準」の「3 運営に関する基準」の「(7)指定居宅介謹支援の基本取扱方針及び具体的取扱方針」の「居宅サービス計画の変更」において、居宅サービス計画を変更する際には、原則として、指定居宅介護支援等の事業及び運営に関する基準(平成11年3月31日厚令38、以下「基準」という。)の第13条第3号から第11号までに規定されたケアプラン作成にあたっての一連の業務を行うことを規定している。なお、「利用者の希望による軽微な変更(サービス提供日時の変更等)を行う場合には、この必要はないものとする。」としているところである。

↑これを読めば、軽微変更の際に省略できる業務とは、指定居宅介護支援等の事業及び運営に関する基準13条の「第3号から第11号までに規定されたケアプラン作成にあたっての一連の業務」であることがわかる。

そうすると基準省令13条10号の「介護支援専門員は、居宅サービス計画の原案に位置付けた指定居宅サービス等について、保険給付の対象となるかどうかを区分した上で、当該居宅サービス計画の原案の内容について利用者又はその家族に対して説明し、文書により利用者の同意を得なければならない。」も省略出来る業務ということになる。

それにもかかわらず、このボンクラ市は、軽微変更の際にもこの業務を行なえと指導しているわけだ。これは国の通知と明らかに矛盾したもので、なおかつ軽微変更ルールがなぜ必要とされ認められたかという経緯を無視した(おそらく知らないのであろう:単なるバカということか?)ルールである。

法令を守ることを目的とした集団指導において、法令を無視したローカルルールがまかり通っては、行政指導担当者が変わるたびに、根本ルールが無視された解釈がまかり通るといった不信感だけが地域に蔓延し、事業者のコンプライアンス意識などどこ吹く風となってしまうだろう。

どちらにしても当該市の指導の実態とは、ケアマネジメントの本質も、介護支援専門員の多忙さも知らない暇な行政担当者が、小権力者としての指導権限に酔っ払って、法令精神からかけ離れたところで、担当者の価値観を押し付けているだけのボンクラ指導と言わざるを得ない。

地域のケアマネ会などの職能団体は、結束して、こうした横暴で間違ったローカルルールの撤廃に向けたアクションを起こすべきである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

地域包括支援センターの役割はなんだ!!


ある地域包括支援センターの保健師さんが、表の掲示板のスレッドに書き込まれた内容を読んで首を傾げた。

スレッドの議論自体は、地域包括支援センターが関わっていた方が、グループホームに入所した後、プラン作成の段階で、過去の受診歴等を地域包括支援センター職員に情報提供を求めることが問題ないだろうかという主旨で展開されている議論である。その中で

『その包括が直営か委託かによって、できること・できないことに多少違いがあると思いますが』

という書き込みがされている。

地域包括支援センターの職務に就いているものが、直営と委託では機能が異なると考えることは間違っているのではないのか?もし違っているという実態があるのなら、それをやむなしとするのではなく、改善して、直営であろうと委託であろうと変わらないようにするアクションが必要ではないのか?

我々社会福祉援助に関わる専門職は、そういうソーシャルアクションを起こす責任をもっているのではないか?

だって地域包括支援センターって、市町村が設置すべき機関だぞ。それは市町村そのものであって、委託された場合であっても、市町村の機関機能を発揮できるという前提で業務委託されるものだ。

少なくとも地域住民にとっては、直営であろうと委託であろうと、市町村機関ということに変わりはないわけで、委託されている場合に、本来はその機関が持つはずの機能の一部分が直営の場合と違って機能しないとか、直営であればできることが委託の場合にはできないということであれば、地域住民は委託法人が存在することにより不利益を被ってしまうことになる。

こんなことがあってよいと考えることのほうがどうかしている。それは極めておかしなことだ。

そのような支援機能、あるいはサービス提供方法の低下を招くような法人は、本来市町村の委託先として手を挙げてはいかんだろう。もし受託法人ができないことがあるというなら、市町村のシステムの欠陥として、その改善を求めることが受託法人に課せられた社会的責務だろう。

地域包括支援センターができることが、市町村町の直営か、委託かで違いが出ると考えている人たちは、委託であればできないこともあって仕方がないと諦めてしまい、地域住民の不利益を知らぬ間に生み出してしまっているバリアである。

それは自分の仕事の責任の一部を放棄しているということであり、甘えに過ぎない。

そこには地域住民へのサービスであるという根本的な視点の欠如がある。そんな機関であっては、地域包括ケアシステムを支える基盤にはなりえないだろう。じゃあ地域包括支援センターの存在意義って何なんだ?

そもそも地域包括支援センターの職員の中に、自分らの役割とは、地域の居宅介護支援事業所をはじめとした介護サービス事業所を指導するものだと勘違いしている人もいるが、それこそが間違いだ。

地域包括支援センターとは、本来、地域のサービス事業者をサポートする役割を持つもので、指導権限を持つのではなく、支援機能を持つものだ。そのためにはサービス事業者等をサポートすべき高い理念と知識と援助技術を持つ存在でなければならない。

それは市町村直営であっても、委託であっても同じだろう。市町村の機関としての責任を果たすためにも、直営と委託の差を当然のごとく認める姿勢はなくしていただきたい。意識の改革を求めたい。

そして真の意味で、地域住民の保健・福祉・医療の向上、虐待防止、介護予防マネジメントなどを総合的に行う機関として存在して欲しいものだ。

地域包括ケアシステムが事実上存在していない地域が多いのは、案外、地域包括支援センターの職員が、委託だから市町村直営とは機能が異なると考えていることが理由の一つなのかもしれない。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

ケアプラン自己作成への妨害行為?


居宅サービス計画については、他者の計画を作成する場合は、指定居宅介護支援事業所の介護支援専門員でなければならない。

つまり介護支援専門員という資格は当然必要だが、その資格を持っていても、「指定居宅介護支援事業所」に配属されていなければならないのである。

しかし居宅サービス計画は、自己作成することが認められている。自分自身の居宅サービス計画を立てる場合は、何の資格も必要ないし、指定事業所に配属されている必要もない。これは常識といっても良い問題であろうが、一応その法的根拠を示しておく。

まず介護保険法第41条6項で、居宅サービス費が現物給付化(利用者1割負担を介護サービス事業者に支払って利用できること)される条件について

居宅要介護被保険者が指定居宅サービス事業者から指定居宅サービスを受けたとき(当該居宅要介護被保険者が第四十六条第四項の規定により指定居宅介護支援を受けることにつきあらかじめ市町村に届け出ている場合であって、当該指定居宅サービスが当該指定居宅介護支援の対象となっている場合その他の厚生労働省令で定める場合に限る。)は、市町村は、当該居宅要介護被保険者が当該指定居宅サービス事業者に支払うべき当該指定居宅サービスに要した費用について、居宅介護サービス費として当該居宅要介護被保険者に対し支給すべき額の限度において、当該居宅要介護被保険者に代わり、当該指定居宅サービス事業者に支払うことができる。

↑このように定めている。つまり指定居宅介護支援を受けることにつきあらかじめ市町村に届け出て介護支援の対象となっている場合(つまり居宅介護支援事業所の介護支援専門員により居宅サービス計画が立案されている場合という意味)の他に、厚生労働省令で定める場合には保険給付対象である居宅サービスは現物給付化(利用する際に1割自己負担分を支払って利用できること)されるわけである。

この「厚生労働省令で定める場合」とは、介護保険法施行規則第64条において規定されており、その二には、「当該居宅要介護被保険者が当該指定居宅サービスを含む指定居宅サービスの利用に係る計画をあらかじめ市町村に届け出ているとき。」としている。

つまり当該居宅要介護被保険者(つまり利用者自身という意味)が居宅サービス計画を立案し、市町村に届け出ている場合も、居宅介護支援を受けるのと同様に、居宅サービスは現物給付化されるわけである。これがセルフプランの法的根拠である。

このように居宅ザービス計画を、介護サービスを利用する本人が立案することを、マイプランとかセルフプランとか言う。これは法令上の言葉ではなく、あくまで通称だ。

ところでセルフプランを立てることについて、僕自身はあまり推奨しない立場をとっている。それは制度があまりにも複雑になりすぎて、介護保険制度や介護報酬の構造に精通していない人が適切なサービス計画を立案することが難しくなっているからだ。

だからといってセルフプランを完全否定しているわけではない。自分自身の計画を立案したいという希望を持つ人が、それなりに勉強して、自身にふさわしい計画を立案できるということであれば、それは充分認められると思う。大賛成だ。

ところが先日、道内のとある地域の方から、セルフプランの届出をしようとしたら役所の窓口で担当者職員から、そのことについての数々の妨害を受けたという相談を受けた。セルフプランといえど、介護支援専門員が作成する居宅サービス計画と同様に、効果がある内容の指導もするということも言われたらしい。

セルフプランを作成する場合、本人が作成して届け出た居宅サービス計画の介護報酬コードや、指定事業所番号などの記載内容をチェックして国民健康保険連合会に給付管理表を送付する事務処理は、市町村の担当職員が行うことになる。それに対する報酬が別に発生するわけではなく、市町村の業務が増えるだけだから、地域によって担当職員がそのことを歓迎しない場合があることはよく聞こえてくる。しかし露骨な妨害行為は、利用者の権利侵害ではないだろうか。そもそもケアマネジメントの適切性を、行政担当課が指導する根拠は、居宅介護支援に関する法令に基づくものであり、それをそのまま被保険者に対する指導根拠にすることにも無理があるだろう。

細かい相談内容は記せないが、当該ケースでは、訪問看護の導入に際して、役所の窓口でその必要性はないと計画に組み入れることを妨害されているということであったので、そこまでの指導はできないだろうと回答した。

相談者は法的手段も辞さないということであったので、それは最終手段として、まず正式に市町村や道の苦情担当窓口に苦情申し立てをするようにアドバイスした。

どちらにしてもそこから得た印象としては、行政職員が自分の持つ職権というものを勘違いしているのではないかということである。そこには権力に酔う見識の低い行政職の醜い姿が浮かぶばかりであった。

介護支援専門員(ケアマネジャー)の資質向上と今後のあり方に関する検討会における議論の中間的な整理」の中では、保険者機能の強化によるケアマネ支援が盛り込まれており、居宅介護支援事業所の指定権限を市町村に与える案が示されている。

しかし本記事に登場する行政担当者のように、ケアマネジメントのなんたるかも知らない、権力に酔うお馬鹿な行政担当者が多い現状で、市町村に「指定権限」を与えることになれば、利用者本位のケアプランが作られるのではなく、今後は保険者本位の流れを生みかねないだろう。

そして市町村の担当者が変わるたびに、変なローカルルールによって、居宅介護支援事業所のケアマネジャーは右往左往することになることは確実だろう。困ったことである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

登別大停電で考えた避難所のあり方。


先月末に発生した、登別大停電については、「登別大停電の影響と教訓(その1)」「登別大停電の影響と教訓(その2)」の中で報告しているが、その後に考えたことを追記しておきたい。

登別市では、停電被害の際に市内に避難所を5ケ所設置し、最終的にはその数を7ケ所に増やしている。

しかし1日目に、ここに避難した住民はわずか180人。最終的にも300人に満たない人しか避難しなかったという。

本年11月末現在の人口が51.547人で、65歳以上の人の数が、14.920人(高齢化率29%)の市内全域が停電をしていて、避難所を使った住民が300人にも満たなかった事情はいろいろあるだろう。

市が避難所の設置作業と運営に追われる状況で、広報活動や避難支援に手が回らなかったため、設置を知らなかった市民が多く、高齢者ら自力避難が困難な災害弱者が自宅待機を余儀なくされたケースもあったという。

このような災害時に、避難所の設置をどのような方法で住民に伝えるかは今後の大きな課題だ。特に停電時においては、テレビから情報を得られないため、市の広報体制が重要になる。今回は、スピーカーを付けた市の広報車両が地域を巡回しアナウンスして回ったようであるが、その巡回ルートは、くまなく住民に周知できるルートであったのかという検証が不可欠だ。

ところで、この広報車の巡回について、高齢者世帯からは、「何かアナウンスしていたようだが、内容が聞き取れないうちに通り過ぎた」とか、「耳が遠くて、家の中からでは何をアナウンスしているのかわからない」といった声も聞かれた。ここは単にアリバイ作りという考えは捨てて、もう少し有効な周知方法となる具体策を考えるべきである。

そんな中で、一番機能したのは、町内会の互助組織のようである。高齢者の自宅を1件1件丁寧に回る「見守り隊」が在宅高齢者世帯の支えになった地域がある。しかしこうした組織が全市内を網羅しているわけではなく、そういう方法が全く取られていない地域もあるので、今後は全市をくまなく網羅する「見守り隊」を組織化できるように協議が必要ではないだろうか。

この「見守り隊」の活動については、昨夕18:15からのHBCテレビ(北海道放送)の「NEWS1」で紹介されたが、そこで気づかされたことは、各家庭に戸別訪問しても、停電しているために、多くの家庭で玄関のチャイム・ブザーを鳴らすことができないということだ。

そうなると、直接ドアを開けて、声をかけないと安否確認ができない。普段からある程度、馴染みの関係を築いている人ではないと、ドアさえも開けられないことがあるかもしれないと思った。日中も鍵をかけることが習慣化している家庭なら、訪問に気がつかず、安否確認さえできないケースが、今後は増える恐れもある。ここにも対策が必要だ。

ところで、こうした避難所は、市庁舎の次に一番先に電源確保が必要となるので、配電車や自家発電機は優先的に配備されている。

そしてその次は医療機関である。介護施設は何番目の優先順位か分からないが、医療機関よりもその優先順位が低いことが今回の災害で明らかになった。結果的に配電車も当施設には回ってこなかったし、公的な援助による支援は手が届かなかった。自前で対応する以外なかったわけである。

そんな中、一番優先された避難所に行かない高齢者が多かった理由について、「NEWS1」では、歩行器を使っているため、ほかの人の迷惑になるから自宅で頑張ったという高齢者や、病状から排泄ケアが必要なために、避難所ではほかの人の迷惑になるし、自身のストレスにもなるので自宅から離れなかった人などが紹介されていた。

僕も取材を受け、同番組には僕のインタビューの映像が流されたが、取材記者から聞いた話では、流動食などの特別な食事が必要な人は、避難所の炊き出しでは対応困難なため、そこに行くという選択肢はなかったというケースもあった。

僕の施設は発電機を自前で確保したが、そうでなければ夜の寒さを考えると、避難所に移動しなければならない事態が生じたかもしれない。しかし100人もの要介護者を、寒空の中避難所まで移動するのは大変なことだし、食事や排泄のことなどを総合的に考えると、それは現実的ではない。

そうであれば介護施設には、多くの人を一時的に受け入れることのできるホールなどのスペースがあり、障がいを持っている方が使えるトイレや、特食を調理できる厨房があるのだから、災害時は市の公共施設のみを避難場所にするという考え方だけではなく、介護施設を避難所にして、そこに配電車などを優先的に配備し、地域住民を受け入れれば一石二鳥以上の効果があるのではないだろうか。

現在の避難場所の考え方は、介護施設があまり充実していない頃からの考えを踏襲しているものと思え、このあたりの見直しも必要ではないだろうか。

放映されたインタビューは、そうした方向から発言したものである。

でもそれって僕の施設を避難所に指定しろって言う意味ではない。市内の便利な場所の、別施設でもいいわけだ。そういう避難所も、そういう考え方も必要になってくるんじゃないかっていう意味だ。

高齢化率が10%代の時代と、その率が30%を超えようとし、さらに後期高齢者の数が増える時代の避難所のあり方は、従前の考え方と違うべきだろう。そういうことを真剣に議論する時期に来ているのではないだろうか。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

悪夢の再来は勘弁して欲しい。


先週発生した暴風雪による電線鉄塔の倒壊と、それに伴う登別大停電は、火曜朝に発生して、金曜早朝に復旧するまで4日間に及んだ。

当施設は早い段階で発電機を確保し、利用者のみなさんの日常生活への影響は最小限にとどめることができ、水曜の午後には、ほぼ平常の生活を取り戻すことができた。

北電の電源が復旧後には、多くの皆さんからお見舞いのメールや電話をいただきありがたく思った。本当に感謝している。

・・・それからまだ1週間も経っていない本日未明、先週の火曜日の悪夢を思い出させるような強い風が家を揺らし、風で路上をものが飛ぶ音で目が覚めた。

雨交じりの暴風が吹いていた。午後からはこれに雪が交じる予報である。気温が高い状態で雪が降ると、その雪は重たいため、先週鉄塔が倒壊したような事象が起きる恐れもある。心配である。

国道36号線

車のフロントガラスには、激しい雨が打ち付けられ、ワイパーが間に合わないほどだ。朝早い時間なのに車はライトを付け、渋滞している。道端の旗のなびき具合が風の激しさを現している。信号待ちしても車は揺れているし、走行中は風にハンドルが取られれ、まっすぐ走るのも至難の業である。車高の高いトラックは、スピードを落として、なおかつ蛇行しながら走行している。危険な状態である。

しかし登別市内には、暴風・波浪注意報、竜巻注意報、大雨・雷・着雪警報が出されている。千歳空港も欠航便が出ているようである。

JRや路線バスも運行停止しているので、高校は休校となり、介護福祉士養成専門学校も休校となった。僕はちょうど授業がある日だったが、急遽それも中止になって、施設の急いで戻ってきた。

幸い、施設の方は今のところ被害がなく、デイサービスも営業している。電源が止まらない限り、外より施設の中が安全だと思う。今日は外出を控えたほうが良いだろう。

そう考えている最中に、市役所が所在している「幌別地域」に停電が発生したという情報が入った。当施設が所在する「中登別地域」は平常通り通電しているが、先週のことを思い出して不安感が増している。最悪の場合の対応の心構えと、準備だけはしておこう。

幌別地域からデイサービス利用をしている方々は、電力の復旧具合を見ながら帰宅時間を調整する必要があるかもしれない。

それにしても最近の気象はおかしい。先週の某風雪にしても、この地域に70年以上住んでおられる人々が、一様に「経験したことがない」と話されていた。それと同じような嵐が、1週間も経たない今日発生している。どうしちゃたんだろう。それにしても人間は自然の脅威には歯が立たない。

しかし僕らが守るべきものが、ここにある限り、僕らはその責任を果たすことを第一に考えていかねばならないと思う。でも自分が何かに役立つことができるということは、とても素晴らしいことだ。誰かを守ることができることは、とても素敵なことだ。そういう場所にいることができるることはとてもありがたいことだ。

そのために考えられる備えをして、ただひたすら嵐が過ぎ去ることを祈ろう。晴れない嵐はないのだから・・・。

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介護・福祉情報掲示板(表板)



理念の原点。


真珠湾攻撃〜日本の降伏を伝えた玉音放送があった日までを、「太平洋戦争」の期間と考えるとしたら、それは日本時間で1941年(昭和16年)12月8日〜1945年(昭和20年)8月15日までということになる。

当施設で暮らしている方々の生年月日をみると、大正生まれの方と、昭和一桁生まれの方が多い。

すると多くの利用者が、物心ついた時期以降に太平洋戦争を経験していると思われる。まだ記憶の片隅にしか残らない幼児だった人もいることはいるが、多くの方は、今の学制で言えば、小学校高学年から高校生くらいまでの多感な時期や、青春時代真っ只中で戦争を体験している。

それらの方々は、日頃饒舌な方であっても、ほとんどその時期の戦争体験を語ることはない。その時期の話になると、急に口が重たくなる人もいる。それだけ重苦しい体験であったのではないだろうか?

僕の住む登別市は、温泉の街であると同時に、大きな企業のある隣の市、室蘭市のベッドタウンという性格も併せ持っている。

終戦のちょうど1月前、1945年7月14日〜15日にかけて、米軍による北海道空襲が行われた。その時、室蘭市は軍需工場を持つ「重要な攻撃目標」とされていた。特に日鋼室蘭の第六工場は、射高2万mの最新鋭の高射砲を生産できる国内唯一の工場であった。そしてそれは制空権を失っていた当時の日本にとって、B29に対して唯一威力を発揮してすることができる武器であった事から、米軍にとっては重要な攻撃目標とされた。

そのため室蘭市は、14日に艦上機により空襲され、翌15日には艦砲射撃による攻撃を受け、北海道内の空襲では死者数、焼失家屋数共に最大の被害を出す事となった。その数は室蘭市街地において被災世帯1,941世帯、被災人員8,227人、死者436人、重軽傷者49人とされているが、この数字に軍人の数は入っておらず、実際にはもっと多くの犠牲者が出たと言われている。

子供の頃に、そうした体験をしている人は、この地域にはかなりいるはずなのだ。そしてその記憶を生々しく持っている人も多いはずである。それでもその体験談はあまり語られていないような気がする。

僕が特養に就職した当時、たまたまその空襲で大やけどを負い、その後遺症を抱えながら生きてきた方が入所してきたことがある。その方のことは講演等では詳しく紹介しているが、こういう場所で文字という形で記録してしまうことが良いことかどうかわからないので、詳しくは書かない。

ただその方は、「生きていて何にもいいことがなかった」、「あの時、死ねばよかった」という言葉を口癖にしていた。

まだ若かった僕は、高齢者福祉サービスとは何かということもよくわかっていなかったし、自身の仕事に対する明確なビジョンも持っていなかったが、その方がずっとそういう思いを抱いて生きてきた数十年間の辛さに思いを馳せたとき、せめて僕が関わるその人の最晩年期が、少しでもその方にとって意味のあるものにしたいと思った。

生きていてよかったと思えるようにしたいと思った。

そうできなくとも、少しでもその方が笑っていられる時間を作りたいと思った。

その時に出会ったのが、マザーテレサの、「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに替わるでしょう。」という言葉である。

この言葉が、心の琴線に触れず、そんなことはあり得ないと否定する人もいると思う。

しかし僕は、そのことを信じて、あのとき大やけどを負った体で数十年の人生を生き続けた人に関わったし、今、高齢者介護という場で、全ての人々の人生の幸福度を左右するかもしれないという思いで、日々関わっている。

どんなに幸せな人生を送ってきた人であっても、最期の1%が不幸だとしたら、その人生は不幸なものに変わってしまうという恐れと、そこに関わる責任を日々感じている。

だから人生の先輩である高齢者に対し、乱暴な言葉・荒い言葉・不適切な言葉で接する人をみると怒りを覚えるし、その姿はとても醜いと思う。(参照:介護の闇をなくさなければ・・・。)

海南市の南風園で隠し撮りされたビデオに映っている介護職員の姿はとても醜いと思う。それらの職員が何の反省もせず、何の責任もとらず、いまだにそこで働き続けていることも信じられない。

僕たちの職業は、本来なら、人として普通に利用者に接し、常識あるケアを心がけるだけで、人が幸せになれることのお手伝いができる仕事だ。プロとして当たり前のことをするだけで、誰かの心に咲く赤い花になれる仕事だ。そのことに誇りを持つことができる仕事だ。

そうであるにも関わらず、なぜそのような素晴らしい職業に闇を作ってしまう人がいるのか。あの映像に映っている施設の介護職員は、あの姿を自分の家族に見せることができるのか?

もう一度、人の心を取り戻してほしい。そうしないとあの言葉や態度は、彼女たちの人格そのものとなり、それはやがて彼女たちの運命となって行くのだ。

文中で紹介した、大火傷を負った方は、数年前に亡くなられている。身寄りのない方であったから、最期は僕が手を握って看取った。

最期の言葉は、「アンガトサン。」だった。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

登別大停電の影響と教訓(その2)


今朝5:30過ぎに、この地域に北電の電力が通電され、全面復旧した。あとは発電機を外して業者に返すだけである。一安心といったところだが、前日の記事からの続きを書こうと思う。

登別大停電の影響と教訓(その1)の続き)
僕は、27日(火)の夜に急遽施設に泊まることにして、施設長室のソファーで仮眠することとした。しかし施設長室は暖房が通っていない本館に位置しており、夜10:00を過ぎると寒さが厳しくなってきた。毛布を3枚重ねたがかなり寒く、0:00近くから2時間くらい仮眠した後に起きてしまった。

そのあと眠ることができず、館内を見回ったり、暖かい新館のホールで座って休みながら外を見ていた。月の光もわずかで、外灯は全く灯らない暗い夜のはずであったが、雪あかりがひときわ眩しく感じる夜だった。

発電機

新館のボイラー室外には、2機の発電機が並んでいるが、稼働しているのはこのうち1機のみ。稼働していない発電機は、この他に本館ボイラー室外の2機がある。その3機が動けば全館に電力供給され、普通の生活が送れるのに、それができない理由は、キューピクルにつなぐケーブルがないためだ。

発電機とケーブルが必ずセットで借りられるわけではなく、基本的には発電機とケーブルのレンタル業者は異なり、さらにそれをつなぐ電気設備会社に発電機やケーブルがあるわけではないという理解の上、電気設備会社を通じて、発電機とケーブルを緊急時にスムースに確保する協定等を作っておくべきであるということ。今回は、職員個人のコネクションをフル活用して発電機の数を確保したが、必要最低限の電源確保ということで言えば、75Kwの発電機2機あれば。全館の日常生活必要電力がまかなえたと言えるだろう。容量の把握が出来ていなかったことと、最初に確保できた発電機の容量が小さかったことが今後の教訓といえよう。

特別な問題もなく夜明けを迎えようとした4:30頃、突然非常用の緊急予備電源が落ちた。そのため館内は真っ暗になってしまった。そのため一部の場所にロウソクを置いたが、この状態で利用者が朝を迎えると危険である。
28日朝4:50のホール


暖房に影響はないし、そのあと1時間30分ほどで夜明けを迎える時間だから特に問題はないだろうと思った時に、はたと気づいたことがある。この電源が落ちれば、水の供給圧力電源も落ちたという意味で、数分で水道から水が出なくなることに気がついた。そうすると、この時間以降の排泄ケア、モーニングケア、朝食作り、すべてに影響が出ることが考えられる。

緊急予備電源が落ちた理由は、軽油燃料がなくなったからであろうことが考えられ、すぐに担当職員を呼び出して、燃料補給と再起動を試みたところ、5:30に電源回復。事なきを得た。

この日の朝の食事も無事に提供することができた。

ただ緊急予備電源と新館の暖房用電源しか通じていない状況に変わりはなく、お風呂もはいれない状況が続いている。

そんな中、前日休止した通所介護事業所は、暖房も普段通りで、暖かい食事が提供でき、温泉浴槽は停止しているものの、シャワー浴が可能であり、浴室内も暖かいということで、その日から再開することにした。前日急遽利用できなくなった方の振替利用を含めて、17人の利用があったが、利用された皆さんは、自宅に電気が通っていない人が多く、大変喜ばれた。

発電機ケーブルはお昼に到着したが、それを接続する電気設備業者が、市内のあちこちで作業があるため、当施設の作業を開始したのは午後3時すぎ。そして全館に電気が通ったのは、午後4時を過ぎた時間であった。全館に電灯がついた時には、館内のあちこちから歓声が上がっていた。普段明るいのが当たり前、通っているのが当然の電気というものがない生活をわずか1日半経験するだけで、そのありがたみが実感できたというわけである。

結果的には、当施設は75Kwの発電機2機のみで全館の電源を回復することができた。そのため最初暖房のみ動かした50Kwの発電機と、あとから持ってきた75Kwの発電機1機は引き上げた。このことは今後の発電機手配の教訓にしたい。

29日7:40頃の中登別交差点

しかしその時点から1晩明けた29日の朝の時点でも、この地域には未だに北電の電気は通っておらず、信号も停止状態であった(今朝5:30すぎに復旧)。画像は信号の電気が消えている交差点。この地域の在宅高齢者の方々は、多くが避難所生活のままであった。

関連法人の老健も、必要最低限の電気は確保しているが、入浴ができない状態のため、29日午前中に、デイケア利用者11名が、当施設の温泉入浴利用しに来た。地域社会の日常はまだまだ取り戻せていないのが現状だ。

今回の停電期間中、外部との通信手段として携帯電話の果たした役割は大きいが、この携帯電話の充電を、停電期間中にどうするのかは重要な問題である。当施設でとった方法は以下の3つである。

1.車のバッテリーを利用した充電器による充電
2.蓄電式のノートパソコンに携帯電話をつないでの充電
3.非常災害用の手動式充電器による充電。

充電器

このうち最も重宝したのは3の手動式充電器である。ラジオと一体化した充電器は、携帯電話をつないでハンドルを回すだけで充電可能になる。充電時間は3つの方法の中で一番かかるが、どこでも手動で充電できるということに大いに助けられた。災害時の必需品である。

今回の停電で生じた問題をいくつか挙げておこう。

1.冬場の停電で致命的なのは、暖房電源がなくなるということ。大規模施設ではその電源となる発電機とケーブル、配線する設備業者を緊急手配できるような体制が必要。小規模な施設や家庭では、電源が必要のないポータブル式の石油ストーブを備えておく必要がある。

2.ランタンや懐中電灯がいくらあっても、電池がなければ使えない。大規模な災害時に、電池を小売店で購入することは非常に困難。予備も含めて電池を普段から備えおくことも必要。

3.当施設では水の供給に問題はなかったが、非常用飲み水の確保も不可欠。

4.トイレの排水は、飲料水の予備電源と回路が違うため、排泄後の水洗が流れなくなった。このため汲み置きの水をバケツで流した。普段から排水に使える水を浴槽などに貯めおく習慣は役に立つ。排水用の水を貯めるバケツや重たいそれらのバケツを運ぶキャリアも数必要となる。

5.電源を失うということは、冷凍食品はすぐにダメになるということ。停電時のメニューを考える際は、冷凍食品をそれにどのように活かすかもコスト削減のポイント。

6.同じように、冷蔵が必要な食品管理の方法。北海道の冬であれば、廊下等火の気のない場所が冷蔵庫がわりになるだろうが、地域によって対応が必要だし、季節が夏であればこの部分の注意が一番必要になる。

7.電源を失うことで、熱発者に対するアイスノンや氷が使えなくなる。雪で代用してみたが、氷のような効果はない。むしろ電源を失った直後から、外の雪の上でアイスノンを冷やす方が効果があった。特に夜のそれは、冷蔵室とほぼ同じ効果があった。北国の冬なら、電源を失った直後に、熱発者対応の道具は、冷蔵室から出して、外の雪の上、氷の上に置いたほうが良い。

8.電源を失うことで、ナースコール、ギャッジベット、各種センサーが使えなくなる。利用者の観察がより一層重要になるし、転倒防止センサーが使えない際の対応方法の確認が常日頃から必要。夜勤者は特に神経を使って大変だった。

9.サクションは使えなくなるので、他の対応策の日頃からの確認が必要。

10.食器類が洗えなくなることも想定されるし、滅菌装置が使えないので、使い捨て食器をある程度加数揃えておく必要もある。

11.洗濯機の使用ができなくなるので、衣類等の汚れ物をどうするか対策しておく必要がある。当施設ではこの2日間全く洗濯ができなくなったため、毎日取り替える下着が(汚れた際などにも取り替えるため)足りなくなることが心配な人がいて、既に限界に近かった。

12.電源を失うということは、エレベーターが使えなくなるということ。車椅子の人の他の階への日常移動は不可能になるし、配膳車や重たいものをエレベータで上げ下げすることができず、毎食の配膳も看護・介護職員以外の協力が不可欠となり、全職員の日頃からの緊急時の協力意識が求められる。

13.厨房ではミキサーが使えなくなるため、ミキサー食等はすべて手作業で行う必要があり、時間と手間がかかること。

14.蓄電式のノートパソコンなどは作動できても、メインサーバーの電源が失われているので、ケアプラン、給付管理、請求などに関するあらゆる業務が止まる。時期によっては居宅サービス計画書が作成できないとか、1月分の請求ができないなどが考えられ、今後対策を講じる必要がありそうだ。

ざっと思い浮かんだことを順不同で書いてみた。他にも思い当たることが出てきたら随時更新追加したい。

今回得た一番の教訓は、大事なことは人に頼らず、自施設で対応する以外ないということだ。特に北電は何にもしてくれないということを前提にせねばならない。

今回当施設で一人の死者も出なかったのは、職員が様々なコネクションを使ってたまたま発電機を確保し暖房を復旧できたからである。100人以上の要介護者が暮らす当福祉施設への配電車の優先配備は、道からも要請していただけたが、北電は最後までそれを無視し、今現在も配備されていない。大型スーパーには配電しているにも関わらずである。

配電車は地方自治体の庁舎、避難所、医療機関、小中学校区域などには優先配備されても、福祉施設はおざなりにされるようだ。自己責任でどうにかしろというのが北電の姿勢らしい。高齢要介護者の命などというものに対する関心は無いに等しい姿勢である。

道や市は、具体的要望があればいつでも協力してくれることを約束してくれて心強かった。道社協からも同じように連絡を頂き感謝申し上げたい。

ただし現地到達すべき物品の確保を、必要な時に行うということでは、自分たちが日頃から準備を怠らず、その場で覚悟を持って、行うしか方法はないということだろう。

そんな状況でも、全国の福祉関係者、僕と様々な関係でつながっているみなさんからもたくさんの励ましを受けた。本当に仲間はありがたい。

非常食

今日のお昼には、福岡県北九州市八幡西区にある社会福祉法人・援助会、特別養護老人ホーム聖ヨゼフの園の木戸施設長さんから依頼があったとのことで、食品業者から非常食「マイクロレボライス」が届けられた。栗ご飯と炊き込みご飯とちらし寿司の3種類。これがなんと360食分。ありがたいことである。木戸施設長さんには、同法人の勉強会に講師として僕を招いてくださったり、今年も11/3の北九州高齢者福祉事業協会主催研修の講師として僕を推薦してくださるなど、日頃からお世話になっているが、今回の災害においてもこのような心遣いを頂き感謝の気持ちでいっぱいである。

その姿勢から学ぶものも多い。今度は僕たちが、誰かにそういう心遣いを返す番だと心から思うのである。

ところで、今回の登別大停電では、停電発生の10分後に僕が施設に到着し、緊急非常用電源の作動状況などを確認するとともに、電源回復まで施設に泊まり込んで、様々に発生する想定外状況に対応した。

昨晩も北電の電力が通電するという情報があり、発電機からの切り替えと、通電時の事故発生に備え、事務長以下、担当職員が3名、2:30まで待機した。

この間様々な想定外の状況が生まれ、利用者の暮らしへの影響が及び、それはケアサービスの方法を変えるなどの必要性も生じさせた。その時でも必要な指示の元、看護・介護スタッフが迅速に対応して停電に関連した人的被害を発生させずに済んだ。これは住まいとケアが分離していない「介護施設」であるからこそ可能になる対応であり、そのおかげで暮らしと命を守ったと言って過言ではない。

北電に見捨てられた命を守ったのは、暮らしとケアが分離していない場の方法論なのだ。

一方、介護保険制度改正で構築される「地域包括ケアシステム」が推進しているのは、住まいとケアを分離してサービス提供することである。その基礎となるのが、サービス付き高齢者向け住宅と定期巡回・随時対応型訪問介護看護だ。

しかしその場所で、今回のような大停電が起こったならば、住まいとケアが分離しているだけに、大混乱が生じたはずである。少なくとも当施設で行ったようなリアルタイムの必要なサービス提供は不可能だったであろう。だからこそ住まいとケアが分離しない場で、要介護高齢者が住まう意味があるということだろうと思う。

このことを特養や、その他の介護保険施設関係者は、大いに誇るべきである。

特養の位置づけ


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介護・福祉情報掲示板(表板)

登別大停電の影響と教訓(その1)


2012年11月27日未明に発生した暴風雪による影響で、北電の鉄塔が倒れ、27日午前7:40頃から、登別市や室蘭市をはじめとした周辺市町村が停電となった。当施設もその影響と被害を受けている。その記録としてこの記事を書こうと思う。

27日朝5時ころ、2階寝室のベッドで寝ていた僕は、家が揺れているのを感じて目が覚めた。地震ではなく激しい風で揺れているのだ。しかもそこには湿った重たい雪が混じっている。まさに暴風雪である。しかしその天候が施設に直接的被害を与えるなどということはその時点では思っていなかった。ただ通勤の時間はいつもよりかかるだろうし、施設の様子も気になったので、朝7時前に家を出た。

27日朝の自宅前27日の通勤道路

家の前(画像左)はまだ雪が積もっているという感じではないが、ともかく風が強かった。この時間は停電していないので、信号も止まっていないが、朝早い時間で車が少ないにもかかわらずノロノロ運転で、前に進まない。普段25分程度で到着する職場に、この日は50分かけて到着した。それにしても悪い予感があったのか、普段なら車の運転中、車内からカメラ撮影することはないが、この日は信号待ちで車内から右の画像を撮影した。

緑風園に近づいてくると、風雪がかなり強くなり、道路上の雪も深くなってきた。恐ろしいことに道の両側から、重たい雪と激しい風で倒れた木々が道を塞ぐようにしている。

27日朝の緑風園周辺道路
27日朝の緑風園周辺道路2
27日の道道倶多楽湖公園線

倒木を避けながら職場にたどり着いたが、緑風園の敷地もかなり雪が積もって、駐車場の裏の山の木は倒れかかっているものが目立っている。

27日の緑風園正面玄関前
27日の緑風園駐車場
27日の緑風園駐車場2

さらに様子がおかしのは、施設内である。緊急用の予備電源が点滅している。何かと思って館内に入ると、停電で緊急予備電源が自動的に作動したものであることがわかった。停電発生時間は僕が施設に到着する5分ほど前の7:40頃であることもわかった。しかしこの時点で停電の原因はわからなかった。

当施設は昭和58年に50床+ショート2床で開設した「本館(旧設備)」と、平成11年に通所介護を併設した増床50床+ショート10床の「新館」部分があるが、電気設備にも新旧による違いがあり、新館は緊急作動する電源により、燃料(軽油)による運転が行われる限り、予備の電源は作動し、非常時の電灯が灯り続けている。しかし本館は旧設備であり、緊急予備の伝統は蓄電式で、数時間点灯後には切れてしまう。そのため停電が長引けば本館を照らす光はなくなってしまうことになる。

幸い緊急予備電源は水を全館に供給する圧力を確保しているので、水道管に被害のない今回の停電で、水が止まる心配はなかった。

しかし電源を失ったことで、ボイラーが停止し、温水暖房パネルへの給湯も停止し、全館の暖房機能が失われた。ただ鉄筋コンクリートで、気密性の高い当施設は、数時間程度の暖房停止では急激な温度低下はないことが分かっていたので、この時点で暖房は心配していなかった。停電も午前中くらいで復旧するだろうと甘い見通しをしていたためである。

電話は固定電話(IP電話)は全て使えない状態であるが、施設の代表番号にかけると夜間切り替えで携帯電話につながるようになっている回路は生きており、この携帯電話と、個人持ちの携帯電話が外部との通信手段となった。

午前8時を過ぎた頃から、この携帯電話に職員から続々と連絡が入ってきた。自宅の駐車場の雪かきが出来ておらず車が出せないために遅れるという電話や、渋滞で前に進まないので間に合わないという電話である。応対に当たった僕は、やむを得ない状況なので、無理せず、遅れる心配より事故を起こさずたどり着くように指示した。後でわかったことだが、渋滞の原因は、信号機が停まったことと、それにより交通事故の多発であった。

さらにこの頃から、施設の近くまできているのに、倒木で前に進めないという連絡が増えてきた。僕自身が倒木を避けて施設にたどり着いているのだから、「慎重に脇をすり抜けてきて」と指示したが、「無理だ」という。実は既に僕が通ってきた道路の状況が変わっており、雪の重さに耐え切れないで倒れた木がいたるところで道路を塞いでいたのだ。

27日の道道倶多楽湖公園線2
27日の道道倶多楽湖公園線3

そのことにやっと気がついたため、除雪車と人海戦術で倒木撤去作業に入った。小さな倒木は手作業で道路から撤去した。

倒木撤去作業2倒木撤去作業
倒木撤去作業3

こうしてなんとか道路は通れるようになり、徐々に職員や配達業者の車が円に到着したが、北電からの電源普及の見込みの連絡は全くなく、問い合わせの電話も繋がらない状態が続き、道や市から、どうやら停電が長期化する見込みであるという情報が流れてきた。
(※この時点で北電は状況を下記市町村等にFAXで流していたそうだ。停電している状況が一番分かっている北電が、停電で繋がらないFAX通信で緊急対応しているというのは笑止千万である。)

携帯電話で様々なところから情報をもらいながら、どうやらこの停電は午前中どころか今日中に復旧しないかもしれないことがわかった。道と市の職員の方が施設を訪れてくれて情報をいただいたり、できる限りの協力をすることを申し出てくれて勇気づけられた。この時点で、停電が3日ほど継続する可能性を示唆されたが、配電車が当市に向かっており、当施設も優先的に配電されるように依頼してくれることになって」、そこに期待を寄せることができた。しかし結果的にいえば、道からのこの依頼は、北電側に伝わった後に、(どのような経緯か不明だが)無視され、当施設への配電は今なお行われておらず、結果的に当施設は北電から見捨てられた状態が続いている。

この時点で一番の問題である暖房の普及対策を講じる必要性が生じた。少なくともボイラーを起動する電源を確保するため、発電機を手配したが、どこにもすぐに配達できる発電機がなく、出入りの電気設備業者を通じて50Kwの発電機を一台確保した。しかしこの容量では全館のボイラーと電気を復旧させる事は無理なので、新館のボイラー電源に発電機をつないで、新館の暖房が復旧したのが午後5時である。

幸いなことに、暖房停止時24度程度であった館内温度は、その時点でも21.5度までしか下がっておらず。暖房停止の影響で体調を崩された方はいない。

ただ本館は午後5字を過ぎる頃から真っ暗な状態で、外から車のヘッドライトで照らさなければ廊下も歩けない状態となった。

27日17:00頃の緑風園本館

本館は暖房も復旧していないため、夜までに温度が急速に下がることが考えられたため、やむなく全員を新館側に移動していただく決断をし、新館の他者の部屋や、ホールで一晩を過ごしていただかざるを得ない状況となった。

27日18:00頃の緑風園ホール

上の画像の床部分が銀色になっている部分が、本館と新館の境目である。

食事については食材が配送されているし、水も出て、ガスも使えたので、調理はできたが、昼を除いて、朝ごはんと、夜ご飯は、暗い中で調理作業をせねばならず、懐中電灯とランタンでなんとか作業した。ここで問題は、近隣の電気店等では電池が売り切れ、ほとんど手に入らなくなったことである。日頃から、ある程度の買い置きが必要だと感じた。

また食器の洗浄機械が停電で使えず、しかも厨房は本館部分にあるため暖房も給湯も復旧していないため、お湯が出ない。このため冷たい水で、全ての食器を洗うことは不可能で、使い捨ての紙食器を使うこととしたが、この手配にも時間と労力を要した。

全館の電源復旧に向けて発電機の手配に全力を傾けたが、なかなか見つけることができず、夕方になってなんとか3台を確保したが、キューピクルにつなぐケーブル手配ができず、結局その日は電力復旧は不可能になり、夜を迎えた。そのため緊急対応が想定されると判断し、夜勤者と当直者の他に、僕もその夜、泊まることとした。
(続く)

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介護・福祉情報掲示板(表板)

行政と事業者の関係を考え直す時期

かつて特養は措置施設であり、利用者がそこに入所するためには「措置入所」としての行政処分が必要とされた。入所判定も市町村の判定として行い、措置依頼を受けた特養はそれを受諾するだけで、入所順位も基本的には市町村の名簿順で決定された。

その時代、実地指導監査は老人福祉法の規定により都道府県により行われ、施設はそれに対し、閻魔大王の裁きを受けるかのごとく従順で、嵐が過ぎるのをひたすら耐え忍ぶごとく、指摘事項ができるだけない事が唯一求められる価値観であった。

介護保険制度が施行された後、措置から契約になり、施設側が入所判定委員会を独自で作り、施設の判断で利用者と入所契約を行うようになっても、行政の指導権限は変わっておらず、特養であれば老人福祉法に基づく指導監査と、介護保険法に基づく実地指導の両方を受けることになり、前者には社会福祉法人監査も含まれている。

しかし行政の実地指導に臨む我々の意識は大きく変化しており、かつてのように一方的に指導を仰ぐという姿勢ではなく、行政と介護サービス事業者の意見交換の場という意識を持てるようになり、場合によっては行政指導に対して納得出来ない部分は、その指導根拠の提示を求めるとともに、解釈上の違いや誤った法令理解に対しては異議を唱えることも当たり前に行われるようになった。時には施設側からソーシャルアクションの視点での提言も、その場で行うことも可能であると考えられるようになった。

これは我々が現場で経験を重ねて、多少ずうずうしくなった結果であると言えないこともないが、それ以上に情報の入手手段が過去とは大きく異なってきた点が大きな原因と思う。

過去において国からの通知文等は都道府県を通じて市町村に送られ、市町村から介護施設などの事業者に渡されるという形であった。そのため事業者に情報が渡るのは常に行政より遅く、行政で止め置かれる文書も数多く、行政職員しか知らない通達も存在していた。

しかしインターネットの普及により情報伝達手段は大きく異なり、何らかの形で公開される文書については、行政職員と我々の入手時期にタイムラグが生じなくなった。行政職員に向けた実地指導のためのQ&Aも、行政職員しか入手できないことはあり得ず、両者が手に入れることのできる情報量も変わらなくなった。そうなるとあとはその文書を読み、解釈する能力の差で情報の処理方法が変わるだけである。

この時、現場サービスに携わる事業者の強みは、老人福祉法や介護保険法の現場では行政職員より豊富な経験を持っている場合が多いということであり、行政指導の専門家と言っても所詮、移動があって、介護保険サービスに数年単位でしか関わらない行政職員とは「積み上げた情報量」に決定的な違いがあるということだ。

例えば現在の法令ルールがどうなっているのかは、我々と行政の実地指導担当者の情報や知識に差がないとしても、そのようなルールがなぜ生まれたのか、どのように変わってきたのかは、当然のことながらこの現場に長く居る我々事業者の方が豊富な知識を持つことになり、法令解釈という部分について言えば、行政職員のそれより「より豊かな判断基準」を持っているということになる。

例えば支給限度額の外側にあった、ショート利用日数が支給限度額と一本化されたのはなぜか、その時にどのようなルールが、どのように意味づけられてできたのか。例えばケアマネジメントの評価としての居宅介護支援費が、どのように迷走して評価基準が変わってきたのか等々、我々の方がはるかに豊富な知識を持っているだろう。

だから法令解釈は我々の方が深く、正しくできると考えるべきなのであり、行政職員の変な価値観で一方的に間違ったルールを押しつけられ、泣き寝入りすることなどあってはならないのである。

そもそも現在の実地指導担当者の状況をよく観察してみろ。

彼らが手にしている指導教本とは、「介護保険の解釈(社会保険研究所)」ではないか。法令や解釈通知やQ&Aをまとめただけの解説本を唯一の根拠として実地指導に臨むというお粗末な状態なのだから、我々が積み上げた経験や知識の中にしか存在しない解釈などできるわけがないのである。不正請求などの悪い事をしていないなら、実地指導など恐れる必要はないわけである。

それにも関わらず相変わらず事業者が過度に実地指導を恐れたり、指導根拠を求めることなく行政担当者の言われるままになってしまうのは、とりもなおさず勉強不足以外のなにものでもない。

行政職員と同じ程度、あるいはそれ以上の法令解釈が可能となる情報を入手できるのに、それをしないで怠けている結果であり、まさにそれは事業者の自己責任である。介護報酬の解釈に書かれている内容程度は、きちんと事業者が知っておくべき問題なのである。

そろそろ行政の指導担当者が「解釈本だけを教本にして実地指導に臨むのはまずい。」という意識を持つような事業者の姿勢が求められる時期である。

そのためには我々も常に新しい情報を手に入れ、それを読みこみ、事業者としてもの言える知識を持つべきであり、実際にものを言う事業者とならなければならない。

本当に現場を知っている人々の問題意識を表に出さない限り、この国の介護サービスがどんどん間違った方向に進んでしまうだろう。福祉や介護を役人の視点だけで作るから、人を救えない制度になってしまっていることを忘れてはならないのである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

静岡騒動にみる行政の傲慢姿勢

静岡県の方々は、いま大変恥ずかしい思いをしているのではないだろうか。

教育界では度重なる不祥事が明らかになって、県の教育長が「万策尽きた」と発言した。そのわずか5日後には39歳の男性中学教諭が、13歳の男子中学生にわいせつ行為を行ったとして逮捕されている。静岡の先生たち、いったいどうしちゃったの?安心して子供を学校に行かせられなくなるよな。

ところで静岡でおかしいのは教育界だけではない。

この県の介護保険担当課も相当おかしい。それも今に始まった事ではなく、遡れば平成15年の集団指導から、おかしなルール解釈に基づく不適切指導が行われるようになって、それは「静岡騒動」として全国的にも有名になっている。そしてその後も同じような不適切指導が何度か繰り返されている。反省と学習能力のない不思議な県体質である。

そして今年の集団指導でもまたやってくれた。

18日の記事「静岡名物は行政の偏屈集団指導だな。」でも紹介したように、今年の集団指導では通所介護の外出行事について「屋外への移動の際に車を使用する場合、乗車している時間は基本的にはサービス提供時間には含まれない」というおバカな指導を行っている。静岡県の指導担当者の一番の勘違いは、通所介護事業所の屋外でサービスを行う場所について、それを車等で移動した先にある「外出先」に限定して考えていることだ。しかしこのルールに関わる法令には「外出先」という文言は存在していない。

そもそも老企25号では
2)指定通所介護の基本取扱方針及び具体的取扱方針
4.指定通所介護は、事業所内でサービスを提供することが原則であるが、次に掲げる条件を満たす場合においては、事業所の屋外でサービスを提供することができるものであること。
イ・あらかじめ通所介護計画に位置付けられていること
ロ・効果的な機能訓練等のサービスが提供できること

以上のように規定され、「事業所の屋外でサービスを提供することができる」とされているだけであり、効果的な機能訓練等を行う場所は、何もバスに乗って出かける「外出先」で行うサービスに限定されておらず、外出そのものを機能訓練効果と結びつければサービスとして成立することになっている。バスの中だって「事業所の屋外でサービスを提供する場所」になり得るということだ。例えばこれを花見の時期に桜の花を見に行き、その花を見ながら俳句を作ろう、ということでも「心身活性化効果を目的にした機能訓練等のサービス」(この規定は機能訓練ではなく、機能訓練等となっている点が重要。)とすることも可能である。そうであればこれはバスに乗って桜を見ている間も立派なサービス提供時間である。

つまり静岡県の担当課はこのルールの正しい解釈をしておらず、生半可な知識に基づく独善的な解釈でまたまた変な指導を行ったということだ。

当然こうした「おバカな解釈」に納得できない事業者は多いだろう。案の定たくさんの疑問が県に寄せられたそうである。

その結果以下のような新たに回答があったことを、表の掲示板でデイの心さんが情報提供してくれている。

1.老企25号の要件に該当する事業所の屋外サービスを提供する場合であって、移動時の車中においても適切に職員を配置し、職員がサービス提供(機能訓練、利用者の状態確認、見守り等)を行っている場合には、移動時間をサービス提供時間に含め、保険給付の対象とすることは可能。

2.通常の通所介護計画書の他に、事業所の屋外でのサービス提供のための通所介護計画書を別に作成する必要はない。

3.通所介護計画書に具体的な外出先、外出時間等までは記載の必要はないが、サービス提供の記録として、外出先、外出時間等を記録すること。

4.なお、屋外でのサービス提供は例外として認められるものであるため、通所介護計画の計画期間終了時に、屋外でのサービスにより効果的な機能訓練等のサービスが提供できたかどうかの評価を適切に行う必要がある。

5.同件で複数の事業所から照会があったため、内容等を整理し、補足としてWAMNETに掲載する予定。

↑しかしこの回答ほど静岡県介護保険指導担当課の傲慢ぶりを示すものはない。

この回答は事実上、集団指導の場での発言を取り消す内容である。そうであればまずは集団指導の場で、法令根拠に基づかない間違った指導を行い、現場を混乱させたことについて謝罪すべきである。そして間違いをきちんと認めた上で、なぜそのような法令根拠に欠ける指導を繰り返してしまうのかを内部で検証した上で、そういうことが起こらないように襟を正すべきである。

それなのに、静岡県の今回の回答は指導の誤りを認めるのではなく、言葉を難しくして取り繕って、実際には変な指導がなかったかのように糊塗しているだけだ。

そもそも回答に示されている2〜4は、外出行事を行っている通所サービス事業者にとっては、今更のルールであり、あらためて集団指導で指摘されるべき解釈ではないって。

このような問題を繰り返すたびに、間違いを糊塗し続けて恥ずかしくはないのだろうか。こうした静岡県介護保険担当課の恥ずべき体質を受け継がないように、静岡県は遺伝子レベルから徹底的な改善に努めるべきだろう。

それにしてもこれだけ何度も不適切指導が繰り返されると、逆に来年は何が起きるだろうと興味津々である。毎年集団指導の時期になると、今年の静岡ではどんな集団指導がなされて、どのような形で行政の馬鹿っぷりが明らかになるのかと期待を寄せてしまうのは僕だけだろうか。

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道の集団指導を終えて

昨日(10/18)午後14:00から当地域における道(胆振総合振興局が担当)の集団指導が行われた。

当初9月に行われる予定が、台風の影響で一度延期されこの時期の実施になったものである。集団指導といっても、昨日の記事で情報提供した静岡騒動のようなおかしな指導はなく、ごく当たり前の説明に終始した感がある。

むしろ壇上で指導担当者があえて語らなくても、当日の資料とされた「介護保険施設等指導監査要綱」を読めば済む問題で、わざわざこの内容を読みあげることに何の意味があるのかと首を傾げることの方が多かった。集団指導を時間の無駄と感じた関係者も多かったろう。

しかも滑稽なことに指導担当者の一人が、社会保険研究所から出されている「介護報酬の解釈」(いわゆる赤本と青本)について「本を買って、お飾りにしないできちんと読みましょう」と壇上で呼びかけていた。おいおいそんな本の宣伝を集団指導の場で、公務員が行って良いのかよ。そもそもあの本は単に基準省令や解釈通知をまとめたものだろう。確かにそれを分かりやすく示してはいるが、行政担当者が集団指導の場で言うべきことは、基準省令や解釈通知などの基本通知を読む癖をつけましょうということであって、それに加えて特定の解説本があるから参考にするのもよいと言うならともかく、法令に全く触れずに特定の本を宣伝するだけに終わるのはまったく情けない。これが道の担当者の実態である。

また別の担当者からケアプランについての指導事項があったが、この中で「長期目標と短期目標の期間が同じになることはあり得ない。」という話があった。

たしかに短期目標と長期目標は始期が同じ場合は終期が異なるし、終期が同じ場合は始期が異なることになるが、同日の指導内容を全般的に聞いていると、どうやら短期目標期間の終期と長期目標期間の終期が同じであることも否定した指導内容に聞こえた。

このことは「長・短期目標の期間について(1)(2)」で指摘したように間違った指導である。(2回に分かれている記事なので数字をクリックして両方をお読みください。)

よって集団指導終了後、即担当者に電話して「その考えは間違っている」と伝えた上で、根拠となる法令を示し上記で紹介した記事をメールで送った。その結果本日朝に参考にするという返信が届いた。今後このような間違った指導はなくなると思える。

またケアプランの指導に関連しては、長寿社会開発センターから出されている「四訂居宅サービス計画書作成の手引」を取り上げていたので、あれは単なるテキストで「こうしなければならない」ということはないし、法的根拠にはなり得ないことを指摘し、同時にあれがいかに悪書であるかということもメールで指摘させてもらった。

今回の指導で一番の問題点と感じた部分は、身体拘束廃止の取り組みに関連して、身体拘束である行為の具体例として、Y字ベルトや、車椅子座乗時に立ちあがれないように車椅子テーブルを設置するケースと同列に、「センサーマット」を挙げ、その理由として「コールで呼んでもいないのに、頻回に職員が駆けつけることをわずらわしいと訴える利用者の気持ちを考えること」とし、さらに「施設によってはセンサーを使わないで対応しているところもあるが、それは何が違うのでしょうか」と会場に問いかけていた点である。

この考え方はおかしい。センサーマットまで否定してしまえば、夜間転倒を防ぐことができない利用者がたくさん出てくる。そもそもセンサーマットは、コールを押せない(あるいは押さない)利用者の行動制限をしないために利用するツールである。夜間見守りの目が届かない時間帯なら特に必要となる人もいるだろう。

「施設によってはセンサーを使わないで対応しているところもあるが、それは何が違うのでしょうか」といわれるなら、それは施設の介護力ではなく、利用者属性の問題である。当施設も介護力は他の施設に比べてさほど低いとは思わないが、夜間はセンサーマットを使わざるを得ない利用者は複数存在する。そもそも「コールで呼んでもいないのに、頻回に職員が駆けつけることをわずらわしいと訴える利用者の気持ちを考えること」というが、それならセンサーマットを使用しないために、頻回に見回りをして状態を確認することはどうなんだ?同じではないかというより、そっちの方が行動をとっていない時でさえドアを開けて人が見守りのために入ってくるんだから、もっと煩わしいだろう。まったく暮らしの現場を知らない人間の指導とは、あまりに浮世離れしている。

このことについても昨日、電話で「そんな指導はおかしい」と抗議しておいた。「いえ一律センサーマットを駄目だとした意味ではありません」とのことであったが、じゃあどういう意味だよ。

この集団指導を聴講していた人間の幾人かは、施設に帰って「センサーマット」も身体拘束だから駄目だと言われたと復命しているだろう。まったく迷惑な話である。

普通の施設だったらセンサーマットは安易に使わず、きちんとアセスメントした結果、どうしても事故を防ぐ手だてとして必要であるということで使っているはずだ。現場はそれほど信用されていないということなんだろうが、運営指導とは何かということを深く考えざるを得ない問題と感じた。

道の指導担当者だからと言って、すべて正しい事を言っているわけではないということがあらためて理解できた方も多いだろう。法令解釈にも首を傾げる部分はあるが、それが静岡のようなおかしな指導に結びついていないだけまだましか・・・。

ケアプラン作成に関わる理解度は、所詮実務を経験したことがない机上の理解レベルで、我々実務を通して人の暮らしを支援してきた者に対し、ケアプラン作成作業を指導できるレベルではない。まあボランティア精神で聞いてやっておこうという程度である。

どちらにしても集団指導において壇上で示された考え方をすべて受け入れて、その通り対応しておれば指導対象にはならないかもしれないが、それだけで介護サービスの質が向上したり、保たれたりするものではないという理解が必要である。

一種のセレモニーと考えておけば良い程度のものである。

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↓昨日の記事に関するアンケートです。

静岡名物は行政の偏屈集団指導だな。

北海道は冬に向けてまっしぐらである。最低気温が氷点下を記録する地域も出てきた。日中の最高気温も10℃に届かない日がある。

今年は初雪が降った地域もあるが、全道的にみると今は紅葉の季節である。

紅葉02紅葉01

当施設でも天気を見ながら入所者の方々が紅葉狩りのドライブに出かける姿が見られる。通所介護の方でも、サービス提供時間内に心身活性化効果を機能訓練として位置づけた外出行事として「紅葉狩り」に出かけている。(上の画像は昨日通所介護の職員が撮影した紅葉である)

ところで通所介護のこのような外出行事は、老企25号で
(2)指定通所介護の基本取扱方針及び具体的取扱方針
4.指定通所介護は、事業所内でサービスを提供することが原則であるが、次に掲げる条件を満たす場合においては、事業所の屋外でサービスを提供することができるものであること。
イ・あらかじめ通所介護計画に位置付けられていること
ロ・効果的な機能訓練等のサービスが提供できること

以上のように規定されている。ここで書かれているように、算定ルール上あらかじめ計画されている必要があるのは「通所介護計画」であって、居宅介護支援事業所の「居宅サービス計画」ではない。つまりこのルールに合致する外出行事を行うごとに、居宅介護支援事業所の介護支援専門員に、居宅サービス計画変更をお願いする必要もないし、ましてや「伺い」を立てる必要もない。

さらにいえば、外出行事を通所介護計画に位置付ける場合であっても、外出による心身活性化効果を「個別機能訓練計画」の中にあらかじめ落としておけば外出行事を行う時期になるたびに通所介護計画を変える必要はない。もっと具体的にその内容を示すとしたら下記のようなイメージ図に示した通所介護計画の内容を参照してほしい。(当施設併設デイサービスの通所介護計画の一部を転載したものだ。)

通所介護計画2

一番下の「行事・レクリエーション」の部分を見ていただくと分かると思うが、このように示しておけば、季節ごとの外出行事を企画するたびに「通所介護計画」を変更しなければならないということはなくなる。これは法令上何ら問題のないものである。

ただし通所介護計画は「居宅サービス計画が立てられている場合は、その内容に沿ってサービス事業所の計画を立案しなければならない」という規定がある。そのため居宅サービス計画には、こうした機能訓練を通所介護の中で行うことが目的として書かれている必要がある。

そうであっても何も具体的に外出行事を行うということではなくとも、機能訓練を行い身体機能や精神機能を維持するという居宅サービス計画になっておれば、その内容に沿った形で心身活性化サービスとしての機能訓練の一環として「外出行事」を位置づけてよいという意味である。そのことを具体的に示したイメージ図が次の通りである。

通所介護計画

ここでは居宅サービス計画の「他者と交流して心身活性化を図り生活意欲が保たれる」という長期目標と「通所介護利用で定期的に外出し張りのある生活を送る」という短期目標のそれぞれに沿う形で、通所介護計画が「社会参加の機会を確保し気分転換を図り」という目標に沿って「心身を活性化させる」という具体的方法として外出行事を位置づけているわけであるから、これは法令上適切な計画であると言える。
(※このイメージ図の居宅サービス計画の短期目標で「定期的に外出し」としているのは、あくまで通所介護を定期的に利用することによる外出機会という意味であって、通所介護の外出行事を意味したものではないことはお分かりかと思う。)

これらのイメージ図は僕が「通所介護の役割から考える通所介護計画の視点〜ケアマネジャーとの連携と協働〜」というテーマで講演を行う際に使用しているパワーポイントファイルの一部である。(通所サービス関係者の方でこうした講演を企画している方で、僕を講師に招きたいと考えて下さる方はメールでご相談ください。)

このように老企25号で定められた外出行事とは、外出先で機能訓練を行うことに限定しておらず、効果的な機能訓練等のサービスが提供できるのであれば、バスドライブとして車中で行う心身活性化メニューをも含めたものと解釈できる。桜や紅葉を見ながら唄を歌ったり、俳句を作ったり、車中でも機能訓練は可能だからである。(※勿論ここでいう機能訓練とは医学的・治療的リハビリテーションエクササイズに限ったものではないことはいうまでもない。)

ところが今般、静岡県では集団指導において
「屋外への移動の際に車を使用する場合、乗車している時間は基本的にはサービス提供時間には含まれない。」とする指導を行っているそうである。

まったく機能訓練とか外出行事を極端に狭く解釈した不適切指導である。役人の頭というのはこうも固くて見識が低いのかと情けなくなる。

静岡県といえば2003年、2008年と問題となる集団指導を行いそれが「静岡騒動」として世間をにぎわせている。まったくこの県の介護保険指導担当課は「サービス適正化」を間違った方向からしか考えることができない偏屈的性格を遺伝子レベルで引き継いでいるとしか思えない。県庁の担当課は行政の裁量権を間違って受け継ぐのが伝統なのか?それともよほどのボンクラばかりが介護保険担当課に集まってくるのか?ちょっとした病理研究を要すかもしれないな。

それにしてもまったくくだらん指導を行う県である。自分達が何でも決めることができる神様だと思っているんだろうな。こんなことで介護サービスが良くなるわけがないし、地域住民が喜んで使える通所サービスになるわけがないじゃないか。まったく指導の視点がなっていない。

今日は午後から当地域の集団指導であるが(先日の台風のため、延期されていた)まさか同じような指導はないだろうな。

ところで、秋といえば紅葉だけではなく、収穫の秋でもある。緑風園デイサービスセンターでも、秋の味覚を収穫しようと、利用者の方から寄付していただいた「さつまいも」の苗を育てて、昨日収穫としゃれこんだ。その収穫写真が次の画像である。

デイの収穫


・・・無残にも食べられるような収穫はなかった。どうらや植える時期が少し遅かったらしく、充分生育しなかった。ということで今年は見るだけで、食べる方は来年のお楽しみということになった。

静岡県は、来年はきっと収穫しても食べられない芋を作ったらサービス提供時間とは認めないとでも集団指導するんじゃないのか。ここまで来ると今年の静岡はどんなびっくり指導がされるのかが毎年の恒例行事になるな。静岡名物は行政の引き起こす「静岡騒動」である、って認識が業界全体に広がりつつあるんじゃないのか。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

これって珍しいのかな?

土曜と日曜は、講演などで外に出ていることも多いので、ブログの記事更新は基本的にはお休みにしている。

しかし絶対に更新しないと決めているわけではないので、気がむいて書く時間があれば記事更新している。

今日は日直出勤しているので、ほぼ通常通りの仕事を行っているため、昼休みを利用して久しぶりに土曜の記事更新を行っている。というのも出勤途中の朝にあることに気がついたからである。

道外から北海道に訪れる人で、北海道では当たり前の光景に驚く人が居られる。例えば北海道の各過程では自宅に隣接する屋外に、大きな灯油タンクを設置しているのが普通だが、沖縄から来る人にとってはこのタンクが何を意味するかわからないらしい。(僕が初めて沖縄に行ったときには、普通の家屋の屋根に雨水を貯めるタンクがある光景に驚いたが・・・。)

先日広島から来道したtomoさんは登別市内のグループホームを見学した際に、そのホーム内を案内した方が驚いていたのは、tomoさんが温水パネルヒーターを見て「手すりですか?」と尋ねたということである。なるほど最近の薄型で小型の暖房用パネルは寒冷地以外の方には「手すり」に見えるのかもしれない。

それとtomoさんは登別市内の「縦型信号機」を珍しがっていたが、北海道の信号機は縦型が多い。それは横型信号機には雪が積もりやすく、そのことで信号機の色部分が隠れ赤なのか青なのか、はたまた黄色なのか分からなくなるためである。着雪面積の少ない「縦型」は雪が積もって信号が見えなくなるのを防ぐ効果があるのである。

ところで今日気がついたのであるが、登別市内では今、古い信号機を撤去して新しい信号機を設置する動きが進んでいるのである。
縦型信号機新しい信号機はよく見ると電球部分がLEDである。これも節電対策の一環なのだろうか?
画像を見て分かるように、北海道をはじめとした雪国では「縦型信号機」が主流である。縦型信号機2しかし新設された信号機は、このことに対してもさらに工夫されている。この画像のように、(LEDだからこそできることであろうが)信号機の厚さが超薄型になっており、斜めに傾けて雪が積もらないようにしている。

道外の雪が積もらない地域の人達にとって、こういう信号機の形は珍しいのかもしれないと思ったので、今日はちょっとした珍百景紹介というところである。皆さんの地域にはどのような珍しい光景があるだろうか・・・。

もしよろしかったら皆さんの地域の珍百景を教えてください。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

〇〇総合振興局の担当者解釈がおかしい。

北海道では介護保険事業についての実地指導については、その地域を所管する振興局(旧支庁)が担当している。

これは道の組織であるから、あくまで道としての実地指導であり、各振興局で指導内容が違うということはあり得ないはずである。

しかし実際には、各振興局の担当者により、指導内容が微妙に違ってくる場合がある。これは大いなる問題であり、各サービス事業者は疑問点を放置せず、正しい根拠を示すように求めるべきである。場合によっては道の本庁の見解を求める必要もあるだろう。

というのも、漏れ聞く情報によると、担当者によって明らかに法令を理解していないおかしな見解によって事業者が混乱している例があるからだ。(※当事業所が所属する胆振ではない)

これは実地指導ではなく、とある事業所が職員配置の変更についての打診段階で担当者が法令解釈を誤っていることで、法令違反ではない職員配置方法が認められず事業者が大変困っているケースである。

その事例とは、とある認知症対応型通所介護事業所で「看護師兼機能訓練指導員」が退職となったため、一時的に不在期間が生ずる。この状態は運営基準違反であるので、新任の「看護師兼機能訓練指導員」が着任するまでの間、併設特養の看護師を兼務で通所介護の「看護師兼機能訓練指導員」しようとするものである。勿論この場合、この事業者は特養では兼務予定の看護師を除いても看護職員の配置基準を満たしており、個別機能訓練加算も算定していないので、当該看護師は特養及び通所でそれぞれ常勤換算し、加算も算定しないという扱いである。

ところがこのことを事前に担当課に打診したところ、基準省令(厚生労働省令第三十四号第42条3項)に於いて「機能訓練指導員は、日常生活を営むのに必要な機能の減退を防止するための訓練を行う能力を有する者とし、当該単独型・併設型指定認知症対応型通所介護事業所の他の職務に従事することができるものとする。」という規定を盾にとって併設特養との兼務は認めないというものである。

しかしこの規定は認知症対応型通所介護事業所に勤務しているときに兼務できる職種を示したに過ぎず、認知症対応型通所介護事業所に勤務していない時間帯は何をしても問題ないという理解がないことによる解釈ミスである。

つまり併設特養と通所介護の職務に従事するといても、それはそれぞれを常勤換算するのであるから、非常勤扱いと同様で、兼務というより一人の人物が非常勤職員として2つの事業者の職務に就いていると同じことである。このことに関する禁止規定など存在しない。

このような常勤換算の扱いをした兼務を認めていないなら、通所介護の看護職員が休みの場合に、その日のみあらかじめ兼務発令している特養の看護師が通所介護の「看護師兼機能訓練指導員」として従事して、その時間のみ常勤換算するという取り扱いさえ認められないことになるが、これは多くの事業者で行われていることである。

そもそも15年のルール改訂で通所介護の看護職員の「サービス提供時間を通じた従事規定」が廃止されたことで、看護師兼機能訓練指導員である職員が、サービス提供時間中に併設施設の看護業務に従事できることは常識にさえなっている。

また介護老人福祉施設及び地域密着型サービスに関するQ&Aでも
Q. 基準省令第42条第1項第2号の「専ら当該認知症対応型通所介護の提供に当たる看護職員又は介護職員が1 以上」に当たる職員は、一般の通所介護事業所を併設している場合、その職務に当たることもできるか。

A. 当該職員については、認知症対応型通所介護事業所に勤務しているときにその職務に専従していればよく、認知症対応型通所介護事業所に勤務していない時間帯に一般の通所介護事業所に勤務することは差し支えない。

であり生労働省令第三十四号第42条3項規定も認知症対応型通所介護事業所に勤務しているときに機能訓練指導員が兼務できる状態を示したもので、それは「当該単独型・併設型指定認知症対応型通所介護事業所の他の職務」に限るけれども、併設特養の業務に従事する場合で常勤換算を行う場合は「認知症対応型通所介護事業所に勤務していない時間帯」だから、どんな職務でどんな仕事をしようと問題ないのである。

こんな常識的な法令理解のない担当者によって実地指導が行われるとしたら、これは恐ろしい事である。

よって各サービス事業者は、実地指導担当者の指導内容については、かならず根拠を求める癖をつけないとならないし、数年ごとに変わる担当者の法令理解など、我々のようにその変更の背景を知っている専門家より、ずっと素人的な理解力しか持っていない担当者もいる、ということを前提にして実地指導場面に臨まねばならないだろう。

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介護予防・日常生活支援総合事業導入の意味

制度改正や報酬改定時には将来へ向けた様々な布石が打たれている。しかしそのことは同時に巧妙に隠されてもいる。

例えば介護保険制度が施行された後、最初の報酬改定が行われた2003年は、マイナス2.3%の改訂率が一番の話題であったが、その時に制度の中に初めて位置づけられたのがユニットケアの新型特養であった。そしてこの時、新型特養では利用者から「ホテルコスト」を別途徴収できる仕組みを作った。

これが2006年の制度改正に先駆けて2005年10月に先行実施された、介護保険3施設の居住費と食費の利用者自己負担化への布石であったことは、2003年当時から僕が指摘していたことである。
(このことについて僕は当時、介護保険施設のホテルコストを全利用者から徴収するための橋頭保が新型特養であると指摘していた。)

06年改正は、定額報酬サービスを居宅サービスの中心にする布石が打たれた。だから来年度からの制度改正は、一応地域包括ケアシステムの完成形を目指したものと定義づけられるが、定額パッケージ報酬の「定時巡回・随時対応型訪問介護看護」をその基礎的サービスに位置付けている。

そこで今回の制度改正では、何がどの部分に、どのような布石が打たれているのかを探した時、「介護予防・日常生活支援総合事業導入」がそれにあたるだろうと読むことができる。そしてそれは近い将来の軽度者の給付除外、家事援助外しの布石ではないかということは容易に想像がつく。

介護予防・日常生活支援総合事業とは、今回の制度改正で新しく創設されるサービスで、利用者の状態像に合わせて、見守り・配食等を含めた、生活を支えるための総合的で多様なサービスとされている。そしてこれは地域支援事業として位置づけられるものである。ただしこのサービスを実施するかどうかはあくまで市町村判断であり、当然実施しないという判断もあり得る。

これを実施する場合は市町村・地域包括支援センターが、利用者の状態像や意向に応じて、予防給付で対応するのか、新たな総合サービス(地域支援事業)を利用するのかを判断するとして以下のイメージ図が示されている。
介護予防・日常生活支援総合事業導入後の選定方法

つまり介護予防・日常生活支援総合事業する市町村では、要支援と認定された場合、現行のように介護予防給付のサービスを必ず利用できるという保障はなく、地域包括支援センターのアセスメントによって介護予防サービス対象者と、新たに創られる「介護予防・日常生活支援総合事業」対象者とに振り分けるということになる。この際、利用者の意向は汲み取ってアセスメントするとはいっても、あくまでケアマネジメントに基づいてサービスが提供されるものであり、「要支援認定者の意向だけで判断されるわけではない。」とされており、要支援者の望まないサービスを使わざるを得ないという状況が考えられる。

その導入後のイメージ図が次である。

介護予防・日常生活支援総合事業導入のイメージ

これをみて感じたことは、このイメージ図は巧妙に問題の本質を隠した図になっているということである。

この図だけを見ると、現行の予防通所サービスや予防訪問サービスに加えて、配食サービスや見守りサービスがセットされるように見えるが、前述したように、この事業はあくまで「地域支援事業」である。

地域支援事業ということは、現行、その予算は介護給付費から支給されるが、その額は介護・予防給付の3%という枠がある。国は現時点で、この枠の見直しもあり得るとしているが、どちらにしても一定の枠内の事業だから、給付費は予防給付よりかなり低くなる。

そして「介護予防・日常生活支援総合事業」の訪問、通所サービスとは、現在の介護予防給付の訪問、通所サービスとは全く別物で、市町村がサービス事業所を独自に指定してよいとされている。つまりNPOでも民間営利企業でも、ボランティア団体でも何でもありという意味だ。訪問サービスもヘルパー資格を特に求められないから、誰でも訪問できる。現在地域支援事業として介護予防の体操などが行われている地区は、それがそのままこの事業の通所サービスに置き換わる可能性が高い。

さらにこの事業の単価は全国統一ではなく、市町村がそれぞれ設定することになり、利用者負担割合も市町村が決めることになっている。逆にいえば市町村格差が大きな事業という意味になる。予算のない市町村は、当然この単価をできるだけ低く設定したいだろうし、その低い単価で提供されるサービスであれば、当然それは人件費をあまりかけずに、安かろう悪かろうが当然のサービスとなるだろう。

どちらにしても「介護予防・日常生活支援総合事業」は、今まで保険給付の対象でなかった配食サービスや、見守りサービスを組み合わせて保険給付されるものだというが、総合事業の中身は現行の介護予防サービスの水準よりはるかに低いサービスで、利用者にとってあまり使いたいサービスにはならないだろう。

そしてこの意味は、介護予防サービス利用者が、地域支援事業しか使えなくなる場合があるということであり、これも要支援者に対する給付制限の一つと言ってよいサービスである。

さらにいえば国は制度改正で地域包括ケアというシステムを構築したのだから、あとはその運用を地域の責任で行いなさいという意味である。各市長村で、その責任と財源に基づいた地域ケアを創る責任を自覚し、結果責任は市町村が負うべきで国に文句は言わせないという意味である。市町村が必要と思うなら、予防対象者は地域支援事業という枠内で面倒見なさいという先には、介護予防対象者を介護保険給付から外すという将来像が見え隠れしている。特に地域支援事業としての「介護予防・日常生活支援総合事業」には生活援助(家事援助)サービスははいっていないことを鑑みれば、これは介護保険給付からの生活援助外しの意図があることは明白である。

このように介護保険料を支払い、権利として介護サービスが利用できる国民が、介護認定を申請し、要支援あるいは要介護と認定されたにも関わらず、アセスメントと称した別基準により特定サービスのみしか使えないという制限ができるという実績が「介護予防・日常生活支援総合事業」により積み重ねることによって、このことを橋頭保として、次期改正ではその制限を拡大すれば給付抑制策はさらに拡大できることになる。

つまりこれは制限拡大のソフトランディングであり、その先には要介護1と2の需給制限も視野に入っており、これにより次期改正では、施設入所の対象者は要介護3以上というルール設定がされるかもしれないという意味があることを、関係者は強く意識すべきである。

※昨日のブログに貼り付けた投票アンケートに、たくさんの皆さんから介護福祉士を目指す学生に対するメッセージをいただき感謝します。このメッセージは必ず生徒全員に伝えます。投票は18日まで実施していますので、まだメッセージを送られていない方は、是非それまでに投票メッセージをお願いします。右サイドバーにも投票ツールを表示していますので、そちらもご利用ください。
なお投票は1PCから1回しかできず、同じPCから複数のメッセージを送った場合、前のメッセージが消えてしまいますのでご注意ください。)


※ケアマネジメントオンラインで僕の著作本が『話題の1冊』として紹介されました。是非この記事もご覧ください。

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若い力に手渡していくもの

新年度に入って4/9に「北海道社会福祉士会日胆地区支部総会」が、4/15には「のぼりべつケアマネ連絡会総会」がそれぞれ行われた。

両総会ともに役員改正が行われ、僕は社会福祉士会の副支部長とケアマネ会の代表の役から降りた。そのことについては「2つの役職から降ります」で書いている通りの経緯があって、既定路線であるが、役から降りて心底「ホッとしている」というのが実感である。

役職に就く際には、さほど重荷に感じていなかった両職であるが、ここ5年間ほどは、その役職に就いていることで様々な責任が生じ、様々な会議の委員としても任命されざるを得ず、様々な制約を受けた。特に自分の自由に使うことができる時間が減ってしまっていたし、自由な発言が「役職」に縛られてできないこともあったので、それら諸々の制約から解放されただけで精神的に余裕ができた。

縛りが緩んだ分、このブログも今までよりもっと遠慮なく、過激に発言していくことになるかもしれない。

もちろん両会とも、会員としては活動を継続しているわけだから、今後とも会の運営に協力するのは当然であるが、自分で何かを決めて、自分で引っ張って行く責任がなくなったことは大きい。

ただ「のぼりべつケアマネ連絡会」については後任探しが難航し、一時は再任せざるを得ない状況になり、そんなときに無理を言って後任を引き受けていただいた現代表には心から感謝して、影から充分支えていかねばならないという自覚は持っている。しかし、それも長い期間でなくてよいだろう。後任も立派な人なので、僕に頼らず充分仕事ができると思う。周囲の皆様や会員の皆様には、是非僕のとき以上のご支援をお願いしたい。
(※多分、来週4/28の介護新聞で新代表の紹介記事が掲載されると思うので注目していただきたい。)

僕が代表の立場として最後に行った総会では、次期介護保険制度改正で居宅サービスの中心となる「地域包括ケア」を検証する講演を行った。特に24時間地域巡回型訪問サービスの課題について約80分に渡って検証した。これは総会の時間が流動的なので、総会後のプログラムを考えるのが難しく、そうであるならケアマネ会代表としての最後のお勤めという意味も含め、臨機に時間を調整できる自分の講演でまとめようと思ったためである。総会がスムースに進行し、30分ほどで終わったので、その他の連絡事項を挟んで残りの時間を講演時間にあてた。

24時間地域巡回訪問サービスは、報告書のまとめでは「24時間対応の定期巡回・随時対応サービス」とされ、国会に提出された改正案の中では、さらにこの文言が変えられ「24時間対応の新たな訪問介護看護サービス」と表記されている。

なんだかどんどんわけのわからない名称に変わって行く。そもそも「訪問介護看護」って日本語になっているのか?日本人が意味を理解出来ない造語をするなよといいたくなる。これは誰のセンスなんだ?まともな日本語の分かる奴が法案を書かないでどうするんだろう。

だがこのサービス名が最終的に残るとは思えず、変わるだろうと想像している。サービスのイメージがわかない名称ではどうしようもないし、地域住民から「なにそれ?」と言われて、いちいち説明が必要なひどい名称だからだ。今後の名称議論にも注目と言うところだろう。

今後、僕が「のぼりべつケアマネ連絡会」で壇上からお話しする機会はあまりないだろう。定例会の形も、新しい幹事会で新しい方法を考えてほしい。若い人々の感性で新しい風を吹かせていかないと、この国の介護サービスの質は停滞してしまう。

肩の荷を背負って第1線で活躍するのは、我々よりもう1世代も、もう2世代も若い人たちであるべきだ。そしてその世代にはたくさんの有能な人材がいる。そうしたマンパワーが支えてくれる限り、この国の福祉・介護業界の未来は決して暗くない。

逆にいえば、若い感性で変えていく必要があるものが、この国にはたくさん存在するということだ。

本当は、最初に変えなければならないのは政治そのものなのだが、政権交代してもなにもよくならない現実は、この国の政治家の質がそういうものだということなんだろうか?そうした政治家の現実や御都合で何も変わらない今日、介護の現場はそんなものを待たずに良い方向に舵をきっていかねばならない。

介護給付費分科会などの国の専門委員会などからも、5年前と同じ感覚しか持たない感性の鈍った高齢学者はどんどん排除されるべきだろうに・・・。フィクションの制度を作り続ける失敗ばかりの検討員会に何の意味があるんだ?

真の改正議論とは、既得権と関係のないフレッシュな人材によって、しがらみのない未来志向の議論であるべきで、その中からしか本当の光は見えてこないだろう。

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出版記念シンポジウムのお知らせ

法令を知らなきゃ反論できない

介護保険制度には「ローカルルール」という都合のよい言葉があるので、地域によって制度運用方法が違っている場合がある。

しかし本来のローカルルールの意味は、地域事情にあった保険給付のあり方を考えよう、という意味である。つまり所詮文章でしかない法律等の法令で定められる範囲は、人間生活のすべてに及ぶことは不可能なので、その部分は個別の地域事情に基づいて、都道府県や市町村がルールを定めてよいという意味にしか過ぎない。例えば「〜等」という部分の等とは具体的にどういう状況を指すかを決めるなどはローカルルールが必要な場合だろうと思う。

当然ながら、そこには地域行政とは、地域住民の暮らしが良くなるために存在するものなのだから、地域住民の不利益にならない運用や、暮らしが悪くならない視点が強く求められるし、介護サービス事業に対する指導の視点も、現場のサービスというものの目的を充分に理解して、それに沿った運用が可能になるような角度からの見方が不可欠である。

ところが制度理解もなく、ルールの理解もない、一部の行政職員により、みっともないおバカな指導が行われる例が後を絶たない。老企第25号という法令解釈通知で認められている通所サービスの外出行事を、いまだに不可としている県などが存在する。まったくもって通所サービスの本来機能を狭くしか解釈できない脳みその量が足りないか、がちがちに脳みそが凝り固まったアンポンタンの指導である。

特養や、通所介護の「個別機能訓練加算」に至っては、機能訓練とは何たるかも知らない素人のアホタレ担当者が、機能訓練は医学的治療的リハビリテーションしかあり得ないようなおバカな指導をしている。これが間違っているということは「過去の記事」で何度も指摘している。

そもそもこの個別の意味は「個別機能訓練」ではなく、「個別計画を作っているというプロセスを経ていること」であり、そのことは平成18年4月改定関係Q&A Vol.1において「個別に計画を作成するなどプロセスを評価するものであることから」と示されており議論の余地さえないのである。

しかも同Q&Aでは「個別機能訓練を行うに当たっては、機能訓練指導員、看護職員、介護職員、生活相談員、その他の職種が共同して個別機能訓練計画に従い訓練を行うこととしており、機能訓練指導員が不在の日でも算定できる。」とされており、機能訓練指導員だけが行う行為に限らず、日常生活のあらゆる場面で自立支援の取り組みをしており、これが個別計画に落とされておれば問題ないことが示されている。

さらに注目しなければならない点として、ここの計画を共同して立案する職種に「医師」が含まれていないことである。これには重要な意味がある。つまり医師が指導すべき医学的・治療的リハビリテーションは含まれないという以前に「不可」であるということになる。それは例えばROMエクササイズとして関節をどの程度の負荷で、どこまで伸ばすかとか、平行棒で何分間立位や歩行訓練をするかなどであり、こういう計画を医師の介入のない特養の個別機能訓練計画で立案しているのは逆に問題なのである。

だから特養の個別機能訓練計画として次のような内容で充分なのである。

(生活課題)自力で離床できないことから、生活活動範囲が縮小し、心身機能の低下の恐れがある
(長期目標)日課活動に生きがいをもって参加し、コミュニケーション能力が維持され、笑顔あふれる生活を続けられる。
(短期目標)心身活性化のために他者との交流機会を持ち続ける
(援助内容:機能訓練内容)食事はベッド上で摂らずに、きちんと着替えて、髪を直して、食堂でみんと食事前に会話ができるように離床援助します。楽しく会話しながら食事しましょう。

↑このどこが機能訓練計画として不可だというのか。表の掲示板では、この点についておバカな指導担当者が「なぜならそれは普通に生活しているだけだからです。生活の中で立ったり座ったりしてるのを、施設側がそれを機能訓練だと言ってお金(加算)をとっているに過ぎない」なんて言っている。

こんな指導者はその場で罵倒すれば良いのだ。そもそも日常生活動作を支援し続けるのが本当に機能訓練であり、訓練室で何かができても、そのことが日常生活に生かされないことのほうが問題なのである。平行棒の中でいくら立ったり歩けても生活は変わらないけど、車椅子移乗の際に足に力を入れて立位を取れたり、トイレ移動時にトイレ内で歩けて便器移動することができればオムツは必要ないのである。どちらが生活として豊かなのかは考えなくても分かるだろう。

そもそも特養の機能訓練のあり方は、基準省令17条で「その心身の状況等に応じて、日常生活を営むのに必要な機能を改善し、又はその減退を防止するための訓練を行わなければならない。」と定められているもので、日常の移乗や、離床、心身活性化支援はまさに「日常生活を営むのに必要な機能を改善」にほかならず、このことを否定するなにものも世の中に存在しないのである。

ただし個別機能訓練加算の算定要件では「個別機能訓練に関する記録(実施時間、訓練内容、担当者等)は、利用者ごとに保管され、常に当該特定施設の個別機能訓練の従事者により閲覧が可能であるようにすること。」とされており、実施の記録は不可欠なのだから、上記で示したような食事の際の離床援助を心身活性化のための個別機能訓練計画にしているなら、その離床の記録については支援記録や業務日誌に分かるように記載しておくべきである。つまり計画に即した記録の観点は不可欠という意味である。このことさえ職員に教育しておけばよいのだ。同時に支援記録か業務日誌に、それに関するきちんとした記録があれば、どこからも文句をいわれる筋合いはないのである。

こうしたことをきちんと理解し、理論武装し、時には指導担当者と議論し、ごくたまには罵倒しても良いのである。

そもそも特養の個別機能訓練加算は「看取り介護対象者」にも算定できる加算であることを鑑みれば、こんなことが議論になることの方がおかしいのである。

そんな馬鹿な指導をするような行政職員は、顔を洗って出直してくる手間をかけるまでもなく、頭から水をぶっかけてやればよいようなもんだ。

どちらにしても行政という背景をもってふんぞり返る知識のない指導担当者ほど醜く、滑稽な存在はない。

現場の介護の専門家は、もっとそういう連中に対して怒ってもよいのだ。ペコペコしたり、仲よくしてもらうだけが良い関係じゃない。

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認定審査会資料のずさんな取り扱い

今朝の登別は今シーズン初めての本格的な降雪になった。

国道の路面も圧雪・アイスバーンで、通勤の車もノロノロ運転でしか前に進まず、いつもより時間をかけて職場に着いた。デイサービスの送迎も今日は時間がかかっている。いよいよ本格的な冬将軍の到来である。朝礼でも職員に注意を促したが、公私ともに運転には十分気をつけてほしい。

ところで雪国の住宅では珍しくない「玄関フード」というものを知らない人がいるのだろうか?雪が降らない地域の人にとっては聞きなれない言葉なんだろうか?

genkanちなみに左の画像は我が家の玄関先の写真である。本来の玄関を囲っている硝子戸が「玄関フード」である。これは風雪が直接玄関を開けた時に家屋に入り込むのを防ぐためにあるもので、普通玄関に鍵はかけるが、玄関フードに施錠することはない。

ところでなぜ「玄関フード」の説明を詳しくするかといえば、今日の記事で指摘する問題は、この玄関フードの存在が大きく関わっているため、玄関フードというものが何かということが理解出来ない人が読めば首を傾げる部分があると思ったからである。

さて本題。僕は登別市の介護認定審査員を務めている。認定審査は毎週木曜日18:00~行われているが、僕自身が参加する審査会は月1回~2回である。審査会の担当に当たった場合、審査会資料は前の週の週末・土曜日に自宅に宅配便で届けられる。そのため今週12/2(木)に僕の参加する審査会が行われるため、一昨日(11/27)午前中に審査会資料が届けられた。

ところがタイミング悪く当日急用ができ、二時間ほど我が家に誰もいない時間が生じた。この間に「認定審査会資料」を届けるため宅配業者が我が家を訪れたらしい。通常、宅配業者が配達に訪ねた家が留守の場合「不在連絡票」を郵便受けに挟んで、配達物は持ち帰るはずである。

ところがである。要件を終えて自宅に戻った僕の目にとまったものは、玄関の外、玄関フード内に無造作におかれた「認定審査会資料」の封筒であった。留守であるため、宅配業者がそのまま玄関フード内に置いて行ってしまったものと思える。幸いなんの事故もなく僕の手に届いたからいいようなものだが、鍵の掛かっていない玄関フード内に、外から丸見えの状態で、重要な資料が入った封筒が放置されていたことになる。悪意の第三者が持っていかないとも限らない。その場合不在連絡票もない状態では、持ち去られた事実さえ僕にはわからないではないか・・・。どちらにしても、これは事故がなかったから良かったという問題ではないだろう。一体宅配業者の社内規定はどうなっているんだろう。受領書に受領印やサインをもらわない状態での荷物の受け渡しがあり得るんだろうか?

すぐに宅配業者には不適切な対応ではなかったかと連絡を入れた。その結果、当然のことながら荷物の受け渡し方法としては不適切であるということで、担当課長や配達担当者が謝罪に来たが、この問題は資料を受け取る僕と宅配業者の問題ではなく、貴重な市民の個人情報を管理する市と、その情報を必要な機関や個人に配送する宅配業者間の問題であろうと考える。僕としては、玄関フードに数時間この資料が放置されている状況が生じたことを市の担当課に連絡して、あとのことは市と宅配事業者の問題ということになるだろう。

おそらく市の責任がどうのこうのということではなく、宅配業者の配達員の問題ということなんだろうと思うが、認定審査会資料というのは、個人は特定できなくとも、認定調査票の内容と特記事項や医師意見書すべて入っているのだから、市から宅配業者に配送を委ねる際にも、一定の注意事項を支持した上で配送契約が行われているものと思え、その注意や指示が機能していない状態は、配送契約の根本的見直しが必要になることも考えられるだろう。

それとも単純な郵便物と同様に、個人情報に関する配慮がなく、単なる荷物として宅配業者に委ねられているのだろうか?そうであればそのこと自体を問題にせねば、重要な市民の個人情報がどこかで第三者に渡ってしまうことが否定できない。これは極めて由々しき問題ではないかと思う。

僕としては今朝、この事実を市に連絡し、他の審査委員にも情報提供して、同様に事がなかったかを調査するとともに、今後の対策についての善処と、関係者にその内容の周知を求めたところである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

無駄が多いアナログ対応

北海道は大分寒くなってきた。

路面は通勤時間にはまだ凍っていないが、車のフロントガラスが凍っていることが多くなり、いつ雪が降るかわからないので先週末にタイヤ交換を行った。最近では息子が手伝ってくれるので、交換作業もずいぶん楽になった。

タイヤ交換のためにガソリンスタンドに長蛇の列を作って交換を待っている人がいるが、この光景を見ると不思議でならない。お金を払って、わざわざ長時間並んで交換するより、自分で交換すればずっと短い時間で、お金をかけずに出来ると思うのだが、そんなにタイヤ交換って面倒くさい作業なのだろうか?免許を取って車を持った20歳のころから、ほぼ毎シーズン自分でタイヤ交換している僕にとって、お金を払ってまで他人にタイヤ交換を頼むことは、ずいぶん無駄に感ずるのである。まあこのあたりを貧乏症と言われても仕方がないところではある。

ところで無駄なお金といえば、公費の使われ方にも首を傾げることが多い。特にこのご時世で、ITをもっと有効に活用すればよいのにと思うこともしばしばある。

登別市のホームページには「福祉マップ」なるものが掲載され、公共の施設等のバリアフリー状況などが掲載されている。

しかしホームページのどこにそのリンクが貼ってあるのかもよくわからず、サイト内キーワード検索しないとたどり着けない不便さである。つまり「福祉マップ」というキーワードを知らない人は容易にたどり着ける情報ではないという意味だ。だからその存在さえ知らない市民の方が多いだろう。それだけでもこの情報は無駄といってもよいレベルだ。行政の情報発信とは、もっと市民の「使いやすさ」「手に入れやすさ」を考える必要があると思う。載せてりゃあ良いっていう感覚自体が「お役所仕事」の域を出ない。

まあそれはよいとして、11/16付で、当施設に対し市長名による「福祉マップの掲載・更新について(ご依頼)」という文書が届いた。

それによると「福祉マップ」を更新・リニューアルするので貴施設の情報を別添資料として同封しているので内容を確認して変更がない場合は、その内容で掲載し、変更がある場合は電話で連絡してほしいというものだ。

実にくだらん。こうした文書を「福祉マップ」に掲載されている全施設・事業所に送っているんだろうが、まったくお金の無駄としか言いようがない。市民税の使われ方として大いに疑問である。

こんなもの掲載事業所のIT担当者なり事務担当者に、公開場所のアドレスをメールで伝えて、更新すべき情報があれば返信してもらえば済むことではないか。わざわざ各施設・事業所のページを紙媒体にプリントアウトし、郵便で送って確認するなどという大袈裟で、前時代的で、金のかかるアナログ的対応をいつまで続けるんだろう。

こういうくだらない確認文書は目を通しても無視するだけだ。確認もしない。そもそもこれを読んで修正箇所を電話で連絡しようと考える奇特な人がいるのか?

介護サービス現場では「介護サービス情報の公表制度」がいかに実態を現わさず無駄な調査と公表費用をかけているかが問題になり、事業者負担を廃止するなどの見直しが行われてきたが、役所のホームページに載せられる情報の発信方法や更新のあり方も、役所内部でもっと効率化への見直しを図るべきだろう。

市民がほとんど見ようとしない情報であれば意味がない。その情報管理や発信・更新作業にも市民の血税が使われていることを鑑みれば、漫然と情報を垂れ流しておけばよいってものじゃないことくらいわかるだろうに・・・。

くだらないついでに、今日はブログ記事を読んだ方にゲームをしていただこう。

この記事に貼り付けている登別市のホームページトップから「キーワード検索」(福祉マップと打ち込んでサイト検索することを)しないで、福祉マップの場所に3分以内でたどり着けり人は幾人いるだろう?というゲームである。たまにはこういうお遊びも楽しいだろう。

昼休みにカップラーメンを食べようとしている人は、お湯を入れて出来上がるまでに当該ページにたどり着けるか計ればよい。このことの結果を下の投票ホームから投票してください。

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伊達市介護保険課の「通知」は世間の非常識

当市は北海道の胆振地方という場所に所在する。そして当市のお隣の室蘭市の、そのまたお隣の市と言えば「北の湘南」と呼ばれるほど気候が良く、退職後には「是非住みたい街」とされて伊達市がある。

その名の通り、仙台伊達藩からの移住者が中心になって開拓した歴史のある街であり、登別が伊達藩の家臣である「片倉家」所縁の地であることと共通点がある。
(登別には片倉町という町があるが、これは片倉家所縁の場所だ。また当施設の近くのテーマパークが伊達時代村とされているのも、当市が仙台伊達家の家臣団によって開拓された街だからである。)

その伊達市の被保険者の方で、住所地特例で当施設に入所されている方がいる。

その方の介護認定の有効期間が今月末(22年10月31日)までなので、9月2日に更新申請を提出し、意見書も遅くならないように9月中に提出した。同市は施設入所者の認定調査も市の職員により行われているので、その調査を待ち、終了後認定結果を待っていた。

ところが10月も20日を過ぎようとしているのに、音沙汰がなく、しびれを切らし同市の認定担当課に当施設の担当ケアマネから連絡させたところ、至極当然のように「認定を待っている人が多くて結果は来月になるかもしれません」と言われた。

冗談ではない。この方は要介護2である。まかり間違って要介護1相当とでも結果が出たら要支援2になる可能性も0ではない。多分それはないとは思うが、万が一ということがあるので、こちらは、そうであるがゆえに介護保険法で定められた「認定期間終了の60日前から申請可能」であるというルールのぎりぎりの最長期間で申請を挙げているのだ。認定有効期間を過ぎて認定審査会にかけることなど絶対に納得できない。

そこで担当ケアマネに替って(文句を言うのは僕の役回りにされているので・・・。)僕から直接、伊達市の担当者に電話をかけた。電話口に出たのは声の愛らしい女性担当者である。僕のなぜ認定をしてくれないのかという疑問に対し、当該利用者のみならず、他にもたくさんの方が待っているから当然であるような言い方をする。

・・・普段女性にはトコトン優しい僕ではあるが、仕事は別である。あまりに当然という態度にカチンときたこともあって法律論で迫った。

『介護保険法27条11項規定によれば、そもそもこの法律では審査は「当該申請のあった日から三十日以内にしなければならない。」としているのに、なぜ法律を守らないんですか?なるほど、この規定には例外規定があって「該申請に係る被保険者の心身の状況の調査に日時を要する等特別な理由がある場合には、当該申請のあった日から三十日以内に、当該被保険者に対し、当該申請に対する処分をするためになお要する期間及びその理由を通知し、これを延期することができる。」とされていますが、逆に言えば当該申請に対する処分をするためになお要する期間及び理由を通知しないと延期も出来ないんでしょ?』

『保険者が法律を守らないで事業者に何を指導できるんですか?行政は法律遵守する義務はないんですか?』等など、実際はもっといろいろな突っ込みを入れた。(突っ込みではなく文句だろうと言っている人もいる。)

ところがその時、伊達市担当者から出てきたのが以下のような驚くべき言葉である。

伊達市担当者「システム上は延期の通知されているんですけど・・・。」

・・・目が点になりながら、こう返した・・・。
僕「ええっ?システム上の通知って、誰に通知してるんです?」
伊達市担当者「いえ施設には知らせてないってことで、処理上は・・・」
僕「では施設以外の、家族とかに知らせてるっていうことですか?」
伊達市担当者「いいえ、そういうことでもないんですけど・・・。」
僕「あのねえ、あなた日本語の意味知ってる?(こういうことを言うから嫌われる)通知ってのは、告げ知らせること、だよ。誰に知らせてるの?」
伊達市担当者「・・・知らせてはいません。」

つまり伊達市は、国の監査等があることに備え、役所内のシステム上では、認定は介護保険法27条に基づいてきちんと行っており、遅延する場合も、被保険者に定められた通知を出していることにしている、という意味ではないか?システム上の通知ってそれ以外考えられんだろう。

これって完全な違法行為ではないのか?市役所がこんなことをして許されるのか?あいた口がふさがらない。

なおこの方の認定については「月内に行います」ということだ。そんなの当然で、それを有難くも何とも思わないが、遅延する際の通知ルールを無視しているのはなぜか、今後はどうなのかについて、別途正式な回答を待っているところである。今のところなしのつぶてだが、まさかこのままうやむやにするつもりではあるまい。逃げんなよ。

どちらにしても、伊達市の地域密着型サービスの関係者をはじめ、伊達市の指導を受ける立場にある人に言いたい。伊達市自体が法律を守っていないんだから、そこの市役所職員の運営指導や、行政指導など何の意味もないぞ!!法律を守らん奴らのいうことなど聞く必要がないぞ!!

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地域福祉計画はこれでよいのか?

当地域の福祉計画を話題にするがローカルな話題であると腰を引かないでほしい。

登別の話題からグローバリーに物事を考えるということもあるのだ。

登別市地域福祉計画は、平成18年4月からの5カ年計画を市民参加という形で作成し、この計画を「きずな」と命名している。それが第1期計画である。そして第2期計画として、来年から5カ年の新計画策定に当たり「きずな推進委員会」という委員会を設置し、地域住民・関係機関・団体等と協働で市民福祉計画を策定する中核的役割を担う事になっている。

僕は「のぼりべつケアマネ連絡会」の代表として、第1期に引き続き、この委員会の「専門委員」に任命されている。各地区10地区の地区委員が86名、専門委員が20名、合計106名で、これから毎月計画策定に関する勉強会や座談会などを開き、来年3月までに具体的な地域福祉計画策定に当たるわけである。

ということでまたまたプライベートな時間(推進委員会は平日の午後6時から2時間程度行われることが原則で、そのほか地区ごとの住民座談会などにも参加する必要がある)を、これに振り当てねばならないが、それはよいとして、少し気になることがある。

推進委員会には106名ものメンバーがいるが、平均年齢がかなり高く、20代の人はほとんどおらず、30代も数えるほどだ。相変わらず民生委員や町内会役員が主要メンバーになっているが、この地域の将来の暮らしに直結する計画策定推進員に、もっと若い人々が参画して、年齢の高い人々と一緒に議論した方が良いのではないかと思うのは僕だけなんだろうか。市民参加なのだから、高校や中学の生徒会の参加があったって良いのではないだろうか?場合によっては第1期計画に関わったメンバーは総入れ替えした方が、本当の意味で市民が考える計画になるんではないのか?どちらにしても年寄りだけで地域の未来を語ってもしょうがない。

僕はこうした計画づくりのセンスには欠けているので、前回もたいした意見も出せず力にもなれなかったが、そもそも前回の5カ年計画の中身だって社協が評価するほどには評価していない。なんで市民の福祉計画に社協が実施する居宅介護支援や通所介護事業だけがのっかって、その他の事業所の同じ事業が入っていないんだ?

まず既存の第1期計画の「評価と仕分け」をきちんとしないと、市民の暮らしのための計画ではなく、計画のための計画になってしまうぞ。

それと先週木曜行われた第1回の推進会では「基調講演」が行われたが、講師役は前回も委員会で中心的な役割を担ったTアドバイザー。この人の熱狂的信者というような人も事務局にはいるようだが、僕は彼の話の内容がさっぱりわからない。

基調講演を聞いていても、話の脈絡がつかめず何を言いたいのかさっぱりわからなかった。言語明瞭、意味不明瞭とはこのことである。

だから話を聞いてもさっぱりモチベーションが上がらず、かえってやる気がうせてしまった。隣で聞いていた地域包括支援センターのNさんや、Sさんは話の内容が理解できたのだろうか?

そもそも第1期計画も市民が作り上げた計画とされているが、そんな意識を持っている市民はほとんどいないだろう。むしろ計画の存在自体を知らない人が多く、過去の推進委員会を振り返っても最終決定は議論によるものというより、この講師の方の考え方一つで決まっていったというような気がしてならない。「きずな」という名称さえも、推進員である僕さえある日急にそうなったと知らされただけで、議論した覚えもない。なんか変だ。

というわけで、何となくけだるさと不安を抱えながら委員会に臨むのである。文句ばかり言っても始まらないから、出来るだけのことはするけど、そもそも市民は計画があるってことを知っているんだろうか?そしてそれが自分たちの暮らしに何か役立っているという実感を持っているんだろうか?

インターネットでも広報するというが、そもそも基になるサイトを誰も知らないのでは意味がないと思うのも僕の杞憂だろうか・・・。

地域福祉計画を真に市民手作りで作るんなら、高名であるというだけで昔の名前で出ている人はいらないし、現在登別市民ではない外部のアドバイザーは、あくまで一歩も二歩も引いた位置で、くちばしをはさむのは控えめにした方が良いだろう。

僕もできるだけでしゃばらずに、次代を担う若い人たちが意見を言いやすいようにして、それらの人々のポジティブな意見を支持することに主眼を置いて関わろうと思う。

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