masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

介護サービス全般

愉しむことができてこその食事であることを忘れないでください。


看取り介護対象者の最終段階では、すべての人が食事を摂取できなくなります。

嚥下機能が低下して食事摂取が困難となるケースがほとんどですが、それ以前に食事を摂取すること自体が苦行になり、そんなに頑張って食事を摂らせなくても良いのではないかと医師に上申し、医師判断で禁食に至るケースもあります。

食事は人の生命を維持するために必要不可欠なものですので、食事を全く摂れなくなった時点で、最期の瞬間へのカウントダウンが始まります。だからこそ禁食という判断は軽い判断ではありませんし、慎重かつ厳格な医学的見地に基づいて判断されることになります。

でも安らかに人生の最終場面を過ごすということを鑑みるのでしたら、毎回の食事摂取そのものが苦行であることがわかりきっている状態で、それを続けて死期を引き延ばすということは、本来の看取り介護の目的に沿わない行為と言えるのも事実です。それは看取り介護の際に必要とされる、「安心と安楽」を阻害する行為でしかありません。

だからこそいつの時点で禁食とすべきかは、尊厳ある生き方という面からも考えなければなりません。安易に回復不能と判断しないこととともに、人生の最終場面を安楽に過ごすことも同時に考える必要があります。この判断のバランスが重要なのです。そのためには看取り介護対象者への関心を持ち続け、小さな変化にも気が付く五感を研ぎ澄まし、そして何より看取り介護対象者に人間愛を寄せ続ける気持ちが必要不可欠になってきます。

食事とは命をつなぐ栄養であり、健康つかさどる大切な行為であることを十分理解し、そのことを尊重しつつも、それは食事を愉しむことができるという前提があって、初めて成り立つことであると考えることも大事なのです。

毎回の食事が苦行であるにもかかわらず、その状態が回復しないとわかっているのに、生きるためだと仕方なく食事を続けている人などいるはずがないのです。それは普通の状態ではないのです・・・。

僕は全国各地で講演を行う機会を持っていますが、その際、講演の最後にその地域の介護関係者の方々にエールを送る動画を会場で流すことが多いです。その動画には、その土地土地の名物・食文化ともなっている食べ物の画像に、『食は栄養以前に人の最大の愉しみです』という画像を入れています。
食事とは人の最大の愉しみ
上の画像は2/7に講演を行なう千葉市の会場で上映する動画の一場面です。食事摂取介助はとても大切な行為で、正しい介護事業として食事摂取介助法を学ばねばなりませんが、それは命を繋ぐだけのえさを与えるかのような介助法であってはならず、食事の愉しみをきちんと護る介助法でなければならないと思います。

皿の上に乗せられた料理の見た目や、臭い、味、そして他人の口の中にそれらの食事を運ぶ介助者の配慮・・・それらがすべて揃ってこその食事介助であることを忘れてはならないと思うのです。

食事の介助を受ける人の口に食べ物を運びながら、食事介助する職員が利用者の表情に注意を払わず、介護者同士で業務連絡のような会話を交わして姿を恥ずかしく思ってほしいのです。その姿がどれだけ配慮に欠け、プロとして恥ずかしい食事介助法であるかということが理解できるようになってほしいと思います。

食事の愉しみを奪う食事介助をなくしていくことも、僕の大切な役割だと思っています。

ちなみに上の画像が含めれている動画、「LOVE〜明日へつなぐ介護・千葉市編」は下記からご覧になれます。

緊急事態宣言が解けない千葉市の、介護関係者の方々にエールを送る動画です。でも動画の内容は、すべての介護サービス関係者の方に共通してエールを送ることができる内容になっていますので、千葉市以外の地域の方も是非ご覧ください。千葉県外の方には、千葉市ってどういう所かもわかる内容になっているので面白いですよ。

5分40秒程度の動画ですので、週末のひと時をその視聴時間に割いて、介護の使命と誇りを今一度思い出してほしいと思います。
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次の利用料金変更同意はサクッと簡素化できます


本題に入る前に、今朝自分のフェイスブックに書いたことを、ここでも重複掲載する。

国が19日にLIFE関連通知を発出しているが、それをよく読むと「4月からLIFEの利用を開始する場合は、3月25日までに利用申請を行う必要がある」と書いてある。ということで3/25までに登録すれば4月から加算算定に間に合うということで、あとひと月余裕があることが分かった。しかし今日まで登録しておけば来月初めに利用案内が送られてくるため、準備期間を長く取れる。データ提出作業に精通しておくためには、今日までに登録を済ませた方が良いのではないだろうか。登録がお済でない事業者は、今日中にサックリ作業を済ませたいものだ。登録だけなら簡単作業なので、どうぞお忘れなく・・・。

さて本題に移ろう。

3年に一度の介護報酬改定は、新しい改定内容を理解するのも大変だが、もう一つ大変であり、かつ避けられない業務として、利用者全員から利用料金等の変更同意を得なければならないということがあった。

これは意外と大変な作業で、利用者もしくは家族全員に、一人一人改定内容等を説明するのではあまりに大変なので、『利用料金等の変更についての説明会』を開催して、その場で変更同意書に署名・押印いただくようにしているところが多いだろう。

しかし1度しか行わない説明会に、利用者全員の家族等が参加してくれるとは限らず、説明会も複数回行って、なおかつそこに来れない家族には個別で説明して同意をいただき、何とか4月料金の請求までにその作業を終えている介護事業者が多かったのではないだろうか。僕が総合施設長を務めていた社福では、そんな風な光景が3年に一度見られていた。

そのため報酬改定のあった年度当初の担当職員は、2月に報酬単価が出た後に変更同意書の作成作業にかかり、解釈通知等で変更同意書の内容に間違いがなかったかを確認する必要があった。そのため通知とQ&Aが出されるのを今か今かと待ちながら、それを確認した後に、説明会のセットなどで2月後半から4月末に掛けて、大変忙しい思いをしていた記憶がある。

しかし2021年度の介護報酬改定からは、新ルールに基づいてその業務が少しだけ簡素化することができる。そのことを利用しない手はないのである。

1/18の介護給付費分科会・資料1の42頁に示されているように、省令改正により、書面で説明・同意等を行うものについて、電磁的記録による対応を原則認めることとすることが決まっている。さらに利用者等の署名・押印について、求めないことが可能であること及びその場合の代替手段を明示するとともに、様式例から押印欄を削除するとしている。

これらの方針を国が示したことで、今後は重要事項説明の同意・ケアプランの同意もメールでのやり取りで完結することになる。

同時に署名・押印の廃止は国はすでに運用しており、省令改正も4/1からの発効となるので4月からの利用料金の変更同意にも大いに活用できるのである。

根拠のない意見が飛び交う某掲示板では、署名・押印の廃止は公文書の話だから、民間の契約に関する文書にその効力が及ばないようなことが書かれているが、そもそも署名・押印が契約に必要などという法令根拠は存在しておらず、国や公的機関の慣例に則った書式ルールに沿う契約行為等が信頼性が高い行為として認められてきたというだけの話である。よって国の公的文書が署名・押印を求めなくなったことによって、民間レベルの契約等の書式がそれ以上のものを求める必要はなくなるわけだから、メールでの同意で全く問題ない。

しかも現在ではZoomやSkypeという便利なアプリがごく普通に使われているのだからこれも利用できる。料金変更等に関する説明も、Zoom等を利用して動画録画配信すれば、何度も説明する手間が省けるのだ。説明動画のURLをメールで送り、それを視聴して同意いただいた方は、同意しますと返信してもらい、その返信メールを取っておくだけで記録に替わる証拠になり得るのである。

勿論そうしたアプリを使えない人のほか、スマホ対応ができない人、デジタル対応が困難な人も多いだろう。

そういう方についても、同意書・署名・押印は必要としないという方向から物事を考えてほしい。そうであれば例えば、変更内容を書いた文書を郵送して、到着後その内容を読んでいただいた時点で電話をして内容を説明し、「わかりました同意します。」と応答していただくだけで、有効な契約同意になる。この場合は、電話して説明同意を得た記録を支援記録等に残しておくだけで良い。それが実地指導時の証明記録になるのである。

このように料金変更の説明・同意だけのために、わざわざ介護事業者に利用者もしくは家族を呼びつける必要もないことを理解しながら、自分が所属する事業における利用者やその家族にとっては、どういう方法がベストなのかを考えていただきたい。しかしそれはあくまで事業者の都合ではなく、利用者及び家族の都合を優先するという視点と姿勢が求められる問題だ。

事業者の不安解消のために、「ひとまず署名・押印は残そうか」などという馬鹿な考えを持ってはならない。

利用者本位という言葉を本音で唱えているのか、単なる建前としているのかということは、こうした場合の姿勢でわかろうというものである。
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辛抱の時期にも限界があります


自分が縁あって採用された場所で、長く働き続けることは大事なことである。

石の上にも3年というが、難しいことであってもコツコツと努力を重ねれば、いつか物事を成し遂げられるのが人間なのだから、不都合なことから逃げ出さずに、一定期間頑張ってその場所で働き続けることには意味がある。「今いる場所で咲きなさい」とはそういう意味を込めた言葉だ。

しかし物には限度というものがある。人の暮らしを支援すべき対人援助の場で、人の心を傷つける行為や、そうした行為につながる規律の乱れを正そうともせず、不適切な対応に気づくこともなく、「そんなつもりはなかった」と言いながらたくさんの人を傷つけている場所に、我慢していつまでとどまっていたら良いというのだろう。

その状態を変えられない自分自身のスキルを問題視せよという人がいたりするが、経営者や管理職が問題に目や耳をふさいでいる場所で、無規律で横柄な態度のベテラン職員がはびこる場の環境を、数人の職員が反旗を翻したとしても変えられるわけがないのだ。

だからこそ一定期間同じ場所で頑張ってもなにも良くならないとか、流れ作業のように利用者に対応して1日の業務がこなせるだけで良いという風潮が変わらないような場所からは、一旦退場して新しいステージに飛び出した方が良いと思う。

こことは別のブログ・masaの徒然草に、「自分と未来を変えることができる転職」という記事を書いたのは、色々な場所で高い志を折られたり、つぶされたりするたくさんの人を見てきた経験があるからだ。

介護の仕事を職業にして生活の糧を得ている以上、介護を利用する人はお客様であるにもかかわらず、お客様に対して家族しか許されないぞんざいな態度で対応することが家庭的な対応だとか、親しみやすい態度だと勘違いしている人たちによって、介護サービスには深い闇が生まれている。

丁寧語を使って会話すると、「よそよそしい」と感じられるなんて嘘っぱちだ。正しい丁寧語を使いこなせば誠意とまごころは伝わり、よそよそしさは排除できる。日本語の語彙は世界一なのだ。よそよそしさを恐れるより、タメ口の馴れ馴れしさを恐れろと言いたい。

従業員の心無い言葉や投げやりな対応に心を傷つけられ、涙を流している利用者の姿は、そうした場所では、「ないもの」として無視されてしまう。

介護事業に従事している人の中には、「利用者に丁寧語を使うことに気恥ずかしさを感じる」という人がいたりするが、そういう感覚を持つことの方が恥ずかしい。介護のプロに徹していないという意味であるし、お客様に丁寧に接するのが恥ずかしいのであれば、人と接する仕事には向かないという意味だ。

利用者に対するマナーを教育することを、「押し付け」と考える人も居たりする。職場のルールを押し付けと感じて護る必要がないと考えるなら、それは従業員として失格という意味だ。そもそもどんな職場にもルールは存在し、それを徹底遵守する労務管理はあって当然だ。それを理解できない人は社会人として未熟すぎるとしか言いようがない。

経営者や管理職は、従業員の心無い対応で利用者が哀しんでいたり、不平不満を持っているのがわかっていても、そうした不適切な対応をとる従業員に注意して辞められては困ると考え、数合わせだけのために職場の環境を良くする努力を怠っていたりする。

自分のスキルアップを図りたいと考えている人は、そういう職場からは一日も早く飛び出した方が良い。そこにも利用者がいるのに放り出してよいのかと悩む人も居るが、長期的に見ればそういう場所から有能な職員がいなくなって、数合わせの不適切で流れ作業的対応しかできない介護事業者からは、顧客も貼りつかなくなり経営ができなくなる方が世のため人のためである。

そもそも不適切な対応を感じ取ってるのに、自分の目や耳をふさいで我慢しながら仕事を続けていると、必ず精神の健康は失われてしまうのである。自分の心を殺し、心を病むまでそんな場所で働き続ける必要は全くないのである。

どうかそんな時期を見失しなわないでほしい。志やスキルの高い人が、その能力を最大限に発揮できる職場環境を創り出している事業者も必ず存在する。お客様に対するサービスマナーに徹して、ごく自然に従業員の心に、利用者の方々に対するホスピタリティ精神が生まれている職場も少なくない。

そんな職場であなたのスキルを活かしてほしいと思う。
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自分を変えて未来が変えられる新規事業所


ちょうど1週間前の月曜日、僕は高知市で3月に新規開業する小規模多機能居宅介護事業所、「ケセラ介良けせらけら」さんのオープン前の事業所内で、オープニングスタッフとなる職員の皆さんの研修講師を1日務めていた。その日の昼休みには、「出だしが肝心になる新設事業所」という短い記事を書いてそのことを紹介している。

新規事業所の名称である「ケセラ介良けせらけら」の由来は、同事業所が高知市の介良(けら)地域に立地するからであり、「ケセラセラ(物事は勝手にうまい具合に進むものだから、成り行きに任せてしまってなんとなるさ、気をもんでも仕方ない、という意味合いがある)」に掛けた名称である。

当日研修を受講したのは、小規模多機能のスタッフとなる人たちだから数は多くはない。現在までオープンスタッフとして雇用されているのは十数名である。それらの人がオープン初日から、利用者の皆様に対してきちんとマナーを持って接し、根拠に基づいた正しい介護を行うことを目的に、僕が北海道から呼ばれて1日7時間もの研修講師を務めたものである。

研修を受けたスタッフは、母体である福の種合同会社の通所介護事業所に務めていた人や、他の事業者から転職してきた人、全く今まで介護経験がない人など前歴や経験は様々であった。

それらの人が一斉に3月からを合わせて、新規事業所をオープンさせるために、何が必要かということを考えて知恵を絞って研修講師を務めた。

スタッフの中の介護職の経験者の方の中には、今まで利用者に、「タメ口」で接するのが当たり前であると思って仕事を続けてきた人もいるし、根拠もなく水分補給を1日1500mlも強要する竹内理論を信じていた人もいる。そのように自らの経験を唯一の頼りとしてきた人に発想転換をしてもらう必要があった。

それらの人が一旦リセットして、ゼロから新しい知識を得て、その知識に基づいて経営者が目指す高品質で、お客様にとって心地よいサービスを創ることができるかが問題となるのである。

その為に午前中3時間は、根拠に基づいた正しい介護実践の方法をかいつまんでレクチャーするために、「介護の誇り〜職員のやる気を引き出す実践論」というテーマでお話しした。そこでは職員が立ったまま食事介助することは何故駄目なのか、竹内理論の間違いとは何なのかということ等を、詳しくわかりやすく解説したうえで、そのような介護方法論とは異なる、正しい介護実践の方法論を具体的に伝えた。

そこで経験のある職員は、今までの経験の中には役に立たないものもあるということを実感できたと思う。

そのうえで午後からサービスマナーがなぜ求められ、それは具体的にどういう対応方法なのかを4時間にわたって説明した。

午前中の講義で、間違った考え方を捨て去れねばならないこと気づいた人は、自分たちのやるべきことが何なのかがわかりつつある中で、そこにサービスマナー精神を込めることで、真のホスピタリティ精神が生まれ、それが顧客から選択される介護事業者につながること理解してもらったと思う。

しかしそれは介護事業経営者のために実践することではなく、顧客から選ばれて経営が続けられる事業者で、自分自身が長く働くことができ、そこで相応の対価を得ることができることになるのだということも理解していただけたと思う。

そのことが同時に顧客のためにもなることであり、毎日丁寧に対応できる従業員の態度に、顧客が満足してくれる笑顔によって、従業員のモチベーションもさらに上がり、その姿を求めてさらに顧客も、マナーの良い場所で働きたいと思っている人も、そこに張り付いてくるという好循環が生まれるのだ。

現に僕が過去に関わった事業所では、(募集もしていないのに)働きたいと応募してくる介護職や、職員の態度が素晴らしいという口コミを聴いた顧客が続々と集まってくるという現象も生まれている。

そういう事業所を自分たちの力で創ることができる新規事業者はうらやましいと思う。だからこそ「ケセラ介良」のオープンスタッフは、自分が今までどのように介護業務を行ってきたかを別にして、それをすべてリセットし、少なくとも顧客に対する言葉遣いだけは、「丁寧語」を崩さずに接しようと一人一人のスタッフが心に誓ってほしいと思う。いやきっとそうなっていると信じている。それは僕との約束でもあるからだ。その態度を実践できないスタッフについては、管理職等がその場で随時注意を促して修正していくというコンセンサスが得られたことと思う。

全職員がオープンスタッフとして一斉にスタートを切る新規事業所では、既存施設の中で、「タメ口」を直せない先輩職員がたくさんいる中で改革を行うより、ずっと経営者の理念は浸透しやすいのだから、ぜひ結果を出してほしいと思う。

ちなみに福の種さんは、通所介護もリハ専門職の配置が充実していて、今回の小規模多機能事業所も、看護小多機ではないのにセラピストも配置し、リハビリテーションの充実に努めている事業所である。

その為、現在でもセラピスト・看護職員・介護職員は引き続き募集中だということである。それに加えて福の種合同会社全体の経営に携わることができる、管理職候補のスタッフも募集しているそうだ。

高知県外からIターンで就職していただける場合は、最初の2年間は宿舎を用意してくれるとのことだ。木村社長より、「素晴らしい自然と海の幸、山の幸、ケセラ介良が待っています!!」というメッセージも届いている。

僕が今後もお付き合いを続けていく介護事業所でもあるので、高知市内で働きたいと思う能ある鷹は、是非応募してみてはいかがだろう。新しい環境で、志のある素敵なスタッフに囲まれて自分と未来を変えてみたいと思う方は、木村社長(088-821-8996 ✉ momotaro0502@gmail.com)まで直接連絡してほしいそうである。

スタッフの皆さん、どうぞ立派な事業所を目指す前に、感じの良い介護事業所を目指してください。
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デリカシーが問われる改定対応


科学的介護推進体制加算自立支援促進加算という名称の新加算が創設された2021年介護報酬改定であるが、そこでは介護サービスを利用する人が、いかに自分でできることを失わないか、自分でできることを取り戻すかという結果が問われていくことになる。

それが科学的介護であり、自立支援介護であると言われ続けるわけである。

自分でできることが続けられたり、できることが今以上に増えることは悪いことではない。そのことを実現するために介護支援が行われることも良いことだ。

しかし人は老いていく生き物だ。老いてゆく過程では自分自身でできることが少しづつ、気が付かないうちに失っていくのである。その時に失われたものに対して、優しい目線で対応されなければ人はひどく傷つき、時には自分がもうこの世に存在してはならないのだと思い悩んだりする。人はそれほど強くない生き物なのである。

もし人が自立しないと生きていく価値がないとしたら、老いも心身の障害も最も罪深いことになるだろう。しかし人は自立していなくとも共立できる存在である。人を思いやり、人を手助けして共に生きる知恵を持った存在である。だからこそ人は人として存在しているそのことだけで価値があるのだ。社会福祉は人がどのような状態で生きていようとも、人としてこの世に存在しているそのものが尊いという、「人間尊重」が価値前提となっているのである。

科学的介護や自立支援介護を叫び続ける先に、この価値前提が失われてしまわないかが大いに懸念されるところだ。

施設サービスにおける褥瘡マネジメント加算や排せつ支援加算は、褥瘡予防や排泄自立に向けた計画を実行するのみならず、課題解決という結果をさらに評価する加算の上位区分が設けられたが、これは将来的に、結果を伴わない単なる計画実施を評価から外す布石でもある。

そうなると、計画を作成しそれに沿ったケアを行っているにもかかわらず目標が達成されない利用者は、お荷物として蔑視されることになりかねない。

算定単位が10倍となり、通所介護だけの加算から通所介護・特定施設・特養まで算定事業者を拡大したADL維持等加算は、ADL利得が気1以上・兇2以上の数値が求められている。現在のように0以上で算定できる要件が引き上げられているのだ。しかも現在上位85パーセントの利用者をピックアップして計算すれば良いとされているルールが、上位と下位のそれぞれ10%をカットして、中間層の数値データでその要件を満たさねばならないように変更されている。

これによりこの加算を算定しようとする事業所では、2回目のバーセルインデックス測定の際に、数値要件がクリアできるように、利用者を頑張らせるということになっていくのは必然だ。

通所サービスでは、口腔状態や栄養状態を、介護職員等が確認して、その情報を担当ケアマネに報告することで算定できる、「口腔・栄養スクリーニング加算」も新設されたが、利用者の表情を見ることなく、無遠慮に口腔状態や摂食状況だけを気にかけるとき、通所サービスでの食事摂取は、監視下に置かれた機械的な作業へと変わりかねないことをすべての関係者が理解し、配慮をすべきである。

通所介護でゆっくりお風呂に入りたい人にとって、自宅の浴室アセスメントなど余計なお世話である。ましてや、スーパー銭湯のように広い大きな浴室でゆっくり体を温めることを最大の愉しみにしている人にとって、「自宅で自立して入浴できるように個別に付きっきりでお世話します」という入浴支援方法など、うっとおしいだけの有難迷惑でしかない。

施設サービスに新設された、「栄養マネジメント強化加算 」の算定要件には、食事の観察(ミールラウンド)を週3回以上行うことが義務付けられている。しかし食事は誰にも遠慮せず、おいしく食べられることが一番大事だ。誰かにジロジロみられ食事などまっぴらだと思っている人が多いはずだ。ミールラウンドはそうした人々の気持ちを無視して、食事という大切な時間を、ジロジロ観察される場に変えてしまわないだろうか・・・。

科学的介護や自立支援介護を前面に押し出すのは良いが、そのときに不必要な押し付けがないかという配慮は不可欠だ。自立や科学的根拠を押し付けられることで、誰かの暮らしに窮屈さを押し付けていないかという検証も欠かせない。

介護事業経営の視点は重要であるし、そのために加算をできるだけ算定することは大事だ。その要件を確実にクリアするために、要件を理解し対応していくことも必要なことだ。しかし私たちの仕事は対人援助であり、そこには日々の暮らしを営む人々が存在する。その人たちの暮らしとは、本来最も個別性が高く、最もプライベートな空間において展開されるものである。そこへの配慮が欠かせないのだ。

人の暮らしとは、それが成立するために必要な支援を受ける必要があったとしても、どう暮らしたいかという部分については、誰からも介入されたくないというのが多くの人の願いだろう。

そこに自立や科学を結び付けるにはどうしたらよいのだろう。少なくともそれは自立するための方法論を押し付けるものであってはならないし、何かを結び付けるに際して人に対する優しさや配慮を欠かさないという視点が欠けてはならないものだろうと思う。

私たちに求められるのは、優しさやデリカシーを科学することではなく、科学や自立支援を、優しさと配慮に満ちた方法論として利用者に結び付けることなのである。
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奪われる人々に向ける視線が、その人の人格につながる


自分のことは自分で決められるのは、至極当たり前でのことである。

しかし社会の規範に外れたことまで、なんでも自分で決めた通りにできるということにはならない。

個人の権利とは、他者の権利を尊重する義務を伴うものである。人の自由はそれ自体が目的ではなく、幸福な暮らしを手に入れる手段なのである。

自己決定という行為も、道徳的な悪を選んで行為することを許しているわけではないし、コンプライアンスとしての制限も生じる。何より、被援助者自身の能力を超えてまで自己決定を強いるべきではないとされており、あらゆる手立てを講じても自己決定ができない人については、援助者が彼らに代わってニーズを表明し方法を選択するという、意思決定を代弁することによって利用者の基本的人権を守ろうとすることが優先されるのである。

この世の中は、自立できない人も共生できるからこそ住みよくなるのだ。

しかし共生社会とは、人を思いやることなしに成立しないのも事実だ。人の足を引っ張ろうとしたり、誰かを絶望の淵に追い込もうとしたら、共に生きることなんてできっこないのである。

奪いあう社会に、「共生」は存在しなくなる。

人の哀しみに目をふさぐことも共生を阻害する大きな要因だ。誰かの憤りの声を無視することも共に生きることを阻害する行為につながる。

今、巷では1年を超えるコロナ禍で、様々な制限が生じている。人の命を護るという意味で、それは必要不可欠な制限であると思うし、そのこと自体を否定することは出来ない。

社会全体が様々な我慢を強いられながらも、それに耐えてコロナ禍を打破しようとすることは、人間の英知が問われているという意味であり、その中で自由を一時的に制限された状態を耐え忍ぶというのは、この時代に生きる人間の義務であるだけではなく、それはこの時代に生きる全ての人々の英知が問われているということだ。

こうした状況の中で、介護施設やその他の居住系施設では、感染予防という大義名分を持って利用者の自由の一部を制限しているわけである。それは仕方ないし、やむを得ないことであるかもしれない・・・。

だからと言って、人の権利や自由を自分の意のままに奪う権利を、施設経営者や管理者・管理職が持っているなどと勘違いしないでほしい。やむにやまれぬ状況の中で、心苦しいお願いをきいてもらっているのだと考えてほしい。

神のごとく何でも決めることができると勘違いしたり、人の自由を制限して権利さえ奪い取ることに何の心苦しさを感じない人は、それだけで周囲に闇をつくっているのだ。見えない涙を見逃しているだけではなく、見える涙さえも目をふさいでみない状態になっているということだ。

制限を強いる必要がある状況の中で、制限を受けている人に、どれだけ優しいまなざしを注ぐことができるのかが問題である。そこでは人類の英知が問われるとともに、己の人格が問われるということを心してほしい。

愛情に欠けた制限は、人として許されないと思ってほしい。人から何かを奪わねばならないときこそ、大きな愛で包み込む気持ちを忘れないでほしい。そのことは、決して難しいことではなく、特別な知識や技術がいることでもなく、気持ちさえ持てば誰にでもできることだということを忘れないでほしい。

今週初めに作成した動画に手を加え、完成版をあらためて今日アップした。

この動画は、介護を通じて誰かのあかい花になろうとする人や、小さな行為を大きな愛を持って行おうとする人々と、全国の様々な場所でつながりを持てたことに感謝しながら、志を同じくする人に届けたいメッセージを込めた動画である。

週末のひと時、5分40秒だけこの動画を観ながら、自分が関わっている介護サービス利用者の方々の顔を思い浮かべていただきたい。僕と一緒に写真撮影したことがある方は、この動画に登場しているかもしれないので、それも確かめてみてください。

それでは皆様、良い週末をお過ごしください。来週は四国・愛媛県と高知県にお邪魔します。そこでお愛する皆さま、どうぞよろしくお願いします。
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見て見ぬふりをしない介護でありたい


木村拓哉主演の、「教場」(フジテレビ)という正月特番ドラマの中で、主人公の風間教官が生徒に対して、「警察官として一番大切な資質は、見て見ぬふりをしないこと」だと教えていたというエピソードが紹介されていた。

ドラマはとても面白かったが、この言葉にぐっとくるものがあった。

「見て見ぬふりをする」とは、他人の不正や不誠実な行いを、とがめないで見逃す様を表した言葉であり、よく使われる言葉である。だが日常場面でその言葉を使うことがあっても、そのことに特に感銘を受けることはない。

しかし人の道として、プロフェッショナルのスキルとして、この言葉を当てはめると、とても深いものが見えてくるように思えた。

僕たちが長い人生を生きる中で、見て見ぬふりをすることは決して少なくないはずだ。誰しもが思い当たることは一つや二つで済まないだろう。そんなことはなかったことにしてほしい時、無意識にその行為をなかったものと思い込むために、みなかったことにする心理が働くこともある。

そうしたことが対人援助の場で頻繁にあるとしたら、そこでは私たちが見たくはない何かが行われているという意味だ。私たちにとって現実になってほしくない様々な状況がそこに存在しているということだ。

それはもしかしたら私たちが目にしたくないような、利用者の哀しい姿かもしれない。

例えば、おむつが濡れていることが明らかで、おむつを使用している本人もその気持ち悪さを訴えているにもかかわらず、その声を無視して時間にならないとおむつを交換しないという状況・・・。

要介護高齢者の心の支えになろうとしているのに、同僚や先輩がその方々に荒々しく接していて、それをとがめられない自分の姿・・・。

第3者がいないからと言って、利用者を小ばかにしたりなじったりする言動や陰口が日常化している職場環境・・・。

食事介助を行いながら、利用者を無視するかのように職員同士で、仕事とは全く関係のない会話を交わしている姿・・・。

流れ作業のような介護業務に終始する中で、感情を無視され、機械的に扱われる利用者が、世話になっているのだからしかなないとあきらめている哀しい姿があること・・・。

私たちが介護の業務を通じて、いつの間にかそのような状況を、「見て見ぬふりをする」ようになってはいないだろうか。見えていたものに目をつぶり、見ようとしないで、ないものと思い込んでいないだろうか。

介護を受けるということは、介護を受ける人が人に知られたくない、人に見られたくない恥ずかしい部分をさらけ出して、自らの身体を介護をしてくれる人に委ねなければならない行為だ。そこでは介護を行うものとして、目に見えない利用者の羞恥心にも心を寄せる必要があるはずだ。そうした心配りが欠けたときに、介護サービス利用者は、まるで物のように扱われ、心を閉ざさねば介護が受けられなくなるのだ。

だからこそ私たちは目に見えないものも感じ取るスキルが必要とされるのだ。ましてや目に見えているものから目を背けて、見て見ぬふりをすることは決して許されないのである。

後輩から介護者のスキルで一番大切なものは何かと聞かれたときは、木村拓哉演じる風間教官の言葉を、そのまま介護の仕事のスキルに当てはめて次の言葉を後輩に送ったらどうだろう。

「介護事業に携わる者がすべからく求められる一番大切な資質は、見て見ぬふりをしないことである。」・・・その言葉を送りたい。

そして自分が勤める職場で、「見て見ぬふりをする」という行為をできる限りなくしていこうではないか。そんな行為が頻発する介護の場は、哀しみの場でしかないのだから。

「見て見ぬふりをする」という行為がなくならない介護の場は、長くいてはいけない場である。さすれば転職するかどうかの基準もそこに置くことが出来るかもしれない・・・。
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サ高住の賢い選択が促されているが・・・。


21年度介護報酬改定の柱の一つ、「制度の安定性・持続可能性の確保」の中では、評価の適正化・重点化策として、サ高住に関する指導強化が図られている。

具体的には、サービス付き高齢者向け住宅等における適正なサービス提供を確保する観点から、事業所指定の際の条件付け(利用者の一定割合以上を併設集合住宅以外の利用者とする等)や家賃・ケアプランの確認などを通じて、自治体による更なる指導の徹底を図るとしている。

このことに関連して政府は2021年度から、高齢者住宅に対するさらなる監視強化の方針を固め、全施設に入居・退去者数や退去理由などの公開を義務付けるほか、自社の介護サービスのみを過剰に使わせるために家賃を安く抑える可能性が高い施設を補助金の対象から外す方向で検討している。

対象から外されるのは、1戸あたり90万〜180万円の整備費補助や、固定資産税の減額などである。

こうした一連の規制強化の理由は、サ高住の突然の廃業などで高齢者が住まいを失うケースが相次いでいるためだ。

現在全国でサ高住の数は、7735施設となっているそうだ。(※2020年11月現在)。そこで暮らす高齢者数は約26万人とされている。

相変わらず待機者が多い特養の入所要件が、原則要介護3以上とされたために、ますます行き場所が見つからない要介護者などが増加することを見越して、「高齢者住まい法」に位置付けられたサ高住は、国がたくさんの補助金を支出して、全国にその数を増やす政策をとったこともあって、参入業者が爆発的に増えてきた。

その中には、「儲け」しか考えず、サービスの質という概念もなく、事業計画もずさんで、安易に、「高齢者の数が増えるから、入居者確保には困らない」として事業参入してきた業者も多い。しかし実際には、家賃収入だけでは借入金を返還しながら収益を挙げることは難しく、自社で外部サービス部門をつくって、そのサービスをサ高住の入居者に張り付けることで、収益を挙げようとする事業者が多くなり、家賃収入を下げてでも、訪問介護等の自社サービスへの、「囲い込み」を強力に進めようとする事業者が増えてきている。

囲い込みに応じない利用者を排除する利用契約を結んでいる事業者もあることは、僕が管理人を務める表の掲示板でも再三問題提起されてきた。

ここにメスを入れたいといううのが、今般の国の規制強化策である。

このことは良質な事業者が残っていくためには必要な策であると評価してよいと思う。特に補助金や減税が必要ないという事業者はいないだろうから、この対策は介護事業の運営基準改正より実効性が挙がると思われる。

しかし問題は、「自社の介護サービスのみを過剰に使わせるために家賃を安く抑える可能性が高い施設」をどう選別できるのかということだ。

サ高住を経営する事業者が、囲い込みを高らかに宣言するケースはそう多くはない。本音はともかく、建前としては利用者の選択を尊重すると喧伝しながら利用者を集めているケースが多いのだ。

そうなると申請段階で、国が問題視する規制対象事業者であるとは認定できずに、すり抜けて補助金を得たり、減税対象になってしまう事業者も少なくはないだろうと思われる。

そうであればこの規制には一段の強化策がセットで求められてくる。事業開始後であっても、囲い込みの状況を市町村が確認するシステムを強化する必要があるし、利用者やその家族、担当ケアマネなどがサ高住の過度な囲い込みや、法令違反の契約内容について、行政に訴えられる窓口をつくり、そのことを広くアナウンスする必要がある。

それとともに不適切運営が明らかになた後に、補助金や減税分の返還を求めることができる法令等の整備も必要不可欠ではないのだろうか。

規制強化策には、全施設の入居・退去者数や退去理由などの情報公開が含まれているが、これをもって利用者が上手に選択せよというのは、過度な希望である。

そうした情報によって施設の良否が判断できないのは、介護サービス情報の公表制度でも証明されていることであって、大きな期待は寄せないほうが良い。

それよりも有効な情報は、サ高住の周辺地域の、サ高住の事業者主体以外の事業者に所属する、居宅介護支援事業所が持つ情報だと思う。

自分が住む地域の、居宅介護支援事業所に所属するケアマネジャーの本音を集めてみたら、どのサ高住が安心して住み続けられ、どのサ高住は選択しない方がよいのかということがわかるのではないだろうか。
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人間尊重の価値前提を学ぶことができる介護事業にしよう。


僕がFBでつながっている、神奈川の社会福祉法人の施設長・Kさんが、12/26に書いた、「大人を小馬鹿にするかのような格好をさせて何が楽しいのだろう?」という記事を読んでくださって、その記事をご自分のFBにシェアしてくださっている。

シェアした際に、生地紹介文を書いてくださっているが、そこにはK施設長が過去に経験したエピソードが次のように紹介されている。(※K施設長に承諾を得てうえで転載しています。)
-------------------------------------------
もう20年以上も前ですが、認知症で幼児返りし、いつもニコニコしているだけの小柄な入所者さんに介護職員は皆メロメロでした。
未熟な私は面会にみえたご家族に、良かれと思い「〇〇さんかわいい、と一番人気なんですよ」なんて伝えてしまいました。ご家族も喜ぶと思ったんですね。
でも喜ぶどころか、寂しく悲しそうに仰いました。「…こうじゃなかったんですけどね。厳しい人でした」
このやり取りは、私に刻み込まれました。一生忘れられない失敗談。でも、このおかげで気付きと学びを得たのでした。」
(※K施設長のFBより転載)
--------------------------------------------
利用者を可愛いと感じる人に悪気があるわけではないのだろうが、私たちは社会福祉という領域の中で、対人援助に関わっていることを忘れないでほしい。

私たちが決してなくしてはならない価値前提とは、「人間尊重」の価値前提なのである。「人間尊重」とは、人は「何を持っている」とか「何ができる」ということにかかわらず、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観であり、私たちが対人援助の場で関わる利用者が決して尊厳を失わないように関わることが求められるのである。

その関わりは極めて積極的な姿勢としてとられるべきで、人の尊厳を奪うような要素を少しでも残しておかなうようなソーシャルアクションが求められるのだ。そうであるがゆえに人生の先輩を人として尊敬する以前に、子供のように可愛がる態度を放置してはならないのである。

勿論、語感は時代とともに変わるものであるし、言葉狩りを行っても人の権利を奪いこそすれ、護ることにはならないことも十分承知している。それでもなおかつ、介護事業者に所属する職員が、仕事として関わる人生の大先輩に対して、可愛いと感じたり、可愛いねと声を掛けたりすることの弊害を思わずにはいられない。そうした意識の低下こそ、介護サービスにおける割れ窓になりかねないのだ。

何度も云う・・・。可愛いという言葉を人に対して用いる場合、従来は子供や年少者、若い女性などについて用いていたが、近年ではそれが「かわいいお爺ちゃん」のように対象の広がりがみられることは理解している。しかし可愛いという言葉が、時代の流れの中で、世間における使い方が変わってきたと言っても、対人援助のプロが、利用者に向かってその言葉を使うのは間違っていると思うのである。その語感は、自分より立場の弱いもの・施しの対象者に向けるものになって、その意識によって一人の人間としての尊厳を奪うような言動に結び付く恐れが排除できないからだ。

対人援助者は、利用者を愛(いつく)しみ、大切に思うことが大事である。

介護支援を受けなければならない人であっても、人間として私たちとその存在価値や尊厳は変わらないことを前提にして、私たちは利用者の方々に関わる必要があるのだ。

私たちは小さいもの・弱いものを手助けするのではなく、不便がある人の不便を解消するお手伝いをする仕事をしているのだ。それは困っている人に手を差し伸べるという人としてごく当たり前の行いにしか過ぎないが、そこに専門知識と専門技術を添えて、より効果的に、より適切に課題解決に結び付けるのが、私たちの仕事なのである。

そうした介護のプロとして接しようとする人が、自分より年上の高齢者の方々に向かって、「可愛い」という言葉を掛けることも、「可愛い」という感情を抱くことさえも不適切であると思う。

人は必ず心の中に弱さを持っており、時として周りの環境の影響を受けて惰性に流されやすい。だからこそ対人援助に関わる者は、自分を律して人権意識を奪う要素をできるだけ排除することを意識しなければならない。そうした姿勢でしか護られないものがあることを理解しなければならない。

管理職という立場の人たちには特にそのことを意識して、介護の場で利用者を可愛いと言いながら仕事をしている人たちに、それがいかに恥ずべき態度であるかということを伝えてほしい。そうした職場を変えていってほしい。そのために自分が先頭に立つ心構えが必要だ。

本当に何かを変えたかったり、自分の考えが真実だと主張したい人は、姿を現して最前線に立つはずだ。それができずに姿を隠して、自分の主張だけを垂れ流す輩は単なる詐欺師で、誰の尊敬も勝ち取れないことも同時に理解してほしいと思う。
高齢者をかわいがるという感覚麻痺
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大人を小馬鹿にするかのような格好をさせて何が楽しいのだろう?


今年も残すところあと6日となった。そのような中で介護サービス事業者でも、年末・年始の準備であわただしい業務をこなしている人が多いだろう。

日本人にとって暦の行事や風習は大切なものだから、利用者の皆様に季節や時期を感じてもらうサービスを提供することは大事だ。

生活の場である居住系施設などでは、毎年暦に基づいていろいろな年中行事が行われ、年末・年始には、そうした行事が集中する時期だが、今年はコロナ禍という特別な状況があって、密を避けなければならないということで、大勢の人が集まっての行事は避けられているところが多いのかもしれない。

それでもフェイスブックやインスタグラムを観ていると、そうしたSNSに介護施設での行事写真などが投稿されていたりする。感染予防について様々な工夫をしながら、利用者の皆さんに楽しんでいただけるように、介護の場で働く皆さんが頑張ってるのだと思ったりする。

しかし・・・である。

そこで行われている中身が問題である。高齢者施設は大人が住まう場所である。にもかかわらずそこで行うお祝いのイベントが、チーチーパッパの世界になってどうするというのだ。

高齢者施設に子供が訪ねてきて、唄や踊りを披露するのは良いだろう。感染予防策を十分とったうえで、そうした行事をしたり、モニターでそうした行事を映して、それを利用者が観て楽しんでいることに何も文句をつけるつもりはない。

しかしクリスマスの行事を鑑賞している高齢者のその姿が問題だ。ステージの前に座っている人が、サンタの赤い帽子をかぶっているのはまだましな方で、中にはクリスマスツリーの飾り物を頭に載せている人がいたり、トナカイの角のつもりなのか、頭に角をはやしている姿で、高齢者の方々がステージの前に座って鑑賞させられていたりする姿がある。

どののどの家庭で、高齢者が仮装してクリスマスを愉しんでいるというのだ?しかも頭にツリーの飾りや角を載せた大人がどこにいるというのだ?今どきそんな恰好は、宴会の下品なかくし芸でも流行らない姿であり、高齢者介護の場でそうした場面を創り出すことについては、高齢者の方々を幼児化する、人を馬鹿にした目線かしか感じられない。

そこで楽しんでいるのは利用者ではなく、その利用者を見て、「可愛い〜!」と茶化す自分自身ではないのかと疑ったことはないのだろうか・・・。

様々な行事を愉しむ高齢者の中には、認知症の方もいて、幼児化した言動をとる人も存在するだろう。だからと言って介護従事者が、それらの人を幼児扱いしてよいということにはならない。幼児化してる高齢者についても、その尊厳を護って、丁寧な言葉遣いと態度で接しておれば、認知症の方の行動・心理症状は落ち着いていくのである。

そもそもそこに居る様々な高齢者の方々には、その背後にその方々を愛しく思う家族や親せきや友人たちがいることを忘れてはならない。その方たちが介護施設で、自分の家族がきちんと護られていると感じることができる職員の姿とは、従業員が自分の家族に馴れ馴れしく接して、子供のように可愛がられることではない。

家族が安心できる従業員の姿とは、自分の大事な父や母や、祖父や祖母を大切に思ってくれていると感じられる姿である。一人の人間として、その尊厳や権利をきちんと護ってくれているなと感じることが、家族にとって最大の安心感につながるのである。

高齢者を子供扱いして、若い職員が自分の親を茶化すような姿勢しか感じられないときに、家族は陰で絶望感を味わい、どこにも吐き出すことができないやるせなさに身を震わすことになるのである。それが証拠にSNSでは、親を介護施設に入所させている子が、「母は震えて顔をゆがめていました。看護師さんは何も感じないのでしょうか?激怒している内心を隠し、何も言えずに帰りました。」・「おいで、おいで はないでしょう。犬じゃないんだから。」・「ちゃん付けはやめてほしい。きちんとさん付けで呼んでほしい。」というように、悲痛な声が多数アップされているのだ。

しかし人質をとられていると同様の家族にとって、この悲痛な声を介護施設の管理職や従業員に直接投げかけるのは難しいという側面もあり、苦情や悲痛な声が表面化しないことも多いのである。

だからこそ我々は、高齢者はどのような精神状態・身体状況であっても、長い人生を歩んできた歴史を持つ一人の人間として、その尊厳や家族の思いを護らねばならない。

そういう意識が無いところで感覚麻痺による、「悪気のない虐待」がはびこってしまうのだ。
見えない涙
「魂」という文字は、人の心根をあらわす文字であり、「それなしではそのものがありえないくらい大事なもの」という意味がある言葉であるが、それは云うという文字があって初めて成り立つ文字でもある。ここから云うという文字がなくなれば、魂は鬼に変わってしまうのだ。

だからこそ何かの行事の時に、「それって大人にさせてよい行為ですか」という声を掛け合ってほしい。おかしなことはおかしいと云いあう勇気を失わないでほしい。そうしないと鬼の心で利用者の方々を扱う結果になってしまうかもしれないのである。

そういう場所に居続けることは、自らの感覚を麻痺させ、鬼の心を持った醜い姿に自分を変えてしまうことに他ならない。自分が今いる場所が、そういう場所であったとしたら、そこでキャリアを重ねても、介護のプロとしての成長はないし、人間として大事なものを失いかねないと思う。云いあって、正論が通じない場所からは、一刻も早く離れて、咲く場所を変えることも必要になる。(参照:置かれた場所で咲きなさい、というけれど・・・。

どうぞ大事なものは何かという視点を失わないようにしてください。私たちは、高齢者の方々を幼児のように扱って笑いを誘うために存在しているのではなく、人として大事なものを失わないように、傍らに居させてもらっているのだということを、どうぞ忘れないでいてください。
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痛みの管理が大切なことは解っていても・・・。


昨日の記事から続く
新築の香りが漂っていた、オープンしたばかりの特養が、数日のうちに湿布の臭いが充満する空間になっていったという意味は、それほど多くの利用者が湿布を常用していたということだ。

その中には、血行の促進や冷え性の改善のために温湿布を使っている人もいたが、多くの場合、痛みの緩和のために湿布が使われていた。

お年を召せば全身に痛みを感じる人が多いのはわかっていたし、筋肉痛や神経痛などの痛みが運動能力に大きく影響することは理解していた。しかし当時の僕は20代だから、激しい運動後の筋肉痛の経験はあっても、慢性的な関節や神経の痛みの経験などなく、それがどれほど日常生活に支障を及ぼしているのかという理解に欠けていたように思う。

「我が身をつねって人の痛さを知れ」という諺は、他人の痛みや苦しみを、自分自身の痛みに置き換え、相手を思いやることが大事だという教えであるが、そうはいってもなかなか他人の痛みは理解できないものである。ましてや若者が高齢者の慢性的な身体の痛みを理解することは、口で言うほど簡単なことではないように思う。

ただそれは今だからこそ、自分が年をとったからこそ言えることだともいえる。

その為当時の僕は、利用者の中のたくさんの方に、体の痛みがあることは解っていても、もっと頑張ることができるだろうとか、そこまで痛みに慎重になって行動を制限する必要はないのではないかと思うことがしばしばあった。しかしその考え方は完全に間違っていたと反省している。

僕は若いころ野球をしていたことがあるが、プレーヤーとしては大した才能はなかったものの、肩の強さだけは自慢で、現役選手を引退して十数年経っても肩の強さは若いものにはまだ負けないという自負があった。ところが数年前にいわゆる、「50肩」という状態になって肩がまっすぐ上まで挙がらなくなったことがある。

50肩は自然に治うするようで、今は肩の状態も元に戻っているが、痛みのある時期は、痛いという事象そのものよりも、また肩が痛むのではないかということに怯えて、いろいろな行動に自制的にならざるを得なかった。

億劫で行動ができないのではなく、怖くて動けないという場面が日常生活の中でしばしば出現した。車を運転している際に、バックのために後ろを振り向くという何気ない動作の中でも、肩に痛みが走るのだから本当に困ったものだ。その時期は車の運転もしたくなくなった。

高齢者の慢性的で全身にわたる関節痛や神経痛とは、僕が肩の痛みを感じていた時期に存在した怖さや不便とは比べものにならないくらい、過重な生活障害ではないかと思う。

だからこそ痛みの管理はより重視されなければならない。そして生活障害につながる体の痛みがある際に問題となるのは、痛みの程度の問題ではなく、痛みの有無そのものであり、程度を軽くしても生活障害はなくならないのだという理解も必要であると感じている。

同時になくならない痛み、ずっと付き合っていかなければならない痛みを抱えて生活している人もたくさんいるのだから、そこに優しく対応できる視点が介護支援者にはもっと求められるのではないかと思うようになった。

人の痛みは見えないから、無視されてしまうことがある。そうであっては高齢者の生活課題は解決不可能になるのだ。見えないからこそより慎重に対策されなければならないと思う。

とともに・・・もっと見えにくい痛みをアセスメントしてほしい。体の痛みは訴えになるが、心の痛みは訴えとして現れないことの方が多いということだ。

高齢者は子供ではないと言いながら、その口はどこに行ったのかと思う扱いがされていることが多い。

今、インスタグラムなどのSNSでは、介護施設等で年末行事の様子を映した写真や動画がアップされている。そこでは世間より一足先にクリスマスを祝う様子なども見受けられるが、そこに映されている高齢者の方々が、サンタの赤い帽子や紙で作った円柱状の帽子をかぶって、クリスマスソングを唄ったり、ステージで繰り広げられるアトラクションを観ていたりする姿がある。

しかし世間一般のどこの家庭で、サンタの赤い帽子や紙で作った円柱状の帽子をかぶってクリスマスを祝っている高齢者がいるというのだろうか。

祖父母の方々と同居している介護関係者は、自宅で祖父母の方々が、そのような姿でクリスマスソングを唄う姿を微笑ましく思うことができるのだろうか・・・。

そのような扱いに心を痛めている高齢者はいないのだろうか・・・。そこに思いが及ばない人は、対人援助の仕事をすべきではないと思う。
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民度が低い介護業界の現状


サービスマナー意識をもって丁寧な対応を心がけるというのは、接客を伴う職業において極めて当然の常識である。

しかし介護事業者に勤める人たちで、このことを全く理解できていない人はかなり多い。自分たちの職業が接客業であり、サービス業であるという基本も理解できていない人も多い。

介護・福祉・医療業界以外で、「お客様にタメ口は使ってはなりません」などという教育は成り立たない。それは極めて当たり前すぎることだから、サービスマナー研修でもそのようなレベルの話をする講師は呼ばれなくなる。

ところが介護業界は、そこからサービスマナーの話を始めなければならないだけではなく、そもそもサービス利用者が、「顧客:お客様」であるという概念から話さねばならないことも多い。それほど民度が低い業界である。

介護職員の中には、家族が家庭内で会話する際に使う言葉遣いが、利用者との距離を縮め、良好な関係に結び付くと勘違いしている人が多い。介護職のみならず、経営者や管理職という労務管理のトップに立つべき人の中にも、自分自身を律することなく、言葉や態度を崩して接することが、利用者が求めている関係性であると勘違いしている人が多い。

要するに丁寧な態度や、丁寧な言葉遣いで、良好な関係性をつくれないほど知性に欠け、コミュニケーションスキルが低い人間が介護業界に数多くはびこっているという意味だ。

お金を支払ってサービス利用する人に対して、そのお金を原資にした給与をもらう側の人間が、タメ口で接することがどうして許されると考えるのだろう。そうした失礼な態度を、「家族的・家庭的」と考える知性の低さはどこから来るのだろう。

私たちは介護のプロフェッショナルとして、介護という職業を通して金銭対価を得ているのだから、家族と同じでは困るのだ。私たちの働く場所が、家庭のように利用者がくつろぐことのできる場所にする必要はあっても、実際の家族ではない私たちが、家族と同じような遠慮ない態度や言葉遣いで利用者に接することが、「くつろぎ」ではないわけである。

そこではプロとしての業(わざ)を期待されているのだから、接客態度として正しいマナーを持って、利用者の方々に満足感を与えられなければならない。そのためのサービスマナーであり、そこから真のおもてなしの心(ホスピタリティ精神)が生まれるのだということを理解する必要がある。

そもそも私たちサービス提供者と、サービス利用者の方々との関係性とは、家族関係でも友人関係でもない。そうはなれないし、なってもいけない。それはあくまでサービス提供者と顧客の関係性でしかなく、そこではくだけた態度は失礼な態度と誤解されても仕方がないのである。そういう誤解を受けないために規律が必要となるのだ。

従業員が規律を守って働く態度を身に着けるために、サービスマナー教育は不可欠であり、それは計画的・継続的に行わなければならない。それは従業員の悪気のない態度や言葉遣いで、利用者の心を傷つけたり、不快な思いをさせないためにも求められることである。

ところがこうした教育を、「従業員への押し付け」と感じる人がいると言われたり、サービスマナーを持って接することが求められることについて、「やらされ感が半端ない」という声が聴こえてきたりする。

これこそ介護業界の民度の低さの象徴である。

職場にはルールがあって当然だ。そうしたルールを護ることが、その職場で働き続けることの条件であり、職場のルールを護ることができないというなら、その人はその職場で働く権利を失うのである。就業規則で定められた礼儀ある態度を、「押し付け」とか「やらされ感」と思うなら、その時点でその人はその職場にいてはならない人とされて仕方がないのである。

学生はなく社会人なのだから、職場のルールに沿って働くことに疑問を持つなんて言ってられないのだ。職場のルールが嫌だったり、おかしいと思うなら、別の職場を選ぶべきなのである。

そのような幼稚な疑問を一つ一つつぶしていかねばならないのが、介護業界の現状である。

ひとりひとりの従業員が、もっと介護業界全体の民度が高まるように、介護のプロとしてのコミュニケーションスキルを向上させる努力をしてほしい。

管理職レベルでその理解ができない人は、顧客に接する以外の別な職業を探した方がよい。

そしてマナー教育に対する理解のない経営者や管理職が幅を利かせている職場で、利用者に対する従業員の心無い態度に心を痛めている知性ある介護職の方々は、一刻も早くそういう職場を見限って、下記のような転職サイトのサポートを受けて、自分に合った良い職場を探していただきたい。
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制限はさほどの感染予防効果をもたらさない。


昨日の勤労感謝の日まで、暦の上では昨週末から3連休だった。そんな中でGo To Travel キャンペーンを利用して旅行や行楽に出かけた人も多かったのではないかと思う。

しかし新型コロナウイルス第3波に見舞われる地域が増えており、行楽を控え、家で過ごした人も多いかもしれない。そんななか北海道では、札幌市がGo To Travel キャンペーンの一時停止を検討している。

そんなこともあり今現在、北海道は新型コロナウイルス感染症が蔓延していると思われがちだが、北海道という括りは、関東や近畿、九州とかいう括りと変わりなく、それらの地域では都府県別で感染状況が見られているのに、北海道だけ地域に一切関係なく一括りにされて、ほとんど感染者が出ていない地域も汚染地域とみなされることに不公平感を感じてしまうのは僕だけだろうか・・・。

それはさておき、介護施設等の介護事業は連休に関係なく稼働しており、介護職の方々は、連休どころか連続勤務が6日も続くという人も決して少なくないのが現実である。

その中で感染拡大第3波に関するニュースが絶え間なく流れると、介護現場で働く職員の方々にも不安が広がり、感染予防のために更なる制限が必要ではないかと考えがちである。

介護施設の面会制限の緩和が呼びかけられた後に、再び感染が広がっている状況において、緩和した面会制限を、再び緩和前の状態に戻そうとする動きもある。

しかし北海道であれば、札幌市以外の各地域は、冷静に周囲の状況を見渡して、制限を強化すべき状況にあるのかなどを総合的に判断すべきだ。クラスター感染が発生している施設があったとしても、それが1施設のみの発生で、それ以外感染者が発生していないのなら、第3波に該当していないとみても良いのだと思う。家族等の面会についても、面会者に職員と同様の感染予防策を求めるだけで十分だろうと思っている。

そもそも制限を強化して、誰かが著しい不便や不利益を被ったとしても、そこに少しでも漏れがあれば、それはまったく無駄になるのだということも理解してほしい。制限はえてして制限をする側の安心や満足のためだけに行われ、効果は大したことがない場合が多いのである。そうであるからこそ制限だけが感染予防策ではないことを十分勘案しながら、対策を練ってほしい。

僕の住む地域では、今感染第3波が訪れている状況とは言えない。しかしこの地域の介護事業者の中で、この連休中に家族が札幌を往来したというだけで、今日からデイサービス利用予定であった人の利用を拒んでいるところがある。

札幌を往来した家族の健康状態に全く問題はないのに、向こう2週間は利用を休んでほしいと言われている利用者は、自分がサービス利用できないことに納得できていない。説明も足りないのだろう。

2週間という期間は、一般的な感染症の潜伏期間をもとにはじき出した期間だろうが、新型コロナウイルスの潜伏期間なんて正確にはわかっていないのだから、これも気休めレベルに過ぎなくなる。

しかも問題は、こうした制限には大きな矛盾が存在するということだ。

感染第3波が広がっているといわれる札幌市において今、多くの通所介護事業所が通常営業をしているのだ。札幌市で普通にデイサービス利用ができるのに、札幌市以外の感染拡大していない地域のデイサービス事業所を利用している人が、家族が札幌と往来したと言うだけで利用制限を受けることは矛盾していないのか。これは感染予防対策として正当な理由になるのだろうか・・・。

感染リスクは、感染拡大地域を往来したということだけで上昇するものではない。感染拡大地域で、どのような行動をしたのかがリスクが高まるか否かに深く関係しているのに、往来だけで制限するのは乱暴と言えば乱暴である。

そもそも利用者が家族の行動をすべて把握しているとは限らない。通所介護事業所に、利用者の家族というだけで自分の行動を申告しなければならない義務もないし、そうした申告を義務付けする利用契約も不当契約となる恐れがあるために結ぶことは出来ない。

感染拡大地域を往来する家族と同居しているよりも、たまたま感染した人と同じ場所で会食した家族と同居している方が感染リスクが高いことは、小学生でも理解できる倫理だろう。しかし同居家族が会食した場所に、ウイルス感染した人が絶対いないなんてことは言いきれないわけで、こうしたこともリスクと考えるなら、家で食事をしなかった家族との同居者もすべて利用制限しなければならない。

だから家族の往来行動に対する制限というのは、ずいぶん漏れがある感染予防策だと言えるわけで、感染防止対策としては大きな効果が期待できるものではないともいえるわけである。

それよりも利用者同士の間隔を広く取って、大きな声を出すサービスメニューは提供しないで、環境除菌と換気にも十分配慮したサービスに心がけたほうが、よほど感染予防に結び付く。(参照:コロナ禍第3波の備えと対策は出来ていますか?

冬場の換気は、寒さを嫌う高齢者にとってつらいという声もあるが、風呂やトイレの換気扇を回し、換気口を開けるなどするだけで空気は入れ替わるそうである。そうであれば24時間それらの換気扇を回し、その場所の仕切りのドアを開けておくなどで、換気の効果は高まる。

そうした感染予防策を先に考えるべきであり、制限対応は最終手段とすべきである。

何らかの制限をかけている場合でも、個別のケース検討を行うことを絶対条件にして、広く特例や例外を認めるべきである。そのための検討作業は、毎日行わねばならないと考えるべきだ。

その場合、3連休で事務職が休みの間に、直接処遇職員だけで判断しなければならない状況にストレスを感じる人も多くなるだろう。だからこそ事務日直性などを敷いて、直接処遇職員以外が土日・祝祭日も勤務している必要があるわけである。

だからと言って事務日直者に、重要な問題の決定権限があるとは限らないので、コロナ禍というこの特殊な状況会においては、介護現場での対応の在り方を決定できる権限を持つ人が誰かということが勤務職員に周知されたうえで、その人が休みの場合でも、常に緊急連絡ができる体制を敷き、いつでも相談ができるようにしておく必要があるのだ。

そういう体制がまったくない事業者は無責任極まりない。介護事業経営者や管理職は、そういう無責任体制を放置してはならないのである。

通常ではないときにいち早く有事のシステムを敷き、その中でルールの運用を常に考えることが、誰かの暮らしを護る介護事業の使命と責任である。
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ハラスメント防止が運営基準に明記されます


次期介護報酬改定に伴う基準改正時に、各サービスの運営基準にハラスメントの防止を盛り込むという話を僕が耳に挟んだのは9月の終わり頃であった。

そのことをどう考えるかと某氏から意見を求められ、「今の時代だからそれは必要なことですよね」という話をしたと記憶している。

しかしその際に僕の念頭にあった、「ハラスメント」とは、介護事業者の中で従業員がパワハラ・モラハラ・セクハラにあう被害のことであった。それらの被害を防ぐために、各事業の運営基準に職場内でのハラスメント防止策を取ることを盛り込むのだと思ったのである。

しかしそれは大きな勘違いであることが後に分かった。

今回のハラスメント防止の規定というのは、介護サービスを提供する従業員が、利用者やその家族からハラスメントを受けることがないようにするための規定であったのである。

そのことは9日の介護給付費分科会資料の11頁以降に詳しく書かれている。

今回の防止案では、施設・事業所の運営基準を見直し、仕事中のセクハラ、パワハラをできるだけ防ぐ観点から、国のマニュアルに沿った対策をとるなど適切な就業環境維持(ハラスメント対策)を求めることを事業者に促す規定を設ける方針だ。

しかしそれらの運営基準は、介護事業者が守るべき基準であって、利用者や家族がその基準に従わなければならないなどという効力はない。

それにもかかわらず運営基準にハラスメント防止のための対策を盛り込むという意味は、「労働基準法等に基づく取組は求められているものの、基準省令等で明記したほうが、自治体、事業者双方に対してより丁寧ではないか。」という考え方に基づいている。

そうなると今後は、運営基準に基づいて、事業者にハラスメント防止とハラスメントが起きたときの対策を取る義務を課して、必要な対策を講じることを義務付けるということになろう。

例えば、特にひどいハラスメントケースについては(※何を持って特にひどいとするかなども問題にはなってくるが)、サービス提供の拒否を検討できることも含めて、契約締結時の重要事項説明の際にその説明を徹底することをなどが運営基準に明記される可能性が高い。

ハラスメント対策委員会の設置と定期的なハラスメント検討会の開催、ハラスメントの理解や、その対応に関する研修も義務付けられるかもしれない。

そうなるとハラスメントと認知症の人の行動・心理症状との線引きをどうするのかなど、様々な新しい問題が起きる可能性は否定できない。だからと言ってハラスメント防止は、従業員を護るうえで必要な対策なのだから、新たに生ずる疑問や問題を、一つ一つ解決しながら良い方向につなげていくべきである。

新しい基準の中で、最大限従業員が護られて、より働きやすい環境を作るような努力が介護時事業者すべてに求められるとともに、ハラスメント規定を拡大解釈して、事業者にとって都合の悪い利用者の排除につながらないかなどの監視システムも必要になるのではないだろうか。

この部分では市町村などの行政に、相談と対策の窓口がなければならなくなるだろう。

また利用者や家族からのハラスメント防止の意識は、職場内での様残なハラスメントの防止意識にもつながってくるのは間違いなく、上司の部下に対する叱り方も、パワハラと言われないように注意しなければならない風潮が強まるだろう。

だからこそ職場である程度の地位にある人たちは、ハラスメントという認定される行為とは、どのような行為かなども勉強しておかねばならない。

パワーハラスメントとは、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える、または職場環境を悪化させる行為であり、モラルハラスメントとは、言葉や態度によって相手の人格、尊厳を傷つけ、精神的な苦痛を与える職場での行為である。そしてセクシュアルハラスメントとは、性的な言動の嫌がらせであるなどという理解は当然しておかねばならない。

例えば、利用者のプライバシーに関連する情報をSNSに書き込んでいる部下に、上司が「いますぐにツイッターをやめろ」と命令するのはパワハラと認定される可能性が高い。

なぜなら「ツイッターをやめろ」という命令は個人のプライバシーに踏み入っており「個の侵害」になるからである。よってこの場合、パワハラにならない注意・指導をしたいのであれば、かける言葉は「不適切なツイートを削除しなさい」となる。

こうしたことにも気を使わねばならない時代である。上司という立場も、気楽にはやっていられない時代なのである。

どちらにしてもハラスメント防止策を徹底するこを否定できる何ものもないのであるから、これを機会にハラスメントに対する理解と、その防止策の啓もうに努めるとともに、利用者と家族からのハラスメントだけではなく、職場内のすべてのハラスメントをなくす努力をしていただきたいと思う。
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サービス残業が当たり前の職場にしてはならない


立ち食いそば店、「名代富士そば」の店舗運営会社の一部が、正社員が残業をしていないように見せかける勤務記録の改ざんを長年続けていたことが明らかになり、11/13までに社員らが、過去2年分の未払い額計約2億5千万円の支払いを求める労働審判を東京地裁に申し立てたことが報道されている。

その状態はまさに労働者から搾取するブラック企業の典型例であるが、しかし介護事業者でも同じような不正が行われている実態が明らかになった。

この報道がネット上に流れた翌日の11/14(土)、残業代の未払いで悩む人から、表の掲示板に相談のスレッドが立てられている。(参照:人員不足によるサービス残業

そこで書かれている内容は、ブラックとしてもあまりに腹黒すぎる内容で、人が足りないのに対策もとらず、介護人員不足は介護の場の問題だから管理職には関係ないとして、その対策も介護職自身で立てるべきであると問題を丸投げされているというのである。

その結果、サービス残業が常態化しているにもかかわらず、それも介護職員の責任だから残業代は支払わないというのである。

まったくこの施設の管理職は、管理職の役割をなんと心得ているのだろうか?

介護職員が集まらない原因をしっかり検証して、募集の仕方を工夫するとともに、介護職員が定着するように働きやすい職場環境を整えるのが、管理職の一番重要な役割である。

そうした労務管理をせずして、管理職として他にどんな責任や役割を担おうというのだろうか。勘違いも甚だしい。

しかも労働基準法等の労働法規を全く無視していることは大きな問題である。残業代の未払という不法行為を続け、それが問題にならないと思っている方がどうかしている。このような不法行為が明らかになれば、世間から大きな批判を招き、経営危機に直面せざるを得ない。そんな簡単な理屈を何故理解できないのだろう。

しかしこうした職場風土を許しておく従業員の姿勢も問題視されてよいと思う。会社側・管理職からの理不尽な要求には毅然と対応し、抗議すべきは抗議し、できないものはできないとはっきり言うべきである。そのためには、最低限の労働法規を知っておく努力も求められる。

リンクを貼りつけたスレッドのNo.6でコメントしている人のように、上司に対しても労働法規違反はきちんと警告して、それを無視するのなら出るところで出ようという態度で臨むべきである。

しかしこうした労働法規違反を繰り返す事業者や、従業員を護ろうとせず搾取するだけの事業者は決して少なくない。

紹介したスレッドが立てられた翌日の15日(日)には、「余裕がある人員配置」という別スレッドが立てられ、ここでは休みなく7連休を強要されている問題が指摘されている。

介護職が担っている仕事は重労働だ。身体も精神も疲労度の高い仕事だ。その仕事を1週間休みなく続けさせるということは、労働法規云々という以前に、介護職員の健康を無視した虐待と同じ行為とさえいえる。

介護サービス事業者は、介護保険制度が創設された2000年以降に、それまでの倍の数以上に増えている。その中には資本金が少なくても経営できる小規模事業者が多い。そういう事業を立ち上げた人の中には、経営者としての資質に欠け、労働法規を護る前にその内容を知らないという人さえいる。

そんなことも相まって、2012年の介護保険制度改正では、労基法違反を行う事業者に対して都道府県が介護保険法による処分を行える規定が組み込まれ、悪質な労働基準法違反に対しては、「指定取り消し」ができるようになっている。(参照:労基法違反は指定取り消しも。

このような改正が行われたのには、介護事業者の労働法規違反が目立つからだという恥ずべき背景要因があったわけである。

しかしこうした改正が行われた後も、労働法規違反を繰り返しながら、そのことが表面化しないことで高をくくっている事業者がなくならない。労働者の心身の健康を二の次に考えて、搾取的な経営をしている事業者の数はさほど減っていないように思える。

だからこそ介護事業者に勤める従業員の皆様にも、最低限の労働法規を知るとともに、それを守ろうとせず、従業員も護ろうとしない事業者からは、さっさと身を引いてきちんとした経営をしている事業者に移りなさいと言いたい。

その為に、このブログではお勧めできる転職サイトのリンクを貼っている。それは劣悪な組織運営の介護事業者をたくさん知っており、そうしたところは劇的に良い事業者に変わることもないことも知っているからだ。だからこそ従業員自身が自らを護るための、「転職」は必要だと思うのである。

現に転職してから見違えるように生き生きと働いている人たちもいるのだ。(参照:置かれた場所で咲きなさい、というけれど・・・。

職員を守ろうとせず搾取を繰り返す事業者は、利用者のケアの品質にも無頓着だろう。そのような事業者が、人の暮らしに寄り添うサービスができるわけがない。

しかしそのようなところであっても利用者がいるのだから、自分が辞めたらその人たちに迷惑が掛かるので辞められないと考える人もいるだろう。

しかし長期的・大局的に考えると、そのようなブラック事業者は、人手を確保できずに事業ができなくなった方が良いのである。利用者も従業員も、劣悪な環境の中に置かれ続けなければならないより、そういう問題が表面化することによって、ブラック事業者が事業を続けられなくなるというスパイラルの中で、クリーンでまっとうな経営を続ける介護事業者が生き残っていくことができる介護業界になっていく方が健全だ。

それが世のため人のためになると思う。

ブラック事業者で我慢して働き続けることは、不法行為や不健全な運営に、自分も手を貸しているという意味にしかならない。

だからこそ、無料で正しい情報を提供してくれて、専任のキャリアアドバイザーと相談しながら職場選びができ、就職後も無料でフォローアップしてくれる転職サイトを選ぶことも大事なことだと思う。
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無資格の介護職員に認知症介護基礎研修を義務付け


10/30にweb会議で行われた第191回社会保障審議会介護給付費分科会では、現在介護保険サービスの運営基準に規定のない、「高齢者への虐待の防止」について、各サービスの運営基準に追記する方向で検討されることになった。

具体的には、虐待防止委員会を設置したり、責任者に研修を受けさせたりして体制の強化に努めていく決まりを新たに設けることを俎上に載せるそうである。

この基準改正は実現するだろう。そうなるといずれ事業者内で職員を対象にした、「虐待防止研修」が義務付けられる可能性が高い。その時どんな研修をしたらよいか迷っている人がいたら、ぜひ僕の講演を参考にしていただきたい。今週月曜日に書いた、「オンライン講演を一部試聴ください」という記事の中で、僕の虐待防止講演の一部をユーチューブで動画配信しているのでご覧になっていただければ幸いである。

施設内研修として虐待防止研修を行なう場合は、講師を呼んだ集合研修であっても、温乱研修であっても、仕事の時間を削って職員がそこに参加するのだから、1分でも時間を無駄にしたくはない。そうであれば介護の場で実行できる虐待防止策でなければならないし、「聴いてわかったけど、できないね。」という講義ほど無駄なものはない。だからこそ机上の空論や、学者の戯言ではない、本当の実践論を語れる講師を選ぶことが大事だ。必要な場合、全国どこでも駆けつけられるし、オンライン講演での配信も可能なので、是非声をおかけいただきたい。

さて介護給付費分科会では、このほか地域包括ケアシステムの推進の中で、「認知症への対応力強化」の方策が検討され。そこでは認知症ケア加算等、各サービスの加算の在り方が検討された他、認知症高齢者の行動・心理症状(BPSD)に適切に対応するために、各事業所の取組状況(研修の受講状況等)について情報公表システムで公開し、利用者が確認できる仕組みが検討された。

さらに介護職の6.1%が、看護師、社会福祉士、介護福祉士、ケアマネジャー、ホームヘルパーといった資格を持っていないとして、これらの無資格者に対して、来年4月以降一定期間の経過措置期間を設けたうえで、eラーニング化した認知症介護基礎研修を義務付けることを決めた。

どんな動機づけであっても、学びの機会を持つことは悪いことではないので、この方針にいちゃもんをつけるつもりは毛頭ない。

ただ人材不足で、毎日忙しく働く介護職員が、仕事の時間を削って講義を受けるのだから、その内容はおざなりではなく、介護の場で実践できるわかりやすい内容であってほしい。ただ聴いただけで、実践に結び付かない講義は意味がないのだから、教科書を読むだけのような講義はやめていただきた。

そもそも認知症ケアというものは本来存在しないことをきちんと伝えていただきたい。認知症の人の特徴や、対応方法として注意すべき点はあっても、それは認知症ケアではなく、ケアそのものなのである。パーソン・センタード・ケアも、カンフォータブルケアも、認知症ケアではなく、ケアである。(参照:パーソン・センタード・ケアをともに深める会で話すこと

ごく最近、認知症の人に対する対応について講演している内容を動画で紹介しよう。

1分少しの動画なので、最後まで視聴いただけるとありがたい。

行動・心理症状は、認知症の人に混乱が生じた結果引き起こされる症状である。ではその混乱はどこの何が原因になっているのだろう。そうした原因を取り除くために、私たちは日ごろから何に注意して、具体的に何をすべきなのだろう。そうしたことをきちんと伝えてほしい。

認知症研修センターの職員は、このことを介護の場の実践に沿ってきちんと伝えられるのだろうか。そこのところを今一度振り返って考えてほしい。

認知症の理解、認知症の人への対応につては、もともと僕は介護福祉士養成校で、学生に講義していた受け持ち授業であるので、これについても専門講座を開催できる。是非必要な時は、ご一報いただきたい。

前述したように、今後は情報公開システムで、職場内の認知症の知識を得る研修の実施内容も公開しなければならない。どうせ誰も見ていない情報公開システムではあっても、研修自体は行う必要があるのだから、是非役に立つ内容の研修にすることを心掛けていただきたいと思う。
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勤務形態一覧表の様式統一は誰のために行うのか?


厚労省が9/30付で発出した介護保険最新情報のVol.876は、介護事業者に活用を促す勤務形態一覧表の新テンプレートを公開・意見募集するものである。

この新テンプレートは、今年3月に先行して公表した訪問介護・通所介護・小規模多機能・特養のテンプレートに対して寄せられた意見を踏まえて改良したもので、今後11/30までに意見をさらに求め、今年度末までに国の推奨テンプレートとして介護事業者や自治体の担当部局に活用するよう促すとしている。

このことに関連しては、次期報酬改定の論点でもある(介護人材の確保・介護現場の革新)の中で、<文書量の削減>として次のような考え方が示されている。
事務負担の軽減の点からも、総合事業も含め国が標準的な様式等を作成することで、文書の簡素化・標準化・ICT化を推し進めていくということも必要ではないか。

今回の通知は、この実現の一環としてペーパーワークを削減するためのものと思われる。

しかしこのブログで何度も指摘しているように、文書量の削減・ペーパーワークの削減の方向性は、当初の目的から大きくずれてしまっているのではないかと思う。

ペーパーワークの削減の必要性が指摘された当初は、介護保険制度の創設以来、介護現場の看護・介護職のペーパーワークが大幅に増えていることが問題だったはずだ。行政指導の際の証明のための記録が大幅に増えて、本来の介護業務等に支障が来すほどペーパーワークが増え、介護職員等の疲弊が広がり、それが介護サービスの品質低下につながるとしたら、それは本末転倒になってしまうので、できるだけ直接介護職員のペーパーワークを減らして、利用者に接してケアする時間を十分に確保しようというのが本来の目的であったはずだ。

ところがペーパーワーク削減議論が進むにつれ、それが事務書類の削減に転嫁され、減らされる書類とは、申請事務に関する書類が中心となり、看護・介護記録の削減はほとんど手つかずの状態で放置され、介護の場で直接利用者に接する職員のペーパーワークはまったくと言ってよいほど減らない結果に終わっている。(参照:文書負担軽減委員会のあっち向いてホイっぷり

今回の新プレート活用で、介護事業者等の勤務形態一覧表書式を統一したとしても、少なくとも介護現場で利用者と相対する職員には何も関係のないことで、業務負担の軽減にはつながらない。

このことで仕事が楽になるのは、勤務体制を確認する役所の実地指導担当者だけではないか。すでに勤務表をソフトに組み込んでいる事業者にとっては迷惑でしかない。使い勝手の良い勤務表作成PCソフトを使い慣れた事業者にとって、今回公表されたエクセルファイルなんて、不便で不便で仕方ない。

そもそも国は、「改善すべき点を指摘して欲しいと広く呼びかけていた」というが、その呼びかけに応じて、意見を出した人とはいったい誰なんだ?介護事業者の事務担当職員が意見を出したかもしれないが、介護職員からの意見は挙がってきているのだろうか?

そんな疑問を持つ理由は、公開されたテンプレートは、「見づらい」からである。勤務表は事務担当者のためにあるのではなく、実際にそれでシフトを確認する介護職員のためにあるといってよい。

申請様式をそのまま業務の勤務表に置き換えられたらかなわないわけである。

勤務表に対して、現場の介護職員から挙がってくる要望は、「もっと見やすくして」・「文字が大きくないと見づらい」である。

シフト勤務者にとって勤務表とは、単に自分のシフトを確認するという意味ではなく、出勤者が誰と誰であるかを確認するためにあるもので、「自分はその日に誰と組むのだろうか」ということを確認するものである。そのため全体の勤務状況が一目で見やすくなっていないテンプレートを、介護職員が支持するわけがないのである。

もしこのテンプレートを使ってシフト勤務表を作成することになった場合に、現場の介護職員からは、「見づらい」・「計算式や数字なんて表に乗せないで、シフトだけわかるようにして」と不満が噴出するだろう。少なくともシフト勤務者自身は、こんなテンプレートに統一するなんて百害あって一利なしであると思うだろう。

介護の場で、利用者に逢いたいし汗する職員に何のメリットもなく、役人の事務作業がやりやすくなる結果にしか結びつかないクソ改革に、こんな費用と時間をかける無駄をなくさないとどうしようもない。このくそつまらないテンプレートを作成したことで、仕事をしたつもりになられても困るのである。

全くどっちを向いて改革しようとしているのか・・・。ペーパーワーク削減議論は、現場を知らない人間の認知力に欠けた議論としか言いようがなくて、あきれるばかりである。
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仕方は本当にないのか〜人生の最終盤に関わる重さ


コロナ禍で、「仕方ない」・「やむを得ない」という言葉が飛び交う非日常が続いている。

しかしそのような言葉で日常を奪う毎日が、このように長期間続いてよいのだろうか・・・良いも悪いもなく、それも、「仕方ない」・「やむを得ない」という言葉で片づけられてしまっている。

そんな中、介護保険最新情報Vol.873は、介護施設やその他の居住系施設(ショートステイ含む)に向け、感染予防策を講じている状況で、過度な訪問診療の制限を行わないように通知している。訪問診療に携わる医師が、感染予防に配慮がないわけがなく、それさえ拒むのはどうかしていると思うが、こうした通知が出る背景は、そうしたサービスの拒否が目立っているからである。無知の恐怖が広がっているのではないのか・・・。

面会制限もそろそろ見直しの時期である。クラスター感染が怖いのはわかるが、これだけ長期間面会制限をし続け、リモート面会させているから問題ないとするのは感覚麻痺だ。

例えば北海道は新規感染者が毎日10人前後出ている状況だが、地域別にみると2カ月も3カ月も新規感染者が出ていない市町村は多い。

僕が住む登別市は、室蘭市と生活圏域を同じくするが、両市で新規感染者が出たのは2月以上前である。今現在、この地域のコロナ感染者はゼロである。そうであればこの地域の介護施設等が、一律に面会制限続けるだけで、特例も認めないのは人権無視にも近い対応という批判を受けて当然だ。

感染者が数カ月出ていない地域の人で、2週間以上他地域にも出かけず、他地域の人と接触がないのなら、その人が感染者であるという確率は著しく低い。

そういう人が特養で、特養の職員と同様に感染予防対策を講じたうえで、短時間個別面会するのに何の支障があるだろう・・・。

何度も指摘しているが、介護施設も医療機関も、職員は外から通ってきているわけである。そして外から通ってきている職員は、外では自由に外出し、不特定多数の人と接触し、中には頻繁に外食したり、呑み会に参加している人もいる。

そういう人が介護施設等の利用者と、介護場面で濃厚接触し続けているのに、大切な家族と一切逢わせようとしない・逢わせる努力をしないというのは人権蹂躙でしかない。

条件を付けた面会は許されてしかるべきだ。対策を講じて面会制限を緩めようと考え付かない人は、介護の職業に向かない。

例えば市町村レベルで考えて、2週間以上感染地域に行っておらず、感染地域の人と逢っていない人については、予約制にして面会を再開しても良いのではないか。ぞの際の条件としては、一度の面会を二人まで15分以内に限り、面会前には必ず検温と手洗い・消毒・うがいを義務付けたうえで、マスクを着用し、面会場所は原則、施設内の換気の良い面会室で行い、その際も2メートル以上離れて、アクリル板を間において行うとすれば感染予防策として十分と言ってよいと思う。

移動ができない利用者との面会は、居室での面会を許可し、出入りの際の手指消毒を徹底し、マスクに加えてフェイスシールドをしていただいたうえで、15分以内の時間制限を設けることで問題なく面会は可能だろう。(参照:介護事業者に通常装備が求められるフェイスシールドとマウスシールド

居室内で手を握ることだって、上記の条件を付ければ問題ないのである。

看取り介護の人には、特にそうした方法での面会を許可すべきだ。そうではないと愛する家族との、別れの前に交わす最期のコミュニケーション機会を奪うことになりかねない。そんな機会を奪う権利は誰にもないはずだ。

コンピューターソフトが定期的にアップデートするように、人の命と暮らしを預かる場所の対応は、一度決めたことを漫然と続けるのではなく、人の暮らしぶりに合わせたアップデートが必要になると考えるべきだ。

現に心ある人たちが働く介護施設では、状況に応じた面会の方法が何パターンも準備され、看取り介護対象者には、直接面会を基本にしてお別れの時を作っているのだ。

漫然と制限だけを続けている施設のトップや管理職の方々は、それが感染予防対策としての施設管理であると考えているのではないか。制限していることが対策を取っていることと勘違いしては困る。前述したように、職員のプライバシー空間の管理などできるわけがないのだから、利用者だけの厳しい制限は、尊厳と安寧を奪うことにしかならない。

そもそも施設管理とは、その時々の状況と個別のケースに見合った環境になっているかということを、常に高い木の上から見つめて、正しいと思える方向に職員を導くことである。一度決めたルールに胡坐をかいて全体を見なくなっていては施設管理もくそもない。

この問題に関連して9/25の夕方、朝日新聞東京本社の読者の投書欄「」の担当記者から突然メールが送られてきた。かねてより僕と面識がある記者だったという訳ではなく、初めてコミュニュケーションを交わす人であったが、僕のブログを読んでメールを送ってきたというのだ。

その内容は、介護施設の面会制限の長期化についてこのままでよいのか、看取り介護の人も制限対象とするのはどうなのかなどについて取材したいとのことであった。メールには北海道まで取材に来ても良い旨が書かれていたが、たまたま僕が今月5日に上京するし、その際に仕事をする場所が朝日新聞の本社ビルに近い八丁堀である。そのため時間が空いている6日に、築地にある同社本社ビルまで行って取材を受けることにした。

こんなふうに突然取材の依頼が来ると、自分も意外と有名人なのではないかと思ってしまうが、勘違いしないで舞い上がることなく、当日はきちんと地に足が着いた話をしてこようと思っている。

来週水曜以降に、朝日新聞の「声」に掲載されると思うので、どうか気に留めておいていただきたい。
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そこに居るのは誰かの大切な人です。


介護職員に限らず、介護事業者に勤め介護関連の仕事を長く続けている人は、知らず知らずのうちに利用者の方々に勝手な属性を冠づけてしまうことがある。

認知症のAさん、寝たきりで意思疎通ができないBさん、右麻痺で言語障害があるCさん、軽度の左麻痺だけど頑固で偏屈なDさん・・・。

そうした冠づけを行ってしまう理由は、決して利用者の方々を低い位置において、上から目線で区分しているということではない。それはただ単に個人個人をわかりやすく区別しようとする心理からきており、人によってはそれを個別化だと思い込んでいたりする。

しかしそうした属性は、各自が抱える心身の障害の特徴とか病態にしか過ぎず、その人そのものを表すものではないし、個別化とは似て非なるものだろうと思う。むしろそうした属性は、冠づけられた人を一人の人間として見つめる目を曇らせるかもしれない。例えば認知症の人を、「あのニンチの人が・・・」などと恥ずべき表現を何とも思わずに使ってしまったりすることがその証拠である。こうなってしまえばその区分はもはや個別化どころか、差別や偏見というべき問題に変質してしまう。

そのような差別と偏見につながりかねない属性は、病気や障害を持ったというエピソードをピックアップしているだけで、その人たちが歩んできた人生を表した属性ではない。私たちはそのことをもう少し深く考えるべきではないだろうか。

今現在、片麻痺があって日常生活全般に支援が必要な人であっても、そうした状態になる前には、ある人にとって最も頼ることができる存在で、誰よりも安心できる人であったのかもしれない。

今現在、認知症で暴力的な態度が目立つ人であっても、認知症の症状が出る以前は家族に対して誰よりも優しく愛される存在であったのかもしれない。

病気や症状はそうした過去を消すものではない。何らかの理由で心身の障害を抱え、他人の支援によって暮らしが支えられていようとも、そのことがその人が歩んできた人生の足跡を消しはしないし、汚点を残すことにもならない。

むしろその足跡を消し、汚点を残すことにつながるものが、介護を職業としている人によってもたらされているとしたら大問題だ。私たちが悪意がない状態で、病気や症状を利用者に冠づけて、その状態で区分しようとする無意識の無分別な態度が、誰かの歩んできた道を隠し、染みをつける結果になるとしたら、それは非常に罪深いことである。

人はちょっとした出来事によって深く傷つく存在だ。どんなに強くあろうとも、弱い時を必ず持つ存在でもある。私たちの職業はそうした人に介入して護る仕事だ。だから「介護」と呼ぶのだ。

だからこそ介護という職業に携わる人たちは、そうした人の存在の危うさにも意識を向けて、人が傷ついたり哀しんだりすることに敏感にならなければならない。人が無意識に傷つけられることを防ぐことを視野に入れなければならない。

私たち自身の行為でそうした状態を作り出さないことを前提に、他人の最もプライベートな領域に深く踏み込んでいく仕事だということを忘れてはならないのである。

誰かにとって大切な人を護るのが介護である。誰かにとって大切な人を護り続けることによって、その人の後ろにいるたくさんの人々が幸せになったり、安心したりするのが介護という職業でなければならない。

人の暮らしに寄り添い、人生の一部に関わることを職業にしている人たちは、そのことを決して忘れてはならない。

介護事業であっても収益をきちんと挙げることを考えて経営することは、従業員だけではなく利用者を護るためにも必要なことだ。だからと言ってそのために、利用者の暮らしぶりが無視され、傷つきやすい人間に対する配慮に欠けた経営や運営は許されないことを、「人を護る」という立場で日々考えてほしいと思う。

今、介護という仕事に携わっている一人一人が、自分や自分の職場が、本当に利用者を一人の人間として見つめ、暮らしを護るという本来の目的を達しているのか、日々振り返って考えてほしい。

それができない人たちが、介護という職業を続けて良いわけがないのだから・・・。
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自分だけに都合がよい多職種連携によって誰かが壊れる


対人援助では多職種もしくは他職種連携が重要になると言われて久しい。(※本稿では多職種連携に表記を統一する。)

心身に何らかの障害を持つ人のニーズは様々であり、それは日によっても、環境によっても変化するものである。そのことは日常的に暮らしの支援が必要な人が必要とする社会資源が、何か一つに限定されることは考えにくいことをも意味している。

たとえ支援者にたぐいまれな能力があろうとも、誰か一人で心身に障害のある方の支援行為を続け、日常の暮らし全般をカバーし続けることができるわけがないのである。

だからこそ居宅サービスにおいては、居宅介護支援事業所のケアマネジャーを中心とした支援チームを組んで、様々なサービス事業の、様々な職種の人たちが利用者支援に関わるわけである。そこでは所属事業所を超えた多職種連携が求められる。

そうしたチーム内で上下関係はないが、チームを組む上で扇のかなめ役となり、全体をまとめるために指揮を執る役割がケアマネジャーに求められているわけであり、タクトを振る役割を遂行している姿はあって当然で、それを「偉そうな態度である」と批判する方がどうかしているのだ。所属事業所を横断しての多職種協働では、こうした役割分担の理解がより重要になる。

介護施設の場合は、こうした多職種連携が同じ職場に勤めるメンバーによるものとなるわけだから、居宅サービスのように職場が違うメンバーがチームを組むより連携が容易だと思われがちである。

しかし同じ職場だからこそ難しくなることもある。

例えば近親憎悪のような感情的問題は、同じ職場であるからこそ生じやすくなる。介護施設で毎日利用者の暮らしを援助する傍らで、相談員が事務所でデスクワークをしている姿を、否定的に捉える人がいたりする。介護職員はいつの間にか、利用者に直接対応する仕事が、介護施設では一番大事な仕事であり、事務職ではない相談員が介護業務をするのは当たり前だと思うようになりがちである。

しかしこれも大きな勘違いである。職種とは仕事の守備範囲を定める区分であり、介護職と相談援助職が行う業務に違いがあって当然であり、介護業務を直接担うことがない相談援助職が怠けていると考えるのも間違いだ。

このブログでは何度も指摘しているが、相談援助職はソーシャルワーカーであり、介護施設において、蟻の目と鳥の目との両方の視点から現場のサービスをチェックできる存在でなければならず、介護職員と同じことを出来るというスキルは大事だが、同じ業務を行っている状態は、ケアワークの外部からのチェックと補完機能が存在しなくなるために、好ましくないのである。(参照:相談援助職の役割の明確化が必要

こうした職種による役割の違いを理解せず、自分が担っている業務が一番尊いとか、一番重要な業務を担っていると思い込んでいる人がいる場所で、多職種連携は生まれない。行っている業務に尊卑はないことをしっかりと自覚すべきだ。

そもそも連携を取りながら仕事をするという意味は、自分の仕事の一部を誰かに委ねて自分が楽になるという意味ではない。連携の前提は自分の仕事をしっかりこなして、そのうえで他者と協力し合うことで仕事の質を高め合うことが目的なのである。楽をするのが連携の目的ではなく、結果につながる仕事ぶりのために必要となるものが「連携」だということを強く意識しなければならない。

対人援助とは、支援チームが頑張るだけで満足できる仕事ではない。結果が出なければ、その仕事の意味はほとんど失われる結果になりかねない。目標を達成し生活課題が解決し、利用者の暮らしぶりに好ましい効果が出てこその対人援助であり、そのために必要となる方策の一つが多職種協働なのだ。

だからこそ連携するには、それなりのエネルギーが必要になるのである。うまく連携するためにはパフォーマンスを高める必要があるからだ。

このことを理解しておかないと、連携するために余計な仕事が増えるとか、自分の負担がちっとも減らないとかいう不満が生ずるわけである。えてしてそうした不満を持つ人たちは徒党を組んで、不満の声をのべつまもなく挙げ続け、手や足より口を動かすことが多くなり、仕事のパフォーマンスは下がると言う状態に陥りやすい。

そうした不満を言うために仕事をしているかのような連中によって、多職種連携は空中分解するだけではなく、チームの和は崩れ、ぎくしゃくした人間関係の中で仕事はますますおざなりになる。そこでは時には陰湿な、「イジメ」という個人攻撃が始まり、個人攻撃がはびこる職場の仕事は、ただただ辛いだけの動作の繰り返しに成り下がる。

他人のことを考えない自分本位の間違った連携の考え方によって、職場は荒れ、志の高い人ほど心身を病んでいくという実態が、今もどこかで生じている。そうなってしまっては、その職場を健全な状態に戻すには、よほどのエネルギーと時間を掛けねばならなくなり、まかり間違えばよい状態には戻ることはないかもしれないのである。

そうしないために管理職は、健全な多職種連携の要となるリーダーを育て、常日ごろから連携の在り方をチェックし、ほころびを紡ぐ役割を持たねばならないのである。

それができておらず、職員間で足の引っ張り合い個人攻撃が続き、それがなくなる見込みのない職場に未来はない。志を高く持ち、もっと対人援助のスキルを上げたいと考えている人は、そうした職場を変えようとする無駄なエネルギーを使わないで、管理職等がリーダーシップをとり、健全で適切な連携がとれている他の職場を探した方がよいだろう。

なぜなら多職種連携の重要性も理解せず、その構築に努力していないとか、努力の結果を出せないでいるとかいう職場や、その管理職には、その職場を健全化する力がないと言ってよいからである。

そんなところで能力にある人の心身がすり減るのは、介護業界全体の損失だからである。

もしそのような状態に置かれている人がいるとすれば、下記の信頼できるサイトに登録して、届けられる情報から将来のことを考えてみることをお勧めしたい。料金は一切かからず登録利用者のリスクはゼロなので、安心して利用してほしい。
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転倒や誤嚥は事故なのか?という問題提起に拍手喝さいを


8/27の介護給付費分科会は、介護保険施設(特養・老健・介護医療院・介護療養型医療施設)のあり方が議題となった。(参照:第183回社会保障審議会介護給付費分科会(web会議)資料

その議論の中で、全国老人保健施設協会の東憲太郎会長が、介護保険施設のリスクマネジメントに関連して、今までにない新たな観点から非常に示唆に富んだ発言をしている。

その発言とは、「転倒や転落、誤嚥を事故と認定することについて少し意見を言いたい。例えば、認知症で危険の意識がなく歩行能力も衰えている方などが転倒されるということは、もう事故ではなく老年症候群の1つの症状ではないかと思う。」というもので、この手の専門家会議での発言としては非常に大胆な内容である。

なぜ大胆かと言えば、まかり間違えばこの手の発言は介護事故防止の責任の放棄ともとられかねないものだからである。言葉を切り取られて報じられれば自己責任を放棄したとして批判を受けかねないし、立場上許されざる無責任発言とバッシングを受ける恐れもないとは言えない発言だった。

しかし僕はこの発言に関して言えば大喝采だ。よく言ってくれたとエールを送りたい。

なぜならこの発言と同じ、「本音」を胸に抱えている介護施設経営者はたくさんいると思うからだ。まさにこの発言内容は、介護事業経営者や介護従事者たちの代弁であると言ってよいと思う。

転倒に関しては、僕自身がトップを務めていた施設の現状を報告しながら次のような記事も過去に発信している。

転倒〜リスクマネジメントが届かないケース」・「転ぶ人のいない特養にしたいが・・。

ここで僕は、『転倒をまったく「なくする」ことなどできない』と指摘したうえで、『転ばない施設を目指すあまり「歩けない施設」・「歩かせない施設」になってしまってはいけないし、車椅子を安易に使うことが当然としてしまってもいけない』と書いたが、その気持ちは今も同じである。

27日の介護給付費分科会で東会長が、「転倒などを事故とすることで訴訟が頻発している。しかも敗訴が多く大変問題となっている」・「転倒や転落、誤嚥は本当に事故なのか、ということも検討して頂きたい」と呼びかけたことは、まさに私たちが長年介護の場で訴え続けてきたことと同じ内容なのである。

質の高いリスクマネジメントや、ICTなどの先端機器を利用した見守り強化策を含めた事故防止対策の強化も大事だが、すべて完璧で満点しか得点のない事故対応を介護事業者に求め続けても、それはないものねだりでしかない。ヒューマンエラーはできるだけ減らす努力が必要だが、高齢者の誤嚥や転倒は不可抗力による場合もあるという視点は、介護現場で提供するサービスメニューが、誤嚥や転倒を防ぐあまり委縮して、本来の目的から大きく外れてしまうことを防ぐためにも必要な視点である。

現に特養のショートステイで一番問題になるのは、歩行状態が不安定な人がサービス利用したケースで、短期間で機能低下するという問題である。転倒の恐れがある人の場合、ショート期間中の最大目標が、安全に事故なく過ごすこととされてしまって、安全という名の下で過度な歩行抑制が行われ、車椅子で移動することを強いられるケースが数多くある。それがショート利用中に下肢機能をさらに低下させているのである。

こうした現状は、高齢者がサービス利用中に転倒して骨折するケースのすべてが介護事故とは言えないという視点を持つことでしか改善されない。「事情は十分理解できるけど、責任と賠償の問題は別だよね。」とされれば、どんなに善意の介護事業経営者だとて委縮してしまって、最も必要とされるサービスの在り方を見失うのも当然である。

誤嚥については、正しい食事介助の方法が教育されていないという問題もある。(参照:食事介助で大切なこと ・ 本当の実務論でしか介護サービスは変えられない

しかし食事姿勢を取りながら、適切に食事摂取の介助を行っても誤嚥は完全に防ぐことは出来ないし、ましてや自力摂取している人の誤嚥まで介護事故とされ、事業者責任にされてしまっては、事故を恐れて不必要な禁食・経管栄養がとめどなく増え続けるだけである。このように過度な責任の押し付けは、食事の経口摂取を阻害する要素が増大するだけの結果にしかつながらない。

そのような風潮に一石を投じたのが、「あずみの里裁判」であり、介護施設での誤嚥事故をめぐって業務上過失致死罪に問われていた准看護師の高裁逆転無罪の判決が、7月に確定したことは画期的な出来事であったと言える。(参照:あずみの里裁判・逆転無罪の高裁判決が示したもの

この判決確定が、介護事業者のサービス提供方法が過度の管理に傾くことの防波堤になり、本当の意味でサービスの在り方が利用者本位となる流れを生み出すことを期待しているが、その流れをさらに確実なものにするためには、介護事業における誤嚥や転倒の事故認定の在り方を議論する中で、誤嚥や転倒が、すべて事業者責任であるという意識を変えていくことが絶対に必要である。

そういう意味での建設的議論を望みたい。
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名もなきかけがえのない人々


我が国で現在、介護職として働いている人の数は200万人をやや切る数字と推量される。

この数字は必要とされる介護職員数より20万人以上少ない数字で、介護人材不足を象徴する数字として取り上げられることもある。しかし介護職という職種だけにこれだけたくさんの人が携わっているという事実をも表す数字でもあるとも言える。

しかも職業として介護に携わっているのは介護職員だけではない。相談援助職や事務職も、介護事業者の中で実際には介護という行為に携わる場面は多々あるし、実際には介護職員とほぼ同じ役割を担っている他職種も見受けられる。このように介護職員としてはカウントされないが、事実上介護の一翼を担っている人を入れると、決して少なくない人が介護の仕事に携わっているのである。

そうであるがゆえに、これだけの人の資質をすべて一定以上に保つことは至難の業だ。事実として言えば、介護の専門職としての資質の個人差・いわゆる凸凹は非常に大きいと言わざるを得ない。

だからこそ日本の介護の場のどこかで、利用者に対して人として許されない行為が行われていたりする。そうした行為が虐待として報道されることになるが、それが介護事業での「氷山の一角」でしかなく、介護事業の闇は深いと世間一般に喧伝されたりしている。

しかし僕たちは氷山に隠れて海を漂う存在では決してない。実際には虐待とは無縁の事業者の方が多いことも事実であるし、虐待とは対極にある高品質サービスを目指し、実践している事業者も多々ある。それを支えている志やスキルの高い介護職員も数えきれないくらいたくさん居られる。ただしそれらのほとんどの人が、名もなき知られざる人々だ。

虐待はニュースになっても、日々繰り返される高品質なサービスや、感動的なエピソードはニュースにならない。あたかもそれは、人の幸福は人の不幸より報道価値が低いとみなされているかのようだ。

しかし介護事業におけるサービスの質は、全国津々浦々の介護事業者で働く一人ひとりの名もなき人々によって支えられているのだ。その人たちが名誉も待遇も顧みないところで、日々黙々と誰かの支えになることだけを目的として働き続けている。介護の仕事をしていなければ縁も所縁もなかったであろう人に関わって、その人たちの暮らしを支えているのだ。

名もなき人々が、誰かに幸せや喜びや笑顔を届けている姿も、介護職の真実の一つだ。

そういう人々がいるからこそ介護支援は初めて成立し、介護という行為が制度に組み込まれ、この国を支える原動力の一つとして存在しているのである。

例えば、8月25日に書いた記事に付けられたコメントを読んでいただきたい。

いごっそうさんという方の亡くなられた奥様のエピソードがそこには書かれている。不治の病と向き合いながら、病気になった自分だからこそ病気の人の気持ちがわかるとして、痛みを管理する麻薬を打たねばならないほどの状況でも他者に寄り添い、動くことができなくなるまで介護の仕事を続けていた人がいる。

それは売名・不遜・驕りといった言葉とは全く無縁の姿であり、あくまでも勤勉であり真摯であり謙虚であることを貫いている姿であると言えよう。

きっとそんな素敵で名もない介護職の方々が、日本全国にたくさん居られるのだろう。そんな方々が今この瞬間もどこかで誰かの支えとなっているのだろう。それはまさに人の目に触れない場所でも、綺麗な花を咲かせる名もなき花のような姿であると言えるだろう。

いつか僕は、全国に咲くそのような名もなき花たちのエピソードを集めて、本に書いて伝えたいと思う。そんな日が来ることを信じて、名もなくかけがえのない人々と繋がりあっていきたいと思っている。

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遠くへ行きたいのならば・・・。


介護の職業とはある意味、「きりのない仕事」である。ここまでやったら終わりというゴールが見えるわけではないからだ。

今日行ったことがそこに成果として残って、その仕事を終わらせて新たな仕事に取り組むということができない職業が介護という職業の特徴でもある。

今日も明日も同じように繰り返される日常の支援・・・。昨日と同じように排泄ケアを繰り返したり、食事介助を繰り返したり、移動や着替えのお世話を繰り返すことが最も重要となるのが介護職である。昨日排泄介助を重点的に行ったから、今日はその数を減らしてよいということには決してならない職業でもある。

そのことに虚しさや疑問を感じる人は、介護の職業に向いていないと割り切るしかない。そういう人は介護の仕事に就いてはならないのだ。そういう人が疑問を感じている間に、利用者が必要とする、「今」はどんどん流れ去ってしまう。それはその先に取り返すことができない何かを失っていく過程かもしれない。

私たちの職業とは、毎日繰り返される行為を機械的にこなすのではなく、その行為の中に存在する、「人」そのものにスポットを当て、そこに居る一人一人の利用者の感情に寄り添う仕事である。その時に利用者の喜怒哀楽に巻き込まれて、必要な支援行為を見失わないためには、「統制された情緒関与の原則」は決して忘れてはならないが、同時に人として真摯に寄り添うために、「受容の原則」は最も重視されなければならない。

今日笑って喜んでくれた人が、明日同じ行為支援の中で喜んでくれるとは限らない。その時、笑っていた人が哀しんでいる姿を見ないふりするのではなく、その理由を探りアプローチを続けていくのが介護支援の本質であり、終わりのない検証と実践の繰り返しが必要となる。そのことを僕は、「天のない介護」と呼んでいる。

天のないことを空しく感じる人には向かない仕事だ。天のないことを限りない可能性と感じることができる人が続けられる仕事が介護という職業である。それは決して自分一人で黙々と道を切り拓くだけで良いという仕事ではない。

人の感情に寄り添い、人の暮らしぶりを良くするために関わる仕事は、私だけ・僕だけにできればよいということにはならない。私や僕がいないからと言って、誰かが不幸せにならないようにしなければならない。場所や時を選ばず必要な支援の手が差し伸ばされて、誰かが幸せになるためには、私や僕とともに歩む仲間が必要だ。だから、「介護の極意」は一人のものにしてはならない。必要な仕事の方法の伝承法を職人技にしてはならない。伝える責任も介護の一部分だ。そうでないと多くの人を幸せにする方法論にはならないし、そんな介護が必要とされるとは思えないからだ。

だからこそコロナ禍でも多くの仲間に、「人の暮らしぶりを良くする方法論」が伝わる機会をなくさないでほしい。「コロナを理由に職員教育をおざなりにする事業者が落ちる穴」は、事業経営という側面から職員の教育の大切さを指摘しているが、その本質は対人援助サービスが護るべき一番大事なものを失わないために必要なこととは何かという提言でもある。

僕の記憶の片隅に存在する、「急いでいきたいのならば一人で行きなよ。遠くへ行きたいのならばみんなで行きなよ。」というフレーズは、テレビドラマの中で聴いたセリフだろうか・・・。定かな記憶はないが言いえて妙である。僕はまだまだ遠くにある真髄を見極めるために、仲間を集めてゆっくりでも良いから前進し続けたい。
C-MAS介護事業経営研究会2020全国大会のオンライン配信も注目ください。)

どうかそんな介護の職業に誇りを持って、その仕事の中で自分の責任を全うできる人になってほしい。

責任は人をとても成長させるアイテムである。ところで今朝、僕は自分のFBに次の一文を投稿した。

『福利厚生やボーナスはともかくとして、とりあえず月給の高い派遣職に登録する介護職希望者が増えている。それが介護事業者における派遣割合が高まる原因で、派遣に頼らねば運営できない事業者が増えることで運営コストはますます上がっている。しかし派遣を選ぶ人は、重い責任を負わされないことを望み、嫌になったらすぐ辞めて、他の事業所に移ろうという人たちだ。そういう責任感や使命感の薄い人たちで、介護の質は担保されるだろうか。今後の介護人材対策を介護の質と双方で考えるなら、介護職の派遣禁止法案が一番効果をもたらすという考え方は乱暴だろうか・・・。』

ブラックな職場は居続けてもしょうがないが、だからと言っていつまでも派遣という身分に甘んじて、自分に責任も使命感も与えないことは、自分自身の損失でしかない。スキルを高める機会を失わせることは即ち、自分が自分を評価しないという意味でしかない。

派遣という身分に自分を押し込めて、自分の人間性の向上機会や可能性をつぶしてしまうのではなく信頼できる転職サイトを利用するなどして、自分に合った職場で責任ある仕事を背負うべきである。


北海道はお盆を過ぎて、そろそろ秋の風が吹き始めた。登別の僕のウオーキングコースには、秋桜が咲き始め風にそよいでいる。

爽やかな秋風のように、清楚で美しい秋桜の花弁のように、誰かの心を癒すことができる行為となる介護であってほしいと願う。

誰かの心に咲く花になれる介護であってほしいと祈る。
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事件は現場で起こるのだけれども・・・。


介護サービスを利用する人に、直接サービスを提供する場所を、「現場:げんば」と表現することがある。

この表現に嫌悪感を抱く人がいて、「工事現場じゃないんだし、介護は物ではなく人に対して提供するサービスであり、その介護を展開する場所なのだから、現場という言葉を使わないでほしい」と言われた経験がある。

しかし現場とは、実際に作業が行われている場所という意味であり、管理部門に対する実務部門をいうのだから、介護サービスを提供する仕事の場は、「介護の現場」であり、それは人を物扱いする表現ではなく、決して不適切とは言えない。管理部門の職員と実務部門の職員に上下関係があるわけでもない。(※ちなみに作業とは仕事を行うことであり、介護という仕事を行うことを作業と表現することも不適切ではない。)

職員が現に頑張っている場所だから、「現場」で良いのである。

表現方法にこだわりを持つことは否定しないし、こだわった表現に徹するという哲学を持つことも否定しない。しかし自分のこだわりを他人に押し付ける態度はいただけない。

明らかに差別的な表現とか、不適切で人を傷つけてしまうような表現は戒(いまし)めてよいし、否定されてよいだろうが、ごく一般的に使われている言葉を、自分の価値観では許されない表現方法であるというだけで否定することは、「言葉狩り」そのものであり、それは許されない。

なぜなら、「言葉狩り」こそが偏見と差別を生み出す元凶となるからである。介護という職業から最も排除すべきは、差別意識と物事の真実を覆い隠す偏見であるのだから、差別と偏見を生み出す価値観の押し付けはあってはならないのである。

ところで、「事件は現場で起こっている」という有名なフレーズがあるが、まさに介護事業者でも事件は現場で起こっている。介護施設では利用者の居住スペースで、通所介護では利用スペースで事件は起こっているのである。

その事件は、現場で利用者と職員が相対する場面で起こっていることもある。利用者同士の間で起こっている事件もある。利用者と環境との関連で引き起こされる事件もある。まさに介護の現場は、事件の現場でもあるわけだ。

しかしその事件は、現場だけでは解決しない場合もある。現場とは別な場所で、現場にはいない人たちによって解決されなければならないことは多々ある。介護サービスであれば、看護職員や介護職員と利用者が相対する場所以外で、直接サービスを提供しない職種の人たちによってしか解決できない問題は多々ある。

暮らしを支えるのは、直接の介護行為だけではなく、経済的支援や家族関係に対する支援も大事な要素なのだ。それを支える仕事は、現場の職員からは見えにくいが、どちらかが大変で、どちらかが大変ではないという種類の問題でもないし、どちらも必要な暮らしの援助なのである。

ウイルスと戦っている現場の職員が、感染を恐れず働きやすい装備を行うために、感染予防のための正確な情報を獲得していく役割は重要になる。例えば空間除菌に効果があり、クラスター感染を防ぐために必要不可欠な次亜塩素酸水の噴霧について、「次亜塩素酸水は新型コロナに効かない。空間噴霧すると毒性がある」というフェイクニュースが大手を振ってまかり通っている。それを否定する正確な情報を掴む職員がいるか・いないかという差は大きい。(参照として緊急包括支援交付金の実施要綱が示されました。の後半部を読んでください。)

感染対策装備品を準備して現場に提供する管理部門も、ともにウイルスと戦う仲間である。彼らが居ないと現場の職員は安心して利用者対応ができないのである。

今、介護事業所の事務部門は大わらわである。ウイルスとの戦いの中で生ずる感染予防対策の経費増加と収入減に対応するために、国や都道府県の様々な補助の情報を集め、申請や需給に必要な手続きに走り回っている。それだけではなく、様々な特例対応の情報が毎日流されてくるので、それに対応すべき情報処理も行わねばならない。それらは通常のルーチンワークに上乗せされた仕事である。

そもそも介護事業者では、管理部門とされる事務職員等も、「現場意識」を持っている人は多い。看護職員や介護職員のように、直接利用者に対するサービスは行わない職員であっても、介護行為を支える様々な役割を担っていることが多く、そのことを誇りに思っている職員は多い。それは何にも替え難い使命感である。

介護サービス事業者では、誰か一人が大変だということではなく、みんなが大変だし、みんながそれぞれの役割を果たすことが大事なのだ。

こうして各自の職種に応じた様々な責任や任務をそれぞれが果たすことが、「多職種協働」の意味である。しかしこの多職種協働の意味を間違って捉えている人がいる。

そういう人たちによって介護の現場は、愚痴と不満と不平にあふれた場所に変わってしまっていたりする。手足を動かさずに口だけを動かし、罵声や不満の声が飛び交う職場に働き甲斐は生まれない。仕事に対する誇りも存在しなくなる。

どんな職場がそんな状態に陥っているのか、そうならないためにどうしたらよいのかということを書こうと思ったが、長くなってしまったので、この話題については日を改めて近日中に書こうと思う。
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生産性向上論の落とし穴


政府は17日に臨時閣議を開き、経済財政運営と改革の基本方針2020(骨太の方針2020)を正式決定した。

資料に目を通して最初に飛び込んできた印象的な文字は、サブタイトルの、「危機の克服、そして新しい未来へ」である。新型コロナウイルスの流行が続く現在の状況について、「時代の大きな転換点」と位置付け、社会変革を断行する意志が前面に出された内容になっている。

介護分野については、「介護・障害福祉施設に対する個室化など環境整備や在宅サービスも含めた感染拡大防止のための支援を行っていく。」ということが最初に記されている。これも感染予防対策を強く意識したものと言え、今後の新設施設・増築施設については多床室の建設はさらに難しくなるだろう。

新築や増改築の際に多床室をあえて設置しようとする施設がある理由は、個室料金の支払いが困難となる経済的理由のある人の救済策としている場合が多いが、今後は感染予防がまず第一に考えられることになり、経済的困窮者への配慮や支援がおざなりになる恐れもあり、この点に注意していかねばならない。

さらに言えば、この風潮は現在存在する介護施設等の多床室が、「感染拡大の温床」のように蔑視される危険性を内包している。そうした偏見が生まれないように監視していくという考え方も必要だと思う。

資料ではさらに介護分野については他分野と同様に、「ニューノーマル」への移行を目指す構想が示されており、それは以下のような文章になっている。

『感染症の下、介護・障害福祉分野の人手不足に対応するとともに、対面以外の手段をできる限り活用する観点から、生産性向上に重点的に取り組む。ケアプランへのAI活用を推進するとともに、介護ロボット等の導入について、効果検証によるエビデンスを踏まえ、次期介護報酬改定で人員配置の見直しも含め後押しすることを検討する。介護予防サービス等におけるリモート活用、文書の簡素化・標準化・ICT化の取組を加速させる。医療・介護分野のデータのデジタル化と国際標準化を着実に推進する。』

このように介護の最大のテーマは、「生産性の向上」であるとされているのだ。そのために機器を有効利用して、人の労力をできるだけかけずに介護サービスを提供するとともに、その促進に向けた(あるいはそれに見合った)人員配置規準の見直しを行うとされているのだ。(参照:機械や技術が人に替わることができるという幻想社会が生み出すもの ・ 人員基準緩和は介護報酬改定にどう影響するか

生産性の向上とは、「投入資源を有効活用して、最大限の成果を生み出すこと」を意味している。

つまりより少ないインプット(資源)で、より多くのアウトプット(成果)を出すと「生産性が高い」ということになるのであり、業務効率化とは生産性を高めるための方法論であることがわかる。

しかし介護という対人援助領域において、アウトプット(成果)は時として、数値化できない人の感情という問題に落ち着いたりするのである。この部分を無視して数値化できるアウトプット(成果)だけを見て、人手と時間を掛けないサービスが推奨され、そうした間違ったサービスが横行するに至ったときに、サービスの受け手の満足感は切り捨てられる恐れがある。

認知症の人に十分なコミュニケーションを取っても、認知症の人は、落ち着いていたその時の記憶をすぐに失ってしまうので、そのようなコミュニケーションを重視する仕事ぶりは生産性が低いとして、そうしたコミュニケーションの時間も省かれるのが、「生産性向上の論理」でもある。

サービスの受ける人の満足度は無視して、決められた仕事を素早くこなしてあとは手を掛けないというのが生産性向上論理の一面でもある。満足の最大値は無視して、最小限度のサービスを提供しておれば、生産性は向上したと評価されるのである。

このようにまず目標ありきの生産性の向上論は、利用者ニーズを無視した事業者都合のサービスをはびこらせる結果になる危険性を持っているのである。生産性が低いという言葉で、「暮らし」が切り捨てられる場面が、これからますます増えるという懸念がぬぐえないのだ。それは即ち国民の福祉の質の低下そのものではないだろうか。

それを誰がどう監視し、直していくのかが問われてくるのではないだろうか。

どちらにしてもこれからの介護サービスは、多床室から個室への切り替えが求められ、会議等のリモート化が促進され、介護ロボット等の機器導入が国策的に進められていく。

さすればこれらの機器を動かす電気の使用量も増大するのだから、電力料金のコスト削減がそのまま介護事業経営に大きく影響することになる。だからこそ電力料金削減はプロにお任せ!電子ブレーカーで電力料金を賢くコストカット!などで固定費を削減する努力は不可欠だろう。

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兵庫県知事を迷走させる感染対応慰労金騒動


このブログでは何度か、国が進める介護事業者の文書削減について、結局は国が取り組む事務書式の削減だけに終わっており、介護事業者が本当に必要とする、看護・介護職員等の直接処遇職員の記録文書の削減にはつながっていないと指摘してきた。(参照:厚労省の書類半減策は現場の意識と乖離

そして事務書類・事務書式は、それらを作成するために雇用されている事務員の本道の仕事であるのだから、そんな事務書式の削減を議論しても始まらないとも言ってきた。

しかし事務員だとて、決して仕事が暇なわけではないので、文書作業が増え続けていくのではかなわない。削減できる文書は削減したほうが良いに決まっている。

ところが事務文書の削減が進められる一方で、削減された文書以上に新しく作成しなければならない文書が増えているような気がしてならない。それはコロナウイルス禍という特別の状況があることによって、やむを得ない事情であるのかもしれないが、介護事業者の事務担当者にはこれから新たな事務作業が次々と強いられることになる。

一番近直に求められる事務作業は、コロナウイルス対応に関連した慰労金の支給申請事務である。

昨日、「介護サービス事業所・施設等における感染症対策支援事業等及び職員に対する慰労金の支給事業」についてが発出されたが、これがまた事務職員泣かせの煩雑な業務負担となっている。

慰労金の申請は、現に介護サービス事業所・施設等に従事している者(派遣職員や業務委託による者も含む。)については、原則として、介護従事者等が勤務先の介護サービス事業所・施設等に代理受領委任状(様式4)を提出して、一括申請することになっているので、事務担当者はこれから対象となる全職員に向けて、このアナウンスと委任状の取りまとめをしなければならない。

そのうえで慰労金受給職員表(様式3)を取りまとめ、都道府県に給付申請することになる。なお事業者の口座に慰労金を受け入れて、職員に給付を行うことが制度的に出来ない場合(公設の地域包括支援センターや特別養護老人ホーム等)には、当該介護サービス事業所・施設等が介護従事者等をとりまとめて給付申請を行い、当該介護従事者等への給付は、都道府県が直接行うこととなるそうである。

他の事業者から同一人物の申請がされていないかの確認も含めて、申請書類を作成するのだから、これから事務担当者はハードな仕事をこなさねばならない。申請期間は今年度末なので、それまでゆっくり事務作業を進めようと呑気に構えている人もいると思うが、支給対象期間は6/30までであり、今後中途退職者が出ることや、対象者にできるだけ速やかに支給する観点から言えば、事務作業の許す限り、早急の支給に努めるのが、管理者や管理職、事務担当者の務めだと思う。大変だろうが是非頑張ってほしい。

ちなみに社福の総合施設長を長年務めてきた僕ではあるが、恥ずかしながら特養が、「口座に慰労金を受け入れて、職員に給付を行うことが制度的に出来ない」ことは知らなかった。一体どの法令がこのことを規定しているのだろう・・・誰か教えてください(笑

この慰労金は、既に退職している支給対象になっているが、その対象者は都道府県に直接給付申請ができる。しかしこの場合も勤務していた介護サービス事業所・施設等から勤務期間の証明を取得することが原則とされており、何らかの理由で円満退職出来なかった人にとってはハードルとなっている。

例えばクラスター感染が発生した施設の職員の中には、感染を恐れて電話連絡をしたその日に施設を辞めて、十分な退職手続きや引継ぎができておらず、気まずい思いを持っている人もいると思う。そういう人は証明を取るのをためらってしまうケースもあるだろう。この場合は給与明細等でも確認ができれば差支えがないとされているので、明細書で勤務日数がわかるかどうかを確認してほしい。

できない場合は証明を得なければならないが、どちらにしてもここは双方大人の対応で、きちんと支給申請ができるように対応してほしい。なお退職した職員への介護事業者からの慰労金支給に関する告知義務はないので、退職者はあくまで自らの意思において支給申請をしなければならないことに注意が必要だ。

このことに関連して昨日、新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(介護分)に関するQ&A(第1版)も発出されており、慰労金については11頁〜25頁に疑義が示されている。

それによると慰労金の支給対象となる利用者と接する職員とは、対象期間に利用者と接触する日が1日でもあれば対象となることが示されており、接触とは身体的接触に限られるものではなく、対面する、会話する、同じ空間で作業する場合も含まれ、事務職員、給食調理員、リネン業務員、運転手についても対象となるなど、広く認めてよいことが示されている。さすれば施設の外構営繕・芝刈りなどが主業務の職員も利用者との会話機械などがあるのだから対象にできると考えられる。

要するに利用者が存在する建物に、デスクなり休憩室がある職員は、職員であっても派遣職員であっても全員対象にできるのである。(※外部の業者やボランティアは対象外)なおその判断は最終的には都道府県で行うが、第一義的には各事業者で行うこととしているので、第一義的な窓はできるだけ広くして、支給できる理論武装をしておくべきだ。

また訪問介護事業所等において、感染症対策に配慮したサービス提供をヘルパー等と一体となって実現している場合には対象となり、対象期間に訪問サービスを提供していないサービス提供責任者やヘルパーについても同様の取扱とする旨も示されている。かなり細やかなQ&Aとなっているので、関係者は必ず確認をしておいてほしいと思う。

ところでこの慰労金を巡っては変な問題が起こっている。兵庫県の井戸敏三知事が6日の会見で、新型コロナウイルスの流行を受けて国が支払うことに決めた介護職への慰労金について、全員を対象とした一律の支給は行わない方針を表明している問題である。

国が全介護事業者の、利用者に接する可能性のある全職員に支給すると決めた慰労金にいちゃもんをつけて、自分の価値観に合わないからというだけの理由だけで、勝手に支払い範囲を狭めるというのである。このことは僕が管理する表の掲示板のスレッドでも問題になっているが、知事の主張と兵庫県議会の対応はあまりにも理不尽だ。

井戸知事は、「何にもしていないのになんで慰労金を出すのか。全く説明がつかないような税金の使い方は、兵庫県としてはやる気はない。慰労金だからなんでもいいやという話にはならない」と会見で述べているが、この発言に対して兵庫県の介護関係者は大いに怒り、抗議活動を行うべきではないかと考える。

この時期に介護のサービスの場で、何もしなかった人間がいるはずがない。目に見えないウイルスの脅威に日々怯えながら、利用者の生活の質が下がってはならないと戦ってきた人たちに、この発言はあまりに失礼だ。こんな理屈で慰労金が受給できなくなる兵庫県の介護関係者はあまりにも可哀想だ。

このじいさん、すでに老害でしかない。こんな知事はほおっておいてはならない。井戸知事に対するリコール運動こちらのサイトで行われているので、介護関係者は是非今すぐに賛同のクリックをお願いしたい。

それに加えて僕から井戸知事には、ゆずの「午前9時の独り言」という唄の、次のフレーズを贈っておこう。
政治家のおじいちゃん・・・大きな力を持った権力者諸君
自分の地位や名誉や金のためではなく
どうかこの国を考えてください


なおこの唄を聴きたい方は下記を視聴ください。曲の出だし迄、数秒のあきがあるので曲が流れるのを少しだけ待っていただければ幸いです。

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15年ぶりに行われる介護職員の業務範囲明確化に期待すること


今月2日にまとめられた政府の規制改革推進会議の答申には、「介護現場における介護職員によるケア行為の円滑的な実施 」という項目がある。(54頁

ここには、「酸素マスクのずれを直すことや、膀胱留置カテーテルのバッグからの尿廃棄などの行為は、医行為に該当するか否かが判然とせず、介護職員が実施を躊躇してしまう」という実情が述べられたうえで、『平成 17 年には、「医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知)」が発出され、血圧測定や点眼薬点眼等の医行為ではない行為が整理され示されたものの、通知の発出から 15 年が経過し、当該通知に記載されていない行為について も医行為への該当性を改めて整理し、医行為でない行為については介護職員が安心 し、かつ、円滑に実施できるようにする必要がある。』として、医行為でない範囲を改めて明確にすることが提言されている。(※ちなみに平成17年は2005年である。

平成17年(2005年)通知では、医療行為ではないとする具体例が示されているが、そこから漏れる医療行為かどうかがあいまいな行為は、介護サービスの場に多々存在しており、そうしたグレーゾーンの行為を強いられる介護職員は、そのことによって個人的な責任を問われないかという不安を持って仕事をしていることが多い。そうであるがゆえに医療行為なのか、そうではない行為なのかという区分のグレーゾーンをできるだけなくして、黒白をはっきりさせた状態にすることは、介護職員の不安の解消につながるのである。

そういう意味では、今回の規制改革推進会議の提言は介護職員等のニーズと一致するもので、その方向へという動きが出てきたことは朗報と言える。

ただそれだけで終わってほしくないというのが、僕の個人的な希望でもある。その先に、一定の条件下で介護職員が行うことができる医療行為(特定行為)の範囲の見直しも見据えてほしいと思うのだ。

医療行為である「痰の吸引」と「経管栄養」に関連する行為が、一定の条件を満たした介護職員に認められたのは2012年4月からであった。

そのことによって「喀痰吸引等研修」を受講した介護職員は一定条件化で各痰吸引や経管栄養を実施できるようになったし、2012年以降の介護福祉士養成課程には、「喀痰吸引等研修」が養成カリキュラムに含まれているために、資格取得と同時に一定条件化でこれらの行為が可能になっている。

しかし高齢化がさらに進行する中で、高齢者の居所の選択肢が増えているのが我が国の現状である。それは日常的に医療器具を使用しながら暮らしている人が、医療機関以外の様々な場所を暮らしの場としているという意味だ。

毎日、医療行為を必要としている人が、医師や看護師のいない場所で暮らしている際に、一番頼りにするのは家族等のインフォーマルな支援者の医療行為支援だ。身内の場合は、医療行為を行っても、「業:なりわい」ではないから法令違反とはならず、罰せられない。

しかし同じ行為を家族ではない介護職員が行えば罪に問われる。お金をもらわずボランティアでそれらの行為を行った場合でも、他人の反復継続行為は「業:なりわい」と同じだとして許されていないのである。

そんな中で最も支障を来しているはインスリン注射である。

男性高齢者は糖尿病を持病として持つ人が多いが、きちんと血糖値を管理しさえすれば、日常生活に支障なく過ごせる人も多い。それらの人にとってインスリンは命綱である。その自己注射ができなくなった際に、替わって注射してくれる家族がいれば問題ないが、高齢化の進行によってその家族がいないために施設入所を余儀なくされる人もいる。

介護職員のインスリン注射が認められていないことによって、看護師配置のないグループホームに、インスリン注射が必要な認知症の人が入所できない事案は多い。看護師配置がある特養でも、朝早い時間のインスリン注射ができないという理由だけで、入所を断られるケースも少なからずある。それは糖尿病で血糖値管理が必要な人の居所の選択肢を狭めているということだ。

インスリン注射を特定行為として、一定の条件下で介護職員が行えるようにするだけで、糖尿病を持病に持つ人の暮らしの質は大幅に改善するのである。

そもそもインスリン注射は、現在特定行為として認められている各痰吸引等と比較しても、安全に簡単に行うことができる行為でもある。気管カニューレ内の各痰吸引という難しい行為まで許されているのに、手が震えて不自由な高齢の妻が替わって注射できるインスリン注射がなぜ認められていないのか疑問だ。

是非この問題の解決に向け、一歩でも前進することを望みたい。

蛇足であるが、今はインスリン注射は介護職員が行うことが認められていないことを肝に銘じてほしい。インスリン注射が簡単な行為だからと言って、誰かに命じられて密かに違法行為を行っている人がいるとすればそれは許されないし、業務命令であっても身体への侵襲行為を実際に行った人には必ず罪は及ぶし、損害賠償責任も免れないので、決して行わないように強く警告しておく。

そもそも違法行為を命ずる事業経営者や管理職は、職員の不利益を全く顧みていないという意味なので、そういう職場があるとしたら、一刻も早くそこから離れて別の職場を探すべきである。
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withコロナの介護事業


新型コロナウイルスの流行を踏まえた介護サービス事業所の報酬、運営基準などの特例について、厚生労働省は今後しばらく存続させていく方針を示している。

そうなると来年4月の報酬改定にもそのことは影響してくるだろう。基本サービス費をコロナ対策費を盛り込んで引き上げるという単純な報酬設定ではなく、感染が流行したときに報酬の算定区分を柔軟に変えるなどが、報酬の基本構造の考え方に盛りこまれていく可能性があり、そのことが通所サービスの提供時間上位区分の特例算定で実験的に行われていることは、昨日の記事で指摘したとおりである。

コロナ禍により社会は変わったのである。コロナウイルス流行前の社会に戻ることはなく、新しい社会構造が随所に求められていくのである。それが、「withコロナ」である。

そうであれば報酬、運営基準などの特例のルールの一部は恒久化を考えていく必要もあるだろう。

そうした観点から関係者の皆さんには、今回の様々な特例とはどのような内容であったかを振り返ってほしい。

そのような観点から言えば、厚労省のサイト内にある、『「新型コロナウイルス感染症に係る介護サービス事業所の人員基準等の臨時的な取扱いについて」のまとめ』というページは、事業種別ごとに今回の特例がまとめられているので、頭の中を整理するために便利である。是非参照してほしい。

一連のルールの中には恒常化してほしいルールもいくつかある。例えば訪問介護の特例ルール、『訪問介護員の資格のない者であっても、他の事業所等で高齢者へのサービス提供に従事した事がある者であり、利用者へのサービス提供に支障がないと認められる者であれば、訪問介護員として従事することとして差し支えない』については、感染対策特例でで支障がなかったという前例を受けて、初任者研修を受けなくとも、他の実務でヘルパーとして認めて良いのではないか。

同時に通所サービスの、『利用者の希望に応じて、…冥螢機璽咼垢了業所におけるサービス提供と、当該通所サービスの事業所の職員による利用者の居宅への訪問によるサービス提供の両方を行うこととし、これら´△離機璽咼垢鯏宜組み合わせて実施する』というサービスは、「新複合サービス」として制度の中に組み込んでいく必要があるのではないか。

上記の2点は訪問介護資源の枯渇という懸念を拭い去るうえで、対策の一つとなり得ると思う。(参照:訪問介護員の絶滅を防ぐ手立てはあるのか?

またサービス担当者間の調整に関連して、『時間を短縮しての通所サービスの提供や、訪問によるサービスの提供を行う場合、事前に利用者の同意を得た場合には、サービス担当者会議の実施は不要として差し支えない。また、これらの変更を行った場合には、居宅サービス計画(標準様式第2表、第3表、第5表等)に係るサービス内容の記載の見直しが必要となるが、これらについては、サービス提供後に行っても差し支えない。』とされた特例も恒常化すべきだ。平時であっても緊急的に計画の変更になるケースはあるのだから、担当者会議や計画書への記載は、臨機に対応を柔軟にできるようにすることで、計画担当ケアマネ及びサービス事業所の双方の業務負担軽減に結び付くと思える。

さらに居宅介護支援においては、担当者会議やアセスメント訪問をビデオ通話などで代替できることを通常にすべきではないか。このことに関連して、第8回規制改革推進会議資料1では、56頁に、『介護支援専門員のモニタリング訪問、サービス担当者会議については、テレビ 会議、ビジネスチャット等のICT活用による訪問等の代替を含めた業務負担軽減について検討する』とされている点に注目したい。

なお同頁には、『介護施設におけるテクノロジーの導入の有無による比較対象を設定した効果検証を実施し、当該検証結果を踏まえながら、介護報酬等 への評価につなげる』として、介護ロボット導入加算の視点や、『今後の 介護報酬についても、かけた手間や体制等を評価するストラクチャー評価やプロセス評価に加えて、高齢者の自立支援効果に応じて報酬上のアウトカム評価がより行われるような見直しが不可欠となっている。』として自立支援介護に対する報酬評価の視点が明記されている。

どちらにしても、介護事業の経営やサービス提供にもwithコロナの観点から変化が求められていくことは間違いのないところであるし、介護報酬改定も決して甘い見込みは立てられないことも間違のないところだ。

そんななか先日書いた、「政権政党の提言は介護報酬改定に影響するのか」に次のようなコメントを書いてくれた方がいる。
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当法人において教えていただいた電気ブレーカーの導入を見積もったところ、年間数百万円の経費削減が可能になることがわかり早速取り入れました。ガスについても現在交渉中です。貴重な情報ありがとうございましたよ 。
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年間数百万とは大きな経費削減である。多分それだけ事業規模が大きな法人なのであろうと想像できるが、事業規模が小さくとも、経費削減効果はあるのだから、ぜひ固定費のコストダウンには乗り遅れることなく取り組んでほしい。その際には別ブログに更新した、「介護事業のコスト削減は電気代とガス代の見直しから始まります」という記事を参照にしていただきたいと思う。

新しい時代も介護には順風が吹く兆しは見えないが、私たち自身が前向きにアクションすれば、きっと私たちを後押しする風や、私たちを照らす光に出会うことができるだろう。

そのことを信じて、ともに知恵を絞り前に進んでいこうではないか。

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理想の介護・普通の介護・偽物の介護


理想と現実は違うと言いながら、自分の現実の貧しさを直そうとしない人がいる。

自分たちが行っている劣悪なケアの原因は、制度のせいであったり、人手がないという事業者の体制のせいでしかなく、自分や仲間には何の責任もないとうそぶく人の姿は傍から見れば恐ろしく醜い。

そういう人たちは、自分が届かないレベルでパフォーマンスを続けている場所があり、自分たちよりずっと高品質な介護サービスを提供している人がいるという事実を見ようとせず、あたかも自分の貧しい現実がスタンダードだと思い込んでいる。そんなふうに何も見ようとせず、聴く耳も持たない人たちには向上心の欠片もなく、現状の維持だけがすべてと思い込んで、何も変えようとしない。

自分たちと同じような人員配置で、全く違う次元の介護を実現していることを知ろうとせず、知っても無関心を装い無視する人が、介護事業者の中心にいたりする。

介護サービスの一面には、こうした人たちの存在があり、こうした人たちによって運営されている事業者があるという事実があるのだ。この闇が介護の職業を必要悪のごとく貶めている最大の要因である。

そうではない事業者や従業者の方が圧倒的に多いにもかかわらず、当たり前に介護をしていることはニュースにならない。マスコミが報道するのは、ごく一握りの劣悪な事業者における不適切サービスや虐待であるが、それがあたかも介護サービス事業のスタンダードにみられてしまうことが多い。

だからこそそうではないという情報発信も重要ではないかと思う。ただしそれは過信した自分たちのサービスを自慢する情報ではなく、事実ではない底上げ情報を発信するのでもなく。あくまで事実に徹した正確な情報提供であらねばならない。

同時に普通に黙々と対人援助に関わっている人たちは、そんな腐れた者たちに巻き込まれないようにしてほしい。

正論とは本来、いつの世であっても愚鈍で生真面目で幼稚な真理である。だからこそ子供でも理解できるし、どんなに浅学の人にも通用する真理である。対人援助は人を幸せにするためにある。人の暮らしぶりを良くするためにある。少なくとも介護という職業は、人を苦しめ、悲しませるためにあるものではない。それこそが誰にでもわかる真理である。

そのためにどうしたらよいのかを考えるのが、その職業で生活の糧を得ている者の責任であり、務めである。

だからこそ理想を胸に、その実現のための理念を掲げる必要がある。

理想」とは、それが最もよいと考えられる状態のことであり、その状態になってほしいと思うものである。それを目指さないで何がプロかと言いたい。

理念」とは、物事がどうあるべきかの基本的な考えのことで、その考えのもと行動するものである。それがあってこそ具体的行動に結び付くのだ。

対人援助は、その領域で働く人間が、他人の暮らしという最もプライベートな空間に踏み込んでいくという性格を持たざるを得ない。だからこそ利用者のプライドを傷つけず、羞恥心に配慮することは当たり前のことである。それは理想的な介護ではなく、普通の介護なのである。

理想を失った人は、この普通さえも見えなくなるのである。そうならないようにしてほしい。理想を掲げることは決して青臭いことでもないし、幼稚な考えでもない。プロフェッショナルに必要なことなのである。

プロフェッショナルに徹するために性格を変える必要はないが、プロとして介護に携わる者は、人に不快を与える態度や言葉や表情に注意する必要は当然ある。接遇マナーはそういう意味でもなくてはならず、丁寧な言葉遣いや、柔らかい態度で利用者対応することは、プロとして当然のことでしかない。

笑顔で利用者に接することは、介護のプロとしての基本姿勢でもある。それが日常的にできないというなら、できない理由を探す前に、介護の仕事を辞めなさいと言いたい。それほど顧客マナーに配慮するということは、どの職業にとっても当たり前なのである。それは極めて普通の介護であり、普通のこともできない人が、その仕事で生活の糧を得てよいわけがないのである。

そしてプロとしての意識なんか持たなくても、サービス提供者がごく自然にサービスマナーに徹することができ、高齢者の方々も介護者も、ともに自然に笑顔になる・・・。そういう介護の現場であれば、これは理想である。

理想を幻想化せずに、それを目指した仕事ができる場所にしか、普通や当たり前は存在しなくなる。

しかし理想を目指し続ける場所では、普通や当たり前の水準も知らぬ間に引き上げられていく。そういう場所にこそ、利用者にとって、「豊かさ」や、「暮らしの質」が存在することになるのではないだろうか。
その実現を目指すのが本物の介護である。介護の職業に志(こころざし)を持つ人は、是非そうした職場を探し当てて、そこで活躍していただきたいと思う。
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白い虹のように


登別市と洞爺湖温泉を結ぶ、「オロフレ峠」は冬の間通行止めとなっている。

その通行止めが解除となり開通したのは今月5日であった。下の写真画像は、開通して間もなくのオロフレ峠で撮影された、「白い虹」である。オロフレ峠の白い虹
なんでも白虹(しろにじ、はっこう)または霧虹とも呼ばれる珍しい現象だそうであるが、その現象に偶然出会ったという運が良い友人から送ってもらった画像である。友人は、「綺麗だろ」というが、僕にはあまりきれいには見えない。ただ霧がかかっている中で虹らしき形がわずかに見えるだけである。読者の皆さんにも目を凝らしてみていただきたいが、本当に綺麗に見えますか?

本日土曜日は霧もなく、夏らしい良い天気になっており、オロフレ峠を通って登別温泉や洞爺湖温泉に出かける人が多くなっているかもしれないが、道内では今週も札幌でクラスター感染が発生しており、くれぐれも不要・不急の外出は控えていただきたい。(参照:休日は無料見放題動画を愉しんで、不要不急の外出はまだ控えましょう

ところで昨日書いた記事、「派遣という身分を見直す機会」にも今朝追記したが、昨日第2次補正予算が成立し、介護現場で働く職員に対し、「慰労金」が支給されることが正式決定した。

この慰労金は医療や介護、障害福祉の現場を支えている職員に広く支給されるもので、地域包括支援センター、福祉用具貸与、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅も対象になるし、職種もケアマネジャーはじめ、リハ職、事務職など皆が受け取れるように制限はかけず、正規職員か非正規職員かも問われない。

しかし法人本部のオフィスに勤務する人など現場から遠く離れて業務を行い、利用者と全く接しない人は対象外となるとされている。その詳細来週早々にも通知されるので注目しておいてほしいが、このことを知らされた人からはすでに、「法人本部などの職員は対象ではないんでしょうか。直接処遇はしていなくても現場職員が働きやすくなるように同じように彼らも頑張っています。処遇改善の膨大な資料を作成している本部職員は対象になりませんし、様々な手続きも現場に代わりやっているわけで、特に今回のような非常時は現場だけが大変なんではなく、法人全体でチームでやってるんですがね。本部の若手には気の毒な話です。利用者と接してませんがいつも彼らの目には利用者が写っています。」という批判的な意見も寄せられている。(※当該コメントは、僕のフェイスブックに寄せられた声を転載したものである。)

医療機関や介護施設内の事務室等に法人本部がある場合は支給対象になるが、大規模法人で本部組織だけ別ビルに入っているようなケースは対象にならないということなのだろうか。せっかくの慰労金が、志を同じく仕事をしている法人内部で、支給と不支給がわかれるのはいかがなものかと僕も思う。

さらに、各都道府県での新型コロナ患者1例目発生日または受け入れ日のいずれか早い日から6月30日までの間に10日以上の勤務していることを支給要件にするという。この要件に該当する退職者はどうなるかなどは詳細通知が出るまで分からない。どちらにしても来週早々に発出されるであろう通知に注目せねばならない。

ところでこのブログでも紹介した、「固定費削減意識が無いと介護事業は生き残れない中で、リスクゼロで電気料金削減できるという朗報」を読んで早速見積もりを取った方から、思った以上の経費削減が期待できる数字が示されたと、喜びの声もいただいた。どんな形であっても、皆様の介護事業経営に少しでもお役に立てれば幸いである。

今後も皆様に有意義な情報をいろいろな機会に伝えていきたいと思うので、ご期待いただきたい。

ところで今朝、来週開催予定の介護認定審査会資料が送られてきたが、緊急事態宣言以後、審査は書面審査で行い会議は開催されていない。宣言解除後最初の審査会が来週の次回審査会となるが、現在も市役所庁舎内での会議を引き続き自粛しているとのことで、次回も書面審査のみとなった。

しかも件数はわずか14件。過去最低数であるが、おそらくその理由は介護認定調査も自粛して、件数を絞っているせいだと思われる。まだまだコロナ禍の影響は続くが、お互いの頑張りと協力で一日も早く日常を取り戻したいと願っている。

もうすぐ父の日も来るが、プレゼントは心を込めて、ただし買い物はできるだけ控えて、ネット販売サイトなども利用してはいかがだろうか。(参照:言葉は心を超えないから、記念の日には心を形にして贈りたい

介護事業を巡っては、これから介護報酬改定等を巡る議論が活発化し、様々な情報が日々出されてくる。僕もその情報を整理して、様々なツールを使って必要不可欠な情報を提供するために、今準備中だ。

介護は人のために存在するものだ。介護という職業は人のためになる仕事だ。だから我々は、利用者の方々から出会えたら幸運と思える白い虹のような存在にならねばならない。

そういう思いを同じくする皆さんと繋がりながら、介護業界の益々の発展に努めたいと思うので、今後の情報発信にも是非期待いただきたい。
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派遣という身分を見直すべき機会


介護施設等で働いている派遣職員の方々から、2次補正予算で支給が決定した介護施設等の職員に対する、「慰労金」は自分にも支給されるのかという質問が相次いでいる。

派遣先の介護事業者から、直接給与の支払いを受けている方については、この慰労金は問題なく支給を受けることができるので心配しないでいただきたい。慰労金という名目で支払われる今回の助成金は、身分や勤務時間・勤務形態に関係なく支給される種類のものなのである。
※6/13追記地域包括支援センター、福祉用具貸与、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅も対象になります。ケアマネジャー、リハ職、事務職など皆が受け取れます。職種にも制限はかけず、正規職員か非正規職員かも問われませんが、法人本部のオフィスに勤務する人など現場から遠く離れて業務を行い、利用者と全く接しない人は対象外となります。近く通知されるので注目してください。

それにしても今回のウイルス禍では、「派遣職員」の身分が不安定であることが改めて浮き彫りにされた。収益減で事業縮小を余儀なくされた事業者においては、「派遣切り」が真っ先に行われている。それによって派遣先の仕事を失った人も少なくはない。

そもそもこれだけたくさんの派遣会社が乱立できるほど、派遣という身分を選ぶ人が多い理由は何だろう。その理由はいくつか考えられる。

一つには、派遣職員の方が職場の人間関係のわずらわしさから逃れやすいということがある。過去に人間関係を理由に体調を崩したり、退職をした経験のある人は、組織にがっちりと身分を縛られずに、自分の希望によって派遣先を変えてもらえる派遣職という身分をあえて選ぶ人がいる。特に介護職という仕事は売り手市場なので、派遣先を探すのに困らないという事情がこの傾向を後押ししている。

単純に収入から派遣職を選ぶ人も多い。派遣会社は手数料(派遣料金)を取るだけではなく、派遣職員に直接雇用職員より高い給料を支払うことを紹介条件としてくるので、派遣職の方が月額給与が高くなり、しかも職場での責任は直接雇用職員より軽いということに魅力を感じている人も多い。

勿論、月給が高いと言っても、賞与その他の手当を含めた年収ベースでみれば、正規職員の方が待遇が良いというケースも多くなるが、直接雇用の正職員はその分責任や縛りが多くなるために、それを嫌って派遣職員としての身分から抜け出そうとしない人もいる。

このように一つの事業者に縛られない気楽さと責任の軽さが魅力として捉えられているのに加え、短期的には直接雇用職員より高いお金を稼ぐことができるという待遇が相まって、派遣職を選ぶ人が多いのだ。

しかし前述したように、「派遣切り」が行われかねない身分の不安定さや、福利厚生や退職金その他を勘案すると、決して派遣が直接雇用者より待遇面で恵まれているという現状ではないことを併せて考えると、派遣職員という身分のままで長期雇用されている状態は、決して恵まれた状態ではないと言える。

責任の軽さを魅力としている人は、自分が職場の中でただの人員にしか過ぎない存在で、決して人材とみられていないことを知るべきだ。それは自分の価値を社会から十分に認められていないという意味にも通じかねない。それでよいのだろうか・・・。

先日このブログに、派遣職員の方が次のようなコメントを書き込んでいる。「施設側に直接雇用を訴えたら、紹介料発生するから次回更新し無いと… 2年間務めてる施設なのに

派遣職員の方を派遣期間中もしくは更新時期に直接雇用職員とする場合は、派遣会社に紹介料などの名目で一定の費用を支払わなばならないのが一般的な派遣契約である。この紹介料は施設が直接雇用した後、その職員が一定期間内で退職した場合には返還されることになり、その期間は3月に定められている場合が多い。

しかし3月以上働いた場合は、その後いつその職員が退職しても紹介料は返還されることはない。そのまま派遣会社の収益になるわけであるが、派遣会社から紹介を受けて直接雇用した職員で、この返還金が生じなくなった期間を過ぎてすぐに退職する人はかなり多い。

うがった見方をすれば、派遣会社は派遣できる人間がいなくなれば事業が成立しないのだから、直接雇用される人に対して、裏でこっそりと紹介料を返還しなくてよい時期を教えたうえで、その時期を過ぎたら退職して派遣会社に再登録することを促しているのではないかと疑いたくなる。

だからこそ介護事業者にしてみれば、派遣会社に紹介料を支払わなければならない人を直接雇用することをためらう心理が生じてしまう。特にコロナ禍で、他業種から介護事業者への就職希望者が少しだけ増えている現在の状況では、派遣会社から紹介される人より、直接募集に応募してきた人を優先的に雇用する傾向が強まっていることは事実だ。

こうした状況を踏まえたうえで、今派遣職という身分で働いている方々には、自分の将来について今一度考えてみてほしいと思う。あなたはこれから先もずっと派遣職員という身分に甘んじていて良い人なのであろうかと、自身の胸に手を当てて熟慮していただきたい。

将来的に長い期間、介護業界で働こうと考えている人であれば特に、派遣職という不安定で思ったほど収入にも恵まれているとは言い難い身分から脱して、信頼できる介護事業者に直接雇用されることを考えたほうが良いのではないだろうか。

勿論、直接雇用してもらえさえすればよいということにはならない。数ある介護事業者の中には、従業員から搾取することしか考えていないような、待遇も環境も劣悪なるブラック事業者も存在する。

だからこそ、「今いる場所で咲けないならば、咲く場所を探して居場所を変えて咲きなさい」という記事で示したように、転職先を探さねばならない人も多い。

そういう意味では、派遣職という身分を脱して直接雇用されたいと願う人は、今登録している派遣会社にそのことを依頼するのではなく、上記の記事の中で紹介しているような、就職後のアフターフォローまで無料で支援してくれる信頼できる転職支援サイトに登録して、条件や職場環境の良い介護事業者を探していただきたい。(※下記にもリンク先を示しておくので参照されたい。)
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バリア(障壁)を生み出すもの


僕が初めて社会人として就職したのは社会福祉法人であり、新設特養の相談員(当時の職名は生活指導員)が最初に拝命した職務だった。

その当時の特養には様々な規則が存在してた。

勿論、今でもそうした規則は存在するのだろうが、当時のそれは融通の全く効かない厳しい制限規則であったと記憶している。起床時間から就寝時間まで規則として押し付け、日課活動も時間割のように定められ、それに従わないことは、「問題行動」であると決めつける職員もいた。家族等の面会時間は制限することが当たり前と考えられていた。

そうした規則は、「集団生活」なのだから当然必要であると言われた。

しかし、「集団論」の立場から言えば、特養の暮らしは、「強いられた共同生活」という概念にしかならず、集団生活には該当しない。よってそのことを理由にした制限は無効であり、規則が必要だとしてもそれは、共同生活の中でお互いの暮らしに不便をかけずに、それぞれの権利を侵害しないよう配慮するために、緩やかな規範を定めおくという意味にとどめなければならない。

そう考えた僕の若い頃とは、様々な制限規則をなくすために、周囲のバリアと闘ってきた日々であったと言えるかもしれない。

仕事の都合で面会時間に訪問できない家族は当然いるのだから、面会時間があっても例外は広く認めるべきだと思った。夜遅くの訪問になったとしても、本人や同室者の迷惑にならない限り、面会は許されてよいのである。

そもそもそういう都合や、利用者にとっての迷惑をアセスメントしていなかった。問題の本質はそこであろうということで、そこから変えなければならなかった。

そうした個別事情を考慮した対応を、すべての生活場面で行おうというところから戦いは始まっていったのである。

就寝時間を超えてテレビを見たい人とは、もともとそうした生活習慣を持っていた人だ。そういう生活習慣を奪うのが特養であるなら、それは社会福祉ではないと思った。

食事提供にしても、せっかく複数メニューを提供できる体制にあるにもかかわらず、それは健康と栄養のためのシステムであると限定的に取り扱われていた。アレルギー等の問題で、お肉メニューが食べられない人には魚メニューを出しているのに、「好き嫌いの」問題であるならば、それは許されないことだった。

しかし人生を70年以上過ごしている方に対し、今更好き嫌いは良くないというのもどうだろう。肉を食べずに長生きしてきた人に、特養に入所したのだから好き嫌いを許さず、肉を食べろと強要するのは虐待と同じではないのか。そもそも肉メニューを提供すれば、食べずに残してしまうのがわかりきった人に対して、それを承知で肉メニューのお膳を出し続けることが、栄養管理として意味があることなのだろうかと思った。

食は人にとって最大の愉しみなのだ。それを苦行に変えてしまっては、栄養管理もくそもない。そう思って、好きなものをおいしく食べられる生活を奪うことは、対人援助として許されることではないだろうと言いながら、栄養士と喧嘩したこともある。そういう主張を理解して、栄養士が考え方を変えたきっかけになったのは、僕の説得ではなく、利用者が生きてきたエピソードそのものであった。(参照:栄養士の役割・食は人生

そういえば2016年4月から、1年間だけ働いた千歳市の老健施設は、その当時でも施設内で利用者が携帯電話を持ち、通話利用することを禁止していた。職員が普通にスマホやタブレットを利用しているのに、さしたる理由もなく利用者には制限を続けているのである。こうした制限が管理だと思っている馬鹿が小権力を持つと、このような不自由を利用者に与え続けることになる。

思えばそうした制限は、すべてバリアである。

そのバリアをつくる要因は、管理者や職員の心の中にある差別意識に他ならない。

そうした人たちが、心の中のバリアフリーを意識しない限り、介護サービスの場からバリアはなくならないのではないだろうか。

暮らしの場にどれだけ制限規則が必要なのだろうか。制限を掛ける不便と、制限のない利便を比較してみてほしい。その制限がないと、そこで人は不幸になったり、不便になったりするのだろうか。

どうか自分や誰かに、規則という名の制限を創り出す権利や権限があるのかどうかを、今一度見つめ直してほしいと思う。厳しさより、優しさでもって対人援助に関わってほしい。

少なくとも制限規則が、そこで暮らす人の幸福感や笑顔を奪っているとしたら、それは恥ずべきルールでしかないと言えるであろう。

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介護の最前線に新たな手当ては行き渡るのか


日本医療企画の地域介護経営・介護ビジョン6月号は、特別企画として介護事業者や介護職の方と深いかかわりをもつ各方面の人たちから、介護従事者に対する激励メッセージを送る特集を組んでいる。

それは新型コロナウイルスの感染拡大という厳しい状況下で、日々感染のリスクに晒されながらも、高齢者の自立した生活を支えるべく奮闘されている方々への応援メッセージでもある。
介護ビジョン6月号
メッセンジャーは、安藤なつ氏(メイプル超合金)、町 亞聖氏、川内 潤氏、和氣美枝氏、秋本可愛氏、高瀬比左子氏、貝塚誠一郎氏、井戸和宏氏、鈴木森夫氏、青木正人氏、山下総司 氏というそうそうたるメンバーであるが、その中の一人として僕も加わっており、メッセージを掲載させていただくとともに、表紙にも写真が掲載されている。

僕たちのメッセージが、少しでも介護サービスの場を力づけ、明日への希望につながってくれることを期待したい。同誌は、Amazonでも取り寄せ可能なので、興味がある方は是非、お手に取って読んでいただければ幸いである。

ところで介護の場で働く人たちは、激励だけではなく、具体的な支援策を求めていることと思う。特に感染の危険がありながら、利用者の暮らしを護るために頑張っている人たちには、国からの新たな手当てなど、金銭的な支援も求められていることと思う。それは極めて正当な要求である。

感染対策補正予算では、国と地方の総事業費は103億円が計上される中で、「新型コロナウイルス感染症に係る介護サービス事業所等に対する サービス継続支援事業の実施について」が発出され、人材確保に向けた賃上げや職員への危険手当の支給、衛生用品の購入、施設・事業所の消毒など、平時なら生じなかったはずの追加経費について幅広く補助が行わることになった。

この中に、「人員確保のための職業紹介料、(割増)賃金・ 手当」という文言があり、介護職員等に直接給与等に上乗せされて支給される手当も含む内容になっている。

しかし対象事業は下記のようにかなり限定的である。
○ 自治体から休業要請を受けた施設・事業所
○ 利用者、職員に感染者が発生した施設・事業所
○ 濃厚接触者に対応した施設・事業所
○ 特例の訪問サービスを提供した通所介護事業所
○ 自主的に休業した施設・事業所の利用者を受け入れた施設・事業所


よってこの事業による手当を支給される対象者はかなり少ないとみてよいだろう。

そのほかに国は、検査で陽性となった感染者にサービスを提供している施設・事業所など、ハイリスクな現場で働く介護職員への支給を自治体が決めた場合、かかる費用の3分の2を国が負担するとしているが、これはあくまで自治体への補助であり、介護職員への手当の支給自体は自治体任せとなっている。

野党は次の補正予算案について、感染のリスクがある中で仕事を続けている介護や福祉の現場で働く人たちに手当を支給するよう共同で求めてはいるが、野党案は現行の処遇改善加算との整合性が取れないために、実現性が低いとみられている。

そんな中で先週20日、自民党は新型コロナウイルスの大流行に対応するための今年度第2次補正予算案の編成に向けた提言をまとめ、その中で介護・福祉については、「現場で働く人材への支援を進めること」と明記している。

事業者への経営支援や衛生用品の確保とは別建てで書かれているこの文言が、介護の場で働く人たちに対する手当の支給につながってほしいと思うし、支給対象はすべての介護事業者にしてほしいとも思う。

ただしこのような手当ての支給に関することで、僕には少し気になっていることがある。それは報道等で新型コロナウイルス対策として介護の場で働く人々に対する手当支給について、「危険手当」とされている点である。

この問題は今朝自分のFBでも指摘したが、「危険手当」とネーミングされてしまうことは、若者の介護に対するネガティブな印象を強める結果にしかならないと思う。それは近い将来、介護人材をさらに減らす結果につながっていくのではないかと懸念される。言葉狩りをするつもりはないが、もっとネーミングには慎重になってもらいたい。

手当てが新設されるとしたら、介護という職業に誇りや使命感を持つことができるような名称にしてほしいと切に願うのである。

ちなみに手当で給料が増えた暁には、お父さん・お母さんのプレゼントに少しお金をかけてもらいたい。(参照:言葉は心を超えないから、記念の日には心を形にして贈りたい
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制限が必要な中でこそ、できることを工夫する専門家でありたい


コロナ禍は、介護事業の場でも様々な制限を生み出している。感染拡大防止という面では、そうした制限は必要不可欠でもある。

しかし制限が必要とされる期間がこれだけ長期化すると、人の暮らしに様々なひずみを生み出しているのも事実だ。一度行うと決めた制限対応を、どれだけ厳粛に、いつまで続けなければならないのかということを考えなければならない時期である。

人の暮らしに真正面から向かい合う対人援助の関係者が中心となって、漫然と制限を続けていて良いのかということを、改めて議論する時期に来ているのではないだろうか。

介護施設の面会制限や外出制限については、このブログ記事で再三取り上げている。くれぐれも通信技術を利用し、画面を通じた面会ができておれば良いなどという横柄な考え方に陥ってほしくないし、外出支援も感染予防対策を十分とれば可能であると考えてほしい。

制限をすると決めて、その原則を定め、できる限り原則に沿って対応することは決して間違っていない。しかしその期間が問題だ。短期間ならばともかく、その期間はすでに2月にも渡る状態となっており、今後もさらに長期化するかもしれないのである。それはこの国の介護事業者が今まで経験したことがないことである。

よってその前例は全くないと言ってよいのだから、僕たちが今この時期に前例を作っていかねばならないのである。

原則に沿ってさえいれば問題は最小限に抑えれられるという時期ではないと考えるべきで、これだけ制限が長期化しているのだから、原則を適用しない例外が増えて当然だと考えなければならない。

漫然と原則を適用し続けるのではなく、介護事業者やそのサービス利用者が今まで経験したことのない状況の中で、予想を超えて生ずるストレスや、予測不能な出来事が生まれているという事実を認識しなければならない。それに対応するためには、知識と技術だけではなく、心配りが不可欠だということを胸に刻まねばならない。

面会制限の中でも、面会を許可せねばならないケースを、パターン化せずに、個々の理由でその時々に精査して考えてほしい。その時に人の思いにも十分配慮してほしい。

先日、面会制限中の特養での看取り介護に関連して、「いまわの際(きわ)の別れを阻害する権利は誰にもない」という記事を書いたが、そのようなことは特養以外の様々な場所で問題化している。

特に深刻なのはホスピス緩和ケア病棟のお別れをどう考えるかという問題である。ホスピス緩和ケア病棟とは、末期がんの方が人生最期の時を安楽に過ごすための病棟である。ところが今その病棟で、「孤独死」ともいえる現象が生まれているのだ。

ホスピス・緩和ケア病棟で終末期を過ごす人に対する面会制限によって、家族に会いたいと言いながらそれがかなわず亡くなっている人がいるのである。

原則を適用するだけだと、患者の思いに沿えずに、残念な思いを残してこの世を去っている人がいるという現実は、ウイルスが患者と家族のつながりを分断しているのではなく、制限ルールが患者と家族のつながりを断っているがごときである。

免疫力が低下している人が多くいる場所だから、外からウイルスを持ち込まれては大変なことになることは、クラスター感染の現状をみれば明らかである。(参照:クラスター感染施設のその後の最新感染状況と今後の対応に向けての提言

だからと言って、今わの際の別れがそれによって阻害されることがあってはあんまりである。職員は外部から通ってきているのに、今わの際を迎えた人の家族を一切入れないというホスピスであってはならないと思う。どうしてもそれがかなわないのなら、在宅療養支援診療所を紹介して、家族のいる場所に行ってもらって看取ることができないかということも考える必要がある。

制限は誰でもできる。できないと宣言するだけで、何もしないことは馬鹿にでもできる。しかし僕たちは対人援助のプロである。制限が必要な中であっても、できることを工夫するのがプロである。対人援助のプロであれば、できるために必要な知識や技術に、人間愛というエッセンスを加える必要もある。

制限が必要な時にこそ、原則に沿わずに対応する必要はないのかを常に考えなければならない。制限が必要な状況下であっても、できることはないか、できることは何かを考えるのが、本当のプロの仕事であり使命である。

どうかそのことを忘れないでほしい。その実行を怠けないでほしい。
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責任の線引き・己に課すべき責任


雨上がりの連休明けは、雲一つない青空が広がっており、気温も上がって桜がとうとう開花した。
登別市鷲別町の桜
登別市鷲別町の桜
新型コロナウイルス対策で、お花見気分ではないか、桜を愛でる心の余裕だけは持っておきたいと思う。さて本題・・・。

感染拡大予防対策がこれだけ長期化するのは初めての経験なので、様々なサービスの場で、介護関係者は前例のない判断を強いられる。

こうした緊急事態であるから、暦に関係なく国から必要な情報も出されてくる。そうした情報を分析判断して都度、前例のない対応判断が必要となる場面が多くなることは容易に予測できる。

厚労省サイトに、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」が掲載されたのは5/4のことである。そうであれば現に営業中の通所介護事業所などが、この提言に沿った対応措置を取らなくてよいのかという判断が、少なくとも5日の時点では求められたはずである。

だからこそ休業していない介護事業者においては、サービス提供の場で即時判断と対応ができる体制を整えておらねばならない。昨日までの大型連休に、施設長や管理職が休みを取る場合でも、判断できる権限と責任を持った立場の者をきちんと配置しておくことは当然求められたであろうし、それができない場合は、トップがリアルタイムで判断できるように、オンラインでいつでも連絡が取れる体制を整えておくのが、この非常時の当たり前の対応である。そうした備えは出来ていたのだろうか。

それができていない経営者や管理職は、自分の適性を疑った方が良い。少なくともできていない状態を放置して、長期間休んでいるのは責任の放棄であるという誹りは免れないだろう。

ところで連休中に示された新しい国の方針や基準に関連して、表の掲示板では『国から介護現場における対応をきちっと示してもらわなければ、地域の足並みもそろわない。』という意見も書き込まれている。

しかし僕はそうは思わない。そのような意見はあまりにも甘えた考え方だと思う。国は感染予防のガイドラインも示し、特例の算定要件も示している。しかし介護施設や通所介護などの各事業者のサービス提供体制は個々で異なるのだから、国がすべての事業者に共通して示すことのできる感染予防策には限界があるし、個々の事情で対応の具体策は変えなければならないのは当たり前のことである。

そもそも自分が管理する場で、サービスを利用する人々を護る責任は、その事業管理者にあるのは当たり前のことだ。今そこに居る人の事情が分からない国に、責任の下駄を預けてどうするというのだ。

普段、民主主義を声高に唱える人が、いざ問題が起きて自分が決断しなければならない立場になった途端に、「国がすることを決めろ」・「自分は国が言うとおりにするだけだ」と謂うのはお門違いも甚だしい。それは民主主義を自ら崩壊させる行為につながりかねない。自分が責任を負わなくてよいことだけ、自分が主体となって決めるというのは独善主義そのものであり、単なるわがままである。

国がすべきことと、事業者や事業主のすべきことの判断基準が明確にされているわけではなく、そこは個々の状況に基づいて、事業主自らが判断しなければならないところだ。その時に、自分の責任を軽くするために、国に責任を強く求めたとしても、その責任逃れに国が即応するわけがないのだから、そこで生ずるのは利用者の不利益だけである。

対人援助事業においては、そうした不利益が利用者の暮らしの質と直結するのだから、そうしないために必要なことは、事業主責任の範囲を広く考えて、まず自らが利用者を護ろうとすることである。結果的にその部分にも国が責任を持って手を差し伸べてくれるのであれば、それは幸運と思えばよいことだ。

国に寄り掛かり過ぎれば、利用者を無責任放置するしかなくなるかもしれない。そのことを何より恐れるべきである。例えば、示された情報の解釈を国が明白にするにはどうしてもタイムラグが生ずる。そうであればとりあえずサービス提供に即応しなければならない問題は、現場判断でできる限り取り得る対策を講じておくという考えが求められるのだ。

そのためには事業者自身が、適切に情報を集めて判断するしかないことも多い。「新型コロナウイルスは空気感染しないから空間除菌は必要ないという誤解〜エアロゾル感染との違いは何か?」で示した考え方についても、国が何か指示したり、考えを示すことを待っていてもしょうがないので、自分で情報を集め判断したうえで、必要な対策を講じようというものだ。

このように個々の事業者判断で対策を取ることは当たり前のことで、こうした具体策まで国が指し示すことなんかできるわけがないのである。

私たち自身はちっぽけな存在であろう。世界の情勢にちっぽけな我々の存在や言動なんて少しも関係しないだろう。しかし何もできないという事実を何もしないことの言い訳にするのは卑怯だ。自分の責任を自覚することで、判断できるものは格段に増えるはずだ。

判断に迷ったら、人が少しでもましになる方向に考えればよい。事業経営者であれば、サービス利用者や従業員にとって、今よりましになる方向はどちらかという視点で物事を考えるべきではないのだろうか。

その結果はいずれ自らの身にもふりかかってくるのではないだろうか。
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金銭で出力するのがプロであるが、お金は命と健康に替えられないことも真実の一つ


新型コロナウイルスによる感染対策の一環として、感染リスクの高い介護の場で働く介護職員に特別給付金の支給をいち早く決めたのは福岡市であった。

4月15日に公式サイトを更新して、市内の施設、通所介護、訪問介護、居宅介護支援、障害児者にサービスに対し、その規模に応じて施設単位・事業所単位で15万円から150万円を、「早ければ5月中旬から給付したい」とした。

その目的は、自らが感染するリスクもある中で最前線で頑張っている人を支援するというもので、支給は事業者単位であっても、それは事業者を通じて介護従事者に支払われるという趣旨のものである。

この方針が公表された当時、僕は福岡市に滞在して仕事をしていたので、同市の素早い方針表明に心から拍手を送ったものだ。

その後、訪問介護を運営する複数のNPO法人などが連名で政府に、ヘルパーに臨時の危険手当を支給する要望書を提出したり、日本介護福祉士会が介護従事者への特別手当の給付を求める内容を含んだ要望書を提出するなどの動きが相次いだ。

そのためコロナウイルス関連補正予算には、介護サービス事業者の経営を下支えする施策が含まれ、福祉医療機構による無利子・無担保の融資が拡充されるほか、感染を防ぐ対策の強化、あるいは施設の消毒などに一定の補助が出ることになったことに加え、介護職員の一部に危険手当を出せるようにする措置がとられるそうだ。対象は感染者をケアする施設・事業所など一部に限る方向であるが、今後対象が拡大される可能性もある。

感染リスクにおびえながら不安につぶされることなく介護業務に従事している人に、金銭面で支援を行う施策をとることは大いに結構なことだ。プロフェッショナルは金銭で出力するのだから、そのことはとても重要だと思うし、そういう形で頑張っている人が報われる社会であってほしいと思うからである。

だからと言って、介護職には高いお金を支払っているんだから、危険に身をさらすのは当然だと思われても困る。そもそも手当より優先されるべきことは、介護従事者の感染リスクを少しでも減らす施策にお金をかけることであり、それと手当の支給は並行的に考えられるべきだと僕は思っている。

手当をもらって特攻精神で、感染リスクのある場所で頑張った結果、健康を奪われ、命が危険にさらされてはどうしようもない。介護従事者にも、暮らしがあり家族があるのだから、本人を含めた周囲の人の感染リスクが高い状態を放置したままで、手当という餌によって現場に放り鍋る状態は、感染予防にはならないし、それは介護崩壊に直結しかねない状態であると言える。

このような指摘をしなければならない背景は、あまりにも介護の現場がウイルスに対して無防備だからだ。このブログで何度も指摘しているが、現在の状態は、介護従事者が目を護らないで、介護業務にあたってよい状態ではない。それなのにゴーグルを標準装備していない介護事業者が多すぎる。

エアロゾル感染対策も全くとられていない。介護施設等の決められた空間で働く人にとっての恐怖とは、手洗いやうがいをいくら行ってもエアロゾル感染リスクが高ければ感染してしまうということである。逆に言えばエアゾル感染リスクを低下させれば、利用者の感染リスクは大幅に下がり、それは介護従事者の感染リスクの減少にもつながる大きな要因になる。

この二つの部分にもっとお金と知恵を使うべきである。昨日僕の別ブログで、「新型コロナウイルスの感染の不安を抱えたまま、介護職員をサービスの場に放り出してはならない」という記事も書いて、その具体的対応方法例も示している。

是非それらの記事を参考にして、今、このGW期間中も、介護の場で奮闘している介護従事者の皆さんの命と健康を守り、介護崩壊を防ぐ取り組みを進めていただきたいと心から思う。

感染予防という課題全般をも渡すならば、すでに莫大な費用がその取り組みにかかり、休業事業者では大きな損失が出ているが、ゴーグル装着とエアロゾル対策は、それに比べるとわずかな費用で、感染リスクを大幅に低減できるという効果があるのだから、コスパは高いと言える。

そういう取り組みをしていかない手はないのである。
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非常時こそ指揮官先頭・指揮棒は最前線で振るべし


暦通りに休みを取れる人にとっては、明日からが5連休でまさにGWの真っただ中に入るということになる。

介護施設でもシフト勤務以外の職員は、暦通りに休めるのが普通だし、施設長や管理職も何もなければ休暇を愉しんでよい時期だ。

しかし新型コロナウイルス対策に追われる今年は様相が異なる。シフト勤務の職員も、感染症の拡大に伴う諸事情の影響で、いつものようにシフトに入れない人が多い。そんな中でシフト勤務の職員だけにその負担を負わせてよいのかと考えたとき、全職員協働でこの危機を乗り越えるという心構えが求められると思う。そのため事業者独自の暦を作って、連休時期を秋以降にずらすという考え方も必要だ。

特に休業せざるを得ない事業者を除いた介護施設等の施設長や管理職にとって、今年のGWはないものとあきらめたほうが良い。

感染者がいつ出て、クラスター感染につながるかもわからない介護の最前線で、従業員が不安を抱えながら利用者対応しているこの非常時に、介護施設のトップ等が暦通りに休んでいては、施設全体の士気にかかわる。

特に居住系施設では、利用者に対しても様々な行動制限を強いている場合が多いのだから、その例外を認める即時判断を行うためにも、指揮官は前線で先頭に立って指揮する姿勢を見せておかねばならない。

そうしないと従業員が不安でパニックになったり、前線から撤退してしまうということが起こりかねないのが現在の状況だからである。

介護施設で働く従業員の方々に言っておきたいことがある。あなたの施設のトップが今年のGWを、休む権利があるとして例年通りに休んでいるとしたら、あなた自身は転職先を真剣に探した方が良い。なぜならそういう施設では、あなたの命や暮らしを軽視した事業経営をしているにほかならず、今後感染症の発症者が出て対応が必要になっても、あなた自身の命や暮らしは、2の次3の次にされてしまう可能性が高いからだ。

表の掲示板の、「感染拡大防止のために、介護従事者は目を護る日常業務習慣をつけてください」というスレッドのNo.6・No.8・No.9のコメントを読んでいただきたい。

その声は介護施設で不安を抱えながら頑張っている人々の悲痛な訴えだ。介護職員だけを感染源のある場所に徒手空拳で突入させるようなことがあってはならないし、そういう特攻精神でしか事業が成立しない経営方法はとるべきではない。介護従事者をしっかり護っているよという姿勢を示すうえでも、介護施設のトップは従業員の見える場所で指揮を執り続けるべきである。

仮に施設内の1フロアで感染者が出た場合には、時間をおかずにリアルタイムで必要な対応をしなければならないということを理解・覚悟して、施設長をはじめとした管理職が即応できる体制を取らねばならない。

感染者が出ないように日ごろから、介護職員等がゴーグルを標準装備して利用者対応しておくことは常識だし、いざ感染者が出たときのために、エアロゾル感染を防ぐための消毒機器を事前準備しておかねばならない。

感染者が出た後で、それを準備しようとしてもかに合わないのだから、『新型コロナウイルスに打ち勝つにはアイテムが必要〜介護従事者を一人も感染させてはならない』で紹介している薬剤等を事前準備して、いつでも使用できるように備えるべきだ。

北海道でも介護崩壊が現実味を帯びている。入居者と職員ら10人が感染した千歳市のサ高住は、配置できる職員が1/4以下になる中、陽性患者8人が医療機関に入院できずに、住宅内で対応する期間が長期化している。

今日の時点でそれらの患者がすべて入院できたのかは不明だが、感染が広がって少なくとも29日時点では入院ができない人をサ高住で対応していたわけである。するとそこには感染フロアが存在していることになる。そのサ高住は日ごろから感染区域と非感染区域を分ける備えができていただろうか。職員はきちんとゴーグルをつけて対応していたのだろうか。そして施設内のエアロゾル感染を防ぐために、消毒殺菌薬の噴霧をしていたのだろうか。

サ高住で陰圧室を作れるわけがないのだから、それらは必要最低限の対応と言えるが、行政がそんな指導も手伝いもしてくれるわけがなく、介護事業者は自分の身を自分で守らねばならないのである。そのために指揮官は最前線で指揮棒を振る必要があるのだ。

介護事業経営者や施設長・管理職は外部に必要な支援を求めることとともに、自衛手段をきちんと考えて、手段を持たねばその責任は果たせないのである。外部に何とかしてくれと訴えるだけでは、利用者も従業員も守れるわけがない。そうした非常時であるということを理解しない経営者は暢気すぎるのだ。平時の宰相はいらないのだ。

リンクを貼りつけた別ブログで紹介した空間除菌ができる、除菌水ジーアも行政対応が間に合わない今は、自衛手段として持っておくべきアイテムだと思う。

こうした備えを幾重にも重ねて感染予防対策を強化しておくことをしないと、従業員の不安は増すばかりだ。恐怖と不安で押しつぶされた従業員が、介護の職業から離れていく恐れもなくはないのだから、今この時に取り得る対策をすべて取っておく必要があるのである。

どちらにしても施設長は仕事を休んでいる暇はなく、介護の最前線で指揮を執る必要があるのだ。
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ゴーグルは感染エリアで使用するだけで良いという考えの呑気さを笑う


先週の土曜日に、「介護従事者は目を護る日常業務習慣をつけてください」という記事を書いて、介護サービス利用者と濃厚接触せざるを得ない介護従事者については、日常介護においてもゴーグルを装備すべきだと提言した。

それに対して、『早速ゴーグル対応を日常装備化した。』・『手間もかからず職員の安心感が増している』という連絡もいただいている。素早い対応に拍手を送りたい。

しかしそうした意見の反面、『そこまでする必要はなく、ゴーグルは感染エリアでの対応時のみで十分だ。』という意見がある。『全国老施協のパンフレットも、ゴーグル使用は感染エリアでの使用を前提にしたアナウンスなのだから、日常介護までゴーグル装備は必要ない。』と論評する輩がいる。

まったく呑気である。というかこういう馬鹿がクラスター感染を発生させているのだ。全国老施協のパンフレットの対応では、感染拡大が止まっていない現状を打破しえないので、それ以上の対応に変えようというのが僕の考え方であり、土曜日に書いた記事での提言である。

僕は老施協のパンフを解説する立場にないし、そんな義務もない。パンフの紹介は、資料の一つとしてこんな提案もされているよという情報の一つにしか過ぎない。そんなことも読み取れず、理解もできない馬鹿が、いちいち偉そうなコメントを書くなと言いたい。ここは僕の個人的な場所で、そのような馬鹿と付き合うスペースではないのだ。

土曜日の記事でも指摘したが、コロナウイルスは口と鼻と目から侵入し感染・発症することがわかっている。皮膚から体内にウイルスが侵入することはないわけだから、口と鼻と目をしっかり護れば、ウイルスの侵入を防ぐ確率はかなり高くなる。そうであるにもかかわらずマスクで口と鼻だけ護って、目を護る対応を行っていない方がどうかしているのだ。

そもそも感染拡大の一番の要因は、本人も自覚せずにいる無症状の感染者に濃厚接触する『紛れ込み感染』が増えていることであり、感染エリアで感染が広がっているわけではないのだ。だからこそ一般の日常生活のエリアこそ感染予防対策の充実が求められるのだ。

道内千歳市でクラスター感染が発生したきっかけは、グループホームで利用者と職員の双方に感染が広がり、利用者が受診していた医療機関にそれが拡大し、関連の訪問看護ステーションや通所介護にも広がっていったことによるものだ。最初に感染拡大したグループホームで、予防対応ができていればそれほど感染が広がらなかった可能性がある。

同市のサ高住では、入居者と職員計10人の陽性が判明し、入居者43人がPCR検査の結果を待っている状態だが、感染不安からパート職員が次々退職し、出勤できる職員が現時点で5名に減って介護崩壊が現実味を帯びている。こうした感染拡大も新型コロナウイルス騒動の初期から、従業員が口と鼻と目を護るという介護対応を行っていれば防ぐことができたかもしれないのだ。

昨日新規発症者が1日最多の26人に並んだ札幌市では、複数の医療機関のクラスター感染が、感染者数増加の一番の原因となっている。それらの医療機関で日常的に、口と鼻と目を同時に護る看護・介護対応が行われていたら、感染者の数は今より減ったかもしれないのだ。

そうした予防対応をこれでもかと十分すぎるほどしておかねばならないのが今の時期だ。わかっていること・できることの対応をしないというのが一番まずい。

特にゴーグルをかけて目を護るなんていう対応は、まったく難しくない方法で、やろうと思うだけで誰もができる方法だ。しかもゴーグルは、マスクや消毒液と異なり使い捨てではなく、一度備え置けば何度も使えるのである。そういう意味で品薄になる可能性も低い製品だ。

ゴーグルを装着する意味を利用者に丁寧にわかりやすく説明すれば、そのことが不快だとも思われないだろうし、仕事の邪魔にもならない。装着に手間がかかるということもない。

そのように簡単に対応できることに対し、どこどこの誰それはそんな必要はないと言っているとか、感染エリアの対応で十分だとか、根拠のない無責任発言を繰り返して反論する輩など無視してほおっておけばよいだけの話だ。やれることはやっておくに越したことはないのである。

決して間違ってほしくないことは、「今は平時ではない」ということだ。平時対応の常識は通用しない非常時・緊急時であるということだ。この時期であるからこその対応を念頭に置いて、感染予防リスクを1%でも減らせる方法で、できることをまず行うというのが、私たちに求められていることだ。

4/18に厚労省クラスター対策班のメンバーでもある東北大の押谷仁教授が、日本感染症学会で、『高齢者の方が他人に新型コロナウイルスをうつしやすい』・『喉から排出するウイルスの量は重症度ではなく、年齢に関連する傾向があり、年齢が高いほど他人に感染させる可能性が高い』と発表していることもあり、高齢者介護に携わる人は、一層の注意が必要なのだ。

だから感染しているかどうかわからない人と、濃厚接触せざるを得ない介護従事者は、すべての場所で、すべての業務において、利用者対応の際にはゴーグルを標準装着して対応すべきなのである。

リスクがわずかであったとしても、少しでも感染リスクのある場所で介護を行う人が、口と鼻と目を無防備にむき出したままで対応してはならないのである。無防備にむき出した目の粘膜からウイルスが侵入してしまうのだ。

今はそう考え、しっかり対応する時期なのだ。ゴーグルを外して対応するのは、平時に戻った後の話である。
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介護従事者は目を護る日常業務習慣をつけてください


北海道の新型コロナウイルス感染症は、一旦落ち着き減少傾向に向かうかに見えたが、道央圏を中心にして再び感染が拡大している。

特に問題なのはクラスター感染で、医療機関や介護施設内で、患者・利用者・従業員に感染が広がっており、医療崩壊や介護崩壊の懸念も生じている。

北海道の空の玄関口である千歳市では、市内のグループホームで感染者が見つかったのをきっかけにして、そのグループホームの入居者が入院していた2つの病院でクラスター感染が発生。さらに系列の訪問看護ステーションや、通所介護事業所などにも感染が広がっており、さらに多数の医療機関や介護事業者への感染拡大が懸念されている。

こうした感染拡大も最初は、医療・介護従事者がウイルスを持っていると気が付かずに感染者に対応したことがきっかけになっている。だからこそ感染者に気づかずに濃厚接触してしまうかもしれない介護業務においては、コロナウイルス感染が収束するまでは日常の介護業務から感染予防策を万全にしておかねばならない。

今わかっていることは、新型コロナウイルスは皮膚からの吸収感染はされないということだ。よって素手で感染者に対応したとしても、介護行為を終えた後に素早く適切に手洗いすることで感染は防ぐことができる。逆説的に言えば、素手で介助を行ったあと手洗いの前に顔を触るのは、口や鼻からウイルスが体内に取り込まれるという感染リスクが生じて非常に危険だということになる。くれぐれも手を洗う前に顔を触らないでほしい。

新型コロナウイルス感染を防ぐためには、口と鼻からウイルスを吸い込むことを防ぐ必要があるし、目の粘膜からのウイルスの吸収感染もあるとされているので、口と鼻と目を保護する必要がある。

そうであるにも関わらず、マスクは日常ケアの際に必ず装着し、口と鼻を保護しているのに、目が無防備状態で職員に利用者対応させている介護事業者がまだたくさんある。それはダメだ。

僕は先週土曜日に福岡から地元に帰ってきたが、僕が関わっている介護事業者の職員も目を保護せずに利用者対応していたので、早速注意して介護業務に従事する際には必ず医療用のゴーグルを装着させるようにしている。

医療用ゴーグルと言っても、安いものは1.000円以下で売られている。できれば目にぴったり装着して隙間のできないゴーグルを選べばよいし、医療用でなくとも花粉症用のゴーグルを装着し、サランラップ等で皮膚との隙間を埋めて対応しても問題ない。どちらにしてもコロナウイルス感染症が収束するまでは、介護施設、訪問・通所サービスでも、介護従事者のゴーグル着用を常態化してほしい。

また介護施設では面会・外出制限が長期間に及んでいる。その負の影響として、「面会制限している施設から退所させた母親と無理心中というニュースに触れて」という記事で紹介した事件も起きている。

そんな思いを利用者・家族双方にさせないように、顔の見える非接触型コミュニケーションを取る対応は必ずしていただきたい。(参照:施設を強制収容所に化す工夫のない面会制限

外出制限も緩和して、施設職員が利用者を少人数ごとに外に連れ出してドライブをするなどの対応も行ってもらいたい。北海道であればちょうどお花見の季節が近づいている。車から外に出なくとも、ドライブついでに桜を鑑賞できるだけで、ストレス解消になるのではないだろうか。

また施設行事も集団対応をなるべきしないために控えていると思う。その対応としては、「面会制限・行動制限中の介護施設等では利用者のストレス対応に注意が必要。その時動画視聴サイトは威力を発揮します。」という記事で紹介している方法も試していただきたい。

どちらにしても利用者の暮らしの質を下げないためには、介護に従事する人の健全な肉体と精神が守られなければならないのだから、情報をしっかり確認しながら、正しく適切に介護の仕事に従事していただきたい。

介護事業者の経理者や管理職は、自分の管理する職場の職員が、考え得る限り万全にウイルスから護られる対応がされているかを毎日チェックするのが現在の責務だ。

それができない経営者や管理職はいらない人ということになる。
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顔の見える非接触コミュニケーションの拡大で時代を一歩進めよう


新型コロナウイルス感染症の感染予防対策が長期化している。

そのため介護施設等の居住系施設での面会制限も1月以上の長期間に及んでいることが予測される。その対応策として、ICT機器を利用した利用者と家族の方々との非接触型のコミュニケーションを導入する事業者が増えている。それはある意味当然しなければならない対策だ。

感染拡大が止まらず面会制限がこれだけ長期間に及べば、利用者のストレス対策は必然の対策である。逆に言えばいまだ利用者と家族が顔を見ながら意思疎通ができる対策を全くとらずに、漫然と見解制限を続けるだけの施設があるとすれば、そういう施設対応はいまや虐待・人権抑圧を行っているのと同じである。そうした人権意識の低さは糾弾されてよいことである。

しかしICT技術等を使って、テレビ電話機能を使った非接触型コミュニケーション対応を行っただけで満足してくれては困る。その方法は施設を訪ねてこなくともできる方法なのだから、その利点を最大限に生かして、家族が暮らしている場所で利用者とのコミュニケーションを取れるように支援すべきである。(参照:施設を強制収容所に化す工夫のない面会制限

そのことは利用者の家族等の不要・不急の外出抑制にもつながり、感染予防対策としても求められることである。そんなふうにこの危機的状況の中で私たちは、様々な新しい対策が取られていることを逆手にとって、時代を一歩先に進めることが出来ると考えようではないか。

例えば、こうした工夫を今回の感染予防対策として行って終わらせるのではなく、新型コロナ対策とし行ったことをスタンダードに変えて、時代を一歩進めるという意識が求められるのだと思う。具体的に言えば、顔の見える非接触型コミュニケーションを特例ではなく、スタンダードに変えていくことも重要ではないのだろうか。

日常的な介護事業者と利用者や利用者の家族とのコミュニケーションも、電話ではなく顔の見える非接触コミュニケーションが主流になることで、今まで以上に意思疎通がスムースになることは、事業者のみならず利用者や家族にとっての利益にも繋がると思う。

僕は長い間、相談援助職として利用者や家族に接していた経験があるが、一度も逢ったことがない家族との電話対応では、しばしばこちらが意図していない印象を相手に与えて、予想外の反応に戸惑うことがあった。それらはほとんどネガティブな方向にケースを導く結果につながっていった。

そんなふうに生活習慣も感性も全く異なる様々な人と応対せねばならない電話対応では様々な誤解が生じてトラブルに発展することがある。そんな経験をまったくお持ちではないという相談援助職の方がいるとすれば、それは尊敬に値するし達人だと思う。しかし誰しもがそういう結果を得ることは難しい。電話というコミュニケーションツールは、顔が見えないだけに血の通ったコミュニケーションと感じてもらえずに、誤解されやすいのである。

逢って話をすれば感じの良い人が、電話では横柄で態度が悪く思えたりする例は多いだろう。しかし対人援助の場面での誤解は致命的になることもあり、それはすべからくサービス提供側の責任に帰される問題でもある。

そんなつもりはなかったという言い訳は通用しないのだから、誤解を受ける要素はできるだけなくしていったほうが良い。

さすればテレビ電話機能を使った、顔の見える非接触型コミュニケーションは、こうした誤解を防ぐ効果が期待できることに着目すべきではないだろうか。初対面でも顔が見える状態で会話を行うことで、相手の表情やしぐさを確認できるし、私たち相談援助職はそのことを意識して、言葉だけではなく表情やしぐさで、私たちの真心を伝えるという技術も使えるはずだ。

そうであれば私たちには、今まで以上に礼儀を意識した対応が求められる。言葉だけではなく服装や表情にも注意した対応が必要になるかもしれないが、それはある意味、知らない第3者に直接向かい合うことが多い対人援助の専門職にとって求められるプロのスキルだ。その意識が低い今の状態がおかしいのである。新たな一歩とは、そうした意識の進化と深化をも含めたものである。

親しみがあるとは、相手に対する思いやりや尊敬の気持ちがあり、礼儀正しい振舞いができる態度のことであり、無礼で礼儀に欠ける、「タメ口」が親しみにつながることがないことを改めて理解すべきである。

言葉づかいは心づかいである。一度口に出した言葉は元には戻らないことを肝に銘じて、相手を敬う気持ちを表現することが大事になる。顔の見える非接触型コミュニケーション機会が増えることは、そうした意識付けを深化させることにもつながるのではないだろうか。

そうした意味においても、顔の見える非接触型コミュニケーションは求められていると思うし、この方法をスタンダードにすることで時代は一歩進むのである。

そしてそれは求められる未来像につながる一歩なのである。
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緊急宣言下に求められる多職種連携


改正新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が今日発令される。

対象は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡で、一定の私権制限が可能となる。

今回の新型コロナウイルス関連では、一番最初に感染症の蔓延が懸念された北海道が一度、緊急事態宣言を発令して、それはすでに解除されているわけだが、それは法的根拠のない宣言だった。しかし今回は改正法に、新型コロナウイルスを位置付けて発令されることになり、法的根拠に基づいた宣言になる。
※ちなみに北海道は、現在感染症の拡大が収まっており、早期対応した鈴木知事の評価が高まっているところだ。ただこれによって感染症が終息に向かうという保証はない。

発令の目的について首相は6日の会見で、「人と人との接触を極力減らすため、国民にこれまで以上の協力をいただき、医療体制を整えるためだ。」と説明した。

そこで介護事業者はどうなるのかという問題がある。特に外から人が集まってきて、集団活動を行うことも多い通所介護は営業してよいのかという疑問が出てくるのは当然だ。

この宣言に基く具体的要請や指示は、都道府県知事が決定して行うことになるため、宣言対象地域によっては取り扱いが異なってくる可能性もあるため、その内容の確認がまず重要になる。

改正法で、介護事業に関連する規定としては次の2点が一番大きく関連してくると思われる。

外出自粛の要請
都道府県知事は、「生活の維持に必要な場合を除きみだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないこと」を期間と区域を決めて住民に要請できる。
学校、社会福祉施設、イベント会場の使用制限
都道府県知事は学校、社会福祉施設、興行場(映画、演劇、音楽、スポーツ、演芸などの施設)の管理者に対し、施設の使用制限もしくは停止を要請できる。また、イベントの主催者にイベント開催の制限もしくは停止を要請できる。施設管理者等が正当な理由がないの要請に応じないときは、施設管理者等に対し指示することができる。

このように要請だけではなく指示も行われるわけであり、より強制力が強い印象が与えられている。

その中で、介護施設には感染防止対策をとるよう求め、利用者や家族などの生活維持に必要ないサービスについては使用制限などを求める場合があるとされている。

介護施設等の居住系施設は休止ができないので、感染予防対策として面会制限と外出制限の強化が求められるだろう。ショートステイや通所サービスについては、休止を要請指示される場合があるだろう。

通所介護や通所リハビリは、仮に休止が求められなくとも、宣言対象地域の事業者は万全を期して、宣言期間中の営業自粛をすることもあるだろう。今の状況から言えばそれは仕方のないことだろうと思う。仮に休止要請が行われない場合も、営業中にそこでクラスター感染が疑われる事態になっただけで、日本中から非難を受け、二度と立ち直れなくなる危険性さえあるのだから、営業を自粛するという判断に傾くのはやむを得ないと思う。通常営業を行う壁はあまりに高いと言えるだろう。

ただし宣言が出された場合であっても、自主的に営業自粛する場合であっても、利用者や関係者に対して一方的な休止宣言で終わらないでほしい。

多職種協働の精神は、こういう時こそ必要だ。今まで発出されている通知等で、今回のウイルス対策の特例として、通所介護事業所職員が利用者宅で通所介護と同じサービスを行う場合は、通所介護費を算定出来たり、ヘルパー資格のない通所介護職員が、併設ヘルパー事業所のサービスとして訪問介護サービスを行って、訪問介護費を算定できるというルールが出来ているので、その必要性はないか、そういう対策が講じられないか等々を、担当のケアマネジャーを中心にして十分検討してほしい。

政府は、外出自粛期間中も「健康維持のための散歩と運動は認める」などと記す方向で調整しているとのことであり、特に高齢要介護者の宣言期間中の体力・機能低下には最新の注意を払ってほしいものだ。

ちなみに外出自粛要請に従わない住民への罰則はなく、都市封鎖のような措置はできないことも知っておく必要があるだろう。ただし要請・指示に際して事業者名を公表するため、それに従わない事業者等には社会の視線という実質的な強制の色彩を帯びることを覚悟しなければならない。

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桜咲く場所でできること〜さくらびとのように


各地から桜の開花の知らせが届けられている。北海道の桜といえば、清楚な白さが際立つソメイヨシノではなく、ピンク色が鮮やかなエゾヤマザクラが多いが、その花は早い地域でGWの少し前から咲き始める。僕が住む登別はちょうどGWが明けた頃に満開になることが多い。

しかし今年はそんな桜の季節もゆったりと味わってはいられない。お花見気分も新型コロナウイルスの感染拡大で吹っ飛んでしまっているからだ。全国各地の桜の名所では、今年は飲食を禁止しているところが多い。それも仕方のないところだろう。

今年のお花見は桜を見ながら宴会に興ずるのではなく、世間の喧騒と関係なく咲いた花を愛でるだけにしておこう。ドライブの途中に通り過ぎる車窓から、散歩の途中に見上げる視線の先に、桜の季節を感ずるだけにとどめよう。

僕が来週月曜日から仕事で訪れる福岡市の桜の名所、「舞鶴公園」の桜は3/21に開花で、4/2が満開だったようだ。しかし福岡では老健や有料老人ホームとデイサービスでクラスター感染が発生している。わずか半月前に同市を訪れたときとは状況が一変してしまっている。

そのような状況で、介護事業者に勤めている人は、利用者の感染予防対策と日々先送りできない生活支援に汗を流しながら大変な思いをしているのだろう。

長引く感染予防対策のため、面会禁止が月単位で延長しなければならない居住系施設では、利用者の皆さんのストレスケアにも注意している従業員の方が多いと思う。通所サービスでは営業自粛のために収益が減り、今後の経営に不安を抱く経営者や、自分の生活にも支障を来すのではないかと心配する従業員の方が多いだろう。そんな中でも、利用者の方々の暮らしに寄り添いながら、できるだけ不便をかけないように頑張っている人々の姿が目に浮かんでくる。

そういう人たちが少しでも報われる国策を取ってほしいものだ。

介護サービスの場で頑張っている人たちに、北海道出身のGLAYの、「さくらびと」をバックにして僕が作った応援動画を届けたい。休憩のひと時に画面をクリックして3分と少しの動画を観て、介護の使命と誇りを思い出していただきたい。

心のどこかで感染の恐怖におびえながらも、他者と濃厚接触しなければ成り立たない介護という職業を通じ、誰かの人生に寄り添っている皆さんの存在が、利用者の心に咲く花であると信じてほしい。介護事業に従事する人々すべてが、利用者の方々の、「さくらびと」になることを願って、今日も僕は応援を続けている。どうか誰かの心に咲く花になってください。

(※来週の月曜からしばらく、福岡市のワーコンで仕事をしています。筑紫口すぐ近くですから、お近くの方は是非寄ってください。福岡市周辺でしたら、社内職員研修の講師としていつでも駆けつけます。ご用命の方はお気軽にメールか電話で連絡ください。連絡先は、公式サイトあかい花を御覧ください。)
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こんな時だからこそ、「介護の誇り」を確かめよう


2020年は介護保険制度がスタートしてちょうど20年目にあたるが、それを機に共同通信社が都道府県庁所在市区と政令市の52自治体にアンケートを実施したところ、介護保険制度の存続について51自治体が、「懸念する」と答えたそうである。

その理由はまず第一に現場の人手不足であり、さらに利用者の増加に伴う費用の膨張の先行きを不安視する意見が多かったそうだ。

しかし考えてみると、介護保険制度があろうとなかろうと、この制度に変わる新たな制度ができようとできまいと、人手不足については何も変わらないのである。高齢者の数自体が徐々に減る時代に入ってきたが、それ以上に生産年齢人口が減って、今より高齢者介護サービスを支える人の数は減るのである。

介護事業の人手不足への対策は、介護保険制度を変えてもどうしようもなく、それは他の様々な制度を総動員したり変えたりしながら、社会構造自体が変わらないとどうしようもない問題だ。しかもその効果的処方は見えていないのが現状だから、介護事業主体がそれぞれ工夫を凝らして、厳しい現実の中で人手を確保して事業を継続していくしかない。

このことに関連して今朝の北海道新聞朝刊では、ニッセイ基礎研究所の三原岳主任研究員の、「処遇改善は確かに必要だが、誇りを持って働ける職場づくりも人材確保につながる。」というコメントが掲載されている。(※コメントは記事より一部抜粋。掲載コメント全文ではない。)

その内容は、僕が普段からこのブログなどで主張している内容と同じである。

将来介護の場のリーダーとなり得る人材は、自分の仕事に誇りを持ち人の役に立てる介護サービスの場で働きたいと考えている。介護サービスの品質が高く根拠ある方法論が実践され、顧客に対するサービスマナー意識も高くて顧客から選ばれる職場を求めているのだ。そういう職場環境を創ることで人材確保の勝ち組になれるのである。

しかしそれはとりもなおさず介護事業経営の勝ち組になることでもある。財源不足が懸念されているが、だからと言って国が高齢者の介護を放棄出来るわけがない。それは国が亡ぶことである。制度続こうと変わろうと、高齢者介護に必要な費用はなくならないのだから、給付は続き、それは莫大な金額なのである。事業を継続できれば、この費用を獲得することが可能になるのである。

だからこそ、「介護の誇り」を今一度見つめ直してほしい。

記念すべき介護保険誕生20周年の年に、新型コロナウイルスによる感染症が世界中に蔓延し、日本でもその猛威は止まらず、あの志村けんさんまで命を取られてしまった。何とも悔しい限りである。

介護現場でもその影響は甚大である。マスクや消毒薬が不足する中で、介護事業に携わるすべての関係者は大変な思いをしておられるだろう。

そもそも介護サービスの場は、常にだれかと濃厚接触しなければならない場所である。感染を恐れて接触を少なくするという訳にもいかないのが介護だ。しかしそんな場所から逃げ出さずに日々支援行為に携わるあなたがいてこそ、救われる誰かがいることを忘れないでほしい。

感染予防対策に最大限の注意を払いながら、そこで汗するあなたの存在によって支えられている命と暮らしがあることを誇りに思ってほしい。

今日も介護の場では、様々な高齢者や障がい者の方々が誰かの支援を受けながら暮らしを支えられている。中には看取り介護の真っ最中で、人生の最終ステージを生きている人もいるだろう。そうした人たちを支える一人ひとりの介護関係者が、自分の仕事に使命感と誇りを持って働くことができる介護事業であってほしい。

僕の著作、「介護の誇り」もそんな願いを込めて3年前に上梓した本である。不要不急の外出自粛で、休みの日に家に閉じ籠っている人は、この機会に改めてこの本を読み返して、誇りある介護とはどういうことか、介護の誇りとは何かということを改めて考えてほしい。

この本に書かれている内容にフィクションは一切ない。これは僕がやってきたこと、僕の仲間や後輩たちが今も実践していることである。理想論など存在しない実践論の中に、どんなふうにプライドが存在しているのか、どんなふうに僕多たちの仲間がプライドを見出しているのかを実感してほしい。

特に介護事業経営者の方々は、従業員が誇りを持って働き続けられる職場環境という観点から、この本の中にちりばめられている介護の具体的方法論と、自分が経営する場所の方法論がかけ離れていないかを確認していただきたい。

それは介護の実践論であるだけではなく、事業経営に直結する問題でもあると言えるだろう。
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介護の生産性向上議論に対する疑問


2/19に開催された政府の、「世代型社会保障検討会議」の議題は、「介護サービスの生産性向上について」だった。

そこでは櫻田謙悟議員(SOMPOホールディングスグループCEO取締役代表執行役社長)が、有料老人ホーム等を全国展開している立場から、施設の人員配置について、3:1の配置基準が、実態として2:1になっていると指摘したうえで、将来的には4対1の配置で業務が回るように、デジタルテクノロジーの利活用と規制緩和の両輪による介護現場の改革が必要だと訴えた。

そもそも「生産性」とは、簡単にいえば「いかに少ない力で多くのものを生み出せるか」ということである。人の労力に変わる、「デジタルテクノロジーの利活用」が出来れるだけでも、生産性が上がるわけである。そのために提案されたのは次の5点である。

1.行政事務効率化(全国統一様式による電子申請化)
2.民間事業者が持つデータも含めたビッグデータの利活用によるエビデンスベースの介護報酬体系の構築
3.公的介護の標準品質の確立(ガイドライン策定)
4.規制緩和
5.人員基準の見直し


しかしこの提案を見て、逆に介護現場の疲弊は広がるのではないかと懸念する人もいるだろう。そしてこの提案は、所詮経営サイドの視点に過ぎず、現場サイドの実態も思いもわかっていない提案だと感ずる人も多いだろう。

具体的に問題点を挙げてみよう。

1については、このブログで何度も指摘しているように、事務管理文書をいくら削減しても、介護現場の生産性の向上にも、省力化にもつながらないということだ。(参照:文書負担軽減委員会のあっち向いてホイっぷり

2は最悪である。これはいわゆる自立支援介護といわれるアウトカム評価の報酬体系を求めたものだ。

しかしどんなにビックデータを集めて、エビデンスだと言われるアウトカム評価が可能になったとしても、その意味は国がこれだと決めた結果を介護現場は求められるということでしかない。そこでは国が求める結果を出さねばならないだけではなく、その結果を出したという記録や、そこに至る過程で様々な要件をクリアしたという記録が新たに求められることになり、これらは介護職員等の業務負担になっていく。事務文書が削減されても、こんな形の介護現業文書が増やされるわけであり、そこにあ生産性の欠片も見えなくなる。

3に至っては、サービスの品質の低下そのものである。この背景には、「利用者や家族の過度な要求にも応えなければならない現状が、配置基準より実際の配置人員を多くしなければならない原因となっている。」という考え方がある。

そして公費を投入している介護保険で求められるサービスの質には限界があり、自費利用で求めるサービスの質より低くて当然であるという考え方が見え隠れしている。より良いサービスを求めるなら自己負担利用すべきであると世論誘導しながら、現行のサービスの質を下げて、それに見合った配置人員の削減を認めなさいというものだ。

だが本当に介護保険サービスは、利用者や家族の過度な要求に応えているという実情があるだろうか?

現状のサービスの質のレベルは、世間一般的には、高齢者も毎日入浴しているのに、介護施設や有料老人ホーム等では、週に2回しか入浴させていないという劣等処遇といってよい程のレベルでしかない。(参照:週2回の入浴という基準をどう考えるか

そのような週2回の入浴を改善しようと提案すれば、人がいないからそれはできないという意見が多数派を占めるのが介護現場の実情なのだ。

毎日着替えを行わずに、日中着のまま夜もベッドに寝かされ、着替えは入浴日のみという介護施設さえある。オムツが濡れたまま放置され、決まった時間にならないと変えてくれない介護施設もまだ存在している。食後の口腔ケアもできていないか、おざなりの事業者もある。

そのような品質をさらに下げて、人の配置を削ろうとする考え方を、「生産性の向上」と呼ぶのかということについては大いに疑問がある。

4の規制緩和で何が削減でき、省力化に結び付くのかは、具体的なものが示されていないので論評しようがない。しかし規制を緩和した先に、対人援助として失ってはならない道義上の責任や、介護事業者が持つべき矜持まで失ってしまうことは大いに懸念されるところである。

こうした現場感覚のない提案の先に実現する配置基準4:1とは、介護職員に今より倍の仕事を適当に乱暴にこなせと尻をはたき続ける結果にしかならない。

それによって介護職員は自分の仕事に対する誇りを失い、さらに疲弊し、バーンアウトするか野垂れ死ぬしかない。

こんな生産性向上策とは、介護業界を荒野に変える以外の何ものでもないのである。

そうしないためにはむしろ、経営・管理の専門家が経営管理業務を集約して行う管理センターを創って、経営管理業務のアウトソーシング化を進める方がよいのではないか。

頭の悪い・経営能力のない経営者や管理職が、一番生産性を低下させている原因なのだから、天下りなどの能力の低い経営者や管理職を全部やめさせ、能力の高い経営管理センターが介護職員等が効率よく安心して働けるようにマネジメントするほうが、生産性はよほど高まるだろう。

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食は最大の愉しみだからこそ生きる糧になる


生物は食物を摂取することによって生体を維持している。

人間にとって食事とは体を成長させ、機能を保ち、エネルギーを得るために必要不可欠なものである。そして食事によってこの3つの要素をすべて全うできる状態のことを、「栄養状態が良好に保たれている」という。

そういう意味で、栄養が重要なことは今更言うまでもないことだ。それを否定してはならない。

しかし多くの人は、食事をすることに関して、栄養状態を維持するという動機づけを持っているわけではないし、食事をしないと栄養状態が低下するという危機感を持ちながら生きているわけでもない。

健康な人の大部分は、食事は楽しみのために摂っているのであり、お腹がすくから食事をするのである。しかしそのことは極めて重要なことである。

毎日3度3度の食事が苦行であるなら、人はあっという間に、「生きる動機づけ」を失ってしまうだろう。

食事とは人の最大の愉しみだから、毎日食べ続けることが出来て、その結果栄養状態が保たれるのである。

勿論、飽食の時代であることにより、贅沢過ぎる食事や食習慣は、しばしば人の健康を蝕むこともあり、食事の面からの生活習慣の改善ということも課題となってくる場合もある。しかし食べ過ぎを防ぎながら、偏りのない美味しい食事をとり続けていけるとしたら、人はある程度の期間まで健康で幸せに暮らし続けることが出来るのである。

だから一番大事なことは、食事の愉しみを失わないことである。

様々な病気の終末期は、体が自然と食事を受け付けなくなる。それはもう体が死の準備をして、死に馴染んでいく過程といえるかもしれない。そうであるからこそ、食事の愉しみを感じられる期間を大切にすべきである。

だからこそ人の暮らしに深く介入しなければならない介護を職業にする関係者は、栄養士や調理師ではなくとも、様々な立場で向かい合う人たちの、『食の愉しみ』を失わせない対応を考えていく必要がある。

食事摂取介助が必要な人に対する、その方法論を、栄養が摂れるだけの方法論にしてほしくない。食の愉しみを奪わない方法論、食べられる喜びを感じることができる方法論を常に意識してほしい。

自分が食事介助をいている人に対して、美味しく食事を食べてもらうという意識を失ってしまったときに、食事は単なるエネルギー補給の物体に変わるだけではなく、餌としか言えないものに変わってしまうかもしれない。そんな餌を摂取させられ続ければ、苦しくなるだけの結果に終わることは極めて当然のことであり、そこで人は生きる意欲を失ってしまうかもしれない。生きる意味をなくしてしまうかもしれないのだ。

そうしないように栄養の前に、おいしく見た目も美しい食事提供に心がけてほしい。食の愉しみを刺激し食欲がわく食事作りを忘れないでほしい。

介護保険制度になって、その大切な食事提供が、かつてよりおざなりになってはいないか。自立支援が大事だからと言って、食事摂取能力に低下がある人に対しても、適切な食事摂取支援がされないで自力摂取を強い、その結果、その人にとって食事摂取そのものが苦行になってはいないか。

間違ってはならないのは、食事摂取という行為は、日常を護る行為であって、決して医学的・治療的リハビリテーション機会ではないということだ。食事摂取するという行為を、リハビリに置き換えてしまっては、人の尊厳や権利が奪われかねないという理解が必要だ。

自立が大事と言っても、30分以上かけて食事を摂ってるのは問題である。唾液にはアミラーゼという消化酵素が含まれており、例えばお粥は食べているうちにビシャビシャになる。すると窒息の恐れが増す。なぜなら窒息しないでスムースに嚥下できる食形態とは、指でつぶせる柔らかさが必要だからだ。

お茶碗一杯と、副食三品程度の食事を30分かけても完食できない時、その際に食膳として出されているものはアミラーゼによってビシャビシャになってしまう。そうならなくともそれはもはや食の愉しみを味わうことができるものではない。

お粥は唾液が混ざらないように器を小皿に小分けしよう。食事は適切な時間で食べられるように支援しよう。それは自立支援を阻害しない。

リハビリ機会など別な機会はいつでも取れるのだ。毎日の日常を訓練にするな。

そんなふうに、人が生きる上で大切なことは何かという答えを常に求める、介護人(かいごびと)であってほしい。

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利用者本位の前提に事業者不本意があるわけではない


介護保険制度になったからと言って、介護サービスが社会福祉制度の対象外になったわけではない。

介護保険制度は、社会福祉制度改革・社会保障構造改革の一環として、介護サービスに社会保険方式を取り入れた改革に過ぎないのである。

それが証拠に介護保険法にもこの法律の目的は、「国民の福祉の向上」であると明記している。昔、どこぞの学者が、高齢者介護は介護保険制度に変わったんだから、福祉制度ではなくなったと宣っていたが、それは柔軟な思考回路を失った老学者の思い込みに過ぎないものだった。

介護保険サービス自体も対人援助であり、社会福祉制度の中でのサービスであるという視点を失ってはならないのである。自己責任という斧を振りかざして、制度のルールに疎い利用者をだますような形で金銭を搾取する行為が許されるはずはない。契約行為においても、その点には注意して真摯な対応が求められて当然である。

だからと言って、顧客である利用者のために、サービス提供事業者が「私どものサービスを使っていただいて感謝します」とひれ伏すことが求められているわけではないし、サービス事業者の従業員が、利用者に対して滅私奉公することが求められているわけでもない。

サービス契約は対等であり、その意味は双方が自分の利益のみを主張するのではなく、お互いがそれぞれの立場を慮ったうえで、サービスを利用したり、提供したりするという意味である。

そして保険サービスにおける契約は、税金と保険料を財源とした給付を受ける契約なのだから、そこには当然、負担してくれている国民全体の不利益になってはならないという考え方があって当然である。だからこそ定められたルールを遵守したうえでサービスを利用したり、サービス提供したりする必要もある。それは極めて当然のことである。

利用者の過度なこだわりにも保険サービスは対応していないのである。使う道具の指定や、方法の指定にも対応できない。サービス提供者を、「指名」する制度も現行制度には存在していない。そうした理不尽な要求については、丁寧に説明したうえで拒む必要もあるのだ。

そうした理不尽な要求を拒否する前提には、サービスを直接提供する従業員の側にも、利用者と同様に護られるべき人権や尊厳があるということである。

だからこそ介護事業経営者は、従業員が利用者から理不尽な扱いを受けないかということに常に気を使って、従業員の尊厳を損なうような扱いを受けたらきちんと対応せねばならない。

訪問介護などの訪問サービスでは、相手が要介護認定を受けている高齢者だと言っても、訪問介護員が女性の場合、利用者の力の方が強くて、過度な要求に怯えさせられる場合もある。利用者の自宅という密室の中で、そのようなことを放置しておけば訪問介護なんてできなくなる。

生活援助に対して、掃除の際にそこにあるものが何センチずれていたら駄目だとか、常識外れの要求をする人もいる。そんな要求に応えられないことを説明して、その理解が得られなければ契約を破棄して、サービスを終了させるのは事業管理者の責任であり役割である。その役割をきちんと果たさない事業者からは、いずれヘルパーがいなくなることを覚悟すべきだ。

繰り返しになるが、利用者本人のこだわりは公的支援ができない部分なのである。そこを理解できない人は介護保険サービスにしても、総合事業にしてもそのサービス対象ではなくなる。生活援助のサービス提供者は召使いではないので、その人権と人格を否定するような人に対してはサービス提供はできない旨を正しく理解いただく必要がある。理解しようとしない人は顧客として認められないのである。

どうしても自分のこだわり通りにサービスを提供してもらいたいならば、自分で家政婦を雇用するよう促すべきである。

どちらにしても介護事業経営者は、ケースによっては法律や従業員を護るために、毅然とサービス提供ができないと利用者に宣言する必要があることを理解しておくべきである。

利用者本位とは、事業者の不本意を前提に存在するわけではないのである。両者が本意のサービスが正常な姿である。だからこそ、「契約」という行為が必要とされているのだ。

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知恵を集めた介護事業者しか残らない


厚生労働省が昨年のクリスマスイブの日に発表した2019年の人口動態統計の年間推計で、日本人の国内出生数は86万4千人となった。

この数字は前年比で5.92%減と急減し、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回ることを示している。出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51万2千人と初めて50万人を超え、政府の対策にもかかわらず少子化・人口減が加速している。

つまり日本の少子高齢化は相変わらず振興の一途をたどり、20年後の生産年齢人口も今よりさらに減ることを意味しており、介護事業者にもそのことは色濃く影響してくることは確実だ。

そうであるからこそ国の施策によって介護労働力不足が解消するとことは期待できないと考えるべきだ。地域全体の介護事業者の人手が充足することは考えにくいのだから、人材確保という面での勝ち組と負け組に分かれることは必然であり、どういう事業者に若者が魅力を感じて職員募集に応募してくるのか、どんな職場にそうした人材が定着しているのかを真剣に考えなければならない。

一つ言えることは介護の職業に魅力を感じて就業する人は、きとんと教育すれば人材になる確率が高いということである。

他にどこも採用してくれないから、募集がある介護の仕事でもするかという動機づけの人は、教育の手が及ばない人も多い。そういう人たちと違って、熱い思いを持って介護の職業を目指す人たちは確実に人材として育っていくのだから、そういう人たちの動機づけが護られて、そういう人たちのモチベーションが維持できる職場にしていくことが大事だ。そうすればそこには、さらに介護の仕事に魅力を感じている人が集まってくるのだから、人材が育ち定着するという好循環が生まれる。

だからこそ介護の仕事をしたいという動機づけを持つ人たちにとって魅力のある職場となっていかねばならない。

そんな介護事業者とは、品質が高い介護サービスを提供できる介護事業者であり、そこで働くと高い介護技術が得られる場所である。さらに介護支援を必要とする人の役に立ち、そのことで自身のアイデンティティーが確立できる場所でもある。

自分が働く職場を、そういう場所に変えるためには知恵が必要だ。

知恵のない介護施設では、「人手が足りないから頻繁な着替えの介助はできない。」という。「人手が足りないから、入浴支援は週2回が精いっぱいだ」という。そんなことを言っている介護施設からは今に、「人手が足りないから1日3回も食事提供できない」と言い出す輩が出てくるんじゃないか。全く馬鹿げている。

分業をせずマンツーマン介護を基本とすれば、業務ロスが減り仕事は効率化できる。そもそも分業する場合は、分業する業務の数だけ人がいないと一人のケアもできないが、分業しないマンツーマン介護であれば、一人の職員でカバーできる業務範囲は増えるのである。誰か一人の担当者がいれば入浴支援ができるから、毎日入浴介助することも可能になるのだ。

シフトを工夫してモーニングケアやイブニングケアに人手をかけることもできる。早出が朝食介助の時間から勤務がスタートする必要なないし、遅出は夕食が終わる時間を終業時間とする必要はなく、夕食が終わりイブニングケアが終わる時間までを勤務としても良いわけである。

そのような知恵を使わないから工夫が生まれないのだ。知恵を使って工夫すれば新たな方法論が生まれる。その時必要となる道具をそろえたり、システムを変更したりすることは、事業者全体で取り組むべき問題で、全員が知恵を絞ることで解決できる問題は多々ある。そして必要なケアにお金をかけることはあっても良いわけである。

そうした知恵を生む人材を育てるためには、正しい職員教育が必要不可欠だ。OJTとスーパービジョンはその基本でもある。

OJTとスーパービジョンとコンサルティングの違いを知りながら、それぞれどのように教育システムに取り込んでいくかが問題となるのである。しかしスーパービジョンに関して言えば、そもそもスーパーバイザーになり得る人材を育成しているのかが問題である。スーパーバイザーは経験だけで自然発生しないからだ。

職員が育ち定着するための教育システムは、労務管理の一環として構築していかねばならない。そのためには教えるべき労務が言語化されていなければならない。観て覚えろという、「職人技」はOJTにならないし、一方的にしかりつけてものを教える行為は、スーパービジョンと相反する方法論だ。

そのためにもティーチング(指導する)からコーチング(相手に考えさせる・気づかせる)ができるリーダーを育てる職場のシステムが必要になるわけである。

愚痴をこぼすばかりで、仕事の手を動かさない職場に人材は育たない。愚痴を言う暇があれば、知恵を働かせて工夫をしろと言う労務管理が不可欠だ。

この部分を高い木の上から見て、全体を指揮するのが施設長や管理者の務めである。そのヒントを与えるのが僕の仕事でもある。今年もそんなヒントを伝え続ける予定なので、気軽に声を掛けていただきたい。
知恵


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年末年始の介護事業を支えてくれる人たちの存在


僕は今、羽田空港から新千歳空港に向かうおうとしている。しかし一旦滑走路に向かっていた飛行機のエンジン不良で、整備が必要とのことでターミナルに引き返している・・・。一体どうなっているのか?今日中に家にたどり着けるのだろうか。

本来ならこの時間は、今年最後の東京での仕事を終え、年末年始は自宅で過ごすために北海道に向かっているはずであったのに、年末のこの時期に予想外のハプニングである。

仕方ないのでブログ記事でも更新しながら待つことにしよう。
※今アナウンスがあり、エンジンそのものではなく、エンジンスタートシステムの不具合とのことで、これから整備に1時間ほどかかるとのこと。乗客は全員機内で待機しながら、整備が終わって離陸するのを待つとのことだ。

今回の上京では、世田谷で講演を行ったほか、出版社との打ち合わせも行って、来春出版予定の新刊本の最終アウトラインを設定し、3月にも上梓できる予定を立ててきた。皆様が買いやすいように、できるだけお手頃価格にして出版したいと思うので、春までお待ちください。

今後の僕の予定としては、1/8〜長崎県での4市6講演から仕事始めとなるが、それまで自宅で過ごす予定である。

とはいっても年明け早々に連載原稿の締め切りがあるし、これから仕上げにかからねばならない1月中の講演スライドも複数あって仕事納めはまだ先である。一家の主としてしなければならない家の大掃除等も全く手を付けていないので、明日・明後日はそちらに力を注がないと家族から冷たい視線を浴びそうだ。

そのため完全休養となるのはおそらく大晦日以降だろうと思っている。

元旦は毎年妻の実家にお邪魔することになっているが、そのあとはせめて正月2日と3日の箱根駅伝は、自宅で酒でも吞みながら完全視聴したいと思っている。

ところで今回の年末・年始は暦の並びが良くて、明日から休暇に入って9連休という人も多いそうだ。

僕が以前勤めていた社福や医療法人は、31日から正月3が日までが年末・年始の休暇だったので、とてもそんな長い休みとはならないが、それでも新年1/4が土曜日なので、31日から5日までの6連休となるような暦の並びとなっている。

しかしそれはあくまで事務系職員だけの話で、シフト勤務の介護職員等にとっては関係のない話である。

毎年この時期に思うことではあるが、世間の暦に関係なく働いてくれる従業員の皆さんがいるからこそ、事務系職員等は休みが取れるとも言え、シフト勤務者は休みをとれる職員にいくら感謝されても、され過ぎということはないと言ってよいと思う。

しかもこの時期の介護施設等は、シフト勤務者が幾日かでも休みを取れて、少しだけでも年末・年始の気分に浸ってもらうために、できるだけ少ない人数でシフトを組むことが多い。そうであるがゆえに勤務している職員には平常より多くの負担がかかることになりがちである。そんな勤務を、「自分が休みの時もあるので、お互い様です」と言って、文句ひとつ言わずに働いてくださる方々がたくさんいるのが介護事業の一面でもある。そのような人たちに感謝の気持ちを忘れてはならない。

そういう人たちの存在によって介護事業は支えられているが、そんな人たちの存在は、介護支援を求めている人たちにとっても必要不可欠な存在であることは、今更言うまでもない。様々な事情で介護支援を必要とする人にとって、介護支援そのものが命綱であり、それは1日たりともおざなりにしてよい行為ではなく、介護支援を休みなく届けてくれる人そのものが命綱といってよい。

介護従事者にとって、それは仕事だから当たり前だろうという前に、そのような人の命と暮らしを護る行為を職業としてくれている人たちに感謝したいと思う。

世の中にはもっと楽にお金を稼げる職業はたくさんあるのだ。介護事業者で働く人が稼ぐ程度の収入ならば、別の多くの職業でもそれと同等程度の対価が得られるのも事実だ。そんな中で介護という職業を選んでくれている人たちに感謝してはならないわけがない。

対人援助の仕事以外でも、暦に関係なく働かねばならない職業はたくさんあるが、そのような職業に就いている人の中にも、自分の家族が年末年始に関係なく介護サービスを利用できることで、自分も仕事に出られるという人も多い。そういう人たちにとっても介護支援は必要不可欠な社会資源だ。

いうなればこの時期に暦に関係なく介護の職業に従事している人たちによって、この社会も経済も支えられているという一面があるのだと思う。そういう人たちが特定加算等で給与が上がることは良いことだと思うし、それを他の職種の人が妬むのもどうかしていると思う。

そういう人たちの待遇がもっと優遇される社会となることを望む。

しかし介護サービスの場において表面化する虐待や不適切サービスが、氷山の一角であるというふうに思われるのであれば、介護という職業に多くの対価を手渡すことに国民は反発するだろう。

だからこそ利用者の生活課題を解決して、それらの人々の暮らしが豊かになるという、「結果を出す介護」を創り上げていかねばならない。

介護職をはじめとした関係者の待遇がもっと良くなることを、すべての国民が認めてくれるように、スキルの高い人材を育てていかねばならない。そのためには根拠ある高い介護技術を持つ対人援助の専門家が、マナーと節度を持ったサービスに徹するようにしていく必要がある。

そのことに気が付いていない人の目を覚まさせる活動を、僕は来年も続けていくつもりだ。

そんな場所に来年もたくさんの方々が訪れてほしい。志を高くする仲間がつながっていく先にあるものは、決して他人の幸福のみならず、介護を職業としている人自身の幸福でもあるのだということを信じてほしい。

そのためにこれからも、本物の介護の方法論を共に語り合いましょう。

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大人が愉しむイベントを考えてください


令和元年のカウントダウンが始まり、今日はとうとうクリスマスイブである。

今日は介護事業者においても、クリスマスのイベントを行うところが多いだろう。今日それが行われなくとも、すでに行ったとか、明日行うという事業者もあるはずで、総じて介護事業者で、クリスマスという日を無視して、粛々と通常影響だけに精を出すというところは少ないのではないだろうか。

もともとクリスマスを祝う文化は日本にはないなんて言っている人がいるが、僕らは生まれたころからクリスマスは一大行事である。ケーキを食べ、ごちそうを囲んで祝い、夜寝た後に枕元にプレゼントが置かれているのが当たり前のことであると同時に、それが最大の愉しみでもあった。

ということは少なくとも僕らにとっては、クリスマスを祝うことも立派な文化であり、欠かせない季節行事である。僕たちの親の世代であれば、それは人生の途中から根付いた生活習慣であったかもしれないが、親として子供にクリスマスを愉しませるのは当たり前の習慣になっていたはずだ。

だから介護施設や居宅サービス事業所で、クリスマスのイベントを行い、利用者の皆さんを愉しませることは良いことだろうと思う。大いにこの日を祝い、イベントを愉しんでほしい。

しかし同時に、クリスマスのイベントを企画する事業者が、子供を対象としたサービス事業ではなく、高齢者を中心とした大人を対象とした事業であるならば、そこで楽しむイベントも、大人が愉しむものであるという感覚を忘れないでほしい。

望みもしないのに、利用者の頭にサンタの帽子をかぶせて、クリスマスソングを歌わせるなんて状態のおかしさに気が付いてほしい。

巷でクリスマスイブの日に、頭に帽子をかぶってジングルベルを声高に唄っているのは、酔っ払いのおっさんだけである。

家庭でクリスマスを祝う高齢者は、ごく普通の格好で食卓を囲んで、料理と会話を楽しんでいるが、そこでクリスマスソングを歌って楽しみなんて習慣を持つ家庭はほとんどない。

ましてや画用紙で作った円柱形の帽子をかぶらされている人はいない。それも泥酔して恥ずかしさを感じなくなった酔っ払いの所業でしかない。

チーチーパッパでお茶を濁す行事は、大人が愉しむ行事ではないし、それは場合によって人権侵害にさえつながりかねない。利用者が望んでもいないのに、派手な化粧をさせ、恥ずかしい格好をさせて楽しんでいるのは、利用者ではなく従業員であったりする。しかもその愉しみとは、人を馬鹿にした愉しみである。それこそが恥ずべき行為であることに気が付いてほしい。

認知症の人であっても、その人の背中にはその人の歩んだ人生があり、その背中を見つめて歩き続けている家族がいることを忘れないでほしい。そういう人達の人生を敬い、家族を思いながら行事を企画してほしい。

行事と称して、自分の親が子供のように扱われている姿を見て、柱の陰で泣いている家族がいるような状態を作ってはならないのである。だからこそ大人が愉しむことができるハイセンスなクリスマスパーティーを、真剣に考えてほしいのである。

同時に心の片隅に、少しだけクリスマスを祝うことができない人々がいるということにも思いを寄せていただきたい。(参照:ジングルベルの音が届かない場所 ・ 聖夜に光を

いろいろな人達が、いろいろな境遇の中で生きるこの国で、対人援助という仕事に関わっている僕たちに、いったい何ができるだろうか。そんなことを慌ただしい時間を過ごす中で、ほんの少しだけ考えてほしい。

そんなことをふと考える人が一人でも増えていくだけで、新しい年のこの国は、きっと良い場所に向かっていくことができるのではないだろうか・・・。

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行事って誰のため?なんのため?


今年も12月の半分を終え、巷はすでに年の瀬ムードである。

この時期になると介護施設や、通所介護などの居宅サービス事業所では、年末の行事が目白押しとなる。介護事業を利用する皆さんに、年末気分を味わってもらうように、クリスマスや忘年会といった行事を企画することが当然だと考える関係者は多いと思う。

しかしその行事は、本当に顧客である利用者のためになっているだろうか。利用者のための行事と称して、実際には職員側の目線からしか企画されていない行事が存在していないだろうか。

高齢者を対象にするサービス事業のお客様はすべて大人である。そのことを忘れているかのような行事が企画されていないだろうか。認知症のために子供のような言動をとる方がいるとしても、その方々の背中には、その方々の歩んだ人生が積み重なっており、その方々を大切に思う家族の思いが乗っかっている。

そのような方々に対して、チーチーパッパの行事を繰り返して、高齢者やその家族の尊厳を損ない、思いを打ち壊していないかということを考えてほしい。

特養やグループホームでは、クリスマスパーティーと称して、利用者に紙で作った先っぽがとんがった帽子をかぶらせて、ジングルベルを唄わせているところがある。

世間一般的に見ると、それは異常な光景だ。一般家庭で高齢者がクリスマスにそんな紙で作った帽子をかぶってクリスマスソングを歌うなんてことはあり得ない。そんな文化や生活習慣があるわけでもないのに、介護事業者の中では、その異常な光景が当たり前のように作られている。

その光景は大人である高齢者の方々を見下し、子ども扱いする姿にしか見えない。そのことに気がつかない人がいるのは何故だろうか・・・。

サンタクロースの赤い帽子を、認知症の人にかぶらせて、クリスマスケーキを食べさせている光景も同じである。幼稚園児に対するようなことをして、喜んでいるのは利用者ではなく、従業員である。そんな行事は百害あって一利なしだ。

重度の障害を持ち、認知症の症状がある人であっても、その人が歩んだ人生に敬意を寄せて、もっと大人として楽しむことが出来る企画力が必要だ。人を楽しませるためには何でもありとしてしまって、子ども扱いも許されるとしてしまえば、我々の本来の目的が対人援助であり、生活支援であることが忘れ去られてしまう。

対人援助の価値前提は、「人間尊重」であり、子供は子供としての尊厳、大人は大人としての尊厳を護り抜くことである。それを忘れてしまっては、イベントは人の心を傷つける、「(やいば)」に変わりかねない。そのことに対する配慮を欠いてはならないのである。

認知症の人を、「馬鹿呼ばわり」して、顧客である利用者を、「お前」と呼んでいた特養は、そのような状態に陥るまでに、なるほどと思える経緯を経て、感覚麻痺が広がっていった。当初利用者を名字にさん付けで呼んでいたルールが守られなくなって、利用者を、「ちゃん付け」で呼ぶ職員が現れたことをきっかけに、やがて利用者をニックネームで呼ぶ職員さえ出てきて、利用者がどんどん見下されていった。

その結果、自分にとって気に入らない行為をとる利用者を、平手で叩くような職員も現れ、その姿が隠し撮りビデオによって、世間の目にさらされた。その動画を見た世間の人は、その恥ずべき醜い姿に、驚きと吐き気を覚えた。そんな姿になりたい人はいないはずだ。だから感覚麻痺は怖いのである。

大人に対する配慮を失った行事も、同じように感覚麻痺の産物と言えるのだ。そんなことが求められていると勘違いされた場所では、日常的に人権が侵害されていくだろう。そうならないように最大限の配慮をもって、大人が楽しむことが出来る行事を企画してほしい。

それとともに非日常の行事のために、日常を壊さないようするということを忘れないでほしい。介護サービスの場で何より大事なことは、日常のケアそのものである。行事のために排泄ケアなどがおざなりにされ、利用者の暮らしに支障を来す状態は許されないのである。そんな状態は利用者にとって迷惑であるだけではなく、生活障害そのものになっているといって過言ではない。

行事は日常生活に潤いを与えるためであって、日常ケアに上乗せされるものでしかない。そんな行事のために、日常の何かが失われてはならないのである。

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