masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

社会福祉士

資格が仕事をしてくれるわけではない。


厚労省が介護福祉士か精神保健福祉士の資格を持っている人を対象として、社会福祉士の養成課程で必要な実習(240時間)を最大で60時間免除できるようにする方針を示した。

それに対して、「社会福祉士の資格を軽んじるものだ。」と批判する関係者がいる。馬鹿かと言いたい。

今回示された実習免除とは、受験資格を得る過程で共通している部分、つまりダブっている部分をカットするだけであり、すでにスキルとして持っているという前提部分が免除されてるだけだ。そのような免除で社会福祉士の資格が軽んぜられると思う方がどうかしている。

そもそも養成課程の実習過程がすべて必要だったのかという議論があって、無駄な部分はいたずらに受験者負担にすべきではないという考え方があって当然だ。なぜなら受験資格を得た人が必ず資格を取れるわけではなく、そのあとに国家試験というハードルもある。しかもその合格率はさほど高くなく、間違いなく介護支援専門員より高いハードルになっている。

社会福祉士になるためには、きちんと勉強して、それなりの知識を得なければ合格しない国家資格なのである、受験資格を得るための実習免除程度に、その資格の価値が左右されるようなものではないのだ。

そもそも、「資格は仕事をしてくれない!!」のである。

社会福祉士として使える人材になるかどうかは、資格を得た後にどれだけ勉強するかによって左右される問題であり、実務スキルが問われてくるのである。よって今回示された実習免除方針に目くじら立てる必要はない。

このことを批判している連中の欠の穴が小さすぎるという問題である。

むしろ働きながら社会福祉士の資格を取ろうとしている人にとって、仕事を休んで実習をしなければならないということは大きなハードルであり、そのために資格取得をあきらめてしまう人も多い。そういう人たちの中には、社会福祉士として大きく成長できるようなスキルの人がおり、そういう人たちが今回の免除措置で、少しでも負担感が減って受験してくれるようになれば、社会福祉士という資格者全体のスキルアップにつながろうというものだ。

この免除に目くじらを立てて、そのことを批判的にしか見ることができない欠の穴の小さい輩と、免除過程を経て資格を取得した人が、対人援助というステージで競って仕事をすれば、少しはこの国の社会福祉援助スキルが上がろうというものである。

我が国の現状は、少子化が止まらず進行する超高齢社会の中で、多死社会と人口減少社会というたくさんの困難が発生する。税源が不足する社会保障部門では、医療から介護への付け替えが進み、暮らしの場に医療が深く食い込んでくる。

よって社会福祉援助の専門家には、今以上の深い医療知識も求められてくるわけである。

そんなふうに社会福祉の領域は、かつて人類が経験したことがないほど困難で不透明な課題に向かっていかざるを得ないのである。だから人材は、できるだけ広く求める必要があるし、漫然と資格を有していることに胡坐をかいている輩は退場していただいて、資格を持った人の中でも、「仕事ぶりで競う」という現象が起きたほうが良いのである。

実習時間の免除方針にぐたぐた文句を言っている暇があったら、もっと自分を磨く努力をしなさいと言いたいところである。

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つなぐ人


人が生きていくということは、1日1日重たいものを背負っていくという意味なのかもしれない。

少なくとも、人は苦しみや哀しみと無縁で生きていくことはできない。そして望まないとしても何らかの罪を抱えて生きていかねばならない。それは法律を犯すという意味ではなく、知らず知らずのうちに誰かの心を傷つけてしまうことを含めてのことであり、自らとてその例外ではない。

高齢者介護施設には、何十年もの人生の重みを背負った人々が暮らしているのだから、その人たちの背負ったものも様々である。

それぞれの生きてきた過去を振り替えて、よい人生だとか、悔いある人生だとか評価したとしても、それはあくまで相対的なものに過ぎず、それこそ様々なことがそこまでの暮らしに引き起こったことだろう。僕たちソーシャルワーカーは、そうした暮らし全体に介入せざるを得ない職業だ。果たして50歳の半ばを過ぎたばかりのこの僕が、様々な重たいものを背負った人に人生に介入してよいものだろうか。そんな風に迷いつづけるのも、僕らの職業の宿命でもある。

そうしたときに常に考えていることは、ソーシャルワークのもっとも大事な役割とは、「つなぐ役割」だということだ。

人と社会を、人と社会資源を、人と人とを、そして心と心をつないでいくのがソーシャルケースワークの醍醐味である。

ソーシャルワーカーは審判者ではない。審判することなく、つなげていくことが大事だ。

専業主婦だったAさんには、自分が生んだ二人の娘が居られる。しかしその娘を始めとして、誰一人彼女に面会に来る人はいない。

Aさんには思い出したくない過去がある。専業主婦だった30代だった頃、彼女の心に悪魔が忍び込んだ。夫以外の若い男性に心を奪われたAさんは、家庭も家族もみんな捨てて男の元に走った。二人の娘はまだ小学生だった。失踪したAさんは、それから3年後に、生死不明であるとして離婚が成立したが、それは彼女にとって元家族との絶縁を意味していた。

家族が、Aさんの所在を知ったのは、それからさらに数年後のことだ。一緒に失踪した男との別れ話がもつれ、包丁で男の腹を刺したAさんが逮捕されたニュースが、小さな街に流れた。もう無縁だといっても、世間の冷たい視線は、Aさんの元家族にも向けられ、二人の子供は多感な時期に、つらく悲しい思いをした。

そういう子供たちにとって、Aさんは愛すべき母親ではなく、憎しみの対象でしかなかった。Aさんも、そのことを十分理解しているから、決して子供に会いたいとは言わなかった。

僕たちソーシャルワーカーは、そういう重たい過去も、複雑な家族関係もすべて知ってしまう立場にある。

そのときに僕たちは、過去の罪を背負った人の、その重たさは罪滅ぼしであるとして、何もせずにいてよいのだろうか。

この世に生きている血のつながった親子同士が、罪深い別れの日から何十年もの時が経っているのに、憎しみ、恨みの感情だけを持ち続けてこの世から消えていくことでよいのだろうか。僕はそう思わない。傍観者でい続けるなんてことは、僕にそんなことはできない。

それは罪深さを背負ったAさんのためだけではなく、血を分けた実の母親を恨み続けて拒み続ける子供のためでもあると思う。

僕たちソーシャルワーカーは、過去の人の罪を審判することなく、今ある状態で、人としてこれから生きるために、人としていつか死んでいくときのために、何が必要かを考え、できればこの世に縁を結んだ人々のわだかまりを解いて、冷え切った心さえもつなげていく役割が与えられているように思う。ソーシャルワーカーとはそういう存在だ。僕はそう信じている。

いつかこういうケースにも、どこかできっと光が差して、ぬくもり生まれることを信じて、おせっかいを真摯につんでいく覚悟である。

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ソーシャルワーカーの旬はまだ先だ


新天地の仕事で一番苦戦しているのは、利用者の名前が覚えられないということだ。

毎日コミュニケーションを交わして、覚えようと努力しているのであるが、100人の利用者の顔と名前がなかなか一致しない。自分が入職以前からいる人の名前が覚えられないのである。

しかし4月以降に、自分が業務の中で関わって入所した人については、その顔と名前を覚えることにl苦労することはない。

この違いは何かというと、記憶の回路の違いだろうと思う。仕事で関わった人の名前は、「手続き記憶」として脳内に残るが、そうでない人々の名前を覚えるということは、「意味記憶」として脳内に残すものなので、なかなか覚えられないということなのではないだろうか。

この記憶の回路については、認知症の人の残される記憶という部分でも、過去に記事を書いているところである。(参照:記憶を失っても、感情が残される理由

どちらにしても、ソーシャルワーカーが利用者の顔を分からないでは話にならないので、意味記憶もしっかり保持したい。

ソーシャルワーカーのスキルのひとつに、記憶力というものが挙げられても良いのかもしれない。それは利用者の顔や名前を覚えるというだけではなく、利用者自身のエピソード、利用者の家族の顔や情報などの記憶が大事である。

様々な場面で調整役を担うソーシャルワーカーは、特に人間関係調整の場面では、たくさんのエピソード記憶を酷使することによって、よりよい援助ができるというものだ。

人の悲しみを覚え、人の苦しみを覚え、人の喜びを覚えることによって、初めて人の感情に敏感になることができるからだ。この敏感さが、「個別化」の第一歩でもある。

そういう意味では、記憶・記銘力が低下しつつある年齢の僕は、ソーシャルワーカーとしてのスキルの低下をどのように防いでいくかが問われてくるのかもしれない。

だからといって、自分がソーシャルワーカーとしての旬を過ぎたとは思いたくはない。記憶力の低下を補って余りある経験と、人間力が備わってくる年になったと考えたい。そういう人になりたい。

その人間力の中には、利用者を人として愛しむ、愛情の発信力というものも含まれていると思っている。

愛情だけでソーシャルワークは展開できないが、愛情のないソーシャルワークは空しい。それはソーシャルワークの名をかたった絵空事に過ぎなくなると思う。

医療機関のソーシャルワーカーと称する人の一部には、愛を感じない人がいる。そこで行われている行為は、退院支援と称した、強制追い出しである。僕たち」介護施設の」ソーシャルワーカーも、その渦に巻き込まれて、困ることがある。

退院させるということは、大切な支援行為になり得るし、そこではソーシャルワーク援助技術が求められるだろう。しかしそれが退院させられる人の状況を無視して、医療機関の一方的な都合で、別の行き場所に追いやるのなら話は別である。

ソーシャルワークには常に、基礎知識と高い倫理観と、人間愛が必要なのだ。青臭いといわれようが、人の命や暮らしに関わる専門職が、愛情というエッセンスを失ったときには、この世は暗闇に覆われるだろう。それほどソーシャルワークは、人にとって大事なものだと、自分に言い聞かせながら日々研鑽している。

僕たちが対称にしているのは、一人一人の心ある人間なのだ。喜怒哀楽の感情を持つ人に、愛情を持って寄り添うのがソーシャルワークである。

そのことは時代が変わっても、変化するものではなく、ソーシャルワーカーが、普遍的に抱くべき思いである。

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人として


今、青森に向かうため新千歳空港にいる。いつもはブログ更新を休むことの多い祝日であるが、飛行機の乗り継ぎ時間があるので、時間を持て余しており、思いつくままに短い記事を書こうかなと思ってipadを取り出したところだ。

今日の午後から、青森県社会福祉士会が主催する「2012ソーシャルワーカーデーinあおもり」のイベントの中で、「これからの社会福祉士および相談援助職に求められていくもの」というテーマで記念講演を行い、それが終わったらとんぼ返りで北海道に戻ってくる予定である。

ソーシャルワーカーデーとは、日本社会福祉士会をはじめ、社会福祉関係17団体が加盟するソーシャルケアサービス従事者研究協議会が、ソーシャルワーカーの社会的認知を高めるために、2009年から「海の日」を「ソーシャルワーカーデー」と定めたものだ。

そのため、この日は全国各地で「ソーシャルワーカーデー」としてのイベントが行われ、北海道でも北海道社会福祉士会主催のイベントが行われる予定であるが、北海道社会福祉士会からお呼びのかからない僕は、青森の社会福祉士会主催のイベントにお呼ばれして向かうというわけである。

場所は、青森市のアピオあおもりである。特別なことを話すつもりはない。僕が普段うちの施設で相談援助職に求め、実践していることを話すだけである。細かな内容は会場で受講者を目の前にして、そこの空気を感じてから自分の中にわき上がってくる感情から言葉を探すのが僕のいつものやり方だ。

ただ基本線としては、サービスの現場での相談援助職の役割として僕が基本として考えていることとして、「ソーシャルワーカーとしての相談援助職とは、現場において、蟻の目と、鳥の目との両方の視点から現場のサービスをチェックできる存在」であるということは示してこようと思っている。

だからそのためにも僕は、相談援助職に就くものが、介護職員と同じことを出来るというスキルは大事だが、同じ業務を行っている状態は好ましくないと考えており、そのこともお話ししてくる予定である。

そして具体的な役割から考えるソーシャルワーカーの立ち位置とは
・ソーシャルワーカーとして、利用者に寄り添う存在(施設も在宅も同様)
・ソーシャルワークとは、人の生活上の困難を捉え、介入し、調整し、生活課題の解決を図る役割
・人間だけに問題があるのではなく、人と環境が交互に影響を与え合う生活モデルの視点
・治療よりも援助
・援助者中心より利用者中心


であると考えている。このことを具体的に示すと共に、そうした立場から、頭脳としての役割を持つソーシャルワーカーが中心となって作り上げるべき、「ケアサービスの姿」というものを具体的に話そうと思っている。

もちろんそこには、社会福祉援助の専門家としての基礎知識や基本姿勢や専門技術が必要なことは言うまでもないが、その前に「人」として決して失っていけない基本姿勢があるのだろうと思っている。そのことはつい最近、フェイスブックの方に少し書いておいた。その記事を下記に転載して今日の記事の締めとしよう。

(しあわせについて)
マザーテレサの言葉の一つに、「わたしたち一人一人が、自分の玄関の前を掃除するだけで、全世界はきれいになるでしょう。」というものがある。

僕にできることは限られているけど、僕できることをひとつずつし続けることで、少しだけ変わるものがあるはずだ。そうであれば、僕は世界中の人が少しだけ今より幸せになることができるように、せめて自分たちの目の前にいる人々を幸せにするために生きたい。

そしてその輪を広げていきたい。そのために誰かの赤い花になろうという呼び掛けに賛同してくれる仲間を増やしたい。
幸せ


(愛について)
人が人を幸せにすることは、そんなに難しいことではないんだよ。その人を人として愛するだけでよいだけだから。

でも人が人を傷つけることは、もっと簡単だよね。自分の心を歪めて、人を憎めばよいだけだから。

でも人は人を愛する時に美しくなれるんだ。心も顔もね。
人は人を憎む時に醜くなってしまうんだ。心も顔もね。

どうせ限られた時間をこの世で過ごすときに、美しく存在していたくないかい。だってそのほうが幸せになれるだろう。
愛する人でいてください


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日本社会福祉士会は単なる利権団体に成り下がったのか?


5/29に書いた「認定社会福祉士はなぜくだらないか」という記事に、6/11に「失意失望茫然自失」さんというHNの方から、次のようなコメントが送られてきた。

『独立型社会福祉士の道がこの認定社会福祉士、認定上級社会福祉士創設によって閉ざされました。日本社会福祉士会のホームページの下部に、独立型社会福祉士委員会というのがあり、これをクリックして、独立型社会福祉士名簿登録制度というのをクリックすると、2013年度から名簿登録制度が変わります。というのが出てきます。これをクリックすると、独立型社会福祉士の名簿登録制度の見直しについて、という中間報告書が公開されていますが、これには新名簿登録要件として第2項に認定上級社会福祉士であること、とあります。認定上級社会福祉士になるには、当然ですが社会福祉士国家試験に合格し、社会福祉士登録を終えて、指定施設及び職種に準ずる業務において相談援助実務経験が5年以上経過し、認められた機関での研修を受講して、認定社会福祉士になり、更に5年以上、認定社会福祉士として実務経験を指定施設及び職種に準ずる業務をなし、認められた機関での研修を受講して、定められた実績があり、基準を満たした論文発表又は認められた学会における学会発表をし、なお、試験に合格することで、認定上級社会福祉士になる審査がしてもらえ、これに通れば、認定上級社会福祉士になるという流れになります。国家試験登録後、認定社会福祉士の取得要件期間を合わせて、最短10年以上経過して取得できるものです。こんなに時間とお金と実績と勉強(大学院の修士いや博士課程クラス?)をして、得られるものは、独立型社会福祉士名簿の登録ということです。そもそも、独立はその成功も失敗も自己責任のはずです。資格取得後の独立という当然にして従前からの権利を、このような形で制限されていい訳がありません。しかも周知期間もなく、これまでの独立型社会福祉士養成研修は今年度12月が最後のようです。こんなことがあっていいのでしょうか。』

この意見には100%賛同する。特に、「そもそも、独立はその成功も失敗も自己責任のはずです。資格取得後の独立という当然にして従前からの権利を、このような形で制限されていい訳がありません。」という意見を、日本社会福祉士会は重く受け止めるべきである。

社会福祉士という資格は簡単に取得できる資格ではない。国家試験であり、合格率も低いし、介護支援専門員試験等と比べると試験問題の難易度もかなり高い。付け焼刃の勉強で合格できるような試験ではない。

そういう試験を受けて合格し、資格を得た社会福祉士が、その後10年経たないと独立型社会福祉士として名簿登録できないという位置に貶めているのが新資格=社会福祉士の上級資格の創設の意味である。

そしてこのことは認定社会福祉士と認定上級社会福祉士という資格が、あきらかに社会福祉士より上位資格として位置づけられていることを証拠立てるものである。

一般市民の今後の意識は、上位資格のある社会福祉士を現在より低い位置に見ることになるだろう。それもこれだけ色々な資格が乱立するのであるから、かなりわかりにくい形で相談援助の専門職を捉える状況を作る。これは必然の結果である。

社会福祉士会という、社会福祉士のスキルを担保し地位を高めるべき職能団体が、その基礎となる社会福祉士という資格の地位をこのように貶めてよいのか。何か方向性がちがっていないか。

空知のとある特養の僕の知り合いの「君」も、この資格創設の委員会に関わっているよな。あんたこのことについて、きちんと社会福祉士会会員に説明してきたのか?今後この意味を説明できるのか?僕は君がこんな活動に疑問も持たずに関わっていることを残念に思うぞ。

新資格創設の経緯は、冒頭部分でリンクを貼った記事に書いているように、これは現場の声から生まれた資格ではなく、国主導の考え方に基づくものだ、そこに社会福祉士会という職能団体が手を貸して、社会福祉士会の中に専門の検討会を設置したものである。

その理由の一つとして、新上級資格は、社会福祉士会等の特定の職能団体に所属する会員しか認定されない、という会にとっての「アメ」があるからだ。

しかしこの「アメ」の実態は、「毒饅頭」である。この資格によって社会福祉士という基礎資格は軽んじられ、その地位は貶められることは間違いない。社会福祉士の有資格者にとってそれは大打撃であるということを自覚していない有資格者が多いのには幻滅の思いがある。

職能団体の利益を優先したことにより、一番大事な個人の国家資格というものを貶めたというのが、今回の一連の社会福祉士会の動きである。それは、日本社会福祉士会は単なる利権団体に成り下がったとしか思えない結果である。

本当に社会福祉士や社会福祉士会の会員は、このこと「改正」だと思っているのだろうか。そう考えている人がいるとしたら、それはずいぶん「オメデタイ」人である。

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認定社会福祉士が何故くだらないか

今年度から日本社会福祉士会など7団体でつくる「認定社会福祉士認証・認定機構」(橋本正明・運営委員長)が、認定社会福祉士と認定上級社会福祉士の認定を開始する。

それぞれの資格とは以下のとおりである。

認定社会福祉士
社会福祉士及び介護福祉士法の定義に定める相談援助を行う者であって、所属組織を中心にした分野における福祉課題に対し、倫理綱領に基づき高度な専門知識と熟練した技術を用いて個別支援、他職種連携及び地域福祉の増進を行うことができる能力を有することを認められた者をいう。

認定上級社会福祉士
社会福祉士及び介護福祉士法の定義に定める相談援助を行う者であって、福祉についての高度な知識と卓越した技術を用いて、倫理綱領に基づく高い倫理観をもって個別支援、連携・調整及び地域福祉の増進等に関して質の高い業務を実践するとともに、人材育成において他の社会福祉士に対する指導的役割を果たし、かつ実践の科学化を行うことができる能力を有することを認められた者をいう。

このことについて以前僕は、「何のための専門社会福祉士だか・・・。」という記事を書いて、新たな民間資格創設に否定的な立場から論評したことがある。

しかしこのことに関して「上級資格なんていうからおかしくなる」「新しい資格はソーシャルワーカーに序列を持ち込むものではない」「質の担保のために勉強しなさいということ」と反論する馬鹿がいる。

はっきり言ってこうした意見しか吐けない連中は、認識に欠ける傍観者でしかない。

「認定社会福祉士認証・認定機構」は新しく認定する資格を、「実践能力の高い社会福祉士の上級民間資格」と明言しているのだ。明らかに序列として、社会福祉士は新設資格より下位に置かれているのである。

しかもこの資格は特定の職能団体に所属する会員しか認定されない。スキルを高める勉強をしている個人であっても、職能団体の正会員ではない限り認定されないのだ。どこかのお馬鹿がいうように「スキルを高めるために日頃から勉強しなさい」っていう呑気な意味だけではないってことだ。

しかし最大の問題点は、そんなところにあるんじゃなくて、この資格創設の経緯にあることになぜ気がつかないのだろう。

もともとこの資格創設については、07年の社会福祉士及び介護福祉士法の改正の際に、附帯決議に専門社会福祉士の創出が盛り込まれたことに端を発している。

この決議を受け、専門社会福祉士認定制度の在り方が「専門社会福祉士研究委員会」で検討され、専門社会福祉士は分野を超えて「社会福祉士及び介護福祉士法の定める相談援助を行う者であって、福祉についての卓越した技術を用いて、倫理綱領に基づく高い倫理観をもって個別支援、連携、調整及び地域福祉の増進等に関して質の高い業務を実践するとともに、人材育成において他の社会福祉士に対する指導的役割を果たし、かつ実践の科学化をおこなうことができる能力を有することを認められた者をいう」と定義されたものなのだ。

つまり新設資格は、法律の付帯決議という形が発端であるから、政治主動の決議に基づいているものだが、そこに至る経緯から見ると、付帯決議につながるまでに国(厚生労働省)の強い意志を感じざるを得ないものだ。

このことに関連するので紹介しておくが、「第2回介護支援専門員の資質向上と今後のあり方の関する検討会」の中で、日本福祉大学の野中構成員が、資格と制度との関係について次のように述べている。

「ケアマネジャーにとって一番不幸なのは、日本のケアマネにとって一番不幸なのは、日本では医師とか看護とかは技術があって、あとから制度的に制限されてきたというか、制度が出来たわけですが、ケアマネの場合は技術が出来る前から制度が出来てしまったので、何かおかしなことに厚生労働省がケアマネジャーを指導しているわけですね。これは無理です。医師を厚生労働省は指導できません。で、医師を評価するのには、医師が、医師同士が評価するってのは可能ですけれども、厚生労働省が医師を評価しはじめたら、これは技術が荒廃をしてしまいますよね。この辺のそもそも論が少し欠けていたんではないかなというふうに思います。」

このことは極めて重要な視点なのだ。社会福祉士という資格が、どういう経緯で、どのようなプロセスを経て誕生したか思い出して欲しい。

社会福祉士という資格も、現場でソーシャルワークを実践する社会福祉援助の専門家の実践の積み重ねがあって、そうした援助技術を持った人を専門国家資格として認めさせようというソーシャルアクションが生まれたことに端を発している。しかしその資格創設には茨の道があって、そうした国家資格ができると、既存の専門職の職権が狭められたり、専門職に対する人件費支出がより高額になったりすることの懸念からたくさんの抵抗勢力・反対者などにより、様々なかたちで妨害活動が展開されるなどしたが、紆余曲折があって、業務独占ではなく名称独占資格として国家資格化が図られたという歴史と経緯がある。

つまり社会福祉士も技術があって制度化されたもので、それゆえに専門職としての独立性を得て、国の評価によりその援助技術が揺れるような立場にはなっていないのである。名称独占の資格であるのに、遅々としたあゆみではあるが確実に、その資格によって就業できる場所も増えてきている。

しかるに、社会福祉士の上位資格に位置づけ新設される認定社会福祉士と認定上級社会福祉士は、国が主導して付帯決議に盛り込まれた考え方をもとに創設されるものだ。これにより制度がまずありきの上位資格に国がそのあり方、援助技術に介入できるという道をつけてしまったことになる。その下位に位置する社会福祉士も、今以上に国の意思によりその資格のあり方、援助技術がともに介入を受けることになるのだ。

日本社会福祉士会は、本来こうした上位資格は必要ないというアクションを起こすべきだと思うが、そうしないだけではなく、こうした国の意図に気づかず、職能団体会員にしか資格が与えられず、養成研修を実施できるという餌に釣られて、その資格創設に手を貸すという愚かな方向に走った。これはいずれこの団体の最大の罪と悔恨事になるであろう。

「認定社会福祉士認証・認定機構」の橋本運営委員長は、昨年、キャリアブレインの取材に対し、認定社会福祉士制度の意義について、「専門性が明確になり、仕事に対するモチベーションの向上や、キャリアアップ、独立などにつながるのではないか」と述べているが、むしろその結果は、ソーシャルワーク技術を相互評価すべき社会福祉士の有資格者の地位を貶め、国家の社会福祉士という資格に対する介入度合いを強め、その独立性を著しく削ぐ結果にしかならないだろう。

これはいずれ歴史が証明するだろう。

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何のための大学だか・・。

世間では学生たちが既に夏休みに入っていたり、もうすぐ入ろうとする季節である。

僕の長男は大学3年生だが、この夏休み期間は実習のため、プライベートな時間はほとんどとれない。幸い実習先が実家近くの公的機関であるため、実家に帰省して通えるのが親にとっても安心だし、嬉しいことではある。

大学生の実習は、自分の専門研究の糧になるものであるし、大学で培った知識を実地の場で確認して自分なりの技術を磨く場であるので、人生のこの貴重な一時期に、そうした体験を持てることに喜びを感じてほしい。

遊びや、休養の時間は人生の中で、これからいつでも取ることができるが、学生という身分で、誰かを指導教官として現場で学ぶという機会は2度とないのだ。それは実際に職業に就いた後のOJTなどと全く異なる「実習機会」であり、未熟であっても社会人である場合には間違うことができないこともあるが、学生実習であるがゆえに許容されることもあるだろうし、自分の職業に対する「向き、不向き」も自分自身で確認できる機会なのだから、できるだけ大事に真剣に相対してほしい。しかし彼について言えば、親が言わなくても本人は分かっているようである。

ところで最近の福祉系の大学では、3年時または最終学年の夏休みや冬休み、あるいは春休みを使って、社会福祉士受験対策集中セミナーなどを企画して実施しているところがあるらしい。大学によっては、新卒者の社会福祉士国家試験合格率の高さを「売り」にしているところもあると聞く。

正直って馬鹿げていると思うし、そんな大学などなくしてしまえと思う。

大学とは、単なる最高学府というにとどまらず、学術研究の場であって、その道の専門家、研究者を育てる場であり、それは特定の資格を取るだけのことを意味しない。

そもそもそうした特定の資格だけにターゲットを絞った集中セミナーを開催するのが大学という機関の役割だと考えている連中の頭の構造が分からない。社会福祉士の資格を取るためなら専門学校でも行った方がましだろう。そんなことだから豊かな学識やユニークなアイディアを持った専門家が育たなくなりつつあるのだ。

社会福祉の勉強を4年間という期間を費やし学んでいる人間であれば、社会福祉士の資格試験など過去問を少し解きながら、日ごろの知識を積み重ねるだけで落ちる方が難しい、というレベルの試験だろうと(個人的には)思っている。それなのに新卒者の合格率が低いのは、最高学府としての大学の教育方法と、学術研究を学生に促す姿勢が問われているという問題で、集中セミナーや集中講義で詰め込み学習して、知恵にならない知識をまる暗記させ合格率を高めても、専門研究機関としての矜持は保たれない。

資格取得に血眼になって集中セミナーを受けなければならないレベルの低い学生と、その受講を促す頭のいかれた大学教授。こうした学生や大学教授が少子化で学生の減っている時代に、逆に大量生産されている現状が、この国の教育レベルの衰退に繋がっている。それはとりもなおさず、福祉マンパワーのスキル低下に繋がっているといっても過言でないだろう。

特に福祉援助の現場では、コミュニケーションツールとしての言葉や文章は重要なのに、大学を卒業したのに、まともな表現力がなかったり、論文の一つも書けない人間が実に多い。

人間としての表現力は、特定の資格を取ることによっても、集中セミナーで知識を詰め込まれても獲得できるものではない。

だから大学生の長期の休み期間は、実習を行う以外に、人生経験としてのアルバイトや、遊びや、様々な人間関係を通して人間自体を学んでいく貴重な時間であると同時に、自分の研究対象を様々なものから探すことができる貴重な時間でもある。

卒論のテーマに沿った素材を探すために、地方の名もなき図書館で文献を探したり、わずかな時給を得るために、どれだけ大変さがあるかを知るために働いたり、輝く太陽の時間を感じるために寝る間さえ惜しんで遊びまわったり、それが大事なのである。夏休みや冬休みはそのためにあるものだ。

そんな時間を社会福祉士試験合格セミナーに使う方も、使わせる企画をするほうもどうかしている。

大学よ、そこの教授連中よ、単なる国家資格合格者を生産するんではなく、研究者として優れたセンスを持つ若者を育てよ。それが君たちの役割だということを忘れないでほしい。

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何のための専門社会福祉士だか・・。

日本社会福祉士会の研究員委員会が「専門社会福祉士認定制度」についての骨格を固めた。

「専門社会福祉士認定制度」とは、07年に改正社会福祉士法及び介護福祉士法が成立した際の衆参両議院の付帯決議「より専門的対応ができる人材を育成するために、専門社会福祉士及び専門介護福祉士の仕組みについて早急に検討を行うこと」とされたことに基づいて、社会福祉士会が研究委員会を立ち上げ検討していたものである。

それによると社会福祉士の上級資格に当たる資格について、地域の中核的存在となる「認定専門社会福祉士」と、そこに至る中間段階の「認定社会福祉士」の2段階認定を行うとし、それぞれ相談援助の経験が5年以上で、社会福祉士資格取得後8年程度の者を対象と考え、かつ

1.日本社会福祉士会、日本医療社会事業協会、日本精神保健福祉士強化のいずれかの会員であること。
2.定められた実績があること
3.所定の研修を受講し試験に合格すること

以上3つの条件をつけている。そして「認定社会福祉士」について条件に合致するものを順次認定し、その認定後5年以上相談援助の実務経験がある者が「認定専門社会福祉士」となり得る、としている。

僕は社会福祉士会の会員だし、地区支部では役員も務めており、かねてから北海道支部の会議などでは研究委員からの報告を聞いてはいたが、それについては冷ややかな見方をしていた。上級資格などに賛同しないからだ。

付帯決議など無視して、こんな資格創設に手を貸すべきではないとさえ思っていた。

そのまえに社会福祉士という資格とその有資格者の地位向上に努めるべきで、いつまでも名称独占資格でしかなく、一部の分野でしか配置義務がない資格のままであってはいけないという運動をすべきではないかと思っていたからだ。

だって社会福祉士ってかなり合格のハードルが高い「国家資格」だぞ。上級資格がなぜ必要とされているんだ?それだけ社会福祉士に信用がないってことじゃないのか?そのことを変えるべきであって、社会福祉士会自らが、社会福祉士の上級資格創設に手を貸すという意味は、社会福祉士の資格価値や社会的地位を、自ら貶め、その社会的ニーズを低めるもの以外のなにものでもない。

まったく、この会の方向性も理解できなくなってきた。

勿論、こうした上級資格創設には会としてのメリットはあるんだろう。それは新たな利権としてのメリットだ。何しろ認定条件が職能3団体のいずれかの正会員であるという条件をつけているんだから、必然的に日本社会福祉士会の会員になろうとする有資格者が増えるだろうし、そうした間接的利益ではない直接的利益としても義務研修の主催により補助金収入が得られるということもあるんだろう。

しかし、このことは同時に社会福祉士という資格は、社会福祉援助の専門職としては技量が足りないんですよ、地域の中核的存在となる資格として社会福祉士なんてあんまり意味がないんですよ、と国民に向けて宣伝する結果になり、そうした認識が広まってしまうだろう。現にそんな程度の資格だったのかと思い始めている人も多い。もし実態がそうであるというなら、社会福祉士自体の技量を向上させるシステムを考えるのが職能団体の役目で、自らの資格価値を失墜させるような取り組みに手を貸すなんてどうかしている。

何よりこういう複雑な資格形態では国民は混乱するだろう。こんな似たような名称の専門資格が乱立して国民はこれらがどういう資格なのか理解が困難である。

上級資格を作れば地域が良くなるわけではない。例えば介護保険制度分野では、介護支援専門員の上級資格として、主任ケアマネジャーやケアマネジメントリーダー・認定ケアマネなどが作られてきたが、それらの資格は地域のケアマネジメントの質向上に何の役にも立たず、介護支援専門員の技量アップにも何の影響も与えていない。上級資格に意味はなく、単に基礎資格の価値を下げ、国民の理解を複雑にするだけの結果しか生まないことは、既にそのことで証明されている。

そもそも社会福祉士会の一部の視野の狭い委員連中の考えだした資格によって社会が変わるわけがない。一部の利権と結び付いて、権威だけを振りかざすエセ専門職が増えるだけである。

社会福祉士会は、この上級資格議論が出てきた際に、上級資格の創設のための骨格づくりをするのではなく、上級資格が必要ではない社会福祉士の資格というものの方向に議論を結び付けて行くのが本来ではなかったのだろうか。

合格率からいっても、試験内容からいってもハードルは低くない国家資格をないがしろにするような上級資格作りは全く馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。社会福祉士会も地に落ちつつある。

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研修テーマもシンクグローバリー

北海道社会福祉士会・日胆地区支部の役員を務めている。その地区の中でもさらに西部地区(登別、室蘭、伊達地域)の責任者となっているため、当該地区が担当する研修会の企画に奔走している。

毎年市民公開で行う社会福祉士セミナーは、北海道社会福祉士会から研修助成金の交付を受けて実施するセミナーだが、テーマが限定されているその他の研修事業と異なり、このセミナーだけは、どのようなテーマで開催してもよいことになっている。

ただ助成金があるといっても予算は決して潤沢ではないため、赤字を出さずに実施しようとする場合、道外から専門の講師を呼ぶとすれば、せいぜい1名しか呼べず、講師料も多くは出せないだろう。

そうすると近隣から複数名の講師を集めて実施する、ということが多くなる。しかしそれにしても関係者や市民の興味がある話題で、かつ社会福祉士として持つべき知識を得るような内容でなければ意味がない。

ということでテーマ設定は結構難しい問題なのである。

昨年は無料の出張講座をしてくれる警察署に協力をいただいて、高齢者を狙った「振り込め詐欺」にあわないための講座と、権利擁護の講演を抱き合わせて行ったが、今年はテーマを一つに絞って地域の社会福祉に関連する問題を掘り下げる内容にしたいとずっと考え続けていた。

なにしろ社会福祉士の活動領域は高齢者や障がい者など多岐にわたっているし、所属も、行政・医療機関・社会福祉施設・法律関係事務所など様々であり、どこかに偏ったテーマが続いても問題あるだろうと考えている。

そうすると全ての関係者に共通するテーマというのはなかなか見つけられないのであるが、究極的に言えば社会福祉援助に携わる我々は、最終的に死の臨床場面まで利用者の支援に関わることがあるのではないか、それは高齢者に限った問題ではないだろうと考えて、今回は当地域におけるターミナルケアの実情と課題を、在宅・介護施設・医療機関のそれぞれの立場からの報告と議論でまとめたらどうかと考えた。

特に、この地域でターミナルケア研修として専門研修が過去に行われたことはないし、死者数が日本全体で150万人を超える現状で、この地域の特徴としては医療機関の病床数自体が減ってきている現状があって、地域の人々がどこで最期の時を迎えることができるのか、その選択性はあるのかということを考えるのは重要なことであると思った。

さらにいえば8割以上の国民が医療機関で死を迎えることが常識になりつつある現状が、本当に死の場面を迎える人々にとって「安らかな最期」を作り出しているのかをもう一度問い直してみる必要があるのではないかとも思う。

幸い「死の臨床研究会北海道支部」の常任世話人を務めている関係で、その方面の専門家なら近隣からも紹介していただけるし、道内で10か所しかない緩和ケア病棟も室蘭市に1か所あるという地域特性もある。さらに費用負担面のメリットとしては介護施設の報告は僕自身ができるので、ここにお金の支出は生じず、その分節約ができることになるので一石二鳥である。

そこでメインテーマは「胆振地域におけるターミナルケアの現状と課題」としてみた。まさに地域の活動を地域の関係者や市民が考えるという地域密着のテーマである。しかし、我々社会福祉士は地域のことだけを考えるのではなく、この国の社会福祉を考え、世界の社会福祉を考えるという責務を持っている。そのため地域の実践報告から現状把握して、課題を検証するとしても、その視線はグローバルに向かっていかねばならないと思ったので、サブテーマを「日本人はどこで、どのように死ねるのか。」と設定してみた。

そしてセミナーの紹介文には「本セミナーでは、胆振地域における医療機関の緩和ケア病棟・介護施設・在宅におけるターミナルケアの実践報告から地域におけるターミナルケアの取り組みを学びながら、保健・医療・福祉関係者の役割と、国民のニーズについて検証します。」という文章で締めくくってみた。

シンクグローバリー・アクトローカリー(地球規模で考え、地域で活動する)のテーマになっているのではないかと思うのであるが、あまりピンとこないだろうか?

しかし今までの社会福祉士セミナーとは毛色の変わったテーマと内容であると思う。セミナーは来年2月20日(土)午後1時30分から、室蘭市の老人保健施設「憩」を会場にして実施予定である。

当日は一般公開で、非会員も参加料は無料なので、お近くの方は是非参加願いたい。

近く、地域の関係機関等には研修案内(クリックすれば案内文にとびます)を送付する予定であるが、随時、問い合わせを受け付けており、事務局まで連絡いただきたい。

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生涯研修制度の呪縛

凍れる(しばれる)朝を迎えた。「凍れる」という言葉は、もしかしたら北海道の方言なのかもしれないが、凍てつくような寒さを現わす言葉である。

先週末から本格的な冬の気配が漂ってきたが、昨日から北部は雪となり、登別も今朝は小雪がちらついている。道路はまだ凍結していないが、この時期はいつ冬道に様変わりするかわからないので、タイヤの履き替えのタイミングが問題である。明日の祝日あたりにタイヤ交換を予定している人もいるだろう。個人的には今年免許取りたての二男の冬道運転が心配である。気をつけて運転しろよ。

この二男(今春高校を卒業し専門学校に通っている)、昨日自宅で表の掲示板にレスポンスをつけていると「そこに僕も書き込もうかな。」と言い出した。何を書くかと尋ねると「うちの親は、子供が免許を取っても車も買ってくれない。飲み会のあと、夜も迎えに行ってやっているのに、どうしようもない親です!!」ということを書くというのである。後半部分は申し訳ないとしか言いようがないが、まあそのような主張に賛同は得られないだろう(もちジュークだから本人も承知である)。ちなみに運転免許は自分がバイトで稼いだお金で取ったものである。車も頑張って自分で買いなさい。ちなみに彼は免許取得後、バイトはやめてしまった。茶髪とロン毛を禁止されるのが嫌なようであるが、親としては、黒髪を短くして、バイトでもしていた方がカッコよいと思うんだけどね・・・。

それはさておき、今日は社会福祉士会という組織の内部で感じる、この組織の「浮世離れ」しているようにさえ思える感覚について触れてみたい。

社会福祉士会について「入会促進キャンペーンに思うこと」という記事の中で、会員を増やすなら会自体にもっと魅力が必要だし、そのためにも社会福祉士会の主催する研修にもっと魅力がないと入会動機にはつながらない、という意味のことを書いた。

さらに、実際には様々な団体が、たくさんの研修会を主催しており、社会福祉士会に入会していなくとも研修機会がなくて困っている人はほとんどいないし、それらの人々をひきつける独自研修を企画運営することは難しいという意味のことも書いた。

しかし問題の本質は、そういう状況の理解が薄い社会福祉士会の役員たちの「意識」にあるのではないかと思うことがしばしばある。

例えば研修については、組織の中に研修員会があって、道からも役員が選出派遣されているが、彼らの話を聞くと、どうも我々現場の意識とは大きなずれがある、と感じてしまうのだ。

社会福祉士会の研修システムには「生涯研修制度」というものがあって、基礎研修を受講したうえで、経験やスキルに応じた共通研修や専門研修を受けた実績をポイント制にして、一定期間ごとにポイントの合計目標をクリアして、生涯それを継続することによってスキルアップを図ろうとする制度である。

僕の偏見かもしれないが、研修員会の考え方は、このシステムを絶対的なものと考える傾向が強く、そこから離れられないという窮屈な思考回路になってしまっていることが、面白みがなくて、内容もマンネリ化しているように思う。

さらに問題なのは、研修に対する考え方の延長として、会そのものの在り方についても偏った固定観念から変な方向に向かわせているように感じる。

例えば、社会福祉士会の中には、定期的に義務研修を実施して資格更新させることでスキルアップ、質の担保を図らねばならないと考えている人々がいる。つまりは社会福祉士の資格更新制度のようなものである。特に研修委員にそう考える傾向が強い。しかし有資格者の定期的義務研修などは、教員が1年間でそれを取りやめたように、百害あって一利なしで、質の担保などにつながらない。まったく時代錯誤もはなはだしい。
(参照:介護支援専門員の資格更新制度だって必要ない

しかも彼らの中には、社会福祉士のさらに上級資格を作るべきだという意見を持っている人がいる。決して試験が簡単すぎるわけでもなく、合格率からしても狭き門といってよい社会福祉士という国家資格の、さらに上級資格を作る意味がどこにあるのか。それは社会福祉士会の研修システムというものの中にどっぷり浸かって、井の中の蛙となっているような人々の「驕り」以外のなにものでもないだろう。

こういう考え方が主流になるのであれば、いずれ僕はこの会とは袂を分かつ時が来るだろうと考えながら、支部役員も今回の任期でそろそろ退任時期なのかなと思ったりしている。

僕などは本会の生涯研修制度自体の理解がいまだに出来ておらず、ポイント申請もしたことがないが、それで何の不便も不利益も感じていない。システムの中に乗っかっている人々と比較して、自分のスキルが極端に低いとも感じない。

組織が自ら作ったシステムの呪縛から逃れないと、この会に大きな発展は望めないだろう。

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入会促進キャンペーンに思うこと

今週土曜日に北海道社会福祉士会の理事会と支部長会議が札幌で行われる。僕もそこに出席予定である。

夜には懇親会があるのだが、今回は参加せず失礼させていただく。その理由は、翌・日曜はクライマックスシリーズ第5戦が控えており(5戦までいかなければ幻で終わるが)家族を連れて札幌ドームに向かわねばならない。一度自宅に帰って体力と英気を養わねば気合の入った応援ができないのである。本当なら土曜の第4戦を観戦予定だったが、社会福祉士会が予定に入ってきたため、わざわざずらしたのである。
(※時々僕に対してクライマックスシリーズは観に行かれますか?と質問する方がいるが、それは無意味だ。なぜなら行かないわけがないのである。CSや日本シリーズは出場する年に観に行かねば、次にいつになるかわからんのである。ファイターズを応援するために稼いでいるんだから、生きている限り観つづけなきゃあ・・。)それはさておく。

ところで日本社会福祉士会の現在の一番のテーマは組織率の向上・会員数増である。

なにしろ全国組織とはいっても有資格者の3割弱(08年度で26.8%)しか入会していないのであるから、職能団体として有資格者を代表しているのかと問われれば首を傾げざるを得ない要素がある。

そのため、2013年までに加入率5割を目指して「入会促進キャンペーン」なるものが実施されることになっている。各支部もそれぞれアイディアを出して、一会員新規加入者一人を勧誘することを目標にしている。同時にキャンペーン中に入会した人数分の入会金の半分を支部に還元するというアメもある。

しかし僕個人の意見としては、入会しない理由をきちんと把握しない中でのキャンペーンが効果あるのかは非常に疑問である。退会者の理由の分析を含めて、入会しない、退会するという動機への評価と、それに基づいたアプローチがないと効果は挙がらないと思う。

僕が入会を働きかけて断る人々の理由は、ほとんど年会費の問題である。日本と北海道の合計会費が年15.000円。これに二の足を踏む人が多い。社会福祉士会の役員などは、それに見合った研修体制等を構築して魅力ある会にすることを目指しているようであるが、この会費に見合った活動という部分では、複雑な状況が根底にあることを理解しないといけない。

つまり社会福祉士の有資格者のうち、社会福祉士そのものの職名で業務に就いている人は地域包括支援センターの社会福祉士くらいである。

そのほかは社会福祉施設、介護施設の相談員・ソーシャルワーカーとか、医療機関のPSWやMSW、介護保険サービス事業者に所属するケアマネジャーなどが多く、社会福祉士という資格のほかに、精神保健福祉士・社会福祉主事・介護支援専門員などの様々な資格を持っている場合が多い。

そうなると、その業務に一番関連した資格の職能団体がまず一番本人にとって加入動機が高い団体であり、それが精神保健福祉士協会であったり、ソーシャルワーカー協会であったり、ケアマネ会であったりするわけである。そういう団体に所属して、なおかつ社会福祉士会に年会費15.000円で入会するとすれば、職能団体の会費だけで年間3万〜5万円という個人支出が伴うということである。複数の会に加入できる懐具合の人は多くないのが現状だろう。そうすると自分の価値観に照らして優先順位の低い職能団体への加入動機はますます低下する。

他の職能団体にも加入して、なおかつ社会福祉士会に入会する動機付けとしての「研修体制」といっても、社会福祉士自体は広い領域の職業をカバーしているため「共通基盤研修」「基礎研修」というテーマが多くなってしまう。

一方、精神科のワーカーであるなら精神保健福祉士会の方が、より実務に即した実践的研修機会が多くなるだろうし、医療機関のソーシャルワーカーなら、ソーシャルワーカー協会の方が身近な問題の研修内容が多く、そちらの方が研修受講動機としては大きくなるので、そちらへの入会を優先して、社会福祉会は加入する意味を感じない人が多いのである。

つまり社会福祉士が相談援助の基礎資格として多様な相談援助領域をカバーする総合資格であるがゆえに、各自の専門性のニーズにマッチしづらくなっているという矛盾が生じているのである。これは組織として大きなジレンマであろう。

研修内容にしても、毎回倫理規定を音読し、生涯研修システムの内容をアナウンスする基礎研修を毎年受講する動機付けは薄いし、権利擁護セミナーとして成年後見制度に関連した研修を毎年、複数回受講する動機付けも薄い。はっきりいって現状の研修体制は決して人を引き付ける内容ではなく、その魅力は他団体に比べ劣ると感じている社会福祉士が多いのである。

こういう根本的な問題に手をつけないで、勧誘だけを進めても会員増加は一時的かつ短期的な現象としてしか効果がないだろう。

残念ながら、組織率の低さへの処方箋の書き方が間違っていると言わざるを得ない。

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僕なりの体験的実証。

北海道社会福祉士会の日胆地区の役員を務めて数年になる。昨年からは副支部長という役職を拝命している。しかし道の総会には今まで一度も出たことがなく、いつも委任状を送るだけの不真面目な会員である。

ところで社会福祉士会には独自の研修システム(生涯研修システム)があって、基礎研修を受講した者が専門研修を受講した履歴を積み重ねていくことになっている。(しかし僕自身はこのシステムを十分には理解していない)その基礎研修を各支部で実施するためには基礎研修の伝達講師役が必要であり、その役目を果たす者を養成する「基礎研修 伝達研修」というのが今週土曜日に札幌で開催される。今年は日胆地区支部からは3名が受講することになり、その1人として僕も派遣されることになった。

その日は、伝達講習が終わった後に同じ会場で社会福祉士会主催のセミナーと総会が行われる。

当日、午前中に同じ会場で研修を受けているのに、それが済んだからといって総会に出ないというのも変な話であるし、別な予定が入っているわけではない。よってセミナーも受講して、総会にも出席することにした。

何もなければその後、すぐ登別の自宅にとんぼ返りするのが普通だ。特に1日置いて来週の月・火も施設の要務で札幌に滞在しなければならないので、別段その日に長居する必要もない。

しかし総会後に、懇親会が行われるという。そういう場所で旧知の人々と親交を深めたり、人脈につながる新しい人間関係を形成することも我々の職業には大事なことだ。特に僕は過去のブログ記事「人脈に繋がる研修機会が減ってしまった」でも書いているように、研修の場以外での交流機会が大切だと発言しているので、これは有言実行として懇親会は欠席できないと思った。
ただ飲みたいだけだろうと指摘する方もいるかもしれないが・・・それは確かに否定できない、と白状はしておく。。)

よってその日は朝7:00発の特急で登別を経って、夜遅くまで札幌に滞在する。

そこでだ。その夜は札幌に宿泊するべきか、最終で登別まで帰るべきか迷うところである。妻や子供に相談すれば間違いなく「うるさいから帰ってくるな。どうせなら火曜日までずっと札幌にいれば」と言うに決まっているので、自分で考えて判断するしかない。

結果的には体力的な問題も考えると宿泊した方が良いだろうと思った。いつもならこの時点でホテルの予約を入れるところである。しかし今回は別な考えが浮かんでしまった。

僕はなんでも体験してみないとわからないという思いが人より強いところがある。別に宿泊費用がもったいないわけではないしケチる気持ちもないのであるが、前回札幌に泊まった時には、一度も体験したことがない「カプセルホテル」に泊まりたくなって実行した。

結論。それなりに快適ではあった。寝るだけならまったく問題はないし、大浴場なども温泉並みの設備で満足できる。希望すれば食事もきちんとできるし、それで1泊料金が2.500円程度なんだから、飲み会が終わって午前0時を回ってからチェックインすることの多い僕のようなタイプにはうってつけであると思った。ただし2泊3日とか、あるいは1泊でもホテル内に滞在する時間が長い場合は、やはり普通のビジネスホテルで自分の「部屋」としての空間があるほうが良いと思った。

今回もカプセルホテルを利用しようかなとは一瞬だけ考えたが、まだ体験していない別な宿泊方法を試してみたくなってしまった。

僕の知り合いの兵庫県・S市のK福祉部長は東京出張の際には午前様になるまで飲んで、東京駅で仮眠して始発で帰るのが得意らしいが(笑)、とても僕にはそんな芸当はできない。

今回思い立ったのは、ネットカフェで一晩を過ごすことである。あの狭い空間。薄いベニヤ板一枚で仕切られた場所で果たしてゆっくり眠れるのか体験してみたくなったのである。実際にやむにやまれずネットカフェに連泊している人々の気持ちや状況を、そのことで理解できるわけではないだろうが、体験してしかわからないことがあるだろう。

どちらにしても今回はホテル予約を入れず、行き当たりばったりで行ってみようと思う。

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社会福祉士会の仲間との交流。

久しぶりに、気持ちの良い楽しいお酒を飲んだ。

数年前から日胆地区の社会福祉士会の役員を務めている。しかし会の運営については会長や事務局に「おんぶに抱っこ」状態で、あまり熱心に活動している役員とは言えず、特に職業柄、高齢者福祉や介護保険のステージで活動することが多く、地区の違う道内の社会福祉士会会員の皆さんとはあまり人脈もない状態である。

今年から地区の副支部長という立場になり、日胆地区でも登別・室蘭・伊達の胆振西武ブロックにおける責任者となって活動しなければならなくなってからも事務局長に頼りきりで「おんぶに抱っこ」状態は続いている。

ところで先週土曜、北海道社会福祉士会の地区支部長・事務局長会議が始めて開催されることになり、僕も参加することになった。先駆けて行われる理事会にも(議決権はないが)参加してもよいということで、勉強の為、会議を傍聴させていただいた。

理事会を傍聴して始めてわかったことであるが、僕は会費についてかつて「社会福祉士会について考えてみた」で指摘しているように、個人加入会費としては余りにも高額すぎると感じており、そのことが会員組織率引き上げのネックになっていると感じていた。

しかし運営側から見ると、会費収入というのは極めて貴重な財源で、それを安易に下げるということは会の存続に係わる問題であるということが理解できた。

支出経費に改善余地があるものがまったくないとは言わないが、少なくとも支出の最大費目である人件費を含めた管理費自体は必要最低限で運営されており、特に事務局を運営する職員に対する報酬が、労働対価に見合ったレベルよりかなり低い額であるということがわかった。この会がこうした方々の善意や熱意の上で成り立っていることが証明されていると思う。そういう事務局職員には本当に頭の下がる思いであるし、この人件費は本来もっと上げなければならないものだと感じた。財源問題はここでも難しい問題である。

理事会で議論された中に、会員名簿の問題がある。毎年会員名簿を作る必要があるか、という問題で、多くの意見としては、新規会員を名簿に載せる必要性からそれは年毎の更新作成が必要であるという意見が大勢を占めていた。

僕も会員名簿は毎年作るべきだと思う。なぜなら数年毎であれば更新事務作業も大変で、目に見えない部分の作業軽費も増大するからであり、その点毎年名簿を作成するという決め事があれば、担当者が新規加入者や退会者が生じるたびにデータを更新するというルーチンワーク化によって作業負担はさほど多くならないことが「のぼりべつケアマネ連絡会」の名簿作りで経験済みである。(もちろん百数十人の名簿と比較できない部分はあろうと思うが。)

しかし一方、この印刷製本費には30万近い経費がかかるという。こういう費用を毎年支出するのは「無駄」のひとつであろうと思う。印刷製本など必要ないと思う。会はデータを作成し、各支部に毎年更新したデータファイルをメールで送り、各支部からさらに支部会員にメールで同じくデータファイルを送付するだけでよいのではないか?それを紙ベースでファイリングするか否かは会員個人に委ねればよいのではないだろうか。

こうすれば経費はかからない。ただそうなるとデータベースファイルの保護、秘密保持、個人情報流出の問題が議論になるんだろうが、そもそも外部業者に印刷製本を発注して冊子を作り、それを個人に郵送しているという実態から言えば、前者が後者よりデータ管理上リスクが増えるということにはならないだろう。

そうして浮いた費用を事務局員の昇給財源にした方が会の運営上は有意義ではないかと、勝手ながら考えたりしていた。

日本社会福祉士会の郵送物も同様で、立派な印刷物が数多く送られてくるが、情報と言うものの分類を明確に意識していない編集だから、時間がたてば新鮮さが失われ情報価値がなくなるものと、そうでないものの情報が混在している。よって半分以上が「読まれない」「読んでも意味がない」無駄なものになっている。これはもっと整理されるべきものであろう。

IT時代の情報提供のあり方をもっと有効利用すれば会員への連絡経費は格段と下がる。旧態然とした会員への情報伝達をなかなか見直さない現状には常に疑問を抱いている。現に「のぼりべつケアマネ連絡会」では基本情報の連絡を原則メール活用することで年間十万円に近い通信費を削減している。1地域の小さな会でこれだけ経費が節減されるのだから、社会福祉士会が全国、全道レベルでこの方式を取り入れれば、情報伝達に係わる経費は大きく削減できるはずである。他の議題でも各支部の郵送経費が取り上げられており、こうした観点からの経費削減は検討の余地があると思う。なんでも封書郵便がよい時代ではないのである。

ところで、今回は是非他の地域の役員の皆様とも知り合いたいと思い、同夜の懇親会にも参加した。懇親会といっても、会が飲み食いの経費を負担できるわけもなく、懇親会のための宿泊経費を支出することにもならないので、会としてではなく、有志の主催ということである。

僕は懇親会に参加しなければ日帰り可能であるが、今回は自腹で(当然だか)ホテルを予約して万全の体制?で参加させていただいた。ちなみに宿泊は生まれて始めて「カプセルホテル」を利用した。1泊2.500円。ほとんど寝るだけであったが、環境的にも一般のホテルにそん色なく利用できると思った。

分野も職種も年齢の様々であるが、大変気持ちの良い「飲み会」だった。たくさんの方々と語り合うことができ、それぞれの熱い思いを感じるひと時を過ごせた。

3次会までつき合わせていただき、特にOさんには大変お世話になりました。酔った勢いで失礼なことを言わなかったか多少心配している・・・。

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権利擁護セミナー不人気の理由

北海道社会福祉士会・日胆地区支部主催の「成年後見・権利擁護セミナー」がこの週末2日間に渡って開催される。

9日(土)が苫小牧市・10日(日)が室蘭市でそれぞれ同じプログラムが行われる。同支部の役員である僕は主催者側なので、地区担当の室蘭のセミナーには当然参加するし、午前中の基礎研修も出席し、セミナー後の懇親会にもお付き合いする予定である。

同セミナーの内容としては、講演が2題。
1.「福祉関係者に必要な権利擁護意識と実践」講師:池田 恵利子氏(いけだ後見支援ネット)
2.「施設のコンプライアンスルール」講師:小湊 純一氏(宮城福祉オンブズマンネット・エール)

となっている。内容はそれなりに充実していると思えるし、社会福祉士のみならず、他の関係職種や様々な機関に所属する援助担当者にも必要な知識と思える。そのため社会福祉士会会員以外にも、地域の医療機関や介護施設等、関係諸機関にも案内を出して出席者を広く募っている。

僕が代表を務める「のぼりべつケアマネ連絡会」の会員の皆さんにも案内を出し、数件の参加申し込みがある。社会福祉士会会員以外の方は参加料が500円かかってしまうのが恐縮するところである。(社会福祉士会会員はもちろん無料である。)

しかし先週末、事務局から連絡があって、どうも参加申し込み状況が不調らしい。しかし僕にはそれはある意味もっとだと思い当たる節がある。

まず同セミナーが、苫小牧と室蘭という非常に近い地域で2日間に渡って同じ内容で行われること。大都市でもあるまいし、そうそう何百人の参加者が連日に渡って集まるわけがない。

しかも会員の集まりが以外に少ない理由は、その周知方法のまずさである。

社会福祉士会は、個人加入の団体であるにも係らず他の会に比べ著しく会費が高いという「悪評」で有名な会でもあり、ただでさえ加入率は低い。(参照;社会福祉士会について考えてみた。

その少ない会員が参加主体なのだから、この出席率が上がらないとどうしようもない。しかし現実には、このセミナーが行われること自体を知らない会員が多いのである。

日本社会福祉士会からは定期的に郵便で機関紙等が送られてくるが、会費の高い理由はその包装の必要以上の厳重さにしか現われておらず、中身の内容は情報としての新鮮さは皆無の「お寒い」ものである。ほとんどゴミ箱にそのまま捨て去るようなものである。(刊行物のやけに豪華な案内パンフレットなどいらん!!)

よって支部からA4版の封筒が送られてきても、いつものくだらん定期広報だろうと無視する会員は実に多い。無視はしなくても送られてくる中身を常に隅々まで注意深く(あるいは興味深く)読んでいる会員は少ない。今回の研修案内だって、封筒の中にそのまま入れられたまま見もされず放って置かれたものも多いだろう。

それが証拠に、僕の職場の他の会員は全員、今週末のセミナーの案内が届いているなんていうことさえ知らなかった。

高い会費に見合わない、日頃のお寒い情報発信方法のつけがこんなところで影響が出ているということである。この全国組織の幹部はもっとこの現実を知らねばならない。活動に見合った会費という意味で考えるなら、年会費は今の1/10でよい。会費に見合った活動を考えるなら幹部は総辞職である。まず会員に定期的に送っている中身の改善。必要ないものは(今の内容の9割以上は必要ない)廃止して会費を見直すべきである。

それとセミナーのテーマが権利擁護や成年後見制度に偏りすぎている。

社会福祉士と言えば「また成年後見と権利擁護か」と言われるくらい、このテーマの研修が多い。いくらなんでも毎年、同じテーマでは受講意欲は減ってくるだろう。成年後見・権利擁護については様々なステージで論じられているし、職業柄その制度について熟知している会員も多いのである。

現に僕が所属して代表を務める「のぼりべつケアマネ連絡会」でもリーガルサポートの協力を受けて、この種の研修を行ったりしているし、地域でも他に成年後見制度や権利擁護に関する研修機会は多い。

オリンピックが開催されているこの時期に、何度も繰り返されている内容のセミナーを週末の休みの日に聞きにいこうという「動機付け」はよほどでないと湧いてこない。僕も同会の役員でなかったらきっと受講しないだろう。

(※登別は加えて市長選挙投票日でもあり、このために参加できない会員もいる。)

著作がある外部講師を呼べば人が集まるような時代ではない。

求められているのは、時代や参加者ニーズにマッチしたテーマと内容の選定であり、それに加えきちんとテーマを周知して、参加動機が高まる事前準備が不可欠なのである。

こういう点では、地域のケアマネ会より社会福祉士会は非常に遅れていると感じている。

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診療報酬における社会福祉士配置の位置づけ。

非常に画期的なことだと思う。

本年4月からの診療報酬改定で退院支援の加算要件に社会福祉士の配置が位置づけられたことである。

入院期間の短縮の為の退院支援が診療報酬上の加算として新設されたが、このうち精神医療では1年以上の長期入院患者の退院計画を策定することを評価し、この部分に精神保健福祉士を含めた複数職員の配置が盛り込まれている。

しかしそれにも増して画期的なのは後期高齢者医療に関して「退院調整加算」が新設されたが、この加算算定要件には「業務経験を持つ専従の看護師または社会福祉士を1名以上配置すること」が必要条件とされた。

この「退院調整加算」は後期高齢者医療だけではなく療養病棟入院基本料・結核病棟入院基本料・障害者施設等入院基本料を算定する病床の入院患者も加算算定対象となるので、その範囲は狭くない。

名称独占の資格で業務独占ではないことで、介護支援専門員の募集はあるが、社会福祉士の募集はない、といわれる状況が長く指摘されていたし、社会福祉士会会員の中にも、資格取得の困難さに比して社会的認知度や雇用ニーズが高くないことを嘆く声も聞かれ、業務独占化を目指す動きも見られていた。

それが18年の介護保険制度改正の際に地域包括支援センターでの社会福祉士配置義務がなされ、今回診療報酬上の加算評価の中でも配置の位置づけられたことは、社会福祉士という資格が必要とされる領域が確実に広がっており社会的認知度を上げるものだろうと期待できる。

しかしこれはまだスタートに過ぎない。

問題は「資格は仕事をしてくれない」ということである。有資格者として専門分野でいかにその知識と技術を発揮し、支援ネットワークを構築し、機能展開できるかが問われてくるだろう。

単に看護師不足を補う別の有資格者としてではなく、社会福祉士そのものへの期待にこたえる活動が求められていくのである。

ところでこのことに関連しては日本精神保健福祉士協会会長が「精神科入院患者の退院支援に精神保健福祉士が位置づけられた点は評価したいが、後期高齢者の退院調整加算に精神保健福祉士が入らなかったのは大変残念だ」とコメントしている。

確かに精神保健福祉士がその加算配置に位置づけされないことは疑問であるが、そもそも精神医療が精神保健福祉士、後期高齢者医療は社会福祉士という区分自体が必要であるのか大いに疑問である。

マクロのくくりでは相談援助の専門資格、ソーシャルケースワーカーの専門国家資格であるのだから両者を統合した資格というものも考えられて良い時期に来ているのではないだろうかと個人的には考えている。福祉系の専門資格と医療系の専門資格をソーシャルケースワークの分野で分けるような必要はあるまい。

今回診療報酬上の加算の位置づけに社会福祉士及び精神保健福祉士が位置づけられたことをきっかけに、果たして両福祉士が別個の国家資格となっている現状が良いのか再考する必要があるのではないか。

区分する必要性は極めて薄くなってきつつあると思える。

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社会福祉士会について考えてみた。

本業のほかに、個人的に様々な団体に所属して活動しているが、当然のことながら社会福祉士会にも所属している。去年からは支部組織の役員にも名を連ねている。(あまり仕事も、貢献もできていないが・・。)

他の方もそうだろうが、資格関連団体に所属するという理由は、その団体に所属することによって何か個人的に利益を求めているというよりは、自己研鑽の機会を求めてという動機が強いと思う。勉強ができる機会があるということ自体がメリットだと思っている。どこかの団体のように国の御用聞き機関にも成り下がってしまえば別の話ではあるが・・。

また個人の力には限界がある。一定の力を持たないとソーシャルアクションにも繋がらない。そこで個人を超えた力を発揮する為には組織化された資格団体に所属して活動するということは意味があり、志を共にする仲間と力を結集して、地域の隅々で活動する我々自身の声を、雲の上まで届ける可能性を秘めたものであると思う。

しかし社会福祉士会について言えば、組織強化が進まないというか、資格を持った方が、なかなか加入してくれないし、既に加入している人が、途中で脱会してしまうケースも多いと聞く。その主な理由が「メリットがない」ということであるらしい。

そしてそのメリットの一定の秤となる部分で、大きな要素を占めるのは会費の額だろう思っている。

僕は社会福祉士会に加入していることは、自らの研鑽にとっては必要なことだと思っているし、脱会する意思など毛頭ないが、しかし会費の額については「高すぎる」と感じている。

日本社会福祉士会の入会金は5.000円、年会費は10.000円であるが、支部組織に加入が全国組織の加入条件であるから、これに加えて支部の年会費も5.000円必要である。

つまり入会年次には20.000円、その後、毎年15.000円の会費納入が必要ということだ。個人加入の会費としては、あまりに高額すぎないだろうか。

おなじ社団法人である日本介護福祉士会は、入会金こそ社会福祉士会と同じ5.000円だが、年会費は3.000円である。

日本介護支援専門員協会では入会金1.000円、年会費2.000円+支部入会金1.000円と支部会費1.000円である。毎月の会費は支部組織とあわせ3.000円ということになる。

社会福祉士会のように個人加入の組織で、支部組織とあわせた年会費が毎年1.5000円もかかる団体などそうない。個人として負担感が大きいと感じるのはやむを得ないような額である。

この会費に二の足を踏んで会員加入に踏み切れない人、一旦加入しても、活動内容に比して、この会費負担があまりに重たいという感想をもってやめていく人が多いのも、うなずけるのである。

一体あの高額な会費が何に使われているのか。予算書を見ても見えてこない部分がある。個々の検証はできているのか・・。

実際、僕も活動内容を見て感じることであるが、この会費は活動に見合っていない高いものだと思う。定期的に送られてくる刊行物や連絡なども、独自研修の案内以外は、ほとんど(遅くて)役に立たない情報が多い。あんなものに印刷費や送料をかけているのは無駄だろうと思っている。

日本社会福祉士会には専用のホームページがあり、パスワードで閲覧する会員専用のページもあるんだから、印刷物を送って情報提供するのは、支部組織の地域密着の活動に限定して、全国組織レベルでの情報提供はネットを使って、リアルタイムに双方向に行えば、費用はかからないし、もっと生きた情報になる。

事務局の発想をまず変える必要があると思う。そうした無駄と後進性を排除した上で、会費の見直しを行うべきである。

そうして間口を広くして、全国各地で活動する社会福祉士の声を届かせる団体に組織改変しないと、この団体はいずれ会員減に歯止めがかからなくなり、自動消滅してしまうんではないだろうか、と危惧している。

もしも会費の高さを権威と思っているとしたら、間口の高さを権威と思っているとしたら、それは救いようがないと思う・・。

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社会福祉士資格の不思議さ2

社会福祉士の資格取得過程をみると、すべて国家試験に合格しなければならないことがわかる。

しかし、原則的に受験には必要な指定科目または基礎科目の履修が条件であるのに、一つのルート、すなわち行政実務5年ルート(老人福祉指導主事等)のみ、この科目履修義務がなく実務のみで受験ができるシステムになっている。

これもおかしなことだ。

大学で社会福祉を専門に学んで、社会福祉施設で何年も相談援助職に就いていても、履修科目によっては受験資格がなく、通信過程で指定科目の履修が必要になる多くの方と比べ、行政ルートだけが著しく専門性が高いというのか?

もうこんな不公平ルートはなくそう。資格の専門性に対する信頼性が揺らいでしまう。

職能団体としての日本社会福祉士会はこのことについて、ほとんど何も触れることがない。資格の信頼性、専門性を高めるなら、受験資格の整合性まで考慮せねばならない。会員に行政職が入っていても、正すべきことは正す姿勢がないと、社会的に信頼される組織とはいえない。不公平や不透明感はなくすべきであろう。

さて、話をもどすが、社会福祉士があまり魅力のある資格とみなされない不思議さの最大要因は昨日述べたとおり、直接的に職の確保に結びつかないという点が最大要因である。

社会福祉士会は、社会福祉士がコミュニティソーシャルワーカーとして活躍する基盤の構築とか、社会福祉士の資質と意識の向上を命題として挙げているが、しかしきちんとした身分保障がない状態では全体のモチベーションは維持できない。

社会福祉士だけが、霞を食って生きていくわけにはいかないのだ。

ソーシャルワークの総合的援助技術を身につけた専門家が、ソーシャルワークの1援助技術でしかないケアマネジメントに特化した専門家より就業に結びつかないような現状はおかしい。

今回の保険制度改正で、包括支援センターに社会福祉士が重要な役割を果たすことになるが、これだけではなく、やはり介護施設を中心に、業務独占でなくとも、少なくとも社会福祉士配置に対する加算や減算規定の導入、一定規模の施設における社会福祉士の配置義務を積極的に提言すべきだ。

財団法人化を目指す、社会福祉士会の目指す方向が会員にも不明瞭だ。

もっと会員のニーズを吸い上げる組織でなければならない。社会福祉士会がこの資格による身分保障や地位向上にもっと積極的になれば、入会に二の足を踏んでいる有資格者たちも入会に傾いてくれると思うのは僕だけだろうか。

どちらにしても、社会福祉士が今のままの身分保障では、その役割が、別の専門資格に包括され、必要性が失われかねないであろう。

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社会福祉士資格の不思議さ

この業界に入った当時、任用資格としての社会福祉主事は別として、相談援助職の公的資格はないに等しかった。

施設の相談員にしても、医療機関のソーシャルワーカーにしても、社会福祉主事の有資格者は多かったが、相談援助職そのものの資格はない状態で、ソーシャルワーカー等の名称を名乗っていた。(ソーシャルワーカーという名称に関して言えば今も変わりないが)

このことについて当時の学卒バリバリの蒼い僕は、相談員なり・ソーシャルワーカーなり、それ自体の身分を現す国家資格があっても良いのではいかと先輩たちに(つばを吐きかける勢いで)問いかけたものだ。

そんな意見に同調してくれる方もいたが、以外だったのは医療機関に勤める多くの先輩ソーシャルワーカーたちの否定的な意見であった。

ソーシャルワーカーが資格化されれば、医療の資格に包括されて、医師の管理がより強くなり、ソーシャルワーカーとしての独自性が失われるという意見である。

当時の僕に、その意見に反論する知識も見識もなかったが、何か「おかしさ」を感じていたことは事実だ。ずいぶん融通性が利かないんだなあ、という感覚というか、資格が明確化されて身分や地位や確立されることで、ソーシャルワークの機能が縮小される、という論法に違和感を感じていた。

だから1987年に社会福祉士という国家資格が法制化されたとき、これは医療の相談援助業務の資格とは一線を画した資格であると捉えていたような気がする。実際、福祉の現場職員のほうが当初の受験者は多かったように思う。

ただ、その後、医療の領域でも精神保健福祉士という資格ができ、医療機関のソーシャルワーカーも社会福祉士の資格取得者が増えている現実をみると、決して、これらの資格はソーシャルワーカーの活動領域を狭めることにはなっていないのであろうし、やはりきちんとした身分保障とスキルアップの動機付けには「国家資格」という形は必要であると思ったものである。

ところで社会福祉士資格とは、なんとも奇妙な資格である。

試験内容から見ても、合格率から見ても、そのハードルは決して低くない。むしろ介護支援専門員資格(これは国家資格ではないので比べようがないという意見があるが)と比較すると、社会福祉士の合格へのハードルはかな高いといわざるを得ない。

しかし、この資格を持っていても就職に有利になるかといえば、必ずしもそうではないし、ケアマネの求職はどの地域でも必ずあるが、社会福祉士募集という求人は少ない。

この不思議さは、やはり業務独占の資格でなく名称独占の資格である、という点が大きいのであろう。

しかし同じ名称独占の介護福祉士が、高齢者介護施設の正職員の雇用条件にされている場合が多いのに比べ、同じ高齢者介護施設で相談員の雇用条件を社会福祉士としている施設は、そう多くないように思う。

これはなぜか。おそらく介護福祉士は実務や養成過程で、ある程度、介護の経験や技術を、有資格者以外より身につけている、という可能性が高いと考えられているのに比べ、こと社会福祉士は、有資格者が資格のないワーカーより、技術や経験、見識が高いとは限らないと見ている向きが多いのだろう。

この原因が何であるのかは複合的要素があり特定できないが、ひとついえることは、大学でソーシャルワークの専門課程を勉強してきた者は、社会福祉士の資格の有無に関わらず、相談援助職としての一定の要請過程を経ていることに変わりがないことがひとつの要素として挙げられるのではないだろうか。

しかし、どちらにしても、資格取得のメリットがさほど大きいと実感できない、という声が多いことは事実である。

このことをもう少し具体的に考えながら、将来のこの資格のあり方を検証してみたい(明日に続く)

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