masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

医療関連

セカンドオピニオンを保証する介護関係者の責任


特養に入所している人の健康管理は、原則として特養に配置されている施設配置医師によって行われる。

だからと言って特養は医療機関ではないので、利用者に対する医療行為について特養が診療報酬を請求することは出来ない。そのため配置医師による利用者の医療処置が必要になる際の治療については、施設配置医師が所属する医療機関の外来診療扱いとして、医療機関から診療報酬を請求することになるわけだ。

よって医療機関に勤めていた医師が退職し、医療機関に籍がない状態であっても、医師という資格に基づいて特養の施設医師として配置されることに問題はないが、その際に利用者に必要な治療行為やその際の薬剤等について、診療報酬を請求する手立てがなくなってしまうため、実質医療機関に籍のない医師を施設配置医師とするケースはほとんどないのである。

利用者に対する治療を行った際に、外来扱いで診療報酬を請求するためのルールについては、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」という医政局通知が各診療機関に向けて発出されている。

その最新のルールについては、「短期入所生活介護の診療に対する誤解をなくそう」という記事の中で解説しているが、特養利用者が医療機関を外来受診するなどして、施設配置医師以外の治療を受ける際には、「配置医師の専門外」・「配置医師の求め」・「緊急の場合」のいずれかに該当する必要があるという規定がある。これは短期入所生活介護についても同様に適用されるルールである。

よって自宅で暮らしていた際に、「かかりつけ医師」がいた方であっても、特養に入所する際には特養の配置医師が主治医となるために、原則として日常的な疾患管理のために、かかりつけ医師のいる医療機関に外来受診することは出来なくなるわけである。

だがそうしたルールを定めている医政局通知の強制力がどこまで、どれほど及ぶのかということになると、これはまた別の話である。

そもそもこの通知は医療機関に向けて発出されている通知であり、特養の関係者がその内容を知らなくても施設運営上の責任は生じない。自分の所属事業を利用している方々の医療にかかわるルールを知らないことについては、専門家としての責任感が低いのではないかという誹りは免れないとしても、法令上の罰則を受ける立場にはならないわけである。

よって特養に入所した人が、以前からのかかりつけ医師の診断しか信じないというような信者的患者で、家族もそれを望んで、利用者を定期的に特養入所前のかかりつけ医師の所属する医療機関の外来受診のために定期的に家族送迎で利用者を外出をさせようとする場合、それを完全に拒むことは難しい。勿論、この場合は特養に外来受診の送迎を行うという責任が課せられている部分は適用されず、送迎は家族等が行うことになる。

そもそも外来受診をすることを隠して、外出希望が出されたら拒みようがないわけである。その際に、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」についてのルール違反を問われるのは、外来受診した医療機関側だけであり、特養が違反を問われることにはならない。

しかしこうした受診を行った結果、医療機関が診療報酬の支払いを拒まれたとか、保健所の運営指導を受けたというケースを僕は聴いたことがない。実質、それはチェック不可能で、医療機関に善処を求めることしかできないと言えるのではないだろうか。

さてこうした利用者等の強い希望によって施設配置医師以外の医療機関受診する行為とは別に、「セカンドオピニオン」の問題が今後クローズアップされてくる可能性がある。

セカンドオピニオンとは、患者が検査や治療を受けるに当たって主治医以外の医師に意見を求める行為を指す。この考え方は、主治医に「すべてを任せる」という従来の医師患者関係を脱して、複数の専門家の意見を聞くことで、より適した治療法を患者自身が選択していくべきと言う考え方に沿ったものである。

そうすると特養の利用者にもその権利は当然認められてしかるべきであり、施設配置医師ではない医師の意見を聞くために、他の医療機関を外来受診したいと希望する人は今後増えることが予測される。

特に人生会議(ACP)がの重要性が叫ばれる今日、自分の終末期の医療や介護の最善の在り方についてどのように考えるかという過程で、リビングウイルへの関心が高まることで、施設配置医師以外の医師によるセカンドオピニオンを求める人が増えてきてもおかしくはない。

看取り介護に関連して考えると、施設配置医師の終末期診断が正しいのかという確認のためのセカンドオピニオンニーズも増すだろう。回復不能の終末期と診断され、看取り介護に移行することを打診された対象者の家族が、本当に自分の身内が治療効果がなく、そのまま看取り介護とされて良いのだろうかというセカンドオピニオンを求めるケースがいつあってもおかしくないのではないのである。

こうしたセカンドオピニオンは、それを受ける権利が保障されなけれなならず、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」の制限規定を縦に認めないという行為は、利用者の権利侵害として賠償請求などの対象行為となり得るので、十分な理解と注意が必要だ。

利用者やその家族がセカンドオピニオンを求めた場合は、同通知に言う「配置医師の専門外」・「配置医師の求め」に準する扱いとして認められると考えなければならない。

特養の相談援助職は、そうしたニーズへの支援も重要な役割になっていくことを自覚しなければならない。

同時にすべての介護関係者に新たな覚悟が求めらえることも自覚しなければならない。それは、「人生会議」という愛称が浸透し、アドバンス・ケア・プランニングの意識が国民全体に高まる先には、セカンドオピニオンはより重要な課題となり、介護関係者もそれを保証する役割が求められていくという覚悟である。
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15年ぶりに行われる介護職員の業務範囲明確化に期待すること


今月2日にまとめられた政府の規制改革推進会議の答申には、「介護現場における介護職員によるケア行為の円滑的な実施 」という項目がある。(54頁

ここには、「酸素マスクのずれを直すことや、膀胱留置カテーテルのバッグからの尿廃棄などの行為は、医行為に該当するか否かが判然とせず、介護職員が実施を躊躇してしまう」という実情が述べられたうえで、『平成 17 年には、「医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(通知)」が発出され、血圧測定や点眼薬点眼等の医行為ではない行為が整理され示されたものの、通知の発出から 15 年が経過し、当該通知に記載されていない行為について も医行為への該当性を改めて整理し、医行為でない行為については介護職員が安心 し、かつ、円滑に実施できるようにする必要がある。』として、医行為でない範囲を改めて明確にすることが提言されている。(※ちなみに平成17年は2005年である。

平成17年(2005年)通知では、医療行為ではないとする具体例が示されているが、そこから漏れる医療行為かどうかがあいまいな行為は、介護サービスの場に多々存在しており、そうしたグレーゾーンの行為を強いられる介護職員は、そのことによって個人的な責任を問われないかという不安を持って仕事をしていることが多い。そうであるがゆえに医療行為なのか、そうではない行為なのかという区分のグレーゾーンをできるだけなくして、黒白をはっきりさせた状態にすることは、介護職員の不安の解消につながるのである。

そういう意味では、今回の規制改革推進会議の提言は介護職員等のニーズと一致するもので、その方向へという動きが出てきたことは朗報と言える。

ただそれだけで終わってほしくないというのが、僕の個人的な希望でもある。その先に、一定の条件下で介護職員が行うことができる医療行為(特定行為)の範囲の見直しも見据えてほしいと思うのだ。

医療行為である「痰の吸引」と「経管栄養」に関連する行為が、一定の条件を満たした介護職員に認められたのは2012年4月からであった。

そのことによって「喀痰吸引等研修」を受講した介護職員は一定条件化で各痰吸引や経管栄養を実施できるようになったし、2012年以降の介護福祉士養成課程には、「喀痰吸引等研修」が養成カリキュラムに含まれているために、資格取得と同時に一定条件化でこれらの行為が可能になっている。

しかし高齢化がさらに進行する中で、高齢者の居所の選択肢が増えているのが我が国の現状である。それは日常的に医療器具を使用しながら暮らしている人が、医療機関以外の様々な場所を暮らしの場としているという意味だ。

毎日、医療行為を必要としている人が、医師や看護師のいない場所で暮らしている際に、一番頼りにするのは家族等のインフォーマルな支援者の医療行為支援だ。身内の場合は、医療行為を行っても、「業:なりわい」ではないから法令違反とはならず、罰せられない。

しかし同じ行為を家族ではない介護職員が行えば罪に問われる。お金をもらわずボランティアでそれらの行為を行った場合でも、他人の反復継続行為は「業:なりわい」と同じだとして許されていないのである。

そんな中で最も支障を来しているはインスリン注射である。

男性高齢者は糖尿病を持病として持つ人が多いが、きちんと血糖値を管理しさえすれば、日常生活に支障なく過ごせる人も多い。それらの人にとってインスリンは命綱である。その自己注射ができなくなった際に、替わって注射してくれる家族がいれば問題ないが、高齢化の進行によってその家族がいないために施設入所を余儀なくされる人もいる。

介護職員のインスリン注射が認められていないことによって、看護師配置のないグループホームに、インスリン注射が必要な認知症の人が入所できない事案は多い。看護師配置がある特養でも、朝早い時間のインスリン注射ができないという理由だけで、入所を断られるケースも少なからずある。それは糖尿病で血糖値管理が必要な人の居所の選択肢を狭めているということだ。

インスリン注射を特定行為として、一定の条件下で介護職員が行えるようにするだけで、糖尿病を持病に持つ人の暮らしの質は大幅に改善するのである。

そもそもインスリン注射は、現在特定行為として認められている各痰吸引等と比較しても、安全に簡単に行うことができる行為でもある。気管カニューレ内の各痰吸引という難しい行為まで許されているのに、手が震えて不自由な高齢の妻が替わって注射できるインスリン注射がなぜ認められていないのか疑問だ。

是非この問題の解決に向け、一歩でも前進することを望みたい。

蛇足であるが、今はインスリン注射は介護職員が行うことが認められていないことを肝に銘じてほしい。インスリン注射が簡単な行為だからと言って、誰かに命じられて密かに違法行為を行っている人がいるとすればそれは許されないし、業務命令であっても身体への侵襲行為を実際に行った人には必ず罪は及ぶし、損害賠償責任も免れないので、決して行わないように強く警告しておく。

そもそも違法行為を命ずる事業経営者や管理職は、職員の不利益を全く顧みていないという意味なので、そういう職場があるとしたら、一刻も早くそこから離れて別の職場を探すべきである。
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認知症予防薬開発に進展ありのニュースに触れて


昨年5月に「認知症治療薬開発の悲惨な現状から思うこと」という記事を書いて、認知症の予防薬の開発研究が進展していない現状を指摘したところだ。

その記事の中でリンクを貼っている、「永遠の10年」という記事の中で、アルツハイマー型認知症の原因として有力視されている「アミロイド仮説」について説明し、その仮説に基づく予防薬の開発ができていない現状を指摘しつつ、そもそもその仮説が正しいのかどうなのかという疑問も呈した。

アミロイド仮説」については下記の説明を読んでほしい。(※リンク記事と重複するが、改めてこの部分を記してみる。)

脳内にはアミロイドβの前駆体である、「アミロイド前駆体蛋白」というものがあるが、これがセレクターゼという酵素によってばらばらにされて、分解排出されていくという過程が繰り返されている訳である。ところがアルツハイマー型認知症になる人の脳内では、この分解排出がうまくなされず、無害であるはずの「アミロイド前駆体蛋白」が、「アミロイドβ蛋白質」に変化する。

この「アミロイドβ蛋白質」は非常に凝集(集合し沈殿することをいう)しやすい特徴を持つため、脳内でどんどん凝集し、沈着(たまって固着すること)してしまう。ここがアルツハイマー型認知症の始まりとなって、この状態は実際に症状が発生する10年以上前から起こっていると考えられている。そしてアミロイドβ蛋白質の沈着から、次に、「タウ蛋白」という物質が細胞質中で線維化(繊維化)し、沈着し、神経が変質して神経細胞死が起こり、認知症の症状が出はじめ、神経細胞の炎症が広がることで、症状が進行悪化すると考えられる。

つまりアルツハイマー型認知症の発生のメカニズムを4段階に分けて考えると下記の段階分けができる。
1.ベーター蛋白質が増える。
2. タウ蛋白が増える。
3.神経細胞死が起きる 。
4.アルツハイマー病が発症する 。


ところで、この予防薬に関して京都大ips細胞研究所の井上治久教授(神経科学)らの研究グループ(以下、井上研究グループと略)が25日国際学術誌電子版に、『アルツハイマー病などの認知症の原因とされる異常化したタンパク質「タウ」の蓄積を抑える点鼻ワクチンを開発した』と発表した。

つまり上記で示した4段階のうち2段階目の異常化したタウ蛋白を取り除く抗体を作るための点鼻ワクチンを、井上研究グループは開発したわけである。

これまでも異常化したタウ蛋白をターゲットにして、それを死滅させる研究は行われていたが、大きな効果が出ていなかった。しかし井上研究グループが開発したワクチンを認知症を発症するマウスに1週間おきに計3回投与して経過観察したところ、脳内でタウに対する抗体が増加したり、異常化したタウの蓄積が大幅に減ったりしたことが確認できたという。また、行動試験ではワクチンの投与により認知機能の改善がみられたともされている。

これが実用化できれば、人類はアルツハイマー型認知症の発症から逃れられるかもしれないわけである。大きな光明と言ってよいのだろうか。

だが過去のワクチン開発研究でも、マウスによる実験で効果がみられたという報告は何度か行われている。アミロイドβ蛋白を攻撃するワクチン研究でも、それが激減しマウスの認知機能が改善したという報告もあったが、すべて実用化される前に何らかの重大な支障が生じて研究も放棄された経緯がある。人に実用実験した段階で、副作用のため治験者の死亡が相次いで実用化できなかった予防薬もある。

つまり現段階で、このワクチンが人類に光明をもたらすものであるかどうかは不明だと言うしかない。少なくとも今すぐに人に実用化されるワクチンができることは考えにくい。

しかしこのワクチンが人に実用化できれば、それは人類にとって計り知れない利益と言えるのだから、井上研究チームの今後の研究の進展には大いに期待したいところである。

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短期入所生活介護の診療に対する誤解をなくそう


特養の利用者等に対する診療報酬の扱いを定めた医政局通知、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」は、基本的に医療機関に向けられた通知である。

よって特養関係者で、この通知の確認を怠っている人がいるが、これは特養の関係者にとっても、「施設サービス」・「短期入所生活介護」両面で重要な対応につながる規定(ルール)が含まれている通知なので、常に最新版の確認が必要だ。

例えば2016年には、特養の所属医師の診療行為の際に長年ネックとなっていた、『特別養護老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。』という規定が改正され、施設医師が勤務していない日でも、施設医師の指示を受けた特養の看護職員が行う看護処置については、診療報酬の算定が可能になったことは、特養にとっても大きなメリットとなって今日に至っている。(参照:この通知改正は、特養関係者が待ち望んだものだ

それ以降にも改正は行われており、かつてこの通知では、「保険医が、配置医師でない場合については〜(中略)入所している患者に対し、みだりに診療してはならない」という規定があったが、2018年度の改正では、「みだりに診療してはならない」という文言は削除されており、配置医師以外が入所している患者を診療してよい条件が書かれているだけの文章に置き換えられている。修正された文章は以下の通りである。
-----------------------------------------------------
3 配置医師以外の保険医が、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、指定短期入所生活介護事業所、指定介護予防短期入所生活介護事業所、指定障害者支援施設(生活介護を行う施設に限る。)、療養介護事業所、救護施設、乳児院又は児童心理治療施設(以下「特別養護老人ホーム等」という。)を診療する場合については、次の(1)又は(2)の取扱いとすること。
(1)患者の傷病が配置医師の専門外にわたるものであり、入所者又はその家族等の求め等を踏まえ、入所者の状態に応じた医学的判断による配置医師の求めがある場合に限り、医科点数表第1章第1部の初・再診料、医科点数表区分番号C000の往診料、医科点数表第2章第3部の検査、医科点数表第2章第9部の処置等に係る診療報酬を算定できる。
(2)(1)にかかわらず、入所者又はその家族等の求めや入所者の状態に応じた医学的判断による配置医師の求めが明らかではない場合であっても、緊急の場合であって、特別養護老人ホーム等の管理者の求めに応じて行った診療については、医科点数表第1章第1部の初・再診料、医科点数表区分番号C000の往診料、医科点数表第2章第3部の検査、医科点数表第2章第9部の処置等に係る診療報酬を同様に算定できる。
------------------------------------------------------
みだりに〜」規定があった当時と、配置医師以外の保険医が入所患者に診療を行って診療報酬を算定できる行為自体に変わりはないとに思えるが、表現がソフトになっているため、「配置医師の専門外」・「配置医師の求め」・「緊急の場合」の判断基準がずいぶん広く解釈できるような感があることも事実だ。

だが言葉のソフトさに惑わされて、法令規定を拡大解釈してはならない。

例えば特養関係者の中には、併設ショートスティについて、利用者には別に、「かかりつけ医」がいることが多いのだから、ショート期間中に診療が必要になった場合も、当該利用者の、「かかりつけ医」の診療を求めるべきだと考えている人がいる。ショート利用者の通院支援は行わなくてよいという考え方もここから生まれている。

しかしそれは間違った考え方である。短期入所生活介護の基準省令では、「第百二十一条 一 医師 一人以上」として医師配置義務が規定されている。

つまり短期入所利用者の健康管理について、第一義的に責任を負うべきは、短期入所生活介護事業者であり、配置医師による診療が求められているのである。場合によっては、ショート事業所の職員が、配置医師の所属する医療機関へ受診するショート利用者に同行支援する必要はあるのだ。

そもそも、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」の改正版でも、短期入所生活介護利用者が、その事業所の医師以外の診療を受けて診療報酬を算定できるのは、「患者の傷病が配置医師の専門外にわたるものであり、入所者又はその家族等の求め等を踏まえ、入所者の状態に応じた医学的判断による配置医師の求めがある場合に限り」認められているほかは、特例として「医学的判断による配置医師の求めが明らかではない場合であっても、緊急の場合であって、特別養護老人ホーム等の管理者の求めに応じて行った診療について」が認められているに過ぎない。

これ以外は、短期入所生活介護事業者の配置医師が診療して、当該医師の所属する医療機関が診療報酬を算定せねばならないのである。

持病を持っている利用者が、日常的に服薬している薬は、ショート期間中に足りなくならないように事前に処方してもらって持参してもらうべきだが、ショート利用中に処方薬が切れた場合の原則も、普段受診している医療機関を受診して処方してもらうのではなく、「かかりつけ医」から診療情報提供を受けて、ショート配置医師が診察・処方するのが法令に則った方法である。

例外的にショート事業所以外の医師による診療を受ける際に、受診対応を家族にお願いする場合は、ショートステイの契約時にそのことを十分説明して、ご家族にお願いしておかねばなりらない。ショートステイだから必然的に、診療が必要になった際の外部受診の支援は、家族対応が当たり前ということではないからである。ここを勘違いしてはならない。

むしろ法令規定を読む限り、ショート期間中に病状変化等があり、ショート配置医師の専門外の病状のために外部医療機関を受診する場合も、施設入所者との対応と同様に、一義的にはショート事業者に受診支援義務があるとさえ解釈できるのである。

だからこそ、家族の受診対応支援は慎重かつ丁寧にお願いしないとトラブルになりかねないのである。

例えばショート利用中に、突然に熱発する方については、利用中止が当たり前で、その時点で家族が医療機関に受診させるべきだと考えているとしたら、それも違うということが上記までの説明で理解できると思う。

しかしショート利用者がもともと菌やウイルスを持っていて、それがもとで発熱したならともかく、そうではないケースも多々あるし、施設内感染が疑われるケースも多い。そもそもどちらか判断できないケースの方が多いわけである。

その時に短期入所生活介護事業所の職員が、「ショートステイ」だから外部受診を家族が行うことが当然だという上から目線で対応すると、「そっちが感染させたんだろう」という話になって、損害賠償という話にもなりかねない。

くれぐれもそうした大きな問題に発展しないように、真摯に丁寧な対応が求められるのである。

その点、老健の短期入所療養介護はマルメ報酬で、短期入所利用中に外来診療してしまえば、その分が老健の負担になるので、そういうことがないようにしている施設がほとんどで、短期入所生活介護のような誤解は生じていないことは幸いなことだろう。

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人類は脳血管障害による麻痺から解放されるのか?


戦後、日本人の死因調査が始まって以来ずっと1位を占めていた、「脳卒中(脳出血・脳梗塞・くも膜下出血等の総称)」は、昭和50年代の前半にその位置から陥落し、2019年1月時点の最新情報によれば、その順位は3位に下がり、割合も8.2%と1割に満たない数字になっている。(下記図参照ください。)
主な死因別死亡者数の割合(平成29年)
社会の高齢化がさらに進行することを考えると、いずれ老衰死が脳卒中による死亡を上回ることは明らかであり、脳卒中は死因の上位3位から外れることは確実であるともいえる。

それは生活習慣病の予防ということが盛んに叫ばれて、病気の予防意識が高まったことにも起因しているだろうし、超高齢社会では、脳卒中以外の病気の発症リスクが高まっているという理由もあるだろう。

しかしその意味は、脳卒中という病気そのものでは、なかなか死ななくなったというに過ぎないという見方もできる。超音波画像診断技術などの進化により、初期の脳卒中が診断できるようになり、早期発見・早期治療が可能となったことや、脳外科手術の技術進歩により、脳卒中そのもので亡くなる人は減っているのである。

勿論、病巣部位が脳幹など直接生命に危険を及ぼす部位であれば、早期発見しても手術や治療は難しいが、命を失わなくてよくする治療は確実に進歩している。

しかし脳卒中の厄介な点は、命が助かっても脳細胞の壊死など、脳ダメージが後遺症として残るという点にある。医療技術がいくら進化したとはいえ、一度損傷した脳細胞を再生する手段を人類は持っていないのである。そのため脳内にダメージを受けた部分が、運動機能に関連した部位であれば、それは手足の麻痺として残るし、それはリハビリテーションで元通りに回復するとは限らないのである。

よって脳卒中を発症する人がわずかながら減っているとしても、脳卒中を発症しても死なない人が増えているという状況下で、手足の麻痺による運動障害を抱えたまま、暮らし続けなければならない人の数は増えているのではないかと思われる。

手足の麻痺は、その程度に関わらず大きな生活障害でもある。排泄感覚に問題がないのに、麻痺した手足を自由に動かせないことによって、移乗・移動だけではなく、排泄につながる巧緻動作に支障を来して、それが失禁に結びついているケースは多い。

特に巧緻性の障害は、軽度麻痺でも現れるので、服のボタンなどをはめたり、外したりするのに時間が掛かったり、食事を自由に楽しんで食べたいのに、魚の骨などが取りずらくなるために時間が掛かり、食事のおいしさを損なうケースもみられる。

だからこそ脳卒中を克服した後の、「麻痺からの解放」は大きな課題であると言えるのである。

しかし今、脳卒中後遺症等による手足の麻痺から多くの人々が解放される可能性が生まれている。公益財団法人東京都医学総合研究所が、「人工神経接続システム」の開発に成功し、動物実験では、脳梗塞のサルの麻痺した手が「人工神経接続システム」により回復したというのである。

人工神経接続システムは、脳の神経細胞と似た役割をするコンピューターを用いて、脳に近い側の神経細胞の情報を受け取り(入力)、その情報を末梢側の神経細胞へと伝える仕組みである。脳表面の複数の領域からの電気信号を記録し、記録された信号から特定の脳活動を見つけ出して、脳活動パターンを検出し、その脳活動パターンを電気刺激に変換することで、筋肉へその情報が伝わることができ、機能が回復するというものである。

その詳細は、NIPS生理学研究所のHPに記載されている、「手の運動機能を持たない脳領域に人工神経接続システムを使って、新たに運動機能を付与することに成功 」というアナウンス記事をご覧いただきたい。

この記事にはメカニズムも図解されて解説されているので、科学に弱い僕でも何となく理解できるので、理数系の得意な方はさらに深い理解が可能だろう。

このシステムはまだ動物実験の段階で、ヒトへの臨床応用はされていないが、サルというヒトに近い動物での実験の成功は、ヒトへの応用に大きな期待を抱かせるのではないだろうか。

このことが実用化すれば、もしかして人間は脳血管障害等の後遺症による手足の麻痺から解放されるかもしれない。そうなれば多くの人々の暮らしが良くなり、人生そのものが豊かになることにつながっていく可能性が高い。

脳細胞がダメージを受けたて、運動機能に障害を持ったとしても、人工神経接続システムによって、その機能を簡単に回復できる・・・。是非そんな日が来ることを期待したい。

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診療報酬と介護報酬のすり合わせは不十分ではないか?


先週木曜日に北海道を経って、東京〜静岡と巡った講演の旅を終え、今日一旦北海道に帰る予定である。次は今週木曜日から日曜日まで、大阪〜宇都宮の旅が控えている。

今朝は10:38静岡駅発の新幹線に乗って品川を経由し、先ほど羽田空港に到着したところである。

今回の旅の中で、東京港区と静岡では、介護支援専門員の皆さんに対する講演を行った。そこでは近直の介護保険制度改正と本年4月の報酬改定及びそれにともなう基準改正について解説してきた。

しかし今この時期に報酬改定の解釈のみを述べても無意味であろう。それは現場レベルでほぼ終わっている作業だからだ。

そのため僕は、制度改正と報酬改定について本音で解説することに努めた。それは厚労省の役人など行政職員には決して語ることのできない内容である。例えば今の制度ルールや報酬算定ルールが、過去のどのような考え方とつながっていたり、ねじれたりしているのか。そしてそれは今後どのようなルールにつながっていくのだろうかという予測も述べさせていただくとともに、その中で介護支援専門員としてどのような役割を担っていくべきなのかを解説した。

当然そこでは介護保険制度や介護報酬上の瑕疵や足りない点などの提言も行ってきた。

例えば居宅介護支援費に新設されたターミナルケアマネジメント加算について、なぜこの加算は末期がんの利用者のみを対象とせねばならないのかと疑問を呈したうえで、今後この加算の範囲をすべての在宅看取り介護対象者に広げるべきではないかと提言してきた。

確かに末期がんの方が在宅で最期の時間を過ごすケースは増えているが、今後の多死社会を見つめた場合、高齢者が暮らしの場で自然死するケースが増えることは容易に予想できる。

高齢者の自然死とは老衰である。食物の口腔摂取が困難になる末期となっても、延命のためだけの経管栄養を行わずに、枯れ行くように死に向かっていくのが最も苦痛が少ない自然死である場合が多い。

そうしたリビングウイルの支援を行うのが介護支援専門員の重要な役割になってくる中で、ターミナルケアマネジメント加算の対象者が、「末期のがん」の利用者に限っているのは意味がないと思う。それは不必要な制限ではないだろうか。

また今回の報酬改定は診療報酬と介護報酬のダブル改定であったが、6年一度のダブル改定時には、両者のインセンティブ(報酬)のすり合わせが行われる。

今回の報酬改定では、地域包括ケアシステムの深化を目的として、入院しても短期間で退院して地域で暮らし続けるために、医療機関と居宅介護支援事業所の入退院連携が強化された。

入院の際には、できるだけ早く居宅で生活している利用者の情報が医療機関に伝えられて、より適切な治療ができるように、入院時情報連携加算について、従前の入院後7日以内の情報提供に加えて、入院後3日以内に利用者の情報を医療機関に提供した場合を新たに評価するとともに、情報提供の方法(訪問又は訪問以外)による差は設けないようにした。

退院時には、より適切な居宅サービスが提供されて、利用者が住み慣れた地域で暮らし続けられるように、退院・退所時におけるケアプランの初回作成の手間を明確に評価するとともに、介護支援専門員が医療機関からより適切な情報提供と指導を受けるために、 居宅介護支援事業所の介護支援専門員が、医療機関におけるカンファレンスに参加した場合を上乗せで評価している。

しかしこの退院時連携についてはかねてより、ケアマネがタイムリーに情報をもらうことが難しいと指摘されており、その理由として、「急に退院の連絡がくる」という声があった。また多職種カンファレンスに参加するハードルとして、「病院が日程を決める」=医師の都合に左右されるために調整が困難であることも指摘されていた。

このため今回の診療報酬改定では、病院が予後や注意点をケアマネに説明することなどで得られる「診療情報提供料(I)」について、退院してから2週間以内に実施するルールを、退院前の2週間以内も対象にするというルールに改めた。これによってケアマネジャーが退院前から情報提供を受けることができるようになり、退院後の初回プランの作成がしやすくなることが期待できる。

また「退院時共同指導料(供」について医師の他、看護師等による共同指導(カンファレンス)を認め、主治医が多忙でカンファレンスの調整困難というケースが減るようにルールを変えている。

しかしこの「退院時共同指導料(供法廚砲弔い討蓮△發Π譴弔離蓮璽疋襪存在している。それは多機関共同指導加算の算定ルールである。介護支援専門員が医療機関のカンファレンスに参加して加算を算定するカンファレンスの定義は、解釈通知において「診療報酬の算定方法(平成20年厚生労働省告示第59号)別表第1医科診療報酬点数表の退院時共同指導料2の注3の要件を満たすもの。」とされており、それは以下の共同指導を意味している。

『注3 入院中の保険医療機関の保険医又は看護師等が、在宅療養担当医療機関の保険医若しくは看護師等、保険医である歯科医師若しくはその指示を受けた歯科衛生士、保険薬局の保険薬剤師、訪問看護ステーションの看護師等(准看護師を除く。)、理学療法士、作業療法士若しくは言語聴覚士、介護支援専門員(介護保険法第7条第5項に規定する介護支援専門員をいう。以下同じ。)又は相談支援専門員(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律に基づく指定計画相談支援の事業の人員及び運営に関する基準(平成 24年厚生労働省令第28号)第3条第1項又は児童福祉法に基づく指定障害児相談支援の事業の人員及び運営に関する基準(平成24年厚生労働省令第29号)第3条第1項に規定する相談支援専門員をいう。以下同じ。)のうちいずれか3者以上と共同して指導を行った場合に、多機関共同指導加算として、2,000点を所定点数に加算する。』

この要件を満たすことで医療機関は2000点(2万円」)という大きな加算を算定できるもので、医療機関にも収益上のメリットがあり、そこに介護支援専門員が参加して介護報酬の退院退所加算のうちより高い加算を算定できることになる。しかし算定要件が、介護支援専門員等の居宅サービスの担当者となる3者以上の共同指導という規定はハードルが高すぎるのではないだろうか。

在宅のかかりつけ医師については、入院先の医療機関の医師からの診療情報提供書による情報だけでも十分だろうし、退院後のサービス利用がとりあえず1種類だけという利用者も多い現状を鑑みると、居宅サービス担当者は介護支援専門員とサービス担当者の2者でもよいとするように、ハードルを下げないと、事実上このカンファレンスは、実施率が上がらず機能しないのではないかと思える。

2年後の診療報酬改定では、この改定を強く望むものである。

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介護報酬と診療報酬の擦り合わせ


介護報酬が3年に一度改定されるのに対し、診療報酬は2年に一度改定される。

つまり診療報酬の方が介護報酬より改定サイクルが短いということになり、それによって国が目指す流れをより早く診療報酬評価に取り込むという結果を生んでいる。すなわちそのことは改定サイクルが長い介護報酬が、常に診療報酬の風下(あるいは川下)に置かれるという意味だ。

そんな介護・診療報酬は、必然的に6年に一度同時改定となる。その時には、両者のインセンティブ(報酬)をすり合わせ、整合性をとる方向で改定されることになる。

現在国が目指しているのは、介護と医療制度の持続可能性を高めることであり、限りある財源を必要性の高いところに重点給付するために、地域包括ケアシステムを深化させようとしている。

そこでは入院治療は本当に必要な人のみとし、医療から介護への付け替えを進める施策がとられ、療養の場は暮らしの場へと移っていく。つまり療養の場で暮らしを支援する必要が生ずるわけである。そこでは介護サービスに医療が深く食い込んでくることとなり、そのために介護・医療連携が必然となる。いわば介護と医療は、それぞれの専門性の枠からはみ出して、Hybrid化(異なった要素を混ぜ合わせたもの・組合わせたもの)が求められているわけである。

そのため今回の介護・診療両報酬でも、医療機関からの退院支援に関する報酬評価が、よりしやすく、より高くという方向で議論された。

例えば介護報酬の居宅介護支援費における「退院・退所加算」については、退院後の初回のケアプラン作成を評価するとともに、すべての区分で退院時の院内カンファレンス参加を評価する改定が行われた。カンファレンスに参加してより適切な情報に基づく居宅サービス計画を立案し、退院直後のより早い支援を評価することになったものだ。

しかしこのことでは従前の診療報酬の算定ルールに問題が存在していた。それは退院した日から即使える居宅サービス計画を立案するには、ケアマネジャーが入院先からより早い段階で利用者情報を得なければならない。ところが従前の「診療情報提供料」については、入院中の情報提供では算定できないというルールがあり、退院後の情報提供のみが算定対象となっていた。

これについて今回の診療報酬改定では、退院前2週間の情報提供も算定要件となったため、ケアマネジャーは、利用者の退院前から退院に向けた医療側の情報提供を受けられるようになり、退院後の初回プランを退院日に間に合わせて作成しやすくなるというメリットが生まれた。

また情報を得る方法としてのカンファレンスについては、従前では「退院時共同指導料2」できる3者以上が参加する共同指導の場をカンファレンスとしていたが、これについては医師の参加が必須であった。そのため入院先の主治医が多忙でカンファレンスの調整困難というケースが多かった。そこで今回の改定では、「退院時共同指導料2」について、主催する医療機関側の参加者が医師だけではなく、看護師でも可とされた。これによって主治医が不在や多忙でカンファレンスに参加できない場合も、看護師参加の共同指導カンファレンスにケアマネジャーが参加し情報を得ることで、介護・診療の両報酬の当該費用の算定も可能になったわけである。

ただこの問題に関連しては、解釈通知(平成 12 年3月1日老企第 36 号厚生省老人保健福祉局企画課長通知)の第3・居宅介護支援費、13 退院・退所加算についてにおいて、この加算を算定できる医療機関のカンファレンスが次のように記載されている。

(2)に規定するカンファレンスは以下のとおりとする。
イ 病院又は診療所 診療報酬の算定方法(平成 20 年厚生労働省告示第 59 号)別表第1医科診療報酬点数表の 退院時共同指導料2の注3の要件を満たすもの。


ここが問題である。平成 30 年厚生労働省告示第 59 号であれば、このカンファレンスは「注1の場合において、入院中の保険医療機関の保険医又は看護師等が〜」と医師以外の看護師が加えられているのであるが、平成 20 年厚生労働省告示第 59 号では、この部分は「注1の場合において、入院中の保険医療機関の保険医が〜」となっている。このため居宅介護支援費の退院・退所加算算定を行うためのカンファレンスは、診療報酬の算定ルールが変わっているにも関わらず、看護師しか参加しないカンファレンスでは算定できないのではないかという疑問が生じ、そのことが表の掲示板の「居宅介護支援の退院退所加算について 」で議論されている。

そのNo.12とNo.14 のレスポンス、「告示を一部改正する場合は、元の告示の番号が生きています。」・「今回の改正告示により元の告示が改正されています 」というのが真相のようで、解釈通知の文言が「平成 20 年厚生労働省告示第 59 号」であっても、最新の「平成 30 年厚生労働省告示第 59 号」の内容が反映されるということで、結果的に医師参加のないカンファレンスにケアマネジャーが参加して、退院退所加算を算定することは問題ないようである。

居宅介護支援事業所のケアマネジャーの皆さんは、このことも確認しながら、より早い段階での退院支援に努めていただきたい。

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利用者のリビングウイルを阻害する思い込み


先週・金曜日に、新宿で行われた東京都高齢者福祉施設協議会・生活相談員研修で講演を行ってきた。

この研修は当初200人定員で募集されていたが、受講希望者が殺到し、最終的には300人を超える方の申し込みがあったそうだ。1職種の研修で、このように多くの方が集まるというのは、さすがに大都会である。当日は相談援助業務の専門家である皆さんに、介護事業経営の視点も含めたメッセージを送ると共に、特養と通所介護を中心に介護報酬改定のポイントを整理するとともに、次期改正への布石なども解説してきた。

その中で、特養については入所者の医療ニーズへの対応強化が図られ、強化体制をとる特養の看取り介護加算の算定単位が引き上げられていることについての意味を解説するとともに、看取り介護ができない特養であってはならないし、そんな中で相談援助職に求められる重要な役割として、「リビングウイルの支援」があることを解説してきた。

その講演の後、ある施設の相談員さんから悩みを打ち明けられた。それは施設長をはじめとした施設職員が「看取り介護に取り組みたい」という思いをもって、施設所属医師に協力をお願いしても、その協力が得られずに、看取り介護を行えないというのである。具体的には、看取り介護に取り組みたいと医師に協力を求めても、点滴対応など終末期に必要な医療行為を施設で行うことは認められていないと拒まれてしまうというのである。しかし実際にはそのような禁止の法令は存在しない。

例えばリビングウイルの宣言を行っている人が、老衰で食事の経口摂取ができなくなった際に、経管栄養を行わずに枯れゆくように旅立つ際にも、安楽支援の観点から、わずかな量の点滴を行うケースは考えられる。

このようなケースで、長い間問題とされていたのは診療報酬の算定ルールであった。特養等の診療などの算定ルールを定めた厚生労働省保険局医療課長通知、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」の規定として、この通知が発出された当初から2016年3月まで、「特別老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。」というルールが存在していた。このため医師が必要な指示を行って、特養の看護職員が点滴を行っても、その費用はどこからも出ない(診療報酬の算定ができないため)ことになっていたため、それは緩和治療を十分できないことにもつながるとして、そのことがネックとなって特養での看取り介護を実施することに二の足を踏む施設もあった。

しかしこの通知は2017年4月に改正され、次のようなルールに変更された。
「特別養護老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。だし、特別養護老人ホーム等に入所中の患者の診療を担う保険医の指示に基づき、当該保険医の診療日以外の日に当該施設の看護師等が当該患者に対し点滴又は処置等を実施した場合に、使用した薬剤の費用については診療報酬の算定方法(平成20年厚生労働省告示第59号)別表第1第2章第2部第3節薬剤料を、使用した特定保険医療材料の費用については同第4節特定保険医療材料料を、当該患者に対し使用した分に限り算定できるまた、同様に当該看護師等が検査のための検体採取等を実施した場合には、同章第3部第1節第1款検体検査実施料を算定できる。なお、これらの場合にあっては、当該薬剤等が使用された日及び検体採取が実施された日を診療報酬明細書の摘要欄に記載すること。」

これにより配置医師のいない日も特養の看護職員によって、配置医師が指示した点滴等の医療行為を行い、医療材料費を含めた診療報酬を算定できるようになったのだから、看取り介護の実施に何の支障も生じないことになった。このような診療報酬算定ルールを確認することもなく、特養では必要な治療処置ができないという医師の思い込みによって、看取り介護の実施が阻害されることは本来あってはならない。

地域包括ケアシステムとは、住み慣れた地域の居所において暮らし続けることができるシステムを全国に創るという目的がある。それは死ぬためだけに医療機関に入院しなくてよい社会を創るという意味でもある。特養は心身の状態に応じた住み替え先の一つであり、要介護高齢者にとってはまさに「暮らしの場」であるのだから、終末期で延命治療が必要とされなくなった場合であっても、最期までそこで過ごすことができる場所でなければならない。それは社会的に求められる使命であり、特養の基本機能とさえいえる。そうであるがゆえに正しい法令理解のもとに、適切に看取り介護が行われる場所であってほしい。

そもそも看取り介護とは、医療でも看護でもなく介護である。看取り介護に付随した医療処置・看護処置も当然必要となる者の、中心的サービスはあくまで介護なのである。看取り介護を実施している特養の大部分では、看護職員の夜勤体制はなく、オンコール対応のみで看取り介護を行い、看取り介護対象者が息を引き取る瞬間にも、枕辺で家族と介護職員だけで看取るケースも多い。在宅で看取られている人も、旅立つ瞬間に傍らにいるのは、家族であって、訪問医師や訪問看護師が旅立つ瞬間にその場にいるケースは少ない。そうであるからといって何の支障もないわけである。

看取り介護対象者の、ほぼすべての方が、最後には食事も水分も摂取できなくなるが、だからといってそうした方々に必ず点滴が必要となるわけでもない。看取り介護とは、日常介護の延長線上に、たまたま終末期であることがあらかじめ診断されている人がいて、その人に対して実施されるケアであるが、その目的は最後の瞬間まで安心と安楽の暮らしを送るためのものであり、完全看護の体制が求められているわけでもなく、24時間の医療サポートが求められるわけでもないのである。このことを理解して関わるべきだ。

さてこのことに関連して、今年度の看取り介護講演としては、最終講演となるセミナーが、今週末福岡で行われる。3月24日(土)15:30〜16:20、電気ビル共創館(福岡県福岡市)で行われる「WCP(ワーコンプロジェクト)主催 セミナー」で、「生きるを支える看取り介護」というテーマで60分話をする予定だ。

同セミナーは、昨年10月に続いて2度目の登場だ。下記のポスターに掲載されているが、前半の講師・青木ワーコンプロジェクト代表は、「多様化する看取り介護の場所と方法」で紹介した、在宅看取り介護を支援する非接触バイタル生体センサー(見守りセンサー)の活用を推進されている方であり、今回のセミナーでは、その話しも聴くことができると思う。お近くの方は、是非会場までお越しいただきたい。お申し込みはFAX092-260-7619 ワーコンプロジェクトまでお願いします。

※すべての居所で看取り介護・ターミナルケアの取り組みがますます必要になります。年3月24日(土)午後14:00から、電気ビル共創館(福岡県福岡市)で看取り介護セミナー行いますので、お近くの方はぜひおいでください。
無題

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診療報酬改定は老健の顧客確保にどう影響するのか


月曜日に書いた、「一般型老健の新報酬はいかに厳しいか」のまとめ部分に、4月以降の診療報酬改定に関連して、在宅復帰強化型老健や同加算型老健が、医療機関からの在宅復帰率の計算式に入れることができなくなったと書いたが、それは間違いであった。

記事を訂正するとともに、改めてここで新ルールを示しておこうと思う。

介護報酬や診療報酬の改定、介護・医療制度の改正は、現在の制度がいかに持続できるかという視点から行われている。そのために各自治体が知恵を絞って、限りある財源を地域住民ニーズに合わせて、必要な部分に重点的に配分できるように、地域包括ケアシステムを創りあげ、それを深化させようとしているのである。

高齢化が進行するわが国では、慢性疾患を抱えて長生きする人が増えているのだから、医療入院は、疾病の発症から治うまでのすべての期間を担うのではなく、疾病の発症時期に自宅等から緊急入院できる機能を高め、疾病に速やかに対応すると同時に、治療を速やかに行うことで、できるだけ入院期間を短くして、ある程度の治療が終わった時点で、患者を地域に戻すという役割が求められてくる。

そして地域の中で、慢性期疾患については通院で対応しつつ、主として介護サービスを使いながら、機能維持や機能低下のスローダウンを図ることが求められている。このように社会保障費の自然増を抑制するためには、医療から介護への付け替えが求められてくるわけである。

そのために医療機関には、急性期・回復期・慢性期のぞれぞれの時期に対応する病棟区分を明確にすることが求められ、各病棟区分ごとに算定できる基本報酬や加算報酬算定要件に、一定の在宅復帰率をクリアすることを求めている。

今年4月からの在宅復帰率計算式の一部変更の表が以下である。この中の老健の記述部分に注目いただきたい。
無題
無題2
この3月まで、在宅復帰強化型老健及び加算型老健については、7:1病棟と地域包括ケア病棟からの在宅復帰率計算式に入れることができるとされる一方、一般型老健はどちらの計算式にも入れられなかった。

しかし4月以降の計算式では、急性期病棟からの在宅復帰率の計算時に、在宅強化型および加算型老健だけではなく、一般型老健も計算式に入れられるようになっている。一方、地域包括ケア病棟からの在宅復帰率の計算式から、すべての老健が外れている。

老健の顧客確保という面から考えて、これはどのように影響してくるだろう。

医療機関はより高い報酬を算定するために、在宅復帰率をクリアせねばならない。急性期病棟では8割、回復期病棟では7割、長期療養病棟でも在宅復帰加算を算定するには5割の在宅復帰率が求められている。

そのため現行まで、急性期・回復期病棟からの退院先として、在宅復帰強化型老健・加算型老健を勧める傾向があって、それらの病棟からの退院患者を受け入れることで、ベッドの稼働率と回転率を高めている老健施設も多かったはずである。

しかし4月以降は、急性期病棟から一般型老健を含めたすべての老健に退院患者が入所するという流れになって、逆に言えば在宅強化型および加算型老健は、一般老健と顧客を奪い合わねばならない流れもできてくる。

さらに地域包括ケア病棟から老健に入所しても、在宅復帰率の計算式に入らなくなるということは、それらの医療機関からの退院先として、老健が選択されるケースは減ることを意味にしている。(替わって退院先として介護医療院という選択が増えていく傾向が予測される。)それは老健のベッドの稼働率と回転率に、大きな影響を及ぼしかねない。

入退所担当の相談員は、今からそれに備えた対策を考えなければならないのではないだろうか。

なおこの表の中の「居住系施設」には、グループホームや特定施設のほか、特養も含まれているので、地域包括ケア病棟からの退院先として、特養を選択しようとするケースも増える可能性がある。そういう意味では顧客確保に苦心し、空きベッドが生じている特養の営業先として、各医療機関の在宅復帰率管理担当者が存在するということも知っておく必要があるだろう。
2/24(土)は福岡で、2/25(日)は岡山で、介護の誇り出版記念セミナー介護施設・事業所で虐待を発生させない〜介護サービス質向上の具体策を行います。お近くの方は是非この機会にこちらをクリックしてお申し込みください。


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医師による死亡診断に基準緩和の動き


医師が常駐していない特養で、看取り介護を行う場合に、死亡診断がネックになっているという施設がある。

義務配置されている医師が常駐ではないからといって、死亡確認に支障をきたすという状態はいかがなものかと思うが、実際に医師が何らかの事情で死亡確認・死亡診断に訪れることができず、長時間遺体を施設にとどめ置いたり、死亡確認のために救急車を要請し、それに死体を乗せて医療機関に搬送する不適切事例も見られる。(参照:看取り介護講演で考えたこと

そんなこともあってか、自宅や介護施設で患者が亡くなった際の死亡診断を、遠隔地にいる医師が看護師を通じてできるように、厚生労働省が月内にも規制を緩和する方針が示されている。準備期間を経て、九月以降に新制度が始まる見通しとのことだ。

具体的には、医師が遠隔地にいる場合など、日ごろから死亡対象者の訪問看護を担当する看護師等が、患者宅で心停止や呼吸停止、虐待が疑われる外傷の有無など体の状況を観察したうえで、タブレット端末のような情報通信技術機器を活用して画像やデータを医師に報告し、医師はそれを基に死亡診断を行い死亡確認後、遺族にテレビ電話などで状況を説明し、看護師に死亡診断書の代筆を指示するというものだ。

遠隔死亡診断を認める前提として、患者の死期が近いことを想定したうえで、以下の条件にするとしている。
1.終末期の対応を医師と看護師が事前に十分連携しており患者や家族の同意がある
2.医師がすぐに訪問できなことが想定できる
3.看護師が医師の判断に必要な情報を報告できる


看護師が遠隔死亡診断を担当するには、5年以上の勤務実績に加え、3年以上の訪問看護の経験などが必要とすることも検討している。早ければ九月ごろ、希望する看護師に患者の状況把握に必要な法医学分野の研修を実施し、研修後すぐに現場で活動を始めるそうである。

これは多死社会を迎える中で、医療機関のベッド数が減る現状を踏まえ、在宅での看取り介護、介護施設での看取り介護・ターミナルケアをより増やす取り組みの一環である。

しかしこれによって安易に機械的に、遠隔からの死亡診断が行われるようになり、死亡確認のためだけの施設訪問を行わないことを原則にする施設医師が多くなっても困るわけである。

医師が直接遺体を確認しないことで、不審死が深い闇に隠されてしまっては困るわけである。

例えば別事件ではあるが、千葉県の老人ホームに勤務していた准看護師が、同僚に睡眠導入剤を混ぜたお茶を飲ませ、交通事故を起こさせたとして逮捕された事件で、施設に保管されていた睡眠導入剤を含む薬は、准看護師が、ほぼ1人で管理していたことが明らかになっている。

こうしたニュース報道を目にすると、看取り介護・ターミナルケアに唯一の医療専門職として一人の看護職だけで関わって、その職員が死亡診断の実質的な判断にも関わるということに、危うさも感じるのは僕だけだろうか。それは考え過ぎなのだろうか。

どちらにしても死亡診断に対する医師の社会的責任、道義的責任を果たすという意識を重ねたうえで、多死社会における様々な死亡場所に対応した新基準という意味では、このことは求められる対応なんだろう。

現在、死者を救急車で搬送して死亡確認しているような特養は、早急に新基準に備えたシステム作りに取り掛かる必要があるだろう。

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この通知改正は、特養関係者が待ち望んだものだ


この4月から、勤め先が特養から老健に変わって、一番違うなと感じたことは、介護報酬の取り扱いである。

老健の場合、いわゆる「マルメ」という医療費部分が包括された報酬体系であり、常勤専従で医師配置義務のある老健ですべき診療部分の報酬が含まれており、薬代や他科受診の費用は(例外を除いて)、老健が支払うことになっており、この費用については、診療報酬も算定できないし、利用者負担もない。

これに比べて特養の場合は、医師配置義務はあるが、勤務時間の定めはなく、診療や治療というより、健康管理が主たる業務であるために、他科受診も一般家庭に住む人と同じ扱いで、薬代等も診療報酬請求+本人自己負担である。

特養の中で診療や治療が必要になった場合は、施設配置医師がその治療に当たるわけであるが、これも診療報酬の算定が可能になるが、この場合は、施設配置医師の所属する医療機関の外来診療扱いとなって、診療報酬請求することになる。

その際に、算定できない費用になどについて定めているものが、医政局通知:「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」である。

ここでは、利用者に対する診療を、特養で診療を行った場合であっても、介護報酬に含まれているとされる、初診料・再診料・往診料などの診療報酬を算定できない費ことなどを通知しているが、本来その内容は、診療報酬を算定する医療機関等が確認すべきものである。

しかし同時のそのことは特養で行われる診療行為や看護処置、他の医療機関への受診に関係してくるために、特養の職員も内容を知っておく必要がある。

たとえばここでは、「3 保険医が、配置医師でない場合については、緊急の場合又は患者の傷病が当該配置医師の専門外にわたるものであるため、特に診療を必要とする場合を除き、それぞれの施設に入所している患者に対してみだりに診療を行ってはならない。」としており、施設所属医師以外の診療行為を制限している。

この通知はショートステイも対象としているために、特養のショートを利用している人は、滞在中、かかりつけ医師がいたとしても、慢性疾患に関する治療も投薬に関する診療も、基本的に施設配置医師が行うことになるものである。

ところでこの通知で悩ましい部分があった。

8 特別養護老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。

↑このようにされていたため、特養に看護職員が配置されているのに、利用者がインフルエンザなどで点滴の必要性が生じた場合でも、特養の看護職員が点滴の針を刺したり、補液するなどしたら、この行為に対する診療報酬の算定ができなかったのである。

診療報酬を算定するためには、医師自身か、意思が所属し診療報酬を算定する医療機関の看護職員を別に連れてきてその行為を行う以外なかった。

もちろんこの部分だけを保険外診療とすると、混合診療となり、それは法律違反となる。

そのためこの通知が、特養の利用者を診療するには大きなネックになっており、看取り介護を行う支障にもなっていた。

ところがこの通知が改正された。

「特別修護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」の一部改正について

改正の通知文は上記であるが、ここの次の文章が変更になった部分である。(〜ただし以下の文章)

7 特別養護老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。ただし、特別養護老人ホーム等に入所中の患者の診療を担う保険医の指示に基づき、当該保険医の診療日以外の日に当該施設の看護師等が当該患者に対し点滴又は処置等を実施した場合に、使用した薬剤の費用については診療報酬の算定方法(平成20年厚生労働省告示第59号)別表第1第2章第2部第3節薬剤料を、使用した特定保険医療材料の費用については同第4節特定保険医療材料料を、当該患者に対し使用した分に限り算定できる。また、同様に当該看護師等が検査のための検体採取等を実施した場合には、同章第3部第1節第1款検体検査実施料を算定できる。なお、これらの場合にあっては、当該薬剤等が使用された日及び検体採取が実施された日を診療報酬明細書の摘要欄に記載すること。

この改正によって、配置医師のいない日も、特養の看護職員によって、配置医師が指示した点滴等の治療行為を行う幅が広がった。特養の医療体制の充実につながる改正であることは間違いない。

特養関係者は、もっとこのことを評価しても良いのではないだろうか。

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平均寿命の延びは豊かさを現さない。


7月30日に厚労省が、2014年の日本人の平均寿命を公表した。

それによると男性は80.50歳(13年80.21歳)、女性は86.83歳(同86.61歳)でいずれも過去最高を更新したそうである。これにより女性の半数近くが90歳の「卒寿」を迎えるという。

しかし平均寿命とは、それが発表された年に0歳児として生まれた人が、今後平均何歳まで生きるのかという統計学上の数字であって、平均寿命が延びたからと言って、それ以前の過去に生まれた人の平均寿命が年々変わって行くわけではない。

今現在生きている人の平均寿命は、その人が生まれた年に出されたものがそのまま数字として残っているのだ。しかし平均寿命に達せずに亡くなる人もいるのだから、あと何年生きるのかということになると、その人が生まれたときの平均寿命−現在の年齢という数式にはならず、これも統計学上の数値を加えた数式によって導き出される。それが、「平均余命」である。

現在30歳の人の平均余命とか、40歳の人の平均余命とか、年齢別に示される平均余命が、今現在生きている人が、あと何年生きるのかという統計学上の数字である。

しかし平均寿命にしても、平均余命にしても、その統計学上の数値には、健康度は含まれていない。

果たして生命体として、「生きている」状態の年数の延びは、人にとってどのような意味があるのだろうか。

医学の進歩と自然死ということを、平均寿命の延びを考える中で、国民全体が議論する機会が増えてほしいと思う。

数年前に比べると、医療や介護の業界でも、終末期医療に関する考え方は少しずつ変わってきているように思う。延命が第一に考えられていた終末期医療に、少しだけ変化が見られてきて、口から物を食べられなくなった状態に対し、経管栄養を行うことが当たり前であるという意識に変化が見られているように思う。

口から物を食べられなくなっても、経管栄養によって栄養補給し、延命につなげるという考え方を完全否定する必要はなく、経鼻経管栄養や胃ろうという医療処置自体の是非を問う必要はないが、少なくとも個別にその適応を問う必要はあるだろう。

そういう意味では、経管栄養を行わない方が、安楽に過ごして自然死に向かうことができるという考え方が示され始めていることは健全な方向なのだと思う。そういう中で、終末期を迎える人が、そのことを選択できればよいし、そのためには、健康なうちに選択意思を示して、意思疎通が不可能な状態になっても、過去に示しておいた意思に沿った対応が行われることが保障されるべきである。

少なくとも、苦しみの多い状態で生きるということが当たり前であると考えられることがないようにしてほしい。呼吸し、心臓を動かすことがなによりも優先されるのではなく、出来るだけその人にとって苦しみの少ない状態で終末期を過ごすためにはどうすべきか、という考えが大切にされる社会が健全ではないだろうか。

経管栄養や中心静脈栄養により延命されている人が、たくさん入院している病棟で、そこで何が起きているのかを冷静に見つめることも必要だろう。

例えば、端がつまらないように気管切開され、チューブが入れられているとする。そしてそのチューブから痰の吸引を行う時に、その人がどんな表情をしているだろうか?ほとんどの人が苦しそうにしているはずだ。というより、そうした状態で苦しまない人がどれだけいるだろうか?

経管栄養の管を抜こうとする人の手を縛り付けて、ずっとその縛り付けられた手をほどこうとし続ける人に、経管栄養とは恵みを与えていると言えるのだろうか?身体拘束廃止の例外規定として、生命を守るための緊急一時的な拘束として、それが許されるとしても、そのことは手足を縛られる人の、「苦しまなくて済むようにしてほしい」という願いより優先されて考えてよいことなのだろうか?

そもそも人としての尊厳とはなんだろうか?単純に「死ぬ権利」を肯定するつもりはないが、せめて「苦しんでまで延命治療を受けなくて済む権利」、「苦しみの中で生かされ続けることを拒否する権利」は守られてよいのではないかと思う。

日本人の平均寿命とは、こうした状態で死なせてもらえない人の統計データが含まれているのである。しかもそれはほとんどの場合、本人が選択した結果ではなく、周囲の人が医師の言うがままに選んだ結果ではないだろうか。

そこをどう考えるべきなのだろうかということが、7/30の発表数字から問われているように思えてならない。

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知っておきたい医療保険ルール


※まずはじめにお知らせを一つ。北海道新聞を購読されている方は、明後日5/3(日)の朝刊・「せいかつ・文化欄」(おそらくスポーツ面の前のページ)をご覧になって下さい。僕の書評(僕の本ではなく、ある本を僕が評したもの)が掲載される予定になっています。人生初の書評となります。さて話を変えて本題といきます。

特別養護老人ホームの関係者が知っておきたい通知に、「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」という医政局通知がある。

あえてここで「知っておきたい通知」としたのは、必ずしもこの通知は、特養関係者が「知らなければならない通知」ではないからである。なぜならこの通知は、厚生労働省保険局医療課長から、保険医療機関、保険薬局、訪問看護ステーション等に向けて発出されている通知で、特養に直接通知されているものではないからである。(等に含まれるのは診療報酬を算定する事業者だけだろう。)

この通知では、特養利用者の診療について、保険医が配置医師でない場合については、緊急の場合又は患者の傷病が当該配置医師の専門外にわたるものであるため、特に診療を必要とする場合を除き、それぞれの施設に入所している患者に対してみだりに診療を行ってはならないことを規程しているほか、特養等で利用者の診療を行う場合でも、算定してはならない費用について通知している。

つまりここでは保険医療機関等の医療関係者の行為と診療報酬の算定方法について通知しているものであって、特養の業務を規定しているわけではないのである。

この通知の内容を知らずに何らかの行為が行われ、不適切な状況が生まれた場合に、行政指導を受けるのは、あくまで保健医療機関等なのである。例えば特養の施設長がこの通知内容を知らずに、「入所前のかかりつけ医師に診察を受けたい」という利用者もしくは家族の依頼を受けて、施設配置医師ではない医師に、施設長が直接診療を依頼して、受診したうえで診療報酬を算定しても、その不適切性を指摘され、指導を受けるのは、診療を依頼した特養の施設長ではなく、その依頼に応じた外部の医療機関と、配置医師ではない医師なのである。そしてこの場合に診療報酬の返還を求められたとしても(実際にそのような返還指導が行われたという事例を聞いたとはないが)、通知に基づかない対応をしていた医療機関の方に過失があるのだから、特養に損害補てんを求めることもできないと解釈されている。

そうであるがゆえに、特養の施設長や幹部職員が、この通知内容を全く知らずに、特養の運営を行っているというケースも見られるわけである。

だがこうした通知の規定に基づき、特養における診療が行われているのだから、特養関係者がその根拠を知らないというのは、無責任のそしりを受けても仕方がないと思う。なぜならそれは利用者の健康維持に直接かかわる診療のルールだからである。それに診療報酬の算定には自己負担があることと鑑みて考えると、算定ルールを知らないことは、間違いが起きたときに指摘ができず、それがそのまま利用者の不利益につながる恐れがあるため、やはりこのルールは知っておくべきである。

そのほかにも、我々介護関係者は、医療の様々なルールを知っておいて損はないだろう。

例えば通所介護では、通所介護サービス提供中の受診は緊急やむを得ない場合を除いて認められないし、前後の受診もサービス提供時間に入れられないだけではなく、機械的にそのような計画を組み入れることも不適切とされている。

しかし実際に利用者が通所サービスを受けている同時刻に、家族が利用者の代理で受診して、薬の処方を受けてくるというケースがあった場合はどうだろう。この場合でも、医療保険のルールを全く知らなくとも、通所介護事業者には、特段の問題が生ずるわけではない。

なぜならこのようなケースで、通所介護費を算定することには全く問題はないからである。事実として通所介護を利用者が利用しているのだから、そのことの費用を算定できなくなるなにものもないし、そもそも家族が代理受診をしているかどうかなど、利用者もしくは家族からの申告がないと、通所介護事業者は確認のしようもなく、いちいちそのことを確認するようなルールは存在しないからである。

しかしこれを医療のルールから見ると別の問題となる。そもそも代理受診で薬の処方を受けることができるのかということである。

その答えは介護関係者でも容易に想像がつくであろうが、不可である。

医師法第20条 医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。

つまり、診察なしで処方せんを発行することは禁じられており、違法した場合、50万円以下の罰金刑に処されることになるものである。
(※勿論、あらかじめ本人が受診して、処方箋を交付されているのであれば、利用者が通所介護を受けている同時刻に、その処方箋を家族が薬局に持って行って薬を受け取ることには何の問題も生じないだろう。)

だからあらかじめ利用者もしくは家族に、こうしたケースをどうすべきか相談された場合には、家族に無駄足を踏ませないように、担当ケアマネジャーもしくは通所介護事業担当者が、この法律をきちんと理解して、そもそもそのような代理受診ができないということを指導してあげないと、本来我々とは関係のないところであっても、何も教えてくれなかったと信頼を失うかもしれない。そういう意味で、ある程度の基本ルールは、畑違いの領域であっても知る努力をするべきである。

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スローガンを一人歩きさせる弊害


理念や運動の目的を、簡潔に言い表した覚えやすい句・標語などにしたものをスローガンと呼ぶ。

そうしたスローガンを声高らかに唱えて理念や目的を達しようとすることは悪いことではない。

しかし同時に考えなければならないことは、スローガンは慎重に掲げないと、言葉足らずで真意が第3者に伝わらないことがあるということだ。理念や目標達成のためのスローガンを掲げるだけではなく、その真意を第3者にきちんと伝える努力をしないと誤解を受けてしまうことに十分注意せねばならない。

例えば全国老施協の掲げる、「科学的介護で自立支援」を達成するためのスローガン、「5つのゼロ」の中には、「胃ろうゼロ」という言葉がある。(これ自体もスローガンといって、よいだろう。)

そして「胃ろうゼロ」の意味は、こちらの資料で説明されているように、「適切なアセスメントと専門職の連携により、本人・家族も望まない胃ろうをなくします。」という意味である。

そうであれば、その考え方は決して間違っておらず、文句をつけるなにものもない。

きちんと専門家(ここに医師が入るのは必然だろう)と連携し、胃ろうの必要性等を説明したうえで、本人や家族がそれを望まないのであれば、そうした状況で胃ろうを増設して、強制的に体内に栄養を流し込む必要はないし、たとえ胃ろうを増設しないことを選択した結果、死期が早まったとしても、それは不必要な延命治療を行わなかった結果、本人や家族の意思のもとで、リビングウイルが実現されたと言ってもよいだろう。

そもそも自然死とは、老衰のことを表す言葉だ。明らかな病気は見当たらないけれど、加齢による老化に伴って個体を形成する細胞や 組織の能力が低下することで自然に生を閉じることは、極めて自然なことなのである。この時に不必要な延命治療をしないで苦痛を緩和する医療のみを提供することがリビングウイルという考え方であり、その延長線上に平穏死などという考え方もあるのだろう。

その際に、終末期における胃ろうは、機能状態や生命予後の改善は期待できないし、むしろ苦痛や不快感を増す場合があると考え、胃ろうを増設しないと決断することはあってよいと思うし、自然死できる人に胃ろうを増設して、強制的に栄養を流し込んで延命のみを目的とすることは、人の幸福とは言えないという考え方があってもよいとも思う。

しかしそれらはきちんと、胃ろうの適応か否かを判断したうえで、十分なる説明を行って、出来れば本人(それが難しい場合のみ、家族の判断と言うことにならざるを得ないが)が判断すべき問題で、胃ろうがQOLを低下さえるという決めつけで、他者に対して、胃ろうを造ることはダメだという考えを押し付けたり、経管栄養を行ってはならないと強要することはあってはならない。

それ以前に、胃ろうのすべてが不必要で、なくさなければならないという思い込みを人に押し付けてはならない。治療の過程で一時的に胃ろうによる栄養補給を行うことで全身状態が改善し、それによって手術を行うことができ、死の淵から生還する人もいるのだ。

以前にも紹介したが、富山の生きものがたり診療所の佐藤先生は、胃ろうを栄養補給に使うのではなく、末期がんの方が最後まで口から食物を摂取するために障がいになるであろう腸の通過障害を防ぐために、胃ろうを増設してそこから食物を排出することで最期まで経口摂取し続けることを実現した。

当施設では、食事が最大の楽しみであった方が、経口摂取不能の状態となったが、本人の意思を確認し胃ろうを増設したケースがある。その方は胃ろう増設後、最大の楽しみであった食事をするという行為を失ったが、その後2年以上、当施設での暮らしを続けられ、食事ができなくとも希望も笑顔も失わずに過ごされていた。

要は選択の問題なのである。そしてその選択の判断基準は、個人の価値観によって大きな差異があるということである。

であるにもかかわらず、老施協の関係者の一部の人々は、何の説明もなく、前提条件を提示することもなく、「胃ろうはゼロにしなければならない。」と公の場で発言している。このことは大問題であり、大きな誤解を生む要因であると言わざるを得ない。

現に僕は去年の3月、鹿児島で行われた九州地区のカントリーミーティング(全国老施協主催)の全体会議の中で、何の説明も、前提条件の提示もなく、「胃ろうはゼロにしなければならない。」とする21世紀委員の発言を聴いた。こういう人が会の司会とかコーディネーターをしているとどうしようもない。

鹿児島カントリーミーティングの際には、こうした発言の後に、僕が講演を行ったので、そのことに対しては強く反論と警告を行った。そのことは新聞記事にもなったし、多くの受講者の賛同の声もいただいた。

無自覚・不用意なる発言によって、誤解してしまう受講者がいるということは恐ろしいことだ。その結果「胃瘻増設者の入所を認めていない特養について」で紹介しているような施設が出てくるということの問題をどう感じているのだろう。

説明責任を果たさないスローガンの連呼ほど始末の悪いものはないということを自覚してほしい。

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医療制度改革の流れの中での地域包括ケアシステム の影響


昨年国会を通過した介護保険制度改正に関連する法案は、「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための整備に関する法律案」という形で審議され法律となったものである。

ここではなんと19の法律を一括処理している。数多くの法律を時間をかけずに承認を得る方法として一括処理という方法を取ったのだろうが、そうであるがゆえに、一つ一つの法律が十分精査されたのかという疑問が残る。

特に実際にこの法案に賛成した国会議員が、その中身をどれだけ知っていたかは大きな疑問だ。とにもかくにも「地域包括ケアシステム」の構築のための法案だということだけで、地域包括ケアシステムの中身もよく理解しないまま、一括して法案を通した感は否めない。

ところで介護報酬は制度創設時の関係者合意により、3年に一度の改定となっている。一方で診療報酬は2年に一度の改定とされているため、介護報酬より早いサイクルで改定が行われる。このため診療報酬改定の中に、より速く国の施策が影響し、その先に介護報酬の改訂があるという流れになる傾向にある。

そうであるがゆえに、今年4月からの介護保険制度改正や介護報酬改定には、昨年4月の診療報酬の改定が強く影響してきていると言えるだろう。

つまり医療制度改革の流れの中での介護保険制度改革という意味で、給付の重点化・効率化に向けた制度改革とは、入院から、できるだけ早く家に戻ってもらうという流れが強化された医療制度改革の流れの中で、在宅重中度の要介護者等に重点的に費用をかけようとするものであり、そのための地域包括ケアシステムの構築という姿が見えてくるのである。よって地域包括ケアシステムが、「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」というふうに、住まいの確保を前面に出した概念変更が行われた意味も、診療報酬が在宅復帰を推進する流れで再構築されたという先にあるものだということが見えてくる。

特に昨年4月の診療報酬改定では、急性期病棟の条件が厳格化され、亜急性期病棟が廃止され、地域包括ケア病棟が新設され、さらに療養病棟の在宅復帰加算も設けられたというふうに、在宅復帰率が報酬算定の大きな要素になっているという点に注目する必要があるだろう。国資料の下記のイメージ図を参照いただきたい。

病床区分の変更
いわゆる7:1病棟等の高度急性期病棟については、自宅等退院患者割合が導入され、その割合が75%以上が求められるわけである。

また亜急性期病棟に替わる、「地域包括ケア病棟」でも、自宅等退院患者割合は70%以上が求められ、療養病棟でも在宅復帰率に関する加算を算定する際には、自宅等退院患者割合は50%以上が求められわけである。また地域包括ケア病棟の入院日数は最長で60日と、亜急性期病棟の90日より短縮されているのだから、入院患者は早期退院が求められるわけである。

自宅等退院患者割合に該当するの退院先は、次のように示されている。

・自宅
・回復期リハビリテーション病棟入院料
・地域包括ケア病棟入院料(入院医療管理料)
・療養病棟(在宅復帰機能強化加算の届出病棟に限る)
・居住系介護施設等
・介護老人保健施設(いわゆる在宅強化型老健施設、在宅復帰・在宅療養支援機能加算の届出施設に限る)

特養は「居住系介護施設」であるから、地域包括ケア病棟から特養に入所した場合も、在宅復帰率の計算に含むことは可能になるわけである。しかし前述したように、急性期病棟から地域包括ケア病棟を経て、(さらに在宅復帰機能強化加算を届け出た療養病棟を経る場合も考えられる)特養に入所するというケースも増えてくるわけで、そうした方々の維持期の機能訓練のあり方を再度考えていく必要があるかもしれない。

自宅やサービス付き高齢者向け住宅に戻るケースも、今までより短い入院期間での在宅復帰という面を考えれば、そこで介護サービスを受けるため居宅サービス計画を立案する介護支援専門員には、必要な医療や看護を適切に結びつけるための専門知識が、より求められるであろう。

それにしてもこれらの一連の流れを見ると、このシステムを支えるには、有能なセラピストの存在が今以上に必要とされるように思え、セラピストの人材確保の問題が、今後表面化してくるように思う。

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特養の配置医師以外はみだりに診療を行ってはならない、の解釈


特養の短期入所生活介護(ショートステイ)利用者に対して、その利用者の、「かかりつけ医師」が特養に往診することができるかという質問を受けることがある。

この時に整理して考えてほしことがある。まず一つは、一般入所者と、ショートステイ利用者の、特養における診療報酬の算定ルールは基本的に同じであるということだ。つまり厚労省医政局通知「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」は、ショートステイ利用者にも適応されるということだ。

さらに計画的に訪問して診療する、「訪問診療」と、計画的に実施するものではない「往診」とは違うものなので、別々に考える必要があるということだ。

上記の通知で、「訪問診療」に関する診療報酬の科目については、次のアもしくはイのいずれかに該当しない限り算定できないとされている。

ア.当該患者が末期の悪性腫瘍である場合
イ.当該患者を当該特別養護老人ホーム(看取り介護加算の施設基準に適合しているものに限る。)において看取った場合(在宅療養支援診療所、在宅療養支援病院又は当該特別養護老人ホームの協力医療機関の医師により、死亡日から遡って30日間に行われたものに限る。)

レアケースであるが、「末期がん」と診断され、定期的な訪問診療が行われている方が、何らかの理由で一時的に特養のショートステイを利用した場合は、当然のことながらこのアに該当するので、普段自宅に訪問している医師が、特養で訪問診療を行い、「在宅患者訪問診療料」などを算定することは可能であるし、一般入所者の場合も、例えば、「看取り介護」に該当した場合、死亡日前30日については、施設の配置医師ではない保険医の訪問診療を射うけることも可能である。

アもしくはイに該当しない場合は、一般入所者・ショート利用者ともに、訪問診療は行えない(正確には、訪問診療を行っても一切の診療報酬は算定できない)ということになる。

一方で計画的ではない「往診」については、診療報酬を算定できないというルールにはなっていない。

特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」では、

2 保険医が次の表の左欄に掲げる医師に該当する場合は、それぞれ当該保険医(併設医療機関の医師を含む。)の配置されている施設に入所している患者に対する一部の診療については他給付で評価されていることから、同表の右欄に掲げる診療報酬は算定できない。

上記の記述があり、その下に表が示され、表の右蘭の診療報酬は算定できないとされているが、これはあくまで「配置医師」による診療の場合に、算定できない科目であり、配置医師ではない外部の医師が往診を行った場合は、診療に応じて算定できる科目である。ここは勘違いしてはならない部分である。

ただし、4 養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、指定短期入所生活介護事業所、指定介護予防短期入所生活介護事業所、指定障害者支援施設(生活介護を行う施設に限る。)、療養介護事業所、救護施設、乳児院又は情緒障害児短期治療施設(以下「特別養護老人ホーム等」という。)に入所している患者については、次に掲げる診療報酬等の算定の対象としない。

↑この部分は、配置医師、そうではない外部の医師であっても共通して算定できない科目である。

ところで同通知では、「3 保険医が、配置医師でない場合については、緊急の場合又は患者の傷病が当該配置医師の専門外にわたるものであるため、特に診療を必要とする場合を除き、それぞれの施設に入所している患者に対してみだりに診療を行ってはならない。」とされている。これが唯一、配置医師ではない保険医の往診を制限している通知文である。

ただしこの文章の解釈はかなり広いと言わざるを得ない。「配置医師の専門外にわたるものである傷病」とは、どのようなものかと考えると、それは配置医師の判断によらざるを得ないし、配置医師が内科医だから、内科の疾患がすべて専門外には該当しないとも言えない。この判断は配置医師以外できないと考えらえる。

例えば発熱の場合、その原因は様々で、ショート利用者が高熱を出した場合、医療機関ではない特養で、検査も行わずに判断できる問題でもなく、持病に起因している考えらえる場合などは、利用者の普段の状態をよく知る、かかりつけ医師の専門的な判断が必要として、配置医師が認め、外部のかかりつけ医師が特養に往診する場合は、「みだりに診療」したということにはならず認められるであろう。

そもそもこの通知文には、配置医師ではない保険医が往診した場合に、診療報酬が算定できないということは一言も書かれておらず、診療報酬の算定ルールではなく、施設配置医師の責任を示した文章であると解釈できるもので、その責任と判断において、「みだりな診療」かそうでないかを判断すべしという文章に過ぎないと言わざるを得ない。

施設の配置医師が、ショートステイの利用者の健康管理について考えるべきことは、当該利用者が治療を受けていることを把握した上で、ショート期間中、病状的に変化がないかを管理・見守るという姿勢で臨み、変化があった場合、管理医が自分の裁量内と判断すれば、施設内で加療をするし、自分の手に負えない病状で、施設内の健康管理として配置医師が行う加療では不十分と判断した場合は、主治医に判断を仰ぎ、必要に応じて往診を求めるということでよいのではないだろうか。

少なくとも、特養のショート利用者に対して、配置医師ではない「かかりつけ医師」が、ショート利用期間中に特養に往診することはあり得ないという誤解は解いておく必要があるだろう。

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訪問看護で点滴を行い特別管理加算を算定する計画を立てているケアマネさんへ

この問題は、平成26年度診療報酬改定にてC005−2 在宅患者訪問点滴注射管理指導料が介護保険での点滴注射でも算定できるようになりましたので、やっと解決しました。以下のブログ記事の指摘問題は解決です

2012年介護報酬改訂において、訪問看護で週3回上点滴を行った場合に「特別管理加算」として250単位加算算定できることになった。

この特別管理加算は介護保険訪問看護の加算費用であるから、介護保険訪問看護であっても、医師の指示があれば週3回以上の点滴を行うことは可能であるという意味でもある。そもそも要介護者等は、訪問看護も介護保険が優先されるために、特別指示書が出された場合か、厚生労働大臣の定める疾病に該当する場合にしか医療保険訪問看護は利用できない。点滴を行うようになったからという理由だけで、介護保険訪問看護が、医療保険訪問看護に変えられるということではないのである。

しかし「特別管理加算の点滴薬剤費用は誰が負担する」で書いたように、この際に点滴薬剤の費用はどこからも出ないため、点滴薬剤を訪問看護ステーションが負担するのであれば250単位の加算を算定しても訪問看護事業所は赤字になるし、指示を出す医療機関が薬剤を支給しても薬剤料も回路料も算定でいないために全額持ち出しということになるため、これを行うことは不可能ではないかと指摘した。

重複を恐れず、問題点を整理したい。

訪問看護師が点滴という行為を、訪問看護の中で行うことが合法化されたのは11年前に遡る。2002年9月30日付・厚生労働省医政局長通知「訪問看護における静脈注射実施に関するガイドライン」において「静脈注射も診療補助の範疇」とされ、訪問看護における静脈注射が行為として認められた。そして2004年4月の診療報酬改定で医療保険の訪問看護の指示を出した医療機関が算定できる費用として、「在宅患者訪問点滴注射管理指導料」が新設され訪問看護師による点滴を行った場合にも診療報酬が算定できるようになった。(あくまで点滴のみで、他の静脈注射はこの費用算定の対象にはならない。)

この場合、訪問看護を指示した医療機関では、在宅患者訪問点滴注射管理指導料を算定するとともに、薬剤料は別途算定できるため、指示を行った医療機関から訪問看護師に点滴薬剤が支給される。
(※ただし薬剤量はあくまで手技料とセットでしか請求できない費用であり、単独請求はできない。医療保険訪問看護の場合は、在宅患者訪問点滴注射管理指導料を算定した上で、薬剤料も上乗せ請求することとなる。)

しかしこれはあくまで医療保険の訪問看護のみの取扱いである。そして前述したように薬剤料や点滴に用いる回路代等は手技料とセットで算定できるもので、薬剤料の単独請求はできない。

つまり医療機関の医師が、介護保険の訪問看護の指示を出しても、在宅患者訪問点滴注射管理指導料 が算定できないため、薬剤料や点滴に用いる回路代等も算定できないのである。

そのため現状では、介護保険の訪問看護利用者に対して、医師が週3回以上点滴注射を行うように指示をした場合、指示を行った医師の所属する保険医療機関が薬剤料等を持ち出し負担しなければならないのである。

よって費用を持ち出してまで訪問看護での点滴を指示する医療機関はないのではないかと想像でき、実質的に介護保険訪問看護では点滴の実施は不可能ではないかと指摘したのが、先にリンク先を貼り付けた2012年4月4日の記事である。

このことは2015年10月25日の中医協資料でも「課題」として掲載されているところであり、その部分が以下である。

中医協資料
しかしこの算定ルールの矛盾に気がついていない介護支援専門員もいると思える。

訪問看護を居宅サービス計画の中に組み込んで、点滴が必要になり、介護保険の訪問看護指示書の中に週3回以上の点滴指示が出されたケースで、特別管理加算兇鮖残蠅垢觀弉茲函△修竜詆婀浜を行うこと自体は、居宅サービス計画として不適切ではないし、居宅介護支援費の算定にはまったく問題ない。

しかしこの時、点滴薬剤はどうしているのだろう?担当ケアマネは、介護保険訪問看護として点滴を指示する医療機関と、訪問看護ステーションに、薬剤料や回路料は医療機関の持ち出しとなることを確認しているのだろうか?

介護保険訪問看護で、週3回以上の点滴を行うように指示をした医療機関が薬剤と回路の費用を持ち出して訪問看護ステーション等に支給しているなら、それは問題にはならないが、この時に、在宅患者訪問点滴注射管理指導料を算定し、薬剤料も別途算定しているとしたら、これは診療報酬としては不正請求である。算定できていたとしても、国保連のチェック漏れですり抜けていると考えられ、その実態が明らかになったら報酬返還を求められることは間違いない。このことにはローカルルールは存在せず、都道府県の国保連の判断で取り扱いが異なることはない。

当然、その場合の責任は診療報酬算定ルールを正しく理解していなかった医療機関側に求められるものである。居宅サービス計画を立案し、給付管理しているからといって、その計画担当ケアマネジャーに責任が及ぶものではないが、場合によっては、医療機関から居宅サービス計画を立案しているケアマネに対し、「なぜ費用持ち出しになるような計画を立てたのか」という抗議の声が挙がらないとも限らない。そういう事態を未然に回避するためにも、点滴薬剤量の費用負担の問題は、事前に確認しておいたほうが良いのではないだろうか。

このことに居宅介護支援事業所の介護支援専門員は十分注意が必要ではないかと考えるのである。

なお中医協資料77頁には、
【課題】 ・在宅療養中の患者に点滴注射を行う場合については、医療保険の訪問看護を受けている患者であって、保険医の診療に基づき、週3日以上の点滴注射を行う必要を認めたものについて、在宅患者訪問点滴注射管理指導料を算定できる。
・介護保険の訪問看護を受けている患者も、医師の指示により点滴注射を実施している患者は一定程度いるが、在宅患者訪問点滴注射管理指導料は、介護保険の訪問看護を受けている患者に算定できない。
【論点】
・介護保険の訪問看護を受けている患者に対して、在宅患者訪問点滴注射管理指導料を算定出来るようにしてはどうか。
↑とされており、来年4月からの次期診療報酬改定時には、この算定が可能になって、介護保険訪問看護においても医療機関が持ち出しをしなくても点滴が実施できる可能性があることを付記しておく。

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腹を立てないという専門性が求められているわけではない


群馬県内にある医療機関の精神科病棟で、23歳の男性職員(看護補助職員)が、69歳の男性患者の顔を殴り、意識不明の重体にして逮捕されたというニュースが先週報道された。(患者さんは、その後死亡。)

逮捕された職員は殴った理由について、「おむつの交換中に暴れたため、腹が立った。」と供述しているそうである。

この患者さんは、精神科の個室に入院していたとのことであるから、もしかしたら日頃から暴力行為があって、保護室と呼ばれる部屋で対応していたのかもしれない。

どちらにしても、精神科病棟という場所には、精神的な疾患によって自分の感情をコントロールできずに暴力を振るう患者さんも数多く入院しているのだから、患者さんの暴力行為に対して、職員が暴力をふるって制圧しようとしても、何も意味をなさないことは分かりそうなものだ。なぜこの職員は自分の感情をコントロールできなかったのだろう?

勿論、精神科病棟で様々な精神症状のある患者さんと接するストレスについて理解できないわけではない。しかしストレスが溜まって、やむを得ず殴ってしまうという理屈が許されるはずもない。治療の方法論に、暴力などありえない。

こうした事件が明るみになると、必ずそれが「氷山の一角」であると指摘する人がいて、病院でも施設でも、明るみになっていない職員の暴力行為があるのだろうという声が挙がってくる。

そしてそのような指摘が、まったく的外れではないことも理解できる。

しかし、精神科病棟で働いている職員のうち、圧倒的に大多数の職員が、そのような暴力行為とは無縁な状態で患者さんに接しているということは事実として認識していただきたい。

大多数の職員は、様々なストレスを抱えながらも、自らの感情をコントロールして、献身的な看護や介護を行っているのである。それはある意味、当然のことではあるが、こういう事件が起きることによって、十把一絡げにして、精神科病棟で働く職員なら、多かれ少なかれ暴力行為を行っていると見られることは看過できない。

事件として表に出たような許されない行為は、氷山の一角であるかもしれないが、大多数の暴力と無縁の職員がいるということも事実なのだから、医療や介護の現場で、どうしてこのような暴力や暴言が繰り返されるのかということを、様々な角度から検証して、少しでもそうした行為の芽を摘む方法を考えていくべきではないだろうか。

我々は評論家ではないのだから、「ほかでもやってるのだろう」とか、「氷山の一角だね」という感想のみで終わるのではなく、改善の手立てを考える人でなければならないのではないかと思う。

第3者的に冷めた評論をしている暇なんてないと思う。

ここで考えて欲しいことがある。それは暴力や暴言がある患者さんに、職員が怒りの感情を持つことは決して罪悪ではないということだ。それは人間として極めて正常な感情である場合も多く、わきあがる感情をコントロールして、怒りや悪感情を抱かないようにするということは不可能である。人は万能の神ではないのだから・・・。

しかし我々は、保健・医療・福祉・介護の現場で、様々な人々に関わる対人援助の専門家であるのだから、相手に対して自分が抱いた感情のままに、その感情の赴くままの行動を、ストレートにぶつけて良いわけがない。

援助すべき対象者に抱いた負の感情が、対人援助という業務に影響を与えては困るわけである。そうであるがゆえに、自分がどのような時に、利用者に対して怒りの感情を覚えるのか、悪感情を抱くのかということを、自分自身が自覚して、日頃からその傾向を知ろうと務めることが求められているのだ。それが「自己覚知」である。それによって我々は自身の感情をコントロールすることが可能になるのだ。

我々の職業にとって、この「自己覚知」は最も重要である。なぜなら人の感情は、相手を巻き込みやすいからである。我々がどのように注意しようとも、利用者の抱いている怒りや苦しみや悲しみといった感情に巻き込まれるおそれが常にあるわけである。

しかし支援業務に携わるたびに、そうした感情に巻き込まれってしまっては、仕事にならないばかりではなく、自分自身の精神を病んでしまいかねないのである。

そのために我々は自己覚知に努め、自分自身の感情の有り様を理解し、その感情をコントロールするという意識が常に求められるのである。自分自身の感情を否定するのではなく、自分自身の感情の現れ方を理解し、コントロールすることが求められているのである。

それがバイスティックの7原則のひとつである、「統制された情緒関与の原則」のひとつの意味でもある。

それは援助者が、自分の感情を自覚し、自分の感情をコントロールして援助するという意味であり、利用者の感情に引きずられて冷静な判断力を失わないという意味である。

我々の職業は人の援助に専門的に係る職業なのだから、単に優しい人であるとか、明るい人であるとかいうことはスキルにならない。人の感情に敏感になりながらも、人の感情に巻き込まれずに、その場面で最も適切に反応するスキルが求められるのである。

最も必要とされる支援を行うためにはどうしたらよいかを、常に考えるスキルが求められるのである。

果たして事件のあった医療機関では、こうした教育がされていたのだろうか。事件を起こした職員は、自己覚知という言葉や、その意味を知っていたであろうか。

こういう問題が起きると、職場における人権教育はどうなっているんだという話になりがちだが、そもそも、病気や障害を抱える人に対して、その人々を看護したり介護したりする立場のものが、その人に危害を加えないという教育をしないと、虐待は引き起こされるっていうことなのだろうか?

そんな行為が許されないっていう教育は、職場教育として行われるようなものではなく、子供の頃から繰り返し家庭や学校で行われるべきものだろう。それがされていないとしたら、この国の教育そのものに大きな病根があるということだ。

一端の大人に人権教育をあらためてしないと、人権蹂躙や虐待が行われるのが当たり前だとしたら、この国自体が腐っているということだ。

単に人権は大事だから患者さんに暴力をふるったり、暴言を吐くことはいけないといいうだけの教育で終わってしまっては、それは事業者側のアリバイ作りにしかならず、職員教育にはならない。

職場の教育とは、本来もっと高いレベルのもので、人が人を守ることが看護や介護の現場であるということを理解した上で、自分が患者さんや、利用者の方々の感情に巻き込まれない方法を教え、人の尊厳を守る方法を教えるものではないのだろうか。そしてその職業に対する誇りを持つことができる人材を育てることではないだろうか。

保健・医療・福祉・介護サービスの職業倫理は、福祉観・人権の尊重する考え方と、自立・自己実現の援助などの視座と、秘密保持など専門職として必要な価値観 が基盤になるが、それもすべてその職業に携わる人々が、その職業に対する誇りを胸に抱いていないと歪んでしまうものである。

そうした誇りを持ち続けるためにも、対人援助の場に存在する様々な感情に巻きこまれず、自身の感情をコントロールして、冷静なもうひとりの自分の存在を失わないという努力が求められるのだ。

このような悲惨な事件を引き起こさない手立ての一つとして、自己覚知に努める教育というものが効果を上げないはずがないのである。ここの視座が職員教育の中に入れられないとならないのである。

今週土曜日に熊本市で行う、「入社5年未満の新人介護職員向け研修」の講義は、全5時間の講義になっているので、自己覚知を促すレクチャーも取り入れようと考えている。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

戴帽式の意味がなくなるのは寂しいかもしれないが・・・。


医療機関の看護師がナースキャップをかぶらなくなっているらしい。

その理由は、キャップの先端が点滴器具などの医療機器に接触し、「狭い病室で作業しにくい」と邪魔になるということが一つ。さらに「頻繁に洗濯できず衛生的に問題」といった衛生面からの不要論。これに加えて男性看護師が増えてきたことも背景にあるようだ。

確かに男性看護師があのキャップをかぶっている姿は想像したくない。女性看護師であってもキャップをしていないデメリットはあまり考えられない。

強いて言えば、看護学校では戴帽式でナースキャップをかぶることによって、その社会的使命を心に刻み、人の命に関わる責任を自覚するのに、いざ看護師の実務に携わった時に、シンボルであったナースキャップがないということに対して、あこがれを失って残念に思う人がいるということだろうか。

しかしそうしたシンボルは、形に現れるものを冠にするのではなく、心の中に深く刻み込んで、自らのハートの中にキャップがあると考えればよいだろう。看護場面で常にそのことを意識すれことのほうがずっと美しい姿なのではないだろうか。誇りある仕事をする限り、美しい心に刻んだシンボルは、その人の現実の姿に現れてくるものだからだ。

僕が過去にナースキャップに対して持った違和感のことを語りたい。

医療機関によっては、ナースキャップに線を入れて、その線の本数で、職制上の地位を表しているようなところが見られた。ぼくはナースキャップに描かれたその複数の線を見ながら、旧軍人の階級章もしくは軍服の袖章の線を想起せざるを得なかった。

そういう権威を、ナースキャップの上に置く必要があるのかという違和感だ。少なくとも看護にとってそんなものは必要ない。であればそんなものかぶる必要はないのではと思っていた時期がある。

当時若かった僕は、権威というものに対し必要以上に反感を覚えていたため、看護師が権威の象徴のようなキャップをかぶってどうするのだと憤りに似た感情を抱いたのだろう。しかし今でも権威の象徴を冠にすることに対する違和感はなくなっていない。看護にそれは必要ないだろう。

看護師は、豊かな知識と高い専門技術を持った人々だと思う。しかし階級章のような権威を、そのシンボルであるナースキャップに置くことを当然だと思い始めた時から、何かを間違えてしまったのではないだろうか。

その最たるものが、言葉遣いへの鈍感さである。

看護を受ける人々を患者と呼び、あたかもそれらの人々が字のごとく、「心を串刺しにされた者」にしてしまった実態はないのだろうか。

自らの命を人質に取られている人々は、年下の看護師から「タメ口」を叩かれても抗議できない。抗議の声のないことをよいことに、乱れた言葉をつかうことが「親しみやすさの表現である」と勘違いして、言葉遣いに気をつかわず、看護対象者を単に患者としか見ず、顧客とか、人生の先輩ということを全く無視し、人格に配慮しない専門職を生んでしまったのではないだろうか。

患者と呼ばれる人々は、そこでは汚い言葉を「親しみやすい」と感じているのではなく、我慢して慣らされているだけだ。病棟で看護師と患者の間で交わされる会話を聞いていると、時にそれは看護師の一方的なお説教のようにしか聞こえないことがある。日常会話でさえも見られないような汚い言葉が飛び交うこともある。そこには看護の専門性は微塵も感じられない。

専門性とは、家族そのものになることではなく、家族ではない第3者が、家族のような愛を持って接することである。そこでは家族にのみ許される乱れた言葉で接することは許されないはずだ。ここの部分の神経が鈍い看護師が何故多いのだろう。

医療現場で、看護師が自らの言葉遣いに気を使わないから、そこで指示命令を受ける立場である介護職員が正しい言葉を使うわけがない。そうした言葉が当たり前だという考えが、医療機関から始まり介護業界にも蔓延している。このことの罪深さを、このことの責任を、すべての看護師はもっと自覚すべきである。

特に医療機関の師長クラス、看護部長などいう職務に就いている人々は、この問題にもっと敏感にならなければならないと思う。そして変えなければならないと思う。

看護の看とは、手を眉上にかざして見るという意味であり、それは「いつくしむ心」 を表したものである。

しかし患者と呼ぶ人々にぞんざいな言葉遣いでしか対応しない看護師に、「いつくしむ心」など感じられないのは僕だけではないだろう。

ナースキャップという冠を外して、もう一度「手を眉上にかざして」、患者と呼ばれる人々に対する会話の中で、言葉がどう使われているか見つめ直して欲しい。

その時の看護師の姿が美しものであるのかどうか、もう一度「手を眉上にかざして」考えて欲しい。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

医療の説明責任を考える


昨日の記事では、福祉援助・介護サービスの現場で求められる説明責任について考えてみたが、今日は医療の現場での説明責任はどうだろうということを考えてみたい。本当の意味での説明責任は果たされているだろうか?

僕の母は、父の一周忌の11日前にくも膜下出血で倒れた。ここ登別市から高速道路を使って2時間弱の岩見沢市立病院に駆けつけたとき、母は目を開けることはできなかったが、僕が来たということはわかり、「登別から来たのかい。」と声も出すことができた。

その日、緊急手術を行うことになったが、執刀医や麻酔医からそれぞれ手術の方法や、危険性などについても十分に説明を受けた。その時は「9割がた元の生活に戻れます。」と説明されたが、結果から言えば、母は手術中にも出血があり手術時間も予定より5時間近く長くなり、手術自体は成功したとのことだったが、意識が戻る前に脳梗塞を起こして、意思疎通のできない寝たきり状態になった。

つまり術前の説明で「残り1割程度の悪い可能性」という方に入ってしまったわけである。

それは不運としか言い様がないし、医師説明がどうのこうのという問題ではない。

ただ患者や家族にしてみれば、手術前の説明同意とは、同意しなければ手術をしてもらえないわけであり、そうなれば命を救えないという意味にもなり、同意する以外の選択がないことを、手術が必ず成功するとは限らないことも含めて説明を受けて同意をするわけである。執刀医と麻酔医の説明も、両者同じであったが、手術が行われても悪くなる可能性を主に説明されたという感がないわけではない。この部分についていえば、命を預ける患者や家族は、受身の姿勢しか取れないだろう。

ところでその際の説明で、鼻腔栄養にすることの説明を受けたかどうかの記憶はあいまいだが、その場合の鼻腔栄養は、あくまで意識が戻って食事が取れるようになるまでの一時的な栄養補給法であると理解していた。しかし現状から言えば、母はその後食事を口腔摂取できる状態に回復せず、それ以来ずっと経管栄養によって命をつないでいる状態だ。この状態は母自身や家族が決して望んでいる状態とは言えないだろう。しかし現状で言えば、鼻腔栄養を外すという選択肢は無いに等しい。これは僕にとって想定外の状況である。

僕の例と状況は全く違うが、高齢者が口から食事の摂取が困難になったとき、胃瘻をつくるという選択の際の説明責任はどのように果たされているだろうか?医療機関の関係者なら当然説明責任は果たされていると答えるだろう。説明同意のない胃瘻形成術などありえないと言うだろう。

だが説明しているということと、説明責任を果たしていることとは少し違うように思う。

例えば「胃瘻を作らないと死んじゃいますよ。」「胃瘻をつくらず、経管栄養にしないで放置することは餓死させることと同じです。」と言われれば、これは事実上胃瘻や鼻腔などの経管栄養にしないという選択肢のない一方的な意見の押しつけという意味にならないだろうか?

一方では、「PEGの神話」や「経管栄養を行わない選択=餓死ではないという理由」で紹介したように、胃瘻等の経管栄養は必ずしも患者自身の為にならないし、経管栄養を行わず、経口摂取ができなくなったら、必要最低限の水分を摂取するだけで死を迎えることは「自然死」であり、苦痛もないという考え方もある。

本来の説明責任を果たすという意味を考えると、自身の価値観はともかく、経管栄養が絶対に必要だという意見ではない医療の専門家もいて、最終的にはどちらを選んでも良いという説明を行わねば責任ある説明にはならないのではないだろうか。

患者自身や家族が聞きたいのは、医師の個人的な価値観ではなく、様々な選択肢情報ではないだろうか。選択肢の示せない説明とは、強要とほとんど同じレベルではないだろうか。

支離滅裂な記事になったが、なんとなく日頃考えていることを整理しないまま、思いつくままに書いてみた。今日の記事はそんな記事である。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

気づいてる?特養の療養給付変更。

診療報酬の改定にともない「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」も改正された。

これは特養にとっても知っておくべき大事な通知なので、僕のサイトではトップページからテキストファイルにリンクできるようにしている。そのファイルを更新していて気がついた事がある。

それは今回の診療報酬改定で次のルールが新たに加えられている点である。(新たに加えられている部分を赤く表示している。)

4 養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、指定短期入所生活介護事業所、指定介護予防短期入所生活介護事業所、指定障害者支援施設、指定療養介護事業所、救護施設、乳児院又は情緒障害児短期治療施設(以下「特別養護老人ホーム等」という。)に入所している患者については、次に掲げる診療報酬等の算定の対象としない。

(一部略)
在宅患者訪問診療料
ただし、特別養護老人ホームの入所者については、以下のア又はイのいずれかに該当する場合には在宅患者訪問診療料を算定することができる。なお、当該患者について、介護福祉施設サービス又は地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護に係る看取り介護加算(以下「看取り介護加算」という。)を算定している場合には、在宅ターミナルケア加算及び看取り加算は算定できない。
ア当該患者が末期の悪性腫瘍である場合。
イ当該患者を当該特別養護老人ホーム(看取り介護加算の施設基準に適合しているものに限る。)において看取った場合(在宅療養支援診療所、在宅療養支援病院又は当該特別養護老人ホームの協力医療機関の医師により、死亡日から遡って30日間に行われたものに限る。)

特定施設入居時等医学総合管理料
ただし、特別養護老人ホームの入所者については、以下のア又はイのいずれかに該当する場合には特定施設入居時等医学総合管理料を算定することができる。なお、当該患者について、介護福祉施設サービス又は地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護に係る看取り介護加算(以下「看取り介護加算」という。)を算定している場合には、在宅ターミナルケア加算及び看取り加算は算定できない。
ア当該患者が末期の悪性腫瘍である場合
イ当該患者を当該特別養護老人ホーム(看取り介護加算の施設基準に適合しているものに限る。)において看取った場合(在宅療養支援診療所、在宅療養支援病院又は当該特別養護老人ホームの協力医療機関の医師により、死亡日から遡って30日間に行われたものに限る。)

↑この部分である。本来、特養利用者には算定できない「在宅患者訪問診療料」「特定施設入居時等医学総合管理料」について、例外的に算定できる要件にアの「末期がん」に加えて、イとして「当該患者を当該特別養護老人ホーム(看取り介護加算の施設基準に適合しているものに限る。)において看取った場合(在宅療養支援診療所、在宅療養支援病院又は当該特別養護老人ホームの協力医療機関の医師により、死亡日から遡って30日間に行われたものに限る。)」が新たに加えられているのである。

今までの同通知文と比較してみよう。

従前の在宅患者訪問診療料は、「末期の悪性腫瘍であるもの(介護老人福祉施設又は地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護に係る見取り介護加算を算定している場合の在宅ターミナルケア加算及び「注4」のただし書きき規定する加算を除く)を除く。」としかされていなかったし、特定施設入居時等医学総合管理料は、「特別養護老人ホームの入所者であって、末期の悪性腫瘍であるものを除く。」としかされていなかった。今回それにイの規定が加えられている。

これにより看取り介護加算対象者の死亡前30日間については、協力病院等から特養への医療保険訪問診療を行なって、診療報酬を算定できることになる。これは従前までできなかった取り扱いである。

しかしここでふと気がつくことがある。当該診療報酬の算定要件は「死亡日から遡って30日間に行われたものに限る。」という条件付きである。すると見取り介護だからといって、診療報酬が算定できるからと思い込んで、訪問診療を行なっていても、死亡日から30日を超える以前の対応については報酬算定ができないということになる。

するとこれはかなり死期が確実に迫っていると確定できるケースだけを対象にせざるを得ないということになるだろうか。

どちらにしても、この改定は医療機関だけではなく、特養関係者もきちんと把握しておく必要があるだろう。これによって「看取り介護対象者」の死亡日までの30日間は、施設所属医師の診療に限らず、外部の医療機関から訪問診療を受けることが可能になったという意味なのだから。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

介護保険サービスに関連する診療報酬改定情報

介護保険制度改正と報酬改定の時期」で解説しているように、介護保険制度は6年を1サイクルとして改正が行われている。

そうなると診療報酬は2年に一度改定されているのだから、介護保険制度改正は必ず診療報酬改定とリンクすることになる。それは単に医療と介護の財源の奪い合いということを示す問題ではなく、介護保険サービスに関連する診療報酬算定ルールの改正もあり得るということを示している。

今回の診療報酬改訂の中で、何が介護保険サービスに影響してくるだろうか。一番関連性の深い問題は、医療保険リハビリと介護保険リハビリの併用期間の延長だろう。

医療保険リハビリと介護保険リハビリの適用関係を整理する」という記事で今年3月までの適用関係を示しているが、この中で、医療保険リハビリから、介護保険リハビリへの移行期間の1ケ月が併用期間(医療保険リハビリを行い診療報酬を算定しながら、介護保険の通所リハビリや訪問リハビリも利用できる期間)とされていたが、4月からはこの期間が2月に延長されている。

そのルールは以下の通りである。

・リハビリテーションの医療から介護への円滑な移行
第1 基本的な考え方
1.医療保険のリハビリテーションから介護保険のリハビリテーションへの円滑な移行を促進するため、介護保険のリハビリテーションへ移行後に医療保険の疾患別リハビリテーションを算定できる期間を、現在の1月間から2月間に延長する。
2.また、介護保険のリハビリテーションへ移行した後に医療保険の疾患別リハビリテーションを算定している期間中は適宜、介護保険への移行に向けた計画を策定することとし、医療保険の疾患別リハビリテーションの算定可能単位数を逓減制とする。

第2 具体的な内容
1.介護保険のリハビリテーションに移行後に医療保険の疾患別リハビリテーションを算定できる期間を2月間に延長する。
現 行 
【疾患別リハビリテーション】
医療保険から介護保険への円滑な移行が期待できることから、1月間に限り、同一疾患等について介護保険におけるリハビリテーションを行った日以外の日に医療保険における疾患別リハビリテーション料を算定することが可能である。

改定案
【疾患別リハビリテーション】
医療保険から介護保険への円滑な移行が期待できることから、2月間に限り、同一疾患等について介護保険におけるリハビリテーションを行った日以外の日に医療保険における疾患別リハビリテーション料を算定することが可能である。

2.また、当該移行期間の2月目については疾患別リハビリテーションを算定できる単位数を7単位までとする。

現 行
【疾患別リハビリテーション】
[算定要件]
標準的算定日数を超えてリハビリテーションを行った場合は、1月13単位に限り算定できるものとする。

改定案
【疾患別リハビリテーション】
[算定要件]
標準的算定日数を超えてリハビリテーションを行った場合は、1月13単位に限り算定できるものとする。ただし、介護保険への円滑な移行を目的として、要介護被保険者等に2月間に限り医療保険から疾患別リハビリテーションを算定している患者については、2月目について1月7単位に限り算定できるものとする。

以上である。勿論このことは、まず医療関係者が知っておかねばならない問題である。特に「介護保険のリハビリテーションへ移行した後に、医療保険の疾患別リハビリテーションを算定している期間中は適宜、介護保険への移行に向けた計画を策定する」というルールは、介護保険サービス関係者はまったく関知すべき問題ではなく、医療機関の問題で、これを行っていないで診療報酬返還命令を受けるのは医療機関である。

また過去のケースを振り返ると、医療保険リハビリから介護保険リハビリへの移行ルールの混乱の中には、医療機関がそのルールを知らずに、介護保険の通所リハビリなどを紹介後も、医療機関での外来リハビリを継続し、そのことの情報提供がないまま、介護保険リハと併用請求してトラブルになるというケースが数多く含まれており、これも介護サービス関係者が関知すべき問題ではなく、このことに関連して介護サービス関係者(特に居宅サービス計画を作成し、通所リハビリ等を計画した介護支援専門員)が、医療機関側から文句をつけられる筋合いは何もない。

しかしこのルールはもともと「リハビリテーションの医療から介護への円滑な移行」であり、そのためには「医療と介護の円滑な連携」が当然求めらてくるわけで、こういうルールを介護支援専門員始め、介護サービス関係者が熟知し、さらに医療機関は「介護保険への移行に向けた計画」を策定しなければならないのだから、その情報をきちんと求めるための知識と姿勢も不可欠である。

このほか、介護保険サービス関連の診療報酬新ルールとしては次のようなものがある。

医療と介護の円滑な連携について
第1 基本的な考え方
1.在宅医療における介護施設との連携等、介護保険との円滑な連携を推進するため、必要な見直しを行う。
2.訪問看護は医療保険と介護保険の両保険制度に位置づけられており、制度間の報酬上の違いについては、利用者の理解を得られにくい点もあるため、診療報酬と介護報酬の同時改定であることを踏まえ、必要な見直しを行う。

第2 具体的な内容
1.特定施設入居者に対する訪問診療料の引き上げを行う。
2.特養における看取りの充実を図るため、特養の配置医師と在支診・在支病といった外部の医師が連携して、特養における看取りを行った場合について評価を行う。
3.総合評価加算を引き上げるとともに、算定可能病棟を拡充する。
4.退院後の訪問看護
医療依存度の高い状態の要介護被保険者等である患者に対し、退院直後の2週間に限り、特別訪問看護指示に基づき訪問看護が提供できることを明示する。
5.訪問看護療養費の早朝・夜間・深夜加算
現在、医療保険においては、標榜時間外の訪問看護について、その他利用料として自費を徴収しているが、早朝、夜間、深夜加算を介護保険と同様に医療保険においても新設する
6.重症者管理加算の名称変更や要件の見直し
介護保険における同趣旨の特別管理加算との齟齬を解消するために以下の見直しを行う。
(1)医療保険の重症者管理加算を特別管理加算とし、名称を統一する。
(2)重症者管理加算および在宅移行加算における「1月以内の期間に4日以上の訪問看護・指導を行うこと」とする算定要件を削除する。
7.医師の指示書の交付範囲の拡大
介護報酬改定における新サービスの新設および社会福祉士及び介護福祉士法の一部改正により介護職員等のたん吸引等が可能となったことにより、医師の指示書の交付範囲が拡大したことに伴う必要な見直しを行う。

ということで、今後の告示内容に、介護サービス関係者も注目しておく必要があるだろう。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

根拠を確認しない弊害

表の掲示板では、様々な制度におけるルールの確認の質問が寄せられるが、それに対する回答については、必ず「根拠」を確認したり、それを具体的に示すことを求めている。しかし同時に、その根拠とは法令に求めるもので「行政担当者がこう言っていた」ということは根拠とはならないこともアナウンスしている。

こういう地道な根拠確認を省いてしまえば、間違った理解や解釈で終わってしまう場合があり、それは時には報酬返還とか、運営基準違反指導に結びついてしまう恐れがある。そうでなくとも正しいルールを根拠と共に理解しないと、せっかく使えるサービスや社会資源を使えないという不利益を被ることがある。

今回、医療保険の通院(外来)リハビリと介護保険リハビリの併用制限に対する誤ったルール解釈が生じたケースからそのことを考えてみた。

とある介護サービス関係者から次のような愚痴を聞いた。一旦介護保険の通所リハビリテーションを利用するようになったら、通院リハビリができなくなるので、おちおち別な病気にもなれないというのである。

彼が相談するケースは、脳血管障害後遺症で入院されていた方が在宅復帰し、その後外来リハビリを受けていたが、症状も固定したので、維持期という判断から介護保険の通所リハビリテーションを利用するようになった。この場合医療保険リハビリと介護保険リハビリの併用期間は1月だけで(あくまでその必要性を医師が認めた場合のみ)、その後は介護保険リハビリが優先適用され医療保険の外来リハビリが使えなくなるので、その後に別な病気や怪我でリハビリが必要と判断されても、通所リハビリを使いながら外来リハビリ治療を受けることはできないのは困った問題だというのである。

あれっ?それって一部の理解はあっているけど、一部は違うのではないの?必ずしも外来リハビリと、介護保険の通所リハビリは併用できないとは限らないんではないの?といったら、そんなことはない根拠として、僕の管理する掲示板ではない、別の掲示板のスレッドを紹介された。

当該スレッドはこちら。会員以外はレスポンスが見られないだろうから解説しておくと、この質問に対する最初の回答は「医療保険のリハビリは、介護保険の通所リハ(デイケア)でのリハビリと原則併用不可ですが、通所介護(デイサービス)での機能訓練とは併用可能だから、通所介護は使えますよ」というもので、そのまま結論となっている。

医療の外来リハビリと通所介護の併用は可能という結論は間違いではないが、そこにたどり着く論拠に瑕疵がある。それは「医療保険のリハビリは、介護保険の通所リハ(デイケア)でのリハビリと原則併用不可」という部分である。

こうした掲示板のスレッドのみを根拠にすること自体が間違いだが、間違った解釈を何万人もの人が見て、それが修正されないまま流れてしまうのも問題だと思った。そもそもこのスレッドには併用不可の根拠が何も示されていないことが解釈を間違える一番の原因である。

「医療保険のリハビリは、介護保険の通所リハ(デイケア)でのリハビリと原則併用不可」という解釈を放置したままで、その結論に達して終わりでは正しいルール解釈にはならない。

僕は普段そのサイトは見ないし(そもそも他掲示板を見ることはほとんどない)、そこの情報がどのような頻度で、どのような形で修正されているかは不明であるが、この情報のまま(当該スレッドは時間経過と共に変わるかもしれないので、この記事の投稿時間以前の内容につき評価しているもので、この記事以降の時間の情報については関知しない)流れるのは問題だろうと思う。

現在までの情報では、このスレッドを見た人は単純に、「医療保険リハビリと介護保険の通所リハビリは原則併用不可」という理解にしか結びつかない。

しかし医療保険の外来リハビリと、介護保険の通所リハビリが併用できないルールは『「療担規則及び薬担規則並びに療担基準に基づき厚生労働大臣が定める掲示事項」等及び「保険外併用療養費に係る厚生労働大臣が定める医薬品等」の実施上の留意事項について」等の一部改正について(保医発第0328001号)平成20年3月28日 』で定め置かれたもので、その取り扱いは、「同一疾患で医療保険の疾患別リハビリテーション料算定後に、介護保険の通所リハビリ等に移行した後は、併用期間の1月を除いて医療保険の疾患別リハビリテーション料は算定できない。」というものである。

※当該ルールの最新通知は「医療保険と介護保険の給付調整に関する留意事項及び医療保険と介護保険の相互に関連する事項等について」の一部改正について(保医発0330第1号)平成22年3月30日 」を参照ください。

逆に言えば現在通所リハビリが必要となった疾患とは別な疾患でリハビリテーションが必要になる場合は、「同一疾患で医療保険の疾患別リハビリテーション料算定後」というルールに当てはまらないので、通所リハビリに通っている利用者でも、別な疾患で外来リハビリに通って医療保険の「疾患別リハビリテーション料」を算定することは可能である。

このことは「疑義解釈資料の送付について」の問18に掲載されている扱いである。この場合、現在通所リハビリを利用している方が、そこで行っているリハビリが必要となった疾患とは別な疾患でリハビリテーションが必要になる場合は、あらたに外来受診して「疾患別リハビリテーション料」を算定できるわけであり、この際に、現在利用している通所リハビリテーションを利用してはならないというルールは存在しない。

よって、一旦介護保険の通所リハビリに移行した後に、併用期間を過ぎた後も、通所リハビリの利用継続をしながら、別な疾患の発症により再度医療保険の外来リハビリに通って、両者を併用するケースはレアケースではあっても充分にあり得るのである。(その場合は、元の疾患のリハビリとして通所リハビリを継続し、新たな疾患のリハビリとして医療外来リハを受けるということになる。)だから「医療保険のリハビリは、介護保険の通所リハ(デイケア)でのリハビリと原則併用不可」という考えは正しくない。そんな原則は存在しないのである。

つまり正しい理解は「同一疾患で医療保険の疾患別リハビリテーション料算定後に介護保険リハビリ(通所リハビリもしくは訪問リハビリ:介護と予防の両者)に移行した後は併用期間の1月を除いて医療保険リハビリと、介護保険の通所リハビリ及び訪問リハビリは併用不可」である。

こうした正しい解釈がされずにスレッドが流れれば少なからずルールを誤って解釈して終わりという人が増えるだろう。これはネット掲示板の一番の弊害であり、その弊害を生む原因は「併用不可」の根拠を示していないことにある。この掲示板全体をざっと読んでみても、根拠のない思いこみによるレスポンスが実に多い。これでは正しい知識を得る以上に、あやまった理解と解釈が横行する元凶になってしまうだろう。

僕の管理サイト掲示板でも間違った情報が流れないということはないが、しかし必ず根拠を示すということを推奨しているため、間違った解釈のままで流れることは少ない。

本ケースにしても、根拠となる元通知を示せば、それを読むことで正しいルールを理解できる人もいて、その人が間違った解釈を当該スレッドの中で指摘する可能性もあるのだ。

だから根拠に基づく議論が大事なのである。ネット掲示板では、自分がこのように解釈しているというルールの根拠を確認してレスポンスをつけることが大事だし、「誰かが、こういっていた。」は何の根拠にもならないことをもう一度肝に銘じて正しい理解に努めるべきだろう。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

介護福祉士の喀痰吸引等の実施は制限付きであることを理解すべし

5/31・衆議院厚労委で修正を行い、6項目を付帯決議したうえで可決し、6/15参議院本会議で可決成立した法案は「介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案」であり、介護保険法だけの改正案ではなく、関連法案として社会福祉士及び介護福祉士法の一部改正なども含まれている。それによると

社会福祉士及び介護福祉士法の一部改正[平成24年4月1日施行]
一 介護福祉士による喀痰吸引等の実施
1 介護福祉士は、喀痰吸引その他の身体上又は精神上の障害があることにより日常生活を営むのに支障がある者が日常生活を営むのに必要な行為であって、医師の指示の下に行われるもの(厚生労働省令で定めるものに限る。)を行うことを業とするものとすること。(第2条第2項関係)
なお、厚生労働省令においては、喀痰吸引(口腔内・鼻腔内・気管カニューレ内部)及び経管栄養(胃ろう・腸ろう・経鼻経管栄養)を定める予定であること。
2 介護福祉士は、保健師助産師看護師法の規定にかかわらず、診療の補助として喀痰吸引等を行うことを業とすることができるものとすること。(第48条の2第1項関係)
二 認定特定行為業務従事者による特定行為の実施
1 介護の業務に従事する者(介護福祉士を除く。)のうち、認定特定行為業務従事者認定証の交付を受けている者は、保健師助産師看護師法の規定にかかわらず、診療の補助として、医師の指示の下に、特定行為(喀痰吸引等のうち当該認定特定行為業務従事者が修了した喀痰吸引等研修の課程に応じて厚生労働省令で定める行為をいう。以下同じ。)を行うことを業とすることができるものとすること。(附則第3条第1項関係)
2 認定特定行為業務従事者認定証は、介護の業務に従事する者に対して認定特定行為業務従事者となるのに必要な知識及び技能を修得させるため、都道府県知事又はその登録を受けた者が行う喀痰吸引等研修の課程を修了したと都道府県知事が認定した者でなければ、その交付を受けることができないものとすること。(附則第4条第2項関係)


このように来年4月以降(同修正法案の施行は24年4月1日である)喀痰吸引等の実施は介護福祉士については「業」として実施が認められた。介護福祉士資格のない者も「認定特定行為業務従事者」の要件を満たすことで同じく「業」として喀痰吸引等が実施できるわけである。

ただし喀痰吸引等が業として認められる介護福祉士とは、研修体制が整う2015年以降の介護福祉士資格取得者で、それ以前の資格取得者は「認定特定行為業務従事者」に認定されなければならない。よって来年4月からの3年間については「認定特定行為業務従事者」による喀痰吸引等が業として認められるという意味になる。

この中の「等」の意味は経管栄養に関わる行為も含んでいるという意味であるほかに、国は「法律は代表するものだけで、細目は厚生労働省令で定める。中間まとめでは将来的な拡大の可能性を視野に入れるため、「喀痰吸引及び経管栄養」に限定していない。」(2011年4月14日厚生労働省ヒアリングにおいて老健局担当者が回答)との考え方を示している。その詳細は今後、厚生労働省令などで示される。このように一部の行為であっても医療・看護の有資格者以外にその行為を認めたことはある意味、画期的であり、歴史的な意味があると評価できるかもしれない。なぜなら一部の行為を介護職の業として認めたということは、その範囲が今後広がる可能性があるからだ。

しかし今回の法改正をもって、介護福祉士や認定特定行為業務従事者であれば、どこでも喀痰吸引等を業務として行うことができるというのは誤った理解である。

なぜなら有資格者自身の業として認められているとしても、同法第48条の三では「自らの事業またはその一環として、喀痰吸引等(介護福祉士が行うものに限る)の業務(以下、「喀痰吸引等業務」という。)を行おうとする者は、その事業所ごとに、その所在地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない。」とし、登録要件を定めた同条同項第2号の四では「その他厚生労働省令で定める事項」が明記されており登録した事業所に限って業として喀痰吸引等業務を行うことができると定められているのである。

つまり今後定められる条件(研修や記録など)に合致しない事業所は「登録喀痰吸引等事業者」の登録ができず、そこでは介護福祉士の喀痰吸引等業務は実質できないということになる。

つまり介護福祉士の業として喀痰吸引等業務が認められたとはいっても、それが実施できる場所は同法でいう「登録喀痰吸引等事業者」に限られているという意味だ。

しかも同法48条の五は都道府県知事が登録申請した場合登録しなければならない要件を定めた規定であるが、その三には「医師、看護師その他の医療関係者による喀痰吸引等の実施のための体制が充実しているため介護福祉士が喀痰吸引等を行う必要性が乏しいものとして厚生労働省令で定める場合に該当しないこと」という項目がある。

この意味がお分かりか?

つまり医師や看護師配置が充足していると考えられる医療機関や施設は厚生労働省令に於いて「介護福祉士が喀痰吸引等を行う必要性が乏しいものとして」定め置くので「登録喀痰吸引等事業者」として登録できない=介護福祉士が喀痰吸引等を業として行えない、という意味だ。

よって医療機関はこの登録ができずつまり来年4月以降も老医療機関(介護療養型医療施設を含む)では介護福祉士による喀痰吸引等はできないという意味である。

登録できる機関は、
・ 介護関係施設(特別養護老人ホーム、老人保健施設、グループホーム、有料老人ホーム、通所介護、短期入所生活介護等) ・ 障害者支援施設等(通所施設及びケアホーム等) ・ 在宅(訪問介護、重度訪問介護(移動中や外出先を含む)等) ・ 特別支援学校である。

このように喀痰吸引や経管栄養に関する行為が業として介護福祉士や認定特定行為業務従事者に認められたと言っても、それは限定的な要件のもとで認められているに過ぎず、その要件を満たすために膨大な書類が必要となり、かつ研修などの費用負担も大きいということを認識しておく必要があるということだ。

少なくともこの改正で介護福祉士の「できる行為」が無条件に拡大したと考えるのは錯覚である。

このように喀痰吸引や経管栄養に関する行為が業として介護福祉士や認定特定行為業務従事者に認められたと言っても、実施できる要件は「喀痰吸引等事業者」の登録を受けた特養、特定施設、グループホーム、訪問介護事業所等に所属して、その事業範囲でサービス提供を行う場合に限られている。その要件を満たすために膨大な書類が必要となり、かつ研修などの費用負担も大きいということを認識しておく必要があるということだ。
 なお医療行為の範囲や研修カリキュラムなど具体的な運用については、本年9月以降に省令で示す考えだ。今後この内容に注目する必要があるだろう。どちらにしてもこの改正で介護福祉士の「できる行為」が無条件に拡大したわけではないという理解が必要である。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

中村顧問発言に異議あり。

10/20〜22日まで札幌市で行われた「全国老人福祉施設大会・北海道大会」において、中田老施協会長は「財源の合理化や効率化にはユニット型ではない既存特養の増床が必要」として、施設整備には多床室を含めた既存特養の新設を認める必要があることを強調した上で、全国で20万床の緊急整備を要望する発言を基調報告の中で行った。

このことは社会保障審議会介護給付費分科会会長で東大名誉教授の大森彌氏が、同分科会で従来型多床室とユニット型個室を合築した特別養護老人ホーム(特養)などの「一部ユニット型施設」について、多床室とユニット型施設をそれぞれ別施設として指定することとしたことを「多床室容認」との報道や評価もあるとの意見に対し、『決してそうではありません。現に多床室は存在し、相当の期間残るわけですから変わりはありません。それよりも大事なことは、今後も個室ユニット化を推進するという国の立場をこれまで以上に明確に打ち出したということです。12年度以降の整備の在り方については「ユニット型施設のみに助成を行うことを検討すべき」と明記しています。』と多床室整備を完全に否定していることと全く逆の考え方である。

今後、老施協と介護給付費分科会の間で、厚生労働省の向きをどちらに持ってくるかで水面下での激しい綱引きが行われることが予測される。

しかし簡単に20万床の緊急整備とは言うが、財政論ではなく、人材論はそこできちんと議論されているのかが一番の問題だ。

既に施設サービスの現場では、待遇を改善して職員を募集しても、人材どころか、人員そのものが募集人数に達しないという状況が、そこかしこで報告されている。多業種と比較しての待遇改善をより一層進めよと言われても、定員が規定され定額のパイの中でしか人件費を捻出できない施設サービスにおいて、青天井の給与アップは不可能であり、この状況で人手を確保するのは大変な問題である。20万人の新たな施設サービス利用者に対応できる介護職員の確保問題に結論や結果が出されていない状況で「ベッドがあっても、介護なし」という状況が生まれかねない。

待機者解消も大事だが、老施協はまずこの人材問題の整備に取り組むべきであり、政策提言の優先順位を間違っているのではないかと首を傾げてしまう。そもそも施設整備の問題より、根幹となる介護保険制度改悪阻止に向け、現場から提言すべき問題はもっと別なところにあるだろうと思うのは僕だけだろうか?

また同大会で、特別報告した参議院議員の中村博彦老施協常任顧問は、介護職員の医療行為に対し「新しい資格をつくらなければならない」と発言している。確かに「インスリン注射などの在宅で同居家族が行っている行為」を担おうとしない介護福祉士など、下級資格になるか、あるいはなくなってもよい国家資格でしかないのかもしれないが、この資格取得に600時間の新たな義務研修を課すという議論が行われているさなか、更に別な資格を創設して「医療行為ができる介護職員」を作ろうとするなどナンセンスで、そんなものができても、その資格を取得するために、研修等を受講するために、現場の職員が業務を離れて時間を割くことで、介護サービスの現場はさらに疲弊して、人材が寄り付かなくなるだろうし、その費用負担も決して軽くないだろう。

我々が求めているのは決して「医療行為ができる介護職員」ではない。医療行為自体は、医師や看護師などの「医療の有資格者」だけがその行為を担うべきである。このことは時代や社会がいかに変わろうとも未来永劫変える必要はない。

しかし医療行為の概念自体が、医師法や医療法ができた当時から何も変わっていないのは問題で、特養等の介護施設で生じている問題は、家族でもできる行為まですべて医療行為の括りの中に入れてしまうことで介護職員が「なにもできない」ということなんだから、状態の安定している人の喀痰吸引や、経管栄養処置、インスリン注射など、在宅で家族ができている行為は、「医療行為」の括りから外して、介護職員ができるようにすべきである。

ここが老施協と僕の考え方の決定的に違っている部分であるが、中村顧問の考え方では、いくら新しい資格を作っても、膨大な書類や前提条件が無くならないだろうし、現場で今生じている問題解決には決して繋がらないであろうことを中村顧問や、中田会長より現場を知る身として発言しておく。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

無資格でインスリン注射の報道記事を読んで

産経新聞9月18日(土)1時33分配信記事より転載
大阪府箕面市の社会福祉法人「あかつき福祉会」が運営するケアホーム(共同生活介護施設)で、介護職員が糖尿病の入所者に対するインスリン注射などの医療行為を7年間にわたり無資格で行ってことが17日、分かった。大阪府は、無資格の医療行為を禁じた医師法や保健師助産師看護師法などに違反する可能性があるとして、近く施設を立ち入り調査する方針を固めた。

あかつき福祉会によると、少なくとも平成15年1月以降、同法人が運営する箕面市内の授産施設に勤務する介護職員が、I型糖尿病の男性入所者に対し、1日2回、インスリン注射を投与。男性には重度の行動障害があり、入所前は自宅で男性の家族がインスリン注射を行っていたという。

医師法などによると、医療行為を業務として行えるのは、厚生労働省の通知などで示された行為を除いて、原則として医師または医師の指示を受けた看護師などに限定。糖尿病患者本人や家族は、医師や看護師からインスリンの取り扱い方や注射器の使い方などの詳細な指導を受けてインスリン注射を行っている。

同法人は産経新聞の取材に対し「男性が自分で注射を打てるよう施設で練習したがうまくいかなかった。行動障害もあり、自分で注射するのは危険と判断し、やむを得ず職員が注射を打った」と説明。「ペン型注射器が普及し始めた時期で、職員でも安全に打てるだろうと考えていた」としている。

あかつき福祉会は昭和53年、重度の障害者のケアを担うため、箕面市などが出資して設立。障害者福祉センターや知的障害者の通所施設など、同市の3施設の指定管理者になっている。

(転載以上)

この記事を読んで最初に何を感じたろうか?勿論、多くの方が介護職員に医療行為を日常的にさせていたのは「やばい」よな、ということであろう。

僕はかねてから家族ができる行為は「医療行為」から除外して、介護職員でも誰でも行為として可能にするべきであると主張し、その代表的行為として「インスリン注射」を挙げている。

しかしだからと言って、自らの施設の介護職員に「インスリン注射」を行わせていることはない。現に今は、これらの行為は「医療行為」とされ、同居の家族が行えても、施設の介護職員等は同様の行為を行えないというルールが厳然として存在している以上、そのルールに反対だからと言って、それを守らない、ということにはならず、そんなことが許されれば社会秩序は崩壊する。

ルールを変えてほしいと声を挙げ、何らかの形でそのことを国に伝え、ルールを変えるようにアクションを起こしていくことは大事だが、それが正論として認められる唯一の条件は、法律を守った上でその理不尽さや、矛盾点を論理的かつ冷静に訴えていくことである。

よっていかなる理由があろうと、本ケースのように現在禁止行為であることが明らかな行為を、違法性を承知の上で社会福祉法人が、介護職員に命じて業務の中で日常的に行っていたことに言い訳はできないと思う。

しかし同時に、このような問題を批判だけで終わらせて良いのか、という気持ちもある。

例えば、この男性は居宅生活においては、家族が本人に替ってインスリン注射を行いながら暮らしを支えていた。その同じ男性がケアホームという(共同生活介護施設)場に、生活の本拠を移さざるを得なかったことには、相応の理由があるだろう。この時

>男性が自分で注射を打てるよう施設で練習したがうまくいかなかった。行動障害もあり、自分で注射するのは危険

という状況で、この法人が実質とり得る対応策が、違法性を承知で介護職員にそれを行わせるか、インスリンを自己注射できないことで対応困難という理由で退所を勧めるか、という2者択一しか方法がないことについて、そのことについてはもっと社会的な問題として考えられなければならない。
(※注釈として付記するが、このようなケースでインスリンだけを理由に受け入れてくれる医療機関はないだろうし、看護師が常駐する施設に入所するにしても時間がかるし、そのことも現在の居住場所から退所することに変わりはないという意味で2者択一と表現している。)

インスリン注射は、居宅ではどこの家庭でも家族が安全に行うことができている行為なのである。

これからはインスリン注射で血糖値管理すれば、入院せずとも様々な居住場所で暮らせる高齢者がますます増えるのである。その時に、家族ではないという理由だけで、家庭で専門家ではない人々が日常的に施設等で行えないことによる行き場のない高齢者が増える問題にいつまでも顔をそむけ続けてよいのだろうか。

はやく「インスリン注射」は医療行為ではないとすることが必要だ。政治判断でも何でも良いから、一刻も早く決断すべきである。

これは医療行為の介護職員への解禁ではない。医療行為自体を時代のニーズ、医療器具の発達の状況変化の中で見直すという問題である。

未来永劫、医療行為は医師や看護師などの有資格者しか出来なくてよいから、医療法ができた当時では想定できなかった超高齢社会の中の状況変化を考えて、医療行為の解釈を変えていく必要があるのだ。

このケースの問題や報道を、相違側面からマスコミも取り上げてほしいと節に願うものである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

介護福祉士に専門性なんてあるんだろうか?

このブログを、多くの介護福祉士有資格者の方々が見ていることを承知で、そしてそれらの方々の中にも優れた資質を持つ人が多いことも承知の上で、あえて挑発的な記事を書かせていただく。

ネット配信ニュースで『日本介護福祉教育学会は8月23日、東京都内で第17回大会を開催し、「介護福祉士の専門性の創造 新カリキュラムの現状と可能性を探る」と題して、講演会や研究報告を行った。』という記事を読んだ。

そしてしらけた気持ちになった。

介護福祉士の専門性って何だろう。そもそも介護福祉士に専門性があるんだろうか?介護福祉士が行っている行為は業務独占行為ではない。では家族と同じことを行って、介護福祉士が行った場合に、より優れた結果を出すというエビデンスを、この資格創設時点から20年以上経った今日まで確立してきたのか?

むしろ医療行為問題で議論になるように、インスリン注射等、同居家族が在宅で行うことができている行為を、介護福祉士は行うことができない。この状況で、家族以上の専門性が介護福祉士にあるなんて発言ができるのだろうか?

特にこの資格の専門性を疑うのは、医療行為議論の中で、胃婁等の経管栄養や痰の吸引を介護職員に行うことができる条件を議論している最中に、日本介護福祉士会等が「そんな行為を行えと言われても困る」という内容の意見書を出すなど、この問題に関して非常に消極的な姿勢を示したことである。

確かに医療行為そのものは、医療の専門家が行うべきで、介護の専門資格である介護福祉士がその行為主体になるというのは筋違いであると考えるのはある程度理解できる。しかし実際には、在宅で同居の家族が安全に行うことができている行為まで、それは介護の専門家の業務ではないと無下に断ることが彼らの専門性なのか?

特養で解禁された痰吸引や経管栄養の取り扱いも、医療行為の一部解禁ではなく、単なる違法性阻却として認められたに過ぎないが、それとて日本介護福祉士会は消極的姿勢であった。超高齢社会で国民が求めているニーズにさえ応えようとしない資格者団体に専門性などあるわけがない。

参照:「存在意義が問われる介護福祉士」・「介護福祉士に告ぐ」・「続・介護福祉士に告ぐ

医療行為解禁議論の中で、現在、今年4月から特養で認められた介護職員による「痰吸引と経管栄養」についての違法性阻却を在宅などにも広げようと議論されている最中である。

僕に言わせれば、こんなことはまったく意味がない。二つの行為だけ、しかも医療行為からこれを外さず違法性を阻却するという条件で在宅に認めたとしても、違法性を阻却する条件のために膨大な書類が必要になるし、2つの行為で救えない在宅者は特養やグループホームにいつまでたっても入所できないという問題の解決にはならない。むしろ痰の吸引にしても、医師会が「医療行為から外せ」といっているんだから、そうすれば良いのである。そして同時に、家族が在宅で行って要介護高齢者を支えている実態があるインスリン注射等も「医療行為ではない」として介護職員等に認めるべきなのである。

医療行為を行うのは医師や看護師等の医療資格者であるべきだが、社会構造や時代のニーズが変化しているのに、医療行為の概念や範囲を旧態前のままで変えようとしないことの方がおかしいのである。

この時、介護福祉士が専門性を持つ有資格者であると主張するのなら、自ら積極的に国民ニーズに応える形で、医療行為から外すべき行為についての提言を行うべきであり、それを行わず、むしろ消極的である現実を鑑みれば「私達に専門性などありません。」と宣言すべきである。

ただでさえ今の介護福祉士の現状は、国家資格を持っていると言っても、国家試験を受けないで取れるルートもある資格でもあり、ソーシャルアクションの観点がなければとても専門性など声高らかに唱えられる資格ではないし、まったくもって評価は出来ないのである。

こうした状況下で、介護福祉士会はじめ、多くの介護福祉士有資格者の意識が変わっていかないと、いつかこの資格は時代から必要されない資格となり、別な資格が介護のスタンダードになってしまうぞ。そのことに早く気づくべきである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

医療行為議論の本質

特養等の介護施設において、介護職員が現在行っては違法となる医療行為について、これを見直し一部の行為を介護職員が行えるようにすべきであるという議論について「なぜそのことが必要なのか?」という本質部分に、おかしな議論がある。

それは、看護職員が不在の際に、やむなく介護職員が医療行為を行っている現実があって、こうした違法状態を放置しているのは問題であるという方向から意見を述べる人がいることだ。

僕はこのことは、まったく間違った考え方であると思う。

この問題の本質は、特養で違法行為が日常的に行われているということではないし、そんな事実もない。緊急避難として行われる場合は、違法性が阻却されるし、多くの特養経営者は違法行為を前提にした施設運営など行っているわけがない。日常的に違法な介護職員の医療行為が行われている施設があるとすれば、よほどリスクマネージメントに欠けた施設である。

むしろこの議論の本質は、特養という施設の側の問題として考えられているのではなく、利用者にとって何が求められているのか、超高齢社会における医療ニーズが高い在宅高齢者にとって何が必要かという議論なのである。

つまり医療行為とされる行為ができないことで不利益を受けているのは、そうした行為ができないという理由で入所を拒まれる地域住民であり、特養側からすれば、違法状態で介護職員が対応せざるを得ないようなリスクを回避するために、経管栄養の高齢者や喀痰吸引が必要な高齢者は看護職員が対応できる範囲(人数制限が現実的な方法としてあり得る)でしか受け入れず、それを超えた場合は入所判定時点で「はじく」ということが行われているということが、この問題の本質だ。経管栄養等の医療行為への対応者の数をあらかじめ定めて、それ以上を受け入れないという判定基準は「正当な理由」とされており、不当な入所判定基準ではないからこれは可能なのである。

このことに関連しては2010年4月から特養の介護職員に「喀痰吸引」と「経管栄養の処置」の一部行為が一定条件下で「違法性遡及」として認められたが、これについても在宅で保護者である家族が行っている行為のごく一部分が認められたに過ぎない。

しかも在宅では医療資格のない介護職員等が業務外のボランティア行為としては認められている気管切開部を含めた喉の奥の喀痰吸引を認めておらず、口腔内の肉眼で確認できる部分のみに限定している。このことが理由で特養に入所できない要介護高齢者も多い。

つまり現在、特養で表出している問題とは、医療行為がどのような行為かという具体的内容が現行法では明確に示されていないという問題もあるが、それ以上に、在宅で保護者である家族が行うことができる行為が特養では介護職員に認められていないという問題なのである。

加えて言えば、医療行為そのものにまったく手をつけず、その範囲を見直すことをしないで、違法性阻却ということで一部の行為を介護職員に認めた弊害は、その遡及性を証明するために、一人の介護職員がこれらの行為を行うために十数種類の書類(同意書や指示書、マニュアル等)が必要になっていることになって現われている。今回の特養の違法性阻却条件では少なく考えて13種類の書類が必要だ。

さらに、こうした違法性阻却として行うことのできる行為が、特養のみに限定され、同じ介護保険施設である老健や療養型医療施設には認められていないし、介護保険制度上は居宅サービスに分類されているとはいえ実質的に施設であるグループホームや特定施設にも認められていない。違法性を阻却される条件が行為を行う場所によって違うなどという新たな矛盾を生んで、より問題を複雑化させていると言わざるを得ない。

医療行為を実施できる者が、医療の有資格者に限定されるのは当然であり、今後も医療行為が医療資格者ではない介護職員に許されるべきではないことは当然と考えている。我々が主張していることは医療行為を介護職員に解禁せよというのではなくて、現在医療行為とされているものには医療の有資格者が行わずとも安全に実施できる行為が含まれており、そうした行為は医師や看護師等の有資格者しかできない医療行為と区分して適切な医療・看護の専門職員の管理下において施設の介護職員でも行うことができるように法整備をすべきである、という主張である。

医療法ができた当時とは違う社会情勢や医療器具の進歩があるのだから、そのことは絶対必要なのだ。簡単で安全な医療器具の操作まですべて医療行為のくくりの中に入れてしまっている現状がおかしいのである。

繰り返すが、この議論の本質は介護職員への「医療行為解禁」ではない。医療法制定当時に想定していなかった高齢化に伴う様々な個人状況が生まれ、医療技術や器具の発達で、様々な在宅高齢者への対応方法が生まれてきたものを、何でもかんでも医療行為に含んで行為実行者を規制することを見直せ、ということに過ぎない。

家族でも行うことができるような行為について危険性を理由に医師や看護職員の管理が容易な施設においてさえ認めていない状況は、もはや国民ニーズにマッチしていない。地域の介護問題の最終的セーフティネットとしての介護施設の機能を考えるなら、この問題を解決せずして医療器具などを装着している高齢要介護者や、インスリンの自己注射ができない認知症高齢者の方々は地域で安心して暮らすことはできない。これらは介護職員が実施可能となる行為を見直すことによってのみ解決する問題であり、医療行為の明確化はその後に必然的についてくる問題であろう。

我々関係者は、今後もこうした超高齢社会に対応した国民のニーズの変化に対応する法的整備を含めたソーシャルアクションを求められているのである。

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医療行為のアンケート結果から見えること

5月11日の日に、当ブログにおいて「介護職員への一部医療行為の解禁議論」について「インスリン注射など家族ができる医療行為について介護職員にも認めるべきだという意見についてどう考えますか。」というアンケートを実施した。(参照:アンケート結果

その結果は実に90%近い方が「一部行為は介護職員にも認めるべき」と回答されている。

しかし「医療資格者にしか認めるべきではない」という意見も約8%ある。(本日現在の集計値)そしてそれらの方々の反対意見として寄せられたコメントは

1. 介護職に認めるなら、資格試験の内容を検討すべき。実務、研修のみで資格を与えるのはおかしい。 (女性/40代/福岡)
2. 介護福祉士は医療職ではない。十分な研修も無いまま利用者が困るから認めろとは乱暴すぎる (男性/70代/神奈川)
3. 医療資格者が足りないから介護職員にやらせるんですか?大変不安を感じます。 (男性/70代/神奈川)
4. 医療行為は素人がタッチするべきではない。(男性/30代/千葉)
5. そもそも資格修得過程でのレベルが違いすぎる。(男性/30代/岡山)
6.危険です。 (女性/60代)
7. 医療行為ができる人がいればいい話。それに対する補償も保険ですべき (男性/30代/兵庫)
8. 事故があった場合、家族は自己責任とされるのに、その他の者は責任を追及される為 (男性/40代/石川) etc。

以上である。8については医療事故があれば、医療資格者でも責任は問われるので的外れな意見ではないかと考える。7については、ともかく医療行為なんだから、すべて医療の有資格者を配置すれば済む、という意見であるが、医療行為が必要な人の数が世界にも過去に例をみないほど増えていることに対する視点がない非現実的な意見と思う。これについては介護保険施行時、旧総務庁が「医療行為の中にはヘルパーが行っても利用者の身体に危害を及ぼすおそれのない行為が少なくない。その処置のために訪問看護を利用するのは、ステーションが相当数整備されたとしても対応が困難とみられるほか、コスト面からみても合理的とは言えず、身体介護を行うヘルパーができる限り幅広く行えるようにすることが望ましい」という意見を出しているが、まさにそれこそが正論である。というか我々の主張は医療行為を介護職員にできるようにせよという主張ではなく、時代に合った形で医療行為を整理し直せという主張であり、これについては後述する。

ところで1〜6に示された意見は、まさに「医療行為を介護職員が行って安全性が担保されるのか」という疑問の声であり、この疑念は国民の多くの声を代表するものだと考えてもよいもので、このことについてきちんと答えを示すことができないと、医療行為解禁論は国民に理解が得られないだろう。

このアンケートは「医療行為の解禁」としているため、医療資格者ではない介護職員がそんな行為を行う不安が前面に出てしまう傾向にあるが、実はこの問題は医療行為を介護職員にできるようにせよ、というより、むしろ「こんなことまで医療行為という枠にはめて、医療職にしかできないままにしておいていいの?」というふうに考えてみたほうが問題の本質がわかるのかもしれない。(つまり質問の仕方自体に問題があったかもしれないと考え反省している。)

そもそも医師法第17条において医業は医師にしか認められていないが、医行為のうち「診療の補助業務」として看護師が補助できるものは「相対的医行為」、医師でなければ行うことのできない「絶対的医行為」と区別して呼ぶこともあり、前者を分かりやすく「医療行為」と呼ぶものである。これについては医師の指示のもと 他の有資格者(看護師等)にも認められているのである。

ところで、もともと医療行為は業として行わなければ、これを全面的に禁止する法令はない。無資格者であっても在宅療養者の家族等の保護者がこの行為を行うことは「業」ではないとして認められているのである。しかし家族ではない第3者がこれらの行為を行う場合は、労働対価としての金銭を得ていない場合でも繰り返し行えば「反復継続行為は業と同様である」とされ法律違反になるものである。

逆に言えば、法律で規制がない家族等の保護者は、在宅療養者に対し医療機関の指導を受けて様々な医療行為を行うことによって、それらの方々の命と生活を支えているもので、その行為は決して危険性が高いものではなく、医師などの管理が及ばない場所で日常的に行われている行為といえる。それらの行為の中で危険性の少ないものについては介護職員ができる行為として「医療行為」の枠から外して行ってもよいのではないかというのが、この提言の本質である。

なぜなら医業を定めた医師法や、医療法の制定後にも、様々な新しい医療器具や治療法が生まれ、法律が想定していなかった範囲まで含めたすべてが「医療行為」の枠に入ってきてしまっているので、ここで一度時代のニーズに合致した形での医療行為の整理が必要ではないかということなのである。

例えば我々が「介護職が行うことができる行為」にすべきと主張している行為の一つ「心臓・ぜんそく時のテープ貼り付け」についていえば、フランドールテープの貼りつけなど、ほとんど安全性を損なわないで誰もができる行為と解釈できるのに、これが治療目的の医療材料であるから医療行為であるという理由で訪問介護では計画できない現状は時代のニーズとの大いなるミスマッチといえる。そもそもフランドールテープが発売されたのは1984年ということだから、医師法や医療法の定めができたはるか後であり、こんなものまで当時から医療行為と想定していたはずがないのである。

治療法や医療器具の進歩は、医療の有資格者ではない人々が可能な行為を増やしているはずなのに、法律の規制が前時代的なままであることで、この進歩の恩恵が国民に届いていないのである。

ここを変えるために、今この時代に合わせて医療行為の再整理を行う必要があるという意味で、その結果、医療行為とは言えない行為が増えれば、これは必然的に医療の資格を持たないものができる行為になるのである。

このことがいま求められている時代のニーズだと信ずるものである。だからこの議論の本質は、一部の医療行為を介護職員が行えるようにする、という意味よりむしろ、医療行為として考えられている現在の解釈はすでに現実とミスマッチしているので一度「医療行為とは何ぞや」という概念を整理して、医療有資格者が行わなくとも危険性がさほど高くないと考えられるものは「医療行為」の枠から外して、介護職員等の行為として認められるべきであるというものである・

その際に「医療行為から外れる条件」として「ある程度の知識と技術を持った者が行う」という条件付けを行って、この部分のセーフティネットを構築する手段として、一定の研修受講義務などを課すなどが考えられる対策ではないだろうか。

つまり医療行為を医療の有資格者しか行えないのは当然であり、今後もそうであって構わないが、しかし現在医療行為と考えられている一部の行為は、医療の有資格者でなくとも安全に行えることができるものも含んでおり、それらは医療有資格者が行うべき医療行為とは区分して、資格がない者にでも可能な行為とすべきであるという主張であり、医療行為を解禁せよという主張ではないということである。ここを誤解しないでほしい。

そういう意味では「医療行為は医療有資格者にしか認めるべきではない」に投票され、なおかつ「口腔内の吸痰や経管の準備は医療行為からはずせば議論の必要がなくなる。」というコメントを書いてくださった(男性/50代/新潟)の方の意見が的を射ていると感じた。

このことについては明日午前中UHB(北海道文化放送)で放映される「のりゆきのトークDE北海道」の特集として取り上げられる予定である。僕もインタビューを受けているので是非明日ご覧いただきたい。ただし道外の方は視聴できないのはいうまでもない・・・。

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医療行為の法制化について

4月から特別養護老人ホーム(特養)で解禁した介護職員によるたん吸引などの医療行為の法制化に向け、対象を要介護者の自宅やグループホームなどの施設に拡大する方向で検討に入ったことは関係者の方は既にご存じだろう。

そもそも特養で介護職員にも認められた行為はあくまで「医療行為の解禁として認めたものではなく、違法性阻却として可能となる条件を示して認めたもの」とされている。そのためたん吸引などでミスが発生した際の責任問題などへの懸念もある。このため厚生労働省は、この行為を法律で規定すべきと判断、来年の通常国会への関連法案提出を目指しているものである。

ところで「たん吸引」に限って言えば、行為としては在宅の方が先に認められており、しかもその範囲は気管切開部を含めた喉の奥の吸引までも認められているものである。これは2003年7月から筋委縮性側索硬化症(ALS=筋委縮と筋力低下が特徴的な進行性の難病)患者への痰吸引が一定条件下で認められたもので、さらに2005年3月24日には、厚生労働省から痰の吸引が必要な在宅療養患者や重度障害者に対して、ホームヘルパーやボランティアなど家族以外の第三者にも吸引行為を同様の条件下で認めた経緯がある。

※たん吸引を資格のないものに認める条件
(1)主治医や看護師による吸引方法の指導
(2)患者の文書による同意
(3)主治医らが定期的に吸引が適正に行われているかを確認する

しかしこれはあくまで行為として認めたに過ぎず、業として認めたわけではないので、例えば訪問介護員が在宅高齢者に対して「たん吸引」をボランティアとしては行うことは現在でも可能であるが、訪問介護事業所のヘルパー業務として行うことはできないもので、当然のことながら訪問介護費を「たん吸引」という計画に基づいて算定することはできない。

つまり今回、厚生労働省が検討している通り法案が国会審議を通れば、その後、痰の吸引と経管栄養の一部対応については、訪問介護サービスとして計画できることになり、その行為で訪問介護費を算定可能になるという意味を含んでいる。また特養とグループホーム等で介護職員ができる行為に違いがあるのもおかしな話で、このことも検討課題になるという意味である。

しかしこのことが超高齢社会にニーズに合致した改正であるのかと考えた時、確かに今まで議論の俎上にさえ上らなかった2つの行為を一定条件下で認めたという意味はあるものの、ここを橋頭保にして先に進むという見込みがない現状は、この検討で「打ち止め」とされる可能性が高い状況と言え、先送りされた医療行為の一部解禁という課題が、ここで終止符が打たれてしまう可能性があるという意味では、まったく国民ニーズに合致したものではない。

特に特養での2つの行為解禁を検討した「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」では、痰吸引と経管栄養対応という2つの行為しか検討されておらず、そのほか医療行為として介護職員に認められていない行為につき、生活と深く結び付いてそのことが介護職員など有資格者にしか認められていないことで特養入所ができないなど問題となっている行為は何かについて何も検討されていないのである。

我々の主張は、介護職員にすべての行為を解禁せよというものではなく、在宅で家族が行っている行為については(例えばインスリン注射)看護師等が行う行為と分けて介護職員が行えるようにすべきだというものである。例えば現在介護職員ができないとされている行為で、それにより特養入所が困難とされているような支障があって利用者の不利益に繋がっている行為として考えられるのは

具体的には
1.血糖値の測定やインシュリン投与。
2.褥創の汚染の際の処置。(治療処置ではなく、便汚染した際に褥創部の便を拭きとる行為)
3.摘便。
4.心臓・ぜんそく時のテープ貼り付け。
5.点滴が終了した場合の処置。
6.在宅酸素の取扱と施設における酸素吸入。

等である。これらは在宅で家族が実際に行っている行為で、施設の中で医療管理もある程度可能な状況で、介護職員が行っても在宅で家族が行う状況より危険性が高まるということはあり得ず、認められるべきである。

前にも指摘したが、特養など施設入所者の医療ニーズとは、例えば医療機関で対応すべき病状に限らず、加齢とともに緩やかに生ずる身体機能の衰えに起因する問題であったり、治療を必要とするような急性疾患はなくとも枯れるように徐々に嚥下機能が低下して最終的に経管栄養が必要になることであったり、インスリン注射で血糖値管理さえできれば医療機関への入院が必要でないケースであったり、インフルエンザなどの感染症を発症し、一時的に点滴が必要ではあるが入院までは要しない状態である場合が考えられる。

つまり特養利用者の医療ニーズとは常時医療対応が必要である状態をいうわけではなく、ある一定期間あるいは1日のうちの特定時間帯に医療対応ができれば日常生活に支障がない状態が多いのである。それなのにその行為支援が必要な時間帯(例えば朝食前のインスリン注射支援)に看護職員が配置できない状況から入所できないという在宅高齢者が少なからず存在するという「国民にとっての不利益」にきちんと目を向けて、何が求められている対策であるかを超高齢社会の課題、変化する社会構造における新たな対応課題として、もっと真剣に議論されるべきなのである。

これは施設サービス提供側、特養等の介護関係者の都合による提言ではなく、あくまで国民全体のニーズに照らした提言であって、これが実現することによって、多くの医療ニーズが人々が救われることになるのだということを肝に銘じて考えてほしい。

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続・たん吸引等解禁ルールは膨大な記録作業が条件

(昨日の記事からの続き)
介護職員による痰吸引と経管栄養処置について、違法性阻却として「可能となる行為の前提条件」として示されているものを整理すると以下の16点となる。→以下の太字下線が新たに必要とされると考えられる記録を示しているので参照していただきたい。

1. 入所者(入所者に同意する能力がない場合にはその家族等)が、口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養の実施について特別養護老人ホームに依頼し、当該施設の組織的対応について施設長から説明を受け、それを理解した上で、当該施設の介護職員が当該行為を行うことについて書面により同意していること→新たな書面同意書が必要

2. 配置医から看護職員に対し、書面による必要な指示があること→書面指示書が必要

3. 看護職員の指示の下、看護職員と介護職員が連携・協働して実施を進めること→指示、連携内容を証明する記録が求められるかも

4. 配置医、看護職員及び介護職員の参加の下、口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養が必要な入所者ごとに、個別具体的な計画が整備されていること→個別計画が新たに必要

5. 施設内で看護師が研修・指導を行う等により、看護職員及び実施に当たる介護職員が必要な知識・技術に関する研修を受けていること→研修実施とその記録が必要

6. 口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養については、承認された介護職員が承認された行為について行うこと→承認された職員である証明となる何らかの記録が必要

7. 当該入所者に関する口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養について、配置医、看護職員及び介護職員の参加の下、技術の手順書が整備されていること→いわゆるマニュアルなど手順書を新たに作る必要あり

8. 施設長が最終的な責任を持って安全の確保のための体制の整備を行うため、施設長の統括の下で、関係者からなる施設内委員会が設置されていること→新たな委員会の設置とその実施記録が必要

9. 看護職員が適正に配置され、入所者に対する個別の口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養に関与するだけでなく、看護師による介護職員への施設内研修・技術指導など、施設内の体制整備に看護職員が関与することが確保されていること→これを証明する指針や記録が必要

10. 実施に当たっては、非医療関係者である介護職員が口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養を行うことにかんがみ、施設長は介護職員の希望等を踏まえるなど十分な理解を得るようにすること

11. 入所者の健康状態について、施設長、配置医、主治医(別途主治医がいる入所者に限る。)、看護職員、介護職員等が情報交換を行い連携を図れる体制の整備がなされていること。同時にそれぞれの責任分担が明確化されていること→責任分担の整理記録が求められるかも

12. 特別養護老人ホームにおいて行われる口腔内のたんの吸引及び胃ろうによる経管栄養に関し、一般的な技術の手順書が整備され、適宜更新されていること→手順書の作成が必要

13. 指示書や指導助言の記録、実施の記録が作成され、適切に管理・保管されていること→この記録は必須

14. ヒヤリハット事例の蓄積・分析など、施設長、配置医、看護職員、介護職員等の参加の下で、定期的な実施体制の評価、検証を行うこと→定期的評価の記録が必要

15. 緊急時の対応の手順があらかじめ定められ、その訓練が定期的になされているとともに、夜間をはじめ緊急時に配置医・看護職員との連絡体制が構築されていること→この証明となるマニュアルまたは指針などが必要

16. 施設内感染の予防等、安全・衛生面の管理に十分留意すること→管理マニュアルなどが求められるかもしれない。

以上である。このように昨日の記事に書いた「実施条件」と今日書いた「前提条件」をクリアするためには、今以上の膨大な記録と作業を必要とする。記録の簡素化が大きな命題になっていることに逆行していると思うが、それにしてもひど過ぎないか?

特養の利用者の医療ニーズとは何か、それに現実的に対応するには何が必要かということを「真面目」に考えれば、医療ニーズに的確に対応するためには、最低限でも在宅において医療の有資格者以外が行為としては可能となっている喀痰吸引は口腔内に限らず認められるべきであるし、家族が行うことができるインスリン注射や、経管栄養の濃厚流動食注入・タンクと繋がった部分(体と繋がった部分は別で、これは看護職員対応がふさわしいだろう)のチューブ交換等も認めるべきである。

特に問題なのは在宅でインスリンの自己注射ができない高齢者については、同居の家族が替わってその行為を行って暮らしを支えているのに、その高齢者に特養入所の必要性が生じても、朝食前にインスリンを注射できる看護職員がいないことが理由で入所できないケースである。そういう意味においては実際には24時間医療行為が必要ではない高齢者であっても、一部の医療行為を特定の時間に支援できないことにより特養入所ができないという問題が生じてしまっている。そうした問題と状況が解消されないと意味がないのだ。

そしてその前提条件は、安全性をいかに担保するシステムとなっているかが重要なのであって、書類が備わっていることが重要なわけではない。現場の動きができるだけスムースになるようにするには、居宅において家族が安全に行っている行為については、医師や看護職員の一定の関与さえあれば安全性は保たれるという前提で、できるだけ書類上の確認ルールはなくすべきである。そうしない限り、逆に決められた手順の書式さえ備わっておれば、実情がどうであっても結果責任は免れるという意識が広がりかねない。医療が必要な人に、必要な行為としてこの問題を考える以前に、やらなければならなくなったことについて「いかに責任が生じずに行うことができるのか」という考え方が蔓延して、本来の目的と意味を失い、利用者の不利益だけが助長されるだろう。

そもそも我々が求める「介護職員への医療行為の解禁」というものは、何も全ての行為を介護職員が看護師と同じく行えるようにすべきという主張ではない。現在「医療行為」と考えられている行為の中には、実際には同居の家族が行うことができる行為も含まれており、介護職員に一定条件下でも認めてよい行為と、医師や看護師等の有資格者しかできない行為を区分して、家族でも行うことができるような行為については適切な医療・看護の専門職員の管理下において施設の介護職員でも行うことができるようにすべきというのが我々の主張であり、介護職員への行為解禁の意味である。

家族ができている行為が介護職員に認められないのはおかしいし、在宅で認められている喀痰吸引の行為の一部が施設では認められないのもおかしい。施設サービスの現場では、在宅より一層、医師や看護師の関与は容易で、その管理下におくことも容易であり、安全性は在宅サービスの現場より高まる。家族より一定の教育を受ける介護職員の行為のほうがリスクが高いなんてことはあり得ない。

現在の我が国は、過去に人類が経験していない超高齢社会を迎えている。医療の発達の結果、医療対応が常時必要な人が医療機関以外で生活する必要を生じさせているのである。「誰もが安心して暮らせる社会」の実現のためには、高齢者や障がいを持つ方々への支援を社会全体のシステムの中で賄うという視点が不可欠であり、それは行為提供者の数が足りなくならないことも含めて考えられるべきであり、そういう行為を必要と認め拡大するのは時代のニーズである。

しかし、こんな狭い範囲の行為を認めるのに、こんな厳しい条件をつけて膨大な記録作業だけを現場に課してどのように良いサービスができると考えているんだろうか。

国の審議会委員も厚生労働省の役人も、真面目に新しい時代のニーズに応える気がないということだろう。全くこの国はこの先どうなってしまうんだろうか。

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たん吸引等解禁ルールは膨大な記録作業が条件

3/26に結論が出た特養の介護職員の「たん吸引」と「経管栄養の処置」における行為拡大問題。

今回の結論は口腔内のたんの吸引や経管栄養処置を「医行為」としたうえで、一定の条件下で違法性阻却として「可能となる行為の条件」が示されたものだ。しかしその内容は「吸引・経管栄養モデル事業報道の問題点。」でも示しているように、問題解決には程遠い内容である。

今回介護職員に一定条件下で認められた行為とは
1.口腔内(咽頭の手前まで)のたんの吸引
2.胃婁による経管栄養(栄養チューブ等の接続・注入開始を除く。)については以下の通り。
介護職員は、楽な体位を保持できるように姿勢の介助や見守りを行う。
介護職員は、注入終了後、微温湯を注入し、チューブ内の栄養を流し込むとともに、食後しばらく対象入所者の状態を観察する。

以上の行為のみである。

喀痰吸引について鼻や気管切開した部分は対象外とされたことについては、第1歩であり、今後それが拡大される可能性があることについて評価する向きもあるが、そもそもこれではALSの患者さんは24時間看護職員が配置されていない特養入所が不可能である。在宅では行為としては資格のないものにも認められている喀痰吸引について、施設サービスにおける行為として認める部分に差がある現状では、在宅生活者が必要に応じてスムースに施設入所に結びつかない。

経管栄養に至っては今回認められた行為について「微温湯を注入し、チューブ内の栄養を流し込む」行為が明記されたのは一歩前進であるが、それ以外の行為は、今まで認められていなかったのかと首をかしげるような内容にしか過ぎず、問題解決としてはほとんど意味がない。観察や結果報告など別に医療行為と何も関係のない行為で、今までだって行っていて問題なかった行為ではないのか首を傾げる。経管栄養中に姿勢が乱れて苦しそうにしている利用者の枕の位置をずらして良恣意を確保することがモデル事業で「注入後の頭部の状態維持」として検証されなければならないこと自体が「お笑い」の世界ではないのか?

しかもそれに加えて、今回実施できるとされた行為の実施条件も非常に煩雑な作業と膨大な記録が必要とされることが明らかになった。一つ一つの条件と、そこに発生する「必要記録」を列挙してみた。(太字下線になっている部分が新たに必要とされると考えられる記録)

まず標準的な手順のうち、「口腔内の痰の吸引」については、入所時及び状態が変化した時点において
1. 看護職員のみで実施すべきか、看護職員と介護職員とで協働して実施できるか医師が承認→医師の承認記録が必要になる

2. 当該入所者について口腔内のたんの吸引を実施する介護職員について、看護職員との連携の下、配置医が承認する。→医師の承認記録が必要になる

3. 毎朝又は当該日の第1回目の吸引実施時において、看護職員は、入所者の口腔内及び全身の状態を観察し、看護職員と介護職員の協働による実施が可能かどうか確認する。→確認記録が必要になる。しかもこれは毎日

4. 当該日の第2回目以降の実施については、承認された介護職員は、口腔内を観察した後、たんの吸引を実施するとともに、実施後に入所者の状態を観察する。吸引実施時には、以下の点に留意する。→承認された職員が実施している証明が必要になるかも?

「胃ろうによる経管栄養」については同様に
1. 看護職員のみで実施すべきか、看護職員と介護職員とで協働して実施できるか医師が承認→医師の承認記録が必要になる

2. 当該入所者について胃ろうによる経管栄養を実施する介護職員の協働による実施が可能かどうか等を医師が承認。→医師の承認記録が必要になる

3. 毎朝又は当該日の第1回目の実施時において、看護職員は、胃ろうの状態(び爛や肉芽や胃の状態など)を観察し、看護職員と介護職員の協働による実施が可能かどうか等を確認する。→確認の記録が必要になる。しかもこれは毎日

4. 看護職員は、チューブ等を胃ろうに接続し、注入を開始する。

5. 介護職員は、楽な体位を保持できるように姿勢の介助や見守りを行う。

6. 介護職員は、注入終了後、微温湯を注入し、チューブ内の栄養を流し込むとともに、食後しばらく対象入所者の状態を観察する。

これだけではない。実はこうした行為を行う以前に、これらの行為を実施できる「前提条件」が必要とされており、それにも膨大な証明記録が必要とされるのだ。しかしここまで書いただけで、かなりの量になってしまい、時間もあまりなくなった。この続きは明日書くことにしたい。

予告しておくが、今日考えただけでも、証明書類は現状よりかなり増えることになるのに、それ以上のものが前提条件に求められている。明日の記事は大変恐ろしい内容になる。(明日に続く)

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診療報酬プラス改定をどう読むか。


11/30日に「診療報酬はどうなる」という記事を書いて、その行方を注目していたが12/23大臣折衝で来年度予算における診療報酬のアップが決まった。その内容は

1. 診療報酬のうち、医師の技術料などに当たる「本体部分」は1.55%のプラス改定で、医療費ベースで約5700億円の増額。
2. 医科は1.74%増で、4400億円が病院中心の入院に付けられ、うち4千億円は救急、産科、小児科などの入院初期の医療に充て。
3. 診療所中心の外来は400億円という小幅増にとどめる。
4. 医薬品などの「薬価部分」は約5千億円引き下げ。

以上である。これによって診療報酬は10年ぶりに引き上げられることになったが、財源不足の影響から改定率は0.19%増(医療費ベースで約700億円、国費ベースで約160億円の引き上げ)という小幅改定にとどめられた。

今後、中央社会保険医療協議会(中医協)において報酬配分が具体的に検討され、増額分を「事業仕分け」で指摘された開業医と病院勤務医の収入格差や診療科間の格差是正の方向で振り分けられることになる。医療関係者はこの行方にも注目していることだろう。

今回の診療報酬に関しては、事業仕分けで全体の報酬総額は引き下げることが求められ、財務省も厳しい財政事情からその方針を守るという姿勢を崩さず、官僚ベースの協議ではこの殻を破ることができなかった。民主党の山井厚生労働政務官は自身のメルマガで、この折衝が大変困難となっている状況を何度か紹介している。しかし昨日の大臣折衝で厚生労働省側が要求した予算が通った。つまり政治判断で予算が復活した、という意味である。
※なお本日の山井氏のメルマガでは「医療が冬の時代から、春の時代に変わった」と予算復活が熱く語られている。〜春とまでは感じていない関係者も多いのかもしれないが、マイナス査定を覆した努力は評価されてもよいだろう。

プライマリーバランス0を目指して、毎年2.200憶円の社会保障費を削減する政策自体は、既に前政権の麻生内閣時に実質的に方針転換されていたが、新政権がマニュフェストで掲げる社会保障の充実という基本構想が来年度予算でどのように反映されるのかが、診療報酬の動向に注目する一つの意味であった。その結果が小幅であっても報酬全体が今年度よりアップされたということは、今後の新政権の社会保障政策に対する一定の姿勢を示したものと思え、長妻厚生労働大臣も「医療崩壊を食い止める改革の第1歩」と今回の報酬改定を評価するコメントを出している。

つまり次の診療報酬改定でも引き続き、報酬改善に努めて行きたいという意図を示したものと思える。次期診療報酬改定は2012年4月からの報酬改定である。つまりその時には、介護保険制度改正における介護報酬の改定時期と重なる、いわゆる「ダブル改定」である。

介護職員処遇改善交付金という事業はあくまで「時限措置」であり、これが2011年度末までという意味は、次期介護報酬改定で、この交付金分を介護報酬に上乗せしたうえで査定するという含みを持ったものであるが、交付金の申請率が9割を超えないと「必要な費用」と認められず、上乗せされない恐れもあるし、何より予算は経済状況と連動しているので、財政事情が厳しければ楽観できないという面があるが、今回の厳しい状況で診療報酬がアップしたということは、介護報酬を考える上でも(その部分のみではあるが)決して暗い材料ではないだろう。

しかし年明けには景気の2番底が間違いなくやってくる。それによって参議院選挙への影響もあるだろう。なにより景気がこれ以上悪化すると国の財政事情はますます苦しくなる。埋蔵金という1年限りの財源に頼るなんていう政策は「綱渡り」にもならないか細いものだから、景気回復は何より求められるが、トヨタ自動車が下請け各社に部品などの費用3割減を求める状況などをみると、経済状況は来年益々厳しくなる。

その中で、医療や介護の法定費用がアップするということは、国の財源面からのみならず、国民自身の財負の中身にも直接影響することで、例えば厚生労働省の試算では、今回の診療報酬アップは、年収374万円のサラリーマンで年間285円の保険料負担増となり(年収を380万に満たないモデルに置いた意味は、負担感をできるだけ軽くするために、負担増となる年収の高いモデルを意識的に排除したためだろう)、外来の1月平均の負担も7.8円増となっている。

国民負担を伴い、厳しい経済状況の中での報酬アップについて、社会全体の承認を言えるためには、社会保障費が国民の生命や暮らしを守るために最低限必要な費用であるとの国民全体のコンセンサスが必要だ。国の予算というレベルで、我々現場のサービス従事者ができることは少ないが、現場で一人一人の利用者に適切なサービスを提供して、信頼を得ることは我々サービス従事者にしかできないことである。国民に保健・医療・福祉サービスがそっぽを向かれるような状況が一番怖いことなのである。

結果的にサービスに対する高い理念を持たないと、近い将来には医療費や介護給付費も下げられ、我々の業界全体が大打撃をこうむることになる。ここの方向性を間違えてはいけないだろうと思う。

それにしても今回の診療報酬改定では、歯科の改定率が医科を上回る2.09%アップとなっている。これは全体の予算配分の中では異例の措置ともいえる。この増額の意味は何のか、その背景に何があったのかが個人的には非常に気になるところである。

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診療報酬はどうなる?

国の予算に関する行政刷新会議の「事業仕分け」が終わった。その結果はともかく、予算編成の中身が一部であってもこういう形で「国民にみえる」ということはよいことだろう。

ところで、この中で来年度改正の診療報酬については、収入の高い診療科の見直しと開業医と勤務医の平準化など「配分見直し」と査定されたが、もともと財務省の方針が「診療報酬全体のパイは引き上げない」ということであり「診療報酬全体のパイを引き下げたうえで、医療費を抑制して、配分を見直す」という結論になっている。

これに対して長妻厚生労働大臣は「コストが引き下げられる分は、できるだけ引き下げて改定率の上昇はできるだけ抑えたい。」としたものの「診療報酬全体のパイを引き上げたうえで、配分を見直すことが必要。」として診療報酬の削減に反対している。そのために現在、厚生労働省内では独自の「新たな事業仕分け」に取り組んでいるという。

今後、政治判断でこのことが変わっていくのかが大いに注目される。

なぜなら新政権になって初めて診療報酬が改定されるというは、現政権の医療・保健・福祉対策に対する予算措置の方向性が示されるという意味があるからだ。そうなるとこれは次期介護報酬の改定にも少なからず影響してくると考えられる。

もともと民主党のマニュフェストでは「自公政権が続けてきた社会保障費2200億円の削減方針は撤回する。医師・看護師・その他の医療従事者の増員に努める医療機関の診療報酬(入院)を増額する。」とされている。つまり少なくとも「入院の診療報酬」は増額が明記されているのだ。このことの実現が図られるのか、という結果が今回の診療報酬の結論で見えるというわけである。

診療報酬は2年に1度改定されるが、今議論されている改定の次の改定は、2012年度予算に関わるもので、この時は介護報酬とのダブル改定である。

その時、同マニュフェストに書かれている「認定事業者に対する介護報酬を加算し、介護労働者の賃金を月額4万円引き上げる。」という方針が実現されるのかといことが、今回の結果で見えてくる可能性がある。

どちらにしても来年度の予算編成の結果と、マニュフェストの整合性がどのように説明されるのか、ということが最大の関心事である。

社会情勢は、ここにきてデフレの加速・ドバイショックなど、新たな景気低下懸念が生じ、財源の確保は非常に厳しいという現実があることは承知している。しかし医療や介護は、人の生命と生活を守るために不可欠なものであり、ここをおざなりにして、財源論によって予算を削ってしまえば医療や介護サービス自体が成り立たなくなる。そのことで医師や看護職員・介護職員・介護サービス従事者が必要数確保できなければ、どのような政策をとってもサービスを受けられない国民が続出するという結果になる。それでは国自体が存亡の危機に立つ。

医療を含めた社会福祉政策というものは、国を守る社会全体のセーフティネットなのだという意味を考えて予算を作るのが政治家の役割だろうと思う。
(※参照:金子教授のセーフティネット張り替え論

ここは霞が関ではなく永田町が主導すべき問題ではないだろうか。

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吸引・経管栄養モデル事業報道の問題点。

特養において介護職員により実施できる「行為」の拡大議論の中で実施が決まった「喀痰吸引」「経管栄養」モデル事業が、厚生労働省の補助を受けた日本能率協会総合研究所により21年9月〜12月中旬まで全国各地の特養で実施される。

道内でこのモデル事業を実施する特養は4施設である。この中には僕が20数年前の学生時代に実習でお世話になった施設も含まれている。

8/20付の北海道医療新聞社の介護新聞ではこれら4施設のモデル事業に向けてのコメントを記事にしている。その内容は以下のとおりである。(8/20同紙の8面記事から引用)

「現在も胃婁の待機者は多く、医療的対応の必要なケースが増える。モデル事業実施で来春以降、介護職が対応できれば、重度化した高齢者に対して間口を広げられる。」(新篠津福祉園)

「入所者は重度化し、特養の現状は命を支える介護を行っている。モデル事業は介護職に命を預かっていることを再認識させる機会にもなる。」(シャリテさわら)

「これまで特養で対応できない重度者は、療養型にみてもらえたが、最近はなかなか受け入れてくれる病院がない」(札内寮)

「介護職ができる医療的行為がどこまでなのか、明確になることで教える側も教わる側もきっちりできる。」(釧路北園啓生園)

以上のように極めてこのモデル事業に肯定的なコメントばかりである。さらに紙面では同誌の取材の結論なのか「これまで必要に迫られ行ってきた行為のグレーゾーンがなくなると歓迎する。」と結んでいる。

これを読んだ一般読者は、このモデル事業を経たルール変更によって、特養の間口が大幅に広がって、介護職員の守備範囲が広がり、多くの要医療対応者の受け入れが可能となるような印象を受けるだろう。

しかしこのモデル事業で検証される介護職員による実施行為の拡大議論の実態は「医療行為解禁議論の笑える結論」で示した通り中途半端で問題解決には程遠い結論であり、しかも介護福祉士の社会的使命を否定して、医療行為解禁に反対する看護協会は逆に「指導看護師」という新たな資格を手に入れるというお粗末な結果さえも生んでいる。
(参照:介護福祉士に告ぐ。   続・介護福祉士に告ぐ。

しかもモデル事業とはいっても、これはセレモニーで、既定方針の決定のためのアリバイ作りに過ぎない。よって介護職員ができる行為がこのモデル事業で変更されることはなく、検証される行為も検討会の結論であるところの以下の行為でしかない。それは、

1.喀痰吸引→、吸引できるのは肉眼で確認できる口の中だけで、鼻や気管切開した部分は対象外。

2.経管栄養→介護職員ができる行為としてモデル事業で検証される行為とは「注入中の観察・注入後の頭部の状態維持・看護職員への結果報告・片づけ・記録」であり、チューブの接続や流動食の注入は対象外で今までと同様看護職員だけが行う。

よってこのモデル事業で結果が肯定されるであろう喀痰吸引と経管栄養の介護職員に出来る行為の拡大によって、紙面でコメントしているように特養の間口が大きく広がったり、介護職員が命を預かる行為に大きく関われるようになったり、医療行為のグレーゾーンがなくなったりすることはあり得ない。特に経管栄養では濃厚流動食の注入やチューブ交換(体につながっていないタンクのチューブ)が介護職員に認められていないのに、これによって胃婁増設の方を受け入れる間口が広がるという認識自体に首をかしげざるを得ない。モデル事業で検証される行為の内容をわかっていての発言とはどうしても思えないのである。

このモデル事業の結果は単に、口の中の吸引だけは介護職員ができるようになったに過ぎず、逆に経管栄養の「注入中の観察・注入後の頭部の状態維持・看護職員への結果報告・片づけ・記録」などが新たに検討されねばならないような行為であるなら、医療行為中の姿勢保持の援助・観察や記録・報告はすべて本来介護職員ができないのかというグレーゾーンが広がる結果ともいえるものである。ばかばかしいにもほどがある。

よって同紙の報道や各モデル事業実施予定施設のコメントは、担当者がそう言ったという事実ではあったとしても、この問題の「真実」ではないし、逆にこうした報じ方では問題の本質が隠されてしまう恐れがある。

このモデル事業の意味について、僕がコメントするとしたら『モデル事業は医療行為の一部を介護職員に手渡すという議論の中では、今まで全てが否定されていたものが、ごく一部であるが公の議論の俎上に上り、その中でごく一部の行為が介護職員にも可能であると認められたという「第1歩」としての意味がある。しかしそれは問題の解決にはまだまだ程遠い内容で、解決に向けたスタートラインから足を踏み出したという意味に過ぎず、これからさらに介護職員ができる行為を拡大していくことが超高齢社会のニーズに応える特養のあり方には必要不可欠である。』というものになるだろう。

モデル事業実施4施設の取材を受けた担当者がどのような状況で、どんな意図を持って答えたのか知る由もないが、結果としての報道記事は、根本解決になっていない問題の本質に全く触れず、これによって特養のサービス現場の問題が大きく改善されるような誤解を与える内容でしかないと思う。

モデル事業実施施設と、その事業を伝える側双方の見識が問われる問題ではないだろうか。

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続・介護福祉士に告ぐ。

結婚歴がなく、親族がほとんどいないヨシさん(仮名・84歳)は長く一人暮らしを続けていたが、78歳の時に骨折によって歩行困難になり、自宅近くの特養に入所した。車椅子を使った生活を送っているが、施設内の人間関係も良好で、週末には隣近所の友人や知人も面会に訪れ、何の不満もなく生活している。施設の食事やその他のサービスにも満足されており、ここでの生活は大変気に入っている。

ただ一つの心配は長年患っている糖尿病のため血糖値管理が必要なことである。毎朝自分で注射するインスリンによって、血糖値は正常に保たれ日常生活に支障はない。ただ最近指先が震えて、細かな動作に支障がきたしてきていると感じている。ここでは看護師が早朝には出勤しておらず、朝食前には介護職員しかいないためインスリン注射が自分でできなくなれば、朝食の後、看護職員が出勤するまで注射するのを待つか、ここから10キロ先にある療養型の医療機関に入院するか、その他の施設を探すかの選択が必要だ。

この施設で死ぬまで過ごしたいという思いは強いが、朝食前のインスリン注射ができないことで病状が悪化しないかということも心配で、施設長に相談したこともあるが、現在の勤務体制で毎日早朝の看護師の勤務は不可能で、インスリン注射が自分でできないからといって介護職員が替って注射することは法律違反でできないため、看護師のたくさん配置されている施設に移っていただかざるを得ないと告げられた。

ヨシさんは、友人が自宅で家族に注射をしてもらって暮らしているのに、排せつ介助や食事介助、入浴介助や移動介助で日ごろ自分を助けてくれる介護職員が、友人に家族が行っているのと同じ行為を出来ないことに納得ができない。しかし施設長は法律で決まっていると頑としてそれを認めようとしない。自分はこの施設でいつまで生活が続けられるのだろうか、この手で注射ができなくなったら自分はここの施設から捨てられるのだろうかという不安と悲しみを抱えながら、今日もヨシさんは震える手で自分の肩に注射針を刺し続けている・・・・。(ケース1)

道南の、とある田舎町の小さなグループホームで暮らすカヨさん(仮名・72歳)は、3年ほど前から認知症の症状が出て、家族の顔がわからなくなり、自宅から「帰る」と外に出ることが多くなった。夜中に警察に保護されたり、川に落ちて大騒動になったりした。家族が介護に疲れ果てた2年前に近くにグループホームができた。老健のショートステイを使った際にも、夜間の徘徊と奇声を理由に利用を断られた経験があるカヨさんであったが、家族がわらにもすがる思いで、グループホームに入所申請をしたところ、そのホームの施設長が自宅を訪ね、家族からカヨさんの様子を聞いて、自分が責任もってグループホームでお世話することを約束してくれた。

そしてグループホームに入所したカヨさん。当初はホームから頻回に外に飛び出して、その都度職員が付き添って町内を一回りしたり、カヨさんの自宅まで散歩に連れ出したり大変であったが、入所2月目あたりからカヨさんの表情が柔らかくなり、徘徊も減り、夜も落ち着いて寝てくれるようになった。ホームの職員との関係が濃厚になるにつれ、カヨさんは職員が自分を守ってくれる存在と感じるようになったのか、職員と家事や掃除などの行動を共にすることが一番落ち着ける状態のように変わっていった。この変化に家族も驚くばかりであった。

ところがカヨさんがすっかり落ち着いて数か月経った頃、体調が悪くなり、医療機関を受診したところ、過去に指摘されていた糖尿病の悪化があり、血糖値管理が必要になって、インスリン注射が必要だと言われた。状態が落ち着いたといってもカヨさんに自分でインスリンを打つ理解力はない。そのホームは医療連携加算を算定し、外部の訪問看護ステーションから看護師が週2回健康管理の訪問を行っているが、カヨさんの毎朝のインスリンを注射するために訪れることはできない。このため血糖値が落ち着くまで入院できる医療機関を探すか、別の施設への転入所が検討されたが、今までの経緯から、他の場所で生活することはカヨさんにとって悪い影響が生ずることが容易に予測された。血糖値管理・インスリン注射さえできれば、カヨさんは、このままホームで、落ち着いた彼女らしい生活が続けられるのに・・・。

悩んだ施設長は「自分が一切の責任をとる」として、介護職員に毎朝インスリン注射を打つことを指示し、自分は辞表を書き、それを常に懐に入れている・・・・。そんな状況もまったく理解できないカヨさんであるが、今日も同ホームでは彼女の柔和な笑顔がみられ、そこに訪れた家族は2年前のカヨさんと家族の疲れ切った状況を思い出しながら、感謝の涙を毎度流すのである・・・。(ケース2)

この2つのケースをみた時、ケース1の施設長は何も批判されるべき問題はない。法令遵守という意味からは、そうした判断しか取れないし、逆にケース2の施設長の判断や行動は、理由がどうあれ現行の日本の法律の中で許されるべき行動ではない。

しかし人間として、その行動を非難することができるかといえば、僕は首を縦にふれない。

もしこの国の法律が在宅で家族が行っている行為を、施設の介護職員に認めているのであれば、2つのケースは共に何の問題も生じない。二人のお年寄りは平和で安全な生活が続けられるのである。

法律による規制とは人の安全と平和を保障するものであるはずで、医療行為の制限も、技術と知識のある専門家により安全にその手技・行為が提供されるための規制である。よってこの制限を全てなくすることはできないし、そのような意見があるとしたらそれはあまりにも乱暴である。しかしその制限は時代のニーズと人間の暮らし方によって時とともに変化せざるを得ない要素を抱えるもので、法解釈も人の生活の変化にマッチして変わっていかねば、規制はただ単に誰かの権益のためだけのもので多くの人々の不幸の台座の上に孤立する状況を生むだろう。

法令遵守は大事であるが、法律は究極的には人間が作った文章であるから、それを守るだけでは人間の暮らしは守ることができず、時には法律以上の規定を自らが課して守る必要もあり、それが職業倫理でありコンプライアンスの思想である。(参照:職業倫理はなぜ必要か)、しかし同時に人間生活にマッチしなくなった法律を変えるために必要なソーシャルアクションを求めることも我々の責務としてあるべきものだ。

今、我が国の状況は、世界をみても類がない、人類がかつて経験したことがない超高齢社会を迎え、医療技術の進歩はその要因になるのと同時に、医療器具や医療処置が常時必要となる人々を増やしている結果をも生んでおり、その支援の人材を過去と同じ範囲でくくっては行為提供者が足りなくなるのが現実である。だから行為提供者の範囲を広げる手立てが不可欠なのである。

そこには当然セーフティネットが必要だろうが、介護職員が利用者に対して提供できる行為を、せめて「在宅で家族が同様に行っている行為」程度までは広げないと支援の光がすべての高齢者や要介護者に届かないのである。

このことを介護福祉士に手渡そうとした時、当の介護福祉士がそれを拒むのは責任放棄である。中には「そんなことまでやらされて何でも屋になるのは困る」という意見があるとのことだが、現実の施設サービスにおいては介護福祉士にしかできない行為など存在せず、ヘルパー資格者や無資格者にも出来る行為しか許されていない。つまり介護福祉士は「なんでも屋」どころか「何にも出来ない屋」にしか過ぎないのが現実だ。

のどの奥も含めた喀痰吸引や濃厚流動食の注入行為を、介護福祉士が中心になって行うことを拒否するのであれば、その有資格者は、医療職の指示のもと、その下請け行為に限って「何かができる」資格でしかなく、国民の期待に添う責務を担えない意味のない資格に過ぎなくなるだろう。

ヨシさんや、カヨさんを救うことができない介護支援者など、介護の専門職とは言えない。

介護福祉士が要介護高齢者を救えないのであれば、この国は新たに社会の求める責務を担うことができる能力がある介護専門資格を、時代のニーズとマッチさせる形で作り出さねばならないだろう。

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介護福祉士に告ぐ。

「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」において特養の介護職員が実施できる行為を拡大しようという議論のさなか、当の介護福祉士の会員組織である介護福祉士会が、会員アンケートの結果として、80%が「吸引は不安」、44%が「吸引を行わないようにすべき」という意見を示し、この問題に消極姿勢をとったことについて僕は「存在意義が問われる介護福祉士」の中で批判した。

その意味を改めてここで補足し、表出した新たな問題を指摘したい。

超高齢社会で医療器具をつけて自宅療養する高齢者が増える社会で、在宅でそれらの方々が生活できるのは家族の医療行為による支援の結果である。それらの高齢者がスムースに施設入所できない理由は、在宅で家族が行っているのと同じ行為を施設の介護職員ができないことによるものだ。

確かに特養には介護職員のほかに、看護職員が配置されているが、看護職員の配置基準は50人施設で2名、100人定員でわずか3名である。多くの特養では配置基準以上の看護職員を雇用し、日中は看護職員がいない日を生じさえないように対応しているが、現行の運営財源である介護給付費で支出できる人件費には限界があり、日によっては看護職員を1名しか配置できない場合もあるし、看護職員の夜勤対応は困難であり、夜間は介護職員しか配置されていない特養が全体の大部分を占める。そのため看護職員による医療行為支援が不可能な時間帯という空白が生じ、例えば早朝、朝食前にインスリンの注射をする看護職員がいないという理由だけでインスリンの自己注射ができない糖尿病の高齢者は特養入所を拒否される場合がある。

これは現実の社会のニーズに沿うものではなく、せめて在宅で同居家族に認めているような行為については特養で介護職員が行ってもよいように規制緩和すべきというのが我々の主張である。何もすべての医療行為の規制を緩和せよといっているのではなく、その基準は在宅の高齢者に「家族が行うことが許されている行為」と限定して主張しているのである。

つまり在宅でケアできていた高齢者が、医療行為に対する支援がネックになって施設入所できないという現状を打破する為には、施設における介護職員がカバーする領域を広げないとならず、それが医療行為の一部を介護職員ができるようにするという意味であり、結果的にそのことは国民のニーズに応えるという意味にほかならない。

しかしそのニーズに対応する役割を担うことに対し、介護福祉士の会員団体が消極姿勢を示すことは、社会的に有益な役割を担ってもらいたいという国民の要望を拒む結果となる。これでは唯一の介護の国家資格である介護福祉士という資格の意義と信頼性が揺らぐだろう。

考えてもらいたいことは、当初老施協は、この一部行為の拡大を担うべき職種については介護福祉士を想定せずに、新たに「療養介護士」という別の資格を導入しようとしていたという事実である。もしこれが実現していたら、介護福祉士の資格の価値も社会的認知も低下することは間違いなく、それは将来的には介護の基礎資格にはなり得ず、療養介護士の下請け的資格になり下がることが必然であった。

しかし結果的には、この案は他団体(日本看護協会等)が「介護の資格を今以上に増やすことは許さない。」という反対論によって見送られた経緯がある。そのことは結果的に介護福祉士資格を救済したことになるはずであった。

ところが、実際には国が介護職員に手渡してもよいのではないか、と検討していた行為について、それを担うべき介護福祉士側が「それを手渡されても困る。」と言ったのである。つまり介護福祉士は「介護福祉士は、それほど社会に役立つ資格ではありません。」と責任を投げ出した結果になるのである。

そしてこの検討会で結論が出され、モデル事業で検証される喀痰吸引や経管栄養に関する介護職員が可能となる行為は非常に範囲の狭い、意味のないものとなったが(参照:医療行為解禁議論の笑える結論)、ここで注目すべきはモデル事業で実施されるのは介護職員の新たな行為だけではなく、それを指導する新たな看護職員の指導も含まれているということである。

つまりこのモデル事業に向けて、看護職員の中の一定条件を備えたものに、一定期間の養成研修を受けさせ「指導看護師(仮称)」に任命して、モデル事業から介護職員に対する指導に携わせるのである。

つまり「介護の資格を今以上に増やすことは許さない」と反対した看護協会側は、このどさくさにまぎれて新たな看護師の資格と権益を手にしたという意味である。介護福祉士会が社会の要請に消極姿勢を示して現状変化・改革をしようとしない中で、看護協会は着々と新しい地盤を固めているという構図が見て取れる。

これにより社会的要請に応える姿勢が疑問視される介護福祉士は、ますます看護職員の管理下でしか仕事のできない存在となる方向に向かわざるを得ない。

介護福祉士という有資格者やその会員組織が社会の要請にもっと積極的に応えようとしない限り、その資格は超高齢社会を担うべき介護の基礎資格とはなり得ず、やがて上級資格が創設され意味のない資格となるか、医療専門職の指揮命令でしか動きがとれない位置づけとされるしかないだろう。

そういう意味では介護の専門資格としての社会的使命とは何かが今後ますます問われることであろうことを、この資格を持つすべての人々は肝に銘じておくべきである。

この記事における警鐘を軽んずるならば、介護福祉士という資格はいずれ社会から大きなしっぺ返しを食らうであろう。

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医療行為解禁議論の笑える結論

特養等の施設における介護職員への医療行為解禁、あるいは介護職員ができる行為の拡大を論ずる際に、必ず出される反対論として「常時、医療対応が必要な高齢者を特養に入所されることが問題だ。」という意見がある。

しかしこの反論ほど的外れなものはない。施設介護職員の行える行為拡大、一部の医療行為監禁とは、何も常時医療対応が必要な状態の高齢者に対応するためではないのである。

特養利用者の具体的医療ニーズとは例えば、医療機関で対応すべき病状に限らず、加齢とともに緩やかに生ずる身体機能の衰えに起因する問題であったり、治療を必要とするような急性疾患はなくとも枯れるように徐々に嚥下機能が低下して最終的に経管栄養が必要になることであったり、インスリン注射で血糖値管理さえできれば医療機関への入院が必要でないケースであったり、インフルエンザなどの感染症を発症し、一時的に点滴が必要ではあるが入院までは要しない状態である場合が考えられる。

つまり特養利用者の医療ニーズとは常時医療対応が必要である状態をいうわけではなく、ある一定期間あるいは1日のうちの特定時間帯に医療対応ができれば日常生活に支障がない状態が多いのである。

そのような利用者の医療ニーズに対応するためには第3者の医療行為支援が不可欠である。しかし特養の看護職員の配置基準は50人定員で2名、100人定員でわずか3名である。多くの特養では配置基準以上の看護職員を雇用し、看護職員が配置されない日が生じないように365日看護職員を配置するなどの自助努力で対応しているが、現行の運営財源である介護給付費で支出できる人件費には限界があり、日によっては看護職員を1名しか配置できない場合もあるし、看護職員の夜勤対応は困難であり、結果的に夜間は介護職員しか配置されていない特養が全体の大部分を占める。よって365日24時間にわたる看護職員による医療行為支援は不可能であり、夜間に緊急の医療対応ニーズが生じても、介護職員が行えるような行為であっても、現行法上は、看護職員の呼び出しを行い、その到着を待たねばならない。しかし例えば褥創部の便汚染などの際に、褥創処置が医療行為であるという理由のみで、看護師の不在の間に何も処置対応ができない現実は非常におかしなものである。そしてそれによって不利益を受けているのは特養利用者であり、それは今後の問題として考えるならば、国民全体にとっての不利益と言える問題である。

このため昨年11/20「安心と希望の介護ビジョン」において、特養での医療行為について、現在、在宅でしか認められてこなかった有資格者ではない者による「喀痰吸引」や介護職員が行えば法律違反となる「経管栄養の処置」などの一部の医療行為を、特養でも「研修を受けた介護職員」に認める方針が示された。その方針の具体化のため「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」の議論が今年2月から始められ、年内に各地の特養でモデル事業を行って安全性を検証し、来年度の実施を目指すという方針が示された。

ところがこの結論たるや、全く「お粗末」としか言いようがなく、モデル事業で検証する介護職員による行為については、例えば喀痰吸引では、吸引できるのは肉眼で確認できる口の中だけで、鼻や気管切開した部分は対象外とされた。

このように危険を理由に喀痰吸引のできる範囲を制限しているが、在宅ではALS患者の喀痰吸引の際など口腔内だけでなく人工呼吸器をつけた喉の部分も含んで行うことが認められているのに、在宅より医師、看護師の管理が容易であり安全性は高まる施設における行為に、そのことを認めないのは矛盾を残したままで問題解決には程遠いと言わざるを得ない。これでは数十分ごとに常時喀痰吸引が必要なALSの方々は、今後も特養入所が不可能である。

ただ、この結論については、口腔内のみであっても、今まで認められてこなかった特養の介護職員による喀痰吸引が認められたことは第1歩であり、今後それが拡大される可能性があることについて評価する向きもあるだろう。

しかしより一層お粗末な結論といえるのが、経管栄養についての問題である。今回の結論では、チューブの接続や流動食の注入は看護職員だけが行うとされ、今までとなんら変更はない。

介護職員が行うことが可能な行為としてモデル事業で検証される行為とは「注入中の観察・注入後の頭部の状態維持・看護職員への結果報告・片づけ・記録」である。

そもそもこんな行為は今まで、それさえも認められていなかったのかと首をかしげるような内容にしか過ぎず、問題解決としてはほとんど意味がないといってよいだろう。観察や結果報告など別に医療行為と何も関係のない行為で、今までだって行っていて問題なかった行為ではないか。経管栄養中に姿勢が乱れて苦しそうにしている利用者の枕の位置をずらして良恣意を確保することがモデル事業で「入後の頭部の状態維持」として検証されなければならないこと自体が「お笑い」の世界である。

特養の利用者の医療ニーズとは何か、それに現実的に対応するには何が必要かということを「真面目」に考えれば、特定業種の職域・職権を守るための理屈など社会悪でしかない。日本看護協会はこのことを肝に命ずるべきである。

そして将来にわたって特養利用者の医療ニーズに的確に対応するためには、最低限でも在宅で医療の有資格者以外が行為としては可能な喀痰吸引は口腔内に限らず認められるべきであるし、家族が行うことができるインスリン注射や、経管栄養の濃厚流動食注入・タンクと繋がった部分(体と繋がった部分は別で、これは看護職員対応がふさわしいだろう)のチューブ交換等も認めるべきである。

このような行為をモデル事業でさえも検証しないような結論であるなら、検討会自体が時間と金の無駄遣いと結論付けてよいだろう。

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違和感の構造。

札幌医科大学付属病院が死産の赤ちゃん専用の産衣(うぶい)を作ったニュースが7/11の北海道新聞第4社会面で報道されている。

死産の赤ちゃんは通常の新生児の産衣でも大きすぎる場合が多く、見送る際に心を痛めた同病院の産科周産期室の師長らが開発し「エンジェルドレス」と名付けたそうである。

このニュースを読んでの感想であるが、人の生死の現場にはいろいろな状況が横たわっており、そこに関係する人々は様々な思いを抱えているんだなあと感じた。そういった意味で、大変興味深く記事を読ませてもらった。しかし・・・。

僕は新聞のこの記事全体について、読後感としてある違和感を持たざるを得ないのである。

まずこの記事を読む前に視覚に飛び込んでくるのは、記事の約1/3を占めるであろう大きな写真である。その写真には二人の看護師:エンジェルドレスの開発に携わった看護師長と看護部副部長なる人物が、はじけるような笑顔で産衣をその手に持って写っている。その写真からは、記事の内容が死産の赤ちゃんを見送るための産衣のニュースであることはほとんど想像できない。
当該記事と写真:一定期間後リンクが切れ、見れなくなる可能性があります。)

そういう意味で、記事を読んで、その内容と写真の笑顔にギャップのような違和感が僕の中には残った。ただそれは、あくまで個人的な感覚なのかもしれない。

しかし過去にこの病院で死産を経験された妊婦やその家族の方々は、この産衣の開発について、よいことだとは思うであろうが、その報道記事と二人の看護師の笑顔には同じような違和感を持つのではないのだろうか、とも感じた。

とても素晴らしい発想で開発された産衣であっても、それを実際に使うであろう人々は、産衣に包まれたことに喜びを感じることはできないくらいの深い悲しみの中に沈んでいるであろう。そういう意味でも、例え死産という不幸な状況に遭遇した人々にとって必要な産衣の報道であっても、そういう人々の気持ちを慮った、もう少し「静かな報道」であってよいのではないだだろうか。

この写真の「笑顔」はこの記事にそぐわないと思った。

編集者のジャーナリストとしてのセンスと配慮のなさを、この記事から感じ取ったことが、僕の読後の違和感の原因だろう。

ところでangel(エンゼルともエンジェルとも表現され、どちらも間違いではない)という言葉は、医療機関や介護現場ではエンゼルケアという言葉でつかわれる場合がある。

簡単にいえばエンゼルケア=死後処置のことである。場合によっては湯灌や死に化粧を含めて、そのことを表現する場合があるが、医療機関や介護施設ではエンゼルケア=死後処置と考えてよいであろう。その表現方法の意味は遺体を単に物体として扱うのではなく、魂が旅立った後の肉体として真摯に対応するという意味をあらわすと同時に、死後処置というものが単に機械的作業にならないような注意喚起、遺体に対する敬謙なる心を失わないという意味を込めたものであろう。

しかし僕は我が国の医療機関や介護施設でこの言葉を使うことにも大いなる違和感を持つのである。

Angel:エンゼルとはまぎれもなく天使という意味である。しかし日本人の観念上の天使とは何ぞや、と考えた時、それは欧米人の観念と明らかに違うように思う。特に諸外国の人々の死生観は、宗教観と密接に関連して、死は終わりではなく「神に召される」という意味を感じている人が多く、その際に神のもとに導くものがエンゼルであるというイメージを持つ人が多い。

しかしながら日本人のそれは全く異なるもので、エンゼル:天使のイメージを、小さな子供に羽が生えた可愛らしいもの、という単純なとらえ方をしている人も多いはずである。(参照:エンゼルプラン命名秘話)少なくともそのイメージに死を連想する人は少ない。

また日本人にとって、死とは「仏になる」というイメージが強い。仏様に天使は似合わない。そういう意味でも違和感がぬぐえない。なんでも外国が使っている言葉が先進ではないだろう。それぞれの国々が持つ伝統的な宗教観や死生観に配慮した言葉が必要ではないのか?特に我が国の保健・医療・福祉現場ではそういう伝統的な日本人の観念への配慮が欠けているように思う。

介護施設の「看取り介護指針」の中にも死後処置を「エンゼルケア」と表記している場合があるが、これも僕にとっては「いじり過ぎ」としか感じられないのである。

我々は、流行とは関係のない、極めて伝統的な社会の一員として、常識的な感覚で対人援助に携わる必要がある。人の尊厳を損なわないために様々な表現方法の工夫は必要であろうが、それがすべて横文字でしか表現できないのでは、それは単に意味をぼやかしているに過ぎないと思った。

世界一美しい母国語を持つ国であるにも関わらず、看護や介護に携わる人々、特にそのリーダー的地位にある人のセンスは最悪である。

看護や介護の貧困さがここでも表れている、という意味でなければよいのであるが・・・。

存在意義が問われる介護福祉士。

今日は怒りモードで記事を書くので、過激な表現となることをあらかじめ断わっておく。

特養で解禁される医療行為について、今年度中にモデル事業を実施して、来年度から条件付で容認することになったが、6/15に書いた「中途半端な医療行為拡大議論」で示したとおり、その内容はまったく不十分なもので、今回モデル実施される行為は、「吸引」と「経管栄養」に関る行為のみである。

しかもその中身が惨憺たるもので、喀痰吸引については在宅では資格がないものにも認められている「咽頭より奥、または気管切開部分の吸引」は除外され、肉眼で確認できる口腔内のみに限定されている。一歩前進とはいっても、これでは看護職員の夜勤がない特養では、夜間に口腔内以外の喀痰吸引が不可能な為、今後も喉につけた人工呼吸器の部分の喀痰吸引が必要なALS(筋委縮性側索硬化症)患者の方々は入所できない。

もっとひどいのは「経管栄養」に関する行為である。今回認められモデル事業で実施する行為とは、タンクへの濃厚流動食の注入行為は除外され、単に「注入中の観察・注入後の頭部の状態維持・看護職員への結果報告・片付け・記録のみ」とされている。

しかしモデル事業で実施後に認められる行為も「今までも出来るんではなかったの?」と首を傾げたくなるような行為ばかりで、こんなことが今更「介護職員でもできるよ。」と言われたからといって、何か現場に変化があるというのだろうか?利用者の暮らしが良くなるのだろうか?

肝心の濃厚流動食の注入が認められないのでは意味がない。また、身体につけられているチューブはともかく、タンクに接続している部分のチューブ交換さえも出来ないのではまったく意味がないだろう。何のための介護職員への医療行為の一部行為解禁だろう。ふざけるのにもほどがある。

この背景には日本看護協会の権益を守るための反対論、限定的解禁の主張や、厚生労働省の「まず安全なところからやりたい」という意向が働いたことが大きいが、それにも増して僕が個人的に問題視していることは、医療行為の一部解禁を担うべき介護福祉士の団体である「日本介護福祉士会」が会員アンケートの結果として、8割が「吸引は不安」。44%が「吸引を行わないようにすべき」という意見を示し、この問題に消極姿勢をとったことである。

この姿勢が「腰砕けの結論」の一要素になっていることは否定できない。

喀痰吸引等の医療行為の一部を介護職員ができるようにするということは、超高齢社会で医療器具をつけて療養する高齢者が、在宅で生活できるのは家族の医療行為による支援の結果であり、それらの利用者が施設入所できない現状を打破する為には、介護職員がカバーする領域を広げないとならないという意味があり、それは国民のニーズに応えるという意味にほかならない。

そういう意味では、日本介護福祉士会が、この問題で消極姿勢をとることは、国が介護福祉士という有資格者に、社会的に有益な役割を与えようとしているのに「いえいえ、私どもにそんな重要な役割を担う、資質も、能力もないので、勘弁してください。介護福祉士なんてそんな大層な資格ではないんです。」と言っているようなものである。

当初、老施協は、これを担える介護職員について、現行の介護福祉士という資格者ではなく、新たに「療養介護士」という資格を創設して、その有資格者に医療行為の拡大解禁した部分を担わせようと運動していた。それに関して僕は介護福祉士という国家資格を持つ者がいるんだから「介護福祉士とういう国家資格を持つ者を信用せずに、別に新たな資格を作らねば医療ニーズに対応できないというは間違い。拡大されるべき行為は、在宅で家族やボランティアが現に行っている行為が中心であるのだから、教育カリュキラムの見直しや、一定の研修受講で対応できる問題で、その中心に介護福祉士を据えるべきである」と主張してきた。
(参照:老施協戦略への疑問〜療養介護士問題

そういう意味では僕は、介護福祉士という資格、その取得者に敬意を持って、その資格による業務従事者を信頼していたのである。

しかし今回の問題に対する、日本介護福祉士会の一連の対応を見ると、この考え方は変えざるを得ない。国民のニーズ、社会の要請に積極的に応えようとしない資格者など、専門資格とはいえない。介護福祉士資格などは単にお飾りに過ぎず、国民が望む行為に応えられない程度の、低いレベルの資格だということがはっきりした。

少なくとも日本介護福祉士会という団体は社会的使命感をまったく持たない団体であることが国民の前に明らかになった。

そうであるなら、こんな資格を介護の基礎資格に置いておくのは間違いである。こんな資質の低い有資格者集団に将来に渡っていかなる分野の業務独占を許してはならない。療養介護士でもなんでも新たに創設して、介護福祉士なんていう資格はなくしてしまうか、療養介護士の下請け資格にするしかないだろう。

世の中に役に立たない国家資格など必要ないのである。

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自己負担分を無料化していた医院の処分

北海道内では昨年から比較的大きな問題として取り上げられていた医療費を巡る問題に、どうやら処分が下りそうである。

札幌市の歯科医院が、事実上診療費の患者一部負担金(1割〜3割負担分)を無料化して患者を確保し診療していた問題である。

その手口(または方法?)は、次の通りである。

札幌市の医療法人「〇〇〇〇デンタル医療機構」が経営する同市中央区の「デンタル〇〇〇〇」が、NPO法人「〇〇ケア機構」と協力して、NPOの会員となった患者の歯科治療について同歯科を受診治療を受けさせ、患者は診療後、NPOのアンケートに回答し、その「労務料」として受け取った診療費の自己負担分(診療報酬の1〜3割)を、歯科医院側に支払っていた、というものである。

つまり歯科診療費の自己負担分をNPO法人のアンケートに答えた「労務料」として患者本人が受け取り、その費用をそのまま自己負担分として歯科医院に支払っていたというもので、結果的には、自己負担料金は、当該歯科医院が割り引いている形ではなく、NPO法人が負担しているように見える。

しかし北海道厚生局は、NPO法人から患者に支払われていた「労務料」の減資は、歯科医院を運営する医療法人からNPOに支払われた広告料や調査料がそれに当てられ、しかもNPO理事長が医療法人の役員を兼任していたという実態を把握し、NPO法人と歯科医院が事実上一体化し、NPO法人をトンネルにした金銭のやりとりの操作を行っているもので、これは健康保険法が禁じている「割引診療」を行っていたと判断したものである。

この問題については来る7/9に、行政手続法に基づき歯科医院院長とNPO法人「〇〇ケア機構」の理事長から直接、弁明を聞く「聴聞会」を開き、その後、道内の医師や保険者らでつくる「地方医療審議会」での審議を経て、歯科医院の保険医療機関の指定と、院長の男性歯科医の保険医登録をそれぞれ、7月中にも取り消す方針を固めたものである。

同歯科医院は法律には違反していないと、公聴会で不服を申し立てるようであるが、処分へ向けて動き始めている状況は容易に変わりそうもない。

ところで、今日この話題を取り上げたのは、介護保険関係者にまったく関係のない医療問題ではないからである。つまり「健康保険法が禁じている割引診療を行っていたと判断」しての処分は、介護保険法もこれに準じた処分が当然あり得るということである。つまり今回の処分を保健・医療・福祉関係者は自らの身に火の粉がかかりかねない「一罰百戒」の視点で考えなければならないという意味である。

介護保険法でも不当な割引は認められておらず、利用者負担分の割引を行なう場合は、あらかじめ要件を届け出て割引を実施することとなる。そして基本的には自己負担は給付費の1割という原則は変えられないとして、割引を行った場合、基本的には国保連への給付費の請求も、割り引いて徴収した自己負担額に応じた9割分の請求となるとしているのである。

<参照:WAM-NET Q&Aより>
介護保険法第41条で厚生大臣が定める基準により算定した費用の額の90/100に相当する額(その額が現にサービスに要した費用の額を超えるときは当該現にサービスに要した費用の額)を居宅介護サービス費として居宅サービスを受けた要介護被保険者に対し支給することとされています。このため、「自己負担分のみ割引」と称して自己負担を事実上免除することは本条の趣旨に照らし認められません。(上記のケースにおいて保険給付相当分と自己負担分を一律に割り引くのであれば可能ですが、都道府県に届出が必要です。)』 

ところがこの割引を安易に考えて、取り扱っている介護サービス事業所が数多く見られる。収入減に繋がる割引は、利用者の利益で、事業者の懐を肥やすものではないから問題ないと考えている輩が存在する。しかし顧客確保のための不当な割引は公正な競争を阻害するばかりではなく、自己負担無料化によって必要のないサービスまで使うケースが増え、国民負担の税金と保険料で賄われている介護給付費の無駄遣いにも繋がりかねない。なにより法で定められたルールを破ることはいかなる理由があろうとも社会秩序を乱すものであり、容認されない。

また施設サービスにおいては、個室利用者の負担が大きいことから、個室を利用しても「多床室利用扱い」として利用者負担を減じている施設がある。しかしこれも法律違反である。

特に後者の個室利用者を多床室利用と偽って請求する行為は、自己負担分の居住費は個室利用のほうが高いといっても、介護給付費は多床室の方が高いのであるから、施設の収入としての「介護給付費+居住費」は、多床室扱いとしたほうが安くなるが、公費請求分は多床室と偽ることで高い費用を請求することになってしまうのだから不正請求でもある。(参照;居室類型による報酬差は妥当か

つまり、こうした安易で勝手な割引行為を行っている施設や事業所は、今後、北海道厚生局が保険医療機関と保険医の指定を取り消したのと同様の処分、つまり介護保険の指定取り消しがあり得るということを肝に銘じなければならない。

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中途半端な医療行為拡大議論

特養における介護職員が行うことができる行為の拡大議論が進行している。

このことについて過去の記事との重複を恐れず考えて見たい。同じことを主張する結果になるかもしれないが、それは今回の議論の腰が砕けて、問題の本質の解決に繋がらない議論になっているからで、そのことの危機感を持っているからである。

昨年11/20「安心と希望の介護ビジョン」において、介護施設等での医療行為について、現在、在宅でしか認められてこなかった有資格者ではない者による「喀痰吸引」や、介護職員が関わることが大きな問題として取り上げられていた「経管栄養の処置」などの一部の医療行為を、特養等の施設でも「研修を受けた介護職員」に認める方針が示された。

その方針の具体化のために厚生労働省が立ち上げた医政局長と老健局長の私的研究会「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」の議論が今年2月から始められ、その結果、年内に各地の特養でモデル事業を行って安全性を検証し、来年度の実施を目指す、という方針が示されている。

そこで検討されている行為は「特養等における介護施設」での介護職員が行うことができる行為だから、在宅における行為は対象になっていないということである。

しかし、少なくとも在宅では、既に「喀痰吸引」についてはヘルパーなどに対しても、行為としては認めている、という矛盾が存在する。

2003年に一定条件下でALS患者の方々の痰の吸引については「行為」としては家族以外のヘルパー等も行えるようにした。そしてやがて痰の吸引という行為は、ALS患者に限らない全ての在宅療養者に対しても可能とされた(2005年)。

しかし、それは介護業務として認められたわけではない。つまり業務上の行為としては今もって認められておらず、業務とは別なボランティア行為として行うことができるとされているもので、例えば訪問介護事業所のホームヘルパーが在宅療養者の喀痰吸引を行うことで訪問介護費を算定できるわけではない。

そのため、この行為は施設の介護職員には認められていない。施設サービスにおいて関わる行為は全て業務である為であり、業務ではない行為として区分が出来ないからである。そのため24時間医師や看護職員の配置されていない特養では、頻回に「痰の吸引」が必要な人の入所は現在でも不可能である。

この矛盾解消も含めて、今回の議論が始まったはずである。ところが・・・。

モデル事業で検証する介護職員による行為については、吸引できるのは肉眼で確認できる口の中だけで、鼻や気管切開した部分は対象外とされ、経管栄養では、チューブの接続や流動食の注入は看護職員だけが行う、とされている。

これではほとんど意味がない。危険を理由に喀痰吸引のできる範囲を制限しているが、在宅ではALS患者の喀痰吸引の際など口腔内だけでなく人工呼吸器をつけた喉の部分も含んで行うことが認められているのに、在宅より医師、看護師の管理が容易であり安全性は高まる施設における行為に、そのことを認めないのは矛盾を残したままとなる。まったく時間だけかけて実質の伴わない議論である。

経管栄養についても、体と繋がっているチューブは看護職員が行うべきであろうが、タンクと繋がっているチューブの交換は介護職員でも行えるようにすべきだし、濃厚流動食の注入だって検討されるべきである。そのほかに介護職員が出来ないことで支障を来たしているインスリン注射も検討課題だ。

在宅でインスリンの自己注射ができない高齢者に、同居の家族が替わってその行為を行って暮らしを支えているのに、その高齢者に特養入所の必要性が生じても、朝食前にインスリンを注射できる看護職員がいないことが理由で入所できないケースがある。そういう意味においては実際には24時間医療行為が必要ではない高齢者であっても、一部の医療行為を特定の時間に支援できないことにより特養入所ができないという状況が解消されないと意味がないからである。

しかしこの検討会は結果的に医療・看護団体の権益を守るために、「安全性」を錦の御旗に掲げられ、そうした必要な行為の議論がどんどん縮小されてしまって実質意味のないものになっている。介護関連団体委員の意識の低さや、力のなさも問題だろう。委員は総辞職が必要だ。

かつて在宅での痰の吸引を認める議論の際には、それに反対する立場の団体等は「吸引は気管からの出血、不衛生による感染症を招く危険があるので、看護師でないと駄目だ。」と頑強に反対していた。その検討会の傍聴席で車椅子のALS患者が、ボランティアの学生らに何度も吸引してもらっている光景がみられ、患者の家族からは「家族にやらせているものを認めないのは結局、職域・職権を侵されたくないだけ」と悲痛な声が聞こえていた。同じことがこの検討会でも繰り返されて、それに介護側が屈しているというのがこの検討会の構図である。

しかし痰の吸引が介護職員等にも認められた後「憂慮される事態」が起こったのか。そのような事実は今のところない。今後も事故がまったく起らないという保障はないが、看護職員の行為による医療事故が皆無でない現実から考えても、2003年から解禁された在宅でのヘルパーの「喀痰吸引」において、今まで問題となるような事故が起きていないという事実は、介護職員に医療行為の一部を手渡しても、今現在に増してそれらの行為によって安全性が著しく損なわれるわけではないことを証明しているといえるであろう。

何よりこの規制緩和措置で救われた多くの在宅療養者の実情をみれば、この規制緩和の方向は正しかったといえるであろう。

そういう意味でも「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」の結論が、腰砕けで、現場の求めている結論が出されていない状況は非常に残念である。

意味のない結論しか導き出せない検討会に、いくら時間や金をかけても無駄である。現在抱える介護施設における問題解決に繋がらない形だけの結論しか出せないとき、この委員会のメンバーは責任をとらねばならない。

もちろんそれは介護施設関係者に向けた責任ではなく、国民に向けた責任である。

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新型インフルエンザ対策への疑問。

インフルエンザは目に見えないウイルスにより感染が広がるものだし、症状が出ていない感染者からもウイルスは放出されるので、これを完全に防ぐことは無理だ。

新型インフルエンザも、国内で人から人への2次感染が広がっているが、大阪や神戸が初発とは断定できない。季節性のインフルエンザとして処理され治うしたケースにも新型インフルエンザが含まれている可能性は0ではない。今現在も、本当に大阪や神戸や滋賀にしか感染者がいないのかということについては非常に疑問に思っている。

今日確認された滋賀の患者も神戸に滞在した後に発熱したから新型インフルエンザの検査をして見つかったもので、それらの地域に滞在歴のない発熱者はサンプル漏れしている可能性だって否定できない。

少なくとも今年の冬は、日本中に新型インフルエンザが広がり、季節性インフルエンザとの区分さえ難しくなることが考えられる。

幸い現在は弱毒性で、高齢者への感染も少ないといわれているが、新しいウイルスは流行期に変化する可能性もあり、この冬に同じ程度の毒性であると断定はできない。困ったことだ。

ただし現在は、新型インフルエンザに罹患しても、タミフルやリレンザは有効で、早期治療で治うするし、治療せず放置したり、抵抗力が弱い幼児等でない限り生命の危険に繋がるケースはほとんどないので、パニックにならないことが何より大事である。

急な発熱でも医療機関に慌てて行かずに、保健所に設置された発熱センターで指示を受け、その上で治療に結びつけることが必要だといわれている。今現在は、感染者全員が入院隔離されるということにはならず、症状の軽い人は自宅で療養してよいことになった。これは一面では、患者数が増えすぎて、隔離対応が不可能という意味で、これによって感染拡大は間違いなく阻止できないという意味でもある。だからといってパニックになる必要はない。強毒性で致死率が高い感染症ではないのだ。

しかし大阪や神戸の一部の反応は既にパニックに近いものだろう。罹患すれば死に至るような認識を持っている人も実際にはいるようだ。しかし新型インフルエンザの致死率は季節性のインフルエンザに比べても決して高くないし、免疫力の低い手術後の患者や、妊婦、乳幼児などは注意が必要だが、それは季節性のインフルエンザも同じことだ。

この感染が全国に広がることを防ぐのは、まず無理だろう。遅いか早いかの違いだけで、患者は全国に広がるだろう。しかしそのことは決して悲観する必要はないのではと考えたりする。求めて感染する馬鹿はいないが、仮に感染しても普段健康で元気な人であれば、弱毒性であるうちに、感染して免疫を持つ可能性があり、将来、このウイルスの毒性が強まった際には逆にそのことがメリットになって、症状の重篤化を防ぐ可能性だってある、というふうにポジティブに考えたほうがよい。(免疫が必ずつくわけではないが、考え方として悲観するなという意味である)

ましてや感染者に対してバッシングしたり、差別したりするなど、もってのほかだ。感染者がすべて自己責任能力に欠けているということではないのであり、誰しもが感染可能性があるのだ。

新型インフルエンザ以上に、悲観とパニックが一番恐ろしい事態を引き起こすということを忘れてはならない。

その意味でも、毒性の高い新型の鳥インフルエンザを想定した行動計画での対応はやりすぎではないのかと考えている。高齢者の感染者が少ないのも、今回の新型インフルエンザの特徴なんだから、感染者が出た地域の、高齢者通所サービスや滞在サービスに対し一律休業要請する対応が正しいのかどうなのか大いに疑問に思っている。

「高齢者介護施設における新型インフルエンザ対策等の手引き」では、高齢者介護施設のうち短期入所、通所施設等において「新型インフルエンザ患者及び患者と接触した者が関係する短期入所、通所施設等の臨時休業(利用の休止)」が求められている。

その手順については別添の「確認事項」の三(五)において、学校・保育施設等の臨時休業の取扱いが示されており、短期入所、通所施設等についてもこれに沿って、都道府県から直接、あるいは市町村経由で臨時休業が要請されることになる。

16日の発出通知「新型インフルエンザに対する社会福祉施設等の対応について」では「これらを踏まえ、患者や濃厚接触者が活動した地域等の各事業者においては、地域の保健所、各市町村介護保険担当部局、各都道府県介護保険担当部局と十分相談の上、臨時休業等について適切に判断するとともに、あわせて利用者や家族等に対する周知をお願いします。」と自主的な休業判断も求められている。

この影響は計り知れない。

まず学校や幼稚園、保育園が閉鎖休業するということは、そこに子供を預けて働いている「お母さん」達が仕事に出られなくなることを意味している。介護サービス現場でパート職等を勤めている人々への影響は大きいだろう。

そうなると休業要請があるなしに関わらず、介護サービス事業所でサービスに必要な人員確保が難しくなる恐れがある。休業できない施設サービスへの影響はどうなるんだろう。

通所系のサービスは休業せねばならず、利用者の心身状況に関しては短期間であればさほど支障は出ないかもしれないが、長期間に渡る利用ができない際の身体状況の低下が懸念される。引きこもりを助長してしまう結果になることが一番恐い。

ショートの休業の影響は多大だろう。感染者が増える地域では、介護者が感染して介護が不可能な状況になることもあり得る。そのとき訪問系サービスですべて対応できるということにはならないであろう。

急に訪問サービス利用が必要な高齢者が増えても、実際のサービスの確保は困難だろう。場合によっては、新型インフルエンザではなく、適切なサービス利用ができないことで生命の危険が懸念される問題がおきかねない。そのことは手引きやガイドライン等を読んでも想定されていないとしか思われない。

それにもまして深刻な問題は、経営母体の小さな、体力のない事業者が経営する介護サービス事業所の休止による経営への影響だ。休止の間、収入がまったく途絶えるわけだから、これによって事業経営が成り立たなくなったり、職を失う人が出る可能性を否定できない。そうなれば、この不況下で大変な社会的影響が出るだろう。

どちらにしても現在の弱毒性の新型インフルエンザの感染地域が拡大することと、それを防ぐ為、一部の地域の社会活動を停止する対応が、どっちらが社会的損失なのか後々の検証が不可欠だ。

現在の新型インフルエンザの状況に関して言えば、もう感染拡大を防ぐことは無理で、国民の過半数以上が発症する可能性が高いけれど、普段から健康に問題のない人は重篤化しないし、早期治療で「治う」できるのでパニックにならずに、普通の生活を続けるように広報することのほうが社会的には有意義ではないのだろうか。

そういう意味で、政府や厚生労働省の対応には、いささか首を傾げている。

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続・白衣は泣いている。

日本看護協会という団体と、その幹部連中は本当にどうしようもない「社会悪」である。

地域の高齢者や、その家族が流している涙の意味を理解しようとせず、自分達の権益のみを守るための理屈しか考えない。そして、その他の意見にはまったく耳を貸そうともしない。自身がドンキホーテの役割を演じていることに気付かないのか、気付こうとしないのか・・・。

今、介護の問題に関連して、過去に書いた「白衣は泣いている」と同じ状況が特別養護老人ホームにおける介護職員への医療行為解禁問題で繰り返されている。

厚生労働省が立ち上げた医政局長と老健局長の私的研究会「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」の議論が今年2月から始まったことに関連して、全国社会福祉協議会の「月刊福祉6月号」において『福祉サービスと医療行為』という特集が組まれ、依頼を受けて「求められる介護職員への医療行為解禁」という小論文を書いた。

その特集の中で、日本看護協会の常任理事の一人が、意見を寄せている。それを読んで驚いた。理屈も何もあったものではない。ただただ介護職員への行為解禁反対ありきの国民ニーズ無視の主張の繰り返しである。そしていつものように「安全」は看護職員でしか担保できないという理屈を金科玉条にした論理展開である。あの人たちは、もう雲の上で議論しているだけで、社会を、地域の隅々を見ていないといってよいだろう。

その主な主張はこうである。
「問題は介護職員に医療行為をさせることではなく、看護師が特養に少ないことが問題」として

1.看護師は不足しておらず、求人と求職のマッチングがうまくいっていない。
2.特養の看護師配置基準が少なすぎる。看護体制を守るためには配置基準の引き上げ議論を。
3.看護師が常駐しておれば安全の対応ができるので、そういう体制作りを。

という内容である。特養の多くが看護師を募集してもなかなか応募が少ないことを単に「求人と求職のマッチングがうまくいっていない」で片付けられるのか?地域によっては医療機関とその奪い合いがされ、雇用コストが上昇しており、それに体力が持たない施設も生まれている。そもそも医療機関でさえも看護師が集まらずに一部の病床を閉鎖している状況があることをまったく無視した論理である。

特養の配置基準を見直す必要はあるといっても、特養に365日24時間看護師が常駐する体制を作るには、現在の老健並かそれ以上の配置が必要だ。そんな人的資源確保ができるかということを全国の施設数と、看護師の雇用実態から考えればそれがいかに荒唐無稽の論理かということが明らかだし、そんな配置を実現する為のコストの視点は皆無である。勝手な論理にもほどがある。

介護職員への医療行為の解禁といっても、我々は何も全ての行為を介護職員が看護師と同じく行えるようにすべきという主張をしているわけではない。

現在「医療行為」と考えられている行為の中には、実際には同居の家族が行うことができる行為も含まれており、介護職員に一定条件下でも認めてよい行為と、医師や看護師等の有資格者しかできない行為を区分して、家族でも行うことができるような行為については適切な医療・看護の専門職員の管理下において施設の介護職員でも行うことができるようにすべきというのが検討されるべき課題であり、介護職員への行為解禁の意味なのである。

地域社会の現状をみると、在宅において医療器具を装着して生活している人が高齢者を中心に増えている。これらの方々の療養生活を支えているのは家族の介護や医療行為である。

家族の行う医療行為は、生業とならないということで、医療行為ではない「生活行為」であるという解釈により、それは認められるのである。

しかし家族が一時的に介護を行えない状況が生じた場合、それらの在宅療養者の支援を誰が担うのであろう。すべてのケースについて訪問看護が替わって支援ができるほど地域にサービス資源はない。その場合、一時的な短期入所や施設入所が検討されるが、それらの方々が特養に入所した途端、家族が行っていた同じ行為が施設の介護職員には許されない。施設の介護職員としてその行為を行うことは反復継続的な医療行為に該当するとされ法律違反になるからである。そうした現実があることで必要なサービス利用ができないケースも多い。

また在宅では業務外のボランティアとしての行為としては認められているヘルパー等による「喀痰吸引」も、施設の介護職員には認められていない。施設サービスである以上、すべて業務とみなされることがその理由である。

そのような状況であるがゆえに、例えば在宅でインスリンの自己注射ができない高齢者に、同居の家族が替わってその行為を行って暮らしを支えているのに、その高齢者に特養入所の必要性が生じたとする。しかし朝食前にインスリンを注射できる看護職員がいないことが理由で入所できないケースがある。そういう意味においては実際には24時間医療行為が必要ではない高齢者であっても、一部の医療行為を特定の時間に支援できないことにより特養入所ができないという状況があり、このことを超高齢社会という時代のニーズや社会資源の状況に対応して変えていく必要があるのではないか、というのが介護施設関係者の主張である。

こうした事情を鑑みながら要介護者を地域で支える為には何が必要なのかと考えたとき、医師や看護職員でなくとも行える行為を増やすことは必要不可欠と考えざるを得ない。

家族ができている行為が介護職員に認められないのはおかしいし、在宅で認められている喀痰吸引が施設では認められないのもおかしい。施設サービスの現場では、在宅より一層、医師や看護師の関与は容易で、その管理下におくことも用意であり、安全性は在宅サービスの現場より高まるはずだ。家族より一定の教育を受ける介護職員の行為のほうがリスクが高いなんてことはあり得ない。

現在の我が国は、過去に人類が経験していない超高齢社会を迎えている。医療の発達の結果、医療対応が常時必要な人が医療機関以外で生活する必要を生じさせているのである。「誰もが安心して暮らせる社会」の実現のためには、高齢者や障がいを持つ方々への支援を社会全体のシステムの中で賄うという視点が不可欠であり、それは行為提供者の数が足りなくならないことも含めて考えられるべきである。

看護師だけに任せていられる社会情勢ではないし、権益にやっきとなる団体などに任せられる問題ではないのである。

こうした状況下で「安全と安心」という言葉を都合の良い場面だけで金科玉条のように使い、合理的な主張にも一切耳を貸さず、自己権益を守るための主張のみを続ける彼女達が着る白衣の向こう側から透けて見えるものは黒い心であり、彼女達に一番似合わないものこそ白衣である。

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家族と成年後見人の医療侵襲同意権について

介護施設でしばしば問題となる「医療侵襲同意権」について、このブログでも何度か取り上げてきた。

今までの結論としては、家族が医療侵襲同意権を持つといえる法的根拠は見つけられず、それが正当な行為なのか不明であるが

1.実際には認知症高齢者などの医療侵襲同意については家族がそれを行っているケースがほとんどであること。
2.医療機関も家族にその同意を求める傾向にある

などと指摘してきた。

また成年後見人にも、あるいは施設の管理者にも、医療侵襲同意権はないものと考えられ、医療機関からそれを求められて、やむを得ず同意を行っても、法的にそれは無効であるだろうとしてきた。

そしてこのサイトのトップページに掲載している「身寄りのない入所者への対応」の中に記載している「手術同意」において、このことに関しては

1.身寄りのない方の場合において、本人が入所する施設を経営する法人や施設長に、本人に代わって同意を求めることは法的には無意味であると考えられています。従って、救急医療の場合と同様に、施設としては医療機関に対し、医学上の見地から本人にとって最善の措置をとるように求めるべきです。

2成年後見人が選任されている場合も、本人の手術等の同意権はないとするのが一般的見解です。

3.必要な医療を受ける権利は他者による同意を伴なわなくとも、人の生きる権利とともに基本的人権として備わっているという解釈から医学上の必要性から考えた最善の措置を行なう、という共通理解が必要に思いますし、現行でもそうした見地から施設側も医療機関に必要な手術等を求めるということが基本であると考えられます。

と結んでいた。しかし問題はもっと複雑らしい。

医療侵襲とは手術などに限らず、注射や点滴など人の体に侵襲を加える行為の全てを指す。

この同意権について、月間福祉2009年6月号において、日本成年後見法学会副理事長である赤沼康弘弁護士が「医療行為と成年後見制度〜同意能力のない者に対する医療〜」という小論文を書かれている。これが非常に参考になる。以下に月刊福祉の同論文から抜粋して、その内容の一部を紹介したい。
(※関係者は、是非この論文を一度読まれたほうが良いと思う。)

・医療侵襲には侵襲を受容するという同意が必要である。たとえ医療行為といえども、その同意がない限り形法上の傷害罪となり、民法上は不法行為等となる。

・医療侵襲同意には同意能力の存在が前提になるが、その能力の程度についての明確な基準があるわけではない。一般的には、その侵襲による結果を判断する能力があれば良いとされている。

・医療侵襲同意が違法性阻却事由であることを考慮すれば、本人に同意能力がない場合、治療の高度の必要性があり、本人が治療を拒否しないと推測され、かつ本人の最善の利益となると判断される時は、医師の裁量で医療行為を行うことに違法性はないと解する余地もある。

・未成年者で同意能力がない場合は、親権者・未成年後見人が同意権を代行できる。その根拠は民法820条(親権の本質や子の監護・教育の権利義務の定め)にある。

・同意能力のない成年者についても東京地裁1989年4月18日判決では「判断能力が不十分で脳血管造影のように患者の精神的緊張が症状に悪影響を及ぼすときは特別な関係にある患者の近親者に対する説明と承諾があればよい」とされている。ただしこれを根拠付ける法整備はない。

・治療の高度の必要性がある場合、本人の意思を推測し、かつ最善の利益を測り得る立場の家族に説明同意が得られれば違法性がなくなる場合があることは肯定されてよい。しかし同意をなし得る家族の範囲の明確化は困難であり法整備が求められる。

・医療侵襲同意は医療契約とは異なる同意であり、法律行為ではなく一身専属的なものといわれ成年後見人には医療侵襲同意権はないという通説に基づいて成年後見制度は運用されている。

・成年後見人は精神保健福祉法では保護者とされ(第20条)、治療を受けさせる義務が課せられ(22条)、医療保護入院の同意権が付与されている(33条)。結核予防法第64条、予防接種法第3条第2項は、成年被後見人については成年後見人が予防接種等に関して必要な措置を摂らねばならないとしており、この3つの法律の範囲では成年後見人に医療侵襲同意権があると解することができる。

(※論文には結核予防法と書かれているが、これは2006年に感染症法に統合されているので、この部分は論文執筆者の勘違いと思う。ただし引き継がれた内容は同じであろうから意味は違わないだろう。)

・これらの法律に規定のない医療行為であっても、成年後見人には療育養護に関する職務があり(民法第858条)本人のために医療契約締結権が与えられており、契約締結後の医療の履行を監視する義務が存することを考えれば、身体生命に危険性の少ない軽微な医療行為については代行決定権があると解してよい。

・しかし重大な医療行為について同意権はないと考えられ「第3者による医療同意に関する法」の整備が不可欠である。

以上のように結ばれている。非常にわかりやすく、重要な示唆を含んだ論文であると思う。そしてこの国においては、未だに判断能力のない成年者の医療侵襲同意について十分な法的整備がないこともよく理解でき、その必要性もよくわかった。

ただし法的な専門知識に欠ける僕の理解は、一部的を外している可能性があることを否定しない。

ただ最も強く感じた点は、一刻も早くこの国の「第3者による医療同意に関する法」の整備がすすめられなければならないということだ。なぜなら医療技術の進歩と、超高齢社会の進行は、今後、同意能力のない高齢者への医療侵襲という問題について、爆発的な数の増加が予測されるからである。

介護施設の関係者であれば、それは切実な問題であろう。

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走りながら考えた医療器具装着者のこと。

時々、このブログ記事で休みの日に街の中を走っていることを書いている。

若い頃からスポーツを続けてきたので、これは僕にとって当たり前の日常である。健康づくりとかダイエットという意味はなく、僕の生活からスポーツがなくなる、ということが考えられないので、一人でもできる「スポーツ」を続けているだけである。

いつも走っているコースが何キロくらいなのか正確に測ったことがなかったので、ふと思い立って、車で同じコースを走り走行距離を調べてみた。すると5.3kmであった。休みの日で雨の降らない日は、よほどのことがない限り、このコースを走っているわけである。走っているコースと距離はずっと変わらないが、若い頃よりスピードは落ちているから走っている時間は長くなっている。

勿論、走っている最中は決して楽しいものではなく、苦しいし、つらい思いをして顔をゆがめながら走っている。スポーツサングラスをかけているのは格好つけではなく、その苦しい表情を見られないためである。しかし汗をかいた後の爽快感に優るものは他にない。別にその後のビールのために走っているわけではないということは強調しておきたい・・・。

ところで僕には若い頃、不整脈があって、ひどいときにはそれが1日30.000発くらいあり、かかりつけ医師の指示で半年に一度はホルター(24時間心電図)の機械をつけていた。これが結構苦痛で、風呂には入れないし、皮膚の弱い僕はテープを貼った部分がかゆくなったりするし、なにより体に機械をつけて過ごしているんだから何かにつけて不便で、とても「その日」が苦痛であった。

特に日常生活を変える必要はないといわれたので、当時野球をしていた僕は、ホルターをつけたまま、ノックを受けたり、バッティング練習をしていた。さすがに機械が壊れる恐れがあるということで、これは禁止されたが、ホルターをつけながら走ることは続けていた。

たった1日のことだから、ホルターをつけているときくらい、休めばよいのだが、日常がそのために大きく変わってしまうほうがストレスなので、気にしないで続けていた。

そんなに頻発していた不整脈が今はほとんどない。特に心臓の薬を飲んでいるわけではないが(当時は北大病院で検査をしたり、服薬したりしていた)いつの間にか治ってしまった。

ということで今はホルターをつけることもなくなった。しかし今あらためて振り返ると、わずか1年に2回、それもたった1日だけ機械を体につけて生活するのは非常に苦痛であったと感じていた。今、それをしなくて良いのは大変ありがたいことだ。しかしそういう思いを持つことができるのは、あの嫌な思いを経験してきたからである。だから今、嫌な思い、つらい思いをしている人も、それをすべてネガティブに考える必要はない。つらいことがあるから喜びも大きくなると思ったほうが良い。

つらいこと、苦しいことを経験しているからこそ、ちょっとした日常に幸せや、喜びを感じられるのだと考えた方がよい。幸せに鈍感にならない日常こそが希望を持って生活できることである。

人にとっての最大の不幸とは、何気ない日常を幸せと感じられないことだろう。

ところで、あの頃、定期的にホルターをつけて検査していたことを思い出すと、医療機器を体につけたまま生活せざるを得ない人々の苦痛は計り知れないだろうな、と思ったりする。

医療や介護の現場では過去において(今なお完全になくなってはいないが)経管栄養の管を抜く高齢者を、「問題老人」と呼んで、体を縛ってそれを防ぐことが当たり前のように考えてきた歴史がある。しかしそのとき、その人が管を抜かざるを得ない理由や状況を、その方々の苦痛として我々はどの程度感じていたのだろうか。単なる認知症による見当識の問題として捉えてこなかっただろうか。

医療器具の発達により肉体的な生命の維持が可能になるケースが増え、そのことを人類は科学の進歩と照らして、肯定的側面から捉える傾向が強い。勿論、その中には不治といわれた病を克服することで、長く生きられるという状況を手にして、幸福を得たケースがたくさん含まれているから、そのことを否定するなにものもない。

しかし同時に我々は器具をつけている生活の不便さに心を寄せて、それらの器具に支えられて生きている人々の心により添えてきたのだろうか、という問いかけを行う必要もあるのではないか。「生きられたのだからそれは我慢しなさい。」という人生であっては、それはあまりに哀しい。

走りながら、取りとめもなくこんなことを考えている。無心で走る、という境地にはいまだ達していない。しかしそれがブログ記事になるから、まあいいか。

なにしろブログというのは他人にとっても、自分にとっても「とりとめのない」「意味のない」ことさえ自由に書いてよい場所であるんだから・・・。

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特養における医療行為の検討

厚生労働省は今年2/12に「特別養護老人ホームの入所者における看護職員と介護職員の連携によるケアの在り方に関する検討会」(座長:樋口範雄・東京大学院教授)を立ち上げた。同検討会は厚生労働省医政局長と老健局長の私的研究会の位置づけである。

この検討会は昨年11/20の「安心と希望の介護ビジョン」において、介護施設等での医療行為について、現在、在宅でしか認められてこなかった有資格者ではない者による「痰の吸引」や、介護職員が関わることが大きな問題として取り上げられていた「経管栄養の処置」などの一部の医療行為を、特養等の施設でも「研修を受けた介護職員」に認める方針が示されたことを受け、その具体化を視野に入れた研究会であろう。

しかし最初の検討会の席上、日本医師会常任理事の三上裕司氏は、「そもそも、24時間医療行為を必要とする人が特養に入って来ていいものか。医療ニーズのある人が増えているのであれば、医療行為ができる施設を増やしていくのが本来あるべき姿だ」と強調。特養での医療ニーズの増加に合わせて医療行為にかかわるスタッフを増やしていく方向性に疑問を呈した。また、「喀痰吸引は、場合によっては窒息を起こしてしまう、命にかかわる行為だ」と指摘した。

介護職員に対する医療行為解禁議論の中で繰り返されてきた、医療・看護関係者による「反対の為の論理」が繰り返されたもので、その反対論を正当化する唯一無二の理屈が「安全性が損なわれる」ということであり、これも反対の為の反対パターンである。

さすがに座長は「ニーズに合わせて多数の医師や看護師を配置するのは、実際には難しい〜今の現場の状況を踏まえた現実的な対応が必要では」とたしなめているが、日本看護協会などは、てぐすね引いて反対の大合唱を唱えることであろう。このハードルは今だに高いままである。

このことを考えた時、2003年のALS患者の方々の痰の吸引解禁議論の中で、その討論会を報道した読売新聞の記事が思い出された。その記事内容とは

日本看護協会や看護学の専門家の委員が、一貫して「吸引行為は危険で、ヘルパーには認められない」と主張した。その部会の傍聴席で、車いすのALS患者が、ボランティアの学生らに何度も吸引してもらっているのは皮肉な光景で、患者の家族からは「家族にやらせているものを認めないのは、結局、職域・職権を侵されたくないだけ」と批判の声がもれた。』[2003年5月10日 読売新聞]

つまりそれらの団体にとって、国民の利益となる行為であっても、自分達の権限を奪うような改革は許すことはできず、そのために「安全性を確保できなくなる」という理屈を錦の御旗に掲げるのが戦略なのである。このことは過去のブログ記事でも繰り返し批判してきた。(参照:ブログカテゴリー:医療関連

ALS患者の方々に対する痰の吸引解禁議論の中でも、日本看護協会は「吸引は気管からの出血、不衛生による感染症を招く危険があるので、看護師でないと駄目だ。」と危険を楯にして頑強に反対していた。しかし痰の吸引が介護職員等にも認められた後「憂慮される事態」が起こったのか。そのような事実は今のところない。今後も事故がまったく起らないという保障はないし、いざ事故が起きた場合、そういう輩は「それ見たことか」と騒ぎ立てることは目に見えているが、看護職員の医療事故だって皆無でない現実で、2003年から解禁された在宅でのヘルパーの「喀痰吸引」において今まで事故が起きていないという事実は、介護職員に医療行為の一部を手渡しても、今現在にましてそれらの行為で安全性が損なわれるわけではないことを証明しているだろう。

この規制緩和措置で救われた多くの在宅療養者の実情をみれば、この規制緩和の方向は正しかったといえるであろう。

我々が主張しているのは、全ての医行為を介護職員に解禁せよというものではなく、現在医療行為と考えられている行為の中には、実際には同居の家族が行うことができる行為も含まれており、介護職員に一定条件下でも認められる行為と、医師や看護師等の有資格者しかできない行為を区分して考えるというものである。そして家族でも行うことができるような行為については適切な医療・看護の専門職員の管理下におくなど一定の条件下で、施設の介護職員でも行うことができるようにすべきという主張である。

「医療ニーズ対応には医療施設を増やせ。」という意見は、この国の人的資源不足やコスト財源の問題から考えても不合理で現実的ではないし、在宅ではヘルパーに認めている喀痰吸引について、安全性を理由に認めようとしない意見は「まず反対ありき」の理屈に過ぎず説得力に欠ける。不真面目な意見とさえいえるであろう。それとも状況亜把握のできない時代錯誤の委員であるといった方が良いであろうか。

医療機器をつけて生活する人々が高齢者を中心に増えている現状を考えたとき。家族が在宅で医療行為を行ってそれらの方々を支えるのには限界があるし、家族に替わる支援をすべて訪問看護等の医療系サービスで補うことができるほど地域に社会資源はない。そうした社会構造を鑑みながら要介護者を地域で支える為には何が必要なのかと考えたとき、医師や看護職員でなくとも行える行為を増やすことは必要不可欠と考えざるを得ない。

医療行為とそうでない行為を明確に区分することが困難であるならば、現在医療行為と考えられる行為のなかで、一定の条件であれば安全に介護職員等が行える行為を「医師や看護師が行うべき行為」と別に区分して考えられるべきで、それが時代のニーズである。

こんな問題を相変わらず自己権益との秤にかけて、実際には問題とならないような「安全性の担保」という理屈で反対し続ける団体など国民全体の敵であり、その主張は国民全体の不利益でしかない。

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医政局通知の改正を要望すべきではないか。

昨日国から改定介護報酬に関する最初のQ&Aが出され、新加算報酬解釈の問題で現場は届出の時期と重なり今てんやわんやだろう。

しかしその問題とは別に、現行の介護サービスの現場に課せられたルールのなかには非常に矛盾を抱えた問題がいつまでも修正されずに放置されているものもある。改定報酬の話題は表の掲示板で様々に論じているので裏でも書くと疲れちゃうという意味もあるのだが、あえてこの時期だから、今回の改正とは直接関係のない問題を取り上げてみたい。

特別養護老人ホームの利用者の健康管理は、配置されている施設所属医師が主体となって行うことになっている。

しかしその際に必要な治療としての医療材料費等は特養の介護給付費に含まれておらず、施設所属医師が勤務している医療機関から診療報酬を別に算定する。(ここが老健のマルメ報酬:介護給付費に基本医療の費用が含まれており老健の持ち出しになるということと異なっている点である。)

しかし診療報酬算定ルールには制限があり、特養での治療行為においては算定できない費用もある。それを定めているのが厚生労働省・医政局通知「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」である。

この通知は特養に向けて発出されているものではなく、各医療機関に向けて出されているものだ。しかし特養の利用者の診療に関する問題であるから、特養の関係者が知らなくて良いわけが無い。利用者の自己負担問題にも絡んでくるからだ。

ここで定められているルールとして、例の「保険医が、配置医師でない場合については、緊急の場合又は患者の傷病が当該配置医師の専門外にわたるものであるため、特に診療を必要とする場合を除き、それぞれの施設に入所している患者に対してみだりに診療を行ってはならない。」というものがある。これはショートステイ(短期入所生活介護)利用者に対しても同様に適用されるルールで、基本的には特養には配置医師がいるのだから、利用者が病気になった場合の診療も配置医師が行なうべきであり、外部の医療機関の受診は配置医師の専門外の病状か、急病の場合だけであることを定めているものである。

これは原則を守って、利用者の病状等で臨機に対応すればよい問題で、さほど問題視しなくても良いだろう。

しかし問題は「特別養護老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。」というルールが存在することである。

前述したように、特養は保険医療機関ではないので診療報酬は算定できないし、介護老人保健施設のように医療費分が介護報酬に包括されている「マルメ報酬」でもない。このため例えば利用者が特養内で点滴を実施する場合、施設所属医師が勤務している医療機関から点滴材料費を別に医療保険で算定することになる。手技料は算定できないが薬剤料は医療保険から出るのである。つまり点滴の薬液自体は当該医療機関から持ち込んだものを使うという意味である。

これについて「特別養護老人ホーム等の職員(看護師、理学療法士等)が行った医療行為については、診療報酬を算定できない。」というルールが存在することにより、どのような矛盾が生ずるかと言えば、その原則に則れば施設所属医師が指示をして、点滴の針を施設の看護師が利用者にさした場合は、医師の所属する医療機関から医療保険に診療報酬を請求できず、点滴材料費がどこからも出ないことになる。それでは施設の看護職員は何のために配置されているのか意味がわからない。

もちろん、この場合であっても利用者に薬液量を請求することはできない。そんなことを行えば法律で認められていない混合診療(保険医療と保険外医療が混在する状態)となってしまうからである。そうするとこの通知は医療機関に向けられたものであるから、点滴材料費は医療機関の持ち出しということになる。いまどき費用を持ち出して負担をかぶってまで診療を行ってくれる医療機関などあり得ない。よって結果的には必要な診療が行われなくなる可能性がある。

このルールがある限り点滴等の診療報酬算定が必要な行為は、施設所属医師が自身で行うか、施設所属医師の勤務する医療機関の看護職員等を別に連れてきて診療行為を行うということになってしまう。(実際に当施設ではこのような状況になっている。)これでは施設の看護職員は何のためにいるんだろう、という疑問が生じないほうがおかしい。

看取り介護などの現場では、水分摂取が困難となる利用者の安楽のために点滴が必要な場面も多くなる。その際に厳密にこのルールを解釈すれば、施設の看護職員が医師の指示の元に点滴の針を利用者に射すことは、行為としては可能でも、そうすれば点滴材料費はどこにも請求できないということになる。そうであれば看護師が義務配置されている意味が無い。

医療機関に向けて出されている医政局通知だから、特養のルールとは関係ないということにはならないし、このことをもっと老施協として取り上げて改正に向けた声を挙げていく必要があるのではないかと考える。この問題は医療機関の問題というより、施設サービスにおける医師の診療のあり方の問題という側面が強いのであるから、老施協も真剣に考えてほしいと常日頃思っている次第である。

是非、検討課題としてもらいたい。

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老施協戦略への疑問〜療養介護士問題

先週末に引き続いて、介護施設等での医行為を実施できる条件の緩和問題・一定の条件下で介護職員が医行為を行えるように制度を改正する動きについて論じたいと思う。

先週金曜日に「介護職員の医行為実施問題〜画期的な方針転換か。」という記事を書いて、この中で僕は『療養介護士という新たな資格を作って、その有資格者が一部の医行為を行えるようにする、という方針が事実上撤回され、それ以上に一歩踏み込んで介護職員ができる行為を拡大することに繋がるものと考えられる。』とその方針について肯定的に述べた。

つまり僕の理解としては11/12に示された「療養介護士」という新たな資格創設という考え方は、介護職員が介護施設内で「できる行為」を家族が自宅で行っている医行為などを含めて拡大制してほしい、と老施協等が要求していることに対し、国は単純にその考えを認めず、新たな資格を創設して、有資格者に実施させるという規制は譲らないという考えを示したと考えたものである。

そのことが問題解決には繋がらないと批判したのが17日に書いた「「療養介護士資格創設について」」である。

そして同じように、より問題解決につながる方法は、新たな資格の創設ではなく、一定条件のみで介護職員に医行為の一部を手渡す方法であると老施協も本音では考えているのではないかと思った。

結果的にそれが20日の国の方針転換に繋がっていったのではないかと想像した。

しかしどうやらその考えは根底から間違っていたようである。

事実としては「療養介護士」創設案は老施協も支持している考え方で、老施協自体の考え方が、医行為は現行の介護福祉士等に認めるものではなく療養介護士という新資格を創設して認めてはどうかという考え方であったようだ。

このことは「介護ビジョン会議」に委員として参加している老施協の研修委員長である村上 勝彦氏が「介護福祉士の人材難や専門性を考えたとき、医療に関われる人が必要なのは事実。この療養介護士の位置づけを明確にしてほしい。2年前の我々の調査研究で療養担当介護職を提言している。今後の方向性として入れてほしい。」「専門的に考えると、療養介護士的なものは必要。しかし将来的には介護福祉士へも広げていくべき」と発言していることでもわかる。

これは老施協としての考え方なんだろう。村上氏は北海道の方で、僕も面識があるし、人柄の涼やかな感じのよい人ではあるが、この発言内容と考え方には納得がいかない。

なぜ介護福祉士とういう国家資格を持つ者を信用せずに、別に新たな資格を作らねば医療ニーズに対応できないというのだろう。しかも拡大対象はすべての医療ニーズというわけではなく、在宅で家族やボランティアが現に行っている行為が中心である。教育カリュキラムの見直しや、一定の研修受講で対応できる問題である。

しかも「しかし将来的には介護福祉士へも広げていくべき」という論理に何の説得性も根拠もない。将来できることが今できなくてどうするのだろう。

おそらく老施協は、日本看護協会などの「質を保てない」「安全性の確保に問題がある」という指摘に対して、新たな資格を創設するということで「質を担保できる」と反証することができると考えたのだろう。

しかし逆に、こうした新たな資格を創設せずして医行為に携わることができないということになれば、それは介護福祉士という資格の価値をさらに著しく低下させるということになるであろう。そのことに老施協は気付かないのだろうか。

老施協が行うべきことは様々な利権がからんでくる資格や制度を新たに作ることではなく、日本で最初に介護の国家資格とされた「介護福祉士」という資格を、介護の現場で質を担保する唯一の資格であるとして、その養成課程から一定程度のスキルを保障する教育と資格審査を行い、介護福祉士として責任もって超高齢社会の介護の現場で能力を発揮する土壌を作ることである。

老施協が介護福祉士の資格の重さを失墜させるようなことをしてどうする。

重度化対応加算の経過措置延長問題でも、老施協の戦略は単に「調査のための延長措置」であったが、その際も僕はなぜ重度化対応の体制が看護師なら質が高く維持でき、准看護師では対応が不十分であるのかという真っ向議論が必要であり、現に准看護師で対応していても何も問題ないという視点から、この制度自体を見なおす議論を1年前からすべきであったと思っており、どうもその戦略が的を射ていないと感じ続けている。

今回は他団体から「新資格の創設は唐突すぎる」という意見があがり、結果的に資格創設によらない「必要な知識・技術に関する研修を受けた介護職員が医師や看護師との連携の下に、一部医行為を安全性が確保される範囲内で行う仕組みの整備」に落ち着いたわけだが、老施協はいつまでも馬鹿げた戦略にこだわらず、そんなものは早々と捨てて、この機会を機敏にとらえて介護職員が行う行為の拡大という成果を早々と勝ち取らないとならない。

村上さんもいつまでも療養介護士なんて言う考え方の呪縛にはまっていないで、新しい方向に切り替えないと現場のニーズについていけなくなると思う。

老施協に必要なのは戦略と戦術の見直し。それ以外にない。

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介護職員の医行為実施問題〜画期的な方針転換か。

表の掲示板でもお知らせしたが、昨日(11/20)示された厚生労働省の「安心と希望の介護ビジョン」の中で、介護施設等での医行為について、現在、在宅でしか認められてこなかった有資格者ではない者による「痰の吸引」や、介護職員が関わることが大きな問題として取り上げられていた「経管栄養の処置」などの一部の医療行為を、研修を受けた介護職員にも認める方針が示された。

これはこの国の厚生行政の歴史上でも画期的な見直しであるといえる。

これが実現すれば、介護の現場で不安を持ちながら違法性とにらみ合ってグレーゾーンでジレンマとストレスを抱え働いている介護職員の状況を打破できるし、医療器具を装着して生活している人のうち、在宅では家族による行為や、ボランティアによる支援で生活できているのに施設サービスにおいては、それが介護職員にはできないことにより入所を拒まれるという状況にあった人々にも大きな朗報となるだろう。

なにより超高齢社会で、かつ医療技術の発達により医療器具を装着して日常生活が維持されている高齢者が増えている現実において、それらに関わる行為を看護職だけで担うという非現実的な路線の大幅な転換が図られるのだから、これは国民全体の潜在的ニーズに合致した、国民の利益である。

もちろん介護施設を始めとした介護サービスの現場の責任は、今以上に重くなるのは言うまでもないが、それに応えるサービスを実現するのも我々の責務だろう。

このことは11/12に「療養介護士」という新たな資格を作って、その有資格者が一部の医行為を行えるようにする、という方針を事実上、撤回し、それ以上に一歩踏み込んで介護職員ができる行為を拡大することに繋がるものと考えられる。

(※療養介護士創設で問題が解決しないことは、既に11/17の僕のブログ記事「療養介護士資格創設について」で批判的に述べているので参照されたい。)

本当に、このことが早く実現できるように、全国的な規模でシステム構築を急いでいただきたい。

ただし国はこの研修システムを介護サービス現場から金を搾り取るという財源に考えないで、マクロの視点から国民全体の利益として、費用負担が少なくて済むシステムを作り出して、1日も早く介護職員が医行為の一部を介護サービスの現場で可能にしていただきたい。

もしこれが実現すれば、そのときの厚生労働省担当者は歴史に名を刻むといっても言い過ぎではないと思う。是非、高いレベルからの視点で実現を図っていただきたい。

その際に何が介護職員に出来るようになるのかは、現時点では検討課題だろうが、目安としては老施協が要望として挙げている次の行為が検討されていくのではないだろうか。

1.血糖値の測定やインシュリン投与。
2.吸引・吸たん。
3.褥創処置。
4.摘便。
5.心臓・ぜんそく時のテープ貼り付け。
6.点滴が終了した場合の処置。
7.在宅酸素の取扱と施設における酸素吸入。
8.胃婁利用者の栄養注入の開始・終了時の対応。

今日は夕方に、札幌で「看取り介護」の講演を行う予定があるのだが、当然、この医行為の問題は「看取り介護」の場面でも大きく関係してくる。そのため今日の講演でもここに触れないわけにはいかないので、これから昼休み中に講演で使用するパワーポイントファイルを一部訂正する必要が生じている。

そのため今日は、この記事では深い考察まで及ばず、報道の事実関係のみに触れて書くのみにとどめる。この問題については、今後も情報が新たに出されるたびに検証を続けていく必要があるだろう。

どちらにしても朗報と思うし、実現が期待される。

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