masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

職場・スタッフ

新入職員が希望を抱いて働き続けられる職場


3月も残り1週間となった。卒業式の時期も終わり、卒業生たちは新年度からそれぞれ新しいステージに昇っていくことになる。そして多くの職場に新人が入職してくることだろう。その準備も必要になってくるのが今この時期である。

介護事業者に新たに入職してくる人とは、介護福祉士養成校などの新卒者だけではなく、他職種から、あるいは他事業者からの転職組も数多く含まれる。それらの人たちは希望や不安など様々な思いを抱きながら、新たな職場に足を踏み入れることになる。

介護事業者としても、新入職員がどのようなスキルやキャラクターの持ち主なのか、期待と不安を抱いて待っていることと思うが、大切なことは人材は放置したままでは育たないということだ。

きちんとした規律と規範を持って、基礎的教育をしっかり行いながら、数カ月の使用期間を定め、人物の見極めを行いながら、人を育てなければならない。そういう視点がない場所で良い人材がわいてくるわけがないのだ。

新人教育の場は、同時に向き不向きを見極める場でもある。対人援助という職業には向かない人を見極めて、そういう人にはある時期にきちんと引導を渡す必要もある。

対人援助のスキルのない人、不向きな人を何とかしようと我慢して働き続けさせても、多くの場合、教育効果は期待できない。むしろそうした人たちが利用者を不幸にし、自らも壊れていくことになるのである。両者を不幸にしないために、両者の利益のために、対人援助に不向きな人は退場していただくべきである。

人材不足だからあまりうるさいことを言えないとして教育をおざなりにする介護事業者には、どうしようもない人材しか定着しない。そういう場所からは良い人材が先にバーンアウトしてしまうのだ。職場に足を運ぶことができる人でありさえすればよいと考え、とにもかくにも員数を揃えるために、スキルの低い人でも何とか勤め続けてもらおうとして、将来の禍根を残してはならないのである。

そうしない職場に人材が集まってくることを忘れてはならない。

同時に事業者側もきちんと人を育てるという責任を果たす必要がある。

入職初日からいきなり先輩職員の後ろについて、介護実務を見よう見まねで覚えるというのはOJTではない。それは職業技術指導の体をなしていない方法だ。

ある時期きちんと座学によって基礎を徹底的に教え、身に着けてもらわねばならない。OJTとは座学で得た知識を、実地の場面でいかに生かすのかを計画的・意図的に教え学ぶ方法を言うのである。それがない場所でも人は育たない。

サービスマナー教育も、この時期に徹底して行う必要がある。

礼儀が大切だとか、規律を持って仕事に臨みなさいと教育しても、見習うべき先輩職員が、人生の先輩でありお客様である高齢者に対し、失礼なタメ口対応をしている姿を見て、礼儀を身に着けることができる後輩はいないし、規律はそこで大きく揺らぐのである。

しかし指導者であるべき先輩たちが皆、適切な態度と言葉使いで利用者対応している職場では、マナー教育をことさら前面に出さなくとも、新人は丁寧な対応を覚えていく。

「お客様から物事を頼まれたときに、わかりましたという返答はまずいでしょう」と教えてくれる先輩がいる職場では、自然と若い職員が利用者に対して、「かしこまりました」と返答できるようになる。それは自然な言葉遣いになるのである。

そういう気持ちの良い職場で働きたいと考える人たちは、そういう職場を今も探し続けている。マナー教育を重視し、職員がマナーある態度で接遇を続けることをルールとしている職場には、そうした貴重な人材が集まってくるのである。

それれは結果的に高品質なケアサービスにつながり、誰かの大切な人を自信を持って、「任せてください」と言える職場につながっていくのである。
大事な人を任せられる介護
規律と規範のある職場をつくって、将来人を育てることができる貴重な人材が集まる職場にしてください。そこには人材も顧客も、自然と集まってくるのですから・・・。「人の役に立つ介護をしたいという希望を叶えるために」も参照してください。
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チームメンバーへの気遣いが職場環境を良くする


日本有数の観光名所である登別温泉は、感染拡大予防のため主なホテルや旅館、テーマパークや土産物店などが休業しており、観光客もほとんどいない。

有名な桜並木(桜のトンネル)にはもうじき花が咲くが、今年は地元の人以外見る人もいないだろう。

観光業界にとって今後のダメージもかなり大きなものとなり、職を失う人が増えるのではないかと心配している。そうならずに感染症が広がる以前の平和な暮らしに一日も早く戻ってほしいものだ。

ところで今日はこどもの日の祝日だ。

暦通りに休みを取れている方は、明日が連休最終日となって、明後日から仕事で出なければならないことを考えて今日あたりから憂鬱になっているかもしれない。

しかしこのような状況の中で普通に仕事ができるということはとても幸せなことだ。何事もポジティブに考えて、明日から元気に出勤してほしい。

くれぐれも連休明けで出勤した折に、連休疲れでエンジンがかからないようなそぶりを見せないでほしい。

介護サービスの場は、暦通りに休めない人によって支えられている。何年間も連休などまともにとれないでいるシフト勤務者も多い。そんな人たちにとって、連休明けの人たちが疲れた顔で仕事に乗ってこれないようなそぶりを少しでも見せることは腹立たしいことである。

実際に腹立たしく思うような人がいない場合でも、そうなるかもしれないと思い、他人が不快になるような要素を少しでもなくするという気遣いが、チームワークの基盤になるのではないかと思う。

職種が違うから仕方ないとか、年間休日数は同じなのだから、自分が働いているときに休める人が、暦通りに休んだことに文句を言うなという理屈はもっともだが、感情は理屈ではないのである。

今少しだけ良い思いをした人が、そうでなかった人に対して、少しだけ気づかいするということが大事なのだ。それも大げさで難しいことではなく、休みの疲れや余韻を仕事場に引きずらないという、社会人として・職業人として、ごく当たり前の姿勢を貫くだけで良いのである。

そうしたちょっとした気遣いが、職場環境の良し悪しにつながる大きな要素なのだ。

自分が休んでいる間に働いてくれてありがとうという気持ちを、シフト勤務者に持つことが、様々な場面で良好な人間関係やチームワークにつながるのではないかと考えている。

介護サービスの場は、今大変な状況である。新型コロナウイルスの感染者がいつ現れるかもわからない中で、シフト勤務者は決して多くない勤務者数で、多くの利用者に対してサービスを提供せねばならず、そのことに関して暦は関係ない。施設長や管理職・事務系の職員がすべて休みとなっている職場では、直接介護業務に携わっている人にすべての業務負担がかかってくる。

そのプレッシャーは、いつもの連休の比ではないだろう。だからこそこのGWに限っては、施設長や管理職は休まずに出勤したほうが良いと提言した。(参照:非常時こそ指揮官先頭・指揮棒は最前線で振るべし

それができなかった職場では、休み明けの職員の一人一人が、是非休まずに利用者対応と感染予防に努めた職員に敬意を払っていただきたい。働き続けてくれた職員の皆さんに、ちょっとした感謝の気持ちを口にするだけで、職場は明るく働きやすくなるのではないだろうか。

お互いが気遣いし合う職場では、妬みは生まれにくくなるのではないだろうか。心は見えなくとも、心づかいは見えるときがあるのだから、そうした気遣い・心づかいを見えるかすることが、トップや管理職には求められているのではないだろうか。
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介護職員はどんな職場を就職先として選ぶべきか


介護職を目指す人にとって、就職先を見つけること自体はさほど難しいことではない。

というより介護職は、どこの介護事業者でも不足しているので、引く手あまただ。だからと言ってどこにでも就職できると高を括っていると、将来後悔することになる。

ある調査によると、介護福祉士養成校の新卒者で10年同じ職場に勤務している人と、10年間で4カ所以上職場を変えている人との年収を調査すると、平均で年額25万以上の差が生じていて、同一事業者で継続勤務している人の方が年収が高くなっているという結果が出ている。

この傾向は、昨年10月から算定できるようになった特定加算によってさらに強まると予測できる。なぜなら特定加算が一番多く配分される、「経験のある介護福祉士」については、その経験10年以上を法人単位でみて決定している事業者が多いからだ。経験については、事業者判断で他事業者の勤務年数と通算できるルールになっているとはいっても、実際に他事業所の経験を通算している事業者は少ないのである。

このことによって、職場を転々とする介護職員は、介護福祉士の資格を持っていても、いつまでもaグループに入れずに、bグループの「その他の介護職員」のままになる可能性が高まっている。そうなると月収ベースで、aグループの人と数万円の差が生ずるのだから、年収差はさらに広がることになる。

勿論転職組の中には、引き抜き・キャリアアップの人もいて、それらの人は前の職場より好条件で雇用され、特定加算も前職場の経験を通算してみてくれるという条件で再就職している例もあり、それらの方々は年収がアップしており、前述した調査結果には該当しないと言える。

しかし平均値で見る限り、キャリアアップ・収入アップの転職組は、そうでない転職組より圧倒的に数が少ないし、転職回数が多くなれば多くなるほど、キャリアアップと程遠い理由による転職になっているという実態が見て取れる。

つまり高い年収を得たいのならば、できるだけ同じ事業所で働き続けて、そこで偉くなるのが一番てっとり早い方法であると言えるだろう。しかし事業者もいろいろで、能力や経験に見合った対価を手渡してくれないことには、長く働いてもどうしようもないのだから、給与規定はどうなっているのかということも当然大事な選択要素になる。

しかしそれよりも何よりも、その事業者が安定して経営が続けられなければ意味がないのだから、将来性があるかどうかも睨んでほしい。介護事業であれば、顧客に選ばれて将来事業規模が拡大できるような経営戦略を持っているのかということが一つのポイントとなる。今現在、顧客に選ばれている事業者なのかについても注目すべきだ。そしてサービスの質に対するこだわりがあり、質の管理、向上に向けた方針なりシステムなりがあるかどうかも見極めるべきである。

そもそも生産年齢人口が今後も減り続けるのだから、労働対価を適切に支払わない事業者には人材が集まらず事業ができなくなる。介護事業経営者が収益を抱え込んで従業員に還元しない事業者もなくなっていく。そんな事業者に就職しても、短期間で次の就職先を探さねばならなくなるのだから、そんなことがないように職場を選ばねばならない。

そんな中で長く安定的に雇用と対価が確保される事業者とは、どんな事業者かを考えて選ぶべきだ。

職員募集の際に、年齢や経験・資格などを全く指定せず、誰でもよいかのような募集広告を出している事業者は選ばないほうが良い。そこは常に人手が足りない状態で、とりあえず誰でもよいから採用したいという意味なので、そんなところの職場環境が良いわけがないからだ。

少なくとも、「経験不問」・「未経験者歓迎」などと募集している事業者においては、それらの人をきちんと教育できるシステムがなければならないはずなのだから、「未経験の人をどのように育てているんですか?」と面接時に質問して、そのシステムを明確に答えられずに、「先輩職員が現場できちんと教えますから」などでお茶を濁す答えしかできない事業者に就職しないことである。

そんな介護事業者では、根拠の無い経験だけが頼りの間違った介護が日常化しており、職員も疲弊し、利用者の暮らしの質もおざなりにされてしまうからだ。職場環境として最悪だ。

人材不足が叫ばれている今日でも、年齢や経験・資格などをきちんと示して、条件を示したうえで職員募集をしている事業者は、そういう人しか求めていないという意味で、経営理念が募集に現れているとみてよい。

人材をしっかり見極めて職員を採用しよとする事業者は、サービスの品質もそれなりに担保されているだろうし、職場の人間関係をはじめとして環境の整備にも力を注いでいる可能性が高い。そこは長く働くことができる可能性が高い。

そういう意味では、職員の定着率が高いかどうかにも注目すべきではないかと思う。働きやすく、コスパに見合った対価を得られる事業者ほど、職員の定着率は高まる傾向にあるからだ。

少なくとも職場理念や就業規則の定めを理解していない人が、面接担当者である職場や、給料表もなく、給与規定のない職場は最初から選ばないほうが良い。そこは労務管理ができていない職場であると言ってよく、経営者の能力も知れてくるので、廃業予備軍と見てよいだろう。

どちらにしても、就職先がたくさん選べるからと、とりあえず就職してみる的な考えを持っている人は、社会の底辺予備軍である。選べるからこそ、数多い選択肢の中から最良の選択をして、そこで経験を長く積み、偉くなる出来である。

職場の中でそれなりの地位に就くことで、自分の理想も実現可能性が高まるわけだから、この国の介護の質を少しでも高めようという動機づけを持っている人が、職場を転々と変えて、いつまでも職場を動かす地位に就けないことは、その動機づけや意思に反した行為だと自覚すべきである。

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処方内容を書く施設サービス計画への疑問


本日をもって、現在勤めている職場を退職いたします。明日からは片道2時間通勤からやっと解放されます。やはりこの通勤ロスは無理がありました。今後は単身でも職場の近くから通い、通勤時間をできるだけ短縮します。

老健の業務に就いて約1年余り、自分としては今後に生かせる良い経験になりました。

これから次のステップに向けて準備期間を経る予定です。拠点を道外に移す予定があるため、秋に予定していた介護福祉士専門学校の講義も、6月と7月に前倒ししてもらいました。専門性の高い授業を担当してますので、いきなり辞任ということになっても他の講師が見つからないので、今年度の授業は責任もって全うします。

そんなわけで、ここ数ケ月は講演・授業講義・執筆などフリーランスで活動しながら、次の仕事に就く準備をします。そのことは後日、詳しくお知らせします。

1年あまり勤めた老健から得た知識は、次の仕事にも生かしていこうと思います。

それにしても老健は生活施設ではなく、滞在施設・中間施設という意味合いもあるからでしょうか、規則が特養より圧倒的に多い印象が残っています。

特養の仕事が長かった僕から見れば、そのことは随分窮屈なことだなと思ったりしていました。勿論それは利用者からすればという意味ですよ。そのことも今後何らかの記事として、こちらで論評する機会があると思います。ともかくネタはたくさんあります。

もうひとつ、僕が印象深かった老健の特徴を挙げるとすれば、老健は介護施設とされていますが、組織的・意識的には医療機関ですね。そうであるがゆえに、「暮らし」より「治療」が優先される場面が多々見られました。そのことも後日書きますが、今日は老健の施設サービス計画を見て気づいた点を一つ指摘しておきます。

老健はリハビリ施設ですし、短期集中リハビリテーション実施加算などを算定する関係上、そのことが全員の計画に載ってくるのは当然ですが、そうであるがゆえに計画内容が固定化する傾向が見て取れました。AI(人工知能ロボット)によってケアプランが立てられるようになると、こうした感じになるのかなあと思ったりしました。気をつけないと課題や目標が金太郎飴のように、全部同じ顔になりがちな傾向にあります。そのことは良いとして、健康管理を目標にしたサービス内容に、利用者一人一人の処方内容をすべて書いていることには、少なからず疑問を抱きました。

つまり老健内で服薬している薬を、基本的にはすべて施設サービス計画のサービス内容(2表)の中に落とし込むことに対する疑問です。

これ他の老健でも同じなんでしょうか?

しかしこれって問題ありですね。これ計画書ですから、多職種協働の会議の中で決めて実行することを書くのが基本ですが、処方内容を決定するのは会議ではなく、医師の判断でしかできないわけですから、その指示を受けて服薬支援するだけであり、処方内容をすべて書くのはどうかと思っています。

そもそも処方される薬は、サービス計画書の期間中に何度も変わるでしょう。そうすると処方内容をサービス計画書の2表「サービス内容」に書いてしまっている場合、処方内容が変わるたびに、計画書を変更する必要があります。

仮に治療方針や目的が変わらずに、処方内容だけ変えるのだから、それは軽微変更だろうと判断できるとしても、何もしなくても良いということにはなりません。老企29号で、「軽微な変更については、当該変更記録の箇所の冒頭に変更時点を明記しつつ、同一用紙に継続して記載することができるものとする。」と規定されているんですから、処方内容をすべて2表に落とし込んでいる場合、処方が変わるたびに計画書の冒頭に変更時点を明記しつつ、同一用紙に継続して変更された処方薬を記載していないと、運営基準違反となり指導対象です。

ですから僕が以前勤めていた特養で、僕が施設サービス計画を作成していた時は、処方内容は具体的サービス内容ではなく、アセスメント情報として記録するだけで、2表のサービス内容には「服薬支援を行う」等の表記しかしていませんでした。それで十分でしょう。アセスメント情報は、アセスメントした時点での処方内容という意味ですから、これは計画期間中に処方が変わっても変える必要はありません。

例えば施設サービス計画に健康管理で服薬支援が必要な状態を入れるとしたら、第2表のサービス内容に書くべきは下記の3通りでよいのではないでしょうか?

・薬剤調整を行う(医師:適時)
・副作用の確認を行う(看護職員:随時)
・服薬支援を行う(介護職員:毎食後)


昼夜逆転を防ぐなどで眠剤調整が必要な際も、同じように計画書に落とすことができます。これなら薬剤が変わるたびに、軽微変更の手順を踏む必要はありません。こうした形で、少しでも介護支援専門員の仕事を省力化すべきではないかと思ったりしました。

ただこの施設では、この方法が通例になっており、僕の管轄でもないし、指導を仰がれてもいないので、特段の指摘はしてきませんでした。でもあまり良い方法とは言えないことは確かですね。軽微変更ルールに基づいた対応をしているかどうかは不明ですが、一応指摘しておいたほうが良いのかもしれません。

帰る前に対応しましょうか。

とにもかくにも、軽微変更は計画書をいじらなくともよいと考えているケアマネが多いのですが、それは間違いだという理解を今一度深めて下さいね。2表のサービス内容に書くべきこと、書かなくて良いことも今一度整理して考えてみてください。

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仕事でもっとメール活用される機会があって良いのではないだろうか


メールとは、広く郵便物を意味する英語であったが、現在日常的の使われるメールの意味は、電子メールを意味することが多くなった。

それだけEメールは、我々の日常に欠かせないコミュニケーションツールになっているといえるだろう。場合によっては、メールで頻繁にコミュニケーションを交わしているのに、実際にはお会いしたことがないという人もいるのが、不思議ではなくなりつつある。

僕の場合、全国のいろいろな団体や個人から、講演依頼の連絡をいただくが、その8割がメールである。(残りの2割がSNSを通じたものがほとんどで、電話は年間数件レベルである。)

北海道介護福祉道場あかい花のホームページでは、僕の講演予定を掲載しているほか、連絡先となるメールアドレスと電話番号を載せて、「講演ご希望の方は、お気軽にメールや、電話にて連絡してください。」としている。そのため、面識のない人から、ある日突然、メールで講演依頼をいただくことがあり、それがきっかえで知り合いとなることも多い。

しかし実際にお会いするのは、メールでコミュニケーションを交わすようになってから数ケ月後とか、1年後とかいうことも珍しくはない。そんな風に、日常的にメールは使われており、それとは逆に手紙やFAXを利用する機会はあまりなくなったような気がする。

しかしそれはあくまで個人レベルでの話で、仕事に関していえば、メールが主要なコミュニケーションツールになっているという状況ではない。

例えば僕の場合、この4月から新たな職場にステージを変えて、主として老健の相談援助業務を行っているわけであるが、老健の場合、在宅復帰施設という機能があるため、毎日のように医療機関のソーシャルワーカーや、居宅介護支援事業所の介護支援専門員との連絡調整が必要になる。

その際の主要ツールは電話であることは当然のことで、それはリアルタイムのやり取りが必要であることに加え、文章では伝えきれないニュアンスを、言葉で伝えなければならないということに寄るだろう。

しかしそうではない場面で、例えば文章で回答を求めたい場合などは、FAXを利用する機会が多い。しかし利用者の個人名を入れなければならない場合、FAXは不安要素がいっぱいだ。送信先を登録しておれば誤痩身の心配はないといっても、相手先の機械にプリントアウトされた紙を、いったい誰が読むのか、その後その紙がどう取り扱われるのかは、一抹の不安が残るところだ。

その点、メールの場合は、現在ほとんどの事業者で、個人専用アドレスを持っているだろうから、送りたい相手に直接情報を送ることができる。そういう意味でもメールは便利なツールだと思う。

しかし実際には、仕事でこのメールがなかなか活用されていない。先日もある報告書を、メールで送ったところ、その数日後に電話で問い合わせがあり、メールで送った旨を伝えると、そのとき初めて受信を確認するようなことがあった。これでは何のためのメールアドレスかわからない。

4月から働いている新しい職場でも、僕専用のメールアドレスをもらい、そのアドレスを名刺に入れて、あいさつ回りの際に配ったところであるが、入職から1月半以上過ぎている現在でも、そのアドレスには、メールが送られてきていない。

僕の個人専用メルアドは、「あかい花」の方と、自宅PC用と、それぞれ別に複数あるとは言っても、職務で配った名刺に記載しているメルアドが開店休業状態であるという事実は、業務コミュニケーションでは、まだまだアナログ的な方法が主流ということだろう。

それはそれでよいこともあるが、時と場合に応じて、もうすこし有効にコミュニケーションのデジタル化が進められてもよいように感じた。

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実るほど頭を垂れる稲穂かな



前職を辞めることを決めたのは、もう1年以上も前のことである。しかしその際は、別の法人に就職することなど考えておらず、講演と執筆活動を中心にした独立事業を行うことを思い描いていた。

そんな中で昨年3月、高校時代の同級生が務めている法人で、職員対象の講演講師を務めた。その後のオフ会の席で、アルコールで口が軽くなったこともあって、仕事を辞めて新たな挑戦をするという話をした。その時に同級生から、そうであるなら、ぜひ仕事を手伝ってほしいと頼まれた。彼はその年の4月から、看護部長に就任することが決まっていて、医療法人全体の人事にもタッチしていたため、そういう話になったものと記憶している。

ただその際は具体的な話はなく、それもあるかなあという程度の軽い返事で終わった。・・・はずである。

ところが同級生の方は、それが決定事項と思い込んでいて、話がどんどん具体化し、昨年の7月に彼が上司とともに登別まで僕を訪ねてきた。仕事を終えた後、食事をしながら具体的な就業条件などを提示された。僕はその時点で、27年中に辞表を出して、年度内に新しいステージに挑戦しようと思っていたため、前職を辞めること自体には躊躇はなかった。むしろそのことは僕の頭の中では既定路線であったし、家族にもそのことの理解はしてもらっていた。

そのようななかで、熱心に誘いをうけたことで、独立営業はいつでもできるので、彼の助けにもなる仕事をしてみようという気にもなった。老健の仕事というのも未体験であったため、逆に魅力を感じた。そんなこともあって、現職をお受けして、今年4月からの転職となったわけである。

現法人への就業条件を提示された時点で、老健施設の事務次長職という立場の提示もあったわけであるが、そのことは少し僕を戸惑わせた。僕自身は特養の総合施設長を務める以前は、相談援助職を長く勤め、基礎資格も社会福祉士と介護支援専門員であったために、いわゆる事務屋ではない。だから事務次長というピースに、自分のスキルがはまるだろうかと、少し不安を持った。

しかし僕のやりたいことを理解している同級生のおかげかどうかわからないが、実際の僕の業務は、相談援助職の業務ということになった。この部分は専門家であるから何の不安もない。ただ特養と老健、福祉系サービスと医療系サービスの違いもあり、求められる立ち位置も違っているので、現在のところ見習い修行中というのが本当のところだ。

ただ僕はここで相談援助職の中心になっていくのではなく、僕と同時に入職した新卒の相談員をフォローして育てていくのが大きな役割だと自覚している。先がそう長くはなく、若くない僕のカラーを出していくのではなく、若い人がその能力を十分発揮できて、若い人々が地域の先頭に立って走るクリアコートカラーを作ってくれるような仕事をしたい。手柄は若い人に、責任は僕がとるというスタイルで行きたい。

僕自身のカラーは、老健の業務の中ではなく、北海道介護福祉道場 あかい花の活動の中で出していけばよい。

ところで、僕はこの業界では少し有名といってよい立場なので、普通に会話しても相手が構えたり、ビビったりすることがある。そのつもりはなくとも、馴れ馴れしく話しかけると、高飛車な態度と誤解されることもあるので、新しい職場や、それに関する業務で出会う人に対しては、できるだけ丁寧な言葉で、腰を低く接していかないとならないなと思ったりしてる。卑屈にならない程度に、礼儀をわきまえて接していきたい。ここでの座右の銘は、「/実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」である。

そんな風にして1月が経過し、業務にも慣れてきて、外部の相談援助職の方々と様々な形でコミュニケーションを交わす機会も多くなった。今まで働いていた地域とは全く異なる地域なので、初対面の方が多い。(僕の講演を何度か聞いてくれたという方も大勢いるが、僕にとっては初対面である)

老健の場合、入院は即・退所であるが、短期入院の場合は、ベッドを空けておいて再入所とするケースが多いので、そのために医療機関の相談援助職とのかかわりも多くなり、地域としては千歳市だけではなく恵庭市の医療機関関係者ともかかわる機会がある。

そんな中、先日ある医療機関のソーシャルワーカーに、短期入院の方の退院見込みについて、電話で問い合わせた。こちらは丁寧に、当たり前のことを聴いているだけだが、相手方は、なぜそんなことをわざわざ確認しなければならないのかというよな口調で、電話口での言葉遣いもため口である。

こちらが新人だということで、そのようなため口を使っているのかどうか知らないが、どんな顔して生意気な口きいているんだろう。

コミュニケーション能力を酷使して調整役を担うべきソーシャルワーカーとあろうものが、ホスピタリティの精神のかけらもなく、問い合わせにため口で答えるとは何事かと思う。

僕の心の中の声を正直に書くとすれば、「どこの小娘か知らないが、誰に向かって話していると思ってるんだ!!」といったところである。

だけど相手の電話口の姿を想像するに、その姿は滑稽にしか過ぎない。自分はそう思われないように十分気をつけようと思った。

しかし仏の顔も三度だぜ。

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プライドをもって生きる姿は美しい


僕の勤務先は千歳市に所在している。ここは衆議院の選挙区としては、北海道5区であり、このたび衆議院議長も務めた有力議員の死去に伴う補欠選挙が行われている。

投票日は、今週末の24日であるが、今日は勤務先施設の不在者投票日である。

介護施設や医療機関での不在者投票とは、入所(入院)者が、施設内で投票するもので、期日前投票とは違うルールで行うことになる。

投票用紙を請求して、実際に投票を行うか否かは、あくまで利用者自身の判断による。このため施設内の選挙事務担当者は、不在者投票日が決まったら、その日の朝までに投票用紙が届くように、利用者の意思を確認して選挙管理委員会に投票用紙を請求する事になる。

当施設には認知症の専門棟があり、ここには認知症自立度薫幣紊諒が入所しておられるが、当然のことながらこれらの方々にも意思確認が必要になり、一人ひとりに対面して説明を行っている。

そこでは意思が通じない人もいることは事実であるが、選挙という言葉に反応して、一生懸命説明を理解しようとする人の姿がある。そしてきちんと投票意思を示すことができる人がいる。僕たちはその姿を見て、記憶を失ってもすべての能力を失うわけではないという当たり前のことに気づかされる。それが実際の投票行動に結びつくかどうかは別の話であるが、認知症の人にも判断できることがたくさんあることを忘れず、そういう機会を日常の中でたくさん作ることが大事であると思う。最初からできないと決めつけて、説明さえしないことが一番の罪である。

同時に、認知症の人が投票しようとする動機は、「プライド」だと気づく。「昔から一度も投票を棄権したことはない」という人が数多くおられる。こうしたプライドは実に凛々しい。

介護サービスに従事する人の中には、待遇が悪いからサービスマナーなど守っていられるかと言い、汚い言葉遣いを改めようとしない人がいるが、それらの人々は自らが、自分の仕事に対するプライドを捨てて、自らの職業を貶める醜い姿を作り出しているだけである。

そういう輩には、認知症の人が、記憶の障害や混乱にもめげず、懸命に投票行動を取ろうとする姿をみて、恥を知れといいたくなる。

利用者の方々のプライドを持つ凛々しい姿に触れるのは、何も認知症の方々だけではない。

老健という施設の性格上、個別リハビリテーションが必要な人がたくさん居られるが、それは同時に、身体の不自由を抱えている人が多いという意味でもある。

特養の場合、職員が代筆する代理投票の人が9割を超えていたが、老健で投票行動をとる人のほとんどが、自力で投票する候補者の氏名を書いている。その中には、手の震えを懸命に抑えて、額に汗しながら候補者の氏名を書いている人がいる。

利き腕が麻痺して、利き腕変換をしている途中で、まだ十分動かない左手で、慣れない文字を懸命に書こうとしている人の姿もみられる。

不自由な足を引きずりながら、時間をかけて投票場所にたどり着くような人の姿も見られる。

まさにそれは「清き1票」を投票する姿であり、この国の行く末を委ねる人を選ぼうとする姿である。僕たちは、それだけの心を持って投票行動に至っているだろうか・・・。

同時に思うことは、このような人々が票を投じていることに、当の候補者は気がついているのだろうかとうことだ。

熊本の地震を、「選挙時期をにらめば、よいタイミングだ」とトンデモ発言をした大馬鹿政治家が、こうした清き1票の上に胡坐を書いているのかと思うと、腹立たしさを通り越して、哀しくさえなる。まさに政治がプライドを失っている姿が明らかになったといえよう。

このいうに、たくさんの人々の期待と、切実な思いの先に当選させてもらっている政治家が、三流の「せいじや」ばかりではどうしようもない。

プライドを持ち、誇り高く国を作るのであれば、国会議員は、一度、介護施設の不在者投票の様子を見に来るべきではないかと言いたい。

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僕の卒業


今日午後から、当法人の新年度事業計画案と、予算案を審議する理事会が行われる。僕も理事であるが、それより法人事務局の代表として、理事会に参加する。

審議事項の中には、「施設長(理事)の任免」が含まれており、今月末で法人理事と、総合施設長職の退任(退職)が正式に承認されることとなる。

そのような理事会が行われるので、これを区切りに明日から有給消化に入るため、この法人での業務jは実質、今日をもって終了することになる。僕にとっては現職場への最後の出勤の日であり、人生においては、何度目かの卒業の日である。

尾崎豊の代表曲「卒業」には、「あと何度自分自身卒業すれば、本当の自分にたどり着けるだろう」というフレーズがあるが、僕の卒業は「自分探し」ほどの格好いいものではなく、自分のわがままを通して、やりたいことをするための旅立ちだ。

今後は、初めて医療系サービス業務に携わるほか、中国・上海講演という初の外国講演や、一般社団法人みらい福祉研究所の、「介護アカデミー」や、介護福祉士養成校の授業を通しての人材育成活動等、新しい活動が待っている。そのことに期待と不安を織り交ぜながらも、自分自身が一番自分に期待している。

思えば、この職場に入職するにあたって、縁もゆかりもない地域から当市に転入してきた僕であるが、この33年間でたくさんの人とのつながりができ、就職するまで見知らぬ地域であった当市に家を建て、この地域に根付かせていただいた。10年前のブログ記事、「地域に育てられる」に書いた通り、良い先輩たちに恵まれたおかげで、今の僕がある。

そんなことも含めて、出会ったすべての方々に感謝申し上げたい。ありがとうございました。

明日から休みを取るといっても、家でのんびり過ごすわけではない。退職記念の旅行に行くわけでもない。明日から、また忙しくあわただしい日が始まるのだ。

皮切りは、今年度最後の日総研出版主催・「看取り介護セミナー」がある。今回は名古屋セミナー(3/26:土)と東京セミナー(3/27:日)の連続二日間セミナーである。グループワークなど一切せず、講義だけで10:00〜16:00という5時間の長丁場のセミナーを、二日連続行うのだからだから体力も必要である。

とは言っても、旅の楽しみは食事とお酒でもある。

今回は名古屋セミナーの前日となる、明日金曜日の午後に北海道を経ち、16:15にセントレアに到着予定であるが、名古屋講演の際は、いつも呑み会に付き合ってくださる方が、今回も空港まで迎えに来てくれて、その夜はオフ会を予定している。

名古屋に向かう途中、大府市によって、「あかい花」のホームページを作ってくれた、アイルさんに寄って、ご挨拶もしてきたい。
(※あかい花のホームページの上部に、更新情報を掲示できる機能を追加しました。よく見ないとわからないと思いますが、今後はできるだけ毎日、ここに近況などを書き込みたいと思います。ちょっと見てやってください。濃いグレーの帯に白抜きした文字の部分です。)

土曜は16:00まで講演した後、その足で名古屋駅から新幹線に乗り込み東京に移動する。東京駅には18:23に到着予定であるが、ホテルにチェックインするのは後回しにして、そのまま渋谷に向かう予定だ。

僕の退職を知った小中学校の同級生が、退職祝いを兼ねたプチクラス会を企画してくれたからだ。ということで土曜日も呑み会である。日曜日のセミナーに影響しないように、飲みすぎには注意したいが、なんか盛り上がりそうで怖い・・・。

日曜日も5時間セミナーだが、終了後は東京にもう1泊して、月曜の午前中に北海道に帰ることにした。当初はセミナー終了後に帰る予定だったが、夜遅く家に着くことになるし、せっかく月曜も休みなので、ゆっくりできる日程に変えた。ということで、日曜の夜は予定もなく、一人で東京の夜を過ごすことになりそうである。

これで看取り介護セミナーは、5か所目を終えることになる。どこの会場も予想以上の人数が集まってくれてうれしい。決して安くはない受講料のセミナーなのに恐縮である。今回の名古屋会場も70名以上集まっていただける予定であるし、東京会場に至っては、90名を超えたため、当初予定の会場を変更して、広い会場に代わっている。その前の大阪・札幌・仙台もすべて70名以上の方が集まってくださり、担当者からも感謝されている。

しかもセミナー後のアンケートでも、高評価をいただいており、そのため当初予定になかった岡山セミナーが8月に追加された。

そのため新年度の、日総研出版主催・看取り介護セミナーは、福岡セミナー(5/29:日)、岡谷加セミナー(8/7:日)の2会場を予定している。現場に持ち帰ることができる実践論を、加算算定要件の解釈とともに、わかりやすく示し、実践できる看取り介護を伝えるセミナーなので、是非たくさんの皆さんにお集まりいただきたい。

さて、この職場で昼のひとときを使ってブログ記事更新することも最後になるが、このブログ自体はまだまだ続けるつもりである。今後は老健の話題が多くなるかもしれない。

今日は最後の業務の日であるが、湿っぽくならずに、普通の一日で終えたいと思う。
寄せ書き

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吹雪の中で思い出したこと


低気圧の影響で、数年に一度の猛吹雪となる地域もあるとされた北海道。吹雪のピークが過ぎていない地域の警戒は、今時点でもまだまだ必要である。

登別は猛吹雪という状態ではなかったが、昨日から今日にかけてこの冬一番の大雪となった。しかも気温が8度を超えている中での雪なので、湿った重たい雪である。各家庭の除雪作業も、重たい雪との格闘で大変だったであろう。

29日の朝は、この雪のために除雪が追い付かず、市内の至る所で車が雪に埋まって動けなくなっていた。JRも止まり、路線バスも止まっている中でこの状態であるから、交通網は一時的に麻痺した。

特に山沿いにある当施設周辺の雪は深く、除雪が入っていない中で、施設まで辿り着くにも苦労した。

僕は雪に埋もれた自宅の駐車場の除雪を行い、早めの時間に家を出て、朝7:00過ぎに施設にたどり着いたが、敷地内で車が埋まり動かすまでに体中が濡れて大変だった。

除雪担当職員は僕より早く出勤し、2台の除雪車をフル稼働させていたのだが、いかんせん雪の量が多く、しかも早出で出勤する職員の車が、途中で埋まったり、駐車する場所がなく立ち往生したりで、除雪作業自体がなかなか進まない状況であった。

通所介護の送迎車も、通常時間の出発が困難となり、利用者宅に遅れる旨を連絡しようと考えたが、周辺の道路状況は、それよりもはるかに悪く、主要幹線道路以外は、通行が難しい状態であることが明らかになった。そのためこの日の通所介護の営業は困難であると判断し、利用予定者にサービス中止のお詫びの連絡を入れた。結果的には、その後の道路状況等から、その判断は適切で正しいものとなった。

29日の午後になって、登別周辺の天候は回復し、気温の高さからつも言った雪も解けだして、道路は水浸しという状態になった。それが夜には凍って、非常に滑りやすい状態となったが、夜半過ぎから3/1朝にかけて、また雪が降り積もった。その量は29日ほどではなかったが、除雪が必要な状態に変わりはない。

この日も朝早くから除雪担当職員は、敷地内の除雪作業で忙しく立ち働き、なんとか通所介護の送迎車が、通常時間で出発できるようにしてくれた。道路も通れないようなところがあるという情報はなく、通常どおり通所介護も営業することができる見込みで、送迎車を見送った。おかげさまで送迎車は、遅れもなく通所介護事業所に着いている。今日は通常の営業ができ、利用者の皆様にも喜ばれているようだ。

それにしても、たくさんの人員と機械力のある当施設でさえこんな状態の二日間であったのだから、自宅でひとり暮らしの高齢者の方は、雪かきもたいへんであったろう。雪かきをしなければ玄関から出られないお宅も多かったろうから、買い物などにも行けない人がいたかもしれない。その状態が今日も続いているとしたら、それは命にかかわる問題なので、是非周囲の状況を見渡して、何かおかしなことはないかを確認していただきたい。

北海道で生きる人々は、この雪とうまく付き合っていかねばならない。ここで暮らし続ける限り・・・。しかし僕はそのことを嫌だと思うことはない。厳しい冬の向こうにある春の足音を聞くという、その喜びを誰よりも知っているからだ。

話は変わるが、思い返せば2005年11月09日にこのブログ記事を書き始めたとき、最初に書いた話題が、「雪と生活障害」ということである。(参照:裏板風にブルグを作ってみました

あの日、雪が降っていなければ、このブログは今存在していなかったかもしれない。

思えばあれからもう11年。平日はほぼ毎日記事更新を続けてきたわけだ。ずいぶん長く続いているが、その理由は、無理していないからである。書くも書かぬも自分の自由。書く内容も人のことは全く考えずに自分が書きたいこと。書くことが負担に思うようになれば、いつやめてもよいと考えて、そのことを貫いてきた結果が、11年という歳月に置き換わっているのだろう。

その間にこのブログが書籍になり、そのことで講演依頼も増え、介護関連冊子等への連載も複数抱えるようになった。ありがたいことである。

来月から僕は、職場を変えて新しいステージでいろいろなことに挑戦する。このブログに書き綴る思いや、内容もそれによって変わってくるかもしれない。しかし基本的なスタンスは変えるつもりはない。自分の為だけの勝手な場所を貫いて、人に何を言われようと、自分の書きたいことだけを文字にして綴り、自分の心の炎を燃やす場所であり続けるだろう。人の意見に耳を貸すことも、人の意見に左右されることもなく、思いのままに・・・。

僕の心に咲く赤い花は、熱い血と心に燃える炎の色かもしれない。

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当法人の杓子定規な事務対応のお詫びを申し上げます


昨日朝、僕の携帯メールに着信があった。それは旧知の間柄の人からである。

寄付申込書を先ほど返信しました。なんか、複雑な気持ちですね。今後のことは、相談させてください。

僕としては何のことかさっぱり分からず、心当たりのないメールだったので、「寄付申込書ってなんのことですか?」と返した。

すると数分後に、「昨日かな、○○○から、昨年の○○の御礼状が届き、同封されていて返信依頼がありました。」という返信が来た。

ここでやっと意味が分かった。

その方は道外に居住する方であるが、数年前から全くの善意で、その方の地域の特産品を、緑風園の利用者の皆様にと寄付して下さっている方である。昨年の秋にも、恒例となった寄付物品の寄贈があり、その際に御礼状は出しているはずである。

そうであるにも関わらず、今回あらためて当施設事務担当から、遡ってその際の寄付申込書を書いてもらうことを目的にして礼状を送ったらしい。このことは僕に相談や連絡が一切されずに行われた行為である。

事務手続き上は、決済行為がいらず、施設長の承認を得ないで行うことができる手続きであると言っても、もともと僕の知り合いという関係性で、寄付を続けてくれた方であることを考えても、僕に一言の挨拶も、許可もなしに、そのような文書を送るというのは、人としての礼儀に欠けるというそしりを受けても仕方のないことだろう。

ただこうした対応に及んだ理由は、なんとなくわかる。

実は今月15日に、道の実地指導が入る予定になっており、その対象は社会福祉法人運営である。(介護老人福祉施設運営等は今回は対象外である。)すると以前の実地指導で、法人が寄付を受ける際に、領収書を発行するだけではなく、事前に寄付申込書を書いてもらうように指導されていたという経緯がある。そのために、申込書をいただいていないケースを確認し、あらためてその書式を寄贈者に送って、記入してもらうことにしたのだろうと想像した。

しかし寄贈者の立場に立てば、それは極めて失礼なことである。数ケ月前に寄贈した物品について、しかも毎年恒例のように寄贈してくれている方にとって、まるで寄贈品を申込みなく送りつけたのが悪いことであるかのように、あらためて「寄付申込書」を書くよう求める文書が来たら、憤りの気持ちを持つのは当然である。

書式に記入して返信するという手間はともかくとして、善意で送ったものについて、このような形式にこだわる対応は、その善意を踏みにじる対応であると感じて当然である。

そのような気持ちに全く配慮せず、このような書式を送りつけた事務対応は、まさに融通に欠ける杓子定規な対応であると言わざるを得ない。そもそも事後にこのような書式を整えても、それは決められたルールに基づいた適切な処理にはならず、むしろ記録を改ざんするという意味の違法性さえ問われる。法令遵守とは程遠い行為なのである。

そこにガバナンスやコンプライアンスは存在しないと言ってよい。

そもそも寄付申込書の記入を求める理由は、数年前に社会福祉法人で、施設利用者の預金を勝手に流用し、領収書を発行した事実をもって、寄付を受けたとした事件があったことによるもので、寄贈者の意志に基づく適切な寄付行為があったことの証明を求めているものである。

そのことを鑑みると、金銭ではない物品の寄贈行為について、そうした事前申し込み行為が必要かどうかは大いに疑問が生ずるところであり、指導担当者もそこまで強く求めないのではないかと思われる。よしんば実地指導でそのことを指導されても、事前の申し出のない寄付物品が送られてくることはよくあることで、体裁を整えるために事後に申込書を書いてもらうことに意味はないし、むしろそれは失礼なことであると主張し、それでも指導されるとすれば、「次から気を付けます」として、ほおっておけば良いだけの話である。

その程度のことで、法人運営を不可とするような指導には絶対にならないと断言できる。

そのためメールを送って下さった方に再度、「知りませんでした。そんな杓子定規なことを勝手にやってるんですね。申し訳ありません。もうこの法人への寄付はやめましょう。」、「誠に申し訳のないことだと気づいていないのだから、どうしようもありません。御免なさい。心よりお詫び申し上げます」と謝罪した。

それに対して、「そうですね、菊地さんの次の職場に贈りますよ。」と優しい返信メールが届いた。

どちらにしても、善意の寄贈で、その行為からかなりの日時が過ぎてから、寄付申込書の提出を求められて不快を感じた皆さんには、この場を借りて深くお詫び申し上げたい。決して皆さんの善意を否定したり、疎ましく思ってのことではないのである。

それにしても寄贈者にデリカシーのないこのような行為に至る原因はなんだろう。それはむく方向、気を使うべき対象・相手を間違っているからではないだろうか。これは昨年あたりから、僕がひしひしと感じてきた変化であり、僕が退職を決意した理由ともつながっていることである。

今後、この法人は新規事業も行う予定になっているが、こんな状態で有能な人材を集めることができるのか大いに疑問だし、そもそも今いる職員が、幻滅して辞めていかないかが心配である。

飛ぶ鳥跡を濁さずの精神は忘れるつもりはないが、飛ぶ鳥が汚した部分ではないところまでは、責任を持つことはできない。

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現法人における最後の忘年会


本日夜19:30〜当法人の忘年会が開催される予定になっている。遅出の職員が参加できるように時間設定しているために、少し遅い時間の開始となっている。

この忘年会は、職員親睦会の主催で、毎年登別温泉に1泊して行っている。

親睦会は基本的に職員全員が加入することになっており、会費は基本給+業務手当の1%と定め(上限が3.000円、月額支給額10万円以下の職員は一律1.000円)、給料から天引きして徴収している。

僕は月額上限対象者で、就業年数も一番長いので、会費も一番多く納めているということになる。

当法人は33年の運営年数があり、現在73名在籍する職員の就業年数も長くなっているので、会費収入もそこそこある。そのため親睦会の会計は超健全会計というわけで、忘年会の参加費は一律1.000円で、残りは親睦会会計から支出している。これはホテルに宿泊しても、日帰りでも同じである。2次会に至っては、ホテル内のスナックを借り切って、飲み放題で参加無料である、宴会の中で行うアトラクションの景品も、端からみれば「えっ」と思うほど、豪華なものもある。本日の景品としては、ダイソンの掃除機とか温泉ペア宿泊券などがメインの景品らしい。

前述した職員数73名と言うのは、理事会役員や嘱託医師を除いた特養と通所介護と居宅介護支援事業所の職員数である。本年5月までは、厨房職員も直接雇用していたので、この数に9名+されていたが、給食業務を委託して以後は、その分人数は減った。

同じ職場の中で顔を合わせている人で、5月までは同じ法人職員であった人が、委託会社に転籍後は所属組織が違うから、忘年会も一緒に参加することはないことについて、なんとなく違和感を覚えているのが、現在の僕の心境である。しかし親睦会費をいただいていない非会員としてみれば、そのことは当然なのだろう。

実は僕は職場の呑み会と言うのは、あまり参加したいと思わないタイプである。好きじゃあないのである。

呑み会自体が好きなことは、全国様々な場所のオフ会で、僕とご一緒する方はわかっていて、意外と思ったり、嘘だと叫んだりしているだろうが、こと「職場の呑み会」となると話は別なのである。

それは僕が、職場のトップに立った以後から感じ始めたことで、仮に無礼講と言っても、やはり職場の上司には気を使うだろうし、施設長であれば尚更そうだろうと思え、逆に僕自身が、職員が気を使わないように、気を遣ったりして疲れてしまうので、できれば参加したくないと思うことが多いのだ。そうした考えは、取り越し苦労だろうと言われても、そう思ってしまうのだからしょうがない。

それでも過去32回の忘年会には、1〜2回を除いて参加しているはずである。今回はこの法人に在籍する最後の忘年会なので、まさか不参加とはいかないわけである。

来年の今頃は、別法人の忘年会に参加しているんだろう。その時は立場も今とは異なっているので、気楽に参加できるだろうし、それはそれで面白いだろうと想像している。

ところで今回の参加者は52名と聞いている。そのうち日帰りは2名で、50名が宿泊予定である。つまり21名の職員が不参加であるということだ。このうち5名は夜勤者だから、親睦会から宿泊料と同額が払い戻しとして支給される。残りの不参加者は、自己都合だから払い戻しはない。それが当法人親睦会のルールになっている。

この日に夜勤を勤めてくれる職員には本当に申し訳なく思うと同時に、心より感謝したいと思う。自己都合で不参加の職員にも、それぞれ事情があるので、やむを得ないと思うのと同時に、ルール上会費の払い戻しができないことを心苦しく思ったりしている。

参加される方には、今年1年の心の疲れがとれるように楽しんでいただきたいと思う。

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餅をついて食べるという、当たり前の風景を守ってください


今年度に入って、6月から当施設の給食部門は外部委託となった。

直営をやめた一番の理由は、介護報酬の大幅な減額に対応して、将来的に経営危機に陥らないようにするための経費節減のためである。

外部委託に際して、1名の栄養士とすべての調理員は、委託業者に「転籍」という形で雇用していただくことになった。(管理栄養士は、当施設の職員として別に配置されている。)

しかしその際の条件は、委託前までの待遇を下げないで、給与も下がらないこととしたので、人件費面での経費節減にはならない。(その分が委託費として請求されるので。)

経費節減の主たるものは、食材料費である。しかしそれも利用者に提供する食事サービスの質を落とすことなく節減するという範疇のものであり、給食専門業者の食材調達システムの中で、コストが下がる部分である。

それでも年間を通じると、数百万円の経費削減に繋がっている。

しかしこの際に心配したことは、本当に食事サービスの質が落ちないかということである。そこで業者委託以後の、「給食会議」(月1回開催)には、委託先の勤務となった栄養士や調理員だけではなく、給食業者の担当者にも参加していただき、職員や利用者の意見などを聴いていただきながら、都度改善に努めている。

その結果、今のところ食事サービスの品質が低下したという声はなく、委託に変更したことへの利用者の不満の声は挙がっていない。むしろメニューが豊富になったことと、嚥下食である刻み食・ソフト食・ムース食の充実は、嚥下機能低下のある方にとってはサービスの質向上と捉えられている。

また労務管理面での施設負担がなくなったことは大きなメリットと感じている。当地域に於いては、介護職員のみならず、調理員の募集に対する応募もなかなかない状況で、施設長としていつも頭を悩ませていたし、ある時期は、欠員があるまま調理員の皆さんの頑張りで、何とか調理部門を支えていたという状況が見られた。しかし業者委託することにより、仮に調理員に欠員が生じても、委託業者の中で、すぐに欠員補充の職員を手当てしてくれるので、そのことで頭を悩ませたり、地域を駆け回ることもしなくてよくなり、ずいぶん楽になった。

ただもう一つの心配は、行事食がどうなるかということであった。はたして経費削減する中で、今までと同じ行事食が提供できるのかという課題があったが、委託から半年を経た状況から言えば、都度委託業者との協議によって、通常の給食費の中でできるものを実施して、特段問題なく行事食も提供できている。

そんな中で12月を迎え、「餅つき」の時期になった。毎年午前中に餅をつき、昼ごはんは、つきたてのお餅を食べるという季節行事が、この時期の恒例だ。

過去に書いた記事、「悪平等ここに極まれり。」、「餅つきって何のためにするの?」、「餅をつくということ。」などで紹介しているように、介護施設の中には、「高齢者にとって餅は危険な食材である。」として、一律に餅を食事として提供しない施設がある。滑稽なことに、餅をついて見せているにも関わらず、その餅を「お預け」を食らわしたように、飾るだけで利用者に食べさない施設が存在する。

馬鹿馬鹿しいにもほどがある。餅は食うためにつくのだ。ついて見せて「お預け」とは、拷問にも近いと思う。

そこには個別ニーズに沿ったケアも、アセスメントも存在しないと言ってよい。世間からみれば「非常識」の世界である。恥を知れと言いたい。

僕は自分が所属する施設を、そのような冷たい箱にしたくはないので、事務職員なども見守りに協力するなど、安全のための対策を徹底したうえで、嚥下機能状態を考慮して、「疑似餅」を食べざるを得ない人をピックアップし、それ以外の人には昼食として、つきたてのお餅を提供している。

業者委託になっても、そのことに変わりはなく、今年も餅つきボランティアの皆さんの協力を得ながら、委託業者とタッグを組んで、お昼ご飯にお餅を提供し、利用者の方々に喜ばれている。
餅つきの日の献立
2015年の餅つき
2015年の餅つき2
2015年の餅つき3
2015年の餅つき5
2015年の餅つき4
今年もこんなふうにして、餅つきが行われ、昼食としてそのお餅がふるまわれている。お餅を食べていることは、当たり前のことであって、特別なサービスではない。利用者の皆さんの表情を見れば、そのことをやめるという選択はないし、そういう機会を奪っている施設サービスの存在には、あらためて腹が立つ。

僕がこの施設で餅つきに付き合うのは、今年で最後になる。しかし僕が居なくなっても、このことは続けられると思う。それは餅はついて食べるものだという当たり前の生活を守るという意味にしか過ぎず、そんなものは伝統でも何でもない。日本人の習慣である。

餅をついてみせて、お預けを食らわせて、利用者には一切口にさせないということが、いかに非常識であるかという感覚を失わないことが大事だ。その感覚を忘れてしまったときに、ケアは利用者のためのものではなく、施設の都合になってしまうのである。そうした考え方だけは、僕の遺産として残ってほしいと思う。

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感染予防に気を使う時期です


当施設では、2007年12月〜2008年1月にかけて、ノロウイルスの集団感染が発生し、終息までに時間がかかった苦い経験がある。

その際の報告は、「ノロウイルス感染経過報告1・感染源」、「ノロウイルス感染経過報告2・感染拡大状況」、「ノロウイルス感染経過報告3・拡大要因について」、「ノロウイルス感染を振り返る・想定外のこと」に詳しく書いているので、参照のうえ反面教師としてご活用いただきたい。

その後も、単発的にノロウイルス感染者が出たことはあるが、感染拡大を防ぐことはできており、集団感染という状態には至っていない。だからと言って、今後も感染拡大を100%抑えることができるとは言い切れないところが、このウイルスのやっかいなところである。

今年はそのウイルスが新型で、過去最大の感染拡大が懸念されているところであり、より警戒レベルを上げて対応する必要がある。管内の保健所の感染情報は、毎日チェックが必要だ。

集団感染が発生すると、利用者の健康被害に直結するだけではなく、施設経営上のリスクにもつながりかねない。介護報酬の大幅な減額がされた今年度は特に、空きベットが生ずるのは痛い。しかし集団感染が発生すれば、新規入所も停まるし、なによりショートステイの受け入れもできなくなり、収入減となるからである。そのため感染予防対策は、経営リスクを減らすためにも万全の対策が求められる。

僕たちが日常的に行う感染予防対策は、特別なことではない。よく言われるように、手洗いとうがいの励行が大事である。しかしこれも掛け声だけで、アリバイ作りのようにおざなりになっては、いつウイルスが侵入する隙になるかわからない。手洗いは、手を濡らせばよいというものではないので、しっかりウイルスを落とすことができる定められた方法で、丁寧に十分な時間をかけて行うことが必要となる。

また職員自身あるいは家族に、感染の疑いのある症状が少しでも出た場合、無理して出勤せず、「休む勇気」が求められる。きちんと受診して、ウイルス感染していないことが確認されてから出勤しないと、自らが感染源になってしまう恐れがあることを自覚してほしいと、この時期何度もアナウンスしている。

過去の感染拡大では、感染者の吐しゃ物から空気中にウイルスが飛散し、それが感染源になり広がったのではないかと言う疑いが濃く、おう吐した人がいたら、速やかに対応して空気中へのウイルス拡散を防ぐという対応が求められる。そのため施設内には、いたるところに嘔吐に対応する物品をまとめたセットが置いてある。この中には、吐しゃ物にスプレーしてウイルス拡散を防ぎ、消毒する製品も含まれている。

感染予防対策には、それなりの費用もかかるが、感染拡大した場合の対応費と比べると、それは低い額で収まるので、この部分には必要経費を惜しまないことが重要である。

おう吐する人がいた場合は、基本的にすべてノロウイルスの疑いを持って対応することにしている。その中には、ノロウイルスの症状とは少し違うのではないかと思われるおう吐もあるが、万が一に備えた対応をしておかねば、もしもの場合、感染は一気に狭い施設内に広がってしまうのである。

昨日もお昼ご飯を食べた後に、おう吐した方がおられる。その方は、数日間の便秘症状が見られ、食欲もあまりない状態で、頑張って無理して食事を摂取したという状況があり、そのためのおう吐であるように思えたが、一応ノロウイルスを疑う対応とした。

個室入口の感染予防策
吐しゃ物の対応は、「おう吐対応セット」によって漏れなく行った。便が採取できないために、ウイルス検査ができないので、24時間の経過観察を行うことにした。この方は個室に住んでおられるため、この間は個室から出ないようにし、職員の入退室の際にも、感染予防対応をとるようにたいさくするとともに、本日の昼まで、行事などの集団活動は休止することとした。

ユニット通路の感染予防策
また対象者の方の居室があるユニットの方々はユニット内で過ごしてもらい、他ユニットの利用者の方々には対応者のいるユニットへ行かないようにお願いし、人の流れを一部制限した。

おかげさまで、この方はその後のおう吐も下痢もなく、ノロウイルスではないと判断できるために対応解除となり、今日の午後からは特段の制限もなく、日常の対応に戻すこととしている。利用者の皆様には、ご不便をおかけしたが、これも感染予防に万全の対応を行うためでありご理解いただきたい。そのあたりの説明が十分行われたのかを、今日の午後から確認したいと思う。

ところでこの対応を行っているため、僕自身も外出予定を変更し、昨日から今日にかけては、施設外の方にお逢いすることを避けていた。自分が感染していないとも限らないからである。

しかしある知り合いのフェイスブックの情報では、道内のある施設で、ノロウイルスの集団感染が発生し、終息していないにも関わらず、そこの施設長が会議に参加してきたという内容が書かれていた。おそらく自分に症状が全くないために問題ないと考えたのだろうが、施設内の集団感染が収束していない段階で、関係者が多数集まる会議に参加することは、エチケットとしてもどうなのだろうと首をかしげた。何よりも一緒になる他の方々が不安になるだろうに・・・。

そうした時期は、出来るだけ外部の会議や研修への参加は自粛するのが本来ではないだろうか。他施設や他事業所の感染源に自分がなってしまったらどのように責任を取るのだろう。ふとそのようなことを考えた。

北海道ではインフルエンザも流行の兆しを見せている。高齢者が感染して体調を悪化させた場合、それはその方のその後の人生に影響を与えるほどの機能低下の原因にもなりかねない。

そういう意味でも、しばらくは注意したりないということはなく、万全に万全を積み重ねた対応を心がけようと思う。

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得た知識をどう共有するか


昨日は、当市の地域包括支援センターが、介護の日の記念事業として開催した、「介護負担を減らすために・・・楽で安心、新しい介助法」に参加して勉強してきた。
岡田しげひこ氏講演
講師は、理学療法士で、特定非営利法人HPT総括部長の岡田しげひこ氏である。

とうより道民には、毎週金曜日に北海道新聞の「せいかつ」紙面に「しげひこのこれは助かる」というコラムを書いている先生として馴染みが深いかもしれない。下記は、本日の道新朝刊のコラム記事である。
道新コラム欄
同氏と僕の最初の出会いは、2012年10月のケアマネ更新券種の際で、岡田氏が講師で、僕が受講者と言う立場での会場で、同氏より僕のこのブログ記事を読んでいると挨拶を受けた時のことである。(参照:ケアマネ資格更新研修初日会場にて

昨日の講演では、「人間の自然の動き」を知るところから始まり、その動きに沿った支援方法を、「寝返り」、「起き上がり」、「立ち上がり」、「乗り移り(移乗)」、「歩行」ごとにわかりやすく解説していただいた。

とかく我々は、支援者側からの介助方法と言う視点に偏りやすいが、支援を受ける側がもっとも安楽な方法という視点が必要であることと、結果的にそれは人間の自然の体の動きに沿った方法であり、それによって支援する側の余分な力も必要なくなり、支援される側、支援する側の双方に安楽な方法となることを学んだ。

これがボディメカニズムに沿った支援方法と言うのかどうかわからないが、日常の介助方法について、「目からうろこが落ちる」という感想を持った受講者が多かったのではないだろうか。

本来この研修は、介護職員に受講してもらいたい内容である。しかし今回この案内が送られてきたのは、勤務シフトができた後だったので、あらかじめ職員を研修参加できるようなシフトになっていなかった。そのため僕が研修を受講して、介護職員に伝達しようと考えて参加した。

しかしシフトでは公休となっている3人の介護職員が会場に来て受講していた。

そのため僕のお役は御免として、この3人に伝達研修をお願いすることにした。僕が伝達できないわけでもないし、面倒くさいわけでもない。しかし実際に会場で話を聞いて、実技も行っていた介護職員が、あらためて同僚らにその内容を伝えようとする段階で、さらに彼女たちはその日学んだ内容を復習し、伝えられるように咀嚼する必要があるだろう。そのことによって、さらに理解が深まるし、実技にも習熟するだろう。

そしてその過程は、決していやいや面倒に感じながら行うものではなく、「施設内で伝える」、「その結果ケアの質が上がる」、「利用者の豊かな暮らしにつながる」という目的が明確で、そのためにモチベーションもアップするはずである。そうした伝える喜びを知ることにより、さらに学ぶ意欲が湧いてくるのである。こうした好循環を作ることが、職場全体のモチベーションアップには必要だ。

当然そうした伝える場を設ける際には、伝達研修の時間を適切に設定できるように、時間外勤務手当などの支給は不可欠である。管理者や事務担当部門は、そうした部分での側面支援をしっかり行う必要もあるだろう。僕自身は、伝達研修を影から見守って、必要なら助言程度はするかもしれない。しかしできるだけ口出ししないようにしたいと思っている。

ただこうした研修は、「百聞は一見に如かず」という部分もあって、機会があれば岡田先生の研修を、全職員に一度は受けてもらいたいものである。

少し話は変わるが、ありがたいことに僕自身の講演も、受講された施設の管理者の方などが、「できれば職員に直接聞かせたい」として、法人内の職員研修などに招いてくれることが多い。

ちょうど明日もそうした講演が山形である。お招きいただいたのは、山形徳洲会さんである。医療法人グループとしては日本最大規模の徳洲会さんには、これまで何度も研修講師としてお声を掛けていただいている。山形は昨年に続いて2年連続となる。

昨年は仙台空港を利用して山形市で講演を行ったが、今回の会場は庄内町にある為、明日は庄内空港に『降りてから会場に向かう。しかし北海道から庄内空港へは直行便がないために、新千歳空港〜羽田空港〜庄内空港という乗り継ぎになる。そのため明日は、午前5時50分発の高速バスに乗っての移動から始める必要があり、早朝に起きなければならない。

今晩は早めに帰って、早めに寝ようと思う。それでは山形県庄内町でお逢いする皆様、明日はよろしくお願いします。動画「LOVE〜明日へつなぐ介護・山形編」も是非ご期待ください。
LONE〜明日へつなぐ介護・山形

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真心を伝えていたスタッフのこと


社会福祉施設は、地域住民の方々の善意と、奉仕の精神を拠り所にして成り立っている部分も多い。

当施設の日々の暮らしに潤いを与えてくれる各種行事は、大小合わせると様々なものがあるが、日本の古くからの風習に基づく季節行事などは、職員の手だけで行うことができるものと、そうでないものとがある。例えば盆踊りや餅つき、お祭りなどは地域住民の皆様のボランティア支援により行うことができているもので、職員の手だけで実施できるものではないのが実情だ。

また善意の寄付を受けることも日常的に行われており、それは金銭だけではなく、日常生活に係る物品など実にこまごまとしたものに及んでいる。

特養の場合、3大介護として排泄ケアは重要であるが、紙おむつや紙パットが普及した今日でも、排泄物を処理する際に、使い捨ての布が大量に必要となる。そのため各家庭で不要になった、タオルやシーツ類をきれいに洗って、30センチ四方くらいに切ってまとめた布類は貴重な日常生活上の必需品である。こうしたものを集めて寄付協力してくださる地域住民の方は非常に多い。本当に助かっている。

こうした支援行為を継続してくださる方は、施設側のお礼を求めているわけではないと思うが、せめて礼状という形で、感謝の意を示そうと思い、ボランティア活動や、寄付物品をいただいた際には、礼状を必ず書いて送るようにしている。

しかし昨今のように、コンピューターで文書を作成するのが当たり前になってくると、こうした礼状もフォーマット化して、あて名と日付だけを変えて、毎回同じ文書を送ってしまうことになり、そのことに何の疑問も持たないようになっている自分がいた。

奉仕してくださる人が、そのことを不快に思うことはないのかもしれないが、このことももしかしたら、奉仕されることが当たり前のように感じている施設側の感覚麻痺なのかもしれないと反省させられたことがある。

それは、ある職員が送っていた手書きの礼状について、市民から寄せられた感謝の言葉から感じたことである。

先日、僕の義父の知り合いと言う人から、施設に電話が入った。こまごまとしたご挨拶をいただいたが、なぜわざわざ施設に連絡をしてきたのか要旨がわからずにいると、「実は〜」という形で本題の話になった。

聴けば、その方の知り合いで、僕の施設に定期的に寄付をしてくれている方が、当施設から毎回送られてくる礼状に、いたく感激しているというのである。

ワープロ機能を使った印刷文が多い中で、毎回手書きで、丁寧な文字で礼状が送られてきており、それもいつも心のこもった内容で、礼状をもらうたびに、感激しているというのである。

しかしこの話を聞いた際に、僕はそれは何かの間違いではないのかと思った。礼状は送っており、その際の発送整理簿には、僕も決裁印を押しているが、そもそも礼状は、PCで作成したフォーマットがあり、それにあて名と日付を入れただけの文書になっているので、手書き文章の礼状に心当たりがなかったのである。

しかし電話してきた方が話されている内容も齟齬がないため、「担当の人に、是非手紙を受け取っている人の感謝と感激を伝えてほしい。」という希望については、一抹の疑問を持ちながらも、快く引き受ける旨お話しして電話を切った。

そのあと担当者に、そういう電話があったことを伝え、手書きの礼状を送ったことはあるのかと尋ねると、「普通に、いつも手書きで感想を書いて送っている。」とのことである。なんと僕は発送整理簿に決裁印を押してはいても、封筒の中身まで確かめていなかったので、そのことに気が付いておらず、印刷文を使っていると思い込んでいたのである。

しかし担当者は、ごくまれに一度きりの寄付の場合は、印刷文の方が読みやすくて良いと思うけれど、頻回に寄付をくれる人の場合、いつも同じ文章で日付だけ変えて送る礼状は、機械的に感じてかえって不快になるかもしれないと考え、毎回自筆で、その時々の感想を書いて送っているというのである。

そう聞くと、なるほどその担当者の言うとおりである。本来なら、日頃偉そうなことを言っている僕自身が気が付いてよいところを、実際には全く気が付かず、職員が気を使って対応してくれている状態を見せつけられて、そのことはとてもうれしく思うのと同時に、もうここでは、自分以外の誰が管理者をしても大丈夫だろうと思った。

礼状を手書きで送るという行為だけで、感動してくれる人がいるのだから、そうした真心を大切にすべきだし、そのことを教えてくれた職員には新ためて感謝したいし、そうした事を当たり前にできる職員がいることを誇りに思いたい。

地域包括ケアシステムとは、本来こうした真心で、市民と介護施設がつながっていくことから始まるのかもしれない。そんなことを考えている昼下がりである。

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祭のための「介護の力」、祭のあとの「介護の力」


シルバーウイークと呼ばれるようになった秋の連休ではあるが、皆さんはこの間どんな過ごし方をしただろうか。

介護施設で働く職員はあまり関係のないことなのかもしれない。一日も休みが取れず、世間の連休が終わってから、やっと1日休みが取れるという人がいるかもしれない。そういう人たちが報われる職業にしていくために、僕たちは、正しい情報発信をしていく必要もある。

昨今は、一部の心を麻痺させた人間達によって、信じられない虐待行為が有料老人ホームの中で行われ、そのことが明らかになって、介護施設のすべてがあんなふうに人権無視したひどい場所なんだろうと思われがちだが、当施設の職員はじめ、多くの介護サービス従事者は、暦に関係なく昼夜、介護を必要とする人々に真摯に向かい合って、その人たちの笑顔に喜びを感じる、「誰かの赤い花」たちだ。

そんな赤い花たちにエールを送るためにも、志を同じくする赤い花たちを増やすためにも、全国各地に出向いて、「赤い花の心」を伝えたい。

ところでそんな介護業界でも、5連休を取れた人もいるだろう。そういう方々は、働いている人にひけ目など感ずることなく、休みを大いに楽しんで、リフレッシュして欲しいと思う。そして元気にリフレッシュして、ますます介護の職場に赤い花を咲かせてほしと思う。

当施設では、連休初日に合わせて敬老の日を祝う、「緑風園まつり」を開催した。毎年の恒例行事であるが、連休の中日や終わりに行うよりも、ご家族の方が来やすいのではないかということで、この日に設定している。そのおかげか今年もたくさんの家族の皆さんが、お孫さんや曾孫さん、玄孫さんを連れて緑風園を訪れて下さった。

同時に職員の数より多い数のボランティアの皆様が、準備や屋台の運営、イベントの出演、後片付けのためにご協力いただいた。こうしたたくさんの善意によって、当施設の運営は支えられている。

今年はあいにくの曇り空の日になって、しかも肌寒い日になった。このため外での開催はあきらめ、屋内での開催となったが、会場は狭くなるものの、それだけイベントを間近で見ることができるなどのメリットもあり、利用者の皆様、来場者の皆様ともに好評を博したようである。

施設長として一番うれしかったことは、来場した家族の方から、「このお祭りに限らないけど、本当にここは良い施設で、家族を預けている身としては安心していられる。感謝だけしかない。」と声をかけられたことだ。そのように評価いただくほど十分なケアとは言えない部分もあろうと思うが、直接そのように声をかけていただくと、もっと頑張ろうという気になる。目指す頂上はまだまだ先にある。

おかげさまで、お祭りは熱気満々で、大いに盛り上がったが、こうした非日常を楽しんだ後に注意しなければならないことも多い。

それはイベントは、緑風園で暮らす人々のためにあるもので、ここに住んでいる皆さんがどう感じてくれたかということをきちんと評価しなければならないということだ。そこでは職員の気持ちが高揚したとか、盛り上がったということは、評価の外にある。緑風園で暮らす人々ののためのイベントであったのか、それらの方々に必要とされる非日常であったのかという検証と評価が不可欠であり、ここは総合施設長として僕自身が、なにより優先して考えなければならないことである。

さらに祭りのあとの高揚感を、日常のケアに引きずって、当たり前に行うべきケアサービスに影響を与え、サービスの品質が低下してしまうことがないように注意する必要がある。

合言葉は、『祭の後の寂しさが、いやでもやってくるならば、祭の後の寂しさを、感じさせない「介護の力」。それを創る仕事力。心が躍っても、ケアは冷静に。一番近くで見つめる介護。一番近くで気づく介護。祭りの宴が終わった後も、誰かの赤い花でいつづける介護』である。

非日常を引っ張りすぎずに、イベントから日常への切り替えが一番大事なのである。

少しだけ祭りの雰囲気を紹介する意味で、何枚か画像を紹介したい。

緑風園まつり2015-1
緑風園まつり2015-2
緑風園まつり2015-3
緑風園まつり2015-4
緑風園まつり2015-5
緑風園まつり2015-6
緑風園まつり2015-7
緑風園まつり2015-8
最後に、ご協力いただいたボランティア団体の名称等を下記に紹介して、この記事を締めたいと思う。ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

(アトラクションに出演協力いただいた方々)
・三愛病院・雅(みやび)太鼓の皆さん
・フラダンス、ハーラウフラ・プアネリネの皆さん
・よさこいソーラン踊り・炎(ほむら)の皆さん

(会場準備、屋台運営、後片付けにご協力いただいた方々)
・ボランティアクラブふれあいの皆さん
・ひまわりの会の皆さん
・介護老人保健施設グリーンコート三愛の職員の皆さん
・日清医療食品の職員の皆さん


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〇〇さんの笑顔と暮らしぶりという根拠


朝10:00頃になると、決まって食堂に掲示されている週間予定献立表を見に来る〇〇さん。僕が話しかけると、いつも笑顔で応じてくださる素敵な人である。

献立予定表を見る〇さん
その方は、僕が4年以上前に書いた、「暮らしの場での制限は最小限に」という記事の中でも紹介させていただいた方である。

あれから4年。当時80代だった〇〇さんは、もう90歳を越しているが、今でもあの時と同じ笑顔で、お元気に過ごされている。4年前と比べると、耳が少し遠くなったが日常会話に問題はない。

貼り付けた4年前のブログ記事にも書いた通り、彼女は20年以上前に、隣市の医療機関まで僕が迎えに行って当施設に入所した人。

当時〇〇さんは、持病の糖尿病治療のために、厳しい食事制限を受けていたため、大好きな食の喜びを奪われて生活していた・・・。飲んではいけないはずの砂糖入りのコーヒーを誤って飲ませてしまったことがきっかけで見つけることができた彼女の笑顔。その笑顔があまりに愛おしくなり、彼女にとっての食の喜びを取り戻すために、何ができるのかを管理栄養士と看護職員と喧々諤々の議論を繰り返し、より緩やかな食事制限を模索するきっかけになった方。

勿論、糖尿病という病気を軽視してはならないことは十分に理解している。それは重篤になれば、失明や四肢切断という事態になるだけではなく、糖尿病が重篤化した末期は、いわば体中が腐っていくような状態になり、その苦しみは想像を絶するものである。よって糖尿病を悪化させないための治療は不可欠であり、それよりも優先されるものはないと言っても過言ではない。

だからと言って、制限さえし続ければ良いというわけではないはずで、必要最小限の制限で病気の悪化を抑えるという専門職の考え方なり、介入がないと、人生の楽しみというものをすべて奪ってしまうのではないかと考えた。そのために食の専門家、看護の専門家、医療の専門家が、それぞれ知恵を絞って、出来ることは何かを模索し続けてきたのである。

それから20年以上たって、現在彼女は年齢は90歳を超えた。そして今でも糖尿病とはうまく付き合いながら、食の喜びをもって毎日暮らしておられる。

当時口を酸っぱくして言い続けた言葉・・・「制限は馬鹿でもできる、しかしできる方法を考え続けるのがプロの技だ」、、、その答えがここにあるのではないだろうか。20年間の実践と、今現在の彼女の笑顔、これ以上の根拠がどこに存在するというのだろう?

この日のお昼のメニューは、「野菜たっぷりジンギスカン丼」となっていた。「いかがですか」と尋ねると、「どんな料理が出てくるのか楽しみです」と笑顔で答えてくれた。当施設は8月から、食事が委託業者の提供によるものに替わっているため、そのことの感想を聞くと、今までメニューになかった献立が増えて、毎日楽しみですと言ってくださった。くわえて「野菜が多くなって、健康にもよさそう』とも言っておられた。

こうした何気ない日常会話を交わすことができるのも、〇〇さんが食に対する関心を持ち続けることができているからだと思う。健康や栄養のために欠かせない食事であるが、人にとっての一番の楽しみであるという一面を忘れてそれを管理する方向に走った時に、人にとって大切なものが奪われてしまうような気がする。

〇〇さんがいつまで元気で食事を楽しんで過ごせるのかはわからない。それは決して永遠ではないことも承知している。しかし今できるベストを繰り返して、〇〇さんの笑顔が一日でも長く見ることができるように考え続けることが、僕たちにできる唯一のことだろうと思う。

そのことをしなかったという悔いだけは残したくないと思うのである。

楽しむ食事

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食は人にとって一番の楽しみです


介護老人福祉施設において、食事(給食サービス)は、生活の質に直結する非常に重要なサービスである。

食事とは、健康状態の保持や、栄養状態の維持に関連して重要であるだけではなく、人にとって最も楽しみな行為という意味で重要である。食の楽しみを持ち続けるということは、豊かな暮らしを送るためには必要不可欠なことなのである。

特養の利用者属性を考えたときに、要介護3以上の方がほとんどで、平均年齢も87歳を超えていることから、一般食では対応できない、嚥下食対応者が増えてきているという実態がある。その中で、食事を単に栄養補給と考えてしまえば、それはただ単に命をつなぐだけのために、口に流し込まれる「エサ」以下のものになってしまう恐れがある。そうしないために我々は、嚥下機能の低下があったとしても、食事としての楽しみを失うことがないような食事提供に努めていくことを決して忘れてはならない。

ところで、当施設の食事サービスは、この8月から提供方法が大きく変わった。直営の食事提供から、給食業者への委託事業に切り替えたためである。

その理由は、大幅な介護報酬の減額で、経費節減の必要性となったことが一番の理由であるが、委託に切り替えても食事の質は落ちず、むしろ給食専門業者が積み上げてきた専門のノウハウによって、美味しい食事提供が可能になると同時に、特に嚥下食などは、単なるミキサー食や、刻み食ではなく、それぞれの利用者の皆さんの嚥下機能に合わせた、ムース食、ソフト食など多様な形態の食事が提供できることで、一般食に見かけや味も近い嚥下食の提供が可能になるということが、給食委託への大きな動機付けとなった。

委託に切り替わった初日と2日目は、土日で、僕は休みであったために、どのような状態で新しい給食サービスが実施されるのか確認していなかった。そのため3日の月曜から6日の木曜日までの4日間、新しい給食を試食してみようと、食券を出して、昼ご飯を食べてみた。

その4日間の普通食(昼食)を紹介してみよう。
月曜日の昼食
五目炒飯、オイスターソース炒め、ブロッコリー醤油和え、中華スープ、オレンジ

火曜日の昼食
パン、ポークチャップ、マカロニサラダ、わかめスープ、グレープジュース

水曜日の昼食
冷しなめこおろしうどん、ささみの胡麻酢和え、サツマイモのかき揚げ、リンゴ

木曜日の昼食
チキンカツレツ・大根土佐煮・青菜の菜種和え・メロン

木曜日に給食会議を行い、利用者の意見などを職員が吸い上げて話し合ったが、おおむね好評のようである。味が濃いという意見もあったが、逆においしくなったという意見もあり、この辺りはもう少し長い期間で、全体評価を続けたいと思う。メニューが変わって、今までとは違うものが食べることができてうれしいという意見も上がっている。

ムース食については、非常に食べやすくて、みかけもよいと評判がよかったが、ソフト食については、一般職と同じように成形する技術がまだ拙く、かつ魚の形などに成型する型の種類が足りないために、彩も悪くておいしそうに見えない、何のムース食なのかわからないという意見が出され、型の種類を増やしいて、成形技術の向上に努めてもらい、より一層の満足度アップにつながるよう努力することを確認した。

ところで、この部分にも今までと大きな違いがって、サービス向上努力は、直営の場合、すべて施設の問題であったが、いあたく事業となったことで、「、型の種類を増やす」というのは、施設が行うべきことであるが、「成形技術の向上に努める」ことは、施設の職員ではなく、委託事業者の職員に求められることであり、両者の協力と連携によって、より良い食事サービスにつなげる必要があるということが、あらためて意識された。

どちらにしても「食」の楽しみを失わないような、サービス提供に心がけていきたい。食事の経口摂取が続けらえることの重要性をあらためて考え、経口摂取できるからこそ、食を楽しんでいただけるように、見た目もよい、おいしそうで、実際においし食事提供を続けていきたい。

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見えない絆は消えない


兵庫県西宮市の株式会社グローバルウォークの、幸地代表取締役と知り合ったのは、フェイスブックを通じてである。

幸地氏は、「西宮介護ネットワーク」という任意団体の代表も務められており、2年前の3月、同会主催の研修会講師としてお招きただいたときに、初めてお会いした。その時以来、何度か西宮に僕を講師として招待していただいており、かつ日頃からフェイスブックで、馬鹿話を中心にしたやり取りを交わしている。今では僕にとっては気の置けないよき仲間である。

そんな幸地氏は、ASCAアジア高齢者障害者介護福祉協力会理事という顔も持っており、毎年ベトナムで、同国の介護教育に携わっている。ベトナムは日本の高齢化をはるかに凌ぐスピードで高齢社会に突入しており、支援が急務とされているのである。

今年も間もなく、ベトナムに行かれるそうであるが、幸地氏から次のような呼びかけがあった。

ベトナムで以下のミッションを実施します。
1.日本の介護の歴史発表
2.介護技術指導
3.今すぐできる介護予防ゲーム
4.介護文化交流
そこで★お願い★
お土産と文化紹介、介護サービス紹介を兼ねてベトナムに「お手玉」を持って行こうと考えております。
つきましては、全国の訪問系、通所系、入所系をご利用されている高齢者、障害者の方にお手玉作成をお願いしたく、ご協力いただける事業所さま、施設さまを探しております。


日ごろお世話になっている僕は、この呼びかけを無視するわけにはいかないと思い、早速施設の介護係長と、デイサービスの主任に話を持って行ったところ、ぜひ協力したいとのことで、お手玉づくりの材料を送っていただき、ミッションに協力することとした。

特養、デイサービスそれぞれで主旨をアナウンスして希望者を募ったところ、多くの皆さんの協力を得て、お手玉づくりが始まった。皆さん真剣に、かつ楽しそうにお手玉づくりに取り組んでいただいた。参加者の最高齢者は、97歳の女性である。

お手玉
お手玉3
特養では、お手玉づくりのなかで、次のような会話が弾んでいた。

「お手玉?わたしらの子供の頃は、’あやこ’って言って遊んだものだよ」
「子供の時分は、なんも遊ぶものがなかったから、こんなの作ってさ、よっく遊んだもんだ。懐かしいねえ」
「小豆入れるの?もったいないねえ。昔なんか物がない時代だから、小豆なんて入れたもんなら、怒られたものだけど・・・。その代わりに、河原の小石や足袋の’こはぜ’を入れたもんだよ」
「そうだ、そうだ、’こはぜ’入れるといい音がしてさ、いいんだわ」
「ベトナムに、お土産で持っていくなら、こはぜ入れてらったらいいべさ」

こはぜとは、足袋の留め金のことであるが、今回は代わりに、手元にあった鈴をいくつかのお手玉に入れたとのことである。

お手玉作成にあたって、材料の中に入っていた組み立て方法を職員が説明したが、そんな説明はいらなかったようで、皆さん自分の知っている方法で、スイスイと作業は進み、一針一針を真剣に縫って、誰ひとり、指に針を刺すことなく終えたが、職員の方は針を刺していたい思いをしていたようである。

こんなふうに志を同じくする人々とのつながりは、いつしか僕の様々な周囲の人々を巻き込んで、その思いが世界に広がっていく。見えない絆は決して消えることなく、つながり続けていく。それって素敵なことだ。それって素晴らしいことだ。

思いをつなげた先になにが待っていようとも、それはさほど重要ではない。つなげていける思いがあって、繋合ってくれる人がいるということ自体が素晴らしいことなのだ。このことを大事にしていきたい。そのことを何よりの宝物と感じていたい。

やがて幸地氏から伝えられた日本の介護が、巡り巡ってこの国の未来の人々に影響を与えるかもしれない。僕が存在しなくなった、ずっと先に、僕らの思いが残っていくかもしれない。

そんなことを信じて。今できることを最大限の愛を込めて続けていきたい。誰かの赤い花になろうとする人々と、繋がっていきたい。そんな思いを込めて、新しい出会いを求めて、今日も僕は、北の国から、暑くて熱い大阪に、そして奈良にに向かっている。

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マイナンバー制度への備えが求められる


2016年1月より、いよいよマイナンバー制度が始まる。

マイナンバー制度は、住民票を有する国民一人ひとりに12桁の個人番号(以下、マイナンバーという)が付番される番号制度のことを指し、2016年1月以降は、社会保障・税・災害対策の行政手続きを行う際にそのナンバーが必要となる。

この制度は、すべての国民と日本企業に影響があり、それは介護事業者も例外ではなく、制度施行前に対応を行わねばならないことも少なくはない。

マイナンバーについては、本年10月より市町村から直接、企業等の従業員本人の住所へ、マイナンバーが記載された通知カードが送付されることになっている。そのため今のうちから、事業者は従業員に対して、居住地と住所地が異なる場合は、住民票を変更するなどの対応をするようにアナウンスしておいた方がよいだろう。

同時に、事業者等がマイナンバーを含めた特定個人情報の漏えい、滅失、毀損の防止、その他の適切な管理のために、基本方針の策定や、取り扱い規定等の策定など、安全管理措置を講ずる必要があるとともに、従業者に対しては、マイナンバー通知カードの厳重保管を行うように注意喚起しておく必要もあるだろう。

マイナンバーは、今後の社会保険の手続きや年末調整などで必要となることから、就業規則の変更も必要となる。

例えば当法人の修業規則の、人事に関して、採用の際の提出書類の項目では、「(6)マイナンバー(扶養対象家族がある場合は、扶養対象家族のマイナンバー)」という1号を付け加えた。

そして次の項目も新たに付け加えた。

3 マイナンバーの利用については、以下の手続きに利用する。
(1)所得税法等の税務関連の届出事務のため
(2)社会保険関係の届出事務のため
(3)労働保険関係の届出事務のため
(4)上記に付随する行政機関への届出事務のため


これらは正規職員の就業規則だけではなく、契約・嘱託職員の就業規則、パート・臨時職員の就業規則も同様に追加が必要である。

さらに従業員対応と同時に、介護サービス利用者のマイナンバーについても、各自に厳重な管理を促す必要があるだろう。

ひとり暮らしの高齢者や、高齢者夫婦世帯の方などで、この制度について全く情報をお持ちではない方も多いのが現状である。通知カードを紛失して悪用されては困るので、居宅介護支援事業所の介護支援専門員の皆様は、自分の担当する利用者に、そのことを十分説明しておく必要があるだろうし、各サービス事業者の方々も、同じように注意喚起を促し、2重3重に情報が行きわたるようにすることが重要だろう。

介護施設の場合は通知カードの保管をどうするのかという問題がある。特養であれば居所を施設に定め、住民票を施設住所に移動している人が多いのだから、直接通知カードが送られてくる。そのことを踏まえると、本人及び家族等にその情報を提供するとともに、カードの保管をどうするのかという協議が、今から必要になってくるだろう。

そうした諸々のことを考えると、介護事業者の従業者として、この制度に感心を寄せて、あらゆる情報を集めて、介護サービス利用者の皆様に、内容を伝えられるようにしておく必要があると考えられる。

くれぐれも情報漏えいがないように、適切に対応してほしいと思う。

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食事サービスの大改革


今日は緑風園の歴史の中で、記憶にとどめておかねばならない記念の日になると言って過言ではないだろう。

昭和58年4月1日に開設以来、毎日休むことなく提供されていた食事について、緑風園の直営で、緑風園の職員による提供は本日の夕食をもって終了するからである。

明日8月1日の朝食からは、給食委託事業者である日清医療食品による食事提供サービスが始まる。
歴史的な?献立表
当施設食堂の献立表も、今日までは直営の食事サービスで、当施設の管理栄養士が献立をたてたものであるが、明日からのメニューは委託事業者の栄養士の献立で、委託事業者が提供するものに替わる。両者のメニューが混在して掲示されるのも、この週の献立表だけで、この画像は当施設の歴史上、非常に貴重な画像となるだろう。

給食サービスが、直営から委託に切り替わる理由は二つある。それは経費削減と人員確保という理由である。

経費削減の必要性が生じたのは、やはりこの4月からの介護報酬削減の影響である。当施設でいえば年ベースで、1.000万円近い大幅減益となっているので、経費削減は不可欠であった。そこで給食サービスを直営から委託にすることで、経費削減を図れないかと、具体的な検討を始めたのが数カ月前。移行準備期間を入れて準備万端整えて、いよいよ来月から委託に切り替わるわけである。

今日まで当施設の従業員として働いていた調理員については、委託事業者に現在と同じ待遇を守るという条件付きで、「転籍」していただくことにした。移行準備期間の中で、そのことを説明し、同意を得て転籍していただいた。ただし、これを機会に希望退職をする人も2名おられる。長年の勤務に感謝したい。

職員待遇が変わらず人件費の削減がない状況で、経費が削減できるのかという疑問がわくかもしれないが、そこは食材などを一括で購入管理するノウハウを持つ給食委託専門の事業者であるから、それだけで年間数百万円の経費削減となるのである。

だからと言って食事の質が落ちるわけではない。献立表を見ればわかる通り、副食の数も増えるし、メニューも豊富である。今までと同じ厨房で、同じ設備を使って、9割方同じ職員によって調理されるのだから、味が落ちるわけはない。より質が高く、よりおいしい食事を提供出来るというのが、委託に踏み切った理由でもある。

特に嚥下機能の低下のある方に対する嚥下食は、ミキサーでどろどろにした液体状のものを食事として出す事はしなくてよくなる。嚥下力が最も低下している方に対する副食は、ムース食として、食事メニューの形や味をしっかり残して、見た目にもおいしそうな形で、より食べやすいものを提供できる。これによって、口腔摂取を維持できる人も増えるはずである。同じくソフト食や刻み食といった形で、普通食以外の方の食事は、今以上に充実することは間違いがない。

行事食も現在と同じように続ける予定なので、利用者の皆様には、食事の味が落ちたとか、楽しみが減ったとかいう不満が生ずることはないと思うが、今後継続的に、皆様のご意見をうかがっていこうと思うので、よろしくお願いしたい。

職員給食も今までどおり、事前に注文しておけば、利用者負担の2割増しでいただけるので、僕も8/3(月)がら1週間は、食事をお願いして試してみようと思っている。

また給食業務の委託は、人員確保という面でも施設側にはメリットが大きい。介護職員の人材・人員不足が大きな社会問題になっているが、同様に調理員の募集にも、なかなか応募がないという現状がある。事実この地域のハローワークには、近隣の医療機関や介護施設から、調理員の求人が複数出されているが、全く応募がなく1年以上欠員が生じたままの施設も多いようだ。当施設も例外ではなく、慢性的に調理員の人員不足を、臨時職員や、過去に就業していた職員の臨時雇用などで、自転車操業的に補っていたが、それにも限界がある中で、全道レベルで職員を手当てできる給食委託専門業の存在はありがたいということになる。

これによって今後は、厨房職員の募集に頭を悩ませることはなくなるし、労務管理する職員がわずかでも減るという事務負担減というメリットも生ずるだろう。

施設長としては、調理員の欠員のたびにハローワークなどを駆けずり回る必要がなくなることが、一番メリットかもしれない。介護職員不足には、今後も悩ませられるのであるが、調理員の補充を考えなくて済むことだけでもありがたいと言ったところである。

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しあわせ樹形図を描く介護


私たちは、誰かに褒めてもらいたくて仕事をしているわけではない。良い仕事を目指してはいるが、第3者からの評価を得るために、介護の質を向上させたいと思っているわけではないのである。

ただただ目の前の利用者の方々が、少しでも幸せを感じてくれることを目指して、そのためだけに、少しでも自分たちの支援技術を向上させ、安心と安楽の暮らしを送っていただけるように関わっていきたいと願っているだけである。そのために介護サービスの品質の向上を目指しているのである。

その時に利用者自身の笑顔が、我々の一番のモチベーションになる。利用者の満足そうな表情が、我々の日々の疲れを吹き飛ばしてくれるのである。

その結果を見て、利用者だけではなく、家族が喜んでくれれば、さらにうれしい思うのは当然である。それは我々が、介護サービスを通じて、無限に広がる幸せの樹形図を描いていると思えるからだ。(参照:介護が創る幸せ樹形図

そんな家族の思いが、時々伝わってくることがある。

昨年の押し詰まった時期に入所された方の妹さんが、他県に在住している。入所直後から、その妹さんから、お姉さんの施設での暮らしぶりを心配する電話連絡が入るようになり、ソーシャルワーカーや、ケアワーカーなどが都度対応してきた。

その妹さんが今年のゴールデンウイークを利用して、当施設を訪れ、お姉さんと数年ぶりの再会を果たした。数日当市内に滞在した妹さんは、毎日施設で日中の数時間を過ごし、お姉さんの元気な様子を確認して帰られた。

それからさらに数日。このところ電話連絡がないなと思っていた矢先、届いたのがこの手紙である。
P7230001
手紙の冒頭部分には次のような文章も書かれていた。

「GWに夫とともに、ようやく面会に出向くことができました。どんな様子か心配で心配でたまりませんでしたが、とても穏やかな笑顔を見て安心しました。」

「姉は昔から人に対して気遣いばかりする人で、我慢をため込む性格でした。そんな姉にとって、施設入所は相当な覚悟だったと思うし、泣いて過ごしている日々だと想像していました。」


妹としての心配と、安心の心情がにじみ出ている文章に思えてならない。

このブログ記事の冒頭に、「誰かに褒めてもらうことが目的ではない」という意味のことを書いたが、結果として家族が喜んでくれて、その感謝の声が我々に伝わってきたときに、「やはりこの仕事を続けていてよかった」と感じるのも事実である。この手紙は、我々にとって、まさにそう思わせてくれる手紙であった。

しかし同時に、施設に入所するということは、多くの方々にとっては一大事であるという理解が必要だ。相当な覚悟で入所を決断する人も多いし、家族が、「施設入所しかさせられなくて辛い」という思いを抱く場合も多いという事実を我々は再認識するべきである。

そしてそんな思いを抱かなくてよいと説得するのではなく、そうした思いを抱くのは、ある意味当然であって、その気持ちを十分受け入れたうえで、何をすべきかを考えた方がよいだろう。それは必ずしも喜んで施設に入所してきた人ではなくとも、いったんその施設で暮らしは始めたら、もうここから別な場所に移りたくないと考えられるような暮らしを創ることである。そうなるように支援することが大事だと思う。

そんなことを言うと、在宅復帰を否定するのかという意見が聞こえてきそうだが、在宅復帰ありきの施設サービスなどナンセンスである。

超高齢社会の暮らしの場は、もっと多様な価値観で考えられ、選択されるべきであり、自宅だけが最善の居所ではないという考えも必要だ。身体状況に合わせた住み替えも必要になり、特養が「生活の場」として選ばれるという視点の中には、終生施設として、息を止める最期の瞬間まで、安心と安楽な暮らしを送ることができる場としての機能なり、サービスなりがあって当然なのだという考えがあってしかるべきであり、生涯暮らし続けたい居所となり得るように目標を掲げることに何の問題があるというのだろうか。地域の中で最期まで安心した暮らしを送る場所が特養であってこそ、特養は地域包括ケアシステムの一翼を担うと言ってよいだろう。

そんな暮らしの場を目指していきたい。そのことに係る時間は、永遠ではないが、限られた時間であっても、ここに関わっている間は、その根っこを揺るがすことなく最後まで全力投球していきたい。

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寂しき七夕と、8月1日のこと


北海道では地域によって七夕を祝う日が、7月7日と8月7日に分かれている。

僕が生まれ育った下川町や岩見沢市は、8月7日地域であったが、今現在暮らしている登別市は、今日7月7日が七夕まつりである。そのため施設内でも七夕の歌に合わせて、楽器を演奏する「療育音楽」が午前中から行われ、雰囲気を盛り上げている。

北海道の七夕と言えば、「ろうそく出せ〜」という掛け声で、小学生を中心にしたグループが各家庭を回る風物詩が有名で、そのことは毎年のようにこのブログ記事にも書いてきた。(参照:七夕に関する過去の記事

その記事の中でも紹介しているように、緑風園では毎年七夕の日が近づく金曜日の夜に、「七夕まつり」と銘打った行事を行い、カフェバー「おりひめ」をオープンして、飲み物を出しながら、唄や演芸で施設で暮らす皆様に楽しんでもらうことに加え、職員のお子さんを中心に、地域の子供たちに集まってもらい、園内を「ろうそく出せ〜」の掛け声とともに回ってもらうことを続けてきた。その際に、利用者の皆様にはあらかじめ施設で用意したお菓子の袋を持っていただき、子供たちに手渡してもらっていた。そういう交流を心待ちにしている利用者の方や、子供たちも多かったはずである。そしてそうした子供たちの中には、幼稚園のころから緑風園に毎年やってきて、今春高校に入学した子もいる。

そういう風に月日を重ねた結果、小さかった子供たちも、もう子供とは言えない年齢に達したり、世間一般的にいわれる少子化の波が、この地域にも及んでいることなどから、年々七夕祭りのために緑風園に来てくれる子供の数が減っていた。

そしてとうとう今年は、緑風園を訪れて施設内を掛け声とともに巡回する子供のグループが作れなくなってしまった。それらのことも影響して、今年から七夕まつりの行事を見直して、カフェバーも休業し、別な形で七夕の日を楽しんでもらうことにした。少し寂しいが、利用者の皆様には、できるだけその寂しさを感じさせないように、職員が心を込めて七夕気分を味わっていただけるようにしたいと思っている。

この地域の七夕と言えば雨がつきものと言ってよいほど、晴れる確率の低い日であるが、今朝は珍しく青空が広がっていた。しかし昼に近づくとともに黒い雲がわき出てきて、何やらにわか雨にでもなりそうな天気になってきた。今朝は、すぐ近くにあるテーマパーク、「伊達時代村」に出かけているグループもあるので、せめてその人たちが返ってくる15:00頃まで天気が持ってほしいものだ。

ところで前述したように、僕は就職する以前は、登別とは縁もゆかりもなく、下川町という所で生まれ、岩見沢市という場所で高校1年生から大学卒業までの青春時代を過ごした。

高校は岩見沢西高校というところで、卒業は昭和54年であると記憶している。現在でも高校時代の同級生とは、何人か付き合いは続いているが、ほとんどの同級生とは卒業以来会っていない。クラス会も一度も行われていない。

しかし東京で皇宮警察官をしている同級生が発起人となり、卒業後初めてのクラス会が今年開催されることになった。その同級生とも卒業以来親交は途絶えていたのであるが、たまたま僕が全国の色々な場所で講演をしたり、本を出したりしていることを彼が知り、今年初めに僕に手紙を送ってきた。同郷会での講演を依頼されたが、それは別の講演と日程が重なっていたので断らざるを得なかった。

そのことに加え、彼がクラス会を企画しているとのことで、数名のクラスメイトの消息も僕の方から伝えた。それから数カ月を経て、メール連絡があり、8/1に岩見沢市でクラス会を開催したいと連絡がきた。

しかし残念なことに、僕はその日、福岡県春日市での講演予定が入っており、前日7/31〜8/2まで福岡に滞在予定となっているため、クラス会には参加できない旨返信した。それがたしか6月の終わりのことだったと思う。不参加が決まっているクラス会のことは、忘れてしまっていたが、昨日その案内が自宅に届いた。

おそらく多くのクラスメイトにとっては、突然の案内となったと思うが、8/1のクラス会(岩見沢市で開催)案内が、昨日7/6で大丈夫なのかなとやや心配している。岩見沢に残っている同級生は少ないと思え、クラス会に参加するには全国各地から故郷に帰ってくることになろうが、道内の人なら日程調整さえつけば何とかなるとしても(それも宿泊ホテルの確保が大丈夫かという懸念がある。岩見沢市にそんなに大きなホテルはないはずだし・・・。)、道外の同級生は、土日の移動に際し、今から飛行機のチケットをとらねばならないが、よい時間の便が空いているだろうか?空いていたとしても早割が効かず高いチケットになるだろうなと心配したりしている。

どちらにしても17歳とか18歳で卒業した少年、少女たちが、37年間の時を経て、54歳か55歳の、オッサン、オバサンとして再会することになるのだろうが、是非旧交を温めてほしと思う。遠く福岡の空の下から、クラス会が盛況のうちに終わることを願っている。皆に会えないことは返す返すも残念に思うが、縁があれば、誰かとどこかで会う機会はあるだろう。

現に、僕の講演を受講してくれる人の中に、小中学校や高校・大学の同級生がいることも珍しくはなく、しかもそれらの人の幾人かは、介護・看護関係者ではなく、一般市民参加として受講してくれる人である。そんな縁が、今後もあればいいなあと願っている。

ところで8/1はクローバープラザ(福岡県春日市)で行われる福岡県社会福祉協議会主催:相談員研修の講師として、「施設相談員に求められる役割・連携とマネジメントスキル」をテーマに、正味4時間50分の講演を、昼休みと中休憩をはさみながら行う予定である。福岡県社協会員以外の参加も可能だそうである。(ただし会員外は、参加費5.000円とされています)

参加希望の方は、上に張り付いた文字リンクから開催要綱を確認して、そこの申込書を使ってFAXでお申込みいただきたい。

それにしても今日のブログ記事は、話題があっちに行ったり、こっちに飛んだり、雑然としたつぶやきの寄せ集めみたいになっちゃたな。たまにはこんな記事もお許しいただきたい。書き始めるまで、自分でも何を書くかわからない、そんな勝手気ままなブログなので、こんな日もあるのだ。

こんなことを書いている間に、ポツリポツリと雨が落ちてきた。外出している人が濡れないように祈っている。

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告別式のため本日は午後から出勤します


去る18日夜、社会福祉法人登別千寿会の創立者で、前理事長・千葉寿良氏(登別千寿会・名誉理事長)がご逝去されました。享年91歳。そのため昨晩の通夜に引き続き、本日告別式がありますので、私は忌中引き法要が終わるまでお手伝いをしてきます。そのため施設への出勤は15:00過ぎになる予定です。

私が前理事長に初めてお会いしたのは、当法人が設立される際の、職員募集面接でのことであり、当時前理事長は50歳代でした。たくさんの採用試験受講者の中から、たった一人しか採用枠のない、特養の相談員として、私を拾ってくださり、以後30年以上の長きにわたり、時には叱咤激励を受け、時には厳しく指導を受けながら、信頼して使っていただき感謝の念に絶えません。

僕の初めて自著本、「人を語らずして介護を語るな。 masaの介護福祉情報裏板」が発刊された際には、自分の事のように喜んでいただき、何度も「偉い」とお褒めの言葉をいただきました。この本はのちにシリーズ化され、そのファイナルにて、「道標のない旅」というコラムを書きましたが、その内容は社会福祉援助者としての自分史を書きおろしたものです。そこに書いたように、緑風園という職場が私を育ててくれましたが、それもこれも、右も左もわからない新卒の若い私を、前理事長が信頼して役割を与えてくださった結果だと思っております。特に前理事長は私に対し「介護現場の頭脳」という言葉をかけてくださり、実際にそうした役割を与え続けていただきました。そのことに深く感謝しております。

振り返れば、思い出は尽きませんが、今日一日、昨日のお通夜に引き続き、告別式等のなかで、前理事長に対してできる最後のご奉公を、心を込めてしてまいりたいと思っております。合掌。

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看取り介護アンケートから思うこと


当施設は1983年開設の施設で、1999年に50床から100床の施設に増築した際に、既設施設部分も一部改築を行っている。しかしハード面はユニット型施設ではなく、既存型個室(36床)と多床室の特別養護老人ホームである。(通所介護と居宅介護支援事業所併設)

つまりハード面は、古いタイプの施設ということになる。改築に加えて、日頃からのメンテナンスや清掃に留意しているので、施設の中に入って、古めかしくボロボロであると感じることはないと思うが、それでも介護保険制度以後に建てられたユニット型施設などと比較すると、設備・環境面で見劣りする部分があることは否めないと思う。

ソフト面では、年々深刻化する介護職員の求人への応募が少なくなってきているという地域事情や、厳しい介護報酬の減額による影響などで、必ずしも十分な職員配置を常に行えているという状況ではなく、介護職員等にかかる負担も決して少なくはない。

そのような中でも、我々の法人は社会福祉法人という、公益性の高い法人であることを意識し、事業運営に当たっていかねばならないことを常に職員に呼びかけており、施設サービスの目的は、人生の最晩年期を過ごす方々に、最期の瞬間まで安心と安楽な暮らしを提供することであるとして、介護の品質向上に努めているつもりだ。

具体的には、全国に先駆けて「看取り介護指針」を作成して、その理念に基づいた介護サービスを実施するなどの取り組みを行ってきた。そしてその成果は着々と挙がっていると自負している。

その途はまだ半ばであると言ってよく、不十分な部分も存在していることを否定しないし、改善を続けていく必要も感じている。職員間の資質の個人差も課題があるし、全体的な資質向上にもさらに努めていかねばならないと思っている。そのための新たな教育システムや、人事考課の導入なども行ってきている。

そうした中で職員は、出来る限りの努力を続けてきてくれていると思う。そして30年以上に渡る取り組みの結果として、地域の人々から一定レベルの評価をいただいていると思う。

それはいろいろな場面で感じることである。

例えば、看取り介護の最終場面で関わりを持つことが多い地域の葬儀社の中で、当施設の職員対応は、「あそこの施設は、ほかの施設とは少し違う」と良い方向の評価を得ているという話が聞こえてきたりする。

ショートステイにおいても、他事業所の対応に不満を持って、当事業所を利用するようになった方が、利用者及び家族ともに納得できる結果を得て、継続利用してくれるケースも少なくない。

そのため、新しいユニット型施設等から、費用負担面の問題とは関係のない理由で、当施設に転入所希望がされるケースもある。そうした期待に応えるためにも、今以上の努力をし続けなければならない責任を感じている。

ところで、当施設では看取り介護を行ったケースについて、必ずその評価の事後カンファレンスを行っているが、その際には、遺族となった家族の方にカンファレンスに参加していただくか、あるいは参加できない場合でも、遺留金品引き渡しの際などに、看取り介護に対するアンケートに記入していただき、その意見を聴き、評価判断の一つとしている。

先週看取り介護終了後カンファレンスを行ったケースについて、事前に家族からいただいたアンケートには、このようなことが書いてあった。

【職員の対応について】→満足している
『他の施設から移ったので違いがすごくわかります。仕事量が多いなかテキパキと頑張っている様子が伝わりました。暖かく声をかけていただきました。』
【医療・看護体制について】→どちらかといえば、満足している
『医療の事はお任せするしかないので、説明されたら・・・・納得するのみです。』
【介護サービスについて】→満足している
『入る前から緑風園はいいところと聞いていました。行き届いた介護サービスです。』
【設備・環境について】→どちらかといえば、満足している
【全体を通して】→満足している
 『最期まで穏やかに過ごせた事に感謝します』


「入る前から緑風園はいいところと聞いていました。行き届いた介護サービスです」、「他の施設から移ったので違いがすごくわかります。仕事量が多いなかテキパキと頑張っている様子が伝わりました。暖かく声をかけていただきました。」、「最期まで穏やかに過ごせた事に感謝します」という言葉は非常に嬉しい評価である。今後もそうした声に応えて、より一層のサービスの向上に努めたいと思うのと同時に、我々が注目すべきアンケート結果とは、「医療の事はお任せするしかないので、説明されたら・・・・納得するのみです。」という部分ではないかと思った。

もしかしたらこの内容は、我々の医療サービスに関する説明が、専門的すぎて分かりづらいものではなかったか、家族がそのことに意見を言えない雰囲気ではなかったのか、もっと家族が疑問を投げかけることのできる関係性が必要だったのではないかということを、もう一度検証しなおしたい。また医療と同時に、設備・環境面の漢族度が、「どちらかといえば、満足している」とされている点についていえば、満足できない部分はどこだったのかという検証作業が不可欠である。この点も掘り下げておきたい。

家族アンケート結果は、ご家族の本音が書かれていると思うので、耳の痛い指摘があっても、反論する前に真摯にその思いを受け止めなければならないと思っている。

いくら我々が良かれと思っても、その結果がご家族にとって好ましいものではなかったならば、それは失敗なのだ。結果がすべてであり、負の評価にこそ、我々の目指す途を探すためのヒントが隠されていることと思う。

看取り介護に失敗は許されないが、個別の看取り介護の検証とは、次の方のより良い看取り介護へとつなげるポジティブな検証作業であることを忘れてはならないのである。

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食事は、人にとってもっとも楽しみな行為であるはずです


4月から改定された介護報酬によって、施設サービスを巡る状況は非常に厳しいものとなっている。

今までと同様のことを行っていると、施設経営は近い将来必ず破たんせざるを得ないだろう。そのため新たな収入源を求めるとともに、しっかりしたコスト計算をしながら、削減できる費用はぎりぎりまで削減しなければならない。コスト管理意識はより重要となってくる。

しかし僕たちが護るべきものは利用者であり、利用者の皆様の暮らしである。コストカットは重要であるが、そのために利用者の生活の質を低下させることは、施設サービスの本来の目的を失わさせることにもなりかねない。

僕たちが携わっている職業は、利益追求だけを目的とした事業ではなく、社会福祉事業であることを忘れてはならない。社会福祉とは、支援を必要とする人々の生活の質を維持・向上させるためのサービスであり、福祉とは、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉である。そのことを実現し護るという矜持を持ち続けたいと思う。

それは決して綺麗ごととして言うのではなく、最後まで護り続けるべき根源的問題と思う。なぜならそこを見失った先にあるものは、人の暮らしを軽視する介護サービスであり、それは他者を不幸にするだけではなく、将来の自分や、自分の愛する誰かの不幸となって返ってくる問題となるからである。

以前の記事にも書いたが、今回の介護報酬改定では、施設サービス共通事項として、経口維持加算の充実の方針が示され、経口維持加算については、摂食・嚥下障害を有する入所者や食事摂取に関する認知機能の低下が著しい入所者の経口維持支援を充実させる観点から、多職種による食事の観察(ミールラウンド)や会議等の取組のプロセス及び咀嚼能力等の口腔機能を含む摂食・嚥下機能を踏まえた経口維持支援を充実させる方向性が示された。それはあらためて食事を経口から摂取することの重要性を示したものであり、それは単に健康維持や介護予防という側面のみならず、食の楽しみを持ち続けることの重要性をも鑑みたものであると解釈したい。

そのため経口維持加算の算定はしやすくなり、この部分に限って言えば、わずかとはいえ収入アップにつながっているわけである。それは全体の報酬引き下げ額から見れば、「焼け石に水」と言えるものでしかないが、そうであったとしても、加算分の一部負担をする利用者に、僕たちは何らかの形で応える必要があると思う。そしてそれは食生活の楽しみを維持し、その部分でのQOLを向上させることではないかと思う。

単に経口から食事摂取をし続けられるというだけではなく、その時に経口から摂取するものが、食事の楽しみとなり得る状態のものなのかという検証は、より強く求められてくるだろう。食べやすく刻んだ形態が、本当に食事の楽しみにつながっているのか、ミキサーにかけたものは、自分が食べたいと思える食事と言えるのかを問い直していく必要があるのだろう。

当施設では、この部分の工夫が足りないという反省があり、現在より食を楽しめる嚥下食を研究中である。完全実施に至っていないが、その一部を紹介したい。

常食
普通食である。鮭の塩焼き、出し巻き卵焼き、筍の煮つけ、きんぴらごぼう、漬物、みかん。
ソフト食
歯ごたえを残した刻み寄せ食。普通食と同じメニュー。
嚥下食
ソフト食。ムース上になっているが、すべて普通食と同じ味と風味を残したメニュー。

僕の講演では、オリジナル動画「LOVE〜明日につなぐ介護」を上映させていただいているが、その中で介護の常識が世間の非常識という状態をなくすために、「食事は栄養以前に、人のもっとも楽しみな行為であることを忘れない」というメッセージを入れており、その実現のためにも、嚥下食の改良は近喫(きんきつ)の対応が求められることだろう。

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看取り介護の手順・開始から終了まで


先日、医療・介護の専門誌「日経ヘルスケア」(日経BP社)の取材を受けた。同誌6月号に掲載する「看取り介護」に関連した記事のための取材とのことである。

担当記者の方は、この取材のためだけにわざわざ東京から当施設まで日帰り出張してきた。そして約90分の取材を終えると、とんぼ返りで新千歳空港に向かって帰られた。

こんな遠い田舎まで取材に訪れる理由は、僕がブログで、「看取り介護関連コラム」をたくさん書いているということにもよるだろうが、当施設の看取り介護の実践が、それなりに評価されているという証でもあろうと思う。そしてそれは当施設職員が真摯に日々の介護に取り組んでいる証でもある。なぜなら看取り介護は、日常の介護とかけ離れた特別なケアではなく、日々の介護で培った利用者と職員の人間関係が基盤としてあるもので、日常ケアの延長線上にあるものだからである。

そういう職員の実践のおかげで、僕も全国の色々な方々から、講演依頼を受けるなかで、「看取り介護」をテーマにした講演依頼もいただいている。そこでは実際に看取ったケースを紹介しながら、そこから学んだことや、浮き彫りになった課題や、それに対する新たな対処方法を紹介しているところである。そのことも他施設等の受講者の方々の学びにつながっているのであれば、それはやはり当施設の実践方法が評価されているという意味だろう。

看取り介護講演を行う研修会で、別に行われるシンポジウムやグループワークにも参加することがあるが、そこで他施設等の実践発表や、看取り介護に関する職員の悩みを聴く機会もある。すると、「そんなこともできていないの?」、「なぜそんな対応に終わっているのだろう?」と驚くことが多い。その時に、やはり当施設の取り組みは一歩進んでいると感じたりもする。

日経ヘルスケアの取材の中でも、担当記者の方から、他の施設の信じがたい看取り介護の状態を聴かされた。看取り介護には、安心と安楽な暮らしを支援するという考え方が一番大事なのに、ちっとも安心できず、安楽でもない方法を「看取り介護」と称している施設の実態がそこにはあった。それは考え方の根本が間違っていると指摘させていただいたが、その内容は6月号の記事になるかもしれないので、ここでは詳しく紹介しないことをご了承願いたい。

簡単に当施設の看取り介護の実践について、開始から終了までの手順を紹介してみたいと思う。

当施設は、「看取り介護加算」を算定しているので、算定要件である、「看取りに関する指針を定め、入所の際に、入所者又はその家 族等に対して、当該指針の内容を説明し、同意を得ていること。」という規定に沿って、入所の際、重要事項説明の中で看取り介護指針の内容を説明し、将来回復不能の看取り介護期となった場合に、当施設で看取り介護を受けるという選択が可能なことを説明している。当然その説明とは、当施設で看取り介護を受けないという選択もあるという説明でなければならず、その際には適切な終末期支援を受けることができる医療機関などを紹介し、受診支援なども行うことを説明している。ここまでを入所契約の際に行う。

次に「リビングウイル」の観点から、意思疎通が可能な利用者については、施設職員と利用者との信頼関係を得ることができた時点で、終末期の医療についてどうな希望があるのか、口から物を食べられなくなったらどうしたいのかなどを文書で確認しておくことが大事という考え方に基づき、入所後の一定期間経過後(信頼関係ができる期間であるから、個人により差が生ずる)「延命に関する宣言書」という文書に必要事項の記載をしてもらっている。
(参照:延命に関する宣言に関わる相談員の役割

実際に利用者が看取り介護の対象となる場合、本人もしくは家族に対して医師より説明(いわゆるムんテラ)を行うことになるが、この際には看取り介護対象となったことを理解してもらった後に、当施設で看取り介護を受けるのか、医療機関へ入院するのかという選択が必要になるが、この選択には、当施設で看取り介護を受ける場合に、どのようなケアを受けることができるのかが分からないと選択できないので、事前に看取り介護計画を作成しておき、ムンテラの場に介護支援専門員が同席し、「看取り介護計画」の説明を行うこととしている。

その結果、当施設で看取り介護を受けるという選択がされた場合は、看取り介護計画の同意をいただき、看取り介護計画書を利用者又は家族に交付したうえで、「愛する人の旅立ちにあたって」というパンフレットを使って、最期の瞬間に近づくにつれて現れる身体変化についても説明し、利用者及び家族の不安を取り除くことに努めている。
(参照:揺れ動く家族の心

その後は以下次のような手順となる。

・看取り介護計画の同意を得て、看取り介護開始
・相談室より各セクションに文書により看取り介護の開始を連絡
・毎朝の朝礼時に、看取り介護対象者の状態の報告と、訪室の促しを担当者より行う〜この報告内容は独自文書に記録しているので、この文書を家族への随時の説明と文書による情報提供にも使用
・随時説明は、基本的に家族が来園した際には必ず行うようにしており、看護職員から説明し独自書式に記録して、同意署名もいただいている。
・看取り介護終了(死亡)した場合は、看取り介護終了後カンファレンスに向け、介護支援専門医により各セクションに課題・評価の記録を行うように文書で連絡
・文書に記載された指定日までに、各セクションはPCの共有ファイルの書式に、課題と評価を入力。この際に担当セクションは職員の精神的負担の有無、その状況を必ず記入することとしている。
・遺留金品の引き渡し時に、遺族にカンファレンスの参加もしくは看取り介護終了後アンケートの記入を依頼
・介護支援船専門員が看取り介護終了後カンファレンスを招集し実施。介護支援専門員は全体の課題・評価をまとめ報告書作成。以上である。

4月からPDCAサイクルの構築による、看取り介護の新たな算定要件が求められているが、この過程の中で、それらの要件はすべてクリアするようにしている。

例えば、「療養や死別に関する入所者及び家族の精神的な状態の変化及びこれに対するケアについての記録」は、日々の支援記録に記載するほか看取り介護終了カンファレンスで話し合い評価するし、職員の精神的負担の把握と支援についても、カンファレンスの中で話し合い、記録しておくことにしている。

今後は実施が努力目標とされた、「看取りに関する報告会の開催」と「入所者及びその家族等、地域への啓発活動(意見交換)」について、終活セミナーを開催してその実施を図りたいと思っている。

近直では、来週金曜日(5/22)青森市で「看取り介護講演」・看取り介護の視点〜命のバトンリレーを支援する介護〜を行う予定になっている。張り付いたリンク先の開催要項を参照いただきたい。下記は、その際に使うスライドの一枚である。
ソーシャルワーカーの役割
なおPDCAサイクルの構築と、新しい算定要件に合致する方法論を含めた「看取り介護講演」のご依頼は、メールで直接お願いします。その際には、メールのタイトルに、「講演依頼」と書いていただければ、迷惑メールと間違えることはないと思うので、どうぞ宜しくお願いします。

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凛(りん)とした介護


北海道を代表する桜は、ピンクの花弁が鮮やかな、「エゾヤマザクラ」である。白く清楚なソメイヨシノもよいが、北海道の大地には、色鮮やかに力強く咲くエゾヤマザクラがよく似合う。

そんなエゾヤマザクラも、今年はいつもの年より開花が1週間以上早かった。そのため例年ならば、今週末あたりから花見のピークを迎えるところであるが、ゴールデンウイーク中に満開の桜が咲き誇り、花見も1週間早い時期にピークを迎えた。暦通りに休みを取れる人にとって、連休中に満開の花の下で花見ができたのは良いことだったろう。

当施設へ向かう途中に必ず通る道路は、国道から登別温泉に向かう道道であるが、この沿道にはたくさんの桜の木が植えられ、「桜のトンネル」と呼ばれる景観を創る場所もある。その桜も連休中に満開の時期を迎え、連休明けにはあらかた散ってしまい、今日現在は葉桜になっている。

当施設の敷地内にも、たくさんの桜の木が植えられているが、エゾヤマザクラが散った今は、遅咲きの八重桜が満開の時期を迎えている。

八重桜
この桜は、昭和59年に日米さくらの女王が登別に来てイベントを開いた折に、当施設によって植樹した八重桜で、当施設の正面玄関前に咲いている。当施設のシンボルと言ってもよい白い花を咲かす八重桜であるが、今日がちょうど満開の時期である。やや肌寒い気候になっているが、週末にかけての天気予報も悪い予報ではないので、土日に当施設に面会で訪れるご家族の目を楽しませてくれることだろう。

白い八重桜
桜が咲けば、その周りに人が集まるのはごく自然なことだ。これは特別な行事でも何でもなく、日常である。我々は桜を愛でるという日常を奪わないように支援の手を差し伸べるだけである。そこに特別なことは何もない。

桜の下で笑顔になれる日常を大切にしたい。ここで暮らす人々の笑顔を大切にしたい。穏やかな笑顔で過ごせる日々を大切にし、そうした日々の暮らしを護るために何が必要かを考え続けたい。

僕たち実践者に求められるのは結果責任だ。その結果とは、利用者が幸せになってくれているか、利用者の暮らしぶりが良い状態であるのか、その結果のみが僕たちの実践に対する評価である。一生懸命やったかどうかの過程はほとんど意味がない。一生懸命に何かを行っても、結果として利用者が不幸になるとしたら、それは失敗でしかない。

介護は人を苦しませるために存在するわけではない。頑張らせてそれで終わりの介護なんてあり得ない。頑張らせるのなら、頑張った先の喜びを感じてもらうまでの結果を出さないとならない。そこまで責任がある。

人々が生きる喜びを感じてくれる結果を出す介護でなければならない。少なくとも僕たちはその結果を求める人でなければならない。

しかし人の暮らしとは最も個別性が高く、僕たちの専門性の及ばない領域でもある。そうであるがゆえに、僕たちの考える方法論の領域外にそれらの人々の喜びは存在するかもしれない。だから方法論は臨機応変に考える必要があり、なおかつ結果責任を求める理念は泰然自若として、決して揺るがないものを持つ必要がある。

そうした理念を抱き、結果を求め続けるために何が必要だろうか。揺るがない自分を持つために何が必要だろうか。それは己と己の仕事に誇りを持つことではないのか。

人は生きていくうえで、自分自身に何らかの誇りを持つことが必要だ。たとえそれが人から見てつまらないプライドだとしても、自分が自分らしくあろうと思うなら、そのつまらなささえ卑下することなく、己の胸に誇りを抱き続ける必要がある。

そして己が人に誇ることができるものを持つ存在ならば、己が選んだ職業にも誇りを持つであろう。だから誇りを穢すものとは戦わねばならない。誇りを護るために己を律する必要もあるだろう。誇りは凛とした姿勢でしか護れないのだから。

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時と場所を選ばない事象に対応する使命と誇り


年が変わった元旦と3日、当施設では容態が急変し医療機関に緊急搬送された方がおられた。幸い両名とも命に別状はなく、緊急入院したものの現在回復に向かっている。一日も早い退院を祈っている。

また、昨年末から「看取り介護」を行っていた方が、2日の日中に亡くなられた。その方は、元旦には意識がほとんどない状態に陥り、日中家族も傍らで過ごし、その日の夜には夫が宿泊するなど、最期を看取る準備ができていた方であった。僕は元旦の勤務であったので、帰宅する際にお部屋で、宿泊される旦那様に不都合なことはないかなどを確認して帰ったが、翌日の日中に旅立たれた。家族が見守る中やすらかな最期であった。お通夜は4日(日)18:00〜行われたので、僕はそこに参列してきた。

お通夜に参列して帰宅したそのすぐあと、今度は年末から風邪をひいて発熱していた方が、肺炎を併発し急死されたという連絡が入った。こちらは予測していないお別れであった。その方は平成11年に当施設が増築された際に入所した方で、15年以上当施設で暮らしていた方であった。風邪をひくまでは元気に暮らしていた方である。ジョークが好きだったその人の笑顔が思い浮かぶ。心よりご冥福をお祈りしたい。

看取り介護を行っての死と、突然の急死と、両者の旅立ち方は異なるが、死とは日々の暮らしの延長線上にあるものであり、死の迎え方が異なるとしても、日々の暮らしの中で我々がそれらの人々にどのようにかかわってきたのかが問題であり、看取り介護であろうと、急死であろうと、その方々が旅立たれた後に後悔しない日々の関わり方が大事だろうと思う。そういう意味では、日々の暮らしの支援の延長線上にある、「看取り介護」を特別視する必要はなく、特養という暮らしの場で、「看取り介護」ができないとか、必要ないと考える人々がいること自体理解ができない。暮らしの場には当然のことながら、看取り介護という支援が必要とされると思う。

このように今年は、1日〜4日まで、入院と死亡が1件ずつ生ずるという幕開けとなった。現在施設内では風邪がはやり、発熱者が増えている。インフルエンザの人はいないが、一日も早く皆さんに回復していただきたい思いでいっぱいである。熱発者が多いので、施設内の行事や集団レクリエーションも今週は中止している。

病気や死は、時期や場所を問わず訪れてくるものである。あらためて考えてみれば、そんな時に、いつもその事象に適切に対応してくれる機関があり、人がいるということはとてもありがたいことだ。

今回の2件の緊急入院にしても、そこには正月であっても緊急対応し、入院させてくれる医療機関が存在し、適切に対応してくれる医師や看護師等の存在がある。そのことを当然であると考えず、ありがたいことであるという感謝の思いを忘れないでいたい。

僕の所属施設にしても、昼夜を問わず365日は働いてくれる職員がいるからこそ、施設運営ができるのであり、そこで時期にかかわらず適切な対応を行うことができる職員がいるからこそ、「看取り介護」ができるということに対し、職員の一人一人に感謝したいと思う。

そういう職員が誇りをもって、安心して働くことができる職場を創り、護っていく必要があると思う。

とても現状を表しているとは思えないデータのみを根拠に、あたかも社会福祉法人がもうけ過ぎているようなプロパガンダで報酬が削減されようとしている厳しい状況において、志の高い職員をどう護っていくのかが大きな課題である。心配されるのは、このような社会福祉法人たたきの状況に嫌気をさして、将来の展望を失って、介護という職業から身を引く人々が増えないかということである。

介護の人材不足の理由の大部分は、国のこれまでの無策と、今後予測される間違った施策によってもたらされているものだ。ここに気が付かないのはなぜだろうか。

そんな状況と厳しい時代であっても、僕たちには護っていかなければならないものがある。それは我々の目の前にいる支援を必要としている人々の暮らしである。それを支える職員の暮らしと志である。

介護という職業は、専門知識と援助技術が不可欠な職業である。誰もができるという職業ではない。最低限必要とされ知識と技術を獲得し、それを日々向上させていくためには、ある種のモチベーションが必要となる。その基盤となるものが介護という職業に対する使命感を持つことであり、仕事に対して誇りを持つことができるということではないかと思う。

しかし対人援助や介護サービスの使命と言っても、そのことを誰からも教えられずに感ずることができる人がいる反面、僕たちの持つべき使命とはなにかを具体的に伝えないとわからない人がいるのも事実だ。そのことを具体的に示して初めて自身の職業に誇りを持つことができる人がいる。僕は職場の中で、そのことを伝え続けたいと思う。

同時に要望があれば、そのことを全国の色々な場所でも伝え続けたいと思う。僕たちの職業が、人々の暮らしを護る職業として存在するために・・・。
福祉施設職員の使命と誇り
そういう意味で、全国のいろいろな法人の職員研修講師としてご招待を受ける機会を今後も大切にしていきたい。一つ一つの言葉を大切にして、介護サービスの具体論を伝えていきたい。

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一年間のごめんなさいとありがとう


すでに年末・年始の休暇に入っている人も多いようだが、僕の今年の仕事納めは今日である。

毎年12月30日は、緑風園の利用者の皆様の忘年会(当施設では、年取りの宴と銘打っている。)を夕方18:00〜行っている。そこで利用者の皆様に一年間の感謝を込めてご挨拶し、宴が果てるまでお付き合いし、その年の仕事を納めることにしている。

今日も夜20:00過ぎまで施設に滞在することになるだろう。僕は毎朝7:30には出勤しているので、毎年この日は1日の半分以上を緑風園で過ごしているというわけである。

緑風園の事務部門の年末・年始の休暇は、通常31日〜3日までである。しかし来年の暦の関係で、今回は4日までお休みで、仕事始めは1/5(月)となっている。

僕の場合、明日は休みだが、元旦は日直出勤で通常の業務、2日から4日まで何もなければ休むことができる。

とはいっても、それは年末年始に関係なく出勤して、緑風園の利用者の皆さんの暮らしをしっかり支えてくれる職員のおかげであり、それらの職員がいるからこそ、僕たちが休みを取れるわけで、それらの職員の皆様にいくら感謝しても感謝したりないという思いである。本当にいつもありがとうございます。

この時期休みを取れる人は、代わりに働いてくれている人々に感謝の気持ちを持ちながら、一年の疲れを取るように休日を楽しんでいただきたい。この時期に働いている方々は、それによって誰かを幸せにしているのだということに誇りをもっていただきたい。

振り返れば、今年は様々な場面で、順風満帆とはいえない厳しさをより強く感じることが多かった。特に介護職員の募集になかなか応募がない状況が続いており、地域全体をも渡して介護現場の人材不足・人員不足という状況は深刻さを増していると感じている。

こうした状況での介護保険制度改正・介護報酬改定議論では、特に社会福祉法人や特養・通所介護に厳しい逆風が吹いており、実態を表さない内部留保批判が様々な関係者にトラウマのようにしみ込んで、冷静で正確な分析がされないまま、社会福祉法人が「もうけ過ぎ」であるという間違った認識が広まっている。こうした誤解を解いていく必要がある。

現在の財務省の介護報酬改定案は、「介護報酬は5.8%ダウン、処遇改善加算拡充分を差し引いて、実質4.5%程度の削減幅」という方針だそうである。この中で地域区分の再々見直しが行われ、居宅サービスの報酬を手厚くしていくというのだから、地域加算のない地域の特養の報酬は壊滅的な打撃を受けかねない。

それでも財務省は、「人手不足だから賃金は下げられないから、処遇改善は継続する。」、「赤字でも社会福祉法人はつぶれない」という乱暴な理屈で、強硬に介護報酬を下げようとしている。

単年度赤字で繰越金を取り崩して運営しているような実態が生じれば、その法人が事業運営を続けて賃金も一定程度以上に支払っているとしても、そのような事業者の職員応募に応える人はいるだろうか。不安定経営の事業者に就職して、自分の将来設計が立てられるのかを考えれば、そのような法人の職員募集に手を上げる人はいなくなることは明白で、「適正化」の名のもとに、単年度赤字を想定する報酬設定は、介護人材不足をさらに深刻化させることに直結する改悪であることも明らかである。

この中で僕たちはできる限りの声を挙げ続けているが、力のなさを痛感せざるを得ない。それでも現場レベルで、できることを続けていくしかないのだと覚悟を決めている。それでだめなら仕方がない。道はまた別に見つかるだろう。見つからなければ自ら道を創るだけの話である。少なくとも、「安定」という言葉は自分の辞書から削って進んだ方がよいだろう。そんなことを感じている。

それにしても、読み手の存在を全く無視して書き殴っているブログを読んでくださっているみなさんにはお礼の申しようがない。

今年の最後として、昨日フェイスブックにも書いた言葉と、同じ言葉を書いて、1年の感謝の言葉としたいと思う。

今年も自分の信念を曲げることなく、いろいろとわがままをさせていただいた。

僕の我がままを許してくださる皆さんに、ごめんなさい。
僕を温かく見守ってくださる皆さんに、ありがとう。

僕の力が足りず、必ずしも十分にフォローしてあげられないスタッフに、ごめんなさい。
僕が休んでいる間に、働いてくれているスタッフに、ありがとう。

今年一年を振り返って、思い浮かぶことは、ごめんなさいとありがとうだけです。せめて、この二つの言葉に思いを込めて心よりお詫びと感謝を申し上げます。

ありがとう

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クリスマスイベントも、おもてなしの心で


クリスマスのイベントは、すでに日本人にとっても欠かせない季節行事という感がある。高齢者施設でも、この日に合わせてイベントを開催することに違和感は持たないだろう。ただし、そのやり方が問題になるかもしれない。

数年前まで僕の施設では、クリスマスパーティーと称す行事を、お昼ご飯に合わせて行っており、それはお昼ご飯を食べながら、ボランティアを呼んで、ボランティアの演芸を見ながら食事をするというスタイルであった。

しかしクリスマスパーティーと言いながら、カラオケや民謡や日本舞踊が中心の演芸会が、クリスマスという雰囲気を出しているのかと首をかしげたくなることがあったし、利用者の皆さんが、本当にそのスタイルを喜んでいるかという検証も行われていなかった。そのためある時期に、利用者の皆さんにどういう形のクリスマスをしたいのかと言う希望を取りながら、職員全員でイベントの見直しを行った。

すると利用者の中に少なからず、「せっかくのごちそうを食べる機会なのに、ボランティアの演芸を見てあげなければならないと思うと、あわただしく、ゆっくり食事を楽しめない。」という意見や、「クリスマスと言っても、いつもの変わり映えしない歌と踊りだね。」などという声が聴かれた。

そうした声を受けて数年試行錯誤しながら、今は昼食時に、「クリスマス食事会」という行事を行って、ここではサンタに扮装したものがキャンドルサービスを行って、その後は食事をじっくり楽しんでもらうことにした。その流れから、午後3時にクリスマス演芸会を行い、ここでは職員の演芸を楽しんでいただき、その後にプレゼントを一人一人にっ渡して、最後にクリスマスケーキを食べていただいてイベントを締めるというスタイルになっている。

クリスマスメニュー
クリスマスメニュー2
画像は昨日のメニュー(普通食)である。当初はオードブルも大皿に数人分盛り付けてテーブルに出していたが、自分で好きなものを取って食べるという人がほとんどおらず、逆に「取りずらい」、「食べずらい」という声が多く聞かれ、結局一人盛りのオードブルをお膳に盛り付ける現在のスタイルに落ち着いた。これは今でも好評を博している。

クリスマス演芸会は、毎年職員が趣向を凝らして、1月ほど練習を重ねて出し物を披露している。気をつけていることは、演芸をご覧になるお客様は、大人であるということ。しかしあまり堅苦しい会になっても楽しくないということだ。そうであれば、我々が忘年会を行う際に「出し物」として披露するかくし芸などは許される範囲であると思え、そこにはある程度の笑いを取るようなものが含まれていてよいだろう。

見てくださる方に不快を与えず、楽しまれる余興ということで、あまり固苦しく考える必要もない。

ただ、「だから怖い!!感覚麻痺。」でも指摘しているように、認知症のある利用者の方などを、大人としての存在を否定し、笑いものにするようなことがあってはならないと思う。

紹介記事の中で、「むしろ僕は、クリスマスパーティーという場であっても、大人がサンタクロースの帽子をかぶるというのもどうかと思う。」と書き、その問題については施設内の職員研修等でも指摘してきた。このことに関連して、今回ある職員から、「私たちの練習を見ていただいた利用者さんの中で、当日一緒に踊ったり、同じ帽子をかぶりたいと希望する方がいるのですけど、それも駄目なのでしょうか?」という疑問が示された。

そもそも僕は、利用者の方がクリスマスに、サンタの帽子をかぶることを、「だめだ」などという決めつけをしている覚えはない。僕らだって、その場の雰囲気でサンタの帽子をかぶり、衣装をまとって飲み会等で場を盛り上げたり、羽目を外すことだってある。

問題としているのは、『自ら望んでいない状態で、「仮装させる」という行為』であって、自ら望んでその場の雰囲気に溶け込むような仮装は否定する必要もないし、認知症の方でも、その人を「認知症」という冠をつけず、人としてみて、なおかつその場で、そういう衣装で他の人々と同化することが自然であると考えられるなら問題となるような感覚麻痺ではないだろうと思う。

参加する利用者の皆様は大人であるということを忘れずに、それらの方々をおもてなしする方法として、どういう方法がふさわしいのかと真剣に考えた結果であれば、答えは幾通りもあるのだろうと思え、一律否定される行為はそんなに多くはないのだろうと思う。そのことを真剣に考え、イベントを行ったということで満足しないで、その結果が、利用者の方々の生活に潤いを与え、日常生活を豊かにする、「非日常」であったのかという検証を常に行うことで、感覚麻痺は防ぐことができるのだろうと思う。

介護施設の施設長は、そうした検証を促し、大局・高所からそのことを判断するという役割を持っているのだろうと思う。

クリスマスパーティー (2)
クリスマスパーティー (3)
クリスマスパーティー (4)
クリスマスパーティー (5)
クリスマスパーティー (6)
クリスマスパーティー (7)
クリスマスパーティー (8)
クリスマスパーティー (9)
クリスマスパーティー (1)
利用者のみなさんに喜んでいただこうと、知恵をしぼって用意したクリスマスプレゼントの数々。
《おまけ》
皆さんにとっての、クリスマスソングってなんですか?いろいろあると思いますが、僕のおすすめは、ゆずの「しんしん」。漬物の歌ではありません。僕の携帯メールの着メロにもしています。
聴いたことがない方は、是非一度聴いてみてください。


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手造り感は大事だけれども・・・。


自分の思いが相手に伝わらない時があります。

伝わらないだけではなく、誤解されて伝わり相手に不快な思いをさせるときがあります。

介護サービスの現場で、そのような誤解が生じ、お客様が不快な思いを抱いた場合、どのような理由があろうとも、事業者が反省するところから始めないと、相手に事業者側の価値観を押し付けて、それを相容れないことも相手の責任だと決めつけ、関係が途切れて終わりという結果しか残せなくなります。

お客様に来て頂いてはじめて成り立つサービスなのですから、お客様の苦情は自身の問題として受け入れるべきです。それはサービス提供側の考え方やサービス提供方法に、顧客ニーズとは相いれないものが存在する結果であると考える必要があります。そう考えない事業者は、いずれこの厳しい時代の中で淘汰されざるを得ません。

お客様の声によって、自らのサービスの品質をアップするという気持ちが重要です。お客様の苦情は、我々のサービスの品質向上のヒントであると考えることが重要です。

勿論、理念は重要ですが、その理念を実現する方法を限定して考えてはいけません。理念を実現する方法は、顧客ニーズと別次元のところに存在するわけではなく、その実現には様々な方法があるのです。むしろお客様は、それぞれの個性を持った方々なのですから、その実現方法がたったひとつの方法であると考える方がどうかしているのです。

そのことは、お客様の要求がすべて受け入れられなければならないという意味ではないし、お客様に媚びることが事業者の責務であると言っているわけでもありません。

いくらお客様であっても、法律を犯す恐れのある要求や、社会通念上理不尽と判断できる要求に対しては、事業者はすべて応える義務はないし、自己決定と言っても、それはすべてが許可される無制限の自由のことではありません。個人の権利は、他者の権利を尊重する義務を伴っており、市民法や道徳法、機関の機能による制限が生ずるのですから、お客様が要求できることも、当然その範疇の中にあるものだという前提条件があります。

そういう前提を承知したうえで、お客様の苦情については、まず真摯に受け止めるというところから始めなければならないのです。

つい先日のことですが、当施設併設の通所介護事業所の担当者より、年末のイベントに関連して、景品を利用者の方々に渡したいので予算を計上したい旨の要望がありましたので、企画書を提出するように指示し、その内容を読んで必要な予算であるとして認めました。

通所介護事業所は、今年度に入って主要スタッフが変わったこともあり、サービス内容を全面的に見直している最中でもあり、この予算付けもその一環であると考えましたが、ふと思ったのは、いままではどうしていたのか?ということです。たしか利用者の方に景品を渡すというイベントは、この時期に毎年行っていたはずですが、あらためて考えると、そこには特別な予算付けはしておらず、通常の運営費の中で対応しておりました。

その理由は、昨年までも景品はお出ししていたのですが、それは職員手作りの何かで、例えばそれは道路に落ちていた野生の鹿の角を使って作ったコースターであったり、通常のクラブ活動の中で作る作品をそのまま景品にしていたりということでした。

その中にも利用者の方に喜んでいただけるものは多々あったのですが、昨年、利用者からクリスマスなどの特別な行事を行う際の景品としてはいかがなものか、もっと良いものが欲しいというクレームがあったそうです。

通所介護の職員からすれば、お店で売られている商品より、日常の中にある材料を使って手造りをしたものを渡す方が、心のこもったプレゼントになると考えた結果だろうと思われます。

その考え方自体は、どこからも批判を受けるものではありません。

しかしそれが本当に、お客様として来てくださっている方々をおもてなしするにふさわしいプレゼントであるのかということは別問題です。相手は立派な大人であり、社会人なのですから、手作り感を重視しすぎた結果、品疎なもの、幼稚なものになっていないかという視点も必要だと思います。

利用者の皆様は、当事業所を選択して通ってくれているわけですから、当事業所のサービスに対して肯定的な思いを持ってくれている方がほとんどです。そのような中からのクレームですから、これは重要な指摘であると考えるべきです。

そういう意味で、結果的にクレームにつながった送りものを見直して、少し予算をつけて喜んでいただけるものにしようとする考え方はあってよいと思います。そこからさらに工夫が広がればよいのですから。これは何もかもをお金をかけて解決しようとするという問題ではなく、少しの予算付けを行って、工夫をするという意味だと考えます。

その結果は、再度検証すればよいだけの話ですから

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餅つき2014


今日は年に一度の緑風園の餅つきの日である。もう25年以上も緑風園の行事のお手伝いを続けてくださっているボランティアグループ「ふれあい」の皆様と、職員、利用者が協力して餅つきを行った後、お汁粉とお雑煮をつくり、お昼ご飯にみんなでいただく行事である。

残った餅は、伸し餅にして正月にいただく予定だ。そのため今日は朝早くから、お餅つきをする人を励ます、「よいしょ」という声が園内にこだましていた。皆さん楽しそうな生き生きとした表情で、餅つきを見守り、中にはいてもたってもおられず、杵をふるう人もおられた。

餅つき (1)
餅つき (2)
餅つき (5)
餅つき (6)
餅つき (7)
下はお昼のお膳。お餅が食べられる方のお膳である。

餅つき (4)

その下は、嚥下困難などの理由で、お餅が食べられない方用のお膳。口の中でほろりと溶ける疑似餅を使っている。
餅つき (3)
しかし、食べているご当人は、これがお餅だと思っている方もおられる。だましているようで申し訳のない気持ちもあるが、ご当人が餅を食べておいしいと感じてくれているのなら、わざわざ「お餅ではありません」という事実を告げなくてもよいように思う。いかがだろうか?

園内で昼食を食べられている方々の表情を、一回りしてみてきたが、皆さん喜んで食べていただいている。のどつまりに対する備えも万全のつもりであるが、今のところ事故なく、無事に食事時間が過ぎようとしている。どうやら、お汁粉が圧倒的人気のようで、お変わりするのはお汁粉ばかりである。

今年最後の月を、よい状態で過ごせるように、満足満腹していただきたいと思う。

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地域包括ケアシステムに幻想を抱いてはならない


本題に入る前に今週の出来事について、2つほど報告をしておきたい。

秋のこの時期、恒例となっている兵庫からのプレゼントが先週末に届けられた。
丹波黒豆
丹波篠山市役所の皆さんが参加しているNPO法人では、「社会的ひきこもり」対策の支援事業として「丹波黒豆」を栽培している。そこで収穫した「丹波黒豆」が緑風園の利用者のみなさんのために送られてくる。もう10年以上続いている活動である。もともとはこの活動のリーダー役を務めている丹波氏のM部長と、僕がネットを通じて個人的に親交があったことからの縁である。

今週月曜からの1週間、デイサービス利用者の皆様の昼食時に提供した。特養にお住いの方には、昨日木曜日のおやつの時間に提供させていただいた。皆さん大変喜ばれていた。丹波篠山市役所の皆さん、一緒に黒豆を栽培してくれた皆さん、本当にありがとうございます。

もう一点の報告は、昨日ご来園いただいた韓国・ソウル市老人福祉協会の皆さんのことである。

36名の見学のご案内をさせていただいたが、当施設内で使用している機械設備をカメラで興味深く写している姿を拝見すると、介護用の機械設備のスタンダードは日本の方が進んでいるのかもしれないと思った。しかし質疑応答では鋭いご質問などもあり、情熱をもって高齢者介護に携わっていることがよくわかった。

韓国の老人専門療養院認知症の方が徘徊したらどう対応するのかとか、コールを何度も押す場合にどうるのかという質問に対し、「私たちは、認知症の方が歩き回る理由を考え、その人が一番良い状態になるように対応することを心がけますが、歩き回ることをすべて否定せず、歩けるということを肯定的にとらえる必要もあると思いますし、歩き回っていた方が歩けなくなることの方を哀しみます。ナースコールについても、用もなくコールを押すことを問題視するより、コールをご自分で押す能力のあることをポジティブに良しと考えるし、むしろコールを押せなくなることを哀しみます。」と答えたら拍手が沸き起こった。お国は違えど介護への情熱と使命感は同じだと思った。

政治レベルでも、もっとお互いの国民性を尊重し合いながら、仲よくできないものかと思う。少なくとも今日お逢いした方々は、皆さん素敵な方で、介護にという職業にを誇り持っている方々であると感じた。
(※左の画像は、見学者の方からいただいたソウル市の施設の日本語版パンフレット。お返しに僕の著作本をプレゼントしたら予想以上に喜ばれて恐縮した。)

さて話題を変えて、本日のタイトルに関することを書く。

明日、僕は福井県美浜町で講演を行う予定になっている。福井県は初めて訪れる県であるが、日程はタイトで、講演当日移動なので、明日は早朝5:55発の高速バスで新千歳空港に向かい、新千歳8:40発〜セントレア10:30着〜名古屋駅10:19発〜敦賀13:25着〜15:00美浜町保健福祉センター「はあとぴあ」で120分講演の予定である。翌日の日曜日も敦賀駅を9:12に経って逆ルートで北海道に帰るので、いつもながら会場と駅を往復するだけで、初めて訪問する地を観光している時間は取れない。

二州地区ケアマネジャー連絡会主催・講演会の受講対象者は、介護支援専門員である。テーマは主催者の希望で、「明日へつなぐ介護〜地域包括ケアシステムにおける介護支援専門員の役割〜」とした。

そこではまず地域包括ケアシステムとは何かを明らかにせねばならないが、医療・介護・予防・住まい・生活支援が、包括的に確保される地域包括ケアシステムが全国各地で機能するのかという問題もあるが、それよりも重要な点は、地域包括ケアシステムが機能したとしても、その実現によって、地域住民の高齢期の暮らしは、決して薔薇色になるものではないという理解が必要だ。

なぜなら地域包括ケアシステムとは、団塊の世代が全て 75 歳以上となり、医療ニーズを併せ持つ要介護者の増大が見込まれる 2025 年(平成 37 年)に向けて、、保険料と公費で支えられている介護保険制度の持続可能性を高め、限りある資源を有効に活用するために、より効果的で効率的なサービスを提供することが求められるという面から必要不可欠とされているからである。

つまり限りある財源を、効率的に必要不可欠な部分に投入しようというのが、地域包括ケアシステムの目的であり、医療と介護の役割分担と連携を強化するという意味は、平成 26 年度の診療報酬改定において、医療機関の機能分化・強化と連携、在宅医療の充実という名のもとに行われた入院患者の退院勧奨、在宅復帰という流れの風下に、次期介護保険制度改正が位置し、在宅生活の限界点を更に高め、要介護度の高い人(中重度者:概ね要介護3以上を指す)が施設に入所したり、入院しなくてもよいシステムを地域ごとに作りなさいという意味である。

財源削減論と一体に考えられるシステムであるのだから、在宅生活の限界点を更に高めるという意味は、インフォーマル支援の限界点を高める必要性も生ずることとなるだろうし、ターゲットにしていない軽介護者(要支援者含む)については、できるだけ公費をかけずに、自己責任という名の自助を求めていくシステムでもある。

そのことは、「予防サービスの新総合事業への移行について」において指摘しているように、「親和性」という理由をつけて、新総合事業に予防訪問介護と予防通所介護を移行させる最大の目的が費用の効率化=費用の削減であることでも証明されている。

つまり地域包括ケアシステムとは、少子高齢社会において十分な財源確保が難しい時代において、必要最低限のサービスを担保するというシステムでしかないのである。

そこでは国がすべての介護ニーズに対応する財源を確保することは不可能なので、地方自治体に一定の財源と権限を与えるから、あとは地方自治体ごとに頭を絞って住民に必要な最低限のセーフティネットを構築する工夫をしなさい、というシステムであり、当然のそうした制度になれば、大きな地域格差は生じるだろうし、限られた財源であるがゆえに、そのシステムの恩恵を受けずに自助が強く求めらえる住民も増えるということである。

お金をできるだけかけないシステムとして行く中で、「こぼれて消える見えない涙」を見逃さないケアマネジメントが求められることになるが、介護支援専門員という職種だけが、この責任を負うわけではないはずで、真の地域包括ケアシステムとは、そのシステムの中で零れ落ちた住民ニーズを、単純に不必要な介護ニーズと決めつけない視点が、地域全体、専門職横断で求められるという視点が必要だろう。

どちらにしても、地域包括ケアシステムによって、要介護高齢者は地域の中で手厚く支援されるという認識ではなく、そのシステムの中で頑張らさせられるのだから、頑張りの限界点を超えない支援や、ソーシャルアクションが、対人援助の専門家には求められていくということを理解しておらねばならない。

それでは明日、福井県美浜町保健福祉センター「はあとぴあ」でお逢いするみなさま、よろしくお願いします。当日はメッセージ動画「明日へつなぐ介護〜福井県バージョン」を初お披露目する予定です。こちらの方もどうぞお楽しみに。
無題2敦賀


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若い力が輝く社会保障制度改革でなければ国が亡びる


今年25歳になった僕の長男は、子供のころから社会福祉に興味を持って、福祉系の大学に進学し、そこを卒業した後、札幌に拠点を置くNPO法人が地元に新設した施設の職員として、障がい者福祉の仕事をしている。

一方23歳の二男は、社会福祉には全く興味がなく、大学で勉強するより、専門技術を学んで就職したほうが良いと考え、高校を卒業後、技術系の専門学校に進み、その技術を生かすことができる地元の企業に就職した。

小さなころから同じ環境で育ち、機会あるごとに僕の職場の行事にも参加するなど、社会福祉や介護が身近にあるところで育った兄弟だが、全く別の考えを持って別の道に進んでいる。

兄弟であってもそれぞれの個性があり、自分自身を持っているということだろうから、この違いは素敵なことだと思う。

特に二男は、ある時期まで長男の後追い・真似ばかりして、進学する高校まで同じだったことを考えると、いつの間にか成長したのだと感慨深くなることがある。

長男も二男もまだ独身で、地元に職場があるため、現在も同居して親子4人で暮らしているが、今では二人とも、親の力は全く必要のない大人で、逆に親である僕がいろいろな面で助けられることの方が多い。ありがたいことである。

ところで二男が就職した年に、二男と高校が同じで、一緒にバンドを組んでいた仲の良い友達が、高校卒業後に就職した会社を退職して、職探しをしていることの相談を受けたことがある。ちょうど当施設で、介護職員の契約職員を募集していた時期で、介護の経験が全くないその友達が、就職試験を受けられないかということであった。

経験がなくとも、良い人材で、やる気があると判断すれば採用することはやぶさかではないし、介護未経験者でも、採用された場合は、きちんと援助技術を教えて、介護の専門家になれるように指導できることを伝えた。

その友人は高校生の頃、よく家に遊びにも来ていたとのことで、家人に話を聞くと、礼儀正しいし、人物としては全く問題なく、頭もよい子だということであった。

その時の募集人員は1名で、それに対して複数の応募者があったため、採用試験を行い、選考となったが、結果は二男の友人が選考された。ただしこの決定は、僕のコネクションによるものではなく、当法人の採用担当者の判断によるものであった。

当法人の採用規定では、介護職員の場合、介護福祉士の資格者でないと正規雇用できないことになっているが、前述したように、この際の採用条件は契約職員であり、常勤者ではあるが正規職員ではなかった。

契約職員は、基本給は正規職員と差がないし、定期昇給も同じく行われるが、通勤手当や夜勤手当以外の手当がつかないし、賞与の支給率も正規職員より低い。また職員共済会に加入しないために、退職金制度の対象外職員ということになる。当然年収等の待遇は、正規職員の方が優遇されていることになる。

そのため、その時に採用した彼には、当施設で実務を行いながら、介護の知識と技術を得て、将来的に介護福祉士の資格を取得し、正規職員となることを目標にするようにアドバイスした覚えがある。

当時、彼の仕事ぶりを見ると、初めて経験する様々なことに興味を持ちながら、真面目に業務についていた。介護の知識や援助技術の獲得にも一生懸命であったが、決して視野が狭まることなく、明るくユーモアのセンスもあり、対人援助に向いている性格に思え、大いに期待して見守っていた。

その彼が、今年実務3年の経験者ルートで、介護福祉士の国家試験を受け見事合格し、今年4月から正規職員となった。実務経験ルートは、2016年度から450時間の実務者研修の受講を義務付けられ、働きながら受験資格取得を目指す人には、時間とお金がより必要になることを考えると、実務3年で最初の試験に合格できて本当に良かったと思う。

しかし彼のような人材が現在の実務ルートで資格を得て、介護の場で輝いて働いている姿を見ると、この実務経験ルートの変更が、介護福祉士の質の向上を担保するかということに首をかしげてしまう。むしろ彼のような人材が、最初から資格取得のハードルが高いと考え、介護を職業とすることをおあきらめ、別の業種に就く人が増えるという結果しか生まないのではないかと危惧する。

むしろ介護福祉士の質低下は、介護福祉士養成校に入学する生徒の資質低下に起因する部分が大きく、入学希望者が減る現状で、ほとんど振り落としがなく入学できる養成校の生徒が、卒業さえすれば無試験で資格を得られる現状があり、その国家試験義務付けの改正だけを先延ばししてしまっているのだから、介護福祉士の質向上に限って論ずれば、実務経験ルートの変更は百害あって一利なしで、質の向上になんてつながらないと思う。それは介護を目指す人材確保の手立てをしないままの、試験制度改革の弊害の極みといえよう。

今年正職員になった彼は、就職4年目でまだ中堅職員とはいえないが、若手のホープである。礼儀正しい子で、出退勤の際は必ず施設長室に寄って挨拶を忘れない子である。当施設にとっては貴重な人材であり、二男には良い人を紹介してもらったと感謝するしかない。

正職員になったことで、彼の年収等の待遇もよくなっただろうし、それはつましくとも、家庭を持っても家族を養って生活できる年収レベルであると保証できる。それは本人の努力で得たもので、やる気と努力なくして、何かを得ようとしてもそれは無理というものだ。

やがて彼らが当施設のケアリーダーとなって、様々なものを改革し、創造していくのだろう。彼らが中心になって、新たな介護のスタンダードを作り、ケアサービスの品質向上の力になってくれることだろう。そのことを願っている。

僕らが前面に出る時代は終わりつつある。

そうした若い力が、輝いて働くことのできる職場であってほしい。そういう芽をつぶすような、社会保障制度改革であってはならないと思う。

社会福祉法人の繰越金は、施設のトップである施設長も、一般企業の管理職とは比べものにならないほど低い年収で、繰り越したお金を個人の懐に入れることなく、将来の施設整備費などに充てるために繰り越しているものだ。それを内部留保だなどと文句を言って、国に返してもらうなどという論理は横暴すぎる。国に返すお金というなら、巨額で不透明な形で積み上げられている政党助成金のほうが問題だろう。

介護給付費の支払いは請求後2月後れで支払われるのだから、繰越金も二月分の運営費である自主財源が含まれている。なおかつ繰越金は、将来的には施設の整備補助に使い切るお金である。それを会計基準も勘案せず、運営費も含めて内部留保だなどと決めつけ、根こそぎ取り上げるような制度改革であっては、そこで若い人々が安心して働き続けることができるわけがない。

生活の心配がない、金銭感覚の麻痺した政治家によって、この国の社会保障の担い手の芽が根こそぎ摘まれていく現状の向こうに何が起きるのだろうか。

制度改正議論等から僕の目に映るものは、荒野でしかない。その荒野は、時に「地域包括ケアシステム」という看板を背負った荒野である。

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ボランティアの皆様に感謝をこめて


今年の緑風園まつりが、たくさんの皆様の協力のもと、先週の土曜日に無事終了した。手伝ていただいたボランティアの皆様には、この場を借りてお礼を申し上げたい。たくさん来場してくださったご家族の皆さんにもお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

テルテル坊主
3年間雨続きで、屋内開催となっていたこともあり、職員と利用者とで、テルテル坊主を作って晴れることを願っていたユニットもあったが、この日は見事に青空に恵まれ、途中から汗が出るほどの暑さとなった。

理事長挨拶
オープニングに際して、社会福祉法人・登別千寿会、千葉泰二理事長より挨拶を行った。以下、特に説明もしないで画像で当日の様子を伝えたい。

いなりずしコーナー
緑風園まつり2014-27
緑風園まつり2014-26
緑風園まつり2014-25
緑風園まつり2014-24
緑風園まつり2014-23
緑風園まつり2014-22
緑風園まつり2014-21 (2)
緑風園まつり2014-21 (1)
緑風園まつり2014-19
緑風園まつり2014-18
緑風園まつり2014-17 (2)
緑風園まつり2014-17 (1)
緑風園まつり2014-15
緑風園まつり2014-14
緑風園まつり2014-13
緑風園まつり2014-12
緑風園まつり2014-11 (2)
緑風園まつり2014-11 (1)
緑風園まつり2014-10
緑風園まつり2014-9 (2)
緑風園まつり2014-9 (1)
緑風園まつり2014-7
緑風園まつり2014-6
緑風園まつり2014-5
緑風園まつり2014-4
緑風園まつり2014-3
緑風園まつり2014-2
炎11
炎10 (2)
炎10 (1)
炎8
炎7
炎6
炎5
炎4 (1)
炎2
炎
フラダンス


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気になる明日の天気は、どうやら曇りらしい


昨日は午後から、介護福祉士養成校の授業や介護認定審査会の審査、看取り介護を実施し亡くなられた利用者のお通夜に参列するなど、外出機会が多かった。

しかし昨日はあいにくの雨で、しかも1日の降水量が150mmに達するなど、一時的には豪雨の状態で大変な移動だった。そのような雨の中で考えていたことは、「明後日の土曜日まで天候が回復するだろうか」ということであった。

毎年敬老の日がある週に行っていた、「緑風園まつり」を、今年は1週早めて、明日6日(土)に開催する予定になっているからである。

このお祭りは、もともと開園5周年の年から始まり、2002年までは毎年9/15の敬老の日に行われていたが、2003年(平成15年)から敬老の日は9月第3月曜日となったため、それ以降はその週の連休のどこかの日に行われてきたという経緯がある。しかしここ数年、開催日に雨になることが多く、3年連続して屋内実施となっていた。

また昨年は、登別の漁港祭りと重なってしまった。そうなると会場で使う椅子や机やテント等、地元の商工会から借りていた物品が漁港祭りの方で使われるため、それらの必要物品が手配できず、施設の物品のみで会場設営したが、やはり数が足りないという事態が生じた。

そのため今年は、開催週を1週間早め、地元の別のお祭りや行事と重ならないようにした。そのことで連続して雨にあたっていたことからも逃れられるのではないかと期待していたが、昨日の豪雨で心配が募った。

しかし今朝まで降り続いていた雨は、昼前にすっかり上がり、今現在青空が広がり、柔らかな日差しが注がれている。明日の天気予報は晴れ後曇りだが、雨の心配はないようである。お祭りが始まる昼12:00の予想気温は24度で、秋のすがすがしい空気の元、4年ぶりで屋外でお祭りが行われるのではないかと期待できる。

毎年、このお祭りには関連施設の職員や、介護福祉士養成校の学生などたくさんのボランティアの協力を得て実施されている。ご家族の方々も多数来場され、利用者の方々と一緒に、アトラクションを楽しまれている。今年のプログラムは下記画像のとおりである。

緑風園まつり
プログラムに書いているように、お祭り会場では、飲食物の屋台も設置されており、昼食を楽しみながら、お祭りに参加できる。ぜひ土曜の半日を楽しまれてほしい。

このお祭りは、緑風園の年間行事の中でも、一番大規模に行われる行事である。準備にも時間がかけられている。まさに日常の中に、非日常を演出する「特別な行事」といえるだろう。しかし僕たちは、そのことが今年も無事に行われた、行ったということだけに満足感を持ってはならない。

そうした特別な行事を行うことで、利用者の暮らしに潤いが与えられたのか、どんな効果があったのかという視点が欠如してはならない。職員の自己満足で終わるのではなく、利用者目線の評価が必要だ。

人の暮らしには非日常が必要である。しかしそれが日常生活を犠牲にした非日常であっては困るわけである。大きな行事が行われる前後に、行事の実施のために利用者の日常生活に支障を来たすようなことがあれば問題なのである。誰のための、何のための行事なのかということを、大きな行事であるからこそ考えなければならない。

そのことを職員がしっかり自覚し評価できるように、気づきを促す役割が、管理者には求められるのではないだろうか。

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介護の仕事に就きたいという高校生の相談


今年23歳になる僕の二男は、中学からずっとバトミントンを行っており、今でも休日になると市の総合体育館などで練習や試合をしている。時にはそこで、後輩に指導をしているらしい。

そのような縁もあって、彼を通じて来春卒業予定の高校生から、「介護の仕事をしたいので、就職できないか」という相談を受けた。

その子は特別な介護の授業を受けているわけではないので、専門知識は全くない状態である。しかし介護という職業に憧れを抱いて、将来は資格も取りたいと思っているのだから、来春の卒業を待って、当施設に就職することはやぶさかではない。

しかし当施設の場合は、介護福祉士の有資格者でなければ正規の介護職員として雇用できない規則になっている。資格がない場合は、契約職員として採用することになり、この場合、賞与などはあるが、支給率が正規職員より低くなるし、通勤手当以外の各種手当(住宅・扶養等)も支給されないし、退職金制度などを含む共済制度の対象外職員となってしまう。

もちろん就業後に勉強をして、実務3年を経た後に国家試験を受けて合格し、晴れて介護福祉士の資格を取得すれば、正規職員にすることは可能だが、それには最低でも3年かかる。

たしかにそのようなルートで、現在正規職員として勤めている職員もいる。現に二男の同級生は、高校卒業後に介護とは全く関連のない別職種で働いていたが、1年もたたずにその仕事を辞め、当施設で契約職員として介護を一から学びながら3年後に介護福祉士を取得し、正規職員となり、今では若手のホープとして周囲から期待を寄せられながら、現場リーダーを目指して日々の介護業務にやりがいを感じて頑張っている。

だがそれができたのも、介護業務の実務経験3年で、国家試験を受けることができたからである。しかし、介護福祉士の国家資格を取得するための実務経験ルートについては、2016年度から450時間の実務者研修の受講を義務付けることになっている。

このため来春、契約職員として介護実務を始める人であれば、実務3年で国家試験を受ける際には、その経験だけでは受験資格を得ることができず、就業中に別に時間をとって実務者研修を受講しなければならない。就職して収入がある身とはいえ、経済的負担も馬鹿にできないし、なにより研修受講の時間を作るという苦労があるだろう。

一方で、介護福祉士養成校の卒業生に国家試験を課す時期は、2016年度からさらに延長させ、実施時期を2017年度以降とする方針が決定しているので、来春の高校卒業後に、介護福祉士の養成校に2年通えば、専門技術や専門知識を得るための勉強をしながら、2年後の卒業時点で確実に介護福祉士の資格を取得できる。

そのことを考えると、安易に当施設にその子を契約職員として就業させ、その後の資格取得に向けて指導協力するということが良いのかどうなのか疑問に思えた。

当人は「契約職員で構わない。将来は資格を取って正規職員を目指す」と言ってはいたが、こうした資格取得のルートなどの詳細を知っているわけではないので、きちんとそのことを説明し、熟考したうえで判断してほしいと話した。

同時にこのことは、若者の将来に係る問題で、仮に専門学校にいくという選択をした場合、学費の負担という問題も生じてくるので、親御さんにも理解をえる必要があると思え、昨日その子の父親と電話で話させてもらい、資格のこと、給与を含めた待遇のことなど説明させてもらった。

就職試験を受けるにしても、養成校の受験を選択するにしても、時間はまだ十分あるので、自分の将来設計としてじっくり考えてもらいたいと思った。

だが若い高校生が、真摯に介護の仕事に就きたいと思ってくれることには素直にエールを送りたいと思ったし、ひとりでもそういう人が増えてくれるのを願わずにはいられない。同時に、そうした志を持つ若者に、「介護の仕事は、収入が低いから将来設計ができないので、考え直しなさい」という進路指導が行われないように願うし、そういう進路指導があり得ないような待遇改善につながる、介護報酬の設定を望むものである。

ところで今日は、介護福祉士養成校の授業の日。介護福祉士の養成校の授業ではあるが、今日は来春卒業する2年生が社会福祉主事任用資格を得るための授業である。学校教育法に基づく専門学校において、厚生労働大臣の指定する社会福祉に関する科目を講義することになる。

そのため今日は、相談援助に関する講義であるが、半年後には介護福祉士として介護サービスの場に出て働く彼らに、護るべき介護の誇りをしっかり伝えてこようと思う。

ちなみに午後からの予定は、室蘭の専門学校で90分1コマ授業を2コマ、13:10〜16:20まで行った後、その足で登別市役所に走り、18:00〜認定審査会。審議終了後、一昨日施設で看取り介護が終了した方のお通夜に参列予定である。

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訃報に接して思うこと


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僕たちの職業は、人の死をあまり遠くに感じない職業だ。

僕が施設長を務める特養では、年間10人〜30人近い利用者が亡くなる。だからと言ってそういう死に慣れるということはないし、利用者の方が亡くなっても哀しみを感じず、何とも思わないということはない。

しかし我々は特養の機能として、終末期の支援があると考え、特養の基本サービスとして、看取り介護を実践している。

それはある意味、利用者の死を織り込んだサービス提供体制を整えているという意味であり、そこでは利用者の死が想定外であることはあり得ず、たとえ昨日まで元気あった利用者が、何らかの理由で今日当然亡くなられることがあっても、突然の死に対して、その瞬間に驚きの気持ちをもつことはあったとしても、そうした死に対しての備えがないということはない。

むしろ我々は、利用者の死という形で、それらの方々とお別れすることを前提にして関係を結んでいるといってもよいのではないだろうか。施設サービスの契約を結ぶ段階で、我々はそれらの利用者の方の死の瞬間までお世話する約束を結んでいると言え、その瞬間まで安心と安楽のサービス提供をするために、日々研鑽を続けているわけである。そして最期の瞬間を安らかに見送ることをもって、サービスが完結すると考えている。そのため適切な看取りができたと評価することで、ある種の達成感を抱いたりすることがある。
(※サービスの完結とは、利用者の死の瞬間ではなく、そのあとに看取り介護の評価や、グリーフケアがあるだろうというのは、また別の問題である)

そういう意味では、利用者の方々の死について、利用者ではない人々の死と同じ感情で相対することはできないのかもしれない。哀しみの思いを抱く感情も、どこか違う回路で、違った感じ方をしているのかもしれない。

若い人の訃報に接すると、その思いは余計に強くなる。さらにそれが自分に関係深い人の訃報であれば尚更である。冷静ではいられない感情を持つ「死」も、そこには存在する。「最後は安らかでよかったね」などとはとても言えない、複雑な思いを持つこともある。

先週の某日、僕はある人のお通夜に参列してきた。その人は過去に僕の部下として、一緒の職場で働いていた人だ。その人が命を失う原因になった病気は、「末期がん」である。

数年前に吐血から受診、癌の診断を受けたものの、一度は手術で癌を克服し、長い療養生活の後、職場復帰も果たし、同僚の協力も得ながら一時は元気に働いていた。

残念ながらその後に再発した癌は、転移癌であった。

そしてその人は、職場を退職し療養に専念するも、手術の適応ではなく緩和ケアに移行。本人も家族も、ある程度の覚悟はできていたのだろうとは思う。

先日も同じ職種の元上司が面会し、もう言葉も発せない状態であることを聴き、覚悟はしていたが、先週あまりにも突然の訃報が・・・。ちょうどその日は僕の誕生日で、昼休みに更新したブログ記事には、29年前の僕の誕生日に起きた航空事故で、北海道の福祉に多大の貢献をされた歌手の坂本 九氏が亡くなられたことを書いた。
(参照:平和な国の介護を考えた日

その直後に、その人の訃報に触れた。言葉がなかった。残された二人の小学生が不憫である。亡くなったその人もさぞ心残りであったろうと考えるとやりきれない。

死は誰も避けられない。人の致死率は100%である。しかし長寿社会といわれるこの時代に、あまりにも若すぎる死・・・。

29年前の誕生日以降は、毎年自分の誕生日が来ると、日航機事故と坂本九さんのことを思い出してきた僕であるが、もしかしたら来年以降の自分の誕生日には、そのことに加え、今年の僕の誕生日と同じ日に逝った、その人のことを思い出すことになるのかもしれない。そのことが少しでもその人の供養になればよいのだが・・・。

僕には何もできない。ただ安らかなれと祈るのみである。合掌。

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盆踊り・花火大会報告など


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西日本を中心にして全国各地に被害をもたらし、勢力を保ったまま北海道に達した台風11号は、今朝9時に温帯低気圧に変わった。しかしまだまだ風雨が強くなっている地域は多く、札幌でも豊平川の一部が決壊氾濫するなど被害が出ている。雨風の強い地域の方々は、今後も十分に警戒していただきたい。

登別は、昨晩7時過ぎから雨の勢いが強くなり、夜中から明け方にかけて強い風も吹いていたが、幸い大きな被害はなく、今朝は一時的に雨も上がり、風も穏やかになった。現在は雨模様だが、災害につながるような豪雨ではない。

それにしても先週末は、海・空・陸ともダイヤが大きく乱れて、ちょうどお盆休みの帰省と重なった人は大変だったろう。僕も今週末、和歌山の講演を控えているが、この予定が1週間前だったら中止にせざるを得なかっただろう。運が良いというべきであろうか。

北海道は、土曜日は天気がよく、日曜日も夕方から雨になったが、それまでは穏やかな気候だったので、僕は先週末予定通りの日程を消化することができた。昨日は往復6時間の移動時間を使って、実家のお墓参りも無事終えることができた。

その前日、土曜日は室蘭市の老健施設で行われた、北海道作業療法士会の研修会の講師も無事務め終えた。

北海道作業療法士会研修講師
室蘭地域だけではなく、遠方の地域からも参加してくれる人がいてありがたかった。皆さんお疲れ様でした。

さて緑風園では、その前日の金曜日の夜に、「盆踊り・花火大会」を行った。木曜日の時点での天気予報では、金曜日は雨ということで、2年連続屋外実施ができず、花火は中止かなと思われたが、幸い天気予報が見事に外れ、ちょうど良い暑さの天気の良い金曜日になった。

盆踊り
そのため、夕食後に着替えを行って、19:00〜開始の盆踊りの備えも万端。踊り子も含めて50人を超えるボランティアの皆さんの力を借りて、屋外ステージ前広場に移動した。家族の皆さんもたくさん見えられている。下記画像で会場の模様を見ていただきたい。

盆踊り3
盆踊り4
盆踊り5
盆踊り6
盆踊り7
盆踊り8
盆踊り9
盆踊り10
盆踊り11
盆踊り2


緑風園恒例のユニット別仮装盆踊り大会。

盆踊り16
審査員の審査によって優勝ユニットには、賞金が授与されるが、これは職員親睦会から支出しているので、純粋の個人会費が財源。介護給付費とは関係のない費用である。

盆踊り13
新館1階は新撰組。

盆踊り14
本館2階は、ピーターパン。

盆踊り15
新館2階は、赤ずきんちゃん。

盆踊り12
そして見事、優勝したのは本館1階。サザエさんチームである。

この場を借りてボランティア参加いただいた、イカの皆様方に厚く御礼申し上げたい。

《踊り参加》
登別老友高砂会さん、中登別老人クラブ百寿会さん、中登別婦人部さん

《準備・後片付け・屋台運営》
グリーンコート三愛さん、登別社会福祉協議会体験ボランティアさん

どうもありがとうございました。

8/16・14:00〜和歌山ビッグ愛での和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)主催「介護の詩〜明日へつなく言葉」出版記念講演会in和歌山まで、あと5日と迫りました。
出版記念講演in和歌山明日へつなぐ言葉
当日会場での参加申し込みも受け付け可能です。




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七夕の夜2014


北海道では、七夕まつりを旧暦に合わせて1月後れの8月7日に行う地域が多い。僕が生まれ育った下川町下川鉱山や、高校生以後社会人になるまで過ごした岩見沢市も8月7日が七夕であった。

しかし現在住んでいる登別市は、新暦の7月7日が七夕である。北海道全体を見渡せば8/7に七夕まつりを行う地域が多いようだが、どの地域から分かれているのかという明確な線引きはできないようである。例えば隣町が1月後れでも、その隣町は新暦通りといった状態も見られている。それぞれの地域に伝統があるということだろう。

ところで時期が違って行われる七夕まつりではあるが、北海道全体に共通している七夕文化がある。それは七夕の夜に、子供たちが連れ立って各家庭を回る風習だ。

この時に子供たち全員で唱える掛け声があって、それは地域ごとに微妙に違っているのだが、例えば「ろうそくだーせ、だーせーよー。出さないとかっちゃくぞ。おまけに食いつくぞ。」といったたぐいのもので、上品な掛け声の地域では、「ろうそく一本くださいな〜。」となっているようだ。おそらく北海道全体を細かく調べたら、微妙に言葉の違う掛け声が何種類も出てくるだろう。

どちらにしてもロウソクを集める掛け声に変わりはなく、僕らが子供のころは、夜暗くなってから、近所の子供たちと提灯に灯りをともして各家庭を回って、ろうそくを集めてきたものだ。

現在では、本当にろうそくを渡す家庭もなく、子供たちもそんなものはもらっても喜ばないので、スナック菓子などを渡すようになっている。そのため七夕の日に合わせて、子供のいない家庭でも、近所の子供たちが回ってきたら渡せるように、菓子を買って用意しておくのが「当たり前」になっている。

しかし最近では、この伝統的な風習自体が消えかかっている。僕の家にも声をかけて回ってくる子供の数がめっきり減った。これは少子化ということも影響しているだろうが、夕方6時以降の「ろうそく出せ」を禁じる学校が増えてきたからである。児童の安全を考慮してのことであろうが、なんとも寂しい話である。

七夕まつり4
緑風園では、毎年七夕の夜に、「七夕まつり」を行っている。夕食後の19:45からカフェバー「おりひめ」を開店し、お酒やソフトドリンクをふるまう。その際に、職員の子供を中心に、近所の子供たちに来てもらう。そしてステージで七夕の歌を歌ってもらったあと、会場で「ろうそく出せ〜」の掛け声をかけながら、利用者の皆さんのテーブルを回り、あらかじめ用意しておいたお菓子を、利用者の皆様から一人ひとり手渡していただくのが、この夜の定番である。
七夕まつり
七夕まつり3
七夕まつり25七夕


昨晩の七夕は天気も良く、このあと子供たちは緑風園の玄関前で花火を楽しんで帰ってもらった。その姿を利用者が昔を懐かしむかのように眺めながら、「おりひめ」で飲み物を飲んで過ごすのが、毎年のスタイルである。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


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想定外は必ずあると想定するべし


看取り介護の場面では、さまざまな想定をしていても、必ずその想定を超えた状況が起こる可能性がある。僕たちはその想定外の状況にも冷静に対処する専門家だ。

・・・とこのように職員に訓示して指導している。看取り介護の場では、本当にいろいろなことが起きるが、しかし利用者を看取った後にも想定外のことが起きるとは思わなかった・・・。

某日午前6:45、看取り介護に移行して5日目の方が旅立たれた。小康状態を保たれていたが、その日の早朝、いよいよ呼吸状態が悪くなって、担当ユニットの夜勤者は、オンコール待機の看護職員と家族に連絡をした。その間、別ユニットの主任で、この日夜勤に入っていた職員が、当該利用者の枕元に座って最後の瞬間まで看取った。

早朝ということもあり、宿泊していなかったご家族は、最後の瞬間に間に合わなかったが、看取り介護に移行してから日中の面会を毎日のように続けていたし、主任から最期の瞬間の様子を丁寧に説明されて、安心していただいたようだ。

僕はこの日、朝7:00少し過ぎに施設に着いたが、その時は医師がまだ到着しておらず、死亡確認がされていない時間帯であった。そこでご遺族にまもなく医師が到着する旨を説明しながら、お悔やみの言葉を述べた。その際に、遺体を自宅近くの会館に連れて行きたいがどうしたらよいかという相談を受け、葬儀社に連絡して連れて行ってもらえるとお話しし、僕からご家族の希望する葬儀社に連絡できることをアナウンスした。

ご遺族からは、「それでは〇〇社さんにお願いしたい。」という希望が示されたので、医師による死亡確認が終わったら、葬儀社に連絡するとお知らせした。

そのときちょうど医師が到着し、看護師が状況報告するとともに死亡確認・診断を行った。

その報告を受け、僕は葬儀社に連絡を入れた。これが午前7:30過ぎのことである。

ところでご遺体は、食堂ホールに隣接した静養室に安置されていたが、この時間から死後処置を行うし、利用者の皆さんの朝食もこれからだ。よってあんまり早い時間に葬儀社が到着しても、食事中の人の間を通って出棺することになるし、日勤者が到着しておらずにお見送りができない職員がたくさんいることになるため、利用者と職員が最後のお見送りの時間が十分とれるように、葬儀社には9:00過ぎに施設に到着するようにお願いした。

まだ朝早かったため、事務関連職員は出勤しておらず、僕が医師を協力医療機関まで送り、死亡診断書を書いていただき、それを持って施設に戻った。その時間は8:10頃。

当施設は日勤者の勤務時間が、9:00〜18:00までで、8:30を過ぎたあたりから日勤職員が続々と出勤してくる。それらの職員は、遺体のある部屋でお参りして、出棺の際には正面玄関前でお見送りすることになる。

ところで死亡診断書を持って施設に戻った僕は、ご遺族に葬儀社の到着が9:00過ぎになることを知らせていなかったことに気が付き、死亡診断書を渡しながらそのことをお知らせした。すると・・・。

ご遺族も気が動転していたのか、後から気が変わって、僕に依頼した葬儀社ではない別の葬儀社に自ら連絡を入れてしまったとのこと。僕に依頼したことはすっかり頭の中から飛んでしまっていたようだ。

あわてたのは僕である。が・・・ご家族にはあわてた様子を見せられない。ここであわてたら、ご遺族に「すみません」といういらない気遣いをさせてしまうと考えた。

そのため「大丈夫ですよ。僕が連絡したほうは断っておきますから。」といって施設長室へ向かった。心の中では、「このままでは2社の葬儀社が、施設の中でブッキングする!!」と非常に焦っていたが、走ってはいけない!!そしてすぐに先ほど、僕が依頼したほうの葬儀社に電話を入れ、正直に状況をお話しし、平謝りに謝って、キャンセル(この言葉が当てはまるかどうかはわからないが)していただいた。もう会社を車が出る直前だったようで、ぎりぎりセーフであった。

こんな経験もよい経験であった。今後は最愛の人を看取った家族は、気が動転してしまうということを十分想定しながら、確実に物事を確認しながら、いろいろなことを進めなければならないなと思ったりした。

前述したように、この記事で紹介した看取り介護は、5日間という短い期間であった。ご家族が最後の瞬間には間に合わなかったが、夜勤者が協力し合って、最後の瞬間を寂しくさせず、傍らに職員が寄り添って手を握り、息を引き取るその瞬間まで看取ったケースである。

その翌朝の朝礼では、看取り介護終了の報告と、本ケースの終了後カンファレンスに備えて、各セクションで、PC上の共有ファイルに評価を書きこんでおくようにアナウンスされた。

過程と結果評価は、今後行われることになる。・・・が、この話は内緒。んっこの記事でばれたか。

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変わるきっかっけ、変わった結果


介護施設の中で、我々は介護を提供することで報酬を得ている。つまり施設利用者は、お客様であり、従業員はお客様にサービスを提供する専門家=プロフェッショナルである。

よってそこで介護の専門家が、お客様に対して使うべき言葉とは、顧客サービスとしてふさわしいものでなければならないはずで、基本的にそれは丁寧語であるべきだというのが、僕の主張である。

さらにこの考え方を推し進めて、僕が提唱しているのが、「介護サービスの割れ窓理論」である。

介護サービスの割れ窓理論」とは、顧客である施設利用者に対し丁寧語を使わず、砕けた言葉のほうが親しみを感じてもらえるとして、言葉を崩すことが小さなほころびとなり、顧客に対するサービス提供という意識が低下し、介護支援が施しであるかのような誤った意識に変容し、やがてそれが、「介護してやっている」的な意識に変わり、利用者に必要なケアを考える前に、サービス提供側の都合によってすべてが決まり、サービス提供側が上から目線で利用者に接するようになり、正常感覚を麻痺させて、世間の非常識が介護施設の常識であるかのような慣習を生み、不適切サービスや、虐待につながっていくと考え、言葉の乱れという、小さなほころびがみられた時点で、そのほころびを、ほころびのうちに繕う必要があるというのが、この理論に基づいた提言であり、警鐘である。

勿論介護とは、良好な人間関係で紡ぐ必要があるものだから、利用者に「感じが良い」と思われて、介護サービス提供者が、親しみやすいと思われることは重要である。

だからと言って、親しみを持ってもらうために言葉を崩すのでは、それはプロの技ではない。ボキャブラリーが世界一豊富な日本語は、丁寧語を使っても十分親しみやすさを表現できる言葉である。丁寧語=堅苦しい言葉、という考え方がどうかしているのだ。現に僕は、施設の中で利用者に接するときは、100%丁寧語で会話し例外はない。だからといって、「あの施設長は、堅苦しくて親しみが持てない」といわれることはない。丁寧語でも、おやじギャグは連発できる。

そもそも言葉を崩して伝わるものは、親しみやすさではなく、無礼な馴れ馴れしさだけだ。企業戦士であり、上下関係に厳しかった団塊の世代の人々が、そろそろ介護施設に入所してきているが、それらの方々は、年下のサービス従事者が、馴れ馴れしい言葉で接することに、心の中で舌打ちする人が多いだろう。

そういうリスクが多分に含まれた砕けた言葉を、状況に応じて使い分けることができ、誰にも不快感を与えない達人もいるのかもしれないが、僕は決してそうはなれない。そもそも達人にしかできないことは、一般論にできない。そんなものはエビデンスにも理論にもならないのだ。だから言葉を崩すことは、それ自体が駄目なことである。いるかいないかもわからない達人を気取って、言葉をわざと崩して使い分けていると思い込んでいる人の姿からは滑稽さと、醜さしか感じない。恥を知れといいたい。

達人でもないのに、達人の真似をしようとして、言葉を崩して、態度も崩す輩はさらに問題である。その醜い姿に気が付かないことの恥を知れといいたい。

とはいっても僕の施設でも、職員全員が100%丁寧語を使っているかといえば、なかなかそうはならない。注意を受けたときは気を付けて丁寧語を使ってはいても、いつの間にか友達に話しかけるような言葉に戻ってしまうような、「どうしようもない職員」も何人か存在している。しかし本人はその姿を「醜い」とも、「どうしようもない」とも思っていないのだから問題の根は深い。

新しく雇用する職員には、まず言葉遣いに注意することが最初に覚えることであると指導している。そして先輩で言葉遣いが悪い職員がいたとしても見習わず、そういう人については心の中でバカにしてもよいと言っている。そして正しい言葉遣いができている職員だけを見習いなさいと指導しているので、新しく採用された職員ほど、言葉遣いは良くなっている。

前述したように、昔からの癖が抜けず、何度言っても言葉が直らない職員がいるというのは事実である。だからと言って、言葉遣いが改まらないことだけを理由に解雇というわけにもいかないし、根気よく注意を続けて、そうした言葉が改められないことを、「恥ずかしい」と感じるようにしていかなければならない。これはこれからも根気よく続けていかねばならないだろう。しかしそんな当たり前で幼稚な指導に、いつまでエネルギーを使わねばならないのかとも思ったりしている。だが人によっては、何かのきっかけで昨日と今日が180度違ってくる、変わってくる職員がいるのも事実だ。

なかなか言葉遣いが改まらなかった職員で、異業種から転職した職員がいた。その職員は転職前にセールスマンをしていたのであるが、事情があってその会社を辞めた後、ヘルパー2級資格を取得したことがきっかけとなり、縁あって当施設の介護職員として就業することとなった。

一生懸命に介護の仕事は覚えていたが、しばしば言葉遣いに注意を受け、本人も気を付けているのであるが、しばらくするとまた友達に話しかけるような言葉で、利用者と会話している姿がみられ、あまり指導効果がみられなかった。

その職員に、職場の飲み会の席で、「君はセールスマンをしていた時に、お客さんに丁寧語ではない言葉で接していたのか」と聞いてみた。するとそうではないというし、顧客に対する言葉遣いの教育は受けてきたというので、どうしてそういう武器を介護の現場で生かそうとしないのかと疑問を呈した。介護職として現場経験も先輩より短く、先輩職員より介護技術も抜きん出たところがあるわけではないのであれば、そうした経験のある職員より抜きん出て評価されるとしたら、セールスマン時代に培った接客技術ではないのか、それを生かさないのはもったいないというような話をした。その場は酒席ではあったが、施設管理者の評価として真面目に話をした。

その結果・・・その職員の言葉遣いは、その日以降たしかに変わった。僕が耳にする限り、現在彼が利用者に対して、丁寧語以外で会話していることはない。聞く耳を持ち、自分を変えようとする気持ちがあり、丁寧語で会話をつづけ仕事を続けるスキルがあったということである。

そういう努力に対しては、施設は正統に評価を行う必要がある。結果彼は介護福祉士の試験合格と同時に、契約職員から正職員となり、待遇も大きく変わったはずである。

自分と未来は変えられる
そのような結果を得ても、なお継続して正しい言葉で仕事をしている彼は、やがてこの施設のリーダー格に成長してくれるのではないかと期待を寄せている。

周囲の何かが変わるのを待っても未来は変わらない。自分が変われば未来は変わるのである。

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つなげたい思い。


当施設の大ホールに架けられている柱時計がある。

それは何の変哲もない時計であり、そこに時計が架けられているということに、何の意味も感じていない職員のほうが多くなった。しかしこの時計には、ある利用者の思いが込められている。僕自身もそのことを忘れかけていたが、その方の思いをきちんと今いる職員たちに伝えておくことが必要かなと思った。

当施設は開設から、今年で32年目を迎えた施設である。この時計を寄付してくれた利用者の方は、開設の年に入所された方で、今でも当施設で暮らされているから、32年間ここに住み続けているということになる。

7年前に、「栄養士の役割・食は人生」というブログ記事を書いたが、この中の後半部分に登場する、脳性小児まひの後遺症で、小学生のころから四肢麻痺となった方が、その方である。
(※このブログ記事を読んでおられない人は、ぜひ一度読んでいただきたい。特に栄養士はじめ、厨房職員の方々にぜひ読んでほしい。)

この方は入園当時、全利用者の中で最年少であった。しかし現在では全利用者の平均年齢を超えた年齢におなりになった。

その方は、小学生の時に寝たきり状態となり、学校に通えなくなったことにより、学校での勉強はできなかったが、頭脳は明晰で我々にいろいろなことを教えてくれた。

当施設に入園する以前は、弟さんの世帯で暮らしていたその方は、障がいに対する無理解から、いろいろな差別を受けたこともあったようである。

例えば、まだ幼いころ、家にお風呂がない時期に、公衆浴場で入浴介助を受けていたとのことであるが、障がい者に対する偏見から、その方を連れて家族が公衆浴場に入って入浴介助をすることを、同じ時間に入浴している人がひどく嫌がり、時にはあからさまに、迷惑であるという言葉を投げつけられたりしたようである。そのためその方も、家族も、できるだけほかの人が入らない時間を見つけて、お風呂に入るようにしていたとのことである。

しかし当時の事情では、ほかに全く人がいなくなる時間というのはなかなか見つからず、その方の住んでいる場所から遠い、登別温泉のホテルの浴場に、観光客が入浴しない時間帯に、入浴しに行くことが日課だった時期もあるらしい。

そのほか、様々な偏見に身をさらされて生きてきたんだろうと思う。その方が老齢期に入られた時期に、縁あって当施設に入所された。コミュニケーション能力に全く問題のない人であったから、32年間の間にいろいろな話をしてきた。

20年ほど前に僕が相談を受けたことがある。それはその方の死後のことで、「自分が死んだら、緑風園の見える場所にお墓を建ててほしい」という相談であった。気持ちはわかるが、墓地・埋葬に関する法律というものがあって、勝手にどこにでもお墓を建てられるわけではないことや、一緒に長年暮らしておられた弟さんの思いも大切であることなどを説明させてもらい、先祖代々の墓所に埋葬することなどを納得してもらったことなどがある。

その方がある日、「いつも世話になっている介護職員さんに、何かお返しがしたい。」と相談を受けた。その時も、「お気持ちだけで結構ですよ。」といったが、何としても形のあるもので感謝の気持ちを表したいという気持ちが強かったのか、その相談をうけてしばらくして、「施設に時計を寄付したい。」という申し出があった。

その理由は、当時ホールには壁掛けの小さな時計だけが架かっていたが、忙しく立ち働く介護職員が、時間を気にしながら仕事をしていると感じ、小さく見づらい時計だけではかわいそうだから、大きく見やすい時計を寄付したい。それを見て時間を確認して、そんなに時間に追われずに仕事をしてもらいたいと思うのだということであった。

同時に、その方が言うには、「私たちは待ってるから、そんなにあわてなくてよいですよ。」という思いを時計に込めたいということだった。

当時の施設長などと施設内でその申し出について協議し、それほどの思いをもっているのだから、その寄付の申し出を断るのは、逆に失礼だろう結論に達し、その時計を寄付していただいた。

その時計が、今もホールで時を刻み続けている。その方は、現在その時計を自分が寄付したことを思い出せない状態で、コミュニケーションも片言でかわすしかない状態であるが、そうした思うがその時計に込められていることを考えて、その方の思いを忘れずに、いつまでも感謝をこめて、その方が人生の最晩年期を過ごす、この場所の暮らしをしっかり護っていく必要があるのだと思っている。

すべての利用者に心を込めた介護サービスを提供していく心構えが求められると思う。

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2014年黄金週間の桜


ゴールデンウイークといっても、そんな世間とはまったく関係なく仕事をしている人も多いだろう。

僕の家には、学校を卒業し社会人となっている子供が二人とも同居しているが、二人とも暦に関係なく出勤している。長男は、障がい者福祉関連のNPO法人に勤めているため、日曜や祝祭日に関係なく働いており、先週も金曜日に休みがあっただけで、次の休みは来週の木曜日という勤務表になっている。

二男は、福祉とは関係ない企業で働いているが、24時間操業なので夜勤もあり、ゴールデンウイーク期間も2連休があるだけだ。

当施設も、そんなふうに暦に関係なく働いてくれるスタッフのおかげで運営できている。本当にありがたいことで、スタッフ一同に深く感謝する。

僕も今日は出勤日であるが、いつものように看護・介護業務に携わっているスタッフの姿を見ながら、彼らにもっと手厚い報酬を渡したいものだと考えたりしている。来年の介護報酬の動向が気になるところである。

ところで登別はやっと桜が咲き始めた時期である。登別温泉に繋がる道道の「桜のトンネル」と呼ばれる並木道の桜は、まだ6分咲きである。ゴールデンウイーク明けが満開だろうか?
桜のトンネル
桜のトンネル2


緑風園の周囲の桜も、満開まではもう少しといったところである。

緑風園の桜2
緑風園の桜
緑風園の桜3
温泉
浴室から見える桜すぐ上の写真は温泉浴室の窓に沿って植えられている桜の写真だ。

緑風園には、源泉かけ流しの天然温泉浴室があり、24時間いつでも入浴可能だが、ここは湯船につかりながら、雄大な北海道の四季のロケーションを楽しんでいただけるように、大きな窓を設置している。新緑の春、緑豊かな夏、紅葉の秋、雪の花が咲く冬、それぞれ見ごたえがあるのですが、今時期は温泉浴室の出窓にそって、何本ものエゾヤマザクラがみられる。湯船に浸かって桜をめでるのが今の時期の楽しみである。

左の画像は温泉浴室内からのロケーション。カメラがくもってしまって、きれいな画像がとれないが、肉眼ではもっときれいに窓から桜を観賞できる。あと1週間はこの景色を楽しめることだろう。

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介護事故が繰り返されないように・・・。


先週末の土・日は休みであったため、5月に行う講演のファイルなどを作成していたが、そのほかの時間は休養に充てることができる予定になっていた。

しかし施設の管理者であるから、いろいろな連絡が入り、その都度指示を出したり、確認や対応を行ったりすることはあるわけである。

土曜日の夜には、約40日間看取り介護を行っていた方が亡くなり、その連絡も入り対応したりした。この方は末期がんのため看取り介護に移行したが、看取り介護開始当初は、すぐに死亡する可能性は低かったので、ご家族は日中を中心に面会に来られていた。しかし先週初めころより、容態の悪化がみられ、いよいよお別れの時期が近付いたことから、ご家族が泊まりこまれて、昼夜問わずベッドサイドでこの方を見守られており、最後の瞬間を看取ることができたケースである。

僕も金曜日の夜、帰宅の途につく前に、ベッドサイドでご家族と話をさせていただいたが、たまたま眠られていた利用者に声をかけたところ、目を開けて僕の顔をじっと見つめて、僕の言っていることが分かるような表情をされていた。この方の容態は、毎朝の朝礼で報告され、すべての職員に訪室が呼びかけられており、寂しくさせることはなかったのではないかと思う。

御遺族となられたご家族も、充分なお別れの時間を持つことができて、悔いのない状態で見送ることができたのではないだろうか。このことは今後の「看取り介護終了後カンファレンス」で確認されるであろう。

こうした報告事項以外では、現場の判断で、事後報告で良い事も多々あり、それらの処理事項については、月曜日の朝礼で報告を受けることになる。例えば、休日中の「ひやりはっと」などはこの部類に入るが、そうであるがゆえに、月曜日の朝礼はいつも以上に耳を澄まして報告を聴かねばならないと思ったりする。

そんな中で今朝は、土曜の夜から嘔吐と水曜便があった方を、「ノロ対応」としたケースの報告があって、施設全体に緊張感が漂った。当施設では、過去の経験に即して、急なおう吐の場合、例外なくノロウイルスと疑って、その対応を行い感染が拡大しないように努めている。そのためにすぐにおう吐物を覆い隠して、空気感染させないようにし、消毒できるものをひとまとめにして、それぞれのフロアに「感染予防対応セット」として置いている。

平日ならば、対応を行った上で、即便などを検査に回して、ウイルス感染しているのか、していないのかを確認できるわけであるが、土・日・祝祭日などは、この確認ができないために、ノロウイルスに感染したものとして、隔離対応なども行い感染をできるだけ拡大しないようにしている。本ケースもそのように対応し、今朝便をすぐに検査に出したところ、午前中のうちにノロウイルスではないと確認され、隔離対応などを解くことができた。ほっとした。

利用者には一時的に不便をかけて申し訳なく思うが、感染症を拡大させないための予防措置として考えると、こうした対応は仕方ないのではないかと思う。

ところで事故防止対策は、何も自分が所属する施設のヒヤリハット報告や、事故報告からだけ学びとるものではなく、他事業者の重大事故であっても、そのことは必ず職員に情報提供され、同じ轍を踏まない対策と意識付けが必要であると思う。

今朝も、土曜日に報道された通所介護事業所での送迎車のリフトからの転落死亡事故について、報道記事内容を回覧して、基本操作を確実に行うことの確認とともに、同じ事故を繰り返さないように注意喚起した。

というのも、リフトからの転落死亡事故は過去に複数回起きているのである。これは極めて重大な問題である。

例えば、「通所介護での転落死亡事故」で報告したケースは、2006年5月に、北海道津別町で起きた事故であるが、これもリフト操作中に「車止めが操作の途中ではずれた」ために起きた事故である。

また「送迎リフト車からの転落死亡事故報道を受けて」のケースは、2012年7月に、鳥取県鳥取市のケースであるが、リフト操作する際に、車止めが固定されていなかったことが疑われるケースである。先週の山形のケースも、しっかりリフトに車止めで固定されておれば、起きなかった事故と思える。
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山形新聞 4月12日(土)11時40分ネット配信記事より
河北町谷地のデイサービスセンター「ちょうよう」(渡辺明管理者)で送迎用マイクロバスの昇降リフトから転落し、頭に大けがをした同町谷地の無職槙ナミさん(93)が10日夜、入院先の病院で亡くなったことが11日、関係者への取材で分かった。死因は脳挫傷。
事故は7日朝、50代の男性介護員がリフトで槙さんを降ろそうとした際に発生。槙さんは後ろ向きの状態で車いすごと約90センチ下のアスファルト地面に落下して後頭部を打ち、救急搬送された。事故の翌日から危篤状態となっていた。
リフトには自動で持ち上がる転落防止用の車輪止めが付いていたが、機能しなかったとみられ、寒河江署は業務上過失致死容疑での立件を視野に、男性介護員らから引き続き事情を聴いている。
県によると、県内の老人介護施設では昨年度、20件の死亡事故が発生。大半が食事の誤嚥(ごえん)や施設内での転倒が原因で、送迎中の事故はなかった。渡辺管理者は「最悪の結果となり心から申し訳なく思う。事故が二度と起こらぬよう対策を講じていきたい」としている。
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当法人では、送迎に関わる職員はデイだけではなく、ショート・外出行事の運転も含めると、施設長や事務職員、ケアワーカー等、厨房職員や清掃職員を除いてほぼ全員が関わる可能性がある。そのためこの報道記事をコピーして、全職員に回覧して注意を喚起したところであるが、こうした記事をただ読むだけではだめで、定期的に朝礼やケアカンファレンスなどで話し合いながら、深く、強く安全運航への意識付けを行っていく必要があるだろうと思う。

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チームケアが機能した看取り介護の評価と課題


先月書いた記事「白寿の祝いを早めた理由」で紹介した方の、「看取り介護終了後カンファレンス」報告書を紹介する。看取り介護対象期間は31日であった。

ご家族の評価
長男夫婦、長女より
「母さんにとって、最高の人生の最期でした。病院や家ではこんなに手厚い介護はできなかったと思う。また最期に子供たちみんなに逢う事ができて本当に良かった。最期は、とっても穏やかな顔で眠るように最期を迎えました。本当の“看取り介護”だったと思いました。本当に素晴らしい最期だったと思います。私達も年をとったら、ここにお願いしたい。日本一の所です。ここに入れてもらった時点から、こんなに大切にしてくれる事を分かっていました。家に連れて来てもらったり、お祭りにも連れて行ってもらったし寿司も食べに連れて行ってもらった。どれも大切な思い出です。一人ひとりのために、ここまで考えて下さるなんて感動しました。昔の事など、よく聞きだして下さったと思います。また夜中なのに職員さんがたくさん集まって下さって、テキパキと動く姿にまたまた感動しました。あんなにたくさんの人に見送られて、母さんは本当に幸せ者だったと思います。ここにもう来ないのかと思うと、寂しくなります。遺影はここで写した写真を使いました。みなさん、本当にありがとうございました」

看護部門の評価と課題
以前よりご本人の嗜好に合わせおやつなどを摂取していたこと、また看取り介護後も体調の良い時にはアイスを摂取できたことは良かったと思いました。早めにジェルなどを使用し対応することで、口腔内トラブルを最小限とすることができたと思います。また、保清や体交、電動エアーマットを使用することで、褥創がなかったことも良かったと思います。
左下肢が壊死状態となってしまい常に保護し注意を払ってはいたが、皮膚剥離の悪化を止めることができず残念でした。園での対応に限界はあるが、少しでも状態を悪化させないよう努力はしていかなくてはと感じました。家族の希望にて静養室に移動し、毎日のように面会あり、孤独感なく家族と共にゆっくり過ごすことができ良かったと思います。また、家族への説明も都度でき良かったと思いました。

事務部門の評価と課題
静養室ということもあり、出勤・退勤時等訪室することが多く出来た。訪室時眠られていることも多かったが、声掛けに、少し目を開けられる事が多かった。節分の行事の時に、ホールで参加しておられたので、身体的に辛くはないのかとは思ったが、厄払いができたのかと思った。

担当ユニット以外の介護部門の評価と課題
(〇〇〇ユニット)
・誕生日会を早めに行ったり、その時の様子から担当CWと〇〇〇ユニットのCWの〇〇〇さんへの感謝の気持ちと思いの深さが伺え〇〇〇さんとご家族にとっても、とても良い最後の誕生会だったと思います。
・乾燥する時期でしたが口腔ケア―もこまめにできており良かったと思います。
・担当ユニットスタッフに〇〇〇さんの状態を聞くと直ぐに教えてくれていた為、こまめに訪室していることが分かりました。
・普段から必ず華道クラブにご家族が来園されており、その際に他ユニット職員とも面識しており他ユニットのご家族でしたが会話もしやすくその際にご家族の心境も伺う事も出来良かったです。
・ユニットは違ったが、看取りになる前から〇〇〇さんとは会話をする機会も多く〇〇〇さんの人柄が人を引き付ける力をもっていられたので最期の方は声を出す事はなくなっておられましたがCWの訪室も多くできました。
(〇〇〇ユニット)
・静養室だった為、各ユニット職員が出勤・退勤時、訪室し声をかけていたと思う。最期の方では声は出ずらくはなってきていたが開眼されていること・口を動かし返答しようとする様子が見られていた。1ヶ月近い看取りだったが、担当CWが中心に居室整備をし、毎日来る家族にとっても過ごしやすい空間ができていたと思う。気になったのが担当CWの姿はオムツ交換以外にも見られていたが、各ユニットCWよりも〇〇〇ユニットの他のCWがオムツ交換以外にはなかなか顔をだせていなかったような気がした。
(〇〇〇ユニット)
・〇〇からは若干距離が有り、不便な面があったと思われるが、いつ訪室しても居室内は整理整頓されており、居室の異臭も無く、加湿器の水が空になっている事も殆ど無かった。
・体交の援助方法もしっかり統一されており、担当者の思いが他ケアワーカーにも浸透しチームとしての一体感と思いやりを感じた。
・整容、着衣、布団の乱れだが殆ど無く感心しました。
・時折、夜中迄、居室の蛍光灯が点灯している事が気になりました。
・毎日、家族の面会が有り、CWの出入りも多く寂しくなかったのではないかと思いました。家族面会時も入り口の戸が開いていたので、訪室しやすく良かった。
・口腔ケアもまめに行われており、不快なく過ごされていた。
・居室の環境整備が本当に行き届いており雰囲気がとても訪室かったと思います。また、体交等しっかり出来ており衣類・布団等が乱れていなくとても良かったと思いました。

担当ユニットの介護部門の評価と課題
・看取り介護が開始になってから、静養室へ居室移動し、〇〇号室にいた時よりもユニットCWが頻回に居室に行く事が難しくなり寂しい思いをさせるのではないかと心配だったが、その分他ユニットCWや他職種の方がたくさん訪室し、〇〇〇さんに声を掛けてくれたので寂しい思いをさせる事なく過ごして頂く事が出来てと思う。今回、〇〇〇さんの所への他ユニットCWの訪室が多く、〇〇ユニットも安心して静養室で過ごして頂く事が出来て感謝しているので、〇〇ユニットのCWもその気持ちを忘れずに、他ユニットの看取りの利用者の訪室を進んでしていけるようにしたいと思う。
・今回、経口からの摂取が困難になってからすぐに口腔ケアをこまめに行い、保湿ジェル等も用意・開始する事が出来た。だが、看取りが1か月近く続くと、こまめに口腔ケアをしていたつもりでも、口角に小さい傷が出来てしまい、そこからの出血が見られ口腔ケア時も苦痛表情があり痛い思いをさせてしまった事が悔やまれる。
・左足が血流障害で壊死し始めており、最期の方は皮膚剥離も見られとても痛そうな状態だった。その他は2時間毎の体交とマッサージで皮膚トラブルなく痛い思いをせずに最期を迎える事が出来たのでよかった。2時間毎の体交も、新1CWやNS 、夜勤FなどユニットCWだけでは、手が回らない所をヘルプしてもらう事が出来て、とても助かりました。
・禁食になってからも、〇〇〇さんの状態のいい時にアイスやジュース等少しだが、口にして頂く事が出来たのでよかったと思う。
・看取り開始時、熱発により入浴が出来ない日が続いたが、体調が安定してからは入浴が好きな方だったので週に2回特浴で入浴をして頂くことが出来てよかったと思う。また、入浴出来ない日でもほぼ毎日体拭を行う事が出来た。
・家族の方が毎日何名も来てくれ、時々オムツや体交の様子も見て頂く事も出来、一緒に看取り介護を行う事が出来たのではないかと思う。ただ、オムツ交換などで家族に静養室から出て待っていて頂く際、静養室を出た所で待たせてしまい、デイルームやソファーの所へ案内する等の配慮が最初の頃欠けていた為、他利用者が不穏になるという事があった為、今後はすぐに対応出来るようにして行きたい。 
・呼吸状態が悪くなってから家族へ連絡する際、どの状態で家族に連絡したらいいのか、家族に事前に急変時連絡をしてもいいか確認をしていなかった為、連絡してもいいのか判断に迷い、CWから家族への連絡が少し遅れてしまった。今までは、呼吸が止まってからNSに連絡、NSから家族に連絡という流れだったが、今後は状態の変化が見られたら、夜間はCWから家族に連絡すること(呼吸が止まりそうだから連絡ではなく、呼吸状態が悪くなって酸素を使い始めた等)を前提とし、家族に状態が変わったら園から連絡が行くという流れにしていくべきではないかと思う。夜間に連絡をもらっても困るという家族もいるかもしれないが、連絡をしたから来て下さいということではなく、状態の変化を伝える事で、亡くなってから連絡が行くよりも家族も心の準備が出来るのではないかと思うし、事前に連絡が行く事を伝えた時点でその確認も出来ると思う。今回〇〇〇さんが息を引き取る際、たくさんの家族に看取って頂く事が出来て、〇〇〇さんにとっても家族にとってもとてもいい最期の迎え方が出来たと思う。

担当ユニットリーダーの評価と課題
・担当CWを中心に本館1階チームとして最善の看取り介護が出来たのではないかと思います。これには、家族や他職種、他ユニットCWの協力、多くの訪室があってこそだと思います。
・今回、看取り介護を実施し夜間の容態変化(悪化)時の家族への連絡の有無、また、その判断が難しいと感じた。今後、看取り開始時に家族に確認しておく必要があると思う。それにより、夜勤者の不安も少しは軽減出来るのではないかと思う。

介護係長の評価と課題
他ユニットにも言えることですが、看取り介護に対するユニット内のスタッフ一人一人の思いや取り組みに差が生じる点が気になった。例えば夜間帯の口腔ケアであげると保清が保持されていない。ほつれたタオルケットをそのまま使用していたり、湯たんぽが冷たいままだったりと細部に渡って確認・注意する事が初めのうちはあった。が、気持ち良く〇〇〇さんに過ごして頂く為にはどうすべきか?という点から担当CWや当日にリーダーに引き継ぐことで徐々に周知徹底されていくようになったことは良かったと思う。今後の課題は“指示されなければ気付かない”という所がなくなるよう、看取り介護が始まりそうな状態からスタッフの気持ちを一つにして取り組めるアドバイスをしていきたい。ご家族の言葉にもあったが、〇〇〇スタッフは、日頃の援助から最期の時まで〇〇〇さんを思い、ご家族の気持ちに添った援助、看取り介護ができたと思います。

相談員の評価と課題
静養室に移られてからは、ほぼ毎朝〇〇〇さんの顔を見る事が出来ました。朝方なので眠られている事が多かったのですが開眼されている時に「おはようございます」と声を掛けると返事を頂くこともありました。朝の訪室時に、時々、無呼吸の状態が有りましたがしばらくすると大きく息をされ安心した事を思い出します。日中も毎日のように家族が来園されており〇〇〇さんも寂しい思いをせず過ごす事ができたのではと思われます。また、華道クラブがある時にはお花の先生も顔を出して声を掛けてくれていました。静養室はホールに近く、レクリエーションや療育音楽を楽しまれている利用者の声が響き良かったのではないかとも思いました。とても良い看取り介護が出来たのではないかと思います。

相談室長の評価と課題
・各部署で援助の内容を確認しながら適切な対応をとっていたと思う。しかし、それ以上にユニットのCW一人ひとりが〇〇〇さんのためにできる事を一生懸命考えチームとして取り組んでいた姿勢が、ご本人だけではなくご家族にもしっかり伝わり、緑風園とご家族が一丸となって〇〇〇さんを支える事ができたと強く感じた。“看取り介護”だから、ではなく入園してからの関わりの深さ、〇〇〇さんの話を聞きそれを日々の援助や行事等に繋げた事など、小さな事の積み重ねがこのような結果に繋がったと思う。改めて日々の援助の大切さを感じた。約6年間の関わりの深さがあったからできた事ではなく、入所日数の多い・少ないに関わらず、当園を利用されている方全てにこのような対応ができるよう、職員が一つになって取り組んでいきたい。
・看取り介護へ移行となった時点より、静養室に移動となった。今までご家族が面会に来ても4人部屋だったため遠慮していた部分もあったと思うが、個室となってからは少しでも長く一緒に過ごす時間が持てたと思う。ご家族にとっても貴重な時間を過ごせたのではないか。また全職員がそれぞれに挨拶をして声をかける事が来た事で、〇〇〇さんを通してご家族の方との交流の大切さを学ぶ機会にもなった。

給食部門の評価と課題
今回食事中止になる以前に看護師の方から、もうじき看取りになるので昼食時にも〇〇〇さんの好きだった味噌汁を提供して欲しいという話をもらい、一週間ほどだったが提供することができたのでよかったと思う。また状態の良い時に、厨房で用意しているアイスも食べていただけた。いずれも他職種から意見をもらい行ったことだが、今後は栄養士側から、看取りになった方の状態を見て経口摂取の働きかけが出来たらと思います。

施設長の評価と課題
ご家族が頻繁に面会に来て、最期のお別れの時間を過ごせたことが何よりだったと思います。職員のアイディアにより、心のこもった誕生会もできて、ご本人、ご家族にとって思い出深い時間を過ごせたのではないでしょうか。夜間の呼吸状態の変化などの連絡は、検討に値すると思いますが、家族への連絡は必ずしも看護職員による必要がないもので、連絡してはいけないという規定がない以上、利用者に不利益がない限り個別のケース判断で、「連絡する」ということがあってもよいと思います。そのことで苦情等があっても、それは最終的に施設長の責任なので、都度、最善の対応を考えながらということしかないのではと思います。

総合的な評価と課題
《評価》 
入浴は週2回 特浴に入浴できていた。居室から静養室に移る事で家族の来園の回数が少なくなり心配だったが、他ユニットのケアワーカー、他職種の方がたくさん訪室してくれていた。また、家族も〇〇〇さんの誕生会を開催後に来園の回数が増えた。今までの看取り介護の経験から早めに口腔ケア用の保湿ジェル使用する事で口腔内の保清を保つ事が出来ていた。また、傷が出来た時に使用する保湿ジェル等も使用できていた。禁食になるまでの間、経口摂取を維持出来るように看護職員、介護職員の連携が取れていた。禁食になってからも、〇〇〇さんの体調が良い時にはアイスやジュース等を厨房より提供でき少しだが摂取する事が出来ていた。看取り介護前より家族とのコミュニケーションが出来ている家族だった。担当ケアワーカー、看護職員、担当医ともコミュニケーションがとれていて。家族との外出行事を企画 幌別の苅田神社のお祭り、外食(寿司)と思い出が沢山あった。また、家族の方も緑風園祭り、月2回の華道クラブ等の園内行事に積極的に参加されていた。褥創や皮膚トラブルもなく最期を迎える事ができた。静養室の整理整頓、室内加湿器の水も切れる事が無く整備されていた。他職種を巻き込んで看取り介護を行えていた。
《課題》
○左下肢の壊死状態があり保護し注意を払っていたが、皮膚剥離の悪化を止める事が出来なかった。施設での限界を感じた。

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何とかしてくれ、介護福祉士合格発表


今年度の社会福祉士と精神保健福祉士の合格発表は3/14であったが、介護福祉士の合格発表は昨日の午後2時からであった。

学科試験のほかに実技試験がある介護福祉士は、毎年他の2福祉士よりも遅く、年度末ぎりぎりの合格発表となっている。

昨日は、社会福祉士振興・試験センターのホームページにアクセスして、合格者を確認したわけであるが、当然のことながら、合格発表の時間にはアクセスが集中して、なかなか繋がらなかったりしてイライラを募らせたりしていた。

なぜ僕がそのサイトで合格者を確認せねばならないのかと言うと、これは個人的な興味という問題ではないのである。

当施設は介護職員が正職員になる条件として、介護福祉士有資格者としており、資格がないことで契約職員のままの身分の人がいるのである。それらの人々で試験に合格して資格をとることができれば、晴れて正職員として採用できる人がいる。

つまり4月1日の辞令交付式で正職員として発令できるかどうかが、この合格発表にかかっている人がいるわけである。だからできるだけ早く合格・不合格の確認が必要になる。

なぜなら職員の採用や昇進、昇給等は施設長決済で認めることができるものではなく、理事長決済が必要になるからである。よって合否確認して、対象となる職員が合格していて初めて、正職員として採用し、〇等級〇〇俸を支給するという決済を挙げることができるわけで、合否確認できないと何もできないわけである。

しかも当法人の理事長は、施設に常駐しているわけではなく、現役医師として忙しく勤務しているわけだから、決済を挙げてすぐにその書類が戻ってくるわけではなく、ライムラグを見越した処理が必要である。

勿論、こうした状況だから、理事長にはあらかじめ、昨日の合格発表を見て決裁書類を挙げることも、合格したものを正規職員に発令する事も、不合格の場合は昇給事例だけになることも説明した上で、口頭では承認を得ている。だからと言って決裁書類が後先にできないわけである。

こうした時間のない状況での処理だから、対象職員が合格した場合と、不合格の場合の、2種類の書類を作っておかなければならないのも大変な手間である。

幸いにして、昨日は対象職員が皆、合格して決裁書類を挙げることができ、その決済も今日戻ってきてホッとしている。合格した皆さん、本当におめでとうございます。

しかしこの合格発表時期、せめてもう1週間早くしてもらえないものだろうか。

合格発表の時期といえば、管理栄養士の合格発表は、もっと困る時期である。その時期は5月となっている。そうすると管理栄養士が退職して、新たに新卒者を採用した場合、新卒者が一番早く管理栄養士の資格を手に入れることができるのは5月であり、栄養ケアマネジメント加算に必要な一連の業務を行っていたとしても、必ず管理栄養士の配置ができない月があることになって、合格発表が行われた5月末までに加算を届け出ても、算定は翌月からだから、2月算定できない月が生ずる。

毎年そうなるわけではないが、管理栄養士が退職して、新卒者を採用するたびにこの状態になる。新卒者が4月時点で、管理栄養士の資格を得ることができる時期に、試験を実施してくれないものだろうかといつも思う。

施設の費用算定や人事管理の都合で、国家試験の時期が決まるわけではないのはわかるが、人材不足の業界なんだから、こうしたことも踏まえて総合的に、試験実施時期を考えてほしいものである。

さて話しは変わるが、来週火曜から4月となり、消費税が8%になる。その時期に僕の新刊本、「介護の詩〜明日へつなぐ言葉」が出版されるわけであるが、4月以降に出版する理由の一つに消費税が上がるということがある。3月に出版してしまうと、翌月に3%価格を上げねばならないからである。

ところで、困るのは『人を語らずして介護を語るな』シリーズだ。現在は3作とも1,800円プラス税で、1,890円となっているが、4月以降は本体1.800円に8%を付加して、税込1.944円となる。4月1日以降に出荷する分は、カバーの定価表示部分に、「本体1.800円+税」と、シール貼りして対応するそうである。(書籍の場合、税込表示しなくてかまわないそうである)

しかしこれでは講演会場で販売する際に1円玉のお釣りが必要になり、販売協力いただく皆さんにも迷惑がかかる。どうしたものか検討中である。どちらにしても店頭販売や、ネットからの取り寄せは、今ならまだ旧価格だ。シリーズ全刊揃えていない方は、お急ぎの購入検討がお得である。

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白寿祝いを早めた理由


最初にお断りしておくが、この記事に掲載している画像は、撮影時に利用者や家族に、ブログ記事に使うことを承諾していただいている。しかし記事内容を考えると、この記事で紹介するケースの対象者の方と、そのご家族については、顔がわからないようにした方が良いという判断から、マスキング加工をさせていただいた事をご了承願いたい。(ご家族には、ネットには公開していない加工なしの写真を貼り付けた記事を記念に贈る予定である。)

さて本題。

ある方がターミナルケアの時期であることが、医師から家族に説明された。医療機関での対応の必要性も薄く、安らかに最期を迎えるための計画も具体的に説明されたことで、ご家族は看取り介護を当施設で行い、最後まで住み慣れた場所で過ごすという選択をされた。

ここまでは、いつもの看取り介護の確認と計画書の説明・同意と同じ経緯を踏んでいた。

少しだけ他のケースと違っていたのは、看取り介護計画の説明・同意の際に、誕生祝いをどうするのかということが話題になった点である。

看取り対象となった方は、この説明が行われた1週間後に99歳の誕生日を迎えられる予定であった。99歳のお祝いは「百」の字から一をとると白になる事から「白寿の祝い」とも称される。100歳以上の高齢者がかつてより珍しくなくなったと言っても、白寿を迎える人がそんなにいるわけではないということに変わりはなく、それは非常におめでたいことであるはずだ。

看取り介護対象となったご当人は、その時はまだ呼びかけに応ずることができる状態で、十分意思疎通可能な状態であった。しかし1週間後までにその意識が清明のままでいられるという保障はないし、残された時間があるかどうか微妙なところである。

そのような状況を鑑みて、ご家族の希望もあることから、看取り介護計画の説明同意をいただいた翌日に誕生祝いと白寿のお祝いを行うこととし、急遽準備を進めた。

その当日はご家族もたくさん集まってくれた。ご本人もお祝いの意味を十分理解して、嬉しそうな表情を見せてくれている。勿論、お集まりになったご家族・ご親戚はそれ以上に嬉しそうな表情を見せてくれている。
白寿祝い5
白寿祝い6
白寿祝い4
何度かこのブログ記事に書いているように、看取り介護とは、密室で行われてはならず、どのように施設の中で看取られているのかということが、第3者にも見える形が望ましい。しかし利用者自身が、「看取り介護の対象となっている」ということを認識しているとは限らないし、死の告知そのものである、「看取り介護の告知」をしないケースも多いために、終末期であるということを本人には知らせていないということを共通理解して関わらねばならないことがある。

本ケースもまさにそうしたケースであるが、だからと言って、施設の個室に利用者をひっそりと閉じ込めて、他の利用者が訪室さえもできないような寂しい状態にしてはならないと思う。

他の利用者の方が、対象者が看取り介護の時期であることを理解しつつ、そのことを本人には知らせない方が良いという事を理解し、実際に知らせていないことにも理解を示してくれるのであれば、看取り介護期であっても、施設の中の様々な場面で、看取り介護対象者と触れ合ってもよいわけである。

むしろ看取り介護期であるからこそ、対象となる方が最期の瞬間まで寂しくならないように、たくさんの人が訪室して、声をかけてくれることが望ましいと思う。だからこの会にも、仲のよいご友人として、緑風園で暮らしている人も何人か参加している。それらの人々も、お別れの日が近い事を理解してくれている人達である。

白寿祝い8
この方は、1週間後の99歳の誕生日も迎える事ができたが、その時はこの日に見せた嬉しそうな表情を引き出せるような状態ではなく、意識が混濁する時間が長くなっていたので、結果的に白寿のお祝いを早めたことは正解だったように思う。

99歳を迎えた数日後に旅立たれたが、ご家族も最後のセレモニーに参加し、ご当人の嬉しそうな顔を見る事ができたことで思い出が一つ増えたのではないだろうか。意識するしないに関わらず、命はこうしてリレーされていくのではないだろうか。

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「ご家族の皆様へ・ 愛する人の旅立ちにあたって」を改訂しました


当施設の看取り介護の実践には、いくつかのターニングポイントがあった。

介護報酬に看取り介護加算が設けられた平成18年には、加算算定ルールを最低基準とし、看取り介護指針を独自に作り、それに沿って援助を開始した。そのことによって、 利用者が回復不能の終末期であるというコンセンサスを、職員全員と家族の間で得ることの大切さをあらためて知る事となった。

平成20年4月には、看取り介護指針内容を変更し、御家族にアンケートを記載して頂き、御家族の本当の声を聞く機会を持つようにしたその回答をもとに、各部署での評価・課題点を話し合う機会を設けた。。その取り組みをさらに進めて看取り介護終了後カンファレンス開始(デスカンファレンス)を開始し、ご家族にもできるだけ参加していただくようにした。そのことは看取り介護の結果責任を強く意識ることに繋がり、その実践評価を施設内部の人間だけではなく、家族にもきちんとしていただくことは、決して看取り介護とは終末期になった時期のケアとして考えるものではなく、看取り介護になる以前の日頃の援助こそが大切であることが再確認できることに繋がっていった。そのために普段からスタッフが進んで声をかけるようになってきて、ご家族のリアルな声を聞く機会が増えた。そうしたエピソードを集めながら、普段の援助に活かす事ができないかを具体的に考え、実行する意識が高まった。

平成22年には、施設で看取ることに同意したものの、いざ最期の瞬間を迎えるに当たって不安を持つ家族の気持ちが明らかになり『愛する人の旅立ちにあたって』というパンフレット作成しを看取り介護開始の同意時に説明 するようにしている。
(文字に貼りついたリンク先からダウンロードできるので参照していただきたい。)

このパンフレットの作成のきっかけになったのは、死の直前に唇や口の中が乾燥して、喉もとでゴロゴロという音がする「デスラッセル(死前喘鳴)」という状態になられた方がいて、その時に苦しそうに見えた家族が、デスカンファレンスの際に、「あのような状態になるのなら、ここではなく医療機関で亡くなる方が良かったのではないか」という疑問と後悔の念を示したことによるものだ。我々の予測の範囲であったデスラッセルという状態を、事前に家族に説明しておかなかった事で、いらぬ不安感を持たせたという反省から、デスカンファレンスの場でそのことを説明するのではなく、看取り介護を開始することの同意を得る段階で説明することの必要性を痛感して、 特別養護老人ホーム緑風園・看取り介護パンフレット「ご家族の皆様へ 愛する人の旅立ちにあたって」として作成したものである。

このパンフレットは、苫小牧訪問看護ステーションの所長を務めていた門脇所長(当時)の作成したものを参考に、同氏の承諾を得て、内容を当施設に合わせて変更し、僕が作成したものである。

ここの最後に、「終末期の呼吸について」という項目を設けており、ここでは下顎(かがく)呼吸について説明しているのであるが、それがどうもわかりづらいと思い、昨日新しい文章に変更更新した。

看取り介護パンフレット
その部分が上の画像である。修正前の昨日までの文章は以下に示すので比較していただきたい。

旧)終末期の呼吸について
無意識に吐く息と同時に、声が漏れることがあります。
呼吸のリズムが速くなったり、遅くなったり30 秒前後、呼吸を休むことがあります。残された力を使って呼吸するために、肩やあごを使って呼吸します。ご本人は苦痛を感じていないので、静かに見守りましょう。


↑どうだろう?新バージョンの方が分かりやすいのではないだろうか。下顎呼吸は苦しそうに見えるが、それは酸素が不足して喘ぐように呼吸している状態ではあるものの、そのことは同時に脳内麻薬物質の生成を生み、恍惚状態となって苦しくないもので、この際に無理に酸素を送ると麻薬物質がでなくなり、余計に苦しいという事を説明に加えたものである。ご意見がある方はお聞かせいただきたい。
(※なお、当施設のケアマネからは、「くどくないですか?」と言われた・・・。チッ!!)

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