masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

ネット・掲示板・ブログ

運営規定のデジタル掲示義務化に向けて




現在、介護事業所の運営規程や設備・職員配置状況等の重要事項は、原則として事業所内での「書面掲示」が義務とされている。

だが、これはいかにもナンセンスである。かなりのボリュームの説明書を一定区画にまとめて壁掲示しようとすると、1ページのサイズは大きくすることができず、結果小さな文字の書式が何枚も壁や掲示板に貼られている状態になる・・・それは誰も読む気がしない細かい文字の羅列に終わっている。
壁掲示
文革時代の中国でもあるまいし、いい加減に壁新聞的発想をやめて、この状態を何とかしてほしいとかねてより思っていたところ、次年度からの基準改正で国がやっと重たい腰を上げた。

情報公開の仕組みについて厚労省は、政府のデジタル原則の考え方を踏まえ、重要事項の閲覧もインターネット上で完結できるよう見直すために運営基準を改正した。

1/15の介護給付費分科会では、このことについて下記の通り基準改正を諮問・答申されている。

(1)「書面掲示」規制の見直し
事業所内での「書面掲示」を求めている事業所の運営規程の概要等の重要事項について、インターネット上で情報の閲覧が完結するよう、「書面掲示」に加え 、原則としてウェブサイト(※)に掲載することを令和7年度から義務付ける。(居宅基準第32条及び第204条、居宅介護支援基準第22条、指定介護老人福祉施設基準第29条、介護老人保健施設基準第31条、地域密着型基準第3条の32、予防基準第53条の4及び第274条、地域密着型予防基準第32条、介護予防支援基準第21条並びに介護医療院基準第35条関係)
※法人のホームページ等又は介護サービス情報公表システム上に掲載することを想定

この基準では、「書面掲示に加え 」と書かれているので、当面は事業所内での掲示も必要とされることになる。(※本当に無駄で馬鹿げていると思う

ネット掲示を義務付けたにもかかわらず、事業所内掲示を残すことはまったく意味がないと思うが、それは次期基準改正あたりで不必要とされて、本当の意味で重要事項の閲覧もインターネット上で完結できるようになるんだろう・・・そう期待したい。

国の介護サービス情報公表システムなんて、誰もアクセスしていないのだから、そんな場所に掲載する手間なんてかけずに、自社の公式サイトに重要事項掲載する方法が一番手っ取り早い。それで基準クリアするなら、それに越したことはない・・・自社のサイトだって誰も見てないという意見もあろうが、同じく見ていない場所なら手間をかけずにアップできる方がよりましである。

そこでサイト更新担当者の方などに、この機会に見直してほしいことがある。

これからの介護サービス利用者は、団塊の世代の方が中心となってくる。その方々はスマホやタブレット・PCを使いこなしてネット情報で介護サービス事業者を選ぶ人たちだ。

その人たちが知りたい情報は何かということを考えて、公式サイトの掲載内容を見直してほしい。

理事長や施設長・管理者の挨拶なんて誰も読まないのである。もっとユーザーが求めている情報に敏感になってほしい。

例えば利用者が求めるのは、実際に自分にどのようなサービスを提供してくれるのかということだ。そこでサービス提供する人たちは、どんな人たちなのかということなのである。

行事・イベントで楽しく笑っている利用者の情報を出しても誰も食いつかない。もっと日常のケアの品質がわかる情報を公開すべきだ。

特にサービス実務に携わる人の本音が見えるようにする情報が求められている。多くの方々は、自分が実際にサービス利用した際に、本当にしてくれることの情報が欲しいのだ。

逆に言えば、ここに耳障りの良い情報が掲載されていても、実際にサービス利用した際に実態が異なってたら、それはすなわち不満そのものに置き換わり、他の事業所に変更する最大の要素となるだろう。

そうした視点から、利用者が求める情報を、わかりやすく正直に発信できる公式サイトに作り替えていかないと、公式サイトはいつの間にか古式サイトになってだれも信用しなくなる。

これを機会にあるだけのホームページを見直してほしいものである。






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介護系ユーチューバーの皆様へ



かねてから発信力が弱いと揶揄される介護業界ではあるが、発信媒体が多様化してきた今日では、その弱点を克服して世間に猛アピールしている業界関係者も少なくない。

文章が苦手で情報発信ができなかった人も、簡単に動画配信ができるようになってきたことも、発信力のある人が多数出てきた背景として大きいだろう。

世界最大の動画共有サービスであるYouTubeでも、介護系のチャンネルが増え、多くの登録者から支持を得ているユーチューバーの方も居られる。

しかし介護系ユーチューブチャンネル自体が増えてきて、どのチャンネルを見てよいかわからないというユーザーも少なくない・・・せっかく良い情報を発信しているにも関わらず、チャンネル登録者や視聴者数が延びないという悩みを抱えている介護系ユーチャーバーも多くなってきていると思う。

そこで提案を一つ。介護関係者にアピール度が高まるバナー広告を利用してはどうだろう。
バナー広告
僕が管理する表の掲示板「介護福祉情報掲示板」は、全国の介護関係者が集まる掲示板だ。

この板は、介護保険制度が施行された2.000年からネット配信しているので、介護保険制度と共に歩んできた情報掲示板とも言えるわけで、この手のネット掲示板としては歴史ある掲示板の部類に入るのだろう。しかも1日のアクセス数は3.000件を超える人気掲示板でもある。

この掲示板の上部にはバナー広告が掲載されている。

ここに広告を貼り付けることで、介護関係者の目に触れる機会は確実に高まる。そのためチャンネル登録者は確実に増えることだろう。

以前ここにバナー広告を貼っていた弁護士 外岡 潤が教える介護トラブル解決チャンネルもリンク先掲載中に登録者がたくさん増えたそうである。

バナー広告は6カ月もしくは1年の掲載期間が選択でき、継続掲載も可能である。料金や掲載ルール・無視込み方法については、バナー広告の募集についての文字リンク先を参照願いたい。

介護関係者に向けて、確実にアナウンス効果が高い掲示板のバナー広告で、介護系ユーチューバーの方々のチャンネル登録者が大幅に増えるために、僕もお手伝いしたいと思うので、是非ご一報いただきたい。






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効果が出ている介護職員の募集方法


深刻な介護人材不足に対応して、様々な工夫が求められる介護事業者・・・一番重要なことは、職員募集に応募者を増やす対策と、採用した職員が定着できる対策をセットで行うことである。

介護事業者の場合、職員募集に応募する人を増やす工夫をしていないところがまだ多く、募集はハローワークだよりと言った事業者も少なくない。

その為、そうした募集方法を工夫して応募者を増やす方策は多々あるのだが、せっかく応募者が増えて採用に繋がっても、それらの人材がきちんと定着できる対策をとっていないと底が抜けたバケツに水を汲んでいるがごとく、いつまでたっても職員不足は解消されない。

だが採用した従業員が定着するための方法がわからないという事業者が多く、そのための講演依頼が多くなっている。

今週も人材育成と定着の具体策について、オンデマンド配信される予定の講演録画を行ったばかりである。

そのような講演は時間に限りがあるため、職員募集に応募が増える方法はさておいて、より重要となる採用後の職員が定着できるように、何をどのように教育するのかというテーマに絞って話す機会が多い。

だが職員募集に応募が増えるように対策することも重要だ。

上に記したようにハローワーク頼みの職員募集で人が集まるわけがないのである。ましてや自社の公式サイトに募集広告を載せたとして、いったい何人の人がそこを見るというのか・・・自社の職員さえ見ていない公式サイトに、ネットサーフィンして誰かが寄ってきて、そこに載っている募集広告を見て応募するなんて言うことは、宇宙に漂うチリの一つを探すより低い確率だろう。

そんな中で、効果が実証されている公告方法が、僕の管理サイト掲示板のバナー広告だ。
掲示板バナー広告
画像のように2段組になっているバナー広告の下段に現在空きができているが、このうち3つは数カ月前まで介護事業者の募集広告を掲載していた部分である。

6カ月の掲載期間で、「広告の効果があった」・「広告に応募してきた人を採用して職員が充足した」ということで、広告掲載期間満了をもってバナー広告を取り外している。

この掲示板は一日数千人が利用しており、そのすべての人が介護関係者であるのだから、インパクトと効果があるのは当然と言えば当然でもある。

職員募集のバナー広告では、募集事業所が置かれている地域を冠にして「○○就職」とするとインパクトが大きいようだ。例えば登別市に所在する事業所なら、「登別市就職」と書いたバナー広告を設置すると、登別市に居住する人のみならず、登別市で働きたいと思っている人が応募してくることもあるそうだ。

実際に職員が充足したとして広告を取り下げた法人の方によると、他県からの応募者が予想以上に集まったそうである。

募集広告への問い合わせも結構来たという声も聞こえるし、バナー広告をクリックすると公式サイトの職員募集のページにつながるようにすることで、広告主の事業も広く広報できる。

そうした効果が見込めるので、この機会にバナー広告を掲示してみようと思う方は、「バナー広告の募集について 」の文字リンクをクリックして、詳細を読んだうえで検討していただきたい。

皆さんの採用のお手伝いができれば幸いである。






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利用者画像のSNSアップは慎重に。


介護事業者が組織としてSNSを運営することが当たり前の世の中になった。

そこでは利用者の方々が介護サービスを利用している様子がアップされていたりする。

同時に介護事業者に勤める従業員が、個人のSNSで職場の様子を画像アップすることもある。

そうであるがゆえに、事業者としてのSNSの管理に気を配る必要がある。このことに関しては、新年度に数多く入職してくる新入社員に対し、入社式などで厳重に注意を促してほしい。

特に気を付けてほしいのは、利用者が特定できる画像の取り扱いである。
SNSの使い方に注意を
職場が運営するSNSであろうと、個人のSNSであろうと、利用者の顔や姿を勝手にアップすることは許されない。

必ず利用者自身の同意を得た画像でない限り、ネット上にアップすることはできないことを知らない人はいないだろう。

しかしSNSに利用者が特定できる画像をアップすることについて、利用者同意を得ているから問題がないかと言えば、必ずしもそうとは言えない。利用者同意があって画像をアップしたのに、そのことが後々トラブルに発展し、損害賠償責任を免れなくなるという笑えないケースもあるので注意が必要だ。

特に個人のSNSであれば利用者の同意を得て画像をアップしても、それが即ち不適切行為だとされることがある。なぜなら介護事業者の従業員と利用者との関係は、職業を通しての関係であって個人的な関係ではない。個人的な場所であるSNSに、職業としてサービスを提供している利用者画像をアップすることは、同意の有無にかかわらず、守秘義務等の関連から許されないという考え方もある。

そのため職場のルールとして、個人のSNSに利用者画像をアップしてはならないとしている組織も少なくない。そのようなルールは過剰ルールとは言えず、労務管理上認められる制限ルールであると考えられている。

一方で利用者情報がSNSに流出することを恐れて、個人のSNS利用を認めないなどの制限は、社会通念上許されるものではない。従業員がSNSを利用すること自体は、職場の管理が及ばない個人の権利であるのだから、それを制限することは過剰な制限として認められないからである。

介護事業経営者や管理職は、まずこの区別をしっかり頭に叩き込まなければならない。

同時に事業者SNSに、利用者同意を得て利用者の姿をアップした際にも、すべて適切とは言えないことを知ってほしい。

それは同意能力の問題が問われるということだ。

僕の知るケースでは次のようなトラブルがあった。

ある特養で、認知症の方の写真を撮影し、本人にその画像を見せて、「ファイスブックに載せても良いですか?」と尋ねたところ、「いいよ」と言われたので、同意があったものとして画像をアップしたところ、そのファイスブックを見た家族から抗議を受けたケースがある。

家族の抗議内容とは、親せきや知人に親が特養に入所したことを知らせていないので、そのような画像アップは困るというものであった。

このケースは、謝罪と画像を削除することで事なきを得たが、場合によっては精神的苦痛を受けたと主張する相手に、損害賠償責任を生じかねないので注意が必要だ。

理解力と同意能力に問題がある人から、「良いですか」〜「はい」という口頭のやり取りだけで同意を得たとするのは、一般的な契約同意としては認められないことを理解してほしい。

すると、施設入所契約・サービス利用契約等において、介護サービス事業者と利用者間で直接契約を結んでおらず、家族等も共に同意する形の、「第3者同意契約」を取っている方は、SNSアップ等も全て、第3者同意の形を取らねば同意とは言えないと理解しておくべきだ。

ここをあやふやにしておくと後々痛い目をこうむることになる。

さすれば行事等の参加者複数を撮影して、その画像をSNSにアップすることは、簡単に行うことができる行為ではないことも理解できるだろう。

SNSにアップする利用者画像は、ぼやかして個人が特定できない形にしておいた方が、安全であることは間違いがない。
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時を超えて


新年、明けましておめでとうございます。

今年も無事に元旦の朝を迎えることができ、こうしてブログ記事を更新できることに感謝しています。

そして元旦という特別な日に、わざわざ僕のブログに来訪し、僕の乱暴につづった文章を読んでくださる方々にも感謝いたします。いつもありがとうございます。
2023年富士山の初日の出
※画像は、富士山ライブカメラより拝借した、2023年初日の出を浴びる富士山
読者の皆様にとってこの2023年という年が、素晴らしく良い年になりますことを祈っております。

僕自身も、今年も健康に恵まれ、全国各地で講演の旅ができ、おいしいお酒を楽しい仲間と飲むことができるように願わずにおれません。どうかそんな1年でありますように・・・。

さて元旦ですので、改めてこのブログのコンセプトについてお知らせしておきます。

以前から何度も書いていますが、このブログは非常に自分勝手な個人スペースです。そのため読者の気持ちを一切顧みず、読み手の希望も一切考慮に入れず、ただただ書き手である自分自身のために心の叫びを文字にして書き殴っております。

自らの心の叫びを、誰にも忖度することなくぶつける場所がこのブログなのです。

そうであるがゆえに、このブログを通じて社会を啓蒙しようという気持ちは一切ございません。誰かを教育したり、何かを変えようとする気持ちもありません。僕の正直な心の叫びを投げつけるだけの場所です。

それに対して共感・共鳴してくださる人が居ることは嬉しい限りですが、それを目的としているわけでもないことをご理解ください。

ここに書いていることが間違ってるとか、そんなことを書くべきではないと批判する人については一切無視します。僕のブログ記事を読んで不快になる人は、わざわざここにつないでくるなと思うだけです。

そのコンセプトは今年も変わりませんので、時には特定の人にとっては不快と感ずるような乱暴な文章を綴って終わりということもあるでしょう。

自分の心にたまった滓(おり)を焼き尽くすためには、それも必要になるのですから、それを許せない人は最初からここに来ないでください。その炎に燃やされてしまうような心の持ち主は、ここにつなげない方が良いと思います。

どうぞそのことをご理解ください。何度も書きますが、理解できない人はわざわざここにつなげないでください。

一言居士のごとく、人を嗜めようとする人は、ここには一番ふさわしくない人です。どうぞそのことをご理解いただきますようお願い申し上げます。

話は変わりますが新年早々に皆さんにお報せしたいことがあります。

それは昨日の大晦日の午後、ユーチューブで僕のインタビュー動画が配信されたということについてです。

配信元は、僕の管理する表の掲示板にバナー広告を掲載されている、「弁護士 外岡 潤が教える介護トラブル解決チャンネル」です。

ここに昨日15時、「菊地雅洋様にインタビュー!その1」がアップされました。

このインタビューは、昨年11/20にJR東室蘭駅近くのレンタルスタジオで録画されたものです。外岡弁護士が、わざわざ東京からこのインタビューのためだけに来道されました。人材育成・科学的介護・サービスマナー・地域包括ケアシステム・介護業界全体に求められる情報発信力等を多角的に論じています。

このうち第1回目は、『どうすれば人が辞めない?新人職員の指導法「叱る」+「〇〇」が超重要』となっています。

今後インタビューの続きを何回かに分けて随時アップされるそうなので、是非ご覧いただければありがたいです。よろしくお願いいたします。
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夜勤専任者が指名手配された特養の評判とその教訓


秋分の日を前にした昨日、特養の職員が利用者を殺害し、逃走している容疑で指名手配されたという驚くべきニュースが飛び込んできた。
指名手配犯
非常に残念で情けないことではあるが、介護施設を舞台にした殺人事件はこれが初めてではない。Sアミーユ川崎幸町事件を筆頭に、恥ずべき犯罪が過去にも起こっているが、仕事中に職場で入所者を殺害した犯人が事件後逃走し、全国に指名手配されたという点では前代未聞の犯行と言える。

介護事業者を舞台にした死亡・傷害事件は、虐待がエスカレートした結果の致死・致傷であることが多かったが、本件はそうした事件とは明らかに性格が異なり、特養という介護施設を舞台にした残虐な殺人事件であるといえる点でも特異性が伺われる。

どちらにしてもこの事件によって、介護業界全体が社会からの信用を失い、すべての介護施設が事件につながる何らかの病根を持っているように疑われ、事件が氷山の一角でしかないというような批判にさらされることは容易に想像がつく。まじめにかつ地道に高品質な介護サービスを提供している事業者や職員からすれば迷惑至極の犯罪でしかなく、怒りしかない感じない事件であるといえよう。

殺人容疑で指名手配されたのは、菊池隆容疑者(50歳)。事件の舞台となったのは、東京都北区浮間の特別養護老人ホーム「浮間こひつじ園」。こひつじに、とんだオオカミが潜んでいたものである・・・。

犯行が起きたのは9/15。菊池容疑者は15日午後10時に出勤し、同時刻〜16日午前1時ごろの間に、施設内で入所者の山野辺陽子さん(92歳)に暴行を加え、殺害した疑いが持たれている。

山野辺さんは16日午前7時25分ごろ、1人部屋のベッドの上で頭から血を流しているのを発見され、病院に運ばれたが死亡した。顔に複数の打撲の痕があったほか腕も脱臼しており、胸などに熱湯を掛けられたとみられる火傷も負っていた。隠しようもなく、隠す気振りもないような残虐な行為である。

菊池容疑者は事件後、宿直の勤務中だった施設を抜け出し、コンビニのATMで現金を引き出した後、都内や千葉県我孫子市・茨木県つくば市などを転々と移動していることがわかっているが、都内に戻った後の足取りはつかめていないとのことだ。現金を引き出した後、上野で悠々と入浴施設を利用しているなど、犯人のふてぶてしさも感じられる・・・。

同容疑者について、「気の短い人だと聞いています」と同僚が証言している報道も見られるが、職場のどういう場面で「短気」と感じたのかが気になるところだ・・・利用者に相対する場面で、そのように感じたのなら大きな問題である。

ところで同容疑者は、1週間に5回夜勤専任者として勤務していたそうである。つまり日中の勤務はなかったということで、業務の多くは特定フロアのワンオペという形だったのだろう。

そこではすべての決定権を一人で握る独裁者になれるかもしれない。しかも日中の勤務がないのだから、他の職員とチームで協力し合ってサービスを提供するという意識に欠ける懸念も生ずる勤務形態である。・・・こうした夜勤専任者を採用する際に、適切な選考と教育訓練はされていたのだろうか?

夜勤専任者を雇用している施設の多くが、人員不足に悩んでいる施設である。人数が足りないから、日中行わねばならない業務のためのシフトを組んだ時に、夜勤者が足りなくなるので、日中必要な業務を行うことができるスキルがない人でも、夜勤時間帯にそこに配置できて、必要最低限の業務をこなしてくれれば良いという形で、安易に採用しているようなことはなかったのか・・・。

そこで事件のあった施設のネット口コミ情報を検索してみた。
浮間こひつじ園のネット口コミ情報
事件が起こる前からの評判も随分悪いと言える。

こうした状態は、職員教育もまともに行われていないことを示しているように思う。サービスマナー教育なんて行われていなかったんだろうなと容易に想像がつく。前代未聞の事件の根は、案外そんなところにあるのではないのか?

どちらにしても本件に触れたすべての介護事業経営者や管理者が肝に銘じてほしいことがある。こうした職員が一人でも混じって事件を起こせば、それは職員個人の問題ではなく、介護事業者全体の社会的責任・道義的責任が問われる問題に発展して、事業経営危機に陥りかねないということだ。

だからこそ職員採用は慎重に、職員教育は十分に行わねばならないし、数合わせの夜勤専任者の雇用は危険いっぱいだということを理解すべきだ。

さらに画像を貼り付けたように、「介護施設や介護サービス事業所の口コミ情報」が簡単にネット検索できるようになっているということを十分自覚すべきだ。

ここに口コミ情報を書き込んでいるのは、施設や事業所を訪れる、他事業所の職員であったり、家族であったり、業者であったり様々だ。来訪者すべての人が、スマホを持ち、動画を撮影でき、映像や意見をネット配信できるのである。

タメ口対応を直すことができない職員を放置しておく事業者は、人生の先輩であり、お客様でもある介護サービス利用者に対して、「なんという無礼な言葉かけをしているんだ」と動画を撮影され、SNSにアップされて批判され、それが口コミ情報として永遠にネット上に残ってしまうのである。

そうならないように介護サービス利用者に対するサービスマナー意識を向上させ、ワンオペ勤務であっても常に適切対応ができる組織風土と職場環境を創っていかねばならない。

それが職場を護り、従業員と利用者を護り、すべての関係者に最良の結果をもたらす唯一の方法であることを改めて認識しなおさねばならないと思う。

事件を対岸の火事として眺めて終わりでは、いつその火の粉が自分の身に降りかかるかしれないと考えてほしい。
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情報とコミュニケーションが切り離れた世の中が生み出すもの


今日は何を書くべきかまとまっていない状態である。そのため思いつくままに、まとまりもない文章を綴らせていただく。

昨日は新聞休刊日だったが、そうであることを忘れるほど、新聞がなくても不便を感じることはない日だった。これは昨日に限ったことではなく、新聞が重要な情報ツールという位置から降りてしまった昨今の、「普通の状態」と言えるかもしれない。

しかしインターネットが普及していない頃は、新聞休刊日と言えば、世の出来事を知るために、テレビやラジオのニュースを観たり聞いたりする努力をした覚えもある。

しかし今はそんな努力なしで、日常のネット利用で情報は豊富に入ってくる・・・というより、情報であふれかえっていると言ってよい状態だ。

こんなふうにインターネットと端末の普及により世界は激変した。

しかもインターネットを利用するのが当たり前の世の中になったことで、人は誰もが情報の発信源となることが可能になった。
ネット社会
そこでは誰しもが主人公になれるのである。だから自分が一番正しいとか、優れているという勘違いも生まれる。

自分が発信した情報に、いちゃもんをつけるコメントに触れると、それが即ち攻撃であって、コメント主は敵であるという認識も簡単に生まれる。

ネットが普及する前なら、すれ違うこともない関係の人が、簡単に敵にも味方にもなってしまうのだ。しかも現実世界では見も知らぬ人がである・・・。

それが顔を出さなくても良いコミュニケーションの特徴である。そうした特徴が他者に遠慮・会釈のない態度に走らせる原因にもなっている。

このブログの主人公である僕自身も、このブログ上に関して言えば、そのような勘違いの主であると言われても仕方がない。・・・ただしここでの傲慢で遠慮・会釈のない態度は、ある意味確信犯でもある。

ここでいう確信犯とは、 自分の政治的・信念や道徳に基づいて、正しいと信じてその行為を行っているという、本来の意味として使っている。

他者にどう思われようと関係なく、自分の個人的意見を遠慮・会釈なく吐き出すことによって、様々なしがらみや遠慮によって、自分の何かが煮詰まってぐしゃぐしゃにならないようにしている。そんな場所として個人ブログを使っている。

だがそれを面白くないと思う人がいることも事実だ。

だったら自らこのブログにつなげてくるなと言いたくはなるが、どちらにしてもそこで人は以前にもまして、見知らぬ誰かから恨みや妬みを買うことにもつながっているのだろう。

それは損といえば、損なことであることは間違いがないが、自分の心の叫びを素直に表す場を作ろうという趣旨を貫徹しようとすれば、それも仕方のないことと割り切っている。

見知らね誰かに媚びを売ってまで、人に良く思われようとは思わない。その態度を潔しとして支持してくれる人も多いのだから、それを支えにしようと思う。(※というか気に入らない連中は、なぜわざわざ気に入らないおいらのブログに、自らの意思でつないでくるんだろう?理解不能である。

どちらにしてもネット以前と以後では、情報伝達の環境は激変した。情報の移動が速く・広くなり、しかも以前は情報のやり取りが即ち、人と人の交流であり面会であったものが、そうではなくなったのである。

それはある意味、情報の動きコミュニケーションは全く別物になったともいえるわけで、とても怖いことである。

だから世の中に、人と人のかつてないほどの希薄なつながりというものができた。顔も知らないし、本来なら縁もない誰かと、知らず知らずのうちに目に見えないつながりが生まれている可能性がある。それがすべて良いつながりであれば問題ないが、悪縁もあり得るのだから困ったものだ。

つまりどれだけツールが発達し、暮らしの中にハイテクが入り込もうと、それによって人間と人間の問題が減るわけではない。

むしろ顔の見えない関係性が際限なく広がる社会では、新たな複雑な人間と人間の問題が起こっている。

このコントロール不可能な問題と、我々はどう向き合っていかねばならないのかを、日々問われ続けるのがネット社会だろう。

だからこそ顔の見える関係は以前にもまして重要だと思うのである。

仕事もすべてオンラインですべて完結する職業も生まれてくるのだろうが、そうであっても人と人が直接向かい合って、オンラインを介さないコミュニケーションが必要無くなることはないし、むしろそうした機会がより大切になっていくように思う。

当事者同士が直接会わずに、物事が進められる世の中だからこそ、人恋しくなるというものだ。

だからこそ逢って話し合えるという関係性を大事にしたい。そうした繋がりを、もっと広げていきたい。
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先輩は見本となる人とは限りません


4月も後半に差し掛かったこの時期、学卒者の新入社員もそろそろ職場の雰囲気に慣れてきたであろうか・・・。

僕が介護福祉士養成校で教えた生徒も、新年度から介護事業者でたくさん働いている。

それら子たちが卒業する際に僕は、「新しい職場の先輩が全員見本になるなんて思うな。中には恥知らずの反面教師役しか果たさない人間もいる。」と言っている。

これって本当に哀しい送り出し教育ではあるが、介護事業の一面の真実を伝えなければ勘違いしてしまう生徒がいるので、致し方ないところである。

同時に、そのような言葉で卒業生を送り出さねばならない介護事業の民度の低さを何とかしてほしいと思う。
※勿論、すべての職員が手本となるような素晴らしい介護事業者があることを知っている。しかし残念ながらそのような事業者が少数派であることを変えなければならないという意味である。

そして卒業生には、その民度の低さに流されて、自分自身が後輩たちの、『高い志(こころざし)』を奪う人間にならないことを切に願っている。

だからこそこの時期に、すべての介護従事者の方々に願いたいことがある。

それは自分が新人職員の見本となる仕事ぶりをしているか、反面教師役にしかならないのかを振り返ってほしいということだ。

後者の姿は人に誇れない仕事ぶりでしかない。それは生活の糧を得るだけのむなしい仕事ぶりではないだろうか。少なくとも自分の子に胸を張れない仕事ぶりである。

それはある意味、人生を無駄にしているとしか思えない姿である。

働くということは、人生の長い期間を占める行為であり、それは自分の生きる意味を刻む行為でもある。

そのような行為をダラダラと続けなければならない苦行に貶めるのか、生きがいをもって楽しく続けられるのかという境は、その仕事に価値ある使命感を抱けるかどうかにかかっている。

対人援助の使命とは、関わる人の暮らしぶりを良くして、関わる人々が幸せになり、笑顔にあふれることである。

そのような結果責任を負えない介護であってはならないのだ。介護事業者で新入職員に仕事を教える立場の人は、人間尊重という価値前提を胸にして、利用者の方々に真摯に向かい合う態度を指導できる先輩職員でいてほしい。

その背中を見て、あんな素敵な介護職員になりたいと思われる人でいてほしい。

僕のFBでつながっている四国の介護福祉士養成校の教員の方が、「大切に育てた子たちです。介護業界を支える宝物です。現場のみなさん潰さずに育ててやってください。」と述べている。
若い芽をつぶさないでください
介護福祉士養成校の教員は、少なからずそのような思いを持っているのだ。それは志を持つ若者を潰す介護事業の実態を少なからず見てきているという意味でもある。

せっかく丁寧な利用者対応を教えているのに、就職した先で先輩職員の乱暴な言葉遣いに影響を受け、お客様である利用者に対し、無礼で汚い言葉遣いをすることに慣らされてしまい、いつの間にか丁寧な対応など欠片もなくなる新人職員であっては情けないのだ。

感覚麻痺の成れの果ての姿ほど、醜い姿はないことを自覚してほしい。

介護という職業に希望を抱きながら就業した人のうち、毎年何人もの人が数カ月で介護の仕事を辞めてしまっている。

その人たちは、『人の役に立てる職業だと思って選んだのに、人の役に立てない』・『利用者への対応が流れ作業になってしまっている』・『こんなやり方が、利用者のためになっているとは思えない』という理由で辞めている。

それに対して、「理想と現実は違う」という言葉で、現実を変えない人たちによって、志は潰されたまま放置される。それによって介護業界から去って戻ってこない若者が多くなるのだ。

これでは介護事業者から人材は枯渇して当たり前である。志が尊重され、低いレベルの現実を変え、一歩でも理想に近づける介護業界になってほしい。

理想」とは、それが最もよいと考えられる状態のことであり、その状態になってほしいと思うものである。それを目指さないで何がプロかと言いたい。

希望に燃えた若者たちの理想を潰すような先輩しかいない職場であってはならない。そういう職場に就職してしまった人は、できるだけ早く職場を選びなおす必要もあるかもしれない。(参照:人によって合う職場は異なります

自分が縁あって就職した職場は大切な場所だが、その中で起きていることがすべてではない。どうか井の中の蛙になってしまわないように、広く世間を見つめてほしい。

今の世の中はどこにいても、その気にさえなればあらゆる情報が手に入る。しかし有り余る情報の中から真実を探すのはとても難しいともいえる。

僕のこのブログや表の掲示板は、スキルを磨いて介護の仕事を続けたいと思う人がたくさん集まっている場所だ。

そうした志の高い人達が、根拠に基づいた介護の情報交換を行っている場所で、正しい知識と高い見識を身に着けてほしいと思う。

もうこの時期には、そこにはフレッシュな新人が訪れてくれるようになっているかもしれない。それともまだそんな余裕はないのだろうか・・・。

読者の皆様にお願いしたいことは、『磨けば光る才能を持ったかいごびとたちに、この場所を紹介して仲間としてつなげてほしい。』ということだ。

それも人材育成につながる方法の一つではないかと思うのである。
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加算返還する羽目になる意外な落とし穴


雪がすっかり溶けた登別市であるが、「」と呼んでよいのかどうか・・・寒い日が時々あったりして朝晩は暖房が必要な日も多い。

来週はもっと春らしさを感じることができそうな気温になるようではある。何しろ既に4月も折り返しを過ぎたところだ。年度代わりの喧騒もそろそろ落ち着く頃である・・・。

皆さんの職場でも、新人職員がぼちぼち仕事にも慣れてきて、新年度の慌ただしさも収まりつつある時期ではないのだろうか・・・。

そのような中で今週は久しぶりに、masaの徒然草を更新して、「人によって合う職場は異なります」という記事をアップしている。

新しい職場でスタートを切ったばかりの人と転職は一番遠い場所に位置するものだと思うが、今いる場所がブラックであったり、自分が思い描いた職場環境でない場合は、「咲く場所を変える」という選択肢もありかなと思うので、その際の参考にしていただきたい。
春はもうすぐ
利用者の方々に真摯に寄り添う姿勢がない介護事業者で、「幸せの樹形図・笑顔の樹形図」を描くことができないのであれば、介護という職業を続ける意味が見つからなくなる。(参照:しあわせ樹形図を描く介護

そのことは介護に携わるすべての人の胸の中に、しっかりとどめておいてほしいことである。

ところで表の掲示板では、先月末から管理運営費に資する目的で、有料バナー広告を募集していた。(参照:介護福祉情報掲示板(表板)の運営に関するお知らせ

おかげさまでその募集も好評を博しており、新たに5件の広告主がバナー掲載してくださっている。この場を借りてお礼を申し上げたい。

広告のラインアップも豊富で、自主出版の介護関連著書・僕が通所介護などでの利用を推奨している認知機能診断とトレーニングのアプリ・僕もたまに登場する日本最大の介護オンライン展示会・クラウド対応の高齢者介護ソフトなど介護関係者にとって貴重な情報サイトが並んでいる。

そんな中で昨日バナー広告を設置した、「弁護士 外岡 潤が教える介護トラブル解決チャンネル」は、介護関係者必見のユーチューブチャンネルである。

僕も早速チャンネル登録したが、勉強になる情報が目白押しだ。

例えばこのチャンネルの中の、「身体拘束廃止未実施減算の落とし穴」という動画では、「定期的に研修を実施しなければならない」という要件をクリアしなければ身体拘束廃止未実施減算の対象となってしまうが、定期的な研修とは、「年2回以上及び新規採用時」とされていることについて触れ、年2回の定期研修のみ実施していて、新規採用者に対して採用時の研修を実施していないとして減算指導を受けるケースがあることを指摘している。

僕も同様の指導ケースを複数知っており、これは結構大きな問題であると言える。

人材不足が叫ばれて久しい介護事業者では、新規採用は新年度採用ばかりでなく、年度途中にいつでも入職者があるという状態の事業者が多い。その際、ひとりであっても新規採用時に身体拘束廃止の研修を実施し忘れた場合、その時点に遡って減算とされてしまうのである。これは痛い収入減である。

そんなことがないように新規採用者に対して、採用月に必ず研修を実施しようと思っても、忙しくて講義ができないという事業者も多いのかもしれない。しかしその問題もばっちりこのチャンネルで解決できる。

なぜなら外岡弁護士は、「施設新規職向け虐待・身体拘束研修」という動画もアップしてくれているからである。

研修の時間や形態は定められていないので、新規採用者の採用時にこの動画を見せて、その記録をとるだけで身体拘束廃止未実施減算されないための研修要件をクリアすることになる。あとは年2回の定期研修をルーティン化しておくだけでよいのである。

そんな必見情報満載の外岡弁護士のユーチューブチャンネルは、表の掲示板のバナー広告からアクセスできる。一度ご覧になって是非チャンネル登録していただきたい。

ということで春の足音に耳を澄ませながら、思いついたことを綴らせていただいた。

こんなたわいのないことを書いている僕のブログを訪れていただいたことに感謝しつつ、今日の記事を締めたいと思うが、春を待つ気分を表す意味で、懐かしい昭和のフォークソングを下に張り付けておくとしよう。

僕と同世代の人は、ひと時あの頃に変えれると思うので、お聞きいただきたいと思う。

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介護福祉情報掲示板(表板)の運営に関するお知らせ


僕が管理する、「介護福祉情報掲示板」は、北海道介護福祉道場あかい花公式サイト上に設置しているネット掲示板です。

もともとこの掲示板は、僕が努めていた社会福祉法人の公式サイトに設置していたものでしたが、僕の退職を機に現在のサイトへ移行させました。その理由は当然ながら掲示板管理上の都合によるものです。僕が退職した後、社福の担当者から、「サイト管理はできても、掲示板までは手が回らないので、引き続き掲示板だけは施設長(※当時の僕)が管理した方が良いのではないですか?」と頼まれたため、僕の新しい仕事のために立ち上げた公式サイトに設置しなおしたという経緯があります。

社福時代の掲示板設置は、介護保険制度がスタートした2.000年に遡るので、そこから通算すると既に22年近く運営していることになります。

今現在この掲示板は、介護関係者必見の情報掲示板といってよく、いち早く正確な情報を得ることができるとして信頼性も高いとされています。また介護関連問題を深く議論して、根拠に基づいた結論を導き出すBBSとして広く認知されています。平日の1日平均アクセス数は概ね5.000件という人気の掲示板です。

掲示板利用者は介護関係者(ほぼ全サービスの全職種)だけではなく、医療関係者・行政関係者・介護関連業者の方々など、介護福祉の情報を求める方全般となっております。

誰でも無料で情報交換ができる掲示板ではありますが、当然のことながら設置・運営費用が掛かっております。この費用については、僕自身の活動経費と考えてずっと自己負担しております。

以前にいくつかの企業から、有料広告を掲載させてほしいと依頼を受けたことがありますが、すべてお断りしてきました。

しかし今後の安定したサイト及び掲示板の管理運営を考えると、管理・運営資金を得る手立てを、僕の現在の仕事以外に得ておくことは重要であるし、仮に広告を掲載したとしても、そのことによって情報のやり取りに影響を受けることはないだろうという結論に達しました。

そのため掲示板上に設置する有料のバナー広告を募集することにしました。バナー広告はPC・タブレット・スマホ・ガラケイともに以下の画面となって見えます。
タブレット及びスマホ画面の見え方
バナー広告・スマホ画面
PC画面の見え方
無題
見え方については、お使いになる媒体で特に大きな差はなく、このように表示されます。

毎日多くの関係者がアクセスしておりますので、広告効果も高くなると思われますので、是非バナー広告の掲載をご検討ください。

なお、広告掲載基準は、文字リンク先のとおり規定しておりますので。ご参照ください。

費用は下記のとおりです。

バナー作成費(設置費用を含みます)1万円
※ご自分でバナーを作成する方は、設置費用2千円のみいただきます。なおこの場合、サイズは、160*60としてください。またバナー広告表現ガイドラインに沿って作成ください。(※必ずリンク先のガイドラインを確認してください)

バナー広告掲載費用月1万円。※半年間または1年間の契約でお願いいたします。バナー広告設置後、バナー作成費(または設置費)と掲載期間合計の広告費をお支払い願います。

この価格はバナー広告としては破格の安さだと思います。収益を目的としているわけではなく、あくまで掲示板の管理・運営費の一部に充てる目的での費用設定であるということがその理由です。

当掲示板は、介護業界でも評判の高い掲示板で、毎日多くの関係者がアクセスしておりますので、広告効果も高くなると思われますので、是非バナー広告の掲載をご検討ください。
お申し込みは、「バナー広告希望」というタイトルで、下記までメールで連絡ください。
masa@akai-hana.jp
バナー作成の希望の有無をご記入の上、リンク先のURLをお知らせください。またバナー作成希望の方で、バナーに載せる希望の文言等がある場合もお知らせください。
(参照:バナー広告の募集について
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制度知識が足りない関係者が多いという現実


コロナ禍で迎える2回目の年末・・・皆さんは大晦日の前日をどう過ごしているだろう。

このブログの最初の記事は、2005年11月09日17:26に配信している。それからもう16年以上たったわけだが、こんなに長く続くことになろうとは自分でも驚いている。

そんなブログに今年もたくさんの人が訪れてくださった。訪問者数が増えるのを目的にしているわけではないが、そんな場所に訪問し続けてくれる方には、この場を借りてお礼を申し上げたい。

ただしこの場所は、誰かが読んでくれることを期待し記事更新しているわけではない。あくまで僕の心にたぎる思いを文字にする場所である。自分自身の熱い思いに身が焦がされないように、自らの心の鎮めのために創った場所だ。

だから読み手の存在は一切考えずに勝手な思いを書く。何かや誰かを口汚く罵ることも躊躇しない。それが嫌で不快な人はつなげなければ良い。そういう姿勢は来年も変わらない。僕が嫌いな人間はここに来るなということだ。

ところでこのブログは、「介護福祉情報掲示板」の裏板という位置づけでで設置している。その表板も相変わらずたくさんの人が利用している。

だがここも訪問者数が増えて嬉しいという場所ではない。志の高い人で知識を高めたいと考え、自分でも調べるという努力を怠らないという人だけが利用してもらいたい場所である。

根拠のない馬鹿なコメントしかできない人や、匿名で批判目的のみでコメントする人は使ってほしくない。来年以降もそのコンセプトは変えずに、僕の定めたルールを護らない人には、厳しく冷酷に対応し続ける。

優しく教えるだけの、くだらない掲示板は他にあるのだからそこに行けばよいのだ。

それにしても介護保険制度施行から20年以上経っているのに、いまだにこの制度の基本知識が浸透していないのはどうしてなんだろうか。

しかも制度の中核に存在している介護支援専門員という資格を持っている人が、介護支援専門員しかできない業務独占の仕事内容をわかっていない状態を見るにつけて、有資格者に対する信頼感が揺らいでしまうのではないかと心配になることがある。

例えば、「 居宅へ届く実績の保管について」というスレッドのコメントを読むと、複数の介護支援専門員が給付管理の際に、実績に合わせて給付管理単位しなければならないと勘違いしている。

給付管理票の単位数と、居宅サービス事業所の請求単位が一致しないと介護給付費が支払われないとでもいうのだろうか。そんな勘違いがなぜ起こっているのだろう。勉強不足としか言いようがない。

給付管理された単位以下であれば、居宅サービス事業所の請求額は支払われるのだから、いちいち実績に合わせた給付管理をする必要はなく、当初からの計画単位数で給付管理して問題ないわけである。これは利用者の体調が悪い時などは、当然サービス利用できないので、計画単位数より請求単位が減ることは想定範囲内だからこそのルールである。

計画単位数を上回ったサービス利用の場合のみ、その必要性を認めた場合は、計画単位を上回る単位で給付管理をしなければ、居宅サービス事業所には請求単位ではなく計画単位しか支払われなくなる(※返戻にはならない)という基本知識も持っていないケアマネが存在することも見て取れる。

その一方で、介護保険制度の細かなルールに精通して、ケアマネジメント技術にもたけている達人ケアマネジャーも存在する。

やはり介護支援専門員の一番の問題は、「人による質の差」であることは間違いのないところだ。この凸凹をどう慣らしていくのかが介護保険制度における課題の一つでもある。

その課題を解決するために行われていることは、ケアプランチェックの強化である。しかもそのチェックとは、ケアプランの内容を精査するものではなく、計画したサービスの占める割合であったり、数であったりするわけだ。

介護保険における給付の水準の考え方は「平等=当配分」ではなく、「公平=得られる結果が同程度になる」であるということの理解もない役人が、そのような方法でプランチェックして何の標準化が図れるというのだろうか。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

しかしその馬鹿馬鹿しさを生んでいる原因の一つが、制度の知識がないケアマネジャーの存在そのものであることが残念でならない。

そんな問題を解消することに少しでも役立つように、表と裏の板は来年以降も存在していくだろう。

ただしそこはいずれも優しい場所でもないし、上品なアドバイスとは無縁の場所である。
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公式HPを放置する事後者に人が集まるのか?


慢性化する介護業界の人材・人員不足は、ハローワークに職員募集をかけただけでは、有能な人材を確保できない状況を生んでいる。

そのため様々な職員募集の工夫が盛んに行われている。

その方法の一つとして、インターネットを活用するのは当たり前のことであり、介護事業者の公式HPは、「あるのが当たり前」であるし、SNSも活用しなければ人は集まらない。

しかしインターネットを活用しさえすれば人が集まると考えるのは大きな間違いである。

求職者がネットサーフィンして、たまたま自社のHPやSNSにつながり、職員応募に募集してくるなていう確率は極めてゼロに近いのである。

求職者が自社の公式サイトに積極的かつ主体的につなげてもらえるようにするには、求職していない介護関係者が日ごろから求める情報を発信し続ける必要がある。そうした日常的な発信情報を求める人々が集う場所で、職員募集広告が出されると自然と募集に応募は増えるのである。

SNSはそのための必須アイテムであり、SNSでつながる介護関係者を増やし、その何割かの方が公式サイトにつなげて情報確認するという流れを作っておかねばならない。逆に言えばSNSを利用しても、長い期間放置状態で情報が更新されなければ誰もそのSNSにはつなげようとしなくなる。それは存在しないのと同じことである。

SNSの更新情報も、介護施設や事業所の行事・イベントを紹介するだけでは、人の興味は引かない。そんな場所はあっという間に人気を失って誰もつなげなくなる。そのような情報は巷にあふれているだけに、発信情報も差別化を図っていかねばならない。そのためには様々な情報を多角的に発信したうえで、どのような情報に反響が多いかを常に確認するという作業が不可欠になる。そうした地道な努力を続けて、つながる人を増やしていかねばならない。

そのような努力をしないで公式サイトも更新情報がほとんどなく、放置状態の介護事業者が実に多い。公式サイトが存在しても、ほとんど誰からも見られていないなら、それは存在しないのと同じである。
6月24日のオンライン講演
※画像は昨日のオンライン講演会場の準備中の画像。昨日視聴していただいた皆さん、ありがとうございました。
だが見られない方がマシというHPも存在する。情報がまったく更新されておらず、新着情報が掲載されていないHPを見るだけで応募意欲を失う人は多い。URLがいまだにhttpで、https対応していないところが、時代のニーズにマッチする形で今後の事業戦略を適切に立てられる事業者であるとは思えない。そんな公式サイトは閉鎖した方がましだ。

求職者が募集に応募する際や、面接を終えて実際に就職を打診された際には、公式サイトにつなげて、自分が働きやすい職場なのかを確認する傾向が強い。しかしその8割は、PCでアクセスするのではなく、スマホもしくはタブレットでアクセスするのだから、PCのインターフェースより、スマホのインターフェースにこだわってHPづくりをしないと意味がない。

そしてせっかく公式サイトにつなげた人ががっかりしないように、知りたい情報を得られるようにすべきである。理事長や経営者の顔や挨拶なんか誰も見たいと思っていない。そんなものを前面に出す公式サイトで人が集まると思う方がどうかしている。

職場の理念などHPで確認しても、本当かどうかわからないのだから、そんなものも多くの人は見ない。

求職者が求めるのは、自分がどんな待遇で、どのような環境で働くことが出来、教育訓練機会やキャリアパスは具体的にどうなっているかである。スマホで公式サイトにアクセスする人が、そのような情報に容易にたどり着いて、即ダウンロードできる公式サイトを作成しなければならないのだ。

僕は今60代であるが、スマホやタブレット・PCで情報を検索するのは毎日当たり前の作業である。僕と同じ世代の人も同じだろう。

かつて介護事業者の公式サイトが作成し始めたころは、ネット利用するのは30代以下の世代が主であり、ネット上に情報があっても40代以上の人にそれは伝わらないと言われていた時期がある。しかし時代はもう変わっているのだ。

職員募集に応募するすべての対象者は、ネット情報を利用している人だと考えて、人を集めることが出来るSNSと公式サイトを構築していかねば、介護事業経営を続けるための次世代を担う人材確保は難しくなることを自覚してほしい。

介護サービスを利用する団塊の世代の人々も、自分が利用する通所サービス事業所をネット検索して探す時代であるという変化に気が付かねばならない。

インターネットを通じた情報発信力を軽視する介護事業者に、明るい未来は存在しなくなるのである。
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正しい知識と情報を得られる場所という宝物


介護に関する情報掲示板を管理するようになって、もう20年以上経っている。

そこは介護保険制度施行時から続いている介護情報の掲示板で、現在では1日に万単位のアクセスがあることが普通の状態になっている。

過去にはフジテレビの、「任侠ヘルパー」というドラマで、主人公(元SMAPの草薙さん)が、この掲示板を使って検索している場面が放映されて話題になったこともある。
任侠ヘルパー
そんなエピソードもあることから、介護関係者にはそこそこ有名な場所になっているのだろうと想像する。

だからと言ってこの掲示板は誰でもウエルカムというわけではない。

質問を繰り返しすだけで、自分で根拠を調べようとしない人や、基本法令を読まないでネット情報だけで知識を得ようとする輩は、時に罵声を浴びることになる。

その時、「馬鹿」などという汚い言葉を使ってはならないとたしなめる人間も出てくるが、お上品な建前が好きならこの場所にはつなげるなと言いたい。

評論家風に正義を気取って、駄目なものに駄目ということさえたしなめる輩なんて必要としていない場所だ。そのことを理解できない輩は、ここを利用しないでほしい。

親切ごかしに、なんでも教える方がよほど不親切だと思う。知識につながらないからだ。励ましが時には甘えにつながる。そのことの方を強く恐れる場所である。

駄目なものは駄目というし、自分で考えようとする姿勢がないものには、汚い言葉でののしるのだ。それでも、「なにくそ」とめげずに、知識を得ようと頑張る人には、一転して応援もきちんとする場所なのである。

そういう場所であることを理解して利用してもらいたい。

繰り返しを恐れず書くが、なんでも教えてくれて、励ましの言葉だけを求める人は、どこかよその掲示板を使ってほしい。くれぐれも僕の掲示板に繋げないでいただきたい。

この掲示板では管理人の僕自身が、介護保険関連のほぼ全領域にわたって回答することができるため、質問スレッドにコメントがつかずに流れるということはほぼない。だからと言って僕のコメントが常に正しいわけでもない。

人間だから勘違いもある。間違った知識を正しいと思い込んでいることもあるし、そろそろ年だから大事なことを忘れてしまっていることもある。

つい先日も、小規模多機能居宅介護の開始や終了は、「日割り」ができずに、月額定額報酬だと勘違いしてコメントを付けたことがある。しかししれは間違いで、月額包括報酬の日割り請求にかかる適用資料には、月途中の契約開始や終了は日割りにできる旨が記載されている。

そのことを行政関係の方が指摘してくれた。ありがたいことに僕の管理掲示板は、間違いを間違ったまま流すことなく、必ず正しい情報に修正してくれる場所でもある。間違いの指摘をしてくれて、正しい知識を与えてくれる僕以外の誰かが多数いてくれるのだ。

そんなふうに介護関連の様々な専門知識を持った人がたくさん集まっているので、きちんとした根拠に基づく正しい知識を得ることが可能な場所だと自負している。

そういう人たちが、僕の乱暴なコメントにもめげずに使い続けてくださっていることに心より感謝したい。

僕にとってはそこが何よりの宝となっている。だから毎日の掲示板の管理なんてちっとも大変ではない。

あまり品行方正ではない僕と、ネットを通じて意志疎通をしてくださる方々のご多幸をお祈りして、今日の記事を締めたいと思う。いつもありがとうございます。
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今年もよろしくお願いします


2021年の元旦を迎え、この場を借りてご挨拶を申し上げます。
地球岬の初日の出
明けましておめでとうございます。・・・この言葉を使うのは少しだけ躊躇しなければならないほどの、未曽有の感染症との戦いが続いていますが、今年は良い方向に変わっていくことを信じて、この新しい年に希望を持ちましょう。

今年は介護報酬改定の年に当たります。1月中にも行われるであろう運営基準改正と介護報酬改定の諮問・答申を待って、報酬単価や算定要件を確認し、4月からの新報酬算定に備えた準備を勧めなければなりません。

自分が所属する事業者にとって、その体制に一番マッチする加算の算定の仕方について、どの加算を取得し、その加算を捨てるのかを事業経営の視点から考察しなければならない立場の人もいるでしょうし、新しい運営基準や報酬体系がどうなるのかを、職員に対して伝える役割の方もいるでしょう。

そうした立場の方にとっては、日常業務をこなしながらも、常に情報のアンテナを張って、最新の正しい情報をキャッチしていく心構えが必要になります。

来年度から即対応しなければならない基準改正として、次のようなものも含まれています。
・利用者からのハラスメント対策の強化
・施設系サービスにおいて、安全対策担当者を定めることを義務づける(※6カ月の経過措置)。事故発生の防止等のための措置が講じられていない場合に基本報酬を減算する(※6カ月の経過措置)。組織的な安全対策体制の整備を新たに評価する。
・研修の受講状況等、認知症に係る事業者の取組状況について、介護サービス情報公表制度において公表することが求められる。


このうち、「6カ月の経過措置」という意味は、その体制を2021年4月を起点にして、6カ月に整えていない場合、2021年10月から介護報酬の減算対象となるという意味で、待ったなしの体制づくりが必要です。コロナ禍が終息していない時期に、大変な業務が目白押しでしょうが、担当者の方はもうひと踏ん張りが必要だと覚悟を決めましょう。

しかし制度や報酬体系がどのように変わったとしても、対人援助の基本は変わりません。そこでは人間尊重の価値前提を忘れることなく、利用者の人権を護り、権利を保障し、暮らしぶりを良くしていくことが求められます。

しかし残念なことに、介護業界全体を見渡すと、バリアや毒がそこかしこに存在しています。人材不足が起因となって、対人援助のスキルがない人がこの仕事を続けています。スキルを磨こうとしない人が、低レベルの知識と技術しか持たないままで、介護の仕事を続けているという実態もあります。

人がいないから貧困なサービスも有りと考えたり、仕事が大変だからストレスがたまるはけ口を、利用者への暴言や暴力の理由にする輩がなくなりません。

サービスマナーに欠け、本のないタメ口が、家庭的な介護や親しみやすさにつながるとして、丁寧な言葉遣いや態度を否定する心の悪い職員が存在するのも事実です。

そうした輩は、介護の場で簡単に人を傷つけます。人権を否定する行為をいともたやすく行っています。しかし他人の人権を否定することは、その人の人間性そのものを否定することなのです。それは人として許されない行為であり、そういう人間が介護という人の往来ベート空間に向かい合う仕事をしていることは恥ずかしいことなのです。

介護は人の暮らしぶりを良くするためにあるものです。人が少しでも幸せになれるように手を差し伸べる行為です。人の尊厳が護られ、豊かな暮らしを送るために掲げる理想や理念は、幻想ではなく実現でき・実現しなければならないものなのです。

今年もその実現に向けて、ともにつながりあいながら、前に進んでいきましょう。これまでの出会いに感謝して、「さくらびと masa」もご覧になってください。

今年もどうぞよろしくお願い致します。2021年が皆様にとって幸多い年となることを願っております。

なお明日2日と明後日3日は、箱根駅伝を完全視聴したいので、ブログ記事の更新はお休みの予定です。次の更新は4日(月)になると思いますので、よろしくお願いします。
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街も暮れ行く


今年も残すところわずか12時間余りとなった。僕は今、70年代を思い出しながら、学生時代によく口ずさんだNSPの唄を聴きながらこの記事を書いている。

大晦日から元旦にかけて、日本海側は大雪の心配が示されているが、登別は太平洋側の海岸に面した地域で、今日も明日も曇りの予報となっており、雪の心配はなさそうだ。その代わりと言っては何だが、気温はかなり下がっており、今朝も氷点下10度近くまで冷え込み、今現在も気温は氷点下のままである。

この地域には、「地球岬(室蘭市)」という初日の出スポットがあるが、明日は曇って日の出が観られるか微妙なところである。コロナ禍はまだ終息していないので、明日の初日の出見学も控えたほうが良いようだ。

それにしても今年は、新型コロナウイルスの対応に明け暮れるという大変な年になった。テレワークやリモート対応が一気に10年先に進んだとはいえ、それ以外は支障と不便だらけの、日常が奪われる年になった。

我が国のコロナ騒動を振り返ると次のようなエピソードが浮かぶ。
2020.1/15神奈川県で国内1例目の感染者確認
1/28奈良県で日本人初の感染者確認(国内6例目)
2/53日に横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号の集団感染を確認
2/8武漢で日本人初の死亡を確認
2/13神奈川県で国内初の死者
2/21国内感染者数が100人を突破

このように今も第3波に翻弄されているコロナ禍は、今年の1月に始まっているわけで、まさにコロナウイルス一色の年であったと言えるわけである。

この影響で介護施設では、いまだに外出・面会制限を続けているところも多い。しかし漫然と制限だけを続けていて良いのだろうかということも考えてほしい。

施設のトップや管理職の方々は、制限していることが対策を取っていることと勘違いしては困る。事業管理とは、その時々の状況と個別のケースに見合った環境になっているかということを、常に高い木の上から見つめて、正しいと思える方向に職員を導くことである。一度決めたルールに胡坐をかいて全体を見なくなっていては事業管理もくそもない。

管理職は自分を厳しく律しながら、管理する人や環境に対しては常に優しい目線で見つめることが求められるのだ。対人援助サービスであれば、その優しさがない者は管理職として適性がないと言っても良いのである。

少なくとも看取り介護対象者の方については、リモート面会で済ませるような対応で終わらないようにしてほしい。耳は最期まで聴こえるというが、テレビ画面を通した音声が正しく聴きとれるのだろうか?別れ際のエピソードを心に刻むことは、遺される家族にとって非常に意味深いことであるが、リモート面会ではそれができない場合があるのだ。特例で面会を認める条件例づくりをしておいてほしい。

人を苦しめるものは、往々にして目に見えない何かである。暗闇の中での想像は、たとえ愛している人でも怪物にしてしまうときがあるものだ。今僕たちは目に見えないウイルスと闘いながら、日々未知の事柄と相対している。そんな中ですべて正しく対応できる人なんているはずがない。

しかし忘れないでほしいことがある。人類を発展させてきたものは、戦いではなく助け合いだった。人を進歩させてきた原動力は、憎しみではなく愛なのである。

そのことを胸にして、新しい年に希望を見出して歩んでいきたい。

このブログの読者の皆様にも、来るべき2021年が希望に燃える年であることを願って、読者の皆様に感謝しつつ、今年最後の記事を書き終えたいと思う。「さくらびとmasa」の動画を観ながら、過去の出会いを振り返って大晦日を過ごしたいと思う。

それでは1年お世話になりました。
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もうひとつの少年期の現場・遠軽にて


このブログは2005年11月09日から始まっている。(参照:裏板風にブルグを作ってみました

そのブログを開始した時期に、「Think about my Daughter」と名付けた記事を4日連続して投稿していたことがある。
Think about my Daughter 〜「もうひとつの少年期」との出会い】・【Think about my Daughter 2 〜 僕は天使ぢゃないよ。】・【Think about my Daughter 3 〜 彷徨】・【Think about my Daughter 4 〜 最終章:光と影。

この4回シリーズの最後の章に僕は、「もしかしたら、これを書きたくてブログを始めたのかもしれない。」という文章を書いている。それだけ思い入れのある記事と言えるかもしれない。そしてその思いにつながっているのが、そこで紹介した「もうひとつの少年期」(注・すでに廃版となっている)という本との出会いであった。

その本の舞台となっていた、「北海道家庭学校」のある地が、「遠軽町」である。

僕は昨日、その遠軽町を初めて訪れ講演を行なった後に一泊し、今日の午前中のうちに遠軽を発ち、旭川〜札幌と2回の乗り換えを行って登別に向かう途中である。

昨日は遠軽町に着いてすぐ、北海道家庭学校まで案内していただいた。かつては「教護院」と言われた現在の自立支援施設である北海道家庭学校の創始者は、日本の福祉の先駆者ともいわれる留岡幸助先生である。
北海道家庭学校
この門の向こう側の広大な敷地に寮や礼拝堂、博物館等の様々な建物が点在し、畑なども広がっている。

北海道家庭学校はいわゆる、「小舎制」で、夫婦一組の指導員と児童が生活を営み、更生の手引きをするという特徴がある。
家庭学校地図
北海道家庭学校本館
昨日は敷地内をひとまわりして、各寮を見学する時間しかなかった。
がんぼう岩
遠軽の名所といえば、「がんぼう岩」。壁のようにそそり立つ岩山である。その頂上に東屋が立っているので、そこまで足を延ばした。
遠軽町
がんぼう岩からの景色。あいにくこの日は霧雨でガスっていた。天気の良い日にもう一度見たい風景だ。

ところでこのがんぼう岩は自殺の名所でもあり、知る人ぞ知る心霊スポットでもある。がんぼう岩の下の平地では、夜な夜な自殺した方が徘徊する姿が見られているだけではなく、数年前、地元の信金がカレンダーに、がんぼう岩の写真画像を載せてを配ったところ、そこに写っているがんぼう岩の写真に、複数の人の顔が映っており、カレンダーを慌てて回収するという事態になったそうである。幽霊とか心霊現象とかを信じない人がいるかもしれないが・・・絶対いるよね!!

さてその後講演も無事終わって、夜の食事は講演主催者の皆様とオフ会。その模様は「masaの血と骨と肉・牧場で働いて、うしをしる。」をご覧ください。

僕は今、遠軽をあとにして自宅に向かって移動中だが、北海道は大雨でJRダイヤが大幅に乱れており、いつ自宅に着くことができるのか、はたまた今日中に自宅に着けるのかわからない状況だ。本来ならこの時間は、旭川から札幌に向かう特急列車に乗り換えているはずだが、まだ旭川にも到着していない。・・・ということで旭川以降の乗り継ぎの目処も立っていない。まあ今日は予定も特段入っていないので、気長に旅しようと思う。

ところで、明日からお盆休みをはさんで9連休という人もいるそうであるが、台風シーズンでもあり旅行を予定している方は、移動には余裕を持って予定を立てていただきたい。僕はこの間、執筆作業で家に籠る予定だ。

それでは皆さん、良いお盆をお迎えください。

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勘違いしている人々へ告ぐ


このブログは2005年11月9日の「裏板風にブルグを作ってみました」という記事を書いたときから始まってる。

それから13年間、平日はほぼ休みなく1日1記事のペースで毎日更新を続けてきている。

このブログにはアクセスカウンターも設置しており、その数は1媒体からは何度つなげても1カウント/日にしかならない。そういう意味ではカウンターの数値は実アクセス人数に近い数字が打ち出されているといってよいだろう。その数は当初十数件から始まり、現在では3500人超/日平均となっている。

カウンターを設置しているのだから、アクセスする人がどれだけいるということについて、それなりに興味があることを否定しないが、だからと言ってアクセス数が伸びることを目的にはしていないし、仮にアクセスする人が極めて少なくなっても、僕はこのブログを書き続けるのである。なぜならこのブログは、読んでもらうために書いているのではなく、自分の気持ちを吐き出すために書く場所を作ったということに過ぎないからだ。

ところでアクセス数といえば、3.11が起きた後には、1日のアクセス数が一気に1.000件以上減り、元の数に回復するのに数カ月を要したことがある。しかしそれは一時的にこのブログにアクセスできなくなったすべての人が、再アクセスするようになったわけではなく、あの地震と津波で命を失われた読者もいるということだろうと思う。

過去に数値を刻んでいた人で、もうこのカウンターにその数値を刻めなくなったさ人の思いをつなげる情報を発信していきたい。

思い起こせば当時、避難所で僕の本を読みながら「たった1冊のたいせつな財産・・・。」というブログ記事を発信してくれた、「しゅうさん」のような方とも、知らず知らずのうちにネットや本を通じて繋がりができていた。

そういう意味では、このブログを通じて多くのものが僕にもたらされているといってよいが、だからと言ってこのブログは読者のために設置しているわけではない。何度もここで書いているが、ここは僕の魂の叫びの場であり、誰も読んでくれなくとも良いから書くというのが僕のコンセプトであり、そうであるがゆえに読者の読後感など全く配慮しない場所だ。

自分のお金を使って設置している掲示板やブログについては、極めて私的な場所で、ここに公的責任も何もない。よって読んで不快を感ずるなら2度とつなげるなと言いたい。勝手につなげて自分の意見や価値観と違うからと言って文句を言うなと言いたい。このブログの在り方とは、「物知り顔の忠告などいらない」という記事に書いている考え方がすべてである。

先日もくそコメント・ゴミコメントを書きこむ輩に対して罵声を浴びせるコメント返しをしたが、それを読んだ叱言居士を気取ったような輩が、「普段、利用者に丁寧語で接するべきだと言っていることと一致しない態度だ」とか、「マナーを護るように言うわりに、マナーがない」、「今まで積み上げたものが一気に崩れる」などと、したり顔の意見を書き込んできた。まったく馬鹿者としか言いようがない。

仕事におけるプロとしての態度として、利用者に対するサービスマナーを徹底するという姿勢を貫くことと、ブログ管理上の分かっていない輩への対応とごっちゃにしてどうするんんだ。

事実として言えば、僕は介護の仕事に携わる中で、利用者に接する際に「タメ口」で会話することは決してない。30数年間すべての利用者に対して丁寧語で対応している。同時に丁寧語で対応する利用者から親しみを持たれているのも事実だ。

だからと言って職場でプロとして接する態度そのままに、プライベートも過ごさねばならないなんてことはない。プライベートで友人や知人に接する際は、砕けた態度でタメ口も普通に使っている。

ましてや表の掲示板や、このブログについては、最初から学ぼうとしない者、根拠のない価値観を押し付けるものはつなげるなと宣言している場である。したり顔の忠告者などいらないのであり、そう宣言しているにも関わらずゴミコメントを書いてくる輩には罵詈雑言を投げつけるのが、「お約束」の場所なのである。そのことを利用者に対するマナーと比較する考え方がおかしい。頭が悪いとしか言いようがない。

そんなことを書かれて不快になることが嫌なら、そんな掲示板やブログを利用しなければよい。つなげていただく必要は全くないのである。

だからと言って、表の掲示板や、このブログの中で発言している僕が、そのまま僕の人格ではないことは、僕と一度でもで逢ったことがある人ならご存じだろう。

この場所で創り出している人格はネット人格であり、それは架空の人物といっても過言ではないかもしれない。

ネット掲示板やブログ情報に寄りかかって、甘えて学ぼうとしない連中が、他のお優しい掲示板の中にうようよしている。ここはそうしないのである。根拠に基づいた情報、自分の頭で考えた意見を徹底的に求めるために、甘えのある意見や、反対のための反対論とは徹底的に戦う場所なのである。

行政職員がこう言っていた、というあいまいな根拠で意見を述べる人を許さない場所なのである。

この姿勢は2019年を迎えても何ら変わることがないだろう。それでも良いという人だけが、このブログや、表の掲示板を利用すればよいのである。

そういう人だけがここにつなげて、やがてそれがきっかけとなって、人の縁としてさらに深くつながっていくことができればと思う。

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介護施設の常識が世間の非常識であることを感じた一瞬


スマートフォンやタブレットが普及して、動画が簡単に撮影できる時代である。さらにインターネットは日常に欠かせないツールとなり、SNSを利用していない人が少数派になっている。そのため日常のさりげない映像や画像がSNSにアップされるようになった。

その中には介護施設の日常場面がアップされているものも珍しくはない。

介護施設などの利用者が、その中で楽しそうにしている映像・画像に心を癒されることもある。しかしそこに映る人にきちんと承諾をとって撮影したうえで、ネット配信の同意も得ているのだろうかと心配になることもある。どんなに素敵な笑顔でも、不特定多数の人が見ることができるネット画像として配信されることを好ましく思わない人もいるはずで、このあたりの配慮を常に忘れないでほしいと思う。

それとともに、良かれと思ってネット配信している映像が、世間の常識から乖離していると思われるものもあり、介護施設等の非常識さが見て取れるものもある。

先日、僕とフェイスブックでつながっている人の配信映像を見て、そのことを強く感じた。

今、各地で猛暑となっていることから、介護施設でも涼やかに過ごすためにいろいろな工夫がされている。そんな一場面がSNSを通じて映像配信されていた。

その映像とは、ある特養がお昼ご飯の時に、「流しソーメン」を行って、利用者の方がそれを食べているシーンである。そのこと自体は、被写体となっている方に同意をいただき撮影して配信しているとしたら何も問題ないだろうとは思う。

しかしわすか十数秒のその映像に僕は涼やかさを感じることはできず、不快感しか持つことができなかった。そして介護の現状がこれでいいのかと憤りさえ感じた。介護施設の非常識が、このような場面でも存在していると思わざるを得なかった。

その映像では、竹で作った本格的な流しソーメンのレーンに、「そうめん」を流し入れて、入所者と思しき女性がそれを食べる様子が写されていたのであるが、ソーメンが女性の前に流されてきたとき、画像に飛び込んできたのは、誰かの腕である。画面にいきなり出てきたその腕は、素手のまま流しソーメンのレーンに突っ込まれ、その素手でソーメンを掴んで流れを止め、女性利用者が箸でそれをすくって食べている。

僕がそこで感じたものは、涼やかさでもなく、ほのぼのとした気分でもなく、気分の悪さでしかなかった。

素手でソーメンを掴んだ人は、事前に手をよく洗って不潔な状態ではないのだろうと想像する。しかし自分が口にして食べるものを、素手で掴んで箸ですくわせている状態が普通の食事シーンとしてあり得るだろうか?ましてや素手でソーメンを掴んでいる人は、調理専門の人ではなく、自分以外の他の人の食事介助も同時に行っている人であったとしたらどうだろう。ソーメンをすくえない人の介助が必要であるならば、せめて素手ではなく箸を使って流れを止めるお手伝いをするくらいの配慮があってもよいだろう。

僕は決して潔癖症ではないが、素手でレーンに流れるそうめんを掴むことに涼やかさもさわやかさも感じないし、そんな流しソーメンを行う意味も分からない。

素手で麺を掴むくらいなら、流しソーメンなどせずに、最初から器に盛ってソーメンを出してくれと思う人がいても当たり前ではないだろうか。僕自身であれば、そんな流しソーメンは決して食いたくない。僕にはその場面は楽しそうに食わせてさえおけば何でもありみたいな映像に映って哀しい。

どちらにしても世間一般的に言えば、流しソーメンのシーンで、第3者が麺を素手でつかんで流れを止めるなどということを行なえば非難の的になる。それが介護施設では当然の介護として行われるとしたら、やはり、「介護の常識は世間の非常識」と言わざるを得ない。

フェイスブックでつながっている人は、匿名であっても、ある程度知り合いの関係の人である。しかしこの映像を放置して、その施設で似たようなことが繰り返されるのを見ないふりをしてよいということにはならないと思ったので、「世間の常識とは乖離している状態ではないか」ということをコメントとして書き込んだ。

その直後に、「気づきませんでした」として、その映像は削除されたのであるが、削除したからよいということではなく、その施設内で僕のような非難の声があったことについて話し合ってもらいたい。

職員すべてが、その状況がおかしいと気づく人になってもらいたい。

介護施設の中には、嫌だという思いを素直に訴えることができない人もいるのだ。それらの人々の代弁者になるのが我々の務めである。

代弁できる人とは、利用者の様々な思いに気づく人である。仮のそのことを利用者本人が不快に思わないとしても、自分や自分の親が同じことをされて、少しでも嫌な思いを持つのではないかと思われる行為ならば徹底的に行わないように配慮しなければならない。そうしなければ人権というものは簡単に奪われてしまうし、人の尊厳などなきものにされてしまうのである。

対人援助というのは、それほどデリケートなものだと考えてもらいたい。

そしてインベントや行事というものは、利用者のために行っているものであるというごく当たり前の視点に立ち返って、利用者目線からその在り方を考えてもらいたいものだ。

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天下のご意見番を必要としていない掲示板


今日からとうとう5月である。介護・医療のダブル改定がされた新年度業務に、忙しく対応していた人々も、やっと落ち着きを取り戻している時期だろうか?それともまだ新報酬の算定解釈に悩んでいる人も多いのだろうか?

どちらにしても1日も早く、算定根拠に基づいた正しい体制と対応になるように心がけてほしい。

ところでこのブログの読者の皆様は、表板である「介護・福祉情報掲示板」の存在を知らないという人はいないだろう。

前述したように今年度は報酬改定があり、その算定ルールが昨年度末ぎりぎりまで示されなかったこともあって、年度末から現在まで、たくさんの人が表の掲示板にアクセスして意見交換が行われている。平日のアクセス数は常時6.000件を超えているところだ。

毎年新年度は、その掲示板に新たな参加者が加わるのが常である。4月に入ってから新たに介護事業に関わった人たちが情報を求めて初めて表の掲示板に参加するケースが多い。移動により数年ぶりで高齢者介護の職場に移動した人なども現在の最新情報、最新事情を求めて表の掲示板にたどり着くケースもみられる。

しかし勘違いしないでもらいたい。その掲示板は公的なものでもないし、公共性を帯びているものでもなく、僕が個人的に設置管理しているものだ。だから何の義務も責任も伴うものではない。

そこに書き込まれた質問に対しては、できるだけ答えるようにしているが、それとて義務ではないし、そもそも質問に答えて対価を得るというものでもなく、あくまでそれは善意の情報提供に過ぎない。場合によっては、その答えは、質問者の求める内容ではないかもしれないし、間違った回答をする場合がないともいえない。

書き込まれた情報やアドバイスをどのように使うのかは、あくまで掲示板を利用する人の自己責任である。誤った情報を信じて不利益が生じたとしても、その情報を信じた人が自ら責任をとらねばならない。

幸いにして僕が管理するその掲示板は、他の人が持っていない情報を得ることができる人や、かなり深い知識を持っている人も常連として利用しているために、あまり変な情報や解釈が放置されることはない。仮に僕や誰かが間違ったコメントを書きこんだとしても、少なくとも24時間以内には、その内容を修正する正しい解釈なり、情報なりが書き込まれるので、そのあたりは安心して良いと思う。

だがそこは、すべての質問に手取り足取り、丁寧に答えるやさしい掲示板ではない。

業界人であれば当然知っておかねばならない基礎中の基礎の知識まで尋ねてくる人に対しては、徹底的にその怠慢をなじることも日常茶飯事である。「勉強不足で申し訳ありませんが〜」なとと書き込もうものなら、「わかっているなら勉強しろよ」と回答する。言い訳を書き込んでも免罪符にはしないのである。

あまりに稚拙な質問や、自分で調べる努力を全くしないで、安易に回答を求める姿勢の投稿者に対しては罵声を浴びせる。僕だけではなく、他の参加者もそうした厳しい言葉でコメントすることは認めている。

悔しかったら自分で調べて答えを出せるようになれという叱咤激励と捉えてもらっても良いし、単なる乱暴な場所と思われても良い。とにもかくにも誰にでも、どんな質問にも優しく答えてもらえる場所とは勘違いしてほしくない。

何から何まで質問して回答してもらって、それで済まそうとするのもご法度だ。根拠と共に回答しているのだから、根拠となる通知文などを自分で確認しようとしない人には退場願う。

こんなふうに様々な情報が飛び交う場所だけに、書き込む情報や回答については、ほぼすべてに根拠を求めている。特に制度等に関する質問の答えについては、法令根拠もしくは法令に準ずる公的通知等に基づいて回答することを求めており、行政職員がこう言っていたとか、他の事業者の職員がそう言っていたという伝聞は、何の意味もないものとしている。根拠のない思い込みのコメントや、ソースのはっきりしない伝聞は不要というだけではなく、弊害だと思っているので、そういう内容を投稿する人にも罵声が浴びせられることになる。

そのため時としてそこには、聖人君子気取りのご意見番的な書き込みがみられる。「質問に対しては、できるだけ丁寧に答えるのが筋ですよ。」・「たくさんの人が見ているのだから、丁寧に親切に応えてください。

あほか!!といいたい。

誰が見ていようと、どれだけたくさんの人がアクセスしようと、ここは個人管理の掲示板である。投稿規定も定めているのだから、これを読まず、これに沿わない投稿に対しては、予告なしに削除したり、アクセス禁止とすることも辞さない。その判断はすべて管理者の胸三寸の範囲であり、誰からの忠告も必要としていない。

情報はお金をかけて手に入れるというこの時代に、まったく費用をかけないで、様々な情報を手に入れることができる場所をつくっているのだから、そこを利用してなおかつ、天下のご意見番を気取って勝手なことを言うなといいたい。

自分の意に添わずに不愉快になるというのなら、わざわざアクセスしてくる必要もないだろう。

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旅の愉しみを奪う「やらせ口コミ」


ありがたいことに、全国各地の皆様から声をかけていただき、様々な場所で講演をさせていただく機会に恵まれている。

日本の都道府県で講演を行ったことのない4県のうち、このたび島根県からオファーをいただき講演をすることになったので、講演していない県は、山梨県・鳥取県・香川県の3県だけになる。この3県で今後、講演オファーをいただく機会があり、いつか全県制覇を成し遂げるのが僕の目標である。

そんな講演の旅は、いつの間にか僕の生きがいになりつつある。講演という仕事で出かけることを、『』と呼んでよいのかには疑問を感ずる人もいようとは思うが、たとえ講演会場と空港の往復だけで終わったとしても、僕にとっては貴重な時間であり、『』の気分を堪能している。

そんな旅の一番の愉しみは、人との出会いであるが、それと同じくらい楽しみなのが、『』である。

『北海道はもともとおいしいものがたくさんあるから、他の土地の食べ物は物足りないでしょう。』と言われることがあるが、旅先でその土地の名物を食べるというのは、日常の食事とはまた異なり、大いなる楽しみなのである。そしてその土地の人々と酒を酌み交わしながら、食べるその土地の食べ物は、どれもこのうえなく旨いのである。(※ちなみに僕の普段の食卓は、masaの血と骨と肉、で紹介しているので参照願いたい。)

僕の場合、一人寂しく飲むのを可哀そうと思ってくれるためか、講演とオフ会がセットになっている場合も多い。そうでないときも、寂しく一人飲みさせてはならないと思ってくださる仲間が全国各地にたくさんいて、一緒に食事に付き合ってくれる人がいる。

昨日も講演前日に尼崎入りした僕が寂しい思いをしないように、兵庫県付近に住む気の置けない仲間が、夜オフ会を開いて楽しい夜を一緒に過ごしてくれた。今日も講演主催者の方がオフ会を開催してくれる予定だ。ありがたいことだ。こんな仲間が全国にいる僕は幸せ者だ。

そんなふうに、行く先々で地元の方と呑んで食べる場所は、地元の方のおすすめの場所が多いので、外れはない。

しかしたまに一人呑みを余儀なくされることがある。その場合はインターネットの口コミ情報を頼って、店を見つけるのが常だ。・・・しかし評判の良い店であっても、口コミ情報とまったく異なり、残念なお店も多い。こんなふうにすべて当たりとはいかないのがネット情報の怖いところである。

どうやら口コミ情報を書くプロというのも存在していて、店側から何かしらの利益を得て、商売として口コミを書いている人がいるようだ。そうなってくるとインターネットの口コミ職情報は、もはや信じるに値しない情報に貶められてしまうのではないだろうか。最近そんな不信感が募ってきている。それほど外れは多いのである。

そういえば先日、芸能人のグッチ裕三が、情報番組で自分の経営する店を、あたかも関係ない店であるかのように、なおかつその店の商品をほめちぎったというニュース報道があった。(数日後にリンクは切れるかもしれません。)

店側は、『やらせ取材ではない』と反論しているが、店の経営者たる者がそのこと隠して、第3者のようにその店の良い評価をテレビという公器を通じて流しているんだから情報操作のそしりは免れない。法的責任はなくとも、道義上の問題はあるだろう。そもそもその根性はさもしい。

訪れる場所によっては、たった一度きりの場所になる可能性もあるのだから、残念なお店で過ごすと、残念な記憶にしかならないので、ネット情報は操作のない正直な情報として伝えてもらいたいものだ。食情報サイト運営者は、この辺りのコンプライアンス意識がないと、いずれ食情報サイト自体が不信感一杯で無視されるべきサイトとになってしまうかもしれないという危機感はないのだろうか。

今回の旅で金曜日から2泊する愛媛県松山市も、一人呑みの夜もあるので、どうしようかと迷っている。少なくとも口コミ情報サイトより、フェイスブックでつながっている人の情報のほうが信頼度が高いので、そちらを頼りにしようかと思ったりしている。

どちらにしても日曜まで4泊5日の、尼崎〜松山の旅を楽しんでいる最中である。ちなみに講演は5講演を予定している。


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介護業界に踏みとどまった人、戻ってきた人の笑顔


先週末から福岡県の久留米市に滞在し、北海道には昨日の夕方戻ってきた。そのため今週の業務開始は今日・火曜日からということになった。

毎日予想不可能な動きのある介護施設では、この間も様々な状況が動き続けている。僕の周りでも今日の予定が吹っ飛んでしまうほどの動きもあって、今日は朝から休むまもなく連絡対応や、書類処理で忙殺されている。

そんなわけで昼休みもゆっくりしている時間はないが、ブログ記事の更新は休まず続けられている。その理由は、ブログ記事を更新することは、僕にとって誰かのためではなく、自分自身のためであるからである。

書きたいことがあるから書いているのであって、何の義務感も責任もない状態で、僕の心の叫びや思いを綴っているからである。忙しい中でも、この日課は僕にとって重要な意味があるので、自然と筆を進めているといったところだ。

そんなふうに、このブログは非常にわがままな場所であるが、そんな僕のブログを特別な思いを持って読んでくださっている方々が全国に居る。

例えば、僕が講演を行う会場で、僕の本を購入してくれる人の中に、「毎日ブログを読んでいます」と声を掛けてくれる方がたくさん居られる。その中には、「このブログに救われました」とか、「落ち込んだとき、このブログを読んで勇気をもらっています」とか、「くじけそうになったときに、このブログに出会って、自分が間違っていないと確認できて前に進めた」とか、声を掛けてくださる方がいる。

そのことを目標にしたり、そんな言葉をいただけることを目的としているわけではないが、それでもそんな言葉をいただけると本当にうれしいし、僕の乱暴な文章に対して、特別な思いを込めて読んでくださる人がいることに関しては、心より感謝の気持ちを持つことができる。

このブログに励まされているという人の、そんな言葉に僕自身が励まされている。やはりこの世の中は、人と人とが支えあう世であり、人は反目するために生きているのではなく、つながりあうために生きているのだと思ったりする。そんなつながりに感謝する思いから、今日もこのブログを更新しているのかもしれない。どちらにしても、そのことは僕の日常であり、記事更新することが普通の暮らしである。

ところで昨日の記事で久留米のオフ会のことを書いたが、実はここでもうれしいお話を聴いた。それはオフ会参加者の方のひとりが、かつて介護の仕事をやめようとしたときに、僕の講演を聴いて、もうすこし頑張ろうと思い、その結果、現在は仕事に誇りと喜びを持っては続けられているという話である。僕の言葉にさほどの影響力があるわけではないと思うが、たまたまその方のそのときの心持と、僕の思いから発する言葉がマッチして、その方の心の琴線に触れたということなのだろう。

そういえば、こちらの記事、で紹介したように、かつて介護の職業に挫折した方が、僕の講演を聴いて再びやる気を出し、復職して元気な姿を見せてくれたこともある。

それらの人は一様に輝いて見えた。その人たちの笑顔は、とても素敵だった。介護業界は、こうした貴重な人材を失ってはならないと思う。

せっかくの人材が、周囲の無理解や、世間からみた非常識を変えられない環境の中でつぶされていくことほどの損失はない。志の低い人たちに、つぶされそうになっている人や、一度つぶされてしまった人が、再び前に進むことができる勇気を与えることができるとしたら、僕の講演も満更ではない。

僕一人では何もできないが、仲間が増えればできることも増えてくる。一人の百歩より、百人の一歩が必要なときがあるというのは、そういう意味だ。

僕と一緒に僕と同じ思いを抱いてくれる人が、一人でも増えれば、それはきっと何かを変えられるはずだ。それは必ず意味のあることなのだと思う。そんなことを信じて、このブログに思いを託し、そんな重いに共感・共鳴してくれる人とつながって生きたい。

逢いたい人は全国にたくさん居る。そんな人々と思いを語り合い、その思いを実践につなげていくことが、今僕の最大の願いである。

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次期介護保険制度改正の方向性を見つめるために


介護保険制度改正について、方向性が明らかになってきた部分がある。

居宅介護支援費の自己負担導入(居宅サービス計画作成などのケアマネジメントの自己負担導入)については、年内にまとめる意見書では、これまでに出た賛否の意見を両論併記し、「引き続き検討を行うことが適当」としているので、次期改定では自己負担の導入は見送り、次期改正以降に継続議論することとなる。

これによって居宅介護支援費の見直しについては、特定事業所集中減算の見直しもがどうなるかに焦点が移されることになるのではないだろうか。

財務省が強く求めていた軽介護者の福祉用具貸与の自己負担化(給付除外)も見送られる見込みである。

ただし貸与価格については、平均価格より10倍高い価格で貸与されている例も見られることから、自由価格の原則は守りつつ、一部の物品について価格上限を設ける方向で結論が出される見込みである。

財源確保策としては、国の支出を約1,500億円減らす効果を見込んで、2号被保険者の保険料負担を、現在の総人数割から総報酬割に変更する可能性が高くなった。

さらに高所得者の3割負担や、課税世帯の高額サービス費上限引き上げが検討されているが、それについては29日に書いた、「国民負担の増加を考察する」で解説している通りである。

また軽介護者の生活援助の給付除外も見送りとなったが、そのかわりに給付費は大幅に削減される可能性が高くなった。その代替策といっては語弊があるかもしれないが、介護保険が適用されるサービスとそれ以外のサービスを組み合わせて、同時一体的にサービス提供する、「混合介護」についての本格的議論が、政府の「規制改革推進会議」で開始され、訪問介護や通所介護の送迎時の一部のサービスに限定して導入する案が浮上している。

これらの情報は、会議等が行われるたびに、リアルタイムにインターネット上に流されるので、日本のどこにいても、必要な情報が手に入れられる。そうであるがゆえに、そうした情報をいち早く手にするために、ネット情報を得るための環境は必須であり、PCを持ち歩かなくとも、それらの情報を手に入れることができるタブレットやスマートフォンが、必要不可欠なツールとなることも当然である。

僕の場合、週末を中心に旅の途上であることが多く、しかも僕自身がインターネット掲示板の管理人として、常にネット情報の管理を行わねばならないために、いつどこでもネットにつなげられる環境が必要不可欠である。

そのため一昔前は、PCを持ち歩いていたが、ipad以後は、大きくて重たいPCを持ち歩くことはなく、ipad+ガラケーが黄金コンビと信じて、それを持ち歩いて対応していた。

しかし(いつ購入したかも忘れてしまうほど以前に購入した)ガラケーが、いつ壊れてもおかしくない状態になった。加えてIpadも、初代モデルに続いて、3代目モデルを使っていたが、エアーになる前の機種で、カメラ機能もあまり良い状態とは言えず、何とかしたいと思っていた。

そんな中で、タブレット+ガラケーから卒業して、先々月発売されたiphon7plusだけで対応しようかなと思い、先月購入した。

ということで、このところの道外講演は、iphon7plusだけを持ち歩いて出かけているが、掲示板管理、ブログ記事更新、SNSでのやり取り、データ処理等も支障なくできている。そもそも僕がタブレットでしていることといっても、ネットに繋いで書き込みを見たり、自分で書き込みをする以外は、メールの送受信や、スケジュール管理、マップのナビゲーション機能を利用するくらいで、高度なデジタル利用をしているわけではないので、スマートフォンだけでも十分である。

そういうわけで荷物も軽くなったので、よりフットワークもよく、全国を飛び回ることができると思う。

ただし今年度は、職場が変わったこともあって、年度内の平日はなかなか時間が取れず、先日も、せっかく沖縄から講演オファーがあったのであるが、日程調整がつかずお断りせざるを得なかった。

しかし年度内でも、土日祝祭日を中心に日程が調整できる日はまだ多い。週真ん中の平日3日間を休むという日程は無理だが、それ以外なら調整はつくし、来年度以降なら平日を含めまだ十分調整は可能である。

講演に関するお問い合わせ、講師依頼は、北海道介護福祉道場あかい花のホームページの、右上のメールの絵をクリックして、連絡していただけるとありがたい。全国どこにでも飛んでいきます。
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誰かの赤い花が咲き乱れる明日を信じて



人生とは期限のある長い旅路である。それがどれだけの期限なのかわからないが、いずれ終わりが来る。

そうであるならば、できるだけ自分に正直に、やり残したという思いを持たないで悔いなく終えたい。そんなことを考える年になった。

子供も巣立ち、身軽になって自分の人生を振り返ったときに、もっともっとチャレンジしたいことがあることに気がついた。そしてそのチャレンジが仮に失敗したとしても、家族に迷惑をかけることもない環境にあった。そうであれば、たった一度の人生に悔いを残さないように、やりたいことをしようと思った。

そんな思いの一つが、「五本の赤い花」で紹介した活動によって実現した。この活動が僕のモチベーションを高め、やりたいことがさらに増えてきた。中国上海での講演活動もその一つである。

そうした思いの延長線上に、新しい仕事への挑戦というものが生まれた。そのチャレンジももうすぐ始まる。その前にきちんと変更しておかねばならないものがあった。

僕が長年、管理人を務めていた、「介護福祉情報掲示板」という情報交換の場は、僕が今勤めている社会福祉法人の公式サイトに設置した情報掲示板である。

よって僕が現法人を退職した後も、掲示板運営を続けるのであれば、別な管理人にサイト管理を任せる必要があった。しかしぼくの後任施設長もいまだに決まっていない現状において、僕が退任後の掲示板管理も不透明なままだったので、いっそのこと、掲示板だけを現法人のサイトから切り離して、僕が引き続き個人管理で運営することにした。

情報掲示板だけをネット上において管理しても良いのだが、そのことを現サイトを作成してくれた、愛知県大府市のアイルさんに相談したところ、アイルさんのサーバーを貸してくれ、そこに「北海道介護福祉道場 あかい花」のサイトを設置していただき、そのサイト内に新しい情報掲示板を作ってくださった。

ということで、「介護福祉情報掲示板」は新しくなって、「北海道介護福祉道場 あかい花」のサイトの上のバーから入ることができる。(直リンクも可能なようにする予定。)

その運営のコンセプトは旧掲示板と変わらず、優しく何でも教えるという姿勢ではない。学びということに対して、怠慢な人に対しては罵声を浴びせるかもしれない。根拠に基づかない法令解釈も徹底的に糾弾する。

根拠に基づいた、熱く厳しい議論の場にし続けるように、運営を行っていくので、そのコンセプトに理解のある方、もしくはめげない方は、どうぞ新しい掲示板を引き続きご愛顧いただきたい。

なお転職に伴い、僕が今まで管理していた緑風園の代表メールアドレス:info@ryokufuu.comは、事務の小林副主任が管理することになる。僕宛のメールは代表アドレスに送らないでほしい。

今後(※今日であっても大丈夫です)僕にメールを送る方は、「北海道介護福祉道場 あかい花」のサイトの上の、右端のメール画像をクリックいただいて、開くアドレスに連絡していただきたい。

今までの個人専用アドレスもしばらくは使えるが、順次新しいメールアドレスに切り替え、そちらだけを使うようにしたいので、緑風園内の僕の専用アドレスで連絡を取り合っている皆様には、あかい花の専用アドレスの方に、できるだけ早く切り替えていただくように、よろしくお願いしたい。

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医療・介護情報配信サイトの連載が今日から始まります


3月も2週目に入って、北海道もだいぶ暖かくなってきた。

昨日の日曜日は、この時期に珍しい雨となった。本来はまだ雪の季節だが、今朝も気温が10度に達している温かさのせいで、早すぎる雨となったのであろう。3月の雨は雪解けを進め、春を連れてくる雨のはずだが、時期的には10日以上早い気もする。ぶり返しの大雪が心配になるところだ。

そんな季節であるが、僕にとっては現在の職場で働く最終月という意味もある。年度末の諸々の仕事を整理しながら、来年度の事業計画に沿った予算組などを終え、月末の理事会に備えているところであるが、同時に身の回りの整理と、引継ぎなどを行いつつ、新しいスタートに備えているところである。

4/1から新たな職場で働く予定になっており、現職場の残務が片付いたら、少し休みを取りたいとは思うが、まとまった有給消化はできそうもなく、新しい職場での業務が始まる前に、旅行でもできるなんてことは、一切ないようである。とりあえず理事会までは、いつもと変わらぬ業務を忙しくこなしていくしかないようだ。

僕にとって本業は介護現場での仕事であり、特に4月からは新たな職場で仕事を一から覚えねばならないのだから、そのことをまず第一に考える必要がある。

今度の仕事は、医療法人が経営する介護施設(老健)であり、まったく経験のない仕事を覚えていくわけだから、そこにエネルギーを使っていかねばならず、決して時間が余っているわけではない。

そんな中で本業以外の仕事も忙しくなってきているのは事実だ。冊子等への原稿執筆依頼も増えており、仕事が休みの日や、業務を終えた夜に、原稿を書くという時間を取らねばならない日も多くなっている。

しかしそれは決して好まない状態ではない。連載や単発の原稿依頼を引き受ける理由は、「書く」という作業が僕にとっては、まったく苦ではなく、むしろ楽しみであり、休みの日に執筆作業に没頭できる環境は、気分転換として一番の環境だと感じているのである。そもそもこのブログにしても、自分の魂のために毎日書いているもので、人のための「書く作業」ではない。書くことは、僕にとって生きることなのである。

「書く」という時間があるからこそリフレッシュでき、仕事とプライベートの切り替えもスムースにできる。さらに自分自身の視野を広げてくれるという効果もある。それは講演活動でも同じことが言えるわけで、そういう機会を数多く与えてくださる、様々な人々に感謝しなければならない立場であると考えているので、依頼を受けた原稿については、できる限りお受けして、真摯な態度でその期待に応えたいと思っている。

ネット情報配信サイトでは、3月から新しい連載も始まっている。

医療介護情報サービス・キャリアブレインが、最新 の医療・介護ニュースを毎日発信するサイト「CB news」に、3/7(月)〜「快筆乱麻!masaが読み解く介護の今」と題した連載が、今日から始まった。

この連載は今後毎月1回の更新で、とりあえず来年3月までは続く予定になっている。

これにより毎月の連載は、シルバー産業新聞の連載と、内田洋行のユープラスのネット配信連載に(続いて3本目ということになり、それは同時に毎月原稿締切が3本あるという意味にもなる。

それに加えて、日総研出版とヒューマンヘルスケアシステム社の冊子連載、麻生教育サービス株式会社の地域情報誌の連載があり、多い月は6本の連載記事を書かなければならないということになった。さらに単発の原稿依頼もあり、近直ではQOLサービスの「認知症ケア最前線」への執筆依頼原稿(約4.000字)を入稿したばかりである。

これらの執筆活動は決して片手間でできるものではなく、休みの時間を有効に利用して、計画的かつ気合を入れて書く時間を作っていく必要がある。

さらにそれに加えて、新しい著作本の執筆にも取り組まねばならず、いかに時間をねん出していくかということが、今後の自分にとっての課題である。しかしこの状況は自ら望んでいる状況でもあり、忙しさにわくわくしながら日々を過ごしているのが現在の僕である。

書くという機会をこれだけいただいていると、その状況はさながら「介護作家」を自認しても良いのではないかと思ったりしている。それはただの自己満足にしか過ぎないが、そんなふうに物事をポジティブに考えても罰は当たらないだろう。

CBnewsは、担当編集者からその都度、書くテーマを与えてもらい、そのテーマに沿って書いていく予定なので、今後どんなふうにテーマが展開していくのか僕自身は予測もつかない。それはそれで面白いものになる思うので、僕自身が大いに期待している。

読者の皆様には、どうか1年間ご愛顧いただきたい。

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吹雪の中で思い出したこと


低気圧の影響で、数年に一度の猛吹雪となる地域もあるとされた北海道。吹雪のピークが過ぎていない地域の警戒は、今時点でもまだまだ必要である。

登別は猛吹雪という状態ではなかったが、昨日から今日にかけてこの冬一番の大雪となった。しかも気温が8度を超えている中での雪なので、湿った重たい雪である。各家庭の除雪作業も、重たい雪との格闘で大変だったであろう。

29日の朝は、この雪のために除雪が追い付かず、市内の至る所で車が雪に埋まって動けなくなっていた。JRも止まり、路線バスも止まっている中でこの状態であるから、交通網は一時的に麻痺した。

特に山沿いにある当施設周辺の雪は深く、除雪が入っていない中で、施設まで辿り着くにも苦労した。

僕は雪に埋もれた自宅の駐車場の除雪を行い、早めの時間に家を出て、朝7:00過ぎに施設にたどり着いたが、敷地内で車が埋まり動かすまでに体中が濡れて大変だった。

除雪担当職員は僕より早く出勤し、2台の除雪車をフル稼働させていたのだが、いかんせん雪の量が多く、しかも早出で出勤する職員の車が、途中で埋まったり、駐車する場所がなく立ち往生したりで、除雪作業自体がなかなか進まない状況であった。

通所介護の送迎車も、通常時間の出発が困難となり、利用者宅に遅れる旨を連絡しようと考えたが、周辺の道路状況は、それよりもはるかに悪く、主要幹線道路以外は、通行が難しい状態であることが明らかになった。そのためこの日の通所介護の営業は困難であると判断し、利用予定者にサービス中止のお詫びの連絡を入れた。結果的には、その後の道路状況等から、その判断は適切で正しいものとなった。

29日の午後になって、登別周辺の天候は回復し、気温の高さからつも言った雪も解けだして、道路は水浸しという状態になった。それが夜には凍って、非常に滑りやすい状態となったが、夜半過ぎから3/1朝にかけて、また雪が降り積もった。その量は29日ほどではなかったが、除雪が必要な状態に変わりはない。

この日も朝早くから除雪担当職員は、敷地内の除雪作業で忙しく立ち働き、なんとか通所介護の送迎車が、通常時間で出発できるようにしてくれた。道路も通れないようなところがあるという情報はなく、通常どおり通所介護も営業することができる見込みで、送迎車を見送った。おかげさまで送迎車は、遅れもなく通所介護事業所に着いている。今日は通常の営業ができ、利用者の皆様にも喜ばれているようだ。

それにしても、たくさんの人員と機械力のある当施設でさえこんな状態の二日間であったのだから、自宅でひとり暮らしの高齢者の方は、雪かきもたいへんであったろう。雪かきをしなければ玄関から出られないお宅も多かったろうから、買い物などにも行けない人がいたかもしれない。その状態が今日も続いているとしたら、それは命にかかわる問題なので、是非周囲の状況を見渡して、何かおかしなことはないかを確認していただきたい。

北海道で生きる人々は、この雪とうまく付き合っていかねばならない。ここで暮らし続ける限り・・・。しかし僕はそのことを嫌だと思うことはない。厳しい冬の向こうにある春の足音を聞くという、その喜びを誰よりも知っているからだ。

話は変わるが、思い返せば2005年11月09日にこのブログ記事を書き始めたとき、最初に書いた話題が、「雪と生活障害」ということである。(参照:裏板風にブルグを作ってみました

あの日、雪が降っていなければ、このブログは今存在していなかったかもしれない。

思えばあれからもう11年。平日はほぼ毎日記事更新を続けてきたわけだ。ずいぶん長く続いているが、その理由は、無理していないからである。書くも書かぬも自分の自由。書く内容も人のことは全く考えずに自分が書きたいこと。書くことが負担に思うようになれば、いつやめてもよいと考えて、そのことを貫いてきた結果が、11年という歳月に置き換わっているのだろう。

その間にこのブログが書籍になり、そのことで講演依頼も増え、介護関連冊子等への連載も複数抱えるようになった。ありがたいことである。

来月から僕は、職場を変えて新しいステージでいろいろなことに挑戦する。このブログに書き綴る思いや、内容もそれによって変わってくるかもしれない。しかし基本的なスタンスは変えるつもりはない。自分の為だけの勝手な場所を貫いて、人に何を言われようと、自分の書きたいことだけを文字にして綴り、自分の心の炎を燃やす場所であり続けるだろう。人の意見に耳を貸すことも、人の意見に左右されることもなく、思いのままに・・・。

僕の心に咲く赤い花は、熱い血と心に燃える炎の色かもしれない。

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物知り顔の忠告などいらない


このブログ読者の中にも、勘違いしている輩がいるので警告しておく。

このブログは、何度か書いているように、読者のことなど一切考慮していない。書き手である僕自身の勝手なルールのもとに、書きたいことを自由に書いている場所である。極めてわがままで、勝手な場所なんだから、読んで不快になる奴は、わざわざ繋いでくるな。アクセス数を増やすのが目的の場所と勘違いするな。

「いつもブログを読んでいます」と言ってくれる人には素直に、「ありがとうございます。」とはいうが、だからと言って不特定多数の人にも、知り合いに対しても、「僕のブログを読んでください」と頼んだことは一度もない。

読者がいなくても、心の叫びを吐き出す場所として個人的に設置している場所だから、読み手が増えることを求めてはいないし、誰からも読まれなくても構わない場所である。

この場所は、自分の意見の垂れ流し状態であって良い場所にしている。毎日、昼休みに思いついたことを、思いつくままに10分〜15分程度の時間でまとめているだけだから、推敲している暇もないし、誰かに気を使っている暇もない。自分の魂の叫びを自らの言葉にしているだけである。熱い思いを心の中だけにしまいこんでしまえば、僕はいつか自分の身を焦がしてしまうような気がする。だからブログという極めて個人的なスペースで、その思いを表面に出している。

それを読んで残念に思うとか、哀しくなるとか、勝手にほざいてろ。お前らの感情に配慮している場所じゃねえって。

そんなことは書いちゃいけないとか、職場のことは職場で処理しろとか、訳知り顔でコメントを書き込む輩がいるが、お前は何様だ。天下の評論家気取りもいい加減にしろと言いたい。

僕自身の姿勢を誰からも定義づけされる覚えもない。僕は僕のやりたいようにそこに存在し、僕のいいたいことをそこで発言し続ける。勝手に繋げて来てイチャモンをつけるのは筋違いも甚だしい。要するにそれらの人々は、発信する人間を嫉妬しているのだろうと決めつけ見下すだけである。

正義感ぶって「そういうことを書いちゃあいけない」とたしなめる人々は、自分の価値観で、他者に対して言論弾圧していることに気づいていないのだ。

僕をたしなめることができるのは、ネット上の住人ではなく、僕自身、あるいは僕の実像を正確に知る第3者でしかあり得ない。

繰り返すが、この裏板は他人のためではなく自分のための場所でしかない。だから他者に対して情報提供を行うことや、レクチャーすることを目的に記事を書いているわけではない。自分の思いや書きたいことを自由に書いている結果、それが他者にとって役立つ情報であったり、知識を得ることに繋がっていたとしても、それは僕の手柄ではなく、あくまでこの場所に繋いで、僕の記事を読まれた人自身の手柄であり、その人自身の成果である。だからそのことで僕に感謝する必要はない。

逆に言えば、この場所に書くことは、読者の役に立たないことも多いだろうし、その中には気に食わない意見も当然あるだろう。だからと言ってそのことに文句をつけるのは筋違いだし、お前の考えはおかしいという文句をつけられる筋合いでもない。だから読者コメントは管理させていただき、必要のないものはほとんど読みもせず捨てている。クソゴミ扱いしている。所詮そいつらは、2ちゃんねるあたりで、匿名でくそコメントを垂れ流してストレス発散している程度の低い奴らでしかない。

もともとここは、他人から見ればおかしな意見や、偏屈な考え方をあえて書いている場所なのである。それも僕の一部だからである。それに対して文句を言われても仕方がない。気に食わなければ、このサイトに繋げなければ良いだけだ。そもそも嫌いな人間のブログにわざわざ手間暇かけて繋げて文章を読むのはなぜなんだ?よっほど他にすることのない暇人なのか、頭のねじが一つ足りないのか、性格がよほどねじ曲がっているのか?

だいたい世の中のどこに本当の意味の正論なんてものがあるんだ。それは特定の人にとっては受け入れやすい意見であって、自分の考え方とは違う意見はそうじゃないというだけだろう。

世の中の全ての人が自分と同じ意見を持たなきゃ気にくわないとか、自分の意見だけが唯一の真実だと思っている人間がいるとすれば、そいつは究極の馬鹿だ。評論家気取りで、たしなめるようなコメントを書く連中の面は、さぞ高慢ちきなものだろう。

今後もここでは、ぼくの書きたいことを遠慮なく書く。職場のことも、おかしな人物が、おかしな方向に向けているとしたら、そのことは堂々と批判していく。4月までは内部からその実態を指弾する立場として、それ以降は外部の第三者として意見を発信し続けるだろう。それはとりもなおさず、利用者の暮らしを守ることを第一の目的とした指摘である。臭いものにふたをする様な終わり方はしない。それを読むのが嫌なら、今日からこの場所につなげるのは一切やめろと言いたい。

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希望を胸に


皆様、明けましておめでとうございます。この一年が皆様にとって、幸多い年になりますことをお祈り申し上げます。

31日から更新を休んでいたブログ記事ですが、本日から再開いたします。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年1月4日登別の朝日
画像は、今朝通勤途中で撮影した、登別から見える太平洋の朝焼けです。今朝は良い天気になりましたが、気温が少し低めで寒い日になりました。

僕は、新年2日から通常業務に就いておりますので、正月モードからはすでに抜け出しております。今日から仕事始めの人も多いでしょうが、どうぞ一日も早く気持ちを切り替えてください。

僕の地域では、新年早々の元日の未明、21歳の若者3人がスピードの出し過ぎで、信号の鉄柱に衝突して亡くなるという痛ましい交通事故がありました。新聞報道では、ショックで「涙も出ない」と嘆く父親の言葉が載せられていました。将来が嘱望される、これからという若者の命が一瞬のうちに奪われたことに心が痛むと同時に、残された家族、特に親御さんの悲痛を思うと言葉がありません。

若い人々には、どうか命を大切にしてほしいと思います。自分の命、他人の命の両方を尊んでほしいと心より願います。

そのような事故があった反面、自分の周囲は穏やかな年末・年始でした。大晦日と元旦は、施設からの呼び出しもなく、ゆっくり休むことができました。2日の日に出勤した際も、施設の中はいつも通りの穏やかな時間が流れており、いつものように利用者の皆様の笑顔があふれていました。

お正月ということで、いつもより多くの家族の方の面会もあり、にぎやかな雰囲気でした。

ご自宅等に帰省した人もいましたが、2名の方は施設の方が過ごしやすいとして、予定を繰り上げて2日の日に帰ってきました。そうした急な帰園にも、適切かつ的確に職員は対応してくれておりました。

特段の事故もなく、穏やかに過ごすことができる暮らしを護っているのは、年末・年始に関係なく働いてくれる職員の存在です。彼ら彼女らは、そのことを特段誇ることもなく、これが自分たちの仕事であるとして、淡々と業務に従事してくれていますが、短い期間とはいえ、正月を休んで過ごすことのできる身としては、勤務してくれる従業員に感謝の気持ちしかありません。

そこで今できる限りの、品質の良い介護サービスを提供しようと頑張ってくれる職員は、僕にとっては、どこに出しても恥ずかしくない誇りです。

こうした人々が、いろいろな意味で、今以上に恵まれる社会を創っていく必要があると思います。こうした志の高い職員が、つましくとも家族を構え、家族を護る支える暮らしを送ることが「当然」となる、身分保障や所得保障ができない限り、この国の介護サービスは成り立たないと思います。

財源がないというけれど、はたしてこの国の財政支出構造は、超高齢社会に合致した体系となっているのでしょうか?旧態然とした財政支出構造や、利権を変えていくことが、まず必要ではないでしょうか。

今年は国政選挙がある年でもあります。そうであるがゆえに、草の根からそういう声が届く可能性もある年だと思います。そのためには声を挙げていく必要があるのです。あきらめて声さえあげないところでは、何も変わらないという理解と覚悟が必要です。

権力に媚びず、権力を恐れず、己の信じた道を歩きながら、必要な声を挙げようとする姿勢は変えるつもりはありません。

そのために少々荒っぽい主張も展開し続けますが、そんな場所でも良ければ、今後もお付き合いください。

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まだ見ぬ明日へ


このブログは、2005年の11月から書き始めているので、もう10年以上書き続けていることになる。

何度も書いていることだが、この場所は僕自身の心の炎を鎮めるために、僕の心の叫びを書きなぐっている場所だ。だから読み手のことは一切考慮せず、心配りも一切していない。極めて勝手でわがままな場所にしている。

そうであるにも関わらず、毎日たくさんの方がこの場所を訪れて、僕の乱暴な文章を読んでくださっている。本当にありがたいことである。

この10年、土日祝祭日を除いて、平日は毎日記事更新している。そのためかアクセス数は、平日はほぼ毎日4.000件を超えている。このブログのカウンター設定は、同じ場所から1日に複数回繋いでも、1回としかカウントしないから、その数はそのまま読者の実数とみてよいと思う。

しかし先週後半からは、平日としては久しぶりに4.000アクセス数を下回ってきている。おそらく年末〜年始のお休みに入ったり、その準備に忙しくて、ネットで文章を読んでいる暇がない人も多いということだろう。

当法人の場合、特養の事務関連職員とデイサービス及び居宅介護支援事業所の職員は、31日〜3日までが年末・年始の休暇で、新年は4日から通常業務となる。この間も、日直は出勤するので、僕もそれに当たる年が多い。今回僕は2日が日直なので、休みは12/31と1/1と1/3と言うことになる。(何もなければの話で、休みであっても出勤することも少なくはない。)

4月から勤務する新しい職場では、管理職は日直もなく、土日・祝祭日は完全に休みになるそうなので、もしかしたら正月に働くのは、今度の1/2が最後になるかもしれない。

ところで、特養・緑風園では、毎年12/30の夜ご飯の時間に、「年取りの宴(うたげ)」と称した行事を行っている。そのため事務職員等も、この日は全員が宴がお開きとなるまで残ることになっている。もちろんボランティア残業ではなく、超勤手当を支給した上での業務であるが、勤務を終えるのは20:00を超える時間となっている。

それらの職員にとって、「仕事納め」は、今年最後の行事で、利用者の皆様の心からの笑顔を作ることである。その笑顔を新しい年につなげるために、自分たちに何ができるのかを考えてもらうようにお願いしたい。

この行事をこの日に行っているのは、大晦日だと自宅帰省の人が多くなって、一緒にお祝いできないからである。この行事を行うことにしたのも、30日の夜に時間設定したのも、すべて相談員時代の僕である。

すでにそのことを知らない職員が増えており、当施設の慣例としてこの行事は毎年行われているが、こういう形で、僕の遺産がこの施設の様々な場所や場面に残っていくのだと思うと、少し感慨深くなる。あと3月、さらなる新しい遺産を残すべく頑張っていこうと思う。

年内のブログ記事更新は今日が最後の予定である。新年は2日から書き始めるか、4日からにするかはまだ決めていない。

表の掲示板は、年末・年始に関係なく、情報交換や、質問への回答を行っているので、何かあったら使っていただきたい。
(※表の掲示板は、僕が退職後は新たな場所で継続設置するので、ご安心していただきたい。)

今年も表の掲示板ではいろいろな質問や情報が書き込まれたが、つい最近も、オーナーや管理者の理不尽な要求に困らされている人の悲痛な声が書き込まれていた。

法令を無視しろと言うオーナーは最悪で、しかもその責任は下の者になすりつけられる場合が多いので、注意してほしい。そういう要求には一切応えてはならない。

そこまで行かなくとも、従業員を見下して使おうとするオーナーや、気分で言うことややることが変わるオーナーなどは、従業員からしてみればたまったものではないだろう。

しかしそれらの従業者にとっての救いは、現在の日本は労働者の売り手市場であり、介護労働の場合は特にその傾向が強く、同時に有能な人材であれば、求められる場所はたくさんあるということだ。

現在の職場に固執して、そこを変えようとする考え方は尊いが、ものには限度がある。人物が小さくて、正論に耳を貸さないオーナーや管理者のいる場所に、いつまでも固執する必要はないと思う。

スキルを磨いて、求められる人になり、自分が一番輝くことができる場所で、その能力を発揮するほうが世のため人のためになることがある。

今いる場所で、咲く花になることも大事だが、自分がどうしても相容れない場所であれば、そこに固執せず、新しい花の種を撒いてからその場所を去り、別の場所で咲こうという選択があってもよいのだろうと思っている。

そうであるからこそ、僕は僕ともに仕事をする仲間や部下については、ここでは咲けないという思いをしなくてすむように、自らの仕事に誇りを持てる実践論を伝え続けてきた。おかげで今年度も僕の職場では、正社員の離職者はゼロであった。

前述したとおり、新年は僕にとっても新たな出発(たびだち)の年となる。今後も全国で講演を行う旅は続いていく。そこでは介護の仕事を通じ人々の暮らしを支え、平和な国を護る土台を支える人々と、繋がり続けたいと思う。

これから迎える2016年が、希望の光に満ちた年になることを信じて、見知らぬ道を歩んでいこうと思う。

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人々の希望となる介護を探して


今日このブログ記事を読んでくださっている皆さんも、新しい年を様々な思いで迎えられたことでしょう。今年2015年という年が、皆様にとって幸多い年になりますことを願ってやみません。

私的なことでいえば、僕は今年8月に満55歳という年齢に到達します。僕が就職した当時(昭和58年)定年は55歳の時代でしたので、一昔前なら退職を控えた最後のご奉公ともいえる意味のある年齢だったと思います。

今では定年は60歳が普通で、それ以降も希望により継続雇用されるのが当たり前になりましたから、この年齢自体にはあまり意味を見出す必要がないのかもしれません。しかし一つの区切りとして、自分自身は何かを変えなければならない時期に来ていることを実感しております。今年一年を通して、そのことをじっくり考えてみたいと思います。

そんな2015年の最初の記事については、このブログのあり方そのものについて書きたいと思います。

それはコンセプト(骨格となる発想や観点という意味。)という大げさなものではないかもしれませんが、僕がこのブログを書き続ける意味や、今後どうなっていくのかについて思いつくままに、「本音」を綴るつもりです。実はこのことは過去にも再三書いてきているし、その考え方は少しも変わっていないので、あらためて書く必要もないのですが、新しい読者の方もおられるようですので、その方々にも僕のブログに対する考え方を知っておいてもらいたいと思うのです。そしてその考え方を知ったうえで、このブログを読み続けるか、無視するかを決めていただきたいと思います。

このブログは2005年11月9日に、何の準備もないまま思いつきで始めたものです。ただその時にふと考えたことは、この場所は自分の立場などに縛られることなく、周囲の様々なしがらみを無視して、読者にも媚びることなく、書き手である僕自身のためだけに書こうということでした。

僕自身が、現実にはどうしようもない壁にぶつかったとき、僕の魂の叫びを表現して、やるせない思いをどこかに発散しないと、僕自身が壊れてしまうのではないかと思う時があります。そんな時、自分の思いを正直にストレートに表解する方法として、ブログに思いを綴ることにしました。しかし思いを発散させるためには、時に自分の心を強くするために過激な表現も必要になることに気が付きました。それは場合によって、読む人に不快感を与えるかもしれないことにも気が付きました。しかしそのことを恐れて表現を変えることは、自分の思いとは違ったものの表現となるかもしれず、それは自分にとっての新たなストレスとなりかねません。そのため読者の存在を無視して書くことにしました。

その結果、読者の方々が不快な感情を持つことになるかもしれませんが、それさえも無視して、自分の心の叫びを素直に表現し続ける場所にしています。それだからこそ平日、毎日のように記事更新し続けられるだろうし、そうだからこそ今まで続いております。

よってそのことに不快を感じる方から、それを「修正しろ」と言われたとしても、その声は無視します。「こうあるべきだ」という形は存在しません。その時の僕自身の考え方のみが、このブログの方向性を決める唯一の判断基準です。

このブログがいつまで続くのかはわかりません。書きたくなくなったらやめようと思っております。だからある日突然やめるかもしれません。それを決めるのも、僕の判断以外なにものもなく、その判断は極めて勝手なものであってもよいものだと考えます。

そのような勝手な場所ですが、当然のことながら、僕自身が表現したい「思い」の中には、自身の魂の慟哭と言える思いのほかに、社会全体に向けて伝えたい思いも含まれ、その中にはソーシャルアクションが求められるソーシャルワーカーとしての使命感から表現する思いもあります。それは結果的に、読者の方の「共感」につながったり、「学び」につながったりすることがあるかもしれません。

しかしそれは僕が伝えたい、「思い」を表現した結果に過ぎないので、そのことで新しい情報や知識を得た方がいても、それらの方が僕に感謝する必要は全くありません。むしろ、この勝手な思いを綴ったわがままな場所に訪れて、汚い言葉を含んだ僕のつたない文章を読んでいるという読者自身の行為を誇るべきだと思います。

そういう考え方が根底にありますので、基本的にブログ記事に対するコメントは、僕が確認して承認したものしか掲載されない設定にしておりますし、掲載されたとしても、すべてのコメントに返信の言葉を書くこともしておりません。共感してくださったり、応援してくださったりする方には、心の中で感謝するのみです。それは「コメント返し」という行為が、僕の心の負担になって、このブログを書くことを億劫にさせる要因にならないようにしているという意味もあります。このブログに関しては、僕自身に一切のルールや義務を課さないというのが、僕の姿勢です。

だからと言って、僕がこのブログの中で単純に、「孤高の人」でいようとは思いません。このブログで誰かと思いをつなぐことを不必要と思っているわけでもありません。決められたルールや義務は存在しなくとも、思いを同じくする人と繋がるということは大切なことなので、このブログがそのきっかけになること自体は否定しませんし、むしろ歓迎します。

何度か書いていますが、「一人の百歩より、百人の一歩」が求められる時があります。その一歩をみんなで歩むためにも、人とのつながりは大切にしたいと思います。ですから、このブログを読んでくださったことがきっかけで、メールその他でコミュニケーションを交わすことができるようになったり、場合によっては僕を講演講師として招いてくれて、直接お会いして関係が深まったりというケースは、過去にも数多くありますが、その繋がりこそが、僕の人生の中で一番の財産になっています。

この正月も、施設の中で様々なことがあり、なかなか完全休養というわけにはいきませんでしたが、休んでいた時間を利用して、今月中旬からの講演準備をしておりました。僕の講演で紹介している動画も、北海道版新バージョン、金沢版、大阪版、京都版と4バージョンを新たに創りました。

動画・北海道版LOVE〜明日へつなぐ介護
上の画像は、LOVE〜明日につなぐ介護・北海道版の新バージョンに加えたスライドです。今年もみなさんとのつながりの中で、「人々の希望となる介護」を探し続けようと思います。そのためこの場所はわがままな場所であり続けます。そんなわがままな僕の思いに付き合ってくださる方は、このブログを今年もよろしくお願いいたします。

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立派さは控えめに、感じの良さを前面に


このブログ記事にも何度か書いているように、僕はフェイスブックも利用している。

そこでは友達としてつながった人と、毎日のようにコミュニケーションを交わしているが、ブログとフェイスブックの違いは、後者の方が双方向のやり取りとなりやすいという点であろうかと思う。

一般に公開しているブログについては、どちらかと言えば、(ある意味、意図的に)僕の意見の垂れ流し的な感覚で書いており、コメント返しをしないことも多いが、フェイスブックの方はチャット的に会話を楽しむような感覚を持っている。そのためフェイスブックは、プライベートのバカ話みたいなやり取りで終始することも多いが、ブログ記事には書いていない思いや、情報もやり取りされることがある。

これもある種の僕の中のバランス感覚なんだろうと思う。

読み手の存在を無視して、熱い思いや、やるせない感情をむき出しにして自分自身の書きたいことをつづるブログは、僕にとっては、自分の心のはけ口として魂を燃やす場所にしている。そこでしがらみのない素の思いを吐露することによって、冷静な自分を取り戻すという意味がある不可欠なツールとなっているが、友達として承認してつながった人々と、馬鹿話を含めて身内的な双方向の情報交換を行うフェイスブックも、精神の安定のために、なくてはならないものになりつつあり、両方が良いバランスで僕の中に存在している。どちらも現在の僕には必要なツールである。

最近は、毎朝友達としてつながっている人のタイムラインを読むところから1日が始まることが多い。そのためにフェイスブックで繋がっている人は、どこでどのような活動をしているのかが見えてくることになる。プライベートをどのようにエンジョイしているのか、何を食べているのかなども知ることができて、実に興味深い。

さらに、そこで感心するのは、僕とフェイスブックで繋がっている介護業界の人は実に勤勉だということである。社会福祉援助技術に関する研修講師を務めている方々や、経営コンサルタントをなさっている方々もたくさんおられて勉強になる。

さらに感心するのか、日々の業務に精勤されているのは当然として、忙しい業務の合間を縫って、休みの日にもプライベートの時間を割いて、毎週のように研修会等に参加し学んでいる人が非常に多い。研修参加費などの費用も、所属事業所の負担ではなく、自ら支払って研鑽に努めている人が多い。所属事業所に命令されて参加するだけではなく、自ら学びの機会を得ようとする姿勢は、本当に素晴らしいことだと思う。

それらの人々に刺激を受けながら、僕自身も日々学んでいかねばならないと刺激を受けるし、そうした仲間と繋がっていることに対して感謝の思いでいっぱいになる。

本当に素敵な人々が多い。そしてそれらの人々の素敵な姿とは、自身の立派な姿を前面に出すことなく、謙虚であるという共通点があるように思う。

これは対人援助に関わる者のスキルとしても重要ではないかと思う。何らかの援助が必要とされる人々にとって、手を差し伸べる人の姿が、あまりに立派過ぎると、そのことが心の壁になったりすることがある。それが援助を受けようとする際の敷居の高さにつながったりすることがある。

立派な人の姿や立ち振る舞いが、怖く見えてしまうことがある。

本当に立派な心持の人は、立派さを出そうとしなくても真の姿は見えるのだから、むしろ立派さを脅威にしないように、感じの良さを求める必要があるのではないだろうか。

周囲の人々に、感じよく思われるような存在が求められているのではないだろうか。そんな思いを抱いている。

今、色々な場所で講演を行う際に、介護に対する僕の思い、皆さんにつなげてほしい思いについてメッセージを送るために、「LOVE〜明日につなぐ介護」という動画を紹介させていただいている。その中のスライドの一枚が次の画像だ。

感じのいい介護士
こんなふうに考えるのは、間違っているだろうか?でも僕自身は、立派でも感じの悪い人に傍らにいてほしいとは思わない。

立派さを内側に秘めた、感じの良い人に手を差し伸べてもらいたい。

ブログ書籍化本シリーズ
※お知らせとお礼。
介護の詩〜明日へつなぐ言葉」の第2刷増刷決定に続き、「人を語らずして介護を語るな」シリーズ全3巻のうち、第1作白本「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」と、第2作黒本「人を語らずして介護を語るな〜傍らにいることが許される者」の増刷も決まりました。

白本は第6刷、黒本は第3刷刷りとなります。これもひとえに皆さんの応援のおかげです。あらためて御礼申し上げます。

張り付いたリンク先から、送料無料で購入できますので、興味のある方は是非取り寄せてご一読くださいますようお願い申し上げます。

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今いる場所で咲こうとしている素敵な人々へ


北海道で一番発行部数が多い新聞といえば、「どうしん(道新)」の愛称で親しまれている北海道新聞であることは、道民にとっては常識である。

その北海道新聞の10月26日(日)朝刊の2面、「ひと2014」に、このブログで情報発信を続ける施設長として、僕とブログが取り上げられている。道新を定期購読している方は、ぜひご覧になっていただきたい。道外の方などで、道新を手に取る機会のない方は、《2014年10月24日(日)道新朝刊2面の、「ひと2014」》から、記事画像を見ることができるようにしているので参照いただきたい。

この記事の取材を受けたのは、先々週のことであったと記憶しているが、その際に記事は今月中に掲載される予定であることは聴いていたものの、てっきりそれは生活文化面に載ると思っていたので、2面に載っていて驚いた。しかも昨日僕は、夕方に釧路講演から帰ってきて、残った仕事などをしていたので、新聞を読んでいる暇はなく、今朝職場に着いて、担当記者からの連絡メールが届いていたことで記事掲載を知った。早速記事を読もうと、施設の購読紙を手に取ったが、その部分の記事が切り取られていた。誰が切り取って持って行ったものかは、いまだに不明である。

そのため、利用者の方が購入している道新を見せていただき、記事を確認したところである。

特別な目的も持たずに、2005年11月から書き始めたブログが、このような形で取り上げられて素直にうれしく思う。しかしそれもこれも、僕の極めて身勝手で、独善的な思いを書いた文章を、毎日読んでくださる沢山の読者の存在のおかげだろうと思う。本当にありがたいことだと思う。

しかし同時に思うことは、このブログは読者のためではなく、自分自身の心の炎を燃やしたり、鎮火させるために書いているものなので、今後も誰かに媚びることなく、自分の素直な思いを書き続けようということだ。そのためずいぶん乱暴な文章になることもあると思うし、そのことによって読者の方が不快になることもあると思う。それさえも恐れずに書き続けようと思う。そういう気持ちがなくなった時が、このブログの終了の日かもしれない。

ところでネットでの情報発信は、このブログに限らず、SNSも利用して行っている。僕の場合は、ツイッターもラインも行っていないが、唯一フェイスブックを利用し、そこでつながった友達と情報交換している。

ブログはアクセスさえすれば、誰しもが読むことがでいるが、基本的にFBについては、友達申請をいただいて承認した方にしか僕のタイムラインの書き込みは見れないように設定にしており、この点が唯一の違いである。

しかし友達としてつながるハードルはそんなに高くしていない。お逢いしたことがない方でも、リクエストの際にコメントを書き込んでいただければ、その方が匿名ではなく、実名を名乗っている限り必ず承認させていただいている。リクエストが送られてきても、メッセージがない場合は、承認せず放置させていただいているので、ご了承願いたい。

友達として繋がっている方々のタイムラインは毎日のように見させていただいている。すると気が付くことがある。それは僕の仲間は本当に勉強家が多いということだ。

土日や自分の休日を利用して、研修会に参加している人が実に多い。ほとんど毎週どこかの研修会に参加している人もいる。貴重な時間とお金をかけて、スキルアップに努めている素敵な仲間がたくさんおられる。

介護サービスの質が問われ、個人レベルで質の差が問題となっては言えるが、確実に介護の世界に有能な人材は増えていると思う。ただそれが必要な介護サービスの供給の量の増加に追いつかないという問題はあるだろう。しかし志を高く持つ仲間が、ひとりでも増えてくれれば、その人たちが様々な種をまいて、介護のスタンダードを引き上げ、100年後につながる介護サービスの品質を、この時代で作り上げることが可能ではないかと思う。

先週土日も、滋賀県彦根市でアローチャート学会が開催されており、梅光学園大学の吉島先生はじめ、僕の仲間がたくさんそこに集い、感動的で熱い研修を行っていたことがタイムラインを読むと伝わってくる。僕も何もなければ行きたいところであったが、あいにく土日はほとんど、僕自信が講演講師を務めており、前述したように釧路講演と重なって参加できなかった。滋賀県は11月に2度講演機会がある県で、今回はニアミスで終わったが、いつかご一緒したいと思う。

僕の釧路講演の方も、印象深い講演であった。昨日は介護支援専門員の資格試験があったので、それに備えて前日の研修参加が難しいという人もいたが、釧路の介護関係者が70人以上会場に集まってくださった。そして誰かの赤い花になるために、熱心に話を聴いてくださった。オフ会も楽しかった。釧路でお逢いした皆さん、本当にありがとうございます。今回まいた種を、釧路中に広げていただきたいと思います。

僕のフェイスブックに友達申請することや、講演依頼することを、「恐れ多い」と言われることがあるが、そんなことはない。フェイスブックは前述したようにメッセージがあれば承認するし、講演依頼もまったく面識も何もない方でもメールさえいただければ調整させていただくので、ご遠慮なく問い合わせいただきたい。

日程等の調整がつかず、講演を依頼したものの実現につながらなかったということもありだ。受講人数の多寡は問題ではない。どんなに小さな研修会でも、ニーズとマッチして、調整がつけば駆けつけさせていただく。

それは双方に都合があることなので、そんなことで遠慮する必要は全くない。講演希望の方はお気軽に、「まず問い合わせてみる」という姿勢でよいと思う。問い合わせは、直接電話してくださっても良いが、できれば問い合わせ内容が記録に残るメールが一番ありがたい。

熱い思いを抱いてはいるが、その思いを実現する方法がわからないという人。熱い心を忘れかけている人。そういう人々に伝えることができるものがある。誰かの赤い花になるための方法を知りたい方は、ぜひ声をかけていただきたいと思う。

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どこへ行くのだろう

このブログは、2005年11月9日に何気なく書いた記事から始まっている。開始日から今日までの日数でいえば、ちょうど2.980日目にあたる。

もう8年以上前に始めたブログであるが、それ以来平日は、ほぼ毎日記事更新している。とはいっても1日1記事しか更新していないが、ここに投稿された記事数はこの記事で2.094記事目になる。

他人のブログ記事を読むことがあるが、1日複数回記事更新している人の場合、たいてい1記事の文字数は少なく、ツイッターのつぶやき記事のような短文が目立つ。その点、ぼくが毎日のように更新する記事の文字数は、2.000字〜2.400字くらいであり、400字詰め原稿用紙で言えば5枚〜6枚の文字数の記事を書いているわけである。これだけの分量の記事を8年以上、しかも土日祝祭日以外は(かつては土曜日も毎週記事更新していた期間があった)、ほぼ毎日のように更新し続けているブログというのもそう多くはないのではないだろうか。

よくそれほど書く事があったものだと自分自身でも思っている。同時に、これだけのボリュームがあって、文字だけの場合が多い僕のブログ記事を、よくもまあたくさんの方々が読んでくれているものだと感心したり、感謝したりしている。

ブログを始めた当初は、いつまで続けられるのかということさえ考えなかったが、少なくとも最初の記事から9年目を過ぎた今日まで記事更新している姿を思い浮かべることはなかったし、勝手なことばかり乱暴な文章で綴っている僕のブログを、こうしてたくさんの方が見てくれるなんてことも予測しなかった。

ライブドアの集計では、このブログの延アクセス数は600万件を超えているとのことであるが、それはアクセス解析機能をつけた以後の数字であり、実際の延訪問者数はそれよりかなり多い数である。しかもこのアクセス数とは、1PC(またはタブレットもしくは携帯)から、1日1カウントしか計上しないために、極めて実アクセス数に近い数字で、平日は毎日3.000人〜4.000人の人が、僕のブログ記事を読んでいる。

勿論、アクセスして記事を読む読者の全てが、僕の考え方や記事内容に興味を示しているわけではないだろうし、共感してくれる人ばかりではない。中には悪意を持って反対のための反対意見をコメントに書き込む輩もいる。そういう輩は相手にする気はないし、ゴミコメントを書かれてもなんとも思わない。僕は僕のやり方で、僕の書きたいことを、僕の書きたい方法で表現するだけである。結果的に、それが嫌で、ここに繋げなくなる人がいたとしてもなんの痛痒も感じない。読みたい人だけがつなげれば良いし、もともと読み手のために書いているのではなく、自分の書きたい思いを勝手に綴った結果が、この文字数と記事数になっているだけであり、今後もそのコンセプトは変えようとは思わないのである。

しかし同時に、このブログを続けなければならないというなにものもないので、ある日急にやめるかもしれない。ここにはなんの責任も義務も伴うものはないのである。

ブログタイトルに介護とか福祉という文字が入っているからといって、それに関した記事を中心に書き続けていくという約束事も存在していない。ただ毎日更新していると、どうしても自分の日常の事柄や、そこでの思いが中心になり、それは介護施設と介護事業所の総合施設長という立場で感ずることなので、結果的に介護や福祉と切り離すことができない記事が多くなってしまう。それだけのことである。

だからといって、この場所が今後どうなるのか僕自身にも予測はつかない。台本も筋書きも、思い描くストーリーもない場所である。そこに存在するのは僕の感性だけである。他からの介入も一切受けない。誰かに気を使って記事を更新するということもない。それだけが唯一言えることである。

それにしてもこのブログ記事は、僕に様々な影響を与えていることは事実である。

このブログをはじめる以前から、表の掲示板のスレッドにレスポンスをつけている影響からか、業界誌と呼ばれる冊子には、何度か依頼を受けて短い小論文を寄稿する機会があったが、そうした依頼や、冊子への連載依頼が増えたのは、ブログ記事を書くようになってからであり、ブログ開始以前と以後では、その数は大変な差がある。

道内外からの講演依頼も、2006年以降からぼちぼち届いてきていることを考えると、ブログ記事によって僕の存在を知り、僕の話を聞いてみたいと考えるようになった人が、僕に講演依頼してくれるようになったことは疑いようがない。

またその依頼数が圧倒的に増加したのは、僕の著作本「人を語らずして介護を語るな」シリーズ全三作品の、最初の白本が発刊されてからのことであるが、そもそもその本は、このブログがベースにあって、「ブログ書籍化本」として発刊されたことを考えると、このブログがなければ、現在のように土日を中心に全国を回って講演をするということもなかったろうし、そう言う意味では、このブログが僕の生活を変えたとも言えなくもない。

表の掲示板とこのブログの管理姿勢や、それらの場でのコメントに嫌悪感を抱いて、実際の僕にあったこともない人が、僕のことを文字面だけで嫌いになる人も多い。そう言う意味ではいらない敵を作っているようなものではあるが、それの数十倍の数の人と、このブログがきっかけで繋がることができている。そのことはとてもありがたいことである。

ネットで発言する僕しか知らない人が、僕と実際に会って、その印象とのギャップに驚く人もいるが、そもそもネットとはそういう仮想空間だということである。そこで本当の人格がわかると考える方がどうかしている。

ときにはどうにもならない自分の感情を、ブログ記事として強い言葉を発することで、その炎を消そうとすることがあるかもしれない。もともとそのために作った場所なのだから、そのことが僕の人格そのものであると思われてもしようがない。でもそう思いたい人に、どうにかしてくれと言うつもりもない。

このブログはどこへ向かうかわからないし、どうなっていくのかもわからないが、当面は僕のその日考えたことが乱雑に綴られていくことだろう。そこにお付き合いしてくれる人がいることについては、素直に感謝したいと思う。

どちらにしても、対人援助サービス・介護サービスという職業を、全ての人々が誇りを持って続けていけるようにするために何が必要かということは、自分なりに考え続け、その考え方を発信していくということは基本中の基本としてあるのだろうと思っている。

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文体について・2013年の締めの記事として

今年も元旦に記事更新したブログから始まって、土・日・祝祭日以外は、ほぼ毎日ブログ記事を更新してきた。

僕の記憶では、平日に記事更新をしなかった日はなかったように思うが、毎日のようにご覧になっている皆さんで、この日は記事更新していなかったよ、と僕の記憶違いだと指摘できる方がいれば、ぜひ教えていただきたい。

このブログを常日頃読んでくださる方はよくご存知だろうが、このブログ記事の文章は、いくつかの例外を除くと、文体を統一して書いている。

文体とは文章のスタイルを表す言葉だ。その定義の中には、「だ・である調」のような常体、「です・ます調」のような敬体など、文章の様式としての文体がある。そしてこのブログは基本的に常体で書いている。

僕の場合、今まで出している著作本(共同執筆を含めると過去4冊)もすべて常体である。

現在連載している2つの冊子の原稿も常体だ。過去に様々な雑誌等に依頼されて書いた原稿の多くが常体で書いた文章である。敬体で書く場合は、特集記事などの理由で、その特集内の文章を敬体で統一したいなどと、あらかじめ指定を受けている場合に限られている。

しかしそのことにさしたる理由があるわけではない。常体にこだわっているわけではないのである。ただひとつ言えることは、このブログ記事に関して言えば、何度もアナウンスしているように、読者のためではなく、自分自身のために綴っている文章であり、それは時に自分の中の心の炎を燃やすためであったり、逆に自分の中の熱い思いを強い言葉で吐き出すことで、心の沈静化を図ったりする意味があるので、敬体では書きにくい内容の方が多いという意味があるかもしれない。

しかし僕とフェイスブックでつながっている人はよくご存知だろうが、フェイスブックのタイムラインの記事は、こことは異なり敬体を基本として書いている。あそこは私的な馬鹿話を数多く書いているということもあるが、ブログ記事と差別化という、自分の中での勝手なルールを作っているという意味もある。

自分の中では敬体だから書きにくいとか、常体だから書きやすいなどということもない。どちらでも言葉はそれに合わせたものが浮かぶし、文章もどちらの文体の方が浮かびやすいとか、浮かびにくいということではない。

ところで現在、4月に出版予定の新刊本の推敲仕上げ作業のクライマックスに差し掛かっている。年末年始の休みはその最終作業で正月気分もそこそこである。1月6日の月曜日が出版社の仕事始めであり、それまでに原稿を仕上げて送るという約束をしているため、ゆっくり休んでいられないのである。

前作は基本のコンセプトが、ブログ書籍化本ということであったので、元になる記事が別に存在していたが、今回の本はそれがなく、基本的にすべてが書下ろしである。だから執筆作業という面では、前作品とは比べ物にならないほど大変な時間と労力をかけている。

その新刊の原稿は、今までとは全く異なったコンセプトで書いているが、ここの文章は敬体である。そう言う意味でも、「人を語らずして介護を語るな」シリーズ3作品とは、全く異なる作品に仕上がることだろう。ぜひご期待頂きたい。

どんな本になるのだろうという皆さんの予測を、とことん裏切る本になるかもしれない。

原稿自体はすべて書き終えており、現在行っているのは推敲作業である。この段階でバッサリ切り捨ててしまったり、大幅に書き直しの手を入れる部分があったりして、結構な作業時間がかかる。

しかし一つだけ言えることは、今回の本は間違いなく斬新で、面白いものになるということだ。自分が書いた原稿を、推敲作業の中で読み直しても面白く感ずるので、手応えは充分である。

乞うご期待といったところである。

それでは今年も残りわずか。きっと様々なことがあったことであろう。人生だから良いことばかりではなく、嫌なことや忘れたいことも多かったと思う。だけどくよくよしても始まらない。

新しい年にはきっと良いこともたくさんあるはずである。信じる人は必ず報われると思う。一緒に明日を信じて頑張ろう。

それでは皆さん、良いお年をお迎えください。今年も本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

誰かの赤い花になるように、来年に向けて咲き誇っていきましょう。

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表と裏とSNSの使い分け

このブログタイトルに、「裏板」という文言が入っている意味は、ここが違法性のある闇サイトという意味ではない。

もともとこのブログは、僕が管理するネット掲示板で書いていたようなことを、もっと自由に、誰からの干渉も受けない場所で過激に意見発信しようと思い、ネット掲示板とは一線を画す場所として作ったものである。しかしそれはネット掲示板とは全く別な位置にあるのではなく、密接な関係性を保ちつつ存在するという意味で、ネット掲示板を「表板」、このブログを「裏板」と名づけ兄弟板としただけに過ぎない。だからブログタイトルの下には、「介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。」と書いている。

表板と裏板の一番の違いは、表のネット掲示板は情報交換の板だから、自由にコメントを書き込めて、僕自身も質問に対しては、できるだけ速やかに回答や意見を書き込むという姿勢を持っているのに対し、このブログは基本的に自分の言いたいことを書いている場所であり、それに対して意見を求めることを目的としているわけではないので、コメント欄はあるものの、そこに書き込まれたコメントは、承認したものだけが掲載される仕組みになっていて、必要がないと判断したコメントは承認されず掲載されないということである。ゴミコメントなど載せる価値が見いだせないのである。

もともとこのブログは、批評を求めていないわけだし、他人の顔色を一切伺わずに自由に書きたいことを書いている場所である。他人の意見に耳を課すような隙間は一切入れないと決めているのである。そういう姿勢が嫌なら繋げて見なければ良い。わざわざ自らの意思で繋げて、自分の意見とは違うからといって文句を言うのは筋違いも甚だしい。不快なら繋げて見るな。

そういう考えであるから、ブログの記事に書き込まれたコメントに対して、コメント返しすることもほとんどしていない。更新記事に自分の言いたいことを書いているので、それ以下でも、それ以上でもないし、コメントに必ず返信しなければならないという義務感を自ら持ってしまうと、記事更新そのものが億劫になるかもしれないと思うからである。

この場所は、自分の意見の垂れ流し状態であって良い場所と規定しているのである。毎日、昼休みに思いついたことを、思いつくままに10分〜15分程度の時間でまとめているだけだから、推敲している暇もないし、誰かに気を使っている暇もない。自分の魂の叫びを自らの言葉にしているだけである。熱い思いを心の中だけにしまいこんでしまえば、僕はいつか自分の身を焦がしてしまうような気がする。だからブログという極めて個人的なスペースで、その思いを表面に出している。それは誰のためでもなく、自分自身のためなので、仮にこのブログを読んで、なにか役に立っていると思う人がいても、僕に感謝などする必要は一切ない。僕が書きたいことを書いているだけで、最初から人のためになろうとしているわけでもないのだから、それを役立てている人は、読んでいる人自身の手柄であり、僕のおかげではない。

一方で、表の掲示板は基本的に意見交換の場であるから、自由に意見を書き込める。

とはいっても有料の会員サイトではなく、無料で善意の回答や意見を書き込む掲示板なのだから、当然管理者側の決めたルールに従ってもらわねばならない。しかも僕の管理サイト掲示板は、表板といっても、厳しいルールを守って利用してもらうというコンセプトに基づいており、勉強もしないで甘えた質問を繰り返すことを認めていない。業界人であるなら当然確認すべき法令等を読んでいない場合は、厳しい言葉でそのことが糾弾させるかもしれない。地域ルールに関することなど、ネットで尋ねるような問題ではなく、行政担当課に直接尋ねるべきであり、そういう間違ったネットの使い方も厳しく叱ったりする。投稿規定では、タイトルも質問内容が具体的になっていない場合は返信せず削除するとアナウンスしている。ツイッターのようなつぶやきで終わる質問も容赦なく削除する。

そのうえで、必要な知識や情報のやり取りをする場所である。そういうルールが気に入らないのなら、これも繋げて見なければ良いだけの話である。こちとら勝手につなげて文句を言う輩に気を使っているほど暇でもなく、それほど大きな器量も持ち合わせていない。

管理姿勢が気に食わなければ使わないでいただきたい。それだけの話である。バカがどこでなんと批判しようと、こちとら屁の河童である。蚊が飛んでいるほどのうるささも感じない。そうでないと、この姿勢で10年以上も不特定多数の人々が集う場所を、荒れさせずに管理できるものか。荒らす輩とみなせば、容赦なくアク禁である。場合によっては個人を特定して法的手段にも訴える覚悟とシステムも持っている。

この二つの場所とは別に、ネットの情報ツールとして、フェイスブックも利用している。しかしこちらはある時期から、友達となっている人以外は見ることができないようにしている。フォーローするだけでは主要記事は見ることができない。よってここではある程度顔の見える人々と情報を交換しているので、私的なこととか、くだけた話題も多い。結構無防備な情報も流している。それでも友達としてつながっている人は、1.000人近くなった。

僕のタイムラインを見たい方は、メッセージとともに友達リクエストを送ってほしい。メッセージのない方は、基本的に承認していない。

岡
さらに、このフェイスブックでは会員限定の「秘密会」なるものも存在している。

新宿生まれで相模原市あたりを徘徊しているという、岡とかいう会長が主催する秘密会に、僕は拉致され加入させられている。ここでは僕のキャラが180度違って見えるのではないかというほど、意味のないノウタリーンのコメントをいっぱい書いている。岡とかいう会長がそうしないことには満足してくれないのである。

秘密会の会員は、岡とかいう会長を日々満足させるために、会長をいじりまくることを義務付けさせられているのである。・・・なんでこんなことを書いているんだ?ちょっと疲れがあるようだ。今日はこのへんでおしまいにしておこう。
(画像は、登別温泉のイメージキャラの鬼の像だと思いますが、何か?)

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手紙を書いたことのない世代の文字伝達に潜む危険性

電子メールが普及してから、メールボックスに入力した文字は、送信ボタンを押すだけで、送りたい人に届けることができるようになった。そしてそのことはごく普通に行われるようになった。

スマートホンの普及で、SNSを使ったコミュニケーションも当たり前になり、今考えたことをその場で文字にして、ラインなどを通じてリアルタイムにその思いを伝えることも当たり前になった。

僕たちの世代は、そんな時代が来ることさえ予測もしないアナログ世代であったが、いざコンピューターとインターネットが普及すると、それを普通に使いこなすようになり、携帯電話からスマートホンやタブレットも使いこなし、SNSだって日常的に利用するようになった。そうしたものが存在しなかった時代の、アナログ生活を送ったことがないような感覚に陥ることさえある。

しかし過去を振り返ると、遠くの人への伝達手段は、固定電話と手紙が主だったわけで、手紙を書く機会は実に多かったように思う。

それは学生時代に送った、好きな女の子へのラブレターであったり、社会人となってからは、出会った人、施設見学をさせてもらった人への礼状であったり、手紙というものはごく日常に存在していた。

しかしネット時代になって、手紙を書く事はめっきり少なくなった。愛の告白をする年齢ではなくなったので、ラブレターが何に変わったかはわからないが、仕事上の関係者への連絡や礼状もメールで済ましてしまうことが多くなった。

業務文書を送る際に、郵便を利用する機会はまだ多いだろうが、私的な部分で郵便を利用するのは、正月の年賀状くらいしかないという人も多いだろう。

ところが、僕の子供たちの世代では、そもそも手紙というものを一度も書いたことがないという人が存在する。物心ついた頃には、既にネットが普及し、携帯電話を持つことが当たり前になっていたから、メールでやり取りすれば済むというわけである。

しかしそうであるがゆえに、彼らの世代は、僕らの世代が自然に覚えることができたコミュニケーションルールというものを失ってしまっているのではないかと思う。

手紙というのは、書く時間と、それを郵送する時間にタイムラグがあるために、高ぶった感情の時に書いた文章を、そのまま送らずに済むという経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。

例えば、夜書いたラブレターを、朝、郵便ポストに投函する前に読み返すと、人に見せられないような恥ずかしい文章が踊っていて、とてもじゃないけど好きな人に送られるものじゃあないということに気づいて、破り捨てた経験を持っている人は多いのではないだろうか。それも何度も・・・。

それを教訓にして、感情が高ぶっている時や、夜には手紙を書かないと決めている人もいるはずである。僕は、今でもネット掲示板のレスポンスでさえ、夜、陽が沈んだあとは書き込まないようにしている。夜はたいてい酔っ払っているという理由もあるが、それ以上に陽が落ちてから、人の感情はセンチメンタルになりやすく、ネガティブにも陥りやすい。日中の感情とはまったく違うので、うっかり夜レスポンスを書き込むと、必要以上に感情的・感傷的な文章になって、他者から誤解を受ける原因になってしまうことがあることを知っているからだ。

しかし手紙を書いたことのない人たちは、今思ったことをタイムラグなく文字にして送ってしまうということを習慣化しているために、必要以上に感情的なやりとりが頻繁に行われ、そのことで歪んだ人間関係を生じさせてしまうことがある。そしてそのことに気がついていないという恐ろしさがそこには存在する。

これが個人メールでのやりとりだけで行われているうちはまだ良いが、SNSなどを通じて複数の人との同時コミュニケーションの場で行われることで、問題はより複雑化する。特にラインは、ほかのSNSよりも関係性の深い、密度の濃い関係の友人・知人との共同コミュニケーションだから、そうした関係であるがゆえに、思いついたことをタイムラグなく送ってしまうということで、正常ではない感情のぶつかり合いが生じて、深刻なトラブルが発生する危険性が高いのではないだろうか。

そんな心配をすること自体が、年をとった証拠だと言われればその通りであるが、コミュニケーションの方法が変わることで、世界一ボキャブラリーの豊富な日本語が、どんどんその語彙(こい)を狭め、言葉の美しさを失っていくように思えてならない。

それは日本語の中から言霊(ことだま)が失われていくことのように思えて、少し寂しい思いになる。

だから僕は、言霊の意味をもう一度思い出してもらうような、ある企画を模索中である。

介護・福祉情報掲示板(表板)

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心を伝える文章を書く仕事


社会福祉援助は、人の暮らしに密接に関わって、その人の暮らしをよくするために、様々な社会資源と利用者を結びつける役割を持っている。その時に必要な調整能力とは、言葉と文章を酷使して発揮できる能力ではないだろうか。

心は言葉を超えないと言われるが、僕らの仕事は心を言葉にして利用者や、その周囲の人々に心をそのまま伝える役割と責任を持っていると思う。ものを書いて、文章で伝えるということは、そのために必要な能力だと思っている。

介護支援専門員や計画担当者ならなおさらだ。ケアプランって、単にサービスを羅列するだけではなく、なぜそのサービスを使う必要があるかを説明できる文章になっていなければならないはずだ。そこでは介護支援専門員や計画担当者の思いも伝える必要があるはずだ。思いを伝えて、それを利用者が受け取ることができた時に、始めて心がつながり信頼関係が生まれるのではないだろうか。

だから福祉援助の専門家であるなら、心を伝える言葉を見つけて、それを文章にする努力をする人であってほしいと思う。

僕が何気ない日常を文章にしてブログで発信することは、僕自身の書く能力を鍛錬することにつながっているのかもしれないと思ったりする。そんなことを考えながら苦しんでブログ記事を書いているわけではないが、結果的に僕の文章力は、このブログをたくさんの方が見てくれることを意識しつつ、書き続けることで鍛えられているのかもしれない。

僕はどちらかといえば、「筆が早い」と言われる。昼休みに更新しているこのブログ記事も、概ね20分以内で書いているし、4.000字程度の原稿用紙を30分以内に書く事などなんとも思わないから、遅筆ではないのだろう。

しかしこうしたものには好不調が必ずあるから、筆が進まないときもある。僕の場合、そうした状況で頑張って、時間をかけて何かを書いても、ささっと時間をかけずに書いた文章より、良い文章になっていることはほとんどない。だから筆が進まないときは、書く事をやめてしまう方が正解である。

思い起こせば、文章を書くということは随分小さな頃から得意としていたように思う。小学校低学年の頃から、作文は嫌いではなかったし、作文で賞をもらった経験はたくさんある。少なくとも文章を書くことに対して、苦痛であるという感覚を持ったことはない。

その理由は、もともと本を読むことが好きだったからだろう。随分小さな頃から、父親が出張した際のお土産には、お菓子より、本を望んでいたようである。小学校低学年の時は、江戸川乱歩の「少年探偵団」のハードカバーの文庫本シリーズを全巻揃えて読むのが楽しみだった覚えがある。

物書きは、読者からしか生まれない。良い書き手は、すべからく良い読み手から生まれるというのが僕の持論である。

小説を書いたこともある。高校1年生の春に、当時入学したばかりの高校を舞台に、「名寄高校殺人事件」という短編小説を書いたことがあるが、友達のあいだでは結構受けが良かった。その後、近未来の地球を舞台にしたSF小説、「アンダーグランド」という短編も書いた。これは地球に地底都市という、もうひとつの居住場所が出来たことによる、地上居住者と地底居住者の争いをテーマにしたものである。

しかし小説を書く事をその後しなくなったのは、どうやら物語を構成企画する能力は、僕にはないと気づき、物語を作って書く事に興味を失ってしまったからである。文章を書くといっても、それにも幾種類もの方向性の違いがあるのだろうと思った。

そもそもこのブログの文章も、何を書くか決めて書き始めるわけではなく、書き始めて浮かんできた言葉を文章にしているだけだから、僕が予想もしていなかった内容になるから、読んでいる人も面白く感じてくれるものになっているのだろう。そういう文章は書けるが、トリックをあらかじめ考えて推理小説を書いたり、物語をあらかじめ構成して、結末を作り上げて、そこに向けて筆を進ませるということには向いていないようである。できるとしたらノンフィクションを書く事だろうか・・・。

そんな中で、僕が書く事の方向性として興味を持ち続けたのが、「詩」である。言葉を自在に使い分け、短い文章の中で、様々なことを表現する詩は、僕にとってとても興味深いものであった。

同時に僕は、フォークソング世代であるから、ギターを弾いて歌う仲間とグループを作るというのは、ごく当たり前のことだった。その中でオリジナル曲を作ることも、ごく日常的に行われていた。ギター演奏技術があまり上手でない僕にとって、僕の演奏技術で作ることができる曲には限界があったが、誰かが作った曲にふさわしい詞を作るのは得意だった。いつしか僕の書く方向は、詩から詞へと移っていった。その当時作った詞は、「masaのフォーク道」の中で紹介しているので、ご笑覧いただきたい。

書く事は、このように僕の日常に存在していたが、それを職業にするつもりはなかった。さほど文才があって、書く事だけで飯が食えるとは思っていなかったからである。ただ一時期、新聞記者のような職業に就きたいと思ったことはあり、某大学の文学部新聞学科(当時存在していた学科)というところを本気で目指そうとしたことはあるが、諸々の事情でそれは断念した。

結果的には、同じ文学部であるが、社会福祉学科を専攻し、今の職業に結びついているわけである。そして「書くことが嫌いではない」という僕の嗜好が、世の中がネット社会となるにつれ、表の掲示板の設置管理という方向に向かい、裏板としてのブログの作成につながり、それがやがて自著本の刊行につながっていったわけだから、面白いものである。

このことで僕が作家と呼べる立場に置かれたわけではないが、業界紙に連載記事コーナーを複数持っていることや、単発の記事依頼が随時舞い込むことを考えると、「物書き」と自称することくらいは許されるのではないかと思っている。

そのことが今後、どのような方向に膨らんでいくのか、それはまだ闇のなかであるが、わからない将来に期待を込めて、楽しみながら進んでいこうと思っている。

人生など自分が自分に期待しないと、ほかに誰も期待してくれないし、面白くなくなると思う。

それにFBにも書いたが、もの書きは、打たれ強く、自分の失敗にめげず、失敗する自分を許すことができる人である。なぜなら・・・。
免疫
介護・福祉情報掲示板(表板)

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ブログがつなげてくれるもの


僕がこのブログを始めたのは2005年11月9日である。

表の掲示板などが縁でつながっていた、横浜市の独立型居宅介護支援事業所のH2Oさんが、ブログというものを始めたと聞き、流行りものに飛びつく傾向のある僕も早速それを始めたのがキッカケで、深い動機はなかった。「masaの介護福祉情報裏板」というタイトルも、タイトルをつけなければ投稿できなかったので、深く考えることもなく、その場で思いついたタイトルに過ぎない。単なるインスピレーションである。

その時からライブドアのブログを使っている。ライブドアを選択した理由は、ともかく容量が格段に大きいことと、カスタマイズ機能が充実していたことである。ちなみに当時のライブドアの社長は堀江さんだったが、そのことは選択理由と関係ない。いろいろな障害などもあって、不満がないといえば嘘になるが、他のブログに乗り換える気はない。

このブログは、基本的に平日に1記事のみ更新するというスタイルをずっと続けており、平日に記事更新しなかった日は、片手で数えるくらいしかない。同時に一日に複数記事を更新したことも片手で数えられるくらいしかない。

このようにブログ記事を書くようなって、今日は2.781日目である。この間の記事更新数は、1.958。今朝8時時点での述べアクセス総数は、5.202.564となっている。500万アクセス超・・・継続は力なり、そんな言葉が思い浮かぶ。

新年度に入ってアクセス数がさらに増えているようだ。平日はその数が4.000件を超え、4.500アクセスに達することもある。このブログ内のカウンター設定は、1台のPCまたはモバイルから1日1カウントしかしない設定である。つまり同じパソコンや携帯やタブレットから、一日に何度つないでも、その日の日付が変わるまでには1回としかカウントしないので、カウンターの数字は、かなり実アクセス人数に近い数字となっているはずである。

ブログ
↑こちらに貼り付けた画像に表示されている星マークは、ライブドアのランキングのレベルを表しているものだ。

星5つは最高レベルである。僕のブログランキングはその最高レベルに入っているという意味である。このレベルの1位が、ライブドアブログの全体のヒット数1位と言うことになる。僕の場合は、この中で昨日は1075位。ライブドアブログを使っているブロガーは何十万人もいると思うが、その中でこの順位は結構すごくのではないかと思ったりする。福祉や介護のことを中心に、1日1回しか更新しないブログで、この数字はかなり驚異的だと思う。

それもこれも、僕の非常に乱暴な意見に満ちたブログを、毎日のように読んでくださっている皆さんのおかげと、心より感謝申し上げたい。しかし何度か繰り返し書いているように、このブログは、読者のためではなく、自分自身の為に書いている場所なので、応援してくれるのはありがたいが、読者に媚びる文章を書くつもりはないし、終わりは自分で勝手に決めることにしている。

書きたいことがあれば続けるだろうが、書かなければならないとは、これぽっちも思っていない。誰かにものを教えようなどという大それたことも考えない。いつまで続くのは、自分でもわからない。ここ当面は書きたいことがあるので、急にやめることはないだろうと思っているが、それ以上のことはわからない。

僕の終わりは僕が決める。それを誰も語ることはできないだろう。

昼休みに更新するブログ記事に何を書こうかと考えていることはない。ここの記事は、その時々のインスピレーションに基づいて書いているだけである。朝、フェイスブックでつながっている「友達」のタイムラインを読んで、書く事のヒントを得られることもある。先日もそこでつながっているOさんの、ケアマネに対する提言記事を読んで閃いて書いた記事が「問われるモラルハザードって何だ」という記事である。

よく聞かれるのが、どれくらいの時間かけて書いているのかということだ。その答えは、だいたい15分くらいである。12:00〜書き始めるから、記事に表示されている投稿時間が12:20だったら、20分かけて書いたという意味である。筆は昔から早い方だ。しかし当然その時間で書いたものには、誤字・脱字、文章表現のおかしなところがあるので、随時加筆修正している。

随分身勝手なブログであるが、このブログが僕の可能性を無限に広げてくれているのも事実だ。自著本を発刊する以前から、業界紙に連載を依頼されて書く機会があったが、それは編集者の方々が、このブログを読んでくれていたことがきっかけになって、一つ二つと文章依頼が来るようになったのは、ブログを始めて以降のことである。

全国各地で講演を行っているが、それも、このブログを読んでくれた読者から求められるようになったのがきっかけとなっている。

もちろんそれ以前から、登別周辺地域を中心にした道内では、講演を依頼されることはあったが、だからといって道外の関係者が、僕のことを知り、僕を呼ぼうなどとは思わなかったであろう。それがブログ記事という形で、自分の意見発信していく中で、その書いている内容に、共鳴・共感してくださる人が、全国各地から僕を呼んでくださるようになって、今の僕が存在している。

先ほどあらためて「masaの講演予定・履歴」のページで確認したが、僕の道外講演デビューは、どうやら18年7月31日、岩手県・アピオ会議場で行われた『岩手県社会福祉協議会・高齢者福祉協議会主催:看取り・ターミナルケア研修』で「看取り介護の視点〜高齢者が安心して暮らせる施設」というテーマの講演らしい。岩手県盛岡市といえば、平成2年に「東日本軟式野球大会 一部」の全国大会が行われた場所で、その大会に僕が主将を務める「三愛病院野球クラブ」が出場し、並み居る強豪を撃破して、優勝したという思い出の地である。そう言う意味では、僕と盛岡市は何かの縁があるのかもしれない。

そこから全国への講演の旅が始まり、明後日の日曜日には、まだ一度も行ったことがなかった徳島県で講演を行う予定になっている。徳島市で開催される徳島県介護福祉士会総会において、記念講演「これからの介護に求められるもの〜誰かの赤い花になるために」というテーマでお話させて頂く。

講演に先駆けて、明日夕方現地入りするが、事務局の方から「徳島県介護福祉士会の役員で、先生を囲んだ懇親会を6/22に予定しております。徳島県の郷土食材を使った創作料理店を用意していますので、楽しみにしておいてください。」と連絡をいただいた。非常に楽しみである。初の徳島入りに、なんだかワクワクしている。徳島県介護福祉士会のみなさん、お世話になりますが、よろしくお願いします。

これで全国の都道府県で、まだ一度も講演を行ったことがない県は、14県のみになる。そのうちの2県、茨城県は11月に講演予定があるし、高知県も来年1月に講演予定が入っているので、この数字はすぐに12県に減る。その数が一桁になるのも時間の問題だろう。それもこれも、このブログを読んでくださる皆さんのおかげに依るところが大きい。
(講演を行ったことも、予定もない12県とは、宮崎県・佐賀県・香川県・山口県・島根県・鳥取県・福井県・石川県・山梨県・栃木県・新潟県・山形県である。)

そのことについて、ここであらためて感謝を申し上げて、今日のブログ記事を締める言葉としたい。

本当にいつもありがとうございます。勝手なことばかり、乱暴な言葉も使って書いていますが、愛情だけはいつもたっぷり込めているつもりです。愛しているから怒るのです。関心を持っているから怒るのです。怒る僕を嫌いになる人も多いですが、好きでいてくれる方々、僕もみなさんを愛しています。ありがとうございます。心から感謝を込めて・・・。

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だから私は嫌われる


全国の様々な場所で講演をさせていただいている。

そこでは様々な出会いがある。それは講演会場だけの出会いと関係で終わることもあれば、そこで声をかけてくださったことが縁となり、その後いろいろな形でお付き合いさせていただく場合もある。

僕の講演を聴いて共感して下さり、声をかけていただいて繋がりができることも多い。そうした方々が、また別な場所に僕を講師として呼んできださったりする。こうして僕が話をさせていただく場所は、どんどん広がっている。本当にありがたいことである。

講演主催者の方々や、そのスタッフの皆さんとは講演会場だけのお付き合いで終わらない場合が多い。そこで親密になって、その後も何らかの形でつながり続け、その中には僕を何度も講師として招いてくれる方も数多くおられる。それは人脈そのものであり、それが僕にとっての一番の財産である。これはお金でも買うことができないものだからだ。

それらの方々であっても、僕と初対面の際に抱く第一印象は、「ネット掲示板やブログの印象とは違って、そんなに怖くない。」というものらしい。どれだけ怖がられてるのだろうかと思うが、辛口の記事やコメント、遠慮ないレスポンスからイメージする僕は、人に対してひどく無礼で、傲慢な印象なのだろう。

勿論、それは現実の僕の人格や性格とは異なるものだ。

それはインターネットという仮想空間でのみ存在する「ネット人格」とも言えるものであり、現実の僕ではない。というより僕自身は、ネット上に人格を作るつもりは毛頭ないが、サイトの運営方針として、妥協しないポリシーがそうした印象を与えているだけだろう。

介護関連のネット掲示板は、僕の管理サイトだけではないので、手とり足取り優しく教えてもらうことが唯一の望みだとすれば、そういう人は別のサイト掲示板を利用して、僕の管理サイト掲示板になど繋げなければ良い。

僕の管理サイト掲示板は、根拠のない偽情報を許さない場所だし、対人援助サービスを人の幸福に結びつけようとしない人を認めない場所だから、そのことに理解のない人は攻撃し、排斥することもある場所だ。建設的意見を持てない人には、あえて居心地を悪くさせてもらう。

理念を揺らさないため、そのことに理解のない人を排斥するのはサイト運営者の権限であるから、それを気に食わないと思われてもしょうがない。サイト運営にお金も時間も使っているのは僕自身であって、そこを利用するためには、僕のルールを守ってもらう必要があり、そのルールとは国が決めるものでも、ほかの誰かが決めるものでもなく、僕自身が決めるものである。

公序良俗に反するつもりはないが、優しさ一辺倒ではないサイトルールを、サイト運営者が勝手に決めたって文句は言えないはずである。別にその場所は公的な性格を帯びているわけではないのだ。そこに勝手につなげて文句を言ったって始まらないのである。

例えば不勉強な人に対しては、僕は激しく罵るようなコメントを書く事もある。根拠のない発言を繰り返す人に対しては、その姿勢をなじることがある。反対のための反対意見しか書かない人は「アラシ」行為と同様にみなしている。そういう輩には、オブラートで包んだような言葉では理解されないだろうと考えて、あえて強い表現でコメントすることがある。それが嫌だと感じる人は、僕を激しく嫌うだろう。しかしそういう場所も必要だ。甘えてばかりでスキルは向上しない。この野郎と、僕を嫌いになるエネルギーで、なにくそという根性を出して頑張り、スキルをアップさせる人もいたって良いだろう。

そういう意味で、インターネットで情報掲示板を運営管理するメリットなど何もなく、僕を嫌いになる人を増やす結果にしかならないのだから、お金と時間をかけて損をしているようなものだ。損する理念と性格だからどうしようもない。

裏板というブログに至っては、もっとわがままである。ここは人の意見を聞く場所ではなく、一方的に僕の偏った意見や、思いをたれ流して良い場所と決めている。それに反対意見を書かれたって、批判されたってしょうがない。だから書き込まれたコメントは、僕の承認なく公開されない。削除しているわけではないが、批判や反論に耳を貸すつもりは最初からないので、無視して放置する。そういう僕の考え方が気に食わない人は、つなげて読まなければ良いだけの話だ。

ただしネット掲示板のレスポンスや、ブログ記事の切れ味そのままの性格で暮らしていたら、周りから人がいなくなるかもしれないな。

日常の僕は決して上品な正確ではなく、おとなしい性格でもないが、人を上から目線で眺めたり、人を人とも思わない態度で接する性格でもない。

性格が暗いと人から感じられるタイプではないと思うが、それは臆病さを隠すためにあえて明るく振舞っている結果かもしれない。僕自身が、僕の全てを知り、表現できるというわけでもない。

だが一つ言えることは、どうやら僕は人間が好きらしいということだ。基本的に人間が好きだから、愛情というものを崇高な感情であると思っている。

だからこの仕事を続けている。

僕のことを嫌いになることは自由だし、悪口を言ったり書いたりすることもなんとも思わないが、根拠のない悪評を、根拠なく信じている人がいることには閉口したりすることもある。まあそれも信じる人のスキルである。所詮、縁のない人だから、それはそれで良いだろうと思っている。

ということで、これからも自分が決めたルールに従って、毒を吐き続け、僕を嫌いになる人を作り続けてしまうだろう。その倍くらい、僕に共感して、同じ方向を目指す人ができれば良いだけの話である。

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masa,Get up!!と言うための場所


何度か書いていることであるが、僕のこのブログという場所は、極めて個人的な領域で、公共性なんて全くないし、公益を意識しているわけでもない。

世のため人のために何か役に立つことを書こうという動機に基づいて立ち上げたわけでもない。

ここのルールは、僕の極めて勝手な価値観と、狭い了見によって決められている。それは誰からも文句を言われる筋合いがないものだと思っている。

そもそもここは読み手の都合を全く意識せず、書くために作った場所である。そのことに不快な思いを抱く人がいたとしても、それは仕方のないことである。そういう人は、この場所に繋げなければ良いだけだと思うからである。

そんなわがままな場所の、乱暴で勝手な文章を読んでくださる方がたくさん居られることはありがたいと思うし、感謝もしている。何かの機会に読者にお会いして、「ブログを読んでいます」と言われるときは恐縮するし、心からありがたいと思って感謝の気持ちを伝えている。そのことはまったく嘘偽りのない僕自身の真実だ。

だからといって読み手に媚を売る文章を書こうとは思わないし、書くための場所を、読む人を意識した場所に変える気持ちはまったく持っていない。

僕はいつも壁にぶつかって叩きのめされそうになる。僕はいつも何かに迷って袋小路から抜け出せなくなりそうになる。僕はいつも困って答えを見つけ出せなくなりそうになる。

僕はいつも苦しがっている。僕はいつも哀しがっている。僕はいつも逃げ出したくなる。僕の心はいつも泣きじゃくっている。

僕は人一倍弱い人間だ。僕は人一倍女々しい心を持っている。

その思いに自分自身が潰されないように、僕の心の叫びを強い言葉で鼓舞している。それは慟哭であったり、激情であったり、怒りであったりする。その時の飾らない素の姿を現す言葉をあえて使っている。だから下品で激しい表現となる場合も多い。もともと上品な人間ではないので、そこのところは仕方のないところである。

ここには虚構を作りたくない。

なぜならそれは僕の心そのものだからだ。それに嘘をついてしまえば、僕は僕自身というものを見失い、地に足をつけることができない不安定な存在にならざるを得ないだろう。そしてその状態は僕自身を壊してしまいかねない。

いや、それも真実ではないな。

正直いうと、そんなことも考えないで、その時々の思いつくままの気持ちをそのまま言葉にしている。ただしそれがストレスのはけ口となっているという意味ではない。ここは勘違いして欲しくない。

乱暴な言葉を吐いてストレスを発散させているわけではなく、思いを言葉にすることで、僕自身がその言葉に気づかされ、鼓舞され、立ち上がることができるという意味だ。前を向くことができるように書いている場所だ。そうすることで立ち止まらなくて済むのである。

自分のために Why? Why? Why? Get up!!Get up!!Get up!!と言い続けている。それがこの場所だ。

ここに書いている言葉は、心の底から湧き上がってくる言葉だから、書こうと努力する必要もなく書き続けることができるものだ。頑張らないでも毎日書き続けられるものだ。書くための努力なんて全くしていない。だからコメント返しもほとんどしない。

逆に言えばこの場所で、こうした文章を書く事が苦痛になって、頑張らなければ書けなくなったときは書き続ける必要はないと思う。自分のためだけに書いている文章を、苦痛に感じながら努力して書き続ける必要はないのである。工夫も努力もしないから書き続けることができるのだ。

これは自らに課した義務でもない。だからいつでもやめられる。

やめたい時に誰にも断らずにやめられるから、今は続けていられるだけの話だ。今現在は、僕自身にとってこの場所は必要で、この場所に文章を書く事が大切な時間となっており、それは僕にとっては日常になっている。それだけのことだ。

感動のシリーズ完結編、好評発売中!!
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フェイスブックに書いている近況

ゴールデンウイーク前半の最後の休みの日を自宅や行楽地で過ごしておられる方も多いでしょうね。しかし介護サービスの現場は、暦に関係なく誰かが業務について、利用者の日常生活を支援しなければならないので、世間の喧騒と関係なく、いつもどおり仕事をしている方も多いでしょう。

僕も今日は通常業務です。

このゴールデンウイークの観光を楽しみにしている方は、大いにこの期間でリフレッシュしてください。しかし悲惨な交通事故等が起きていますね。楽しみにしていた行楽地に向かう車中で、一瞬のうちに命を失った方と、そのご家族のことを考えると心が痛みます。

さて僕は土日は休みで、自宅で過ごしていました。この2日間は来月18日(金)兵庫県加古川市の兵庫県東播磨ブロック老人福祉事業協会総会で行う講演のファイルづくりで、自宅PCの前に座って格闘しておりました。その合間、合間に、フェイスブックに近況を書き込んで、友達の皆さんと楽しく情報交換していました。フェイスブックの友達になっているか、フィード購読するかしないと、そこではつながりませんので、このブログをご覧になっている大部分の方は、それを読めないでしょうから、土曜から今日昼までにフェイスブックに書いたものを、ここに転載してみなさんにもご紹介します。

28日土曜日朝
今日は休みです。でも年が年ですから朝は早起き。6時には目が覚めました。そうしたらあまりに天気が良いのでウォーキングを一時間くらいしてきました。

海もキラキラ光ってた。
イタンキ浜

28日土曜日昼
僕は今日と明日が休みです。この2日間は5/18に行う兵庫県加古川市講演のファイル作りです。月曜日は出勤します。ですからどこにも出かける予定はなく、せいぜい自宅のテレビで、ファイターズを応援するくらいが息抜きです。

ということで今日はお昼ごはんも「家ラーメン」。菊水食品が、札幌の湯名ラーメン店とコラボして出している「てつや」のとんこつ醤油ラーメンを作ってもらっていただきました。

てつやは、醤油ラーメンでは、北海道でNO1の人気のお店ですが、やはりお店で食べるのとは似ても似つきません。でもそれなりに食べられました。菊水食品は麺の味がイマイチかな。西山ラーメンの麺の方が好みですね。
ラーメンつてや

28日土曜日夜
僕の自宅は登別温泉から反対方向の市内の西端にあります。つまり川を挟んで室蘭市と接している場所です。そのため休日の日中は室蘭市で買い物などの日常活動をしていることが多いのです。

その室蘭市の港を横断し祝津地区と対岸の陣屋地区を結ぶ関東以北では最大の吊橋が「白鳥大橋」です。メーンケーブルの長さは「1,620メートル」にに228個のイルミネーションライト取り付けて、夕闇の中にスワンホワイトの光を放っているのが「白鳥大橋ライトアップ」です。

ゴールデンウイーク期間中は、毎日18:40〜24:00までライトアップされる観光名所です。恋人同士で、ご夫婦で見に来てください。
白鳥大橋

(29日日曜朝)
おはようございます。今日も登別は良い天気です。これからウォーキングに行ってきます。今日は山の方を歩いてきます。登別温泉は連休で活気づいているようです。温泉の入り口の高速道路の降り口(登別東インター)では巨大な鬼の像が迎えてくれます。鬼が指差している方向が登別温泉ですが、同じ方向に緑風園もあります。
登別温泉入口

29日日曜昼
今日のお昼ご飯は、自宅の近くの国道沿いに4日前にオープンした「とぐち」というラーメン店に行ってきました。登別の出店は初めてですが昔は「麺蔵」という店名でも出店しているチェーン店です。

開店から2日間は半額セールでしたから、駐車場に入りきらない車が国道に並んで待つほどでしたが、現在も餃子サービスなどを行っているので、昼からは混むと見極め、早い時間の11:40頃に行ってきましたが、すでに客は続々と訪れていました。

お勧めは「白みそ」を使った味噌ラーメン(750円)とのことでし...たので、本日は奮発して味噌チャーシューメン(950円)をいただきました。

具には北海道ラーメンには珍しく「きくらげ」が入っており、これは九州ラーメンをまねたのかなと思いましたが、味噌ラーメンにもあいますね。メンマと海苔とゆで卵と白髪ねぎの具です。中太のちじれ麺です。すった生姜がのせられています。

味は・・・「ふつう」。まずくはないけど・・「普通」、旨いとうなれません。味噌スープに背油がたっぷり浮かんでいるんですが、コクと深みが全くない味噌味スープ。チェーン店ということで無難な味なんでしょう。また行って食べたいというラーメンではないです。それとこのラーメンの最大の弱点は、スープがアツアツではないということです。作り手の問題でしょうが、すぐ冷めるこのスープのままでは店は繁盛しないでしょう。残念。
とぐち味噌チャーーシュー麺

29日日曜夜
洞爺湖の花火大会はやはり日本一豪快で素晴らしい。僕の友人が経営している「湖畔の宿かわなみ」からも見事な湖上花火が見えますよ。湖から上がる花火を見に北海道に来てください。
洞爺湖花火大会

※この写真は僕の同級生である「湖畔の宿かわなみ」の女将が、28日の彼女のフェイスブックに載せたものをシュアしたもので、彼女はその中で「花火の音が聞こえて来ました!今、始まりました、ロングラン花火大会!今日から10月30日までの毎晩、洞爺湖に大輪の花が咲きます。美しいですね。」と紹介しています。

30日月曜朝
昨晩の我が家の夕食のメインディッシュは「シーフードグラタン」でしたので、南フランス産の辛口白ワインと合わせてみました。辛口白ワインは酸味も強いのが普通ですよね。

グラタンにはエビやホタテの他、この地域の特産「北寄貝」が入っています。プリプリした食感が最高で、ほんのり甘みがあり、噛み締めると磯の香りが漂います。

この時、辛口の白ワインを口に含むと、磯の香りをより爽やかに流してくれます。ベストマットですなあ。

... よく生牡蠣を食べたあとの、白ワインは生臭さを引き立て、合わないと言う人がいますが、僕もそう思います。でも同じ貝類でも、北寄貝の火を通したものと、白ワインは良く合いますねえ。

ところで昨日4/29は、結婚記念日でした。今思い出しました。
白ワイン


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介護・福祉情報掲示板(表板)

masaの徒然草。

明日、奈良県にて「社会福祉法人・史明会開設10周年記念特別講演会」が行われる。その講師として同地に向かって移動中である。

列車に揺られながらとりとめのないことを考えていた。気づけばいつも記事更新している時間になった。ついでだから今ぼんやり考えていることを、徒然なるままに書くつもりなので、読者にとってはあまり意味のない文章になるかもしれない。いつも書いているように、誰かに読んで欲しいというより、書きたいことを勝手に書きなぐっている場所だから、それも仕方ないことと思って欲しい。

誰かが、誰かに対して親切にしているのを見ると、なんとなく良い気持ちになる。知らない間に微笑んじゃったりしてることもある。

辞書を引くと、親切とは「相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。」って書いてあるけど、そんな言葉の意味を調べなくても、親切にしてるってことは見ただけでわかるよね。

「うん」とうなづいたあなた。本当にそうか?

「親切ごかし」という言葉もあるよな。親切らしく見せかけて、自分の利益を図ることを意味する言葉だけど、それって見分けがつくのか?難しいよね。

自分では親切にしてるつもりでも、結果的にそのことがアダになったら、それって本当の意味で親切だったんだろうかって疑問になる。

それにこの「親切」って文字、すごくないか。「親を切る」って意味深だ。

親切にする、という行為にも自己責任とか、ある種の覚悟とかを伴うってこともあるのかな。

だけど、そんなことを何も考えないで、人が人を思いやって、みんなが幸せになれるように、他人に尽くせる社会は理想だ。

だけど自分自身のことを考えても、知らない誰かには親切にできるけど、普段から「イヤナ奴だ」と思ってる相手には、なかなか親切心がわかない。人間として未熟で、デキテイナイ自分に気づいて嫌になちゃうよな。反省しても、反省しても、なかなか直せない部分がある。

ネット上の僕は、決して親切ではない。講演等で全国を回っているが、会場で初めてお会いする人に「この前、掲示板で怒られました」と言われることも多々ある。だから僕のことを「怖い」というイメージを持っている人も多い。

でもね、ネット上で苦言を呈しているのは怒ってるんじゃなく、叱ってるつもりだぜ。別にその相手が憎いわけでも、嫌いなわけでもない。それじゃあ困るだろうと思いやってるつもりだ。相手に無関心だったら無視すれば良いだけだからね。無視しないで、レスポンスしている間は、愛してるって思ってほしい。

そもそも表の掲示板で、情報を提供したり、質問に答えたって、僕にはなんの利益もない。むしろあの場所があることで、嫌われることのほうが多い。それでも必要なんだろう。必要としている人がいるんだろう。優しくて、なんでも教えてくれて、自分で調べたり考えたりする努力を必要としないネット掲示板はたくさんあるさ。そういう場所を求める人は、そういう板を利用すればよい。あえて僕の管理する板やブログにつなげる必要はないってば。

僕に叱られるほど愛されたい人だけが使ってくれればよい。だってあの場所では叱れるけど、実際に面と向かっては叱れないのが、気の弱い僕の実態だ。嘘だろうって?どうかな?

奈良県の講演会場で明日お会いする方は、どっちかわかるかな?実物を見て判断してください。

古の都(いにしえのみやこ)奈良に行くのをとても楽しみにしています。みなさんに会えるのもとても楽しみにしています。

それでは明日の会場でお会いする皆さん、どうぞよろしくお願いします。

飛鳥路(あすかじ)を、明日かあすかと、夢見る春かな

↑ひどい駄句でした。失礼しました。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

フェイスブックに書いていること。

フェイスブックを始めて3週間以上経った。そこは「友達」が集まる場所なので、様々なことを気兼ねなく書いている。

また本来の使い方としては邪道かもしれないが、フェイスブックを通じて友達になった人が、その縁で僕の出版記念シンポジムや講演会に足を運んでくれるということもあり、新しい繋がりができる場にもなっている。(本来とは、そこで繋がるんではなく、もともと顔見知りが友達になるのが原則だと書いているものがあったので。)

どちらにしても、そこは匿名性のある場所ではないので、本名を名乗り合った関係者が繋がっている。プライベートな話題も飛び交っており、まさに「一息つける」癒しの場所という性格が強いと感じている。

ここ何日かは、僕の思いのこもった唄の紹介を書いたりしている。フェイスブックに登録していない人は見ることができない記事だが、今日は記事を書く時間もあまりとれない忙しい日なので、ちょっとだけそこに書いた内容を転記してここで紹介したい。(要するに時間をかけて記事を書いていられないので、手抜きさせてもらって、フェイスブックに書いていたものを転載するって言う意味です。)

(3/29日書いたもの)
先ほど当法人の理事会が終わりました。今回は新年度事業計画と、当初予算案の承認が主たる議題ですから、当然のことながら大幅に下げられた介護報酬について説明し、厳しい状況での予算組みの理解を求めました。

もともと30年近く運営し、勤続年数の長い職員を数多く抱えている当法人は、巷でいわれるような5%を超えるような収益率はなく、ましてや10%等という収益率とは無縁で、しかも職員の定着率も高いですから、人件費率は高くなってくるわけで、これに輪をかけて福利厚生費の事業主負担増と、石油燃料の高騰が追い打ちをかけ、今回の介護報酬減額は非常に頭の痛いところです。

だからと言って単年度赤字を出して、繰越金をどんどん取り崩して行きなさいという理事はいませんので、これから3年間の運営は非常に難しいものになるわけです。

ただ忘れてはいけないのは、我々のサービスとは福祉援助サービスであるということで、利用者の暮らしを守ることがまず優先されて考えられるべき問題で、安かろう悪かろうというサービスにしてはならないし、その暮らしの支援の一番根っことなる介護する人材には、きちんと報酬を手渡していかねばならないということです。

職員が利用者にとっての「赤い花」となり得るためには、職員待遇を含めて、安心して働ける職場で、その能力が最大限発揮できるのでなければ成り立たないサービスであるということです。

ここを忘れないように身を削っていくのが福祉経営者の責務でしょう。初心忘れるべからず。

さだまさしさんが、かつて長崎平和音楽祭を主催していた時、いつも最後に唄っていたのが「祈り」という曲です。彼は唄っていました。「短い花の命を、ささやかなこの愛で染めたい」と。きっとさださんも、誰かにとっての「愛で染めた色の花」でいたいと思っていたのでしょう。福祉援助に携わる我々は、どのような厳しい状況でも、誰かの心を癒す存在になろうとする心を失ってはいけないと思います。



(3/28日書いたもの)
僕は中学卒業後、名寄高校に進学しましたが、当時僕が住んでいた下川鉱山から同校に通うために、朝7:05発のバスに乗る必要があって、家を出るのは6:40くらいでした。15歳のときですから、この早起きは辛いものがありました。

しかし父の転勤のため、高校1年に進学後すぐに岩見沢市というところに引っ越さねばならなくなり、入学したばかりの名寄高校から、岩見沢西高という高校に転校しました。知らない土地の、知らない高校で、新しい友達を作るのも大変かなと思いましたが、ひとつ良いところは、当時引っ越した家が新しい高校のすぐ近くで、早起きしなくてもよくなり、朝は8時過ぎにゆっくり家を出ることが可能になりました。(家は親戚の持ち家を買いましたので、土地つきの一戸建てでした。)

高校に家が近いため、新しくできた友達も、僕の家によって一休み(親に隠れて煙草を一服していたというのが真相です)してから登校するという連中が集まり始めました。バイク通学が禁止されていた為、僕に家にバイクを止めて、そこから歩いて行く同級生もいました。そいつらも僕の部屋で煙草を一服してから通学してました。勿論、僕も当時はいっぱしのヘビースモーカー。今はやめてますから、順番が違いますよね。

その当時、同級生と煙草を吸いながら、TBS系列(北海道ではHBCです)の「八時の空」という番組がありました。そこには田中星児さんと、水越けい子さんが唄のお兄さんとお姉さんとして出演していました。ビューティフルサンデーがヒットしたきっかけになった番組ですよね。僕らは煙草を吸いながらほとんど毎日その番組を見ていました。その当時の「けい子オネエ」の綺麗だったこと・・・。憧れでしたね。

僕もギターを弾いていましたが、女性ボーカルのコピーは苦手で、聴くのもほとんど男性ボーカルばかりでしたが、この番組の影響からか、けい子オネエの唄は良く聞きました。その中でも好きな唄は「Touct me in the memory」です。

オネエの少しハスキーな声が曲にマッチして最高でしたね。これも胸に迫る切ない歌詞とメロディですが、特に2番のセリフに
「悪いことだと知りながら、別な人に心、揺らせたこともある」なんてとこは、ああ大人の恋だなあア・・・と何となく憧れたり、16歳の可憐な胸を焦がしたりしたものです。

今でもこの唄を聴くと、その時の気持ちがよみがえります。


(3/26日書いたもの)
チューリップのリードボーカルが姫野達也から財津和夫に替るきっかけになった曲「青洲の影」は、僕のとても好きな唄の一つです。

でもこの唄を結婚式に歌う人がいます。それはいただけません。あれは少年が青年に成長していく中で、愛の厳しさや哀しさを知って行く過程を唄った「せつない別れの唄」なんです。

優しくも、哀しい「さよなら」のメロディなんです。切ない時に歌うべき唄なんです。

だから祝いの席では唄わないでください。



こんなふうにして遊んでいる。皆さんもフェイスブックに挑戦してはどうだろう。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

方針変更・屁の河童

今日の記事は自らの反省文だから、どうぞ皆さん僕を「けなして」結構である。タイトルは「開き直っている」とか「下品である」と非難される方もいるだろうが、その通りなので言い訳しない。

この記事を読まれた方は、「お前にポリシーはないのか!!」となじるであろうが、その言葉に対して反論するなにものもない。ただ一言言い訳すれば、僕はポリシーを持たないのではなく、自らのポリシーにさえ呪縛されない自由人なのである。僕のポリシーは、僕自身のものだから、ポリシーさえも自由に取り換えるのである。昨日までのポリシーに縛られて、今日からの僕を規定して身動きが取れなくなることを欲しない。

そんなに簡単に取り換えられるほど軽いものがポリシーかとなじってもらっても結構だ。状況判断して臨機応変の処置は僕の得意技でもある。市民運動家を気取り、市民代表のような顔をしていながら、まったく仕事ができず、原発対応では邪魔にしかならなかった総理大臣より、風見鶏と揶揄されても仕事のできる総理大臣の方がよっぽど国のためには良かったではないか。

それに重いものを背負って生きていくのが偉いわけでもあるまい。どうせなら墓場に入るまで「軽い存在」でいてやろうと思う。いずれ名もなき一市民として忘れ去られていく存在なんだから、重々しい印象を世間にアピールするつもりはない。名を惜しむ必要もない。・・・おっと今日の記事もそんなに重々しいものではないのだ。徒然なるままに軽く綴ろう。

さて本題。

かねてより僕はSNSはやらないと宣言していた。その理由は、ネット掲示板の管理やブログ更新をしているし、これ以上インターネットを使う時間を増やしてしまえば、僕の仕事やプライベートの時間が足りなくなると思っていたからである。特にチャット系のやり取りは性に合わないから、ツイッターにはまったく興味がなかったし、使い方も知らなかった。

しかしこの時代に、使い方も分からないままで、実際に使ったこともないうちから拒否的な感情だけ持ってしまうのは、自分自身の老化による頑迷さが増してきているせいではないかと考え、一度使ってみた上で評価しなおそうという気になった。

そうしないと新しいことにチャレンジするという気持ち自体が薄れていき、それはやがて仕事上のマンネリを生み、介護サービスの現場で、自分自身が向上心を持たない「過去の人」になるかもしれない危険性を内包したものだと考えたからだ。

・・・なんて言うのは言い訳で、世間の流行をずっと無視できるほどの強い意思は持っていないというのが本当のところである。そのことをポジティブに捉えるとしたら、好奇心が旺盛であるということであり、それはすなわち精神年齢が若いということだ。

ちなみに恵庭市の有料老人ホーム施設長のT氏は、僕の人生の師であるが、そのT氏から「あんた、今でも若いよな。だっていつも怒ってるもんな」と最近いわれた。

確かに表の掲示板では、僕はいつも誰かを叱っている。僕自身はそれを親切だと思っているが、それを不快に思う人がいて、そういう人達が僕を嫌うのを承知している。しかしそんなのも「屁の河童」である。嫌なら他の掲示板を使えと思うだけで、僕は僕のやり方で、自分で根拠を探して、自分の意見を言える業界人がたくさん輩出されるように、表の掲示板運営管理を行っている。だからなあなあで優しいだけの場所にしないし、その敷居は広くしても低くはしない。打たれてなおかつ「この野郎」と乗り越えようとする人は大歓迎だ。おっとまた話が逸れた。もとに戻そう。

SNSに対し、なんとなく興味が向いたので、最初にツイッターに挑戦してみた。なるほど、使い方は案外簡単である。使った当初は悪くないかなと思った。しかし2〜3日使ってみると、どうもしっくりこない。1回に書き込む文字数がどうのこうのという問題ではなく、この「つぶやき」自体がなんだか空しく感じた。つぶやくというより、言葉の投げ捨てに感じた。特に他人のツィートにより、自分の言葉が流れると、自分の言葉が示すはずだった姿が見えなくなってしまう。だから止めた。もう二度とツイッターを使うことはないだろう。

同時進行的に、フェイスブックにも挑戦してみた。

これが結構面白いのである。登録した途端に、小中学校時代の友人のフェイスブックに繋がったり、福祉・介護関係者の方々から「友達リクエスト」なるものをたくさんいただいて、それを承認していくと、様々なコメントや意見をいただけるようになった。まるでフェイスブックの中に、僕のもう一つの世界ができたような気分になる。なるほど、これが世界中で登録者が増え続けている理由か。それはネット上の乾いた繋がりではなく、なんとなく血の通った繋がりのように感じるのである。

かねてより知り合いのジタニストさんには「SNSはやらないと言われていたのでスパムかと思った。」とコメントをいただいたが、そんな事情で先週からフェイスブックを始めて活用している。思ったほど時間がとられることもなく、むしろちょっとした時間ができた際に、フェイスブックを開いて仲間からのメッセージ等を読むことで心を癒されている自分がいたりする。長崎のMr.M師匠が言うようにipadとフェイスブックはベストマッチだ。

ただ今のところ使い方を完璧にマスターしているわけではなく、自分のできる使い方をしているだけで、今後どうなるか分からない。フェイスブック諸先輩の皆様、どうぞご指導をお願いします。

友達リクエストも毎日たくさん来るが、断るのは失礼と思い、全員に承認を出している。それが果たしてよいことなのかもわからない。特にリクエストだけで、メッセージがなく、基本情報も書いていない人を承認するのはどうかなと首をひねったりすることもあるが、リクエストを求められている以上、そこには悪意を感じないから、全部承認している現状である。まずかったらどなたかご指摘いただきたい。

右サードバーに僕のフェイスブックリンクを貼っているので、興味のある方はご覧いただきたい。まだフェイスブックを始めたことがない人は、とりあえず挑戦してみてはいかがだろう。だって嫌だったらすぐやめればよいだけの話だから、やってみないという手はないのである。

そこで繋がりができて、新しい人脈ができればこんな良いことはないと思う。要は使い方である。この記事をきっかけにフェイスブックを始めた方は、初心者同士ってことで僕と友達になりましょう。既に利用している方も、お気軽に連絡ください。ネットをきっかけにしても、バーチャルな関係で終わらず、本当の友達になりましょう。友達メッセージを送って下さる方は、ついでに下のブログランキングのボタンをプチっと押してきて下さい。



※ゲオ室蘭東店に売り切れていた僕の本「人を語らずして介護を語るな」の1と2が再入荷しました。弥生ショッピングセンター内のケーズデンキむろらんパワフル館2階です。残り4冊となっているようです。お早めにお求めください。
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介護・福祉情報掲示板(表板)

自分らしくあり続けるために

このブログや表の掲示板の「文字面(もじづら)」から伝わる僕のイメージは、おそらく僕の実像とはかけ離れたものだろう。

それはネットの中だけに存在する僕の「虚像」と言ってよいだろう。しかしその虚像を作り上げているのは僕自身だから、それも僕の真実の一つである。そしてそこで示す姿勢は僕そのものであり、それもまた僕の一つの真実である。

生身の僕の個性や性格が、そのイメージと違っていたとしても、その中の僕は決して実態のない存在ではなく、確実にその中に存在する「もう一人の自分」である。その存在を誰からも否定される筋合いはないし、そこでの僕自身の姿勢を誰からも定義づけされる覚えもない。僕は僕のやりたいようにそこに存在し、僕のいいたいことをそこで発言し続ける。

誰かからお金をもらってブログや掲示板の文章や意見を読んでもらっているわけではないし、どうか読んでくださいとお願いしているわけでもない。だからそこでの僕の姿に嫌悪感を持つ人は、あえてそこに繋がねば良いだけである。勝手に繋げて来てイチャモンをつけるのは筋違いも甚だしい。要するにそれらの人々は、発信する人間を嫉妬しているのだろうと決めつけ見下している。

第3者が、その場所で僕のイメージを抱くのは勝手だが、そのイメージから外れて見える僕を勝手に枠にはめて規定されるのは迷惑だ。誰かの価値観の中で存在する僕を、実像と勘違いされるのは迷惑だ。他人の意識の中で勝手に僕の何かが規定されるなんてまっぴらごめんだ。

僕が社会に対して影響力があるなんて思わないが、もしそう思う人がいたとしても、だからと言って「影響力がある人がそういう発言をしてはいけない」とたしなめようとするのは筋違いも甚だしい。僕は人から規定される枠の中でしか動けないわけではない。僕は僕のやりたいように存在する。影響力を持とうなんて動機づけはもともとないのだ。

ブログに書いたことに対して「伴う責任や、与える影響に対する認識も必要ではないでしょうか。」とコメントを書いてくる人もいるが、始めから誰にも遠慮することなく他人に何かを与えるつもりもなく、自分のためだけに自由に書くと宣言している場所に何の責任や影響を求めるというのか。そもそも批判の対象になる表現など、僕の本意が伝わっておらず誤解に基づくものがほとんどだが、所詮文章や文字とはそういうもので、万人に全て理解してもらおうとも思わない。伝わっていないところで批判されて、それにいちい迎合しておれば何も書けなくなる。逆にいちいち反論している時間もない。こういうコメントは単なる「言葉狩り」である。そんなものは徹底的に無視する。

正義感ぶって「そういうことを書いちゃあいけない」とたしなめる人々は、自分の価値観で、他者に対して言論弾圧していることに気づいていないのだ。

僕をたしなめることができるのは、ネット上の住人ではなく、僕自身、あるいは僕の実像を正確に知る第3者でしかあり得ない。

仮に何らかの影響力を僕が持っていたとしても、それは僕らしい方法で誰に遠慮することもなく得てきたものだろうから、それを守るために僕らしさを捨てて、誰かに遠慮しながら生きるなんてまっぴらだ。そんなことで守るべき影響力であるとしたら、そんなもの消えてなくなってもよい。僕は僕でしかないし、命ある限り僕であり続ける。それ以外の何ものになるとも思わない。

僕は普通の人間だから、常に間違えるし、常に正しくはない。間違いに気がつかないこともある。気がつけば素直に反省するが、どうしても相入れることのできないものもある。それも僕の真実の一つだから、そのまま評価されるのはまったく構わない。全ての人から受け入れてもらおうとは思っていない。全ての人に好かれようなんて思っていない。むしろ闘わねばならないことがあると思うから、この場所ではあえて強い言葉で発言している。クソッタレには、クソッタレと罵る。けつの穴の小さなコメントアラシは徹底的に叩く。嫌われるのは覚悟の上だ。万人にへつらって、皆から好かれる自分など想像するだけでへどが出る。

しかしもう一人の僕は全ての人を愛する人間になりたいとは思っていたりする。全ての人が幸福を得る世界であることを理想と考えてしまったりする。だから実際の僕は、仕事の上でも、プライベートでも、人を好きでいたいと願う存在だ。だから社会福祉の仕事の現場では真摯に人と向かい合いたいと思っている。

しかし世の中の全てが理想通りではない。そこには様々なバリアが存在する。そのバリアは時に人間そのものであったりする。その時僕はそれらのバリアをなくすために闘わねばならない。このことは僕の中で決して矛盾していない。人がどう言おうと、それが僕のやり方だからだ。

品行方正で、包容力のある虚像など作るつもりは毛頭ない。僕は僕でしかないのだから、変な価値観で僕を規定しないでほしい。僕は規定されればされるほど、その殻や形を打ち破るために闘うだろう。

僕は僕であり続けるために声を荒げ、拳を振り上げ、髪を振り乱して闘うだろう。

そのことに疲れた時、この場所は静かに幕を下ろすであろう。その時はカーテンコールを求めることもないだろう。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

I LOVE YOU。

この記事が2011年最後の更新記事になるだろう。

今年一年の心からの感謝を申し上げるとともに、ここに繋げている皆さんに対するメッセージとして、この記事を書いて一年を締めくくりたい。

このブログは2005年11月9日に立ち上げたものだ。

当時は、ミクシーも、ツイッターも、フェイスブックも一般的ではなく、皆がブログを書き始めていた頃だったと記憶している。僕がブログを書くようになった動機も、その流行に乗ったに過ぎない。

それ以来僕はブログ一筋だ。ツイッターも、フェイスブックも使い方を知らない。覚えてしまえばそれに費やす時間で、僕の自由がまた一つ奪われるからだ。もうこれ以上の時間浪費はしたくない。

このブログの最初の記事は「裏板風にブログをつくってみました」という短い記事だ。

その時に、ブログを設置するためにタイトルをつけなければならないということで、ほとんど瞬間的に頭に浮かんだのが「masaの介護福祉情報裏板」というものだ。それは施設の公式サイト内に設置している掲示板を表と考えれば、この場所は裏の場所として、公式サイト内では書けない内容も含めて思いっきり僕の価値観に偏ったものを書いてやろうという意図があった。

それから6年以上、平日はほぼ毎日記事更新を続けている。今年も随分とたくさんの記事を書いてきた。

当時の記事を振り返ってみると、明らかに違うのは一記事の長さだ。今の1/3も書いていない。いつの間に長い記事を書くのが当たり前になったんだろう。それは僕の書きたいことが増えたわけではなく、単に年をとって論旨展開がくどくなったということだろうか?まあこのあたりは自分で評価するより、読んでくださっている第3者の方々が評価すれば良い事だ。

僕はこれからも好きなように書くだけだ。おっと、この文章を書きながら、もう1点気がついたことがある。

今僕が使っている一人称は「僕」であるが、当時は「私」が多い。この部分はやはり少しよそ行きの言葉だったのかもしれない。

飾りをすべて捨て去り、ストレスをすべて排除して、自分のためだけに自分の言葉を書く。それがこの場所だ。そこから第3者が何かを感じるとしたら、それは読者自信の手柄であり、僕に感謝する必要はこれっぽっちもない。それほど勝手気ままに、人に気を使わずに文章を書いている場所である。

コメントに対しても返信しないことが多いが、コメントへの返信が義務と感ずるストレスがあれば、このブログは続けられないだろう。コメントへの返信も、書きたい気分の時に、自分の思いのまま書くのみである。

このように僕の勝手な思いを、過激に書きなぐっているこの場所が、実アクセス数(ひとつのPCから何度アクセスしても1カウントしかしない設定である。)が1日3.000件をはるかに超えて、4.000件を超える日もあるようになるなど、まったくの想定外であった。

たまに画像を載せているが、ほとんどは文字だけで、それも随分固い内容が多いし、やんちゃなことを書いている。人の意見を聞かない自分の頑なな価値観を前面に出している記事が多い中での、この数字である。

だからと言って勘違いしてほしくないのは、アクセスカウンターの数字が延びることを僕は欲しているわけではないということだ。ただ年々増え続ける数字の向こうに存在する読者の方々に、ありがたいという思いはある。

それはアクセスカウンターの数が増えることに対する思いではなく、こんな勝手な僕を許してくれてありがとう、僕を愛してくれてありがとうという思いである。数字に感謝はしないが、数字の向こうに存在するであろう暖かい眼差しと、真摯な思いに感謝するという意味だ。ブログを介してまだ見ぬ仲間と繋がっていることに感謝するという意味だ。

皆さんは、どうして僕の乱暴な意見に付きあってくれるのだろう。ある意味それはとても申し訳ない事である。そして僕の心の叫びをあまりに素直に吐き出す中で、不快な思いをしている人も存在することも充分想像できる。でもこの場所はそういう場所だ。

誰も傷つけない代わりに、何も与えないという場所を創ろうとしているわけではない。だから僕の勝手な思いを綴った文章から、僕の魂を感ずることで、なにかを感じている人もいるのだろう。

同時にその向こうにある邪悪な思いも感じることはあるが、それについては完全無視である。何も感じない。どうでも良いと思っている。

時に僕の言葉は刃(やいば)のように人の心を刺すだろう。時に僕の書く文字は炎のように人の心を焼くだろう。それに負けない人だけが、このブログを読み続けているのだろう。そういう強さは生きていく上で必要なのこともあるのだ。

でも僕は分かっている。僕は人並みに弱い人間だ。僕自身の強く見せる姿勢は虚像であり、虚勢である。本当の僕は誰からも嫌われずに、誰からも敵視されずに、静かに存在しているだけで良いと思う心がある。その心に負けそうになる自分を怖く思っている。だから僕は人を糾弾し、人を攻撃し、自分の心にも傷を負いながら主張し続ける人になろうとしている。

それは我々が手を差し伸べるべき人々の暮らしを食い物にして、私利私欲だけをむさぼろうとする力に対する憤りであり、その巨大な力に屈することを恐れる虚勢である。

だから来るべき2012年という年であっても、この場所の僕は年甲斐もなくいつも何かに怒っているだろう。それだけは確実な明日である。

皆さん、今年もわがままな僕に付き合ってくれてありがとうございます。僕を愛してくれてありがとうございます。僕も貴方をとても愛しています。そして愛し続けます。だから今日の記事タイトルはI LOVE YOUなのです。

アリガトウ。また来年お逢いしましょう。来るべき2012年が、皆さんにとって幸多い年になることを祈っています。

※本日午後6時より当施設利用者の皆様の忘年会を行います。当施設ではこれを「年取りの宴」と称しています。下の画像はそのメニュー表ですが、午後6時以降、その模様を撮影した画像をここに随時貼り付けていきます。
年取りの宴折年取りメニュー
年取りの宴1年取りの宴2
年取りの宴3年取りの宴4
年取りの宴5年取りの宴6
年取りの宴7年取りの宴8
年取りの宴9

ブログ書籍化本、第4刷増刷決定。待望の続編は2012年1月25日発売予定。下のボタンをプチっと押して、このブログと共に応援お願いします
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介護・福祉情報掲示板(表板)

裏板という意味。

このブログのタイトルは「masaの介護福祉情報裏板」である。ところでこの「裏板」という意味を、介護の「裏情報」「闇の情報」と捉えている読者がいる。

しかしそれは間違いである。そもそもこのタイトルにさほど深い意味はない。当初ブログを設置する際に、タイトルをつけなければならないことを初めて知り、その時に瞬間的に思い浮かんだものがこのタイトルである。

それはもともと僕が所属施設の公式サイトの管理人という立場であったことと深く関係している。公式サイトの「介護福祉情報掲示板」が数多くの関係者の情報交換の場になっていたことから、そことは少し違う場所で、もっと自由に発言したいという意味で作ったのが個人ブログであった。そのため自分の個人管理のプライベートサイトだという意味で、施設の公式サイト掲示板が表なら、後から作ってなおかつプライベートなブログは裏だろうという意味でこのタイトルをつけたものである。

この基本スタンスは今も変わっておらず、このブログの管理経費はすべて僕のポケットマネーから出ている。サーバー自体はライブドアのものであるが、広告が掲載されないように有料版を使っているので、その費用も当然であるが個人負担である。

よってここでの発言は、あくまでmasa個人の責任による個人的意見である。時に過激に、必要なら団体名や個人名を伏せることなく批評を行うが、だからと言って何でもありの無法地帯ではないと考えている。だから闇の部分を指す「裏」とは少しニュアンスが違うのである。

提供する情報も、他のサイトや情報源より多少早い事があったり、ここだけの話という部分も多少はないではないが、あくまでそれは裏ルートの情報ではなく、関係者にとっては公にされるべき真っ当な情報である。

本来表に出すべきなのに、闇に放り捨ててなかったものにしようとする勢力が、この国や、この国の様々な制度の中に存在する。それを拾って公にしようとする人もいることは事実で、少しだけその手助けをすることはあるとしても、それは違法性のある方法で得た情報ではない。そしてそのことを公表するに際して社会的意義を求めての行動しているわけでもない。自分がそうしたいだけの話である。

ただし、ある情報や事柄の評価については、正面からのみならず「やぶにらみ」しながら穿った見方も交えて評価することがあるので、そこは個人的見解として歯に衣着せぬ、という部分である。

それと何度か書いていることだが、裏板は他人のためではなく自分のための場所なので、他者に対して情報提供を行うことや、レクチャーすることを目的に記事を書いているわけではない。自分の思いや書きたいことを自由に書いている結果、それが他者にとって役立つ情報であったり、知識を得ることに繋がっていたとしても、それは僕の手柄ではなく、あくまでこの場所に繋いで、僕の記事を読まれた人自身の手柄であり、その人自身の成果である。だからそのことで僕に感謝する必要はない。

だから逆に言えば、この場所に書くことは、時として読者の役に立たないこともあるだろう。だからと言ってそのことに文句をつけるのは筋違いだし、お前の考えはおかしいという文句をつけられる筋合いでもない。だから読者コメントは管理させていただき、必要のないものはほとんど読みもせず捨てている。

おかしな意見や、偏屈な考え方をあえて書いている場所なのである。それも僕の一部だからである。それに対して文句を言われても仕方がない。気に食わなければ、このサイトに繋げなければ良いだけだ。そもそも嫌いな人間のブログにわざわざ手間暇かけて繋げて文章を読むのはなぜなんだ?よっほど他にすることのない暇人なのか、頭のねじが一つ足りないのか、性格がよほどねじ曲がっているのか?

だいたい世の中のどこに本当の意味の正論なんてものがあるんだ。それは特定の人にとっては受け入れやすい意見であって、自分の考え方とは違う意見はそうじゃないというだけだろう。

世の中の全ての人が自分と同じ意見を持たなきゃ気にくわないとか、自分の意見だけが唯一の真実だと思っている人間がいるとすれば、そいつは究極の馬鹿だ。

ここにたまに貼り付ける投票アンケートに執拗にひねくれたコメントを書き込む馬鹿もいるが、そいつがそのことで得ているものは何なんだ?自分のうさをそういう形で晴らしているんだろうが、そいつが得ているものは実態のないそいつの中の気分でしかない。それで僕を困らせようと思っているんだろうが、僕はただそいつを蔑み笑うだけである。少しだけ気の毒に思いながら・・・。そういう輩は徹底的に蔑み、徹底的に馬鹿にし、徹底的に無視する。そういう意味での「裏板」という性格はあるのかもしれない。

昨晩も表の掲示板に、この場所で掲載している「投票アンケート」のコメントを消されたと文句を書き込んでいる馬鹿がいた。しかも投票数とコメント数があっていないのはおかしいと書いている。コメントをカキコまないで投票する人がいるのだから、コメントの数より投票数の合計が多いのは小学生でもわかる理屈だ。性格に加え脳みその具合が相当悪い手合いがアラシの書き込みをしているという意味である。愛媛の松山周辺の人間だってよ。今度IPを公開しちゃおうか。

どちらにしても、ここは僕の自由な発言を自らに許容した超プライベート空間である。

今後もより自由に、より過激に、より我がままに、僕のやりたい方法で書き続けていくことになるだろう。それができなくなったらやめるだけの話である。

当然のことながら僕が納得できない事柄については厳しく糾弾する。時としてそれは罵倒すると同じ結果になるやもしれない。どっちにしろビッシビシ行くから覚悟しておいていただきたい。

明日は池田省三論でも書こうかな。必見だぞ・・。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

ここから・・・A great future

福祉や介護サービスの業界の「人材難」が叫ばれるようになって久しいが、高齢者の数の増加に、適切な人材配置が追い付いていないという実態はあるとしても、個々の人材に注目すれば、過去に例をみないほど有能な人材は若い世代に確実に増えていると思う。

僕が個人的に応援している「もんじゅ」は10年後の介護イノベーションを目指し、介護現場を変え、介護に携わる人々を元気にする提言を報告書という形で具体化しているが、その数はとうとう100を超えたそうである。

もんじゅの代表である飯塚さんは、まだ30代で、その活動に携わっている方々も20代から30代が中心だ。若ければよいというわけではないが、若い人がこういう活動をしてくれないと、福祉と介護の現場に新しい風は吹かない。そういう意味で彼らの活動は歴史的な評価を受ける日がいつか来るだろうと確信している。(彼の唯一の欠点は巨人ファンであるということだけだ。)

6月4日に、都内で僕の著作本「人を語らずして介護を語るな〜masaの介護福祉情報裏板」の出版記念シンポジウムが行われ上京したが、その夜に「もんじゅ」の集まりに参加させていただき、若くて情熱を持った方々とお逢いできた。翌日の午前中には、それとは別に飯塚さんの繋がりから各地で活躍される人とお話しする機会を得た。飯塚さんの奥さんともお逢いできて光栄だ。以前夜中に電話してご迷惑をかけたが(参照:福生の夜は長いぞ)、その時のBOBアニキの失礼も詫びておいた。そういえば当のアニキも今回も夜中に携帯で乱入してきたな。奥さん再び失礼しました。何かあったら変わりにヅカちゃんを殴っておいてください。それと今後は親しくヒロチャンとでも呼ばせて頂こうかな。

馬鹿話はこの辺にして、今日は今回の上京で出会った人々について少し紹介させていただきたい。

6日の夜に出会った中で最年少は、まだ学生さんである。上智大学の社会福祉学科の皆さんがwel-beeというフリーペーパーを作って活動している。その目的は大学生にとって福祉をもっと身近なものにし、興味を持ってもらうためということだ。
(是非貼り付けてあるサイトリンクをクリックしてアクセスしていただきたい。)

編集長の高山正太郎クンは、僕の二男よりも一つ年下のイケメン男である。いい男ぶりが僕には少し気にくわない(嫉妬である)。しかし自分の息子より若い人が頑張っているのには驚くより感動が先に立つ。彼らがこの国の福祉の未来をどう創ってくれるのだろう。心からエールを送りたい。ただ僕は男には興味がないので、僕のとなりで飲んでいたエリちゃんが紙面やサイトには表面に出てほしいと願っている。(スケベ親父か!!と突っ込まないように。)ちなみにエリちゃんは、施設の相談員を目指しているそうだから、上智大学に求人票を送る事業者さんは是非彼女にも声をかけていただきたい。冗談はともかく、こういう後輩が後に続いてくれることは何とも頼もしい限りである。

それと当日一番幸せそうな顔をしていた男を紹介せねばなるまい。kinsanである。何しろ東京ディズニーランドで彼女へのプロポーズが成功したらしく鼻の下を大いに伸ばして飲んでいたが、彼もなかなかのイケメンである。眼鏡をかけると誰かに似ていると思ったが、あっそうだ、オリラジのチャラ男にどことなく似ているぞ。フィアンセには「キミ、きゃわいいねえ〜!!」と言い寄ったに違いない。・・・そんなことはどうでも良いのであるが、彼もケア観の対話場「リンクスペース」という活動によって福祉・介護業界に風を送っている一人である。思いを実現するために行動を起こしているということは素晴らしい事であるが、実際にそれができる人は意外と少ない。しかし彼は間違いなく優れた実践家である。しかしあえて彼にも欠点を探すとすれば、それは彼の一家が皆巨人ファンということである。この部分だけは一日も早く目を覚ましてファイターズのように正義の球団を応援し、真っ当な市民としての道を歩んでほしい。

スギッチを囲んで大阪からシンポジウムに駆けつけてくれたkansai_kaigoさんは、池田龍谷大学教授と僕の最初のバトルが行われた丹波篠山研修にも参加しており、その光景を目撃していた方だそうである。kansai_kaigoさんは大阪での介護・福祉職の情報交換会(高齢者福祉スタッフ情報交換&交流会)を長年主催し続けている。特にテーマも決めず成果も評価していないということであるが、「継続は力なり」の典型例で、そこまで続く活動ということ自体が社会的に意味のあることだと思う。この会に参加することで、悩みを解決する人々がたくさんいるから活動が続いているということだろう。この会の活動によりバーンアウトしなくて済んだ関係者も多いのではないかと想像する。大阪周辺の関係者の方は、肩の力を抜いて一度参加してみてはどうだろう。ちなみにこの写真は「もんじゅ」の飲み会の翌日、お昼を仲間でということで秋田県の素材の料理屋の前で撮ったものだ(僕はこの店で稲庭うどんを食べた)が、kansai_kaigoさんが撮影しているので、彼は写っていない。ところでスギッチって秋田では有名キャラなのか?

世田谷の特養で介護福祉士として働いておられる中浜さんは、「介護ラボ しゅう」という活動を通じて、介護に携わる人などの話し合いの場を創っている。「しゅう」とは「集」・「習」・「修」・「秀」・「就」などの意味を持った場を目指すという意味だそうだ。まさにシンクグローバリ―・アクトローカリーの実践活動である。彼もまた輝いている若者の一人である。なお彼の唯一のコンプレックスは天然パーマの髪の毛であるらしいが、それは彼のブログで確認してもらいたい。どうでもよい事を書いて怒られるな・・・。

こうした若い人々が行動している。ここから福祉や介護は変わって行くかもしれない。だから彼らに出会っている場所で、僕の脳裏に流れたBGMは、「同じ時、同じ道を歩んだ次代の証はまるで、泥だらけのスニーカーのように誇りまみれのHistory」だ。

しかし我々おじさんやおばさん世代が、その活動を横目で見るだけで物言わぬままではいけない。彼らに負けないように我々の世代も行動し、発言する必要がある。

それと同時に、彼らがこの業界に希望の光を届け続けられるように、世代を超えて彼らを応援し育てていくことも必要だろう。

やがて僕も彼らに頼る時が来ると思うが、その時まではしっかり支えたい人々である。

(今日のおまけ)
kansai_kaigoさんが送ってくれた厚生労働省内の書店に陳列されていた僕の著作本の写真画像。彼によれば僕の本は厚生労働省内の書店の、多くの書籍の中で一番目立つ場所に平積みされ、また他書籍には無い、アピールのPOP文まで付けて置かれているそうである。
厚生労働省内の書店2
厚生労働省内の書店
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介護・福祉情報掲示板(表板)

心貧しきコメントあらし

このブログを読んでくださっている方は、ほとんどが善意の第3者であり、僕が書いた記事の内容に反対の意見を持ち、コメントを書いて下さる場合でも、建設的な意見として書き込んで下さる人が多い。

そういう場合は、素直にうなづいたり、考えなおしたりする場合もある。当然、そういう考えは自分とは相いれないと思うこともあるが、それはそれでよいと思っている。

そもそも僕自身は、自分の考えを誰かに押し付けるとか、レクチャーするつもりでブログ記事を書いているわけではない。よって反対意見があってもほとんど気にかけないしどうとも思わない。そういう意見に対して反論もしないことが多い。100人が全員同じ意見であることの方がどうかしているからだ。

そもそもこの場所は、僕の「思い」を歯に衣着せず、誰の干渉も受けず、ストレートに書く場所であり、最初から議論するつもりのない場所なので、表の掲示板のように反論することにエネルギーを使うつもりはないからである。今後もこの姿勢を変えるつもりはない。そういう意味では反対意見をコメントに書き込む人にとってみれば「糠に釘」なのだろうが、それはブログ作成者の自由なので納得してもらわねばならない。

しかし反対意見のコメントの中には、口汚く相手を罵る為だけを目的にしたものがある。いわゆる「反対のための反対論」である。そんなものもどうとも思わないが、何度もしつこく書きこんでくる人がいて滑稽になる。無駄な労力に対しては心から「ご苦労さん」といいたい。こんなことに無駄なエネルギーや、時間を使う暇があるなら他に何かすることができるだろと逆に可哀想になっちゃうのである。

先日「風呂に入れない監督責任をとれ!!」という記事を書いて、この中に「日直出勤は、溜まっていた仕事を片付けるのにはちょうど良い日である」と書いたら、このことを早速攻撃目標にして「日直の仕事をきちんとしないで溜まっていた仕事を片付けるという態度はけしからん」とコメントを寄せる輩がいる。そして長々とその後に記事に対する批判を書いているようだ。

「書いているようだ」というのは、そもそも面倒くさいので、最初の文章を読んでアラシだと分かるコメントは、それ以上読まないで無視して削除してしまうから、何を書いているのかよく知らないのである。そのアラシは、よほど暇な奴なのか、何度も同じコメントをコピペして送ってくる。こうなると僕は逆に面白い。どうぞ無駄な労力を続けなさいと思うだけだ。

反論はしないと書いたが、一応解説程度にその馬鹿なコメントの拙劣さを指摘すると、そもそも日直の仕事をきちんとしろというが、日直の仕事とは何ぞや?ということは、それぞれの施設による決めごとで、外部の人間がとやかく言える問題ではない。

当施設で言えば日直業務の定めは簡単に言えば「日中の電話対応と、窓口対応業務」である。よってこれを行っている限り、他の業務をしてはいけないということはなく、日常の溜まっていた事務作業を行うことは何ら問題ない。そういう決めごとに最初からしているのである。栄養士は栄養ケア計画の整理を、ケアマネはケアプランの確認を、事務職員は請求業務の処理を、それぞれの日直業務の中でこなしてよいのである。

だから何度も同じコメントを書き込んでくる輩の論理は最初から間違ったアンポンタンな意見なのだが、本人はずいぶん良い事を書いて、相手が反論できず、困っているとでも思いこんでいるのだろう。おめでたい人である。

こんな馬鹿馬鹿しい指摘を、正義感を気取ってコメントに書きこんでくる「さもしい人間」は、単に悪意のアラシに過ぎないのであるが、同時にそういうことでしか自らのストレスが発散できないことに対し、非常に気の毒に思う。コメントを受けている方は痛くも痒くもないのであるが、コメントを書いている輩は、それによって相手に相当程度のダメージを与えていると思い込んで溜飲を下げているのだろう。

さもしい精神であり、心貧しき人である。ただただお気の毒にと思うだけである。

どちらにしても、何を書いてよいか話題が浮かばなかった今日、しつこくバカなコメントを寄せてくる人間のおかげで一つ記事が書けたことについては感謝する必要があるんだろうか?

今日はあまり書くことが思いつかないままおかしな記事になったが、たまにはこういう日もあるということで、明日はもっと介護福祉に関連した『きちんとした記事』を書こうと思うので、ご勘弁いただきたい。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

ホームページ、リニューアルのお知らせ

緑風園の公式サイトは2001年6月21日、初めてネット上に配信され、その後2003年に一度リニューアルし現在に至っている。

現在トップページは延べアクセス数が37万件を超え、掲示板に至っては3日前に1.000万アクセス超えてしまった。

当初のホームページは、2002年12月1日に急逝された高橋邦彰氏が作成してくれたものである。

彼は、原発性免疫不全症候群という難病と股関節症を患いながらインターネット上の福祉相談室の運営に尽力し、政府主催のインターネット博覧会(インパク)でも高評価を得た。緑風園の掲示板の初代板から3代目板まではレンタル掲示板であったが、第4代板は彼の作成したオリジナル板であった。そういう意味では今日、平日7.000件以上のアクセスがある掲示板の生みの親と言ってよい。29歳にしてこの世を風のように去って行った氏は、現在天国でこの掲示板を見てくれているかもしれない。

高橋氏が亡くなられた後も、ホームページの更新は、サイト管理者により行っていたが、ネットの世界の技術革新はスピードが速く、2001年の技術で創ったサイトは当時の時代ともマッチしなくなっていた。

その当時、ネットからオンライン入所申し込みが可能となるようにしたいと思ったが、しかしこれは専門技術を持たず、ホームページビルダーでサイト更新している僕の手に余る仕事であった。

その時、たまたまネット検索で見つけたのが愛知県刈谷市にある「アイル」というホームページ制作会社である。偶然見つけた会社であったが、何回かメールでやり取りしているうちに、その会社の代表取締役の方がとても親切で、お金にならない相談事にも親切に対応してくれるので、任せてみる気になった。そして作成してもらったオンライン入所申し込みのフォームも大変良心的な値段で、素晴らしいものを作ってくれた。

それが縁で、少し使い勝手が悪くなったホームページを思い切ってリニューアルする時に、同社にお願いした。以来10年近くお付き合いして、サーバー管理も任せている。その理由は信頼できるからである。

ホームページ作成会社は星の数ほどあると思うが、メンテナンスがしっかりして、どんな相談事にも真摯に耳を傾けてくれて、料金が発生しないことに対しても、わかりやすく丁寧にアドバイスしてくれる同社の代表者の人柄が信頼できるので、他の会社や人に、この仕事を任せる気にはならない。もちろん仕事に対する技術的な信頼感もあるし、費用も良心的であることもありがたい。

仮にこれからホームページの作成、あるいは更新を考えている保健・医療・福祉関係者の方がいたとしたら、同社のホームページにアクセスして問い合わせてみて損はないだろう。なにより、僕の管理サイトがみればその仕事のよさが分かると思う。

※なお当施設からの紹介の場合、月に1件に限って破格の「紹介価格」でホームページを作ってくれるとのことであるから、ご希望者はご相談していただきたい。

2003年に同社に作成してもらった現在のホームページは、作成当時では時代にマッチしたサイズと斬新なデザインであったが、それから8年近く経つと、サイズが現在のネット環境とマッチしなくなった。また当初はシンプルなインターフェイスであったが、僕が情報を積み上げて更新し続けていったため、トップページのデザインもごちゃごちゃで、知りたい情報に、分かりやすくアクセスできるという機能を失ってしまっている。このあたりが素人の雑な仕事である。

それにこのあたりで皆さんがご愛顧してくれる掲示板の機能も少しアップしたい。

そこで、新年度に切り替わるこのタイミングで、ホームページを全面的にリニューアルすることにした。勿論、今回もアイルに全幅の信頼を寄せて任せたものだ。

本日、朝から更新作業中である。そのため表の掲示板は繋がらない状態にしている。新しい書き込みがあっても、次の掲示板に反映できなくなる恐れがあるため、一時的に掲示板のサーバーを落としているからだ。トップページ等は繋がっているが、これも表の掲示板が新しくなると同時にニューバージョンに切り替える。表の掲示板に次に繋がった際(おそらく本日夕方までに作業は終わると思う)は、是非トップページ他、他のページも覗いていただきたい。そしてご意見をいただきたい。

新しいサイトに切り替わったら、この記事のコメント欄に書き込むので、今日はこのブログ記事を随時チェックしていただきたい。

新しいホームページは皆さんにとって見やすく便利になっているだろうか。僕はサンプルから見ているので、とても気に入っている。

是非皆さんに感想をいただきたく、下の投票に意見をお寄せいただきたい。なお新ページなので、最初はハグが存在していると思えるが、気付いた点があれば、この記事のコメント欄にでもお知らせ願えればと思う。

それではよろしくお願いします。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

記事で振り返る今年の10大ニュース

今年も残すところあと4日である。官公庁は今日が仕事納めという所も多いだろうが、介護サービスに休みはなく、年末年始に関係なく働いてくれる職員によって利用者の暮らしや各々の職場が支えられている。

僕の通常業務は30日の午後8時くらいまでの予定である。30日の夜は、緑風園で暮らされている方々の「忘年会」を毎年行っているので、このささやかな宴が終わるまでが通常業務なのである。

先週末は休みを利用し、自宅で大掃除を手伝った。あいにくの雪の週末で、雪かきもしなければならない状態だったが、子供たちが掃除にも、雪かきにも戦力になる年になったので、年をとって動きが鈍っている僕らにとってはとてもありがたいことである。神様は時の流れの中で、色々な順番を人に与え、自然に年を重ねるという意味を教えてくれている。

さて本日は当施設内も大掃除である。通常の介護業務に携わる職員以外の事務職員等は、朝から大わらわで掃除にかかっている。僕も施設長室だけでなく、ホールの天井や電球などをせっせと拭いている。少々首が痛くなって小休憩である。(小休憩が年々長くなっているのは年のせいだろう。)

今年も様々なブログ記事を書いてきたが、今日はその中から、今年の私的10大ニュースを選んで1年を振り返ろうと思う。

今年の第1位はやはり、介護保険制度次期改正議論をめぐる問題と、その関連記事だろう。今年の3月以降、このことに関連する記事を様々な角度から書いてきた。その中でも、みなさんの拍手クリックを一番多くいただいたのが「制度改正、ケアマネは小間使いか!!」である。そのほか「制度改正の視点はまたも給付抑制」「国に声を届けるために」という記事も自分なりに重要な記事と思っている。同時に表の掲示板では「制度改悪阻止のため国に提出するデータ作成のためのアンケートにご協力ください」という形で、現場の皆さんの生の声を集めるためのお願いをしたが、たくさんの皆さんに協力いただき、実際に寄せられたデータや意見を国会議員はじめ関係者に広く手渡すことができた。改正議論の中では過去にない画期的なことで、様々な評価をいただき、世論形成の一部には少なからず影響を与えていると言える。

人を語らずして介護を語るな第2位:このブログが書籍化されることが決定。
発刊は来年1/20であるが、皆さんの応援の声により、本という形で世に出ることになった。「ブログ書籍化のお知らせとお願い。」「ブログ書籍化本デザイン決定」は比較的に新しい記事で皆さんの記憶にも残っているだろうが、改めて発刊本の購入のお願いをしておきたい。是非本が売れて、来年の10代ニュースの1位にしたいものである。




第3位:人との出会い。今年も僕の人生にとっての最大の財産である「仲間」が増えた。かねてより知り合いで、いつもメールや電話でやり取りしている師匠という言うべきnarisawaさんに実際にお逢いしたのは今年が初めてである。帯広市の研修に彼が来た時に、図々しくもお邪魔させていただき、薄野でOFF会までしてしまった「masaの帯広紀行」。この後narisawaさんの縁で僕の十勝講演にも結び付いたし東京で行われる老施協研修でnarisawaさんに講師をお願いする縁にも繋がった。それと今年全く新しい出会いの中で印象深い2人の方々は「輝いている人々との出逢い」の中で紹介している。

第4位:共著本「介護施設の法令遵守」発刊。原稿を入稿してから1年以上の月日を経て世に出た共著分である。「介護サービスにおける法令遵守について」。ご購入いただいた方々に深く感謝したい。

第5位:今年は節目の10年であるということをもう一度思い出してほしい。「10歳になった介護保険」。我々の行く先がどこなのか、光を求めてアクションを続けていく必要がある。

第6位:相も変わらね不適切処遇や虐待ケースの表面化。「認知症高齢者を雑魚寝させていた施設の公表情報」「心の闇はどこから生まれるのか。」、こういう問題を真剣に考えて、皆で良いサービスを作って行かないと介護サービスは国民から見放される。

第7位;繰り返される悲劇。事故は本当に恐ろしいし、一瞬のうちに奪われる「儚い命」を考えた時声を失ってしまう。「悲劇は何故繰り返される」ただただお亡くなりになった方の冥福をお祈りし、深く頭を垂れ、合掌の心を持ちながら、悲劇を繰り返してはいけないと強く心に誓うだけである。

第8位:理由はともかく、かねてより批判してきた「介護情報公表制度」の事業者負担が廃止され、調査も全事業所ではなくなり、発展的解消に大きく動き出した。「公表制度手数料廃止方針・利権を残すな」

第9位:今年は僕の講演依頼の中で「看取り介護」に関するテーマが多くなったが、僕自身や僕の施設でも、新しい理念QODへの支援というものを取り入れて、さらなる「看取り介護」の品質向上に努めている。「看取り介護研修週間について。」

第10位:今年はファイターズの話題をあまり記事にできなかった。わずか1勝差での4位。0.5ゲーム差で3位のマリーンズが日本シリーズを制してさらに残念感が深まったが、最後に良いことがあった。「ファイターズ小僧の雨のち晴れ」

番外:埼玉で僕の講演を受講してくれたOさんからは、わざわざ北海道まで地酒を送ってもらった「masaの日本酒道14~稲花・大吟醸「金龍稲花」」。秋田の主催者の方からも同じく珍しいお酒を送っていただいた「masaの日本酒道15~発泡清酒「ラシャンテ」」。ノンベがばれるな。

それと日本介護支援専門員協会は相変わらずである。こういう会に入会してはいけない。「協会会員にあらずんば人にあらず?」「某(なにがし)の踏み台諸君へ」

来年は一体どんな年になるだろう?良い年であることを願うばかりである。

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