masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

認知症の理解

あなたが何度も言っていることでも、認知症の方は初めて聴くことです。


このところ連日、介護施設職員の利用者に対する暴力報道が繰り返されている。

滋賀県野洲市や大阪府枚方市では、複数の利用者に暴力を加えてけがをさせた介護職員が、それぞれ逮捕されている。

こんなにも次々と事件が続くと、介護施設はあたかも必要悪で、そこに一旦入所してしまったら、どのような扱いを受けても不思議ではなく、虐待を受けなければ幸運であるなんて言う偏見が広がりかねない。

虐待や不適切サービスとは無縁の、多くの介護施設関係者は、昨今の状況に大いに心を痛めている。なんとしてでもこうした状況をなくしていかねばならない。

だからこそ人材不足だからといって、闇雲に募集に応募してきた人間を採用しないでほしい。特に何種類もの介護事業者を渡り歩いている人は、それなりに定着できない理由があるのだから、採用はより慎重にすべきだ。

渡り鳥のように所属事業者を変える人の中には、就職先で利用者に腹を立てて、不適切な言動が問題になった過去を持つ人間が少なからず混じっている。そういう人は矯正不能と考えた方が良いのである。今後注意をし続ければ、そういう間違いは2度と起こさないだろうなどという、根拠のない期待が経営リスクに直結することを理解しなければならない。

ところで過去に介護事業者で起こった事件の原因を探っていくと、入所者の行動にイラついて腹を立てて暴力に及んでいるケースが少なくないことがわかる。特に認知症の人の行動にイライラして思わず手を挙げてしまうという虐待事案が介護事業者を舞台に繰り返されている。

しかし認知症の人に何度も同じ注意をしても、行動変容できないのは当たり前のことだ。怒るという感情はおいそれとコントロールできるものではなく、怒らないという状態に自分を持っていくのも極めて難しい。(※アンガーマネジメントも、怒りを鎮める技術ではなく、怒りをマネジメントして、怒りのありようを知ることで怒りという感情に流されないようにする技術でしかない

認知症の人の行動にいちいち腹を立てても何の意味もなく、腹を立てるだけ無駄であるし、そのことで手荒な対応を行えば、認知症の人の行動はさらに理解不能なほどエスカレートして、介護従事者の仕事は増えるだけの結果にしかなならない。・・・認知症の人の行動に腹を立てるほど、無駄で非効率的な行動は他にないのである。

このことを全職員が把握・理解することが求められるのである。
記憶と回路の違い
上の図は、『認知症の理解』などをテーマに行う僕の講演のスライドの一部である。

アルツハイマー型認知症の人は、脳の後ろ側にある細長い器官『海馬』の周辺に血流障害が生じるという特徴がある。その為、アルツハイマー型認知症の初期から海馬が機能不全に陥ることがわかっている。

この『海馬』とは、見たり聞いたりした情報をいったんためて、記憶として脳に残す器官である。この器官が機能不全に陥るということは、新しい情報が記憶にならないということだ。

つまり、認知症の人に行動・心理症状(BPSD)が表れて、その行動が傍から見て危険であるからといって注意しても、認知症の人自身は、自分の行動には理由があるし、決して危険な行動をとっていると思っていないので、その行動をなじられる意味が分からない。

それだけでなく、自分に対して第3者が怒って注意しているということ自体が、記憶に留まらないのである。

つまり何度同じ注意をしても、云うことをきいてくれないと介護従事者が思っていたとしても、認知症の人は、注意されるその瞬間から記憶は脳にたまらないため、注意されたという経験そのものが消えてなくなるのである。

介護従事者が同じ注意を百回その場で行ったとしても、認知症の人にとっては、1回目の注意も、100回目の注意も、同じく初体験である。それが認知症という症状の特徴なので、そのことにイラついても始まらないのだ。

行動・心理症状が目立つ人に対しては、よりその人の目線に立って、何をしたいのかを探ると共に、笑顔で目を見て、丁寧な言葉で対応することが重要になる。(参照:カンフォータブルケアに注目が集まりましたね

こうした対応を繰り返していくと、その介護従事者の対応によって認知症の人の行動が落ち着くスピードが速くなり、行動・心理症状の頻度が減ることがわかるようになる。

人の顔も名前も記憶できない人が、なぜ特定の介護従事者の対応に反応するのだろう。それは全景の図に関係がある。

アルツハイマー型認知症の人は、海馬の機能不全が起こるが、小脳の機能は正常に働くことが多いため、ここに残る記憶は比較的晩期まで残るのだ。するとここには手続き記憶が残ることがわかってるが、同時に、『感情の記憶』も小脳に残ることがわかっているのだ。

つまりこの人の顔も名前も知らないけど、この人の声を聴いたら何となく落ち着くという感情の記憶によって、いつも丁寧で優しく、笑顔で対応してくれる人は、認知症の人にとって信頼できる誰かであると認識されているのだ。

だからそうした信頼できる介護従事者の対応で、行動・心理症状は軽減されるのである。

腹を立てても解決しない問題は、こうして笑顔で優しい対応によって解決に結びつくのだ。そう慣れば仕事も減って、楽に業務をこなせることに繋がっていくのだ。

認知症ケアの達人と呼ばれている人たちは、このように楽ちんな状態を常に創り上げて、成果を挙げていることを理解せねばならない。・・・どちらが良いのかは一目瞭然の世界である。
CBブレイン連載記事
CBブレイン「快筆乱麻masaが読み解く介護の今」、今月号の連載は本日アップされています。経済対策として実施予定の、介護職員らの給与引き上げについてどう考えるべきかを論じています。こちら
参照ください。





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科学は愛に勝てるのか・・・。


認知症の人がとる行動のうち、周囲の人々が理解し難い行動が見られることがある。

そうした行動は、徘徊や攻撃的行為などの「行動症状」と、妄想や幻覚・誤認などの「心理症状」という2面性がある

その為、こうした行動をBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia:ビヘイビオラル・アンド・サイコロジカル・シンプトム・オブ・ディメンティア)と呼ぶ人が多い。しかし日本人であるなら、日本人がその意味を理解できるように、「行動・心理症状」と呼ぶべきだと僕はかねてより主張している。

こうした行動・心理症状が出現している人に対しては、その行動と心理に何が影響しているのかという因子をあぶりだし、そこにアプローチすることが必要になる。

例えば影響する因子としては、身体的要因として、「水・電解質の異常、便秘、発熱、薬の副作用等」、心理−社会的要因として、「不安、孤独、過度のストレス、無為、プライドの失墜等」、環境的要因として、「不適切な環境刺激(音、光、陰、風、空間の広がりや圧迫・人及び人が原因で起こる様々な関係等」が考えられる。

こうした要因をなくす、あるいは改善することで認知症の人の混乱は収まり、行動・心理症状は改善するのである。それは即ち、認知症の人が落ち着いて穏やかに暮らしを送ることができる=幸せに暮らすことができる、という意味なのだから、認知症の人にとって求められることである。

こうした因子にアプローチするエビデンスを導き出そうというのが科学的介護であり、LIFEへの情報提供とフィードバックがそれを実現するというのが国の見解だ。

果たしてそうなるだろうか。職業として認知症の人と長くかかわっている僕としては、結局認知症の人が混乱せず、穏やかに暮らすための一番のアイテムは、周囲の人々の認知症に対する理解と思いやりであると思ってしまう。

正しい認知症の理解の元、愛情を注ぐ行為だけで、認知症の人は穏やかに暮らせるのだ。そのエビデンスは変わらないのではないのか・・・。

例えば、下記の図を参照願いたい。
認知症講演スライド
これは僕が、「認知症の理解」に関する講演スライドの一部である。

豊橋市の認知症カフェの前にあるバスが止まらない停留所。「家族に会いに行きたい」「家に帰りたい」などの理由で落ち着かない認知症の人が、「一旦このバス停で待ってみましょう」と促し、落ち着くまで過ごすことができる場所として設置した停留所である。

だがこれは設置者のオリジナルではないはずだ。オランダ か、もしくはスウェーデンの老人ホームの前に、バスが止まらない停留所があるというニュース報道を10年以上前に見た記憶があるから、このカフェの運営主体も、そこからヒントを得て設置したのだろう。

それはともかく、ここには様々な人の愛が集まっているように思う。

認知症の人の行動・心理症状を問題行動と見ないで、その人にとって理由のある、必要な行動とみているから、「行きたいは、生きたいです。」という考え方が生まれる。

説得の効かない認知症の人に対しても、納得できる方法があるのだと信じて、認知症の人の行動にイライラしたり、怒ったりせずに、時間を掛けて寄り添っている姿がそこには垣間見える。

その考え方に共感して、バス停を寄付してくれる営利企業もそこにはある。

カフェにとどまっていれない認知症の人の、「帰る」という行動に対して、様々な人々が、愛情と理解を寄せて関わっているのだ。LIFEという介護データベースによって、これ以上の科学的エビデンスが見つかるだろうか。

そもそもそれ以上の科学を導き出す必要があるのだろうか。

愛情という目に見えないものを排除しようとした先に生まれる科学的介護は、本当に人が欲するものなのだろうか。・・・それは違うように思う。






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HARUMI


医学は日進月歩であると言っても、こと認知症に対する医学は、なかなかその治療や予防に手が届く方向に進んでいない。

例えば認知症治療に使える新薬が約20年ぶりに承認を受けたと言っても、それは認知症を根治させたり、予防できたりする効果がある薬ではない。(参照:レカネマブ承認〜過度な期待は禁物

認知症に対して、現在医学の手はいまだに届いていないだけではなく、手が届く見込みもないと言うのが、今の現実である。

現在65歳以上で7人に一人が認知症であると言われており、2025年にはその数が5人に一人まで増えると予測されている。しかし軽度認知障害MCI)の人が増えている現状を鑑みると、そこに何か有効な対策が取られないと、認知症になる人の割合も数も予測より増えていくことになる。

それによって社会全体の介護負担が増えたり、認知症の人が事故に遭うなどする件数も爆発的に増えかねない。介護離職やヤングケアラーの問題も、認知症の人が増えるに従いより重たい問題となっていくだろう。

しかしどんなに認知症予防のための様々な方法が啓蒙されても、根本的な予防薬や治療薬がない限り、人類は認知症から解放されないのも事実だ。そして根本的な予防・治療薬について、少なくとも僕が生きている間には開発されないだろうと思う。

だからこそ生活習慣の改善など、日常生活の中での認知症の予防と、認知症になった人に対する対応の仕方が重要視されているのである。

その為には、認知症とは何かという基本を知り、誰しもが認知症になり得ることを理解したうえで、認知症の人やその行動を肯定的に捉える必要がある。いわゆる受容的な態度が求められるのである。

だがそれは、「言うは易く行うは難し」でもある。繰り返される行動や訴え・・・そのたびに同じ対応を繰り返さなければならないことに、心身が疲れ切ってしまう人も多い。

だが支援者にとっては同じ行動や訴えであったとしても、認知症の人にとって、それは今しなければならない行動であり、今訴えなければならない心の叫びなのである。それに対して根気よく向かい合ってくれる誰かを、認知症の人は探し続けているのである。

理解できない行動をとる人を奇異な目で目るのではなく、そういう行動をとらざるを得ない認知症の人という理解のもとに、その人がなぜそうした行動をとるのかを受容的に考え、その方が真に望む方向に寄り添うということが求められるのだ。

そうした態度に終始できる秘訣があるとすれば、突き詰めて言えば、それは人間愛を寄せて関わるということに尽きる。だが愛を寄せるエビデンスなんて存在しない。それは科学的思考ではなく、人としてごく当たり前の優しさや思いやりを忘れないということなのである。

どちらにしても認知症の人に今、確実に届くのは医療ではなく介護の手なのである。

ところで北海道のでは先日、下記のような報道がネット等をにぎわせた。
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7日午後、北海道帯広市のアパート玄関前に侵入したとして、80歳の元住人の男が逮捕されました。邸宅侵入の疑いで逮捕されたのは、住所は自称、帯広市に住む80歳の無職の男です。この男は7日午後2時ごろ、自称、自宅近くのアパート2階の部屋の玄関前の踊り場に、正当な理由なく侵入した疑いが持たれています。

警察によりますと、目撃した人から「玄関のドアを叩いてる人がいる」という通報を受け、警察官が駆け付けると、男が現場にいたため、調べをすすめ、その場で逮捕しました。80歳の無職の男は、かつて現場のアパートに住んでいたことがあり、取り調べに対しては「自分の家に入ろうとした」などと話しているということです。
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この行動は認知症の症状であることは明らか。見当識の低下による行動を、あたかも社会悪であるかのように報道する意味が分からない。

おそらく大事件が起きた翌日なら、決して取り上げられなかったニュース。報道すべき事柄に事欠いて埋め込んだニュースと思われるが、それにしても見識の低い報道記事である。日本のマスコミは、マスゴミでしかないことがよくわかる記事内容だ。

認知症の人や軽度認知障害の人に対して、もっと温かいまなざしが向けられる社会は実現しないのだろうか・・・。そうした社会の実現を目指して、9/23午後から「テクノプラザかつしか」で行う講演では、認知症の人に対しては、専門知識の前に、周囲の温かい愛情・理解的態度が必要であることを伝えたい。(※下記のポスター画像を参照ください
葛飾認知症研修ポスター
当日は、「記憶を失っても感情は失わないという証明」という記事で紹介した、認知症になり特養に入所した妻と、妻が自分のことを忘れてしまうと嘆く夫のエピソードも紹介する。

どなたでも申し込みなしに無料で参加できるので、是非当日は葛飾までお越しいただきたい。

実は今回のこの講演に、僕は別な思い入れがある・・・幼馴染で、幼稚園から中学を卒業するまで同じ学校に通っていた友人女性が、この講演を聴きに来てくれる予定になっていた。

彼女は都内の老健施設で看護師を勤めており、過去にも僕が都内で行う講演を何度か聴きに来てくれていたが、コロナ禍以後逢えない日が続いていたので、今回は4年ぶりに逢えると楽しみにしていた。

そのため講演が終わったら懇親会で呑みましょうという話を電話でしたのが先月の18日であった。しかしその日、彼女は夜勤で出勤後、職場で脳出血を起こし倒れてしまった。

救急搬送されて一命はとりとめたものの、意識不明の状態で、いつ何があってもおかしくない状態と聞き及んでいたが、残念ながら今週月曜日・9月18日の夜に帰らぬ人となってしまった。とても残念である。合掌。

だからこそ彼女が聴きに来てくれるはずであった今回の葛飾講演は、彼女のためにも魂を込めて、本物の認知症介護実務を伝えてきたいと気合が入る。

初七日も済んでいない彼女の魂も、天に召される前に僕の話を聴きに会場を訪れてくれていると思いながら話をしよう。

それでは葛飾講演に来てくださる皆さま、そして天に召された春美ちゃん、当日の会場で愛ましょう。






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身内が認知症になった場合の心構えはあるか。


今月15日、東京都世田谷区に住む71歳の男性が、自宅の寝室で68歳の妻の腹部などを殴ったり蹴ったりする暴行を加え、外傷性ショックで死亡させたとして逮捕される事件が起きた。

死亡した妻は、今年に入ってから認知症を患っていたとみられ、容疑者となった夫が介護していた。

事件当時、就寝しようとした容疑者に被害者が何回も話し掛けたといい、龍雄容疑者は調べに「煩わしくなり殴った」と供述しているそうである。被害者は暴行後に入浴したところ意識を失い、龍雄容疑者が119番通報して事件が発覚している。

腹が立ったにしろ、自分の妻を死ぬまで殴るけるする必要はないなどと、容疑者を批判することはたやすい。

しかしある日急に自分の家族が認知症になった備えをしている人などいないことを考えると、その状態に大きな戸惑いを感じて、その状態が積み重なることでストレスが生じて煮詰まってしまい、普段の自分からは考えられないような異常な行動をとってしまうことはあり得ることだろう。

そもそもこうした事件当時者は、認知症の専門家でもないし、介護の専門家でもない場合が多いのである。専門知識も介護技術も持たない人が、ある日急に認知症の家族を介護しなければならなくなる・・・。その人たちに、きちんと身内のケアをしろというだけでは、こうした問題は解決しないであろう。

この事件の報道などを目にしたり耳にしたりした人の中で、一度でも認知症の家族を介護した経験のある人は、自分もそういう負の感情を抱いたことがあり、容疑者の気持ちもわからないではないという人も多い。

認知症の人に対するケアの蘊蓄(うんちく)を持っている人でも、いざ自分の身内が認知症となり、毎日終わりの見えない介護を行わねばならない立場になると、その蘊蓄を生かすことができなくなってしまう場合もある。

だからこそ認知症に対する理解を今以上に進めねばならない。特に介護関係者ではない、一般市民の皆さんに、認知症とは老化現象の一つに過ぎず、社会的地位や日頃の行いや、本人の性格に関係なく発症するものであることを伝え続けなければならない。

誰しもが認知症になり得ること、誰しもが認知症の身内を介護する立場になり得ること、そしてその時の備えや心構え、具体的なケアの方法論、相談できたり支援の手を差し伸べてくれる機関や制度・・・そうしたことを広く伝え続ける必要がある。
葛飾認知症研修ポスター
9/23(土)の秋分の日に、東京都葛飾区のテクノプラザかつしかで、葛飾区介護サービス事業者協議会主催認知症研修会が行われるが、そこで僕は講師役を務めて「認知症を知り、地域で支え合おう〜愛を積みながら認知症の人とともに歩む介護 〜」というテーマで、13:30〜120分講演を行う予定になっている。

この研修会はコロナ前には毎年行われていたものであるが、コロナ禍以後中断しており、今年が4年ぶりに復活した会場研修である。

どなたでも無料参加できる研修で、申し込みも必要ない。

参加希望の方は、葛飾区介護サービス事業者協議会主催認知症研修会の文字リンクに張り付いたポスターを参照いただいて、当日直接会場までお越しいただきたい。

それでは秋分の日に会場で愛ましょう。






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レカネマブ承認〜過度な期待は禁物


日本の大手製薬会社エーザイが、米製薬大手バイオジェンと共同開発したアルツハイマー型認知症治療薬、「レカネマブ」が21日、厚生労働省の専門部会で了承された。

これによって日本の医療現場で年内にも新薬が使われるようになり、投与される患者も増えていく。

まずはレカネマブが作用する仕組みを見てみよう。
レカネマブが作用する仕組み
アルツハイマー 型認知症は、脳内に「アミロイドβ(Aβ)」がたまることで、脳神経細胞が圧迫され、血流が阻害されて壊死することによって発症するとされている。

レカネマブは、脳内のAβを取り除き症状の進行を抑えるとされる。つまり新薬は脳の損傷を抑え、病気の進行を緩やかにする薬であって、低下した認知機能を元に戻すものではない。

さらにこの新薬は、「認知症を発症」してから数年ぐらいまでの「軽度アルツハイマー型認知症」と、その前の段階の「軽度認知障害(MCI)」の人にしか効果がないとされている。発症から期間を経過した中重度の認知症の人は投薬効果がないとされているのだ。
レカネマブの効果
治験ではレカネマブを投与された患者では、プラセボ(偽薬)を投与された患者に比べ、認知機能の低下が27%少なかったという。

副作用については、治験ではレカネマブ投与群の約13%に脳の腫れ、約17%に脳出血の副作用が見られたとされているが、症状が現れたのはごくわずかであり、大半が無症状であったとされている。

これに対して、治験で示された効果はごくわずかだと批判し、投与による副作用は臨床で日常的に薬剤投与されることになれば拡大すると、リスクを懸念する声も少なくない。治験後に薬の忍容性(患者が副作用に耐えうる程度)を評価するフォローアップ試験で3人の患者が死亡していることも気になるところだ。

アルツハイマー型認知症の悪化を27%抑制し、進行を7か月半遅らせる効果と、脳出血等の副作用のリスクを照らして、どう考えるかが問題となるだろう。それにしても進行が7か月半遅らせる効果って、わずか7か月半、されど7か月半と思えるのだろうか・・・。

それらのことを思い合わせて、レカネマブの認可が認知症の人やその家族に光明となるのだろうかということを考えてみた。

僕の個人的見解としては、過度な期待は禁物であるし、大きな希望は持つべきではないと思う。むしろネガティブな思いのほうが先に立つというのが本音だ。

思い返してみてほしい。アリセプト以外の認知症対応薬として大いに期待されて承認されたメマリーやイクセロンパッチ等は、その後、認知症患者の状態改善に大きな効果をもたらしているであろうか?

僕はそう思えない。新薬として承認された当時は、その効果について様々な情報が発信されていたが、その後その効果が優れていると聴く機会はほとんどなくなった。

レカネマブも同じ道をたどるだけで、むしろその薬価の高さを見ると、日本の薬事財政をさらに悪化させ、加えて副反応によって別な症状を引き起こす人がたくさん生まれるのではないかと懸念する。

レカネマブは遺伝子組み換え技術を用いた抗体医薬で、製造コストが高額とされ、アメリカでの薬の価格を患者1人当たり年間、日本円にしておよそ350万円とされているからだ。

日本は高額療養費という制度があって、自己負担上限があるといっても、それを超えた分を補填するのは国費=国民負担である。

新薬を投与するコストによって財政事情がさらに悪化し、それを補うために国民の痛みが増すことになる可能性が高いが、それに見合った効果はほとんど見えないという状態になる可能性が高いのではないかと懸念する。

どちらにしてもレカネマブの承認が、アルツハイマー病及びアルツハイマー型認知症の人やその家族に、大いなる光明となるということはないと予測しておこう。






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時を流さず積み上げる介護


介護サービスという目に見えないサービスは、誰に対しても同じことを行うことが平等ではない。

特定の人の、特定の身体や精神状況に合わせて、その状態に最もふさわしいサービスを提供することが大事で、すべての利用者に同じことをするのではなく、すべての利用者が豊かな暮らしを送ることができるように支援することが本物の平等である。

例えば認知症に人であっても、行動・心理症状(BPSD)が強く出ている人と、そうではなく落ち着いている人の両者がいた場合、前者により多くの時間と手間をかけて関わるのは当然である。

そしていま落ち着いている後者の方が、前者の方と同じような状態になった場合は、同じように時間と手間をかけることが平等であって、そうしないで後者の方に行動・心理症状(BPSD)が強く出た場合だけ、関わることをせずに放置してしまうのであれば、それは不平等ということになる。

例えば僕が総合施設長を務めていた社福の特養では、100名の利用者の中のノボルさん(仮名)というたった一人の方を登別漁港まで釣りに連れて行き、職員が数時間付きっきりで対応するなんてことをしていた。

ノボルさんは認知症のために自発動作がほとんどできなくなり、すべての動作に声掛け誘導が必要な人であった。尿意があるのに声を掛けないとホールに座ったまま失禁してしまうようなこともしばしばあった。

ある日、その方の奥様が面会に来て、「なんでこんなふうになっちゃたのかね。昔は家のことも何でも自分でする人で、晩御飯も登別漁港から魚を釣ってきて、自分でさばいて作ってくれるような人だったのに・・・。」と担当ケアワーカーに嘆いたのである。

しかしそれを聴いた担当者(20代の男性ケアワーカー)は、たまたま自分が釣りが趣味だったので、それなら気分転換に自分が非番の日にでもノボルさんを登別漁港に釣りに連れ出したいと僕に相談してきた。

しかしその行為がノボルさんの心身活性化に必要な行為であるなら、相談してきたケアワーカーの非番に釣りに連れていくのではなく、勤務している日に仕事として付き添うべきだと僕は考えた。その為、稟議書を提出し運転手を伴って公用車を交通手段として、登別漁港まで行ってくるように提案した。

たった一人のためのレク対応だってあってよいとアドバイスした。
登別漁港で釣り
そうして何度か、ノボルさんを釣りに連れ出すようになったことがきっかけで、無表情でホールに座り続けていたノボルさんの表情が豊かになり、発語が見られるようになり、ついには自発動作ができるようになるまでになった。
※実際には急激に変化したのではなく、長い時間がかかりながら徐々に変化し、結果的に大きな変化に結びついたケースである。

先日もこのケースを僕の講演の中で紹介したのだが、その講演を聴いた受講生から後日質問が届いた。その内容を要約すると、たった一人の利用者に複数の職員が長時間対応するコストや手間を考えると非効率すぎるのではないかというものだ。

いうなればコスパが悪く生産性の低い介護実務になりかねないという質問だと思う。

しかしこうしたことを行った結果、ノボルさんはその特養で数年間元気に暮らしていた。自発動作が増えていく過程では、尿意を感じて自分でトイレに行き排泄ができるようになるまでADLが改善した。

趣味だった釣りに連れ出すというきっかけを掴めなかったならば、もしかしてノボルさんはずっと無表情で自発動作がないまま、ADLも低下の一途を辿り、その状態で亡くなるという結末しかなかったのかもしれない。

そうならず、その後(釣りに照れだすようになってから後という意味)数年、お元気で豊かな暮らしを送ることができたのは、ノボルさんのニーズという、たった一人のニーズに対応して、その時に必要なケアとして時間を費やした結果ではないかと思う。

現にノボルさんのADLが改善した後は、介護職員のノボルさんに掛けるケアの手間は大幅に減っているのだ。この事実と向き合って、釣りに照れだす時間が無駄であったとか、意味がないと言える人はどこにいるというのだろう。

時間は限られている。介護サービスを提供する人員も限られている。だからと言って時間がない、人がいないと言って、必要なケアを放棄した先にはいったい何が残るのだろう。機械的作業の果てに、辛く苦しく悲惨な老後しか残らないのではないのか。

時間は有効に使うと流れない。それは積み重なるものなのだ。

ノボルさんのために、若い介護職員が貴重な時間を使ってマンツウマンでノボルさんの趣味に寄り添った時間は、流されずに積み重なって、その後のノボルさんの豊かな暮らしに結びついたのだ。これこそコスパの良い、生産性の高いケアと言えるのではないだろうか。

僕はそう信じている。だからこれからもそんなケアを行い続ける。
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マナー欠如減算・・・。


今週14日の参院本会議で、認知症基本法が全会一致により可決・成立した。

この法律は、「認知症の人が尊厳を保持し、希望を持って暮らすことができるよう、施策を総合的に推進する」としている。

しかしこれは自慢できる法律ではないと思う。

平等主義や基本的人権の根拠ともなる、「尊厳」について、認知症の状態の人もそれを保持しているとして、立法化して保護する必要があるということは、この国の実態として、いかに認知症の人の尊厳が無視され、人として尊重されていない場面が垣間見られているという実態を表わしているともいえる。

しかもこの法律の目的の一つが、「認知症の人との共生社会を目指す」ことであるという。

人はどのような状態であっても社会の中で他者と共生するのが当然であるにもかかわらず、あえて認知症の人との共生社会の実現を目指す法律が必要だということは、我が国のどこかで、認知症の人が、認知症ではない人と共生できていない状態が存在するということだ。

しかもそのことが、必ずしも世情に精通していない政治家の目にも見える形で存在しているという意味である。

そういう意味では、この法律は我が国の恥の象徴ともいえるのかもしれない。
恥を知れ
そうした恥の文化を創り上げているのが、対人援助の場で顧客である利用者に対し、「タメ口」で接することを恥と思っていない頭の弱い連中の存在である。

そいつらは、顧客に対し失礼極まりない「タメ口対応」を恥と思わないばかりではなく、その言葉が「親しみ」を表わす言葉だと誤解している。

そんなふうに、「タメ口」という日本語の意味と使い方を知らない、頭の不自由な輩が、介護業界には数多く存在しているのだ。

お客様に丁寧に接しつつ、なおかつ親しみを持ってもらえる接客という行為ができない輩が、家族と同じように遠慮なく、ぞんざいな態度で接することを、「家庭的で親しみやすい態度」と勘違いしてふるまう・・・そのような介護のプロにあるまじき、失礼で素人としか言えない対応に終始する頭の弱い連中が、認知症の人の尊厳を無視して、認知症でない人と差別して接する風潮を生んでいるのではないか・・・。

本来、認知症の人たちが社会の中で共生するなんてことは、法律で定められて実現するような問題ではない。

私たちが人に冠をつけて、曇った目で見ようとしなければよいだけの話だ。認知症の誰々さん、重度障害のそれこれさん、要介護のへのへのもへじさん・・・そうした冠をつけずに、ひとり一人が個性ある人間であるという目で見つめ、個性ある一人一人の人間に、人としての愛情を注いで触れ合うという基本を崩さなければよいだけの話である。

それができないのだから、法律でがんじがらめに人を縛らねばならなくなる。

さすればマナーに欠ける対応に終始する介護事業関係者を変えるためには、倫理や道義と言った観念論ではなく、罰則を伴うルールが必要になるのだろうか。

例えば身体拘束を廃止すために、それを実現できない事業者に課した、「身体拘束廃止未実施減算」を手本にして、「マナー欠如減算」が介護報酬に新設される必要があるのだろうか・・・。

しかしそれこそ恥の上塗りである。顧客に対してマナーをもって接することができない恥と、それを減算ルールでしか正すことができない恥である。

そのような恥ずべき事業に対して、税金と保険料という公費を投入しつづけることに、果たして国民が嫌気をさすことはないのだろうか。そこが一番懸念されることである。

認知症の人を、法律を定めてしか護れない国であるという実態を、私たち介護関係者は自分の日ごろの仕事ぶりを振り返って考えていく必要があるのではないか。

法律や法令ルールは、所詮人が創る文章でしかない。そこから漏れたものは、すべて許されることではないはずだ。だからこそ法律や法令ルール以上の戒めが、私たち自身が他者を思いやる心から発せられなければならない。

それは法律を超えたものであり、人としての生きる道であるはずだ。それを忘れてはならないと強く思う。
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送迎ドライバーの適正検査というリスクマネジメント


通所サービス等での送迎を担当する職員は、法令上特に資格要件はなく、自動車運転普通免許証を持っている人なら誰でもできるとされている。

つまり決してプロのドライバーが送迎車の運転をしているわけではないのだ。

僕の印象で言えば、介護保険創設前あるいは創設直後の通所サービス送迎は、当該事業所の介護職員が送迎の際に運転を担当するケースが多かったように思う。その当時は、サービス提供時間中は介護職員として利用者に接する介護職員が、送迎時間のみ運転手として役割を果たすことが当たり前と考える向きがあったように思う。

しかし最近では、介護職員が送迎ドライバーを兼務するケースがずいぶん減ってきたように思う。

その理由は、送迎時に見守りなどを行う必要性がある利用者が増えたりするなど、運転手以外の付き添い者として介護職員の必要性が高くなったといことがあるのだろう。

そもそも運転業務を嫌って通所サービスへの就業をためらう介護職員もいることから、介護職員の確保を最優先とする視点から、送迎運転のための職員を別途配置するケースが徐々に増えていったように思う。

今では大多数の事業所が、送迎担当者をサービス担当者とは別に配置したうえで、そうした送迎専任者が対応しきれない部分を、サービス担当者が交代で運転業務にあたっているという事業所が多いのではないだろうか・・・。

大きな法人等では運転手部門が別にあり、通所サービスやショートステイの送迎を、それらの運転専門部門が担うケースもあるだろう。しかし小規模の事業所では、そういうわけにもいかず、様々な形で専任の運転手を確保している。

その中には、65歳を超えた定年退職者を運転手として再雇用して、送迎を担当させているケースも少なくない。
黄昏に咲く花
どちらにしても介護事業の送迎運転担当者は、様々な職種の人が行っており、かなり高齢な送迎ドライバーもそこに含まれることになる。

勿論、高齢ドライバーだから事故の危険性が高まるということではないだろう。むしろ運転経験の少ない若いドライバーの方が、運転操作に信頼がおけないというケースもあるかもしれない。

しかし一旦定年退職した高齢者の方であれば、どうしても認知機能低下による運転技量の低下は懸念せざるを得ない。

しかも昨今、介護事業の送迎中の事故が増えているようにも思え、何らかの対策が必要と考えている経営者や管理職の方も多いのではないだろうか。

そのような中、今年4月26日に群馬県太田市の国道17号上武道路で、介護施設の送迎用ワゴン車と大型トラックが衝突し高齢者3人が死亡した事故が起きている。

それを受けて藤岡市の社会福祉法人が、送迎担当の運転手を対象に運転適性検査を実施したという報道がされているが、こうした検査は今後、(送迎サービスを行う)すべての介護事業者で、運転担当者に定期的に実施すべきだと思う。

送迎を伴う介護事業において、それは必要不可欠なリスクマネジメントであると同時に、お客様を護るための道義上の責任と言えるのではないだろうか。

しかし運転適性を判断する際に、どのような検査をすべきかが問題である。

そこで僕がお勧めしているのは、科学的根拠に基づいたロジックで認知機能を判定できる検査法、脳体力トレーナーCogEvo(コグエボ)である。

このアプリは、認知機能を「見当識」「注意力」「記憶力」「計画力」「空間認識力」の5側面に分類してチェックする仕組みとなっており、自分の現在の認知機能状態や、その日のパフォーマンスを確認できるという特徴がある。

だから運転業務に入る前のごく短い時間で、まさにその瞬間の5機能(空間認識力等)を確認できるのである。特に運転技量に関連深い、「注意力」や「空間認識力」も測定できる点が優れている。

実際にこのアプリを利用している通所介護事業所では、当初は利用者のみが活用していたが、導入後、しばらくして送迎を担当する高齢ドライバーにも活用できることに気づき、今では毎日、送迎業務前に運転担当者が認知機能チェックを行っているところもある。

こうした取り組みを行うことは、利用者の皆様が安心感を与えるだけではなく、送迎担当者のドライバー自身も、自分の運転能力に自信をもって業務にあたることができるという安心感につながり、働きやすい職場であると感じることにもつながるのだろうと思う。

送迎を伴う介護事業の関係者の方々には、是非こうした方法でのアプリ活用も期待したいところである。ということでそうした活用も含めて、脳体力トレーナーCogEvo(コグエボ)導入の検討をされてはいかがだろうか。
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認知症ケアなんて存在しない


言葉狩りをするつもりはないので、今日書いていることはあくまで概念上の問題として読んでほしい。

認知症ケアという言葉を耳にする機会があるが、僕はそんなものはないと思っている。

勿論、認知症の人に対する対応方法として、認知症というものに対する相応の知識は必要になる。

記憶や見当識障害が起きるメカニズムを理解しながら、それは本人の努力で何とかなる問題ではないことを理解して、短期記憶が保持できないことを前提に対応したり、見当識障害はどの部分から引き起り、どんなふうに重症化過程をたどるのかを理解したうえで、認知症の人が今できることと、できなくなってしまったことを区分して考えて対応するなどは必要とされることだ。

だがそこで最も必要とされるのは、「認知症の理解」であり、認知症の人に対するケアを特別なケアだとして区分することではない。

むしろ認知症の人に対する配慮ある対応は、認知症ではない人にも十分通用する方法論であると考えるべきではないのか。
安土町石寺
そういう意味で、認知症の方だからといって特別な対応が必要なわけではないと思うのである。認知症の方に求められているのは、ケアそのものである。

それなのにあえて認知症ケアなんて言う冠を付けて表現するから、認知症の人とそうではない人を分け隔てて考えたり、分け隔てて対応したりするというおかしな状況を生み出すのだ。

介護職の中には、認知症のない人に対して丁寧語で話しかけているのに、認知症の人に対しては、「タメ口」を使っている人もいる。それは認知症という症状がある人を知らず知らずのうちに差別している姿としか見えない。

認知症という冠付けをして、利用者をカテゴライズすることをやめたならば、そのような差別は生まれないだろう。

対人援助に関わる者に最も必要とされることは、「人間尊重」の価値前提を忘れないということではないのか・・・それは、人は能力や置かれた状況に関係なく、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観であり、認知症とか身体障害とかいう冠をつけて人間を区分しないことではないだろうか。

そのうえで、人を人として敬い、人を人として愛することを基本にして、暮らしに不自由がある人に対し、ごく当たり前に手を貸すことができる人の手を差し伸べるということではないかと思う。そうした思いやりがあるならば、認知症という言葉を「ニンチ」と略して、認知症の人やその家族の心を傷つけたり、周囲の人々の不評を買うようなこともなくなるのではないだろうか。

人間愛をもって、誰に対しても分け隔てなく接することが対人援助のプロとして揺るがせてはならない姿勢ではないのか・・・。

我々はこの愛情を科学できるのか・・・人間愛に勝るエビデンスを創造できるのだろうか・・・。

そんなことも含めて明日5/25(木)14:00〜15:30にオンライン講演を無料配信する予定になっている。
認知機能見える化セミナー
利用者から選ばれ、ケアマネから認められる通所介護の極意』は、「認知機能見える化セミナー」というもう一つのテーマも持たせている。

既に100人以上の方が視聴登録してくれているが、まだ間に合う。申し込みがお済みでない方は、こちらをクリックして詳細を確認したうえでお申込みいただきたい。
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認知症の早期治療という幻想


認知症は早期発見が重要と言われている。・・・その理由は何か?

一つには、認知機能の低下にいち早く気づいて、できるだけ早い段階で確定診断をすることにより、その人の行動が性格上の問題ではなく、認知症の症状によるものだと理解することができることにある。

その人の通常と違った心理状態や行動が、認知症によるものであると周囲の人が理解して関り、認知症による混乱によって、行動・心理症状(BPSD)が発生しないように関わることができる可能性が高まるのである。

そのことによって支援者が、認知症の進行に合わせて、認知症の人の行動変化に適応しやすくなるという効果も期待できる。・・・つまり早期の軽度症状から認知症ケアに携わることで、対応に慣れていき、症状が重度化しても対応可能となるという意味がある。

このように認知症の早期発見により、早期からケアに携わり、習熟していくことができるという意味で、認知症の早期発見は重要なのである。
認知症の人と共に生きる
しかし認知症の早期発見を、認知症の早期治療に結びつけて考えるのは間違っている。認知症を早期発見して内服治療を行っても、それだけで行動・心理症状(BPSD)が改善することはないからである。ましてや認知症の改善が期待できるということにはならない。

なぜなら認知症に治療法はないからである。

そう書くと、「いやいやドネペジルがあるだろう。」という声が聴こえてきそうだ・・・。しかしそれも違うと言える。

アルツハイマー型認知症およびレビー小体型認知症と診断された人に対して、最も使用頻度の高い内服薬である、ドネペジル(エーザイ株式会社製品名:アリセプト)も認知症の治療薬ではない。

それはあくまでの症状進行を抑制する薬として処方されており、認知症そのものは確実に進行していくのである。

だから早期にドネペジルが処方されても、認知症が改善することはない。そのほかに認可されている認知症の処方薬もすべて同じことである。

それらの処方薬は症状の進行をスローダウンさせるというが、本当にそのような効果があるかどうかも神のみぞ知るという問題である。どのようにスローダウンされているのかよくわからないケースが多いからだ。

仮に症状進行が緩やかであると感じたとしても、それが薬効によるものか、その人の症状の個別経過の問題なのかは誰も・どんな方法でも証明しようがない。

僕自身は介護サービスの場で、たくさんの認知症の人に対応してきたが、その経験上ドネペジルの薬効を実感したことはない。服薬開始しても、ほとんど何も変わらないからだ。

何年もの長期間ドネペジルを服薬し続けたケースで、何らかの理由でその処方を止めたケースも少なくないが、服薬しなくなった後に、著しく認知症の症状が進行したというケースの経験もない。

むしろ服薬中止後に、怒りっぽさが見られなくなり、穏やかになる人が多いような気がする。どちらにしても、ドネペジルの服薬を中止して困ったというケースは経験がない。

だからマルメ報酬の老健で、薬価の高いアリセプトを服薬していることが、入所のネックになるケースについては、後発品に変えて価格を抑えるだけではなく、思いきって服薬中止を検討しても良いと思っている。

それはともかく、認知症の人の症状に確実に手が届くのは今のところケアであり、医学の手はケアほど届いてはいないという事実を認識する必要がある。

だからこそ介護サービスの場において、ケアの手が届く認知症予防トレーニングや、認知症リハビリを学んで実践することが重要になる。

5/25(木)14:00〜15:30に無料配信する、『利用者から選ばれ、ケアマネから認められる通所介護の極意』では、この点も詳しく解説する予定だ。
認知機能見える化セミナー
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認知機能検査と認知症リハが必須アイテムとなる介護事業


65歳以上の高齢者の7人に一人が認知症になると言われている。

しかしこの数は、介護認定審査等をもとに推計している数字であり、実際の認知症の人の数はそれより多いと思われ、既に65歳以上の人の5人に一人くらいが認知症であると推定している専門家も少なくない。

どちらにしても高齢者の人口割合が増える我が国では、認知症の人の数が増え、その人たちの暮らしをどう支えるのかが大きな課題となっている。

特に認知症の人に関わる保健・医療・福祉・介護の専門家には、認知症の人の行動・心理症状(BPSD)への対応力を高めることが求められてくる。

そうした基盤を創り上げたうえで、認知症の人が地域で暮らし続けることができるように多職種協働で支援することが地域包括ケアシステムの目的でもある。

そのための方策が科学的介護の実現である。

をの実現を図るために国は、科学的介護情報システム(LIFE)にデータを収集し、原因と結果の因果関係を探る取り組みを行っている。

介護保険各種サービスに横断的に設けた、「科学的介護推進体制加算」もその一つである。

ここでは、栄養及び口腔機能状態とADLの変化の因果関係を求めようとしている。

しかし一番多く集めている情報は、認知症の人の情報である。特に注目すべきはその評価法として、起床、意思疎通、食事、排泄、リハビリテーションの5項目の日常生活動作に関する「意欲」についての客観的機能評価法であるVitality Index(バイタリティインデックス)を用いている点である。

つまり認知症については、関心・意欲の低下や意思疎通面の状態との因果関係が何かを導き出そうとしているように思えるのである。

次の報酬改定ではこの部分に更なる報酬評価が期待できる。しかも「LIFEの取り組みはマストだが・・・期待しすぎは禁物。」で示したように、新設される可能性が高い居宅介護支援事業所の科学的介護体制推進加算では、居宅サービス事業所にフィードバックされたものをアセスメントに取り込んで、居宅サービス計画書を再作成することになる。

今後LIFEの正式版フィードバックが行われ、認知症の人の意欲を引き出すためのフィードバックや、認知機能を維持して意思疎通が継続できるためのフィードバックが行われることになると予測できる。そのフィードバックに介護事業者は対応せねばならないわけである。

逆に言えば、居宅サービス計画書に位置づけられる事業所は、そうしたフィードバックに対応できなければケアマネジャーから選ばれないことになりかねないということだ。

よって今後の介護事業では、全利用者の認知機能状態を定期的に把握し、その状態に合わせた認知症予防トレーニング等の認知症リハビリが求められてくることになる。それができない介護事業者は、収益を挙げられずに廃業に向かわねばならなくなるのである。

このことを踏まえて、5/25(木)14:00〜15:30の予定で『認知機能の見える化セミナー』として、オンライン講演、『利用者から選ばれ、ケアマネから認められる通所介護の極意』を無料配信する予定である。
認知機能見える化セミナー
この講演は、介護関係者すべての方に有効な情報をお届けする内容になっていると思うが、特に一部地域ではサービスが飽和状態で利用者確保が難しいと言われる通所サービス(通所介護及び通所リハビリ)関係者は必見である。

平日の午後ということで、職場内研修として、職員の皆様が集まってみていただいても良いのではないかと思う。

無料で視聴できる講演であるが、事前申し込みが必要なので、こちらをクリックして詳細を確認したうえでお申込みいただきたい。

それでは5/25、画面を通じてお愛しましょう。
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永遠の10年は解消されるのか?


アルツハイマー型認知症の発症メカニズムは、完全に解明されているとは言い難いが、発症原因として明らかになっていることはある。

それはAβ(アミロイドベータ蛋白質)が、アルツハイマー型認知症の発症に深くかかわっているということだ。

Aβは脳内に出現しても、本来なら貯留することのない蛋白質だ。それが脳外にうまく排出されずに、脳内に貯留・沈着して、タウ蛋白に変質する過程で脳細胞を圧迫し、血流障害を起こすことで脳細胞が壊死するのである。そのためにアルツハイマー型認知症が引き起こされるのである。

そのためAβを出現させるセレクターゼを阻害する薬の開発とか、脳内に残ったAβやタウ蛋白を直接攻撃するワクチンの開発などが世界中で研究されているが、10年以内に何らかの予防・治療薬が誕生すると言われ続けてから20年も30年も経過しようとしている。

これがアルツハイマー型認知症の予防対策が永遠の10年と言われる所以である。(参照:永遠の10年。

ところでこの問題に関連して先週、新しい治療方法の治験が始まるというニュースが報道された。その内容を簡単にまとめると以下のようになる。
------------------------------------------------------------
新潟大と東大の研究チームが、若年発症が多い遺伝性の認知症「家族性アルツハイマー病」の家系の人を対象に、病気の原因と考えられる脳内の異常なたんぱく質を取り除く薬剤を投与する治験(臨床試験)を年内にも開始する。

家族性アルツハイマー病は、40代・50代の若年で発症する例が多く、Aβの蓄積は20代、30代から始まる。遺伝子変異を受け継ぐと親の発症とほぼ同年齢で発症することがわかっている。

治験では全ての参加者に3〜4年間、「レカネマブ」(※米国で1月に早期アルツハイマー病患者を対象に迅速承認された薬で、日本でも審査中。)を点滴する。

参加者のうち半数には、タウの脳内への広がりの抑制を図る、現在開発中の「E2814」という薬剤も点滴投与する。
------------------------------------------------------------
この治験に期待を寄せる人がどれほどいるかはわからない。しかし僕自身はすごく怖い治験だと思う。
薬の治験
なぜなら、「レカネマブ」自体が本当に効果があるかわからない薬であって、米国での認可も取り消しの可能性がある仮免許状態の認可でしかないからだ。

日本に至っては、それはまだ認可さえされていないのだから、臨床ではまだ使われていない薬ということになる。ましてや開発中の薬は、認知症治療薬としては存在していないものと言っても過言ではないのではないのか・・・。(※この薬は日本人には効果がないという専門家もいる。

それらの副反応は十分確認済みなのだろうか・・・。

かつてアルツハイマー型認知症の新薬については、アメリカで治験が行われ、その最中に脳出血で死亡する人が相次いで、治験自体を中止したという苦い過去もある。

1980年代に日本の臨床に使われた認知症の特効薬、「ポパテ」の副反応で、脳梗塞を発症した人が相次いだ事によって、それは劇薬指定されたことも思い出される。

このように脳内に直接作用させる新薬は、回復不能な脳内ダメージにつながりかねないのである。

そんな怖い薬を点滴で点滴投与して、脳内に沈着するAβを攻撃するような治験は、本当に安全な治験なのだろうか・・・。

今回の治験で、家族性アルツハイマー病の予防効果を期待して参加した結果が、脳出血や脳梗塞を引き起こすのではかなわない。その後遺症で一生寝たきりにならないとも限らないからだ。

そういう意味で、この治験は極めて人体実験に近いものであるように感じる。

それらこれらを鑑みると、この治験にはあまり期待ができないし、永遠の10年はこれから先何十年も解消されないような気がしてならない。
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認知症の人の暮らしに手を届かせるケアプラン


認知症の中核症状記憶障害・見識障害・理解と判断力の低下・実行機能障害・感情表現の変化)には、今のところ現代医学の手が届かない。

中核症状を改善することは不可能であり、認知症治療薬もじくは予防薬と称されるものも、今現在存在していないのである。(参照:米承認の認知症新薬は人類を救うのか?

臨床で一番使用されているアリセプトドネペジル)は、アルツハイマー型認知症およびレビー小体型認知症の症状進行を抑制する効果しかなく、一定期間の服薬後は、その効果も期待できなくなる。

というか僕自身はアリセプトの服薬で、認知症の進行をスローダウンさせていると実感するケースに出会った記憶はほとんどなく、厄介な副作用に悩まされた挙句、アリセプトの服用をやめてケースが好転したという経験の方が多い。

どちらにしても僕たちが今現在できることは、認知症の中核症状に伴って生ずる行動・心理症状(BPSD)に手を届けることである。

行動症状としての多動、繰り返し、徘徊、異食、過食、拒食、引きこもりにどう対処するのか・・・心理症状である不安、焦燥、抑鬱、心気、不機嫌、興奮、攻撃的、幻覚、妄想をどう鎮めるのかを、そうした行動につながる要因を探り、その原因を潰していくところからアプローチして、行動・心理症状が、不穏、せん妄、大声、乱暴、破壊的行為、自傷行為などの破局反応に繋がらないように対処することが必要になる。

このような認知症の人への対応にも、「科学的介護」を創り上げるためにPDCAサイクルの確立が重要になる。認知症の行動心理症状に対するアセスメント結果を、しっかりケアプランに落として、ケアプランに沿った介護実践を行いながら、結果評価を繰り返してケアプランの内容を修正・進化させていこことが大事である。

よって利用者介護の具体的方法論である、施設サービス計画書や、通所介護などの各サービス計画は、形骸化させずに、実効性のあるものにしていく必要があるし、居宅サービス計画書は、実効性がある内容を組み入れられるように、認知症のどのような行動・心理症状にアプローチすべきかという具体策を示すことを心掛けていかねばならない。
行動心理症状のある認知症の人のケアプラン
上の図は、便秘による不快感が徘徊につながっているとアセスメントした人の居宅サービス計画書例である。この計画に沿って各事業所の計画が、便秘を改善できる内容となるようにサービス担当者会議で問題を共有化することが重要になる。

歩き回っている理由をきちんと探し当てるのが、徘徊する認知症の人の対応にとって最重要になるのである。

拒食の場合も同様に、食事を摂ろうとしない理由にアプローチせねばならない。それをせずに単に、「食え」・「これ旨いよ」って言ったって、なん解決策にもならないのだ。  

例えば、認知症の人の食卓に置かれた食べ物が、認知症の人にとっては何なのか正しく認識できていない「失認」という問題がある。しかしその失認の原因も様々で、食事に見えない理由が、食べ物が置かれた位置だとか高さによって食器の中身がよく見えなという場合もあるし、食器の模様や形状が、皿の上のものが食物であるという認識を邪魔している場合もある。

食事介助する人が立っていたり、歩き回っているために、落ち着いて食事ができない環境が原因の場合もある・・・。それらにきちんとアプローチする必要がある。

また歯周病や虫歯の痛みなどの口腔トラブルがあっても訴えられないという、口腔トラブルが拒食の原因になっているケースも少なくないし。舌苔(舌の汚れ)が厚く付いていることで、味を感じにくくなり、食欲が低下してしまう人も居る・・・この場合は、口腔ケアを適切に行うとともに、歯科受診を検討する計画書になっていなければならない。

拒食以外にも、観念性失行(使い慣れた道具を使えなくなること)により、手づかみでしか食事を摂れなくなる認知症の人は少なくない。

この場合、不潔だからといて手づかみで食べないように注意するなんている対応を行ってはならない。手づかみでしか食べられないことをなじったり、注意したりするのは愚の骨頂である。

食べる動作を失うということは認知症の中核症状であり、医療の手も・介護の手も届かないのだ。それを注意しても、プライドが傷つけられたり自信を失ったりして、行動・心理症状が悪化するだけの結果しか生まない。

こうしたケースでは、手指の清潔支援をしっかりと行いながら、主食をおにぎりで提供したり、朝食や昼食に積極的にサンドウィッチを提供したりして、食事形態を手でつかんで食べられるものに変えるケアプランが求められるのである。

認知症の行動・心理症状の改善には、こうした知恵が必要であることを理解したうえで、認知症の方々が混乱せずに、安心して暮らしを送るためには、ストレスフルな感情の払拭や陽性感情をもたらすことが何より必要なので、マナーのある態度で、認知症の方に脅威やストレスを与えないことが何より重要なのである。

1月17日(火)のオンライン講演は、こうした具体策をケアプラン作成の方法という形でまとめる予定だ。それでは視聴予定の皆様、画面を通じてお愛しましょう。
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米承認の認知症新薬は人類を救うのか?


新年早々の1/6、米食品医薬品局(FDA)が、エーザイと米バイオジェンが開発したアルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」を承認したというニュースが入ってきた。

この新薬はアルツハイマー型認知症の根本原因に対して作用すると言われており、それが本当なら認知症の予防や治療が現実的になってくる。それによって人類はアルツハイマー型認知症から解放されるかもしれない・・・。

そのことを説明する前に、アルツハイマー型認知症が発症するメカニズムを、「アミロイド仮説」をもとに確認してみよう。
アミロイド仮説
上は、脳内現象を図解したものである。脳内にはもともと、「アミロイド前駆体蛋白」という物質があり、ここにセレクターゼという酵素が働いて、「アミロイドβ蛋白」が生ずる。

これは通常の脳内現象であるが、正常にこの現象が働く状態では、アミロイドβ蛋白は分解され脳外に自然排出される。

ところが何らかの原因(この原因は現在医学では特定できていない)によって、アミロイドβ蛋白が脳内に残留することが、アルツハイマー型認知症の発症原因になる。脳内に凝集・沈着したアミロイドβ蛋白がタウ蛋白を生み、脳内神経の血流を阻害し脳神経細胞を壊死させることでアルツハイマー型認知症の発症となっていくのである。

新薬はアミロイド仮説において、アルツハイマー型認知症の根本原因とされるアミロイドβ蛋白を直接狙って除去する効果があるとされるもので、下記の図のように脳内に貯留したアミロイドβ蛋白が、凝集・沈着する前に除去する効果が期待されており、タウ蛋白の出現や、それに伴う脳細胞の壊死を防いで、アルツハイマー型認知症にならず済むというものだ。
レカネマブ
その通りの効果が出るならば、新薬は認知症の予防・治療薬といえるわけである。現在認知症の人に最も多く処方されているアリセプトが症状の進行を抑制する効果しかない薬であることと、この部分が根本的に異なっている。

最初の図に示したように、アルツハイマー型認知症の原因は、症状が発症す10年以上前から発生していると言われる。この説明文を書いている僕だとて、10年後にアルツハイマー型認知症の発生につながるアミロイドβ蛋白の貯留が、今現在始まっていないとは言い切れないわけである。

そのため、日本でも「レカネマブ」の承認申請が出されていることを受けて、早急に認可してほしいとの声も挙がっている

しかしFDAの今回の承認は、緊急承認とされており、それは仮免許的なものでしかない。今後の実証試験の結果、効果がないとされれば取り消されることとなる。

そもそも副作用などの有無・安全性の確認は十分ではないと思われ、性急な承認は、「ポパテ」の薬害の悪夢の再現となりかねない・・・1980年代後半に認知症の特効薬とされたポパテで何人の高齢者が、脳梗塞を発症して亡くなったかを思い出してほしい。

そういう意味では、今しばらくは米国の正式承認と、その後の臨床結果を見守るという慎重な姿勢が求められるのではないかと考えるのである。

我々介護関係者は、認知症の中核症状には、現代医学の手が届いていないことを前提にして、しかし行動心理症状には、介護の手が届くことを理解したうえで、その手をどう届かせるのかという具体策を日々学び、実践していくことが大事ではないかと思う。

僕の新年最初の講演は、「認知症のアセスメントとケアプラン作成について」というテーマである。

明日はそこで話す内容に少し触れながら、徘徊や拒食にどう対応するかを考えてみたい。明日の更新記事もぜひ読んでいただきたいと思う。
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認知症の簡易判定を定期的に行う必要性が増す今後


まず最初にお知らせを一つ。CBニュースの今年最後の連載記事として、次期制度改正案を検証する記事を書いた。
CBニュース連載記事
その記事が昨日アップされているので、参照いただきたい。

CBニュースの連載は、もう7年以上続いている。来年もパワーアップして、毎月1回の更新を続ける予定なので是非よろしくお願いします。

さて話は変わって、今日の本題に移ろう。

科学的介護の確立が模索される中で、各サービスに横断的に新設された加算が、「科学的介護推進体制加算」である。

現在この加算がない訪問介護や訪問看護についても、2024年度の報酬改定以後は同様の加算を新設することが検討されている。

この加算要件であるデータ提出によって、LIFE(科学的介護情報システム)に集められた情報から、介護の方法と結果の因果関係を導き出そうというのが、国が考える科学的介護である。

そこではどのようなデータが集められているのかを改めて確認してみよう。
科学的介護体制推進加算
上記は施設サービス科学的介護体制推進加算における登録情報をイメージ図にしたものである。

居宅サービス及び居住系サービスは、登録情報の詳細部分が若干異なるものの、ほぼ同じような情報登録を求めている。

すると表の向かって左部分は、BIをもとにしたADL情報と栄養・口腔機能情報ということになる。すると定期的にBI検査は必ず行う必要があるのだから、その結果をもとにして算定できるADL維持等加算があるサービスは、それを科学的介護体制推進加算と併算定しない手はないということになる。

向かって右部分は、認知症の有無とその状態についての情報登録を求めており、意欲の指標(Vitality index)を用いるなどして、関心・意欲の低下や意思疎通面の状態との因果関係が何かを導き出そうとしているように思える。

これらの情報を分析し、口腔機能と栄養状態の因果眼系、口腔機能および栄養状態と身体機能や認知症との因果関係などを導き出そうとしていることが読み取れる。

本当にそれが読み取れるかどうか、科学的介護がこの情報によって導き出せるのかどうかはともかくとして、国はそこから自立支援やQOLの往生に結びつく科学根拠を導き出そうとしているのである。

介護事業者は、そこに対応した情報提出を今後も求められているわけであり、LIFEというシステムがなくならない限り、それは永遠と続くことになる。

科学的介護推進体制加算のための情報提出は、少なくとも6月に1回行う必要があるわけで、認知症の状態もその都度確認しなければならない。その状態はどのような根拠をもとに確認しているだろうか。

老健や介護医療院や訪問・通所リハビリといった医療系サービスにおいては、長谷川式認知症スケールやMMSEを用いて、認知症の機能検査を定期的に行っているところがほとんどである。よってその結果を情報提出のデータ根拠としているところが多い。

ところが特養や通所介護といった福祉系サービスでは、利用者ごとの認知症検査を定期的に行っていないところが少なくない。そのため検査結果ではなく担当介護職員への聞き取り結果を、登録情報としているところが少なくない。

いうなればそれは介護職員の印象を根拠としているようなものだ。しかしそれでは認知症の状態確認の根拠としては弱いと言わざるを得ない。

科学的介護を導き出すための情報が、そのように非科学的であっては問題だと思う。福祉系サービスであっても、きちんと定期的に認知症の機能検査をすべきである。

その時の検査法として僕が推奨しているのが、CogEvo(コグエボ)というアプリだ。

長谷川式やMMSEなどの検査法は、被験者の置かれた状況のほか、評価する人の質問の仕方や習熟度などから大きなブレが生ずることがあり、正確な状況把握がしづらいという弱点があった。

その点CogEvoは、5つの認知機能のそれぞれの凸凹を測定する定量的なアセスメントで、自分の認知機能を自分でチェックできるアプリであり、第3者の評価者が必要なく、結果にぶれもないという特徴がある。

まさに科学的根拠に基づいたロジックで判定できる検査法が、CogEvo(コグエボ)であると言ってよいのである。

同時にこのアプリは、認知症予防トレーニングができるので、認知症リハビリとして活用できる優れものだ。

そこで行うことができる認知症リハビリ、認知症予防トレーニングは、時間と場所を選ばずに実施できるもので、ひとりでも、小集団でも実施できる。愉しみながら実施できるので、毎回の通所サービス利用時などに、苦がなく実施できるし、アイディアと工夫によって、実施する方法の幅は無限に広がる。

是非張り付いた文字リンク先から、CogEvo(コグエボ)の詳細を確認して、まずは無料試行から始めていただきたいと思う。

こうした優れたアプリを使いこなすことが、今後の介護事業経営において、勝ち組へと進む道であると考えるのである。
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カンフォータブルケアに注目が集まりましたね


5/28にオンライン配信した認知症基礎講座のアンケート結果を読むと、「カンフォータブルケア」に興味を持たれた方が多いことがわかる。(※文字リンク先を参照願いたい。

同時にその言葉を初めて聞いたという人も多いことが分かった。

そこで改めてカンフォータブルケアとは何かということを説明しよう。

そもそも辞書を引いても、カンフォータブルケアなどという言葉は出てこない。これは和製英語の造語だからである。

この言葉を造った人は、カンフォータブルケアの生みの親ともいえる、札幌市の精神科医療機関・認知症専門棟の男性看護師長である。

その方が認知症専門棟の担当になった際に、認知症の人に良かれと思い一生懸命に対応しても、なかなか思った通りの良い反応や結果につながらなかったという。

薬物療法も効果が出ず、逆に副作用からふらついて転倒・骨折に至り、徘徊という症状が、寝たきりという結果によって消失するという、決して問題解決とは言えない状態で終息したことも多かったそうである。・・・それは当たり前と言えば、当たり前ではある。

こんなふうに専門的に医療や看護対応を行えば行うほど、認知症の人にとって負の影響を与える結果になることが多かったそうだ。

そのことに気づいて、いろいろ試した結果、たどり着いた方法がカンフォータブルケアだったのである。

それは看護の専門家が、認知症の方々に接する方法がベストであると選択した方法論とは、介護の方法論であったという意味でもある。

カンフォータブルケアとは、心地良い快刺激を与えるケアという意味であり、認知症の方々に対応する際に、看護・介護職員が良かれと思って、「善意」で行った方法であっても、対応される側の認知症の方がそれを、「いやだ」と言ったり、動作で拒否感を示した場合、それはすべて間違った方法だとして、決して行わないことが前提になる。

そのうえで、行うことはたった3つ。「目を見て話しかける」・「笑顔で話しかける」・「丁寧な言葉で話しかける
目を見て笑顔で丁寧に話しかけるカンフォータブルケア
これだけである。対応すべき認知症の方が主役であり、私たちはその方々をしっかり見つめて護りますという意思を示す際に、厳しい表情で相手を見つめては、認知症の人が恐れを抱く。だから笑顔で丁寧な言葉で話しかけることで、認知症の人たちの行動・心理症状(BPSD)が鎮静化されるのである。そしてそのことによって看護者・介護者にとっても、ストレスフルな感情の払拭や患者への陽性感情をもたらし、技術を高めるプロ意識の発生とモチベーション向上により燃え尽き防止にもつながっていくのである。

3つの基本対応に徹するというたったそれだけのことで、「本当にそんな効果なんてあるの?」と疑う人がいても当然だ。あまりにもその方法は非専門的であるように思えるからだ。

しかし今、その看護師長が働く病棟には、全国の精神科医療機関から見学者や実習希望者が訪れ、それらの人々が自分が所属する医療機関にその方法を持ち帰って実践している。

看護師が中心となって、「カンフォータブルケア学会」という全国組織も創られ、各地域に支部も誕生している。

北海道の一医療機関の実践方法がこれだけ全国に広がりを見せているという意味は、その方法に効果が認められるからに他ならない。

目を見て・笑顔で・丁寧な言葉遣いで認知症の人たちに対応するだけで、認知症の人の混乱が消え、豊かな暮らしに結びつくのである。

もともと認知症の人は、情報を記憶に変換する回路である、「海馬」の機能不全が原因で、記憶障害が生じ、信頼できるケアを提供する人の顔も記憶できない。

そのためそれらの方は、「知らない人が、なぜ自分に話しかけてくるのだろう。」・「年下の人間がなぜ自分に横柄な言葉や態度で接してくるのだろう。」という気持ちを抱き、それが不安となり、混乱していく。

対応する職員がすべて、そうした不安や混乱を生じないように、目を見て・笑顔で・丁寧な言葉遣いで対応してくれるとしたら、それで混乱が生じなくなることは極めて合理的な説明ができるというものだ。

だからこそ認知症の人であっても、そうでない人であっても分け隔てなく、年上の利用者の方々を意識した、「サービスマナー教育」が重要となるのだと思う。

認知症の理解や、サービスマナーをすべて含めた研修講師も務めているので、それらに関する講演を希望する方は、是非お気軽に相談願いたい。

連絡は、「あかい花公式サイト」の右上に掲載しているメールまでお願いしたい。相談は是非お気軽にしていただきたい。
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認知症専門講座の質問に回答します


先週土曜日にオンライン配信した(株)トータルブレインケア主催・認知症専門講座、「認知症の理解〜認知症の人と共に生きる地域づくりのために」は、200人を超える方々に視聴いただきました。
この講演のアンケートに寄せられたご意見・ご感想はこちらをクリックしてご覧ください。

主催者の(株)トータルブレインケアは、認知機能の簡易判定と、認知機能に応じたトレーニングができるCogEvo(コグエボ)というアプリの販売元で、かねてから僕はこのアプリを推奨していますが、それは利害関係があっての推奨ではありません。(参照:認知機能トレーニングをスタンダードメニューに

認知症の方が増える現代社会で、暮らしの場で自分の認知機能を正確に判断し、それに応じた認知機能トレーニングや認知症リハビリができることが重要であり、このアプリはそれができることから、通所介護や特養で活用できるツールとして推奨していたのです。

そこで今回は、同社と僕がコラボして、認知症の人が地域で暮らし続けるために、介護支援者としてできることを中心にお話しするオンラインセミナーを企画したものです。是非そのことをご理解ください。

おかげさまでたくさんの皆さんが講演を熱心に視聴してくださいました。最終的に390名が登録され、当日は261名の方が視聴されています。

講演後には質疑応答の時間を取っていましたが、いつもならその時間は余ることが多いです。

ところが今回はチャットによる質問にたくさんの書き込みがあり、すべてに回答する時間がありませんでした。そのためこのブログ記事の中で回答させていただきますので、よろしくお願いします。
認知症専門講座に臨む講師masa
それにしてもこれだけ多くの皆さんに、質問や意見を頂いたということは、それだけ熱心に聴いていただけたのだと思え感激しています。ありがとうございます。
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(・当日回答できなかった質問への回答
Q.認知症の人が地域で生活するために、地域の方達が正しく理解してもらえるよう、認知症サポーター養成講座など実施していますが、その他、どのような取り組みが考えられますか?
A.認知症カフェなど、地域によってさまざまな取り組みがあると思いますが、何より介護実践の場から、認知症の方に寄り添って実現した豊かな暮らしの情報を発信することが大事だと思います。だからこそ私たちが、認知症の方々の豊かなく暮らしを支援できる実践力をつけることが大事ではないでしょうか。講演でお知らせした、僕の実践ケースを是非参考にしてください。講演を視聴していない方は資料を読んでもわからない部分があると思いますが、講演を視聴した方はその意味がしっかり分かると思いますので振り返ってください。

Q.帰宅願望が強い時にはどう接すると良いでしょうか
A.講演で話したように帰宅願望は、「身の回りの小さな危機」の訴えですので、それが何かという誘因を探り、その誘因にアプローチして取り除くことが大事です。それが何かということを理解するためには想像力と創造力が求められます。認知症の方の思いは何かということをしっかり見つめてください。中核症状が引き起こす行動・心理症状の図解の中にある、「誘因」を一つひとつ振り返って読んでみてください。

Q.奥行き障害と幻視の見分け方を教えてください。
A.手で物を押し戻すしぐさは奥行き知覚の障害の典型動作です。また人が素早くそばに寄ったときに、急に何かが見えるように怯える方も、奥行き知覚の障害の可能性が高いです。ただ奥行き障害と幻視を見分けられなくとも、そういう障害があることを知ることで、「認知症の人の目の前に、急に現れてはならない」・「認知症の人には、ゆっくり静かに近づいて、目を見て笑顔で、丁寧な言葉で、できるだけ静かに話しかける」ことが大事だということがわかるのではないでしょうか。

Q.物とられ妄想の方の対処法を教えて頂ければと思います
A.講演で具体的に話した内容を今一度確認してください。物とられ妄想は、大事なものをどこにしまったかわからなくなった方が、しまったという記憶をなくしてしまうことに起因しています。その際に自分の身の回りの世話をしてくれる人が一番頻回に、自分の大事なものを置いている場所に立ち入っていることから、その人が犯人と思い込むという極めて論理的な思考の下に発生するものです。盗られたというものを一緒に探して、本人が見つけるように誘導することが大事です。犯人と疑われる人が、見つけた形にしないことが重要です。やっぱりあんたが盗ったと思われますので・・・。

Q.精神疾患(統合失調症と認知症の診断された方)がある方へ、介護職として適切なアプローチができるよう助言をお願いします。認知症と統合失調症の違い、考え方など非常に難しいと考えています。よろしくお願いいたします。
A.精神科疾患にしても認知症にしても、確定診断が重要になります。精神科疾患の確定診断を受けた方については、主治医師より必要な指示を受けてください。認知症の方については、講演資料を読み返し、私たちが基本的にどうかかわればよいのかということを振り返ってください。受容的態度を身に着けることが重要です。

Q.うまくいったケースや、行政などが介入できる仕組みなどはあるのでしょうか?
A.講演でいくつかのケースを具体的に話しました。それを振り返ってください。行政介入は虐待ケースのみでしょう。そもそも行政職の方は、認知症の介護についての知識はほとんどありません。専門家は私たちなのです。

Q.今は見当識の場合、今日の日付をヒントに考えて頂いたりしています。ルート99ではゴールできるまで待っていますが、どの程度サポートするべきでしょうか
A.残念ながら、質問の意味が分かりません。コグエボの質問でしたら、サポートや答えの誘導は、個人に合わせてというしかありません。ただし判定は状態を正確に測らねばなりませんので、やり方は教えても、答えを教えては正確な測定になりません。トレーニングの方は、楽しめるように、時には答えを誘導しても良いでしょう。

(・当日回答した質問の紹介:あくまで参考
Q.アプリは有料ですか。月額をおしえてください
A.河越より回答済み

Q.私の施設は、夜間、エレベーターを休止している方がいます。起きて、事務所に来られるのが嫌なだけです。これも、拘束?認知症の方も、不安で事務所に来れば、誰かがいるとわかっています。私は、間違っていると伝えていますが。どうしていけばいいでしょうか?本当に必要なのか。神戸の内容と同じですよね。
A.菊地より回答済み

Q.今は、ほとんどの施設が施錠されています。電子錠でないと開かないことについては、いかがでしょう?
A.菊地より回答済み

Q.従来型特養でケアマネをしています。個別アプローチは難しく感じています。確定診断はした方がいいと思いますか。
A.菊地より回答済み

Q.認知症自体の理解が足りないために起きている悲劇があちこちで起きていると思います。 今日勉強させていただいたような認知症という症状を理解してもらうための啓蒙するようなチャネルはCogEvoにはありますか?
A.菊地より回答済み

Q. 特養の相談員をしています。認知症の診断が大切かとおもうのですが、契約している管理医師が協力的でない場合、どのようにアプローチしたらよいでしょうか。
A.菊地より回答済み

Q.運転免許の事例で、ご家族や周囲がうまく停止に持っていけない場合の事例などで、うまくいったケースを教えてください
A.菊地さんより回答済み

Q..CogEvoは認知症家族でも購入可能ですか?
A.河越より回答済み

Q.CogEvoをオレンジカフェなどで導入している実績はありますか?オレンジカフェなどで使用することで、定期的に認知機能状態を確認できるかと思いました。
A.河越より回答済み

Q..CogEvoを最近導入しました。ご利用者様に実施する際どの程度までヒントや答えを教えても良いのでしょうか。
A.河越より回答済み
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ちなみにオンライン講演を配信したのは、僕の自宅の書斎からでした。
認知症専門講座配信デスク
皆さん、当日は最後まで熱心に視聴していただきありがとうございました。

今後も(株)トータルブレインケアさん主催の講演は何度も実施されると思いますので、よろしくお願いします。

ちなみに簡易認知機能判定と認知機能別トレーニングができるCogEvo(コグエボ)は、シャープのAIoT対応テレビ「AQUOS:アクオス」に搭載され、新機能『今日の脳トレ』としてテレビで体験いただけるようになっています。

大手食品メーカー日本ハムとの提携については、「認知機能低下予防の実証にCogEvoが活用されます」で紹介済みですが、このように今日の超高齢社会と、認知症の人や軽度認知機能障害の方の増大を受けて、その機能に社会からの期待も大きくなっています。

医学の手の届かない場所に介護の手を届けるために、認知症についての正しい知識と適切な援助技術を獲得することは重要ですが、それに加えて暮らしを支援する場で、認知症の華に判定と判定結果に応じた機能維持と予防のトレーニングを実施することは、認知症の人と共に生きる地域社会の実現のためには、極めて重要になると思います。

そういう意味で今後とも、CogEvoとタッグを組んだ認知症研修を続けていきたいと思います。
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認知症の人と共生できる地域社会であるために


認知症に対して、現在医学の手はいまだに届いていない。

だからこそ生活習慣の改善など、日常生活の中での認知症の予防が重要視されている。

同時に医学の手が届いていないところにも、介護の手は届く場合があることにも着目する必要がある。私たち介護関係者は、そのことを理解したうえで、正しい手の届かせ方を常に学び取っていく必要がある。

では介護の手が届く部分とは何だろう・・・。

記憶障害・見当識障害、理解と判断力の障害・実行機能障害・感情表現の変化という認知症の中核症状には介護の手も届かないが、BPSDと呼ばれる行動・心理症状には手が届くのだ。

ちなみにBPSDとは、Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaビヘイビオラル アンド サイコロジカル シンプトム オブ ディメンティア)の略で、舌を噛みそうだからBPSDとしているのだろう。しかしそれでは日本人には意味が分からない。

過去に周辺症状といわれていた行動には、徘徊や攻撃的行為などの「行動症状」と、妄想や幻覚・誤認などの「心理症状」の2面性があるという意味なのだから、BPSDの日本語訳は、「行動・心理症状」ということになる。

僕は舌が短く滑舌も決して良くはないが、「行動・心理症状」と表現するのは何の苦労もないのだから、できるだけ意味の分かるそちらの表現をしようと努めている。

行動心理症状は、中核症状が背景にあってそれに加え何らかの要因により混乱が生じることにより、それがストレスとなり、不安感・焦燥感として現われるものだ。
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※安達祐実さんが、若年性認知症の主婦を演じて話題になった「にじいろカルテ」の1場面
例えば運動能力が衰えていない認知症高齢者によくみられる「徘徊」は、今ここは自分がいられる場所ではないと感じているるような、「身の周りの小さな危機」が存在するという訴えの結果である。

つまり理由がなく歩き回るのでないのだから、本来は徘徊と呼ばずに、「歩き回り」と表現した方が適切ではないかと個人的には考えている。

そうした混乱を引き起こす、「認知症を生きる不自由」を理解して、認知症の人に関わる必要がある。

同時に認知症と健忘(生理的老化)との境にあると言われる、「軽度認知障害(MCI)」の存在と、その人たちが認知障害のない状態まで回復する可能性と、その方法論をも学んでいく必要がある。

すべての介護関係者が、その部分の正しい知識を得るだけで、認知症の人や軽度認知障害の人は、随分暮らしやすくなるのである。地域社会の中で、温かく見守られて生きることができるのだ。

今より少しだけであっても、認知症の人や家族が生きやすくなる社会を目指して、今週・土曜日(5/28)に下記の講演を無料配信する予定になっている。

今からでも申し込みは間に合うので、まだ申し込みがお済みでない方は、下記をクリックして申し込みを澄ましていただきたい。画面を通じてお愛できるのを楽しみにしています。

無料でオンライン配信する「(株)トータルブレインケア主催・認知症専門講座」・「認知症の理解〜認知症の人と共に生きる地域づくりのために」は、こちらからお申し込みください。
認知機能見える化セミナー5/28
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認知症には介護の手が届く部分が多々あります


登別の桜は、GW前から咲いていた木は葉桜になっているが、今が満開の木もたくさんある。これから遅咲きの八重桜も咲きだすころで、もうしばらく桜を愛でることができそうだ。
5/11登別の桜
※画像は登別美園町の5/11の桜並木。
さて本題に移そう。認知症の発症率には性差があることを知っている人は少なくないと思う。

しかしその理由を知っている人は意外と少なかったり、知っているという人でも、その知識は間違ったものであったりする。

僕は介護福祉士養成校で、「認知症の理解」という科目を受け持っている身であるにもかかわらず、知っているつもりでいたものが、正しい知識はではなかったということも結構経験している。

学生に間違った知識をレクチャーしていないか心配になるので、思い込みがないように確認は怠れない。

そんなふうに昨日までの正しい知識が、今日は間違いだと指摘されることがあるのが、治療法も対応法も確立していない認知症なのである。

特に日本では認知症の人が大幅に増えてきており、対策が急がれている中で、その研究は日進月歩である。よって常に新しい知識を備える努力を続けなければならない。

認知症の発生率に男女の性差がある件についても、10年前の知識は現在では通じなくなったように思う。

例えば脳血管性認知症は、男性のほうが女性の1.9倍かかりやすいと言われている。それは脳血管性認知症は、脳血管障害(脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血)によって引き起こされる症状だが、脳血管障害そのものに性差があって、男性の発生率が高くなっているからだ。

その原因も飲酒や喫煙などの生活習慣によるリスクを男性の方が大きく抱えるとともに、「高血圧」や「肥満」に関しても女性よりも男性の方が多くなっていることによる。そのことは割合よく知られているだろうし、このことは10年前も今も、「定説」として変わっていないと思う。

一方でアルツハイマー型認知症が、女性の発症率が男性の2〜3倍となっている件については、新しい定説が出てきたと言えるのではないのか・・・。

この原因について僕は、アルツハイマー型認知症の最も大きなリスクは、「加齢」であるために、平均寿命が高い女性の発症率が高いのであろうと単純に考えていた。・・・しかしどうやらそうではないらしい。というのも平均寿命に達しない時期の発症率から女性が男性より高くなっているからである。

ということで改めて調べてみたところ、この差は男女の生理の違いによるものらしいのである。

具体的にいえば、女性が男性よりアルツハイマー型認知症の発生率が高い理由は、閉経期後のエストロゲンの減少によるものではないかと推測されているそうである。

つまりエストロゲンがアルツハイマー型認知症のブレーキになっているという考え方である。

そのため閉経期からエストロゲン補充療法を行って、認知症の発生率を半分に減らすことができるという医学論文も存在している。(※ただしエストロゲン補充療法は、閉経期から2年以内に実施しなければ効果がないとも言われている。)

こうした研究が今後、認知症の予防につながる可能性もあるが、現時点では認知症を予防したり、治療できたりする治療法も薬も存在していない。エストロゲン補充療法も余り前進していないというのが本当のところだ。

アミロイド仮説(※アミロイドβ蛋白質の凝集がアルツハイマー型認知症の原因であるとする説)に基づく認知症の治療・予防薬の開発も、「永遠の10年」で解説したようにとん挫したままである。

しかし認知症の方々が引き起こす、「行動・心理症状(BPSD)」に対して、介護の手が届く部分は多々ある。

さらに認知症の発生率を大幅に減らすことができる可能性がある、「軽度認知障害(MCI)」の早期発見と機能回復についても、介護の手が届く部分がたくさんある。

そのことを含めて、最新の情報と知識を交えた認知症専門講座をオンラインで無料配信する予定になっている。
認知機能見える化セミナー5/28
4年5月28日(土)14:00〜15:30の予定で配信する、「(株)トータルブレインケア主催・認知症専門講座」の講演テーマは、「認知症の理解〜認知症の人と共に生きる地域づくりのために」である。

どなたでも事前登録するだけで無料参加できるので、講座名に張り付いたリンク先のチラシ参照したうえで、参加申し込みはこちらからをクリックしてお申込みいただきたい。

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認知機能低下予防の実証にCogEvoが活用されます


新庄ビックボスで話題の、我がファイターズの親会社である日本ハムが12月1日、記憶力維持と疲労感軽減をダブルサポートする機能性表示食品機能性表示食品 IMIDEA(イミディア)を発売した。(参照記事:肉を食べると元気になるのはなぜ?)
機能性表示食品 IMIDEA(イミディア)
参照記事にあるように、この食品は軽度認知障害の予防効果も期待されている食品である。そのため同社は、販売後もサポートツールで「認知機能の見える化」など、購入後のサポート体制を構築していく方針を示している。

つまりイミディアの認知機能低下予防効果を実証する研究を続けていくというわけである。

そこで一役買うことになったのが、僕もこのブログで何度か推奨している、CogEvo(コグエボ)である。

コグエボは認知症の簡易判定ができるアプリであるが、長谷川式やMMSEよりも評価者による結果の差が少ないことが特徴で、精度の高い認知機能状態の判定ができるとともに、認知機能防止のトレーニング(認知症リハビリともいえる)を行うことができるアプリでもある。

しかもそのトレーニングはゲーム感覚でできるもので、要介護高齢者の方々が集団や個人で楽しんで実施できるものである。

そのため通所サービスなどの通常メニューとして導入することで顧客確保につながるとして、僕は個人的にその導入を推奨しているが、だからと言って同アプリを販売している会社からバックマージンをもらっているわけでもないし、宣伝費用をいただいているわけでもない。

僕がこのアプリを推薦している理由は、介護サービス利用者が自分自身の認知機能レベルの現状を把握し、その状態に基づいた認知機能低下予防のトレーニングを行うことができる点が優れており、このアプリを利用することで、利用者に大きなメリットをもたらすことができると考えているからである。

そのアプリの効果を大手食品メーカーも認めて、今回の提携につながったというわけだ。

今後CogEvoは、IMIDEA(イミディア)の定期購入者に提供され、機能性食品で示された効果の確認や、他の認知機能にも良い影響が無いかを確認するツールとして使われる予定である。
トータルブレインケア河越 代表取締役社長
11/30に日本ハム 大阪本社で行われた IMIDEA(イミディア)プレス発表では、株式会社トータルブレインケア代表取締役社長・河越 眞介氏が登壇して、CogEvo(コグエボ)について説明している。もしかすると、ファイターズの選手もイミディアを食べながら、コグエボで自己診断することになるかもしれない。

日本ハムとトータルブレインケアのタッグによって、日本の認知機能低下予防という領域に、新たな希望の光を射すことにつながるかもしれない。大いに期待したいところだ。

介護事業者においても、こうした優れた効果が期待できるアプリを利用しながら、認知機能の低下に資する介護サービスを提供することが、「科学的介護」の実現にもつながっていくのだろうと思う。

だからこそ是非このアプリの導入と活用を検討していただきたい。

CogEvoは購入する前に、トータルブレインケアの公式サイトから、一定期間の無料試用を行うことができる。しかし様々な事情で試用申し込みを行う機会を持てないという人に朗報がある。

来年1/28(金)14時〜日本橋社会教育会館 (東京都日本橋人形町)で行う、僕の出版記念セミナーを、株式会社トータルブレインケアさんが協賛してくださることになって、会場でCogEvo(コグエボ)のデモを行ってくれることになった。

当日の会場では、来場者の方が実際にコグエボで、ご自分の現在の認知機能状態を自己判定したり、PCで認知機能低下のトレーニングを行うことができる。

僕と小島美里氏のトークセッションに加えて、コグエボの体験利用ができるセミナーに、是非多くの皆さんに参加していただきたい。申し込み受け付けは、こちらからお願いします。

それでは1/28は日本橋の会場でお愛しましょう。
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認知症の人の対応方法を科学する難しさ


このブログで何度か指摘しているように、国が科学的介護情報システム(通称:LIFE)に情報を集積して、それを解析することで実現しようとしている、「科学的介護」とは、科学的根拠に基づいた介護という意味である。

もっと具体的に言えば、決められた介護という行為を機械的にこなして終わるのではなく、その介護が何を目的として行われるのかを意識しながら、「こうすればこうなる」というふうに、原因と結果に因果関係を求め、それに即した介護実践を行うということだ。

そのために今はLIFEに情報を集積している段階である。

国はこの情報を解析したうえで、近い将来介護の科学的根拠を導き出して、介護事業者に対して具体的なフィードバックを行うことで、介護の標準化を図ろうとしている。

フィードバックの具体的内容については、『個別化された自立支援・科学的介護の推進例(イメージ)』で例示されている。

例1の利用者フィードバックは、「リハビリテーションの提供に合わせて、間食など食事提供量の増量を推奨。」とされており、例2の事業者フィードバックは、「入所者は元気な方が多い傾向であり、食事の状態を踏まえると、排泄の状態も、更に改善が期待できることを示唆。」という内容になっている。

つまりここでは、「栄養状態と身体機能の維持・向上の因果関係(利用者フィードバック)」と、「ADL値と排せつ状況の因果関係(事業者フィードバック)」を新たなケアの方法に結び付けるように促しているわけである。

しかし実際のフィードバックは、6月・8月・10月と3回行われたが行われたが、内容は情報を提供した事業所の状況と、各項目の全国割合と該当者数を確認することのできる「暫定版」にとどまっている。
LIFEからの暫定フィードバック
図のように事業所単位のフィードバックでは、施設の状況と全国平均が数値とグラフで、ADL、栄養、認知症など各項目にまとめられているだけである。

これをどうPDCAサイクルに活用するかが問題となるわけであるが、現時点では全国平均値と比べて、数値が低くなっている部分の現状理解と原因を検討して、できるだけ平均値以上の状態にする検討を行うしかないだろう。それでLIFE要件の加算要件は満たすと考えられる。

例えば、認知症高齢者の日常生活自立度が全国平均値より高いのに、バーセルインデクス評価の意思疎通部分が比較的出来ているということは、認知症の人に対するケアが優れていると評価できるかもしれない。

しかしそれがどうしたと言うのだろうか。そんなことがわかってもどうにもならない。認知症の人との意思疎通が良好である背景要因、そうした結果に結び付く実践根拠が見て取れないとどうしようもないのだ。

どちらにしても、『個別化された自立支援・科学的介護の推進例(イメージ)』で例示されたようなフィードバックがされるのはまだ先のことになる。

しかし厚生労働省の平子哲夫老人保健課長(当時)は「『事業所単位』・『利用者単位』で具体的な比較図などをまとめた資料が公表されるまで、少しお時間を頂きたい」と説明していることを考えると、実際のフィードバックは、「全国平均との比較図」に留まるのではないかという疑問も出てくる。

それで本当に科学的介護なんて実現するのだろうか。

介護というのは感情労働だから、同じ人に同じ状況で、同じ方法を行っても結果は同じくならない。この部分のコツを、言葉及び文章で万人に伝えることができるのかどうかが、エビデンスの構築の過程で一番の問題になる。

認知症の人なら特に、「こうすればこうなる」という方法を見出すのは難しい。昨日はこうしたらこうなったのに、今日は同じことをしても違う結果になったということがしばしばみられる。

その時に私たちが拠り所にするのは、その人の機嫌であったり、表情であったりするわけである。

認知症の人の対応は、生活歴や職歴も深く関連してきて、同じ方法が通用しないことが多い。ここの因果関係は数値やグラフでは表現しきれないだろう。少なくともそこに、「説明文章」は必須だと思うが、それが科学的根拠といえる内容まで昇華できるだろうか・・・。

どちらにしても私たちは、国が膨大な数値データを解析して科学的介護を導き出してくれるなんて言う幻想は抱かず、かつ国の都合の良い方向に介護事業者が動くことが「科学」であるなんて言わせないようにする必要がある。

だからこそ私たちの作成するケアプランこそ、きちんとした根拠ある実践方法を落とし込む必要があるし、そうしたプランを形骸化させずに、その内容に即した介護実践が求められていくことを忘れてはならないのである。

だから今後の介護実践における合言葉とは、「きみの介護に根拠はあるか」ということになってくるのである。
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認知機能トレーニングをスタンダードメニューに


団塊の世代という他の世代とは比べ物にならないボリュームの人たちが、来年以降続々と75歳に達する。

そのためこの国の高齢者数は、後期高齢者を中心に2042年頃まで増加し続けると予測されている。

それは同時に、認知症の人が増えるという意味である。なぜなら認知症発症の最大リスクは加齢だからである。その数は2025年には20%を超え65歳以上の4人に1人に昇ると予測されている。

認知症を発症しない人も加齢に伴う物忘れ(健忘)や、見当違いという症状が出てくるが、その人たちがそこでとどまり認知症にならないのか、それとも認知機能障害が悪化して認知症になってしまうのかによって、認知症を発症する人の将来推計は大きく違ってくる。

よって認知症の簡易判定や、認知機能低下を予防するトレーニングは重要であり、そのために開発されたCogevo(コグエボ)を紹介する記事を先日アップした。(参照:新たな認知機能評価と認知症リハビリの可能性

この紹介記事を書いている理由をもう少し詳しく説明すると、認知症の簡易評価と認知機能低下予防のトレーニングツールとして優れていると思ったからであり、多くの介護事業者がこのソフトを利用することで、介護サービスを利用する方々にもメリットが生ずると思うからである。

前述したように、現在我が国において高齢者の軽度認知障害が大きな問題となっているという背景がそこにあるのだ。

軽度認知障害とは、認知症のハイリスクグループ(将来認知症になる可能性がより高いグループ)のことをいう。その状態は、年齢相応の認知の衰えと、より深刻で病的な意味合いの強い認知症の間に存在する状態であると考えられている。

認知症と同様に、軽度認知障害の根本的な治療方法も今のところ存在していない。そしてそれは将来的に認知症に進行する可能性がある状態と言えるために、そのリスクを踏まえて生活面への介入を行うことが重要とされている。

つまり軽度認知障害のある方に、何らかの形で認知機能の低下を防ぐように介入できれば、認知症になる人の数を減らすことができるのである。

同時にそれらの方々に、定期的にフォローアップを行うことで早期に認知症発症を診断することができ、より特異的な治療介入を行うことができる可能性もある。

だからこそ介護施設や居住系施設で、あるいは定期的にサービスを受けている通所サービスの場で、利用者がごく自然に認知機能状態を測定できて、愉しみながら認知機能維持のトレーニングを行うことができることには重要な意味があり、それは団塊の世代が75歳に達して、軽度認知障害の症状を持つ人が増える2022年以降を見据えると求められる方法なのである。

僕は実際にこのトレーニングをやってみたが、認知症のない人から軽度認知障害のある人まで、隈なく真剣に取り組んで興味を持てることを確信した。愉しんでトレーニングを行うことで、現在の認知機能評価表も出てくるので、それを続けるモチベーションも維持できる。

通所サービスに通っている人は、週1とは言わず、サービス利用のたびにこの検査・トレーニングを続けて、認知機能を保っていくことを目標にできると思う。多くの利用者にとってそれは、人気のサービスメニューになるのではないだろうか。

具体的にメニューを説明すると、ソフトにアクセスしてウオーミングアップを終えた後、本格的にトレーニングをしようとする際に表示される画面が下記である。
認知機能トレーニングメニュー
基本トレーニングである、「5種バランスチェック」のほかに3つのメニューが選べる。

この中の、「選んでトレーニング」には、5種類のバランスチェックにはない、7種類のトレーニングメニューが追加されているので、それらを選んで実行できるために体調や気分に応じて、愉しみながらその日の認知機能チェックが可能となる。
12種類のトレーニング
上の画面は、僕の認知機能を表すチェックシート。見当識・注意力・記憶力・計画力・空間認識力のそれぞれのトレーニングを1項目ずつ行った結果と、また行っていないトレーニングが、星のマークでわかるようになっている。

こんなふうにトレーニングメニューをこなすたびに、自分の認知機能の評価値が目に見える形で示されるので、もっと点数を上げたいなどの目標も生まれてくる。通所サービスに通い続ける動機づけも、このことで高まるかもしれない。

このような形で、認知機能障害のない人にも、認知機能チェックという形で定期介入し、仮に衰えの兆候があらわれたら早期の医療介入も可能となるし、認知機能障害や認知症のある人には、症状の変化に応じた対応を考えるきっかけも生まれようというものだ。

このトレーニングの良い点は、グループワーク的な実施もできるし、個別サービスメニューとして、個々の利用者の状況に合わせて実施できるという点だ。

例えば、認知症リハビリテーションと称して、グループ実施する方法もとれるし、入浴ケアの合間に、入浴を終えたり、待っている人がその時間に個別にトレーニングするという方法もとれる。実施方法は個々の事業者の工夫で限りなく広がるだろう。

どちらにしても、このソフトをいきなり導入する必要はなく、まずは試用して実際に利用者に協力していただき、試したうえで効果を確認してから導入できる。勿論、試用は無料である。

まずはCogevo(コグエボ)の公式サイトに入って、問い合わせから試用申し込みをしていただきたいと思う。

他の事業者との競合に勝ち残るためにも、是非このようなソフトを使っての新サービスメニュー開発に挑戦し、それをスタンダードメニューとしていただきたい。
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新たな認知機能評価と認知症リハビリの可能性


介護保険制度が始まった当初、高齢者の方々は自分と認知症は無縁であると考えて、自分が将来認知症になることはあり得ないと考えている人が多かった。

そうした方々は、将来認知症になる可能性があることを指摘するだけで気分を害する人も多かった。

しかし現在では自分と認知症が決して無縁ではないと考えている人も増えてきており、自分なりに認知機能を保つような生活習慣を持たなければならないと考える人も増えてきた。

そういった方々が要介護認定を受け、軽度判定を受けた場合、自分が加齢とともに心身機能が低下していることを改めて実感し、自ら進んで身体機能の維持や、社会性の維持を目的に通所サービス等を利用するケースが増えている。

自らの身体機能の低下を実感している人の中には、老化が進むとともに認知機能の低下が起きないかということを気にかける人も多く見られる。自分の認知機能の状態が健全な状態に保たれているのかということに興味を持つ人が多くなっている。

そのため介護サービスの場でも簡単に実施できる、長谷川式簡易知能強化スケール(HDS-Rに)やMMSEなどの評価を受ける人も多くなっている。

10年ほど前なら、こうした簡易評価を行なおうとするだけで、「自分を馬鹿にするのか」と憤慨する高齢者が多かったことを考えると、現在はそれらの検査に対する拒否感も少なくなり、検査・評価するということ自体で生ずるトラブルも大幅に少なくなった。

とはいっても長谷川式やMMSEなどは、被験者の置かれた状況のほか、評価する人の質問の仕方や習熟度などから大きなブレが生ずることがあり、正確な状況把握がしづらいという弱点がある。(参照:認知症スケールでは、被検者をごまかす対応が求められるのか?

しかもそれらの簡易評価の最大の弱点は、検査・評価すること自体は、ちっとも面白くないという点である。評価を受けるが側が、愉しんで評価に臨むという形にはなりにくいのが最大の欠点だ。

ところがこの弱点と欠点をすべて解消し、なおかつ認知症の簡易評価として画期的な方法が開発された。

それは認知症を認知機能の低下ととらえ、記憶力・注意力・空間認識力・計画力・見当識の5つの認知機能に分類し、それぞれの認知機能の凸凹を測定する定量的なアセスメントと、それらの機能の維持・低下のソローダウンを図るトレーニングが行えるCogevo(コグエボ)というソフトである.
※公式サイトのURLを文字リンクとして張り付けているので、参照していただきたい

アセスメントとトレーニングと言っても、それはPC・タブレット・スマホなどの画面を通じて、それぞれの認知機能別に分類されたゲームを実施するだけで測定・評価・トレーニングになるという意味である。

僕も実際に行ってみたが、決して子供だましのゲームではなく、大人が真剣に取り組むことができることが分かった。

僕は5項目の検査のうち、満点は1項目でしか取れなかった。答えが間違っていなくとも、回答時間で評価が決まるものもあり、ある程度習熟することも求められるので、脳トレーニングとしては優れている。

例えばこのソフトを通所介護等のサービスメニューに組み込んで、認知症リハビリテーションとして実施することも可能であるし、レクリエーションとして実施することも可能である。毎日取り組むメニューとしても飽きられずに、日々の状態確認として受け入れられるだろう。

このソフトの紹介動画では、認知症や認知障害に偏見がある人もいるので、利用者本人のプライドを傷つけないように、本人にこのテストの意味の意図を隠したり、そっと人目に付かないところで実施したほうが良いというプレゼンをしているが、それは違うだろうと思う。

通所サービスの通常メニューの中での定期チェックとして、あるいはゲーム的感覚で楽しみながら認知機能テストができるというふう明確に目的を示したうえで実施して、出力される認知機能評価表を参考にしながら、認知症予防の目標を立てるなどして、愉しんで自分自身の認知機能の特性に気づいてもらえると思う。

実際にゲーム感覚で行うことができる評価方法については、下記の動画で説明されているが、プレゼンは一般の方を対象にしているために、介護関係者には回りくどく感ずる部分もあるかもしれない。ただ、どんなゲームなのかわかると思うので、紹介しておこう。

約9分と長い動画だが、最初の2分30秒ほどは認知症の説明で介護関係者はすでにご存じの内容であると思えるので、そこは飛ばして2分間30秒後から視聴すると良いと思う。

このソフトは、実際に購入する前に試用することが可能で、実際に試してみてから、サービス導入できる点でもリスクがない。

ソフト導入した事業所のサービスの多様化につながるとともに、団塊の世代の方のサービス利用ニーズにも、必ず合致するCogevoは、これからの通所サービスの必須アイテムと言っても良いほどだ。

是非その導入を検討していただきたい。
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認知症ケアなんていう言い方はやめた方が良いのではないのか


交通事故の後遺症で、下半身麻痺があるYさんはこういった。

「車いすをいつも必要とするようになった途端、周りの人間は僕を見ないで、まず車椅子を見るんだ。車いすは僕が使う道具でしかないのに」・「その人たちは車椅子がまずあって、そこに僕が付随しているように考えるのさ」・・・と。

Yさんは続けてこうも言った。「他人が僕に聴くんだ。あなたはいつから車椅子になったんですかって。・・・あなたは車椅子なんですね、というやつもいる」・・・「でも僕は車椅子じゃない。僕は車椅子を使っているだけで、普通の人間だ。」と・・・。

これは言葉のあやとか、考えすぎだということで片づけられる問題ではないと思う。病気や障害を持ちながら、周囲の人の手助けを必要としながら暮らしを営む人たちに、私たちは少しだけ配慮の心を持つべきではないのだろうか。

病気や障害は、その人の個性であるかもしれないが、病気や障害がその人を代表するものではないはずだ。

病気や障害を持ちながら暮らしている人は、決してそのことを決して卑下したりしているわけではないが、周囲の人たちが自分に向ける目を気にしたり、ちょっとした言葉かけを気にしたりすることはあって当然だ。

特に人の手を借りて暮らしを営まねばならない人たちは、人の手を借りなくても暮らしを営むことができる人と比較すると、他人に対してより多く気を使うことになるのだろうと思う。気を使うという心持ちのなかには、「引け目を感じてしまう」という思いが含まれてくることも容易に想像できる。

そういう人たちに普段何気なく掛ける言葉に、少しだけ配慮するということも、人に対して優しい社会を実現するためには必要なことではないのだろうか。

そう考えたとき、認知症の人たちに向ける私たちの言葉にも、もう少し配慮があればと思ったりする。

認知症を、「ニンチ」と略して表現することは恥の極みだから、そんなことは今更言うまでもない。(参照:認知症をニンチと略すな!!  ・ そこに居るのは誰かの大切な人です。

しかし認知症の方への対応を考える行為を、「認知症介護」とか「認知症ケア」と呼ぶのはどうなんだろうと思う。

例えば、「パーソン・センタード・ケア」は認知症ケアの典型例として取り上げられることが多いが、その意味は「その人を中心としたケア」なのだから、それだって認知症以外の人の介護にも求められることであり、それは認知症ケアではなく、「ケアそのもの」だろうと思う。

そういう意味で求められるのは、「認知症ケア」ではなく、人に対する介護(ケア)だろうと思う。

認知症の人に対する介護場面で求められることは、「認知症ケア」ではなく、「認知症の理解」でしかないと思う。認知症とはどのような症状を言い、どのような予後が予測され、どのような対応が求められているのかなどを、専門的知識を得ながら、理解することが必要とされるので、ことさらその知識や援助技術を、「認知症ケア」と呼ぶ必要はないと思う。

認知症ケアという言葉を前面に出してしまえば、そこにいる一人の人間の存在を、認知症という一症状のフィルターをかけてしか見なくなってしまう恐れがあり、それは認知症の人に対する偏見につながりかねない。

認知症の人は、一人の人間と見られたいのに、自分を表す言葉として、「認知症」という冠をつけてしか呼ばれたり、見られたりすることに憤りを感じているかもしれない。

しかし認知症の人は、誰かに理不尽な行為をされても、その理不尽さを訴えられない。

前にも書いたが、認知症の人はエピソード記憶や意味記憶を記憶できない。それは海馬という器官周囲に血流障害が生じて、機能不全になるからだ。

しかし感情の記憶は小脳に残るので、「嫌だ」「つらい」「苦しい」「哀しい」という記憶は残っている。

理不尽なことをされて嫌な思いをすれば、その感情は残っており、嫌なことは積み重なって不幸になっていくのだ。

そうしないために、認知症ケアなんて言う言葉を使わないようにして、認知症という症状がある人でも、一人の尊厳ある人間として尊い存在であるという価値観を持ち続けなければならない。

そうであるからこそ、認知症ケアなんていらないし、そんなものは存在しないと言いたい。
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新薬は認知症治療に光を射すか?


日本の製薬大手エーザイの株価が、8日午前の取引で前日比19%高の9.251円とストップ高となった。

その原因は米食品医薬品局(FDA)が、同社と米バイオジェンが共同開発したアルツハイマー病治療薬、「アデュカヌマブ」を承認したことによるものだ。

新薬が認知症治療薬として臨床で実用化されれば、莫大な利益となることは誰にでもわかることなので、同社の株価はしばらく上昇が続くだろう。

FDAの新薬承認を受けて日本の厚労省も、「アデュカヌマブ」について、年内にも承認の可否判断する可能性があると明らかにした。

これに関連して田村厚労相は、「画期的な治療薬だと思う。ただ現在、日本では安全性・有効性の確認をしているところ。まずはしっかりと審査を行い、そのうえで対応を決めたい」と述べている。

アデュカヌマブは、脳内にたまった異常なタンパク質(アミロイドβ)を取り除き、認知機能の低下を抑制する効果を示しているという。

現在日本の臨床で使用されているアリセプトなどの4種類の薬は、いずれも認知症の症状を一時的に軽くする効果はあるが、認知症の根本的治療薬ではないし予防効果もない。

それらとは異なり、新薬は病気が進む仕組みに直接作用し、認知機能の悪化を抑える効果があるとされ、認知症の根本治療につながる可能性があると期待されている。

ただしFDAは新薬の副作用として、画像診断で脳内の一時的な浮腫がみられたと指摘しており、無症状の人もいるが、頭痛や錯乱などを伴うこともあるとして注意喚起している。そのため新薬について追加の臨床試験で更に検証を重ねる必要があるという立場をとっており、その結果次第で承認が取り消される可能性もあると伝えている。

そもそもFDAは、臨床試験からは新薬の効果は不確実としているのだ。しかし脳内のアミロイドβの減少は認めるとしているだけである。

そう聞くと、単に脳内のアミロイドβを減らすだけでは認知症治療や予防薬にはならないのではないかと疑問を持つ人も出てくるだろう。アミロイドβがなぜ排出されずに貯留するのかという根本原因が明らかになって、その原因に効果が及ぶものでは無ければ治療にはつながらないのではという意見もあるだろから、FDAの臨床試験評価は、新薬の効果に期待を寄せている人にとって、「この新薬も実際の効果はないのでは・・・。」と不安と失望を持つかもしれない。

それはともかく、認知症治療薬の開発に向けて少しだけ新しい一歩が踏み出されたことの意味はきっとあるのだろうと信じたい。

新薬は4週間に1回の点滴投与で、価格の目安は患者当たり年約610万円とされている。

価格は普及とともに下がる可能性があるのだから、問題は治療効果が今後どのように明らかになっていくかである。

今更言うまでもないが、脳内にアミロイドβが貯まり始めるのは、認知症の症状を発症する20年も前からであるケースも多い。今現在の僕や、読者の皆さんの脳内で、アミロイドβが排出されない状態が引き起こされている可能性だってゼロではないわけだ。

今なんの症状もなく、日常生活上に何の支障もなく暮らしている人も、既に認知症の原因となる脳内現象が始まっているかもしれないのだ。しかしそれがわかったからと言って、現在はその治療法も予防法も存在しないのだから、手をこまねいて認知症の症状がいつ出現するのかということに怯えているしかない。

アリセプトも実際に認知症の進行を遅らせているのか、その効果が疑問に思えるケースは多々ある。副作用は消化器系の症状だと言われているが、臨床に関わっている人なら、アリセプトを服用後に攻撃的になる人が多いということを実感していることだろう。

僕の経験で言っても数年単位でアリセプトを服薬していた場合、服薬をやめてもほとんど症状が変わらない人の方が多かったような印象が残っているし、服薬をやめて精神的な落ち着きが増したケースもある。どちらにしておアリセプトは、服薬期間が長期になればなるほど、効果は見られなくなる印象が強い。

それとともに、アルツハイマー型認知症の新薬と言えば、僕らの年代はどうしてもあの、『ポパテ』を思い出してしまう。

昭和50年代の後半、日本中の精神科医療機関でポパテという薬が、「認知症の特効薬」として投与されていた。当時は認知症という言葉はなく、「老年痴呆症」と呼ばれていたが、その診断を受けた人に、ポパテが処方されるのは当然という風潮さえあった。

しかしその数年後、ポパテを服薬した方が脳梗塞を発症し死亡するケースが相次いだ。それがポパテの副反応とされ劇薬指定されたために、臨床でほとんど使えない薬となった。

今ではそのような薬があったことも、その薬害さえも知る人が少なくなり、ポパテという薬剤名を記憶している人さえ少なくなっている。

そのようなトラウマもあるために、新薬に過度な期待は寄せられないと考えてしまうが、しかし人類にとって認知症の治療薬と予防薬の開発は、久しく待ち望まれていることであることに間違いはない。

認知症になっても幸せに暮らしている人はいるが、その反面、認知症になったことにより家族の顔もわからず、最愛の家族に暴力を振るうようになって、本来愛し愛されるべき人達から疎まれる人もいる。認知症が原因で、自分が運転する車で愛する孫をひき殺してしまったのに、その事故の記憶がなく、毎日孫を探して精神科病棟を徘徊している人がいる。

そうした不幸を創り出さないため、少しでも減らすためには、認知症の治療薬は救世主である。

一日も早い臨床で実用化できる認知症治療薬が誕生してほしい。
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認知症介護基礎研修受講義務の効果は期待できるか


制度改正・報酬改定は、地域包括ケアの更なる推進を目指して行われている。

その目指すものの一つに、『認知症になっても尊厳が護られて、住み慣れた地域で必要なサービスが切れ目なく提供される仕組み』をつくるというものがある。

そうした地域社会を実現するためには、サービスを提供する側に認知症とは何かという基礎知識や、認知症になった人にはどのような対応が求められるのかという専門知識と援助技術が求められる。そのための教育は最も重要になると言っても過言ではない。

そのため2021年度基準改正として省令改正が行われ、新年度以降3年間の経過措置を設けたうえで、介護サービス事業者の介護に直接携わる職員のうち、医療・福祉関係の資格を有さない者について、認知症介護基礎研修を受講させる義務を課した。(※ただし新たに採用した無資格の介護職員については、採用後1年以内に研修受講しなければならない。)

あらためて研修を受けなくともよい法定資格の対象は以下の通りである。
看護師、准看護師、介護福祉士、介護支援専門員、実務者研修修了者、介護職員初任者研修修了者、生活援助従事者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者、訪問介護員養成研修1級課程・2級課程修了者、社会福祉士、医師、歯科医師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、精神保健福祉士、管理栄養士、栄養士、あん摩マッサージ師、はり師、きゅう師

このことについてQ&A vol.3(2021.3.26発出)では、上記の法定資格取得者以外の受講義務について、次のように告知している。

・認知症介護実践者研修、認知症介護実践リーダー研修、認知症介護指導者研修等の認知症の介護等に係る研修を修了した者については、義務づけの対象外

・介護福祉士養成施設を卒業したが、介護福祉士の資格を有していないものについては、卒業証明書及び履修科目証明書により、事業所及び自治体が認知症に係る科目を受講していることが確認できることを条件として対象外とする

・福祉系高校の卒業者については、認知症に係る教育内容が必修となっているため、卒業証明書により単に卒業が証明できれば対象外とする

・認知症サポーター等養成講座修了者は、義務付けの対象外とはならない。

・人員配置基準上、従業者の員数として算定される従業者以外の者や、直接介護に携わる可能性がない者については、義務付けの対象外である

またこの研修はeラーニングによるオンライン受講で完結できるようにするとしているが、外国人の介護職員が増えていることから、フィリピン、インドネシア、モンゴル、ネパール、カンボジア、ベトナム、中国、タイ、ミャンマーの言語を基本として、外国人介護職員向けのeラーニング補助教材を作成することもQ&A vol.3の中で明らかにしている。

この研修受講義務によって介護関係者の認知症の知識レベルが上がり、それは即ち認知症の方々への対応スキルの向上につながるという期待の声がある。介護給付費分科会でも、認知症関連団体の代表委員などが、そのような期待の声とともに、この義務規定の新設に感謝の声が挙がっていた。

しかし本当にこの省令改正が、それらの期待の声に方える結果を得られるだろうか?

介護職員の学びの機会を創ることにいちゃもんをつけるつもりはないが、この研修の中身が明らかになるにつれ、そうしたスキルアップの期待については、日の日に疑問符が増すばかりである。

なぜなら現行の認知症基礎研修は6時間のプログラムであるが、今回義務付けた研修については、その時間をさらに短縮して、2時間程度で受講できるようにするからだ。現在国はその再プログラミングのための作業を行っている最中だ。

介護の場で働く人が受講しやすいように時間短縮を図るということの理解はできるが、既に介護事業者で何年も実務に就いている人が、改めて認知症介護基礎研修として2時間程度の講義をオンラインで受けたからと言って何か意味があるだろうか・・・。

そもそも介護事業者では運営基準に沿って、職場内で様々な研修機会を設けているはずである。そこでは必ず認知症をテーマにした研修も行われているはずで、認知症の理解に関する研修を全く受けていない職員はほとんどいないだろうし、認知症が原因となっている行動・心理症状(BPSD)への対処法もほとんどの介護職員は学んでいるはずだ。

そしてありきたりの講義で学んだ対処法が通じないケースの方が多いことも、実地業務の中で思い知らされているはずである。

そういう人たちにとって、現行の認知症介護基礎研修をさらに2時間に内容を凝縮させた(というより単に時間を削ったと言った方が正解だろう)講義を受講してどのような効果が期待できるるというのだろうか。

どうせ時間を割いて受講しなければならない講義であるのなら、実践論を凝縮して、実務に生かすことができる方法論を講義すべきである。例えば僕の認知症の理解に関する講演なら、2時間でも実務に生かせる方法を盛り込んで、役に立つ研修にできるのだがと思ったりするが、国がプログラニングする講義に、それを期待する方が無理というものだろう。

それはほとんど無意味な講義であり、仕事を終えた後、疲れて体を休めるために、2時間座って、場合によっては眠りながら受講するだけの意味のない儀礼的な研修になってしまうのが落ちだろう。

そういう意味では、この研修受講義務を盛り込んだ運営基準改正は、認知症の人たちが住みやすい地域をつくるために、国として介護に直接携わる職員の資質向上を図っているというアリバイ作りにしかなっていない。

ということで改めてこの研修を受講する皆さんには、e-ランニングで講義を受ける時間は、体をゆっくり休める時間だと割り切って、居眠りを気づかれないようにうまく時間を過ごしてほしいと思う・・・。
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子供に返っている認知症の人には子供のように対応すべきなのか?


認知症の人の中には、自分が年を取ったという記憶をなくしてしまっている人がいる。

そういう人は鏡に映った自分の年老いた姿を見ても、それが自分だとは認識できずに、鏡に映った自分を見てそこに知らない誰かがいると思い込む。そして鏡に向かって、「お前は誰だ」とか、「人の家になぜ勝手に入ってきてるんだ」と怒ったり攻撃的になったりする人も多い。

当然その姿は鏡に映っているのだから、目の前にいる自分の知らない誰かが、自分を攻撃しようとしていると思って、鏡にものをぶつけて壊してしまう人もいる。こうした事例は決して少なくなく、僕は過去にそういう人の住む家の鏡や、グループホームの鏡を幕で覆って、必要な時以外鏡を使わないようにして、こうした行動・心理症状を防いだ経験を数多く持っている。

どちらにしても、年を取ったという記憶をすっぽりと失ってしまって、実年齢より若いと思い込んでいる認知症の人はたくさん居られるのは事実だ。

その中には子供の頃に戻っているかのような言動をとる人がいる。いわゆる子供返り・幼児化という現象である。

そのような症状を呈する人に対して、介護従事者はどのように接すべきだろうか。相手が子供に返っており、自分は小さな子供だと思っているのだから、介護支援の場でも、介護従事者がその気持ちを尊重して、子供に相対するように接するべきなのだろうか・・・。果たしてそれは、受容というべき態度なのだろうか。

僕はそうは思わない。

そんな考え方は間違っているし、それは人の心を受容する態度ではなく、相手の状態を深く理解しないまま、自分の狭い価値観や低い見識によって思い込んだ、間違った価値観による不適切な態度だと思う。

以前にも認知症の記憶について何度かこのブログに書いているが、「感情の記憶は認知症の人にも残ります」でも指摘しているように、認知症の人であっても、かなり晩期まで失われない記憶があり、何かの拍子にその記憶がよみがえってきたりする。特に感情の記憶や手続き記憶は残っているのである。

子供返りしている認知症の人であっても、子供そのものになっているわけではなく、自分が生きてきた記憶の中の子供のイメージに返ってしまっているだけであり、そのイメージの中には、自分が大人になった後に、子供に対して抱いた感情も大きく左右しているのである。

そもそも子供返りしている人に対しても、きちんとした丁寧な言葉かけをして問題が生ずるわけではない。幼児言葉で話しかけないと不穏になることなどほとんどあり得ないことだ。

先日書いた、「丁寧語は使い分ける必要がない」でも指摘した通り、節度ある丁寧な言葉遣いは、相手や場所を選ばずに使うことができ言葉であり、そうした言葉遣いをはじめとした、マナーに徹した対応を行うことによって、認知症の人の行動・心理症状は改善するのである。

今では幼児・児童教育の現場でも、教育者が命令調の言葉や幼児言葉を使わずに、正しい丁寧な日本語で幼児や児童に接しようという考え方が徐々に浸透してきている今日、幼児そのものではなく、大人であり、人生の先輩である高齢者に向かいあう介護サービスの場で、専門職と言われる介護従事者が、「幼児に話しかけるような言葉遣い」しかできないのは、介護の貧困さを表すものでしかない。

大人に向かって幼児に話しかけるような言葉遣いしかできない介護従事者のその低能ぶりは、介護業界の恥の象徴でしかない。

介護を必要とする認知症の人の背中には、その人の歩んできた人生が背負われているのだ。その背中を見つめて愛おしく思っている家族も存在するのだ。

そうした方々すべてが、私たちの介護支援を受けてよかったと思うことができる介護サービスでなければならない。

自分の親が、認知症になって子供返りしているかのような言動をとるからと言って、日常支援に従事する介護職員までが、自分の親をまるで子供であるかのように扱うと言って泣いている家族が何千人・何万人いると思っているのか・・・。

そうした恥ずべき対応をなくしていかねば、介護の仕事は誰にでもできる仕事と思われ続け、時に必要悪なんて罵声を受けたりすることがなくならないのだ。

もっと誇り高い仕事を目指してほしい。もっと人を人として敬い、愛おしく思ってほしい。

だからこそもっと勉強してほしい。無知は罪なのだ。

認知症の研修の必要性が高まっているが、講師もきちんと選ぶべきだ。認知症の人に対する本物の介護実務論を語ることができる人でなければ、研修を受けても何も変わらないのである。

そういう意味では今回の介護報酬改定・基準改正の中で、法定資格のない介護職員に義務付けられた認知症介護基礎研修の受講義務も、今の内容のままである限り、介護の質を引き上げる効果にはつながらないと指摘しておきたい。
無題
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認知症研修がより重要となる今後に向けて


2021年度の介護報酬改定のテーマの一つは、「認知症への対応力向上に向けた取組の推進」である。

そのために訪問系サービスに認知症専門ケア加算を、多機能系サービスに認知症行動・心理症状緊急対応加算を新たに創設することとしているほか、介護サービス事業者の従業員について、認知症の人に対する実践スキルを引き上げる方策を取ろうとしている。

例えば介護福祉士や介護職員初任者研修(ホームヘルパー2級)資格を持たない介護職員については(現在、介護職のうち6.1%の方が該当するとされている)、来年度からの経過措置3年間の中で、「認知症介護基礎研修」を受講しなければならない義務が課せられるのもその一つだ。

とは言っても、「認知症介護基礎研修」はわずか6時間の研修で、これをe-ランニングで受講できるようにするのだから、介護事業者にとっても、資格のない介護職員にとっても、そのハードルは決して高いとは言えないだろう。

職場単位でe-ランニングのビデオを、受講対象者が手すきの時間や勤務外に観ればよいだけの話である。

しかしこの程度の義務を課して、果たして認知症の対応スキルが上がるのかという疑問も生ずる。仕事に疲れた人が、居眠りしながら義務受講終了というケースも多くなると思える。ないよりは、あった方がマシという研修でさえない、効果のない義務と化す可能性が高いと思う・・・。

もう一つ、居宅療養管理指導を除く全事業者に課せられる義務として、「認知症に係る取組の情報公表」がある。

来年度以降、認知症に関連する研修の受講状況等、認知症に係る事業者の取組状況について、介護サービス情報公表制度において公表することが求められているのである。

ということで認知症の理解等をテーマとした職場内研修は年度ごとに最低1回は開催しておく必要があるということになる。既に多くの事業者ではその実施を図っていると思えるが、改めてその体制を整備することになろうと思うが、どうせ時間を使って認知症について学ぶのならば、実際の介護の場に生かすことのできる実践論を学びたいものだ。

アリバイ作りだけのために、日常介護に役立たない研修は時間の無駄でしかない。今職場で認知症の人に対するケアに関して、何に困っていて、何を知りたいのかという現場職員の声を拾いながら、研修受講した後に、即実践できる方法論を学ばせる必要がある。

職員が一番困っていることは、いわゆる行動・心理症状(BPSD)への対応である。それは多くの場合、混乱から生ずる行動であるが、その混乱は具体的に何が原因で、どういうふうに困ったり、パニくったりしているのかを明らかにする必要がある。

特に昼夜逆転は、そのこと自体が混乱要素だ。昼に歩き回ったり、声や音を立てても問題にならないことが、夜であるからこそ、人の迷惑になってなじられたりすることがある。しかし認知症の人は、他人に迷惑をかけようと思って歩き回ったり、声を出しているわけではないので、自分が何もしていないのに、他人になじられるとして、そのことがさらなる混乱につながることが多い。行動・心理症状がそれにより悪化するのである。

そういう意味では、生活リズムを整えて昼夜逆転を防ぐことは、認知症の人が落ち着いて生活できることにつながる大事な視点だといえる。しかしそのために睡眠コントロールを眠剤で行おうとしても、うまくいかないことが多い。それは何故か。どうしたらよいのかという具体策を伝える認知症研修でなければならない。
認知症の理解スライド2認知症の理解スライド
このスライドは、一昨年東京都葛飾区で介護事業所の職員さんや、一般市民の皆さんに向けて作った僕の講演スライドである。そこで伝えてきた方法とは、教科書に書いてあった方法論ではなく、僕が介護の場で、僕の仲間たちと一緒に取り組んで、良い結果を引き出した実践論そのものである。そしてその実践は今でも積み重なって、随時更新されていくものでもある。

認知症について、ケアに手が届くところはどこまでなのか、それは何故なのかということも含め、認知症の理解・ケアの方法論をわかりやすく伝えることもできるので、認知症をテーマにした研修の講師お探しの方は、是非声を掛けていただきたい。勿論、オンライン研修も可能である。

まずはこちらのサイトに掲載しているメールアドレスに連絡いただければ、条件等の検討を行うことができるので、依頼するかどうかは別にして、問い合わせしていただきたいと思う。
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グループホームは3ユニットがスタンダードに・・・。


介護報酬の改定率が示される可能性があるとアナウンスしていた2日の介護給付費分科会は、結局運営基準等の改正案が示されただけに終わった。読者の皆様には先走った考え方を提示してしまい申し訳ありませんでした。

さてその資料から、GHの基準変更に触れてみたい。

報酬改定に伴う基準改正で、全国グループホーム協会等の関係者が一番強く要望していたことは、GHの夜勤基準の緩和であった。

制度開始当初の基準では、2ユニットのGHでは、夜勤者1名+宿直者1名という体制が認められていたが、相次ぐGH火災事故を受けて、避難誘導体制を充実させるなどの観点から、この基準が見直され、現在はユニットごとに夜勤者を1名以上配置しなければならなくなっている。

この基準を見直して、見守り機器などを設置することを条件に、2ユニットのGHにおける夜勤者1名+宿直者1名基準を復活させてほしいと要望されていた。

このことに関連して7月に書いた、「GHの夜間配置規準見直しの要望について」という記事の中で僕は、「複数ユニット経営の推進や、原則2ユニットしか許されていないGHの規模拡大議論に結び付けていくべきではないかと思う。」という意見を書いているが、今回の基準改正では2ユニットのGHにおける夜勤基準緩和は見送られたが、僕の要望するGHの規模拡大と、3ユニットの夜勤基準緩和は認められることになる。

来年4月以降は、特例ではなく通常指定として3ユニットの認知症対応型共同生活介護事業所が認められることになる。さらにサテライト型小規模多機能型居宅介護の基準を参考に、グループホームのサテライト型事業所の基準を創設し、この設置も認められることになる。

そして夜間・深夜時間帯の職員体制について、安全確保や職員の負担にも留意しつつ、人材の有効活用を図る観点から、3ユニットの場合であって、各ユニットが同一階に隣接しており、一体的な運用が可能な構造で、安全対策(マニュアルの策定、訓練の実施)をとっていることを要件に、夜勤2人以上の配置に緩和することを可能とするとしている。

つまり2ユニットのGHの夜勤配置基準は現行通りとされたものの、3ユニットのGHについては、条件付きで2ユニットのGHと同じ夜勤配置で良いとされているわけだ。

2ユニット18人のGHより、3ユニット27人のGHの方がスケールメリットが働き、収益率が向上することは容易に予測できることであるが、夜勤配置基準が2ユニットと3ユニットで変わらないなら、この部分でもスケールメリットが大きく働くことになる。

さらに今回の基準改正では、認知症グループホームにおける介護支援専門員である計画作成担当者の配置について、事業所ごとに1名以上の配置に緩和するとされているのだから、2ユニットでも3ユニットでも、介護支援専門員は1名配置で良いわけだから、当然3ユニットの方が収益が挙がることになる。

勿論こうした考え方は、経営上の考え方でしかなく、働く当事者である介護支援専門員や介護職員等は、今現在より対応すべき利用者数が増えて大変になるという意見が出てくるだろう。それは極めて当然の反応であり、間違った意見でもない。

ただしGHの現在の基準は、一人の夜勤者の担当利用者上限が9名である。一人の介護支援専門員の担当利用者上限も9名だ。この基準は他の居住系施設と比べると、非常に少ない利用者上限基準と言える。

例えば特養等の介護施設の場合、夜勤者一人が対応すべき利用者数は20名を超えているし、介護支援専門員は100名まで担当できる基準である。それと比べた場合、今回の基準改正で過重労働に陥るという論理は、あまり説得力を持たないと言えるのではないだろうか。

どちらにしても今後の新設グループホームは、3ユニットが当たり前になるだろうし、既存の2ユニットのグループホームも、3ユニットに拡充を目指していくことになるだろう。

1ユニット単独のグループホームや、2ユニットのグループホームは、ごく小さな地域に限定的に残っていくだけで、いずれ我が国のグループホームのスタンダードは3ユニットになっていくのだろうと予測する。なぜなら今後はますます経費及び人材確保の両面で、スケールメリットを生かした経営戦略が必要不可欠になるからだ。

このほか基準改正では、無資格の介護職員に、「認知症介護基礎研修』の受講を義務付けるが、この経過措置が3年になっている。

また感染症や災害が発生した際の現場の対応力を今より強化していくために、有事に備える業務継続計画(BCP)の策定やシミュレーション(訓練)、研修の実施を全ての事業者に義務付けることになり、この経過措置も3年とされた。

これだけ経過措置期間が長いと、経過措置の間に方針変更があり得ると考えるべきで、各事業者はこれらの新基準への対応については、慌てずゆっくりと対応したほうが良いと思う。
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感情の記憶は認知症の人にも残ります


生き残るための医療・介護経営のウエッブマガジン、「CBニュース」に連載中の、「快筆乱麻masaが読み解く介護の今(57)」が今朝5時に更新されている。今月はコロナ禍特例に関する厚労省の対策の評価について、僕の考え方を示しているので、明日朝アップされる後編とともに注目していただきたい。

それはさておき本題に移ろう。

対人援助の仕事に就くものにとって、無差別平等の意識は非常に重要だ。この仕事は感情ある人間同士が接しなければ成立しない仕事であるからこそ、好き嫌いの感情が生ずやすく、顧客である利用者に対しても、サービス提供者が好き嫌いの感情を抱くことはやむを得ない。

だからといってその感情に左右されて、利用者のサービスの質に影響が出ることは許されない。プロである以上、その感情をコントロールして、誰に対しても平等にサービスを提供する必要がある。

だからこそ自己覚知による感情コントロールが求められることは何度かこのブログで書いてきた。(参照:価値観が変化する自分を覚知するために

ところが感情のコントロール以前に、最初から人を差別して介護に関わっている人がいる。意識の中で自分より立場の弱い人を見下す人がいるのだ。こうした態度を放置してしまえば、介護サービスを受ける人は、サービスを提供する人の顔色を常に伺っていなければならなくなる。そうなればその行為は援助ともケアとも呼ぶことのできない、劣悪な行為に成り下がる。

例えば、認知症のない人に対しては丁寧語で話しかけるのに、認知症の人に対してはタメ口で話しかけている人がいたりする。こうした態度は、認知症の人を見下しているということに他ならない。

こうした態度を取る人は、無意識のうちに認知症の症状がない人と、認知症の人は違う人間であると考えているのだ。だから言葉遣いが自然と異なってしまうわけである。

無差別平等の精神から言えば、どのような症状があろうとなかろうと、人としての価値は変わらないわけであり、職業として人にかかわる人間が、症状の違いで、接する態度にも違いが出るなんてことは許されないのである。

しかもアルツハイマー型認知症の人は、無礼で馴れ馴れしいタメ口に、一番傷つきやすい人でもある。そのことも理解する必要がある。

アルツハイマー型認知症という症状の特徴の一つに、「海馬」の機能不全というものがある。ほとんどのアルツハイマー型認知症の人は、海馬周辺の血流障害が生じて、海馬が働かない状態になっている。

この海馬というのは、見たり聞いたりした情報をいったん取り込んで、記憶にするための器官である。その器官が機能不全に陥っているのだから、新しい情報を記憶にできないのが、アルツハイマー型認知症の人の典型症状であると言ってよい。

それは何を意味するのかを考えるうえで、こんな場面を想像してほしい。

アルツハイマー型認知症の人が混乱し、行動・心理症状が強く出ているときに、時間を掛けて関わりを持ち、その人の気持ちに寄り添う態度に終始して、落ち着かせることができたとき、認知症の人は、落ち着かせてくれた人を愛おしく見つめてくれるだろう。ありがとうと感謝されるかもしれない。

しかしその時落ち着かせてくれた人の顔も名前も、アルツハイマー型認知症の人は覚えることができないのである。

混乱していた人を落ち着かせて愛おしく思われた職員と、アルツハイマー型認知症の人が、翌朝あった時には、認知症の人にとって、その職員は初対面の人にしか過ぎない。だからその職員が馴れ馴れしいタメ口で話しかけたときに、認知症の人は、「知らない人が、なぜ自分に馴れ馴れしく話しかけてくるのだろう。」・「年下の人間がなぜ自分に横柄な言葉や態度で接してくるのだろう。」としか思わない。それは認知症の人を怒らせ、混乱させる要素にしかならないのだ。

だからこそ、認知症の人に対しては常に、ゆっくり静かに近づいて、丁寧な言葉で目を見て笑顔で話しかけるという態度が求められるわけである。

そういう意識を持つことができない人は、対人援助の仕事に就いてはならないのだ。なぜならそのことに気が付かないことは、即ち人の心を傷つけ、人の心を殺すことを何とも思わないことと同じだからである。そんな人はさっさと別な職業を探した方がよい。

しかしそうであるなら、あんなに時間を掛けて丁寧に接した記憶も失われるのだから、接した時間も労力も無駄になると考える必要はない。認知症の人に時間を掛けて丁寧に接しても、何の意味もないと思う必要もない。

以前に書いた、「記憶を失っても、感情が残される理由」でも触れているが、記憶には種類があって、それぞれ記憶する回路が違うのである。

仕事や家事の手順を覚える、「手続き記憶」は、海馬を通さない記憶だから、アルツハイマー型認知症の人の記憶としても、残されている部分が多々あることと同様に、感情の記憶も海馬を通さず、小脳に残る記憶なのである。

さっき食べたものが何かを記憶できない人であっても、「あの人は良い人だ。あの人は好きな人だ。」ということは記憶できるのだ。

毎朝、最初に出会ったときには、「この人は誰だろう」と怪訝な顔で迎える認知症の人と、丁寧にあいさつを交わし、丁寧な言葉で目を見て笑顔で話しかけるということを続けていると、認知症の人の感情の記憶がよみがえり、「この人は、自分にとって良い人だ」と思えて、昨日や一昨日より時間を掛けなくても落ち着いて会話ができるようになるのだ。

だからこそ、そうした感情の記憶が残され、少ない対応時間で落ち着いてもらえるように、時間を掛けて信頼を得られる対応をするときも必要になるわけである。

そうして時間を掛ければ、その掛けた時間は貯金のように貯まり、後々、その人が混乱しているときに接した際に、さして時間を掛けずに落ち着いてくれたりするようになるのである。

愛をかけずにおざなりに対応するだけの時間は流れ、失われるだけになるが、愛を積めば時間は貯まるのだ。

だからこそ、今何をしたのかという記憶を失っても、感情の記憶は残っているから、認知症の人が一瞬でも楽しい時間を過ごすことには意味があるのだということを理解して、そのことを信じて認知症の人と関わりを持ってほしい。

認知症の人が良い感情を持てる時間や空間を作り出すことには、重要な意味があることを理解してほしい。

感情の記憶はしっかり残るという証拠は確かにある。なぜなら顔と名前を覚えることができない認知症の人でも、ごく自然に好きな介護職員と、嫌いな介護職員は見分けているではないか。

あなたは認知症の人にとって、どっちの職員だろうか・・・。認知症の人の感情のあり様は、私たちのケアの質を映す鏡である。そのことを忘れてはならない。
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GHの夜間配置規準見直しの要望について


先日の豪雨浸水被害で犠牲となった熊本県球磨村の特養に住まわれていた14名は、水没した1階で全員泥水をかぶり、車いすに座ったまま床に倒れた状態で動かなくなっていたそうである。あまりに早い浸水により、2階への避難が間に合わなかったのだろう。

何とも言いようのない悲劇である。人生の最期に泥水で埋もれていく恐怖を味わわねばならなかった方々に対して、心よりご冥福をお祈りしたい。合掌。

身体の不自由な方々の避難介助に努めた職員の皆様も無念で悲痛な思いであることが容易に想像がつく。想定外の浸水速度の中で、職員の皆さんも死の恐怖におびえながら最善の避難誘導に努めたことと思うので、どうか自分を責めることがないようにしてほしい。

遠く離れた場所に住む私たちには、後方支援しかできることはないのかもしれないが、せめてできることを最大限にしていこうと思う。被害にあった皆さんには、くれぐれも希望を失わないでいただきたい。

さて今日の本題に移ろう。

来年4月に迫った介護報酬改定に関連して、いよいよ議論は総論から各論に移っている。8日に開催された社保審・介護給付費分科会では、認知症グループホーム(以下.GHと略)の夜勤配置基準が議論の俎上に上った。

夜勤配置人数の基準は、「厚生労働大臣が定める夜勤を行う職員の勤務条件に関する基準」において定められてるが、GHの場合は、「指定認知症対応型共同生活介護事業所ごとに夜勤を行う介護従業者(指定地域密着型サービスの事業の人員、設備及び運営に関する基準(平成十八年厚生労働省令第三十四号)第九十条第一項に規定する介護従業者をいう。)の数が、当該事業所を構成する共同生活住居(介護保険法(平成九年法律第百二十三号)第八条第二十項に規定する共同生活を営むべき住居をいう。)ごとに一以上であること。」と定められている。

要するに、ユニットごとに夜勤者を1名置かなければならないという基準で、1ユニットのGHは1名夜勤でよいが、2ユニットになれば2名の夜勤者が必要になるということである。GHの1ユニットの定員は9名なのだから、対利用者比で言えば9:1の夜勤配置が求められているのである。

一方で特養の例をみると、ユニット型ではない従来型特養の場合は、利用者25名に対し夜勤者が1名であるし、GHの体制に近いユニット型地域密着型特養の場合も、「二のユニットごとに夜勤を行う看護職員又は介護職員の数が一以上であること」とし、2ユニットで夜勤者1名で良いという基準だ。地域密着型特養のユニット定員は、GHより1名多い10名なので(運営基準では定員の定めは、おおむね10名以下とされている。)、対利用者比は20:1である。

このようにGHの夜勤配置数の基準は、他のサービスと比べて手厚く規定されているのである。しかしそれは即ち経営側の大きな負担となっているという意味だ。

今回厚労省がこの配置規準緩和を取り挙げたのは、深刻な人手不足を背景に、日本認知症グループホーム協会が2ユニット以上の事業所について、見守りセンサーなどの導入を前提として、「夜勤1人+オンコール宿直者」の体制を認めて欲しいと要望しているためである。

実は以前の基準では、2ユニットのGHは、「夜勤1人+オンコール宿直者」で良かったわけだ。それが変えられたのは、ケアの品質上の問題ではなく、GHでの相次ぐ火災事故を受けて、避難誘導の体制が問題となったということが深く関連している。そのためユニット人数が少ないGHの夜勤配置数が、多サービスと比べて手厚くなってしまったのである。

しかし事故対応は宿直職員でも可能なわけで、以前の体制が決定的な欠陥となっていたわけではないく、GH協会の要望は決して不当要求ではないと思う。

事故対応は単独ユニットの場合に、たった一人の夜勤者が避難誘導を優先した際に、通報がおろそかになったり、逆に消防署への通報の間に、全く避難誘導ができないという問題なので、むしろ単独ユニットではない複数ユニット経営の推進や、原則2ユニットしか許されていないGHの規模拡大議論に結び付けていくべきではないかと思う。

夜勤は労働基準法上、夜勤入りの日と夜勤明けの日の2日間を労働日とみなさねばならず、夜勤明けは休日とはみなされないため、多くのGHでは、「夜勤 明け 公休」という勤務シフトを取っているが、これだと夜勤の2名が明けの日、その翌日に勤務できないということになる。

しかし宿日について労働基準法第41条第3号は、「労働時間、休憩及び休日に関する規定は、適用しない。」としており、当日日勤の職員がそのまま宿直して、翌日の宿直明けの日も連続して日勤勤務に就くということが可能になるわけである。

夜勤1名を宿直に変えるだけで日勤勤務者の確保数が容易になるのだから、人手が少ないGHには大きなメリットと言えよう。

勿論、職員からすれば、日勤勤務者の確保が容易になるメリットとともに、宿直前後に通常勤務を行い、実労働時間は増えるのに、夜勤手当が減る分、給与が減ってしまうというデメリットも考えられる。しかしそれは経営側と労働者双方が、よく話し合ってその職場に一番マッチした方法を模索すればよい問題だと思う。

当日の分科会では、日本看護協会や医師会の委員が、災害対応や介護の質を理由にして、1ユニット1名夜勤の維持を訴えているが、災害対応は前述したように、そもそも単独ユニット経営を認める限り、大漏れの問題であり、今回の要望によって災害対応に漏れが生ずる問題ではないし、質を云々するには、あまりにも他のサービスとの基準差が大きく、要介護3以上の利用者25名に対して、一人夜勤で対応している特養の存在から比べると、今回の変更は大きな問題とはならないと言えるのではないだろうか。

この議論はまだ結論が出ていないが、2ユニットのGHは、「夜勤1人+オンコール宿直者」で良しとする改正に進むことを応援したいと思う。

ただしGH関係者の皆様には、この基準緩和が実現するとしたら、それは報酬減の理由にもされるということをも覚悟していただかねばならない。それが証拠に過去の夜勤配置規準厳格化に際しては、加算が新設されたり、算定方法が緩和されるなどして、GHの報酬増とセットで行われてきているのである。

今回の改正だけ、夜勤の配置人員は減らしたけれど、報酬は上げますよという都合の良いことにはならないわけである。ここを間違った捉えていると、思惑が外れて経営が立ち行かなくなる可能性だってないとは言えないわけだ。

どちらにしてもGHは、介護人材不足の中で人件費だけではなく必要経費が増大しており、経営に大きな影響を及ぼしている。そんな中で大幅な報酬アップは期待薄であるのだから、こうした基準緩和によってコストを削減していく必要が高いと思うし、同時に運営コストの削減という意味で、固定費の見直しを図っていただきたいと思う。

GH経営者の方は、是非下記の案内の通り、リスクのない方法でコスト削減に取り組んでほしい。まずは無料見積もりで、運営費が年間どれだけ削減できるのかを確認してほしい。
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医療の手が届かない場所にも手は届く介護


今日の参議院本会議で、改正介護保険法案等が可決成立する。今後は成立した改正介護保険法に準拠する形で、来春の介護報酬改定議論が本格化する。

そこでは介護事業者の感染防止策が、報酬に上乗せ評価されるかどうかが一つの焦点となってくる。普段介護報酬アップには辛口意見の全国知事会も、6/1の介護給付費分科会では、その評価に賛同する意見を述べているが、果たしてどうなるだろうか。すべての介護事業所の全職員に手渡される慰労金が、今後の介護報酬にも反映され、職員待遇の更なる改善につながるのかどうかということにも注目しなければならない。

どちらにしても今現在も今後も、感染予防の対策は介護サービスの全事業種別で続いていくことになるわけだ。

ところで新型コロナウイルスの感染が全国的な広がりを見せたのは、2月の終わりころだったと記憶している。そのとき対策が必要になった過程で心配された問題の一つとして、認知症の方々が環境変化に対応できるかということがあった。具体的には、感染予防対策を理解できないことにどう対応するかということや、外出制限等の対策により混乱して症状が悪化するのではないかという懸念があった。

特に重度の認知症の方が多く生活している特養や、グループホームなどではその懸念が大きかった。

現在進行形のケースを含めてそれぞれを検証すれば、そうした懸念が現実となったケースも多い。一方では今現在でも対策が続けられるなかで、思ったほど認知症の人が混乱せず、新しい環境等に適応して、落ち着いた暮らしを送っているケースが多々見られる。

感染予防対策として一番重要となるのは、「手洗い」であるが、その必要性を理解できない認知症の人について、トイレのたびに正しく手洗いができるように誘導・支援できるかということが大きな課題となった。手を濡らすだけで手を洗ったと思い込む人が多い中で、ウイルスを洗い流すことができるように30秒以上もかけて手洗いをすることができるかという問題に対応して、介護の場では様々な試みが行われた。

排せつの直接支援が必要な人や、トイレ誘導が必要な人だけではなく、自力でトイレに行く人についても、排泄後にしっかり手洗いの支援を心掛け、ケアプランにその内容を明記するとともに、手洗いチェック表を作って漏れのないように支援するように徹底したところもあった。

手洗いに集中できず、すぐにその場を離れようとする人には、興味を引く話題で会話しながら手洗いを同時に行ったり、手洗い場所に認知症の人が興味を持っている物品を置いて、そこの居心地を良くする工夫を行なったり、あの手この手を酷使して十分な手洗い行為を日常化することに努めている事業所もある。

コロナ禍以前は、ややもすると見逃されがちであったり軽視しがちであった、「手洗い支援」について、コロナウイルス対策の中で工夫され、その支援方法が確立しつつあることは良いことだろうと思う。一方でいまだに手洗い支援がおざなりにされている事業所には、大いなる反省と対策を求めたい。

制限対応にも事業者間で大きな対応の差異がみられている。

面会制限や外出制限でストレスがたまらないように、人と人の間隔をあけてのグループワークの充実に努めたグループホームでは、従前より認知症に人の表情が豊かになっている。今まで以上に認知症の人に寄り添おうとする職員の皆さんがの姿勢と思いが、認知症の人の心にも伝わっているのだろう。

家族が面会に来れないことが、逆に認知症の人にとっては新たな落ち着きの環境につながったケースもある。認知症の人の中で徘徊行動がある人や、ホームの外に出ようとしてしまう人の中には、他の利用者の家族が訪問した時に限って、そうした行動をとる人がいたりする。自分に家族の面会がないという寂しさからなのか、あるいは普段見慣れない人がそこに居るという不安なのか、いずれとも知れないが、施設外から人が訪ねてくるたびに落ち着きを失う人にとっては、訪問者がほとんどいない環境は、さほどストレスにはならないことも分かった。

そうした人が落ち着いて暮らすことができる環境づくりに、そのことは大きなヒントを与えてくれる結果になったことだろう。

認知症の人の、「行動・心理症状(BPSD)」とは、認知症そのものがもたらす不自由のために、日常生活のなかで困惑し、不安と混乱の果てにつくられた症状である。だからこそ行動心理症状は、暮らしのなかで良くなりもするし、悪くなりもする。つまり認知症そのものは、今現在、治療も予防もできないけれど、認知症がもたらす症状はケアによって必ず良くなるということを、感染拡大予防策の中で、私たちは改めて気が付いている最中ではないのだろうか。

認知症の人をごまかすのではなく、単に話を合わせるのでもなく、認知症の人の世界を理解して真剣に共鳴することが大事だということに、あらためて気が付いている最中ではないのだろうか。

そして何より大事なことは、私たち自身が認知症の人に関心を寄せることであり、私たちの知識と援助技術に、人間愛というエッセンスを加えることであるということに、あらためて気が付いたのではないだろうか。
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認知症予防薬開発に進展ありのニュースに触れて


昨年5月に「認知症治療薬開発の悲惨な現状から思うこと」という記事を書いて、認知症の予防薬の開発研究が進展していない現状を指摘したところだ。

その記事の中でリンクを貼っている、「永遠の10年」という記事の中で、アルツハイマー型認知症の原因として有力視されている「アミロイド仮説」について説明し、その仮説に基づく予防薬の開発ができていない現状を指摘しつつ、そもそもその仮説が正しいのかどうなのかという疑問も呈した。

アミロイド仮説」については下記の説明を読んでほしい。(※リンク記事と重複するが、改めてこの部分を記してみる。)

脳内にはアミロイドβの前駆体である、「アミロイド前駆体蛋白」というものがあるが、これがセレクターゼという酵素によってばらばらにされて、分解排出されていくという過程が繰り返されている訳である。ところがアルツハイマー型認知症になる人の脳内では、この分解排出がうまくなされず、無害であるはずの「アミロイド前駆体蛋白」が、「アミロイドβ蛋白質」に変化する。

この「アミロイドβ蛋白質」は非常に凝集(集合し沈殿することをいう)しやすい特徴を持つため、脳内でどんどん凝集し、沈着(たまって固着すること)してしまう。ここがアルツハイマー型認知症の始まりとなって、この状態は実際に症状が発生する10年以上前から起こっていると考えられている。そしてアミロイドβ蛋白質の沈着から、次に、「タウ蛋白」という物質が細胞質中で線維化(繊維化)し、沈着し、神経が変質して神経細胞死が起こり、認知症の症状が出はじめ、神経細胞の炎症が広がることで、症状が進行悪化すると考えられる。

つまりアルツハイマー型認知症の発生のメカニズムを4段階に分けて考えると下記の段階分けができる。
1.ベーター蛋白質が増える。
2. タウ蛋白が増える。
3.神経細胞死が起きる 。
4.アルツハイマー病が発症する 。


ところで、この予防薬に関して京都大ips細胞研究所の井上治久教授(神経科学)らの研究グループ(以下、井上研究グループと略)が25日国際学術誌電子版に、『アルツハイマー病などの認知症の原因とされる異常化したタンパク質「タウ」の蓄積を抑える点鼻ワクチンを開発した』と発表した。

つまり上記で示した4段階のうち2段階目の異常化したタウ蛋白を取り除く抗体を作るための点鼻ワクチンを、井上研究グループは開発したわけである。

これまでも異常化したタウ蛋白をターゲットにして、それを死滅させる研究は行われていたが、大きな効果が出ていなかった。しかし井上研究グループが開発したワクチンを認知症を発症するマウスに1週間おきに計3回投与して経過観察したところ、脳内でタウに対する抗体が増加したり、異常化したタウの蓄積が大幅に減ったりしたことが確認できたという。また、行動試験ではワクチンの投与により認知機能の改善がみられたともされている。

これが実用化できれば、人類はアルツハイマー型認知症の発症から逃れられるかもしれないわけである。大きな光明と言ってよいのだろうか。

だが過去のワクチン開発研究でも、マウスによる実験で効果がみられたという報告は何度か行われている。アミロイドβ蛋白を攻撃するワクチン研究でも、それが激減しマウスの認知機能が改善したという報告もあったが、すべて実用化される前に何らかの重大な支障が生じて研究も放棄された経緯がある。人に実用実験した段階で、副作用のため治験者の死亡が相次いで実用化できなかった予防薬もある。

つまり現段階で、このワクチンが人類に光明をもたらすものであるかどうかは不明だと言うしかない。少なくとも今すぐに人に実用化されるワクチンができることは考えにくい。

しかしこのワクチンが人に実用化できれば、それは人類にとって計り知れない利益と言えるのだから、井上研究チームの今後の研究の進展には大いに期待したいところである。

※右肩上がりの介護を目指して・・・介護のさくらびとmasaの動画もご覧ください。


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運転技能検査の導入だけでは高齢ドライバー対策は不十分


去年まで天皇誕生日の祝日であった今日(12/23)は、今年から今上天皇の誕生日ではなくなったために平日となっている。

令和天皇の誕生月は即位前の2月だったのだから、今年は天皇誕生日の祝日がない年ということになる。その代わり5/1が即位日の祝日だったためため年間祝日数は前年と変わっていない。

今後12/23が祝日化される可能性はあるものの、今日は平日で普通の月曜日である。そのため多くの人が平常業務に就いているはずだ。うっかり今日も祝日と勘違いして、遅刻した人はいないだろうか。それどころか、まだ夢の中で仕事に行くのを忘れてしまっているという悠長な人もいるのだろうか・・・。

さて今年も押し詰まり、令和元年も残すところ僅かになっているが、振り返ってみると今年は一段と高齢ドライバーによる悲惨な死亡事故が多かった一年ではなかったかと思う。

その中でも特に記憶に残っているのは、4月に東京・池袋で母親と3歳の娘が犠牲となった事故である。一人残された夫が、死亡した妻と子供への思いを記者会見を通じて語る姿に涙した人は多いだろう。しかし加害者にはその思いが全く届いていないことに憤りを感じざるを得ない。

この事故の加害者も当時87歳の高齢ドライバーであった。加害者は事故当時は無職であったが、元々は東大を卒業し、1953年に通産省(当時)に入省したエリート官僚でもあった元院長である。重大事故を起こしても逮捕されない加害者を巡って、「上級国民」という言葉が一時流行した。(※不逮捕の理由は、実際にはそうした理由ではないそうである。)

元院長は認知症ではなく日常的に運転もしていたが、自宅マンションの駐車場でもうまく車を止められず、妻が外に出て、「もっとハンドル切って!」などと声を掛けることが常態化していたとのことであり、明らかに運転能力には低下がみられていたのである。

事故の際に乗用車が暴走した時も、助手席には元院長の妻が同乗していたが、事故現場に至る左カーブの辺りで妻は、「危ないよ、どうしたの!?」と声を上げる様子がドライブレコーダーに記録されていた。

事故からしばらくたって、被害者の夫があの哀しい会見を開いたあとで、元院長はJNNの取材に答えている。しかしそこで発言した内容とは、『安全な車を開発するようメーカーに心がけて欲しい、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい』という他人事のような発言に終始しており、自らの責任には全く触れていない。

それはまったくのKY発言で、そのコメントに憤りを感じた人は多いだろう。しかしこの発言が、元院長のパーソナリティから発せられたのだと考えるのも短絡的だと思う。むしろこうした発言しかできないほどに、認知機能が低下していたのではないかと考える方が、状況把握としては正しいのではないだろうか。

この発言に触れて思うに、この加害者は日常生活は普通に送っていたとはいっても、明らかに認知機能は低下していると言わざるを得ない。そうであっても運転という、「手続き記憶」だけで操作できる行為はできてしまうのだ。(参照:手続き記憶だけでは運転できない車を作ってください

しかしそうした人の運転する車は、すでに走る凶器であり、操作する人間も走る狂気である。

こうした問題をどう解決するのかが、来年以降ますます問われてくるだろう。何も対策しなければ、こうした事故は繰り返されるし、その数はもっと増えるだろう。そしてそこで尊い命が奪われる人とは、何の罪もない幼い子供であったり、将来ある若い人たちであるとしたら、それほどの社会損失はないとさえいえる。

しかもこうした認知機能低下のある人の運転行為を野放しにしておれば、自分がいつ加害者にも、被害者にもなりかねないとさえ言えるわけである。だからこそ一人一人の国民が、高齢者の運転からの勇退ということや、高齢になってさえも運転せざるを得ない地域社会というものをどう考えるのかということを、身近な問題として議論すべきではないかと考えるのだ。

自分自身だって、いつまでも元気で運転行為に支障なく暮らせるわけがないという観点から、対策を考えていかねばならない。

こうした死亡事故などを受けて、国は違反歴のある高齢ドライバーの免許更新時に、「運転技能検査の導入」を検討しているそうである。しかし免許更新時に事故歴のある人だけを検査しても事故を防ぐことはできない。現に池袋の元院長だって、それまで事故歴があるわけではなく、直前の免許更新時にその制度があったとしても、検査対象外とされたわけである。

そうであれば、こうした悲惨な死亡事故を本当に防ごうと対策するならば、一定年齢を超えた人はすべて、年単位の運転技能検査を受けるようにして、その検査に合格できない人は運転免許の取り消しという措置をとれるようにすべきではないだろうか。

同時に免許を取り消された人に制度の手を差しのべる仕組みが、地域包括ケアシステムとして求められる。例えば「介護予防・日常生活支援総合事業」には、「送迎サービス」があるが、このサービスは、買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人を対象できるのだから、こうしたサービスを普及させる対策をとるべきだ。

すべての市町村が、市町村事業として、ガソリン実費相当分を負担するだけで利用できる、「送迎サービス」を実施することで、免許返納を促進できる可能性があるし、強制的に免許取り消しを受けた人が暮らしに困らなくできるわけである。

運転免許を取り上げられたことがきっかけで、認知機能が低下する人もいるが、それを防ぐ手立ては、運転以外のやりがいを持ってもらうことが一番である。そうであればこの、「送迎サービス」は、喫茶店や集会所も巡回するなど、自治体が趣味活動を含めたニーズに柔軟に対応できることになっているのだから、地域社会の中で、高齢者が参加して認知機能の低下を防ぐ趣味・やりがい活動を同時に造る工夫をすることで、事故なく安全な地域社会で、高齢者が生きがいを持って暮らすことにつながるのではないだろうか。

来年以降の地域課題には、そうした視点を入れてほしい。そんなふうに地域包括ケアシステムの課題として、高齢ドライバー問題に取り組む自治体が増えることを期待したい。

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認知症新薬に何を期待すればよいのだろうか


僕は今、大阪に滞在中だ。

昨日は大分県日田市から移動し、16:30〜18:30まで天王寺の海外産業人材育成協会で講演を行なった後、今日は午前と午後に2本の講演予定が入っている。

そんなわけで先ほど大阪グランフロントで行われていた、「内田洋行主催 IT-Fair2019 in osaka」で、「介護施設の人手不足に打ち勝つ! 〜定着率向上とより良い介護への挑戦!」というテーマで講演を終えたばかりである。

介護事業における最大の経営リスクは、人がいないということであることは間違いなく、それに対して僕なりの提言をしてきた。

職員の募集に応募がある具体策なども話させていただいたが、しかし募集に応募が増えても、退職者が増えれば人材確保にはならないわけである。むしろ長く働いてくれる人をできるだけ多くすることが大事だ。そのための職場環境やシステムというものも存在している。その点もできるだけ具体的にお話ししたつもりだが、その点の理解はしていただけただろうか。

今日話した内容とは、実際に人員が充足する状態になったという事実に基づいてお話ししているので、決して架空の方法論ではない。あとはその取り組みを真剣に行うかどうかという覚悟の問題になる。そい言う意味で、僕の今日に話が人材確保に悩む介護事業者の方々に少しでもヒントを与えるきっかけになってくれることを期待している。

その講演を終えた足で、これから大阪介護福祉事業者協同組合主催・管理者、中間管理職向け接遇セミナーの講演の会場である、「クレオ大阪中央」に向かおうと思っているところだ。地下鉄谷町線に乗っていけばよいのだろうと思うが、今はまだグランフロントの控室にいて、この記事を更新しているところだ。

ということで本題。

製薬会社エーザイの株価が、先週23日にストップ高まで高騰した。その理由は、同社が医薬品メーカーのバイオジェンと共同で開発しているアルツハイマー病の新薬、「アデュカヌマブ」について、2020年に米国で承認を申請すると22日に発表したためである。

実は同社の株価がストップ高となったのは、2018年7月以来のことである。その時は「アデュカヌマブ」を早期のアルツハイマー病患者856人を対象とする治験で、18カ月間投与を続けた段階で、アルツハイマー病発症の原因とされる物質「アミロイドベータ(以下、Aβと略す)」が患者の脳内から減少しているとの結果を得たとして、同社がアルツハイマー型認知症の症状の進行を抑える効果が確認できたと発表したことをことを受けた株価の上昇だった。

このようにアデュカヌマブは前述のAβで最も毒性が高いとされる脳内のプラークを標的にしている新薬で、アデュカヌマブを投与した患者の脳内ではAβ量が徐々に減少することが明らかになったのである。

しかしその後、同社は「アデュカヌマブ」の臨床試験の中止を発表していた。当然株価はそのあと下がることになったわけであり、そんな経緯の後で突然のように発表された今回の新薬承認申請方針は関係者に驚きを持って迎えられている。

認知症の新薬については、このブログ記事でも再三その話題を取り上げており、「認知症治療薬開発の悲惨な現状から思うこと」でも、なかなか有効な新薬ができないという問題を指摘していた。

今回の新薬申請が、「永遠の10年」打破するきっかっけになることを期待する人も多いと思う。

しかし治験の効果は、「わずか」でしかないという評価もある。一度臨床試験を中止した後に、突然の承認申請という経緯もあって、その効果を疑問視する向きもある。そもそも「アデュカヌマブ」の効果とは、認知症の予防や治療にはつながらず、症状の進行を抑える効果しかないという評価もある。

しかし新薬によって少しでも症状を抑えられたとしたら、その先には寿命まで症状が重篤化しないという可能性も生まれる。つまり新薬の効果によって、認知症の症状が現在見られている一般的な重篤症状になる前に生涯を終える人が出てくるかもしれないのだ。

それは認知症の人をケアする家族等にとっては、介護負担が重くならないという効果にもつながるかんぉう性があり、その効果に期待しないというのはおかしなことだ。

そういう意味でも、新薬が今後どのように臨床場面で活用されるのかを注目していきたいと思う。

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マンツーマン介護で可能となる業務省力化


介護業務の効率化を狙って、業務を分担することが必ずしも業務の省力化につながらずに、逆に業務ロスを増やして業務時間が長くなったり、分担するがゆえに人数がそろわないと分担業務が始まらないという弊害を、「介護の質を上げる工夫の具体例(入浴支援2)」という記事の中で指摘した。

逆にいえば業務を分担せず、一人の職員で一つの業務を完結することができれば、臨機応変にこなせる業務というものがあるわけである。もっともこのことがわかりやすい例として、認知症の人の介護拒否場面を考えてみよう。

認知症の人は様々な理由で、様々な状況において、必要な支援行為を拒否することがある。それは本人にとっては理由のある拒否なのであるが、必要な支援を行なえない介護支援者にとっては、非常に大きな介護負担であり、ストレスにもつながることが多い。

食事拒否、排泄介助拒否、誘導拒否、様々な拒否が考えられるが、拒否するからと言って無理に行為を行うことで、さらに認知症の人の心には壁ができて、介護をまったく受けようとしなくなるかもしれない。だから介護拒否への対応はデリケートである。無理やり力づくで、しなければならない行為を終わらせるわけにはいかないのである。

だからこそそうした介護拒否場面では、認知症の人の過去の生活習慣に思いを馳せ、日ごろの行動パターンを思い浮かべ、現在の感情のあり様を慎重に見極め、介護拒否する理由は何かといううことを探り、その理由にアプローチするという、根気のいる頭脳労働・知的対応が求められるわけである。

しかし根気よく理由を探る過程で、何となくその理由が見えてきたりする。例えば介護を拒否する理由が、認知症の人を子ども扱いするような不適切な支援者の言動であったり、ご飯の時間だから食堂に行きましょうと言われ連れていかれたのに、ご飯が食卓に出てくるまでに1時間以上もかかり、その間何の説明もなく放置された経験であったり、挨拶もなく部屋に入ってきた介護職員に対する怒りであったりすることもある。

そのような介護側の問題対応のほか、便秘でお腹が苦しいのに、その理由がわからない認知症の人が、そのことでイライラしていたり、個々がどこかわからない混乱の中にいる不安の中で、風呂に入りたいとも思わないし、ご飯を食べるどころではないという風に、その人自身の身体・精神状況が理由になっている場合もある。

そうした理由を想像して発見することが何よりも重要である。

そして発見できた様々な混乱と不安に、うまくアプローチできたときに、認知症の人の気分が突然変わり、「したら風呂入るべか」と言ってくれたりするときがある。その時に分業でしか対応できない場所では、その気分の変化に対応できずに、「少し待っててください」と言っていいるうちに、タイミングを逃してしまうことがある。

そうなると再度そうした気分に持っていくために、どれだけ時間がとられるかわからない。分業しなくても、マンツーマンでの対応ができる場所であるなら、こうした気分の変化に即応した対応が可能になり、そうした対応が日常的に可能な場所では、「日課」にとらわれないサービスの提供が可能になる。

日課にとらわれなければ、特定の時間帯に介護をしなければならないという強迫観念に縛られずに済むから、特定の時間帯に何かをしようと、認知症の人に、「説得」し続けるという無駄な時間が無くなる。それだけでも大きな業務の省力化と言える。

そもそもユニットケアとは日課のないケアのことであり、それは業務の都合に合わせてケアサービスを提供するのではなく、利用者のニーズや都合に合わせてケアが提供されることを意味する。

勿論、日課にとらわれないと言っても、生活リズムの乱れは無視してよいということではないが、(参照:小規模施設の経営者が陥りやすい落とし穴3〜日課のないケアサービスの意味)、気分を無視した日課へのとらわれを捨て去ることによって、業務はよりスムースに回ることも多いし、なにより日課をこなさねばならないという介護提供者のストレスが軽減され、それは介護職員の心身の疲弊を防ぐことにつながっていくという効果にもつながっていく。

このように分業絶対主義から抜け出して、マンツーマンで介護が可能となることによって、業務省力化がすすめられるという視点から、介護の在り方・やり方を見直しても良いのではないだろうか。

大手介護事業者のメッセージが、介護業界から撤退しなければならなかった最大の理由は、同社が開発したアクシストシステムという、15分刻みで日課をこなす介護方法により、職員の心身が疲弊していった結果であるとも言われている。

そうしたことも反面教師にしながら、もう一度便利だと言われる分業を見直しながら、原点回帰の介護の方法論を考えていく必要があるのではないだろうか。

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スピーチロックを失くするために求められるもの


自分が良かれと思って行動しているのに、それを全否定されるかのように非難されたらどう思うだろう。

自分が何かをするたびに、「危ない」・「ダメ」・「何してるの!!」と叱られるとしたら、どんなことを考えるだろうか。

自分が何かしようとするたびに、誰かが自分の行動を見張るようについてくるとしたら、どう感じるだろう。

そのような状態に置かれた人は、周りの人は悪意を持った人ばかりだと思うだろう。そんな場所には居たくないと思って、どこか別の場所に行こうとするだろう。自分が何も悪いことをしていないにもかかわらず非難し、罵声を浴びせる人は、自分を攻撃する悪者にしか思えないだろう。その罵声に耐え切れず、思わず声を荒げ、場合によっては衝動的に殴り掛かるかもしれない。

そのような状態に常に置かれているのが、「認知症の人」の現実ではないだろうか。

動かないで、しちゃだめ、立たないで、ちょっと待って、という言葉の拘束をスピーチロックという。このスピーチロックは、認知症の人にとってストレスそのものである。

認知症の人は、自分の視線の範囲にコンピューターがあったとしても、それが何かわからない。コンピューターから伸びている各種コードは、誰かがひっかけて転んでしまう危ない障害物に見えているかもしれない。だから、「善意」でそれを片付けようとして、コードを引っ張ってしまう。

そうした善意の行為であるにもかかわらず、いきなり大声で、「ダメ〜!!」、「何してるの、やめて!!」と怒られるのである。その言葉は、自分の行動を監視する悪意ある誰かが罵声を浴びせている言葉としか思えない。だからこんな場所には居られないと、どこかへ行こうとするのだ。そうするとその人は、徘徊行動があって離設の恐れがあるというレッテルを貼られてしまう。

しかしそれはスピーチロックという、不適切な対応によって引き起こされた問題であり、行動・心理症状(BPSD)は、認知症の人の問題というより、不適切ケアの結果であり、不適切な関わり方をどうにかしなければならないという問題なのである。こうしたスピーチロックを失くすことで、行動・心理症状は軽減するのである。

「ちょっと待って」という言葉は、「〜しているので、ちょっと待ってもらえますか?」と言い換える必要がある。

「座っていて」という言葉は、「〜すると危ないので、座っていていただけますか?」と丁寧に説明を加えて、お願いする言葉に換える必要がある。

このように言い切りではなく、相手に尋ねるような形をとると「相手に選択権がある」話し方になる。それは介護サービス利用者に対するマナーを意識した言い換えと言えるだろう。

認知症の人の記憶は毎日失われる・・・というより、アルツハイマー型認知症の人は、脳の器官の中で、情報処理をつかさどる海馬の機能が失われてしまっているので、新しい情報を記憶できない。

認知症の人であっても感情の記憶は残るが(感情の記憶は小脳がつかさどっているためである)、人の顔や名前の記憶(意味記憶)と近直の出来事の記憶(エピソード記憶)は残らないから、昨日対応したあなたが、昨日の時点で認知症の人に受け入れられたとしても、今日は認知症の人の記憶の中に、あなたという人物は存在しない。

だから昨日通じ合った認知症の人にであっても、朝最初に出会った瞬間のあなたは、「知らない誰か」でしかない。

知らない人に突然ため口で、馴れ馴れしく話しかけられたら、あなたはうれしいだろうか?見知らぬ誰かが、朝元気に大きな声で挨拶したら、この人だれ?という警戒心が先に来るのではないだろうか。

だから職員が朝最初に出会ったときに元気に笑顔で「おはよう〜!」というのではなく、人生の先輩である利用者に対して挨拶するのだという気持ちを忘れずに、認知症の人にはゆっくり近づいて、丁寧に「おはようございます。」と挨拶すべきである。それもできるだけ驚かせないように、静かにゆっくりと云う方が良い。

それはとりもなおさず、認知症の人に対しても、サービスマナー精神を持って接する必要があることを表していると言ってよいだろう。

認知症の人は記憶や見当識の障害があると言っても、何もわからなくなているわけではない。説明すればわかることもあるし、納得できることもあるのだ。理解して納得した状態が長い時間続かなくとも、すぐ忘れて同じ行動を繰り返したり、同じことを尋ねたりしたとしても、その都度説明することで安心したりできるわけである。

それは決して無駄ではない。なぜなら尋ねて答えてくれた内容は記憶できなくとも、答えてくれる安心できる人がそこに居ることは、感情の記憶だから、小脳にその記憶は残されるわけである。

あの人はいつも優しく答えてくれる人という感情の記憶は残るから、その人の顔と名前を忘れて、朝の挨拶の時に怪訝な顔をしていたとしても、会話を交わすうちに感情の記憶がよみがえってくるから、この人は安心と思ってくれるわけである。安心する状態に、昨日より今日の方が短い時間で達することができるのである。

介護サービスの場で認知症の人が感じていることがある。

「ここはどこなのだろう、自分は何故ここにいるのだろう、どうやってここに来たのだろう。」
「ここは何で年寄りばかりなのだろう。」
「ここは病院なのか。どして自分がこのような場所にいなければならないのか。」
「あの若い人は何故自分の名前を知っているのだろう。」
「何か薄気味悪い。どうして自分の後を、知らない人がつけてくるのだろう。」
「知らない人が、なぜ自分に馴れ馴れしく話しかけてくるのだろう。」
「年下の人間がなぜ自分に横柄な言葉や態度で接してくるのだろう。」

認知症の人の行動が理解できなくなった時、認知症の人は今、こんな風に感じているのではないかと思い起こすことで、我々が今しなければならないことが見えてくるかもしれない。

認知症の人の行動受容とは、こんなふうに認知症の人の立場に立って、考えてみることから始まるのではないだろうか。

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認知症治療薬開発の悲惨な現状から思うこと


認知症の予防薬・治療薬の開発は、認知症の中で一番患者数が多いアルツハイマー型認知症をターゲットにして、その研究が進められている。

アルツハイマー型認知症は、脳内活動で生成されたアミロイドベータたんぱく質が、本来は正常に排出されるはずなのに、何らかのエラーによってその排出が妨げられ、脳内に異常貯留してしまうことが発症原因であるとする、「アミロイドベータ仮設」に基づいて、アミロイドベータが溜まらないように、それを分解するなど、脳内を正常に保つためのワクチンなどが研究されているわけだが、その研究成果はさっぱり挙がっていない。

そのため、「認知症の予防薬・治療薬が10年以内にできる」と言われてから10年経過したにも関わらず、その研究開発が進んでいないことを嘆いた、「永遠の10年」という記事を書いたのは、2012年8月のことである。
アルツハイマー型認知症が発症するメカニズムについては、この記事に詳しく書いているので参照願いたい。

その記事を書いてさらに6年9カ月が経過しようとしているにもかかわらず、認知症の予防薬も治療薬も実現の目途さえ立っていない。永遠の10年がずっと続いているわけである。

むしろこの間に認知症の予防と治療につながる新薬開発は、停滞というよりも絶望に近い状態に陥っている。

ネット配信記事『焦点:アルツハイマー病、新薬開発足踏み エーザイの「雪辱戦」』でもその悲惨な現状が伝えられているが、この記事を読んでもわかるように、いくらエーザイの社長が後期臨床試験に入る薬剤について、「成功確度は高いと考えている」と述べても、その言葉に現実感が伴わず、新薬開発の期待感は漂ってこない。むしろそのような新薬は実現不能な、『夢の薬』としか思えなくなりつつある。

本当に将来、認知症の予防・治療薬ができるかどうかはわからないが、少なくとも僕が生きている間に、その恩恵を受けることは難しいのではないかと思っている。だから僕は自分が将来認知症になることに備えて、今からできるいろいろなことをしようと思う。

まず家族に伝えておかねばならないことがある。自分が認知症になったら、家族だけでケアをしなければならないと思い込まずに、認知症のケアの専門家に任せなさいと言っておかねばならない。GHや特養に入所させたって全然かまわないと言っておかねばならない。

だからこそ認知症になった自分の面倒を見てくれる認知症介護の専門家を養成しておかねばならない。僕が育てている「あかい花たち」がそのころ何本になっているかはわからないが、その花たちにはしっかりと認知症の理解を促し、ケアの方法論を伝えていかねばならない。

認知症になったとしても、人としての尊厳が変わるわけではないという理解を促して、認知症になった人の尊厳や権利が守られるケアの方法論を伝えておかねばならない。

認知症は誰もがなり得るもので、それは老化に伴う自然現象なんだから、自分や家族がそうなったとしても、決して恥じることなく隠すことなく、共に生きる社会を創っていくように啓蒙していくことも必要だ。

最近の僕の講演テーマとしては、「看取り介護」とか、「サービスマナー」とか、「介護保険制度論」が多くなっているが、そもそも僕が北海道以外で最初に講演したテーマは、「認知症の人に対するケア」であり、僕が介護福祉士養成校で最初に受け持った授業も、「認知症の理解」である。認知症サポーターキャラバンでは、サポーター講座を開催できる「キャラバンメイト」を養成する講座の講師も務めていた。

つまり僕は「介護の視点から考える認知症の理解とケア」の専門家なのである。勿論、その理解の中には脳科学的な認知症発症のメカニズムの理解も含んでいる。

だから今後は認知症に関する講演も今までより増やしていこうとも思っている。手始めに地元で市民に向けた「認知症を理解し、認知症の人とともに生きるための講座」を開催しようと企画中である。

その講演では、認知症の人でも運転行為ができてしまう理由も説明しながら、運転行為ができても、正常な運転ができるわけではないことや、判断力が低下した状態での運転がいかに危険であるかということも伝えなければならない。自分自身で運転からの勇退年齢を決めておくことの重要性や、それができない人に対して家族が運転行為をやめさせないことには、幼い子供や若者が、判断力の低下した高齢者の運転によって、尊い命を奪われるという悲劇がなくならないことを伝えたい。

僕自身も今のうちから自動車の運転は70歳で勇退することを決めて、そのことも家族に向けて宣言し、それ以前に認知機能の低下に家族が気が付いたら、すぐに運転させないように強引な措置でも何でも取るように言っておかねばならないことは言うまでもない。

どちらにしても、医学的アプローチはその道の専門家に方策を委ねなければならないが、僕たちは対人援助の専門家として、認知症という症状を理解・啓蒙し、認知症という症状を持つ人の尊厳と暮らしを護るための様々な活動を続けていく必要がある。

認知症の人の暮らしを護るために、ケアの手が届くところはまだたくさんあることを信じる必要がある。

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能力の衰えを自覚してからでは遅い運転からの勇退


4月19日に東京・池袋で87歳の男性が運転する乗用車が赤信号を無視して走行、歩行者をはねるなどして10人が死傷する事故が発生して以来、高齢ドライバーの運転という問題がマスメディアで様々に取り上げられている。

この事故に巻き込まれて死亡したのは31歳と3歳の母娘だった。ただ道を歩いているだけで、突然命を奪われるという悲劇が、高齢ドライバーの運転能力の衰えによって引き起こされたとしたら、こんな不運なことはない。一人残された夫の記者会見に涙した人も多いだろう。

このように高齢ドライバーの運転ミスによって、幼い命が奪われる悲劇が後を絶たない。

そうした事故の一番の原因は、ドライバーの認知機能の衰えである。免許更新時の認知機能検査で正常だからと言って、運転に問題がないと考えるのは早計である。認知機能の衰えは緩慢に進行することが多いが、判断できる事柄が、判断できなくなるという状態は、ある日急に引き起こされるのである。その状態が軽度であったとしても、その時に運転行為を行った場合、車はそのまま凶器になるのである。

よって検査で正常・異常を決めるのであれば、運転を行うたびにその直前に検査をし続ける必要がある。そんなことできないのだから、認知機能低下リスクの高い年齢になった場合には、一定年齢で線引きして運転からの勇退ということを考えねばならない。

しかしなかなかその判断ができない人が多いのが現状だ。池袋の事故の加害者も、運転をやめようと考えていた半面、自分の運転技術には自信があったことで、その決断ができなかったことが今回の悲劇につながっている。

本人が運転をやめようとしないときに、家族がいかに運転をやめさせるかも問題となるが、「運転する権利」を主張された途端に家族の介入の力は弱体化する。介入根拠となる社会的制限規範が必要なのである。

損保ジャパン日本興亜によると、年齢が上がるにつれて、運転への自信が高まるという調査結果もあるという。そのために自分の衰えを自覚するには、自分の運転を客観視することが必要だと論評する報道記事がある。しかしどのように客観視するかという具体策は示されていない。

そもそも認知機能が衰えてきている人が、そのような客観的判断が可能だというのだろうか。それは不可能である。だからこそ運転免許を与える年齢上限設定という方策も議論される必要がある。

判断力には個別の違いが大きいという反論があるだろうが、日本全国でこれだけ多くの高齢ドライバーの事故が引き起こされ、それによって前途ある幼子や若者の命が奪われている状況を考えると、個別性云々はこの際おいておいて、一律の制限ルールを設けて社会を安全にするという考え方も必要だ。

悲劇を防ぐために、高齢者は一定年齢になれば運転から勇退するという社会の方が平和で健全ある。

同時にそれは、高齢者が自ら車を運転しなくても良いような社会を創らねばならないということと一体的に考えていかねばならない。

このブログでは、高齢ドライバーが引き起こす悲劇等の状況について、様々な形で問題提起をしている。(参照:「認知症高齢者の運転に関する問題」)

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科が中心の医療法人であった。そこには認知症の高齢者がたくさん入院していたが、その中には一日中孫の名前を呼びながら、孫を探すように病棟を徘徊し続けている男性高齢者がいた。

しかしその人が探し続けている孫とは、その人が10年以上前に車でひき殺してしまった被害者である。自分の事故で孫をひき殺したという記憶を失って、その孫を探して10年以上も徘徊している人がいるのだ。しかしその事故が認知症によって引き起こされたからと言って、家族がこの男性を許してくれるということにはならない。

殺された孫の父親は、この男性の長男である。その長男も妻も病院に面会に来ることはない。妻もなくなっている男性は、すべての家族との関係性まで失ってしまっている。

認知症という状態になって、それでも車の運転をやめることができなかったことで、こういう悲劇が繰り返されるのである。それは月単位どころか、週単位で発生しかねない状態になりつつある。

実際に運転能力が衰えてから運転から勇退すればよいと考えている人も多いようだが、運転能力の衰えを自覚できるのは、実際に事故を引き起こしたときである場合が多い。それでは遅いことは池袋の事故が証明しているのである。

だからこそ例えば70歳の運転年齢制限などが、真剣に議論される必要があるのではないかと考えるのである。

この問題はもう待ったなしの時期に来ている。

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認知症の症状緩和に利用されている馬油の使い方について


馬油と書いて、「ばあゆ」と読む。その馬油は古来から皮膚治療等の民間薬として使われてきたほか、育毛剤としても使われてきたようだ。

馬油の不飽和脂肪酸の保温・保湿効果、セラミドの血行促進効果により肌を活性化するが、この肌を守る効果は頭皮にとっても同じである。薄毛の原因は様々だが、頭皮環境を整えるということでは馬油はすばらしい効果を発揮するらしい。神奈川の岡さんに勧めたいものだものだ・・・。

そのほか馬油には不飽和脂肪酸の美肌効果や血行促進効果があることが広く知られている。 

ところでプロ野球やJリーグ、プロテニス界、ゴルフプレーヤーなどでマッサージの際に馬油が使われていることを皆さんはご存じだろうか。

馬油には筋肉の疲労回復効果があり、疲れた筋肉に馬油を塗ることで肌の表面の血のめぐりが良くなる。血流がよくなり代謝もよくなるのである。このように馬油は「血行」と「代謝」という疲労回復に欠かせない2つの要素を促進する力をもち、マッサージオイルとして採用されているのである。特にプロのアスリートには、運動する前後の両方のマッサージに馬油が使うことが効果的であるとされているほか、プレー後の疲れをとるのに、お風呂上りに馬油で全身マッサージも推奨されているところだ。

そのような馬油が、介護の場面でも使われるようになった。札幌市で行われている認知症サポーター養成講座では、馬油アロマオイルを用いて家庭で実践できるハンドケアを体験する時間が設けられたりしている。

認知症にはアロマテラピーが効果的であると言われる所以は、嗅覚の刺激に関係深いととされている。嗅覚という神経は、他の脳神経よりも再生する能力が高いことから、適切な香りによる効果的な刺激は機能を回復させやすいといわれている。嗅覚の神経が活性化されれば、海馬も活性化し、認知症の予防や行動・心理症状の緩和が期待できると言われているのである。

認知症の人に対しては、馬油を使ってハンドケアを行うことで、血流改善による新陳代謝改善等の体質改善、精神の安定や介護者との信頼関係の構築につながる可能性が指摘されているのである。

札幌で活動しているある介護支援専門員の方は、『新介護の時代は介護する側も癒される必要がある。認知症は20年前から発症するといわれておりその予防として世代を超えた相手と自分でハンドケアで介護の一歩をはじめてはいかがでしょう。』と馬油によるハンドケアを推奨している。

アロマオイルが馬油である利点性としては、馬油は人間の皮脂に一番近いものとされており、浸透率が高い点が挙げられる。また人の体温でとろけるように融解しニオイがなくベタつかない点も利点だ。特に添加物なしの100%馬油の場合、アロマテラピー(ハンドケア)に適しているだけでなく、乾燥肌の改善という効果も期待できる。また高齢者はオイルを塗るという経験に対しなじみが薄いかもしれないが、昔から民間治療として使われていた馬油にはなじみがあって受け入れやすいという傾向にも注目できる。

そういう意味で、馬油というキーワードは、コミュニケーションの潤滑油にもなると言えるかもしれない。

北国馬油
画像は100%純粋馬油【北海道クリスタルBAYU】という製品だが、その特長は次のように紹介されている。

・人間の皮脂に最も近い成分の為、強力な浸透力で皮膚の隙間に皮脂が満たされ潤います。
・不飽和脂肪酸(オレイン酸、パルミトレイン酸、リノール酸、リノレン酸)が多く含まれ皮膚に潤いと張りをもたらします。
・炎症を沈め、熱を取り去るので軽度のやけど、日焼けにも良い。
・抗酸化作用や殺菌作用がありニキビ、水虫にも良い
・馬肉は食用として用いられています。当然、馬油も食べることが出来ますので誤って口に入れても安全です。

僕は来週、5月24日(木)の午後に、神楽坂で行われる東京都社会福祉協議会主催・機能訓練指導員研修で講師を務めるが、たまたまこの試供品が手に入ったので、特養や通所介護等で機能訓練指導員として活躍されている皆さんに、それをお土産として持参したいと思っている。

それぞれの皆さんが機能訓練指導員として活動する場で、是非一度、この馬油をお試しいただければと思う。それだけ優れた効果が期待できるという意味である。

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認知症診断で運転免許を取り消す法律について


改正道路交通法では、75歳以上の高齢者が運転免許の更新時か違反時に「認知症のおそれあり」と判定されたら、例外なく医師の診断が必要になり、認知症であると診断された場合、運転免許は失効・取り消しとなる。

このことについて診断を求められる医師の側から、様々な反対の意見が挙がっている。

「運転免許の取り消し」とは、高齢者の移動手段を奪いかねないことであり、そうした重大な問題につながる診断を、短期間で行うことは不可能だという意見。認知症だからと言って、正常な運転ができないわけではないので、認知症=免許取り消し、はあまりに短絡的で乱暴な考え方だとする意見・・・etc.

認知症の人の権利を護るという言う意味で、それらの意見も正論であるかのように聞こえる・・・。しかし認知症の人が運転ができるという意味は、認知症になってエピソード記憶や意味記憶が衰えても、それらとは回路が異なる手続き記憶が比較的最期まで残るために、運転動作は可能だという意味だ。この場合、運転ができても様々な判断能力が衰えている場合が多い。

勿論、そうでない人もいるのだろうが、運転に支障をきたす認知症か、そうでない認知症かという診断は不可能だ。そのことは実際に、日常的に運転していないと判断できない。

しかしその結果、正常な運転操作ができないことが分かった時点で、すでに事故を起こしているとしたらどうなるのだろう。その事故の結果が、尊い人命を奪ってしまっていたとしたらどうなるのだろう。

現に、毎年のように認知症のドライバーが運転する車により、引き起こされた事故で亡くなっている方がいる。

2013年6月4日、東京都狛江市の市道で、35歳の主婦が乗る自転車に軽乗用車が追突、自転車を引きずったまま100メートル先の民家の塀に衝突した事故では、自転車の後部座席に乗っていた2歳の女の子が頭を強く打って死亡している。現行犯逮捕された72歳の自営業の男性は、自転車にぶつかる200メートル前にも塀などに2回衝突していた。容疑者の親族は「認知症を患っている」と話しているというが、本人にはその自覚がなく、逮捕後も事故の記憶を失っているという。

2014年11月えびの市の県道で、76歳の男性が運転する軽トラックが路側帯に突っ込み、下校中の児童3人を次々にはねた。認知症の症状があり、医師や家族から運転をやめるよう注意されていたが、聞き入れず運転を続けていた。

2015年10月28日、73歳の男性が運転する軽乗用車が、宮崎市の歩道を約700メートルにわたって暴走。歩行中の女性2人が死亡、男女4人が重軽傷を負うという悲惨な事故が起きた。男性は数年前から認知症の症状があり、症状が出た後、複数回交通事故を起こしていた。

このような事故は、挙げればきりがない。中には自分の孫をひき殺し、その記憶がなく、入院先の精神科病棟でかわいい孫を探して徘徊を続ける認知症の人もいる。

それらのことを考え合わせると、一定年齢を超えた場合、認知症であるかないかという診断を線引きとして、運転免許を取り消すというルールは必要ではないのか。

認知症診断で免許取り消しに反対する医師の方々は、それなりの見識をお持ちの、まじめな方々だと思うが、あまりに悠長だ。認知症ドライバーにより引き起こされた事故によって、幼い子供などの肉親を失った方などからいえば、認知症とわかっている人に対し、事故リスクのある運転行為をやめさせないこと自体が罪深いということではないか・・・。

認知症の診断が、高齢者の「生活の足」を奪うことを問題視する人がいるが、そうであれば認知症診断により、運転免許が取り消された高齢者に対し、その情報を地域包括支援センターに送り、関係者が自家用車を運転士しなくなった後の、「生活課題」を話し合って対策するシステムを作ればよいではないか。それが本来の「地域包括ケアシステム」ではないだろうか。

一見、認知症の人の権利を護ろうというかのような、「認知症=正常な運転ができないわけではない」という意見は、その周囲に果てしなく危険なものを残存させ、尊い命の危険をばらまくものでしかない。

認知症だからと言って正常な運転ができないわけではないが、その状態ではいつ、判断の衰えで悲惨な事故を起こしかねないのだから、もう運転からは引退して、地域サービスによって生活に必要な移動手段を確保しましょう、ということでよいのではないだろうか。

そうすることが、超高齢社会の知恵ではないのだろうか。

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カンフォータブル・ケアとは何か。


医療機関の職員の言葉に違和感を覚えた人からのメール、から続く)
カンフォータブル・ケアとは、北海道札幌市の北仁会・旭山病院の看護師長である南敦司氏が命名し、同病院で実践されているケアだそうである。

それは認知症の人に、心地良い快刺激を与えるケアとされており、認知症の人の行動・心理症状(BPSD)を鎮静化するとともに、看護者・介護者にとっても、ストレスフルな感情の払拭や、患者への陽性感情をもたらし、技術を高めるプロ意識の発生とモチベーション向上により、燃え尽き防止にもつながっていくとされている実践法である。

僕はその方法論を専門的に学んだことはないので、正確にその方法論をここで示すことはできないが、カンフォータブル・ケアを実践している看護師さんなどを見ると、認知症の人に対して、笑顔で視線を合わせて接していることが分かる。笑顔は人に伝染するということの実践ではないだろうか。そのことは日ごろ僕が示している考え方とも共通する。(参照:笑顔はプロの心得なり

そして認知症の人に話しかける言葉も、敬語であることが分かる。

認知症の人は、毎日親しく接する看護職員・介護職員であっても、毎日その人の顔を忘れてしまう。そのためいきなりタメ口で話しかけられたら、恐怖か不快しか感じないのである。カンフォータブル・ケアの基本は、快刺激を与えることなのだから、言葉がそのことに重要な役割を果たしているという意味は、いかに敬語・丁寧語以外が認知症の人にとっての不快要因であるかの証明であり、そのことは僕の提唱する、「介護サービスの割れ窓理論」とまったく同じ考え方であるといってよいものだと思う。

さらにカンフォータブル・ケアの実践者を見ていると、適切なスキンシップを大事にしていることも分かる。そして快刺激を与える=その人にとって不快な話題はできるだけ避ける、ということにも注意が向けられている。

認知症のケアの方法論として、バリデーションとか、パーソンセンタードケアという考え方があって、利用者を中心に、利用者本位で考えることが、認知症の人の気持ちを理解するために求められることであることは広く知られているが、同時に関わる看護・介護職員等の表情を含めた接した方を、快刺激・不快要因として重視する方法は、対人援助のプロの自覚を促すという意味でも、とても優れた方法に思える。

このように医療と看護の現場が、薬剤に頼る治療ではなく、看護者としての自分たちの対応の仕方により、認知症の症状を改善する取り組みがされ、その中で看護のプロとしての対応方法として、正しい言葉遣いがされるようになってきているわけである。

本来この方法論は、介護の現場でこそ先進的に行われるべきではないのだろうか。いや、それはどっちだって良いが、すべての看護者・介護者が、親しみやすさと勘違いして使う、馴れ馴れしい無礼な言葉が、言葉をかけられる人にとっては不快要因であることを自覚して、新しい言葉のスタンダードを作っていくという意識に目覚めてほしい。

そしてせっかく看護の専門家が、そのようなケアを実践している場においても、それを見習って同じ言葉遣いをしようとしない介護職員が居ることを恥じてほしい。

今現在、教育課程でも、資格取得過程でも、看護のそれは介護より高いレベルにあるというのが常識だ。そのような中で、誰でも実践可能な言葉の改革さえも遅れをとるようなら、介護職員の大幅な待遇改善など期待できない。介護を悔悟にしないためにも、看護の場に負けない適切な言葉遣いを7、介護サービスの場からの発信としていく必要があるのではないだろうか。

看取り介護セミナー
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認知症スケールでは、被検者をごまかす対応が求められるのか?


認知症の診断に利用される、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)やミニメンタルステート検査(MMSE)では、検査当日の年月日と曜日を問う項目がある。

具体的には、「今年は何年ですか」と問いかけ、元号も含めて何年か正しく答えられる場合に1点、そうでない場合に0点となる。「今日は何月何日ですか」という質問と、「今日は何曜日ですか」という質問も同じように判定される。

ところでこの項目について、或るサイトでは次のような批判をしている。

この質問に正しく回答することができた高齢者は、自分の認知能力が疑われていることがわかるので、不快な思いをします。逆に、この質問に正しく答えられなかった場合、高齢者は、自信を失ってしまうのです。これは、介護本来の目的とは真逆の結果です。

その上で対策として次のようなことが書かれている

べテランがこの質問をするときは(なるべく)相手に直接的には質問しないそうです。たとえば、自分のほうが今日について忘れてしまったふりをします。「あれ?今日って、何月だったっけ?あれ?あれ?」といった状態を高齢者に見せます。その上で「何月でしたっけ?私、すっかり忘れちゃって・・・」といった質問のしかたをします。

はあっ・・・。この内容を読んでなるほどと思う人がいるのだろうか。この検査を行う立場の人は、ここで書かれているベテランの対応が優れていると思うのだろうか。

僕は全くそう思わないし、被検者をずいぶん馬鹿にした対応にしか感じられない。

検査に携わる者は被検者に対して、常に真摯に接する必要があると思っている。そうであれば検査の意味やその内容をきちんと説明する責任があり、認知症スケールであってもそれは同様で、質問内容の中に認知症かどうかを判断するために、人によっては失礼と感じる設問・問いかけがあるかもしれない場合は、そうした質問が含まれていると断った上で、その意味や必要性を十分説明し検査に当たれば、認知症ではない人が、その質問によって不快になることはない。

認知症が疑われる人がその質問に答えられなかった場合にも備えて、今できることとできないことを明らかにすることで、治療効果が挙がることを伝えれば、自信喪失でデメリットのほうが大きくなるということにもならない。そもそも後者の自信喪失に関して言えば、どのような質問の仕方をしたとしても、答えられないという結果が同じなら、質問の仕方でその結果に対する被検者の気持ちが大きく替わることはないだろう。気持ちに変化が出るのは、質問の仕方より、説明のしかたによるのだということがなぜ理解できないのだろう。

直接的には質問しないことによって、検査で問いたい意味が十分に伝わらない恐れがあることも問題だが、それより質問内容を直接的に伝えないということは、その意味するところも直接的に伝えていないということである。

この考え方はずいぶん上から目線である。被検者が検査の正しい意味や内容を理解できず、誤解するという思い込みにしか過ぎない。そうしないようにする為に行うべきことは、質問内容を間接的表現に変えて、検査質問と分からないようにすることではなく、きちんとした説明責任を果たし、検査担当者と被検者の間に信頼関係を構築することである。

検査するものが直接的な質問をしないように、日常会話と変わりない会話の中で答えを引き出そうとする場面に遭遇したとしたら、僕であれば、「検査なんだから雑談なんかしてないで、まじめに速やかに検査が終わるようにしろよ」と怒るだろう。検査の目的からしても、それは適切な方法とはいえないだろう。

そもそも検査担当者に、高度なテクニックが求められる検査法ほど、結果に信用が置けないという理屈が理解できないのはなぜなんだろうか。

そうであるがゆえに、HDS-Rにしても、MMSEにしても、あの質問項目は、検査する人によって結果に相違が出ないように、最低限の簡略な表現で回答を求めているものだ。質問者のテクニックによって答えが左右されかねない表現の間接化は、百害あって一利なしである。

質問をぼかして、ごまかしの誘導で被検者の回答を引き出すことが、いかに被検者に対して失礼であり、それは検査する者の傲慢さを現わすものでしかないことを思い知るべきである。
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高齢者が運転しなくて良い地域社会を創るために


認知症ドライバーによる交通事故は、被害者・加害者双方にとってこの上ない悲劇を生む。

このことを先々週の金曜日先週月曜日のブログに続けて書いてきたし、過去にも繰り返し書いて来たところである。

しかしながら認知症の疑いがあっても、なかなか運転を止めさせられない理由のひとつに、自家用車による移動が、暮らしを成立させる重要な要素であって、運転をしなければその瞬間から暮らしに支障が生ずるという問題がある。

都市部であれば、運転をしなくとも公共の交通機関だけでどこに行くにしても不便はないし、自家用車がないことで日常の必需品を手に入れることができなくなるということはない。

しかしながら、さほど小さくない街でも、公共の交通機関だけでは日常の移動に不便が生ずる地域はあるし、ましてや北海道の郡部の町村であれば、自分の生活範囲に公共の交通機関もなく、徒歩で移動できる範囲に日用品を購入する商店もなく、自家用車を使うことは、日常生活を送る上で必要不可欠であるという場合も少なくない。

そのような地域においては、高齢になったという理由だけで、運転を控えるという考え方にはなりにくい。そのような背景があるなかで、記憶力や判断力の衰えの自覚がない認知症の人に対して、周囲の人が運転を止めさせようとしても、認知症の人自身は、なぜ自分が運転してはならないのか理解ができず、運転をしないでは暮らしが成り立たないとして、運転を止めようとする人に対して憤りを抱くのは、ある意味当然のことである。

そういう意味では、認知症の人が運転しなくても済む社会とは、地域住民が自家用車で移動せずとも、暮らしに支障がない地域社会であるともいえる。

自家用車を使った移動をせずとも、暮らしが成り立つからこそ、高齢ドライバーが、運転することを続けるべきであるかどうかを、考える機会を持つことができるのである。

地域包括ケアシステムとは、こうした一面への手当ても考えていくシステムであり、そのためには地域ケア会議を形骸化させず、日常の移動手段のない人が、その地域で何に困っていて、どのような具体的支援が求められているかという、「地域課題」を抽出して、その部分に手当てできるソーシャルアクションにつなげていくことが重要である。

限界集落という言葉が、日常的に使われる今日において、地域ケア介護において、地域課題として、「高齢者の移動手段」が挙がってこない方がどうかしているのである。そこでは、社会資源として、公共の移動手段を確保するための議論にとどまらず、高齢者自身の住み替えの必要性が議論の遡上に上ってくるのが自然である。

場合によって、このときに高齢者の住み替えを進めるだけではなく、地域の再編という形の大きな政治課題に繋がっていくかもしれない。

先祖代々のお墓がある故郷から離れがたい気持ちは理解できるし、住み慣れた地域から離れたくない気持ちも良く分かる。しかし少子高齢社会で、人口減少社会であることを考えると、コンパクトシティーをスローガンとした、地域社会の再編は避けて通れない重大な課題ではないのだろうか。

日本全体で、地域再編という大きな課題に取り組まなければならない時期に来ているように思える。

政治家は、天下国家の立場から、その必要性を国民に広く訴えて、地域再編を政治課題としてほしい。
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認知症が疑われる人の運転事故で命を失った小学1年生の悲劇


先週の金曜日に、「認知症ドライバーの悲劇」という記事を書いたが、その同じ日に、横浜市で軽トラックが集団登校していた児童の列に突っ込み、小学1年生の児童一人が死亡し、そのほか児童8人を含む11人が重軽傷を負うという事故があった。

この事故の加害者は87歳の男性で、2013年11月に認知症の検査を受けて異常がなかったとされ、同12月に免許を更新している。この事実だけからいえば、この事故は認知症とは別の問題とされ、認知症が原因と考えられる死亡事故のデータには組み入れられないということになる。

しかし加害男性は、27日朝に横浜市磯子区の自宅を1人で出て、軽トラックで県内外を走行。事故を起こすまでの間、自宅には戻っておらず、夜間も軽トラックで移動していたという。逮捕前の聴取では「どうやって事故現場まで行ったのか、よく覚えていない」などと話していたという報道がされている。

このことを考えると、この男性も認知症の症状が出現していた可能性が高い。記憶力の低下は明らかである。つまり近直の免許更新の際の認知症検査の結果など、何も意味をなさないということだ。運転していた当日が、どのような状態であったのかということで、事故原因を検証せねば、本当に必要な対策には結びつかないのである。

アルツハイマー型認知症の場合、その原因となるアミロイドベータの脳内蓄積は、認知症の症状が出現する10年以上前から始まっていると考えられている。それがやがて脳内でタウタンパクに変質し、脳血管を圧迫し血流を止め、脳細胞を壊死させ症状が徐々に進行していく過程で、「運転動作はできるが、記憶力や判断能力が著しく衰えている人」を生んでいくのだ。

その理由は、運転という行為が、「手続き記憶」であり、海馬が大きく影響しているエピソード記憶と意味記憶とは異なり、小脳にその記憶がたまるという記憶の回路の違いによるものであることも明らかになっている。そして認知症の特徴は、「記憶力や判断力の衰えを自覚できない」ということでもあるのだから、周囲の人が強制的に運転をやめさせるか、手続き記憶だけでは運転できない車を作るか、どちらかでしか、こうした事故を阻止できない。

周囲の人が強制的に運転をやめさせるのは、周囲の人に、「運転できてしまう認知症の人がいる」ということを知らしめる必要があるし、そうであっても判断力や運転動作の一部は衰えており、それは車を凶器に変えるものだという理解と危機感がなければならない。今後、認知症の人が今以上に増える社会では、そうした啓もう活動は必要不可欠であり、地域包括ケアシステムの機能の一つに、運転できる認知症の人が運転しないようにする対策を、地域ごとに意識して組み込んでいく必要がある。

同時に、自動車製造メーカーのコンプライアンスとして、認知症になったら運転できない車の開発が求められ、それは自動運転以上に必要とされる技術であるという自覚がメーカーに求められると指摘したい。

今後増え続ける認知症の人が、手続き記憶だけで運転して事故を起こすことがないように、検査結果で運転するかどうかを判断するのではなく、認知症になったら運転できない自動車開発が自動車メーカーの責任と義務なのである。。

そしてそれはさほど困難なことではない。アルツハイマー型認知症の初期症状は、「エピソード記憶」の衰えから始まり、特にそれは新しいことが覚えられないという短期記憶の障害から始まる。それはこの病気が、情報処理をつかさどる、「海馬」周辺の血流障害が生ずることによって、新しい情報が海馬にたまらず記憶できないということなのだから、それを利用して、車のエンジンをかける際に、エピソード記憶である暗証番号を打ち込まないとエンジンがかからない車を開発すればよいだけの話で、それは技術的には極めて簡単であるし、開発費用もさほど掛からないし、車の購入費用がそれによって増加し、ユーザー負担が大幅に増えるということでもないように思われる。

28日の横浜の事故では、登校途中の小学1年生が命を奪われている。未来のある尊い命が、こんな風に奪われてしまうことを少しでも防ぐために、しなければならないこと、できることはたくさんあるはずだ。一日も早い対策をしなければ、似たような悲劇が日本中で繰り返されていくことになる。

国・政府も、このことの危機感を持ってほしいと思う。こんな悲劇はもうたくさんだ。
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認知症ドライバーの悲劇


人にとって、悲劇とは様々だが、最愛の人の記憶がなくなること、最愛の人に対して不幸を与えてしまうこと、その記憶さえ失ってしまうことは、最大の悲劇といえるかもしれない。

そのような悲劇が、今この国でじわりと増えてきている。それは超高齢社会が生む悲劇といえるものだ。この部分にスポットを当てて考えねばならない時期に来ている。

認知症ドライバーの運転の問題については、このブログでも何度か指摘してきた。

エピソード記憶や意味記憶が失われても、手続き記憶が最後まで残ってしまうことで認知症の症状があるのに運転してしまう人が増え続けている。

高速道路の逆走をしている人のうち、認知症の症状のある人が17%しかいないのだから、それは認知症の問題ではないという人がいるが、認知症という特定症状だけで、事故原因の17%もの割合を占めていること自体が大問題で、しかも事故を起こして死亡した高齢者の、その時点での認知症状の有無は調査されていないということが、さらに大きな問題なのである。実際には、認知症を原因とした自動車事故は数字に表れている以上に多いのである。

先日も秋田県日本海沿岸東北自動車道の大内ジャンクション付近の下り線で、出口から逆走進入してきた軽乗用車とトラックが正面衝突し、逆走車(軽自動車)に乗っていた3名の高齢者が亡くなっている。この事故に関して言えば認知症の問題であるかどうかは分からないが、何らかの判断ミスが事故原因となっていることは間違いなく、ドライバーに認知症の症状がなかったかどうかも検証してほしいものだ。

事実、認知症の人が運転する車の事故は増えている。その中には、自分の孫をひき殺してしまったという悲劇も含まれているが、この悲劇には第2弾があって、手続き記憶が残っているために運転ができてしまい、そのような事故を起こしてしまっても、その事故によって大切な孫の命が奪われたという、「エピソード記憶」はなくなってしまうために、事故を起こしたという記憶がなく、それ以後も運転を続けようとするだけではなく、その運転する理由が、事故で亡くなった「孫を迎えにいく」だったりするわけである。

そんな悲劇が繰り返されないように、手続き記憶だけで運転操作ができてしまう車を販売できないようにすべきだし(エンジンをかける際に、暗証番号を打ち込む車にすればよいだけの話である。)、少しでも認知症の症状が現れた人については、「運転操作ができるから大丈夫」と考えるのではなく、一刻も早く運転しないような環境に置く、という対応をしなければならない。

人口減少社会に入ったわが国では、人口密度が低くなり、それは高齢者の生活空間に日常の暮らしに必要な社会資源が、櫛の歯が欠けるように消滅していくことも意味している。そうであるがゆえに、これからの社会に、足代わりとなる自家用車の必要性は、増すことはあっても、減ることはないだろう。車が運転できないと暮らしが成り立たないという人が増える社会で、同時にこのような深刻な問題が起きている。

そうであれば、認知症ドライバー対策の一面は、車を運転しなくても高齢者の暮らしが成り立つ地域社会を創るということにもなる。そのための地域包括ケアシステムを構築しなければならないということだ。そこには、「住み替えを促進した新しい地域社会の構築」という新たな課題が見えてくる。

そしてそれは政治が誘導していかないとならない問題で、地域行政だけで解決できる問題ではないということも指摘しておきたい。

※本日18:30〜ビエント高崎エクセルホールで、120分間の講演看取り介護講演を行います。主催は社会福祉法人・ようざん会さん。どなた様も無料で参加できますので、お近くの方で時間がある方は、是非会場までお越しください。
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それぞれの思い


東京都日野市で行われた講演には、認知症の人の家族の方などがたくさん会場に来てくださった。
日野市講演
質疑応答では、実際に介護をしている家族の立場から、あるいは自分は介護をしていないが、兄弟のお嫁さんに介護をしてもらっている立場からの質問があった。

認知症の人は、全ての能力が失われるわけではないので、何ができて、何ができないかを探ることが大事である。認知症の人がトイレで排泄できない理由も様々なので、できる限りトイレで排泄できない理由を探って、的確にアプローチする必要があることを、講演の中では事例を挙げて説明した。

そのことに関連して、90代の認知症の方を介護している方から、当初はトイレで排泄できていたのに、最近では声をかけてもなかなか排泄に結びつかず、紙パンツに失禁してしまうことが多くなったことを、自分の介護の知識になさが原因ではないかと自責の念を持ってしまうというようなような質問があった。

個別の失禁原因はその質問だけではわからないが、大事なことは、失禁するという事象だけをとらえて、自分の介護方法が間違っていると自分を責めないことだと思う。そもそもすべての人が、最期まで失禁せずに過ごすことができるとは限らない。要は、周囲の人が認知症の人のことを思いやり、できる限り、今でき得る暮らしを支えようとすることだと思う。

失禁という事象だけを見れば、大人用の紙おむつや、紙パンツがなかったころに比べると、今市販されている様々な排泄用品を使ってケアできるだけでも、過去とは比較にならないほど、介護をする人の負担も減るだけでなく、介護を受ける人の不快感も減少しているのだと思う。在宅で時間介護をする人は、介護が必要な人に思いを寄せている限り、全てを完璧にできなくても、それは間違った方法ではないとポジティブに考えて、自分自身を壊さないようにすることが、介護を続けるうえで一番必要なことだと思う。そういう意味で、励ましの言葉を送ってきた。

北海道出身の方も受講されていて、その方の親も北海道に住んでいるが、認知症を発症して、弟のお嫁さんがお世話をしているとのことだった。その方の悩みは、介護負担をすべてお嫁さんにかけていることで、自分は遠く離れた場所に住んでいるので何もできず、お嫁さんに電話をかけ、小一時間ほど悩みを聴いたり、励ましたり、感謝したりするだけだが、どうしたらよいかという質問もあった。

実際に介護している人は大変であるが、そのたいへんさを分かってくれる人がいないこともストレスになる。空間的距離はどうしようもないので、そのたいへんさを理解してくれる誰かがいるということが感じられるように、電話で悩みを訴えられるお義姉さんの存在は、きっとお嫁さんの支えになっていると思うので、今のコミュニケーションを続けて、感謝の言葉をかけ続けてくださいとアドバイスした。

当日は、講演終了が15:40で、その後の質疑応答であったが、帰りの飛行機の関係で、僕は会場を16:00に出なければならず、十分な時間をとれず恐縮であったが、ぎりぎりの時間まで声をかけてくださる人がたくさんいた。本当にありがたいことだ。

ところで当日も、下記画像のように、会場で僕の著作本を販売させていただき、沢山の方に購入していただいた。
日野市講演会場
こんなふうにして、各会場で本を購入してくださる人のおかげで、これらの本はまだ一冊も廃刊にならずに売れ続けている。そしてこのたび、「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の増刷が決定した。僕の記憶では、第4刷になると思う。

今年に入って、「介護の詩 明日につなぐ言葉」に続く増刷である。これもひとえに応援してくださる読者の方々のおかげである。この場を借りて、ひところお礼を申し述べたい。いつも本当にありがとうございます。

さて昨日は、講演以外にも気になることがあった日である。

我が、北海道日本ハムファイターズの優勝がかかった一戦が、日野市からはほど近い、「埼玉県所沢市」で行われていたのだから、本来であれば、日野市での講演が終わったら、そちらに駆けつけたいところであった。しかし今日の仕事を休むわけにもいかず、後ろ髪をひかれる思いで北海道に帰ってきた。

昨晩は千歳市内のホテルに泊まったが、優勝の瞬間はとある居酒屋の個室で、一人ファイターズ応援としゃれこんでいた。4年ぶりの感動をじっくり味わい、ホテルに戻って一晩中ニュースを見て、感動の涙を流していた。

ファイターズレジェンドユニホーム
このレジェンドユニホームをゲットした次男も、きっと家で応援していたことだろう。最大11.5ゲーム差を跳ね返した世紀の大逆転は、長嶋巨人のメークドラマを超える奇跡であるといってよいだろう。

クライマックスシリーズと日本シリーズでも、同じ感動を味わいたいものである。

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認知症の人と共に歩む地域社会


道外の人間にとって、東京の23区名は馴染みがあるものの、市の名称はよくわからないことが多い。

だから最初、『ひのし』という地名を聴いても、どこの市の名前なのか、どんな字を書くのかもさっぱりわからなかった。大変失礼な話でお詫びのしようもないが、これが一般的な道民の反応ではないだろうか。

その日野市からの依頼を受けて、今日は日野市民会館で、『愛を積む〜認知症の人とともに歩む介護 』というテーマで講演を行う予定になっており、このブログ記事は、会場に向かう電車の中で、iPad で書いている。

おそらく日本全国の介護関係者の中で、認知症の理解とか、認知症の人に対するケアに関連してお話しすることができる人は沢山おられることだろう。ましてや首都・東京であるのだから、近くで講師を探すのは、そう難しくないはずである。

そうであるにも関わらず遠く北海道から、決して安くない旅費をかけて呼ぶ必要のある僕を招いてくださるのだから光栄なことである。同時に、それだけの価値あるお話をしなければならないと思ったりする。

だからと言って、特別なお話ができるわけではない。認知症に関しては二十数年前に、自分の施設での実践報告を北海道老施協の研究大会で行って以来、いろいろなところでお話ししているし、介護福祉士養成校では、認知症の理解という授業を受け持っているが、それらのお話の教科書は、僕が出会った認知症の人と、その周囲の人々である。

だから僕が認知症をテーマにしてお話しすることは、他の誰とも違った話になってしまうし、時間の経過とともに同じテーマでも、取り上げる事例は異なることになる。でももしかしたら、そのことが僕が講師として全国各地から招待される理由かもしれない。

今日も昨日までの実践の中で手に入れた方法論を語ることになるだろう。

認知症の人を理解する上で大事なことは、記憶や見当識が失われても、感情は最後まで残っていることを忘れないことだと思う。寸前のことさえ忘れてしまい、デジタルな思考回路しか残っておらず、さっきと今が繋がらない人の不安を理解して、その人の脅威にならず、支えになるために何が求められているのかを、一人ひとりの表情から読み取ろうと寄り添うことからしか答えは探せない。

今日の講演タイトル『愛を積む〜認知症の人とともに歩む介護 』は、僕の著書、『人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために』の一節と同じものだ。そこで紹介している一ケースの、認知症の人の夫が、僕らの最高の教師役である。そんな話もしてこようと思っている。

ところで、普段僕が講演している姿は、自身で撮影できないので、自分の手元にその姿を写した画像データは意外となかったりする。

そんな中、3日前に五反田で行った、学研ココファンさんの社内研修での画像ファイルを送っていただいたので、この記事の中に記録として貼り付けておきたいと思う。

学研ココファンの皆さん、どうもありがとうございました。
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帰宅願望なんて、あって当然だろう


介護関係者の中で、いまだに認知症を、「ニンチ」と略して表現する人がいる。いつまでそういう不適切な略語を使い続けて、認知症の人の家族の心を傷つければ気が済むのだろうか。

僕はこの問題を8年も前から取り上げているが、(参照:認知症をニンチと略すな!!)いまだにこのことの問題に気がつかない人が多いことに愕然とする。もともと介護関係者は、言葉に気を使わな過ぎるのではないか。

言霊という言葉があるように、「言葉には霊的な力が宿る」と信じられてきたのが、日本の伝統文化である。声に発した言葉が、何らかの影響を与えると信じられてきたのである。

そのことを信じようと信じまいと、コミュニケーションを主体に援助を行う介護の専門化が、その発する言葉、使う言葉に無関心でよいはずがない。言葉というものにもっと気を使ってほしいものだ。

それともうひとつ気になることは、認知症の人の行動を、BPSDと表現する人が多いことだ。それは必ずしも不適切な表現ではないが、その意味を知って使っているのかといいたくなることがある。(参照:BPSDという表現をやめよう)行動・心理症状という適切な表現方法があるんだから、そちらを使うようにしたらどうだろう。

それとも英語の頭文字をとって使った表現のほうが、専門家気取りが出来るってわけかな。そりゃあ違うだろうといいたい。

ところで認知症の人が、施設などで生活し始めた後に、自分の家に帰ろうとすると、「帰宅欲求が始まった」・「帰宅願望が出てきた」といわれることがある。

その言葉を聴くたびに、僕は心の中で、「なんじゃそれ!!」と叫んでいる。

施設利用者が家に帰りたくなるのは当たり前だ。どんなに良いサービスを提供しても、利用者には替える家があり、愛する家族がそこに住んでいる。そこに帰りたくない人はいない。

そうであっても人それぞれに、何らかの帰ることが出来ない事情や、施設に住み替えなければならなかった事情があるだけの話で、認知症ではない人は、その事情を理解して、帰りたい気持ちをぐっと抑えて、やがて環境適応していくだけの話である。

認知症の人は、その事情を理解したり覚えたり出来ないから、そのときの素直な気持ちを、言葉や行動で表現しているだけの話である。

それはきわめて自然な心模様だし、そのときにここがあなたの家だと説得する必要はないし、家や家族に勝(まさ)ろうとする必要さえない。

僕たちは家族に勝ってはいけないのだ、家族に勝負を挑む必要さえない。自分の家を愛し、家族を愛する人の心に寄り添いながら、それらを愛する心には勝てないけれど、それらの次に心の休まる場所にするために、僕たち自身が目の前の人々に愛情を持って接し、出来うる限りの手の差し伸べ方を考えればよいのだ。

誰にも勝たない愛を積み続けていくことを、受容と呼ぶのかもしれない。

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試験問題にもなっている、「人を語らずして介護を語るな」


僕が新年度から働いている老健施設は、千歳市という場所にあり、ここは衆議院北海道5区の補欠選挙が行われる地域である。

というわけで、5区以外の地域では行われない介護施設でのふっじ者投票事務が必要になっている。まずは投票の意思確認をして、投票用紙を請求するわけであるが、当施設は認知症専門棟がある老健なので、その意思確認に時間がかかる。

しかし丁寧に説明して、根気よく返答を待つという作業を繰り返すことで、認知症の人でも投票意思を示してくれる人が多いことがわかる。

認知症という症状が、どのような基礎疾患(病気とは限らないが)から生じているとしても、認知症の症状の軽重はあるとしても、何もかもわからなくなって、意思疎通がまったくできない人は(晩期を除いて)そんなに多くないことがわかる。

認知症の人の反応をゆっくり待つという、我々の今季さえあれば、認知症の人の中に眠っている、いろいろな表情を引き出すことができる可能性に気が付く。それは僕が、頭の中ではわかっていながら、行動としては芝約忘れていたことのように思え、新たな職場で、新たな職務に就いて思い出したことのように思える。

そんあこんなで、忙しい毎日を送っているが、すべての時間が楽しくフレッシュである。

僕の場合、転職の決断は、さほど重たい決断だとは思ったことはないが、今振り返ってみると、人生の転機としては、その決普段は、決して軽いものでもなかったのだろうと思える。しかしそのことが間違っていなかったと感じられる日々を送っており、充実している。これは周囲のいろいろな人のおかげでもあり、感謝しなければと思っている。

本業以外の、「介護作家」としての執筆活動や、講演活動も順調で、次々と新しい依頼や、リピート依頼が来てうれしい悲鳴を上げているところであるが、しばらくは平日の講演活動は、本業に支障が出るため難しい状態で、数を絞っている。土日祝祭日の依頼であれば問題ないので、講演依頼の希望がある方は、是非そちらの方向で考えていただきたい。

そんな中、もう一つうれしい知らせがあった。

ベネッセコーポレーションから、突然一通の封書が届き、開けてみるとこんな「お知らせ」が書かれていた。

DSCN0803
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僕の著作本、「人を語らずして介護を語るな THE FINAL〜誰かの赤い花になるために」が、高校3年生の学力テストの試験問題に使われて、そのお知らせと、著作権使用料の通知が記されていた。

ここだけの話、その額は18.000円という額であるが、そんなことより、次代を担う高校生の学力テストに、拙著の一文が使われたという事実が、この上なくうれしい。しかもこのことは初めてではなく、2年連続2回目なのである。

これをきっかけに、若い人にも僕の本を読んでいただきたいと心から思っている。そして、誰かの赤い花になろうとする人が、一人でも多くなってほしいと思う。

それは、介護業界だけではなく、ほかの業界も含めて、他人へのやさしさを素敵に表現できる人が、一人でも増えてほしいという意味だ。

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