masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

施設サービス

実践につながる計画と法令理解


今朝の通勤経路は、いつもの金曜日より車が少なかった。今日も休みの人が多いのだろう。それらの人の連休は、今週の日曜日まで続くということか。うらやましい限りである。

そんな影響があってか、今週末の航空チケットは、いつもの週末より値段が高い。現在僕は、毎月2回、定期的に大阪でセミナー講師を務めており、その際は金曜日の就業後に、新千歳空港のホテルに泊まって、土曜日の朝一の始発便で伊丹空港に向かい、セミナー終了後、採取便で新千歳空港に戻ってくるという日程になっている。

その為、半年先まで一番安く買える早割りで航空チケットは購入済みなのだが、今週分だけ1万円ほど高い料金になっている。同時にホテルの宿泊料も2割ほど割増料金だ。連休価格ということなのだろう。

そんなわけで、今週末も大阪で、未来福祉研究所主催、介護ビジネスアカデミー・施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座の第3回の講師を務める。今回は、「法令を遵守した施設サービス計画の作成方法 〜実践につながる計画と法令理解〜」がテーマである。

居宅サービス計画と、施設サービス計画の一番大きな違いは、前者が保険給付の条件ではなく、償還払いを現物急付加する手段(介護保険法第41条6項規定)であるのに対し、後者は、保険給付の条件(介護保険法第8条)となっている点である。

よって施設サービス計画がない状態の施設サービスは、報酬全額返還の指導があり得るという点に注意が必要で、入所直後から何らかの形で施設サービス計画を作成しておかねばならない。

その際には居宅サービス計画の作成ルールを定めた、老企第25号の、「利用者の課題分析(第六号)から居宅サービス計画の利用者への交付(第十一号)に掲げる一連の業務については、基準第一条に掲げる基本方針を達成するために必要となる業務を列記したものであり、基本的にはこのプロセスに応じて進めるべきものであるが、緊急的なサービス利用等やむを得ない場合や、効果的・効率的に行うことを前提とするものであれば、業務の順序について拘束するものではない。ただし、その場合にあっても、それぞれ位置付けられた個々の業務は、事後的に可及的速やかに実施し、その結果に基づいて必要に応じて居宅サービス計画を見直すなど、適切に対応しなければならない。」というルールは、施設サービスにも準用できるので、とりあえず手順を前後して、施設サービス計画を、簡易版であっても定めておく必要がある。

そのほか、サービス担当者会議のルールの相違点なども解説する予定であるが、何より、施設サービスの方法論が具体化できる作成方法について、実際の施設サービス計画例を挙げて解説したいと思う。

施設サービス計画に書くべき、総合的援助方針、目標の意味についても解説する。

特に目標については、長・短期に分けて設定しなければならないのは、標準様式がある居宅サービス計画と、施設サービス計画なのだから、」(各居宅サービス:訪問介護計画やグループホーム、特定施設などの計画は目標があればよく、長・短期に分ける必要はない)長期目標としてはそぐわない目標内容などについても触れたいと思う。

例えば、「転倒しない」という目標は、短期目標としてはよいが、長期目標がそれでは困ると思っている。長期目標として設定すべきは、転ばない先に、どのような暮らしが実現するかという目標ではないと、自律(自立)支援ということにはならない。

極端な話、転倒しないという目標を達成するためだけを考えると、歩かせないというプラン内容になってしまいかねないからである。このことはじっくりと、丁寧に解説したい。

また第2表に書くべき、具体的サービス内容とは、「〜する」という内容だけではなく、「〜しない」という内容であってもよいのだという事例も、次のような画像ファイル内容で示している。

今朝の通勤経路は、いつもの金曜日より車が少なかった。今日も休みの人が多いのだろう。それらの人の連休は、今週の日曜日まで続くということか。うらやましい限りである。

そんな影響があってか、今週末の航空チケットは、いつもの週末より値段が高い。現在僕は、毎月2回、定期的に大阪でセミナー講師を務めており、その際は金曜日の就業後に、新千歳空港のホテルに泊まって、土曜日の朝一の始発便で伊丹空港に向かい、セミナー終了後、採取便で新千歳空港に戻ってくるという日程になっている。

その為、半年先まで一番安く買える早割りで航空チケットは購入済みなのだが、今週分だけ1万円ほど高い料金になっている。同時にホテルの宿泊料も2割ほど割増料金だ。連休価格ということなのだろう。

そんなわけで、今週末も大阪で、未来福祉研究所主催、介護ビジネスアカデミー・施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座の第3回の講師を務める。今回は、「法令を遵守した施設サービス計画の作成方法 〜実践につながる計画と法令理解〜」がテーマである。

居宅サービス計画と、施設サービス計画の一番大きな違いは、前者が保険給付の条件ではなく、償還払いを現物急付加する手段(介護保険法第41条6項規定)であるのに対し、後者は、保険給付の条件(介護保険法第8条)となっている点である。

よって施設サービス計画がない状態の施設サービスは、報酬全額返還の指導があり得るという点に注意が必要で、入所直後から何らかの形で施設サービス計画を作成しておかねばならない。

その際には居宅サービス計画の作成ルールを定めた、老企第25号の、「利用者の課題分析(第六号)から居宅サービス計画の利用者への交付(第十一号)に掲げる一連の業務については、基準第一条に掲げる基本方針を達成するために必要となる業務を列記したものであり、基本的にはこのプロセスに応じて進めるべきものであるが、緊急的なサービス利用等やむを得ない場合や、効果的・効率的に行うことを前提とするものであれば、業務の順序について拘束するものではない。ただし、その場合にあっても、それぞれ位置付けられた個々の業務は、事後的に可及的速やかに実施し、その結果に基づいて必要に応じて居宅サービス計画を見直すなど、適切に対応しなければならない。」というルールは、施設サービスにも準用できるので、とりあえず手順を前後して、施設サービス計画を、簡易版であっても定めておく必要がある。

そのほか、サービス担当者会議のルールの相違点なども解説する予定であるが、何より、施設サービスの方法論が具体化できる作成方法について、実際の施設サービス計画例を挙げて解説したいと思う。

施設サービス計画に書くべき、総合的援助方針、目標の意味についても解説する。

特に目標については、長・短期に分けて設定しなければならないのは、標準様式がある居宅サービス計画と、施設サービス計画なのだから、」(各居宅サービス:訪問介護計画やグループホーム、特定施設などの計画は目標があればよく、長・短期に分ける必要はない)長期目標としてはそぐわない目標内容などについても触れたいと思う。

例えば、「転倒しない」という目標は、短期目標としてはよいが、長期目標がそれでは困ると思っている。長期目標として設定すべきは、転ばない先に、どのような暮らしが実現するかという目標ではないと、自律(自立)支援ということにはならない。

極端な話、転倒しないという目標を達成するためだけを考えると、歩かせないというプラン内容になってしまいかねないからである。このことはじっくりと、丁寧に解説したい。

また第2表に書くべき、具体的サービス内容とは、「〜する」という内容だけではなく、「〜しない」という内容であってもよいのだという事例も、次のような画像ファイル内容で示している。

施設サービス計画の一例
このようにさまざまなケースの、実際のプランを示して解せいつするので、施設サービス計画実務に、翌日から生かせるのである。

施設の介護支援専門員や相談援助職の方々には、是非一度、僕が講義する「施設サービス計画作成の視点」を聴きに来ていただきたい。同時に、この内容の研修を必要とされている方々には、是非講師としてご招待いただければとお願いしたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

多床室の報酬単価が個室より高いのは矛盾ではなく単なる引き算です


介護保険制度以前から、この業界にかかわっている僕の場合、措置から介護保険制度への移行や、介護保険制度の中のルール変更などの流れをつぶさに見ているので、現行の制度のルールが、なぜそうなっているのかは、ごく自然に理解できている。

しかし、途中から介護保険制度の中のサービスにかかわることになった人にとっては、理解できない不思議なことが、この制度の中にたくさんあるのだろうと思う。

次期制度改正でなくなる可能性のある、居宅介護支援費の、「特定事業所集中減算」にしても、そのルールができた経緯を知らないと、なぜ当初は、福祉系3サービスだけに適用されたルールであったのか、それが途中(前回の制度改正)で全サービスに広がったのかを理解できないと思う。

ただしこのことは、制度の変換だけ見ても理解不能で、裏の職能団体の政治的動きを知らないと理解できないだろう。下記参照願いたい。
(参照:日本介護〇〇〇〇〇協会は医療系利益団体にしか過ぎない、と思う。)

介護報酬についても、不思議がられるものがあるが、よく指摘されるのは、施設サービスにおいて、多床室の保険給付額が、個室の単価より高くなっている点である。アメニティの低い多床室のほうが、なぜ単価が高くなっているのか理解できないといわれることがある。

しかし介護保険制度当初から、施設サービスにかかわっている人にとって、この単価設定はまったく不思議ではなく、むしろ疑問を持つ人が多いということに驚きの気持ちを持っているのではないだろうか。

一番の誤解は、この単価設定部分には、住環境(アメニティ)に関する費用は一切入っていないということなのである。

施設サービスにおいては、もともと多床室と個室による保険給付額の違いはなかった。多床室に入所しようと、個室に入所しようと、給付される保険額は同じであり、当然1割自己負担額も同額であった。それは施設サービスにおいて、部屋代(居住費)を別に徴収するという発想がなかったことによるもので、施設サービスは、そこに住むことが前提であり、給付費は滞在費用をも含めたパッケージ報酬であるという前提があり、介護サービス自体は、多床室であろうと、個室であろうと、提供するサービスに変わりはなく、部屋の形態によってサービス費に差があるのはおかしいという考え方がされていた。

ところが新型特養が制度に位置づけられた際に、個室ユニット型の施設なのだから、在宅者と同じように家賃相当分の費用を自己負担してもらった上で、サービス利用をしてもらうという理屈から、他の介護老人福祉施設とは別体系の報酬設定となり、居住費を自己負担してもらうことにした。

この流れが2005年10月の施設サービスにおける居住費と食費の自己負担化につながったわけである。

この際に、居住費を自己負担するのであれば、アメニティに大きな違いがある多床室と個室の自己負担額が同じであるのはおかしいという議論となり、そもそも4人部屋が中心となっていた多床室については、家賃相当分の費用を自己負担させるには、あまりにアメニティが低すぎるということになって、多床室の自己負担額は、家賃分を含まない高熱水費相当分のみということになって、その金額が設定され、従来型個室の場合は、高熱水費+家賃相当分として設定された。

ここでわかりやすくなるように、現在の実際の標準金額ではなく、例として端数のない架空の金額で、このことを説明したい。

居住費の自己負担がない2005年9月までの施設サービス費が、多床室・個室に関係なく、」200.000円だったとしよう。

そして10月以降、自己負担化された居住費については、アメニティの違いを考慮して、多床室は20.000円、個室は50.000円にしたとする。そうなると介護報酬は、この10月時点で改定がなかったために、単純に施設サービス費は、それまでの介護報酬から、自己負担を差し引いて、多床室は20万円−2万円=18万円、個室は20万円−5万円=15万円とされただけの話であり、この部分で施設の収入は減りも、増えもしないようにしたわけである。

だから多床室の保険給付額より、個室の保険給付額が低いのは当然なのであり、部屋の形態によるアメニティの違いは、この報酬額には含まれておらず、その差は、利用者自己負担額によって差別化されているのが本来だ。

ところが以後の報酬改定では、この過程や当時の議論をまったく無視して、アメニティが低いという理由で、多床室単価の下げ幅を個室より大きくして、保険給付額+居住費自己負担額の合計額は、多床室より個室のほうが高くなると言う形で差をつけた。

これは単なる給付制限であり、個室のサービス費が高くなったわけではなく、多床室のサービス費が安くされたという意味である。

しかし多床室であろうと、個室であろうと、介護サービスの提供方法が異なるわけではなく、居住空間の形態によって、施設の収入に差がつくのは問題であり、基本サービス費+居住費自己負担額の合計額が、多床室で暮らしているのか、個室で暮らしているのかによって異なるのはおかしいことなのである。

介護の手間という面で見れば、人間関係に気を使う必要にない個室より、多床室のほうが手間がかかるのだし、介護そのものも、同室者への配慮が必要な多床室のほうが、手間と負担が大きいのだから、基本サービス費+居住費自己負担額の合計額に差をつけるとすれば、それは本来、多床室利用者の合計額が高くなる必要があるといってもよいだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

相談援助職の教育機能


介護施設における相談援助職(以下ソーシャルワーカーと記す)の役割を明確にしないと、ソーシャルワーカーは、何でも屋と称され、体の良い小間使いとなる。

介護施設の相談援助職が、介護職員の数が足りないから手伝ってといわれて、食事介助や入浴介助を手伝うことが普通に行われている施設があるが、それらの施設では、なぜ介護職員はいないと困るけど、頭脳役の相談員はいなくて困らないのだろうか?

恐らくそれらの施設では、相談援助職の役割が入退所相談や、家族対応など限定したい場面でしか捉えられておらず、ソーシャルワーカーとしての役割が不明瞭になっているのだろうと思う。

そのため今週土曜日から、大阪で始まる介護ビジネスアカデミーの施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座【毎回210分の合計6回(2回/月×3月)コース】では、相談員の役割を明確にするために、様々な角度からそれを具体的に示していきたいと思う。

相談援助職は施設サービス、居宅サービスの両者において総合調整の役割を援助過程で持つが、その役割は「基本的役割」と「付帯的役割」に分かれる。

基本的役割とは、専門職として担うべき本来的役割であり、そこに相談援助業務が入るだろう。

付帯的役割とは、個々のサービス状況、個人の事情や力量によって付加される役割であり、例えば申請代行、預かり金管理、年金及び健康保険に関わる諸手続き代行、身障手帳などの申請事務などに係ること、医療費減免に関する代行申請などが考えられる。

こう考えると施設の相談援助職は、様々な調整を行う過程で、利用者の家族だけではなく、外部の関係者とコミュニケーションを交わす窓口になることがわかる。そうであれば、日中の業務中にその窓口が閉まってあかない状態が長く続くことは好ましくないし、その理由が相談援助職の本来業務とは言えない、多職種のヘルプのためであるちしたら、そのことは大いに問題視されてよいだろう。なぜならそれは、利用者と社会資源をつなぐための調整ができない状態を作り出しているともいえるからである。

この調整窓口であるという意味を別角度から考えたとき、施設の相談援助職とは、「施設の顔」であるといえるかもしれない。訪問者の多くは、窓口の担当者の印象によって、その施設の印象としてしまう可能性があり、相談援助職の初期対応が施設の印象を決定づけるかもしれないのである。

そうであれば、利用者の暮らしを護る介護施設を標ぼうするのであれば、施設の顔である相談援助職には、何よりも訪問・来訪者に対して真摯に対応する気構えがなければならない。

厳しい時代を生き抜く介護施設の経営を考えるならば、施設の相談援助職が、ホスピタリティ(心からのおもてなしの意識)を持たないと、淘汰される施設になりかねない。

同時にそのことは、相談援助職だけが持つべき視点ではなく、利用者の暮らしを護るための視点として、全職員が持つんべきものであり、利用者の暮らしを護るためにも、相談援助職はそのことを施設に浸透させるリーダー役を担うべきであろう。

特に今、介護施設の虐待が問題となっている状況を考えたとき、その役割はもっとも重要となる。

よく虐待の原因が、介護ストレスが原因であるかのように語られることがある。確かに介護という職業は、他人の感情と直接向かい合わねばならないがゆえに、その感情に巻き込まれ、精神的負担を感ずることも多く、ストレスは決して少なくはない。

だからと言って、全国で約177万の介護職員の大多数が、ストレスのために虐待行為に走っているという事実はない。多くの介護職員は、何らかのストレスを抱えていたとしても、それ以上に介護という職業の使命感や誇りを感じ、やりがいを感じて、利用者の笑顔を求めて仕事を続けているのだ。そういう意味でマジョリティは、虐待行為と無縁の仕事をしている職員であり、

介護施設でのストレスチェックと、メンタルヘルスケアの重要性は、職員の心身両面の健康を守り、離職を防ぐためのもので、主たる目的が利用者に対する虐待防止ということではないはずだ。

虐待を抜きうちの実施指導で防ごうという考えも示されているが、行政職員がそこに来たという瞬間に、職員は構えて対応するだろうから、記録に残る行為以外を明らかにすることは難しい。つまり行政指導をいくら強化しても事実をつかむことは困難であり、虐待行為の抑止力にもならない。本当に求められる虐待防止策とは、虐待につながる要因とは何かを分析し、その要因につながる芽を摘み取る教育実践である。そしてその要因とは、介護のストレスではなく、感覚麻痺であり、感覚麻痺が、「介護施設の常識は、世間の非常識」という状態を生み出していることなのである。

言葉を崩して馴れ馴れしい言葉遣いをすることが、親しみやすさの表現だという変な誤解をなくして、顧客サービスとしてふさわしい言葉を普通に使いこなすことができる介護を作っていく必要がある。このことはサービスマナーとして普通に考えられるべきであり、その先にホスピタリティの視点が加えられるとしたら、介護と虐待は遠い存在になっていくだろう。

対人援助とは言葉で言い表せない、目に見えない、「心配り」なしで語ることのできない職業だと思う。だから尊い。だから誇りを持てるのだ。

目に見えない心が大切な介護という仕事であるがゆえに、マナーは当たり前、そこに心を加えてホスピタリティ意識を高めようというのは、至極当然の帰結でもある。
ホスピタリティ
明日から大阪で月2回の介護セミナー・施設ケアマネ、相談員向け実務講座(1回3時間30分×6日間コース)がスタートするが、そこでは最新情報を交えて、ポスピタリティの伝道者となり得る相談援助職の在り方を伝えたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

相談援助職の役割の明確化が必要



施設の相談援助職の方々を対象とした講演を行うことも多いが、そこでいろいろな方から相談を受けることは、相談援助職は、時に介護職員のヘルプに入る必要があり、介護実務を求められるが、それが当然なのだろうかということである。

相談援助職は、施設サービス全体のコーディネーターだから、介護実務ができるというスキルは認められてよいが、そうしたスキルがあるからといって、「介護職員の数が足りないから手伝って」といった形で、介護実務を行うことは不適切だというのが、僕の立場である。

もともと相談援助職員が、施設サービスを展開する中で、介護の業務に携わることが是か非かということについては、ソーシャルワークとケアワークの融合論と分離論という形で議論されてきた。

融合論とは、施設が暮らしの場である以上、それはすべて利用者支援というサービスの場であり、ソーシャルワーカーも、ケアワークを通じて利用者の総合支援を行うべきだし、そもそも両者を区分する必要はないというものだ。

それに対して分離論とは、生活の場であるといっても、利用者のニーズは様々で、介護実務だけを求めているわけではなく、介護支援の品質も含めて、精神的支援、経済的支援、家族関係支援などが必要になるもので、介護実務の専門家とは異なる、ソーシャルワーカーの支援を必要とするもので、融合論はその専門性を発揮させないというものだ。

つまるところは、相談援助職の専門性とか、役割とかが不明瞭であることが、ソーシャルワークとケアワークの融合論が生まれる所以である。

施設の配置基準において、生活相談員・支援相談員・介護支援専門員は、利用者100人に一人配置しておればよいということになっている。これは相談援助職が、利用者の直接介護を行う人ではなく、介護を行う人に対して、タクトを振って、サービス全体をコーディネートする、「頭脳」の役割を」持つという意味である。

相談援助職が、介護実務のヘルプを求める施設は、介護職員はいないと困るけど、頭脳役の相談員はいなくて困らないのか?

そもそも施設サービスは、日常性になることによって一定の品質が保たれるが、日常性は惰性につながるという一面があるのだ。

そうであるがゆえに、実践水準は内部的に更新するとともに、外部情報が取り入れられて更新されなければならない。施設サービスのケア品質で言えば、内部はケアワークそのもので、外部とはケアワーク以外の専門性を指すもので、ケアワークという内部の限界や甘さに対して、ソーシャルワークという外部からの補完機能は絶対に必要なのである。

つまり相談援助職とは、ソーシャルワーカーであり、介護施設において、蟻の目と鳥の目との両方の視点から現場のサービスをチェックできる存在でなければならず、介護職員と同じことを出来るというスキルは大事だが、同じ業務を行っている状態は、ケアワークの外部からのチェックと補完機能が存在しなくなるために、好ましくないのである。

サービスの質をチェックする人が、サービス実務を行いながらチェック状態とは、実践水準の内部的更新に過ぎず、外部からの補完機能にはならないということを理解すれば、施設ケアマネが、相談員以外の他職種(看護職員や介護職員)と兼務する状態は不適切であることにも気が付くだろう。

では具体的にその役割とは何か。そのことは後日明らかにしたいと思う。・・・もう名古屋に向かって出かける時間である。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

国の虐待防止対策は効果があるのか


今月7日に行われた会議の中で、厚労省は全国の自治体職員に向けて、介護施設の「抜き打ちの実地指導」を行うよう指示した。

これはSアミーユ川崎幸町で起きた、利用者連続転落殺人事件を受けての措置で、虐待防止のための指導の在り方を考える中で決まったものである。これによって今後の実地指導は、「虐待の疑いがある場合は、抜き打ちで実施」することとし、厚労省は近く通知を見直す方針とのことだ。

この報道に触れて感じたことは、「これって実地指導なの?」ということだ。「虐待の疑いがある場合は〜」という条件が付いていることを考えると、これって実質的には、「監査」ではないのかという疑問がまず生じた。

そうであるなら、現在の対応とさほど変わらないのではないかと思う。だって今だって、「監査」は、不適切運営が疑われるとして抜き打ちでも行っているではないか。どこが違うのだろうか・・・。
(※介護保険制度上の実地指導とは不適切運営を行っている事業所に処分を行うことを前提にした者ではなく、適正運営を行っているかどうかを確認するためのもので、運営指導が必要かどうかを判断し実施するもので、原則として施設サービスが2年に1度、居宅サービスは指定更新の期間内に1度実施するものである。)

どちらにしても、適切な運営を行っている施設にとっては何ほどのことはないし、どうぞいつでも抜き打ちで運営確認にきてくださいよ、というようなものだろう。

ところでこの措置によって、虐待は本当に防止できるだろうか。その抑止力は期待できるだろうか。

そもそも行政指導は、警察の役割りではなく、事前に不適切運営を防ぐのが一番の目的である。そうであれば「虐待の疑いがある場合は、抜き打ちで実施」する目的が、単に虐待事実を明らかにして、処分を行うことであっては意味がないことになる。

そこには抑止力となる効果が期待されなければならない。

しかし書面審査が中心となる行政指導や監査で、どれだけの虐待行為が明らかになるだろうか。アミーユ事件でも、3人の転落死については、行政は全く無力であったではないか。(行政処分の対象になったのは、利用者家族の隠し撮りビデオ映像に映っていた行為と、殺人犯がそれ以前に警察の御縄になっていた窃盗事件である。)

行政職員の確認作業など、隠し撮りビデオほどの効果さえないという意味である。しかもいくら抜き打ちだからと言って、行政職員がそこに来たという瞬間に、職員は構えて対応するだろうから、記録に残る行為以外を明らかにすることは難しい。つまり行政指導をいくら強化して、そのために方法を変えたとしても、根本原因に手を入れない限り、感覚を麻痺させた人間による虐待はなくならないということだ。

Sアミーユ川崎幸町で隠し撮りされたビデオには、事件の犯人以外の複数の職員が、利用者を罵倒しながら乱暴に取り扱う姿が映されていた。その姿は虐待そのものであるが、こうした日常的な暴言は、施設長はじめ管理職の耳に届いていなかったのだろうか。

そもそもそうした職員の利用者に対する日常会話における言葉遣いはどうだったのだろう。おそらくそれは丁寧語とは程遠い、乱れた言葉であったと想像できる。施設の管理者が、職員の言葉遣いに鈍感であれば、乱れた言葉遣いがエスカレートし、乱れた心を生み、虐待に発展するというケースは少なくはない。殺人という行為は論外だが、この施設では職員の暴言が常態化し、不適切な対応につながり、それが次第にエスカレートしていったことが容易に想像できる。

このような状況改善を、後追いの行政処分に期待しても始まらないのである。

行為がエスカレートする以前に、その行為につながる感覚麻痺をなくすような方策をとらねば、行政対応はただのアリバイ作りで終わるだろう。

こうした問題を解決するためにも、「介護サービスの割れ窓理論」を浸透させてほしいと思うのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

施設の頭脳役としての相談援助職のスキルを高めるために


介護施設において、相談員は利用者100名に対して1名配置すればよいことになっている。介護支援専門員も同じ基準である。

しかも介護支援専門員と相談員を、一人の人間が兼務したとした場合も、両職種の配置がそれぞれ常勤専従1名とカウントできるというルールがあるために、100人定員の介護施設では、相談員兼介護支援専門員が1名配置されておればよいということになる。

それで実際の業務が回るのかどうかという問題は別であるが、配置基準自体は、100名の利用者に対して相談員兼介護支援専門員は、一人いればよいのである。

24時間365日休みなくサービス提供すべき施設サービスにおいて、基準上一人の配置しかなくてよいという職種は、その職員が休んだ場合に、その職務をこなす職員が存在しなくなることを想定したものである。つまり常勤専従配置しておれば、休みの日にその職種がいない日があってもよいということを織り込み済みの配置基準なのである。

このことは相談員及び介護支援専門員の機能を現す基準であると考えてもよく、それは日常的に手足の役割りをもって、直接介護サービスを提供する役割りではなく、手足の役割りを担う人々が、効率的・機能的に動くことができて、それによって利用者の暮らしぶりが良くなるための全体のコーディネートをする役割である。

即ち、相談員及び介護支援専門員の施設サービスにおける役割とは、「頭脳」の役割りであると言えるのである。

頭脳だから、配置がない日があってもよいし、直接介護サービスを提供する場所から離れた場所で、指揮タクトを振ることがあってもよいという意味にも通じる。

相談援助職が、施設サービスにおける頭脳として酷使すべき援助技術がソーシャルワークであり、その一部分をなすものがケアマネジメントなのである。

このように、頭脳役の相談員・介護支援専門員はソーシャルワーカーであることに間違いはなく、相談員と介護支援専門員の関係は、本来ならばソーシャルワーカーとしての知識と援助技術を基盤にして、ケアマネジメントという援助技術をさらに高めた存在が介護支援専門員であるという理解になり、それは看護師に例えるなら、看護師資格を基盤とした、「専門看護師」と同じ関係ではないかということを、かねてより主張してきた。(参照:施設ケアマネジャーは、相談援助職でありソーシャルワーカーですよ

逆に言えば、ソーシャルワークの知識と技術のない人間が、たまたま介護支援専門員の資格を取得したからと言って、施設における相談援助職としての役割はこなせないのである。ここが現在の介護保険制度と、介護支援専門員の資格取得ルールの問題点である。ここにメスが入る日は来るのだろうか・・・。

実務5年が資格取得の要件の一つになっている介護支援専門員と比べると、相談員は社会福祉士という国家資格もしくは社会福祉主事の任用資格、又はそれと同等以上の能力を持つと認められることで任命できるので、学卒者の新人が任命されることも多い。よって相談員=指揮命令権があるとは限らないが、頭脳としての役割を考えるならば、ある程度の職務権限を与えられて然るべき立場であるし、経験を積んだ先に中間管理職〜管理職へと成長することが期待されていることは当然である。その過程で、介護支援専門員の資格を取って、ソーシャルわーかんーの中でも、ケアマネジメント技術に長けていくことが求められ、相談援助職の中でスーパーバイザー役が担えるという過程を踏んでいく必要もあるだろう。

それらの過程を踏みつつ、相談援助職は施設内外の様々な「調整」を行うことになるが、当然その先には施設運営管理にも関わることが求められてくる。もっと先には法人全体の運営に関わる知識が求められてくるのである。それは「頭脳」役の宿命であるともいえる。そのことへの覚悟・自覚に基づいて、様々なことを学んでいかねばならない。

そんな相談援助者を育てる講座が4月から大阪で開講される。社会福祉法人みらい福祉研究所の、「介護ビジネスアカデミー」の「8、施設ケアマネジャー・生活相談員実務講座」のお申し込みはこちらをクリックして、申込用紙をダウンロードしてほしい。

相談援助職としてのスキルを高めたいという人にもぜひ参加していただきたいし、介護支援専門員ではあるが、前職が相談援助職ではないために、相談援助の基本を学びなおしたいという人にも是非お勧めしたい講座である。

100年後にも通用する介護を創る頭脳役を育てたいと思っている。一緒に学んで、介護の新しいスタンダードを創り上げましょう。
施設ケアマネと生活相談員講座

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

施設ケアマネジャーは、相談援助職でありソーシャルワーカーですよ


施設の介護支援専門員の立場と役割が、まだまだ理解不足である現状がある。

そもそも施設の介護支援専門員として発令を受けている本人が、施設ケアマネってどのような存在なのかを理解していない場合がある。そういう人たちが、束になって施設ケアマネの役割論を作ろうとしても、それは的外れなものにならざるを得ない。

施設ケアマネがどのような存在で、施設内でどのような業務を担うのかということを、一言で表すとしたならば、『施設で提供するサービスの目的や方法を言語化できるソーシャルワーカー』と表現でき、そこでは様々なものを繋ぐ調整力が求められるのである。

勘違いして欲しくないことは、施設ケアマネの仕事が、ケアマネジメントに特化して考えられることである。ケアマネジメントは、社会福祉援助技術の一つに過ぎず、施設ケアマネは、施設サービス計画というツールによって、その内容の展開と検証作業の過程で、ケアマネジメント技術を使いこなす必要はあっても、それはソーシャルケースワークの展開の過程にしか過ぎず、ケアマネ業務の全てではない。

さらに言えば、ケアマネジメントとは、基準省令第12条に書かれているアセスメントからモニタリングまでの、施設サービス計画作成過程のみではなく、施設サービス全体をコーディネートする一連の過程をも全て含んだものである。相談援助職として調整する過程もマネジメントの範疇である。それをマニュアル化できるとでも言うのだろうか?

相談援助職という基盤があってこその、ケアマネジャーであり、『相談員の仕事を兼務しているから、施設ケアマネの業務に専念できない。』というのは、極めて馬鹿馬鹿しい理屈であり、本来相談援助そのものである相談員業務と、ケアマネ業務は切り離すことはできないものなのである。

施設ケアマネと相談員の関係性を考える際には、専門看護師と看護師の関係性を当てはめるのがわかりやすい。

専門看護師とは、複雑で解決困難な看護問題を持つ個人、家族及び集団に対して 水準の高い看護ケアを効率よく提供するための、特定の専門看護分野の知識・技術を 深めた看護師であり、施設ケアマネとは、まさに介護保険制度とケアマネジメントのスペシャリストとしての知識と技術を持った専門相談員なのである。

専門看護師が、看護師業務をしていたら専門看護師業務ができないと嘆いたら、お前馬鹿かと言われるように、介護支援専門員が相談員業務をしていたら、ケアマネ業務が出来ないと嘆くことほど滑稽なことはないのである。

そもそも法令上の施設サービス計画作成過程では、サービス担当者会議と他職種への照会は同列に書かれ、やむを得ない事情がなくても、会議を開かずに照会のみで計画を作成して良いことになっている。これは居宅介護支援事業所の居宅サービス計画作成ルールと異なっているルールであり、それは同一施設内の他職種連携は、会議を行わなくても容易に可能であることに配慮したものであることに加え、もともと相談員が施設内で様々な連絡調整の役割を担っており、そのことが評価されているという意味もあるのだ。

施設ケアマネとは、相談援助の専門技術を身につけたソーシャルワーカーなのだから、相談員の中でスーパーバイザーとなり得る、相談援助職のリーダーであり、施設内の頭脳であり、PDCAサイクル構築の旗振り役である。

そして施設によって様々な暮らしが存在するのだから、そこでの業務内容が違ってくるのは、ある意味当たり前のことであり、無理な雛形に業務統一する必要はないものである。ソーシャルワークとは、本来その枠を取り払って、臨機応変に対応することが求められるのである。

ケアマネ実務を経験したこともなく、施設ケアで結果を出したこともない大学教授が何を教えたのか疑問だが、施設ケアマネが、相談員としての役割を基盤としているという根本理解のないままの施設ケアマネ業務マニュアルなど、全く意味のないものといえよう。

ここの部分の理解がないケアマネ専門部会は、非常に残念な存在である。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

食に対する施設の非常識


年末から年始にかけて、我が施設の献立にも、たくさんごちそうが並べられている。

その献立表を見て、今から楽しみだと言ってくださる利用者も多い。やっぱり食事は、栄養以前に人の最大の楽しみなんだと思う。

そういう意味で食事とは、体に栄養を与えてくれるのと同時に、心にも栄養を与えてくれるものなのだろうと思う。

それだけ食事サービスとは重要である。だから限られた予算の中ではあっても、最大限の努力で、見た目にもよく美味しいものを食べていただきたいと思っている。

この大切な食事を、ただの栄養補給とみてしまった時に、介護施設は冷たいブラックボックスになってしまうのだろうと思う。

だから、管理栄養士をはじめとした食事サービス担当職員には、利用者の喜びとなる食事という面を一番大事にしてほしいとお願いしている。食事制限が必要な人も、制限が当然ではなく、その中で「できること」を最大限に考えてほしいとお願いしている。

僕はこのことを、「制限は馬鹿でもできるが、出来ることを見つけることは智恵のある者にしかできない。」と表現している。食事という面では、施設の中では、管理栄養士が一番の知恵者であるはずなので、施設長ごときが考え付かない方法を見つけてほしいと思っている。

そのような取り組みの継続の結果が、お餅を食べることができない人の、「疑似餅」や、嚥下障害のある人に対する、ムース食やソフト食といった嚥下食の充実に繋がってきていると思う。

当施設は今年度途中から、給食サービスを直営から業者委託に変えたが、当初いろいろと混乱はあったものの、毎月の給食会議等で業者側と話し合いを重ね、食事の質も落ちることなく、嚥下食はさらに充実したものになっていると思う。これからも話し合いを続け、さらなる品質向上に努めたい。

この食事に関して、僕のフェイスブックで繋がっている方が、こんなコメントを寄せてくれた。

「のどに詰まる可能性があるので、うちでは餅を出しません」、「生ものは危ないので、年中通して生ものは出しません」(生ものとは、刺身を指すこともあれば、中にはサラダすら生ものとして出さない所もあり)という事業所が多いです。「安全」という大義名分で、普通だと思っていた生活がなくなるのは、悲しいです。そこで働く職員さんたちも「安全のためには仕方ない」としか思っていないようで、それも残念です。

いまだにこのような施設があり、しかもその数が決して少なくないことに心を痛めている。介護施設に勤めるものとして恥ずかしいことだと思う。それは、サービスの品質などという言葉が存在しないほどの、低レベルな状態であると断じてよい。

誤嚥事故や食中毒を防ぐ視点は大事だろう。しかしそれが度を過ぎて、制限一方では、食の楽しみを奪ってしまう。それはもしかしたら、「生きる喜び」を奪いかねないことだと思う。

果たしてその施設の職員は、この食事提供の状況が続くとして、将来その施設に入所したいと思うだろうか?僕ならそんな施設には絶対入りたくないし、自分の身内も入れようとは思わない。

刺し身を出さない施設の職員は、自分たちが年末・年始にかけて、お刺身やお寿司に舌鼓を打つ姿を、その施設の利用者に見せることができるのだろうか。自分たちの食卓だけ豪華に飾り、施設の食卓に刺身も餅も、生野菜さえも乗せないことに、心苦しさを覚えないのだろうか。

このことに何も感じないとしたら、それもすでに感覚麻痺である。世間一般に食べられている普通の食材を制限すること自体、虐待と言えるのではないだろうか。

施設の管理者は、施設のルールを決めることができるという権限を持っている。施設管理者の考え方ひとつで、そこに入所した人々は、死ぬまで刺身も餅も生野菜も食べられなくなり、一生涯を終えてしまうことになる。この恐ろしさを知るべきである。

施設管理者の役割りとは、こうした制限の網の目を細かく張ることではなく、最大限の知恵を絞ったうえで、出来る可能性を広げる役割りであり、何か事故等があった際には責任を取る役割である。

責任を取る覚悟をもって、人の喜びを奪わないために知恵を絞ることが、管理者の仕事だ。

制限しかできないということは、知恵がないということだ。責任を取りたくない、知恵もないという人は、施設管理者としての能力に欠けるということだ。そうであれば、他の仕事を探したほうが世のため人のためである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

離職すべき職場


全国各地の介護施設で頑張っておられる職員の中には、素晴らしい理念と知識と介護技術を持たれている方がたくさんおられる。本当に素敵な方々は、対人援助の場でも輝いている。

それらの人々は、まさに「名もなき達人たち」と呼んでもよいだろう。

その一方では、理念も知識も技術も持たない素人が、介護サービスに携わっているという現状もある。それが人材不足を通り越した、人員不足という現状となってしまっている介護サービスの抱える闇である。ここを教育で変えていくことができるのか・・・。僕はそのことに大きな希望は持てない。

所詮、種は種以上の別のものにはなれず、きゅうりは茄子になれないのだ。人にも能力というものがあり、それは向上するものだと思うが、もともとそのキャパには個人差があって、対人援助に向かない人や、対人援助に携わるべきスキルに達しない人は、必ず出てくるからであり、介護人員の裾野を低いところに広げ過ぎた結果が、Sアミーユ川崎のような状態を生む大きな要因なのである。

「他に仕事がないから、介護でもやるか。」という考えの人が、簡単に就業できる状況が変わらなければ、虐待や不適切対応は増えることがあっても、決してなくならないだろう。

ともかく人手を集めるのではなくて、対人援助にふさわしいスキルを持った、有能な人材が集まることのできる職業にしていく必要がある。それは施設の数だけを増やして、人材を確保する手立てをしない施策では実現しないのである。この国の社会保障政策は一体どこに向かうつもりなのだろう。本当に心配である。

そんな中で、僕たちはアクトローカリーの精神から、自分の身の回り、自分の手の届く場所で、有能な人材を集めて、正しい教育を行い、利用者本位のサービスの実現を目指すだけである。

しかしその時大きな障壁になってくるのが、介護施設のトップが旗を振って、職員を洗脳するかのようなおかしな教育を行い、利用者本位などという言葉が存在しないかのような、「施設本位」の異常なサービスを日常化している実態である。

特に異常なやり方と言えるのが、個別のアセスメントをせずに、利用者全員に1.500ml/日以上の水分の強制摂取させることを、「科学的介護」と称している状態である。
(参照:異常な水分強制補給の実態に関するブログ記事一覧

そこでどのようなことが起こっているのかは、リンクを張った記事へ寄せられた、数々のコメントでも明らかである。例えばそれは、下記のようなものである。

・スプーン1口のゼリーですら、首を横に振って涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっている利用者様に、どうしても無理強いする事が出来ず・・いつもユニットリーダーから叱られます。

・「水分摂取表」に、いつも当然のように「全量」と書き込む先輩介護福祉士の水分摂取介助の方法とは、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました・・・。」

・(無理やり口を開けさせられ水分摂取させられていた)利用者の、開いた唇の奥に異変を感じました。「少し、もう少し口を開いて頂けますか?」自分が大きく口を開けて、同じようにして頂くようお願いしたら・・・・舌の裏。血豆だらけでした。(涙が出ました)早出だったユニットリーダーに報告しても「そう。」とだけしか返事はなく。

・私が辞めれば、もうそんな光景を見なくて済む。けれど、私が居なくなった後もその光景は続く。毎日が本当に辛いです。そこまでして、一体何の意味があるのか?私には、どうしても理解できません・・・。


施設の方針で、無理やり利用者の口をこじ開けて、利用者の口腔内に血豆を作り、毎日苦しませているリーダーと、そのことをおかしいと涙する職員のどちらが正しいかは、一目瞭然だろう。

しかしこの施設では、利用者の口の中に血豆を作り、毎日口をこじ開け、苦しませる職員の方が評価されるのである。この状態を一部の職員の努力で変えられるだろうか?それは無理と言うものだ。

意見を異にすると罵声を浴びせられかねない研修会で、ひとつの方法論が正しいと思い込み、施設長のお墨付きをもらって、施設全体でそのことに取り組んで、他の意見を一切取り入れない状態では、正論もどこかに吹き飛んでしまう。

それはまるで洗脳された集団の中では、正常な感覚の持ち主が迫害を受けるのと同じ状態である。

残念ながらこういう場所では、正論はつぶされるだけなので、正常な感覚の持ち主は、そこから飛び出すしかないと思う。この状態が異常と思える人は、一刻も早くそういう洗脳集団から抜け出して、まっとうなケアに努める施設に再就職すべきである。

施設の財産ともいえる、才能も技術もある正常な感覚の持ち主が、櫛の歯が欠けるように、いなくなったときに初めて、異常な感覚の持ち主たちは、自分たちの間違いに気づくのかもしれない。

いやむしろ、辞めていくしか気づかせる方法はないだろう。だから介護を良くしたいと思う志の高い人は、そのような職場から一日も早く離れることをお勧めしたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

この改正は配置基準の緩和になっているのか?


今日は予定は詰まっていて、ブログ記事をゆっくり書いている時間がない。そのため、いつもより短い記事の中に、僕がどうしても理解できていない法令解釈について、疑問を書いてみようと思う。文章を推敲している時間もないので、わかりづらい文章になるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

先の国会で、社会福祉法の改正は先送りされ、社会福祉法人の地域貢献活動の義務化はされなかったが、次の通常国会では、必ずこの法案は可決されるだろう。

その時に社会福祉法人には、今以上の地域貢献活動が求められることになるが、介護報酬を大幅に削減して、人員配置を厚くできない状態で、専従規定も実質緩和されないとしたら、志があっても、金もない人もいないという状態で、活動ができないということになりかねない。そのこともあってか、介護報酬改定の際に次のような見直しが行われた。・・・と思った。

ところがどうしてもその内容が腑に落ちないのである。どこが変わっているのだろうか・・・。

平成 27 年度介護報酬改定に関する審議報告の「平成 27 年度介護報酬改定に係る基本的な考え方」の17頁に、 (「特別養護老人ホーム」の職員に係る専従要件の緩和)が示されており、その内容とは、 「特別養護老人ホーム」の直接処遇職員に係る専従規定については、当該職員による柔軟な地域貢献活動を行うことが可能となるよう、関係通知を見直し、規定の趣旨を明確化する。とされている。

この意味は、看護職員や介護職員などの直接処遇職員も勤務時間中に地域貢献活動を行うために、施設がら外に出て、利用者の看護や介護ではない地域福祉に関連する行為に携わっても配置人員にカウントできる、という意味だと思っていた。

しかし、その結果行われた通知改正とは、特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準についてであり、具体的には次のように記されている。

【特養基準解釈通知 第1の5職員の専従】
基準第6条(職員の専従)は、入所者の処遇の万全を期すために、特別養護老人ホームの職員は当該施設の職務に専念すべきこととしたものであり、職員のほかの職業との兼業を禁止する趣旨のものではなく、また、当該特別養護老人ホームを運営する法人内の他の職務であっても、同時並行的に行われるものではない職務であれば、各々の職務に従事すべき時間帯が明確に区分された上で兼務することは差し支えない。

つまりこの意味は、「職員が時間帯を明確に区分し、法人内の他の職務に従事した時間については、常勤換算方法における職員の勤務延時間数には含まない。」であり、「また、特別養護老人ホームにおいて勤務すべき時間帯については、従前のとおり、介護職員等の直接処遇職員については原則として兼務ができず、その他の職員の兼務についても、同一敷地内のほかの社会福祉施設等への兼務であって、入所者の処遇に支障をきたさない場合に限られる。」という考え方に変わりはないという意味にしか思えない。違っているだろうか?

このことについて、介護給付費分科会に提出された資料でも、「特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準について」(解釈通知)の改正等を行うことにより、特別養護老人ホームの職員に係る「専従」の要件は、特別養護老人ホームの職員配置基準を満たす職員として割り当てられた職員について、その勤務表上で割り当てられたサービス提供に従事する時間帯において適用されるものであり、それ以外の時間帯における職員の地域貢献活動実施等をも制限する趣旨のものではない、ということを明確にする。」 とされており、通知改正の目的が、「柔軟な地域貢献活動を行うことが可能となるよう」というものであるにも係らず、実際の規定は、「勤務表上で割り当てられたサービス提供に従事する時間帯以外の時間帯における職員の地域貢献活動実施等をも制限する趣旨のものではない。」という規定にしか過ぎない。

つまり時間外で地域貢献事業に係ることは問題ないとしているに過ぎないのである。って???である。だって勤務シフト以外の時間に、何をしようと問題ないのは、以前も同じではないのか?

勤務シフト以外の時間だから、当然それは特養の人員配置に計算しない時間である。そうであれば、常勤の規定が、「当該事業所における勤務時間が、当該事業所において定められている常勤の従業者が勤務すべき時間数(32時間を下回る場合は32時間を基本とする。)に達していることをいうものである。同一の事業者によって当該事業所に併設される事業所の職務であって、当該事業所の職務と同時並行的に行われることが差し支えないと考えられるものについては、それぞれに係る勤務時間の合計が常勤の従業者が勤務すべき時間に達していれば、常勤の要件を満たすものであることとする。」(老企25号)であり、改正通知で認められている「同時並行的に行われるものではない業務」については、「各々の職務に従事すべき時間帯が明確に区分された上で兼務」とされているのだから、これは常勤換算職員となってしまうという意味となる。

すると地域貢献活動はまさに、「同時並行的に行われるものではない業務」なのだから、常勤換算をしない常勤者は、勤務時間内での地域貢献活動はできないという意味になる。

通所介護の改正では、「相談員は街に出よう」という方針で、生活相談員の勤務延時間に、「地域の町内会、自治会、ボランティア団体等と連携 し、利用者に必要な生活支援を担ってもらうなど社会資源の発掘、活用のための時間」 が認められたが、特養の直接処遇職員の規程の見直しは、同もそれほど明確な緩和ではないような気がしてならない。

というより、どう考えても、これが基準緩和とは思えないのである。それとも何か僕の理解に間違いがあるのだろうか?

違うという人がいたら、是非ご意見をいただきたいと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

地域包括ケアシステムの中での老健の機能を考える


下記の図は、関係者には見慣れた(あるいは見飽きた)地域包括ケアシステムのイメージ図である。
地域包括ケアシステムのイメージ図
ここの右上の方に、「施設・居住系サービス」として、特養と老健が、特定施設やグループホームなどとともに記されている。

等と記されているが、この中には、「介護療養型医療施設」も入るのだと思える。この施設が表記されていない理由は、同施設が法律では、2017年度(2018年3月末)までに廃止されることになっているからであろう。(※ただし、現在の方向性は、何らかの形で存続させるというところに向かっている。)

このように介護施設も地域包括ケアシステムを構成する要素であり、その意味は介護が必要になった人が、地域で暮らし続けるための機能を持つという意味である。

特養の場合ならばその意味は、身体介護が必要になり、その状態が重度化した後に「住み替える」ことのできる、「暮らしの場」であり、できればそこは、看取り介護も提供できる終生施設としての役割りと機能をもつことが期待されている。

老健の場合は、基準省令第一条の二において『介護老人保健施設は、施設サービス計画に基づいて、看護、医学的管理の下における介護及び機能訓練その他必要な医療並びに日常生活上の世話を行うことにより、入所者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるようにすることとともに、その者の居宅における生活への復帰を目指すものでなければならない。』と定められているのだから、在宅強化型老健に限らず、在宅復帰機能を持つ施設であることは言うまでもない。

地域包括ケアシステムの中でもこの機能は重要で、住み慣れた「住まい」に復帰するために、リハビリテーションを提供し、身体機能の向上を図ることが求められていることも間違いない。しかしそこになぜ「ターミナルケア加算」という算定単位が存在し、ターミナルケアの機能が同時に求められているのかをも考える必要がある。

これに関連しては、第105回(H26.8.7) 社保審−介護給付費分科会に面白いグラフ資料が提出されている。
老健のターミナルケア加算算定の状況
老健のターミナルケア加算は、全体的には算定率が低い状況ではあるが、資料グラフからわかるように、在宅強化型老健の方が従来型老健より算定割合が高いことが読み取れる。

これはなぜか。在宅強化型老健は、在宅復帰率とベッド回転率が一定割合を超えていなければならない施設である。そうなると個別リハビリテーションを充実させて、在宅復帰を視野に入れた利用者が入所してくることになり、特養の待機のための利用と言う人が少なくなり、利用者の入所期間は自ずと短くなる。その中で在宅復帰していく人が多くなるという状況が生まれる。

在宅復帰した人に対しては、老健からの訪問リハビリなどで退所後のフォローもしている場合が多いが、それでも退所された人が、ずっと身体機能を維持できるわけではないので、一定期間自宅等で過ごした後に、老健に再入所し、再び在宅復帰を目指すというケースが増えてくる。こうした利用を複数回繰り返すことで、ずっと施設入所したまままではなく、一定期間は自宅等で過ごすことができる人がいるわけである。

そういった利用者が、最終的には老衰などで回復不能な終末期になった時点で、なじみの職員がいる老健で終末期を過ごすことを求め、老健に入所してターミナルケアを受けるというケースが増えているのだ。

つまり老健で行われるターミナルケアは、老健で過ごしている人がそこで身体状況が変化して終末期を迎えるというケースにととまらず、何度か老健を利用しながら在宅で生活していた利用者が、自宅等で終末期の状態になり、その対応が自宅等では難しいことを理由にして、ターミナルケアを受けることを目的に、老健に入所するというケースが多いのである。

特養の看取り介護では、このようなケースはほとんど見られない。そういう意味では、老健のターミナルケアの特徴は、繰り返し老健を利用しながら在宅生活を維持していた人が、最後はターミナルケアを受けるために老健に入所することであり、それは地域包括ケアの中で求められる役割ではないだろうか。

現に今年度の介護報酬改定時に、老健のターミナルケア加算のついては、「老健でのターミナルケア・看取りは、利用者の長期間の在宅療養支援の結果として行われるものであり、このような観点からターミナルケア・看取りを評価。」と解説されている。

そうであれば、このコンセプトは既存型老健にも通用するものなのだから、在宅復帰した人が、繰り返し老健施設を利用しながら、最終的に老健で最期の時を過ごすというところまで見通しながら、利用者の暮らし全体を支えていくと考える必要があるだろう。老健の支援相談員の意識も、そこに向けて関係構築していくという視点が必要ではないだろうか。

このように、老健の在宅復帰機能と、ターミナルケアの機能は、相反する機能ではなく、在宅復帰を目指す先に、高齢期の終末をも支える機能を併せ持つという意味で、両者は矛盾しないと考える必要があるのだ。

そして地域包括ケアシステムの中では、老健と言う施設の中だけで完結するサービスに陥らないように、最期もきちんと対応できるターミナルケア機能を持つからこそ、地域の中で利用者を支援できるのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

既に存在している空き箱(その2)


10/2付け北海道新聞の朝刊で、地方の特養の空きベッド問題が特集記事となっているが、そこで紹介されている特養は、現在100人定員に対して、95人の利用者しか入所していないそうである。

その特養には待機者が20人いると言うが、「念のために申し込んでいるだけ」という理由で、待機者がいるのに定員割れしているという矛盾を説明している。

僕の施設で5名もの空きベッドが生じているという状況が生まれたらと想像すると、背筋が寒くなる。月にして150万円弱、年間でみれば1.800万円近い減収となるからである。

しかし北海道新聞の特集記事からは、当該施設の経営に対する危機感は伝わってこない。むしろ記事の中には、「重度の入所者が多く、介護職員も不足しているから、これ以上の受け入れは難しい」という施設長のコメントが掲載されている。つまりこの施設は、満床にしようという営業努力はしていないと思われる節があるのだ。

これって有りか?「重度の入所者が多い」というのは、「これ以上の受け入れは難しい」という理由にはならない。もともと特養は、要介護度が高い利用者も受け入れ対象としている施設であり、ましてや4月以降は、原則要介護3以上の要介護者を入所対象としているのだから、重度の人が多くなるのは当然で、そうであっても指定を受ける際に定めた定員までは利用者を受け入れなければならないし、そうしないのであれば定員の見直しを行わねばならない。

ただし、「介護職員も不足しているから」という理由については、考慮に入れて考えねばならない余地がある。

介護の人材不足が叫ばれる今日、職員募集に応募がないという状況は、日常茶飯事で珍しくなく、必要な配置人員を確保できないために、やむを得ず定員に満たない数の利用者しか受け入れられないというのは、サービス提供拒否の「正当な理由」に当たるからである。

しかしもしこの特養が、100人と定められた定員に対する3:1以上の看護・介護職員配置ができていて、それでもなおかつ定員に満たない状態であるにもかかわらず、「これ以上の受け入れは難しい」と発言しているとしたら大問題である。待機者に入所意思があっても、受け入れ拒否する危険性が生まれるからである。そうした発言を新聞という公器に載せることによって、どんな影響があるかをもっと深く考えねばならない。
(※職員配置数は、本来は定員に対してではなく、前年度の平均利用者数に対するものだが、本記事の趣旨に沿って、ここではあえて定員との関係を論じている。)

新聞の特集記事を読んで、その点が気になったところである。

どちらにしても、5%の定員割れが常態化している状態で、「これ以上の受け入れは難しい」と言いながら運営できている特養はうらやましい限りである。よほど資金豊富な法人なのかと思ってしまう。それとも職員配置ができないために、人件費支出が低い水準であることが、そうした運営状況を可能としているのだろうか。後者だとしたら気の毒ではある。

実はそうした気の毒な施設が、今全国で生まれているというのが実情である。

僕は新設施設の職員研修講師として、全国各地の施設からご招待を受ける機会も多いが、志を高く持って運営しているそうした施設の中にも、職員募集に応募がないために、やむを得ず一部のユニットをオープンできないという話を聞かされたりする。これは特定地域に限った事情ではなく、全国いろいろな地域から聞こえてくる問題である。

北海道も事情は同じで、待機者が多いとされている札幌市でも、定員の8割しか入所者がいない特養があり、その理由は、定員いっぱい受け入れた場合に、職員配置数が足りないほど、募集に応募がなく、職員採用ができていないという理由である。ここでは、実際にすぐに入所したいという待機者が存在するのに、定員に満たない利用者しか受け入れることができないという矛盾が存在するのである。

9/25に書いた、「首相の特養整備方針を、社会保障政策と勘違いしてはならない」という記事の中で僕は、『整備費用として建設補助金を優遇して特養が建てられても、ケアする職員がいないために、利用者受け入れができないという、「空箱」を全国に建設するという結果にしかならないのではないか。』と問題提起したが、人員不足により、施設主体で作られた「空き箱」は、現在すでにたくさん存在しているのである。

その中で、人材確保策のないまま、「新三本の矢」かなにかは知らないが、経済政策として特養を整備しても、それは「介護離職」を減らす効果にはつながらないし、いたずらに全国に空き箱を創りだすという、国費の無駄につながるだけだろうと思う。

そんな状況を受けてか、厚労省は、「潜在介護福祉士」を掘り起こすために、登録制度を導入すると発表した。このことは人材確保の一助になるのだろうか。そのことは後日改めて論じてみたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

既に存在している空き箱(その1)


有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅、グループホームなど、高齢者の住まいが多様化してくる中で、都市部を中心にそれらの施設が乱立していき、利用料の値引きをともなう利用者確保の競争が起きてきた結果、待機者を抱え、満床状態が常であった特養に、空きベッドが生ずる危険性が生まれていることについて、「特養を巡る景色が大きく変わりつつある」という記事を書いて解説している。

そこでは、「都市部における過当競争が生んだ状態が、地方に波及しつつある」ことににも言及している。

ところで今朝の北海道新聞では、特集を組んで、「地方の特養の欠員問題」を取り上げている。人口減少の進む地方の特養では、定員割れが常態化し、施設長をはじめとした職員が、札幌などに営業行脚しているというのである。

それらの施設では定員の1割以上が欠員になっているところもあるという。

確かに日本は人口減少社会になってきているが、道内の地方の特養の定員割れを、「人口減」が主因であるとする分析はいかがなものなのかと首をかしげる。記事に取り上げられた地域事情も、僕はよく知っているけれど、特養の定員割れをもたらすような急激な人口減少が起きているとは思えない。むしろそれらの地域の高齢化率はここ10年で、10%台から30%台へと急激に増加しているのだから、人口減をカバーするに余りある、特養入所ニーズが生じていてもおかしくはない。

しかし事実として、それらの特養には空きベットが生じている。その本当の原因とは何か?

北海道の事情でいえば、特養の建設誘致は、地方の方が熱心であったという歴史がある。広大な敷地があり土地が安く購入できる事情から、そこに経済対策・雇用対策として特養誘致の動きが生まれ、市町村が特養建設に対する独自の補助を手厚くしたことによって、地元の名士などが社会福祉法人を立ち上げて、特養を建設するという動きが広まった。

その結果、人口が数千人の町村部と、人口が数万規模の市部との、特養の収容人員がほとんど同じであるという現象も生まれたし、土地の安い郡部であるからこそ、施設を拡充してその数も増やすことが容易だったという事情も相まって、住民人口に比して、多すぎるのではないかと思えるほどの定員施設が創られた地域もある。

しかし介護保険制度創設以前や、創設直後までは、そうした地域の特養にも、居住地の施設が満床であった事情から近隣市町村の住民が流れてきたという背景があった。

その背景事情が変わってきているというのが、地方の特養の空きベッドを生じさせている最大要因である。つまり地方への人の流れが止まったという要因があるということなのだ。居住地域からは慣れなくとも、居住地域に、特養と負担があまり変わらないグループホームや有料老人ホームやサ高住があるという事情なのである。

さらに地方にも、グループホームをはじめとした、高齢者の新たな住まいの選択が増えているということも、特養の空きベッド問題に拍車をかけている。この背景を考慮せず、「地方の人口減が空きベッド問題の本質」であると勘違いして、「空きベッドを埋めるために、今でも待機者が多い札幌などの都市部への営業を強化しよう」と考えるだけでは、この問題は解決しない。

現に札幌に営業に出ても、空きベッドが全部埋まらないのはなぜかということを考えなければならない。

それは都市部には選択できる暮らしの場が、さらに多様化して増えているという意味なのだ。近くであると言っても、わざわざ土地勘も郷愁もない知らない街の施設に入る動機付けは生まれにくいのである。

札幌の特養の状況を見ても、事業者格差が生まれている。待機者を多く抱えて常に満床状態の特養もあれば、空きベッドは生じていないが、待機者が数人しかいない特養もある。地域住民の選択肢が増えるということは、特養もサービスの質によって利用者が選ぶという時代に変わりつつあるのだ。

そんな中で地方の特養が、札幌の待機者を営業行脚で取り込むためには、「空きベッドがある」というだけでは、「営業力」として不十分であるということだ。そこでどのようなサービスを受けられるのかという、サービスの質の差別化を意識しないと選択肢にはならない。そして今後ますます激しくなる利用者確保競争の中で、ケアの質を誇ることのできない特養は、住民からもそっぽを向かれることになるだろう。

ところで特養の空きベッド問題を語るならば、都市部、地方に限らない問題として、顧客がいるのに生ずる空きベッドの問題を語らぬ場ならない。それはまた来週の話ということで、今日のブログ記事は、ここで一旦終了させていただくとしよう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養を巡る景色が大きく変わりつつある


措置制度から介護保険制度へという流れは、我が国の介護制度の戦後初の大改革という意味があった。それからさらに15年を経た今、介護保険制度も改正が繰り返され、その姿は制度創設当初と大きく違うものになりつつある

しかしその大きな変化の中でも、ほとんど変わってこなかったものがある。

それは特養を巡る景色である。

特養は常に満床で、かつ多くの待機者を抱えて、退所者が出ても新規利用者がすぐに入所して、利用者の確保に困ることはなく運営できることが当たり前であるという景色である。そして特養は、新規利用者の確保のために、営業回りも必要なく、黙っていても新規入所申し込みが絶えることはなく、待機者も減らないという景色である。

地域住民にとってその景色とは、特養に入所を申し込んでも、運が良くなければ入所できないという景色である。

しかしこの景色が大きく変わろうとしている。既に前述した景色ではなくなってきている地域も存在する。

例えば前回2012年の制度改正・報酬改定時に、それに合わせて高齢者住まい法が改正され、サービス付き高齢者向け住宅が創設された。それは地域包括ケアシステムの中での、新たな住まいとして、国の方針で建設補助金等が優遇されるという形で建設が促進された。その結果、全国にたくさんのサービス付き高齢者向け住宅が誕生することとなった。

しかも各地でサ高住の建設が勧められた結果、その供給過多によって、入居率が低下し、空き部屋が埋まらず、経営に支障を来たすサ高住も出てきて、身売りや入居費用のダンピングと言った状態が生まれている。

部屋代や、その他のサービス料金を値下げして入居者を確保しようとするサ高住が多い地域では、入居後の費用が、特養の費用とさほど変わらないというサ高住も数多く存在しており、サ高住と特養の顧客確保競争が行われている地域も見受けられるようになった。

そんな中で2015年介護保険制度改正・報酬改定において、特養の入所要件が厳格化され、要介護1及び2の対象者については、特例入所要件に該当しなければ入所対象とならず、原則特養の入所対象は要介護3以上とされた。

さらに安定経営には算定が欠かせない、「日常生活継続支援加算」の算定要件である、要介護4又は5の対象者が70%以上を占めるか、もしくは認知症自立度が薫幣紊梁仂歇圓65%以上を占めるという割合について、それまでは届け出日の属する前3月の末尾時点の割合の平均であったものが、「算定の属する月の前6ケ月もしくは前12ケ月の新規入所者の総数における割合」とされたことで、新規入所者の入所判定について、選択要件が狭まったという解釈が成り立つ。
(※ただし、社会福祉士及び介護福祉士法施行規則第1条各号に掲げる行為を必要とするものの占める割合(たん吸引や経管栄養の方を全体の15%以上の割合)は従前と同じく、「前3月のそれぞれの末日時点の割合の平均」のままで変わりはない。)

こうして軽介護者は、自宅で暮らせなくなった際に、サ高住に住み替えるという流れが生まれ、そこで要介護状態が重度化しても外部サービスを利用しながらサ高住で暮らし続けるというケースも増えてきた。

それに加えて、特養の多床室の光熱水費の利用者負額の担引き上げや、多床室の室料負担導入と、補足給付の支給要件の厳格化(資産要件の導入と、世帯分離しても配偶者が課税であれば支給を認めないなどの変更)が行われ、入所者の自己負担増加につながっている。

そこではサ高住の入居費用+外部サービス利用料金とほとんど差がないか、むしろサ高住で暮らしたほうが、費用がかからないなどの逆転現象さえみられるようになった。

このように、特養には黙っていても入所希望者が集まるという状態ではなくなりつつあるのが現在の特定地域での状況であるが、それは全国的な状態変化へと拡大する方向にある。特養職員が地域への営業に回らないと、利用者確保ができずに空き部屋が生じ、経営困難となるという状況が現実的な問題となりつつあるのだ。

そのことはある意味、地域住民にとっては、要介護状態になった場合の暮らしの場の選択肢の拡大という意味で歓迎されることなのかもしれない。

そうであれば我々特養関係者は何をするべきなのだろうか?それは高齢者の暮らしの場の選択肢が広がっても、地域住民から選択してもらえる施設作りであり、そのことはサービスの品質向上でしか実現できない。

そしてそのサービスの品質については、サ高住と差別化できるサービスの質というものを意識する必要がある。それは何か?

もともとサ高住の売りは、「暮らしとケアが分離していること」である。両者の分離がなぜ売りになるかというと、それはサ高住とは、まず利用者の暮らしがあり、ケアは個人の暮らしぶりに合わせて多様に、柔軟に提供され、けっして画一的で集団的ではないという意味である。

そのことは特養に対する強烈な批判であるともいえ、特養は「暮らしとケアが分離していない場所」であるがゆえに、個人の暮らしの前に、施設の都合が存在し、そこでのサービスは画一的・集団的になりやすく、個人の尊厳や希望に配慮されたものではないという意味にも通じている。

しかし実際にはサ高住のケアが、利用者の暮らしに沿って個別の事情や希望に配慮して提供されているかというと、決してそうではなく、外部サービスの巡回時間などの都合に合わせたサービスであるという場合も多い。

しかし我々特養関係者は、そうした質の悪いサ高住と対抗する視点ではなく、サービスの質が高く、利用者の暮らしに沿ったサービス提供を行っている、サ高住と比較されても選択されるサービスの質を作っていかねばなたない。そうであれば、「暮らしの場と介護サービスが一体化されている」という批判的にみられている部分のメリットを生かして、「暮らしとケアが分離していない場所」であるからこそ可能となるサービスの質を作っていく必要がある。

それは例えば、突発的で想定外の状況に冷静に対応して、事故が起きないサービスであったり、尿便意を感じたときにリアルタイムに排泄ケアができるサービスであったり、最後の瞬間まで安心・安楽に傍らに寄り添うことができる看取り介護であったりする。(参照:看取り介護ができない特養であってはならない

どちらにしても、何もしなくても待機者を抱え、利用者確保に困らない特養という景色は確実に変わって行くという理解が必要で、その中での経営戦略が求められているという理解が必要である。

そして我々が顧客から一番求められるものは、サービスの品質と、その結果責任であるという本質を忘れてはならないということである。その切り札は、高品質な看取り介護の実践であると思う。

(追記)
看取り介護の実践方法と考え方を伝えるセミナーを、全国6ケ所で実施します。僕がそこで伝えたいことは、看取り介護とは決して特別なケアではなく、日常介護の延長線上にあるものであり、日頃の介護の質を高める努力と、高齢者の最晩年期の暮らしを護るという理念が求められるということです。そして看取り介護とは死の援助ではなく、人生の最終ステージを「生きる」ことをいかに支えるかが問われるものだということです。

勿論、看取り介護には医療的支援が欠かせませんが、それはあくまで緩和医療であり、治療的関わりではないし、対象者が旅立つ瞬間に医師や看護師が居なければできない対応ではないのです。これは「介護」であることを忘れてはなりません。

そういう意味で、このセミナーは、特養だけではなく、すべての介護保険施設、グループホームにも共通して参考にしてほしものだし、訪問看護や訪問介護で、看取り介護・ターミナルケアに関わる関係者にも聴いていただきたい内容になっています。

日程と会場は以下の通りです。

1/31・大阪 (田村駒ビル)
2/14・札幌 (札幌時計台ビル)
2/27・仙台 (ショーケー本館ビル)
3/26・名古屋(日総研ビル)
3/27・東京 (廣瀬お茶の水ビル・日総研研修室)
5/29・福岡 (第7岡部ビル・日総研研修室)


詳細と申し込みは、PDCAサイクル構築による命のバトンリレー・介護施設で「生きる」を支える看取り介護の実践をクリックしてご覧ください。「日総研 看取り介護の実践」 で検索してもヒットします。

時間はいずれも昼休み1時間を挟んで10時〜16時(5時間)です。未来につながる介護のヒントを得たい方は、是非会場までお越しください。

自施設の職員のモチベーションを上げ、定着率を高めたいと思っている施設経営者の方、介護事業経営者の方は、是非このセミナーに職員を派遣して、看取り介護を実践していただきたいと思います。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

施設系サービス(共通)の 口腔・栄養に関する報酬は何を示唆しているのか?


介護報酬における、「加算」には、その算定要件に合致するサービスをスタンダードにすべきだという国側の意図が隠されていることが多い。

そもそもそれは介護給付費分科会等で事前に審議された内容から、必要性が示されたものが加算費用となっていくが、審議会で議論される内容自体が、自然発生的にそこに上がってくるわけではなく、事前に何らかの形で、国の意思として示された内容に沿った議論であるのだから、ほぼすべての加算が、国の意図と関連あると言ってよいものだ。

それは加算要件として文章で示された内容だけではなく、その裏に次の報酬改定への布石が隠されていたり、制度が向かう方向性を示したものであったり、いろいろである。我々関係者は、ただ単に算定要件を読み取るだけではなく、そこに隠された(あるいは匂わされている)意図を探ることによって、次の報酬改定や制度改正に向けて、経営戦略を見直していくという考え方も必要で、国がそれらを表面化するまで待っていては、後追いで追いつかなくなることが多いのである。

それでは本年4月の施設サービス費の介護報酬改定では何が見えるだろうか。それを確認するために加算について検証してみよう。

施設サービスにおいては、特養・老健・療養型共通で、経口維持加算の見直しが行われた。それは従前までのスクリーニング手法別の評価区分を廃止し、多職種による共同の食事観察及び会議、入所者ごとの経口維持計画作成と医師又は歯科医師の指示による管理栄養士の栄養管理によって算定できるという新たな要件に変更されている。

経口維持加算気砲弔い討28単位(日)が400単位(月)となり、月を通じて算定できる単位数は減ったものの、造影検査を行う必要がなくなったことで、3月まで5単位(日)の経口維持加算兇靴算定できなかったケースのほとんどが、気了残蠅棒擇蠡悗┐襪海箸可能となり、この部分での収益アップを図ることが可能になった。しかも算定要件から考えれば、何らかの嚥下食対応を行っている場合は、会議を行い計画を適切に立案すれば加算気了残蠅浪椎修覆里任△襪ら、より多くの利用者を加算対象とすることが可能であるし、協力歯科医院を定め、気硫餤弔飽綮奸∋科医師、歯科衛生士又は言語聴覚士が加わった場合には、気鵬辰┐騰兇盪残蠅任るというメリットもある。

療養食加算は23単位(日)が、18単位(日)に減額されているが、同時に、「経口移行加算又は経口維持加算との併算定が可能になる」とされたため、両加算を算定することで、減額された分より加算分が大きくなる可能性もあり、経口維持加算算定の取り組みはより重要となってくる。

当然この加算は、経口摂取を続けることで可能となる自立支援や、経口摂取を続けることができる生活の質を評価した結果であることは間違いがない。そのために安易に経管栄養に移行しないでほしいという意図が含まれていることも間違いないだろう。

同時にその先には、経口摂取できなくなった場合の、選択について問い直しているという意味も『あるのではないだろうか?

今回の報酬改定では、特養の場合、看取り介護の質の充実を図るという目的で、看取り介護加算の死亡日以前4日目〜30日が80単位/日から144単位/日に増額され、一人に付き最高算定できる単位が、4.800単位から、6.528単位に引き上げられている。

老健の場合のターミナルケア加算の増額はされていないが、介護報酬改定に関する基本的な考え方として、老健の在宅復帰支援機能を更に強化する加算のあり方を示し、在宅復帰支援機能をさらに高めるため、退所後も視野に入れた入所時からの取組が推進される加算評価の考え方が示されているが、同時に、「老健でのターミナルケア・看取りは、利用者の長期間の在宅療養支援の結果として行われるものであり、このような観点からターミナルケア・看取りを評価する」という考え方が示され、在宅復帰機能とターミナルケアの機能が、決して矛盾するものではないことを示している。

さらに介護療養型医療施設についても、「介護療養型医療施設は、看取りやターミナルケアを中心とした長期療養 を担っている」と明記したうえで、重点的に報酬評価する新たな要件のひとつに、(ウ) 入院患者のうち、ターミナルケアを受けている患者が一定割合以上であること、が設けられている。

このように介護3施設の看取り介護・ターミナルケアの機能強化が視野に入れられている中での介護報酬改訂であったことがわかる。

そうであるならば、施設サービスにおいては、食事を経口摂取し続ける取り組みが大切で、安易に経管栄養に移行しないという考え方を大切にするとともに、食事の経口摂取ができなくなった時点で、機械的に経管栄養を行うということではなく、対象者の状態像を精査したうえで、経管栄養を行わないで、看取り介護に移行することも考慮に入れる必要があることをも示唆したものではないかと想像する。

当然そこでは、利用者本人の意思について、お元気なうちから確認しようとする基本姿勢が求められていくべきであり、経験栄養の適応を、施設と家族のみで検討するということではなく、利用者が自らの終末期をどう過ごしたいのかという意思を確認する方法やシステムの構築が検討されなければならないと考えるのである。

つまり本年4月の施設サービス費の改訂の中には、施設利用者のリビングウイルというものをどう尊重するかという考えが、盛り込まれてきていると言えるのではないだろうか。

そして施設サービスに携わる我々には、国のそうした意向も踏まえた上で、人生の最終ステージを安心・安楽のうちに過ごすことができる体制整備が、一層求められていると理解する必要があるのだと考える。

そのためのPDCAサイクルの構築は急務と言えよう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

云いあって介護に魂を入れる相談員の役割


九州は年10回以上行く機会をいただいているが、どの県も大好きだ。素敵な人がたくさんいて、食べ物もおいしい。滞在していて観光するところもたくさんあって言うことなし。

そんな九州だから、二月も行かないでいると寂しくなってきてしまう。間違いなくこれはホームシックと同じだ。

さてそんな九州に、今週末4ケ月振りでお邪魔することになっている。(8月以降は年内毎月1回以上の訪問予定がある。うれしい。)

8/1(土)10:30〜16:00まで、クローバープラザ(福岡県春日市)で行われる、「福岡県社会福祉協議会主催:相談員研修」で講師役を務めるためである。お話しするテーマは、「施設相談員に求められる役割・連携とマネジメントスキル」となっている。

介護施設における相談援助職の役割は、「頭脳」である。頭脳として、様々な調整を行いながら、手足の役割を担う看護・介護職員等の支援業務の質を担保していく役割が重要である。そうであるがゆえに、頭脳が手足として動かねばならない職場は、支援機能の一部が停滞する危険性を内包しているという意味になる。

ここで勘違いしてほしくないことは、頭脳とか手足という表現は、機能を現す表現で、頭脳が手足より尊いとか、偉いとか、そういう意味ではない。このことは週末の講演で詳しくお話しする予定である。

介護施設の相談員が、頭脳として調整する役割を具体的に記すとしたら、それは以下のようになるだろうか。

・蟻の目と鳥の目との両方の視点から日常のサービスと利用者の暮らしの質をチェックする役割
・他機関及び施設内の多職種の連絡・調整を行う役割
・安全と安心の生活を創るリスクマネジャーとしての役割
・介護の理念を作り上げる現場リーダーとしての役割
・介護に従事する職員の使命と責任とは何かを明らかにする役割
・PDCAサイクル構築及び検証のリーダーとしての役割
・スタッフ全員の自己覚知を促す役割り

相談援助職は、このような役割を担い、施設サービスチームの扇の要役として、多職種協働のチームをまとめる必要がある。そこでは当然チームワークを高めるという意識が必要だ。

しかしそれは単なる仲良しグループを作ることではなく、対人援助のプロとして、利用者の質の高い暮らしを実現するためのチームワークである。

そのチームワークとは、なあなあの関係で、お互いの業務への姿勢を批評しないというチームワークではない。チームメンバー全員が、批判すること、されることを恐れることがあってはならない。専門職同志がつながってサービス提供するチームには、専門職同士がお互いの業務に対する姿勢を評価し合いながら、必要なことを云いあって、業務の質を上げていくという心構えが不可欠である。その中で相談援助職員は、そうした云いあう関係を構築して、そうした関係性を紡ぎながら、提供するサービスの質を管理する役割りが求められる。
云いあう魂
云いあわなくなった魂は、鬼になるのだと自覚する必要がある。

そのためにも相談員は、他の職員に対し、「性格を変える必要はないし、それは変わらないけれど、自分の感情のままに利用者に相対するのは介護ではない」ということを教育する役割も担わねばならない。それは専門職としての立場に個人的価値観が影響することは、偏見や偏った判断を生むために好ましくないという意味であり、その感情を否定するのではなく、素直に正確に認識することである。

それが自己覚知を促すという意味であり、自己覚知とは自分をあるがままに受け入れることでもある。自分がどのような感情や意見を持ちやすいか自覚することが対人援助には不可欠であり、援助者は自らを振り返って、自己分析を行い、洞察し、自分の心理や行動を理解するように努め専門職業的態度への変化(成長)へと努力してこそ利用者に対し必要な援助をなし得るということを、他職種に伝え、理解させる役割が重要となるだろう。そのためには、相談員自身が、自らの自己覚知に勤める不断の努力が必要だ。それは相談援助の仕事を続ける限り、行い続けねばならないことである。

そして相談員が援助技術として展開せねばならないソーシャルケースワークとは何かという問いかけは、常に必要とされるであろう。

ソーシャルケースワークの難しさとは、それが専門的知識に基づいた、専門的援助技術であるにもかかわらず、その知識と援助技術に基づいて介入するものが、極めて個別性の高い、誰かの暮らしであるという点である。それは最も非専門的領域なのである。つまり「生活の専門家」・「暮らしの専門家」はその暮らしを営む本人以外なり得ず、他人は専門家にはなり得ないからである。

ソーシャルワーカー自身とは異なる別の誰かの生活に介入する際に、相談員の専門知識が通用しないものがたくさん存在するのである。そして施設内の〇〇さんと、△△さんの暮らしに、同じ尺度は通用しないかもしれないのである。

このように個人の暮らしとは、最も個別性が高く、かつ非専門的な領域である。ここではソーシャルワーカー自身の価値観と異なる価値観が存在して当然だし、それは暮らしを営む個人にとっては唯一の真実であり、ソーシャルワーカーの判断など何の役にも立たず、説得力も持たないという状況が存在するのである。

その時に、ソーシャルワーカー自身が、社会福祉援助の専門性と、誰かの個別の暮らしという非専門的領域に、いかに謙虚にして、説得より需要が大事であると自覚しながら、揺るがぬ理念と技術をもって係るかが問われてくるのである。ここの理解が一番重要である。

それでは福岡会場でお逢いする皆様、土曜日はよろしくお願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

生き残りの施設経営戦略は存在するのか


昨日更新した、「迫りくる介護崩壊危機」に書いたように、介護報酬の減額を強いられた特養の厳しい状況は半端ではない。そのため各施設は減益幅を圧縮させるための様々な対策に取り組んでいることだろう。

経費削減では、アウトソーシングして経費削減できる部分がないか検証しなおして、外部委託契約を進めている施設も多いことだろう。特に自前で、調理員を雇用して食事提供していた施設は、今年度以降に厨房業務のアウトソーシングを図る施設が増えるだろう。掃除や洗濯といった業務もしかりである。

その他の運営コストも削減を図っていく必要があり、それは利用者介護に必要な経費も例外ではない。特に支出額が多い排泄用品のうち、紙パットや紙おむつは、系列法人とタイアップして共同購入を進めるなどすると年単位で100万円近くのコストダウンを図ることができる可能性がある。そうした経費の細かな見直しが不可欠だろう。

収入面では、定員がある一般入所の収益を今以上に挙げることは現実には難しく、入院や退所の空きベットへの新規入所のタイムラグをできるだけなくして、ベッド稼働率を高く維持することが求められる。

当然のことながら、減益幅を少しでも圧縮するためには、基本サービス費以外の加算費用である日常生活継続支援加算等を確実に算定できるようにしなければならない。

例えば看取り介護加算は、減益分を補う額には程遠い額であるとはいっても、看取り介護をきちんと行うことによって、終末期という理由だけで医療機関に入院する必要がなくなるという意味がある。ならば国が構築を求めるPDCAサイクルを積極的に構築し算定していくべきである。

経口維持加算も、食事の観察と会議を行うこと等で、造影検査を行わずとも、従前の加算兇茲蟾發た群短鮫気鮖残蠅任るので、必要な人には確実に算定できる体制を整えるべきであろう。

ショートステイについては、年平均利用者が1名増えれば250万円以上の増益が見込める。そのため「空床利用型」と「併設専用ベッド型」の両方の指定を受け稼働率を高める必要がある。

従前までの稼働率が100%に近い施設でも、基準緩和により「利用者の状態や家族等の事情により、介護支援専門員が緊急やむを得ないと認めた場合などの一定の条件下においては、専用の居室以外の静養室での受入れを可能とする。」とされたルールを利用するべきだ。これはショートベッドが満床時に、静養室のベッドを利用できるという意味だから、実質ショートベッドの増床であり、これによる利用者数増を目指すことが可能である。これに伴う定員変更の届け出も必要になる場合があり、行政担当課に確認する必要もあるだろう。

さらにショートは退所した日に、新たに利用する人が同じベッドを使う場合には、利用時間が重複しないことを条件に、1ベッドで2人分の費用請求が可能なのであるから、できるだけ退所ベッドに、その日のうちに別のショート利用者の受け入れを行うという意識を高めることで収益は上がる可能性がある。

どちらにしても今後の施設経営は、どんぶり勘定ではなく、コスト計算をきちんと行った管理が不可欠になる。加算を算定するために、算定できる費用以上のコストをかけては意味がなく、売り上げ目標を年単位、月単位、週単位、日単位で考えて、そこに到達するために何が必要で、何を削減するのかを考えていかねばならない。

加えて今後は、保険制度外の収益事業を同時並行的に行って収益を確保していく必要があるだろう。どのような保険外事業があって、どのようにそれを実施できるのか、あるいは受託できるのかなどを様々なアンテナを使って情報分析していく必要があるだろう。

さらに職員確保の課題解決、そのための職場環境づくりが加わってくるのだから、管理者が考えなければならないことは山ほどある。

しかし、この3年間を何とか乗り切ったとしても、次期介護報酬改定での報酬アップがないと、事業経営自体が困難となり、取り崩すことができる繰越金で、あと何年営業可能かという判断をせざるを得ない法人も増えるだろう。「社会福祉法人はつぶれない」、「人手不足だから介護職員の給料は減らせないから、人材流出はしない」というわけのわからない論理で、介護費用を切り捨てた財務省の論理が、日本の介護の破綻につながる時期は、そう遠い時期ではないのかもしれない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

施設相談員は、PDCAサイクル構築と検証のリーダーであるという自覚が必要


8/1に福岡で行う生活相談員研修〜施設相談員に求められる役割・連携とマネジメントスキル〜では、様々な角度から相談員の役割を考え。それに沿った実務例を具体的に挙げます。講演時間も休憩時間を除いて4時間20分と、たっぷりあるので、実際に僕が経験してきたケースを示して、具体的に相談員として求められる実務についての考え方を示します。

その中ではケアサービスの品質をチェックする役割という話をしますが、相談員が常にチェックすべきケアの品質の中には、看護・介護職員等の他職種が行う行為のみならず、相談員自らの社会福祉援助技術も含まれます。

例えば、利用者が家族に秘密にしたいことがあれば、その意思は守られて当然です。しかし相談員の中には、利用者本人の意思より、家族の意思を優先する人がいます。それっておかしくないですか?

認知症ではなく、自己決定ができる利用者の意思より、家族の意思を優先させて、利用者に情報提供すべきことを、利用者より先に家族に情報提供している事例が見受けられます。それは利用者の権利侵害です。ソーシャルワーカーが権利を侵害する当事者になっては困るのです。相談員はそのことを自覚して、利用者の自己決定を護る人でいてほしいと思います。

さらに相談員には、スタッフ全員の「自己覚知(じこかくち)」を促すという重要な役割があると思います。

施設職員の中には、介護支援者に求められる「自己覚知」について、その意味どころか、言葉さえ知らない人がいます。そして自分の感情の赴くままに、利用者に暴言を吐いたり、不適切な行為を行う人が後を絶ちません。

人手が少ない、ストレスがたまるという理由で、虐待行為を行うような人がいたとしても、それは正当化される理由には決してならないのです。この部分で、施設の相談援助職が少しでも妥協するようなことがあっては、介護施設は暮らしを営む場ではなく、単に命をつなぐ最低限のものを与えるだけのブラックボックスになってしまいます。

そうしてはならないのです。どんなに与えられた状況に不備や瑕疵(かし)があっても、そこでは人の暮らしが営まれているのです。不幸を当然の帰結とする考え方は、決して許されないのです。人手が足りないということで、心身が疲弊しストレスを抱えている自分がいるという自覚によって、その際の負の感情を利用者に向けないように、自分の感情をコントロールして係ることを常に考える習慣を作る必要があるのです。

そのため相談員は、他の職員に対し、「性格を変える必要はないし、それは変わらないけれど、自分の感情のままに利用者に相対してしまっては、それは介護ではない」ということを教育・指導する役割があります。

それは専門職としての立場に個人的価値観が影響することは、偏見や偏った判断を生むために好ましくないという意味であり、その感情を否定するのではなく、素直に正確に認識することなのです。つまり自己覚知とは自分をあるがままに受け入れることでもあります。自分がどのような感情や意見を持ちやすいか自覚することが対人援助には不可欠であり、援助者は自らを振り返って、自己分析を行い、洞察し、自分の心理や行動を理解するように努め専門職業的態度への変化(成長)へと努力してこそ利用者に対し必要な援助をなし得るということを、他職種に伝え、理解させる役割が重要です。

なぜなら相談員は、介護サービスの場では、頭脳の役割を担う必要があるのですから。(勘違いしてほしくないのですが、頭脳、手足という言葉は、職務の貴賤に関係するものではなく、どちらがえらいというものでもありません。職務の機能を例えた言葉にすぎないことをご理解ください。)

また相談援助職のリーダーの立場にある人は、相談援助職員や介護支援専門員にアドバイスを送る際には、技術や技法の知識を得る前に、相談援助職としての基本姿勢を理解することの大切さを教える人になってほしいと思います。

心根のない場所では、技術は向上しないし、心根のない場所で使う技法は、相手の為ではなく、自分を守るための小手先技術として使われる結果となりかねません。

今後求められる相談員の役割りとして言うならば、PDCAサイクルの構築と、その検証作業のリーダー役であるという視点が重要だと思います。8/1の福岡講演ではそのことを明らかにすることになると思います。

なぜなら今後の施設サービスでは、PDCAサイクルの構築は、看取り介護に関してだけではなく、すべてのサービスにおいて求められてきます。根拠に基づいた計画実施と、その振り返るによる検証作業、地域貢献の視点も含めた実践後の地域住民への傾向活動というアクションサイクルを繰り返していくことが求められます。その現場リーダーが、施設サービスにおける「頭脳」の役割を担う相談援助職に求められることは明白で、そのシステムを施設内で構築していくという視点が欠かせなくなります。

このことを、いかにコーディネートできるかが問われてくると思います。施設サービスの中で頭脳の役割を求められる相談員の力量が、より問われてくるのが、この厳しい時代の施設サービスだからです。

こうしたことをたっぷり時間をかけてお話しします。8/1(土)の講演時間は、10:30〜16:00、会場はクローバープラザ 1階 クローバーホール(福岡県春日町)にて開催されます。

詳しくは当ブログ記事の最初に張り付いた文字リンクからご参照ください。申し込み締め切りは7月24日(金)必着としていますので、お急ぎください。
※会員施設以外の方の参加も可能です。

なお僕の講演をご希望の方は、メール等で気軽にお問い合わせください。お問い合わせには必ず返信しますので、返信がない場合は、誤ってメールを削除してしまっている場合などですので、再度送信お願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

顧客満足度が軽視されやすい施設サービス


8/1(土)10:00〜16:00クローバープラザ(福岡県春日市)で行われる福岡県社会福祉協議会主催:相談員研修の講師を依頼されている。

そこでは「施設相談員に求められる役割・連携とマネジメントスキル」をテーマに、260分の講演を行う予定になっているが、今朝までに講演ファイルを作成し終え、事務局に送付した。あとは当日を待つだけである。
※申し込み受け付けは、まだおこなわれていると思うので、お近くの方でご希望者は、張り付いたリンク先の申込書をご利用いただきたい。なお会員以外の参加も可とのことである。

下の画像は、講演に使うパワーポイントのスライドの1枚である。
講演スライド
顧客に選択され、たくさんの方に利用していただくことによって収益が挙がる居宅サービスと比べて、利用定員が定められ、かつ待機者が常に存在する施設サービスは、利用者から選択されなくても顧客確保に困らないという現状があるがゆえに、顧客満足度に対する意識が低いのではないかと感じている。

そのためにサービスの質を評価する際に、顧客である利用者がどう感じているかという視点ではなく、法人が定めた目標にいかに近いサービスが行われているかで評価される傾向が強い。そのためモニタリングの際に、現に提供されているサービスについて、利用者がどう感じているかというインタビューなどが一切行われずに、サービス方法の継続や見直しや、終了の判断がされることがある。

そもそも施設入所した瞬間に、本人の希望や自己決定権が軽視され、施設の決め事が優先されて、サービスの視点も、施設が考える「良い暮らし」という視点から外れないように、利用者個々の希望が確認されないか、確認されてもそれを無視して施設サービス計画が立案される場合がある。

これはおかしなことである。よってソーシャルワーカーとして、施設サービスにおける「頭脳」の役割を持つ相談員は、利用者の満足度や自己決定権が軽視されていないかをチェックし、もし軽視されている場合には、それを修正する役割があると思っている。

例えば脱水を防ぐための水分摂取を拒否する人がいたとする。この場合も「自己決定」であるから、水分摂取を行わないということが、自己決定の重視とされ、水分摂取支援を行わず、脱水になっても問題はないということにはならない。

自己決定には「制限」が伴い、決定を下す人の能力から生ずる制限もあるし、市民法や道徳法から生ずる制限もあるのだから、そうした原則から考えれば、自らの身体を意図的に傷つけるという自己決定は認められるものではないので、代弁機能などを酷使して、もっともその人に必要と思えるサービスに結びつけることはあって当然であり、脱水を防ぐ水分補給は行われなければならない支援行為とされてよいだろう。

しかしこの場合でも相談員は、一方的に「こうしなければならない」と指示するのではなく、利用者の立場に立って、必要なサービスであることを説明し、理解していただく努力をすべきである。このスライド部分では、こうしたことを事例を基に説明するつもりである。

ところで、昨日まで論じていた竹内理論について、この顧客満足度の問題と深く関係しているのではないかと感じている。同氏の講習会に関しての情報提供では、『講習会では毎回課題を提出して、進捗状況を報告・発表しますが、リウマチによる関節の変形や強い拘縮があって便座に座れない状態の方でも、「とりあえず座らせてみればいい」と言われ、水分1500ml以上摂取や必ず便器で排泄する事をあまり良く思わない家族がいらして、同意が得られていないケースもあると発表すると、「いちいち家族に同意なんて取らなくていい。うちはこういう方針だからやりますと入居時に伝えればいい」と怒られます。』というコメントが書き込まれているように、利用者本人の希望や満足度は一切無視されているのである。

一方で、抽象的で実態がないと批判される「寄り添うケア」とは、じつは本来のそれは、「生活支援型ケア」と呼ばれるもので、単に利用者に付きまとうケアではなく、認知症などで自らの希望を正しく表明できない人であっても、過去の生活習慣や嗜好を確認し、現在の暮らしの中で考え得る最善の状態とは何か、何を望んでいるのかを想像し、利用者本人に成り代わって、そのニーズを代弁するという立場から、残された生活機能を最大限活用する方法でケアサービスの方法を創造するものであり、モニタリングに際しては、そのことで混乱なく満足した暮らしが送られているのかを評価しながら、方法の改善を繰り返していくというPDCAサイクルの構築により実施されていくものである。

そう考えると、文字面だけから、「竹内理論」には科学性があり、「寄り添うケア」には科学性がないと考える人がいるが、それは間違いであって、両者の本当の意味を紐解けば、竹内理論には個別アセスメントと顧客満足度という視点が欠如し、寄り添うケアとは、個別アセスメントと顧客満足度を徹底的に検証することで成り立っているということが理解できるはずである。

そうであれば、どちらがエビデンスになり得るのだろう?それは一目瞭然ではないかと思える。

8/1の福岡講演では、こうした話もする予定である。会場でお逢いする皆様、どうぞよろしくお願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

良い施設を選ぶための意外な情報源


一般市民の方々が数多く受講される講演会などで講師を務めると、質疑応答などの際に、「施設入所する場合、どのような施設を選べばよいですか?」という質問を受けることがある。

その答えは簡単ではない。どこか一つを取り上げて、ここが一番重要ということにはならないだろう。暮らしを送る場所なのだから、どうしても総合的な視点が必要になる。そもそも利用者や家族が施設に対してどのようなサービスを求めるかということでも、その選択は変わってくるのではないだろうか。

しかしそうした諸条件を考慮したうえで、あえて要点をいくつか挙げるとすれば、「職員が利用者に対し、横柄な態度や言葉遣いで接している施設は推薦できない。」、「施設内の利用者の服装が乱れている施設、整容がされていない施設は推薦できない。」、「食事介助の際に、職員が立ったまま食事介助を行っている場合や、職員同士で介護行為とは関係のない会話を交わしている施設は推薦できない。」、「掃除が行き届いていない施設や、臭いに鈍感な施設は推薦できない。」、「問い合わせに対し、わかりやすく丁寧に答えてくれない施設は推薦できない。」、「事業者が定めたルールをたくさん押し付ける施設は推薦できない。」といった点が挙げられるだろうか。

よく介護サービス情報などをインターネットで見られるから参考にしてはどうかという人がいるが、それはやめた方が良いと言いたい。それらの情報から施設の実態をつかむことは至難の業で、専門家の僕がそれらの情報に触れても、そこが実際に良い施設かどうかなんてわからない。そういう意味では介護サービス情報の公表制度など、何の役にも立たないと断言しておく。

また「職員の入れ替わりが激しい施設、退職者が多い施設はよくない。」というが、それは事実であるとしても、退職者の多さや離職率の高さをどういうふうに確認するかとなると、長くその施設に入所している家族として、頻回に面会にでも行かない限り正確な情報は把握できないと思う。逆に根拠に基づかない印象判断であっては、正確な状況把握にならずに間違った判断につながりかねない。

そうであれば、一度の施設見学で判断できることを基準において考えた方が良いのではないかと思ったりするので、前記したような判断基準が役に立つのではないかと思ったりしている。

それに加えて、その施設を良く知っている人の評価を聴いて判断することが、一番良い選択肢につながるのではないだろうか。

とはいっても、その情報源を行政の担当課に求めても余り有効な情報は持っていないだろう。一番良いのは、そこで暮らしている人の家族の評価情報ではないかと思うが、それも必ず知り合いがいるとは限らないので難しいところである。

その時に誰に施設の評判を聴いたら良いかということについて、以外と知られていない情報源があることを示唆しておきたい。

それは葬儀社である。葬儀社の社員の方に、「この地域でよいと思われる施設はどこですか?」と尋ねたら、いろいろな情報を教えてくれるかもしれない。

例えば特養なら、葬儀社のお世話にならない施設はないだろうが、その時利用する葬儀社は、施設の御用達ではなく、家族の希望によることがほとんどだろう。すると複数の葬儀社が、ご遺体の搬送等で施設に訪れていることだろう。

それらの葬儀社の社員の方は、お亡くなりになった利用者の方を、施設の職員が最後にどのように送り出しているのかを良く知っていると思う。葬儀社の方々は、その時職員の対応もしっかり見ていると思う。ご遺族となったご家族と、そこの職員がどのような会話を交わしているのかもよく観察していると思う。

そこでは取り繕った対応ではない、真の関係性が表面化される場なので、そうした状況把握から、施設の職員が利用者に真摯に寄り添っているか、きちんと最期の瞬間まで行き届いた介護サービスの提供に努めているのかという判断は結構正しかったりするものなのである。

特にお亡くなりになった方が、最期に過ごした環境、居室のしつらえで伝わってくるものがある。最後過ごす場所が、その人の思いに沿った環境となるように支援されていたのかどうかということは、ベッド周りの状況を見るだけで感じ取れることがある。この辺りの感覚は、葬儀社の職員さんは敏感ではないだろうか。

入所施設を探すのに「葬儀社」とは、縁起でもないと言わずに、お近くに葬儀社に勤める知り合いの方がおられたら、その地域の中で、どこかおすすめの介護施設はないだろうかと相談してみると、案外正確な情報が得られるかもしれない。

勿論、地域事情などによっては、そのことが当てはまらない地域も多いだろうが、意外に知られていない情報源として、そういった情報ルートがあるということも知っておくことは無駄ではないと思う。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養の夜間宿直配置基準の変更は意味のない変更だった


介護保険3施設のうち、一番介護報酬が低く設定されている介護老人福祉施設(特養)にだけ、夜勤者とは別に夜間の宿直者の配置が義務付けられていることについて、約7年前に「特養の宿直職員配置義務撤廃の提言」という記事を書いて、夜間職員配置加算を算定できるレベルで人員配置をしている施設であれば、当直者の意味はほとんどないのだから、配置基準を撤廃してほしいと全国老施協の「老施協110番」に意見を書き込んだことを報告している。

しかしその後の報酬改定でも、制度改正でも、このことは全く議論にならず、今回の制度改正と報酬改訂時にも全く話題にさえのぼらなかった。

ところが先々週3月3日、介護保険全国課長会議で示された「基準省令に関する通知案」特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準について、を読んでいると、この宿直配置規定が変更されていることに気が付いた。

現行基準
職員の勤務体制を定めるもののうち、介護職員の勤務体制については、「社会福祉施設における防火安全対策の強化について」により、3交代制を基本とするが、入所者の処遇が確保される場合は、2交代制勤務もやむを得ないものとすること。併せて、同通知に定める宿直員を配置すること。

新基準
職員の勤務体制を定めるもののうち、介護職員の勤務体制については、「社会福祉施設における防火安全対策の強化について」により、3交代制を基本とするが、入所者の処遇が確保される場合は、2交代制勤務もやむを得ないものとすること。併せて、同通知に定める宿直者を配置すること。(介護保険法(平成9年法律第123号)に定める介護老人福祉施設又は地域密着型介護老人福祉施設であって、厚生労働大臣が定める夜勤を行う職員の勤務条件に関する基準(平成十二年二月十日 厚生省告示第二十九号)第4号ニ又は第5号ハを満たす人員を配置し、かつ夜勤者のうち1名以上の者を夜間における防火管理の担当者として指名している施設を除く

↑このように変更された。(緑色で示した部分が追加された。)厚生労働大臣が定める夜勤を行う職員の勤務条件に関する基準、第4号ニ又は第5号ハを満たす人員とは、夜勤職員配置加算を算定できる職員配置という意味である。よって新基準では、夜勤職員配置加を算定しておれば、夜勤者のうち一人を日誌等の記録で「防火管理の担当者」として指名することで宿直者は置かなくてよいということになる。これはまさに僕が7年前に「老施協110番」に寄せた意見の通りとなる改正である。

今回の報酬改定では、年額1.500万円以上の減収で、これを補うような加算もないため、単年度赤字にならないためには、ショートステイの稼働率を高めたり、入院者を減らしたりする対策が必要だが、それに加えて経費削減が必須である。しかし経費の中で一番大きな人件費は安易に減らすことはできない。介護職員処遇改善加算を算定するためには、実際に給与アップが必要だし、その一方で加算対象にならない介護職員以外の報酬を下げることは職場のモチベーションの面からも難しい。人件費を減らすために、必要な配置職員を削ってしまえば、現場の職員が疲弊し、介護サービスの質も低下するということにもなりかねず、頭の痛い問題であった。

しかしほとんどかかってこない電話番という意味でしかない宿直(夜間の事務当直という形が多いだろう)を廃止しても、夜勤職員を加配して加算算定している施設にとっては、ほとんど支障はないだろう。当施設の場合は、登別市のシルバー人材センターへの委託によって宿直員を確保しているが、その委託契約を継続しない方向である。

このことに関して表の掲示板のスレッドでは、「救急搬送等の緊急時に宿直者が協力することがあり、それができなくなる」という心配の声も出されているが、そもそも一人以上の配置が求められている宿直者が不在となるような救急搬送の付添いを行っていること自体が、運営基準違反である。当施設ではその場合、夜勤および宿直者以外の緊急当番制で対応しているので、そのことも支障にならない。

夜間帯人手が少ない間の火災や事故対応などを考えた場合の、宿直廃止を懸念する声もあるが、逆に言えば宿直者が1名加配されているからと言って、非常時にどれほどの安全性が高まるかということ自体が議論される必要があるだろう。むしろスプリンクラーなど安全設備にお金をかけて、それを充実したほうが夜間の安全性は高まるのではないだろうか。

宿直配置を廃止することによって年額250万円程度の人件費は削減できるのではないだろうか。この厳しい情勢下で、その削減額は大きいと言わざるを得ない。

そうした観点から、先週4日に担当職員を集めて緊急協議を行い、宿直を廃止しても業務上の支障はないことを確認して、宿直職員の廃止に向けた指示を出した。

ところが後に出された介護報酬改定に関するQ&A Vol.1

(問137)夜勤職員配置加算を算定していれば、宿直員を配置しなくてもよいか。

(答)夜勤職員配置加算の算定の有無にかかわらず、現に夜勤職員が加配されている時間帯については、宿直員の配置が不要となるものである。

↑このように加算算定とは関係がないとされた。この意味は、夜勤職員配置加算は夜勤帯の全時間の職員の合計勤務時間数が1を上回った場合に加算できるもので、早出や遅出の職員の勤務時間が含まれるため、深夜帯などでは定数+1となっていない時間帯もある。この場合定数+1となっていない時間帯は宿直者が必要だという意味になり、当施設では宿直員の配置が継続して必要であることが分かった。

なんとも人騒がせな改正であった。残念。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

水分の強制過剰摂取は、今後確実に訴訟に発展します

全国老施協が主催している、「介護力向上講習」で行われている洗脳的教育とは、施設利用者に対する個別アセスメントのない一律の1.500ml/日の強制的な水分補給であり、その問題については、このブログでも再三批判してきた。(参照:過去の関連記事

しかし実際には、知識も見識もない施設管理者と介護主任が、その講習会に参加することによって洗脳され、根拠のない過剰な水分摂取を利用者に強制的に行っている施設は増え続けている。そしてそのことにより健康被害が生じているケースについての情報も、僕のこのブログ記事のコメント欄に数多く寄せられている。

可哀そうなのは、そこで無理やり過剰な水分を摂取し続けられ、心不全等を引き起こして亡くなっっている人である。

しかしその原因について、水分の過剰摂取と結び付けて考えられないために、単に年のせいとか、病状の悪化とされるだけで、水分の過剰摂取さえなかったら、もっと長生きしたであろう人々が、そこで死んでいることについて、誰もそのことを問題視せず、誰も責任を取っていないという現状がある。これはとても恐ろしいことだ。

全国の介護施設で、この科学的根拠のない一律1.500ml/日という過剰な水分補給を、利用者全員に強制的に行っている施設の管理者や職員に警告しておく。いつまでもそのことが問題視されず、健康被害が出ても水分摂取と絡めた批判がされないという現状が続くわけがなく、近い将来そのことは確実に、健康被害者の訴訟問題に発展するということである。その時あなた方は、きちんとその訴えに反論し、自分たちに責任はないと主張する根拠を持っているだろうか?僕はそんな根拠は、どこにも存在しないと思う。そんな科学的根拠はないというのが、一般的な医学的知見だからである。

テレビ等の司会者として有名な、みのもんた氏(70)が、テレビ番組の中で、水を飲む習慣を勧めて、それを実行した視聴者が、「うっ血性心不全」を発症し、それはみのもんた氏の発言に責任があるとして、同氏に対し損害賠償を求めたことがありらかになった。

--------------------------------------------------
2015年3月10日 17時0分 東スポWebより

大御所司会者・みのもんた(70)が、テレビでの発言で訴えられていたことが9日、本紙の取材でわかった。かつて司会を務めた日本テレビ系情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」と後継の「おもいッきりイイ!!テレビ」で、みのが「水を飲もう」と勧めたところ、実践して習慣化した千葉県の主婦Aさん(87)がうっ血性心不全などを発症。テレビで発言したみのに責任があると約6700万円の損害賠償を求めて提訴した。対するみのも、辣腕弁護士を立てて、徹底抗戦の構えを見せている。

※うっ血性心不全=心臓のポンプ機能に障害が生じ、体内に十分な血液を送り出せない状態を心不全と言う。その結果、血流量が減ったり、一部組織の血管に血液が滞留して増加する(うっ血)現象が見られる。そのため心不全は「うっ血性心不全」とも呼ばれる。肺にうっ血が起こって呼吸が苦しくなったりするほかに、顔や下肢のむくみ、食欲不振、疲れやすいといった症状などが見られる。
----------------------------------------------------

この訴訟自体がどうなるかはわからないし、訴えそのものが正当なものかどうかも判断できる材料はない。

しかし一つ言えることは、ただ単にテレビ番組の中で、「毎日、一定量の水分を呑みましょう」と勧めただけで、その言葉を信じて自ら水分を摂取して、結果的には水分過多で病気を発症した人から訴えられるという事実があるということである。

一方で、介護力向上講習受講施設の多くでは、過剰な1.500ml/日という水分を、利用者や家族への十分なる説明も同意もないまま、過剰に摂取させているのだから、その責任度合いは、みのもんた氏の比ではない。かつ介護施設は、本来利用者の命や暮らしを護るべき責任を負っている場所で、それを護るための最低限の基本知識を持っていなければならず、水分過多は健康被害につながるという明らかな事実や事例が存在する以上、そのことを無視して過剰な水分摂取を続けて、そのことが健康被害につながったという事例が公になった時に、その施設には損害賠償責任が生じるだろうし、場合によって管理者には刑事責任が問われ、告訴されることも考えられる。

少なくとも過剰な強制的水分補給を行っている施設で今後、心不全や低ナトリウム血症、高血圧などの悪化等の健康被害が生じた場合、この過剰な水分強制補給に対し、損害賠償の請求・訴訟が起こることは時間の問題だろう。水分過多と関連深い病状の悪化が、いつまでも年のせいとして隠し通せると思う方がどうかしている。

なお、僕のフェイスブックでこの問題を提起した昨日から今日にかけて、そこに寄せられた意見を下記に紹介しておく。

フェイスブックに寄せられたコメント
・薬でもそうですが、人によって違うので、ある人にはいい薬でも、別の人にとっては毒になります。水分は一般的に脱水症の予防に欠かせませんし高齢者は脱水しやすいので水は必要ですが、心臓などの病気を持っている人には危険ですね。

・ 施設系にはこんなに広がって、実践していることに本当にびっくりです。医療の事もっと勉強して欲しいです。ギリギリまで在宅で頑張って施設に入所しているのに、、、あとひどい目にあうなら、後悔ばかりですよ(泣)

・自分の親だったら、個別アセスメントもしないで一日1500ml(食事のとき摂取する量を除く)の水分を無理やり飲ませる施設からは、九分九厘退所させますよ。

・知らないとそれが正しいんだと施設の職員に言われたら家族は泣き寝入りですね。一人でも多くの人を助けたいです。

・当該利用者の体型によって不感蒸泄や食事から入る水分量、基礎疾患も違いますから、一概に1500ccというのはおかしな話ですよね。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

施設サービスにおいて求められる相談援助職員のスキルを考える


介護保険法で規定される施設サービスには、介護支援専門員の配置が義務付けられている。

これは当然のことながら介護保険法が施行されて以後の基準であるが、それ以前の特養と老健には、それぞれ生活相談員と支援相談員という相談援助職の配置が求められていた。

介護保険制度施行以後は、それに上乗せする形で利用者100人に対して1名の介護支援専門員の配置が求められているわけであり、介護支援専門員を配置すれば相談員を配置しなくてよいというわけではない。しかし介護支援専門員は他の職種との兼務が認められており、例えば特養において業務に支障がないと認められれば、100人の利用者に対して一人の職員が、生活相談員兼介護支援専門員として配置しても良いという規定がある。つまり業務に支障がない場合、ひとりの職員だけで、生活相談員としても、介護支援専門員としても、それぞれ常勤専従配置1と認められるわけである。

このように一人の人間が二人分の職員配置基準を満たすという規定になっている理由は、介護保険法施行時、介護施設に介護支援専門員の配置を義務付けたにもかかわらず、その人件費を介護給付費に上乗せしなかったからであり、その理由はそもそも特養や老健では、介護支援専門員の仕事を相談員が行っていたという考え方に基づくものである。

僕はこのことを決して否定的にとらえる必要はないと思う。

利用者100人に対して一人の相談援助職でよいのかという議論は別にして(実際には少なすぎると思うが)、相談員と介護支援専門員の兼務は認めるべきであるというのが僕の持論である。むしろ2つの職種は区分できないと考える。両者はソーシャルワーカーであり、ケアマネジメントは社会福祉援助技術の中の関連援助技術であって、介護支援専門員しか行うことができない援助技術ではないからである。

しかし施設サービスの中では基準省令において、利用者に直接面接してアセスメントを行うことができるのは介護支援専門員だけと定めているだけである。ここは介護支援専門員の資格がない相談員が替わることができない部分だが、これもおかしなルールだとは思う。

もっと問題なのは、相談援助と全く業務内容や立ち位置が異なる看護業務や介護業務との兼務も認めている点で、このルールがあるから介護支援専門員の職務がみえにくくなり、その立ち位置があいまいになる。そのことがソーシャルケースワークのできないケアプランナーができてしまう最大の理由になっているのである。

介護職出身の有能な介護支援専門員が存在するという事実から言えば、介護支援専門員の受験資格となる実務経験に、看護業務や介護業務を入れるなと言う乱暴なことは言わないでおくが、せめて資格試験の段階で、ソーシャルケースワークの技術がない人は合格させないという試験水準の見直しが必要だと思う。

ほとんど相談援助を学んだことがない人が、出題範囲の狭い試験にたまたま受かって、そのあと寝ていても不合格とならない実務研修を受けただけで、相談援助の中心的役割を担う職務に就くということ自体が乱暴すぎるのだ。実務研修は筆記試験合格者に対してアリバイ作りのように実施するのではなく、様々な実務経験者が試験を受ける前のハードルとして、その研修を課して、その中で相談援助の基礎知識をしっかり教えて、その習熟度も筆記試験で問うようにすべきである。そうしないと相談援助ができない介護支援専門員がいなくならない。

施設ケアマネ不要論」でも主張しているが、僕は施設サービスにおいて、ケアマネジメントが必要ではないと主張しているわけではないし、ケアマネジメント技術をもって、その援助技術を展開できる専門職は必要不可欠だろうと思っている。しかしそれは何も介護支援専門員ではなくとも良いという立場である。

なぜなら現行の介護支援専門員の資格付与の方法及び結果を見ると、相談援助職としてふさわしくない介護支援専門員が少なからず誕生しているからである。相談援助ができない有資格者が多すぎると思う。そうであれば施設の相談援助職は、介護支援専門員に限らないだろうと思うし、施設サービス計画作成責任者も介護支援専門員に限る必要はないと思う。

それより実務経験はなくても、大学で4年間社会福祉を専攻して学び、卒業前に社会福祉士の資格試験に合格して人材の方が、ソーシャルワーカーとして優れた仕事ができるという例は枚挙にいとまがない。そういう人であれば5年の実務を課すまでもなく、仕事に習熟した段階で、ケアマネジメントを展開して施設サービス計画実務に就いたって良いだろう。

施設サービスにおいて求められるのは、介護支援専門員という有資格者ではなく、ソーシャルワークの関連技術であるケアマネジメントを展開できるソーシャルワーカーなのである。

例えば特養の配置基準に、介護支援専門員を必須として兼務を認めている現在の基準ではなく、利用者50人に対して1名程度の相談援助職員を配置する規定にし、相談援助職員として配置でいるのは、社会福祉主事を基礎核とするのではなく、社会福祉士または精神保健福祉士としたうえで、加えて相談援助の実務という条件付きで介護支援専門員まで認めるという形の方が、利用者のとって適切な相談援助ができるだろうと思っている。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

おむつゼロの実態


全国老施協から、おむつゼロで表彰をされた施設の職員さんが、科学的介護と竹内理論への疑問と、ご入居者はモルモットではないという叫びという過去のブログに、次のようなコメントを寄せてくれました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜間もオムツ0で表彰された施設に勤務中。
リハビリ職員さえいない施設です。
そのご、職員が負担増に嫌気が指し離職者続出。
入れ替わり激しくこの理論に疑問を持たない人が増えて、2、3年後利用者様の身体に異変が起こらないか心配です。
そして、夜間のオムツは結局ほぼ元に戻っています。
パンツでは横もれしてしまい。介護する側も大変ですからね。

立位訓練といって強引に立たせて5秒立てたから速攻歩行訓練。
10年近く立ったことがない人も筋力の強弱無視。
手の筋力など眼中に無い。訓練と言う虐待。

8時間以上車椅子に腰掛けているというケアプランを立てないと通さないケアマネ。
水分もですが、栄養学に基づいた三度の食事も全部食べさせるよう言われているけど、
働いてる職員でも多い量なのに、拒否しても食べさせないのは虐待といったケアマネに
開いた口塞がらなかった。

トイレで放置している施設のこと書いてあるけど、当施設は腹圧と言って、毎日排便させるように腹を押さえます。
排便でそうなときに腹部マッサージをするのでは無く、毎日、トイレのたびにです。
こんな施設に入れられた年寄りが可愛そうです。

何十年と歩き働いてきた田舎の高齢者、最後の数年くらいのんびりさせようよって思う。
何の為の介護用具?何の為の介護者?

連投です。
健康な若いうちから水を飲む習慣があるなら兎も角、消化能力が低下している高齢者になってからの突然の水責め

そして、飲ませるために奮闘して自身の水分補給も出来ない職員。
どちらも、いつかしっぺ返しがきそうです。

病院や老健で、これ以上回復が見込めないから、家庭で見れないからと入った施設で、数歩歩けたからと帰されたら、家庭が崩壊します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんなことをいつまで続けて行くのだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養多床室利用者の負担額変更は2段階


4月からの介護報酬大減算は、一方では利用者の1割負担が減るという意味である。しかし実際に利用者負担額が今より低額になるかというと必ずしもそうではない。特に既存型施設の多床室利用者の多くが、この改正によって負担額が増えることを知っておいてほしい。

下記は4月以降の特養(既存型)多床室の介護報酬である。
特養の多床室料金の改定
このように4月に大幅な減算を強いられた後、8月にさらに一律47単位の報酬が削られる。しかし4月の減額と、8月の減額はまったく意味が異なるものであるという理解が必要だ。

4月は純粋に報酬削減であり、施設の収入が一人につき示された数字分だけ減らされるというもので、その額は要介護状態区分ごとに、40単位〜51単位の幅がある。これは施設にとって運営を厳しくさせる大幅減算である。この分は利用者負担も減り、ひとり40円/日〜51円/日の自己負担減となる。

しかし8月の変更は、施設に入る収入を減らすための減額ではなく、7月まで自己負担のなかった特養の多床室の室料相当(いわゆる居住費:ショートステイの場合の滞在費)を利用者自己負担として、その分介護給付費を減らすものである。その額が47単位である。

特養の多床室については、これまで住環境面を考慮し、居住費負担はなく光熱水費分として約1万円/月のみの自己負担であったが、これを変更し部屋代も自己負担にするということになった。そのため8月以降470円/日の自己負担額が増えることになるので、4月に減額した額より自己負担は419円〜430円の負担増ということになる。しかしこの費用は減免対象者は塩負担増とせず、特定施設入所者サービス費(補足給付)から支給することになり、自己負担が増加するのは減免のされない第4段階の対象者のみとなる。そのため補足給付の基準額を変更する必要があり、補足給付の対象期間8月〜翌年7月に合せて改正を行う必要があるために、実施時期が8月にずれ込んでいるのだと思われる。(負担段階を決定する所得は住民税で用いられる前年度所得データであるため、6月頃まで確定できず、対象期間を8月〜としているため。)

平成 27年度介護報酬改定の概要(案)52頁『現行の光熱水費相当分に加え、室料相当分の負担を居住費として求める。ただし、「低所得者を支える多床室」との指摘もあることを踏まえ、低所得者に配慮する観点から、利用者負担第1段階から第3段階までの者については、補足給付を支給することにより、利用者負担を増加させないこととする。(短期入所生活介護についても同様の見直しを行う。)』とされている。

これは在宅生活を送る人々が居住費を負担していることとの不均衡を是正するという理由から設けられたルールであるが、今回の変更は特養の既存型多床室利用の方のみに適用されるもので、老健の多床室利用者については適用にならないルールである。

その理由について国は、「特養は事実上の生活の場として選択されており、入所者の平均在所期間は、約4年となっており、他の介護保険施設と比べて長くなっている。加えて退所者の60%以上が死亡を理由として退所している。このため自宅と変わりなく、家賃相当分を負担しないことで、在宅で生活する方との負担の不均衡が生じている。一方で老健は滞在期間も短く、死亡退所も少ないことから生活の場とは言えないから、多床室の居住費負担をしないことは、在宅者と比べて不均衡とは言えない。」としている。
(※介護療養型医療施設も終の棲家となっていると思うが、それが対象から外れている理由は明らかにされていない。)

ただし(第1段階を除く)特養・老健・療養型の多床室利用者は、4月から共通して増える費用がある。下記をご覧いただきたい。

基準費用額と負担限度額の変更
この表でβで示された費用は、前述して現在負担している多床室の光熱水費分について、平成25年の家計調査の結果、現在の設定を上回る11.215円という結果をうけて(設定時は、9.490円であった。)自己負担標準額の上限の引き上げが必要とされたためで、50円/日の金額の上乗せが行われるものである。

このように4月から1割負担が減っても実際の負担金は減額にならないだけではなく、8月からさらに自己負担が増える人がいるというということになる。そのことに不満を抱かないように、施設の担当者は、丁寧な説明をする必要があるだろう。

なおこの50円/日については、施設収入の上乗せ費用であり、減算で厳しい施設にとっては大切な増額財源ではある。

利用者が混乱しないように、懇切丁寧な説明が必要で、そのための準備も今からしていく必要があるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養へ入所できる対象者の変更について


介護保険法の改正に伴い、平成 27 年4月1日以降、指定介護老人福祉施設及び指定地域密着型介護老人福祉施設については、居宅での生活が困難な中重度の要介護高齢者を支える施設としての機能に重点化を図ることとしている。

具体的に言えば、本年4月以降に特養へ入所できる対象者は、「要介護3から要介護5までの要介護者及び、要介護1又は要介護2であって特例入所の要件に該当する者。」に変更されるわけである。

しかしこのことを勘違いして、4月以降要介護1と要介護2の方は、特養に入所申し込みができないとか、申し込んでも受付できないという関係者が存在する。しかしそれは間違いである。要介護1と要介護2の人の、特養の入所申し込みの権利自体は消滅しない。変更されるのは、要介護1と要介護2の人が、特例入所に該当するか否かを確認して、該当する場合は入所申込書にその内容を記載してもらい、そのうえで市町村にその情報を送って、入所判定員会で入所可否や入所順位についての審議を行う必要がある。

このとき窓口受付の時点で、要介護1及び要介護2であるという理由のみで、申請受付を拒むことは基準省令違反と指導を受けることになるだろう。勿論、受付時点で特例入所に該当しないと入所できないことを説明したうえで、入所申込書に特例入所に該当する場合は、その内容を記載することをお願いして、そこで該当しないからと自ら申し込みを取り消したり、該当理由を書かないことで受け付けができないと判断したりすることはあってよいだろう。

特別養護老人ホームの重点化に伴う省令案及び通知案を参照願いたい。

ガイドラインはあくまで参考であるから、この手順通りに行う必要はないが、ひとつ注意が必要なことは、「関係自治体と関係団体が協議し、施設への入所に関する具体的な指針を共同で作成することが適当」とされている点で、要するに入所申し込み者の保険者となっている市町村と、特養の協議のうえで、市町村ごとにガイドラインを作るのであるから、広域型の特養の場合は、複数の市町村の被保険者が入所しているのだから、当該保険者ごとに微妙にガイドラインの内容が異なってくることが考えられ、入所判定にもそのルールの違いが及んでくるということである。ここには注意が必要だろう。

しかし慣れてくればこの問題はクリアできるし、入所申し込み段階での説明と理由の記載を求めたり、市町村への事前の情報提供などの手間は必要になるが、それもシステムとして確立していく段階では苦にならなくなるであろう。

ところで問題は、現に申し込みをしているが、入所に至っていない要介護1と要介護2の人についてどう対応数rかという問題である。当施設では今週火曜日に入所判定員会を行ったが、その議事の中で、要介護1と要介護2の申し込み済みの方に、特例入所に該当しない場合は入所できなくな通知したうえで、以下のようなお願い文書を送付することを承認していただいた。

-------------------------------------------------
要介護1又は2の方の入所申し込みについて

平成27年4月より、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)の入所判定の対象となる者については、「要介護3から要介護5までの要介護者及び、要介護1又は要介護2であって特例入所の要件に該当する者とする。」とされております。

特例入所の要件に該当することの判定に際しては、居宅において日常生活を営むことが困難なことについてやむを得ない事由があることに関し、以下の事情を考慮することとされました。
認知症である者であって、日常生活に支障を来すような症状 ・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られること
知的障害・精神障害等を伴い、日常生活に支障を来すような 症状・行動や意思疎通の困難さ等が頻繁に見られること
家族等による深刻な虐待が疑われること等により、心身の安 全・安心の確保が困難であること
単身世帯である、同居家族が高齢又は病弱である等により家 族等による支援が期待できず、かつ、地域での介護サービスや生活支援の供給が不十分であること

この条件に該当するか否かの判断は、施設は入所申込者に対して、居宅において日常生活を営むことが困難なことについてやむを得ない事由について、その理由など必要な情報の記載を入所申込みに当たって求めることとすることとされ、この場合において、施設は、保険者市町村に対して報告を行うとともに、当該入所申込者が特例入所対象者に該当するか否 かを判断するに当たって適宜その意見を求めることとされています。

よって要介護1及び2の方が、 銑い乏催する場合のみ、特養入所が可能となりますので、要介護1及び2の方に関しては、入所申込書の意見【介護をしている上で困っていること等】の欄に、その状況を記入してお申し込みください。

現在すでにお申込みで、要介護1及び2に該当する方は、 銑い乏催する場合には、あらためてその状況を記して、再申し込みくださいますようお願い申し上げます。再申し込みがない場合は、特例入所に該当しないと判断して、入所対象から外れますので、ご了承ください。
---------------------------------------------
以上である。特例入所に該当する 銑い房┐気譴討い詬弖錣鯑匹爐函現在でもそうした要件がないと要介護1や要介護2の人は、入所順位が上位に来ないと思われ、実質このルールで特養入所が必要な人が、入所できなくなるようなことではないように思われる。

それより問題は、特例入所の対象となる要介護1と要介護2の対象者の介護報酬である。これはおそらく堤外的入所を理由にして、今以上に単価が低く設定されることが予測される。そうであれば、いくら特例入所というルールが存在していたとしても、施設経営上は、このルールで入所する人の割合が増えることは困るという考え方にならざるを得ない。実はそのことの方が問題なのかもしれないと考えている。

どちらにしても特養関係者は、入所ルールの変更への備えと各自治体関係者との協議、関係者(居宅介護支援事業所などは特に重要)や地域住民への正しい情報提供などに努めていく必要があるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養は看取り介護体制の強化が求められる


介護報酬の改定率はマイナス2.27%と極めて厳しいものとなったが、特養はそれに加え、経営実態調査の結果、収支差率が高いとされ、さらに内部留保金が3億あるという批判にさらされ、報酬減のターゲットとなっている。

しかし収支差率は、全国老施協の調査では4.3%でしかなく、しかもこの数字には施設整備補助の対象経費に相当する減価償却費が含まれており、これを除くと収支差率は0になる。また内部留保金の3億という数字には、減価償却に併せて、建築時の国庫補助金等を毎年取り崩して収入とする会計処理上の数字が含まれており、実際の現金等の入金を伴わない社会福祉法人独自の会計処理上の数字を含んだものであり、現金や預金の総額が3億という域ではないし、再三指摘しているように、それは不正蓄財ではない。(参照:介護報酬−2.27%の影響

しかし介護報酬単価決定(2/6)までの時間は短く、今回はそうした主張が通らず、特養の報酬単価は極めて厳しい減額が予測されている。

そうした状況では、新たな加算を確実に算定できるような体制を作っていくことも必要で、食事の経口摂取維持の取り組みを再評価し、入所者の適切な口腔衛生管理の普及を目的に名称変更され算定要件が新たに示される、「口腔衛生管理加算」、「口腔衛生管理体制加算」を確実に算定できるようにする必要があるし、基本サービス費が減額される中、増額される「看取り介護加算」は、確実に算定しなければならないと思う。

看取り介護加算については、下記の図のように現行最大合計4800単位であったものが、死亡日以前4日〜30日までの単位数を上げ、合計(4800+α)単位となる。

看取り介護加算の見直し
このための新たな要件は以下の通りである。

‘所者の日々の変化を記録により、多職種で共有することによって連携を図り、看取り期早期からの入所者及びその家族等の意向を尊重をしながら、看取り介護を実施すること
当該記録等により、入所者及びその家族等への説明を適宜行うことを追加し、死亡日以前4日以上30日以下における手厚い看取り介護の実施に対し、単位数を引き上げる。

また、施設における看取り介護の体制構築・強化をPDCAサイクルにより推進することが求められている。

この算定要件は特段厳しい条件ではない。当施設では毎日朝礼で、看取り介護対象者の状態報告を行い、全職員で状況把握を行っている。当然その状態報告のための記録があるわけで、それがそのまま,了残衢弖錣竜録となる。

△蓮家族が毎日面会に来るとは限らないので、面会時に面会している日の状態と、面会しなかった日の状態を説明し、安心感を持ってもらおうという目的であろうし、今までも「随時の説明」が求められていたわけであるから、この説明を「面会時には必ず行う」こととし、その内容は現在朝礼で行っている内容と同様にすればよいわけであり、そのことを記録しておけばよいだけの話だ。

この要件をクリアするための書式は国から示す考えはないそうである。ただし国は、全国老施協に参考書式を示すようにお願いしているそうだ。

しかしそのような参考書式に頼るまでもない。自施設の方法に併せて、算定要件をクリアできる記録しやすい書式を独自に作った方があとあと楽である。全国老施協がどのような書式を示すか知らないが、そのようなものにとらわれていては、施設の裁量が生きてこない。僕はすでに、現在の毎日の報告事項の書式に、家族の説明記録を加えた新書式案を持っている。近々その新書式に切り替え予定である。

また求められているPDCAサイクルは、次のような図で説明されている。

PDCAサイクル
要は看取り介護の実施体制を構築したうえで、その振り返り評価や報告を行いながら、体制の改善に努めるべく体制を構築するということであり、それも特段体制づくりが困難となるようなものではない。

体制の整備や看取り介護の実施自体は、それをしなければ加算算定できないのだから、必然的に創らねばならないもので、加算している施設では現時点でできているものである。あとは振り返りのための、「デスカンファレンス」や、「事例報告」の場を作ればよいだけで、当施設の場合は、このことについては「看取り介護終了後カンファレンス」や、その内容の報告、様々な機関に対するケース紹介などですでにクリアしているものだと思われる。

報酬改定率が下がる中で、加算単位が上がるという意味は、国が特養に期待している機能が、「看取り介護」であることを意味し、この期待に応えることが、将来的に特養の介護報酬改善に反映されてくることを期待しながら、看取り介護の提供体制を、すべての特養で充実させていくことが求められるだろう。

そのため職員の意識改革や基礎知識の研修が必要なら、僕が全国各地で行っている『看取り介護研修』に職員を派遣していただきたい。施設全体で知識を得たいという場合は、施設研修に講師としてお招きいただければ、必要なお話もできるだろう。現に昨年度も、法人・施設単位の職員研修で、『看取り介護講演』を何度かおこなっている。老健のターミナルケアに関わる研修講師としてもお招きを受け、一定の評価をいただいている。

必要があれば、メールで気軽に連絡していただきたいと思う。

勘違いしてほしくないことは、施設で亡くなる=看取り介護を行っているということにはならないということだ。看取り介護と称した、「施設内孤独死」も存在するが、それは看取り介護とは言えないということだ。終末期にいかに安心と安全の環境の中で、暮らしの支援を行い、最期の瞬間まで人生というステージで人間らしく過ごせるかが問われているのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護報酬−2.27%の影響


次期介護報酬は、H15年度の―2.3%の最大引き下げ率を「若干」下回る−2.27%で決着した。

しかしこれによって収支差率が高いとされる特養や通所介護は、全体の中でさらなるマイナス査定となり、特養の処遇改善加算を除く本体報酬は、マイナス4.5%という数字も示されており非常に厳しい状況である。
(地域区分の、その他の地域については、区分変更によるマイナスがここに加わってくる。)

そもそも厚労省の経営実態調査は諸団体の調査とずいぶん違いがあるにもかかわらず、その数字と一部で声高く唱えられている内部留保金平均3億円という実態のない数字のみを根拠にした報酬削減は経営実態を反映しておらず、頑張って高品質サービスと、職員の待遇向上に努めている事業者ほどダメージを受けるという、まったく納得のいかない報酬削減策である。
(※全国老施協の情報によると、内部留保について財務省予算執行調査で2500万円から5億円まで差があり、実態が不明瞭で調査中とのことである。)

処遇改善加算は+1.65%とし、1万2千円の給与アップが見込まれるとはいっても、加算の対象となる職員は介護職員だけである。同じく人手不足が深刻化している看護職員・介護支援専門員を含めた相談援助職員・調理員などの給与改善は、引き下げられた本体報酬の中で実施しなければならない。これは非常に厳しい。単年度で赤字経営の特養が増えるだろう。

その時、そうした法人で短期的に給与がアップしたとしても、安心して働き続ける動機づけを職員が持つことができるかを考えたとき、それは離職要素にしかならないと思う。処遇改善加算はアップさせているのだから、今回の改定は介護サービスの現場の人手不足の要因にはならないと考える方が間違っていると思う。

特養の内部留保金3億円という数字の実態も検証されることなく(この数字自体、誤った数字であると考える:現金をともなわない額面上の数値が積みあがっていることなどがその理由)、なぜ繰越金を出す必要があるのか、それがどのような方法で繰越金として計上されているのか、という実態を精査することもなく、不必要で不正な蓄財のごとき決めつけはあまりにも乱暴すぎると思う。

何度も主張しているが、内部留保と呼ばれる繰越金を出さない方法は簡単である。繰越金処理をしないで、年度末に役員報酬を支給したり、施設経営者の給与として支給したりすれば良いだけの話だ。

しかし実際には、法人役員の報酬はゼロで運営している社会福祉法人が大多数である。(当法人も役員報酬は支給していない。みな手弁当で役員を務めている)。施設経営者の年棒も1千万円を超えるような施設はほとんどないだろう。社会福祉法人の場合は、給料表を国家公務員準拠で作っている法人が多いため、国家公務員の一般職の課長レベルの給与である施設長が多く、場合によっては経験年数の長い看護職員より低い給与の施設長だっているはずだ。職員の給与を含めた待遇を低下させて、職員から不当に搾取して繰越金を計上しているわけではないのだ。

そうした状況で繰越金を出すのにはそれなりに理由があって、施設などの箱モノの維持管理に必要な経費は、すべて国の補助金でそれが賄えるという事実はなく、法人の持ち出しでメンテナンスを行い、しかるべき時期に建て替えを行って初めて、安定した施設サービスの提供ができるわけである。そのために資金を繰越金処理しているだけである。現に当施設も平成11年の増改築時に、それまでの繰越金の9割を取り崩しており、長いスパンで見れば内部留保金と呼ばれる繰越金は、社会に還元されているのである。さらに言えば、内部留保金と呼ばれる費用の中には、実際には2月後れで支払われる介護給付費であるがゆえに、留保している資金ではなく、2月分の運営費が含まれているという実態がある。このことが議論されていないのはどうしてだろうか?

社会福祉法人と民間営利企業との収支差率の比較で、社会福祉法人がもうけ過ぎだという論調があるが、営利企業は、単年度利益の多くを役職員の給与として支払って、経営者が何千万という収入を得て、それを除いた収支率が計上されているのだから、それとの比較で社会福祉法人がもうけ過ぎだという論理は、とんでもない論理だということになる。そもそもベースとなる費用に大きな金額差があるのだから、同じ1%であっても、金額は大きく違うわけである。このおかしさに気付かず、国の偏った批判に同調する世論が形成されているのは恥ずべきことだと思う。

介護報酬は3年間変わらない。そして施設サービスの場合、医療機関の外来部門のように出来高で計上できる収益部門があるわけではなく、基本的には定員に応じた報酬総額は上限がある。(ショートも定員があり実質この状況に変わりはない)。そのため安定経営のために単年度赤字を出さないようにと考えて、なおかつ定期昇給などの適切な職員待遇を確保するためには、報酬改定の初年度から報酬上限までの支出をするわけにはいかない。3年後にも定期昇給ができるように報酬改定初年度からある程度の繰越金を発生させなければ安定経営が脅かされることになる。つまり報酬改定の1〜2年目には必ず繰越金を発生させなければ職員待遇を改善できないわけだ。内部留保とはそういう資金も含まれているのである。

この構造が、今回の報酬減額で崩れて繰越金を取り崩しながら3年間を運営しなければならず、さらに3年後の報酬改定時に報酬増が見込まれるという保障がない以上、きわめてその先行きは暗いと考える経営者や職員が多くなるだろう。上がるという処遇改善加算にしても、1年目でマックスの算定をしても、その状況では2年目以降それ以上給与を改善することは難しいという簡単な理屈になる。1年目だけ給与があがるのが何が待遇改善なのか。そういう職場に人材は張り付いてくるのだろうか?あり得ないことだと思う。

介護サービスは、国民の命と暮らしを護るために必要不可欠なサービスである。高齢化率がますます上昇する我が国において、それは全ての国民にとってのセーフティネットである。そのネットがモグラたたきのように、収支差率が高いと国が決めつけたサービスからたたきつぶされていく。これで本当に国民を護ることができるというのだろうか。

重ねて言う。介護給付費が上がるからと言って、特養の施設長の給与が上がるわけではない。それによって個人の懐具合が暖かくなるわけではないのである。それにも関わらず介護給付費のプラス改定を必要とするのは、そこでサービスを提供する職員と、サービスを利用する入所利用者の暮らしを護るためにほかならない。

それが否定される報酬改定が続けば、この国の介護は間違いなく崩壊するであろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

変えなければならないものがある


特養の基準省令(指定介護老人福祉施設の人員、設備及び運営に関する基準:厚生省令第三十九号)第十一条では、「指定介護老人福祉施設は、施設サービス計画に基づき、入所者の要介護状態の軽減又は悪化の防止に資するよう、その者の心身の状況等に応じて、その者の処遇を妥当適切に行わなければならない。」と規定し、施設サービスの原則は、施設サービス計画に基づくとしている。

そして同条2は、「指定介護福祉施設サービスは、施設サービス計画に基づき、漫然かつ画一的なものとならないよう配慮して行われなければならない。」と規定している。

さらに同条3は、「指定介護老人福祉施設の従業者は、指定介護福祉施設サービスの提供に当たっては、懇切丁寧を旨とし、入所者又はその家族に対し、処遇上必要な事項について、理解しやすいように説明を行わなければならない。」と施設の説明責任を明記している。

また第十二条5 では「計画担当介護支援専門員は、入所者の希望及び入所者についてのアセスメントの結果に基づき、入所者の家族の希望を勘案して、入所者及びその家族の生活に対する意向、総合的な援助の方針、生活全般の解決すべき課題、指定介護福祉施設サービスの目標及びその達成時期、指定介護福祉施設サービスの内容、指定介護福祉施設サービスを提供する上での留意事項等を記載した施設サービス計画の原案を作成しなければならない。」とし、入所者の希望を取り入れる必要性を明示している。

これらは至極当たり前の規定である。ところがこの原則を無視して、施設サービス計画に定めることなく、「漫然かつ画一的」に行われ、利用者及び家族に「懇切丁寧に説明」することもなく、「入所者の希望」に基づかずに行われていることがある。

それは、全国老施協主催の介護力向上講習で推奨されている、すべての入所者を対象にした、一律1.500ml/日以上の水分補給や、利用者を引きずるように行う「歩行訓練」である。

なぜなら実際にこの問題を指摘した過去の記事に寄せられているたくさんのコメントの中には、この方針で水分補給を強制されている入所者の家族の、「やめてほしい」などという悲痛な声が混じっているからだ。こうした声はなぜ無視してもよいとされるのであろうか?

なぜこの方法論だけが、基準省令を無視した「治外法権」であってよいのか?

この方法論の問題点は再三にわたって書いてきているので、上にリンクを張り付けた過去記事を読んでいただきたいと思うが、この水分補給や、介護者が3人がかりで引きずるように行う「歩行訓練」と称される行為によって達成する目標とは、「おむつゼロ」である。しかもそれは全員がトイレで排泄することを意味しておらず、(日中パットへの排泄は可とされているため)トイレでどのような姿勢で、どのような方法で排泄しているのかは問われていない。その実態は、「生活の質」とは無縁の目標でしかない。

そのような状態の中で、全国老施協基準の「おむつゼロ」を目指す施設の入所者は、強制的に引きずられて苦しみ、トイレで無理な姿勢で座らされ痛い思いを毎日我慢させられ、その我慢と苦しみの結果、全国老施協基準の「おむつゼロ」に達したとされる施設が表彰される。これでよいのか?

これが科学的介護の実態である。このどこに科学があるのか。そこにはカルト宗教の「洗脳」のイメージしか浮かばない。

介護の場で高齢者が権利侵害される要素はいろいろあるが、その中には「利用者の暮らしの豊かさより、支援者の定めた目的が達せられたかどうかしか評価しない状態」が存在する。権威のある人に指導されることによって、根拠のない方法を正しいと思い込み、サービス提供側の価値観の押しつけを正しいと思い込む状態に陥って、利用者の声なき声を聞き逃す施設サービス従事者を大量生産しているのが、「介護力向上講習」の実態ではないのだろうか?

心不全のある人に大量の水分を摂取させる際の条件が、「毎日同じ時間に血圧の値、心拍数等を測定し、むくみを確認している」ことを免罪符にしている施設もあるが、もともと心不全のある人に水分過多は致命傷になりかねないことが分かっているのに、そのような方法を行った結果、数値が悪化したり、むくみが生じたりした責任は誰がとるんだ?

何度も指摘しているが、水分補給そのものが悪いということを言っているわけではないし、1.500ml/日の水分補給が必要な人がいることも否定しない。事実、当施設でも1.500ml/日の水分摂取を行っている人は複数存在する。しかしそれはすべて個別のアセスメントに基づいて決める問題であり、身長140センチ台の人が、まだたくさんおられる特養利用者の場合、一般的に考えられている不感蒸拙(感じることなく気道や皮膚から蒸散する水分で、発汗は含まない)より少ない人が多いという事実があるのだから、1.500ml/日という量は、水分過多で内臓ダメージに結びつく人の方が多いと言える。

そもそも、「本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。」(家族がこの理論を理念としている施設に入所していたという方からの過去記事に書き込まれたコメントより)という状況が起きていることに、なぜ心を痛めないのか?

おむつゼロを実現した施設の職員と名乗る複数の人からも次のようなコメントが寄せられている。

・心不全、腎不全で亡くなった方もかなりいますが、水分補給とは関係ないとされます。というか最初から水分補給が多すぎるのではないかと言うことは検討されません。ただの病気として処理されるので、家族も年で仕方がないと思うだけです。もし水分が死に影響しているのならと考えると、自分もそれに加担しているのだという罪の意識が頭を離れません。この施設をやめても、その気持ちがなくなるわけではないし。

・座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。

・歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称してます。 しかもそれは家族には見せません。


これらの声は無視してよいのだろうか?科学的介護と称する方法論を、基準省令の治外法権にしていてよいのだろうか?いつまで洗脳が続けられるのだろうか?

やはり変えるべきものは変えるべきで、介護力向上講習という学びの場をなくす必要はないが、もっと個別性に配慮したり、おむつゼロという目的だけにとらわれない学びの場にしていかねばならないのではないだろうか。

そして、ひとつのスローガンを掲げ、そのスローガンさえ達成すればよいという運動方針に科学性はないと指摘しておきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

高齢者の権利侵害につながる権威への盲信


とあるキーワードでネット検索をしていたところ、ある特養のホームページがヒットし、そのサイトを偶然見る機会があった。

そのサイトのトップページには、その施設が全国老施協の介護力向上講習を受講し、そこで教えられたとおり水分補給と歩行訓練等を行った結果、「おむつゼロ」を実現したという新聞報道の記事が紹介されていた。

しかしその新聞記事の画像の下には、※マークで但し書きが掲載されている。その文章を次に転載する。

-----------------------------------------------
※記事中に「1日1,500mlの水分」という記述がございますが、安易な水分摂取量の増加は健康に悪影響 を及ぼす恐れがあります。心臓や腎臓などに何らかの疾患を有する方は特に注意が必要であり、当苑ではご利用者様の疾患や体格に留意し、倦怠感やむくみ(特に顔面や上半身)、胸の痛み、呼吸の状態、血圧の値、心拍数及び必要に応じて毎日同時刻の体重測定など健康状態の観察を行いながら利用者様ごとの状態に合わせて1日に摂取して頂く水分量の目安を決めさせて頂いております。ご自宅で生活されている方、または介護に当たられている方におかれましては、お医者様とご相談の上、水分摂取量の目安をお決めになられますことをお勧め致します。
(転載ここまで)
------------------------------------------------
ずいぶん回りくどい言い回しになっているが、要するに「1日1,500mlの水分」を目安にしていると言っても、一律全員にそのような量の水分摂取を行っているわけではなく、身体状況を毎日同時刻に確認した上で、飲水量の調整を行っているという意味だ。

もっと簡単にいえば、全国老施協の介護力向上講習で教えられたとおり、全員一律に水分を1.500ml/日摂取を行っているわけではないという意味である。

そしてこの施設は、一律に「1日1,500mlの水分」を摂取することは、倦怠感やむくみ(特に顔面や上半身)、胸の痛み、呼吸の状態の悪化、血圧の上昇、心拍数の上昇などにつながるという危険性に気が付いているのである。

そして何より重要なことは、このような配慮を行って、「1日1,500mlの水分補給」をしていない人も含めて、老施協基準の「おむつゼロ」を達成しているということであり、科学的根拠に欠ける「1日1,500mlの水分補給」など、何の意味もないということである。

むしろ個別アセスメントを伴わない1.500mlもの多量の水分摂取は、心不全や肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与える危険性の方が高いのである。

このように介護力向上講習を受講しても、その教えの「いいところ採り」をして、危険な過水対応を行わない施設ばかりなら問題はない。しかし知識もセンスも、プライドもない施設長や管理職員が介護力向上講習を受講し、そこでの出鱈目な教えを疑いもなく受け入れ、まるで新興宗教のように、利用者の「いやだ」、「助けて」という表情や訴えを無視して、介護力向上講習での「教え」を実践することそのものを目的化してしまっている。これが一番の問題である。

その結果が、「科学という名の悪魔は存在していないか?」で紹介しているような悲劇を生み出している。

この責任は、一体だれがとるというのだろう。

そもそも全国老施協基準の、「おむつゼロ」とは、パットに排尿しても、便がトイレやポータブルトイレでできておれば、「おむつゼロ」に該当するというもので、利用者全員がトイレで排尿をしているわけではないという、「まやかし」が存在している。しかも「おむつゼロ」は自己申告であり、例えば過去に僕が経験した例では、明らかに紙おむつに排尿しているのに、それを「大パット」への排尿と呼んで、「おむつゼロ」を実現している施設だと説明されたこともある。

こんな目標を実現するためだけに、利用者は3人がかりで引きずられるように歩かされたり、家族に見せられないような行為を、「ケア」と称して行わされているのである。

そうであれば、それは何のための目標であろうか?「おむつゼロ」の実態は、利用者の生活の質を良くせず、施設の偏った価値観を満足させるためだけのもので、非科学的な方法論でありながら、その偏った価値観の達成度を表彰することで、あたかも科学的根拠のある介護を行っていると世間を欺くアリバイ作りにされているのではないのだろうか?

僕たちが本来考えるべき目的は、利用者の暮らしが良くなり、幸せに暮らし続けることである。個別アセスメントを行わずに、利用者全員に「1日1,500mlの水分補給」を行い、おむつゼロを達成したとして表彰を受けている施設の職員は、そのことによって本当に利用者が不満なく、幸福に暮らし続けていると断言できるのだろうか?

施設の掲げた目標だけが達成されていても、利用者の満足度が伴わない方法論なんて、ケアと言えないということを理解しているのだろうか?

介護サービスの場で、高齢者が知らず知らずのうちに権利侵害され、尊厳を奪われる要因は様々であるが、一番たちの悪い権利侵害は、次の3点である。

・サービス提供側の価値観の押しつけを正しいと思い込む状態
・権威のある人に指導されることによって、根拠のない方法を正しいという思い込む状態
・利用者の暮らしの豊かさより、支援者の定めた目的が達せられたかどうかしか評価しない状態


現在の介護力向上講習受講施設で、その方法論をそのまま鵜呑みにしてサービス提供している施設は、まさにこの状態であると言える。この状態のたちが悪さとは、それを行っている人間に罪悪感が全くなく、自分たちは良いことを行っていると信じ込んで、そこで利用者が嫌だと言っても、拒否しても、それは利用者がわかっていないからだと訴えを無視し、それが許されると思い込んでいることである。

しかし同じ人であり、年上で人生経験の長い人々の嫌だという表現や、苦痛の表情を無視してよいという理屈はどこから生まれるのだろう。認知症の人であっても、嫌な思いは伝えることができる。それを無視してよいという根拠はなんだ?

いい加減に、盲信することの危険性を知るべきだし、根拠のない方法をトップダウンだからと言って、個別性にまったく配慮しない姿の醜さも自覚すべきだ。

いい加減、人を人と見ない方法論のおかしさに気がついてもよいのではないだろうか。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

老健には住所を置けないと考えるおバカさんたち


介護老人保健施設は、在宅復帰支援機能を中核機能として持つ中間施設(本来は、医療機関と居宅の中間施設という意味)である。

よってそこは、医療機関で急性期の治療を終えた人に対し、リハビリテーションを中心としたサービスを提供して、身体機能や生活機能等を向上させるという目的を持つ施設で、本来ならば一時的な滞在場所であり、特養のように「暮らしの場」とされているわけではない。

よって老健に入所するからと言って、生活の本拠は「在宅復帰する場所」であることが前提であり、老健に住民票を移す必要はない。しかしこのことは老健に住民票を移してはならないという意味ではないことにも注意が必要だ。

なぜなら、老健施設利用者の個別事情によっては、滞在場所である老健が生活の本拠とならざるを得ない場合があるからだ。例えば近い将来に老健から退所する予定はあったとしても、そこが自分の自宅とは異なる施設等で、今までそこで生活していたという実態がない場合は、予定を理由にしてその場所を生活の本拠とすることは不自然である。この場合は、今現に滞在している老健を居所と定めおくべきである。

表の掲示板に9月30日に建てられたスレッドは、まさにこのケースであり、もともと住所地特例が適用されて養護老人ホームに入所していた人で、養護老人ホーム入所前の自宅等がすでに存在していない人が要介護状態となったために、特養入所の経由施設として、養護老人ホームの住所地以外の老健に入所したケースである。このとき老健に住民票を置けないとして、老健所在地域の従妹の家に住所を移せと指導されているケースの質問である。
(※本来、老健は特養への経由施設としての中間施設ではないが、個々の事情でこのような老健利用も実際には多いし、それが即法令違反となるわけではない。)

この場合、従妹の家に住民票を移せば、住所地特例が適用されなくなり、従妹の住所地の介護保険の被保険者となるしかないが、そもそも将来的に居所を定める予定のない家に、そこに親類が住んでいるという理由だけで住民票を移すということの方が問題視されるべきである。

民法第22条は、住所について次のように定めている。
(住所)各人の生活の本拠をその者の住所とする。

この規定は、生活の本拠=実際に住み生活の中心となっている土地の住所を、その人の住所とするということである。質問ケースの利用者の場合、在宅復帰すべき住所地は存在せず、老健退所後は特養に暮らしの本拠を置いて生活することになるわけであるが、それは将来の話で、現在そこは生活の本拠ではないし、親類の家も同じ理由で生活の本拠とはならない。そうであるがゆえに、この場合は一時的な滞在場所である老健を生活の本拠とするしかなく、住民票は老健滞在中、当該老健に移すべきである。

表の掲示板の質問ケースは、この生活の本拠が、生活実態のない従妹宅なのか、数カ月といえども日常生活を送る老健なのかという選択だから、これは疑問をさしはさむ余地さえなく、老健を短期間の生活の本拠と考えなければならない。そして介護老人保健施設の支援相談員等は、そこに住所を移す支援を行うのが本来である。

にもかかわらず老健に住所を移してはいけないと頑なに指導する意味や理由はなんだろう。それは単に老健は生活の場ではない、3月後に退所が予定される滞在場所に住民票は移せないという根拠のない固定観念でしかなく、正しい知識がないということではないのか?

そもそも住所地特例対象施設に老人保健施設が入っているのは、そこに住所を移すケースが十分想定されているからであり、掲示板で質問されたケースのような場合は、住所を老健に定め、住所地特例を継続するのが本来である。

間違った指導で、保険者が変わってしまうことは、本来費用負担する必要のない市町村の財政負担を強いるという意味でも不適切である。

利用者が老健に住所を移したところで、老健にデメリットが生ずることもないだろう。それとも老健に住所を定めおくことが何らかの法律に触れるとでも勘違いしているのだろうか。いずれにしても頑なに老健へ住所を移すことを拒む権利は老人保健施設にはないし、頑なにそうしないように指導する老健関係者には、正義も知性も感じない。

老健の支援相談員は、ソーシャルワーカーとして、利用者の立場に立って支援する人であるはずなのに、こうしたケースに柔軟に頭を働かせて、臨機応変の対応ができないのでは、その存在意義が問われるだろう。

さらに言えば、当該スレッドで愚痴のような質問をぶつけるのみで、結局は老健側の理不尽な指導に従うことしかできず、何の具体的で建設的な対応もできない養護老人ホームの相談員も、ソーシャルワーカーとしての見識が問われるし、その力量が足りないと言われても仕方がないだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押して、応援よろしくお願いします。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

普通の尺度


介護施設は利用者の「暮らしの場」であるから、そこでは利用者の安全と安心が担保できる環境やシステムが必要である。そうしなければ安心して暮らし続けることができる場所にはならない。

そのために僕たちは、ヒヤリハットという形で、生活の中に存在する不具合を顕在化させて、その原因を分析し、対策を講じていく必要がある。そのためにはヒヤリハットに気付く感覚が重要になる。

逆に言えばヒヤリハットの撲滅を意識するあまり、ヒヤリハットに気付いても目をつぶったり、ヒヤリハットに鈍感な職員の方が、気楽に仕事ができるといった、「ヒヤリハットの潜在化」の要因があっては本末転倒である。

そうしないために日常業務の中で、おかしいと思う感覚を大事にして、そのことが業務改善・生活環境改善になることを周知徹底していく必要がある。管理者は職員に対して、ヒヤリハットに気づいて直せば問題なく、気づかず直さないことが一番の問題であるという意識付けを行うことが求められる。

ヒヤリハットに気が付かずに直さない限り、介護事故は必ず起きる。その介護事故の延長線上には、感覚麻痺による不適切ケアに気付かないという問題が含まれ、それはやがて虐待につながる危険性が高いのだという問題意識も求められる。

この感覚麻痺を防ぐためにはどうしたらよいのか?僕はこのことについて次のように指摘している。

難しことを実現するのではなく、当たり前の暮らしとは何かを問い続けることが介護の本質であり、当たり前のことを考えられなくなってしまう支援者によって、介護を必要とする人々の暮らしは守られなくなってしまう。そうした状況に陥らないために今日から、今から、介護の現場で求められること、できることとは、常に業務の中で、「それって普通」を合言葉にして、職員間で声を掛け合ったり、自分自身に問いかけることである。

そうはいっても、普通とは何かがわからないという人がいる。普通といったって人それぞれに尺度が違うだろうと言う人がいる。

そんなに難しい問題だろうか?当たり前や普通は、もっと簡単で単純な答えとして存在しているものだ。個人の価値観で大きく答えが違ってくるものが、当たり前や普通であるわけがない。

普通の感覚や尺度は違うだろうと主張する人は、反対のための反対論を唱えているだけか、ひねくれているだけだろうと思う。そんな考え方では建設的な意見は生まれないし、そこでは介護の品質保持など絵空事になるしかない。

自分の虫の居所によって、人の心を傷つけるような言動も許されると考えるのは普通の感覚ではない。

ルーチンワークとしての身体介護さえできておれば、身体介護を受ける人の気持ちに配慮しなくてよいという感覚は普通ではない。

排泄ケアを受けなければならない人の、羞恥心が配慮されなくてよいという感覚は普通ではない。おむつ交換をされている人の陰部が、廊下から丸見えの状態であっても、おむつさえ替えられておれば問題がないと考えるのは普通の感覚ではない。

人間のもっとも楽しみであるはずの食事が、動物のエサ以下の形状になって、無理やり口に突っ込まれて、苦しそうにそれを利用者が呑みこんでいる状態が許されると考えるのは普通の感覚ではない。

食事摂取さえさせておれば、食事介助をしている職員が、利用者の表情に気を使わず、職員同士で利用者を無視して、関係のない話題の会話に終始している状態が許されると考えることも普通の感覚ではない。

自分が客として入ったお店で、物を売る定員がため口で話しかけてきたら不快になるのに、介護の場では、利用者にため口が許されると考えることも普通ではない。

僕が求める普通の感覚とは、そうしたレベルのものであって、白黒の判定が難しいものではないのである。

そこでの尺度は、「世間の常識」である。世間一般で通用しないことが、施設の中だけで許されるとしたら、それは普通の状態ではなく感覚麻痺なのだ。

そんなことさえも理解できない、判断できないというのであれば、その人は対人援助に携わるスキルに欠けるとしか言いようがない。

それだけのことである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押して、応援よろしくお願いします。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養の配置医師以外はみだりに診療を行ってはならない、の解釈


特養の短期入所生活介護(ショートステイ)利用者に対して、その利用者の、「かかりつけ医師」が特養に往診することができるかという質問を受けることがある。

この時に整理して考えてほしことがある。まず一つは、一般入所者と、ショートステイ利用者の、特養における診療報酬の算定ルールは基本的に同じであるということだ。つまり厚労省医政局通知「特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」は、ショートステイ利用者にも適応されるということだ。

さらに計画的に訪問して診療する、「訪問診療」と、計画的に実施するものではない「往診」とは違うものなので、別々に考える必要があるということだ。

上記の通知で、「訪問診療」に関する診療報酬の科目については、次のアもしくはイのいずれかに該当しない限り算定できないとされている。

ア.当該患者が末期の悪性腫瘍である場合
イ.当該患者を当該特別養護老人ホーム(看取り介護加算の施設基準に適合しているものに限る。)において看取った場合(在宅療養支援診療所、在宅療養支援病院又は当該特別養護老人ホームの協力医療機関の医師により、死亡日から遡って30日間に行われたものに限る。)

レアケースであるが、「末期がん」と診断され、定期的な訪問診療が行われている方が、何らかの理由で一時的に特養のショートステイを利用した場合は、当然のことながらこのアに該当するので、普段自宅に訪問している医師が、特養で訪問診療を行い、「在宅患者訪問診療料」などを算定することは可能であるし、一般入所者の場合も、例えば、「看取り介護」に該当した場合、死亡日前30日については、施設の配置医師ではない保険医の訪問診療を射うけることも可能である。

アもしくはイに該当しない場合は、一般入所者・ショート利用者ともに、訪問診療は行えない(正確には、訪問診療を行っても一切の診療報酬は算定できない)ということになる。

一方で計画的ではない「往診」については、診療報酬を算定できないというルールにはなっていない。

特別養護老人ホーム等における療養の給付の取扱いについて」では、

2 保険医が次の表の左欄に掲げる医師に該当する場合は、それぞれ当該保険医(併設医療機関の医師を含む。)の配置されている施設に入所している患者に対する一部の診療については他給付で評価されていることから、同表の右欄に掲げる診療報酬は算定できない。

上記の記述があり、その下に表が示され、表の右蘭の診療報酬は算定できないとされているが、これはあくまで「配置医師」による診療の場合に、算定できない科目であり、配置医師ではない外部の医師が往診を行った場合は、診療に応じて算定できる科目である。ここは勘違いしてはならない部分である。

ただし、4 養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、指定短期入所生活介護事業所、指定介護予防短期入所生活介護事業所、指定障害者支援施設(生活介護を行う施設に限る。)、療養介護事業所、救護施設、乳児院又は情緒障害児短期治療施設(以下「特別養護老人ホーム等」という。)に入所している患者については、次に掲げる診療報酬等の算定の対象としない。

↑この部分は、配置医師、そうではない外部の医師であっても共通して算定できない科目である。

ところで同通知では、「3 保険医が、配置医師でない場合については、緊急の場合又は患者の傷病が当該配置医師の専門外にわたるものであるため、特に診療を必要とする場合を除き、それぞれの施設に入所している患者に対してみだりに診療を行ってはならない。」とされている。これが唯一、配置医師ではない保険医の往診を制限している通知文である。

ただしこの文章の解釈はかなり広いと言わざるを得ない。「配置医師の専門外にわたるものである傷病」とは、どのようなものかと考えると、それは配置医師の判断によらざるを得ないし、配置医師が内科医だから、内科の疾患がすべて専門外には該当しないとも言えない。この判断は配置医師以外できないと考えらえる。

例えば発熱の場合、その原因は様々で、ショート利用者が高熱を出した場合、医療機関ではない特養で、検査も行わずに判断できる問題でもなく、持病に起因している考えらえる場合などは、利用者の普段の状態をよく知る、かかりつけ医師の専門的な判断が必要として、配置医師が認め、外部のかかりつけ医師が特養に往診する場合は、「みだりに診療」したということにはならず認められるであろう。

そもそもこの通知文には、配置医師ではない保険医が往診した場合に、診療報酬が算定できないということは一言も書かれておらず、診療報酬の算定ルールではなく、施設配置医師の責任を示した文章であると解釈できるもので、その責任と判断において、「みだりな診療」かそうでないかを判断すべしという文章に過ぎないと言わざるを得ない。

施設の配置医師が、ショートステイの利用者の健康管理について考えるべきことは、当該利用者が治療を受けていることを把握した上で、ショート期間中、病状的に変化がないかを管理・見守るという姿勢で臨み、変化があった場合、管理医が自分の裁量内と判断すれば、施設内で加療をするし、自分の手に負えない病状で、施設内の健康管理として配置医師が行う加療では不十分と判断した場合は、主治医に判断を仰ぎ、必要に応じて往診を求めるということでよいのではないだろうか。

少なくとも、特養のショート利用者に対して、配置医師ではない「かかりつけ医師」が、ショート利用期間中に特養に往診することはあり得ないという誤解は解いておく必要があるだろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押して、応援よろしくお願いします。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

特養の入所ルール変更は、特養関係者だけの問題ではない


※「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。グルメブログランキングに参加していますので、文字リンクをぷちっと押していただければ、うれしいです。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
来年4月以降、特養の入所については、原則要介護3以上の方に限定されることになる。

しかし要介護1又は2の方であっても、やむを得ない事情により指定介護老人福祉施設以外での生活が著しく困難であると認められる場合には、市町村の適切な関与の下、施設ごとに設置している入所検討委員会を経て、特例的に指定介護老人福祉施設への入所を認めることとしており、こうした入所を、「特例入所」と呼ぶことが、全国課長会議資料で示された。

このような特例入所が認められたが、特養への入所の原則が要介護3以上となったことは、どのような影響があるのだろうか。

結論から言うと、今までとほとんど変わりなく、影響は最小限だろうと思う。

現在特養入所者の88%は要介護3以上である。ということは残りの12%が要介護1もしくは2の方である。この数字は大きく減っていくのだろうか?12%という数字は一桁に減っていくと思う。しかしそれは特養入所を原則要介護3以上に限定した影響ではなく、特養の経営上の問題で、収入の低い要介護1と2の対象者をあえて入所対象にはしないという理由の方が大きく、今回の原則要介護3以上に限定する法改正がなくとも、その方向性は同じであったろうと予測する。

今回の資料では、特例入所の要件について、以下のように示されている。

要件(勘案事項)の案
1. 認知症であることにより、日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られ、在宅生活が困難な状態であるか否か。
2.知的障害・精神障害等を伴い、日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さ等が頻繁に見られ、在宅生活が困難な状態であるか否か。
3. 家族等による深刻な虐待が疑われる等により、心身の安全・安心の確保が困難な状態であるか否か。
4.単身世帯である、同居家族が高齢又は病弱である等により、家族等による支援が期待できず、かつ、地域での介護サービスや生活支援の供給が十分に認められないことにより、在宅生活が困難な状態であるか否か。


以上であるが、この要件は今現在の事情を何も変えるものではない。なぜなら、優先入所の対象になりづらく、介護報酬単価も低い要介護1と2の人が、入所判定の上位にランク付けさせられて、特養入所となっている理由は、上で示された要件の、1もしくは4に該当する例が大部分を占めている。

つまり新しい要件ができたといっても、今特養に入所している要介護1と2の人が、特養に入所した事情と、この要件にはほとんどかい離がみられないために、今回の制限で特養入所が難しくなる人はほとんどいないといってよいと思う。

ただし入所判定会議前に、施設は市町村に要介護1及び2の申込者の状況を報告する義務が課せられるのだから、事務負担は重くなるわけである。変わることといえばその程度のことである。

よって結論としては、このルール変更は、特養の運営に何ら影響を与えることはないだろうし、適切なルールを当てはめて対応すれば、入所の必要性がある要介護1と2の人の行き場がなくなるということではないだろう。

むしろ事務手続きの煩わしさを考え、あえて報酬単価の低い要介護1と2の人を入所判定会議にかけないという、特養側の怠慢行為が行われないかを心配したほうが良いかもしれない。

それと特養の入所要件を、原則要介護3以上としたということは、介護給付の制限という、「前例」になるという意味だ。それは今後の制度改正時に他のサービスにも、この利用制限は拡大される可能性があるという意味でもある。

介護給付費分科会等で軽介護者の利用制限が具体的に議論されたサービスは、「定期巡回随時対応型訪問介護看護」であり、あり方委員会の中間報告書では、利用対象者を「要介護3以上としてはどうか」という記述もあったが、要介護者の介護サービスを利用する権利との整合性が取れず、利用対象者は要介護者全てとした。

今回の特養の軽介護者の利用制限という前例が、次に「定期巡回随時対応型訪問介護看護」の軽介護者の利用制限につながるかと言えば、そうはならないだろう。なぜなら国が推進する地域包括ケアシステムにおいて、「定期巡回随時対応型訪問介護看護」はその基礎的なサービスとして位置づけおり、サービス参入事業者を増やさなければならないという側面がある。しかし実際には、このサービスは国が想定した数の増加とはなっておらず、そうした中での利用制限は、このサービスが浸透して数が増えることの弊害になるからだ。

そう考えると特養の利用制限の前例は別サービスの改正に向けられるかもしれない。例えば訪問介護の生活援助は、原則要介護3以上という方向性で議論がされていくことを否定できないし、給付制限の前例がある以上、そのハードルは低くなったと言わざるを得ないのである。

つまり今回の特養の入所ルールの変更とは、特養関係者だけの問題ではなく、今後の介護保険制度の向かう先を示しているという意味で、すべての介護関係者が注視すべき問題だということだ。

8/16・14:00〜和歌山ビッグ愛での和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)主催介護の詩〜明日へつなく言葉」出版記念講演会in和歌山まで、あと3日と迫りました。
出版記念講演in和歌山明日へつなぐ言葉
当日会場での参加申し込みも受け付け可能です。




介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

補足給付の変更点を整理する


--------------------------------------------------------------------------
グルメブログ・masaの血と骨と肉はこちら。現在グルメブログランキング「晩御飯」の部でトップに立ちました。ランキングへの文字リンクをぷちっと押して応援してください。
--------------------------------------------------------------------------
最新の全国介護保険担当課長会議資料が、厚労省のサイトに掲載されているが、相変わらず膨大な量の資料である。当然のことながらすべてにくまなく目を通し終わってはいないが、ざっと目を通した感想を書いてみる。

僕の仕事と関連深い部分では、今回の資料で初めて明らかになったことといえば、例えば地域密着型サービスに移行する小規模デイサービスは、「18人定員の事業所」と明記されているし、移行時期も具体的に示されている。

また特養入所対象から、要介護1と2の認定者を除外するに際して、例外的に1もしくは2でも特養入所できる対象者を、「特例入所」とし、その要件などを示している。

新総合事業について、予防給付から移行する訪問介護と通所介護のイメージなど、かなり詳細なガイドラインは示されているが、本当にこのイメージで、ボランティアなどの人的資源を確保して新たなサービス提供ができるのかと疑問になる内容も多い。しかしこの部分の資料を読むと、本当に複雑で、よくわからない制度になってしまったなあとつくづく思ってしまう。

そのほかの資料は、ざっと目を通したところ、過去の分科会などで示された内容のまとめが多くて、具体的なものはあまり示されていないように思う。それらはこれから順次示されていくのだろう。

さてそんな状況ではあるが、今日は補足給付の資産勘案などについて確認しておこう。

この部分の改正には飴とムチの部分があるが、唯一の飴は、「本人または世帯員が市町村民税を課税されている第4段階の高齢夫婦世帯で、一方が施設に入所し、食費・居住費を負担した結果、残された配偶者の在宅での生計が困難になるような場合に、第3段階とみなして特例的に補足給付を支給。この特例の対象は、 銑Δ陵弖錣垢戮討鯔たす者。対象期間は、の要件に該当しなくなるまでの間で、食費もしくは居住費又はその両方について、利用者負担第3段階の負担限度額が適用される。」(特例第3段階)である。
(6つの要件)
その属する世帯の構成員の数が2以上(夫婦世帯とは限らない)
介護保険施設(及び地域密着型介護老人福祉施設)に入所・入院し、利用者負担第4段階の食事・居住費を負担
世帯の年間収入から施設の利用者負担(1割負担、食費、居住費)の見込額を除いた額が80万円以下
●世帯:施設入所に当たり世帯分離した場合でも、世帯の年間収入は従前の世帯構成員の収入で計算
●収入:公的年金等の収入金額+合計所得金額(雑所得を計算する上では、公的年金等に係る雑所得を算入しない)
●施設の利用者負担:特例減額措置の申請の際に入所する施設の1割負担、食費、居住費の見込額を計算
だぢ咾慮酋癲⇒唾金等の額が450万円以下 (預貯金等には有価証券、債権等も含まれる)
ダぢ咾その居住用の用に供する家屋その他日常生活のために必要な資産以外に利用しうる資産を有していない
Σ雜酳欷盈舛鯊敘爾靴討い覆

以上である。特にΣ雜酳欷盈舛鯊敘爾靴討い覆い箸いΔ里禄斗廚任△襦 銑イ垢戮討乏催しても、保険料滞納者は特例第3段階にならないのである。注意が必要だ。

一方、ムチの部分はかなり厳しい改正になりそうだ。まず対象となる、資産は、「預貯金、信託、有価証券、その他の現金から負債を差し引いた額」である。生命保険は該当しない。この額が、単身で1.000万円を超える場合、(夫婦世帯では2.000万円超)補足給付の対象外となる。

資産は申告に基づいて認定することになるが、現金も申告しなければならない。仮に虚偽の申告で補足給付の支給を受けた場合は、後でそのことがわかれば給付額の返還に加えて、最大給付額の2倍の加算金を課すことができるとしている。この基準は「厚生労働大臣が定める基準」として告示により定める予定であるとしている。

申告の際に、預貯金は通帳の写しを添付することしており、さらに介護保険法第203条の、「資料の提供等」を法的根拠として、定期的に金融機関に対し照会を行うこととしており、虚偽申告を防ぐ手立てを講じているが、現金の把握は実質不可能であろう。そうであるがゆえに、家族が介護保険施設に入所するに際して、1.000万円を上回る預貯金がある場合に、あらかじめ一定額を払い出しして、タンス預金にして、1.000万円を下回った預貯金額のみを申告して、補足給付の支給がされるようにするという抜け道を使おうとする人は少なからず存在するだろう。これに対する調査の方法は、実質ないといってもよい。

ところでこの資産勘案のほかにも、補足給付の認定については、今までと大きく異なる改正がある。一番大きな改正は、世帯分離することによって補足給付の対象になるということは、今後なくなるということだ。

つまり今までは施設入所して世帯分離した場合に、施設利用者が非課税なら補足給付の対象になっていたが、今後は施設利用者が非課税でも、配偶者の所得は、世帯分離後も勘案することとし、配偶者が課税されていれば、補足給付は行わないとされた。このことによって補足給付の支給対象から外れる利用者は、かなりいると思われる。事前のチェックが必要だ。

なお配偶者については、婚姻届を出していない「事実婚」の場合も、「配偶者」に含めるように省令で規定するとしている。

ただし、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律に基づく通報があった場合、行方不明の場合などは配偶者の所得を勘案することは不適当であると考えられることから、省令でこうした例外事項を規定する予定であることも付記されている。

また支給段階の判定にあたっては、今まで収入として認定されていなかった非課税年金(遺族年金・傷害年金)が勘案されることになるので、今まで非課税+合計所得が80万以下として、第2段階に認定されていた利用者で、非課税年金勘案により第3段階に移行する人も多いのではないかと思われる。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

食の専門家に求められること


対人援助の場で働く専門職は、専門職であるがゆえに、ごく当たり前に考えるべきことを見失ってしまうことがある。

健康管理や自立支援は大事な視点であるが、人間はそれだけを目的に生きているわけではない。人としての日常的な営みの中で、感じることができる喜びや楽しみにつながる行動が、ごく自然に健康や自立に結びつくという暮らしが、普通の暮らしではないだろうか。

食事はその最たるものではないかと思う。

何らかの疾病を抱えた人に、治療食が必要であるということは当然理解できる。慢性疾患の場合は、そうした治療食(療養食)を一生食べ続ける必要があることも理解できる。その場合でも、治療食だから、病気を悪化させない食事でありさえすればよいということではなく、人の嗜好にマッチさせる治療食という考え方も必要ではないかと思う。病気だから、まずい食事を一生食べ続けることも命を守るためには必要だということではなく、食の専門職がかかわるのだから、治療食であっても食の楽しみを失わないように工夫するという考え方が本来であろう。

日常の栄養管理であればなおさらである。

人は毎日、栄養摂取や健康維持のために食事を摂っているわけではない。食事とは人にとって一番の楽しみであって、食事をおいしく摂れることそのこと自体が喜びである。食事をおいしく摂れて、日常生活を楽しむことが、結果的に栄養状態の維持につながっているという人のほうが圧倒的に多いのである。

勿論、高齢になるにしたがって慢性疾病を抱える人は多くなるわけで、そういう人は、食事にも注意しなければならないということは当然理解できる。だからと言って食事=治療を前面に出し過ぎてしまっては、大切なことが失われてしまうのではないだろうか。

介護施設等における管理栄養士には、利用者が食の楽しみを失うことなく、様々な状態の人が、おいしく食事を摂取できるために必要な支援を行う食の専門家、という役割が一番に求められるのではないだろうか。

栄養状態の管理は重要である。それを軽視しろなんて言うつもりはない。しかしおいしくない食事を、我慢して摂り続けなければ生きられないという状態は、決して望まれる状態ではないという観点からも食事提供のあり方を考えてほしい。

18年の制度改正では、介護施設の栄養管理として、栄養ケアマネジメント加算が導入された。この加算を算定するためには、管理栄養士は栄養スクリーニング・アセスメント・モニタリングという一連の過程を経て、栄養ケア計画を作成しなければならない。

そしてその際には、一人一人の利用者について、低栄養状態のリスクの判断を行い、低リスク・中リスク・高リスクに分類して、それぞれのリスク状態に応じた支援が求められている。

それはそれで重要なことだ。しかしそのリスク管理に目を奪われるあまりに、低栄養リスクが低くさえあればよいという考え方に偏っている人はいないだろうか?

4/7に表の掲示板に立てられた、「栄養ケアマネジメントのリスク判定について」というスレッドは、特養の管理栄養士の方が質問しているスレッドである。

勘違いしてほしくないのは、この質問者が問題であるということではない。この方は単にリスク判定の基準がわからなかっただけで、食の楽しみを十分理解して栄養管理業務に従事している方かもしれない。

ただ僕は、このスレッドの中で、食事の経口摂取が可能な人ではあるが、経口摂取では誤嚥してしまうために、栄養補助食品等で栄養状態を保っており、中リスクであるから問題なしとして話が終わってしまうのであれば、栄養ケアマネジメントとしては不十分だと思った。食形態などを工夫して誤嚥しないで経口摂取できる方法を同時に考えていかないと、質問ケースの利用者ニーズは満たされないのではないかという懸念がぬぐえない。

なぜならこのスレッドを読んでわかるように、経口からの食事摂取ができない当該利用者の栄養状態は、「栄養補助食品やエンシュア」を摂取することで保たれているのだ。どうして栄養補助食品やエンシュアが経口摂取できて、食事の摂取ができないのか。ここの検討がされているのかどうなのか。

食事の楽しみという部分を考えると、ここにもう少しスポットを当てた栄養ケアマネジメントをしてほしいと思うのである。

栄養士という資格が誕生したのは1925年(大正14年)のことである。その後、第2次世界大戦のさなかには、軍需工場の給食や軍隊の食料を作り確保する目的で、栄養士の養成校整備がすすめられた。戦中・戦後の食糧難の時代には、十分な食糧を得られない人々が栄養失調で次々倒れ、その状況を改善するため、栄養士法という法律が制定された。

僕が訪ねたことのある、歴史が長いとある養護老人ホームは、墓地の目の前に建てられ、ホームの窓から墓地が見える。どうしてこんな場所に老人ホームが建っているのかと質問したところ、戦時中に食べるものがないとき、施設管理者や栄養士等の職員が、この墓地のお供えとして置かれていた食べ物を集めて、利用者に食事を提供していたことがあるというエピソードを紹介された。その墓地の存在で命をつなげたことを忘れずに感謝し続けるために、その場所から施設を移設させていないのだという。

こんなふうに、その時代の栄養士の役割は、いかに必要なカロリー摂取ができるか、そのためにどのような食事を提供するかということであった。

今の時代食糧難でエネルギー・カロリー摂取に必要な食材量の調達に、栄養士が先頭に立って走り回るという必要はなくなった。だからこそ、口に入り、栄養が保たれるということではなく、人の楽しみ、喜びとしての食事のあり方に、徹底的にこだわる「食の専門家」が、管理栄養士であってほしいのである。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

水分過剰摂取で死亡により損害賠償命令


おむつゼロのため、利用者全員に一律・水分1.500ml摂取を行っている施設の職員の皆さん、きちんと考えてくださいよ。

水中毒で入院患者死亡、病院に賠償命じる判決

宮崎市の民間病院に入院していた当時36歳の女性が、水を大量に飲んだことによる急性低ナトリウム血症で死亡したのは、病院の管理に問題があったことが原因だとして、家族が病院に損害賠償を求めた裁判で、宮崎地方裁判所は、家族の訴えを認めて、病院に対し、3.500万円余りの支払いを命じる判決を言い渡しました。

詳細はリンク先を参照してほしいのですが、本件は統合失調症で、のどが渇く副作用のある抗精神病薬などを服用していた女性が、自ら大量の水分を摂取して急性低ナトリウム血症を引き起こしたことについて、水道の元栓を閉めるなどの予防措置を取らなかったことなどは、病院側が管理責任を果たしていないと責任が問われ、損害賠償を認めたものです。

そうであれば・・・。

自分で水を飲んでいた人の水分量の制限ができなかったと損賠賠償が認められるならば、本人が望んでいないのに、施設の方針として無理やり水分を過剰摂取させられ、そのことが原因で病気が悪化した場合や、死亡した場合は、もっと重い責任が問われますよ。

水あたりや水中毒という言葉は古くからあります。腎機能が低下していなければ水中毒と呼ばれる低ナトリウム血症を引き起こすことはないでしょうけど、そもそも水分の過剰摂取は、内臓にダメージを与え、腎不全・心不全・高血圧を悪化させ、場合によってそれは死因に直接つながります。

必要以上の水分摂取を毎日続けていると、それが腎機能低下につながり、やがて低ナトリウム血症につながる危険性は常にあるのです。だから個別のアセスメントが必要なのです。

もちろん、今の時期、暑さで発汗量も多くなりますから、冬期間より水分摂取量を増やすという視点は必要ですよ。そして脱水予防は大事ですよ。でも脱水を防ぐための水分摂取量は個人によって異なりますし、失われた水分を、水だけで摂取しようとした場合、電解質異常が起こり、これは認知症の人の行動・心理症状の悪化にもつながります。よって水分補給は、同時に適度なミネラル補給も考えねばなりません。麦茶などは、ミネラルを補ってくれるので、水分補給に適していると思われます。

高齢者は脱水になりやすいということは、その通りです。細胞数が若い人より格段に少なくなっているので、細胞内液量の低下が脱水を引き起こします。しかし水を必要以上に摂取することは、脱水と同様か、それ以上に恐ろしい結果を招くのです。だから水分が過剰ではないかという確認や、事前の必要量予測のアセスメントは欠かせないのです。

多すぎる水分量とは、人によってその量の基準は違いますよ。汗以外に皮膚等から失われる不感蒸泄の量を考えると、食事をきちんととっている人の場合、高齢者であったとしても1日食事以外に、1.500mlもの水分を必要とする人は少ないと思われます。特に皮膚からの不感蒸泄の量が少なくなる身長が140センチ台の人の水分摂取量は、食事がきちんととれておれば、発熱でもしていない限り、1.000mlで十分な場合があります。

その人に、毎日1.500mlもの水分を摂取させ続けていたら、内臓ダメージが起こるリスクは高まりますよ。それが低ナトリウム血症の引き金です。その責任が取れますか?

心不全や腎不全、高血圧の持病を持っている人に、1.500mlもの水分を与え続けたら病状は悪化するリスクが高いですよ。病状が悪化した時、年のせいにするつもりですか?きちんとした医師が診察すれば、水分摂取過多であることが明らかになるケースもありますよ。その時責任は取れますか?

間違ってほしくないのは、1日1.500mlの水分摂取そのものが駄目だということではないのです。それだけの量を摂取でき健康が保たれ、脱水を防ぎ心身が活性化して、なおかつトイレで排泄できるようになるのであれば、それは素晴らしいことですよ。個別性への配慮も行って、おむつゼロを達成している施設は称賛されてよいと思います。

実際に心身を活性化するためにそれだけの水分量が必要な人もいるでしょう。しかしそうでない人も、例外とか特例と言えないほどたくさんいるのです。そのアセスメントをどうしてしないのかという問題なのです。

水分を十分とり、脱水による意識低下等を防いで、尿量が増えたタイミングを見計らって、トイレで排泄する習慣を身につけ、おむつが必要なくなる。その一方で、足の浮腫が増強したり、水あたりの症状で受診したり、高血圧や腎不全が悪化したりする人がいたとすれば、それはプラスマイナスゼロとかいう問題でもないし、メリット・デメリットの両方があるという問題ではないのです。個別アセスメントのない状況で、一人でも水分過多の症状が出る人がいれば、すべての人がトイレで排泄できても問題なのです。

そんな事実が全くないなら、こんなことは書きません。しかし僕に寄せられるメッセージの中に、実際に「おむつゼロ」で表彰を受けている施設の職員さんから、「これでよいのか?」という疑問の声が含まれています。施設名は出せませんけど、そこでは利用者が低ナトリウム血症の中度の症状で病院搬送され、入院先で水分制限を指示されたケースや、腎不全や心不全の症状悪化が目立ってきているという情報が寄せられているのです。

立ち上がれる人が、歩行訓練と称し職員3人で引きずられるように歩かされている情報も寄せられています。水分摂取に関連したブログ記事にはコメントがたくさん寄せられています。それらを改めて読んでみてください。

もしこのブログを読んでおられる人の中で、一律全員に、食事以外で1日1.500mlの水分摂取を推奨している施設に入っておられる利用者の家族の方がおられましたら、高血圧や内臓疾患の悪化がないかを確認してください。そういう症状があれば、年のせいにせず、水分の過剰摂取ではないかということも医師に尋ねてください。場合によっては、セカンドオピニオンが必要になるケースもあるように思えます。

この問題で疑問を呈すると、食事以外で1日1.500mlの水分摂取させるように指導している、「介護力向上講習会」では、きちんと例外や、個別性を見るように指導しているといわれる方がいます。しかし講習会出席者は、そのような指導は受けていないという人が多いですよ。どうしてこのように勘違いしている人が多いのでしょうか?伝え方が間違っているからではないですか?そもそも下記の画像は「月刊老施協5月号」に掲載されているものですが、何ページも割いて掲載されているこの特集記事にも、個別性への配慮、個別アセスメントの必要性には全く触れられていません。あくまで全利用者に対し、食事以外で1日1.500mlの水分摂取を「基本」としています。それでいて個別性への配慮がいらないというふうに勘違いするなと指摘することには無理がありますよ。

介護力向上講習

(参照)
「一を探して、一を足す介護」に寄せられたコメント

「賞される資格があるのかを自らの良心で判断してください」に寄せられたコメント

「ご入居者はモルモットではないという叫び」に寄せられたコメント

「科学的介護と竹内理論に対する疑問」に寄せられたコメント

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

一を探して、一を足す介護


介護を必要とする人が、必ず不幸であるとは限らない。

幸福な暮らしを送っていたうえで、さらに生活を豊かにするために介護を必要とする人は数多く存在する。

生活が豊かになるという意味は、不便を解消して生活が快適になるということであるが、快適を求めることは、単なる快楽追求とは違うものであり、求められる視点である。そのためにも介護支援は必要とされるのである。

よって我々は介護を必要とする人に、「不幸で可哀そうである」などというレッテルを貼ることは許されない。変な偏見をもつことなく、介護を必要とするという状況を正しく理解するだけで十分である。

一方では、必要な介護支援が適切に受けられないことで、生活上の不便が生じ、生活課題がずっと解決しないままの人も存在する。この場合は、その置かれた状況によっては、苦しい不幸な状況であるといえるかもしれない。

そうした状況の把握は不可欠で、利用者の不幸の原因、苦しさが解消されない理由をきちんと見つけ出して、それに対応しなければならない。

それはケアマネジメントという手法でアプローチする場合もあるだろうし、ケアサービスそのものの中で、想像力を酷使してアプローチする場合があるかもしれない。アプローチの方法も、アプローチする人も様々なのである。

辛く苦しい状況に置かれている人に対してアプローチする人を、限定的に考える必要はなく、かかわる人々全員でアプローチする必要があるが、介護保険制度の中の居宅介護支援でいえば、そのアプローチが、介護にかかわる人々の個人レベルで、各自バラバラに行われ、利用者にサービスをつなげる部分で混乱が起きないように、介護支援専門員が調整役・まとめ役となって多職種協働のチームを作るということになっている。

だからと言って、それが介護支援専門員という資格を持った人だけしかできない役割だとか、ほかの職種の人々が、そのような視点を持つ必要がないかといえば、決してそうではない。介護を必要とする人は介護保険制度の対象外の人もいるのだから、臨機応変に介護支援を提供する責任を持った人という立場で、そのアプローチの在り方を考えるべきである。

介護とは、こうした辛い状況の人の、辛さの原因を解消するために行われる行為で、介護支援を受けることそのものが、辛さを感じることにつながってしまえば、それは介護という名の無理強いに過ぎなくなる。

何か一つの目的を達成しようとするために、人の不幸や辛い表情を無視することは許されない。自立支援が大事だといっても、そのための方法論に、人の暮らしを無視して、人のつらい表情を無視するものが含まれているならば、それは果たして介護と呼ぶことができるものなのであろうか。

辛い表情で日々の暮らしを送っている人がいるとしたら、そうした辛い表情が毎日続くことは異常なことだという当たり前の感覚をもって、介護支援に携わっていかなければならない。辛い時間を毎日すごさねば日々の暮らしが完結しないという異常さを見つめる視点を失ってしまえば、そこでは支援という名の支配が行われているだけの結果しか残さない。

これは怖いことだ。

全国老施協の介護力向上講習会で提唱されている、個別アセスメントのない、一律1.500ml水分摂取は、支配ではないといえるのか?おむつをしないという目的だけのために、座位姿勢がどうとれるのかというアセスメントのない状態でのトイレやポータブルトイレで排泄を強いる介助は支配ではないと言い切れるのか? 5秒つかまり立ちができたら、必ず全員が歩行器による歩行訓練をさせられるというのは支配の構造と言えないのだろうか?

なぜなら、そこではどのような状況が生まれているのか、「賞される資格があるのかを自らの良心で判断して下さい」を確認していただき、真実を知っていただきたい。

介護は人の暮らしを豊かのするためにあるものだ。辛い表情の人を幸福な表情に変えるために介護は存在する。何か一つの目的を押し付けて、辛い表情をしないと日々過ごせないという状態は、介護支援の目的にはならない。

辛いという文字に、一を加えると幸せという文字になる。我々は辛い人が、幸せになるために加えるべき一という文字が、その人の周囲のどこにあるのかを探す役割を持っている。その一を見つけて、辛い表情をしている人に適切に一を足して、幸せにすることが求められている。

介護は一を探しつなげる仕事
辛い表情を無視して、介護サービス提供側の決め事や目標を、無理やり押し付けるのが介護ではない。

その大事なことを忘れてしまっている人が多すぎるのではないだろうか。

(13:30追記)
人の幸せにつながる一を探すための介護が、ある偉い先生の思いこみ理論によって、一を探すアセスメントを放棄し、辛いつらいという利用者の表情を無視する方法論にすり替わる。

それが取り返しのつくことならまだ良いが、そこではもしかしたら命が奪われているかもしれない。こんな状態を1日でも1分でも放置し続けている職能団体って意味があるのか?

恥を知るべきは、そういう施設のトップであるが、組織や上司の命ずるままに、利用者のつらい表情を無視できるあんた。どの面下げて、介護のプロって顔してんだよ。トイレで排泄できる人が1000人増えても、一人の命が奪われているとしたら、あんた責任とれるのか!!

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

賞される資格があるのかを自らの良心で判断して下さい


とある企業が、自社の商品が優れたものであるとし、その商品の普及こそが社会貢献であると信じ、利益を度外視ししながらも、その商品を社会に広く普及させるために、全国の支店に過酷なノルマを与え、支店長や幹部職員を本店に呼び出したり、全国各地に本店職員を派遣したりして、商品セールスのためのレクチャーという名の尻たたきを強力に行う。

そうした本店命令を受けた、支店長や幹部職員から指示命令される職員は、その指示や命令に絶対に服従せねばならず、不満を言おうものなら周囲から袋叩きにあい、会社を辞めねばならない。ノルマを達成しない場合も同様のことが起こるので、手段を選ばず商品を売るという目的を達成するためにあらゆるエネルギーをつぎ込み、顧客の都合や利益を一切顧みることをせずに、商品をあらゆる手段を講じて売っていく。

どういう手段であっても、そうして売上ノルマを達成した支店は、支店長や幹部職員が本店から呼ばれて表彰を受ける。表彰を受けた職員は、式場の壇の上で満面の笑みを浮かべて記念写真ということになるが、その裏側には、口八丁手八丁で口説き落とされ、なけなしの現金をはたいて必要のない商品を買わされた消費者が存在し、その中には認知症の進行で、正常な判断ができないまま、不必要な商品を大量に購入させられた高齢者が多数含まれている。

しかもこの企業は、老人ホームを経営しており、そこに入居している高齢者には、有無を言わせず、「必要である」として全員に商品を購入させている・・・。それが利用者にとっても結果的に生活の質の向上につながると信じて・・・。

ここまで書いたことはフィクションである。実際の話しではない。しかしこのよう方法で売上ノルマを達成した支店職員への表彰式とかぶる場面がある。

その場面は、上に書いたような状況とは、同じではないが、表彰をうけて満面の笑みを浮かべている人の背後に、泣き叫んでいる人々の姿と声がちらついているということに変わりがない。それは何か・・・。

「本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。」

「座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。」

「歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称しています。 しかもそれは家族には見せません。」


これらの声は、ある特養の入所者の家族と、そこに勤めている職員の声である。僕に直接メールや、ブログコメントや、フェイスブックメッセージで送られてきた声である。匿名で送信者がわからないものの含まれているが、身分を明らかにして実名で送られてくるメッセージや、もともとの知り合いから送られてくるものもある。

家族が入所していたり、自分が働いていたり、過去に働いていたというそれらの特養では、全国老施協の介護力向上講習会に参加して、そこで呼びかけられている食事以外に、1日1.500mlの水分を全員に摂取させ、おむつを使用せずトイレまたはポータブルトイレで排泄さえ、5秒のつかまり立ちができるならば、有無を言わせず強制的に歩行器を使って歩行訓練しているのである。そして結果的に、これらの施設は、全国老施協基準の「おむつゼロ」を達成したとして、表彰を受けている。

そういう施設に自分の親を入所させたいと思うだろうか。自らの心に正直になって考えて、そのサービスの状態のまま、自分がその施設に入所したいと思うのだろうか。

勿論、1.500ml以上の水分摂取をしなければならない人はいるだろう。おむつよりトイレで排泄できるに越したことはない。歩けるようになることはとても良いことだ。しかしそのことを一つの例外もなく実施し、その根拠も個別性に配慮のない一律の量や時間や基準というのであれば、これを「科学的」と表現するのは詐欺と同じである。

不感蒸泄が水分補給量に影響することを考えると、皮膚から奪われる水分量の影響が大きいのだから、この量には体格差が大きく影響してくることは明らかであり、身長140センチで体重35キロの人と、身長160センチで体重55キロの人との水分摂取量が違って当然である、ということに考えが及ばないほうがどうかしている。

ポータブルトイレという、極めて座りにくいツールに、座位アセスメントを行わずに座らせたら、座っているだけで苦しみもがく人が出てくるってことだって常識だ。ましてやつかまり立ちできるからと言って、複数の職員で引きずるように歩かせて何の自立支援だというのか?そこに存在するという「生活の質」って一体なんだ?

しかも昔から、「水あたり」という言葉が存在するように、脱水と同じように、水分の過剰摂取は身体にダメージを与えることは医学的に証明されているのだ。水分をとり過ぎると、心不全、肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与えるのは常識である。

そうであれば、一律例外のない1.500ml/日の水分摂取を全員に実施し、「おむつゼロ」を達成して表彰されている施設では、なぜそのようなことが問題となっていないのであろうか?

その理由は大きく分けると二つ考えられる。

ひとつは、講習会講師より現場の職員のほうが賢明で、実際には全員一律の水分量を摂取させず、臨機に量を調整して、介護力向上講習の「良いところ取り」をして、適正な範囲で水分補給と座位アセスメントを行い、おむつゼロを達成している施設があるということだ。それは最も賢明な方法だろう。こういう施設では上記に示したような声が出てくることはないだろう。

問題はもう一つの理由である。それは実際にはそうした施設で、水分摂取過剰により身体ダメージを受けて入院するようなケースが出ているのに、それを一律例外のない水分の大量摂取と結びつけて考えずに、単なる加齢に伴う病気として処理されているのではないかということである。

例えば実際に、「おむつゼロ」で表彰を受けた特養の職員の方が、こんな疑問の声を寄せてくださっている。

「心不全、腎不全で亡くなった方もかなりいますが、水分補給とは関係ないとされます。というか最初から水分補給量が多すぎるのではないかと言うことは検討されません。ただの病気として処理されるので、家族も年で仕方がないと思うだけです。もし水分が死に影響しているのではと考えると、自分もそれに加担しているのだという罪の意識が頭を離れません。この施設をやめても、その気持ちがなくなるわけではないし。」

これは真実かどうか確認のしようがない。しかし本当にこのようなことがあれば恐ろしいことだ。・・・だが・・・、個別のアセスメントのない状態で、食事以外で一律1.500ml/日(経管栄養の場合は、流動食と水分を合わせて、2.200ml/日だそうである。)もの大量の水分摂取を、毎日行っている施設の利用者に、高血圧の人や、心臓や腎臓疾患の利用者が一人もいないはずはなく、内臓ダメージを生ずる人や、水分の多量摂取による低ナトリウム血症をおこす人が、一人もいないということのほうが疑問視されるだろう。

だから寄せられたメッセージのようなことが、本当にあるのではないかという怖さを感じざるを得ないのである。

こんな声も寄せられている。
「先日のマサさんの講演の後、1リットルのペットボトルを意識して仕事中に飲んでみましたが、飲めませんでした。苦痛でした。 飲ませてる人って自分も飲んでみたらいいのに。」

だから・・・おむつ使用ゼロを達成し、嬉しそうに表彰されている皆さん。

あなた方の笑顔の向こうに、毎日苦痛に顔をゆがめて水を無理やり飲まされている人がいないかを、きちんとみつめて確認して下さい。

泣きながら水を飲まされ、苦しそうに便器に座らされ、引きずるように歩行器につかまらせて歩かせている人がいないか、施設の隅々まで見渡して下さい。

あなたたちの良心に基づいて真実を見つめて下さい。

和歌山地域ソーシャルネットワーク雅(みやび)の皆さんが、素敵な動画を作ってくれました。ぜひご覧ください。


介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

科学という名の悪魔は存在していないか?


今月の月刊老施協が先週送られてきた。その誌面では4頁から13頁を割いて『科学的介護』を実践するための『介護力向上講習』の特集が掲載されている。そしてそこに大きく載せられているこのキャッチフレーズ・・・。

介護力向上講習
何度も書いているように、この講習の目的そのものを否定するものではない。ここで求められている方法論の中にも正しい方向性だと思えるものもある。

しかしどうして食事以外に1.500mlもの水分を一律全員に飲ませる必要があるのか。このことが最大の疑問である。本来水分摂取量とは個別のアセスメントを行った上で考えられるべきもので、身長が160センチの人と140センチの人で、体重が同じなら、両者の必要水分摂取量には差があって当然であると考えるのが普通ではないのだろうか。食事摂取の状態(摂取量)によっても食事以外の水分量が違うと考えるのが常識である。しかも胃婁の場合は2.200mlとは・・・この量は、人によっては心不全や腎不全などの症状を引き起こしかねない量である。

実際にフェイスブックでは、低ナトリウム血症を発症して、意識不明状態で救急外来に搬送された特養入所者の水分摂取過多の状態を嘆き、水分制限を求める医師の情報発信なども見られている。

前にも書いたが、介護力向上講習会に参加して、オムツ0を達成している施設であっても、実際には一律全員にこのような水分摂取を行っておらずに、個別のアセスメントで水分量を調整・制限している施設は存在する。そのように講習会の「いいところどり」をしてくれる施設ばかりなら問題ない。

問題は、この根拠のない水分量を盲信して強制的に利用者に摂取させている施設があるということである。そこでは一体どのようなことが起こっているのか?オムツを0にするために、施設側が一方的に決めた水分摂取量を強制的に飲ませることが、本当に生活の質向上に繋がっているのか?生活施設の中の暮らしのケアとして、それは許される方法論なのか?

実際に施設の方針達成のために、利用者の権利侵害や尊厳を奪いかねないような状況が生まれているとの情報が数多く寄せられている。

月刊老施協では、水分摂取を全員に1.500ml以上摂取させ、おむつ0を達成した施設の職員が表彰を受けている写真が掲載され、誌面全体で、施設の全職員がその方法論の有効性を理解し、目的に向かって一丸となって取り組んでいることが紹介されている。

しかしそれらの施設においても、この方法に疑問を持つ職員がいるのではないだろうか。しかしそれに反対するなら上司になじられ、場合によっては方針に従えないなら退職せよと迫られるということで、不承不承で方針に従っている職員がいるのではないだろうか。

実際に外にその不満を訴えると、誰がそのような情報を流した反乱分子かと犯人捜しが始まる施設もあるそうだ。

人の暮らしを支援する介護施設の実態が、そうしたものであってよいのだろうか。

以前に書いた「ご入居者様はモルモットではないという叫び」でも僕に個人的に寄せられたメッセージを紹介しているが(貼りついたリック先のコメントも是非参照してもらいたい)、それ以後にも僕宛てに介護力向上講習参加実践施設の職員の声がたくさん届けられている。これはまったく異なる施設の人々の声であり、それだけ多くの施設で疑問を持ちながら、その方針に従わざるを得ない状態の人がいるという悲痛な叫びである。これらの声とは実態のない幻だとでも言うのだろうか?

その声のいくつかを紹介したい。

・介護力向上の研修会の事例検討では、竹内氏の何を根拠にしているかわかりませんが、利用者さんのBPSD等によって「この場合なら最低2500mlは飲ませろ」と言うケースもあります。 利用者が泣いて嫌がると報告した施設には竹内氏だけでなく、洗脳されている他の参加施設の介護職員までもが罵詈雑言です。

・介護職員でしかない人が、医者であるかのような、知ったかぶり発言も見られます。

・助けてください。利用者さんの人権は無視、新興宗教のようになって水分を摂取することが目的化されています。

・心不全、腎不全で亡くなった方もかなりいますが、水分補給とは関係ないとされます。というか最初から水分補給が多すぎるのではないかと言うことは検討されません。ただの病気として処理されるので、家族も年で仕方がないと思うだけです。もし水分が死に影響しているのならと考えると、自分もそれに加担しているのだという罪の意識が頭を離れません。この施設をやめても、その気持ちがなくなるわけではないし。

・介護力研修に行った職員に逆らおうものなら大変な事になります。

・座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。

・歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称してます。 しかもそれは家族には見せません。


本当に水分過多が原因で、心不全等を発症して亡くなった方がいるかどうかは確認できない。しかし水分の過剰摂取が内臓ダメージを与え、死に直接結び付くケースがあることは、一般的な医学的知見であろう。それを否定する医師はいないのではないだろうか。そして個別のアセスメントのない一律1.500ml以上の水分摂取を行うこと自体がそのリスクである。

介護力向上研修が個別のアセスメントを否定しているわけではないし、全員に必ずしも一律1.500ml以上の水分摂取を行うことを求めているわけではないと、老施協の関係者の方は言うが、こうした声があることに、どう応えるのだろうか。

仮にこうした状況が参加者の誤解により生じているもので、老施協の求めている方法ではないとしても、結果的に介護力向上講習会が引き金になって招いている不適切な状況があるということに対し、どのような言い訳ができるだろうか?だってここでは人の命が奪われているのかもしれないのだ。少なくとも利用者の「悲鳴」が無視されていることは事実なのである。

「助けて」と訴えられない認知症の人は、「助けて」と言う代わりに行動異常となるかもしれない。その時に、『BPSD等によって「この場合なら最低2500mlは飲ませろ」と言うケースもあります。』というふうに、さらなる水分の過剰なる強制摂取がされてしまうとしたら、なんと悲惨なことだろうか。

これが本当に正しい方法論なのだろうか?この実践課程で、心不全や腎不全で亡くなった方がいたとしても、水分強制摂取とはなんら関係のないところで闇に葬られることはないのだろうか。実に怖い状況が生まれつつあるのではないだろうか。心配である。

科学的介護の科学とは、科学的根拠の意味があり、エビデンスがあるという意味だろう。ここで掲げられている、食事以外で口から摂る水分量が「1日1.500ml以上」必要であるというエビデンス、胃婁の場合は流動食と水分を合わせて2.200ml以上が必要であるというエビデンスと、それが人体にまったく悪影響を与えないというエビデンスをきちんと示していただきたい。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのFAXでのお申し込み。は、こちらから用紙をダウンロードして下さい

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

行列を作らないケアのために(その2)


その1から続く)
行列に並ばないと生活支援を受けられないという状態は異常である。そのような場所では、暮らしの質は低下せざるを得ないし、利用者に相当のストレスを生じさせているという理解が必要である。

すべての介護従事者が、毎日行列に並ばないと暮らしが成立しないことが異常であることに気がつくべきである。日常生活行為を受けるための施設の暮らしの中で、利用者が長時間行列に並んでいる姿は異様な光景だと感じ取る普通の感覚を持つべきである。

そうであれば行列に並ばずに済む暮らしをどのように創っていくのか?その答えは単純で簡単である。施設の中に行列を作らなければ良いだけの話である。しかしその答えは簡単であっても、どうしたら行列を作らずに済むのかという方法論の答えはさほど簡単ではないだろう。

現にできている行列を、一朝一夕でなくすということは難しいだろう。例えば、トップが「明日から行列を作ってはならない」と方針を示して、トップダウンで行列廃止を唱えても、職員はその意味も方法も分からず、戸惑うか、怒りを感ずるだけだろう。

ではどうしたらよいのか。まず職員には、毎日行列をつくって、そこに並ばなければならない暮らしは苦痛であるし、異常であるという意識をしっかり持ってもらうことである。そのこと自体はさほど難しくはない。なぜなら毎日行列に並んで暮らしている職員はいないはずだから、自分におきかけて考えて、「それって普通?」と問いかけるだけで、普通ではないと理解できるからである。

行列に並ばなければケアを受けることができない状態の施設であるなら、その現状とは、やむを得ず行列を作って、利用者はそこに並んで、ただ待つという無意味な時間を過ごしているという異常な状態が存在しているのだということを理解した上で、その行列を作らないためにどうすべきかを職員自身が考える癖をつける必要がある。

行列を作らないケアこそが、生活の場で求められるケアであることを、介護サービスの担い手である職員全員がしっかり理解した上で、暮らしの中から行列をなくす意味は、異常な状態を正常に戻すという意味だということを自覚するようにしなければ、行列を作らないという動機づけが生まれない。動機づけがなければ工夫が生まれない。工夫がなければ何も変わらないのである。

正常な感覚を持って、行列をなくす動機づけが生まれたならば、次は行列を作っている理由を検証することだ。その時には、3人以上並んでいる状態を、「行列」とは呼ばず、「我慢」若しくは「強制」という呼び名に替えて、ユニットごとにリーダーが中心になって、「この我慢の原因は何かしら?」、「この強制はどうして創られているのかしら」とメンバーに問いかけて、行列ができてしまう理由を具体的に明らかにする必要がある。

そしてその理由に別の方法で具体的にアプローチする方法を考え、並ばなくてもよい方法に替えていくことだ。一朝一夕で行列がすべて無くならなくとも、一つずつ無意味な行列をなくしていくことが大事だと思う。その段階で、職員は廊下やフロアに何人もの利用者が並んでいる姿は異常であり、異様な光景だということが十分理解できてくると思う。それが正常感覚であることに気がつくと思う。フロアリーダーや、サブリーダーは、それが異様な景色であることを常に気付くように職員に常に疑問の言葉を投げかけ、一つの行列がなくなるたびに、そのことを評価すべきである。

昨日の記事で指摘したように、ユニットケアとはまさに行列を作らないケアであるのだから、広域型の大規模な施設であっても、その方法論を随所に取り入れて、分業をできるだけしない方法、サービス提供側にとって不便と思われる方法を、あえて取り入れるという考え方も必要である。

業務の効率性を追い求めるあまり、利用者の暮らしが無視されては、我々が従事する介護サービスの目標である「人の幸福追求」に反するのだから、あえて非効率的なサービス提供方法を選択することがあってもよいのである。

その向こう側に、利用者の笑顔があるなら、職員のモチベーションは高まるのではないだろうか。行列に無表情に並び、言葉も発していなかった人々の表情が豊かになるだけで、職員のモチベーションは高まるのではないだろうか。行列の息苦しさから大声を挙げていた人々が落ち着いて暮らすようになれば、職員のやりがいに繋がるのではないだろうか。

目指そう行列に並ばせないケア。創ろう行列のない暮らしの場。

今このことを実現しないと、我々自身が介護支援を必要とするようになったとき、必要な介護を受けるために、廊下で何もすることなく、何十分もただ座って待たされるという状態を強いられるのだということを忘れてはならない。

それが毎日繰り返されることの「恐ろしさ」を考えていけば、必ず行列を作らない工夫が生まれてくるであろう。方法論は決して一つではないはずだ。

※次期介護報酬はどうあるべきかについてのアンケートを実施しています。是非回答協力をお願いします。(5/22回答締め切り)

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのFAXでのお申し込み。は、こちらから用紙をダウンロードして下さい

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

行列を作らないケアのために(その1)


愛媛県には、ひねるとポンジュースが出てくる蛇口があるという噂を聴いたことがある人はいるだろうか?

これは都市伝説でも何でもなく事実なのである。松山空港の2階出発ロビーで、ポンジュースが無料試飲できる蛇口が設置されている。

しかしそれは月に1度程度、日曜日に時間を限って行われているイベントなので、たまに松山空港を利用するくらいでは、めったにお目にかかれない光景である。

僕は過去に4度(愛媛訪問は過去2度であるが、空港は往復で1回に2度利用するという意味)松山空港を利用したことがあるが、そのイベントは行われていなかった。

たまたま今回、宇和島講演の帰りに松山空港を利用したのが18日(日曜日)で、このイベントが行われていた。僕は10:30発の飛行機に乗る予定であったが、このイベントはちょうど10:00〜行われていたので、搭乗口に入る前に試飲してみた。

一口分がやっと入るという使い捨てのコップに試飲するだけであるが、物珍しさもあって、10:00のイベント開始前から行列ができていたが、せっかくの機会だからと思い、その行列に並んでみた。

松山空港
ポンジュース蛇口
130円も出せば買うことができる量の1/10程度のジュースを飲むために、わざわざ行列に並ぶのはどうかとは思ったが、旅の思い出づくりにはなったし、話の種としてはこうした行列に並んで、蛇口をひねってジュースを出して飲むという体験は面白かった。しかし次に松山空港を利用した際に、同じイベントをやっていたとして、その時にもわざわざ行列に並んで試飲したいかと問われれば、即座に「並んでまでは飲まない」と答えるだろう。

行列に並ぶのが好きだという人は少ないと思う。行列に並ばないと何かが実現できないということがあるとしたなら、行列に並んでまでそれを実現したいという価値を見出して初めて行列に並ぶという選択があるのだろう。しかしそれはあくまで非日常であり、特別なことである。

行列に並ばないと日常生活が送れないという暮らしであるとすれば、いったいどれくらいの人が、そのことにストレスを感じずに、毎日の暮らしを営むことができるだろうか?少なくとも僕自身の日常生活の中に、「行列に並ぶ」という行為は存在しないし、毎日行列に並ぶという生活はあり得ないと考えている。

ところが介護施設では、利用者の日常に行列に並ぶという行為が普通に存在していることが多い。

お風呂に入るための行列。トイレで排せつ介助を受けるための行列。食事を食べるために移動するための行列。

しかしそれは極めて異常なことだ。まさに施設の常識が、世間の非常識であるという典型が、「行列に並ばないと1日が過ごせない」ということなのである。

行列ができる理由は様々であるが、根本原因はただ一つ。利用者の暮らしより、施設の都合・業務の都合が優先されているということである。

お風呂の中で入浴介助を受ける時間が15分しかないのに、そこまでたどり着くために廊下に30分以上並ばされているのは、入浴する人の都合ではなく、入浴介助する側の都合である。

お風呂まで移動援助する介護職員と、脱衣所で脱衣介護する介護職員、浴室内で入浴介助する職員が別々だから、移動介助する人の都合と、脱衣介助する人の都合、入浴介助する人の都合、それぞれが存在し、しかもそれぞれの業務が有機的に繋がっていないことによって、この行列に並ぶ時間が長くなる。

これをなくすためには利用者の都合に合わせたケアが必要であり、ユニットケアとはまさにそのためのケアである。それは単にケアの単位を小さくするだけではなく、一人の介護職員が、一人の利用者に対し、一つの介護行為の開始から終わりまで、すべて責任を持ってマンツウマンで対応する行為と言えよう。

居室から浴室までの誘導、脱衣所での衣服着脱介助、浴室内での入浴支援を、一連の行為として職員が替ることなく対応することで、行列はできなくなる。

介護行為を分割して、オートマチックな分業体制でサービス提供することで、効率的な作業となるのだから、分業しないとなると人手の少ない介護の場では、仕事が回らなくなるという懸念はあるだろう。しかし介護は作業ではなく、人の暮らしを支える行為であると考えるなら、どちらが求められるのかは議論の余地がない。

しかし流れ作業で生まれる行列は、一面業務ロスがたくさん生まれているという意味でもある。脱衣所に入るために30分並んでいるということは、その人を30分後にそこに誘導してもよいという意味であり、わざわざ30分前にそこに連れて来て、並ばせて待たせるのは、さほど意味がないということだ。勿論、30分前に連れてきておれば、30分後に介助する行為がなくなり、その分別のことができるということだろうが、別の事を30分前に振り分ければ同じことである。つまり広域型施設でも、分業を見直して、行列ができないケアを実現しても、決して業務量が大幅に増えるとか、人手がより以上にかかるということにはならず、要は行列をなくすことの必要性に気がついて、それをなくそうとする工夫ができるかどうかという問題なのである。

明日はそのことをもう少し掘り下げて考えてみたい。(その2に続く)

※次期介護報酬はどうあるべきかについてのアンケートを実施しています。是非回答協力をお願いします。(5/22回答締め切り)

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのFAXでのお申し込み。は、こちらから用紙をダウンロードして下さい

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

個別性に配慮がないケアには必ず欠陥があるはず。


5月1日のカレンダーを眺めて思ったことは、今年も1年の1/3が過ぎてしまったのだということだ。

新年度を迎えて、職員の入れ替わりもあり、人材不足の介護の現場ではいろいろなことがあり、バタバタして季節を感じる暇もなかったというのが本音である。これからもいろいろな問題と向かい合って行かねばならないのだろう。少しは季節を感じるように、心に余裕を持って過ごしたいと気持ちを新たにしているところである。
緑風園の桜
この時期、北海道はまだ寒い日も多いのだけれど、今年の4月は、各地で観測史上最高の日照時間だったそうである。そのため桜の開花も例年より速そうだ。そう、北海道はこれからの時期がお花見シーズンなのだ。

緑風園の周囲にも、たくさんの桜の木が植えられているが、今朝見ると一般の桜の木が花を咲かせていた。ただし開花している木は、この一本のみである。

この木は、「源泉かけ流し」で24時間いつでも入浴可能な、天然温泉浴質の排気口のすぐそばに植えられている木で、排気口から流れ出る温かい空気の影響を受けて、毎年最初に花を咲かせる木である。この木に花が咲いてから、1週間後くらいに他の木にも花が咲くはずである。そうなると温泉浴室では、満開の桜の花を見ながら湯船に浸かれることになる。エゾヤマザクラから遅咲きの八重桜まで、見ごろは来週あたりから、5月の末くらいまでである。

日本人が愛してやまない桜の木。4/24に発刊された僕の著書、「介護の詩〜明日へつなぐ言葉」の中で、「誰からも親しまれる桜の花のように、誰からも親しまれる感じのよい介護士さんになってください」という一文を書いている。対人援助サービスは、マニュアルに沿って決めごとをこなせるというだけでは駄目なのだ。そこには一人ひとり個性を持った人間の暮らしが存在しているのだから、だれもが気持ちよく過ごすことができるように相手の感情に配慮したサービスが求められる。それは一人ひとりの個別性に配慮することとイコールだ。サービス提供者が、サービスを受ける人に好かれるということもスキルの一つである。そのために感じのよい介護職員であってほしいと思う。

新年度から対人援助の場に職を求めた人々も、誰かの心に咲く花のような存在になろうと頑張っている人がたくさんいるだろう。感じのよい花を咲かせてほしい。

ところがせっかく花を咲かせようと思っているのに、花を咲かせる環境を奪う人々がいる。その人達に、そんな気がなくとも、自分達の行っていることが正しいと思いこんでいたとしても、結果的に誰かを不幸にしてしまうのであれば、その責任は誰がとるというのだろう。

昨日、僕が昨年の12月に書いた、「ご入居者はモルモットではないという叫び」にコメントを書いてくれた方がいる。しかしそのコメントとは、あまりにも哀しい内容で、利用者の苦しげな表情を無視して、「思いこみ」のケアを強制している職場で、利用者の苦しみを見ることに耐えられず、退職願を出したという内容である。

個別性に配慮しない一律の対応。施設長が神のように君臨し、その方針から一歩も外れてはいけないという強制サービス。それによって心と体を傷つけられる人々。こんなことがあってよいのだろうか?

桜の花は種類が同じでも、一本一本の表情が違うように、人間の個性も様々なのだ。だから個別のアセスメントが必要とされるのだ。「〜しなければならない。」ということにも、必ず例外があるのだ。それなのに一律の決められたケアを提供しないとならないという強制。その強制によって一律の方法でサービスを受けざるを得ない人々の苦しみ・・・。

高品質のサービスを提供することは大事だが、その基盤は当たり前のことが、当たり前にできていて、利用者の方々が不快な思いをしないということである。よいサービスを作る前に、嫌だと思われるサービスをなくして、利用者を不快にさせないことが求められることだ。その上に品質を積み上げていかないと、対人援助サービスは、サービスを提供する側の自己満足で終わってしまい、それを利用する人々の哀しげな表情や、苦しげな状態を見逃して、不幸を作る結果に終わってしまう。

そうしないためにも我々は、常に利用者の表情に気を使い、苦しげな表情、哀しげな表情の原因が何かという事を徹底的に追及し、その原因をなくしていかなければならない。

しかしコメントを寄せてくれた人の施設では、その表情を無視して一律の決められた方法を護ることだけが優先されている。誰のための、なんのためのサービスなのか、本末転倒も甚だしい。

脱水は意識レベルの低下に繋がるし、覚醒状態を悪化させる。それは事実だ。しかし意識レベルの低下や、覚醒状態の悪化が、すべて脱水が原因であるという考えは間違っている。その原因も様々なのだ。

施設で暮らす高齢者全員が、1日1.500ml以上の水分を摂取しないと生活の質が下がるなんて思いこみは、いったいどこから来るのか?

この講習では利尿剤を服用している人には、1日1.800mlの水分補給を目指すように指導されているという。しかし利尿剤を服用している人に対して、利尿作用があるからさらに多くの水分が必要だという考え方は命の危険にさえなる。利尿剤を服用しているということは、心疾患など原因があって処方されており、それらの人は過度な水分摂取は内蔵ダメージにしかならないというのは、ある意味常識だろう。一般的な医学的知見だろう。それをなぜ、どういう理屈で否定できるのだろう。

その方法が間違っていれば、いずれそういう方法論は淘汰されると言っても、今現実にこのコメントに書かれているように、苦しんでいる人はどうするというのか・・・。それは淘汰される過程の1時期にたまたまそこにいる人に過ぎないから無視してよいというのだろうか?

今もその場所で、苦しがっている人々がいると思うと、僕はとても切なくなる。介護という名の罪を感じてしまう。こんなことでよいとは思えない。本当に哀しい。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのFAXでのお申し込み。は、こちらから用紙をダウンロードして下さい

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

措置入所か、後見人申し立てか。


措置から介護保険になった当時、特養への入所も措置ではなく、契約事項となり、いろいろな機関が契約書のフォーマットを作った。

当施設も所属する職能団体が推奨するモデル書式を採用したわけであるが、この契約書式は第3者契約となっており、利用者本人と家族が署名・捺印する形になっている。つまり施設側と、利用者及び家族の3者間契約なのだ。これは利用者本人が認知症等で判断能力に欠ける場合は、家族が代理契約できるというメリットがあるとされている。

子は親の保護者ではないということに鑑みれば、厳密に言うとこの形は、子が親の成年後見人になっていない限り無効ではないかという法律上の疑義がぬぐえないと個人的には考えている。しかし実際には多くの介護施設では、判断能力に欠けた利用者の代理契約を家族と結んでいるし、そのことが実地指導等で問題になったことはない。

ところで家族がいない場合、あるいは家族がいてもその家族にも判断能力がない場合は、どうするべきだろうか。

こんなケースの入所相談があった。

生活保護を受給しながら、子供のいない高齢者夫婦世帯で、夫が妻の介護をしていたケースである。

妻は認知症もあって判断能力がなく、日常生活全般に援助を要する状態で要介護5と認定されている。夫は元気であったが、急な発作で倒れ、緊急入院するも意識がなく、人工呼吸器を使う状態になってしまった。

それまでずっと担当していた居宅介護支援事業所の担当介護支援専門員と、生活保護課の担当ケースワーカーが迅速に対応したことで、妻は医療機関に緊急入院することができた。しかし今後、夫が回復する見込みはなく、他にこの妻を面倒みる家族もないため、特養への入所申請が行われたケースである。入所申請したのは、居宅介護支援事業所の担当介護支援専門員である。

しかしいざ入所となれば、入所契約や施設サービス計画への同意が必要になり、これは市町村の保護課のケースワーカーであっても、居宅介護支援事業所の介護支援専門員であっても、代理できる権利も義務もない。

当然のことながら、この場合は本人が契約を結べないのだから、成年後見人が選任され、施設と成年後見人の間で契約が交わされねばならないはずである。

成年後見制度における申立権者は、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人、補助監督人、検察官(民法第 7 条)、任意後見受任者、任意後見人、任意後見監督人(任意後見契約に関する法律第 10 条第 2 項)とされている。

しかし本ケースの場合は、本人や親族の申し立てができる状態ではなく、市町村長の申し立てという方法によらざるを得ないだろう。
※65 歳以上の者、知的障がい者、精神障がい者について、その福祉を図るために特に必要があると認めるときは、市町村長は後見開始の審判等の請求ができると規定された(老人福祉法第32 条、知的障害者福祉法第28 条、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第 51 条の 11 の 2)。

しかしもう一つの方法として、措置による特養への入所ということが考えられる。

平成12年の介護保険制度施行に関わる改正後の老人福祉法第10条の4第1項、第11条第1項第2号において、訪問介護、通所介護、短期入所生活介護、認知症対応型共同生活介護、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)について、やむを得ない事由により介護保険給付を利用することが著しく困難であるときは、市町村が措置を採る仕組みを存続させており、「やむを得ない事由」としては、

1.本人が家族等の虐待又は無視を受けている場合
2.認知症その他の理由により意思能力が乏しく、かつ、本人を代理する家族等がいない場合


が挙げられている。この2に該当するのが本ケースである。

しかしこの措置の存続という意味は、介護給付費とはまったく関連しない入所措置、つまり現在の養護老人ホームや介護保険以前の特別養護老人ホームの措置費制度で入所させるという意味ではない。

それは市町村の措置という入所権限を示しているに過ぎず、施設と利用者の契約による入所ではなく、市町村の行政処分としての措置入所を残しているという意味に過ぎない。

このため要介護者は介護保険のルールに基づく要介護度別の費用が算定され、当然9割部分は国保連への通常の介護給付費の請求、そして介護保険制度では自己負担とされている1割負担分を措置費として市町村が支弁という意味になる。
措置の場合の費用負担関係
ア 特別養護老人ホーム
「やむを得ない事由」により特別養護老人ホームに措置された者の費用負担については、9割(+食費)相当分は、介護保険給付が行われることから、残りの1割(+食費の標準負担額)相当分について、措置費を支弁することとなる。
改正後の老人福祉法第21条の2
老人福祉法第28条に基づく費用の徴収については、この1割程度相当分を対象として、高額介護サービス費の適用を勘案した介護費及び食費に関する利用者負担と同水準の費用徴収を行うこととする。(保険給付の場合の利用者負担と措置の場合の費用徴収を同一水準とする。)

このように利用者本人からの費用徴収基準も残っているが、本ケースは被保護者だから保護の補足性原理から考えれば、保護費より措置費が優先適応され、所得に応じた費用徴収も行われず、本人負担は生じないと解釈する。間違った解釈であれば、遠慮なく指摘していただきたい。

しかしこれはあくまで成年後見人が選任されるまでの一時的な扱いで、措置費受給を漫然と続けるわけにいかないので、どこかの時点で市町村申し立てによる成年後見人の選任が必要である。

そうであれば、入所時点で必要になる施設サービス計画の同意などを考えた場合、現在入院している医療機関にいる間に、成年後見人を選任してもらって、措置ではなく、通常の入所契約で対応した方がよいと考えられるケースでではないだろうか。生活保護受給しているがゆえに、費用面での本人負担も生じないので、その方向で協議しているところである。

利用者の不利益にならないのであれば、このあたりは施設側から積極的にどうしてほしいという希望を明らかにして、協議していくべきではないかと思う。

介護・福祉情報掲示板(表板)

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

4/24発刊「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料先行予約キャンペーンのFAXでのお申し込み。は、こちらから用紙をダウンロードして下さい。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

ご入居者はモルモットではないという叫び

8/19に「科学的介護と竹内理論に対する疑問」という記事を書いた。

ここでは、国際医療福祉大学院の竹内孝仁教授が、全国老施協の介護力向上講習会や、同会の発刊する月刊老施協などで、「水が細胞を活性化させ、身体と精神の両面を活性化させ、覚醒水準をあげ、尿意や便意を知覚することにつながる」等を理由に挙げて、食事以外に1日に1.500mlの水分摂取を促していることに疑問を投げかけた。

僕の疑問は、個別のアセスメントに基づかずに、水分の摂取量の下限を一律に決めることは問題があるのではないかということがまず一つ。

さらに最大の疑問は、食事以外に1日1.500mlという水分量は、そもそも多すぎるのではないかという疑問である。前回の記事と重複するが、必要とされる水分量とはどの程度なのかということを、どういうふうに考えるべきかを示しておきたい。

1.人が1日に排出する水分は、汗・・・100ml、尿や便・・・1,500ml、不感蒸泄・・・900m(ただし高齢者の場合は、これより少ない可能性が高い)lと考えられる。

2.したがって脱水を防ぐ適切な水分摂取量とは、排出される量を摂取するということ。

3.そうであればここでは食事に含まれる水分摂取量は無視できない。

4.1日の摂取量の内訳としては、食物中の水1,000mL〜1.200mLと体内での代謝水200mL として、飲料水はせいぜい1.100〜1,300mLというところではないのか。1.500mlというのは、何らかの理由で食事摂取が少ない人など、ごく限られた人しか考えにくい。

5.水分を取りすぎても、尿となって体外排出されるだけで問題はなく、むしろトイレで排泄する機会を増やすという考え方は間違っている。

6.水分をとり過ぎると、心不全、肺水腫、高血圧などをおこし、心臓・肺・血管といった、生きていくうえで最も重要な臓器に大きな障害を与える 危険性が大きい


講演で全国を回っていると、竹内教授の影響力というものはすごいなあと実感する。行く場所行く場所で、竹内理論のままに水分摂取1.500mlを実践している施設が数多くある。しかも僕が指摘した疑問を全く抱かずに水分摂取を実施している。その中には、おむつをしないでトイレで排泄するためという目的を第一に考えて水分摂取を基本方針としている施設もあった。

なるほど食事以外に1日1.500mlもの水分摂取を行えば、尿量は増えるから、トイレ誘導すればそこで排泄できる機会は増え、日中に集中的にそれを行えば、夜間の排泄は少なくなるから、それだけを目的として排泄介助の回数を増やせばおむつを外すことは可能になるだろう。しかしその時の内蔵ダメージは、きちんと考えられているのか?

そもそも高齢者が脱水になりやすいのは、体細胞が減少しているため細胞内液量が足りなくなるためであり、1日に必要な水分量を摂取したとしても、一時期に大量の水分を摂取したのでは、細胞内にたまらない水分はすべて体外に排出され、脱水予防にはならない。余分な水分を尿として排出するときにトイレ介助すれば、トイレでの排泄という目的は達せられる。しかし過剰な水分摂取は脱水を防ぐどころか、内蔵を痛める一番の危険要素である。

しかもトイレ誘導が第一と考えている施設では、水を飲みたがらない高齢者に、無理やり水を飲ませていたりして、その時の利用者の表情は苦しそうなしかめっ面である。いやいや水を飲まされ苦しいから、覚醒状況が上がるのかもしれない。1.500mlという量を守るために、あらかじめ大きめのシールコップなどに水を入れて、それを1日かけて飲ませていたりする。シールコップの中で温くなったまずい水を飲まなければ、1日を過ごせない高齢者が強制的に作り出されているというわけである。おむつさえ外せば、それですべてが許されるというのか?これが介護力の向上と言えるのだろうか?本末転倒ではないのだろうか。

ところで、紹介した8/19の記事に、今朝未明「ゆめほうずきさん」という方がコメントを書いてくれた。まさに僕が心配したようなことが起こっているというのである。そのコメントをここに転載させていただくが、それは以下の通りである。(誤字を筆者が一部訂正していることをご了承願いたい。)
------------------------------------------
実はその理論に洗脳?!され同法人内の特養施設で
『1500cc死守!食事よりも水分!』
『オムツは外す。5分前にトイレに行ってもタラタラと出てしまう人でも、尿意、便意がない人でもパッドはつけない!』と施設ケアマネと介護主任がやらせています。
結果!
心不全で、不整脈者、全身浮腫者続出で病院送りです。
さすがに医務が「この人は水分制限するように」と真っ向対決となっているようです。
水分は必要ですが、その方の身体、持病等のアセスメントをしっかりし、医療チームと検討してから実施すべきと思います。
ご入居者はモルモットではないのです!と思います。
後もう一点。
私も含めてですが、(うちの法人だけかもしれませんが)
無知は罪です!
--------------------------------------------
「ご入居者はモルモットではない」という文字から、悲痛な叫びが聞こえてくるような気がする。それは、ゆめほうずきさんの叫びであり、個別アセスメントもないまま必要量以上の水分を強制的に摂取させられている利用者の叫びでもあると思う。

こうした方針を施設長がトップダウンで決定して、有無を言わさず職員に水分摂取を促したり、ゆめほうずきさんが紹介している施設のように、介護支援専門員と介護主任が方針を決め、他の専門職に口を出させずにその方針を実行させようとしている施設がある。これは大問題である。

施設には様々な専門職の配置義務がある意味を考えて欲しい。それは異なる専門性をもつ複数の者が、援助対象である問題状況 について検討し、よりよい援助の在り方について話し合う必要性を認めているからである。

そして水分摂取という利用者の健康に関わる問題の場合は、ケアプランにそのことを位置づける場合であっても、ケアマネジャーは、医師・看護職員・管理栄養士という専門職にコンサルテーションを求めるのが基本である。それをしない方がどうかしているのである。

水分の過剰摂取により、「心不全で、不整脈者、全身浮腫者続出で病院送りです。」という状況が生まれたとしても、利用者本人や、その家族にはその原因が何かは分からないから、どこからも抗議の声は上がらないだろう。もしかしたらそうした施設の職員自身も気がついていない状況があるかもしれない。おむつを外してトイレで排泄する人が増える一方で、命を危険にさらされている人が知らぬ間に生まれている状況は非常に恐ろしいと言わざるを得ない。

そのようなことがあってはならないのである。医師・看護職員・管理栄養士を交えた個別アセスメントを行わない状況での、水分摂取量の下限設定は絶対に行ってはならないのである。

介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。

補足給付の見直しから想像できる新たな問題

厚労省の公式サイトに、先週木曜日(11/14)に行われた、「第52回社会保障審議会介護保険部会資料」が掲載されている。

この中で、補足給付の見直しのイメージという図が示されているが、それは以下の図である。

補足給付
補足給付とは今更言うまでもないが、介護施設に入所する低所得者に食費や居住費を補助する制度である。この見直しに関して、イメージ図では資産要件,陵唾金の他に、資産要件△箸靴董不動産資産が一定額以下・固定資産税評価額で2000万円(公示価格等で約3000万円)以上の不動産を本人の申告及び固定資産税の情報で把握し、不動産を担保に貸付し、死亡後に資産から回収する案を示している。

しかしこの資料が提出議論されたその当日、報道機関各社は一斉に「補足給付の見直し案から不動産要件を取り下げる方向で検討に入った」と報道している。

その理由は、不動産はすぐに現金化することが難しいため、希望があれば不動産を担保に補足給付に相当する額を貸し付けて、死後に回収する仕組みをつくると提案していたが、介護保険を運営する市町村が「仕組みの実効性が疑わしく、事務負担も大きい」と反発していたためとしている。

ということは、14日の部会までに取り下げ方針が決まっていたのに、資料の修正が間に合わなかったということだろうか?委員のひとりである結城先生などは当日、「預貯金については事務局案に賛成である。世帯の夫婦のこととか、そういうことに関しても事務局案でよいと思う。宅地などの資産勘案は、従来から申し上げるとおり反対である。」という意見を述べているが、無駄な指摘だったということだろうか?

しかし事務局の説明では、「不動産の対象範囲から農地、林地を外し、まず、宅地を対象に」という提案がされているし、「不動産担保貸付の事業化について引き続き検討すべき課題」という資料の説明では、不動産担保貸し付け事業は現状事業化が困難で、引き続き検討」としているので、14日の共同通信社等の各社報道とはニュアンスが違っているように思えてならない。

この部分は、今後注目していかねばならないだろう。

預貯金については、そのまま案が通りそうだが、イメージ図では補足給付の対象外とする預貯金の額は、単身で1000万円、夫婦で2000万円程度を想定している。その上で、預貯金、有価証券等の額を、通帳等の写しと共に申告させ、必要に応じ市町村は金融機関へ照会可能とさせ、不正受給に対するペナルティを設けることにより、適切な申請を促すとしている。

介護保険部会の過去の議論では、申告という方法で正しく預貯金が把握できるのか?把握できなければ正直者が損をするという事態になりかねないという意見が示されていたが、このことについて資料では、「現在、預貯金等の金融資産を網羅的に把握できる仕組みはない。」、「番号制度が施行されても、金融機関等の口座や配当・譲渡益等の名寄せを行うことは現在のところ予定されていない。」とし、既に国会で承認された国民総背番号制度でも、預貯金の額を正確に把握することはできないと指摘している。

しかし同時に、「このため、預貯金等の勘案については、正確に把握する仕組みを前提条件とするならば、当面実施の目途は立たないこととなる。自己申告の公平性への批判はあるが、何も行わずに格差をそのまま存置して保険料負担者の負担を増大させるよりも、現在可能な手段を用いて格差の大きい高齢者の世代内の費用負担の公平化を可能な限り図っていくべきではないか。」としている。

預貯金を隠して給付を受けるという不公平より、預貯金という資産があるのに補足給付をうけるという不公平のほうが問題であるという指摘であろう。

財源状況が厳しい中で、後期高齢者の数が増え続けて社会保障費が増え続ける状況では、補足給付という低所得者補助に預貯金を勘案した支給ルールを取り入れることはやむを得ないというところであろうか。

結局のところ預貯金の資産把握は、申請によるもので、正しい申請を担保するのは、市町村からの金融機関への照会と、不実な申請が明らかになった場合のペナルティ(加算金の規定を創設し、補足給付の虚偽申請者には、こうした加算金を課す)とする方向である。

しかし預貯金といっても、金融機関に預けていないお金は把握しようがないし、そもそも申請する必要もないということになる。そうであれば一定の預貯金がある人は、今後施設サービスを利用申請する前に、預金額が一定の金額に達したら金融機関に預金せず、タンス預金など現金で貯めておくことが考えられる。

例えば単身世帯の人が補足給付の申請を行う直前に預金額が990万円となるように預金を引き出し、引き出した現金を手元に置いておいても、そのことは狡いとか汚いとか非難されようとも、それは不正申請ではなく、ペナルティの対象にはならないのである。そう考えると間違いなくそうしたタンス預金は増えるだろう。

そうなると、それを狙った振り込め詐欺的な犯罪、高齢者宅のタンス貯金を狙った窃盗などの犯罪が増えることが容易に予測される。そうした面でも我が国の近い将来は、荒廃した光の見えない社会であると思えてならない。

こうした問題は性善説で片付けられない問題なのだ。しかし介護保険部会ではこうした議論は全くされないのだろう。

介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。

特養の入所基準見直しに修正案

再来年4月からの次期介護保険制度改正に直結するプログラム法案(社会保障制度見直しの手順をまとめたもの)は、既に閣議決定され、その中には特養の入所基準の見直しとして、要介護3以上の認定を受けた人だけを入所対象とするという案が含まれている。

僕はこの案が示されてすぐに、「特養の入所基準見直しの影響を考えてみた」という記事を書いて、その新ルールによるデメリットは、事業者側である特養に生ずるのではなく、特養入所が必要な軽度介護者とその家族に生ずることを指摘している。要介護1と要介護2の方々が、特養に入所しているのには、それなりの理由があり、それは必要なことだからである。

このことについては全国老施協も、月間JS老施協10月号の中で、「要介護1、2であっても、認知症や家族介護に限界があるために、受け皿は特養しかないという方々は大勢おられます。こうした方々の生活を支えるためには福祉的な視点が必要です。」として、新ルールの最大の問題は「福祉」の欠如であると指摘している。そして石川老施協会長の発言として、「介護保険制度では要介護1〜5まで設定されているにもかかわらず、3以上しか使えないとするのはある意味、介護保険料を支払っている方々に対する裏切り行為であり、許されることではありません。」という主張を掲載している。

リンクを貼り付けた記事にも書いているように、入所ルールの変更の目的は財源確保であり、厚労省は、現在特養に入所している要介護2以下の人にかかっている介護給付費(自己負担分を除く)を月26万〜28万円程度とみて、これらの人が在宅にシフトした場合、その費用が10万程度になるとして、給付費の抑制効果を見積もっているわけである。

しかし現在特養に入所している要介護2以下の人は全体の一割にも満たず、その費用抑制効果は限定的であるし、そもそも要介護2以下の人を排除して、要介護3以上の人だけが入所するようになった場合には、特養の給付費自体は定員割れしない限り増えるわけである。増える分が特養の給付費より高い、老健や介護療養型医療施設に入所するような人が、特養に入所しやすくなって、老健や療養型医療施設にかける費用の削減につながれば、厚労省の見積もり通りの費用削減になるだろうが、実際には自宅で暮らすことができる要介護3以上の人の、自宅での待機期間が短くなるだけの結果になる可能性が高く、費用削減効果はほとんど認められないという状況になりかねない。

そうであればメリットよりデメリットの方が多いルール改正ということができ、誰もこのことによって良い状態にはならないと言えるだろう。

そのため特養関係者だけではなく、介護保険部会の委員の一部からも疑問の声が挙がっており、マスコミ各社も批判的な論調が多く見られた。

厚労省はこうした声を受けて、明日開催される社会保障審議会介護保険部会では、特養入所を要介護3以上の利用者に限定する案を見直し、一定要件をクリアした要介護1と要介護2の認定者の入所を認める修正案を示す予定である。

修正案によると、常時の見守りが必要な認知症高齢者のほか、周りに支える人がいなかったり、自宅で家族などから虐待を受けたりする可能性がある要介護1と2の認定者ついては入所を認めるとしている。そして入所の可否を最終判断するのは、特養内に組織化されている入所判定委員会とし、詳しい基準は今後検討するとしている。また、特養への入所後に心身の症状が改善して軽度になっても、特養以外での生活が非常に難しい場合と判断されれば、入所の継続を認める方針も部会に示す予定である。

現行の入所判定においても、要介護1や2の方々については、入所順位が上位に来ないことが多く、介護者の負担などの状況判断をして、入所順位を引き上げているなどで対応していることが多いだろうから、修正案は現行ルールが大きく変わる結果にならないことを意味していると言えるのではないだろうか。

そしてその判定を、外部の有識者と施設職員で構成する、「入所判定委員会」で行うことにしたことは、現行の入所判定が正当に行われているという評価と言っても良いのではないだろうか。

そもそも収益上はメリットにならない要介護1や2の人々を、なぜ特養が入所判定委員会の審議を経て入所受け入れしているかという根本的な理由を考えれば、もともと要介護1及び2だからという理由で、それらの人々を特養入所対象から切り捨てる方がおかしいのである。

財源論、給付抑制策ということに目が奪われ、いかに厚労省の担当者が、曇った目で介護問題の実態を見失っているかというのが、今回の特養入所対象者の見直しの迷走に現れていると言ってよいであろう。

もっと現実を、もっと現場をよく見てほしいものである。そうしないから、介護保険制度はどんどん複雑怪奇なものになるだけで、ちっとも良い制度にならない。

介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。

気づかれていない利用者の権利侵害

間違えてはいけないことがある。特養で暮らしているすべての人が、自分のことを自分で決められないわけではないのである。

僕らが相対している人々は、立派な大人であり、認知症等で判断能力を失っていない限り、自らのことは自らで決める権利を持っている。我々の職務とは、そういう人たちの権利が正しく行使されることを支援することである。

そうであれば、利用者自身が自分で決められることは自分で決めてもらうべきであり、その時の利用者判断は何より尊重されるべきである。その判断の中には、「これは自分の問題だから、子供であっても言わないで秘密にしておいて欲しい」、「そんなことまで子に知らせて心配かけたくないから黙っておいてほしい」という要求があっても良いはずである。そうした要求や要望が受け入れられず、当然の権利としての利用者の自己決定権が守られないことのほうが問題である。

当たり前に考えれば分かることであるが、特養で暮らしているすべての人が、自分の子や、子の配偶者に頼らなければ暮らせない人々ではないのである。しかしこの当然のことが理解できていない人がいる。

実際に、いくつかの特養では、この利用者の当然の権利が守られていない。利用契約時に身元引受人を求めているのだから、身元引受人の判断が利用者判断より優先されると勘違いしている特養関係者が存在する。

そもそも特養の入所要件に、身元引受人がいなければならないという法令は存在せず、身元引受人がないことをもって入所契約を結べないということではない。利用者自身に判断能力と契約能力があれば、利用者と施設の間で入所契約を交わすことができるのである。施設が身元引受人を求める意味は、あくまで利用料金の支払いが滞った場合の補償や、退所の際の身柄引き受け、残置物引き取り等に関する責任を求めたものに過ぎず、身元引受をしていることを持って、身元引受人が利用者の代理行為をできるということにはならない。

介護保険制度創設時に、特養の契約書はいくつかの団体が「雛形」を作ったが、それはほとんど第3者契約の形をとっており、利用者のみならず、家族もそこに署名捺印する形のものが多かった。それをそのまま使っている特養が多いため、あたかも施設契約は利用者以外の家族の同意署名が必要だと勘違いしている人もいるが、施設サービスの契約自体は、判断能力さえあれば利用者と施設の2者間のもので良い。ここに残置物引取りの契約内容が入っているから、家族という第3者が入っているだけである。

つまり契約書において、第3者同意を求めていることで、利用者自身と利用者の家族のどちらからも同意をもらっているからといって、そのことで利用者の家族が代理権を持つということにはならないのである。

そうであるにもかかわらず、利用者にしか決められないこと、あるいは利用者が十分判断できることを勝手に家族に代理させているのは法律違反になるおそれさえある。少なくともそのような状態は、利用者の権利侵害であると言って良いだろう。

施設の相談員や介護支援専門員は、そのことに最も敏感である必要があると思うのだが、実際には全くそうしたことへの配慮がないソーシャルワーカーが存在する。それは対人援助の専門加藤言えないスキルで、相談援助業務に就いている状態といってほかならない。

利用者自身の意思や判断が最も重要で、守られなければならないということをしっかり胸に刻んでおくべきである。そして判断能力が低下した利用者に対して、我々が果たさなければならない責任というのは、利用者の代弁者になるというアドボケイトの視点を持つということであるが、その時、代弁すべきものとは、利用者の過去の生活歴や、現在置かれた状況等から、利用者の視点にたって、何を求めているのかということであり、決して家族の意思を代弁するものではないということである。

自らの意思を表明できる利用者の権利を守るだけではなく、判断応力が衰えて、意思表明も難しきなった時の利用者の権利をも守るのが私たちの仕事なのだから、その責任を果たすためにも、自分のことを自分で決めてもらうことの大切さを、日頃からもっと考えていかなければならない。

権利擁護とは、何も成年後見制度だけに求められている視点ではないのである。
介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。

家族関係の支援と、家族関係の管理は別もの

先日当施設の介護支援専門員から、『利用者の家族より、「誰が面会しているか記録表を見せて欲しい」という要望があったのですが、どうしたら良いでしょう?』と相談を受けた。

当然のことながら、「それでは記録表を見せてあげてください」ということにはならないし、そんなことを言うような施設長が存在していては困るわけである。

誰が面会に来ているのかを記録するのは、あくまで施設サービスにおける管理上必要としているだけであって、その情報を施設職員以外で、面会者以外の第3者に開示することはできない。それは記録表を記載した人の個人情報を漏らすことになる。ここは議論の余地のない問題である。

利用者の家族が、利用者に対して誰が面会に来たのかを知りたい場合は、面会を受けた利用者から直接聞き取っていただくしか方法はない。利用者自身が、誰が面会に来たのかを、面会に来た人以外に告げることは、ただの日常会話であり、家族間の会話にまで業務上の守秘義務と同じ責任は生じないのである。このときに、利用者が誰が面会に来たかを、覚えていられない場合であっても、施設側からそのことを教える権利も義務もない。

その時に、「それでは私以外の面会を受け付けないでください。」と言われたらどうするのか?これも想定しておかねばならない状況であるが、当然のことながら、そのような要望も受け付けるわけにはいかない。面会するかどうかは、あくまで利用者自身が決めるべき問題であり、家族の要求による面会拒否は、利用者の面会する権利の侵害になるからだ。利用者自身の自発的かつ積極的な面会拒否の意思表示がない限り、面会ができる時間帯の来訪者には、原則的に面会を断ることは困難であろう。

似たようなケースで、「誰々が面会に来てもあわせないでください。」という要望も、前述したことと同じように考えざるを得ない。誰かが「○○はそこに入所していますか」という問い合わせがある場合は、「誰が入所しているかはご本人の了解がない限り教えられません。」という対応になると思うが、「○○さんに会いに来ました。」ということを拒む権利も根拠も存在せず、この場合は、「お会いできるかどうか○○さんに確認してきますので、お待ちください」という対応くらいしかできず、この際に「会わない」という利用者自身の意思がない限り、面会を拒むことはできないであろう。

考えなければならないことは、我々はあくまで、施設で暮らす利用者に対して、サービス提供しているだけであって、その中で家族の全ての要望に応える必要は必ずしもないし、そのことは不可能であり、本来の施設サービス業務以外のことは、「できない」とか、「不可能である」とはっきりアナウンスすべきなのである。面会可能な時間帯に、誰が誰を訪ねてきたかを記録して把握しておくことは、施設の管理業務であろうが、面会することができる人を選別したり、面会中にどのような会話を交わしたかを把握することは、施設サービスの範疇を超えたものである。よって特定個人の面会制限を依頼されても、それは施設の本来業務ではないということである。

ただし我々は、対人援助の専門家として、様々な家族関係をはじめとした人間関係の調整という能力も求められるのであるから、できないということのアナウンスの仕方を工夫することは重要である。アナウンスを行う相手に不快感を与えない範囲で、かつ毅然と物事をわかりやすく説明するという姿勢が求められるだろう。

こうしたケースの場合に僕は、「なんだったら僕の方から説明してもいいよ」と担当者に振るようにしている。最終的にはその説明責任は施設長にあると思うからだ。だが本ケースは、できないことを理解したソーシャルワーカーから、家族に丁寧に説明して納得していただけたので、僕にお鉢は回ってこなかった。

我々は利用者支援の過程で、積極的に家族関係に介入することがある。例えば、長いあいだ音信不通であった子との、家族関係の修復が必要と判断した場合には、様々なアプローチでその関係修復に努めることはよくあることだ。その結果、長く関係が途絶していた子が、わだかまりが完全に消えたわけではないが、何十年ぶりかで施設で面会を果たし、その時には既に親は意思疎通できない状態であっても、その状態を確認したことによって、「死ぬ前に逢って良かった」と手紙をくれるケースもあった。その他にも様々な家族関係への介入や調整を行うことは過去にも数多くあった。

しかしそれはあくまで利用者の暮らしを援助する過程で、利用者のケアとして必要な介入と調整であり、家族の関係調整をすべて施設サービスと勘違いすることがあってはならない。特に利用者とは直接関係しない家族の問題は、施設サービスとは全く関係のないものだ。利用者の家族であるから、その家族の間で起こっている様々な問題にも、施設は支援の手を差し伸べるべきであるという考え方は間違っている。基本原則は、家族の問題は家族で解決してもらうということでしかない。

施設で暮らす利用者の、すべての背景を施設サービスという中で背負うことはできないし、してはならないこともたくさんあるのだ。

この部分の判断は、それこそ個別性が高い問題であり、最終的にそれを的確に判断する責任は、施設長という施設サービスの最高責任者が負わねばならないものであろう。

※講演依頼のメールをくださった皆様の中で、返信がないのだけれど見てくれましたかという問い合わせが数件続きました。
休日明けや、昨日のように僕自身の都合で休みをもらっている次の日にメールチェックをする際に、大量のスパムメールを削除する際に、誤って依頼メールを削除してしまうことがあります。本当に申し訳ありません。
講演依頼のメールには、お受けできるか否かにかかわらず、必ず返信をしていますので、数日返信がない場合は、誤って受信後に捨ててしまっている可能性が高いので、メールを再送していただきますようお願い申し上げます。
なおタイトルは、講演依頼とわかるように日本語で具体的に書いていただくとありがたいです

介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。

理想は高く、具体的方法論は足元をしっかり。


先週末の土〜日にかけて、大阪市で2講演を行ってきた。

土曜日の午後からは、いつも僕を招いてくれる大阪市老連の研修会で「2015年の介護保険制度改正に向けて、いま何ができるか」というテーマで、改正内容を解説しながら、そこから読み取ることのできる国の意図や、その次以降の制度改正に向けての布石について、僕なりに読み取ったことをお話してきた。これらのことは、このブログでも随時情報発信していく機会があるだろう。

翌日の日曜日は、社会福祉法人健成会・特別養護老人ホーム加賀屋の森・施設開設職員研修にお招きいただき、前日とは全く異なる講演内容で、介護実践論をお話してきた。

実はこの日は、利用定員100名のユニット型特養「加賀屋の森」の開設の日であった。当日の講演は10:00〜120分であったが、この日の午後から2名の利用者が新規入所される予定になっているということである。まさにオープン当日の職員研修会である。

そこで働く職員の皆さんも、同法人の別施設で実習を受けてきているとはいえ、多くの方が介護施設職員として未経験からスタートするという。若い方が多く、本当にフレッシュな状態の皆さんが僕の話を聞いた直後に、お客様を迎え、介護サービスを提供するという日である。そうであるなら、その瞬間から活かすことができる実践論を、具体的かつわかりやすくお話しなければならないと心して話をさせていただいた。

講演冒頭で僕は、受講されている職員さん向かって、「皆さんが、介護職員として未経験であるということをネガティブに考える必要はないし、それはデメリットになることではなく、メリットもあるということも理解してください。」とメッセージを送った。介護施設の職員として経験がない、介護サービス事業そのものに従事した経験のない人であるからこそ、世間一般の常識感覚を失っていないはずだから、施設サービスでもその常識を忘れず、それをそのまま新設施設の常識基準にして欲しいとお願いした。

理想と現実は違うという言葉に逃げることなく、理想に近づくしっかりとした介護サービスを、顧客サービスという意識を持って作っていくことが大事であると話させていただいた。

そのための具体的方法論として、日々の暮らしを護る介護サービスの基本につながる方法をお話した。当然そこには顧客サービスとしてふさわしい接遇という考え方がなければならず、そのことを「介護サービスの割れ窓理論」を中心に説明した。

施設サービスが三大介護(食事・排泄・入浴)の提供に振り回され、それ以外のサービスに目が向かないことは生活の質に繋がらないという指摘がある。確かにその通りであるが、それは三大介護をおざなりにしろとか、それを軽視して良いという意味ではない。三大介護という「基本サービス」を適切な方法で提供できるということが当然その根幹にあった上での話である。

食事の楽しみを奪い、それが単なる栄養補給の方法に陥っていないか。その時に利用者は安楽姿勢で安心できる方法で食事摂取ができているのか。

トイレで排泄すればよいということではなく、そこで排泄している状況は適切なものなのか。トイレの便器に10分も20分も座らされ放置されている状態は排泄ケアではないのである。

湯船に入って心身ともにリフレッシュするという入浴習慣を持つ人々に対して、単に身体を清潔にするだけの入浴方法を押し付けていないのか。そのことに目が向けられているかということが、生活の質につながるのではないだろうか。

離床活動にしても、座ったきりの状態を作っても意味がない。人は逢いたい人がいて、行きたい場所があって、始めて生きたいと思うのである。そういう暮らしを作っているのかが問題だ。療法あって暮らしなしの特養は生活施設とは言えない。認知症の女性に対する化粧も「療法」として行うのではなく、「日常」のケアサービスとして行われて初めて心身活性化に繋がるのである。

そんな話を緑風園で経験したエピソードを交えてお話してきた。

受講されているみなさんは、施設のオープン研修ということで、少し緊張しながらも真剣な姿勢で聞いていただいたが、最初はどんな難しい話がされるのだろうと少し警戒心もあったのではないだろうか。

だが話を進めていくと、そのような警戒心や緊張感が取れていくのが感じられた。受講されている方々の表情はどんどん豊かになり、みなさん目をキラキラ輝かせて最後まで真剣に聴いてくださった。講演終了後は、たくさんの職員さんから、「改めて頑張ろうと思えました。」、「力になりました。」、「勇気をもらいました。」、「私も誰かの赤い花になるように頑張ります。」等などという言葉をかけていただいた。会場で販売していただいた、僕の著作本もたくさんの方々が買ってくださり恐縮である。

こういう素敵な人たちが新しく作る施設は、きっと素晴らしい施設になっていくのではないかと思った。僕もその場所に赤い花の種を撒くというお手伝いを少しだけ出来たのかもしれない。

ところで、この日の大阪も時折激しい雨が降った。大阪入りする直前に台風も近づいているという情報も入っていた。9月は台風の発生しやすいシーズンであるし、敬老の日が近づくと、施設内でのイベントも多くなるので、毎年この時期は道外講演予定をあまり入れないようにしている。

そのため次の道外講演は、9/21(土)広島県三次市の十日市きんさいセンターで行う講演まで予定がない。しかしその講演を皮切りに、11月末まで土日はずっと講演の旅が続いていく。三次市講演では、介護実践論を180分かけてじっくりお話する予定である。3連休の始まりの日ではあるが、お近くの方はぜひ会場においでいただきたい。その講演の日に台風が来ないことを願っている。
(参照:masaの講演予定

その講演まで、施設に腰を据えて、様々なエピソードを日々刻んでいこうと思う。
そのこともいつか、どこかの会場でお話することになるかもしれない。それでは次回は、三次市でお会いしましょう。
介護・福祉情報掲示板(表板)

人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」のネットからの購入は
楽天ブックスはこちら
↑それぞれクリックして購入サイトに飛んでください。
新刊出版のご案内
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)のamazonからの取り寄せはこちらをクリックしてください。
masaの講演案内
当ブログ管理人masaの講演予定は、こちらからご覧下さい。講演依頼もこのページからできます。
Weekuly Access

    記事検索
    Blog Search
    Google
    WWW を検索
    このブログ内を検索
    ↑こちらにキーワードを入れて過去のブログ内記事を検索できます。
    masa's book 6
    表紙画像(小)
    新刊「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から(2019年1月20日発売)のネットからの購入はこちらをクリックしてください。送料無料です。
    masa's book 5
    新刊介護の誇り
    「介護の誇り」はこちらから購入できます。
    masa's book 4
    介護の詩(うた)  「介護の詩(うた)」はこちらから購入できます。
    masa's book 3
    人を語らずして介護を語るなTHE FINAL 誰かの赤い花になるために  感動の完結編。 「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」。 はこちらから購入できます。
    masa's book 1
    表紙カバー、帯付き
    書籍化第1弾「人を語らずして介護を語るな〜書籍masaの介護福祉情報裏板」 はこちらから購入できます。
    Facebook
    masaのフェイスブックはこちらからアクセスしてください。
    Recent Comments
    Archives
    Categories
    Access Counter
    • 今日:
    • 昨日:
    • 累計:

    QRコード
    QRコード