masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

野球

おい星野。


今年のプロ野球ドラフト会議で、日本ハムファイターズが1位指名した花巻東高校の大谷翔平投手をめぐって、様々な意見が出されている。

一度は米大リーグ挑戦を公言した大谷投手が日本ハム入りへ気持ちが傾いていく過程で、学校には激励も寄せられたが、同時に非難の連絡が数多く寄せられているという。

でもこれはおかしいと思う。気持ちが変わっちゃあいけないとでも言うのだろうか。18歳の若者の選択肢が、一度決めたものしか許されないということなんてあり得ないだろうに。様々な状況で気持ちを揺らして、結果的に信念と思えたものの他に、新しい選択肢があったことに気づいたって批判・非難されるような問題ではない。

表立った批判の急先鋒は、東北楽天ゴールデンイーグルスの星野監督だ。

星野の主張は、
「日本球界に行くんなら、ウチも指名しとった。彼の将来は本人が決めることだけど、ちょっと大きな問題になる。これをやったんであれば、ドラフトの意味がない」
「記者会見したんだから、ドラフト指名されずに米国にいくという格好だった。地元(東北地方)の選手だし、ウチが取らんといかん選手だった。前から(入団への)話ができていたとか、そう思いたくないし、そうではないと思うけど…」

というものだ。

はっきり言って負け犬の遠吠えにしか聞こえない。論旨がめちゃくちゃな身勝手な理屈としか言い様がない。

>前から(入団への)話ができていたとか、そう思いたくないし、そうではないと思うけど…

もしこういう密約があって、日本ハム入りするために、球団と大谷投手側が「大リーグ入り」という表明を仕組んだとしたなら、それは大事件だし、両者は批判されるべきだろう。罰則もあって然るべきだ。

しかし全国的にはさして人気球団でもない日本ハムファイターズという球団に、縁もゆかりもない大谷投手が絶対に入団しなければならないなんていう動機付けはあり得ないだろう。さらに密約で変なパフォーマンスをして入団にこぎつけるなんてことは、あまりにリスクが大きくてありえない話である。事実そういう密約も存在していないということが真相だということは多くの関係者が気づいているはずだ。

こういう荒唐無稽な非難を浴びせること自体が問題である。

大谷投手はドラフト前にはメジャー挑戦を表明し、1位指名された際には入団拒否の姿勢を打ち出したが、その気持ちに偽りはなかったはずである。そうであるがゆえに指名球団に入らないということで、その球団に迷惑をかけたくないということで「メジャー挑戦のため日本の球団にはいかない」という意思表示を、ドラフト会議前にしたのであって、そのこと自体は、その時点での彼の誠意であり、まったく問題ないはずだ。

しかし現行ドラフト制度には、指名拒否を事前表明した選手は指名できないというルールは存在しない。

そうであるがゆえに、日本ハム球団は、最悪入団拒否もあるというリスクを覚悟の上で、「その年に一番良い選手を指名する」という球団のポリシーを曲げずに指名しただけである。

これは昨年「巨人にしか入団しない」という意思を強く持っていた東海大学の菅野投手を強行指名し、結果的に指名権は得たが、入団を拒否されたということを見てもわかるように、揺るがない方針だったのである。

しかも大谷投手を指名するという意思を、ドラフト会議の前日にマスコミを通じて流していたという事実がある。決して「抜けがけ」ではなく、正々堂々と指名することを表明した上で、ドラフト会議に臨んでいるのである。

指名後の入団交渉が、この時点で成功する確率は極めて低いと予測する人が多方であり、球団関係者もそれは承知の上だったろう。

しかし誠意ある交渉と、将来的にメジャー挑戦するための近道という説明を、A4判25ページと別紙5枚にも及ぶ「大谷翔平君 夢への道しるべ 日本スポーツにおける若年期海外進出の考察」と題した冊子を作成するなどの高等戦術と、栗山監督らの誠意ある説明の結果、「計6度の交渉で気持ちが動いていった。」(記者会見での大谷投手の発言)のである。

大谷投手が自ら発言しているように、ドラフト当日入団の可能性は「ゼロ」と断言した気持ちは本当であったと思う。しかし徐々に気持ちは日ハム入団後に、一流選手になってからメジャー挑戦するという方向に傾いたのである。このことを誰が批判できるというのだろう。

星野の発言内容に至っては、笑止千万。

本当に欲しい選手、取らんといかん選手だったのなら、日ハムと同じように、入団拒否のリスクを犯してでも指名して、日ハムと指名権を争い、大谷投手と入団交渉をするという覚悟で臨めばよかっただけの話である。日ハムが指名するのはドラフト前日から分かっていたのだからなおさらだ。そうであるのに、楽天がリスクを回避し、他の選手を1位指名して、のんきな交渉をしている時に、ルールを守って指名した日ハムと大谷投手の交渉結果をもってして「ドラフトの意味がない。」というのは、頭がおかしいとしか言い様がない。同じリスクを負わずに結果から批判するのはフェアじゃないって。これが正論だと思い込んでいるなら、もう彼は野球を論ずる頭脳はないということだろう。○○の穴が、これほど小さい人物だったとは・・・がっかりにも程がある。

今回の一連の動きをもってして、「ドラフト制度の形骸化」なんてことにはならない。このことと完全ウエバー制は切り離して考えなければならない。なぜなら現行制度が完全ウエバー制であったとしても、同様の状況なら日ハムしか彼を指名しなかったという同じ状況にしかならないからである。

もし今回のドラフト会議で、どこの球団も大谷投手を指名しなかったならば、大谷投手という素晴らしい素質を持った選手が、一度も日本のプロ野球界で活躍する姿を我々は見ることができなかった可能性が高いわけである。彼が高校卒業後、そのまま海を渡って米国でプレーすることになったら、日本の子供達は、160キロという直球を投げる選手を、国内で生で見る機会がなくなったかもしれない。

日ハムが、入団拒否されるリスクを犯して、彼を指名して、結果的に当初の彼の希望を変えて、日ハムに入団することによって、我々は素晴らしい素質を持った選手を身近で、生で見ることができる機会を得たわけである。

そういう意味では、日ハムのファンだけではなく、すべての日本プロ野球ファンが、そのことを喜ぶべきだと思う。

それにしても、えげつないことが水面下で行われたという報道がある。

日刊ゲンダイの12/4配信ニュースは
「ドラフトで大谷を指名したのは日ハムだけ。多くの球団は意志が固いと判断して、大谷から降りた。それだけに仮に大谷が日ハムに入れば、結果として担当スカウトの調査不足になる。だからといって日ハムに文句や因縁をつけるわけにはいかず、学校や野球部関係者に当たり散らしている。メジャー球団の嫌がらせにしても同様で、要は自分たちの責任を問われるのが嫌なだけ。それでヨタ話をあちこちで吹聴、大谷の日ハム入りを何とか阻止しようと目の色を変えている。その実態はいまもなお大谷とその周辺を苦しめている。〜(中略)大谷が日ハム入りに傾いているにもかかわらず、周囲の雑音によって一歩を踏み出せないでいるとしたら、これほどバカらしいことはない。」

以上のように報じている。もしこれが本当なら、日本を代表する投手になる可能性のある一人の高校生を、特定球団の思惑で抹殺しかねない馬鹿げた行為だと思うのは僕だけだろうか。

日本プロ野球ファンは、将来日本を代表する選手になるかもしれない若い芽を摘まない様に温かく見守って欲しい。そして日本プロ野球のペナントレースという戦いの中で、厳しく育てて欲しい。

それがスポーツマンシップであり、日本プロ野球ファンの心意気だろうに。

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スポーツマンシップとは何か・・・プロの誇り。


我がファイターズの2012年シーズンが終わった。本当に熱くしびれる戦いが続くシーズンであった。道民は今年もファイターズから勇気をたくさんもらった。本当にありがとう。ファンを家族と読んでくれた栗山監督にも心より感謝したい。

思えばシーズン前、ドラフト1位指名の即戦力候補の投手からけんもほろろに振られ、絶対エースのダルビッシュの大リーグ移籍などもあり、戦力の大幅ダウンが指摘されていた。ほとんどのプロ野球解説者はファイターズをBクラスと予想するなか、ファンは必ず今年も優勝争いをしてくれることを信じて応援していた。

その熱い思いに応えてくれたファイターズは、若い力が台頭し、戦力が拮抗するパ・リーグから頭一歩抜け出し、見事パ・リーグ優勝を飾り、クライマックスシリーズも制し、日本シリーズに出場した。

その日本シリーズでは敗れたものの、最後までファイターズらしい、素晴らしい戦いを見せてくれた。僕たちファンにとってそれはとても誇らしく思える。最後まで感動をありがとう。

ファイターズ

日本シリーズでジャイアンツに負けたのは、ジャイアンツのほうが強かったからである。それ以外の理由は何もない。我がファイターズの力が及ばなかった。

シリーズのターニングポイントとして指摘される、2勝2敗のあとの第5戦。世紀の誤審と言える多田野投手の、加藤捕手に対する危険球退場。ネット上でも様々な論議を呼んでいる。

しかしこの1球でファイターズの勝利の流れが途切れたのかといえばそうではないと思う。そもそもこの試合は、今年のファイターズの快進撃を支えてきたMVP候補・吉川投手を序盤からジャイアンツ打線が打ち崩したことが勝敗を左右したと思う。あの1球がなくても、この試合を逆転で勝利することは難しかっただろう。

むしろ多田野投手の誤審退場の悔しさを、第6戦の反撃パワーにできなかったことが最大の敗因だと思う。その力を発揮させず、常に先手・先手で試合をリードしたジャイアンツは本当に強いチームだったと思う。このシリーズを通じて力の差があったことを認めざるを得ない。

ただし加藤捕手の死球演技を肯定するかといえば、それは別の問題である。加藤捕手がチーム内で、ふだんいくらナイスガイであったとしても、プロ野球人にとって日本シリーズという短期決戦での勝利が一番の優先事項であるとしても、それが実際には勝敗を左右するような絶対的な要素になっていないとしても、当たってもいない頭部死球を受けたかのような演技を認めることはできない。

アウト・セーフや、フェアかファールかという問題ではないのである。これはプレーの当事者が絶対的に正しい判断ができる問題ではなく審判の判断が全てである。しかし当たったか当たっていないかは、当事者である打者が一番よくわかることで、頭部死球はかすっても投手は退場させられるというルールがあることを知らない選手はおらず、あたっていない頭部死球を演ずる行為は、相手投手を退場させることも想定に含めた演技である。そしてあの演技がなければ、審判は正しくファールの判定をしていたのである。

勝利のため、プロフェッショナルには、それを含めてすべてが許されるというなら、プロ野球にはスポーツマンシップはいらないということになる。プロ野球を目指す子供たちにもそう教えないとならないことになる。

それで良いのか?

スポーツマンシップとは、正々堂々と全力を尽くして競技するスポーツマンとしての態度・精神のことであり、こうした態度や精神があるから、スポーツの勝利者は凛々しく美しい。敗者であっても、その姿はしばしば凛とした姿となり得るのである。

しかし少なくともジャイアンツの加藤選手のあのグランドに倒れ、痛がっている姿には、そのような凛々しさは感じられないし、ブーイングの中でヒットを打つ姿にも誇らしさは見いだせない。

加藤捕手が何年かあと、あのプレーについて自分の子供や親に誇らしく語ることができるのだろうか?僕はそれは無理だろうと思うし、それは彼にとっても不幸なことだろうと思う。そういうプレーをせざるを得ないのが日本プロ野球であるとしたら、そこには夢なんてなく、衰退の一途をたどるだろうと思う。

2012年のプロ野球日本一に輝いたジャイアンツは、2012年の日本プロ野球において、一番強かったチームである。しかしその強さの裏には、こうした誇れないプレーが存在したという事実はなくせないだろう。恥辱ある勝利である。

これを汚点と呼ばずして、何を汚点と呼ぶのだろうか。

一方では、ファイターズの若き4番、中田翔は、沢村投手から死球を受け骨折しながら、「相手もわざとではないから」とぶつけた投手をかばい、なおかつ骨折を押してゲームに出続け、最終戦では一時同点に追いつくホームランを打っている。この経験から彼はさらなる高みに登り、やがて日本を代表するスラッガーに育って行くだろう。

その彼も実は1年目、ストレッチなど決められたトレーニングをせずに骨折し、それに対して球団は受診さえも認めず態度を改めることを優先させたという経験を経ている。ファイターズとはそうやって選手を育てるチームである。

恥辱と汚点のない敗者であるファイターズのパ・リーグ優勝パレードは、今月24日、午前11時から札幌駅前通の北5条通南側をスタートし、南進してススキノ交差点手前(南4条西4丁目)をゴールとして行われる。

誇り高き戦士たちを、誇りあるファンが声援するパレードになるだろう。

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俺たちの勲章

今日はいつもよりかなり早い時間の記事更新となっている。昨日の記事で紹介したように、今日は福岡県北九州市で講演を行うため、朝9:00にJR東室蘭駅から特急に乗ったのを皮切りに、現在移動の途中で、これから11:05発福岡行きの航空機に乗り込むため、新千歳空港の搭乗口で記事を書いているためだ。

ということであまり難しい内容の記事を書いている余裕がないので(ipadで、移動の合間に打ち込んでいるため)移動報告でも書こうと思ったが、別の話題にした。

それというのも「書籍化本・続編の刊行について。」でお知らせしたとおり、現在続編発刊に向けて作業が進んでいるのだが、その中の「コラム介護歳時記」という章では、僕の私的な話題を何点か書いており、若い頃、野球をやっていた頃の思い出も書いている。その中で全国優勝した際の胴上げの写真を掲載できないかという案が出て、その頃の写真を探していたら、懐かしい写真がたくさん出てきた。

思えばこのブログは40歳代後半から書き始めたので、僕の若い頃の顔を写した写真は例外的に数点載せているだけで、それ以外はサングラスをかけた40代以降の写真画像がほとんどである。

せっかく見つかった写真だから、また押入れの奥深くに埋めてしまうのではなく、記念にこの場所にも残しておこうかと考えたので、興味のない方の方も多いだろうが、僕の青春時代の後半期の写真を載せておく。

ただ青春時代といっても年齢は29歳から30歳の頃だ。それは青春ではないだろうという人もいるだろうが、僕にとって野球に汗を流して、チームの皆と優勝を目指して熱く燃えていたあのときは、まさに「青春」の最後の灯を燃やしていた時代なのである。今日訪ねる福岡も、日本シリーズの第6戦以降の戦いで、明日からも盛り上がるだろうが、あの頃の僕らも、個人の心としては決して今のホークスの選手に負けないくらい燃えていたのである。そのとき勝ち取った栄冠は、まさに「俺たちの勲章」として心の中に永遠と残っていくだろう。そして僕はもっと年をとって、認知症になったとしたら、全国優勝した記憶だけはしっかり残って、毎日何度もそのことを繰り返し話し続けていることだろう。どうかそのときは「また同じことを言っている」と無視しないで聞いて欲しい・・・。
※ホークスがんばれ!!パリーグファンとして優勝を祈ってるぞ!!多分明日決まるだろう。胴上げ投手は和田かな?

さて最初に、小さな写真は以前も掲載したが、岩手県営球場で行われた「平成2年東日本軟式野球選手権(一部)」の優勝の瞬間の胴上げシーンである。監督の胴上げの後、当時・主将であった僕が胴上げされている場面である。

胴上げ

下は表彰式である。アマチュア軟式野球は、監督が背番号30、主将は背番号10と決められている。自分の表情をみると、喜びにあふれているというより、疲れとホッとしたのと、入り混じっているように見える。

表彰式

ところで表彰状を受け取っているのは、当時の窪谷監督である。仕事の上ではソーシャルワーカーの先輩として、僕が何も分からない新人だった頃から、いろいろとお世話になりました。今刊行されている「人を語らずして介護を語るな」の記事の中に「私は、これで煙草をやめました。」という記事があるが、この中で「俺達ワーカーは、患者さんに簡単にあれはしちゃあいけないとか、これは駄目だとか、あれを止めろ、これを止めろと言うけれど、そう簡単に出来るもんじゃあないよな。キクチくんは、お年寄りに指導する立場だけど(当時は生活指導員と言われていたため、こういう方をされた)逆に何か指導されたら、どう思う?自分で何が止めれる?」というセリフを語る人物が登場するが、何を隠そうその人が監督である。

そのおかげで僕は煙草も止めたし、制限することは馬鹿でもできるが、できる可能性を探すことは専門家しかできないことを教えていただき、今の僕に繋がっている。・・・・・しかし、窪谷監督は、その後、関連病院の事務長として在職中に不慮の事故で若くしてお亡くなりになられた・・・。今考えても残念でならない。そういう思いも込めて上の写真をここに載せた・・・。

その下は決勝進出を決めた準決勝ゲームセットの瞬間である。今より細くてスポーツマン体型でしょ。でもこの写真の俺、眼鏡の形もそうだけど、ヤクルトの古田みたいじゃねっ・・・。

ゲームセット

ところでこの全国大会出場に繋がった全道大会は清里町とうところで行われたが、優勝したご褒美に、翌日は「観光休日」をもらい、その近くでは一番大きな観光地であった網走市で遊んだ。僕らはオホーツク流氷館というテーマパークに出かけたが、そこでコンパニオンのお姉ちゃんに鼻の下を伸ばしているのが下の写真である。(ちなみに平日だったので僕ら以外の客はおらず、お姉ちゃんとじゃれながら時間をつぶした。彼女ももういいお母さんになっていることだろう。)

オホーツク流氷館にて

この後、マイクロバスで一路帰宅の途に就いた。バスの中と、途中の峠で記念写真。最後に掲載している写真・右端の人物のお尻に注目していただきたい。誰であるかは名誉のため伏せておく。写真もわざとサイズを小さくしたのは、彼だと分からないようにするためだ。ヒ〇〇、懐かしいねえ。(※〇の中にどんな文字が入るでしょう。笑)ちなみに勿論僕ではない。僕は後列の尻出し男の左隣で、白いランニングシャツ姿になっている。ン・・。バスの中と服装が違うのは何か着替えなければならない理由があるよな。それは想像にお任せする。なお尻出し男は、この後もバスの走行中に、フロントガラスに尻丸出しで貼りつき、対向車をびっくりさせていたことを付記しておく。

全道優勝の夜優勝メンバー


ということで意味のない記事でごめんね。月曜からはバッチリ硬派の記事を書くから期待してほしい。

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勇気を与えるっていうレベルの問題なんだろうか?

大地震と津波被害の爪痕が深く残されたままの今この時であるが、だからと言って、何でもかんでも自粛、自粛ではなく、普通の生活ができる人は、普通の生活を営むことが大事だという意見も多い。

それは否定しないし、その通りだろうと思う。

被災者の方々に思いを馳せることは大事だが、それぞれの日常をしっかり守って行くことも、社会のため家族のためには必要だ。さらに今こういう時だからこそ、笑顔になれる場所や時間を作ることができる人は、そうした場所で笑顔をあふれさせてもよいと思う。そうしないと日本全体が沈みこんでしまって復興への活力が生まれにくくなるからだ。

ただ、ものには限度がある。笑顔は大事だが、苦しむ人々のすぐそばで、そういう人々を無視して、そういう人々の心情を考えないで、自らの快楽や楽しみを求めることは少し違うだろうと思う。

特に今は、物理的にいろいろなものが不足しているのだから、そのことに気を回さないとならない。必要な物資やエネルギーを、まず被災地に優先的に届け使ってもらうという配慮を日本全体で行う必要があると思う。

しかも震災と津波被害だけでなく、福島原発の放射能漏れの問題は、今後さらなる大災害に繋がりかねない深刻な問題で、そのことを注意深く見守って対策を考えなければならない時期である。この状況は、そのことがまず一番に考えられるべきで、イベントやスポーツで社会を元気にする、ということを考える時期ではないのではないだろうか。

そんな中、議論されているのはプロ野球のペナントレースを予定通り開幕するのか、遅らせるのかという問題である。実にくだらない。開幕予定の25日までにはエネルギー問題も、交通網の問題も、インフラの問題も、何も改善されていないことは目に見えている。遅らせるのが当然ではないかと思う。

しかしこの問題が紛糾しているのは、セリーグが独自に25日実施する方針を固めていることに端を発する。特に発言力の強い読売新聞社の強硬な態度は問題である。開幕を延ばさない理由を当の読売は「スポーツは国民に夢と力を与えるものだから、プレーすることで日本中が元気になってもらいたい」といっているが、今この時期、一時非難所で肉親の安否さえ不明で、ラジオやテレビの通信手段を奪われている方が数多く存在する中で、プロ野球が開幕してそのことが元気に繋がるのだろうか?今後、愛する人々の悲報に触れる人々がたくさん増えるだろうと予測される中で、プロ野球の開幕がその人達の勇気になっていくのだろうか?そういうことがあるとしても。それは3月25日という時期ではないように思う。

どんな理屈をつけても、開幕を遅らせたくない球団関係者の本当の思惑は「試合数が減って、テレビ放映権や入場者数が減ることで受ける収入減」の問題で、それはとりもなおさず営業サイドの理屈であることは隠しようがない。

そのことは選手会がこぞって開幕延期を訴えていることでもわかる。新井選手会会長の「何百年に一度の大災害が起きて、まだ続いています。余震が続き、原発の問題もある。被害は現在も進行している大変な状況で、果たして25日に開幕してもいいのでしょうか」という言葉や、我がファイターズのダルビッシュ投手の「野球をやって励ますとかそういうレベルじゃない。」という言葉の方が正論だ。

今あわててプロ野球を開幕してどれだけ大きな社会的影響が出るのだろう?例えばプロ野球を1試合行うだけで電力消費は大変な量である。ナイターでなければ大丈夫だろうと考えるのはあさはかで、現在のようにドーム球場が多い状況では、そこで試合を行う際は、ナイターと同様の照明と空調電力が必要になる。多くの球場が電光掲示板であり、そこにも大量の電力消費がともなう。その量はプロ野球を1時間行えば、一般家庭の1月分の電力消費量を軽く超える量である。

計画停電で、人工呼吸器など医療器具にも影響が出ている社会情勢下で、こんなところに大量のエネルギーを使って問題ないのか?被災していない関西圏で行えば問題ないだろうということにはならないように思う。

特に15日には経済産業省が日本自動車工業会、日本スーパーマーケット協会など、全国の業界団体、約690団体に省エネルギーへの対応を文書で要請している。その中身は「暖房の設定温度を19度以下を目安にする」「給湯器、コーヒーメーカーなどの電源を切り、待機時消費電力を削減する」「広告・ネオンなどの点灯をできるだけ控える」などの節電策を細かく例示している。「社用車の使用抑制に努める」などガソリンの使用を控えることも求めている。

こういうことが社会全体で求められている中で、ひとり「プロ野球界」だけが例外で良いはずはない。

球場への人の移動が生ずるのだから、当然ガソリンの消費量も増えるだろう。観客が野球上に押し掛けることで被災地に向かう救援ボランティアや救援物資の輸送にも支障が出かねない。交通網が完全に回復している状況ではないことを考えても、プロ野球の25日開幕は議論の余地がないほど見直すべき問題だと思う。

平時ではないのだから、ペナントレース144試合全実施にこだわることはないのだ。今年のみ、交流戦全試合を中止したり、オールスター戦を3戦から1戦に減らしたり、工夫はいろいろ考えられる。ペナントレースを中止するというわけではなく、皆が野球を見て元気になれる時期まで開幕を遅らせようというだけなのだから、それさえも否定する営業サイドは既に「反社会分子」とさえ言われても仕方がない。

読売営業サイドの今の姿を見て、この球団を応援するファンはどう感じているんだろう?読売球団のオーナーや球団社長に今送りたい言葉はたった一つである。「悪は必ず滅びる」と・・・。

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ファイターズ小僧の雨のち晴れ

今日の記事は野球に興味ない方はスルーしてください。なおプロ野球セリーグファンの皆様は読まない方が無難です。読んだ後に文句と苦情は一切受けつけません。では本題。

ここ数年、この時期は札幌ドームのチケット購入に奔走し、休みを調整し、ドームでファイターズの応援に声を枯らすのが「当たり前」であった。今年もきっとそうなるだろうと思った。

しかし結果はそうならず、随分早くに終戦を迎え、長いナガ〜いストーブリーグをうんざりしながら過ごしている。思えば今シーズンは小林繁ピッチングコーチの急死という訃報からすべてが始まり、最初から歯車がかみ合わないまま一時は借金が10を超え最下位を独走する最悪の状態であった。それでもシーズン中盤からチームは立ち直ったが、1勝差で4位に甘んじクライマックスシリーズ出場を逃がした。そしてオフシーズンに入った直後に、球団の御意見番である大沢親分の訃報・・・。なんとも最初から最後まで、哀しきシーズンであった。

それでも世間では、まだシーズンが終わっていないプロ野球チームがあるそうで、先週はセントコリャリーグの日本シリーズ出場をかけたファイナルステージだかが行われ、中日ドラポン酢なるチームが勝ったそうだ。読売ジャイアンポンタンが負けたのは「悪は滅びる」原則からして当然である。

そして明日からは、日本シリーズが行われるそうだが、その第1戦も第2戦も第5戦もテレビの地上波放送はないそうである。

これはある意味当然で、日本シリーズの価値が過去のそれとは格段に違うのである。過去のシリーズは、それこそ日本一決定戦であったが、今の日本シリーズは、単にクライマックスシリーズを勝ち上がったチーム同士の勝敗を決める「カップ戦」に過ぎなくなっているのである。

なぜなら実力と正義のパシフィックリーグを制したソフトバンクホークスは、ここに出場していない。日本シリーズはリーグ優勝チーム同士の対決ではないのである。ここが問題だ。やはり日本シリーズは日本一決定戦であって、両リーグの優勝チーム同士の対決にしないと盛り上がらない。もしこれでロッテマリーンズが優勝すれば、今シーズンはパがソフトバンク、セが中日、日本シリーズという「カップ戦」がロッテ、という3つの優勝チームがあって、日本一がないということになる。

そういう意味ではクライマックスシリーズを行う以上は、ここの覇者が優勝チームであるとすべきで(クライマックスシリーズ開始から数年はそうだった)数年前にこのルールを変えたこと自体が日本プロ野球の衰退に拍車をかけるものとなっているという歴史的意味があるのだろう。

しかし見方を変えれば、こんな遠吠えもできる。

シーズン中の交流戦の結果は、1位から6位までを我がパシフィックリーグで占めた。セントコリャリーグは所詮、パリーグの後塵を拝するだけの7位から12位までの実力しかないチームなのである。

よって実力のないセントコリャリーグと、本当のプロフッショナルの集まりであるパシフィックリーグが対等に戦うためには、パリーグを制した優勝チームを出すまでもなく、3位のチームを出して戦ってちょうどよいだろうということである。まいったか!!

ところでセントコリャリーグって、他にどんな球団があったっけ?

そうか・・・阪神タイガージェットシン、ヤクルトスワローとしないで立ってなさい、広島盗用株、横浜買収スターズだったかな?まあシャレですからお許しを・・。

・・・こんなことでも言ってないと気がまぎれんのが今年のファイターズ小僧たちであり、空しさだけを感じながら2010年は終わってしまうと思っていたら・・・ありゃこりゃ、昨日10/28日を境に、すべてが変わった!!

北海道とファイターズに大朗報。ハンカチ王子の指名権を得た。斉藤祐樹くん!!君はきっと在京球団を希望していたのだろうから、ファイターズ指名は少々残念に思っているだろうが、迷わずに北海道にやってきなさい。道民はすべて君を歓迎し、札幌ドームの怒涛のような歓声が君を包み、きっと君は北海道とファイターズが大好きになるだろう。ダルビッシュとの2枚看板で2011年シーズンを制すのだ!!将来はファイターズの監督候補だぞ!!

これで来季のパの目玉は、日ハムVS楽天における、ゆうチャン、まークンの甲子園決勝対決の再現だ。パリーグはますます燃え上がるぞ!!

それにしても今年のドラフト会議は大成功だ。「一番補強に成功したチームはどこか」と考えると、野球通と自称している人々はほぼ一致して「ファイターズ」と答えるに違いない。なにしろ「外れ1位」候補の、乾真大クン(縦スライダーの魔術師)・榎下陽大クン(九州NO1右腕)という2人の即戦力大学生投手を3位と4位で指名できたほか、高校生外野手NO1とも評価してよい西川クンまで指名できた。5位で指名した谷口クンもイチロー2世と呼ばれる好選手だ。ほぼ満点ドラフトと言ってよいだろう。

来年の秋こそ、ドームで飛ぶぞ!!

追伸:ついでにFA再取得の小笠原!髭を伸ばしてファイターズに帰ってこい!ジャイアンポンタンは根津の「炭酸ひげ男」が応援しているから髭がはやせんだろう。いつまでも悪のチームに所属していては、本当に性根まで腐ってしまうぞ!!

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介護・福祉情報掲示板(表板)

MVP獲得の舞台裏

本日当施設は午前中から介護保険法の介護老人福祉施設の実地指導と、老人福祉法の社会福祉法人定期監査(悪いことをしているわけではなく老人福祉法上は監査である)の真っ最中である。(表の掲示板の実況中継でご存じの方も多いだろう。)

今、昼休み休憩に入ったところなので、いつものようにブログ記事を更新しようと思うが、あまり堅い話題を書くと、実地指導の内容に及んでしまって午後からの協議に支障を来しても困るので(行政批判に関連する記事になってもまずいしな。)、全く別の軽い話題にしたい。今日の報告などに関連する記事は、後日改めて書くとしよう。


全国優勝記念左の画像は、平成2年5月25日に撮影したもので、岩手県盛岡市で行われた第12回東日本軟式野球選手権(一部)で全国制覇した際の記念写真である。右端で優勝旗を持っているのが、当時チーム(三愛病院クラブ)の主将で29歳の頃の僕である。

ドラえもんの「のびた」のようなでかい黒ぶちの眼鏡が笑えるが(画像をクリックすると拡大するので、そうしてみるとよくわかります)、当時はヤクルトの古田も同じような眼鏡をかけていたし、きっと流行りだったのだろう。この時、胸に掛けているメダルは、僕らが数々の大会で優勝してもらったメダルの中でも、特別思い入れが深いものだし、大切なものであり、大事にしまっている・・・と思って、どこにあるだろうかと探してみたが・・・ない!!

まあ物より、記憶の方が大事だからあきらめよう。


遠征先でのヒトコマちなみに右の写真も、この年の高松宮杯全道大会期間中のヒトコマであるが、このように野球をやっていた当時は、義務免除で休みをいただいて全道・全国を野球をするためだけに飛び回っていたのである。しかし大会期間中でも、こんなふうに飲んだり遊んだりしながら息抜きをしており、野球漬けではなかった。この写真の右から3人目が僕だが、それにしても若いし、顔も細いよなあ〜。


天皇杯全道優勝ところで、全国優勝のメダルを探しているときに出てきたのが、こちらの画像のメダル2個である。一つは軟式野球の最高峰である天皇賜杯軟式野球大会で全道優勝した際のメダルで、この時の全国大会は宮崎県都城市で行われ、僕らは開幕試合で今は亡き高円宮殿下の観戦試合にあたり、厳重な警備の下(ベンチにもSPが張り付いていました)地元宮崎県の代表チームと戦い、見事5-0で勝利した。その後、2回戦で香川県代表チームに4-3で惜敗、その時の相手投手は、あの池田高校野球部の出身だった。メダル一つで、こういう記憶がよみがえってくる。懐かしいなあ。

たそがれ野球MVPさてもう一つのメダルは、チームで獲得したものではなく、僕が唯一持っている個人賞のMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した時のメダルである。受賞した大会は、非常にローカルであるが、北海道新聞社旗争奪「たそがれ野球大会」という大会で、その冠のごとく、多くの企業の仕事が終わる後の午後5時30分からプレーボールされる大会で、夕闇でボールが見えなくなる場合は、その時点で終了となる。ただ夏は午後7時半くらいまでは明るいので、規定の7回終了まで試合ができることが多い。僕らは、仕事が終わってからでは間に合わないので、この大会に出場するために、午後4時30分以降は就業義務免除されていた。

そもそも軟式野球はボールが硬式より飛ばないこともあって、投手戦が多くなる傾向が強く、自然と個人賞も投手から選ばれやすいから、野手で、しかもたいした優秀なプレーヤーでもない僕が個人賞をとること自体が奇跡的である。しかも、その時のMVP獲得には、ちょっとした裏話があるのだ。そのことを記事にしよう。

たそがれ野球と馬鹿にする人がいるかもしれないが、この地域はノンプロの強いチームが多く、都市対抗野球で全国制覇した大昭和製紙(当時:白老町;現在は日本製紙)や新日鉄室蘭等で活躍した往年の名プレーヤーが軟式野球に下りてきているので、結構レベルが高い。

この時の決勝も、新日鉄SMEXというチームとの対戦で、相手のバッテリーは、鈴木投手・岡田捕手という、前年まで都市対抗野球でクリーンアップを打っていた選手である。ちなみに鈴木選手は、過去に野手として近鉄バッファローズのドラフト指名を受けたことがある。

試合は投手戦となり0対0で最終回まで進んだ。スコアは互角だが、鈴木投手の速球に僕らのチームは手こずって、チャンスも作れず押され気味であった。

最終回の表の攻撃、ツーアウトから、四球で待望のランナーが出て、僕に打順が回ってきた。ところが、ここで我がチームの監督はギャンブルに出ようとした。カウント1-1から盗塁のサインが出たのである。これが何故ギャンブルかというと、相手投手はモーションも早い速球投手で、しかも捕手は、この地区でも有名な鉄砲肩の岡田捕手である。盗塁の成功する確率は非常に低いと言わざるを得ない。

ただ監督にすれば、ここでヒットが出ても長打でない限り得点にはならないし、ましてや投手の出来をみると、連打が続く期待も持てないので、ギャンブルでスコアリングポジションまでランナーを進めて、1本のヒットで得点する場面を作ろうというわけである。

しかしサインをみた僕は考えた。「絶対無理だって。盗塁アウトに決まっている!」って。そしたらその時点で攻撃終了、僕の打席は回って来ない(延長なしで、この回が最終回。同点の場合は、両者優勝というルールだった。)。それはいかんとも受け入れ難い選択肢であった。

当時僕はチームの主将であったし、チームプレーの大切さは人一倍分かっていたし、監督のサインは絶対であると考えて無視することなどなかったが、この時ばかりは、グランドで実際にプレーしていない監督がゲームの臭いを嗅ぎ取っていないと憤った。

で、どうしたかというと、ここはわがままを通そうと決断し(たそがれ野球というローカルな大会だからできたことではあるが)、盗塁のサインを無視し、ともかく来た球に手を出そうと決めた。もし空振りであっても、盗塁死なら、その時点で打席はなくなるので、ともかくファールでも当てるのが絶対条件であると思った。そして変化球はカットするつもりで、速球に的を絞って待っていた。

相手バッテリーも当然、盗塁があり得ると速球勝負をしてくるだろうし、捕手が投げやすい外角球を投げてくるだろうと思って、思い切り踏み込んでバットを出そうと思った。

そうしたら、おあつらえ向きに外角高めの「真直ぐ」が来た!!ともかくバットを振ろう、当てようと思って、踏み込んでいる僕にとって外角球は真ん中と同じである。見逃せばおそらくボールの高めのコースだが、そんなの関係ない。「シャアー」というばかりにバットを一閃すると、真芯でボールを捉え、右中間を深々と破るスリーベースヒットになって一塁ランナーは長駆ホームイン。これが決勝点となった。

しかしこの場合のスリーベースヒットはちょっとまずい。何しろサインを出した監督は、三塁コーチャーボックスに立っているのだ。塩梅悪いというわけである。案の定唖然と僕の方を見ながら、次の瞬間苦笑いしながら「しゃあないナア」と一言吐き捨てられた。

しかし決勝点は決勝点であり、この裏の攻撃を抑え、見事この大会を制した。MVPはピッチャーかなと思っていたが、決勝タイムリーがよほど印象的だったのか(勿論サイン破りとは誰も知らない)僕がそれに選ばれた。こうなれば後から監督もあまり嫌味が言えないというわけである。

しかしである。やっぱり野球は個人スポーツではないので、監督の指示を無視するのはいかんと反省している。皆さんも職場の上司の指示を無視した個人プレーはいかんぞ。

職場でも施設長の指示を無視してはいけないのである。しかし・・・説得力はないか・・・。

さあそれでは午後の実地指導と監査に臨みますか。今日は午後6時から、登別市地域福祉実践計画推進委員会があるから、パパパッと終わらせちゃいましょう。表の掲示板の実況中継で進行具合を確認していてください。

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訃報・若すぎる死

昨日突然、悲報が飛び込んできた。

プロ野球日本ハム・ファイターズの小林 繁投手コーチの訃報である。

今日までの報道では、ドラフト会議史上「空白の1日」で有名な江川事件の渦中の人、あるいは現役選手時代、ジャイアンツとタイガースのエースとして活躍したことなどが大きく取り上げられているが、僕にとってはファイターズの現役コーチの突然死という意味の方が大きい。大変なショックである。死因は心不全らしいが、まったくそのような兆候もない健康な方であったと思える。それにしても57歳という年齢はこれからであり、あまりにも早すぎる死である。ご家族のお悲しみは察するに余りある。同時のその死は惜しんでもなお余りある。

小林コーチは、昨年のシーズンからファイターズの2軍投手コーチに就任して、今シーズンからは1軍の投手コーチを務める予定だった。日本一奪回のために絶対に必要な人材であり、チーム首脳陣のキーマンでもあった。

その手腕は今更言うまでもなく、昨年1年間でもしっかり「実績」を残している。

150キロ以上の速球を持ちながら1軍に定着できず、2軍戦でも泣かず飛ばずであったあった江尻投手の適性がサイドスローであることを見極め、フォーム改造を指令して、彼は1軍の中継ぎエース的な存在になった。

07年シーズン、ドラフト2位で大卒投手として即戦力の期待を集めて入団した糸数投手は、速球に力があるものの、コントロールに難があって結果が残せず、1軍に上がる機会さえつかめずにいた。その彼に対しても小林コーチがアドバイスしてサイドスローに変えたことによって、昨シーズン途中から救世主として1軍のローテーションに入り、クライマックスシリーズや日本シリーズでも立派に先発マウンドを務めるまでに成長した。彼も小林投手コーチとの出会いがなかったら、少なくとも09年シーズンの活躍はなかっただろう。

毎年、最も期待されているのに結果が残せていない左腕の須永投手も、サイドスローに転向した一人である。今シーズンは最初の1軍登板では勝利投手になれなかったもののライオンズを6回まで無安打に抑える投球をして才能の片鱗を見せた。その後不安定な投球から2軍落ちしてしまったが、オーバースローで結果が残せなかった彼が、来シーズン以降大化けする可能性は十分だ。

2010年シーズンは、小林投手コーチが手塩にかけて育ててきた投手の先頭に立ち1軍投手コーチとして、パリーグ連覇と日本一奪還を目標に燃えていたはずである。志半ばの無念の死であったろう。

高校時代は選手としては無名、大学受験には失敗し、デパートの呉服売り場の店員を経て、プロ野球の投手としての最高峰を極め、引退後は政界を目指し政党を結成し選挙に立候補(落選)したり、03年には事業経営の悪化から自己破産を経験したり、決してすべて順風満帆な人生ではなかったようである。太く短く駆け抜けた人生であったのだろうか・・。

それにしても本当に惜しい人を亡くした。残念である。現役投手としても、シーズンで13勝を挙げ、まだまだエースとして活躍できる31歳という若さでありながら「15勝できないとエースとして失格」という信念から「15勝できなかったら引退する」というシーズン前の発言を有言実行し引退したが、その死も、あまりに「潔すぎる死」ではなかったか・・・。

しかし小林繁という一野球人は、現役選手時代の雄姿とコーチ時代の実績と共に、すべてのプロ野球ファンの心の中に残り続けるだろう。心よりご冥福をお祈りしたい。

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美しき敗者達。

野球はドラマである。今年のプロ野球ペナントレースも人生そのものをあてはめることができるような紆余曲折に満ちている。

我がファイターズの今シーズンは谷底から始まった。札幌ドーム開幕対楽天3連戦は、1戦目がエース・ダルビッシュ。誰しもが勝利を疑わなかったが、岩隈との投げ合いに敗れ、そこから悪夢の3連敗・・・。シーズン前のプロ野球解説者の予測でも評価が低かったこともあり、道内のファンの多くが長いシーズンの先に不安を感じた。

しかしその後、ベテラン金子誠選手を中心にした「繋ぎの打線」は、3割打者がシーズン後半に入っても5人もいるという活躍ぶりで(※北海道では某放送局が「なまらスゴイっしょ打線」とネーミングしている。)開幕3連敗の悪夢を振り払うように勝ち続け、首位をがっちりキープして8月の中旬には独走態勢に入り、このころには僕の職場のコバクンのように、すでにクライマックスシリーズと日本シリーズの観戦予定を立てて、お盆の休暇を返上するという輩まで現われた。

しかしちょうど僕が沖縄講演を行っていた8月19日、ファイターズを震撼させるあの新型インフルエンザのチーム内集団感染が起こった。それによってレギュラーをはじめとした1軍主力選手が次々と戦線離脱し、急遽2軍から若手を挙げて試合に臨んだが2位ソフトバンクとの試合では3割バッター(その時点)を3名(田中・小谷野・糸井)も欠く打線で1点が遠く、ついに前後を含め6連敗を喫し、優勝がおぼつかなくなった。

救世主は沖縄出身の糸数投手。6連敗後のチームを勇気づける好投で連敗を止め、チームには続々とインフルエンザを克服復帰したメンバーが帰ってきた。そしてチームに再び勢いがついて優勝マジックが点灯した。その後糸数クンは2軍と1軍を行ったり来たりして、完全にローテーションには入っていないが、先々週火曜からの9連戦では、再び快投を演じてくれて、救助投手陣が苦しい中、完投勝利を挙げてくれた。今日も1軍復帰して先発マウンドに登る予定である。来年はローテーションの1角を是非になってほしい投手だ。

今年は打線では糸井選手の大ブレークがチームを救ったし、ファイターズの今年の漢字は「糸」で決定である。

さてそのファイターズの優勝マジックは今日現在で5である。おそらく今シーズンのパリーグ制覇は間違いないだろう。(これがひっくりかえるようなドラマはいらない!!)

クライマックスシリーズも制して日本シリーズに出場できるかどうかはわからないが、リーグ戦としては、この4年間で3回目の優勝だから今、パの盟主はファイターズであると個人的には思っている。新聞に躍る「北の常勝軍団」というフレーズも満更当っていないわけではないと思えてきた。どちらにしても道民はファイターズのおかげでたくさん幸せをもらっている。僕は3年前の日本一の時にはシーズン優勝の瞬間、クライマックスシリーズ優勝の瞬間、日本シリーズ優勝の瞬間をすべて生で目の前で見て、新庄の涙の打席にも感動したが、今年も同じ感動を味わえるだろうか?密かに優勝が決まりそうなゲームのチケットを手配している。もちろんクライマックスシリーズの先行予約も済んでいる。

ただ勝者の影には常に敗者が存在する。しかも勝者の姿よりも美しい敗者が存在し、僕の瞼に焼きついているある光景がある。

ファイターズが初の日本一になる前の年のクライマックスシリーズで、シーズン1位のホークスがシーズン2位のマリーンズに敗れた。敗因は4番の松中選手が不調だったことが大きいといわれ、マリーンズ勝利の後のホークスのベンチには、責任を一人で背負うようにベンチに腰掛けうつむく松中選手がいた。

その後ろには今メジャーリーグのマリナーズで活躍している城島捕手の姿があった。

知る人は知るように、ホークス内で松中選手と城島選手は普段まったく口を利かない仲である。両者ともチームの中心選手であるが故の確執であろう。その城島選手が、うなだれる松中選手の後ろで某若手選手を呼び、松中選手を指さし何やら指示している。そのまなざしは憂いに満ちたもので松中選手をいたわる気持ちがこもったものであった。若手選手に自分に代わっていたわる声をかけるように指示していたんだろう。男同士のこうした関係も素晴らしいものだと思った。
しかし美しいと思ったのはその場面ではなく、その松中選手が翌年、城島捕手という主力が抜けたチームを引っ張り、ホークスは最後に日本シリーズ出場権をファイターズと争って札幌ドームで対決した場面である。

ファイターズが優勝した瞬間は最終回裏のサヨナラ勝ちであった。北海道に来て初のリーグ制覇にグランドのファイターズナインもスタンドの僕らも我を忘れて歓喜に浸っていた。その時、ふとマウンドをみると、敗戦の涙で歩けなくなったエース斉藤 和巳投手が泣きじゃくりながら2人の外国人選手に両脇を抱えられるようにベンチに引き揚げて行った。その姿も僕には全力を出し切ったヒーローだけが流せる心の涙に思えて美しいと感じた。

そしてふと外野守備位置に目を向けると、守っていたホークスナインがすべて引き上げ、ファイターズの選手がホームベース上で歓喜の輪を作ろうとしているまさにその時に、ひとり松中選手だけが、レフトの守備位置に両膝をつけてうなだれうずくまっている姿があった。その肩はがっくりと落ちていたが、僕はその背中を見て、この上もなく美しい姿に感じた。

ゲームには必ず勝者と敗者が生まれるが、その過程で燃やした魂は勝者も敗者もなく素晴らしものだ。

クールな時代に、こんなにもファンに夢と感動を与えてくれる理由は、そこで戦うすべての選手たちが魂を込めた熱い戦いをしているからだろうと思う。

斉藤投手や松中選手の「敗者の美しい姿」をみていると、いずれこの人たちが勝者となって歓喜の輪の中で涙するドラマも必ず生まれるのだろうと思ったりした。

だから野球は素晴らしい。

ただ今年は日本シリーズにもファイターズが出場して日本一に輝いてほしいことは言うまでもないが・・・。


※昨日の記事でお知らせしたとおり明日はテレビに出演します。午前の番組なので朝早くにスタジオ入りなので、今日夜に札幌入りしてホテル待機ですので、明日は記事更新をお休みします。ご了承ください。

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15年ぶりの全国出場のために・・・。

実は今日は昼休みもなかなかとれなくて、記事更新している時間もない。

様々な状況が重なった結果である。先ほど関連医療法人のお祭りのセレモニーに参加するなど出先から帰ってきたのだが、しなければならないことがたまっている。

さらに今日は通所介護のマイクロバス送迎の運転手もしなければならない。というのも僕が若い頃所属していた関連法人との野球チーム「三愛病院」が今日15年ぶりの北海道代表として天皇杯全国大会出場のため石川県に向かったことによる影響だ。通所介護のマイクロバス運転の担当者もチームメンバーなので、その代行である。普段なら施設の管理係の別の大型免許所持者が運転を替るのだが、今日は施設の利用者もテーマパークに出かけており、そちらの方のマイクロバスを運転しているので、僕が通所の方を引き受けたというわけである。

ところで全国大会出場が15年ぶりということを考えて思いあたったことは、前回の全国大会出場は僕が現役として参加した宮崎県都城市を中心に行われた天皇杯以来である、ということだ。

その時は開幕戦で、亡くなられた高円宮殿下の観覧のもと、地元宮崎県代表のチームと対戦し勝利した大会である。相手チームには大阪のPL学園出身者がたくさんいた。よく勝てたと思う。そういえば、あの時は警備のためベンチにまでSPが待機している異様な雰囲気の中で開幕戦というプレッシャーと両方の戦いであった。ベスト16で敗退したが、良い思い出である。それ以来の全国大会なんだから久し振りである。

ちなみにその大会で負けた相手は徳島県代表のチームで、バッテリーはあの池田高校出身者であった。スコアは確か3対4か2対3であった。どちらにしても1点差のシーソーゲームに敗れ悔しかった思いがある。おかげで、その夜は吐くまで飲んだ。
(まあ勝っても飲むんだが、翌日にゲームがあるときはそこまでヘベレケにはならない。)

ということで、今日はこの辺で失礼したい。時間がないもので・・・。

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真夏の鍋は人情で喰らう。

先月、当法人と関連法人の職員で構成する軟式野球チームが15年ぶりに天皇杯軟式野球南北海道大会を制し、来月石川県で開催される全国大会に南北海道代表として出場することになった。そこで今日は、僕が職場の野球部に所属していたころの思い出話を記事にしたい。

僕らが現役の頃のチームは結構強かったので、全道大会や全国大会に数多く出場した。そのため職場の理解もあって様々な土地に遠征に出かける機会があった。

全国レベルの大会はともかく、全道レベルとなると、市部の宿泊施設等が整った地域で開催されるとは限らない。札幌周辺や市部なら便利なホテルに宿泊できるが、むしろ北海道という土地柄、郡部のいわゆる「田舎町」で大会が開かれることが多い。小さな町に限って立派な町営球場を造り、その「こけら落とし」として全道大会を開催したりするからである。

そのため各チームの宿泊先も周辺の市町村にバラバラに散ることになる。多くは地元野球連盟の紹介ということになる。

平成2年の5月に岩手県で行われた東日本軟式野球選手権で優勝したことがあるが、そこにつながった全道大会は平成元年の夏に行われた。猛暑といわれた暑い夏であった。

そのメイン球場は十勝平野のど真ん中にある球場であった。最初球場に到着した時に閉口したのは、その臭いである。聞けば、近くに某大手企業のポテトチップス生産工場があって、そこに供給するジャガイモ畑が球場周辺に広がっているのだが、においの元は、その肥料の臭いだということであった。それはほとんど僕らには「肥だめ」の臭いに感じた。

しかし人間の慣れとは恐ろしいもので、そこに数時間いれば臭いは気にならなくなって、試合の合間に平気で弁当を食べたりしていた。

さて宿泊場所であるが、小さな田舎町の駅前の古い日本旅館であった。連盟の紹介だから宿泊料はかなり安い。古い日本間しかなく、個室はない。ただし15人程度は一緒に宿泊できる大広間があって、ほとんどの選手はそこに押し込められた。それはよいとして風呂が家庭用のユニットバスしかない。これには参った。野球の試合に来ているのだから、風呂は1日数回全員が入る必要があり、これでは間に合わない。

ところがそこは宿の女将さんも可哀そうに思ってくれたのか、近くの公設温泉(だったと思うが天然温泉かは定かでない)を紹介してくれて、しかも入浴料は旅館持ちにしてくれた。風呂に出かけるたびに小銭を渡してくれるのである。

もうひとつの問題は食事である。何しろ田舎町だから、こんなに体力の有り余った若い男の集団が連泊することなどほとんどないのだろう。大会前の前泊の日の夕食は、普通のお膳であったが、2日目以降困ったのだろう。

2日目の夕食はホットプレートを数台並べて焼き肉である。しかも肉は近くの農協の白いパックに入ったものがそのまま出てきた。たれは農協で売っている「エバラ焼き肉のたれ」である。

しかし腹をすかせた男が20人近くいるのだから食欲は旺盛である。用意された肉は瞬く間になくなりそうになった。そこで女将さんが我々のマネージャーに手渡したのは現金である。農協に行って好きなだけ肉を追加で買ってきて食べなさいというわけで、質より量が問題の我々としては大変ありがたくその日の夕食は満足した。

そして翌3日目の夕食である。その日に負けて帰るだろうと想像していたのか、3日目の夕食のことなどほとんど考えていなかったんだろう。なんとその日に出てきたのは「よせ鍋」である。手品もないもない、普通のよせ鍋だ。ちなみにその日の日中の気温は30度近くあり、夕方も暑かった・・・。

夕食会場で「土鍋」がいくつも並んでいる光景をみた時には正直驚いたが、他に何もないんだからしょうがない。お腹がいっぱいになることには変わりないし、冷たいビールがかえってうまく感じると考えて文句も言わずに気合で食べたが、正直言って、あの暑さの最中、試合で疲れた状態で食べる真夏の鍋に、あまり食欲などわかなかった覚えがある。あの時の状況と宿の女将さんの人情があったから、食べられたんだろう。

さて、その翌日は準々決勝と準決勝である。ここではさすがに負けるだろうと思っていたんだろうが、もし勝っても「今晩食べさせるものはない」と言われ、勝っても宿を変えるように頼まれた。全く前代未聞であるが、仕方がない。むしろ人のよい宿の女将には気の毒をかけた。我々の宿泊料金など、ほとんど儲けにはならなかっただろう。

結局その日も勝って、宿を別の町の旅館に変え、さらに決勝でも勝って優勝し、全国大会出場を決めたので、ご褒美としてその日も帰宅しないことになって、その夜は道東のとある市のホテルに宿泊して、夜は自由行動であった。

田舎町で様々な不便も経験したが、野球の遠征場所で宿泊した土地土地で様々な人々との出会いを経験し、様々な人情に触れたことが若いころの楽しい思い出になっている。

ほとんどの試合経過は覚えていないが、遠征先で食べた物とか、遊んだ場所、出会った人たちは覚えている。僕にとってそれは貴重な体験であり、財産である。

なお、ひとこと付け加えておくとすれば、そういう思い出の中には、こういう場所で書けないようなエピソードもたくさんあるのである。

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ちなみに画像は平成2年の全国優勝の瞬間、僕が胴上げで宙に舞っているところである。



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パニック障害を克服した男

悪夢の札幌ドーム開幕3連敗からスタートした、我がファイターズの2009年シーズンであるが、今日時点では5連勝中で首位に立っている。4月この時期の順位はほとんど無意味であるが、ファンとしては気分が悪かろうはずがない。一時的でも喜ばせてくれてファイターズには感謝一杯である。

投手力が看板であるはずのチームが、防御率が悪いのに勝っている理由は、現在12球団トップの打率と得点で投手を援護する「打線の力」である。二岡とヒメネスという新戦力が加わった以外に昨年までのメンバーと、ほとんど変わらないのに、この違いは何だろう。

打線はいずれ落ちてくるだろうが、そのとき今度は本来の投手力で支えてもらえば、日本一奪還も夢ではない。北海道のファンは10月まで熱く燃え続けるだろう。

好調の打線の牽引者は「恐怖の9番打者・5割バッター・ミスターツーベース」などのいくつもの冠がつく金子誠であろうが、もう一人、主に5番を打って好機にしっかりタイムリーを放つ小谷野栄一の存在が光っている。

我々の世代で「エイちゃん」と言えば矢沢永吉であるが、今、札幌ドームに足を運んでいるファンにとって「エイちゃん」と言えば、小谷野のエイちゃん、なのであり、チームでも人気者である。

このプレーヤーを内野も外野もこなすユーティリティプレイヤーという人がいるが、それは彼の本質を現していない。確かにどこでも守れる器用さはあるが、特に3塁手としての守備力は12球団ナンバーワンだろう。しかも彼の特徴はチャンスに強い、しぶとい打撃であり「ユーティリティプレイヤー」の域をはるかに超えた選手である。

ところがこの選手のすごいところは、順風満帆のプロ生活を送ってきたわけではなく、病気と闘い、それを克服して這い上がってきて、いまや1流選手に手の届くところまで来ている点である。

彼が患った病気とは「パニック障害」である。

「パニック障害」とはパニック発作を頻繁に引き起こす疾患のことで、不安障害のひとつとされている。症状としては、人が混雑している狭い空間に不安を感じてパニックとなったり、歩行中に突然、強いストレスを覚え、動悸・息切れ・めまいなどの自律神経症状と空間認知(空間等の情報を収集する力)による強い不安感に襲われる。症状や度合は、患者によって様々軽・重度患者ともに発作が表れる時に感じる心理的(空間認知など)印象としては、同じような傾向が見られ、漠然とした不安と空間の圧迫感や動悸、呼吸困難等でパニックに陥り、「倒れて死ぬのでは、ないか?」などの恐怖感を覚える人は少なくない。

創価大学で1年秋からレギュラーを張っていた小谷野選手は、2002年のドラフトでファイターズ入団。2003年と翌2004年には、イースタンリーグで2年連続チームトップの14本塁打を放ち、2005年シーズンから1軍での出番が増えた。

しかし2006年シーズンに不調に陥り、6月に二軍降格した後、パニック障害となる。

おそらくその原因はいくつか複合しているのだろうが、プロとして通用しないのではないかという不安があったことも一因であろう。

2006年と言えば、ファイターズが本拠地を北海道に移して、初めてリーグ優勝し、日本シリーズも制し、日本一にもなった年である。道内の野球ファンが駒大苫小牧とファイターズの活躍に熱狂していた最中に、日本一に沸くチームの中で、小谷野選手ひとりは、病気が完治せず、プロ野球選手として、あるいは社会人として復帰できるかもわからない状況で、もがき苦しんでいたのである。

食事をしても嘔吐(おうと)の連続だったそうである。治療の為に飲んでいた薬の副作用もあり、寝付けない毎日が続いた。伸び盛り、右の大砲候補と期待されていた4年目にして選手生命の危機を迎えたのである。いやそれはプロ野球選手としての危機のみではなく、本人にとっては「普通の社会生活に戻れるのか」という不安との戦いでもあったと聞く。

過度の寝酒で無理をして床に就いたこともあった。当時は「いつ治るか分からないけれど、向き合うしかないんです」。言葉は前向きだったが、自暴自棄になりかけた時もあった。トレーナーら周囲のチーム関係者も、精神的な負担を掛けないよう気遣った。しかし、いつしか私生活も荒れていった。トレーナーはじめチームメイトがそれを知ってもそっと見守るしかなかった。たった1人で克服するしかない、孤独な闘いだった。それがこの病気の恐ろしいところでもある。

回復の兆しが見えたのは、シーズン終了後。少しずつ兆候がなくなり、通常練習に復帰した。いつ襲ってくるか分からない病魔の不安を抱えながら、再出発した5年目。春季キャンプは1軍スタートでも、開幕直前の3月中旬に2軍へ降格した。「体に負担が掛からないように」とオーバーウエート気味の体を絞った。キャンプ中から大好きな酒を断った。最初の1週間は絶食をし、午後7時以降に口に入れるのは水だけ。約12キロのダイエットに成功した。4月中旬に1軍昇格。すべての面で自分と向き合える強さを身につけ、グラウンドに帰ってきた。

復帰後、小谷野の口からは様々な感謝の言葉が聞かれるようになった。
「バットを振ることさえできなかったんですから、グランドに立って野球ができるようになるなんて思えなくなった時期もありました。」という言葉が彼の胸のうちの全てを現している。小谷野復活の本塁打

その後の活躍は見ての通りである。画像は2007年のシーズン、ロッテ戦でチームを勝利に導く復活の第1号ホームランを放ってチームメイトに迎えられる小谷野選手の笑顔の瞬間である。

「僕のことを知って、同じ病気の人を勇気づけられたりしたらいいと思う。自分の周りの人に助けてもらったから」

「みんなが助けてくれた。だから恩返ししたいと思う」

「今まではこれができていた、あれができていた」と思うことをやめ、「今の自分はこれができる」と思うようにした。

「やっぱりチームの、みんなの支えがあったから、こんなに早く克服できたのかなって思って。どういう風にしてたかって言っても、逆になにもできなくて、なにもしてなかったですから。」

「やっぱり自分のなかで、札幌ドームのあの声援の中でもう一度立ちたいって気持ちですごいやってたんで、やっぱり最初に立てた時っていうのは・・・涙出ちゃいました。」

今日もエイちゃんは、ファンやチームメイトや関係者への感謝の気持ちを忘れずにグランドに立っている。人懐っこい笑顔の向こう側に、病魔と闘った苦しい時期があることを知るファンは多い。北海道のファンは彼の活躍と笑顔でたくさん幸せをもらっている。

エイちゃん、恩返しは十分だよ。ありがとう。

僕らの仲間にも、心の病と闘って、職場を長期間休んでいる人がいる。しかし明けない夜はない。必ず光が見えることを信じて、あきらめないでほしい。

我らのエイちゃんがそれを証明している。

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連帯責任は教育にならない。

熱い夏。オリンピックがいよいよ本格的に始まる。なでしこジャパンの引き分けや、男子サッカーの敗戦は残念だった。1次予選通過はほとんど不可能だろう。しかしいよいよ開会式も近づきムードも盛り上がってきた。

4年に一度しかない大会だから、選手は悔いなく実力を発揮したいと思っているだろう。日本にとっては他の外国より厳しい環境でのオリンピックになるかもしれないが、選手の活躍に期待したい。

オリンピックは参加することに意義があるといわれるが、スポーツ経験者の僕からいえば、選手本人が最初から参加することだけに意義を感じるとしたら選手失格である。それは第3者が言うべきセリフで、オリンピックに出場できたことに満足しているような選手や、勝つ為のアドレナリンで心が燃え滾らないアスリートは即刻日本に帰ったほうがよい。結果はともかくとして、求めるべきものはあくまで勝利である。

ところで、甲子園では高校球児たちが熱い戦いを繰り広げている。オリンピックばかりに目を奪われないで、彼らの夏も是非声援してほしい。特に3年生にとっては2度と来ない夏である。

その甲子園に昨日、群馬県代表の桐生第1高校が登場した。大会前に野球部員の一人が婦女暴行事件を起こして逮捕されるという大事件が起きて、出場の是非を巡って大いに意見が分かれたところである。

この問題について僕個人の意見を述べさせてもらえば、今回の高野連の「出場に問題なし」とした決定は大いに支持しているし英断だと思っている。

そして桐生第1高校ナインが甲子園に出場し、堂々と戦えたことは本当に良かったと思っている。敗れはしたが、様々な雑音と心ない一部の人々の非難の声が飛び交う中で選手は本当に頑張ったと思う。心から拍手を送りたい。

もちろん被害を受けた方への謝罪がまず大事だし、それは一番重要で忘れてはならないことである。そしてその心のケアにも配慮しなければならないが、それが甲子園出場を辞退するというやり方ではないだろうと思う。

野球部として何も責任をとらなくて良い、という意味ではなく、連帯責任と言う形で罪のない頑張ってきた選手をすべて巻き込む形の責任のとり方である必要はないという意味である。

野球部という組織の問題が事件に繋がっているならともかく、個人の犯罪で、その個人がたまたま甲子園に出場する野球部に所属していたというだけの理由で、正月さえも休みなく練習に打ち込んできた他の罪のない選手達の「夢の場」を奪うことが教育だと思わないし、出場辞退しないことが社会的な悪であるとも思わない。彼らの夏は今年1回限りのもので大人たちを始めとしたすべての国民が守ってやらねばならないものだと思う。

高校生の犯罪だから、学校の最高責任者としての校長や指導責任者である野球部長や監督が責任をとることは必要だが、罪のない10代の野球に打ち込んできた青春に責任を負わせる必要はない。今回の高野連の決定は基本的に今まで高野連が課してきた「連帯責任」を否定し、あくまで罪の罰は個人が負うものと方針転換したと考えたい。

2年前の春。僕を始めとした北海道の人々は「連帯責任」の悲劇を目の当たりにしている。

駒大苫小牧高校が甲子園2連覇の後、現在、楽天で活躍している田中投手を擁して秋の神宮大会も制し、春の甲子園でも優勝候補の筆頭に挙げられながら、現役の野球部員とは直接関係のない卒業を控えた3年生の元部員の飲酒によって甲子園出場の道が絶たれた。そのときの悔しさは「連帯責任が人を造る教育になるのか?」で書いている。

選手自身の悔しさの比は、道民の悔しさどころではなかったろう。

後に夏の甲子園で駒大は3連覇を逸するが、伝説となった早実との決勝再試合、田中VSハンカチ王子の戦いを歴史に刻むこととなった。しかしそこにいくまでの間には「燃え尽き」からチームが空中分解の危機まで陥ったことを後に田中投手は告白している。壊れやすい18歳の心のケアを考えたとき「連帯責任」は過酷過ぎる罰である。
(僕は希代の名将、香田誉士史監督が高校野球から離れてしまったのも、この1件が深く影響していると考えている。)

ただ残念なことは、桐生第1ナインに声援を送るべき一般生徒の応援団の球場応援が自粛されたことだ。プレーに集中するといっても、ぽっかり空いたアルプススタンドの風景は、選手の心に重石をのせたことだろう。

謝罪は謝罪として、きちんと別な形で行えばよいことで、選手を罪人の仲間であるかのような扱いはしてほしくないと思った。

どちらにしても罰の与え方が「連帯責任」を基本にする姿勢は歪んだ感情しか残さない。その方法は決して社会を良くしない。

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昭和生まれがいない甲子園

球春である。

若い頃から野球に親しんできた僕は、やはりこの年になっても胸踊る時期なのである。

我が北海道日本ハム・ファイターズは今年も夢を与えてくれるだろう。昨年はプレーオフも、日本シリーズも胴上げの瞬間を札幌ドームで観戦することができたが、ことしの観戦初戦は、4/1(日)の西武戦である。登別からバスツアーで札幌ドームに応援に出かける予定だ。

このツアー、内野アッパー指定席料金2200円が込みで、2500円で参加できる。つまり交通費は300円で済むわけだ。普段、高速を使って自家用車で出かけ駐車場を利用すると、それだけで1回に5000円以上の費用がかかるから、超格安である。

しかし、このツアーの落とし穴は「自分で運転しない」ということであり、その結果は、普段は飲めない球場内でのビールが飲めちゃう、ということである。

メンバーもまた悪い。

当施設の事務担当課長と僕のサイト管理を補佐してくれているコバ事務員、それと看護師のシュウヘイ、そしてそれらの知り合いたちである。

いずれも「のん兵衛」だ。

ドームだけで酒宴が終わるわけがない。行き帰りのバスの中の状態はいわずと知れる。ドーム内のビールは1杯600円で、なんだかんだといって自家用車で行ったほうが安かった!!という状態になるのは目に見えているのだ・・。

一緒に行く息子にセーブしてもらわねば・・・。

それから甲子園では選抜高校野球が始まっている。夏の甲子園ではここ3年間、駒大苫小牧の活躍で北海道は、優勝、優勝、準優勝と3年とも決勝まで楽しませてもらったが、こと春の大会は分が悪い。

土の上で練習できない冬が終わらない時期のハンディキャップは大きいということだろうか。旭川南の諸君の健闘を願ってやまない。

ところで今、甲子園に参加している球児たちの最年長は、この4月からの新3年生であるが、ということは平成元年4月以降に生まれた子供たちしかいない、という意味である。(同じ高校球児である僕の長男も同じなので間違いないだろう)

つまり選抜高校野球に出場している選手たちの中に、もう昭和生まれはいなくなってしまった、ということだ。

昭和も遠きになりにけり・・・・。なんだかひどく老け込むような気持ちである。

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甲子園での悲劇を繰り返さないで。

球史に残る熱戦を演じた甲子園。今日、引き分け再試合を前にして、福祉とまったく関係ない(いやマクロの視点からは関連あり)高校野球のことを書かせていただくことをご容赦いただきたい。

昨日は本当に、いい試合だった。戦い終えた選手たちも、再試合について「もう1度試合が出来ることは幸せ」といっている。

彼らの言葉に嘘はない。しかし僕はどうしても思い出してしまう、数々の悲劇がある。

91年、沖縄県に初めて準優勝をもたらした沖縄水産高校のエース・大野 倫投手もその一人である。

彼は、4連戦を含む全6試合に完投し、773球をたった一人で投げ抜きチームを準優勝に導いた。

悲劇が酷使の右腕を襲ったのは、決勝戦の対大阪桐蔭戦。

試合途中で右ヒジが完全に曲がってしまい、正常な状態で腕が振れなくなってしまったのだ。閉会式では右腕をくの字に折ったまま行進せざるをえなかった。

スタンドからそのシーンを目のあたりにした母・良江さんは「あの子のヒジが・・・」と言ったきり顔を伏せ、絶句した。

彼が後日語った言葉である。

「決勝戦はヒジがパンクして、キャッチボールすら満足にできない状態。痛みも限度を超えると、頭がボォーッとして自分でも何をやっているのか分からなくなってくるんです。試合中、一度も勝てる気はしなかった。だから負けても少しも悔しくなかった。むしろホッとしたというのが実感でした」

しかし彼のストーリーは、これでは終わらなかった。

九州共立大学へすすんだ彼は、投手としての生命は既に絶たれていた。しかし野球をあきらめきれない彼は、外野手に転向し野球を続けた。

そして95年のドラフト会議で、巨人の5位指名「大野 倫、外野手、九州共立大学」という名が呼ばれた。見事な逆転ホームランである。

しかしその後、プロで一軍での活躍は出来ないまま、ユニホームを脱ぐことになる。

彼が甲子園で得た、準優勝という栄冠と、失った投手生命は、どちらが大きいか、本人しか答が出せないかもしれないが、過酷な日程が犠牲を生んだという事実は高野連は忘れてはならないと思う。

昨日の熱戦の決着をつけることは大切なのかもしれないが、あんなナイスゲームをした選手全員に優勝の栄冠を渡しても罰はあたるまい。

サッカーやラクビーには両校優勝というものがあるように、今年の駒大苫小牧と早実も両校優勝でも良いように個人的には感じている。

少なくとも田中君、斉藤君という、日本の野球の将来を背負う二人の為にも、その他の選手の健康の為にも、日程優先でなく、決勝再試合は、休養日をはさんだり、後日、日程を変えて行っても良いのではないだろうか。

どちらにしても今日、決着がつく決勝再試合。このブログは、決勝前に書いている。

どちらが勝利しても、僕はどちらも優勝と思う。
消耗戦での結果は、あまり意味がないと思う。

この試合で負けたチームは「敗者」ではない。

ただひとつ願うのは、この試合が、若者の犠牲の上で成り立ってほしくない。

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大逆転に興奮!!

今日ばかりは福祉や介護とはまったく関係のない話題を書かせてください。

興奮して他の話題が頭に浮かばない。もちろん高校野球・駒大苫小牧の大逆転劇のためである。

とはいっても仕事の最中だからテレビにかじりついていたわけではない。「逆転だ」というホールの歓声ではじめて勝利を知った。

僕の施設の日勤職員の始業時間は9:00で、朝礼は、だいたい8:55くらいに皆が集合するので、その時間から始まる。今日は地元の駒大苫小牧の試合が8:30から始まっていたので始業前にテレビを見たところ、すでに4-0で負けていた。しかもエースを温存して、強豪相手に先行を許した作戦負けだから、点差もあり、今日は負けだな、と思ったというのが本音だ。

そのときふと、自分たちの過去の経験を思い出した。平成2年に僕たちの軟式野球チームは東日本野球選手権(一部)で全国優勝した経験があるのだが、その前年の北海道予選のさらに前の室蘭支部地区予選1回戦のことだ。

僕たちのチームは協力病院の職員が中心だったから、看護師等の交代勤務職員が多く、地区の1回戦ではエースも準エースも勤務で試合に出られなかった。そこで3番手投手がいたのだが、この投手を2回戦に温存して、肩を壊してほとんど今は投げていないという元投手を先発させたことがある。

その大会前の「高松宮杯」でも地区優勝していたので「おごり」 もあったのだろう。結果、1.2回に5点をとられて(軟式の地区予選は7回だから)敗色濃厚であった。5-0のままなら5回コールド負けだ。

その試合は4回に2点、5回に5点をもぎ取って、逆転劇で何とか勝ちに繋げ、全国優勝にまで駆け上った思い出があったので、エース温存での失敗を乗り越えて逆転してくれないかな、という淡い期待を抱いた。

ホールでは大画面の前に、利用者の皆さんが集まり、職員が音頭をとって応援しているが、9時少し過ぎに通りかかると7―1と点数が離れていた。

これはもうだめだと思った。

昨日、ショート利用者の方の事故があったので、緊急開催したリスクマネジメント委員会の結果のまとめと、報告書のまとめに目を通して支庁に報告をしていたりしたが、僕の部屋のドアはいつも開け放しなので、ホールにも近く、テレビ観戦している人たちの歓声や拍手がよく聞こえて気になる。仕事が上の空になりそうだ。

しかし「あ〜あ、」とか「いやー」とかいうため息と悲鳴に近い落胆の声が多いようだ。それにしても男性も少数派とはいえ、観戦しているのに、女性利用者の声しか聞こえてこないのはいつものことである。

そのうち歓声が上がったり、大きな拍手の音が聞こえる機会が増えてきた。S相談員の黄色い声もよく聞こえる。(女性である)通常、この時間は彼女のグループワークプログラムの時間だが、応援観戦に変えたようだ。それも大切な機転で良いことだろう。

そのうち、盛り上がりがすごくなってきたので、ちょっと覗いてみると、8回を終わって同点になっているではないか、こりゃあすごい、と思って、僕が見ておれば流れが変わると思い、あわてて仕事に戻る。しかしすぐ9回に突き放された。(がっかりした会話が聞こえてくる)

ジ、エンドかなと思う。悔しい気持ちを隠しながら、1昨年、昨年と、すばらしい思いをさせてくれた球児たちが、今年も敗れるとはいえ、すごい試合を見せてくれたと感謝の気持ちを持とうと思った。

そのうち大歓声がホールから聞こえた。あれっ、と思い、手にしていた書類をかなぐり捨て駆けつけるとサヨナラ勝ちの場面である。施設全体が歓声につつまれ、僕もいささか興奮した。

また感動をもらったような形だが、マウンド上でうずくまる青森山田の野田投手や、なきじゃくる他の選手を見ていると、なんだかそっちのほうに気持ちが動いてしまった。

若い頃の試合で、勝った喜び、そして負けたときの悔しさ、両方思い出した。負けた悔しさでグランドで動けなくなったこともある・・・。

青森山田の諸君、野球に限らず、常勝などあり得ない。人間は勝ったり負けたりしながら、その中で成長していくんだ。この負けも君たちの貴重な財産になるさ。頑張れ。とエールを送りたい。

同時に、こんなすばらしいゲームをした両チームにエールを送るとともに、やはり道民の期待としては駒大苫小牧に是非V3を目指して次も勝ってもらいたい。

青森山田の選手の思いも背負って頑張ってほしい。

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リベンジよりチャレンジ

野球の勝ち負けに絡んで「次はリベンジ」という言葉が当たりまえに使われるようになったのは、西武の松坂投手が、入団2年目の巨人とのオープン戦で打ち込まれた後に語った言葉からのような気がする。

僕はリベンジという言葉は嫌いだ。復讐する、目には目を、やられたらやりかえす、心意気を現して闘志をかきたてる意味があるんだろうが、野球を愛するものとして、この言葉に違和感を持つ。

ところがマスコミも何かあれば、普通に「新聞」という「その国の英知を現すもの(司馬 遼太郎;談)」の見出しに使っている。なんだかなあ〜。

ところで明後日から夏の高校野球が始まる。

今年の春の大会では、直前に発覚した卒業生の不祥事で出場を辞退した駒大苫小牧の球児たちにとっては、この大会はその悔しさを胸にV2を目指す待ちに待った大会だ。

春の高校野球は、出場辞退した彼らの気持ちを考えたときのやるせなさ、連帯責任の理不尽さへの思い、 などで大会をテレビで見ることもほとんどなかった。

そのとき書いたブログが「連帯責任が人を造る教育になるのか?」である。

彼らとて人間だから、大変なショックを受けたであろう。

夏という目標がなかったら、このことで心に傷を負って人生を過ごすということになった可能性もあるのだ。だからこのとき、自らも校長を辞めたとはいえ、同時にチームを出場辞退させた当時の校長の責任の取り方は今でも「間違っている」と思う。

連帯責任で責任の所在を表すことなど何の意味もない。本当の若者の教育ではない。辞めた校長は本当の意味で教育者ではなかった、という証拠である。

一方、大会前に部員の不祥事が発覚した文星芸大付属高校が、チームの責任を問われず、大会出場できたことは何よりだ。出場を懇願した同校の校長はじめ指導者の態度も間違っていない。事件を起こした生徒の責任は、当事者と学校の責任者がとればよい。3年間、青春のすべてをかけてグランドで汗を流した努力がこんなことで無になるなんている教育は間違っている。

ところで、V3をかけた駒大苫小牧は地元だから(ちなみに僕の長男も高校球児だが同校と同じ地区ブロックで全道にも縁がない)当然応援するが、彼らの甲子園出場を報道する一部マスコミが「駒大苫小牧V3への挑戦〜春のリベンジだ」という見出しを掲げているのはいただけない。

決して彼らはリベンジとは思っていないはずだ。

春に悔しい思いをして、一度分裂しかけたチームにとって、夏、甲子園に「戻って」3連覇に挑戦しようという気持ちしかないはずだ。

彼らにリベンジという言葉は似合わない。高野連にも、学校にも、甲子園にも、恨みを持っているわけではないのだ。

彼らの胸の内にあるものは連覇への挑戦、であり、いつも香田監督が言うように「北のチャレンジャー」であるという初心に変わりはない。

馬鹿なマスコミが彼らを、彼らの印象を、実態からかけ離れた遠いものにすることが心配だ。持ち上げて、少しでもミスがあったら徹底的に叩くのもこの国のマスコミの特徴だ。司馬さんが言ったように「この国の新聞は国の英知を代表するものでなく、しばしば流行を代表する」と言った言葉を思い出す。

なにはともあれ、北の球児たちよ、今年も「さわやか」に甲子園で暴れまわって北海道中を沸かせてほしい。

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連帯責任が人を造る教育になるのか?

毎日ブログを書くのは大変でしょう、と言われることがある。

それは一面ではあたっているが、一面ではそうでもない。

つまり毎日でも書くことは数限りなくあるし、それをブログに綴る作業もそう大変とは感じない。それに何も毎日書くことが強制されているわけではないので、書かないという選択も出来るのだ。

そういう意味では、ブログを書き続けること自体は、そう難しいものではない。

ただ昨年11月から開始した、このブログに限っては、少々難しい問題があるな、と最近感じることがある。

それは、このブログのタイトルとキャッチフレーズに由来しての問題だ。

「masaの介護・福祉情報裏板」と称して、表の掲示板とは違った切り口で、福祉や介護への思いを綴る、というコンセプトを掲げてしまったため、自ずとその話題は福祉とか介護とかに関連性のあるものにせざるを得ないというふうに限定的に考えてしまうからである。

それは誰からも強制されたものではないが 、最近のように毎日500を超えるアクセスがあり、貴重なコメントも寄せられると、きっと読者の皆さんの期待も、単に僕の身の回りの出来事だとか、趣味の範囲だとか、漠然とした日々の思いにというものに興味が向けられているんではなく、裏板として、何らかの形で、福祉介護の話題につながっていることを期待されているんだろうな、と思うからである。

時には通勤途中で鹿を轢きそうになって雄鹿に睨まれたと思ったら、その背後の林に、数頭の鹿が群れをなして僕を睨んでいた、という当地のいかにも自然あふれた田舎の話題を書こうかな、とも思うが、そんなものに興味を持つ人もいないんだろうな、とも考えてしまうわけである。

だから何とか福祉や介護の話題に結びつく内容を書くことに心がけている。

しかし今日までほとんど休みなく、3月以上書き続けていると、ネタもそう簡単にはあるわけでなく、福祉介護に結びつく話題を搾り出そうと苦労することもある。

そういう日のブログの出来は悪い。

文章の流れもお粗末だし、内容も自分で読んでも、面白くも、おかしくもない。

このブログは下書きして書いているわけではなく、原稿も何もないままに思いつくままに書いている。つまりキーボードに打ち付けた文字がそのままネット上に反映されるので、そのときの心境がそのまま文章になって現れてしまうのだ。

逆に、搾り出した話題でなく、書きたいと思っているときの文章は自然で我ながら軽妙と感ずることもある。

密かに自分自身の文章を見て「さすが文学部出身だけのことはある」と自画自賛することもあるのだ。エヘン・えへん!!

今日はどちらの日かというと、こういう話題を書いているのだから、ちょっと苦しい日である。というより福祉や介護の話題に触れるような心境にもならない憂鬱な日なのである。

昨日のブログでも触れたが、道民の期待の駒大苫小牧高校の春の選抜高校野球への出場辞退が心に重くのしかかっているからだ。

僕の長男も高校球児で、おまけに地区予選まで同高と同じブロックなので、彼らの試合は良く見ているし親しみもある。

それが卒業式を終え引退した3年生部員の飲酒と喫煙で、彼らとは今現在は何も関係ない日夜練習に打ち込んでいた1、2年生部員も責任を取らされた形だ。

人間教育に問題があったというのであれば、それは生徒ではなく教育者の問題だろう。

校長が辞め、部長も辞め、不世出の名監督といわれた同校監督も責任を取って辞めた。

責任の取り方としては、それで十分ではないか。なぜ下級生部員にも連帯責任を負わせなければならないのか。まったく納得できない。道民や我々の期待なんてどうでも良いが、泣き崩れる選手たちを静視できない。

これが高校教育のあり方か!!

日本高野連よ、連帯責任で何を教育しようとしているのだ。こんなことが人間教育になるのか。高野連よ答えてくれ。

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チームワークを生み出す動機付け

986fb15c.jpg介護保険制度の過去の福祉制度との大きな違いは、保健、医療、福祉の各職種が事業所の枠を超えて連携するシステムを法制度に組み込んだことにある。

施設サービスの加算要件も、施設内の各職種連携を条件にしたものが多い。

つまり介護保険制度は、一人の達人が介護サービスの質を左右するのではなく、チームケアにより一定レベルの介護の質を担保した制度であるともいえる。

今日はチームケアを行なう上での連携に重要なチームワークのことを考えてみたい。

平成2年、岩手県で行なわれた軟式野球東日本選手権(一部)に北海道代表として参加したチーム(三愛病院クラブ)の主将として全国優勝の経験がある。正確に言えば日本一ではなく、東日本一、ということになるんだろう。

トーナメント方式で1回でも負ければ終わりの世界で、地区予選から北海道大会を経て全国の頂点に立つ過程では、実力以外の要素がなければ頂上に登りつめられない。実力以外の要素は運であったり、ガッツであったりする。しかしそれを呼び込むことができるのはチームが一丸になる時だけのような気がしている。

20歳〜30歳台半ばの男たちが20人近い集団を組む野球チームが、全員が仲良しクラブみたいに和気藹々としている思ったら大間違いだ。むしろその方が気持ち悪いか。

様々な個性をもった大人の集団だから、仲の悪いものもいるし、皆、試合に出たいから監督の選手起用や采配に対立する者もいる。それがひとつのチームとしてひとつの目標に向かって一丸となるのはそう簡単ではない。

私たちのチームは病院の看護職員が多いため、地区予選ではローテーションの都合でエースや主力選手が揃わず、苦戦を強いられたときも多い。室蘭地区の初戦もエース不在で、序盤に5点先行された試合を終盤ひっくり返した。軟式野球というのは硬式と違い点数が取れない(ボールが飛ばないため)ことが多く、全国レベルでは1−0、2−1、というのが当たり前の世界なので、地区予選とはいえ、これは薄氷の勝利だ。

しかし地区を勝つのは当たり前と思っていたチームだから、ここではホッとしたに過ぎなかったし、チームとしてのまとまりもなかった。

ところが北海道大会を勝ち進み、欲がでた準々決勝で、僕らのチームは、その試合の相手より次の準決勝であたるチームを意識し油断の気持ちがあった。

神様はこういうときには見逃してくれない。

普段考えられないようなエラーがでるなど、試合は8回表まで5−0でリードされ、残りの攻撃は2回を残すのみになった。実はこのとき、大会役員の一人が、ベンチにやってきて監督にそっと「今日の宿泊キャンセルしますか」と聞いていたという笑い話がある。

さて、普段なら、ここであきらめてしまうのが全道レベルの軟式野球であるが、僕らはどうしても勝ちたかった。全国にいける実力があると思っていたので、ここで負けるのは悔しかった。

このときのベンチ全体の雰囲気は、とても僕の筆力で伝えることができるものではない。

ベンチ全体が勝ちたい、逆転するという思いでひとつになった。試合に出ている選手も、控えの選手も、交代してもう試合に出られない選手も、皆、形相を変えて声を出していた。こうなると主将としてする仕事は何もない。皆で思いをプレーにこめる、声援に込めるだけだ。

奇跡はその時に起こった。

8回裏に3点を返し、9回裏、2点差を追いつき、11回裏、逆転サヨナラで勝ちあがった。

サヨナラのランナーがホームを踏んだときの感動はどう表現すればよいのか。

皆が抱き合って喜んでいる。普段、お互い口を利かないような仲の悪い二人が、顔をくしゃくしゃにして抱き合っている。監督采配の批判を面と向かったやり試合前に険悪になっていた選手と監督が肩を抱き合っている。

この試合を経て、僕らのチームは何かが変わった。試合に出られない選手も自分でできる仕事を黙々とこなし、選手を声援する。監督や主将がチームをまとめるために苦労する必要は何もなかった。

そういう雰囲気がチームを全国1に押し上げた。

しかしこのチームの雰囲気は、実力と試合結果がついてきたときに始めて生まれるもので、「仲良し」とは少し違うのだ。

本当のチームワークが生まれるためには、明確なひとつの目標があり、チーム全員がそれを目指すモチベーションが不可欠なのだ。目標や、それを目指す動機付け、このどちらもないとモチベーションは高まらない。

介護サービスの施設や事業所も同じだ。

経営者は職員に対し、明確な目的意識を持たせて、それを目指して進む動機付けを与えないと、チームケアは絵に描いた餅に終わる。

ただ事業経営が安定する、というのはモチベーションを高める動機付けにはならない。

人を幸せにするためのサービスであるとう社会的使命が介護チームのモチベーションだ。

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