貧乏になると、性格や頭の動きも鈍くなってしまい、どんな人でもいやしい心を持つようになるという意味の、「貧すれば鈍する」という諺がある。

似たような意味として、「衣食足りて礼節を知る」と諺があり、これは、人は食料や衣類が充実して初めて、礼儀や節度をわきまえるようになるという意味である。

これらの考え方は、物質的な豊かさと精神的な豊かさを切り離して考えるのではなく、お互い影響を及ぼし合うものだという意味である。

対人援助の品質を考える際にも、その考え方は通ずるものがあるのではないだろうか。
衣食足りて礼節を知る
私たちが要介護者等に向かい合う時、私たちの精神状態が豊かさとは程多い貧しい状態であったとしたら、果たして利用者の福祉の向上を真剣に考えることが可能だろうか・・・できなくはないのかもしれないが、そのレベルは自ずと程度の低いものになってしまわないのだろうか。

少なくとも自分自身が衣食住にも事欠く状態の人は、他者の幸福なんて考えられなくなるだろう。そこまでいかなくとも、精神にゆとりがなければ他者へ寄せる思いなんてものは、思考回路の中ではかなり優先順位が低くなるし、考えたとしても極めて貧しい思いとならざるを得ない。

だからこそ対人援助の専門性が求められる職業を、「社会の底辺労働化」させてはならないのだ。

介護職員の仕事をはじめとする対人援助という職業が、大金持ちになる職業でなければならないというわけではないが、せめて世間一般的な平均レベル以上の収入を得られる職業にしていかないと、サービスの品質の向上は実体のない建前だけのものになりかねない。

そうであれば、厚労省・老健協資料、「介護人材確保に向けた処遇改善等の課題」で示されている、全産業平均の給与と介護職員の給与との格差は8.3万円(2024年)となっている状態は問題視されて良いと思う。

その改善に向けた政治的・政策的な動きが必要であると考えねばならない。

公費による収入は抑えられて当然という考え方は、労働の質をも落としサービスの劣化要因に直結すると考えるべきだ。それは結果的に社会のセーフティネットの綻びにもつながりかねず、国民全体の不利益となり得る問題である。

同時に介護事業経営者も、社会と国民が求める介護サービスの品質を保つために、従業員の待遇改善は必須の課題であることを自覚し、その改善に取り組む不断の努力を要することを肝に銘ずる必要があろうというものだ。

国も介護事業経営者も、どちらも重大な責任を負っているのである。
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