昨日、青森市の老人ホームに勤める介護福祉士・北野晴康容疑者(27歳)が暴行の容疑で逮捕された。同容疑者は逮捕の2日前午後8時30分ころ、職場で88歳の女性の髪をつかみ頭をベッド上の枕に数回たたきつけたとされ、容疑を認めているという。
またもと言いたくなるくらい頻発する介護事業者における従業員の暴行事件・・・いったい彼らは何故、顧客である利用者に対して暴力という行為に及ぶのだろう。
人間性という理由もあるのだろうが、それ以前に彼らは職業人として大切なものを失ってしまっているのではないのか。ではそれは何だろう・・・。
人間だから好き嫌いの感情は誰にだってある。
人に相対する介護の仕事だからといっても、介護従事者が全ての利用者を好ましく受け入れられるわけではない。苦々しく思ってしまう利用者の行動にも遭遇するし、場合によっては利用者に対して、憎しみに似た感情を抱くことだってある。
それは極めて当然のことだ。なぜならば感情とは自分の都合の良いようにコントロールできるものではないからだ。私たちはロボットではないのだから、突然湧き上がる感情をどうにかできるものではない。
そうであるがゆえに、利用者のことをどうしても好きになれない介護従事者に対して、他人が「介護の仕事に向いていない」などと批判することもどうかしている。批判する人間は、それほど自分の感情を制御できるとでもいうのだろうか。
神ならざる人間は、どうしようもない感情と共に生きていくのだということを認めなければならない。
だからこ自分自身が、どういう相手に対してどういう感情を持つ傾向にあるのかを理解し、その理解に基づいて出来る限りその感情が仕事のパフォーマンスに影響しないように自分をコントロールすることが重要だ。
それが自己覚知である。(※参照:価値観が変化する自分を覚知するために)
感情は制御できなくとも、行動は制御できるのだ。それを忘れてはならない。
自身の感情を理解する努力をせず、行動を制御しようとしない介護従事者であった場合に初めて、他人が「介護の仕事に向いていない」と批判できるのである。

人間らしい厄介な感情と共に生き、どうしようもないものを抱えながら仕事に就いているのが人間である。
だがそうしたどうしようもないものに流されるだけではなく、そうしたものを超えて護るべきは護り、果たすべきは果たすという矜持を持っていなければならない。
仕事で生活の糧を得ている以上、それはプロフェッショナルという意味だ。介護の仕事で飯を食っているならば介護のプロとしての矜持を持たねばならない。
多くの人は職を得ることで生活の糧を持つことによって、生き続けることができるようになる。そんなふうに生きるに必要な仕事であるのだから、そこに矜持をもたないでどうするのだと云いたい。自らの職業を蔑むようなものにして生きる価値があるのかと言いたい。
矜持とは、「確固たる信念のもと、自らに誇りを持つこと」・「誇りと自尊心によって自分の行動を抑制すること」を意味する。それだけは失ってはならないのだ。
介護実務の場でプロとして利用者に相対している以上、自分の行為で介護の職業そのものに仇名す行為に及ばないという考え方を最低限持っていなければならない。必ずしも他者から賞賛を受ける行為を目指す必要はなくとも、少なくとも他者から後ろ指を指されるような行為に及ばないという覚悟だけは持っていなければならない。
キラキラ輝く必要なんてなく、毎日同じ行為を地道に確実に続け、誰にも見られぬ場所でも同じ行為を黙々と続けられることを自身の誇りとすべきだと思う。
そのように考えられない人は、出来る限り早く介護の仕事を辞めて、少しでも矜持を持つことができる他の仕事を探すべきだ。
それが自分と他人の両者を不幸にしない唯一の道である。

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