介護という文字にも、看護という文字にも、「護」という文字が含まれている。
護とは、「まもる」という意味である。
そして介護の介とは、心を寄せる・心を傾かせるという意味であり、看護の看とは、眉の上に手をかざすようにして 目でもよく確かめてみるという意味を持つものである。
このように介護も看護も表面的に見えるものだけではなく、手を差し伸べるべき相手の感情のあり様もしっかり見つめ、見逃さないことが大事であることは今更云うまでもない。
介護と看護の専門家は人間尊重という価値前提に立って、そこに存在する人がどのような心身状況であろうとも、ひとりの人間として敬われ、尊厳を損なうことなく暮らしを支えることで、心も身体も護るべき存在なのである。
介護や看護を受ける人もそのことを信じて疑わないはずである。しかし介護職員や看護職員が加害者となる事件が起きるたびに、その信頼は奪われていく。いったい誰を信じれば良いのかと絶望的な気持ちになる事件の報道も少なくない。
過去記事、「3月しか勤務していない老健で何があったのか?〜空気注入殺人事件」と「職場にサイコキラーが混じっていたらどうする?」で紹介した事件の続報。
茨城県古河市の老健施設で、点滴に注射器で空気を注入し入所者2人を殺害したなどとして、殺人と窃盗の罪に問われた赤間恵美被告(40)が昨日、証言台に立ったが、事件についての質問は完全黙秘することを宣言している。
これに対し検察は、被告の自宅で見つかった「実習ノート」を殺人の証拠として提示したそうであり、そこには手書きで「輸液セットの設置法」の記述が。「空気が血管に入ると空気塞栓を起こす」と書かれた箇所は、ピンクのマーカーで囲ってあったそうである。

このほかに被害者の部屋に被告が入り、その10分後に被害者が急変したという目撃証言。もう一人の被害者が死亡後、以前から不審に思っていた介護士が、被告のトートバッグを確認したところ、中からシリンジが2本出てきたという事実が証拠として提示されている。
これらが殺人の実証の証拠とされるかどうかはわからないが、尊い命を奪う行為が本当に行われたのなら、それは許しがたいことである。
被告は人として自分が間違った行為に及んでいないというのなら、正々堂々と自分の言葉で、その思いや気持ちを語るんべきだと思う。黙り込むのは、被害にあわれて亡くなられたお二人に対しあまりに不遜な態度であると思う。
仮に被告の罪が明らかになり、罪に復したとしても、被害者二人の命が奪われた事実はなくならないが、せめてなぜそのような悲惨な事件が起きたのかが明らかにならないと、亡くなられた方々の魂は永遠に浮かばれないような気がしてならない。
こんな事件が介護保険施設で起きてしまうことが悔しく、哀しくてならない・・・。
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感動の完結編。
