10年前に社会福祉法人を退職した僕は、フリーランスとして活動する前に、介護保険の医療系サービスにも知悉しておきたいという動機づけから、1年間だけ老健施設の事務次長として勤務した経験がある。

その期間に老健の施設サービスだけではなく、通所リハ・訪問リハ・訪問看護といった医療系居宅サービス実務にも触れることができた。

その後、現在のようにフリーランスとして活動するようになったわけであるが、たった1年間の経験も現在の大きな武器となっている。

ところでその老健施設では、施設内の壁面に理念やスローガンを書いた紙が貼られていた。そこには従業員一人一人が、利用者を敬い丁寧に対応しますという意味のことも掲げられていたが、はっきり言ってそれは看板に偽りありという状態だった。

現場リーダーは男性の看護師長であったが、その人自身はカンフォータブルケアを学んで実践しており(参照:カンフォータブルケアに注目が集まりましたね)、利用者に対して目を見て・笑顔で・丁寧に話しかけるというケアが実践できていた。

しかしリーダーシップに欠ける面が見られる人であったため、他の看護・介護職員に対して、そのような態度をとるように導くことはしていなかった。

その為もあってか、看護・介護職員の利用者対応にも大きな個人差があり、しかもそれぞれのやり方に任されて、誰からも注意も指導も受けないという状態であった。

ある一人の看護職員は、特定の人に対しては丁寧語で対応しているのに、別の特定の人にはタメ口対応と、相手によって態度を変えているような姿があった。

そのような区別が、どのような理由で行われているのかと調べてみると、当該看護職員が丁寧語で対応している利用者は認知症のない人であり、タメ口対応しているのは認知症の方々であることが分かった。
差別する人の醜い姿
その姿は差別者そのもの姿であり、恥ずべき醜い姿であると思い、僕はその看護職員を激しく罵った。

上司の看護師長からも注意されなかった人だから、入職したばかりの事務次長という立場でしかない僕から注意を受けて大いにびっくりしただろう・・・だからと言ってその職員が反省して、態度を改めたという事実はなく、つくづくどうしようもない老健だと思ったりした。(幸いなことにそこは経営に行き詰まって老健経営から撤退している。)

認知症の方の行動理解のために、誰それが認知症であるということを認識し、個人別に混乱する場合にこうした行動をとる傾向が強いなどという知識は必要だが、だからと言って日常のあらゆる場所で、その人を認知症という部分から認識することは間違っている。

ひとりの人間として見つめることを忘れてはならないのだ。

介護サービス利用者を、「要介護者」「認知症」などという冠をつけて見ない介護実践が必要だ。

社会福祉の価値前提は人間尊重であることを忘れてはならず、人間尊重とは、人としての存在そのものが尊いものであり、能力や属性など様々な違いがあったとしても、その存在価値に変わりはないとみなす原則である。

認知症や重度の要介護状態区分であるなどという冠は、そうした人間尊重の目を曇らせるものでしかない。

それは極めて傲慢で、鼻持ちならない態度にしか見えない。

そのような醜い姿で、介護支援を必要とする人と相対してはならないのである。
介護とは人を裁くのではなく護る仕事である
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