人から嫌われたくないとか、人から好かれたいと思う気持ちは誰しも持っているだろう。

僕自身もそのような気持ちは持っている。

だが同時に、すべての人に嫌われない自分、すべての人から好かれる自分なんてありえないとも思う。

そして年と共に、他人から好かれようという気持ちは薄れているように思う。自分を嫌う人がいたっていいやという気持ちが大きくなってきている。

少なくとも人に好かれるために自分を飾ることはしたくない。出来る限り自分らしく、ありのままで生きたいと思う。だから僕と繋がって交流のある人もたくさんいる反面、僕の態度や考え方に反発して嫌う人も少なくない。

その典型が現に僕が管理する介護福祉情報掲示板である・・・そこで僕は、歯に衣着せぬ発言に終始しているので、随分と僕を嫌いな人を増やし続けている。優し過ぎて甘やかす情報掲示板が多い中で、プロである対人援助の専門家を厳しく育てようというコンセプトを揺るがせないという意味で、それはそれで良いと思っている。
登別漁港
だが人から嫌われることを厭いはしないが、自分自身を嫌いになってしまうような自分ではいたくないと思っている。

僕は僕自身が持つ厭(いや)らしさに気が付いている。それは人並み以上に自尊心が強いことだ。だがそんな自分が前面に出ることは恥ずかしいと思っているので、他者の鼻につく態度として表面に現れないようにはしたいと思う。

同時に自尊心の強さは、妬(ねた)みの心を生み出すように思えてならない。

自分より良い立場の人、恵まれている人を羨ましいと感じるだけではなく、それを妬み、そうした境遇の人が一度不運に恵まれれば痛快に思ってしまうことがないとは言えない・・・だがそれは極めて恥ずべき心だ。醜い心である。

世の中の幸福の総量が決まっているわけではない。

誰かが幸福になった分、自分が幸福に恵まれる機会が減るわけではないのだ。だから他人の幸福を妬む必要はない。他人の幸福を心から祝福する気持ちでいる方が健全であるし、自分自身の心も明るくなるはずだ。

それを解かっているにもかかわらず、時として人は他人の幸福や幸運を妬む気持ちを持つ。そしてそういう気持ちを持つことを後になって後悔する・・・その繰り返しである。つくづく人間ができていないと思う。

人を妬ましく思う気持ち、他人を羨ましく思う気持ちを超えて、他者の幸福や幸運をいつでもどこでも祝福できる自分でありたい。

おそらく僕は自分がこの世で生きる人生の半分以上をすでに費やしている。残り時間は今までの人生より少ないだろう。

そうした限られた時間の中で、人を恨んだり妬んで過ごすのは損であると思う。人を愛し祝福する時間を過ごしながら、この世での人生を終えたい。

それが願いである。
メディカルサポネットの連載・菊地雅洋の一心精進・激動時代の介護経営〜Vol.5の最新記事が5/14にアップされました。菊地雅洋の一心精進・激動時代の介護経営

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