福祉の精神・・・対人援助の理念・・・それが大事であることに異論はない。
だが高邁な精神を求める前に、ごく当たり前に人としてすべきことを考えるのが介護という職業の本質ではないかと考えている。
人と人が向き合う場面がある。そこで手を差し伸べる人と、その手に縋ろうとしている人がいる。その時、手を差し伸べる人が難しい理屈など考える暇はないだろう。もっと本能的に行われるべき行為があるはずだ。
そしてそれこそが介護という行為の本質ではないかと思ったりする。それが人が人に思いを寄せるということだ。
自分以外の他者であっても・・・いや自分以外の他者であるからこそ、その命と存在を尊く思うことが介護の本質ではないか。人はひとりで生きてはいけないのだから、人を支えるのが当たり前だと考えるところが、他者に手を差し伸べることにつながるのではないだろうか。

心身に何らかの不便を抱えて他者の支援を求めている人がいる。そうした人々に向き合い、求められる手を差し伸べる役割が求められるとしたら・・・この世で縁があって出会う人は限られている。出会うこと自体が奇跡であるといってよいかもしれない。そこで自分が頼られる時に、どうせなら良い結果を出したい。
勿論私たちはそのことで生活の糧となる金銭対価を得ている。それは何らかの支援を必要とする人に手を差し伸べるプロと言えるのだから、当然のことながら結果責任が生じる。そうした結果を出すための支援の具体的方法、介護サービスの品質。対人援助のプロとして私たちは、根拠を持ってそれらを創造し続ける必要がある。
だがその前に人としてしなければならないことを解かっていないとどうしようもないと思う。根拠ある介護と結果責任・・・それもこれもすべて人が人を敬うこと、人として他者を愛することから始まるのだろうと思う。
よく言われることとして、「努力が報われる社会であってほしい」という考え方がある。
しかしこの世の中には努力するチャンスを与えられていない人も存在するのだ。心身に重たい障害を持って生まれ落ちた人は、その機会に恵まれない。だからと言って人としての価値がないという考えは間違っている。
人は人として存在しているそのことのみに最大の価値があるのだ。それが人間尊重という考え方であり、社会福祉の価値前提でもある。だからこそハンデキャップを持つ人に、ハンデのない人が手を差し伸べるのは当然であると考えるべきではないか。
究極的に言えばそれは人間愛ということだろう。他人であっても人として人を愛する気持ちが介護支援を支えるのだろうと思う。
愛のない介護は、科学のない介護より始末が悪いと思う。
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※CBニュースの連載・快筆乱麻masaが読み解く介護の今112,「新人が成長・定着できる職場づくりは不断の努力で」が4/28・10時にアップされました。

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