僕がかつて特養の施設長を拝命した当時は、法人内どころか地域でも一番若い施設長であった。

その若造が組織改革に着手し、人材不足が叫ばれ始めた中でも全国から就職希望者が集まる人材マネジメントを展開し、組織経営者として数々の成果を挙げて法人規模も拡大したことから、現在のように個人事業主として独立した後も、介護事業経営や人材マネジメントをテーマにした講演依頼が多い。

しかしもともと僕は特養の相談援助職(当時の職名は生活指導員)が始まりであったため、ソーシャルワーカー(※ケアマネジャーも含む)としての実務経験も豊富で、今でも施設相談員をはじめとした相談援助職や、施設・居宅両方の介護支援専門員などを対象にした講演依頼も少なくない。

そこでは自分の過去の実務経験からの数々のケースを具体的に紹介しているので、非常にわかりやすいと評判も上々である。

国際医療福祉大大学院の石山麗子教授が、ケアマネジャーの受験要件である実務経験要件を外せない理由として、「大学でケアマネジメントの科目を教えている身として、高齢者の生活像までを想定するして教えることは非常に難しい」と国の検討会で述べているが、僕に言わせればそれは彼女の過去実務が偽物である証拠で、彼女の能力がそこに追いついていないからだと云いたい。

僕自身は、高齢者の生活像を様々に想定したケース紹介が得意である。実務経験のない若者にも、ケアマネジャーとして、バーンアウトせず実務に精通できるスキル獲得のお手伝いができると自負している。

そんな僕が、相談援助職の方を対象にした研修で必ず受講者の方々に伝えていることがある。それは福祉援助の光を利用者に届ける役割を持つ相談援助職にとって、一番重要なスキルは、「調整力」であるということだ。
光を届けるソーシャルワーク
環境調整・人間関係調整など様々な調整が対人援助の場では求められてくる。僕の造語である、「塩梅調整あんばいちょうせい)」もその一つである。
※塩梅とは、物事の具合を意味し、程よく物事を処理するという意味でも使われる言葉

介護職員の中には、糖尿病の持病を持つ人が、他の利用者と異なるおやつを提供されることに対し、何とかそうした制限をしなくて良くならないかと考ええる人がいる・・・その考え自体は間違っていない。できるなら暮らしの場での制限は必要最小限にすべきだと思うからだ。

しかし糖尿病という病気は、単に尿から等が出る病気ではなく、インスリンの働きが正常ではなくなって血糖値がコントロールできなくなる病気であるという基本を考えねばならない。

糖尿病自体は、自覚症状がほとんどなく経過し、日常生活も普通に送れてしまうが、その状態を放置すれば血管や内臓にダメーズが生じ、恐ろしい合併症を引き起こしてしまうのだ。場合によってそれは手足の切断に及ぶ状況を生み、切断した部分もさらに腐って痛みにのたうち回って死を迎えるという悲惨な状態さえ生みかねない。(参照:疾病の正しい理解が不可欠になるケアサービス

だからこそできるだけ病気による制限を抑制し、周囲の人々と比べて自分が差別を受けていると誤解されないような状態を創り出す努力は必要だが、それが実現可能か、どの程度まで実現できるのかを、できるだけ正確に答えを導き出すための調整を行うのがソーシャルワーカーの役割だ。

医師や看護師、栄養士やセラピスト、介護職間を行き来し調整し、一番良い塩梅に利用者の暮らしを近づけるように、一番良い落としどころの答えを出す過程が、「塩梅調整あんばいちょうせい)」なのである。

このブログ読者の皆様にも是非そんな言葉を覚えていただき、対人援助実務の場で使っていただきたい。


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