僕が初めて高齢者福祉の実践の場に出たのは、大学を卒業した1983年(昭和58年)に就職した社会福祉法人の特養で働き始めたときからである。

その時期、特養は「収容の場」から「暮らしの場」への転換が叫ばれている時期だった。

逆に言えば、収容の場としか言えないような特養もまだ多かったという意味だ。

収容とは、「一定の場所や施設にまとめて入れること」を意味する言葉で、人に対してこれを使う場合、「刑務所に収容する」というように使われることが多い・・・つまり当時の特養は、刑務所のように本人の意思とは関係なく収め入れられる場所であったのだ。

そこではほぼすべての行為が集団のルールという名の元、個人の意思やニーズに関係なく一斉対応されることが当たり前であった。

このブログで何度か指摘しているように、本来ならば老人ホームなどの介護施設や居住系施設に集団のルールを適用することは間違った考え方である。それらの施設は、集団論から言えば、「強いられた共同生活の場」というカテゴリーに分類され、適用されるのは共同生活のルールでしかないからだ。

しかも多くの利用者は自らの意思で特養に入所するのではなく、家族等の意思によって入所しているのだから、共同生活のルールと言っても、それはできるだけ緩やかに適用されなければならない。

だが実際には多くの特養で集団生活のルールは強いられていたし、集団処遇によって日課がこなされていた。
集団のルール
例えば入浴支援は、お風呂に入っている時間より、脱衣所に入る前の廊下に並んでいる(※実際は並ばされて放置されている状態)時間の方がはるかに長いという状態が当たり前であった。

排泄支援もしかり。個人の排泄感覚は無視され、施設が決めた時間に一斉にトイレ介助を行う状態だから、トイレは排泄する場所ではなく、単なるおむつ交換の場と化し、そのトイレに入るにも廊下に長く並んでいる必要があった・・・濡れた布おむつのままで利用者は放置されていたのだ。

そうした個別ニーズに合致しない方法を、一つ一つ変えていくことで、新しい世界が見えてきて、介護の仕事が面白くなり、やり続けることができた。

入浴支援は、施設の日課にあわせるのではなく、個人個人の生活習慣を尊重して個別対応するように変わり(参照発想が変われば暮らしが変わる)、排泄支援も個別に必要な水分量をチェック・調整することにより排泄パターンを調べてトイレ誘導する方法へと変わっていった。(参照水分摂取は大事だけれど

今振り返ってみると集団処遇の典型例は、「誕生会」であったかもしれない。本来なら、その人の生まれた日にお祝いを行う誕生会も、その月に生まれた人をひとくくりにして、毎月最終週の〇曜日が誕生会の日とされ、一斉に祝うことが普通に行われていた。

それを変え、どういう方法で祝ってほしいかという希望に合わせて、ひとり一人の誕生日にお祝いを行うこととした・・・ケーキを食べに外出したい・居酒屋に行きたい・家族を呼んで祝ってもらいたいetc・・・そこでは様々な希望が実現できた。

そんな負の歴史を経て、今現在の介護の質が生まれているのだ。現在からみれば随分遅れたことをしていると思われるかもしれないが、つい30年前はそれが当たり前の介護だったのである。

その歴史を知り、決してそこに後戻りすることなく、さらにもっと質の高い、個別ニーズに対応した介護を実現してもらいたいと思う。

例えば介護サービス利用者に対して、タメ口は有りか・なしかなんて言う素人の議論をいつまでも続ける介護ではなく、介護と医療以外の他産業と同様に、ごく当たり前に顧客に対するサービスマナーが徹底される介護業界になってほしいものである。

そう考えると、介護業界は未だに発展途上であると言える。
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