今週22日、関西と関東でそれぞれ、子が親を殺害するという事件が起こったが、両事件ともに介護問題が絡んでいた。

兵庫県姫路市では、64歳の息子が91歳の母親の首を絞め殺害するという事件が起こった。母親は要介護状態で、容疑者は約5年前から母親の介護を始め、今月から一緒に住み始めたという。

その後、容疑者や容疑者の姉が介護をしていたそうだが、逮捕後に容疑者は、「寝たきりの母の介護に疲れて殺してしまった」と供述しているという。

今月から同居するようになったということは、母親の状態変化によって、通いでは介護ができなくなったのかもしれない。しかし同居して介護を行ってみたところ、毎日繰り返さねばならない終わりの見えない介護に疲れ果てての犯行であったのだろうか・・・。

容疑者と被害者の二人暮らしの家庭に、介護サービスが入っていたという情報は今のところない。

介護保険制度の一つの目的は、「介護の社会化」であり、家族間で介護しなければならない負担を抱え込まなくて済むように、公的支援の手を届けるというものであるが、少なくとも姫路市のこの家庭には、公的支援の光は届かなかったのだろう。

もしかしたら容疑者は、介護保険制度というものの存在さえ知らなかったのかもしれない・・・。

介護保険制度施行から24年も経っているのに、公的支援の影に隠れるこうした家庭・こうした問題をどうあぶり出していくのか・・・地域包括支援センターは、「発見する福祉の拠点」であるはずだが、それは果たして機能しているのか・・・。

今回の事件を十分検証して、問題解決につなげるための知恵を出し合わねばならない。
介護の社会化の道は遠い
東京都国立市では、70歳の長女が102歳の母親の首を絞めて殺害するという事件が起こっている。

容疑者は「ポータブルトイレに母が移動できなくなり、自分が移動させるようになった。介護がきつくなって殺してしまった」と供述しているそうだ。

母親には週1回・入浴支援の訪問介護が提供されていたとのことであるから、担当ケアマネもいたのだろう。

そうした関係者が、容疑者の介護負担に気が付かなかったのかというような非難をするつもりはない。全くそのような様子を見せないで、ある日急に衝動的行為に及ぶケースはないとは言えないからだ。

だが殺人という行為に及ぶほど、介護に負担感を持っていた容疑者が、なぜ担当ケアマネ等に相談できなかったのかとう検証作業は不可欠だろう。

そうできない事情とか、切羽詰まった事情とかがあるのだろうとは思うが、それらをあぶり出して同じことが起きないような対策を練る努力はしなければならない。

同時に全国各地で利用者支援に関わる居宅ケアマネはじめ関係者は、顔で笑いながら心で泣いてる状態を誰にも見せずに、煮詰まって衝動的行為に及ぶ人がいるという事実に向き合い、それらの事件を対岸の火事と見ず、自分が担当するケースの中で、そのようなことが起きないようにするにはどうすればよいのかを真剣に考えてほしい。

介護する家族の、ちょっとした変化に気づかねばならない・・・表情が乏しくなった、口数が少なくなった、問いかけに上の空のことが多くなった・・・それは目に見える危険信号ではないかと思う。

どちらにしても介護の社会化は、スローガンとしては存在するが、その実現は道半ばである・・・しかし途中の道端に、要介護者の屍が累々と横たわるような社会はおかしい。

制度の光が創る影・・・そこに光を当てるために必要なことを日々考えたいと思う。
メディカルサポネットの連載、菊地雅洋の波乱万丈!選ばれる介護経営の7/25更新記事は、介護事業経営を左右する加算算定の考え方です。
菊地雅洋の波乱万丈!選ばれる介護経営
目次
文字リンクをクリックしてご覧ください。


※別ブログ「masaの血と骨と肉」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。