新年度に入って、会議に追い立てられて忙しい思いをしている人が多いのではないだろうか。

新設加算の算定要件としての会議や、あるいは基準改正において新たに義務付けられた会議が増えて、ケアサービスの場で利用者に相対するべき従業員が、勤務中に会議に出なければならない機会が増え、そのことが生産性を低下させるのではないかという危惧については、「増え続ける会議・委員会は生産性を低下させないのか」で論評したばかりだ。

だが今回の会議要件の乱発は、生産性を下げるという以前に、会議に時間がとられて介護ができないという本末転倒もここに至れりという状況を生んでいるように思う。
無駄な会議
例えば今回新設された、「認知症チームケア推進加算」は、対象者1人につき月1回以上の定期的なカンファレンスが必要とされている。

BPSDの改善のために統一した対応を心掛けるために、話し合いを行う重要性はわかるけど、カンファレンスを毎月繰り返さねばならないのだろうか・・・それも、「対象者1人につき」である。

認知症によるBPSDの症状がある人が複数いる場合(※複数いないケースの方が少ないが・・。)、全ケースに毎月カンファレンスの対象とせねばならない。いったい勤務時間は何時間あると思っているのかと言いたくなる。

そもそもこの加算は、複数人の介護職員から成るBPSDに対応するチームを組んでいることを要件にしている。各フロアでそのような少人数のチームが責任をもって対応しているのだ。そうであればBPSD対応のモニタリング等はカンファレンスという形ではなく、通常業務の連絡という形で十分共通認識をもって対応できるだろう。

よってカンファレンスという形の話し合いは半年程度の周期で行うだけで十分ではないのか。何より重要なのは、介護スタッフが介護の場にできるだけ張り付いて、利用者との対話を含めた対応時間をとることではないのだろうか・・・。

しかしながら実際には、認知症チームケア推進加算のために毎月カンファレンスを義務付けする要件や、そのほかに3月ごと、6月ごとなどの複数の会議要件が新設された今年度以降は、介護職員もそこに参加せねばならない機会が多く、ケアする時間が削られている。

介護は利用者に接してなんぼという本質を無視している要件としか思えない。事件は介護現場で起きており、介護現場でしか求められる介護はできないのだ。

そもそもこれだけ会議を重視するのは、頭脳としての役割を担い続けてきた官僚の発想でしかない。彼らは自分が頭脳役として考えることで、そこで決定されたことは誰もが従い、それによって世の中の仕組みがかあるという経験則を持っている。

介護の現場も同じように考え、頭脳の役割が発揮できさえすれば、その決め事に沿って何もかもが良い方向に動くのだと単純に考えているのだ。

そこにうごめく人間の感情など無視されている。そもそもこれほど多くの会議要件をクリアするために、介護の場から職員が大幅に削られることになるなんて考えていないのだ。官僚の現場はデスクであり、デスクの成果を会議でアピールする仕事しかしていないから、そんなことは想像外になるのだろう。

介護の場で、こうしたナンセンスな会議要件に対応するためには、認知症チームケア推進加算のための毎月の会議なんて必要なしと考えて、必要とされるケアの実施状況の確認程度で、できるだけ短時間に話し合いを済ませるように努めるべきだ。

同時に、スタッフが一堂に介して会議を行う必要もないと考え、スマートホンなどを用いて施設内の業務を行っている場所で、オンライン会議で済ませれば良いと思う・・・ここはICTを最大限活用するところだろう。

それにしても・・・このブログの読者の皆さんは、本当にこれだけの会議が必要だと思っているのだろうか?


※別ブログ「masaの血と骨と肉」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。


masaの看取り介護指南本看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。
きみの介護に根拠はあるか
新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは(2021年10月10日発売)Amazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。