介護関係者であれば、介護の社会化という言葉を知らない人はいないだろう。

この言葉は1980年代を通して、介護の負担が多くの家族を苦しめていることが大きな社会問題になっていた際に盛んに使われた言葉である。

介護問題を個人の問題と放置せず、社会問題としてとらえ、介護の負担を個人や家族で抱え込むのではなく、専門的な介護サービスを皆の負担で(税や保険料で)確保していこうとする考え方である。

そのために新たな国の財政支出及び国民負担が増えたとしても、社会的に介護を保障することが必要だとする意見が90年代に急速に強まったのである。

その考え方が介護保険制度の創設につながったことは今さら言うまでもないが、当時の政治的流れなどを知らない世代が、介護関係者にも増えてきた。

当時のことを鮮明に記憶していない方や、経緯をよく知らない方々には是非、「介護保険・夜明けの雷鳴1」・「介護保険・夜明けの雷鳴2」・「介護保険制度へと続く道」・「介護保険制度誕生前に吹き荒れた嵐」という一連の経緯をまとめた過去記事を参照いただいて、介護保険制度ができるきっかえや経緯、その中での紆余曲折などの歴史を理解していただきたい。

リンクを貼った記事を読むとわかるように、介護保険制度の創設は、戦後初めて社会保障制度の抜本的改革が行われたという意味であり、大改革であったのだ。

だが介護保険制度創設から24年・・・来年は四半世紀を経る制度ということになるにもかかわらず、介護の社会化が実現したとは言い難い。
まだ険しい道のり
先週も次のようなニュース報道がネット配信されている。
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ABCニュース:関西ニュース(05/14 10:03 配信記事の転載)
大阪市で90歳の男性が首を絞められた状態で見つかり、その後、死亡が確認されました。警察は息子を逮捕していて、介護疲れが動機とみて調べています。

5月14日午前4時半ごろ、大阪市港区の理髪店で「父親が死んでいます」と消防に通報がありました。警察がかけつけたところ、店内で王森一民さん(90)が意識不明の状態で見つかり、その後、死亡が確認されました。当時、店内には理髪店を経営する息子の王森浩嗣容疑者(61)がいて、警察は殺人未遂の疑いで逮捕しました。

(近所の人)「仕事もあるし介護と両方1人でするのは大変だったのかなと。私らにできることがあれば」

王森容疑者は父親の一民さんと2人暮らしで、調べに対して「介護に疲れた」と容疑を認めているということで、警察は容疑を殺人に切り替えて調べを進めています。
ネット配信記事転載ここまで
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事件は決して介護放棄の結果、起きたわけではない。容疑者となった長男は、日ごろ自営の理髪店を切り盛りしながら、父親の生活全般の面倒を見ていたのだろう。61歳の男性一人でそのような暮らしを続けることは決して簡単なことではなかったと想像がつく。

被害者は介護サービスも利用していた模様で、毎週通所介護を利用していたという報道記事もある。そうであれば居宅ケアマネが担当していた可能性も高いし、訪問サービスなども利用していたのかもしれない・・・決して長男ひとりで、父親の介護負担を抱え込んでいたわけではないのだ。

にもかかわらず、「介護に疲れた」という理由で父親を死に至らしめてしまったケースである。このような悲劇をどう防ぐことができたのだろう。

本件のような事件が起きると、担当ケアマネや居宅サービス事業所の担当者が、主介護者の介護疲れなどの煮詰まった状態に気が付かなかったのかと非難されることもあるが、そうした状態に気が付くのは容易なことではない。

介護サービス利用者に接する機会が多くとも、主介護者に接する機会はさほど多くない。通所介護の送り迎えや、毎月のケアマネのモニタリング訪問の際にそうした機会があったとしても、心の弱さを他人に見せまいと取り繕う家族も少なくない。多少元気がない様子が見られても、日ごろ献身的に介護を行っている人が、このような事件を起こすなんてことを想定することは困難だ。

むしろ事件が起きるまで、そんなことが起こる兆候も見えないというケースがほとんどであり、関係者が気づかなかった責任を負う必要なんてないケースが多いのである。

だからと言って、こうした事件が起きたことは仕方がないと投げ出すようなことがあってはならない。

少なくとも介護関係者は、こうした事件が繰り返されないように何か対策ができないかと考え続ける必要がある。

主介護者が誰にも相談できずに煮詰まってしまわないように、心の底に巣くう思いを打ち明けられる関係性をケアマネジャー等が作るためにどうしたらよいのか・・・その方法にエビデンスはないので、あくまで個別の対策として、対象者の人となりを見据えて考え続けなければならない。

答えは見つけられなくとも、考え続けることや、想像し続けることをやめてしまえば、解決策は永遠に見つけられなくなることだけは間違いない。

そうした袋小路を創らないようにアプローチする責任が、社会福祉援助者にはあるのだと思う。

そういう意味で言えば、ケアマネジャーは自分はケアプランを作る人ではなく、相談援助の専門家であることを利用者や家族にアピールして、どんな時でも、どんなことでも相談を受けられるような関わり方をしなければならないと思う。


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