政府は今月13日、今年1〜3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人が全国で計2万1716人(暫定値)確認され、うち65歳以上の高齢者が約1万7千人で8割近くを占める現状を明らかにし、年間の死者数は約6万8千人と推計されるとした。
誰にも看取られず、自宅でひっそりと亡くなり、死後にその遺体が発見されるケースは、孤独死あるいは孤立死と呼ばれている。
孤独死と孤立死の概念は微妙に異なっており、以下のような意味であると云われている。(※国が定めた正式な定義ではなく、社会通念上の意味合い)
《孤独死とは》
家族や親族、近隣住民やホームヘルパーなど日常的に交流している相手はいるが、死亡時にはそばに誰もいなかった状態
《孤立死とは》
仕事や社会的活動をしていない独り暮らしの方が、社会的に孤立した状態で誰にも知られず死亡した状態
孤独死であっても、常日ごろ必要な支援を受け、日常生活が正常に営まれているならば、それはひとり死であって問題なく、むしろ超高齢社会である我が国においては、そうした亡くなり方があり得ることを理解して在宅生活を選択すべきであるというのが、地域包括ケアシステムのコンセプトの一つである。(参照:在宅ひとり死を他人が推奨する社会は怖い社会かもしれない)
しかし孤立死とは、社会との接点を失うか、その接点が希薄になった人の死に様であり、それは死に至るまでの間に、当事者を悲惨な状態に陥らせるケースも少なくない。死に至る過程で緩和医療や緩和ケアが必要なのに、それを受けられないことで、痛みにのたうち回って死に至る悲惨なケースも生み出す。
そのような孤立死を余儀なくされる人の中には、亡くなった後に長期間放置され、遺体が発見された後、特殊清掃が必要になる人も少なくない。
そうした亡くなり方をする人の7割以上が男性であるといわれている・・・男性は仕事をリタイヤした後、自分が住む地域等で、仕事以外の関係性を他者と築くのがいかに下手であるかという証明だろう。
こうした人たちが、通所介護等に通ってくれるとしたら、孤立死は減っていくのだろうが、それは簡単ではない。むしろ今後の地域社会では、軽介護者の通所介護が地域支援事業化されることによって、軽介護者はできるだけサービス利用しない方が良いという誤解が生じ、益々孤立した高齢者がサービス利用しずらくなり、制度の光が届きにくくなる懸念がある。
そうならないような働きかけが必要である。
また通所サービスの運転業務に関わっている人が、送迎対象者の自宅周辺に、どのような人が住んでいるかを知悉して、送迎時に窓のカーテンの開閉状態や、物干しざおに干されている洗濯物の状態などを観察して異変を察知することも重要になる。(参照:地域包括ケアには怪しい人が求められる?)
そういう意味では、介護の専門資格や専門知識のない運転専門の方々であっても、自分自身が地域包括ケアシステムを担う一員であるという使命と誇りを持つことができるように、職場全体でその意識を浸透させる取り組みが必要だろう。
高齢者の状況確認の取り組みを行っている地域を参考にしたシステム構築も考慮に入れたい。
例えば大阪のベッドタウン・豊中市では、「見守りローラー作戦」と名付けられたボランティア活動が行われている。小学校区ごとに選ばれた校区福祉委員と呼ばれる住民ボランティアと、民生委員がチームを組み、地域の全世帯を回り安否確認しているのである。
地域包括支援センターが音頭をとって、こうした支援活動ができないかを話し合う場を設けてほしい。
そうしないと近い将来この国は、隣人の存在を死臭によって初めて知るような寒々しい地域社会ばかりになってしまうだろう・・・そうしないための取り組みは、今から始めなければならない。
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