介護事業者で働こうと思う人・現に働いている人のすべてが、志を高く抱いてその仕事を選んでいるわけではない。
どこか就職先がないかと探していた人が、たまたまたくさん求人が出ている介護事業所の募集を目にして、「資格も経験も必要ありません」という謳い文句につられて応募したら、面接時に即採用が決まって働き始めたという人は少なくない。
だが働く動機づけは様々であって良く、志を持たずに就職したからと言って、それが非難されるいわれはない。
要は就職した職場で知識を得て、技術を磨く過程で、自分なりの志を抱くことができれば良いだけの話である。
他業種・異業種から転職した人も、新たに出会った介護という仕事の中で、それにふさわしいスキルを伸ばしていけば良いだけの話である・・・場合によって、そのことは自分の新たな才能や可能性を見つけることに繋がるかもしれない。

介護という仕事は、様々な方の人生に触れる仕事でもある。自分以外の誰かの生き様に触れ、人生というステージの奥深さやに気が付いて、自分自身が人として成長するきっかけを掴むことができるかもしれない・・・そんなふうにポジティブに介護の仕事を生涯の仕事として選んでくれる人が増えてくれれば良いのだが・・・。
高齢者介護の場合、自分より長く生きてきた人の歩みを見つめることが多くなる。そこで何を感じ、何を考えるかによって、自分自身の知性とか、人としての品格にもかかわってくる。
介護を必要とする人は、心身に何らかの障害をお持ちの方であり、中には子供帰りしている認知症の人も居られる・・・そういう人に触れあう時に、ただ単に幼児を観るような目で「可愛い」という感覚に陥るだけの人間になるのか、そうした子供帰りしている人の背景にも、その人が守り育ててきた家族の存在があることに気づいて、人として敬う気持ちを忘れない人でいるのかという分かれ道が存在している。
多くの場合、それは就職した職場の環境に左右される問題だ。
誰かの人生に関り、介入する仕事であるのに、人を敬うことを忘れ、心身に障害を持つ人を馬鹿にしたり、蔑視したりする人しかいないような場所に就職した人は、己の品性を磨くことができる視点を持つことは難しいだろう。
そこでは志なんて持てない仕事に終始し、人としての品性を失いながら、利用者をまるで物のように扱ってなんとも思わない鉛のような鈍い心しか持てなくなる。
一方で、認知症の人に対しても、子ども扱いせずに丁寧に接し、人として敬う態度を失わない人がいる職場に就職した人は、ごく自然にその姿勢を学んで、同じように心身の障害を持つ人に寄り添えるようになるだろう。
そういう職場に就職した人は、ごく当たり前のように介護という職業に使命感を抱くことができ、自分が選んだ介護という仕事に誇りを感じることができるようになる可能性が高い。そして一人の人間として見識を高めて己を成長させていくことができるようになるだろう。
新年度から皆さんの職場に新しく加わった仲間が、今時点でどちらの方向に向かっているのだろうか・・・その結果は、皆さん自信の人間としての品格の通信簿である。
※別ブログ「masaの血と骨と肉」と「masaの徒然草」もあります。お暇なときに覗きに来て下さい。
北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。
・「介護の誇り」は、こちらから送料無料で購入できます。
・masaの看取り介護指南本「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」(2019年1/20刊行)はこちらから送料無料で購入できます。

新刊「きみの介護に根拠はあるか〜本物の科学的介護とは」(2021年10月10日発売)をAmazonから取り寄せる方は、こちらをクリックしてください。