気象変動の影響があるのか、我が国はここ何年か毎年大きな自然災害に見舞われており、今年の元日も能登半島地震で年が明けた感がある。

どれだけ警戒しても自然災害に見合われてしまえば、人の力でできることには限りがある。だからこそ過去の災害を振り返って避難経路の確保など、できることはしっかりしておかねばならない。

介護事業者に課せられたBCPの策定も、義務だから策定するのではなく、それが利用者や従業員の命を護るために必要不可欠だから策定するという考えがなければならない。

そんなことを考えたのは今日が3月11日という日だからである。13年前のこの日、東北地方を中心に起こった東日本大震災は、3.11という数字を私たちの記憶の中に深く刻み込んだ日でもある。

大地震と津波・・・そして原発事故という大災害の記憶は決して消えることはないだろう。

最初の地震発生時刻は2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒・・・あれから13年目の同じ時刻が目前に迫っている。

今日も僕はその時間、静かに目を閉じて被害に遭って亡くなられたすべての方を悼みながら黙とうを捧げようと思う。

13年という月日が流れても、被災地にはまだ哀しみが漂っている。

去年、岩手県介護福祉士会のお招きを受けて、大きな被害を受けた地域の一つ釜石市に訪れ講演を行う機会を得た。

講演を行った翌日、研修主催者の方々に、被害に遭った場所やその周辺地域を案内していただく機会もいただいた。
東日本大震災から13年
震災から復興した釜石市には、大災害の記憶を忘れないための建造物等が残され、そこには未来への教訓も刻まれている。

しかし人々の心の中には、まだ鮮明な記憶として災害時の恐怖や、失われたたくさんの人々を思い浮かべての悲嘆感が残されていた。

福祉・介護関係者の中には、自分の力が及ばず救えなかった命があることを悔やみ、それがあたかも自分の責任であるかのように感じ続けている人も居る。しかしそれは違うと言いたい。自然に向かい合う時の人の力は本当に小さなものだ。自然災害が発生したその瞬間に、すべての人が最善の判断ができるはずもない。それは神ならざる人間の宿命でもある。

力及ばず救えなかったものを、すべて自分のせいにする必要はないのである。むしろそこで生かされ、今を生きている意味を考えてほしい。

きっとそれも天の意思である。

あの震災で亡くなった方が、もし再び生まれ変わる日があるとすれば、この日本の、その場所で生まれ変わりたいと思う地域づくりを、あなたやあなたの仲間に託しているのだと思う。

僕自身も、自分がここで生かされている意味を、そう考えるようにしている。だからこの国を良くしたいと思う。その為に僕ができることは、自身が関わっている対人援助・介護事業の質を少しでも向上させ、人々の豊かな暮らしを支援できる方法を創り出すことだと思っている。

僕のこのブログも、あの震災の直後に一気にアクセス数が減った。被災地で被害に遭われた方がアクセスできなくなったのと同時に、僕が一度も逢ったことがない、見ず知らずの読者の方の幾人かが、あの震災で命を落とされたのかもしれない。

その人たちがしようと思ったこと、志半ばで逝った人たちが成し遂げたかったことを想像し、その人たちに替わって成し遂げられることができるものがないのかを考え行動し続けたい。

今この時間、この瞬間に生かされている私たちには、それができるのである。そのことを決して忘れてはならない。

あと2時間と少しあと、その方々のことを思って祈りたい。お亡くなりになられたすべての方々に対して、心を込めて手を合わせたいと思う。


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