昨日、「身体拘束廃止の取り組みが今更強化される意味」という記事をアップし、人にとって豊かな暮らし、生活の質とは何かという問題提起を行ったばかりだ。

しかしそのすぐ後に、北海道・函館市の特別養護老人ホーム「恵楽園」で、日常的に身体拘束が行われており、問題となっているというニュースが道内を駆け巡った。

身体拘束の状況は、入所者の同意を得ずにシーツで縛ったり、落下の恐れがあるとしてベッドを柵で囲うなどしていたというものだが、コロナ禍で面会制限が行われた以後は、特にその状態がひどくなり、日常的に拘束がおこなわれていたという。

下がその状況を撮影した画像である。
函館恵楽園の身体拘束
ズボンがずり下げられて、おむつ姿で下半身が丸出しの状態でベッドに寝かされている画像もある。身体拘束も問題だが、このような羞恥心に配慮のない状態も問題視されるべきではないのだろうか。

下記のような画像も撮影されている。
函館恵楽園の身体拘束2
認知症とされる入所者の方が、足をベッド柵に挟んで座っている。見た通り座位保持に全く問題はない。

このような方を4点柵で囲って、行動制限する理由がどこにあるのだろうか・・・。

しかしこの状況に対する経営法人の考え方は驚くべきものだ。

施設を運営する社会福祉法人恵山恵愛会菅龍彦理事長は、「身体拘束があったことは事実で反省しているが、虐待を指摘されるようなことはしていない」と強弁しているのである・・・「職員が介護に必要だと考えて行ったもの」・「短時間であれば許されるという考えがあった」などとも述べている。

世間の常識からかけ離れた、この理事長の感覚はどうしようもない。そもそも問題となっている身体拘束は、切迫性・非代替性・一時性の3要素が備わって緊急やむを得ず行っている拘束ではない。介護職員の仕事が楽になるようにという理由で行っている破廉恥な行為である。

それを虐待といわずに、何をもって虐待というのだろうか・・・。

そもそも身体拘束は介護ではない。介護の介は、『心にかける』という意味であり、介護の護は、『まもる』という意味である。心にかけて護る行為と、身体拘束は対極にあるものだ。

よって菅理事長の屁理屈と強弁には、一片の道理も見出すことはできない。

さすれば、この法人の従業員教育とはいかばかりのものであったかは容易に想像がつく。まともな倫理教育などしていないし、ましてや利用者に対する人権意識やサービスマナー意識を植え付ける教育など、まったく行われていないのだろう。

その結果、特養という終の棲家が、永遠なる人権侵害の場に化しているのである。

それにしても拘束することそのものが虐待であるという認識がない場所で暮らしている人は悲劇であるとしか言えない。

こういう理事長は、即刻介護業界から退場願いたいものだ・・・社会福祉法人恵山恵愛会の評議委員会は、理事長責任を徹底的に糾弾せねばならない。

介護関係者の皆様は、この酷い状況を対岸の火事と見ず、わが身に起こることかもしれないと考えて、そうならないように日ごろの人権教育・サービスマナー教育に努める必要があることを、改めて心に刻んでいただきたい。


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