昨日までの3日間、静岡市清水区に滞在していた。

ご存じの方も多いと思うが、平成の大合併以前、清水区は静岡市の一部ではなく清水市としての独立行政地域であった。

清水の次郎長でも有名な地域名が区として残っているとはいえ、清水市という市町村名が消えてしまったことは少し残念な気がする。だがこれも人口減少社会に向かう我が国・日本で必要なことであり、ある種の宿命なのだろうか・・・。

それはともかく静岡といえば、天気がよければ富士山を観ることができる地域である。

昔、東京から新幹線で静岡より西へ向かう際には、富士山の見える側の席を指定したものである。しかしいつの間にかそんなこともなくなり、道中富士山を見ないで通り過ぎることも多くなっていた。

それでもやはり現地に滞在した折は、富士山が見える方向はどちらかを必ず確認して、その姿を見て感動するのが常である。

今回宿泊した清水駅近くのホテルの部屋は、窓越しに正面に富士山が見えるというロケーションの素晴らしい部屋だった。
朝日に照らされた富士山
滞在中、天気も良くずっと部屋からは富士山が見えていたが、11日の朝6時ころに窓越しに見た富士山は、昇ったばかりの朝日を浴びて、朝焼けの中に浮かぶような美しさだった。(※スマホ撮影のため画質がイマイチで、その美しさが十分伝わらないのが残念ではある。

静岡の方は、いつもののような神々しい富士山の姿をみられるのだなと羨ましく思った。

だが日本中にこうした美しい光景はあるのだと思いなおした。そうした各地の美しい風景を観ることができる暮らしや生活習慣を護るのが介護という職業の使命でもあるのではないだろうか。

だからこそコロナ禍が終息していないという理由で、今もなお外出制限を続け、故郷の名所を目にすることさえできない人がいることを憂いてほしい。それほど長期に渡り、なおかつ厳格に制限する権利が介護事業者にあるのかということに考えを及ばせてほしい。

制限は馬鹿でもできるのだ・・・いやそれは鈍感な馬鹿であるからこそ、抵抗なく行うことができる行為なのかもしれない。

しかし例外を作るために工夫したり、何かを実現するために新たな方法を創造することは知恵のある者にしかできない。私たちは介護支援のプロとして、利用者の暮らしの質を護り高める知恵を持たねばならない立場にいる。そのための知恵を備えている専門家であると言えなければ偽物といわれても仕方ないのである。そのことを決して忘れてはならない。

それと同時に、この国では「介護」と称する劣悪ビジネスも存在することに目を向けねばならない。

築何十年も経ち、人が住めないようなオンボロの中古アパートを借り切り、そこに生活保護受給者を住まわせて、訪問介護を支給限度額ぎりぎりまで利用させる事業者が存在する。

地域を巡回しないそのような事業者により、密室化したアパートの一室で命が果てるまで置き去りにされるその人たちは、訪問介護を受けるような身になってからの数年間、故郷の景色を観ることもなくこの世を去っていく。

そんな介護であって良いのだろうか・・・。

私たちの職業は、人を不幸にさせる職業ではないはずだ。人に哀しみを与える職業ではないのである。

そうした当たり前のことを忘れずに、自分が居る場所を見渡し、声を挙げ、アクションを起こさねばならない。介護の闇を深めるものを糾弾し、温かな光をすべての地域住民に届ける努力を惜しんではならない。

介護報酬改定のたびに、同一建物減算がなぜ拡大・強化されていくのかを、深く考えなければならない。

そんなことをホテルの部屋の窓越しに、富士山を眺めながら考えていた・・・。

ところで僕が宿泊していた清水駅前近くのホテルからは、清水港もすぐ近くにあり、そこで水揚げされる魚はどれも旨かった。特に鮪が絶品だった。

そこで9日と10日の夜にたべたものは、僕の食ブログmasaの地と骨と肉の、「日本の先行きは、マグロ経済に左右されます」・「錯乱エビ、アン飲んでトレビアン」で詳しく紹介しているので、そちらも参照してほしい。

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