社会福祉援助にとって、無差別平等の精神は決して忘れてはならないものである。

社会福祉援助者自身が、援助対象者を差別することがあってはならないし、自分の価値観が偏見に繋がって業務に支障が出ないように自己覚知に努めて、無差別平等の対人援助を貫く必要がある。(参照:価値観が変化する自分を覚知するために

しかし他人を差別せず、平等に取り扱うべきだからといって、自分が差別的に扱われていることを強調して、自分を差別するなとSNSに書き込んで盛んに訴える人には違和感を覚えることがある。

世の中とは、不平等なものが存在しているものなのである。それを知っている僕たち社会福祉援助者は、利用者がそうした不平等にさらされて不利益を得ないように支援するのが仕事である。

だからといって自分に対して、世の中の不平等な不利益をすべて振りかけるなといっても、それはない物ねだりではないかと思うのである。
世の中は不平等
繰り返しになるが・・・人の世はすべてが平等ではないのだ。それが現実だ。

才能に恵まれている人、環境に恵まれている人もいるけれど、それとは正反対の人々が間違いなく存在している。

だから何だと言いたい。だからこそ人は努力すべきである。自分を向上させられるのは自分でしかないのだ。SNSでその状態を他人のせいにして批判を繰り返して何が変わるのだろうか・・・。

だからといって努力がすべて報われるとは言わない。人間には努力が不可欠であるが、同時に生まれながらの才能や環境、そして運に左右されることも少なくはない。努力が徒労に終わることも少なくないのだ。頑張っても結果が必ずついてくるとは限らないのである。

そういう意味では、実質的な機会の平等を求めるあまり、不本意な結果を得た人に対して、「努力しなかった本人が悪い」と決めつけることも問題ではある。

成功したものは、「自分は運も良かった」と自覚し、他人を思いやる気持ちを決して忘れてはならない。

しかし失敗した者も、ことさら自分の今置かれた状況を不平等だと強調して、それを変えろと訴えるばかりでは、ポジティブなものは何も得られないと思うのである。

平等とは他者を護るために訴えるべきものだ。自分に対してそれを求め、自分が不平等だと嘆いたり、その状態を他者批判に向けるだけの行為は、負け犬の遠吠えでしかない・・・いやそれはむしろ愚痴の垂れ流しというレベルでしかないかも知れない。

それは己の恥をネット上にさらしている結果にしかならない。






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